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南アフリカの反移民暴力、SDGs達成を遅らせ、アフリカ域内「自由移動」の理念を揺るがす

南アフリカでマラウイ人、ナイジェリア人、ジンバブエ人をはじめとするアフリカ諸国出身者を標的に広がった排外主義的な抗議行動は、人道危機を引き起こしただけでなく、いくつかの持続可能な開発目標(SDGs)の達成を危うくし、アフリカ大陸が掲げる「人の自由な移動」という理念にも深刻な打撃を与えている。

【マラウイ・ブランタイヤ IPS=チャールズ・ンパカ】

マラウイ政府は2026年8月12日、南アフリカで外国出身のアフリカ人を標的とした反移民暴力に巻き込まれていた自国民の帰還事業を完了したと発表した。マラウイ災害管理局によると、帰国した国民は5万6723人に上った。これは、約4カ月にわたって続いた異例の大規模帰還に終止符を打つものだった。約900台のバスが数万人をマラウイへ運び、中にはより良い暮らしを求めて南アフリカへ渡ってから数十年ぶりに故郷へ戻る人もいた。

マラウイ中部ドワ県出身のラヒム・アリさんも、7月下旬、そのうちの1台のバスに乗って帰国した。|英語版

「ほっとしています。政府が無事に故郷まで連れ戻してくれたことに感謝しています」と、アリさんは8月2日、自宅の村からIPSの電話取材に答えた。

Map of Southern Africa for use on Wikivoyage, English version/ Wikimedia Commons
Map of Southern Africa for use on Wikivoyage, English version/ Wikimedia Commons

「南アフリカの状況はひどく、多くの人があの暴力から逃れる手段を持っていませんでした。」

現在33歳のアリさんが南アフリカへ渡ったのは2019年6月だった。父親を亡くして2年後、母親を亡くしてからは約4年がたっていた。2011年に中等教育を終えたものの、小規模なトウモロコシ農家だった両親には、大学など高等教育へ進ませるだけの余裕がなかった。

世界銀行の最新データによると、マラウイでは毎年最大27万人の若者が労働市場に参入する一方、国内経済が年間に生み出す正規雇用は約4万件にすぎない。

安定した仕事を見つけられなかったアリさんは、地元で他人のトウモロコシ畑やタバコ畑の開墾や収穫作業を請け負って生計を立てていた。2013年には資金を工面して理髪店を開き、携帯電話の充電サービスのほか、充電器やバッテリーも販売した。

収入は多くなかったが、それでも小さな家を借り、自活することはできたという。

しかし、2017年に父親が亡くなると、それまでの自立した生活は一変した。一家の長男として、2人の妹と弟の食費、学費、衣服代を負担しなければならなくなった。

「理髪店の収入だけでは、本当に厳しくなりました」とアリさんはIPSに語った。

そんな時、南アフリカへ渡った元同級生から一緒に来ないかと誘われた。アリさんはすぐに応じ、友人とともにヨハネスブルクのイチゴ農園で働き始めた。当時の賃金は週412ランドだった。

Malawian migrants wait to board a bus during repatriation efforts, 29 June 2026, at the Malawian Consulate in Woodmead, Johannesburg. Picture: Alaister Russell

その後5年間、アリさんはいくつもの農場を渡り歩いた。

仕事は過酷だったという。監督者たちは「理由もなくむちでたたき、私たちには分からない言葉で罵倒した」。休憩はほとんどなく、病気で休めば賃金は支払われず、雇用の保障もなかった。

「それでも、同じような仕事をマラウイでするよりは給料が良かったのです」とアリさんは言う。

「それに、向こうは生活費がずっと安かったので、お金を貯めて弟や妹たちを支えることができました。」

2024年には、ソーラーパネルを販売するインド人経営の商店で助手として働き始めた。

しかし2026年5月、南アフリカ人の一団が店に押しかけ、経営者に対し、そこで働いている他のアフリカ諸国出身者を解雇するよう要求した。

仕事を失ったアリさんは、生活必需品を買うことも家賃を払うことも難しくなった。やがて家主から退去を命じられ、マラウイ領事館に避難していた同胞たちに加わった。そこでマラウイ政府による帰国手続きが進められていた。

「マーチ・アンド・マーチ(March and March)」運動に動員された南アフリカ市民は、2026年4月から6月にかけて外国人を住宅や職場から追い出した。彼らは、この取り締まりについて、不法滞在者を排除することが目的だと主張した。

南アフリカでこうした排外主義的な暴力が起きたのは、今回が初めてではない。

2008年には、2週間にわたる反移民暴力で60人以上の外国人が死亡し、少なくとも10万人が国内各地で避難を余儀なくされた。

2019年には、南アフリカのトラック運転手組合から分裂した一派が、外国人トラック運転手を排除するよう要求し、数百台のトラックに放火した。

南アフリカ国内の排外主義的差別を監視する「Xenowatch」によると、2022年から2025年にかけて、406件の排外主義的な襲撃事件が記録され、そのうち75件で死者が出た。2025年だけでも151件に上った。

2026年1月から5月までには22件が確認され、そのうち14件が暴力を伴うものだった。

Anti-migrant marchers make their way through Soweto during demonstrations, 29 June 2026, in Jabulani, Soweto. Picture: Alaister Russell

最新の暴力が激化するなか、南アフリカのシリル・ラマポーザ大統領は、南アフリカ国民の経済的不満につけ込んだ「便乗者」が抗議行動をあおっていると述べた。また、この暴力は外国人に対する南アフリカ政府の政策を反映するものではないと強調した。

一方でラマポーザ大統領は、不法移民が国内の住宅や医療制度に負担を与えているとも指摘し、政府として「法の枠内で」対応していくと述べた。

Xenowatchの共同創設者、ローレン・ランドー氏は、南アフリカ政府は排外主義的暴力に対し、実効性のある対応を取っていないと指摘する。

「政府はまず、『これは外国人嫌悪ではなく、不満や誤情報、犯罪者の問題であり、それに対処する』と言います。しかし同時に、マーチ・アンド・マーチが提起した問題の一部、つまり国境管理の強化、国外退去の拡大、職場管理の強化については対応すると言っています。」

「実際、政府はそうした措置を進めています。しかし、2008年以来続いてきた行進やその他の動員を主導してきた人々の責任を追及することはしていません。」

ランドー氏はIPSの電話取材にこう語った。

外国人に対する恐怖と暴力を仕組み、実行した者たちの責任を問わなければ、彼らは今後も自らの利益や権力獲得の手段として移民を利用し続けるだろう、とランドー氏は警告する。

今回の排外主義的襲撃の深刻さと、その結果としての大規模な帰還は、南アフリカのアフリカ大陸における評判を「大きく傷つけ」、労働、貿易、投資を通じた地域統合の取り組みを後退させたという。

「個々の人々が犠牲になったことに加え、マラウイ、モザンビーク、レソトなどに対して、『自国民は自国で面倒を見て、自分たちの問題は自分たちで解決しろ』と言わんばかりの政府の発言も、極めて侮辱的だと思います」とランドー氏は述べた。

研究論文「南アフリカの外国人嫌悪とSDG8実現の現実(Xenophobia in South Africa and the Realities of Actualising SDG 8)」を執筆したケスター・チュウマ・オノール氏は、南アフリカがこの問題を解決しない限り、他国との平和と協力を確立することは難しく、とりわけ「働きがいも経済成長も」を掲げるSDG8の達成は困難になると論じている。

SDGs Goal No. 8
SDGs Goal No. 8

ほかの研究でも、外国人嫌悪は「貧困をなくそう」を掲げるSDG1を脅かすと指摘されている。

ジャスティス・K・ムシャ氏とエリック・ブランコ・ニイトゥンガ氏は、論文「南アフリカ国家開発計画とSDGsの障壁としての外国人嫌悪(Xenophobia as a Barrier to South Africa’s National Development Plan and SDGs)」の中で、排外主義的襲撃は外国人起業家の事業を打撃し、雇用喪失や失業率上昇を引き起こし、経済成長にも悪影響を及ぼすと論じている。

汎アフリカ調査ネットワーク「アフロバロメーター」が最近実施した調査では、アフリカ人の56%が、他国で生活し働くために国境を越えて自由に移動できることを支持していることが分かった。

一方、少なくとも40%は、国内の雇用やその他の機会を守るため、国境を越えた人の移動を制限する方が望ましいと回答した。

アフロバロメーターの研究者で、マラウイ大学の政治学者でもあるボニフェース・ドゥラニ氏は、今回の南アフリカからの大規模な外国人排除により、アフリカ市民の間では、地域および大陸レベルで進められてきた統合や国境を越えた自由な移動という理念が「紙の上だけのもの」にすぎないとの印象が強まるだろうと指摘する。

さらにドゥラニ氏は、今回の暴力を組織した人物を南アフリカ政府が逮捕・起訴していない背景には、選挙を意識した政治的判断があるとみている。南アフリカでは2026年11月に地方選挙が予定されている。

