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広島・長崎から79年、核による壊滅の悲惨な記憶

【国連IPS=タリフ・ディーン】

1945年8月6日と9日に広島と長崎に原子爆弾が投下されてから79年目を迎えるが、核兵器が引き起こした壊滅的な結末を改めて思い知らされる。

米国の原爆投下による死者は推定9万人から21万人で、広島ではその約半数が初日に死亡した。

しかし、世界的な核軍縮キャンペーンにもかかわらず、核保有国は米国、英国、フランス、中国、ロシアの5カ国から、インド、パキスタン、北朝鮮、イスラエルを含む9カ国に増加した。

UN Secretariate Building/ Katsuhiro Asagiri
UN Secretariate Building/ Katsuhiro Asagiri

世界的な反核運動は無意味な努力なのだろうか?そして、イラン、エジプト、サウジアラビア、韓国などが将来の潜在的な核保有国として浮上している中、この傾向は続くのだろうか?

南アフリカ共和国は、核兵器を開発した後に自主的に放棄した唯一の国である。同国は1980年代に6つの核兵器を製造したが、89年から93年にかけてそれらを解体した。南アの決定には、国家安全保障、国際関係、そして孤立国となることを避けたいという願望など、いくつかの要因が影響を与えた可能性がある。

しかし、同様に有効な議論として、核戦争は未だ起こっておらず、脅威にとどまっているという点が挙げられる。それは主に、世界的な反核運動の成功、国連の役割、そして193の加盟国のほとんどが採択した複数の反核条約による集団的行動によるものである。

国連軍縮部(UNODA)によると、国連はその設立以来、大量破壊兵器(WMD)の排除を目指してきた。1946年に採択された国連総会の最初の決議では、原子力の発見に関連する問題を扱う委員会を設立することを決定した。

この委員会は、原子力を平和目的のみに使用するための制御策を提案することを目的としていた。

以来、核拡散や核実験を防ぎ、核軍縮の進展を促進することを目的として、いくつかの多国間条約が制定されてきた。

それには、核兵器不拡散条約(NPT)、大気圏内、宇宙空間および水中での核兵器試験を禁止する条約として知られる1996年に採択されたが未だ発効していない包括的核実験禁止条約(CTBT)、そして核兵器禁止条約(TPNW)が含まれる。

Jacqueline Cabasso, Executive Director, Western States Legal Foundation. Photo Credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, INPS Japan.
Jacqueline Cabasso, Executive Director, Western States Legal Foundation. Photo Credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, INPS Japan.

カリフォルニア州オークランドにある西部諸州法律財団の事務局長であり、米国の核兵器計画と政策を監視・分析しているジャクリーン・カバッソ氏は、IPSの取材に対し、「米国による広島と長崎への原爆投下から79年目を迎えようとしている今、世界は1945年以降で最も大きな核戦争の危機に直面しています。」と語った。

「『核抑止力』という恐ろしいドクトリンは、とっくの昔に非合法化され、多国間の非軍事的な共通の安全保障に取って代わられ、歴史の闇に葬られるべきだったのに、核保有国とその同盟国によって、核兵器の永続的な保有と威嚇的な使用(先制使用を含む)を正当化するために振りかざされる病的なイデオロギーに変貌しています。」と、カバッソ事務局長は指摘した。

「私たちは、『私たちに起きたことを他の誰にも二度と繰り返してはならない。核兵器と人類は共存できない。もう二度と広島や長崎を繰り返してはならない!』と訴えていいます。老齢の被爆者たちの警告に今こそ耳を傾けるべきです。」

「核兵器と人類は共存できません。しかしそれどころか、すべての核保有国は核兵器を質的にも、場合によっては量的にもアップグレードしており、新たな多極的軍拡競争が進行していいます。」と、カバッソ事務局長は指摘した。

「核兵器廃絶と、より公正で平和的、そして生態学的に持続可能なグローバル社会を実現するためには、抑止力という非合理的な恐怖に基づくイデオロギーから、事故や誤算、あるいは意図的なものであれ、最終的な核兵器の使用に対する合理的な恐怖へと移行する必要があります。」

「また、安全保障が人道的かつ生態学的に持続可能な形で再定義され、核兵器の廃絶と劇的な軍縮につながり、人類の普遍的なニーズへの対応と環境保護に必要な莫大な資源が解放されるという合理的な希望を刺激する必要があります。」

世界的な危機が多発する今、「核兵器廃絶に向けた私たちの活動は、核兵器と通常兵器、そして軍国主義全般との接点、核戦争がもたらす人道的・長期的な環境への影響、そして核兵器と民主主義、法の支配、人間の福利との根本的な相容れなさを考慮し、より広範な枠組みで行わなければなりません。」とカバッソ事務局長は語った。

M.V.-Ramana
M.V.-Ramana

ブリティッシュコロンビア大学(バンクーバー)グローバル公共政策グローバル問題大学校「軍縮・グローバル・人間の安全保障」プログラムの責任者を務めるM・V・ラマナ教授は、IPSの取材に対し、「コップの水は、見方によって、半分が満たされているか、半分が空なのです。」と語った。

「1945年以来、核戦争を回避できたのは、部分的には反核運動の粘り強さにも起因しています。歴史家のローレンス・ウィットナーのような人々は、政府が無制限な拡大ではなく、核抑制を選択した多くの事例を指摘しています。」

「南アは核兵器プログラム全体を解体した唯一の国だが、スウェーデンのように、技術的には核兵器を開発する能力を持っていたにもかかわらず、核兵器の開発を選ばなかった国も多い。その背景には、核兵器に対する強い市民の反対があり、それは反核軍縮を支持する社会運動に起因します。」とラマナ教授は指摘した。

「従って、核軍縮のための組織化は決して無駄ではありません。特に、大国間の紛争が再び起こる時代に突入した今、このような運動は私たちが生き残るために重要です。」とラマナ氏は宣言した。

国連によると、日本被団協と呼ばれる高齢の被爆者のグループが、最終的に核兵器の全面禁止に至ることを望んで核不拡散条約の達成に人生を捧げてきた。

「白島線の満員電車の中で、1歳半の長女を抱えながらしばらく気を失っていました。娘の泣き声で我に返り、気づくと電車内には誰もいませんでした。」と34歳(当時)の女性が小冊子に証言している。彼女は広島の爆心地からわずか2キロメートルのところにいた。

親族を訪ねて戸坂へ逃れた24歳の女性は、「皮膚が垂れ下がった人々がよろめきながら歩いていました。彼らは次々と倒れて死んでいきました。今でもよくこの光景を夢に見てしまい、ノイローゼだと言われます」と語った。

At a disarmament exhibition in UN Headquarters in New York, a visitor reads text about a young boy bringing his little brother to a cremation site in Nagasaki, Japan. Credit: UNODA/Erico Platt
At a disarmament exhibition in UN Headquarters in New York, a visitor reads text about a young boy bringing his little brother to a cremation site in Nagasaki, Japan. Credit: UNODA/Erico Platt

原爆投下後に広島に入ったある男性は、国連での展示会で「あの恐ろしい光景は、何十年経っても忘れることができません。」と回想した。

当時25歳だった女性は、「外に出たら、夜のように暗かった。それから次第に明るくなり、焼けただれた人々が泣き叫びながら混乱の中を走り回っているのが見えました。地獄のようでした…隣人が倒れたコンクリートの壁の下に閉じ込められていました…顔の半分だけが見えていました。彼は生きたまま焼かれていました。」と語った。

「核兵器は人類と共存できない絶対悪であり、廃絶するしかない。」という被団協の揺るぎない信念は変わらない:

Photo: The Secretary-General António Guterres attends the Peace Memorial Ceremony in Hiroshima. Ichiro Mae/UN Photo
Photo: The Secretary-General António Guterres attends the Peace Memorial Ceremony in Hiroshima. Ichiro Mae/UN Photo

今年3月、アントニオ・グテーレス事務総長は国連安全保障理事会で演説し、地政学的緊張が核戦争のリスクを過去数十年で最も高まっている今、核兵器の削減と廃絶こそが人類を救う唯一の道であると警告した。

「この無分別で自滅的な影を、きっぱりと消し去る道は一つしかありません。今こそ軍縮が必要です。」とグテーレス事務総長は述べ、核保有国に対し、いかなる核兵器の使用をも防止するために、透明性の向上と信頼構築措置の発展を目的とした対話に再び参加すること、核実験のモラトリアムを再確認すること、いずれの国も核兵器の先制使用国にならないことに早急に合意することを求めた。

グテーレス事務総長は、世界の二大核保有国である米国とロシアに対して、核兵器削減に主導的な役割を果たすよう求めるとともに、新戦略兵器削減条約(新START)の完全な履行に向けた交渉に戻る道を見いだし、その後継条約に合意するよう要請した。

「各国が他国を顧みずに自国の安全保障のみを追求する時、私たち全体を脅かす世界的な不安を生み出します。」とグテーレス事務総長は指摘した。広島と長崎の街が焼き尽くされてから80年近くが経った今もなお、核兵器は、世界の平和と安全に対する明白かつ現存する危険としてあり続けており、その威力、射程距離、ステルス性は向上している。

「核兵器を保有する国々は交渉のテーブルに着いておらず、一部の声明は核兵器使用を示唆しており、これらの脅威を明確かつ強く非難しなければなりません。さらに、人工知能やサイバーおよび宇宙空間領域のような新興技術が新たなリスクを生み出しています。」とグテーレス事務総長は語った。

Pope Francisco/ Wikimedia Commons
Pope Francisco/ Wikimedia Commons

核兵器の保有を「不道徳」と述べたローマ教皇フランシスコから、広島と長崎の原爆を生きのびた勇敢な被爆者たち、そして映画「オッペンハイマー」で核による終末の過酷な現実を、世界中の何百万もの人々にまざまざと見せつけたハリウッドに至るまで、人々は核の狂気に終止符を打つことを求めている。 「人類は(オッペンハイマーの)続編を生き残ることはできません。」とグテーレス事務総長は警告した。

AP通信によれば、昨年長崎が米国による原爆投下から78周年を迎えた際、鈴木史朗長崎市長は核兵器を抑止力として使用することは、核戦争のリスクを高めるだけだと述べ、核兵器の廃絶を世界の大国に訴えた。

鈴木市長は、先進7カ国(G7)諸国に対して、核兵器の使用を抑止力としてのみ位置付ける新たな文書を採択するよう呼びかけた。

「今こそ勇気を示し、核抑止力への依存から脱却する決断を下す時です。」と鈴木市長は平和宣言で述べた。「国家が核抑止力に依存する限り、核兵器のない世界を実現することはできません。」

「ロシアの核の脅威は、他の核保有国に核兵器への依存を加速させたり、能力を強化させたりすることを促し、核戦争のリスクをさらに高めています。また、核抑止力のリスクを代表しているのはロシアだけではありません。」

またAP通信によると、長崎の被爆者を両親に持つ鈴木市長は、「被爆の実相を知ることは、核兵器のない世界を実現するための出発点です。また、被爆者の証言は核兵器使用に対する真の抑止力です。」と語った。(原文へ

INPS Japan/ IPS UN Bureau

This article is brought to you by IPS Noram in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International in consultative status with ECOSOC.

