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深刻化する紛争とデジタル脅威の中、国連特別報告者が子どもの権利保護を訴え

【国連IPS=オリトロ・カリム

国連のアントニオ・グテーレス事務総長は7月7日、「子どもの売買、性的搾取、性的虐待に関する国連特別報告者」を務めるキハラハント愛氏の報告書を国連総会に提出した。報告書は、世界各地で子どもを守るための措置を実施していく上で、同氏が掲げる目標と優先課題を明らかにしている。|英語版

Photo: UN Secretary-General António Guterres speaks at the University of Geneva, launching his Agenda for Disarmament, on 24 May 2018. UN Photo/Jean-Marc Ferre.
Photo: UN Secretary-General António Guterres speaks at the University of Geneva, launching his Agenda for Disarmament, on 24 May 2018. UN Photo/Jean-Marc Ferre.

国連人権理事会と連携して提出された報告書は、子どもを性的搾取や性的虐待の危険にさらしている構造的な障壁として、政府による監督の不十分さ、被害者への支援や司法サービスの不足、長期化・深刻化する危機などを挙げている。

「子どもの売買、性的搾取、性的虐待は複雑で、表面化しにくく、国境を越えて行われる。そのため、これらの問題に対処するには、強固な子ども保護制度と、各国内および国境を越えた実効的な協力が不可欠である。」と報告書は指摘している。

「子どもの売買、性的搾取、性的虐待への対応には、子どもの最善の利益を基礎とし、その尊厳、主体性、回復力を尊重する人権に基づくアプローチが必要である。」

報告書は主に、国連加盟国、国際機関、市民社会組織、人道支援機関から寄せられた情報をもとに、協力や説明責任を確保し、子どもに対する人権侵害を防止するための主要な仕組みを提示している。また、多様な関係者の世界各地からの視点や被害を生き延びた人々の実体験を取り入れ、ジェンダーへの配慮、障害の包摂、被害者中心、トラウマへの配慮、そして何よりも子どもの権利を基盤とする枠組みを通じて、保護、回復、リハビリテーション、司法へのアクセスを優先している。

これに先立つ3月10日の国連人権理事会第61会期では、前特別報告者のママ・ファティマ・シンガテ氏が、新たなデジタル技術によって加害者の虐待手法が一変し、オンライン空間が子どもにとってますます危険な場所になっていると警告した。

シンガテ氏は、デジタル技術の進歩が人権侵害の「新たな経路」を生み出すことを防ぐため、人道支援関係者、各国政府、その他の関係者が一層緊密に協力するよう求めた。

また同氏は4月20日、人権理事会に提出した最後の報告書について、子ども向けに分かりやすくした版を公表した。子ども自身が、自分たちに最も大きな影響を及ぼす議論に有意義な形で参加できるよう、情報へのアクセスを確保する重要性を強調したものである。

キハラハント氏は今後、歴代の特別報告者の取り組みをさらに発展させるとともに、これまで国連で十分な注目や継続的な取り組みがなされてこなかった問題にも焦点を当てる方針である。主な優先課題には、相互に絡み合う世界的危機に伴う「複雑、あるいは急速に変化する」問題や、デジタル環境における性的搾取の憂慮すべき増加が含まれている。

Ai Kihara-Hunt Photo: OHCHR
Ai Kihara-Hunt Photo: OHCHR

特別報告者は、オンライン空間では、子どもも発達しつつある能力に応じてさまざまな同意や意思表示を行うことができる一方、新たな技術の登場によって、その意味や取り扱いがますます複雑になり得ると指摘している。

とりわけ人工知能(AI)の急速な普及は、人道支援機関にとって大きな懸念となっている。AIによって、子どもを害するコンテンツの作成や拡散が容易になっているほか、本人の許可を得ない画像の収集や個人データの悪用も助長されているためである。

さらに報告書は、ソーシャルメディアやメッセージングアプリ、暗号資産などのデジタル技術が、武装集団への子どもの勧誘や人身取引、搾取を容易にする一方、加害者が捜査機関による摘発を免れる手段にもなっていると指摘した。

ユニセフ(UNICEF)の子ども保護専門官、アフルーズ・カヴィアニ・ジョンソン氏はIPSの取材に対し、「子どもの性的搾取や性的虐待の背景には、有害な社会規範、偏見、ジェンダー不平等、力関係の不均衡、貧困、子どもの保護・支援制度の脆弱さなど、さまざまな要因がある」と語った。

「今日では、デジタル環境がこうした被害にますます深く関わるようになっている。子どもたちは、デジタルプラットフォームを介したグルーミング、強要、性的搾取、性的虐待などの危険にさらされている。生成AIをはじめとする新興技術も、こうしたリスクの規模と深刻さを拡大させている。」

キハラハント氏の任務の柱の一つは、民間企業に対し、人権と子どものプライバシーを基礎とした、より厳格な安全対策を導入するよう求めることである。その責任は企業・組織そのものだけでなく、従業員、ボランティア、取引先など広範な関係者に及ぶ。

報告書はまた、市場原理や商業化、利益追求型の仕組みが、とりわけオンライン上で子どもの性的搾取を助長する有害な環境を生み出していないか、あるいはその防止にどのように貢献できるのかについても検証していくとしている。

「安全性を設計段階から組み込む『セーフティ・バイ・デザイン』のアプローチでは、プラットフォーム、メッセージングサービス、ゲーム環境、AIシステムが、子どもの売買や性的搾取、性的虐待を助長しかねない予見可能なリスクを評価し、軽減する必要がある。また、児童性的虐待コンテンツを積極的に検知し、通報し、削除することも求められる」と報告書は述べている。

「こうした責任にとどまらず、特別報告者は、企業が各国政府やその他の関係者と連携しながら、予防、安全確保、通報、子どもへの支援において、どのような積極的役割を果たすことができるかについても検討する考えである。」

報告書はさらに、武力紛争や人道危機の影響を受ける地域で暮らす子どもは、売買や性的搾取の危険が著しく高く、子ども時代にレイプや性的暴行を経験する可能性が世界平均のおよそ2倍に上ると指摘している。

このほか、強制的な避難や移住、自然災害、気候変動なども性的搾取のリスクを高める要因となっている。こうした状況では人道支援が大幅に制約されるため、子どもの保護措置や市民社会による介入も困難になることが多い。

ジョンソン氏は、「紛争、避難・移住、気候関連災害、公衆衛生上の緊急事態といった人道危機は、子どもの安全を守るための制度や仕組みを機能不全に陥らせる可能性がある」と指摘した。

「こうした危機は、子どもが危険にさらされる機会を増やす一方で、必要不可欠なサービスや支援へのアクセスを低下させる。」

さらに同氏は、「貧困や経済的困窮も、とりわけ金銭や物品、その他の利益と引き換えに搾取が行われる状況では、子どもの脆弱性を高める可能性がある」と語った。

「避難を余儀なくされた子ども、移動の途上にある子ども、障害のある子ども、人道危機の影響を受けている子どもは、複数のリスクが重なり合う状況に置かれることが多い。」

経済的不安定と格差も、子どもの性的搾取を引き起こす主要な要因である。報告書によれば、無国籍状態にある子どもなど、「公的な保護網の外側」に置かれた子どもたちは、成人や同年代の子どもから虐待を受けることが多く、場合によっては法執行機関の職員から被害を受けることさえある。

避難や移住を余儀なくされた子どもも同様に脆弱な立場に置かれており、拘禁や強制送還を恐れて犯罪被害を申告できない場合も少なくない。無国籍の子どもや移民の子どもは、支援サービスを利用するために必要な公的身分証明書を持っていないことが多いうえ、家族と離ればなれになっている場合も多い。その結果、保護してくれる大人の目が届きにくくなり、被害に遭う危険が大幅に高まる。

キハラハント氏は、歴代の特別報告者による取り組みを引き継ぎ、さらに発展させるため、子どもや若者の参加を優先し、子ども自身の力を高めることを重視した活動を進める方針である。

また、各国政府やテクノロジー企業、その他の関係者に対し、より安全なオンライン環境を構築するよう働きかける。さらに、公衆衛生や教育分野をはじめ、分野を越えた連携の強化を求めていく考えだ。

報告書は次のように指摘している。

「子どもの被害者やサバイバーのリハビリテーションにおける公衆衛生部門の役割は、単なる回復や社会復帰にとどまらない。刑事司法を中心とした対応から、子どもの健康と幸福を中心に据えた対応へと転換していくことも、その役割に含まれる。一方、教育部門は、以下でさらに詳しく述べるように、予防、保護、対応のあらゆる段階で重要な役割を果たす。」

INPS Japan/ IPS UN Bureau Repor

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核被害者の経験を支援と環境回復の国際的取り組みの中心に据えるべきだ

【国連IPS=ナウリーン・ホセイン

核兵器の使用や核実験がもたらす人道的・環境的影響は、近年、国際的な軍縮議論においてますます重視されるようになっている。核兵器が残す負の遺産は、一世代にとどまらず、複数の世代にわたって影響を及ぼし続けることが、改めて明らかになってきたためである。

こうした認識を背景に、9月1日、国連本部で「被害者援助と環境修復(Victims Assistance and Environmental Remediation)」に関する国際会議が開催された。核兵器の使用や核実験の影響を受けた国々に焦点を当てたこの会議には、加盟国、研究者、市民社会団体に加え、その影響を直接受けた地域社会の代表者らが参加した。|英語版

この会議は、国連総会決議第79/60号および第80/56号に基づき、2026年までに開催するよう求められていた国際会議であり、核兵器の影響を受けた地域社会の「生きた経験(lived experiences)」を共有するとともに、加盟国と国際社会が講じるべき支援策や対応について議論することを目的として開催された。

議長国を務めたのは、20世紀に核実験場となったカザフスタンとキリバスである。両国は核実験による甚大な被害を経験した国として、現在では核軍縮を強く訴える国際的なリーダーとなっている。

An International Meeting on Victim Assistance and Environmental Remediation was held at United Nations Headquarters under the co-chairmanship of Kazakhstan and Kiribati. Credit: Government of Kazakhstan.
An International Meeting on Victim Assistance and Environmental Remediation was held at United Nations Headquarters under the co-chairmanship of Kazakhstan and Kiribati. Credit: Government of Kazakhstan.

