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王政の亡霊がネパールを再び脅かす

元国王が凱旋帰国、支持者が空港に集結

【カトマンズNepali Times=シュリスティ・カルキ】

ネパールの元国王ギャネンドラが日曜日の午後、カトマンズ空港に到着し、旗を振る支持者たちに迎えられた。彼はポカラから帰国し、国内各地で行われた王政復古支持の集会に参加していた。

ギャネンドラとその家族は、空港から支持者に伴われ、2008年の制憲議会による王制廃止以降、居住しているニルマル・ニワスの邸宅へと移動した。その後、2015年の憲法改正により、ネパールは連邦民主共和国へと移行した。

退位後、政治的な議論を避けてきたギャネンドラだが、先月のネパール民主主義記念日に際し、「国家を救うための役割を果たす意思がある」と発言した。これに呼応するかのように、最近ではソーシャルメディア上で王政支持の投稿や動画が急増し、かつての国王たちが「国際社会に敬意を持たれた真の愛国者」として称賛される傾向が見られる。

ギャネンドラを支持する王党派には、複数の王党派政党や反政府勢力が含まれており、ネパールの高齢化し機能不全に陥った指導者層や制度に対する国民の不満が、ついに臨界点に達したと主張している。

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さらに、新興政党国家独立党(RSP)の指導者ラビ・ラミチャンが、協同組合の資金流用疑惑で捜査を受けるなど、既存の政党のみならず、新たな政治勢力への期待も急速にしぼんでいる。

ギャネンドラ復帰を強く支持する著名人の一人が、元BBCジャーナリストのラビンドラ・ミシュラである。彼はソーシャルメディアで積極的に王政支持の投稿を行い、スリランカ、バングラデシュ、シリアでの市民蜂起を引き合いに出し、ネパールの主流政治家に対して「王政支持の声を無視すべきではない」と警告している。

「主流派の政治家は王政復活の支持が広がっていることを過小評価してはならない。スリランカやバングラデシュの指導者たちのように、市民の声を抑圧しようとしてはならない」とミシュラは指摘した。

政府の対応と懸念

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長年、政権を握ってきたネパールの主流派政治家たちは、表向きには王党派を一蹴しているものの、街頭でのデモの広がりには警戒を強めている。

昨年、政府がTikTokを禁止した際、その理由を「社会の調和を保つため」と説明したが、実際には王政復活支持の動きを抑える狙いがあったとみられている。その後、TikTokの禁止は解除されたが、王党派はこれを利用し、かつての王政時代を「黄金時代」と称える投稿を拡散している。

また、元国王マヘンドラが1960年にドワイト・D・アイゼンハワー米大統領に迎えられた映像や、1983年にビレンドラ国王がドナルド・レーガン大統領と会談した映像がSNS上で拡散されており、「現在の首相たちの無能ぶり」と対比するコメントが相次いでいる。

若年層の王政支持の背景

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王政復古を求めるデモの参加者には年配層が多いものの、特に若年層の間でSNSを通じた王政支持の声が強まっていることが注目される。

1990年代半ば以降、何度も首相が交代し続けてきたネパールの現状に不満を持つ若者たちは、王政復古を「現政権に対する抗議の手段」として捉えている。

また、絶対王政時代を知らない世代が、王政を「安定した政治体制」として理想化している面もある。

ナガリク・デイリー』編集長グナ・ラジ・ルイテルは、日曜日の社説でこう指摘した。
「現在、王政を支持する人々は、過去の王政時代を経験していない世代であり、現在の政治に不満を抱いている層だ。」

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さらに、「我々の世代は、王政下の抑圧された時代を忘れてはいない。国民が自由に発言できなかった時代、国家機関が何の役にも立たなかった時代があった。」と述べた。

特に、ギャネンドラが2005年に軍事クーデターを起こし、議会を解散したことは、彼の父マヘンドラが1960年に行ったクーデターと重なる。多くの国民はこれを記憶しており、SNS上でも「王政支持」の投稿の中に、ギャネンドラを警戒する声が混じっている。

また、ギャネンドラが国王になった背景である2001年の王宮虐殺事件についても、いまだに「彼が黒幕だったのではないか」と疑う人々は少なくない。

政界の反応と今後の展望

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王政復活の動きが広がる中、K.P.オリ首相は先週、「ギャネンドラが本当に権力を望むなら、2027年の次期選挙に出馬すべきだ」と発言した。

また、他の政治指導者たちも、「ギャネンドラは2998年の制憲議会の決定と2015年の憲法を尊重すべきだ」と強調し、王政復活の動きに対抗している。

しかし、王党派の指導者たち(カマル・タパ、ラジェンドラ・リンデン、ラビンドラ・ミシュラなど)は「王政は選挙制度の枠外にある」と主張し、立憲君主制の復活を求めている。

「国王が選挙に出る必要はない。それは我々政治家の仕事だ」と、RPP-Nepal(王党派政党)のカマル・タパ党首はテレビインタビューで語った。「王政は国家の守護者であり、選挙政治の枠を超えた存在だ」と強調した。

しかし、王党派内でも意見は分かれており、絶対王政の復活」を求める強硬派と、「象徴的な立憲君主制」を支持する穏健派の間で対立が見られる。

ギャネンドラ自身は最近ブータンを訪問し王室待遇を受けたほか、インドにも頻繁に渡航しており、「ネパールを再び世界唯一のヒンドゥー王国に戻すべきだ」という声も聞かれる。

今後、王政復活の動きがどのように展開するのか、ネパール国内外で注目が高まっている。(原文へ)

INPS Japan/Nepai Times

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トランプの第二期政権:アメリカン・エクセプショナリズムの再定義と国連への挑戦

【ニューヨークATN=アハメド・ファティ】

ドナルド・トランプ大統領が二期目の政権を開始するにあたり、彼の政権はアメリカン・エクセプショナリズム(アメリカ例外主義)を再定義し、米国と国連の関係を変える可能性が高い。国家主権の強調と多国間機関の徹底的な見直しは、この政策の基本となる。

第一に、アメリカン・エクセプショナリズム:主権優先のアプローチ

アメリカン・エクセプショナリズムは歴史的に、米国が国際機関を主導し、世界の安定と民主主義を推進することと結びついてきた。しかし、トランプ大統領のビジョンは主権を最優先する戦略であり、多国間協力よりも一方的な行動を重視する。この視点は、米国の従来の国際的リーダーシップの考え方や、国連のような国際機関の有効性を疑問視するものである。

トランプ大統領は就任演説で「我々は、もはやこの国や国民をグローバリズムという幻想の歌に明け渡すことはない」と宣言し、この方針の転換を強調した。このような発言は、過去の政権が誓った国際協力への姿勢とは一線を画している。

国連の再評価

トランプ政権の国連に対する姿勢は、一般的な多国間機関への不信感と一致している。トランプ大統領は第一期政権時から、米国に過度の財政的負担を強いることや、官僚機構の非効率性を理由に国連を批判してきた。二期目の政権では、こうした批判がさらに強まっている。

