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重要鉱物をめぐる契約交渉は何が特別なのか

【ニューヨークIPS=カール・P・ソーヴァント、ルイス・T・ウェルズ】

「重要鉱物(critical minerals)」が先進国の企業や政府にとって文字通り「重要」なのは、現代の自動車、人工知能(AI)、コンピューター、ドローンをはじめ、数多くの民生品や防衛関連製品に欠かせないからである。|英語版|

現在、多くの重要鉱物は採掘、とりわけ精製・加工が中国に集中している。そのため、欧米諸国との緊張が高まった際、中国にとってこれらの鉱物へのアクセスを制限することは、強力な交渉手段となり得る。このため先進国の政府や企業は、供給を確保しようと、中国国外で新たな鉱山や加工施設の開発を急いでいる。

重要鉱物の鉱床の多くは開発途上国に存在する。しかし、その多くは、レアアースをはじめとする重要鉱物の採掘に必要な資本やノウハウを外国企業に頼らざるを得ない。探鉱・開発契約は、投資家と受入国政府双方の権利と責任を、多くの場合、数十年にわたって規定する。しかも、多くの投資家は投資協定によって保護されているため、資源保有国にとっては、契約締結の段階から適切な条件を確保することが極めて重要となる。

資源保有国に広がる交渉の余地

重要鉱物をめぐっては、開発途上国の交渉力が他の鉱物資源の場合より強くなることが多い。先進国の民間企業だけでなく、その本国政府も重要鉱物へのアクセス確保に強い関心を持ち、同時に競争相手にその資源を押さえられることを避けようとしているからだ。

投資家側の開発意欲が強ければ、資源保有国は税やロイヤルティーなど、より有利な財政条件を求めることができる。また、政府の政策変更などに対して投資家を広範に保護する「安定化条項」を過度に認めないことや、現地サプライヤーを育成するプログラム、適切な鉱山閉鎖措置などを契約に盛り込むことも可能になる。場合によっては、採掘した鉱石を国内で加工するよう投資家に求めることもできる。

もう一つの機会は、重要鉱物を自国企業に確保させたい投資家本国の政府の強い関心を活用することである。資源保有国は、鉱山そのものに必要なインフラにとどまらず、プロジェクトへの資金提供やインフラ整備への援助拡大などの便益を、投資家の本国政府に求めることができる。

本国政府から実質的な利益を引き出せる可能性を高めるには、受入国政府が投資家やその本国の政策について深い知識を持つとともに、他国で締結された鉱業契約についても十分な情報を得ておく必要がある。

重要鉱物に特有の動きとして、その供給網を構築・安定化させるための多国間・二国間の枠組みが形成されつつある。これにはFORGEや、Project Vaultのような備蓄構想も含まれる。

こうした新たな機会を活用し、投資家の本国政府から利益を得るためには、通常の鉱業担当省庁だけでなく、外務省も交渉に関与する必要があるかもしれない。その結果、政府内の省庁間調整という、以前からある課題がさらに重要になる。

「契約したのに開発しない」リスク

一方、資源保有国には一定のリスクもある。

とりわけ重要なのは、投資家が契約を締結したにもかかわらず、実際には投資を行わないリスクである。あるいは、期待された水準まで生産を拡大しない可能性もある。企業が他社による鉱床の取得を阻止するためだけに契約を結んだり、「万一に備えた」予備資産として権益を確保したりする場合もあり得る。

さらに、技術は急速に変化している。例えば、現在バッテリーに必要とされている鉱物が、数年後にも同じように必要とされているとは限らない。

だからこそ、契約には「use-it-or-lose-it(利用しなければ権利を失う)」条項を盛り込むことが不可欠である。投資家が合意した期限までに鉱山を開発しなかったり、定められた生産要件を満たさなかったりした場合、その権利を失うことを契約で明記し、政府が別の投資家を探せるようにしておく必要がある。

情報と専門知識の格差

受入国政府が投資家と交渉する際、一般に大きな不利となるのは、鉱物資源の価値について投資家側の方が政府より多くの情報を持っていることである。

また政府側には、十分な資金と人材を擁する国際的な投資家と交渉するために必要な法律、財務、技術面の専門知識が不足していることも少なくない。

過去に鉱業契約の交渉経験があったとしても、その際に蓄積された専門知識が、すでに別の政府機関や民間部門へ異動した担当者個人の経験にとどまっている場合もある。

重要鉱物をめぐる契約交渉には特有の複雑さと新たな可能性があるだけに、こうした知識や能力の格差はさらに大きくなり得る。したがって、開発途上国が自らの立場を生かし、こうした機会を十分に活用することは容易ではない。

外部の専門家を活用すれば、政府がより有利で適切な鉱業契約をまとめる助けとなる。しかし、最貧国の多くには、弁護士、地質学者、技術者、金融アナリスト、市場専門家、環境専門家といった国際的な専門人材を雇うための資金が不足している。

世界銀行や国際金融公社(IFC)などの国際機関は、外国投資や鉱業に関する政策・法制度の整備を支援できる。しかし、個々の企業との具体的な契約交渉になると、そうした機関の支援は及ばなくなる。

無償の専門家支援を活用する

AI画像 by INPS Japan

一方、交渉段階で無償(プロボノ)の助言を提供する機関も存在する。

International Senior Lawyers ProjectとAfrican Legal Support Facilityは法的支援を提供している。また、CONNEX Support Unitは法的支援だけでなく、個々のプロジェクトに必要となるその他の専門知識も提供している。

重要鉱物の契約を交渉する際、各国政府はこうした外部支援の活用を検討すべきである。ただし、自国の具体的なニーズに合致し、信頼して協力できる専門家を選ぶため、支援機関と緊密に連携する必要がある。

選ばれる専門家には、必要な技術的知識だけでなく、鉱山開発計画に関係する複数の省庁や政府機関をまとめるためのコンサルティング能力も求められる。これはしばしば難しい仕事である。

最終的に、個々の専門家であれ、異なる専門能力を持つ専門家チームであれ、できるのはあくまで助言である。決定を下すのは、鉱物資源を保有する国の政府である。

長期的に持続する契約を

ただし、一つ注意すべき点がある。資源保有国政府は、自らの交渉力を過信し、要求を過度に押し通さないよう慎重でなければならない。

目指すべきなのは、関係するすべての当事者の長期的な利益を、バランスよく反映した契約である。そうして初めて、その契約は長期にわたって持続するものとなる。

カール・P・ソーヴァント(Karl P. Sauvant)は、コロンビア大学持続可能な投資センター(CCSI)シニアフェローで、国連貿易開発会議(UNCTAD)投資部の元部長。ルイス・T・ウェルズ(Louis T. Wells)は、ハーバード・ビジネス・スクールのハーバート・F・ジョンソン国際経営学名誉教授。両氏はCONNEX Advisory Committee(CONNEX諮問委員会)のメンバーである。

INPS Japan/ IPS UN Bureau Repor

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開発ブーム―国民の名で築かれ、国民の懐で賄われる

【米ニューヨークINPS Japan/ATN=アハメド・ファティ】

エジプトでは、至るところで「開発」を目にすることができる。その上を車で走ることもできれば、橋を渡ることも、空から写真に収めることもできる。開発は、橋となり、高速道路となり、新都市となる。大統領が出席する華々しい開通式となり、砂漠から姿を現しつつある新行政首都となって目の前に現れる。

しかし、写真にはなかなか写らないものもある。

スーパーで何を棚に戻そうかと悩む家族。薬代を数える年金生活者。貯蓄が目減りしていくのを見つめる中間層の家庭。そして、将来の生活費があまりにも高くなったため結婚を先延ばしにする若いカップル。

これもまた、「開発」の姿なのである。

あるいは、より正確に言えば、上から設計された開発の代償を、下にいる人々が支払うときに生まれる現実なのだ。

9月23日、世界の指導者たちはニューヨークの国連本部に集まり、「発展の権利に関する宣言」の採択40周年を記念する。そこでは、人間の尊厳、平等、参加、そして「誰一人取り残さない」という理念について、さまざまな発言が交わされるだろう。その議論の中で、エジプトについても語られなければならない。それは、エジプトが何も建設してこなかったからではない。むしろ、数多くのものを建設してきた。より難しい問いは、そもそもエジプト国民自身に、「進歩とは何を意味するべきなのか」を決める機会が与えられてきたのかということである。

40年前、国連は人間を開発の中心に据えた。人々は開発に参加し、それに貢献し、そしてその恩恵を受ける存在であるべきだとされた。

この点から見ると、エジプトの歩みには居心地の悪い現実が浮かび上がってくる。

エジプトでは、開発政策が国民と協議して決められるというより、決定された後に国民へ告げられることが多かった。国家が選び、借金をし、建設し、その後で説明する。そして国民が優先順位に疑問を投げかけても、率直な国民的議論を歓迎する場が待っているわけではない。

長年にわたる逮捕、活動への制約、政治的圧力によって、エジプトの野党勢力は弱体化してきた。独立した市民社会も、活動の余地を確保するために長年苦闘している。NGOは厳しい法律、捜査、資金調達上の制約に直面してきた。ジャーナリストは、政府への批判が重大な結果を招きかねない環境で仕事をしている。政党もまた、明文化されていなくとも誰もが理解している一定の限界の中で活動している。

それでも私たちは、「参加型開発」について語る。

では、誰が参加しているのだろうか。

国民に尋ねることなく国をつくる

エジプトには、より良いインフラが必要だったという主張には十分な根拠がある。人口1億人を超える国には、道路、交通網、電力、住宅、そして都市の拡大が必要だった。

本当の問題は、何を優先するかということだ。

どのプロジェクトを最優先するのか、誰が決めたのか。どれほどの速度で進めるのか、誰が決めたのか。どこまでの債務なら受け入れられるのか、誰が決めたのか。何を後回しにすることができたのか。そして、ごく普通のエジプト国民が、そうした選択に実質的に異議を唱えることのできる場は、どこにあったのだろうか。

開発とは、単なる技術的な作業ではない。政治そのものでもある。

大型支出に関する一つひとつの決定には、誰が権力を握っているのかが映し出される。予算を見れば、誰の必要が「緊急」とされ、誰の必要は「後回し」にできると判断されているのかが分かる。そして経済調整のたびに、最終的に誰が痛みを背負わされるのかが明らかになる。

エジプトでは、その痛みの多くが家庭に押し寄せている。

エジプト・ポンドは大幅に価値を失った。物価は急上昇し、購買力は低下した。かつて中間層が当たり前のように考えていたこと――外食、私立学校、医療、家電製品の買い替え、子どもの結婚支援、そしてわずかでも貯蓄すること――が、いまでは一つひとつ慎重な計算を必要とするものになっている。これらは単なるぜいたくではない。

人々が、自分たちの生活が前に進んでいるのか、それとも後退しているのかを判断する、小さくとも重要な物差しなのである。

「経済は改善している」と国民に説明することはできる。「外貨準備が増えている」「国際金融機関が新たな審査を承認した」と説明することもできる。

しかし、人々は結局、自宅に帰って冷蔵庫を開けなければならない。

経済理論が政治的現実と出会うのは、まさにそこである。

終わることのない「忍耐」の要求

エジプト国民は長年、同じような説明を繰り返し聞かされてきた。忍耐してほしい。改革は必要だ。痛みは一時的なものだ。犠牲はいずれ報われる。成長がやってくる。投資がやってくる。繁栄が後に続く。

そうした説明の中には、正当なものもある。

エジプトがウクライナ戦争を始めたわけではない。ガザでの戦争を始めたわけでもない。そしてもちろん、湾岸地域を揺るがし、エネルギー市場を混乱させ、世界で最も重要な海上輸送ルートの一部を再び緊張にさらしたイランをめぐる戦争を始めたわけでもない。

エジプトにとって、この最新の戦争は、地図上の遠く離れた安全な場所で起きている出来事ではない。その影響は、石油・ガス価格、投資判断、保険料、紅海、ホルムズ海峡、そしてエジプト経済が依存している海上輸送路を通じて直接伝わってくる。エジプトは、自ら始めたわけではない戦争の代償を支払っている。

その事実は認めなければならない。

しかし、それを国内のあらゆる困窮を説明する万能の理由にしてはならない。

国外の危機が、エジプトの経済モデルを設計したわけではない。国家予算の優先順位を決めたわけでもない。どれだけ債務を増やしてよいのかを決めたわけでも、どの巨大プロジェクトが「待てない」のかを決めたわけでもない。政治的競争を抑え、市民社会の活動空間を狭め、独立した監視機能を弱体化させ、市民社会が政府の決定に異議を唱えにくくしたのも、外部の危機ではない。

