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年齢制限なき権利──高齢者の権利条約への期待

【ベルギー・ブリュッセル/ウルグアイ・モンテビデオIPS=サミュエル・キング & イネス・M・ポウサデラ】 世界の人口は高齢化している。世界の平均寿命は1995年の65歳未満から、現在は73.3歳へと大きく伸びた。60歳以上の人は現在11億人に達し、2030年までに14億人、2050年には21億人に達すると予測されている。 この人口動態の変化は、公衆衛生の進歩、医療の発展、栄養状態の改善を反映した「勝利」とも言える現象だ。しかし一方で、人権の観点から新たな課題を突きつけている。 エイジズム(年齢差別)は、高齢者を「負担」と見なす偏見を助長している。家族、地域社会、ボランティア活動などで多大な貢献をしているにもかかわらず、多くの高齢者は差別、経済的排除、サービスの拒否、不十分な社会保障、放置、暴力といった深刻な人権侵害に直面している。 このような状況は、他の理由でも差別を受ける高齢者にとってはさらに深刻だ。高齢女性、LGBTQI+の高齢者、障がいを持つ高齢者、その他社会的に排除された集団の高齢者は、複合的な脆弱性を抱えている。紛争や気候災害が起きた際には、高齢者は特に深刻な被害を受けるが、その実態はあまり注目されず、保護も不十分である。 こうした課題は、日本のような高齢化が進んだ先進国だけのものではない。グローバル・サウス諸国でも、過去の北半球よりもはるかに速いペースで高齢化が進行しており、支援のインフラや社会保障が不十分な社会で老後を迎えるという現実がある。 にもかかわらず、現時点で高齢者の人権を特に保護する国際条約は存在しない。現在の国際法体系は断片的であり、急速に変化する人口構成にはもはや適合していない。 国際的な最初の重要な進展は、2015年に米州機構(OAS)が採択した「高齢者の人権保護に関する米州条約」だった。この画期的な条約は、高齢者を権利の主体として明確に認め、差別、放置、搾取からの保護を規定している。ただし、加盟国間での実施にはばらつきがある。 一方、世界保健機関(WHO)が推進する「2021〜2030年 健康的な高齢化の10年」は、年齢にやさしい環境や医療体制の促進に向けた前進ではあるものの、法的拘束力のない自主的枠組みに過ぎない。真に人権を保障するには、拘束力のある条約が必要だ。 そうした中で、2025年4月3日、国連人権理事会が「高齢者の権利条約の起草に向けた政府間作業部会の設置」を決定したことは、実現への大きな希望となる。地政学的分断が深まる昨今において、全会一致での採択は特に意義深い。 この動きは、2010年に国連総会で設置された「高齢化に関する公開作業部会」による10年以上にわたる粘り強い取り組みの成果である。これまで14回の会合を重ね、各国政府、市民社会、国家人権機関などが議論を重ね、2024年8月には条約起草を求める勧告が出された。AGEプラットフォーム・ヨーロッパ、アムネスティ・インターナショナル、ヘルプエイジ・インターナショナルなど市民団体による国境を越えたキャンペーンや連携も、今回の前進に大きく貢献した。 今後は、原則を法的保護に変える重要な段階が始まる。人権理事会決議は、その具体的な手順を示しており、年内には作業部会の初会合が開かれる予定だ。条文が草案としてまとまれば、国連システムを通じて検討・採択へと進む。採択されれば、1989年の児童の権利条約、2006年の障害者権利条約に続く新たな保護枠組みとなる。 この条約は、高齢者が社会にどう評価されるかを再定義する稀有な機会でもある。宣言から実施までの道のりでは、市民社会による粘り強い監視と働きかけが不可欠となる。まずは、条文に実効性のある保護を盛り込むこと、次に採択後の履行で保護が骨抜きにならないようにすることが重要だ。 その努力が実を結べば、年齢を重ねることが人間の尊厳と権利を損なうのではなく、むしろ高める未来が実現するだろう。(原文へ) サミュエル・キング:EU資金による研究プロジェクト「ENSURED」の研究員。イネス・M・ポウサデラ:市民社会連合CIVICUSの上級研究員、CIVICUS Lensライター、『市民社会の現状レポート』共同執筆者。 INPS Japan/ IPS UN Bureau Report 関連記事: 韓国は高齢化を乗り越えられるか?IMFが描く回復の青写真 |フィジー|看護師が海外流出し、医療サービス継続の危機 世界の人口、2050年までに100億人に到達と予測:SDGsへのあらたな挑戦

|視点|近隣の核兵器(クンダ・ディキシットNepali Times社主)

水をめぐる戦争が、南アジアに予想より早く到来した 【カトマンズNepali Times=クンダ・ディクシット】 インドとパキスタンは、英領インドから両国が分離独立した際に引き離された双子のような存在だ。独立以来、両国の間には緊張が常に漂い、過去80年の間に少なくとも4回、全面衝突へと発展している。 4月22日にカシミールで発生したテロ攻撃では、インド人観光客25人とネパール人1人が犠牲となり、核兵器を保有するこの両国の緊張はさらに高まっている。インド政府は、この攻撃の責任をパキスタンにあるとして非難し、ナレンドラ・モディ首相は軍に「行動の自由」を与えた。一方のパキスタンは、インドによる軍事攻撃の「確かな情報がある」とし、「全面的な対応」― これは核による報復を意味する暗号 ― を行うと警告している。 隣国のネパールにとって、このパハルガムでの攻撃による自国民の犠牲は、アフガニスタンからイラク、ウクライナからイスラエルに至るまで、世界各地の紛争でネパール人が巻き込まれている現実を改めて突きつけられる出来事となった。1999年にインドとパキスタンがカルギルで大規模衝突を起こした際には、インド軍に所属していたネパール人兵士22人が戦死している。 ネパールの周辺3カ国(中国、インド、パキスタン)はいずれも核兵器を保有しており、相互関係も良好とは言えない。中国がパキスタンに武器やミサイル技術などを提供している現状では、この三角関係が火種となり、地域的な大規模衝突が起きる恐れもある。 ラトガース大学の研究によれば、たとえインドとパキスタンの間で1週間にわたる戦術核戦争が起きただけでも、大気中に放出された煙や塵が太陽光を遮り、世界の食料供給システムが崩壊する(核の冬)という。さらに、放射性降下物は偏西風に乗ってヒマラヤへと達し、アジアの主要河川の源となる氷河を汚染する恐れもある。 すでに気候変動によって「アジアの高地」では氷河が縮小し、乾季の水量が減少するとの警鐘が鳴らされていた。専門家たちは、水が次なる戦略的資源になり、アジアの次の戦争は水をめぐるものになると警告していた。 その「水戦争」は、すでに始まっている。インドは、今回のカシミール攻撃への報復として、1960年に世界銀行の仲介で締結された「インダス水協定」を停止した。この協定は、過去3回の印パ戦争を乗り越えて維持されてきたものだ。協定では、インダス川の東の支流(ビアス川、ラビ川、スートレジ川)をインド、西の支流(インダス川、チェナブ川、ジェラム川)をパキスタンが管理することとなっている。 パキスタンは年間流量の約70%を保障され、インドも灌漑や水力発電目的に「合理的な量」を使用できるとされた。しかし、インドは協定の停止を宣言した数日後には、チェナブ川の流れをパキスタン側へ止め、ジェラム川でも同様の措置をとる準備を進めているとされる。 両国の軍事的な威嚇は激しさを増している。インド空軍は、作戦準備態勢を示すため、ウッタル・プラデシュ州の高速道路にラファール、Su-30、ジャガー戦闘機を着陸させる演習を実施した。これに対しパキスタンは、核弾頭を搭載可能な射程450kmのアブダリ弾道ミサイルを試射した。 こうした中、ナショナリズムの高まりと、双方の戦争煽動により、インド政府やパキスタン軍は国民の期待に応えるために「何かをしなければならない」圧力にさらされている。だが、たとえ小規模な攻撃や砲撃、領土侵犯であっても、事態は瞬く間に制御不能に陥る恐れがある。 パキスタンは、パハルガーム襲撃への報復をインドが行うと見ており、「壊滅的結果」を伴う核抑止力をちらつかせて警告している。2019年にも、カシミールでインド軍が襲撃されたことをきっかけに、両国は核戦争寸前まで行ったが、米国主導の迅速な仲裁により事態は沈静化した。 今回は、米ドナルド・トランプ政権が内政に気を取られ、以前ほど積極的に関与していない。パキスタンはテロ攻撃への関与を否定し、インドによる報復を止めるようワシントンに要請している。インドとパキスタンは相互の航空機の上空通過を停止し、一部の国際便はパキスタン上空の飛行を回避している。 米国、中国、国連、欧州連合(EU)などは双方に自制を求めている。イランはインド、パキスタンの両国と良好な関係にあることから、外相を派遣し、報復合戦に突入しないよう促している。イラン自身も、イスラエルやイエメン、シリアにおける緊張で、核を巡る火種を抱えているからだ。 インドとパキスタンは、ともに失業、貧困、環境問題という共通の課題を抱えている。どちらの国にも、無意味な戦争をする余裕はない。そして、我々近隣国にも、それを望む者はいない。(原文へ) This article is brought to you by Nepali Times, in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC. INPS...