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カザフスタンと日本、首相訪日を前に経済関係を強化

【アスタナINPS Japan/Atana Times=サニヤ・サケノヴァ】

カザフスタンのアリベク・クアンティロフ外務次官は8月2日、岸田文雄首相のアスタナ訪問に先立ち、山田純駐カザフスタン日本大使と貿易・経済協力について協議した。

カザフスタン外務省の報道部局によると、クアンティロフ外務次官は、運輸・物流、鉱業・冶金、再生可能エネルギー、廃棄物リサイクル、デジタル化、インフラストラクチャーといった分野において、日本との投資協力を拡大するカザフスタンの大きな可能性を強調した。また、カザフスタン政府は、日本企業が同国でのプロジェクトに取り組むことに対して全面的な支援を行う準備があると表明した。

「カザフスタンと日本は活発な政治対話を確立し、高水準の経済協力を達成し、文化的・人道的関係を強化し続けています。過去18年間で、日本企業はカザフスタン経済に78億ドル以上を投資しており、今後の協力拡大に大きな可能性を見出しています。」とクアンティロフ外務次官は語った。

山田大使は、カザフスタンが日本にとって戦略的パートナーであることを強調し、日本企業の間で同国における企業設立に関心が高まっていること、また、日本はカザフスタンのエネルギープロジェクト、輸送能力の開発、物流プロセスのデジタル化に貢献できることを指摘した。さらに、2026年に両国間で予定されている直行便の開設が、二国間関係を強化し、ビジネスや観光の機会を拡大するだろうと語った。

一方、岸田首相は8月9日から12日までウズベキスタン、カザフスタン、モンゴルを訪問し、アスタナで開催される中央アジア+日本対話首脳会議で中央アジアの経済援助パッケージを発表する予定だとジャパンタイムズ紙は報じている

援助パッケージは、中央アジアとヨーロッパを結ぶ、カスピ海を通る貿易ルートの確立に重点を置くと予想されている。また、日本の技術や融資、特に天然ガス処理などを利用した脱炭素化への取り組みも含まれる。日本は、この地域から熟練労働者を受け入れて交流し、人と人とのつながりを強化する予定だ。(原文へ

*岸田首相は南海トラフ地震の臨時情報「巨大地震注意」を受けて国内での地震対応を優先することになり、9日からのカザフスタン、ウズベキスタン、モンゴルの訪問を取りやめた。

INPS Japan/Astana Times

この記事は、Astana Timesに初出掲載されたものです。

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|視点|核軍縮と核廃絶の誤った同等性(ジャスミン・オーウェンズ核兵器廃絶主義者、作家、教育者)

【Bulletin of the Atomic Scientists=ジャスミン・オーウェンズ】

広島と長崎に恐ろしい原子爆弾が投下されて以来、核の脅威を減らすための提唱者は、大きく分けて、軍備管理、軍縮、廃絶の三つのカテゴリーに分類されてきた。

ICAN
ICAN

時が経つにつれ、これらのまったく異なるアプローチの境界は曖昧になってきた。核コミュニティの人々でさえ、「核軍縮」と「核廃絶」をしばしば同じ意味で使っている。軍備管理も軍縮や廃絶と一緒にされることがあるが、それは戦争タカ派にとっては過激すぎるとみなされるからだ。

核廃絶論者は、このようなカテゴリーの崩壊に不釣り合いに苦しんでいる。私の考えでは、核廃絶は奴隷制度廃止の伝統に根ざしている。反核のパラダイムの中で最も急進的なものであり、他の形態の廃絶運動や社会正義の組織化と最も密接に関連するものである。

核兵器廃絶が、軍備管理や軍縮という狭い、しかし依然として重要なパラダイムと一緒にされると、運動を横断的に結びつける力を失い、例えばレイ・アチソンやエマ・パイクのような活動家や、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のような組織が、反核兵器活動の範囲を広げようとする努力を妨げてしまう。

軍縮と廃絶の明確な区別は、廃絶運動家の活動をより明確にし、より先見性のある組織作りを可能にするために必要である。

軍縮を超えて

核軍縮の枠組みは、あらゆる種類の核兵器を廃絶し、どの国も密かに核兵器を再建しようとしないことを確認するための監視と検証の保障措置を確立することを目指すものである。一方、核兵器廃絶の枠組みは、核兵器を廃絶するという大胆ながらも狭い目標を超えて、核兵器を支える抑圧的なシステムを覆すことを目指している。

核兵器廃絶論者は、核兵器が白人至上主義、資本主義、家父長制などの抑圧的なシステムと関連しており、それらが地球上の生命を犠牲にして互いを強化し合っていること、そしてそれらがすべて集団的な個人の行動の産物であることを理解している。核兵器廃絶は、自己変革と社会の体系的変革の両方を求めている。

核廃絶の枠組みは、症状だけでなく、問題の根源に対処しようとするものである。例えば、奴隷制度が廃止されたのは、廃止論者がより公平な未来が可能であることを世界に示すために、たゆまぬ闘いを続けたからである。問題の根源は、単に人を奴隷にすることが悪いということではなく、人々が黒人の命を人間としてではなく、むしろ資本として評価していたことにあった。

Slave Trade (1650-1860)/ Slavery site
Slave Trade (1650-1860)/ Slavery site

核軍縮運動の主流が冷戦時代に成功を収めたのは、核の脅威が日常生活の中に存在していたからだけではなく、核兵器廃絶論者が核兵器を人種や植民地主義、その他の社会正義の問題と結びつけて、廃絶への支持をより広く集めるために熱心に取り組んだからである。

初期の頃、核兵器廃絶を最も声高に主張したのは黒人たちであった。彼らは、核兵器は人種差別的、家父長制的、資本主義的な抑圧体制を強化するものでしかなく、廃絶を達成する最善の方法は、これらの体制に対する闘いを結びつけることによって、人々の力を結集することだと主張した。

Photo: Dr Martin Luther King, Jr., speaking against the Vietnam War, St. Paul Campus, the University of Minnesota in St. Paul, April 27, 1967. CC BY-SA 2.0. Wikimedia Commons
Photo: Dr Martin Luther King, Jr., speaking against the Vietnam War, St. Paul Campus, the University of Minnesota in St. Paul, April 27, 1967. CC BY-SA 2.0. Wikimedia Commons

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師、コレッタ・スコット・キング、マルコムX、ラングストン・ヒューズ、W・E・B・デュボア、ポール・ロビーソン、エルナ・P・ハリスなどのリーダーたちは、一貫して核兵器、人種差別、植民地主義の相互関係を論じ、これらの兵器がいかに白人至上主義体制を強化しているかを強調した。

これらのリーダーの中には、他の社会正義運動に反核の旗を掲げるように促した者もいた。コレッタ・スコット・キングは、いくつかのフェミニストグループと緊密に協力した。ポール・ロブソンは労働運動と連携した。ハリー・ベラフォンテはエンターテイナーやアーティストを動員した。

しかし、これらの声は権力者だけでなく白人活動家らによっても効果的に平和運動の周縁に追いやられ、あるいは完全に沈黙させられた。黒人解放運動は、当時の公民権運動やその他の著名な社会正義運動と反核活動を結びつけることで大きな支持を集めていた。

この運動は、1940年代後半から50年代にかけて、核軍縮と平和を共産主義と同一視することに焦点を当てた政治家、ビジネスリーダー、軍事知識人たちから攻撃を受けるようになり、ハリー・S・トルーマン大統領もこれを支持した。

マッカーシズムを特徴とする共産主義者狩りは、黒人活動家に平和運動との関係を断ち、国内の市民権運動に専念するよう圧力をかけた。共産主義の烙印を押され、政府からの罰やコミュニティからの排斥を避けるために、多くの黒人活動家がこれに応じた。

Photo: William Edward Burghardt Du Bois/ Public Domain.

しかしW.E.B.デュボイスのような反共十字軍に屈しなかった人々は、標的にされ、中傷され、攻撃された。デュボイスがストックホルム平和イニシアチブのキャンペーンを主導したとき、彼は外国代理人として登録しなかったという理由で起訴・逮捕され、米国の連邦裁判所に喚問された。

デュボイスは根拠のない容疑で最終的に無罪となったが、米国政府は彼を標的にし続けた。彼のパスポートは取り消され、再発行されたが、その時点で彼は独立したばかりのガーナに移住した。パスポートの有効期限が切れると、米国政府は更新を拒否し、デュボイスは事実上アメリカ市民権を剥奪され、1963年に亡くなるまでガーナ市民となることを余儀なくされた。

反共産主義運動の影響は、それが収束した後も長く続いた。多くの黒人解放運動は、平和運動との関係を断ち、細心の注意を払うことを好んだ。全国有色人向上協会(NAACP)の指導者たちはこの陣営に属し、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が痛烈な反戦演説を行い、その中で米国を「今日、世界で最も暴力を振るっている国」とレッテルを貼った後、1967年に「アフリカ系アメリカ人が平和活動に関与するべきではない」とする決議を採択した。

キング牧師の演説からわずか5日後に出されたこの決議は、NAACPがアフリカ系アメリカ人はいかなる平和活動にも参加すべきではないと考えていることを明確にした: 「公民権運動を平和運動と統合しようとするいかなる試みも……私たちの判断では、重大な戦術的誤りであり、公民権の大義にも平和の大義にも役立たないだろう。」と述べている。

外部からの圧力や敵意が十分でなかったとしても、平和運動の中で活動しようとする黒人活動家たちは、黒人が指導的地位に就くことを望まない白人活動家たちの反対にしばしば直面した。1982年にニューヨークで開催された歴史的な軍縮集会で、黒人活動家やその他の有色人種が、集会を計画する連合に代表を要求するほどの圧力をかけることができたのは、このときが初めてだった。

軍縮パラダイムの復活

冷戦時代に黒人の核廃絶運動家が標的にされ、弾圧されたことは、強力な核廃絶運動の創出を妨げることに大きく貢献した。その結果、核廃絶論者は軍縮のテーブルにつくために闘うか、戦いを放棄するかの選択を余儀なくされた。今日、核廃絶論者は同じような厳しい選択に直面している。核廃絶が独自のパラダイムなのか、それとも軍縮の単なるサブセットなのか、混乱が続いている。

しかし、核廃絶のパラダイムが今日繁栄できる理由は十分にある。それを可能にすることが核兵器に対する闘争にとって大きな利益となるだろう。核兵器廃絶論者のインターセクショナルな(=核兵器廃絶の運動を進めるにあたり、単に核兵器そのものの問題に取り組むだけでなく、核兵器が人種差別、性差別、経済的不平等などの他の社会的な抑圧システムとどのように関連しているかを考慮し、それらの問題を結びつけて包括的に取り組むような)アプローチは、広範な公衆とつながり、反核運動に参加するように動機づけるのに適している。

Future Action Festival convened at Tokyo's National Stadium on March 24, drawing approximately 66,000 attedees. Photo: Yukie Asagiri, INPS Japan.
未来アクションフェスが3月24日、東京の国立競技場で開催され、約66,000人が来場した。このイベントは、2024年9月に開催される国連の未来サミットを前に、核廃絶の重要性と気候危機の危険性を認識することの重要性に焦点を当てたものである。 Photo: Yukie Asagiri, INPS Japan.