「重要な選挙の年で政治情勢が不安定になっていることを考えれば、政府が動かないのは、厳しい対応を取れば一部野党勢力に政治的に利用されかねないという観点から理解する必要があります」とドゥラニ氏は語った。

その後、南アフリカ内務省は、少なくとも8万2000人の外国人の帰国を支援するために支出したとして、約3億ランド(約1900万ドル)の費用をマラウイ、エチオピア、ナイジェリアに返済するよう求めた。

ランドー氏によれば、この要求は、抗議行動後に地域諸国との関係を再構築していくとしたラマポーザ大統領の発言と真っ向から矛盾する。

「その後になって請求書を送りつけるというのは侮辱です。まさに、倒れている人をさらに蹴るようなものです。しかし、これは国内向けの政治的な行為であり、政府が南アフリカと南アフリカ国民の利益を最優先していると示すために行われています。」

ランドー氏は、南アフリカ側も実際には各国が支払うとは考えていないとみている。

一方、マラウイでは、政府によると約500万ドルを要した大規模帰還事業の最中、国会議員から、有効な書類を持たずに非正規雇用を求めて南アフリカへ渡るマラウイ人を禁止すべきだとの提案も出された。

アリさんは2019年に南アフリカへ渡った際、パスポートを所持していた。ベイトブリッジ国境検問所で入国した際には、30日間のビザが押されていた。

「問題は、そのビザが切れてからです」とアリさんは言う。

「雇用主は、こちらが当局に訴えられないことを知っているので、労働者の権利を平気で侵害します。当局に訴えるということは、不法滞在・不法就労している自分自身を逮捕してくれと差し出すようなものだからです。」

アリさんに南アフリカへ戻るつもりはない。

南アフリカで働いていた間、故郷の町に将来家を建てるための土地を購入していた。現在、その土地を売りに出し、その資金で小さな商売を始めようとしている。

「うまくいってほしいです」とアリさんは語った。

「もう、あの暴力は十分に見ました。」

Note: This article is brought to you by IPS Noram in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International in consultative status with ECOSOC.

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INPS Japan

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タリバンはいかにしてアフガニスタンの女性たちを追い詰めているのか

ローマIPS=アリエル・F・デュモン】

タリバンが政権に復帰してから5年。アフガニスタン議会の元副議長ファウジア・クーフィ氏は、同国の現状を「ジェンダー・アパルトヘイト」だと告発している。|英語版フランス語

Ariel F Dumont
Ariel F Dumont

さまざまな禁止措置や恐怖による支配、そして女性の存在を社会から組織的に消し去ろうとする動きにもかかわらず、アフガニスタンの女性たちは、地下学校やオンラインの連帯ネットワークを通じて抵抗を続けている。

クーフィ氏はまた、2020年にカタールのドーハで行われたタリバンとの和平交渉で、アフガニスタン政府を代表する公式代表団の一員を務めた。

カブール陥落後、アフガニスタンから退避して欧州で暮らしながら、現在もアフガニスタン女性の権利を訴え、タリバン支配に代わる政治的選択肢を求めて活動している。IPSのインタビューでクーフィ氏は、タリバンがいかに組織的に女性を公的生活から排除してきたかを説明するとともに、それでも抵抗を続けるアフガニスタン女性たちの強靱さと決意について語った。

IPS:タリバンが政権に復帰して以来、女性たちは段階的にあらゆる権利を奪われてきました。現在、あなたはこの状況を「ジェンダー・アパルトヘイト」と呼んでいます。アフガニスタンの女性たちが置かれている状況をどのように見ていますか。

ファウジア・クーフィ: タリバンが一連の布告によって規制を次々と強化した結果、女性たちは徐々に権利を奪われてきました。2021年には女子の中等教育が禁止され、2022年には女性の大学進学が禁じられました。2024年には医学を学ぶことも認められなくなり、産婦人科でさえ例外ではありません。

現在では、あらゆる分野の教育が女性に対して閉ざされています。第1次タリバン政権時代と比べても、現在の規制はさらに厳しいものです。それでもアフガニスタンの女性たちは抵抗を続けています。教育が不可欠であることを本人たちが知っており、その家族も教育の重要性を理解しているからです。女性や少女たちは、民家などで密かに開かれている地下学校に通っています。

こうした学校の多くはNGOによって運営され、教師の給与を支払い、場合によっては生徒のインターネット接続費まで負担しています。また、英語やコンピューターをオンラインで学ぶコースも提供しています。こうした学校では卒業資格を取得することはできません。それでも、生徒たちは教育を受けることで、オンラインビジネスを始めたり、人目を避けながら遠隔教育を続けたり、ほかの少女たちに教えたりすることができるようになります。

IPS:こうした地下学校はどのように運営され、女性たちはどのように弾圧をかいくぐっているのでしょうか。

クーフィ: 公式には、こうした学校は存在しないことになっています。登録されていないからです。そのため、タリバンに発見されれば、教師や生徒、運営責任者が逮捕される可能性があります。

実際、私が設立を支援したネットワークの一つでも、アフガニスタン中西部のゴール州や北東部のバダフシャン州で学校が急襲され、職員が逮捕されました。一方で、タリバン関係者の家族がこうした学校に通っている場合には、比較的寛容な対応をすることもあります。

Map of Afghanistan
Map of Afghanistan

カリキュラムでは、女性や少女たちが奨学金を獲得したり、オンラインで働いたり、オンラインビジネスを営んだりできるよう、科学、コンピューター技能、英語などに重点を置いています。小規模なビジネスを立ち上げた女性の中には、事業を拡大するため、自らマーケティングを担っている人もいます。しかし残念ながら、卒業証書や正式な資格が得られないため、大多数の女性にとって職業上の機会は極めて限られています。

国外で暮らす多くのアフガニスタン女性も、国内の女性たちにオンライン教育を提供するため、多くの時間を費やしています。私たちは彼女たちを大学生とつなぎ、英語やその他の言語を教えようとしています。

残念なのは、西側諸国の政府が女性の権利を守ると繰り返し約束しながら、アフガニスタン女性が海外で学び続け、いつの日か帰国して国の再建に貢献できるようにするための資金や奨学金を提供していないことです。

タリバンが公言している目的は、イスラムの道徳を名目として、アフガニスタン社会から女性の存在を消し去ることなのです。

IPS:なぜ「ジェンダー・アパルトヘイト」という言葉を使うのでしょうか。

Afghan girls attend a clandestine home-based class as armed Taliban patrol outside—an illustration of women’s resistance to sweeping restrictions on education and public life. (Illustrative image by INPS Japan.)

クーフィ: 女性たちが少しずつ、公的生活から完全に排除されてきたからです。カブールの街を歩いていてタリバンの当局者や兵士に出会うと、まるで犯罪者を見るような目で見られる、と話す女性もいます。

「働くことも大学に通うことも許されていないのに、なぜ街を歩いているのか」

そう言われるのです。

性別、人種、宗教などを理由に、特定の性や集団を分離し、社会から排除する――それこそがアパルトヘイトです。タリバンが行っているのは、まさにそれです。

国際社会が沈黙していることは、極めて残念です。タリバンの体制を時折非難する政府もありますが、それだけで終わっています。

さらに悪いことに、そうした政府自身が矛盾した対応を取っています。

例えば英国は、「私たちはアフガニスタン女性を支援する」と言い続ける一方、学生が後に亡命を申請する可能性を懸念して、学生ビザの発給を拒んでいます。筋が通りません。実際に亡命を申請する人が何人いるというのでしょう。200人でしょうか。自国では勉強することも働くこともできない状況なのですから、たとえ亡命を申請したとしても、それを問題視すべきではありません。

こうした数々の矛盾と国際社会の不作為は、タリバンを勢いづかせ、その立場を強めるだけです。タリバンはそれを、自分たちが認められ、正統性を与えられている証しだと受け止めているのです。

IPS:多くの専門家は、アフガニスタンの公共空間から女性の姿が消えつつあると指摘しています。この見方に同意しますか。

SDGs Goal No. 5
SDGs Goal No. 5

クーフィ: 現在そこで暮らす女性たちが、自由に家を出ることさえ許されない現実を想像してみてください。例えば、人道支援物資の配給を考えてみましょう。

多くの地域では、タリバンが自ら任命した地方評議会の協力を得て、支援物資の配給を管理しています。支援対象者には、タリバン関係者の親族や支持者が選ばれています。

扶養する子どもを抱えた戦争未亡人などの単身女性や、タリバン支配下で職を失った女性たちは、支援の対象から排除されています。抗議すれば、タリバンが任命した地方評議会のメンバーに通報され、逮捕されます。

タリバンの刑務所では、性暴力が行われた事例もあります。

タリバンは国とあらゆる制度を組織的に掌握することによって、体制全体を完全に支配しています。地方評議会のメンバーが反発したり、十分に協力しなかったりすれば、ただちに別の人物に交代させられます。それが、この体制の仕組みです。