それらは国内で下された選択だった。

この区別は重要である。

強靱な経済とは、次の戦争や原油価格ショック、あるいはスエズ運河の混乱を単に生き延びる経済ではない。一般市民が、あらゆる危機の恒常的な衝撃吸収装置にされることを防ぐ経済でもなければならない。

なぜなら、あらゆる危機の代償が最終的に同じ食卓にたどり着き、食料、エネルギー、交通費の上昇や購買力の低下という形で家計を直撃するなら、「強靱性」という言葉の意味も、食卓のどちら側に座っているかによってまったく違って聞こえてくるからだ。

そして、まさにそこで、経済的困難と政治的説明責任は切り離すことができなくなる。

健全な公共空間が存在する社会では、野党が支出の優先順位に異議を唱える。ジャーナリストが調査する。市民社会が政府の決定に異議を申し立てる。議会が説明を要求する。専門家が公の場で論争する。人々が組織化する。そして政府が、時には方針を変える。

こうした回路が弱体化しても、誤った政策そのものが消えるわけではない。

ただ、異議を唱えることが難しくなるだけだ。

これは、権威主義的統治がもたらす影響の中でも、最も語られることの少ない代償の一つなのかもしれない。それは人権問題であるだけではない。経済問題にもなり得るのである。

写真の中のエジプトと、食卓を囲むエジプト

ある意味で、エジプトには2つの姿がある。一つは、極めて目につきやすいエジプトだ。新しい高速道路。新都市。目を引く建設事業。大規模な国家プロジェクト。政府の公式映像に登場するエジプトである。そこには近代性があり、野心があるように見える。

もう一つのエジプトは、家庭の食卓を囲んでいる。そこで語られるのは、物価、学費、薬代、家賃、肉の値段、そして給与の価値だ。息子は国外へ出るべきだろうか。娘は結婚費用を賄えるのだろうか。5年後、退職後のために蓄えてきた資金には、まだ意味があるのだろうか。

そうしたエジプトが、開発に関するプレゼンテーションに登場することはほとんどない。

しかし、本当に重要なのは、こちらのエジプトなのである。

一般市民の安心と尊厳を向上させることのできない「発展の権利」は、やがて単なるスローガンになってしまう。

参加を伴わない開発は、さらに深刻なものへと変わる危険がある。すなわち、人々の名の下に進められながら、その選択にも、その結果にも、人々が実質的な当事者として関与できない事業である。

誰が「成功」と呼ぶのか

国際金融機関にも責任がある。彼らは債務、財政赤字、為替相場の柔軟性、外貨準備、改革目標を監視する。これらはもちろん重要だ。しかし、一般家庭がなお痛みを背負い続けている中で、経済調整プログラムを「成功」と呼ぶことには、どこか倫理的に欠けた部分がある。

誰にとっての成功なのか。

政府は省庁の中から経済を測る。金融機関は表計算ソフトの数字から経済を測る。人々はスーパーで経済を測る。時として、その3つの現実は、まったく重ならない。

国連の「発展の権利に関する宣言」が目指したのは、まさにこの隔たりを埋めることだった。そこでは、人間こそが開発の中心的主体であるとされた。

国家ではない。

金融機関でもない。

巨大プロジェクトでもない。

一人ひとりの人間である。

発展は「権利」であって、政府からの恩恵ではない

9月に世界の指導者がニューヨークに集うとき、エジプト政府は実際に成し遂げてきた成果を示すことができる。そして、それは示してよい。

しかし同時に、より厳しい問いも投げかけなければならない。

実質的な政治参加が制限されている状況で、開発を「参加型」と呼ぶことができるのか。市民社会が脅威として扱われる状況で、「人間中心の開発」と呼ぶことができるのか。野党政治が弱体化し、独立した声が圧力の下で活動している状況で、市民は本当に開発の方向性を決めることができるのか。

そして、経済的負担の多くを背負っている国民が、その負担を生み出した政策決定にほとんど影響を与えることができないのなら、政府は本当に「開発は成功した」と主張できるのだろうか。

これらは、開発そのものに反対する問いではない。まさに「発展の権利」が問いかけるために生まれた問題なのである。

エジプトは大きく変わった。道路が変わった。街の景観が変わった。通貨が変わった。経済が変わった。政治の風景も変わった。

そして何百万人ものエジプト国民にとって、日々の暮らしは以前より厳しくなった。

40年を経たいま、本当に問うべきなのは、「エジプトは発展したのか」ではないのかもしれない。

発展したこと自体は明らかだ。

問うべきなのは――

その発展は、誰のためのものだったのか。そして、一般のエジプト国民がその費用を負担し、そのために犠牲を払い、その結果とともに生きていくことを求められたのであれば、彼らにはいつ、その「発展」が何を目指すべきなのかを決める権利が与えられたのだろうか。

Original URL: https://www.amerinews.tv/posts/egypt-s-development-boom-built-in-their-name-paid-from-their-pockets

INPS Japan

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ウィーンからニューヨークへ―初のTPNW再検討会議を前に揺れる核秩序

国際原子力機関(IAEA)第70回総会が示した保障措置と核セキュリティーの課題―焦点は初の核兵器禁止条約再検討会議へ

【ウィーンINPS Japan=浅霧勝浩】

国際的な核秩序が、新たな試練に直面している。ニューヨークで開かれた核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議が実質的な成果について合意できないまま閉幕してから4カ月足らず。各国政府はウィーンで保障措置や核セキュリティーをめぐる問題に向き合った。そして11月末には、核兵器禁止条約(TPNW)初の再検討会議がニューヨークで開かれる。

9月14日から18日まで開催されたIAEA第70回総会は、核をめぐる地政学的対立が、核不拡散を支える実務にも及んでいる現状を映し出した。

NPT再検討会議が実質的な結論や勧告について合意できなかったのは、2015年、2022年に続いて3回連続となる。アントニオ・グテーレス国連事務総長は結果に失望を表明する一方、NPTが世界の核軍縮・不拡散体制の礎であることを改めて強調した。

IAEAは核軍縮を交渉する機関ではない。原子力の平和利用を促進するとともに、核物質が核兵器などに転用されていないことを確認する保障措置を担う。

しかし今回、イラン、北朝鮮、ウクライナ、原子力潜水艦の推進をめぐる問題は、保障措置や核セキュリティーが、武力紛争やより広範な核秩序と切り離せなくなっている現実を示した。

検証を揺さぶるイラン問題

Map of Iran
Map of Iran

イランをめぐる焦点は、核計画をめぐる政治的対立だけではない。IAEAが独立した検証を継続し、その信頼性を維持できるかどうかである。

施設へのアクセスが制約され、高濃縮ウランを含む核物質をめぐる不確実性が続くなか、保障措置の実効性への懸念が強まっている。

さらに、イランの核施設への攻撃は別の問題を突きつけた。武力紛争下で、核施設とそれを取り巻く検証体制をどう守るのかという問題である。

戦時下の原子力安全を問うウクライナ

ウクライナでは、戦争によって主要な原子力施設が軍事作戦地域やその周辺に置かれ、とりわけザポリージャ原子力発電所が国際社会の懸念の中心となっている。

IAEAは原子力安全と核セキュリティー上のリスクを抑えるため、同原発に専門家を常駐させている。

Water is used to cool processes at the Zaporizhzhya Nuclear Power Plant in Ukraine. Credit: IAEA/Fredrik Dahl
Water is used to cool processes at the Zaporizhzhya Nuclear Power Plant in Ukraine. Credit: IAEA/Fredrik Dahl

ロシアとウクライナは、原子力施設を危険にさらす行為をめぐって互いを非難してきた。双方の主張には争いがあるが、より根本的なのは、大規模な原子力施設が長期の武力紛争にさらされた場合、既存の国際的な核管理体制をどう機能させるかという問題だ。

北朝鮮が示す検証の限界

Photo credit: journal-neo.org
Photo credit: journal-neo.org

IAEAは国外から朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の核関連動向を監視し、政治状況が許せば検証活動を再開できるよう準備態勢を維持している。

北朝鮮のケースは、国際的な検証制度の限界を端的に示す。高度な監視能力を備えていても、最終的には現地へのアクセスと当事国の協力が不可欠だからだ。

今回の総会では、より広範なコンセンサス形成の難しさも表面化した。保障措置、原子力安全、核セキュリティー、原子力の平和利用など高度に技術的な分野を扱うIAEAも、地政学的対立の影響を免れていない。

一方、他の保障措置案件での進展は、アクセス、透明性、継続的な協力が確保されれば、多国間の検証制度が成果を生み出せることも示している。

NPTとTPNWをつなぐ市民社会

Hideto Matsuura, head of Nihon Hidankyo, addresses an event hosted at the sidelines of the 2026 NPT Review Conference. Credit Naureen Hossain/IPS
Hideto Matsuura, head of Nihon Hidankyo, addresses an event hosted at the sidelines of the 2026 NPT Review Conference. Credit Naureen Hossain/IPS

核軍縮をめぐる議論には、市民社会も深く関与している。

2026年のNPT再検討会議では、創価学会インタナショナル(SGI)が、核軍縮教育、核リスク低減、核兵器がもたらす人道上・環境上の影響を訴えた。4月30日にはSGIと核時代平和財団(Nuclear Age Peace Foundation)が、核兵器の人道的影響という視点から拡大核抑止を検討するサイドイベントを共催した。

日本被団協を代表して参加した被爆者の松浦秀人氏は、原爆投下から80年以上を経ても、放射線に起因する疾病が被爆者を苦しめている現実を訴えた。

そこで提起されたのは、核抑止をめぐる根源的な問題でもある。安全保障を国家の視点だけから捉えるのか、それとも「人間の安全保障」の視点を組み込むのか。

こうした市民社会の取り組みは、NPTプロセスと、TPNW成立を後押しした人道的アプローチを結ぶ接点となっている。

ウィーンからニューヨークへ

次の舞台はニューヨークである。11月30日から12月4日まで、TPNW締約国は国連本部で条約発効後初となる再検討会議を開催する。

United Nations Headquarters Photo:Katsuhiro Asagiri
United Nations Headquarters Photo:Katsuhiro Asagiri

NPT、IAEA、TPNWは競合する枠組みではない。NPTは核不拡散、核軍縮、原子力の平和利用という三本柱を掲げ、IAEAはその核不拡散を支える保障措置と検証の中核を担う。一方、TPNWは核兵器の開発、実験、生産、保有、使用、使用の威嚇などを禁止し、その廃絶を目指す法的枠組みである。

IAEA
IAEA

2026年のNPT再検討会議が示したのは、核軍縮と核不拡散をめぐる政治的合意形成の難しさだった。ウィーンでは、武力紛争や地域的な核拡散問題、地政学的対立のなかで、検証と核セキュリティーが直面する現実的な問題が前面に出た。

初のTPNW再検討会議では、こうした状況のもとで核兵器禁止条約が核軍縮に何をもたらし得るのかが問われる。

核兵器国はいずれもTPNWに参加しておらず、条約だけで実現できることには明確な限界がある。その一方で、締約国と市民社会は、核兵器の人道上の影響とその廃絶を国際的な議論の中心に据えてきた。

11月30日に各国代表がニューヨークに集うとき、焦点は一つの条約の履行状況だけではない。

NPT再検討会議が再び実質的なコンセンサスを形成できなかった今、既存の枠組みと新たな枠組みがどう補完し合い、核リスクを低減し、検証を強化し、核軍縮を前進させられるのか。

ウィーンからニューヨークへ―それが2026年の核外交に残された重要な問いである。

This article is brought to you by INPS Japan in collaboration with Soka Gakkai International in consultative status with UN ECOSOC.

