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膨らむ貿易額が覆い隠す、グローバル・サプライチェーン寸断の真の代償

【国連IPS=マクシミリアン・マラウィスタ】

世界の財貿易額は2026年上半期に約13兆7000億ドルに達し、前年同期比12.5%増加した。サービス貿易も10.5%伸び、両者を合わせた世界貿易額は2兆ドル増えた。これらの数字は貿易の拡大が続いていることを示すようにみえるが、増加の多くは取引量の伸びではなく価格上昇によるものである。|英語版

国連貿易開発会議(UNCTAD)の国際貿易・一次産品部によると、ホルムズ海峡における海上輸送の混乱がエネルギー供給を圧迫し、燃料費を高騰させ、海上物流を混乱させるとともに、幅広い産業で生産コストを押し上げている。貿易財の価格は2026年第1四半期に前年同期比3.6%上昇し、第2四半期には5.1%へと加速した。財貿易そのものは拡大を続けているものの、データとモデルに基づいて世界貿易の短期的な動向を予測するUNCTADの「ナウキャスト」は、第3四半期の世界貿易額が前年同期比4.2%増になると見込んでいる。これは、貿易額の伸びの相当部分を価格上昇が占める状況が続いていることを示している。

こうしたインフレを引き起こしているのが、約160日間に及ぶホルムズ海峡の混乱である。同海峡では、世界の海上石油貿易の25%、液化天然ガス(LNG)貿易の20%、海上輸送される肥料貿易のおよそ3分の1、さらに重要な石油化学製品のサプライチェーンが、海上貿易の流れからほぼ完全に遮断されている。「ホルムズ海峡トラッカー」によると、8月7日に同海峡を通過した船舶は約7隻で、危機前の通常時と比べて11.7%にすぎなかった。1日当たりの輸送量も、危機前の1030万に対し120万にとどまっている。

国際貨物運賃情報を提供するFreightosによると、中国・東アジア発―北米東岸向け航路における40フィートコンテナ換算単位(FEU)1個当たりの運賃は、5月の約4300ドルから7月には約9100ドルへと上昇した。同様に、中国・東アジア発―北米西岸向け航路でも、5月の2828ドルから7月には7550ドルへと跳ね上がった。

FEU運賃のこうした激しい変動は、燃料費高騰の影響を映し出している。前述のいずれの航路もホルムズ海峡付近を通らず、同海峡から数千マイルも離れている。それでも、海峡の混乱による影響は世界の海運網全体へと波及する。物流はあらゆる産業を支える基盤である。複数の航路でFEU1個当たりの輸送費が2倍を超える水準に上昇すれば、追加費用を賄うため、コンテナに積まれた商品の価格も引き上げざるを得ない。

その影響がとりわけ鮮明に表れているのが東アジアである。東アジアは世界の製造業の一大拠点であり、半導体と人工知能(AI)のグローバル・サプライチェーンの中核を担っている。この地域では、AIインフラ、デジタル技術、電動モビリティーへの需要が引き続き急速に拡大している。UNCTADによると、2026年第1四半期の重要鉱物の貿易額は前年同期比38%増加した。半導体は25%、蓄電池は15%、情報通信技術(ICT)製品は14%、電気自動車は11%それぞれ増加した。

しかし、ホルムズ海峡から地理的に離れているにもかかわらず、台湾や韓国の半導体製造施設は、安定した世界の海運網、適正な価格のエネルギー、石油化学原料に大きく依存している。燃料価格の高騰によって供給業者とメーカー間の部品輸送費が上昇し、電力、天然ガス、石油化学製品の値上がりによって生産コストも増大する。このため、取引数量の伸びがはるかに鈍くても、こうしたハイテク製品の輸出額は膨らみ続ける。

ホルムズ海峡の混乱は、世界の海上輸送システムがいかに密接につながっているかを示している。この戦略的な海上交通の要衝で通航が滞れば、石油とLNGの価格が上昇し、輸送費や産業用エネルギーコストが増大する。それが製造コストを押し上げ、最終的には国際的に取引される商品の価格上昇につながる。

その結果、東アジアのメーカー、北米の輸入業者、そして世界各地の消費者が、数千マイル離れた場所で起きた混乱の影響を受けることになる。相互依存を深めるサプライチェーンの各段階でこうした費用が積み重なるにつれ、実際の貿易量や実質的な経済生産の伸びがはるかに鈍くても、世界貿易の名目額は増加する。貿易額の増大が、必ずしも経済の力強さを意味するわけではないのである。

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

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「次が起きるか」ではなく、「次はいつ起きるのか」

この災害がいつ起きるのかを予測できた人はいなかった。しかし、いつか必ず起きることは、誰もが分かっていた。

ヒマラヤの津波

【カトマンズINPS Japan/Nepali Times=論説部】

5歳のキルティ・タマンちゃんは26日の朝、ベトラワティの教室にいた。その時、轟音とともに洪水が押し寄せてきた。キルティちゃんは同級生2人とともに、必死で高台へと駆け上がった。|英語版

夜になって、叔父が森の中で彼女を発見した。

キルティちゃんは、母親と姉が荒れ狂うトリスリ川の濁流にのみ込まれていくのを目の当たりにした。父親は出稼ぎ労働者としてマレーシアにいる。発見されて以来、彼女は一言も口をきいていない。

27日午後、本紙が印刷に回る時点で、ネパール中部を襲った大洪水の想像を絶する被害の全貌が、次第に明らかになりつつある。職員全員を失った銀行支店、生存者が一人もいない警察署、ジャナイ・プルニマ祭の巡礼者を満載したまま流されたバス。そして、行方不明になった家族を探してほしいと、インドから本紙編集部に相次ぐ電話――。こうした知らせが届くたびに、私たちは、この災害が奪った人命のあまりにも大きな代償を突きつけられている。

ネパールがこれほど大規模な災害に見舞われたのは、2015年の大地震以来である。インフラや財産への経済的被害という点では、今回の災害はネパール史上最悪となった。リモートセンシングによって、ネパール領内のランタン山北壁で雪崩が発生した地点を特定することができた。雪崩は、ネパールへ流れ込むトリスリ川の支流レンデ・コーラをせき止め、その天然ダムが水曜日の午前9時直前に決壊したことが分かっている。

国境のティムレでは土石流の高さが約80メートルにも達した。濁流は下流へ猛烈な勢いで押し寄せ、進路上にあるものをすべてのみ込んでいった。何一つ容赦しなかった。この災害がまさにこの時に起きると予測できた人はいない。しかし、いつか起きることは、誰にでも予想できたはずだ。

本紙はこれまで繰り返し、極端な気象現象が引き起こす洪水、氷河湖決壊洪水(GLOF)、そして国境を越えて被害を及ぼす気候災害に備える必要性を、政策決定者に訴えてきた。

2017年のバルン・コーラ洪水の後にも、2021年のメラムチ災害の後にも、そしてインド・シッキム州で10億ドル規模のダムを押し流したティースタ川洪水の後にも、私たちは同じことを訴えた。本紙のこの社説欄でも、アルン川、マルシャンディ川、トリスリ川に建設されたネパールの水力発電所が、こうした災害から何を学ぶべきかを書いてきた。

そして昨年7月8日のボテ・コシ洪水も、また一つの警鐘だった。

必要なのは「議論」ではなく「行動」だ

写真:スマン・ネパリ
写真:スマン・ネパリ

「この問題を引き起こしたのは私たちではない」「過去の炭素排出に対して補償を受けるべきだ」と主張するのは、国連気候サミットの演説では意味があるだろう。

しかし、「損失と損害(Loss and Damage)」のための資金が、私たちを救うほど入ってくるわけではない。私たちは、自分たち自身でこの危機に立ち向かわなければならない。自ら生き残るための戦略をつくらなければならないのである。

今回の災害は「自然災害」ではなかった。そこに自然なものなど何一つない。

化石燃料の燃焼による温室効果ガスの蓄積によって氷河が融解していることも、ヒマラヤを越えて流れる河川沿いに高額な水力発電所を建設したことも、河川に沿って幹線道路を造ったことも、その道路沿いに集落が拡大したことも、汚職や強欲も、そして統治の不備も――いずれも「自然」ではない。

私たちの祖先は、ヒマラヤから流れ下る川のすぐそばに住んではならないことを知っていた。

かつてネパールの町や村は、高い尾根沿いに築かれていた。氾濫原は食料を育てたり、水車を動かしたりするためだけに使われていた。橋は恒久的なものではなく、モンスーンの洪水で流されたら再建することを前提として造られていた。

しかし、経済的困窮、農村からの人口流出、そして道路へのアクセスを求める動きによって、人々は危険を十分承知しながらも川岸に住むようになった。

河岸沿いの居住地域についてハザードマップを作成し、地方自治体がそれに基づいて土地利用を厳格に規制していれば、今週、多くの命を救うことができたはずだ。

世界で最も若く、最も地震活動の活発な山岳地帯から流れ下る川のすぐ脇に住宅が建てられている限り、早期警戒システムだけでは人命を守ることはできない。

しかも、そのヒマラヤ山脈はいま、気候危機の影響をまともに受けている。

私たちは災害のたびに、耳にたこができるほど同じことを繰り返してきた。「すべての卵を一つのかごに入れてはならない」と。

莫大な借款を抱えて、ヒマラヤを越えて流れる河川に高額な水力発電所を連続して建設するのではなく、ネパールは全国各地により小規模な発電所を分散して整備し、リスクそのものを分散させるべきなのである。