それでも女性たちは、生き延びるために抵抗し、抗議を続けています。決して容易なことではありません。自宅で美容室や小さな店を開く女性もいます。

タリバンと合意を結び、検閲に従っている一部のテレビ局では、今も女性を雇用することが認められていますが、女性は放送中、顔を覆うことを義務付けられています。事実上、そこで働く女性たちはタリバンの代弁者のような立場に置かれており、彼女たちが伝えるニュースはタリバンによって厳しく統制されています。

IPS:女性たちがある程度の自由を享受できる場所は、まだ残っているのでしょうか。

クーフィ: そうした場所はますます少なくなっています。先月、アフガニスタン西部のヘラートでは、ブルカを着用せず、地域の伝統に従った大きなスカーフを身に着けていた女性60人以上がタリバンに逮捕されました。

彼女たちの家族やほかの女性たちが抗議し、この時は男性たちも街頭に出ました。タリバンは発砲して応じました。彼らにとって、人命にはほとんど価値がないのです。人々を逮捕し、投獄し、拷問し、殺害します。

4月28日には、私の家族3人と庭師1人も逮捕されました。その後、私の自宅は没収されました。親族は1週間にわたり独房に拘禁され、拷問を受けました。私たちはソーシャルメディアを通じて訴えを広げ、最終的に家族は釈放されました。こうしたことが起きたのは、ただ私がメディアに発言し、カブールの国連アフガニスタン支援ミッションと連絡を取ることができるからです。

しかし大半の場合、家族は愛する人がどこに拘束されているのかさえ知ることができません。何カ月も行方が分からなくなることがあります。メディアはタリバンに統制されているため、こうした事例を報道しません。これが誰もが直面している現実です。

それでも女性たちは、それぞれの方法でソーシャルメディアを通じて発信し、抗議を続けています。

IPS:世界はアフガニスタンとアフガニスタン女性を忘れてしまったと感じますか。

クーフィ: はい。世界はタリバンの復権に道を開きました。

タリバンと米国が締結したドーハ合意を思い出してください。そこには、女性の置かれた状況についても、人権全般についても、何一つ書かれていません。

そのすべてがタリバンを勢いづかせました。

私はあの交渉に参加しましたが、タリバンは私に「女性の権利は、あなたの米国や欧州の友人たちにとって優先事項ではない」と言いました。残念ながら、彼らの言う通りでした。

現在、欧州連合(EU)は、国外に不法滞在しているアフガニスタン人や、安全保障上の脅威とみなされる人々の帰還をめぐり、タリバンを交渉に招いています。しかし、これは非常に奇妙で矛盾した対応です。アフガニスタン国内の状況が改善しない限り、人々は国外に出ようとし続けるからです。

国内で暮らす人は、誰もが国外に出たいと思っています。私は毎日、アフガニスタンの人々と電話で話していますが、誰もが「国を出たい」と言います。仕事も、教育も、自由もなければ、人間としての尊厳もありません。

まったく不合理です。EUはタリバンと関与していますが、タリバンはこうした交渉を自らの利益のために利用するだけでしょう。

西側諸国、そして世界全体の関心は、ほかの大規模な紛争に向けられています。しかし、これは間違いだと思います。遅かれ早かれ、アフガニスタンは複数の暴力的過激派組織の活動拠点となるでしょう。

パキスタン・タリバン運動(TTP)、過激派組織「イスラム国」(ISIS)、アルカイダは、今なおこの地域で活発に活動しています。実際、2022年7月には、アルカイダの指導者がタリバンの大統領府からわずか2キロほどの場所で殺害されました。

こうした組織の存在を許しながら国を統治するタリバンが、それらの組織と効果的に戦うと主張することは、私に言わせれば、まったくの偽善です。

手遅れになる前に、世界は行動しなければなりません。私たちはNATO軍の再派遣を求めているのではありません。各国政府に対して、タリバンを勢いづかせたり、支援したりしないよう求めているのです。

残念ながら、人権、とりわけ女性の権利は、戦略上の重要課題とも優先事項ともみなされていないように感じます。それが現実なのです。

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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悲嘆と希望が交錯するネパール

生存者や行方不明者の家族が求めているのは、愛する人が生きているのか、亡くなったのか、その消息だ

【カトマンズINPS Japan/Nepali Times=ソニア・アワレ】

カトマンズの病院の敷地内では、至るところで死についての会話が聞こえてくる。「まだ顔は判別できますか?」「遺体の腐敗をどう防げばいいのでしょう?」|英語版

「もう4日もたっている。生きている可能性はないでしょう」

ここには、奇跡的な生還を伝える話はほとんどない。それでも、夕方の雨の中、ティーチング病院の外で待ち続ける家族たちは、わずかな望みにすがっている。多くの人はすでに運命を受け入れつつあり、最悪の事態に備え始めている。今、彼らが求めているのは、せめて遺体が見つかったという知らせだ。それによって、ようやく区切りをつけることができるからだ。

Photo SUMAN NEPALI

一方、何度も同じ話を繰り返し聞かれることに疲れ果て、カメラを持った記者たちを避ける人もいる。私たちは距離を置き、生存者たちのプライバシーを尊重し、その心の傷に配慮する。彼らの多くもまた、紙一重で死を免れた人々だからだ。

「あなたたちのカメラで、私たちの家族が戻ってくるんですか?」一人の女性が、涙を撮影しようと押し寄せる外国人記者団にそう問いかけた。親族が彼女をなだめようとしていた。

Photo SUMAN NEPALI1

ディル・クマリ・マスランギ・マガルさんは、病院の門の近くで、義理の兄と甥の写真を掲示していた。その周囲には、亡くなった人々の写真が何十枚も並び、行方不明者の名前を記した長いリストが張り出されている。彼女は、「このことを世界に伝えてほしい。どこかで誰かが2人を見かけているかもしれない」と話した。

「もう、希望を持つことしかできません」彼女は静かに言った。「たとえ遺体だけでも、見つかれば少なくとも何が起きたのか分かります。」

そばにいたディルガ・マヤ・クラミ・マガルさんも会話に加わった。彼女の甥も行方不明になっている。洪水が襲う前のその朝、彼女は3回電話をかけたが、甥は出なかった。

2人の女性とその家族は、もともとウダイプル出身だ。親族たちは8月26日の朝、ラスワで働いていた。現在も消息が分からないネパール国内の約2500人以上の中に、彼らも含まれている。トリスリ川をのみ込んだ泥流によって、中国側でもさらに約500人が行方不明となっている。

わずかに残る生還の知らせ

それでも、ごくわずかではあるが、生還の物語もある。8月28日夜、中国国境に近いティムレで、救助隊が倒壊した家屋のがれきの下から、かすかな泣き声を聞いた。隊員たちは必死に泥を掘り進め、6歳のマニシャちゃんを救出した。

ネパール軍は、水力発電所のトンネル内から80人以上の作業員を救助した。しかし、トリスリ川とその支流沿いにある12カ所の発電事業では、今も数百人が行方不明のままだ。

特殊装備を備えた中国とインドの救助隊も、取り残された人々の救出を急いでいる。

押し寄せた「泥の壁」

中には、行方不明の家族を探すため、自費でヘリコプターをチャーターしようと考えるほど追い詰められている人もいる。しかし政府は、限られたヘリコプターを救助活動に優先して使用する必要があるとして、民間による捜索は資源の浪費になる可能性があると自制を求めている。

スバシュ・タマンさんは、行方不明になった親族を探すためドゥンチェへ向かった。親族はいずれも観光バスの運転手だった。

そのうち2人は、国境で観光客を降ろした後、帰路についていた。午前8時31分までは連絡が取れていたという。巨大な泥流が押し寄せる約30分前だった。

タマンさんは、遺体が下流まで流されていないか確かめるためチトワンにも足を運び、現在はカトマンズにいる。私たちは、彼が警察官にこう話すのを耳にした。「ある場所で、みんなが救助を待っている夢を何度も見るんです。ヘリさえ使えれば……」

そして私たちの方を向き、切迫した声で言った。「あなたたちジャーナリストの力を借りて、少しでも早く見つけたいんです。」

8月26日の洪水以降、ラスワのガッテコロで行方不明となっているディネシュ・タマンさん、ケシャブ・タマンさん、アショク・クマール・グンボさん。3人はいずれも観光バスの運転手だった。

ネパール政府が発表する公式の死者数は、発見された遺体の数を基にしている。死者数は700人に迫っているが、最終的には数千人規模に達する可能性が高い。そうなれば、同じ地域にも甚大な被害をもたらした2015年の大地震以来、最悪の災害となる。

ようやく家族の死を受け入れ始めている人もいる。ケサリ・タマンさんは毎日病院を訪れている。この日の夕方、私たちは彼女が1枚の遺体写真を食い入るように見つめている姿を目にした。遺体の指には指輪があった。兄のサンカ・ブダさんが身につけていたものとよく似ているという。

