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|HIV/AIDS|中国|河南省のエイズ孤児、重い口を開く

【北京IPS=アントアネタ・ベズロヴァ】

中国河南省で、政府の売血プログラムに協力した多くの貧しい住民がHIV感染をしたというスキャンダルが2001年に明るみにでて以来、中国政府は、ゆっくりではあるが、表面化しつつあるエイズ危機に対して、従来の独善的かつ時には攻撃的であった姿勢を改めつつある。

2003年12月、中国政府が国内におけるHIV感染に関して問題を公表した際、保健問題の専門家たちはエイズ問題に対する中国政府の方針転換に拍手喝采を送った。中国の指導者層はHIV/AIDSをもはや外国の問題とは見なしていないし、国内で深刻化しつつある現状を隠そうとはしていない。温家宝総理が昨年「エイズは国家を破壊しかねない」と警告したように、今や中国政府はエイズ問題と正面から取り組む覚悟をしている。

その中国において河南省の数千にのぼるエイズ孤児の状況ほど、エイズ問題の深刻な未来を示唆しているものはないだろう。中国において、彼らは2重のハンディを負っている:孤児であることと、エイズで死亡した人々の元に生まれたことである。彼らは両親不在の中、親の愛情や世話、教育を受けることなく生きていかなければならない。

Map of China
Map of China

 生活のために売血して(エイズ感染し死亡した)両親に残された孤児の話は、かつては隠蔽・検閲の対象とされたが、今日では徐々に知れ渡るようになり、地元官僚はスキャンダルの発覚に言葉を失っている。話の一部は河南省のソーシャルワーカーが集めたものが伝えられた。また一部は、2003年に中国における対エイズ活動が評価されてマグサイサイ賞を受賞したガオ・ヤオジェ博士が近く出版予定の河南省のエイズ感染を取り扱った本に掲載される予定である。

「私はシンカイ郡ドンフー村生まれのウェンです」。近親者の死亡日を克明に綴った日記の主である17歳の少女は記している。「2000年8月。私の両親は売血したことが原因でエイズを発症。私の家族は貧しく、両親は医者に診てもらうためのお金が必要でした。私は当時中学2年生だったけど、両親の看護と家事をするために学校を辞めなければなりませんでした」

「2000年12月、母他界…」

「2001年8月19日、父他界。家には11歳の弟と私が後に残されました。両親が残してくれたものは約500グラムの小麦粉、僅かな現金、雄牛1頭と豚1匹だけです。でもそれらは叔父さんが持ち去ってしまいました。弟と私はお腹を空かして、3つのがらんとした部屋を見つめるしかありませんでした。私は時々、両親が私たち兄弟のために食事を作ってくれる夢を見たのを覚えています。でも目を覚ますと、目の前にあるのは空っぽの粘土屋根と風と雨の音だけでした」

ウェンの両親は、他の多くの農民と同様、1990年代に政府の採血所で売血をしたことが原因で感染した。多数の提供者が同じ採血装置に繋がれたことから、感染者ウィルスが装置を介して多くの提供者の体内に広がっていった。

当時財政難に悩む河南省の役人たちは、医療費を捻出する手段として血液の売買に飛びついた。そして一旦血液ビジネスに手を染めると、血液の売買が禁止された後も、豊富な収入源を手放そうとはしなかった。

エイズ感染で大きな被害を蒙った河南省で15年に亘って活動してきたガオ氏の推計によると、河南省の58郡において平均2万人が売血をしていた。この推計に基づけば、河南省だけで100万人の農民が社会的にタブーとされている売血により感染したことになる。ソーシャルワーカーの証言によると、河南省のある郡では、必要な治療費が捻出できず村全体の大人が死の床にあった。

「皆、大変苦しみながらも、次から次に亡くなっていく」と3年前からエイズが蔓延した河南省の村を訪問しているソーシャルワーカーのチュン・トーは言う。「エイズ感染者がより人間らしく尊厳を持って死ぬのを手助けするのには、あまりにも時間がなさすぎる。しかし(残された)孤児たちに出来ることは沢山ある」と、チュンはIPSに語った。

