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女性ボランティアがインドの水の未来を形作る

【ブバネーシュワルIPS=マニパドマ・ジェナ】

ブバネーシュワルのスラム街にある唯一の給水所では、数百世帯がこの非飲用水源に頼っていたため、毎日のように争いが絶えませんでした。しかし、それも今では過去のことです」と語るのは、インド東部のこの都市で、現在ではすべての家庭が24時間、飲用可能な水道水を自宅で利用できるようになったことに大きく貢献した水ボランティアの一員であるアパルナ・クンティアさんだ。

インド東部のオリッサ州の州都であるブバネーシュワル市が、農村から都市への移住者であふれていることを考えると、これは決して小さな偉業ではない。オリッサ州の886万戸の農村世帯のうち、3世帯に1世帯が農村から都市部へ移住しているという政府データがあります。 そのうち70%は州内での移住であり、その大半は急速に発展する州都に流れ込んでいる。

都市に新たに移住してきた人々は、捨てられたフラックスバナー(ビニール広告)と竹の棒を使ってシェルターを作ることができまるが、水へのアクセス、ましてや飲用可能な水へのアクセスは依然として大きな課題である。

「2019年の私たちの居住区のような政府公認のスラムでは、1日に2時間しか水が供給されませんでした。大きな家族は十分な水を蓄えることができず、非常に困難を抱えていました。多くの人が数日に一度、水タンク車にお金を払わなければなりませんでした。違法な水道接続も横行しており、政府にとって大きな収益損失を招いていました」と、336歳のクンティアさんはIPSの取材に対して語った。

2030年になっても、20億人が安全な飲料水なしで暮らすことになる

Map of India
Map of India

「2030年までの道のりの半ばが過ぎた。世界は持続可能な開発目標(SDG)の目標の17パーセントしか達成できていない。」と、最近公表された2024年国連SDG報告書は明らかにしている。

SDGの第6目標は、すべての人々の水と衛生設備の確保と持続可能な管理に焦点を当てており、2015年から22年の間に、安全な管理が行われている飲料水を利用している世界の人口の割合は、69%から73%に増加したと報告されている。安全な飲料水を利用できる人々は増えているものの、2022年には、依然として22億人がこの基本的人権を享受できていない。2030年までに普遍的な普及を達成するには、安全な飲料水の普及率を現在の6倍に引き上げる必要があると警告している。

国連によると、2022年には世界の人口のおよそ半分が、少なくとも1年のうちのある時期に深刻な水不足を経験した。4分の1は「極めて高い」水ストレスレベルに直面した。

このような状況は、2024年のインドの経済の中心地であるバンガロールとデリーで、この極端な夏に経験された。

気候変動はこうした問題をさらに悪化させている。格付け機関のムーディーズは6月、水不足がインドの今後の経済成長に打撃を与える可能性があると警告した。

それでも、報告書によると、インドの人口の93.3%は現在、国連が「中程度に改善している」と評価する最低限の飲料水サービスを利用しています。

女性水管理者の下では女性が最も恩恵を受ける

SDG-6のさらなる進展を目指し、2020年にオリッサ州が「水道水飲用ミッション」を開始し、各都市の家庭に設置された水道から24時間いつでも認定された品質の飲料水を提供することを目指しました。この取り組みでは、地元の自助グループ(SHG)から厳選された女性水ボランティアが活躍した。彼女たちは「ジャル・サティ」(水のパートナー)と呼ばれ、訓練を受け、変化をもたらす意欲にあふれていた。

そして、彼女たちは実際に変化をもたらした。「政府の住宅・都市開発部門が実施した調査によれば、水道料金の徴収率が約90%増加しました。都市の水管理におけるコミュニティパートナーシップを代表する彼女たちは、斬新な取り組みの重要な利害関係者なのです。」とクンティア氏は語った。

州政府の水供給ミッションを展開する州所有の非営利企業オリッサ州水道公社(WATCO)の元代表である政府高官のG・マティ・ヴァタナン氏は、女性ボランティアの活躍を讃える書籍を執筆し、この取り組みの成功の多くを彼女たちに帰している。

「水ボランティアの女性たちは、各家庭の玄関先に水を届けるという目標を現実のものとするために尽力しました。このミッションの成功は、彼女たちが人々の政府への信頼を築いたおかげです。」とヴァタナン氏は語った。

これらの女性ボランティアが各家庭に提供したサービスにより、貧困層、特に子供たちを苦しめていた下痢、黄疸、腸の不調の状況が好転した。

国連の2024年持続可能な開発報告書では、インドのSDG進捗状況は166カ国中109位と評価され、「中程度の改善が見られるが、目標達成には不十分」とされています。

インド連邦政府は、オリッサ州の「ピュアウォーター・スキーム」の成功を他の州でも再現することを検討している。

これらの女性マネージャーは、飲料水や調理用の水を各家庭の玄関先まで届けることで、他の家庭の女性たちを助け、インドにおける女性への不均衡な水の負担を解消した。

変革者たちの貢献:水パートナーの一日の仕事

女性ボランティア達は、1,200世帯の指定世帯を担当し、自身の住居と高級住宅の両方を担当している。彼女たちの顧客との親しみやすさは、政府職員には難しい信頼とオープンな対話を可能にし、彼女たちが成功を収める一因となっている。

毎月、彼女は各家庭を訪問し、設置された水道メーターを検針し、請求書を作成する。しかし、支払うことができない人々に対しては、ウォーター・パートナーは何度も何度も訪問し、支払いを促し、説得する。

「私たちは、水のような貴重なものを無駄にしないよう強く求め、新規接続が遅れた人には、そうするよう説得しました。」また、「水道メーターが設置され、支払いが義務化されたことで、各家庭は水を無駄にしない傾向にあります。スラム街では、水道料金は50~65ルピー(1ドル以下)であることが多く、最貧困層でも払える金額です。」と、クンティア氏は語った。

「この水道飲料水ミッションは、政府にとっても消費者にとってもメリットがありました。」と、2児の母であるクンティア氏はIPSの取材に対して語った。また、これはSDG-11における持続可能な都市とコミュニティの実現にも貢献している。政府に収益が生じることで、水インフラの維持が確保されるからだ。

クンティア氏は、「水ボランティアたちは水利用者の要望に応じて、携帯しているキットで水道水を検査しています。また、水に関する問題や、水の純度を低下させるパイプの漏れの情報を、政府のメンテナンススタッフに報告し、すぐに対応してもらっています。」と語った。

「以前は、水道パイプの損傷に気づいてもスタッフに連絡することはほとんどありませんでした。時には、水の盗難を目的に故意に損傷させることもありました。しかし、私たちは頻繁に家庭を訪問し、住民と親しい関係を築いているため、こうした情報を非常に迅速に入手できます。」とクンティア氏は付け加えた。

2030年持続可能な開発目標(SDG)の6-1目標は、すべての人が安全で安価な飲料水を普遍的かつ公平に利用できるようにすることを求めている。この水道水飲用ミッションは、この目標を達成するための動きである。

WATCOによると、2023年3月までに、オディシャ州の115の都市地方自治体(ULB)のうち29のULBに住む450万人の都市住民が、水道水利用を開始または利用の準備が整っている。

SDGs Goal No. 6
SDGs Goal No. 6

この計画では、水の公平性が確保されるだけでなく、各家庭の水道管に水道メーターを取り付けることで、持続可能性も確保されている。各家庭は水道料金を支払っているため、無駄遣いをしない傾向にある。

しかし、4年間奉仕活動を続けてきた女性ボランティアたちは、その奉仕活動に対する金銭的な評価を改善するよう要求している。現在、彼女たちが得ているのは、インセンティブとして請求書回収額の5%、新規顧客を水道接続に登録させた場合の100ルピー、そして自転車である。アパルナ・クンティア氏はIPSの取材に対し、1日4時間をこの仕事に費やし、月収はおよそ5000~7000ルピー(60~84米ドル)だと語った。その多くは、3輪オートリキシャを運転する夫の収入15000ルピー(180米ドル)を補い、ワンルームの家賃を含む家計に充てている。余ったお金は、お祭りのときや村の親戚を訪ねたときに使っている。

「今年6月の選挙で政権が交代し、オリッサ州の新政府は女性の自助グループ全体を再編成しようとしています。ジャル・サティは新しい名称を得る可能性がありますが、非常に成功したこのプログラムは継続されるでしょう。」と、WATCOの最高執行責任者であるサラト・チャンドラ・ミシュラ氏はIPSの取材に対して語った。(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau

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ドキュメンタリー映画『私は生きぬく(I Want to Live On)』がセミパラチンスク核実験の生存者の声を届ける

【アスタナINPS Japan/Atana Times=アイバルシン・アフメトカリ】

セミパラチンスク核実験場の生存者たちは8月28日にアスタナで行われたドキュメンタリー「私は生きぬく:語られざるセミパラチンスク」(創価学会インタナショナル(SGI)の支援を得てカザフを拠点とするNGO国際安全保障政策センター(CISP)によって制作された)の上映会で、ソ連による核実験がもたらした恐ろしい人的被害について証言した。

Semipalatinsk former nuclear weapon test site/ photo by Katsuhiro Asagiri
Semipalatinsk former nuclear weapon test site/ photo by Katsuhiro Asagiri

このドキュメンタリーはアリムジャン・アクメートフ氏とアッセル・アフメトワ氏の共同監督作品であり、ソ連邦時代の1949年から89年にかけてセミパラチンスク核実験場(面積は約1万8000平方キロメートルで日本の四国の大きさに相当:INPSJ)で行われた450回以上の核実験が及ぼした影響について、当時実験場の周辺で暮らしていた人々の証言に基づいて制作したものだ。取材に応じた人々の多くは様々な遺伝性疾患に今も苦しんでいる。

このドキュメンタリー作品は、自殺者の多さ、今も家畜が育てられている汚染された土地や湖、不十分な政府支援、遺伝性疾患を子孫に遺さないため子供を持たない決断を強いられた個人の苦悩等、核実験にまつわるあまり知られていない影響についても光を当てている。

アクメートフ監督は、核実験の被害者(ヒバクシャ)個々人の経験を収録することは、セミパラチンスクにおける核実験がもたらした悲劇が世代を超えて続いているという悲惨な実相を伝える上で、より説得力があります。」と語った。

Filmed and edited by Katsuhiro Asagiri, Presidetn of INPS Japan.

