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|ネパール|毛派、動員解除に難色

【カトマンズIPS=ダマカント・ジェイシ】

ネパールの和平プロセスに対する共産党(毛派)の注文が日ごとに強くなってきている。まず問題になったのが、毛派兵士の動員解除だ。

毛派は、06年5月25日時点で18才未満か、同日以降に入隊した兵士は、同派のキャンプを離れなくてはならないという条件にかつて合意していた。しかし、国連ネパールミッション(UNMIN)の監視の下で行われているこの動員解除プロセスを毛派は妨害し、動員解除よりも先に、治安部門改革の中に毛派元兵士を組み込む計画の策定がまず先だとの条件を突きつけてきた。

 7つの主要宿営地および21の副宿営地における第1段階の調査では、毛派の兵士が3万892人、武器が3428個あることがわかった。しかし、兵士数に比して武器数が少ないのではないかとの疑問が他政党やネパール軍などからは出されている。

他方で、毛派のプラチャンダ議長は、UNMINが毛派の人民解放軍の兵士40%を動員解除するという目標をあらかじめ設定していることを非難した。また、DDR(disarm, demobilise and reintegrate=武装解除、動員解除、再統合)モデルを適用して人民解放軍を破壊しようとしていることについても非難した。

しかし、UNMIN側は、毛派を含めた8党派の間で昨年合意されたことを実行しているに過ぎないと反論している。毛派が宿営地査察の一時停止を求めて以降、毛派を含めた与党各党派とUNMINの間で何度か協議が行われた結果、7月18日、毛派のナンバー2であるバブラム・バッタライが、査察プロセスをあらためて容認することを示唆した。

ジャーナリストのカナック・マニ・ディクシット氏は、こうしたプロセスの中で毛派が世間の目を徐々に気にしだしていることを好意的にとらえ、「毛派はひとつの政治政党へと脱皮しつつあることをこれは示している」と話した。

ネパールでは、毛派の動員解除に加えて、新憲法制定という大きな政治課題も待っている。制憲議会のための選挙は、11月22日に予定されている。

ネパール毛派の動員解除の問題について伝える。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

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|米国|プロパガンダとニュースの間の曖昧な境界線

【ワシントンIPS=コーディー・アハヴィ】

ノーマン・ソロモン制作のドキュメンタリー映画「War Made Easy」(仕組まれた戦争)がショッキングな事実を伝えている。同映画は、メディア業界および報道内容に関する教育プログラムを提供している非営利機関「メディア教育協会」の依頼により政策されたもの。同協会の顧問には左派学者のノーム・チョムスキー、コーネル・ウェストなどが名を連ねている。

 ソロモンは、ブッシュ政権のイラク侵攻計画を分析しながら、CNNの重役イーソン・ジョーダンが、同社の軍事専門家について自慢する場面を取り上げている。実際CNNの軍事アナリストは退役将校で、イーソンによれば、彼等は米政府のお墨付きを得ているという。これは、ジャーナリスムの独立性という理念を掲げるベテラン・ジャーナリストの怒りをかう発言だろう。しかし、戦時下の米国では、メディアと政府の関係は変化している。ソロモンの作品では、それはメディアと政府の癒着のほんの一例でしかない。

ショーン・ペンがナレーションを務める「War Made Easy」は、9月11日のテロ攻撃以降のブッシュ政権の干渉主義と情報操作を糾弾する反戦映画で、ケーブル・ニュース・ネットワークのビデオ・クリップ、大統領声明、米国の過去戦争のフィルムを使い、過去と現在の宣伝工作技術の比較を行っている。ニクソン大統領のベトナム戦争拡大のレトリックとブッシュ政権の「イラクが台頭すれば、米国は滅びる」との宣言には大きな類似が見られる。

ソロモンによれば、米国の大手メディアは、ブッシュ政権の仕掛けの一部であり、“漏洩情報“を手段に米市民に戦争を売り込んだのである。例えば、CNNのウォルター・アイザックソンは、ニュースアンカーおよびレポーターに対し、視聴者に何故戦争が始まったのかを思い起こさせるよう求めるメモを回覧。その結果、画面一杯に破壊されたグランド・ゼロの清掃の模様が流された。