香港に拠点を持つチュン・トーのNGO「チー・ヘン財団」は、現地当局の警戒をかわして現地でエイズ孤児の就学支援を開始することができた数少ない団体である。「郡によっては支援を拒否されたところもあります」と、チュン・トーは振り返る。「しかし、どこにいっても私たちの活動は『火消し作業』に過ぎないという点を強調することにしています」「私たちは放火犯(エイズ蔓延の責任者)を探そうとしているのではなく、火を消そうとしているのです」

3年前、チー・ヘン財団は400人の孤児の教育費を支援するプログラムを開始した。今日、支援対象者は2000人に増加し、最も若年者で5~6歳、最年長者で大学進学の準備をしている。

ハーバード大学を卒業して香港で金融業を営んでいたチュン・トーは、自らの貯蓄を使ってこのプログラムを始めた。中国での義務教育は9年、子供たちが学校に留まるために必要なものは、教科書代と様々な雑費である。一学期に必要な学費は僅か300元(36米ドル)だが、その金額は、日々の糧でさえ親戚に依存せざるをえない孤児たちにとっては、手の届かない額である。

さらに河南省は中国でも最も貧しい地域であり、大躍進(※1958年に毛沢東が発動した急進的増産運動、2000万人以上の餓死者が出たといわれる= IPS Japan)に続いた数年に亘る飢饉で、100万人の農民がこの静かな僻地で餓死した。今日においてさえ、農民の多くは土壁の家に住み、年に約300米ドル程度の収入での生活を余儀なくされている。

「子供たちが義務教育の9年間を通して学校に通えるように支援するためには3000元(362米ドル)が必要です」とチュン・トーは言う。

彼は当初、なんとか元同僚や米国の慈善団体から資金を集めたが、今日では財政難のため、途中で孤児達への支援を諦めなければならないかもしれない事態を恐れている。「私の夢は、孤児達1人ひとりのためにトラストファンドを設立することです。でも今は、一学期ごとに、資金集めに奔走しているのが現実です」と打ち明ける。

ガオによる河南省のHIV/AIDS患者数から推計して、同省全体でのエイズ孤児数は100万人近いと思われる。公式統計では、河南省でHIV/AIDS患者と確認されたものは僅か3万5000人であるが、そのうち900人は既に死亡している。一般に保守的と考えられている同公式統計を当てはめたとしても、エイズ災禍の影響を受けた子供の数は4万人から8万人にのぼる。

幸い残された孤児達で自身がHIV感染しているものは大変少ない。しかし感染した子供は、学校をドロップアウトしていった。また、多くがいじめの対象にされ、中には自殺したものも数十人にのぼる。

常日頃から「子供は国家の輝かしい未来」と子供重視の姿勢を表明してきた中国共産党政府にとって、エイズ惨禍に見舞われた子供達の話は、内政の不安材料となっている。政府は、このエイズの流行を放置しておけば遠隔地における大規模な抗議行動へと発展する引き金になりかねず、将来的には深刻な社会問題を引起しかねない、と次第に警戒感を抱くようになった。

昨年、政府は河南省において、エイズ孤児となった子供達を対象に寄宿舎学校を建設し、無料で教育を提供する大規模な施策を実施した。その結果、河南省全体で「太陽の家」と名づけられた学校が22校建設された。しかし、その多くが子供達不在のままとなっている。

「子供たちは、その施設では孤立しているように感じるのです」とチュン・トーは言う。「なぜなら河南省の者なら誰でも『太陽の家』に住むこと=その子供の両親はエイズで失くなった、ということを知っているからです」  

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

国際女性デー、性奴隷にとっては絵に描いた餅

【パリIPS=ジュリオ・ゴドイ】

年間数百万人に及ぶ欧州への旅行者のうち、数十万人が性奴隷という身の上となっている。彼女たちにとって、国際女性デーは、ほとんど何も意味しない。

「この問題における数字については実に慎重を期す必要があります」と、フランス人弁護士でこの度出版された人身売買と性奴隷をテーマとした本の著者マティアダ・ンガリピマ氏は、IPSの取材に答えて語った。「しかし、性的搾取に反対して活動しているほとんどの多国籍機関やNGOも、欧州においては年間20万人から50万人が非合法な人身売買組織の犠牲者となっているという点で合意している」

