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|スーダン|世界が目を背ける中、集団殺害は続く

【ロンドンIPS=アンドリュー・ファーミン】

衛星画像は、北ダルフール州エル・ファシールで遺体が山のように積み上げられ、集団埋葬や火葬を待っている様子を捉えている。即応支援部隊(RSF)の民兵は、自らの犯罪の規模を隠そうとしているという。RSFが11月にエル・ファシールを制圧して以降、市内では最大15万人の住民が行方不明のままだ。最も控えめな推計でも、6万人が死亡したとされる。アラブ系民兵であるRSFは、非アラブ系住民を都市から排除し、民族浄化を進めたとされる。今回の虐殺は、2023年4月に軍指導者同士の権力闘争をきっかけに始まった、RSFとスーダン国軍(SAF)の戦争における、最新の凄惨な局面である。

Map of Sudan
Map of Sudan

残虐行為は双方が行ってきた。処刑、超法規的殺害、性暴力などが報告されている。正確な数字の把握は難しいが、少なくとも15万人が殺害されたとの推計もある。国内避難民は約900万人に達し、さらに約400万人が国境を越えて逃れた。およそ2500万人が飢饉の危機に直面している。

市民社会や人道支援関係者は可能な限り対応しているが、支援に携わる人々自身も危険にさらされている。殺害や暴力、誘拐、拘束の脅威が常につきまとう。非常命令は、市民社会組織に官僚的な制約を課し、支援活動を妨げるだけでなく、集会・表現・移動の自由も制限している。部隊が支援物資の搬入を阻む例もある。

紛争の報道もまた、困難で危険を伴う。放送局や印刷設備などのメディアインフラの多くが破壊され、多くの新聞が発行停止に追い込まれた。さらに双方が記者を標的にしているため、多くが国外へ逃れざるを得なくなっている。大規模な偽情報キャンペーンも、現地の実態を見えにくくしている。その危険を象徴するのが、ザムザム避難民キャンプの報道官モハメド・ハミス・ドゥーダである。国際メディアに状況を伝えるためエル・ファシールに残っていたが、RSFが侵攻した際に行方を捜され、殺害された。

世界は目を背ける

スーダンは「忘れられた戦争」と呼ばれることがある。だが、より正確には、世界がそれを「無視することを選んでいる」と言うべきだ。そして、その状況は、いくつかの有力国にとって都合がよい。

アラブ首長国連邦(UAE)は、RSFの最大の支援国だと指摘されている。UAEは関与を否定し続けているが、UAEで製造された、あるいは同盟国からUAEに供給されたとみられる武器が、RSF支配から奪還された現場で見つかったと報じられている。こうした支援がなければ、RSFはすでに戦況で不利に追い込まれていた可能性がある。

近年、UAEは複数のアフリカ諸国で影響力の拡大を図ってきた。アフリカ各地で港湾整備を進め、紅海に面するスーダン沿岸にも港を建設する計画があるとされる。スーダンでは大規模な農業投資を行い、同国で採掘される金の多くがUAEに流れているとも報じられている。UAEは、人的犠牲の大きさにかかわらず、RSFが実権を握ることが影響力の確保と利益の維持につながると判断しているように見える。

これに対し、スーダン政府はロシアとの関係強化に動いている。スーダンがロシアに恒久的な紅海海軍基地の整備を認める可能性があるとも伝えられている。

UAEが国際的な圧力をほとんど受けないのは、英国や米国などUAEと緊密な西側諸国が、同国の役割を過小評価しているためだと指摘されている。英国政府は、供与した武器がRSFに移転されていることを認識しながら、UAEへの武器供給を続けているとされる。さらに内部告発者は、UAEを守るために、スーダンでジェノサイドが起きる可能性に関する警告がリスク評価から削除されたと主張している。
欧州連合(EU)と英国は、エル・ファシールでの虐殺を受けてRSF幹部4人に制裁を科した。米国も追加制裁を検討していると報じられているが、措置はUAE政府の関係者には及んでいない。

英国がスーダン案件を主導する常任理事国である国連安全保障理事会も、機能不全が続いている。ロシアは、英国が提出する決議案については拒否権を行使すると示唆している。こうした中、英国は6月、非常任理事国として参加するアフリカ諸国から「主導役を引き継ぐ」との申し出を受けながら、これを拒否した。交渉の余地を広げ得た提案だったとみられる。

地域で影響力を持つ国としては、エジプトがスーダン政府を強く支持し、サウジアラビアも一定の支援姿勢を示している。エジプト、サウジ、UAE、米国は「クアッド」と呼ばれる枠組みで協議を行っている。利害は競合するが、9月には一時、希望が見えた。クアッドが「3カ月の人道停戦」と、その後の「9カ月での文民統治への移行」を含む計画を仲介したためである。双方は計画を受け入れたものの、RSFが戦闘を継続したため、スーダン政府は提案を拒否するに至った。

圧力と責任追及

戦闘停止が実現するかどうかは、米国の外交姿勢に左右される可能性がある。ドナルド・トランプ大統領は最近、紛争への関心を強めたように見える。11月にサウジの実力者ムハンマド・ビン・サルマン皇太子がホワイトハウスを訪問したことが、その背景にあるのかもしれない。

トランプ氏は、ノーベル平和賞を強く意識し、別の紛争を終結させたとアピールしたいのだろう。しかし、米政府がUAEに圧力をかける意思を示さない限り、進展は見込みにくい。圧力の手段としては、トランプ氏が他国との交渉で用いてきた関税がある。実際、現政権はUAEに対し、最も低い税率である10%の関税を適用しており、UAEに対して強い圧力をかけていないことを示している。

活動家たちは、紛争におけるUAEの役割により多くの注目を集めようとしている。分かりやすい焦点の一つがバスケットボールだ。米プロバスケットボール協会(NBA)はUAEと大規模で拡大傾向にあるスポンサー契約を結んでいる。活動家側は、こうした提携がUAEによる「スポーツウォッシング(スポーツを通じたイメージ向上)」の一部になっているとして、NBAに提携終了を求めている。この働きかけが、米国の政策課題の中でスーダンの優先度を引き上げる一助となる可能性がある。

国際社会には殺害を止める力がある。しかし、そのためにはまず、UAEと西側同盟国が結果として暴力を可能にしているという側面を認めなければならない。スーダン国内外の当事者は、狭い自己利益の計算を脇に置く必要がある。UAEとその同盟国、そしてクアッドの他の国々には、実効性のある停戦を仲介するため、より強い圧力をかけることが求められる。停戦を和平への第一歩と位置づけ、交戦当事者に対する影響力を用いて、合意を確実に履行させるべきである。(原文へ

アンドリュー・ファーミンは、CIVICUSの編集主幹であり、CIVICUS Lensの共同ディレクター兼ライター、「State of Civil Society Report」の共同著者である。For interviews or more information, please contact research@civicus.org

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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武装解除なき「戦後」:シリアのクルド勢力と、戦後政治の破綻

【ロンドンLondon Post=シャブナム・デルファニ】

クルド勢力ダマスカスの新たな統治当局と周辺諸国の関係をめぐっても、調整や接近の動きがみられる。こうした変化は、シリアの最も暴力的な局面が終わったかのような印象を強めている。

しかし、その見方は重要な現実を覆い隠す。シリアの内戦は一部地域では軍事的に区切りがついたとしても、政治的には決着していない。

Map of Syria
Map of Syria

この政治的な行き詰まりが最もはっきり表れているのが、シリア北部と北東部である。そこではクルド人主導の部隊が今も武装を維持し、戦闘態勢を解いていない。地域の政治的な位置づけも、依然として決まっていないままだ。

クルド人勢力が武装を続けているのは、特別な例外でも、理念の問題でもない。外国勢力の思惑がぶつかり合い、難しい政治的妥協が先送りされてきた結果として生まれた「戦後の不安定な状況」の当然の帰結である。

クルド人問題は、将来のシリアが話し合いによって多様な勢力を取り込む国になるのか、それとも力によって再び中央政府の支配下にまとめられるのかを占う重要な試金石となっている。同時にそれは、中東で外部勢力が進めてきた「安定化」がどこまで機能するのかという限界を示す事例でもある。

シリア戦争におけるクルド人の役割:周縁から中心へ

2011年以前、シリアのクルド人は政治の中心から外されていた。文化的な権利は十分に認められず、人によっては市民権すら与えられないなど、国の制度に実質的に参加できない状況に置かれていた。ところが、反政府蜂起と内戦によって各地で政府の支配が弱まると、この状況は一変する。クルド人地域には自ら統治を担う余地が生まれたが、それは同時に大きな危険も伴うものだった。

2012年、政府の統治がクルド人多数地域で後退すると、クルド側は空白を埋めるため素早く動いた。地域評議会や治安部隊がつくられ、やがて行政の仕組みも整えられていった。これは独立を目指す動きというより、地域社会が混乱の中で生き残るための統治体制づくりだった。さらに2013年以降、いわゆる「イスラム国(IS)」が急速に勢力を広げると、クルド側の支配はより強固になった。クルド民兵が、過激派勢力の進撃を地上で食い止められる数少ない勢力となったためである。

米国が主導した対IS作戦によって、クルド勢力(主にシリア民主軍=SDF)は、単なる地域の武装勢力から、作戦に欠かせない協力相手へと位置づけが変わった。クルドの戦闘員は地上戦の中心を担い、多くの犠牲を払いながら、シリア東部の広い地域で治安維持と支配の確保を担った。

しかし、この協力関係はあくまで軍事的な目的に限られていた。米国政府は当初から、クルド側の政治的な要求を支持することは避け、協力はIS掃討という対テロ作戦に限定されると強調していた。この線引きが、のちに大きな意味を持つことになる。

「ポストIS」シリア:政治移行の欠落

2019年、いわゆる「イスラム国(IS)」の領土支配は軍事的に崩壊した。これは戦争の大きな節目となったが、その一方で、戦後の政治体制をどう築くのかという計画がほとんど存在しないことも明らかになった。クルド側には、自分たちが戦いで果たした役割が、将来の政治的な発言力につながるとの期待があった。正式な約束があったわけではないが、多くの関係者がそう受け止めていた。