水曜日の朝、たった一度の災害で、ネパールは12か所の水力発電所から合計440メガワットの発電能力を失った。

これは国内総発電能力の10%に当たる。河川沿いに設置されていた送電線や変電所も破壊された。

いつか必ず起きると分かっている災害への備えに関心が向かない背景には、一種の宿命論的な文化があるのかもしれない。

しかし、それは言い訳にはならない。

過去の政権がこの問題を軽視してきたとしても、テクノクラートや博士号取得者を擁するネパールの新政権は、地震と気候変動が複合してもたらす災害リスクに対処するための措置を講じなければならない。

ウィンストン・チャーチルはかつて、こう語ったとされる。「良い危機を決して無駄にしてはならない。」

今回の災害もまた、バレンドラ・シャハ首相とその政府にとって、捜索・救助、復旧・復興、そして将来の災害への備えにおいて、これまでとは異なる先を見据えた姿勢を示す機会となり得る。

災害が起きて初めて「備えなければならない」と思い出すようではいけない。その時には、すでに多くの人にとって手遅れだからだ。今週、まさにそれが悲劇として現実になった。

私たちはまたしても、過去の教訓を生かすことができなかった。

いまは国を挙げて喪に服すべき時である。同時に、2015年の大地震の際に示したのと同じ思いやりと助け合いの精神をもって、ネパールの人々が再び心を一つにする時でもある。

Original URL: https://nepalitimes.com/not-if-but-when-next

INPS Japan

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セミパラチンスク閉鎖から35年―カザフスタンの「核なき選択」が今も世界に問いかけるもの

【東京/アスタナINPS Japan=浅霧勝浩】

中央アジアのカザフスタン北東部には、いまなお冷戦の傷痕が残っている。

Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri
Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri

セミパラチンスク核実験場では、1949年から1989年までの間に、ソ連が456回の核実験を実施した。周辺住民は放射線にさらされ、その健康と環境への影響は世代を超えて続いている。|英語版中国語インドネシア語

1991年8月29日、カザフスタンはこの核実験場を閉鎖した。それから35年を迎える今、この決断は改めて大きな意味を持っている。核兵器は再び各国の安全保障戦略の中で存在感を強めている。米国、ロシア、中国をはじめとする核保有国は核戦力の近代化を進めている。2026年2月には、米ロの戦略核戦力を制限する最後の条約だった新戦略兵器削減条約(新START)が失効した。5月には、第11回核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議が最終文書に合意できないまま閉幕した。

こうした時代に、カザフスタンの経験は根源的な問いを投げかけている。国家の安全は、最終的に核兵器を保有することに依存しなければならないのだろうか。

市民の力が核実験場を閉鎖へと導いた

1989年、詩人オルジャス・スレイメノフ氏は「ネバダ・セミパラチンスク」反核運動の立ち上げに尽力した。運動は核実験が人間にもたらす代償に光を当て、大規模な反核世論を生み出した。

ソ連崩壊後、カザフスタンの領土には大陸間弾道ミサイルと核弾頭が残された。当時、世界第4位の規模とされた核戦力である。しかし、新たに独立したカザフスタンは核保有国となる道を選ばなかった。核弾頭をロシアへ移送し、関連する核兵器インフラを廃棄し、非核兵器国としてNPTに加盟した。

Kazakh civil movement activists gathered to demand a nuclear test ban at the Semipalatinsk test site in August 1989. Photo credits: armscontrol.org.

https://astanatimes.com/2021/03/nevada-semipalatinsk-international-anti-nuclear-movement-commemorates-32-years-since-inception/
Kazakh civil movement activists gathered to demand a nuclear test ban at the Semipalatinsk test site in August 1989. Photo credits: armscontrol.org.

核被害国から軍縮外交の担い手へ

Official portrait of Kassym-Jomart Tokayev © President of the Republic of Kazakhstan
Official portrait of Kassym-Jomart Tokayev © President of the Republic of Kazakhstan

その後、カザフスタンはセミパラチンスクの経験を、より広範な核軍縮の取り組みへとつなげてきた。

カシムジョマルト・トカエフ大統領は、その歴史的な経験について厳しい言葉で語っている。

「核爆発はカザフスタンの国土に深刻な被害をもたらした。このような悲劇を二度と繰り返してはならない。わが国は核安全保障の原則を断固として守っていく。」と述べている。

カザフスタンは包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准し、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンとともに中央アジア非核兵器地帯の創設を推進した。

また2009年には、カザフスタンの提案を受け、国連総会が8月29日を「核実験に反対する国際デー」に制定した。

同国には世界各地の核爆発を探知する国際監視システムの施設が置かれているほか、オスケメンでは国際原子力機関(IAEA)が低濃縮ウラン(LEU)バンクを運営している。

LEU Bank Storage Facility/ Katsuhiro Asagiri
LEU Bank Storage Facility/ Katsuhiro Asagiri

核弾頭の「数」の向こうにあるもの

カザフスタンの核軍縮外交は、軍備管理交渉でしばしば脇に置かれがちな問題にも焦点を当ててきた。核兵器が人間に何をもたらすのか、という問題である。

セミパラチンスク周辺では、核実験の終了から数十年が経った今も、健康や環境への影響に対する懸念が続いている。

こうした経験は、核兵器禁止条約(TPNW)におけるカザフスタンの取り組みにも反映されている。同国は核兵器の禁止だけでなく、被害者支援や汚染された環境の修復を重視してきた。

同じく核実験によって深刻な被害を受けたキリバスとともに、カザフスタンはこれらの取り組みを支える国際的な資金制度の創設を推進している。

その基本にあるのは、将来の核兵器使用を防ぐだけでは十分ではなく、過去にもたらされた被害に対しても国際社会は責任を負うべきだ、という考え方である。

セミパラチンスク、広島、長崎、マーシャル諸島、キリバス。地理的にも歴史的にも異なるこれらの地域は、核時代が人間にもたらした被害によって結ばれている。

カザフスタンと市民社会の役割

Photo credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of IDN-INPS.
Photo credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of INPS Japan.

市民社会は、カザフスタンの核をめぐる歴史に当初から深く関わってきた。「ネバダ・セミパラチンスク」運動は、市民の声が核政策を動かし得ることを示した。

独立後もカザフスタンは、市民社会組織、人道支援機関、研究者、核実験被害者、若者、宗教団体などと協力し、核兵器が人間にもたらす影響を国際的な議論の中心に据える努力を続けてきた。

そうした組織の一つが創価学会インタナショナル(SGI)である。SGIは長年、核兵器廃絶を安全保障の問題だけではなく、人類の生存と尊厳に関わる問題として訴えてきた。

2022年にウィーンで開催された第1回TPNW締約国会議では、カザフスタンとキリバスが、核時代平和財団、SGIとともに、被害者支援と環境修復をテーマとする関連行事を開催した。

Mr. Hirotsugu Terasaki, Director General of Peace and Global Issues of SGI Photo Credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of INPS Japan.
Mr. Hirotsugu Terasaki, Chief Executive Director of SGI Peace Center Photo Credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of INPS Japan.

2023年には、在ウィーン国際機関カザフスタン共和国政府代表部、SGI、国際安全保障政策センター(CISP)が、セミパラチンスク核実験の影響をテーマとする行事をウィーンで開催した。同年、アスタナでは、カザフスタン外務省とCISPが、SGI、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)赤十字国際委員会(ICRC)などとともに、「核実験に反対する国際デー」を記念する会議を開催した。

こうした協力について、SGI平和センターの寺崎広嗣センター長は、カザフスタンと日本には共通するものがあると指摘している。

「カザフスタンの多くの人々も、核軍縮を求める同じ強い願いを共有しています。なぜなら、核被爆の実相を知っているからです。」と寺崎氏は、INPS Japanの取材に対して語り、広島・長崎の原爆投下を経験した日本の人々の思いとの共通性を指摘した。

市民運動がセミパラチンスク核実験場の閉鎖を後押ししたカザフスタンにとって、市民社会との連携は核軍縮外交の周辺的な要素ではない。その土台の一部なのである。

A Group photo of participants of the regional conference on the humanitarian consequences of nuclear weapons and nuclear-free-zone in Central Asia held on August 29, 2023. Photo Credit: Jibek Joly TV Channel.
A Group photo of participants of the regional conference on the humanitarian consequences of nuclear weapons and nuclear-free-zone in Central Asia held on August 29, 2023. Photo Credit: Jibek Joly TV Channel.

