ホーム ブログ ページ 2

|視点|人間性を忘れるな(カレン・ホールバーグ教授パグウォッシュ会議事務総長)

【INPS Japan=カレン・ホールバーグ

米国ニューメキシコ州で実施された世界初の核実験、そして広島・長崎への悲劇的な原子爆弾投下によって幕を開けた「核時代」から80年が経ちました。今日、人類は深刻な存亡の危機に直面しています。その危機は、冷戦期における最も緊迫した対立をも上回るほど、不安定で予測困難なものとなっています。

1955年、核兵器保有国がわずか3か国であり、水素爆弾の開発が始まったばかりの時代に、「ラッセル=アインシュタイン宣言」は人類に対して次のような根源的な問いを投げかけました。|英語版

「私たちは人類を滅亡させるのか。それとも、人類は戦争を放棄するのか。」

現在では9か国が核兵器を保有し、数千発もの熱核兵器が配備されています。この問いは、いまや人類が直面する究極の選択となっています。

パグウォッシュ会議は、国際秩序が著しく悪化し、外交よりも武力による威嚇や行使が優先されるようになっている現状を深く憂慮しています。核兵器保有国が関与する現在の軍事的対立は、人類文明そのものの存続を脅かす危険を孕んでおり、新たな核拡散の波が起これば、その危険性は飛躍的に高まるでしょう。

米国とロシア連邦の間で締結されていた新戦略兵器削減条約(New START)の失効により、国際社会は、世界最大の二つの核兵器保有国の核戦力を拘束し、検証可能な法的枠組みを持たない時代へと正式に入りました。

1972年の第一次戦略兵器制限交渉(SALT I)以来、50年以上にわたり続いてきた軍備管理の枠組みが初めて失われたことになります。これらの枠組みは、国際社会に管理・安定・予測可能性・透明性をもたらす重要な安全装置として機能し、1980年代半ばに約7万発あった世界の核弾頭数を、現在のおよそ1万2,200発(広島型原爆約14万6,000発分以上の爆発力に相当)まで削減する上で重要な役割を果たしてきました。

しかし、核軍縮において歴史的な前進があったにもかかわらず、現在の動向は、その長年にわたる成果が逆行しかねないことを示しています。核軍拡競争の再燃、国際的緊張の高まり、そして核保有国同士の軍事対立が、その流れを加速させています。

さらに、多くの核保有国が核戦力の近代化と増強を進めており、軍備管理に関する対話が停滞する中で、世界の戦略的安定性に新たな圧力を加えています。こうした動向は、国際安全保障における核兵器の重要性が再び高まっていることを示しており、核不拡散・核軍縮の努力、とりわけ半世紀以上にわたり核兵器の拡散を抑制してきた核兵器不拡散条約(NPT)第6条の履行を著しく困難なものとしています。

The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras
The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras

その一方で、「核兵器禁止条約(TPNW)」への支持が広がっていることは、多くの国々と市民社会が核兵器の完全廃絶という目標の実現に向けて強い決意を持っていることを示しています。軍縮への具体的な道筋については見解の違いがあるものの、この条約は核兵器廃絶の人道的必要性を改めて国際社会に訴え、「核兵器のない世界」という理念を国際政治の重要課題として維持する上で大きな役割を果たしています。

また、欧州において核抑止の適用対象を新たな非核兵器国へ拡大しようとする議論や、東アジアをはじめとする地域で核武装を支持する政治的主張が台頭していることは、自国の安全保障を理由とした制御不能な新たな核拡散の連鎖を引き起こしかねません。

同様に深刻なのは、一部の核兵器保有国による核実験再開を示唆する無責任な発言です。こうした言説は危険な緊張の激化を招くだけでなく、「包括的核実験禁止条約(CTBT)」の発効を見据えて長年維持されてきた核実験モラトリアムを損なう恐れがあります。同条約は、依然として主要国による批准を待っている状況です。

現在の状況は極めて重大な課題を突き付けています。しかし、それらはいずれも直ちに取り組むべき課題です。

  • 核兵器保有国は、2022年1月に発表した「核戦争の防止及び軍拡競争の回避に関する共同声明」を改めて確認し、国際安全保障における核兵器の役割を縮小する政治的意思を明確に示すべきです。それは同時に、核軍拡競争の終結と核軍縮に向けた誠実な交渉を義務づけるNPT第6条の履行を改めて確認することにもなります。
  • 核兵器保有国は、共通の利益を見いだす責任を自覚し、多国間軍備管理交渉の再活性化に向けて真摯な外交努力を行わなければなりません。
  • すべての核兵器保有国は、核爆発実験のモラトリアムを維持するとの自主的な約束を改めて表明するとともに、CTBTの早期発効に向けて必要な措置を講じるべきです。核実験の再開は、新たな軍拡競争と戦略的不安定化への危険な一歩となります。
  • 核兵器保有国は、非核兵器国に対して核兵器を使用せず、その使用を威嚇しないことを改めて確認するとともに、「先制不使用(No First Use)」政策を採用し、これらの安全保障上の保証を法的拘束力のあるものへと発展させる努力を進めるべきです。
  • 国際原子力機関(IAEA)の検証・監視機能を一層強化し、非核兵器国を含む国際的な核不拡散体制において、透明性・信頼性・遵守を確保していくことが不可欠です。
  • 核兵器のない地域(非核兵器地帯)をさらに拡充するとともに、1995年および2010年のNPT運用検討会議で合意された中東非核兵器地帯の設立を実現すべきです。
Nuclear Weapon Free Zones
Nuclear Weapon Free Zones

これらの措置は、信頼醸成と核リスク低減のための現実的な一歩となり、世界の安定を高めるとともに、制御不能な「核拡散の連鎖(nuclear breakout)」を防ぐことにつながります。

さらに、それらは、人工知能、量子技術、極超音速兵器、ミサイル防衛、宇宙空間の軍事利用、自律型兵器システムなど、新たな安全保障上の課題に対応できる、より協調的で包括的かつ現代的な国際安全保障体制への橋渡しともなり得るでしょう。

核兵器が人類の存続に及ぼす危険について、市民と政治指導者双方の理解を深めることは極めて重要です。ノーベル賞受賞者会議による最近の宣言でも、次のように呼びかけています。

「私たちは、科学者、研究者、市民社会、そして宗教共同体に対し、世界の指導者が核リスク低減のための措置を実行するよう促すために必要な世論を築くことを呼びかける。」

その責任は、私たち一人ひとりにあります。

最後に、ラッセル=アインシュタイン宣言の結びの言葉を、改めて胸に刻みたいと思います。

「私たちは、人間として、同じ人間である皆さんに訴えます。人間性を心に刻み、それ以外のことは忘れてください。」

この文章は、INPS Japanが創価学会インタナショナルと推進している核廃絶メディアプロジェクトの報告書(2025年4月~26年3月までに配信されたプロジェクト記事をまとめたもの)の序文として寄稿されたものである。
Toward a World free from Nuclear Weapons
Toward a World free from Nuclear Weapons

INPS Japan

関連記事:

なぜ今、「世界市民」がこれまで以上に重要なのか(ロベルト・サビオ インタープレスサービス創立者インタビュー)

|視点|核兵器の先制不使用政策:リスク低減への道(相島智彦創価学会インタナショナル平和運動局長)

地政学的対立を背景に行き詰まる核不拡散の取り組み

腐ったトマトからAIへ―ウガンダのコモンウェルス青年賞受賞者がアフリカの飢餓に挑む

【ロンドン/ダルエスサラームIPS=キジト・マコエ

ウガンダのシフラ・アイノムギシャ氏が、2026年の「コモンウェルス・ヤング・パーソン・オブ・ザ・イヤー(Commonwealth Young Person of the Year)」に選ばれた。受賞はロンドンで開かれた2026年コモンウェルス青年賞授賞式で発表され、同氏はアフリカ地域最優秀賞もあわせて受賞した。|英語版

しかし、彼女が「イノベーター」と呼ばれるようになるずっと前から、その原点はすでに形づくられていた。

人工知能(AI)が農業の文脈で語られるようになる前、太陽光発電を利用した低温貯蔵施設や「持続可能な開発」という言葉に出会う前から、シフラ・アイノムギシャ氏は、「食料が失われていく」という現実を身をもって知っていた。

夜明けになると、彼女はバケツを手に、西ウガンダにある家族のトマト畑へ向かった。

Map of Uganda
Map of Uganda

そこには、市場に届く前に失われていく収穫物があった。

遠目には健康そうに見えるトマトも、市場へ運ばれる前に柔らかくなり、割れ、腐ってしまうものが少なくなかった。

それが、彼女にとっての「食品ロス」の現実だった。

「毎朝、腐ったトマトを拾い集めて捨てながら、少しでも売れるものを救おうとしていました。」

彼女はそう振り返る。

こうして、家族の収穫のほぼ半分が失われていた。

それでも農作業は終わらない。

両親は懸命に働き続けた。

季節は巡り、畑には作物が実る。

しかし、収入はなかなか安定しなかった。

「それなのに、私たちは学費を払うことにも苦労していました。」

「学校の休暇中は家族総出で畑仕事をしていたにもかかわらず、学校を辞めざるを得なかった子どももいました。私たちは食料を生産していたのに、教育を受け続けるためのお金さえ十分に得られなかったのです。」

「なぜ食べ物を作る人が飢えるのか」

豊かな収穫が無駄になり、どれほど働いても暮らしが良くならない――。

そんな幼少期の体験が、後に彼女の人生を決定づける使命となった。

その取り組みは、2026年コモンウェルス青年賞において、SDG2「飢餓をゼロに」部門のアフリカ地域最優秀賞として高く評価された。

同賞には、コモンウェルス加盟56か国から約1,000人が応募した。57人の審査員による二段階審査を経て、持続可能な開発目標(SDGs)の達成に革新的な取り組みで貢献した19人のファイナリストが選出された。

そしてアイノムギシャ氏は、その中から最高賞である「2026年コモンウェルス年間最優秀青年」にも選ばれた。

Shifra Ainomugisha poses beside a solar-powered irrigation system in Uganda. She was named the 2026 Commonwealth Young Person of the Year. Her contribution includes combining renewable energy and AI-enabled agricultural support to help smallholder farmers increase productivity and reduce post-harvest losses. Credit: Solafam, Uganda
ウガンダで、太陽光発電を利用した灌漑システムのそばに立つシフラ・アイノムギシャ氏。彼女は2026年の「コモンウェルス・ヤング・パーソン・オブ・ザ・イヤー」に選ばれた。再生可能エネルギーとAIを活用した農業支援を組み合わせ、小規模農家の生産性向上と収穫後損失の削減に貢献している。写真提供:Solafam, Uganda

授賞式では、コモンウェルス事務総長のシャーリー・ボッチウェイ氏が賞を授与した。

ボッチウェイ事務総長は、ファイナリスト全員を称え、次のように語った。

「皆さんはすでに勝者です。56か国の中から選ばれたこと自体が、皆さんの勇気と創造性を物語っています。皆さんはコモンウェルスの誇りであり、困難に直面しても粘り強く挑戦し、制約の中でも革新を生み出してきました。」

さらに、

「今日は単なる表彰の日ではありません。新たな前進の出発点です。個人の卓越性を称えるだけではなく、共に前進する日でもあります。私たちは今後も、コモンウェルス青年プログラムを若者育成の中核事業としてさらに発展させていきます。」