資金削減と財政負担

米国が国連に支払う財政的貢献は、トランプ政権にとって主要な懸念事項の一つである。米国は国連の最大の資金提供国であり、さまざまなプログラムや平和維持活動を支えている。しかし、トランプ大統領は、この支援の水準が不公平で持続不可能であると主張している。

2025年1月に発令された90日間の対外援助停止に関する大統領令により、国連機関は世界的な支援活動を縮小せざるを得なくなった。この措置は、米国の国益に合致しないとされる国連関連のプロジェクトの資金を見直し、場合によっては削減するという、より広範な方針の一環である。

改革要求

トランプ政権は、財政面にとどまらず、国連の大規模な改革を要求している。提案されている改革の目的は、透明性の向上、官僚機構の削減、そして国連の活動をより米国の外交政策目標に沿ったものにすることである。

政府高官の一人は次のように述べている。「国連は説明責任を果たすべきだ。我々は、国連が加盟国の価値観や利益に沿った形で運営され、米国の納税者の資金が適切に使われることを確実にすることに尽力している。」

グローバル・ガバナンスへの影響

米国政府のこのような姿勢は、世界のガバナンスのあり方や、多国間主義の行方に大きな影響を及ぼす可能性がある。国家主権を優先し、国際機関に対して懐疑的な立場を取ることで、米国は伝統的な同盟国から孤立するリスクを抱えつつ、国際的な枠組みに積極的に関与しようとする他の大国に影響力を譲る可能性がある。

批評家たちは、このアプローチが安全保障問題、パンデミック、気候変動といった世界的な課題への国際的な取り組みを弱体化させると主張している。多国間主義からの撤退は、より分裂した、不安定な世界秩序を生み出しかねないと懸念されている。

今後の展望

トランプ大統領がアメリカン・エクセプショナリズムの新たなビジョンを推し進める中で、米国と国連の関係は不透明なままである。政権は国連における役割を再定義し、国家の利益を強く主張する一方で、この戦略が長期的にどのような影響を及ぼすのかは未だ明確ではない。

世界は今、これが一時的な政策の転換なのか、それとも米国の国際関与のあり方が根本的に変わる転機なのかを注視している。その答え次第で、国際機関の有効性や今後の国際関係の方向性が決まることになるだろう。(原文へ)

INPS Japan/ATN

Original Link: https://www.amerinews.tv/posts/trump-s-second-term-redefining-american-exceptionalism-and-challenging-the-united-nations

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トランプ政権の気候変動対策からの撤退とSDGsとの統合の必要性

【カトマンズNepali Times=編集部】

ドナルド・トランプ政権は、気候変動の加速による影響が世界中に広がる中、開発・保健・環境問題に対処するための多国間メカニズムから撤退している。

トランプ政権によるパリ協定からの離脱(2015年に大多数の国が署名し、排出削減を目指す協定)、化石燃料生産拡大の計画、地球規模の自然保護や気候変動適応策への資金削減は、ここ10年の進展を逆行させる恐れがある。

こうした中、アメリカは今週、中国・杭州で開催される「気候変動に関する政府間パネル(IPCC)」の重要会議への科学者の参加を取りやめる決定を下した。この会議では、第7次評価報告書(AR7)のスケジュールと予算を決定する予定である。

また、今回の会議では、大気中に蓄積された二酸化炭素(CO₂)を除去し、回収・貯蔵するための地球工学(ジオエンジニアリング)技術の選択肢についても議論される。一部の科学者は、「世界的な排出量の急増により、化石燃料の使用削減だけでは地球の平均気温を抑えるのに不十分だ」と警鐘を鳴らしている。

現在排出されるCO₂の一部は海洋や植物に吸収されるが、大部分は最大1,000年間大気中に残留する。二酸化炭素の回収・貯蔵(カーボン・シーケストレーション)は依然として議論が分かれる技術であり、環境保護活動家らは「最も効果的なCO₂除去方法は世界的な森林の拡大だ」と主張している。

気候変動に関する政府間パネル(IPCC)は、195か国の科学者が参加する国際組織であり、約20年前に設立された。政府に対し、地球環境の現状を定期的に報告し、気候危機への適応策や排出削減策を提案する役割を担う。

過去のIPCC評価報告書は、温室効果ガス排出量の増加に関する警告を強めており、世界はすでに2050年の目標とされた1.5℃の気温上昇に迫りつつある。

杭州でのIPCC第62回総会(2月24日~28日)では、現在入手可能な科学データを統合・分析し、各国政府への勧告をまとめる予定だ。ただし、第7次評価報告書(AR7)の概要が公表されるのは2028年であり、現在の大気・海洋の温暖化ペースを考慮すると「行動を起こすには遅すぎるのではないか」と懸念する科学者も多い。

そんな中、IPCCの過去の報告書は、もう一つの国際的な時間制約のある計画、「持続可能な開発目標(SDGs)」と十分に整合していないことが、新たな研究で明らかになった。

オランダ・フローニンゲン大学のプラジャル・プラダン博士(エネルギー・環境・社会統合研究所)によると、「杭州会議は、IPCCの次の報告書において気候変動と持続可能性の課題を包括的に結びつける絶好の機会だ」という。

SDGsは2015年、パリ協定と同年に国連で採択されたもので、2030年までに貧困や飢餓の撲滅、健康と教育の確保、排出削減による気候変動の緩和など、17の目標を達成することを目的としている。これは、2000年に採択されたミレニアム開発目標(MDGs)を発展させたものであり、格差・移民・食糧生産・貧困・気候危機といったグローバルな課題の相互関係を重視している。

プラダン博士と研究チームは、IPCCの第5次・第6次評価報告書の150章を分析し、SDGsの目標がどれほど反映されているかを調査した。その結果、「IPCC報告書にはSDGsに関するギャップが存在する」ことが判明した。

プラダン博士は次のように指摘する。

「気候変動と持続可能性は切り離して考えることはできません。しかし、ジェンダー平等、教育、格差、健康など、多くのSDGs目標は、これまでのIPCC報告書に十分に反映されていません。」

SDGsには17の大目標のほかに169の詳細なターゲットが設定されており、これらを次回のIPCC評価報告に統合することで、気候変動問題の構造的な要因(国家開発の課題など)に取り組むことができる。

「気候変動対策を成功させるには、開発課題と結びつけることが不可欠です。気候変動は多くのSDGsに悪影響を及ぼしますが、同時にSDGsは気候対策を推進する役割も果たします。両者の間には相乗効果(シナジー)とトレードオフ(利害の衝突)があるのです。」と、プラダン博士は語った。

この研究は、第6次評価報告書(AR6)ではSDGsの重要性が前回(AR5)より強調されたものの、より包括的なカバーが必要であることを示している。特に、気候変動の根本原因と解決策をSDGsと統合することが求められる。

同研究の共著者であるクラウス・フバチェク(フローニンゲン大学)は、「気候変動は単に気温の上昇の問題ではなく、人々の生活や福祉にも直接関係する」と述べている。SDGsはまさにこの点を強調しており、各国政府にとってより響くアプローチとなる可能性がある。

この研究は、世界15の研究機関の科学者が共同で執筆し、ネパール出身のショバカル・ダカル(タイ・アジア工科大学)、マヘシュワル・ルパケティ、IPCCの元・現ワーキンググループメンバーであるバート・ファン・デン・ハーク、デブラ・C・ロバーツらも参加している。