日本とカザフスタンを結ぶ核被害の経験

Kazakhstan-Japan
Kazakhstan-Japan

カザフスタンと日本の関係も、核被害という共通の歴史によって結ばれている。

広島と長崎は戦争における核兵器使用を経験し、セミパラチンスクは核実験による影響を経験した。

日本は被害を受けた地域との医学・研究協力を支援し、カザフスタンとともにCTBT発効促進にも取り組んできた。

2025年12月の訪日の際、トカエフ大統領は東京の国連大学で「核のリスクが再び高まっている」と警告した。広島、長崎、セミパラチンスクに言及しながら、核軍縮を前進させ、核の危険を減らすための具体的な行動を呼びかけた。

逆方向へ進む世界

トカエフ大統領の警告は、いま一層の切迫感を帯びている。

世界にはなお1万発を超える核弾頭が存在し、主要な核保有国は核戦力の近代化を続けている。新STARTの失効により、米国とロシアの戦略核戦力を包括的かつ法的拘束力をもって制限する枠組みは存在しなくなった。

5月のNPT再検討会議は最終文書を採択できず、実質的な合意に至らない結果はこれで3回連続となった。署名開放から30年を迎えた包括的核実験禁止条約(CTBT)も、いまだ発効していない。

核軍拡を抑制するための制度が弱体化する一方で、核兵器には再び戦略的重要性が与えられつつある。

記憶するだけでは足りない

Dauren Abenuly Aben  Credit: KazISS
Dauren Abenuly Aben  Credit: KazISS

カザフスタン戦略研究所のダウレン・アベン氏は、35周年を前にThe Astana Timesへの寄稿で、セミパラチンスクの教訓を簡潔に表現した。それは、単に記憶することではなく、「記憶し、行動する」ことだという。

核政策は通常、「抑止」「戦略的安定」「勢力均衡」といった言葉で語られる。

しかし、セミパラチンスクは別の尺度を突きつける。放射線にさらされた地域社会、汚染された土地、そして自らは核実験を経験していなくても、その影響を背負って生きる世代である。

1991年、カザフスタンは、自国領土に残された核戦力を国家の力の象徴として維持する道を選ぶこともできた。しかし、別の道を選択した。

その決断によって核兵器が世界からなくなったわけでも、核軍縮が不可逆的に進むことが保証されたわけでもない。

それでも一つの事実は残る。核保有国となる可能性を持っていた国が、その道を選ばなかったという事実である。

A view of the Headquarters of the United Nations in New York as seen from the north of the UN site. Photo credit: UN
A view of the Headquarters of the United Nations in New York as seen from the north of the UN site. Photo credit: UN

11月30日から12月4日まで、ニューヨークの国連本部でTPNW第1回再検討会議が開かれる。核保有国の大半はいまも同条約の外にいる。

それでも、この条約が投げかける問いは、カザフスタンの経験が問いかけてきたものと重なっている。

核兵器を保有することは、本当に国家をより安全にするのか。

それとも、真の安全保障とは、核兵器そのものが存在しない世界を築くことなのか。

かつてのセミパラチンスク核実験場には、いまも爆発の痕跡が残っている。それは、人類がすでに核兵器によって何をしてきたのかを物語る記憶である。

しかし35年前、カザフスタンはこの場所に、もう一つの意味を与えた。

核兵器という仕組みから離れ、別の道を選ぶことができるという証しである。

いま問われているのは、世界の他の国々にも、同じ選択をする政治的意思が残されているかどうかである。

UN Photo
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This article is brought to you by INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

Toward a Nuclear Free World
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35年後も響くセミパラチンスクの教訓―カザフスタンとCTBTO、核実験禁止へ国際社会に行動呼びかけ

【東京/アスタナ/ウィーンINPS Japan=浅霧勝浩】

カザフスタンが旧ソ連のセミパラチンスク核実験場を閉鎖してから35年。世界で核兵器の役割が再び拡大し、核軍縮・不拡散体制が厳しい試練に直面するなか、カザフスタンと包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)は8月29日、核実験の恒久的な禁止に向け、包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効を国際社会に強く呼びかけた。|英語版ドイツ語

Yermek Kosherbayev, Minister of Foreign Affairs of the Republic of Kazakhstan (Left) and Dr. Robert Floyd, Executive Secretary of the Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty Organization (Right).

カザフスタンのイェルメク・コシェルバエフ外相とCTBTOのロバート・フロイド事務局長は、「核実験に反対する国際デー」に合わせて共同声明を発表。「核実験のない世界」の実現への決意を改めて表明するとともに、CTBTを発効させるための取り組みを強化すると宣言した。

声明は、2026年が核軍縮と核不拡散にとって複数の歴史的節目が重なる年であることを強調している。

その中心にあるのが、セミパラチンスク核実験場閉鎖35周年である。

450回を超える核実験の記憶

現在のカザフスタン北東部に位置するセミパラチンスク核実験場では、旧ソ連が40年以上にわたり450回を超える核実験を実施した。

The first USSR nuclear test "Joe 1" at Semipalatinsk, Kazakhstan, 29 August 1949. Credit: CTBTO
The first USSR nuclear test “Joe 1” at Semipalatinsk, Kazakhstan, 29 August 1949. Credit: CTBTO

広大な草原には今も実験施設の遺構が残り、核実験が人間と環境にもたらした被害の記憶を伝えている。

共同声明は、この場所を核実験による「危険な結果、人間のトラウマ、環境破壊」を示す厳しい実例と位置づけた。

カザフスタンはソ連崩壊直前の1991年8月29日、セミパラチンスク核実験場を閉鎖した。

声明によれば、この決断は単に一つの核実験場を閉じるだけにとどまらず、国際社会に「強力な政治的メッセージ」を送り、その後のCTBT採択につながる世界的な動きを後押しする重要な役割を果たした。

その8年後の2009年12月、国連総会はカザフスタンの提唱を受け、8月29日を「核実験に反対する国際デー」と定めた。

CTBT採択から30年

今年は、CTBTそのものにとっても大きな節目である。

CTBTは1996年9月10日に国連総会で採択され、同月24日に署名開放された。初日には71カ国が署名した。

共同声明によると、現在までに188カ国が署名し、179カ国が批准している。声明は、最近署名・批准したトンガ王国を歓迎し、一つ一つの新たな参加が核実験を許容しないという国際規範をさらに強化すると指摘した。

しかし、採択から30年を迎えても、CTBTはいまだ発効していない。

条約の発効には、条約附属書2(Annex 2)に指定された特定国すべての批准が必要だからだ。

コシェルバエフ外相とフロイド事務局長は、未署名・未批准国に速やかな参加を求め、とりわけ発効の鍵を握る残る附属書2諸国に対し、「核不拡散と軍縮へのコミットメントを示す」よう訴えた。

同時に、すべての国に既存の核実験モラトリアムを維持し、改めて確認するよう求めた。

中央アジアの「核兵器を持たない」という選択

2026年にはもう一つ、カザフスタンに深く関わる重要な周年がある。

2006年9月8日に署名された「セミパラチンスク条約」から20年を迎える。

Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri
Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri

同条約によって中央アジア非核兵器地帯が創設された。共同声明はこれを「歴史的成果」と評価し、中央アジア地域が核不拡散と核軍縮に寄せる決意の証しだと強調した。

セミパラチンスクには、核兵器時代の二つの対照的な歴史が刻まれている。

一つは、数百回に及ぶ核実験とその被害の歴史。そしてもう一つは、その実験場を閉鎖し、核兵器に依存しない安全保障を模索してきた歴史である。

世界308施設が核実験を監視

共同声明は、核実験を探知するCTBT検証体制の整備についても成果を強調した。

現在、世界では293カ所の監視施設と15カ所の放射性核種実験施設、計308施設が認証され、国際監視制度(IMS)のネットワークは90%以上が完成しているという。

IMSは、地震波、放射性核種、水中音波、微気圧振動などを利用し、地球規模で核爆発の兆候を監視する仕組みだ。

声明はこれを、平和と安全保障に貢献するだけでなく、民生・科学分野にも恩恵をもたらす「独自の世界的資産」と評価した。

カザフスタン自身も、国立核センター(NNC)が5カ所のIMS観測施設を運用し、検証体制を支えている。

また、CTBTOの現地査察(OSI)の発展にもカザフスタンは重要な役割を果たしてきた。1999年、2002年、2005年、2008年には、セミパラチンスク核実験場を含むカザフスタン国内で4回の現地査察フィールド実験が実施された。

とりわけ1999年の実験はCTBTO史上初であり、2008年の演習は当時最大規模となった。

次の大規模統合現地査察演習「IFE26」は今年10月、ナミビアで開催される予定で、アフリカでは初めてとなる。

IMS/ CTBTO
IMS/ CTBTO
「これまでの成果を守り、再び前進を」

共同声明は、CTBTを核不拡散条約(NPT)と並ぶ世界の核軍縮・不拡散体制の「重要な柱」と位置づけた。

そして8月31日にニューヨークの国連本部で開催予定の「核実験に反対する国際デー」を記念する国連総会ハイレベル本会合への各国の参加を呼びかけた。

外交官だけでなく、研究者、メディア、非政府組織(NGO)などにも、核実験がもたらす壊滅的な危険について社会の認識を高めるよう求めている。

声明の結びには、CTBT採択から30年を迎えた国際社会が置かれている状況への強い危機感がにじむ。

この30周年を、これまで達成してきたことを振り返るだけの記念日ではなく、「行動への呼びかけ」としなければならない、と両氏は訴えた。

「苦闘の末に勝ち取った成果を守ること。核兵器のない世界に向けた勢いを再び生み出すこと。包括的核実験禁止条約を発効させ、核実験に恒久的かつ法的拘束力のある終止符を打つこと。」

35年前、セミパラチンスクで下された核実験場閉鎖という決断は、核実験を止めることは政治的意思によって可能だという前例を世界に示した。

CTBTが署名開放から30年を経てもなお発効していない今、そのセミパラチンスクの教訓は、過去の歴史ではなく、国際社会が現在直面している選択として改めて問いかけられている。

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衛星画像が示す「ランタン北壁の氷河崩壊」はネパール国内で発生

【カトマンズINPS Japan/Nepali Times=クンダ・ディクシット】

首都カトマンズの真北約45キロに位置し、標高7245メートルを誇る雄大なランタン・リルン峰には、悲劇の歴史がある。

Kunda Dixit.
Kunda Dixit.

