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国連事務総長の2025年世界行脚は「危機の時代」を映す

【国連ATN=アハメド・ファティ】

国連の仕事は滅多に止まらない。だが2025年は、とりわけアントニオ・グテーレス事務総長に立ち止まる余地すら与えなかった。公式の渡航記録を追うと、儀礼的な日誌というより、危機が連鎖する世界を追走する「対応記録」に近い。各訪問地は緊張の焦点であり、全体として浮かび上がる構図は明白だ。多国間主義はいま、一定のテンポで運用されているのではない。反応し、調整し、ときに「追いつくこと」そのものに追われている。

1月初旬から12月最終週まで、事務総長は欧州、中東、アフリカ、アジア、太平洋地域を繰り返し往来した。いずれも親善訪問ではない。外交関与が最も切迫する地点を映し、国連の最高政治責任者が不在であれば、具体的な影響が生じかねない局面ばかりだった。

Map of Middle East
Map of Middle East

スイスの登場頻度が高いのは偶然ではない。ジュネーブは、人道ニーズが資源の拡大を上回る局面で、国連システムの運用を支える中枢となっている。難民危機、人権調査、緊急調整の取り組みが、ますます同地に集中している。繰り返しの訪問は、財政・政治の両面で負荷が強まるなか、基本的な業務の維持ですら継続的な高官級の関与を要する現実を示す。

渡航日程の多くを占めたのは中東だった。エジプト、イラク、サウジアラビア、カタール、オマーン、レバノンを巡り、未解決の戦争、脆弱な停戦、地域秩序の再編が交錯する地域に向き合った。イラクでは、20年以上続いた国連イラク支援ミッション(UNAMI)の終了に立ち会った。象徴性を帯びると同時に、戦略上の不確実性も残す節目である。

African Continent/ Wikimedia Commons
African Continent/ Wikimedia Commons

ミッションの終了は、任務縮小後の国際関与をどう設計するか、そして平和維持活動や政治ミッションが終結した後に主権と安定をいかに両立させるかという難題を突きつけた。

湾岸での訪問は表向き静かなものだったが、重要性は劣らない。協議の焦点は仲介、緊張緩和、地域調整であり、多くは公の場から離れて行われた。最も重要な国連外交は、演壇の上で起きるとは限らないことを、改めて示している。

アフリカ訪問は、単発の危機ではなく重層的な危機に直面する大陸の現実を反映した。エチオピア、アンゴラ、南アフリカ、エジプトへの訪問の背景には、紛争、気候危機の影響、債務圧力、政治移行が重なっていた。関与のトーンも変化している。国連は長期的な開発目標の達成だけを軸に据えるのではなく、政治的安定化、人道アクセスの確保、そして地域機構―とりわけアフリカ連合(AU)―との協力強化へと重点を移しつつある。アフリカ主導の外交が存在感を増すなかでの転換である。

アジア太平洋は別種の緊張を示した。中央アジアの戦略的再浮上とも連動し、課題が相互に波及しやすい局面に入っている。中国と日本での関与は、大国間競争、経済の不確実性、停滞する気候公約を背景に展開した。カザフスタンとトルクメニスタンでは、エネルギーと貿易の要衝として、ユーラシア全域の地政学的均衡を左右し得る地域の位置づけが一段と際立った。

Map of Central Asia
Map of Central Asia

東南アジアと太平洋―マレーシア、ベトナム、パプアニューギニア―では焦点が移り、存立に関わる気候リスクが前面に出た。太平洋の島嶼国にとって、事務総長の訪問は象徴ではない。生存そのものが外交課題となった現実を映している。

Cop30 Building
Cop30 Building

ラテンアメリカで目立ったのは主にブラジルだった。ベレンで開かれたCOP30が、世界の気候外交の流れを画する節目となった。グテーレス事務総長は同会議で、1・5℃目標の突破がもはや回避不能になりつつあるとして、先送りが招く人的被害を強い言葉で警告した。関与の中心は、実施の加速、気候資金ギャップの解消、森林保護、そして各国政府・金融機関・主要排出国に対する説明責任の強化に置かれた。

この渡航記録の意味をいっそう重くしているのは、国連内部の状況である。2025年を通じ、未納や拠出遅延に伴う深刻な資金不足が組織を揺さぶった。事業は縮小され、人員判断は先送りされ、運用の不確実性が常態化した。そうした環境下で、事務総長の各地訪問は別の目的も帯びた。目に見える緊張の中にある国際機関を支える政治的支持を、つなぎ止めることである。

国連担当記者の視点から言えば、ここで語られるべきは移動距離や会談数ではない。核心は「封じ込め」にある。多くの訪問は、突破口を開くことよりも悪化を防ぐことを狙った。成功はしばしば「起きなかったこと」で測られる。紛争が拡大しないこと、人道回廊が開いたままであること、外交チャンネルが途切れないこと―その積み重ねだ。

United Nations Headquarters Photo:Katsuhiro Asagiri
United Nations Headquarters Photo:Katsuhiro Asagiri

2025年の事務総長の動線は、世界の断層線とほぼ重なる。国際システムが自動的に均衡を取り戻さなくなったなかで、悪化を防ぐための介入を絶え間なく続けた記録である。今日の国際環境において、外交は断続的な出来事ではない。連続的で、消耗が激しく、そしてますます個人の負担に依存する営みとなっている。

この旅程が突きつける現実は明白だ。多国間主義はいま、現場にとどまり続けること、粘り強さ、そして絶え間ない関与によって、かろうじて支えられている。事務総長の「ほぼ常時移動」は、個人の嗜好や活動スタイルの問題ではない。危機が同時多発し、放置すれば国際協調が空洞化しかねないこの世界では、現場に身を置き続けること自体が、多国間主義をつなぎ留めるための必然となっている。(原文へ

INPS Japan/ATN

Original URL: https://www.amerinews.tv/posts/un-secretary-general-s-global-travel-reflects-a-world-in-crisis

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世界の「市民空間」が縮小―民主主義の危機とZ世代の抵抗

【ニューヨークIPS=マンディープ・S・ティワナ】

2025年は、民主主義にとって惨憺たる年だった。世界人口のうち、組織し、抗議し、声を上げる権利が概ね尊重されている場所に暮らす人々は、いまやわずか7%強にすぎない。市民的自由の状況を世界的に測定する市民社会の調査パートナーシップ「CIVICUS Monitor(シビカス・モニター)」によれば、これは昨年同時期の14%超からの急落である。

市民的自由は健全な民主主義を支える基盤であり、市民社会の締め付けがもたらす結果は明らかだ。21世紀最初の四半世紀を終えようとするいま、世界は19世紀並みの経済的不平等に直面している。最富裕層である上位1%の資産は急増する一方で、世界人口の約8%に当たる6億7000万人超が慢性的な飢餓に苦しむ。ガザ、ミャンマー、スーダン、ウクライナなどで死と破壊が続くなか、政治エリートと密接に結び付いた兵器製造企業は莫大な利益を得ている。こうした紛争を煽る政治指導者たちが、自らの動機を問われるのを避けるために市民的自由を抑圧しているとしても、驚くにはあたらない。

リマからロサンゼルス、ベオグラードからダルエスサラーム、ジェニンからジャカルタに至るまで、あまりにも多くの人々が、自らに関わる意思決定に参加する力を奪われている。だが同時に、これらの場所は今年、政府に抗議する重要なデモの舞台にもなった。権威主義が台頭するなかでも、人々は自由を求めて路上に出続けている。本稿執筆時点でも、ブルガリアの首都ソフィアでは蔓延する汚職に抗議する大規模デモが続き、政府は辞任を余儀なくされた。

Civicus Monitor

歴史が示すとおり、大規模デモは社会の大きな前進をもたらし得る。20世紀には、市民運動が女性参政権の実現、植民地支配からの解放、人種差別に対処する公民権立法の採択を後押しした。21世紀に入ってからも、婚姻平等を含むLGBTQI+の権利拡大、気候危機や経済的不平等を可視化する抗議行動など、前進は続いてきた。だが2025年、抗議の権利は、まさにそれが効果を持ち得るがゆえに、権威主義的指導者から攻撃を受けている。世界各地で記録される市民的自由の侵害のうち、最も多いのは抗議参加者の拘束であり、次いで、汚職や権利侵害を告発するジャーナリストや人権擁護者の恣意的拘束が続く。