「このドキュメンタリー作品を制作するインスピレーションは日本の経験から得ました。2019年にニューヨークを訪れ、国連総会第一委員会に出席していたとき、市民社会フォーラムが開催されていました。彼らは国連の場や主要なアメリカの大学で講演を行ってきました。日本のNGOの1つが、過去10年間に1000人の被爆者(ヒロシマ・ナガサキへの原爆投下の生存者)を国連に連れてきたというプレゼンテーションを行っていました。 その時、私はこれが実に力強い情報発信の手段だと気付きました。 多くの場合、人々が文書や数字を扱う際には、その背後に生身の人間・個人が存在することを忘れてしまいがちです。」と、アクメートフ監督は語った。

「このドキュメンタリーの目的は、観客が作品に登場する核実験被害者の方々の目を真剣に見つめてもらうことで、この問題の本質を、抽象的なものではなく、個人的なレベルで現実の問題として感じてもらうことです。私たちは、カザフ人だけでなく世界中の人々がこの作品に共感できるように、字幕を作成しました。」とアクメートフ監督は付け加えた。

Dmitriy Vesselov Photo: Katsuhiro Asagiri of INPS Japan.
Dmitriy Vesselov Photo: Katsuhiro Asagiri of INPS Japan.

アクメートフ監督は、この映画が人々の生活に小さいながらも具体的に意味ある影響を与えたことを誇りに思っていると語った。作品の中でインタビューを受けた一人、ディミトリー・ヴェセロフ氏は、鎖骨が完全に欠如するマリー・サントン症候群という遺伝性疾患を抱えているが、障害者として認定されていなかった。しかしこのドキュメンタリー作品が公開され、関係省庁の注目を集めた結果、彼の症状は正式に認定された。

「8年間の苦闘の末、ヴェセロフ氏はようやく障害者として認定されました。ですから、私たちは啓発活動を継続すべきだと思います。カザフスタンの若者たちでさえ、多くの人々が、もう何年も前のことだと考え、今では何の影響もないと思っていることを知り、私はとても驚き、ショックを受けました。」とアクメートフ監督は語った。

アクメートフ監督はまた、このドキュメンタリー作品を40分に拡張する計画があることを明らかにした。

「全体的な考えとしては、これらの物語と(作品で勇気をもって証言に応じた)ヒーローたちをさらに深く掘り下げていくことです。すでに多くの素材を撮影済みなので、新たなヒーローを紹介するつもりはありません。これはどちらかというとアマチュア作品です。しかし、登場するヒーローたちのストーリーには、さらに掘り下げるべき内容があります。20分版をご覧になった視聴者の方々にも、40分版をご覧いただき、彼らのストーリーをより深く理解していただけるでしょう。」とアクメートフ監督は語った。(原文へ

INPS Japan/The Astana Times

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アクタウ、2025年にテュルク世界の文化首都に

【アスタナINPS Japan/アスタナタイムズ=ナミマ・アブオヴァ】

カザフスタン西部のアクタウは2025年にテュルク世界の文化首都に指定され、都市とその住民にとって重要なマイルストーンとなる。この新たな地位は、多くの文化的および発展的機会をもたらすと期待されている。どのようなイベントが開催され、この都市の成長にどのような影響を与えるのだろうか。テングリニュースがアクタウ市当局に問い合わせたところ、さまざまな文化やスポーツイベントの準備がすでに進められているとのことだ。

予定されているイベントには、クラシック音楽や民族音楽のコンサート、写真展や絵画展、劇団のフェスティバル、音楽や舞踊団による講演、さらにテュルク世界各地のアーティストによる出演などがある。

また、テュルク語圏諸国の文化大臣常設理事会、フォークロア・フェスティバル、コンテスト、アイティス(全国作曲コンクール)、国際フォーラム、芸術家や彫刻家のためのシンポジウム、科学的および実用的な会議、歴史や観光名所のガイドツアーも開催される予定だ。

イベントのスケジュールはまだ最終決定されておらず、フェスティバルにかかる費用も未定である。

「多くのイベントがカザフの文化を紹介し、ゲストや参加者が私たちの習慣や伝統を体験できるようにします。「アクタウは地理的に恵まれているため、カザフスタンの観光成長、特に海洋観光とビーチ観光の重要な原動力となっています。この地域の観光ポテンシャルはカスピ海に支えられており、海辺のシーズンは3ヶ月から6ヶ月続きます。」とアクタウ市からのメッセージが伝えている
Photo credit: Advantour

マンギスタウ地方は、南北および東西を結ぶ国際輸送回廊が交差する戦略的な場所に位置している。地域の中心であるアクタウは、カザフスタン唯一の海港であり、欧州・コーカサス・アジア輸送回廊(TRACECA)と北南輸送回廊(ロシア、イラン、インドなどを結ぶ国際輸送回廊)という2つの主要な国際輸送回廊がマンギスタウ地方を通過している。

TOP10 – Mangystau/ Meet Me In QAZAQStan

2023年、この地域には39万人の観光客が訪れ、そのうち34万6,000人がアクタウを訪れた。そのうち30万6,000人がカザフ国民で、8万4,000人が外国人であった。これは2022年と比較して25%の増加である。アクタウ市当局は、リゾート地とサービスの拡大により、観光客数は2.5倍になると予測している。

アクタウ出身のブロガー、アザマット・サルセンバエフ氏は、複雑な心境であると語った。「一方では、テュルク世界の首都に選ばれたことは刺激的であり、励みになります。マンギスタウの自然の美しさや街のインフラを高く評価する観光客が集まることを期待しています。しかし、これをアスタナで開催された2017年万国博覧会と比較すると、公園やアトラクション、インパクトのあるアートインスタレーションなど、インフラに大きな変化がなければ、コンサートやイベントにお金をかけるだけでは無意味なのではないかと心配しています。」とサルセンバエフ氏は語った。

「このイベントのために、1年以内にアクタウに何か意味のあるものが建設されることを望んでいます。これらの建造物は、このイベントを記念するだけでなく、イベントが終わった後も市民が楽しみ、交流できるような永続的な特徴として残るべきです。」と付け加えた。

アクタウを2025年のテュルク世界の文化首都とする決定は、昨年10月13〜14日にアゼルバイジャンのシュシャで開催されたテュルク文化発展国際機構(TURKSOY)の第40回加盟国会議でなされた。

会議の後、TURKSOYのスルタン・ラエフ事務局長は、アクタウが選ばれた理由として、その豊かな歴史的遺産と、テュルク世界全体の共有文化遺産を象徴する数多くのモニュメントを挙げた。

Map of the distribution of Turkic languages across Eurasia. By GalaxMaps - This PNG graphic was created with Medibang., CC BY-SA 4.0
Map of the distribution of Turkic languages across Eurasia. By GalaxMaps – This PNG graphic was created with Medibang., CC BY-SA 4.0
「以前は、アスタナとトルキスタンがカザフスタンのテュルク世界の首都として機能していました。アクタウがその名誉を守ることに疑いはありません。国際社会は、テュルクの伝統と兄弟愛に満ちたテュルク民族を結びつける絆を目にし、学ぶことでしょう。TURKSOYの使命は、共通のテュルク文化を世界中に広めることであり、私たちはこの使命に全力を尽くしています。」とラエフ事務局長は語った。(原文へ

INPS Japan

Original article: https://astanatimes.com/2024/08/aktau-prepares-to-become-cultural-capital-of-turkic-world-in-2025/

*チュルク系民族の人口を持つ国々は国際文化組織を通じて毎年、「テュルク世界の文化的首都」を定め、都市を選んでいる。選ばれた都市は、テュルク文化を祝うために多くのイベントを主催している。今年の文化首都はアゼルバイジャンの古都シュシャ。来年はカザフスタン西部のアクタウが文化首都を引き継ぐことになる。(INPS Japan)

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国連の中満泉氏、核軍縮におけるカザフスタンの道徳的リーダーシップを強調

【アスタナINPS Japan/Atana Timesアセル・サトゥバルディナ

核拡散のリスクが高まり緊張が深まる中、国際連合(UN)は引き続き核軍縮を推進している。この分野で比類なき道徳的権威を持つカザフスタンは、この取り組みの重要な支援国であると、国連事務次長兼軍縮担当上級代表の中満泉氏は、アスタナタイムズの取材に対して語った。

「カザフスタンは、これらの問題においてすでに非常に強力なリーダーシップを発揮しています。カザフスタンが提案した『核実験に反対する国際デー』は、国際社会に大きな勢いをもたらしました。NPT(核不拡散条約)やTPNW(核兵器禁止条約)など、多くの条約メカニズムにおいて、カザフスタンは多国間協議や交渉を主導しています。」と中満氏は語った。

中満氏は、8月27日から28日にかけてカザフスタンの首都アスタナで開催される非核兵器地帯に関するワークショップに出席するため、同地を訪問している。このワークショップは、カザフスタンと国連軍縮部(UNODA)との協力により開催されている。

