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なぜ「集合的癒やし」が平和構築の中核なのか

【バンガロール(インド)IPS=サニア・ファルーキ】

戦争と抑圧が残すものは、瓦礫と墓標だけではない。目に見えない傷――生存者が抱える深い心のトラウマ――が残る。そして多くの場合、その最も重い負担を背負うのは女性たちである。女性は単に性別ゆえに狙われるだけではない。生き延び、リーダーとなることが、家父長制と支配構造にとって脅威となるからだ。

エジプトのフェミニストであり、平和構築者、そして「ナズラ女性学研究所」創設者のモズン・ハッサン氏は、IPSのインタビューに対して、長年問い続けてきた疑問――「なぜ紛争時にいつも女性が攻撃されるのか」――について語った。その答えは静かだが重い。「女性は生命を再建する力を持っているからです」と彼女は言う。

「女性に対する暴力は決して偶然ではありません。それは体系的なものです。支配し、沈黙させ、女性が立ち上がり、抵抗し、別の未来を創る力を奪うためのものなのです。」

Soundus, a young girl being treated in hospital for injuries from Israeli shelling of Gaza (August 2014). Credit: Khaled Alashqar/IPS
Soundus, a young girl being treated in hospital for injuries from Israeli shelling of Gaza (August 2014). Credit: Khaled Alashqar/IPS

国連経済社会局(UNDESA)の報告書によると、2024年には武力紛争で殺害された女性の割合が倍増し、民間人犠牲者全体の40%を占めた。また、「6億人以上の女性と少女が紛争影響地域に暮らしており、これは2017年比で50%の増加である」と報告している。人道危機にさらされた人々のほぼ全員が心理的苦痛を経験し、5人に1人がうつ病、不安障害、PTSD(心的外傷後ストレス障害)、双極性障害、統合失調症などの長期的な精神疾患を発症している。「必要な支援を受けられるのはわずか2%にすぎません」と報告は指摘する。

国際平和研究所(IPI)の報告書でも、2020年と2024年の国連平和構築アーキテクチャ再検討において「悲嘆、うつ、ストレス、トラウマといった戦争の心理的影響が、個人・家族・地域社会の中で放置されたままでは、平和な社会は成り立たない」と強調されている。

集合的癒やしの力

ハッサン氏は、難民キャンプや戦争地域における女性たちの間で「ナラティブ・エクスポージャー・セラピー(NET/語りによる暴露療法)」を導入した先駆者である。個人カウンセリングを中心とする従来型の心理療法と異なり、NETは「集合的癒やし」と「連帯」に焦点を置く。

「ナラティブ・エクスポージャー・セラピーは、地域コミュニティ心理学の手法の一つです。個人中心ではなく、集団的なトラウマに基づくアプローチを重視します」と彼女は説明する。「集団の場に身を置くことで、経験の共有と連帯が生まれ、地域社会自体が回復力を持てるようになるのです。そうなれば、彼女たちは専門家など“上からの存在”に頼らず、自分たちの力で前に進めます。」

ハッサン氏によれば、この手法はレバノンやトルコの難民キャンプにいるシリア、パレスチナ、レバノンの女性たちにおいて効果を上げてきた。5〜6日間のワークショップで、参加者たちは自身の物語を語り直しながら、互いの経験に力を見出し、戦争の現実を記録する知識とデータを共に築いていく。

彼女はこう回想する。「キャンプの女性たちは、多くが異なる民族や宗教の少数派でしたが、自分の体験を語るだけでなく、他者の物語を聞くことで力を得ました。そうして、本来なら失われていたはずの回復力が育まれたのです。集団での癒やしでは、人々は痛みに独りで向き合うことがありません。連帯と、回復するための手段を得るのです。」

UN Photo
UN Photo

トラウマと癒やしの現実

ハッサン氏は「トラウマは単一の経験ではない」と指摘する。
「研究によると、トラウマに直面した人のうちPTSDを発症するのは20〜25%にすぎません。『トラウマを経験した人は全員PTSDになる』という誤解が広まっていますが、それは事実ではありません。集合的アプローチはより現実的で、資源が限られる女性支援の現場でも有効です。」

何よりもNETは、女性たちが前に進むための力と方法を与えてきた。
「トラウマは一夜にして起きるものではなく、積み重ねです。癒やしも同じです。『病んでいたけど、もう治った』という話ではありません。癒やしとは過程です。再び心が揺さぶられても、最初の地点には戻らない。自分で『あのときの自分には戻りたくない』と言えるようになる――それが本当の癒やしです。」

「平和」とは何かを問う

ハッサン氏にとって、フェミニストによる平和構築の核心的な問いの一つは、「なぜ女性が戦争や革命、そして『平時』でさえ攻撃されるのか」ということだ。

「平和構築を『戦争が終わった後の話』としてだけ考えるのをやめなければなりません」と彼女は主張する。「家父長制、軍事化、安全保障化、社会的暴力――これらすべてが日常的に暴力を正当化しています。安定と平和は同義ではありません。」

Egyptians gather in Tahrir Square on Jun. 2. Credit: Gigi Ibrahim/CC BY 2.0
Egyptians gather in Tahrir Square on Jun. 2. Credit: Gigi Ibrahim/CC BY 2.0

彼女はエジプトをその一例として挙げる。「エジプトはシリアやスーダンのような内戦こそありませんが、構造的なジェンダー暴力が存在します。人口は1億人を超え、その半分が女性です。公式統計では、家庭内暴力は60%超、性的嫌がらせは98%超。女性殺害も増加しています。これは『集団的トラウマの生産』であり、暴力の受容を生み出しています。」

彼女は2011年の革命を思い起こす。「タハリール広場で目にした集団レイプや暴行は、社会的暴力の産物でした。長年の嫌がらせと暴力の容認が、ジェンダーに基づく暴力の爆発を招いたのです。」

「戦争がない=平和」ではない

ハッサン氏の警鐘は鋭い。「爆弾が落ちてこないからといって、それが平和だとは限りません。他国から攻撃されていないというだけで『平和に暮らしている』と考えるのは誤りです。戦争の不在は平和ではありません。」

癒やしは政治や責任追及と切り離せないと彼女は強調する。「癒やし=忘れること」ではない。

「許す、手放すには時間がかかります。自分を傷つけた相手と同じテーブルにつけない人も多いでしょう。でも、それは私たちの世代ではないかもしれません。少なくとも次の世代に、私たちよりも少し良い日常を残せればいい。」

責任追及は安定の前提条件でもある。「復讐の思いに囚われたままでは安定は得られません。エジプトにおける集合的癒やしには、責任追及、受容、そして構造的変革が必要です。」

「政治」を取り戻すフェミニズム

また彼女は、フェミニスト運動を「非政治化」しようとする傾向を批判する。
「政治とは議会にいることだけを意味しません。どこであっても、変革のためのフェミニスト的実践が政治なのです。『私たちは政治的ではない』と言わされてきた結果、多くの女性が政治的関与の場から排除されてきました。」

希望と現実

抑圧とトラウマの中でも、女性たちは驚くほどの回復力を示していると彼女は言う。
「女性たちの持つ回復力の道具――それこそが私に希望を与えてくれます。すべてを失いながらも社会を再建し、どこへ行っても変革を生み出すシリアの女性たちに、その力をはっきりと見ました。彼女たちの“回復力の蓄積”こそ、私の希望なのです。」

しかし同時に、ハッサン氏は「女性の強さ」を美化する物語には慎重だ。
「私たちは常に強くある必要なんてないのです。本来、自由で、幸せで、強さを発揮しなくても生きられる社会であるべきです。けれど残念ながら、今の時代は“強さ”を要求する時代です。」

モズン・ハッサン氏の言葉は、私たちに「平和とは何か」を改めて問いかける。平和とは停戦や合意のことではなく、家父長制・暴力・トラウマの根本に向き合う挑戦である。癒やしは政治であり、責任追及は不可欠であり、女性と共に再建することが未来への鍵だ。

彼女の言葉を借りれば――
「許しを得るのは私たちの世代ではないかもしれない。でも、私たちより少しでも良い日常を次の世代に残すことはできる。」

そのビジョンは厳しくも希望に満ちている。平和は明日すぐに訪れないかもしれない。だが、女性たちが回復力を築き、自尊心を貫き続ける限り、その道は閉ざされていない。(原文へ

サニア・ファルーキは独立ジャーナリスト、『The Peace Brief』の司会者。女性の声を平和構築と人権の領域で伝える活動を行っている。これまでCNN、Al Jazeera、TIMEなどで勤務。

IPS UN Bureau Report.