View of Aleppo, December 2024, a city in Syria, which serves as the capital of the Aleppo Governorate, the most populous governorate of Syria. Credit: UN OCHA
View of Aleppo, December 2024, a city in Syria, which serves as the capital of the Aleppo Governorate, the most populous governorate of Syria. Credit: UN OCHA

しかし、IS掃討作戦の終結とともに、国際社会の関与は急速に縮小した。クルド主導の行政は国際的な承認を得られないまま地域統治を続け、安全の保証がないまま国境の防衛も担うことになった。その結果、次第に不利な立場でダマスカスの中央政府との交渉に臨まざるを得なくなった。自治は実際には存在していても、法律上の裏付けはない。制度ではなく、武力によって維持されている「武装した自治」の状態である。

こうした状況は本質的に不安定である。短期的には武力が外部からの排除を抑えるが、長い目で見れば、かえってさらなる圧力を招きやすい。クルド側は分権的な枠組みの中でシリア国家の一部にとどまると繰り返し主張しているが、それでも分離独立を目指しているとの疑いを向けられやすい状況が続いている。

米国:戦術的協力と戦略的後退

政策面で、この帰結を形づくった最大の要因の一つが米国である。米国のシリア関与は、作戦効率の追求と戦略的ミニマリズムによって特徴づけられた。主要目的―ISの領土支配の破壊―は比較的低コストで達成した。しかし、避けたのは、シリアの「戦後政治の設計」というより複雑な課題だった。

とりわけ2019年以降、米国がシリアへの関与を段階的に縮小したことは、味方にも敵対勢力にもはっきりしたメッセージとなった。クルド勢力は、米軍の駐留が無条件のものではなく、状況次第でいつでも撤退し得ると理解した。

一方、トルコは、米国が強く反対しない姿勢を、自国の安全保障上の優先事項を事実上認めたものと受け止めた。またダマスカス政府とそれを支える国々は、譲歩しなくても、時間をかけて圧力を強めればクルド自治を弱体化させられると判断した。

こうした動きは、米国の中東政策が、紛争そのものを解決するよりも、危機を管理し拡大を防ぐことを優先してきた傾向を示している。シリアでも、ISの再興を防ぐための最小限の軍事的関与は続けながら、トルコとの対立や複雑な政治交渉への深い関与は避けるという姿勢が取られてきた。

その戦略コストは大きい。地域の協力相手に対する信頼性を損ない、シリアの長期的な帰結に対する米国の影響力も弱めた。

トルコと「クルド問題の地域化」
Smoke rises from districts in Aleppo, Syria, in December 2012. Credit: Freedom House/CC by 2.0
Smoke rises from districts in Aleppo, Syria, in December 2012. Credit: Freedom House/CC by 2.0

クルドの将来を最も大きく左右してきたのはトルコである。アンカラの対シリア・クルド政策は、国内のクルド問題と切り離せない。トルコ政府は、国境の南側にどのような形であれクルドの自治が成立すれば、たとえ穏健で調整的な政治路線であっても、自国の安全保障への直接の脅威とみなしてきた。

こうした認識が、北部シリアへの繰り返しの軍事介入につながった。その結果、支配地域は細かく分断され、住民の移動や住民構成の変化が起き、クルド側の行政運営も継続しにくくなった。これらの作戦は「対テロ」として正当化されてきたが、実際にはクルドの政治的な選択肢を狭め、自治の拡大に歯止めをかける効果を持った。

こうしてクルド問題は、シリア国内の統治課題にとどまらず、国境をまたぐ安全保障問題へと広がった。トルコの強い反対が外交的な解決の余地を狭め、クルド側にとって武装を維持することが、生き残るための現実的な選択肢になっている。

イスラエル、イラン、そしてシリア分断の構図

イスラエルは、クルド勢力とシリア中央政府との対立に直接関わっているわけではない。しかし、イスラエルが続けてきたイラン関連勢力への攻撃は、シリア政府が国内の統治を再びまとめ直す力を弱め、国内の分断状態を長引かせる結果をもたらしてきた。イスラエルにとって、シリアが分裂した状態にあることは、イランの地域での影響力を抑え、国境周辺での脅威を減らすことにもつながる。

Source: Roman Yanushevsky
Israel and Iran Credit:Roman Yanushevsky/ INPS Japan

イランの影響が及びにくいクルド支配地域は、この状況と結果的にかみ合う面がある。ただし、これはあくまで状況によるもので、シリア全体の長期的な安定には結びつきにくい。

一方、イランはクルド自治の広がりに強い警戒感を抱いている。自治が定着すれば、自らの影響力が制限されるだけでなく、シリア国内での物資や人員の移動にも支障が出る恐れがあるためだ。その結果、イスラエルがイランの影響力を抑えようとする動きと、イランがシリアでの立場を維持しようとする動きがぶつかり合い、包括的な政治解決は進まず、対立が続く状況が生まれている。

クルド統治:成果と限界

厳しい状況に置かれながらも、シリア北東部のクルド主導の行政は、国内の他の地域と比べて一定の成果を上げてきた。比較的安定した治安を保ち、多くの避難民を受け入れて管理し、宗派対立による暴力も抑えてきた。国家の制度が崩れた地域が多い戦後のシリアにおいて、こうした成果は決して小さくない。

しかし一方で、外部の支援への依存、経済的な孤立、そして法的な地位がはっきりしないことが、この統治体制の将来を不安定なものにしている。国際的な正式承認もなく、シリア国家の制度の中に組み込まれてもいないため、行政の基盤は脆いままだ。武力による抑止は制度の弱さを一時的に補うことはできても、政治的な正当性の代わりにはならない。

崩壊のリスク

クルド側の統治が崩れても、そこにシリア中央政府の実効支配がすぐ戻るとは限らない。むしろ、地域ごとに支配勢力が入り乱れ、武装勢力同士の争いが起き、治安の空白が生まれる可能性が高い。こうした状況は過去にも、過激派が勢力を立て直し、混乱が国境を越えて広がる土壌になってきた。

地域の安全を考えると、力ずくで再統合しても得られる利益より、統治の崩壊による混乱の方が大きくなる恐れがある。それでも現実的な解決策がないまま、このリスクは放置されたままである。

Flag of USA
Flag of USA
政策の含意:米国と欧州に突きつけられた課題

米国にとってクルド問題は、今の状況をそのまま管理し続けるのか、それとも将来を見据えて関与の仕方を見直すのかという選択を迫る課題である。安定につなげるには、シリアの主権を前提に、地方の自治をどこまで認めるのかという方針をはっきりさせ、クルド側とシリア中央政府双方と外交的な対話を進めることが欠かせない。

また米国は、トルコに対して今も一定の影響力を持っている。安全保障面での協力を通じて、シリアでの軍事行動を抑えるよう働きかけることができれば、停滞している交渉を再び動かすきっかけになる可能性がある。

European Union Flag
European Union Flag

欧州連合(EU)も、人道支援にとどまらず、政治面での関与を強める必要がある。EUは復興支援や関係正常化をめぐる議論で資金面の影響力を持っており、その支援を、多様な勢力が共存できる統治の仕組みづくりと結びつけることができる。欧州外交には、地域の安全保障対立から比較的距離を置きやすい立場を生かし、仲介役として動ける余地もある。

結論:武装による安定は、平和ではない

シリアでクルドの武装勢力が残っているのは、反抗心の表れではない。政治の場から十分に受け入れられてこなかったことの結果である。それは、戦場での勝ち負けを優先し、政治的な決着を先送りしてきた「戦後」のあり方を映している。

クルドの自治が正式に認められず、いつでも覆され得る不安定な状態のままである限り、武力はクルド側にとって最も重要なよりどころであり続ける。シリアの長期的な安定は、力で領土を取り戻すことではなく、地域ごとの統治の形を交渉によって国家の仕組みに組み込み、共存できる形に整えることにかかっている。

クルド問題は、シリアの将来を左右する重要な課題である。話し合いによる共存の道を選ぶのか、それとも力による統制に戻るのかが問われている。この問いに答えが出ない限り、武装は解かれず、シリアの平和は未完成のまま続く。(原文へ

INPS Japan

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核意思決定における人工知能の影響

【国連IPS=タリフ・ディーン】

人工知能(AI)が、政治、経済、社会、文化を含む人間生活のほぼあらゆる側面に影響を及ぼしかねない勢いで拡大するなか、AIの軍事化が進む危険も高まっている。ある報告書によれば、核指揮・統制・通信(NC3)システムへのAIの統合に加え、軍事意思決定への活用は、世界の安全保障に深刻で前例のないリスクをもたらす。主な負の影響としては、意思決定が「機械の速度」にまで加速し、人間の判断の余地がほとんど失われること、サイバー攻撃への脆弱性が高まること、そして戦略的安定性が損なわれることが挙げられている。

原子力科学者会報』(Bulletin of the Atomic Scientists)によれば、核兵器の指揮統制は、誤りを防ぎつつ、極度の緊張下でも信頼性を確保できるよう設計された、繊細で複雑な仕組みである。

膨大なデータが重大な結果を左右する環境では、人工知能の導入はごく自然な検討対象となってきた。

Tariq Rauf
Tariq Rauf

同誌はこう問いかける。「急速に進化する技術の統合は、責任、データの質、システムの信頼性をめぐる根本的な問題を提起する。たった一つの誤りが取り返しのつかない結果を招きかねないとすれば、これまで人間の判断と監督に依拠してきたシステムに機械学習を組み込むにあたり、どうすれば信頼性を確保できるのか。」

「どのような安全策を維持すべきなのか。国際協力と合意形成の余地はどこにあるのか。」

ウィーンに本部を置く国際原子力機関(IAEA)で保障措置・安全保障政策部門の責任者を務めたタリク・ラウフ氏はIPSの取材に対し、人工汎用知能(AGI)の役割とその統合は、現代における最も重大な問いの一つを突きつけていると語った。

