入り組んだ手続きではあったが、NRN市民権は在外ネパール人の権利と願いを支える
【カトマンズNepali Times=ソニア・ミヤハラ】
最近、Nepali TimesのSubstackに掲載された記事「Unresident Nepalis(非居住ネパール人)」を読み、私自身も、形式上は「在外ネパール人(NRN)」に分類されながら、「ネパールに恒久的に住みたい」と願う人々の一員なのだと気づかされた。
冗談のつもりだったが、そこには皮肉もある。海外に出た人ほど「いつか故郷に戻りたい」と願い、国外に出ていない人ほど「ネパールに残る理由が見つからない」と感じている現実がある。
NRN市民権が2023年末に正式導入されると、私はすぐに申請を試みた。だが、書類を提出する前の段階で門前払いとなった。郡行政庁(District Administration Office)は当時の弁護士に対し、父方の「तिन पुस्ता(3代)」、すなわち父方で3世代にわたるネパール人であることの証明が必要だと、強く求めたためである。
父は日本出身で、2006年に国籍を放棄してネパールに帰化した。3年前の私は、「いずれ制度運用がこなれてくれば状況も変わるだろう」と考え、その時点での不承認はいったん受け入れることにした。
冗談のつもりだったが、そこには皮肉もある。海外に出た人ほど「いつか故郷に戻りたい」と願い、国外に出ていない人ほど「ネパールに残る理由が見つからない」と感じている現実がある。
NRN市民権が2023年末に正式導入されると、私はすぐ申請を試みた。しかし、書類を提出する前の段階で申請は受理されなかった。郡行政庁(District Administration Office)は当時の弁護士に対し、父方の「तिन पुस्ता(3代)」、すなわち父方で3世代にわたるネパール人であることの証明が必要だと説明したためである。
父は日本出身で、2006年に国籍を放棄してネパールに帰化した。3年前の私は、「いずれ制度運用がこなれてくれば状況も変わるだろう」と考え、その時点での不承認をいったん受け入れた。
今回、申請を進めるにあたり、最初の難関となったのは、母のワード(区)事務所から「सिफारिस(推薦状)」を得る手続きだった。ワード事務所は推薦状を発行できるか判断できず、上部機関に照会した。幸い「発行可能」との回答が出て、法律事務所の担当者が粘り強くフォローした結果、推薦状が交付され、申請書類一式を整えることができた。
法律事務所は、私が書類を持って母の地区の郡行政庁(District Administration Office)へ出向き、必要な場合のみ後方支援に回る形を提案した。
私は終始、笑顔で明るく、指示通りに手続きを進めた。すると意外にも、多くの職員は無用な障壁を設けることなく協力的だった。
申請には、郡長官(CDO)または補佐郡長官の決裁が必要である。順調に進むと思った矢先、ある職員が、父の帰化市民権が別の地区で発給されている点に気づき、「申請はそちらで行うべきだ」と指摘した。
私は説明した。父はすでに亡くなっており、しかも父はもともとネパール人ではない。そのため、父の書類を根拠に手続きを進めるのは現実的ではない。求められているのは、祖先系譜に基づく「बंसागज(वंशज=血統に基づく)」市民権である。職員は上司に確認したうえで、「追加の措置として警察の確認(照会)が必要だ」と告げた。
私は警察本部へ向かった。そこで封印された紹介文書を受け取り、母のワード事務所と同じ地域を管轄する警察署へ提出するよう指示された。

警察署では、「親族以外の4人に、提出書類が事実であることを証言してもらう必要がある」と説明された。ここでの対応は、役所での手続き以上に精神的な負担となった。母の古い近隣住民の多くはすでに亡くなっていたり、別の地域で市民権を取得していたりした。協力を約束してくれた人も、その後予定が合わなくなることが続いた。だが、親切な高齢の隣人が奔走してくれ、最終的に必要な人数をそろえることができた。
ようやく先が見えてきたところで、求められた書類一式を持って郡行政庁へ戻った。最初は再び受理を渋られたものの、最終的には、CDOの決裁に回す前に書類へ署名する担当職員に会うよう案内された。
ところが運悪く、その担当職員たちは2時間以上の会議中だった。私は待合スペースで、母にインスリン注射を打ち、売店の麺類を食べさせて時間をやり過ごした。
ようやく面会できた担当職員は、書類を十分に確認しないまま、弁護士に向かって「法律を読んだのか」「日本のパスポートを持っているのに、なぜネパール市民権を申請できるのか」などと問いただした。どうやら、私が母方から通常のネパール市民権を取得しようとしていると誤解していたようだ。私は、求めているのは通常の市民権ではなくNRN市民権であると説明した。すると職員の口調は和らぎ、「法令をもう少し詳しく確認する必要がある」と述べた。
ここまでで、段階ごとの手続きを3日間進めてきた。結論が翌日になること自体は差し支えなかった。
NRN市民権は導入されて間もない制度であり、申請の多くは居住国のネパール大使館経由で行われる。こうした事情もあって、手続きの過程では職員から「あなたのようなケースは扱ったことがない」と繰り返し言われた。
私の事情はこうである。私はこれまでネパール市民権を一度も取得したことがない。父は帰化ネパール市民権を取得していた。一方、家族の中で生来のネパール人は母だけである。私は繰り返し伝えた。「前例がないことは、不可能を意味しない」。
そして実際、翌日、職員は書類に署名した。父の死とネパールへの貢献を知ったうえで、「本来、あなたの申請は大いに尊重されるべきだった」との言葉も添えた。
土地所有権の移転など、NRN市民権法の細部はなお十分に整理されていない。だが、それでも本制度は、多くのNRNの権利と願いを確かな形で支えるための前向きな一歩である。私たちはどこへ行こうとも、「यो मन त मेरो नेपाली हो!(この心は、私のネパールなのだ)」。(原文へ)

ソニア・ミヤハラ(Hotel Everest View代表取締役、Trans Himalayan Tours & Trekking Pvt Ltd、Himalaya Kanko Kaihatsu Co. Ltd)
INPS Japan
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