「核兵器なき世界への連帯―勇気と希望の選択」展

https://www.youtube.com/watch?v=pxbSBPPhQ1s&t=17s この展示会は、10月2日~13日にカザフスタンの首都ヌルスルタンで開催された。創価学会インタナショナル(SGI)は、長崎と並んで原爆が初めて使用された広島で2012年に最初の展示会を開催して以来、これまで20カ国90都市で開催してきたが、ロシア語版の展示が披露されたのは今回が初めてだった。INPSからは、INPS Japanの浅霧勝浩マルチメディアディレクターが、ヌルスルタンでSGI代表団と合流し、展示会開会式と、旧セミパラチンスク核実験場跡、セメイ訪問に随行し、ドキュメンタリーを制作した。 2019 marks the 30th anniversary of the end of nuclear weapons testing in Semipalatinsk, the primary testing venue for the Soviet Union's nuclear...

ロシア正教指導者のローマとの外交がウクライナ戦争の犠牲に

【RNS=ヴィクター・ガエタン】 外交が再び脚光を浴びている。少なくとも、ロシア・ウクライナ戦争の終結に向けた交渉の機運が再燃している今、戦場での犠牲者が増え続ける一方で、外交の場でも犠牲が生まれている。その一人が、ロシア正教会の対外教会関係局を率い、事実上の「外務大臣」として活躍したヒラリオン府主教(イラリオン・アルフェーエフ)だ。宗教がしばしば戦争の道具として用いられているこの戦争において、彼のキャリアもまた犠牲となった。 2009年から2022年まで、ヒラリオンの役割には、カトリック教会との和解の推進が含まれていた。彼の主導のもと、ロシア正教会とカトリック教会は関係を深め、ヒラリオン自身もベネディクト16世およびフランシスコ両教皇と親しい関係を築いた。 しかし戦争が始まると、ヒラリオンは職を失い、侵攻開始から4か月後に突然ブダペストへ左遷される。その後2023年12月にはさらに辺境のチェコの保養地に司祭として送られ、再び事実上の降格となった。 バチカンのキリスト教一致推進省の関係者によると、ヒラリオンの不在を悼む声は大きく、正教会との建設的な対話は戦争以降、著しく縮小しているという。 筆者が今年初め、ハンガリーでヒラリオンに会った際、彼は2009年に始まったロシアとバチカンの歴史的関係改善を振り返った。同年1月にはアレクセイ2世の後を継いでキリルが総主教に就任。カトリックに懐疑的だった前任者とは対照的に、キリルの登場は西方教会との協調に向けた好機と受け止められた。当時42歳でウィーンとオーストリアの主教だったヒラリオンは、キリルの後任として対外関係部門を担うことになった。 同年12月には、ロシアとバチカンが正式な外交関係樹立に合意。2010年5月には、キリル主催・ヒラリオン演出によるベネディクト16世の誕生日と即位5周年を祝うコンサートがバチカンで開かれた。教皇は「ヒラリオン府主教に心から感謝する」と述べ、彼の芸術的才能を称賛した。 ヒラリオンによると、「神学への情熱、音楽への情熱という共通点から、私たちはすぐに親しい友人となった」という。彼はベネディクトの著作『ナザレのイエス』三部作に触発されて、自身の六巻本『イエス・キリスト:その生涯と教え』を執筆。ベネディクトからは「非常に重要な業績」と高く評価された。 フランシスコ教皇とは、就任翌日に初対面。アルゼンチン出身で東西教会対話に疎いかと思ったが、教皇はすでに多くを理解していたと振り返る。 2016年2月、歴史的な両教会指導者の初会談がキューバ・ハバナで実現する。1997年にヨハネ・パウロ2世とアレクセイ総主教の会談が直前で中止となった過去を意識し、ヒラリオンは文書作成に細心の注意を払った。 「会談は単なる教会指導者同士の会談ではなく、カリスマや人間性を持つ二人の個人の出会いだった」と彼は語る。 その後、イタリア・バーリの聖ニコラウス大聖堂から聖人の遺物(肋骨の一部)をロシアに一時移送する交渉も主導。「キリル総主教は『頭を頼め』と言ったが、教皇は笑って『バーリ市民に言ったら私の首が飛ぶ!』と返した」というエピソードもある。 2014年以降ウクライナ情勢は悪化していたが、2021年末までは関係は維持され、ヒラリオンは再度の教皇・総主教会談を打診するためバチカンを訪問した。フランシスコに贈られたのは、教皇の著書『祈り──新たな命の息吹』のロシア語版(キリルの序文付き)だった。 だが、2022年2月の戦争勃発を境に断絶が訪れる。ヒラリオンは戦争の人道的犠牲を強調する一方、キリル総主教は国家方針に忠実な姿勢を示した。オーストリアのTV番組では「対話しなければ、紛争は世界規模のものになる」と警鐘を鳴らしていた。 その年6月7日、ロシア正教会の聖シノドはヒラリオンを突然解任し、信徒約3,000人のハンガリーの小教区へ異動させた。理由の説明はなかった。 ハンガリーではハンガリー国籍のパスポートを使い、国際的なネットワークを維持。2023年4月にはフランシスコ教皇と再会。「政治的な話は一切なかった。ただの旧友としての再会だった」と語った。教皇も、「彼を尊敬している」とメディアに語った。 その後、ブダペスト教区の21歳のロシア系日本人助祭ジョージ・スズキが突然失踪。彼の「母親」(実は祖母)が沖縄から40万ユーロ近い治療費を求めてきたという。金庫からも現金や貴重品が消失していた。スズキの指紋とDNAが発見され、ハンガリー警察が逮捕状を出すも、日本は引き渡しを拒否。さらに反プーチン系メディアが、スズキによる性的嫌がらせの告発を報じたが、ロシアの専門家は音声・映像が偽造されたと断定。 ヒラリオンは「事実は一つだけ。彼は盗人だった。それ以外は彼の中傷だ」とだけコメントした。 教区の司祭たちは彼を擁護したが、ヒラリオンは最終的にチェコ・カルロヴィ・ヴァリの教会へ移され、主教の職を退いた。 ロシア通信RIAノーボスチに最近語ったところによると、「過去1年は非常に困難だった。私の奉仕の機会を奪おうとするあらゆる試みがあった。中傷、脅迫、捏造された証拠……だが教会が私を守ってくれた。今も奉仕を続けられることに感謝している」という。 それでもヒラリオンは定期的にモスクワに戻り、2024年2月1日にはキリル総主教の就任17周年記念ミサを共に司式した。フランシスコ教皇の最晩年まで連絡を取り合っていたという。(原文へ) ※この記事の筆者ヴィクター・ガエタンは『God’s Diplomats: Pope Francis, Vatican Diplomacy, and America’s Armageddon』著者であり、『Foreign Affairs』誌にも寄稿している。この記事は必ずしもRNSの公式見解を反映するものではない。 Original Link: How a Russian Orthodox leader's diplomacy with Rome became a casualty of Ukraine...