Toward a Nuclear Free World
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INPS Japan

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国連とパートナー諸機関、大地震後のベネズエラで保健・水・衛生システムの再建に尽力

【国連IPS=オリトロ・カリム】

ベネズエラ北部・中部を襲った6月24日の一連の地震から2カ月余り。人道支援機関は今なお最前線で救援活動を続ける一方、持続可能な復興に向けた取り組みを本格化させている。保健医療や水・衛生(WASH)システムが深刻な打撃を受けるなか、国連とパートナー諸機関は復旧の進捗を見極めながら、生活必需品の配布や基礎的サービスの再開に取り組んでいる。|英語版|

国連人道問題調整事務所(OCHA)の8月末時点の報告によると、地震による被災者は約130万人に上り、今後6カ月にわたって人道支援を必要とするとみられている。地震による直接の死者は6,509人に達した。当局は60,785戸の住宅の被害状況を調査し、このうち11,001戸を高リスクと判定した。

生活を支えるインフラへの被害も甚大かつ広範囲に及んでいる。国連によると、住宅だけでなく、学校や医療施設、さらに食料生産、安全な水の供給、子どもたちが安心して過ごせる環境を支える施設や設備にも大きな被害が生じた。

被害額については、それぞれ異なる評価手法に基づく推計に大きな幅がある。国連防災機関(UNDRR)の予備評価では、建物とインフラへの直接的な物的被害を約370億ドルと推計している。一方、国連開発計画(UNDP)が衛星データなどを用いて実施した迅速評価では、直接的な物的被害は約67億ドルで、同国の国内総生産(GDP)の約6%に相当すると推計された。

地震発生直後、UNDPは衛星画像、AIによる被害検出、被災リスクにさらされた人口や建物などのデータ、地震動の強度データ、工学モデルなどを組み合わせた迅速被害評価システム「RAPIDA」を稼働させた。これにより、被害規模を把握するための重要なデータを政府に提供し、復旧・復興計画の策定を後押しした。

RAPIDAは当初、地震で発生したがれきの量を約120万トンと推計していたが、その後、高解像度の衛星画像や現地調査の結果を踏まえ、7月中旬までに約210万トンへと上方修正した。この推計は現在、国のがれき処理計画の基礎となっている。政府当局によると、8月下旬までに全体の約28.61%が撤去された。

こうした進展にもかかわらず、多くの被災者の生活は依然として極めて不安定な状況にある。数万人が80カ所の仮設避難所で生活を続けており、深刻な過密状態や不衛生な環境、基礎的サービスの不足によって、感染症が拡大するリスクが高まっている。

map of venezuela
map of venezuela

汎米保健機構(PAHO)のジャルバス・バルボサ事務局長は、「今後数週間で最大の健康上のリスクとなり得るのは、地震そのものによる負傷だけではない。保健医療サービスの中断、過密な避難環境、不十分な水・衛生環境に加え、予防接種や日常的な医療を受ける機会の減少も大きな脅威となる」と警告した。また、ベネズエラでは地震発生以前から予防接種率が著しく低かったと指摘した。

国連とパートナー諸機関は、水・衛生(WASH)システムの復旧を最優先課題の一つに位置づけ、感染症の発生を防ぐうえで、安全で清潔な水を確保することが不可欠だと強調している。

国連児童基金(UNICEF)によると、過去2カ月で安全な水の確保には大きな進展がみられたものの、豪雨や給水車の不足、運用コストの上昇が、必要な支援を継続するうえで依然として大きな障害となっている。

UNICEFベネズエラ代表のマヌエル・ロドリゲス・プマロル氏は、「地震による壊滅的な被害の後、最優先事項は、子どもたちが安全で清潔な水を利用できるようにすることだった。しかし復興とは、家庭が今だけでなく、将来にわたって安全な水を確保できるようにすることでもある」と語った。

さらに、「復興とは、現在機能しているサービスを維持し、家庭が長期的に必要とするサービスを強化していくことにほかならない。UNICEFは、すべての子どもが健康で安全な環境のなかで成長できるよう、技術支援や物資の提供、運営面での支援を継続していく」と述べた。

現在、UNICEFとベネズエラの水資源省(Ministry of People’s Power for Water Services)は、最も大きな被害を受けた地域の一つであるラ・グアイラ州で、主要な給水施設の復旧に取り組んでいる。最大25万人への安全な水の供給を目指し、10月に始まる事業では、マモ揚水場とナイグアタ浄水場の補強が予定されている。

9月8日時点で、UNICEFの支援は子ども5,079人を含む少なくとも16,661人に届いている。複数の地域で安全な水へのアクセスが回復しており、保健、栄養、子どもの保護を安定させるうえで重要な前進となっている。

ここ数週間、PAHOの対応は緊急救援から早期復興へと移行しつつある。重点分野には、メンタルヘルス、妊産婦・周産期医療、中断した保健医療サービスの再開、仮設避難所への継続的な支援などが含まれる。

PAHOは9月4日、ベネズエラでの活動状況をまとめた報告書を発表し、これまでに41.3トンの医療物資と医薬品を同国に搬入し、約70,697人に支援を届けたと明らかにした。PAHOとパートナー諸機関はまた、仮設避難所の衛生・環境上のリスクを監視するとともに、感染症などを早期に発見し、迅速に対応するための体制強化を支援している。

PAHOは、カラカス、ラ・グアイラ、ミランダ、アラグアを特に支援の必要性が高い地域として挙げている。これらの地域では、妊産婦医療や家族計画、ジェンダーに基づく暴力の予防、リハビリテーションなどの分野で緊急の支援が必要だという。

こうしたニーズに対応するため、PAHOは今後6カ月間に必要となる緊急保健医療支援の資金として、2,300万ドルの拠出を国際社会に呼びかけている。

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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故郷にとどまる―変わりゆく気候の中で「文化的安全保障」を築く

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています

【Global Outlook=クラウディア・フライ、セライ・マラマニソソ】

太平洋地域がCOP31に向けたプレ会合の開催準備を進めるなか、この地域には、太平洋地域が主導する「気候・平和ネクサス」を通じて、平和と安全保障をめぐる対話を前進させるまたとない機会が訪れている。|英語版|

そうしたなかで、近年注目を集めているのが「文化的安全保障(cultural security)」という概念である。これは、環境や社会が大きく変化するなかで、文化的アイデンティティ、社会的結束、人と場所との関係性といった相互に結びついた要素を維持し、再生していくことを意味する。

この考え方は、太平洋地域の研究者、活動家、地域社会のリーダーたちが長年にわたり、先住民や地域社会に根差した「関係性の知」、思想、文化的慣行を気候政策の中心に据えるよう訴えてきたことを踏まえたものである。

しかし、制度化された植民地主義や、先住民・地域社会固有の仕組みが持つ価値への理解不足などにより、気候政策における文化や先住民の知への言及は、しばしば象徴的・形式的なものにとどまっている。その結果、複雑な知識体系や統治システムが、太平洋地域の外で形成された、西洋の援助国中心の世界観に基づく枠組みへと単純化されてしまっている。

こうしたなか、気候変動に伴う計画移転ではなく、祖先から受け継いだ土地にとどまることを選ぶ地域社会の存在は、文化的安全保障を気候安全保障の根幹に改めて据える重要な視点を提示している。

文化的安全保障とは、単に気候変動の影響から文化を守ることではない。長年にわたり受け継がれてきた文化的な仕組みそのものが、変わりゆく気候のなかで地域社会が平和と安全を築いていくプロセスの中核を担っていることに目を向けるものである。

私たちは、フィジーで研究者および実務家として活動してきた経験をもとに、文化を生かしながら現在の土地にとどまり、気候変動に適応している二つのiTaukei(フィジー先住民)コミュニティーの知識と経験を紹介する。

こうした取り組みの基盤となっているのが「Vanua(ヴァヌア)」である。iTaukei社会におけるVanuaとは、人々、土地、海、精神性、倫理、統治、親族関係、祖先を包括する概念である。

したがって、文化的安全保障というアプローチは、地域社会の脆弱性や依存に焦点を当てるのではなく、人々が共有する強みや力、そして暮らしのなかで培われてきた知へと視点を転換するものである。

以下では、Vanuaに根差した文化的安全保障の三つの重要な要素――伝統的な癒やしと精神性、伝統的な統治構造、親族関係と物語の継承――に着目し、それらが相互に作用しながら、変わりゆく気候のなかでいかにレジリエンスを築いているかを考察する。

伝統的な癒やしと和解の実践が平和と安全を育む

気候適応政策、とりわけ計画移転をめぐる政策では、移転の実務や意思決定に重点が置かれがちで、人々、土地、海のウェルビーイングにとって重要な、心の癒やしのプロセスが見過ごされる傾向にある。

フィジー先住民iTaukeiの宇宙観では、あらゆる生命は関係性のなかにあり、相互につながっていると考えられている。そのため、自らを癒やすことと環境を癒やすことは切り離すことができない。

フィジー社会福祉協議会(FCOSS)は「Vakabula Vanua」プロジェクトを通じて、ナイタシリ州セレアのワイカロウの住民と協力し、その土地にとどまりながら気候変動に適応する幅広い取り組みの一環として、「Tolo(トロ)」と呼ばれる心の癒やしと浄化の祖先伝来の慣行を復活させてきた。

プロジェクト開始当初、住民たちは、浸食が進む川岸のパンノキが実をつけなくなり、地域の食料安全保障が脅かされていると語っていた。

これを受け、地域住民はiTaukeiの関係性を重んじる思想に基づき、親族の絆を強めるためにToloを実践した。

プロジェクトが終わりを迎える現在、住民たちはパンノキが再び実をつけるようになったと語っている。そして、親族関係の修復は人間同士にとどまらず、土地との関係にも及び、それが豊かさをもたらし、食料安全保障を強化することにつながると捉えている。

同様の考え方は、タイレブ州のコマ島(Qoma Island)でもみられる。気候リスクが高まっているにもかかわらず、住民たちは移転せず、祖先から受け継いだ土地にとどまることを選択している。

住民たちは、その土地にとどまることで、qoliqoli(伝統的な漁場)との関係を維持し、再生することができると語っている。

ある長老はこう説明している。

「すべては、私たちが陸でどのように暮らすかにかかっています。すべてを尊重し、しきたりに従っていれば、海に出たときにそれを感じることができます。私たちの漁場は豊かになるのです。」

ここでは、Vanuaを構成するさまざまな関係性を癒やすことが、相互につながった陸と海の世界において気候安全保障を築くうえで不可欠な一部となっている。

こうした経験は、気候安全保障政策が、癒やしと和解という文化的プロセスに重点を置く可能性を示している。そうしたプロセスは、相互につながった社会、環境、精神世界の関係性を強化し、関係性の調和だけでなく、食料安全保障や社会的結束を育む可能性を持っている。

伝統的な統治の役割が気候安全保障を支える

伝統的な統治構造は、数百年、さらには数千年にわたり島嶼社会を導いてきたが、国家中心の政策では、しばしば周縁に追いやられている。

これは、気候ガバナンスに今なお残る植民地主義的な構造に起因する不公正であるだけでなく、重要な機会を逸することでもある。

FCOSSは「Vakabula Vanua」プロジェクトを通じて、地域住民と協力し、伝統的な役割と責任を気候レジリエンスに再び結びつける取り組みを進めた。

それぞれの伝統的な役割には、気候レジリエンスに関わる固有の責任がある。gonedau(漁民)は海洋生態系を守り、bati(戦士)は土地を守る。sauturaga(王を選定する者)は紛争を解決し、大工は災害後や移転時の住宅再建に必要な技術を提供する。Turaga(首長)は地域社会の意思決定を導き、bete(食を司る祭司)は食料安全保障を担う。

こうした役割を改めて確認することで、人々の自己認識が強まり、地域社会が自ら組織し、気候変動がもたらす課題に主体的に対応することが可能になった。

コマ島の住民もまた、自分たちのレジリエンスは、Tui Nabulebulewaの指導のもとで維持されてきた社会構造に根差していると語っている。

例えば、外部からの支援を待つのではなく、地域社会はsolesolevaki(共同作業)という強固な伝統を生かして、その土地にとどまりながら適応策を実践している。また、soli ni vanua(地域社会による資金調達)を活用して、サイクロンに耐えられる村の集会所を建設した。現在の土地にとどまることを選択した地域社会に対する公的な資金支援がないなか、こうした伝統的な仕組みが重要な役割を果たしている。

これは、太平洋地域の研究者、活動家、指導者たちが長年訴えてきたことを改めて裏付けている。すなわち、解決策や戦略はすでに地域社会のなかに存在し、長年受け継がれてきた統治システムに組み込まれているということである。

気候安全保障政策は、地域社会の伝統的な役割や責任、そしてそれらに結びついた知識を土台とすることができる。それによって、文化的アイデンティティを強化するとともに、先住民の知を担う人々の権威をより確かなものにすることもできる。

親族関係と物語の継承が食料安全保障、土地へのアクセス、気候移動を支える

フィジーでは伝統的に、土地へのアクセスは、世代を超えて受け継がれてきた口承の歴史によって維持される親族制度を通じて管理されてきた。

コマ島の住民は移転するのではなく、別の土地へ定期的に出向いて作物を育てることで、気候変動の影響に対応している。

そうした土地を利用できるのは、祖先が築いた取り決めがあり、それが物語として語り継がれることによって、現在も生きたものとして受け継がれているからである。

海では、gonedau(漁民)としての役割によって、「Kana Veicurumaki(ビュッフェ・テーブル)」と呼ばれる地域の統治制度を通じて広大な漁場を利用することができる。この仕組みは、漁場の劣化が進むなか、海洋資源の共有を促している。

