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ユニセフ報告書、デジタル技術を介した子どもの性的虐待・搾取の拡大を警告
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【国連IPS=オリトロ・カリム】
2026年9月3日、国連児童基金(ユニセフ)が発表した新たな報告書によると、調査対象となった子どもの約5人に1人が、1年間のうちにデジタル技術を介した性的虐待または性的搾取を経験していた。過去20年間で、デジタル技術やオンライン空間は日常生活のあらゆる側面と密接に結びつくようになった。その一方で、子どもの安全を脅かす新たなリスクも生まれており、とりわけ長期化する紛争や人道危機の中で暮らす子どもたちは、より深刻な危険にさらされている。|英語版|
テクノロジー企業や政府に根強く残る構造的な障壁、被害が十分に報告されない状況、そして被害者を守る制度や支援サービスの決定的な不足を背景に、デジタル技術を介した性的搾取は何百万人もの子どもたちに長期的な悪影響を及ぼし続けている。同時に、加害者が処罰を免れる状況を生み出す要因にもなっている。
こうした問題を詳しく検証したのが、ユニセフの新たな報告書『子どもたちの目を通して―デジタル技術はいかに子どもの性的虐待を可能にしているか』(Through Children’s Eyes: How Digital Technologies Enable Child Sexual Abuse)である。報告書は、21カ国で収集された調査結果をもとにまとめられた。
ユニセフのキャサリン・ラッセル事務局長は、次のように述べた。
「調査対象となった国々では、2000万人を超える子どもたちが、望まない露骨な性的コンテンツを見せられたり、オンライン上で性的搾取を受けたりしていました。その多くは、子どもたちが学び、遊び、友人と交流する日常的なデジタル空間で起きています。」
「こうした経験は、深刻な精神的・情緒的苦痛をもたらします。多くの子どもたちは、どこに助けを求めればよいのか分からないまま、誰にも打ち明けずに苦しんでいます。私たちは、この問題から目を背けることはできません。」
デジタル技術を介した虐待や搾取を経験した子どもは、精神的健康を損なうリスクが著しく高く、その影響は長期に及び、社会性の発達にも重大な影響を与える可能性がある。
報告書によると、被害を経験した子どもは、自傷行為や自殺念慮・自殺関連行動、強い不安を訴える可能性が約4倍高かった。
またユニセフによると、メキシコと北マケドニアでは、被害を経験した子どもが自殺念慮を抱くリスクは世界平均と比べて約8倍高く、パキスタンでは自傷行為のリスクが約7倍に達していた。
さらに、ユニセフの聞き取り調査に応じたソーシャルワーカーや心理専門家からは、被害者の間で心的外傷後ストレス障害(PTSD)がみられる事例が数多く報告された。
PTSDは、他者を信頼することや新たな人間関係を築くことの困難、学校での成績低下、薬物などの乱用、危険あるいは有害な行動などにつながる可能性がある。
ユニセフが把握した事例の約60%はソーシャルメディア上で発生し、14%はオンラインゲーム上で起きていた。
ソーシャルメディアを介した虐待の約半数はフェイスブック上で発生しており、ワッツアップ、インスタグラム、スナップチャット、ティックトックでも相当数の被害が確認された。
また、事例の57%では加害者が被害者と面識のある人物だった。調査対象となった21カ国のうち9カ国では、加害者が別の子どもであるケースも確認された。
ユニセフの専門家は、デジタル技術を介した性的搾取の実際の規模は、報告されている数字をはるかに上回ると警告している。被害の過少報告が広くみられるためだ。
警察などの法執行機関や支援サービスの担当者に報告されたケースは全体の1%未満にとどまり、約10件中4件は誰にも打ち明けられていなかった。
被害者が虐待について語ることをためらう主な理由としては、嫌がらせを受けることや真剣に受け止めてもらえないことへの恐れ、性犯罪被害者に対する根強い社会的偏見、そして子ども自身が適切な心理社会的支援や司法制度の存在を知らない、あるいは利用できないことなどが挙げられる。
こうした状況は、加害者が責任を問われない風潮を生み、さらなる搾取を助長することにもつながっている。
例えば、デジタル技術を介した性的虐待を受けた少女たちは、特に家父長的な価値観が根強い社会において、被害者であるにもかかわらず地域社会から非難されたり、社会的な恥を負わされたりすることが少なくない。
デジタル技術を介した性的虐待を経験したメキシコの若い女性は、次のように語った。
「多くの困難がありました。特に私を悩ませたのは、起きたことのあとで、社会の中でどう人と関わっていけばよいのかということでした。」
「もし自分に何が起きたのかを話したら、周囲の人たちがどう反応するのか分からず、それに向き合うことが怖かったのです。学校でも同じでした。特に心の健康に影響し、うつや不安を感じるようになりました。」
一方、男児がデジタル技術を介した性的虐待を経験したことを打ち明けても、その訴えが軽視され、「黙って自分で耐えるべきだ」とみなされる場合が少なくない。
また加害者が、男児の性的指向を暴露すると脅したり、実際とは異なる性的指向をほのめかして公表すると脅したりして、恐喝の手段に利用するケースもある。
デジタル技術を介した性的虐待や搾取は、地域や所得水準にかかわらず世界中の子どもたちに影響を及ぼしているが、加害者が経済的な弱みにつけ込むケースも少なくない。
紛争や危機が長期化する地域では、子どもを守る保護制度、支援サービス、司法制度そのものが深刻な負担を抱えており、子どもたちはとりわけ高いリスクにさらされている。
ユニセフの「子どもとデジタル技術」研究プログラム責任者であり、今回の報告書の筆頭著者でもあるダニエル・カルデフェルト=ウィンター氏はIPSの取材に対し、リスクの大きさは、経済状況、子どもを取り巻く人間関係、支援サービスへのアクセスなど、さまざまな要因によって左右されると説明した。
「加害者は、一部の子どもたちが直面している経済的困窮につけ込み、性的な画像や動画と引き換えに金銭や贈り物を提供することがあります」と、カルデフェルト=ウィンター氏は語った。
「経済的に困窮している子どもにとって、こうした申し出を拒否することは容易ではありません。また、金銭やその他の利益が提供されることで、子ども自身が当初、それを虐待だと認識できない場合もあります。」
さらに同氏は、デジタル技術を介した虐待の影響はオンライン空間だけにとどまらず、現実世界で何百万人もの子どもの安全を脅かす可能性があると指摘した。
例えば、オンライン上で見知らぬ人物から接触され、騙されたり強要されたりして実際に会うことになり、その場で性的虐待を受けたと証言する子どもたちもいた。
また、加害者が子どもの性的な画像を入手し、それを公表すると脅して、実際に会うよう強要するケースも確認されている。
子どもをデジタル上の被害から守るため、複数の国が未成年者によるソーシャルメディアの利用を制限する措置を導入、あるいは検討している。
オーストラリアでは2025年12月にこうした措置が導入され、2026年にはブラジル、インドネシア、マレーシア、アラブ首長国連邦でも同様の動きが進んだ。さらに、フランス、英国、ギリシャ、カナダ、デンマーク、トルコでも関連法案が審議されている。
しかし、こうした取り組みをめぐっては大きな議論が起きている。
テクノロジー企業は、こうした措置が利用者のプライバシーを損なう恐れがあると警告している。一方、若者の団体は、利用制限が表現の自由を侵害し、若者を社会的なつながりから孤立させる可能性があると主張している。
さらに人権団体は、未成年者によるソーシャルメディア利用を単に制限するだけでは問題の解決にはならず、実効性のある保護には、プラットフォームのアルゴリズムや安全対策の枠組みそのものを変える必要があると訴えている。
カルデフェルト=ウィンター氏は、いじめや性的搾取など、子どもたちがオンライン上で直面するリスクについて、各国政府が懸念を抱くのは当然だと語った。
「子どもたちは、自分たちの権利、安全、そして心身の健やかさを念頭に置いて設計されたわけではないデジタル世界の中で育っています。」
「年齢制限は、子どもの安全を守るうえで一定の役割を果たす可能性があります。しかし、それだけでは被害を生み出す根本的な要因を解決することはできません。それどころか、子どもたちをさらに規制の弱い空間へ追いやる可能性さえあります。」
さらに同氏は、次のように述べた。
「ユニセフは、より安全なプラットフォーム、より利用しやすい通報制度、メンタルヘルスサービスへの一層の支援など、子どもを守るためのより強力な対策を求めています。」
「また、解決策をつくる過程に、子どもたち自身が参加することも重要です。オンライン上で子どもを守ることは、社会全体が担うべき責任です。政府、企業、家庭、地域社会のすべてに果たすべき役割があります。」
INPS Japan/IPS UN Bureau Report
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|視点|9・11と「アメリカン・ドリーム」の終焉(ロベルト・サビオIPS創設者)
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【ローマINPS Japan/IPS=ロベルト・サビオ】
2001年9月11日、私はニューヨークにいた。コンサルタント契約を結んでいた国際連語を訪れるため、当時、私は頻繁にニューヨークを訪れていた。その朝、イタリアからのフライトによる時差ぼけもあって寝過ごし、目を覚ましたのは午前11時ごろだった。宿泊していたのは、国連本部からほど近いホテルだった。|英語版|
ロビーに下りると、スタッフから宿泊客まで、誰もが異常なほど取り乱していることに驚いた。顔見知りのベルボーイに声をかけようとしたが、彼は返事もせず走り去った。そこでフロントへ向かったが、全員が電話にかかりきりで、誰も私に注意を払わない。
ようやく顔見知りの一人が言った。「ツインタワーが攻撃された!」そう言うと、彼女も慌ただしく走り去った。
その瞬間、ジャーナリストの職業的本能に駆られた私は、タクシーを拾って現場へ向かおうと外に出た。しかし、通りはほとんど無人だった。車は一台も見当たらず、わずかにいた通行人も走っていた。おそらく皆、自宅へ戻ろうとしていたのだろう。
そこで私は、残された唯一の賢明な選択をした。テレビを見ることである。
映像は明白で、そして凄惨だった。しかし、キャスターたちは何が起きているのか全く分からず、私がそれまで見たこともないほど混乱していた。
事故ではなく攻撃であることは明らかだった。しかし、誰が? なぜ?
私の記憶では、CBSやNBCの報道から伝わってきたのは、米国は世界の多くの国々を支援してきたはずなのに、なぜこれほどの憎しみを向けられるのか、そして冷戦が終わった今、この憎しみはいったいどこから来るのか、という深い困惑だった。
攻撃当日、そして翌日、ニューヨークは都市としての機能をほとんど失った。通りから人影が消え、商店もレストランもスーパーマーケットも閉まった。公共交通機関も大きく混乱していた。
私のホテルではスタッフの多くが出勤できなかったため、管理職の人々が即席のサンドイッチを作った。それが宿泊客に提供できる数少ない食事だった。誰もが自宅にこもり、衝撃を受け止めようとし、予測不能な危険を避けながら、テレビを見続けていた。
空から落下していく人々、灰に覆われたオフィスワーカーや消防士たち―そうした凄惨な映像に加え、事件の全体像を示す数字やデータが次第に伝えられるようになった。
そして、あの数日間に「アメリカン・ドリーム」は消え去った。
米国は第二次世界大戦後、世界の圧倒的な大国となった。冷戦期にはソ連という対抗勢力が存在したものの、多くの米国人にとって、自国は自由、民主主義、繁栄を体現する国だった。
戦後ヨーロッパの復興を支えたのも米国だった。歴史的には西洋世界の中心だったヨーロッパも、戦後の国際秩序の中では米国との同盟関係を軸に再建された。米国による開発援助もまた、世界各地で重要な役割を果たした。
しかし、こうした自国像は米国民の集合的な想像の中で大きく膨らみ、現実との隔たりも生じていた。9・11の少し前に報じられた世論調査でも、一般の米国人は、政府が実際よりはるかに多くの資金を海外援助に使っていると考えていた。
当時、人々を支配していた感情は「信じられない」というものだった。
米国人は戦争や虐殺、さまざまな暴力について、新聞で読み、テレビで見てきた。自国の兵士が戦争に参加している時でさえ、その多くは遠く離れた場所で起きている出来事だった。
もちろん、米国がそれまで攻撃を経験していなかったわけではない。しかし、多くの米国人にとって、自国の大都市の中心部がこれほど大規模な攻撃の舞台になることは、ほとんど想像の外にあった。
それが現実に起きたという事実は、国家が国民の安全を必ず守ってくれるという信頼を揺さぶった。その後の戦争や政治的・経済的混乱と相まって、こうした不信は次第に深まり、今日の米国政治を形づくる重要な要素の一つになっていく。
アメリカン・ドリームがどのように徐々に色あせていったのかを本格的に分析するには、ここで与えられた紙幅では到底足りない。
それでも、私たちが知っていた米国を徐々に覆い隠し、ドナルド・トランプとイーロン・マスクに象徴される今日の米国へと変えていった一本一本の糸を、ここでたどってみたい。
まず、1980年代を振り返る必要がある。この時期に起きた一連の変化は、世界全体に大きな意味を持っただけでなく、米国内にも重大な影響を及ぼした。
その象徴的な出来事の一つが、1981年にメキシコのカンクンで開催された南北サミットだった。
私はこの首脳会議で広報を担当し、会議を内側から見ていた。当時を代表する国家首脳が集まり、インディラ・ガンジーからフランソワ・ミッテラン、ジュリウス・ニエレレ、ピエール・トルドーに至るまで、多くの指導者が国際協力を強化する必要性を訴えた。
一方、就任間もないロナルド・レーガン大統領が打ち出したのは、それまでとは明らかに異なるアプローチだった。私が会議の内側から受け止めた彼のメッセージは、国連を中心とした包括的な政治交渉に政策を委ねるよりも、各国自身の責任と選択を重視し、市場の自由と個人の活力を開発の原動力とする、というものだった。
1980年代を通じて、世界経済の考え方そのものにも大きな転換が起きた。
市場自由化、民営化、規制緩和、財政規律を重視する政策潮流が強まり、1989年には経済学者ジョン・ウィリアムソンが、ワシントンの政策機関の間でラテンアメリカ向けに広く共有されていると考えた一連の政策を「ワシントン・コンセンサス」と名づけた。
その後、この言葉は本来の定義を超え、市場原理を重視する新自由主義的な政策全般を象徴する言葉として広く使われるようになった。
グローバル化と国際競争が加速する中、多くの製造業が人件費の安い国々へ生産拠点を移した。米国内では、それまで中産階級を支えてきた多くの製造業の雇用が失われた。特に地方や旧工業地帯では、経済的に取り残されたという感覚が蓄積していった。
そして9・11が起きた。
米国はアフガニスタンで20年にわたる戦争を続け、2021年に撤退した。その間、2003年にはイラクに侵攻し、米軍は2011年に同国から主要部隊を撤収した。イラクでは国家機構の崩壊、宗派対立、アルカイダ系組織の活動、さらにシリア内戦など複数の要因が重なり、その後ISISが台頭する環境が形成された。中東全域の不安定化はさらに深まった。
この時期、米国人は自国が無敵ではないことを改めて思い知らされた。
ベトナム戦争のトラウマを克服したはずの世界最強の軍事大国が、圧倒的な軍事力を投入しても、政治的安定や持続可能な秩序を容易には築けない現実が明らかになったのである。
ブラウン大学の「Costs of War」プロジェクトによれば、アフガニスタンやイラクなどを含む9・11後の一連の戦争と対テロ政策に伴う米国の費用は、累計で約8兆ドルに達した。
しかし私の考えでは、アメリカン・ドリームに決定的な打撃を与えたのは、その数年後に起きた2008年の金融危機だった。そしてこの時もまた、私は偶然、その出来事を間近で目撃することになった。
金融市場では長年にわたって規制緩和と金融工学の高度化が進み、ますます複雑でリスクの高い取引が拡大していた。
1999年、ビル・クリントン政権下で成立したグラム=リーチ=ブライリー法によって、1933年銀行法、いわゆるグラス=スティーガル法が設けていた商業銀行と投資銀行の分離を支える主要な規制が撤廃された。
もちろん、これだけが2008年の金融危機を引き起こしたわけではない。金融サービスの統合や規制緩和は1999年以前から進んでおり、同法はそうした長期的な変化を象徴する出来事の一つだった。
2008年、住宅市場と複雑な金融商品を背景に膨張していたバブルが崩壊した。ウォール街の象徴だったリーマン・ブラザーズが破綻し、危機は米国から世界へと波及した。
多くの米国人が住宅、貯蓄、雇用に深刻な打撃を受けた。年金資産も危機にさらされた。その一方で、1980年代以降、労働組合の交渉力は低下し、実質賃金の伸び悩みや雇用の不安定化が続いていた。
多くの人々が不安定な雇用やパートタイム労働に追い込まれ、生活を維持するために複数の仕事を掛け持ちする人も珍しくなくなった。こうして、「政治や経済のエリートは、自分たちの現実の暮らしを理解していない。」という不信が広がっていった。
そして移民が、その不満を向ける対象にされるようになる。「移民が自分の仕事を奪う」「学校や病院の負担を増やす」「犯罪を増やす」―そうした主張が政治の中で力を持つようになった。
この挫折感と怒りは、後のトランプ現象を理解するうえで欠かすことのできない背景となる。
政治だけではない。宗教もまた、米国社会の変化に重要な役割を果たしてきた。
米国の福音派、とりわけ保守的な福音派は大きな政治勢力を形成している。その一部では、個人の成功、自己責任、小さな政府を重視する政治思想と宗教的価値観が強く結びついている。また、保守的福音派の一部には、聖書の終末論的解釈を背景に、イスラエルへの強固な支持を示す人々もいる。
こうした環境の中で、スティーブ・バノンらが唱えたナショナリズムや主権国家主義も広がった。近年では、イーロン・マスクをはじめとするテクノロジー界の有力者が政治に直接的な影響力を行使するようになり、従来の左右の政治対立だけでは捉えきれない反体制的な潮流も強まっている。
カトリック保守派の政治的存在感も高まり、J・D・ヴァンス副大統領はその象徴的な人物の一人となった。
経済的・社会的な不安を抱える人々が少なくない一方で、途方もない富がごく少数の人々に集中している。この対照そのものが、既存の政治・経済システムに対する不信をさらに深めている。
そこに通信技術の革命が重なった。
2004年にフェイスブック、2005年にレディット、2006年にツイッターが登場した。突然、何百万人もの米国人が、大手メディアを介さずに互いに直接つながることが可能になった。
私自身、かつてはインターネットの熱烈な支持者の一人だった。
しかし、「これから重要なのは、知っていることではない。どこを探せばよいかを知っていることだ」という趣旨の言葉を耳にした時、私は強い不安を覚えた。
何かを見つけても、それを自分自身の知識として身につけていなければ、ガチョウの羽を流れ落ちる水のように、何も残らないのではないか。より大きな問題は、インターネットの主要なサービスが、公共財としてではなく、利益を生み出すビジネスとして発展したことだった。