弁護士から活動家へ──児童婚根絶の運動を率いたブワン・リブー氏が表彰される

【ニューデリーIPS=ステラ・ポール】 ブワン・リブー氏は、もともと子どもの権利活動家になるつもりはなかった。しかし、インドで数多くの子どもたちが人身売買され、虐待され、児童婚を強いられている現実を目の当たりにし、沈黙を選ぶことはできなかった。 「すべては“失敗”から始まりました。」とリブー氏は語る。「助けようとはしていましたが、問題を止めることはできなかった。そのとき気づいたのです──この問題は社会正義ではなく、刑事司法の問題なのだと。そして、解決には包括的で大規模なアプローチが必要だと。」 現在、リブー氏は世界最大級の子どもの権利保護ネットワーク「ジャスト・ライツ・フォー・チルドレン(Just Rights for Children)」を率いている。児童婚や人身売買と闘い続けてきた功績により、同氏はこのたび世界法曹協会(World Jurist Association)から名誉勲章を授与された。授与式は、ドミニカ共和国で開催された世界法律会議(World Law Congress)にて行われた。 しかし、リブー氏にとってこの賞は「栄誉」ではなく「責任の証」だ。「この賞は、世界が注目していること、そして子どもたちが私たちに希望を託しているということの証なのです」と、授賞後初のインタビューでIPSにの取材に対して語った。 原点─1つの会議が人生を変えた 弁護士としての訓練を受けたリブー氏の道のりは、長く困難ながらも輝かしいものだった。そのきっかけは、インド東部ジャールカンド州で開かれた小規模なNGOの会合だった。ある参加者が発言した──「私の村の少女たちがカシミールへ連れて行かれ、結婚相手として売られています。」 その一言が、リブー氏の心を強く打った。 「そのとき気づいたのです──州境を越える問題を、1人や1団体で解決するのは不可能だと。」そこで全国的なネットワークづくりを始めた。 こうして「児童婚のないインド(Child Marriage-Free India/CMFI)」キャンペーンが誕生。数十の団体が次々に加わり、その数はやがて262団体に拡大した。 これまでに2億6千万人以上がこのキャンペーンに参加。インド政府も「バル・ビバフ・ムクト・バラト(Bal Vivah Mukt Bharat/児童婚ゼロのインド)」という国家ミッションを立ち上げた。 現在、村や町、都市の至る所で「児童婚ゼロのインド」に向けた声が上がっている。 「かつては不可能と思われていたことが、今や手の届くところまで来ています」とリブー氏は語る。 法廷での戦い 弁護士であるリブー氏にとって、法律は強力な武器である。 2005年以降、彼はインドの裁判所で多数の重要な訴訟を提起し、勝訴してきた。これにより、児童人身売買の法的定義が明確化され、行方不明児童の届け出に対する警察の義務化、児童労働の刑事罰化、被害者支援制度の整備、有害な児童性的コンテンツのネット上からの削除など、数々の改革が実現した。 特に大きな転換点となったのは、「行方不明の子どもは、人身売買の可能性があるとみなすべきだ」と裁判所が認めたこと。この判断により、行方不明の児童数は11万7480人から6万7638人へと大幅に減少した。 「これこそが“行動する正義”の姿です」とリブー氏は語る。 宗教指導者の協力を得る CMFIの最も画期的な取り組みのひとつは、宗教指導者への働きかけだった。 「なぜなら、どの宗教であれ、結婚を執り行うのは宗教指導者だからです。彼らが児童婚を拒否すれば、習慣そのものが止まるのです。」 キャンペーンのメンバーは全国の村々を訪れ、ヒンドゥー教の僧侶、イスラム教のウラマー、キリスト教の神父や牧師などに「児童婚は行わず、見かけたら通報する」という誓約を促した。 その効果は絶大だった。例えば結婚が多く行われる吉日「アクシャヤ・トリティヤ(Akshaya Tritiya)」でも、寺院が児童婚を拒否するようになった。 「信仰は、正義のための大きな力になり得るのです。宗教の教義も、子どもたちの教育と保護を支持しています」とリブー氏は話す。 世界へ広がる運動 このキャンペーンはもはやインド国内にとどまらない。2025年1月にはネパールがこの動きに触発され、「児童婚ゼロ・ネパール」イニシアチブをカドガ・プラサド・シャルマ・オリ首相の支持のもと開始。全7州が参加し、児童婚撲滅に取り組んでいる。 さらに、この運動はケニアやコンゴ民主共和国など39カ国へと広がっており、国境を越えた子ども保護のための法的ネットワーク創設への機運が高まっている。 「法制度は国や地域によって異なっていても、“正義”の理念は同じでなければなりません」と語るリブー氏は、2冊の著書『Just Rights』『When Children Have Children』の中で、PICKETと呼ばれる法的・制度的・倫理的枠組みを提唱している。「叫ぶだけではなく、子どもたちを日々守るためのシステムを築くことが必要なのです。」 犠牲と希望 リブー氏は、将来有望だった弁護士としてのキャリアを捨てた。当初は理解されなかったという。 「周囲から“時間の無駄だ”と言われました。でもある日、息子がこう言ったんです──“たったひとりでも救えたら、それで十分じゃない?” それが私にとってすべてでした。」 彼は“ガンディー的信託主義”──つまり、自分の才能や特権を、最も支援を必要とする人のために使うべきだという考えを信じている。 「私がイラクやコンゴで児童婚と闘うことはできないかもしれません。でも、必ず誰かが立ち上がります。そして私たちは、その人のそばに立ちます。」 勲章は“より大きな使命”への扉 世界法曹協会の勲章は単なる栄誉ではない。リブー氏にとってそれは“舞台”である。 「この賞が伝えているのは、『変化は可能だ』『すでに変化は始まっている』というメッセージです。共に歩もう、という呼びかけなのです。」 この受賞をきっかけに、新たなパートナーとの協力が広がり、活動地域もさらに拡大できることを期待しているという。 「2024年だけで2.6万件以上の児童婚が阻止され、5万6千人を超える子どもたちが人身売買や搾取から救出されました。これが、夢物語ではない“現実の変化”なのです。」 2030年までに、インドにおける児童婚の割合を5%未満に抑えることが目標だ。 しかし、世界にはまだ多くの課題が残っている。イラクでは10歳の少女が結婚できる法制度があり、米国でも35州で一定の条件下における児童婚が合法である。 「正義は“一時的”ではいけない。世界のどこであっても、“日常の一部”でなければならないのです。“正義”がただの言葉で終わらないように──それが私たちの使命です。」(原文へ) INPS Japan/IPS UN Bureau Report 関連記事: 国連、北朝鮮で横行している脱北女性達に対する人権侵害を告発 コロナ禍、気候変動、不処罰と人身売買を悪化させる紛争 |ネパール・インド|「性産業」犠牲者の声なき声:売春宿から1人でも多くの犠牲者を救いたい