こうして、移転するのではなく、文化に根差した形で土地やサンゴ礁の間を移動することによって、住民たちはレジリエンスを高め、親族関係を強化しながら、現在の土地にとどまり続けることができる。

もう一つの例として、「Vakabula Vanua」プロジェクトでは、FCOSSがセレアのワイカロウ住民と協力し、将来の気候変動の影響に備えるため、将来的な移転に利用できるmataqali(氏族)の土地を持たない人々について、土地へのアクセスを可能にする慣習的な経路を確認する取り組みを進めてきた。

具体的には、地域社会は「Cara sala」というiTaukeiの慣行を活用している。これは、地域社会間の親族関係をたどることによって、利用可能な土地を特定するプロセスである。

住民たちは現在の土地にとどまることを選択しているものの、このプロセスを通じて土地を特定しておくことは、将来起こり得る事態に備え、万一移転が必要になった場合に代替地を確保するための、文化に根差した計画手法となっている。

気候変動に伴う移動の枠組みを外部から押し付けるのではなく、こうした親族間の取り決めとそれに基づく移動のあり方は、気候安全保障の重要な要素である気候移動政策を、先住民社会で古くから確立されてきた、移動をめぐる固有の知識と実践を土台として構築できる可能性を示している。

「文化的安全保障」は「気候安全保障」の土台である

太平洋地域がCOP31、そしてその先を見据え、気候安全保障をめぐる世界的な議論の形成に取り組もうとしている今、私たちはフィジーの二つの地域社会の経験を通じて、文化がいかに気候安全保障を支えているのかについて、具体的な示唆を提示してきた。

コマ島とセレアのワイカロウの経験が示しているのは、文化的安全保障とは、単に「守られるべきもの」ではないということである。

伝統的な癒やしと精神性、伝統的な統治構造、親族関係、そして物語を語り継ぐ慣行――これらは、先行きの見通せない未来に向き合うなかで、地域社会が自らの安全を築いていくことを可能にする文化的慣行やシステムのほんの一例にすぎない。

このことは、気候安全保障の枠組みに新たな可能性を示している。すなわち、気候変動による影響がますます深刻になるなか、それに直面する地域社会の社会的・文化的構造を支え、強化し、持続させることに重点を置き、文化的安全保障を気候安全保障の中心に位置づけるという可能性である。

*「Vakabula Vanua」プロジェクトは、Bread for the Worldおよびドイツ連邦経済協力開発省(BMZ)の資金提供を受けて実施された。

Original URL:https://toda.org/global-outlooks/staying-in-place-building-cultural-security-in-a-changing-climate/

クラウディア・フライ(Claudia Fry):エクセター大学博士課程研究者。フィジーのスバを拠点に、公正な適応および気候変動に伴う移動・非移動のガバナンスを研究している。戸田記念国際平和研究所(Toda Peace Institute)の研究者としても、気候変動による移住・避難における文化に根差した平和構築アプローチを研究している。市民社会組織との協働や太平洋地域の政策フォーラムへの参加を通じて、研究成果を政策と実践につなげる活動に取り組んでいる。文化、人権、伝統的知識に根差した気候行動を重視し、沿岸地域のコミュニティーと協力しながら、Vanuaに根差した研究手法を用いて、先住民の統治システムと、それが気候安全保障、移動、損失と損害、適応に果たす役割を明らかにしている。
セライ・マラマニソソ(Selai Maramanisoso):フィジー北部ブア州ワイヌヌのコゲア村で現在進められている、地域社会主導型移転事業のプロジェクト担当者。フィジーで生まれ育ち、フィジーの文化と伝統に対する深い理解を生かし、移転や気候レジリエンスのあらゆる局面に先住民の知識と文化的価値を取り入れることを提唱している。現在、フィジー社会福祉協議会(FCOSS)に勤務し、移転プロセス全体を通じて地域社会と関係者との連携を担っている。地域住民の声が計画と意思決定の中心に据えられるよう重要な役割を果たしている。現在は、フィジーにおける気候変動に伴う移転への備えについて、先住民および地域社会主導のアプローチを推進する「Vakabula Vanua」プロジェクトに携わり、影響を受ける地域社会のアイデンティティ、土地、文化的遺産を尊重した、文化に根差す持続可能な解決策を推進している。

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国連総会のもう一つの顔―国際政治の舞台にのぞくユーモア

【国連IPS=タリフ・ディーン】

今月下旬の国連総会の首脳級会合に向け、130人を超える各国首脳がニューヨークに集まる見通しだ。しかし、演壇から歯に衣着せぬ政治的発言が飛び出し、ニュースの見出しを飾ることは、そう多くない。193の加盟国で構成される国連総会の演説も、その後に開かれることのある記者会見も、大半は長々と続き、単調で退屈だ。とはいえ、数は少ないながらも例外はある。|英語版||

Muammar Gaddafi Credit: Wikimedia Commons.
Muammar Gaddafi Credit: Wikimedia Commons.

2009年9月、リビアの指導者ムアンマル・カダフィが国連を訪れた際、英紙ガーディアンは、彼がニューヨークの国連ビルでつかんだ「15分間の名声」を、1時間40分にまで引き延ばしたと皮肉った。15分の持ち時間の6倍を超える長広舌に、運営側は頭を抱えたという。奇矯な振る舞い、強情さ、度を越した饒舌さ――カダフィは評判にたがわぬ姿を見せた。

驚く各国代表団を前に、国連の目的や活動原則を定めた国連憲章の写しを引き裂き、国連安全保障理事会(安保理)を、国際テロ組織アルカイダのようだと非難した。さらに、イラク戦争の責任を問い、ジョージ・W・ブッシュ前米大統領とトニー・ブレア元英首相を裁判にかけるよう求めた。

アフリカに植民地主義がもたらした惨禍への賠償として、7兆7000億ドルも要求した。さらには、豚インフルエンザは軍事研究所でつくられた生物兵器ではないかという疑いまで口にした。

余談だが、ある報道によれば、カダフィの名前には112通りもの表記があったという。Muammar el-Qaddafi、Muammar Gaddafi、Muammar al-Gathafi、Moammar el Kazzafi、Moamar Gaddafiなど、枚挙にいとまがない。

米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは、この表記の乱立をからかう風刺漫画を掲載した。リビアの首都トリポリで単独インタビューに臨む記者が、カダフィにこう尋ねる。「編集長に言われて来たんです。あなたはQaddafiなのか、Khaddafiなのか、Gadafiなのか、Qathafiなのか、それともKadhafiなのか、確かめてこいと。」

Khrushchev and head of USSR delegation Zoya Mironova at the United Nations, September 1960 Photo: Public Domain.
Khrushchev and head of USSR delegation Zoya Mironova at the United Nations, September 1960 Photo: Public Domain.

米国とソビエト連邦(ソ連)が対立した冷戦のさなか、1960年10月の国連総会でも、忘れがたい応酬が繰り広げられた。ただし、ソ連と直接やり合ったのは米国ではなく、当時その緊密な同盟国とみなされていたフィリピンだった。

フィリピン代表のロレンソ・スムロンは、ソ連を厳しく非難した。「東欧などの人々は、市民的・政治的権利を自由に行使することを奪われ、いわばソ連にのみ込まれている。」これに激怒したのが、ソ連代表団を率いていたニキータ・フルシチョフ首相だった。スムロンを「まぬけ」「操り人形」「下僕」、さらには「アメリカ帝国主義のごますり」と罵倒したのである。今日の国連総会や安保理では、めったに聞かれない言葉だ。北朝鮮のおなじみの決まり文句、「帝国主義の走狗」さえ、かすんでしまう。

フルシチョフといえば、議事進行について発言する機会を求め、脱いだ靴で机をたたき続けたという逸話も、長く語り継がれている。ただし、実際の動作や経緯については証言が食い違い、流布した写真の真偽も含めて議論が続いてきた。

これとは別の日、同年9月29日には、英国のハロルド・マクミラン首相が演説中、フルシチョフの怒声にさえぎられた。マクミランは議長に向かい、こう切り返した。「差し支えなければ、今の発言を通訳していただきたいのですが。」と。議場は大きな笑いに包まれた。

現在、国連の演説は、アラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語の6つの公用語に同時通訳される。もっとも、靴で机をたたく音までは通訳してもらえない。

Idi Amin at United Nations. Photo: Bernard Gotfryd Photograph Collection, Library of Congress

ウガンダの指導者イディ・アミンには、こんな言い間違いの逸話もある。国連総会で英国のエドワード・ヒース首相を褒めようとして、「まるでアドルフ・ヒトラーのような人物だ」と述べ、慌てて、言いたかったのはウィンストン・チャーチルだと訂正したというのである。ナチス・ドイツの独裁者と、第二次世界大戦中に英国を率いた首相を取り違えてしまったわけだ。

2006年9月19日には、タイのタクシン・シナワット首相が国連総会で演説するためニューヨークに滞在している間に、本国で軍事クーデターが起き、政権を追われた。帰国すれば汚職容疑で訴追されるおそれがあったタクシンは、タイには戻らずロンドンへ向かい、事実上の亡命生活に入った。

民主的に選ばれたタイ政府を倒したこの無血クーデターにより、米国は、東南アジアの長年の同盟国との軍事関係の見直しと、援助の一部停止を迫られた。当時、隣国ミャンマーの軍事政権に対する国連制裁を求めていたブッシュ政権は、タイのクーデターを、この地域における民主主義の「後退」と位置づけた。

だとすれば、国連総会に出席する首脳にとって、自らの政権を守る最も確実な方法は、陸海空軍の司令官をはじめ、軍幹部を全員、国連代表団に加えてしまうことだ。そうすれば、彼らは総会議場で自分の目の届くところにいる。本国でクーデターを起こし、政権を奪う心配もない、というわけである。

国連総会の会期中、国連本部4階にあるIPSの事務所には、国連で活動する解放運動の代表者たちが、折に触れて集まっていた。パレスチナの民族解放運動を担うパレスチナ解放機構(PLO)や、東ティモールの独立運動を主導した東ティモール独立革命戦線(フレティリン)の関係者たちだ。

常連の一人が、フレティリンが樹立した亡命政府の外相に任じられたジョゼ・ラモス=ホルタだった。後に1996年のノーベル平和賞を受賞し、2007年から2012年まで東ティモールの大統領を務めた。

彼について、広く知られた逸話がある。

Portrait of Jose Ramos-Horta Photo:Public Domain.
Portrait of Jose Ramos-Horta Photo:Public Domain.