会議では、核兵器の使用と核実験がもたらした人道的・環境的影響が幅広く議論された。多くの発言者は、放射線被ばくの影響が長期にわたり続くことを指摘した。核兵器による身体的、社会的、経済的、そして心理的影響は世代を超えて受け継がれ、被災地域では深刻な健康問題が今なお日常となっている。放射線にさらされた人々は、がんや白血病などの非感染性疾患や、生涯にわたる健康障害を抱えるリスクが高い。

Izumi Nakamitsu, Under-Secretary-General and High Representative for Disarmament Affairs. Credit: Gov of Kazakhstan

国連軍縮担当上級代表(軍縮担当事務次長)の中満泉氏は次のように述べた。

「核兵器の影響は、爆発が終わった時点で終わるものではありません。広島・長崎の被爆者の苦しみや、世界各地で実施された2,000回を超える核実験が残した負の遺産が示しているように、その影響は数十年にわたり、さらには世代を超えて続いていくのです。」

中満氏はまた、環境回復や被害者支援は持続可能な仕組みとして行われるべきであり、「個別のプロジェクトや一時的な取り組み」に依存してはならないと強調した。長期にわたり知識や技術を継承できる国家・国際レベルの協力体制が不可欠であり、「地域社会は、一つの事業や資金提供期間が終われば支援も終わってしまうという不安を抱かずに済むようでなければなりません」と訴えた。

環境回復について、グアテマラ代表は、国際社会にとって「不可欠な責任」であると指摘した。核兵器の使用や核実験の影響を受けた地域では、環境への被害によって農地が利用できなくなり、水系が変化し、放射線の影響で居住できなくなった場所もある。

アルジェリア代表は、同国のサハラ砂漠に今なお残る核実験の目に見える痕跡について言及した。レガン(Reggane)やイン・エッケル(In-Ekker)周辺では核実験が行われ、その影響の一例として、山から流れ出した放射性物質を含む溶岩状の物質が冷えて固まり、現在も残されているという。

アルジェリア政府は被災地域の監視や環境影響評価を実施してきたが、こうした取り組みを一国だけで進めることはできないと強調した。

さらに代表は、核実験の影響は地域社会と無関係に生じたものではなく、実験場周辺で暮らしていた遊牧民を含む住民が移住を余儀なくされたり、その後も核実験がもたらした影響とともに暮らすことを強いられたりしてきたと指摘した。

「これらの実験場周辺の地域社会は、核実験が物理的にもたらした重い負担を背負っています。病気、耕作できない土地、そして先行きが見通せないことによる苦しみです。」

また各国には、核実験場に関する環境記録をはじめ、被害への対応に用いてきた手法について、知識や専門的知見を共有することが求められた。

Oemwa Johnston, a fourth-generation nuclear survivor from Kiribati Island. Credit: Naureen Hossain/IPS

太平洋島嶼国にとって、環境回復はとりわけ重要である。自然環境が人々の文化遺産と深く結びついているだけに、核実験の影響によってそのつながりが失われるおそれがあることは、いっそう深刻な問題となっている。

キリバス出身で4世代目の核被害者であるオエムワ・ジョンストン氏は、自らを含む若い世代が今なお核実験の影響を背負い続けている現実を語った。

「私は若い女性であり、核被害者の子孫です。私たちの世代は核兵器をつくったわけでも、過去の核実験を行ったわけでもありません。それでも、その負の遺産を受け継いでいるのです。」

会議では、核兵器の影響を受けた人々や地域社会を、軍縮をめぐる議論や支援の取り組みの中心に据えるべきだとの声が一致して上がった。被害を受けた人々の「生きた経験」を、そのニーズに応えるための政策に反映させるべきだとの訴えである。

創価学会インタナショナル(SGI)国連事務所のモハメド・アンブロジニ氏は、「被爆者や被爆地域の住民は、単なる支援の受け手や研究対象ではなく、被爆の実相を後世に伝える知識の担い手なのです。」と語った。

アンブロジニ氏は、被爆者や被爆地域の住民、そして若い世代の間で対話や世代間交流を進めることによって、被爆の実相について人々が考える場をつくることができると指摘した。また、広島・長崎の被爆者の高齢化が進む中、その証言を保存し、そこから学ぶことはますます急務になっていると警鐘を鳴らした。

Mohamed Ambrosini, Soka Gakkai International’s (SGI) UN Representative for Disarmament. Credit: Naureen Hossain/IPS

アンブロジニ氏をはじめとする市民社会の代表者らはまた、被害を受けた人々の経験を中心に据え、その尊厳を認めることが、「核の正義(nuclear justice)」と被害に対する償いへの道を開くと強調した。こうした取り組みは被害者の尊厳を尊重するとともに、意思決定の過程に被害者自身が実質的に参加できる場を確保するものでなければならないと訴えた。

会議では、各国が被害を受けた地域社会への支援に責任を負うべきだとの声も上がった。その責任は二つの形で果たされるべきだとされた。一つは、国や連邦政府による支援制度を通じた補償であり、もう一つは、核実験を行った核保有国による公式な事実認定、さらには謝罪である。

日本については、被爆者やその他の被害者は政府から援護を受けているものの、「国家補償」は行われていないとの指摘があった。被爆者は医療費助成などの支援を受けられるが、その認定基準は依然として限定的である。

日本の市民社会団体「ピースボート」のエミリー・マクグローン氏は、現行制度では外国籍の被爆者や海外在住被爆者、さらには爆心地から一定範囲外にいた被害者が支援対象から排除されていると指摘した。

マクグローン氏は次のように述べた。「被害者支援の出発点は、誰を被害者として認定するかです。日本の経験は、公的な定義が狭くても、被害者自身や地域の市民社会がより広い権利の実現を求め続けてきたことを示しています。だからこそ、市民社会と多様な被害当事者の声を、被害者支援政策の設計段階から反映させる必要があります。」

会議では、包括的核実験禁止条約(CTBT)や核兵器不拡散条約(NPT)など、核兵器の使用や核実験を制限・禁止する既存の国際的枠組みも改めて確認された。また、核兵器禁止条約(TPNW)が、被害者支援と環境回復に関する規定を第6条および第7条に盛り込んでいることも取り上げられた。

バングラデシュ代表は、TPNWについて、「核兵器の使用によってもたらされた被害への対応は、将来の核兵器使用を防止する取り組みと一体で進めなければならない。」ことを認識した条約であると指摘した。

現在、100カ国がTPNWに署名または批准している。同条約は核兵器の全面的廃絶を目指しているが、現在の核保有国は含まれていない。

The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras
The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras

Note: This article is brought to you by IPS Noram in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International in consultative status with ECOSOC.

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死刑をめぐる「賛否」の先へ―日本で問われるいのちの尊厳と司法

【東京INPS Japan=浅霧勝浩】

Brochure of the Symposium titled, “Rethinking the Death Penalty: With Human Dignity in View.” Credit: The Association of Religious Leaders and Scholars Considering the Death Penalty

日本の死刑制度を「いのちの尊厳」の視点から考えるシンポジウム「死刑制度を考える―いのちの尊厳を見すえて―」が9月5日、東京・四ツ谷の聖イグナチオ教会ヨセフホールで開かれた。|英語版アラビア語中国語

主催は「死刑制度を考える宗教者・宗教研究者の会」、共催は死生学・共生社会研究所。イエズス会社会司牧センター、現代における宗教の役割研究会(コルモス)、公益財団法人全日本仏教会、国際宗教研究所、上智大学グリーフケア研究所、世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会、創価学会平和委員会、臨床仏教研究所の8団体が後援した。

シンポジウムには、刑法学者、ノンフィクション作家、犯罪被害者遺族、元刑務官、若い世代、宗教者らが参加し、それぞれの経験や立場から死刑制度を問い直した。

宗教学者の島薗進氏は、死刑を廃止するかどうかを決めるためではなく、互いの声を聞き、学び合うための場であると強調した。

そこで問われたのは、刑罰のあり方だけではない。被害者をどう支え、冤罪や暴力をどう防ぎ、人の生死を左右する判断について、制度を担う機関にどう説明責任を果たさせるかという問題だった。

国際情勢には相反する動きがある。アムネスティ・インターナショナルによると、2025年末までに145カ国が法律上または事実上、死刑を廃止した。一方、同年に確認された執行数は少なくとも2,707件に増加した。この数字には、実数を確認できない中国、北朝鮮、ベトナムの執行は含まれていない。

日本の法務省は、国民世論や凶悪犯罪の存在を理由に死刑の存続を支持してきた。しかし、国民の支持があることと、人権保障の観点から制度を正当化できることは、別の問いである。

取り返しのつかない刑罰に必要な保障

Prof. Makoto Ida. Photo: Katsuhiro Asagiri of INPS Japan
Prof. Makoto Ida. Credit: Katsuhiro Asagiri / INPS Japan

刑法学者の井田良氏は、日本が死刑制度の法的・憲法的な根拠を十分に検討してきたのかと問いかけた。特に問題視したのは、死刑判決の下で数十年を過ごす場合もある一方で、執行は当日になって告知されるという状況だった。

井田氏は、無実の人を有罪とする誤判と、刑の重さを決める際の誤りを区別した。犯罪が認定された場合でも、被告人に有利な事情が見落とされ、無期刑ではなく死刑が選択されることがある。

絞首刑についても、憲法上の残虐な刑と考えるべきだとの、自身の法的見解を示した。

「即時の死刑廃止だけが選択肢なのではありません。」

誤判防止策の強化、執行方法の見直し、一時的な執行停止など、取り組める改善はあるという。遺族の悲しみや怒りを認めつつ、その処罰要求だけで死刑を正当化することはできないと論じた。

抑止力についても慎重さが必要だ。米国の全米研究評議会(NRC)は2012年、検討した研究からは、死刑が殺人を増やすのか、減らすのか、影響しないのかを判断できないと結論づけた。これは、効果がないことを証明したという意味ではない。

一方、井田氏は市民の不安を真剣に受け止めるよう求めた。改革は単に刑罰を置き換えるのではなく、組織犯罪や再犯への対応も含めて考えなければならない。

死刑執行が人々に残すもの

Keiko Horikawa. Credit: Katsuhiro Asagiri / INPS Japan

ノンフィクション作家の堀川惠子氏は、20年近くに及ぶ取材経験を語った。取材から見えてきたのは、遺族の思いは一様ではないということだった。死刑判決を歓迎する人もいれば、加害者に生きて罪と向き合ってほしいと願う人もいた。

