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東京で沈黙を破る―ドキュメンタリー『ジャラ』を通して核の傷と向き合うカザフ人映画監督

【東京INPS Japan=浅霧勝浩】

Toda Peace Memorial Hall. Credit: Wikimedia Commons.

東京・戸田記念国際平和会館の上映室が静まり返る中、カザフスタンの映画監督で人権擁護活動家のエイゲリム・シチェノヴァ氏が黒いTシャツと緑のスカート姿で壇上に立ち、31分のドキュメンタリー作品『ジャラ ― 放射能の下の家父長制:カザフスタンの女性たち』を紹介した。この上映会は、「カザフ核フロントライン連合(ASQAQQNFC)」、創価学会平和委員会、ピースポートが共催、核兵器をなくす日本キャンペーンが後援して開催された。

この会館自体が、日本の平和運動の象徴的な存在である。ここは仏教団体・創価学会の戸田城聖第2代会長の名を冠している。1957年、戸田会長は5万人の青年の前で「原水爆禁止宣言」を発表し、以後、創価学会の平和軍縮運動の道徳的支柱となった。|ENGLISH|ARABIC|HINDI|

女性たちの声を取り戻すために
Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri
Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri

「この映画は、長く沈黙を強いられてきた女性たちの声を可視化するために作りました。彼女たちは被害者ではなく、語り手であり、変革者です。」とシチェノヴァ氏は、外交官、記者、学生、平和活動家らが集う会場で語った。

『ジャラ(カザフ語で傷という意味)』というタイトルの通り、この映画は、ソ連時代の1949年から1989年の間に456回の核実験が行われたセミパラチンスク(現セメイ)の女性たちの物語を描く。

従来の作品が核実験の肉体的被害を映し出してきたのに対し、映画『ジャラ』は、見えない世代間の傷―烙印、心の痛み、そして母になることへの恐怖―を静かに問いかけている。

「多くの映画がセメイを“地球上で最も被爆した場所”として描いてきました。私は恐怖ではなく、レジリエンス(困難を乗り越える力)を描きたかった。自分たちの声で、自分たちの物語を取り戻すために。」と彼女は言う。

沈黙を破るということ
Aigerim Seitenova Credit: Katsuhiro Asagiri

シチェノヴァ氏にとって、この問題は屈辱的な経験から始まった。

カザフスタン最大の都市アルマトイの大学に入学した際、自己紹介で「セメイ出身」と言うと、同級生に「尻尾があるのか」とからかわれたという。

「その瞬間が今でも忘れられません。核兵器の被害は肉体的なものにとどまらず、偏見や沈黙という形でも今も生き続けているのだと痛感しました。」

この体験が、沈黙を破る映画を制作する原動力となった。

家父長制と核権力構造

映画『ジャラ』に登場する女性たちは、無力な被害者ではなく、地域社会で、差別や沈黙の文化に立ち向かう主体的な存在として描かれている。

「軍事化した社会では、核兵器は他を支配する力の象徴とされます。一方、平和や協調は“弱さ”、つまり“女性的”と見なされます。そうした思考こそ、私たちが変えていかなければならないのです。」とシチェノヴァ氏は語る。

彼女のフェミニズム的視点は、核兵器と家父長制の共通構造―支配と他者への力の行使―を結びつけて分析している。

カザフのステップから世界へ――連帯の旅路

放射線被曝の影響を受けた家系の三世代目として生まれたシチェノヴァ氏は、沈黙の中で耐え続けてきた人々の姿こそ、自らの活動の原点だという。

2018年には、カザフ政府主催の「Youth for CTBTOGEM国際青年会議」に参加。核保有国・非保有国・核依存国の若者たちとともに、専門家らと夜行列車でカザフスタンの首都アスタナからクルチャトフへ向かい、旧核実験場を視察した。(左のドキュメンタリー参照)

「初めて、(悲劇や試練を含む)自分たち民族の歴史を形作ってきた不毛の大地を目の当たりにしました。」と振り返る。

数年後、映画『ジャラ』の撮影で再びセミパラチンスク旧核実験場の爆心地に立ったとき、それは彼女にとって、沈黙を抱えた記憶への静かな抵抗でもあった。

Aigerim Seitenova captured in a scene from “Jara”. Photo credit: Aigerim Seitenova

彼女は、トグジャン・カッセノワの『Atomic Steppe』や、レイ・アチソンの『Banning the Bomb, Smashing the Patriarchy』を、核政策とジェンダー不平等の関係を言語化する上での重要な書として挙げている。

共有された苦しみ、共有される希望
Photo: Mr. Hiroshi Nose, director of Nagasaki Atomic Bomb Museum explaining the impact of Atom Bomb. Credit: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.

2024年10月、シチェノヴァ氏は長崎で開催された第24回「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」世界大会に参加し、広島・長崎の被爆者たちと出会った。

「日本とカザフスタンは、核被害という共通の経験を持っています。けれども、その痛みを対話へ、そして平和へとつなげることができるのです。」と彼女は語る。

東京の上映会でも、外交官やジャーナリスト、平和活動家が、核の正義、ジェンダー平等、若者の役割について意見を交わした。

痛みを力に変える
Seitenova(Center) was among a youth representative from communities affected by nuclear testings sharing her experiences at the Nuclear Survivors Forum held at UN Church Center, New York. Credit: ICAN / Haruka Sakaguchi

シチェノヴァ氏は、自らが設立した「カザフ核フロントライン連合(ASQAQQNFC)」を通じて、核被害地域のコミュニティと核兵器禁止条約(TPNW)の実施に携わる政策担当者を結ぶ活動を続けている。

「核の正義を求める闘いは、過去のものではなく、未来のための闘いです。もう誰も、核兵器の犠牲を背負って生きることがないように。」と語った。

戸田創価学会第二代会長の名を冠した会館に響いた拍手は、かつて核を断罪した同会長の言葉と、(放射性降下物を帯びた)風に傷ついたセメイの大地を結ぶ共鳴となった―そこから、女性たちの声が静かに立ち上がり始めている。

Credit: SGI

This article is brought to you by INPS Japan in collaboration with Soka Gakkai International, in consultative status with the UN’s Economic and Social Council (ECOSOC).

INPS Japan

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太平洋平和度指数は必要か?

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=アンナ・ナウパ】

世界的に見て、平和度の平均レベルは0.36%の悪化を示している。地政学的緊張、紛争の増加、経済の不確実性の増大を背景に軍事化を強化する国が増えているためだ。

しかし、この統計には太平洋島嶼国の大部分が含まれていない。2025年の世界平和度指数(GPI)のランキングに含まれているのは、わずか3カ国である。163カ国のうちニュージーランドが3位、オーストラリアが18位、そしてパプアニューギニアが116位である。() 

平和の海(Ocean of Peace)」構想をめぐる地域対話が進むにつれ、2025年7月の太平洋地域・国家安全保障会議でソロモン諸島のトランスフォーム・アコラウ教授が提案したように、太平洋地域に特化した太平洋平和度指数があれば、太平洋諸島フォーラム加盟国の間で発展的な政治的対話を行うもう一つの道ができるだろう。

では、太平洋における平和とはどのように定義されるだろうか? 太平洋独自の平和度の尺度は、地域の平和と安全保障を守る既存の取り組みをどのように補完し得るだろうか?