ある晩、ラモス=ホルタが、国連近くにある各国代表団なじみのレストランで食事をしていると、ウェイターが丁寧に出身国を尋ねた。彼は誇らしげに、イースト・ティモール(東ティモール)出身だと答えた。旧ポルトガル領で、1975年から1999年までインドネシアの支配下に置かれていた国だ。

ところが、地理に疎いウェイターは、こう聞き返した。「では、エスキモーの方ですか?」「いやいや、違います」とラモス=ホルタは答えた。「私はエスキモーではありません。イースト・ティモールという国の出身です」

ラモス=ホルタは、2012年に1期目の大統領任期を終えた後、2013年1月、西アフリカのギニアビサウを担当する国連事務総長特別代表に任命され、国連ギニアビサウ平和構築統合事務所の代表も務めた。

その後、国連本部近くのファースト・アベニューで彼に会った際、私はこの逸話が本当なのか、本人に確かめてみた。実際にあったことだという。私たちは二人で大いに笑った。

ある警備担当官は、こんな出来事を振り返っている。アフリカのある国の首相が国連総会で演説していたとき、アフリカ出身の学生たちが傍聴席からヤジを飛ばした。いつもの手順に従い、学生たちは議場の外へ連れ出され、事情を聴かれ、写真を撮られたうえで、国連施設への立ち入りを禁じられた。ところが約5年後、その学生の一人が国連に戻ってきた。今度は自国の外相として、総会の演壇に立ったのである。

カダフィ以外にも、革命やクーデターを経て国を率いた指導者たちが、国連総会で演説している。キューバのフィデル・カストロ、マリのアマドゥ・トゥーレ、ガーナのジェリー・ローリングスらだ。

トゥーレは1991年のクーデターで権力を握った後、民主的な選挙で選ばれた大統領となった。ローリングスも1979年に権力を掌握し、その政権下では過去の国家元首らが処刑されたが、後には民主的な選挙で選ばれた文民大統領を務めた。

PLO議長ヤーセル・アラファトが国連総会の演壇に立った一方で、世界で大きな物議を醸してきた指導者の中には、そこで演説したことのない人物もいる。イラクのサダム・フセイン、シリアのハーフィズ・アル=アサドと息子のバッシャール・アル=アサド、北朝鮮の金日成と孫の金正恩らだ。

Photo: Speaking at the UN General Assembly on December 11, 1964 on behalf of Cuba, Argentinean-born Ernesto "Che" Guevara responds to questions regarding his accent, affirming he is Cuban and willing to die for the liberation of any Latin American country. Credit: UN - Photo
Photo: Speaking at the UN General Assembly on December 11, 1964 on behalf of Cuba, Argentinean-born Ernesto “Che” Guevara responds to questions regarding his accent, affirming he is Cuban and willing to die for the liberation of any Latin American country. Credit: UN – Photo

1964年、キューバの指導者カストロの右腕として知られ、強烈なカリスマ性を備えたエルネスト・チェ・ゲバラが国連総会で演説した際には、国連本部が文字どおり攻撃された。アルゼンチン生まれのマルクス主義革命家が演壇に立っている最中に、爆発音が響き、その声に重なった。だが、ゲバラは演説を中断しなかった。

米国内の反カストロ勢力は、ゲバラの国連訪問に激しく反発していた。ニューヨークのファースト・アベニューと42丁目付近の国連本部前では、カストロとゲバラに抗議するデモが行われていた。

そのさなか、国連本部に面するイースト・リバーの対岸から、国連事務局ビルに向けて口径3.5インチのバズーカ砲が発射された。携帯式のロケット砲である。しかし、ロケット弾は標的を外れ、国連本部側の岸から約200ヤード(約180メートル)離れた川面に落ちて爆発した。爆風で本部の窓ガラスが震えたものの、建物への直撃は免れた。

ある新聞は、この一件を「国連が1952年にイースト・リバー沿いの本部に移転して以来、最も常軌を逸した出来事の一つ。」と評した。

国連の古参職員たちが語り継いできたこの襲撃事件は、ゲバラが米国の外交政策を痛烈に批判し、西半球(南北アメリカ地域)の非核化をめぐる条約案にも異議を唱えていた最中に起きた。国連本部を標的とする、政治的動機に基づいたテロ攻撃の初期の事例の一つだった。

総会演説の後、自分を狙った攻撃について尋ねられたゲバラは、キューバ産の葉巻を手に、こう冗談を飛ばした。「この爆発で、話にひと味加わったね。」この日、ナイフを持った女性が国連本部への侵入を図り、ニューヨーク市警に逮捕される事件も起きていた。反カストロ派のキューバ人亡命者とされるこの女性は、狩猟用ナイフでゲバラを殺害しようとしていたという。

襲撃を企てたのが女性だったと知ると、ゲバラはこう言った。「銃を持った男に殺されるより、ナイフを持った女に殺される方がまだましだ。」

本稿には、インター・プレス・サービス(IPS)通信社のシニア・エディター、タリフ・ディーンの著書『No Comment—and Don’t Quote Me on That』からの抜粋が含まれる。ディーンは、スリランカの国連総会代表団の一員を務めた経験を持つ。フルブライト奨学金を得てニューヨークのコロンビア大学で学び、ジャーナリズムの修士号を取得。2012年と2013年には、国連特派員協会(UNCA)の報道賞で金賞を共同受賞している。同書はAmazonで購入できる。

INPS Japan

国連、世界で最も多言語化された組織のひとつ

国際情勢を見誤らないために―地政学的変化への適応

|コラム|ケネディ大統領とカストロ首相の秘密交渉を振返る(ロバート・F・ケネディ・ジュニア)

ユニセフ報告書、デジタル技術を介した子どもの性的虐待・搾取の拡大を警告

【国連IPS=オリトロ・カリム】

2026年9月3日、国連児童基金(ユニセフ)が発表した新たな報告書によると、調査対象となった子どもの約5人に1人が、1年間のうちにデジタル技術を介した性的虐待または性的搾取を経験していた。過去20年間で、デジタル技術やオンライン空間は日常生活のあらゆる側面と密接に結びつくようになった。その一方で、子どもの安全を脅かす新たなリスクも生まれており、とりわけ長期化する紛争や人道危機の中で暮らす子どもたちは、より深刻な危険にさらされている。|英語版|

テクノロジー企業や政府に根強く残る構造的な障壁、被害が十分に報告されない状況、そして被害者を守る制度や支援サービスの決定的な不足を背景に、デジタル技術を介した性的搾取は何百万人もの子どもたちに長期的な悪影響を及ぼし続けている。同時に、加害者が処罰を免れる状況を生み出す要因にもなっている。

こうした問題を詳しく検証したのが、ユニセフの新たな報告書『子どもたちの目を通して―デジタル技術はいかに子どもの性的虐待を可能にしているか』(Through Children’s Eyes: How Digital Technologies Enable Child Sexual Abuse)である。報告書は、21カ国で収集された調査結果をもとにまとめられた。

ユニセフのキャサリン・ラッセル事務局長は、次のように述べた。

「調査対象となった国々では、2000万人を超える子どもたちが、望まない露骨な性的コンテンツを見せられたり、オンライン上で性的搾取を受けたりしていました。その多くは、子どもたちが学び、遊び、友人と交流する日常的なデジタル空間で起きています。」

「こうした経験は、深刻な精神的・情緒的苦痛をもたらします。多くの子どもたちは、どこに助けを求めればよいのか分からないまま、誰にも打ち明けずに苦しんでいます。私たちは、この問題から目を背けることはできません。」

デジタル技術を介した虐待や搾取を経験した子どもは、精神的健康を損なうリスクが著しく高く、その影響は長期に及び、社会性の発達にも重大な影響を与える可能性がある。

報告書によると、被害を経験した子どもは、自傷行為や自殺念慮・自殺関連行動、強い不安を訴える可能性が約4倍高かった。

またユニセフによると、メキシコと北マケドニアでは、被害を経験した子どもが自殺念慮を抱くリスクは世界平均と比べて約8倍高く、パキスタンでは自傷行為のリスクが約7倍に達していた。

さらに、ユニセフの聞き取り調査に応じたソーシャルワーカーや心理専門家からは、被害者の間で心的外傷後ストレス障害(PTSD)がみられる事例が数多く報告された。

PTSDは、他者を信頼することや新たな人間関係を築くことの困難、学校での成績低下、薬物などの乱用、危険あるいは有害な行動などにつながる可能性がある。

ユニセフが把握した事例の約60%はソーシャルメディア上で発生し、14%はオンラインゲーム上で起きていた。

ソーシャルメディアを介した虐待の約半数はフェイスブック上で発生しており、ワッツアップ、インスタグラム、スナップチャット、ティックトックでも相当数の被害が確認された。

また、事例の57%では加害者が被害者と面識のある人物だった。調査対象となった21カ国のうち9カ国では、加害者が別の子どもであるケースも確認された。

ユニセフの専門家は、デジタル技術を介した性的搾取の実際の規模は、報告されている数字をはるかに上回ると警告している。被害の過少報告が広くみられるためだ。

警察などの法執行機関や支援サービスの担当者に報告されたケースは全体の1%未満にとどまり、約10件中4件は誰にも打ち明けられていなかった。

被害者が虐待について語ることをためらう主な理由としては、嫌がらせを受けることや真剣に受け止めてもらえないことへの恐れ、性犯罪被害者に対する根強い社会的偏見、そして子ども自身が適切な心理社会的支援や司法制度の存在を知らない、あるいは利用できないことなどが挙げられる。

こうした状況は、加害者が責任を問われない風潮を生み、さらなる搾取を助長することにもつながっている。

例えば、デジタル技術を介した性的虐待を受けた少女たちは、特に家父長的な価値観が根強い社会において、被害者であるにもかかわらず地域社会から非難されたり、社会的な恥を負わされたりすることが少なくない。

デジタル技術を介した性的虐待を経験したメキシコの若い女性は、次のように語った。

「多くの困難がありました。特に私を悩ませたのは、起きたことのあとで、社会の中でどう人と関わっていけばよいのかということでした。」

「もし自分に何が起きたのかを話したら、周囲の人たちがどう反応するのか分からず、それに向き合うことが怖かったのです。学校でも同じでした。特に心の健康に影響し、うつや不安を感じるようになりました。」

一方、男児がデジタル技術を介した性的虐待を経験したことを打ち明けても、その訴えが軽視され、「黙って自分で耐えるべきだ」とみなされる場合が少なくない。

また加害者が、男児の性的指向を暴露すると脅したり、実際とは異なる性的指向をほのめかして公表すると脅したりして、恐喝の手段に利用するケースもある。

デジタル技術を介した性的虐待や搾取は、地域や所得水準にかかわらず世界中の子どもたちに影響を及ぼしているが、加害者が経済的な弱みにつけ込むケースも少なくない。

紛争や危機が長期化する地域では、子どもを守る保護制度、支援サービス、司法制度そのものが深刻な負担を抱えており、子どもたちはとりわけ高いリスクにさらされている。

ユニセフの「子どもとデジタル技術」研究プログラム責任者であり、今回の報告書の筆頭著者でもあるダニエル・カルデフェルト=ウィンター氏はIPSの取材に対し、リスクの大きさは、経済状況、子どもを取り巻く人間関係、支援サービスへのアクセスなど、さまざまな要因によって左右されると説明した。

「加害者は、一部の子どもたちが直面している経済的困窮につけ込み、性的な画像や動画と引き換えに金銭や贈り物を提供することがあります」と、カルデフェルト=ウィンター氏は語った。

「経済的に困窮している子どもにとって、こうした申し出を拒否することは容易ではありません。また、金銭やその他の利益が提供されることで、子ども自身が当初、それを虐待だと認識できない場合もあります。」

さらに同氏は、デジタル技術を介した虐待の影響はオンライン空間だけにとどまらず、現実世界で何百万人もの子どもの安全を脅かす可能性があると指摘した。

例えば、オンライン上で見知らぬ人物から接触され、騙されたり強要されたりして実際に会うことになり、その場で性的虐待を受けたと証言する子どもたちもいた。

また、加害者が子どもの性的な画像を入手し、それを公表すると脅して、実際に会うよう強要するケースも確認されている。

子どもをデジタル上の被害から守るため、複数の国が未成年者によるソーシャルメディアの利用を制限する措置を導入、あるいは検討している。

オーストラリアでは2025年12月にこうした措置が導入され、2026年にはブラジル、インドネシア、マレーシア、アラブ首長国連邦でも同様の動きが進んだ。さらに、フランス、英国、ギリシャ、カナダ、デンマーク、トルコでも関連法案が審議されている。

しかし、こうした取り組みをめぐっては大きな議論が起きている。

テクノロジー企業は、こうした措置が利用者のプライバシーを損なう恐れがあると警告している。一方、若者の団体は、利用制限が表現の自由を侵害し、若者を社会的なつながりから孤立させる可能性があると主張している。

さらに人権団体は、未成年者によるソーシャルメディア利用を単に制限するだけでは問題の解決にはならず、実効性のある保護には、プラットフォームのアルゴリズムや安全対策の枠組みそのものを変える必要があると訴えている。

カルデフェルト=ウィンター氏は、いじめや性的搾取など、子どもたちがオンライン上で直面するリスクについて、各国政府が懸念を抱くのは当然だと語った。

「子どもたちは、自分たちの権利、安全、そして心身の健やかさを念頭に置いて設計されたわけではないデジタル世界の中で育っています。」

「年齢制限は、子どもの安全を守るうえで一定の役割を果たす可能性があります。しかし、それだけでは被害を生み出す根本的な要因を解決することはできません。それどころか、子どもたちをさらに規制の弱い空間へ追いやる可能性さえあります。」

さらに同氏は、次のように述べた。

「ユニセフは、より安全なプラットフォーム、より利用しやすい通報制度、メンタルヘルスサービスへの一層の支援など、子どもを守るためのより強力な対策を求めています。」

「また、解決策をつくる過程に、子どもたち自身が参加することも重要です。オンライン上で子どもを守ることは、社会全体が担うべき責任です。政府、企業、家庭、地域社会のすべてに果たすべき役割があります。」

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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|視点|9・11と「アメリカン・ドリーム」の終焉(ロベルト・サビオIPS創設者)

【ローマINPS Japan/IPS=ロベルト・サビオ】

Dr. Roberto Savio. Photo: Katsuhiro Asagiri, INPS Japan
Dr. Roberto Savio.