堀川氏は、死刑か無期刑かを判断する際の考慮要素を示した永山基準について、その基となる最高裁判決の作成に関わった元調査官への取材も振り返った。元調査官は、それらの要素を機械的に死刑を導く基準として扱うことに異を唱えたという。

堀川氏の著書『教誨師』は、死刑囚と向き合った仏教僧の歩みを描いている。堀川氏は、その僧侶の言葉を紹介した。

「死刑が執行されても幸せになった人間は誰一人いません。」

これは僧侶自身の実感であり、すべての遺族の経験を一括りにする判断ではない。それでも、刑の執行が終わることと、犯罪をめぐる苦しみが終わることは、必ずしも同じではないという重要な区別を示している。

堀川氏は執行を停止し、被害者支援、刑務官の心理的負担、費用、そして絞首刑そのものを、情報を公開して検討するよう求めた。

兄を失った遺族が投げかけた問い

Nobuko. Credit: Katsuhiro Asagiri / INPS Japan

2021年の大阪・北新地の心療内科放火事件で、院長だった兄を失った伸子さんが登壇した。その後、更生とは何かを理解し、新たな悲劇を防ぐために、受刑者や出所者との対話を始めた。

「再犯を防ぎ、悲しい思いをする人を増やしたくない。」

伸子さんは、賛否いずれかの立場に括られることを避けた。死刑を望む遺族もいれば、加害者に生きて罪を背負ってほしいと願う人も、事件について考えることに耐えられない人もいる。

「どれもその人の抱いている悲しみの形だと思っています。」

犯罪を犯した人にも人権はあると、伸子さんは認める。「加害者の人権を認めること自体は、被害者の人権を否定することにはなりません。」

しかし、命を奪われた人の権利や、残された家族の必要に、誰が応えるのか。支援は、遺族が死刑に賛成するかどうかによって左右されるべきではない。

国連が1985年に採択した犯罪被害者等のための司法の基本原則に関する宣言も、司法へのアクセス、公正な取扱い、原状回復や賠償、補償、援助を含んでいる。処罰だけが、被害に対する応答のすべてではない。

伸子さんはさらに問いかけた。

「死刑になる人を作らない社会とは、どんな社会なんでしょう。」

受刑者との対話からは、虐待や孤立の経験が浮かび上がった。背景を理解することは、犯罪を正当化することではない。しかし、暴力が起きた後の処罰だけでは、もっと早く支援があれば防げたのではないかという検討の代わりにはならない。

伸子さんは、保護者が経験を語り合う場づくりも始めている。それは本人が選んだ活動であり、他の遺族に求めるべき義務ではない。犯罪予防には、個人の善意だけでなく、制度による支えも必要だ。

「私は死刑に賛成でも反対でもなく」と伸子さんは述べ、命と罪と苦しみについて考え続けたいという決意を語った。

司法には誤りを正す力が必要

Toshio Sakamoto. Credit: Katsuhiro Asagiri / INPS Japan

元刑務官の坂本敏夫氏は、外部との接触制限により、死刑確定者の変化が社会に見えにくくなっていると指摘した。

また、長年交流してきた袴田巖氏についても語った。袴田氏は死刑判決の下で数十年を過ごし、2024年の再審で無罪となった。この事件は、取調べ、証拠開示、そして遅滞なく救済を得られるかという問題を提起している。

司法への信頼は、判断を下す権限だけではなく、取り返しのつかない被害が生じる前に、誤りを認め、正せるかどうかにもかかっている。

坂本氏は無期刑の長期化にも疑問を投げかけた。日本の無期刑には法律上、仮釈放の可能性がある。問われるのは、社会の安全、被害者の思い、更生を示す事情が、実際にどのように評価されるかである。

沖縄出身の大学院生、崎浜空音氏にとって、死刑は被害者のための正義だという考えを初めて揺さぶったのは、フランス留学だった。その後の国際的な交流を通じて、冤罪による死刑判決の影響を受けた人々の声に直接触れた。

崎浜氏は沖縄の「命どぅ宝」―命こそ宝―という言葉を挙げ、死刑と戦争に反対する思いのつながりを語った。そして、結論が出ていなくても、若者が難しい問題について話し合える場をつくることの重要性を強調した。

Sorane Sakihama, a graduate student from Okinawa, speaks about how international dialogue and her encounters with people affected by wrongful death sentences shaped her views on capital punishment, during a symposium at St. Ignatius Church in Tokyo on September 5, 2026. Credit: Katsuhiro Asagiri / INPS Japan

対話から制度の説明責任へ

堀川氏は、従来とは異なる声が入り、固定化した立場を超えようとした今回のシンポジウムを評価した。島薗氏も、対話の継続を願った。

SDGs No. 16
SDGs No. 16

持続可能な開発目標のSDG16は、死刑廃止を明文で求めてはいない。一方、暴力の削減、子どもの保護、司法への平等なアクセス、説明責任ある制度、包摂的な意思決定を掲げている。

そこから、具体的に制度を検証する視点が得られる。被害者に継続的な支援は届いているか。疑いのある有罪判決を十分に検証できるか。刑務官の負担は把握されているか。犯罪予防は被害を減らしているか。市民は制度を判断するために必要な情報を得られるか。

死刑の存廃について意見が違っても、これらの問いを検証することはできる。

人は変わることができるのか。罪を償うとはどういうことか。社会は被害者をどう支え、暴力をどう防ぐのか。そして、人の生死を左右する権限を、国家にどこまで認めるのか。

その問いに向き合う新たな対話が、東京の一つの教会から始まった。

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ダッカはなぜモンスーンのたびに浸水するのか

【ダッカ(バングラデシュ)IPS=モハマド・ザマン】

原因は、政治、都市計画、生態系管理の失敗にある。すなわち、湿地の消失、水路の不法占拠、無秩序な都市拡大、不十分な法執行、行政機関の縦割り、そして短期的な土木工事頼みの対策である。ダッカが水没するのは、雨が降るからではない。雨水の行き場を顧みず都市を築いてきたからである。|英語版

かつてダッカは、河川、水路、池、氾濫原、低地の貯留区域が織りなす「水の景観」の一部だった。こうした場所は決して空き地ではなく、雨水を蓄え、流出を緩やかにし、余分な水を周辺の河川へ流すために欠かせない排水インフラだった。しかし都市の拡大に伴い、水域と緑地から成るこの「ブルー・グリーン・ネットワーク」は埋め立てられ、狭められ、あるいは分断された。その結果、排水施設は中程度の雨にさえ対応できなくなった。

Mohammad Zaman
Mohammad Zaman

都市化は、雨水を吸収する土地をコンクリートで覆うことで、事態をさらに悪化させた。道路や建物、舗装された中庭は、雨水の地中への浸透を妨げ、地表を流れる水の量と速度を増大させる。ダッカの内水氾濫を扱った2023年の研究は、土地利用の変化によって自然水路が失われ、浸水への脆弱性が高まっていると指摘した。都市の拡大が続けば、将来の浸水リスクはさらに増大するとみられている。湿地や洪水流下区域に建造物が一つ建つたびに、その危険は周辺地域へ転嫁される。

排水路や水路の機能も低下している。その多くはごみで詰まり、違法建築物によって狭められ、小規模な排水路との接続も絶たれている。近代化の手段としてしばしば推進されてきたボックスカルバート(箱型暗渠)は、一部では水路を生きた排水回廊として再生するどころか、地下に埋めてしまった。排水が機能しないのは、管渠の容量が小さいからだけではない。より広範な水文システムそのものが寸断されているからである。

気候変動は、雨をより短時間に集中させ、激しさと予測困難性を増すことで、さらなる圧力を加えている。しかし、それを劣悪な都市計画の言い訳にしてはならない。世界銀行は、ダッカ都市圏の都市洪水に関する調査で、同市がすでに深刻な「適応不足」を抱えていると警告してきた。真の問題は、ダッカが衝撃を吸収する自らの力を削いできたことである。浸水を都市全体の水管理の課題ではなく、排水管の口径を調整すれば済む季節的な問題として扱ってきたのだ。

その影響は、まず交通のまひとなって表れる。ミルプール、ダンモンディ、グリーン・ロード、モティジール、シャンティナガル、旧市街をはじめとする地域で主要道路が冠水すると、通勤者は何時間も足止めされ、公共交通は滞り、企業活動も打撃を受ける。車両や商品在庫の損傷、物流の遅延、生産性の低下に加え、雨が降るたびに機能を失う都市を移動しなければならない日々のストレスも、その代償に含まれる。

浸水は格差も深刻化させる。非正規居住地や低地に暮らす低所得層は、汚水の家屋への流入、日々の収入の喪失、家財の損傷、疾病リスクの増大に直面する。下水やごみ、汚染物質が混じった水は、感染症や水系疾患を広げる。貧困層は二重の代償を払わされる。被害にさらされる度合いが大きいうえ、医療や蓄えに乏しく、政治に声を届ける力も弱いからである。

My name id Dhaka. IPS
My name id Dhaka. IPS

影響の大きさを見れば、これが季節的な不便にすぎないとは言えない。GIS(地理情報システム)とリモートセンシングを用いた2023年の研究によると、ダッカ市域の約35%が、冠水への脆弱性が「高い」または「非常に高い」区域にあり、スラム世帯はこうした区域に不均衡に集中している。近年の豪雨は、このリスクを裏付けている。2024年7月12日には、ダッカで6時間に130ミリの雨が降った。2025年にも24時間で196ミリを記録し、大規模な排水対策への投資にもかかわらず、主要道路が水没した。

インフラへの支出は、都市の強靱化につながっていない。ダッカの二つの市当局は、2024年までの4年間に、排水路やボックスカルバートなど計334・19キロの関連インフラ整備に26億2000万タカ以上を投じたとされる。それでも広範な地域が浸水した。

都市計画に関するデータによると、1995年の詳細地域計画で洪水流下区域、雨水貯留区域、水域に指定された9556エーカーのうち、3440エーカーが失われた。また、中心市街地で水域が占める割合は、1995年の20・57%から2023年には2・9%まで低下したと報告されている。ダッカは、排水を可能にしてきた仕組みの消滅を容認しながら、水を排出するために巨額の資金を投じているのである。

こうした失敗をさらに深刻にしているのが、行政機関の縦割りである。責任はダッカ上下水道公社(Dhaka WASA)、二つの市当局、ダッカ首都圏開発庁(RAJUK)、バングラデシュ水資源開発庁などに分散している。それぞれが問題の一部を所管しているが、排水路、水路、雨水貯留区域、排水ポンプ、河川への放流口、土地利用規制を含む流域全体を一元管理する機関は存在しない。その結果、つぎはぎの対策が繰り返され、そのたびに浸水が再発している。

