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「力こそ正義」の新世界秩序

国連IPS=タリフ・ディーン】

提唱される「新たな世界秩序」づくりが進むなか、なお重い問いが残る。最も強大な軍事力を持つ国が、結局は世界を支配するのか、という問いである。国連は政治的に無力なままである。国連憲章は踏みにじられ、国家主権と領土保全は政治的嘲弄の対象にまで貶められている。支配しているのは「法の支配」ではなく、弱肉強食の論理である。パレスチナでも、ウクライナでも、ベネズエラでも、イランでも、その現実がむき出しになっている。

次はどこか。コロンビアか。キューバか。グリーンランドか。北朝鮮か。

現在進行中の紛争をめぐっては、戦争犯罪やジェノサイド(集団殺害)に当たるとの非難を含め、国際社会から広範な批判が上がっている。だが、そうした声の多くは聞き流されたままである。

アントニオ・グテーレス国連事務総長は安全保障理事会で、国連憲章第2条に触れ、すべての加盟国は「いかなる国の領土保全または政治的独立に対しても、武力による威嚇又は武力の行使を控えなければならない。」と訴えた。

Donald Trump, President of the United States of America, addresses the general debate of the General Assembly’s eightieth session in 2025. Credit: UN Photo/Evan Schneider.
Donald Trump, President of the United States of America, addresses the general debate of the General Assembly’s eightieth session in 2025. Credit: UN Photo/Evan Schneider.

だが、その声を本当に聞いている者はいるのか。

米シンクタンク「公共性のための研究所(Institute for Public Accuracy)」の事務局長で、市民運動団体RootsAction.orgの全国ディレクターを務めるノーマン・ソロモン氏はIPSの取材に対して、空から人を殺すことは、地上戦では得られない種類の「距離」―相手の苦痛から切り離された感覚―を長くもたらしてきたと語った。

「空からの攻撃は、犠牲者から遠く離れた場所で行われるため、現代戦の究極の形として機能してきた。圧倒的な航空戦力への依存は、米国がイスラエルと連携して進めている行動の核心にある」と同氏は指摘する。

地上部隊を投入せず、空爆によって相手を殺傷することは、自軍の死傷者をほとんど出さずに相手に甚大な被害を与える究極のやり方である。その結果、国内での政治的反発も抑えやすくなる。米国の政治とメディアの文化は、米国人の命には価値を置く一方で、「他者」の命はたやすく犠牲にしてよいものとして扱いがちだからだ、とソロモン氏は指摘した。

同氏はさらに、「米国とイスラエルが始めたこの露骨で恥知らずな侵略戦争は、紋切り型の外交的婉曲表現や慎重論で封じ込められるものではなく、まして押し戻すことなどできない。」と批判した。

ソロモン氏によれば、米国政府とイスラエル政府は、「力こそ正義」という原理にしか従わない、常軌を逸した指導者たちによって完全に動かされている。

「もし、いわゆる『国際社会』が、無謀で無法な政府の同盟に正面から対峙すべき時があるとすれば、それはまさに今である。」

そのうえで同氏は、米国の欧州同盟国に対し、曖昧で臆病な態度をやめ、米国とイスラエルによるこの侵略を止めるよう明確に求めるべきだと訴えた。さもなければ、中東という火薬庫にさらに火を注ぐことになるからだ。

さらに同氏は、ロンドン、パリ、ベルリンなどの欧州各国の指導者は、米国とイスラエルが直ちにイランへの攻撃を停止しない限り、重大な対抗措置を取ると警告すべきだと主張した。

「ワシントンに対して曖昧で逃げ腰な対応を続けることは、ロンドン、パリ、ベルリンをはじめとする欧州の指導者たちを、継続的かつ組織的な戦争犯罪の共犯者にする」とソロモン氏は語った。
同氏は『War Made Invisible: How America Hides the Human Toll of Its Military Machine(見えなくされた戦争――アメリカはいかに自国の軍事機構がもたらす人的犠牲を隠してきたか)』の著者でもある。

一方、「保護する責任(Responsibility to Protect)」の推進を掲げる国際団体グローバル・センター・フォー・ザ・レスポンシビリティ・トゥ・プロテクトは、米国とイスラエルによる対イラン攻撃は、国際法と国連憲章に違反して行われた侵略行為だと指摘した。

同団体によれば、今回の武力行使は、国連安全保障理事会の承認を得ないまま行われたうえ、国連憲章第51条が認める自衛権―すなわち、現実かつ差し迫った脅威に対する防衛措置―を発動できるだけの明確な根拠も示されていない。

さらに同団体は、「この攻撃は、米国とイランの核交渉が続いていたさなかに行われた。しかも、仲介役を務めるオマーンの外相が、交渉の進展を明らかにし、打開が近いと発表してから、わずか数時間後のことだった。」と指摘した。

また、この攻撃は、1月3日に米国がベネズエラで行った最近の違法行為―国家元首の拉致に至り、その地域と国際秩序に深刻な不確実性をもたらした一連の行動―とも軌を一にしているという。

Map of Middle East
Map of Middle East

その一方で、ジュネーブに本部を置く国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、中東における紛争激化と、それが民間人や新たな避難民の発生に与える影響に深い懸念を表明した。

UNHCRは、「影響を受ける国の多くは、すでに何百万人もの難民や国内避難民を抱えている。これ以上の暴力は、人道支援の対応能力を超え、受け入れ地域社会への負担をさらに強めるおそれがある」と警告した。

そのうえでUNHCRは、国連事務総長による緊急の呼びかけを支持し、対話と緊張緩和、人権の尊重、民間人の保護、そして国際法の完全な順守を求めた。

人道支援団体Conscience Internationalのジェームズ・ジェニングス会長はIPSの取材に対し、米国とイスラエルによる共同攻撃は、誤った判断に基づく違法なものであり、しかも虚偽に基づくものだと語った。

「今回の攻撃は、将来の核合意を前進させるどころか、その可能性を何十年も遠ざけかねない。」と同氏は述べた。

違法だという理由について同氏は、米国憲法にも、国連憲章に基づく国際法にも反しているからだと説明する。さらに「虚偽に基づく」とする理由については、核問題を監視する機関が実質的に『ここには差し迫った脅威はない』と示してきたにもかかわらず、それを無視しているからだと指摘した。

ジェニングス氏は、トランプ氏が6月の米・イスラエル共同作戦「オペレーション・ミッドナイト・ハンマー」によってイランの核能力を壊滅させたと繰り返し主張してきたことに触れつつ、今回の「オペレーション・エピック・フューリー」という戦争の正当化は、「将来いつかイランが核爆弾を持つかもしれない」という推測に依拠した脆弱な論理にすぎないと批判した。

「歴代の米政権は、外交によってそれを防ごうとしてきた。だが、トランプ氏はその合意を自ら破棄した。」と同氏は言う。さらにジェニングス氏は、トランプ氏がいかなる法律にも、憲法にも、国連憲章にも縛られないかのように振る舞っていると批判した。

最近の彼自身の言葉を借りれば、彼を導くのは自らの道徳だけだという。そのトランプ氏が、人口9200万人の国が眠りについているところへ大規模な戦争を仕掛けるにあたり、イスラエルに唯々諾々と追随した」と述べた。

しかもその間、米国の外交担当者たちは、妥協を模索しているかのように装いながら交渉を続けていた。ジェニングス氏はそれを、第二次世界大戦開戦前、日本が真珠湾攻撃に至るまでに行った外交になぞらえた。

そして同氏は、共同空爆が始まった最初の日、イランのミナジで100人以上の女子生徒が命を落としたとされることに触れ、「その親たちに聞いてみれば分かる。彼らはトランプ氏を、とても『道徳的』な人物とは見ないだろう」と語った。

ジェニングス氏はまた、ジョージ・W・ブッシュ元大統領が自らを「決断者(The Decider)」と呼び、結果として米国を、ワシントンの多くの政治家やトランプ氏自身ですら今や重大な誤りとみなす、二つの勝ち目のない戦争に導いたと指摘した。

「トランプ氏は、米国を中東の誤った戦争、いわゆる『終わりなき戦争』に巻き込まないと強く訴えて選挙戦を戦った。にもかかわらず、いまや彼はネタニヤフ氏に鼻面を引き回されている」と同氏は述べた。

さらに同氏は、戦争を始める際の古典的な原則として「変えられないものが二つある。歴史と地理である」と指摘したうえで、「米国の指導者が、そのことを理解せず、作戦の目的も、いかに終結させるのかという出口戦略も明確に示さないまま戦争に踏み切っていること自体、驚くべきことだ。」と批判した。