この後退は、主要な民主主義国でも起きている。今年、CIVICUS Monitorは、アルゼンチン、フランス、ドイツ、イタリア、米国を、市民の活動空間の評価で「妨げられている(obstructed)」へと格下げした。これは、当局が基本的権利の十分な享受に重大な制約を課していることを意味する。こうした後退を押し進めているのは、憲法上の抑制と均衡を弱め、少数者に経済・政治・社会生活で公正な発言権を与えない「選挙多数を盾にする政治」を進めようとする、反権利のナショナリスト/ポピュリスト勢力である。

反権利勢力による民主主義の劣化は、長年にわたり進められてきた動きが、いま表面化しつつある。今年、ドナルド・トランプの政権復帰によって、その流れは加速した。トランプ政権は、国際的な民主主義支援プログラムへの支援を直ちに停止し、その一方で、市民的自由を抑圧し、深刻な人権侵害が指摘されてきた指導者との関係を強めた。トランプは、エルサルバドルのナジブ・ブケレ、ハンガリーのヴィクトル・オルバン、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ、ロシアのウラジーミル・プーチン、サウジアラビアのムハンマド・ビン・サルマンらを相次いで厚遇し、価値や規範よりも力を優先する外交姿勢を鮮明にしている。これは、市民社会が何十年もかけて積み上げてきた成果を損ないかねない。

影響はすでに表れている。従来、市民社会活動の資金を担ってきた多くの富裕な民主主義国が、拠出を大幅に減らしている。同時に、残る支援についても、軍事・経済上の狭い戦略的利益に結び付ける傾向が強まった。これは、中国、エジプト、イラン、ニカラグア、ベネズエラといった強権国家が、国内で説明責任を求める動きを弱めようとする試みに、結果として手を貸す形にもなっている。エクアドルやジンバブエなどでは、市民社会組織が海外から資金を受け取ることを制限する法律が導入された。

Civicus Monitor 2025

こうした動きは、平等、平和、社会正義のために取り組む市民社会の努力に悪影響を及ぼしている。だが2025年には、粘り強い抵抗と一定の成果もあった。Z世代(Gen Z)の抗議者が示した勇気は、世界中の人々を鼓舞している。ネパールでは、ソーシャルメディア禁止令を契機とした抗議が政権の退陣につながり、政治の立て直しに向けた希望を示した。ケニアでは、国家暴力にもかかわらず、若者が政治改革を求めて街頭に立ち続けた。モルドバでは、逃亡中の寡頭政治家が潤沢な資金を背景に展開した偽情報キャンペーンが、国政選挙を人権の価値から遠ざけることに失敗した。米国では、「No-Kings(ノー・キングス)」抗議に加わる人の数が増え続けている。

世界人口の90%超が、制度的に十分な市民的自由を否定されて暮らしている現実を前に、反権利勢力は勢いづいているのかもしれない。しかし、民主的な抗議は、とりわけZ世代の間で醸成されつつある。政治的・経済的機会を奪われる一方で、より平等で、公正で、平和で、環境的に持続可能な別の世界が可能だと理解している世代である。事態は決して終局ではない。困難な時代であっても、人々は自由を求める。そして突破口は、すぐそこにあるのかもしれない。(原文へ

マンディープ・S・ティワナは、世界市民社会アライアンスCIVICUSの事務総長。

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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国連から見た2025年米国家安全保障戦略

【ニューヨークATN=アハメド・ファティ】

2025年版「国家安全保障戦略(NSS)」は、単なる政策文書ではない。これは世界観である。研ぎ澄まされ、硬質化し、米国がかつて擁護した戦後国際秩序そのものに、真正面から照準を合わせている。

多国間主義が活動の前提となっている国連の内側から読むと、まるでこの家の設計者が数十年ぶりに戻ってきて、ブルドーザーとメジャーを手に、「修理」すると言いながら、住む側が何とか住み続けてきた構造そのものを壊しにかかる―そんな光景に見える。

この国家安全保障戦略の冒頭は、過去30年の米国外交を「甘い」「誤った」ものと断じ、「グローバリスト」が主権を「国境を越える制度」に外注したと切り捨てる(p.1~2)。意味するところは明白だ。協調にもとづく地球規模のガバナンスという土台そのものに対する、正面からの思想攻撃である。

国連は「責任の共有」を重視する。だがNSSはそれを「目的がぼやける」とみなす。
国連は「相互依存」を前提とする。だがNSSはそれを「弱み」だと捉える。
国連は「外交」を解決の手段と考える。だがNSSはそれを「内政への干渉」に近いものと見る。

これは口調の違いではない。哲学の断絶である。

移民:国連の人道の柱と、米国の新たな「要塞」

多国間主義との衝突が最も露骨に現れるのは、移民に対する文書の断定的な姿勢だろう。NSSは「大量移民の時代は終わった」と宣言し、国境管理をほぼあらゆる国家安全保障上の優先事項の上位に置く(p.11)。

これは、国連のアプローチと正反対である。
国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、避難や強制的な移動を「保護」と「権利」の問題として捉える。
国際移住機関(IOM)は、移民を地球規模で管理すべき課題と位置づけ、共有された解決策を重視する。
「移住に関するグローバル・コンパクト」も、一方的な壁ではなく、国際協力を前提としている。

これに対しNSSは、移民を戦略的脅威として位置づける。テロやフェンタニルと同列の「不安定化要因」として描いているのだ。率直に言えば、この文書は、脆弱な人々を国際的安定の担い手ではなく、「安全保障を脅かす存在」として扱っている。

この認識の転換は、今後何年にもわたり、あらゆる人道交渉に影響を及ぼすだろう。

蘇るモンロー・ドクトリン―今度は「牙付き」

次に登場する西半球に関する章は、あまりに急進的で、警鐘を鳴らさざるを得ない。NSSは「モンロー・ドクトリンに対する『トランプ補則』」を掲げ、テキサス以南の港湾、鉱物、海底通信ケーブルに至るまで、域外勢力に「手を出すな」と警告する(p.15~18)。

これは婉曲表現ではない。配慮すらない。
要するにトランプ政権はこう宣言している―「この半球は我々のものだ。以上」。

国連にとって、これは単に「居心地が悪い」などというレベルの話ではない。構造的に両立しない。多国間秩序は、大国が特定地域を私有地のように扱うことを防ぐために築かれてきた。ところが、この補則はそれを正面から覆し、西半球を戦略的に「囲い込む」発想へと転じてしまう。

中南米諸国は、投資を歓迎する姿勢を公には示すかもしれない。だが国連の内側では、こうした声が漏れてくるだろう。

「米国が私たちのパートナー選びにまで実質的な拒否権を持つのなら、私たちの主権はどこから始まるのか」

このドクトリンは、次の枠組みを後景に押しやる。
・国連の開発支援
・地域機構
・多国間の資金供与
・ワシントンの承認を前提としない対外連携

結果として、多国間主義は「米国の裏庭」では、存在感を大きく削がれる。

欧州:対話の相手ではなく、「診断」の対象

欧州に関するNSSの語り口は、戦略文書というより文明論に近い。NSSは欧州について、「文明の消失(civilizational erasure)」「人口の先細り」「アイデンティティの喪失」「規制による息苦しさ」を並べ立てる(p.25~27)。

それは分析というより、追悼文に近い。

この見立ては、国連が維持してきた「西側の統一的な外交姿勢」を弱めかねない。安保理の力学、制裁の運用、人道決議の形成において結束は不可欠だ。もしワシントンがブリュッセルを「パートナー」ではなく「問題」と見なすなら、1945年以降の自由主義秩序を支えてきた結束の土台は、確実にひび割れる。

中国:多国間システムのストレステスト

この文書の通底音を最も強く支配している国があるとすれば、中国である。NSSは中国を、供給網、AI、レアメタル、知的財産、移民、宣伝工作、さらには医薬品に至るまで、あらゆる戦略領域を左右する中心的な対抗対象として描く(p.20~24)。これは競争ではない。構造的な対立である。