膨大な情報があふれる中で、いかに利用者の注意を引き、画面の前につなぎ止めるかが重要になった。その結果、センセーショナルで、感情を刺激し、驚きを与える情報ほど拡散されやすい環境が生まれた。
そこを虚偽情報や偏向した情報、陰謀論が利用した。かつてなら限られた場所で語られていただけの荒唐無稽な考えが、インターネットという巨大な拡声器を通じて、一瞬のうちに社会全体へ広がるようになった。その影響を最も効果的に利用したのが、政治的・思想的な過激派だった。
さらに近年では、若者の孤立やオンライン空間への依存をめぐる懸念が高まっている。
人と直接交流する代わりに、インターネットの仮想世界に長時間とどまり、今では人工知能(AI)を友人や助言者のように利用する人々も現れている。
これは、社会より個人を重視する伝統が強い米国に、新たな問いを突きつけている。
国家の縮小を「自由」と考え、税金を個人の労働の成果に対する過度な介入と捉え、医療などの社会保障政策を「社会主義」と結びつけて警戒する政治思想も、依然として強い影響力を持っている。
もちろん、米国社会ではこうした流れに対する反動も起きている。ニューヨークでは、自らを民主社会主義者と位置づけるゾーラン・マムダニが市長となり、ほかにも公然と進歩主義的な政策を掲げる政治家が登場している。
しかし、それは同時に激しい政治的分極化を伴っている。
互いを政治的な競争相手ではなく、国家や社会に対する脅威として語る言説が広がり、国民的合意へ向かう道筋は容易には見えてこない。
トランプは民主党やその政策をしばしば「共産主義的」と非難する。
政治は、社会の異なる意見を調整する仕組みであると同時に、今や社会を分断する強力な装置にもなっている。
未来は、かつての「夢のアメリカ」への単純な回帰には見えない。
オサマ・ビンラディンは、ツインタワーを破壊した時、自らの攻撃がその後これほど長く、複雑な連鎖を生み出すことになるとは想像もしなかっただろう。
しかし、9・11の遺産は戦争や政治だけで測られるものではない。私たちがもはや特別なことだとさえ認識しなくなった、日常の何気ない行動にも刻み込まれている。
9・11を契機として、航空保安は段階的に強化された。その後のテロ未遂事件などを受け、靴やベルトを外す検査、液体物の制限、スキャナーによる検査などが次々と加わった。
今日、空港に出発のかなり前に到着し、長い列に並んで保安検査を受けることに驚く人はいない。若い世代にとって、それはまるで自然法則のようなものだ。彼らは「それ以前」の世界を知らないからである。
かつては、今よりはるかに短い時間でチェックインを済ませ、そのまま搭乗口へ向かうことができた。その世界は、9月のある朝を境に変わり、二度と元には戻らなかった。
これこそが、テロリズムの最も静かな勝利なのかもしれない。テロは私たちの思想を変えただけではない。私たちの習慣を変えた。そして、かつて別の習慣があったことさえ思い出せなくなるほど、その変化を日常の一部にしてしまったのである。
さらに、このメカニズムが米国内だけにとどまらなかったことも考える必要がある。
異なる歴史と社会的背景の中ではあるものの、欧州でもグローバル化、市場原理、移民、国家主権、そして既存の政治制度への不信をめぐる対立が深まってきた。
1992年に締結されたマーストリヒト条約は、現在の欧州連合(EU)を形づくる重要な基礎となった。その後EUは経済統合だけでなく、社会政策、人権、環境など幅広い領域に政策を発展させてきた。しかし、加盟国とEU機関の間で、どこまで権限を共有すべきかという問いは消えていない。
むしろ近年、各国で国家主権や国境管理を重視する政治勢力が台頭し、EU統合のあり方そのものが改めて問われている。今後、欧州の主要国で行われる選挙の結果は、EUの方向性にも大きな影響を与えるだろう。
もしこうした国々で主権国家主義勢力がさらに伸長するなら、トランプを「異常な存在」と見てきたヨーロッパ人自身が、皮肉にも彼が望んできた方向―EUの結束を内側から弱める方向―へ進むことになりかねない。
INPS Japan
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Institutional Highlights
|第7回世界伝統宗教リーダー会議|ローマ法王、多民族・多宗教が調和するカザフスタンのイニシアチブを祝福
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【ヌルスルタンINPS Japan=浅霧勝浩 (Katsuhiro Asagiri)】
「第7回世界伝統宗教リーダー会議」(9月14日~15日)に出席するため13日に中央アジアのカザフスタンに来訪したローマ法王フランシスコは、首都ヌルスルタン市内の中央コンサートホールで、カシム・ジョマルト・トカエフ大統領と共に登壇し、公式会見に臨んだ。ローマ法王のカザフスタン来訪は、2001年9月22日のヨハネ・パウロ二世以来21年ぶり。会場には各国から到着した伝統宗教リーダーをはじめ、カザフスタンの各界代表や駐在外交団が出席した。
法王フランシスコはこの公式会見で、2003年以来「世界伝統宗教指導者会議」(2003年から3年毎に開催)を一貫してホストしてきたカザフスタンの多様性と調和を重んじる社会的風土について言及。同国の伝統楽器「ドンブラ」をモチーフに同国で深く尊敬される詩人・作曲家・哲学者・教育者で、しばしばドンブラと共に歌われる、アバイ・クナンバイウル(1845~1904)の言葉を巧みに引用しつつ、スピーチを行った。
法王フランシスコは、「ドンブラ」について「多様性の中で、過去と現在をつなぐ継続の印」「移り変わりの早い社会において、過去の遺産と記憶を大切に守るシンボル」と述べ、平行な二本の弦を弾くドンブラの奏法を「冬の厳寒と夏の猛暑、伝統と発展、アジア性とヨーロッパ性といった相対する特徴を調和」させる「東西が出会う国カザフスタン」の姿に重ね、ドンブラが他の弦楽器と共に演奏される特徴にも言及しつつ、「社会生活の調和は、共に育ち、成熟してこそ可能になるものです。」と語った。
また、多様な文化的・宗教的伝統が調和するカザフスタンは、「多民族・多文化・多宗教の実験室、『出会いの国』としての召命を帯びています」と指摘。「健全な政教分離のもとで宗教の自由が尊重されたこの国で、社会調和における宗教の貢献を示すために、第7回世界伝統宗教指導者会議に参加できることを嬉しく思います。」と語った。そして、「カザフスタンの名が調和と平和を表すものであり続けることを願いつつ、この国の平和と一致の召命を神が祝してくださるように。」と祈られた。
歴史の悲劇を未来の希望につなげる知恵
多様性に寛容な多民族・多宗教国家の背景には、カザフ人が歩んできた苦難の歴史がある。
かつて東西交易の要衝をおさえる遊牧民の国家として繁栄したが、18世紀に入ると南下してきた帝政ロシアの圧迫をうけ、19世紀にロシア帝国の支配下に入った。さらに20世紀になるとロシアに代わったソ連の下で大規模な定住政策・集団農場が強制され、その結果引き起こされた飢饉で推定150万人から230万人のカザフ人が犠牲になった。また、カザフ人の独立を訴えた活動家や知識人・資産家は抑圧の対象となり、多くが各地に設けられた強制収容所で犠牲となった。言語もカザフ語よりもロシア語が優先され、文字表記もアラビア文字からラテン文字、さらにキリル(ロシア語で使われるアルファベット)文字が強制された。第二次世界大戦がはじまると、ドイツ人、ユダヤ人、ポーランド人、朝鮮人、日本人、ウクライナ人等、ヨシフ・スターリン政権によって敵視された各地の市民や捕虜がカザフの地にも建設されたソ連の強制収容所に連行されてきた。現在のカザフスタンに130以上の民族がいる背景にはこうしたソ連時代の政策も関係している。
また、戦後は1949年から89年にかけて、ソ連がカザフスタン東部に建設したセミパラチンスク核実験場(大きさは日本の四国に相当する:INPS)で456回にわたって核実験が繰り返され、健康上の影響を受けた人は150万人におよぶとされる。
こうした苦難の歴史にもかかわらず、カザフ人はソ連が解体すると、新生カザフスタンのヌルスルタン・ナザルバエフ初代大統領の強力な指導の下で、あらゆる民族平等と信教の自由(ソ連の体制下では宗教は毒とされ抑圧された)を保証するとともに、セミパラチンスク核実験場の閉鎖と当時世界第4位の核戦力の完全放棄を、ロシアのみならず欧米諸国の安全保障を巧みに取り付けて実現した。以来、カザフスタンは、国連を基軸に「核なき世界」の実現を訴える外交活動を最も活発に展開している国の一つである(2024年には核兵器禁止条約締約国会議をホストすることが決まっている)。
カザフスタンでは、ソ連による遊牧文化の否定・定住化政策にも関わらず、都市民・農耕民となってた今も、カザフ人のジュズ、部族、氏族に対する帰属意識はよく残っている。独立したカザフスタンは、苦難の時期を経ても祖先から受け継いできた伝統・文化を国造りの基本に据えるとともに、ソ連時代にカザフ文化が抑圧された教訓を生かすべく、カザフ文化以外のカザフ人(他民族系カザフ人)の伝統・文化・宗教をカザフ文化と対等に扱うことを憲法に明記し社会の調和を重視する政策を推進している。
法王フランシスコは、カザフの地に根付く寛容で強固な精神性について、アバイの言葉「いのちの美しさとは何であろう。もしその深きをさぐらぬならば。」「目覚めた魂、澄んだ精神が必要」等を引用しながら、「世界は私達から、目覚めた魂と澄んだ精神の模範、真の宗教性を待ち望んでいる。」と語った。そして、「『信教の自由』を人類の統合的発展に不可欠な条件、本質的で譲ることのできない権利として示し、他者に強制することなしに、自分の信仰を公に証しすることは、すべての人の権利にほかなりません。」と強調した。
法王フランシスコはさらに、今日国際社会が直面しているグローバルな課題として、「人間の脆さを知り、いたわるパンデミック対応」、「平和への挑戦」、「兄弟的な受け入れ」「環境保護」を挙げ、「諸宗教が各自のアイデンティティーを守りながら、友好と兄弟愛のうちに共に歩み、暗い現代を創造主の光で照らすことができるように。」と語った。
人口約1900万人のカザフスタンでは、イスラム教徒(スンニ派)が約70%を占めるが世俗的で、生活を制限する厳しい戒律はなく、女性の服装も自由。キリスト教(ロシア正教が大半、カソリック教徒は推定125,000人)は26%、その他ユダヤ教、仏教、バハイ教、ヒンズー教など、130の民族構成を反映して多様な宗教が共存している。
https://youtu.be/ypL9d-zc_2s
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This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka...
Goal16(平和と公正を全ての人に)
死刑をめぐる「賛否」の先へ―日本で問われるいのちの尊厳と司法
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【東京INPS Japan=浅霧勝浩】
日本の死刑制度を「いのちの尊厳」の視点から考えるシンポジウム「死刑制度を考える―いのちの尊厳を見すえて―」が9月5日、東京・四ツ谷の聖イグナチオ教会ヨセフホールで開かれた。|英語版|アラビア語|中国語|
主催は「死刑制度を考える宗教者・宗教研究者の会」、共催は死生学・共生社会研究所。イエズス会社会司牧センター、現代における宗教の役割研究会(コルモス)、公益財団法人全日本仏教会、国際宗教研究所、上智大学グリーフケア研究所、世界宗教者平和会議(WCRP)日本委員会、創価学会平和委員会、臨床仏教研究所の8団体が後援した。
シンポジウムには、刑法学者、ノンフィクション作家、犯罪被害者遺族、元刑務官、若い世代、宗教者らが参加し、それぞれの経験や立場から死刑制度を問い直した。
宗教学者の島薗進氏は、死刑を廃止するかどうかを決めるためではなく、互いの声を聞き、学び合うための場であると強調した。
そこで問われたのは、刑罰のあり方だけではない。被害者をどう支え、冤罪や暴力をどう防ぎ、人の生死を左右する判断について、制度を担う機関にどう説明責任を果たさせるかという問題だった。
国際情勢には相反する動きがある。アムネスティ・インターナショナルによると、2025年末までに145カ国が法律上または事実上、死刑を廃止した。一方、同年に確認された執行数は少なくとも2,707件に増加した。この数字には、実数を確認できない中国、北朝鮮、ベトナムの執行は含まれていない。
日本の法務省は、国民世論や凶悪犯罪の存在を理由に死刑の存続を支持してきた。しかし、国民の支持があることと、人権保障の観点から制度を正当化できることは、別の問いである。
取り返しのつかない刑罰に必要な保障
刑法学者の井田良氏は、日本が死刑制度の法的・憲法的な根拠を十分に検討してきたのかと問いかけた。特に問題視したのは、死刑判決の下で数十年を過ごす場合もある一方で、執行は当日になって告知されるという状況だった。
井田氏は、無実の人を有罪とする誤判と、刑の重さを決める際の誤りを区別した。犯罪が認定された場合でも、被告人に有利な事情が見落とされ、無期刑ではなく死刑が選択されることがある。
絞首刑についても、憲法上の残虐な刑と考えるべきだとの、自身の法的見解を示した。
「即時の死刑廃止だけが選択肢なのではありません。」
誤判防止策の強化、執行方法の見直し、一時的な執行停止など、取り組める改善はあるという。遺族の悲しみや怒りを認めつつ、その処罰要求だけで死刑を正当化することはできないと論じた。
抑止力についても慎重さが必要だ。米国の全米研究評議会(NRC)は2012年、検討した研究からは、死刑が殺人を増やすのか、減らすのか、影響しないのかを判断できないと結論づけた。これは、効果がないことを証明したという意味ではない。
一方、井田氏は市民の不安を真剣に受け止めるよう求めた。改革は単に刑罰を置き換えるのではなく、組織犯罪や再犯への対応も含めて考えなければならない。
死刑執行が人々に残すもの
ノンフィクション作家の堀川惠子氏は、20年近くに及ぶ取材経験を語った。取材から見えてきたのは、遺族の思いは一様ではないということだった。死刑判決を歓迎する人もいれば、加害者に生きて罪と向き合ってほしいと願う人もいた。
堀川氏は、死刑か無期刑かを判断する際の考慮要素を示した永山基準について、その基となる最高裁判決の作成に関わった元調査官への取材も振り返った。元調査官は、それらの要素を機械的に死刑を導く基準として扱うことに異を唱えたという。
堀川氏の著書『教誨師』は、死刑囚と向き合った仏教僧の歩みを描いている。堀川氏は、その僧侶の言葉を紹介した。
「死刑が執行されても幸せになった人間は誰一人いません。」
これは僧侶自身の実感であり、すべての遺族の経験を一括りにする判断ではない。それでも、刑の執行が終わることと、犯罪をめぐる苦しみが終わることは、必ずしも同じではないという重要な区別を示している。
堀川氏は執行を停止し、被害者支援、刑務官の心理的負担、費用、そして絞首刑そのものを、情報を公開して検討するよう求めた。
兄を失った遺族が投げかけた問い
2021年の大阪・北新地の心療内科放火事件で、院長だった兄を失った伸子さんが登壇した。その後、更生とは何かを理解し、新たな悲劇を防ぐために、受刑者や出所者との対話を始めた。
「再犯を防ぎ、悲しい思いをする人を増やしたくない。」
伸子さんは、賛否いずれかの立場に括られることを避けた。死刑を望む遺族もいれば、加害者に生きて罪を背負ってほしいと願う人も、事件について考えることに耐えられない人もいる。
「どれもその人の抱いている悲しみの形だと思っています。」
犯罪を犯した人にも人権はあると、伸子さんは認める。「加害者の人権を認めること自体は、被害者の人権を否定することにはなりません。」
しかし、命を奪われた人の権利や、残された家族の必要に、誰が応えるのか。支援は、遺族が死刑に賛成するかどうかによって左右されるべきではない。
国連が1985年に採択した犯罪被害者等のための司法の基本原則に関する宣言も、司法へのアクセス、公正な取扱い、原状回復や賠償、補償、援助を含んでいる。処罰だけが、被害に対する応答のすべてではない。
伸子さんはさらに問いかけた。
「死刑になる人を作らない社会とは、どんな社会なんでしょう。」
受刑者との対話からは、虐待や孤立の経験が浮かび上がった。背景を理解することは、犯罪を正当化することではない。しかし、暴力が起きた後の処罰だけでは、もっと早く支援があれば防げたのではないかという検討の代わりにはならない。
伸子さんは、保護者が経験を語り合う場づくりも始めている。それは本人が選んだ活動であり、他の遺族に求めるべき義務ではない。犯罪予防には、個人の善意だけでなく、制度による支えも必要だ。
「私は死刑に賛成でも反対でもなく」と伸子さんは述べ、命と罪と苦しみについて考え続けたいという決意を語った。
司法には誤りを正す力が必要
元刑務官の坂本敏夫氏は、外部との接触制限により、死刑確定者の変化が社会に見えにくくなっていると指摘した。
また、長年交流してきた袴田巖氏についても語った。袴田氏は死刑判決の下で数十年を過ごし、2024年の再審で無罪となった。この事件は、取調べ、証拠開示、そして遅滞なく救済を得られるかという問題を提起している。
司法への信頼は、判断を下す権限だけではなく、取り返しのつかない被害が生じる前に、誤りを認め、正せるかどうかにもかかっている。
坂本氏は無期刑の長期化にも疑問を投げかけた。日本の無期刑には法律上、仮釈放の可能性がある。問われるのは、社会の安全、被害者の思い、更生を示す事情が、実際にどのように評価されるかである。
沖縄出身の大学院生、崎浜空音氏にとって、死刑は被害者のための正義だという考えを初めて揺さぶったのは、フランス留学だった。その後の国際的な交流を通じて、冤罪による死刑判決の影響を受けた人々の声に直接触れた。
崎浜氏は沖縄の「命どぅ宝」―命こそ宝―という言葉を挙げ、死刑と戦争に反対する思いのつながりを語った。そして、結論が出ていなくても、若者が難しい問題について話し合える場をつくることの重要性を強調した。
対話から制度の説明責任へ
堀川氏は、従来とは異なる声が入り、固定化した立場を超えようとした今回のシンポジウムを評価した。島薗氏も、対話の継続を願った。
持続可能な開発目標のSDG16は、死刑廃止を明文で求めてはいない。一方、暴力の削減、子どもの保護、司法への平等なアクセス、説明責任ある制度、包摂的な意思決定を掲げている。
そこから、具体的に制度を検証する視点が得られる。被害者に継続的な支援は届いているか。疑いのある有罪判決を十分に検証できるか。刑務官の負担は把握されているか。犯罪予防は被害を減らしているか。市民は制度を判断するために必要な情報を得られるか。
死刑の存廃について意見が違っても、これらの問いを検証することはできる。
人は変わることができるのか。罪を償うとはどういうことか。社会は被害者をどう支え、暴力をどう防ぐのか。そして、人の生死を左右する権限を、国家にどこまで認めるのか。
その問いに向き合う新たな対話が、東京の一つの教会から始まった。
This article is brought to you by INPS Japan in collaboration with Soka Gakkai International in consultative status with UN ECOSOC.