Collage: Thalif Deen
Collage: Thalif Deen

評論家やテレビ報道は、今回のイラン攻撃を「選択した戦争(war of choice)」と呼んでいる。だがジェニングス氏は、「その呼び方では不十分だ。」と語った。

「なぜ本当の名前で呼ばないのか。これは露骨な侵略戦争ではないか。いつ終わるのか、誰にも分からない。トランプ氏は数日で終わると主張しているが、それは残酷な冗談にすぎない。戦争は相手にも意思があるからだ。」

最後に同氏は、イランが1971年に建国2500年を祝った歴史を引き合いに出し、これほど長い歴史を持つ国の人々は、生き残る術をいくつか知っているのかもしれない。」と語った。(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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ネパールでNRN市民権を取得するまで

入り組んだ手続きではあったが、NRN市民権は在外ネパール人の権利と願いを支える

【カトマンズNepali Times=宮原ソニア】

最近、Nepali TimesのSubstackに掲載された「Unresident Nepalis(非居住ネパール人)」という記事を読み、私自身も、形式上は「非居住ネパール人(NRN)」に分類されながら、「ネパール国内に恒久的に住みたい」と願うネパール人の一人なのだと気づかされた。

冗談のつもりで言ったことではあったが、そこには皮肉もある。海外に出た人々の多くが故郷に戻りたいと願う一方で、移住していない人々は、ネパールにとどまるに足る十分な理由を見いだせずにいる。

NRN市民権が2023年末に正式に導入されると、私はすぐに申請を試みた。だが、書類を提出する前の段階で却下されてしまった。郡行政庁(District Administration Office)が当時の私の弁護士に対し、父方について「तिन पुस्ता」、すなわち3世代にわたるネパール人であることの証明が必要だと強く伝えたためである。

亡き父は日本出身で、2006年に日本国籍を放棄してネパールに帰化した。3年前、私は申請を退けられたものの、こうした申請に政府当局がもう少し慣れた頃に改めて挑戦すればよいと考え、その時はひとまず引き下がった。

しかし今は、病を抱える母と元気な幼子を抱え、早めに動く必要があると感じて、NRN市民権申請を専門とする法律事務所に相談した。すると意外にも、書類を確認した事務所は前向きな見解を示した。ただし、いくつかのハードルを越える必要があるかもしれないとも言われた。

2023年に私が申請したのは、父が帰化市民権を取得した郡の行政庁だった。だが今回は、母がネパールの家系上の出自を示す「बंसागज」市民権を取得した郡で申請するよう助言された。

弁護士たちは、NRN市民権の規定には、ネパールに出自を持つ父、母、祖父、または祖母を通じて取得できると明記されていると指摘した。事務所は必要書類の準備を進めてくれ、最初のステップは、母の居住区のワードオフィスから「सिफारिस」、つまり推薦状を取得することだった。

これが最初のハードルとなった。ワードオフィスは、そのような推薦状を発行できるのか判断がつかず、本庁に確認を取った。幸い、発行の許可が下りた。事務所の担当者たちが粘り強くフォローしてくれたおかげで、私たちは推薦状を受け取り、申請書類の記入を済ませることができた。

法律事務所は、必要があれば事情説明を支援できるよう自分たちは後方に回りつつ、書類は私自身が母の郡の行政庁へ持参するよう勧めた。

私は大きな笑顔と明るい口調で、言われた手続きを忠実に進めた。すると意外なことに、多くの担当者は不必要な障害を作ることなく、協力的な姿勢を見せてくれた。申請には郡長官(Chief District Officer, CDO)または副郡長官の承認が必要で、ここまで順調に進んだことで、「これはすんなりいけるかもしれない」と思ったその時、一人の担当者が、父の帰化市民権が別の郡で発行されたものであることに気づき、私のNRN申請もそちらの郡で行うべきだと告げた。

私は説明した。父はすでに亡くなっており、しかも父はもともとネパール人ではない。そのため、父の書類を根拠に手続きを進めるのは現実的ではない。求められているのは、祖先系譜に基づく「बंसागज(वंशज=血統に基づく)」市民権である。職員は上司に確認したうえで、「追加の措置として警察の確認(照会)が必要だ」と告げた。

私は警察本部へ向かった。そこで封印された紹介文書を受け取り、母のワード事務所と同じ地域を管轄する警察署へ提出するよう指示された。

Location of Nepal
Location of Nepal

警察署では、「親族以外の4人に、提出書類が事実であることを証言してもらう必要がある」と説明された。ここでの対応は、役所での手続き以上に精神的な負担となった。母の古い近隣住民の多くはすでに亡くなっていたり、別の地域で市民権を取得していたりした。協力を約束してくれた人も、その後予定が合わなくなることが続いた。だが、親切な高齢の隣人が奔走してくれ、最終的に必要な人数をそろえることができた。

ようやく先が見えてきたところで、求められた書類一式を持って郡行政庁へ戻った。最初は再び受理を渋られたものの、最終的には、CDOの決裁に回す前に書類へ署名する担当職員に会うよう案内された。

ところが運悪く、担当者たちは2時間以上も会議中だった。私は待合スペースで母にインスリン注射を打ち、売店の麺を食べさせながら時間をつぶした。

ようやく面会できた担当者は、書類を十分に確認しないまま、弁護士に向かって「法律を読んだのか」「日本のパスポートを持っているのに、なぜネパール市民権を申請できるのか」などと詰め寄った。どうやら、私が母方を通じて通常のネパール市民権を取得しようとしていると誤解していたようだった。私は、申請しているのは通常の市民権ではなくNRN市民権だと説明した。すると職員の口調は和らぎ、「規定をさらに確認する必要がある」と述べた。

ここまでで、私は段階を追って3日間手続きを進めてきた。結論が翌日に持ち越されること自体は、特に問題ではなかった。

NRN市民権は導入されて間もない制度で、申請の多くは居住国のネパール大使館を通じて行われている。そのため、手続きの過程では職員から「あなたのようなケースは扱ったことがない」と繰り返し言われた。

私の事情はこうである。私はこれまで一度もネパール市民権を取得したことがない。父は帰化ネパール市民権を取得していた。一方、家族の中で生まれながらのネパール市民であるのは母だけだった。私は繰り返し伝えた。「前例がないことは、不可能を意味しない」と。

そして実際、翌日、職員は書類に署名した。父の死とネパールへの貢献を知ったうえで、「本来、あなたの申請はもっと尊重されてしかるべきものだった」と言葉を添えた。

土地所有権の移転など、NRN市民権法の細部はいまだ十分に整っていない。だが、それでもこの制度は、多くのNRNの権利と願いを支える前向きな一歩である。私たちがどこへ行こうとも、「यो मन त मेरो नेपाली हो!(この心はネパールのものだ)。」(原文へ

Four 8,000m peaks (Cho Oyu, Everest, Lhotse and Makalu) showing the rapidly receding snowline in the Himalaya. Photo: KUNDA DIXIT
Four 8,000m peaks (Cho Oyu, Everest, Lhotse and Makalu) showing the rapidly receding snowline in the Himalaya. Photo: KUNDA DIXIT
宮原ソニア(Hotel Everest View 代表取締役、Trans Himalayan Tours & Trekking Pvt Ltd、Himalaya Kanko Kaihatsu Co. Ltd)

INPS Japan

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インド初のトランスジェンダー女子サッカーリーグ―選手たちがつかんだ尊厳

【ニューデリーIPS=ディワシュ・ガハトラジ】

ピアリ・ヘッサ(26)は、ジャムシェドプルの製鉄会社で鉄道輸送の管制業務に従事しながら、夕方にはプロ選手も使用する人工芝グラウンドでサッカーの練習に励んでいる。ジャールカンド州西シンブーム県の中心地チャイバサから約50キロ離れたベダムンドゥイ村に生まれた。ホー族出身のトランスジェンダー女性(トランス女性)で、出生名はピアレ・ラルである。長年、家族や社会の期待と向き合いながら、ありのままの自分として生き、ひとりの人間として扱われることを求めてきた。

現在、彼女はインド初のトランス女性によるサッカー大会「トランスジェンダー・フットボールリーグ」で、ジャムシェドプルFTのキャプテン兼ストライカーを務めている。ピッチは、彼女が自分を示せる場にもなっている。

このリーグは2025年12月7日、ジャムシェドプルFCが主催する「ジャムシェドプル・スーパーリーグ」の一環として発足した。8チーム、約70人のトランス女性が参加し、多くはサンタル族やホー族など地元の先住民族コミュニティ出身である。会場はJRDタタ・スポーツコンプレックスの人工芝で、試合は7人制で行われる。