だが、動かしがたい事実がある。国連は中国抜きでは機能しない。中国は国連予算の主要な拠出国であり、安保理常任理事国であり、PKOにも重要な貢献をしている。さらに、保健、気候交渉、開発金融でも要の一角を占める。

米国が中国を全領域にまたがる「実存的脅威」と位置づければ、多国間主義は巻き添えになる。最大のリスクは単純だ。互いに完全には両立しない2つの国際システムが形を取り始め、国連の普遍性がその狭間で圧迫されることである。

中東:まれで、脆い一致点

意外にも、中東に関してはNSSが示す方向性が、国連の優先課題と一部で重なる。緊張を和らげ、安定を確保し、人質解放を進め、地域戦争への拡大を防ぎ、新たな外交枠組みを支える――といった点である(p.27~29)。これは、一定程度は活用可能な一致点だ。

ただし、動機は大きく異なる。国連が目指すのは、権利、統治、人道法に根ざした持続可能な平和である。一方、NSSが求めるのは、米国の負担を軽減し、対抗勢力を抑え込むための「安定した環境」に近い。

この一致は有用だが、脆い。ガザ、レバノン、シリア、紅海のいずれかで次の火種が上がれば、思想の違いは容易に再び表面化する。

アフリカ:協力か、資源狩りか

NSSはアフリカを「投資の最前線」と位置づけ、鉱物とエネルギーを米国の主要な関心事に据える(p.29)。

アフリカの指導者の中には、資源をめぐる競争が投資や交渉力の向上につながるとして、一定程度歓迎する向きもあるだろう。中国、ロシア、トルコ、EU、湾岸諸国はすでに深く関与している。

しかし、国連がアフリカを見る視野はそれより広い。国連が重視するのは、資源の確保そのものではなく、社会が安定して回り、人々の暮らしが底上げされ、紛争が再発しにくい土台が築かれることだ。具体的には、次のような課題である。
・汚職を抑え、透明で説明責任のある行政を育てること(統治)
・教育、保健、雇用など生活の基盤を強くすること(人間開発)
・紛争の予防と停戦後の社会の立て直しを支えること(平和構築)
・一次産品頼みから脱し、現地で付加価値を生む産業を育てること(産業化)
・環境と将来世代を損なわない形で成長を続けること(持続可能な成長)

要するに、NSSが焦点を当てるのは「アフリカが何を持つか」であり、国連が重視するのは「アフリカがどのような社会になろうとしているか」だ。この視点のずれこそ、多国間機関が役割を発揮すべき領域である。

結論:衝突は避けられない。それでも機会は死んでいない

NSSは、国連発足後の米国戦略の中でも最も「主権第一」であり、多国間主義に懐疑的な文書である。国際協力を当然の前提とせず、世界を「共有されたシステム」ではなく、国家が競い合う舞台として捉えている。

しかし、どれほど一国主義的な米国であっても、地球規模の現実から逃れ切ることはできない。
・感染症の世界的流行(パンデミック)
・気候変動がもたらす被害
・供給網の分断や脆弱性
・AIなど新技術のルールづくり(技術ガバナンス)
・国境を越えて連鎖する危機

これらは、いかなる国であれ―たとえどれほど強大でも―単独では解決できない問題である。

ゆえに衝突は避けがたい。だが崩壊が必然というわけでもない。

国連と多国間システムはいま、ひび割れの中に活路を見いだし、残された余地を生かしながら、ワシントンに、近代史が繰り返し示してきた真実を思い出させなければならない。

一国の意思だけが支配する世界は不安定である。
責任を共有する世界こそ、持続可能である。

そして結局、米国自身も再び理解することになるだろう。機能する国際システムの価値を代替できるほど高い壁は、いかなる国にも築けないのだと。(原文へ

INPS Japan

Original URL: https://www.amerinews.tv/posts/a-national-security-strategy-caught-between-america-first-and-a-multilateral-world

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軍事支出の増大を止める機会を逸してきた代償

【ニューヨークIPS=アリス・スレーター】

国連は年末、ファクトシート「世界の軍事支出の増大(Rising global military expenditures)」を公表し、昨年の世界の軍事支出が過去最高の2兆7000億ドルに達したと報告した。ファクトシートは、こうした支出の拡大が人々の福祉や環境、気候危機への対応余力を圧迫し、雇用創出、飢餓・貧困対策、医療、教育などへの十分な財源確保を困難にしていると指摘している。

SIPRI

このファクトシートは、各国の軍事支出がいかに偏在しているかを示すとともに、同じ資金があれば飢餓と栄養不良の解消、安全な水と衛生、教育、環境修復などに何を実現し得たかを具体的に浮かび上がらせている点で意義がある。だが今こそ国連は、軍事支出の拡大を止め、地球を癒やすために「これまで何を取り逃がしてきたのか」に焦点を当てたファクトシートを出すべきではないか。

というのも、第二次世界大戦終結80年と国連創設80年の節目に当たる2025年夏、ロシアと中国は「世界戦略的安全保障に関するロシア連邦と中華人民共和国の共同声明」を発出した。同声明は、国家や国家の枠組みが「他国の安全を犠牲にして自国の安全を確保してはならない」とし、「各国人民の運命は相互に結び付いている」と付け加えている。

米国とその核同盟が、ロシアや中国に対する軍事的優位を確保しようとしてきた経緯をたどるだけでも、平和や軍縮に向けた交渉提案を受け入れる機会をたびたび逸してきたことが分かる。もしそれらの提案が受け入れられていれば、長年にわたり数兆ドル規模の資金が軍事以外の分野に回り、いま私たちが直面する「地球上のすべての生命を守る」危機への対応に充てられた可能性がある。

A view of the Earth and a satellite as seen from outer space. Credit: NASA via UN News
A view of the Earth and a satellite as seen from outer space. Credit: NASA via UN News

筆者が直近の「失われた機会」として挙げるのは、中国とロシアが共同声明で、米国の「ゴールデン・ドーム」宇宙計画を批判し、宇宙空間を武力対立の場にしないよう各国に求めた点である。筆者は、この主張が西側メディアで十分に報じられていないとして、軍需産業との関係を背景に挙げて批判している。

中ロはさらに、宇宙空間における兵器の配備や武力行使を防ぐため、ロシアと中国が軍縮会議(CD)で提案してきた条約草案(2008年および2014年)に基づく交渉を求めた。軍縮会議では条約交渉の開始に全会一致が必要だが、米国が合意に同意せず、議論は前に進まなかった。

The first USSR nuclear test "Joe 1" at Semipalatinsk, Kazakhstan, 29 August 1949. Credit: CTBTO
The first USSR nuclear test “Joe 1” at Semipalatinsk, Kazakhstan, 29 August 1949. Credit: CTBTO

また中ロは、宇宙での軍拡競争を防ぎ、宇宙の平和を促進する措置として、「宇宙に兵器を最初に配備しない」国際的なイニシアチブ(政治的コミットメント)を世界規模で推進することで一致したと述べた。言い換えれば、「先に宇宙配備しない」という立場である。

筆者は、宇宙の平和をめぐる提案を最新の「逸失の機会」と位置付ける。一方、最初の「逸失の機会」は1946年にさかのぼる。ハリー・トルーマン大統領が、ヨシフ・スターリンによる提案―新設された国連の下で原爆を国際管理に移す―を拒否し、その結果、ソ連が核兵器を保有するに至った、というのが筆者の見立てである。

President Reagan meets Soviet General Secretary Gorbachev at Höfði House during the Reykjavik Summit. Iceland, 1986./ Ronald Reagan Library, Public Domain
President Reagan meets Soviet General Secretary Gorbachev at Höfði House during the Reykjavik Summit. Iceland, 1986./ Ronald Reagan Library, Public Domain

筆者は、ロナルド・レーガン大統領が、冷戦終盤の転機―ベルリンの壁崩壊と、ミハイル・ゴルバチョフによる東欧の解放へと至る過程―において、核兵器の全廃を視野に入れた交渉条件として「スター・ウォーズ」計画(戦略防衛構想)の放棄を求める訴えに応じなかったと位置づける。こうして、核兵器庫を廃絶する機会は失われた、というのである。

