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干ばつが奪う子ども時代―北部ケニアの気候ショックがSDGsを試す

【ケニア・マンデラIPS=ロバート・キベット】

夜明け前の毎朝、10歳のアミナ・アダンは学校ではなく、マンデラ県ラフム郊外の干上がりつつある水場(ウォーターパン)へ向かう。クラスメートがノートを開くころ、アミナは体の半分ほどもある黄色い水用ポリタンクを運んでいる。|英語版韓国語

母親のファトゥマ・アダンは語る。いまの選択は「教育か家事か」ではない。「水か、生き延びるか。」だ。

「水がなければ食べ物もない。学校にも行けない。子どもが手伝わなければ、その日を乗り切れない。」

アミナの姿は、ケニアの乾燥・半乾燥地域(ASAL地域)に広がる危機の縮図である。長期化する干ばつが、貧困削減、食料安全保障、保健、教育―持続可能な開発目標(SDGs)の中核をなす成果を後退させている。

干ばつが制度の限界を超えて押し広げる

ケニア国家干ばつ管理局(NDMA)によれば、マンデラは依然として「危機段階(alarm phase)」にある。降雨不足が繰り返され、2025年10~12月の短雨期(ショートレイン)の降水量は長期平均の30~60%にとどまった。水場は干上がり、牧草地は荒廃し、牧畜に依存する世帯は食料と収入の柱を急速に失いつつある。

African Continent/ Wikimedia Commons
African Continent/ Wikimedia Commons

食料・栄養安全保障に関する全国評価では、乾燥・半乾燥地域(ASAL)各県で215万人以上が緊急の人道支援を必要としており、6~59か月児の80万人超が急性栄養不良の治療を要するとされる。マンデラの保健当局は、家計の食料備蓄が尽き、家畜の乳生産も落ち込むなか、外来治療プログラム(OTP)への受診者が増えていると報告する。

危機はケニアにとどまらない。アフリカの角地域全体で、国連は、ケニア、ソマリア、エチオピアの約2400万人が、長年続く干ばつと気候ショックの結果、深刻な水不足に直面していると推計する。ユニセフは、干ばつに伴う避難によって域内の子ども270万人がすでに学校に通えなくなっており、状況が続けばさらに400万人が影響を受ける恐れがあると警告する。

「こうした気候ショックは、もはや一度きりの緊急事態ではない」とマンデラ県の教育担当者は語る。「慢性的な問題となり、子どもが成長し、学び、健やかに生きられるかどうかを左右している」。

教育が途切れ、未来が先延ばしにされる

マンデラ北部では、学校が危機の最前線に立たされている。教員たちは、教室の児童が減っていく様子を語る。牧草と水を求めて家族が移動し、子どもも連れていくためだ。移動しない世帯の子どもも、空腹と疲労のなかで集中できない。

SDGs Goal No. 4
SDGs Goal No. 4

マンデラ県の教育当局者アブディカディル・アダン・アリオによれば、干ばつの影響が強い学校では出席率が急落している。とりわけ女児が不利になる。水汲みや家事の負担が、まず女児にのしかかるからである。

開発の専門家は、影響は短期の学習遅れにとどまらないとみる。教育の中断は人的資本を弱め、長期的な経済生産性を損ない、将来の気候ショックへの適応力も低下させる。これはSDG4(質の高い教育)とSDG1(貧困をなくそう)への直接的な後退である。

「年々、子どもが学校を欠席するようになれば、被害は世代を超えて固定化する」と、北部ケニアで活動する人道教育の専門家アリ・アブディ博士は警鐘を鳴らす。

保健と栄養にかかる負荷

保健医療関係者は、干ばつが子どもを中心に、飢えと病気が重なって重篤化する危険な循環を加速させていると指摘する。水不足が深まるほど衛生状態は悪化し、下痢性疾患のリスクが高まる。栄養不良の子どもは感染症でいっそう体力を奪われやすい。

マンデラの遠隔地では、移動診療所が運営され、医療チームが栄養不良のスクリーニングを行い、治療食を配布し、重症例は安定化治療施設(センター)へ紹介している。多くは県政府と人道支援機関の連携によるものだ。

「早期発見は命を救っている」と、巡回プログラムに関わる栄養担当者は語る。「しかし患者数は増え続け、家族が支援にたどり着くまでの移動距離も長くなっている」。

生存戦略の破綻が招く保護リスク

干ばつで生計が崩れると、家庭は有害な対処手段に追い込まれる。人道支援機関は、児童労働や早婚、ジェンダーに基づく暴力(GBV)のリスクが高まっていると報告する。とりわけ社会的セーフティネットが弱い遠隔地の集落で影響が深刻だ。

女児は特に影響を受けやすい。資源が乏しくなると、まず教育が犠牲になることが多い。

「干ばつは、食べ物や水だけを奪うのではない。」とマンデラの地域リーダーは語る。「子どもから安全と尊厳をも奪っていく。」

効果が出ていること―子ども中心の統合的解決策
SDGs Goal No. 3
SDGs Goal No. 3

危機の規模は大きい。だが、マンデラ県を含むASAL(乾燥・半乾燥)各県では、統合的な支援が、子どもに及ぶ最悪の影響を和らげ、SDGsの後退を防ぎ得ることを示す報告もある。

こうした圧力は、SDG3(すべての人に健康と福祉を)とSDG2(飢餓をゼロに)を脅かす。両分野は、気候の極端化が強まる以前には、緩やかながら改善が見られていた。

県政府とユニセフ、セーブ・ザ・チルドレンなどが支える移動式の保健・栄養クリニックは、遊牧や避難によって固定の医療制度から外れがちな家族にも届いている。栄養スクリーニング、予防接種、母子保健を一体で提供し、固定施設までの長距離移動を減らす。

ワールド・ビジョンなどの支援を受けて政府機関が実施する現金給付は、世帯が切迫した優先順位に応じて、食料や水、医療に支出できるようにする。研究では、現金支援が有害な対処行動を抑えるうえで有効で、危機のさなかでも子どもを学校にとどめる助けになり得ることが示されている。

SDGs Goal No. 6
SDGs Goal No. 6

また、給水車などによる水の搬送・配給、ボーリング井戸の修復、干ばつに強い水インフラへの投資は、深刻地域でのアクセスを安定させている。費用はかさむが、専門家は、SDG6(安全な水とトイレを世界中に)を守り、人道危機の反復を防ぐうえで不可欠だと指摘する。

住民主体の取り組みも成果を上げている。訓練を受けたボランティアが家庭単位で栄養スクリーニングを行い、リスクのある子どもを早期に把握して、状況が悪化する前に支援へつなげている。

「介入は組み合わせてこそ最も機能する」と、人道プログラムの担当者は言う。「保健だけでは足りない。水、食料、所得、保護が一体で動かなければならない」。

規模拡大と持続可能性という課題

こうしたプログラムは命を救っているが、欠落もある。資金サイクルは短く、対応は予防よりも後追いになりがちだ。地方当局は、干ばつに強い生計――干ばつ耐性作物の導入、家畜保険、代替収入源など――を拡大することが、悪循環を断つ鍵だと訴える。

開発アナリストは、持続的投資がなければ、干ばつは複数のSDGsにわたる成果を侵食し続け、長期的にはより高コストな緊急対応を繰り返すだけになると警告する。

「問題は、干ばつが戻ってくるかどうかではない」と、政府間開発機構(IGAD)の気候専門家ユーニス・コエチは語る。「戻ってきたとき、子どもを守るために制度が十分に強いかどうかである」。

分岐点に立つ子ども時代

ラフムに戻ると、ファトゥマ・アダンは、状況が改善すれば娘が通学を再開できることを願っている。だが、いまは生き延びることが優先だ。

「アミナには学んでほしい」と彼女は言う。「でもまず、生きなければならない」。

アフリカの角で気候ショックが強まるなか、影響は計り知れない。調整された長期的な対応がなければ、干ばつは水や食料だけでなく、子ども時代そのものを奪い続け、SDGsに向けた国際社会の取り組みを後退させかねない。(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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気候変動、害虫、汚染がインド全土の作物損失を加速

【ニューデリー/SciDev.Net=ランジット・デブラジ】

昨年、ケララ州の稲の収穫期を、季節外れの雨が直撃した。雨天では収穫機が動かない。ところが、収穫した籾(もみ)を一時的に保管したり、水分を飛ばして乾燥させたりする施設が十分にない地域では、刈り取った米も稲わらも、露天に置けば短期間で傷む。結果として、食べる米だけでなく、家畜の飼料になる稲わらまで失われたという。地元の非営利団体タナール・トラストが伝えている。