League match action between Jamshedpur FC and Chaibasa FC. Photo Credit: Jamshedpur FC

選手の職業は多様だ。工場労働者、日雇い労働者、舞台パフォーマー、電動リキシャの運転手など、チャイバサやチャクラダルプル、ノアムンディ、サライケラなど各地から集まっている。競技の場であると同時に、トランス女性が選手として公の場に立ち、観客の前でプレーする機会にもなっている。

ジャムシェドプルFCで育成・ユース部門を率いるクンダン・チャンドラ氏は、次のように語る。

「トランスジェンダー・フットボールリーグの創設は、サッカーをすべての人にとって、より参加しやすく力を与える場にするという私たちの理念を具体化する一歩である。サッカーは、差別なく才能を育む場であるべきだと、私たちは強く信じている」

ピアリにとって、それは言葉だけではない。

「サッカーをしているとき、私は本当に幸せです。そして認められていると感じます。この競技は、性自認に縛られずに自分を表現できる場を与えてくれます」

彼女の人生は平坦ではなかった。父を幼くして亡くし、現在は母とともにジャムシェドプルで暮らしている。大学で文学士号を取得したが、安定した職を得るまでには日雇い労働などで生計を立てた。その後、インド有数の製鉄会社が少数者を対象に行う採用枠を通じ、物流部門の職を得た。

More league match action between Jamshedpur FC and Chaibasa FC. Credit: Jamshedpur FC
More league match action between Jamshedpur FC and Chaibasa FC. Credit: Jamshedpur FC

先住民族としてのアイデンティティは彼女の人生に深く根差している。一方、トランス女性であることは、さらに困難を重ねる。ジャールカンドの伝統的な部族社会では、慣習や社会規範が強く、トランスジェンダーへの理解や尊重は十分とは言い難い。排除や偏見に直面し、家族や地域社会からの支えを得にくい現実がある。

ジャールカンド州には30以上の先住民族が暮らしているが、部族社会におけるトランスジrンダーの位置づけは複雑で、伝統的に十分な承認を得てきたとは言い難い。

村からピッチへ

「10歳のころ、村の男の子たちと同じようにサッカーを始めました。ビニールのボールを蹴って遊ぶだけでした」とピアリは振り返る。

「大学時代、チャイバサ周辺でチャリティー試合やエキシビションマッチに出ている仲間たちに出会いました。そのとき、サッカーはただの遊びではなくなったのです。生き続け、成長する理由になりました」

試合前、主催者が観客に呼びかけることもあったという。「性別に関する中傷はやめてください。選手を尊重してください」。その言葉を聞くたび、小さな勝利を感じたと彼女は語る。

1月25日の試合では、彼女のチームがチャイバサFCに4対1で勝利した。

コーチのスフラル・ブミジ氏によれば、「8チームで隔週日曜日に試合を行い、4月まで続く予定」だという。

Saraikela FC (yellow) versus Indranagar FC (red) in league competition. Credit: Jamshedpur FC
Saraikela FC (yellow) versus Indranagar FC (red) in league competition. Credit: Jamshedpur FC

サッカーへの情熱

ジャールカンド州、とりわけ部族社会では、サッカーは深く根づいたスポーツである。村では子どもたちが裸足でボールを追い、日常の一部になっている。クリケットも人気だが、草の根レベルではサッカーが強い支持を集める。インド・スーパーリーグに参戦するジャムシェドプルFCの存在も、その熱気を後押ししている。

サッカーは、部族の少女やトランス女性の選手にとっても、誇りや連帯を生む場になっている。

リーグ得点ランキング上位の一人、プージャ・ソイ(23)は6試合で7得点を挙げている。職業はプロのステージダンサーで、10年生(高校初級課程)まで修了した。より良い生活を求めて村を離れ、現在はジャムシェドプルで自立して暮らす。

しかし、ピッチの外では厳しい現実がある。

「私たちのコミュニティの人には、部屋を貸してくれる家主がほとんどいません。ここを見つけるのも大変でした」

現在は別のトランス女性と1部屋を共有して暮らしている。

制度と現実のギャップ

ジャールカンド州は、2019年制定の「トランスジェンダーの権利保護法」に基づき、自己申告による性別認定や身分証明書の取得を認めている。教育や公務員採用での優遇措置、月額約1000ルピー(約10ドル)の年金、医療保険制度へのアクセスなども整備されている。

だが当事者によれば、制度と現実の間には大きな隔たりがある。仕事に就けず、生活のために路上で物乞いをしたり、性産業に従事せざるを得ない人も少なくない。リーグのある選手は、普段は職がなく、日中は高速道路の料金所や信号で通行人に金銭を求めることがあると、匿名を条件に語った。

インドの街角でトランスジェンダーの人々が金銭を求める光景は日常化しており、社会の側も「当然のこと」のように見過ごしてきた。だが、このリーグは別の姿を示している。

ピッチの上の自由

夕暮れのJRDタタ・スポーツコンプレックス。スパイクを締め、ボールを足元に置いたピアリは静かに集中している。

「毎日は来られません。仕事のシフトがあるので。でも、午後に終わる日は必ず来ます。ここが、私が自由になれる場所だから」

ボールを滑らかに操るピアリの姿は、競技の枠を超えている。仕事や生活の重みを背負いながらも、ピッチに立つ間だけは、彼女は自分自身でいられる。(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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固定観念の向こうへ―ラマダンの時期に取り戻すムスリムの歴史

デリーIPS=マリヤ・サリム

今日の公共空間において、ムスリムは自ら歴史を語る主体というより、しばしば他者に論じられる対象として扱われている。ムスリム社会をめぐる議論は、国際政治や安全保障、紛争に偏りがちで、何世紀にもわたり共同体を形づくってきた文化、芸術、知の伝統には、ほとんど光が当たらない。

Mariya Salim

だからこそ、こうした物語を取り戻すことは、自らの歴史を自らの言葉で語る力を取り戻すことでもある。ムスリム女性である私は、自分たちの共同体や歴史が論じられる場面でさえ、当事者であるムスリムの声が脇へ追いやられる現実をたびたび目にしてきた。

そうした問題意識から、私は友人で同僚のアシュウィニ・KP氏とともに、2020年に「ムスリム歴史月間」を立ち上げた。実施時期をラマダンに合わせたのは、共同体には自らの歴史を記録し、自ら語るための場が必要だという、ごく基本的な確信があったからである。この取り組みは、ウェブサイト「Zariya」を通じて発信している。

この「ムスリム歴史月間」は、黒人の歴史を見直す月間や、インドの被差別民の歴史を掘り起こす月間など、これまで各地で育まれてきた市民主導の試みにも学んでいる。そうした運動は長年にわたり、見過ごされ、歪められ、周縁に追いやられてきた人びとが、自らの過去と現在を取り戻す道を示してきた。

それらが教えてくれるのは、歴史とは単に過去を振り返る営みではなく、排除に異議を唱え、社会が自らをどう理解するかを問い直す行為でもあるということだ。「ムスリム歴史月間」もまた、その流れを受け継ぎ、ムスリム自身、そして連帯する人びとが、多様で複雑で豊かな歴史的・文化的経験を自ら見つめ直す場となっている。

小さな共同プロジェクトとして始まったこの試みは、その後、作家、研究者、芸術家、活動家が集う国際的な場へと発展した。これまで見過ごされてきたムスリムの歴史のさまざまな側面を掘り起こすこの企画には、エジプト、米国、パレスチナ、ネパール、ロシアなど各地から寄稿が寄せられている。参加者には、社会の中で周辺化されてきたムスリムの集団に属する人びとも含まれる。今年だけでも、レバノン、パレスチナ、インド、エジプト、インドネシアなど6カ国以上から寄稿が集まった。

UN Photo
UN Photo

こうした歴史を記録することの切実さは、寄稿者たち自身の姿勢にも表れている。レバノンの大学でイスラム美術史を研究するリマ・バラカート氏は、今年、戦火の続くベイルートから寄稿した。なぜそのような状況でもこの試みに参加したのかを問われ、彼女はこう語っている。

Credit: Global Centre for the Responsibility to Protect
Credit: Global Centre for the Responsibility to Protect

「戦争のさなかにあるからこそ、私は文化的な営みを続け、政治的混乱の中でも何かを生み出したいと思っています。歴史を振り返れば、第一次世界大戦や第二次世界大戦の時代にも、芸術家や作家たちは創作を続け、文化を支えてきました。私もいま、同じことをしています。生き延びるということは、文化や芸術を支え続ける力によってこそ測られるのです。」