米国の拠出削減が国連職員に広がる不安とメンタルヘルスへの影響をもたらす

【国連IPS=タリフ・ディーン】 トランプ政権による国連への度重なる威嚇的な発言や、複数の国連機関からの脱退、さらには財政的な拠出削減によって、多くの職員の間に将来への不安が広がっている。その影響はメンタルヘルスにも及んでいる。 「国連の資金難は、人員削減や給与の引き下げにつながるのか?」「昇進や昇給の凍結があるのか?」「米国籍を持たない職員は永住権を失い、退職後に家族と共に母国に戻らなければならないのか?」 こうした疑問が職員の間で飛び交う中、国連の人道支援機関である人道問題調整事務所(OCHA)は、主に米国からの拠出削減による資金不足のため、約20%の人員削減と複数国での活動縮小を計画している。 OCHAに限らず、世界食糧計画(WFP)、国連児童基金(UNICEF)、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)も、米国からの支援減により、事務所の閉鎖、スタッフ削減、プログラム終了などの措置を余儀なくされている。 先週、ニューヨーク国連職員組合(UNSU)は職員に対してメモを発行し、「現在の財政状況が引き起こす重大な懸念と不透明感」を認めた上で、次のように呼びかけた。 「この不確かな時期において、メンタルヘルスとウェルビーイングの優先は不可欠です。職員組合では、今後に備えるための実践的なヒントや対処法を提供する『メンタルヘルス・セッション』を準備中です」 UNSUのナルダ・キュピドール会長のメモでは、「公平で公正な待遇を求めて、組合は今後も揺るぎなく職員の権利を守る」と誓っている。 ウィーンで開催された職員管理委員会(SMC) 4月7日から12日にかけてウィーンで開催された職員管理委員会(SMC)は、職員の福祉や勤務条件に大きな影響を与える課題に焦点を当てた。 議題の中心は以下の三点だった: 国連80(UN80)イニシアチブ 財政危機 人員削減政策 これらは密接に関連し合い、職員への影響が深刻であるため、数日にわたり集中的に協議された。 アントニオ・グテーレス事務総長は、「UN80イニシアチブ」タスクフォースに対し、以下の提案を速やかに策定するよう要請している: 業務の効率化と改善策の特定 加盟国から与えられた任務の実施状況の見直し 国連システム全体の計画的な再編と資源の合理化 職員の精神的健康に対する懸念の高まり 国連人口基金(UNFPA)の元副事務局長で、パスファインダー・インターナショナルの元CEOを務めたプルニマ・マネ博士は、IPSの取材に次のように語った: 「米国による国連機関からの脱退や財政的削減は、加盟国にとっても、職員にとっても、非常に懸念される問題です。それは、精神的健康に影響を与え、困難な業務に最善を尽くす能力を低下させてしまいます。」 世界が多くの混乱に直面している今、国連には大きな期待が寄せられているが、資金削減はその対応能力を著しく損なうと彼女は指摘する。 「その中で、職員の福祉に取り組む国連関連団体が、メンタルヘルスの重要性に注目していることは安心材料です。」とマネ博士は評価する。 また、SMC XIIIが4月上旬に開かれたこと、そこでも財政危機と人員削減が大きなテーマとして取り上げられたことにも言及し、「不透明さが状況を一層困難にしている。」と強調した。 「米国が国連を投資に値しないと見なしたままで、方針に変更がなければ、行動面での麻痺が深刻化し、職員の精神的健康や職務遂行能力に大きな代償をもたらすでしょう」とマネ博士は警鐘を鳴らす。 財政危機と米国の滞納金 2024年時点で、国連事務局には世界467拠点に35,000人以上の職員が在籍し、その国籍は190カ国以上に及ぶ。国連ファミリーは、約100の機関、基金、プログラムから構成されている。 しかし、財政危機は加盟国による分担金の未納や遅延も一因だ。2025年4月30日時点で、分担金を全額納付した加盟国は193カ国中わずか101カ国にとどまる。 国連のステファン・ドゥジャリク報道官は4月28日、「削減にもさまざまな種類があるが、最も深刻なのは人道・開発パートナーに対するものです。資金が途絶えれば、そのプログラムは即座に停止せざるを得ません。」と語った。 グテーレス事務総長も、「現在は流動性危機に直面しており、委託された資金を最大限責任ある方法で管理している。」と述べている。 米国は最大の滞納国 現在、最大の滞納国は米国であり、通常予算の22%、PKO予算の27%を負担する最大拠出国でもある。 米国が国連に滞納している金額は、通常予算で15億ドル。PKO予算や国際法廷への分担を含めると、その総額は28億ドルに上る。 2025年の通常予算は37億1,737万9,600ドルで、2024年の36億ドルから約1,300万ドル増加している。米国に次ぐ第2の拠出国は中国で、通常予算の18.7%を負担している。 主要な拠出国は以下の通り: 米国 中国 日本 ドイツ フランス 英国 イタリア カナダ ブラジル ロシア UN80イニシアチブと職員参加 UNSUは、UN80イニシアチブが職員の勤務条件に大きな変化をもたらす可能性があると指摘している。 「変化の全容はまだ不明だが、共通制度の中で起きている同様の課題に関する報道が続く中で、職員にとってストレスや不安の要因となっている」と職員組合は述べている。 UN80イニシアチブでは、職員からの意見を受け付ける「提案箱」も設置されており、5月1日までに提案の提出が求められている。 「現場で日々働いている皆さんからこそ、有効な解決策が生まれると私たちは信じています。ぜひUN80だけでなく、職員組合にも提案をお寄せください」とメモは呼びかけている。 提案は以下のメールアドレスで受け付けている:newyorkstaffunion@un.org UNSUは、「効率と改善」「任務の履行」「プログラムの再編成」という三つの柱における意思決定に職員が幅広く関与する重要性を、再度強調している。(原文へ) INPS Japan/IPS UN Bureau Report 関連記事: 第2期トランプ政権:多国間主義と国連への試練(アハメドファティATN国連特派員・編集長) |米国|国際援助庁(USAID)の閉鎖は世界の貧困国を危険にさらす恐れ 国連は80年の歴史で最大の危機に直面しているのか?