打撃は減収だけではない。収穫の遅れや腐敗、雨水やカビによる汚染で品質が落ちれば、販売価格は下がり、収入も減る。場合によっては、食用に適さない作物になってしまう。

「作物損失は一律ではない。誰が、どの段階で、どのような損失を背負っているのかを丁寧に捉えることが、小規模・零細農家の生計を支える、公正で持続可能な農業の出発点になる。」カビタ・ミシュラ(農業研究機関CABIのジェンダー・包摂専門家)

こうした損失は、インド各地でいまや珍しくない。気候の振れ幅が大きくなり、害虫の動きも変わり、土壌や水を含む環境ストレスが、農業の前提そのものを揺さぶっているからだ。タナール・トラスト代表のウシャ・スーラパニはSciDev.Netに対し、「稲の収穫期に降る季節外れの雨は、もはや“例外”ではなくなった。雨が降れば機械収穫はできず、収穫を遅らせざるを得ない。その分、損失は膨らむ。」と語る。

しかも、豪雨や洪水は全体像の一部にすぎない。人の手による土地の劣化(過度な耕作や森林減少、土壌流出などにより、土の力が落ちること)が収量低下に拍車をかけ、気候条件の変化に押される形で、害虫や外来種は分布を広げ続けている。

Map of India
Map of India

果物と野菜の生産で世界最大級を誇り、米と小麦でも主要な生産国・輸出国であるインドにとって、作物損失は食料と経済の両面に直結する課題だ。国連食糧農業機関(FAO)によれば、害虫や病害によって世界の作物は毎年最大40%が失われる。インド国内に限っても、政府推計は約30%に達する。

損失を押し上げる要因は害虫や病害だけではない。極端気象と土地劣化が重なり、南アジアはとりわけ影響が大きい地域の一つだと、最近のFAO報告書は指摘する。同報告書は、世界で17億人が、土地劣化によって作物の収量が落ちている地域に暮らし、食料安全保障(安定して食料を確保できる状態)と生態系の健全性が同時に脅かされていると推計している。

真菌毒(マイコトキシン)

畑で目に見える被害の背後で、研究者がもう一つの重大リスクとして挙げるのが「汚染」だ。インドのウッタル・プラデシュ州でタタ・コーネル研究所が行った調査では、米、小麦、トウモロコシ、ソルガムなどの主食に、アフラトキシン(カビが産生する毒性物質で、マイコトキシンの一種)が高い濃度で検出された。健康被害の懸念に加え、汚染された穀物は売り物になりにくく、農家の所得にも響く。

同研究所アソシエイト・ディレクターのバスカル・ミトラは、作物損失の議論で見落とされがちな側面だと強調する。「マイコトキシンは、がんの原因として知られている。公衆衛生と、農家の所得損失という二つの観点から考えなければならない。」ミトラはSciDev.Netにこう語った。

一方で、FAO報告書には希望もある。AI(人工知能)やリモートセンシング(衛星などで地表を観測する技術)、ドローンがリスク情報をリアルタイムで提供し、早期警戒と先回りの対応を地域で強めつつある。輪作(作物を年ごとに替える)や被覆作物(地表を覆って土を守る作物)による土壌保全、総合的病害虫管理(IPM=農薬だけに頼らず、栽培法や天敵利用などを組み合わせて害虫・病害を抑える手法)といった、農家が培ってきた方法も、こうした技術で補強され始めている。

ただし、損失の影響は一様ではない。研究者によれば、女性、男性、若手農家は、担う役割や資源へのアクセス、意思決定権の差によって、直面するリスクも取り得る対策も変わる。この違いを踏まえなければ、地域の「レジリエンス」(危機に耐え、回復する力)は組み立てられないという。

農家の声を聞く

農業研究機関CABI(SciDev.Netの母体)の南アジア地域ディレクター、ビノード・パンディットは、インド中央稲研究所とCABIの「世界の作物損失の負担(GBCL)」プログラムが2025年9月から11月にかけて実施したワークショップで、次のように訴えた。「ジェンダーの視点から作物損失を理解することは、強靱な農業と包摂的なプログラム・政策の確かな土台になる。作物損失と食料不安に対処するため、研究と普及の現場は、ジェンダー中立の枠組みから、ジェンダーを意図的に組み込む行動へ転換する必要がある。」

ワークショップには科学者、普及指導員、農家が参加し、害虫、病害、気候ショックが地域ごとに作物へ及ぼす影響を検討した。焦点は、農家の経験に耳を傾け、損失の測り方そのものを見直すことにあったという。

CABIのカビタ・ミシュラはSciDev.Netに対し、「ワークショップは、オディシャ州で農家や普及指導員の声を聞き、害虫、病害、気候ショックに彼らがどう対処してきたかを学ぶ場だった」と説明した。「作物損失の影響が誰に、どのように及ぶのかを捉えれば、小規模・零細農家の生計に資する、より公正で持続可能な農業システムを築ける。」

マッピングとモデリング

ミシュラによれば、GBCLが進めるデータ収集、地図化、モデリングは、国内から大陸規模まで、作物損失のパターン理解を押し広げている。大規模な現地観測に、既発表の圃場試験データや科学文献を重ね、さらに自動テキストマイニング(文献から情報を機械的に抽出する手法)も組み合わせる。

衛星画像などのリモートセンシング技術は、極端気象の影響の監視や、害虫・病害の圧力の検出に用いられる。機械学習モデルは複数の衛星データを統合し、作物ストレスの初期兆候や、病害虫が広がりそうな兆しを捉えようとしている。

インドではすでに、インド宇宙研究機関(ISRO)のResourcesat計画の衛星データを使い、稲と小麦の生育を監視し、雑草の発生やストレスの兆候を地図化している。CABIのプロジェクトも、国内外の衛星データを活用し、害虫・病害の脅威を予測するモデルの精度向上を進め、早期発見と管理を支援している。

それでも、現場の声は冷静だ。技術だけでは増大する気候圧力を相殺できない。ケララ州では季節外れの雨が繰り返し農家を襲う。「雨が降ると、収穫した籾を保管するインフラも乾燥施設もなく、作物が腐ってしまう。」
スーラパニは、タナール・トラストとしてこう語る。「家畜の飼料に使う稲わらでさえ、カビを防いで保存できない。」

気候の極端化は換金作物にも及ぶ。スーラパニによれば、カルダモン農家は昨年の干ばつで収穫を失い、植え替えを迫られた。費用は農家にとって破滅的だという。

オゾン被害

もう一つの新たな脅威が、地表付近のオゾン濃度の上昇である。オゾンは大気汚染物質の一種で、植物の組織を傷つけ、登熟(葉から穀粒へ栄養が移る重要な段階)を妨げる。その結果、収量と品質の両方が落ちる。

地表オゾンが稲作に与える影響を研究してきたインド工科大学のジャヤナラヤナン・クッティプラスは、オゾン被害による米生産の損失だけで、インドは年に30億米ドル超を失っていると推計する。対策として、汚染排出の削減に加え、高いオゾン濃度に耐える品種の開発を挙げる。

中国や東アジアでも、オゾンは大きな減収をもたらし、巨額の経済損失につながると推定されている。ある研究は、中国でオゾン汚染により、小麦で33%、米で23%の収量損失が生じると推計した。

一方、オゾンは本来有害な汚染物質であるものの、CABIは制御された条件下で、害虫・病害対策の抗菌剤として活用できないかも探っている。

Ranjit Debraj Photo credit: Katsuhiro Asagiri

アジア太平洋地域では、いもち病(稲の主要病害)やトビイロウンカ(稲の害虫)などが主食作物への脅威であり続ける。これらはリモートセンシングデータと機械学習モデルを組み合わせることで追跡が可能になりつつあり、より早い警戒と、より狙いを定めた対応につながる可能性がある。

研究者と政策担当者に突きつけられている課題は、損失を減らすことだけではない。損失をより正確に測り、「いつ、どこで、どのように」作物が失われ、「誰が」そのコストを負担しているのかを可視化することが、気候変動下で実効性と包摂性を備えた対策を設計するうえで欠かせないとの認識が強まっている。(原文へ