The workshop on nuclear-weapon-free zones is being held at MFA of Kazakhstan on Aug. 27-28. Photo: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.
The workshop on nuclear-weapon-free zones is being held at MFA of Kazakhstan on Aug. 27-28. Photo: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.
「これはカザフスタンの道徳的権威と非常にユニークな経験によって支えられていると思います。そして、カザフスタンが核軍縮の強力なリーダーの一つとして台頭したことは、国連やニューヨークでの文脈において非常に役立っています。」と中満氏は語った。

1991年にソ連の崩壊に伴い独立を果たしたカザフスタンは、当時世界第4位の核兵器を自発的に放棄した。その数ヶ月前の1991年8月29日、カザフスタンは40年間にわたりソビエト連邦が450回以上の核実験を行ったセミパラチンスク核実験場を閉鎖した。この大胆な決断が、核兵器のない世界を提唱するカザフスタンのその後数十年にわたる道のりの礎となった。

Semipalatinsk former nuclear weapon test site/ photo by Katsuhiro Asagiri
Semipalatinsk former nuclear weapon test site/ photo by Katsuhiro Asagiri

カザフスタンの継続的な活動には、中央アジア非核兵器地帯の設立や、2009年8月29日を「核実験に反対する国際デー」と定めることなどが含まれ、同国の立場を確固たるものにしている。

中満氏は、「国連の軍縮アジェンダは、核兵器の廃絶こそが世界的な安全保障にとって不可欠であるという信念に根ざしています。」と強調した。

「核兵器廃絶への道筋を取り戻すことは、世界の平和と安全保障のために最も重要な課題の一つです。核兵器のない世界という共通の目標は依然として保持されていますが、最近の情勢を見ると、多くのリスクが増大していることが分かります。これは国連にとって非常に憂慮すべきことです。」と中満氏は語った。
Izumi Nakamitsu, UN Under-Secretary-General and High Representative for Disarmament Affairs. Photo: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.
Izumi Nakamitsu, UN Under-Secretary-General and High Representative for Disarmament Affairs. Photo: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.

軍縮努力における最も差し迫った課題の一つは、核保有国を交渉の場に引き出すことです。

「私たちはさまざまな方法、さまざまな場所で核兵器国を実際に集めています。もちろん、これらの国々には枠組みがあります。それはNPTの枠組みにおけるN5協議プロセスと呼ばれるものです。私たちは、核兵器のリスクや核保有国が負う核軍縮の義務と責任に関する問題について、各国が直接話し合うことを奨励しています。」と中満氏は説明した。

国連が軍縮アジェンダを促進する方法について、中満氏はNPTとTPNWの既存のプロセスに言及した。両者は核兵器に対処することを目的とした国際条約であるが、その範囲と法的枠組みは異なる。

NPTは1970年に発効した条約で、核兵器の拡散防止、核軍縮の奨励、原子力の平和利用の促進に焦点を当てた国際協定の礎となるものである。

「ところで、今年7月にジュネーブで開催された2026年NPT運用検討会議第2回準備委員会の議長はカザフスタンが務めました。」と中満氏は付け加えた。

カザフスタンは1994年以来、非核兵器国としてNPTに加盟している。

The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras
The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras

2024年、カザフスタンはNPT再検討サイクルにおける主要イベントの議長国を初めて務めることとなった。NPT再検討会議は5年ごとに開催され、条約の履行状況を評価し、その目的を達成するための今後のステップの概要を策定する。第11回NPT再検討会議は2026年にニューヨークで開催される予定である。

TPNWは2017年6月に採択され、21年1月に発効した。この条約は画期的なもので、それまで違法とされてこなかった最後の大量破壊兵器である核兵器の保有を初めて国際法で禁止したものである。

カザフスタンは2018年3月2日にTPNWに署名し19年8月29日に批准した。現在、93の署名国と70の締約国がある。

カザフスタンは2025年3月にニューヨークで開催される第3回TPNW締約国会議の議長国を務める予定である。

UN Summit of the Future
UN Summit of the Future

「さらに、非常に重要な準備も進められています。それは「国連の未来サミット」と呼ばれるもので、国連総会のハイレベル週間にニューヨークで開催される予定です。国連加盟国によって、未来のための協定が交渉されています。交渉は現在も進行中ですので、最終的にどのような結果になるのかはまだわかりません。しかし、その文書では、核兵器問題と、廃絶目標を達成する方法に重点が置かれています。」と中満氏は語った。(原文へ

INPS Japan/Astana Times

この記事は、The Astana Timesに初出掲載されたものです。

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|視点|日本とバチカン: 宣教師から巧みな外交へ(ヴィクトル・ガエタン ナショナル・カトリック・レジスター紙シニア国際特派員)

バチカンと日本の関係を定義する要素は「敬意」

【National Catholic Register/INPS Japanバチカンシティ=ヴィクトル・ガエタン】

日本とバチカンの特別な関係は、優雅で格別な瞬間に見出すことができる。バチカンと日本政府の関係には常に敬意が込められており、それは第二次世界大戦の最中でさえも顕著だった。

バチカンが所有するバロック時代の巨匠カラヴァッジョによる唯一の絵画は、描かれたのがまるで昨年かのように鮮やかで、緊張感に満ちた光と影の技法が特徴だ。この傑作「キリストの埋葬」(1600-04年)が、2025年に大阪で開催される国際博覧会のバチカンパビリオン(テーマは「美は希望をもたらす」)で展示される予定だ。同時期にはバチカンに数百万人の2025年の大聖年の巡礼者が訪れるため、通常はバチカン美術館に展示されているこの傑作を探すことになるだろう。

The Entombment of Christ(Photo: Caravaggio )
The Entombment of Christ(Photo: Caravaggio )

千葉明駐バチカン日本大使は、「この決定は教皇ご自身が非常に日本に対して愛着を持っておられるため、非常に重要なご決断でした。私たち全員がとても喜んでいます。」と語った。千葉大使自身もカラヴァッジョの大ファンで、「私はイタリア中を旅行してカラヴァッジョの作品を観に行きます!」と付け加えた。

資料:バチカンと日本 100年プロジェクト

日本の主要なマルチメディアおよび出版会社である角川グループホールディングスは、その文化振興財団を通じて「バチカンと日本:100年プロジェクト」を支援し、カラヴァッジョの作品が大阪博覧会で展示されるよう尽力した。財団の創設者である角川歴彦氏は、日本とバチカンの関係はかけがえのないものだと考えている。

最近では、ジャン=クロード・オロリッシュ枢機卿が、カラヴァッジョの展示を含む「100年プロジェクト」に賛同し、「歴史と現在の時代を深く考察し、文化交流を促進することで、真のグローバリゼーションの基礎を築く。 」と流暢な日本語で説明している。

長い歴史

千葉大使は、日本がバチカンに派遣する優秀な人材の一人である。彼は外交官だった父親のもとテヘランで生まれ、米国で学び、ワシントンD.C.や北京でも重要な任務を果たしてきた。

私たちがZoomを通じて話している間、千葉大使は16世紀半ばにポルトガル船で島国日本に到着したカトリック宣教師を描いた印象的な黄色と黒の屏風の前に座っていた。

Screen reproduced from a seventeenth original in the Kobe Municipal Museum depicting the arrival of missionaries on a Portuguese ship.(Photo: Courtesy photo)
Screen reproduced from a seventeenth original in the Kobe Municipal Museum depicting the arrival of missionaries on a Portuguese ship.(Photo: Courtesy photo)

千葉大使は、「日本では、公式に外交関係が始まった1942年の話だけでなく、聖フランシスコ・ザビエルが来日し、カトリックが急速に広まった1549年にさかのぼって、日本とカトリックの関係について話します。教皇フランシスコは、このような歴史に基づき、かつて日本への宣教師となることを望んだのです。」と語った。

この長い歴史的な関係と、日本のエリートを教育したカトリック宣教師たちは、1921年7月に皇太子裕仁親王が教皇ベネディクト15世と会見したような興味深い瞬間を説明する助けとなっている。

裕仁親王は、いくつかの帝国が崩壊しつつある新しい時代を迎える中で成人しようとしていた。日本の皇室は、皇太子がそれまで海外渡航したことがなく、父親の大正天皇が病弱だったため、第一次世界大戦時の同盟国である英国やフランスを含むいくつかの国を訪問するべきだと決定した。

裕仁親王の顧問の一人に、敬虔なカトリック信者であり、第一次世界大戦中はイタリアの海軍武官を務めた山本信次郎(1877-1942)海軍少将がいた。フランス人宣教師に教育を受け、16歳で洗礼を受けた山本は、司祭のアドバイザーから軍人になることを勧められるまで、天職と海軍のどちらにするか決めかねていた。山本(第二次世界大戦中に日本艦隊を指揮した山本五十六元帥と混同しないよう)は、ローマ教皇庁と生涯にわたって交流を続け、レオ13世、ピウス10世、ベネディクト15世、ピウス11世の4人の教皇と会見した。

裕仁親王が教皇ベネディクト15世と会見した後、政府はバチカンに外交使節を送るための資金を割り当てたが、神道と仏教の団体の精力的な抗議によって、この計画は失敗に終わった。しかし今日、創価学会などの仏教団体や神社本庁は、核軍縮に関してバチカンと提携している。

Centro Televisivo Vaticano
Centro Televisivo Vaticano

バチカンは皇太子裕仁親王のヨーロッパ歴訪の最後の訪問地だった。ニューヨーク・タイムズ紙によると、裕仁親王はサン・ピエトロ大聖堂を訪れ、大正天皇から教皇ベネディクト15世に宛てた長寿を祈るメッセージを伝えた。大正天皇は、1919年に使徒代表が東京に駐在することを仏教と神道の指導者たちの反対にもかかわらず承認していた(バチカンは1885年と1905年に特使を天皇に派遣していた)。