AIによる「情報汚染」から選挙を守れという呼びかけ

【国連IPS=ナウリーン・ホセイン】 人工知能(AI)の普及は、情報の流れやアクセスのあり方を変化させており、表現の自由にどのような影響が及ぶかという点で、広範な影響をもたらしている。国家レベルおよび地方レベルの選挙では、AIが有権者や選挙キャンペーンに与える影響の大きさと、悪用される脆弱性が顕在化しやすい。人々が制度や情報に対して懐疑的になる中、政府やテック企業は、選挙期間中における表現の自由を守る責任を果たす必要がある。 今年(2025年)の「世界報道自由デー」(5月3日)は、AIが報道の自由、情報の自由な流通、そして情報と基本的自由へのアクセスに与える影響に焦点を当てた。AIは誤情報・偽情報の拡散や、オンライン上のヘイトスピーチの助長といったリスクを伴い、選挙の文脈では、言論の自由やプライバシーの権利を侵害しかねない。 同時に開催された世界報道自由グローバル会議2025の関連イベントでは、国連教育科学文化機関(UNESCO)と国連開発計画(UNDP)が共同で発表したブリーフィングペーパーが紹介され、AIの影響と、選挙における表現の自由を巡るリスクと可能性について論じられた。 UNDP人間開発報告室のペドロ・コンセイソン所長は、情報アクセスに影響を与える「レコメンド・アルゴリズム」の役割について、「その仕組みは極めて複雑で、かつ新しいものであり、さまざまな利害関係者の視点を集める必要がある」と述べた。 選挙が信頼性と透明性を持って実施されるには、表現の自由の保障が不可欠である。この自由と情報アクセスがあることで、市民の関与や討論が可能になる。各国は国際法上、表現の自由を尊重し保護する義務を負っているが、選挙期間中にはその責務の実行が困難になる場合もある。AIへの投資が拡大する中で、選挙に関わるさまざまな主体がAI技術を利用している。 選挙管理機関は、有権者に投票方法などを伝える責任があり、SNSなどを通じて情報を迅速に届けるためにAIを活用することがある。また、AIは広報戦略や意識啓発、オンライン分析・リサーチの分野でも用いられている。 ソーシャルメディアやデジタルプラットフォームでは、親会社が生成AIの統合を進めており、コンテンツモデレーションにもAIが使われている。しかし、利用者の滞在時間やエンゲージメントを優先するあまり、情報の健全性が損なわれているリスクもある。BBC Media Actionのシニア・リサーチマネージャーであるクーパー・ゲートウッド氏は、「特に若者はソーシャルメディアを主な情報源としている」と述べた。 ゲートウッド氏が紹介したインドネシア、チュニジア、リビアでの調査では、偽情報・誤情報に日常的に触れていると答えた人はそれぞれ83%、39%、35%にのぼった。一方で、「拡散のスピードが真偽より重要」と考える傾向もチュニジアやネパールで見られたという。 「こうした調査結果は、選挙や人道危機、情報の入手が困難な状況下において、AI生成の偽情報が迅速に拡散されることで、深刻な被害をもたらす可能性があることを示しています」とゲートウッド氏は警鐘を鳴らした。 AIは選挙の健全性に複数のリスクをもたらす。まず、技術基盤が国によって大きく異なること。特に開発途上国では、AIの活用も、その規制や対応にも限界がある。UNESCOの『デジタル・プラットフォームのガバナンスに関するガイドライン』(2023年)や『AI倫理に関する勧告』(2021年)は、人権と尊厳の保護を軸とした政策的指針を提供している。 UNESCO報道の自由・ジャーナリストの安全担当の選挙プロジェクトオフィサー、アルベルティナ・ピテルバーグ氏は、「デジタル情報を白黒つけるように単純化して語るのはますます難しくなっている」と語り、「マルチステークホルダー・アプローチの重要性」に言及した。政府、テック企業、投資家、学術機関、メディア、市民社会などが協力し、キャパシティビルディング(能力構築)を通じて共通認識を築く必要があるという。 「私たちはこの課題に、人権尊重に基づき、平等な方法で取り組む必要があります。どの選挙もどの民主主義も重要です。商業的な利益やその他の私的利益よりも、それを優先すべきです」とピテルバーグ氏は語った。 チリ選挙管理委員会のパメラ・フィゲロア委員長は、AIによる「情報汚染」が政治参加における非対称性を生み出し、制度や選挙プロセス全体への信頼を損なうリスクを指摘した。 情報の複雑さはAIによってさらに増しており、「ディープフェイク」をはじめとするAI生成コンテンツが、候補者の信用失墜や政治的混乱に使われている。こうした技術は一般市民にも容易にアクセス可能となっており、その悪用が懸念される。 AIモデル自体が人間の偏見や差別を反映することもある。特に女性政治家は、性的に描写されたディープフェイクなどの嫌がらせやサイバーストーキングの被害を受けやすく、それが政治参加を阻む要因にもなっている。 とはいえ、AIは表現の自由を促進する機会も提供している。ブリーフでは、情報の健全性を保つための多様な利害関係者の関与と、戦略的コミュニケーションの必要性が指摘された。信頼できる選挙のためには、メディア、市民社会、テック企業が連携し、メディア・リテラシーの強化に取り組むことが求められている。 デジタルプラットフォームにも、選挙文脈でAIに対する保護措置を講じる責任がある。たとえば、選挙期間に適したコンテンツ監視への投資、選挙関連情報の推薦アルゴリズムの公共的利益の優先、リスク評価の公開、正確な情報の推進、選挙管理機関や市民団体との協議などが挙げられる。 AI、表現の自由、選挙の相互作用には、複数の立場からの連携と理解が不可欠であることが今回明らかになった。選挙に限らず、AIを人類のために活用するための方策として、今後の指針となる可能性がある。 UNDPで技術と選挙を専門とするアジャイ・パテル氏は、「AIツールはすでにすべての人のスマホに入り、ある意味で“無料”です。では、それがどこへ向かうのか?何が起こるのか?善にも悪にも、どんな革新が生まれるのか?」と問いかけた。(原文へ) INPS Japan/IPS UN Bureau Report 関連記事: 国連、新型コロナ関連の情報汚染と闘うためのグローバルイニシアチブを始動 国連事務総長、誤った議論や嘘を正すべきと熱心に訴える

弁護士から活動家へ──児童婚根絶の運動を率いたブワン・リブー氏が表彰される

【ニューデリーIPS=ステラ・ポール】 ブワン・リブー氏は、もともと子どもの権利活動家になるつもりはなかった。しかし、インドで数多くの子どもたちが人身売買され、虐待され、児童婚を強いられている現実を目の当たりにし、沈黙を選ぶことはできなかった。 「すべては“失敗”から始まりました。」とリブー氏は語る。「助けようとはしていましたが、問題を止めることはできなかった。そのとき気づいたのです──この問題は社会正義ではなく、刑事司法の問題なのだと。そして、解決には包括的で大規模なアプローチが必要だと。」 現在、リブー氏は世界最大級の子どもの権利保護ネットワーク「ジャスト・ライツ・フォー・チルドレン(Just Rights for Children)」を率いている。児童婚や人身売買と闘い続けてきた功績により、同氏はこのたび世界法曹協会(World Jurist Association)から名誉勲章を授与された。授与式は、ドミニカ共和国で開催された世界法律会議(World Law Congress)にて行われた。 しかし、リブー氏にとってこの賞は「栄誉」ではなく「責任の証」だ。「この賞は、世界が注目していること、そして子どもたちが私たちに希望を託しているということの証なのです」と、授賞後初のインタビューでIPSにの取材に対して語った。 原点─1つの会議が人生を変えた 弁護士としての訓練を受けたリブー氏の道のりは、長く困難ながらも輝かしいものだった。そのきっかけは、インド東部ジャールカンド州で開かれた小規模なNGOの会合だった。ある参加者が発言した──「私の村の少女たちがカシミールへ連れて行かれ、結婚相手として売られています。」 その一言が、リブー氏の心を強く打った。 「そのとき気づいたのです──州境を越える問題を、1人や1団体で解決するのは不可能だと。」そこで全国的なネットワークづくりを始めた。 こうして「児童婚のないインド(Child Marriage-Free India/CMFI)」キャンペーンが誕生。数十の団体が次々に加わり、その数はやがて262団体に拡大した。 これまでに2億6千万人以上がこのキャンペーンに参加。インド政府も「バル・ビバフ・ムクト・バラト(Bal Vivah Mukt Bharat/児童婚ゼロのインド)」という国家ミッションを立ち上げた。 現在、村や町、都市の至る所で「児童婚ゼロのインド」に向けた声が上がっている。 「かつては不可能と思われていたことが、今や手の届くところまで来ています」とリブー氏は語る。 法廷での戦い 弁護士であるリブー氏にとって、法律は強力な武器である。 2005年以降、彼はインドの裁判所で多数の重要な訴訟を提起し、勝訴してきた。これにより、児童人身売買の法的定義が明確化され、行方不明児童の届け出に対する警察の義務化、児童労働の刑事罰化、被害者支援制度の整備、有害な児童性的コンテンツのネット上からの削除など、数々の改革が実現した。 特に大きな転換点となったのは、「行方不明の子どもは、人身売買の可能性があるとみなすべきだ」と裁判所が認めたこと。この判断により、行方不明の児童数は11万7480人から6万7638人へと大幅に減少した。 「これこそが“行動する正義”の姿です」とリブー氏は語る。 宗教指導者の協力を得る CMFIの最も画期的な取り組みのひとつは、宗教指導者への働きかけだった。 「なぜなら、どの宗教であれ、結婚を執り行うのは宗教指導者だからです。彼らが児童婚を拒否すれば、習慣そのものが止まるのです。」 キャンペーンのメンバーは全国の村々を訪れ、ヒンドゥー教の僧侶、イスラム教のウラマー、キリスト教の神父や牧師などに「児童婚は行わず、見かけたら通報する」という誓約を促した。 その効果は絶大だった。例えば結婚が多く行われる吉日「アクシャヤ・トリティヤ(Akshaya Tritiya)」でも、寺院が児童婚を拒否するようになった。 「信仰は、正義のための大きな力になり得るのです。宗教の教義も、子どもたちの教育と保護を支持しています」とリブー氏は話す。 世界へ広がる運動 このキャンペーンはもはやインド国内にとどまらない。2025年1月にはネパールがこの動きに触発され、「児童婚ゼロ・ネパール」イニシアチブをカドガ・プラサド・シャルマ・オリ首相の支持のもと開始。全7州が参加し、児童婚撲滅に取り組んでいる。 さらに、この運動はケニアやコンゴ民主共和国など39カ国へと広がっており、国境を越えた子ども保護のための法的ネットワーク創設への機運が高まっている。 「法制度は国や地域によって異なっていても、“正義”の理念は同じでなければなりません」と語るリブー氏は、2冊の著書『Just Rights』『When Children Have Children』の中で、PICKETと呼ばれる法的・制度的・倫理的枠組みを提唱している。「叫ぶだけではなく、子どもたちを日々守るためのシステムを築くことが必要なのです。」 犠牲と希望 リブー氏は、将来有望だった弁護士としてのキャリアを捨てた。当初は理解されなかったという。 「周囲から“時間の無駄だ”と言われました。でもある日、息子がこう言ったんです──“たったひとりでも救えたら、それで十分じゃない?” それが私にとってすべてでした。」 彼は“ガンディー的信託主義”──つまり、自分の才能や特権を、最も支援を必要とする人のために使うべきだという考えを信じている。 「私がイラクやコンゴで児童婚と闘うことはできないかもしれません。でも、必ず誰かが立ち上がります。そして私たちは、その人のそばに立ちます。」 勲章は“より大きな使命”への扉 世界法曹協会の勲章は単なる栄誉ではない。リブー氏にとってそれは“舞台”である。 「この賞が伝えているのは、『変化は可能だ』『すでに変化は始まっている』というメッセージです。共に歩もう、という呼びかけなのです。」 この受賞をきっかけに、新たなパートナーとの協力が広がり、活動地域もさらに拡大できることを期待しているという。 「2024年だけで2.6万件以上の児童婚が阻止され、5万6千人を超える子どもたちが人身売買や搾取から救出されました。これが、夢物語ではない“現実の変化”なのです。」 2030年までに、インドにおける児童婚の割合を5%未満に抑えることが目標だ。 しかし、世界にはまだ多くの課題が残っている。イラクでは10歳の少女が結婚できる法制度があり、米国でも35州で一定の条件下における児童婚が合法である。 「正義は“一時的”ではいけない。世界のどこであっても、“日常の一部”でなければならないのです。“正義”がただの言葉で終わらないように──それが私たちの使命です。」(原文へ) INPS Japan/IPS UN Bureau Report 関連記事: 国連、北朝鮮で横行している脱北女性達に対する人権侵害を告発 コロナ禍、気候変動、不処罰と人身売買を悪化させる紛争 |ネパール・インド|「性産業」犠牲者の声なき声:売春宿から1人でも多くの犠牲者を救いたい