本記事は「世界の作物損失の負担(GBCL)」の支援のもと、SciDev.Netのグローバル・デスクが制作した。

INPS Japan

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NATO危機、EU停滞―いまこそ欧州は自立を

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ハーバート・ウルフ】

両組織は自己刷新し、米国の影響力から脱却しなければならない。

北大西洋条約機構(NATO)の危機は、ドナルド・トランプ政権の破壊的な政策から始まったわけではない。トランプがグリーンランドの併合に言及したのは、国際社会での正当性が揺らいでいる米国の強硬な対外政策が、さらに極端な方向へ進んだ最新の例にすぎない。もっとも、関心の中心を欧州から他地域へ移す動きは、歴代政権にも見られた。バラク・オバマ政権の「アジア重視(Pivot to Asia)」や、ジョージ・W・ブッシュ政権のイラク戦争をめぐるNATO内の対立は、そうした亀裂を示している。こうしたシグナルは欧州にも確かに届いていた。だがこの数十年、米国依存から脱するための有効な措置を取ろうとする本気で取り組む姿勢と足並みは、欧州側で十分に醸成されなかった。

Herbert Wulf

トランプが軍事支出を国内総生産(GDP)の5%に引き上げるよう求めた時点で、欧州にとってそれは真剣に考え直すきっかけになるはずだった。NATOの欧州側における防衛上の弱点を冷静に見れば、問題が資金不足ではないことは明らかである。NATOによれば、欧州の加盟国は過去10年間で総額約3兆5000億ドルを軍事費として支出してきた。決して少ない額ではない。問題は、その資源が各国本位の発想のまま個別に使われ、説得力のある共通戦略を欠いている点にある。その結果、同じような装備を各国が別々に購入する無駄が生じ、各国の軍需産業だけが潤う構図となっている。

欧州各国政府は、自らの強みを見極め結束した対応を模索するよりも、トランプの要求に従ってきた。トランプ政権の支持をつなぎとめ、ウクライナ支援を継続させるため、欧州のNATO加盟国は、防衛費を大幅に拡大する長期目標を確認し、各国が段階的な増額計画を検討する姿勢を示した。また、その過程で米国製兵器の調達拡大が見込まれるとの見方も広がっている。NATOのマルク・ルッテ事務総長を先頭に、米国にに追従する欧州の列はますます長くなっている。

Donald Trump, President of the United States of America, addresses the general debate of the General Assembly’s eightieth session in 2025. Credit: UN Photo/Evan Schneider.
Donald Trump, President of the United States of America, addresses the general debate of the General Assembly’s eightieth session in 2025. Credit: UN Photo/Evan Schneider.

しかし今、トランプがグリーンランドの併合に言及し、同盟国に対する露骨な敵対姿勢を示したことで、「米国のこの“パートナー”には頼れない」という現実が、ようやく欧州にも突きつけられたのではないか。欧州は、カリブ海での砲艦外交、他国への威嚇、勢力圏の追求、植民地主義的な野心といった米国の行動から、明確に距離を置くべきである。

欧州の独立を実現するため、欧州が自前で防衛を担う枠組みの構築に踏み出す時だ。この同盟は、米国・中国・ロシアがさまざまな形で培ってきた大国同士の勢力争いに引きずられるべきではない。予測不能なトランプが次にどんな判断ミスをするかを待つのではなく、欧州は自らの力で安全保障を担う体制、つまり自立した戦略を築く必要がある。、欧州の自立、すなわち米国に頼り切らず自分たちで決める力が不可欠である。それはトランプ政権に対してもロシアに対しても、欧州の発言力が増す。これは新しい発想ではない。1978年にはすでに欧州議会が、EU域内で防衛協力を強化すべきだとする最初の報告書を公表している。

軍事専門家はしばしば、「米国抜きでは欧州はロシアに軍事的に劣る」と強調する。確かに、防空、偵察・衛星能力、サイバー防衛など、いくつかの分野には不足がある。だが、欧州をロシア軍に比べて過小評価するのは誤りだ。全面侵攻から4年以上が経過したウクライナ戦争で、ロシア軍は軍事的に大きな成功を収めたとは言い難い。ウクライナのインフラを徹底的に破壊し、大量の兵力を投入して、ようやく限定的な領土拡大を得たにすぎない。結束し機能する欧州防衛同盟に対し、ロシア軍が優位に立てるとは考えにくい。決定的なのは欧州の団結である。

Photo: The spectre of war between Europe and Russia looms large. Source: The Hague Centre for Strategic Studies.
Photo: The spectre of war between Europe and Russia looms large. Source: The Hague Centre for Strategic Studies.

しかし、欧州の利益を守るためでもあるウクライナ支援においてさえ、欧州は一枚岩ではない。ロシア国境から遠い国ほど「欧州の価値」を掲げつつも、防衛への関与には消極的になりやすい。

各国が個別に軍事費を投じ続け、その結果として無駄を生むのではなく、一貫した欧州の防衛構想が必要である。「戦争に勝てる力」といった言い回しは、防衛に本当に必要な課題から目をそらしやすい。米国の態度変化は、欧州が自立した防衛体制へ本気で転換するほどの衝撃だったのだろうか。ウクライナ戦争後に「時代の転換(Zeitenwende)」とまで言われたにもかかわらず、欧州が本当に変わったのかには疑問が残る。

EUは「力の言語(=軍事力や威圧で物事を動かすやり方)」を学ぶべきか

EUの経済成長は長らく力強さを欠き、停滞が続いている。依存関係はむしろ深まっている。先端技術は米国に、重要鉱物は中国に、化石燃料は専制的な体制の国々に頼る。欧州は内向きの思考から抜け出せていない。欧州中央銀行(ECB)総裁を務めたマリオ・ドラギも、EUの競争力不足と生産性の低さを弱点として指摘した。だが、米中と経済・軍事の主導権争いを演じ合うことは、本当にEUにとって現実的な戦略なのか。欧州は、この地政学競争で「米中に次ぐ“第3の柱”」になるべきなのか。

欧州が「軍事力や威圧で物事を動かすやり方」を学ぶ必要はない(そうすべきだという主張が強まっているとしても)。まして軍事力の言語など不要である。世界政治に、力で押し切る威圧的な主体がもう一つ増える必要はない。求められるのは謙虚さであり、第三極として地政学競争に参加しようとする野心ではなく、別の経済モデルである。EUは、市場万能主義を強め帝国主義的色彩を帯びつつある米国と、権威主義的な中国のどちらかを選ぶ必要もなければ、両超大国に追いつこうとする必要もない。

もちろん、保護主義的な関税を掲げる米国の経済政策は無視できない。同様に、必要とあれば重要なサプライチェーンさえ攪乱して世界的影響力を得ようとする中国の政策も、各国に影響を及ぼす。研究が示すとおり、覇権国は経済力を使った圧力を自国の利益のために用いたくなる。トランプはその熱心な推進者であり、中国もまた躊躇しない。依存する国々は、条約を結んだとしても、こうした圧力を完全に無力化することはできない。だからこそ、勢力圏争いに加わり「力の言語」で対抗するのではなく、貿易手段など欧州の強みを賢く用いるべきである。欧州は無力ではない。

カナダのマーク・カーニー首相がダボスで述べたように、欧州が「中堅国(ミドルパワー)」としての立場を目指して何が悪いのか。中堅国は、対等な立場で他の中堅国―とりわけグローバル・サウスの国々―と協力することで、現下の環境でも主体的に行動し、自らの利益を追求できる。重要なのは自由貿易だけではない。各国が一方的に不利にならない、公正な貿易である。

外部の大国への依存を減らすには、欧州は産業の形を作り替え、再生可能エネルギーの比率を高めるべきだ。域内市場の強化も必要である。自らの価値を守るのであれば、強固な福祉国家(かつての北欧諸国のような)を築くことが極めて重要だ。これこそが、大国の影響を抑え、大国に左右されない政治判断を維持し、右派的潮流(=排外主義・権威主義の広がり)から民主主義を守るための最良の土台となる。

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ヘルベルト・ヴルフは国際関係論の教授であり、ボン国際紛争研究センター(BICC)の元所長である。現在は同センターのシニアフェローを務めるほか、ドイツのデュイスブルク/エッセン大学・開発と平和研究所の上級客員研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・平和紛争研究国立センターの研究アフィリエイトも務めている。また、ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の科学評議会メンバーでもある。

Original URL: https://toda.org/global-outlook/2026/nato-is-falling-apart-the-eu-is-faltering-good.html

INPS Japan

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|カザフスタン|2026年の中央アジア非核兵器地帯条約の議長国に就任

