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フィジーの真実和解委員会、数十年の政治危機を経て信頼と平和の回復へ

【シドニーIPS=キャサリン・ウィルソン】 

トンガ西方の中部太平洋に位置するフィジーは、豊かな自然とビーチリゾートで名高い一方、38年間にわたり、民主的に選ばれた政権が転覆され、人権が損なわれる政治的混乱を繰り返してきた。これまでに4度の武装クーデターが発生している。

しかし、2022年の総選挙で平和的な政権交代を果たしたシティベニ・ラブカ首相と連立政権は、過去と向き合い、より平和で強靭な未来を築くため、「真実和解委員会(TRC)」の設置を進めている。

ラブカ首相(第1回目のクーデターを主導した人物)は昨年12月に成立した関連法案を支持する議会演説で、この委員会が「クーデター期の政治的激変に関する真実を、自由かつ率直に語り合う場をつくり、生存者に癒やしと決着を促す」役割を果たすと説明。現在は、国の和解と民主的規範への回帰を監督することを誓っている。

TRCの任務は、1987年、2000年、2006年に起きたクーデター、その際の人権侵害、そしてフィジーの先住民とインド系住民の間で権力闘争を絶え間なく引き起こしてきた不満を調査することにある。焦点は真実の共有と再発防止であり、加害者の訴追や被害者への賠償は行わない。

今年1月、委員長に就任したマーカス・ブランド博士(国連や欧州連合で要職を歴任し、移行期司法の分野で豊富な経験を持つ)は、「この委員会はフィジー国民が自らの歴史と向き合うためのものです…目的は責任を追及して傷を深めることではなく、より良い未来に向けて前進することです」と語った。委員には他に、元高等法院判事セコベ・ナキオレブ氏、元テレビ記者ラチナ・ナス氏、元フィジー航空機長ラジェンドラ・ダス氏、リーダーシップ専門家アナ・ラケレタブア氏の4人が加わる。

首都スバに拠点を置くNGO「太平洋平和構築センター」のフローレンス・スワミ事務局長は、IPSに対し、TRCは国民の間に信頼を築くために重要だと述べた。「第一歩として、人々が自分の体験を安心して語れる安全な場をつくることが大切です」と強調する。

The Fiji Parliament, Suva, Fiji. Credit: Josuamudreilagi

フィジーの政治的混乱は過去に根を持つ。19世紀のイギリス植民地支配期、先住民の土地権を強化し、収奪を防ぐ政策が取られた。これらの権利は1970年の独立時に制定された最初の憲法でも再確認された。

一方で、砂糖プランテーションでの労働と植民地開発促進のため、インドからの計画的移民が進められた結果、社会構造は大きく変化。20世紀半ばには、インド系人口が先住民人口を上回り、平等な権利を求める声が高まった。

Fiji’s capital city Suva. Credit: Maksym Kozlenko
Fiji’s capital city Suva. Credit: Maksym Kozlenko

こうして政治は権力闘争に巻き込まれ、1987年、当時軍将校だったラブカ氏が初のインド系政権(ティモシ・ババドラ首相)を転覆。ラブカ氏は1992年から1999年まで首相を務めた後、マヘンドラ・チョードリー首相率いるインド系政権が誕生したが、2000年に民族主義者ジョージ・スペイト氏が第2次クーデターを起こし、国会で政府要人を数週間拘束した。さらに2006年にはフランク・バイニマラマ陸軍司令官が第3次クーデターを実行し、当時のカラセ首相政権を汚職と分断政策の是正を名目に打倒。以後8年間、軍事政権を率い、2014年の総選挙まで続いた。

クーデターは大きな人的被害をもたらした。特に2006年以降、無法状態、民族間暴力、軍・警察の暴力、体制批判者の逮捕や拷問が頻発。2009年に政府が施行した非常事態令は、加害に関与した国家当局者に免責を与えた。アムネスティ・インターナショナルは翌年、恣意的逮捕や脅迫、ジャーナリストや批判者への暴行など全ての人権侵害の即時停止を求めた。

現在、人口約90万人のうち、メラネシア系が約56%、インド系は海外流出の影響で約33%となったが、社会の分断は根強く、過去の傷も癒えていない。

「多くのインド系移民は、より良い仕事や賃金を得られるという虚偽の口実でフィジーに連れて来られました…先住民はこの重大な決定についてほとんど意見を聞かれませんでした」と、南太平洋大学ジャーナリズム学科長のシャイレンドラ・シン博士はIPSに語る。

TRCは今後18か月間、公聴会を開く予定で、ラブカ首相は自らの関与について最初に証言すると約束している。「すべてを真実として誓って話すつもりです…少なくとも人々に、なぜそうしたのかを理解してもらいたい」と今年1月にメディアに語った。委員会は被害者と生存者を中心に据える方針で、「彼らの経験は説明責任を促し、癒やしを進め、より統一的で思いやりある社会を築く上で不可欠」としている。

一方で、対立や痛みの記憶を呼び覚ますことによるリスクや、分断の再燃防止の必要性を指摘する声もある。国内専門家は、TRCを超えて、長年の不満の原因である不平等や政治的疎外といった構造的課題に取り組み、「すべての人が生まれた国に帰属意識と忠誠心を持てるようにする」必要があると訴える。特に「先住民の政治的支配に対する不安」と「インド系住民が国家から平等に扱われていないという疎外感」への対応が求められる。

過去のクーデターで決定的役割を果たし、国内秩序維持を名目に行動を正当化してきたフィジー軍も、民主的統治の定着には不可欠だ。2023年には、軍が政治・選挙への介入を終わらせるための内部和解プロセスが始まり、今年4月にはTRCとの公式会合で「過去の過ちを繰り返さず、民族や背景、政治信条を問わず全市民に奉仕する憲法秩序の守護者であり続ける」と誓った。

委員会は約2年間の活動終了後、社会的結束を支えるための施策や政策改革に関する最終報告書を提出する予定だ。スワミ氏は「提言が紙の上だけで終わらず、実行されることが重要です。誰が責任を持って実施するのか、制度をどのように説明責任に服させるのかが問われます」と強調する。

将来について、スワミ氏は「誰もが安全を感じ、平等な機会があり…誰もが自分の可能性を最大限に発揮できる国」にフィジーがなることを願っていると語った。(原文へ

This article is brought to you by IPS Noram in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International in consultative status with ECOSOC.

INPS Japan

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岐路に立つアフリカ開発:雇用・公平性・資金調達への緊急対応なければSDGs達成は危ういと報告書が警告

【国連IPS=シェーヤ・コマール】

アフリカは持続可能な開発目標(SDGs)の3分の2以上で前進を見せているものの、「働きがいのある人間らしい雇用」「ジェンダー平等」「社会的保護へのアクセス」などの分野では、2030年目標達成には歩みが遅すぎる―。

これは、国連ハイレベル政治フォーラム(HLPF)のアフリカ・デー・セッションで発表された最新の「アフリカ持続可能な開発報告書(ASDR)」が示した中心的な警告である。

アフリカ連合(AU)の「アジェンダ2063」と国連の「アジェンダ2030」との整合性を追跡する本報告書は、希望と課題の双方を浮き彫りにした。アフリカの開発努力は着実に進展しているが、資金不足やデータ欠如、高い若年失業率やジェンダーによる排除といった構造的障害が依然として勢いを削いでいる。

世界で最も経済成長の速い国々を抱える一方で、大陸は年間最大7620億米ドルの持続可能な開発資金不足に直面している。社会的保護のカバー率は著しく低く、脆弱層のうち何らかのセーフティネットを利用できるのはわずか19%にとどまる。多くのアフリカ諸国では社会的保護への公的投資がGDPの3%未満で、世界平均を大きく下回っている。

「現在の進展ペースでは、2030年までにSDGsを達成するには不十分だ」と報告書は警告し、包摂的成長、地域統合、制度能力構築を大陸全体で加速させる戦略の必要性を訴えている。

健康分野では平均寿命や疾病対策など改善が見られる一方、妊産婦死亡率や医療アクセスの格差は依然深刻である。ジェンダー平等も、法的障壁、高い暴力被害率、無償ケア労働の負担により制約されている。

SDG8(働きがいのある人間らしい雇用と経済成長)については、生産性の低さ、非正規雇用の多さ、若年失業が課題であり、包摂的な雇用創出と経済変革の必要性が指摘されている。観光業など一部分野で回復は見られるが、1人当たりGDP成長率は2021年の2.7%から2023年には0.7%へと低下。教育・雇用・職業訓練のいずれにも属さない若者(NEET)は全体の23%を超え、女性の割合が高い。観光業のGDP寄与率も2023年で6.8%にとどまった。

経済ショック、気候変動、地政学的な不安定さが、雇用創出や持続可能な成長を妨げている。報告書は、データに基づく戦略、革新的な資金調達、統合的政策により開発格差を埋め、世界的・大陸的アジェンダ双方に沿った強靱で公平なシステムを構築する必要性を強調している。

「単に雇用を生み出すだけでは不十分で、安全な労働条件を確保しなければならない」と、アフリカ連合委員会のセルマ・マリカ・ハダディ副委員長は述べた。

国連のアミナ・モハメッド副事務総長は、アフリカ諸国が抱える不均衡な出発点に触れ、「アフリカは意思決定の場にいないことがあまりに多く、その影響を最初に受ける」と指摘。「若者たちは、私たちが与えている以上のものを受けるに値する」と述べ、若年層の教育への包摂的投資の必要性を訴えた。

議論では、技術的・財政的支援の拡充、気候資金の拡大、違法資金流出への対策、社会的・経済的不平等の是正が焦点となった。参加者らは、SDG17(パートナーシップ強化)、包摂的な社会的保護制度、若者や女性が主導するイノベーションを変革の鍵として強調した。

ASDRの発表は、各国戦略を支えるデータ駆動型の知見を提供する重要な節目となった。(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

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G7が動く―パレスチナ国家承認に向けた西側の外交転換

【国連INPS Japan / ATN=アハメド・ファティ】

フランスとサウジアラビアが共同議長を務めた「二国家解決に関する国連ハイレベル会議」は、例によって慎重な期待と決まり文句から始まった。だが閉幕時には、現代の外交において稀に見る明確な姿勢転換が現れた。長年棚上げにされてきたパレスチナ国家の承認をめぐり、世界の潮流が変化したのである。しかも今回の変化を主導したのはグローバル・サウスではなく、G7の一部加盟国だった。

外交のドミノ効果

Ahmed Fathi.
Ahmed Fathi.