と述べた。

「誰も飢えで命を落としてはならない」

SDGs Goal No. 2
SDGs Goal No. 2

しかし、アイノムギシャ氏にとって、この歩みは賞を目指したものではなかった。

すべては、幼い頃から抱き続けてきた一つの疑問から始まった。

「なぜ食べ物を育てる人たちが、なお飢えているのか。」

「誰も飢えで命を落としてはなりません。」

彼女はIPSにそう語る。

「私たちはそのために活動しています。農家が農業を続けられ、食品ロスを減らせれば、飢餓との闘いにつながります。それが私たちが取り組むSDGsなのです。」

現在、アイノムギシャ氏は社会的企業ソラファム・ウガンダ(Solafam Uganda Ltd)の共同創業者兼最高経営責任者(CEO)を務めている。

同社は、太陽光発電と人工知能を活用し、小規模農家の収穫後損失を減らし、生産性と所得の向上を支援している。

事業の柱は三つある。

太陽光発電による低温貯蔵施設、太陽光灌漑システム、そしてLean AIと呼ばれるAI農業アドバイザーである。

Lean AIはWhatsApp上で利用できるチャットボットで、播種時期、灌漑、病害虫対策、収穫後管理、市場情報などについて助言を提供する。

これらの技術は、アフリカ農業が抱える大きな矛盾―「食料は生産しているのに、消費者へ届く前に大量に失われてしまう。」という問題の解決を目指している。

サハラ以南アフリカでは、収穫後損失が依然として農産物の大きな割合を占め、農家の所得や栄養状態、地域経済の回復力を損なっている。

特に、小規模農家は貯蔵施設や灌漑設備、農業指導サービスへのアクセスが限られており、その影響を最も受けやすい。

しかし、アイノムギシャ氏にとって、それは単なる統計ではない。

そこには母の顔がある。

父の顔がある。

近所の人々の顔がある。

そして、自分自身の姿がある。

「私はトマト農家の家庭で育ちました。」

「一生懸命働いても、食品ロスが多く、十分な収入は得られませんでした。」

父から受け継いだ挑戦

最初に問題解決へ挑戦したのは父だった。

父は学校教育を受ける機会に恵まれなかったが、何とか現状を変えようと試行錯誤を続けた。

ディーゼル式灌漑ポンプを購入し、生産量を増やそうとした。

「私たちの地域では本格的な農繁期は年に一度しかありません。その時期に十分な収入を得られなければ、その一年は非常に苦しくなるのです。」

父は簡易な貯蔵施設も作った。

しかし、トマトは腐り続けた。

その後、教育を受け、テクノロジーに触れたアイノムギシャ氏は、父とは異なる解決策を考えるようになった。

「これは私一人の決断ではありません。」

「始まりは父でした。父には教育を受ける機会がありませんでしたが、私は大学へ進学できました。だからこそ、父よりも問題を解決できる可能性があると思ったのです。」

その思いを胸に、大学在学中、仲間とともにソラファムを設立した。

Shifra Ainomugisha (centre, in reflective vest), co-founder and CEO of Solafam, Uganda Ltd, stands with farmers and community members beside a solar panel installation that supports climate-smart agriculture initiatives. Through renewable energy and farmer-centred innovation, the project seeks to reduce food loss and improve rural incomes. Credit: Solafam, Uganda
ウガンダのSolafam Uganda Ltd共同創業者兼CEOであるシフラ・アイノムギシャ氏(中央、反射ベスト着用)が、気候スマート農業の取り組みを支える太陽光パネル設備のそばで、農家や地域住民とともに立っている。再生可能エネルギーと農家中心のイノベーションを通じて、このプロジェクトは食品ロスの削減と農村部の所得向上を目指している。写真提供:Solafam, Uganda

太陽光からAIへ

当初の事業は低温貯蔵施設だけだった。

LEAP Africaなど起業支援プログラムの支援を受け、事業化に成功した。

しかし利用者との対話から、新たな課題が見えてきた。

貯蔵する農産物そのものが十分に収穫できていないのである。

そこで、太陽光灌漑システムを導入した。

高価なディーゼル燃料への依存を減らし、一年を通じて栽培できるようにするためだった。

農家は費用の20%を頭金として支払い、その後は週約1・6ドルずつ分割払いを続けることで設備を所有できる。

「農家が本当に利用できる価格にしたかったのです。」

そして次の革新がAIだった。

多くの農家には農業指導を受ける機会がなく、その知識不足が収穫後損失を生み出していた。

「農業をしていても、必ずしも正しい方法で栽培しているとは限りません。」

「例えばトマトは夕方に灌漑した方がよいのに、朝に水をやっている農家もいます。」

そこで開発されたのがLean AIである。

WhatsAppで質問すると、農法、病害虫対策、灌漑方法、収穫後管理についてリアルタイムで助言が得られる。

さらに現在は、スマートフォンを持たない農家でも利用できるよう、USSD(携帯電話の対話型通信サービス)への対応も進めている。

「私たちはAIを活用し、現場にいなくても農家への研修を続けています。」

「これによって収穫量が増え、所得が向上し、『農業は貧しい人の仕事だ』という考え方を変えたいのです。」

ウガンダで、太陽光発電を利用した灌漑システムのそばに立つシフラ・アイノムギシャ氏。彼女は、再生可能エネルギーとAIを活用した農業支援を組み合わせ、小規模農家の生産性向上と収穫後損失の削減を後押ししている。写真提供:Solafam, Uganda

農業のイメージを変える

その固定観念こそ、彼女が最も変えたいものだった。

「ウガンダでは、『農業は貧しい人の仕事』という考え方があります。」

「それは本当に悲しいことです。」

彼女は少し言葉を止める。

「どれだけ働いても貧困から抜け出せないから、人々はそう信じてしまうのです。」

転機は2023年に訪れた。

地域の市場に最初の低温貯蔵施設を設置することが難しかったため、まず実家に設置した。

最初の利用者は母だった。

続いて近所の農家が利用し始めた。

当初は無料だった。

まず効果を実感してもらう必要があったからだ。

母の友人で野菜や果物を販売する女性は、1か月間利用した。

それまで数日で傷んでいた野菜は約2週間鮮度を保てるようになった。

急いで安値で売る必要がなくなり、価格が上がるまで待てるようになった。

「彼女はその効果を実感しました。」

「今では以前より農業収入が増えています。」

その後、ソラファムは従量課金制へ移行した。

成果は数字にも表れている。

「私たちが最も誇りに思うのは、農家の所得を28%増やしたことです。」

「さらに収穫後損失を約30%削減することができました。」

Commonwealth Deputy Secretary-General (Programmes), Tanmaya Lal, Commonwealth Secretary-General, Shirley Botchwey, and Commonwealth Deputy Secretary-General (Corporate), Tania Baumann, pose with the 2026 Commonwealth Young Person of the Year and Africa Regional Winner, Shifra Ainomugisha, at the Commonwealth Youth Awards ceremony in London. Credit: Commonwealth Secretariat
ロンドンで開催されたコモンウェルス青年賞授賞式で、2026年の「コモンウェルス・ヤング・パーソン・オブ・ザ・イヤー」およびアフリカ地域最優秀賞を受賞したシフラ・アイノムギシャ氏とともに写真に納まる、コモンウェルス副事務総長(プログラム担当)のタンマヤ・ラル氏、コモンウェルス事務総長のシャーリー・ボッチウェイ氏、コモンウェルス副事務総長(法人業務担当)のタニア・バウマン氏。写真提供:コモンウェルス事務局

女性のための技術

こうした成果が評価され、ソラファムはコモンウェルス青年賞へとつながった。

受賞に際し、アイノムギシャ氏は次のように語った。

「2026年コモンウェルス年間最優秀青年に選ばれたことを大変光栄に思います。この賞は私個人だけのものではなく、私たちが支援してきたウガンダの農家や地域社会の皆さんのものでもあります。自らの体験から生まれた解決策が社会を変えられることを証明できました。」

彼女は、受賞につながった理由として三つを挙げる。

持続可能性。

社会へのインパクト。

そして利用しやすさである。

「私たちの事業は2022年から継続しています。」

「実際に社会へ成果を生み出しています。」

「そして、小規模農家でも利用できる価格なのです。」

しかし何より重要なのは、この事業が女性を中心に据えていることだ。

「この問題は私自身の人生そのものだからです。」

「誰かの話を聞いて始めたわけではありません。」

「私は女性です。そして、毎日懸命に働く母の姿を見ながら育ちました。それでも暮らしは良くなりませんでした。」

アフリカでは農業労働力の多くを女性が担っている一方、土地や融資、技術、農業指導へのアクセスでは依然として不利な立場に置かれている。

「女性を中心に据えることは戦略ではありません。」

「私自身の人生経験なのです。」

もちろん男性農家も支援している。

しかし受益者の多くは女性である。

世界でAIへの期待が高まる中、彼女のメッセージは明快だ。

テクノロジーだけでは十分ではない。

誰もが利用できること。

手頃な価格であること。

そして人々の現実に寄り添って設計されていること。

彼女の次なる目標は、スマートフォンを持たない農家にも農業AIを届けることだ。

目指しているのは、単なる農業のデジタル化ではない。

農業に誇りと尊厳を取り戻すことである。

腐ったトマトの記憶は今も残っている。

学費が払えず苦しんだ日々も忘れてはいない。

しかし今、それらの記憶は失敗を意味しない。

新しい収穫の始まりを意味している。

そこでは、イノベーションはアルゴリズムや太陽光パネルの数ではなく、食料を育てる家族が、ようやく十分に食べ、学び、夢を見ることができるようになったかどうかによって測られる。

そしてアイノムギシャ氏にとって、その未来はすでに始まっている。

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

関連記事:

西アフリカ・ベナン、女性たちが何世紀も続く製塩法を持続可能なものへ

AIが変えるモンスーン予測―インド発の成功が30か国の農業を動かす

雨水の収集がグアテマラ東部の干ばつを緩和

戦争、熱波、エネルギー危機がクリーンエネルギーへの転換を加速させる

【ロンドン/パキスタン・カラチIPS=ゾフィーン・エブラヒム

過去30回にわたる国連気候変動枠組条約締約国会議(COP)でもなし得なかったことを、米国とイスラエルによる対イラン戦争の3か月間が成し遂げたのかもしれない。それは、世界が化石燃料にいかに依存し、いかに脆弱であるかを浮き彫りにしたことである。英語版

世界が過去10年で最大規模のエネルギーショックに直面する中、クリーンエネルギーへの投資を加速させる必要性は、これまでになく説得力を増している。

さらに欧州が深刻な熱波に見舞われる中、英国気象庁は「生命に危険が及ぶ恐れがある」と警告を発し、ロンドン気候行動週間(LCAW)の開催期間中にも、店舗やオフィス、学校の閉鎖に加え、交通機関の混乱が生じている。こうした状況を受け、エネルギー転換を求める声は一段と高まっている。

高まる危機感

「政策立案者、投資家、企業経営者の間で、そうした危機感は確実に高まっています。」

そう語るのは、パキスタンの起業家であり、同国を拠点とするテクノロジー、データ分析、アドバイザリー企業「サスティナディリティ(Sustainadility)」の共同創業者兼パートナーを務めるファラズ・カーン氏(MBE)である。同氏は25年以上にわたり、官民連携による投資や、環境・持続可能性・ガバナンス(ESG)に関する枠組みづくりに携わってきた。現在は、気候資金とエネルギー転換の将来を議論するためLCAWに参加している。

6月28日に閉幕するLCAWの傍ら、IPSの電話取材に応じたカーン氏は、化石燃料から再生可能エネルギーへの移行は喫緊の課題であり、その実現には投資家と企業の関与が不可欠だと強調した。

カーン氏はLCAWの雰囲気について、「慎重さを伴いながらも楽観的だ」と表現した。また、パキスタンへの国際的な注目が高まっていることを歓迎し、「わが国は、米国とイラン・イスラム共和国との和平合意『イスラマバード覚書』の仲介に尽力したことが高く評価されました」と述べた。

ルール作りから投資へ

カーン氏は、6月8日から18日までドイツ・ボンで開催された気候変動会議とLCAWとの違いについて、次のように説明する。

ボン会議は外交交渉や気候政策のルール作りが中心だった。一方、2019年から毎年開催されているLCAWは、持続可能性やESG分野への民間投資を呼び込み、それを商業ベースで拡大することに重点を置いている。

「LCAWは、より企業や民間部門に焦点を当てた場です。」

こう語るカーン氏は、社会的インパクト投資を行うパキスタンの団体「シードベンチャーズ(SeedVentures)」の創設者でもある。

その一方で、同氏は次のようにも指摘した。

「物事には二つの側面があります。米・イラン和平とホルムズ海峡の再開によって、石油が依然として世界経済に不可欠であることが改めて示されました。しかし同時に、多くの国々は化石燃料への依存が自国の利益にならないばかりか、安全保障上のリスクにもなり得ることを認識しています。」

地政学的対立によって、石油の生産、貿易、輸送がいかに脆弱であるかが明らかになった。そのため、代替エネルギーへの投資は今後さらに加速すると見込まれている。

カーン氏が出席したCOP31議長主催の民間セクター会合では、循環型経済、電化(エレクトリフィケーション)、気候資金が主要な議題となった。ブラックロック、世界銀行、国連工業開発機関(UNIDO)、国際金融公社(IFC)、さらには各種業界団体など、世界の気候変動分野を代表する組織が一堂に会した。

「まさに気候変動分野のオールスターが集まった会議でした。」とカーン氏は笑顔で語る。

「私たちもその場に加われたのです。」

しかし一方で、意思決定の場に女性がほとんどいなかったことは残念だったという。ただし、トルコのCOP31チームについては、「知的水準が高く、会議での存在感も圧倒的だった。」と高く評価した。

「交渉」から「実行」へ

カーン氏によれば、会議の構成だけでなく議論そのものにも変化が見られた。

会場では、交渉中心の議論から、実施・投資・具体的行動へと重点を移す新たな流れをつくろうという強い意志が共有されていた。

「政府は制度や環境を整えることができ、国連はルールを示すことができます。しかし最終的に変化を実現するのは、投資家、投資可能な事業、そして大企業なのです。」

COP31 Logo

ボン会議が制度設計を議論する場だったのに対し、LCAWは気候資金や実際の投資案件を議論する場だったと同氏は説明する。

さらに、「今年11月にトルコ・アンタルヤで開催されるCOP31では、『言葉だけではなく資金を投入する』ことが最大のテーマになります。実現可能なプロジェクトへ資本を投じ、協調的な投資スキームを構築して気候変動対策を本格的に拡大していくことになるでしょう。」と語った。

民間部門が主役に

またカーン氏は、中国がクリーンエネルギー投資の世界的リーダーとして頻繁に言及されていたことにも触れた。

「さまざまな会議を通じて、再生可能エネルギーへの投資意欲が非常に強まっていることを実感しました。この流れは今後さらに加速すると確信しています。」

公正なエネルギー移行を実現するには、大企業や大規模な組織の役割が決定的に重要だという。事業規模が大きく、地域社会とのつながりも深いため、社会全体へ大きな変化をもたらす力を持っているからだ。

こうした電化と脱化石燃料への取り組みは、COP31議長国トルコも重視している。

今月、ボン会議の会場で英紙『ガーディアン』の取材に応じたトルコのムラト・クルム環境相は、「35%目標」はCOP31議長国として最も重要な課題の一つになると語った。

「交通、建築物、産業など日常生活のあらゆる分野を電化することで、家庭や企業をエネルギー価格の乱高下から守ることができる。」と同相は述べている。

パキスタンに訪れた好機

カーン氏は、パキスタンにはこのエネルギー転換の最前線に立つチャンスがあると考えている。

Map of Pakistan/ Wikimwdia Commons.
Map of Pakistan/ Wikimwdia Commons.