 人身売買の犠牲者のほとんどは若い女性で、後に売春行為やポルノ作品のモデルを強要されている。また犠牲者の子供の中には、虐待を受けたり、強制的に麻薬取引に引き込まれるものもいる。
犠牲者の中で最も多いのは南からの流入者で、マグレブ地域(アフリカ北西部のモロッコ~リビア地域)やアフリカから欧州の地中海沿岸に上陸してくる。その他犠牲者の流通ルートには、バルカン半島からギリシャやイタリアを経由するものと、東欧からドイツを経由するものがある」とンガリピマ氏は言う。

国連児童基金の推定では、東欧からの性奴隷にされた犠牲者の10%から30%は未成年者である。
国連は人身売買と移民の密入国を明確に区別して捉えている。国連の報告書によると「移民の密入国の場合、危険かつ非人間的な扱いの下で行われる場合も少なくないが、密入国者はその手続きを承知している」「しかし人身売買の場合、犠牲者は全く同意していないか、あるいは最初の段階で同意したとしても、その同意は運び屋による強制、詐欺、虐待によって獲得したものであり意味をなさない」

「もう1つの大きな相違は、密入国の場合、密航者が目的地に到着した時点で密入国プロセスは終わるが、人身売買の場合、運び屋が不正な利益を挙げるために継続的に搾取が行われる」と国連の報告書は指摘する。欧州警察の推計では、人身売買から挙がる収益は年間数十億ドルにのぼる。

ンガリピマ氏は、今月出版予定の著書『性奴隷:欧州の試練』の中で「性奴隷と人身売買の問題は欧州が直面している最も緊急な課題である」と指摘している。

「欧州連合が最も緊急に求められていることは、各国の多種多様な法律をすり合わせ人身売買の禁止を規定した国連協定に十分合致した内容に調整することである。そして、この問題を今日のように縦割りで取り扱うのではなく、地球規模の共通ルールに則って対処すべきである」とンガリピマ氏は言う。

「また、近年人身売買事件にフランスとドイツの役人が関与していたと見られているケースにあるように、官僚腐敗の問題にも着目しなければならない」とンガリピマ氏は言う。

2001年、駐ブルガリアフランス大使のドミニク・シャサードは、ストラスブルク及びフランス東北部の諸都市のブルガリア人売春婦に対してビジネスビザを発給していたことが発覚し、即座に解任された。

そして捜査は、ソフィア(ブルガリアの首都)のフランス大使館の上級スタッフが怪しい複数の旅行代理店を共謀してビザを発給し、それが後に売春婦を斡旋する人身売買組織の運び屋に使用されたことを明らかにした。

ドイツでは、ウクライナで大量に発給されたビザについての捜査が行われており、人身売買組織にそれらのビザの多くが発給されたがどうかを調べる予定だ。野党キリスト教民主連合はジョセフ・フィッシャー外務大臣をして、「人身売買の運び屋と売春斡旋業者の共犯」と呼んで非難した。

ンガリピマ氏は「これらのケースは欧州における政策の欠点を説明するもの」と言う。「一方で政府は、非合法な移民の流入を防ぐため移住関連の政策を厳しくした。しかし、この問題は人身売買の問題と比較すれば小さな問題に過ぎない。そしてもう一方で、官僚が性奴隷へのビザ発給に関与していた」

また各国政府は、欧州レベルで関連国内法の調整を行い、人身売買を禁止する国連協定の内容を具現化する一方で、人身売買の犠牲者に対する法的な保護やリハビリを実施すべき」と語った。「性奴隷や人身売買組織への対応は、現金送金チャンネルの停止や容疑者の銀行口座凍結など、麻薬マフィアや組織犯罪に対して従来適用してきた手段を講じるべき」と語った。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

|メキシコ|「インディアン」という言葉が侮辱の意味で用いられるところ

【メキシコシティーIPS=ディエゴ・セバジョス】

先住民の少女ファウスティナ(9歳)は、彼女がスペイン語がうまく話せないことと、母親が伝統衣装を身にまとっていることを理由にクラスメートから向けられるいじめから逃れるために、2003年メキシコシティーの学校に通うのを止めた。

彼女は今、街の道端でアコーディオンを弾いて物乞いする父親の傍らで日々を過ごしている。「私はもう学校には行かないわ。だってみんな私に辛くあたるし笑いものにするのよ。だから行かない方がいいの」とファウスティナは言う。彼女の父は、IPSに対して、一家が2001年に、仕事とより良い生活を求めてどのようにしてメキシコ南部のオアハカ州から首都メキシコシティーに出てきたかを語った。