始まりはフランスだった。エマニュエル・マクロン大統領は7月24日、フランスが9月の第80回国連総会でパレスチナ国家を正式に承認すると発表した。その5日後、英国のデービッド・ラミー外相は、歴史的なバルフォア宣言を引き合いに出し、「イスラエルがガザでの軍事作戦を停止し、真摯な二国家解決の枠組みに復帰しない限り、英国はパレスチナを国家として承認する」と表明した。彼の発言は重く、明快だった。「ベンヤミン・ネタニヤフ政権の二国家解決拒否は、道徳的にも戦略的にも誤りだ。」

さらに7月30日、カナダのマーク・カーニー首相も9月の承認を約束。条件として、パレスチナ自治政府(PA)の内部改革と、ハマスを除外した2026年の選挙計画の提示を求めた。

わずか1週間のうちに、G7諸国のうちフランス、英国、カナダの3カ国が、長年続いた西側諸国の曖昧な外交姿勢を転換した。G7のほぼ半数がパレスチナ国家の承認に踏み切る動きを見せたことになり、ポルトガルも追随の意向を示している。

亀裂の拡大:イスラエルの孤立が進む

注目すべきは、これらの承認がイスラエルの「敵対国」からではなく、長年の「友好国」からなされた点である。そしてその動機は、イスラエル現政権への失望感にある。

特に欧州でその傾向は顕著だ。イスラエルの強固な支援国だったオランダは、初めてイスラエルを「国家安全保障上のリスク」と見なし、ガザでの人道違反や極右政権を理由に、ベングビル国家安全保障相およびスモトリッチ財務相に対する制裁と渡航禁止措置を導入した。欧州連合(EU)全体での追加制裁も議論されている。

これは単なる評判の失墜ではない。EUや北大西洋条約機構(NATO)といった多国間機構において、制度的な孤立が進んでいるのである。フランス、アイルランド、スペイン、ノルウェー、ポルトガルが主導する「承認の連鎖」に加え、ドイツやベルギーも国民からの圧力を受けている。イスラエルはこれまでにないレベルで西側の支持を失いつつある。

予想外の成果を上げた国際会議

国連総会決議79/81に基づき開催された本会議は、形式的には典型的な国連会議(本会議、情熱的な演説、記念写真)だったが、次のような三つの決定的な成果を生んだ。

1. 西側主要国間の政策整合
象徴的な外交儀礼に見えたものが、フランス、英国、カナダによる具体的な政策表明へと変化した。彼らの発表は単なる理念の表明にとどまらず、期限を定めた政治的約束だった。

2. 「エルダーズ」による道徳的訴え
国連報道協会(UNCA)主催の記者会見では、メアリー・ロビンソン元アイルランド大統領、フアン・マヌエル・サントス前コロンビア大統領、ゼイド・ラアド・フセイン元国連人権高等弁務官がガザ危機について直接言及。ロビンソン氏は、イスラエル政府が「ジェノサイドを行っている」と糾弾し、B’Tselemとイスラエル人権団体Physicians for Human Rights–Israelの報告を引用。サントス氏は「ハマスという概念の消滅を目指すのは戦略的幻想」と述べ、ゼイド氏は「二国家解決はもはや理論ではなく、正義と人道の表現だ」と訴えた。

3. ハマスの武装解除に関するアラブ諸国の合意
サウジアラビア、カタール、エジプトが初めて共同で「ハマスの武装解除と統治からの退場」を求める声明を発表。従来、地域内の分裂により統一見解が出なかったが、今回は異例の一致を見た。これは、パレスチナ承認には「反占領」だけでなく、統治の改革も必要であるという議論に正当性を加える。

G7が持つ力と限界

G7諸国による今回の動きは、次のような潜在力を秘めている:

  • 外交的影響力: 承認は交渉の構図を変える。パレスチナの国際的地位が向上し、イスラエルには交渉再開の圧力がかかる。
  • 国連での票の力学: G7の票が加われば、国連安全保障理事会での議論に影響を与え、米国の拒否権行使にも圧力をかける。
  • 国際法上の立場: パレスチナは国際刑事裁判所(ICC)や国際司法裁判所(ICJ)での法的根拠を強化し、占領・戦争犯罪・アパルトヘイトに関する訴追が現実味を帯びる。
  • 経済的影響: EU制裁、貿易凍結、イスラエル国債の格下げなどが現実味を帯びる。

しかし、承認だけですべてが解決するわけではない。占領が終わるわけでもなければ、ガザの再建やパレスチナ政治の統一が自動的に進むわけでもない。ただし、外交的合意の地平を変える力はある。そして、国際社会において「合意」は力なのである。

米国、トランプ、そして孤立した姿勢

ドナルド・J・トランプ氏が第47代米国大統領として復帰したことで、米国はG7の中で唯一、パレスチナ承認に明確に反対する立場をとっている。トランプ大統領はイスラエルを全面的に擁護し、ICCの調査に反対し、本会議を「テロリストを称え、同盟国を罰する国連の茶番」と切り捨てた。

トランプ政権はUNRWAなど国連機関への資金提供を打ち切り、安全保障理事会での合意を妨害し、ネタニヤフ政権への無条件支援を継続している。

だが、この姿勢は西側諸国の中でますます孤立しつつある。かつて「団結した西側」を主導していたワシントンの立場は、今や分裂し、「責任と国家承認を追求する路線」と「免責と膠着を選ぶ路線」に分かれつつある。

信頼には期限がある

この一週間が突きつけたメッセージは明確だ。イスラエルは西側民主主義諸国の間で信頼を急速に失っている。それは「反イスラエル感情」によるものではなく、現政権の政策によるものだ。

米国が国連でイスラエルを庇護し続けている一方で、道徳的合意は変わりつつある。二国家解決はもはや「口先だけの原則」ではない。それは国際社会の「誠実さの試金石」となっている。

G7によるパレスチナ承認は紛争を終わらせるものではない。だが、「無限に続く占領と、それを容認するレトリック」の時代に終止符を打つ兆しである。

そして今回、正義を訴えているのは、グローバル・サウスだけではない。

英国、フランス、カナダが声を上げた。
米国は抵抗を続けるかもしれない——
だが、歴史はどうやら、その背を向けて動き始めている。(原文へ

Original URL: https://www.amerinews.tv/posts/analysis-g7-revolts-west-turns-on-israel-over-palestine

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アラブの「MAGA」リセット?

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ラルビ・サディキ】

ドナルド・トランプ米大統領が世界で最も豊かな湾岸3カ国を訪問したことで、アラブのMAGA(Make the Arab world Great Again:アラブ世界を再び偉大に)の展望を再考する必要性が浮き彫りとなった。その狙いはアラブ世界をトランプ的なイメージで変革することではない。つまり、中東における「他者」についての偽りのイデオロギー的言説や、民主主義への責務に対する無関心に基づいたMAGAではない。むしろアラブのMAGAは、過去と未来を共有する共同体という共通の夢への攻撃に反撃するものでなければならない。本稿で詳述するように、アラブの連帯と民主主義の探求という価値を取り戻さなければならない。() 

ガザの悲劇に映し出されたアラブの不安定さ

アラブの栄光は遠い歴史の塵の中に永遠に埋もれてしまうのだろうか?現代の4億人のアラブ人は、連帯の希望を抱かなくなったのだろうか?アラブの団結は、超国家主義的な現代では空虚な標語になってしまったのだろうか?答えは見つからないかもしれない。いや、むしろガザがその答えなのである。ソフォクレスやエウリピデスの悲劇の書物の一葉のように、ガザはアラブの傷を再び開いた。18カ月を超えるガザでの破壊と殺戮は、アラブ大衆のパレスチナの不幸な人的状況への感情的な結びつきを強めた。

まさにガザこそ、現代アラブ世界に不安定さの亡霊が取り憑いていることを物語っていると言わざるを得ない。社会経済的な機会や民主的権利の後退において不釣り合いな経験をしていたとしても、アラブ社会はイスラエルがガザに加えた破壊と殺戮の悲劇的な結果を通じて、多様な人間的・文化的・地理的な領域において不安定さを体験している。今日のアラブ人は、ガザが飢えに苦しみ、アラブの安全のための仕組みが整備されていないため、このような不安定さを経験している。ガザの悲劇は、アラブ世界の国家や市民社会が自分たち全体にとっての危険を見落としているように見えるという教訓を示している。