兄はベトラワティで、流失した橋の近くにあるレストランを経営していた。警察の窓口では、遺体の身長は約5.6フィートで、比較的色白だったと説明された。遺体はカピルバストゥで発見されたため、タマンさん一家は身元を確認し、葬儀の手続きをするため、ピプラ病院の遺体安置所へ向かう準備を始めた。

「明日の早朝に出れば、10~11時間くらいで着くでしょう。もし本人でなければ、そのまま戻ってくるだけです。でも、たぶん兄だと思います」親族の一人が深いため息をつきながら話した。

Photos SUMAN NEPALI

公開されている遺体写真は目を背けたくなるほど痛ましく、こうした生々しい写真を人目に触れる場所に掲示することに疑問を呈する声もある。しかし今のところ、家族にとっては、それが身元を確認するほぼ唯一の手段なのである。

その後、私たちは顔立ちのよく似た若い女性たちの一団に出会った。全員が、たった一人の弟、サントシュ・ティン・タマンさん(23)の消息を探していた。8人姉妹の長女、シャンティ・マヤ・タマンさんによると、その日に新たに搬送された遺体の写真が病院から掲示されるのを待っているという。

サントシュさんはネパールと中国の国境近くにあるカフェでバリスタとして働いていた。災害が発生した時は休暇を取り、ケルン経由でカトマンズへ向かっていた。ネパール時間午前7時30分に出発しており、洪水が襲った時刻には国境付近にいたとみられている。

「姉妹たちとラクシャ・バンダンを過ごすために、5日間の休みを取ってくれていたんです。」シャンティ・マヤさんは話した。「両親から何度も電話がかかってきて、『弟は見つかったか』と聞かれます。私たちはずっと探し回っていますが、ここには弟の写真も、名簿に名前もありません。ビドゥルの避難所にもいませんでした。TikTokでも探しました」

Photos SUMAN NEPALI1
Photo: SUMAN NEPALI

姉妹たちはカトマンズで働いたり学んだりしながら、賃貸の一室で暮らしている。両親はラスワのボトレにいる。村は山の上にあるため両親は無事だが、村へ通じる道路は流失し、行き来することができない。

シャンティ・マヤさんはもう涙も枯れ、希望さえ使い果たしたようだった。そして淡々とした声で、こう付け加えた。「家族は無事です。でも村々はすべてなくなってしまいました。もう誰も残っていません。」


ネパールの洪水被災地を支援したい方は、首相災害救援基金への寄付が可能です。詳細については関連情報をご確認ください。

ソニア・アワレ:『Nepali Times』編集長。健康、科学、環境分野の記者も務める。気候危機、防災、開発、公衆衛生について、それぞれの政治的・経済的なつながりに注目しながら幅広く取材してきた。公衆衛生を学び、香港大学でジャーナリズムの修士号を取得している。

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国連、カザフスタンの提唱で4月22日を「地球緑化国際デー」に制定

【アスタナINPS Japan/The Astana Times=アヤナ・ビルバエワ

国連総会は、カザフスタンが提唱した決議を採択し、4月22日を「地球緑化国際デー(International Day of Greening the Planet)」とすることを宣言した。カザフスタンが世界規模の環境協力を推進する取り組みにおいて、新たな一歩となる。世界のさまざまな地域から32カ国が共同提案国として決議に加わり、この構想に対する幅広い国際的支持を示した。

決議は8月31日、ニューヨークの国連本部で採択された。

この構想は、カシムジョマルト・トカエフ大統領が2025年9月、第80回国連総会一般討論演説で初めて提唱したものだ。

「地球緑化国際デー」が4月22日に定められたのは、この日が「アースデー(地球の日)」でもあるためだ。アースデーは、世界各地で大規模な植樹をはじめとするさまざまな活動が行われ、環境保護への意識と行動を促す国際的な記念日として広く定着している。

今回新たに設けられた国際デーは、こうした既存の世界的な環境意識と行動の伝統をさらに発展させるものとなる。

32カ国が共同提案国となったことは、この構想が地域を超えて幅広い支持を集めていることを示している。

新たな国際デーは、緑化や自然生態系の再生の重要性について世界的な認識を高めるとともに、各国政府、国連機関、国際・地域機関、市民社会をはじめとする関係者に、関連する取り組みや活動を進めるよう促すことを目的としている。

決議は、環境保護の強化、生態系の回復、緑地の拡大、そして環境に対する意識と文化の醸成に重点を置いている。

この構想は、カザフスタン国内で進められている環境キャンペーン「タザ・カザフスタン(Taza Kazakhstan)」とも方向性を同じくしている。同キャンペーンは、環境に対する責任ある姿勢を育み、公共空間の改善を図るとともに、市民の環境意識を高めることを目指している。

今回の決議採択は、トカエフ大統領が提唱した新たな国際構想を具体化したものであり、カザフスタンが多国間協力を通じて環境問題を国際社会の重要課題として推進しようとしている姿勢を改めて示した。

カザフスタンは、この国際デーの制定を通じて、生態系の回復と緑化を国際社会の議題においてさらに重要な位置に据え、各国が環境分野で掲げる約束を具体的な行動へと移すことを促そうとしている。

Original URL: https://astanatimes.com/2026/09/un-declares-april-22-international-day-of-planet-greening-at-kazakhstans-initiative/

INPS Japan

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パキスタンのジャーナリスト弾圧に厳しい批判

国連IPS=タリフ・ディーン

民主政権と権威主義体制の間を揺れ動いてきた南アジアの数少ない国の一つ、パキスタンで、ジャーナリストに対する締め付けが強まっている。その対象には、同国の政治情勢を取材する外国特派員も含まれる。パキスタンは推計人口2億5000万人を超え、インド、中国、米国、インドネシアに次ぐ世界第5位の人口大国である。|英語版

ある報告によれば、パキスタンは形式上、シャバズ・シャリフ首相率いる文民連立政権下にある。しかし政治アナリストや専門家は、軍部が広範な権限を掌握する実態を「立憲的軍部支配」、あるいは軍による根深い支配と評している。

政府によるジャーナリストへの弾圧に対しては、ジャーナリスト保護委員会(CPJ)、ヒューマン・ライツ・ウォッチ、国境なき記者団、パキスタン連邦ジャーナリスト組合から批判が相次いでいる。

CPJのアジア太平洋地域ディレクター、ベー・リー・イー氏はIPSの取材に対し、「国内の広範な地域でジャーナリストの取材活動を制限することにより、パキスタンは自らの国際的評価を傷つけている。」と語った。

「今回の新たな報道検閲の試みは、同国における報道の自由が悪化している現状を浮き彫りにするものだ。パキスタンは依然として、報道関係者の殺害や強制失踪が多発する、ジャーナリストにとって世界で最も危険な国の一つである。」

「シャバズ・シャリフ首相率いる政府は、こうした制限措置を撤回し、拘束や尋問を通じたジャーナリストへの圧力を直ちにやめなければならない。民主国家としての信頼を得ようとするのであれば、パキスタンは報道の自由を守るという憲法上および国際法上の義務を果たす必要がある。」

『ニューヨーク・タイムズ』8月10日付によると、政府は新たな規制を導入し、外国報道機関で働くすべてのジャーナリストに対し、パキスタンの主要3都市以外へ取材に赴く際、事前許可を得ることを義務付けた。

この規制は、パキスタン実効支配下のカシミール地方で行われた選挙を海外メディアが相次いで報じたことを受けて導入された。同地域は帰属をめぐる係争地で、6月初旬以降、さらなる政治的自治を求める抗議行動が続いている。

同紙によれば、パキスタンのジャーナリストは近年、検閲の強化や経済的圧力に直面している。ジャーナリストや人権団体によると、銀行口座の凍結、政府広告の停止、報道内容の強制削除、恣意的な逮捕や投獄などが行われているという。

Map of Pakistan/ Wikimwdia Commons.
Map of Pakistan/ Wikimwdia Commons.

