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戦争、熱波、エネルギー危機がクリーンエネルギーへの転換を加速させる

【ロンドン/パキスタン・カラチIPS=ゾフィーン・エブラヒム

過去30回にわたる国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)でもなし得なかったことを、米国とイスラエルによる対イラン戦争の3か月間が成し遂げたのかもしれない。それは、世界が化石燃料にいかに依存し、いかに脆弱であるかを浮き彫りにしたことである。英語版

世界が過去10年で最大規模のエネルギーショックに直面する中、クリーンエネルギーへの投資を加速させる必要性は、これまでになく説得力を増している。

さらに欧州が深刻な熱波に見舞われる中、英国気象庁は「生命に危険が及ぶ恐れがある」と警告を発し、ロンドン気候行動週間(LCAW)の開催期間中にも、店舗やオフィス、学校の閉鎖に加え、交通機関の混乱が生じている。こうした状況を受け、エネルギー転換を求める声は一段と高まっている。

高まる危機感

「政策立案者、投資家、企業経営者の間で、そうした危機感は確実に高まっています。」

そう語るのは、パキスタンの起業家であり、同国を拠点とするテクノロジー、データ分析、アドバイザリー企業「サスティナディリティ(Sustainadility)」の共同創業者兼パートナーを務めるファラズ・カーン氏(MBE)である。同氏は25年以上にわたり、官民連携による投資や、環境・持続可能性・ガバナンス(ESG)に関する枠組みづくりに携わってきた。現在は、気候資金とエネルギー転換の将来を議論するためLCAWに参加している。

6月28日に閉幕するLCAWの傍ら、IPSの電話取材に応じたカーン氏は、化石燃料から再生可能エネルギーへの移行は喫緊の課題であり、その実現には投資家と企業の関与が不可欠だと強調した。

カーン氏はLCAWの雰囲気について、「慎重さを伴いながらも楽観的だ」と表現した。また、パキスタンへの国際的な注目が高まっていることを歓迎し、「わが国は、米国とイラン・イスラム共和国との和平合意『イスラマバード覚書』の仲介に尽力したことが高く評価されました」と述べた。

ルール作りから投資へ

カーン氏は、6月8日から18日までドイツ・ボンで開催された気候変動会議とLCAWとの違いについて、次のように説明する。

ボン会議は外交交渉や気候政策のルール作りが中心だった。一方、2019年から毎年開催されているLCAWは、持続可能性やESG分野への民間投資を呼び込み、それを商業ベースで拡大することに重点を置いている。

「LCAWは、より企業や民間部門に焦点を当てた場です。」

こう語るカーン氏は、社会的インパクト投資を行うパキスタンの団体「シードベンチャーズ(SeedVentures)」の創設者でもある。

その一方で、同氏は次のようにも指摘した。

「物事には二つの側面があります。米・イラン和平とホルムズ海峡の再開によって、石油が依然として世界経済に不可欠であることが改めて示されました。しかし同時に、多くの国々は化石燃料への依存が自国の利益にならないばかりか、安全保障上のリスクにもなり得ることを認識しています。」

地政学的対立によって、石油の生産、貿易、輸送がいかに脆弱であるかが明らかになった。そのため、代替エネルギーへの投資は今後さらに加速すると見込まれている。

カーン氏が出席したCOP31議長主催の民間セクター会合では、循環型経済、電化(エレクトリフィケーション)、気候資金が主要な議題となった。ブラックロック、世界銀行、国連工業開発機関(UNIDO)、国際金融公社(IFC)、さらには各種業界団体など、世界の気候変動分野を代表する組織が一堂に会した。

「まさに気候変動分野のオールスターが集まった会議でした。」とカーン氏は笑顔で語る。

「私たちもその場に加われたのです。」

しかし一方で、意思決定の場に女性がほとんどいなかったことは残念だったという。ただし、トルコのCOP31チームについては、「知的水準が高く、会議での存在感も圧倒的だった。」と高く評価した。

「交渉」から「実行」へ

カーン氏によれば、会議の構成だけでなく議論そのものにも変化が見られた。

会場では、交渉中心の議論から、実施・投資・具体的行動へと重点を移す新たな流れをつくろうという強い意志が共有されていた。

「政府は制度や環境を整えることができ、国連はルールを示すことができます。しかし最終的に変化を実現するのは、投資家、投資可能な事業、そして大企業なのです。」

COP31 Logo

ボン会議が制度設計を議論する場だったのに対し、LCAWは気候資金や実際の投資案件を議論する場だったと同氏は説明する。

さらに、「今年11月にトルコ・アンタルヤで開催されるCOP31では、『言葉だけではなく資金を投入する』ことが最大のテーマになります。実現可能なプロジェクトへ資本を投じ、協調的な投資スキームを構築して気候変動対策を本格的に拡大していくことになるでしょう。」と語った。

民間部門が主役に

またカーン氏は、中国がクリーンエネルギー投資の世界的リーダーとして頻繁に言及されていたことにも触れた。

「さまざまな会議を通じて、再生可能エネルギーへの投資意欲が非常に強まっていることを実感しました。この流れは今後さらに加速すると確信しています。」

公正なエネルギー移行を実現するには、大企業や大規模な組織の役割が決定的に重要だという。事業規模が大きく、地域社会とのつながりも深いため、社会全体へ大きな変化をもたらす力を持っているからだ。

こうした電化と脱化石燃料への取り組みは、COP31議長国トルコも重視している。

今月、ボン会議の会場で英紙『ガーディアン』の取材に応じたトルコのムラト・クルム環境相は、「35%目標」はCOP31議長国として最も重要な課題の一つになると語った。

「交通、建築物、産業など日常生活のあらゆる分野を電化することで、家庭や企業をエネルギー価格の乱高下から守ることができる。」と同相は述べている。

パキスタンに訪れた好機

カーン氏は、パキスタンにはこのエネルギー転換の最前線に立つチャンスがあると考えている。

Map of Pakistan/ Wikimwdia Commons.
Map of Pakistan/ Wikimwdia Commons.

同国は気候災害の被害国として取り上げられることが多い。世界の温室効果ガス排出量に占める割合は1%未満であるにもかかわらず、大きな被害を受け続けている。

しかし同氏は、世界が太陽光発電に注目する中、パキスタンで静かに進行している「ソーラー革命」にも目を向けるべきだと訴える。

「パキスタンは、太陽光発電の普及がいかに急速に進み得るかを示す世界的な成功例となっています。それに伴い、太陽光パネル製造や蓄電池産業にも大きな投資機会が生まれています。」

一方で、送電網の近代化や大規模蓄電システムの整備は、ますます重要な課題となっている。

自然への投資

カーン氏は、再生可能エネルギーだけでなく、「自然への投資」にも大きな可能性を見いだしている。

マングローブ林、森林、湿地、草原、山岳生態系など、パキスタンの豊かな生物多様性には莫大な投資余地があるという。民間資本は、こうした自然資産の保全と再生の両方に貢献できる。

パキスタン経済において農業は大きな割合を占める一方、生物多様性の喪失を招く要因にもなっている。

そのため、企業は再生型農業、アグロフォレストリー(森林農業)、持続可能なコメや綿花の生産などへ投資することで、自らの持続可能性目標を達成すると同時に、新たな「生物多様性クレジット市場」にも参入できる。

「カーボンクレジットがあるように、生物多様性クレジットもあります。これは食料安全保障や農業と密接に結びついています。」

農業が国の基幹産業であるパキスタンは、生物多様性クレジット分野でも大きな潜在力を秘めているという。

「これは本当に画期的な分野になるでしょう。莫大な投資機会が広がっています。」

投資拡大への課題

しかし現実には、投資家はまだ十分に集まっていない。

(L-R) Horacio (Luis) Carvalho, CEO of Climate Change Ventures, and Faraz Khan, MBE, at London Climate Action Week. Carvalho's firm advises on carbon mitigation and green investment projects. They signed an MOU to develop markets with Brazilian CPR Verde (green rural product certificate), a Brazilian financial credit instrument used to fund environmental preservation, forestry conservation, and carbon sequestration. The markets they are eyeing will be Saudi Arabia, Africa and Pakistan. Credit: Faraz Khan
写真左から、クライメート・チェンジ・ベンチャーズ(Climate Change Ventures)のホラシオ(ルイス)・カルバーリョCEOと、ファラズ・カーン氏(MBE)。ロンドン気候行動週間にて。カルバーリョ氏の企業は、炭素排出削減とグリーン投資事業に関する助言を行っている。両者は、環境保全、森林保護、炭素隔離に資金を供給するブラジルの金融信用手段である「CPR Verde(グリーン農村生産証明書)」を活用した市場開発に向け、覚書(MOU)に署名した。対象市場として、サウジアラビア、アフリカ、パキスタンを視野に入れている。写真提供:ファラズ・カーン

カーン氏は、海外から大規模な気候投資を呼び込む最大の障害は、依然としてパキスタンの高いカントリーリスク(国家リスク)だと指摘する。

一方で、「パキスタン・グリーン・タクソノミー」、グリーンバンキング指針、ESG基準など近年の政策改革は、投資家の信頼向上につながっているという。

また、投資に適した「バンカブル・プロジェクト(採算性や信用力があり、資金調達が可能な事業案件)」が不足していることも課題だ。本来は堅実な事業基盤を持つにもかかわらず、国際投資家を十分に惹きつけられていない案件も少なくない。

それでも、投資の潜在力は極めて大きいとカーン氏は強調する。

ただし、時間的猶予は限られているかもしれない。

最近の中東情勢の混乱が、世界の化石燃料依存の脆弱性を露呈したのであれば、それは同時に、クリーンエネルギーへの転換を加速させる必要性を浮き彫りにしたことにもなる。

パキスタンにとって、その機会は極めて大きい。

しかし、その潜在力を現実のものにできるかどうかは、必要な民間投資を呼び込める環境を整えられるかにかかっている。

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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「雨が降ると、心臓の鼓動が速くなる」

AIは、今すぐ対策を講じなければ、雇用・中間層・福祉国家を揺るがす

【ニューヨークIPS=イザベル・オルティス、ビル・ショルダー

人工知能(AI)は、生産性や科学、医療、教育に飛躍的な進歩をもたらす可能性を秘めている。しかしその一方で、数百万もの雇用を失わせ、中間層を空洞化させ、病院や学校、年金制度を支える税収を減少させる危険性も抱えている。その変化はすでに始まっており、対策を講じるために残された時間は多くない。|英語版

国際通貨基金(IMF)は、AIが世界全体の約40%の雇用に影響を及ぼすと予測している。先進国では約60%の職種がAIの影響を受け、そのうち最大で3分の1(33%)がAIに代替されるリスクが高い。新興国では約40%の職種が影響を受け、その約4分の1(24%)が代替される危険性がある。低所得国では約26%の職種がAIの影響を受け、そのうち約5分の1(18%)はAIによって代替される可能性がある。

雇用喪失が中間層を縮小させる

AIの影響を最も受けやすいのは、これまで中間層の安定を支えてきた職種である。事務職、カスタマーサービス、翻訳、ジャーナリズム、法務補助、金融分析、マーケティング・コンテンツ制作、さらにはソフトウェア開発やデータ関連業務の一部も含まれる。これらの仕事は中間層の所得を支え、消費を生み出し、税収の基盤となってきた。しかしIMFは、こうした職種こそAIの影響を最も受けやすいと指摘している。

Isabel Ortiz

AIによって新たな仕事も生まれるだろう。しかしIMFによれば、それ以上に多くの仕事が消滅する可能性が高い。

その影響は職を失う人々だけにとどまらない。賃金は低下し、不安定な雇用が増え、企業が「AIに置き換えることができる」と労働者に示せるようになることで、労働者の交渉力は大きく低下する。所得はAI技術を保有する企業や一握りの巨大企業へ集中し、一般の労働者に配分される所得の割合は縮小していく。

中間層の家計は経済を支える最大の消費者である。その所得が減少すれば、小売店や中小企業の売り上げは落ち込み、投資は停滞し、廃業が相次ぐようになる。その結果、経済は需要不足、低賃金、慢性的な不完全雇用に苦しむ低成長の悪循環へと陥る恐れがある。