まるでアラブ人が、自分たちの共同体や国家がどのように暴力的に再編されるのかも分からないまま、「格好の標的」の集まりにされてしまったかのようだ。今日はガザとパレスチナ、明日は他のアラブ地域かもしれない。パレスチナ人に対する不正義の表明により、汎アラブ機関の本質と、戦争と平和の時代におけるその有効性について、より広範な議論が喚起される。

アラブの部族やイスラム教の正義と名誉の規範は、共同体の安全に対する集団的責任を守る最低限の道徳的義務という信念に基づいている。これは、イスラム教の教えとアラブの伝統が時空を超えて伝承してきたものである。米国の外交的指導がサウジアラビアのロビー活動を強いることになり、トランプはシリアに対する長年の制裁を解除した。この正しい政策をもってしても、ガザを戦争から解放し、18年にわたるイスラエルによるガザ地区の封鎖から解放することには至らなかった。ガザに関する世論を悩ませている問題の一つは、市民社会や公的機関を含む集団的安全と責任の規範を活用できていないことである。

イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相は2024年9月、国連で地図を掲げ、中東における「祝福」と「呪い」という二元的な解釈を示したが、これは力こそが「何」が正しく「誰」が正しいかを決定するという、分割戦略を象徴している。彼の領土構想は、拡張主義的かつ植民地主義的な視点の典型であり、往年の戦略書に書かれた恐怖そのものである。黙示的にも明示的にも、ネタニヤフの地図製作はアイデンティティーを抹消する道具のように見える。この抹消の仕方は、ファノンの「地に呪われたる者」(1961年)にあまりにも明確に描かれている。ネタニヤフによるガザとヨルダン川西岸を除外したアラブ空間の再構築、あるいはヨルダン川から地中海までの領域を覆う大イスラエルの企ては、軽視してはならない。

民主的アラブ連盟なくして連帯なし

偉大な反植民地主義の抵抗と意識の継承者として、アラブ人は、アルジェリアの1962年の革命や英雄オマル・アル=ムフタールの反ベニト・ムッソリーニ抵抗など、自由と平等な人間の尊厳のための歴史的な戦いを見失ってはならない。だからこそ、ガザがその答えなのだ。ガザは、アラブの独立闘争の際に、平等な自由のために団結して立ち上がった人々の、受け継がれた道徳的核心を呼び覚ます。

アラブ人にとっての自由と人間性の道徳を再考し、規範的に望ましい、連帯の集団的構造の目的と戦略を考案することは、共通の脅威(経済的、環境的、文化的、地政学的脅威)を認識し、それに備え、対応する能力の共有を可能にするに違いない。アラブの安全・連帯・安全保障の構造は、既存の資産を守るだけでなく、繁栄と集団的安全という共通の目標を実現する新たな政策と整合させるために、戦略的に再構築し、文明のレパートリーである人的・物的・技術的システムおよび相互関係の枠組みを再設計することに向けられたものでなければならない。

1945年に創設されたアラブ連盟(AL)は、今日では過去の遺物のように見える。イスラエルの空爆作戦の間、ガザに具体的な支援を提供することができなかった。ガザ戦争は、非国家主体がイスラエルと戦う際に用いる、複雑な行為の連鎖を露呈している。これらの行為は、様々な形態の対抗的な政治によって支えられている。アラブ諸国はイスラエルと新たな戦争をするつもりはない。アラブ連盟の1950年「共同防衛・経済協力条約」は、依然として絵に描いた餅にすぎない。

民主的な統治システムが必要である。硬化した組織を活性化するために、アラブ市民は例えば22の加盟国から議員を選出し、アラブ連盟に彼らの意向を反映させることが考えられる。それは、加盟国の機関や市民社会の人々が、アラブ全体の福祉、主権、安全に影響を与える決定に平等に関与するものである。

アラブ人と「富のパラドックス」

アラブの富は、いわば「要塞」を生み出したわけではない。アラブ人は、理論的には世界の多くの大国と競合し、それらを出し抜ける資産を持っているはずだ。アラブ人は、1,300万平方キロメートルを超える面積を有しており、世界で2番目に広い陸地の所有者である。ロシア人だけがより多くの領土(1,700万平方キロメートル超)を有している。強大な欧州連合(EU)は、地球の表面積の450万平方キロメートル弱を占めるにすぎない。しかし、EU諸国の総合力は驚異的である。EUは名目上で優位に立ち、世界第3位の経済規模(それぞれ米国と中国に次ぐ)を誇っている。EUの購買力平価(PPP)は中国や米国と拮抗している。

理論上は、そうすると、アラブ諸国は米国に対し優位に立っている。アラブ諸国の総面積は1,300万平方キロメートルで、米国の1,000万平方キロメートル弱よりも広い。人口統計では、3億5,000万人の米国人に対し、アラブ人は5億人近くいる。しかし、アラブ諸国のGDPを合計しても、米国の28兆米ドルに対して3.5兆米ドルを超えることはない。ドイツの4.5兆米ドルより少ない。この最小限の定量的測定の目的は、アラブ諸国の潜在力に最適化の余地がある力関係を特定することである。この簡単な分析作業では、グローバルな舞台で誰が何をどれだけ得ているのかを比較数値で検証している。この分析作業により、不安定さが原因で、本来持っている文化的・物的資産に比べて、実際には十分に活かされていない、つまり資産を下回る成果にとどまっている様子が描き出されている。

アラブ人を最も脅かしている国、イスラエルが、ガザとヨルダン川西岸、占領下のゴラン高原を除けば、数百万平方キロメートルどころか数千万平方キロメートルの土地に存在し、人口が1,000万人であることを知れば、この不安定さの真実はさらに衝撃的なものとなる。

アラブ人はかつて、「アラビア語を話す土地」という想像から自信と安心感、さらには誇りを得ていた。こうして、故エジプト人作曲家サイード・メカウィの声が1980年代から90年代にかけて高らかに響き渡った。アラビア語圏の何百万もの人々は、彼の歌に合わせて熱狂的に声を上げ、自分たち全員がコーランとイスラム教の言語であるアラビア語を話し、それを息遣いとしているという思いに高揚した。この共有された言語的・宗教的・文明的背景は、間主観性、交差性、多文化的アイデンティティーの主要な源泉である。エジプト、アルジェリア、イラク、クウェート、リビア、モロッコ、シリア、サウジアラビア、イエメンなど、かつて「アラブ国家」という想像に正統性を与えた主要国は、社会統合と正義というアラブの価値観を促進しながら、相互性と互恵性の絆を新たにしなければならない。

アラブのMAGAのリセット?

アラブ世界を再び偉大にするためには、排外主義に頼ることなく、共通の未来と野望を既存の資産と現実的に調和させることが必要である。「アラブ版BRICS」も「アラブ版NATO」も見えてこない。ここで疑問が生じる。このような戦略的地域パートナーシップの不在は、アラブ人全体にとって危険なのだろうか?40年後、50年後もアラブ人は依然として地球上の1,300万平方キロメートルの不動産を所有しているのだろうか? シリアが攻撃された場合、イラクは救援に来るのだろうか?モロッコが外部の脅威に直面した場合、リビアは支援を提供するだろうか?スーダンが新たな分裂に直面した場合、エジプトは連帯の手を差し伸べるだろうか?最近の動向を見る限り、そうではないようである。

個々のアラブ諸国の「自国第一」(「チュニジア第一」「シリア第一」「ヨルダン第一」など)という政策は、集団的な安全を高めるための積極的なアラブ諸国間の真のパートナーシップや能力構築と結びつかなければ、暗い展望しかもたらさない。アラブ人は、世界の戦略的舞台で尊敬と影響力を確立するため、グローバルな国家運営の新たな手段を獲得すべく協力する必要がある。

アラブの共同連帯の探求は、単に政治家や国家がそれを追求したり信じたりするのをやめたからといって、消えるものではない。今日のガザは、アラブ人が連帯を生み出し、政治、社会、経済、知識を民主的にリセットすることによって対抗しなければならない、不安定さの真実を示す痛ましい象徴として存在している。

ラルビ・サディキは、日本学術振興会招聘研究員として、千葉大学に在籍している。中東国際問題評議会のノンレジデント・シニアフェローであり、戸田記念国際平和研究所の「民主主義の危機と課題」プログラム中東・北アフリカグループの研究コーディネーターも担当している。また、書籍シリーズ「Routledge Studies in Middle Eastern Democratization and Government」の編者も務めている。直近の共著 「Revolution and Democracy in Tunisia: A Century for Protestscapes」 は2024年にOxford University Pressから出版されている。

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【ウランバートルIPS=アートリー・ダー】

若き気候活動家ゲレルトゥヤ・バヤンムフは、気候活動家としての原点を今も振り返っている。幼少期、彼女はモンゴルとロシアの国境から南へ20kmに位置する祖父母の村を訪れていた。そこでは、遊牧民たちが伝統的なゲルで暮らしながら、太陽光発電によって電力を得ていたのを目にし、喜びを感じたという。 「隣人がソーラーパネルとバッテリーを持っていて、明かりをつけたりテレビを見たりしていました。今では冷蔵庫もあるんです」と彼女は語った。