核兵器廃絶論者はまた、核兵器が自分たちが闘っている抑圧のシステムにどのように適合しているかを理解し、反核闘争に参加するための連帯と専門知識を必要としている社会正義運動に対しても、信頼できる発言をすることができる。

冷戦時代に核軍縮運動が前進できたのは、7万発を超える核兵器の世界的な在庫が過剰であり、核軍拡競争のリスクが利益をはるかに上回ると人々が理解していたからである。また核実験による健康への影響も、当時無視できないほど大きくなっていた。

しかし今日、軍縮の枠組みは、大衆的な反核運動を動員し維持するには十分ではない。核兵器は社会に深く根付いており、人々は気候変動など他の存亡の危機に気を取られている。核兵器の脅威がなぜそれほど重要なのか、より広範な分析を提供することなしに、核兵器廃絶を優先するよう人々を説得することは不可能に近い。

核廃絶運動は、核兵器の廃絶が他の抑圧的なシステムの解体にどのように役立つかを強調することを可能にする。核兵器廃絶の枠組みは、核の脅威を抑制し、完全に根絶するための他のすべての活動を否定したり、排除したりするものではない。それどころか、私たちの住む世界を根本的に変革しようとする軍備管理・軍縮政策を策定し、推進することを求めるものである。そしてその先には、①支配や暴力よりも、共同体としての配慮や協力が優先される世界、②説明責任、癒し、変革的正義の確固たるシステムが存在する世界、③先住民や影響を受けたコミュニティが、地球を飢えさせるのではなく、地球を養う適応的で持続可能なシステムを構築し、維持する努力を主導する世界の創出を目指している。

UN Photo
UN Photo

そのような取り組みのひとつが、放射線被ばく補償法の延長と拡大を求めるキャンペーンである。この法律は1990年に施行され、米国の核実験によって被害を受けた一部の人々に金銭的補償を提供した。このプログラムは今月初めに期限切れとなったが、より強固な立法を求める闘いはまだ終わっていない。

The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras
The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras

より多くの補償と癒しの機会を求めるキャンペーンは、変革的正義を目指す取り組みの一例である。この取り組みが加害者(この場合は米国政府)に求めているのは、国家安全保障の名の下に行われた被害を認め、その被害を是正するための具体的な行動である。

補償プログラムの範囲と資金は限られていたが、より公平で、公正で、持続可能で、思いやりのある、豊かな世界を構築するための有意義な行動の具体例であった。

核兵器廃絶のみに根ざしたアドボカシー戦略は、必ず失敗する。より広範な制度的変革なくして、反核運動は核兵器の影響を受けている個人や地域社会(黒人、褐色人種、先住民族が不釣り合いに多い地域社会)、そしてこれらの地域社会が求めている社会変革に効果的に関与することはできない。(原文へ

ジャスミン・オーウェンズは核兵器廃絶主義者、作家、教育者。ミドルベリー国際研究所で不拡散とテロ研究の修士号を取得し、Win Without War、Physicians for Social Responsibility、Outrider Foundation、Council on Strategic Risks、ローレンス・リバモア国立研究所、ジェームス・マーティン不拡散研究センター、ReThink Mediaで勤務した経験がある。

Bulletin of the Atomic Scientists

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ソチミルコの生態系保全に欠かせないメキシコサンショウウオ

近年、メキシコサンショウウオ(日本では1980年代にカップ焼きそばのCMで「ウーパールーパー」の愛称で取り上げられ一世風靡したことがある:INPSJ)は、メキシコシティの住民の間で非常に人気が高まり、地域の象徴となり、メキシコの首都南部の生態系保全に重要な役割を果たしている。

【メキシコシティーINPS Japan=ギレルモ・アラヤ・アラニス】

写真:Guillermo Ayala Alanis.

メキシコ盆地に生息するこの両生類は、体長30センチで、微笑んでいるように見える親しみやすい外見をしている。メキシコシティ南部に位置し、アステカ時代以来の伝統と景観を今も色濃く残すソチミルコ湖水地域の生態系保全にとって、地元住民と自然環境を結びつける重要なリンクとなっている。

近年、メキシコサンショウウオはメキシコシティのシンボルとして、いたるところで目にするようになった。都市アートの一部として壁画に描かれたり、50ペソ紙幣の絵柄として登場したり、大学や研究センターでも生物学的および社会的側面が研究されたりしている。ホセ・アントニオ・オカンポ・セルバンテス博士(メキシコ国立自治大学ソチミルコ校(UAM-X)生物学・養殖研究プロジェクト責任者)は、メキシコサンショウウオは、動植物の生息地であり首都メキシコシティの「肺」の役割を果たしているソチミルコ湖水地域の自然環境を保全するうえで、非常に重要な位置を占める動物となっていると語った。

壁画に描かれたメキシコサンショウウオ。写真:Guillermo Ayala Alanis.
壁画に描かれたメキシコサンショウウオ。写真:Guillermo Ayala Alanis.

「この動物を、ソチミルコの生態系を保全するシンボルとして活用し、人々がメキシコサンショウウオに対して抱く感情を利用して、『私たちがメキシコサンショウウオが好きなら、絶滅の危機から救わないといけないが、そのためにはこの種が依存する生態系全体も保全しなければない。』と訴えるべきです。この小動物は、ちょうど水生系と陸生系動物の中間に位置する種です。」と、セルバンテス博士は語った。

2017年以来、オカンポ博士はメキシコ国立自治大学ソチミルコ校クエマンコ生物・養殖研究センター(CIBAC)の責任者を務めている。このセンターは、多くの運河が点在するソチミルコ自然保護区域の中心に位置し、研究のみならず、大学生たちに対する教育にも力を入れている。また、この地域には、メキシコサンショウウオだけでなく、鳥類、げっ歯類、魚類も生息しているため、メキシコシティにとって生態学的価値の高いこの象徴的な地域の保全と社会への普及を活動の目的に掲げている。

Dr. José Antonio Ocampo Cervantes, Head of the Cuemanco Biological and Aquaculture Research Project, UAM-X. Photo credit: Guillermo Ayala Alanis.
Dr. José Antonio Ocampo Cervantes, Head of the Cuemanco Biological and Aquaculture Research Project, UAM-X. Photo credit: Guillermo Ayala Alanis.

オカンポ博士は、INPSニュースの取材に対して、「市民と自然とのつながりについて啓蒙する活動の一環として、CIBACは学校やあらゆる年齢層の社会的弱者を対象としたガイド付き訪問を企画しており、訪問者はメキシコサンショウウオとその生態に驚いています。」と語った。 「幼稚園児から大学院生まで、またホームレスの子供たちなど社会的弱者のグループも訪れています。彼らが最初に口にするのは、こんな場所があるなんて想像もできなかった、首都圏の一部とは思えない、騒音も聞こえないし、鳥のさえずりが聞こえます。」

1998年にメキシコ国立自治大学(UNAM)生物学研究所によって報告された調査によると、ソチミルコ湖には1㎢あたり6000匹のメキシコサンショウウオが生息していたが、2014年の調査では、生息地の汚染により、1㎢あたり35匹しか生息していなかった。 生態系への外来種の侵入や住宅開発などによる運河などの埋め立てを背景とした生息地の縮小により、野生の標本が少なくなっているため、飼育下でオリジナルの標本を保存することが重要となっている。

飼育下では、ピンクや白といった淡い色の品種も繁殖しているが、CIBACでは、元は黒く頭の後ろにエラがあり、常に幼生の形態を残したまま性成熟する(変態しないことから自然界のピーターパンと呼ばれる)この不思議な生物の生態を研究し保存している。

ソチミルコ(ナワトル語で「花の野の土地」)は現在のメキシコシティを構成するメキシコ盆地南部に広がる平地で、運河が非常に多いことで知られる。これらの運河は古代にメキシコ盆地に広がっていた湖の一つソチミルコ湖の名残である。この地域は、トラヒネラと呼ばれる小舟が行き交い、チナンパ(沼の上に浮かぶ農地)が浮かぶ運河網の景観や文化などアステカ以来の伝統を色濃く残す町である。写真: Guillermo Ayala Alanis.
ソチミルコ(ナワトル語で「花の野の土地」)は現在のメキシコシティを構成するメキシコ盆地南部に広がる平地で、運河が非常に多いことで知られる。これらの運河は古代にメキシコ盆地に広がっていた湖の一つソチミルコ湖の名残である。この地域は、トラヒネラと呼ばれる小舟が行き交い、チナンパ(沼の上に浮かぶ農地)が浮かぶ運河網の景観や文化などアステカ以来の伝統を色濃く残す町である。写真: Guillermo Ayala Alanis.
Axolotls at CIBAC, UAM-X. 写真:Guillermo Ayala Alanis
Axolotls at CIBAC, UAM-X. 写真:Guillermo Ayala Alanis

また、メキシコサンショウウオは、四肢だけでなく脊椎や心臓なども再生可能であることから、再生医療の研究で注目されている。部分的に再生できる生物は他にもいるが、年齢を問わず元の器官と同等の器官を再生する点でこの種は異なる特徴を示している。

2018年、『ネイチャー』誌は「メキシコサンショウウオのゲノムと主要組織形成制御因子の進化」という論文を発表し、メキシコサンショウウオには3200万塩基対のDNAがあり、これはヒトゲノムの10倍の長さであり、シダ植物の一種であるツメシプテリス・オブランセオレイトに次いで世界で2番目に長いゲノムであることが判明した。

観光地に描かれたメキシコサンショウウオ。メキシコでは2月1日がこの不思議な生物のナショナルデーに指定している。写真:Guillermo Ayala Alanis
観光地に描かれたメキシコサンショウウオ。メキシコでは2月1日がこの不思議な生物のナショナルデーに指定している。写真:Guillermo Ayala Alanis

CIBACでは、メキシコサンショウウオの研究に加えて、農薬や工業製品を使わないトマトやキュウリなどの植物や野菜の栽培研究も行っている。

さらに、メキシコ盆地固有種の保護と保全の研究も行われている。その中にはオオカバマダラやレプトフォビア・アリパといった鳥や蝶も含まれ、バタフライ・ガーデンで研究、世話、監視が行われている。

メキシコサンショウウオとソチミルコのコミュニティとのつながりは、CIBAC付近の運河をトラヒネラ(ソチミルコを象徴する伝統的な小舟)が行き交う観光エリアでも見ることができる。この地域の住民は、メキシコサンショウウオがソチミルコの生態系に不可欠な生き物であり、国際的に知られた存在であることを理解し、観光振興に絵画やトラヒネラと共にサンショウウオのイメージを取り入れている。

2018年、メキシコ上院は、生態系や国の文化的アイデンティティにおけるこの謎めいた両生類の重要性を強調する目的で、2月1日をメキシコサンショウウオのナショナルデーと宣言した。(原文へ

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ロシア、中国、北朝鮮の新たな接近は韓国に核武装を強いるのか?

【国連IPS=タリフ・ディーン】

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領と北朝鮮の金正恩労働党総書記が先月、2つの核保有国間で冷戦時代の相互防衛の誓約を復活させる協定に署名したとき、その影には第3の核保有国の暗黙の支持もあった: 中国である。

日本と韓国に恐怖心を抱かせたこの新たな核同盟は、ロシアが持つ人工衛星やミサイル技術に関する知識を北朝鮮と共有する可能性を保証するものだ。

この新協定は、ロシア、中国、北朝鮮と、米国、日本、韓国の間の深い分裂をもたらした。

しかし、一つの疑問が残る:これらの新たな展開は、少なくとも近い将来、韓国を核武装させ、世界の9つの核保有国(米国、英国、フランス、ロシア、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮)に加えることになるのだろうか?