税収の減少が福祉国家を弱体化させる

その圧力はやがて財政にも及ぶ。

多くの政府歳入は中間層に依存している。所得税、消費税、社会保険料はいずれも安定した雇用と賃金によって支えられている。賃金所得が減少し、安定した雇用が縮小すれば、政府の税収も減少する。

一方で、失業給付、職業訓練、医療、所得支援を必要とする人々は増加する。政府は「税収は減る一方で支出は増える」という財政的な板挟みに直面することになる。IMFは2026年のAI・労働市場・公共政策に関する分析で、このリスクを警告している。

公的年金制度は、現役世代が納める保険料によって高齢者を支える賦課方式に依存している。医療制度もまた、健康な人々の拠出によって病気の人々を支えている。こうした制度では、負担する人の数が減れば持続可能性は失われる。その結果、政府は給付の削減や利用者負担の引き上げ、家計への負担転嫁を余儀なくされる可能性がある。これは国連社会開発研究所(UNRISD)の報告書『AIと社会契約の未来』でも指摘されている。

公共サービスと民主主義への圧力

歴史が示しているように、その次に訪れるのは緊縮財政政策である場合が少なくない。

Bill Shoulder

財政圧力を受けた政府は、消費税を引き上げ、公共サービスの利用料を値上げし、給付の対象を厳格化し、公共支出を削減する傾向がある。

財政が悪化すると、教育、医療、介護、社会保障は「合理化すべき予算項目」として扱われがちになる。しかし、これらは本来、人権であり、社会を支える不可欠な公共サービスである。

その結果、富裕層だけが質の高い民間サービスを利用でき、多くの人々は質の低下した公共サービスに頼らざるを得ない「二層社会」が生まれる。

経済的不安は民主主義への信頼も損なう。

働いても生活が安定せず、公的機関も自分たちを守ってくれず、技術革新の恩恵が一部の富裕層や巨大企業だけに集中していると人々が感じれば、不満は蓄積し、社会の分断は深まる。

その結果、特定の集団をスケープゴートに仕立てる動きが強まり、監視や情報操作、より権威主義的な統治への支持も広がりやすくなる。とりわけAIそのものが情報空間や世論形成を操作する手段として利用されれば、その危険性はさらに増す。

AIによる雇用の減少は税収基盤を弱体化させ、年金や医療、教育など福祉国家を支える社会保障制度の持続可能性に深刻な影響を及ぼす恐れがある。画像:INPS japan
AIによる雇用の減少は税収基盤を弱体化させ、年金や医療、教育など福祉国家を支える社会保障制度の持続可能性に深刻な影響を及ぼす恐れがある。画像:INPS japan

未来は私たちの選択にかかっている

しかし、こうした未来は決して避けられない運命ではない。

ノーベル経済学賞受賞者のダロン・アセモグル氏とサイモン・ジョンソン氏が指摘するように、AIが社会にもたらす影響は、技術そのものよりも、それをどのような政治的・経済的選択のもとで活用するかによって決まる。

政府はAIによって生み出される巨額の超過利益や市場支配力に課税することができる。その財源を活用して、需要を維持し、人々の所得を保障しながら社会の移行を支えることも可能である。

また、教育、医療、社会保障などの公共サービスを、人権としてさらに充実させるべきである。

さらに政府は、AIの導入方法について、労働者や市民が実質的に意思決定に参加できる仕組みを整えなければならない。同時に、AIが偽情報や監視を通じて民主主義への信頼を損なうことがないよう、適切な規制を整備する必要がある。

AIはすでに社会を大きく変え始めている。

今問われているのは、その莫大な恩恵を社会全体で公平に分かち合い、すべての人々の繁栄につなげることができるかどうかである。そして、安定と尊厳ある社会を支えてきた「社会契約」を維持できるかどうかである。

その選択は、まだ私たちの手に委ねられている。

しかし、その猶予は決して長くはない。

イザベル・オルティスは、「グローバル・ソーシャル・ジャスティス」代表。国際労働機関(ILO)およびユニセフの局長を務めたほか、国連およびアジア開発銀行(ADB)の上級職員を歴任した。ビル・ショルダーはAIソフトウェアエンジニア・研究者。人工知能および国際プロジェクト・マネジメントを専門としている。
SDGs for All Banner 3
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INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

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なぜ今、「世界市民」がこれまで以上に重要なのか

―ロベルト・サビオ氏が語る「相互依存する世界」と市民の責任ー

ローマINPS Japan=浅霧勝浩】

国際通信社インタープレスサービス(IPS)の創設者ロベルト・サビオ氏は、ローマで行ったINPS Japanの独占インタビューで、気候変動、戦争、格差、人工知能(AI)など複雑に絡み合う地球規模課題に向き合うためには、「相互につながる世界を理解すること」が、現代の市民に求められる最も重要な責任の一つであると語った。|英語版中国語ノルウェー語インドネシア語

Dr. Roberto Savio
ロベルト・サビオ博士

教育者ジュリアーノ・リッツィ氏との共著『The Global Citizen Handbook』でサビオ氏が問いかけているのは、世界市民とは何かという抽象的な理念ではない。複雑に相互依存する現代世界を理解し、その理解を判断と責任ある行動へと結び付ける、市民の在り方である。

サビオ氏は、新著について語り始める前に、まず今日の若者について語った。

「今日の大学卒業生が直面している不確実性は、その親世代、まして祖父母世代が経験したものとは本質的に異なります。」

第二次世界大戦後の世代は、破壊された都市を受け継いだ。しかし同時に、復興によってより良い世界を築けるという希望も持っていた。国際連合の創設は、その希望を象徴する出来事だった。

1990年代には、工業化、技術革新、経済成長が、安定した雇用、持ち家の取得、将来への安心という現実的な期待を支えていた。

しかし今日の若者が受け継いだ世界は、大きく様変わりしている。気候変動、地政学的対立、拡大する格差、不安定な金融市場、人口減少、武力紛争、そしてAI――。こうした課題が同時に進行することで、過去のどの世代も経験したことのないほど深い不確実性が生まれている。

A new generation faces a world shaped by interconnected crises—from climate change and conflict to inequality and artificial intelligence—raising profound questions about the future of global citizenship. Credit: AI-generated illustration. Image: INPS Japan
気候変動、紛争、格差、人工知能(AI)など、相互に結び付いた地球規模の危機に直面する新しい世代。その現実は、「世界市民」とは何か、そしてその未来を私たちに問いかけている。画像:INPS Japan

しかしサビオ氏によれば、問題は現実の不確実性だけではない。

より深刻なのは、「理解の危機」である。

現代人は、かつてないほど多くの情報に接している。ニュースは瞬時に世界を駆け巡り、AIは膨大な情報を数秒で要約する。だが、気候変動、移民、民主主義、戦争、金融、AIといった出来事は、それぞれ独立した問題として報じられがちであり、その相互のつながりは見えにくくなっている。

An endless stream of disconnected information can make today’s global crises appear overwhelming. The Global Citizen Handbook argues that understanding the connections between them is the first step toward informed citizenship. Image:INPS Japan
地球規模の課題は、もはや個別に切り離して捉えることはできない。気候変動、移民、経済不安、人工知能(AI)、民主的統治がますます相互に結び付く中で、それらの関係性を理解することは、市民としての不可欠な責任となっている。画像:INPS Japan

「一般市民は百科事典ではありません。」

サビオ氏はそう語る。

情報が断片化するほど、人々は世界全体を理解できなくなり、「自分には何も変えられない」という無力感を抱くようになる。サビオ氏は、この「理解の危機」こそが、デジタル時代の民主主義にとって最も大きな課題の一つだと考えている。

市民が社会を動かしている力を理解できなければ、公共の議論に意味ある形で参加することはできない。民主主義は、単に選挙によって維持される制度ではない。市民が世界を理解し、判断し、行動する力によって支えられる営みなのである。

こうした問題意識から生まれたのが、『The Global Citizen Handbook』である。

本書は、統計や専門知識を並べた従来型の参考書ではない。各章では、国際機関の報告書や学術研究に基づいて地球規模課題を解説するとともに、同様の課題に取り組んできた地域社会やコミュニティの事例を紹介する。そして各章の最後には、読者自身が立ち止まり、自ら考えるための問いが用意されている。

目的は、知識を増やすことではない。

情報を理解へと深め、理解を判断へ、そして判断を責任ある社会参加へとつなげることである。

A visual reflection of The Global Citizen Handbook: the promise and perils of artificial intelligence and digital technology, set alongside the authors’ call for active, informed global citizenship grounded in human dignity, shared responsibility and hope. Image: INPS Japan
人工知能(AI)は、教育、医療、知識へのアクセスを前進させるかつてない可能性をもたらしている。しかし、その恩恵が真に生かされるかどうかは、民主的なガバナンス、倫理的な管理、そして十分な知識を備えた世界市民の存在にかかっている。画像:INPS Japan

ジャーナリズムから教育へ――世界市民を育むという共通の理念

サヴィオ氏にとって、『The Global Citizen Handbook』は、それまでの歩みから新たに方向転換した仕事ではない。

むしろ、60年以上にわたるジャーナリスト人生の自然な延長線上にある。

Credit: INPS Japan

1964年、ローマでインタープレスサービス(IPS)を創設したサビオ氏は、単に新しい国際通信社をつくろうとしたのではなかった。

彼が目指したのは、世界のジャーナリズムの「地理」を変えることだった。

当時、国際報道の多くは政治・経済大国の視点から発信されていた。これに対しIPSは、それまで世界の主要メディアではほとんど取り上げられることのなかった人々の声や経験に光を当て、国際社会の対話を広げようとした。

その理念は後に、「声なき人々に声を与える(Giving Voice to the Voiceless)」という言葉で広く知られるようになる。

しかしサビオ氏にとって、この言葉の意味は、単に社会的に弱い立場の人々を報じることではない。

遠く離れた場所で起きている出来事が、自分たちの暮らしとどのようにつながっているのかを、市民一人ひとりが理解できるようにすることこそ、ジャーナリズムの本来の役割だと考えてきたのである。

Katsuhiro Asagiri(Left) and Dr. Roberto Savio (Right)
浅霧勝浩(左)、ロベルト・サビオ博士(右)

今回のインタビューでサビオ氏は、その歩みを振り返りながら、2009年にIPS、INPS Japan、創価学会インタナショナル(SGI)が開始した国際メディア協力について語った。

この協力は、「核兵器のない世界」を担う世界市民を育むことを目的に始まり、以来、INPS Japanは日本の拠点として、多言語による報道とナレッジプラットフォームを通じて、核軍縮、持続可能な開発、人権、気候変動など、相互に結び付いた地球規模課題を伝え続けてきた。

Roberto Savio (far left), then Deputy Director of the World Political Forum (WPF), welcomes a Soka Gakkai International (SGI) delegation led by Hiromasa Ikeda (center) at a 2009 international conference on nuclear abolition organized by the WPF, founded by former Soviet President Mikhail Gorbachev (second from left). The meeting marked the starting point of the long-standing media partnership between Inter Press Service (IPS) and SGI. Photo: Francesca Palozzo/WPF.
ロベルト・サビオ氏(左端、当時世界政治フォーラム〈WPF〉副代表)が、旧ソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフ氏(左から2人目)が創設した世界政治フォーラム(WPF)の2009年核兵器廃絶国際会議において、池田博正氏(中央)率いる創価学会インタナショナル(SGI)代表団を迎えた。この会合は、インタープレス・サービス(IPS)とSGIによる長年にわたるメディア・パートナーシップの出発点となった。写真:Francesca Palozzo/WPF.
2009年4月に開始されたIPSとSGIのメディア協力について、ロベルト・サヴィオ博士と池田大作博士がメッセージを寄せた2010年年次報告書より。
2009年4月に開始されたIPSとSGIのメディア協力について、ロベルト・サヴィオ博士と池田大作博士がメッセージを寄せた2010年年次報告書より。資料:INPS Japan