2015年4月、ネパール中部を襲ったマグニチュード7.8の大地震によって、同峰南壁で巨大な雪崩が発生した。雪崩は眼下の氷河へ崩れ落ち、ランタン村を埋め尽くした。少なくとも300人が死亡した。

そして8月26日、ネパール時間午前8時37分ちょうどに、中国との国境付近でマグニチュード4.4の地震が発生した。今回は、それとほぼ同時にランタン峰北壁で巨大な雪崩が起きた。

ランタン・リルン峰は全体がネパール領内にある。雪崩による大量の土砂と氷は、中国との国境をなすレンデ・コラ川をせき止めた。同川はモンスーンの雨で増水していた。

せき止められてできた湖は間もなく決壊し、泥と巨石が壁のようになってトリスリ川を猛スピードで流れ下り、ネパール国内を襲った。

少なくとも、プラネット・ラボの衛星画像を確認した専門家たちは、そのように分析している。

ただし科学者の間では、地震が北壁の斜面崩壊を引き起こしたのか、それとも雪崩そのものがあまりに巨大だったために地震波として観測される揺れを引き起こしたのかについて、なお見解が分かれている。

仮に地震が引き金だったとしても、崩壊した山では地球温暖化の影響によって雪と氷がすでに不安定な状態にあった。

さらに発生時期はモンスーン終盤で、山の斜面には大量の雪が積もっていた。氷河の後退によって取り残されたモレーン(氷河堆積物)は、かつて永久凍土によって固く固定されていたが、すでに大量の水を含んだ状態になっていた。

今回の災害自体はネパール国内の氷河に起因したとみられている。しかしそれでも、チベット高原を起点として国境を越える災害につながり得る、氷河湖決壊洪水(GLOF)、永久凍土の融解、モレーン崩壊という長期的な脅威が増大していることを浮き彫りにしている。

地震が引き金にならなくても、近年のヒマラヤでは、同じような複数の要因が重なって発生する「ヒマラヤの津波」ともいうべき大規模災害が相次いでいる。

2021年のチャモリ、同年のメラムチ、2023年のシッキム、2024年のタメ、2025年のボテ・コシ、そして2026年の今回の災害である。そのほぼすべてがモンスーン期に発生している。

昨年7月8日の洪水(下図参照)では18人が死亡した。ネパールと中国の貿易・観光にとって最も重要な国境検問所が押し流され、ネパール国内の幹線道路、水力発電所、送電線も破壊された。これらは最近になってようやく復旧工事が始まったばかりだった。

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科学者たちは昨年の洪水について、氷河表面に形成された複数の池が拡大して一体化し、やがて決壊したことで、大量の土砂や岩石が壁のようになって下流へ押し寄せたと分析している。

昨年は、中国側からネパールの地方当局に危険が警告されていたと報じられている。しかし今年は、事前の警告はまったくなかった。

しかも今回は、雪崩と洪水の発生地点が国境に非常に近かった。このため、土石流がラスワの国境検問所に到達するまでには、わずか数分しかなかったとみられる。

木曜日の朝までに、公式の死者数は160人を超え、その後さらに増加して数百人に達する可能性がある。

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夜の間には、200キロ下流のナワルパラシ郡を流れるナラヤニ川で、人の遺体や家畜の死骸、さまざまな瓦礫が流れていくのが目撃された。

今回の災害によって、ネパールが国際的な気候変動交渉の場で訴えてきた「損失と損害(Loss and Damage)」の問題が、改めて大きく取り上げられることになるだろう。

とりわけ脆弱な山岳国において、気候危機が経済にもたらす損失は深刻である。今回のインフラや財産への被害額は、数十億ドル規模に達するとみられる。

わずか数分のうちに、ボテ・コシ川とトリスリ川沿いにある少なくとも6か所の主要水力発電所、送電線、変電所が破壊されるか、大きな損傷を受けた。

ヌワコットにあるネパールの象徴的な25メガワット級大規模太陽光発電所も、土砂に埋没した。

建設中の他の事業も壊滅的な被害を受けた。

ボテ・コシ川とトリスリ川に架かる少なくとも12本の橋が流され、その中には被災地点から70キロ下流に位置するものもあった。北部へ向かう幹線道路も各地で寸断された。

今回の災害は、2025年9月の「Z世代(GenZ)抗議運動」によって早期選挙が実施されてから、ほぼ1年後にネパールを襲った。

その選挙では、バレンドラ・シャー首相率いるRSPが地滑り的勝利を収めた。政権発足からまだ半年もたっていないなか、政府は今、緊急の捜索・救助活動と、壊滅的な被害を受けたトリスリ渓谷の復旧・復興という大きな試練に直面している。

長期的に見れば、ネパールは今後、発生頻度がほぼ確実に増えるとみられる地震や気候変動に起因する災害に対処するため、実効性のある戦略を構築しなければならない。

クンダ・ディクシットは『Nepali Times』の元編集長で、現在は同紙発行人。著書に『Dateline Earth: Journalism As If the Planet Mattered』、ネパール紛争を扱った3部作『A People War』がある。コロンビア大学でジャーナリズム修士号を取得。メディア教育にも携わり、ネパール調査報道センター(Centre for Investigative Journalism Nepal)の理事長を務めている。

Original URL: https://nepalitimes.com/central-nepal-flood-the-day-after

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ボテ・コシ川は中国国境を越えてネパールに流れ込む。防災もまた、国境を越える必要がある

【カトマンズINPS Japan/Nepali Times=スシム・タパリヤ】

ネパールは、中国のチベット高原の下流に位置している。しかし同国の災害対策には、これまで十分に目を向けられてこなかった重大な盲点がある。

上流で起きた災害は、そのまま下流の災害となる。それにもかかわらず、ネパールの洪水対策の多くは、2本のボテ・コシ川やカルナリ川、アルン川がネパール国内に入ってから始まっている。

チベット高原はアジアの主要河川のいくつかの水源となっているが、地球温暖化に伴い、同地域の氷河、氷河湖、永久凍土、さらには地形そのものが変化しつつある。ネパールにとって、ヒマラヤ山脈の反対側で起きた出来事が、やがて洪水となって押し寄せ、人命を奪い、インフラを破壊する可能性がある。

2本のボテ・コシ川はいずれもチベットを源流とする。一方はコダリで、もう一方はラスワでネパールに入る。いずれも急流となって深い峡谷を流れ、集落、水力発電施設、そしてネパールと中国を結ぶ2本の主要な貿易ルート沿いの道路を通過する。

問題は、単にネパールが洪水に脆弱だということではない。ネパールで洪水となる災害の原因が、国外で発生する場合があるということだ。昨年も、そして今年も、同じ川でまさにそれが起きた。

こうした災害に備えるには、川と同じように国境を越えて伝わる情報、調査研究、そしてコミュニケーションが必要になる。2年連続のモンスーン期に起きたボテ・コシ川の洪水は、その脆弱性を浮き彫りにした。

2025年7月8日、ラスワを流れるボテ・コシ川を突発的な洪水が襲った。少なくとも18人が死亡し、ラスワガディの友好橋が流失したほか、水力発電施設、送電線、変電所、ネパールと中国を結ぶ道路が被害を受けた。

昨年と同様、ネパール水文気象局は今週、国境のネパール側では大雨は観測されていなかったと発表した。洪水予報部門が洪水の発生を把握したのは、水がすでにベトラワティに到達してからだった。

ネパールには、中国側の降雨量や河川水位のデータを受け取る仕組みがない。しかし昨年も今週も、洪水がいったんネパール国内に入ると、当局はトリスリ川流域の下流住民に対し、速やかに一斉SMS警報を送った。

A glacial lake outburst flood surges through a Himalayan gorge, illustrating how hazards originating on the Tibetan Plateau can rapidly threaten communities, roads, bridges and hydropower infrastructure downstream in Nepal. AI-Illustrated Image: INPS Japan
A glacial lake outburst flood surges through a Himalayan gorge, illustrating how hazards originating on the Tibetan Plateau can rapidly threaten communities, roads, bridges and hydropower infrastructure downstream in Nepal. AI-Illustrated Image: INPS Japan

だが、洪水がすでに国内に入った後に送られる警報は、本来の意味での「早期警戒システム」とは言い難い。

2025年の洪水は、ネパールと中国の国境付近にあるレンデ川源流域で発生した氷河湖決壊が原因だった。衛星画像の分析によって、チベットにある氷河表面湖が突然排水されたことが確認された。

この事実は、ネパールがボテ・コシ川のリスクをどう捉えるかを根本的に見直す契機となるべきだった。

破壊的な洪水は、ネパールの監視網が及ばない国外で発生し、ネパールの予報担当者が通常注視している降雨パターンとは無関係に起こり、下流の地域社会にほとんど対応する時間を与えないまま到達する可能性があるからだ。

国際総合山岳開発センター(ICIMOD)が2026年に発表した氷河評価によると、ヒンドゥークシュ・ヒマラヤ地域では氷河の減少が加速しており、2000年以降、氷の消失速度はおよそ2倍になった。

長期観測対象となっている38の氷河のうち、国際的な基準を満たす観測が行われているのはわずか7か所にすぎない。このため、山岳圏の雪氷環境の広い範囲が、依然として十分に観測されていない。

こうしたリスクは、単なる仮説ではない。

2025年に行われたポイク川―ボテ・コシ川流域、およびギロン川―トリスリ川流域という国境をまたぐ2つの流域の評価では、28の氷河湖が氷河湖決壊洪水(GLOF)の発生リスクが高いと判定された。

研究者らによると、最悪のケースでは洪水によって3000棟を超える建物、約50本の橋、9か所の水力発電施設、約50キロメートルの道路が危険にさらされる可能性がある。

研究チームは、これらの分析結果を、中国とネパールが共同で策定する災害リスク削減戦略に活用するよう提言した。

また2026年、チベット南西部にある別の氷河湖を調査した研究では、この湖の面積が1975年から2024年までの間に194%拡大したことが明らかになった。

シミュレーションでは、地滑りによって氷河湖決壊洪水が発生した場合、中国とネパール双方の建物が被害を受ける可能性が示された。このため研究者らは、早期警戒システムと地域レベルの災害防止体制の構築を求めている。