この言葉は、困難な時代に文化が果たす役割の本質をよく示している。芸術表現はしばしば、目の前の政治課題に比べて後回しにされがちである。だが歴史が示してきたのは、文化こそが共同体にとって、苦境を生き抜き、記憶を守り、再び立ち上がるための最も力強い手段の一つだということだ。

第1回の「ムスリム歴史月間」では、世界各地の書き手たちが、それまで十分に語られてこなかったムスリム共同体の姿を記録した。テーマは、パキスタンに暮らすアフリカ系ムスリムの人びとの歴史から、ラマダンという月が人びとにとって何を意味するのかまで、多岐にわたった。

Zaha Hadid in Heydar Aliyev Cultural center in Baku nov 2013

第2回では、すでに亡くなった世界各地のムスリム女性たちに光を当てた。取り上げられたのは、世界的な建築家ザハ・ハディドや、インド系で第二次世界大戦中に諜報活動に携わったヌール・イナヤト・カーンらである。彼女たちの歩みの多くは歴史の中で十分に記憶されてこなかったが、その人生と仕事を改めてたどることで、ムスリム女性の経験がしばしば歴史からこぼれ落ちてきた現実に向き合おうとした。

そして今年始まった第3回は、ムスリムの芸術と建築に目を向けている。ただし対象は、有名な大建築や美術館の展示作品だけではない。ここでいう芸術と建築には、舞台芸能、美しい文字を描く表現文化、礼拝所の建築、伝統工芸、お守りを身につける習慣、さらには信仰やアイデンティティー、共同体への帰属意識を表す日常の創造的な営みまで含まれている。

たとえば、カナダ在住のカウサル・アルコリー・ラマダン氏による寄稿は、カナダ・オンタリオ州ロンドンで起きた、ムスリム一家が憎悪犯罪の標的となって殺害された事件のその後を振り返るものである。2021年に起きたこの事件は、地域社会に深い衝撃を与えた。ラマダン氏の文章は、事件の残虐さそのものだけではなく、その後ムスリム女性たちが、創作や文化的な表現を通じてどのように応答したかに目を向けている。

こうした物語は、「何が芸術と呼ばれるのか」という従来の思い込みを揺さぶる。共同体が傷つき、その痛みを受け止め、自らの存在を確かめようとする危機の瞬間にこそ、創造性は最も力強く立ち現れることがあるのだ。

Mihrab at the Jami Masjid, 17th century, Bijapur, India. Photo- Author Rajarshi Sengupta
Mihrab at the Jami Masjid, 17th century, Bijapur, India. Photo- Author Rajarshi Sengupta
SDGs Goal No. 5
SDGs Goal No. 5

また、インドネシアのアヅカ・ハニイナ・アルバリ氏による寄稿は、預言者ムハンマドへの賛歌を唱える宗教的な歌やパフォーマンスを取り上げている。この論考は、そうした表現の場が、ジェンダー平等をめぐる議論を語る空間にもなっていることを示している。もともと男性中心だった宗教的実践に女性の参加を広げることで、演者たちは芸術を通じて、性別の平等や社会正義をめぐる新しい議論に関わっているのである。

今回の特集全体を通して、世界各地から似たような物語が浮かび上がる。現代の芸術家を扱うものもあり、世界的に知られるチュニジア人の書家カリム・ジャバリへのインタビューや、パレスチナのジュエリーデザイナー、エジプトの研究者による寄稿も含まれている。ほかにも、移住や離散、地域ごとの文化の歩みによって形づくられた芸術の伝統をたどる論考が並ぶ。

「ムスリム歴史月間 III」が示しているのは、芸術表現がいまも日々の暮らしの深いところに息づいているという事実である。地域の文化活動、目を見張る建築、歴史的な書物をめぐる考察、祈りのパフォーマンスに至るまで、こうした実践は、創造性がムスリム共同体の社会的・精神的な風景をいまも形づくっていることを物語っている。

同時に、それらはムスリム文化の多様さも示している。ムスリム社会が一枚岩ではないように、その芸術の伝統もまた一様ではない。

ムスリムを政治の見出しや安全保障の文脈に押し込めがちな今日の言論空間にあって、こうした物語は重要な対抗軸を示している。ムスリムの歴史とは、創造性、学問、手仕事、そして文化交流の歴史でもあることを思い出させてくれるからだ。

Image: World with nuclear weapons/ World free of nuclear weapons, Michael P., Poland, Art for Peace. Credit: Portside
Image: World with nuclear weapons/ World free of nuclear weapons, Michael P., Poland, Art for Peace. Credit: Portside

こうした歴史を書き残すこと自体が、一つの保存の行為である。歴史も、そしてまだ書かれていない現在も、放っておけば簡単に忘れ去られ、あるいは誤って伝えられてしまう。共同体が自らの過去と現在を語る力を取り戻すとき、それは、長く自分たちを大きな文化の物語から締め出してきた構造そのものへの挑戦となる。そういう意味で、「ムスリム歴史月間」は単に過去を振り返る試みではない。ムスリムの歴史がこれからどのように理解されるのかを形づくる営みでもある。

ベイルートから寄せられたリマ・バラカート氏の言葉が示すように、戦争と不確実性に覆われた時代であっても、文化の営みは途絶えない。多くの共同体にとって、生き延びることそのものは、文化を生み出し続ける力によって支えられているのである。

公の議論を支配する固定観念や見出しの向こう側には、はるかに豊かな物語がある。そこには、芸術、建築、記憶、そして自らの物語を語ろうとする共同体の想像力が息づいている。(原文へ

マリヤ・サリム氏はZariyaの共同設立者。デリーを拠点とする人権活動家であり、性暴力やジェンダーに基づく暴力の問題に取り組む国際的な専門家でもある。

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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米国/イスラエルによる対イラン爆撃―国際法軽視のケーススタディ

【米カリフォルニア州オークランドIPS=ジャクリーン・カバッソ、ジョン・バローズ】

「『エピック・フューリー』作戦は、トランプ大統領の“壮大な癇癪”とも言うべき衝動が、取り巻きによって増幅され、現実の武力行使として実行に移されたものだ。影響は地域にとどまらず、世界の平和と安全保障、国際経済、そして第二次世界大戦後の国際法秩序を揺るがしかねない。」

米国/イスラエルによるイラン爆撃は、国際法の基本規則を明白に踏みにじっている。国連憲章第2条4項が禁じる「いかなる国の領土保全又は政治的独立に対する武力による威嚇又は武力の行使」に反し、イランの主権を侵害するものである。

米国とイスラエルが、差し迫った武力攻撃に対する自衛権の行使として行動しているとする説明には、説得力がない。まして体制転換(レジーム・チェンジ)は武力行使の正当化になり得ない。国家の政治的独立を尊重するという原則に、真正面から反するからである。

Credit: UN Photo/Evan Schneider
UN Secretary-General António Guterres, briefing reporters outside the Security Council, described the United States’ bombing in Iran as a “dangerous escalation.”
“I am gravely alarmed by the use of force by the United States against Iran today,” said the UN chief, reiterating that there is no military solution. “This is a dangerous escalation in a region already on the edge – and a direct threat to international peace and security.”
Credit: UN Photo/Evan Schneider
UN Secretary-General António Guterres, briefing reporters outside the Security Council, described the United States’ bombing in Iran as a “dangerous escalation.”
“I am gravely alarmed by the use of force by the United States against Iran today,” said the UN chief, reiterating that there is no military solution. “This is a dangerous escalation in a region already on the edge – and a direct threat to international peace and security.”

国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、安全保障理事会の外で記者団に対し、米国によるイラン爆撃を「危険なエスカレーション」と表現した。「私は本日、米国がイランに対して武力を行使したことに深い懸念を抱いている。すでに瀬戸際にある地域での危険なエスカレーションであり、国際の平和と安全に対する直接の脅威である。」と事務総長は述べ、軍事的解決はないとの立場を改めて強調した。

Jacqueline Cabasso, Executive Director, Western States Legal Foundation. Photo Credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, INPS Japan.
Jacqueline Cabasso, Executive Director, Western States Legal Foundation. Photo Credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, INPS Japan.