彼女は、遊牧民たちが自らの生活様式を意識的に選び、気候危機の時代にふさわしい再生可能エネルギーの導入を進めていると感じたという。 「この体験が、私が気候活動家になった理由です」と語った。

Credit: Wikimedia Commons

だが、彼女の理想とは裏腹に、その太陽光発電システムの実態は異なっていた。 「後に知ったのですが、あのソーラーパネルは、政府が全国の10万世帯の遊牧民に太陽光発電を導入する国家プログラムの一環として、部分的に補助されていたのです。」

彼女が目にした光景は、政府による再生可能エネルギー政策の一部だったのだ。このプログラムは2000年に導入された「10万ゲル太陽光発電プログラム」で、遊牧民の生活様式に合った携帯型太陽光発電システムを提供することを目的としていた。

モンゴルの人口の少なくとも30%は遊牧民である。2000年以前は、多くの遊牧民が電力へのアクセスをほとんど持っていなかった。2005年までに、政府は複数の国際ドナーの支援により、3万世帯以上にこの技術を導入した。

しかし、その全面的な電化の取り組みは、次第に停滞し始めていた。2006年、国会の環境・食料・農業常任委員会による中間監査報告書には厳しい指摘が並んだ。

初期段階では、配布プロセスに管理が及ばず、対象外の住民への配布や発電機の未納、資金の不正使用、契約期間内のローン返済の失敗など、数々の問題が明らかになった。

それでも2006年から2012年の第3フェーズでは、世界銀行など国際的な支援を得てプログラムの実施が拡大された。

「当初は、こんなに早く再生可能エネルギーの移行が始まったことに希望を抱きました。1999年にはすでに始まっていたなんて。でも中間監査報告を読んで、初期段階と同様に運営がずさんだったことを知って失望しました。最後は国際パートナーの支援があって、なんとか完了できたのです。」とゲレルトゥヤは語った。

ゲレルトゥヤは、若者への気候意識の啓発と実践的スキルの普及を目的とするNGO「グリーンドット・クライメート」の共同創設者であり理事でもある。

Map of Mongolia. Credit: Wikimedia Commons

このNGOのモットーの一つは、「若者と国民の気候変動に対する態度と行動を変える」ことである。過去1年で同団体は50万人以上のモンゴル人に影響を与え、若者たちを主体的な気候活動家へと育ててきた。

「過去1年の間に、私たちは50万人以上のモンゴル国民に働きかけることができました。若者たちによる気候行動は10万件を超え、CO₂は70万㎏、水は25リットル、電力は8万kWh以上の削減につながりました。次の目標は、100万件の行動を達成し、より強固なコミュニティを築くこと、さらに50件以上の協働型気候プロジェクトを立ち上げることです。」と、2023年のOne Young Worldサミットで語った。

現在のエネルギー体制下における遊牧民の状況

モンゴルはエネルギー生産の90%を石炭に依存している。政府は、「国家エネルギー政策2015-2030」に基づき、2030年までに再生可能エネルギーの比率を30%に引き上げることを目指しており、温室効果ガス排出量を22.7%削減することも約束している。しかし、2020年の時点で、エネルギー部門は国内の総排出量の44.78%を占めている。

ゲレルトゥヤの団体は、近年モンゴルのエネルギー体制を継続的に調査している。2024年時点で、モンゴルの電力供給は主にCHP(熱電併給)プラントと、ロシアおよび中国からの電力輸入に依存している。再生可能エネルギーの比率はわずか7%にとどまり、中央エネルギーシステムが国内の電力需要の80%以上を占めている。

「私たちの調査では、約20万世帯が中央電力網の統計に反映されていませんでした。これらは、20年前にソーラーシステムを初めて導入した遊牧民家庭、あるいはその子孫たちと考えられます」

ゲレルトゥヤは、モンゴル統計情報サービスとエネルギー規制委員会の家庭数データを照合し、統計から漏れている世帯数を特定したという。

化石燃料経済への逆行 モンゴルは再生可能エネルギー比率を2030年までに30%にするという目標を掲げているが、現時点でその実現にはほど遠い。

2020年の国別削減目標(NDC)では、「2030年までに温室効果ガス排出量を22.7%削減」とし、条件付き対策(CCSや廃棄物発電など)によっては27.2%、さらに森林吸収などの措置を加えることで44.9%までの削減が可能としている。

「石炭依存経済を脱炭素化する代わりに、モンゴルは炭素吸収や森林吸収といった手法に重点を置くようになっています。つまり、数々の約束や政策、再生可能エネルギー推進の努力にもかかわらず、実際は『現状維持』に終始する恐れがある。これは悪政と停滞、そして悪循環の表れです」と彼女は指摘した。

モンゴルのエネルギー部門への提言

ゲレルトゥヤのNGOは、2025年の「アース・マンス」キャンペーンに積極的に参加し、COP30で提出されるNDC3.0に向けて若者からの提案を募っている。

彼女は、いくつかの提言を共有した:

需要側では、電力網に接続されていない世帯が、安価で高効率となった新しいソーラーシステムに更新・改善する必要がある。

また、2024年の世界銀行『モンゴル国気候・開発報告書』によれば、モンゴルの家庭用電気料金はコスト回収価格よりも40%低く、2022年には補助金がGDPの3.5%に達していた。このため、エネルギー効率の改善や再生可能エネルギー投資が進みにくくなっている。

SDGs Goal No. 7
SDGs Goal No. 7

この状況下では、電力網に接続されている家庭がエネルギー使用に対して適正価格を支払い、再生可能エネルギーの導入を支える仕組みが必要である。また、市民は短期的利益にとらわれず、より良い政策とその実行を求める責任ある投票行動が求められる。

供給側では、現在「エネルギー復興政策」の下で進行中の6件の化石燃料関連プロジェクト(国際的なものも含む)を即時停止すべきである。

次に、老朽化し非効率かつ過剰に補助金に依存した電力インフラを大幅に改善する必要がある。国連開発計画(UNDP)も同様の指摘をしている。

さらに、現在30%にとどまっているエネルギー供給能力の活用率を高めること。インフラの非効率が主因とされている。

加えて、再生可能エネルギーの総容量を現在の5倍に拡大し、需要に対応する必要がある。これは、最大需要時に必要なエネルギー量の15倍を意味する。最終的には、石炭火力を段階的に廃止し、完全に再生可能エネルギーへと移行すべきである。(原文へ)

INPS Japan/IPS UN Nureau Report

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国連SDGs地域センター、アルマトイに設立 トカエフ大統領とグテーレス事務総長が協定署名

【アスタナThe Astana Times】

カザフスタンのカシム=ジョマルト・トカエフ大統領と国連のアントニオ・グテーレス事務総長は8月3日、中央アジアおよびアフガニスタンを対象とする「持続可能な開発目標(SDGs)」のための国連地域センターをカザフスタンのアルマトイに設置するホスト国協定に署名したと、アコルダ(大統領府)が発表した。

署名式は、国連とのパートナーシップにおけるカザフスタンの新たな節目となり、地域全体における持続可能な開発推進に向けた重要な一歩となった。

グテーレス事務総長のカザフスタン訪問は、ニューヨークで開催される国連総会第80回会期を前に実現した。トカエフ大統領は、多忙な日程の中での訪問に謝意を示し、次のように語った。

「国連総会第80回会期を前にした多忙な時期にもかかわらず、グテーレス事務総長がわが国を訪問されたことは、われわれにとって特別な意義を持ち、持続可能な開発目標に対する国連の強いコミットメントを改めて示すものです。」

Tokayev and Guterres during bilateral discussion on Aug. 3. Photo credit: Akorda

トカエフ大統領は、中央アジア初のSDGsセンター開設が「地域全体にとっての画期的な成果」であると強調した。

「私自身、そしてカザフスタン国民を代表して、この取り組みに対する貴殿および国連チームの揺るぎない支援に心から感謝申し上げます。また、国連80周年に向けた貴殿の先見的なイニシアティブも高く評価いたします。カザフスタンは国連改革への取り組みを全面的に支持し、多国間主義、外交、協力という国連の基本原則に対する揺るぎないコミットメントを改めて表明します。」

グテーレス事務総長は温かい歓迎に謝意を示し、国際協力と持続可能な開発促進におけるカザフスタンの貢献を称賛した。

Guterres said his visit highlights not just the agreement signing but global support for “a very important project.” Photo credit: UN in Kazakhstan

「カザフスタンは平和と対話の象徴であり、多くの場面で信頼される仲介者、橋渡し役としての役割を果たしてきました。その出発点は、数十年前に核兵器を放棄するという歴史的な決断にあります。これは国際社会に対する模範となるものでした。文明間の衝突が語られる今日にあって、カザフスタンは、自国の存在とイニシアティブを通じて、異なる宗教や文化を持つ人々の対話と協力に希望があることを示してきました。貴国は常に、人々を結びつけるメッセージを発信し続けてきた中心的存在です。」

アコルダが公開した会談映像によると、グテーレス事務総長は今回の訪問について、「単なるホスト国協定への署名にとどまらず、この極めて重要なプロジェクトに世界的な注目を集めることにある。」と述べた。

会談では、国連地域センターの今後の活動、国連改革の展望、国際的および地域的な主要課題についても協議が行われた。(原文へ

INPS Japan/ The Astana Times

Original URL: https://astanatimes.com/2025/08/tokayev-guterres-inaugurate-un-regional-sdg-center-in-almaty/