サヴィオ氏は、協力開始翌年の2010年に刊行された最初の年次報告書に寄せられた、創価学会第三代会長・池田大作博士のメッセージを懐かしく振り返った。

「今読み返しても、あのメッセージは少しも色あせていません。」

そう語ったサヴィオ氏は、『The Global Citizen Handbook』で示した問題意識とも深く響き合っているとして、池田博士の言葉にあらためて言及した。

池田博士は、そのメッセージの中で教育の意義について、次のように記している。

「ここに、最も広い意味での教育の重要性があります。人々が正確な知識を身につければ、自ら何をなすべきかを自然に理解するようになります。そして身近な人々と対話を重ねる中で、ともに学び、最善かつ最も効果的な行動の在り方を探求していくことができるのです。」

さらに池田博士は、教育におけるメディアの役割について、次のように述べている。

「この教育のプロセスにおいて、メディアは極めて重要な役割を担っています。客観的な情報を広く提供し、多様な視点から分析を行うことで、課題の本質と、その解決に向けて取るべき行動をより明確に示すことができるのです。」

そして、IPSとSGIの協力については、次のように記している。

「IPSは『声なき人々に声を与える』ことを特別な使命として掲げています。一方、創価学会インタナショナル(SGI)は、市民社会の立場から平和の文化を築くことに力を注いでいます。この極めて重要な課題の解決を探る対話の場を提供する本プロジェクトにおいて、IPSと協力できることを大きな喜びとしています。」

サヴィオ氏は、15年以上を経た今も、この理念が変わることなく受け継がれていることを何よりもうれしく思うと語った。

また、自身も同じ年次報告書に寄せたメッセージの中で、この多言語メディア・プラットフォームが、「希望に満ちた楽観主義(sanguine optimism)」へと登るための「ベースキャンプ」となることを願ったことを振り返った。

「当時描いたビジョンが、今日まで発展を続けていることを、大変うれしく思っています。」

サヴィオ氏にとって、IPS JapanとSGIの協力は単なるメディア事業ではない。

独立したジャーナリズム、教育、そして対話が結び付くことで、人々が世界を理解し、責任ある世界市民へと成長していく―その可能性を示す実践なのである。

ロベルト・サビオ氏はジャーナリスト、コミュニケーション専門家、政治評論家であり、社会正義と気候正義の活動家、そしてグローバル・ガバナンスの提唱者である。1964年、国際通信社インタープレスサービス(IPS)を創設し、長年にわたり同社の事務局長を務めた。現在は、Other Newsの創設者兼会長であり、同メディアの中心的な発信者でもある。ミハイル・ゴルバチョフ氏が創設したニュー・ポリシー・フォーラム(旧ワールド・ポリシー・フォーラム)の科学評議会副議長を務めるほか、世界社会フォーラム国際委員会のメンバーでもある。(WSF). 

INPS Japan

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世界政治フォーラムを取材

西アフリカ・ベナン、女性たちが何世紀も続く製塩法を持続可能なものへ

ベナン・ウィダーIPS=ネハ・バンカ

正午にはまだ早い時間、西アフリカ・ベナンのジェグバジ村郊外の浜辺近くで、女性たちの一団が座り込み、ギニア湾の海から採取した塩の山をふるいにかけている。黒い防水シートで覆われた大型のコンクリート槽には、海水がベナンの真昼の太陽の下でゆっくり蒸発するにつれ、白い塩の沈殿物が残っている。ただし、彼女たちが使っているのは火ではなく、太陽エネルギーである。|英語版

女性たちは、「ProSELベナン」と呼ばれる草の根プロジェクトの一環として働いている。この事業は、ベナン政府に加え、インド、ブラジル、南アフリカ(IBSA)各国政府、そして国連開発計画(UNDP)の協力によって進められているもので、地域の製塩コミュニティが持続可能なエネルギー源を利用し、地元産ヨウ素添加塩の生産・販売に向けた中規模事業を育てられるよう支援することを目的としている。

製塩は、ベナン南部とその周辺に暮らす人々にとって、主要な収入源の一つである。

何世代にもわたる伝統

Map of Benin. Credit:Wikimedia Commons.
Map of Benin. Credit:Wikimedia Commons.

「ベナンの沿岸部では、女性たちが海岸湿地から塩をすくい取ります。小屋を建て、その中で大きな鍋を使い、直火で塩水を煮詰めるのです。そして、その“煮た塩”を市場や道端で売ります。さまざまな理由から、これは健康に良くない作業です。」と語るのは、2021年から2024年まで南アフリカの駐ベナン・トーゴ大使を務め、IBSA支援プロジェクトの実施に深く関わったロビナ・マークス氏である。

ベナンでは、塩を採取して煮詰める伝統的な製塩法が、少なくとも15世紀から行われてきた。主に女性たちが担ってきたこの方法では、塩分を含む土を集め、水分を蒸発させ、刻んだマングローブ材を燃やして塩水をろ過し、塩を作る。

しかし、この作業は、塩の採取方法や製造環境のため、女性たちの健康に悪影響を及ぼしてきた。

「非常に時間がかかり、労力も大きいのです。」とマークス氏は言う。

ProSELベナンは、この伝統的な方法を変え、塩の採取と生産をより健康的で清潔なものにしようとしている。

この地域のコミュニティにとって製塩は重要な収入源だが、その一方で、マングローブの伐採に大きく依存してきた。

ProSELベナンの調査によれば、ベナン沿岸部では、在来の製塩に使う薪として、毎年およそ2万立方メートルのマングローブ材が伐採されている。

UNDPとベナン政府が新しい製塩法について協議を始めたのは、約5年前のことだった。

「しかし、この発想は現場の人々、つまり必要に直面していた人々から生まれたものです。ベナン政府が事業を構想し、UNDPと協力したいと考えたのです」と語るのは、2020年から2024年までUNDPベナン常駐代表を務め、この事業の形成に重要な役割を果たしたアワレ・モハメド・アブシール氏である。

アブシール氏によれば、ProSELベナンは、2030アジェンダの17の持続可能な開発目標(SDGs)のうち、3つの目標――ジェンダー平等、働きがいも経済成長も、つくる責任・つかう責任――を推進する取り組みである。この事業は、ベナンの農村女性が清潔な塩を作って販売し、自立できるよう支援することを目指している。

2021年、インド・ブラジル・南アフリカ貧困・飢餓緩和基金の理事会は、この製塩事業を実施するため、UNDPに100万米ドルを拠出した。

IBSAは、3つの途上国による協力の一例であり、国連の枠組みの中でグローバル・サウスの途上国間の開発協力に焦点を当てた、南南協力の取り組みでもある。

60歳のセシル・コフィ氏が初めてこの製塩事業を紹介されたとき、伝統的な製塩法から切り替えるよう説得するには時間がかかった。

「塩にはたくさんの意味があります。塩は、この地域の女性たちにとって本質的なものなのです」とコフィ氏は、その日の収穫分の塩を確かめながら語る。

ベナンにおいて塩は文化的にも重要であり、その用途は料理にとどまらない。

「塩は食べ物として使われるだけではありません。文化的な側面もあります。神聖なものとみなされ、多くのヴォドゥンの儀式にも使われています」とマークス氏は言う。

「私たちは市場で品物を売るとき、店を構える前に地面に塩をまき、それを掃き集めます。そうすれば悪い霊がすべて去っていくと信じられているのです。塩はとても大切です。たくさんの儀式で使います。」とコフィ氏は語る。

こうした根深い文化的信念が、ベナン政府の支援を受けたProSELベナンであっても、女性たちに変化を受け入れ、適応してもらうことを難しくした理由の一つだったと、アブシール氏は説明する。

Julienne Dekon collects saline water using the traditional method to make salt in rural Benin. Credit: Neha Banka/IPS
Julienne Dekon collects saline water using the traditional method to make salt in rural Benin. Credit: Neha Banka/IPS

伝統的な製塩は、ベナン沿岸部に暮らすXwlaの人々によって行われてきた文化的な営みである。村の塩生産者による伝統的製塩には、作業日、村の神々などに関する多くの禁忌が伴う。

「『Xwlajè』という名称も、Xwla民族と密接に結びついています」と、ProSELベナンの全国プロジェクト責任者であるリュック・オバレ氏は言う。ベナン政府は、この塩を文化的起源を示す「Xwlajè」というラベルで販売できるよう、認証に取り組んできた。

「古い方法は、彼女たちにとって祖先から受け継いできた塩作りの方法です。ですから、そこには意味があります。何かの作り方を変えると、否定的な影響があると考える人もいます。女性たちは事業が始まる前から海から直接塩を取ることもできたはずですが、そうしてこなかったのには理由があるのです」とアブシール氏は語る。

ProSELベナンは、伝統的に塩が採取されてきたベナン沿岸部の5地域――セメ・クポジ、グラン・ポポ、ウィダー、クポマセ、コメ、ロコサ――を対象としている。

「他の地域では、人々は海水を使って塩を作ることに比較的前向きでした。しかし、ウィダーは特別です。ウィダーはウィダーなのです。人々は、最良の塩は乾燥させるのではなく、煮て作るものだと信じています。煮なければならないと考えているのです。」とアブシール氏は説明する。

現場からの介入

ProSELベナンは、地元の塩をより清潔で環境に持続可能なものにしようとする初めての介入事業ではない。しかし、現場担当者たちが実際に事業を立ち上げることに成功したため、成果を上げていると、UNDPのプロジェクト・コーディネーターであるセシ・マルレーヌ・カポ=チチ氏は言う。

「これまで多くの団体が、地域社会にやり方を変えるよう説得することに苦労してきました。」と同氏は語る。

ProSEL事業が進められている浜辺から500メートルほど離れたジェグバジ村の一角には、沿岸ラグーンがあり、そこでは女性たちが茅葺き小屋の連なる一帯で、伝統的な方法によって塩を作っている。

「伝統的な製塩法は、より重労働です」と、45歳のジュリエンヌ・デコン氏は、自分の周囲に広がる湿地から集めた塩分を含む土で重くなった籐かごを持ち上げながら語る。

近年、ベナン政府はマングローブの伐採を禁じており、女性たちは燃料として、乾燥したヤシの葉やココナツの殻を使うよう促されている。

デコン氏は、友人の多くがProSEL事業に参加し、海水を使った現代的な製塩法に切り替えた今も、自分は伝統的な方法で働き続けたいと言う。

小屋の中で塩水を煮始めると、煙が狭い空間いっぱいに立ち込める。

「たくさん働かなければならないときは、確かに疲れます。でも、これが健康にどのような影響を与えるのかは、あまり知りません。」とデコン氏は語る。

デコン氏は、自分がいつ製塩を始めたのか覚えていない。ただ、非常に長い間この仕事を続けてきたため、いまでは伝統的な方法で塩を作ることに慣れている。

「浜辺の方法、つまりProSELの方法は簡単です。でも雨が降ると、外では作業できません。私は土を集めて屋内で煮始めるので、雨の中でも塩作りを続けることができます。2つのやり方はまったく違います。」とデコン氏は言う。彼女が言及しているのは、海沿いに設置された屋外のコンクリート製塩槽であり、天候の変化に左右されやすい。

とはいえ、雨天は伝統的な方法で働く女性たちにも影響する。

ベナンでは4月から8月にかけて雨季を迎え、9月から11月にも短い雨期がある。ラグーン近くの低地に広がる湿地は、洪水に見舞われやすい。

「雨季には、伝統的な製塩が行われている場所に入れなくなります。完全に水没してしまうため、1年の半分以上、塩を生産できません。だからこそ、私たちは女性たちにProSEL方式へ移行するよう働きかけています。彼女たちに代替手段を提供する必要があったのです」とアブシール氏は語る。

雨そのものは天気を見ながら避けることができるが、長引く洪水を避けるのは難しいと同氏は言う。

アブシール氏によれば、この事業では、女性たちが海水を使えるようにすることで、年間を通じて塩を作り、安定した収入を得られるようにすることに重点を置いた。

「海水を使って塩を作る方が、体への負担は少ないのです。水を汲んで、太陽で蒸発させればよいだけです。煮る必要がなく、安全です。収入を増やすこともできます」とアブシール氏は語る。