同国は気候災害の被害国として取り上げられることが多い。世界の温室効果ガス排出量に占める割合は1%未満であるにもかかわらず、大きな被害を受け続けている。

しかし同氏は、世界が太陽光発電に注目する中、パキスタンで静かに進行している「ソーラー革命」にも目を向けるべきだと訴える。

「パキスタンは、太陽光発電の普及がいかに急速に進み得るかを示す世界的な成功例となっています。それに伴い、太陽光パネル製造や蓄電池産業にも大きな投資機会が生まれています。」

一方で、送電網の近代化や大規模蓄電システムの整備は、ますます重要な課題となっている。

自然への投資

カーン氏は、再生可能エネルギーだけでなく、「自然への投資」にも大きな可能性を見いだしている。

マングローブ林、森林、湿地、草原、山岳生態系など、パキスタンの豊かな生物多様性には莫大な投資余地があるという。民間資本は、こうした自然資産の保全と再生の両方に貢献できる。

パキスタン経済において農業は大きな割合を占める一方、生物多様性の喪失を招く要因にもなっている。

そのため、企業は再生型農業、アグロフォレストリー(森林農業)、持続可能なコメや綿花の生産などへ投資することで、自らの持続可能性目標を達成すると同時に、新たな「生物多様性クレジット市場」にも参入できる。

「カーボンクレジットがあるように、生物多様性クレジットもあります。これは食料安全保障や農業と密接に結びついています。」

農業が国の基幹産業であるパキスタンは、生物多様性クレジット分野でも大きな潜在力を秘めているという。

「これは本当に画期的な分野になるでしょう。莫大な投資機会が広がっています。」

投資拡大への課題

しかし現実には、投資家はまだ十分に集まっていない。

(L-R) Horacio (Luis) Carvalho, CEO of Climate Change Ventures, and Faraz Khan, MBE, at London Climate Action Week. Carvalho's firm advises on carbon mitigation and green investment projects. They signed an MOU to develop markets with Brazilian CPR Verde (green rural product certificate), a Brazilian financial credit instrument used to fund environmental preservation, forestry conservation, and carbon sequestration. The markets they are eyeing will be Saudi Arabia, Africa and Pakistan. Credit: Faraz Khan
写真左から、クライメート・チェンジ・ベンチャーズ(Climate Change Ventures)のホラシオ(ルイス)・カルバーリョCEOと、ファラズ・カーン氏(MBE)。ロンドン気候行動週間にて。カルバーリョ氏の企業は、炭素排出削減とグリーン投資事業に関する助言を行っている。両者は、環境保全、森林保護、炭素隔離に資金を供給するブラジルの金融信用手段である「CPR Verde(グリーン農村生産証明書)」を活用した市場開発に向け、覚書(MOU)に署名した。対象市場として、サウジアラビア、アフリカ、パキスタンを視野に入れている。写真提供:ファラズ・カーン

カーン氏は、海外から大規模な気候投資を呼び込む最大の障害は、依然としてパキスタンの高いカントリーリスク(国家リスク)だと指摘する。

一方で、「パキスタン・グリーン・タクソノミー」、グリーンバンキング指針、ESG基準など近年の政策改革は、投資家の信頼向上につながっているという。

また、投資に適した「バンカブル・プロジェクト(採算性や信用力があり、資金調達が可能な事業案件)」が不足していることも課題だ。本来は堅実な事業基盤を持つにもかかわらず、国際投資家を十分に惹きつけられていない案件も少なくない。

それでも、投資の潜在力は極めて大きいとカーン氏は強調する。

ただし、時間的猶予は限られているかもしれない。

最近の中東情勢の混乱が、世界の化石燃料依存の脆弱性を露呈したのであれば、それは同時に、クリーンエネルギーへの転換を加速させる必要性を浮き彫りにしたことにもなる。

パキスタンにとって、その機会は極めて大きい。

しかし、その潜在力を現実のものにできるかどうかは、必要な民間投資を呼び込める環境を整えられるかにかかっている。

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

関連記事:

アスタナと東京、スマートシティ・エネルギー安全保障・核軍縮を軸に未来への絆を強化

太陽光で危機をしのぐパキスタン―中東発のエネルギー不安の中で進む「静かなソーラー革命」

「雨が降ると、心臓の鼓動が速くなる」

AIは、今すぐ対策を講じなければ、雇用・中間層・福祉国家を揺るがす

【ニューヨークIPS=イザベル・オルティス、ビル・ショルダー

人工知能(AI)は、生産性や科学、医療、教育に飛躍的な進歩をもたらす可能性を秘めている。しかしその一方で、数百万もの雇用を失わせ、中間層を空洞化させ、病院や学校、年金制度を支える税収を減少させる危険性も抱えている。その変化はすでに始まっており、対策を講じるために残された時間は多くない。|英語版

国際通貨基金(IMF)は、AIが世界全体の約40%の雇用に影響を及ぼすと予測している。先進国では約60%の職種がAIの影響を受け、そのうち最大で3分の1(33%)がAIに代替されるリスクが高い。新興国では約40%の職種が影響を受け、その約4分の1(24%)が代替される危険性がある。低所得国では約26%の職種がAIの影響を受け、そのうち約5分の1(18%)はAIによって代替される可能性がある。

雇用喪失が中間層を縮小させる

AIの影響を最も受けやすいのは、これまで中間層の安定を支えてきた職種である。事務職、カスタマーサービス、翻訳、ジャーナリズム、法務補助、金融分析、マーケティング・コンテンツ制作、さらにはソフトウェア開発やデータ関連業務の一部も含まれる。これらの仕事は中間層の所得を支え、消費を生み出し、税収の基盤となってきた。しかしIMFは、こうした職種こそAIの影響を最も受けやすいと指摘している。

Isabel Ortiz

AIによって新たな仕事も生まれるだろう。しかしIMFによれば、それ以上に多くの仕事が消滅する可能性が高い。

その影響は職を失う人々だけにとどまらない。賃金は低下し、不安定な雇用が増え、企業が「AIに置き換えることができる」と労働者に示せるようになることで、労働者の交渉力は大きく低下する。所得はAI技術を保有する企業や一握りの巨大企業へ集中し、一般の労働者に配分される所得の割合は縮小していく。

中間層の家計は経済を支える最大の消費者である。その所得が減少すれば、小売店や中小企業の売り上げは落ち込み、投資は停滞し、廃業が相次ぐようになる。その結果、経済は需要不足、低賃金、慢性的な不完全雇用に苦しむ低成長の悪循環へと陥る恐れがある。

税収の減少が福祉国家を弱体化させる

その圧力はやがて財政にも及ぶ。

多くの政府歳入は中間層に依存している。所得税、消費税、社会保険料はいずれも安定した雇用と賃金によって支えられている。賃金所得が減少し、安定した雇用が縮小すれば、政府の税収も減少する。

一方で、失業給付、職業訓練、医療、所得支援を必要とする人々は増加する。政府は「税収は減る一方で支出は増える」という財政的な板挟みに直面することになる。IMFは2026年のAI・労働市場・公共政策に関する分析で、このリスクを警告している。

公的年金制度は、現役世代が納める保険料によって高齢者を支える賦課方式に依存している。医療制度もまた、健康な人々の拠出によって病気の人々を支えている。こうした制度では、負担する人の数が減れば持続可能性は失われる。その結果、政府は給付の削減や利用者負担の引き上げ、家計への負担転嫁を余儀なくされる可能性がある。これは国連社会開発研究所(UNRISD)の報告書『AIと社会契約の未来』でも指摘されている。

公共サービスと民主主義への圧力

歴史が示しているように、その次に訪れるのは緊縮財政政策である場合が少なくない。

Bill Shoulder

財政圧力を受けた政府は、消費税を引き上げ、公共サービスの利用料を値上げし、給付の対象を厳格化し、公共支出を削減する傾向がある。

財政が悪化すると、教育、医療、介護、社会保障は「合理化すべき予算項目」として扱われがちになる。しかし、これらは本来、人権であり、社会を支える不可欠な公共サービスである。

その結果、富裕層だけが質の高い民間サービスを利用でき、多くの人々は質の低下した公共サービスに頼らざるを得ない「二層社会」が生まれる。

経済的不安は民主主義への信頼も損なう。

働いても生活が安定せず、公的機関も自分たちを守ってくれず、技術革新の恩恵が一部の富裕層や巨大企業だけに集中していると人々が感じれば、不満は蓄積し、社会の分断は深まる。

その結果、特定の集団をスケープゴートに仕立てる動きが強まり、監視や情報操作、より権威主義的な統治への支持も広がりやすくなる。とりわけAIそのものが情報空間や世論形成を操作する手段として利用されれば、その危険性はさらに増す。

AIによる雇用の減少は税収基盤を弱体化させ、年金や医療、教育など福祉国家を支える社会保障制度の持続可能性に深刻な影響を及ぼす恐れがある。画像:INPS japan
AIによる雇用の減少は税収基盤を弱体化させ、年金や医療、教育など福祉国家を支える社会保障制度の持続可能性に深刻な影響を及ぼす恐れがある。画像:INPS japan

未来は私たちの選択にかかっている

しかし、こうした未来は決して避けられない運命ではない。

ノーベル経済学賞受賞者のダロン・アセモグル氏とサイモン・ジョンソン氏が指摘するように、AIが社会にもたらす影響は、技術そのものよりも、それをどのような政治的・経済的選択のもとで活用するかによって決まる。

政府はAIによって生み出される巨額の超過利益や市場支配力に課税することができる。その財源を活用して、需要を維持し、人々の所得を保障しながら社会の移行を支えることも可能である。

また、教育、医療、社会保障などの公共サービスを、人権としてさらに充実させるべきである。

さらに政府は、AIの導入方法について、労働者や市民が実質的に意思決定に参加できる仕組みを整えなければならない。同時に、AIが偽情報や監視を通じて民主主義への信頼を損なうことがないよう、適切な規制を整備する必要がある。

AIはすでに社会を大きく変え始めている。

今問われているのは、その莫大な恩恵を社会全体で公平に分かち合い、すべての人々の繁栄につなげることができるかどうかである。そして、安定と尊厳ある社会を支えてきた「社会契約」を維持できるかどうかである。

その選択は、まだ私たちの手に委ねられている。

しかし、その猶予は決して長くはない。

イザベル・オルティスは、「グローバル・ソーシャル・ジャスティス」代表。国際労働機関(ILO)およびユニセフの局長を務めたほか、国連およびアジア開発銀行(ADB)の上級職員を歴任した。ビル・ショルダーはAIソフトウェアエンジニア・研究者。人工知能および国際プロジェクト・マネジメントを専門としている。
SDGs for All Banner 3
https://www.sdgsforall.net/

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

関連記事:

なぜ今、「世界市民」がこれまで以上に重要なのか

チャットボットとAIコンパニオン――SFの世界から日常の現実へ

|視点|AIと自立型兵器ー岐路に立つ世界(サンニャ・ラジパルSGI国連事務所)

なぜ今、「世界市民」がこれまで以上に重要なのか

―ロベルト・サビオ氏が語る「相互依存する世界」と市民の責任ー

ローマINPS Japan=浅霧勝浩】

国際通信社インタープレスサービス(IPS)の創設者ロベルト・サビオ氏は、ローマで行ったINPS Japanの独占インタビューで、気候変動、戦争、格差、人工知能(AI)など複雑に絡み合う地球規模課題に向き合うためには、「相互につながる世界を理解すること」が、現代の市民に求められる最も重要な責任の一つであると語った。|英語版中国語

Dr. Roberto Savio
ロベルト・サビオ博士

教育者ジュリアーノ・リッツィ氏との共著『The Global Citizen Handbook』でサビオ氏が問いかけているのは、世界市民とは何かという抽象的な理念ではない。複雑に相互依存する現代世界を理解し、その理解を判断と責任ある行動へと結び付ける、市民の在り方である。