法執行の弱さは、計画そのものを有名無実にしている。マスタープランや詳細地域計画は、洪水流下区域、雨水貯留池、湿地を指定してきた。それにもかかわらず、こうした場所は住宅、道路、商業施設の開発にのみ込まれ続けている。不法占拠がなくならないのは、それが利益を生み、政治的な庇護を受け、あるいは行政によって黙認されているからである。

説明責任も不十分である。支出額は公表される一方、成果が検証されることはほとんどない。ダッカに必要なのは、排水だけに焦点を当てた新たな事業ではない。既存の計画を実行し、水路を取り戻し、残された湿地を守る政治的勇気である。

市は、水路、湿地、池、洪水流下区域を、不可欠な公共インフラとして扱わなければならない。残された湿地を保護し、不法占拠された水路の境界を確定して取り戻すとともに、主要水路を周辺河川につながる開放型の排水回廊として再生する必要がある。

ダッカにはまた、土地利用の承認、水路の回復、排水事業への投資、ポンプの運用、廃棄物管理、緊急対応を一元的に担う、明確な権限を備えた統合的な洪水管理体制が必要である。

今後の都市計画では、脆弱な地域社会を中心に据えなければならない。非正規居住地や低所得地域の住民、露天商、学童、日雇い労働者は最も深刻な影響を受けているにもかかわらず、計画づくりの当事者として扱われることはほとんどない。地域住民による排水路の詰まりの通報、衛生上の注意喚起、緊急時の輸送計画、繰り返し被る損失への補償を、防災・減災政策に組み込むべきである。浸水に強いダッカを実現するには、生態系の再生、行政組織の規律、そして社会正義が欠かせない。

ダッカの浸水は、自然に逆らう都市計画への警鐘である。同市は、土地転用、制度的な弱さ、生態系の軽視が招いた危機を、土木技術だけで切り抜けようとしてきた。ブルー・グリーン・ネットワークを不可欠なインフラとして再生し、適切に管理しない限り、モンスーンのたびに同じ光景が繰り返される。かつて共存するすべを知っていた雨によって、巨大都市の機能が停止するのである。

もはや選択すべきなのは、開発か排水かではない。人々を守るのか、それとも進歩の名の下に人々を水害にさらすのかである。

モハマド・ザマン博士は国際開発コンサルタント。アジアとアフリカで、社会的セーフガード、住民移転、再定住、包摂的開発を中心に活動してきた。カナダのバンクーバー在住。連絡先:mqzaman.bc@gmail.com

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

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世界の虐げられた人々の英雄、フィデル・カストロを偲ぶ

シドニーIPS=アニス・チョウドリー

8月13日、キューバ革命の指導者フィデル・アレハンドロ・カストロ・ルス、すなわちフィデル・カストロの生誕100周年を迎えた。米国による包囲網が一段と強まり、侵攻の脅威さえ取り沙汰されるなか、キューバ国民は、国際ブックフェア、美術展、コンサート、さらには大陸各地の左派組織の代表が参加する集会など、さまざまな催しを通じて敬愛する指導者の生誕100周年を記念した。

60年以上にわたる米国の経済封鎖

キューバは1959年の革命以来、60年以上にわたり、米国による違法な経済封鎖――すなわち国連安全保障理事会の承認を受けていない封鎖――に耐えてきた。また、革命後に米国へ逃れたキューバ人を主体とする、米中央情報局(CIA)の支援を受けた1961年の軍事侵攻「ピッグス湾事件」を撃退した。カストロは、CIAによる638回に及ぶ暗殺計画を生き延びたともされている。|英語版

キューバで長年の外交経験を持つ米国の外交官ウェイン・スミスは、フィデル・カストロが後世に記憶される理由について、「彼は米国に立ち向かい、そして生き残ったからだ」と語っている。2016年にカストロが死去した際、米主要メディアのCBSも「フィデル・カストロはいかに米国に立ち向かい、勝利したのか」と題する論評を掲載した。

キューバに対する違法な封鎖は、食料、医薬品、燃料、生活必需品の不足を招き、キューバ国民の日常生活のコストを押し上げている。しかし、1998年にカストロがローマ教皇ヨハネ・パウロ2世を迎えた際、その光景は雄弁に物語っていた。米国による貿易 embargo(禁輸措置)にもかかわらず、キューバは持ちこたえていたのである。

カストロの遺産

カストロの遺産を最も端的に表したのは、ロンドン市長を務めたケン・リヴィングストンだろう。2006年にキューバを訪問した際、リヴィングストンはこう語った。

「驚くべきことは、この国が半世紀近くにわたり米国による違法な経済封鎖を受けながら、それでも国民に最高水準の医療と素晴らしい教育を提供してきたことだ。ほとんど経済戦争ともいえる状況のなかで、これを成し遂げたことはフィデル・カストロの功績である。」

こうしてキューバは、国連開発計画(UNDP)の人間開発指数(HDI)で測られる人間開発において、高い水準を達成した。185カ国の平均が0.746であるのに対し、キューバのHDIは2023年に0.762だった。1994年には0.887に達していた。こうした世界平均を上回る水準の背景には、ほぼ100%に達する成人識字率と、出生時平均寿命約78.1歳という実績がある。

これは、医療と教育をすべての人の「権利」と位置づけ、無償で提供してきた結果である。キューバの人口1000人当たり医師数は2021年に9.8人と世界でも最高水準にあり、1960年の0.9人から大幅に増加した。乳児死亡率も出生1000人当たり3.86人と、世界で最も低い水準の一つである。ハバナのウィリアム・ソレル小児病院では、新生児外科手術を必要とした新生児の90%以上が手術後に生存している。

キューバでは、長年にわたるプライマリーヘルスケアへの投資と国民の健康に対するきめ細かな取り組みにより、マラリア、ポリオ、破傷風、はしかが根絶された。保健医療を重視してきた長年の政策は、新型コロナウイルス感染症(COVID-19)への効果的な対応にもつながった。さらにキューバは、国内総生産(GDP)に占める教育支出の割合でも世界最高水準にある。

しかし残念ながら、トランプ政権による最近の一方的かつ違法な封鎖の強化は、キューバに甚大な負担を強い、この国が築いてきた独自の開発成果を後退させつつある。

真の国際主義者

カストロはプロレタリアートの真の国際主義的指導者であり、とりわけアフリカの民族解放闘争に寄り添った。

1962年、約100万人のキューバ国民が参加した集会で、フィデル・カストロは「第二次ハバナ宣言」を発表し、世界の反帝国主義勢力と労働者階級に革命的行動を呼びかけた。カストロは、キューバ国民が民族解放闘争を国際的に支援することについて、しばしば「人類に対するわれわれの負債を返すことだ」と語った。

1963年、カストロはアルジェリアのアハメド・ベン・ベラ大統領に初めて軍事支援を送った。カストロ率いるキューバは、アンゴラ、ギニアビサウ、ナミビア、コンゴ民主共和国、カーボベルデの革命家たちを訓練し、植民地支配に対する闘争を共にした。

カストロはアパルトヘイトを「西側資本主義と帝国主義の産物」と断じた。そしてキューバは、アフリカ民族会議(ANC)の戦闘員に物資や訓練を提供することによって、南アフリカのアパルトヘイト体制の崩壊に貢献した。

米国によって違法に押し付けられた厳しい状況にありながらも、キューバは常に世界の虐げられ、苦境に置かれた人々に寄り添ってきた。1960年にはチリ地震の救援活動に参加し、1963年には独立直後のアルジェリアに医療従事者を派遣した。

カストロ時代のキューバは、災害や感染症と闘うため、世界各地に医療専門家を派遣してきた。2010年の地震後にコレラが流行したハイチでは、キューバ人医師が現地で活動した。2013年から16年にかけて西アフリカを襲ったエボラ出血熱の危機にも駆けつけた。

そしてCOVID-19が欧州へ拡大した際には、キューバの医療専門家2チームがイタリア入りした。2020年4月末までに、1000人を超えるキューバの医療従事者が、各国の新型コロナ対策を支援していた。

カストロは、医師が人々のもとへ出向く、誰も排除しない医療モデルを構想し、実践した。そしてキューバの医療支援を他国にも広げることで、キューバ革命が本質的に持つ国際主義的、人道的性格を示したのである。

ロンドン・スクール・オブ・エコノミクス(LSE)のグローバル・ヘルス政策准教授、クレア・ウェナムは次のように指摘している。

「国際保健プログラムの根底にあるのは連帯です。キューバは、健康な人々こそが健全な国際社会の土台であると考え、そのためにできる限りの支援をしようとしているのです。」

マンデラとカストロ

Nelson Mandela – First President of South Africa and anti-apartheid activist (1918–2013)/ By © copyright John Mathew Smith 2001, CC BY-SA 2.0,
Nelson Mandela – First President of South Africa and anti-apartheid activist (1918–2013)/ By © copyright John Mathew Smith 2001, CC BY-SA 2.0,

グローバル・サウスの多くの革命家や民族解放運動の指導者と同様、ネルソン・マンデラも1959年のキューバ革命の勝利に触発された一人だった。1961年にゲリラ組織の創設を任されたマンデラは、その指針を求めてキューバの共産主義者たちの著作を読んだ。

マンデラは1991年、カストロへの感謝を伝えるためキューバを訪れ、キューバ革命について「自由を愛するすべての人々にとってのインスピレーションの源だ」と述べた。

さらにマンデラはこう語っている。

「われわれは、悪意に満ちた帝国主義勢力による策動に直面しながらも、独立と主権を守り抜いてきたキューバ国民の犠牲に敬意を表する。われわれもまた、自らの運命を自らの手で決めたいと願っている。」

ハバナで開かれた公開行事で、マンデラはカストロに南アフリカを訪問するよう求めた。マンデラはカストロに向けてこう問いかけた。

「誰がわれわれの人々を訓練し、誰が資源を提供し、誰が多くの兵士や医師を助けてくれたのか。……あなたはまだ私たちの国に来ていない。いつ来てくれるのですか。」

カストロは1994年5月、マンデラの大統領就任式に出席した。1991年のマンデラのキューバ訪問に同行した南アフリカの元駐米大使バーバラ・マセケラは、マンデラとカストロの友情について、「自由を求める闘争の塹壕の中で生まれたものだった」と語っている。