イラク戦争開始から5年。ベトナム戦争とイラク戦争の歴史的類似が明らかになっているが、「War Made Easy」は、視聴者に政治リーダーおよびニュースアンカーの発言を鵜呑みにするような仕組みを作っているメディアに対する時宜を得た批判となっている。大手メディアの政府加担を批判するドキュメンタリー映画「 War Made Easy 」について紹介する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan 


 

|パラグアイ|ストロエスネル独裁政権の弾圧調査を開始

【アスンシオンIPS=デイビッド・バルガス】

パラグアイの「真実正義委員会」(CVJ)は、35年に亘り同国を独裁支配したアルフレード・ストロエスネルの時代に不法拉致された2000人の犠牲者および家族の証言収集キャンペーン「歴史検証のための証言2000」を開始した。7月10日に始まった同キャンペーンは、スイス政府とパラグアイ・メディアの協力による。 

パラグアイ政府は1996年に独裁の存在を認め(1954-1989)ており、これら証言に基づいて作成される報告書を、政府見解として発表する方針である。CVJのマニュエル・ベニテス・フォロレンティン委員長は、既に1万2350の証言が記録されたと語っている。非政府組織「拘束誘拐者遺族の会」(Association of Relatives of the Detained ?Disappeared)によれば、殺害された人の数は3000から4000に上るという。 

テレビ局は、13年間の刑務所生活を強いられた俳優エミリオ・バレトの話をスポットで流し、犠牲者に対する証言呼びかけを行っている。これまでに、人権活動家、反対政党リーダー、小規模農家の組合活動家、軍内部の反対者などが証言。中には、反対派に共鳴する発言を行っただけで、拘束/拷問を受けた者もいる。

 独裁政権は、社会に深い傷跡を残した。証言採取に当たっている社会学者ホセ・カリオス・ロドリゲス氏は、「民主化導入から20年を経ても、人々は選挙権をいかに行使するかも知らない」と語っている。 

南アメリカに幾つかの独裁政権が存在した1970年代、80年代には、亡命した反対派メンバーに関する情報を各国で交換し、誘拐/殺人を行うコンドル作戦が存在した。1992年に発見された報告書により、同計画に対するストロエスネルの責任も明らかになっている。来年発表予定の報告書では、犠牲者に対する道徳的/金銭的賠償が提案されることになろう。(ストロエスネルは、1989年に失脚しブラジルに亡命。同地で2006年8月に93歳で死去した)パラグアイ独裁政権の反対派弾圧実態調査について報告する。 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 


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|米国|ブッシュ・ムシャラフ関係への疑問の声

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【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

パキスタンのムシャラフ大統領との間で米国が築いてきた同盟関係を再考すべきとの声が米国内で上がり始めている。

ムシャラフ大統領は、米国の「テロとの戦い」の協力者である一方、パキスタンの部族地域においてタリバンの活動を黙認することで、実質的にそれを支援する役割を果たしてきた。しかし、パキスタンをこうした2重の役割から脱却させ、できるだけ早く民政移行しイスラム過激派とのつながり断ち切らせるべきだという意見が強くなってきた。

 だが、ブッシュ政権はそうした意見に耳を傾けそうもない。むしろ、イスラマバードのモスクと神学校に対してムシャラフが掃討作戦を仕掛けたことをきっかけにして、部族地域のイスラム過激派を厳しく取り締まってくれるのではないか、と望みをつないでいる。ブッシュ大統領自身は、この掃討作戦の最中、「ムシャラフ氏はこうした過激派に対する戦いの強力な同盟者だ」と発言している。

中央情報局(CIA)でかつて南アジア問題の責任者を務め、クリントン政権とブッシュ政権の両方で国家安全保障会議(NSC)に奉職したブルース・ライデル氏は、「ムシャラフ将軍が、米国の大統領に対して、もし自分を支援しないならば、次の大統領は『ひげの生えた人間』になる、と言っているのを聞いたことがある」とラジオ番組の中で今週発言した。