共有する価値観

Portrait of Hara Takashi Public Domain

中村芳夫大使は、日本で最も長く首相を務めた安倍晋三政権時代にバチカンに赴任した。(日本には歴代3人のカトリック信徒の首相がいる: 原敬(1918-21年)、吉田茂(1946-47年、1948-54年)、麻生太郎(2008-09年)である。

中村大使は、本誌の電子メールによる取材に対して、「カトリック教徒の数は少ないものの、カトリックの思想が日本にかなり浸透していると思います。日本とバチカンは価値観を共有しているのです。」と語った。

中村大使は続けて、「故安倍首相が私を任命した際、彼はバチカンの情報力の強さを強調しました。実際、私の任期中、私はその驚異的な力に驚かされました。」と語った。

正式な外交関係

1942年に日本とバチカンが完全な国交を結ぶことに合意した際、昭和天皇はこのネットワークを活用しようと躍起になった。日本はアジアで最初にバチカンと国交を樹立した国であり、このニュースは(日本と交戦中の)連合国を驚かせた。

この知らせに米英両国の当局者は激怒した。この協定は、日本による真珠湾攻撃のわずか2か月後に結ばれたもので、連合国側はバチカンの決定を日本の勝利と国民が見るだろうと考えていた。しかし、彼らの反応は教会の外交ミッションを理解していなかったことを証明した。教皇ピウス11世が1929年に述べたように、「魂を救済、或いは魂へのより大きな害を防ぐことが問題になるとき、私たちは悪魔ともでも直接対話する勇気を感じる。」というのがバチカンの外交ミッションである。

Portrait of St. Francis Xavier Credit: Public Domain.
Portrait of St. Francis Xavier Credit: Public Domain.

この時期に関する優れた分析は、ジョージタウン大学のケビン・ドーク教授が編集した『ザビエルの遺産:近代日本文化におけるカトリシズム』に収録されている池原万里子著『金山政英:カトリックと20世紀中期の日本外交』である。

このエッセイは、1942年から45年までバチカンで日本大使館の参事官を務め、(原田健公使離任後は)45年から52年まで大使館を率いたカトリック外交官、アウグスティン金山正秀の姿を通して、日本人の視点からバチカンと日本の関係を考察している。東京で法律を学んでいた21歳のとき、金山はハンセン病病院の礼拝堂で洗礼を受けた。入信の動機は患者たちの信仰と、何年も既知であったカトリック司祭である病院長に感銘を受けたからだった。

池原氏は、昭和天皇が1942年にバチカンとの外交関係を開始した理由について、「第一に、天皇は米国のフランクリン・ルーズベルト大統領がバチカンと関係を築こうとしていたことに影響を受けていた。」と説明した。

第二に、真珠湾攻撃以前から、昭和天皇はバチカンが自国の連合国との和平交渉に役立つ可能性を見出していた。1941年10月13日、昭和天皇は次のように記している。「この戦争を避けることはできそうにないが、いったん戦争に突入したら、和平交渉にどのように関与するか今から考えておく必要がある。そのためには、バチカンと外交関係を樹立することが必要である。」

Peace Without Hiroshima: Secret Action at the Vatican in the Spring of 1945. Credit: Aamazon.com
Peace Without Hiroshima: Secret Action at the Vatican in the Spring of 1945. Credit: Aamazon.com

池原氏は、本誌の電話取材に対して、この章は、日本のテレビ番組のために行ったマーティン・クイグリー氏に関する研究が始まりであったと語った。クイグリー氏は『広島なき平和:1945年春のバチカンにおける秘密工作』の著者であり、中央情報局(CIA)の前身である戦略事務局(OSS)に所属していた米国の情報機関員。彼は、米国政府を代表して和平交渉を開始するために、バチカンで日本の外交官に接触したと主張している。」

「上司に承認されていたかどうかはわかりません。」と著者は回想している。最終的に、このイニシアチブは実現しなかった。

「当時日本政府は、(中立条約を結んでいた)ソ連とスウェーデン経由で和平交渉の可能性を探っていたのですが、それはかなり間違っていました」と池原は説明する。

相互尊重

ピーター・タークソン枢機卿は、東京で開催された相互承認70周年記念シンポジウムで、日本とバチカンが共有してきた価値観について振り返り、「これらの数十年間、バチカンと日本の外交関係は相互尊重と、国際問題における平和と和解を促進する共通の願望によって特徴づけられてきました。日本は、自国の苦しみの経験と、社会的調和に対する文化的強調に基づいて、多国間主義と国家間の平和的協力を推進してきました。このコミットメントは、世界平和のために長年献身してきたバチカンの姿勢を反映しています。」と、語った。(原文へ

INPS Japan

Victor Gaetan
Victor Gaetan

ビクトル・ガエタンは、国際問題を専門とするナショナル・カトリック・レジスターの上級特派員であり、バチカン通信、フォーリン・アフェアーズ誌、アメリカン・スペクテーター誌、ワシントン・エグザミナー誌にも執筆している。北米カトリック・プレス協会は、過去5年間で彼の記事に個人優秀賞を含む4つの最優秀賞を授与している。ガエタン氏はパリのソルボンヌ大学でオスマントルコ帝国とビザンチン帝国研究の学士号を取得し、フレッチャー・スクール・オブ・ロー・アンド・ディプロマシーで修士号を取得、タフツ大学で文学におけるイデオロギーの博士号を取得している。彼の著書『神の外交官:教皇フランシスコ、バチカン外交、そしてアメリカのハルマゲドン』は2021年7月にロウマン&リトルフィールド社から出版された。2024年4月、本記事の研究のためガエタン氏が初来日した際にINPS Japanの浅霧理事長が東京、長崎、京都に同行。INPS Japanではナショナル・カトリック・レジスター紙の許可を得て日本語版の配信を担当した(With permission from the National Catholic Register)」。

*ナショナル・カトリック・レジスター紙は、米国で最も歴史があるカトリック系週刊誌(1927年創立)

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緊張が高まる中、カザフスタンが核軍縮の世界的推進に主導的な役割を果たす

【東京/アスタナINPS Japan=浅霧勝浩】

核紛争の脅威がますます影を落とす中、カザフスタンは世界的な軍縮運動への取り組みを強化している。2024年8月27-28日、国連軍縮局(UNODA)と共同で、カザフスタンはアスタナで重要なワークショップを開催する。5年ぶりの開催となるこの会合は、既存の5つの非核兵器地帯(NWFZ)を活性化し、非核兵器地帯間の協力と協議を強化することを目的としている。

このイニシアチブは、アントニオ・グテーレス国連事務総長の「軍縮のためのアジェンダ」、特にアクション5に沿ったもので、各非核兵器地帯間の協力強化を通じて非核兵器地帯全体を強化し、核保有国に対して関連条約の尊重を促し、中東などでの新たな非核兵器地帯の設立を支援することを強調している。この取り組みは、核の脅威を削減し、地域と世界の平和を促進するという国際社会の継続的な取り組みを反映したものである。

10-Minute Documentary on Nuclear Testing in Kazakhstan. Credit: The ATOM Project.

カザフスタンの軍縮への歴史的コミットメント

核兵器のない世界に向けたカザフスタンのビジョンは、世界的な軍縮努力における同国のリーダーシップに深く根ざしている。このビジョンは単なる願望ではなく、核兵器がもたらす壊滅的な影響に関する同国の実体験に基づくものである。カザフスタン北東部にあるセミパラチンスク核実験場は、しばしば「ポリゴン」と呼ばれ、1949年から89年にかけてソ連が456回の核実験を行った場所である。これらの核実験によって150万人以上が被曝し、ガンや先天性異常などの深刻な健康被害や環境悪化がもたらされた。

被害の全容が明らかになったのは、ソ連崩壊後にカザフスタンが独立してからである。1991年、カザフスタンは当時世界第4位だった核兵器を放棄し、セミパラチンスク核施設を閉鎖するという歴史的な決定を下した。この行動により、カザフスタンは世界的な軍縮・不拡散の強力な擁護者となり、その辛い歴史を核兵器のない世界へのコミットメントへと変えた。

カザフスタンの軍縮への献身は、8月29日を国連が認定する「核実験に反対する国際デー」とするイニシアチブをとったことでさらに強調されている。この日は、1949年にセミパラチンスクで行われたソ連初の核実験と、91年の核実験場閉鎖を記念するもので、核実験の恐ろしさを想起させるとともに、国際社会に行動を呼びかける日となっている。

世界の安全保障における非核兵器地帯の役割

非核兵器地帯(NWFZ)は、世界の核不拡散・核軍縮体制の重要な構成要素である。条約によって設立されたNWFZは5つある:トラテロルコ条約(ラテンアメリカ・カリブ海地域)、ラロトンガ条約(南太平洋地域)、バンコク条約(東南アジア地域)、ペリンダバ条約(アフリカ地域)、セメイ条約(中央アジア地域)。さらに、自国の宣言に基づいて国連総会決議で承認された一国非核兵器地帯というモンゴルのユニークな地位は、核不拡散に対する国家のコミットメントを例証している。

非核兵器地帯は、国際的な検証・管理システムによって強化され、領土内での核兵器の存在を禁止している。NWFZは、地域の安定を維持し、核紛争のリスクを軽減し、世界的な軍縮を推進する上で極めて重要な役割を果たしている。

Nuclear Weapon Free Zones. Credit: IAEA
Nuclear Weapon Free Zones. Credit: IAEA

アスタナワークショップ :軍縮のための重要な集まり

アスタナで開催されるワークショップは、5つのNWFZ条約の締約国が、国際機関の代表者とともに、これらの地帯が直面する課題の克服を目指す議論に参加するための重要な機会である。核戦力が国家安全保障の中心であり続ける地域において、地政学的緊張が高まっていることを考えると、今回の会合は特に時宜を得たものといえる。

ワークショップでは、国連事務総長の軍縮アジェンダにあるように、非核兵器地帯間の協力強化に重点が置かれる。これには、地帯間の協議を促進し、核保有国がこれらの条約の議定書を遵守するよう促すことが含まれる。このワークショップは、2019年にヌルスルタン(現在のアスタナ)でUNODAとカザフスタンが共催した「非核兵器地帯とモンゴル間の協力」と題するセミナーを基礎とするもので、非核兵器地帯間の協力を活性化することを目的とした重要な勧告が出された。

参加者は、加盟国の安全保障上の利益を強化し、より強固な協議メカニズムを育成することに重点を置きながら、NWFZの目的を推進するための戦略について議論する。ワークショップではまた、特定の核保有国、特に米国が、いくつかのNWFZ条約に関連する議定書の批准に消極的であることがもたらす課題についても議論する。米国は核拡散防止条約(NPT)の締約国であるにもかかわらず、南太平洋(ラロトンガ条約)、アフリカ(ペリンダバ条約)、中央アジア(セメイ条約)を対象とする条約の議定書をまだ批准していない。このような消極的な姿勢が、これらの地域が提供しうる安全保障上の利益を完全に実現することを妨げている。

核兵器禁止条約(TPNW)におけるカザフスタンのリーダーシップ

UN Secretariate Building. Photo: Katsuhiro Asagiri
Kazakhstan will preside over the 3rd meeting of state parties to TPNW which will take place at the United Nations Headquarters in New York from March to 7 in 2025. Photo: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.

