SDGsGoal13(気候変動に具体的な対策を)悲嘆と希望が交錯するネパール

悲嘆と希望が交錯するネパール

生存者や行方不明者の家族が求めているのは、愛する人が生きているのか、亡くなったのか、その消息だ

【カトマンズINPS Japan/Nepali Times=ソニア・アワレ】

カトマンズの病院の敷地内では、至るところで死についての会話が聞こえてくる。「まだ顔は判別できますか?」「遺体の腐敗をどう防げばいいのでしょう?」|英語版

「もう4日もたっている。生きている可能性はないでしょう」

ここには、奇跡的な生還を伝える話はほとんどない。それでも、夕方の雨の中、ティーチング病院の外で待ち続ける家族たちは、わずかな望みにすがっている。多くの人はすでに運命を受け入れつつあり、最悪の事態に備え始めている。今、彼らが求めているのは、せめて遺体が見つかったという知らせだ。それによって、ようやく区切りをつけることができるからだ。

Photo SUMAN NEPALI

一方、何度も同じ話を繰り返し聞かれることに疲れ果て、カメラを持った記者たちを避ける人もいる。私たちは距離を置き、生存者たちのプライバシーを尊重し、その心の傷に配慮する。彼らの多くもまた、紙一重で死を免れた人々だからだ。

「あなたたちのカメラで、私たちの家族が戻ってくるんですか?」一人の女性が、涙を撮影しようと押し寄せる外国人記者団にそう問いかけた。親族が彼女をなだめようとしていた。

Photo SUMAN NEPALI1

ディル・クマリ・マスランギ・マガルさんは、病院の門の近くで、義理の兄と甥の写真を掲示していた。その周囲には、亡くなった人々の写真が何十枚も並び、行方不明者の名前を記した長いリストが張り出されている。彼女は、「このことを世界に伝えてほしい。どこかで誰かが2人を見かけているかもしれない」と話した。

「もう、希望を持つことしかできません」彼女は静かに言った。「たとえ遺体だけでも、見つかれば少なくとも何が起きたのか分かります。」

そばにいたディルガ・マヤ・クラミ・マガルさんも会話に加わった。彼女の甥も行方不明になっている。洪水が襲う前のその朝、彼女は3回電話をかけたが、甥は出なかった。

2人の女性とその家族は、もともとウダイプル出身だ。親族たちは8月26日の朝、ラスワで働いていた。現在も消息が分からないネパール国内の約2500人以上の中に、彼らも含まれている。トリスリ川をのみ込んだ泥流によって、中国側でもさらに約500人が行方不明となっている。

わずかに残る生還の知らせ

それでも、ごくわずかではあるが、生還の物語もある。8月28日夜、中国国境に近いティムレで、救助隊が倒壊した家屋のがれきの下から、かすかな泣き声を聞いた。隊員たちは必死に泥を掘り進め、6歳のマニシャちゃんを救出した。

ネパール軍は、水力発電所のトンネル内から80人以上の作業員を救助した。しかし、トリスリ川とその支流沿いにある12カ所の発電事業では、今も数百人が行方不明のままだ。

特殊装備を備えた中国とインドの救助隊も、取り残された人々の救出を急いでいる。

押し寄せた「泥の壁」

中には、行方不明の家族を探すため、自費でヘリコプターをチャーターしようと考えるほど追い詰められている人もいる。しかし政府は、限られたヘリコプターを救助活動に優先して使用する必要があるとして、民間による捜索は資源の浪費になる可能性があると自制を求めている。

スバシュ・タマンさんは、行方不明になった親族を探すためドゥンチェへ向かった。親族はいずれも観光バスの運転手だった。

そのうち2人は、国境で観光客を降ろした後、帰路についていた。午前8時31分までは連絡が取れていたという。巨大な泥流が押し寄せる約30分前だった。

タマンさんは、遺体が下流まで流されていないか確かめるためチトワンにも足を運び、現在はカトマンズにいる。私たちは、彼が警察官にこう話すのを耳にした。「ある場所で、みんなが救助を待っている夢を何度も見るんです。ヘリさえ使えれば……」