とりわけ目立つのは、トランプ政権が多国間メカニズムを活用したり、国際法を根拠としたりするための真剣な努力をほとんど示していない点である。政権は、その行動と国際法への軽視によって、冷戦終結後ほぼ30年にわたり進んできた武力行使をめぐる基本規範の侵食を、さらに加速させている。

武力行使を形式的に制限してきた法的枠組みの弱体化は、長期にわたって進行してきた。21世紀に入ってからは、とりわけ大国が国際法や国際機関をいっそう軽視し、大規模な戦争に踏み切る事例が、衝撃的なかたちで繰り返されてきた。

最初の大きな例が、2003年の米国によるイラク侵攻である。90年代にイラク周辺で続いた長期かつ大規模な米軍展開、そして2001年のアフガニスタン侵攻・占領が、その下地となった。トランプ政権とは異なり、ジョージ・W・ブッシュ政権は少なくとも国際法上の根拠を示そうとはした。だが、戦争の正当化は虚偽に基づいていた。

次いで、ロシアによる2014年のクリミア併合、そして2022年のウクライナ全面侵攻が起きた。いずれも国際法上の正当化を欠いていた。今世紀にはほかにも、たとえば最近、米国がベネズエラに侵攻し大統領を拉致するために行動したように、侵略とみなし得る事例がある。だが、イラクをめぐる米国の行動、ウクライナにおけるロシアの行動、そして米国/イスラエルの対イラン爆撃は、武力行使をめぐる規範の侵食という観点で、とりわけ重大な転換点である。

イランの核開発をめぐって言えば、爆撃前には、自衛権を主張し得るような状況は存在しなかった。一般に、イランが長年にわたりウラン濃縮能力を維持してきたのは、将来のどこかで核兵器取得という「選択肢」を温存する意図もあったとみられる。だが、実際に取得へ踏み切った形跡はなかった。

John Burroughs/ LCNP
John Burroughs/ LCNP

しかも、2015年に苦心の交渉で成立した「包括的共同行動計画(JCPOA)」―イランの核計画に実効的かつ検証可能な制約を課した国際合意――から、一方的に離脱したのは、第一次トランプ政権下の米国である。

イランの核計画を論じる際、イスラエルが強固な核兵器庫を有している事実は、しばしば正面から扱われない。長期的にみれば、一部の国家には核兵器の保有を認め、他の国家にはそれを否定するという状態を維持することは現実的ではない。北朝鮮のように核拡散が現実化したケースであれ、イランのように潜在的拡散が懸念されるケースであれ、最も根本的な対処は、核兵器の世界的廃絶に向けて迅速に歩を進めることである。

もう一つの、少なくとも部分的な対応策は、新たな非核兵器地帯を地域に構築することである。中東でも、実際にその試みが進められてきた。核不拡散条約(NPT)の枠内でも国連においても、中東非核兵器地帯の交渉開始に向けた真剣な努力が続けられてきた。イランはその交渉への参加に前向きだった。

しかし、イスラエルと米国はこれらの取り組みをボイコットしてきた。これは、彼らが「脅威となるイランの核開発を止めるために行動している」と主張する際、その正当性を大きく損なう。

では、この状況にどう対応すべきか。

第一に、イラン侵攻は違法な侵略として非難されるべきであり、国連憲章が定める基本規範は、少なくとも将来のために守られなければならない。

第二に、世界はいま大きな変化の只中にあることを認識すべきである。その特徴は、権威主義的ナショナリズムの再興にある。権威主義的な民族ナショナリズム勢力が、核保有国を含む多くの国で政権を握るか、あるいは有力な政治勢力となっている。

課題の性質を直視する現実的な視点が必要であり、より公正で民主的かつ平和的なポスト・ナショナリズムの世界に向けて、新たな発想と革新的なアドボカシーと政治の形が求められている。(原文へ

ジャクリーン・カバッソは米カリフォルニア州オークランドの西部諸州法律財団事務局長(Western States Legal Foundation)事務局長。ジョン・バローズは同財団理事。

IPS UN Bureau

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国連が直面しているのは予算危機か―それとも指導力の危機か―あるいは両方か

【ニューヨークIPS=アンワルル・K・チョウドリー】

2025年2月、今から1年前のことだ。国連のアントニオ・グテーレス事務総長は報道陣へのブリーフィングの冒頭で、「まず、過去48時間に国連機関や多くの人道・開発NGOに届いた情報について、深い懸念を表明したい。米国が資金拠出を大幅に削減するという内容だ。」と述べ、警鐘を鳴らした。事務総長は続けて、「その影響は、世界中の脆弱な人々にとって特に壊滅的なものとなるだろう。」と語った。
UN80イニシアチブ――改革か圧力か
Anwarul K. Chowdhury
Anwarul K. Chowdhury

その予算危機は、国連創設80周年を口実に掲げた「UN80イニシアチブ」という改革アジェンダによって、当面は先送りされようとした。資金繰りの逼迫に追い立てられて打ち出された、いわば体裁づくろいの改革である。

国連システムの構造改革とプログラム改革は、少なくとも過去4人の事務総長の時代から長年の課題とされてきた。だが、頭字語の変更、マンデートの拡張、組織の微調整、そして近年では職員の移転といった措置を除けば、目立った成果はほとんど見られない。

財政破綻への警鐘

今年1月末、事務総長は全加盟国宛ての書簡で、国連の通常予算の手元資金が7月までに底を突く可能性があると指摘し、業務運営に重大な支障が生じ得ると警告した。さらに、「差し迫った財政破綻」を回避するため、同様の事態を防ぐ国連の財政ルールを抜本的に見直すよう加盟国に求めた。

なぜ今になって、加盟国に具体的な行動を迫るのか。2025年2月に自ら危機を訴えた時点で、なぜ同じだけ踏み込んだ要請をしなかったのか。

これは、オオカミが来たと叫び続けた少年の寓話を思い起こさせる。

権限の限界を嘆く―権力も資金もない

グテーレス事務総長は過去に報道陣に対し、次のように語っている。「国連事務総長の権限が非常に限られているのは事実であり、財源を動員する能力もきわめて乏しい。つまり、権力もなく、資金もない」。

これは、すべての事務総長が直面し、十分承知してきた現実である。国連を継続的に追い、その複雑な機能を理解する人々にとっても周知の事実だ。

それでもなお、なぜこの現実は、国連指導部が与えられた責務を果たせない局面に限って、改めて公の場に持ち出されるのか。

私は、事務総長の「非常に限られた権限」は、国連とその最高指導部に過度の期待が寄せられないよう、繰り返し明示されるべきだと考える。私の知る限り、歴代の事務総長は、選出に向けた過程や就任時に、こうした制約を正面から語ってこなかった。

グテーレス事務総長も例外ではない。2017年の就任時点で、指導力の「限界」としてではなく、むしろ職務遂行上の「障害」として、これらの制約を事実として示していれば、より現実的で誠実だったはずだ。にもかかわらず、在任9年近くを経た2026年になって初めて、この点が強調されている。世界の「最重要外交官」が抱える構造的弱点―行動を縛る制度的制約―は、以前から変わらず存在してきたのである。

統制か撤退か

米国が、財政的影響力を梃子に国連の機能不全を脅しとして用いているのではないか、と見る向きもある。

米国は拒否権という強大な権限を持ち、国連システムの運営予算への拠出でも約4分の1を担ってきた。国連憲章を改正し、真に民主的な組織へ作り替えない限り、この構造は直視せざるを得ない。国連指導部も加盟国も、この現実を前提に対応すべきである。

米国は長年、法的に支払うべき拠出金を分割で納める方式をとってきた。事務総長もその事情を理解し、事実上受け入れてきた。狙いは、分割払いの局面ごとに見返りを引き出しつつ、拠出金未納による投票権停止を回避することにある。

私は、米国は国連から「撤退」するのではなく、「統制」を通じて国連を自国流に使おうとしているのだと考える。

国連のトップに女性を

こうした文脈において、私は改めて強調したい。国連は創設から80年を経たにもかかわらず、世界の最高外交官として9人続けて男性を選んできた。2026年に現職の後継者を選出するにあたり、次期事務総長は女性であるべきだ。いま国連に求められているのは、そのための判断力と見識である。

いま必要なのは、創造的で官僚主義に縛られず、主体的かつ先見性を備えた指導力である。そうした真の変化がなければ、「オオカミ少年」症候群が国連の活動を揺るがし続け、人類全体の利益のために存在する最も普遍的な多国間機関としての使命が損なわれかねない。

アンワルル・K・チョウドリー氏は、元国連事務次長。バングラデシュの元国連常駐代表を務め、国連総会第5委員会(行政・予算委員会)委員長(1997~1998年)、国連安全保障理事会議長(2000年、2001年)、国連総会議長上級特別顧問(2011~2012年)などを歴任した。さらに、国連計画・調整委員会の副委員長も2期務めている。(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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ホルムズ海峡危機で進む静かな同盟シフト―トランプ政権の論理に近づく日本と欧州

【ニューヨークATN=アハメド・ファティ】

ホルムズ海峡をめぐる同盟の変容は、同海峡への艦隊派遣によって始まったのではない。発端となったのは、一つの首脳会談である。ドナルド・トランプ米大統領が日本の高市早苗首相をホワイトハウスに迎えた際、焦点は、同盟国が海峡の安全確保に踏み込むのかどうかにあった。だが実際に浮かび上がったのは、より重大な変化だった。日本と欧州の主要国が、戦争そのものへの全面的な政治的責任を引き受けることなく、ホルムズ海峡をめぐる米国の戦略的論理へと静かに、しかし確実に歩み寄ったのである。重要なのは、まさにその点である。

Ahmed Fathi.
Ahmed Fathi.