ニューヨーク・タイムズ紙は、世宗研究所の朝鮮半島戦略センターの鄭成長(チョン・ソンジャン)所長の言葉を引用し、「韓国は、北朝鮮の核の脅威に対抗するために、米国の核の傘にほぼ全面的に依存している現在の安全保障政策を根本的に見直す時期に来ている。」と報じた。

また、タイムズ紙は、北朝鮮の中央通信の報道を引用し、プーチン大統領と金総書記は、一方の国が戦争状態に陥った場合、他方の国が 「遅滞なく、保有するあらゆる手段で軍事その他の援助を提供する 」ことで合意したと伝えた。

Addressing the UN General Assembly, Ambassador Kim Song of North Korea said nuclear weapons are stockpiled in many countries, including the U.S., yet Pyongyang is the only one facing sanctions: Credit: UN Photo/Evan Schneider

「ワールド・ビヨンド・ウォー」と「宇宙の兵器利用と原子力に反対するグローバルネットワーク」の理事を務めるアリス・スレイター氏は、IPSの取材に対して、「ロシアがこの時期に北朝鮮や中国と同盟を結んでいるという事実は、米外交が失敗した結果であり、米国の軍産議会メディア学術シンクタンク複合体(MICIMATT)が、87カ国にある800の米軍基地を超えて米国の影響力を拡大しようとしている結果です。」と語った。

「米国は今、太平洋地域に最近設立した基地で中国を取り囲み、オーストラリア、英国と新しい軍事同盟であるAUKUSを形成しています。…さらに米国は、リチャード・ニクソン大統領とヘンリー・キッシンジャー国務長官が1972年に中国の共産党政権を承認し、(国共内戦に敗れて大陸から逃れた国民党政権が樹立した)台湾の将来問題については中立を保つと約束したにもかかわらず、台湾の武装を支援しています。」と核時代平和財団の国連NGO代表でもあるスレーター氏は語った。

7月12日のAP通信の報道によれば、米国と韓国は初めて共同核抑止ガイドラインに署名した。これは、「北朝鮮の進化する核の脅威に対する対応能力を向上させるための基本的でありながら重要な一歩」である。

ワシントンで開催されたNATO首脳会議に合わせて会談したジョー・バイデン米大統領と尹錫悦韓国大統領は、両国の同盟が共同核協議グループを発足させてから1年、「驚異的な進展」を遂げたと評価した。

AP通信によれば、米韓両国は昨年、核作戦に関する意思疎通を強化し、様々な有事において米軍の核兵器と韓国の通常兵器をどのように統合するかを議論するために、この協議機関を発足させたという。

一方、核兵器廃絶のための世界的ネットワークであるアボリション2000は、7月30日にジュネーブで 「3+3モデル非核地帯による北東アジアの非核化」と題するセミナーを開催する。

北東アジアで活動する核保有国や同盟国(中国、日本、北朝鮮、ロシア、韓国、米国)の緊張、未解決の紛争、核兵器政策は、この地域における武力紛争や核戦争のリスクを高めている、とAbolition 2000は指摘している。

「これらの国のいずれか一国による一方的な軍縮は、他の国々が強力な核抑止政策を続ける限り、ほとんどありえない。必要なのは、すべての国の安全を維持する地域的な核軍縮アプローチである。」と述べている。

北東アジア非核兵器地帯のための3+3モデルは、この地帯の領土である3カ国(日本、北朝鮮、韓国)が、中国、ロシア、米国から核兵器による脅威を受けないという信頼できる強制力のある安全保障を得る見返りに、核兵器への依存を相互に放棄するという合意を想定している。

この合意は、朝鮮戦争を正式に終結させるための、より包括的な平和協定の一部を提供するものである。

この提案は、日本、韓国、米国の学者、議員、市民団体の間で真剣に議論されている。7月30日のジュネーブ会議は、NPT準備委員会の代表団を含めて議論を広げることを目的としている。

米国国務省のマシュー・ミラー報道官は7月22日、北朝鮮による核の脅威の高まりについて質問され、次のように答えた。「この状況に対処するためには外交を優先したい旨を何度も表明してきましたが、北朝鮮はそのような意向を全く示していません。」と語った。

ロシアが北朝鮮と中国に接近する結果についての質問に答えて、アントニー・ブリンケン米国務長官は、 「二つのことが見られます。ウクライナ戦争の結果としていくらか加速したかもしれませんが、それが長い間進行中だったことです。しかし、それ以外にも驚くべきことが起きています。」と語った。

「私たちは大西洋と太平洋全域、そして大西洋と太平洋の間でも協力体制を構築しました。ですから、私たちのチームと協力している国々は、ロシアがこれまで作り上げてきたものよりも優れています。…この先には、すでに多くの歪みが生じています。 ロシアと密接に協力し、ウクライナでの戦争の永続化に手を貸すことは、どの国にとっても評判を低下させることになるでしょう。」

「だから、私は中国が現在の立場に非常に不快感を抱いていると思いますが、現時点では、中国が北朝鮮やイランとは異なり、武器ではなく、ロシアの防衛産業基盤へ資材を提供しているという課題があります。」とブリンケン国務長官は語った。

ブリンケン国務長官は、「ロシアが輸入している工作機械の70%と マイクロエレクトロニクスの90%は中国から輸入されている。」と指摘したうえで、「これらがロシアの防衛産業基盤に入り、ミサイルや戦車、その他の兵器になっているのです。」と語った。

「私たちはその点で中国を非難し、中国企業に制裁を課しました。しかし、重要なのは、他の多くの国々も同様に行動したことです。そして、数週間前に欧州でもそのような動きが見られました。中国は二枚舌を使うことはできません。ウクライナでの平和を支持すると言いながら、一方でロシアによる戦争の追求を助長することはできないのです。」

「中国は、欧州の安全保障にとって冷戦後最大の脅威を助長しているときに、欧州との関係改善を望んでいるとは言えないのです。」とブリンケン国務長官は断言した。(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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フォトエッセイ:国家の監視を受け入れることと、恐れずに信仰を告白することの間には、超現実的なバランスが存在する。

【National Catholic Register/INPS Japan北京=ヴィクトル・ガエタン】

編集部注:中国本土には推定1000万~1200万人のカトリック信者がおり、20の大司教区と97の教区を含む、バチカン公認の147の教会管区に広がっている。近年、中国共産党によるカトリック礼拝の監視と統制が強まっている。この統制キャンペーンは、米国際宗教自由委員会の2024年次報告書に掲載されたのをはじめ、多くの人権専門家から信教の自由の侵害として批判されている。4月に北京を訪れた際、レジスター寄稿者のヴィクトル・ガエタンは、信者が復活祭を祝う中国の首都にある政府登録のカトリック教会をいくつか訪問することにした。これは彼のレポートである。

日本への調査旅行を計画しているとき、アメリカ人が「別の国への乗り継ぎ」の間、ビザなしで6日間144時間まで中国を訪問できることを知った。いくつかの条件(目的地行きの航空券を持っていること、「入国港」(北京はこの政策が適用される20都市のうちの1つ)から離れないこと、滞在先を報告しなければならないこと)があるが、それは東京に行く途中で中国のカトリック教会を訪問する絶好の機会であることを意味した。

こうして、私は北京の三つの大聖堂で復活祭のミサを捧げることになった。中国の教会について何年も読み書きしてきが、中国のキリスト教徒の兄弟姉妹と共に礼拝する恩寵については何の準備もしていなかった。

私が訪れた教会は、老若男女を問わず、多くの子どもたち(全部で数千人)で満員だった。彼らは献身的に歌い、祈っていた。制服警官に撮影され、教会の敷地に入るには金属探知機を通らなければならない。しかし誰も抵抗しなかったし、監視の目を避けるために立ち去る人も見なかった。これは信仰の肯定ではなかろうか。

国家の監視を受け入れることと、恐れずに信仰を告白することの間には、超現実的なバランスが存在する。「それなら、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」というマタイによる福音書第22章(イエス・キリストの言葉で、宗教的な義務と世俗的な義務を区別することを意味する)を思い出した。信者たちは、国家の存在を素直に受け入れているように見える。彼らがミサへ全身全霊で参加している光景は、特に感動的な礼拝の体験となった。

中国人以外の参加者はほとんどいなかったが、私が参加していてもほとんど注目されることはなかった。救世主大聖堂(北堂)李山大司教の写真を撮ろうとしたら、案内係に制止された。彼は私の携帯電話を預かり、代わりに写真を撮ってくれることになった!案内係の説明によると、外国人は通常、英語やその他の言語で行われる礼拝に参加するとのことだった。


マテオ・リッチ神父(中国名は利瑪竇)は1583年に中国に到着し、中国で布教した最初のイエズス会宣教師の一人となった。リッチ神父の銅像は南教会の敷地の入り口に立っている。リッチ神父は1605年から1610年に亡くなるまで、明朝の万暦帝の宮廷に顧問として仕えた。
マテオ・リッチの肖像 出典: Wikimedia Commons

ミサの後、教会の中庭は社交の場となり、聖人像の前で祈りを捧げたり、修道女が管理する折りたたみ式のテーブルで聖具を購入したり、信者のパフォーマンスで活気づいていた。そのころには、警察はほとんど撤退していた。各教会では1日に数回のミサが行われている。祭壇には5、6人の司祭と2人の助祭がいた。

以下の写真は、ほとんどが迅速かつ控えめに撮られたものだが、中国の健全で信仰深いカトリック共同体が、神の都にしっかりと目を向けていることを示している。復活祭の前夜祭のために、私は聖母無原罪聖堂(南堂)、北堂、聖母カルメル山教会(西堂)として地元で知られる三つの歴史的なカトリック大聖堂を訪れた。その夜、三つの教会で267人の新しい信者が信仰に加わった。

復活祭当日は、信者と交流しやすい南堂を再び訪れた。ある若い案内係が、彼女が空港のエンジニアであると教えてくれた。「私はイエスを愛しているので、できるだけ教会に来るようにしています。カトリックの司祭たちはずっと以前にこの地に聖書をもたらしました。中国本土には、訪れる価値のある美しい教会や巡礼地がたくさんあります。」と彼女は語った。(原文へ