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デジタル時代に抗議を再定義するZ世代(アハメド・ファティATN国連特派員・編集長)

【ニューヨークATN=アハメド・ファティ】

私は長年、抗議行動を間近で見てきた。タハリール広場からタイムズスクエアまで。そして、時間が経つにつれ「定型」が見えてくる。労働者がストを起こし、学生が集会を開き、政党が動き出す。指導者が現れ、逮捕されるか、妥協する。やがて疲労と沈黙が訪れ、しばらくしてまた新たな抗議が始まる。

Ahmed Fathi.
Ahmed Fathi.

しかし、何かが変わった。リズムが違う。新世代―Z世代―は抗議の作法そのものを書き換えたのだ。彼らの運動は、かつてない速さで発火し、広がり、国家が息をつく暇もなく消える。

彼らが築いているのは革命ではない。デバッグ(不具合修正)だ。

無視できないパターン

かつては孤立していた動きが、いまや世界的な反響となっている。ネパールでは、若者たちが政府によるSNS禁止令に逆らい、首相を退陣に追い込んだ。モロッコでは「GenZ212」が不平等と崩壊した医療制度に対してオンラインで抗議を組織。マダガスカルの若者は、停電への怒りをアニメのイメージに託して表現した。ケニアでは、TikTok発の「税反乱」が政府に撤回を迫った。

国は違えど、怒りもテンポも同じ。
私はこうした蜂起を研究してきたが、そこに見える繰り返しの精度はあまりに高い。どの国も同じプロセスをたどる——デジタルの火花、ウイルスのような拡散、分散型の動員、世論の圧力、そして政府の狼狽。

自然発生的に見える。だが同時に、どこか設計されているようにも感じる。

シグナルの中の疑念

記者として、研究者として、私は「きれいすぎる拡散」には疑いを持つようになった。そして気づいたのは、純粋な声とともに、同調するように動く無数のオンラインページ、インフルエンサー、「活動家」系サイトが存在することだ。

確かに一部は草の根だ。しかし他は? もっと曖昧だ。匿名アカウントや連動するハッシュタグ、数時間で仕上げられたプロ品質の動画がそれを増幅している。
政府はこれを「操作」と呼び、活動家は「デジタル戦略」と呼ぶ。真実は、その中間の緊張関係にある。

このことは、街頭の怒りを否定するものではない。むしろ、情報戦と市民運動が融合している証拠だ。Z世代の抗議は政治的であると同時にアルゴリズム的でもある。
本物の怒りと仕組まれたノイズの境界はますます曖昧になり、権力者たちはその不確実性に不安を感じている。

「異議申し立て」というOS

この世代の運動を定義づけるのは、次の三つの特徴である。

  1. 分散化 —— 指導者も階層もない。逮捕の的がない。ピラミッドではなくネットワークとして設計されている。
  2. ミーム化 —— 従来の活動家がマニフェストを掲げたのに対し、Z世代はユーモアと皮肉を武器にする。政治演説よりもTikTokのリミックス動画の方が人を動かす。
  3. 速度 —— 深夜のDiscordチャットが翌朝には全国規模の抗議になる。官僚的な政府は、このスピードに対処できない。

しかし、ミームやハッシュタグの背後には現実の絶望がある。経済の停滞、腐敗したエリート、そして「自分と同じ年齢でも、生まれた国が違うだけで人生がまるで違う」という苦い自覚だ。

強みと脆さ

Z世代の強みは機動力だが、弱点は持続力である。構造を持たない運動は、一瞬の光で世界を照らすことはできても、すぐに消えてしまう。組織がなければ、勝利もまた霧散し、混乱の中に消える。

そしてAIによる監視やデジタル潜入が進む中、国家も進化している。
それでも彼らはやめない。何度でも、どの大陸でも、同じパターンが繰り返される。にもかかわらず、政府は毎回驚いたように振る舞う——まるでこの「タイムライン」がすでに書かれていることを知らないかのように。

広い視野で見れば

Z世代を「未熟な理想主義者」と見くびるのは誤りだ。彼らはスローガンを叫ぶ夢想家ではない。「なぜ何も機能しないのか」と問う現実主義者だ。彼らは壊れた制度を受け継ぐつもりはない。その場で修正(デバッグ)しようとしている。

ただし、私たちも注意を怠ってはならない。すべてのトレンド化した抗議が本物とは限らない。あるものは真の怒りから生まれ、あるものは誰かが「燃やしたかった」から燃え上がる。

活動家サイトや匿名の「主催者」、インフルエンサー型アクティビストが乱立し、何が本物で何が仕組まれたものかを見分けるのは難しくなっている。インターネットは誰にでも拡声器を与えるが、その音は歪むのだ。

だが、もし一部の火種が仕組まれたものであっても、炎そのものは本物であり、そして広がり続けている。

権力への警告

政府はアプリを禁止し、プラットフォームを検閲し、ユーザーを投獄することはできる。だが、つながることを前提に育った世代の「接続」を止めることはできない。

Z世代は、許可を待ってはいない。すでに動いている。安定という幻想を揺さぶりながら。

彼らは「未来の指導者」ではない。今日の危機の株主であり、すでに「非常取締役会」を街頭で開いている。

これは混乱ではない。リアルタイムで自己検証を行う未来のベータ版だ。

もしあなたが今の抗議を「ただのノイズ」と思うなら——次のアップデートを待つといい。(原文へ

Original URL: https://www.amerinews.tv/posts/gen-z-and-the-new-operating-system-of-protest

INPS Japan/ATN

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貧困撲滅のための国際デー

【INPS Japan/IPS】

貧困とは、単なる欠乏ではない。
それは排除であり、スティグマ(烙印)であり、不可視化である。
貧困は個人の失敗ではない。

それは制度の失敗であり、尊厳と人権の否定である。

貧困の中で暮らす家族は、侵入的な監視や煩雑な適格性チェック、支援ではなく「審査する」制度にさらされている。

シングルマザー、先住民の家庭、周縁化された人々は、より厳しい監視と疑念、そして分断に直面している。

現在、6億9000万人以上が極度の貧困の中で暮らしており、世界人口のほぼ半数が1日あたり6.85ドル未満で生活している。

約11億人が多次元的貧困に苦しみ、極度の貧困層の3分の2はサハラ以南アフリカに集中している。
進展は鈍化しており、2030年までの道のりは脆弱である。

社会的・制度的な虐待は構造的なものであり、ルール、日常的慣行、制度の仕組みに根を下ろしている。
人々が恐れから支援を避けるようになったとき、その制度はすでに失敗している。

本年の「貧困撲滅のための国際デー」(10月17日)は、次の3つの根本的転換を呼びかけている。

管理からケアへ:
– 疑念ではなく信頼に基づく制度設計を行うこと。
– 懲罰的な条件を減らし、書類手続きを簡素化すること。

監視から支援へ:
– 所得支援、保育、住宅、メンタルヘルス、司法を含む家族支援を優先すること。

トップダウンから共創型の解決へ:
– 家族を制度設計、予算、実施、評価のすべての段階に参加させること。

Photo: MANUEL ELÍAS / UNITED NATIONS
Photo: MANUEL ELÍAS / UNITED NATIONS

家族を支援することは、多くの目標を同時に強化する:
– 貧困削減
– 健康と福祉
– 質の高い教育
– ジェンダー平等
– 働きがいと社会的保護
– 不平等の是正
– 平和・公正・強固な制度

「貧困の中で生きる人々は、しばしば非難され、烙印を押され、社会の影に追いやられている。」
― アントニオ・グテーレス国連事務総長

2030年は刻一刻と近づいている。
今こそ行動しなければならない。(原文へ

INPS Japan

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女神のように舞う

―宗教舞踊における女性の参加が、男性中心の伝統を少しずつ変えている―

【カトマンズINPS Japan/Nepali Times=プラティバ・トゥラダー】

2025年8月10日の夜――正確には日付が変わって11日――私はカトマンズ空港に降り立つと、急いでティミへ向かった。そこでは、プラジタ・シュレスタが「ナガチャ・ピャッカン(Nagacha Pyakhaan)」を演じていた。ヒンドゥー神話に登場するバスマスルとモヒニの物語を題材にしたこの舞踊は、バクタプル県ティミのみに伝わる特有の宗教舞である。