国連教育科学文化機関(UNESCO)は2026年8月時点で、パキスタンによる最新のメディア規制について、個別の声明や直接的な批判を発表していない。

一方、新たに導入された「外国メディア活動円滑化ガイドライン2026」に対しては、CPJ、パキスタン人権委員会(HRCP)、アムネスティ・インターナショナルなど、報道の自由や人権を擁護する団体から強い反発が起きている。

ニューヨークに本部を置くCPJは、外国報道機関で働くジャーナリストに対し、イスラマバード、カラチ、ラホールの3都市以外で取材する際に事前許可を得るよう義務付ける新たなガイドラインを「強権的」と批判し、パキスタン当局に撤回を求めた。

この措置は、パキスタン実効支配下のカシミールで続く混乱に関する報道の検閲につながりかねない。

CPJが確認したガイドラインによると、国際メディアのジャーナリストに加え、ソーシャルメディアやウェブ媒体を含む外国報道機関に寄稿するパキスタン人ジャーナリストも対象となる。

これらのジャーナリストは、「正式な取材活動、特にイスラマバード、ラホール、カラチ以外での業務」を行う際、情報省から無異議証明書(NOC)を取得しなければならない。

CPJのアフガニスタン・パキスタン担当代表、ワリウラ・ラフマニ氏は次のように語った。

「外国メディア活動円滑化ガイドラインは、パキスタン当局が国際メディアの報道をさらに制限し、国内3大都市以外でジャーナリストが自由に取材することを妨げる道を開くものだ。さらに、ジャーナリストを行政的な報復措置にさらす危険もある」

Map of Kashimir
Map of Kashimir

「このガイドラインは、パキスタンにおける報道の自由に対する、またしても深刻な打撃である。とりわけパキスタン実効支配下のカシミールでの混乱を報じるジャーナリストは、すでに激しい弾圧に直面している。」

全5ページからなるこのガイドラインは、カシミールでの選挙や抗議行動に関する国際メディアの報道を政府が批判した数日後に導入された。

政府は、国際放送局アルジャジーラが、扇情的な報道を意味する「イエロー・ジャーナリズム」を行っていると非難した。アルジャジーラのウェブサイトへのアクセスも制限されている。

ガイドラインによれば、当局は「パキスタンの国家理念、主権、安全保障または公共秩序に反する行為」を理由に、ジャーナリストや報道機関の取材認定を停止または取り消すことができる。

国際メディアがデモ参加者と警察の衝突における警察側の暴力を報じた後、当局は、カシミールで選挙制度改革を求める抗議行動に関する報道を禁止した。また、携帯電話とインターネットの通信サービスも停止した。

CPJによれば、国際メディアは、7月27日に始まった投票を前に、少なくとも40人が死亡したと報じている。

CPJは、情報省に電子メールでコメントを求めたものの、回答はなかったとしている。

INPS Japan/ IPS UN Bureau Repor

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膨らむ貿易額が覆い隠す、グローバル・サプライチェーン寸断の真の代償

【国連IPS=マクシミリアン・マラウィスタ】

世界の財貿易額は2026年上半期に約13兆7000億ドルに達し、前年同期比12.5%増加した。サービス貿易も10.5%伸び、両者を合わせた世界貿易額は2兆ドル増えた。これらの数字は貿易の拡大が続いていることを示すようにみえるが、増加の多くは取引量の伸びではなく価格上昇によるものである。|英語版

国連貿易開発会議(UNCTAD)の国際貿易・一次産品部によると、ホルムズ海峡における海上輸送の混乱がエネルギー供給を圧迫し、燃料費を高騰させ、海上物流を混乱させるとともに、幅広い産業で生産コストを押し上げている。貿易財の価格は2026年第1四半期に前年同期比3.6%上昇し、第2四半期には5.1%へと加速した。財貿易そのものは拡大を続けているものの、データとモデルに基づいて世界貿易の短期的な動向を予測するUNCTADの「ナウキャスト」は、第3四半期の世界貿易額が前年同期比4.2%増になると見込んでいる。これは、貿易額の伸びの相当部分を価格上昇が占める状況が続いていることを示している。

こうしたインフレを引き起こしているのが、約160日間に及ぶホルムズ海峡の混乱である。同海峡では、世界の海上石油貿易の25%、液化天然ガス(LNG)貿易の20%、海上輸送される肥料貿易のおよそ3分の1、さらに重要な石油化学製品のサプライチェーンが、海上貿易の流れからほぼ完全に遮断されている。「ホルムズ海峡トラッカー」によると、8月7日に同海峡を通過した船舶は約7隻で、危機前の通常時と比べて11.7%にすぎなかった。1日当たりの輸送量も、危機前の1030万に対し120万にとどまっている。

国際貨物運賃情報を提供するFreightosによると、中国・東アジア発―北米東岸向け航路における40フィートコンテナ換算単位(FEU)1個当たりの運賃は、5月の約4300ドルから7月には約9100ドルへと上昇した。同様に、中国・東アジア発―北米西岸向け航路でも、5月の2828ドルから7月には7550ドルへと跳ね上がった。

FEU運賃のこうした激しい変動は、燃料費高騰の影響を映し出している。前述のいずれの航路もホルムズ海峡付近を通らず、同海峡から数千マイルも離れている。それでも、海峡の混乱による影響は世界の海運網全体へと波及する。物流はあらゆる産業を支える基盤である。複数の航路でFEU1個当たりの輸送費が2倍を超える水準に上昇すれば、追加費用を賄うため、コンテナに積まれた商品の価格も引き上げざるを得ない。

その影響がとりわけ鮮明に表れているのが東アジアである。東アジアは世界の製造業の一大拠点であり、半導体と人工知能(AI)のグローバル・サプライチェーンの中核を担っている。この地域では、AIインフラ、デジタル技術、電動モビリティーへの需要が引き続き急速に拡大している。UNCTADによると、2026年第1四半期の重要鉱物の貿易額は前年同期比38%増加した。半導体は25%、蓄電池は15%、情報通信技術(ICT)製品は14%、電気自動車は11%それぞれ増加した。

しかし、ホルムズ海峡から地理的に離れているにもかかわらず、台湾や韓国の半導体製造施設は、安定した世界の海運網、適正な価格のエネルギー、石油化学原料に大きく依存している。燃料価格の高騰によって供給業者とメーカー間の部品輸送費が上昇し、電力、天然ガス、石油化学製品の値上がりによって生産コストも増大する。このため、取引数量の伸びがはるかに鈍くても、こうしたハイテク製品の輸出額は膨らみ続ける。

ホルムズ海峡の混乱は、世界の海上輸送システムがいかに密接につながっているかを示している。この戦略的な海上交通の要衝で通航が滞れば、石油とLNGの価格が上昇し、輸送費や産業用エネルギーコストが増大する。それが製造コストを押し上げ、最終的には国際的に取引される商品の価格上昇につながる。

その結果、東アジアのメーカー、北米の輸入業者、そして世界各地の消費者が、数千マイル離れた場所で起きた混乱の影響を受けることになる。相互依存を深めるサプライチェーンの各段階でこうした費用が積み重なるにつれ、実際の貿易量や実質的な経済生産の伸びがはるかに鈍くても、世界貿易の名目額は増加する。貿易額の増大が、必ずしも経済の力強さを意味するわけではないのである。

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

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「次が起きるか」ではなく、「次はいつ起きるのか」

この災害がいつ起きるのかを予測できた人はいなかった。しかし、いつか必ず起きることは、誰もが分かっていた。

ヒマラヤの津波

【カトマンズINPS Japan/Nepali Times=論説部】

5歳のキルティ・タマンちゃんは26日の朝、ベトラワティの教室にいた。その時、轟音とともに洪水が押し寄せてきた。キルティちゃんは同級生2人とともに、必死で高台へと駆け上がった。|英語版

夜になって、叔父が森の中で彼女を発見した。

キルティちゃんは、母親と姉が荒れ狂うトリスリ川の濁流にのみ込まれていくのを目の当たりにした。父親は出稼ぎ労働者としてマレーシアにいる。発見されて以来、彼女は一言も口をきいていない。

27日午後、本紙が印刷に回る時点で、ネパール中部を襲った大洪水の想像を絶する被害の全貌が、次第に明らかになりつつある。職員全員を失った銀行支店、生存者が一人もいない警察署、ジャナイ・プルニマ祭の巡礼者を満載したまま流されたバス。そして、行方不明になった家族を探してほしいと、インドから本紙編集部に相次ぐ電話――。こうした知らせが届くたびに、私たちは、この災害が奪った人命のあまりにも大きな代償を突きつけられている。

ネパールがこれほど大規模な災害に見舞われたのは、2015年の大地震以来である。インフラや財産への経済的被害という点では、今回の災害はネパール史上最悪となった。リモートセンシングによって、ネパール領内のランタン山北壁で雪崩が発生した地点を特定することができた。雪崩は、ネパールへ流れ込むトリスリ川の支流レンデ・コーラをせき止め、その天然ダムが水曜日の午前9時直前に決壊したことが分かっている。

国境のティムレでは土石流の高さが約80メートルにも達した。濁流は下流へ猛烈な勢いで押し寄せ、進路上にあるものをすべてのみ込んでいった。何一つ容赦しなかった。この災害がまさにこの時に起きると予測できた人はいない。しかし、いつか起きることは、誰にでも予想できたはずだ。

本紙はこれまで繰り返し、極端な気象現象が引き起こす洪水、氷河湖決壊洪水(GLOF)、そして国境を越えて被害を及ぼす気候災害に備える必要性を、政策決定者に訴えてきた。

2017年のバルン・コーラ洪水の後にも、2021年のメラムチ災害の後にも、そしてインド・シッキム州で10億ドル規模のダムを押し流したティースタ川洪水の後にも、私たちは同じことを訴えた。本紙のこの社説欄でも、アルン川、マルシャンディ川、トリスリ川に建設されたネパールの水力発電所が、こうした災害から何を学ぶべきかを書いてきた。