さらに続く「逸失の機会」として筆者が挙げるのは、ベルリンの壁崩壊後、再統一ドイツをめぐる協議で「NATOは東方に拡大しない」との趣旨の説明があったにもかかわらず、NATOがその後ロシア国境に迫る形で拡大していった点である。

・ビル・クリントン大統領は、プーチンによる提案――双方が核弾頭を各1000発に削減し、その後、全核保有国を招いて全廃交渉に入る。その代わり米国がルーマニアでのミサイル関連施設の開発を止める――を退けた。
・ジョージ・W・ブッシュ大統領は、1972年の弾道弾迎撃ミサイル制限条約(ABM条約)から離脱し、ルーマニアに基地を設置した。トランプ大統領はポーランドに基地を置いた。
・バラク・オバマ大統領は、プーチンが提示した「サイバー戦を禁止する条約」を交渉する提案を退けた。[i]

NATO.INT
NATO.INT

筆者は、米国が長年にわたり協力により開かれていれば、軍事以外の分野に回り得た資源は拡大し、「住み続けられる地球」を守るという切迫した課題にも、より大きな能力で対処できたはずだと訴える。宇宙の平和に関する中ロ提案を取り上げるのに、まだ遅すぎることはない。より賢明な判断が勝ることを願う。(原文へ

[i](参考)
https://pirm.medium.com/why-no-international-treaty-for-cybersecurity-to-ban-cyber-attacks-5a53d8b3fdd1

(参考資料)国連ファクトシート「世界の軍事支出の増大」
https://www.un.org/sites/un2.un.org/files/milex-docs/MILEX_UN_Fact_Sheet.pdf

アリス・スレーターは、World BEYOND WarおよびGlobal Network Against Weapons and Nuclear Power in Spaceの理事を務め、Nuclear Age Peace Foundationの国連NGO代表でもある。

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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凍てつく寒さの中で壁を破る:マムダニ氏、NYC初のイスラム教徒市長に就任

【ニューヨークATN=アハメド・ファティ】

Ahmed Fathi.
Ahmed Fathi.

華氏20度台前半(摂氏で約マイナス5度前後)まで冷え込む厳しい寒さの中、ゾーラン・マムダニ氏が2026年元日、ニューヨーク市の第112代市長として宣誓就任した。既存政治を揺さぶる劇的な躍進を遂げ、自らを「民主社会主義者」と称する新市長が、米国最大の都市のかじ取りを担うことになった。

元日、市庁舎周辺の通りには重いコートとマフラーに身を包んだ数万人の支持者が集結した。氷点下の寒さに耐えながら、厳粛な式典と街頭集会の熱気が交錯する就任式を見届けた。ロウアー・マンハッタンには音楽が響き、参加者は足踏みして体を温め、プラカードを振り、マムダニ氏が市政の新時代を誓うたびに歓声を上げた。

「今日から、私たちは広く、大胆に統治する」とマムダニ氏は、白い息を吐きながら群衆に語った。
「いつも成功するとは限らない。しかし、挑む勇気がなかったとだけは、決して言われないだろう。」

マムダニ氏は34歳。ニューヨーク市を率いる人物として、初のイスラム教徒であり、南アジア系としても初となる。市庁舎前の階段で行われた公開の儀式では、連邦上院議員のバーニー・サンダース氏が宣誓を取り仕切り、連邦下院議員アレクサンドリア・オカシオ=コルテス氏が紹介した。マムダニ氏はこれに先立ち、家族が同席する小規模な非公開の場で、日付が変わった直後に正式な宣誓を済ませていた。

集会さながらの「寒中就任式」

凍える寒さにもかかわらず、公開の式典は伝統的な就任式というより、大規模な政治集会に近い雰囲気で進んだ。支持者は、Jay-Zやダディー・ヤンキー、ボリウッドのヒット曲、「ニューヨーク・ニューヨーク」を織り交ぜた選曲に合わせて踊り、強風にあおられて市旗や各区の旗が激しくはためいた。

ATN
ATN

「Tax the Rich(富裕層に課税を)」などのスローガン入りのニット帽やジャケットを身につけた参加者もいた。富裕層のニューヨーカーや企業への増税で財源を確保するという、マムダニ氏の提案を映したものだ。手作りの看板やネオンカラーのプラカードが群衆のあちこちに見え、運動体としての勢いを保ったまま勝利へ突き進んだ選挙戦を象徴していた。

マムダニ氏の台頭は、政治を追う関係者を驚かせた。2025年、民主党予備選でアンドリュー・クオモ前州知事を破り、その後の本選でも勝利した。生活費、住宅、公共サービスを主要争点に押し上げ、経済不安が深まる局面で、市長選の構図を塗り替えた。

全米が注目する進歩派アジェンダ

就任演説でマムダニ氏は、自身の市政運営がニューヨーク市の枠を超えて注視されることを認めた。「左派が統治できるのか、彼らは見定めようとしている」と述べ、こう続けた。「自分たちを苦しめる問題が解決できるのか。再び希望を抱くことが正しいのか。彼らはそれを知りたがっている。」

政策公約には、数百万人規模の借家人を対象とする家賃凍結、無料バスの拡充、保育を誰でも利用できる仕組みの整備、そして公的補助のある家賃抑制型住宅の供給を大幅に増やすことなどが含まれる。支持者は、家賃と生活費が高騰する都市にとって、こうした提案は「遅すぎたくらいだ。」と訴える。一方、批判側は、今後数年で数十億ドル規模の財政赤字が見込まれる中、計画の財政的な持続可能性に疑問を投げかける。

サンダース氏は、市民が就任式後も関与し続けるよう呼びかけ、マムダニ氏の政策は過激ではなく必要だと強調した。「世界史上最も豊かな国で、人々が手の届く住宅に住めるようにすることは、過激ではない。」
この発言に、氷点下の寒さが続く中でも、群衆から「Tax the Rich」の唱和が起きた。

信仰と象徴性が前面に

式典では、マムダニ氏のイスラム教徒としての信仰も目立った。宣誓では、家族が所有していたクルアーン(コーラン)に手を置いた。祈祷(インヴォケーション)では、イマームのハリド・ラティフ氏が、複数宗教の代表とともに祈りを捧げた。

「この職務が、人々に仕えるためにあるのであって、人々の上に立つためではないことを、決して忘れさせないでください。」ラティフ氏は祈りの中でそう述べた。

同じく民主社会主義者を自任するオカシオ=コルテス氏は、労働者層のニューヨーカーに焦点を当てたマムダニ氏の姿勢を評価し、「私たち全員のための市長だ」と称賛。勝利を「偏見と極端な不平等」への拒否として位置づけた。

待ち受ける難題

マムダニ氏は、エリック・アダムス前市長の後任となる。アダムス氏の単一期は、汚職捜査や内部の混乱に影を落とされた。アダムス氏は式典に出席し、後継者が群衆に語りかける間、寒空の下で静かに立っていた。

新市長に突きつけられるのは、公約を政策に落とし込む作業である。同時に、厳しい財政環境、住宅不足、社会サービスへの圧力にも向き合わなければならない。今月後半に公表が見込まれる最初の暫定予算案は、野心と財政制約のバランスをどう取るのかを測る初期の試金石となる。

日が傾き、冷え込みが増す中でも、支持者たちは市庁舎周辺にとどまり、コーヒーカップに手をかざして温まりながら写真を撮り、この瞬間を記録した。「仕事は、友よ、まだ始まったばかりだ。」
マムダニ氏の言葉は、冬の空気を切り裂くような歓声で迎えられた。(原文へ

INPS Japan

Original URL: https://www.amerinews.tv/posts/breaking-barriers-in-freezing-weather-mamdani-becomes-nyc-s-first-muslim-mayor-video

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|視点|権力継承から生存へ:ベネズエラ危機は2013年にすでに見えていた

【ニューヨークATN=アハメド・ファティ】

2013年4月、私はRTアラビアのカメラの前で、落ち着かない移行期にあるベネズエラ情勢を論じていた。ウゴ・チャベスは亡くなり、ニコラス・マドゥロは僅差で勝利した。国は、ある決定的な問いの前に立っていた。カリスマの後に、何が続くのか―。私は予言をしたのではない。当時の状況を読み解いただけである。