核軍縮におけるカザフスタンの役割は、NWFZにとどまらず、核兵器禁止条約(TPNW)におけるリーダーシップにも及んでいる。2025年3月、カザフスタンは国連で第3回TPNW締約国会議を主催し、核軍縮の擁護者としての地位をさらに強固なものにするだろう。

カザフスタンはTPNWを協力に支持しており、同条約の第6条と第7条に沿って、核実験の被害者を支援し、影響を受けた環境を修復するための国際信託基金の設立を積極的に推進してきた。

TPNW第1回締約国会議で策定された「ウィーン行動計画」は、国際信託基金の実現可能性を検討し、影響を受ける締約国に対し、核兵器の使用や核実験の影響を評価し、実施のための国家計画を策定するよう促すなど、これらの条文を実施するための行動を概説している。

カザフスタンとキリバスが共同議長を務めたTPNW第2回締約国会議(2MSP)では、進展が見られたが、課題も残っている。被害者支援、環境修復、国際協力に関する非公式作業部会は報告書を提出し、第3回締約国会議(3MSP)で国際信託基金の設立に関する勧告を提出することを目標に、そのマンデートが更新された。この分野におけるカザフスタンのリーダーシップは、セミパラチンスクでの核実験がもたらした壊滅的な影響に関する自国の経験から、核兵器の人道的影響に取り組むという同国のコミットメントを強調するものである。

市民社会の重要な役割

A brochure of the side event titled "I want to Live on: The Untold Stories of the Polygon Film Screening Event" . Photo: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.
A brochure of the side event titled “I want to Live on: The Untold Stories of the Polygon Film Screening Event” . Photo: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.

この2日間のイベントの一環として、創価学会インタナショナル(SGI)と国際安全保障政策センター(CISP)は、9月28日の夜にサイドイベントを開催し、ドキュメンタリー映画「私は生きぬく:語られざるセミパラチンスク」を上映する。このドキュメンタリーは、SGIの支援を受けてCISPが制作したもので、昨年のTPNW第2回締約国会議の際に国連で初めて上映された。このサイドイベントは、SGIとカザフスタンが共同で取り組んできた広範なイニシアチブの一環であり、近年、国連、ウィーン、アスタナで核兵器の人道的影響に焦点を当てたいくつかのイベントを共催してきた。

また、アスタナでのワークショップと同時に、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)は、いくつかの国の被爆者を含む市民社会団体や活動家を招集して会議を開催する予定だ。アスタナで政府と市民社会の取り組みが融合するこの瞬間は、世界的な軍縮運動において重要な意味を持つだろう。外交官や国家代表が公式ワークショップで政策や協力について議論する一方で、市民社会が並行して開催する活動は、人道的メッセージを増幅し、核兵器のない世界の緊急の必要性を強調するものとなるだろう。

Though two separate events, both two day workshop attended by 5 existing nuclear weapons free zones coorganized by Kazakhstan and UNODA and a Civil Society conference organized by ICAN will take place at this hotel in Astana. Photo: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.

世界的な緊張が高まる中、アスタナでのワークショップは希望の光であり、軍縮に向けた世界的な旅路における重要な瞬間である。協力、対話、そして平和への共通のコミットメントを通じて、核兵器のない世界という夢は、依然として手の届くところにある。カザフスタンは、国際社会の支援を得て、この重要な取り組みの最前線にいる。(原文へ)

INPS Japan

This article is brought to you by INPS Japan in partnership with Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

The Astana Times, Inter Press Service, London Post,

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【エルサレムINPS Japan=ロマン・ヤヌシェフスキー】

イランとイスラエルの「影の戦争」は数十年にわたり続いており、徐々に勢いを増している。イスラム共和国の高官たちは、イスラエルを破壊する意図を何度も表明してきている。この目的のために、イランはレバノン、シリア、イラク、イエメンなどの地域で軍事組織を設立し、資金提供を続けている。

イランは、イスラエルに対する包括的な攻撃計画を綿密に策定し、それがユダヤ国家にとって致命的となる可能性がある。しかし、この計画は10月7日にハマスによって阻止されたかもしれない。ハマスは事前に同盟国に知らせずに計画の一部を加速させて実行した。本来、この計画はすべての組織が協調して行動することを想定しており、単独での行動は想定されていなかった。

On July 27 Lebanese Hezbollah hit a Druze village on a border with Syria and Lebanon. 12 children were killed by this strike. Credit: Roman Yanushevsky.

地域で最も強力な親イラン派組織であるレバノンのヒズボラは、ハマスを言葉で支持しつつも、戦争に加わったのは翌日の10月8日であり、その行動は比較的抑制されていた。その結果、イスラエルは約10か月間、ハマスの拠点であるガザ地区に対する軍事作戦を展開し、ヒズボラはイスラエル北部に対してロケット弾やドローンを使った攻撃を徐々に増やしている。そのため、レバノン南部だけでなく、国境地帯からも住民が避難している。

昨年秋以降の親イラン派との対立の中で、イスラエルはダマスカスのイラン領事館を攻撃し、イスラム革命防衛隊(IRGC)クッズ部隊の上級司令官であるモハマド・レザ・ザヘディ准将らIRGC幹部7人を殺害した。

これに対して4月13日、イランは1979年以来初めて、数百発の無人機とロケット弾を使ってイスラエルを直接攻撃した。そのほとんどは迎撃されたが、イスラエルはその報復としてイスファハン近郊のイランの核施設を守るレーダーを標的とした反撃を加えた。

その後、双方は核兵器をめぐる脅迫を交わした。4月18日、核安全保障を担当するIRGCのアフマド・ハグタラブ上級司令官は、「イランの核施設に対するシオニスト政権の威嚇は、われわれの核ドクトリンの再考とこれまでの考慮事項の放棄につながる可能性がある。」と述べ、イスラエルの核施設に強力なミサイル攻撃を仕掛け、破壊すると脅した。

Ayatollah Khamenei, the leader of the Islamic Republic of Iran, congratulated Nowruz 1403 CH in a televised message. Credit: By Khamenei.ir, CC BY 4.0,

5月9日には、イランの最高指導者アリ・ハメネイ師の顧問であるカマル・ハラジ氏も同様の発言をしている。イスラエルがイランの存在を脅かせば、イランは核兵器の開発を余儀なくされるかもしれない、と。

「われわれは核爆弾を作ると決めたわけではないが、イランの存在を脅かすようなことがあれば、われわれの軍事ドクトリンを再考せざるを得なくなるだろう。」

こうした脅迫に対する政権の鋭い批判を受け、イランの外務省は態度を軟化させ、イランが大量破壊兵器の拡散を禁止する国際的な協定を遵守し続け、核ドクトリンを変更する意図はないと発表した。

イラン外務省のナセル・カナニ報道官は、大量破壊兵器に関するイランの原則的な立場は、イランの最高指導者であるアリ・ハメネイ師によるファトワ(宗教上の命令)に基づいており、そのような兵器の製造を禁止していると述べた。報道官によれば、イランはそのような兵器が国際社会への脅威をもたらすと考えている。

イスラエルはイランの脅しに対し、対抗措置をとる構えを見せた。6月末、イスラエル航空宇宙産業(IAI)のヤイル・カッツ作業委員長は、イスラエルに対する大規模な攻撃があった場合、イスラエルは核兵器を使用する用意があることを示唆した。

「四方八方から同時に大規模な攻撃があった場合、私たちには終末兵器がある。私たちは、彼らが私たちに押し付けようとしている状況を覆す兵器を持っている。」と述べた。「イラン、イエメン、シリア、イラク、そして中東のすべての国々が、私たちと決着をつける時が来たと判断した場合、私たちは世界の終末兵器を使用する能力を持っている。」

Secretary of Defense Jim Mattis meets with Israel’s defense minister, Avigdor Lieberman, at the Pentagon in Washington, D.C., March 7, 2017. (DOD photo by U.S. Air Force Staff Sgt. Jette Carr)

数日後の7月8日、イスラエルのアヴィグドール・リーベルマン元外相も、ラジオインタビューでイランの核計画とテヘランの勢力拡大について言及した。彼によれば、イスラエルはあらゆる手段を用いるべきだと言う。