そして昨年7月8日のボテ・コシ洪水も、また一つの警鐘だった。

必要なのは「議論」ではなく「行動」だ

写真:スマン・ネパリ
写真:スマン・ネパリ

「この問題を引き起こしたのは私たちではない」「過去の炭素排出に対して補償を受けるべきだ」と主張するのは、国連気候サミットの演説では意味があるだろう。

しかし、「損失と損害(Loss and Damage)」のための資金が、私たちを救うほど入ってくるわけではない。私たちは、自分たち自身でこの危機に立ち向かわなければならない。自ら生き残るための戦略をつくらなければならないのである。

今回の災害は「自然災害」ではなかった。そこに自然なものなど何一つない。

化石燃料の燃焼による温室効果ガスの蓄積によって氷河が融解していることも、ヒマラヤを越えて流れる河川沿いに高額な水力発電所を建設したことも、河川に沿って幹線道路を造ったことも、その道路沿いに集落が拡大したことも、汚職や強欲も、そして統治の不備も――いずれも「自然」ではない。

私たちの祖先は、ヒマラヤから流れ下る川のすぐそばに住んではならないことを知っていた。

かつてネパールの町や村は、高い尾根沿いに築かれていた。氾濫原は食料を育てたり、水車を動かしたりするためだけに使われていた。橋は恒久的なものではなく、モンスーンの洪水で流されたら再建することを前提として造られていた。

しかし、経済的困窮、農村からの人口流出、そして道路へのアクセスを求める動きによって、人々は危険を十分承知しながらも川岸に住むようになった。

河岸沿いの居住地域についてハザードマップを作成し、地方自治体がそれに基づいて土地利用を厳格に規制していれば、今週、多くの命を救うことができたはずだ。

世界で最も若く、最も地震活動の活発な山岳地帯から流れ下る川のすぐ脇に住宅が建てられている限り、早期警戒システムだけでは人命を守ることはできない。

しかも、そのヒマラヤ山脈はいま、気候危機の影響をまともに受けている。

私たちは災害のたびに、耳にたこができるほど同じことを繰り返してきた。「すべての卵を一つのかごに入れてはならない」と。

莫大な借款を抱えて、ヒマラヤを越えて流れる河川に高額な水力発電所を連続して建設するのではなく、ネパールは全国各地により小規模な発電所を分散して整備し、リスクそのものを分散させるべきなのである。

水曜日の朝、たった一度の災害で、ネパールは12か所の水力発電所から合計440メガワットの発電能力を失った。

これは国内総発電能力の10%に当たる。河川沿いに設置されていた送電線や変電所も破壊された。

いつか必ず起きると分かっている災害への備えに関心が向かない背景には、一種の宿命論的な文化があるのかもしれない。

しかし、それは言い訳にはならない。

過去の政権がこの問題を軽視してきたとしても、テクノクラートや博士号取得者を擁するネパールの新政権は、地震と気候変動が複合してもたらす災害リスクに対処するための措置を講じなければならない。

ウィンストン・チャーチルはかつて、こう語ったとされる。「良い危機を決して無駄にしてはならない。」

今回の災害もまた、バレンドラ・シャハ首相とその政府にとって、捜索・救助、復旧・復興、そして将来の災害への備えにおいて、これまでとは異なる先を見据えた姿勢を示す機会となり得る。

災害が起きて初めて「備えなければならない」と思い出すようではいけない。その時には、すでに多くの人にとって手遅れだからだ。今週、まさにそれが悲劇として現実になった。

私たちはまたしても、過去の教訓を生かすことができなかった。

いまは国を挙げて喪に服すべき時である。同時に、2015年の大地震の際に示したのと同じ思いやりと助け合いの精神をもって、ネパールの人々が再び心を一つにする時でもある。

Original URL: https://nepalitimes.com/not-if-but-when-next

INPS Japan

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セミパラチンスク閉鎖から35年―カザフスタンの「核なき選択」が今も世界に問いかけるもの

【東京/アスタナINPS Japan=浅霧勝浩】

中央アジアのカザフスタン北東部には、いまなお冷戦の傷痕が残っている。

Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri
Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri

セミパラチンスク核実験場では、1949年から1989年までの間に、ソ連が456回の核実験を実施した。周辺住民は放射線にさらされ、その健康と環境への影響は世代を超えて続いている。|英語版中国語インドネシア語

1991年8月29日、カザフスタンはこの核実験場を閉鎖した。それから35年を迎える今、この決断は改めて大きな意味を持っている。核兵器は再び各国の安全保障戦略の中で存在感を強めている。米国、ロシア、中国をはじめとする核保有国は核戦力の近代化を進めている。2026年2月には、米ロの戦略核戦力を制限する最後の条約だった新戦略兵器削減条約(新START)が失効した。5月には、第11回核兵器不拡散条約(NPT)再検討会議が最終文書に合意できないまま閉幕した。

こうした時代に、カザフスタンの経験は根源的な問いを投げかけている。国家の安全は、最終的に核兵器を保有することに依存しなければならないのだろうか。

市民の力が核実験場を閉鎖へと導いた

1989年、詩人オルジャス・スレイメノフ氏は「ネバダ・セミパラチンスク」反核運動の立ち上げに尽力した。運動は核実験が人間にもたらす代償に光を当て、大規模な反核世論を生み出した。

ソ連崩壊後、カザフスタンの領土には大陸間弾道ミサイルと核弾頭が残された。当時、世界第4位の規模とされた核戦力である。しかし、新たに独立したカザフスタンは核保有国となる道を選ばなかった。核弾頭をロシアへ移送し、関連する核兵器インフラを廃棄し、非核兵器国としてNPTに加盟した。

Kazakh civil movement activists gathered to demand a nuclear test ban at the Semipalatinsk test site in August 1989. Photo credits: armscontrol.org.

https://astanatimes.com/2021/03/nevada-semipalatinsk-international-anti-nuclear-movement-commemorates-32-years-since-inception/
Kazakh civil movement activists gathered to demand a nuclear test ban at the Semipalatinsk test site in August 1989. Photo credits: armscontrol.org.

核被害国から軍縮外交の担い手へ

Official portrait of Kassym-Jomart Tokayev © President of the Republic of Kazakhstan
Official portrait of Kassym-Jomart Tokayev © President of the Republic of Kazakhstan

その後、カザフスタンはセミパラチンスクの経験を、より広範な核軍縮の取り組みへとつなげてきた。

カシムジョマルト・トカエフ大統領は、その歴史的な経験について厳しい言葉で語っている。

「核爆発はカザフスタンの国土に深刻な被害をもたらした。このような悲劇を二度と繰り返してはならない。わが国は核安全保障の原則を断固として守っていく。」と述べている。

カザフスタンは包括的核実験禁止条約(CTBT)を批准し、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタン、ウズベキスタンとともに中央アジア非核兵器地帯の創設を推進した。

また2009年には、カザフスタンの提案を受け、国連総会が8月29日を「核実験に反対する国際デー」に制定した。

同国には世界各地の核爆発を探知する国際監視システムの施設が置かれているほか、オスケメンでは国際原子力機関(IAEA)が低濃縮ウラン(LEU)バンクを運営している。

LEU Bank Storage Facility/ Katsuhiro Asagiri
LEU Bank Storage Facility/ Katsuhiro Asagiri

核弾頭の「数」の向こうにあるもの

カザフスタンの核軍縮外交は、軍備管理交渉でしばしば脇に置かれがちな問題にも焦点を当ててきた。核兵器が人間に何をもたらすのか、という問題である。

セミパラチンスク周辺では、核実験の終了から数十年が経った今も、健康や環境への影響に対する懸念が続いている。

こうした経験は、核兵器禁止条約(TPNW)におけるカザフスタンの取り組みにも反映されている。同国は核兵器の禁止だけでなく、被害者支援や汚染された環境の修復を重視してきた。

同じく核実験によって深刻な被害を受けたキリバスとともに、カザフスタンはこれらの取り組みを支える国際的な資金制度の創設を推進している。

その基本にあるのは、将来の核兵器使用を防ぐだけでは十分ではなく、過去にもたらされた被害に対しても国際社会は責任を負うべきだ、という考え方である。

セミパラチンスク、広島、長崎、マーシャル諸島、キリバス。地理的にも歴史的にも異なるこれらの地域は、核時代が人間にもたらした被害によって結ばれている。

カザフスタンと市民社会の役割

Photo credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of IDN-INPS.
Photo credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of INPS Japan.

市民社会は、カザフスタンの核をめぐる歴史に当初から深く関わってきた。「ネバダ・セミパラチンスク」運動は、市民の声が核政策を動かし得ることを示した。

独立後もカザフスタンは、市民社会組織、人道支援機関、研究者、核実験被害者、若者、宗教団体などと協力し、核兵器が人間にもたらす影響を国際的な議論の中心に据える努力を続けてきた。

そうした組織の一つが創価学会インタナショナル(SGI)である。SGIは長年、核兵器廃絶を安全保障の問題だけではなく、人類の生存と尊厳に関わる問題として訴えてきた。

2022年にウィーンで開催された第1回TPNW締約国会議では、カザフスタンとキリバスが、核時代平和財団、SGIとともに、被害者支援と環境修復をテーマとする関連行事を開催した。

Mr. Hirotsugu Terasaki, Director General of Peace and Global Issues of SGI Photo Credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of INPS Japan.
Mr. Hirotsugu Terasaki, Chief Executive Director of SGI Peace Center Photo Credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director of INPS Japan.