AGIを核指揮・統制・通信(NC3)システムに組み込むことは、単なる工学上の課題ではない。文明のあり方そのものに関わる問題である。

「機械の速度」がもたらす問題

ラウフ氏によれば、AGIをNC3システムに統合するうえで最も憂慮すべきなのは、意思決定の時間が「機械の速度」にまで圧縮されることである。核戦略はこれまで、熟慮に基づく人間の判断に依拠してきた。つまり、意思決定者が立ち止まり、不確かなデータを見極め、助言を求め、圧力や攻撃の下にあっても自制を選ぶ力である。

一方、AGIは人間には到底及ばない速度で情報を処理し、応答するよう設計されている。危機のさなかには、ここに危険な逆説が生じる。AGIを魅力的にしているその速度こそが、実質的な人間の監督をほとんど不可能にしてしまうのである。

「もしAGIシステムがセンサーの異常を飛来するミサイルと誤認すれば―それは1983年のソ連の誤警報事件が示すように、人間が運用するシステムでも実際に起きたことだが―訂正に残された時間は、数分から数秒へと縮むかもしれない。」

ICAN
ICAN

核意思決定における誤りの余地は、もともと不穏なほど狭かった。AGIはそれを完全に消し去る危険がある、とラウフ氏は警告した。

データの質とシステムの信頼性

AGIをめぐっては、データの質と完全性が根本的な懸念事項である。機械学習システムの信頼性は、訓練に用いられたデータの信頼性を超えることはできないからだ。

ラウフ氏はこう語る。「核をめぐる環境は、特有のきわめて複雑な課題を抱えている。そこでは、発生頻度は低いものの結果は極めて重大な事象を扱わなければならず、利用できる過去データも限られている。さらに、敵対的な主体が意図的に誤情報をセンサーネットワークに流し込む可能性があり、地政学的状況も、訓練データが捉えられる速度を上回って変化していく。」

核をめぐる状況で、AGIシステムが改竄されたデータを正しいものと受け取り、それに基づいて行動すれば、誤った前提に基づくエスカレーションを招きかねない。さらに深刻なのは、多くの機械学習モデルが抱える、いわゆる「ブラックボックス問題」である。なぜその出力が生成されたのかを、システム設計者でさえ説明できない場合があり、ましてそれをリアルタイムで修正することは容易ではない。

ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)で大量破壊兵器計画の研究員を務めるウラジスラフ・チェルナフスキフ氏はIPSの取材に対し、AIと核の接点をめぐる各国の既存の対応は、核意思決定において人間の統制を維持するという原則ではおおむね一致しているものの、それをどう定義し、実際にどう運用するかについては合意がないと語った。

そのうえでチェルナフスキフ氏は、核保有国がこの原則を正式に認め、この文脈における「人間の統制」の定義と、それが核兵器分野でどのように具体化されるのかを明確にすることが、リスク最小化に向けた第一歩の一つになり得ると指摘した。

国連が目指すAIガバナンス
Guterres Warns AI Is Outpacing Global Governance
Guterres Warns AI Is Outpacing Global Governance

先月ニューデリーで開かれた「AIインパクト・サミット」で、アントニオ・グテーレス国連事務総長は、AIの未来は一握りの国や一部の億万長者の気まぐれによって決められるべきではないと述べた。

グテーレス事務総長によれば、国連総会は昨年、二つの重要な一歩を踏み出した。
第一に、人工知能に関する独立した国際科学パネルを設置したこと。
第二に、すべての国が民間部門、学術界、市民社会とともに参加できる、国連の枠組みの下でのAIガバナンスに関するグローバル対話を立ち上げたことである。

同氏はサミット参加者に対し、真のインパクトとは、人々の暮らしを向上させ、地球を守る技術であると語った。そして、人間の尊厳を基礎に据えた、すべての人のためのAIを築くよう呼びかけた。

U.N. spokesperson Stephane Dujarric/ UN Photo
U.N. spokesperson Stephane Dujarric/ UN Photo

ステファン・デュジャリック国連事務総長報道官は先月、記者団に対し、事務総長は国連がAIを統括すべきだと主張しているのではない、と説明した。そうではなく、すべての国が議論の場に参加できるよう、加盟国の協力を得て、そのための枠組みを構築してきたのだという。

そのうえでデュジャリック報道官は、次のように述べた。「AIはこれからも、そしてすでに、私たちすべてに影響を及ぼしている。技術を持たない国々にも発言権が確保され、科学と公正がAIの中心に据えられることが極めて重要である。」

責任と説明責任

さらにラウフ氏は、AGIによる勧告や自律的行動が破滅的な結果につながった場合、説明責任の所在が極めて曖昧になると分析する。

従来の指揮命令系統では、あらゆる意思決定の段階で、人間の責任の所在は明確だった。だが、AGIの導入はその明確さを曖昧にしかねない。誤算の責任を負うのは、ソフトウェア開発者なのか、軍の指揮官なのか、そのシステムを配備した政府なのか、それともアルゴリズムそのものなのか―と同氏は問いかける。

明確な責任の枠組みが欠けていることは、法的・倫理的な問題にとどまらない。誰が統制し、どのような判断原理が適用されているのかを、敵対国も同盟国も理解する必要がある以上、それは戦略上の問題でもある。

サイバー攻撃への脆弱性

AGIで強化された、あるいはAGIに依存するNC3システムは、敵対勢力にとって新たな攻撃の余地を広げる。AGIの出力を操作することを狙った敵対的入力を含む高度なサイバー攻撃によって、こうしたシステムが欺かれたり、機能を麻痺させられたりする可能性がある。そして、その異常に気づいたときには、すでに手遅れになっているおそれもある。

ラウフ氏によれば、AGIの統合は、従来の核システムには存在しなかった新たな不安定要因を生み出すのである。

国際協力の必要性

こうした深刻な課題がある一方で、リスクを管理する有力な手段として国際協力が考えられる。信頼醸成措置や共通の技術基準、さらに核システムにおけるAGIの自律性の限界を定める二国間または多国間の「拘束力のある」合意は、戦略的安定性の維持に資する可能性がある。

軍備管理の歴史が示しているのは、生存という共通の利益にかなうルールであれば、敵対国同士でも合意できるということである。ラウフ氏は、その伝統をAGI対応型NC3システムにも拡張することが急務だと訴える。技術が外交を追い越してしまう前に、である。

ラウフ氏はこう述べた。「AGIの核システムへの統合は、技術的には避けられないのかもしれない。だが、それを賢明に管理できるかどうかは政治的かつ道義的な選択の問題であり、依然として開かれている。しかし、それは今日の文民・軍事の『指導者』たちの知的・道徳的・倫理的な判断能力を超えているようにも見える。」(原文へ)

This article is brought to you by INPS Japan, in collaboration with Soka Gakkai International, in consultative status with the UN’s Economic and Social Council (ECOSOC).

SDG

INPS Japan

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ウズベキスタン―日本:戦略的パートナーシップの境界を広げる

【タシケントLondon Post】

両国が1992年1月26日に外交関係を樹立して以来、ウズベキスタンと日本の協力関係の発展は、ウズベキスタンの対アジア太平洋外交の重要な柱であり続けてきた。相互尊重と信頼を基盤に、タシケントと東京は現在、政治、安全保障、経済、投資、イノベーション、教育、文化、観光に加え、地域協力の枠組みでの連携まで、幅広く活発な協力関係を築いている。

日本はこれまで、産業・エネルギーインフラの近代化、デジタル変革の推進、持続可能な開発の促進において、ウズベキスタンにとって主要な戦略的パートナーとなってきた。教育、科学、文化、人的交流の分野でも、前進を後押ししてきた。

Shavkat Mirziyoyev, 2nd President of Uzbekistan

二国間協力は多岐にわたり、近年は一段と弾みがついた。転機となったのは、2019年12月のシャフカト・ミルジヨエフ大統領の公式訪日である。この訪問は、主要な共同の経済・投資・人道(人的)プロジェクトの実施を強く後押しし、二国間関与の長期的な方向性を示した。

国際舞台でも、ウズベキスタンと日本は国際機関で緊密に連携し、互いの立場を支え合っている。ウズベキスタンはこれまで、日本の国連機関などのポストへの立候補を40回以上支持してきた。他方、日本は、中央アジア非核兵器地帯、教育と宗教的寛容、若者支援、持続可能な開発目標(SDGs)達成における議会の役割など、ウズベキスタンが主導した国連総会決議の共同提案国となってきた。

関係の戦略性は、議会間協力にも表れている。両国議会には友好議員連盟が設置され、ウズベキスタン―日本議員フォーラムも定期的に開かれている。相互訪問に加え、オンラインでの協議や折衝も進む。

外務省間の連携も緊密だ。2002年以降、両国外務省は19回にわたり政治協議を実施してきた。

大きな節目となったのが、2025年8月25日にタシケントで開催された、両国外相による初の「戦略対話」である。この新たな枠組みは、二国間関係の長期性と、あらゆる分野で互恵的協力を広げる双方の意思を明確にした。

外相間の定期的な接触—電話会談や国際会議の場での会談、相互訪問—は、二国間・多国間の課題で立場をすり合わせ、協力を他分野にも波及させる役割を果たしている。

また、日本におけるウズベキスタン名誉領事も、両国協力の推進で重要な役割を担い、経済・文化面の取り組みを後押ししている。

経済面では、産業、エネルギー、通信、インフラ、イノベーション、輸送、「グリーン経済」まで幅広い分野で協力が進む。貿易は最恵国待遇の下で行われており、二国間貿易額の着実な伸びにつながってきた。

2024年には「ウズベク・日本トレードハウス」が名古屋に開設され、日本側で対ウズベキスタン貿易拡大への関心が高まっていることを示した。

二国間経済プロジェクトの調整の要となっているのが、ウズベキスタン―日本、ならびに日本―ウズベキスタンの経済協力委員会による合同会合である。

現在、ウズベキスタンでは日本資本の合弁企業が84社活動し、日本の主要企業13社が現地代表部を置く。石油・ガス、化学、機械、物流、教育、観光などの分野で事業を展開している。