太平洋の平和とは何か?

平和とは、単に紛争や暴力がないことではなく、人々が恐怖を抱くことなく充実した健康的で豊かな生活を送ることを可能にする地球規模の公共財である。

「平和は人々に奉仕しなければならない。地域のエリートではなく、地政学ではなく、遠く離れた利害のためではない」と、アコラウ教授は述べ、太平洋の平和というビジョンを明確に示した。またフィジーのシャミマ・アリ氏は、平和は太平洋地域全体、特に女性と脆弱な人々の安全とウェルビーイングに影響を及ぼすより広範な要因にも取り組まなければならないと指摘する。

平和と開発は、同じコインの裏と表である。「ブルーパシフィック大陸のための太平洋2050年戦略」は、太平洋の人々にとって自由で健康的で生産的な生活を実現するための重要な要素として、調和、安全保障、社会的包摂、繁栄とともに平和を挙げている。従って、太平洋の平和を実現するためには、ウェルビーイングを確保し、人々と地域・環境を保護し、現在および将来世代のために未来を担保する必要がある。そして、未来を担保するには、気候変動に立ち向かうための行動と主権の保護が必要である。

世界的指数は、太平洋諸島のデータの欠落、一方的な開発方針、指標のバイアスについてさまざまに批判されており、状況が十分に反映されていない手法であったり、あるいは太平洋のデータセット、指数を作成するために多大なリソースが必要であったとしても、こうした指標は、有益な情報を政策決定者に提供すると考えられる。

太平洋平和度指数は何を測定するか?

太平洋地域における平和度を測定し観測する出発点として、国連持続可能な開発目標16(「平和目標」)に対する各国の既存の取り組みが挙げられる。

「持続可能な開発のための太平洋ロードマップ」では、暴力の経験、司法アクセス、市民登録と法的アイデンティティー、公共支出の透明性、情報へのアクセスと意思決定過程への参加に関する見解などを、地域レベルの報告用に、八つのSDG16指標に反映させている。

SDGs Goal No. 16
SDGs Goal No. 16

2022年、太平洋諸島フォーラム事務局長が主導した地域モニタリング報告書において、SDG16に関する利用可能なデータが乏しいために太平洋地域の進捗状況を測定することが困難になっていることが明らかになった。これはおおむね世界的傾向を反映しており、さらなるデータ作成努力とSDG16に関する測定を行う統計能力のために投資を行う必要がある。

この報告書では、実効性のある制度、透明性、説明責任の推進という点で太平洋は後退していることも明らかになった。

しかし、「地域安全保障に係るボエ宣言」や「太平洋2050年戦略」の平和と安全保障の柱が求める期待を満たすために、太平洋地域の状況に即したSGD16指標があれば十分だろうか? この種の報告は、「太平洋平和度指数」として代用し得るものだろうか?

これらの問いに答えることは、本来技術的であるとともに政治的でもあるため、二つのことを念頭に置くべきである。

1) 平和は太平洋の社会構造と文化構造に根差している

現行の状況に即したSDG16指標は、地域戦略に整合してはいるものの、太平洋の平和観の深みを反映していない。

太平洋島嶼国の平和に対する政策には、十分な裏付けがある。毎年、伝統的な安全保障協力からジェンダーに基づく暴力への取り組み、気候緩和、人道支援または民主的プロセスへの投資まで多岐にわたる安全保障の拡大構想に対応した新たなイニシアチブが発表されている。

しかし、地元主導の平和イニシアチブが国や地域レベルの努力にどのように貢献し、太平洋全体のウェルビーイングにどのように貢献するかについては、依然として知見のギャップがある。これらのギャップを埋めることで、太平洋地域の平和のナラティブをより包括的に語ることができるようになり、それを太平洋平和度指数に組み入れることができるだろう。例えば、ブーゲンビル危機、ソロモン諸島の民族間緊張、そして一連のフィジーにおけるクーデターの後に行われた平和構築対話は、伝統的な紛争解決手法を活用するなど、地元主導のアプローチの重要な貢献を浮き彫りにした。

2) 目的を持った平和のストーリーを語る

しかし、太平洋の平和は、個々のデータポイントや期間限定の安全保障関連プロジェクトを寄せ集めただけのものではない。平和とは進化するプロセスであり、未来志向であり、先見的な目的を持った取り組みである。

太平洋諸島フォーラムのバロン・ワカ事務局長は、平和が「主権、レジリエンス、包摂、地域連帯に連結されたもの」でなければならないと強調している。多くの太平洋の研究者らも同じ意見であり、多くの太平洋島嶼民を今なお圧迫し続けている植民地主義、軍事化、制約された主権と正義という長年にわたる問題に取り組まない限り真の平和はないと主張している。

地域のストーリーを語るということは、例えばツバルに対する国際的な独立国家としての承認、国際司法裁判所が近頃出した気候変動に関する画期的な勧告的意見、地域に残る核実験の爪痕政治的不安定や選挙ウェルビーイングの評価などを地域の平和観と結び付けることを意味する。これらを総合することによって、地域の平和を築くために寄与する全ての要素を把握し始めることができるのである。

ここからどこへ向かうのか?

もう一つ別のツールに、「平和な社会を維持し創出する態度、制度、構造」を測定する積極的平和度指数がある。これは、社会経済的発展、公正、良好な統治、実効性のある制度、包摂、レジリエンス、外交を評価する。太平洋平和度指数もこれを採用することによって、既存の世界的指数には欠けている、太平洋先住民の平和に対する哲学や社会的結束、ウェルビーイング、和解などの価値観を組み込み、地域の状況を国ごとに追跡することできるだろう。

多国家にまたがる指数は多大な能力を必要とする。そこで、太平洋の平和状況評価では、代わりによりシンプルな選択肢を提供してもよい。これには、地域機構が作成した既存の太平洋地域安全保障見通し報告書に専用セクションを設けることが考えられる。あるいは、地域の学術機関に支援を仰ぐことも考えられる(例えばトラック2外交を通して)。また、平和サミットに投資することも、継続的な地域の平和対話に機会を提供する。

ただし、既存の地域メカニズムを複製させるのではなく、補強することに重点を置かなければならない。

太平洋平和度指数の意義は、a) 安全保障と開発を橋渡しする、b) 太平洋地域の人々の平和の利益や尊厳というものが、時を経ていかに護られてきたか、を反映する一貫性のある平和のナラティブを紡ぎ出し、語ることにあるだろう。

Global Outlook.
Global Outlook.