【アルマトイThe Astana Times=アヤナ・ビルバエワ】

カザフスタンは、中央アジア非核兵器地帯条約(Central Asian Nuclear-Weapon-Free Zone=CANWFZ)の2026年議長国に正式に就任した。条約加盟国による年次協議会合を受けたものだ。

Image:Central Asia Nuclear Weapons Free Zones (CANWFZ) Participation.svg by Allstar86, CC 表示-継承 3.0

会合にはカザフスタン外務省の代表が参加し、各参加国が2025年に実施した活動を検証するとともに、翌年の計画を取りまとめた。

議論はまた、国連の枠組みにおける中央アジア諸国の調整強化にも焦点を当てた。外務省報道局が1月30日に伝えた。

新たな議長国となったカザフスタンは、今年が2006年に署名された「セメイ(セミパラチンスク)条約」の署名20周年に当たることを指摘した。カザフ代表団は、核軍縮・不拡散に関する国際フォーラムでの連携強化の重要性を強調し、核兵器不拡散条約(NPT)運用検討会議や、核兵器禁止条約(TPNW)に関連する取り組みへの関与を挙げた。

中央アジア各国の外務省は、条約の節目を記念する行事を年内を通じて開催する見通しである。

セメイ(セミパラチンスク)条約は、2006年9月8日、当時セミパラチンスクと呼ばれたカザフスタン東部のセメイ市で、カザフスタン、キルギス共和国、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンの5カ国が署名した。5カ国すべてが批准した後、2009年3月21日に発効した。

Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri
Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri

同条約は、非核兵器地帯条約の中でも独自性が高いとされる。核兵器実験や軍事目的のウラン採掘が行われてきた地域において、北半球で初めての非核兵器地帯を創設したためだ。さらに、この非核兵器地帯は2つの核兵器国(=ロシアと中国)と最長の陸上国境を共有しており、世界の不拡散努力における戦略的・象徴的意義を際立たせている。(原文へ

INPS Japan

Original URL: Kazakhstan Takes Chair of Central Asian Nuclear-Weapon-Free Zone for 2026 – The Astana Times

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イランでいま起きている変化―富の偏りを強める政策と、異論を封じる動き

【ロンドンLondon Post=シャブナム・デルファニ】

こここ数カ月のイランでは、政府が経済に強く関与する政策が続き、結果として一部の大企業や富裕層に利益が偏りやすい状況が強まっている。動きは行政府にとどまらない。議会、司法、政策決定に関わる機関、国営放送、さらに改革派・保守派双方の支持層が支えるメディアまでが、こうした政策を支える構図がうかがえる。

同時に、政府の経済運営を批判する立場、特に「生活の公平」や「公的支援の必要性」を重視する見方に対して、政治的な攻撃が強まっている。批判者は「左派」や「共産主義者」などのレッテルで語られ、政策の見直しを求める議論が社会に広がりにくい環境が形づくられている。

Map of Iran
Map of Iran

最近は、社会不安や抗議行動が起きるなかで、政府の広報組織が、現行の経済政策を正当化する説明をいっそう強めたとも伝えられた。注目すべきは、政府が経済への関与を強める一方で、政治の場では同時に「国の役割を小さくし、権限を地方へ移すべきだ」という議論も勢いを増している点である。国が価格や通貨の仕組みに強く関与しながら、統治の権限は地方へ分散させる―この二つが並行して進めば、中央の統治力や公共サービスの担い手としての信頼が揺らぎ、社会の一体性が弱まる方向に働く可能性がある。

さらに、新しい政党も相次いで登場し、政治勢力が富の配分や利権をめぐって競い合う構図が強まっているように見える。

著者は、こうした一連の動きの背景に、国内の有力者たちが将来の政権変動や国の進路変更を恐れ、複数の「出口」を同時に用意している事情があるとみる。想定されている道筋は、大きく三つだという。
第一は、強い権限を持つ新しい指導者を前面に出し、反対意見を力で抑える道。
第二は、国のまとまりを少しずつ弱め、中央政府の統治力が及びにくい状態を広げていく道(軍事衝突ではなく、政治と経済の運びで国がばらばらになりやすい状態を作る)。
第三は、選挙を通じて政権を取り直し、欧米との関係改善を前面に出して国の方針を変える道である。

生活を直撃する経済政策の連続

著者が最も問題視するのは、短期間のうちに、生活に直結する価格や為替の仕組みが一気に変えられた点である。具体的には、次の三つが重なって起きた。
(1)通貨の価値が急に下がり、輸入品を中心に物価が上がりやすくなった。
(2)食料や医薬品など生活に欠かせない品目に対する優遇措置が縮小・撤廃され、家計負担が増えた。
(3)燃料や電力などの価格が上がり、暮らしと企業活動の両方に広く負担が広がった。

この変化は、一般の国民にとっては生活費の増大を意味する一方で、外貨を持つ人や輸出で収入を得る大企業には有利に働きやすい。国の政策が結果として「持つ側」と「持たない側」の差を広げる方向に動いている、というのが著者の見方である。

人々の生活不安が、社会全体の不安定化につながる

物価が急に上がると、国民の購買力は急速に落ちる。生活が厳しくなれば、人々は将来への不安を強め、社会の不満は高まる。だが同時に、生活維持に追われるほど、長期的に政治参加を続ける力は弱まりやすい。著者は、この状態が広がると、抗議が衝動的で不安定な形になったり、逆に社会があきらめムードに沈んだりして、政治の安定を支える土台が崩れやすくなると指摘する。

中央政府が「役に立たない」と見なされる危険

物価上昇は政府の支出も押し上げ、財政を苦しくする。財政が厳しくなると、公共サービスや支援策を十分に維持できなくなる。すると政府は、国民から「暮らしを守れない」「説明が信用できない」と見なされ、統治への信頼が低下する。著者は、その結果として「痛みを伴う改革は避けられない」「大きな決断しかない」といった言い方が広がり、国民に負担を押しつける政策が通りやすくなるとみている。

輸出企業や金融部門が「中央に頼らない」構図を強める

一方で、輸出で外貨を得る大企業や、外貨取引に関わる金融部門は、こうした状況で利益を得やすい。外貨で稼ぎ、外貨で資産を持てば、国内通貨の価値が下がるほど有利になる側面がある。著者は、こうした勢力が中央政府の監督を嫌い、「自由な市場」を掲げて国の関与を弱める方向に動くと指摘する。

それが進むと、地方の行政が有力企業や資産家の影響を強く受け、地域の経済や雇用が特定勢力に握られやすくなる。国全体としての統一的な政策より、地域ごとの利害が優先されやすくなり、国のまとまりが弱くなる恐れがある。

外からの圧力が効きにくくなり、国内で「危機」を作る方向へ

著者は、従来は制裁や外部からの圧力が、国内政策を正当化する理由として使われてきたとみる。しかし最近は、外部からの圧力が以前ほど決定的な効果を持たなくなり、むしろイランが中国やロシアとの関係を強める要因になっているという。そのため、外の圧力に依存した説明が通用しにくくなり、代わりに国内で危機感を高める政策が使われるようになった、というのが著者の問題意識である。

異論を封じる攻撃が、政策の代替案を狭める

こうした流れの中で、生活の公平さや公共サービスを重視する立場が攻撃されるのは、単なる言い争いではないと著者はいう。国の政策を別の方向に変える選択肢を、最初から狭める効果を持つからだ。批判者が「危険な考えの持ち主」として扱われれば、政策の見直しを求める声は弱まり、同じ方向の政策が続きやすくなる。

Prof.Shabnam Delfani 
著者の結論――危険な流れを止めるには

著者は、このままでは国民生活の悪化、中央政府への不信、地方への権限移転を利用した統治の弱体化が重なり、軍事衝突がなくても国が不安定化する危険があると警告する。

その上で、危機を避けるために必要なのは、生活に直結する要求を軸に幅広い社会的な動きを作り、無秩序な暴発を防ぎ、政策転換の必要性を丁寧に説明し、選挙を含む政治的手段を閉ざさないことだと述べる。狙いは、特定の有力者に富が集中する流れを止め、国全体のまとまりと生活の安定を回復することにある。(原文へ