研究者らは、この論文がIPCC杭州会議の参加者を説得し、SDGsと排出削減目標の統合を進めることで、気候変動対策を加速させることを期待している。

フバチェクは、「タイミングが重要です。SDGsは2030年までの目標ですが、IPCC報告書に組み込めば、その先の持続可能性の議論をも主導できるでしょう。」と語った。(原文へ

This article is brought to you by Nepali Times, in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

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限界を押し広げる女性の情熱

【カトマンズ/ドバイ Neali Times=シャンティ・バンダリ】

フィリピン出身のお客様たちは、会社の車を運転したり、エミラティ(アラブ首長国連邦の国民)家庭の専属運転手をしていると話していました。私はとても興味を持ち、夜になると彼女たちに電話してさらにアドバイスを求めました。

美容院の仕事は生活のために必要でしたが、私の本当の興味は別のところにありました。ただ、最初は交通量の多い道で運転するのが怖かったのです。しかし、お客様たちは「最初は大変だけれど、ルールやシステムを理解すれば安全に運転できるようになる。」と励ましてくれました。

当時、仕事のビザのカテゴリーによって運転免許を取得できるかどうかが決まっていました。たとえば、交通部門の従業員、管理職、警備員などに限定されていたのです。

STEERING MY OWN LIFE: With my parents before leaving Nepal for the UAE in 2015. My father died soon after I left

私は資格がなく、非常にがっかりしましたが、交通関連の仕事を探し、学校バスの運転手の助手として働くことにしました。ネパールではこの役割を 「खलासी(カラシ)」 と呼びます。

子どもたちはとてもフレンドリーで、私の故郷にいる息子を思い出させてくれたため、仕事を楽しめました。給与は美容院での給料よりも300ディルハム少なかったですが、それでも運転免許を取得するための足掛かりになるならと、迷わず続けました。

運転教習所では、クラスで唯一の女性でした。他の受講生は私の出身や、なぜ運転したいのか興味津々でした。私は真剣に授業に取り組み、交通ルールを一生懸命学びました。絶対に免許を取るという強い決意があったのです。

その結果、筆記試験も実技試験も一発で合格し、安い車を購入しました。私の夢は母を車に乗せてドライブすることでした。そして2017年、母と息子がドバイへやってきました。二人にとって初めての海外旅行でした。

父への思いと家族との再会

その時の私はとても感情的になりました。というのも、私はUAEへ渡った直後に父を亡くしていたからです。父は私にタッチフォンを買ってほしいと頼んでいましたが、私は最初の給料をもらう前に彼を失いました。

もし父が生きていたら、ドバイの街を運転する私を見て喜んだはずです。そこで、私は母をドライブに連れ出し、彼女に携帯電話を買ってあげました。父にしてあげられなかったことを、母にはできたのです。

息子とは2年間離れていたため、最初は少し距離を感じました。しかし、帰国する頃にはすっかり甘えるようになり、離れる時には泣いて私にしがみついていました。

Napali Times
Napali Times

最初はタクシー運転手として働き始めました。タクシー運転手の女性は少なく、ネパール人女性も2人しかいませんでした。

最初の頃はアブダビの道を覚えるのが大変で、一つ曲がり角を間違えるだけで大幅に遅れることもありました。決まったルートを利用する常連客の中には、不満を言う人もいました。私は雇い主に苦情を言われたくなかったので、「通常の運賃だけ払ってください」と謝ることもありました。理解してくれる人もいれば、初心者だと分かっても通常の料金を支払ってくれる人もいました。

少しずつ道を覚え、5年間タクシーを運転しました。交通法規の最新情報を把握するために、地元のニュースもよく読んでいました。

ある日、フィリピンやアフリカ出身の女性たちがバス運転手をしているという記事を目にしました。それを見て、「私もバスの運転免許を取ろう」と決意しました。

It was a proud moment when I took my son and mother around the UAE in my car in 2017. Wished my father was also there to see me.
It was a proud moment when I took my son and mother around the UAE in my car in 2017. Wished my father was also there to see me.

バス免許を申請しに行った際、係員に「なぜバスを運転したいのか?」と不思議そうに聞かれました。私は自信を持って「私はバスを運転できます」と答えました。その返答に彼らは驚き、少し面白がっているようでした。

私は再び教習所に通いましたが、またもやクラスで唯一の女性でした。実技試験では35人の受験者のうち、女性は私一人。試験官が「レディーファースト」と言って最初に受験するよう促しましたが、私はあえて順番を後回しにしました。先に他の受験者の運転を観察して学びたかったからです。

I drove a taxi around Abu Dhabi for five years, but always wanted to do more.
I drove a taxi around Abu Dhabi for five years, but always wanted to do more.

元々緊張しやすい性格なのに、試験官に「最初にどうぞ」と言われるとさらに緊張してしまいました。しかし、最終的には35人中7人だけが合格し、その中に私も含まれていました。

免許を取得したものの、女性のバス運転手としての仕事を見つけるのは、免許を取るよりも難しいことでした。

アブダビでは、女性バス運転手に関する正式な政策がなかったため、雇用の機会がありませんでした。そこで、私はドバイでの仕事を探すことにしました。

Nepali TImes
Nepali Times

ついに私を雇ってくれる会社が見つかり、研修を受けながらルートを覚えていきました。トレーナーの助けを借りながら、自分でルートと主要な停留所を地図に描きました。仕事が終わると、自分の車でルートを走り、道を確実に把握できるようにしました。

そして今、私は二階建てバスを運転し、観光客を伝統的なドバイと近代的なドバイの両方へ案内しています。

常に好奇心を持ち、自分自身を成長させ続けることはとても重要です。私はバスの運転免許を取得するために多額の費用を投じました。教習やその他のスキル研修にも投資してきましたが、それらはすべて自分の未来のための投資だと思っています。

この先、何が待っているのかは分かりません。私は現在41歳ですが、新しいことに挑戦し続けたいと思っています。年齢が私の意欲を左右することはありません。もしそうだったら、美容院の仕事を続け、リスクも取らず、給料の減額も受け入れなかったでしょう。

多くの人は安全な道を選びます。しかし、私は常に「女性にふさわしい仕事」という固定観念に挑戦し、自分の快適な領域を飛び出すことを信じてきました。

海外での仕事を考えているネパールの若者たちには、「スキルを持たずに移住しないように」と伝えています。紙の資格証書があっても、それが実際の能力に結びついていなければ意味がありません。

私はこの「ビッグバス」を運転する仕事を楽しんでいます。収入のことを考えるだけでなく、乗客に感謝されることが大きな喜びです。

バスに乗り込んでくる観光客たちは、私と一緒に写真を撮りたがります。また、「どうしてこの仕事を始めたの?」と興味を持って質問してくれます。

信号待ちの間、横断歩道を渡る人たちが手を振ってくれることもあります。こうした温かい声援は、まるで「特別ボーナス」をもらったような気持ちにさせてくれます。

何より誇りに思うのは、この観光業界で初めての女性二階建てバス運転手になれたことです。

ドバイに住むネパール人たちも、私を温かく迎えてくれます。

「ニュースで見ました!」
「SNSであなたのことを知りました!」

そんな言葉とともに、満面の笑みでセルフィーを一緒に撮ってほしいと頼まれることがよくあります。

最近、息子が「学校の先生や友達が、私のビデオインタビューを見て話題にしていた」と教えてくれました。

My son on the top deck of my Big Bus when he visited Dubai recently.
My son on the top deck of my Big Bus when he visited Dubai recently.