教会の修理のため、教会の修理のため、聖金曜日の十字架の道行きは教会の中庭に移されました。幅広い年齢層の人々が参加した。「十字架の道行き」は、イエス・キリストが十字架を背負ってゴルゴタの丘へと歩んだ苦難の道を追体験するカトリックの宗教儀式。信者たちは、教会やその敷地内に設置された14の「ステーション」(各ステーションはキリストの受難の特定の場面を表している)を順に訪れ、祈りを捧げる。(写真: 提供写真)
教会の修理のため、教会の修理のため、聖金曜日の十字架の道行きは教会の中庭に移されました。幅広い年齢層の人々が参加した。「十字架の道行き」は、イエス・キリストが十字架を背負ってゴルゴタの丘へと歩んだ苦難の道を追体験するカトリックの宗教儀式。信者たちは、教会やその敷地内に設置された14の「ステーション」(各ステーションはキリストの受難の特定の場面を表している)を順に訪れ、祈りを捧げる。(写真: 提供写真)
聖金曜日の行列が終わった後も、教会の小冊子を手に十字架の道行きを続けて祈る信者たち。(写真: 提供写真)
南堂で、聖金曜日に信徒たちが交代で十字架を担う感覚を試している。(写真: 提供写真)
文化大革命中の1966年から79年まで閉鎖されていた聖母無原罪聖堂(南堂)の外で、復活祭のろうそく(パスカルのろうそく)に火が灯される。このろうそくは、キリストの復活を象徴し、復活祭前夜の礼拝で新たに火を灯されることが特徴。イエス・キリストが世界の光であることを示すシンボルとして、教会の中で重要な儀式の一部として用いられている。(写真:提供写真)。
復活節のミサは南教会で、キリストの光を暗い身廊(教会の正面玄関から祭壇まで続く主要な通路)に運ぶ行列から始まる。
北堂として知られる救世主大聖堂は、2007年に42歳で任命された北京の大司教ヨゼフ李山が、バチカンと中国政府の承認を得て座す場所である(写真:提供写真)。
警察はミサに参加する信者に金属探知機の通過を義務づけているが、教会への通路はラッパを鳴らす天使によって照らされている(写真:提供写真)。
最近改装された聖堂で、立ち見の聴衆を前に説教する李山大司教(写真:提供写真)
教会の祭壇が見えない側の翼廊部分も人でいっぱい。(写真:提供写真)
プロパガンダ・フィデ修道会が派遣したイタリア人ラザリスト宣教師によって設立された北京の聖母カルメル山教会(西堂)では、警察と金属探知機が多くの信者を出迎えている。この教会は1723年に建てられ、イエズス会以外では中国初の教会建築物である(写真:提供写真)。
カトリックの中でも特に活気のある聖母カルメル山教会前の庭では、ペイントされた卵(賞味期限切れの本物)や永久保存版のお土産の卵、それに西教会のイメージで飾られたロザリオやトートバッグが売られている(写真:提供写真)。
西堂の信徒は生き生きとしている(写真:提供写真)
西堂で復活祭の前夜祭のミサに臨む信徒の上着には、福音のメッセージがまとめられている。
2024年4月30日、復活祭の前夜祭で信者を祝福する熱心な司祭。
「復活祭前夜、西堂で誰かの背中に書かれていたもう一つの関連メッセージ:『私たちの意志は要塞のように団結している。』」
復活祭前夜のミサで、西堂の司祭が教会の後方に到達し熱心に祝福を行っている。(写真:提供写真)
復活祭前夜のミサの後、教会の外で聖人の前で静かに祈る信者たち。
復活祭のミサでは、35人ほどの子どもたちが白いケープ姿で目立つ。彼らは聖体拝領をしているのだろうか?それとも祭壇奉仕者なのか?地元関係者の説明はまちまちだった。
古い石は跪くには痛いが、老いも若きも跪く(写真:提供写真)
2024年4月31日、南堂で復活祭のミサが終わり、行列する李山大主教(写真:提供写真)
2024年3月31日日曜日、復活祭のミサの後、壷から聖水を集める信者たち。

National Catholic Register/INPS Japan

Original Article: https://www.ncregister.com/news/easter-in-china-state-monitoring

Victor Gaetan
Victor Gaetan

ヴィクトル・ガエタンはナショナル・カトリック・レジスター紙のシニア国際特派員であり、アジア、欧州、ラテンアメリカ、中東で執筆しており、口が堅いことで有名なバチカン外交団との豊富な接触経験を持つ。一般には公開されていないバチカン秘密公文書館で貴重な見識を集めた。外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』誌やカトリック・ニュース・サービス等に寄稿。2024年4月、IPS Japanの浅霧理事長と共に長崎を取材訪問。INPS Japanではナショナル・カトリック・レジスター紙の許可を得て日本語版の配信を担当した(With permission from the National Catholic Register)」。

*ナショナル・カトリック・レジスター紙は、米国で最も歴史があるカトリック系週刊誌(1927年創立)

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【ティンドゥフ/ロンドンLondon Post=アリ・アウイェシュ・ティンドゥフ、ラザ・サイード】

権力、恐怖、技術的偉業—これらは核兵器を象徴する言葉である。「抑止力と安全のための措置」として提示されることが多いが、その裏には政治的支配と植民地的野心が深層に隠されている。

その最も顕著な例の一つが、かつての宗主国であるフランスがアルジェリアで行った一連の核実験だ。これらの実験は単なる「科学実験」ではなく、植民地の抑圧を継続させ、環境破壊を引き起こし、地元住民に長期的な健康被害をもたらす行為であった。

核実験の歴史:何があったのか?

1960年から66年にかけて、フランスは19世紀に植民地化したアルジェリアのサハラ砂漠で核実験を繰り返した。1962年にアルジェリアが独立を果たしたにもかかわらず、フランスはサハラ砂漠を核実験場として利用し続けた。この時期、大気圏内と地下の両方で合計17回の核実験が行われた。

1960年2月13日、フランスはサハラ砂漠の核実験場で初の原子爆弾による核実験(爆発力は当時世界最大の70キロトンに達し、長崎に投下された原爆の3倍以上の規模だった)を実施し、米ソ英に続いて4番目に「核クラブ」の仲間入りを果たした。

Image Credit:National Museum of Nuclear Science & History
フランスはアルジェリア戦争中の1960年2月13日、サハラ砂漠のアルジェリア中部で同国初の原子爆弾による核実験を行った。コードネームは「青いトビネズミ」であり、フランス国旗の色にちなんで第2回核実験は「白いトビネズミ」、第3回は「赤いトビネズミ」と名付けた。計17回実施されたアルジェリアでの核実験は、ソ連と米国の核実験再開の引き金となったとみられている。フランスは、さらに水爆実験カノープスを含む核実験を1966年から1996年にかけてフランス領ポリネシアの環礁で実施した。Image Credit:National Museum of Nuclear Science & History

植民地主義の関連性

アルジェリアを核実験場として選んだことは偶然ではなく、「支配と搾取」を核心とする植民地主義を反映したものだった。アルジェリアでの核実験は、同国国民の主権と福祉を無視した植民地主義の露骨な例である。

実験中および実験後、放射性降下物によって広大な地域が汚染され、地元のコミュニティはその危険性について知らされることも、保護されることもなかった。その結果、発ガン率の増加、遺伝子の突然変異、その他の深刻な健康問題が世代を超えて報告されている。

フランスは、これらの核実験をアルジェリア独立後も継続することで、フランスが依然として旧植民地に対して重要な権力を持っていることを誇示する狙いがあった。こうした行為は、植民地主義に内在する人種差別と非人間性を浮き彫りにしている。

核実験の結果に対処するための様々な条約や国際的な圧力にもかかわらず、フランスは被害の全貌を認めず、被害を受けた人々に十分な補償と修復を提供することも怠ってきた。このような責任回避の姿勢は、かつて植民地支配した国々が歴史的過ちを認め、是正することにしばしば抵抗する、植民地主義的な態度の延長線上にある。

Dr. Abdel Fattah Belaroussi

フランスの行為は「完全な戦争犯罪」

アルジェリアのアドラール大学の法学教授であるアブデル・ファタ・ベラルーシ博士は、「アルジェリア南西部アドラール県レガーヌ地域で行われた核実験は、国際法の下で「戦争犯罪」とみなすことができる。国際基準によれば、国際人道法で罰せられる人道に対する罪に該当します。」と、ロンドンポストの取材に対して語った。

ベラルーシ博士はさらに、「これらの核実験は人間と自然に害をもたらすもので、1946年12月11日に国連総会が国際法上の犯罪と確認した『ジェノサイド(大量虐殺)』とみなすことができる行為に相当する。」と説明した。

「モルモット」にされた市民たち

核実験場があったレガーヌ地域では、住民の間でガン、早産、奇形、知的障害、流産が報告され、実験場周辺から多くの自然植生や様々な種類の野生生物が広範囲にわたって消失した。

Ahmed Mizab, a security and strategic affairs expert.

安全保障と戦略問題の専門家であるアーメド・ミザブ氏は、レガーヌ核実験場での実験は、標的の絶滅を企図した核爆発の強度を測定するための実験過程であったとコメントした。

これらの実験は人間の生命、野生生物、環境全体に広範かつ取り返しのつかない被害をもたらした。これらは法の下での犯罪であり、国際条約や協定に違反している。フランスは核爆発に使用された地域の浄化を行わなかった。

核犯罪の影響は今も続いており、爆発地域の浄化と補償をフランス政府に求める強力な市民社会の行動が必要である。

被害者らはフランス政府を訴える権利があり、アルジェリア政府はそれを支援すべきである。

これらの実験による環境破壊は甚大である。すでに厳しい環境であるサハラ砂漠は、放射性汚染によりさらに過酷で人を寄せ付けないものとなった。

植民地化された地域の天然資源と環境が、現地の人々のことを考えずに搾取された環境破壊に対する説明責任は果たされていない。

フランスの新聞『ル・パリジャン』は2014年、フランス政府の秘密文書を引用し、同政府が従来伝えていたよりもはるかに広い地域がこれらの核実験によって影響を受けていたことを明らかにした。

Sid Amar Al-Hamel, one of the civil society actors in the Reggan region and a defender of the victims of nuclear explosions.

フランスの説明責任と行動に注目

レガーヌ地域の市民活動家の一人で、核実験の被害者の権利を擁護する活動をしているシド・アマール・アル=ハメル氏は、「フランスがこの地域で犯した罪は、今日でも目に見える深刻な被害を残しています。」と語った。

ハメル氏は、「核放射線の影響が自然に消えるまでの時間を計算すると、この地域はまだ災害の最初の数秒間にすぎません。」と強調した。

胎児の先天性奇形は現在も続いており、この地域に蔓延した病気に対する根本的な治療法がないため、多くの家族が障害児を抱えて生活することに困難を感じている。レガーヌの市民は、フランスが置き去りにした核廃棄物をいまだに発見し、それが引き起こすかもしれない危険に気づいていない。

ハメル氏は、「フランスは核実験場の消毒はおろか、実験対象となった機器を住宅地から撤去することさえしなかった。」と指摘した。

ハメル氏は、「核爆発の悪影響は特定の期間や地理的空間に限定されるものではないことから、金銭的補償の問題は、誰が補償を受ける権利を持つのかという問題に道を開くことになるだろう。」と語った。また、「レガーヌ地域の住民は今日、フランスに対してこの犯罪行為の責任を負うよう要求すると共に、癌や核放射線による様々な病気を治療するための専門医療施設を求めています。」と指摘した。

そしてハメル氏は、「フランスが行動を起こすべき時が来ています。それは、核爆発の存在を認め、その残留廃棄物を処理し、被害者を特定することです。」と語った。

次はどうするのか?