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深刻化する紛争とデジタル脅威の中、国連特別報告者が子どもの権利保護を訴え
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【国連IPS=オリトロ・カリム】
国連のアントニオ・グテーレス事務総長は7月7日、「子どもの売買、性的搾取、性的虐待に関する国連特別報告者」を務めるキハラハント愛氏の報告書を国連総会に提出した。報告書は、世界各地で子どもを守るための措置を実施していく上で、同氏が掲げる目標と優先課題を明らかにしている。|英語版|
国連人権理事会と連携して提出された報告書は、子どもを性的搾取や性的虐待の危険にさらしている構造的な障壁として、政府による監督の不十分さ、被害者への支援や司法サービスの不足、長期化・深刻化する危機などを挙げている。
「子どもの売買、性的搾取、性的虐待は複雑で、表面化しにくく、国境を越えて行われる。そのため、これらの問題に対処するには、強固な子ども保護制度と、各国内および国境を越えた実効的な協力が不可欠である。」と報告書は指摘している。
「子どもの売買、性的搾取、性的虐待への対応には、子どもの最善の利益を基礎とし、その尊厳、主体性、回復力を尊重する人権に基づくアプローチが必要である。」
報告書は主に、国連加盟国、国際機関、市民社会組織、人道支援機関から寄せられた情報をもとに、協力や説明責任を確保し、子どもに対する人権侵害を防止するための主要な仕組みを提示している。また、多様な関係者の世界各地からの視点や被害を生き延びた人々の実体験を取り入れ、ジェンダーへの配慮、障害の包摂、被害者中心、トラウマへの配慮、そして何よりも子どもの権利を基盤とする枠組みを通じて、保護、回復、リハビリテーション、司法へのアクセスを優先している。
これに先立つ3月10日の国連人権理事会第61会期では、前特別報告者のママ・ファティマ・シンガテ氏が、新たなデジタル技術によって加害者の虐待手法が一変し、オンライン空間が子どもにとってますます危険な場所になっていると警告した。
シンガテ氏は、デジタル技術の進歩が人権侵害の「新たな経路」を生み出すことを防ぐため、人道支援関係者、各国政府、その他の関係者が一層緊密に協力するよう求めた。
また同氏は4月20日、人権理事会に提出した最後の報告書について、子ども向けに分かりやすくした版を公表した。子ども自身が、自分たちに最も大きな影響を及ぼす議論に有意義な形で参加できるよう、情報へのアクセスを確保する重要性を強調したものである。
キハラハント氏は今後、歴代の特別報告者の取り組みをさらに発展させるとともに、これまで国連で十分な注目や継続的な取り組みがなされてこなかった問題にも焦点を当てる方針である。主な優先課題には、相互に絡み合う世界的危機に伴う「複雑、あるいは急速に変化する」問題や、デジタル環境における性的搾取の憂慮すべき増加が含まれている。
特別報告者は、オンライン空間では、子どもも発達しつつある能力に応じてさまざまな同意や意思表示を行うことができる一方、新たな技術の登場によって、その意味や取り扱いがますます複雑になり得ると指摘している。
とりわけ人工知能(AI)の急速な普及は、人道支援機関にとって大きな懸念となっている。AIによって、子どもを害するコンテンツの作成や拡散が容易になっているほか、本人の許可を得ない画像の収集や個人データの悪用も助長されているためである。
さらに報告書は、ソーシャルメディアやメッセージングアプリ、暗号資産などのデジタル技術が、武装集団への子どもの勧誘や人身取引、搾取を容易にする一方、加害者が捜査機関による摘発を免れる手段にもなっていると指摘した。
ユニセフ(UNICEF)の子ども保護専門官、アフルーズ・カヴィアニ・ジョンソン氏はIPSの取材に対し、「子どもの性的搾取や性的虐待の背景には、有害な社会規範、偏見、ジェンダー不平等、力関係の不均衡、貧困、子どもの保護・支援制度の脆弱さなど、さまざまな要因がある」と語った。
「今日では、デジタル環境がこうした被害にますます深く関わるようになっている。子どもたちは、デジタルプラットフォームを介したグルーミング、強要、性的搾取、性的虐待などの危険にさらされている。生成AIをはじめとする新興技術も、こうしたリスクの規模と深刻さを拡大させている。」
キハラハント氏の任務の柱の一つは、民間企業に対し、人権と子どものプライバシーを基礎とした、より厳格な安全対策を導入するよう求めることである。その責任は企業・組織そのものだけでなく、従業員、ボランティア、取引先など広範な関係者に及ぶ。
報告書はまた、市場原理や商業化、利益追求型の仕組みが、とりわけオンライン上で子どもの性的搾取を助長する有害な環境を生み出していないか、あるいはその防止にどのように貢献できるのかについても検証していくとしている。
「安全性を設計段階から組み込む『セーフティ・バイ・デザイン』のアプローチでは、プラットフォーム、メッセージングサービス、ゲーム環境、AIシステムが、子どもの売買や性的搾取、性的虐待を助長しかねない予見可能なリスクを評価し、軽減する必要がある。また、児童性的虐待コンテンツを積極的に検知し、通報し、削除することも求められる」と報告書は述べている。
「こうした責任にとどまらず、特別報告者は、企業が各国政府やその他の関係者と連携しながら、予防、安全確保、通報、子どもへの支援において、どのような積極的役割を果たすことができるかについても検討する考えである。」
報告書はさらに、武力紛争や人道危機の影響を受ける地域で暮らす子どもは、売買や性的搾取の危険が著しく高く、子ども時代にレイプや性的暴行を経験する可能性が世界平均のおよそ2倍に上ると指摘している。
このほか、強制的な避難や移住、自然災害、気候変動なども性的搾取のリスクを高める要因となっている。こうした状況では人道支援が大幅に制約されるため、子どもの保護措置や市民社会による介入も困難になることが多い。
ジョンソン氏は、「紛争、避難・移住、気候関連災害、公衆衛生上の緊急事態といった人道危機は、子どもの安全を守るための制度や仕組みを機能不全に陥らせる可能性がある」と指摘した。
「こうした危機は、子どもが危険にさらされる機会を増やす一方で、必要不可欠なサービスや支援へのアクセスを低下させる。」
さらに同氏は、「貧困や経済的困窮も、とりわけ金銭や物品、その他の利益と引き換えに搾取が行われる状況では、子どもの脆弱性を高める可能性がある」と語った。
「避難を余儀なくされた子ども、移動の途上にある子ども、障害のある子ども、人道危機の影響を受けている子どもは、複数のリスクが重なり合う状況に置かれることが多い。」
経済的不安定と格差も、子どもの性的搾取を引き起こす主要な要因である。報告書によれば、無国籍状態にある子どもなど、「公的な保護網の外側」に置かれた子どもたちは、成人や同年代の子どもから虐待を受けることが多く、場合によっては法執行機関の職員から被害を受けることさえある。
避難や移住を余儀なくされた子どもも同様に脆弱な立場に置かれており、拘禁や強制送還を恐れて犯罪被害を申告できない場合も少なくない。無国籍の子どもや移民の子どもは、支援サービスを利用するために必要な公的身分証明書を持っていないことが多いうえ、家族と離ればなれになっている場合も多い。その結果、保護してくれる大人の目が届きにくくなり、被害に遭う危険が大幅に高まる。
キハラハント氏は、歴代の特別報告者による取り組みを引き継ぎ、さらに発展させるため、子どもや若者の参加を優先し、子ども自身の力を高めることを重視した活動を進める方針である。
また、各国政府やテクノロジー企業、その他の関係者に対し、より安全なオンライン環境を構築するよう働きかける。さらに、公衆衛生や教育分野をはじめ、分野を越えた連携の強化を求めていく考えだ。
報告書は次のように指摘している。
「子どもの被害者やサバイバーのリハビリテーションにおける公衆衛生部門の役割は、単なる回復や社会復帰にとどまらない。刑事司法を中心とした対応から、子どもの健康と幸福を中心に据えた対応へと転換していくことも、その役割に含まれる。一方、教育部門は、以下でさらに詳しく述べるように、予防、保護、対応のあらゆる段階で重要な役割を果たす。」
INPS Japan/ IPS UN Bureau Repor
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INPS Japan/ IPS UN Bureau Report
国連総会のもう一つの顔―国際政治の舞台にのぞくユーモア
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【国連IPS=タリフ・ディーン】
今月下旬の国連総会の首脳級会合に向け、130人を超える各国首脳がニューヨークに集まる見通しだ。しかし、演壇から歯に衣着せぬ政治的発言が飛び出し、ニュースの見出しを飾ることは、そう多くない。193の加盟国で構成される国連総会の演説も、その後に開かれることのある記者会見も、大半は長々と続き、単調で退屈だ。とはいえ、数は少ないながらも例外はある。|英語版||
2009年9月、リビアの指導者ムアンマル・カダフィが国連を訪れた際、英紙ガーディアンは、彼がニューヨークの国連ビルでつかんだ「15分間の名声」を、1時間40分にまで引き延ばしたと皮肉った。15分の持ち時間の6倍を超える長広舌に、運営側は頭を抱えたという。奇矯な振る舞い、強情さ、度を越した饒舌さ――カダフィは評判にたがわぬ姿を見せた。
驚く各国代表団を前に、国連の目的や活動原則を定めた国連憲章の写しを引き裂き、国連安全保障理事会(安保理)を、国際テロ組織アルカイダのようだと非難した。さらに、イラク戦争の責任を問い、ジョージ・W・ブッシュ前米大統領とトニー・ブレア元英首相を裁判にかけるよう求めた。
アフリカに植民地主義がもたらした惨禍への賠償として、7兆7000億ドルも要求した。さらには、豚インフルエンザは軍事研究所でつくられた生物兵器ではないかという疑いまで口にした。
余談だが、ある報道によれば、カダフィの名前には112通りもの表記があったという。Muammar el-Qaddafi、Muammar Gaddafi、Muammar al-Gathafi、Moammar el Kazzafi、Moamar Gaddafiなど、枚挙にいとまがない。
米紙ウォール・ストリート・ジャーナルは、この表記の乱立をからかう風刺漫画を掲載した。リビアの首都トリポリで単独インタビューに臨む記者が、カダフィにこう尋ねる。「編集長に言われて来たんです。あなたはQaddafiなのか、Khaddafiなのか、Gadafiなのか、Qathafiなのか、それともKadhafiなのか、確かめてこいと。」
米国とソビエト連邦(ソ連)が対立した冷戦のさなか、1960年10月の国連総会でも、忘れがたい応酬が繰り広げられた。ただし、ソ連と直接やり合ったのは米国ではなく、当時その緊密な同盟国とみなされていたフィリピンだった。
フィリピン代表のロレンソ・スムロンは、ソ連を厳しく非難した。「東欧などの人々は、市民的・政治的権利を自由に行使することを奪われ、いわばソ連にのみ込まれている。」これに激怒したのが、ソ連代表団を率いていたニキータ・フルシチョフ首相だった。スムロンを「まぬけ」「操り人形」「下僕」、さらには「アメリカ帝国主義のごますり」と罵倒したのである。今日の国連総会や安保理では、めったに聞かれない言葉だ。北朝鮮のおなじみの決まり文句、「帝国主義の走狗」さえ、かすんでしまう。
フルシチョフといえば、議事進行について発言する機会を求め、脱いだ靴で机をたたき続けたという逸話も、長く語り継がれている。ただし、実際の動作や経緯については証言が食い違い、流布した写真の真偽も含めて議論が続いてきた。
これとは別の日、同年9月29日には、英国のハロルド・マクミラン首相が演説中、フルシチョフの怒声にさえぎられた。マクミランは議長に向かい、こう切り返した。「差し支えなければ、今の発言を通訳していただきたいのですが。」と。議場は大きな笑いに包まれた。
現在、国連の演説は、アラビア語、中国語、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語の6つの公用語に同時通訳される。もっとも、靴で机をたたく音までは通訳してもらえない。
ウガンダの指導者イディ・アミンには、こんな言い間違いの逸話もある。国連総会で英国のエドワード・ヒース首相を褒めようとして、「まるでアドルフ・ヒトラーのような人物だ」と述べ、慌てて、言いたかったのはウィンストン・チャーチルだと訂正したというのである。ナチス・ドイツの独裁者と、第二次世界大戦中に英国を率いた首相を取り違えてしまったわけだ。
2006年9月19日には、タイのタクシン・シナワット首相が国連総会で演説するためニューヨークに滞在している間に、本国で軍事クーデターが起き、政権を追われた。帰国すれば汚職容疑で訴追されるおそれがあったタクシンは、タイには戻らずロンドンへ向かい、事実上の亡命生活に入った。
民主的に選ばれたタイ政府を倒したこの無血クーデターにより、米国は、東南アジアの長年の同盟国との軍事関係の見直しと、援助の一部停止を迫られた。当時、隣国ミャンマーの軍事政権に対する国連制裁を求めていたブッシュ政権は、タイのクーデターを、この地域における民主主義の「後退」と位置づけた。
だとすれば、国連総会に出席する首脳にとって、自らの政権を守る最も確実な方法は、陸海空軍の司令官をはじめ、軍幹部を全員、国連代表団に加えてしまうことだ。そうすれば、彼らは総会議場で自分の目の届くところにいる。本国でクーデターを起こし、政権を奪う心配もない、というわけである。
国連総会の会期中、国連本部4階にあるIPSの事務所には、国連で活動する解放運動の代表者たちが、折に触れて集まっていた。パレスチナの民族解放運動を担うパレスチナ解放機構(PLO)や、東ティモールの独立運動を主導した東ティモール独立革命戦線(フレティリン)の関係者たちだ。
常連の一人が、フレティリンが樹立した亡命政府の外相に任じられたジョゼ・ラモス=ホルタだった。後に1996年のノーベル平和賞を受賞し、2007年から2012年まで東ティモールの大統領を務めた。
彼について、広く知られた逸話がある。
ある晩、ラモス=ホルタが、国連近くにある各国代表団なじみのレストランで食事をしていると、ウェイターが丁寧に出身国を尋ねた。彼は誇らしげに、イースト・ティモール(東ティモール)出身だと答えた。旧ポルトガル領で、1975年から1999年までインドネシアの支配下に置かれていた国だ。
ところが、地理に疎いウェイターは、こう聞き返した。「では、エスキモーの方ですか?」「いやいや、違います」とラモス=ホルタは答えた。「私はエスキモーではありません。イースト・ティモールという国の出身です」
ラモス=ホルタは、2012年に1期目の大統領任期を終えた後、2013年1月、西アフリカのギニアビサウを担当する国連事務総長特別代表に任命され、国連ギニアビサウ平和構築統合事務所の代表も務めた。
その後、国連本部近くのファースト・アベニューで彼に会った際、私はこの逸話が本当なのか、本人に確かめてみた。実際にあったことだという。私たちは二人で大いに笑った。
ある警備担当官は、こんな出来事を振り返っている。アフリカのある国の首相が国連総会で演説していたとき、アフリカ出身の学生たちが傍聴席からヤジを飛ばした。いつもの手順に従い、学生たちは議場の外へ連れ出され、事情を聴かれ、写真を撮られたうえで、国連施設への立ち入りを禁じられた。ところが約5年後、その学生の一人が国連に戻ってきた。今度は自国の外相として、総会の演壇に立ったのである。
カダフィ以外にも、革命やクーデターを経て国を率いた指導者たちが、国連総会で演説している。キューバのフィデル・カストロ、マリのアマドゥ・トゥーレ、ガーナのジェリー・ローリングスらだ。
トゥーレは1991年のクーデターで権力を握った後、民主的な選挙で選ばれた大統領となった。ローリングスも1979年に権力を掌握し、その政権下では過去の国家元首らが処刑されたが、後には民主的な選挙で選ばれた文民大統領を務めた。
PLO議長ヤーセル・アラファトが国連総会の演壇に立った一方で、世界で大きな物議を醸してきた指導者の中には、そこで演説したことのない人物もいる。イラクのサダム・フセイン、シリアのハーフィズ・アル=アサドと息子のバッシャール・アル=アサド、北朝鮮の金日成と孫の金正恩らだ。
1964年、キューバの指導者カストロの右腕として知られ、強烈なカリスマ性を備えたエルネスト・チェ・ゲバラが国連総会で演説した際には、国連本部が文字どおり攻撃された。アルゼンチン生まれのマルクス主義革命家が演壇に立っている最中に、爆発音が響き、その声に重なった。だが、ゲバラは演説を中断しなかった。
米国内の反カストロ勢力は、ゲバラの国連訪問に激しく反発していた。ニューヨークのファースト・アベニューと42丁目付近の国連本部前では、カストロとゲバラに抗議するデモが行われていた。
そのさなか、国連本部に面するイースト・リバーの対岸から、国連事務局ビルに向けて口径3.5インチのバズーカ砲が発射された。携帯式のロケット砲である。しかし、ロケット弾は標的を外れ、国連本部側の岸から約200ヤード(約180メートル)離れた川面に落ちて爆発した。爆風で本部の窓ガラスが震えたものの、建物への直撃は免れた。
ある新聞は、この一件を「国連が1952年にイースト・リバー沿いの本部に移転して以来、最も常軌を逸した出来事の一つ。」と評した。
国連の古参職員たちが語り継いできたこの襲撃事件は、ゲバラが米国の外交政策を痛烈に批判し、西半球(南北アメリカ地域)の非核化をめぐる条約案にも異議を唱えていた最中に起きた。国連本部を標的とする、政治的動機に基づいたテロ攻撃の初期の事例の一つだった。
総会演説の後、自分を狙った攻撃について尋ねられたゲバラは、キューバ産の葉巻を手に、こう冗談を飛ばした。「この爆発で、話にひと味加わったね。」この日、ナイフを持った女性が国連本部への侵入を図り、ニューヨーク市警に逮捕される事件も起きていた。反カストロ派のキューバ人亡命者とされるこの女性は、狩猟用ナイフでゲバラを殺害しようとしていたという。
襲撃を企てたのが女性だったと知ると、ゲバラはこう言った。「銃を持った男に殺されるより、ナイフを持った女に殺される方がまだましだ。」
本稿には、インター・プレス・サービス(IPS)通信社のシニア・エディター、タリフ・ディーンの著書『No Comment—and Don’t Quote Me on That』からの抜粋が含まれる。ディーンは、スリランカの国連総会代表団の一員を務めた経験を持つ。フルブライト奨学金を得てニューヨークのコロンビア大学で学び、ジャーナリズムの修士号を取得。2012年と2013年には、国連特派員協会(UNCA)の報道賞で金賞を共同受賞している。同書はAmazonで購入できる。
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国連、世界で最も多言語化された組織のひとつ
国際情勢を見誤らないために―地政学的変化への適応
|コラム|ケネディ大統領とカストロ首相の秘密交渉を振返る(ロバート・F・ケネディ・ジュニア)
Goal17(パートナーシップで目標を達成しよう)
|視点|9・11と「アメリカン・ドリーム」の終焉(ロベルト・サビオIPS創設者)
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【ローマINPS Japan/IPS=ロベルト・サビオ】
2001年9月11日、私はニューヨークにいた。コンサルタント契約を結んでいた国際連語を訪れるため、当時、私は頻繁にニューヨークを訪れていた。その朝、イタリアからのフライトによる時差ぼけもあって寝過ごし、目を覚ましたのは午前11時ごろだった。宿泊していたのは、国連本部からほど近いホテルだった。|英語版|
ロビーに下りると、スタッフから宿泊客まで、誰もが異常なほど取り乱していることに驚いた。顔見知りのベルボーイに声をかけようとしたが、彼は返事もせず走り去った。そこでフロントへ向かったが、全員が電話にかかりきりで、誰も私に注意を払わない。
ようやく顔見知りの一人が言った。「ツインタワーが攻撃された!」そう言うと、彼女も慌ただしく走り去った。
その瞬間、ジャーナリストの職業的本能に駆られた私は、タクシーを拾って現場へ向かおうと外に出た。しかし、通りはほとんど無人だった。車は一台も見当たらず、わずかにいた通行人も走っていた。おそらく皆、自宅へ戻ろうとしていたのだろう。
そこで私は、残された唯一の賢明な選択をした。テレビを見ることである。
映像は明白で、そして凄惨だった。しかし、キャスターたちは何が起きているのか全く分からず、私がそれまで見たこともないほど混乱していた。
事故ではなく攻撃であることは明らかだった。しかし、誰が? なぜ?