太平洋の「平和の海」に関する政治的対話が進展するなか、太平洋の人々の平和観を枠組みの設定やそれに続く行動の原動力としなければならない。アコラウ教授は、「われわれの平和は、どちらの側につくかを選ぶことに依拠するべきではなく、われわれのニーズの主張、われわれの条件、われわれの共同の願望に基づくべきである」と、さらなる知恵を示している。

アンナ・ナウパは、オーストラリア国立大学のバヌアツ人PhD候補生である。

INPS Japan

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太平洋諸島海洋会議:伝統知と科学を結ぶ声

【ホニアラ(ソロモン諸島)IPS=セラ・セフェティ】

ヘリテージ・ホテルの大会議場には、太平洋地域の人々の声が満ちていた―それはスピーチだけでなく、歌、リズム、詩を通して響きわたった。ドリームキャスト・シアター・パフォーミング・アーツのメンバーが第2回太平洋諸島海洋会議の幕を開け、参加者に思い出させた。なぜ自分たちはここに集ったのか―それは「耳を傾けるため」である。科学の声に。地域社会の声に。そして海そのものの声に。

この5日間の会議を通して響いたメッセージは明確だった。―太平洋の海を守るためには、伝統的知識と現代科学を結びつけ、太平洋地域の人々の生活経験に根ざした政策を築くための、統一的アプローチが不可欠であるということだ。

「われわれは皆、ひとつになって、各分野が連携しながら活動できる包括的で強固な枠組みを考えなければならない。海を、そして国家建設の礎である資源を守るために何をすべきか、その方向性を共に見出す必要がある。」と、太平洋海洋コミッショナー事務局(OPOC)のフィリモン・マノニ事務局長は語った。

地域社会の声

多くの国際会議が専門用語や政策文言に支配される中で、この会議の中心にいたのは太平洋の地域社会だった。首長、漁師、若者のリーダー、環境保全の実践者らが、魚資源の減少や海岸浸食などの課題を率直に語り、政府や科学者に「聞くだけでなく行動を」と訴えた。

サモアのコンサベーション・インターナショナル所属のレウサリロ・レイラニ・ダフィ氏は、地域主導による生物多様性保全に取り組んでいる。「伝統知を科学に織り込むという話をしますが、私たちはすでにその“織り”を続けてきました。ただ、それをさらに広げ、太平洋諸国がいかに一体となって取り組んできたかを世界に示す必要があるのです。」と語った。

ダフィ氏は、政治的対立が議会では指導者たちを分断しても、環境は地域を結びつける力であり続けると強調した。

「私たち太平洋の島々は、大国のような“余裕”を持ちません。小さな陸地を抱く大きな海の国家なのです。もし私たちが、これまでのように持続可能な形で海を管理しなければ、海が私たちを呑み込んでしまうでしょう。」

Delegates assemble at the start of the second Pacific Island Ocean Conference in Honiara, Solomon Islands. Credit: Sera Sefeti/IPS
Delegates assemble at the start of the second Pacific Island Ocean Conference in Honiara, Solomon Islands. Credit: Sera Sefeti/IPS
海は血脈である

太平洋の人々にとって、海は単なる地理的存在ではない。それは血脈であり、歴史であり、生計であり、アイデンティティであり、信仰である。衛星もスーパーコンピューターもなかった何世紀も前から、太平洋の航海者たちは星や波、風を読み取り、何千マイルもの海を渡ってきた。この遺産はいまも地域社会の根底に息づいている。

気候変動の加速により、海面上昇や激甚化する嵐が島々を脅かす中、太平洋の指導者たちはこの海洋的知恵を単なる民話ではなく、レジリエンス(回復力)を支える重要な資源と見なしている。

「同じことを語っているのです。ただ、使う言語が違うだけ」と語るのは、先住知と海洋生物の関係性を研究するサラニエタ・キトレレイ博士だ。

彼女は、フィジーで科学者と村人が協力し、温暖な海域から冷涼な海域へサンゴを移植して死滅した礁を再生させる取り組みを紹介した。

伝統知を“データ”として

会議に参加した科学者たちは、伝統知のかけがえのない価値を認めた。太平洋共同体(SPC)海洋科学センターのジェローム・オーカン所長は、伝統知がしばしば「データの空白を埋める」と説明する。

「高潮やサイクロン時の高波を予測する早期警戒システムを考えるとき、われわれは過去の経験に学びます」とオーカン氏は述べた。

だが多くの地域では観測装置のデータが存在しない。その代わりに、地域の記憶が頼りとなる。

「唯一の“データ”は、あの日何が起きたかという長老たちの記憶です。水がどこまで来たか、波の高さ、被害の程度――それらを鮮明に覚えている。こうした記憶は30年、40年、60年前にまでさかのぼることもあります。私たちはそれをもとに過去の嵐を再構築し、将来の予測精度を高めているのです。」

オーカン氏は強調した。「これは逸話ではありません。立派な証拠です。そして欠かすことのできないものです。」

The Dreamcast Theatre Performing Arts group performs at the Pacific Island Ocean Conference in Honiara, Solomon Islands. Credit: Sera Sefeti/IPS
The Dreamcast Theatre Performing Arts group performs at the Pacific Island Ocean Conference in Honiara, Solomon Islands. Credit: Sera Sefeti/IPS
太平洋自身の科学

SPCのケイティ・ソアピ博士はこう述べた。「太平洋には、もともと独自の科学が息づいています。海の健康を見極める伝統的な観察体系は高度なものです。衛星地図やサンゴの遺伝子解析といった新しい手法と組み合わせれば、私たちの海を守るための強力で全体的なアプローチが生まれます。」

その統合は、いま地域の海洋ガバナンスにも反映されている。太平洋海洋コミッショナー事務局(OPOC)は、伝統知と現代科学の双方を意思決定の枠組みに組み込む取り組みを進めている。

「先住知を“逸話”として扱う余裕はありません」とマノニ事務局長は述べる。「それは何世代にもわたって試され、生き抜いてきた証拠なのです。科学と伝統を結び合わせることで、最も完全な海洋管理の姿が見えてくるのです。」

漁業が示す教訓

この両者の融合を最も鮮やかに示す例の一つが、漁業管理である。太平洋諸島フォーラム漁業機関(FFA)のノアン・パコップ事務局長は、地域の慣習がいかに現代政策に影響を与えてきたかを説明した。

「地域社会では昔から“タブ(禁漁)エリア”を設け、魚が再生する期間を守ってきました」と彼は語る。「こうした慣行は、現代の保全手法と軌を一にしています。地域の観察と科学的な資源データを組み合わせることで、太平洋全域に利益をもたらす、より強固で持続可能なマグロ管理システムを築くことができました。」

しかし課題も残る。気候変動、生物多様性、海洋ガバナンスに関する国際交渉の場では、依然として西洋の科学が優位を占めている。会議の参加者たちは、知識体系の公平な評価を求めた。

世界に示す共有モデル

会議が共有したビジョンは明確だ。――太平洋の海を100%保護し、そのうち少なくとも30%を持続可能な形で管理するという、世界的な生物多様性目標に沿った未来である。

SDGs Goal No. 14
SDGs Goal No. 14

だがその道筋は、あくまで「太平洋流」でなければならない。地域社会、文化、つながりに根ざしたものであることが強調された。

これは単なる保全ではない。生存の問題である。海面上昇はすでに海岸線を飲み込み、温暖化した海は漁業と食料安全保障を脅かし、サイクロンは勢力を増している。小島嶼国にとって、危機は目前に迫っている。

しかしホニアラでのこの会議が示したのは、被害者の物語ではない。リーダーシップの物語である。
フィジーの村でのサンゴ移植、長老の記憶を活かした気象予測モデル、タブと衛星・地理空間データを組み合わせたマグロ管理――太平洋は、古代の知恵と現代科学が共に帆を上げる新たな航路を描いている。