デコン氏が働く場所から未舗装の道を少し下ったところでは、1人の女性が幹線道路沿いで塩を売っている。

デコン氏のように伝統的な方法で作った塩と、ProSELベナンに参加する女性たちが作った塩との違いは明らかだ。伝統的な塩は、黄色がかった茶色に灰色の筋が混じって見える。これは、ろ過工程が不十分なために生じる色である。一方、ProSELベナンの塩は清潔な白色で、袋詰めする直前に女性たちがヨウ素を混ぜて強化している。

地元市場や道端で売られる伝統製法の塩は、1キログラム入りでおよそ800西アフリカCFAフラン、約2米ドルで販売される。一方、ProSELベナンで作られた同量の塩は、1,000CFAフランで販売される。

公共消費に向けて

ProSELの調査によれば、ベナンには塩を採取する女性が約4,000人いる。同国は、実際に必要とする塩の大半をガーナ、セネガル、インドなどから輸入している。国内の在来型製塩が供給できる量は、国内需要のごく一部にとどまっているからだ。

関係者たちは、女性たちにより清潔な塩の作り方を教えるだけでは不十分であり、販売先となる市場へのアクセスも必要だと認識した。事業が参入を目指している市場の一つが、国連ベナン事務所のもとで活動する世界食糧計画(WFP)である。WFPは、毎年100万人を超える子どもたちに学校給食を提供している。WFPは、ProSELのもとで女性主導の協同組合が生産する塩を購入し、使用することが可能かどうかを調べるための調査を進めている。

ベナン政府は、収穫された塩について野心的な計画を持っている。

2025年12月、ベナンの食品安全機関ABSSA、すなわちベナン食品衛生安全庁は、この塩を公共消費向けとして認証した。その後、この塩は「Xwlajè」というラベルで販売される準備が整えられた。

現在、Xwlajè塩は、コトヌー市内の7つのスーパーマーケット・チェーンのほか、ポルトノボ、コトヌー、コメの各自治体にある独立店舗で販売されている。

「さらに、コトヌー国際空港の免税店でXwlajè塩を販売するための手続きも進められています。」とオバレ氏は語る。

アブシール氏によれば、従来は6時間かかっていた作業が、今では2時間で済むようになった。何世代にもわたり特定の方法に慣れ親しんできた人々を説得する必要があったため、変化をもたらすことは難しかったと同氏は言う。

女性たち、彼女たちの生活をなお管理する立場にある夫たち、首長、市長、地域の指導者たちの信頼を得ることなしには、ほとんど何もできなかっただろうと、同氏は認める。

「現地チームは女性たちのもとに足を運び、彼女たちの必要を理解しました。そうすることで、配慮すべき感情や価値観を理解し、事業を受け入れてもらえるようにしたのです。ベナンでは、外部の人間が来て、何をすべきかを指示するのは非常に難しいのです。」

アブシール氏は、地域社会の中に事業への不信感が生まれれば、これまで積み上げてきた成果が失われる危険性が高いと語る。

「彼女たちは変化を受け入れつつあります。今、私たちは貯蔵施設や機械を保管するための建物などを整備しようとしています。敏感な段階ではありますが、うまくいくと期待しています。」

ベナン政府はここ数年、観光を優先課題としてきた。在来の製塩文化は、観光客にベナン文化を紹介する計画の重要な一部である。

ProSEL事業は、伝統的な製塩法を完全になくすことを目的としているわけではないと、オバレ氏は言う。

「現代的な製塩施設は、伝統的な生産地から遠くない場所に設置されています。観光客が2つの製塩方法の違いを見られるようにするためです。」と同氏は説明する。

20代の若い母親ミレイユ・アジョヴィ氏は、眠る乳児を背負ってProSELの作業場に来ている。

「得たお金で、子どもたちの面倒を見ることができます。学校にも通わせられるようになります。私は自分のことは最後に考えます。まず夫と子どもたちです。男性も家計にお金を出してくれるかもしれませんが、女性はそれでも多くの苦労をしています。女性が何か必要としても、夫は必要な額ではなく、自分が渡したい額を渡すだけです。男性は女性のことを考えてくれません。だから、この事業は私が自分のお金を稼ぐ助けになっているのです。」とアジョヴィ氏は語る。

アジョヴィ氏のような女性にとって、塩作りは単に前の世代の女性たちが担ってきた仕事を受け継ぐことだけを意味するのではない。

彼女は国連のSDGsが何であるかも、IBSAが何を意味するのかも知らない。しかし、ProSELベナンでの仕事は、女性主導の協同組合の中で共同作業をしながら、自らの健康と福祉を優先できる機会を与えている。

作業場で働く他の女性たちと話すとき、彼女はまた、自分がいま手にしている、苦労の末に得た自立と自助の力についても考えている。

This article is produced to you by IPS NORAM, in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC. 

INPS Japan

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「世界は何をなすべきかを知っている」―新SDG報告書、戦争終結と「人への投資」拡大を訴え

【スリナガル(インド)/パリIPS=ウマル・マンゾール・シャー】

2030年の持続可能な開発目標(SDGs)達成期限まで残り数年となる中、国連の最新報告書は、経済的不確実性、気候変動、紛争、地政学的緊張の高まりが、各国の目標達成を妨げていると警告した。|英語版

国連持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)が発表した「持続可能な開発報告書2026」によると、世界全体で達成に向けて順調に進んでいるSDGターゲットは5分の1に満たない。

報告書の著者らは、国連加盟国の大多数は依然としてSDGsの枠組みに支持を表明している一方で、少数の国、とりわけ米国が、持続可能な開発という考え方と、それを支える多国間機関に対して積極的に反対する立場へと転じていると指摘している。

Jeffrey Sachs
Jeffrey Sachs

SDSN会長で報告書の主執筆者の一人であるジェフリー・D・サックス教授は、一定の成果を認めつつも、紛争が目標達成に深刻な影響を及ぼしていると述べた。

持続可能な開発を世界の基本的な枠組みとして支持する姿勢は、世界中でなお強い。東アジア、南アジアをはじめ、多くの国や地域で注目すべき成功例も生まれている。しかし、紛争が続く中で持続可能な開発を実現することはできない。だからこそ、平和こそが私たちの時代における最優先課題なのである。」とサックス氏は語った。「2030年という節目が近づく中、持続可能な開発の次の時代には、実施を重視し、あらゆるレベルで十分な資金調達と効果的なガバナンスを確保することに世界的な重点を置かなければならない。」

報告書は、とりわけアジアにおける前向きな進展を強調している。インドや中国などの国々は、2015年にSDGsが採択されて以降、最も速い進展を遂げた国々に含まれている。

今回の報告書は、各国政府が2030年以降にSDGsの後に続く枠組みについて議論を始める重要な時期に発表された。一方で、多くの国々は経済的不確実性、気候変動、紛争、地政学的緊張の高まりに直面し続けている。

報告書は「SDGsへのコミットメントは世界的に依然として強い」とし、多くの国々が国連における持続可能な開発関連の決議を引き続き支持していると指摘している。

SDGsは2015年、貧困を終わらせ、地球を守り、すべての人に繁栄をもたらすための普遍的な青写真として、国連加盟193カ国すべてによって採択された。目標は、飢餓、保健、教育、ジェンダー平等、気候行動、平和と司法など、幅広い課題を対象としている。

Sustainable Development Report 2026

採択から11年を経た今回の報告書は、進展が不均衡であると結論づけている。

世界全体では、2030年までに達成軌道に乗っているSDGターゲットは16・5%にすぎない。最も大きな進展が見られるのは、インターネット利用、モバイル・ブロードバンド契約、電力へのアクセス、若年層の出生率低下、新規HIV感染の減少などの分野である。

一方で、世界が抱える最も大きな課題の一部は、依然として解決から遠い。

飢餓、持続可能な農業、汚職、報道の自由、効果的な司法制度に関するターゲットは、達成から最も遠い分野に含まれている。報告書は、SDG2「飢餓をゼロに」とSDG16「平和と公正をすべての人に」を、最も深刻な後退に直面している分野として挙げた。

戦争、政治的不安定、脆弱な財政に苦しむ国々は、引き続き遅れを取っている。

SDG指数では、フィンランドが世界首位の座を維持し、スウェーデン、デンマークがそれに続いた。しかし、こうした上位国であっても、責任ある消費、気候行動、生物多様性の保護といった分野で大きな課題を抱えている。

ランキングの下位には、チャド、中央アフリカ共和国、南スーダンなど、紛争と不安に苦しむ国々が並んだ。

報告書の最も強い指摘の一つは、持続可能な開発の前進における東アジアと南アジアの役割の拡大である。

調査によると、東アジアと南アジアは2015年以降、SDGの進展において他のすべての地域を上回った。開発水準が比較的低いところから出発した新興経済国は、多くの富裕国よりも速い進展を示している。

報告書によれば、主要国の中で最大の改善を記録したのはインドとエチオピアで、2015年以降、それぞれSDGスコアを9・6ポイント、9・7ポイント改善した。フィリピンとベトナムも大きな前進を示した。

報告書は、インドが2015年以降、SDGランキングで18位上昇し、主要経済国の中で最大級の改善を遂げたとしている。中国も同じ期間に14位順位を上げた。

「東アジアと南アジアの国々は、2015年以降、他のどの地域よりも大きなSDGの進展を達成した」と報告書は述べている。

研究者らは、この進展の多くを、サービスへのアクセス、インフラ、金融包摂など、社会経済指標の改善によるものと分析している。ただし、多くの国で環境目標はなお課題として残っている。

報告書に掲載されたインドの国別プロフィールでは、インターネット利用、デジタルサービス、農村道路の整備、オンライン行政サービスへのアクセスに進展が見られる。一方で、大気汚染、都市の生活環境、研究投資などの分野では課題が残っている。

持続可能な開発への支持は広く維持されているものの、報告書は国際協力に対する圧力の高まりに懸念を示している。

新たに設けられた「国連を基盤とする多国間主義への各国支持指数」では、国連加盟193カ国の中でバルバドスが首位となり、米国は最下位となった。

バルバドス、アンティグア・バーブーダ、ウルグアイ、トリニダード・トバゴ、モルディブをはじめとする複数の途上国が、同ランキングの上位を占めている。

さらに報告書は、米国について、多国間協力への支持を測る六つの指標すべてで弱い結果を示す「統計上の外れ値」と表現した。報告書によれば、米国はSDG関連決議に反対し、2026年初頭には60を超える国際機関から脱退した。

「米国と同じ投票行動を取る国連加盟国の割合は、世界のすべての地域で急激に低下している。」と報告書は述べている。さらに、米国が2025年の国連総会の記録投票において国際的多数派と同じ立場を取ったのは、わずか5%だったと指摘している。

インドは、カナダ、イタリア、韓国、エジプトと並び、国連を基盤とする多国間主義に対して中程度の支持を示す国に分類された。

報告書はまた、軍事支出の増大と紛争への関与の拡大が、世界各地で多国間協力への支持を弱めていると警告している。

多国間主義について、SDSN副会長であり、報告書の主執筆者および調整役を務めたギヨーム・ラフォルチュン博士は、地政学的逆風が多国間システムの強靱性を試していると述べた。

SDGs logo
SDGs logo

「今こそ、すべての国が国連憲章の原則、とりわけ第1条から始まる諸原則を再確認し、信頼に足る世界および地域の安全保障体制を築くために協力することが求められている。持続可能な開発の次の時代は、改革された国際金融アーキテクチャを通じた実施、大陸・地域・地方レベルの機関のより大きな関与を優先しなければならない。同時に、説明責任、革新、現場での解決策を推進するうえで、市民社会と大学が中心的な役割を果たす必要がある。」