The Nepali Times
The Nepali Times

プラジタは、モヒニ役を務めたわずか4人目の女性である。これまでこの役は、地域の男性が女性に扮して演じてきた。だが今、宗教舞踊の一部では女性が出演する新たな時代を迎えている。

彼女が最初にグティ(地域共同体)からモヒニ役を打診されたとき、両親に許可を得る前に即答したという。
「お願いされた瞬間、心が高鳴りました。これをやる運命だと感じたんです」とプラジタは語る。

初舞台は2022年8月。そして2025年8月、再び選ばれた。ソーシャルメディアで拡散された彼女の舞は大きな注目を集め、観客の“人気投票”のように支持を得た。実際には急な欠員を埋めるための登板だったが、その存在感は群を抜いていた。

ティミに到着したとき、プラジタはすでに長時間踊り続けていた。悪戯っぽい笑みを浮かべながら、通りから通りへと移動し、物語の悪役バスマスルに向かって挑発的に身振りを見せる。

この舞踊の筋書きはこうだ。ヒンドゥー教の神ヴィシュヌが女神モヒニに姿を変え、魅惑の力で悪魔バスマスルを自滅に導く――。この古い舞踊は2019年に復活し、以後、女性舞踊家が少しずつ参加するようになった。最近では、バクタプルやキルティプルといった他の町でも、宗教舞踊や音楽に女性が登場するようになっている。

プラジタは、自分の前にモヒニを演じたナビナ・プラジャーパティの姿に触発されたという。両親も反対はしなかった。兄のキランがすでに「バイラ舞(Bhaila)」に参加していたからである。このバイラはヒンドゥー教の神バイラヴに捧げる舞踊で、約10年前に復興され、ティミの少年たちによって踊られている。

カトマンズ盆地の宗教舞踊は、長らく男性だけが演じるものであった。プラジタは、まだ少数ながらその「未踏の領域」に足を踏み入れた女性の一人である。24歳の彼女は学生であり、通信関連の仕事にも携わっている。自ら道を切り開き、次世代の少女たちが続くための道標を築いた。

「ネワールの女性には自由がないと言われますが、女性が踊りに参加できなかったのは、ある意味で“守るため”でもあったと思います」と彼女は言う。

その夜、プラジタと一座がティミの広場に設けられた石の舞台“ダブー”に上がると、男性たちの歓声が響いた。
「ワラ、ワラ!」――来たぞ!
しかしプラジタは動じず、微笑みを絶やさずに舞い続けた。腕を夜風に広げ、足を軽やかに踏み鳴らす。
「モヒニを演じると、観客はからかったり茶化したりします。昔は男性が女装して踊っていたので、その名残かもしれません。だから祖母たちが“やめなさい”と言っていたのは、危険から守ろうとしていたのだと思います」と語る。

ネワールの伝統舞踊が男性専属とされてきた理由はいくつかある。頭飾りや仮面の重量、長時間の稽古、夜間の上演、断食、さらには酒や動物の血を用いるタントラ儀礼などが伴うこと。そして月経期の禁忌や、魅力と優雅さの神ナーサー・デャー(Nasaa Dyaa)から女性が距離を置かれてきたことも要因とされる。

その夜、私が彼女に同行しているうちに夜の重さを感じ始めていたが、プラジタは疲れも見せず、地区から地区へ駆け抜けた。足首には鈴が鳴り、裸足を包む飾りがきらめく。緑のスカートが旋回するたびに広がり、赤いビロードのブラウスが頬を紅潮させる。頭の孔雀の羽根飾りが揺れ、視線を上げると、バスマスルの顔に挑むような眼差しを向けた。

モヒニを演じることは、プラジタの人生に多くの変化をもたらした。彼女は「ラジオ・カトマンズ(92.1)」の記者でもある。
「踊りに参加してから、仕事にも新しい自信がつきました。文化活動もしているので、踊りを通じて新しい視点を得て、多くの人とつながることができました」と語る。

踊る喜びは自分のためでもあるが、彼女は観客からの称賛にも支えられている。観客の多くは親戚や近隣の人々だ。
「この役を引き受けたとき、父はあまり関心を示していませんでした。でも公演の夜、観客席に父の姿を見た瞬間、胸がいっぱいになりました」と彼女は振り返る。家族からの承認を求める小さな少女のように、プラジタはその瞬間、自らに課された新しい社会的責任を果たそうと心に誓った。

存在し、参加することで円の中に引き込まれる――その体験は重要である。家父長的社会では、男性はすでにその「円」の中にいるが、女性は外側に置かれてきた。だからこそ、女性がその円に入るためには、まず男性側がその円を開かなければならない。

プラジタが感謝の言葉とともに名を挙げるのは、アルジュン・シュレスタ、ニラジャン・シュレスタ、ビレンドラ・シュレスタ、ラビ・シュレスタといった舞踊師たちである。彼らはかつてナガチャ・ピャッカンを演じ、今はその技と精神を次代へと受け継いでいる。

「以前の私は、ティミで行われる宗教舞踊をただの観客として見ているだけでした。でも踊りに参加してからは、宗教舞踊の仲間として知られるようになり、他の踊りの稽古にも参加できるようになりました。夜遅くまで練習を見たり、踊り手たちと交流したりもできる。――“受け入れられた”と感じます」とプラジタは語る。(原文へ

Suburban Tales は、プラティバ・トゥラダーが身近な人々を題材に綴る、ネパーリ・タイムズの月刊コラムである。

INPS Japan

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サウジ防衛協定は米国の安全保障への信頼低下を映す

【メルボルンINPS Japan/London Post=マジド・カーン】

画期的な動きとして、サウジアラビアとパキスタンが「戦略的相互防衛協定」を締結した。これは、米国およびイスラエルに対し、サウジ王国が地域の抑止力を強化するために安全保障同盟を多角化する姿勢を明確に示すものである。

地政学的な力学が急速に変化する中で結ばれたこの協定は、サウジアラビアが長年依存してきた米国の安全保障への依存からの明確な脱却を意味する。

この協定は、リヤドでムハンマド・ビン・サルマン皇太子とパキスタンのシャハバズ・シャリーフ首相の間で署名された。わずか1週間前、イスラエルがカタールに滞在するハマスの政治指導者を標的にミサイル攻撃を行い、米国の防衛支援に依存してきた湾岸諸国に深い不安をもたらした直後である。

湾岸諸国は長らく、ワシントンの予測不能な姿勢と、自国の安全を確実に保証する意思に疑念を抱いてきた。イスラエルの軍事行動が地域の緊張を高める中、その不信はさらに深まっている。サウジ高官の一人は、「一方への攻撃は、他方への攻撃と見なす」と述べ、この相互防衛協定が抑止力の中核となると説明した。協定には、脅威の性質に応じて必要な防衛・軍事手段を講じることが明記されている。

この協定はまた、中東における地政学的構図の変化を象徴している。ドーハ攻撃後、米国が「地域の安全保障の保証人」としての役割を果たしていないとの見方が広がる中で、サウジは同盟関係の再調整を進めている。イスラエルによるドーハ空爆に対する米国の反応が抑制的であったことは、湾岸諸国の脆弱性を露呈させた。ムハンマド皇太子はこの攻撃を「残虐な侵略」と非難し、アラブ・イスラム諸国、そして国際社会が一体となって対応すべきだと強調した。

ワシントンDC拠点のシンクタンク「スティムソン・センター」の上級研究員アスファンディヤール・ミールは、この協定を「両国にとっての画期的な出来事」と評した。彼は、パキスタンが冷戦期に米国と相互防衛条約を結んでいたが、1970年代までに形骸化したことを指摘した。中国とも正式な防衛協定は存在しないため、今回のサウジとの合意は地域の安全保障構造における大きな転換点であると述べた。

ミールはまた、この協定が印パ関係に新たな緊張をもたらす可能性にも触れた。特にインドによる軍事的圧力が懸念される中での締結は象徴的であるという。

シドニー工科大学の南アジア安全保障研究者ムハンマド・ファイサルは、この協定がパキスタンにとって、UAEやカタールなど他の湾岸諸国との防衛協力を広げるモデルになる可能性を指摘した。これにより、パキスタンの地域的地位が一層強化されると見ている。