世界はその航海を見つめている。そしてダフィ氏が代表団に思い出させたように、太平洋の最大の贈り物とは、「海への敬意」は新しい理念ではなく、太平洋の人々の生き方そのものだということである。

「保全は輸入された概念ではありません。それはずっと私たちの生活の一部でした。いま必要なのは、世界がすでに私たちの知っていることに耳を傾けることです。」

ホニアラの会場に静けさが戻るころ、その“耳を傾ける”という呼びかけは残響のように漂っていた。海を守るということは、政策や制度の問題だけではない。それは、物語であり、記憶であり、そして波に刻まれた人々の知恵そのものなのだ。(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau Office

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インドネシア民主主義の岐路

―なぜネパールのZ世代はインドネシアの抗議行動に触発されたのかー

【カトマンズNepali Times=リリ・ヤン・イン】

インドネシアのプラボウォ・スビアント大統領は就任から11か月も経たないうちに厳しい選択に直面している。国民の怒りと不満に規定された大統領として記憶されるのか、それとも自国が直面する課題を認識し、国益のために行動した指導者として記憶されるのか。

過去1か月にわたりインドネシアを席巻している反政府デモは一時的な突発的反応ではなく、権力乱用や憲法規範の形骸化、基本的人権の侵害に対する長年の鬱積した不満の頂点である。

President Prabowo Subianto Photo:Ministry of State Secretariat
President Prabowo Subianto Photo:Ministry of State Secretariat

抗議者たちが求めているのは謝罪や同情ではなく、自らの尊厳と人権が尊重され保障される「まともな生活」への権利である。この「清廉で有能な政府」への切望は、いまや東ティモール、ネパール、フィリピンなど各地の抗議運動にも共鳴している。

プラボウォ政権は2045年までにインドネシアを世界第4位の経済大国に押し上げることを目標に掲げている。そのためには年8%の持続的な成長が必要とされる。しかし、人口の68%が「中所得国」の貧困ライン以下で暮らしている現状では、そうした野心は多くの市民にとって無意味である。

インドネシアは過去にも急速な経済成長を経験した。特にスハルト(1967~98年)の長期独裁政権下においてである。プラボウォの元義父でもあるスハルトの時代を知る国民は、持続的かつ包摂的な発展は「強権政治」ではなく、政治・社会改革によってこそ可能であることを理解している。

前政権を非難したり、与党や有力政党の権力を集中させて短期的安定を得ても、民主主義の強靭性を弱めるだけであり、現政権が下す決定の責任を免れることはできない。いま必要とされるのは、貧困削減、雇用創出、政府への信頼回復に直結する具体的措置である。

四つの優先課題

社会の深まる分断を癒すために、政策立案者は以下の四つの課題に緊急に取り組むべきだ。

第一に、権力分立を徹底し利益相反を排除すること。

民主主義は行政・立法・司法の三権が独立してこそ機能する。しかしインドネシアでは権力が過度に集中しており、多くの政党が家族経営的に運営され、指導者が政府や議会、企業で兼職的に影響力を行使している。この構造は不処罰文化を助長し、国民の信頼を失わせる。

大統領や閣僚、国会指導者を含む公職者が政党役職や国営企業(SOE)、民間企業のポストを同時に兼務することを禁じる明確な倫理規定が必要である。こうした兼職を廃止すれば腐敗は減少し、政策は市民のために機能し、民主主義制度の信頼性も高まるだろう。

第二に、財政の透明性を高めること。

20年間、インドネシアの税収はGDP比10~12%で停滞している。2026年度予算では12%を見込むが、2025年初頭の実績は目標を下回っており、資源収入の減少が追い打ちをかけている。

同時に歳出圧力は高まり続けている。代表的な例が「栄養給食プログラム」である。善意に基づく施策だが予算は171兆ルピア(約30億ドル)と莫大で、2026年には3倍に膨らむ見通しだ。これを全国一律で実施するのではなく、5地域で試験的に導入し予算を5兆ルピア以下に抑える方が効果的である。残りの資金は教師や医療従事者、廃棄物処理労働者の支援、あるいは低・中所得世帯に直接利益をもたらす事業に振り向けるべきだ。

さらに、300兆ルピア規模の「ダナンタラ国富ファンド」創設も不要である。公的債務がGDP比41%に達する中、新規借入は官僚機構拡大ではなく生産的投資に使うべきだ。既存のSOE改革の方が安価で迅速かつ効果的である。2018年に118あったSOEは2024年には64に減少したものの、依然として銀行から観光業まで広範な分野で市場を独占し、中小企業の成長を阻んでいる。

第三に、軍の介入を抑制し、文民統制を強化すること。

軍や警察の政治介入は民主制度を損なう。軍が依然として強大な影響力を持つインドネシアでは、文民による監督や人権規範の厳格な遵守が不可欠である。そうでなければ、ミャンマーやラテンアメリカ、アフリカの一部で見られるような不安定化に陥る危険がある。

第四に、長年棚ざらしにされてきた「資産没収法案(RUU Perampasan Aset)」を成立させること。

この法案は犯罪確定を待たずに不釣り合いな資産を国家が回収できる仕組みを導入するものだ。恣意的な没収ではなく、国民の資産を取り戻すことが目的である。2008年に初めて起草され、2012年に国会に提出されたものの、20年近く放置されてきた。

「不明確な資産」を対象とする民事手続型の資産回収制度を導入すれば、国連「腐敗防止条約」の義務を果たすことになり、政府が権力乱用に抗う市民の側に立つ意思を示すことになる。もしプラボウォが回収した資産を教育・医療・社会保障に充てれば、真に変革的な遺産を残すことができるだろう。

結論

インドネシアの指導部は、弾圧を強める道を選ぶこともできるし、民主主義を強化する道を選ぶこともできる。プラボウォの遺産は選挙での得票率ではなく、人権を尊重し、医療や教育を改善し、良質な雇用を創出したかどうかで評価される。

彼は「スハルト以来最大の抗議行動を招いた大統領」として記憶されるのか、それとも「政治的・社会的・経済的正義を実現した指導者」として讃えられるのか。選択は彼自身に委ねられている。(原文へ

リリ・ヤン・イン:国際経済学会(IEA)事務総長、東アジア・アセアン経済研究所(ERIA)東南アジア地域主任顧問。

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戦争省: ジョージ・オーウェルは自分の正しさが裏付けられたと感じるだろう

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ハルバート・ウルフ】

ドナルド・トランプ大統領が米国の国防総省を「戦争省」に改称する決定を下したのは、ノーベル平和賞を受賞しようとする彼自身のキャンペーンのさなかであった。ホワイトハウスが呼ぶところの「平和の大統領」は、またしても多くの大統領令の一つに署名した。この最新の大統領令により、彼は正式に戦争省という呼称を定めたのである。() 

このニュースを読み、相反する二つの考えが浮かぶ。1949年に発表されたディストピア小説「1984年」の中で、ジョージ・オーウェルは、意図的に現実を反転させ、それぞれが「真実の逆転」を体現する四つの省庁を描いた。そして今、トランプがペンタゴンを「戦争省」と改称しようとしている。これはオーウェルが描いた世界の鏡写しなのだろうか? しかし、トランプは「戦争省」という言葉を用いて本当に真実を歪曲しようとしているのだろうか?