 「食べ物を買うために小銭を恵んで頂けないでしょうか?」父親はアコーディオンを奏でながらこの台詞を1日何百回も繰り返す。その父親のズボンの裾にしがみついて、実年齢の9歳よりずっと小さく見えるファウスティナは落ち着きなく微笑んでいる。

ファウスティナと父親は、2000万の人口を抱えるメキシコシティーに在住する約100万人のメキシコ先住民(ナフアトゥル、ミシュテカ、サポテカ、マザフアその他のエスニックグループ)の内の2人に過ぎない。その内、約34万人が今なお各々の土着の言語を話している。

彼らの大半は貧しく、「インディアン」という言葉が侮辱を意味する言葉として使われる都会の中で、低賃金で働かされ、差別に晒されている。

メキシコシティーに拠点を持つNGO「先住移民会議」(首都在住の先住民の権利を擁護する活動に従事)が実施した調査に基づく推計によると、約4500人の6歳から12歳の土着言語で育てられた先住民の少年少女が学校に通っていない。

「ここには多くの先住民が暮しているが、私たちは必ずしも全ての者が施し物に依存して生きている訳ではない。また、必ずしも全ての者が、各々のコミュニティーや文化と断絶した訳ではない」と「先住移民会議」広報担当のラリサ・オーティスはIPSに語った。彼女自身も先住民移民の娘であるオーティスは、首都にはメキシコ先住民が作り上げたコミュニティーが存在することを説明してくれた。

この説明を裏付けるように、公的調査資料によると、首都には、メキシコ先住民のみが居住する地区や建物群が存在する。彼らは首都に移り住んできたか、あるいは、ここで生まれた者たちで、これらのコミュニティーでは伝統文化や習慣の多くがなんとか継承されている。

NGO「先住移民会議」は、先住民の文化保全を支援しており、政府に対して、先住移民が伝統的な組織形態と文化を維持する権利を尊重するように働きかけている。また、多言語、多文化教育の実施、先住民が運営するメディアの開設、そして先住民に影響を及ぼす施策に関してメキシコ先住民の「声と票」を認めるよう、ロビー活動を展開している。

しかしファウスティナは、そのような権利が存在することさえ知らない。彼女は同じ部族メンバーの誰からも遠くはなれて、両親がメキシコシティー中心部の歴史地区に借りた部屋で暮している。

「私は今は学校に行かないけれど、多分いつか戻るわ」。ファウスティナはたどたどしいスペイン語で、彼女の母親がかつて故郷で暮していた頃と同じような服装をしていることが問題にされて、如何にいじめを受けたかを語った。

「母が私に会いにくると、みんな私たちのことを笑ってひどい事を言ってきたわ。だから学校には行かない方がいいの」とファウスティナは言う。

「ファウスティナのようなケースは沢山あります。先住民は蔑まれた扱いを受け、『最も汚い、そしてきつい仕事』に従事させられ、ほとんどの場合貧しい生活を余儀なくさせられています」とオーティスは言う。

メキシコシティーで家政婦として働いている女性のおよそ90%は先住民である。そして男性の場合、先住民の大半は建設現場の作業員かごみ清掃要員として働いている。

国家人口評議会の最新の統計によれば、メキシコの全人口1億530万人中、およそ1000万人が先住民であり、その内、60%が土着の言語を話す。

しかし一方で、メキシコの人口の約60%がメスティソと呼ばれる先住民とヨーロッパ人の子孫の混血であることを考慮すれば、先住民の影響は(メキシコ文化の中に)より克明に見出すことが出来る。政府の推計に拠れば、メキシコ先住民の75%は小学校課程を修了しておらず(全国平均の2倍)、一方、非識字率は30%以上(全国平均の3倍)にのぼる。

メキシコの小学4年生の25%が基本的な読み書きの技術を習得するのに対して、先住民の子弟の場合、その比率は8%にまで落ち込む。

一方、先住民子弟の73.2%(全国平均より22.7%多い)は年齢に比べて体格が小さい。そして、5歳以下の先住民子弟の60%は栄養失調に苦しんでいる。先住民の平均余命が73.2歳である一方、その他の人口では76.2歳であった。