この合意は、政治的にも重要な意味を持つ。サウジがパキスタンとの関係を正式に再確認したことは、インドが各国に対してパキスタンから距離を置くよう働きかけている中でも、リヤドが依然としてイスラマバードとの長年の絆を重視していることを示す。ミールは「パキスタンは外交的孤立に直面しているが、この協定は同国が完全に周縁化されていないことを示す」と指摘した。

この合意の最も注目すべき点の一つは、サウジの莫大な財政力とパキスタンの核武装軍の能力が連携する構図を生み出すことである。ただし、協定の詳細は依然として曖昧であり、両国とも「核技術や核能力の移転は含まれない」と明言している。

パキスタンのカワジャ・ムハンマド・アスィフ国防相は、「核兵器は協定の射程外にある」と述べ、この協定が将来的に他の湾岸諸国にも拡大される可能性に言及した。

戦略的観点から見れば、この合意は地域の勢力均衡を変える可能性を持つ。長年米国に安全保障を依存してきたサウジが、中国およびロシアと関係の深いパキスタンを防衛の新たな柱として位置づけようとしているためである。この提携は米国の軍事的存在を代替するものではないが、サウジが西側への依存を減らし、他の戦略的パートナーシップを模索していることを明確に示している。

中東の安全保障環境が急速に再編される中で、この動きは生まれた。イスラエルの攻撃的な軍事行動と、地域における米国の影響力低下が、湾岸諸国に安全保障政策の見直しを迫っている。サウジ・パキスタン防衛協定は、サウジが米国の予測不能な外交方針に不安を抱き、地域の不確実性に備えるための戦略的転換を示している。

サウジ王室に近い政治評論家アリ・シハビは、今回の協定は「米国の軍事的役割に取って代わるものではない」が、サウジが従来の同盟関係を超えて新たな方向性を模索している象徴的な転機だと述べた。また、パキスタンとの軍事的連携を再確認することは、地域の安定維持において重要な意味を持つとも指摘した。

パキスタンにとって、この協定は好機であると同時にリスクでもある。湾岸地域での地位を高め抑止力を強化する一方で、米国との関係を複雑化させる可能性があるからだ。特にトランプ政権期以降、ワシントンとの関係が改善していたことを考えると、この新たな防衛協力は再び緊張を招く恐れがある。米国がイラン封じ込めのためイスラエルを中東安全保障の枠組みに組み込もうとする中で、サウジとパキスタンの関係強化は、ワシントンにとって厄介な要素となるだろう。

ラホール大学安全保障戦略政策研究センターのラビア・アフタル所長は、「この協定はサウジにとって通常戦力の保証を固め、パキスタンの防衛ノウハウを取り込むものであり、イスラム教徒多数派で核抑止力を有する国との連携を象徴している」と分析した。その一方で、インドとの対立を最優先するパキスタンにとっては、中東安全保障への関与が新たなリスクを伴う可能性があると警鐘を鳴らしている。

インド政府もこの協定の影響を注視している。特に湾岸地域での影響力維持を図る中で、インドは今後、外交方針を慎重に再調整する必要に迫られるだろう。サウジとインドの関係は引き続き良好であると見られるが、パキスタンとの防衛協力強化はインドの地域戦略に新たな変化をもたらす可能性がある。

この協定はただちに中東の安全保障構造を変えるものではないが、地域の同盟関係が多様化しつつあることを示している。そしてそれは、中東全体で進行する地政学的変化の一端でもある。

サウジアラビアとパキスタンの両国は、より複雑で予測不能な地域秩序に備えており、この協定は、各国が世界的・地域的変化に対応して同盟関係を再構築していることの象徴である。(原文へ

INPS Japan

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モルドバの民主的抵抗

【ロンドンIPS=アンドリュー・ファーミン】

9月28日に行われたモルドバの選挙で、民主主義が勝利し、ロシアが敗北した。親欧派の与党「行動と連帯党(PAS)」が得票率の半分強を獲得して議会過半数を確保する一方、親ロシア連合の支持は過去最低に落ち込んだ。これは、ロシアによる前例のない選挙介入の試みにもかかわらず得られた結果であった。その背後には、大規模な詐欺事件で服役を逃れてロシアに亡命した汚職富豪イラン・ショルが関与していたとされる。

モルドバは人口240万人に満たない内陸国で、ニュースの見出しを飾ることは少ない。しかし、EU加盟国ルーマニアと戦争中のウクライナの間に位置するこの国は、旧共産圏諸国の未来をめぐる綱引きの最前線にある。
2009年以降、モルドバのすべての首相は欧州統合を掲げてきた。ロシアがウクライナに対して全面侵攻を開始した2022年、モルドバは正式にEU加盟を申請した。選挙で親ロシア勢力の支持が低下するにつれ、ロシアは露骨な政治工作へと手法を変え、ショルがその要となったと見られている。

ショルはモルドバ史上最大の金融スキャンダルに関与したとされている。2014年11月、3つの銀行から偽装融資によって約10億米ドルが不正に流出。銀行は破綻し、政府は国内総生産(GDP)の8分の1に相当する額を救済に投じざるを得なかった。

Map of Moldova. credit: Wikimedia Commons.

当時銀行の会長だったショルは、首謀者の一人として起訴され、2017年にマネーロンダリングや詐欺、背任の罪で懲役7年半を言い渡された。しかし2019年、控訴審中の自宅軟禁状態からイスラエル、さらにロシアへと逃亡し、現在はロシア国籍を持つ。彼が投獄されずに帰国できる唯一の道は、親ロシア政権の樹立であり、そのために巨額の資金を使って影響力を行使している。

ショルは、ロシアがエネルギー供給を武器化しガス供給を削減した2022~2023年の冬に高騰したエネルギー価格への抗議デモを資金援助したとされる。2024年の大統領選とEU加盟是非を問う国民投票を前に、彼は反EUキャンペーンに登録した人々や反EU投稿をした人々に報酬を支払うと約束。政府によると、彼は約1600万米ドルを13万人に支払い、テレグラム上で偽情報拡散の手順を共有していた。2024年の選挙運動は、ディープフェイク映像やサンドゥ大統領に関する虚偽情報などの偽情報で溢れた。EUやサンドゥを攻撃し、親ロシア的な主張を広める偽アカウントが多数出現した。

2025年の選挙では、こうした影響工作がさらに激化した。テレグラムで組織された秘密ネットワークが、フェイスブックやティックトックで親ロシア宣伝や反PAS偽情報を投稿する者に報酬を支払うほか、世論調査を操作して親ロシア支持が高いように見せかけ、結果が接戦になった場合に不正選挙を主張する計画もあったとされる。BBCの調査によると、このネットワークはショルおよび彼の組織「エヴラジア」と関係しており、資金はロシア国防省が利用する国営銀行を経由して送金されていた。

ネットワークは、生成AI「ChatGPT」を使って偽情報投稿を作成するオンライン講座まで開催していた。サンドゥが児童売買に関与している、EUが性的指向の変更を強制するなど、荒唐無稽な主張が含まれていた。2025年初頭から90以上のティックトックアカウントがこのネットワークに関与し、再生回数は2300万回を超えた。なお、PASを支持する側による同規模の偽情報キャンペーンは確認されなかった。

ロシアはまた、国外に住む約100万人のモルドバ人ディアスポラを標的にした。彼らは一般的に親EU派だが、ロシア資金とみられる金で買収され、選挙監視員として雇われるよう誘われた。さらに、選挙の不正を「発見」した場合には高額のボーナスが支払われる仕組みだった。これは国外投票の正当性に疑念を抱かせる狙いがあったとみられる。

影響工作は正教会にも及んだ。昨年、モルドバの聖職者たちはロシアの聖地巡礼旅行に無料で招待され、その後、EU統合の危険性を信徒に説くよう指示と資金提供を受けた。彼らは90以上のテレグラム・チャンネルを開設し、「EUは伝統的家族の価値を脅かす存在だ」といった内容を一斉に発信した。

投票の数日前、モルドバ当局は選挙後の暴動を計画していた疑いで74人を拘束した。彼らは「正教の巡礼」を名目にセルビアを訪れ、治安部隊への抵抗方法、障壁突破、武器使用などの訓練を受けていたという。当日には、国内外の投票所でサイバー攻撃や爆破予告が報告された。