もう一つは、「ついに、多少の正直さが現れたか!」という考えである。米軍の第一義の任務は米国の防衛ではなく、彼らは常に世界のどこかで軍事作戦に関与している。直近では、米軍はイランの核施設を攻撃した。2000年以降、米軍は少なくとも十数回の軍事作戦を実行した。アフガニスタンとソマリア、イラクとイラン、リビアとシリア、イエメンとハイチにおいて。そして、誰もがぞっとするような警告として、大統領は、先週米軍がカリブ海でベネズエラ船を麻薬密輸の疑いで攻撃したと述べた。トランプ氏によれば、その船は麻薬カルテルによって運営されていたという。11名が死亡したと伝えられている。 米軍は、米国内を含め世界中に配備されている。大統領は国内の政敵を中傷し、「シカゴはまもなく、それがなぜ戦争省と呼ばれるのか知ることになるだろう」と述べた。覆面武装した当局者が、街頭や工場で移民を一斉に拘束している。反対勢力は敵なのだ。

「二重思考」

ワシントンで現在画策されていることは、結局のところそれほど矛盾していないのだろう。オーウェルは書いている。「われわれを支配する四つの省の名称でさえ、事実を意図的に逆転させるという、ある種の厚かましさを示している。平和省は戦争を、真理省は虚偽を、愛情省は拷問を、豊饒省は飢餓を扱っている。これらの矛盾は偶発的なものではなく、また単なる偽善の産物でもない。それらは、二重思考を意図的に実践したものなのだ」と。オーウェルによれば、「二重思考」とは相反する二つの信念を同時に受け入れ、両方を真実と捉えることができる能力といえる。それこそまさにトランプ政権が常に行っていることではないか? 彼らのナラティブに合わないニュースは「フェイクニュース」とレッテルを貼られる。公式な雇用統計が大統領の意に添わなければ、統計局長が解任される。トランプ政権1期目に、ワシントン・ポストは、トランプによる22,000回以上の誤解を招く、あるいは虚偽の発言を記録した。

オーウェルはまさに四半世紀前に、今日トランプが実践していることを正確に描いていたのではないか? 知りながら、知らないふりをすること、念入りに作られた嘘を信じながら同時に真実も信じること、互いに打ち消し合う矛盾した意見を持ちながら、どちらも信じること。「二重思考」は、不都合な真実を無視することを可能にし、政策の急転換も、敵に対する認識を変えるのと同じぐらいに可能なことなのである。オーウェルは1930年代に執筆したさまざまなエッセーの中で、これらについて構想し、小説「1984年」の中で、世論を操作し権力を維持するための完璧な手段として描いた。米国のトランプ大統領の「二重思考」は今や、肩をすくめる以外になすすべもなく容認されている。多くの者は、その問題に取り組むことから逃げている。国際的にも国内的にも、一部の人々は、彼にお世辞を使うことで恩恵にあずかれることを信じている。

大統領は、国防総省の看板を「戦争省」に掛け代える一方で、彼自身の主張によれば、仲介や介入によって七つの戦争を終わらせたことから、自らをピースメーカーとして描くことが同時にできるわけである。ハリー・S・トルーマン大統領は、1949年に戦争省を国防総省に改組する法律に署名した。冷戦の影が忍び寄る当時の難しい地政学的情勢にもかかわらず、米国政府は改称によって、戦争をしかけるのではなく、国を守るのだという意思を示したのである。しかし、今日われわれが知る通り、事態は全く異なる展開を見せた。朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガ二スタン戦争、これらは、米国にとって特に多大な犠牲が伴った軍事介入の一例に過ぎない。権力を維持し、米国による世界的覇権を確保することは、トランプの前任者の誰にとっても無縁ではなかった。しかし、少なくとも彼らは何とか冷戦を冷たいままに保ち、武力による熱い戦争へとエスカレートすることを防いだ。

「殺傷力」と「戦士の精神」

では、なぜ今になって戦争省に戻すのか? 大統領令に署名する際、トランプは、戦争省のほうが「はるかに適切な名称であり、現在のような世界情勢を考えるとなおさらだ」といとも簡単に述べた。今後は戦争長官と呼ばれることになるピート・ヘグセス国防長官は、こう述べた。「われわれは第1次世界大戦に勝利し、第2次世界大戦に勝利した。しかし、それは国防総省の時ではない、戦争省の時だ」。彼はまた、「われわれは防衛ばかりではない。攻撃もするのだ」という大統領の言葉を引用した。つまり、これはドアの表札を取り替えるというだけの話ではなく、単なる名称変更以上のことなのである。ヘグセスは、国防長官に任命される前からすでに、軍に「殺傷力」と「戦士の精神」を取り戻すことについて語っていた

今回の改称によって、米国政府は友好国や同盟国の間に動揺を引き起こすだけでなく、ロシアと中国のナラティブを助長することになる。両国は、ドナルド・トランプの大統領就任よりずっと前から、平和を愛し国際法を守る米国というイメージは、実際の外交・安全保障政策を見れば全くのお笑いぐさであるというナラティブを喧伝してきた。価値観、アメリカの開発援助、そして報道の自由の擁護と人権の尊重に基づき、数十年にわたり米国の政策の決定的特徴であった「ソフトパワー」は、もはや時代遅れのものとなっている。トランプ政権は、「ハードパワー」、すなわち軍事力にものをいわせて、関税を課す、グリーンランドやカナダの併合をちらつかせる、パナマ運河の支配権を主張するといった強引な戦術をとり「アメリカ・ファースト」政策を容赦なく押し通しているのだ。

その意味において、国防総省の改称は、モンロー主義や世界中に米国が介入していた時期の記憶を想起させる、後ろ向きではあるが一貫した政策といえる。しかし、それは、世界の危機や戦争に米軍を介入させないとMAGA支持層に約束したトランプの信条とはどう折り合いがつくのだろうか? 「二重思考」の世界であれば、そのような矛盾も可能になるのである!

ハルバート・ウルフは、国際関係学の教授であり、ボン国際紛争研究センター(BICC)元所長である。現在は、BICCのシニアフェロー、ドイツのデュースブルグ・エッセン大学・開発平和研究所の非常勤上級研究員、ニュージーランドのオタゴ大学・国立平和紛争研究所の研究員を兼務している。SIPRI(ストックホルム国際平和研究所)の科学評議会の一員でもある。

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南アジアにおける若者主導の革命は懸念すべきか?