「ひげの生えた人間」とは、言うまでもなく、イスラム過激派のことである。ムシャラフ大統領は、過激派対策をやるといって自分を米国に売り込んでいるのである。

ライデル氏は、そうした政策を続けるよりも、国外に亡命している民主勢力や国内の民主運動に働きかける必要があるのではないか、と語った。

再考されつつある米・パキスタン関係について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan 

オガデン地方における反政府勢力鎮圧作戦で増大する人的犠牲

【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

エチオピアのオガデン地方でソマリ人反政府勢力「オガデン民族解放戦線」(ONLF)とその支援者と疑われる市民に対する鎮圧作戦が強化されており、人権擁護団体の批判とともにエチオピア政府の忠実な同盟者ブッシュ政権からも懸念が高まっている。

鎮圧作戦は、一部専門家によれば、中国人9人を含む74人が殺害された4月のONLFによる中国系石油施設襲撃事件に遡るもので、ソマリ人住民を著しい苦境に陥れていると、7月4日ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)はオガデン地方の状況について声明を発表した。


HRWアフリカ担当ディレクターのピーター・タキランブッデ氏は、「エチオピア軍は村落や財産を破壊し、家畜を没収し、村民を強制移住させている。背景となっている軍事戦略がいかなるものであろうとも、こうした虐待は戦争法を犯すものだ」と述べている。

しかし鎮圧作戦は、イラクの米軍の場合と同じように、隣国ソマリアのゲリラ戦の泥沼にますますはまっているエチオピア軍に更なる重圧をかける結果にもなっている。

エチオピアのメレス首相は先週、イスラム法廷連合(ICU)を権力の座から追い出した昨年末のソマリア介入について「政治的予測を誤った」と失敗を認めた。

ワシントンの議会調査局のアフリカの角地域専門家テッド・ダグネ氏は、「エチオピアのソマリア介入は、ソマリアの不安定さと混乱を一層悪化させ、あらゆる局面においてエチオピアの脆弱性を増した」と評す。

エチオピアのソマリア介入を支持し、侵略後特定の「テロリスト」への攻撃も行なってきたブッシュ政権は、オガデン地方で進められている鎮圧作戦を公には批判していない。

しかし同時に、米高官らは、軍による殺人、レイプ、村落への放火を含む深刻な人権侵害について、またこうした事態が続くことで、アルカイダ民兵をかくまっているとして米政府が非難しているICUやその他反エチオピア勢力をオガデン地方に引き付けることになり、現在は2地方間の紛争に留まっているものをより広範な地域戦争に変容させるのではないかと、非公式に危惧している。

エチオピア軍の反政府勢力鎮圧活動による情勢を報告する。(原文へ)

翻訳/サマリー=IPS Japan

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|ドイツ|アフガニスタンへの軍事関与をめぐる懸念

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【ベルリンIPS=ジュリオ・ゴドイ】

2001年末にドイツがアフガニスタンの軍事介入に乗り出して以来、21人のドイツ兵が殺害され多くが負傷した。さらに開発業務に携わるドイツ人技術者が誘拐されるという事件もあった。軍事活動により多数のアフガニスタンの人々も犠牲になっている。 

ドイツでは、アフガニスタンでのいわゆる「不朽の自由作戦」へのドイツの軍事関与について、懸念が生じ始めている。米国主導のこの作戦には、ドイツの特殊部隊の兵士100人が関わっている。 

ドイツは、北部で復興事業従事者を警護する国連治安支援部隊(ISAF)にも3000人の兵を派遣するとともに、トルネード偵察機6機を投入している。 

メルケル首相のキリスト教民主同盟(CDU)はアフガニスタンでのドイツ軍の活動を支持しているが、連立与党の社会民主党(SPD)は軍事作戦の成果を危ぶみ、市民の犠牲者が多いことが新たなテロを生み出しているとして、議会は軍事介入の承認をやめるように呼びかけている。3月のアフガニスタンへの軍用機派遣決議でも、多くのSPD議員が反対票を投じた。 

緑の党はこの件に関し、特別党大会を開いて議論する予定である。緑の党は2006年の「不朽の自由作戦」参加決議には反対したが、3月のトルネード偵察機派遣については過半数が賛成した。左翼党はドイツ軍のアフガニスタンへの介入に反対している。 