そして私たちの方を向き、切迫した声で言った。「あなたたちジャーナリストの力を借りて、少しでも早く見つけたいんです。」

8月26日の洪水以降、ラスワのガッテコロで行方不明となっているディネシュ・タマンさん、ケシャブ・タマンさん、アショク・クマール・グンボさん。3人はいずれも観光バスの運転手だった。

ネパール政府が発表する公式の死者数は、発見された遺体の数を基にしている。死者数は700人に迫っているが、最終的には数千人規模に達する可能性が高い。そうなれば、同じ地域にも甚大な被害をもたらした2015年の大地震以来、最悪の災害となる。

ようやく家族の死を受け入れ始めている人もいる。ケサリ・タマンさんは毎日病院を訪れている。この日の夕方、私たちは彼女が1枚の遺体写真を食い入るように見つめている姿を目にした。遺体の指には指輪があった。兄のサンカ・ブダさんが身につけていたものとよく似ているという。

兄はベトラワティで、流失した橋の近くにあるレストランを経営していた。警察の窓口では、遺体の身長は約5.6フィートで、比較的色白だったと説明された。遺体はカピルバストゥで発見されたため、タマンさん一家は身元を確認し、葬儀の手続きをするため、ピプラ病院の遺体安置所へ向かう準備を始めた。

「明日の早朝に出れば、10~11時間くらいで着くでしょう。もし本人でなければ、そのまま戻ってくるだけです。でも、たぶん兄だと思います」親族の一人が深いため息をつきながら話した。

Photos SUMAN NEPALI

公開されている遺体写真は目を背けたくなるほど痛ましく、こうした生々しい写真を人目に触れる場所に掲示することに疑問を呈する声もある。しかし今のところ、家族にとっては、それが身元を確認するほぼ唯一の手段なのである。

その後、私たちは顔立ちのよく似た若い女性たちの一団に出会った。全員が、たった一人の弟、サントシュ・ティン・タマンさん(23)の消息を探していた。8人姉妹の長女、シャンティ・マヤ・タマンさんによると、その日に新たに搬送された遺体の写真が病院から掲示されるのを待っているという。

サントシュさんはネパールと中国の国境近くにあるカフェでバリスタとして働いていた。災害が発生した時は休暇を取り、ケルン経由でカトマンズへ向かっていた。ネパール時間午前7時30分に出発しており、洪水が襲った時刻には国境付近にいたとみられている。

「姉妹たちとラクシャ・バンダンを過ごすために、5日間の休みを取ってくれていたんです。」シャンティ・マヤさんは話した。「両親から何度も電話がかかってきて、『弟は見つかったか』と聞かれます。私たちはずっと探し回っていますが、ここには弟の写真も、名簿に名前もありません。ビドゥルの避難所にもいませんでした。TikTokでも探しました」

Photos SUMAN NEPALI1
Photo: SUMAN NEPALI

姉妹たちはカトマンズで働いたり学んだりしながら、賃貸の一室で暮らしている。両親はラスワのボトレにいる。村は山の上にあるため両親は無事だが、村へ通じる道路は流失し、行き来することができない。

シャンティ・マヤさんはもう涙も枯れ、希望さえ使い果たしたようだった。そして淡々とした声で、こう付け加えた。「家族は無事です。でも村々はすべてなくなってしまいました。もう誰も残っていません。」


ネパールの洪水被災地を支援したい方は、首相災害救援基金への寄付が可能です。詳細については関連情報をご確認ください。

ソニア・アワレ:『Nepali Times』編集長。健康、科学、環境分野の記者も務める。気候危機、防災、開発、公衆衛生について、それぞれの政治的・経済的なつながりに注目しながら幅広く取材してきた。公衆衛生を学び、香港大学でジャーナリズムの修士号を取得している。

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