開発援助が縮小する時代のフィランソロピー

効果が実証された出産前の栄養投資に集中すべきであり、即効性のない華やかな多部門型プランではない 【カトマンズNepali Times=ウィリアム・ムーア】 公的援助に代わってフィランソロピー(慈善活動)がすべてを担うことはできない。しかし、正しく活用すれば、きわめて力強い原動力となる。 現在、世界的な開発資金は逼迫しており、欧州各国では援助予算が防衛や再軍備に振り向けられ、米国は対外援助の在り方を根本から見直している。こうした中で、援助関係者は苦境に立たされている。 これに対する反応は、主に2つのタイプに分かれる。一つは、フィランソロピーがその穴を埋めるべきだという声。もう一つは、援助から後退する政府を倫理的に非難する立場だ。だが、残念ながら前者は非現実的であり、後者は効果が薄い。 民間の寄付だけで世界規模の課題を解決することはできず、政治家に「あなたたちは道徳的に破綻している」と言っても、味方を増やすことにはつながらない。むしろ、政策決定者の立場に寄り添い、議論の焦点を明確にし、実際に効果のあることに集中する必要がある。 厳しい現実を言えば、多くの政府開発援助(ODA)は、成果よりも手続き重視で設計されており、その多くは「効果」ではなく「体裁」を優先している。フィランソロピーも例外ではない。 私たちエリノア・クルック財団の初期段階では、すべての栄養不良の原因に同時に取り組むという包括的で多部門型のアプローチに資金を提供していた。しかし、その結果は期待外れだった。理論的には魅力的に見えても、栄養不良の改善にはほとんどつながらなかった。 その失敗から学び、私たちは方針を転換した。現在は科学的根拠が確立されており、短期間で効果が見込める領域に絞って資金提供している。 科学的に証明されたシンプルな介入:妊婦向けマルチビタミン 先日パリで開催された「Nutrition for Growth(N4G)」サミットで、私たちは5000万ドルの資金提供を発表した。他のドナーからの2億ドルとともに、妊婦向けマルチビタミン(MMS)の拡充に充てられる。これは10億ドル規模の世界的ロードマップの一環であり、世界中どこに住んでいても妊婦がこのサプリメントにアクセスできるようにすることを目的としている。 この分野における科学的知見は明確である。MMSは、現在も多くの低所得国で使用されている鉄分・葉酸(IFA)タブレットの改良版であり、15種類の栄養素を1錠にまとめて摂取できる。これにより、妊婦の貧血、死産、低出生体重が劇的に減少する。 経済的リターンも高く、1ドルの投資に対して37ドルの効果が見込まれ、乳児死亡率は最大3分の1減少するとされる。 解決策はある、必要なのは意志だけ 母体の健康格差は深刻である。ロンドンでは、妊婦は日常的に包括的なビタミンを受け取るが、ラゴスでは鉄・葉酸すらもらえないことがある。この差は知識の有無ではなく、投資する意志の違いに過ぎない。解決には科学的なブレークスルーは不要で、すでに証明された手法への投資が求められている。 20年以上にわたる研究、ランセット誌の3本の論文、世界銀行の複数の投資報告書は、効果が立証されながらも慢性的に資金が不足している約10の栄養介入策を指摘してきた。それらは、派手な理念的構想ではなく、今すぐ導入できるシンプルで実証的な取り組みである。 例えば、 母乳育児支援 ビタミンAの補給 妊婦へのMMS提供 重度栄養不良の子ども向けの特別食(RUTF) などが含まれる。これらの対策を、栄養不良率の高い9カ国で拡大すれば、5年間で少なくとも200万人の命を救えると試算されている。必要な資金は年間わずか8億8700万ドルに過ぎない。 小さな投資で、大きな命を救う 2023年だけでも、栄養不良は世界の子どもの死因としてトップとなり、約300万人が命を落とした。これらの死は「避けられない悲劇」ではない。予測可能で、しかも防止にかかる費用はわずかである。 宇宙旅行に何百万ドルも費やす世界で、2ドルのビタミンを妊婦に提供できない理由はない。 今回のN4Gサミットは、五輪と連動して開催されてきたサミット・シリーズの最後となるかもしれない。次回の開催国となる米国は、この伝統を引き継がない可能性を示唆しており、今回パリで表明されたコミットメントは一層の緊急性を帯びている。今や、あいまいな誓約や政治的ポーズでは済まされない。 私たちは、各国政府に過去のような予算規模で援助せよと求めているのではない。残されたODA予算を、効果が証明された対策に的確に使ってほしいと訴えているのだ。 たとえば、MMSへの控えめな投資でさえ、G7各国が防衛費に費やす1週間分の支出未満で、60万人の命を救うことができる。 予算が限られていても、私たちには何百万もの命を救う可能性がある。だがそれは、「あれもこれもやろう」とするのではなく、「正しいことをやる」ことに集中したときに初めて実現する。(原文へ) ウィリアム・ムーア氏は、エリノア・クルック財団CEO、栄養強化基金「Stronger Foundations for Nutrition」議長を務めている。 INPS Japan/Nepali Times 関連記事: トランプ大統領の初月:情報洪水戦略 巨大慈善団体は開発問題にどう影響を与えているか ナイジェリアで急増する栄養失調、緊急対応が必要