【ローマIPS=ヤン・ルンディウス】

グローバル・サウスにおいて、18歳未満の人口が全体の50%を超える国々では、若者による社会運動が急速に広がっている。若者は高齢層に比べて敏捷かつ変化に富み、家族的責任や社会的地位、仕事にしばられる度合いが少ない。しかしその一方で、多くが社会的疎外、失業、貧困に苦しんでいる。さらに、不安定さや限られた人生経験のため、若者は政治家、犯罪ネットワーク、宗教的過激派らにとって利用しやすい格好の標的となっている。

学生や若い市民はSNSを通じて連携し、公共空間での抗議行動を組織する。新しいメディア技術が動員の道具となった結果、政府当局はオンライン・プラットフォームの禁止に踏み切ったが、それは抗議を抑えるどころか、かえって拡大を加速させた。反抗する若者の多くは「デジタル・ネイティブ」と呼ばれるZ世代に属し、インターネットとSNSが常時身近にある環境で育った初めての世代である。その背景が、彼らの世界観を独立的かつ実利的にし、社会的影響力を重視する姿勢を育んだ。

スリランカの「アルガラヤ」運動

南アジアでは近年、若者による大規模な抗議運動が相次いだ。2022年7月、経済崩壊に直面したスリランカでは大規模な蜂起が起こり、大統領が国外に逃亡した。2024年7月にはバングラデシュでシェイク・ハシナ政権が崩壊し、本年9月にはネパールで暴力的抗議が勃発し、K・P・オリ首相の辞任を余儀なくさせた。

これらは一見、突発的な事件に見えるが、実際には深刻な格差、縁故主義、そして腐敗の蔓延という長年の不満が根底にあった。とりわけ、富裕層に属する世襲政治家たちへの反発が強かった。

Image: Sri Lanka protestors storming presidential palace. Source: Hurriyet Daily News
Image: Sri Lanka protestors storming presidential palace. Source: Hurriyet Daily News

スリランカでは2022年、猛烈なインフレ、日常的停電、燃料や生活必需品の不足が国民を追い詰めた。3月25日、若者を中心とする巨大な群衆が「アルガラヤ(闘争)」を合言葉に街頭に繰り出した。

当時、政権はラジャパクサ一族が牛耳っていた。2005年から2022年にかけて、大統領・首相の座はマヒンダとゴタバヤの兄弟が交互に占め、さらに他の兄弟や親族が議会や党を掌握していた。

抗議者たちは、自らの困窮はラジャパクサ政権の腐敗と誤政によるものと断じ、大統領の退陣と「体制の変革」を要求した。最終的にゴタバヤ・ラジャパクサは国外に逃亡し、代わってラニル・ウィクラマシンハが大統領に就任した。だがその政権は選挙実施を拒み、抗議運動を「過激派やテロリストに乗っ取られた混乱」と描き出した。

2024年の選挙で、左派の国民人民権力(NPP)が勝利しアヌラ・ディサナヤケが政権を担った。しかし彼らは急進的な改革を打ち出さず、従来の経済・外交政策をほぼ踏襲しているため、国民の期待した「体制変革」が実現されるかは不透明である。

バングラデシュの「クオータ抗議」
Muhammad Yunus photo credit: Katsuhiro Asagiri.
Muhammad Yunus photo credit: Katsuhiro Asagiri.

バングラデシュでは、ノーベル賞受賞者ムハマド・ユヌスが率いる暫定政権が樹立された。ユヌスは「最も美しい選挙を実現する」と公言し、2026年2月に総選挙を行うと約束した。しかし、暴力と不安定が日常化する状況下で実施が可能かは疑問視されている。

抗議の引き金となったのは公務員採用における「30%クオータ制」の復活である。1971年の独立戦争の退役軍人とその子孫に割り当てられる制度が、与党支持基盤を優遇するものと見なされ、学生たちが大規模に蜂起した。

長年にわたり学生運動は政党や宗派対立に利用され、暴力沙汰が学内を荒廃させてきた。今回、共通の不満が若者の怒りを結集させ、国中を揺るがす抗議へと発展した。

ネパールの「ソーシャルメディア封鎖と暴動」

ネパールでは若者の失業率が20%を超え、国外に出稼ぎに行く国民が1日2000人規模に上る。そうした中、政府は9月4日、主要SNS26種類を全面遮断した。理由は「フェイクニュース対策」とされたが、唯一残されたTikTok以外の全てが閉鎖されたことが、若者の怒りを爆発させた。

政治家の子弟がSNSで贅沢な生活を誇示していたことも反感を買い、ついに首都カトマンズでは国会議事堂や最高裁、首相官邸、与党事務所、さらには高級ホテルまでもが放火される事態となった。

暫定首相には元最高裁長官スシラ・カルキが就任したが、新政権が腐敗や格差是正に向けて実効性を発揮できるかは依然不透明である。

Map of India
Map of India
インドの影響

南アジアの政変の行方は「地域の大国」インドに大きく左右される。数百万の移民労働者がインドに暮らすスリランカ人、バングラデシュ人、ネパール人にとって、インド国内の動向は死活問題である。

インドは多様性を包摂する民主主義の伝統を持ってきたが、モディ政権下ではヒンドゥー・ナショナリズムが台頭し、排除の傾向が強まっている。移民やムスリムを含む少数派が差別の対象となれば、彼らを送り出す隣国にも深刻な影響を及ぼす恐れがある。(原文へ

これは、若者運動と政治変革の関係を分析する第1部である。第2部では、若者主導の革命が世界の政治情勢をどのように変えてきたかを検証する。

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ロヒンギャ、「ミャンマーの暴力と支援削減の中で国連に『正義はどこにあるのか』と訴える」

【ニューヨークLondon Post/ Al Jazeera=リンダル・ローランズ】

ミャンマーの暴力から逃れたロヒンギャの人々が、国連総会(UNGA)の会議で発言し、迫害されているイスラム教徒少数派の苦境に世界の注目を集めるよう訴えた。ミャンマー西部ラカイン州では戦闘が続いている。

ロヒンギャ学生ネットワークの創設者マウン・ソエドローラ氏は、火曜日にニューヨーク市の国連総会本会場でライブ配信された演説で仲間のロヒンギャに向けて次のように語った。
「親愛なる兄弟姉妹たち、あなた方は忘れられてはいません。世界があなた方の苦しみを見ていないと感じるかもしれません。しかし、ロヒンギャはあなた方を見ています。」

続けて、世界の指導者と国連に向けてこう訴えた。

「ロヒンギャ虐殺が明るみに出てからすでに8年以上が経っています。ロヒンギャに正義はどこにあるのでしょうか?どこに?」

その後、彼は川に横たわる複数の遺体の写真を掲げた。それは2024年8月にミャンマーの反政府武装組織アラカン軍によるドローン攻撃で殺された人々だと説明した。

「これは孤立した事件ではありません。体系的な攻撃の一環です」と語ったソエドローラ氏は、2017年にミャンマーから逃れ、バングラデシュ南東部のコックスバザール難民キャンプで7年間過ごした学生である。

「なぜアラカン軍によるこのような非人道的残虐行為が防止されないのでしょうか?」と彼は問いかけた。

ミャンマー女性平和ネットワークの事務局長ワイワイ・ヌー氏も国連総会のハイレベル会合で演説し、アルジャジーラに対し、このイベントは「歴史的な瞬間」であり、「ロヒンギャ問題への関心を国連に取り戻すことにつながることを願っている」と語った。(原文へ

INPS Japan

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核実験の脅威が再び迫り、軍事的威嚇が強まる

【国連IPS=タリフ・ディーン】

予測不能なトランプ政権が、核実験の再開を検討しているのではないか?―ニューヨーク・タイムズは4月10日、トランプ政権の一部高官が「国家安全保障のため」として核実験の再開を提案したと報じた。米国による最後の核実験は1992年に行われている。