INPS Japan

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パリ協定からの米国離脱、世界の気候脆弱性を一段と深める

【国連IPS=オリトロ・カリム】

1月27日、米国は2015年に採択された国際条約「パリ協定」から正式に離脱した。パリ協定は、地球温暖化の抑制と、各国が気候変動の影響に備える強靭性(レジリエンス)の向上を目的とする。トランプ政権が1年にわたり規制を後退させ、連邦レベルの気候政策の解体を進めてきた流れの中での離脱であり、国際的な気候対策を弱めるとみられる。環境劣化や生物多様性の損失を加速させ、健康と安全、さらには長期的な開発にもリスクを広げるなど、影響は広範に及ぶ可能性がある。

パリ協定は採択以来、世界の気候行動を推進する中核的枠組みとして機能してきた。各国に対し、温室効果ガス排出の削減、再生可能エネルギーの拡大、適応策の強化、脆弱なコミュニティの保護を促してきたほか、排出削減目標の定期的な更新と、その実施計画の提出を義務づけている。こうした仕組みにより、国際的な取り組みの継続と透明性の確保、各国間の情報共有が支えられてきた。

アムネスティ・インターナショナルは、ドナルド・トランプ政権の一連の措置が、「主要な多国間・二国間の気候関連機関やプログラム」への資金を打ち切る方向に向かうおそれがあると警告した。その影響は米国にとどまらず、国際社会全体に及ぶ可能性があるという。さらに同団体は、米国による国際連合(UN)機関への資金拠出がまもなく停止する見通しで、気候の影響を受けやすいコミュニティへの生命に関わる支援が途絶えるほか、気候の監視・観測や、排出削減(緩和)に向けた重要な取り組みが中断しかねないと指摘している。

具体的には、米国の離脱により、気候変動に起因する避難・移住、災害復旧、インフラ再建への国際的な取り組みが弱体化する可能性がある。支援の縮小は、気候被害が拡大するなかで途上国のコミュニティの脆弱性を高め、気候による損失の負担がより重くのしかかると見込まれている。

離脱前から、国際連合は深刻な資金危機に直面していた。米国が通常予算の義務的分担金の未払いを続け、対外援助も大幅に削減してきたため、危機は一段と深まっている。さらに米国は、気候災害に直面する脆弱なコミュニティを支える重要な枠組みである国連の「損失・損害基金(FRLD)」の理事会からも離脱した。従来約束していた1750万ドルの拠出も不透明で、基金の運用に支障が出るとの懸念が強まっている。

Photo Credit: climate.nasa.gov
Photo Credit: climate.nasa.gov

今回の離脱により、米国はパリ協定の歴史上、唯一の離脱国となる。協定の締約国ではない国は、イラン、リビア、イエメンなど少数に限られる。気候交渉の主要アクターである米国が離脱したことで、他の富裕国に拠出拡大を促す外交的圧力が弱まる可能性もある。

アムネスティ・インターナショナルで気候正義と企業責任を担当するプログラム・ディレクターのマルタ・シャーフ氏は、「米国のパリ協定離脱は、いわゆる『底辺への競争(レース・トゥ・ザ・ボトム)』をあおりかねない不穏な前例だ。ほかの主要な国際気候枠組みからの離脱と相まって、気候行動をめぐる国際協力の仕組みを解体しようとする動きだ」と述べた。その上で同氏は、「米国は気候対策に後ろ向きな有力勢力の一つにすぎない。しかし影響力ある超大国として、化石燃料への回帰を促す圧力を各国や有力アクターにかけることは、とりわけ大きな害をもたらす。協定の下で10年以上積み上げてきた世界の気候対策の前進を後退させかねない」と付け加えた。

U.N. spokesperson Stephane Dujarric/ UN Photo
U.N. spokesperson Stephane Dujarric/ UN Photo

これに対し、国連事務総長報道官のステファン・デュジャリック氏は、「気候変動対策は続ける。公正な移行に向けた取り組みも継続する。とりわけ最も脆弱な国々に対し、排出削減(緩和)と適応のための資源を拡充する努力を続ける。この点で、私たちの取り組みが揺らぐことはない」と述べた。

1月22日には、国連環境計画(UNEP)が年次報告書「自然のための資金の現状(State of Finance for Nature)」を公表した。自然に基づく解決策(NBS)への世界の資金の流れを分析したもので、気候や自然を損なう活動への投資が、生態系の保全・再生への投資のおよそ30倍に上ると指摘した。

UNEPの推計によれば、環境を損なう資金の約7割は民間部門による一方、環境保護に向かう資金は1割程度にとどまる。2023年には、環境に有害な世界の活動に約7・3兆ドルが投じられ、そのうち約4・9兆ドルが民間、約2・4兆ドルが公的部門によるものだった。化石燃料利用の促進をはじめ、農業、水、輸送、建設分野への支援を最大化する性格を持つという。

これに、ドナルド・トランプ大統領が掲げる「掘れ、掘れ、掘れ(drill, baby, drill)」政策の復活が重なることで、世界の気候対策はさらに揺らぐ見通しだ。化石燃料依存を加速させ、排出削減目標の達成を損ない、緊急の適応と生態系回復に必要な資金ギャップを一段と拡大させる可能性がある。

ジェレミー・ウォレス氏(ジョンズ・ホプキンズ大学・中国研究)は、米国が化石燃料依存を深めることは国際社会に「気候目標の水準を引き下げてもよい」というシグナルを送ると記者団に語った。その結果、他の主要排出国が、より控えめなエネルギー転換や、より低い排出削減目標を選択することを後押ししかねないという。

たとえば中国は近年、今後10年で温室効果ガス排出を7~10%削減するにとどまる目標を掲げたが、気候専門家からは野心が不足し、世界の削減目標に照らして不十分だとして広く批判されている。

バサブ・セン氏(政策研究所(Institute for Policy Studies)・気候正義プロジェクト)は「米国内市場が(彼の言う)権威主義的な政府の命令によって化石燃料に支配され続けるなら、その影響は世界に及び続ける」と述べた。さらに、化石燃料の生産・輸出に依存する低所得国が移行を進めるのは、米国が資金拠出をしない姿勢を示すなかで、いっそう難しくなると指摘した。(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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米「平和評議会」は国連を弱体化させる狙いか

【ニューヨークIPS=タリフ・ディーン】

ホワイトハウスから発せられる相反するシグナルを踏まえると、ドナルド・トランプ大統領が創設した「平和評議会(Board of Peace)」は、最終的に国連安全保障理事会、ひいては国連そのものを置き換えることを狙っているのだろうか。

トランプ氏は先週、スイス・ダボスでの式典で同評議会の憲章を正式に批准し、「公式の国際機関」として設立した。トランプ氏が委員長を務め、創設メンバーとして「ガザに、住民にとって永続的な平和、安定、機会をもたらす安全で繁栄した未来を築くことにコミットした各国代表」が参加したとされる。

米「インスティテュート・フォー・パブリック・アキュラシー(Institute for Public Accuracy)」事務局長で、RootsAction.org全国ディレクターのノーマン・ソロモン氏はIPSの取材に対して、トランプ氏の「平和評議会」は、2003年のイラク侵攻に正統性を与えようとした「有志連合」に類似する「グローバル同盟」として設計されていると語った。

ソロモン氏によれば、トランプ氏は自らの指導に従う政府を取り込み、支配と略奪のために世界を一層「戦争の方向」へ押しやっているという。同氏は、加盟国が支払う代償は各国が負担する「10億ドル超」とされる加盟費をはるかに上回るとし、トランプ氏の手法を「世界的なギャングのような振る舞い」になぞらえた。

「同時に、彼の手法は透明でもある。世界のできる限り多くを米国が支配するための新たな仕組みを作ろうとしているのだ。」

War Made Invisible: How America Hides the Human Toll of Its Military Machine
War Made Invisible: How America Hides the Human Toll of Its Military Machine

トランプ氏は、米国が経済的・軍事的な影響力を得るためのアジェンダを覆い隠す「二重話法(ダブルスピーク)」の境界を押し広げ続けている、とソロモン氏はみる。アンクル・サムが発するメッセージの骨子は、「もう“いい人”ではない」ということだ。

著書『War Made Invisible: How America Hides the Human Toll of Its Military Machine』の著者でもあるソロモン氏は、歴代の大統領が二枚舌や高尚な美辞麗句で実際の優先事項を覆い隠してきた一方、トランプ氏は婉曲表現を捨て去り、「米国政府こそ世界の光であり、他の国々は皆その後ろに並ぶべきだ」という考えを露骨に示していると述べた。