サビオ氏は、新著について語り始める前に、まず今日の若者について語った。

「今日の大学卒業生が直面している不確実性は、その親世代、まして祖父母世代が経験したものとは本質的に異なります。」

第二次世界大戦後の世代は、破壊された都市を受け継いだ。しかし同時に、復興によってより良い世界を築けるという希望も持っていた。国際連合の創設は、その希望を象徴する出来事だった。

1990年代には、工業化、技術革新、経済成長が、安定した雇用、持ち家の取得、将来への安心という現実的な期待を支えていた。

しかし今日の若者が受け継いだ世界は、大きく様変わりしている。気候変動、地政学的対立、拡大する格差、不安定な金融市場、人口減少、武力紛争、そしてAI――。こうした課題が同時に進行することで、過去のどの世代も経験したことのないほど深い不確実性が生まれている。

A new generation faces a world shaped by interconnected crises—from climate change and conflict to inequality and artificial intelligence—raising profound questions about the future of global citizenship. Credit: AI-generated illustration. Image: INPS Japan
気候変動、紛争、格差、人工知能(AI)など、相互に結び付いた地球規模の危機に直面する新しい世代。その現実は、「世界市民」とは何か、そしてその未来を私たちに問いかけている。画像:INPS Japan

しかしサビオ氏によれば、問題は現実の不確実性だけではない。

より深刻なのは、「理解の危機」である。

現代人は、かつてないほど多くの情報に接している。ニュースは瞬時に世界を駆け巡り、AIは膨大な情報を数秒で要約する。だが、気候変動、移民、民主主義、戦争、金融、AIといった出来事は、それぞれ独立した問題として報じられがちであり、その相互のつながりは見えにくくなっている。

An endless stream of disconnected information can make today’s global crises appear overwhelming. The Global Citizen Handbook argues that understanding the connections between them is the first step toward informed citizenship. Image:INPS Japan
地球規模の課題は、もはや個別に切り離して捉えることはできない。気候変動、移民、経済不安、人工知能(AI)、民主的統治がますます相互に結び付く中で、それらの関係性を理解することは、市民としての不可欠な責任となっている。画像:INPS Japan

「一般市民は百科事典ではありません。」

サビオ氏はそう語る。

情報が断片化するほど、人々は世界全体を理解できなくなり、「自分には何も変えられない」という無力感を抱くようになる。サビオ氏は、この「理解の危機」こそが、デジタル時代の民主主義にとって最も大きな課題の一つだと考えている。

市民が社会を動かしている力を理解できなければ、公共の議論に意味ある形で参加することはできない。民主主義は、単に選挙によって維持される制度ではない。市民が世界を理解し、判断し、行動する力によって支えられる営みなのである。

こうした問題意識から生まれたのが、『The Global Citizen Handbook』である。

本書は、統計や専門知識を並べた従来型の参考書ではない。各章では、国際機関の報告書や学術研究に基づいて地球規模課題を解説するとともに、同様の課題に取り組んできた地域社会やコミュニティの事例を紹介する。そして各章の最後には、読者自身が立ち止まり、自ら考えるための問いが用意されている。

目的は、知識を増やすことではない。

情報を理解へと深め、理解を判断へ、そして判断を責任ある社会参加へとつなげることである。

A visual reflection of The Global Citizen Handbook: the promise and perils of artificial intelligence and digital technology, set alongside the authors’ call for active, informed global citizenship grounded in human dignity, shared responsibility and hope. Image: INPS Japan
人工知能(AI)は、教育、医療、知識へのアクセスを前進させるかつてない可能性をもたらしている。しかし、その恩恵が真に生かされるかどうかは、民主的なガバナンス、倫理的な管理、そして十分な知識を備えた世界市民の存在にかかっている。画像:INPS Japan

ジャーナリズムから教育へ――世界市民を育むという共通の理念

サヴィオ氏にとって、『The Global Citizen Handbook』は、それまでの歩みから新たに方向転換した仕事ではない。

むしろ、60年以上にわたるジャーナリスト人生の自然な延長線上にある。

Credit: INPS Japan

1964年、ローマでインタープレスサービス(IPS)を創設したサビオ氏は、単に新しい国際通信社をつくろうとしたのではなかった。

彼が目指したのは、世界のジャーナリズムの「地理」を変えることだった。

当時、国際報道の多くは政治・経済大国の視点から発信されていた。これに対しIPSは、それまで世界の主要メディアではほとんど取り上げられることのなかった人々の声や経験に光を当て、国際社会の対話を広げようとした。

その理念は後に、「声なき人々に声を与える(Giving Voice to the Voiceless)」という言葉で広く知られるようになる。

しかしサビオ氏にとって、この言葉の意味は、単に社会的に弱い立場の人々を報じることではない。

遠く離れた場所で起きている出来事が、自分たちの暮らしとどのようにつながっているのかを、市民一人ひとりが理解できるようにすることこそ、ジャーナリズムの本来の役割だと考えてきたのである。

Katsuhiro Asagiri(Left) and Dr. Roberto Savio (Right)
浅霧勝浩(左)、ロベルト・サビオ博士(右)

今回のインタビューでサビオ氏は、その歩みを振り返りながら、2009年にIPS、INPS Japan、創価学会インタナショナル(SGI)が開始した国際メディア協力について語った。

この協力は、「核兵器のない世界」を担う世界市民を育むことを目的に始まり、以来、INPS Japanは日本の拠点として、多言語による報道とナレッジプラットフォームを通じて、核軍縮、持続可能な開発、人権、気候変動など、相互に結び付いた地球規模課題を伝え続けてきた。

Roberto Savio (far left), then Deputy Director of the World Political Forum (WPF), welcomes a Soka Gakkai International (SGI) delegation led by Hiromasa Ikeda (center) at a 2009 international conference on nuclear abolition organized by the WPF, founded by former Soviet President Mikhail Gorbachev (second from left). The meeting marked the starting point of the long-standing media partnership between Inter Press Service (IPS) and SGI. Photo: Francesca Palozzo/WPF.
ロベルト・サビオ氏(左端、当時世界政治フォーラム〈WPF〉副代表)が、旧ソ連大統領ミハイル・ゴルバチョフ氏(左から2人目)が創設した世界政治フォーラム(WPF)の2009年核兵器廃絶国際会議において、池田博正氏(中央)率いる創価学会インタナショナル(SGI)代表団を迎えた。この会合は、インタープレス・サービス(IPS)とSGIによる長年にわたるメディア・パートナーシップの出発点となった。写真:Francesca Palozzo/WPF.
2009年4月に開始されたIPSとSGIのメディア協力について、ロベルト・サヴィオ博士と池田大作博士がメッセージを寄せた2010年年次報告書より。
2009年4月に開始されたIPSとSGIのメディア協力について、ロベルト・サヴィオ博士と池田大作博士がメッセージを寄せた2010年年次報告書より。資料:INPS Japan

サヴィオ氏は、協力開始翌年の2010年に刊行された最初の年次報告書に寄せられた、創価学会第三代会長・池田大作博士のメッセージを懐かしく振り返った。

「今読み返しても、あのメッセージは少しも色あせていません。」

そう語ったサヴィオ氏は、『The Global Citizen Handbook』で示した問題意識とも深く響き合っているとして、池田博士の言葉にあらためて言及した。

池田博士は、そのメッセージの中で教育の意義について、次のように記している。

「ここに、最も広い意味での教育の重要性があります。人々が正確な知識を身につければ、自ら何をなすべきかを自然に理解するようになります。そして身近な人々と対話を重ねる中で、ともに学び、最善かつ最も効果的な行動の在り方を探求していくことができるのです。」

さらに池田博士は、教育におけるメディアの役割について、次のように述べている。

「この教育のプロセスにおいて、メディアは極めて重要な役割を担っています。客観的な情報を広く提供し、多様な視点から分析を行うことで、課題の本質と、その解決に向けて取るべき行動をより明確に示すことができるのです。」

そして、IPSとSGIの協力については、次のように記している。

「IPSは『声なき人々に声を与える』ことを特別な使命として掲げています。一方、創価学会インタナショナル(SGI)は、市民社会の立場から平和の文化を築くことに力を注いでいます。この極めて重要な課題の解決を探る対話の場を提供する本プロジェクトにおいて、IPSと協力できることを大きな喜びとしています。」

サヴィオ氏は、15年以上を経た今も、この理念が変わることなく受け継がれていることを何よりもうれしく思うと語った。

また、自身も同じ年次報告書に寄せたメッセージの中で、この多言語メディア・プラットフォームが、「希望に満ちた楽観主義(sanguine optimism)」へと登るための「ベースキャンプ」となることを願ったことを振り返った。

「当時描いたビジョンが、今日まで発展を続けていることを、大変うれしく思っています。」

サヴィオ氏にとって、IPS JapanとSGIの協力は単なるメディア事業ではない。

独立したジャーナリズム、教育、そして対話が結び付くことで、人々が世界を理解し、責任ある世界市民へと成長していく―その可能性を示す実践なのである。

ロベルト・サビオ氏はジャーナリスト、コミュニケーション専門家、政治評論家であり、社会正義と気候正義の活動家、そしてグローバル・ガバナンスの提唱者である。1964年、国際通信社インタープレスサービス(IPS)を創設し、長年にわたり同社の事務局長を務めた。現在は、Other Newsの創設者兼会長であり、同メディアの中心的な発信者でもある。ミハイル・ゴルバチョフ氏が創設したニュー・ポリシー・フォーラム(旧ワールド・ポリシー・フォーラム)の科学評議会副議長を務めるほか、世界社会フォーラム国際委員会のメンバーでもある。(WSF). 

INPS Japan

関連記事:

|視点|世界最後の偉大なステーツマン、ゴルバチョフについて(ロベルト・サビオIPS創立者)

「世界共通の人権文化として定着させることが重要」(創価学会インタナショナル池田大作会長インタビュー)

|核兵器なき世界| 仏教徒とカトリック教徒の自然な同盟(ヴィクトル・ガエタン ナショナル・カトリック・レジスター紙シニア国際特派員)

世界政治フォーラムを取材

西アフリカ・ベナン、女性たちが何世紀も続く製塩法を持続可能なものへ

ベナン・ウィダーIPS=ネハ・バンカ

正午にはまだ早い時間、西アフリカ・ベナンのジェグバジ村郊外の浜辺近くで、女性たちの一団が座り込み、ギニア湾の海から採取した塩の山をふるいにかけている。黒い防水シートで覆われた大型のコンクリート槽には、海水がベナンの真昼の太陽の下でゆっくり蒸発するにつれ、白い塩の沈殿物が残っている。ただし、彼女たちが使っているのは火ではなく、太陽エネルギーである。|英語版

女性たちは、「ProSELベナン」と呼ばれる草の根プロジェクトの一環として働いている。この事業は、ベナン政府に加え、インド、ブラジル、南アフリカ(IBSA)各国政府、そして国連開発計画(UNDP)の協力によって進められているもので、地域の製塩コミュニティが持続可能なエネルギー源を利用し、地元産ヨウ素添加塩の生産・販売に向けた中規模事業を育てられるよう支援することを目的としている。

製塩は、ベナン南部とその周辺に暮らす人々にとって、主要な収入源の一つである。

何世代にもわたる伝統

Map of Benin. Credit:Wikimedia Commons.
Map of Benin. Credit:Wikimedia Commons.