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核兵器への盲信を支える神話

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=ラメシュ・タクール】

戦争で原子爆弾が初めて使用されたのは、1945年8月6日の広島である。最後に使用されたのは、その3日後の長崎だった。1980年代には米国とソ連の保有弾頭数がピークに達し、数万発に上ったにもかかわらず、1945年以降80年間、核兵器が再び使われなかった最も単純な理由は、それらが本質的に「使えない」兵器だからである。

Ramesh Takur/ ANU
Ramesh Takur/ ANU

現在、核兵器は9か国に拡散しており、さらに多くの国の指導者や科学者がその「魔力」に魅了され続けている。その根底にはいくつもの神話があり、最初の神話は、第二次世界大戦の太平洋戦線で連合国が勝利したのは原爆によるものだというものである。政策立案者、分析家、論評者の多くは、日本が1945年に降伏したのは広島と長崎への原爆投下によるものだと信じ込んできた。

ロバート・ビラード氏は最近、当時の米国の複数の政策立案者や高級軍人が、原爆投下は戦争終結において軍事的価値が疑わしく、極めて非倫理的であると考えていたことを簡潔にまとめている。とはいえ、重要なのは米国人がどう考えたかではなく、日本の政策決定者が何に動機づけられて降伏したかである。別の分析枠組みによって、原爆が日本の降伏の決定的要因ではなかったというビラード氏の見解が強く裏付けられている。原爆投下に加えて、ソ連は8月9日に日ソ中立条約を破棄して対日参戦した。東京は8月15日に降伏を発表している。

原爆投下と日本の降伏の時系列が近いのは偶然だった可能性が高い。8月初めの時点で、日本の指導部は敗戦を認識していた。無条件降伏の決め手は、ソ連が防備の手薄な北方から参戦し、降伏しなければスターリンのソ連が占領国となるという懸念であり、米国に先に降伏することでそれを回避することだった。この運命的な決断が、日本をどの国が占領するかだけでなく、冷戦終結まで続く戦後太平洋の地政学的地図全体を決定づけた。

"Hiroshima Aftermath - cropped Version" by U.S. Navy Public Affairs Resources Website
"Hiroshima Aftermath – cropped Version" by U.S. Navy Public Affairs Resources Website

第2の神話は、冷戦期の緊張を核兵器が維持したというものである。しかし、冷戦期においてソ連陣営もロシアと北大西洋条約機構(NATO)も互いを攻撃する意図を持っていたが、相手の核兵器によって抑止されたという証拠は存在しない。冷戦期の平和をもたらした要因として、核兵器、西欧統合、西欧の民主化のいずれがより重要だったのかは検討に値する。だが確かなのは、米国が原子力を独占していた1945~49年の間に、ソ連が赤軍の支配下で東欧・中欧に大規模に勢力を拡大したこと、そして戦略的均衡を得た後にソ連が崩壊し東欧から撤退したことである(もっとも、均衡達成が直接の原因ではない)。

冷戦後も、双方の核兵器保有は米国がNATOの国境をロシアの国境まで拡大することを止めず、ロシアが2014年にクリミアを併合し、昨年ウクライナに侵攻することも防げなかった。また、それはNATOによるウクライナ再武装や、ウクライナがロシア本土奥深くを攻撃することも阻止できなかった。

第3の神話は、核抑止が万全とはほど遠いというものである。世界がこれまで核惨事を回避できたのは、賢明な管理と同じくらい「幸運」による部分が大きい。1962年のキューバミサイル危機はその最も顕著な例である。ロシアとNATOの戦争は5つの潜在的核紛争の1つに過ぎず(ただし最も深刻な結果を伴う可能性が高い)、残る4つはすべてインド太平洋地域(米中、印中、朝鮮半島、印パ)である。北大西洋における二国間の枠組みをそのまま多層的なインド太平洋の核関係に当てはめるのは分析的に誤りであり、安定管理の政策面でも危険を伴う。

核による平和を維持するには、抑止と安全装置が常に100%機能しなければならない。だが、核による終末は一度の破綻で起こりうる。抑止の安定は、常に全ての側で理性的な指導者が政権にいることに依存しているが、金正恩、ウラジーミル・プーチン、ドナルド・トランプの時代において、それは心もとない前提条件である。さらに、暴発、人的ミス、システム障害が一度も起きないことが必要だが、それは不可能に近い。実際、誤解や誤算、偶発的事態によって、世界は何度も核戦争寸前まで迫ってきた。

第4の神話は、核兵器が核による脅迫からの必要不可欠な防御であるというものだ。核兵器がなければ得られない強制的交渉力を国家にもたらすという信念も、歴史的証拠に乏しい。核攻撃の明示的または暗黙の脅しによって、非核兵器国が行動を変えた明確な事例は一つもない(ウクライナも含む)。

核兵器は、史上最も無差別かつ非人道的な兵器であるため、非核兵器国に対して使用すれば政治的代償が大きすぎ、補うことは不可能だ。米国民の間で、この兵器使用に対する規範的禁忌が弱まっているとする研究もあるが、核政策に関わる世界の意思決定者の間では依然として強固な禁忌が維持されているとの見方が根強い。

核保有国は、ベトナムやアフガニスタンで非核兵器国に敗北しても、核使用による戦闘エスカレーションは選ばなかった。領土が非核兵器国に侵攻された例もあり、1980年代のフォークランド紛争や最近のウクライナによるロシア・クルスク州侵攻がそれにあたる。北朝鮮の挑発に対して最大の抑止要因となっているのは、核兵器ではなく、ソウルを含む韓国の人口密集地を攻撃できる強力な通常戦力と、中国の反応への懸念である。

第5の神話は、核抑止の絶対的効力を神聖視するものである。相互確証破壊が成り立つ二次攻撃能力を持つ核保有国同士では、核兵器は防衛手段として使用できず、相互破滅をもたらすだけである。実際、核・中堅・小国のいかなる組み合わせにおいても、抑止は必ずしも成立しない。核兵器保有は、相手国による核使用やその脅威のハードルを上げるかもしれないが、完全に排除することはできない。核保有国イスラエルが、イランの核兵器取得を存亡の脅威とみなすのはそのためだ。逆に、核抑止の論理を信奉する者であれば、中東の平和と安定のためにイランの核武装を支持するはずである。

ICAN
ICAN

結論として、核兵器の極端な破壊力は軍事的・政治的有用性には直結しない。むしろそれは、他の兵器とは質的に異なる政治的・道義的性格を持ち、事実上「使えない」ものにしている。核兵器使用を容認不可能で非道徳的、かつ状況によっては違法とするのは抑止ではなく規範であり、この規範的障壁は2017年の核兵器禁止条約(TPNW)によってさらに強化されている。(原文へ)

INPS Japan

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終戦80年に寄せて「不戦の世紀へ 時代変革の波を」(原田稔創価学会会長)

8月15日の「終戦の日」を前に、創価学会の原田会長が「不戦の世紀へ 時代変革の波を」と題する談話を発表した。その中で原田会長は、第2次世界大戦による犠牲者に哀悼の意を述べた上で、現在も各地で紛争による一般市民の犠牲が広がっている状況に対し、深い憂慮の念を表明。ウクライナや中東のガザ地区を巡る紛争の早期終結とともに、国際人道法の遵守を強く呼びかけている。  
 また、創価学会の平和運動の源流が、戦時中に軍部政府の弾圧によって投獄された、初代会長・牧口常三郎先生と第2代会長・戸田城聖先生の獄中闘争にあることに言及。二人の師の信念を受け継いだ第3代会長の池田大作先生が、戦時中に日本が甚大な被害をもたらしたアジア太平洋地域の国々との友好を広げる努力を重ねてきた歴史を振り返りつつ、戸田先生の「原水爆禁止宣言」の意義に触れて、創価学会の社会的使命は世界の民衆の生存の権利を守り抜くために「核兵器のない世界」を築くことにあると訴えている。  
 その上で、「青年交流」「宗教間対話」「グローバルな民衆の連帯の拡大」の三つの取り組みを基軸にしながら、192カ国・地域に広がるSGI(創価学会インタナショナル)のメンバーと共に「不戦の世紀」の建設を目指すことを表明している。(英語版

【東京INPS Japan=原田稔】 

多くの国の民衆を巻き込む総力戦が広がる中で、6000万人以上に及ぶ犠牲者を出した第2次世界大戦が終結して、本年で80年になります。
 犠牲者は当時の世界人口の3%を超えたともいわれ、しかも、その大半が女性や子どもを含む一般市民にほかなりませんでした。
 第2次世界大戦によって尊い生命を失ったすべての国の方々に、哀悼の意を表するとともに、仏法者として衷心より追善の祈りを捧げます。
 また、日本人の一人として、アジアと太平洋の国々に甚大な被害と苦しみをもたらした歴史への反省に立って、アジア太平洋地域の平和はもとより、世界の平和を築くために行動を続けることを、改めて固く誓うものです。

三代の会長を貫く「平和への信念」

8月15日の長編詩

Photo: SGI President Daisaku Ikeda. Credit: Seikyo Shimbun
Photo: SGI President Daisaku Ikeda. Credit: Seikyo Shimbun