日本の政府系協力機関を含む金融分野の支援も、ウズベキスタン経済の近代化で重要な役割を果たしている。2025年1月には、国際協力機構(JICA)との間で、神経内科・脳卒中共和国センターの建設・設備整備に向けた1億5000万ドルの円借款契約がタシケントで署名された。医療体制の高度化に向けた重要な一歩となるプロジェクトだ。

文化・人道面の交流は層が厚く、人的な結びつきも強い。20年以上にわたり、ウズベキスタン―日本友好協会をはじめ、福島―ウズベキスタン協会、日本―ウズベキスタン協会などの友好団体が活動を続けてきた。タシケントに設置された「広島平和の石」や、首都中心部の日本庭園は、両国の友好を象徴する存在となっている。

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ウズベキスタンでは日本文化フェスティバルや映画上映、舞台公演、展覧会が定期的に開かれている。一方、日本でもウズベキスタンの食文化や民族衣装、音楽、舞踊などが幅広く紹介されている。こうした相互交流が、尊重と信頼に基づく長期協力の土台を形づくっている。

近年は現代的な文化プロジェクトも、人道交流の象徴となってきた。2022年4月、東京で「シルクロードの精神―友情の架け橋」が開催され、2024年には日本のアンサンブル「Japanese Pearl」が伝統的なボイスン・バホリ祭で3位に入賞した。

教育は、人道協力の中でも特に伸びが大きい分野である。ウズベキスタンでは7大学で2500人以上が日本語を学び、ウズベキスタン―日本人材開発センターが運営されている。日本開発奨学金(JDS)プログラムも実施され、東京、名古屋、筑波、慶應、豊橋などの大学との共同プロジェクトが進む。JDSでは400人以上のウズベキスタン人学生が奨学金を得ており、日本で研修を受けた人材は約2500人に上る。交換留学や教員交流も活発で、大学学長フォーラムも開催されている。

共同研究は、古代史、考古学、東洋学、農業、気候過程など多分野に及ぶ。

日本はウズベキスタンの医療分野の発展にも資金・技術支援を提供してきた。医療施設の機器整備、専門人材の育成、ワクチン供給などに6000万ドル以上が拠出されている。日本人ボランティアは100人以上がウズベキスタンで活動し、ウズベキスタンの医療従事者200人以上が日本で研修を受けた。

地方自治体レベルの交流(地域間交流)も、二国間関係で比重を増している。姉妹都市・姉妹地域関係は、リシタンと舞鶴、タシケントと名古屋、サマルカンド州と奈良県の間で結ばれた。この枠組みの下、日本では「サマルカンド・デー」が定期的に開催され、名古屋でも文化行事が行われている。

日本人旅行者の間でウズベキスタンの文化・歴史への関心が高まり、観光分野の協力も促されている。航空便の拡充、文化観光の発信強化、インフラ改善を追い風に、日本人訪問者数は増加傾向にある。

とりわけ関心を集めているのが、ウズベキスタンの仏教遺産である。カラ・テペ、ファヤズ・テペ、ダルヴェルジン・テペ、テルメズおよび周辺の寺院遺跡群が注目されている。日本人研究者の調査を背景に、これらの遺跡は国際的な認知を高め、世界各地から観光客や研究者を呼び込んでいる。

日本国内の関心の高さを示す例として、2025年の大阪・関西万博でのウズベキスタン館「知の庭:未来社会の実験室」の成功が挙げられる。ウズベキスタン館は印象的な展示の一つとして評価され、金賞を受賞した。両国友好に捧げたウズベキスタン国立交響楽団の公演「Celestial Dance(天空の舞)」の世界初演も、日本の観客を魅了した。

ミルジヨエフ大統領が今回の訪日で参加する「『中央アジア+日本』対話」(Central Asia–Japan Dialogue)の首脳会合は、ウズベキスタンの地域優先課題と合致し、中央アジア諸国の政治的結束の高まりを映し出す枠組みでもある。

この枠組みは、2004年8月24日に川口順子外相(当時)がタシケントを訪問した際に提起された。当時の優先目標には、地域の平和と安定の確保、改革と社会発展の支援、域内連携の強化、周辺地域および国際社会とのパートナーシップ拡大、地域・地球規模課題への協力が含まれていた。

Tashikent City Credit: By Muso1996 - Own work, CC BY-SA 4.0
Tashikent City Credit: By Muso1996 – Own work, CC BY-SA 4.0

現在、この対話は、持続可能な開発をめぐる議論と信頼に基づく協力を進める、安定した枠組みへと発展している。

実務面を充実させるため、局長級など高官実務者による定期会合や分野別の専門家協議、「東京知的対話」などが開かれている。近年では、2023年から2025年にかけて東京で閣僚級として行われた経済・エネルギー対話が、特に重要な柱となった。

インフラ支援は、対話枠組みにおける日本の優先分野の一つであり続けてきた。JICAや国際協力銀行(JBIC)など日本の機関は、輸送回廊、物流拠点、道路、関連施設、空港、鉄道インフラの近代化に体系的に関与している。これらの事業は地域の接続性を高め、中央アジアが東アジア・中東・欧州を結ぶ要衝として果たす役割を強めている。

デジタル化と自動化で先行する日本は、地域諸国と知見を積極的に共有している。ウズベキスタンにとってこの協力はとりわけ重要である。同国はIT産業を急速に育成し、ITパークやテクノパークを整備し、デジタル経済の取り組みを進める中で、日本の専門家を招いて人材育成を進めている。

日本が環境配慮型開発や省エネ技術で長年の実績を持つことから、環境協力もパートナーシップの中核要素となっている。

地域最大の人口を抱え、主要な輸送・物流ハブでもあるウズベキスタンは、対話枠組みの議題形成で中心的役割を担う。近年は多分野で新規プロジェクトを提起し、協力の実務面の強化に大きく寄与してきた。

この20年余りで、中央アジア+日本対話は、地域諸国と日本が幅広い分野で体系的に協力を進めるための、安定した実効的な枠組みとして定着してきた。

したがって、ミルジヨエフ大統領の今回の訪日と中央アジア+日本首脳会合への参加は、二国間および多国間の政治対話を深化させ、経済・投資協力を拡大し、教育・科学分野の結びつきを一段と強めることになるだろう。相互利益に資するパートナーシップ拡大に向けた大統領の取り組みは、地域統合と開かれた建設的な国際対話へのウズベキスタンのコミットメントを改めて示すものとなる。(原文へ

INPS Japan

Original URL: https://londonpost.news/uzbekistan-japan-expanding-the-boundaries-of-strategic-partnership/

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広島からテヘランへ?―「輸入された自由」という戦争タカ派の幻想

【ロンドンLondon Post= シャブナム・デルファニ】

ここ数日、戦争タカ派の声が再び強まっている。臆することなく「トランプによる対イラン攻撃」を語り、それを解放と自由、発展の万能薬であるかのように持ち上げる人々だ。理屈は一見単純である。米国は第二次世界大戦で日本を打ち負かし、爆撃し、無条件降伏を迫った。その後、日本は短期間で経済大国になった。ならば同じ筋書きを、イランでも繰り返せるはずだ―というのだ。

この比較は、単にナイーブなだけではない。歴史の歪曲である。しかも、現実の人命を代償にする政治的ファンタジーでもある。

戦後日本は歴史的な例外であり、輸出できるモデルではない。米国が1945年に占領した日本は、その時点で既に約80年にわたる近代化の道筋を歩んでいた。1868年の明治維新以降、日本は近代的で中央集権的な国家、普遍的な教育制度、効率的な官僚制、職業軍、先進的な産業基盤を築いてきた。敗戦前の日本はアジア随一の工業国だった。戦争には敗れたが、制度が空洞化していたわけではない。壊滅的な打撃は受けた。だが、制度的な土台を失っていたわけではなかった。

米国が「再建」したのは、制度が欠落した空白の上に一から立てた国家ではない。機能する近代国家という基盤の上で、再出発の形を整えたにすぎない。

イランを「日本化」できるという発想の支持者は、しばしば決定的な歴史的文脈を見落としている。日本は1945年当時、白紙の国家ではなかった。結束した国民国家として制度が確立し、産業力を備え、固有の政治文化もあった。米国が日本をゼロから作ったのではない。むしろ米国は、台頭しつつあった冷戦秩序の戦略枠組みの中で、日本の戦後の進路を方向づけたに過ぎない。

日本の復興は利他主義の産物ではない。周到に計算された地政学戦略だった。ワシントンは日本を、アジアにおける資本主義的回復の「見本」として位置づけ、共産主義拡大への対抗軸に据えようとした。巨額の資金援助、長期の安全保障の保証、米市場への優先的アクセスは、民主主義的善意の表現ではなく、イデオロギー競争の道具だった。

ここで根本的な問いが浮上する。今日の地政学的構図の中で、イランは同程度の投資を正当化する位置にあるのか。米国がイランを自らの望む秩序の「ショーケース」に仕立てることを正当化するほどの、圧倒的な地政学的脅威は存在するのか。答えは明確ではない。現代の国際システムは、もはや硬直した二極対立で定義されていない。イランが地域的に重要であるとしても、冷戦期の日本が占めたような超大国対決の最前線という地位にあるわけではない。

米国がイランを「第二の日本」に変えられるという発想は、真剣な政策提案というより、ハリウッド大作の続編の企画書のようなものだ。

さらに、日本は戦後、安全保障を実質的に米国に外注した。軍事支出を抑え、安全保障の保証を受け、その間に生産と輸出に集中した。これに対しイランは、世界で最も不安定な地域の一つに位置し、地域覇権争い、宗派の断層、根深い歴史的不信、国家・非国家アクターの複雑なネットワークが交錯している。比較的制御された安全保障環境にある東アジアの島国と、中東の中心にある国家を比べることは、実験室と地雷原を比べるようなものだ。

そして何より危険なのは、「輸入された自由」という約束である。

米国がイランに自由をもたらせるという主張は、歴史的記憶を意図的に切り落としている。1953年、米英の関与の下で民主的に選出された首相 モハンマド・モサッデク が失脚させられたクーデターは、イランの政治意識に深く刻まれている。石油国有化を断行した政権は「安定」の名の下に排除され、その後、シャー体制が強化された。この出来事は、理念よりも利害が優先されるという国際政治の現実を象徴している。やがて蓄積した不満は イラン革命へと噴出した。