今後の課題

モルドバの民主的制度は、ロシアの干渉に対する重要な試練を乗り越えた。2024年以降に進められた防衛強化の成果が実を結んだ形だ。しかし、この国の未来をめぐる闘いは終わっていない。モルドバがEUに近づけば近づくほど、ロシアは手を緩めないだろう。より卑劣な手段に出る可能性すらある。

一方で、政府には多くの課題が残る。欧州でも最貧国の一つであるモルドバでは、生活費の高騰が市民を苦しめている。ウクライナ難民を人口比で欧州最多規模に受け入れた結果、公的サービスにも負担がかかっている。汚職問題も未解決で、多くの若者が国外に活路を求めている。

今後、ロシアの影響工作に対抗するためには、ソーシャルメディアと政治資金の規制、情報機関の強化、偽情報へのリテラシー向上のバランスをとることが求められる。エネルギー分野でも、再生可能エネルギーへの投資拡大など、ロシアの「エネルギー兵器化」を無力化するためにEU諸国の支援が不可欠だ。

モルドバのEU加盟の行方は、これらの課題への取り組み次第で決まるだろう。もっとも、ハンガリーの例が示すように、EU加盟が即ち民主主義の保証とは限らない。しかし、ロシアの支配下に陥れば、民主主義も人権も希望を失う。(原文へ

アンドリュー・ファーミンは、国際市民社会連合(CIVICUS)の編集長であり、「CIVICUS Lens」共同ディレクター、『State of Civil Society Report』共同著者。問い合わせ:research@civicus.org

INPS Japan/IPS UN Bureau Report.

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北京+30―世代と国境を越える対話の集大成

【国連IPS=ナウリーン・ホセイン】

第4回世界女性会議(1995年・北京)から30年。世界が「ジェンダー平等」という共通の課題に向けて一致したあの決意は、2025年のいまもなお力強い意味を持ち続けている。この北京会議は、世界的なジェンダー平等運動の転換点であり、包括的な行動計画を提示した画期的文書―「北京宣言および行動綱領(Beijing Declaration and Platform for Action)」―の採択によって知られる。

ケニアの女性の権利擁護者で30年以上の活動歴をもつシア・ナウロジー氏はこう語る。

Sia Nowrojee, UN Foundation’s Associate Vice President of Girls and Women Strategy. Credit: UN Foundation
Sia Nowrojee, UN Foundation’s Associate Vice President of Girls and Women Strategy. Credit: UN Foundation

「北京会議は、フェミニスト運動の長く続く旅路の一つの節目にすぎません。30年経った今でも、その意義はまったく色あせていません。あれは20年にわたる草の根のジェンダー平等運動の集大成でした。」

ナウロジー氏は現在、国連財団の「少女と女性戦略部門」のアソシエイト副代表を務めている。

グローバルな開発議題に初めて統合された「ジェンダー平等」

北京会議は、国際社会が初めてジェンダー平等をグローバルな開発と人権の議題に正式に組み込んだ場でもあった。すべての女性と少女の権利と尊厳を確立することが、持続的な発展の鍵であるという認識が共有されたのだ。これは、植民地支配から独立した新興国にとって特に重要な意味をもっていた。

この行動綱領の形成において、グローバル・サウス(途上国側)の女性リーダーたちの貢献は決定的だった。アフリカ、アジア、ラテンアメリカの代表たちは、枠組みをより包括的なものにするために尽力した。ナウロジー氏は、アフリカのフェミニストたちの努力によって「少女の権利」が明確に盛り込まれた例を挙げる。

Hibaaq Osman, a Somali human rights activist and founder of El-Karama. Credit: UN Foundation
Hibaaq Osman, a Somali human rights activist and founder of El-Karama. Credit: UN Foundation

ソマリアの人権活動家で「エル・カラマ(El-Karama)」創設者のヒバーク・オスマン氏もその一人である。彼女は、植民地主義や人種差別との闘争を経験したグローバル・サウスの活動家たちが、北京会議に臨むうえで独自の準備を積んでいたと指摘する。オスマン氏は1995年、女性市民社会ネットワーク「戦略的女性イニシアティブセンター」の一員として会議に参加した。

「女性が自ら語る」ことの衝撃

「若い頃の私は、あの場で耳にした話に衝撃を受けました。すべては“個人の問題”だと教えられて育った私にとって、女性が自分の声で語り、暴力の体験まで共有する―それは想像を超える出来事でした。『女性同士で分かち合っていいのだ』と気づかされた瞬間でした。」

オスマン氏にとって北京会議は、「共通の目標と希望を共有することで、何が達成できるのか」を示す象徴だった。その場の独特のエネルギーが、後のアフリカの女性団体SIHA(アフリカの角における女性の戦略的イニシアティブ)やエル・カラマなどでの彼女の活動を推進する原動力となった。

General view of the opening session of the Fourth World Conference on Women in Beijing. Credit: UN Photo/Milton Grant
General view of the opening session of the Fourth World Conference on Women in Beijing. Credit: UN Photo/Milton Grant

また、北京会議は政府や政策決定者に対し、「行動綱領を実施しなければ問われる」という責任意識を世界的に植えつけた点でも画期的だった。

「それまでそんな仕組みは存在しませんでした。政府や政策担当者に説明責任を求められるようになったのです。そして、草の根とのつながりも重視されました。個々の女性が“リーダー”として主張する時代から、地域社会に責任を持つリーダー像へと変わったのです。これは本当に素晴らしいことでした。」

Delegates working late into the night to draft the Beijing Declaration and Platform for Action. Credit: UNDP/Milton Grant

オスマン氏は続ける。「北京会議の遺産とは、私たちが殻を破り、世界中の女性たちと手を取り合うようになったことです。このビジョンと枠組みは、いまもなお生き続けています。」

国連という「運動のプラットフォーム」

ナウロジー氏は、女性会議の成功が「国連という場がいかにジェンダー平等運動の成長を支えてきたか」を示していると語る。国連はまた、新興国が自らの課題を国際社会に訴え、グローバル・アジェンダを自国の視点で形づくるための重要な舞台でもあった。

北京以前にも女性会議は開催されている。メキシコシティ(1975年)、コペンハーゲン(1980年)、ナイロビ(1985年)で開かれたこれらの会議は、世界各地の活動家たちが出会い、アイデアと経験を交流させる場となり、北京へとつながる基盤を築いた。

ナウロジー氏は18歳のとき、学校代表としてナイロビ会議に参加した経験を振り返る。
「世界中の女性たちが私の故郷に集まり、『私たちは価値ある存在なのだ』と語り合う――それは私の人生を変える体験でした。あの時出会った仲間とは今でも交流が続いています。個人的にも支えになり、フェミニズム運動の重要な土台となっています。」

前進と後退のはざまで

ナウロジー氏とオスマン氏は、これらの会議が生み出した勢いが、地域・国家・国際レベルでの前進を後押ししたと強調する。活動家たちは地元の文脈に合わせてメッセージを洗練させ、運動を広げていった。

その結果、女性の権利は多くの国で法的に明文化され、政治や平和交渉への参加も拡大した。教育・保健・雇用などで女性への投資が社会全体の経済成長と安定をもたらすことも実証されている。女性の労働参加が増えれば経済は強化され、社会保障が拡充すれば地域コミュニティはより安定する。

Delegates at the Fourth UN World Conference on Women in Beijing 1995. Credit: UNDPI /UN Women

しかし、その進展に対する「反動」も顕著になっている。近年、女性の権利を否定・制限しようとする「反権利」「反ジェンダー」運動が勢いを増しており、UN Women は「4か国に1か国が女性の権利へのバックラッシュを報告している」と警告する。

ナウロジー氏はこう指摘する。
「独裁的指導者たちが女性の権利を標的にするのは、それが彼らの支配構造を脅かすからです。女性の声や意思決定を封じることは、民主主義や開発、平和、そして私たちの大切にしてきた価値のすべてを弱体化させる最も効果的な手段なのです。」
オスマン氏も「女性を抑え込めば社会全体が崩壊します。女性は社会の核だからです」と付け加える。

SDGs Goal No. 5
SDGs Goal No. 5

反権利勢力は資金力も組織力も持ち、しかも皮肉なことに、フェミニスト運動が何十年もかけて築いた草の根から国レベルへと波及させる戦術をそのまま応用している。だが、活動家たちは絶望する必要はないと二人は語る。女性運動はすでに、勢いを取り戻すために何をすべきかを知っている。