それから10年以上が過ぎ、私はあのインタビューに改めて向き合う。目的は自分の「予測」を誇ることではない。時間という試金石に照らし、何が当たり、何が外れ、そして当時は誰にも合理的に見通せなかったものは何だったのかを確かめるためである。

当時、私は「僅差の勝利では確かな正統性は得られない」と述べた。これは決定的に正しかった。2013年には政治的な対立に見えたものが、のちに国家の存立そのものを揺るがす亀裂へと変わった。ひとつの国に、正統性をめぐる二つの主張が並び立ち、社会はその狭間に閉じ込められ、展望を失っていった。分極化は一時的な現象ではない。統治の土台そのものになった。脆さは崩壊へ向かったのではなく、硬直として固定化していった。

私はまた、チャベスとマドゥロは同じタイプの指導者ではない、と当時から指摘していた。マドゥロには前任者のようなカリスマがなく、街頭の支持をそのまま引き継ぐのは難しい――そう率直に述べた。この見立て自体は、今も変わらない。変わったのは、彼がその弱点をどう埋めたかである。治安機関の掌握、制度の運用、そして時間の使い方。ここで私は現実に突き当たった。私は「弱い政権は崩れやすい」と見込んだが、弱さが統制によって「持ちこたえる力」に作り替えられる可能性を、読み切れていなかった。

経済でも、危険信号は2013年の時点ですでに出ていた。私は、石油産業の弱体化、汚職の蔓延、改革を先送りしながらスローガンだけを積み上げる政権の姿勢に警鐘を鳴らした。その後に起きた金融の崩壊、制御不能なインフレ、そして大規模な人口流出は、予想外というより、壊れ方の激しさが衝撃だった。市場は冷酷な論理を突きつけたが、それは教科書にあるような整然とした調整過程ではなかった。

そこで起きたのは「移行」ではなく、むしろ過酷な“適応”だった。影の経済が広がり、事実上のドル化が進み、社会が疲弊する一方で、政治はその上で生き延びる仕組みを固めていった。

では、私の見立てが外れたのはどこか。最大の誤算は「時間」だった。2013年当時、「マドゥロは任期を全うできるのか」という問いは自然に思えた。だが現実は、もっと厳しい教訓を示した。いったん硬直化を選んだ体制は、分析者が想定する以上に長く持ちこたえる。統制は耐久性を生み出し、選択肢が塞がれると、時間そのものが統治の道具になっていく――その点を私は十分に織り込めていなかった。

私は軍の位置づけも軽く見ていた。軍はクーデターの担い手としてではなく、体制を支える柱として機能した。大きな断絶が起きなかったのは中立だったからではない。むしろ統治構造に組み込まれていたからだ。権力は奪い取る必要がなかった。すでに分け合われていたのである。

World leaders split over U.S. action in Venezuela as UN warns of ‘dangerous precedent’
World leaders split over U.S. action in Venezuela as UN warns of ‘dangerous precedent’

さらに、多くの人々と同じく、危機がどれほど急速に国際化するかも読み違えた。国内の正統性をめぐる争いとして始まった問題は、やがて地政学的な対立へと姿を変える。制裁、相反する承認、断続的な交渉、そして緊張が高まる局面――。2013年には想像しづらかった形で、ベネズエラは何度も国際的な見出しの中心に引き戻されていった。

今日、あのインタビューを振り返るのは、当たり外れを競うためではない。分析ジャーナリズムの原点を確かめるためである。細部を追うだけではなく、何が起きつつあるのかという「流れ」を見抜くこと。私は大枠の構造は読み当てた。脆弱な正統性、カリスマ後の指導者、そしてじわじわと痩せ細る経済基盤。だが、見誤ったのは速度だった。体制がどれほど長く持ちこたえ得るのか、そして生き延びるためにどこまで踏み込むのか――その見通しは甘かった。

ベネズエラは一夜にして崩れたわけではない。転落は、ゆっくりと、そして意図的に進んだ。2013年のあの落ち着かない春から、段階を追って。始まりに耳を澄ませる者は、結末の輪郭をつかむことがある。たとえその結末が、想像より遅く、想像より苛烈な姿で訪れたとしても。(原文へ

An image circulating online shows Venezuela’s president handcuffed and giving a thumbs-up, flanked by individuals in DEA jackets, amid unverified claims of a U.S. law-enforcement operation.
An image circulating online shows Venezuela’s president handcuffed and giving a thumbs-up, flanked by individuals in DEA jackets, amid unverified claims of a U.S. law-enforcement operation.

Original URL: https://www.amerinews.tv/posts/world-reacts-as-u-s-strikes-venezuela-un-sounds-alarm

INPS Japan/ATN

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米国がベネズエラを攻撃、国連が警鐘 世界は賛否分かれる

長崎原爆から80年──唯一の道徳的選択肢は廃絶である(アハメド・ファティATN国連特派員・編集長)

核のない世界への道は険しいが、あきらめるという選択肢はない。(寺崎広嗣創価学会インタナショナル平和運動総局長インタビユー)

米軍、劇的な急襲作戦でベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領を拘束

【ベネズエラ・カラカスLondon Post】

米国はベネズエラで一夜にして大胆な軍事作戦を実施し、ニコラス・マドゥロ大統領と妻のシリア・フローレス氏を拘束した。これは、1989年のパナマ侵攻以来、ラテンアメリカにおける米国の直接介入として最も重大なものになるという。

ドナルド・トランプ大統領は未明に発表し、「大規模な攻撃」を成功裏に実行し、マドゥロ氏と妻を「拘束して国外へ移送した」と宣言した。

■マドゥロ大統領と大統領夫人を拘束

米当局者は米主要メディアに対し、急襲作戦を米陸軍の特殊部隊デルタフォースが実施したと明らかにした。作戦に詳しい関係者によれば、マドゥロ氏夫妻はカラカスの自宅でヘリコプターによる急襲を受けて拘束され、主要軍事施設への空爆が作戦を支援したとされる。

夫妻はニューヨークに移送され、麻薬テロなどの罪状で起訴されている事件について、米国で裁判にかけられる見通しだ。パム・ボンディ司法長官は、夫妻は「まもなく米国の地で米国の司法の裁きを受ける。」と述べた。

■デルタフォースの役割

デルタフォースは米陸軍の特殊作戦部隊の一つで、正式名称は「第1特殊部隊作戦分遣隊デルタ(1st Special Forces Operational Detachment–Delta, 1st SFOD-D)」とされる。対テロ、人質救出、重要人物の拘束などを任務とするが、部隊運用の詳細は機密性が高い。

同部隊は1977年に創設された。性格上、個別作戦への関与が公式に明らかにされない場合も多いが、米メディアなどでは、イラク戦争期のサダム・フセイン元大統領の拘束(2003年)や、「イスラム国」(IS)指導者アブ・バクル・アル=バグダディを標的とした急襲作戦(2019年)などで投入されたと報じられてきた。

拠点はノースカロライナ州のフォート・ブラッグに置かれているとされる。隊員は米メディアなどで「オペレーター」と呼ばれることもあり、精密さと秘匿性が求められる任務に備え、厳しい選抜と訓練を受けるとされる。今回、同部隊が投入されたとすれば、作戦が高いリスクを伴うことを示唆する。

■背景と緊張の高まり

今回の攻撃は、米国がマドゥロ政権について「麻薬国家」を運営し、選挙不正を行っているなどと主張して圧力を強めてきた流れの中で起きた。報道によれば、最近の動きとして、カリブ海での海上阻止行動や、麻薬関連施設と疑われる拠点への無人機攻撃、地域での軍事態勢の増強などが挙げられている。

トランプ大統領は繰り返し「決定的な行動」を示唆し、麻薬カルテルに対する「武力紛争」の一環だと位置づけてきた。

■ベネズエラと国際社会の反応

ベネズエラのデルシー・ロドリゲス副大統領は、マドゥロ氏の所在について政府として把握していないと述べ、「生存確認(proof of life)」を求めた。政権側は作戦を「重大な軍事侵略」だと非難し、非常事態を宣言した。

ロシア、イラン、キューバなどの同盟国は主権侵害だとして攻撃を非難。一方、一部の中南米諸国首脳は事態のエスカレーションに懸念を示した。反体制派や亡命者の一部は、今回の動きを歓迎している。