「ベナンの沿岸部では、女性たちが海岸湿地から塩をすくい取ります。小屋を建て、その中で大きな鍋を使い、直火で塩水を煮詰めるのです。そして、その“煮た塩”を市場や道端で売ります。さまざまな理由から、これは健康に良くない作業です。」と語るのは、2021年から2024年まで南アフリカの駐ベナン・トーゴ大使を務め、IBSA支援プロジェクトの実施に深く関わったロビナ・マークス氏である。

ベナンでは、塩を採取して煮詰める伝統的な製塩法が、少なくとも15世紀から行われてきた。主に女性たちが担ってきたこの方法では、塩分を含む土を集め、水分を蒸発させ、刻んだマングローブ材を燃やして塩水をろ過し、塩を作る。

しかし、この作業は、塩の採取方法や製造環境のため、女性たちの健康に悪影響を及ぼしてきた。

「非常に時間がかかり、労力も大きいのです。」とマークス氏は言う。

ProSELベナンは、この伝統的な方法を変え、塩の採取と生産をより健康的で清潔なものにしようとしている。

この地域のコミュニティにとって製塩は重要な収入源だが、その一方で、マングローブの伐採に大きく依存してきた。

ProSELベナンの調査によれば、ベナン沿岸部では、在来の製塩に使う薪として、毎年およそ2万立方メートルのマングローブ材が伐採されている。

UNDPとベナン政府が新しい製塩法について協議を始めたのは、約5年前のことだった。

「しかし、この発想は現場の人々、つまり必要に直面していた人々から生まれたものです。ベナン政府が事業を構想し、UNDPと協力したいと考えたのです」と語るのは、2020年から2024年までUNDPベナン常駐代表を務め、この事業の形成に重要な役割を果たしたアワレ・モハメド・アブシール氏である。

アブシール氏によれば、ProSELベナンは、2030アジェンダの17の持続可能な開発目標(SDGs)のうち、3つの目標――ジェンダー平等、働きがいも経済成長も、つくる責任・つかう責任――を推進する取り組みである。この事業は、ベナンの農村女性が清潔な塩を作って販売し、自立できるよう支援することを目指している。

2021年、インド・ブラジル・南アフリカ貧困・飢餓緩和基金の理事会は、この製塩事業を実施するため、UNDPに100万米ドルを拠出した。

IBSAは、3つの途上国による協力の一例であり、国連の枠組みの中でグローバル・サウスの途上国間の開発協力に焦点を当てた、南南協力の取り組みでもある。

60歳のセシル・コフィ氏が初めてこの製塩事業を紹介されたとき、伝統的な製塩法から切り替えるよう説得するには時間がかかった。

「塩にはたくさんの意味があります。塩は、この地域の女性たちにとって本質的なものなのです」とコフィ氏は、その日の収穫分の塩を確かめながら語る。

ベナンにおいて塩は文化的にも重要であり、その用途は料理にとどまらない。

「塩は食べ物として使われるだけではありません。文化的な側面もあります。神聖なものとみなされ、多くのヴォドゥンの儀式にも使われています」とマークス氏は言う。

「私たちは市場で品物を売るとき、店を構える前に地面に塩をまき、それを掃き集めます。そうすれば悪い霊がすべて去っていくと信じられているのです。塩はとても大切です。たくさんの儀式で使います。」とコフィ氏は語る。

こうした根深い文化的信念が、ベナン政府の支援を受けたProSELベナンであっても、女性たちに変化を受け入れ、適応してもらうことを難しくした理由の一つだったと、アブシール氏は説明する。

Julienne Dekon collects saline water using the traditional method to make salt in rural Benin. Credit: Neha Banka/IPS
Julienne Dekon collects saline water using the traditional method to make salt in rural Benin. Credit: Neha Banka/IPS

伝統的な製塩は、ベナン沿岸部に暮らすXwlaの人々によって行われてきた文化的な営みである。村の塩生産者による伝統的製塩には、作業日、村の神々などに関する多くの禁忌が伴う。

「『Xwlajè』という名称も、Xwla民族と密接に結びついています」と、ProSELベナンの全国プロジェクト責任者であるリュック・オバレ氏は言う。ベナン政府は、この塩を文化的起源を示す「Xwlajè」というラベルで販売できるよう、認証に取り組んできた。

「古い方法は、彼女たちにとって祖先から受け継いできた塩作りの方法です。ですから、そこには意味があります。何かの作り方を変えると、否定的な影響があると考える人もいます。女性たちは事業が始まる前から海から直接塩を取ることもできたはずですが、そうしてこなかったのには理由があるのです」とアブシール氏は語る。

ProSELベナンは、伝統的に塩が採取されてきたベナン沿岸部の5地域――セメ・クポジ、グラン・ポポ、ウィダー、クポマセ、コメ、ロコサ――を対象としている。

「他の地域では、人々は海水を使って塩を作ることに比較的前向きでした。しかし、ウィダーは特別です。ウィダーはウィダーなのです。人々は、最良の塩は乾燥させるのではなく、煮て作るものだと信じています。煮なければならないと考えているのです。」とアブシール氏は説明する。

現場からの介入

ProSELベナンは、地元の塩をより清潔で環境に持続可能なものにしようとする初めての介入事業ではない。しかし、現場担当者たちが実際に事業を立ち上げることに成功したため、成果を上げていると、UNDPのプロジェクト・コーディネーターであるセシ・マルレーヌ・カポ=チチ氏は言う。

「これまで多くの団体が、地域社会にやり方を変えるよう説得することに苦労してきました。」と同氏は語る。

ProSEL事業が進められている浜辺から500メートルほど離れたジェグバジ村の一角には、沿岸ラグーンがあり、そこでは女性たちが茅葺き小屋の連なる一帯で、伝統的な方法によって塩を作っている。

「伝統的な製塩法は、より重労働です」と、45歳のジュリエンヌ・デコン氏は、自分の周囲に広がる湿地から集めた塩分を含む土で重くなった籐かごを持ち上げながら語る。

近年、ベナン政府はマングローブの伐採を禁じており、女性たちは燃料として、乾燥したヤシの葉やココナツの殻を使うよう促されている。

デコン氏は、友人の多くがProSEL事業に参加し、海水を使った現代的な製塩法に切り替えた今も、自分は伝統的な方法で働き続けたいと言う。

小屋の中で塩水を煮始めると、煙が狭い空間いっぱいに立ち込める。

「たくさん働かなければならないときは、確かに疲れます。でも、これが健康にどのような影響を与えるのかは、あまり知りません。」とデコン氏は語る。

デコン氏は、自分がいつ製塩を始めたのか覚えていない。ただ、非常に長い間この仕事を続けてきたため、いまでは伝統的な方法で塩を作ることに慣れている。

「浜辺の方法、つまりProSELの方法は簡単です。でも雨が降ると、外では作業できません。私は土を集めて屋内で煮始めるので、雨の中でも塩作りを続けることができます。2つのやり方はまったく違います。」とデコン氏は言う。彼女が言及しているのは、海沿いに設置された屋外のコンクリート製塩槽であり、天候の変化に左右されやすい。

とはいえ、雨天は伝統的な方法で働く女性たちにも影響する。

ベナンでは4月から8月にかけて雨季を迎え、9月から11月にも短い雨期がある。ラグーン近くの低地に広がる湿地は、洪水に見舞われやすい。

「雨季には、伝統的な製塩が行われている場所に入れなくなります。完全に水没してしまうため、1年の半分以上、塩を生産できません。だからこそ、私たちは女性たちにProSEL方式へ移行するよう働きかけています。彼女たちに代替手段を提供する必要があったのです」とアブシール氏は語る。

雨そのものは天気を見ながら避けることができるが、長引く洪水を避けるのは難しいと同氏は言う。

アブシール氏によれば、この事業では、女性たちが海水を使えるようにすることで、年間を通じて塩を作り、安定した収入を得られるようにすることに重点を置いた。

「海水を使って塩を作る方が、体への負担は少ないのです。水を汲んで、太陽で蒸発させればよいだけです。煮る必要がなく、安全です。収入を増やすこともできます」とアブシール氏は語る。

デコン氏が働く場所から未舗装の道を少し下ったところでは、1人の女性が幹線道路沿いで塩を売っている。

デコン氏のように伝統的な方法で作った塩と、ProSELベナンに参加する女性たちが作った塩との違いは明らかだ。伝統的な塩は、黄色がかった茶色に灰色の筋が混じって見える。これは、ろ過工程が不十分なために生じる色である。一方、ProSELベナンの塩は清潔な白色で、袋詰めする直前に女性たちがヨウ素を混ぜて強化している。

地元市場や道端で売られる伝統製法の塩は、1キログラム入りでおよそ800西アフリカCFAフラン、約2米ドルで販売される。一方、ProSELベナンで作られた同量の塩は、1,000CFAフランで販売される。

公共消費に向けて

ProSELの調査によれば、ベナンには塩を採取する女性が約4,000人いる。同国は、実際に必要とする塩の大半をガーナ、セネガル、インドなどから輸入している。国内の在来型製塩が供給できる量は、国内需要のごく一部にとどまっているからだ。

関係者たちは、女性たちにより清潔な塩の作り方を教えるだけでは不十分であり、販売先となる市場へのアクセスも必要だと認識した。事業が参入を目指している市場の一つが、国連ベナン事務所のもとで活動する世界食糧計画(WFP)である。WFPは、毎年100万人を超える子どもたちに学校給食を提供している。WFPは、ProSELのもとで女性主導の協同組合が生産する塩を購入し、使用することが可能かどうかを調べるための調査を進めている。

ベナン政府は、収穫された塩について野心的な計画を持っている。

2025年12月、ベナンの食品安全機関ABSSA、すなわちベナン食品衛生安全庁は、この塩を公共消費向けとして認証した。その後、この塩は「Xwlajè」というラベルで販売される準備が整えられた。

現在、Xwlajè塩は、コトヌー市内の7つのスーパーマーケット・チェーンのほか、ポルトノボ、コトヌー、コメの各自治体にある独立店舗で販売されている。

「さらに、コトヌー国際空港の免税店でXwlajè塩を販売するための手続きも進められています。」とオバレ氏は語る。

アブシール氏によれば、従来は6時間かかっていた作業が、今では2時間で済むようになった。何世代にもわたり特定の方法に慣れ親しんできた人々を説得する必要があったため、変化をもたらすことは難しかったと同氏は言う。

女性たち、彼女たちの生活をなお管理する立場にある夫たち、首長、市長、地域の指導者たちの信頼を得ることなしには、ほとんど何もできなかっただろうと、同氏は認める。

「現地チームは女性たちのもとに足を運び、彼女たちの必要を理解しました。そうすることで、配慮すべき感情や価値観を理解し、事業を受け入れてもらえるようにしたのです。ベナンでは、外部の人間が来て、何をすべきかを指示するのは非常に難しいのです。」

アブシール氏は、地域社会の中に事業への不信感が生まれれば、これまで積み上げてきた成果が失われる危険性が高いと語る。

「彼女たちは変化を受け入れつつあります。今、私たちは貯蔵施設や機械を保管するための建物などを整備しようとしています。敏感な段階ではありますが、うまくいくと期待しています。」

ベナン政府はここ数年、観光を優先課題としてきた。在来の製塩文化は、観光客にベナン文化を紹介する計画の重要な一部である。

ProSEL事業は、伝統的な製塩法を完全になくすことを目的としているわけではないと、オバレ氏は言う。

「現代的な製塩施設は、伝統的な生産地から遠くない場所に設置されています。観光客が2つの製塩方法の違いを見られるようにするためです。」と同氏は説明する。

20代の若い母親ミレイユ・アジョヴィ氏は、眠る乳児を背負ってProSELの作業場に来ている。

「得たお金で、子どもたちの面倒を見ることができます。学校にも通わせられるようになります。私は自分のことは最後に考えます。まず夫と子どもたちです。男性も家計にお金を出してくれるかもしれませんが、女性はそれでも多くの苦労をしています。女性が何か必要としても、夫は必要な額ではなく、自分が渡したい額を渡すだけです。男性は女性のことを考えてくれません。だから、この事業は私が自分のお金を稼ぐ助けになっているのです。」とアジョヴィ氏は語る。

アジョヴィ氏のような女性にとって、塩作りは単に前の世代の女性たちが担ってきた仕事を受け継ぐことだけを意味するのではない。

彼女は国連のSDGsが何であるかも、IBSAが何を意味するのかも知らない。しかし、ProSELベナンでの仕事は、女性主導の協同組合の中で共同作業をしながら、自らの健康と福祉を優先できる機会を与えている。

作業場で働く他の女性たちと話すとき、彼女はまた、自分がいま手にしている、苦労の末に得た自立と自助の力についても考えている。

This article is produced to you by IPS NORAM, in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC. 

INPS Japan

関連記事:

アフリカで略奪された美術品が、少しずつではあるが、故郷に返還されつつある

|国連|奴隷貿易に関する教育プログラムを促進し、人種差別に警告を

|国際女性デー 2025|「ルール・ブレイカーズ」— 学ぶために全てを懸けたアフガニスタンの少女たちの衝撃の実話

「世界は何をなすべきかを知っている」―新SDG報告書、戦争終結と「人への投資」拡大を訴え

【スリナガル(インド)/パリIPS=ウマル・マンゾール・シャー】

2030年の持続可能な開発目標(SDGs)達成期限まで残り数年となる中、国連の最新報告書は、経済的不確実性、気候変動、紛争、地政学的緊張の高まりが、各国の目標達成を妨げていると警告した。|英語版

国連持続可能な開発ソリューション・ネットワーク(SDSN)が発表した「持続可能な開発報告書2026」によると、世界全体で達成に向けて順調に進んでいるSDGターゲットは5分の1に満たない。

報告書の著者らは、国連加盟国の大多数は依然としてSDGsの枠組みに支持を表明している一方で、少数の国、とりわけ米国が、持続可能な開発という考え方と、それを支える多国間機関に対して積極的に反対する立場へと転じていると指摘している。

Jeffrey Sachs
Jeffrey Sachs

SDSN会長で報告書の主執筆者の一人であるジェフリー・D・サックス教授は、一定の成果を認めつつも、紛争が目標達成に深刻な影響を及ぼしていると述べた。

持続可能な開発を世界の基本的な枠組みとして支持する姿勢は、世界中でなお強い。東アジア、南アジアをはじめ、多くの国や地域で注目すべき成功例も生まれている。しかし、紛争が続く中で持続可能な開発を実現することはできない。だからこそ、平和こそが私たちの時代における最優先課題なのである。」とサックス氏は語った。「2030年という節目が近づく中、持続可能な開発の次の時代には、実施を重視し、あらゆるレベルで十分な資金調達と効果的なガバナンスを確保することに世界的な重点を置かなければならない。」

報告書は、とりわけアジアにおける前向きな進展を強調している。インドや中国などの国々は、2015年にSDGsが採択されて以降、最も速い進展を遂げた国々に含まれている。