「いま、私やシア、そして多くの仲間たちは、市民社会の活動空間が縮小している現実を痛感しています。民主主義、人権、正義、リプロダクティブ・ライツ―あらゆる分野で後退が見られます。それでも私たちは止まりません。もっと賢く、もっと多様な連携を築く方法を考えます。困難ではありますが、決して歩みを緩めることはありません。」(オスマン氏)

過去から学び、未来を築く

いまジェンダー平等の実現は、社会の分断と不信をあおる権威主義的潮流に脅かされ続けている。だが、北京行動綱領以前を知る世代の活動家たちは、何が危機にさらされているのかを誰よりも理解している。

現代の女性運動を担う若い世代に必要なのは、過去の闘いを振り返り、そこから教訓と勇気を得ることだ。(原文へ

INPS Japan/IPS UN BUREAU Report

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第2次世界大戦期の兵器がいまもソロモン諸島の人命と発展を脅かす

【シドニーIPS=キャサリン・ウィルソン】

20世紀、太平洋戦線の激戦地のひとつとなったソロモン諸島では、第2次世界大戦中に日・米英両陣営が残していった大量の不発弾(UXO:Unexploded Ordnance)が、いまなお国中に散在し、人びとの暮らしと開発を脅かしている。

9月、ソロモン諸島の首都ホニアラで開かれた太平洋諸島フォーラム首脳会議では、老朽化した不発弾が「主権・人間の安全保障・環境・経済発展に対する多面的な脅威」として改めて取り上げられた。

生活を一変させた爆発事故

メイヴァリン・ピタノエさん(53歳)は、その脅威を身をもって知っている。4年前、教会の青年グループとともにホニアラで募金イベントを開いていた時のことだ。

「手作りの料理を販売するため、大きな穴を掘って地中オーブンを作り、火を焚いていました」と彼女は語る。数時間後、鍋でキャベツを茹でていたその瞬間、地中の爆弾が爆発した。

「鍋の両端を持っていた青年2人が坂を転げ落ち、脚を押さえてもがいていました。私は吹き飛ばされ、竜巻に巻き込まれたように体がねじれたのを覚えています。」2人の青年は1週間以内に死亡。妻子を残した者もいた。ピタノエさん自身も手の指を失い、脚や腹部などに重傷を負って約2か月入院した。

Maeverlyn Pitanoe. Credit: Bomb Free Solomon Islands-Honiara 2025

「事故で私も家族も人生が百八十度変わってしまいました。以前のように自由に外出できなくなり、海辺を歩くのも怖くなりました。」

太平洋戦争の遺物が今も地中に

不発弾とは、使用時に爆発しなかった爆発物を指す。地中や見えない場所に埋もれたまま数十年経っても、衝撃や圧力で突然爆発する危険性を秘めている。

ソロモン諸島は900を超える島々に約72万人が暮らすが、そのすべてが戦場になったわけではない。当時英国保護領だった同国は、1941年に太平洋に戦火が拡大すると戦略的に重要視され、真珠湾攻撃の翌年には日本軍と米英連合軍の激戦地となった。

主戦場となったのはガダルカナル島である。1943年の日本軍撤退まで、陸・海・空の各地で戦闘が続き、地元民も地形の知識を生かして連合軍を支援した。

今日では、放置された戦車や戦闘機、海底に沈む軍艦がダイビング観光資源にもなっているが、毎年のように古い弾薬が爆発し、命を奪っている。

不発弾除去の取り組み
Abandoned WWII Japanese knee mortars awaiting disposal in Munda, Western Province. Credit: HALO TRUST

2023年、政府は英慈善団体ハロ・トラスト(HALO Trust)と協力し、全国規模の調査とデータ収集を開始した。プログラム・マネージャーのエミリー・デイビス氏によれば、現在はガダルカナル島と北西部の西部州で、住民への聞き取りと歴史記録を照合しながら調査を進めている。

「これまでに3000点以上を確認しましたが、警察によってすでにその10倍以上が処理されています」とデイビス氏。2024年だけでも、王立ソロモン諸島警察の爆発物処理班は5400点を安全に除去し、ホニアラ市内の学校敷地からは大量の砲弾が発見された。

米国の資金支援を受ける同団体は、住民への安全教育にも力を入れている。西部州チームリーダーのピーター・ティーサナウ氏は「子どもたちが遊び半分で触ってしまうこともあり、学校教育が重要です」と語る。

ただし、都市部と違い、離島や山間部では処理作業が難航する。警察は道路や輸送手段が乏しい中で任務にあたっており、処理には長い時間がかかる。

被害者支援と意識啓発へ
HALO Surveyor taking coordinates of UXO found near Betikama Power House, Guadalcanal Province. Credit: HALO TRUST
HALO Surveyor taking coordinates of UXO found near Betikama Power House, Guadalcanal Province. Credit: HALO TRUST

ピタノエさんは事故前、ソロモン諸島国立大学の通信教育部門で働いていたが、遠隔地への出張が困難になり退職。「体がもう以前のように動かない」と話す。しかし彼女は絶望の中から希望を見いだした。「誰にもこんな経験をしてほしくない。だから自分の体験を伝え、警鐘を鳴らしたいのです。」

今年、彼女は被害者支援団体「ボム・フリー・ソロモン諸島」を設立した。20人の会員は皆、生活困難を抱えており、未亡人となって子どもの学費に苦しむ人や、障害を負って仕事を失った人もいる。

発展への影響と国際支援の要請

不発弾の存在は、国内開発にも深刻な影響を及ぼす。1998~2003年の内戦「テンションズ」から復興を進める同国にとって、汚染地域は農地利用を妨げ、食料安全保障や所得向上を阻む。老朽化した弾薬から漏れ出す重金属などが土壌や水系を汚染する恐れもある。

デイビス氏は「すべての不発弾を取り除くのは不可能です。規模があまりに大きい」と認めつつ、「危険を減らすことはできる」と語る。現在作成中のUXO地図は、将来のインフラ整備や地域開発の安全計画に役立つという。

不発弾処理には高度な専門技術と多額の資金が必要で、パプアニューギニアやパラオなど近隣諸国も同様の問題を抱えている。各国首脳は「この兵器は外部からもたらされたものであり、処理の責任も国際社会で分担すべきだ」と主張する。

6月、ソロモン諸島警察省のカスータバUXO局長は国連本部(ニューヨーク)で演説し、被害国への国際支援強化を訴えた。「力を合わせ、安全な地域社会を築き、環境を守り、次世代のためにより安心できる未来を創ろう。」と。(原文へ

INPS Japan

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|カメルーン|腐敗した政権に立ち向かう精力的なカトリック教会(ヴィクトル・ガエタン ナショナル・カトリック・レジスター紙シニア国際特派員)

分析:中央アフリカの教会指導者たちは、国の生活水準を損なってきた深刻な汚職体質を公然と批判している。

【National Catholic Register/INPS Japanドゥアラ(カメルーン)=ヴィクトル・ガエタン

豊かな資源を持ちながら、数十年にわたる政治の腐敗と不正管理によって貧困に陥ったカメルーンは、10月12日に大統領選挙を控えている。この国では、カトリック教会の指導者たちが、現体制に対する強力な批判者として台頭している。

92歳の現職大統領ポール・ビヤ氏は、中央アフリカの人口3,000万人の国で再選を目指している。国民の中央値年齢は19歳。ビヤ氏自身もカトリック信徒で、カテキスタ(教理教師)だった父を持つ。1975年に首相に就任して以来、すでに半世紀。1982年に大統領となってから今日まで、その座を保っている。もし国が良く統治されていれば問題はないだろう。だが、現実はそうではない。

カメルーン司教協議会(NECC)は1月、36人全司教の連名で公開書簡を発表し、「蔓延する汚職と公金横領が国家全体の生活水準を破壊している」と強く非難した。

しかし筆者が最大都市ドゥアラ(中央アフリカ最大の港湾都市)で目にしたのは、驚くほど活気に満ちた信仰共同体であった。預言者的リーダーシップ、活気ある小教区、そして多様なカトリックの霊性が息づいていた。