情勢はなお流動的で、ベネズエラの暫定的な統治体制や地域の安定への影響を含め、先行きは不透明である。(原文へ)

INPS Japan

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米国がベネズエラを攻撃、国連が警鐘 世界は賛否分かれる

【国連ATN=ATN News Team】

米米国がベネズエラに対して軍事行動を実施したことを受け、世界の指導者は(現地時間)土曜日、予想通り地政学的立場に沿って反応した。国連は警告を発し、各地域で「非難」「慎重姿勢」「支持」が交錯した。

Ahmed Fathi, ATN
Ahmed Fathi, ATN

アントニオ・グテーレス国連事務総長は、今回のエスカレーションは「危険な前例」になり得ると指摘し、国際法の尊重が弱まり、もともと脆弱な中南米地域が不安定化する恐れがあるとして懸念を示した。各国政府が、国連など多国間の手続きを経ない米国の動きがもたらす影響を見極める中での発言だった。

中南米では反応が大きく割れた。ブラジルのルイス・イナシオ・ルラ・ダ・シルバ大統領は、米国の行動はベネズエラの主権の侵害だと非難し、国連での緊急協議を求めた。軍事介入は地域をより広範な不安定化へ引き込むリスクがあるとも警告した。メキシコ政府も自制を促し、対話とベネズエラ国民自身が主導する政治的解決を訴えた。

コロンビアのグスタボ・ペトロ大統領は、地域および国際社会による緊急協議を呼びかけ、危機を武力で解決すべきではないと強調した。一方、アルゼンチンは支持寄りの姿勢を示し、ハビエル・ミレイ大統領は今回の行動を権威主義への打撃だと位置づけ、ワシントンと歩調を合わせた。

欧州の指導者らは、政治よりも適法性に焦点を当てた。欧州連合(EU)の高官は、ベネズエラのニコラス・マドゥロ大統領の正統性は認めないとしつつ、いかなる対応も国際法と国連憲章に従う必要があると強調した。EUは米軍事行動を支持するには至らず、抑制と緊張緩和を求めた。

ドイツ政府関係者は、一方的な軍事行動は国際法秩序を損ないかねないと警告し、交渉による政治解決を優先する立場を改めて示した。フランスも同様の懸念を表明し、武力によって政治変化を押し付けることは、将来ほかの大国が引き合いに出しかねない前例になり得るとして注意を促した。スペインも武力行使に慎重で、ベネズエラ危機は外部の軍事介入ではなく、民主的で交渉による手段で解決されるべきだとの立場を示した。

中東・北アフリカでは反応は比較的抑制的だった。アラブ連盟は正式声明を出さず、複数の地域政府も公の場で沈黙を保った。

イランは、米国の行動はベネズエラの主権の侵害であり国際法に反するとして非難し、この問題は国連で扱うべきだと主張した。トルコは事態の悪化に懸念を示し、主権尊重を強調するとともに、地域をさらに不安定化させかねない行動を慎むよう求めた。

エジプト、サウジアラビア、アラブ首長国連邦(UAE)、モロッコは、4日時点で公の声明を出していない。これは、一方的な軍事行動や体制転換(レジームチェンジ)の前例を支持することに慎重な、地域全体の姿勢を反映しているとみられる。

米国と対立する国々やベネズエラの同盟国は、相次いで非難した。ロシアは国際法に反するとして国連安全保障理事会の緊急会合を要請。中国も武力行使を批判し、一方的な軍事行動は世界の安定を脅かし、国際秩序を損なうと警告した。キューバも主権国家への侵略だとして非難した。

反応の分裂は、より大きな国際的ジレンマを浮き彫りにしている。多くの政府がベネズエラの現指導部に反対し、民主的正統性に疑問を呈する一方、国連の承認なしに直接の軍事介入を支持する国は限られている。

外交的な余波が続く中、国連は改めて自制と包摂的対話を呼びかけ、国際法の全面的な尊重を訴えた。国連は、ベネズエラをめぐる今回の展開は「危険な前例」になり得るとして警鐘を鳴らしている。(原文へ

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INPS Japan

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ESDが変える学び―サブサハラ・アフリカのSDG4への挑戦

【ナイロビLondon Post=ウィニー・カマウ】

サブサハラ・アフリカ(サハラ砂漠以南のアフリカ)は、世界でも特に人口が若く、増加ペースも最速級の地域である。その一方で、急速な人口構成の変化(子どもや若者の急増)や経済的な圧力、深刻化する気候変動の影響(干ばつや洪水など)を背景に、教育が大きな課題となっている。持続可能な開発目標(SDGs)の目標4(SDG4)は、2030年までに「すべての人に包摂的かつ公平で質の高い教育を提供し、生涯学習の機会を促進する」ことを掲げる。だが2025年末時点でも、達成に向けた進み具合には地域や国によって大きな差がある。就学率は長年にわたり拡大してきたものの、教育の質や「学んだことが力になる」実効性、そして公平性が追いつかず、貧困や脆弱性の連鎖を断ち切れていない。|ヒンディー語版英語

SDG4のターゲット4・7に位置づけられる「持続可能な開発のための教育(ESD)」は、学習者が持続可能性に関わる課題――環境を守ること、経済のしくみ、社会の公正さ――に向き合うための知識や技能だけでなく、価値観や態度も身につけることを目指す枠組みである。サブサハラ・アフリカでは、気候変動や食料不安、格差といった問題が日々の暮らしに直結し、教育現場にも影響する。ESDは、暗記中心になりがちな学びを、困難を乗り越える力や、自ら考えて選び行動する力を育てる学びへと転換する手がかりとなり得る。

もっとも、同地域の教育には大きな格差がある。近年のユネスコや国連の報告によれば、アフリカ全体で学校に通えていない子どもや思春期世代、若者は約1億1800万人に上り、その過半がサブサハラ・アフリカに集中しているとされる。就学前教育(幼児教育)への参加率は約48・6%にとどまり、世界平均を大きく下回る。学びの土台となる幼児期の基礎が十分に築けないまま、初等教育に入っている現状がうかがえる。初等教育の適齢期での修了率はおおむね62~65%で、中等教育ではさらに低下する。

学力面の遅れも深刻である。多くの国で、初等教育を終えるまでに、読み書きや算数・数学で最低限の水準(基礎的な到達度)に達する子どもは、10~58%にとどまる。教員不足も極めて深刻で、サブサハラ・アフリカでは2030年までに推計で約1500万人の新規教員が必要とされる。さらに初等教育教員の約40%は国内の資格基準を満たしておらず、訓練を受けた教員の割合も世界で最も低い水準(約65%)にある。

ジェンダー格差は初等段階では縮小する一方で、中等・高等段階、とりわけ理工系分野で再び拡大する傾向がある。背景には、貧困、児童労働、早婚、紛争に加え、文化的規範が女子に過大な負担を課している現実がある。

学校インフラも十分とは言いがたい。飲料水や衛生設備などは、地域によっては2016年以降に改善が進んだが、多くの学校で基礎的なサービスはなお不足している。

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こうした課題に対し、ESDは教育を「社会や暮らしを変える力につながる学び」へと方向づけ、批判的思考(うのみにせず考える力)、問題解決、協働、そして持続可能性に向けた行動を促す。ユネスコの「ESD for 2030」(2030年に向けた国際枠組み)によれば、ESDはより公正な社会に向け、情報に基づいて判断し、意思決定する力を育むことを目指す。

サブサハラ・アフリカでは、気候変動の影響が就学そのものを直撃している。2024年には異常気象の影響で、数百万人規模で登校できない日が生じたとも報告されている。ESDは、干ばつに強い農業や生物多様性の保全、地域の防災力といった課題を授業に取り込み、教室の学びを現実の問題とつなぐ役割を果たし得る。

ESDを教育の中に広げる(主流化する)動きも進んでいる。2025年には、西・中部アフリカを対象にセネガルで実施された地域ワークショップなど、教育部門に限らず関係機関が連携してESDを拡大する取り組みが進展した。ボツワナ、南アフリカ、サヘル地域のプログラムでは、持続可能性を授業に取り込むための教員研修が進められ、教室の学びを、環境に配慮した農業や持続可能な産業づくりといった実社会の課題につなげる試みも広がっている。ESDは、気候変動対策(目標13)、ジェンダー平等(目標5)、不平等の是正(目標10)など、相互に結びつくSDGsの前進を後押しする。