 日本にとっての「終戦の日」である8月15日を前にして、私が思い起こすのが、創価学会の第3代会長である池田大作先生が、長編詩「黎明の八月十五日」で綴っていた言葉です。
 10代の頃に戦争に巻き込まれ、兄を亡くし、家も2度失った池田先生は、21世紀が開幕した年の夏(2001年8月)に、戦時中の悲惨な体験を歴史の証言として詩に残す中で、こう叫ばれました。
 「一家を滅茶苦茶にされ
  一族を不幸のどん底に
  陥れられた。
  いな
  無数の方々が
  不幸と地獄と慟哭の
  涙を流した。
  この八月十五日を
  迎えると
  怒りの心が燃える」

 その上で池田先生は、民衆が経験した塗炭の苦しみは「世界のあらゆる天地」に広がっていたものであり、“世界中の民衆の苦しみを、指導者たちは永遠に断じて忘れてはならない”と長編詩で訴えたのです。
  私たち創価学会の平和運動の源流は、日蓮大聖人の仏法の「生命尊厳」の思想に基づいて平和と人道の主張を貫き、軍部政府の弾圧によって1943年7月に投獄された、初代会長の牧口常三郎先生と第2代会長の戸田城聖先生の獄中闘争にあります。
 日本が太平洋戦争に突入する前月(1941年11月)に生まれた私にとっても、戦時中の体験は決して忘れることができません。
 東京の下町である浅草橋に生まれた私は、3歳の時に約10万人が犠牲となった東京大空襲に遭いました。
 1945年3月10日の未明に大量の焼夷弾が投下されて、あたり一面に火災が広がる中、母に守られながら逃げ回った時の恐ろしさは今も胸に焼き付いています。

紛争の早期終結を

Photo: The Ukraine Refugees Response Moldova - IsraAID
Photo: The Ukraine Refugees Response Moldova – IsraAID

 第2次世界大戦が終結してから、第3次世界大戦のような最悪の事態はかろうじて防がれてきましたが、戦争の惨劇は何度も繰り返されてきました。
 また今日においても、ウクライナや中東のガザ地区を巡る悲惨な情勢をはじめ、各地で武力衝突や紛争が続いており、一般市民の犠牲の拡大や人道状況の悪化が強く懸念されます。
  
 国や民族は違っても、愛する家族や大切な人の命を奪われる悲しみに変わりはない――。この事実は、第2次世界大戦で各国の民衆に襲いかかった悲劇であっただけでなく、次元は異なりますが、近年に起きた新型コロナウイルス感染症のパンデミック(世界的な大流行)を通じて、多くの人々が痛感した思いだったのではないでしょうか。
 戦火に巻き込まれて命を失った方々と、そのご家族のことを思うと胸が痛んでなりません。
  
 6月に勃発し、世界を震撼させたイスラエルとイランの戦闘は、拡大することなく収束をみました。
 紛争が長引くウクライナやガザ地区を巡る情勢においても、関係諸国を含めた対話と外交努力を粘り強く重ねる中で、本格的な停戦と紛争終結への道が一日も早く開かれることを心から願うものです。
  
 二度にわたる世界大戦の反省に基づいて、1945年に創設された国連の憲章の前文には、次のような誓いが刻まれています。

 われらの一生のうちに二度まで言語に絶する悲哀を人類に与えた戦争の惨害から将来の世代を救う――と。
 しかしながら、この80年間において「戦争の惨害」と無縁であり続けることができた国は、いったい、どれだけあったでしょうか。
 その意味では、国連憲章が目指す平和な世界の建設は、いまだ道半ばと言わざるを得ません。

「人間革命」の冒頭の一節
「戦争ほど、残酷なものはない
 戦争ほど、悲惨なものはない」

近隣諸国との友好

 思い返せば、第2次世界大戦後の紛争において極めて多数の犠牲者を出した、ベトナム戦争が激化し始めた1964年12月――。
 聖教新聞の記者であった私は、池田先生から、ある原稿を手渡されました。
 小説『人間革命』の最初の13回分の原稿です。
 「戦争ほど、残酷なものはない。
  戦争ほど、悲惨なものはない」

 日本における“地上戦の最大の激戦地”となった沖縄で、池田先生が小説の冒頭に書き起こした言葉を目にした時、池田先生の戦争に対する強い憤りが胸に迫ってきました。
 翌1965年の元日から始まった、小説の新聞掲載にあたり、私は挿絵画家との窓口などの仕事に携わりました。小説の行間ににじみ出る“「戦争のない世界」への道を開くために、崩れざる民衆の連帯を何としても築かねばならない”との池田先生の深い覚悟を、連日のように感じてなりませんでした。
  
 私がその仕事を担当したのは第3巻まででしたが、連載が第5巻の「戦争と講和」の章に入る前(1969年4月)、池田先生が雑誌に寄せた一文に、次の言葉が記されていたことを鮮烈に覚えています。
 「あの泥沼のごときベトナム戦争の報道をみて、数ある写真の中で、銃弾を避けて逃げまどう母と子の姿ほど痛ましく、胸に迫るものはない」
 「戦争さえなければ、おそらく幸福な毎日を送っていたであろうに、なんのために、何の目的で、その幸福を奪おうとするのか――」

 写真に写っていた“母と子”の姿は、まさに私自身も戦争で体験し、周囲で起きていた光景と重なるものだったからです。
 当時、池田先生は、ベトナム戦争の即時停戦と和平実現を求めて提言を行っていました。提言を通して、国際政治の面から外交努力を通じて解決を図ることを呼びかけるだけでなく、何よりも一人の人間として、“戦争下の民衆の苦しみ”に目を向けて、悲劇を終わらせることを訴えてやまなかったのです。
  
 池田先生は、日本が戦時中に多くの民衆を苦しめた国々を訪れ、犠牲者に追善の祈りを捧げてきました。第3代会長就任の翌年(1961年)に訪問したビルマ(現・ミャンマー)、タイ、カンボジア、インドをはじめ、中国、韓国、フィリピン、シンガポール、マレーシア、オーストラリアに足を運び、友好を結ぶことに全魂を傾けました。
 こうした国々に加えて、ベトナムやインドネシア、太平洋地域の国々の識者と対話を重ねる中で、日本が引き起こした悲劇に対する思いを真摯に受け止め、その言葉の一つ一つを歴史の証言として聖教新聞の記事や対談集に残す努力を続けられてきたのです。
  
 私自身、そうした対話の場に立ち会わせていただいたことが何度もあります。
 池田先生が中国を初訪問した時(1974年5月~6月)にも同行しました。
 訪中団の秘書長として準備にあたった私に池田先生が教えてくださったのが、過去の歴史に対する痛切な反省を忘れることなく、隣国との友好を築いていかなければ、世界平和への道も開けないとの信念でした。
 その信念を胸に、香港を経て北京に向かい、表敬訪問した中日友好協会で池田先生が提案したのが、青年や女性による交流を進めるための計画だったのです。

Portrait of Chinese Premier Zhou Enlai (1898-1976)/ By unknown author, Public Domain
Portrait of Chinese Premier Zhou Enlai (1898-1976)/ By unknown author, Public Domain

 第2次訪中(同年12月)で周恩来総理と会見した時、病身の周総理が強く望んでいたのも、世々代々の友好を築くことでした。
 「池田会長は、中日両国人民の友好関係の発展はどんなことをしても必要であるということを何度も提唱されています。そのことが、私には、とても嬉しい」と。
 この2度の訪中が淵源となって、現在にいたるまで両国の間で青年交流をはじめ、文化交流と教育交流が重ねられてきたのです。

民衆の生存の権利を断じて守り抜く

国際人道法の遵守

 戦争の悲劇を地球上からなくし、どの国の民衆も平和に生きられる世界を築きたい――。池田先生のこの信念は、小説『人間革命』で浮き彫りにされていたように、戸田先生から受け継いだものでした。
 1957年の9月8日、横浜・三ツ沢の競技場で、戸田先生が「原水爆禁止宣言」を発表した時、高校1年生だった私もその場に参加していました。
  
 競技場に集まった5万人の多くは青年でしたが、周囲を見渡すと、子ども連れの母親をはじめ、あらゆる世代の人たちがいました。そこで戸田先生は、“世界の民衆の生存の権利”を守り抜くために、いかなる理由があろうと核兵器の使用を絶対に許してはならないと訴えました。
 その後、歳月を経て、この宣言を読み返すたびに胸に去来するのは、次のような思いであります。
 広島と長崎で起きた核兵器による惨劇を、地球上のどの場所であろうと絶対に起こしてはならない。「核兵器のない世界」を築く行動を貫くことに創価学会の社会的使命がある――と。

The atomic bomb dome at the Hiroshima Peace Memorial Park in Japan was designated a UNESCO World Heritage Site in 1996. Credit: Freedom II Andres_Imahinasyon/CC-BY-2.0
The atomic bomb dome at the Hiroshima Peace Memorial Park in Japan was designated a UNESCO World Heritage Site in 1996. Credit: Freedom II Andres_Imahinasyon/CC-BY-2.0

  翻って現在の世界でも、紛争や内戦に加えて核兵器の脅威が再び高まる中で、一人一人の「生命の尊厳」がなし崩し的に脅かされようとしている現実が広がっていることに、憂慮を感じてなりません。
 第2次世界大戦がもたらした甚大な被害を踏まえて、国際人道法が整備されたのは、“一般市民をいかに戦争から保護するか”という強い共通認識が背景にあったからでした。
  