私の記憶では、CBSやNBCの報道から伝わってきたのは、米国は世界の多くの国々を支援してきたはずなのに、なぜこれほどの憎しみを向けられるのか、そして冷戦が終わった今、この憎しみはいったいどこから来るのか、という深い困惑だった。
攻撃当日、そして翌日、ニューヨークは都市としての機能をほとんど失った。通りから人影が消え、商店もレストランもスーパーマーケットも閉まった。公共交通機関も大きく混乱していた。
私のホテルではスタッフの多くが出勤できなかったため、管理職の人々が即席のサンドイッチを作った。それが宿泊客に提供できる数少ない食事だった。誰もが自宅にこもり、衝撃を受け止めようとし、予測不能な危険を避けながら、テレビを見続けていた。
空から落下していく人々、灰に覆われたオフィスワーカーや消防士たち―そうした凄惨な映像に加え、事件の全体像を示す数字やデータが次第に伝えられるようになった。
そして、あの数日間に「アメリカン・ドリーム」は消え去った。
米国は第二次世界大戦後、世界の圧倒的な大国となった。冷戦期にはソ連という対抗勢力が存在したものの、多くの米国人にとって、自国は自由、民主主義、繁栄を体現する国だった。
戦後ヨーロッパの復興を支えたのも米国だった。歴史的には西洋世界の中心だったヨーロッパも、戦後の国際秩序の中では米国との同盟関係を軸に再建された。米国による開発援助もまた、世界各地で重要な役割を果たした。
しかし、こうした自国像は米国民の集合的な想像の中で大きく膨らみ、現実との隔たりも生じていた。9・11の少し前に報じられた世論調査でも、一般の米国人は、政府が実際よりはるかに多くの資金を海外援助に使っていると考えていた。
当時、人々を支配していた感情は「信じられない」というものだった。
米国人は戦争や虐殺、さまざまな暴力について、新聞で読み、テレビで見てきた。自国の兵士が戦争に参加している時でさえ、その多くは遠く離れた場所で起きている出来事だった。
もちろん、米国がそれまで攻撃を経験していなかったわけではない。しかし、多くの米国人にとって、自国の大都市の中心部がこれほど大規模な攻撃の舞台になることは、ほとんど想像の外にあった。
それが現実に起きたという事実は、国家が国民の安全を必ず守ってくれるという信頼を揺さぶった。その後の戦争や政治的・経済的混乱と相まって、こうした不信は次第に深まり、今日の米国政治を形づくる重要な要素の一つになっていく。
アメリカン・ドリームがどのように徐々に色あせていったのかを本格的に分析するには、ここで与えられた紙幅では到底足りない。
それでも、私たちが知っていた米国を徐々に覆い隠し、ドナルド・トランプとイーロン・マスクに象徴される今日の米国へと変えていった一本一本の糸を、ここでたどってみたい。
まず、1980年代を振り返る必要がある。この時期に起きた一連の変化は、世界全体に大きな意味を持っただけでなく、米国内にも重大な影響を及ぼした。
その象徴的な出来事の一つが、1981年にメキシコのカンクンで開催された南北サミットだった。
私はこの首脳会議で広報を担当し、会議を内側から見ていた。当時を代表する国家首脳が集まり、インディラ・ガンジーからフランソワ・ミッテラン、ジュリウス・ニエレレ、ピエール・トルドーに至るまで、多くの指導者が国際協力を強化する必要性を訴えた。
一方、就任間もないロナルド・レーガン大統領が打ち出したのは、それまでとは明らかに異なるアプローチだった。私が会議の内側から受け止めた彼のメッセージは、国連を中心とした包括的な政治交渉に政策を委ねるよりも、各国自身の責任と選択を重視し、市場の自由と個人の活力を開発の原動力とする、というものだった。
1980年代を通じて、世界経済の考え方そのものにも大きな転換が起きた。
市場自由化、民営化、規制緩和、財政規律を重視する政策潮流が強まり、1989年には経済学者ジョン・ウィリアムソンが、ワシントンの政策機関の間でラテンアメリカ向けに広く共有されていると考えた一連の政策を「ワシントン・コンセンサス」と名づけた。
その後、この言葉は本来の定義を超え、市場原理を重視する新自由主義的な政策全般を象徴する言葉として広く使われるようになった。
グローバル化と国際競争が加速する中、多くの製造業が人件費の安い国々へ生産拠点を移した。米国内では、それまで中産階級を支えてきた多くの製造業の雇用が失われた。特に地方や旧工業地帯では、経済的に取り残されたという感覚が蓄積していった。
そして9・11が起きた。
米国はアフガニスタンで20年にわたる戦争を続け、2021年に撤退した。その間、2003年にはイラクに侵攻し、米軍は2011年に同国から主要部隊を撤収した。イラクでは国家機構の崩壊、宗派対立、アルカイダ系組織の活動、さらにシリア内戦など複数の要因が重なり、その後ISISが台頭する環境が形成された。中東全域の不安定化はさらに深まった。
この時期、米国人は自国が無敵ではないことを改めて思い知らされた。
ベトナム戦争のトラウマを克服したはずの世界最強の軍事大国が、圧倒的な軍事力を投入しても、政治的安定や持続可能な秩序を容易には築けない現実が明らかになったのである。
ブラウン大学の「Costs of War」プロジェクトによれば、アフガニスタンやイラクなどを含む9・11後の一連の戦争と対テロ政策に伴う米国の費用は、累計で約8兆ドルに達した。
しかし私の考えでは、アメリカン・ドリームに決定的な打撃を与えたのは、その数年後に起きた2008年の金融危機だった。そしてこの時もまた、私は偶然、その出来事を間近で目撃することになった。
金融市場では長年にわたって規制緩和と金融工学の高度化が進み、ますます複雑でリスクの高い取引が拡大していた。
1999年、ビル・クリントン政権下で成立したグラム=リーチ=ブライリー法によって、1933年銀行法、いわゆるグラス=スティーガル法が設けていた商業銀行と投資銀行の分離を支える主要な規制が撤廃された。
もちろん、これだけが2008年の金融危機を引き起こしたわけではない。金融サービスの統合や規制緩和は1999年以前から進んでおり、同法はそうした長期的な変化を象徴する出来事の一つだった。
2008年、住宅市場と複雑な金融商品を背景に膨張していたバブルが崩壊した。ウォール街の象徴だったリーマン・ブラザーズが破綻し、危機は米国から世界へと波及した。
多くの米国人が住宅、貯蓄、雇用に深刻な打撃を受けた。年金資産も危機にさらされた。その一方で、1980年代以降、労働組合の交渉力は低下し、実質賃金の伸び悩みや雇用の不安定化が続いていた。
多くの人々が不安定な雇用やパートタイム労働に追い込まれ、生活を維持するために複数の仕事を掛け持ちする人も珍しくなくなった。こうして、「政治や経済のエリートは、自分たちの現実の暮らしを理解していない。」という不信が広がっていった。
そして移民が、その不満を向ける対象にされるようになる。「移民が自分の仕事を奪う」「学校や病院の負担を増やす」「犯罪を増やす」―そうした主張が政治の中で力を持つようになった。
この挫折感と怒りは、後のトランプ現象を理解するうえで欠かすことのできない背景となる。
政治だけではない。宗教もまた、米国社会の変化に重要な役割を果たしてきた。
米国の福音派、とりわけ保守的な福音派は大きな政治勢力を形成している。その一部では、個人の成功、自己責任、小さな政府を重視する政治思想と宗教的価値観が強く結びついている。また、保守的福音派の一部には、聖書の終末論的解釈を背景に、イスラエルへの強固な支持を示す人々もいる。
こうした環境の中で、スティーブ・バノンらが唱えたナショナリズムや主権国家主義も広がった。近年では、イーロン・マスクをはじめとするテクノロジー界の有力者が政治に直接的な影響力を行使するようになり、従来の左右の政治対立だけでは捉えきれない反体制的な潮流も強まっている。
カトリック保守派の政治的存在感も高まり、J・D・ヴァンス副大統領はその象徴的な人物の一人となった。
経済的・社会的な不安を抱える人々が少なくない一方で、途方もない富がごく少数の人々に集中している。この対照そのものが、既存の政治・経済システムに対する不信をさらに深めている。
そこに通信技術の革命が重なった。
2004年にフェイスブック、2005年にレディット、2006年にツイッターが登場した。突然、何百万人もの米国人が、大手メディアを介さずに互いに直接つながることが可能になった。
私自身、かつてはインターネットの熱烈な支持者の一人だった。
しかし、「これから重要なのは、知っていることではない。どこを探せばよいかを知っていることだ」という趣旨の言葉を耳にした時、私は強い不安を覚えた。
何かを見つけても、それを自分自身の知識として身につけていなければ、ガチョウの羽を流れ落ちる水のように、何も残らないのではないか。より大きな問題は、インターネットの主要なサービスが、公共財としてではなく、利益を生み出すビジネスとして発展したことだった。
膨大な情報があふれる中で、いかに利用者の注意を引き、画面の前につなぎ止めるかが重要になった。その結果、センセーショナルで、感情を刺激し、驚きを与える情報ほど拡散されやすい環境が生まれた。
そこを虚偽情報や偏向した情報、陰謀論が利用した。かつてなら限られた場所で語られていただけの荒唐無稽な考えが、インターネットという巨大な拡声器を通じて、一瞬のうちに社会全体へ広がるようになった。その影響を最も効果的に利用したのが、政治的・思想的な過激派だった。
さらに近年では、若者の孤立やオンライン空間への依存をめぐる懸念が高まっている。
人と直接交流する代わりに、インターネットの仮想世界に長時間とどまり、今では人工知能(AI)を友人や助言者のように利用する人々も現れている。
これは、社会より個人を重視する伝統が強い米国に、新たな問いを突きつけている。
国家の縮小を「自由」と考え、税金を個人の労働の成果に対する過度な介入と捉え、医療などの社会保障政策を「社会主義」と結びつけて警戒する政治思想も、依然として強い影響力を持っている。
もちろん、米国社会ではこうした流れに対する反動も起きている。ニューヨークでは、自らを民主社会主義者と位置づけるゾーラン・マムダニが市長となり、ほかにも公然と進歩主義的な政策を掲げる政治家が登場している。
しかし、それは同時に激しい政治的分極化を伴っている。
互いを政治的な競争相手ではなく、国家や社会に対する脅威として語る言説が広がり、国民的合意へ向かう道筋は容易には見えてこない。
トランプは民主党やその政策をしばしば「共産主義的」と非難する。
政治は、社会の異なる意見を調整する仕組みであると同時に、今や社会を分断する強力な装置にもなっている。
未来は、かつての「夢のアメリカ」への単純な回帰には見えない。
オサマ・ビンラディンは、ツインタワーを破壊した時、自らの攻撃がその後これほど長く、複雑な連鎖を生み出すことになるとは想像もしなかっただろう。
しかし、9・11の遺産は戦争や政治だけで測られるものではない。私たちがもはや特別なことだとさえ認識しなくなった、日常の何気ない行動にも刻み込まれている。
9・11を契機として、航空保安は段階的に強化された。その後のテロ未遂事件などを受け、靴やベルトを外す検査、液体物の制限、スキャナーによる検査などが次々と加わった。
今日、空港に出発のかなり前に到着し、長い列に並んで保安検査を受けることに驚く人はいない。若い世代にとって、それはまるで自然法則のようなものだ。彼らは「それ以前」の世界を知らないからである。
かつては、今よりはるかに短い時間でチェックインを済ませ、そのまま搭乗口へ向かうことができた。その世界は、9月のある朝を境に変わり、二度と元には戻らなかった。
これこそが、テロリズムの最も静かな勝利なのかもしれない。テロは私たちの思想を変えただけではない。私たちの習慣を変えた。そして、かつて別の習慣があったことさえ思い出せなくなるほど、その変化を日常の一部にしてしまったのである。
さらに、このメカニズムが米国内だけにとどまらなかったことも考える必要がある。
異なる歴史と社会的背景の中ではあるものの、欧州でもグローバル化、市場原理、移民、国家主権、そして既存の政治制度への不信をめぐる対立が深まってきた。
1992年に締結されたマーストリヒト条約は、現在の欧州連合(EU)を形づくる重要な基礎となった。その後EUは経済統合だけでなく、社会政策、人権、環境など幅広い領域に政策を発展させてきた。しかし、加盟国とEU機関の間で、どこまで権限を共有すべきかという問いは消えていない。
むしろ近年、各国で国家主権や国境管理を重視する政治勢力が台頭し、EU統合のあり方そのものが改めて問われている。今後、欧州の主要国で行われる選挙の結果は、EUの方向性にも大きな影響を与えるだろう。
もしこうした国々で主権国家主義勢力がさらに伸長するなら、トランプを「異常な存在」と見てきたヨーロッパ人自身が、皮肉にも彼が望んできた方向―EUの結束を内側から弱める方向―へ進むことになりかねない。
INPS Japan
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Goal3(全ての人に健康と福祉を)
ユニセフ報告書、デジタル技術を介した子どもの性的虐待・搾取の拡大を警告
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【国連IPS=オリトロ・カリム】
2026年9月3日、国連児童基金(ユニセフ)が発表した新たな報告書によると、調査対象となった子どもの約5人に1人が、1年間のうちにデジタル技術を介した性的虐待または性的搾取を経験していた。過去20年間で、デジタル技術やオンライン空間は日常生活のあらゆる側面と密接に結びつくようになった。その一方で、子どもの安全を脅かす新たなリスクも生まれており、とりわけ長期化する紛争や人道危機の中で暮らす子どもたちは、より深刻な危険にさらされている。|英語版|
テクノロジー企業や政府に根強く残る構造的な障壁、被害が十分に報告されない状況、そして被害者を守る制度や支援サービスの決定的な不足を背景に、デジタル技術を介した性的搾取は何百万人もの子どもたちに長期的な悪影響を及ぼし続けている。同時に、加害者が処罰を免れる状況を生み出す要因にもなっている。
こうした問題を詳しく検証したのが、ユニセフの新たな報告書『子どもたちの目を通して―デジタル技術はいかに子どもの性的虐待を可能にしているか』(Through Children’s Eyes: How Digital Technologies Enable Child Sexual Abuse)である。報告書は、21カ国で収集された調査結果をもとにまとめられた。
ユニセフのキャサリン・ラッセル事務局長は、次のように述べた。
「調査対象となった国々では、2000万人を超える子どもたちが、望まない露骨な性的コンテンツを見せられたり、オンライン上で性的搾取を受けたりしていました。その多くは、子どもたちが学び、遊び、友人と交流する日常的なデジタル空間で起きています。」
「こうした経験は、深刻な精神的・情緒的苦痛をもたらします。多くの子どもたちは、どこに助けを求めればよいのか分からないまま、誰にも打ち明けずに苦しんでいます。私たちは、この問題から目を背けることはできません。」
デジタル技術を介した虐待や搾取を経験した子どもは、精神的健康を損なうリスクが著しく高く、その影響は長期に及び、社会性の発達にも重大な影響を与える可能性がある。
報告書によると、被害を経験した子どもは、自傷行為や自殺念慮・自殺関連行動、強い不安を訴える可能性が約4倍高かった。
またユニセフによると、メキシコと北マケドニアでは、被害を経験した子どもが自殺念慮を抱くリスクは世界平均と比べて約8倍高く、パキスタンでは自傷行為のリスクが約7倍に達していた。
さらに、ユニセフの聞き取り調査に応じたソーシャルワーカーや心理専門家からは、被害者の間で心的外傷後ストレス障害(PTSD)がみられる事例が数多く報告された。
PTSDは、他者を信頼することや新たな人間関係を築くことの困難、学校での成績低下、薬物などの乱用、危険あるいは有害な行動などにつながる可能性がある。
ユニセフが把握した事例の約60%はソーシャルメディア上で発生し、14%はオンラインゲーム上で起きていた。
ソーシャルメディアを介した虐待の約半数はフェイスブック上で発生しており、ワッツアップ、インスタグラム、スナップチャット、ティックトックでも相当数の被害が確認された。
また、事例の57%では加害者が被害者と面識のある人物だった。調査対象となった21カ国のうち9カ国では、加害者が別の子どもであるケースも確認された。
ユニセフの専門家は、デジタル技術を介した性的搾取の実際の規模は、報告されている数字をはるかに上回ると警告している。被害の過少報告が広くみられるためだ。
警察などの法執行機関や支援サービスの担当者に報告されたケースは全体の1%未満にとどまり、約10件中4件は誰にも打ち明けられていなかった。
被害者が虐待について語ることをためらう主な理由としては、嫌がらせを受けることや真剣に受け止めてもらえないことへの恐れ、性犯罪被害者に対する根強い社会的偏見、そして子ども自身が適切な心理社会的支援や司法制度の存在を知らない、あるいは利用できないことなどが挙げられる。
こうした状況は、加害者が責任を問われない風潮を生み、さらなる搾取を助長することにもつながっている。
例えば、デジタル技術を介した性的虐待を受けた少女たちは、特に家父長的な価値観が根強い社会において、被害者であるにもかかわらず地域社会から非難されたり、社会的な恥を負わされたりすることが少なくない。
デジタル技術を介した性的虐待を経験したメキシコの若い女性は、次のように語った。
「多くの困難がありました。特に私を悩ませたのは、起きたことのあとで、社会の中でどう人と関わっていけばよいのかということでした。」
「もし自分に何が起きたのかを話したら、周囲の人たちがどう反応するのか分からず、それに向き合うことが怖かったのです。学校でも同じでした。特に心の健康に影響し、うつや不安を感じるようになりました。」
一方、男児がデジタル技術を介した性的虐待を経験したことを打ち明けても、その訴えが軽視され、「黙って自分で耐えるべきだ」とみなされる場合が少なくない。
また加害者が、男児の性的指向を暴露すると脅したり、実際とは異なる性的指向をほのめかして公表すると脅したりして、恐喝の手段に利用するケースもある。
デジタル技術を介した性的虐待や搾取は、地域や所得水準にかかわらず世界中の子どもたちに影響を及ぼしているが、加害者が経済的な弱みにつけ込むケースも少なくない。
紛争や危機が長期化する地域では、子どもを守る保護制度、支援サービス、司法制度そのものが深刻な負担を抱えており、子どもたちはとりわけ高いリスクにさらされている。
ユニセフの「子どもとデジタル技術」研究プログラム責任者であり、今回の報告書の筆頭著者でもあるダニエル・カルデフェルト=ウィンター氏はIPSの取材に対し、リスクの大きさは、経済状況、子どもを取り巻く人間関係、支援サービスへのアクセスなど、さまざまな要因によって左右されると説明した。
「加害者は、一部の子どもたちが直面している経済的困窮につけ込み、性的な画像や動画と引き換えに金銭や贈り物を提供することがあります」と、カルデフェルト=ウィンター氏は語った。
「経済的に困窮している子どもにとって、こうした申し出を拒否することは容易ではありません。また、金銭やその他の利益が提供されることで、子ども自身が当初、それを虐待だと認識できない場合もあります。」
さらに同氏は、デジタル技術を介した虐待の影響はオンライン空間だけにとどまらず、現実世界で何百万人もの子どもの安全を脅かす可能性があると指摘した。
例えば、オンライン上で見知らぬ人物から接触され、騙されたり強要されたりして実際に会うことになり、その場で性的虐待を受けたと証言する子どもたちもいた。
また、加害者が子どもの性的な画像を入手し、それを公表すると脅して、実際に会うよう強要するケースも確認されている。
子どもをデジタル上の被害から守るため、複数の国が未成年者によるソーシャルメディアの利用を制限する措置を導入、あるいは検討している。
オーストラリアでは2025年12月にこうした措置が導入され、2026年にはブラジル、インドネシア、マレーシア、アラブ首長国連邦でも同様の動きが進んだ。さらに、フランス、英国、ギリシャ、カナダ、デンマーク、トルコでも関連法案が審議されている。
しかし、こうした取り組みをめぐっては大きな議論が起きている。
テクノロジー企業は、こうした措置が利用者のプライバシーを損なう恐れがあると警告している。一方、若者の団体は、利用制限が表現の自由を侵害し、若者を社会的なつながりから孤立させる可能性があると主張している。
さらに人権団体は、未成年者によるソーシャルメディア利用を単に制限するだけでは問題の解決にはならず、実効性のある保護には、プラットフォームのアルゴリズムや安全対策の枠組みそのものを変える必要があると訴えている。
カルデフェルト=ウィンター氏は、いじめや性的搾取など、子どもたちがオンライン上で直面するリスクについて、各国政府が懸念を抱くのは当然だと語った。
「子どもたちは、自分たちの権利、安全、そして心身の健やかさを念頭に置いて設計されたわけではないデジタル世界の中で育っています。」