一方、国連のステファン・デュジャリック報道官は先週、記者団から「平和評議会」について問われ、次のように述べた。

「はっきりさせよう。われわれは安保理決議2803の完全実施を確実にするため、できる限りのことを行う。ご承知の通り、この決議はガザのための平和評議会の創設を歓迎した。」

U.N. spokesperson Stephane Dujarric/ UN Photo
U.N. spokesperson Stephane Dujarric/ UN Photo

同氏はまた、同決議とトランプ大統領が提示した計画の一部として、国連が人道支援物資の配送で主導的役割を担うことになっていると説明した。

「ガザには大規模な人道支援を届けてきた。許される範囲で可能な限りやってきた。制約についても話してきたが、停戦以降、どれだけ多くのことができるようになったかはご存じの通りだ。その一環として、われわれは米当局と非常に良好に協働してきた。今後もそうする。」

デュジャリック氏は、国連は普遍的加盟を有する唯一の国際機関であるとも改めて強調した。

「ダボスでの発表はもちろん見た。事務総長の仕事は、国際法と国連憲章に支えられ、われわれに与えられた任務を実行するために、引き続き断固として続いている。つまり、われわれの仕事は続く」

国連のロゴと「平和評議会」のロゴが似ている点について問われると、同氏は著作権や商標の侵害は見当たらないと述べた。

ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)の国連担当ディレクター、ルイ・シャルボノー氏は先週公表した声明で、米国は国連設立で主導的役割を果たした一方、いまトランプ大統領が国連の大部分を弱体化させ、資金を断っていると指摘した。

United Nations Headquarters Photo:Katsuhiro Asagiri
United Nations Headquarters Photo:Katsuhiro Asagiri

同氏によれば、この1年、米政府はトランプ政権が国連を「反米的」で「敵対的なアジェンダを持つ」組織だとみなしているため、国連のプログラムや諸機関に「大ハンマー」を振り下ろしてきた。

国連交渉では、米当局者が決議や声明から「ジェンダー」「気候」「多様性」といった言葉を排除しようとしてきたともいう。外交官らはHRWに対し、米当局者が「woke(意識高い系)」あるいは政治的に正しいとみなす人権関連の文言に、攻撃的に反対していると語った、とシャルボノー氏は述べた。

シャルボノー氏は、国連安保理を脇に追いやろうとする見え透いた試みとして、トランプ氏が自ら議長を務める「平和評議会」を提案したと指摘する。さらにトランプ氏は、ベラルーシ、中国、ハンガリー、イスラエル、ロシア、ベトナムなど、抑圧的な政府の指導者に議席を提示したと報じられているという。

もともと「平和評議会」は、イスラエル軍による2年以上に及ぶ攻撃と破壊の後、ガザの統治を監督するためのものとされた。米国はその行為に加担していた、とシャルボノー氏は述べる。ところが、評議会の憲章にはガザへの言及すらなく、当初の構想以降、この組織をめぐるトランプ氏の野心が著しく拡大したことを示唆しているという。

Louis Charbonneau, United Nations Director, HRW

同憲章案には人権への言及がない。さらに、初代議長であるトランプ氏が「決議その他の指令を採択する」最高権限を、自身の判断で行使できることが明確にされている、とシャルボノー氏は警告した。

「平和評議会」の議席は安くない。加盟費は10億ドルである。フランスのエマニュエル・マクロン大統領のように、すでに参加の提案を拒否した例もある。トランプ氏はこれに対し、仏産ワインやシャンパンへの関税を大幅に引き上げると脅した。

シャルボノー氏は、国連システムには問題があるとしつつも、「世界版ポリトビューロー(政治局)」よりはましだと述べた。「トランプ氏の評議会に加わるために何十億ドルも払うのではなく、各国政府は国連が人権を守る能力を強化することに注力すべきだ。」

ソロモン氏はさらに、「平和評議会」構想全体が、危険な茶番であり、今世紀に入って経済面ではすでに大きく崩れた単極世界を再構築しようとする試みだと述べた。

Donald Trump, President of the United States of America, addresses the general debate of the General Assembly’s eightieth session in 2025. Credit: UN Photo/Evan Schneider.
Donald Trump, President of the United States of America, addresses the general debate of the General Assembly’s eightieth session in 2025. Credit: UN Photo/Evan Schneider.

同氏はまた、共和党が議会で多数を占める中でのトランプ氏のアプローチについて、「犯罪性を帯びた手法」として批判し、米軍の力によって裏打ちされていると指摘した。これまで以上に、米国の外交政策が世界に提供しているものは、ギャング的ふるまい、恐喝、脅迫であり、ときに国際法の外観すら粉砕する軍事攻撃へと転じる「大規模暴力の脅し」だ、という。

同氏は、今世紀のすべての米大統領が、従来通り実際の国際法を無視し、軍産複合体の好みを外交政策に置き換えてきたと批判する。トランプ氏はその政策を、恥じることなく極端な形に押し進め、ジョージ・オーウェルのディストピア的信条「戦争は平和なり(War Is Peace)」に露骨に従いながら、建設的な国際秩序の残滓を破壊しようとしている、と述べた。

前例として、インドネシアのスカルノ大統領が国連を脱退し、代替として「新興勢力会議(CONEFO)」を立ち上げようとしたことがあった。しかし、スカルノ氏の後継であるスハルト氏がインドネシアの国連参加を「再開」し、この試みは長続きしなかった。国連に永続的な害は生じなかった、とソロモン氏は指摘する。

Farhan Haq, UN Deputy Spokesperson. Photo: UN
Farhan Haq, UN Deputy Spokesperson. Photo: UN

国連のファルハン・ハク副報道官は、追加の説明として記者団に対し、「平和評議会」はガザでの活動についてのみ、安保理によって権限付与されていると述べた。

「厳密にガザについてのものだ。ここ数日、メディアで取り上げられているような、より広い活動や側面について話しているのではない。われわれが話しているのはガザにおける活動である」

「われわれはガザの停戦と、それを支える措置―平和評議会を含む―を歓迎してきた。停戦が維持されるよう、現地のすべての当事者と引き続き取り組む。これはガザについての話だ。」

一方でハク氏は、より大きな側面については、この枠組みに参加したい者が検討すべき事柄だとした。そのうえで、国連には独自の憲章とルールがあり、両組織を比較することは可能だと述べた。

「国連はこれまでも数多くの組織と並存してきた。地域機構もあれば、準地域機構もある。世界にはさまざまな防衛同盟もある。関係協定を結んでいるものもあれば、そうでないものもある。」

「平和評議会が実際に設立され、どのようなものになるのか、詳細を見極めたうえで、われわれがどのような関係を持つことになるのかを判断する必要がある。」

先週ジュネーブで行われた署名イベントの参加者には、次の面々が含まれていた。

  • バーレーン:イサ・ビン・サルマン・ビン・ハマド・アル・ハリーファ(首相府長官)
  • モロッコ:ナセル・ブリタ(外相)
  • アルゼンチン:ハビエル・ミレイ(大統領)
  • アルメニア:ニコル・パシニャン(首相)
  • アゼルバイジャン:イルハム・アリエフ(大統領)
  • ブルガリア:ローゼン・ジェリャズコフ(首相)
  • ハンガリー:ビクトル・オルバン(首相)
  • インドネシア:プラボウォ・スビアント(大統領)
  • ヨルダン:アイマン・アル・サファディ(外相)
  • カザフスタン:カシムジョマルト・トカエフ(大統領)
  • コソボ:ヴィヨサ・オスマニ=サドリウ(大統領)
  • パキスタン:ミアン・ムハンマド・シェhbaz・シャリフ(首相)
  • パラグアイ:サンティアゴ・ペニャ(大統領)
  • カタール:ムハンマド・ビン・アブドゥルラフマン・アル・サーニ(首相兼外相)
  • サウジアラビア:ファイサル・ビン・ファルハーン・アル・サウード(外相)
  • トルコ:ハカン・フィダン(外相)
  • UAE:ハルドゥーン・ハリーファ・アル・ムバラク(対米特使)
  • ウズベキスタン:シャフカト・ミルジヨエフ(大統領)
  • モンゴル:ゴンボジャビン・ザンダンシャタル(首相)

カナダ、フランス、ドイツ、イタリアを含む欧州諸国など、多くの国は署名に参加しなかった。招待を明確に拒否した国もある。(原文へ

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

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カザフスタン―アゼルバイジャン間フェリー、2026年前半に運航開始へ