この歴史を踏まえれば、「外部からの介入が自由をもたらす」という物語がいかに脆弱であるかは明らかだ。大国は秩序を設計するが、その設計図は自国の利益に沿って描かれる。自由が生まれるとしても、それは副産物にすぎない。

「日本化」シナリオの支持者は、現代の反例を都合よく無視している。イラク、アフガニスタン、リビア。爆撃と占領だけで先進経済になれるのなら、なぜこれらは失敗したのか。軍の駐留、巨額の資金、体制転換を経たにもかかわらず、なぜ結果は慢性的な不安定、社会の分断、正統性の危機しか生まなかったのか。

答えは明白である。国家建設や国民統合は、爆弾で輸入できない。独立した制度、政治文化、社会契約、国民的結束は、内側からの漸進的なプロセスの産物だ。持続可能な発展は、占領や外部の命令、衝撃からではなく、制度的な秩序から生まれる。

発展は輸入できない。自由は内発的なプロジェクトであり、ミサイルや制裁、侵攻に乗って到来するものではない。社会の力学が動き、エリートが合意に達し、中間層が自立し、経済が依存とレント(利権)追求から解放されるとき、自由は形を取る。外部の「救世主」を前提とするモデルは、結局、依存と正統性の危機を深め、新たな不安定の循環を招くだけだ。

この比較の問題は、楽観か悲観かではない。歪曲だ。日本の歴史を歪め、世界の権力構造を単純化し、発展という複雑な過程を、都合よく包装した幻想へと還元している。ここまで単純化された分析なら、問うべきことは一つである。意図的に何が省かれているのか。

「米国に攻撃させれば、イランは日本になれる」という主張は、政治的勇気でも現実主義でもない。歴史的責任の回避である。発展に既製の公式はない。固有の歴史、アイデンティティ、矛盾を抱えた複雑な社会を、外部の大国が東アジアのコピーへ作り替えることなどできない。大国は自らの利益を追う。仮に安定が生じたとしても、それは副次的な結果にすぎず、目的ではない。

歴史、制度、地政学の文脈を抜きにイランを日本と比べることは、もはや分析ではない。プロパガンダだ。「建設的破壊」という幻想を利用しながら、人間的・社会的コストを脇に追いやるプロパガンダである。

本当の問いは、「イランは日本になれるのか」ではない。なぜ一部の人々が、8000万人規模の社会の複雑さを、幼稚な筋書き――爆撃、降伏、奇跡の発展―へと単純化しようとするのか、である。

歴史はそんなに単純ではない。誰かがそう語るとき、強く問い返さなければならない。この単純化と欺瞞によって利益を得るのは誰なのか。(原文へ

INPS Japan

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想像力が拓く持続可能な素材革命―竹とノパルが変えるデザインと産業

竹とノパル(ウチワサボテン)の繊維が、工業デザインやファッションなどの分野で、研究者や起業家にとっての持続可能な代替素材になりつつある。

【メキシコシティーINPS Japan=ギエルモ・アヤラ・アラニス】

Guillermo Ayala Alanis
Guillermo Ayala Alanis

「千の用途を持つ植物」とも呼ばれる竹は、食から建築まで幅広い用途を持つ。その多用途性は、世界各地の大学で研究者の関心を集めている。|英語版スペイン語

「無人島に取り残され、手元に竹しかなくても、私は幸せだろう」──こう語るのは、メトロポリタン自治大学(UAM)ソチミルコ校舎(UAM-X)で15年以上にわたり竹を研究してきた、デザイン分野の博士(科学・芸術)ホセ・ルイス・グティエレス・センティエス氏である。
「竹はきわめて多用途な植物だ。限界を決めるのは、私たちの想像力だけである」

センティエス氏は竹の活用を、持続可能な開発目標(SDGs)の目標4(質の高い教育)や目標12(つくる責任 つかう責任)などに結び付けて位置付けている。UAM-Xで行われる学際的研究やワークショップを通じ、学生がこの古くからある植物を日用品へと作り変える力を養うことを促している。

    Photo: Bicycle structure. Credit: José Luis Gitiérrez.

「学生は竹を知り、身近な素材として認識し、活用に適した特徴や性質があることを学ぶ必要があります。環境負荷が低いという点も含めてです」と同氏は強調する。「環境の問題は、すでに私たち全員が避けて通れない横断的テーマになっているのです」

講座に参加するのは工業デザインの学生だけではない。他分野の学生も加わり、学際的なつながりを生む場となっている。これまでに、自転車やテーブル、台所用品など実に多様な製品が生み出されてきた。こうした体験は技術力を高めるだけでなく、素材に対する視野を広げ、革新的な可能性を実践の中で具体化していく。

  Photo: Bamboo structure. Credit: José Luis Gitiérrez.

竹はしばしば東アジア文化の象徴として語られるが、植物分類学上はオーツ麦やトウモロコシ、小麦、芝草などと同じイネ科に属する。数センチ程度のものから、約40メートル―12階建ての建物に相当する高さに達する種まで存在し、足場や住宅の建材としても利用されている。

木材の代替となり得る竹の活用は、無秩序な森林伐採の抑制にもつながり、目標15(陸の豊かさも守ろう)の達成にも資する可能性を持つ。

「製品を作るために、これほど多くの樹木を切り倒す必要がなくなる。土壌侵食や森林破壊といった問題を避けられる」とグティエレス氏は語る。「樹木は生態系の一部であり、木を失えば、多様な植物や動物が暮らす生息環境全体を壊してしまいかねない」。

SDGs Goal No. 12
SDGs Goal No. 12

竹の種は世界に約1200ある。アメリカ大陸では米国からチリまで分布し、メキシコには木質の竹が36種、草本の竹が4種存在する。主にコリマ、オアハカ、チアパス、プエブラ、ベラクルスなどの熱帯気候の州に分布し、建設産業向けに竹製品を提供する企業が拠点を置く地域もある。

メキシコでは伝統的に、竹は自生する農村地域で広く利用されてきた。住居の建設をはじめ、工芸品やかご編み、家具、生活用具などに活用されてきたのである。

メキシコ政府によれば、竹―「グリーン・スチール」とも呼ばれる―を用いた低コスト住宅の建設費は、従来の建材を用いた住宅に比べ、最大40%削減できる可能性があるという。

Photo: Room in Playa San Agustinillo, Oaxaca.

また、自然との調和を重視するホテル開発においても、竹の活用が広がっている。

代替素材への関心は竹にとどまらない。ノパル(ウチワサボテン)など他の植物も、研究者とメキシコ産業界の双方から注目を集めている。

たとえばグアダラハラでは、ある企業がノパル繊維に再生PETと綿を組み合わせ、Tシャツやスウェットシャツを製造している。こうした試みは、目標9(産業と技術革新の基盤をつくろう)にも合致する。

Image: T-shirt made from nopal cactus fiber, recycled PET, and cotton.
Source: MAYORK.
Image: T-shirt made from nopal cactus fiber, recycled PET, and cotton.
Source: MAYORK.

Mayokの営業・マーケティング責任者アルバロ・ルイス・スニガ氏によれば、この計画は環境負荷の低減に貢献したいという思いから4年前に始まり、2年前に製品化した。現在、Tシャツとスウェットシャツは順調に販売されているという。

「私たちは地球に暮らしている。地球に優しくあるべきだ」と同氏は語る。「メーカーにも消費者にも追加コストはかかる。だが最終的には双方に利益をもたらす。こうした特性を持つ製品は、今後少しずつ増えていくだろう。」

メキシコでは、再生素材を用いた衣料品は従来品より25~30%高いことが多い。だが同社は、その価格差は地球環境に資する投資として正当化されると考えている。Mayokは現在、グアダラハラやシナロア、プエルトバジャルタ、メリダに店舗を構え、国内の広い範囲に供給できる配送センターも備えている。

Image: Sweatshirt made from nopal fiber, recycled PET, and cotton.
Source: MAYORK.
Image: Sweatshirt made from nopal fiber, recycled PET, and cotton.
Source: MAYORK.

ルイス・スニガ氏は、さまざまなデザインや色での仕上がりや耐久性を検証するため、品質試験を重ねたと説明する。着心地を高めるため、生地の質感も調整した。

その取り組みが評価され、メキシコが2026年6月に開催する国際スポーツイベント向けに、スウェットシャツの大口注文を受けることにつながったという。

「私たちは自社製品に自信があります。たとえば大量のスウェットシャツ注文があったが、ワールドカップ向けだと聞いています。デザインを気に入る顧客は出てくるはずです。」と同氏は語った。

国連は、繊維産業が世界の排水の約20%を占め、温室効果ガス排出量の約10%を生み出していると警告している。こうした文脈で、天然繊維や再生PETの活用は、水質汚染の抑制と環境負荷の低減に資する。

SDGs Goal No. 15
SDGs Goal No. 15

メキシコでは、繊維産業が年間に巨額の経済活動を生み出す一方で、大量の廃棄物も排出している。ノパルのような天然繊維や再生PET由来の繊維の利用拡大は、目標12(つくる責任 つかう責任)の理念を社会に根付かせることにもつながる。

大学のワークショップであれ、再生素材に取り組む企業であれ、より持続可能な暮らしへの転換は、個々人の気づきから始まる。

竹とノパルが示しているのは、限界を決めるのは素材ではなく、私たちの想像力だということである。(原文へ

This artice is brought to you by INPS Japan in collaboration with Soka Gakkai International, in consultative status with the UN’s Economic and Social Council (ECOSOC).