トランプ氏のメッセージは明快だった。ホルムズ海峡に依存してエネルギーを輸入する国々は、その安全確保に応分の役割を果たすべきだ、というものだ。日本がその圧力の対象となるのは避けられなかった。欧州諸国も同様である。もっとも、両者にはそれに慎重にならざるを得ない理由があった。日本はなお、海外での武力行使に法的制約を抱えている。欧州にも、拡大しつつある米・イスラエルの軍事行動に巻き込まれることへの強い警戒感があった。首脳会談前、日本政府の立場は、慎重姿勢、法的自制、そして護衛任務への不参加というものだった。しかしワシントンは、その前提そのものを揺さぶった。

日本は海上自衛隊の派遣を発表したわけではない。米国主導の護衛艦隊に参加したわけでもない。法的な慎重姿勢を捨てたわけでもない。だが、日本政府は政治的には米国にとってより重要な一歩を踏み出した。危機に対する米国の捉え方を、従来以上に受け入れたのである。日本は事実上、「これは日本の戦争ではない」と距離を置く段階から、「これは航行の自由とエネルギー安全保障に対する重大な脅威であり、米国と緊密に連携すべき問題だ」と位置づける段階へ移った。同盟政治において、これは単なる表現の違いではない。立場の変化そのものである。

日本の報道からも明らかなように、高市首相はきわめて難しい舵取りを迫られていた。米国との決裂は避けなければならない一方で、国内の法的・政治的制約を超えることもできない。同時に、日本政府が見据えていたのはホルムズ海峡だけではなかった。より深い懸念は、米軍の関心と戦力が中東に振り向けられることで、対中抑止が弱まることにあった。つまり、これは単なる湾岸問題ではない。湾岸問題の形を取ったインド太平洋の問題だったのである。

欧州もまた、同様の方向に動いた。ただし、いつものように、実際以上に結束しているように装いながらである。欧州各国の当初の反応は、慎重というより抵抗に近かった。ブリュッセルでは、EUの海上安全保障態勢を調整すべきかどうかが検討されたものの、戦争に直接関与することへの意欲は乏しかった。欧州の当局者たちは、海上安全保障が進行中の空爆作戦と結びつけば、護衛任務が驚くほど容易に戦闘任務へと転化しかねないことを理解していた。

その後に出されたのが、あの声明である。

英国、フランス、ドイツ、オランダ、日本などは、「ホルムズ海峡の安全保障を改善するための適切な努力」に貢献する用意があると表明した。この「適切な努力」という表現が、すべてを支えていた。ワシントンを安心させるには十分に幅広く、各国政府が踏み込みすぎたと受け取られないようにするには十分に曖昧だったからである。その中身には、計画立案、監視、兵站、情報協力、制裁履行、エネルギー調整、さらには後になって、より都合のよい政治的隠れみのの下での海上展開まで含まれ得る。意図された曖昧さであり、この場合、曖昧さそのものが政策だった。

Strait of Hormuz

その中でも英国は、欧州大陸諸国より一歩先へ進んだ。ロンドンは、航行を脅かすイランのミサイル拠点への攻撃にあたり、米国による英軍基地の使用を認めた。これは単なる政治的支持ではなく、作戦上の支援である。一方、フランスは最も明確な慎重派として踏みとどまった。ホルムズ海峡の重要性は認めつつも、欧州の軍事力が米国とイスラエルによって形作られた戦闘環境に組み込まれるべきだという前提には抵抗した。この英仏政府の温度差こそ、欧州の実像をよく示している。統一でもなければ反乱でもない。そこにあるのは、複層的なためらいである。

では、ワシントンで何が起きたのか。

それは屈服ではなかった。反抗でもなかった。もっと捉えにくく、しかもより重要な変化だった。トランプ氏が得られなかったのは、テレビ映えする勝利である。艦隊派遣の発表もなければ、大々的な同盟国の誓約もなく、整然と従う同盟国の姿を示す写真もなかった。だが実際に得たのは、より現実的な成果だった。すなわち、徐々に進む接近である。日本は調整した。欧州も調整した。英国はより速く動いた。フランスは軍事的な帰結には抵抗しつつも、危機認識そのものは否定しなかった。同盟が実際に変化するとき、それはファンファーレとともに訪れるのではない。誰もが一時的措置だと言い張る半歩ずつの前進として進むのである。

より深い問題は、トランプ氏が、より苛烈な同盟政治のモデルを試している点にある。従来の構図では、米国が主導し、同盟国が支持を表明し、そして誰もが負担は共有されているかのように装っていた。だが新たな構図は、はるかに取引的で、礼儀も薄い。ワシントンがまず攻撃し、その後で、その余波に最もさらされる同盟国に対し、安定化のコストをより多く負担するよう求めるのである。日本はこの論理にとりわけ脆弱である。中東のエネルギーに大きく依存し、同時に米国の安全保障の傘にも深く依存しているからだ。

最もあり得る帰結は、同盟国の完全な足並みの一致を伴わない、選択的な負担分担である。日本は今後も、政治的には支持を示しつつ、軍事的には慎重姿勢を維持する可能性が高い。欧州は分裂したままだろう。英国は作戦上の支援役を果たし続けるかもしれない。フランスは、航行の安全保障を際限のない戦争と安易に結びつけることに引き続き抵抗するだろう。

しかし、より大きな変化はすでに見えている。日本はワシントンで屈服したわけではなく、欧州も足並みをそろえたわけではない。それでも両者は、自らが公に認める以上に、トランプ氏の戦略的論理へと近づいた。そこにこそ、この問題の本質がある。ホルムズ海峡を行き交う艦船は表層にすぎない。より深い現実は、湾岸の石油航路を舞台に、同盟そのものがいま再交渉されているという点にある。(原文へ

Original URL: https://www.amerinews.tv/posts/strait-of-hormuz-alliance-shift-what-changed-after-the-trump-takaichi-meeting

INPS Japan

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「断絶」を修復するのに、貿易だけでは足りない

【カトマンズIPS=シモーネ・ガリンベルティ

いま世界を覆う混乱と無秩序―覇権国同士の対立が深める亀裂―を乗り越えるのに、貿易だけで十分なのだろうか。地政学と国際関係は大きな転換点にある。カナダのマーク・カーニー首相が最近、「ルールに基づく多国間秩序」に生じた「断絶(rupture)」と呼んだような状況の中で、貿易はほとんど万能薬のように語られている。

Canadian Prime Minister Mark Carney

だが本当に、欧州連合(EU)がメルコスールやインドと結んだような、新たな代替的通商パートナーシップだけが、予測不能さを増す米国政権と、自信過剰で野心を強める中国に対処する唯一の道なのだろうか。

カーニー首相は数週間前、ダボスで開かれた世界経済フォーラム(WEF)で演説し、カナダのような「ミドルパワー」が巨大な覇権国への依存を減らすための指針を示した。国境の南にいる横柄で予測不能、しかも権威主義化を強める大統領にどう向き合うか―そうした含意をにじませながら、天然資源を梃子にし、代替市場との貿易に大きく賭けることで、国家は選択肢を広げられるとの基本戦略を提示した。

貿易が、成熟経済だけでなくインドのような新興経済にも新たな選択肢を開くことは疑いようがない。EUも同様の方向へ舵を切り、新たな通商協定を、成長を促しつつ自らの強靱性を高める手段として用いている。もっとも、米国との良好な関係を維持せざるを得ないという現実は変わらない。だが、貿易に全面的に依存する「処方箋」も、いずれ壁に突き当たる。

短期的には、米国や中国の拡張的な動きをかわす―少なくとも回避を試みる―うえで、貿易は有効かもしれない。だが貿易にも限界がある。この新しい難局への包括的で長期的な対応には、政治的な手当てが不可欠だ。

貿易は、より広い政策ツールキットの一部として位置づけるべきである。各国は、近隣国との地域協力プロジェクトへの投資を拡大することを政策の中心に据える必要がある。強化された経済連携を通じて近隣国同士の政治的結び付きを深めることは、新しい国際地域主義への出発点となり得る。