虐げられた人々の真の友

かつてカストロの側近だったものの、現在は亡命生活を送る作家ノルベルト・フエンテスは、キューバの指導者としてのカストロの意義について、こう述べている。

「彼は沈黙する者の代弁者だった。軍隊も、議会も、顔すらも持たない人々、何一つ持たない人々の代弁者だった。」

何千人ものキューバ人国際主義者が、アフリカ諸国の独立を決定づけた数々の闘いに貢献すると同時に、保健、教育、人材育成の分野で協力を推進してきた。

米国による違法な封鎖によって多大な困難を強いられながらも、カストロのキューバは国際主義の輝かしい模範であり続け、帝国主義に対する人々の闘いの歴史において特別な位置を占めている。

アニス・チョウドリーは、西シドニー大学(オーストラリア)名誉教授。国連のバンコクおよびニューヨークの機関で上級職を歴任したほか、ムハマド・ユヌス教授率いる暫定政府で、財務担当首席顧問特別補佐官(国務大臣級)を務めた。

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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ウクライナの「老後」―チーズ1個、鶏2羽、卵12個を売って暮らす

【ウジホロド(ウクライナ)IPS=カルロス・ズルトゥザ】

マリーナさんは、自分が育てている花を特に気に入っているわけではないという。それでも、「なぜか分からないけれど」、人々は買ってくれる。首都キーウから南西へ約800キロ離れたウジホロド中心部。75歳のウクライナ人女性マリーナさんは、ヴォロシナ通りの歩道で、菊やダリア、グラジオラスを売っている。いずれも自宅の小さな庭で育てたものだ。|英語版

午後4時の市場閉店まで、あと30分ほど。手元にはまだチーズ1個、鶏2羽、卵12個が売れ残っている。全部売れても、およそ15ドルにしかならない。しかし、それでも彼女の月額年金の約5分の1に相当する。30年以上、郵便配達員として働いた末に得られる年金では、それが精いっぱいなのだ。

「誕生日や結婚式、お墓参りに持っていく人が買ってくれます。調子のいい日なら500フリヴニャ、11ドルくらい稼げます」

西部ウクライナで気温が40度近くまで上昇したある朝、マリーナさんはIPSの取材にそう語った。

Map of Ukraine
Map of Ukraine

この年齢になってまで、暑さや寒さにさらされながら生活費を稼がなければならないとは、夢にも思わなかったという。

マリーナさんは、生活のため高齢になっても街頭で働き続けざるを得ない、ウクライナ全土の数十万人の高齢女性の一人である。ウクライナ年金基金によると、年金受給者の大半が受け取る月額年金は60~100ドル程度にすぎない。

小学校教員の月給が180ドルにも満たない一方、米1キロ、牛乳1リットル、ガソリン1リットルはいずれも2ドル近くする。これでは到底、家計の収支は成り立たない。

ウクライナで続く戦争は、状況をさらに悪化させた。ロシアが2022年2月24日に全面侵攻を開始して以来、マリーナさんが路上で過ごさなければならない日はあまりにも増えた。

重要な民間インフラへの攻撃は絶えず、経済危機も深刻化している。さらに、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)によれば国内避難民は360万人に達し、その流入によって西部地域の住宅価格も上昇した。ウジホロドで部屋を借りる場合、平均で月220~380ドルかかる。

マリーナさんによると、娘ができる限り助けてくれているという。「特に冬は、家を暖めなければならないし、売る花もありませんから」

戦争が終わり、暮らしが良くなる希望はあるのだろうか。

彼女の答えは明快だった。

「これからもっと悪くなるだけです」

戦争は東部や南部の塹壕を中心とした消耗戦となり、ロシアはウクライナ領土のおよそ20%を占領している。ウクライナは西側諸国の支援を受けながら抵抗を続けている。モスクワは領土を要求し、キーウはロシア軍の完全撤退を求めている。

100ドルにも満たない年金、物価高、そして戦争。ウジホロドの高齢者たちは、老後も働き続けなければ家計を維持できない。

2026年現在、紛争は膠着状態にあり、本格的な和平交渉は行われていない。それでも砲撃は止まず、人道上の惨事は、数万人の死者と600万人を超える国外避難民という形で表れている。

ウジホロド中心部。この国境都市は、国内避難民を受け入れ、EUからウクライナへ入る人道支援の重要な拠点となっている。写真:Karlos Zurutuza / IPS

欧州委員会の内部報告書によれば、ウクライナは今年、軍事支出に1340億ユーロ以上を投じる見通しで、これは国家予算で当初見込まれていた額の2倍以上に当たる。政府支出全体の60%を占める規模だ。

エネルギー価格の高騰、危険を伴う物流、燃料費などが主な要因となり、国内の物価は欧州連合(EU)諸国とほぼ同水準にまで上昇している。復興費用は5000億ドルと推計されているが、現時点ではEUや米国国際開発庁(USAID)などによる個別の事業が進められているにすぎない。

ウクライナの年金は戦前から生活費に比べて十分とは言えなかったが、戦争による家計への打撃で、高齢者の生活はいまや限界に達している。多くの人々が、親族や慈善団体からの支援だけを頼りに暮らしている。

ウジホロド中心部で行われている戦争支援の募金活動。全面侵攻開始から4年以上が経過し、キーウ政府は国家支出の60%を国防に充てている。写真:Karlos Zurutuza / IPS

見えないところで

ウジホロドはハンガリー国境から約20キロ、スロバキア国境からわずか5キロに位置する。2022年以来、ウクライナの人道支援を支える「橋渡しの都市」の一つとなってきた。

何十万人もの国内避難民がこの街を通過あるいは滞在し、国境を越えて入ってくる支援物資もここを経由する。そのため、市内には多くの非政府組織(NGO)が活動拠点を置いている。

市内のカリタス事務所で活動するボランティアはIPSに対し、資金がある限り、高齢者に食料品、紙おむつ、医薬品などを提供していると説明した。しかし、利用できる資金は次第に少なくなっているという。

市内の赤十字関係者も、同様の支援に加え、「ワークショップや外出行事、娯楽プログラムなども提供している」とIPSに語った。

しかし、ウジホロド中央市場を訪れれば、余暇を楽しむ余裕が誰にでもあるわけではないことがすぐに分かる。

一見すると、市場は欧州のどの都市にもある市場と変わらない。露店には果物や野菜、卵、肉などの生活必需品が所狭しと並び、買い物客も少なくない。

違いが見えてくるのは、もう少し細部に目を向けたときだ。

「地元の人たちは今でも挨拶しに来てくれます。でも、以前ほど買ってくれません。お金がないからです。その一方で、キーウなど大都市から避難してきた人たちは、うちの商品がもっと自然で安いのに、スーパーへ行ってしまいます」

76歳のオクサナさんはそう嘆く。

彼女が露店に立ち続ける理由は、100ドルにも満たない年金だけではない。3人の息子が、強制的に動員されるのを避けるため、村に身を潜めて暮らしているからだ。

息子たちはできる範囲で家庭菜園を手伝っているが、一つの家で暮らすには人数が多すぎる。

国防省によると、約200万人のウクライナ人が軍の徴兵担当者から身を隠して生活している。前線へ送られることを恐れ、何カ月も家や村から出ずに暮らす人も少なくない。軍事訓練をほとんど受けていないまま前線に送られる可能性もある。

オクサナさんは感情をあらわにした。

「警察や軍隊は私たちを守るためにあるのではないのですか。武器の持ち方すら知らない息子たちを、なぜ屠殺場のような戦場へ連れて行こうとするのですか」

花や卵、野菜を売るウクライナの高齢者たち。戦争、低い年金、物価上昇によって、老後の暮らしはますます不安定になっている。

ウジホロド中心部で果物や野菜を売るエリザベスさん。数十年にわたり働き続けてきたにもかかわらず、74歳となった今も貧困から抜け出せずにいる。写真:Karlos Zurutuza / IPS

終わりの見えない戦争

オクサナさんのすぐ隣では、67歳のアーニャさんが「自分はまだ運が良かった」と話す。4人の子どものうち3人は国外におり、残る1人は彼女と暮らし、兵役を免除されているからだ。

午後4時の市場閉店まで、あと30分ほど。彼女の手元にはまだ、チーズ1個、鶏2羽、卵12個が残っている。

全部売れても約15ドル。それでも、彼女の月額年金の約5分の1に相当する。30年以上、郵便配達員として働いた末に得られる年金では、それが現実なのである。

かつて観光地として賑わっていたこの街では、土産物店や旅行代理店、レンタカー会社の多くが、板で覆われたままか、空っぽの店舗となっている。更新されなくなったウェブサイトだけが、戦争以前の生活が存在していたことを物語っている。

新しい現実から目を背けることは難しい。

菩提樹が並ぶ川沿いの遊歩道を歩けば、テーブルの上に置かれた軍用ドローンが目に入る。その横には、戦争支援のための募金箱が置かれている。

74歳のエリザベスさんは、戦争が始まるずっと前から路上で物を売ってきた。雨には慣れているが、この夏の猛烈な暑さの方がこたえるという。

彼女は毎日、ウジホロドから南東へ15キロ離れたヴェリキ・ラジ村から通ってくる。

夫がリンゴやピクルス、卵を詰めた袋をバスに積むのを手伝い、彼女はバス停から市場まで自分で荷物を運んで歩く。

ソ連時代の企業で会計士として30年間働き、その後さらに30年間、畑仕事を続けてきた。それでも現在受け取っている年金は、為替レート換算で月約80ドルにすぎない。

戦争が終わる日も、自分が露店を離れられる日も、彼女にはまだ見えない。

あまり深く考えないようにしているという。

「体が動く限り、ここに立ち続けます」

INPS Japan/ IPS UN Bureau Report

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南アフリカの反移民暴力、SDGs達成を遅らせ、アフリカ域内「自由移動」の理念を揺るがす

南アフリカでマラウイ人、ナイジェリア人、ジンバブエ人をはじめとするアフリカ諸国出身者を標的に広がった排外主義的な抗議行動は、人道危機を引き起こしただけでなく、いくつかの持続可能な開発目標(SDGs)の達成を危うくし、アフリカ大陸が掲げる「人の自由な移動」という理念にも深刻な打撃を与えている。