核兵器は単なる戦争の道具ではなく、歴史に根ざした権力の不均衡の象徴でもある。真の廃絶とは、単に核兵器を廃絶するだけでなく、それらの開発と実験の遺産に取り組みことである。

国際社会は核拡散防止においては進展を遂げてきたが、こうした取り組みに関する物語はしばしば植民地時代の歴史や社会から疎外されたコミュニティへの不釣り合いな影響をしばしば見過ごしてきた。

フランスと植民地(1919年から1939年)。Credit: By Rosss – Own work, CC BY-SA 3.0

世界が核軍縮に向かう中で、歴史的な不正義に対処し、植民地主義的搾取の遺産が忘れ去られないようにすることが極めて重要である。真の意味での核廃絶は、単に核兵器を廃絶することにとどまらず、過去の歴史を認識し、これらの大量破壊兵器によって最も悲惨な被害を受けた人々のために、正義と賠償への確固たるコミットメントが必要なのである。

TPNWの規定

The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras
The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras

核兵器禁止条約(TPNW)の第1回締約国会議(1MSP)は、被害者支援と環境修復を優先するよう各国に求めている。

同条約は、各締約国が、国際人道法および人権基準に従って、核兵器の使用または実験によって被害を受けた個人に対して、医療、リハビリテーション、心理的支援を含む年齢および性別に配慮した援助を提供することを義務付けている。

さらに、各締約国に対して、自国の管轄または管理下にある核活動によって汚染された地域の環境修復(これには、汚染の除去や土地の再生が含まれる)に必要な措置を講じるよう義務付けている。そしてこれらの義務は、国際法や二国間協定のもとで、予断なく履行されなければならないとしている。

次回のTPNW締約国会議は、カザフスタンを議長国に2025年3月3日から7日までニューヨークの国連本部で開催される予定である。(原文へ

INPS Japan/London Times

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「グローバル・ヒバクシャ:核実験被害者の声を世界に届ける」(寺崎広嗣創価学会インタナショナル平和運動総局長インタビユー)

南太平洋諸国で核実験が世代を超えてもたらした影響

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シエラレオネの新しい児童婚禁止法が称賛される

【フリータウン/ナイロビIPS=ジョイス・チンビ

シエラレオネの画期的な「児童婚禁止法2024」には、「いかなる者も児童と婚姻契約をしてはならない」と明記しており、児童婚を試みたり同意したりすることはもとより、児童婚を主催、出席、促進することや、それを目的とした児童に対する強制や不当な扱いを禁止している。

この法律は7月初め、シエラレオネのジュリアス・マーダ・ビオ大統領によって署名され、ファティマ・ビオ大統領夫人が主催した式典で披露された。ビオ大統領夫人が率いた「Hands Off Our Girls(私たちの少女らに手を出さないで)」キャンペーンがこの成果に大きく寄与した。

新法の成立により今後18歳未満の少女と結婚した男性は、15年の懲役刑、または約4,000米ドルの罰金、あるいはその両方を科される。

「Girls Not Brides(少女たちは花嫁ではない)」のシニア・リージョナル・エンゲージメントおよびアドボカシーオフィサーであるファトゥ・グエイ・ンディール氏は、IPSの取材に対して、新しい法律の有害な慣行を終わらせる力を強調し、「この新しい法律には、違反者に対する罰則の執行、被害者の保護、影響を受けた少女たちに対する教育や支援サービスへアクセスを確保するための条項も含まれています。」と語った。

「Girls Not Brides」は、児童婚の撲滅と少女たちが潜在能力を発揮できる社会を目指す1,400以上の市民社会組織のグローバルパートナーシップである。ファトゥ氏は、「新法はシエラレオネにおける児童婚や早期強制結婚との闘いに新たな息吹を吹き込みました。これは転機です。私たちは政府に対し、児童婚の犯罪化によって少女たちが保護され、悪影響を受けないようにするために不可欠な、被害を受けた少女たちへの支援サービスや教育へのアクセスを提供し続けることを求めます。」と語った。

この法律は非常に包括的で、児童婚を引き起こす陰謀や児童婚の幇助も禁止している。また児童との同棲、その企て、児童との同棲を引き起こす陰謀や幇助も禁止している。

Fatima Maada Bio, the First Lady of Sierra Leone, championed the legislation with her Hands Off Our Girls campaign. Credit: UN

UNICEFによれば、2020年だけで、18歳未満の少女のうち約80万人が結婚しており、シエラレオネの少女の3分の1を占めている。そのうち半数は15歳になる前に結婚している。15歳までに全児童の約9%、18歳までに約30%が結婚するほど、児童婚は蔓延している。

シエラレオネのNGOである「Women Against Violence and Exploitation in Society Sierra Leone(WAVES-SL)」のディレクターであるハンナ・ヤンバス氏は、子供の結婚を禁止する法律がない状況では、「すべての子供が学校に通う義務教育政策があっても、少女たちを教育システムに留めておくには不十分でした。学校内外を問わず、18歳になる前に結婚すべきと信じる民族やコミュニティが存在します。」と語った。

ヤンバス氏は、「少女たちは12歳で危険な領域に足を踏み入れ、多くの少女たちがその後、児童婚を余儀なくされ、それが生涯続くことになります。」と指摘したうえで、「法律それ自体では十分ではなく、特に2009年に制定された慣習上の結婚・離婚法では、親または保護者の同意があれば児童婚が認められており、結婚の最低年齢が定められていなかったため、新法の全項目について地域社会を啓発するための、草の根レベルの大規模な市民教育が緊急に求められています。」と語った。

ンディール氏は、「この法律を効果的に実施することで、教育、健康、女性の経済的地位向上において、大きな利益と前向きな結果がもたらされます。学校に長く通う少女は児童婚から守られるため、児童婚と教育は強く結びついているのです。さらに、少女は早期結婚や早期妊娠に中断が少なくなり、より良い成果を上げる可能性が高くなります。」と語った。

「児童婚は少女の妊娠につながるため、この法律は妊産婦死亡率や乳幼児死亡率の減少につながります。結婚や妊娠を遅らせることは、しばしば妊産婦や乳児の死亡率の上昇につながるあらゆる合併症を含め、早期出産に伴うリスクを大幅に低下させます。」とンディール氏は語った。

さらに、早期の児童婚を避けれた少女たちは、児童婚に伴う心理的なトラウマやストレスを経験する可能性が低く、精神的な健康状態の改善につながることも示している。

「より多くの少女たちが教育を修了すると、労働力に参加する教育を受けた女性の数が増え、経済成長と発展に貢献します。教育を受けた女性はより良い収入のある仕事に就く可能性が高く、家族の経済状況を向上させ、貧困水準を下げることができます。」とンディール氏は語った。

アフリカでは子どもの人口が急増しているため、児童婚を含むあらゆる有害な慣習をなくすための根本的な対策を必要としている。特に児童婚は、持続可能な開発にとって大きな障害となっている。世界で児童婚の割合が最も高い10カ国のうち6カ国が西アフリカと中央アフリカにあり、地域全体の平均的な有病率は依然として高く、少女の41%近くが18歳に達する前に結婚している。

シエラレオネの新法は、とりわけ「持続可能な開発目標2024年報告書」に照らして時宜を得たものである。この報告書は、SDGsの達成に向けた大きな進展を記録しているが、一方で進展が停滞している分野も示している。例えば、2030年までのジェンダー平等の達成に向けた取り組みは依然として遅れている。

有害な慣行は減少(25年前と比較して18歳未満で結婚する少女の割合は4分の1から5分の1に減少。この期間中に6800万件の児童婚が回避された。)しているものの、人口増加に追いついていないことが報告書で明らかになった。

報告書は、依然として多くの女性が自らの性的および生殖的健康に関する権利を実現できていないことに懸念を示している。女性に対する暴力は依然として根強く、特に障害を持つ女性に対して不均衡に影響を及ぼしている。残り6年しかない中で、現在の進展はSDGsの達成に必要なものには程遠く、大規模な投資と行動の拡大がなければ、報告書はSDGsの達成に疑問を投げかけている。

UN Summit of the Future
UN Summit of the Future

国連の未来サミットは2024年9月に開催される。重要な課題に対する協力を強化し、持続可能な開発目標を含む既存のコミットメントを再確認する、一世一代の機会である。

ヤンバス氏はこれらの課題をよく理解しており、思春期の少女、女性、障害を持つ人々を含む社会的弱者と密接に関わりながら、すべての政府、関係者、そして年長世代に対し、少女たちが自らの選択で生きる機会を与えるよう求めている。

「少女たちに、学校に通い、その後に自らの選択で夫を選ぶ機会を。児童婚は少女たちの心を傷つけ、人生の軌道を最悪のものに変えてしまうのです。すべての子供が保護され、幸せになる権利を持っています。そして、私たちには少女たちの夢を守るための法的な青写真を手に入れたのです。」とヤンバス氏は語った。

「少女たちは、アフリカの国づくりに全面的に参加するために必要なあらゆる手段を利用する権利があります。私たちは、あらゆる有害な慣行に対して立ち上がる必要があります。伝統は確かに存在し、私たちはそれを守りたい。しかし、私たちのコミュニティを発展させ、前進させるものだけを残そうではありませんか。」と、ヤンバス氏は語った。(原文へ

This article is brought to you by IPS Noram in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International in consultative status with ECOSOC.

INPS Japan

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歴史的殉教地ナガサキ:隠れキリシタンから原爆投下まで

「キリストの教えに倣って私は迫害者を赦します。彼らを憎みません。私はすべての人を憐れんでくださるよう神に願い、私の血が恵み豊かな雨のように人々に降り注ぐことを望みます。」パウロ三木

【National Catholic Register/INPS Japan長崎=ヴィクトル・ガエタン】

長崎市街地を取り囲む緑豊かな山間部(彦山中腹)を歩き、1931年にここに修道院を創設した聖マキシミリアノ・コルベ神父の足跡をたどった。コルベ神父がポーランドに呼び戻されるまでの5年間を過ごしたこの地には、奇跡の泉で巡礼地として知られるルルドを神父が再現した洞窟と泉がある。

アメリカ人は長崎といえば、1945年8月9日に米爆撃機B29による原爆投下を連想する。しかし日本では、この地域はカトリック信仰の地としても認識されている。1600年代、宣教師たちが日本の南西部各地の港から上陸して伝えたカトリック信仰は、急速に広まり、当時長崎のカトリックコミュニティーは、貿易商の間で「リトル・ローマ」と呼ばれていた。 

 長崎を訪れれば、残酷で神秘に包まれながらも今日に伝わる日本におけるカトリック信仰の軌跡を垣間見ることができる。それはまた、連綿と続いた殉教の悲劇の歴史でもある。

新たな信者と殉教者たち

Franciscus de Xabier Credit: Public Domain.

イエズス会の宣教師、聖フランシスコ・ザビエル神父が日本に興味を持ったのは、ポルトガル商船が航路を外れて日本列島の南端(種子島)に漂着し、戦国大名たちが割拠する美しい大地を「発見」した僅か数年後のことだった。

ザビエル神父は、日本に在住した2年間(1549年~51年)約1000人の魂をカトリック信仰に導いた。その後の30年間で、約20万人の日本人がカトリックに改宗した。

その中に、当時日本南部を席巻していたこの新宗教に家族が入信した際に幼くして洗礼を受けたパウロ三木がいる。彼の父は(織田信長に仕える)有力なキリシタン武将であった。彼は日本初のイエズス会神学校に入学して布教活動を展開したが、まもなく時代は豊臣秀吉の政権に代わり、キリシタンに対する残忍な迫害が強化されていくことになる。

ヨーロッパ人がカトリック教会による布教活動を通じて日本を征服しようとしていると恐れた関白豊臣秀吉は、1587年に宣教師の追放を命じる「伴天連追放令」を発した。その結果、多くの宣教師が地下に潜伏した。

しかし主要な国際貿易港となっていた長崎は、その後もしばらくキリシタン大名の大村純忠の管理下にあり、大村氏が港湾税を用いてイエズス会による学校、貧民院、教会運営を支援しため、主要なカトリック信仰の中心地であり続けた。

その後、財宝と聖職者を乗せたスペインのガレオン船が座礁する事件(サン=フェリペ号事件)が起こり、激怒した秀吉は、カトリック宣教師や信者を捕縛し、京都で引き回したのち厳冬の陸路を長崎まで1ヶ月かけて徒歩で行進させ、長崎で公開処刑した。秀吉の狙いは凄惨な罰を示すことでキリスト教の布教活動を麻痺させることにあった。    

Photo: 26 Martyrs started their journey to Nagasaki from here in Kyoto. Credit: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.

