【ジュネーブIPS=ナイマ・アブデラウイ】
国際連合は、安逸のための組織としてつくられたのではない。必要不可欠な存在として創設されたのである。(第二次世界大戦という)破局的な惨禍の後に生まれた国連の使命は明確だった。国際の平和と安全を維持し、国際法を擁護し、人権を守り、人間の尊厳と発展を促進することである。
事務総長職もまた、単なる行政管理のために設けられたものではない。本来それは、道義的責任を担い、政治的決断を下し、必要なときには勇気を示す役職として構想されていた。
加盟国が次期事務総長の選出に臨む今、問われているのは国連の将来だけではない。国連という制度そのものの信頼性である。今日の世界に欠けているのは、制度の数ではなく、それを支える信頼である。
だからこそ、次の事務総長は慎重な官僚機構の管理者にとどまってはならない。いま世界に必要なのは、ビジョンと独立性、そして誠実さを備えた指導者である。たとえそれが有力加盟国の不興を買うことになっても、国連憲章を守り抜く意思を持つ人物でなければならない。
しかし現実には、誰にとっても受け入れやすいという理由で、誰にも本格的な異議を唱えそうにない候補が選ばれがちである。政治的には都合がよいかもしれない。だが、それは戦略的には近視眼的である。過度に慎重な事務総長は、短期的な外交上の安定を保つ一方で、長期的な制度の衰退を招きかねない。
国連に必要なのは、安全保障理事会における力関係を映す人物ではない。憲章の原則を体現する人物である。
加盟国が次期事務総長の選出に臨む今、問われているのは国連の将来だけではない。国連という制度そのものの信頼性である。今日の世界に欠けているのは、制度の数ではなく、それを支える信頼である。
だからこそ、次の事務総長は慎重な官僚機構の管理者にとどまってはならない。いま世界に必要なのは、ビジョンと独立性、そして誠実さを備えた指導者である。たとえそれが有力加盟国の不興を買うことになっても、国連憲章を守り抜く意思を持つ人物でなければならない。
事務総長職が、少数の有力国の意向に従って動いていると見なされれば、その役割は果たせない。この職において独立性は贅沢ではない。権威の源泉そのものである。
そして独立性には、誠実さが伴わなければならない。国連は、伝統的な意味での力をほとんど持たない。軍を指揮するわけでもなく、莫大な財政資源を掌握しているわけでもなく、国家に行動を強制することもできない。国連の最大の資産は正統性である。すなわち、個々の国家の利益を超えた価値を体現しているという信頼である。
その正統性は、事務総長個人の信頼性に大きく左右される。倫理的リーダーシップ、透明性、説明責任、一貫性―これらこそが、あらためてこの職を特徴づける資質でなければならない。

この点で想起すべきは、ダグ・ハマーショルドである。彼は、事務総長が各国政府の単なる秘書ではなく、国連憲章に仕え、ひいては世界の人々に奉仕する存在であることを理解していた。静かな外交と道義的勇気は相反するものではなく、むしろ両立することを彼は示した。
また、事務総長の権威は軍事力や経済力から生まれるのではなく、独立性、誠実さ、そして必要なときに行動する意思から生まれることも示した。
次期事務総長をめぐっては、国籍や地域、近年では性別にも関心が集まりがちである。こうした論点が政治的に理解できることは確かである。だが、最も重要なのはそこではない。決定的な問いは、その人物がどこから来たかではなく、何を体現するのかである。
国連はしばしば「国家の組織」として語られる。だが国家は、人々に奉仕するために存在するのであって、その逆ではない。この原則が国家レベルで成り立つのであれば、国際レベルでもまた成り立たなければならない。したがって国連は、最終的には政府のものではない。憲章がその名において書かれた「人々」のものである。加盟国は国連を所有しているのではなく、それを託された受託者なのである。そして受託者は、自らのためではなく、責任を負うべき人々のために行動すべき存在である。
この理解こそが、次期事務総長の選定を導かなければならない。この地位に求められるのは、職務が単なる行政管理ではなく、国連憲章と国際法、そして世界の人々が不完全ながらも国連に託している信頼を守る責務であることを理解する人物である。
もっとも、選考プロセスそのものも、最後に一つの重い問いを投げかける。事務総長はしばしば「世界最高位の外交官」と呼ばれるが、その人物を選ぶうえで、世界の人々には直接の発言権がないのである。
その決定は周知の通り、拒否権を持つ少数の国々に委ねられている。これは政治的現実としては理解できるかもしれない。だが、かつてなく教育水準が高く、相互につながり、情報に通じた現代の世界市民に対して、それを説明することはますます難しくなっている。
だからこそ、将来的には新たな試みを考えてもよいのかもしれない。世界規模の協議、あるいは国際的な投票によって、この唯一無二のグローバルな職に誰が就くべきかについて、人々が自らの意思を表明できる仕組みである。
いまの時点では、やや空想的に聞こえるかもしれない。だが、そこには重要な論点が含まれている。もし国連が真に「われら人民」という言葉から始まるのであれば、その指導者を選ぶ際にも、人々の声はもっと明確に反映されるべきである。
その日が来るまでは、責任は加盟国にある。選ぶべきなのは、最も無難な候補でも、最も都合のよい候補でも、強大な政府を最も怒らせにくい候補でもない。選ぶべきは、憲章を守り、独立した立場から発言し、勇気をもって行動し、この職に誠実さを取り戻し得る候補である。
世界に必要なのは、慎重な管理者ではない。
世界に必要なのは、勇気ある事務総長である。(原文へ)
ナイマ・アブデラウイは、国連ジュネーブ事務局(UNOG)のUNison職員代表。2004年から国際公務員を務める。
INPS Japan/IPS UN Bureau Report
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