【マラウイ・ブランタイヤ IPS=チャールズ・ンパカ】

マラウイ政府は2026年8月12日、南アフリカで外国出身のアフリカ人を標的とした反移民暴力に巻き込まれていた自国民の帰還事業を完了したと発表した。マラウイ災害管理局によると、帰国した国民は5万6723人に上った。これは、約4カ月にわたって続いた異例の大規模帰還に終止符を打つものだった。約900台のバスが数万人をマラウイへ運び、中にはより良い暮らしを求めて南アフリカへ渡ってから数十年ぶりに故郷へ戻る人もいた。

マラウイ中部ドワ県出身のラヒム・アリさんも、7月下旬、そのうちの1台のバスに乗って帰国した。|英語版

「ほっとしています。政府が無事に故郷まで連れ戻してくれたことに感謝しています」と、アリさんは8月2日、自宅の村からIPSの電話取材に答えた。

Map of Southern Africa for use on Wikivoyage, English version/ Wikimedia Commons
Map of Southern Africa for use on Wikivoyage, English version/ Wikimedia Commons

「南アフリカの状況はひどく、多くの人があの暴力から逃れる手段を持っていませんでした。」

現在33歳のアリさんが南アフリカへ渡ったのは2019年6月だった。父親を亡くして2年後、母親を亡くしてからは約4年がたっていた。2011年に中等教育を終えたものの、小規模なトウモロコシ農家だった両親には、大学など高等教育へ進ませるだけの余裕がなかった。

世界銀行の最新データによると、マラウイでは毎年最大27万人の若者が労働市場に参入する一方、国内経済が年間に生み出す正規雇用は約4万件にすぎない。

安定した仕事を見つけられなかったアリさんは、地元で他人のトウモロコシ畑やタバコ畑の開墾や収穫作業を請け負って生計を立てていた。2013年には資金を工面して理髪店を開き、携帯電話の充電サービスのほか、充電器やバッテリーも販売した。

収入は多くなかったが、それでも小さな家を借り、自活することはできたという。

しかし、2017年に父親が亡くなると、それまでの自立した生活は一変した。一家の長男として、2人の妹と弟の食費、学費、衣服代を負担しなければならなくなった。

「理髪店の収入だけでは、本当に厳しくなりました」とアリさんはIPSに語った。

そんな時、南アフリカへ渡った元同級生から一緒に来ないかと誘われた。アリさんはすぐに応じ、友人とともにヨハネスブルクのイチゴ農園で働き始めた。当時の賃金は週412ランドだった。

Malawian migrants wait to board a bus during repatriation efforts, 29 June 2026, at the Malawian Consulate in Woodmead, Johannesburg. Picture: Alaister Russell

その後5年間、アリさんはいくつもの農場を渡り歩いた。

仕事は過酷だったという。監督者たちは「理由もなくむちでたたき、私たちには分からない言葉で罵倒した」。休憩はほとんどなく、病気で休めば賃金は支払われず、雇用の保障もなかった。

「それでも、同じような仕事をマラウイでするよりは給料が良かったのです」とアリさんは言う。

「それに、向こうは生活費がずっと安かったので、お金を貯めて弟や妹たちを支えることができました。」

2024年には、ソーラーパネルを販売するインド人経営の商店で助手として働き始めた。

しかし2026年5月、南アフリカ人の一団が店に押しかけ、経営者に対し、そこで働いている他のアフリカ諸国出身者を解雇するよう要求した。

仕事を失ったアリさんは、生活必需品を買うことも家賃を払うことも難しくなった。やがて家主から退去を命じられ、マラウイ領事館に避難していた同胞たちに加わった。そこでマラウイ政府による帰国手続きが進められていた。

「マーチ・アンド・マーチ(March and March)」運動に動員された南アフリカ市民は、2026年4月から6月にかけて外国人を住宅や職場から追い出した。彼らは、この取り締まりについて、不法滞在者を排除することが目的だと主張した。

南アフリカでこうした排外主義的な暴力が起きたのは、今回が初めてではない。

2008年には、2週間にわたる反移民暴力で60人以上の外国人が死亡し、少なくとも10万人が国内各地で避難を余儀なくされた。

2019年には、南アフリカのトラック運転手組合から分裂した一派が、外国人トラック運転手を排除するよう要求し、数百台のトラックに放火した。

南アフリカ国内の排外主義的差別を監視する「Xenowatch」によると、2022年から2025年にかけて、406件の排外主義的な襲撃事件が記録され、そのうち75件で死者が出た。2025年だけでも151件に上った。

2026年1月から5月までには22件が確認され、そのうち14件が暴力を伴うものだった。

Anti-migrant marchers make their way through Soweto during demonstrations, 29 June 2026, in Jabulani, Soweto. Picture: Alaister Russell

最新の暴力が激化するなか、南アフリカのシリル・ラマポーザ大統領は、南アフリカ国民の経済的不満につけ込んだ「便乗者」が抗議行動をあおっていると述べた。また、この暴力は外国人に対する南アフリカ政府の政策を反映するものではないと強調した。

一方でラマポーザ大統領は、不法移民が国内の住宅や医療制度に負担を与えているとも指摘し、政府として「法の枠内で」対応していくと述べた。

Xenowatchの共同創設者、ローレン・ランドー氏は、南アフリカ政府は排外主義的暴力に対し、実効性のある対応を取っていないと指摘する。

「政府はまず、『これは外国人嫌悪ではなく、不満や誤情報、犯罪者の問題であり、それに対処する』と言います。しかし同時に、マーチ・アンド・マーチが提起した問題の一部、つまり国境管理の強化、国外退去の拡大、職場管理の強化については対応すると言っています。」

「実際、政府はそうした措置を進めています。しかし、2008年以来続いてきた行進やその他の動員を主導してきた人々の責任を追及することはしていません。」

ランドー氏はIPSの電話取材にこう語った。

外国人に対する恐怖と暴力を仕組み、実行した者たちの責任を問わなければ、彼らは今後も自らの利益や権力獲得の手段として移民を利用し続けるだろう、とランドー氏は警告する。

今回の排外主義的襲撃の深刻さと、その結果としての大規模な帰還は、南アフリカのアフリカ大陸における評判を「大きく傷つけ」、労働、貿易、投資を通じた地域統合の取り組みを後退させたという。

「個々の人々が犠牲になったことに加え、マラウイ、モザンビーク、レソトなどに対して、『自国民は自国で面倒を見て、自分たちの問題は自分たちで解決しろ』と言わんばかりの政府の発言も、極めて侮辱的だと思います」とランドー氏は述べた。

研究論文「南アフリカの外国人嫌悪とSDG8実現の現実(Xenophobia in South Africa and the Realities of Actualising SDG 8)」を執筆したケスター・チュウマ・オノール氏は、南アフリカがこの問題を解決しない限り、他国との平和と協力を確立することは難しく、とりわけ「働きがいも経済成長も」を掲げるSDG8の達成は困難になると論じている。

SDGs Goal No. 8
SDGs Goal No. 8

ほかの研究でも、外国人嫌悪は「貧困をなくそう」を掲げるSDG1を脅かすと指摘されている。

ジャスティス・K・ムシャ氏とエリック・ブランコ・ニイトゥンガ氏は、論文「南アフリカ国家開発計画とSDGsの障壁としての外国人嫌悪(Xenophobia as a Barrier to South Africa’s National Development Plan and SDGs)」の中で、排外主義的襲撃は外国人起業家の事業を打撃し、雇用喪失や失業率上昇を引き起こし、経済成長にも悪影響を及ぼすと論じている。

汎アフリカ調査ネットワーク「アフロバロメーター」が最近実施した調査では、アフリカ人の56%が、他国で生活し働くために国境を越えて自由に移動できることを支持していることが分かった。

一方、少なくとも40%は、国内の雇用やその他の機会を守るため、国境を越えた人の移動を制限する方が望ましいと回答した。

アフロバロメーターの研究者で、マラウイ大学の政治学者でもあるボニフェース・ドゥラニ氏は、今回の南アフリカからの大規模な外国人排除により、アフリカ市民の間では、地域および大陸レベルで進められてきた統合や国境を越えた自由な移動という理念が「紙の上だけのもの」にすぎないとの印象が強まるだろうと指摘する。

さらにドゥラニ氏は、今回の暴力を組織した人物を南アフリカ政府が逮捕・起訴していない背景には、選挙を意識した政治的判断があるとみている。南アフリカでは2026年11月に地方選挙が予定されている。

「重要な選挙の年で政治情勢が不安定になっていることを考えれば、政府が動かないのは、厳しい対応を取れば一部野党勢力に政治的に利用されかねないという観点から理解する必要があります」とドゥラニ氏は語った。

その後、南アフリカ内務省は、少なくとも8万2000人の外国人の帰国を支援するために支出したとして、約3億ランド(約1900万ドル)の費用をマラウイ、エチオピア、ナイジェリアに返済するよう求めた。

ランドー氏によれば、この要求は、抗議行動後に地域諸国との関係を再構築していくとしたラマポーザ大統領の発言と真っ向から矛盾する。

「その後になって請求書を送りつけるというのは侮辱です。まさに、倒れている人をさらに蹴るようなものです。しかし、これは国内向けの政治的な行為であり、政府が南アフリカと南アフリカ国民の利益を最優先していると示すために行われています。」

ランドー氏は、南アフリカ側も実際には各国が支払うとは考えていないとみている。

一方、マラウイでは、政府によると約500万ドルを要した大規模帰還事業の最中、国会議員から、有効な書類を持たずに非正規雇用を求めて南アフリカへ渡るマラウイ人を禁止すべきだとの提案も出された。

アリさんは2019年に南アフリカへ渡った際、パスポートを所持していた。ベイトブリッジ国境検問所で入国した際には、30日間のビザが押されていた。

「問題は、そのビザが切れてからです」とアリさんは言う。

「雇用主は、こちらが当局に訴えられないことを知っているので、労働者の権利を平気で侵害します。当局に訴えるということは、不法滞在・不法就労している自分自身を逮捕してくれと差し出すようなものだからです。」

アリさんに南アフリカへ戻るつもりはない。

南アフリカで働いていた間、故郷の町に将来家を建てるための土地を購入していた。現在、その土地を売りに出し、その資金で小さな商売を始めようとしている。

「うまくいってほしいです」とアリさんは語った。

「もう、あの暴力は十分に見ました。」

Note: This article is brought to you by IPS Noram in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International in consultative status with ECOSOC.