そして何より誇らしかったのは、ついに息子を二階建てバスに乗せて、ドバイの街を案内できたことです。(原文へ

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核軍縮の戦いにおける芸術の役割

【国連IPS=オリトロ・カリム】

今週、「核兵器禁止条約(TPNW)」第3回締約国会議がニューヨークで開催され、核廃絶が社会、政治、文化に与える影響を各分野から議論するための複数のサイドイベントが行われている。

3月5日には、国連メキシコ常駐代表部がメキシコ人アーティストペドロ・レジェス(Pedro Reyes)との協力のもと、「Fábulas Atómicas – 核兵器に反対するアーティストたち」というイベントを開催し、芸術と核兵器の関係について議論が交わされた。

20世紀を通じて、芸術は核兵器が人類にもたらす脅威について文化的な視点からコメントする手段として用いられてきた。

「軍縮のための芸術は多様な形を取ることができます。私は銃の部品を楽器に変えることから始めました。例えば、ライフルをフルートに変えるような試みです。
核兵器の原理とは何でしょうか? それは「連鎖反応」です。しかし、それを破壊の力ではなく、創造の力に変えることができるのではないかと考えました。こうして『核兵器に反対するアーティストたち(Artists Against the Bomb)』が誕生したのです。」
— ペドロ・レジェス

1952年以来、国連軍縮委員会(UNDC)は、国際平和と軍縮の重要性を継続的に強調してきた。

しかし、地政学的な緊張が高まる中、ロシア、北朝鮮、米国といった超大国がかつてないほどの核兵器を保有する現在、核拡散の脅威は数十年ぶりに最高レベルに達している。

「数十年にわたり世界の平和と安定を支えてきた二国間・地域的な安全保障の枠組みが、今、私たちの目の前で崩壊しつつあります。信頼は失われ、不確実性、不安、免責、軍事費がすべて増大しています。一部の国は核兵器や核物質の保有量を拡大し続けています。また、核の脅しを外交の手段として利用する国も存在します。さらに、宇宙空間を含む新たな軍拡競争の兆しも見えています。」— アントニオ・グテーレス国連事務総長(ジュネーブ軍縮会議にて)

しかし、こうした核の問題が現代の文化的議論の中であまり取り上げられていないのも事実である。

「原子力時代(Atomic Age)」と呼ばれる1945年の最初の原爆投下から91年の冷戦終結までの時代には、核戦争や核の脅威をテーマとしたポップカルチャーが数多く登場した。

しかし、現在の文化の中では核兵器についての議論がほとんどなされていない。

芸術は歴史を通じて、社会的・政治的問題に対する意識を高める重要な役割を果たしてきた。そのため、現在の核軍縮の課題においても、芸術を通じた訴えが不可欠なのではないかという声が高まっている。

1980年代後半以降、芸術作品のテーマは次第に核の問題から遠ざかるようになった。

ペドロ・レジェス氏は、芸術が核兵器に関する文化的な議論を促す重要な役割を担っていると強調し、次のように述べている。

「80年代の終わりには、冷戦が終わったかのように見えました。1989年以降に生まれた人々の多くは、核兵器に関する文化的な作品に触れる機会がほとんどありませんでした。1999年頃から核実験禁止が進み、それ以降、実際の核爆発は目にすることがなくなりました。


『目に見えないものは意識されなくなる』という言葉があります。つまり、核の脅威は次第に「見えないもの」になってしまったのです。私たちの仕事は、文化を通じてこの問題に気づきを与え、怒りや恐怖を呼び起こすことです。」

さらに、レジェスは「現代のポップカルチャーにおいて、核兵器問題の議論が飽和していないことが、むしろ議論の促進につながる可能性がある。」と指摘する。

「過去20年間、文化を支配してきたテーマについては、人々が議論することに疲れている部分もあります。しかし、核兵器についてはまだ十分に語られていません。この『疲労のなさ』を利用すべきなのです。」

「核芸術(Nuclear Art)」運動は、1945年、広島・長崎への原爆投下直後に始まった。

当時、アメリカの一般市民は、日本で起こった破壊の規模をほとんど知らなかった。

原爆を生き延びた日本の写真家

増元吉俊(広島) 山端庸介(長崎)

アメリカの写真家

ウェイン・ミラー ジョー・オドネル

これらの写真家が、原爆の惨状を写した写真を発表したものの、アメリカ政府はそれらを数十年間にわたり機密扱いにした。そのため、世界の多くの人々は、芸術作品を通じて核の破壊を視覚化することになった。

広島・長崎の原爆投下後、現代アートや映画産業でも核兵器と核戦争をテーマにした作品が数多く登場した。特に、1962年のキューバ危機後、核戦争の脅威が世界的に意識されるようになると、この動きはさらに加速した。

西洋の「核芸術」

チャールズ・ビッティンガー(1946年)

Atomic Bomb Mushroom Cloud(「原子爆弾のきのこ雲」)

原爆の象徴である「きのこ雲」のイメージを一般に定着させた

スタンディッシュ・ブラッカス(米軍公式アーティスト)

Still Life(1946年)

At the Red Cross Hospital(1945年)

核兵器が民間インフラや人体に与える影響を描写

また、「核芸術」はプロパガンダにも利用された。

ウォルト・ディズニー(1957年)

Our Friend the Atom(「我々の友・原子」)

原子力の「平和利用」を推進するプロパガンダ作品

アイゼンハワー大統領の「平和のための原子力(Atoms for Peace)」演説(1953年国連総会)に沿った内容

1950年代以降、アメリカと日本の映画産業は、核兵器の脅威をテーマにした作品を数多く制作した。

1950年代初頭:核の「怪物化」

The Beast from 20,000 Fathoms(1953年・米)

ゴジラ(1954年・日)

核実験の影響で生まれた怪獣が暴れまわる

核の恐怖を比喩的に描写

1959年以降:「人間の責任」へシフト

On the Beach(1959年)

核戦争による人類の終焉を描く

「意図的な核使用」による壊滅的な結末を強調

Oppenheimer poster/The Nepali Times
Oppenheimer poster/The Nepali Times

Dr. Strangelove(1964年・スタンリー・キューブリック監督)

ブラックコメディを用いて、核戦争の愚かさを風刺

現代:「オッペンハイマー」と核兵器の描かれ方

最近では、クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』(2023年)が、再び核兵器問題を文化の中心に押し戻した。
しかし、こうした現代の作品が本当に核の問題を正しく伝えているのか、議論の余地がある。

「『オッペンハイマー』のような映画は、科学の圧倒的な力や原爆の道徳的葛藤を描いていますが、被害者やその影響を直接描くことはありえない。そのため、こうした映画は一種の『プロ原爆』映画にもなり得ます。」と、レジェスは指摘する。