ハイチ中部県で武装ギャングの支配拡大

【国連IPS=オリトロ・カリム】 2025年3月下旬、ハイチ中部県のミルバレ(Mirebalais)およびソードー(Saut d’Eau)で発生した一連の凄惨な衝突の後、現地のギャングが両コミューンを掌握し、住民の避難と治安悪化が深刻化している。これは、ポルトープランス首都圏以外にも武装勢力の支配が拡大し続けていることを示しており、ハイチにおける人道状況の悪化が続いている証左である。 5月2日、ホワイトハウスは「ヴィヴ・アンサム(Viv Ansamn)」および「グラン・グリフ(Gran Grif)」という2つのギャング組織をテロ組織に指定し、ハイチの問題の根幹にはこれらのグループの活動があると断定した。マルコ・ルビオ米国務長官は、「これらのギャングは、違法取引やその他の犯罪活動が自由に行われ、国民を恐怖に陥れる“ギャング国家”の樹立を最終目標としている」と述べ、こうした指定は対テロ対策として極めて重要であり、彼らへの支援や取引には、ハイチ国民のみならず米国永住者や米国市民も制裁の対象となる可能性があると警告した。 国連児童基金(UNICEF)は4月29日、首都圏および中部県の状況に関する報告書を発表した。それによると、4月初旬に発生した襲撃で、ミルバレの刑務所から515人以上の囚人が脱走。民間人の死者が相次ぎ、略奪や警察署の破壊も確認されている。4月25日には、中部県の治安回復を目指して法執行機関による作戦が実施され、8名の武装者が死亡、3丁の銃が押収されたが、ギャングの根絶には至らなかった。 さらに、ハイチ当局は、ヴィヴ・アンサムがラスカオバス(Lascahobas)と接するデヴァリュー(Devarrieux)地区の掌握を試みていると警告している。UNICEFによると、中部県でのギャング活動の激化により、人道支援団体の活動にも深刻な支障が出ており、ヒンチェ(Hinche)とミルバレ、ラスカオバス、ベラデール(Belladère)を結ぶ道路の一部が封鎖されている。一方で、ヒンチェとカンジュ=ブーカン=カレ(Cange-Boucan-Carré)間は比較的安全とされ、支援物資の輸送が許可されている。 国際移住機関(IOM)の統計によると、2023年に敵対行為が激化して以来、国内避難民は100万人を超えた。中部県ではおよそ5万1千人が避難しており、そのうち2万7千人が子どもである。また、IOMの報告では、ドミニカ共和国によるハイチ人の国外追放が大幅に増加しており、ベラデールおよびオアナミンテ(Ouanaminthe)といった国境地域で、2025年4月だけで2万人以上が送還された。これは今年最大の月間記録である。 人道団体は、女性、子ども、新生児など、特に脆弱な立場にある人々が多く含まれていることから、これらの強制送還に懸念を示している。IOMのエイミー・ポープ事務局長は「ハイチの状況は日に日に悪化しており、強制送還とギャングによる暴力が、すでに脆弱な現地社会をさらに悪化させている」と述べた。 また、避難所の状況も深刻で、IOMによると、現在1万2500人以上が95ヵ所に設置された避難所に分散しているが、その多くには食料、水、医療といった基本的なサービスすら行き届いていない。ミルバレでのギャング活動の激化により、ベラデールは事実上、他地域から孤立した状態にある。IOMハイチ代表のグレゴワール・グッドスタイン氏は、「これは首都圏を超えて拡大する複合的な危機であり、国境をまたぐ追放と国内避難がベラデールのような地域で収束している。支援活動の関係者自身も、救援を必要とする人々と共に閉じ込められてしまっている。」と危機感を示した。 ハイチの医療制度も、暴力の激化により崩壊寸前である。米州保健機関(PAHO)によると、首都ポルトープランスでは42%の医療施設が閉鎖中であり、国民の約5人に2人が緊急医療を必要としている。 さらに、性的暴力も蔓延している。国連の統計によれば、これまでに333人以上の女性や少女がギャングによる性暴力の被害を受けており、その96%が強姦である。人身売買や少年兵への強制徴用もポルトープランスで頻発している。 複数の分野にわたる資金不足が、ハイチの人々が生き延びるために必要な資源へのアクセスを困難にしている。構造的な障壁や社会的タブーのために、加害者が処罰されることは少なく、暴力の多くが見過ごされている。 国連人道問題調整事務所(OCHA)によると、ハイチの2025年人道支援計画に必要な9億0800万ドルのうち、実際に集まったのはわずか6100万ドルで、支援充足率は7%未満にとどまっている。国連およびパートナー団体は、急速に悪化するこの危機への対応のため、各国に緊急の支援拠出を呼びかけている。(原文へ) INPS Japan 関連記事: 移民の国が多数の難民と庇護申請者を強制送還 |ハイチ|報告書が明らかにする震災後の「サバイバルセックス」の実情 国連は80年の歴史で最大の危機に直面しているのか?