報告書はランキングや統計に加え、SDGs達成の障害について、専門家および127カ国の1,000人を超える回答者を対象に実施した調査結果も盛り込んでいる。

最も頻繁に挙げられた障害は、政治的意思の欠如、承認済み政策の実施不全、ガバナンスの失敗、汚職、公共参加の弱さ、資金不足だった。

調査参加者はまた、気候変動、脆弱な監視体制、制度間調整の分断も主要な障害として挙げた。

報告書によると、回答者の89%が、承認された戦略を実施できていないことを主要な障害と捉え、87%が地政学的緊張を進展に対する重大な障壁と見なしている。

東アジアと南アジアの回答者は、北米やラテンアメリカの回答者と比べ、自国の進展について概してより前向きな見方を示した。

報告書は、今後の世界的な開発努力においては、新たな目標を作ることよりも、実施を確実にすることに重点を置くべきだと主張している。

研究者らは今後数年間の八つの優先課題を提示した。その中には、戦争の終結、軍事支出を人間開発へ振り向けること、長期投資計画の採用、地域協力の強化、新たな国際的資金調達メカニズムの創設、人工知能やバイオテクノロジーなど新興技術のためのガバナンス枠組みの確立が含まれている。

報告書はまた、アジア、アフリカ、ラテンアメリカに新たな国連キャンパスを設置することを提案し、説明責任、オープンデータ、参加型意思決定の制度を強化するよう求めている。

「ポスト2030アジェンダにとって、実施の強化こそが最重要課題である。」と報告書は記している。

SDG達成期限まで4年を切る中、報告書は、持続可能な開発の未来は新たな約束にかかっているのではなく、各国政府と諸機関がすでに交わした約束を実行できるかどうかにかかっていると強調している。

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

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ユキヒョウと人びとが共生するシッキムの高山地帯

【インド・シッキムIPS=ディワシュ・ガハトラージュ】

会話が始まる前に、まず紅茶が運ばれてくる。

ジャヤンタ・ムキアは木製のテーブルに2杯の紅茶を置き、その日の午後に到着したばかりの夫婦の向かいに椅子を引き寄せて座った。2人はトレッキングポールとリュックサックを携え、インドのカンチェンゾンガ国立公園の奥深くへと続くゴエチャラ・トレイルを歩くためにやって来た。出発は2日後。その前に、彼女には伝えておきたいことがあった。

ジャヤンタは、登山者が持ち込んだごみがその後どうなるか知っているかと尋ねる。持ち帰られるものもあれば、そうでないものもある。

Jayanta Mukhia outside the Chungda Hidden Family Homestay in Yuksom, West Sikkim. Credit: Diwash Gahatraj/IPS
西シッキム州ユクソムにあるチュンダ・ヒドゥン・ファミリー・ホームステイの前に立つジャヤンタ・ムキア氏。写真:Diwash Gahatraj/IPS

高地の守護者

Location of Shikkim in India. Wikimedia Commons

ユクソムの背後に広がる高山草原では、登山道が氷河へと続いている。岩に引っ掛かったビニール袋は冬を越してもそのまま残る。軍の駐屯地、観光客、トレッキング隊―誰もが何かを置き去りにする。そのごみは野犬の餌となり、野犬たちは夜になるとユキヒョウが行き来するのと同じ生態回廊を徘徊する。

ジャヤンタの夫、チュンダ・シェルパは、ゴエチャラ・ルートを知り尽くしたベテランのトレッキングガイドだった。2012年、ユクソムに「チュンダ・ヒドゥン・ファミリー・ホームステイ」を開業し、現在は予約管理や広報活動、さらにはオンラインでの情報発信を通じて遠方の都市から宿泊客を呼び込んでいる。

一方、ジャヤンタはそれ以外のすべてを切り盛りする。厨房、宿泊客の世話、木のテーブルを囲んだ語らい、そして「ここに泊まる人には、公園を訪れた時よりもきれいな状態で後にしてほしい」という静かな信念である。

「このホームステイの年間収入は約80万~100万ルピー(約8,400~1万500ドル)です。その収入があるのは、この国立公園があるからです。」と彼女は語る。

カンチェンゾンガ保全委員会(KCC)のツェリン・ウデン氏によれば、ユクソムには15のホテル、25のホームステイ、そして21を超える旅行会社が地元パンチャーヤト(自治組織)に登録されており、その収入はすべてカンチェンゾンガの生態系の健全性に直接依存している。住民たちの暮らしは、シッキム州に生息する21頭のユキヒョウが行き交う高地の生態回廊と密接に結び付いているのである。

A hiker admires the view in the Khangchendzonga National Park. Credit: Tshering Uden, KCC.
カンチェンゾンガ国立公園で絶景を眺めるハイカー。写真:Tshering Uden(KCC)
Buddhist stupas covered in flags serve as a spiritual landmark on high-altitude trekking trails, such as those leading to Mount Kanchenjunga. Credit: Tshering Uden, KCC
カンチェンジュンガ山へと続く高地トレッキングルート沿いでは、色とりどりの祈祷旗に覆われた仏教のストゥーパ(仏塔)が、巡礼者や登山者の精神的な道標となっている。
写真提供:Tshering Uden(KCC)

この記事は、その大きな取り組みの一端を紹介するものであり、地域住民の参加と尽力がどのような成果を生み出したのかを描いている。

SECURE Himalayaは、ヒマーチャル・プラデーシュ州、ウッタラーカンド州、シッキム州、ラダック連邦直轄地の4地域で約7年間にわたり実施された。

シッキム州では、カンチェンゾンガ国立公園からテスタ川上流域までの約4,000平方キロメートルに及ぶ「カンチェンゾンガ-アッパー・テスタ景観地域」に重点が置かれた。

GEFからの1,150万ドルの助成金と、インド政府による6,000万ドル超の共同資金を背景に、事業は①重要生物多様性地域の保全、②地域社会の持続可能な生計確保、③人と野生動物の軋轢の軽減、④長期的な景観管理を支える知識基盤の構築――の4分野を柱として進められた。

シッキムでは、こうした取り組みがカメラトラップ網の整備や住民による巡回活動、女性による手工芸事業、廃棄物管理システムの構築などの形で実践された。

Nedup Bhutia’s dzo loaded with trekking supplies at the Yuksom trailhead, West Sikkim, ready for the Goechala trek into Khangchendzonga National Park. Credit: Diwash Gahatraj/IPS
西シッキム州ユクソムの登山口で、カンチェンゾンガ国立公園内のゴエチャラ・トレッキングに向けた物資を積み込んだネドゥプ・ブティア氏のゾ(ヤクと牛の交雑種)。
写真提供:Diwash Gahatraj/IPS

その根底にあった考え方は単純である。

「健全な自然環境から恩恵を受ける地域社会こそが、その自然を守る。」ということである。

プロジェクトは独立評価機関から、成果、妥当性、効率性の各分野で最高評価に近い「極めて満足(Highly Satisfactory)」の評価を受けた。カンチェンゾンガ国立公園では、管理体制の改善効果が対象地域の中でも特に高く評価された。

特に実践的な成果を上げた取り組みの一つが野犬対策である。北シッキムでは野犬が深刻な脅威となり、ユキヒョウから獲物を奪ったり、その主要な餌であるバーラル(青羊)やナキウサギを捕食したりしていた。

国連開発計画(UNDP)インド事務所でSECURE Himalayaの報告業務を担当したルチ・パント氏は次のように語る。

「プロジェクトはシッキム州の軍施設と協力し、食べ残しなどの生ごみを処理するバイオダイジェスターを戦略的な地点に設置しました。これが野犬問題への直接的な対策となりました。軍はその後、自らの予算でこの設備を拡充しています」

資金支援が終了した後も、この取り組みは自立的に継続されている。

また、若者たちは「ヒマル・ラクシャク(ヒマラヤの守護者)」として訓練を受け、カメラトラップの設置や国立公園の巡回、野生動物の目撃情報の報告を担った。現在、彼らの活動はシッキム森林局の通常業務に組み込まれ、防火帯の管理やモニタリング活動を森林警備員とともに行っている。

さらに州生物多様性委員会は、生物多様性法2002年に基づき州内196の生物多様性管理委員会(BMC)を設置した。その多くは女性たちによって主導されている。

Tents in the valley of the Khangchendzonga National Park. The zero-waste aspect of its zero-waste management model, including from visitors to the park, has been cited as a national best practice. Credit: Tshering Uden, KCC
カンチェンゾンガ国立公園の谷間に設営されたテント群。同公園のゼロ・ウェイスト(廃棄物ゼロ)管理モデルは、来園者が出すごみの管理も含め、その取り組みが全国的な優良事例として評価されている。写真提供:Tshering Uden(KCC)

発想の転換

シッキム森林局のウダイ・グルン氏は、このプロジェクトが同局の基本的な姿勢を変えたと語る。

「最も大きな変化は発想の転換でした」と同氏は言う。「森林局は、保護を中心とするモデルから、景観全体を対象とする共生型のアプローチへと移行したのです。」

プロジェクトは2024年に終了した。GEFの資金は当初から一時的なものとして設計されており、恒久的な支援ではなく、自立的に継続していく取り組みの呼び水となることを目的としていた。その観点から、最終評価では成果、妥当性、効率性の各面で「極めて満足」と評価された。一方、持続可能性についても「おおむね確保される見通し」とされ、目標はすべて達成され、一部ではそれを上回ったと指摘された。

すべてのGEFプロジェクトの設計思想に沿って、長期的には、プロジェクトを通じて培われた技術的能力や制度が政府に引き継がれ、維持されることが期待されている。

シッキムでは、その移行が着実に進みつつある。グルン氏は、実施期間を通じて最大の構造的課題だったのは資金不足ではなく、すでに配分された資金の執行が行政手続きの遅れによって滞ったことだと指摘する。高地のシッキムでは、現地で活動できる期間は数週間に限られる。承認を待つ間に、調査シーズン全体を失ったこともあった。

「能力はあります。しかし、長期的な持続可能性には継続的な財政的・制度的支援が必要です。」

その支援の責任は今、主に地方および州当局に委ねられている。ヒマル・ラクシャクはシッキム森林局の下で活動を続けている。生物多様性管理委員会(BMC)は州生物多様性委員会の管轄下にあり、ゼロ・ウェイスト(=ゴミゼロ)プログラムもユクサム・ブロック行政センターによって運営されている。

Jayanta Mukhia outside the Chungda Hidden Family Homestay in Yuksom, West Sikkim. Credit: Diwash Gahatraj/IPS
西シッキム州ユクソムのチュンダ・ヒドゥン・ファミリー・ホームステイ前に立つジャヤンタ・ムキアさん。写真:ディワシュ・ガハトラージュ/IPS

北シッキムでは、女性たちが現在もイラクサ繊維を織り、高付加価値市場への販路を自力で確保している。

2023年5月、シッキム州は初の生物多様性遺産地として、ゾングにある聖なる湖「トゥンキョン・ド」を指定した。この指定は地元の生物多様性管理委員会の支援によって実現した。UNDPは現在もドイツのIKI ICCAプログラムを通じて、より限定的な規模ではあるものの支援を続けており、その一部はヒマラヤの景観保全に充てられている。

依然として残る最も具体的な課題は、牧畜民への補償制度である。ガントクにあるアショカ生態学環境研究トラスト(ATREE)のヒマラヤ・イニシアチブで研究員兼プロジェクト・アソシエイトを務めるペマ・ヤンデン・レプチャ氏は、北シッキムのヤク牧畜民に対する聞き取り調査を数カ月にわたり続けてきた。

現地の牧畜民は最近、ユキヒョウによる捕食で5頭のヤクを失ったと同氏に語った。成獣のヤク1頭の価格は8万~10万ルピーに上る。政府の補償額はその一部にすぎず、しかも被害の多くは森林局の管轄地で発生している。そのため牧畜民は、森林局から補償の対象外だと告げられることが少なくない。

「彼らはユキヒョウに対して非常に否定的な感情を抱いており、しばしば報復に走りたいという強い衝動を感じています。」とペマ氏は語る。

共生のコストを負担している牧畜民が適切な補償を受けられるよう、このギャップを埋めることが、現在この景観の管理責任を担う地方当局にとって最も差し迫った課題となっている。

Nedup Bhutia’s dzo loaded with trekking supplies at the Yuksom trailhead, West Sikkim, ready for the Goechala trek into Khangchendzonga National Park. Credit: Diwash Gahatraj/IPS
西シッキム州ユクソムの登山口で、カンチェンゾンガ国立公園内のゴエチャラ・トレッキングに備え、荷物を積まれたネドゥップ・ブティアさんのゾ。写真:ディワシュ・ガハトラージュ/IPS