国連児童基金(UNICEF)の報告によると、メキシコにおいて、先住民の子供たちは、他のどのグループの子供たちと比較しても最も不均衡かつ弱い立場に置かれている。そして報告書は「その大半は貧しい生活を余儀なくされており、栄養失調に罹っているものも多い」と付け加えている。

ファウスティナのような先住民の少女にとっては状況は更に深刻だ。メキシコのいくつかの最貧地域では、15歳以上の先住民女性の非識字率はじつに87.2%にのぼる。また、先住民女性で小学校卒業レベル以上の教育を受けた者は、先住民の男性の場合15.8%であるのに対して、わずか8.9%に過ぎない。

2000年9月、メキシコはミレニアム開発目標(MDGs)に署名して他の国際社会コミュニティーに足並みを揃えた。国連総会で採択された開発目標は、不平等と貧富の格差を是正するための明確な目標を定めている。

中でも基本的な目標の1つは、全ての子供が小学校に通える環境を実現することと、2015年までに男女が等しく学校教育にアクセスできる環境を整えることである。

ファウスティナは将来どこかの時点で学校に戻ることを希望している。しかし、当面父親は、彼女にとって最良の選択は、街中での物乞いに連れて行くことだと考えている。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

平和と民主主義が常に共存するとは限らない(ブトロス・ブトロス-ガリ元国連事務総長、IPS国際評議員)

【国連IPS=ブトロス・ブトロス・ガリ

民主主義の普及が世界をより平和にするというのは本当だろうか。「民主主義による平和」論(デモクラティック・ピース)の考え方は、ドイツの哲学者イマヌエル・カントが恒久平和構想の一部として1795年に定式化したものだ。

この考え方は理想主義的過ぎるとして長らく軽んじられてきたが、1980年代に入って再び流行りだし、ついには米国政府の公式教義となった。

しかし、この理論は、民主主義国が平和主義的だということを言っているのではなく、民主主義国どうしが戦争をしないということを言っているに過ぎない。

 「民主主義による平和」論は次の3つの説明を提示する。

第一。戦争の費用と便益をめぐる討論に市民が参加することで、軍事的な冒険が市民の福祉に与える危険、さらには、政治家が次の選挙で落選するリスクが明らかにされる。

第二。とりわけ立法・行政の分離を定めた憲法上の制約、および、民主主義国の意思決定過程の複雑化により、指導層の自律性が失われ、彼らによる恣意的な行き過ぎが防がれる。

第三。民主的な政治文化は交渉を通じた解決を好み、国内においてコンセンサスを作り出すための規範と手続きを国際的に広める。

しかしながら、これは、民主主義国が互いに戦争をしないということに過ぎず、民主主義国はしばしば、非民主的で「野蛮」な国に対しては平和的でない態度で臨む。

西側の民主主義国が行った植民地主義的な征服からクーデター支援、米国が最近イラクに対して仕掛けた「予防戦争」に到るまで、「もし民主主義国が当然に平和を望むのならば、民主主義国の軍隊は当然に戦争を望む」と言ったトゥクヴィルの観察を正当化する事例には事欠かない。

もうひとつ、民主主義に現在移行しつつある国々の問題もある。ハンガリー・ポーランド・チェコ共和国・ブラジル・チリ・韓国・タイ・台湾、そして程度は低いがフィリピンなどは成功した方だろう。

また、民主化の途上で武力紛争が起こった事例もある。アルメニア対アゼルバイジャン、ロシア対チェチェン、クロアチア対セルビアなどがそうだ。

民主化の中で少数民族に発言権が十分与えられないこともある。これについては、コソボや東ティモールなどの例がある。

重要なのは、民主的プロセスに必要な主体や制度を発展させるための長期的方針だ。政治政党、司法制度、市民社会、自由な報道、非政治的な職業軍人システムなどを作らなくてはならない。

西側民主主義国は、こうした方針を推し進めることが長期的に彼らの利益にかなう最もよい方法であることを理解しなくてはならないだろう。

翻訳/サマリー=INPS Japan浅霧勝浩

HIV/AIDS蔓延防止に向けたカンボジア仏教界の試み 

【ブノンペンIPS=浅霧勝浩、ロサリオ・リクイシア】

カンボジア仏教界は、ポル・ポト政権下で僧侶の大半を虐殺されるなど壊滅的な打撃を受け、現在も再建途上の段階にある(カンボジアには約3,700の寺院があり、約50,000人の僧侶と9,000人の尼僧が仏教界と伝統的なモラルの再建に従事している)。