「彼らの核計画を終わらせなければならない」と彼は述べ、第二次世界大戦で日本に対して核兵器が使用されたことで戦争が終結したことを想起させた。

これらの発言は、イスラエルが核兵器を使用する可能性を示唆していると多くの人々が受け止めた。

イスラエルは核不拡散条約(NPT)に署名していない。イスラエルは何十年もの間、この問題に関してあいまいな政策を維持してきた。専門家は、イスラエルが少なくとも200発の核弾頭を保有していると確信している。1960年代後半、イスラエルはフランスの協力を得て秘密裏に核兵器を開発したが、公式には宣言していない。イスラエルの指導者たちは公式には否定している。

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)の年次報告書によれば、核保有国は過去5年間で核兵器への支出を3分の1増やした。地政学的緊張の高まりを背景に、核兵器の近代化が進んでいるのだ。報告書によれば、過去1年間で、核保有国9カ国すべてがこうした取り組みに関与している。

Negev Nuclear Research Center at Dimona, photographed by American reconnaissance satellite KH-4 CORONA, 1968-11-11. Credit: Public Domain

イスラエルについては、核兵器とディモナのプルトニウム生産炉の近代化を進めていると専門家は見ている。イスラエルにおける核兵器への支出は、2018年以降33%以上増加している。

イランについては、7月中旬、アントニー・ブリンケン米国務長官がコロラド州アスペンでの安全保障会議で、イランが核保有能力に近づくスピードについて非常に気になる発言をした。「イランが原爆を製造するのに十分な核分裂性物質を濃縮するのは、せいぜい2週間先だ。」とブリンケン国務長官は語った。

米国家安全保障研究所のイラン核開発計画の専門家によると、2024年5月の国際原子力機関(IAEA)報告書の主要なポイントは、イランがウラン濃縮計画を進め続け、60%まで濃縮した物質の蓄積に注力していることを示している。

IAEA
IAEA

しかしこのことが、イランが核兵器製造の瀬戸際にいることを意味しない。なぜなら、ウランの濃縮と核爆弾製造との間には依然として技術的なギャップがあるからだ。

専門家は、イランは早ければ明日にも兵器級レベル(90%)のウラン濃縮を開始できると見積もっているが、欧米の反応を恐れて現在は控えている。しかし、イランは660%までウラン濃縮を続け、備蓄を増やしている。

このように、イランとイスラエルの対立と核兵器使用の脅威は、直接的な軍事衝突が起きた場合、当事者の一方が冷静さを保てず、禁止兵器の使用に踏み切る可能性がある危険な状況を生み出しています。(原文へ

INPS Japan

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14日間の日本滞在で学んだ4つのこと

【National Catholic Register/INPS JapanワシントンDC=ヴィクトル・ガエタン】

桜のピークだった4月、私は飛行機や新幹線、地下鉄等を乗り継いで、日本各地のカトリック教会を探訪する有意義な14日間を過ごした。今回の日本滞在は、ローマ教皇フランシスコとのアドリミナ訪問を控えた東京カテドラル聖マリア大聖堂の菊池功大司教との面談から始まり、9月にパリで開催される聖エジディオ共同体主催の平和会議に出席予定の三井紳作神社本庁教化広報部国際課課長との面談で終えた。

Victor Gaetan
Victor Gaetan

統計だけではわからない。約1億2500万人の日本の人口のうち、約53万6000人がカトリック信者である。また、日本で働くカトリック信者がさらに50万人いる。3つの大司教区(長崎、大阪、東京)を含む15の教区は、1つの神学校が奉仕する850の小教区を擁している。

繊細ながら壊れない…謙虚で誇り高い…日本の文化と社会は、相反するもののバランスをとっている。多くの印象の中で、私は日本のカトリック教会についての4つの現実を抽出し、共有することとした。それはつまり、①新しいカトリック信者はますます多文化化が進む社会の一部であること、②カトリック学校が教会の影響力を拡大していること、③イエズス会は1549年にカトリック信仰を日本にもたらし依然として影響力を持っていること、そして④平和がバチカンと日本の世界観を融合させる共有の課題であること、である。

移民要因

日本のカトリック教会についての決まり文句は、全般的な人口減少を考えれば、規模が小さいカトリックコミュニティーは、さらに小さくなるに違いないというものだ。日本の人口は減少の一途をたどっている。例えば、政府のデータによると、日本では1日に2,293人が亡くなっており、明らかに存亡の危機に直面している。

悲惨なことに、長崎は世界で最も急速に人口が減少している都市である。一方、政府は国家存続のインセンティブよりも軍事力強化を優先しているようだ。岸田文雄首相は、軍事予算を2倍以上の560億ドルに増やす一方で、子育て支援に250億ドルしか割り当てていない。

しかし、教会の動向は紙面上のデータよりもダイナミックである。日本はますます多文化国家となっており、最近海外から移住してきた人々の多くがカトリック信者である。

「1913年に創立された日本最古のカトリック大学である上智大学で神学の教授を務めるイエズス会のアントニウス・フィルマンスヤ神父は、「東京のカトリック教会はますます普遍的になっており、ここでは世界中からのカトリック信者と出会います。」と語った。

「隣の教会(聖イグナチオ教会)には、多くの国籍や民族が集まっていて、とても活気があります。今、一番多いのはベトナム人です(現在、日本には約52万人のベトナム人が住んでいる)。カトリック教会が繁栄しているのは、私たちが異文化との協力にオープンだからです。」と、インドネシア出身のフィルマンシア神父は語った。

2002年に来日し、最初の2年間を言語の習得に費やしたフィルマンシア神父は、「適切な用語を使用しないと日本人の心に触れることはできません。」と語った。

上智大学のイエズス会センターの指導にも携わっているフィルマンシア神父によると、多くのカトリック信者が雇用契約で世界中から日本にやってくる。日本の市民にはなれないかもしれないが、何年も滞在し、日本の生活に溶け込むことが少なくない。

移民について、菊池大司教はこう語ってくれた。

「2007年に教皇ベネディクト16世に初めて謁見した際、法王は私に『あなたの教区での希望は何ですか?』とお尋ねになりました。私の心に浮かんだのは日本の農家に嫁ぐフィリピンからの移民の存在でした。日本の農家は日本人の妻を見つけることが困難なため、カトリック教徒のフィリピン人女性を探しているのです。彼女たちは教会のない村に住んでいますが、希望に満ちています。フィリピンのタグレ枢機卿も同じことを言っているのですが、彼はフィリピンからの移住者たちに『あなたたちは神から遣わされた宣教師だ!』と励ましています。そして、それは真実なのです。」

フィルマンシア神父は、教会の歴史的な宣教的アプローチは、福音のメッセージにうまく役立っていると考えている。 「1549年に日本にカトリック信仰をもたらした聖フランシスコ・ザビエルは、非常に実り多い人でした。彼は対話を重視しました。征服するのではなく、調和させるのです。」

在日フィリピン人の人々にどこで礼拝しているのか尋ねると、東京では聖アンセルム目黒カトリック教会で、タガログ語、インドネシア語、英語、日本語でミサが行われていることがわかった。教会長のアントニオ・カマチョ神父はメキシコシティで生まれ、神学を学ぶために1991年に来日した。助任司祭のマルティン・アクウェティ・デュマス神父はガーナで育ち、2010年に叙階された。所属する神の御言葉宣教会から日本に派遣された。

美しい古都・京都で、70人ほどの信者とともに聖フランシスコ・ザビエル大聖堂のミサに参列したが、祭壇にいたのはインド人の修道女だけだったため、最初は困惑した。

カルメル修道会のテシ・ジョージ修道女はミサの後、「今日は3人の司祭が忙しいんです。彼らはすでにホスト(聖体拝領のためのパン)を聖別しましたので、これは聖体拝領の儀式であり、ミサではありませんでした。」と簡潔に語った。

教育による影響力

カトリック教会が幼稚園から大学まで運営する学校を通じて影響力を拡大するというのは、宣教地における定説で、日本はその一例である。

菊地大司教の母親は、北部の宮古市にあるカトリック幼稚園で教鞭をとっていた。「幼稚園は教会よりも有名でした。」「教育を福音化の道具として活用することは、日本のカトリック教会の長年の方針であり、うまくいっています。卒業生は官公庁や企業にいるので、名門大学である上智大学のような学校があることは重要です。」と、菊池大司教は説明した。

新学期の初日に、私は東京の中心部にある上智大学の立派なキャンパスを訪れた。この大学はローマ教皇ピウス10世の発案で設立された。ピウス10世は1906年、ドイツのイエズス会に日本で教育機関を設立するよう命じた。

第二次世界大戦中、米軍の空襲でキャンパスの大部分は焼け野原になったが、その後再建された。現在、80カ国以上から集まった約14,000人の学生が学んでいる。

Sophia University in 1932 and in 1945, showing bombing damage to the main building.
Sophia University in 1932 and in 1945, showing bombing damage to the main building.

「上智大学で英語と文学を教えている米国人のマリア・ルパス教授は、「カトリック教会は日本社会の一部と考えられています。彼女は、今上天皇の母である上皇后様がカトリックの学校で教育を受け、東京の聖心女子大学を卒業しています。」と指摘した。美智子上皇后は1989年から2019年まで在位し、皇室に嫁いだ最初の一般人だった。

もう一人の聖心女子大学出身者は曽野綾子氏で、日本で最も尊敬されている小説家の一人である。曽野氏は長崎に修道院を設立し、1930年から36年まで長崎で生活した聖マクシミリアノ・コルベ神父についての歴史小説『奇跡』(1973年)を書いた。

イエズス会の影響

Portrait of St. Francis Xavier Credit: Public Domain.
Portrait of St. Francis Xavier Credit: Public Domain.