「年齢制限は、子どもの安全を守るうえで一定の役割を果たす可能性があります。しかし、それだけでは被害を生み出す根本的な要因を解決することはできません。それどころか、子どもたちをさらに規制の弱い空間へ追いやる可能性さえあります。」
さらに同氏は、次のように述べた。
「ユニセフは、より安全なプラットフォーム、より利用しやすい通報制度、メンタルヘルスサービスへの一層の支援など、子どもを守るためのより強力な対策を求めています。」
「また、解決策をつくる過程に、子どもたち自身が参加することも重要です。オンライン上で子どもを守ることは、社会全体が担うべき責任です。政府、企業、家庭、地域社会のすべてに果たすべき役割があります。」
INPS Japan/IPS UN Bureau Report
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Goal11(住み続けられる街づくりを)
都市・気候テック・メディアが交わる未来―持続可能な社会の新たな設計図
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スマートシティ、気候テクノロジー、人工知能(AI)、そして新たなメディア環境――。それぞれの領域で進む革新が互いに結びつくとき、私たちが暮らす都市と社会はどのように変わるのか。CitiPlatは、これらの分野における将来的な融合と連携の可能性を検証し、持続可能で公平、かつ人々が相互につながる未来への道筋を探る。
【ミラノINPS Japan/CitiPlat(気候変動と持続可能な世界のための市民プラットフォーム)編集部】
気候変動への対応と急速な都市化という、相互に深く関係する二つの課題に人類が直面するなか、従来の発想を超えた革新的な解決策への期待が高まっている。|英語版|
新興テクノロジー、変化する環境に適応した都市計画、そしてデジタル化によって変容するメディア。この三つの潮流が交差することによって、持続可能性、包摂性、社会のつながりそのものを再構築する可能性が生まれている。
しかし、技術革新だけで望ましい未来が保証されるわけではない。誰が新たな技術の恩恵を受けるのか。誰がデータを管理するのか。そして、その導入が新たな格差や環境負荷を生ますことはないのか。
今後数十年の都市生活、気候対策、そしてメディア環境を展望すると、技術の可能性とともに、こうした問いへの答えを探ることが不可欠になっている。
スマートで強靱な都市へ
2050年までに世界人口の3分の2以上が都市に暮らすと予測されている。
それだけに都市は今後、経済活動の中心であるだけでなく、気候変動、人口増加、社会格差、エネルギー安全保障など、人類が直面する重要課題への解決策を試す最前線となる。
未来の都市には、単に最新技術を導入する「スマートシティ」を超えて、環境や社会の変化に対応しながら進化できる強靱な都市システムを構築することが求められる。
垂直型都市開発―限られた空間をどう活かすか
都市を水平方向に際限なく拡大する従来型の開発が持続困難になるなか、「垂直型都市開発(Vertical Urbanism)」が注目されている。
高層建築の内部や外壁を利用した都市農業、垂直庭園、住宅・商業施設・公共空間を組み合わせた複合型超高層建築などによって、限られた土地を有効活用しながら環境負荷を抑えようという考え方だ。
シンガポールの「CapitaSpring」は、その一例である。51階建ての建物の中にオフィス、商業施設、緑地など複数の機能を取り込み、都市の高密度化と環境への配慮を両立させようとしている。
こうした取り組みは、人口密度の高い大都市が抱える土地不足への一つの答えとなる可能性がある。
一方で、高層・高密度化が地域社会の分断や住宅価格の上昇を招かないよう、誰もがアクセスできる公共空間や住宅をどのように確保するかも重要な課題となる。
分散型エネルギー―都市をより強靱にする
エネルギー分野でも大きな変化が起きている。
従来の大規模発電所から一方向に電力を供給するモデルに代わり、家庭や地域社会が再生可能エネルギーを自ら生産し、蓄電し、共有する「分散型エネルギーシステム」が広がりつつある。
米ニューヨークの「Brooklyn Microgrid」は、地域内で発電された電力を住民同士で取引するピア・ツー・ピア型システムの可能性を示してきた。
こうした仕組みは、中央の送電網に障害が発生した際にも地域内で一定の電力を確保できる可能性があり、災害への備えという点でも注目される。
将来的には、Teslaの「Megapack」のような大規模蓄電システムと地域の再生可能エネルギーを組み合わせることで、消費する以上のエネルギーを生み出す「エネルギー・ポジティブ」な地域社会も現実味を帯びてくる。
気候適応型インフラ―水と闘うのではなく共存する
気候変動によって豪雨、洪水、海面上昇などのリスクが高まるなか、都市インフラにも発想の転換が求められている。
その代表例がオランダのロッテルダムだ。
浮体式施設や、豪雨時には一時的な貯水池として機能する「ウォーター・プラザ」、水位の上昇に対応できる浮体式・水陸両用住宅など、「水を完全に排除する」のではなく「水と共存する」都市づくりが進められている。
こうした考え方は、海面上昇や洪水リスクにさらされる世界の沿岸都市や河川流域都市にとって、有力な適応モデルとなり得る。
気候テクノロジーはどこまで地球を救えるか
都市の変化と並行して、気候変動そのものに対処するテクノロジーも急速に発展している。
再生可能エネルギー、水素、二酸化炭素除去、さらには地球の気候システムそのものに働きかけようとするジオエンジニアリングまで、その範囲は広い。
だが、技術が高度になるほど、その費用、社会的影響、倫理的責任をめぐる議論も重要になる。
大気直接回収―空気からCO₂を取り除く
大気直接回収(Direct Air Capture=DAC)は、大気中から直接二酸化炭素(CO₂)を回収する技術である。
スイス企業Climeworksは、アイスランドで「Orca」をはじめとする施設を稼働させ、大気中から回収したCO₂を地中に固定する取り組みを進めてきた。
DACは、排出削減だけでは避けることのできないCO₂を除去する手段として期待され、ネットゼロ達成に向けた技術の一つとして位置づけられている。
ただし、現在のところコストや必要なエネルギー量は大きい。気候変動対策の主役はあくまで排出そのものを削減することであり、DACを大量排出の継続を正当化する手段にしてはならないとの指摘もある。
本格的な普及には、さらなる技術革新に加え、適切な政策支援と明確なルールづくりが欠かせない。
グリーン水素―脱炭素化が難しい分野への切り札
再生可能エネルギーを利用して水を電気分解し製造する「グリーン水素」も、カーボンニュートラル社会を支える技術として期待されている。
特に、鉄鋼や化学など電化だけでは脱炭素化が難しい産業や、航空・海運などの輸送分野で重要な役割を果たす可能性がある。
欧州では「Hydrogen Valley」と呼ばれる構想を通じて、生産、輸送、貯蔵、利用を一体化した水素エコシステムの構築が進められている。
しかし、大規模なインフラ整備や製造コストの低減、安全性の確保など、普及に向けた課題は少なくない。
ジオエンジニアリング―気候危機への「最後の手段」か
最も議論を呼んでいる分野の一つがジオエンジニアリング(気候工学)である。
例えば「太陽放射改変(Solar Radiation Modification=SRM)」では、地球に届く太陽エネルギーの一部を宇宙へ反射させることで、地球温暖化を一時的に抑えようとする。
理論上は急速な気温上昇を抑える可能性がある一方、降雨パターンや生態系への予測困難な影響、国家間の利害対立など重大な問題を伴う。
さらに、「誰が地球全体の気温を決めるのか」という根本的な問いも生じる。
そのため、この分野では科学研究だけでなく、透明性の高い国際的ガバナンスと、特に気候変動に脆弱な国々を含む幅広い議論が不可欠である。
デジタル時代に変貌するメディア
都市と気候テクノロジーが変わる一方、人々が世界を知り、理解するためのメディアも劇的な転換期を迎えている。
人工知能(AI)、仮想現実(VR)、拡張現実(AR)、ブロックチェーンなどの技術は、情報を「誰がつくるか」だけでなく、「どのように伝わるか」「誰が所有するか」まで変えつつある。
没入型メディア―ニュースを「体験する」時代へ
VRやAR技術の進歩によって、情報を読む、見るだけではなく、その出来事を疑似的に「体験する」メディアが現実になりつつある。
教育、報道、人道支援、気候変動啓発などへの応用も考えられる。
例えば、海面上昇に脅かされる島嶼国や森林破壊が進む地域を仮想空間で再現すれば、遠く離れた場所にいる人々にも気候危機をより身近な問題として伝えることができる。
こうした技術は、従来の記事や映像とは異なる形で共感を生み出し、人々の行動を促す可能性を持っている。
AIとジャーナリズム―効率化の先にある責任
AIはすでにジャーナリズムの現場に入り込んでいる。
文章作成、翻訳、データ分析、情報検索、画像やグラフの作成など、報道機関がAIを利用できる領域は急速に拡大している。
こうした技術は小規模な報道機関にも高度な分析能力を提供し、ジャーナリズムへの参入障壁を下げる可能性がある。
その一方で、AIが生成した誤情報、アルゴリズムの偏り、著作権、情報源の透明性、そして最終的な編集責任を誰が負うのかといった問題も浮上している。
AIが高度化すればするほど、人間のジャーナリストに求められるのは単なる情報の生成ではなく、事実を検証し、文脈を提示し、権力を監視し、社会に対して説明責任を果たす役割になるだろう。
https://www.youtube.com/watch?v=XiEN8CknZfg
ブロックチェーンと分散型メディア―「誰が所有するのか」を問い直す
ブロックチェーン技術は、コンテンツの所有権や報酬のあり方を変える可能性も持っている。
「Mirror」などの分散型プラットフォームでは、クリエーターが自らの作品を直接公開・管理し、従来の広告依存型モデルとは異なる方法で収益を得ることが模索されてきた。
こうした仕組みが成熟すれば、大規模プラットフォームがコンテンツ流通と広告収益を独占する現在の構造に変化をもたらす可能性がある。
しかし、技術的な複雑さ、価格変動、ガバナンス、違法コンテンツへの対応など、解決すべき課題も多い。
技術革新だけでは解決できない三つの課題
未来の都市、気候テクノロジー、メディアには大きな可能性がある。
しかし、それらが社会にとって本当に望ましいものになるかどうかは、技術そのものよりも、その設計と利用の仕方に左右される。
とりわけ重要なのは次の三つの課題だ。
公平性とアクセススマートシティや先端技術の恩恵が富裕層や一部の地域だけに集中すれば、新たな「デジタル格差」や「気候格差」を生みかねない。高齢者、低所得層、障害者、移民など、社会的に取り残されやすい人々も利用できる設計が不可欠である。
データとプライバシーAI、センサー、監視カメラ、IoT機器が都市空間に広がるほど、市民の行動に関する膨大なデータが収集される。利便性や安全性と引き換えに、過度な監視社会を生み出さないための法制度と透明性が求められる。
環境面でのトレードオフ気候問題を解決するための技術であっても、エネルギーや鉱物資源を大量に消費し、新たな環境負荷を生み出す可能性がある。DACや水素、ジオエンジニアリングなどについても、技術の利点だけでなく、そのライフサイクル全体を評価する必要がある。
未来は「予測するもの」ではなく「つくるもの」
都市の革新、気候テクノロジー、そして新たなメディアの融合は、より持続可能で、公平で、人々が互いにつながる社会を築く大きな可能性を秘めている。
しかし、その未来が自動的に訪れるわけではない。
必要なのは、政府、企業、研究機関、市民社会、メディア、そして地域社会の協働である。
技術が何を可能にするのかを問うだけでは不十分だ。
その技術を何のために使うのか。誰のための都市をつくるのか。そして、どのような社会を次の世代に残すのか。
こうした問いこそが、未来を左右する。
気候変動、都市化、AI革命という大きな転換期を迎えるなか、未来とは単に予測する対象ではない。
政策、市民参加、国際協力、そして社会的責任を通じて、人類自身が意識的に「つくるもの」である。
技術的な創造力と人間の倫理的判断を結びつけることができるかどうか。
そこに、持続可能で包摂的な明日を実現できるか否かがかかっている。
Original URL:Envisioning Tomorrow’s Cities, Climate Tech and Media Landscapes
INPS Japan
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Goal3(全ての人に健康と福祉を)
ユニセフ報告書、デジタル技術を介した子どもの性的虐待・搾取の拡大を警告
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【国連IPS=オリトロ・カリム】
2026年9月3日、国連児童基金(ユニセフ)が発表した新たな報告書によると、調査対象となった子どもの約5人に1人が、1年間のうちにデジタル技術を介した性的虐待または性的搾取を経験していた。過去20年間で、デジタル技術やオンライン空間は日常生活のあらゆる側面と密接に結びつくようになった。その一方で、子どもの安全を脅かす新たなリスクも生まれており、とりわけ長期化する紛争や人道危機の中で暮らす子どもたちは、より深刻な危険にさらされている。|英語版|
テクノロジー企業や政府に根強く残る構造的な障壁、被害が十分に報告されない状況、そして被害者を守る制度や支援サービスの決定的な不足を背景に、デジタル技術を介した性的搾取は何百万人もの子どもたちに長期的な悪影響を及ぼし続けている。同時に、加害者が処罰を免れる状況を生み出す要因にもなっている。
こうした問題を詳しく検証したのが、ユニセフの新たな報告書『子どもたちの目を通して―デジタル技術はいかに子どもの性的虐待を可能にしているか』(Through Children’s Eyes: How Digital Technologies Enable Child Sexual Abuse)である。報告書は、21カ国で収集された調査結果をもとにまとめられた。
ユニセフのキャサリン・ラッセル事務局長は、次のように述べた。
「調査対象となった国々では、2000万人を超える子どもたちが、望まない露骨な性的コンテンツを見せられたり、オンライン上で性的搾取を受けたりしていました。その多くは、子どもたちが学び、遊び、友人と交流する日常的なデジタル空間で起きています。」
「こうした経験は、深刻な精神的・情緒的苦痛をもたらします。多くの子どもたちは、どこに助けを求めればよいのか分からないまま、誰にも打ち明けずに苦しんでいます。私たちは、この問題から目を背けることはできません。」
デジタル技術を介した虐待や搾取を経験した子どもは、精神的健康を損なうリスクが著しく高く、その影響は長期に及び、社会性の発達にも重大な影響を与える可能性がある。
報告書によると、被害を経験した子どもは、自傷行為や自殺念慮・自殺関連行動、強い不安を訴える可能性が約4倍高かった。
またユニセフによると、メキシコと北マケドニアでは、被害を経験した子どもが自殺念慮を抱くリスクは世界平均と比べて約8倍高く、パキスタンでは自傷行為のリスクが約7倍に達していた。
さらに、ユニセフの聞き取り調査に応じたソーシャルワーカーや心理専門家からは、被害者の間で心的外傷後ストレス障害(PTSD)がみられる事例が数多く報告された。
PTSDは、他者を信頼することや新たな人間関係を築くことの困難、学校での成績低下、薬物などの乱用、危険あるいは有害な行動などにつながる可能性がある。
ユニセフが把握した事例の約60%はソーシャルメディア上で発生し、14%はオンラインゲーム上で起きていた。
ソーシャルメディアを介した虐待の約半数はフェイスブック上で発生しており、ワッツアップ、インスタグラム、スナップチャット、ティックトックでも相当数の被害が確認された。
また、事例の57%では加害者が被害者と面識のある人物だった。調査対象となった21カ国のうち9カ国では、加害者が別の子どもであるケースも確認された。
ユニセフの専門家は、デジタル技術を介した性的搾取の実際の規模は、報告されている数字をはるかに上回ると警告している。被害の過少報告が広くみられるためだ。
警察などの法執行機関や支援サービスの担当者に報告されたケースは全体の1%未満にとどまり、約10件中4件は誰にも打ち明けられていなかった。
被害者が虐待について語ることをためらう主な理由としては、嫌がらせを受けることや真剣に受け止めてもらえないことへの恐れ、性犯罪被害者に対する根強い社会的偏見、そして子ども自身が適切な心理社会的支援や司法制度の存在を知らない、あるいは利用できないことなどが挙げられる。
こうした状況は、加害者が責任を問われない風潮を生み、さらなる搾取を助長することにもつながっている。
例えば、デジタル技術を介した性的虐待を受けた少女たちは、特に家父長的な価値観が根強い社会において、被害者であるにもかかわらず地域社会から非難されたり、社会的な恥を負わされたりすることが少なくない。
デジタル技術を介した性的虐待を経験したメキシコの若い女性は、次のように語った。
「多くの困難がありました。特に私を悩ませたのは、起きたことのあとで、社会の中でどう人と関わっていけばよいのかということでした。」
「もし自分に何が起きたのかを話したら、周囲の人たちがどう反応するのか分からず、それに向き合うことが怖かったのです。学校でも同じでした。特に心の健康に影響し、うつや不安を感じるようになりました。」
一方、男児がデジタル技術を介した性的虐待を経験したことを打ち明けても、その訴えが軽視され、「黙って自分で耐えるべきだ」とみなされる場合が少なくない。
また加害者が、男児の性的指向を暴露すると脅したり、実際とは異なる性的指向をほのめかして公表すると脅したりして、恐喝の手段に利用するケースもある。
デジタル技術を介した性的虐待や搾取は、地域や所得水準にかかわらず世界中の子どもたちに影響を及ぼしているが、加害者が経済的な弱みにつけ込むケースも少なくない。
紛争や危機が長期化する地域では、子どもを守る保護制度、支援サービス、司法制度そのものが深刻な負担を抱えており、子どもたちはとりわけ高いリスクにさらされている。
ユニセフの「子どもとデジタル技術」研究プログラム責任者であり、今回の報告書の筆頭著者でもあるダニエル・カルデフェルト=ウィンター氏はIPSの取材に対し、リスクの大きさは、経済状況、子どもを取り巻く人間関係、支援サービスへのアクセスなど、さまざまな要因によって左右されると説明した。
「加害者は、一部の子どもたちが直面している経済的困窮につけ込み、性的な画像や動画と引き換えに金銭や贈り物を提供することがあります」と、カルデフェルト=ウィンター氏は語った。
「経済的に困窮している子どもにとって、こうした申し出を拒否することは容易ではありません。また、金銭やその他の利益が提供されることで、子ども自身が当初、それを虐待だと認識できない場合もあります。」
さらに同氏は、デジタル技術を介した虐待の影響はオンライン空間だけにとどまらず、現実世界で何百万人もの子どもの安全を脅かす可能性があると指摘した。
例えば、オンライン上で見知らぬ人物から接触され、騙されたり強要されたりして実際に会うことになり、その場で性的虐待を受けたと証言する子どもたちもいた。
また、加害者が子どもの性的な画像を入手し、それを公表すると脅して、実際に会うよう強要するケースも確認されている。
子どもをデジタル上の被害から守るため、複数の国が未成年者によるソーシャルメディアの利用を制限する措置を導入、あるいは検討している。
オーストラリアでは2025年12月にこうした措置が導入され、2026年にはブラジル、インドネシア、マレーシア、アラブ首長国連邦でも同様の動きが進んだ。さらに、フランス、英国、ギリシャ、カナダ、デンマーク、トルコでも関連法案が審議されている。
しかし、こうした取り組みをめぐっては大きな議論が起きている。
テクノロジー企業は、こうした措置が利用者のプライバシーを損なう恐れがあると警告している。一方、若者の団体は、利用制限が表現の自由を侵害し、若者を社会的なつながりから孤立させる可能性があると主張している。
さらに人権団体は、未成年者によるソーシャルメディア利用を単に制限するだけでは問題の解決にはならず、実効性のある保護には、プラットフォームのアルゴリズムや安全対策の枠組みそのものを変える必要があると訴えている。
カルデフェルト=ウィンター氏は、いじめや性的搾取など、子どもたちがオンライン上で直面するリスクについて、各国政府が懸念を抱くのは当然だと語った。
「子どもたちは、自分たちの権利、安全、そして心身の健やかさを念頭に置いて設計されたわけではないデジタル世界の中で育っています。」
「年齢制限は、子どもの安全を守るうえで一定の役割を果たす可能性があります。しかし、それだけでは被害を生み出す根本的な要因を解決することはできません。それどころか、子どもたちをさらに規制の弱い空間へ追いやる可能性さえあります。」
さらに同氏は、次のように述べた。