こうした事実を考えれば、「ネパールには十分な情報がない」という説明だけでは問題を捉えきれない。

衛星画像は存在する。氷河湖の一覧もある。水文モデルも構築されている。研究者たちは国境を越えて災害リスクを地図化し、どのインフラが被害を受ける可能性があるのかまで特定している。

むしろ不明確なのは、そうした知見が研究の世界から、人々の命を守るための制度や仕組みにどこまで確実に反映されているかという点だ。

昨年の洪水は、この制度上の問題を明確に示した。そして今週、さらに多くの犠牲者を出した洪水によって、その欠陥は一層明白になった。

国境を越えて流れる河川において、越境的な情報共有は単なる外交上の便宜ではない。それ自体が災害対策の一部でなければならない。

もっとも、ネパールが上流で起きていることをまったく把握できないわけではない。

8月13日、中国のニャラム付近で地滑りが発生し、東ボテ・コシ川の流れがせき止められた。河川水位が不吉なほど低下すると、ネパール当局は下流住民に警戒を呼びかけ、治安部隊が突然の増水に備えて川を監視した。

しかし、川がせき止められたことについて事前の警告はなかった。

プラネット・ラボから入手した衛星画像には、地滑りあるいは氷雪崩がレンデ川へ一気に流れ込み、川をせき止めたとみられる様子が写っている。

プラネット・ラボは、地滑り跡の下流に位置するレンデ川と、その川がすぐ下流でネパール国内に入る地点の画像を並べて示している。

効果的な早期警戒システムとは、単に携帯電話へメッセージを送ることではない。

Planet Labs juxtaposed images of the Lhengde River below the landslide scar and the point where it enters Nepal directly downstream.
Planet Labs juxtaposed images of the Lhengde River below the landslide scar and the point where it enters Nepal directly downstream.

世界気象機関(WMO)は早期警戒システムを、災害リスクに関する知識、監視・予測、情報伝達、そして対応への備えを一つにつなぐ連鎖として定義している。

ネパール自身の防災機関も、この違いを認識している。

国家災害リスク削減・管理庁(NDRRMA)の2024年報告書によると、ネパールは複数の災害に対応する「マルチハザード早期警戒システム」と、災害の影響予測に基づく行動計画の整備を進めている。

一方で同報告書は、政府機関、学術機関、その他の関係者の連携を強化する必要性も認めている。

2024年にボテ・コシ川/スン・コシ川およびトリスリ川流域の地域社会を対象に実施された研究では、ボテ・コシ川沿いの住民の間で氷河湖決壊洪水の危険性に対する認識が高いことが分かった。

そのうえで研究者らは、より強固な早期警戒システム、国境を越えた協力、住民への啓発、災害に強いインフラの整備を提言した。

米スティムソン・センターの評価も、リモートセンシングや地球観測技術の進歩によって、土砂を伴う洪水や極端な増水をネパールでリアルタイムに監視することは、技術的には可能だと指摘している。

いま問われているのは、これらすべてをどう結びつけるかである。

ネパールは、災害が発生した後の対応能力については実績を示してきた。

水曜日には、ネパール軍、武装警察隊、ネパール警察が直ちに動員された。軍および民間のヘリコプターが負傷者の緊急搬送に投入され、洪水がトリスリ川水系へ流れ込むのに合わせて、下流地域に警報が発令された。

しかし、救助活動は必然的に事後対応である。

ヘリコプターが飛び始める頃には、すでに橋が流され、道路が寸断され、集落が孤立している可能性がある。

防災で問われるべきなのは、「そこに至る前に何ができたのか」ということだ。

ボテ・コシ川の場合、それは中国との信頼できるデータ共有、氷河湖や不安定な地形の監視、衛星データや科学研究を政府のリスク評価に組み込むこと、そして上流で異常が確認された際に、地方当局、水力発電事業者、地域住民がどのように行動するかについて明確な手順を定めることを意味する。

さらに、災害後にどのように復旧・復興するかについても再検討する必要がある。

昨年の洪水で被害を受けたベトラワティ―ラスワガディ回廊は、今回も道路や橋が流されるなど、再び甚大な被害を受けた。

新たに明らかになった災害リスクを考慮せず、従来と同じインフラをそのまま再建するだけでは、同じ脆弱性を再びつくり出すことになりかねない。

ネパールがすべての洪水を予測することはできない。氷河の後退を止めることも、あらゆる地滑りの発生を防ぐこともできない。

しかし、上流で何らかの異変が起きた際、それをきっかけとして監視、情報共有、リスク評価、そして下流での備えが直ちに始動する仕組みを構築することはできる。

2025年の洪水は、情報が十分な速さで国境を越えられなかったときに何が起きるのかを示した。

そして8月26日の洪水は、国外で発生した災害要因が、いかに短時間でネパール全体を揺るがす国家的災害へと発展し得るかを、改めて突きつけた。

いまや問われているのは、ボテ・コシ川が洪水を起こし得ることをネパールが知っているかどうかではない。

次に上流で異変が起きたとき、行動するのに間に合うだけの早さで、その事実を知ることができるのか。

川がすでに国境を越えてから届く警報は、本当の意味での「早期警戒」とは呼べない。

それは、峡谷を押し寄せてくる巨大な土砂と濁流に備えるよう、人々に告げる最後の警告にすぎない。

Original URL: https://nepalitimes.com/the-danger-of-living-downstream-from-the-tibetan-plateau

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クルルタイ選挙で高まる政党・議会・外交への期待 専門家が指摘

【アスタナINPS Japan/The Astana Times=アセル・サトゥバルディナ

カザフスタンで初めて実施された新議会「クルルタイ」の選挙は、単に同国の議会制度の枠組みを変えただけではない―。8月24日、アスタナでカザフスタン戦略研究所(KazISS)が主催した会合に参加した専門家らはこう指摘した。専門家らは、カザフスタンが憲法改革をより持続可能な政治制度へと具体化しようとする中、高い投票率、政党の役割拡大、さらに中央アジアをめぐる地政学的競争の激化が重要な要素になっていると強調した。|英語版

中央選挙管理委員会(CEC)が8月24日に発表した暫定結果によると、アディレット党はカザフスタン初のクルルタイ選挙で71.17%の票を獲得した。

アウイル人民民主愛国党は6.26%、レスプブリカ党は5.56%、アク・ジョル民主党は5.21%、全国社会民主党は5.11%だった。

一方、カザフスタン人民党は3.11%、バイタク緑の党は1.07%にとどまり、「すべての候補に反対」は2.51%だった。

カザフスタンの選挙法では、クルルタイで議席を獲得するためには、政党が少なくとも5%の得票率を確保する必要がある。暫定結果では、5政党がこの基準を突破した。

Zhandos Shaimardanov. Photo credit: KazISS

KazISSのジャンドス・シャイマルダノフ所長は、8月23日の選挙について、今年初めに導入された新たな憲政の枠組みを、法制度上の設計から実際の政治運営へと移す最初の試金石になったと述べた。

同氏は、74%を超える投票率と、5政党が5%の基準を上回ったという暫定結果を、新議会の性格を形づくる二つの重要な要素として挙げた。すなわち、一つの圧倒的な政治勢力が存在する一方で、複数の小規模政党もクルルタイに議席を持つ構図である。

「今後の課題は、有権者が示した選択が、新しいクルルタイの活動や立法上の優先課題、さらには各政党の日常的な政治活動にどのように反映されるのかを見極めることだ」とシャイマルダノフ氏は語った。

選挙は始まりにすぎない

イタリア・アジア研究所のドメニコ・パルミエリ所長は、今回の選挙は長い道のりの始まりにすぎないと指摘した。制度改革が実際に機能するかどうかは、選挙そのものでは判断できず、今後のクルルタイの実績によって評価されることになるからだ。

Domenico Palmieri. Photo credit: KazISS

「昨日はカザフスタンにとって非常に重要な日だった。しかし、それは新たな道の始まりにすぎない。これらすべての変化と改革は、今後数カ月、数年にわたって実行され、その経過を見ていかなければならない」とパルミエリ氏は述べた。

同氏は、2022年の大統領選挙、今年3月の憲法国民投票、そして8月23日の議会選挙を継続的に見てきた。

パルミエリ氏は、一院制議会への移行について、より効率的な制度となる可能性があると評価する一方、その実効性を判断できるのは、新たに選出された議員が実際に立法活動を始めてからだと指摘した。

「新しい議会と新しい議員がどのような仕事をするのかを見るためには、少なくとも6カ月は待つ必要があると思う」と同氏は語った。

選挙の技術的な運営については、円滑に進んだとの評価を示した。

パルミエリ氏が特に注目したのは、カザフスタン国民が投票に参加し、自国の発展について自らの意思を示そうとする姿勢だった。これはイタリアとは大きく異なるという。

カザフスタンでは有権者の約75%が投票したのに対し、イタリアでは投票率が50%に達すれば成功とみなされると同氏は述べた。

政党は有権者の要求に応えなければならない

政治学博士で、アルマトイにあるナリホズ大学の教授を務めるアンドレイ・カザンツェフ氏は、カザフスタンの高い投票率を、多くの国で政治参加が低下している世界的傾向との比較から分析した。

同氏は、その背景には、個人化の進展や従来型の政治に対する国民の関心低下があると指摘した。

Andrey Kazantsev in the center. Photo credit: KazISS

ただし、今回の高い投票率を、国民が政党政治そのものに強い関心を持つようになった証拠と解釈すべきではないとも述べた。

むしろ、国際情勢の不確実性が高まる中で、自国がどの方向へ進むのかという国民の幅広い関心を反映している可能性があるという。

「これは社会の関心が非常に高いことを示している。ただし、それは必ずしも政治そのものへの関心ではないだろう。一般の人々と話をしてみても、彼らが政党政治そのものに特別な関心を持っているとは限らない。しかし、彼らが関心を持っているのは未来だ。自分たちはどうなるのか、子どもたちはどうなるのか。そして世界で何が起きているのかを、毎日テレビで目にしている」とカザンツェフ氏は語った。