イエズス会の共同創立者である聖フランシスコ・ザビエルは、1549年に日本にキリスト教を伝えた。数十年後に豊臣秀吉による厳しい迫害が始まるまで、キリスト教信仰は急速に広まった。イエズス会が幕末に再び日本に戻るまで約300年の空白があったものの、イエズス会の影響は今日に至るまで強く残っている。

上智大学以外にも、イエズス会は広島で音楽大学と4つの名門中等学校を運営している。

イエズス会は日本列島における教会の歴史の守護者であるかのようだ。イエズス会の川村信三神父は、17世紀初頭に日本の東北地方に住むカトリック信者が教皇パウロ5世に宛てた驚くべき感謝状を発見した。彼らは教皇が新しい信者に送った激励の手紙に応えていた。「ここでの私たちの歴史は粘り強いものです。」と川村神父は上智大学図書館のワークスペースで静かに語った。

この手紙は、カトリック信徒が最も頻繁に南西部の貿易港と関連付けられるため、驚くべきものだ。しかし、菊池大司教が説明するように、南西部地域で「隠れキリシタン」の物語が最も公に残されているものの、カトリック信徒は日本全国に広がっていた。

バチカンと日本 100年プロジェクト 公式発表記者会見

河村神父の研究は、角川文化振興財団が支援する「バチカンと日本100年プロジェクト」の恩恵を受けた。来年4月から10月にかけて大阪で開催される2025年万博のために、同財団はバチカン唯一のカラヴァッジョ作品「キリストの埋葬」を公開展示する手配をしている。

現在、日本にいる約150人のイエズス会司祭のうち、半数以上が高齢者で、その多くはとても活発に活動している。

私が面談した中でも最も感動した一人は、1958年にスペインのサラマンカから初めて日本に来た89歳の神父、イエズス会士のアルド・イサム神父だった。神父はそれ以来日本に住んで日本国籍を取得しており、これは意外な形で神父の活動の助けとなった。神父はベトナムからの「ボートピープル」を助ける活動に参加し、1990年に初めてベトナムを訪問した。そしてまもなく「日越」を立ち上げ、貧しい地域の経済開発プロジェクトを支援するための財団を設立した。イサム神父は今年9月に37回目のベトナム訪問を計画している。

イサム神父によると、ベトナムの教会が繁栄しているのは、地元の司祭たちが地元の役人たちと建設的に協力する方法を見つけているからだという。「ベトナム戦争後、10人のイエズス会士が投獄されました。教会が当局の敵とつながっているとみなされたのです。しかし今では、ベトナムにはほぼ300人のイエズス会士がいます。そしてベトナムは、日本を含む世界中で奉仕する司祭を輩出しているのです。」

Author and Father Renzo de Luca in front of the 26 Martyrs Museum in Nagasaki, Japan. The museum was built 1962 to commemorate the 26 Christians who got executed for preaching Christianity on the Nishizaka hill in 1597. Photo: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.
Author and Father Renzo de Luca in front of the 26 Martyrs Museum in Nagasaki, Japan. The museum was built 1962 to commemorate the 26 Christians who got executed for preaching Christianity on the Nishizaka hill in 1597. Photo: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.

私が会ったもう一人の賢明で献身的なイエズス会士は、長崎の二十六殉教者記念館・記念碑の館長であるレンゾ・デ・ルカ神父だった。イサム神父のように母国(アルゼンチン)を離れ、ほとんど振り返ることもなく、来年日本での40周年を迎える。デ・ルカ神父は、キリスト教迫が害されるなかで約250年間司祭なしで信仰を守り続けた「隠れキリシタン」の物語を記録した印象的な博物館をじっくりと案内してくれた。

デ・ルカ神父はまた、カトリック教会の 「小さな世界 」を象徴している。サン・ミゲルの神学校に在籍していたとき、3年近く指導を受けたのがホルヘ・ベルゴリオ神父で、彼はデ・ルカ神父に宣教師になるよう勧めた。ベルゴリオ神父は、比較的若かったデ・ルカ神父をジョージタウン大学に送り、英語を学ばせた。その後、後の教皇フランシスコは、デ・ルカ神父を含む5人の学生を日本に派遣した。

2019年の教皇訪日では、デ・ルカ神父が通訳を務めた。旅のビデオでは、若い神父が年長の教皇を雨風から守っている姿が映っている。

時代を超えて教皇たちを結びつける平和のメッセージ

1981年2月に教皇ヨハネ・パウロ2世が 「平和の巡礼者」として来日して以来、カトリック信仰が極小であるはずのこの国にとって、教会と教皇たちは大きな善意を生み出している。

教皇ヨハネ・パウロ2世は、8月6日に原子爆弾が投下された広島と、9日に投下された長崎で、全身全霊を傾けて演説を行った。報道によると、広島市長が原爆投下による人道的惨状について語った際、法王の目には時折涙が浮かんでいた。

法王は広島の爆心地で、感情に満ちた平和のアピールを行い、冒頭で戦争を厳しく非難した。 「戦争は人間のしわざです。 戦争は人間の生命の破壊です。 戦争は死です。…」

過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです。ヒロシマを忘れないことは、核戦争を憎むことでです。ヒロシマを忘れないことは、平和を約束することです。ヒロシマの人々の苦しみを忘れないことは、人類への信頼を新たにすることであり、善をなす能力、模範となるものを選ぶ自由、そして災害を新たな始まりに変える決意を持つことです。」

その場にいた『ニューヨーカー』誌の記者は、「法王は9つの言語を話し、最初と最後は日本語で、その間には英語、中国語、フランス語、ロシア語と、核保有5大国の言語を織り交ぜて、それぞれの国向けのサウンドバイトを用意していた。」と振り返っている。

それから28年後、教皇フランシスコは同じ3都市を再訪し(東京から長崎に飛び、その後、広島に飛んだ)、最も予言的な演説を長崎で行った。教皇フランシスコは、核兵器廃絶のアピールを開始した日本の司教たちを称賛し、「多国間主義の浸食」を嘆き、聖フランシスコの祈りを唱えた。巡礼のテーマは「すべてのいのちを守る」であり、胎児、高齢者、難民、環境の保護から死刑廃止キャンペーンの支援まで多岐にわたった。

報道によれば、2019年、日本の一般市民は1981年よりもさらに教皇の言葉や行程にさらに関心を寄せているようだった。

「教皇フランシスコは教皇ヨハネ・パウロ2世のメッセージを引き継ぎました。両教皇は日本の教会に平和のメッセージとなるよう招き、それが私たちが本当に目指していることです。」とフィルマンシア神父は語った。

「教皇フランシスコは非キリスト教国の訪問者であることを強く意識していました。彼はすべての人が理解できるように話し、人々はとても反応していました。」と、デ・ルカ神父は付け加えた。(原文へ

INPS Japan/National Catholic Register

Original Article: https://www.ncregister.com/news/changing-face-of-catholic-church-in-japan-amid-nation-s-existential-crisis

ヴィクトル・ガエタンはナショナル・カトリック・レジスター紙のシニア国際特派員であり、アジア、欧州、ラテンアメリカ、中東で執筆しており、口が堅いことで有名なバチカン外交団との豊富な接触経験を持つ。一般には公開されていないバチカン秘密公文書館で貴重な見識を集めた。外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』誌やカトリック・ニュース・サービス等に寄稿。2024年4月、IPS Japanの浅霧理事長と共に長崎を取材訪問。INPS Japanではナショナル・カトリック・レジスター紙の許可を得て日本語版の配信を担当した(With permission from the National Catholic Register)」。

*ナショナル・カトリック・レジスター紙は、米国で最も歴史があるカトリック系週刊誌(1927年創立)

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「海外メディアから見たカザフスタン」コンテスト、カザフスタンへの関心の高まりを浮き彫りに

【アスタナMFA of Kazakhstan】

Notification letter sent to contest winners.

今年は約30か国から80人以上のメディア関係者やブロガーが、第9回「外国メディアから見たカザフスタン(Kazakhstan through the Eyes of Foreign Media)」コンテストに応募した。このコンテストは、カザフスタン共和国外務省がカザフスタン編集長クラブと共同で毎年開催しており、カザフスタンに関する創造的で信頼性が高く、客観的な情報を世界に発信する外国のジャーナリストの貢献を称えるプラットフォームとして機能している。

2014年に始まったこのコンテストは、毎年様々なカテゴリーで優れた記事やビデオ作品を表彰している。参加者は、世界各国の出版社やメディアの代表者で、印刷物やオンライン記事、人気のインターネット・プラットフォーム、ブログ、ポッドキャストから伝統的なテレビ番組まで、さまざまな形式の作品が提出されている。応募作品のテーマは、歴史、文化、教育、観光、料理、国際関係、カザフスタンの投資可能性など多岐にわたる。

今年のコンテスト・パートナーには、カザフスタン観光国営企業JSC、アジア相互協力信頼醸成措置会議(CICA)事務局、カザフスタン全国スポーツ協会、国営テレビ局「ジベク・ジョリ(英語名:Silkway Qazaqstan)」などが名を連ねている。この多様なスポンサーシップは、このイベントの重要性を強調している。特に、2023年には7つのカテゴリーで受賞者が表彰されたが、今年は国民スポーツ協会による新しいカテゴリーが導入された。

今年のコンテストの審査員には、カザフスタン外務副大臣ロマン・ヴァシレンコ氏、カザフスタン共和国国会上院副議長でカザフスタン編集長クラブ会長のビビグル・ジェクセンバイ氏、カザフ観光委員会会長のカイラト・サドヴァカソフ氏、CICA軍事政治部門の専門家であるドゥラット・クアニシェフ大使、国民スポーツ協会会長のイスランベク・サルジャノフ氏らが名を連ねた。  

5th World Nomad Games in Astana

文化交流を深め、カザフスタンへの理解を深めるため、受賞者はアスタナアルマトイマンギスタウ地方を含むカザフスタン訪問に招待される。訪問中、彼らはカザフスタンの豊かな文化と歴史的遺産を紹介される予定だ。さらに、受賞者は草原遊牧民の精神を体験し、ワールド・ノマド・ゲームズ(国際遊牧民競技大会)を観覧する機会も得られる。