彼は、ポップカルチャーにおける核兵器の描写を、次の2つのカテゴリーに分類している。

「雲の上(Above the Cloud)」の視点: 科学や軍事の視点から核兵器を描く

被害者や戦争の影響をあまり描かない

例:『オッペンハイマー』

「雲の下(Under the Cloud)」の視点:核兵器の破壊力や、その影響を受ける人々に焦点を当てる

例:広島・長崎の原爆被害を描いた作品、ドキュメンタリーなど

「文化作品がどちらの視点に立っているのかを見極めることが重要です。」

「核兵器問題を真正面から扱う作品こそ、私たちが今必要としているものなのです。」

核兵器の議論がポップカルチャーの中で希薄になった現在、芸術は再び「核問題を可視化する」役割を担う必要がある。

ペドロ・レジェスの言うように、核兵器の危険性を文化を通じて訴えることが、現代社会においても不可欠なのかもしれない。

現代のアーティストは、核軍縮に向けた文化的な進展を実現するために、正しいメッセージを作品に込めることが極めて重要である。ポップカルチャーは、核兵器がもたらす危険の本当の規模を伝え続けなければならない。

「核戦争に勝者などいない」ということを明確に主張する必要がある。とペドロ・レジェスは語る。

「だからこそ、核兵器の影響をしっかりと描くことがとても重要なのだす。ビデオゲームなどのメディアを通じて、核兵器が実際よりも問題の少ないもののように見えてしまうことが常態化している。

私たちの役割は、それがどれほど深刻な問題なのかを説明し、人々が理解しやすい、かつ興味を持てる方法を見つけることである。」(原文へ

IPS UN Bureau Report

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核の忘却:核兵器に対抗する芸術の役割を強調する展覧会

|視点|映画『オッペンハイマー』が見落としたもの(浅霧勝浩INPS Japan理事長)

|視点|AIと自立型兵器ー岐路に立つ世界(サンニャ・ラジパルSGI国連事務所)

シエラレオネにおける女性性器切除に対する沈黙は、私たちを守らない

【シエラレオーネ/フリータウンIPS=カータ・ミナー】

世界中で2億人以上の女性と少女が女性性器切除(FGM)を受けている。FGMとは、医学的な理由なく外陰部の一部または全部を切除する行為だ。

この慣習は主にアフリカで行われており、生涯にわたる深刻な影響をもたらす。出産時の合併症や性交時の激しい痛みを引き起こし、少女たちの教育を妨げ、児童婚への入り口となることも多く、結果として貧困の連鎖に陥らせる。しかし、この状況を変える明確な道筋がある。

シエラレオネでは、15歳から49歳の女性の83%がFGMを受けている。この慣習は、シエラレオネの女性たちの文化的アイデンティティと深く結びついているボンド・ソサエティ(Bondo Society)という秘密結社と密接な関係がある。このソサエティは、女性の成長のための場とされ、姉妹の絆や連帯の象徴ともされている。

しかし、女性同士の連帯が少女の身体の自主権を犠牲にしてはならない。少女の性器を伝統の名のもとに切ることは通過儀礼ではなく、暴力である。そして、これは今すぐに終わらせなければならない。

この有害な伝統を終わらせるには、まず沈黙を破る必要がある。私が育った家庭では、FGMについて議論することも、疑問を持つことも、認識することもなかった。私の母はこのソサエティの一員だったが、私と姉にはFGMを受けなかった。しかし、それについて話し合うこともなかった。

今振り返ると、彼女の沈黙は無関心ではなく「生き抜くための手段」だったと気づきます。シエラレオネでは、FGMに公然と反対することは社会的・文化的な制裁を受けることを意味する。それでも、沈黙は共犯になり得るのだ。

沈黙によってFGMが伝統的な文化として扱われ続けると、それが人権侵害であるという認識が薄れてしまう。

FGMの被害者や活動家の中には、沈黙を拒否し、社会の規範に挑戦し、開かれた対話を促し、この慣習を根絶しようとする人々がいる。

彼らの戦略の一つは、FGM撲滅運動と普遍的教育の推進を結びつけることだ。また、テクノロジーを活用し、FGMに関するストーリーを伝え、文化の美しさとFGMの残酷さの両面を浮き彫りにすることも重要だ。こうした取り組みは、長年続いてきたFGMを終わらせるために不可欠である。

しかし、対話だけでは不十分だ。FGMをなくすためには、法律や政策の改革が必要である。

一部の進展は見られている。先日開催されたアフリカ連合(AU)首脳会議では、女性や少女に対する暴力を終わらせるためのAU条約が採択された。この条約は、FGMを含むあらゆる暴力を防止・根絶するための包括的で法的拘束力のある枠組みを提案している。

この条約は、暴力の根本原因の解決、法的・制度的なメカニズムの強化、人権とジェンダー平等の促進を求めている。また、シエラレオネが2015年に批准したマプト議定書の理念も継承している。

マプト議定書は、アフリカにおける女性の権利に関する包括的な法制度であり、有害な慣習の廃止、女性の生殖の権利、尊厳、安全などを保障するものでである。しかし、シエラレオネでは依然としてFGMを禁止する国内法が制定されていない。

現在、FGMを禁止する機会が訪れている。それが児童権利改正法案(Child Rights Amendment Bill)だ。この法案は、2007年に制定された児童権利法の改正を目指しており、未成年者に対するFGMを明確に禁止する条項が含まれている。

データによると、FGMを受ける少女の71%が15歳未満だ。この法案が成立すれば、少女たちの権利が法的に保護され、加害者が処罰されることになる。それによって、FGMの抑止力が強まり、子どもへの人権侵害を大幅に減少させることができる。

FGMを終わらせることは可能だ。しかし、それには多角的な戦略と強い意志が必要である。最も重要なのは、沈黙せず、FGMを正当化する有害な社会規範や物語に挑戦することだ。

さらに、市民は進歩的な法律を求め、それを完全に実施させるよう政府に働きかける必要がある。これが実現しない限り、シエラレオネの多くの女性や少女たちは、引き続き防ぐことができる健康被害や人生への深刻な影響に苦しみ続けることになるだろう。(原文へ

カアタ・ミナは、アフリカのフェミニスト活動家であり、2024年インパクト・ウエスト・アフリカ・フェロー。フェミニスト教育と地域主導の取り組みを通じてジェンダー平等の実現を目指している。彼女は政策提言、プログラム設計・管理、フェミニスト教育、イベント運営の経験を持ち、権力構造に挑戦するキャンペーンや社会正義・ジェンダー平等の推進に取り組んでいる。また、学術分野でも活動し、シエラレオネ大学(フーラ・ベイ・カレッジ)の**ジェンダー研究・ドキュメンテーション研究所(INGRADOC)**で講師を務めている。

核兵器は、減るどころか増加し続けている

【国連IPS=タリフ・ディーン】

「危険な核のレトリックと脅威」が飛び交う中、地政学的緊張が劇的に高まっている現状は、各国が法的拘束力のある核兵器禁止条約(TPNW)を支持する行動をとるべきだという強い警鐘である―国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、3月3日にこう訴えた。