受け継がれる取り組み

登山道を歩くネドゥップ・ブティアさんは、11頭のゾとともに20年にわたりゴエチャラ・ルートを行き来してきた。トレッキングシーズンごとに訪問者の荷物を運び、10万~15万ルピーの収入を得ている。彼はこれまで一度もユキヒョウを見たことがない。

しかし3年前、国立公園周辺のジャムトン村で2歳の雄牛が死んでいるのが見つかった。ユキヒョウに襲われたのだった。ネドゥップさんにとって、それはこの自然が今なお息づいている証しだった。

ユクソムの「チュンダ・ヒドゥン・ファミリー・ホームステイ」では、ジャヤンタ・ムキアさんが木のテーブルで2杯の紅茶を注ぎ足している。宿泊客は明日出発する。彼らは自分たちのごみを持ち帰る。ジャヤンタがそうするよう徹底してきたからだ。

21頭のユキヒョウは今もそこにいる。地域社会も活動を続けている。プロジェクトは、あらゆる評価項目において成功を収めた。今後どうなるかは外部資金ではなく、この取り組みを受け継いだ制度や地域社会が、それをさらに発展させることを選ぶかどうかにかかっている。

SECURE Himalayaが残した遺産の真価が問われるのは、まさにこれからである。

注:この記事はGEFの支援を受けて掲載された。編集内容についてはIPSが全責任を負い、必ずしもGEFの見解を反映するものではない。

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

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米・イラン外交が変える新たな中東の勢力図―誰が利益を手にするのか

【メルボルンINPS Japan/London Post=マジット・カーン】

米米国とイランをより大規模な地域戦争の瀬戸際へと追い込んでいた数カ月にわたる対立の激化の末、予想外の外交的打開が実現し、中東情勢の力学は大きく変化した。地域の仲介国や欧州諸国による水面下の外交努力を含む集中的な交渉を経て正式な和平合意が発表され、長期化する不安定な状況の中で初めて、ワシントンとテヘランの直接的な軍事衝突に歯止めがかけられた。|英語版

この合意は国際社会の多くから歓迎されているものの、対立の根底にある構造的な緊張関係が解消されたわけではない。むしろ、この合意は現代地政学の本質的な現実を浮き彫りにした。すなわち、戦争が終結しても、それを支えてきた経済システムは消滅するのではなく、形を変えながら存続するという現実である。

米国とイランの和平合意は、すでにエネルギー市場を揺るがし、ペルシャ湾の海上安全保障を不安定化させ、世界的な防衛支出の急増を招いた対立の大きな転換点となった。しかし、外交関係者が当面の軍事的危機の回避を歓迎する一方で、専門家たちは別の問いに目を向けている。それは、戦争がいったん停止したとき、世界の「戦争ビジネス」はどうなるのかという問いである。

合意に至る数週間前まで、緊張は海上での軍事的事案や無人機の迎撃、さらには主要な戦略ルートにおける報復攻撃の応酬によって急速に高まっていた。世界のエネルギー輸送の大動脈であるホルムズ海峡が長期的な混乱に陥るリスクが意識されるなか、原油価格は大きく変動した。湾岸諸国は防空・防衛体制の警戒レベルを引き上げ、各国は事態のさらなる悪化に備えて軍事配備を強化していた。

ところが、その後情勢は急展開を見せた。中東全域のみならず世界経済の安定を脅かしかねない大規模紛争を回避しようとする地域諸国の働きかけと、水面下で進められた外交努力が突破口を開いたのである。

今回の和平合意には、緊張緩和措置、段階的な軍事的自制、さらには核監視体制や地域安全保障の枠組みに関する協議の再開が盛り込まれている。依然として脆弱な合意ではあるものの、すでに軍事活動は大きく沈静化し、主要な海上輸送路の安定化も進みつつある。

しかし、和平ムードが広がる一方で、この紛争がもたらした経済的影響は依然として国際経済の構造に深く組み込まれたままである。

現代の防衛産業は、戦争と平和の短期的な循環によって動いているわけではない。その基盤となっているのは、長期的な調達計画、複数年にわたる契約、そして継続的な軍事近代化プログラムである。戦時中に製造・配備された兵器システムは、戦闘終結とともに廃棄されることはほとんどない。むしろ維持・改良され、恒常的な防衛インフラの一部として組み込まれていく。

つまり、和平合意が成立した後も、戦争によって生み出された経済的な勢いは失われないのである。

米・イラン対立の期間中、米国や欧州、そして同盟国の防衛関連企業では需要が急増した。ミサイル防衛システムは複数の地域に展開され、海軍戦力は湾岸地域へ再配置された。監視・情報収集技術も急速に拡充された。こうした配備は、装備品そのものにとどまらず、保守、物流、ソフトウェア更新、さらには長期的なサービス契約に至るまで幅広い需要を生み出した。

こうした契約は和平合意の署名によって消えるわけではない。むしろ、その複雑性を増していく場合さえある。

紛争を直接経験した国々は、しばしば長期的な防衛即応態勢の予算を拡大することで対応する。敵対行為が終結しても、脅威認識は以前の水準には戻らない。代わりに、より警戒的な新たな基準が形成される。軍事計画担当者は類似の危機が再発すると想定し、それに応じて調達戦略を見直す。

この意味において、平和は軍事化を逆転させるのではなく、その形を再調整するのである。

その中心にいるのが米国である。世界最大の武器輸出国である米国の軍需産業基盤は、世界の安全保障体制に深く組み込まれている。米国の防衛企業は、航空機、ミサイルシステム、情報収集プラットフォーム、高度な海軍技術を欧州、アジア、中東の同盟国へ供給している。

イランとの対立の間、これらのシステムは事態のさらなる悪化に備えて配備・展開された。そして和平合意が成立した現在も、それらはより広範な抑止体制の一部として運用され続けている。

防衛産業にとって、これは縮小ではなく転換を意味する。戦時下における生産拡大は、平時の維持管理や近代化計画へと姿を変える。紛争中に軍備を拡充した各国政府は、その補充や更新、さらには危機の中で開発された新技術の統合へと重点を移している。

防衛産業を支える経済的な仕組みは、紛争の激しさが和らいだとしても需要が維持されるように成り立っているのである。

同時に、この和平合意は世界のエネルギー市場にも変化をもたらした。緊張が最高潮に達していた時期には、一部で航行が妨げられる懸念もあったホルムズ海峡は、現在では商業船舶の通航が全面的に再開されている。原油価格は安定を取り戻したものの、依然として地域情勢の動向に敏感に反応している。不安定な状況の長期化に備えていたエネルギー企業も、世界の需給見通しの見直しを進めている。

しかし、市場が改めて認識したのは、単に「平和がリスクを低減する」ということではない。むしろ、市場の変動そのものが国際システムの構造的な特徴となっているという現実である。

この対立以前から、ウクライナ戦争やガザ情勢、大国間競争の激化といった複数の危機を背景に、世界の防衛支出は増加を続けていた。米・イラン対立はそうした流れをさらに強め、地政学的リスクはもはや一時的な現象ではなく、常態化した課題であるとの認識を一段と広げることになった。

今回の和平合意は重要な成果ではあるが、この流れを反転させるものではない。むしろ、紛争と外交が同じ戦略環境の中で共存するという新たな章を加えたにすぎない。各国は平和を交渉しながら戦争に備え、防衛産業は危機の中で拡大し、平穏な時期には再編を進める。投資家は緊張の高まりと緩和の双方を市場変動のシグナルとして捉えている。

こうした力学は、紛争と利益の長期的な関係をめぐる根強い問いを投げかけている。

防衛支出は通常、抑止力の維持や国家安全保障の観点から正当化される。各国政府は、軍事的備えは戦争を助長するものではなく、むしろ戦争を防ぐためのものだと主張している。しかしその一方で、防衛調達を支える経済システムが、継続的な需要や長期契約、絶え間ない技術革新を前提として成り立っていることも否定できない。

平時においても、こうしたシステムは稼働し続けるのである。

今回の米・イラン和平合意は、その緊張関係を鮮明に示している。直接的な軍事リスクは低下したが、中東全域における防衛インフラの役割はむしろ固定化された。防空システムは引き続き配備され、海軍の哨戒活動も継続されている。情報共有協定も維持されている。軍事的即応態勢は解体されたのではなく、制度化されたのである。

そして、この制度化こそが、防衛支出を国家予算の恒久的な項目として定着させる。

世界の軍需産業に批判的な立場からは、ここに一つの逆説があると指摘される。和平合意は直接的な暴力を減少させるが、軍事支出を同じ割合で減らすことはほとんどない。支出は戦闘作戦から、長期的な即応態勢や調達、近代化へと姿を変えるだけである。

一方で、防衛投資を支持する側は、これを欠陥ではなく必要性と捉える。予測不可能な世界においては備えが不可欠であり、軍事力は戦争を期待して維持されるのではなく、不確実性を完全に排除できないからこそ維持されるのだと主張する。

その結果として、戦争と平和の境界線はますます曖昧になっている。

今回の米・イラン和平合意は、両国の直接対立という一つの局面に終止符を打ったかもしれない。しかし、それは過去10年間の国際政治を特徴づけてきた、より大きな地政学的現実からの脱却を意味するものではない。ウクライナやガザなどの紛争は、依然として各国の防衛戦略やエネルギー市場、さらには国際的な同盟関係に影響を与え続けている。

この意味において、戦争ビジネスは平和とともに終わるわけではない。むしろ、その姿を変えながら存続する。紛争中に締結された契約は、停戦後も長期にわたって収益を生み出し続ける。戦時下で開発された技術は平時の防衛システムへと組み込まれ、危機の中で形成された軍事同盟は恒久的な戦略枠組みへと発展していく。

世界の防衛体制は、外交が成功したからといって停止するわけではない。不確実性が常態となった世界の中で、それは調整と適応を繰り返しながら機能し続けるのである。

したがって、米国とイランの和平合意は危険な地域対立の一局面を終わらせたかもしれない。しかし同時に、それは現代地政学のより大きな現実を改めて浮き彫りにした。21世紀において、戦争の終結は、それを取り巻いて構築されたシステムの終焉を意味しない。そうしたシステムは存続し続け、戦闘が終わった後も経済や政策、産業のあり方を形づくっていく。

戦争は終わるかもしれない。

しかし、次の戦争に備える仕組みは終わらない。

Origianl URL: https://londonpost.news/the-new-middle-east-chessboard-who-gains-after-u-s-iran-diplomacy/

INPS Japan

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ロシアのLGBTQ+コミュニティに対する組織的な中傷が人々を地下へ追いやる

【ブラチスラバ IPS=エド・ホルト

ロシアのLGBTQ+当事者が、日常生活の中で自己検閲的な対応を強めざるを得ない状況に置かれていることが、同国最大級のLGBTQ+調査で明らかになった。|英語版

LGBTQ+支援団体「カミングアウト」と「スフィア財団」がロシア各地の6,000人以上を対象に実施した最新の年次調査によると、2025年のコミュニティを取り巻く状況は、大きく改善も悪化もしていなかった。

しかし調査は、LGBTQ+当事者の間で、既存の「適応戦略」がさらに定着していることを示した。具体的には、誰にカミングアウトするかを慎重に選ぶことや、自らの性自認や性的指向が明らかになる可能性のある状況を避ける傾向が強まっている。

また、特にオンライン上での嫌がらせが増加しているほか、暴力の脅迫や恐喝、密告、身近な人々からの圧力が、LGBTQ+当事者の脆弱な立場を日常的に強める要因となっていることも明らかになった。

両団体は、この調査結果について、ロシアのLGBTQ+当事者が今後も長期間にわたり高いリスクと不安の中で暮らさざるを得ない現状を改めて浮き彫りにしたものだと指摘している。ロシアでは近年、LGBTQ+コミュニティを標的とする一連の抑圧的な法律が制定されており、人々は自らのアイデンティティそのものを理由に攻撃や差別の対象となっている。