しかし、二国間関係の経済的側面を活用するだけでは足りない。そこには、より大胆で、より包括的で、何より人々を鼓舞する構想が必要だ。経済の枠を超えた取り組みがあってこそ、既存の覇権国から尊重され、場合によっては競合し得る新たな政治的枠組みを構想する余地が生まれる。

第二次世界大戦後の欧州を思い浮かべればよい。貿易と経済が、地域協力のプロジェクトを下支えし、加速させた。やがて、当初は単なる経済的結社に過ぎなかった「対等な協力の成功例」―欧州経済共同体(EEC)は、より先見的で大胆な地域統合の構想へと変貌した。

だが、近年の米欧対立の局面で欧州が貶められた出来事が示すように、このプロジェクトはまだ完成していない。グローバル・サウスもグローバル・ノースも含め、各国が理解すべき点は明確だ。統合を経済に限定せず、政治・安全保障・技術・社会まで射程に入れた「より大きなビジョン」を掲げてこそ、外部に振り回されない自律を確保できる。

東南アジア諸国連合(ASEAN)や南部アフリカ開発共同体(SADC)のような地域協力枠組みを築くことは、加盟国が国内で市民からの正統性を保つうえでも、国際関係の領域で影響力を固めるうえでも、道を開き得る。だが、欧州の教訓は明確である。経済協力や、経済を基盤とした統合にも限界がある。

China in Red, the members of the Asian Infrastructure Investment Bank in orange. The proposed corridors and in black (Land Silk Road), and blue (Maritime Silk Road)./ By Lommes - Own work, CC BY-SA 4.0
China in Red, the members of the Asian Infrastructure Investment Bank in orange. The proposed corridors and in black (Land Silk Road), and blue (Maritime Silk Road)./ By Lommes – Own work, CC BY-SA 4.0

中国、ロシア、そして第2次トランプ政権下の米国―制約の少ない覇権国に対抗し得る梃子を国家に与えるのは、より大胆な統合プロジェクトへの明確な支持だけである。困難で気の遠くなる課題ではあるが、地域統合だけが、各国に一定の「集団的な力」を与え、相応の敬意を引き出し得る。ところが残念なことに、地域協力そのものが崩れている。

南米南部共同市場(メルコスール)は、EUとの貿易協定の署名で注目を集めた。だが、その協定はEUの「準立法機関」である欧州議会が採決によって事実上「凍結」し、適法性の判断を欧州司法裁判所(ECJ)に委ねる形となった。そもそもメルコスールは、政治的に統合された共同体には程遠い。南米諸国連合(UNASUR)の存在を覚えている者がどれほどいるだろうか。地域協力の模範と見なされてきたASEANですら、「中心性」が揺らぎ、信認を失いかねない状況にある。

アフリカでは、SADCの潜在力はしぼみ、最も有望で大胆な政治統合の試みとされた東アフリカ共同体(EAC)も、真の連邦―東アフリカ連邦―へと移行する構想が大きく失速した。

ATN
ATN

トランプ氏の自我と、それが生むドラマのせいで、EUはいま、自らの統合の軌道を再考せざるを得なくなっている。このままの速度と方向では、EUは足場を固められず、世界支配を競う覇権国が投げかける露骨な脅しや、見えにくい圧力、恐喝に対して、団結と結束を保ったまま対処することはできない。

EUは経済領域を超えて力を投射できなければならない。マリオ・ドラギ前イタリア首相(前欧州中央銀行総裁)は最近、ベルギーのルーヴェン・カトリック大学(KU Leuven)での講演で、同趣旨を語った。
「力は、欧州が連合体(confederation)から連邦(federation)へ移行することを求める。」現状のままでは、欧州は生き残ることさえ想像できない、というのである。さらにドラギは、「これは、欧州が従属し、分断され、同時に脱工業化する危険を伴う未来だ。自らの利益を守れない欧州は、価値も長くは守れない」と警告した。

ダボスで遠慮なく語ったカーニー首相は評価されてよい。だが、多国間秩序に生じた断絶は、絆創膏のような対症療法では修復できない。貿易が重要であることに変わりはないとしても、それだけで断絶を縫い合わせ、つぎはぎできると信じるのは幻想である。貿易は強力だが不完全な解でしかない。

必要なのは、設計の段階から政治的プロジェクトを構築できる取り組みである。国民国家を中心に据えつつ、遠くない将来に、より大胆な政治的構想を展望できるような取り組みだ。EUの事実上の首都であるブリュッセルは、欧州政治プロジェクトを新たな段階へ跳躍させる青写真を、再び示し得る。より深い統合、そして不可避に連邦主義を含む形での結束を追求する段階である。

結局のところ、国家の地位を守る最善の方法は、新しい形の「共有主権」へ投資することだ。これはカナダのようなミドルパワーやEU加盟国だけの課題ではない。開発途上国も、この新秩序と向き合い、自国の存続が、限界を設けないほど野心的な地域協力の取り組みによってのみ保証されることを理解しなければならない。

とはいえ、カーニー首相とカナダにとって、地理は容赦がない。カナダが欧州、あるいはメキシコやカリブ海諸国と、いまは想像できないような恒久的な結び付きで結ばれる―そんな「想像できない関係」を構想することもできるのだろうか。(原文へ

シモーネ・ガリンベルティは、SDGs、若者中心の政策形成、より強くより良い国連について執筆している。

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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【ブリュッセルIPS=サミュエル・キング】

ドイツのフリードリヒ・メルツ首相が第62回ミュンヘン安全保障会議の開幕に際し、「戦後のルールに基づく秩序は、もはや存在しない」と語ったとき、その認識を裏づける現実はすでに十分に存在していた。イスラエルは国際法を無視してガザでジェノサイドを続け、ロシアは違法なウクライナ侵攻の開始から4年目に入っていた。ロシアと米国の間に残されていた最後の核軍備管理条約も失効し、米国は66の国際機関や国際的枠組みから離脱していた。

Credit: Global Centre for the Responsibility to Protect
Credit: Global Centre for the Responsibility to Protect

会議後には、イスラエルと米国がイランに対する新たな軍事行動に踏み切り、地域全体を巻き込む大規模紛争へ発展する危険が高まっている。一方、国連は深刻な資金難に直面し、職員や事業の削減を迫られている。米国国際開発庁(USAID)の資金に依存してきた市民社会組織もまた、存続の危機に立たされている。

1963年に大西洋横断の防衛会議として創設されたミュンヘン安全保障会議は、いまや国家元首や外相、市民社会、シンクタンク、メディアが一堂に会する、世界で最も重要な年次安全保障会議の一つとなっている。2026年会合は「破壊のただ中で(Under Destruction)」をテーマに掲げ、115カ国以上から1000人超が参加した。60人を超える各国首脳のほか、中国の王毅外相、米国のマルコ・ルビオ国務長官、複数の国連機関トップらも顔をそろえた。

会議の分析的な基盤となったのが『ミュンヘン安全保障報告書2026』である。同報告書は、世界が「レッキングボール(鉄球)政治」の時代に入ったと指摘した。そこでは、改革ではなく破壊を志向する政治勢力によって、1945年以降の国際秩序が打ち壊されつつあると論じている。報告書に盛り込まれた「ミュンヘン安全保障指数」も、その危機の深さを示していた。フランス、ドイツ、英国では、回答者の過半数が、自国政府の政策は将来世代を現在より悪い状況に追い込むと答えた。さらに、多くのBRICS諸国とG7諸国では、米国が「増大するリスク」と受け止められている。

Marco Rubio Credit: State Department.
Marco Rubio Credit: State Department.