7月7日の世論調査では、CDU支持者55%を含む回答者の66%が、ドイツ軍のアフガニスタンからの撤退を望んでいた。ドイツの憲法は侵略的軍事作戦を禁じており、反対派はドイツの介入が違憲に当たると訴えたが、憲法裁判所は7月3日に憲法違反ではないと裁定した。政府高官はアフガニスタンへの介入はタリバンを退けて復興支援するために必要だとしている。 

10月に議会で予定されている軍事介入再承認の投票で、反対派が介入継続を阻止できるかどうかは確かではない。アフガニスタンの復興には期待通りの進捗が見られないのが現状だが、国民の80%は医療を受けられるようになり、600万人の子供が学校へ通い始めている。復興を進めるには治安回復が必須である。ドイツのアフガニスタン軍事介入問題について報告する。 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩

|アフガニスタン|若き音楽家、古典復活に尽力

【カブールIPS=ジェローム・ルイス】

爆弾やロケット弾は、アフガニスタンの文化の中枢を瓦礫の山に変えたかもしれない。だが、何世紀にもわたって受け継がれてきたヒンドゥスターニー古典音楽への人々の愛着までは、消し去ることができなかった。

1990年代の派閥抗争以前、カブール旧市街の一角にあるカラバートは、同国の豊かな音楽伝統の象徴として知られていた。

1919年、名高いガザルによって「国民の父」の称号を授かったウスタッド・カセムをはじめ、多くの名匠たちが、この歴史ある地区の土壁の家々に暮らしていた。

だが、1992年にソ連軍が撤退した後、対立するムジャヒディン勢力が砲撃戦を繰り広げるようになると、住民たちはカラバートを追われた。さらに4年後、神学校出身の過激派タリバンが台頭すると、音楽は「非イスラム的」として禁じられた。

この禁圧が解かれたのは、2001年10月、米国主導の有志連合によってタリバン政権が崩壊して以降のことである。

それから5年が過ぎても、カラバートはいまだ再建されていない。それでも、乏しい資源と厳しい環境のなかで、少数の若いアフガン人音楽家たちが、自国の音楽的伝統を守り継ごうと懸命の努力を続けている。

30年に及ぶ戦乱のなかで、アフガニスタンは偉大な音楽家の多くを失った。楽器は破壊され、音楽家たちは投獄され、あるいは命を奪われ、多くが亡命を余儀なくされた。

タリバン時代に育ったシタール奏者ナッシール・アジズは、「アフガンの音楽家たちは、紛争や離散、そして顧みられない状況のなかで、深い苦難を味わってきた」と語る。

いま、アジズや声楽家ワリ・ファテ・アリ・カーンのような若い音楽家たちが、偉大な先達の知識と技を受け継ぎながら、古くからの伝統に新たな表現を吹き込んでいる。カーンは、「ベイデル」として知られるミルザー・アブドルカーデル(1644―1720)の作品を歌っている。

タリバン支配下のカブールで育ったアジズは、パキスタンやインドの音楽を収めた父親のレコードや衛星放送の音楽番組を何度も聴き返しながら、独学でシタールを学んだ。演奏の音を抑えるため、シタールの弦にティッシュを巻きつけていたという。

アジズは、アフガンの音楽家たちの思いを代弁するように、率直にこう語った。
「私たちは音楽を心から愛している。厳しい状況のなかでも、できる限り練習を続けている。道のりがまだ長いことは、十分承知している。」

今日知られているヒンドゥスターニー古典音楽は、1863年、アフガニスタンのアミール、シール・アリ・カーンが、自国の文化的地位を高めるために導入したものとされる。その背景には、アフガニスタンとインドのあいだで何世紀にもわたって続いた征服と文化交流の歴史があった。

現代の北インド古典音楽の諸形式やジャンルへとつながるインド=アフガンの共通体験は、10世紀末のイスラム勢力による北インド征服にまでさかのぼる。

征服者の多くはアフガニスタン南部の出身で、彼ら自身が芸術家、詩人、あるいは芸術と文学の庇護者でもあった。その代表格が、スルタン・マフムード・ガズナヴィー(997―1030)である。フィルドゥシー・トゥースィー(935―1020)の代表作『シャー・ナーメ』は彼の求めに応じて書かれ、ペルシャ文学の古典として知られる。