こうした国民の関心は、再設計されたカザフスタンの政治制度の下で、今後さらに重要になる可能性がある。

クルルタイ議員が地域別の選挙区ではなく政党名簿を通じて選ばれることになったため、政党は国民の期待を立法上の優先課題へと反映させるうえで、これまで以上に大きな責任を担うことになるとカザンツェフ氏は指摘した。

「需要は高い。今度は政党が供給する側にならなければならない」と同氏は述べた。

そのためには、政党が活動のあり方を近代化し、有権者の懸念をより的確に把握するとともに、国の将来について明確なビジョンを示す必要があるという。

政党がそれを実現できるかどうかは、新たな憲政モデルが意図された通りに機能しているかを測る最初の指標の一つになる可能性がある。

カザフスタン国境を越える影響

Senior Fellow at the Hudson Institute Ken Moriyasu, described Kazakhstan as “the most important swing state in the world.” Photo credit: cfive.org

米ワシントンを拠点とするハドソン研究所の上級研究員、森安健氏によれば、カザフスタンの政治的移行が持つ意味は、国内制度の変化だけにとどまらない。

森安氏は会合で、中央アジアの資源、貿易ルート、地政学的位置に対する国際社会の関心が高まっていると指摘した。

米国では、中国への重要鉱物依存を減らそうとする動きが強まる中、中央アジアへの関心が急速に高まっている。一方、中国は、海上貿易ルートの混乱による影響を受けにくいユーラシア大陸の陸上輸送ルートを、これまで以上に重視するようになっているという。

「中国も米国も、互いへの依存から距離を取ろうとしている。そして、その両者が中央アジアで出会っている。だからこそ、この地域への関心がこれほど高まっているのだ」と森安氏は語った。

こうした状況を踏まえ、同氏はカザフスタンの政治的移行を、中央アジア全体で進むより広範な結束の一部と位置づけた。

中央アジア諸国は近年、地域内の連携を強化し、国際社会においてより大きな集団的役割を果たそうとしている。

森安氏はその一例として、今年6月のキルギス共和国の国連安全保障理事会非常任理事国への選出を挙げ、地域諸国からのより強い支持がキルギスの議席獲得を後押ししたと指摘した。

Political Map of the Caucasus and Central Asia/ Public Domain
Political Map of the Caucasus and Central Asia/ Public Domain

「この地域では徐々に統合が進んでいると思う。それは2016年、ウズベキスタンで新たな大統領、シャフカト・ミルジヨエフ氏が就任したころから始まったのではないか。そして、カザフスタンで進む権力の集約と安定化も、この大きな流れの一部だと思う」と同氏は述べた。

さらに、カザフスタン国内の政治制度がより明確で安定したものになれば、大国間競争が激化する中でも、同国が外交上の均衡を維持し、これまでのバランス外交を継続する能力を強化する可能性があると指摘した。

今後の動き

制度移行はすでに次の段階に入っている。

8月24日、カシムジョマルト・トカエフ大統領は、新たな憲法体制の実施が始まる中、国立銀行、国家保安委員会、最高司法評議会の各トップ、および人権委員を再任した。

カザフスタン憲法によると、中央選挙管理委員会が選挙の最終結果を正式に発表した後、トカエフ大統領はクルルタイの最初の会期を招集することになる。法律では、最終結果の公表から30日以内に開催しなければならない。

新議会が活動を開始すると、現政権はいったん総辞職することになる。

新憲法の下では、大統領はクルルタイに議席を持つ各政党会派との協議を経て、首相候補を指名する。

首相が任命されると、10日以内に政府の組織と閣僚構成を提案しなければならない。その後、閣僚はクルルタイとの協議を踏まえ、大統領によって任命される。

新憲法はまた、副大統領職の新設を定めている。

トカエフ大統領は、副大統領の人選について近く発表するとしている。

大統領は、新議会の最初の会期が始まってから2カ月以内に、クルルタイの承認を得て副大統領を任命しなければならない。

副大統領は国会議員を兼任することも、政党に所属することも認められない。

また、大統領が任期満了前に職を離れた場合には、副大統領が大統領権限を引き継ぐことになる。

Original URL: https://astanatimes.com/2026/08/kurultai-vote-raises-stakes-for-parties-parliament-and-foreign-policy-experts-say/

INPS Japan

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【アスタナINPS Japan/London Post=ラザ・サイード】

ジャーナリストとして、また政治の動向を見つめる立場から、私はこれまで何度もアスタナを訪れてきた。しかし、訪れるたびに、急速に変化するカザフスタンの政治情勢の新たな一面に気づかされる。私はこの2日間、首都アスタナに滞在し、明日に迫った選挙を前に現地の空気を見つめながら、さまざまな世代の人々と話をしてきた。その中で最も強く印象に残ったのは、今回の選挙そのものが持つ政治的重要性だけではない。とりわけ若い世代の間に広がる、選挙への期待感である。|英語版

現在のアスタナからは、カザフスタンが重要な政治的岐路に立っていることが伝わってくる。明日行われる選挙は、国内だけでなく中央アジア全体からも注目されている。多くの若いカザフスタン国民にとって、今回の選挙は単に政治の代表者を選ぶ機会ではない。政治参加を促し、市民の関与を広げ、国家とその制度、そして社会との間に新たな関係を築く機会として受け止められている。

Raza Sayed
Raza Sayed

この2日間の対話や観察を通じて、私は若者の間に、慎重ながらも確かな楽観的な期待が広がっているのを感じた。彼らは、自らの声が国の将来の方向性を決めるうえで、これまで以上に大きな意味を持つことを期待しながら、政治の行方を見つめている。

その期待は、単に政治的な代表を得ることにとどまらない。より高い説明責任、より強固な制度、経済的な機会、社会的流動性、そして新しい世代が直面する現実に応えられる政治システムへの要求と密接に結びついている。

明日、カザフスタンは政治発展の重要な局面を迎える。最終的な結果がどうなるにせよ、また、さまざまな政治的立場からどのような批判が出るにせよ、今回の選挙が持つより広い意義を過小評価すべきではない。

カザフスタンは中央アジアで最も影響力のある国の一つであり、その政治体制の変化は、必然的に国境を越えて地域全体に影響を及ぼす。

同国の政治的発展は、統治、政治参加、制度改革をめぐる中央アジア全体の議論にも影響を与える可能性がある。中央アジアはいま、人口構造の変化、経済の多角化、技術革新、変動する地政学的環境、そして若い世代の高まる期待によって、大きな転換期を迎えている。

経済力、外交的影響力、そして戦略的な位置を考えれば、カザフスタンは今後もこうした地域変動の中心にあり続けるだろう。

したがって、最も重要な問いは、明日の選挙で誰が議席を獲得するのかということだけではない。より本質的な問いは、今回の選挙が、国民、とりわけ若者が自国の将来に意味のある形で関わっていると実感できる、より成熟した参加型の政治文化につながるかどうかである。

カザフスタンでは、世代をめぐる明らかな変化が起きている。若い世代はますます世界とつながり、政治への意識を高め、国家の優先課題を自ら形づくることに、より直接的に関わりたいと考えるようになっている。

こうした期待は政治制度に新たな圧力をもたらす一方で、国民の願いや要求により敏感に応える政治システムを築く機会も、カザフスタンにもたらしている。

この2日間、アスタナで得た最も重要な印象は、おそらくそこにある。公式な政治論議や選挙準備の背後には、カザフスタンが新たな段階に入りつつあるという、より深い社会的な期待が広がっている。

London Post

それは、政治がより代表性を高め、制度がより大きな説明責任を果たし、一般市民の声がこれまで以上に影響力を持つべきだという期待である。

明日、日が暮れるころまでには、カザフスタンは政治的変革に向けて、もう一つ重要な一歩を踏み出しているかもしれない。

しかし、その一歩が本当にどれほど重要な意味を持つのかは、選挙結果だけでなく、その後に何が起きるかによって決まる。

選挙は、国民が政治的な選択を示す重要な機会である。しかし、真の政治的変革は、その後に政治制度がどのように機能し、社会の期待にどれほど効果的に応えられるかによって測られる。

だからこそ、私がカザフスタンの若い世代の言葉の中に感じた希望には、大きな意味がある。

それは、自分たちの世代が変化をただ傍観するのではなく、その変化を生み出す主体として関わることのできる政治の未来への希望である。

もしそうした期待が、実効性のある制度改革や制度の発展へと結びつくなら、今回の選挙は、カザフスタンの政治史に新たな1ページを加えるだけの出来事では終わらないかもしれない。

それは、カザフスタンにとって新たな政治の時代の幕開けとなり、さらには中央アジア全体で政治をめぐる考え方が変わっていく契機となる可能性もある。

この重要な局面にあるカザフスタンを見つめてきたジャーナリストとして、私はアスタナを後にするにあたり、ここでは単なる一つの選挙を超えた、より大きな変化が起きつつあるとの印象を抱いている。

新しい世代が、政治に何を求め、制度に何を期待し、そして自国の未来をどうあるべきだと考えるのかを、自ら明確に示し始めている。

本当の試練が始まるのは、票が数え終わった後である。しかし、私が目の当たりにした政治意識の高まりは、カザフスタンの次の時代が、若い世代の希望や期待、そして志によって、これまで以上に形づくられていく可能性を示している。