当時33歳の三木は、6人のフランシスコ会の外国人宣教師と修道士、17人の一般カトリック信者を共に番兵に引き立てられていった3人の日本人イエズス会カテキスタの一人であった。優れた説教者であった三木は、この苦難の道中、耳たぶを切断され、拷問され、飢えと野次に苛まれながらも、福音のメッセージを宣べ伝えた。

長崎に到着すると26本の十字架が用意され数千人の群衆が集まって刑場の丘に引き立てられた。十字架に鉄製の枷とロープで固定された殉教者たちは、刑吏の槍が両脇を貫き絶命するまで聖歌を歌い、祈り続けた。

三木の最後の言葉は、彼の聖なる精神を体現していた

Jesuit Father Renzo de Luca inside the museum. Credit:National Catholic Register.

十字架に架けられたパウロ三木は、「キリストの教えに倣って私は迫害者を赦します。彼らを憎みません。私はすべての人を憐れんでくださるよう神に願い、私の血が恵み豊かな雨のように人々に降り注ぐことを望みます。」と述べた。長崎の日本二十六聖人記念館の館長であるイエズス会のレンツォ・デ・ルカ神父は、「しかし、処刑では信仰を根絶することはできませんでした。人々は目の当たりにしたこの光景に心を動かされ、かえって信仰を深めたのです。」と説明した。

キリシタン信徒たちは血に染まった衣服など殉教者の遺物を収集し、今日日本二十六聖人記念館に展示されている。この記念館は、教皇ピウス9世が聖パウロ三木と25人の殉教者を列聖して100周年を記念して1962年に設立された。

隠れキリシタン

Photo: Efumi-e on display. Credit:National Catholic Register.

徳川幕府は大々的な処刑が信者に対して効果的でないことがわかると、とりわけキリスト教を全面的に禁止した1614年以降、個別的なアプローチを強めていった。キリシタンに関する情報には報奨金が提供され、宣教師にはより高い賞金がかけられた。(この様子は遠藤周作の小説を基にしたマーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙』で描かれている。)また檀家制が導入されすべての世帯の仏教寺院への登録が義務付けられた。

隠れキリシタンを見つけ出す手段として、誰もがイエスやマリアの肖像を踏むことが要求された。「踏み絵」はしばしば美しいブロンズ像で、多く踏まれたため表面が滑らかになっている。長崎では、踏み絵の儀式は1629年から1856年まで毎年行われていた。

展示された踏み絵

カトリック信者が摘発されると拷問は凄惨を極め、生きたまま温泉で茹でられたり、杭につながれたままゆっくりと溺れさせられたり、筵にくるまれたまま焼かれたり、排泄物の桶に逆さまに吊るされたりした。キリスト教を理由とする処刑は1805年にようやく廃止された。

弾圧は信仰を地下に追いやった。カトリックの聖像や聖具などは、壁の中などに隠されるか、目につくところに隠された: 小さな白い観音像は、マリア観音とし聖母マリアの代用品となり、密かに崇拝された。

隠れキリシタンは、司祭を置かずに世代から世代へと信仰を受け継いでいった。洗礼が唯一の正規の秘跡であった。

 殉教者記念館には年間約5万人が訪れ、韓国からの巡礼者も増えている。デ・ルカ神父によると、日韓両国の司教協議会は、このような訪問を奨励することで相互理解を深めることを約束したという。

Photo: Korean pilgrims at 26 Martyrs monument Credit: National Catholic Register

コルベ神父と無原罪の園

Photo: Maximilian Kolbe in 1936 Credit: Public Domain.

ポーランドのカトリック信者は、聖マキシミリアノ・コルベ神父ゆかりの場所を訪れるために長崎にやってくる。

驚くべきことに、1930年に来日してから1ヶ月以内に、コンベンツアル・フランシスコ会のコルベ神父は、日本初のカトリック雑誌である『無原罪の騎士』(現地訳では『マリア無原罪の騎士』)の日本語版をすでに印刷していた。

コルベ神父は、最初は1864年にフランスの宣教師たちによって設立された長崎の大浦天主堂の近くに滞在した。これは、日本が海外貿易に再び開かれる中で、外国商人が増加する共同体に奉仕するためであった。

大浦天主堂

Photo: Oura Cathedral in Nagasaki. Credit: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.

コルベ神父は大浦天主堂と隠れキリシタンとの特別なつながりに深い感銘を受けた。大浦天主堂の献堂後まもなく、浦上地区の信者の一団がベルナール・プティジャン神父を訪れた。彼らは250年以上も信仰を守ってきたカトリック信者の子孫だった。彼らは農民、漁師、職人、そして教会の十字架を認識した女性たちであり、同じ信仰を共有している証としてマリア像を見せて欲しいとプティジャン神父に要請した。

コルベ神父はコミュニティを築く人物として、長崎の郊外にある山間の無限罪の園にフランシスコ会の修道院を設立する決意をした。神父はこの僻地に新たな宣教の拠点を築いた1831年から36年の間に、宣教師の数は5人から20人に増えた。雑誌の発行部数は7万部に達し、出版活動は現在もポーランドと日本で続けられている。この間ずっと、コルベ神父は結核に苦しみ、しばしば病気に悩まされた。

コルベ神父が使っていた大きな木の机は修道院の小さな博物館の目玉であり、特にヨハネ・パウロ2世が修道院を訪問時にこの机に座ったことで注目されるようになった。

ジョージタウン大学の現代日本史の専門家であるケビン・ドーク教授は、聖人の日本での禁欲的な生活がアウシュビッツ強制収容所での殉教に備える助けとなったと指摘した。

Image: Urakami Cathedral by Shigeo Hayashi, courtesy of the Nagasaki Atomic Bomb Museum

原爆が長崎の軍事目標から何マイルも離れた場所で爆発したとき、それはアジア最大のカトリック大聖堂がある浦上地区の上空だった。その時、3人の司祭が告解を聞いていた。一方、コルベ神父の聖域は周囲の山々の地形により守られていたため、原爆の被害を免れた。

 グラウンド・ゼロに立つ聖人たち

Photo: Author at the ground zero in Nagasaki. Credit: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.

長崎の平和公園には、原爆の爆心地を記念する野外モニュメントがあり、浦上天主堂の一部であった聖人像が載った外柱の一部が立っている。この教会は、1895年から1917年の間に自由になった隠れキリシタンのコミュニティによって、一つ一つの煉瓦で建てられた。その存在は、この大惨事に対するカトリックの理解の中心性を象徴している。

爆発によって生じた火球、熱、放射線によって瞬時に消された市民のうち、8,500人はカトリック信者だった。17代目の隠れキリシタンの子孫である永井緑さんは、手にロザリオを持ちながら生きたまま焼かれた。緑さんの骨の一部だけが残され、溶けたビーズや、十字架、鎖と共に瓦礫から発見された。

1945年の終わりまでに、7万4千人が死亡し、7万5千人が負傷した。そのほとんどが民間人であり、戦略的価値が疑わしいこの核攻撃の直接的な結果だった。

長崎の悲劇を繰り返さないために

「長崎は最後の原爆被曝地でなければなりません。」と、1955年に設立された長崎原爆資料館の歩みについて説明してくれた野瀬弘志館長は語った。

この資料館を訪問したマザー・テレサは、「世界の指導者にこの資料館を見てもらいたい。なぜなら、核兵器の破壊的な規模とそれが人々の生活に及ぼす壊滅的な影響を効果的に伝えているからです。」と語った。

Photo: Mr. Hiroshi Nose, director of Nagasaki Atomic Bomb Museum explaining the impact of Atom Bomb to the author. Credit: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.
Photo: A world map showing countries which has rafitied TPNW at Soka Gakkai Nagasaki Peace Center. Photo: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.

私は仏教団体である創価学会の長崎平和会館を訪れた際、2017年に国連で採択された核兵器禁止条約(TPNW)の署名国数の進捗を示す展示を見た。この条約には現在、バチカン市国を含む70カ国が批准している。

核兵器禁止条約は1968年に署名解放された核拡散防止条約よりも強力だが、これまでのところ、日本も米国も支持していない。(一方、創価学会と神社本庁は、9月にイタリアに本部を置くカトリックの信徒団体「聖エジディオ共同体」が主催するパリ会議に参加する予定で会議では核兵器禁止条約が議題となる予定である。)

「国家間の緊張が高まっているときでも、市民外交は重要です。人々の間に信頼のネットワークを拡大するべきです。」と、地元の創価学会リーダーである三浦直隆氏は語った。私が彼の職業を尋ねると、彼は「平和活動家です。」と答えた。(原文へ

A group photo including Author and Mr Takako Kawasaki(extreme right) at Soka Gakkai Nagasaki Peace Center.

National Catholic Register/INPS Japan

Original Article: https://www.ncregister.com/news/nagasaki-martrydom-atomic-bomb-gaetan

Victor Gaetan
Victor Gaetan

ヴィクトル・ガエタンはナショナル・カトリック・レジスター紙のシニア国際特派員であり、アジア、欧州、ラテンアメリカ、中東で執筆しており、口が堅いことで有名なバチカン外交団との豊富な接触経験を持つ。一般には公開されていないバチカン秘密公文書館で貴重な見識を集めた。外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』誌やカトリック・ニュース・サービス等に寄稿。2024年4月、IPS Japanの浅霧理事長と共に長崎を取材訪問。INPS Japanではナショナル・カトリック・レジスター紙の許可を得て日本語版と韓国版の配信を担当した(With permission from the National Catholic Register)」。

*ナショナル・カトリック・レジスター紙は、米国で最も歴史があるカトリック系週刊誌(1927年創立)

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デジタル封建主義の時代には、批判的なジャーナリストの声が必要

【ウィーン INPS Japan=オーロラ・ワイス】

メディア・リテラシーとは、読書や数学のように習得できるスキルである。それは、今日の複雑で絶えず変化するメディア状況の中で情報を駆使して批判的な質問を投げかけ、操作されることを避け、安全かつ自信を持ってデジタル空間に参加できる能力を意味する。このトピックに関する教育イニシアチブが教育機関でも始まっている。

2024年5月末、「メディア・リテラシーと民主主義」をテーマに欧州安全保障協力機構(OSCE)人的次元の補完会議*が開催され、域内各地から200人以上が参加した。この会議は、マルタ(OSCE議長国)、同メディアの自由代表部(RFoM)、同民主制度人権事務所(ODIHR)が共催した。マルタのイアン・ボーシュ議長はこのテーマの重要性を強調し、「情報が迅速かつしばしばチェックされないまま垂れ流される時代において、メディア・リテラシーは単に有益なだけでなく、不可欠なものです。今年は重要な選挙が相次ぐため、メディア・リテラシーの重要性は特に高まっています。情報を批判的に評価する能力を持つ有権者こそが、民主主義の強靭性(レジリエンス)を高め、選挙プロセスへの信頼と信用を高めることができるからです」と語った。

Teresa Ribeiro (OSCE) Photo: portugal.gov.pt

技術の進歩は、さまざまな情報源や公共の言説を豊かにする洗練されたツールへのアクセスを一変させた。一方で、ソーシャルメディアと人工知能(AI)は膨大な機会を提供する一方で、民主的な公開討論を脅かし、民主的プロセスへの信頼を損なうリスクも孕んでいる。