今回の報告書は、各国政府が2030年以降にSDGsの後に続く枠組みについて議論を始める重要な時期に発表された。一方で、多くの国々は経済的不確実性、気候変動、紛争、地政学的緊張の高まりに直面し続けている。

報告書は「SDGsへのコミットメントは世界的に依然として強い」とし、多くの国々が国連における持続可能な開発関連の決議を引き続き支持していると指摘している。

SDGsは2015年、貧困を終わらせ、地球を守り、すべての人に繁栄をもたらすための普遍的な青写真として、国連加盟193カ国すべてによって採択された。目標は、飢餓、保健、教育、ジェンダー平等、気候行動、平和と司法など、幅広い課題を対象としている。

Sustainable Development Report 2026

採択から11年を経た今回の報告書は、進展が不均衡であると結論づけている。

世界全体では、2030年までに達成軌道に乗っているSDGターゲットは16・5%にすぎない。最も大きな進展が見られるのは、インターネット利用、モバイル・ブロードバンド契約、電力へのアクセス、若年層の出生率低下、新規HIV感染の減少などの分野である。

一方で、世界が抱える最も大きな課題の一部は、依然として解決から遠い。

飢餓、持続可能な農業、汚職、報道の自由、効果的な司法制度に関するターゲットは、達成から最も遠い分野に含まれている。報告書は、SDG2「飢餓をゼロに」とSDG16「平和と公正をすべての人に」を、最も深刻な後退に直面している分野として挙げた。

戦争、政治的不安定、脆弱な財政に苦しむ国々は、引き続き遅れを取っている。

SDG指数では、フィンランドが世界首位の座を維持し、スウェーデン、デンマークがそれに続いた。しかし、こうした上位国であっても、責任ある消費、気候行動、生物多様性の保護といった分野で大きな課題を抱えている。

ランキングの下位には、チャド、中央アフリカ共和国、南スーダンなど、紛争と不安に苦しむ国々が並んだ。

報告書の最も強い指摘の一つは、持続可能な開発の前進における東アジアと南アジアの役割の拡大である。

調査によると、東アジアと南アジアは2015年以降、SDGの進展において他のすべての地域を上回った。開発水準が比較的低いところから出発した新興経済国は、多くの富裕国よりも速い進展を示している。

報告書によれば、主要国の中で最大の改善を記録したのはインドとエチオピアで、2015年以降、それぞれSDGスコアを9・6ポイント、9・7ポイント改善した。フィリピンとベトナムも大きな前進を示した。

報告書は、インドが2015年以降、SDGランキングで18位上昇し、主要経済国の中で最大級の改善を遂げたとしている。中国も同じ期間に14位順位を上げた。

「東アジアと南アジアの国々は、2015年以降、他のどの地域よりも大きなSDGの進展を達成した」と報告書は述べている。

研究者らは、この進展の多くを、サービスへのアクセス、インフラ、金融包摂など、社会経済指標の改善によるものと分析している。ただし、多くの国で環境目標はなお課題として残っている。

報告書に掲載されたインドの国別プロフィールでは、インターネット利用、デジタルサービス、農村道路の整備、オンライン行政サービスへのアクセスに進展が見られる。一方で、大気汚染、都市の生活環境、研究投資などの分野では課題が残っている。

持続可能な開発への支持は広く維持されているものの、報告書は国際協力に対する圧力の高まりに懸念を示している。

新たに設けられた「国連を基盤とする多国間主義への各国支持指数」では、国連加盟193カ国の中でバルバドスが首位となり、米国は最下位となった。

バルバドス、アンティグア・バーブーダ、ウルグアイ、トリニダード・トバゴ、モルディブをはじめとする複数の途上国が、同ランキングの上位を占めている。

さらに報告書は、米国について、多国間協力への支持を測る六つの指標すべてで弱い結果を示す「統計上の外れ値」と表現した。報告書によれば、米国はSDG関連決議に反対し、2026年初頭には60を超える国際機関から脱退した。

「米国と同じ投票行動を取る国連加盟国の割合は、世界のすべての地域で急激に低下している。」と報告書は述べている。さらに、米国が2025年の国連総会の記録投票において国際的多数派と同じ立場を取ったのは、わずか5%だったと指摘している。

インドは、カナダ、イタリア、韓国、エジプトと並び、国連を基盤とする多国間主義に対して中程度の支持を示す国に分類された。

報告書はまた、軍事支出の増大と紛争への関与の拡大が、世界各地で多国間協力への支持を弱めていると警告している。

多国間主義について、SDSN副会長であり、報告書の主執筆者および調整役を務めたギヨーム・ラフォルチュン博士は、地政学的逆風が多国間システムの強靱性を試していると述べた。

SDGs logo
SDGs logo

「今こそ、すべての国が国連憲章の原則、とりわけ第1条から始まる諸原則を再確認し、信頼に足る世界および地域の安全保障体制を築くために協力することが求められている。持続可能な開発の次の時代は、改革された国際金融アーキテクチャを通じた実施、大陸・地域・地方レベルの機関のより大きな関与を優先しなければならない。同時に、説明責任、革新、現場での解決策を推進するうえで、市民社会と大学が中心的な役割を果たす必要がある。」

報告書はランキングや統計に加え、SDGs達成の障害について、専門家および127カ国の1,000人を超える回答者を対象に実施した調査結果も盛り込んでいる。

最も頻繁に挙げられた障害は、政治的意思の欠如、承認済み政策の実施不全、ガバナンスの失敗、汚職、公共参加の弱さ、資金不足だった。

調査参加者はまた、気候変動、脆弱な監視体制、制度間調整の分断も主要な障害として挙げた。

報告書によると、回答者の89%が、承認された戦略を実施できていないことを主要な障害と捉え、87%が地政学的緊張を進展に対する重大な障壁と見なしている。

東アジアと南アジアの回答者は、北米やラテンアメリカの回答者と比べ、自国の進展について概してより前向きな見方を示した。

報告書は、今後の世界的な開発努力においては、新たな目標を作ることよりも、実施を確実にすることに重点を置くべきだと主張している。

研究者らは今後数年間の八つの優先課題を提示した。その中には、戦争の終結、軍事支出を人間開発へ振り向けること、長期投資計画の採用、地域協力の強化、新たな国際的資金調達メカニズムの創設、人工知能やバイオテクノロジーなど新興技術のためのガバナンス枠組みの確立が含まれている。

報告書はまた、アジア、アフリカ、ラテンアメリカに新たな国連キャンパスを設置することを提案し、説明責任、オープンデータ、参加型意思決定の制度を強化するよう求めている。

「ポスト2030アジェンダにとって、実施の強化こそが最重要課題である。」と報告書は記している。

SDG達成期限まで4年を切る中、報告書は、持続可能な開発の未来は新たな約束にかかっているのではなく、各国政府と諸機関がすでに交わした約束を実行できるかどうかにかかっていると強調している。

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

関連記事:

干ばつが奪う子ども時代―北部ケニアの気候ショックがSDGsを試す

スイスが「持続可能な開発ソリューション・ネットワーク」に加わる

|バチカン会議|世界の諸宗教にSDGsへの協力求める

ユキヒョウと人びとが共生するシッキムの高山地帯

【インド・シッキムIPS=ディワシュ・ガハトラージュ】

会話が始まる前に、まず紅茶が運ばれてくる。

ジャヤンタ・ムキアは木製のテーブルに2杯の紅茶を置き、その日の午後に到着したばかりの夫婦の向かいに椅子を引き寄せて座った。2人はトレッキングポールとリュックサックを携え、インドのカンチェンゾンガ国立公園の奥深くへと続くゴエチャラ・トレイルを歩くためにやって来た。出発は2日後。その前に、彼女には伝えておきたいことがあった。

ジャヤンタは、登山者が持ち込んだごみがその後どうなるか知っているかと尋ねる。持ち帰られるものもあれば、そうでないものもある。

Jayanta Mukhia outside the Chungda Hidden Family Homestay in Yuksom, West Sikkim. Credit: Diwash Gahatraj/IPS
西シッキム州ユクソムにあるチュンダ・ヒドゥン・ファミリー・ホームステイの前に立つジャヤンタ・ムキア氏。写真:Diwash Gahatraj/IPS

高地の守護者

Location of Shikkim in India. Wikimedia Commons

ユクソムの背後に広がる高山草原では、登山道が氷河へと続いている。岩に引っ掛かったビニール袋は冬を越してもそのまま残る。軍の駐屯地、観光客、トレッキング隊―誰もが何かを置き去りにする。そのごみは野犬の餌となり、野犬たちは夜になるとユキヒョウが行き来するのと同じ生態回廊を徘徊する。

ジャヤンタの夫、チュンダ・シェルパは、ゴエチャラ・ルートを知り尽くしたベテランのトレッキングガイドだった。2012年、ユクソムに「チュンダ・ヒドゥン・ファミリー・ホームステイ」を開業し、現在は予約管理や広報活動、さらにはオンラインでの情報発信を通じて遠方の都市から宿泊客を呼び込んでいる。

一方、ジャヤンタはそれ以外のすべてを切り盛りする。厨房、宿泊客の世話、木のテーブルを囲んだ語らい、そして「ここに泊まる人には、公園を訪れた時よりもきれいな状態で後にしてほしい」という静かな信念である。

「このホームステイの年間収入は約80万~100万ルピー(約8,400~1万500ドル)です。その収入があるのは、この国立公園があるからです。」と彼女は語る。

カンチェンゾンガ保全委員会(KCC)のツェリン・ウデン氏によれば、ユクソムには15のホテル、25のホームステイ、そして21を超える旅行会社が地元パンチャーヤト(自治組織)に登録されており、その収入はすべてカンチェンゾンガの生態系の健全性に直接依存している。住民たちの暮らしは、シッキム州に生息する21頭のユキヒョウが行き交う高地の生態回廊と密接に結び付いているのである。

A hiker admires the view in the Khangchendzonga National Park. Credit: Tshering Uden, KCC.
カンチェンゾンガ国立公園で絶景を眺めるハイカー。写真:Tshering Uden(KCC)
Buddhist stupas covered in flags serve as a spiritual landmark on high-altitude trekking trails, such as those leading to Mount Kanchenjunga. Credit: Tshering Uden, KCC
カンチェンジュンガ山へと続く高地トレッキングルート沿いでは、色とりどりの祈祷旗に覆われた仏教のストゥーパ(仏塔)が、巡礼者や登山者の精神的な道標となっている。
写真提供:Tshering Uden(KCC)

この記事は、その大きな取り組みの一端を紹介するものであり、地域住民の参加と尽力がどのような成果を生み出したのかを描いている。

SECURE Himalayaは、ヒマーチャル・プラデーシュ州、ウッタラーカンド州、シッキム州、ラダック連邦直轄地の4地域で約7年間にわたり実施された。

シッキム州では、カンチェンゾンガ国立公園からテスタ川上流域までの約4,000平方キロメートルに及ぶ「カンチェンゾンガ-アッパー・テスタ景観地域」に重点が置かれた。

GEFからの1,150万ドルの助成金と、インド政府による6,000万ドル超の共同資金を背景に、事業は①重要生物多様性地域の保全、②地域社会の持続可能な生計確保、③人と野生動物の軋轢の軽減、④長期的な景観管理を支える知識基盤の構築――の4分野を柱として進められた。

シッキムでは、こうした取り組みがカメラトラップ網の整備や住民による巡回活動、女性による手工芸事業、廃棄物管理システムの構築などの形で実践された。

Nedup Bhutia’s dzo loaded with trekking supplies at the Yuksom trailhead, West Sikkim, ready for the Goechala trek into Khangchendzonga National Park. Credit: Diwash Gahatraj/IPS
西シッキム州ユクソムの登山口で、カンチェンゾンガ国立公園内のゴエチャラ・トレッキングに向けた物資を積み込んだネドゥプ・ブティア氏のゾ(ヤクと牛の交雑種)。
写真提供:Diwash Gahatraj/IPS

その根底にあった考え方は単純である。

「健全な自然環境から恩恵を受ける地域社会こそが、その自然を守る。」ということである。

プロジェクトは独立評価機関から、成果、妥当性、効率性の各分野で最高評価に近い「極めて満足(Highly Satisfactory)」の評価を受けた。カンチェンゾンガ国立公園では、管理体制の改善効果が対象地域の中でも特に高く評価された。

特に実践的な成果を上げた取り組みの一つが野犬対策である。北シッキムでは野犬が深刻な脅威となり、ユキヒョウから獲物を奪ったり、その主要な餌であるバーラル(青羊)やナキウサギを捕食したりしていた。

国連開発計画(UNDP)インド事務所でSECURE Himalayaの報告業務を担当したルチ・パント氏は次のように語る。

「プロジェクトはシッキム州の軍施設と協力し、食べ残しなどの生ごみを処理するバイオダイジェスターを戦略的な地点に設置しました。これが野犬問題への直接的な対策となりました。軍はその後、自らの予算でこの設備を拡充しています」