文学と芸術はまた、イスラム神秘主義スーフィズムの伝統に深く彩られていた。精神性を重んじ、個人的表現を尊ぶスーフィーの師たちは、しばしば当時の君主たちの精神的導師でもあった。

彼らは、とりわけ16世紀から17世紀にかけて、インドの芸術家や思想家との交流を促し、音楽の形式と表現の発展に重要な役割を果たした。

著名なイスラムの科学者・哲学者アブー・ライハーン・ムハンマド・イブン・アフマド・アル=ビールーニー(973―1048)もまた、スーフィズムの世界観を媒介に、ヒンドゥー教とイスラム教の思想的隔たりを縮めた先駆者の一人であった。

18世紀には、インドで「バクティ」と呼ばれる新たな哲学的・信仰的潮流が生まれた。形なき神への信仰を重んじるこの非二元論的な運動は、ヒンドゥーとムスリムの芸術家や神秘主義者のさらなる融合を促した。

こうした、新たな美と芸術の可能性をともに探ろうとする独特の土壌のなかで、ヒンドゥスターニー古典音楽は発展していった。

この文化的融合を象徴する最もよく知られた人物の一人が、アミール・フスロー・バルヒー(1253―1325)である。彼はタブラやいくつかのラーガの創始者とされ、父はアフガニスタン北部バルフの出身、母はデリーの出身だった。また、ムガル帝国のジャラールッディーン・ムハンマド・アクバル帝(1542―1605)の宮廷に仕えたミヤーン・タンセンも、カヤールやドゥルパドの様式を切り開いた人物であった可能性がある。

古典ヒンドゥスターニー音楽の発展に大きく貢献したアフガン系音楽家としては、世界的なサロード奏者ウスタッド・アムジャド・アリ・カーンの祖先にあたるグラーム・バンデギー・カーン・バンガシュがいる。バンガシュはガズニからインド中部のグワーリヤルへ移り住み、アフガンの楽器ルバーブを、インド伝統音楽の撥弦楽器サロードへと発展させた。

タブラ、サーランギー、ディルルバ、サロードといった楽器は、今日でも両国の音楽家たちによって用いられている。

アフガニスタン古典音楽の専門家セディク・キアム氏は、こう語る。
「インドとアフガニスタンの古典音楽の伝統は、切り離すことのできない関係にある。今日、私たちがヒンドゥスターニー古典音楽と呼んでいるものが、インドのものなのか、アフガニスタンのものなのか、現時点では確実に言うことすらできない。」(原文へ) (カブール取材の映像はこちらへ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩 

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アフガンメディアフォーラムを取材



|パキスタン|モスク襲撃後にタリバンに立ち向かう政府

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【ペシャワールIPS=アシュファク・ユフスザイゾフィーン・エブラヒム

アフガニスタンとの国境近くで活動するタリバン寄りの反政府勢力は、政府との和平交渉を打ち切り、7月10、11日のイスラマバードのラル・マスジード(赤いモスク)への軍の襲撃に報復する決意であることを、週末に80人が死亡した治安部隊に対する一連の自爆攻撃により示した。

反体制勢力の強い北西辺境州(NWFP)での反発を予想し、バルヴェーズ・ムシャラフ将軍を大統領とする軍事政府は、ラル・マスジードの施設の制圧後まもなく、部隊を急きょ派遣した。これに対し、この地域からの政府軍撤退を交渉していたタリバン寄りの勢力は、政府軍の移動部隊と防犯施設に自爆攻撃を仕掛けて怒りを示した。

「和平交渉は終わった」とアブドラ・ファルハド氏はNWFPの州都でありアフガニスタンへの主要な出入り口であるこの町、ペシャワールで記者団に語った。

 政府役人は15日に少なくとも44人が自爆攻撃で死亡したことを確認した。スワト地区を移動中の軍の移動部隊が襲撃され、18人が殺害された。さらに警察官採用センターが人間爆弾による攻撃を受け、26人が死亡した。