「私たちのデータが示しているのは、LGBTQ+への弾圧が、特定の行為を理由とした迫害から、その人の存在そのものを標的とする迫害へと変質しているということです。政府に反対したり、人権擁護活動を行ったりしているわけではなく、ただ日常生活を送っているだけの人々に対する法的措置が増えています」

LGBTQ+支援団体「カミングアウト」の事務局長デニス・オレイニク氏はIPSの取材に対し、このように語った。

同氏はさらに、「2025年に私たちが目にしたのは、“惨事の常態化”でした。LGBTQ+の人々は、こうした状況とともに生きることを余儀なくされています。まるでそれが日常の一部になってしまったかのようです。本当に恐ろしいことです。」と述べた。

ロシアのLGBTQ+コミュニティは、この10年以上にわたり差別と社会的排除の強化に直面してきた。

ロシア社会には以前から一定の反LGBTQ+感情が存在していたが、一連の法律制定と政府による敵対的な政策によって、それは大きく深刻化した。

2013年、ウラジーミル・プーチン大統領が政権に復帰して間もなく、「非伝統的な性的関係の宣伝」を18歳未満に対して禁じる法律が施行された。

批判者らが「クレムリンによるLGBTQ+周縁化キャンペーンの始まり」と位置付けるこの法律は、2022年に拡大され、年齢を問わずLGBTQ+の権利擁護や異性愛以外の性的指向を示すあらゆる情報発信や活動が規制対象となった。

さらに同性婚禁止が憲法に明記され、2023年にはトランスジェンダーの人々が法的・医療的に性別変更を行うことを禁じる法律も成立した。

同年、最高裁判所は実在しない「国際LGBT運動」を「過激派組織」と認定した。これにより、「非伝統的な性的関係」を促進していると解釈され得るあらゆる行為について、罰金や刑事訴追が可能となった。

一方で、クレムリンが「伝統的家族の価値観」を推進し、LGBTQ+活動を退廃した西側文化の産物でありロシアへの脅威だと位置付ける中で、同性愛嫌悪的な政治言説も常態化している。

こうした動きは社会の広い範囲でLGBTQ+への敵意を煽り、しばしば暴力的な拒絶反応を生み出している。その結果、多くの当事者が身体的・精神的健康への深刻な不安を抱えている。

ロシアの大都市に住むLGBTQ+学生のグリゴリー氏(仮名)は、自らの性的指向や性自認を明かす相手を慎重に選んでいると語る。常に暴力の恐怖を感じているわけではないが、危険を避けるため行動を変えているという。

「夕方になると、声や歩き方などで『典型的なゲイ』と見なされるかもしれない場所を避けることがある。人前で自分のセクシュアリティを隠しているわけではないが、あえて表現もしない。」と話した。

また、「トランスジェンダーの人々は最も深刻な問題に直面している。ロシアでトランスジェンダーとして生きることは本当に大変だと思う。彼らの勇気と強さには驚かされる。」と語った。

調査では、トランスジェンダーの人々は生活の質や福祉、差別経験など大多数の指標で他のLGBTQ+当事者より厳しい状況に置かれていた。特に身体的脅迫や実際の暴力、性的暴力や家庭内暴力を受ける割合が顕著に高かった。

オレイニク氏は、「現在、多くのトランスジェンダーの人々は、宅配サービスや親族・友人の支援があれば、買い物にさえ出かけず自宅だけで生活している。そのようなケースが増えている。」と指摘した。

グリゴリー氏は、直接的な暴力への恐怖よりも、自分たちに向けられた社会的な敵意を感じることが多いという。

「それは間接的に伝わってくる。政府のメディア報道や公共空間での言説、あるいは知人の何気ない発言を通してだ。ロシアのクィアフォビア(性的少数者への嫌悪)は主として政府によって作り出されたものだ。もちろん、こうした法律ができる前から存在していたが、今ほど強くはなかった。法律によってはるかに悪化した。」と語った。

LGBTQ+の権利擁護活動家らは、報告書で示された行動パターンは長年にわたる抑圧を考えれば当然の結果だと指摘する。

欧州のLGBTQ+権利団体ILGA-Europeの副代表兼プログラム・ディレクターであるアナスタシア・スミルノワ氏は、「社会的周縁化や犯罪視が長期間続けば、人々は日常的な危害への曝露を減らす方法を身につける」とIPSに語った。

ただし同氏は、ロシアのLGBTQ+当事者が直面する問題は特有のものであり、国家が厳罰化された法律や烙印を押すような言説を通じて、人権擁護者やLGBTQ+当事者同士を孤立させ、市民社会や異論表明の基盤そのものを解体しようとしていると指摘した。

「これは単なる社会的偏見ではない。国家が進めるプロジェクトであり、その標的は市民社会そのものだ。報告書に記された日々の自己検閲は、そのプロジェクトを生きる人々の現実である」と同氏は述べた。

こうした状況が個人やコミュニティにもたらす影響は深刻だ。孤立が進むことで精神的・身体的健康が損なわれるだけでなく、中には医療機関の受診をためらう人もいる。

スミルノワ氏は、とりわけ子どもたちへの影響を懸念している。学校現場を通じた国家主導の宣伝や、年齢に応じた性と人間関係に関する教育の欠如、さらにLGBTIに関する話題をめぐる恐怖感によって、LGBTI当事者の子どもやLGBTIの家族を持つ子どもたちはもちろん、LGBTIと見なされる可能性のあるあらゆる子どもたちが、深刻な孤立や危険にさらされているという。

報告書によると、多くの指標で前年からの大幅な悪化は確認されず、一部ではわずかな改善も見られた。しかし執筆者らは、この結果を過度に楽観視すべきではないと警告する。調査は、回答者が抑圧の強まる環境の中で機微な情報を提供することを前提としており、実際の差別や暴力の実態は、報告書が示す以上に深刻である可能性があるとしている。

現実の差別水準がどの程度であれ、多くの人々が深刻な苦しみを抱えていることに変わりはない。

グリゴリー氏は現在、ロシアでLGBTQ+として生きる困難に対処するため、心理療法を受けているという。

「コミュニティ内では、自殺願望や自殺未遂はかなり一般的だ。」と同氏は語った。

IPSの取材に応じた当事者や活動家によれば、アルコールや薬物への依存、あるいは抗うつ薬の自己判断による服用も少なくないという。

しかし、こうした問題への支援を求めることも容易ではない。医療従事者による同性愛嫌悪やトランスフォビア、さらには性的指向に関する個人情報漏洩への懸念から、国営医療機関への不信感が根強いためだ。

圧力が強まる中、多くのLGBTQ+当事者は国外移住以外に選択肢がないと感じている。

年次報告書には、2025年および過去数年間に国外へ移住した数百人の回答も含まれている。

移住理由として最も多かったのは深刻な不安や心理的苦痛(66%)であり、続いて検閲強化(59%)、身の安全への懸念(57%)、社会におけるホモフォビアやトランスフォビアの拡大(57%)が挙げられた。

また、移住者の63%がロシアへの帰国を選択肢と考えておらず、前年より8ポイント増加した。

コミュニティの多くは、今後何年も状況改善の見込みがないと感じている。

オレイニク氏は、「ここ数年で世界は大きく変わった。ロシアだけでなく、世界各地で極右勢力が勢いを増し、LGBTQ+の権利は各地で攻撃を受けている。ロシア国内で今後5年から10年の間に良い変化が起きるとは期待していない」と語った。

一方、スミルノワ氏は、だからこそロシア国内外のLGBTQ+当事者や支援団体による連帯と活動の継続が重要だと強調する。

「ロシアにおける民主主義の後退が近い将来に反転する見込みが乏しいことを認めるのと、その間は何もできない、あるいは何もすべきではないと結論づけることは全く別の問題です。豊富な資源とあらゆる抑圧手段を背景としたロシア国家の力は現実のものであり、過小評価することはできません。しかし、人権団体や活動家を支援する立場から私たちが目にしているのは、諦めではなく、現実を直視したうえでの強い意志です。」

そして、「人々は今も活動を続けています。将来を見通すことは難しく、その活動の価値を測る尺度も他国とは異なるかもしれません。しかし、市民参加や批判的思考、そして連帯の可能性を絶やさないこと自体が、重要な抵抗の形であり、長期的な意義を持っています。」と述べた。

オレイニク氏もまた、ロシアのLGBTQ+当事者への支援を続ける決意を示した。

「私たちは活動と支援を続けなければなりません。ロシアのLGBTQ+の人々が私たちを必要としているからです。今は前向きな変化の兆しがほとんど見えないかもしれません。しかし、それは私たちが活動をやめる理由にはなりません。」

※グリゴリーは安全上の理由から仮名。

これはウクライナだけの問題ではない―ロシアによる占領地での犯罪を常態化させる世界的危険性

【キーウ(ウクライナ) IPS=ミハイロ・サヴァ、オレフ・マルティネンコ

ロシアによるウクライナ侵略戦争は、しばしばドローンやミサイル、変化する前線、領土問題といった観点から語られる。しかし、この戦争にはもう一つの側面がある。それは人間の問題である。|英語版

現在、9万人を超えるウクライナ人が「特別な事情のもとで行方不明」とされている。これは公式統計に基づく数字である。その一部は現在もロシアに拘束されている。そこには捕虜となった兵士だけでなく、民間人も含まれる。民間人の多くは、自らが暮らしていた地域がロシア軍の占領下に置かれたことで拘束された人々である。

2026年3月、ウクライナのウォロディミル・ゼレンスキー大統領は米メディアAxiosとのインタビューで、ドナルド・トランプ米政権はドンバス全域をロシアに引き渡す以外に戦争を終結させる道はないとみていると語った。

しかし重要なのは、これは単なる領土の問題ではなく、そこに暮らす人々の問題でもあるということだ。そして、占領は決して平和ではない。

ミハイロ・サヴァ氏は政治学博士であり、ウクライナの人権団体「市民自由センター(Center for Civil Liberties)」の専門家を務めている。
オレフ・マルティネンコ氏は法学博士、教授、犯罪学者。ロシアによるウクライナ侵略戦争の従軍経験を持つ退役軍人であり、市民自由センターの専門家を務めている。
「迫害の連鎖」

民間人への恐怖支配は、ロシアがウクライナとの戦争で用いている戦術の一つである。占領当局が定めた規則に従わない者に対する処罰として、拘束と投獄が常態化している。

この仕組みの中核にあるのが、「迫害の連鎖」と呼ぶべきシステムである。このパターンは、すべての占領地域で繰り返されている。

第1段階:標的の特定

地方公務員、教師、ジャーナリスト、ボランティア、さらにはごく普通の住民であっても、わずかでも親ウクライナ的な考えを示せば占領当局の監視対象となる。

時には、偶然聞かれた会話やSNSへの投稿だけで十分である。

ロシアは2014年以降、この手法を用いてきた。まず占領下のクリミアで試し、その後すべての占領地域へと拡大した。

例えば2026年3月、クリミアのアルプカ在住の男性が、メッセージアプリへの投稿を理由に「テロ行為を正当化した」としてロシア治安当局に逮捕された。

The words on this drawing are “Hold on. I’m holding on.” This phrase reflects the emotional state of both those held in captivity and those waiting for their loved ones to return from imprisonment. The illustrator, Serhiy Ofitserov, has been in detention since August 2022. In January 2026, he was sentenced to 17 years on fabricated charges; he turned 50 in May. Courtesy: Hennadiy Ofitserov
この絵に書かれている言葉は「耐えろ。私は耐えている(Hold on. I’m holding on.)」である。この言葉は、拘束下に置かれている人々と、愛する人の帰りを待ち続ける家族の双方の心情を映し出している。作者のセルヒー・オフィツェロフ氏は2022年8月から拘束されており、2026年1月には捏造された容疑により懲役17年の判決を言い渡された。5月には50歳の誕生日を迎えた。提供:ヘンナディー・オフィツェロフ
第2段階:強制失踪

拘束された人々は公式に登録されない。

その所在は隠されるか、あるいは当局によって否定される。家族は何の情報も得られないまま取り残される。

これは、その後に起こるすべての出来事を家族の管理や監視の及ばないものにするため、意図的に行われている。

第3段階:残虐な扱い

拷問は例外ではなく、組織的に行われている。解放された人々は、殴打や電気ショック、模擬処刑、長期間にわたる食料や水の剥奪について証言している。性的暴力もまた、男女を問わず行われている。