国際の平和と安全の維持を主要な使命とする国連は、長年にわたり核兵器のない世界を目指す国際的な取り組みを主導してきた。しかし、反核条約が増えているにもかかわらず、その進展は比較的遅い。唯一の慰めは、80年以上にわたり核攻撃や核戦争が発生していないことだ。

A visitor watches a video of a nuclear bomb test while touring the Atom pavilion, a permanent exhibition centre designed to demonstrate Russia’s main past and modern achievements of the nuclear power industry, at the All-Russia Exhibition Centre in Moscow on 6 December 2023. (Photo by Natalia Kolesnikova. Photo: AFP/NTB

それにもかかわらず、ノルウェー人民援助(NPA)が米国科学者連盟(FAS)と協力して発表した「核兵器禁止監視報告書(Ban Monitor)」によると、使用可能な核兵器の数は2024年初めの9,585発から25年初めには9,604発へと増加した。この数は、1945年に広島を壊滅させ、14万人を殺害した原爆の約14万6,500発分に相当するとされる。

さらに、これらの核兵器の40%は、潜水艦や地上配備ミサイル、爆撃機基地に配備されており、即時使用が可能な状態にある。現在、核兵器を保有する9か国は、米国、ロシア、フランス、中国、英国、パキスタン、インド、イスラエル、北朝鮮である。

FAS

核兵器禁止監視報告書によれば、2017年に国連が核兵器禁止条約(TPNW)を採択して以降、老朽化した核弾頭の廃棄によって核弾頭の総数は徐々に減少してきたが、実際に使用可能な核兵器の数は2017年の9,272発から着実に増加しているという。

「この増加傾向は、各国が核戦力の近代化や拡張を進める限り続くと予想される。軍備管理と軍縮努力における画期的な進展がない限り、核兵器の削減は難しい。」と、報告書の主要執筆者の一人であり、FASの核情報プロジェクトのディレクターであるハンス・M・クリステンセン氏は警告する。

Jonathan Granoff, President, Global Security Institute
Jonathan Granoff, President, Global Security Institute

グローバル・セキュリティ・インスティテュートのジョナサン・グラノフ会長はIPSの取材に対して、「核兵器を持つ9か国が、核抑止戦略を維持しながら核兵器の能力を拡張することは、重大な矛盾を孕んでいる。」と指摘する。

「核兵器が精度と破壊力を増すほど、安全性は低下する。一部では破壊力を抑えた新型核兵器が開発されているが、それはむしろ使用の可能性を高め、核使用の禁忌を破ることにつながるかもしれない。これは、我々が生き延びられないほどの危険な道だ」と警鐘を鳴らした。

グラノフ氏は、核兵器の存在を正当化する論理を疑問視し、次のように問いかける。 「仮に9か国が『天然痘やペストのような生物兵器を使うのは許されないが、9か国だけは国際安全保障のために使用や使用の脅しが許される』と主張したら、それは理にかなうのだろうか? 現状の核抑止戦略は、それと同じではないか?」

3月5日の「軍縮と不拡散の認識のための国際デー」に際し、グテーレス事務総長は、「人類の未来を守るためには、武力や軍拡ではなく、対話・軍縮・国際協力といった平和を実現するための仕組みにこそ力を注ぐべきだ。」と強調した。しかし、世界の緊張は高まり、核の脅威は増し、抑止力となる仕組みが崩れつつあると警告した。

また、各国指導者に対し、核の拡散を防ぎ、核実験を防ぎ、核兵器の使用を防ぐためのシステムと手段を強化し、軍縮義務を果たすよう呼びかけた。さらに、最近採択された「未来のための協定(Pact for the Future)」の軍縮関連の取り組みを推進するよう求めた。

国際NGOであり、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のメンバーであるノルウェー人民援助は、ウクライナ、北東アジア、中東をめぐる核保有国間の地政学的緊張の高まりを背景に、核兵器の使用リスクが冷戦時代と同等かそれ以上に高まっていると警告している。

M.V.-Ramana
M.V.-Ramana

核兵器禁止監視報告書は、TPNWに違反する形で、ロシアと北朝鮮が昨年、核兵器の使用を示唆する発言を行ったと指摘する。北朝鮮は韓国に対し明確に核の使用を脅し、ロシアはウクライナに対し暗に核使用の可能性を示唆した。

カナダ・ブリティッシュコロンビア大学のM.V.ラマナ教授は、核兵器の増加は、戦争リスクの高まりと核兵器保有国による近代化の動きと関連していると指摘する。

米国とロシアは、ほぼすべての核兵器運搬システムを更新中であり、米国の核戦力近代化計画の総費用は1兆ドルを超えると見積もられている。また、中国は小規模ながら急速に核戦力を増強している。

さらに、AI(人工知能)やサイバー戦争の発展が核戦争リスクを増大させる要因となっており、軍備競争の加速が大惨事を引き起こす危険性を指摘した。

Melissa Parke took up the role as ICAN’s Executive Director in September 2023. Photo credit: ICAN
Melissa Parke took up the role as ICAN’s Executive Director in September 2023. Photo credit: ICAN

ICANのメリッサ・パーク事務局長は、この報告書の発表を歓迎し、「問題の本質は、使用可能な核兵器が増えていることだが、解決策もある。それは、TPNWへの国際的支持の拡大だ」と強調した。

「TPNWは、核兵器を明確に禁止し、公正かつ検証可能な軍縮への道を示す唯一の条約である。核保有国とその支持国は、もはや反対をやめ、国際社会の多数派に加わるべき時だ。」と訴えた。

また、報告書は、欧州諸国がNPTの義務を持ちながらも核軍縮を妨げる主要な要因となっていると指摘し、EUに対し、TPNWへの姿勢を再考し、政策転換を模索するよう求めている。(原文へ

INPS Japan/INPS UN BUREAU

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日本生まれのネパール人の子どもたち、アイデンティティに揺れる

日本で働くネパール人両親の子どもたちがネパールに戻り、現地の生活や学校に適応する過程で様々な困難に直面している。

【カトマンズNepali Times=ピンキ・スリス・ラナ】

アヤン・ダッラコティさんは日本で生まれ育ち、日本語を話し、自身を「日本人」だと感じていた。しかし、成長するにつれて自分が実際にはネパール人であることに気づいた。アヤンが8歳のとき、母親のプラティバは弟のアバンと共に彼をネパールに連れて帰った。父親のアンジャイは「ネパール人になる」ために子どもたちを帰国させることを決めたのだった。

アヤンはある程度ネパール語とネパールの環境に馴染みがあったが、カトマンズの教育システムや生活は全くの異世界だった。「同じく日本から帰国したクラスメートがいるときは少し楽だったようですが、ネパール人の友達を作るのは簡単ではありませんでした。」と母親のプラティバは振り返る。

日本で増加するネパール人移民

現在、日本はダッラコティ家のようなネパール人家族にとって主要な移住先となっている。公式統計によると、日本には18万人のネパール人が在住しており、昨年だけで3万5千人が新たに日本へ渡航した。これは前年より30%の増加である。

日本大使館のデータによれば、昨年の渡航者の内訳は、2万3,124人が学生ビザ、8,566人が就労ビザ、7,849人が家族ビザだった。初期のネパール移民の多くは「技能労働者」として料理人を主としていたが、現在の移民の大多数は学生ビザで渡り、パートタイムで働いている。