14日にはワジリスタン北部で少なくとも26人の兵士が車による自爆攻撃で殺害された。ミランシャの町では、タリバンにより、10カ月の和平協定は終わったと告げるビラが配られた。声明は「我々は同胞の生命と財産の安全と保護を目的として協定に調印した。だが政府軍はタリバンへの攻撃を続け、多くの人々を殺害した」と述べている。

2006年9月5日の協定のもとに、在アフガニスタン米軍との合意の一環としてタリバン及びアルカイダ分子と闘ってきたパキスタン軍は退却した。見返りに、民兵はハーミド・カルザイ大統領を支援している米国とNATOの部隊に対する国境を超えた攻撃を停止することに合意した。

ところが、どちらの側も協定の実施状況に関して満足せず、ラル・マスジードの騒動のときにも、軍の25か所の検問所からの撤退に関して交渉が行われていた。

週末の治安部隊への攻撃は、扇動的な聖職者であるマウラナ・ファジルッラーによる、ラル・マスジード強襲を行なった政府に対するジハード(聖戦)の呼びかけに従ったものだった。ラル・マスジードの施設では子供を含む100人以上が大量殺戮される事態となっていた。
 
 ラル・マスジードと付属する女性神学校ジャミア・ハフサでの軍の行動を擁護して、「危険なテロリスト」を暴き、2人の反体制派の聖職者兄弟によるシャリア法(イスラム法)を強行しようとする企てに対抗して国の威信を取り戻すため、テロとの戦いはまだ終わらないとムシャラフ大統領は語った。

弟の方の聖職者アブドル・ラシード・ガジは、テレビのインタビューに応えて、「ムシャラフ政府はラル・マスジードの施設を包囲するなど米国の命令で行動している」と語った後で、襲撃により死亡した。

13日に包囲攻撃が終了した後、ムシャラフ将軍は国民に演説し、神学校あるいはモスクといえどもラル・マスジードの聖職者が行ったような方法で要塞に転換することは決して許されないと強調した。

さらに、ラル・マスジードの運営陣とNWFPの過激派との間で確立されていた結びつきについて、大統領は、法律実施機関である警察の強化を、数を増やし、設備を整え、軍隊の支援を受けた6カ月の特別訓練を通じて行い、対処していくと宣言した。

「大統領は未来を方向付けており、その姿勢を持続可能にできれば、テロとの戦いにおいて我々に勝機がある」と、カラチに本拠を置く政治防衛専門家のイクラム・セーガル氏はIPSの取材に応じて語った。

NWFPでの交戦状態と宗教的過激派を根絶するための政府戦略について、大統領は「我々はすでにいくつかの機関に戦車を配備しており、今後も狂信分子や民兵と対決するために近代兵器を装備していく」と述べた。

週末の攻撃に対し、パキスタンのアフタブ・シェルパオ内務相は、「政府は断固とした行動を取る」と警告した。「政府はこれまで彼ら(部族の長及び民兵)が協定を厳格に実施していないと主張してきた・・・これで政府の行動が正当化される」

「ムシャラフ政府は宗教的道徳的権限という観点が非常に弱い状況にある。感情的な宗教問題が関与するときには、より高い道徳的宗教的権限が必要であり、法律的に正しい軍事力だけでは不十分である。宗教的な信頼感がないのだから、政府は抑制を示すべきだった」とイスラマバードに本拠を置くシンクタンク、ブラスタックスを創設したコンサルタントで防衛専門家のザイード・ハミド氏は語る。

政府の懸念は、襲撃の際の女性と子供を含む死亡者数の多さから悪評が生じていることである。「行方不明者リストの人数がさらに増えると犠牲者の数を隠そうとする政府の試みは反発を受けるだろう」とハミド氏は予測する。

「国家が数字を過少報告する必要はない」とセーガル氏はいう。「今回のような攻撃が行われれば、犠牲者が出るのは当然であり、国民はそれを受け入れるだろう。信頼できる筋からの報告によると、死亡したのは104人である」