SDGs for All Banner 1

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暫定政権がバングラデシュにもたらしたもの

BNPは、2024年のGenZ主導の蜂起で長期政権のシェイク・ハシナ首相が退陣してから18か月後の金曜日、議会選挙で地滑り的勝利を収めた。

【ダッカ/カトマンズ=ファルハナ・スルタナ】

バングラデシュは驚くべき成果を成し遂げた。2月12日、観測筋が「この10年以上で初めて真に競争的な国政選挙」と呼ぶ選挙で、数百万人の有権者が各選挙区の数千に及ぶ投票所に列をつくった。多くの人々にとって、2008年以来初めて「意味のある一票」を投じる機会となったのである。

選挙が実施され、観察者と市民の双方が「概ね平和で整然としていた」と評するだけの手続き上の信頼性を伴い、予定通り行われたのは偶然ではない。

それは、危機に陥った国家を引き継ぎ、民主的再生へ導く責務を負った暫定政権が、18か月にわたり積み重ねてきた努力の成果である。

バングラデシュが新たなページをめくるこの局面で、ユヌス博士の政権が18か月で何を成し遂げ、どこに課題を残したのかを率直に点検する価値がある。

文脈は極めて重要である。2024年8月5日、学生主導の革命を経て(その過程で1,000人以上が命を落とした)、シェイク・ハシナは国外へ逃れた。国は単に「政権の空白期」にあったのではない。急速な崩落の只中にあった。

警察は大半が持ち場を放棄し、複数の地区で暴力が噴出した。銀行部門は、政治主導の融資が長年積み上げた不良債権に蝕まれていた。司法、官僚機構、選挙管理委員会、主要な規制当局は、いずれも15年にわたり、特定政党の利害に体系的に従属させられてきた。

ユヌス博士と助言チームが引き受けたのは、「機能する国家が暫定的な管理者を待っている」状況ではない。再建を要する制度の荒廃であった。

その後に続いたのは、制度を立て直す期間である。不完全さはあったとしても、この取り組みは評価に値する。

改革プロセスは、暫定政権にとって最も重要な取り組みであった。憲法設計、司法、警察、メディア、労働、女性の権利などを対象に、11の委員会が設置された。提言は整理・統合され、政党を交えた7か月にわたる全国放送の協議を経て、「7月憲章」としてまとめられた。これは84項目の改革提案パッケージであり、約24の政党が支持した。

二大勢力のゼロサム対立に特徴づけられてきた同国の政治文化を踏まえれば、これほど長期にわたる多党協議は近年ほとんど前例がない。憲章が不完全であっても、制度再設計をめぐって幅広い合意形成を試みた努力は、形式にとどまらず実質を伴うものだった。

選挙の制度と運営にも、制度整備の成果が表れた。選挙管理委員会は再編され、有権者名簿は刷新された。さらに在外バングラデシュ人の参加を可能にするため、郵便投票が初めて導入された。

欧州連合(EU)やコモンウェルス、国際選挙監視団体などからの代表団を含む約500人の国際監視員・記者が登録された。選挙管理委員会は全国投票率が60%を超えたと報告している。ハシナ政権下の直近3回の総選挙が自由・公正を欠くとして広く疑問視されてきたことを踏まえれば、これは質的転換である。

経済と外交の面でも、暫定政権は厳しい環境を切り抜けた。

バングラデシュ統計局によれば、2025年末にかけてインフレ率は低下した。ただし政府目標をなお上回り、家計を圧迫し続けた。為替制度改革は外貨準備高の安定化に寄与した。

Donald Trump/ The White House
Donald Trump/ The White House

外交面の実績はむしろ際立った。トランプ政権が2025年4月、バングラデシュ製品に37%の相互関税を課した際、暫定政権は8月までに税率を20%へ引き下げる交渉をまとめた。さらに選挙のわずか3日前、ワシントンと正式な相互貿易協定に署名し、税率を19%へ一段と引き下げた。特定の繊維・アパレル輸出については無関税でのアクセスも盛り込み、バングラデシュは南アジアで初めてこの種の協定を最終合意した国となった。

日本との経済連携協定(EPA)では、バングラデシュ製品の数千品目について無関税待遇を確保した。

ユヌス博士の2025年3月の北京訪問では、投資・融資・助成として20億ドル超を引き出し、河川・水管理の長期マスタープラン策定に関する中国側の関与も取り付けた。

国際社会の注視から自らを遠ざけてきた時期を経て、再び世界に門戸を開いたこと自体が、実質的な外交成果であった。

制度面では、政府発表によれば、暫定期間中に約130の法律が制定または改正された。国税庁(National Board of Revenue)はいったん解体されたうえで再編された。バングラデシュは「強制失踪からのすべての者の保護に関する国際条約」に署名した。前政権が拒んできた一歩である。

調査委員会は、ハシナ政権下の強制失踪について1,600件を超える申し立てを記録した。国家予算は2008年以来初めて生中継で公表された。

ただし、この期間を失敗のないものと捉えることはできない。治安は終始脆弱であった。記者への対応は国際的な報道の自由団体から批判を受けた。女性は経済的損失を不均衡に負担した。少数者の権利も課題として残った。若年失業は高止まりした。マクロの安定化は、何百万人もの家計にとって実感できる救済にはつながらなかった。

これらは現実の失敗であり、軽視できない。

それでも強調すべきは、暫定政権の基本姿勢である。この政権は、自らの使命を移行期の「修復」と位置づけ、権力の固定化を図らなかった。

Muhammad Yunus photo credit: Katsuhiro Asagiri.
Muhammad Yunus photo credit: Katsuhiro Asagiri.

ユヌス博士は就任時84歳で、革命を主導した学生リーダーの要請を受け、この役割を引き受けた。政治的野心からではない。相当の個人的犠牲を払いながらも、自由で公正な選挙の実施を約束し、それを果たした。日程は事前に示され、選挙は実施され、政権は退く準備を整えた。

民主的移行がしばしば頓挫し、指導者が「非常事態」を口実に任期延長や憲法操作に踏み込む例も少なくない地域において、自らの後継を生む仕組みを整え、実際に一歩身を引く政府は稀である。その点で、この移行が持つ意味は小さくない。

選挙が終わったいま、バングラデシュは政治の一章を閉じ、次の章を開いた。暫定政権の時代は終わり、選挙で選ばれた統治の時代が始まろうとしている。

今後は、次期議会でいかなる連立が形成されるか、その能力と意思、そして市民と市民社会が政府に説明責任を求め続ける力に左右される。

改革の枠組み、再編された選挙制度、7月憲章、回復した外交関係は、完成された成果ではない。次の政府が積み上げ、強化することも、放置することもできる「開かれた可能性」である。

多くのバングラデシュ人にとって、この選挙は、異例の章の終わりでもある。ノーベル賞受賞者が市民社会から招かれ、国家の再出発を監督するという展開が現実になったからである。

移行期の指導者が感謝されて去ることは稀だが、ユヌス博士はそうした別れを受けている。期間が完璧だったからではない。約束した形で移行を終えたからである。

博士と助言チームは、機能不全に陥った国家を引き受け、重要だが未完の修復作業を進めた。信頼できる選挙を実現し、多党間の改革合意を築き、国内の強い政治圧力の下で外交・経済の不安定局面を乗り切った。国が、多くの人々が恐れた破局的な混乱へ転落する事態を回避した点も見逃せない。

ユヌス博士は無謬ではない。しかし、その姿勢は一貫して説明責任と合意形成、そして「7月革命を起こした人々の民主的権利」に向いていた。

博士とチームは次へつなぐ土台を残した。支配ではなく対話を、布告ではなく協議を優先した。便宜よりも倫理的責任を重んじる公共奉仕のあり方を示したのである。

Location of Bangladesh
Location of Bangladesh

私は、グローバル・サウスの各地で、統治、権力、日常生活を形づくる構造要因を研究してきた。民主的移行がいかに脆いかを知っている。民主的移行は、成功よりも失敗が多い。

次の政府が引き継ぐ課題は巨大である。回復がようやく始まったばかりの経済、部分的にしか実装されていない制度改革、権威主義支配と革命的激動のトラウマを抱え続ける社会、そして継続する環境課題――。経済・政治・社会・生態の難題は相互に絡み合っている。

多元性と説明責任の空間が拡大するのか、縮小するのかは、改革がどう運用されるか、そして市民社会が透明性をどれだけ粘り強く求め続けるかにかかっている。

2024年7月と8月に街頭を満たした勇気は、いま、投票という形で表出した。その民主的エネルギーを持続する制度へ転化する作業は、数か月ではなく数年を要する。

担うのは新政府、市民社会、そして一人ひとりの市民である。選挙と国民投票は一定の手続き上の正統性を回復した。しかし、より難しい課題は、その正統性を日々の統治に埋め込むことである。

私たち全員に責任がある。建て直し、新たな指導者に説明責任を求め、7月の殉教者たちの犠牲が無駄にならぬようにする責任である。

バングラデシュは転機を越えた。ここからどこへ向かうかは、私たち次第である。(原文へ

ファルハナ・スルタナ(シラキュース大学マクスウェル公共政策大学院/地理学・環境学教授)

※COUNTERPOINTに掲載された原文を許可を得て転載。

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亡命先で花開くミャンマー人の反軍政抵抗運動

【タイ・チェンマイIPS=ガイ・ディンモア】

建設現場やホテル、飲食業で働く人々まで―タイに住むミャンマー移民の数は最大で約600万人に達するとの推計もあり、2021年の軍事クーデター以降、新たな流入が急増している。

Map of Thailand
Map of Thailand

多くは、国連が世界の上位15の「巨大都市(メガシティ)」の一つに数える首都バンコクで新たな生活を築いている。タイ経済が、安価な労働力の供給源としてミャンマー人労働者を大量に受け入れてきたためだ。

しかし、ミャンマーの知識人や活動家、元戦闘員、さらには軍からの離反者(脱走兵)を数多く引き寄せてきたのは、タイ北部の都市チェンマイである。彼らは、ミャンマー国内で軍政と闘う人々を支える「亡命下の抵抗運動」の中核を形づくっている。

タイとミャンマーの社会は、長いあいだ文化的・社会的なつながりを共有してきた。1558年、チェンマイのラーンナー王国はビルマ(ミャンマー)のタウングー朝の支配下に入り、その統治は2世紀以上続いた。同王朝は、最盛期にはインドから中国、さらにカンボジアにまで勢力を広げていた。