「メディア・リテラシーとは、フェイクニュースを認識することだけではありません。市民が見識と批判的思考を持ってデジタル状況を把握し、情報に基づいて民主的に参画できるようになることです」と、OSCEのテレサ・リベイロ(メディアの自由代表)は語った。

民主的な選挙プロセスにおけるメディア・リテラシーの重要性は、今回の会議の焦点であった。選挙に特化してメディア・リテラシーを高める戦略は、民主的なガバナンスの基盤を強化し、市民が情報に基づいて投票行動を決断できるようにするのに役立つ。

「投票箱の前に立って一票を投じるときほど、あらゆる事実を知ることの重要さを実感する瞬間はありません」とODIHRのマッテオ・メカッチ事務局長は強調した。

メディアの独立性を守りたいなら、ジャーナリストに適切な権利を与えて自身を守れるようにしなければならない。

フェイクニュース、偽情報、プロパガンダが氾濫する中、世間は通常、中立的で客観的かつ批判的なジャーナリズムについて議論している。誰もが「赤裸々な真実」を見たいと思っている。しかし、それが何なのか、そしてジャーナリストが国民に本物のニュースを伝えることができる雰囲気や環境をどのように作ればいいのか、公共放送オーストリア放送協会(ORF)のクラウス・ウンターベルガー博士(公共価値部門ディレクター)が説明してくれた。公共価値コンピテンス・センターの任務は、質の高いメディア討論を積極的に推進し、ORFの公共サービスとしての使命を追及するとともに、メディア・リテラシーや社会・民主主義の発展に資するメディアの役割に貢献することである。

Dr. Klaus Unterberger Photo: ORF/archive

ウンターベルガー博士の最も重要な発言の一つは、「メディアの独立性を守りたいなら、ジャーナリストに適切な権利を与えて自身を守れるようにすることです。」というものであった。

博士によれば、メディア組織が中立かつ客観的なジャーナリズムを維持するにはいくつかの重要な柱があるという。第一に、外部からの運営の監督と情報公開、効果的な規制、義務的な品質保証を通じた検証可能性。第二に、政府や政党、そして何よりもオーナーの利益からの独立性を可能にする持続可能な資金調達。

「第三に、必要に応じて自らの上司からも独立性を守ることができるジャーナリストの権利と義務。最後に重要なのは、『中庭報道』や誤った均衡主義、キャリア主義を超えた批判的なジャーナリズムを追求する勇気、大胆さ、無条件の意志です。」とウンターベルガー博士は語った。

特に技術の進歩がメディア空間の信頼性について大きな問題を引き起こしている。ウンターベルガー博士は、「誤報やフェイクニュース、プロパガンダは、綿密な検証、ダブルチェック/トリプルチェック、ファクトチェック、そしておそらくは適切なAI技術を活用することで見分けることが可能ですが、その際、何よりも疑い、検証し、疑問を呈する批判的ジャーナリズムの原則を通じて行うべきです」と語った。

現在、言論の自由を政治的影響や民間・公共メディアへの干渉からどう守るかについて多くの議論がなされている。私たちはウンターベルガー博士に、「今日のジャーナリズムは、特に新技術の出現によって、過小評価され、低賃金であり、これが質の低下につながっている」という見方について、見解を尋ねた。

「その通りです。欧州全域で、右翼ナショナリストやポピュリストの政府や政党が、特に公共メディアの独立性を危険に晒しています。最新の例では、スロバキアで議会が公共放送局を解散しました。同時に、少数の企業が所有する世界的に有効な技術によって『デジタル封建主義』が出現しており、そのAIは公共の立場からはまったく検証できないものです。この2つの動きは、質の高いジャーナリズムだけでなく、民主主義社会の公共コミュニケーション空間も脅かしています。デジタル市場が少数の寡頭的企業によって支配されており、質の高いジャーナリズムのためのビジネスモデルがまだ存在しないため、その存続が危ぶまれています。また、公共部門で実施されたコスト削減プログラムも、ジャーナリズムの品質に対する重大な脅威をもたらしています」とウンターベルガー博士は指摘した。

女性ジャーナリストへの性別特有の攻撃は増加傾向にある

2023年11月から24年6月までの期間に関する報告の中で、リベイロ氏(メディアの自由代表)は、OSCEの参加国において、「安全保障」対「報道の自由」という誤った二分法が蔓延しつつあり、それに伴う諸問題(①独立したジャーナリズムに対する政治的敵意の急増、②ジャーナリストに対する暴力やオンライン攻撃の増加、③ジャーナリストの監視に利用される技術の利用がテクノロジーの利用が急速に増加している問題等)を取り上げた。

「メディアの持続可能性やジャーナリストに対するオンライン暴力といった懸念は、偽情報や技術の進歩、巨大IT企業による利益追求型ビジネスモデルによって悪化しています。今日の技術は前例のない形で権力を集中させており、ソーシャルメディアのような大規模な言語モデルは、民主的な自由と開放性を悪用するのを容易にしています」とリベイロ代表はデジタル情報環境の混乱を強調した。

パンデミックの最中、多くのジャーナリストが慎重に指示されたプロ・コロナ報道で上司からの圧力に苦しんだ後、現在では、ウクライナ戦争における資金の流れやマネーロンダリング、兵士の行動、武器の密売などを調査することに敢えて挑んだジャーナリストが一部解雇された。こうした欧州のジャーナリストの中には、職を失っただけでなく、国を追放された者もおり、このことは、あらゆるレベルで組織化され、周到に計画された攻撃を受けたことを示している。私たちは、欧州連合(EU)におけるメディアの自由と民主主義を検証するOSCEのサイドイベントで、彼らの衝撃的な体験を聞く機会を得た。他方、ロシアは孤立し、完全なメッセージ統制と偽情報体制を支配している。

特に懸念されるのは、女性ジャーナリストを標的としたオンライン暴力や偽情報の急増であり、これは多様性と民主主義に深刻な影響を及ぼしている。OSCEの調査によると、女性ジャーナリストの約3分の2が仕事中にオンラインで性別に基づく暴力を経験しており、オンラインとオフラインの両方で女性ジャーナリストの安全に対処するための協力が急務である。オンライン上の脅威と性別関連の偽情報が女性ジャーナリストに対するオフラインでの攻撃につながる明確な因果関係を示すOSCEの研究も出ている。

特異な現象として、第三者が攻撃を命じ、刑事訴追を含む免責特権を持つ大使館職員を通じて女性ジャーナリストを標的とする傾向がある。オーストリア外務省と内務省は、こうした自国内で活動する外国諜報員に最高位の外交特権を付与している個人を特別監督する必要がある。こうした外交官の活動は、憲法に違反するだけでなく、外交関係に関するウィーン条約にも違反している。

外的要因に加え、ジャーナリストはメディア内部においても、公共の利益になる情報を提供することとは全く異なる目的を持つ潜入者によって脅かされている。私自身、ボイス・オブ・アメリカ(VOA)のプロデューサーという立場を悪用し、ジャーナリストに偽情報を与えて信用を失墜させようとする人物に攻撃された経験がある。また、自らをバルカン地域のボスニア人政治専門家と称し、ソーシャルメディアを通じてジャーナリストの信用失墜を意図して妨害活動をしているジャミン・ムジャノヴィッチ氏による攻撃についても言及する価値がある。

オンラインおよびオフラインでの性別に基づく暴力や性別に関連する虚偽情報は、ジャーナリストの福祉と職務遂行能力を危険にさらす。これらの行為は、女性ジャーナリストを自己検閲に走らせたり、キャリアを断念させたりする原因となり、標的とされた人々だけでなく、メディアの自由と多様性全体にも悪影響を及ぼす。このことは、2023年12月に北マケドニアの首都スコピエで開催された第30回OSCE閣僚理事会で採択された「女性ジャーナリストの安全に関する共同声明」でも合意されている。

Representative image. Photo: Bill Kerr/Flickr, CC BY-SA 2.
Representative image. Photo: Bill Kerr/Flickr, CC BY-SA 2.

批判的な声を封殺する慣行は続いており、「好ましくない」とされ非合法化される報道機関が増え、「外国の諜報員」に指定されるジャーナリストが後を絶たない。独立したジャーナリストが単に仕事をしているだけで攻撃され、投獄され、国際情報源がブロックされ、亡命中のジャーナリストが嫌がらせを受けることは、独立したニュースと情報を配信する勇敢な試みに対する個人的なリスクが伴う情報環境の暗い現状を示している。

最近、メディア・リテラシーについて語られるようになったのは良いことだが、ジャーナリストの安全について語るのをやめてはならない。私たちは、職務遂行中に殺害されたメディア関係者の数が過去最多であることを明らかにしているのはそのためだ。

ジャーナリストの生命と自由に対する攻撃は2023年もほぼ記録的な水準で推移し、ジャーナリスト保護委員会(CPJ)は世界中で99人のジャーナリストの死亡を記録し、2015年以来の最高総数となった。CPJはまた、12月1日に発表した年次監獄センサスの中で、320人のジャーナリストが職務のために投獄されたことを記録しており、これは史上最も多かった昨年の360人に迫る勢いである。

イスラエル・ガザ戦争は、2023年10月7日のハマスによるイスラエル襲撃を受けてイスラエルがハマスに宣戦布告して以来、ガザのジャーナリストにかつてない犠牲者を出している。2024年7月1日現在、CPJの予備調査によると、戦争が始まって以来、38,000人以上の死者の中に少なくとも108人のジャーナリストとメディア関係者が含まれている。32人のジャーナリストが負傷、2人のジャーナリストが行方不明、51人が逮捕されたと報告されている。

ロシア・ウクライナ戦争では18人、2014~15年のドンバス戦争では7人、22年のロシアによるウクライナ全面侵攻では10人のジャーナリストやメディア関係者が殺害された。

リベイロ代表は2024年6月13日の報告書で、ギリシャのジャーナリスト、ジョルゴス・カライバズ氏、スロバキアのヤーン・クシアク氏、モンテネグロで20年前に殺害されたドゥシュコ・ヨバノビッチ氏の暗殺について、不処罰の悪循環を断ち切り、完全な説明責任を確保する努力を再開する必要性を強調した。

「セルビアでのジャーナリスト、スラフコ・クルヴィヤの殺害事件での不幸な無罪判決が引き起こした後退についても深く懸念しています。法治社会の真の試金石は、特に自由な報道の価値を守るために危険を冒す人々にどのように正義をもたらすかです。マルタでのジャーナリスト、ダフネ・カルアナ・ガリジア、オランダでのピーター・R・デ・フリースの暗殺事件の司法プロセスも注視し続けます。昨日、オランダの裁判所が調査報道記者デ・フリースの殺害について複数の容疑者を有罪としたことを聞いて安心しました」とリベイロ代表は、2024年6月の報告書で強調した。(原文へ

*OSCE(欧州安全保障協力機構)の人的次元の補完会議は、OSCEの枠組みの中で行われる重要な会議で、人権、民主主義、法の支配といった「人的次元」に関する問題を議論する場である。これらの会議は、OSCE参加国、OSCE機関、国際組織、市民社会、メディア、およびその他の関係者が一堂に会し、これらのテーマに関する進展や課題、政策の実施状況を検討し、改善のための具体的な行動を話し合うためのフォーラムを提供している。

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