 池田先生は2019年の平和提言で、この国際人道法の中核をなすジュネーブ諸条約が採択に至った経緯に言及しながら、こう強調していました。
 「多くの人々が目の当たりにした戦争の残酷さと悲惨さが、交渉会議の参加者の間にも皮膚感覚として残っていたからこそ、国際人道法の基盤となる条約は、強い決意をもって採択されたのではないでしょうか。
 私は、この条約の原点を常に顧みることがなければ、条文に抵触しない限り、いかなる行為も許されるといった正当化の議論が繰り返されることになると、強く警告を発したい」

 極めて遺憾なことに、現在の紛争においては、“国際人道法の条文そのものに抵触する”との懸念の声も上がるような事態が、しばしば起きています。
  
 この世界から一切の戦争を即座になくすことは困難であるとしても、“子どもや女性、高齢者や病人を保護する安全地帯の設置”を求めることからジュネーブ諸条約の検討が始まった歴史の重みを想起しつつ、終戦80年を機に、各国が共に国際人道法を遵守することを改めて誓約すべきではないでしょうか。

悲惨をなくす誓い

 その上で、私たちが強く呼びかけたいのは、分断や対立が生じても、それを軍事力による全面衝突という事態にまで至らせないための「不戦の防波堤」を、民衆の連帯によって堅固にしていくことの重要性であります。
 池田先生が、1983年から2022年まで40回にわたって平和提言を続ける中で、繰り返し訴えていたのも、この点にほかなりませんでした。
  
 先生は2回目の平和提言(1984年)で、「軍縮への努力と同時並行的に『世界不戦』という意志の流れを深く、大きくしていく」ことが重要であると力説したことがあります。
 当時、こうした二つの潮流――国際政治のレベルにおける“軍縮の機運の高まり”と、各国の民衆レベルでの“平和を求める声の高まり”が相まって、冷戦終結に向けた流れが急速に生み出されていきました。
 世界で今、一般市民を巻き込む軍事力の行使が半ば日常化しつつある中で、再び押し上げていく必要があるのは、この二つの潮流ではないでしょうか。
  
 池田先生がこの「不戦」の重要性を巡って、終戦70年の2015年に創価学会青年部に呼びかけた印象深い提案がありました。
 広島・長崎・沖縄の青年部が「3県平和サミット」の名で継続的に開催してきた青年平和連絡協議会を、新たに「青年不戦サミット」との名称で行っていくことを提案したのです。
  
 なぜ「平和」ではなく、「不戦」という言葉をあえて掲げたのか――。
 その真意を示すような言葉を、池田先生は同年1月に発表した平和提言の中で述べていました。
 「差別に基づく暴力や人権抑圧が、自分や家族に向けられることは、誰もが到底受け入れられないもののはずです。
 しかしそれが、異なる民族や集団に向けられた時、バイアス(偏向)がかかり、“彼らが悪いのだからやむを得ない”といった判断に傾く場合が少なくない。事態のエスカレートを問題の端緒で食い止めるには、何よりもまず、集団心理に押し流されずに、他者と向き合う回路を開くことが欠かせません」
 「(相手の立場を互いに理解する)努力を欠いてしまえば、緊張が高まった場合などに、自分たちにとっての『平和』や『正義』が、他の人々の生命と尊厳を脅かす“刃”となる事態が生じかねません」
と。
  
 つまり現代の世界では、「平和」という言葉が、本来そこに込められていた意味から離れて、“攻撃や暴力を正当化するための口実”のように用いられてしまう場合も少なくない。
 そうではなく、“戦争が引き起こす悲惨事を地球上の誰にも経験させてはならない”との信念を骨格に据えながら、「不戦」という明確な誓いを立てることによって、「平和」を求める思いをさらに強固なものにしなければならないというのが、池田先生の主張の眼目だったのです。
 まして、核兵器の脅威が常態化している今、「核兵器の不使用」を求める国際世論を高め、そこから「核兵器の禁止と廃絶」への流れを力強く生み出していく努力とともに、人類が共に「不戦の世紀」の道へ踏み出すことが急務となっていると思えてなりません。

「青年交流」と「宗教間対話」を促進し
地球的課題に取り組む連帯を拡大

三つの挑戦を推進

 私たち創価学会は、「不戦の世紀」の建設を民衆の手で進めるために、以下の三つの挑戦に今後も全力を注ぐことを、ここに宣言するものです。

 第一の柱は「青年交流」です。

Future Action Festival convened at Tokyo's National Stadium on March 24, drawing approximately 66,000 attedees. Photo: Yukie Asagiri, INPS Japan.
Future Action Festival convened at Tokyo’s National Stadium on March 24, drawing approximately 66,000 attedees. Photo: Yukie Asagiri, INPS Japan.

 戦争を起こすのも人間であれば、対立や分断を食い止めて、戦争を防止するのも人間です。
 そこで大切になるのが、集団心理や暴力的な扇動に押し流されない社会を築くことです。
 私たちは、中国や韓国などの隣国をはじめとするアジアの国々との間で、民衆レベルでの交流――なかんずく青年交流を重ねてきました。次代を担う青年たちが友情を結ぶことこそ、何よりの「不戦の防波堤」の礎となるものと信じてやみません。
 そうした交流を体験した「世代」の厚みを増していくことが、他国との戦争を戒める社会の構築につながると考えるのです。

 第二の柱は「宗教間対話」です。

 人類の歴史を振り返れば、残念ながら、宗教の違いがしばしば深刻な分断を生む原因となってきた面があることは否定できません。
 しかしその一方で、多くの宗教が、平和と尊厳を求める人々の精神的支柱となってきたことも事実です。
 この両面を見据えながら、より良い世界を築くために宗教者が行動することが求められており、分断の轍を踏まないためにも、相互理解を深める対話を広げることが欠かせません。
 私も昨年5月、ローマ・カトリック教会のフランシスコ教皇(当時)と会見し、“戦争と核兵器のない世界”の実現が強く求められることについて語り合いました。
 また本年6月には、マレーシア国際イスラム大学の国際イスラム思想・文明研究所のアブデルアジズ・ベルグート所長と、仏法とイスラム教の平和思想を巡って意見を交換しました。
 創価学会やSGI(創価学会インタナショナル)としても、国連の活動に関わる会議などの場で、さまざまなFBO(信仰を基盤にした団体)と対話を進め、宗教者としての共同声明をいくつも発信してきました。
 今後も、こうした宗教間対話に積極的に取り組んでいく決意であります。

7th Congress of Leaders of World and Traditional Religions Group Photo by Secretariate of the 7th Congress
7th Congress of Leaders of World and Traditional Religions Group Photo by Secretariate of the 7th Congress


 そして第三の柱は、地球的な諸課題の解決を目指して共に行動する「グローバルな民衆の連帯」の輪を広げていくことです。
 同じ目標に向かって一緒に行動することは、国や民族の違いを超えて信頼関係を築く上での最良の土台となるものです。
 私たち創価学会とSGIは、国連の取り組みへの支援を軸に、人権や気候変動の問題をはじめ、地球的な諸課題を巡る活動を進める中で、このことを強く実感してきました。
 今こそ、国際社会の流れを、“互いの国が不信を募らせて軍事力を強化する時代”から、“人類共通の脅威や課題を取り除くために協力し合う時代”へと転換する必要があります。
 そのための努力を重ねる中で、おのずと「不戦の世紀」への道も、眼前に大きく見えてくるのではないでしょうか。
  
 かつて池田先生は、釈尊の「己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ」(『ブッダの真理のことば 感興のことば』中村元訳、岩波書店)との言葉を通しながら、こう訴えられました。
 「私たちには、同じ人間である以上、『己が身にひきくらべて』他者の苦しみに思いをはせることができる『内省』という名の心の音叉があり、誰に対してもどこにでも架けることのできる『対話』という名の橋がある。そして、どんな荒れ地も耕すことのできる『友情』という名の鍬があり、鋤がある」と。
 この精神に基づいて、私たちは世界192カ国・地域の同志と共に、すべての人々が平和で尊厳をもって生きられる「不戦の世紀」を建設するために行動を続けることを、終戦80年の節目に改めて強く決意するものです。

INPS Japan

Original Link: https://www.seikyoonline.com/article/F271B9C86FC46126C12192AFB5549FBA

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古代カザフスタンの秘密が明らかに:東西を結ぶ新たな発見

【アスタナThe Astana Times=ナジマ・アブオワ】

カザフスタン各地で進められている考古学調査により、古代から中世にかけての文明の痕跡が次々と明らかになり、同地域が東西を結ぶ文化と交易の要衝であったことが改めて浮き彫りとなった。セルジューク朝時代の陶器や、サカ族ウスン(烏孫)族の時代にさかのぼる金の装飾品など、発見された遺物は広範な時代と地理にまたがっている。

サライシュク:中世交易の交差点
An array of gold ornaments dating back to the Early Iron Age. Photo credit: Kazinform
An array of gold ornaments dating back to the Early Iron Age. Photo credit: Kazinform

カザフスタン西部のアティラウ州に位置する古代都市サライシュクでは、セルジューク様式の貴重な陶器や中国産青磁の破片が発掘されたと、カザフスタンの報道機関24.kzが伝えた。