近年、チェンマイはミャンマー亡命者の拠点として定着してきた。 1988年、学生主導の抗議運動が軍に弾圧された後、再結集のために避難してきた人々が最初の流入となった。いまでは、2021年のクーデターで追放された選挙選出議員らが樹立した「国民統一政府(NUG)」の幹部も、出入りしている。

しかし、観光客に愛され「タイで最も美しい都市」とも称されるこの街でも、穏やかな表情の陰で、 法的に不安定な立場に置かれた移民や活動家の暮らしは、決して容易ではない。

以下、亡命者の一部がIPSに語った、個人の経験、苛烈な内戦下でのしなやかな抵抗、そして未来像である。

August Mo*. Credit: Elizabeth Haines/IPS

アウグスト・モー*(LGBTQ活動家、元受刑者、雨季の豪雨の中で生まれた)
「私は刑務所で6か月過ごした後、チェンマイに来ました。政治活動で逮捕歴があり、軍に抗議する『スプリング・レボリューション』に加わって資金集めに携わり、モン州では戦闘にも参加しました。私は芸術家で、肖像画や風景を描き、その収入で難民支援をしています。私たちの村は軍に焼き払われ、逃げるしかありませんでした。

私は検問所で兵士に拘束されました。刑務所はひどく、恐怖そのものでした。施設には3つの区画があり、男性、女性、そして性的少数者(LGBTQ)の区画です。私はその区画に送られました。毎日午後6時になると、看守から性的行為を強要されました。これ以上は話したくありません。コンドームも薬もなく、感染症への不安が常につきまといました。私はチェンマイで検査を受け、結果は陰性でした。私たちは看守の支配下に置かれ、奴隷のように扱われました。食事は虫やウジの混じったほうれん草で、病気になっても治療はありません。房には14人が押し込められていました。」

Jail Source:HRW
Jail Source:HRW

「刑務所にはハエや蚊、ゴキブリ、ウジがあふれていました。トイレはありません。用を足したくなれば隅で済ませ、翌朝それを回収して肥料にするのです。

軍にコネのある友人が助けてくれ、約2500米ドルを支払って釈放されました。母は家を売り、私がチェンマイに来られるようにしてくれました。私はここで稼ぎ、家族と、もう一つの家族であるスプリング・レボリューションの仲間に送金しています。

私たちは戦争を望んでいない。平和がほしい。でも、彼らのやっていることは非人間的です。兵士は洗脳され、戦うために薬物を使わされている。正気を失い、善悪の判断もつかない。薬が欲しいだけで、軍が戦わせるために薬を与えている—私はそう感じています。」

「クーデター前は、LGBTコミュニティも少しずつオープンになり始めていました。でも、クーデターでその流れが止まりました。チェンマイでは今月、『LGBT・ミス・フリーダム』コンテストの司会を務めました。声を上げて、世界に伝えたいのです。私たちは戦争ではなく平和を望んでいる、と。

私はミャンマーの大学で原子核物理学を教えていました。国の状況が良くなれば、また教えたい。

[アウグスト・モーは、ミャンマーのチャット紙幣の小さな束を取り出した。]
「戦争で亡くなった友人が私に残したものです。3300チャット(1米ドル未満)。形見として持っています。」「(サムスンの携帯電話を見せながら)これは別の友人のものです。戦争で殺害されました。私は絶対に売りません。この戦争は、どちらかが勝って終わる形にはならないと思います。私たちは正義のために闘っている。勝ちたいと願っています。正義が実現したら、闘いをやめます。私たちが求めているのは、平和と正義、そして人間性です。」

Ngaing Tun Aung*. Credit: Elizabeth Haines/IPS

ナイン・トゥン・アウン*(抵抗側に離反した軍人)
「私はマンダレーの軍事訓練学校で大尉でした。この戦争は正しくない——そう理解するようになり、兵士として私にできることは離反しかありませんでした。それが抵抗を支える唯一の道だと思ったのです。逮捕の危険があったので、計画は友人にも一切話しませんでした。

SNSを通じて市民不服従運動(CDM)の関係者に連絡し、『Mother’s Embrace』がタイ国境の町メーソートへのルートを用意してくれました。マンダレーを出て、バスとバイクで移動し、最後はモエイ川の国境を越える不法越境のボートでした。私は他の人々と一緒に行動しましたが、互いの素性は知りませんでした。メーソートに6か月滞在した後、チェンマイに移りました。いまはミャンマー国内からの情報を検証する組織で働き、難民に食料や資金を届けています。

私の見方では、この戦争はどちらも決定的には勝てません。軍はロシア、中国、ベラルーシから公式に武器を調達できますが、抵抗側は同じことができず、より高い代償を払わねばならない。中国が供給を絞っているため、弾薬が尽きかけている抵抗部隊もあります。情勢を左右するのは中国だと、私は見ています。」

「戦争は長期化するでしょう。抵抗組織は数が多い一方で、十分に統一できていません。軍はその弱点につけ込んでいます。小規模な抵抗グループの中には、検問所で武器をちらつかせて通行人から金銭を取ったり、身代金目的で人を誘拐したりする例も出ています。

私は自分がCDM側の元兵士だとは人に言わず、目立たないようにしています。身元が漏れるのが怖いからです。私がしているスナック販売の仕事も、制度上は問題があります。許可証では建設労働者として登録されているのに、実際は別の仕事をしている。密告されれば、家族が危険にさらされかねません。」

Sakura*. Credit: Elizabeth Haines/IPS

サクラ*(軍政の悪名高い指名手配リストに載る人物)
「私が最初に離反を支援したのはDでした。私はそれ以前から、携帯電話やノートパソコン、衣類など、離反者に必要な物資をミャンマー国内で届けていました。その後、シンガポールにいる支援者から資金提供を受け、友人の弟を離反させたいという相談を受けて、私が移動の手配をしました。

ただ、彼がどんな技能を持っているのかは分かりませんでした。階級は大尉でしたが、こちらで見つけられたのは清掃などの単純な仕事ばかりで、与えられた仕事は何でも引き受けました。同胞の中には彼を疑い、ひどく扱う人もいて、私は胸が痛みました。

2人目は警察の離反者で、私は移動から生活まで、すべての手配を担わなければなりませんでした。Dは飲食店で昇進し、後から入ったスタッフに声をかけて合流させました。警察の離反者も友人をつくりました。私は人と人をつなぎ、ネットワークをつくろうとしてきました。

ただ、いつもうまくいくわけではありません。ジェイソンは戦闘員で攻撃的で、店の他のスタッフに嫌がらせをするようになった。離反者はその後も増え、少佐が来たこともあります。」

「離反者は、周囲から信頼されにくく、密告者やスパイではないかと疑われることがあります。だから私は、同じ背景を持つ人たち同士がつながれるよう、ネットワークづくりを手伝っています。安心して打ち明けられる存在でありたい。56歳の人もいて、私よりずっと年上なのに、私が世話をしているので、いつも私のことを『ママ』と呼びます。

ミャンマーでは、クーデターから数か月後に『Force for Federal Democracy』に参加し、薬や物資の資金集めを手伝いました。上着を200着送ったこともあります。時には『Free Burma Rangers』からマラリア薬を入手することもありました。人民防衛隊(PDF)向けの資金集めにも、何度も関わりました。

「クーデターから2か月後の国軍記念日、兵士がデモ隊に発砲し、100人以上が殺されました。その日、ヤンゴンで従兄弟が逮捕されました。私は2ブロックほど離れた場所にいて逃げることができました。それ以来、政治犯に食料支援物資を届ける活動を始めたのです。」

「将来ですか? ヨーロッパかどこかのビザを申請しようと思っていましたが、いまは一人でできる自信がありません。チェンマイでできるだけ自力で暮らしています。プロジェクトの仕事をもっと見つけたい。タイのビザ制度は複雑になり、入国管理当局も厳しくなっています。

子どもの頃、祖母はもち米とココナツとジャガリー(粗糖)をバナナの葉で包んで蒸した『モン・ペッ・トック』をたくさん作りました。私たちや近所の人たちが集め、僧侶に配るのです。僧侶は家に来て、感謝として仏教の教えを語ってくれました。私は今もチェンマイでそれを食べるのが好きです。家は雨季の豪雨で2度浸水し、服をたくさん失いました。

ミャンマーに戻って自分の旅行会社を立ち上げたい。でも、それがいつ可能になるのか分かりません。」

Htet Myat Phone Naing. Credit: Elizabeth Haines/IPS

テット・ミャット・ポーン・ナイン(大学生、ソー・モー・ナインの息子)
「私の家族はエーヤワディ川沿いのピェー出身です。父のソー・モー・ナインは、無料の葬儀サービスや医療支援、酸素の確保、輸血用の血液提供などに取り組む、よく知られた実業家で慈善家でした。町で広く知られており、クーデター前はNLD(国民民主連盟)政権とも協力していました。コロナ禍は大変でした。父は、軍政の手配リスト——当局が『影響力のある人物』とみなす人々——に載りました。軍はピェーで若い抗議者2人を殺害し、私たちは無料葬儀サービスを提供しました。2人の墓碑には『革命の殉教者』と刻まれ、町中の人が集まりました。

父は逮捕され、運送業と関連団体は閉鎖されました。父は家族との面会を求め、その機会に逃げました。川を渡り、船で移動しながら10日間身を隠しました。しかし、知られた存在であることがかえって足かせとなり、ヤンゴン近郊へ移りました。

その後、警察が再び家に来ました。私は『まだ17歳で、軍のパイロットになりたい』と言いました。彼らは私を空軍基地に招きましたが、私たちは代わりにヤンゴンへ向かいました。今なら笑えますが、当時は本当に怖かった。

ピェーにはもう何も残っていません。軍がすべて押収しました。だから名前は出して構いません。失うものは何もありません。」

Soe Moe Naing. Credit: Elizabeth Haines/IPS

「父はヤンゴンのアパートで何か月も身を潜め、孤立のために精神的に不調をきたしました。そこで母は、気を紛らわせる工夫で父を支えました。箸とつまようじを買い、父はエッフェル塔の模型を作りました。時間を忘れて没頭するうちに、父は心の健康を取り戻したのです。ヤンゴンにはエッフェル塔を2つ残し、父はメーソートで3つ目を作って、資金集めイベントのチャリティー抽選会に出品しました。父はいま、ティッシュ箱やペン立てなどの注文もこなし、母の店では接客もしています。絵も描き、逃亡中にはオンラインのデッサン講座も受けました。講師は、同じく逃亡中だったCDMの教師でした。