真実を語る教会

国際統計によれば、この20年間でカメルーンの経済成長は停滞しており、2022年時点で国民の4割が極度の貧困状態にあった。

「ヨハネ・パウロ2世(1985年、1995年)も、ベネディクト16世(2009年)も、安定した国としてカメルーンを訪問した。中央アフリカの中で、カメルーン教会は特に信仰が活発な国として重要な位置を占めています。」と、ドゥアラ大司教サミュエル・クレダ氏は語る。大統領ビヤ氏がカトリック信徒であることも、この関係性に影響を与えてきた。

だが、同国は本来持つ豊富な天然資源や人的資源を国民の幸福に結びつけることができていない。

クレダ大司教はフランス語でこう説明する。
「我々は政府の統計―失業率、道路の荒廃、電力や飲料水の不足―をもとに現実を語っています。政府自身も国の悲惨な状況を理解しているはずです。それでも彼らは変わろうとしません。権力を失うのを恐れているのです。それこそが問題なのです。」

12人の候補者がビヤ大統領に挑む構図だが、全国的な知名度や組織力を持つ対抗馬は見当たらない。そこで教会が「空白」を埋める形となっている。

NECCは特定候補を支持することは避けたが、異例の試みとして「理想的な大統領像」を公表した―国民と向き合い、国を回り、正義と公益に献身する人物像である。クレダ大司教自身も8月に牧会書簡を出し、現体制への批判を表明した。

「私たちは権力に警鐘を鳴らし、良心に立ち返るよう呼びかけています。キリスト教的な意味で“回心”し、民のために奉仕してほしいのです。」と大司教は語る。

政権にこれほど公然と挑戦することは危険ではないのか?という問いに対し、66歳のクレダ大司教は静かに答えた。「叙階の日、私は殉教の覚悟を受け入れました。だから真実を語らなければなりません。イエスが当時の不正にどう向き合ったか―それが、私が今この国の不正に対して行動する理由です。私はイエス・キリストに従う者だからです。」

生きた信仰共同体

クレダ大司教は毎週日曜日、管轄する88の小教区のうちいずれかを訪問している。9月28日の目的地は「サン・マルク教会」2009年に彼が大司教に就任して以来、信徒数は倍増した。これまでに46の新しい教会とカトリック・セントジェローム大学を設立している。

到着すると、身長2メートル近い大司教を迎えたのは、踊り、香、赤ん坊、神学生、祝福と歌の渦だった。円形の礼拝堂とバルコニーには1,000人を超える信徒が集まり、ミサとともに90人の若者と成人が初聖体・堅信の秘跡を受けた。

The parish of St. Marc de la Cité des Palmiers, in a Douala neighborhood, hosted Archbishop Samuel Kleda on September 24, 2025. Over 1,000 people attended the Mass, at which youth received Holy Communion and youth and adults received Confirmation.(Photo: Victor Gaetan )
The parish of St. Marc de la Cité des Palmiers, in a Douala neighborhood, hosted Archbishop Samuel Kleda on September 24, 2025. Over 1,000 people attended the Mass, at which youth received Holy Communion and youth and adults received Confirmation.(Photo: Victor Gaetan )

説教では、ルカ福音書の「金持ちとラザロのたとえ」を取り上げ、こう語った。
「富める者は心を閉ざしてしまう―富が現実を見えなくしてしまうのです。これが、今日のカメルーンの姿なのです。」

Surrounding the archbishop’s office in Douala’s cathedral complex, are diverse animals and plants, including cattle, ostriches, ducks, and hens—all part of an impressive system of community sharing by which the archdiocese helps support itself as well as seminarians, the elderly, and poor in the area. (Photo: Victor Gaetan )
Surrounding the archbishop’s office in Douala’s cathedral complex, are diverse animals and plants, including cattle, ostriches, ducks, and hens—all part of an impressive system of community sharing by which the archdiocese helps support itself as well as seminarians, the elderly, and poor in the area. (Photo: Victor Gaetan )

賛美歌はフランス語、英語、現地語、ラテン語で歌われ、太鼓、木琴、ひょうたんのシェーカーが加わり、喜びに満ちた礼拝となった。

ミサ後、信徒たちは感謝の意を込めて食料を奉納した。米袋、油缶、パイナップルの皿、青々としたバナナの房、鶏、4頭のヤギ、そして巨大な豚までが、祭壇前に捧げられた。

これらの物資は後に大司教区を通じて神学生や高齢者、貧困家庭に分配されるという。信頼できる指導者のもとで、共同体が富を分かち合う仕組みが実に見事に機能している。

さらにクレダ大司教は「薬草園」プロジェクトを推進し、そこではダチョウ、アヒル、ニワトリ、クジャクなどが薬効植物とともに育てられている。COVID-19が蔓延した際には、彼が開発した天然薬が注目を集めた。

多様なカリスマ

ドゥアラ滞在中、筆者は多くの修道者、宣教師、そして献身的な信徒たち、若者グループに出会った。

アウグスチノ修道女のオノリーヌ修道女(36歳)は、子どもたちのカテキズム(教理教育)を担当していた。「教皇がアウグスチノ会出身であることを、心から喜んでいます!」と微笑む。彼女の共同体にはコンゴ民主共和国出身の修道女もおり、カトリック初等学校の教育にあたっている。

A convent of ten Augustinian sisters run a primary school in Douala and help with catechism at parishes such as St. Marc. Sister Honorine (right) congratulates 10-year-old Divine, who received her first communion at the Sept. 28 Mass.(Photo: Victor Gaetan )
A convent of ten Augustinian sisters run a primary school in Douala and help with catechism at parishes such as St. Marc. Sister Honorine (right) congratulates 10-year-old Divine, who received her first communion at the Sept. 28 Mass.(Photo: Victor Gaetan )

少女たちは青いベール姿で「マリアの少年団(Cadets of Mary)」として活動し、「週末ごとにロザリオを祈っています。マリア様の足跡をたどりたいのです」と15歳のパトリシアさんは話す。

街の反対側では、聖霊修道会(スピリタン会)の修道士たちが礼拝堂とゲストハウスを運営している。彼らは1930年代からこの地で布教を始め、1932~1955年にかけて初代・二代の使徒代理を務めた。

アフリカのキリスト教

カメルーンは、かつてドイツ・フランス・英国の植民地支配を受けた。その遺産は現在も「英語圏危機」として、英語圏北西・南西州とフランス語圏中央政府の武力衝突に影を落としている。

ドゥアラ大司教区の事務局長セルジュ・エボア神父は、「信仰は植民地主義とは異なる」と語る。
「アフリカの人々は、布教以前からすでに“信仰の民”でした。司祭や司教は、すでに信仰を持つ人々にカトリックの次元を加えただけなのです。だからこそ、福音の重要性をすぐに理解できた。アフリカの伝統宗教とカトリックは調和するのです。」

「カトリックの教育と価値観は、社会を健全に変革する力を持っています。平日の昼のミサでも大聖堂は満席です。人々は教会の意義を理解しているのです。」

Abbe Serge Eboa serves as the chancellor of the Archdiocese of Douala. He received his doctorate in Biblical theology from the Pontifical University of the Holy Cross in Rome, then spent six months in Chicago. Like his boss, Archbishop Samuel Kleda, he is unusually tall.(Photo: Victor Gaetan )
Abbe Serge Eboa serves as the chancellor of the Archdiocese of Douala. He received his doctorate in Biblical theology from the Pontifical University of the Holy Cross in Rome, then spent six months in Chicago. Like his boss, Archbishop Samuel Kleda, he is unusually tall.(Photo: Victor Gaetan )

しかし、彼は警鐘を鳴らす。「伝統宗教は少しずつ姿を消しています。一方、西欧からは“脱キリスト教化”の波がやって来ています。」

米国などから来た知識人の中には、「キリスト教が先住の信仰を奪った」として排除を主張する者もいるという。「だが、それは誤った考えです。イエス・キリストは私たちの人生に不可欠な存在です。もし教会が失われれば、世界は永遠の闇に沈むでしょう。」とエボア神父は断言した。

Over 100 people worshipped at a Wednesday, 12:30 pm Mass in Douala, Cameroon at the Cathedral of Saints Peter and Paul, built in 1936 by French members of the Congregation of the Holy Spirit—Spiritan fathers—on the site of the city’s first Catholic church. Over 38 percent of the country’s 30 million people are Catholic, the largest religious groups. Douala is Cameroon’s largest city and its economic hub, with Central Africa’s busiest port on the Atlantic Ocean.(Photo: Victor Gaetan )
Over 100 people worshipped at a Wednesday, 12:30 pm Mass in Douala, Cameroon at the Cathedral of Saints Peter and Paul, built in 1936 by French members of the Congregation of the Holy Spirit—Spiritan fathers—on the site of the city’s first Catholic church. Over 38 percent of the country’s 30 million people are Catholic, the largest religious groups. Douala is Cameroon’s largest city and its economic hub, with Central Africa’s busiest port on the Atlantic Ocean.(Photo: Victor Gaetan )
選挙を前に

