日本で暮らすネパール人にも響くかもしれない、この古き踊りと「美しき混沌」
【カトマンズINPS Japan/Nepali Times=ミキ・ウプレティ】
日本は、先端技術や富士山、侍の歴史、そして今や約30万人に迫るネパール人コミュニティーを通じて、多くのネパール人にとって身近な国となっている。しかし、日本文化の奥深い精神性には、ネパールではまだあまり知られていないものもある。その一つが「盆踊り」だろう。先祖の霊を供養する8月中旬の「お盆」の時期に各地で行われる夏の踊りである。|英語版|
盆踊りには、日本古来の祖先崇拝と、6世紀に伝来した仏教の伝統が溶け合っている。人々は祈りを捧げ、家族で墓参りをし、地域の輪の中で踊りながら先祖の霊を迎える。約500年前には活気あふれる街頭文化として広まり、今日では日本各地で、それぞれ独自の振り付けや音楽を伴ったさまざまな形の盆踊りが受け継がれている。


その中でも、四国・徳島の「阿波おどり」は別格の存在だ。普段は穏やかな地方都市が、この時期だけは一変する。
阿波おどりの特徴の一つに、右手と右足、左手と左足を同時に前へ出す「ナンバ」と呼ばれる独特の身体の使い方がある。これは、刀を左腰に差していた武士の時代の歩き方に由来するともいわれている。
この基本動作を身につけると、踊り手は「ヤットサー、ヤットサー」という躍動感あふれる二拍子のリズムに乗って前へ進む。一見すると、その場ですぐ参加できそうな単純な踊りに見えるが、本当にものにするには何年もの稽古が必要である。
「阿波」とは徳島の旧国名であり、「阿波おどり」とは文字通り「徳島の踊り」を意味する。約400年の歴史を持つこの祭りは、8月11日から15日までの5日間にわたって開催される。10万人を超える踊り手がそろいの衣装をまとい、真夏の蒸し暑さにもかかわらず、夕暮れから夜遅くまで踊り続ける。5日間の観光客は約110万人に達し、徳島市の人口をはるかに上回る人々が街を訪れる。
その数日間、徳島はまるで別世界に迷い込んだかのようになる。人波、熱気、太鼓、鉦、三味線――街全体が「美しき混沌」に包まれる。それでも、その混沌の中で際立つのが、安全対策や整然とした群衆誘導に表れる日本らしさである。

阿波おどりの精神を象徴するのが、あまりにも有名なこの囃子言葉だ。
「踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊らにゃ損々」
どうせ同じ「阿呆」なら、見ているだけでは損だ。ならば自ら踊ってしまおう――そんな意味である。
この精神は、約400年前、藍の交易で栄えた徳島の商人文化の中で育まれた。普段は倹約を重んじ、現実的な生活を送っていた人々も、年に一度のこの祭りだけは惜しみなく金を使ったという。
そこには、日本人の精神が持つ興味深い二面性が表れている。普段は控えめで感情を表に出さない人々が、ひとたび踊り手となれば、内に秘めていた情熱を一気に解き放つのである。
とはいえ、阿波おどりは決して無秩序な騒ぎではない。
踊り手たちは「連」と呼ばれる約1000もの統率されたグループに分かれ、連ごとに仕立てられたそろいの衣装を身につけて踊る。年齢も職業もさまざまなメンバーが、一年を通して練習を重ね、各連独自の振り付けを磨くとともに、夜通し踊り続けるための体力を養っている。
企業が組織する連もあり、社員たちは会社の看板を背負って踊る。一方、観光客も「にわか連」に加われば、その場で「踊る阿呆」の仲間入りをすることができる。
連の名前にも、阿波おどりならではのユーモアがあふれている。「のんき連」「阿呆連」「娯茶平」「風来坊」などがその例である。
中でも洒落が利いているのが、地元の医療系教育機関の学生たちがつくる「たけのこ連」だ。
日本語では、タケノコが育てば竹林、つまり「藪(やぶ)」になる。そして「藪医者」といえば、腕の悪い医者を意味する。将来立派な医師になると胸を張るのではなく、「この先、藪医者になります」と自らを笑いの種にしているのである。そこには、むしろ静かな自信が感じられる。
私が阿波おどりに強い思いを抱くのは、私の家族のルーツが徳島にあるからだ。徳島では幼いころから阿波おどりを身につけ、祭りそのものが地域のアイデンティティーと誇りの一部になっている。
数年前、カトマンズで、日本人教師たちが、日本への留学や就労を目指して日本語を学んでいるネパール人学生に阿波おどりを教えている場面に出会った。
しかし、教えている人たちは徳島出身ではなく、その指導には阿波おどりの本来の身体の使い方や理屈が十分に伝わっていないように感じられた。
私は思わず口を挟んだ。
「私に教えさせてください。阿波おどりをやるなら、きちんとやりましょう」
それ以来、私は毎年夏になるとカトマンズで、若いネパール人たちに「踊る阿呆」になる方法を教える日本人としての役割を喜んで引き受けている。
彼らの多くは、やがて日本で数年間、あるいはそれ以上にわたり勉強したり働いたりすることになるだろう。日本で困難に直面したとき、かつて「踊る阿呆」の精神に身を委ねたあの瞬間を思い出してくれたら、と私は願っている。
日本へ向かうネパール人に必要な準備とは、日本語を学ぶことだけではない。踊りを通じて、日本人が持つしなやかな強さや、困難を乗り越える精神に触れることもまた、大切なのではないだろうか。
徳島のDNAは今も生き続けている。そして私は、その文化的な遺産を、ネパールというもう一つの「美しき混沌」のただ中で伝えられることを誇りに思っている。
ミキ・ウプレティは、ライター、サイクリスト。かつては登山家、トレイルランナーとして活動し、1985年以来ネパールとの関わりを持ち続けている。
INPS Japan
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