しかし、ニューヨーク州選出の元下院議員であり、現在は国家核安全保障局(NNSA)の新長官となった共和党のブランドン・ウィリアムズ氏は、4月の上院軍事委員会での証言で、核実験再開を推奨するつもりはないと述べている。

最後に確認された本格的な核実験は2017年9月の北朝鮮によるものだったが、今後さらに行われる可能性もある。

Antonio Gutierrez, Director General of UN/ Public Domain
Antonio Gutierrez, Director General of UN/ Public Domain

9月26日の「核兵器の全面的廃絶のための国際デー」にあわせた会合で、アントニオ・グテーレス国連事務総長は警告した。「核実験の脅威は戻りつつあり、核のサーベルラトリング(威嚇)は過去数十年よりも大きくなっています。辛くも勝ち取った進展―核兵器の削減や実験の停止―は、今まさに目の前で覆されつつあります。私たちは新たな核軍拡競争に夢遊病者のように突入しています。」と述べた。

グテーレス事務総長は、包括的核実験禁止条約(CTBT)に全ての国が批准するよう呼びかけ、「核実験の暗い遺産を一掃すべきです。」と訴えた。また、「核の使用と実験の被害者を支援し、汚染された土地、慢性疾患、そして心の傷という永続的な被害に向き合うべきです。」と強調した。

過去の核実験の傷跡

一方、過去の核実験による甚大な影響はいまも続いている。

1952年から63年にかけてオーストラリアで行われた英国による核実験では、アボリジニの声は体系的に無視され、健康被害や文化的破壊が深刻な形で残された。数十年にわたる粘り強い運動を経て、ようやく被害は公式に認められたものの、完全な正義は未だ実現していない。

A man in protective clothing at Maralinga with a camera also protected by a plastic cover credit: National Museum of Australia

当時、アボリジニ社会では発疹、失明、がんなど深刻な健康被害が報告されていたにもかかわらず、政府は長年それを覆い隠し、軽視した。1956年にはオーストラリアの政府科学者が、英連邦の利益より「わずかな原住民の安全」を優先する巡視官を嘲笑する書簡まで残していた。

それでもアボリジニと支援者たちは沈黙せず、体験を公にし続けたことで、ようやくその被害が社会に認知されるに至った。

こうした国家ぐるみの無視にもかかわらず、アボリジニの生存者とその支援者たちは沈黙を拒み、自らの体験が認められるように働きかけ続けた。

専門家の警告
M.V.-Ramana
M.V.-Ramana

カナダ・ブリティッシュコロンビア大学公共政策・グローバル課題学部のラマナ教授はIPSの取材に対して、もし米国が核実験を再開すれば、ロシア、中国、インド、北朝鮮なども追随し、核軍拡競争が加速すると警告した。「その結果、核兵器が実際に使用される可能性が高まり、破滅的な結末を招くでしょう。たとえ核戦争が起こらなくても、実験場周辺の住民―多くは先住民―は放射能汚染や環境被害に苦しみ続けることになります。」と語った。

ラマナ教授は、唯一の希望は平和運動や軍縮運動が市民の反対を結集し、核兵器事件の再開を阻止できるかどうかにかかっていると強調した。

米国の核政策の行方

カリフォルニア州オークランドの西部州法律財団(Western States Legal Foundation)のジャッキー・カバッソ事務局長はIPSの取材に対して、「新しいNNSA長官のウィリアムズ氏が、爆発実験の再開に反対すると証言したのは心強いです。しかし、トランプ政権2期目の核政策は『プロジェクト2025』というマニフェストに明確に示されています。それは核兵器計画を最優先し、新型弾頭の開発と生産を加速させ、核実験に備えるものです。」と語った。

また、トランプ政権1期目の国家安全保障担当補佐官ロバート・オブライエン氏も外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』に寄稿し、中国やロシアへの対抗のため、米国は核実験を再開すべきだと主張している。

カバッソ氏はさらに「プロジェクト2025」の設計者の一人であるラッセル・ヴォート氏が、いまや強大な権限を持つ行政管理予算局(OMB)の局長であることも指摘した。

核実験の歴史と被害
Jacqueline Cabasso, Executive Director, Western States Legal Foundation. Photo Credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, INPS Japan.
Jacqueline Cabasso, Executive Director, Western States Legal Foundation. Photo Credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, INPS Japan.

1945年以来、少なくとも8か国によって2,056回の核実験が行われてきた。その多くは先住民や植民地下の土地で実施されている。米国は大気圏内、水中、地下を含め1,030回、ソ連は715回の実験を実施してきた。

カバッソ氏は「核実験は核兵器開発を進めるだけでなく、数十万人の命を奪い、数百万人に放射能被害をもたらした。米国、太平洋の島々、オーストラリア、中国、アルジェリア、ロシア全土、カザフスタン、インド、パキスタン、北朝鮮などで、いまもその影響に苦しむ人々(グローバルヒバクシャ)がいる」と語った。

主な核実験場の例
  • ネバダ実験場(米国):大気圏内および地下核実験の主要拠点。風に乗った放射性降下物が広範囲に拡散した。
  • 太平洋実験場(マーシャル諸島):米国による高出力実験の地。1954年「キャッスル・ブラボー」実験は甚大な放射能汚染をもたらした。
  • セミパラチンスク実験場(カザフスタン):ソ連の主要実験場。456回の実験で100万人に及ぶ被曝が報告され、がんや先天異常が多発した。
  • ノヴァヤゼムリャ(ロシア):1961年に史上最大の核爆発「ツァーリ・ボンバ」を実施した。
  • ロプノール(中国):中国のすべての核実験が行われた場所。
  • レガンヌ、エッケル(アルジェリア)、ムルロアおよびファンガタウファ環礁(仏領ポリネシア):フランスの核実験場。
  • マラリンガ、エミュー・フィールド、モンテベロ(オーストラリア):英国の核実験場。
健康・環境被害
  • 放射性降下物の拡散:ヨウ素131、セシウム137、ストロンチウム90などが大気中に拡散。1963年に大気放射能はピークに。
  • がん発症率の上昇:特に甲状腺がん、白血病、固形がんなど。子ども時代に被曝した人々にリスクが高い。
  • 急性放射線障害:高線量を浴びた住民は嘔吐、脱毛などを発症。
  • 土壌・水源汚染:数十年にわたり食物連鎖に入り込み、長期的リスクをもたらす。
  • 生態系の破壊:遺伝子変異や動物死を引き起こし、生態系を乱す。
  • 心理的影響:不安やトラウマなど深刻な精神的苦痛をひきおこす。
  • 被曝者補償:米国では1990年に放射能曝露補償法(RECA)が制定され、ネバダ実験場近隣住民「ダウンウィンダーズ」への補償が開始された。(原文へ

This article is brought to you by IPS Noram, in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with the UN’s Economic and Social Council (ECOSOC).