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タリバンはいかにしてアフガニスタンの女性たちを追い詰めているのか

ローマIPS=アリエル・F・デュモン】

タリバンが政権に復帰してから5年。アフガニスタン議会の元副議長ファウジア・クーフィ氏は、同国の現状を「ジェンダー・アパルトヘイト」だと告発している。|英語版フランス語

Ariel F Dumont
Ariel F Dumont

さまざまな禁止措置や恐怖による支配、そして女性の存在を社会から組織的に消し去ろうとする動きにもかかわらず、アフガニスタンの女性たちは、地下学校やオンラインの連帯ネットワークを通じて抵抗を続けている。

クーフィ氏はまた、2020年にカタールのドーハで行われたタリバンとの和平交渉で、アフガニスタン政府を代表する公式代表団の一員を務めた。

カブール陥落後、アフガニスタンから退避して欧州で暮らしながら、現在もアフガニスタン女性の権利を訴え、タリバン支配に代わる政治的選択肢を求めて活動している。IPSのインタビューでクーフィ氏は、タリバンがいかに組織的に女性を公的生活から排除してきたかを説明するとともに、それでも抵抗を続けるアフガニスタン女性たちの強靱さと決意について語った。

IPS:タリバンが政権に復帰して以来、女性たちは段階的にあらゆる権利を奪われてきました。現在、あなたはこの状況を「ジェンダー・アパルトヘイト」と呼んでいます。アフガニスタンの女性たちが置かれている状況をどのように見ていますか。

ファウジア・クーフィ: タリバンが一連の布告によって規制を次々と強化した結果、女性たちは徐々に権利を奪われてきました。2021年には女子の中等教育が禁止され、2022年には女性の大学進学が禁じられました。2024年には医学を学ぶことも認められなくなり、産婦人科でさえ例外ではありません。

現在では、あらゆる分野の教育が女性に対して閉ざされています。第1次タリバン政権時代と比べても、現在の規制はさらに厳しいものです。それでもアフガニスタンの女性たちは抵抗を続けています。教育が不可欠であることを本人たちが知っており、その家族も教育の重要性を理解しているからです。女性や少女たちは、民家などで密かに開かれている地下学校に通っています。

こうした学校の多くはNGOによって運営され、教師の給与を支払い、場合によっては生徒のインターネット接続費まで負担しています。また、英語やコンピューターをオンラインで学ぶコースも提供しています。こうした学校では卒業資格を取得することはできません。それでも、生徒たちは教育を受けることで、オンラインビジネスを始めたり、人目を避けながら遠隔教育を続けたり、ほかの少女たちに教えたりすることができるようになります。

IPS:こうした地下学校はどのように運営され、女性たちはどのように弾圧をかいくぐっているのでしょうか。

クーフィ: 公式には、こうした学校は存在しないことになっています。登録されていないからです。そのため、タリバンに発見されれば、教師や生徒、運営責任者が逮捕される可能性があります。

実際、私が設立を支援したネットワークの一つでも、アフガニスタン中西部のゴール州や北東部のバダフシャン州で学校が急襲され、職員が逮捕されました。一方で、タリバン関係者の家族がこうした学校に通っている場合には、比較的寛容な対応をすることもあります。

Map of Afghanistan
Map of Afghanistan

カリキュラムでは、女性や少女たちが奨学金を獲得したり、オンラインで働いたり、オンラインビジネスを営んだりできるよう、科学、コンピューター技能、英語などに重点を置いています。小規模なビジネスを立ち上げた女性の中には、事業を拡大するため、自らマーケティングを担っている人もいます。しかし残念ながら、卒業証書や正式な資格が得られないため、大多数の女性にとって職業上の機会は極めて限られています。

国外で暮らす多くのアフガニスタン女性も、国内の女性たちにオンライン教育を提供するため、多くの時間を費やしています。私たちは彼女たちを大学生とつなぎ、英語やその他の言語を教えようとしています。

残念なのは、西側諸国の政府が女性の権利を守ると繰り返し約束しながら、アフガニスタン女性が海外で学び続け、いつの日か帰国して国の再建に貢献できるようにするための資金や奨学金を提供していないことです。

タリバンが公言している目的は、イスラムの道徳を名目として、アフガニスタン社会から女性の存在を消し去ることなのです。

IPS:なぜ「ジェンダー・アパルトヘイト」という言葉を使うのでしょうか。

Afghan girls attend a clandestine home-based class as armed Taliban patrol outside—an illustration of women’s resistance to sweeping restrictions on education and public life. (Illustrative image by INPS Japan.)

クーフィ: 女性たちが少しずつ、公的生活から完全に排除されてきたからです。カブールの街を歩いていてタリバンの当局者や兵士に出会うと、まるで犯罪者を見るような目で見られる、と話す女性もいます。

「働くことも大学に通うことも許されていないのに、なぜ街を歩いているのか」

そう言われるのです。

性別、人種、宗教などを理由に、特定の性や集団を分離し、社会から排除する――それこそがアパルトヘイトです。タリバンが行っているのは、まさにそれです。

国際社会が沈黙していることは、極めて残念です。タリバンの体制を時折非難する政府もありますが、それだけで終わっています。

さらに悪いことに、そうした政府自身が矛盾した対応を取っています。

例えば英国は、「私たちはアフガニスタン女性を支援する」と言い続ける一方、学生が後に亡命を申請する可能性を懸念して、学生ビザの発給を拒んでいます。筋が通りません。実際に亡命を申請する人が何人いるというのでしょう。200人でしょうか。自国では勉強することも働くこともできない状況なのですから、たとえ亡命を申請したとしても、それを問題視すべきではありません。

こうした数々の矛盾と国際社会の不作為は、タリバンを勢いづかせ、その立場を強めるだけです。タリバンはそれを、自分たちが認められ、正統性を与えられている証しだと受け止めているのです。

IPS:多くの専門家は、アフガニスタンの公共空間から女性の姿が消えつつあると指摘しています。この見方に同意しますか。

SDGs Goal No. 5
SDGs Goal No. 5

クーフィ: 現在そこで暮らす女性たちが、自由に家を出ることさえ許されない現実を想像してみてください。例えば、人道支援物資の配給を考えてみましょう。

多くの地域では、タリバンが自ら任命した地方評議会の協力を得て、支援物資の配給を管理しています。支援対象者には、タリバン関係者の親族や支持者が選ばれています。

扶養する子どもを抱えた戦争未亡人などの単身女性や、タリバン支配下で職を失った女性たちは、支援の対象から排除されています。抗議すれば、タリバンが任命した地方評議会のメンバーに通報され、逮捕されます。

タリバンの刑務所では、性暴力が行われた事例もあります。

タリバンは国とあらゆる制度を組織的に掌握することによって、体制全体を完全に支配しています。地方評議会のメンバーが反発したり、十分に協力しなかったりすれば、ただちに別の人物に交代させられます。それが、この体制の仕組みです。

それでも女性たちは、生き延びるために抵抗し、抗議を続けています。決して容易なことではありません。自宅で美容室や小さな店を開く女性もいます。

タリバンと合意を結び、検閲に従っている一部のテレビ局では、今も女性を雇用することが認められていますが、女性は放送中、顔を覆うことを義務付けられています。事実上、そこで働く女性たちはタリバンの代弁者のような立場に置かれており、彼女たちが伝えるニュースはタリバンによって厳しく統制されています。

IPS:女性たちがある程度の自由を享受できる場所は、まだ残っているのでしょうか。

クーフィ: そうした場所はますます少なくなっています。先月、アフガニスタン西部のヘラートでは、ブルカを着用せず、地域の伝統に従った大きなスカーフを身に着けていた女性60人以上がタリバンに逮捕されました。

彼女たちの家族やほかの女性たちが抗議し、この時は男性たちも街頭に出ました。タリバンは発砲して応じました。彼らにとって、人命にはほとんど価値がないのです。人々を逮捕し、投獄し、拷問し、殺害します。

4月28日には、私の家族3人と庭師1人も逮捕されました。その後、私の自宅は没収されました。親族は1週間にわたり独房に拘禁され、拷問を受けました。私たちはソーシャルメディアを通じて訴えを広げ、最終的に家族は釈放されました。こうしたことが起きたのは、ただ私がメディアに発言し、カブールの国連アフガニスタン支援ミッションと連絡を取ることができるからです。

しかし大半の場合、家族は愛する人がどこに拘束されているのかさえ知ることができません。何カ月も行方が分からなくなることがあります。メディアはタリバンに統制されているため、こうした事例を報道しません。これが誰もが直面している現実です。

それでも女性たちは、それぞれの方法でソーシャルメディアを通じて発信し、抗議を続けています。

IPS:世界はアフガニスタンとアフガニスタン女性を忘れてしまったと感じますか。

クーフィ: はい。世界はタリバンの復権に道を開きました。

タリバンと米国が締結したドーハ合意を思い出してください。そこには、女性の置かれた状況についても、人権全般についても、何一つ書かれていません。

そのすべてがタリバンを勢いづかせました。

私はあの交渉に参加しましたが、タリバンは私に「女性の権利は、あなたの米国や欧州の友人たちにとって優先事項ではない」と言いました。残念ながら、彼らの言う通りでした。

現在、欧州連合(EU)は、国外に不法滞在しているアフガニスタン人や、安全保障上の脅威とみなされる人々の帰還をめぐり、タリバンを交渉に招いています。しかし、これは非常に奇妙で矛盾した対応です。アフガニスタン国内の状況が改善しない限り、人々は国外に出ようとし続けるからです。

国内で暮らす人は、誰もが国外に出たいと思っています。私は毎日、アフガニスタンの人々と電話で話していますが、誰もが「国を出たい」と言います。仕事も、教育も、自由もなければ、人間としての尊厳もありません。

まったく不合理です。EUはタリバンと関与していますが、タリバンはこうした交渉を自らの利益のために利用するだけでしょう。

西側諸国、そして世界全体の関心は、ほかの大規模な紛争に向けられています。しかし、これは間違いだと思います。遅かれ早かれ、アフガニスタンは複数の暴力的過激派組織の活動拠点となるでしょう。

パキスタン・タリバン運動(TTP)、過激派組織「イスラム国」(ISIS)、アルカイダは、今なおこの地域で活発に活動しています。実際、2022年7月には、アルカイダの指導者がタリバンの大統領府からわずか2キロほどの場所で殺害されました。

こうした組織の存在を許しながら国を統治するタリバンが、それらの組織と効果的に戦うと主張することは、私に言わせれば、まったくの偽善です。

手遅れになる前に、世界は行動しなければなりません。私たちはNATO軍の再派遣を求めているのではありません。各国政府に対して、タリバンを勢いづかせたり、支援したりしないよう求めているのです。