2001年9月11日、私はニューヨークにいた。コンサルタント契約を結んでいた国際連語を訪れるため、当時、私は頻繁にニューヨークを訪れていた。その朝、イタリアからのフライトによる時差ぼけもあって寝過ごし、目を覚ましたのは午前11時ごろだった。宿泊していたのは、国連本部からほど近いホテルだった。|英語版|

ロビーに下りると、スタッフから宿泊客まで、誰もが異常なほど取り乱していることに驚いた。顔見知りのベルボーイに声をかけようとしたが、彼は返事もせず走り去った。そこでフロントへ向かったが、全員が電話にかかりきりで、誰も私に注意を払わない。

ようやく顔見知りの一人が言った。「ツインタワーが攻撃された!」そう言うと、彼女も慌ただしく走り去った。

その瞬間、ジャーナリストの職業的本能に駆られた私は、タクシーを拾って現場へ向かおうと外に出た。しかし、通りはほとんど無人だった。車は一台も見当たらず、わずかにいた通行人も走っていた。おそらく皆、自宅へ戻ろうとしていたのだろう。

そこで私は、残された唯一の賢明な選択をした。テレビを見ることである。

映像は明白で、そして凄惨だった。しかし、キャスターたちは何が起きているのか全く分からず、私がそれまで見たこともないほど混乱していた。

事故ではなく攻撃であることは明らかだった。しかし、誰が? なぜ?

The North Tower (right) shortly after impact from American Airlines Flight 11 (the day's first attack) Credit: Wikimedia Commons.
The North Tower (right) shortly after impact from American Airlines Flight 11 (the day’s first attack) Credit: Wikimedia Commons.

私の記憶では、CBSやNBCの報道から伝わってきたのは、米国は世界の多くの国々を支援してきたはずなのに、なぜこれほどの憎しみを向けられるのか、そして冷戦が終わった今、この憎しみはいったいどこから来るのか、という深い困惑だった。

攻撃当日、そして翌日、ニューヨークは都市としての機能をほとんど失った。通りから人影が消え、商店もレストランもスーパーマーケットも閉まった。公共交通機関も大きく混乱していた。

私のホテルではスタッフの多くが出勤できなかったため、管理職の人々が即席のサンドイッチを作った。それが宿泊客に提供できる数少ない食事だった。誰もが自宅にこもり、衝撃を受け止めようとし、予測不能な危険を避けながら、テレビを見続けていた。

空から落下していく人々、灰に覆われたオフィスワーカーや消防士たち―そうした凄惨な映像に加え、事件の全体像を示す数字やデータが次第に伝えられるようになった。

そして、あの数日間に「アメリカン・ドリーム」は消え去った。

米国は第二次世界大戦後、世界の圧倒的な大国となった。冷戦期にはソ連という対抗勢力が存在したものの、多くの米国人にとって、自国は自由、民主主義、繁栄を体現する国だった。

戦後ヨーロッパの復興を支えたのも米国だった。歴史的には西洋世界の中心だったヨーロッパも、戦後の国際秩序の中では米国との同盟関係を軸に再建された。米国による開発援助もまた、世界各地で重要な役割を果たした。

しかし、こうした自国像は米国民の集合的な想像の中で大きく膨らみ、現実との隔たりも生じていた。9・11の少し前に報じられた世論調査でも、一般の米国人は、政府が実際よりはるかに多くの資金を海外援助に使っていると考えていた。

当時、人々を支配していた感情は「信じられない」というものだった。

The American Dream and the widening gap between perception and reality. From post-war reconstruction and Cold War leadership to global development assistance, the United States came to see itself as a guarantor of freedom, democracy and prosperity. Yet even before 9/11, a growing disconnect between Americans’ perceptions of their country’s role in the world and the underlying realities was becoming apparent. | Image: AI Generated
アメリカン・ドリームと、認識と現実の間で広がる隔たり。 戦後復興への貢献や冷戦期における世界的リーダーシップ、さらには世界各地への開発援助を通じて、米国は自らを自由、民主主義、繁栄を支える存在と捉えるようになった。しかし9・11以前からすでに、世界における自国の役割について米国民が抱く認識と、その実態との間には、次第に隔たりが生じつつあった。画像:INPS Japan

米国人は戦争や虐殺、さまざまな暴力について、新聞で読み、テレビで見てきた。自国の兵士が戦争に参加している時でさえ、その多くは遠く離れた場所で起きている出来事だった。

もちろん、米国がそれまで攻撃を経験していなかったわけではない。しかし、多くの米国人にとって、自国の大都市の中心部がこれほど大規模な攻撃の舞台になることは、ほとんど想像の外にあった。

それが現実に起きたという事実は、国家が国民の安全を必ず守ってくれるという信頼を揺さぶった。その後の戦争や政治的・経済的混乱と相まって、こうした不信は次第に深まり、今日の米国政治を形づくる重要な要素の一つになっていく。

アメリカン・ドリームがどのように徐々に色あせていったのかを本格的に分析するには、ここで与えられた紙幅では到底足りない。

それでも、私たちが知っていた米国を徐々に覆い隠し、ドナルド・トランプとイーロン・マスクに象徴される今日の米国へと変えていった一本一本の糸を、ここでたどってみたい。

まず、1980年代を振り返る必要がある。この時期に起きた一連の変化は、世界全体に大きな意味を持っただけでなく、米国内にも重大な影響を及ぼした。

Participants of the North-South Summit held in Cancun, Mexico in 1981. Credit: Wikimedia Commons.
Participants of the North-South Summit held in Cancun, Mexico in 1981. Credit: Wikimedia Commons.

その象徴的な出来事の一つが、1981年にメキシコのカンクンで開催された南北サミットだった。

私はこの首脳会議で広報を担当し、会議を内側から見ていた。当時を代表する国家首脳が集まり、インディラ・ガンジーからフランソワ・ミッテラン、ジュリウス・ニエレレ、ピエール・トルドーに至るまで、多くの指導者が国際協力を強化する必要性を訴えた。

一方、就任間もないロナルド・レーガン大統領が打ち出したのは、それまでとは明らかに異なるアプローチだった。私が会議の内側から受け止めた彼のメッセージは、国連を中心とした包括的な政治交渉に政策を委ねるよりも、各国自身の責任と選択を重視し、市場の自由と個人の活力を開発の原動力とする、というものだった。

1980年代を通じて、世界経済の考え方そのものにも大きな転換が起きた。

市場自由化、民営化、規制緩和、財政規律を重視する政策潮流が強まり、1989年には経済学者ジョン・ウィリアムソンが、ワシントンの政策機関の間でラテンアメリカ向けに広く共有されていると考えた一連の政策を「ワシントン・コンセンサス」と名づけた。

その後、この言葉は本来の定義を超え、市場原理を重視する新自由主義的な政策全般を象徴する言葉として広く使われるようになった。

グローバル化と国際競争が加速する中、多くの製造業が人件費の安い国々へ生産拠点を移した。米国内では、それまで中産階級を支えてきた多くの製造業の雇用が失われた。特に地方や旧工業地帯では、経済的に取り残されたという感覚が蓄積していった。

U.S. Army Staff Sgt. Salvador Lopez (right) and Spc. Ashley Shaw, both assigned to 1st Battalion, 4th Infantry Regiment, U.S. Army Europe, take a knee while descending a mountain ridge near Forward Operation Base Lane in Zabul province, Afghanistan, on March 8, 2009. DoD photo by Staff Sgt. Adam Mancini, U.S. Army. (Released)
U.S. Army Staff Sgt. Salvador Lopez (right) and Spc. Ashley Shaw, both assigned to 1st Battalion, 4th Infantry Regiment, U.S. Army Europe, take a knee while descending a mountain ridge near Forward Operation Base Lane in Zabul province, Afghanistan, on March 8, 2009. DoD photo by Staff Sgt. Adam Mancini, U.S. Army. (Released)

そして9・11が起きた。

米国はアフガニスタンで20年にわたる戦争を続け、2021年に撤退した。その間、2003年にはイラクに侵攻し、米軍は2011年に同国から主要部隊を撤収した。イラクでは国家機構の崩壊、宗派対立、アルカイダ系組織の活動、さらにシリア内戦など複数の要因が重なり、その後ISISが台頭する環境が形成された。中東全域の不安定化はさらに深まった。

この時期、米国人は自国が無敵ではないことを改めて思い知らされた。

ベトナム戦争のトラウマを克服したはずの世界最強の軍事大国が、圧倒的な軍事力を投入しても、政治的安定や持続可能な秩序を容易には築けない現実が明らかになったのである。

ブラウン大学の「Costs of War」プロジェクトによれば、アフガニスタンやイラクなどを含む9・11後の一連の戦争と対テロ政策に伴う米国の費用は、累計で約8兆ドルに達した。

しかし私の考えでは、アメリカン・ドリームに決定的な打撃を与えたのは、その数年後に起きた2008年の金融危機だった。そしてこの時もまた、私は偶然、その出来事を間近で目撃することになった。

金融市場では長年にわたって規制緩和と金融工学の高度化が進み、ますます複雑でリスクの高い取引が拡大していた。

1999年、ビル・クリントン政権下で成立したグラム=リーチ=ブライリー法によって、1933年銀行法、いわゆるグラス=スティーガル法が設けていた商業銀行と投資銀行の分離を支える主要な規制が撤廃された。

もちろん、これだけが2008年の金融危機を引き起こしたわけではない。金融サービスの統合や規制緩和は1999年以前から進んでおり、同法はそうした長期的な変化を象徴する出来事の一つだった。

2008年、住宅市場と複雑な金融商品を背景に膨張していたバブルが崩壊した。ウォール街の象徴だったリーマン・ブラザーズが破綻し、危機は米国から世界へと波及した。

Photo: Poverty in America Documentary 2017 on YouTube
Photo: Poverty in America Documentary 2017 on YouTube

多くの米国人が住宅、貯蓄、雇用に深刻な打撃を受けた。年金資産も危機にさらされた。その一方で、1980年代以降、労働組合の交渉力は低下し、実質賃金の伸び悩みや雇用の不安定化が続いていた。

多くの人々が不安定な雇用やパートタイム労働に追い込まれ、生活を維持するために複数の仕事を掛け持ちする人も珍しくなくなった。こうして、「政治や経済のエリートは、自分たちの現実の暮らしを理解していない。」という不信が広がっていった。

そして移民が、その不満を向ける対象にされるようになる。「移民が自分の仕事を奪う」「学校や病院の負担を増やす」「犯罪を増やす」―そうした主張が政治の中で力を持つようになった。

この挫折感と怒りは、後のトランプ現象を理解するうえで欠かすことのできない背景となる。

政治だけではない。宗教もまた、米国社会の変化に重要な役割を果たしてきた。

米国の福音派、とりわけ保守的な福音派は大きな政治勢力を形成している。その一部では、個人の成功、自己責任、小さな政府を重視する政治思想と宗教的価値観が強く結びついている。また、保守的福音派の一部には、聖書の終末論的解釈を背景に、イスラエルへの強固な支持を示す人々もいる。

こうした環境の中で、スティーブ・バノンらが唱えたナショナリズムや主権国家主義も広がった。近年では、イーロン・マスクをはじめとするテクノロジー界の有力者が政治に直接的な影響力を行使するようになり、従来の左右の政治対立だけでは捉えきれない反体制的な潮流も強まっている。

カトリック保守派の政治的存在感も高まり、J・D・ヴァンス副大統領はその象徴的な人物の一人となった。

経済的・社会的な不安を抱える人々が少なくない一方で、途方もない富がごく少数の人々に集中している。この対照そのものが、既存の政治・経済システムに対する不信をさらに深めている。

Religion, politics and inequality in a changing America. Conservative evangelical Christianity and Catholicism have become increasingly intertwined with political currents emphasizing nationalism and national sovereignty, while powerful technology figures have gained greater political influence. At the same time, the widening contrast between economic insecurity and extraordinary concentrations of wealth has deepened distrust of the country’s political and economic system. | Image: AI Generated
変わりゆく米国における宗教、政治、そして格差。 保守的な福音派キリスト教やカトリックは、ナショナリズムや国家主権を重視する政治潮流との結びつきを強める一方、テクノロジー界の有力者も政治への影響力を増している。同時に、経済的不安に直面する人々と、ごく一部に集中する莫大な富との格差が広がり、米国の政治・経済システムに対する不信をさらに深めている。|画像:INPS Japan

そこに通信技術の革命が重なった。

2004年にフェイスブック、2005年にレディット、2006年にツイッターが登場した。突然、何百万人もの米国人が、大手メディアを介さずに互いに直接つながることが可能になった。