【ローマThe Astana Times=ナジマ・アブォヴァ】

カスピ海で、カザフスタン西部のクルィク港とアゼルバイジャンのアラト港を結ぶフェリー航路が、2026年に開設される見通しとなった。貨物取扱量の拡大と地域の海上連結性強化が期待されるとして、カザフスタン国営通信カジンフォルムが12月23日に報じた。

マンギスタウ州のヌルダウレト・キリバイ州知事(アキム)は、中央コミュニケーション・サービスでの会見で、「2026からジョージア側の企業と協力し、クルィク港とアラト港の間でフェリー6隻の就航を計画している。すでに2隻がカスピ海に入り、2026年前半に運航を開始する。その後は毎年2隻ずつ追加し、2028年までに6隻すべてが運航する。」と語った。

キリバイ知事は、この取り組みがカザフスタン独自のフェリー船隊の形成につながるほか、貨物量の増加と、カスピ海域の海上輸送の発展を後押しするとの見通しを示した。

また、中国から中央アジアとカスピ海経由で欧州までを結ぶトランス・カスピ国際輸送ルート(TITR、ミドル・コリドー)について、今年マンギスタウ州を経由する貨物輸送は前年比20%増の250万トンに達したという。

運航会社セムルグ・インベストは船隊を2027年までに6隻へ拡充する計画で、今年は積載能力7000トンの船舶1隻を同ルートに追加投入した。

マンギスタウ州では新港の建設も計画されている。着工は2026年で、投資協定は最終段階にあり、2025年内または26年初めの署名が見込まれる。建設は2026年第2四半期に開始予定で、港湾用地はすでに指定され、登録手続きが進められている。

新港整備は、中国、カザフスタン、アクタウ、バクー、ポティを経て欧州へ至る新たな国際輸送回廊の形成を後押しすると期待されている。

トランス・カスピ国際輸送ルート(TITR、ミドル・コリドー)

INPS Japan/The Astana Times

Original URL: https://astanatimes.com/2025/12/ferries-between-kazakhstan-and-azerbaijan-to-launch-in-2026/

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トカエフ大統領が懸念する「核の脅威の増大」はどこまで正当化されるのか

【ロンドンLondon Post=ラザ・サイード】

国際安全保障と中央アジア地政学を取材する立場から、また、ソ連時代にセミパラチンスク核実験場の被害を受け、1990年代に世界第4位規模の核兵器を自発的に放棄したカザフスタンの経験に照らせば、カシム=ジョマルト・トカエフ大統領が繰り返し発してきた「核の危険が高まっている」との警告は、十分に正当化される。カザフスタンは450回を超える核爆発を経験し、長期にわたる環境破壊や健康被害、社会的トラウマを抱えてきた。この歴史は、核不拡散を訴えるうえで同国に道義的な重みを与えている。|ヒンドゥー語版タイ語英語

Map of Kazakhstan
Map of Kazakhstan
Central Asia Nuclear Free Zones
Central Asia Nuclear Free Zones

トカエフは一貫して核リスクの高まりに警鐘を鳴らしてきた。とりわけ2025年9月の国連総会演説では、軍備管理条約体制の崩壊に強い懸念を示し、破局を回避するため核保有国間の高官級対話を呼びかけた。さらに同年12月、東京の国連大学での講演では、世界の安全保障を核抑止に依存させることはできないと改めて強調し、日本と共有する核の惨禍を踏まえつつ、核の脅威を低減するための多国間行動を訴えた。
カザフスタンの立場から見れば、これらの懸念は扇情的な警鐘ではない。ロシアと中国という核大国に隣接し、経済的相互依存を抱えつつ、核不拡散条約(NPT)や中央アジア非核兵器地帯条約(セミパラチンスク条約)にコミットしてきた国としての現実に根差すものである。

世界の核情勢も、トカエフの警告を裏づけている。2025年には、誤算や意図的使用の危険を高める具体的なエスカレーションが顕在化した。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の『年鑑2025』によれば、核兵器保有9カ国の核弾頭総数は約12,241発にのぼり、そのうち9,614発が軍用備蓄に含まれる。さらに、軍備管理体制が弱体化するなか、各国は一斉に核戦力の近代化を進めている。これは、冷戦後の削減局面から、新たな軍拡競争へと転じつつあることを示している。

Bulletin President and CEO Alexandra Bell moves the minute hand on the Doomsday Clock. (Image by Jamie Christiani)
Bulletin President and CEO Alexandra Bell moves the minute hand on the Doomsday Clock. (Image by Jamie Christiani)

また、「原子力科学者会報(Bulletin of the Atomic Scientists)」は2026年1月、終末時計を「午前零時まで85秒」に進め、史上最短とした。理由として核リスクの高まりを挙げ、ウクライナなどの紛争における核使用を示唆する発言の増加にも警鐘を鳴らしている。

東西の架け橋を自任するカザフスタンにとって、この趨勢は地域の安定そのものを脅かしかねない。セミパラチンスク核実験で放射線が土地と人々を世代を超えて汚染した記憶は、いまも国家の安全保障観に強い影響を及ぼしている。トカエフが提唱する「生物学的安全保障・安全に関する国際機関(International Agency for Biological Safety and Security)」構想も、威嚇ではなく信頼醸成を優先する、こうした国際的潮流への実務的対応として理解できる。

Russian President Vladimir Putin addresses participants of the Russia-Uzbekistan Interregional Cooperation Forum in Moscow, Russia/ By Kremlin.ru, CC BY 4.0
Russian President Vladimir Putin addresses participants of the Russia-Uzbekistan Interregional Cooperation Forum in Moscow, Russia/ By Kremlin.ru, CC BY 4.0

正当化の最大の根拠は、軍備管理の枠組みが崩れつつある点にある。米露の戦略核を法的に制限する最後の拘束的枠組みである新戦略兵器削減条約(New START)は、2026年2月5日に期限を迎える見通しだ。ロシアは2023年に条約履行への参加を停止し、査察やデータ交換は中断された。米国も同様に運用上の対応を取り、検証の仕組みは機能不全に陥っている。プーチン大統領が2025年9月に、上限を自主的に1年間延長する案を提起したとも報じられたが、現時点で合意枠組みは確立していない。

2019年の中距離核戦力(INF)全廃条約の失効や、オープンスカイ条約をめぐる一連の後退に続くこの流れは、不透明性を高め、危機管理を難しくする。透明性が失われれば相互不信が強まり、近代化競争を加速させかねない。SIPRIが指摘するように、核保有国は例外なく戦力を更新しており、とりわけロシアと米国が世界の核弾頭の約9割を占める。

カザフスタンから見れば、この枠組みの弱体化は、近隣に冷戦期のような不安定さを呼び戻しかねない。核放棄を選択した背景には、安全保障上の保証と多国間規範への信頼があった。しかし、その前提が揺らぎつつある。トカエフが2025年のアスタナ国際フォーラムなどで訴えた対話再開の呼びかけは、こうした空白を埋めようとする試みである。超大国間の緊張が続くなか、透明性の低下は誤算の余地を広げ、事故やエスカレーションを通じた核使用リスクを押し上げる。多国間規範に依拠してきた旧ソ連圏国家として、こうした後退はとりわけ切実であり、代理戦争や核を伴う威嚇の余波が中央アジアに及ぶ可能性も高まる。

ウクライナ戦争におけるロシアの核を伴う威嚇は、こうした懸念の現実味を示す具体例である。戦争は2026年に入って4年目を迎え、ロシアは西側の支援を抑止する狙いで戦術核に言及するなど、核をちらつかせる発信を繰り返してきた。さらに2023年には、核不拡散条約(NPT)上の非核兵器国であるベラルーシに非戦略核戦力を配備し、核態勢の外縁を広げた。2025年には言辞が一段と強まり、10月に核動力巡航ミサイルを試験したとの報道や、ノヴァヤゼムリャでの核実験再開をめぐる議論が伝えられた。加えて、核保有国に支援された通常戦力の脅威を想定し、核使用の敷居を下げる方向でドクトリンを見直したとの指摘もある。NATO領域へのドローン侵入が欧州の警戒を高めるなか、米側の評価では、ロシアは「存在的脅威」と認識した場合に「受け入れがたい損害(unacceptable damage)」を与え得る能力を誇示しようとしているという。