残念ながら、人権、とりわけ女性の権利は、戦略上の重要課題とも優先事項ともみなされていないように感じます。それが現実なのです。

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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悲嘆と希望が交錯するネパール

生存者や行方不明者の家族が求めているのは、愛する人が生きているのか、亡くなったのか、その消息だ

【カトマンズINPS Japan/Nepali Times=ソニア・アワレ】

カトマンズの病院の敷地内では、至るところで死についての会話が聞こえてくる。「まだ顔は判別できますか?」「遺体の腐敗をどう防げばいいのでしょう?」|英語版

「もう4日もたっている。生きている可能性はないでしょう」

ここには、奇跡的な生還を伝える話はほとんどない。それでも、夕方の雨の中、ティーチング病院の外で待ち続ける家族たちは、わずかな望みにすがっている。多くの人はすでに運命を受け入れつつあり、最悪の事態に備え始めている。今、彼らが求めているのは、せめて遺体が見つかったという知らせだ。それによって、ようやく区切りをつけることができるからだ。

Photo SUMAN NEPALI

一方、何度も同じ話を繰り返し聞かれることに疲れ果て、カメラを持った記者たちを避ける人もいる。私たちは距離を置き、生存者たちのプライバシーを尊重し、その心の傷に配慮する。彼らの多くもまた、紙一重で死を免れた人々だからだ。

「あなたたちのカメラで、私たちの家族が戻ってくるんですか?」一人の女性が、涙を撮影しようと押し寄せる外国人記者団にそう問いかけた。親族が彼女をなだめようとしていた。

Photo SUMAN NEPALI1

ディル・クマリ・マスランギ・マガルさんは、病院の門の近くで、義理の兄と甥の写真を掲示していた。その周囲には、亡くなった人々の写真が何十枚も並び、行方不明者の名前を記した長いリストが張り出されている。彼女は、「このことを世界に伝えてほしい。どこかで誰かが2人を見かけているかもしれない」と話した。

「もう、希望を持つことしかできません」彼女は静かに言った。「たとえ遺体だけでも、見つかれば少なくとも何が起きたのか分かります。」

そばにいたディルガ・マヤ・クラミ・マガルさんも会話に加わった。彼女の甥も行方不明になっている。洪水が襲う前のその朝、彼女は3回電話をかけたが、甥は出なかった。

2人の女性とその家族は、もともとウダイプル出身だ。親族たちは8月26日の朝、ラスワで働いていた。現在も消息が分からないネパール国内の約2500人以上の中に、彼らも含まれている。トリスリ川をのみ込んだ泥流によって、中国側でもさらに約500人が行方不明となっている。

わずかに残る生還の知らせ

それでも、ごくわずかではあるが、生還の物語もある。8月28日夜、中国国境に近いティムレで、救助隊が倒壊した家屋のがれきの下から、かすかな泣き声を聞いた。隊員たちは必死に泥を掘り進め、6歳のマニシャちゃんを救出した。

ネパール軍は、水力発電所のトンネル内から80人以上の作業員を救助した。しかし、トリスリ川とその支流沿いにある12カ所の発電事業では、今も数百人が行方不明のままだ。

特殊装備を備えた中国とインドの救助隊も、取り残された人々の救出を急いでいる。

押し寄せた「泥の壁」

中には、行方不明の家族を探すため、自費でヘリコプターをチャーターしようと考えるほど追い詰められている人もいる。しかし政府は、限られたヘリコプターを救助活動に優先して使用する必要があるとして、民間による捜索は資源の浪費になる可能性があると自制を求めている。

スバシュ・タマンさんは、行方不明になった親族を探すためドゥンチェへ向かった。親族はいずれも観光バスの運転手だった。

そのうち2人は、国境で観光客を降ろした後、帰路についていた。午前8時31分までは連絡が取れていたという。巨大な泥流が押し寄せる約30分前だった。

タマンさんは、遺体が下流まで流されていないか確かめるためチトワンにも足を運び、現在はカトマンズにいる。私たちは、彼が警察官にこう話すのを耳にした。「ある場所で、みんなが救助を待っている夢を何度も見るんです。ヘリさえ使えれば……」

そして私たちの方を向き、切迫した声で言った。「あなたたちジャーナリストの力を借りて、少しでも早く見つけたいんです。」

8月26日の洪水以降、ラスワのガッテコロで行方不明となっているディネシュ・タマンさん、ケシャブ・タマンさん、アショク・クマール・グンボさん。3人はいずれも観光バスの運転手だった。

ネパール政府が発表する公式の死者数は、発見された遺体の数を基にしている。死者数は700人に迫っているが、最終的には数千人規模に達する可能性が高い。そうなれば、同じ地域にも甚大な被害をもたらした2015年の大地震以来、最悪の災害となる。

ようやく家族の死を受け入れ始めている人もいる。ケサリ・タマンさんは毎日病院を訪れている。この日の夕方、私たちは彼女が1枚の遺体写真を食い入るように見つめている姿を目にした。遺体の指には指輪があった。兄のサンカ・ブダさんが身につけていたものとよく似ているという。

兄はベトラワティで、流失した橋の近くにあるレストランを経営していた。警察の窓口では、遺体の身長は約5.6フィートで、比較的色白だったと説明された。遺体はカピルバストゥで発見されたため、タマンさん一家は身元を確認し、葬儀の手続きをするため、ピプラ病院の遺体安置所へ向かう準備を始めた。

「明日の早朝に出れば、10~11時間くらいで着くでしょう。もし本人でなければ、そのまま戻ってくるだけです。でも、たぶん兄だと思います」親族の一人が深いため息をつきながら話した。

Photos SUMAN NEPALI

公開されている遺体写真は目を背けたくなるほど痛ましく、こうした生々しい写真を人目に触れる場所に掲示することに疑問を呈する声もある。しかし今のところ、家族にとっては、それが身元を確認するほぼ唯一の手段なのである。

その後、私たちは顔立ちのよく似た若い女性たちの一団に出会った。全員が、たった一人の弟、サントシュ・ティン・タマンさん(23)の消息を探していた。8人姉妹の長女、シャンティ・マヤ・タマンさんによると、その日に新たに搬送された遺体の写真が病院から掲示されるのを待っているという。

サントシュさんはネパールと中国の国境近くにあるカフェでバリスタとして働いていた。災害が発生した時は休暇を取り、ケルン経由でカトマンズへ向かっていた。ネパール時間午前7時30分に出発しており、洪水が襲った時刻には国境付近にいたとみられている。

「姉妹たちとラクシャ・バンダンを過ごすために、5日間の休みを取ってくれていたんです。」シャンティ・マヤさんは話した。「両親から何度も電話がかかってきて、『弟は見つかったか』と聞かれます。私たちはずっと探し回っていますが、ここには弟の写真も、名簿に名前もありません。ビドゥルの避難所にもいませんでした。TikTokでも探しました」

Photos SUMAN NEPALI1
Photo: SUMAN NEPALI

姉妹たちはカトマンズで働いたり学んだりしながら、賃貸の一室で暮らしている。両親はラスワのボトレにいる。村は山の上にあるため両親は無事だが、村へ通じる道路は流失し、行き来することができない。

シャンティ・マヤさんはもう涙も枯れ、希望さえ使い果たしたようだった。そして淡々とした声で、こう付け加えた。「家族は無事です。でも村々はすべてなくなってしまいました。もう誰も残っていません。」


ネパールの洪水被災地を支援したい方は、首相災害救援基金への寄付が可能です。詳細については関連情報をご確認ください。

ソニア・アワレ:『Nepali Times』編集長。健康、科学、環境分野の記者も務める。気候危機、防災、開発、公衆衛生について、それぞれの政治的・経済的なつながりに注目しながら幅広く取材してきた。公衆衛生を学び、香港大学でジャーナリズムの修士号を取得している。

INPS Japan

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国連、カザフスタンの提唱で4月22日を「地球緑化国際デー」に制定

【アスタナINPS Japan/The Astana Times=アヤナ・ビルバエワ

国連総会は、カザフスタンが提唱した決議を採択し、4月22日を「地球緑化国際デー(International Day of Greening the Planet)」とすることを宣言した。カザフスタンが世界規模の環境協力を推進する取り組みにおいて、新たな一歩となる。世界のさまざまな地域から32カ国が共同提案国として決議に加わり、この構想に対する幅広い国際的支持を示した。

決議は8月31日、ニューヨークの国連本部で採択された。

この構想は、カシムジョマルト・トカエフ大統領が2025年9月、第80回国連総会一般討論演説で初めて提唱したものだ。

「地球緑化国際デー」が4月22日に定められたのは、この日が「アースデー(地球の日)」でもあるためだ。アースデーは、世界各地で大規模な植樹をはじめとするさまざまな活動が行われ、環境保護への意識と行動を促す国際的な記念日として広く定着している。

今回新たに設けられた国際デーは、こうした既存の世界的な環境意識と行動の伝統をさらに発展させるものとなる。

32カ国が共同提案国となったことは、この構想が地域を超えて幅広い支持を集めていることを示している。

新たな国際デーは、緑化や自然生態系の再生の重要性について世界的な認識を高めるとともに、各国政府、国連機関、国際・地域機関、市民社会をはじめとする関係者に、関連する取り組みや活動を進めるよう促すことを目的としている。

決議は、環境保護の強化、生態系の回復、緑地の拡大、そして環境に対する意識と文化の醸成に重点を置いている。

この構想は、カザフスタン国内で進められている環境キャンペーン「タザ・カザフスタン(Taza Kazakhstan)」とも方向性を同じくしている。同キャンペーンは、環境に対する責任ある姿勢を育み、公共空間の改善を図るとともに、市民の環境意識を高めることを目指している。

今回の決議採択は、トカエフ大統領が提唱した新たな国際構想を具体化したものであり、カザフスタンが多国間協力を通じて環境問題を国際社会の重要課題として推進しようとしている姿勢を改めて示した。

カザフスタンは、この国際デーの制定を通じて、生態系の回復と緑化を国際社会の議題においてさらに重要な位置に据え、各国が環境分野で掲げる約束を具体的な行動へと移すことを促そうとしている。

Original URL: https://astanatimes.com/2026/09/un-declares-april-22-international-day-of-planet-greening-at-kazakhstans-initiative/

INPS Japan

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