「ユニセフは、より安全なプラットフォーム、より利用しやすい通報制度、メンタルヘルスサービスへの一層の支援など、子どもを守るためのより強力な対策を求めています。」
「また、解決策をつくる過程に、子どもたち自身が参加することも重要です。オンライン上で子どもを守ることは、社会全体が担うべき責任です。政府、企業、家庭、地域社会のすべてに果たすべき役割があります。」
INPS Japan/IPS UN Bureau Report
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Goal7(エネルギーを皆にそしてクリーンに)
キルギスの発電所停止で4カ国が停電に
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8月14日の大規模停電が浮き彫りにした中央アジア共通電力網の脆弱性
【The Astana Times=ソビル・クルバノフ、アメル・メトヤヒッチ】
8月14日午後2時37分ごろ、アルマトイの地下鉄が停止し、信号機の明かりが消えた。引き金となったのは、キルギスのトクトグル水力発電所で発生した2基の発電ユニットの停止だった。年間でも電力需要が最も高まる時期に、中央アジアの電力網から約600メガワットの供給力が失われたのである。|英語版|
その数分後には、カザフスタン、キルギス、ウズベキスタン、タジキスタンの各地で消費者が停電に見舞われた。
ロイター通信は同日午後、地域全体で同時多発的な停電が発生したと報じた。その後の調査で、トクトグル水力発電所の300メガワット級ユニット2基の停止が発端だったことが判明した。
キルギス・エネルギー省は8月17日、技術的な不具合があったことを認めた一方で、その後に近隣諸国で発生した事態については責任を否定した。しかしその時点で、より広範な崩壊を防ぐため、緊急保護装置がカザフスタン南部地域を中央アジア統一電力システムから切り離していた。その代償として、地域最大級の都市を含む広い範囲で停電が発生した。
個別のインフラ障害そのものより重要なのは、それが明らかにした構造的な問題である。一国の一つの発電所で起きた停止が、4カ国の数百万人の消費者に影響を及ぼした。その影響を運んだのは、老朽化し、気候ストレス、急増する電力需要、そして脆弱な地域調整によってすでに圧力を受けていた電力システムだった。
しかも中央アジアは現在、ハイパースケールの人工知能(AI)データセンターを含むデジタルインフラの誘致先として自らを位置づけようとしている。こうした施設は、都市一つ分の需要に匹敵する数百メガワット規模の電力を、継続的に消費する。
「昨日の送電網」で動く今日の中央アジア
中央アジアは、異なる時代のために設計された相互接続型の電力網を受け継いだ。ソ連時代、中央アジアの5共和国は独立した国家電力網としてではなく、一つの統合電力システムとして運用されるよう設計されていた。その仕組みは、季節ごとの精密な電力交換に依存していた。
夏には、キルギスとタジキスタンが雪解け水や貯水池の放流を利用して水力発電を行い、電力を輸出した。冬には、カザフスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタンが石炭火力やガス火力による電力を供給し、上流国が水を温存できるようにした。
しかし1991年のソ連崩壊後、商業上の対立、投資不足、そして2003年にトルクメニスタンが地域電力網から離脱し、イランと同期運用することを決めたことにより、地域協調は弱まった。
その影響は、2007年から2008年にかけての冬に表面化した。極寒、低水位、近隣諸国からの供給停止が重なり、タジキスタンは氷点下の気温のなかで深刻な電力危機に陥った。その後、ウズベキスタンは2009年12月に地域システムから完全に離脱し、国境を越える緊急事態に対処するための計画が欠如していることが露呈した。
その後、ウズベキスタンは電力網に復帰し、協力も大幅に改善した。しかし、基盤となるインフラの多くは更新されないままだ。
氷河の融解や河川流量の変動は水力発電の利用可能性を低下させているが、今年の問題は水不足ではなかった。キルギス・エネルギー省は、トクトグル貯水池には秋から冬にかけてタービンを通常運転するのに十分な水量があると推定していた。
今回の不具合はむしろ、このシステムが設計された時代の気候条件を超える高温ストレスによって発生した。極端な夏の暑さにより、複数の国で同時に季節的な電力需要のピークに近づき、変圧器の冷却効率が低下した。機器の温度が安全限界に近づくと、損傷を防ぐために保護システムが発電機を切り離した。
高温と高い電力使用量が重なったことで、高圧送電線は熱膨張してたわみ、送電線事故のリスクも高まった。トクトグルで突然600メガワットの供給が失われると、その不足分は電力網全体に波及し、他の部分に過負荷を生じさせた。
何に投資すべきか
キルギスの水力発電でカザフスタンの明かりを灯すことを可能にしている同じシステムが、キルギスで起きた障害によってその明かりを消すことも可能にしている。
カザフスタンは需要ピーク時にロシアからの電力輸入に依存しており、2027年までに自国の発電能力を拡大し、そうした輸入を終える計画を立てている。しかし、それだけではインフラ問題の解決にはならない。
地域の発電所や送電インフラの大部分は数十年前に建設されたもので、有効寿命の終わりに近づいている。必要なのは、設備更新、制御システム、予備供給力への投資である。
基本的な設備更新には、老朽化した火力・水力発電所の改修、過負荷状態にある変圧器や変電所の交換、そしてそれらをつなぐ高圧送電線の近代化が含まれる。
幸い、中央アジア電力網の運用上の中枢であるタシケントの調整給電センター「エネルギヤ」では、世界銀行の支援を受けて制御システムの近代化が進められている。
現代の給電運用には、不安定化が停電へと発展する前にそれを検知するため、リアルタイム監視、予測分析、自動化された非常時解析が不可欠である。しかし、既存の地域システムでは、こうした機能の多くがまだ限定的である。
8月14日のような事態の再発を防ぐには、大型発電ユニットの喪失を吸収できる地域全体の予備供給力を拡大することが極めて重要である。
「2026〜2032年の需給見通し」は、2032年までに発電量が消費量を上回ることを示す資料としてよく引用される。しかし、これは年間を通じたエネルギー量の比較であり、ピーク負荷の時間帯における供給力を示すものではない。その観点では、約3ギガワットの不足は解消されないままである。
蓄電は、この不足の一部を埋めることができ、すでにその効果も試されている。ウズベキスタン・エネルギー省は、最近導入されたエネルギー貯蔵システムが8月14日の混乱による国内への影響を抑えたと説明している。カザフスタンも同じ方向へ進みつつある。法案では、開発事業者が保証された供給可能容量を入札する容量市場オークションの創設が盛り込まれている。
効率化は、大規模に実施できる最も安価な選択肢である。効率改善によって、本来であれば新設しなければならなかった供給力を解放でき、新たな発電能力から得られる効果も高まる。産業設備の近代化、古い建物の断熱改修、老朽化した暖房・冷房システムの更新は、季節的ピーク時の負荷を下げ、高額な新規供給力への投資を先送りすることを可能にする。
電力網に先行して到来するデータセンター
カザフスタンは、AI時代への世界的な移行を成長機会として取り込もうとしており、その投資 commitments は急速に拡大している。
2026年6月にカシムジョマルト・トカエフ大統領が承認した「デジタル・カザフスタン」戦略のもと、NVIDIAとFirebird.aiは、エキバストゥズの「データセンター・バレー」を拠点とする100億ドル規模の投資パッケージに署名した。また、英国を拠点とするコンソーシアムJMOT04は、200メガワット規模の施設と、それに電力を供給する250メガワットのガス火力発電所を建設する覚書に署名した。
すでに締結された合意だけで、新たな電力負荷は約650メガワットに達している。さらに、ナスダック上場企業SuperX AI Technologyとの間で進められている1ギガワット規模のプロジェクト協議がまとまれば、その規模は2倍以上に膨らむ。
問題は立地である。カザフスタンの「2026〜2032年需給見通し」に示された地域別表では、エキバストゥズを含む北部地域は公式には余剰地域とされている。一方、シムケントやアルマトイを含む南部地域は大幅な不足地域である。
北から南へ電力を送ることでこの不足を埋める場合、北部の公式な余剰は実質的な不足へと変わる。つまり、カザフスタンのデータセンター建設計画は、表面上は余剰電力があるように見える地域に立地しているにすぎない。
S&Pグローバルによれば、カザフスタンの電力網への投資不足は、収益性の問題である。長年にわたり、消費者価格を低く抑えることを重視した料金政策が続いたため、低い収益率と予測しにくい価格が民間投資の意欲をそいできた。
最近の法改正により、料金決定は、カザフスタン最大の発電事業者であるサムルク・エネルゴの所有者も参加する委員会を通じて行われることになった。これにより、料金決定が発電事業者の経済性により配慮したものになる可能性がある。
繰り返す価値があるのは、JMOT04型の仕組みである。新たな大規模データセンターには、既存の公共電力網に依存するのではなく、専用の発電設備、蓄電設備、変電所への投資を義務づけるべきである。
自ら電源を持つ施設であれば、南部がすでに当てにしている余剰電力を奪うことはない。その条件が満たされるなら、エキバストゥズは不適切な立地ではなく、むしろ適切な立地となる。そしてカザフスタンは、AIブームを利用して、いずれにせよ必要としている発電投資を呼び込むことができる。
運用協定の必要性
世界銀行の予測では、中央アジア全体の電力需要は、人口増加と急速な経済発展により、2050年までに3倍に増える可能性がある。
技術投資だけでリスクを取り除くことは難しい。地域には、通常時と緊急時の双方において相互接続システムをどのように運用するかについて、新たな政治的合意も必要である。
通常時の運用には、国境を越える電力潮流に関する透明な計画、共同の投資計画、そして調整された緊急時対応手順が含まれるべきである。
中央アジアの相互接続は、大きな強みでもある。それは国境を越えて多様なエネルギー資源を融通し合うことを可能にするからだ。今後10年の課題は、この電力網を地域全体で強化することである。
8月14日は、意図せざるストレステストとなった。電力は数時間以内に復旧した。しかし、一つの地域的な障害がなぜ4つの国境を越えて広がったのかという問いは、発電所そのものではなく、システム全体に向けられるべき未解決の問題である。
投資が1年遅れるごとに、次の局地的な障害が地域規模の障害へと拡大する可能性は高まる。
ソビル・クルバノフとアメル・メトヤヒッチは、Nightingale Int. networkの専門家・フェローである。
本記事で表明された見解および意見は筆者のものであり、必ずしもThe Astana Timesの立場を反映するものではない。
Original URL: https://astanatimes.com/2026/09/one-plant-tripped-in-kyrgyzstan-four-countries-go-dark/
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Goal2(飢餓をゼロに)
ネパールは食料安全保障を「国家安全保障」の問題として直ちに位置づけよ
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【カトマンズNepali Times=シュリスティ・カルキ】
気候危機がもたらす異常気象、世界的なサプライチェーンの混乱、そして国内の不適切な行政運営が重なり、ネパールの食料安全保障を脅かす「パーフェクトストーム」が生じている。水・エネルギー・食料の密接な結びつきが、今年ほど鮮明に表れたことはない。ネパールの農地の60%以上が雨水に依存しているうえ、毎年繰り返される肥料不足は西アジアでの戦争によってさらに深刻化している。一方、農村からの人口流出により、耕作放棄地も増えている。|英語版|
先週6月29日の「田植えの日」は、例年に比べて静かなものとなった。泥の中でふざけ合う恒例の光景はほとんど見られず、田植え自体もあまり進まなかった。平年より雨の多いプレモンスーン期に多くの農家が早めに田植えを始めたものの、肝心の本格的なモンスーンの到来は2週間遅れた。
不規則なモンスーンは、ネパール各地で毎年のように繰り返される問題となっている。雨を待ち続けることを諦め、仕事を求めて移住した農家も少なくない。
降雨不足により、コメの収穫量は2023/24年度の600万トンから、2024/25年度には570万トンへ減少した。スーパー・エルニーニョを追跡する気象モデルは深刻な干ばつを予測しており、肥料不足も重なることで、穀物の収穫量はさらに落ち込むとみられている。
ネパール開発研究所で生計・食料安全保障を担当する専門家、クリシュナ・パハリ氏は、次のように説明する。
「ネパールのコメをはじめとする主食の生産は、気候変動による衝撃に左右されています。今年はエルニーニョ現象の影響で、降雨量が平年を下回ると予想されています」
国際栄養会議に出席するため滞在しているローマから『ネパリ・タイムズ』の取材に応じたパハリ氏は、さらにこう語った。
「気候危機に加え、西アジアでの紛争が燃料と肥料の不足を引き起こしています。こうした問題が続けば、ネパールの食料安全保障は一層悪化するでしょう」
かつてネパールは食料の純輸出国だったが、それは遠い過去の話となった。農業が抱える構造的問題の多くは気候危機以前から存在していたが、不安定なモンスーンと灌漑設備の不足が、状況をさらに深刻なものにしている。昨年、ネパールは600億ルピー相当、100万トン以上の穀物を輸入した。
カトマンズの総合開発研究所で食料安全保障とガバナンスを研究するヤムナ・ガレ氏は、次のように指摘する。
「ネパールは気候危機から深刻な影響を受けています。しかし、気候変動に起因する災害が頻発し、農業資源や森林資源が失われた際の、確固たる復旧計画がありません」
「気候変動に対応し、栄養価にも優れた種子や品種を開発するための資源配分も不十分です。その結果、私たちは輸入や援助に依存せざるを得なくなっています」
ネパールでは国民の60%が農業に従事し、農業は国内総生産(GDP)の4分の1を占めている。しかし、農村部の若者は大量に流出しており、農村に残る人々も換金作物に見合った価格を得られずにいる。
6月中旬、韓国政府は韓国国際協力団(KOICA)を通じ、タライ地域における気候変動に強いコメ生産と食料安全保障を促進する6年間の事業に、1,200万ドルの無償資金協力を行うと表明した。
専門家によると、灌漑を整備すれば、ネパールの農業生産性を最大30%向上させることができる。しかし、大規模な灌漑事業は、汚職や不適切な管理のため数十年にわたって停滞している。
生産性の向上は優先課題だが、まず、生産された農産物を守り、無駄なく利用する必要がある。収穫後の損失率は、穀物では15%、野菜や果物では40~50%にも達する。野生動物による農地への侵入も、収穫前の作物に被害を与え、農村からの人口流出をさらに加速させている。
パハリ氏は、「収穫後の損失を減らすことは、人々が利用できる食料を増やすことを意味します。そのためには、コールドチェーンや貯蔵施設を拡充し、穀物貯蔵用サイロを改良する必要があります」と指摘する。
食料を長期保存できるよう、加工方法を多様化することも重要だ。果物は乾燥させたり、ジャムに加工したりできる。また学校給食では、子どもたちの好みに合わせてレシピや献立を工夫することも可能である。
「飢餓をゼロに」
ネパールはこれまで、子どもの発育阻害や消耗症の削減で一定の成果を上げてきた。しかし近年の開発援助の撤退によって、その成果が損なわれ、持続可能な開発目標(SDGs)が掲げる「2030年までに飢餓をゼロにする」との約束の実現も難しくなっている。
先月、ヘレン・ケラー・インターナショナルの支援を受け、ネパール全土の5歳未満児100万人を対象に実施された調査の結果が公表された。それによると、米国国際開発庁(USAID)が資金を拠出していた食料・栄養プログラムの打ち切りにより、子どもの栄養不良が増加している。
急性栄養不良の割合は2025年の6.6%から今年は7.8%に上昇し、マデシ州では全国で最も高い12.3%に達した。
パハリ氏は、次のように語る。
「私たちは、2030年までに『飢餓をゼロに』という目標を達成できる軌道には乗っていません。世帯当たりの平均食料消費量が改善しているのは、海外からの送金と社会保障制度のおかげです」
こうした状況を踏まえれば、国民独立党(RSP)政権が、食料生産の拡大と子どもの飢餓の削減に向けて何をしてきたのかが問われる。
スワルニム・ワグレ財務相は5月の予算演説で、農業部門の再生を「最優先課題」と位置づけた。しかし、農業に配分された470億ルピーは国家予算全体の3%にも満たず、過去9年間で最低の水準である。
その半分以上は化学肥料の輸入に充てられる。それでも、コメの作付け時期になると、毎年のように尿素肥料が不足する。
一部の専門家は、商業的農業の促進と中間層の所得向上を重視するワグレ財務相の方針について、農村部に雇用を創出し、バリューチェーン全体の生産性を高める可能性があると評価する。一方、貧しい農家が取り残されるとの批判もある。
パハリ氏は、次のように話す。
「今回の予算は、ネパールの中間所得層を動かすことに重点を置いています。それには一定の合理性がありますが、ネパールの農家の大半は小規模農家です。この層の問題に取り組まない限り、国全体の生産量を増やすことはできません」
ガレ氏は、他の多くの問題と同様、解決の鍵は政治的な優先順位と政策の実行にあると考えている。
「政策は政治そのものです。新たな政策と予算規模が示しているのは、この政権が農業を優先課題としていないということです。その影響を最も強く受けるのは、社会的に疎外され、排除されてきた人々です」
州政府の農業予算は、中央政府よりは幾分充実している。世帯の食料不安が最も深刻なカルナリ州は、予算の21%以上を農業に充てた。一方、急性栄養不良率が高いルンビニ州とマデシ州は、予算の4%以上を農業に配分している。
ガレ氏は今月初め、アーメダバードで開催された世界銀行の地域政策対話において、「南アジアの食料の未来を共につくるための地域協力と政策行動」をテーマとするパネル討論の司会を務めた。
この会合には南アジア各国から専門家、イノベーター、民間企業の関係者らが参加したが、他国とは対照的に、ネパール政府の代表者は姿を見せなかった。「国内問題の解決」を優先する新政権にとって、こうした招待を辞退することは既に常態化している。
出席者からは、ネパールの新指導部が参加しなかったことについて、奨励策、生産、市場をバリューチェーン全体で結び付け、農業のパラダイム転換を促す貴重な機会を逃したとの声も上がった。
興味深いことに、クリシュナ・パハリ氏とヤムナ・ガレ氏は、共に同じ言葉で結論を語った。
「食料安全保障は、国家安全保障です」
シュリスティ・カルキ氏は『ネパリ・タイムズ』の特派員。2020年にインターンとして同紙に加わり、カトマンズ大学芸術学部を卒業後、正式に編集部の一員となった。政治、時事問題、芸術、文化などを取材している。
This article is brought to you by Nepali Times, in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.
INPS Japan
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|視点|9・11と「アメリカン・ドリーム」の終焉(ロベルト・サビオIPS創設者)
editor -
【ローマINPS Japan/IPS=ロベルト・サビオ】
2001年9月11日、私はニューヨークにいた。コンサルタント契約を結んでいた国際連語を訪れるため、当時、私は頻繁にニューヨークを訪れていた。その朝、イタリアからのフライトによる時差ぼけもあって寝過ごし、目を覚ましたのは午前11時ごろだった。宿泊していたのは、国連本部からほど近いホテルだった。|英語版|
ロビーに下りると、スタッフから宿泊客まで、誰もが異常なほど取り乱していることに驚いた。顔見知りのベルボーイに声をかけようとしたが、彼は返事もせず走り去った。そこでフロントへ向かったが、全員が電話にかかりきりで、誰も私に注意を払わない。
ようやく顔見知りの一人が言った。「ツインタワーが攻撃された!」そう言うと、彼女も慌ただしく走り去った。
その瞬間、ジャーナリストの職業的本能に駆られた私は、タクシーを拾って現場へ向かおうと外に出た。しかし、通りはほとんど無人だった。車は一台も見当たらず、わずかにいた通行人も走っていた。おそらく皆、自宅へ戻ろうとしていたのだろう。
そこで私は、残された唯一の賢明な選択をした。テレビを見ることである。
映像は明白で、そして凄惨だった。しかし、キャスターたちは何が起きているのか全く分からず、私がそれまで見たこともないほど混乱していた。
事故ではなく攻撃であることは明らかだった。しかし、誰が? なぜ?