Dr. Roberto Savio
Dr. Roberto Savio

私自身、かつてはインターネットの熱烈な支持者の一人だった。

しかし、「これから重要なのは、知っていることではない。どこを探せばよいかを知っていることだ」という趣旨の言葉を耳にした時、私は強い不安を覚えた。

何かを見つけても、それを自分自身の知識として身につけていなければ、ガチョウの羽を流れ落ちる水のように、何も残らないのではないか。より大きな問題は、インターネットの主要なサービスが、公共財としてではなく、利益を生み出すビジネスとして発展したことだった。

膨大な情報があふれる中で、いかに利用者の注意を引き、画面の前につなぎ止めるかが重要になった。その結果、センセーショナルで、感情を刺激し、驚きを与える情報ほど拡散されやすい環境が生まれた。

そこを虚偽情報や偏向した情報、陰謀論が利用した。かつてなら限られた場所で語られていただけの荒唐無稽な考えが、インターネットという巨大な拡声器を通じて、一瞬のうちに社会全体へ広がるようになった。その影響を最も効果的に利用したのが、政治的・思想的な過激派だった。

さらに近年では、若者の孤立やオンライン空間への依存をめぐる懸念が高まっている。

人と直接交流する代わりに、インターネットの仮想世界に長時間とどまり、今では人工知能(AI)を友人や助言者のように利用する人々も現れている。

これは、社会より個人を重視する伝統が強い米国に、新たな問いを突きつけている。

地球規模の課題は、もはや個別に切り離して捉えることはできない。気候変動、移民、経済不安、人工知能(AI)、民主的統治がますます相互に結び付く中で、それらの関係性を理解することは、市民としての不可欠な責任となっている。画像:INPS Japan
地球規模の課題は、もはや個別に切り離して捉えることはできない。気候変動、移民、経済不安、人工知能(AI)、民主的統治がますます相互に結び付く中で、それらの関係性を理解することは、市民としての不可欠な責任となっている。画像:INPS Japan

国家の縮小を「自由」と考え、税金を個人の労働の成果に対する過度な介入と捉え、医療などの社会保障政策を「社会主義」と結びつけて警戒する政治思想も、依然として強い影響力を持っている。

もちろん、米国社会ではこうした流れに対する反動も起きている。ニューヨークでは、自らを民主社会主義者と位置づけるゾーラン・マムダニが市長となり、ほかにも公然と進歩主義的な政策を掲げる政治家が登場している。

しかし、それは同時に激しい政治的分極化を伴っている。

互いを政治的な競争相手ではなく、国家や社会に対する脅威として語る言説が広がり、国民的合意へ向かう道筋は容易には見えてこない。

トランプは民主党やその政策をしばしば「共産主義的」と非難する。

政治は、社会の異なる意見を調整する仕組みであると同時に、今や社会を分断する強力な装置にもなっている。

未来は、かつての「夢のアメリカ」への単純な回帰には見えない。

オサマ・ビンラディンは、ツインタワーを破壊した時、自らの攻撃がその後これほど長く、複雑な連鎖を生み出すことになるとは想像もしなかっただろう。

しかし、9・11の遺産は戦争や政治だけで測られるものではない。私たちがもはや特別なことだとさえ認識しなくなった、日常の何気ない行動にも刻み込まれている。

9・11を契機として、航空保安は段階的に強化された。その後のテロ未遂事件などを受け、靴やベルトを外す検査、液体物の制限、スキャナーによる検査などが次々と加わった。

今日、空港に出発のかなり前に到着し、長い列に並んで保安検査を受けることに驚く人はいない。若い世代にとって、それはまるで自然法則のようなものだ。彼らは「それ以前」の世界を知らないからである。

かつては、今よりはるかに短い時間でチェックインを済ませ、そのまま搭乗口へ向かうことができた。その世界は、9月のある朝を境に変わり、二度と元には戻らなかった。

これこそが、テロリズムの最も静かな勝利なのかもしれない。テロは私たちの思想を変えただけではない。私たちの習慣を変えた。そして、かつて別の習慣があったことさえ思い出せなくなるほど、その変化を日常の一部にしてしまったのである。

さらに、このメカニズムが米国内だけにとどまらなかったことも考える必要がある。

The lasting legacy of 9/11 in everyday life. The attacks transformed not only geopolitics and security policy but also the routines of ordinary air travel. Stricter screening, restrictions on liquids and longer security procedures have become a “new normal” so familiar that younger generations have never known the world that existed before September 11, 2001. | Image: INPS Japan / AI Generated
日常生活に刻まれた9・11の長期的な影響。 9・11同時多発テロは、地政学や安全保障政策だけでなく、日常の航空旅行のあり方も大きく変えた。厳格化された保安検査、液体物の持ち込み制限、長時間に及ぶセキュリティー手続きは今や「新たな日常」となり、若い世代にとっては、2001年9月11日以前の世界を知らないほど当たり前のものになっている。|画像:INPS Japan

異なる歴史と社会的背景の中ではあるものの、欧州でもグローバル化、市場原理、移民、国家主権、そして既存の政治制度への不信をめぐる対立が深まってきた。

European Union Flag
European Union Flag

1992年に締結されたマーストリヒト条約は、現在の欧州連合(EU)を形づくる重要な基礎となった。その後EUは経済統合だけでなく、社会政策、人権、環境など幅広い領域に政策を発展させてきた。しかし、加盟国とEU機関の間で、どこまで権限を共有すべきかという問いは消えていない。

むしろ近年、各国で国家主権や国境管理を重視する政治勢力が台頭し、EU統合のあり方そのものが改めて問われている。今後、欧州の主要国で行われる選挙の結果は、EUの方向性にも大きな影響を与えるだろう。

もしこうした国々で主権国家主義勢力がさらに伸長するなら、トランプを「異常な存在」と見てきたヨーロッパ人自身が、皮肉にも彼が望んできた方向―EUの結束を内側から弱める方向―へ進むことになりかねない。

INPS Japan

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国連人権高等弁務官の再任、投票が映した国際社会の亀裂

【ブリュッセルIPS=サミュエル・キング】

2026年7月24日、国連総会はフォルカー・テュルク国連人権高等弁務官をさらに4年間の任期で再任した。反対票を投じたのは、イスラエル、ロシア、米国など、わずか10カ国だった。|英語版|

テュルク氏はオーストリア出身の法律家で、コソボでの現地勤務から国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)、そして現在のジュネーブでの職務に至るまで、キャリアのほぼすべてを国連機関で積んできた。

そのため、2022年10月に人権高等弁務官に就任した当初は、歴代の高等弁務官に比べて慎重な姿勢を取るのではないかとの懸念もあった。しかし実際には、強大な国々による人権侵害についても声を上げてきた。

ロシアによるウクライナへの全面侵攻を批判し、米国の移民収容施設で相次いだ死亡事案について調査を求め、イスラエルによるガザでの残虐行為も非難してきた。一方で、イスラエルのガザでの行為を「ジェノサイド」と明言していないことや、中国、とりわけ新疆ウイグル自治区のウイグル人をめぐる状況について十分に声を上げていないとの批判も受けている。

今回の再任により、テュルク氏は1993年に同職が創設されて以来、初めて2期8年の任期を完全に務める人物となる見通しだ。

初期の人権高等弁務官の1人であるメアリー・ロビンソン氏も続投を望んでいた。しかし、9・11同時多発テロ後の米国による軍事介入や、2001年の国連「反人種主義世界会議」(ダーバン会議)をめぐる同氏の立場に米国が強く反発したため、任期延長は1年間にとどまった。

ダーバン会議ではイスラエル・パレスチナ問題が大きく取り上げられ、これに抗議したイスラエルと米国が会議から退席している。

現在、国連の人権制度全体が深刻な資金危機に直面しており、組織の継続性を確保することの重要性は増している。

国際秩序全般、とりわけ人権機関に対する米国の攻勢の一環として、国連機関への資金拠出が削減・停止されたことで、国連人権高等弁務官事務所(OHCHR)は深刻な財政難に陥っている。職員削減を余儀なくされ、人権侵害が起きている国々で活動する能力も低下している。

こうした困難な時期に高等弁務官ポストが空席となったり、後任選びをめぐって対立が長期化したりすれば、さらなる混乱を招くことになっただろう。

急ぎ進められ、異論を呼んだ再任手続き

今回の投票は突然持ち上がり、手続きも急ピッチで進められた。

UN Secretary-General António Guterres addresses the preparatory ministerial meeting for the Summit of the Future. | Credit: UN Photo/Laura Jarriel.
UN Secretary-General António Guterres addresses the preparatory ministerial meeting for the Summit of the Future. | Credit: UN Photo/Laura Jarriel.

アントニオ・グテーレス国連事務総長は、公募や公開の選考手続きを行わず、加盟国にも十分な検討時間を与えないまま、テュルク氏を再任する意向を各国に伝えた。グテーレス氏の2期目の任期が今年で終了することを考えれば、この措置には、次期事務総長に判断を委ねることを避けるとともに、再任への反対が広がる前に決着をつけたいとの意図があったとみられる。

大半の加盟国はこれを受け入れたが、米国は反発した。

米国は協議が不十分だったとして、直ちに投票の延期を求めた。欧州連合(EU)を代表して発言したアイルランドは米国の動議に反対し、延期案は63票対27票で否決された。米国代表は、この手続きを「典型的な国連の身内びいき」と非難。グテーレス事務総長が密室で取引を行ったと主張し、「相応の結果を招くことになる」と警告した。

一方、ロシアは別の手段に出た。テュルク氏の任期を2026年末までのわずか81日間だけ延長し、最終的な判断を次期事務総長に委ねる案を提出したのである。しかし、この提案も71票対19票で否決された。

テュルク氏の再任に反対票を投じたのは、アルゼンチン、ブルキナファソ、イスラエル、マリ、ニカラグア、ニジェール、北朝鮮、ロシア、トリニダード・トバゴ、米国の10カ国だった。その顔ぶれには、アルゼンチンやイスラエルのように米国と緊密な関係にある国々に加え、北朝鮮や、近年一つの勢力として連携を強めているサヘル地域の軍政3カ国など、ロシアと歩調を合わせる国々が含まれている。

トランプ政権下では、米国とロシアが同じ投票行動を取ることも、もはや驚くべきことではない。反対した国々の多くは、ニカラグアを含め、組織的な人権侵害を指摘されている。ロシアと北朝鮮はいずれも人権侵害に対する責任追及に強く抵抗している。米国はとりわけ、対イラン戦争や移民収容施設での死亡事案をめぐるテュルク氏の批判に反発していた。イスラエルはOHCHRについて、「10月7日の残虐行為を消し去り、国連の中立性を裏切った」と非難した。

一方、テュルク氏に反対するとみられていた国々の中にも、再任を支持した国があった。

再任に賛成した144カ国には、コンゴ民主共和国、スーダン、シリアも含まれている。いずれも現在、国連による厳しい人権監視の対象となっている国々だ。これは、特定の人権監視の仕組みに反発しているからといって、必ずしも国連の人権制度全体に敵対しているわけではないことを示している。また、国連から厳しい監視を受けている国であっても、OHCHRとの実務的な関係を維持することに一定の価値を見いだしている場合があることを示唆している。

脆弱さを増す国連の人権制度

13カ国が棄権し、26カ国が投票に参加しなかったことにも注目する必要がある。

その一部は手続き上の理由によるものだった。エクアドルとパラグアイは後に、検討するための時間がもっと必要だったと説明している。ペルーは、次期事務総長の裁量を狭めることへの懸念を棄権の理由として挙げた。ただし、その判断には、1980年から2000年まで続いた武力紛争の際に重大な人権侵害に関与したとされる治安部隊関係者に恩赦を与える法律など、ペルーの人権状況をテュルク氏が最近批判したことも影響していた可能性がある。

イラク、ニュージーランド、韓国、スリランカ、ウガンダも棄権した。

ニュージーランド政府は、その判断について「政策上ではなく、手続き上の理由によるもの」と説明した。しかし国内では強い批判を招いた。とりわけ、同国が最近、パレスチナ国家の承認を見送ったこともあり、反発は大きかった。

投票で明確な態度を示さなかった小国の中には、強大な国々から経済的あるいは政治的な圧力を受け、沈黙を選んだ国もあった可能性がある。また、明確な立場を示した場合に生じ得る不利益から自国を守るだけの力がないと判断した国もあっただろう。