モスクの内部で身を隠していた完全武装した訓練を積んだ民兵と軍隊との間で起きた戦闘では、11人の兵士も死亡した。

ハミド氏はムシャラフ大統領がワシントンからの圧力のもとにあわただしく行動を起こしたと考える。「米国はパキスタンの政治家が民兵に対して弱腰になるのではないかと感じて、作戦を完遂するよう圧力をかけたと思う。選挙の年の流血事件は決してよいことではない。理想的には、包囲攻撃を行いながら圧力を増した方がよかった。神経戦で耐えられなくなった」(この記事はIPS記者であるカラチのゾフィーン・エブラヒムとペシャワールのアシュファク・ユスフザイが作成した)(原文へ

翻訳=IPS Japan 

|リビア|ケニアに安価で石油供給へ

【ナイロビIPS=ステファニー・ニーウッド

6月初め、リビアがケニアに優遇価格で石油を供給することで両国指導者は合意、覚書に調印した。

石油業界関係者によると、この合意によりケニアは4,500万米ドル相当の石油施設の建設、ならびに2,200万米ドル相当のトラック・鉄道の積み替え輸送プロジェクトの契約をリビア筋の投資家と締結することになるという。

両プロジェクトについては、海外投資家の入札が行われる予定だが、ケニア・リビア両国はすでにプロジェクトの実行に向け話し合いに入った模様である。

リビアは、ケニアの陳腐化した石油精製施設の改修にも関心を示している。改修費用は3億2,200万米ドルに上ると見られている。

 両国の合意覚書によると、リビアはケニアの石油精製業が営業を継続するのに必要な160万tの原油の60%を供給する予定。ケニア全体で必要な原油、精製油は280万tに上る。

「どのようなものであれ、安価な石油は歓迎する」とケニア国営石油会社のアスマニ(Sumayya Hassan Athmani)総務部長はIPSの取材に応じて語った。「ケニア経済は発展途上にあり、発展には石油が必要。発展に応じて、石油需要も拡大しており、全輸入額の4分の1、国内総生産(GDP)の11%を石油購入に費やしている。石油価格が下がれば、多額の資金を他に回すことができる」

政府が石油の割引価格を公表していないので、ケニアにどの程度の節約がもたらされるか不明である。今のところ節約した資金が消費者に還元される兆候はない。
 
アスマニ氏は既存の石油精製所の改善に戦略的投資家が必要と主張。リビアのムアンマル・カダフィ指導者がその役を務めることになるかもしれない。

独立シンクタンク域内経済ネットワーク(Inter Region Economic Network: IREN)のシクワティ(James Shikwati)氏はIPSの取材に応じ、カダフィ指導者は今回の合意でサハラ以南へのコミットメントを示したと指摘。「リビアがケニアに参入すれば、市場に競争がもたらされる。有利な価格で、よりよいサービスが受けられるかもしれない。西側の石油企業は長い間石油価格を操作してきた。競争は良いことだ」と言う。

アメリカの投資会社コロニー・キャピタルは最近、リビア国営石油会社タモイルの過半数の株式を取得している。この1週間前には、大手石油多国籍企業ブリティッシュ・ペトロリアム(BP)がリビアと探査事業契約を締結している。シェル、エクソン・モービルなどの多国籍企業もリビアに戻った。

今年4月にアメリカが対リビア経済制裁措置を解除して以来、リビアはあらゆる機会を捉えて西側の投資を導入している。これはリビアの核兵器開発プログラム放棄宣言に対する『見返り』と見られている。(国連は経済制裁を昨年解除している)

アメリカなどがリビアを国際テロリストグループの支援国と指定した1986年以来、経済制裁は続いていた。リビアはパレスチナと紛争中のイスラエルに対する西側の支援に抗議、数十年にわたって石油の禁輸措置で政治的に対抗した。

リビアの外資導入は、政府の民営化計画に則ったもの。タモイルは事業をウガンダに拡大し、ケニア・ウガンダ間の石油パイプラインの建設、運用事業を落札した。

ケニア北東部のエルドレトからウガンダの首都カンパラを結ぶ全長320kmに及ぶパイプラインが完成すれば、ガソリン、ディーゼル油、灯油、ジェットA-1燃料の輸送が容易になる。

今回のケニアとリビアの合意の裏には、石油業界がケニアにおける油田発見を確信していることがある。同国ではすでに何百万ドルもの探査事業が展開中である。

「ケニアの近隣諸国、たとえばスーダンをみても、東アフリカは豊富な石油に恵まれているようだ。東アフリカに位置するケニアで油田が発見されるのは時間の問題だと信じている」とアスマニ氏は言う。