私の記憶では、CBSやNBCの報道から伝わってきたのは、米国は世界の多くの国々を支援してきたはずなのに、なぜこれほどの憎しみを向けられるのか、そして冷戦が終わった今、この憎しみはいったいどこから来るのか、という深い困惑だった。
攻撃当日、そして翌日、ニューヨークは都市としての機能をほとんど失った。通りから人影が消え、商店もレストランもスーパーマーケットも閉まった。公共交通機関も大きく混乱していた。
私のホテルではスタッフの多くが出勤できなかったため、管理職の人々が即席のサンドイッチを作った。それが宿泊客に提供できる数少ない食事だった。誰もが自宅にこもり、衝撃を受け止めようとし、予測不能な危険を避けながら、テレビを見続けていた。
空から落下していく人々、灰に覆われたオフィスワーカーや消防士たち―そうした凄惨な映像に加え、事件の全体像を示す数字やデータが次第に伝えられるようになった。
そして、あの数日間に「アメリカン・ドリーム」は消え去った。
米国は第二次世界大戦後、世界の圧倒的な大国となった。冷戦期にはソ連という対抗勢力が存在したものの、多くの米国人にとって、自国は自由、民主主義、繁栄を体現する国だった。
戦後ヨーロッパの復興を支えたのも米国だった。歴史的には西洋世界の中心だったヨーロッパも、戦後の国際秩序の中では米国との同盟関係を軸に再建された。米国による開発援助もまた、世界各地で重要な役割を果たした。
しかし、こうした自国像は米国民の集合的な想像の中で大きく膨らみ、現実との隔たりも生じていた。9・11の少し前に報じられた世論調査でも、一般の米国人は、政府が実際よりはるかに多くの資金を海外援助に使っていると考えていた。
当時、人々を支配していた感情は「信じられない」というものだった。
米国人は戦争や虐殺、さまざまな暴力について、新聞で読み、テレビで見てきた。自国の兵士が戦争に参加している時でさえ、その多くは遠く離れた場所で起きている出来事だった。
もちろん、米国がそれまで攻撃を経験していなかったわけではない。しかし、多くの米国人にとって、自国の大都市の中心部がこれほど大規模な攻撃の舞台になることは、ほとんど想像の外にあった。
それが現実に起きたという事実は、国家が国民の安全を必ず守ってくれるという信頼を揺さぶった。その後の戦争や政治的・経済的混乱と相まって、こうした不信は次第に深まり、今日の米国政治を形づくる重要な要素の一つになっていく。
アメリカン・ドリームがどのように徐々に色あせていったのかを本格的に分析するには、ここで与えられた紙幅では到底足りない。
それでも、私たちが知っていた米国を徐々に覆い隠し、ドナルド・トランプとイーロン・マスクに象徴される今日の米国へと変えていった一本一本の糸を、ここでたどってみたい。
まず、1980年代を振り返る必要がある。この時期に起きた一連の変化は、世界全体に大きな意味を持っただけでなく、米国内にも重大な影響を及ぼした。
その象徴的な出来事の一つが、1981年にメキシコのカンクンで開催された南北サミットだった。
私はこの首脳会議で広報を担当し、会議を内側から見ていた。当時を代表する国家首脳が集まり、インディラ・ガンジーからフランソワ・ミッテラン、ジュリウス・ニエレレ、ピエール・トルドーに至るまで、多くの指導者が国際協力を強化する必要性を訴えた。
一方、就任間もないロナルド・レーガン大統領が打ち出したのは、それまでとは明らかに異なるアプローチだった。私が会議の内側から受け止めた彼のメッセージは、国連を中心とした包括的な政治交渉に政策を委ねるよりも、各国自身の責任と選択を重視し、市場の自由と個人の活力を開発の原動力とする、というものだった。
1980年代を通じて、世界経済の考え方そのものにも大きな転換が起きた。
市場自由化、民営化、規制緩和、財政規律を重視する政策潮流が強まり、1989年には経済学者ジョン・ウィリアムソンが、ワシントンの政策機関の間でラテンアメリカ向けに広く共有されていると考えた一連の政策を「ワシントン・コンセンサス」と名づけた。
その後、この言葉は本来の定義を超え、市場原理を重視する新自由主義的な政策全般を象徴する言葉として広く使われるようになった。
グローバル化と国際競争が加速する中、多くの製造業が人件費の安い国々へ生産拠点を移した。米国内では、それまで中産階級を支えてきた多くの製造業の雇用が失われた。特に地方や旧工業地帯では、経済的に取り残されたという感覚が蓄積していった。
そして9・11が起きた。
米国はアフガニスタンで20年にわたる戦争を続け、2021年に撤退した。その間、2003年にはイラクに侵攻し、米軍は2011年に同国から主要部隊を撤収した。イラクでは国家機構の崩壊、宗派対立、アルカイダ系組織の活動、さらにシリア内戦など複数の要因が重なり、その後ISISが台頭する環境が形成された。中東全域の不安定化はさらに深まった。
この時期、米国人は自国が無敵ではないことを改めて思い知らされた。
ベトナム戦争のトラウマを克服したはずの世界最強の軍事大国が、圧倒的な軍事力を投入しても、政治的安定や持続可能な秩序を容易には築けない現実が明らかになったのである。
ブラウン大学の「Costs of War」プロジェクトによれば、アフガニスタンやイラクなどを含む9・11後の一連の戦争と対テロ政策に伴う米国の費用は、累計で約8兆ドルに達した。
しかし私の考えでは、アメリカン・ドリームに決定的な打撃を与えたのは、その数年後に起きた2008年の金融危機だった。そしてこの時もまた、私は偶然、その出来事を間近で目撃することになった。
金融市場では長年にわたって規制緩和と金融工学の高度化が進み、ますます複雑でリスクの高い取引が拡大していた。
1999年、ビル・クリントン政権下で成立したグラム=リーチ=ブライリー法によって、1933年銀行法、いわゆるグラス=スティーガル法が設けていた商業銀行と投資銀行の分離を支える主要な規制が撤廃された。
もちろん、これだけが2008年の金融危機を引き起こしたわけではない。金融サービスの統合や規制緩和は1999年以前から進んでおり、同法はそうした長期的な変化を象徴する出来事の一つだった。
2008年、住宅市場と複雑な金融商品を背景に膨張していたバブルが崩壊した。ウォール街の象徴だったリーマン・ブラザーズが破綻し、危機は米国から世界へと波及した。
多くの米国人が住宅、貯蓄、雇用に深刻な打撃を受けた。年金資産も危機にさらされた。その一方で、1980年代以降、労働組合の交渉力は低下し、実質賃金の伸び悩みや雇用の不安定化が続いていた。
多くの人々が不安定な雇用やパートタイム労働に追い込まれ、生活を維持するために複数の仕事を掛け持ちする人も珍しくなくなった。こうして、「政治や経済のエリートは、自分たちの現実の暮らしを理解していない。」という不信が広がっていった。
そして移民が、その不満を向ける対象にされるようになる。「移民が自分の仕事を奪う」「学校や病院の負担を増やす」「犯罪を増やす」―そうした主張が政治の中で力を持つようになった。
この挫折感と怒りは、後のトランプ現象を理解するうえで欠かすことのできない背景となる。
政治だけではない。宗教もまた、米国社会の変化に重要な役割を果たしてきた。
米国の福音派、とりわけ保守的な福音派は大きな政治勢力を形成している。その一部では、個人の成功、自己責任、小さな政府を重視する政治思想と宗教的価値観が強く結びついている。また、保守的福音派の一部には、聖書の終末論的解釈を背景に、イスラエルへの強固な支持を示す人々もいる。
こうした環境の中で、スティーブ・バノンらが唱えたナショナリズムや主権国家主義も広がった。近年では、イーロン・マスクをはじめとするテクノロジー界の有力者が政治に直接的な影響力を行使するようになり、従来の左右の政治対立だけでは捉えきれない反体制的な潮流も強まっている。
カトリック保守派の政治的存在感も高まり、J・D・ヴァンス副大統領はその象徴的な人物の一人となった。
経済的・社会的な不安を抱える人々が少なくない一方で、途方もない富がごく少数の人々に集中している。この対照そのものが、既存の政治・経済システムに対する不信をさらに深めている。
そこに通信技術の革命が重なった。
2004年にフェイスブック、2005年にレディット、2006年にツイッターが登場した。突然、何百万人もの米国人が、大手メディアを介さずに互いに直接つながることが可能になった。
私自身、かつてはインターネットの熱烈な支持者の一人だった。
しかし、「これから重要なのは、知っていることではない。どこを探せばよいかを知っていることだ」という趣旨の言葉を耳にした時、私は強い不安を覚えた。
何かを見つけても、それを自分自身の知識として身につけていなければ、ガチョウの羽を流れ落ちる水のように、何も残らないのではないか。より大きな問題は、インターネットの主要なサービスが、公共財としてではなく、利益を生み出すビジネスとして発展したことだった。
膨大な情報があふれる中で、いかに利用者の注意を引き、画面の前につなぎ止めるかが重要になった。その結果、センセーショナルで、感情を刺激し、驚きを与える情報ほど拡散されやすい環境が生まれた。
そこを虚偽情報や偏向した情報、陰謀論が利用した。かつてなら限られた場所で語られていただけの荒唐無稽な考えが、インターネットという巨大な拡声器を通じて、一瞬のうちに社会全体へ広がるようになった。その影響を最も効果的に利用したのが、政治的・思想的な過激派だった。
さらに近年では、若者の孤立やオンライン空間への依存をめぐる懸念が高まっている。
人と直接交流する代わりに、インターネットの仮想世界に長時間とどまり、今では人工知能(AI)を友人や助言者のように利用する人々も現れている。
これは、社会より個人を重視する伝統が強い米国に、新たな問いを突きつけている。
国家の縮小を「自由」と考え、税金を個人の労働の成果に対する過度な介入と捉え、医療などの社会保障政策を「社会主義」と結びつけて警戒する政治思想も、依然として強い影響力を持っている。
もちろん、米国社会ではこうした流れに対する反動も起きている。ニューヨークでは、自らを民主社会主義者と位置づけるゾーラン・マムダニが市長となり、ほかにも公然と進歩主義的な政策を掲げる政治家が登場している。
しかし、それは同時に激しい政治的分極化を伴っている。
互いを政治的な競争相手ではなく、国家や社会に対する脅威として語る言説が広がり、国民的合意へ向かう道筋は容易には見えてこない。
トランプは民主党やその政策をしばしば「共産主義的」と非難する。
政治は、社会の異なる意見を調整する仕組みであると同時に、今や社会を分断する強力な装置にもなっている。
未来は、かつての「夢のアメリカ」への単純な回帰には見えない。
オサマ・ビンラディンは、ツインタワーを破壊した時、自らの攻撃がその後これほど長く、複雑な連鎖を生み出すことになるとは想像もしなかっただろう。
しかし、9・11の遺産は戦争や政治だけで測られるものではない。私たちがもはや特別なことだとさえ認識しなくなった、日常の何気ない行動にも刻み込まれている。
9・11を契機として、航空保安は段階的に強化された。その後のテロ未遂事件などを受け、靴やベルトを外す検査、液体物の制限、スキャナーによる検査などが次々と加わった。
今日、空港に出発のかなり前に到着し、長い列に並んで保安検査を受けることに驚く人はいない。若い世代にとって、それはまるで自然法則のようなものだ。彼らは「それ以前」の世界を知らないからである。
かつては、今よりはるかに短い時間でチェックインを済ませ、そのまま搭乗口へ向かうことができた。その世界は、9月のある朝を境に変わり、二度と元には戻らなかった。
これこそが、テロリズムの最も静かな勝利なのかもしれない。テロは私たちの思想を変えただけではない。私たちの習慣を変えた。そして、かつて別の習慣があったことさえ思い出せなくなるほど、その変化を日常の一部にしてしまったのである。
さらに、このメカニズムが米国内だけにとどまらなかったことも考える必要がある。
異なる歴史と社会的背景の中ではあるものの、欧州でもグローバル化、市場原理、移民、国家主権、そして既存の政治制度への不信をめぐる対立が深まってきた。
1992年に締結されたマーストリヒト条約は、現在の欧州連合(EU)を形づくる重要な基礎となった。その後EUは経済統合だけでなく、社会政策、人権、環境など幅広い領域に政策を発展させてきた。しかし、加盟国とEU機関の間で、どこまで権限を共有すべきかという問いは消えていない。
むしろ近年、各国で国家主権や国境管理を重視する政治勢力が台頭し、EU統合のあり方そのものが改めて問われている。今後、欧州の主要国で行われる選挙の結果は、EUの方向性にも大きな影響を与えるだろう。
もしこうした国々で主権国家主義勢力がさらに伸長するなら、トランプを「異常な存在」と見てきたヨーロッパ人自身が、皮肉にも彼が望んできた方向―EUの結束を内側から弱める方向―へ進むことになりかねない。
INPS Japan
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Goal3(全ての人に健康と福祉を)
Z世代を覆う不安
editor -
【カイロINPS Japan/ London Post=ナダ・サブリーン】
誰も、うつ病になることなど望んではいない。それにもかかわらず、うつ病は今や数百万人の生活に重くのしかかり、富裕層か貧困層か、先進国か途上国かを問わず、人々を苦しめている。経済的な豊かさや技術の進歩を示す指標が伸びる一方で、不安や孤独感、社会的孤立も、とりわけZ世代やミレニアル世代の間で深刻化している。この逆説は、一見単純でありながら、実は極めて複雑な問いを私たちに投げかける。なぜ、富では必ずしも幸福を買えないのだろうか。|英語版|
うつ病に苦しむ人にとって最もつらいのは、病そのものではなく、その苦しみの深さを社会に理解してもらえないことなのかもしれない。うつ病を経験したエジプト人女性は、その思いを次のように語る。
「うつ病で最もつらいのは、病気そのものではなく、多くの人にその苦しみが見えていないと感じることです。身体の痛みなら目に見えるため、人は寄り添ってくれます。しかし心の痛みは、たとえ目の前でその人が次第に弱っていっても、多くの人には理解されないままなのです」
これは単なる一個人の証言ではない。周囲には見えない傷を抱え、声を上げられないまま苦しむ数百万人の悲劇を映し出している。
2025年版「世界幸福度報告書」が、富だけが幸福への道ではないと指摘しているのは偶然ではない。大規模な調査に基づいて毎年発表される同報告書は、社会的支援、信頼、自由、健康、寛容さなど六つの主要指標を通じて幸福度を分析している。フィンランドは8年連続で世界首位を維持した。また調査結果からは、幸福感を左右する要因として、人間関係の強さや相互の信頼が、所得水準だけの場合よりも大きな影響を持つようになっていることが明らかになった。お金は生活水準を向上させることはできても、孤独を追い払い、心の安らぎをもたらすことまではできない。
世界は、新しい世代が受け止めきれないほどの速さで変化してきた。COVID-19のパンデミック、戦争、地政学的緊張、気候変動、そして雇用の将来に新たな不安を投げかける人工知能(AI)革命―。これらすべてが慢性的な不安を生み出し、Z世代やミレニアル世代は、過去のどの世代よりも将来を強く意識せざるを得なくなっている。
ソーシャルメディアは、状況をさらに複雑にした。本来は人と人を結ぶ手段であったはずのソーシャルメディアが、絶えず他人と自分を比較する場になってしまうことも少なくない。今や不安は、失業への恐れや生活費の上昇だけに結びついているのではない。心理学者が「比較不安」と呼ぶものとも深く関係している。
若者がスマートフォンの画面を開けば、そこには自分より成功し、美しく、幸せそうに見える人々の姿が次々と流れてくる。しかし、その華やかな画像の裏側に隠された失敗や苦悩を知ることはない。こうした比較を続けるうちに、満たされないという感覚が心に定着し、人生がまるでゴールのない競争のように感じられるようになる。「世界幸福度報告書」も、若者の幸福感や生活満足度を最も大きく左右するのは、デジタル・プラットフォーム上のフォロワー数ではなく、人間関係の質であると指摘している。
いまや世界の幸福度指標を、メンタルヘルスの指標と切り離して読み解くことはできない。世界保健機関(WHO)によると、世界では約2億8000万人がうつ病に苦しんでいる。不安症とうつ病は、最も広くみられる精神疾患の一つとなっており、生活の質や生産性の低下を招いている。
複数の研究によれば、若者の不安やうつ病の割合は近年、特にCOVID-19のパンデミック以降、大幅に上昇した。メンタルヘルスの専門家は、経済的圧力、先行きの不透明感、社会的孤立、ソーシャルメディアの過度な利用などが重なり、Z世代やミレニアル世代を、それ以前の世代よりも不安やうつ病に陥りやすくしているとみている。世界とのつながりが最も強く、テクノロジーを最も自在に使いこなす世代であるにもかかわらずである。
最大の問題は、Z世代やミレニアル世代が不安やうつ病を打ち明けることを恐れなくなった一方で、社会の側が依然として、そうした告白を戸惑いや誤解をもって受け止めていることなのかもしれない。誰かが脚を骨折したり心臓手術を受けたりすれば、周囲はすぐに容体を気遣う。ところが、うつ病に苦しむ人に対しては、今なお「気を強く持て」「前向きに考えろ」「早く立ち直れ」と求めがちである。
精神医学は大きく進歩し、うつ病は治療可能な疾患であるとの理解も深まってきた。それでも、うつ病に伴う偏見は根強く、多くの人が適切な時期に助けを求めることを妨げている。
ここにこそ、最も重要なメッセージがある。幸福は売買できる商品ではなく、所得が増えれば自動的に得られるものでもない。それは、健全な人間関係、支え合う家族、心から信頼できる友人、そして人生の困難に一人で立ち向かっているのではないと感じさせてくれる社会から生まれるものである。優しいひと言、親身に耳を傾ける姿勢、そして誰かが自分の苦しみを分かってくれているという実感は、ときに回復への第一歩となる。
したがって、未来への真の投資は、経済だけでなく、人への投資から始まる。子どもたちを支える家庭、自ら助けを求めることは弱さではないと教える学校、そしてメンタルヘルスを、片隅に追いやったり隠すべき汚点とみなしたりするのではなく、総合的な幸福に欠かせない要素として扱う社会から始まるのである。
これこそが、大きな不安に覆われた現代から学ぶべき最も重要な教訓なのかもしれない。世界は、よりスマートな都市、より生産性の高い経済、そして距離を越えて人々を結ぶ通信手段を築くことには成功した。しかし、孤独や不安を和らげる点では、同じような成果を上げることができていない。
富があれば家を買うことはできる。しかし、家族の温もりを買うことはできない。最良の薬を手に入れることはできても、真の友人や、弱ったときに寄りかかることのできる肩を買うことはできない。結局のところ、真の幸福は、誠実な人間関係、相互の信頼、そしてどれほど孤独を感じても、自分の存在に気づき、理解してくれる誰かがいるという実感から生まれるのである。
ナダ・サブリーンは、世論動向、メンタルヘルス問題、地域社会の文化に関心を持つフリーランスのライター兼研究者。バシーラ世論調査センターおよびウェンス・センターに勤務した経験を持ち、エジプトの市民社会組織が実施する複数の取り組みに携わってきた。
INPS Japan
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南アフリカの反移民暴力、SDGs達成を遅らせ、アフリカ域内「自由移動」の理念を揺るがす
editor -
南アフリカでマラウイ人、ナイジェリア人、ジンバブエ人をはじめとするアフリカ諸国出身者を標的に広がった排外主義的な抗議行動は、人道危機を引き起こしただけでなく、いくつかの持続可能な開発目標(SDGs)の達成を危うくし、アフリカ大陸が掲げる「人の自由な移動」という理念にも深刻な打撃を与えている。
【マラウイ・ブランタイヤ IPS=チャールズ・ンパカ】
マラウイ政府は2026年8月12日、南アフリカで外国出身のアフリカ人を標的とした反移民暴力に巻き込まれていた自国民の帰還事業を完了したと発表した。マラウイ災害管理局によると、帰国した国民は5万6723人に上った。これは、約4カ月にわたって続いた異例の大規模帰還に終止符を打つものだった。約900台のバスが数万人をマラウイへ運び、中にはより良い暮らしを求めて南アフリカへ渡ってから数十年ぶりに故郷へ戻る人もいた。
マラウイ中部ドワ県出身のラヒム・アリさんも、7月下旬、そのうちの1台のバスに乗って帰国した。|英語版|
「ほっとしています。政府が無事に故郷まで連れ戻してくれたことに感謝しています」と、アリさんは8月2日、自宅の村からIPSの電話取材に答えた。
「南アフリカの状況はひどく、多くの人があの暴力から逃れる手段を持っていませんでした。」
現在33歳のアリさんが南アフリカへ渡ったのは2019年6月だった。父親を亡くして2年後、母親を亡くしてからは約4年がたっていた。2011年に中等教育を終えたものの、小規模なトウモロコシ農家だった両親には、大学など高等教育へ進ませるだけの余裕がなかった。
世界銀行の最新データによると、マラウイでは毎年最大27万人の若者が労働市場に参入する一方、国内経済が年間に生み出す正規雇用は約4万件にすぎない。
安定した仕事を見つけられなかったアリさんは、地元で他人のトウモロコシ畑やタバコ畑の開墾や収穫作業を請け負って生計を立てていた。2013年には資金を工面して理髪店を開き、携帯電話の充電サービスのほか、充電器やバッテリーも販売した。
収入は多くなかったが、それでも小さな家を借り、自活することはできたという。
しかし、2017年に父親が亡くなると、それまでの自立した生活は一変した。一家の長男として、2人の妹と弟の食費、学費、衣服代を負担しなければならなくなった。
「理髪店の収入だけでは、本当に厳しくなりました」とアリさんはIPSに語った。
そんな時、南アフリカへ渡った元同級生から一緒に来ないかと誘われた。アリさんはすぐに応じ、友人とともにヨハネスブルクのイチゴ農園で働き始めた。当時の賃金は週412ランドだった。
その後5年間、アリさんはいくつもの農場を渡り歩いた。
仕事は過酷だったという。監督者たちは「理由もなくむちでたたき、私たちには分からない言葉で罵倒した」。休憩はほとんどなく、病気で休めば賃金は支払われず、雇用の保障もなかった。
「それでも、同じような仕事をマラウイでするよりは給料が良かったのです」とアリさんは言う。
「それに、向こうは生活費がずっと安かったので、お金を貯めて弟や妹たちを支えることができました。」
2024年には、ソーラーパネルを販売するインド人経営の商店で助手として働き始めた。
しかし2026年5月、南アフリカ人の一団が店に押しかけ、経営者に対し、そこで働いている他のアフリカ諸国出身者を解雇するよう要求した。
仕事を失ったアリさんは、生活必需品を買うことも家賃を払うことも難しくなった。やがて家主から退去を命じられ、マラウイ領事館に避難していた同胞たちに加わった。そこでマラウイ政府による帰国手続きが進められていた。
「マーチ・アンド・マーチ(March and March)」運動に動員された南アフリカ市民は、2026年4月から6月にかけて外国人を住宅や職場から追い出した。彼らは、この取り締まりについて、不法滞在者を排除することが目的だと主張した。
南アフリカでこうした排外主義的な暴力が起きたのは、今回が初めてではない。
2008年には、2週間にわたる反移民暴力で60人以上の外国人が死亡し、少なくとも10万人が国内各地で避難を余儀なくされた。
2019年には、南アフリカのトラック運転手組合から分裂した一派が、外国人トラック運転手を排除するよう要求し、数百台のトラックに放火した。
南アフリカ国内の排外主義的差別を監視する「Xenowatch」によると、2022年から2025年にかけて、406件の排外主義的な襲撃事件が記録され、そのうち75件で死者が出た。2025年だけでも151件に上った。
2026年1月から5月までには22件が確認され、そのうち14件が暴力を伴うものだった。
最新の暴力が激化するなか、南アフリカのシリル・ラマポーザ大統領は、南アフリカ国民の経済的不満につけ込んだ「便乗者」が抗議行動をあおっていると述べた。また、この暴力は外国人に対する南アフリカ政府の政策を反映するものではないと強調した。
一方でラマポーザ大統領は、不法移民が国内の住宅や医療制度に負担を与えているとも指摘し、政府として「法の枠内で」対応していくと述べた。
Xenowatchの共同創設者、ローレン・ランドー氏は、南アフリカ政府は排外主義的暴力に対し、実効性のある対応を取っていないと指摘する。
「政府はまず、『これは外国人嫌悪ではなく、不満や誤情報、犯罪者の問題であり、それに対処する』と言います。しかし同時に、マーチ・アンド・マーチが提起した問題の一部、つまり国境管理の強化、国外退去の拡大、職場管理の強化については対応すると言っています。」
「実際、政府はそうした措置を進めています。しかし、2008年以来続いてきた行進やその他の動員を主導してきた人々の責任を追及することはしていません。」
ランドー氏はIPSの電話取材にこう語った。
外国人に対する恐怖と暴力を仕組み、実行した者たちの責任を問わなければ、彼らは今後も自らの利益や権力獲得の手段として移民を利用し続けるだろう、とランドー氏は警告する。
今回の排外主義的襲撃の深刻さと、その結果としての大規模な帰還は、南アフリカのアフリカ大陸における評判を「大きく傷つけ」、労働、貿易、投資を通じた地域統合の取り組みを後退させたという。
「個々の人々が犠牲になったことに加え、マラウイ、モザンビーク、レソトなどに対して、『自国民は自国で面倒を見て、自分たちの問題は自分たちで解決しろ』と言わんばかりの政府の発言も、極めて侮辱的だと思います」とランドー氏は述べた。
研究論文「南アフリカの外国人嫌悪とSDG8実現の現実(Xenophobia in South Africa and the Realities of Actualising SDG 8)」を執筆したケスター・チュウマ・オノール氏は、南アフリカがこの問題を解決しない限り、他国との平和と協力を確立することは難しく、とりわけ「働きがいも経済成長も」を掲げるSDG8の達成は困難になると論じている。
ほかの研究でも、外国人嫌悪は「貧困をなくそう」を掲げるSDG1を脅かすと指摘されている。
ジャスティス・K・ムシャ氏とエリック・ブランコ・ニイトゥンガ氏は、論文「南アフリカ国家開発計画とSDGsの障壁としての外国人嫌悪(Xenophobia as a Barrier to South Africa’s National Development Plan and...