つまり今回の投票は、人権高等弁務官への支持の度合いを示すだけでなく、各国、とりわけ小国が国際社会で置かれている脆弱な立場を映し出したものともいえる。強大な国々が国際秩序の中でますます力を振りかざすようになるなか、小国は、いつ明確な立場を取ることができ、いつ沈黙せざるを得ないのかを慎重に見極めなければならなくなっている。

再任がもたらした「継続性」

Volker Türk, United Nations High Commissioner for Human Rights, in Helsinki © Lauri Heikkinen, valtioneuvoston kanslia - FinnishGovernment, CC BY 2.0
Volker Türk, United Nations High Commissioner for Human Rights, in Helsinki © Lauri Heikkinen, valtioneuvoston kanslia – FinnishGovernment, CC BY 2.0

今回の再任によって、少なくとも当面、制度的な継続性は確保された。そしてテュルク氏自身も、その継続性を何のために生かすのかを明確にしている。

6月の演説でテュルク氏は、現在世界で起きていることを「国際法に対する前例のない、恥知らずな攻撃」と表現し、それが甚大な人的被害を引き起こしていると警告した。そのうえで、国際社会は基本原則を見失ってはならないと強調し、世界人権宣言と主要な人権条約は「これまで以上に重要になっている」と訴えた。

近隣で首脳会議を開いていたG7に向けたメッセージも明快だった。人権を単なる付け足しとして扱うのではなく、安定をもたらす力として議論の中心に据えるべきだ、というものだ。

しかし、正統性や道義的権威だけでは、OHCHRの活動資金を賄うことはできない。今後4年間、テュルク氏は、国連の人権保護機関を弱体化させようとする中国、ロシア、米国からの圧力に立ち向かわなければならない。

そして今回、テュルク氏の再任を支持した144カ国には、その一票を具体的な行動へとつなげる責任がある。

各国はOHCHRに十分な資金を確保するとともに、棄権した国々、とりわけ圧力や報復への懸念から棄権した国々を、人権制度を支える側に取り込んでいく必要がある。

人権を守るための国際社会の集団的な意思が、今なお力を持っていることを示さなければならない。

サミュエル・キングは、市民社会組織の国際ネットワーク「CIVICUS:市民参加のための世界同盟」で、欧州連合(EU)の研究・イノベーション枠組み「ホライズン・ヨーロッパ」の助成を受ける研究プロジェクト「ENSURED:移行期の世界における協力の形成」に携わる研究員。

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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スポンジ・ボブの海底都市に集まった180万人―ミームが映すエジプトのデジタル政治

【ニューヨークINPS Japan/ATN=アハメド・ファティ】

Ahmed Fathi.
Ahmed Fathi.

指導者はいない。組織もない。あるのはミームと風刺、そして圧倒的な拡散のスピードだけだ。|英語版|

約180万人のエジプト人が、アニメ『スポンジ・ボブ』に登場する架空の海底都市を舞台にしたFacebookグループへと集まった。

単なるデジタル上のジョークとして始まったこの現象は、現代のエジプト社会における集団表現のあり方、そして政治権力がそうした新しいつながりをどう受け止めているのかについて、思いがけない問いを投げかけている。

約200万人のエジプト人が、架空の海底都市へ足を踏み入れた。ところが、その物語は思いがけず、海の上にある「権力」について、極めて現実的なことを教えてくれる結果となった。

私は昨年、Z世代が抗議運動の「基本ソフト」をどのように書き換えているのかについて分析記事を書いた。そこで指摘したのは、従来の抗議運動の「振り付け」が変わったということだ。

カリスマ的な指導者はいない。本部もない。誰も読まないような分厚いマニフェストもない。内部に潜入されたり、幹部を逮捕されたり、あるいは政府との交渉に引き出されたりするような、従来型の政党組織も存在しない。

代わって登場した新しい公式は、「分散化」「ミーム」「スピード」である。

デジタル空間に小さな火花が散る。ひとつの冗談。ひとつのハッシュタグ。ひとつの共有された不満。

そして政府が「いったい誰がこの集まりを組織したのか」と問い始めるころには、すでに何十万人もの人々がそこに集まっている。

当時、私は実際の抗議運動について書いていた。まさか、その「エジプト編」をスポンジ・ボブが提供することになるとは思わなかった。

しかし、実際にそうなったのである。

海底に出現した「エジプトの町」

8月、エジプトで「カーア・アル=ハムール住民の苦情」と名付けられたFacebookグループが登場した。「カーア・アル=ハムール」は、アニメ『スポンジ・ボブ』で主人公と仲間たちが暮らす架空の海底都市「ビキニタウン」のアラビア語名である。

発想は、ばかばかしいほど単純で、それゆえに見事だった。エジプト人たちは、「もしビキニタウンがエジプトの町だったら」という設定で遊び始めたのである。当然のことながら、数日もしないうちに、その町には現実のエジプト社会でおなじみの問題が次々と持ち込まれた。

物価への不満。仕事の悩み。学校への苦情。大家とのトラブル。近所付き合い。

商店も開業し、架空の役人も登場した。官僚的なお知らせも次々と投稿された。

人々は人工知能(AI)を使って、エジプトの日常生活を海底世界に再現した。

どうやら海の底に逃げても、役所の書類仕事からは逃れられないらしい。

ところが、その単なるジョークを巨大な社会現象に変えることが起きた。人々が押し寄せたのである。

それも、驚くほど大量に。

グループは2週間足らずで約180万人のメンバーを集め、投稿は数万件に達した。

著名人や公人も次々と参加し、この架空の海底都市の「住民」を演じ始めた。8月23日には、グループは59日間の一時停止措置となり、再開予定日は10月22日と表示された。そして、この時点でスポンジ・ボブは思いがけず、エジプト政治の世界へ迷い込むことになった。

政治運動ではない、それでも180万人が集まった

このグループ自体が政治的だったわけではない。デモを呼びかけていたわけでもない。革命のマニフェストもない。政治組織でもない。

誰もパトリックをタハリール広場へ向かうデモの先頭に立たせようとしていたわけではない。それでも、200万人近い人々が一つの場所に自発的に集まった。

省庁が招集したわけではない。政党が組織したわけでもない。政府主催の青年会議がバスや弁当を用意したわけでもない。

そして、そもそも誰が率いているのかさえ、はっきりしなかった。

誰が何を組織しているのかを常に把握することに慣れた政治体制にとって、そこに不安の種が生まれる。現地報道では、治安当局がグループ管理者の経歴や思想的傾向を調べていると伝えられた。その後、論争が広がるなかで、管理者側は活動を停止した。

ただし、エジプト当局が閉鎖を命じたという公式な確認はない。それを事実として断定するのは適切ではない。しかし、公式な説明が何であったか以上に興味深いことがある。

エジプト人が、治安当局がスポンジ・ボブのジョークを投稿するFacebookグループを調べているかもしれないと聞いても、さほど驚かなかったことである。

そこに、この話の本質がある。

「自分の影」にさえ怯える権力

アブデル・ファッターフ・エルシーシ大統領の下で12年。現在のエジプトは、近代史上でも極めて中央集権的な政治体制を築いている。

大統領権限は強大だ。治安機構も強大である。組織的な反対勢力は分裂している。街頭デモはまれだ。かつて大規模な動員力を持っていたムスリム同胞団も、国内政治勢力としては事実上解体された。

政権が今にも崩壊しそうで、必死に権力にしがみついているという状況ではない。それでも時折、体制は、あまりに神経質になって「自分の影にさえ怯える」人を表す昔ながらのエジプトの表現そのもののように振る舞う。

12年がたち、今度はどうやら海の底まで調べなければならなくなったらしい。しかし、カーア・アル=ハムールに注目すべき、さらに重要な理由がある。この現象が、私が昨年指摘した新世代の行動様式にほぼ完全に当てはまっているからだ。

新しい世代は、上から下ではなく、横につながる。明確に「組織する」ことなく、組織化されていく。ユーモアを、誰もが理解できる共通言語へ変える。そして、官僚機構が追いつけない速度で動く。

私は以前、この新しい異議申し立ての「基本ソフト」を、「分散化」「ミーム化」「スピード」という3つの特徴で説明した。カーア・アル=ハムールは、抗議運動になることなく、その3つすべてを実演してみせた。

だからこそ興味深いのである。

「指導者は誰だ」「本部はどこだ」

呼び出すべき指導者はいない。組織図もない。分析すべきイデオロギーもない。明確な政治的アジェンダもない。ただ何百万人もの人々が、同じデジタルジョークを共有しているだけである。

治安当局の分析報告書を想像してみよう。「指導者は誰か?」誰にも分からない。「本部はどこか?」ビキニタウン。「イカルドの資金源は?」調査中。

「カーニさんは外国から資金提供を受けているのか?」まあ、彼の商売のやり方を考えれば、調べる価値はあるかもしれない。

「パトリックに政治的所属はあるのか?」不明。

もっとも、彼の知的能力なら、いくつかの上級職に就く資格は十分ありそうだ。風刺は勝手に出来上がる。

しかし、そこから浮かび上がる政治的な教訓は笑い話では済まない。

政治的な意味は別の場所へ移っていく

エジプト当局は長年、オンライン上の表現のかなりの部分を、治安や法律の問題として扱ってきた。

ヒューマン・ライツ・ウォッチによれば、2025年の取り締まりでは、少なくとも29人のオンライン・コンテンツ制作者が逮捕または起訴された。

その中には、「公序良俗」や「家族の価値」といった幅広く解釈可能な容疑が適用されたケースも含まれている。

こうした環境では、人々はすぐに一つのことを学ぶ。

真剣な政治的発言が危険になれば、その政治的意味は別の場所へと移っていくのである。

歌へ。サッカーの応援歌へ。TikTok動画へ。ミームへ。皮肉へ。そして時には、もともと政治とは何の関係もなかった空間にまで流れ込んでいく。

だからといって、カーア・アル=ハムールを抵抗運動と見なすべきではない。

あらゆるバイラルなジョークを「アラブの春」の続編として解釈する誘惑には抗う必要がある。

大半の人々が参加した理由は、単純に面白かったからだ。

エジプト社会における「笑い」の力

しかしエジプトで、ユーモアは決して単なる娯楽ではなかった。それは社会の圧力を逃がす弁であり、非公式の新聞であり、ときには国民的な心の防衛手段でもある。エジプト人は、泣き続けていたのでは時間がかかりすぎるようなことを、笑い飛ばす。

そしてZ世代は、その本能をいわば「産業化」した。印刷機はいらない。必ずしも政党も必要ない。必要なのはスマートフォンとアルゴリズム、そして皆が加工し、共有したくなるほど突拍子もない何かだけである。

これは、政治的な組織化を従来型の組織構造で理解してきた政府にとって厄介な問題を生む。事務所なら閉鎖できる。議長なら逮捕できる。デモなら禁止できる。しかし、ミームとはどう交渉すればいいのか。

皮肉をどう尋問するのか。そして「反対勢力」がスポンジ・ボブだった場合、いったい誰が降伏文書に署名するのか。

「誰が背後にいるのか」

だが、さらに興味深い問いは、これほど強固な権力基盤を持つ政府が、なぜそこまで気にするのかということだ。政治体制の自信は、選挙結果や警察力、制度への支配だけで測られるものではない。時には、「放っておけること」こそが自信の表れになる。

200万人近い国民が、ばかばかしいジョークをめぐって集まっているのを見て、「まあ、単に楽しんでいるだけなのだろう」と判断できることだ。

すべての群衆が陰謀なのではない。すべての管理者が活動家なのでもない。すべての冗談の裏に革命が隠れているわけでもない。そして、あらゆるデジタル現象について、エジプト政治で何度となく繰り返されてきた問いを発する必要もない。

「背後にいるのは誰だ?」時には、本当に誰もいない。

そして、それこそが新しいデジタル時代を、旧来型の政治システムにとってこれほど理解しにくいものにしているのかもしれない。

私は昨年、Z世代は革命を起こしているというより、既存システムを「デバッグ」しているのだと書いた。だがカーア・アル=ハムールは、それとは少し違う可能性を示している。時には彼らは、何かをデバッグしようとすらしていない。ただ笑っているだけなのだ。

しかし、管理されていない人々の集まりすべてに政治的な意味を探すことに慣れた国家にとっては、笑い声さえ疑わしく聞こえ始める。

そして政権発足から12年が過ぎた今、問うべき居心地の悪い問題は、エジプト人が海の底で何をしているのかではないのかもしれない。

むしろ問われるべきなのは、上から見張っている側が、海の底から何かが浮上してくることを、なぜいまだにこれほど恐れているのかということである。

INPS Japan

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