資金支援が終了した後も、この取り組みは自立的に継続されている。

また、若者たちは「ヒマル・ラクシャク(ヒマラヤの守護者)」として訓練を受け、カメラトラップの設置や国立公園の巡回、野生動物の目撃情報の報告を担った。現在、彼らの活動はシッキム森林局の通常業務に組み込まれ、防火帯の管理やモニタリング活動を森林警備員とともに行っている。

さらに州生物多様性委員会は、生物多様性法2002年に基づき州内196の生物多様性管理委員会(BMC)を設置した。その多くは女性たちによって主導されている。

Tents in the valley of the Khangchendzonga National Park. The zero-waste aspect of its zero-waste management model, including from visitors to the park, has been cited as a national best practice. Credit: Tshering Uden, KCC
カンチェンゾンガ国立公園の谷間に設営されたテント群。同公園のゼロ・ウェイスト(廃棄物ゼロ)管理モデルは、来園者が出すごみの管理も含め、その取り組みが全国的な優良事例として評価されている。写真提供:Tshering Uden(KCC)

発想の転換

シッキム森林局のウダイ・グルン氏は、このプロジェクトが同局の基本的な姿勢を変えたと語る。

「最も大きな変化は発想の転換でした」と同氏は言う。「森林局は、保護を中心とするモデルから、景観全体を対象とする共生型のアプローチへと移行したのです。」

プロジェクトは2024年に終了した。GEFの資金は当初から一時的なものとして設計されており、恒久的な支援ではなく、自立的に継続していく取り組みの呼び水となることを目的としていた。その観点から、最終評価では成果、妥当性、効率性の各面で「極めて満足」と評価された。一方、持続可能性についても「おおむね確保される見通し」とされ、目標はすべて達成され、一部ではそれを上回ったと指摘された。

すべてのGEFプロジェクトの設計思想に沿って、長期的には、プロジェクトを通じて培われた技術的能力や制度が政府に引き継がれ、維持されることが期待されている。

シッキムでは、その移行が着実に進みつつある。グルン氏は、実施期間を通じて最大の構造的課題だったのは資金不足ではなく、すでに配分された資金の執行が行政手続きの遅れによって滞ったことだと指摘する。高地のシッキムでは、現地で活動できる期間は数週間に限られる。承認を待つ間に、調査シーズン全体を失ったこともあった。

「能力はあります。しかし、長期的な持続可能性には継続的な財政的・制度的支援が必要です。」

その支援の責任は今、主に地方および州当局に委ねられている。ヒマル・ラクシャクはシッキム森林局の下で活動を続けている。生物多様性管理委員会(BMC)は州生物多様性委員会の管轄下にあり、ゼロ・ウェイスト(=ゴミゼロ)プログラムもユクサム・ブロック行政センターによって運営されている。

Jayanta Mukhia outside the Chungda Hidden Family Homestay in Yuksom, West Sikkim. Credit: Diwash Gahatraj/IPS
西シッキム州ユクソムのチュンダ・ヒドゥン・ファミリー・ホームステイ前に立つジャヤンタ・ムキアさん。写真:ディワシュ・ガハトラージュ/IPS

北シッキムでは、女性たちが現在もイラクサ繊維を織り、高付加価値市場への販路を自力で確保している。

2023年5月、シッキム州は初の生物多様性遺産地として、ゾングにある聖なる湖「トゥンキョン・ド」を指定した。この指定は地元の生物多様性管理委員会の支援によって実現した。UNDPは現在もドイツのIKI ICCAプログラムを通じて、より限定的な規模ではあるものの支援を続けており、その一部はヒマラヤの景観保全に充てられている。

依然として残る最も具体的な課題は、牧畜民への補償制度である。ガントクにあるアショカ生態学環境研究トラスト(ATREE)のヒマラヤ・イニシアチブで研究員兼プロジェクト・アソシエイトを務めるペマ・ヤンデン・レプチャ氏は、北シッキムのヤク牧畜民に対する聞き取り調査を数カ月にわたり続けてきた。

現地の牧畜民は最近、ユキヒョウによる捕食で5頭のヤクを失ったと同氏に語った。成獣のヤク1頭の価格は8万~10万ルピーに上る。政府の補償額はその一部にすぎず、しかも被害の多くは森林局の管轄地で発生している。そのため牧畜民は、森林局から補償の対象外だと告げられることが少なくない。

「彼らはユキヒョウに対して非常に否定的な感情を抱いており、しばしば報復に走りたいという強い衝動を感じています。」とペマ氏は語る。

共生のコストを負担している牧畜民が適切な補償を受けられるよう、このギャップを埋めることが、現在この景観の管理責任を担う地方当局にとって最も差し迫った課題となっている。

Nedup Bhutia’s dzo loaded with trekking supplies at the Yuksom trailhead, West Sikkim, ready for the Goechala trek into Khangchendzonga National Park. Credit: Diwash Gahatraj/IPS
西シッキム州ユクソムの登山口で、カンチェンゾンガ国立公園内のゴエチャラ・トレッキングに備え、荷物を積まれたネドゥップ・ブティアさんのゾ。写真:ディワシュ・ガハトラージュ/IPS

受け継がれる取り組み

登山道を歩くネドゥップ・ブティアさんは、11頭のゾとともに20年にわたりゴエチャラ・ルートを行き来してきた。トレッキングシーズンごとに訪問者の荷物を運び、10万~15万ルピーの収入を得ている。彼はこれまで一度もユキヒョウを見たことがない。

しかし3年前、国立公園周辺のジャムトン村で2歳の雄牛が死んでいるのが見つかった。ユキヒョウに襲われたのだった。ネドゥップさんにとって、それはこの自然が今なお息づいている証しだった。

ユクソムの「チュンダ・ヒドゥン・ファミリー・ホームステイ」では、ジャヤンタ・ムキアさんが木のテーブルで2杯の紅茶を注ぎ足している。宿泊客は明日出発する。彼らは自分たちのごみを持ち帰る。ジャヤンタがそうするよう徹底してきたからだ。

21頭のユキヒョウは今もそこにいる。地域社会も活動を続けている。プロジェクトは、あらゆる評価項目において成功を収めた。今後どうなるかは外部資金ではなく、この取り組みを受け継いだ制度や地域社会が、それをさらに発展させることを選ぶかどうかにかかっている。

SECURE Himalayaが残した遺産の真価が問われるのは、まさにこれからである。

注:この記事はGEFの支援を受けて掲載された。編集内容についてはIPSが全責任を負い、必ずしもGEFの見解を反映するものではない。

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

関連記事:

ヒマラヤを覆う悲劇と無関心―ブラックカーボンと永久凍土融解を黙認するネパール

|タンザニア|土地収奪を狙う投資家と闘う先住民族社会

|視点|炎から救われて―2025年の世界(ファルハナ・ハク・ラーマンIPS副総裁兼北米エグゼクティブ・ディレクター)

米・イラン外交が変える新たな中東の勢力図―誰が利益を手にするのか

【メルボルンINPS Japan/London Post=マジット・カーン】

米米国とイランをより大規模な地域戦争の瀬戸際へと追い込んでいた数カ月にわたる対立の激化の末、予想外の外交的打開が実現し、中東情勢の力学は大きく変化した。地域の仲介国や欧州諸国による水面下の外交努力を含む集中的な交渉を経て正式な和平合意が発表され、長期化する不安定な状況の中で初めて、ワシントンとテヘランの直接的な軍事衝突に歯止めがかけられた。|英語版

この合意は国際社会の多くから歓迎されているものの、対立の根底にある構造的な緊張関係が解消されたわけではない。むしろ、この合意は現代地政学の本質的な現実を浮き彫りにした。すなわち、戦争が終結しても、それを支えてきた経済システムは消滅するのではなく、形を変えながら存続するという現実である。

米国とイランの和平合意は、すでにエネルギー市場を揺るがし、ペルシャ湾の海上安全保障を不安定化させ、世界的な防衛支出の急増を招いた対立の大きな転換点となった。しかし、外交関係者が当面の軍事的危機の回避を歓迎する一方で、専門家たちは別の問いに目を向けている。それは、戦争がいったん停止したとき、世界の「戦争ビジネス」はどうなるのかという問いである。

合意に至る数週間前まで、緊張は海上での軍事的事案や無人機の迎撃、さらには主要な戦略ルートにおける報復攻撃の応酬によって急速に高まっていた。世界のエネルギー輸送の大動脈であるホルムズ海峡が長期的な混乱に陥るリスクが意識されるなか、原油価格は大きく変動した。湾岸諸国は防空・防衛体制の警戒レベルを引き上げ、各国は事態のさらなる悪化に備えて軍事配備を強化していた。

ところが、その後情勢は急展開を見せた。中東全域のみならず世界経済の安定を脅かしかねない大規模紛争を回避しようとする地域諸国の働きかけと、水面下で進められた外交努力が突破口を開いたのである。

今回の和平合意には、緊張緩和措置、段階的な軍事的自制、さらには核監視体制や地域安全保障の枠組みに関する協議の再開が盛り込まれている。依然として脆弱な合意ではあるものの、すでに軍事活動は大きく沈静化し、主要な海上輸送路の安定化も進みつつある。

しかし、和平ムードが広がる一方で、この紛争がもたらした経済的影響は依然として国際経済の構造に深く組み込まれたままである。

現代の防衛産業は、戦争と平和の短期的な循環によって動いているわけではない。その基盤となっているのは、長期的な調達計画、複数年にわたる契約、そして継続的な軍事近代化プログラムである。戦時中に製造・配備された兵器システムは、戦闘終結とともに廃棄されることはほとんどない。むしろ維持・改良され、恒常的な防衛インフラの一部として組み込まれていく。

つまり、和平合意が成立した後も、戦争によって生み出された経済的な勢いは失われないのである。

米・イラン対立の期間中、米国や欧州、そして同盟国の防衛関連企業では需要が急増した。ミサイル防衛システムは複数の地域に展開され、海軍戦力は湾岸地域へ再配置された。監視・情報収集技術も急速に拡充された。こうした配備は、装備品そのものにとどまらず、保守、物流、ソフトウェア更新、さらには長期的なサービス契約に至るまで幅広い需要を生み出した。

こうした契約は和平合意の署名によって消えるわけではない。むしろ、その複雑性を増していく場合さえある。

紛争を直接経験した国々は、しばしば長期的な防衛即応態勢の予算を拡大することで対応する。敵対行為が終結しても、脅威認識は以前の水準には戻らない。代わりに、より警戒的な新たな基準が形成される。軍事計画担当者は類似の危機が再発すると想定し、それに応じて調達戦略を見直す。

この意味において、平和は軍事化を逆転させるのではなく、その形を再調整するのである。

その中心にいるのが米国である。世界最大の武器輸出国である米国の軍需産業基盤は、世界の安全保障体制に深く組み込まれている。米国の防衛企業は、航空機、ミサイルシステム、情報収集プラットフォーム、高度な海軍技術を欧州、アジア、中東の同盟国へ供給している。

イランとの対立の間、これらのシステムは事態のさらなる悪化に備えて配備・展開された。そして和平合意が成立した現在も、それらはより広範な抑止体制の一部として運用され続けている。

防衛産業にとって、これは縮小ではなく転換を意味する。戦時下における生産拡大は、平時の維持管理や近代化計画へと姿を変える。紛争中に軍備を拡充した各国政府は、その補充や更新、さらには危機の中で開発された新技術の統合へと重点を移している。

防衛産業を支える経済的な仕組みは、紛争の激しさが和らいだとしても需要が維持されるように成り立っているのである。

同時に、この和平合意は世界のエネルギー市場にも変化をもたらした。緊張が最高潮に達していた時期には、一部で航行が妨げられる懸念もあったホルムズ海峡は、現在では商業船舶の通航が全面的に再開されている。原油価格は安定を取り戻したものの、依然として地域情勢の動向に敏感に反応している。不安定な状況の長期化に備えていたエネルギー企業も、世界の需給見通しの見直しを進めている。

しかし、市場が改めて認識したのは、単に「平和がリスクを低減する」ということではない。むしろ、市場の変動そのものが国際システムの構造的な特徴となっているという現実である。

この対立以前から、ウクライナ戦争やガザ情勢、大国間競争の激化といった複数の危機を背景に、世界の防衛支出は増加を続けていた。米・イラン対立はそうした流れをさらに強め、地政学的リスクはもはや一時的な現象ではなく、常態化した課題であるとの認識を一段と広げることになった。

今回の和平合意は重要な成果ではあるが、この流れを反転させるものではない。むしろ、紛争と外交が同じ戦略環境の中で共存するという新たな章を加えたにすぎない。各国は平和を交渉しながら戦争に備え、防衛産業は危機の中で拡大し、平穏な時期には再編を進める。投資家は緊張の高まりと緩和の双方を市場変動のシグナルとして捉えている。

こうした力学は、紛争と利益の長期的な関係をめぐる根強い問いを投げかけている。

防衛支出は通常、抑止力の維持や国家安全保障の観点から正当化される。各国政府は、軍事的備えは戦争を助長するものではなく、むしろ戦争を防ぐためのものだと主張している。しかしその一方で、防衛調達を支える経済システムが、継続的な需要や長期契約、絶え間ない技術革新を前提として成り立っていることも否定できない。