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しかし、前進を阻む構造的な壁は大きい。最大の要因は資金不足で、サブサハラ・アフリカはSDG4達成に必要とされる世界全体の年間資金不足(約970億~1000億ドル)の相当部分を占めるとされる。債務負担が重い国々では、教育よりも債務返済に支出を回さざるを得ない。教育予算も、多くの国で「GDP比4~6%」という目安に届いていない。

制度面の制約も大きい。過密なカリキュラムや試験偏重の仕組み、教員養成の不足は、ESDを後回しにしがちである。紛争や避難、洪水や干ばつなどの気候災害は学習を中断させ、結果として数百万人規模で通学を断念せざるを得ない状況を生む。デジタル環境の格差や教材・設備の不足も、誰一人取り残さない学びや新しい教育手法の導入を妨げている。さらに文化的な障壁に対応するには、地域に受け継がれてきた知恵や実践を生かし、ESDを現実に合う形に組み直すことが欠かせない。

アフリカの教育関係者は、現地の文脈に即した解決策の重要性を強調する。ジュリアス・アトゥフーラ博士は、就学の「量」を増やす段階から、「量に加えて質」を重視する段階へ軸足を移すべきだと指摘する。そのうえで、同じ制約の中でも例外的に成果を上げている教員の実践を分析し、他地域にも広げられる工夫を見いだす必要があるという。

ジュード・チカディビア・オンウニリマドゥ教授は、大学を教員養成の中核に据え、教育学研究と地域の識字向上を牽引すべきだと訴える。アミナ・K・ムテシ博士は、ESDを持続可能な農業や水資源管理など地域の暮らしの仕組みに根ざしたものにし、学びの「関連性」(学ぶ意味)を高める必要があると強調する。タボ・ンドロヴ教授は、知識の暗記ではなく、考え方や行動の変化につながる教え方を重視し、教員が革新と適応を促せるよう支えるべきだと述べる。

前進には大胆な行動が求められる。例えば、債務負担を軽くする代わりに教育など特定分野への投資を確保する仕組み(債務スワップ)といった新しい資金手法や、途上国の教育を支える国際的な資金・協力の枠組みを通じて、重点分野に資金が回る仕組みを強化すべきだ。カリキュラムも、知識量だけでなく「考える力」や協働、問題解決を重視し、教科横断でESDを組み込む方向へ改める必要がある。

教員については、大規模採用に加え、継続的な研修と待遇改善を通じて、現場が能力を発揮できる環境を整えることが欠かせない。奨学金や学校給食、安全な校舎、衛生設備の整備などにより、女子や農村部の子ども、紛争や災害などの危機の影響を受ける子どもたちを支える政策を強化し、格差に対応する必要がある。

地域協力も重要だ。アフリカ連合の長期ビジョン「アジェンダ2063」やサヘル地域の教員育成の取り組み、教育資源を共有するプラットフォームなどを通じて、教材やノウハウを共有し、各国が互いの経験を学び合えるようにする。あわせて、学習状況のデータを的確に把握し、成果を継続的に検証する仕組みも強化したい。デジタルツールは格差を広げないよう配慮しつつ活用することが求められる。さらに、洪水や猛暑といった気候災害に強い学校づくりや、地域に根ざした学びの場を整えることも欠かせない。

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Image Credit: unesco.org

技術は新たな機会ももたらす。携帯端末を使った学習やラジオ教育は、遠隔地を含め学びの機会を広げる可能性がある。ただし、端末や通信、電力、費用といった利用環境の差がそのまま教育格差にならないよう、公平な導入が鍵となる。ESDは、技術が「人を中心にした持続可能な学び」を支える方向へ向かうよう、指針を与える。

2025年末時点で、サブサハラ・アフリカは2030年まで残り5年という岐路に立っている。ESDは、単なる就学者数の拡大にとどまらず、実社会の課題に対応できる学びへと教育を結び付ける。若者が気候危機を乗り越え、グリーン経済を担い、公正な社会を築く力を身につけるうえでも重要である。地域の現実に根ざし、教員が主導し、制度として支えられるなら、ESDはSDG4の達成を現実に近づけ、アフリカの次世代と地球の双方にとって、しなやかで持続可能な未来を育むだろう。(原文へ

This article is brought to you by London Post in collaboration with INPS Japan nad Soka Gakkai International, in consultative status with the UN’s Economic and Social Council (ECOSOC).

INPS Japan

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ベネディクト16世の死去から3年。いま改めて、ほとんど語られてこなかった外交手腕を検証する。(ヴィクトル・ガエタン ナショナル・カトリック・レジスター紙シニア国際特派員)

【National Catholic Register/INPS JapanワシントンDC=ヴィクトル・ガエタン】

教皇ベネディクト16世の偉大さは疑いようがない。学識、謙虚さ、そして伝統的な典礼形式を高く位置づけて新しい世代の信徒にも語りかけたことなど、司牧上の的確な判断によって、彼は広く称賛されてきた。教皇在位中には、イエス・キリストの生涯と宣教を扱ったベストセラー三部作『ナザレのイエス』を刊行し、「知の巨人」としての評価を世界的に確立した。

Victor Gaetan
Victor Gaetan

だが、外交面での功績が語られることは多くない。

ベネディクト16世の「世俗的」な成果を正当に位置づけ直すことは、バチカンが長年にわたって続けてきた、目立たない国際活動の連続性を示すうえでも重要である。とりわけ価値が大きい領域は三つある。①キリスト教の諸教派の和解と協力を進める取り組み(エキュメニズム)の推進、②イランのシーア派指導者との関係強化、③ベトナムおよび中国との二国間関係の改善である。

キリスト教の諸教派の和解と協力を進める取り組み

ベネディクト教皇の下で、キリスト教の教派を超えた対話と協力(教派間対話)は着実に前進した。とくにギリシャ正教会、ロシア正教会(ROC)との関係改善は顕著である。在位8年の間に、他のキリスト教諸派との歴史的な溝を埋めようとする取り組みは、これまでになく進んだ。

こうした関係がいっそう重要になった背景には、三つの世界的潮流があった。第一に、とりわけ西側で進むキリスト教の周縁化。第二に、とりわけ中東で深刻化する教会と信徒への暴力。第三に、旧共産圏のロシアにおけるカトリックと正教会の緊張である。

The Greek-Orthodox Ecumenical Patriarch Bartholomew.

2006年、ベネディクトはトルコのイスタンブールで全地総主教バルトロマイ1世と会談した。イスタンブールは、かつてコンスタンティノープル総主教座が置かれた正教会の歴史的中心地だが、現在では信徒数は数千人規模にまで減っている。教皇(正教会世界では「同輩中の第一」と位置づけられる)と全地総主教は、両教会がともに崇敬する元主教、聖ヨハネス・クリュソストモスと聖グレゴリオス・ナジアンゼンの聖遺物の前で祈りを捧げた。

滞在中、ベネディクトとバルトロメオ1世は共同声明に署名し、ヨハネ・パウロ2世の時代に中断していた「カトリック—正教会神学委員会」(双方の専門家による協議体)を再始動させた。両者はその後も、教派を超えた対話を継続した。

さらに大きな転機となったのは、ロシア正教会で新たな指導者が選出されたことである。スモレンスク・カリーニングラード府主教キリル(のちの総主教)の登場が、関係改善の流れを強めた。

ローマとモスクワ

ロシア正教会は、世界最大の正教会共同体である。カトリック教会とロシア正教会(ROC)—後者はクレムリンに近いとされる—の関係は、2002年に深刻な低迷を迎えた。ロシア当局が、シベリアで世界最大級の教区を率いていたポーランド人カトリック司教の再入国を拒否したためである。