10月7日、ビヤ大統領は選挙運動の初の公開集会を北部で行った。同地域は有権者の2割が住み、イスラム教徒が多数を占める。現在支持を伸ばしている主要2候補も、この地域出身のムスリムで、いずれも元政府閣僚だ。

クレダ大司教はこう語る。
「教会としての願いは、不正のない、透明な選挙が行われることです。私たちの祈りは平和のためにあります。」

そして静かに付け加えた。
「私たちは、もっと良い未来を願っています――本当に、もっと良い未来を。」(原文へ

Victor Gaetan
Victor Gaetan

ビクトル・ガエタンは、国際問題を専門とするナショナル・カトリック・レジスターの上級特派員であり、バチカン通信、フォーリン・アフェアーズ誌、アメリカン・スペクテーター誌、ワシントン・エグザミナー誌にも執筆している。北米カトリック・プレス協会は、過去5年間で彼の記事に個人優秀賞を含む4つの最優秀賞を授与している。ガエタン氏はパリのソルボンヌ大学でオスマントルコ帝国とビザンチン帝国研究の学士号を取得し、フレッチャー・スクール・オブ・ロー・アンド・ディプロマシーで修士号を取得、タフツ大学で文学におけるイデオロギーの博士号を取得している。彼の著書『神の外交官:教皇フランシスコ、バチカン外交、そしてアメリカのハルマゲドン』は2021年7月にロウマン&リトルフィールド社から出版された。2024年4月、本記事の研究のためガエタン氏が初来日した際にINPS Japanの浅霧理事長が東京、長崎、京都に同行。INPS Japanではナショナル・カトリック・レジスター紙の許可を得て日本語版の配信を担当した(With permission from the National Catholic Register)」。英文の原文はSDGs for Allに掲載。

*ナショナル・カトリック・レジスター紙は、米国で最も歴史があるカトリック系週刊誌(1927年創立)

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【東京INPS Japan=浅霧勝浩】

Toda Peace Memorial Hall. Credit: Wikimedia Commons.

東京・戸田記念国際平和会館の上映室が静まり返る中、カザフスタンの映画監督で人権擁護活動家のエイゲリム・シチェノヴァ氏が黒いTシャツと緑のスカート姿で壇上に立ち、31分のドキュメンタリー作品『ジャラ ― 放射能の下の家父長制:カザフスタンの女性たち』を紹介した。この上映会は、「カザフ核フロントライン連合(ASQAQQNFC)」、創価学会平和委員会、ピースポートが共催、核兵器をなくす日本キャンペーンが後援して開催された。

この会館自体が、日本の平和運動の象徴的な存在である。ここは仏教団体・創価学会の戸田城聖第2代会長の名を冠している。1957年、戸田会長は5万人の青年の前で「原水爆禁止宣言」を発表し、以後、創価学会の平和軍縮運動の道徳的支柱となった。|ENGLISH|ARABIC|HINDI|

女性たちの声を取り戻すために
Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri
Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri

「この映画は、長く沈黙を強いられてきた女性たちの声を可視化するために作りました。彼女たちは被害者ではなく、語り手であり、変革者です。」とシチェノヴァ氏は、外交官、記者、学生、平和活動家らが集う会場で語った。

『ジャラ(カザフ語で傷という意味)』というタイトルの通り、この映画は、ソ連時代の1949年から1989年の間に456回の核実験が行われたセミパラチンスク(現セメイ)の女性たちの物語を描く。

従来の作品が核実験の肉体的被害を映し出してきたのに対し、映画『ジャラ』は、見えない世代間の傷―烙印、心の痛み、そして母になることへの恐怖―を静かに問いかけている。

「多くの映画がセメイを“地球上で最も被爆した場所”として描いてきました。私は恐怖ではなく、レジリエンス(困難を乗り越える力)を描きたかった。自分たちの声で、自分たちの物語を取り戻すために。」と彼女は言う。

沈黙を破るということ
Aigerim Seitenova Credit: Katsuhiro Asagiri

シチェノヴァ氏にとって、この問題は屈辱的な経験から始まった。

カザフスタン最大の都市アルマトイの大学に入学した際、自己紹介で「セメイ出身」と言うと、同級生に「尻尾があるのか」とからかわれたという。

「その瞬間が今でも忘れられません。核兵器の被害は肉体的なものにとどまらず、偏見や沈黙という形でも今も生き続けているのだと痛感しました。」

この体験が、沈黙を破る映画を制作する原動力となった。

家父長制と核権力構造

映画『ジャラ』に登場する女性たちは、無力な被害者ではなく、地域社会で、差別や沈黙の文化に立ち向かう主体的な存在として描かれている。

「軍事化した社会では、核兵器は他を支配する力の象徴とされます。一方、平和や協調は“弱さ”、つまり“女性的”と見なされます。そうした思考こそ、私たちが変えていかなければならないのです。」とシチェノヴァ氏は語る。

彼女のフェミニズム的視点は、核兵器と家父長制の共通構造―支配と他者への力の行使―を結びつけて分析している。

カザフのステップから世界へ――連帯の旅路

放射線被曝の影響を受けた家系の三世代目として生まれたシチェノヴァ氏は、沈黙の中で耐え続けてきた人々の姿こそ、自らの活動の原点だという。

2018年には、カザフ政府主催の「Youth for CTBTOGEM国際青年会議」に参加。核保有国・非保有国・核依存国の若者たちとともに、専門家らと夜行列車でカザフスタンの首都アスタナからクルチャトフへ向かい、旧核実験場を視察した。(左のドキュメンタリー参照)

「初めて、(悲劇や試練を含む)自分たち民族の歴史を形作ってきた不毛の大地を目の当たりにしました。」と振り返る。

数年後、映画『ジャラ』の撮影で再びセミパラチンスク旧核実験場の爆心地に立ったとき、それは彼女にとって、沈黙を抱えた記憶への静かな抵抗でもあった。

Aigerim Seitenova captured in a scene from “Jara”. Photo credit: Aigerim Seitenova

彼女は、トグジャン・カッセノワの『Atomic Steppe』や、レイ・アチソンの『Banning the Bomb, Smashing the Patriarchy』を、核政策とジェンダー不平等の関係を言語化する上での重要な書として挙げている。

共有された苦しみ、共有される希望
Photo: Mr. Hiroshi Nose, director of Nagasaki Atomic Bomb Museum explaining the impact of Atom Bomb. Credit: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.

2024年10月、シチェノヴァ氏は長崎で開催された第24回「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)」世界大会に参加し、広島・長崎の被爆者たちと出会った。

「日本とカザフスタンは、核被害という共通の経験を持っています。けれども、その痛みを対話へ、そして平和へとつなげることができるのです。」と彼女は語る。

東京の上映会でも、外交官やジャーナリスト、平和活動家が、核の正義、ジェンダー平等、若者の役割について意見を交わした。

痛みを力に変える
Seitenova(Center) was among a youth representative from communities affected by nuclear testings sharing her experiences at the Nuclear Survivors Forum held at UN Church Center, New York. Credit: ICAN / Haruka Sakaguchi

シチェノヴァ氏は、自らが設立した「カザフ核フロントライン連合(ASQAQQNFC)」を通じて、核被害地域のコミュニティと核兵器禁止条約(TPNW)の実施に携わる政策担当者を結ぶ活動を続けている。

「核の正義を求める闘いは、過去のものではなく、未来のための闘いです。もう誰も、核兵器の犠牲を背負って生きることがないように。」と語った。

戸田創価学会第二代会長の名を冠した会館に響いた拍手は、かつて核を断罪した同会長の言葉と、(放射性降下物を帯びた)風に傷ついたセメイの大地を結ぶ共鳴となった―そこから、女性たちの声が静かに立ち上がり始めている。

Credit: SGI

This article is brought to you by INPS Japan in collaboration with Soka Gakkai International, in consultative status with the UN’s Economic and Social Council (ECOSOC).

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