INPS Japan

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【カトマンズINPS Japan/Nepali Times=ソニア・アワレ】

ブータンの首都ティンプーでは先ごろ、けたたましいサイレンで住民が目を覚ました。道路は封鎖され、市内を流れるティンプー川に架かる3本の橋はすべて通行止めとなり、救急車や消防車が慌ただしく行き交った。当局の事前告知を見落としていた人が、本物の災害が起きたと思っても無理はなかった。|英語版

それこそが訓練の狙いだった。家屋の倒壊や建物火災を想定し、大規模地震後の捜索・救助において、情報伝達や関係機関の調整、意思決定が適切に機能するかを検証したのである。

訓練の設計と実施を担ったのは、ネパール国内で防災対策や建物の耐震改修事業に豊富な経験を持つネパール地震工学協会(NSET)の技術者と地震専門家たちだった。

訓練の結果、ブータンでは捜索・救助用の装備と緊急対応計画が大幅に不足していることが明らかになった。しかし少なくとも、今後何をすべきかは見えてきた。一方、ネパールの専門家たちは、自国では歴代政権に耳を傾けさせるだけでも容易ではないと話す。

NSETのスーリヤ・ナラヤン・シュレスタは、首相をはじめとするブータン政府関係者の積極的に学ぼうとする姿勢に感銘を受けたという。

「訓練後、ツェリン・トブゲイ首相は『ブータンはネパールから学ばなければならない。ネパールはわれわれと最も状況が近く、ブータンに教える立場として、これほど適した国はほかにない』と語った」と、シュレスタは振り返る。

このように率直で柔軟な姿勢は、当局者や専門家が自分たちこそ最も事情を分かっていると思い込みがちな南アジアでは珍しい。

All photos: NSET NEPAL

ネパールとブータンの協力は、ニューデリーに本部を置く「災害に強靱なインフラのための連合(CDRI)」の支援を受けて実現した。ネパールも加盟するCDRIは、「ティンプー地震緊急対応計画」を支援する機関としてNSETを選定した。

NSETは、2段階に分けてブータンの計画策定を支援した。第1段階では、災害が発生する前に意思決定の手順や情報伝達、調整の仕組みを整備した。第2段階では、現地での訓練とシミュレーションを実施し、捜索・救助に関する計画が実際にどのように機能するかを検証した。

地震リスク

今週コロンビアで発生したM7.4の地震は、先月ベネズエラを襲った多数の死者を伴う地震に続くものであり、同様の地震リスクを抱えるネパールとブータンにとっても警鐘となった。

コロンビア、ベネズエラ、ネパール、ブータンの4カ国は、建築基準の徹底、国家レベルの緊急対応計画、災害訓練、捜索・救助の経験をめぐり、互いに学び合うことができる。

ティンプーでの訓練では、最新式のコンクリート切断機を備えた現場がある一方で、そうした機材がない現場もあった。シュレスタによれば、ブータンの捜索救助部隊から、どのように対応すべきかと問われたという。

「私たちは、実際の災害ならどうするのかと逆に問いかけた。そして、緊急の国際支援を要請するという方法もあるのではないかとヒントを与えた」と、シュレスタは語った。

当局は、市内最大の中核病院1カ所と一次医療センター2カ所を対象に、多数の傷病者が発生する事態を想定した。

さらに、救急医療従事者が自らの家族の緊急事態に対応しなければならないため、あるいは地滑りで道路が寸断されたために病院へ到着できず、病院自体も停電しているという展開も訓練に組み込まれた。

訓練チームは、11本の橋、病院1カ所、変電施設、通信網、食料備蓄倉庫など、重要インフラの構造的な安全性も評価した。

訓練は4時間にわたり、さまざまな役割を担う約500人が参加した。ネパールのチームは、2段階の訓練を実施するための準備にほぼ1年を費やした。

災害対応チームの統括責任者を務めるトブゲイ首相も訓練に立ち会い、ジグミ国王にも進捗状況が逐次報告された。

訓練結果を分析したNSETは、一連の提言をまとめた。その一つが、人口1万5000~2万人の各行政区に、少なくとも6人編成の地震初動救助隊を1隊ずつ配置するという提案である。

ブータンでは数十年にわたって大地震が発生していない。同国はヒマラヤ東部の地震空白域に位置しており、地殻に蓄積したひずみがいつ解放されてもおかしくない。

ティンプーの人口は約12万1000人である。NSETは、M7を超える地震が発生すれば、市内にある1万3700戸の住宅のうち約3000戸が深刻な被害を受け、夜間の発生なら死傷者が約3000人に上る可能性があると推計している。

All photos: NSET NEPAL

一方、NSETが2015年以前に行った推計では、カトマンズ盆地の脆弱性はさらに高いとされていた。2015年に発生したM7.8の地震では約1万人が死亡したが、地震学者によれば、この地震でもネパール中部の地殻に蓄積したひずみは完全には解放されなかった。

皮肉なことに、ネパールの専門家が他の地震脆弱国を指導する一方で、ネパール自身には詳細で実効性のある緊急対応計画がない。

「ブータンは私たちから学んだ。では、私たちはブータンから何を学べるのか」とシュレスタは問いかける。

ネパールにも、NSETがティンプーで支援したのと同様に、国の最高レベルによる政治的関与、緻密な計画、実地シミュレーションが必要だという。

All photos: NSET NEPAL

確かにNSETは、2015年の地震以前にも、各機関の役割を定めた国家災害対応枠組みの策定に協力していた。しかし、それは書類上の計画にとどまり、十分な政治的主体性に裏付けられた戦略的な実施計画を欠いていた。

「訓練は実施しているが、机上のものが多く、避難に使うオープンスペースをどこに確保するのか、緊急物資をどこに事前配備するのかといった重要な問いに答えていない」と、NSET創設者のアモド・マニ・ディキシットは指摘する。

「ネパールとブータンを分けているのは、政治の本気度である」

ネパールの防災体制は2015年以降、改善している。治安機関では訓練を受けた要員が増え、装備も充実してきた。しかし、ヒマラヤ規模の巨大地震に対処するには、依然として不十分である。

トゥレ・ライは、ネパール警察で捜索・救助部門の最高責任者を務め、ブータンに派遣されたNSETチームにも加わった。

ライは、2015年以前のネパールに計画が欠けていたことについて、次のように語る。

「当時は、将来起きることに、なぜ今から投資する必要があるのかという考えが一般的だった。しかしブータンは、南アジアで初めて緊急対応計画を実地シミュレーションで検証した国となった。ネパールでは計画は紙の上にあるだけで、ほとんど検証されていない」

だからこそ、シミュレーションが重要なのである。実際の災害に近い状況で計画の空白や問題点を洗い出し、あらかじめ担当を定めた当局者が解決に当たることができるからだ。

2002年には、国際協力機構(JICA)がカトマンズ盆地の地震被害軽減に関する調査を実施した。1934年にネパール東部で発生したM8.3の地震を想定の基準とし、建物やインフラの構造上のリスクを評価するとともに、多数の死傷者が発生する可能性を予測した。

それから25年が経過した。報告書は2018年に改訂されたものの、事実上、棚上げされたままである。

2017年に制定された国家災害リスク軽減管理法は、リスク軽減、防災、緊急対応、捜索・救助を一つの枠組みの下に統合しようとした。しかし、関係機関の調整が今なお最大の障害となっている。

緊急時の機関連携を進める政治的意思の欠如こそ、ネパールが抱える最大の問題なのかもしれない。

シュレスタはこう語る。

「ネパールには意識も知識もある。だが、連携がない。災害対策に取り組む優れた機関には、武装警察隊、ネパール警察、赤十字などがあるが、それぞれがばらばらに動いている。ブータンから学ぶべきは、まさにこの点である」

ソニア・アワレは『ネパリ・タイムズ』編集長で、保健・科学・環境分野の記者も兼務している。気候危機、防災、開発、公衆衛生について、それぞれの政治・経済的な相互連関に着目しながら幅広く取材してきた。公衆衛生学を修め、香港大学でジャーナリズムの修士号を取得している。

INPS Japan

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80歳からさらに長く生きる時代

【米オレゴン州ポートランドIPS=ジョセフ・チャミー】

80歳を迎えた後も、人々は男女とも、かつてないほど長く生きるようになっている。|英語版

80歳に達した人々のこうした長寿化は、人口学上の目覚ましい成果である。寿命が延びたことで、高齢者とその家族には新たな可能性が開かれる一方、社会・経済・医療の各面で重要な課題も生じている。

1950年、世界全体の80歳時平均余命は、男性4.8年、女性5.3年だった。その後数十年にわたって着実に延び、2026年には男性7.7年、女性9.1年に達していると推計される。この傾向は今後も続き、2050年には男性8.8年、女性10.1年まで延びると予測されている。(図1)。

図1 80歳時の男女別平均余命:1950年、1975年、2000年、2026年、2050年 出所:国連
図1 80歳時の男女別平均余命:1950年、1975年、2000年、2026年、2050年 出所:国連

しかし、こうした世界平均の背後には、国による大きな違いがある。日本やフランスなどの先進国では、80歳時の平均余命が比較的長く、男性はさらに10年、女性は約12年生きると見込まれている。

これに対し、ナイジェリア、ニジェール、マリなどの開発途上国は分布の下位に位置し、80歳に達した男女の平均余命はいずれも約5年である(図2)。

図2 主要国における80歳時の男女別平均余命:2026年 出所:国連
図2 主要国における80歳時の男女別平均余命:2026年 出所:国連

世界人口に占める80歳以上の割合は、ここ数十年にわたって着実に上昇している。1950年には世界人口の約0.6%だったが、2026年には1.2%と倍増し、2050年にはさらに2.1%まで上昇すると予測されている(表1)。