私はメーソートのミャンマー移民向け私立学校に通い、チェンマイで卒業しました。その後、米国に登録されたオンライン大学『パラミ』に出願し、2023年に全額奨学金で合格しました。4年制の学士課程で統計学とデータサイエンスを学んでいます。母はピェー料理の屋台を営み、地元の特製ライスサラダを売っています。地元では有名です。

私たちの将来は不確かです。オーストラリアに庇護申請をしました。新しい場所で新しい人生を始めるのは簡単ではありません。しかし、ここでは人が人を助け合う連鎖が生まれました。」

*印は身元保護のため、話者が選んだ名前である。(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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アフガン国境で緊張激化、パキスタンが反撃

【イスラマバード/カブールLondon Post】

パキスタン治安部隊は2月26日、係争地の国境線デュアランド・ライン沿いで、アフガニスタン側から「一方的な発砲」と越境攻撃があったとして、当局が「強力かつ抑制的な対応」と表現する対処に出た。

衝突は、パキスタンがアフガン国境付近で、テヘリケ・タリバン・パキスタン(TTP)の武装勢力キャンプとみられる拠点に対し「精密空爆」を行った数日後に起きた。イスラマバードは、空爆は国内で最近急増している襲撃の実行勢力を標的にしたものだと説明している。

Map of Afghanistan
Map of Afghanistan

アフガニスタン当局は、報復作戦を開始し、パキスタン軍の哨所(前哨拠点)を制圧したと主張した。これに対しパキスタン側は、主張は根拠がないとして強く否定し、いかなる軍の拠点も陥落していないと確認した。

情報相は、衝突でパキスタン兵2人が死亡し、3人が負傷したと明らかにした。さらに、治安部隊はアフガン側の武装勢力に相当の損害を与えたとし、パキスタン側に大規模な損失が出たとのアフガン側の主張や、要員が拘束されたとの見方を否定した。

「一方的な発砲に対し、パキスタンは強力かつ的確に対応している。」タラル情報相はこう述べ、領土防衛のための措置を継続すると強調した。

パキスタン当局によると、アフガン側から発射された迫撃砲弾が国境沿いの集落に着弾したが、民間人の死傷者は報告されていない。予防措置として、影響地域の住民は安全な場所へ避難したという。

緊張の再燃は、日曜日に実施されたパキスタン軍の航空作戦を受けたものだ。軍は、TTPに関連する武装勢力少なくとも70人を殺害したとしている。イスラマバードは以前から、TTPがアフガニスタン国内に安全な拠点を確保して活動していると非難してきたが、カブールとTTPはいずれも否定している。

パキスタン外務省報道官のタヒル・アンドラビ氏は、先の攻撃は「精密作戦」であり、武装勢力による暴力が激化する中で実施したと説明した。同氏は、越境の脅威から国民を守るため、パキスタンは対処を継続する考えを示した。

パキスタン国内の武装攻撃は近年急増しており、当局はその多くをTTPと、非合法化されたバルチ分離主義武装勢力によるものだとしている。パキスタン政府は、アフガン領が攻撃の拠点として利用されないよう阻止することをアフガン政府に繰り返し求めてきた。

カタールの仲介による停戦でここ数カ月は緊張が和らいだものの、全長2611キロの国境線では散発的な事件が続いている。過去の協議も恒久的な解決には至らなかった。

双方が非難を応酬するなか、パキスタン当局は、自国の行動は防衛的かつ限定的であり、紛争の拡大ではなく武装勢力への対処を目的としていると改めて強調している。

「パキスタンは、領土保全と国民の安全を確保するために必要なあらゆる措置を取る。」情報省はこう述べ、国境地帯の安定は、地域で活動する武装勢力に対する実効的な措置にかかっているとの立場を示した。(原文へ

INPS Japan

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核秩序が揺らぐなか、ラテンアメリカは『非核』59年を迎える

OPANAL加盟国は、いかなる主体であれ、いかなる状況であれ、核兵器を二度と使用しないよう求めた。さらに、世界には約12,241発の核弾頭が存在すると強調した。
Guillermo Ayala Alanis
Guillermo Ayala Alanis

【メキシコシティーINPS Japan=ギレルモ・アヤラ・アラニス】

ラテンアメリカ・カリブ海を「非核兵器地帯」とするトラテロルコ条約が、59周年を迎えた。世界各地で地政学的緊張と武力紛争が続き、科学者らが「終末時計」を「核による破局まで85秒」に進めるなかでも、その原則は揺らいでいない。|英語版スペイン語

2月14日に発表された声明で、ラテンアメリカ・カリブ海核兵器禁止機関(OPANAL)の33加盟国は、現下の国際情勢と国際秩序の再編に深い懸念を表明し、核兵器国による核兵器使用のリスクが高まっていると警告した。

Dr. María Cristina Rosas

加盟国は、「いかなる主体であれ、いかなる状況であれ、核兵器が再び使用されることはあってはならない」と訴えた。世界には約12,241発の核弾頭が存在し、その多くが高い即応態勢に置かれていると強調した。

メキシコ国立自治大学(UNAM)で国際関係学・ラテンアメリカ研究の博士号を持つマリア・クリスティーナ・ロサスは、トラテロルコ条約には、核兵器を国際システムにおける「生存の担保」とみなす発想そのものを断ち切る重要性を、世界に改めて思い起こさせる力があると語る。

「戦術核であれ戦略核であれ、核兵器が一度でも使用された日、私たちは後戻りできない閾値を越える。すべてが終わる―。」ロサスはこう述べた。あわせて同条約の起草を主導したアルフォンソ・ガルシア・ロブレスの言葉を引き、「国際安全保障を促進する最良の道は軍縮である。」と強調した。

新OPANAL事務局長が直面する課題
 María Cristina Rosas and her students visiting OPANAL headquarters.

OPANAL事務局長にフアン・カルロス・オルテガ・ビグリオネ大使が新たに就任し、同機関は複数の課題に直面している。たとえば、核軍縮を国際アジェンダの中心に改めて据え直すことだ。米国とロシアが、自国の利益が脅かされると判断すれば核兵器の使用もあり得るとの言及を強める状況では、なおさらである。

国際NGO「核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)」によれば、世界の核兵器の約90%は米国とロシアが保有している。

もう一つの大きな課題は、核保有国に対し「消極的安全保障(ネガティブ・セキュリティ・アシュアランス)」へのコミットと遵守を求めることである。核兵器を持つ国が、非核兵器国を核で威嚇したり攻撃したりしないという保証だ。ドナルド・トランプのように、米国の安全保障や防衛への脅威だと見なせば核兵器使用を排除しない指導者がいる現状では、この点はいっそう重みを増す。

この理屈に異を唱え、ラテンアメリカ・カリブ海地域は核兵器で他国を威嚇していない以上、核によって威嚇される理由もない―その点を明確にすることが重要だ。」多国間主義や軍縮を専門とするロサスはINPS Japanの取材に対してこう語った。

ラテンアメリカは「トランプ政権の作戦拠点」になったのか
Donald Trump, President of the United States of America, addresses the general debate of the General Assembly’s eightieth session in 2025. Credit: UN Photo/Evan Schneider.
Donald Trump, President of the United States of America, addresses the general debate of the General Assembly’s eightieth session in 2025. Credit: UN Photo/Evan Schneider.

米国がコロンビア、キューバ、メキシコなどに対する政策を厳格化し、より強硬な局面ではベネズエラをめぐって軍事的手段も辞さない姿勢を示してきたことに触れつつ、ロサスは、ラテンアメリカとカリブ海が「トランプ政権の作戦拠点になった。」との見方を示す。ベネズエラ産石油の確保やパナマ運河をめぐる対処、ハビエル・ミレイ政権下のアルゼンチンとの関係などを通じて利益を得る一方で、中国の地域内での存在感を弱めたという。

さらにロサスは、地域の結束の欠如が利用され、米大統領の利益拡大につながってきたとみる。
「地域は分断され、私たちは呆然として対応できない。トランプは脅しの局面で関税を非常に効果的に使ってきた。『言うことを聞かなければ関税を課す』と言い、実際に課す。国々を分断するのがうまい。これは認めねばならない。彼は二極化させ、分断し、脅す」。

Claudia Sheinbaum Source: Wikimedia Commons.
Claudia Sheinbaum Source: Wikimedia Commons.

国連などの多国間枠組みにおいても、OPANALは軍縮を前進させるうえで重要な役割を担う。具体的には、4月27日から5月22日までニューヨークで開催予定の第11回核不拡散条約(NPT)運用検討会議、ならびに同じくニューヨークで11月30日から12月4日まで予定されている核兵器禁止条約(TPNW)第1回運用検討会議などが挙げられる。

トラテロルコ条約59周年に合わせ、メキシコ政府は、同条約が「諸国民の平和に向けた大きな一歩」として国際社会に広く認められていることを改めて強調した。メキシコのクラウディア・シェインバウム大統領は、トラテロルコ条約を同国外交の重要な柱の一つと位置づけ、メキシコが今後も世界の平和構築に積極的な役割を果たし続けるとの考えを示した。

トラテロルコ条約に対するラテンアメリカ・カリブ海諸国の妥当性とコミットメントは、発効から約60年を経たいまも、この種の兵器体系の廃絶が、実行可能な政治決定であることを示している。同地域の実績は、すでに他地域で設けられた4つの非核兵器地帯、ならびに「核兵器のない領域」としてのモンゴルと併せ、核という大量破壊兵器を前提としない集団安全保障が可能だという考えを補強している。(原文へ

This artice is brought to you by INPS Japan in collaboration with Soka Gakkai International, in consultative status with the UN’s Economic and Social Council (ECOSOC).

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INPS Japan

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