Goal17(パートナーシップで目標を達成しよう)
|視点|9・11と「アメリカン・ドリーム」の終焉(ロベルト・サビオIPS創設者)
editor -
【ローマINPS Japan/IPS=ロベルト・サビオ】
2001年9月11日、私はニューヨークにいた。コンサルタント契約を結んでいた国際連語を訪れるため、当時、私は頻繁にニューヨークを訪れていた。その朝、イタリアからのフライトによる時差ぼけもあって寝過ごし、目を覚ましたのは午前11時ごろだった。宿泊していたのは、国連本部からほど近いホテルだった。|英語版|
ロビーに下りると、スタッフから宿泊客まで、誰もが異常なほど取り乱していることに驚いた。顔見知りのベルボーイに声をかけようとしたが、彼は返事もせず走り去った。そこでフロントへ向かったが、全員が電話にかかりきりで、誰も私に注意を払わない。
ようやく顔見知りの一人が言った。「ツインタワーが攻撃された!」そう言うと、彼女も慌ただしく走り去った。
その瞬間、ジャーナリストの職業的本能に駆られた私は、タクシーを拾って現場へ向かおうと外に出た。しかし、通りはほとんど無人だった。車は一台も見当たらず、わずかにいた通行人も走っていた。おそらく皆、自宅へ戻ろうとしていたのだろう。
そこで私は、残された唯一の賢明な選択をした。テレビを見ることである。
映像は明白で、そして凄惨だった。しかし、キャスターたちは何が起きているのか全く分からず、私がそれまで見たこともないほど混乱していた。
事故ではなく攻撃であることは明らかだった。しかし、誰が? なぜ?
私の記憶では、CBSやNBCの報道から伝わってきたのは、米国は世界の多くの国々を支援してきたはずなのに、なぜこれほどの憎しみを向けられるのか、そして冷戦が終わった今、この憎しみはいったいどこから来るのか、という深い困惑だった。
攻撃当日、そして翌日、ニューヨークは都市としての機能をほとんど失った。通りから人影が消え、商店もレストランもスーパーマーケットも閉まった。公共交通機関も大きく混乱していた。
私のホテルではスタッフの多くが出勤できなかったため、管理職の人々が即席のサンドイッチを作った。それが宿泊客に提供できる数少ない食事だった。誰もが自宅にこもり、衝撃を受け止めようとし、予測不能な危険を避けながら、テレビを見続けていた。
空から落下していく人々、灰に覆われたオフィスワーカーや消防士たち―そうした凄惨な映像に加え、事件の全体像を示す数字やデータが次第に伝えられるようになった。
そして、あの数日間に「アメリカン・ドリーム」は消え去った。
米国は第二次世界大戦後、世界の圧倒的な大国となった。冷戦期にはソ連という対抗勢力が存在したものの、多くの米国人にとって、自国は自由、民主主義、繁栄を体現する国だった。
戦後ヨーロッパの復興を支えたのも米国だった。歴史的には西洋世界の中心だったヨーロッパも、戦後の国際秩序の中では米国との同盟関係を軸に再建された。米国による開発援助もまた、世界各地で重要な役割を果たした。
しかし、こうした自国像は米国民の集合的な想像の中で大きく膨らみ、現実との隔たりも生じていた。9・11の少し前に報じられた世論調査でも、一般の米国人は、政府が実際よりはるかに多くの資金を海外援助に使っていると考えていた。
当時、人々を支配していた感情は「信じられない」というものだった。
米国人は戦争や虐殺、さまざまな暴力について、新聞で読み、テレビで見てきた。自国の兵士が戦争に参加している時でさえ、その多くは遠く離れた場所で起きている出来事だった。
もちろん、米国がそれまで攻撃を経験していなかったわけではない。しかし、多くの米国人にとって、自国の大都市の中心部がこれほど大規模な攻撃の舞台になることは、ほとんど想像の外にあった。
それが現実に起きたという事実は、国家が国民の安全を必ず守ってくれるという信頼を揺さぶった。その後の戦争や政治的・経済的混乱と相まって、こうした不信は次第に深まり、今日の米国政治を形づくる重要な要素の一つになっていく。
アメリカン・ドリームがどのように徐々に色あせていったのかを本格的に分析するには、ここで与えられた紙幅では到底足りない。
それでも、私たちが知っていた米国を徐々に覆い隠し、ドナルド・トランプとイーロン・マスクに象徴される今日の米国へと変えていった一本一本の糸を、ここでたどってみたい。
まず、1980年代を振り返る必要がある。この時期に起きた一連の変化は、世界全体に大きな意味を持っただけでなく、米国内にも重大な影響を及ぼした。
その象徴的な出来事の一つが、1981年にメキシコのカンクンで開催された南北サミットだった。
私はこの首脳会議で広報を担当し、会議を内側から見ていた。当時を代表する国家首脳が集まり、インディラ・ガンジーからフランソワ・ミッテラン、ジュリウス・ニエレレ、ピエール・トルドーに至るまで、多くの指導者が国際協力を強化する必要性を訴えた。
一方、就任間もないロナルド・レーガン大統領が打ち出したのは、それまでとは明らかに異なるアプローチだった。私が会議の内側から受け止めた彼のメッセージは、国連を中心とした包括的な政治交渉に政策を委ねるよりも、各国自身の責任と選択を重視し、市場の自由と個人の活力を開発の原動力とする、というものだった。
1980年代を通じて、世界経済の考え方そのものにも大きな転換が起きた。
市場自由化、民営化、規制緩和、財政規律を重視する政策潮流が強まり、1989年には経済学者ジョン・ウィリアムソンが、ワシントンの政策機関の間でラテンアメリカ向けに広く共有されていると考えた一連の政策を「ワシントン・コンセンサス」と名づけた。
その後、この言葉は本来の定義を超え、市場原理を重視する新自由主義的な政策全般を象徴する言葉として広く使われるようになった。
グローバル化と国際競争が加速する中、多くの製造業が人件費の安い国々へ生産拠点を移した。米国内では、それまで中産階級を支えてきた多くの製造業の雇用が失われた。特に地方や旧工業地帯では、経済的に取り残されたという感覚が蓄積していった。
そして9・11が起きた。
米国はアフガニスタンで20年にわたる戦争を続け、2021年に撤退した。その間、2003年にはイラクに侵攻し、米軍は2011年に同国から主要部隊を撤収した。イラクでは国家機構の崩壊、宗派対立、アルカイダ系組織の活動、さらにシリア内戦など複数の要因が重なり、その後ISISが台頭する環境が形成された。中東全域の不安定化はさらに深まった。
この時期、米国人は自国が無敵ではないことを改めて思い知らされた。
ベトナム戦争のトラウマを克服したはずの世界最強の軍事大国が、圧倒的な軍事力を投入しても、政治的安定や持続可能な秩序を容易には築けない現実が明らかになったのである。
ブラウン大学の「Costs of War」プロジェクトによれば、アフガニスタンやイラクなどを含む9・11後の一連の戦争と対テロ政策に伴う米国の費用は、累計で約8兆ドルに達した。
しかし私の考えでは、アメリカン・ドリームに決定的な打撃を与えたのは、その数年後に起きた2008年の金融危機だった。そしてこの時もまた、私は偶然、その出来事を間近で目撃することになった。
金融市場では長年にわたって規制緩和と金融工学の高度化が進み、ますます複雑でリスクの高い取引が拡大していた。
1999年、ビル・クリントン政権下で成立したグラム=リーチ=ブライリー法によって、1933年銀行法、いわゆるグラス=スティーガル法が設けていた商業銀行と投資銀行の分離を支える主要な規制が撤廃された。
もちろん、これだけが2008年の金融危機を引き起こしたわけではない。金融サービスの統合や規制緩和は1999年以前から進んでおり、同法はそうした長期的な変化を象徴する出来事の一つだった。
2008年、住宅市場と複雑な金融商品を背景に膨張していたバブルが崩壊した。ウォール街の象徴だったリーマン・ブラザーズが破綻し、危機は米国から世界へと波及した。
多くの米国人が住宅、貯蓄、雇用に深刻な打撃を受けた。年金資産も危機にさらされた。その一方で、1980年代以降、労働組合の交渉力は低下し、実質賃金の伸び悩みや雇用の不安定化が続いていた。
多くの人々が不安定な雇用やパートタイム労働に追い込まれ、生活を維持するために複数の仕事を掛け持ちする人も珍しくなくなった。こうして、「政治や経済のエリートは、自分たちの現実の暮らしを理解していない。」という不信が広がっていった。
そして移民が、その不満を向ける対象にされるようになる。「移民が自分の仕事を奪う」「学校や病院の負担を増やす」「犯罪を増やす」―そうした主張が政治の中で力を持つようになった。
この挫折感と怒りは、後のトランプ現象を理解するうえで欠かすことのできない背景となる。
政治だけではない。宗教もまた、米国社会の変化に重要な役割を果たしてきた。
米国の福音派、とりわけ保守的な福音派は大きな政治勢力を形成している。その一部では、個人の成功、自己責任、小さな政府を重視する政治思想と宗教的価値観が強く結びついている。また、保守的福音派の一部には、聖書の終末論的解釈を背景に、イスラエルへの強固な支持を示す人々もいる。
こうした環境の中で、スティーブ・バノンらが唱えたナショナリズムや主権国家主義も広がった。近年では、イーロン・マスクをはじめとするテクノロジー界の有力者が政治に直接的な影響力を行使するようになり、従来の左右の政治対立だけでは捉えきれない反体制的な潮流も強まっている。
カトリック保守派の政治的存在感も高まり、J・D・ヴァンス副大統領はその象徴的な人物の一人となった。
経済的・社会的な不安を抱える人々が少なくない一方で、途方もない富がごく少数の人々に集中している。この対照そのものが、既存の政治・経済システムに対する不信をさらに深めている。
そこに通信技術の革命が重なった。
2004年にフェイスブック、2005年にレディット、2006年にツイッターが登場した。突然、何百万人もの米国人が、大手メディアを介さずに互いに直接つながることが可能になった。
私自身、かつてはインターネットの熱烈な支持者の一人だった。
しかし、「これから重要なのは、知っていることではない。どこを探せばよいかを知っていることだ」という趣旨の言葉を耳にした時、私は強い不安を覚えた。
何かを見つけても、それを自分自身の知識として身につけていなければ、ガチョウの羽を流れ落ちる水のように、何も残らないのではないか。より大きな問題は、インターネットの主要なサービスが、公共財としてではなく、利益を生み出すビジネスとして発展したことだった。
膨大な情報があふれる中で、いかに利用者の注意を引き、画面の前につなぎ止めるかが重要になった。その結果、センセーショナルで、感情を刺激し、驚きを与える情報ほど拡散されやすい環境が生まれた。
そこを虚偽情報や偏向した情報、陰謀論が利用した。かつてなら限られた場所で語られていただけの荒唐無稽な考えが、インターネットという巨大な拡声器を通じて、一瞬のうちに社会全体へ広がるようになった。その影響を最も効果的に利用したのが、政治的・思想的な過激派だった。
さらに近年では、若者の孤立やオンライン空間への依存をめぐる懸念が高まっている。
人と直接交流する代わりに、インターネットの仮想世界に長時間とどまり、今では人工知能(AI)を友人や助言者のように利用する人々も現れている。
これは、社会より個人を重視する伝統が強い米国に、新たな問いを突きつけている。
国家の縮小を「自由」と考え、税金を個人の労働の成果に対する過度な介入と捉え、医療などの社会保障政策を「社会主義」と結びつけて警戒する政治思想も、依然として強い影響力を持っている。
もちろん、米国社会ではこうした流れに対する反動も起きている。ニューヨークでは、自らを民主社会主義者と位置づけるゾーラン・マムダニが市長となり、ほかにも公然と進歩主義的な政策を掲げる政治家が登場している。
しかし、それは同時に激しい政治的分極化を伴っている。
互いを政治的な競争相手ではなく、国家や社会に対する脅威として語る言説が広がり、国民的合意へ向かう道筋は容易には見えてこない。
トランプは民主党やその政策をしばしば「共産主義的」と非難する。
政治は、社会の異なる意見を調整する仕組みであると同時に、今や社会を分断する強力な装置にもなっている。
未来は、かつての「夢のアメリカ」への単純な回帰には見えない。
オサマ・ビンラディンは、ツインタワーを破壊した時、自らの攻撃がその後これほど長く、複雑な連鎖を生み出すことになるとは想像もしなかっただろう。
しかし、9・11の遺産は戦争や政治だけで測られるものではない。私たちがもはや特別なことだとさえ認識しなくなった、日常の何気ない行動にも刻み込まれている。
9・11を契機として、航空保安は段階的に強化された。その後のテロ未遂事件などを受け、靴やベルトを外す検査、液体物の制限、スキャナーによる検査などが次々と加わった。
今日、空港に出発のかなり前に到着し、長い列に並んで保安検査を受けることに驚く人はいない。若い世代にとって、それはまるで自然法則のようなものだ。彼らは「それ以前」の世界を知らないからである。
かつては、今よりはるかに短い時間でチェックインを済ませ、そのまま搭乗口へ向かうことができた。その世界は、9月のある朝を境に変わり、二度と元には戻らなかった。
これこそが、テロリズムの最も静かな勝利なのかもしれない。テロは私たちの思想を変えただけではない。私たちの習慣を変えた。そして、かつて別の習慣があったことさえ思い出せなくなるほど、その変化を日常の一部にしてしまったのである。
さらに、このメカニズムが米国内だけにとどまらなかったことも考える必要がある。
異なる歴史と社会的背景の中ではあるものの、欧州でもグローバル化、市場原理、移民、国家主権、そして既存の政治制度への不信をめぐる対立が深まってきた。
1992年に締結されたマーストリヒト条約は、現在の欧州連合(EU)を形づくる重要な基礎となった。その後EUは経済統合だけでなく、社会政策、人権、環境など幅広い領域に政策を発展させてきた。しかし、加盟国とEU機関の間で、どこまで権限を共有すべきかという問いは消えていない。
むしろ近年、各国で国家主権や国境管理を重視する政治勢力が台頭し、EU統合のあり方そのものが改めて問われている。今後、欧州の主要国で行われる選挙の結果は、EUの方向性にも大きな影響を与えるだろう。
もしこうした国々で主権国家主義勢力がさらに伸長するなら、トランプを「異常な存在」と見てきたヨーロッパ人自身が、皮肉にも彼が望んできた方向―EUの結束を内側から弱める方向―へ進むことになりかねない。
INPS Japan
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