ネパール人の家族は日本では一緒に暮らすことができるため、ネパール語や文化、英語を教えるネパール人学校が日本の大都市に設立されている。しかし、都市部から離れた場所に住む家庭の子どもたちは日本の学校に通うしか選択肢がない。

日本とネパールの間でアイデンティティに揺れる子どもたち

All photos: GOPEN RAI

アンジャイ・ダッラコティさんは学生ビザで日本に渡り、その後就労ビザを取得した。妻のプラティバは数年後に家族ビザで日本に加わり、アヤンとアバンが日本で生まれた。しかし、12年後、プラティバは2人の息子を連れてネパールに帰国した。

ネパール人家庭では、子どもたちが「二つの世界の狭間」で適応に苦労する例が増えている。子どもたちはまず日本に行くこと、そしてネパールに戻り学校生活に再適応することの二重の課題に直面する。

東京の上智大学の田中雅子教授によれば、日本には約2万人のネパール人未成年者がいる。田中教授は日本のネパール人移民に密接に関わっており、多くの母親が子どもたちが故郷のアイデンティティや文化を失うことを懸念してネパールに戻ることを選んでいると語った。また、子どもたちが十分な英語教育を受けていないことを心配する親も多く、これが将来の競争力の低下につながると考えている。

学業と文化への再適応の困難

All photos: GOPEN RAI

ネパールに戻った子どもたちは、現地の教育システムに適応するために学年を繰り返す必要があることが多い。例えば、シビカ・スベディくんは日本で1年生を終えた後、ネパールで再び1年生を始め、現在は9年生。母親のニトゥ・ビスタ・スベディさんは、「ネパールのカリキュラムの基礎を強化するためには必要なことだった。」と語った。

さらに、言語の問題や異なる教育システムへの適応により、心理的な負担も大きい。心理学者スリジャナ・アディカリ氏は、「安定した環境で成長することが子どもの健全な発達には不可欠だ。」と述べ、環境の不安定さが分離不安や人間関係の構築に苦労をもたらす可能性を指摘した。

日本でのネパール教育の現状

All photos: GOPEN RAI

現在、日本にはネパールの教育カリキュラムを採用する学校が増えており、その中でも東京のエベレスト国際学校は、ネパール教育省から認可を受け、ネパールのSEE(中等教育試験)を実施できる唯一の学校である。しかし、これらの学校は私立の国際学校であり、日本政府からの補助金や特典がないため、経済的な負担が大きいのが現状である。

田中教授は、日本の他の認可国際学校のように、これらのネパールカリキュラム学校も日本政府とネパール政府の両方から認可を受けるべきだと提案している。それにより、子どもたちの将来の選択肢が広がり、教育の質も向上することが期待される。

日本とネパールの狭間でアイデンティティに揺れるネパール移民の子どもたちにとって、両国の連携した支援が求められている。(原文へ

INPS Japan/Nepali Times

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「レバノンで私が経験したことを誰も知りません。この苦しみは、私だけのものです。」

【カトマンズNepali Times=サジタ・ラマ】

レバノンからネパールへ帰国して3年が経ちました。12年間働き続けた家族から一切の給与を受け取ることができなかった私が、生きて帰れるとは思っていませんでした。

私は何も持たずに帰国しました。母が支えてくれなければ、どうなっていたか分かりません。帰国後しばらくは何もできずにいましたが、ようやく気持ちを奮い立たせ、美容の技術を学びました。しかし、海外での経験がトラウマとなっていたのか、人付き合いを避け、クラスでもあまり話しませんでした。

私の苦しみは、私だけのもの。レバノンでの経験を誰にも話すことはありませんでした。

訓練センターでは仕事の紹介も受けました。フェイシャルやヘアストレートなどを数か月試しましたが、使用する薬剤で胸が痛み、続けることはできませんでした。

そんな中、私は料理をすることが心の癒しになると気づきました。現在は家庭の朝食と夕食を作る仕事をしており、ときどきホームパーティーのケータリングも請け負います。

私はひとりで40~50人分の食事を作ることができます。仕事のほとんどは口コミや紹介によるものですが、多くの人が私の料理を気に入ってくれています。それが何より嬉しいです。特にタカリ料理が得意で、YouTubeでレシピを学びながら日々腕を磨いています。レバノンの家族のために料理していた経験も役立っています。ただ、あちらの食事は油が少なく味も淡白でしたが。

Sajita Lama ponders her future in the tin hut where she cooks for a living.
Sajita Lama ponders her future in the tin hut where she cooks for a living.

音楽を聴きながら楽しく料理をしようと努めていますが、それでも時折フラッシュバックが起こり、あの12年間を思い出してしまいます。なぜ彼らは私に一銭も支払わずに済んだのか。あの過酷な労働は、すべて無駄だったのか。

ネパールでは時間給や日給で支払いを受けることができますし、チップをもらえることもあります。決して多くはありませんが、それでも「支払われる」ということが、レバノンとは大きく異なります。

海外から戻ってきた人たちは貯金を持ち帰り、それを元手に投資をしています。でも、私は何も持ち帰れませんでした。命からがら帰国しただけです。それでも、前を向こうと努力しています。仕事を持ち、人との交流も増えてきました。

レバノンでの未払い賃金については、現在も法的手続きを進めています。支払いが行われるのがいつになるのか、あるいは本当に支払われるのかも分かりません。ただ、法的手続きには時間がかかると言われているので、気長に待つしかないと思っています。

帰国当初は、アラビア語とネパール語を混同してしまうことがよくありました。今ではアラビア語を忘れてしまいました。帰国時、私はわずか30キロしかなく、食事もほとんどとれませんでした。今は食欲も戻り、少しは食べられるようになりました。

今、私は再び海外で働くことを考えています。今度は美容師や料理人として、ドバイに行こうかと考えています。しかし、訴訟のためにネパールに残るべきかどうか迷っています。もしも裁判の手続きで呼び出されたら、その時すぐに戻れるのか——それが不安です。

もし未払い賃金をすべて受け取ることができたら、海外に行かずに小さな खाजा घर(軽食堂) を開きたいです。バス停の近くなど、人通りの多い場所に小さな店を構え、少しずつ大きくしていけたらと思っています。

今の仕事でなんとか生活はできています。でも、それ以上のことはできません。私はまだ若い。数年間だけでも海外で働き、その後ネパールで事業を立ち上げることは可能かもしれません。

ただ、一度ひどい経験をしているだけに、もう一度同じ目に遭うのではないかという恐怖もあります。でも、母は「前を向きなさい」と言ってくれます。「起こったことは忘れなさい。あなたにできないことなどない」と。

私の夢は、カトマンズに小さな家を持つことです。2階に住み、1階では助けを必要としている人たちを支援する施設を作りたい。貧しく、病気で、頼る人のいない人たちに食事を提供し、世話をするのです。

それが実現すれば、どんなに嬉しいことか。

でも、まずは自分の生活を安定させなくてはなりません。他人を助けるには、まず自分が助かることが必要なのです。


【ディアスポラ・ダイアリーズ第4回】

(ネパール・タイムズ第1104号、2022年3月25日~31日 掲載)

私は18歳のとき、レバノンへ行きました。12年間、家政婦として働きました。そのうち給与が支払われたのは、わずか1年9か月分だけでした。

The Nepali TImes.
The Nepali TImes.