INPS Japan

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軍事紛争の射程圏内に暮らす女性、過去最多に

オスロIPS=オスロ平和研究所

戦場はもはや遠い存在ではなくなった。数億人の女性にとって、それは隣家に迫っている。オスロ平和研究所(PRIO)の最新報告によると、昨年、世界の女性人口の約17%にあたる6億7600万人が、致死的な紛争から半径50キロ圏内で暮らしていた。冷戦終結以降、過去最高の数値である。

歴史的なピーク

2024年は、紛争にさらされる女性の数が歴史的に最多となった。1990年以降、その数は2倍以上に膨れ上がり、暴力の拡大と紛争が人口密集地にまで広がっている現実を映し出す。

昨年だけで、約2億4500万人の女性が戦闘関連死が25人を超える地域に、さらに1億1300万人が死者100人を超える地域に居住していた。

バングラデシュは絶対数で最も多く、約7500万人の女性が紛争地に近接して暮らしていた。暴力の主因は7月から8月にかけての全国的な抗議行動であり、シェイク・ハシナ前首相の退陣につながった。

シリア、レバノン、イスラエル、パレスチナでは、女性人口全体が直接的に致死的暴力の影響を受けている。

生活への深刻な影響

紛争地に近い生活は、女性の権利と安全を深刻に損なう。紛争は母体死亡率の上昇やジェンダーに基づく暴力のリスク増大を招き、女子教育へのアクセスを阻み、雇用におけるジェンダー格差を拡大させる。こうした影響は即時的な安全を脅かすだけでなく、長期的な福祉や経済的展望も奪う。

「紛争は戦場にとどまらず、女性の家庭や学校、職場にまで及び、生活の基盤を破壊している」と、報告書の著者でPRIO研究部長のシリ・オース・ルスタッド氏は述べる。「一部の女性は危機の中で新しい役割を見出すこともあるが、その機会は脆弱である。厳しい現実は、戦争がジェンダー格差を広げ、女性をより危険にさらすということだ。」

地域ごとの違い

報告は、国や地域による際立った差異を浮き彫りにしている。2024年のレバノンでは、女性人口の100%が死者100人超の紛争から50キロ圏内に暮らしていた。

パレスチナ自治区では、約80%の女性が死者100人を超える地域に居住し、残りの20%も死者1~99人の地域に住んでいる。さらに3分の1以上は死者1000人超の地域近くに暮らす。シリアでも、大多数の女性が中~高強度の紛争にさらされている。

ナイジェリアでは、ボルノ州の女性がボコ・ハラムや「イスラム国」による暴力に直面している一方、南南部では分離主義運動の暴力が拡大している。

長期的な代償

女性が紛争地に暮らす割合が高い国は、国連の人間開発指数(HDI)が一貫して低く、教育・保健・生計に対する長期的な影響が顕著に表れている。

顕在化しにくい長期紛争は、社会や経済の基盤を着実に蝕んでいく。さらに国際援助の削減が、インフラの弱体化と女性の脆弱性の深刻化に拍車をかけている。(原文へ

オスロ平和研究所(PRIO)は、平和と紛争研究の世界的拠点である。暴力の要因と、国家・集団・個人間の平和的関係を可能にする条件を探究している。

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NDCに子どもの声を―ユニセフ気候擁護者ズナイラ(15歳)の訴え

ユニセフの気候擁護者である15歳のズナイラは、子どもたちの声や懸念が各国のNDCに反映されるべきだと考えている。彼女は「子どもは統計上の数字ではなく、“現実に生きる人間”であり、気候計画の中心に据えられる必要がある」と訴えている。

【国連発IPS=ナウリーン・ホサイン】

国連総会ハイレベルウィーク(9月22~30日)は、多国間主義、国際金融、ジェンダー平等、非感染性疾患、AIガバナンスなど、今日最も緊急の課題について世界が集う機会となった。

今年は気候変動も大きな焦点となり、各国が11月のCOP30を前に「国別削減目標(NDC)」を提示した。9月24日に開かれた気候サミットでは、114か国以上が国連事務総長とCOP30議長国ブラジルの指導者らの前で自国のNDCを発表した。

こうした計画は各国の姿勢を示すものだが、実際の行動で示すことこそが求められている。

「空虚な約束」に失望する若者たち

15歳のズナイラにとって、指導者の言葉と現実の行動の間には隔たりがある。COP29の場でさえ「政策や宣言ばかりで、実際の行動はなかった。」と彼女は語った。

「どの国でも同じ。子どもや若者に対して、空虚な言葉、空虚な約束しかなされていない。」とIPSの取材に対して語った。

UNICEF

ユニセフの「子ども気候リスク指数(CCRI)」は、子どもが直面する気候・環境リスクと脆弱性を測定し、163か国で56の指標を評価している。世界で約10億人の子どもが気候影響の最も大きい国々に暮らすと推計される。

ズナイラは、各国政府と指導者が効果的な気候政策を策定する際には、子どもの声や視点を取り入れる必要があると訴える。彼女の観察では、COP29で子どもの声を実際に反映させた国は参加国のわずか3%程度にとどまった。

この要望は新しいものではない。以前から多くの若者の気候活動家が呼びかけてきたが、交渉の場にはほとんど反映されてこなかった。

国連総会での参加と活動

ズナイラは、ユニセフの「ユース・アドボケーツ・モビライゼーション・ラボ」の一員として国連総会に参加するためニューヨークを訪れている。この取り組みは、ユニセフのユース擁護者の活動を評価し、子どもたちに交流や意見交換の場を提供するものだ。

パキスタン・バロチスタン州出身の彼女は、自身の経験を基に、2022年の洪水が女子教育に与えた影響に関する調査結果を共有した。

2022年のパキスタン洪水は3300万人以上に被害を与え、子ども647人が死亡した。気候変動がもたらした極端な気象の影響は、地域社会を破壊し、適応できない現実を突きつけた。

当時12歳だったズナイラは、ユニセフ・パキスタンの政策研究プログラムに参加し、バロチスタン州ハブ地区のサクランを訪れて聞き取り調査を行った。15人の女子生徒にインタビューしたところ、洪水で校舎が流され、学校そのものが失われたことが分かった。

ユニセフによると、彼女の調査は「洪水が教育格差を悪化させ、少女たちを避難所に追いやり、学びを中断させた。」と指摘している。

また、学校の防災対策や洪水に強いインフラ整備が急務であることも浮き彫りになった。「気候変動への強靱性とジェンダー平等を組み合わせた戦略。」が必要だと強調された。

学びを失った子どもたち

ズナイラは「洪水後、多くの子どもにとって戻るべき学校そのものが存在しなかった。」と振り返る。最寄りの学校が40キロ近く離れている場合もあり、通学は現実的ではなかった。

そのため、極端な気象に耐えられる学校インフラや地域社会への投資が不可欠だと訴えた。国際社会も「損失と被害への対応基金(FRLD)」を通じた支援を含め、適応策を後押しする必要がある。

「子どもは統計ではなく、現実の命」

ズナイラのメッセージは明確だ。指導者たちは子どもや若者を気候議論に参加させるべきだ。そして、彼らの経験を単なる数字に矮小化してはならない。

「考えてみてください。これは単なる統計ではありません。命が失われ、数千の家が破壊され、数千人が避難を余儀なくされたのです。子どもや人々は数字ではなく、現実の命です。世界の指導者はそのことを理解しなければなりません。」(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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