しかし、内戦後の価値観の混乱に伴う諸問題(拝金主義と人身売買の横行、性行動の早期化/カジュアル化とHIV/AIDSの蔓延等)に直面して、伝統的なモラルの体現者としての僧侶の役割が改めて見直されるようになってきている。

Map of Cambodia
Map of Cambodia

カンボジア政府も、かつて村落共同体の中核として人々の精神生活に大きな影響を及ぼし、青少年のよき指導者であったパゴダ(寺院)の僧侶の役割を再び重視するようになっており(カンボディア政府が仏教界の再建に実質的に着手したのは、1988年に55歳未満のカンボジア人が僧侶になることを禁止した法律を撤廃してからである)、1997年からは、国連児童基金(UNICEF)の支援も得てHIV/AIDSの蔓延防止に向けた仏教界との積極的な提携を模索している。ここでは、ポル・ポト時代の破壊の傷跡が深く残るカンボディア仏教界が、人心の救済を目指して、隣国タイ仏教界の活動を範としつつHIV/AIDS対策に取り組もうとしている現状を報告する。

性感染症と社会的/宗教的価値観 

 カンボジアは伝統的に仏教国(国民の95%が仏教徒)で、誠実さ、正直さ、謙虚さ、家族の絆が重視されてきた。しかし、1975年~79年に政権を掌握したポル・ポト政権は原始共産主義を政治理念に掲げ、従来の家族の絆に代えてクメール・ルージュの指導者(オンカー)を頂点とする新たな秩序を基本とする社会体制の創造を試みた。

その際、知識層と共に僧侶も粛清の対象とされたため、その大半が虐殺された。僅か4年間のポル・ポト時代が、数千年に亘って受け継がれてきたカンボジアの人々の価値観を根本的に変革するまでには至らなかったが、従来の社会規範、道徳規範に深刻な傷跡を残したことは否定できない。

ポル・ポト政権崩壊後のカンボジアの極貧環境に洪水のように押し寄せた物質主義は、伝統的価値観に更に深刻な悪影響を及ぼした。現在のカンボジアでは、拝金主義と性情報の氾濫が若者の価値意識を混乱させている。一方、かつてないモラルの退廃とエイズの蔓延に危機感を募らせているカンボジア人も少なくなく、仏教の教えを根本とした伝統的な価値観への回帰を志向する人々も増えてきている。このように、カンボジア社会における社会的/宗教的価値観の位置付けは様々である。
   
国連機関の支援を得て隣国タイ仏教界の取り組みに学ぶ

カンボジア政府は2000年3月、HIV/AIDS対策について、従来の保健衛生セクターに限定せず仏教界を含む様々なセクターと連携したアプローチ(Multi-sectoral Approach)を採用する方針を発表した。これに対して、カンボジア仏教界は、パゴダを拠点とした(カンボジアでは、全ての人々がテレビやラジオにアクセスできるわけではないが、パゴダや僧なら全国のコミュニティーにあり、誰でも簡単にアクセスすることができる)アドボカシー活動や僧侶によるHIV/AIDS予防/感染者のケア等を視野に入れた協力をしていく方針を打ち出し、具体的な協力の可能性を隣国タイ仏教界の経験に学ぶ目的で、2001年4月、国連児童基金(UNICEF)の支援を得て仏教界の代表団をタイに派遣した。

カンボジアより早い段階でHIV/AIDSが深刻な社会問題に発展したタイでは、仏教界は当初からHIV感染者に対する差別を戒めたり、責任ある行動をとるよう促してきた。1993年頃より僧侶自身が率先してHIV感染者達の中に入り、説法の内容を具体的に実践していくことで人々にエイズ患者達との共存を訴えていく運動が、タイ北部及び東北部を中心に活発になった。

「宗教の戒律を説くのみでは差別に苦しむHIV感染者たちの救済にはつながらない。単なる言葉ではなく、私達の具体的な行動を通じてメッセージを発していくことが重要である。人々にHIV感染者の差別をやめるよう説くならば、まず私達がHIV感染者の人々と共に行動して仏教の教えを実践すべきである。」(Phra Phongthep, タイの僧侶)