例年通り、コンテストの受賞者は、公共部門の代表者、カザフスタンの専門家、ジャーナリストとの独占インタビューに参加し、今年からは、世界の異なる地域から8人の外国人ジャーナリストが様々なノミネートで認められた:

Kazakhstan through the Eyes of Foreign Media contest winners announced. Credit: Silkway Qazaqstan

アメリカ大陸からは、ブラジル人ジャーナリスト、ミルトン・アタナジオ氏が 『フォコ・ナ・ポリティカ』誌に掲載した一連の記事が最優秀に選ばれた。

ヨーロッパ地域からは、イタリア人ジャーナリスト、ダニエラ・ブリッカ氏がイタリア放送協会「Rai」で放映したカザフスタンに関するビデオレポートが最優秀と評価された。

独立国家共同体(CIS)・ユーラシア地域からは、アゼリ人ジャーナリスト、エレナ・コソラポヴァ氏がCBC TVアゼルバイジャンで放映したレポート「『中部回廊』(ミドルコリドー):アゼルバイジャンとカザフスタンがシルクロードを復活させる」が最優秀に選ばれた。

*中央回廊とは、ロシアを通過する北部回廊が厳しく制限される中、注目を浴びている、中央アジア、カスピ海、南コーカサス、黒海、地中海、東ヨーロッパを結ぶ複合輸送路。

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アジア・太平洋地域からは、日本人ジャーナリスト、浅霧勝浩氏がインターナショナル・プレスシンジケート・ジャパン(INPS Japan)から配信した記事が最優秀と評価された。

中東・アフリカ地域からは、エジプト人ジャーナリスト、ファトマ・メガヘド氏による上海協力機構に関するレポートが最優秀に選ばれた。

カザフスタン観光部門のノミネーションでは、スペイン人ジャーナリスト、ヨランダ・ガルシア氏の「La Voz de Galicia」(スペイン・ガリシア州で発行されている日刊紙)連載記事が選ばれた。

CICAのノミネーションでは、「ロシースカヤ・ガゼータ(ロシア新聞)」に掲載されたアレクサンダー・ガシュク氏の作品が選ばれた。

Travel to Kazakhstan

新設の国民スポーツノミネーションでは、キルギス人ジャーナリスト、エルメク・アクタノフ氏が国営ラジオ「ビリンチ・ラジオ」で放送した一連の番組が最優秀に選ばれた。

毎年開催されるコンテスト「海外メディアから見たカザフスタン」は、カザフスタンの発展動向に対する海外からの関心を積極的に促進している。このコンテストは、カザフスタンの豊かな自然と文化遺産の普及に貢献するとともに、世界中の外国人投資家や観光客にカザフスタンの潜在力と魅力をアピールするものである。(原文へ

INPS Japan

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ラテンアメリカとOPANAL:ヒロシマ・ナガサキから79年、核兵器との闘いにおける重要な指標

メキシコで『核兵器なき世界への連帯―勇気と希望の選択』展が開催中である。ラテンアメリカ・カリブ核兵器禁止機構(OPANAL)は、この展示会の開会式に名誉ゲストとして招かれた。OPANALは核兵器禁止に関する経験を共有するため、今月下旬にカザフスタンで開催される5つの核兵器禁止地帯が集まる会議などに参加する予定である。

【メキシコシティーINPS Japan=ギレルモ・アラヤ・アラニス】

The remains of the Prefectural Industry Promotion Building, after the dropping of the atomic bomb, in Hiroshima, Japan. This site was later preserved as a monument. Credit: UN Photo/DB
The remains of the Prefectural Industry Promotion Building, after the dropping of the atomic bomb, in Hiroshima, Japan. This site was later preserved as a monument. Credit: UN Photo/DB

現在、メキシコで最も権威のある大学の一つであるメキシコ大学院大学で開催中の「核兵器なき世界への連帯―勇気と希望の選択」展は、核兵器がもたらす危険についての認識を高めることに焦点を当てている。この展示は、広島と長崎への原爆投下から79周年を記念するイベントの一環である。

「原爆投下は、80年近く議論されてきたデリケートなテーマであるにもかかわらず、いまだに原爆投下について知らない人や、信じていない人がいます。私たちの使命は、市民、学生、専門家の意識を高めることです。」と、メキシコ創価学会ネレオ・オルダス理事長は語った。

Exhibition: “”Everything You Treasure- For a World Free From Nuclear Weapons”. Photos: Guillermo Ayala Alanis.
Exhibition: “”Everything You Treasure- For a World Free From Nuclear Weapons”. Photos: Guillermo Ayala Alanis.

創価学会インタナショナル核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が共同制作したこの展示は核軍縮に関する42枚のパネルで構成されてており、2012年に広島で初めて開催された。その後、スペイン語、英語、日本語、ロシア語に翻訳されている。メキシコでは、首都の各大学をはじめ、グアダラハラ、プエブラ、ラ・ピエダードなどの都市で展示会が開催されている。

また別のパネルでは、8月6日と9日の被爆体験を若い世代に伝え、核攻撃が二度と起こらないようにするための闘いを続ける被爆者の活動が紹介されている。

またこの展示では、核兵器の製造を可能にしている資金援助の問題について理解を深めることができる。あるパネルには、24カ国の329の銀行、年金基金、その他の金融機関が核兵器を製造する企業への投資に関与しており、中でも北米の204機関が最も多く貢献している実態を明らかにしている。

8月6日の開会式で挨拶したOPANALのフラビオ・ロベルト・ボンザニーニ事務局長は、気候変動と並んで人類にとって最大の脅威である核兵器の完全廃絶の必要性を訴える優れた取り組みとして、このイニシアチブを称賛した。

「メキシコは、ラテンアメリカおよびカリブ海諸国とともに、世界で初めて人口密集地域における非核兵器地帯(NWFZ)を形成しました。この遺産は、トラテロルコ条約に具現化されており、この条約は、現在では国連加盟国のほぼ3分の2を包含する4つの他の非核兵器地帯の創設にインスピレーションとモデルを提供してきました。」とボンザニーニ事務局長は語った。

Exhibition: “”Everything You Treasure- For a World Free From Nuclear Weapons”. Photos: Guillermo Ayala Alanis.

ボンザニーニ事務局長はまた、OPANALが世界で唯一、軍縮と核不拡散に専念する組織であることを強調し、より平和で安全な世界を築くことの重要性と、そのプロセスにおいて各人が果たすべき役割について考えるよう呼びかけた。

Central Downtown Astana with Bayterek tower/ Wikimedia Commons
Central Downtown Astana with Bayterek tower/ Wikimedia Commons

OPANALは、8月27日から28日にかけてカザフスタンの首都アスタナで開催される核不拡散と核軍縮に関連する一連の会議に参加する予定だ。これらの会議は、1949年から89年にかけて456回もの核実験が行われたセミパラチンスク核実験場の閉鎖(8月29日)から33周年を記念する行事の一環として開催される。

OPANALの研究教育担当官であるナタリア・ジュリーナ氏は、INPS Japanの取材に対して、OPANALが他の4つの非核兵器地帯と今般カザフスタンで会合を開き、経験を共有し、核兵器禁止に向けて連携を強化するためのコミュニケーションチャネルを見出し続けることの重要性を強調した。『お話ししたように、他の地域にはOPANALのような組織は存在しません。中央アジアのような地域がそのような組織の設立に強い関心を持っていることを私たちは知っています。彼らはOPANALについて学び、その運営方法を理解したいと考えています。』とジュリーナ氏は説明した。

また、ジュリーナ氏は、中東における非核兵器地帯の設立に関する非公式会合にOPANALが参加する予定であることにも言及した。また、「OPANALは、ICANが主催する会合にも出席し、核兵器禁止条約(TPNW)に関連する問題について議論する予定です。私たちはTPNWを、核兵器の禁止を初めて定めたトラテロルコ条約のグローバル版と見なしています。TPNWは、トラテロルコ条約から多くの原則を取り入れており、OPANALも同様です。』と語った。

Natalia Zhurina, Research and Education Officer of OPANAL. Photo:OPANAL
Natalia Zhurina, Research and Education Officer of OPANAL. Photo:OPANAL

「ラテンアメリカおよびカリブ海地域は、核兵器の軍縮と不拡散において模範的な地域とされています。この地域の諸国は、大量破壊兵器がもたらす深刻な脅威にもかかわらず、これらの問題に対して強いコミットメントを維持しています。『ラテンアメリカとカリブ海地域では、すべての問題で国々が常に意見を一致させるわけではありませんが、軍縮と不拡散に関しては共通のビジョンと組織的なアプローチを持っています。OPANALとこの地域は、他の国々に希望を与え、模範を示しています。』と、カザフスタンでの一連の会議にボンザニーニ事務局長とともに出席する予定のジュリーナ氏は語った。

国連の推定によれば、世界には約12,500発の核兵器が存在しており、核兵器のない世界を目指して政府に働きかけ、資源を投入させるために、社会全体の役割が極めて重要となっている。「核兵器なき世界への連帯―勇気と希望の選択」展のような展示会は、メキシコのように「核の脅威がない地域(=非核兵器地帯)」に住むことの特権について、改めて若者たちの意識を高める役割を果たしてきた。

Nuclear Weapon Free Zones. Credit: IAEA
Nuclear Weapon Free Zones. Credit: IAEA

このパネル展示は、8月15日までメキシコ大学院大学にて、核兵器や核不拡散に関する論文や文献とともに展示される予定である。(原文へ

INPS Japan

This article is brought to you by INPS Japan in partnership with Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

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