こうした動きは、核の威嚇を日常化し、使用タブーを侵食する。核の規範を研究してきたニーナ・タンネンウォルドは、この戦争が規範的制約を「深刻に損なった」と論じている。ロシアと約7,600キロの国境を接し、集団安全保障条約機構(CSTO)を通じて結びつくカザフスタンにとって、これは実存的問題である。エスカレーションは、セミパラチンスクを想起させる放射線影響の危険を生み、エネルギー連携や中立外交にも打撃を与えうる。トカエフが第8回世界伝統宗教リーダー会議などで繰り返してきた警告は、「核戦争の確率が数十年で最も高い水準にある」とする専門家の見立てとも重なり、緊張緩和を促すカザフスタンの働きかけを正当化する。

Group photo of delegates. Photo credit: Akorda
Group photo of delegates. Photo credit: Akorda

第二の重要な根拠は、中国の核戦力が急速に拡大している点にある。2024年半ばまでに中国の核弾頭数は600発を超え、2019年の約300発前後から倍増したとされる。さらに2030年までに1,000発を超え、2035年に向けても増勢が続くとの見立ても示されている。中国は運搬手段の「三本柱(トライアド)」を整備しつつ、複数のサイロ建設や新拠点の整備も進めていると報告されている。

米国防総省などは、こうした増強が大国間競争のもとで中国の能力を多様化させ、米露との間で軍拡の連鎖を生みかねないと指摘する。能力の拡充は対抗措置を誘発し、偶発的なエスカレーションのリスクを高める。アジア太平洋の緊張が高止まりするなかで、危機管理の難度は増している。

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中国と約1,700キロの国境を接するカザフスタンにとって、これは直接のリスクである。米中、あるいは中露の緊張が地域に波及すれば、多角外交(マルチ・ベクトル外交)やウラン輸出にも影響が及び得る。トカエフが東京での講演で強調した「完全軍縮」や、包括的核実験禁止条約(CTBT)の発効促進は、核実験再開の動きを抑える観点からも、この流れに歯止めをかける提案と位置づけられる。加えて、中国を含む大国によるミサイル技術の拡散をめぐる懸念(イランや北朝鮮との関係を含む)がくすぶることも、地域の不安定化要因として、核の過去を持つカザフスタンの「ゼロ容認」姿勢を補強している。

カザフスタンが軍縮の提唱国であると同時に、原子力の平和利用を進める国でもある点は、トカエフの主張の信頼性を高めている。国際原子力機関(IAEA)の低濃縮ウラン(LEU)バンクを受け入れ、非核兵器地帯の拡大を促してきた同国は、抑止ではなく協力を通じた安全保障のあり方を示してきた。他方、国内では原発建設計画が議論されており、厳格な保障措置の確保が不可欠となる。世界的に軍事化の潮流が強まるなかで、現実の安全保障と国際規範の両立を図ろうとする姿勢も浮かび上がる。こうした「被害国から先導国へ」という位置づけは、かつて自国が経験した核リスクの再来を警告する根拠ともなっている。

結論として、トカエフの懸念は正当であるだけでなく、緊急性が高い。条約体系の弱体化、ウクライナ戦争におけるロシアの核を伴う威嚇、中国の核戦力の急拡大は、核リスクが増大していることを示す具体的要因である。世界が分断へ傾くなかで、中堅国カザフスタンは理性に基づく対応を訴える。対話の再建、NPT体制の補強、そして軍備ではなく平和への投資―それが同国の呼びかけだ。これを単なる外交辞令として退ければ、2025年に顕在化した緊張の連鎖と、終末時計が示す危機感を過小評価することになる。求められているのは、警告を受け止め、実際の行動につなげることだ。対応が遅れれば、トカエフが指摘する危機は不可逆的な局面に入りかねない。(原文へ

This article is produced to you by London Post in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC. 

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労働搾取に挑み、すべての菓子で環境保護を掲げるベーカリー

飲食店での搾取経験を踏まえ、パトリシア・フィゲロアは、適正な労働条件と環境配慮にこだわるプロジェクトを立ち上げた。

【メキシコ市INPS Japan=ギレルモ・アヤラ・アラニス】

菓子づくりは創造性と情熱がものを言う営みだと語られがちだ。だが、この業界の労働環境が注目されることは多くない。長時間労働や低賃金、権利の侵害が起きることもある。|英語版中国語ポルトガル語インドネシア語スペイン語

6年前、フランスとメキシコの高級レストランで10年以上の経験を積んだパティシエ、パトリシア・フィゲロアは、社会と環境に配慮したデリバリー型のパティスリー事業を立ち上げた。材料は「メキシコ産100%」にこだわる。国連の持続可能な開発目標(SDGs)では、目標8「働きがいも経済成長も」に通じるディーセント・ワーク(適正な労働)と、目標12「つくる責任 つかう責任」に通じる責任ある生産と消費を柱に据える。

「『Ñam(ニャム)』は新型コロナのパンデミックのさなかに生まれた。私はレストランでパティシエをしていたが、辞職届に署名するよう求められた。これまでの職歴でも、権利を認められないまま長時間働かされ、賃金も低い―そんなことが少なくなかった。だから思った。なぜ、こんなに好きな仕事が、こんな形でしか成り立たないのか。変えられるなら、変えていこう、と。」

この経験を転機に、彼女は製造のあり方だけでなく、働き方そのものを見直した。注文が増える時期には、スタッフを正式な手続きを踏んで雇用するという。「契約書に署名してもらい、法律に基づき必要なことはすべて説明する」。労働搾取の連鎖を自らの事業で再生産しないための「約束」だとしている。

メキシコの風味を、ケーキとペストリーに

このプロジェクトの倫理的な姿勢は、商品づくりにも反映されている。Ñamは受注生産を基本とし、食品ロスを抑えながら鮮度も保つ。メニューには、イチゴとホワイトチョコレート、ハイビスカスを組み合わせたケーキや、赤ワインを効かせたピンクグアバのチーズケーキ、バジルを添えたマンゴームースなど、印象的な組み合わせが並ぶ。

Mango and Basil Tart. Credit: Paulina Figueroa Garduño (@p_fig_)
Mango and Basil Tart. Credit: Paulina Figueroa Garduño (@p_fig_)

さらに、メキシコらしさを前面に打ち出した菓子も用意する。米、シナモン、砂糖、牛乳、水で作る伝統飲料「オルチャータ」を取り入れたケーキは、9月の祝祭シーズン向けに考案されたものだ。11月の「死者の日」の時期には、伝統菓子「パン・デ・ムエルト」も提供する。

こうした社会・環境への配慮は、仕入れ先との関係にも及ぶ。フィゲロアは「互いに利益を分かち合う」経済の循環を重視する。

「自分の商品と、その影響に自信を持っている。購入してくれる人が私を支え、私もまた別の人を支える。こうした互恵的な関係はとても良いものだ。人々はおいしいデザートを楽しみ、その購入が誰かの幸せにもつながる。」と、彼女はINPS Japanの取材に語った。

現在、使用する食材のおよそ70%は、環境再生型農業(アグロエコロジー)によるもので、国内各地から調達している。ベラクルス州トトナカパン地方からはシナモンやゴマ、ミカンを仕入れ、米とピンクグアバはモレロス州トラヤカパン産を使用する。地域の生産者と直接つながることが、地域経済の活性化にもつながるという。

Range of desserts Ñam desserts. Credit: Paulina Figueroa Garduño (@p_fig_)
Range of desserts Ñam desserts.
Credit: Paulina Figueroa Garduño (@p_fig_)
責任ある生産・消費と、オンデマンド製造のモデル

Ñamは、SDGs目標12「つくる責任 つかう責任」に通じる「責任ある生産と消費」にも力を入れる。受注生産のモデルは、食品ロスを減らすだけでなく、調理に伴うガスや水の使用、過剰な包装も抑えやすい。外食産業には、こうした廃棄や資源消費が構造的に生じやすい側面がある。

国連環境計画(UNEP)の「Food Waste Index Report 2024」によれば、メキシコでは家庭部門だけで年間約1,337万トンの食品廃棄が発生していると推計される。

プロジェクト名は、スペイン語で「おいしい」を表す擬音的な表現「ñam」に由来し、英語の「yummy」に近い意味合いだという。現在は主にウェブサイトとインスタグラムで注文を受け付け、菓子の情報とともに、事業に込めた物語も発信している。

フィゲロアはメキシコ市で事業を続ける一方、「社会・環境ビジネス管理」の修士課程で学んでいる。中期的には、店頭で菓子を味わえる拠点へ移行し、ディーセント・ワークと責任ある生産という原則を、より日常的に体現できる場にしたい考えだ。

This article is brought to you by INPS Japan in partnership with Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

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