1950年代後半、トルコの学者たちは、1243年のモンゴル侵攻以前、アナトリア地方にクバダバードという主要な交易都市が存在したことを証明している。そこには中国、ペルシャ、キプチャク草原からキャラバン(隊商)が到来していた。

トルコの研究者ムハレム・チェケン氏によれば、サライシュクはジョチ・ウルス(黄金の大オルド)時代、中国、アナトリア、ビザンティウム、ホラズムなどと交易関係を維持していたという。発見された陶製のパイプや複雑な給水システムは、この都市に高度な都市インフラが存在していたことを示している。

13世紀のジョチ・ウルス 出典:Wikimedia Commons
Saray-Jük By Yakov Fedorov - Own work, CC BY-SA 4.0
Saray-Jük By Yakov Fedorov – Own work, CC BY-SA 4.0

「シルクロード沿いの都市の建築には多くの共通点があります。中世のセルジューク宮殿では飲料水や排水のために陶製のパイプが使用されていたことがすでに証明されており、今回サライシュクでも同様のシステムの破片が発見されました」とチェケン氏は語った。

また、ロシアの考古学者ヴィャチェスラフ・プラホフ氏は、「中国の陶磁器からクリミア沿岸由来の品々に至るまで、多様な遺物が発見されていることから、サライシュクが広範な交易と文化ネットワークに組み込まれていたことがうかがえる」と付け加えた。

現在、専門家たちはサライシュクを単なる交易所ではなく、東西を結ぶ「黄金の架け橋」と表現している。今年後半には、トルコの研究者チームも発掘の次段階に参加する予定だ。

カラガンダ州:手つかずの鉄器時代の墓が発見

カザフスタン中部カラガンダ州シェット地区の「タルディ歴史・考古公園」では、ブケトフ・カラガンダ大学の考古学者たちによって、初期鉄器時代の極めて保存状態の良い埋葬遺構が発見されたと、Kazinform通信が報じた。

An untouched Iron Age burial in the Shet district of the Karaganda Region. Photo credit: Kazinform
An untouched Iron Age burial in the Shet district of the Karaganda Region. Photo credit: Kazinform

この遺構は「コルガンタス型」と呼ばれる石積みの墳墓で、初期鉄器時代の遊牧文化と関連している。仰向けに埋葬された人骨、酸化した鉄製工具、小型家畜の頭骨3つが確認された。

「この種の埋葬は当地域では非常に珍しく、重要な点は遺構が手つかずで残っていることです」と研究者は述べている。

この墓は青銅器時代の石造墳墓の上に後から築かれたもので、紀元前4世紀から1世紀頃と暫定的に推定されている。

タルディ渓谷には約200の考古学的遺跡が存在し、中でも有名な「ステップ・ピラミッド」がある。この地域の発掘調査は州文化局の支援を受け、来年まで継続される予定だ。

アルマトイ州:サカ族とウスン族の金装飾が出土

カザフスタン南東部アルマトイ州ウイグル郡では、アル・ファラビ・カザフ国立大学の考古学者たちが、初期鉄器時代にさかのぼる数々の金の装飾品を発掘した。中でも注目されているのが、ライオンの顔、女性の顔、あるいは牡牛や雄羊の顔を象ったと解釈される複合的な意匠が刻まれた8グラムの金の指輪である。これらのシンボルは、古代部族にとって重要な意味を持っていたとされる。

発掘は「トギズブラク1号・2号墓地」で行われ、そこには50基以上の墳墓が存在する。第3・第4号墳墓からは、陶器、鉄製工具、金製の小板、金の鎖の一部、人骨などが発見された。

A ring cast from a gold ingot, featuring a design where one can discern a human face. Photo credit: Kazinform

科学・高等教育省によれば、これらの埋葬遺物は初期鉄器時代に属し、現在のウイグル地区がサカ文化の中心地の一つであったことを裏付けている。

ウイグル郡の副アキム(副首長)であるエラシル・トリムベクウリ氏は、アルマトイ州の歴史的・地理的に重要な集落チュンジャから10〜12キロの地点に位置するこの遺跡には、紀元前2世紀にさかのぼるウスン文化の痕跡も含まれている可能性があると指摘した。

「鋳造された金の延べ棒から作られた人の顔を描いた指輪や、“黄金人間”の衣装を思わせる金の装飾品、古代の金の鎖の破片なども見つかりました」と彼は語った。

トリムベクウリ氏はまた、周辺地域、すなわちチュンジャ、チャリン国立公園、周辺の墳墓地でも発掘が継続されていると述べた。研究者たちは、ウスン(烏孫)族の首都と推定される「チグチェン」がチャリン渓谷のサリトガイ周辺に存在していたという仮説についても検討を進めているという。(原文へ

INPS Japan/The Astana Times

Original URL: https://astanatimes.com/2025/06/ancient-kazakhstan-revealed-new-finds-link-east-and-west/

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|視点|広島からガザへ──大量死を正当化する論理の連鎖(サクライン・イマーム元BCC記者)

【ロンドンLondon Post=サクライン・イマーム】

1945年8月6日、第2次世界大戦が終結に近づき、日本の敗北がほぼ確実となっていた時、米国は戦争史上最も恐るべき決断を下した。民間人を標的に、人類史上最悪の破壊兵器を投下するという選択である。パイロットの母の名にちなんで「エノラ・ゲイ」と名付けられたB29爆撃機が、初の原子爆弾「リトルボーイ」を広島に投下したのは午前8時15分だった。爆弾は志摩病院上空600メートルで爆発し、15,000トンのTNT火薬に相当する威力で都市を火と灰の海に変えた。即死者は7万人にのぼり、ほとんどが罪なき民間人だった。その後数か月で、放射線障害や熱傷、負傷により死者は14万人に達した。爆心地から半径1.5マイル以内は完全に破壊され、活気ある都市は数秒で巨大な墓場と化した。3日後の8月9日には長崎に2発目の原爆が投下され、傷口はさらに深まった。日本はまもなく降伏したが、真の勝者は放射能の灰に刻まれた新たな世界支配の時代だった。

これは軍事的必然ではなく、技術力と帝国的威光を誇示するための冷徹な演出であった。人類を絶滅させる力を誰が握っているかを示すための「地政学的メッセージ」として行われた虐殺である。死を政治の道具とする「死の政治学(ネクロポリティクス)」──国家が生と死の選別権を握り、誰が生き、誰が死ぬのかを決める行為──の最も鮮烈な実演であった。広島と長崎は単なる悲劇ではなく、国家権力が死を政策に変える冷酷な宣言であった。

同じ論理が今日、ガザで繰り返されている。イスラエルの現政権は「自衛」の名の下に、230万人のパレスチナ人に対して体系的な破壊作戦を展開している。住宅地は破壊され、病院、学校、難民キャンプまでも爆撃されている。国連のデータによれば、死者は3万8千人を超え、その70%が女性と子どもである。国際司法裁判所ではジェノサイド(集団虐殺)の訴えが審理されているが、主要な大国は沈黙、あるいはこの残虐行為への共犯関係にある。1945年、原爆投下が道徳的正当化の衣をまとっていたように、ガザの破壊も「テロとの戦い」として合理化され、その背後にあるネクロポリティクスの現実──命を取捨選択する傲慢な意志──が覆い隠されている。

Hiroshima aftermath/ Wikimedia Commons
Hiroshima aftermath/ Wikimedia Commons

1998年、筆者がラホール記者クラブ会長を務めていた時、1人の若い日本人女性と出会った。彼女は広島の被爆者を祖母に持つ3世で、放射線被害による苦しみを受け継いでいた。彼女は日本のNGO「ピースボート」の一員として、同年にパキスタンが核実験を行った後、核廃絶を訴えるためにラホールを訪れていた。1945年に日本が経験した原子戦争の惨禍を世界に伝えるのが彼女の使命だった。しかし、パキスタンの主要な公的機関のいずれも、彼女らを歓迎しようとはしなかった。筆者は自ら彼女らを受け入れ、広島・長崎の破壊を記録したオリジナル写真展を一般公開した。それは単なる被害記録ではなく、世界の良心に突き付ける挑戦であった。

広島、長崎、そしてガザ──これらは、未解決の惨禍が世紀の両端を刻む暗い碑である。瓦礫と化したこれらの地は、文明も道徳も人間性も、死が政策として武器化される時にいかに灰燼に帰するかを証言している。原爆投下は戦争の終焉ではなく、帝国的権力が殲滅によって支配を刻み込む世界秩序の始まりだった。ガザでの民間人の標的化、インフラの破壊、共同体の消滅は、同じネクロポリティクスの論理を反響させている──大量死を常態化させて支配を強化するという発想である。広島の被爆者とガザの生存者は、命を使い捨てにされた者同士として、悲劇的な連帯を分かち合っている。

これらの出来事は、人類がいつまで「死によって統治する」支配者を許容するのかという切迫した問いを突き付ける。広島の灰とガザの瓦礫は、一部の命が軽んじられてよいという虚構を拒否し、次なる惨禍を生み出し続けるネクロポリティクスに対する断固たる裁きを求めている。(原文へ

INPS Japan

*INPS Japanでは、ガザ紛争のように複雑な背景を持つ現在進行中の戦争を分析するにあたって、当事国を含む様々な国の記者や国際機関の専門家らによる視点を紹介しています。

Original URL: https://londonpost.news/from-hiroshima-to-gaza-the-reign-of-death/

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