2023年には、在ウィーン国際機関カザフスタン共和国政府代表部、SGI、国際安全保障政策センター(CISP)が、セミパラチンスク核実験の影響をテーマとする行事をウィーンで開催した。同年、アスタナでは、カザフスタン外務省とCISPが、SGI、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)赤十字国際委員会(ICRC)などとともに、「核実験に反対する国際デー」を記念する会議を開催した。

こうした協力について、SGI平和センターの寺崎広嗣センター長は、カザフスタンと日本には共通するものがあると指摘している。

「カザフスタンの多くの人々も、核軍縮を求める同じ強い願いを共有しています。なぜなら、核被爆の実相を知っているからです。」と寺崎氏は、INPS Japanの取材に対して語り、広島・長崎の原爆投下を経験した日本の人々の思いとの共通性を指摘した。

市民運動がセミパラチンスク核実験場の閉鎖を後押ししたカザフスタンにとって、市民社会との連携は核軍縮外交の周辺的な要素ではない。その土台の一部なのである。

A Group photo of participants of the regional conference on the humanitarian consequences of nuclear weapons and nuclear-free-zone in Central Asia held on August 29, 2023. Photo Credit: Jibek Joly TV Channel.
A Group photo of participants of the regional conference on the humanitarian consequences of nuclear weapons and nuclear-free-zone in Central Asia held on August 29, 2023. Photo Credit: Jibek Joly TV Channel.

日本とカザフスタンを結ぶ核被害の経験

Kazakhstan-Japan
Kazakhstan-Japan

カザフスタンと日本の関係も、核被害という共通の歴史によって結ばれている。

広島と長崎は戦争における核兵器使用を経験し、セミパラチンスクは核実験による影響を経験した。

日本は被害を受けた地域との医学・研究協力を支援し、カザフスタンとともにCTBT発効促進にも取り組んできた。

2025年12月の訪日の際、トカエフ大統領は東京の国連大学で「核のリスクが再び高まっている」と警告した。広島、長崎、セミパラチンスクに言及しながら、核軍縮を前進させ、核の危険を減らすための具体的な行動を呼びかけた。

逆方向へ進む世界

トカエフ大統領の警告は、いま一層の切迫感を帯びている。

世界にはなお1万発を超える核弾頭が存在し、主要な核保有国は核戦力の近代化を続けている。新STARTの失効により、米国とロシアの戦略核戦力を包括的かつ法的拘束力をもって制限する枠組みは存在しなくなった。

5月のNPT再検討会議は最終文書を採択できず、実質的な合意に至らない結果はこれで3回連続となった。署名開放から30年を迎えた包括的核実験禁止条約(CTBT)も、いまだ発効していない。

核軍拡を抑制するための制度が弱体化する一方で、核兵器には再び戦略的重要性が与えられつつある。

記憶するだけでは足りない

Dauren Abenuly Aben  Credit: KazISS
Dauren Abenuly Aben  Credit: KazISS

カザフスタン戦略研究所のダウレン・アベン氏は、35周年を前にThe Astana Timesへの寄稿で、セミパラチンスクの教訓を簡潔に表現した。それは、単に記憶することではなく、「記憶し、行動する」ことだという。

核政策は通常、「抑止」「戦略的安定」「勢力均衡」といった言葉で語られる。

しかし、セミパラチンスクは別の尺度を突きつける。放射線にさらされた地域社会、汚染された土地、そして自らは核実験を経験していなくても、その影響を背負って生きる世代である。

1991年、カザフスタンは、自国領土に残された核戦力を国家の力の象徴として維持する道を選ぶこともできた。しかし、別の道を選択した。

その決断によって核兵器が世界からなくなったわけでも、核軍縮が不可逆的に進むことが保証されたわけでもない。

それでも一つの事実は残る。核保有国となる可能性を持っていた国が、その道を選ばなかったという事実である。

A view of the Headquarters of the United Nations in New York as seen from the north of the UN site. Photo credit: UN
A view of the Headquarters of the United Nations in New York as seen from the north of the UN site. Photo credit: UN

11月30日から12月4日まで、ニューヨークの国連本部でTPNW第1回再検討会議が開かれる。核保有国の大半はいまも同条約の外にいる。

それでも、この条約が投げかける問いは、カザフスタンの経験が問いかけてきたものと重なっている。

核兵器を保有することは、本当に国家をより安全にするのか。

それとも、真の安全保障とは、核兵器そのものが存在しない世界を築くことなのか。

かつてのセミパラチンスク核実験場には、いまも爆発の痕跡が残っている。それは、人類がすでに核兵器によって何をしてきたのかを物語る記憶である。

しかし35年前、カザフスタンはこの場所に、もう一つの意味を与えた。

核兵器という仕組みから離れ、別の道を選ぶことができるという証しである。

いま問われているのは、世界の他の国々にも、同じ選択をする政治的意思が残されているかどうかである。

UN Photo
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Toward a Nuclear Free World
Toward a Nuclear Free World

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35年後も響くセミパラチンスクの教訓―カザフスタンとCTBTO、核実験禁止へ国際社会に行動呼びかけ

【東京/アスタナ/ウィーンINPS Japan=浅霧勝浩】

カザフスタンが旧ソ連のセミパラチンスク核実験場を閉鎖してから35年。世界で核兵器の役割が再び拡大し、核軍縮・不拡散体制が厳しい試練に直面するなか、カザフスタンと包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)は8月29日、核実験の恒久的な禁止に向け、包括的核実験禁止条約(CTBT)の早期発効を国際社会に強く呼びかけた。|英語版ドイツ語

Yermek Kosherbayev, Minister of Foreign Affairs of the Republic of Kazakhstan (Left) and Dr. Robert Floyd, Executive Secretary of the Comprehensive Nuclear-Test-Ban Treaty Organization (Right).

カザフスタンのイェルメク・コシェルバエフ外相とCTBTOのロバート・フロイド事務局長は、「核実験に反対する国際デー」に合わせて共同声明を発表。「核実験のない世界」の実現への決意を改めて表明するとともに、CTBTを発効させるための取り組みを強化すると宣言した。

声明は、2026年が核軍縮と核不拡散にとって複数の歴史的節目が重なる年であることを強調している。

その中心にあるのが、セミパラチンスク核実験場閉鎖35周年である。

450回を超える核実験の記憶

現在のカザフスタン北東部に位置するセミパラチンスク核実験場では、旧ソ連が40年以上にわたり450回を超える核実験を実施した。

The first USSR nuclear test "Joe 1" at Semipalatinsk, Kazakhstan, 29 August 1949. Credit: CTBTO
The first USSR nuclear test “Joe 1” at Semipalatinsk, Kazakhstan, 29 August 1949. Credit: CTBTO

広大な草原には今も実験施設の遺構が残り、核実験が人間と環境にもたらした被害の記憶を伝えている。

共同声明は、この場所を核実験による「危険な結果、人間のトラウマ、環境破壊」を示す厳しい実例と位置づけた。

カザフスタンはソ連崩壊直前の1991年8月29日、セミパラチンスク核実験場を閉鎖した。

声明によれば、この決断は単に一つの核実験場を閉じるだけにとどまらず、国際社会に「強力な政治的メッセージ」を送り、その後のCTBT採択につながる世界的な動きを後押しする重要な役割を果たした。

その8年後の2009年12月、国連総会はカザフスタンの提唱を受け、8月29日を「核実験に反対する国際デー」と定めた。

CTBT採択から30年

今年は、CTBTそのものにとっても大きな節目である。

CTBTは1996年9月10日に国連総会で採択され、同月24日に署名開放された。初日には71カ国が署名した。

共同声明によると、現在までに188カ国が署名し、179カ国が批准している。声明は、最近署名・批准したトンガ王国を歓迎し、一つ一つの新たな参加が核実験を許容しないという国際規範をさらに強化すると指摘した。

しかし、採択から30年を迎えても、CTBTはいまだ発効していない。

条約の発効には、条約附属書2(Annex 2)に指定された特定国すべての批准が必要だからだ。

コシェルバエフ外相とフロイド事務局長は、未署名・未批准国に速やかな参加を求め、とりわけ発効の鍵を握る残る附属書2諸国に対し、「核不拡散と軍縮へのコミットメントを示す」よう訴えた。

同時に、すべての国に既存の核実験モラトリアムを維持し、改めて確認するよう求めた。

中央アジアの「核兵器を持たない」という選択

2026年にはもう一つ、カザフスタンに深く関わる重要な周年がある。

2006年9月8日に署名された「セミパラチンスク条約」から20年を迎える。

Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri
Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri

同条約によって中央アジア非核兵器地帯が創設された。共同声明はこれを「歴史的成果」と評価し、中央アジア地域が核不拡散と核軍縮に寄せる決意の証しだと強調した。

セミパラチンスクには、核兵器時代の二つの対照的な歴史が刻まれている。

一つは、数百回に及ぶ核実験とその被害の歴史。そしてもう一つは、その実験場を閉鎖し、核兵器に依存しない安全保障を模索してきた歴史である。

世界308施設が核実験を監視

共同声明は、核実験を探知するCTBT検証体制の整備についても成果を強調した。

現在、世界では293カ所の監視施設と15カ所の放射性核種実験施設、計308施設が認証され、国際監視制度(IMS)のネットワークは90%以上が完成しているという。

IMSは、地震波、放射性核種、水中音波、微気圧振動などを利用し、地球規模で核爆発の兆候を監視する仕組みだ。

声明はこれを、平和と安全保障に貢献するだけでなく、民生・科学分野にも恩恵をもたらす「独自の世界的資産」と評価した。

カザフスタン自身も、国立核センター(NNC)が5カ所のIMS観測施設を運用し、検証体制を支えている。

また、CTBTOの現地査察(OSI)の発展にもカザフスタンは重要な役割を果たしてきた。1999年、2002年、2005年、2008年には、セミパラチンスク核実験場を含むカザフスタン国内で4回の現地査察フィールド実験が実施された。

とりわけ1999年の実験はCTBTO史上初であり、2008年の演習は当時最大規模となった。

次の大規模統合現地査察演習「IFE26」は今年10月、ナミビアで開催される予定で、アフリカでは初めてとなる。

IMS/ CTBTO
IMS/ CTBTO
「これまでの成果を守り、再び前進を」

共同声明は、CTBTを核不拡散条約(NPT)と並ぶ世界の核軍縮・不拡散体制の「重要な柱」と位置づけた。

そして8月31日にニューヨークの国連本部で開催予定の「核実験に反対する国際デー」を記念する国連総会ハイレベル本会合への各国の参加を呼びかけた。

外交官だけでなく、研究者、メディア、非政府組織(NGO)などにも、核実験がもたらす壊滅的な危険について社会の認識を高めるよう求めている。

声明の結びには、CTBT採択から30年を迎えた国際社会が置かれている状況への強い危機感がにじむ。

この30周年を、これまで達成してきたことを振り返るだけの記念日ではなく、「行動への呼びかけ」としなければならない、と両氏は訴えた。

「苦闘の末に勝ち取った成果を守ること。核兵器のない世界に向けた勢いを再び生み出すこと。包括的核実験禁止条約を発効させ、核実験に恒久的かつ法的拘束力のある終止符を打つこと。」

35年前、セミパラチンスクで下された核実験場閉鎖という決断は、核実験を止めることは政治的意思によって可能だという前例を世界に示した。

CTBTが署名開放から30年を経てもなお発効していない今、そのセミパラチンスクの教訓は、過去の歴史ではなく、国際社会が現在直面している選択として改めて問いかけられている。

Toward a Nuclear Free World Banner
Toward a Nuclear Free World Banner

INPS Japan

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|視点|人生ががらりと変わる経験だった(イリヤ・クルシェンコCTBTO青年グループメンバー)

ネパール中部の洪水、その翌日

衛星画像が示す「ランタン北壁の氷河崩壊」はネパール国内で発生

【カトマンズINPS Japan/Nepali Times=クンダ・ディクシット】

首都カトマンズの真北約45キロに位置し、標高7245メートルを誇る雄大なランタン・リルン峰には、悲劇の歴史がある。

Kunda Dixit.
Kunda Dixit.

2015年4月、ネパール中部を襲ったマグニチュード7.8の大地震によって、同峰南壁で巨大な雪崩が発生した。雪崩は眼下の氷河へ崩れ落ち、ランタン村を埋め尽くした。少なくとも300人が死亡した。

そして8月26日、ネパール時間午前8時37分ちょうどに、中国との国境付近でマグニチュード4.4の地震が発生した。今回は、それとほぼ同時にランタン峰北壁で巨大な雪崩が起きた。

ランタン・リルン峰は全体がネパール領内にある。雪崩による大量の土砂と氷は、中国との国境をなすレンデ・コラ川をせき止めた。同川はモンスーンの雨で増水していた。

せき止められてできた湖は間もなく決壊し、泥と巨石が壁のようになってトリスリ川を猛スピードで流れ下り、ネパール国内を襲った。

少なくとも、プラネット・ラボの衛星画像を確認した専門家たちは、そのように分析している。

ただし科学者の間では、地震が北壁の斜面崩壊を引き起こしたのか、それとも雪崩そのものがあまりに巨大だったために地震波として観測される揺れを引き起こしたのかについて、なお見解が分かれている。

仮に地震が引き金だったとしても、崩壊した山では地球温暖化の影響によって雪と氷がすでに不安定な状態にあった。

さらに発生時期はモンスーン終盤で、山の斜面には大量の雪が積もっていた。氷河の後退によって取り残されたモレーン(氷河堆積物)は、かつて永久凍土によって固く固定されていたが、すでに大量の水を含んだ状態になっていた。

今回の災害自体はネパール国内の氷河に起因したとみられている。しかしそれでも、チベット高原を起点として国境を越える災害につながり得る、氷河湖決壊洪水(GLOF)、永久凍土の融解、モレーン崩壊という長期的な脅威が増大していることを浮き彫りにしている。

地震が引き金にならなくても、近年のヒマラヤでは、同じような複数の要因が重なって発生する「ヒマラヤの津波」ともいうべき大規模災害が相次いでいる。

2021年のチャモリ、同年のメラムチ、2023年のシッキム、2024年のタメ、2025年のボテ・コシ、そして2026年の今回の災害である。そのほぼすべてがモンスーン期に発生している。

昨年7月8日の洪水(下図参照)では18人が死亡した。ネパールと中国の貿易・観光にとって最も重要な国境検問所が押し流され、ネパール国内の幹線道路、水力発電所、送電線も破壊された。これらは最近になってようやく復旧工事が始まったばかりだった。

Nepali Times

科学者たちは昨年の洪水について、氷河表面に形成された複数の池が拡大して一体化し、やがて決壊したことで、大量の土砂や岩石が壁のようになって下流へ押し寄せたと分析している。

昨年は、中国側からネパールの地方当局に危険が警告されていたと報じられている。しかし今年は、事前の警告はまったくなかった。

しかも今回は、雪崩と洪水の発生地点が国境に非常に近かった。このため、土石流がラスワの国境検問所に到達するまでには、わずか数分しかなかったとみられる。

木曜日の朝までに、公式の死者数は160人を超え、その後さらに増加して数百人に達する可能性がある。

Nepali Times
Nepali Times

夜の間には、200キロ下流のナワルパラシ郡を流れるナラヤニ川で、人の遺体や家畜の死骸、さまざまな瓦礫が流れていくのが目撃された。

今回の災害によって、ネパールが国際的な気候変動交渉の場で訴えてきた「損失と損害(Loss and Damage)」の問題が、改めて大きく取り上げられることになるだろう。

とりわけ脆弱な山岳国において、気候危機が経済にもたらす損失は深刻である。今回のインフラや財産への被害額は、数十億ドル規模に達するとみられる。

わずか数分のうちに、ボテ・コシ川とトリスリ川沿いにある少なくとも6か所の主要水力発電所、送電線、変電所が破壊されるか、大きな損傷を受けた。

ヌワコットにあるネパールの象徴的な25メガワット級大規模太陽光発電所も、土砂に埋没した。

建設中の他の事業も壊滅的な被害を受けた。

ボテ・コシ川とトリスリ川に架かる少なくとも12本の橋が流され、その中には被災地点から70キロ下流に位置するものもあった。北部へ向かう幹線道路も各地で寸断された。

今回の災害は、2025年9月の「Z世代(GenZ)抗議運動」によって早期選挙が実施されてから、ほぼ1年後にネパールを襲った。

その選挙では、バレンドラ・シャー首相率いるRSPが地滑り的勝利を収めた。政権発足からまだ半年もたっていないなか、政府は今、緊急の捜索・救助活動と、壊滅的な被害を受けたトリスリ渓谷の復旧・復興という大きな試練に直面している。

長期的に見れば、ネパールは今後、発生頻度がほぼ確実に増えるとみられる地震や気候変動に起因する災害に対処するため、実効性のある戦略を構築しなければならない。

クンダ・ディクシットは『Nepali Times』の元編集長で、現在は同紙発行人。著書に『Dateline Earth: Journalism As If the Planet Mattered』、ネパール紛争を扱った3部作『A People War』がある。コロンビア大学でジャーナリズム修士号を取得。メディア教育にも携わり、ネパール調査報道センター(Centre for Investigative Journalism Nepal)の理事長を務めている。

Original URL: https://nepalitimes.com/central-nepal-flood-the-day-after

INPS Japan

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