Patriarch Kirill of Moscow Photo: Katsuhiro Asagiri

この冷え込んだ関係を立て直す転機となったのが、ベネディクト16世の即位と、2009年のキリル総主教の選出だった。キリルは20年間、ROCで「外相」に当たる対外部門を率いており、ベネディクトは以前から面識があった。両者は、西側社会の不安定化をめぐる危機感を共有していた。全体主義や権威主義の抑圧を身をもって経験した彼らにとって、行き過ぎた世俗化は社会の揺らぎの兆しであり、新たな抑圧を招きかねないものに映った。さらに、急進的なイスラム主義が少数派キリスト教徒に及ぼす脅威にも警戒感を抱いていた。

両者の下で協力は拡大した。バチカンは「ロシア文化・霊性の日」を後援し、ROC側はベネディクトに献呈するローマでのコンサートを企画した。そして2009年、ベネディクトはロシア(国家)との外交関係を樹立した。

こうした意思疎通の改善は、ポーランドのカトリック教会とロシア正教会の関係にも影響を及ぼした。2012年、ベネディクトの勧めを受けて、ポーランドのローマ・カトリック司教団とロシア正教会総主教(4日間ポーランドを訪問)は共同声明に署名し、第二次世界大戦の惨禍を踏まえつつ、両国民に「相互の偏見」を乗り越えた和解を呼びかけた。この声明は、1965年の「ポーランド—ドイツ和解」の象徴的交換に着想を得たとされる。

ベネディクトがこの合意を重視したのは、教会が和解のモデルを示し得ることを示す事例になると考えたからだった。もっとも、2022年2月のロシアによるウクライナ侵攻は、バチカンとモスクワの関係を冷却させた。それでも教皇フランシスコは、ヨハネ・パウロ2世以来積み上げてきた相互尊重の進展を守るため、ROCを一方的に悪者扱いすることは避けようとした。

ベネディクトとイランのシーア派指導部

聖座(教皇庁)とイランの外交関係は、1954年から続いている。

Map of Iran
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2006年12月27日、ベネディクト16世はマヌーチェル・モッタキ外相を含むイラン高官代表団と非公開で会談した。モッタキはアフマディネジャド大統領の書簡を教皇に手渡した。バチカンは内容を明らかにしなかったが、当時は国連が「ウラン濃縮停止に応じない」として対イラン制裁を科しており、核問題と結びついたやり取りだった可能性がある。ウィキリークスで公開されたバチカン市国発の米国務省公電は、この問題をめぐるバチカンの動きを米政府が注意深く追っていたことをうかがわせる。

神学者でもあったベネディクト16世は、シーア派イスラムが(教義は別として)実践面ではスンニ派よりキリスト教に近い、という見方があることも念頭に置いていた。モッタキとの会談から5か月を待たずに、教皇は元イラン大統領ともバチカンで会談する。名目は「文明間対話」だったが、教皇は原子力にも触れ、平和目的での原子力利用には権利があるとの趣旨を述べた。また、イランにおける宗教の自由にも言及した。

こうした「対話を重ねる姿勢」は、カトリック教会にとっては新しいものではない。源流は、第2バチカン公会議(教会が現代社会との関係を見直した世界会議)にある。のちにベネディクト16世となるラッツィンガー神父は当時、神学顧問として議論に関わった。公会議では、キリスト教徒とイスラム教徒が、ともにアブラハムの信仰に連なり、唯一で慈しみ深い神を礼拝し、終末の日の審判を信じるという共通点が確認された。さらに1965年の宣言『ノストラ・エターテ』(他宗教との関係を示した文書)は、過去の偏見を離れ、相互理解を進めるよう信徒に促した。こうした流れの延長線上で、2012年にはカトリックの聖職者とシーア派学者が、イランの聖地コムやナジャフで会談するなど、対話は具体的な形でも続いている。

西側諸国がイラン指導部を強く批判していた時期にも、ベネディクト16世がシーア派を含む他宗教共同体との関係を重視したことは、後にフランシスコ教皇が、とりわけイスラム世界の宗教指導者との対話に力点を置く外交を進めるうえでの土台にもなった。

ベトナムと中国
Map of Vietnam
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2008年、各国の聖座(教皇庁)駐在大使らとの年次会合で、ベネディクト16世は外交を「希望の技芸」と呼んだ。成果がすぐに見えなくても、何十年単位で粘り強く関係を築く。教会外交の特徴は、この言葉に象徴されている。

ベネディクト16世はアジアを歴訪しなかった(例外は大陸間国家のトルコ)。それでも、ベトナムや中国との関係では、重要な前進の糸口をつくった。

2005年7月、ベトナムの公式代表団がバチカンを訪問した。同じ週、サンピエトロ大聖堂でのミサでは、ハノイ大司教を含む32人の大司教が教会の手続きにより任命される場面もあった。さらに4か月後には、教皇庁で宣教を担当する部門の責任者級の枢機卿がハノイを訪れ、新たに57人の司祭を任命した。

ベトナムには約700万人のカトリック信徒がいる。この厚い信仰共同体が、共産主義体制の下でも信仰が途絶えなかった背景にある、とされる。

2007年1月には、グエン・タン・ズン首相が代表団を率いてローマを訪れ、教皇と会談した。社会主義共和国ベトナムの成立後、政府首脳が教皇と会うのは初めてだった。バチカンはこの会談を「新たで重要な一歩」と表現した。さらに10か月後には、ベトナム国家主席も初めてバチカンを訪問した。

1989年から2011年にかけて、聖座は17回にわたり代表団を派遣し、ベトナム国内の教区を訪れるなど、対話と現地交流を積み重ねた。その結果、ベトナムにおける教会活動の環境も徐々に広がった。節目となったのが、2011年1月の「非駐在の教皇代表」の任命である。常駐ではないが、教皇側の公式窓口を置くことで、政府との連絡を継続的に保てる。ベネディクト16世が築いた土台は、その後、フランシスコ教皇がハノイに常駐の教皇使節を置く流れへとつながった。

中国での和解
Map of China
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中国に関して、ベネディクト16世はバチカンの対中外交を大きく方向転換することはなかった。ただ一方で、中国政府や、いわゆる「愛国教会」に対して、対話を促す配慮ある働きかけを認め、関係者をローマに招くなどの対応も進めた。

2006年6月には、バチカン代表団が北京を訪れ、実務レベルの協議を行った。国際メディアが注目したのは、バチカンと北京の交渉の動きが、約5年ぶりに「表に見える形」で確認できたためである。協議はまず、連絡ルートを開くための慎重な試みだった。同じ頃、中国政府は国内最大の神学校を開設するなど、神学校整備を含む教会の基盤づくりも進めていた。

2007年1月、バチカンは内部会合を開き、中国の教会関係者を枢機卿から宣教師までローマに集めた。参加者には、ベネディクト16世が中国のカトリック信徒に宛てる書簡の草案をまとめた資料が配布された。

この書簡は、聖霊降臨祭(ペンテコステ)に「中華人民共和国のカトリック教会の司教、司祭、修道者など奉献生活者、ならびに信徒各位への 教皇ベネディクト16世の書簡」として公表された。そこでは、信者が一致に向けて歩むことが大きな目標として示された。

これは、ベネディクト16世の対中姿勢の中でも、外交的にも霊的にも最も重い「意思表示」だったと言える。書簡は緻密で明晰であり、寛大な精神に貫かれている。一方で脚注では、「愛国教会」は「カトリック教義と両立しない」と率直に退けてもいる。

St. Peter's Basilica in Vatican City
St. Peter’s Basilica in Vatican City

書簡の公表から数か月後、関係改善をうかがわせる動きが見られた。北京の大司教が党幹部向けの病院で死去した後、中国政府はその要職に当局寄りの人物を据えるのではなく、ローマの事前承認を得ていた教区司祭ヨセフ・リー・シャン神父を任命した。北京出身で代々カトリックの家系に連なるリー神父は、海外経験はなく、国家管理下の愛国教会に対して時に異議を唱えることもあったため、信徒の間で支持を集めていた。

ベネディクト16世の書簡は、中国のカトリック信徒の一致という大目標に向けた重要な節目となった。そこでは、政府との協議を前提としつつも、最終的には教皇が司教を選び、その司教が教会を導くべきだという考え方が示されていた。

フランシスコ教皇は就任後まもなく、この流れを受けて取り組みを前に進めた。

十分に評価されてこなかったベネディクト16世の外交は、次の教皇職において、その成果が形となって表れていった。(原文へ

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