私のケースは特異です。多くの人は雇用主に搾取されていることに早く気づきますが、私は長い間、それを理解していませんでした。私は雇用主の家族とうまくやっていましたし、彼らは「あなたの給料は銀行に貯めてある」と言ってくれました。それを信じない理由はありませんでした。彼らは「家族同然」だと思っていたのです。

しかし、それは私の勘違いでした。ただの労働力として利用されていただけだったのです。

2010年にネパールを出国するとき、義姉が5ルピー札をくれました。私は12年間、それを大切に持っていました。そして、帰国したときも、私の所持金はその5ルピー札だけでした。

今、その5ルピー札はラミネート加工してあります。私は決して忘れないでしょう。ネパールを出発するときに持っていたお金、それが私が帰国したときに持っていた唯一のお金だったのです。

(※本記事には、サジタ・ラマの帰国時の映像や、彼女のレバノン人雇用主へのインタビュー映像があります。一部視聴者にとっては衝撃的な内容を含む可能性があります。)

ディアスポラ・ダイアリーズは、ネパール・タイムズと Migration Lab の共同企画です。海外での生活、仕事、留学などの経験を共有する場を提供しています。(原文へ

INPS Japan

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国連は80年の歴史で最大の危機に直面しているのか?

【国連IPS=タリフ・ディーン】

国際連合(UN)は、設立から約80年の歴史の中で存続の危機に直面している。トランプ政権が、国連への資金提供を大幅に削減し、複数の国連機関からの脱退を脅す動きを強めているためだ。これらの機関は、主に人道支援活動を世界中で展開している。

Elon Musk is a technology entrepreneur, investor, and engineer./ By Debbie Rowe - Own work, CC BY-SA 4.0
Elon Musk is a technology entrepreneur, investor, and engineer./ By Debbie Rowe – Own work, CC BY-SA 4.0

さらに、テクノロジー業界の大富豪であり、事実上トランプ大統領の「首相」とも称されるイーロン・マスク氏は、米国が北大西洋条約機構(NATO)と国連から脱退するべきだと主張している。

マスク氏は、右派の政治評論家が「今こそ米国がNATOと国連を脱退する時だ」と投稿した内容に対し、「同意する」と応じた。マスク氏はトランプ政権において最も影響力のある助言者とされており、「政府効率化省(DOGE)」の長として米国の官僚機構に対して徹底的な締め付けを行っている。次のターゲットは国連になるのだろうか?

この国連への脅威は、共和党の議員らが「国連脱退法案」を提出したことでさらに強まっている。この法案は、国連が「アメリカ・ファースト」の政策と合致しないと主張するものである。

元国連事務次長であり、ユニセフ(UNICEF)の元副事務局長であるクル・チャンドラ・ガウタム氏は、国連に対するトランプ/マスク政権の「悪意に満ちた意図」を証明するものだと指摘している。

米国政府は現在、ポリオ、HIV/AIDS、マラリア、栄養改善プログラムなどの資金を停止しており、多くの国際NGO、国連機関、政府、民間請負業者が運営するプロジェクトが打撃を受けている。これらのプログラムは、米国務省によって「不可欠かつ救命的」と認定され、資金削減の例外措置を受けていたにもかかわらず、現在では「赤ちゃんを風呂の水ごと捨てる」ような状況となっている、とガウタム氏は嘆く。

これにより、何百万もの子どもや女性が病気や栄養失調に苦しみ、命を落とす危機にさらされている。トランプ/ルビオ政権の「合理的な保証」は幻想に過ぎず、国連の信頼性も損なわれていると警鐘を鳴らしている。

UN Secretary-General António Guterres addresses the preparatory ministerial meeting for the Summit of the Future. | Credit: UN Photo/Laura Jarriel.
UN Secretary-General António Guterres addresses the preparatory ministerial meeting for the Summit of the Future. | Credit: UN Photo/Laura Jarriel.
国連のアントニオ・グテーレス事務総長は、記者会見でこの危機に対する深い懸念を表明した。

「過去48時間の間に、国連機関や多くの人道支援・開発NGOから、米国の深刻な資金削減に関する情報が相次いで寄せられました。これらの削減は、広範囲にわたる重要なプログラムに影響を及ぼしています」と述べた。

この影響は、人道支援活動、戦争や自然災害からの復興支援、開発事業、テロ対策、違法薬物取引の防止など多岐にわたる。事務総長は、「その影響は、世界中の脆弱な人々にとって特に壊滅的なものになる」と警告している。

国際民主主義組織「Democracy Without Borders」のアンドレアス・ブメル事務局長は、共和党の一部から米国の国連脱退を求める声が出るのは新しいことではないと指摘する。

しかし、「トランプがこれを支持する可能性は低いものの、外交的圧力をかける手段として利用する可能性は否定できない」と述べる。彼はまた、「米国が国連を脱退することで得られる利益よりも失うものの方が大きいが、トランプの行動は必ずしも合理的ではなく、米国の利益に沿っているとも限らない」と指摘した。

現在、米国は国連の通常予算と平和維持活動予算の約22%(2024年の予算は35.9億ドル)を負担している。では、米国は一方的に拠出額を削減できるのか?
Ambassador Anwarul Chowdhury
Ambassador Anwarul Chowdhury

バングラデシュの元国連大使で、国連事務次長を務めたアンワルル・K・チョウドリー氏は、「いいえ、米国が一方的に削減することはできません」と明言する。

通常、拠出金の割合は国連加盟国が合意する「分担金委員会」で協議され、その後「第五委員会」で承認される。すべての加盟国の合意が必要であり、米国の拠出額を減らす場合は、他国の負担割合を増やさなければならない。

ただし、特定の国連機関から脱退すれば、その機関への拠出義務はなくなる。過去には、米国が支払いを遅らせる、または一部のみを支払うといった戦術を取ったことがある。

国連広報官のステファン・ドゥジャリック氏によると、米国の資金削減の影響は広範囲に及ぶ。
  • 国連薬物犯罪事務所(UNODC):50以上のプロジェクトが終了。メキシコ事務所(フェンタニルの流入対策を担当)は閉鎖の危機。
  • 国際移住機関(IOM):コンゴ民主共和国(DRC)のプログラムはほぼ完全に停止。ハイチの支援プログラムも危機的状況。
  • 国連食糧農業機関(FAO):27件の事業が打ち切り。

ドゥジャリック氏は「国連は、より効率的に、重複を排除しながら活動する方法を模索している」としながらも、「いかなる組織であれ、より良く、より迅速に働く方法を見直すことは必要だ」と述べた。

米国による国連資金削減の動きは、世界中の人道支援や開発事業に壊滅的な影響を与えつつある。米国の国連脱退が現実となるかは不透明だが、その可能性が外交カードとして使われることは十分考えられる。国連は今、80年の歴史の中で最大の試練に直面している。(原文へ

INPS Japan

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