会議を前に、各国の注目はルビオ国務長官の基調演説に集まっていた。前年、J・D・ヴァンス米副大統領は攻撃的な演説を行い、欧州各国政府が言論の自由を抑圧し、政治的過激主義に同調していると非難した。そこに自己矛盾への自覚は見られなかった。これに対し、ルビオ国務長官はより穏当な口調で、欧州を米国にとって「大切な同盟国であり、最も古い友人たち」と表現した。欧州委員会のウルズラ・フォン・デア・ライエン委員長は「大いに安心した」と述べ、会場の半数が立ち上がって拍手を送った。

だが、その演説の骨格は、前年にヴァンスが示した路線と変わらなかった。ルビオ国務長官は大西洋横断関係を、共有された民主主義制度や国際法ではなく、「キリスト教の信仰、文化、遺産、言語、祖先」によって定義したのである。この語り口は、グローバルサウスの参加者から強い反発を招いた。そこには、世界の多数派を排除しながら、グローバルノースの文化的・人種的優位を暗に示す含意があったからである。

トランプ政権は、ヴァンス副大統領の対決的な姿勢が裏目に出て、欧州を中国に接近させ、米国主導の構想への支持を得にくくしたと判断したのだろう。そこで政権は、メッセージ自体は維持したまま、より穏当な語り手へと前面を差し替えたのである。

ルビオ国務長官の会議後の日程は、現在の米国の優先順位を端的に示していた。彼はミュンヘンを離れると直ちにブダペストとブラチスラバを訪れ、ハンガリーのヴィクトル・オルバン首相、スロバキアのロベルト・フィツォ首相という2人のナショナリスト指導者と会談した。いずれも親トランプであり、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領に対しても融和的な立場を取ってきた人物である。トランプ政権が欧州における真の同盟相手とみなしているのは、こうした政治勢力なのだ。さらに米国は、欧州各地の右派系シンクタンクや慈善団体への資金提供も計画しており、大陸の政治に公然と影響力を及ぼそうとしている。

Photo: France to form a commission for reconciling with Algeria. Credit: Anadolu Agency
Photo: France to form a commission for reconciling with Algeria. Credit: Anadolu Agency

メルツ首相の現状認識は、歴史的であると同時に憂慮すべき動きを促した。メルツ首相とフランスのエマニュエル・マクロン大統領は、フランスの「核の傘」を欧州の他国にも拡大する可能性について協議を始めたと明らかにしたのである。ほんの1年前なら想像しにくかった展開である。欧州諸国は長らく、安全保障をNATOと、その集団防衛義務を定めた第5条に依拠してきた。だがトランプ政権は、その第5条を尊重しない可能性を示唆しており、欧州諸国はNATO依存から脱却するための、長く高コストな道を歩み始めている。いまや、その模索は核抑止の代替策にまで及びつつある。

フォン・デア・ライエン欧州委員長はこれを「欧州の目覚め」と呼び、「相互防衛条項」を具体化すべきだと訴えた。英国のキア・スターマー首相は「ハードパワー」と、必要であれば戦う覚悟を持つ必要性を強調した。ポーランドの民族主義的なカロル・ナヴロツキ大統領は、自国が核兵器を持つべきだとまで語った。こうした反応は、多国間秩序の動揺に対応するどころか、戦後秩序がかろうじて支えてきた不拡散と軍備管理の規範そのものをさらに損なう危険をはらんでいる。危機に対して第二の核軍拡競争で応じれば、不安定さはいっそう増すだろう。この点で警鐘を鳴らした欧州首脳は、会議の場ではスペインのペドロ・サンチェス首相ただ一人だった。

European Commission President Ursula von der Leyen
European Commission President Ursula von der Leyen

会議の総括として示されたのは、国際秩序を守ろうとする者は、今日の現実に即し、人々に対して説明責任を負う新たな制度や連合、枠組みを築かなければならないという認識である。しかし、一見妥当に見えるこの整理は、いくつかの根本的な問いを脇へ退けている。そうした制度は誰の利益に奉仕するのか。新たな設計図が描かれるとき、誰がそこから排除されるのか、という問いである。

欧州諸国が米国との従来の同盟関係の動揺に応答するのであれば、それは新たな核軍拡競争ではなく、人権、真の多国間主義、そして国際法への確固たるコミットメントに根ざすべきである。そのためには、市民社会が交渉の場に対等な主体として参画しなければならない。

旧秩序が壊れていることは、もはや明らかである。人権を擁護し、軍事化と露骨な力の政治に反対する人々は、もはや傍観者でいることはできない。その応答は、より断固たるものであると同時に、より包摂的でなければならない。市民社会を排除し、グローバルサウスを周縁化したまま築かれる新たな国際秩序は、今日の危機に対応できなかった古い構造を、ただ再生産するにとどまるだろう。(原文へ

サミュエル・キングは、市民社会世界連盟CIVICUSで、ホライズン・ヨーロッパの資金提供を受ける研究プロジェクト「ENSURED(移行期の世界に向けた協力形成)」に携わる研究者である。

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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アスタナのナウルズ舞踏会、外交・伝統・再生を鮮やかに体現

【アスタナThe Astana Timesアイマン・ナキスペコワ

カザフスタンの首都アスタナで3月16日、ナウルズ舞踏会が開催された。カザフスタンの豊かな歴史的遺産、民族の伝統、そして現代の社会発展を紹介しつつ、文化・人道対話の場としても機能した特別行事である。会場には、在カザフスタン外交団のメンバーをはじめ、国際機関や外国の協力機関の代表者らが集った。

テーマ別の展示では、ナウルズが「再生」「調和」「善行」「精神的伝統への敬意」を象徴する祝祭であることが外交関係者らに紹介された。来場者はまた、アルカン・タルトゥ(綱引き)や、羊の膝関節の骨を使った遊びであるアッスィク・アトゥなど、伝統的な遊戯や競技にも参加した。

アイダ・バラエワ副首相兼文化・情報相は、今年のナウルズの祝賀が、国内の大きな政治的出来事の直後に行われたことの象徴的意義を強調した。

Deputy Prime Minister and Minister of Culture and Information Aida Balayeva noted the symbolic significance of Nauryz celebration this year, which followed a major political event in the country. Photo credit: The Astana Times/ Nargiz Raimbekova
Deputy Prime Minister and Minister of Culture and Information Aida Balayeva noted the symbolic significance of Nauryz celebration this year, which followed a major political event in the country. Photo credit: The Astana Times/ Nargiz Raimbekova

「今年のナウルズは、わが国にとって重要な歴史的瞬間と重なった。まさに前日、国民投票が実施され、国民は新しい憲法を選び、国家発展の将来の方向性を定めた。国民は、公正、進歩、教育、科学、そしてイノベーションに基づく未来に票を投じた」と同氏は述べた。

バラエワ氏は、新憲法が社会発展に向けた新たな価値観を打ち立てており、その中には、歴史・文化遺産の保全や民族の伝統への敬意が、国家政策の重要原則として盛り込まれていると強調した。

「国民的アイデンティティーの保持、世代間の継承、そして文化的価値の次世代への伝達は、これらの憲法規範の深い意味を映し出している。文化遺産は単なる過去の記憶ではなく、国家の精神的基盤であり、社会を結びつける価値の土台でもある。カザフスタンは常に、諸民族の友好と文明間対話を重視してきた」と同氏は語った。

アリベク・バカエフ外務次官は、ナウルズが諸国を結びつけ、相互理解を強める文化外交の要素として果たす役割を強調した。

「ナウルズは、自然の再生と生命の刷新を象徴している。2009年には、ユネスコがナウルズを無形文化遺産の一覧に登録し、私たちの共有された遺産の重要な一部として認めた」と同氏は述べた。

Deputy Foreign Minister Alibek Bakayev highlighted the role of Nauryz as an element of cultural diplomacy. Photo credit: The Astana Times/ Nargiz Raimbekova
Deputy Foreign Minister Alibek Bakayev highlighted the role of Nauryz as an element of cultural diplomacy. Photo credit: The Astana Times/ Nargiz Raimbekova

バカエフ氏によれば、この祝祭が体現する再生、調和、創造という理念は、国際協力と対話の基盤を成す価値観そのものである。

会場ではまた、全国的に10日間にわたって行われるナウルズ祝祭「ナウルズナマ」の伝統も紹介された。プログラムでは、長い冬の後の挨拶と再会を祝うコリスの日、親切と慈善を重んじるカイリムドゥリクの日、そして文化と民族伝統の日など、祭りを構成するさまざまな日が取り上げられた。

さらに、子どもが初めて歩こうとする節目を祝う伝統儀礼トゥサウケスも披露された。この儀礼では、子どもの足に結ばれた特別なひもを切り、将来その子が優雅に歩み、すばやく走れるよう願いを込める。

国際移住機関(IOM)のセルハン・アクトプラク代表は、ナウルズが今なお文化的アイデンティティーの重要な一部であり続けていると語った。

Serhan Aktoprak, IOM Chief of Mission. Photo credit: The Astana Times/ Nargiz Raimbekova
Serhan Aktoprak, IOM Chief of Mission. Photo credit: The Astana Times/ Nargiz Raimbekova

「ナウルズは、今日そして未来に向けて、私たちを自らのルーツと結びつけてくれる。この祝祭は自然のよみがえりと季節の移り変わりを象徴しており、新たな循環の始まりを祝ううえで大きな意味を持つ」とアクトプラク氏は『The Astana Times』に語った。

同氏はさらに、ナウルズナマの各日にはそれぞれ独自の意味があり、それらが一体となって調和、団結、そして伝統の継承を映し出していると付け加えた。

Original URL:https://astanatimes.com/2026/03/nauryz-ball-in-astana-highlights-diplomacy-tradition-and-renewal/

INPS Japan/The Astana Times

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