「彼らは人を廊下へ連れ出した。そこには監視カメラがなく、周囲にいるのは皆、彼らの仲間だった。誰一人として止めようとはしなかった。そして彼らは気の済むまで殴り続けた。スタンガンも使った。そこには10人から12人、あるいはそれ以上の人間がいた。彼らはこう言った。『人生を少し味わえただろう。それでもう十分だ。どんなものかは経験したのだから、もう二度と味わうことはできない』と。」

そう語るのは、2022年9月25日、両親の自宅から占領当局によって連行された教師のヴィクトリア・アンドルシャ氏である。

家宅捜索の際、彼女の携帯電話からロシア軍の装備移動に関する通報ボットとのやり取りが見つかった。

ヴィクトリア氏は「スパイ行為」の容疑をかけられ連行された。まず隣村ノヴィ・ビキウのボイラー施設内に設けられた臨時拘束施設に収容され、その後、ロシア・クルスク州の勾留施設へ移送された。

彼女が解放されたのは2023年10月であった。

第4段階:見せかけの裁判

拘束者はしばしば遠方へ移送される。

こうした移送によって地域社会とのつながりは断たれ、所在の把握は困難となり、法的保護を受ける権利もさらに損なわれる。

その後に行われるのが「裁判」である。しかし、それは法的正当性を装った見せかけにすぎない。

民間人は、過激主義やテロリズム、スパイ活動といった捏造された罪で起訴される。

例えば、テレグラム・チャンネル「メリトポリはウクライナだ(Melitopol Is Ukraine)」の管理者ヤナ・スヴォロワ氏は、約2年間にわたる不法拘束の後、2025年10月23日、ロストフ・ナ・ドヌーの南部管区軍事裁判所から一般収容所での14年の刑を言い渡された。

第5段階:収監

人々は監視がほとんど、あるいは全く及ばない拘禁施設のネットワークに収容される。

An illustration by Serhiy Ofitserov, a Ukrainian civilian currently held in Russian captivity. Serhiy began drawing while in prison; here is a view of his prison cell. Courtesy: Hennadiy Ofitserov
ロシアで拘束されているウクライナ民間人セルヒー・オフィツェロフ氏によるイラスト。セルヒー氏は収監中に絵を描き始め、この作品には自身が収容されている独房の様子が描かれている。提供:ヘンナディー・オフィツェロフ

施設の環境はしばしば非人道的であり、家族との連絡は厳しく制限されるか、完全に禁止される。

多くの人々にとって、この段階は終わりの見えないものとなる。

これを止められなかった場合、世界は何に直面するのか

これらの各段階は、それぞれが人権と国際規範に対する重大な違反である。

しかし、それらが組み合わさることで、さらに深刻なものとなる。すなわち、人道に対する罪が連続的に発生し、互いを補強し合う一つのシステムが形成されるのである。

迫害、不法拘束、強制移送、強制失踪、拷問、性的暴力、投獄――これらは個別に起きている事件ではない。

それらは、統合され、意図的に構築された一つの抑圧システムを構成する要素なのである。

このシステムの目的は、占領地域に対する支配を強化し、恐怖を植え付け、人々に法制度、行政制度、教育制度を通じて押し付けられたルールへの服従を強いることにある。

そのメッセージは明白だ。人々には従順であることが求められている。

実際には、占領統治そのものが犯罪的な支配体制へと変質しつつある。

ここで国際社会は一つの問いを突き付けられる。もしこのような仕組みが何の責任も問われることなく機能し続けることを許せば、それは将来の紛争にどのような前例を残すことになるのだろうか。

「迫害の連鎖」を常態化することは、こうした手法を現代戦争の手段として定着させる危険をはらんでいる。

Image source: Sky News
Image source: Sky News

そして、その支配モデルはウクライナの国境をはるかに越えて広がっていくだろう。

したがって、責任追及の問題はウクライナだけの問題ではない。

課題は複雑だ。しかし、法は明確である。

残されているのは、行動する意思だけだ。

もしその意思が欠如すれば、このような行為は例外ではなく常態となる。

その代償を支払うことになるのは、現在獄中にいる人々だけではない。

国際法そのものの根幹が、その代償を負うことになるのである。

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

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マリア・フェルナンダ・エスピノサ氏、国連事務総長選に名乗り

「予防外交」と制度改革を掲げる実務派候補

【国連ATN=アハメド・ファティ】

マリア・フェルナンダ・エスピノサ氏が国連事務総長選への出馬を表明した。その人物像は外交官たちにとって馴染み深く、同時に軽視し難いものである。危機対応で名を上げたスター候補でもなければ、既存秩序を揺さぶる異端の挑戦者でもない。むしろ国連が直面しているのは「目的の危機」ではなく「実行の危機」だと訴える、経験豊富な多国間外交の実務家である。|ENGLISH

これは華々しい主張ではない。しかし、決して軽い主張でもない。

Ahmed Fathi.
Ahmed Fathi.

加盟国と市民社会との約3時間に及ぶ対話セッションと、その後の短時間の記者会見で、エスピノサ氏は自らを「予防」「実行」「組織運営の規律」を重視する候補者として位置づけた。エクアドル元外相、元国連大使、第73回国連総会議長としての経験を強調しながら、国連は必要な原則をすでに備えているにもかかわらず、それを現場での迅速かつ一貫した行動へと結び付けることにしばしば失敗していると繰り返し訴えた。

この主張によって、同氏の立候補は他の候補者とは異なる位置づけを得た。

ミチェル・バチェレ氏が人権と正統性を掲げる候補、ラファエル・グロッシ氏が危機対応の実務家、レベカ・グリンスパン氏が制度戦略家、マッキー・サル氏が政治的橋渡し役だとすれば、エスピノサ氏はまた別のタイプの候補として浮かび上がる。予防重視の理念を掲げる組織改革派であり、次期事務総長の役割は新たな理想を語ることではなく、まず国連という機構をより効果的に機能させることにあると考えている。

それは会場を熱狂させるような主張ではないかもしれない。しかし、資金不足、分断、そして制度疲労に苦しむ国連にとって、それは極めて現実的な選択肢でもある。

冒頭演説でエスピノサ氏は、その構想の全体像を示した。

同氏は、国連は依然として不可欠な存在である一方で、しばしば対応が遅く、組織が断片化し、支援対象である人々の日常的なニーズから乖離していると指摘した。そして、より信頼性が高く、効果的な組織への改革を訴えた。より早く行動し、より耳を傾け、その評価はニューヨークで開催した会議の数ではなく、現場で何を変えたかによって測られるべきだと述べた。

また、次期事務総長には指導力と同時に傾聴力も求められるとし、自らの立候補を「信頼」「成果」「実行力」の上に位置づけた。そして、国連は関連性や予算を競い合う諸機関の寄せ集めではなく、「一つの組織」であるべきだと強調した。

この考え方は、加盟国から寄せられた多くの質問とも共鳴した。

アフリカ諸国は、安全保障理事会改革、国連とアフリカ連合の協力公約の履行、気候資金、開発政策、人材登用の地域的公平性について質問した。

欧州連合(EU)は、人権が国連システムの中でどのような位置を占めるべきか、また人権分野への予算配分が極めて少ない現状について問いかけた。

小島嶼国や太平洋諸国は、国連総会の役割や気候危機への対応をめぐり、多くの小国にとって多国間主義は選択肢ではなく生存のための手段であることを国連が理解しているのかと問い質した。

アラブ諸国グループは、パレスチナ問題、人道法、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)、そして国際法の一貫した適用について明確な立場を求めた。

また、途上国グループは繰り返し、流動性危機、債務問題、開発資金の確保、そして国連改革が効率化の名の下に開発分野を弱体化させることにならないかについて懸念を示した。

エスピノサ氏の回答は派手さこそなかったが、一貫していた。

人権については、国連の三本柱である平和、安全保障、開発、人権は切り離して考えることはできないと述べた。平和なくして開発はなく、開発なくして人権はなく、人権なくして平和もないとし、人権分野への資金配分不足を問題視した。

パレスチナ問題と中東情勢については、二国家解決を支持し、民間人保護の重要性を強調するとともに、UNRWAの任務継続を支持した。また、国連事務総長は総会と安全保障理事会の取り組みを対立する政治的路線として扱うのではなく、より緊密に連携させるべきだと述べた。

開発問題に関しては、グローバル・サウス諸国の不満や課題に最も寄り添う姿勢を示した。

開発政策はニューヨークで設計されるべきではなく、各国自身が主導し、それぞれの現実に根ざしたものでなければならないと主張した。また、画一的な制度モデルではなく、各国の事情に即した支援が必要だと強調した。

さらに、財政的余地の拡大、国際金融システム改革、気候資金へのアクセス改善、債務再編、そして構造的制約に直面する国々への実践的支援の必要性を繰り返し訴えた。特に、小島嶼開発途上国(SIDS)、後発開発途上国(LDCs)、中所得国が抱える資金や技術へのアクセス格差について深い理解を示した。

しかし、彼女の主張の中で最も特徴的だったのは「予防」の概念であった。

エスピノサ氏は、事務総長室に直属する「早期警戒・早期対応ハブ」の創設を提案した。これは新たな巨大官僚機構ではなく、24時間体制でリスクを監視し、より迅速な政治的対応を可能にする仕組みだという。

また、シャトル外交、静かな外交(quiet diplomacy)、そして加盟国、とりわけ安全保障理事会との継続的な対話の重要性を繰り返し強調した。

その語り口は、危機が表面化してから注目を集める調停者というよりも、世界が危機を認識した時には国連はすでに手遅れになっていることが少なくないと確信する実務家のそれであった。

記者会見では、その考え方がさらに明確になった。

アントニオ・グテーレス現事務総長との違いを問われると、エスピノサ氏は再び「実行力」の問題に立ち返った。

国連は優先順位を明確にし、業務を合理化し、成果重視の文化を築く必要があると述べ、自らを「行動する人間」であり、「結果を出す人間」であると表現した。候補者がしばしば使う表現ではあるが、彼女の場合、それはこれまでの発言内容とも整合していた。

また、「初の女性事務総長誕生」の可能性について問われると、「80年も経ったのだから、なぜ今でないのか」と答えた。ただし、それは単に女性であればよいという意味ではなく、「正しい女性」であり、「正しいリーダー」でなければならないと付け加えた。

この回答は、彼女の強みと限界の双方を象徴していた。

エスピノサ氏は信頼性があり、経験豊富で、国連制度を熟知している。組織の仕組みを理解し、改革や公平性、実施能力について加盟国がどのように考えているかも把握している。

さらに、見過ごされがちな政治的強みも持つ。特定の陣営にとって明確なイデオロギー上の挑発者として映らない点である。

一方で、他の候補者がそれぞれの得意分野で見せたような圧倒的存在感を示したわけでもなかった。

グロッシ氏の危機対応能力、バチェレ氏の規範的な影響力、グリンスパン氏のより洗練された制度改革論に比べれば、エスピノサ氏の魅力はより堅実で着実なものだ。

彼女が訴えているのは、次期事務総長には組織運営を立て直し、実行重視の文化を強化し、次の危機が深刻化する前に「予防」を実際に機能する仕組みへと転換できる人物が求められているということである。

それだけで十分かどうかは分からない。

しかし少なくとも今回の選挙戦において、それは単なる「つなぎ」の主張ではない。

そして彼女の立候補が投げかける本質的な問いはここにある。

財政的、政治的、そして戦略的な圧力にさらされる国連は、次の指導者として「道徳的な声」を求めるのか、「危機管理者」を求めるのか、「地政学的仲介者」を求めるのか。それとも、国連の使命そのものは正しいと信じながら、その実行力の立て直しに取り組む「規律ある制度改革者」を求めるのか―。

INPS Japan/ATN

Original URL: https://www.amerinews.tv/posts/maria-fernanda-espinosa-enters-the-u-n-race-as-a-process-reformer-with-a-prevention-pitch

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