(表1)出所:国連
表1 出所:国連

80歳以上の人々が世界人口に占める割合は依然として比較的小さいものの、その人数と割合は急速に増えている。これは、生存率の継続的な向上と、世界各地で進む人口高齢化を反映したものである。

人口に占める80歳以上の割合は、国によって大きく異なる。先進国では高く、開発途上国では低い傾向にある。例えば2026年には、日本では人口の11%、イタリアでは8.1%が80歳以上となっている。これに対し、インドでは1.1%、ナイジェリアでは0.3%にとどまる。

世界保健機関(WHO)によると、80歳以上の人々の健康には遺伝も一定の影響を及ぼすが、健康状態の差の大部分は、物理的・社会的環境に加え、性別、民族的背景、社会経済的地位といった個人の特性によって左右される。

高齢になっても健康を保てるかどうかは、生涯を通じて健康的な生活習慣を維持できるかに大きく左右される。具体的には、バランスの取れた食事、定期的な運動、喫煙や薬物使用の回避、飲酒の節制、人とのつながりの維持などである。

こうした健康的な生活習慣は、慢性疾患のリスクを減らし、身体機能と認知機能を保つとともに、長期介護が必要となる時期を遅らせる。その結果、寿命を延ばすだけでなく、高齢期の生活の質を高めることにもつながる。

しかし、80歳代の多くの人々は、慢性疾患の管理、必要な長期介護の確保、経済的安定の維持、社会的孤立への対処など、深刻な課題に直面している。

80歳以上の人のうち、独り暮らしをする人の割合は、文化的規範、家族構成、所得水準、公的支援制度の違いを反映し、国によって大きく異なる。多くの開発途上国では10%未満であるのに対し、高所得国では通常30~50%に達する。

高齢者は、年齢に基づく偏見や差別にもさらされがちである。高齢者を虚弱で他者に依存する存在、あるいは社会の負担とみなす固定観念があるためだ。こうした見方は差別を招くだけでなく、健康で活動的に年齢を重ねる機会を狭めるような政策につながりかねない。

80歳代の後半になっても身体的・精神的能力を保ち、数十歳若い人々と同程度の機能を維持する人もいる。しかし、大半の人は身体機能や認知機能がある程度低下し、少なくとも一つの慢性疾患を抱えている。

慢性疾患を抱える人の増加と長期介護需要の高まりは、政府、医療制度、家族に大きな影響を及ぼす。急速に増える80歳以上の人々のニーズに応えるには、医療、長期介護サービス、高齢者に配慮した地域づくりへの投資を拡大する必要がある。

同時に、高齢者介護をめぐっては、政府と家族が責任をどのように分担すべきかという重要な問題も生じる。人口の高齢化が進むにつれ、この責任分担のあり方は、ますます重要な政策課題となる。

政府は、高齢の親族を介護する中心的な役割を家族が担うことを期待しがちである。一方、家族は、介護に必要な資金、サービス、支援を政府が提供すべきだと考えている。こうした議論が続いていることは、政府が負うべき公的責任と家族による介護との適切な均衡を図る、持続可能な政策の重要性を浮き彫りにしている。

包括的な公衆衛生対策では、80歳以上の人々が置かれた多様な状況とニーズに対応する必要がある。高齢者の暮らしを支える物理的・社会的環境が整えば、加齢によって身体機能や認知機能が低下しても、本人にとって意義のある活動を続けることができる。

そうした環境には、安全で利用しやすい公共施設、高齢者に配慮した交通システム、手頃な価格の住宅、地域に根差した保健・福祉サービスなどが含まれる。

80歳以上の人々が健康を保ち、支援の行き届いた環境で高齢期を過ごせれば、自立を維持し、家庭生活や地域社会に積極的に関わり、より若い人々と同程度の生活の質を享受できる。

一方、寿命が延びても、その年月が身体的虚弱、認知機能障害、精神的な健康問題を伴うものとなれば、影響は本人だけにとどまらず、家族、医療制度、社会全体に及ぶ。

80歳代の多くの人々は、複数の慢性疾患、心身機能の低下、加齢に伴うさまざまな障害によって生じる、健康・生活両面の複雑な課題に直面している。

世界では、80歳以上の多くの人々が、身体の慢性疾患、認知機能障害、老年症候群、心理面の変化を複合的に抱えている。こうした問題は重なり合い、相互に関連していることが多い。そのため、疾病予防、ケアの継続性、多職種連携、高齢者本人と介護者双方への継続的支援を重視した、本人中心の一体的な保健医療・福祉ケアが求められる。

世界的に見て、80歳の男女が直面する主な健康課題には、心臓発作や心不全などの心疾患、アルツハイマー病を含む認知症、老年症候群がある。老年症候群には、フレイル(虚弱)、骨粗しょう症、聴覚・視覚障害、尿失禁、転倒リスクの上昇など、加齢に伴うさまざまな状態が含まれる。

転倒は、高齢者の負傷、障害、入院、自立の喪失、けがによる死亡の主な原因の一つである。加齢による筋力や平衡感覚の低下、視覚障害、薬剤の副作用、認知機能の低下、神経疾患などが、転倒リスクを高めている。

多くの疾患は男女双方にみられるが、生物学的な違い、生活習慣上の要因、女性の方が長寿であることなどにより、80歳時の健康状態には男女で異なる特徴がみられる。

80歳の女性が直面する主な課題は、移動能力の維持、骨粗しょう症や骨の脆弱化による骨折の予防、社会的孤立への対処であることが多い。女性は一般に男性より長生きするため、配偶者に先立たれたり、独り暮らしになったりする可能性が高い。また、孤独や経済的不安を抱え、長期的な支援を必要とすることも多い。

また、アルツハイマー病を含む認知症患者に占める女性の割合は高い。その一因は女性の方が長寿であることにあり、認知機能の低下は、高齢期の女性にとって特に重要な健康課題となっている。

こうした深刻な課題にもかかわらず、多くの高齢者は前向きな姿勢とユーモアの精神を保っている。誰の言葉かは定かでないが、年長者の言葉としてしばしば紹介される次の一節は、そうした心意気をよく表している。

Older adults gather in an accessible public space, illustrating how age-friendly environments, mobility support and social connections can help people aged 80 and older maintain independence and quality of life. Image: INPS Japan

「年を取ると正気を失う、と人は言う。だが、失ってもさほど惜しくはないとは、誰も教えてくれない」

80歳代の男性が直面する主な健康リスクには、命に関わる急性の心血管障害、代謝性疾患、深刻な心理的危機などがある。多くの国や地域では、この年齢層の男性は同年齢の女性に比べ、一部のがんや2型糖尿病の罹患率も高い。高齢男性に多く診断されるがんには、前立腺がんと膀胱がんがある。

うつ病と診断される割合は女性の方が高いものの、自殺率は80歳以上の男性の方が大幅に高い。こうした死の背景には、配偶者との死別、身体的健康の悪化、社会的孤立、慢性疼痛のほか、人生の大きな変化に伴ってアイデンティティーや生きる目的意識が薄れることなどがある。

80歳以上の多くの人にとって、運転を続けられるかどうかも重要な問題である。大半の国では、運転できる年齢に一律の上限を設けていない。その代わり、定期的な健康診断や視力検査、通常より短い間隔での運転免許証の更新を義務付け、高齢者が安全に運転できる状態にあるかを判断している。こうした措置は、運転によって得られる自立性や移動の自由を保つことと、公共の安全を守ることとの均衡を図るものである。

こうした世界的な対応の例外として注目されるのがペルーである。同国では、80歳以上になると運転免許証の更新が認められない。この政策は、視力、聴力、反応時間、認知機能、身体の運動機能が加齢とともに低下することへの懸念を踏まえ、交通事故を減らすための政府の取り組みの一環として導入された。

80歳を迎え、過去の世代よりも長く生きるようになったことは、人口学上の目覚ましい成果である。これは、医学、公衆衛生、栄養、教育の大幅な進歩と生活水準の向上を反映したものである。

同時に、長寿化は、個人、家族、医療制度、社会に新たな可能性をもたらす一方、重大な課題も生み出している。

こうした課題に対応するには、健康な高齢化を促進し、高齢者の自立を支え、質の高い医療・長期介護へのアクセスを拡充するとともに、増え続ける80歳以上の人々の生活の質を高める政策や事業が必要である。

SDGs Goal No. 3
SDGs Goal No. 3

80歳以上の多くの人々は、自立を失うこと、慢性疾患を発症すること、家族の負担になること、独りで死を迎えることを不安に感じている。しかし、思いやりのあるケアを受け、できる限り安楽に過ごし、治療や終末期ケアに関する本人の希望が尊重されれば、死に至る過程への不安は和らぐ。

一方、多くの80歳以上の人々にとって、死は近づくにつれて次第に恐ろしいものではなくなっていく。配偶者、親族、友人、同世代の人々との死別を経験するうちに、死を理解し難い謎ではなく、人生の自然で避けられない一部と捉えるようになるためである。

こうした見方は、自らもいつか死を迎えるという事実を、より深く受け入れることにつながる。恐怖にとらわれるのではなく、今に目を向け、大切な人とのつながりを慈しみ、残された時間に感謝することを選ぶ人も多い。

死を受け入れることで、人生の自然な終わりが近づくなか、より深い感謝の念と生きる目的、心の安らぎを得る人もいる。

ジョセフ・チャミーは人口問題を専門とするコンサルタントで、国連人口部の元部長。人口問題に関する著作を多数発表している。

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

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