平時においても、こうしたシステムは稼働し続けるのである。

今回の米・イラン和平合意は、その緊張関係を鮮明に示している。直接的な軍事リスクは低下したが、中東全域における防衛インフラの役割はむしろ固定化された。防空システムは引き続き配備され、海軍の哨戒活動も継続されている。情報共有協定も維持されている。軍事的即応態勢は解体されたのではなく、制度化されたのである。

そして、この制度化こそが、防衛支出を国家予算の恒久的な項目として定着させる。

世界の軍需産業に批判的な立場からは、ここに一つの逆説があると指摘される。和平合意は直接的な暴力を減少させるが、軍事支出を同じ割合で減らすことはほとんどない。支出は戦闘作戦から、長期的な即応態勢や調達、近代化へと姿を変えるだけである。

一方で、防衛投資を支持する側は、これを欠陥ではなく必要性と捉える。予測不可能な世界においては備えが不可欠であり、軍事力は戦争を期待して維持されるのではなく、不確実性を完全に排除できないからこそ維持されるのだと主張する。

その結果として、戦争と平和の境界線はますます曖昧になっている。

今回の米・イラン和平合意は、両国の直接対立という一つの局面に終止符を打ったかもしれない。しかし、それは過去10年間の国際政治を特徴づけてきた、より大きな地政学的現実からの脱却を意味するものではない。ウクライナやガザなどの紛争は、依然として各国の防衛戦略やエネルギー市場、さらには国際的な同盟関係に影響を与え続けている。

この意味において、戦争ビジネスは平和とともに終わるわけではない。むしろ、その姿を変えながら存続する。紛争中に締結された契約は、停戦後も長期にわたって収益を生み出し続ける。戦時下で開発された技術は平時の防衛システムへと組み込まれ、危機の中で形成された軍事同盟は恒久的な戦略枠組みへと発展していく。

世界の防衛体制は、外交が成功したからといって停止するわけではない。不確実性が常態となった世界の中で、それは調整と適応を繰り返しながら機能し続けるのである。

したがって、米国とイランの和平合意は危険な地域対立の一局面を終わらせたかもしれない。しかし同時に、それは現代地政学のより大きな現実を改めて浮き彫りにした。21世紀において、戦争の終結は、それを取り巻いて構築されたシステムの終焉を意味しない。そうしたシステムは存続し続け、戦闘が終わった後も経済や政策、産業のあり方を形づくっていく。

戦争は終わるかもしれない。

しかし、次の戦争に備える仕組みは終わらない。

Origianl URL: https://londonpost.news/the-new-middle-east-chessboard-who-gains-after-u-s-iran-diplomacy/

INPS Japan

関連記事:

血と巨利―米・イラン衝突の背後にある戦争ビジネス

「午前零時まで残り85秒」―新START条約の失効危機にどう向き合うか

世界の軍事紛争で「真の勝者」とは誰か?

ロシアのLGBTQ+コミュニティに対する組織的な中傷が人々を地下へ追いやる

【ブラチスラバ IPS=エド・ホルト

ロシアのLGBTQ+当事者が、日常生活の中で自己検閲的な対応を強めざるを得ない状況に置かれていることが、同国最大級のLGBTQ+調査で明らかになった。|英語版

LGBTQ+支援団体「カミングアウト」と「スフィア財団」がロシア各地の6,000人以上を対象に実施した最新の年次調査によると、2025年のコミュニティを取り巻く状況は、大きく改善も悪化もしていなかった。

しかし調査は、LGBTQ+当事者の間で、既存の「適応戦略」がさらに定着していることを示した。具体的には、誰にカミングアウトするかを慎重に選ぶことや、自らの性自認や性的指向が明らかになる可能性のある状況を避ける傾向が強まっている。

また、特にオンライン上での嫌がらせが増加しているほか、暴力の脅迫や恐喝、密告、身近な人々からの圧力が、LGBTQ+当事者の脆弱な立場を日常的に強める要因となっていることも明らかになった。

両団体は、この調査結果について、ロシアのLGBTQ+当事者が今後も長期間にわたり高いリスクと不安の中で暮らさざるを得ない現状を改めて浮き彫りにしたものだと指摘している。ロシアでは近年、LGBTQ+コミュニティを標的とする一連の抑圧的な法律が制定されており、人々は自らのアイデンティティそのものを理由に攻撃や差別の対象となっている。

「私たちのデータが示しているのは、LGBTQ+への弾圧が、特定の行為を理由とした迫害から、その人の存在そのものを標的とする迫害へと変質しているということです。政府に反対したり、人権擁護活動を行ったりしているわけではなく、ただ日常生活を送っているだけの人々に対する法的措置が増えています」

LGBTQ+支援団体「カミングアウト」の事務局長デニス・オレイニク氏はIPSの取材に対し、このように語った。

同氏はさらに、「2025年に私たちが目にしたのは、“惨事の常態化”でした。LGBTQ+の人々は、こうした状況とともに生きることを余儀なくされています。まるでそれが日常の一部になってしまったかのようです。本当に恐ろしいことです。」と述べた。

ロシアのLGBTQ+コミュニティは、この10年以上にわたり差別と社会的排除の強化に直面してきた。

ロシア社会には以前から一定の反LGBTQ+感情が存在していたが、一連の法律制定と政府による敵対的な政策によって、それは大きく深刻化した。

2013年、ウラジーミル・プーチン大統領が政権に復帰して間もなく、「非伝統的な性的関係の宣伝」を18歳未満に対して禁じる法律が施行された。

批判者らが「クレムリンによるLGBTQ+周縁化キャンペーンの始まり」と位置付けるこの法律は、2022年に拡大され、年齢を問わずLGBTQ+の権利擁護や異性愛以外の性的指向を示すあらゆる情報発信や活動が規制対象となった。

さらに同性婚禁止が憲法に明記され、2023年にはトランスジェンダーの人々が法的・医療的に性別変更を行うことを禁じる法律も成立した。

同年、最高裁判所は実在しない「国際LGBT運動」を「過激派組織」と認定した。これにより、「非伝統的な性的関係」を促進していると解釈され得るあらゆる行為について、罰金や刑事訴追が可能となった。

一方で、クレムリンが「伝統的家族の価値観」を推進し、LGBTQ+活動を退廃した西側文化の産物でありロシアへの脅威だと位置付ける中で、同性愛嫌悪的な政治言説も常態化している。

こうした動きは社会の広い範囲でLGBTQ+への敵意を煽り、しばしば暴力的な拒絶反応を生み出している。その結果、多くの当事者が身体的・精神的健康への深刻な不安を抱えている。

ロシアの大都市に住むLGBTQ+学生のグリゴリー氏(仮名)は、自らの性的指向や性自認を明かす相手を慎重に選んでいると語る。常に暴力の恐怖を感じているわけではないが、危険を避けるため行動を変えているという。

「夕方になると、声や歩き方などで『典型的なゲイ』と見なされるかもしれない場所を避けることがある。人前で自分のセクシュアリティを隠しているわけではないが、あえて表現もしない。」と話した。

また、「トランスジェンダーの人々は最も深刻な問題に直面している。ロシアでトランスジェンダーとして生きることは本当に大変だと思う。彼らの勇気と強さには驚かされる。」と語った。

調査では、トランスジェンダーの人々は生活の質や福祉、差別経験など大多数の指標で他のLGBTQ+当事者より厳しい状況に置かれていた。特に身体的脅迫や実際の暴力、性的暴力や家庭内暴力を受ける割合が顕著に高かった。

オレイニク氏は、「現在、多くのトランスジェンダーの人々は、宅配サービスや親族・友人の支援があれば、買い物にさえ出かけず自宅だけで生活している。そのようなケースが増えている。」と指摘した。

グリゴリー氏は、直接的な暴力への恐怖よりも、自分たちに向けられた社会的な敵意を感じることが多いという。

「それは間接的に伝わってくる。政府のメディア報道や公共空間での言説、あるいは知人の何気ない発言を通してだ。ロシアのクィアフォビア(性的少数者への嫌悪)は主として政府によって作り出されたものだ。もちろん、こうした法律ができる前から存在していたが、今ほど強くはなかった。法律によってはるかに悪化した。」と語った。

LGBTQ+の権利擁護活動家らは、報告書で示された行動パターンは長年にわたる抑圧を考えれば当然の結果だと指摘する。

欧州のLGBTQ+権利団体ILGA-Europeの副代表兼プログラム・ディレクターであるアナスタシア・スミルノワ氏は、「社会的周縁化や犯罪視が長期間続けば、人々は日常的な危害への曝露を減らす方法を身につける」とIPSに語った。

ただし同氏は、ロシアのLGBTQ+当事者が直面する問題は特有のものであり、国家が厳罰化された法律や烙印を押すような言説を通じて、人権擁護者やLGBTQ+当事者同士を孤立させ、市民社会や異論表明の基盤そのものを解体しようとしていると指摘した。

「これは単なる社会的偏見ではない。国家が進めるプロジェクトであり、その標的は市民社会そのものだ。報告書に記された日々の自己検閲は、そのプロジェクトを生きる人々の現実である」と同氏は述べた。

こうした状況が個人やコミュニティにもたらす影響は深刻だ。孤立が進むことで精神的・身体的健康が損なわれるだけでなく、中には医療機関の受診をためらう人もいる。

スミルノワ氏は、とりわけ子どもたちへの影響を懸念している。学校現場を通じた国家主導の宣伝や、年齢に応じた性と人間関係に関する教育の欠如、さらにLGBTIに関する話題をめぐる恐怖感によって、LGBTI当事者の子どもやLGBTIの家族を持つ子どもたちはもちろん、LGBTIと見なされる可能性のあるあらゆる子どもたちが、深刻な孤立や危険にさらされているという。

報告書によると、多くの指標で前年からの大幅な悪化は確認されず、一部ではわずかな改善も見られた。しかし執筆者らは、この結果を過度に楽観視すべきではないと警告する。調査は、回答者が抑圧の強まる環境の中で機微な情報を提供することを前提としており、実際の差別や暴力の実態は、報告書が示す以上に深刻である可能性があるとしている。

現実の差別水準がどの程度であれ、多くの人々が深刻な苦しみを抱えていることに変わりはない。

グリゴリー氏は現在、ロシアでLGBTQ+として生きる困難に対処するため、心理療法を受けているという。

「コミュニティ内では、自殺願望や自殺未遂はかなり一般的だ。」と同氏は語った。

IPSの取材に応じた当事者や活動家によれば、アルコールや薬物への依存、あるいは抗うつ薬の自己判断による服用も少なくないという。

しかし、こうした問題への支援を求めることも容易ではない。医療従事者による同性愛嫌悪やトランスフォビア、さらには性的指向に関する個人情報漏洩への懸念から、国営医療機関への不信感が根強いためだ。

圧力が強まる中、多くのLGBTQ+当事者は国外移住以外に選択肢がないと感じている。

年次報告書には、2025年および過去数年間に国外へ移住した数百人の回答も含まれている。

移住理由として最も多かったのは深刻な不安や心理的苦痛(66%)であり、続いて検閲強化(59%)、身の安全への懸念(57%)、社会におけるホモフォビアやトランスフォビアの拡大(57%)が挙げられた。

また、移住者の63%がロシアへの帰国を選択肢と考えておらず、前年より8ポイント増加した。

コミュニティの多くは、今後何年も状況改善の見込みがないと感じている。

オレイニク氏は、「ここ数年で世界は大きく変わった。ロシアだけでなく、世界各地で極右勢力が勢いを増し、LGBTQ+の権利は各地で攻撃を受けている。ロシア国内で今後5年から10年の間に良い変化が起きるとは期待していない」と語った。

一方、スミルノワ氏は、だからこそロシア国内外のLGBTQ+当事者や支援団体による連帯と活動の継続が重要だと強調する。

「ロシアにおける民主主義の後退が近い将来に反転する見込みが乏しいことを認めるのと、その間は何もできない、あるいは何もすべきではないと結論づけることは全く別の問題です。豊富な資源とあらゆる抑圧手段を背景としたロシア国家の力は現実のものであり、過小評価することはできません。しかし、人権団体や活動家を支援する立場から私たちが目にしているのは、諦めではなく、現実を直視したうえでの強い意志です。」

そして、「人々は今も活動を続けています。将来を見通すことは難しく、その活動の価値を測る尺度も他国とは異なるかもしれません。しかし、市民参加や批判的思考、そして連帯の可能性を絶やさないこと自体が、重要な抵抗の形であり、長期的な意義を持っています。」と述べた。

オレイニク氏もまた、ロシアのLGBTQ+当事者への支援を続ける決意を示した。

「私たちは活動と支援を続けなければなりません。ロシアのLGBTQ+の人々が私たちを必要としているからです。今は前向きな変化の兆しがほとんど見えないかもしれません。しかし、それは私たちが活動をやめる理由にはなりません。」

※グリゴリーは安全上の理由から仮名。