シクワティ氏はリビアのケニア参入は一見良いことのように見えるが、不安定要素はぬぐえないとし、「ケニアが利益を享受する可能性がある一方、リビアが国債石油カルテルに参加して石油価格操作に転じるかもしれない」と指摘する。

さらに、ケニア政府が節約額を消費者に還元しなければ、一般の人々は安価な石油から何も得ることはできない。

ケニアNGOの経済問題機関( Institute of Economic Affairs )でプログラム・コーディネーターを務めるオウィノ(Kwame Owino)氏はIPSの取材に対して、リビアがどのようにコストを削減するのか分からないと表明。「石油は米ドル建てで価格が決まる国際商品であり、国際市場で売買される。リビアがどのような方法で安価に石油を提供するのか不明である」と語り、「東南部アフリカ共同市場(Common Market for Eastern and Southern Africa: COMESA)に加盟する両国は、COMESAの場で議論を行った方がよいと感じている。加盟国間で多角的な合意を得ることができれば、経済的恩恵も大きくなる」と主張する。

リビアの対ケニア投資は石油部門に留まらない。今月初めケニアのキトゥイ(Mukhisa Kituyi)貿易大臣は、リビア資本によるナイロビの高級ホテル建設ならびに沿岸都市モンバサの展示場建設を発表した。

ケニアとしてはコーヒー、紅茶製品の新規市場としてリビアに期待すると同大臣は語った。(原文へ) 

翻訳=IPS Japan

|北米|NAFTA申し立ては棄却されるも、危険な条項は存置

【ワシントンIPS=エマド・ミケイ】

公的資金により維持される郵便網は競合相手カナダ・ポストに不当な優位性を与えており、事業が損なわれていると申し立ててきた米国の小口貨物運送会社最大手UPS(ユナイテッド・パーセル・サービス)による7年に及ぶ訴訟が棄却された。

この訴訟は、北米自由貿易協定(NAFTA)第11条に基づき提訴されたもので、こうした貿易協定が多国籍企業に対し主権を有する政府や国内企業に異議を申し立てる過剰な権限を付与することを示す一例として注目されてきた。

カナダ・ポストのCEOモヤ・グリーン氏は「長年UPSはカナダにおける不当競争の申し立てを行なってきたが、いずれの事例でも規制当局や独立した専門家から却下され、このたび国際法廷からも申し立てに根拠がないとの裁定が出された」と述べた。

一部通商問題専門家は、裁定は国営企業やサービスが第11条の対象外となることを示唆するものと述べている。しかし論争はNAFTAの規定の下で解決されたが、市民社会活動家らは、貿易協定は相変わらず問題有りと断言している。

カナダ郵便労組のデボラ・バーク全国会長は今回の裁定を評価しながらも、NAFTAの有効性を認めているわけではないとし、「NAFTAは、公共郵便事業と雇用を非公開裁判にかけるのをUPSに許した。雇用や公的サービスが脅かされる時には、一般市民や労働者にも発言の権利が与えられるべき」と述べている。
 
 NGOカナダ人評議会のジャン・イヴ・ルフォー氏は「第11条などの投資ルールはカナダが締結するNAFTAその他貿易協定から排除されるべき」と主張。スティーヴン・シュリブマン貿易担当弁護士は、対政府訴訟を外国企業に認めるNAFTAは違憲としている。

第11条の規定により、カナダ・メキシコ・米国各国政府に対し総額数十億ドル相当の請求が多数起こされている。納税者が納めた数百万ドルにかかわる問題であっても、訴訟の裁定は、その国の法廷制度外における「投資家と国」の間の仲裁裁判所で行われることになる。ワシントンに本拠を置くパブリック・シチズンズ・トレード・ウォッチによれば、終結となった訴訟数は少ないものの、和解合意の中でNAFTA裁判所または政府によって外国投資家にはおよそ3,500万ドルの裁定がこれまでに下されている。国内法や国内裁判所では認められない請求を多く含む。(原文へ

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