僧侶達の活動内容はパゴダによって様々だが、エイズ孤児のケア、ホスピス運営、HIV感染者を対象とした瞑想センターの運営、NGOと協力したHIV感染者の収入向上支援、パゴダでのHIV/AIDS教育の実施、エイズ患者の家庭の巡回訪問等、多岐にわたっていた。

カンボジア仏教界の指導者達はその際のタイ訪問を通じて、いかに無数の僧侶や尼僧達が献身的にエイズ患者と接しているか、そしてその結果、いかに多くのエイズ患者が差別によって傷ついた心を癒され、人間としての尊厳と自尊心を取り戻すことに成功しているかを目の当たりに観察し、大いに勇気付けられた。

「仏教の教えとその実践者である僧侶達を有効に活用して、寺院や寺院経営の教育機関、大学などにおいてHIV/AIDS対策を実践しているタイの経験は、カンボジアにおいても大いに生かすことができる。カンボジアでは、仏教界も再建途上にあり僧侶、尼僧の大半が文盲で経験不足という状況にあるが、近い将来彼らに必要な知識と技術を訓練し、タイのように仏教界が率先してHIV/AIDSの予防とケアを実施し、カンボジア社会の進むべき正しい道を示していけるような体制を構築したい。」(H.H.Buo Kry, supreme patriarch of the Dhammayuth sect)

カンボジア政府としてはタイでの成果を踏まえて、再建途上ではあるものの農村部を中心に今なお民衆心理に大きな影響力をもつカンボジア仏教界の役割に期待しており、僧侶を性行動に関する自己抑制(Abstinence)のモデルとして活用することで、ますます低年齢化が進んでいる青少年の性行動を遅らせたいと考えている。

「宗教関係者、特に仏教の僧侶による支援は、草の根レベルにおけるHIV/AIDS対策を行う上で、大変効果的である。僧侶達は、忠義、誠実さといったポジティブなイメージを体現する存在であり、彼らがエイズ患者の救済に取り組む姿は、一般のカンボディア人のエイズ患者に対する偏見を払拭するのに大いに役立っている。」(Dr. Tia Phalla, NAA)

「以前は、HIV/AIDS患者が村ででると、その家族まで偏見の対象となったものだが、僧侶がHIV/AIDS感染の特性や安全に共存できること、そして差別ではなくコミュニティーで支えていくことの重要さを説いてまわった結果、HIV/AIDS感染者に対する村人の姿勢は変わってきている。」(Nhean Sakhen, Social Worker of Banteay Srei)

従来型の支援に加えて内面の癒しを伴う精神的な支援も必要:

「カンボジアでは大半の寺院がポル・ポト政権時代に破壊され、経験豊かな僧侶の大半が虐殺されたため、タイのようにパゴダを拠点とした病院やホスピスを組織的に運営できる状態ではない。現段階で最も効果的なアプローチは、僧侶を訓練し、エイズ患者を抱える家庭を巡回して患者の精神的なケアを行う体制を構築していくことである。このような、パゴダではなく家庭を拠点としたHIV/AIDSのケア体制の場合、その中核となるのは患者の家族であり、地域コミュニティーの協力と理解が不可欠である。HIV/AIDS対策において重要なのは患者の身体的な状態に留まらず、自分が家族やコミュニティーに受け入れられているかどうかといった精神面の健康が極めて重要となる。我々は、僧侶による巡回診療/カウンセリングと平行して、エイズ患者をとりまく人々に対する啓蒙活動を通じて、HIV/AIDSの問題を共通の課題として向き合える社会的土壌を育んでいきたい。」(Dr. Mey Nay, UNICEF) 

(カンボジア取材班:IPS Japan浅霧勝浩、ロサリオ・リクイシア)

ブータン王国を訪問取材

Filmed by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of INPS Japan.

IPS Japanの浅霧勝浩マルチメディアディレクターが「途上国におけるNGOの開発協力受入れの状況:ネパール王国、ブータン王国編」(外務省補助事業)プロジェクト責任者として、ブータン王国を訪問した際の映像。

Video footages that Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of INPS Japan, made during his 3 weeks stay in the Kingdom of Bhutan as a part of a reserach mission covering Two Himalayan Kingdoms (Nepal and Bhutan) in 1996.

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