ヒマラヤの栄光とリスク

2025年春、記録を追い求める登山隊が続々とヒマラヤへ 【カトマンズNepali Times=ヴィシャド・ラジ・オンタ】 2025年春の登山シーズンが始まり、ヒマラヤの山々における栄光とリスクの微妙な均衡を、早くも思い知らされる事態が起きている。 エベレストは例年どおり最大の注目を集めているが、初登頂から75周年を迎えるアンナプルナでも記録的な数の登山隊が集結しており、カンチェンジュンガの初登頂から70周年となる節目も、多くの登山者に記憶されている。 しかし、気候変動によって一層深刻化しているヒマラヤ登山の危険性が、アンナプルナでの2人の有望な若手高所ガイドの悲劇的な死によって、あらためて突きつけられた。 エベレストはエベレストであるがゆえに、多くの登山者を引きつける。今年すでに22隊、約220人の外国人登山者とガイドがベースキャンプに到着しており、今後その数は450人を超え、2023年の外国人登山者478人という過去最高記録を更新する可能性もある。 登山許可証の料金がこの秋から1万1000ドルから1万5000ドルに引き上げられることもあって、許可証の需要が高まっているようだ。しかし、4000ドルの値上げが登山者数の抑制、すなわちリスクの低減にはつながらないと見られている。 ネパール政府観光局では、登山許可証の発行は毎年4月上旬から開始されるが、登山者たちは数年前から準備を始めているため、これには不満も多い。「これが現在の制度なのです。登山者がネパール到着時にすべての書類が揃っていることを確認したいのです。」と、観光局のゴマ・ライ氏は語った。 エベレストではすでに氷河の危険地帯クンブ・アイスフォールに最初のアタックが始まっているが、他のヒマラヤの峰々でも活動は活発だ。標高8485メートルのマカルーでは、すでに登頂に成功したチームも出ている。4月10日にはロープ固定を担当した10人のガイドが、世界第5位の高峰の頂上に到達した。 標高8586メートルで世界第3位のカンチェンジュンガには、インド隊が2隊入っており、インド側からの登山が認められていないため、ネパール側からのアプローチとなっている。その1隊は、エベレストを3度制覇したランヴィール・シン・ジャムワル大佐が率い、「ハル・シカール・ティランガ(すべての州の最高峰にインド国旗を掲げる)」キャンペーンの最後の行程に挑んでいる。 “カンチ”の北壁は天候が読めず技術的にも困難なため、非常に危険である。1953年以来エベレストには1万2884回の登頂がある一方で、カンチェンジュンガは70年でわずか250回の登頂しか記録されていない。 アンナプルナでは4月6~7日にかけて45人が登頂に成功したが、天候の悪化により事態は一変した。7日には雪崩が発生し、ニマ・タシ・シェルパとリマ・リンジェ・シェルパの2人が命を落とした。ともにロープで結ばれていたペンバ・テンドゥク・シェルパは奇跡的に生還した。 「家よりも高い巨大な雪崩でした」と、ペンバは振り返る。「私とクライアントはセラックの真下にいて助かりました。2人が巻き込まれたことに気づきましたが、発見できませんでした。」 4日間にわたりヘリ2機を使って捜索が続けられたが、遠征会社セブンサミット・トレックはついに捜索の打ち切りを決定した。ニマ・タシは、前年エベレストで身動きの取れなくなったマレーシア人登山者を標高8400メートルから背負って救出し、国際的な注目を浴びた“無名の英雄”だった。 しかし今回、アンナプルナでは彼とリマ・リンジェの2人の命が尽きた。セブンサミットは声明で「我々が誇る2人の優秀なシェルパガイドを失いました。これだけの時間が経過した氷の下では生存の可能性はなく、捜索の継続は他のシェルパの命を危険にさらす行為です」と述べた。 アンナプルナは、過去75年間でヒマラヤの峰の中でも最も致死率が高く、登ろうとした者の3人に1人が帰らぬ人となっている。今年も北壁のクレバスが多すぎてロープが足りず、落石や雪崩も例年以上に頻発した。 南アフリカの登山者ジョン・ブラックは、この雪崩に巻き込まれる寸前だった。彼は第3キャンプを出発して間もなく登頂を断念した。 「直感という人もいれば、計算だという人もいますが、私は不安を拭えませんでした」とブラックは語る。実は彼は雪崩に巻き込まれた2人のシェルパと直前にチョコレートを分け合っていた。「これは、リスクが現実であること、そして状況が一瞬で変わることを突きつける警告です。」 この雪崩の後、緊急事態でないにもかかわらず、一部の登山者がヘリで北壁から撤退したことには批判も集まっている。 近年のヒマラヤ登山では、未熟な登山者が増加しており、自身のみならずガイドや他の登山者にも危険を及ぼしている。苦しいときに撤退の判断ができない者も多い。 「アイゼンを使いこなせない人もいれば、岩や氷を登る基本的な技術すら身に付いていない人もいました」とブラックは言う。「技術がないうえに、動きが遅く、困難な地形で効率的に進むことができないのです。アンナプルナのような山では、スピードこそが危険にさらされる時間を減らす唯一の手段です。」 この傾向に拍車をかけているのが、SNSを通じた即時満足への欲求だ。ヒマラヤ登山の本来の挑戦は、「インスタグラムの登頂自慢」へと変質し、遠征会社も顧客の希望に応じざるを得なくなっている。 もう一つの論争を呼んでいるのは、イギリス軍退役兵による4人組の登山隊である。彼らは登山前にキセノンガスを吸引して赤血球の増加を図っており、「実験」とされているが、これはアンチ・ドーピング機関が禁止しているパフォーマンス向上手段である。 スリランカのIT技術者ディマンタ・ディラン・テヌワラは、美しいアマ・ダブラム登頂を目指している。スリランカとネパールの国旗を山頂に掲げ、ネパールの民族衣装ダウラ・スルワルを着て登る予定だ。「南アジアの団結による繁栄」というメッセージを伝えたいという。 テヌワラは、2004年のスリランカ津波で父親を亡くした元“甘やかされた子ども”だった。その悲劇が、彼の登山の原動力となっている。 「この遠征は、20年前に始まった私の使命です」と語るテヌワラは、自立のために技術学校に通い、自ら資金を工面してこの旅に臨んでいる。アマ・ダブラムは、年内に計画しているK2遠征の準備でもある。 注目すべき遠征のもうひとつは、スロバキアのピーター・ハモールとイタリア人カップルのニヴェス・メロイ&ロマーノ・ベネットのチームで、カンチェンジュンガ山塊の7590メートル峰ヤルンピークで新ルート開拓を試みている。 また、イギリス人2人によるチームはすでにエベレスト・ベースキャンプに入り、ローツェフェイスを登ったのち、ウィングスーツで山から飛び降りる挑戦を再び試みようとしている。(原文へ) INPS Japan/Nepali Times 関連記事: 雨漏りする屋根: 「アジアの世紀」脅かすヒマラヤ融解 ヒマラヤ山脈の氷河、融解速まる ネパールのエネルギー転換に適した環境

小規模農家は「受益者」ではなくより良い未来を創るパートナーだ

【ナイロビIPS=ナウリーン・ホセイン】 エリウド・ルグットさんは何世代にもわたる農家の家系に生まれたが、家族は彼が家を出て別の職業に就くことを期待していた。彼は経済学を学び、ビジネスやマーケティングの仕事に就いたが、COVID-19パンデミックで職を失い、実家に戻ることになった。そして彼は、家族の農場の生産性を立て直したいと考えた。 粟、ソルガム、トウモロコシなどを育てていた農場は、長年で生産量が60%も減少していた。これは家族にとって深刻な打撃であり、その原因の一部は気候変動による土壌劣化や害虫被害にあった。また、両親が同じ種と農法を何年も変えずに使い続けていたことも一因だった。 「母は新しいアイデアに前向きでした」とルグットさんは語る。母の後押しで、父から1エーカーの土地を借りることができた。父は当初、収入源が減ることを理由に強く反対したが、最終的には認めた。ケニアのルグットさんの地域のように、男性が土地の所有や使用において大きな権限を持つ社会では異例のことだった。 この1エーカーの土地で、ルグットさんは温室を建て、自身の農法や技術、新しい種を導入した。ピーマン、在来野菜、果物など、家族が育てていた穀物とは異なる季節に育つ作物を栽培したところ、大きな成果を上げ、収益も大幅に増加した。父は最初その結果が信じられず、夜中に何度も温室の周りを歩いて確認したという。 また、ルグットさんは父のためにYouTubeの農業動画を見せ、他の農家の事例を共有することで父の意識も徐々に変わっていった。 ルグットさんはこうした経験を活かし、現在は小規模農家向けにスマート技術を搭載したサイロを製造・販売する「Silo Africa」の共同創業者として活躍している。これは家族の農場で害虫やコクゾウムシによる被害を防ぐための工夫が原点となっている。現在はケニア国内だけでなく、アフリカ全土への展開を目指している。 2022年、ルグットさんは潘基文世界市民センター(BKMC)の「ユース・アグリ・チャンピオンズ・プログラム」に参加し、それが人生の転機となったという。食と農業に関する気候対策やインパクトの拡大について学ぶ中で、仲間たちと土地所有の問題や農業実践について共通の課題を共有し、ベストプラクティスを分かち合った。 最も重要だったのは、BKMCが「自分たちの声を届ける場を与えてくれたこと」だとルグットさんは語る。「私たち若者には、声を上げる機会がこれまでなかったのです」と。 彼はCOP28などの国際会議にも参加し、世界の指導者や学者、政策立案者たちと同じ舞台で意見を述べることができた。初めは緊張したが、若い農業者も「自分たちの課題を伝えることができる」と知った。そして、その視点には重みがあると確信した。 小規模農家についての誤解を払拭できたことも嬉しかったという。農家は「学ぶ意欲がある」。気候変動の影響を受けながらも、既に適応の努力を重ねている。ただし、必要なのは「情報へのアクセス」であり、研究者たちにはその情報を現場に届く形で「翻訳」してほしいと訴える。 毎年、ユース・アグリ・チャンピオンズは国連気候変動会議で「要求文書(デマンドペーパー)」を提出し、気候資金の増加、能力開発、気候スマート技術へのアクセス拡大を求めている。「この文書が、そして私たちの代弁者が、私たちの声となってくれている。」とルグットさんは語った。 ただし、国連気候変動会議や国際農業研究機関(CGIAR)の科学週間などの場でも、農業の研究や支援を行う団体の関与はあるものの、当事者である農家──「受益者」と呼ばれる人々の参加はまだ少ない。発表される研究や解決策は、技術的な専門用語で語られ、一般の農家には届きにくいとルグットさんは指摘する。 「研究者、科学者、ドナーにしかわからない言葉で語られている。」と彼は言う。「だが、技術を必要とする当事者──“受益者”と呼ばれている人々──は、その場にいない。十分とは言えないが、これが私たちの出発点だ。」 「若者として、小規模農家として、私たちは『受益者』として見られがちです。しかし、私たちは単なる受益者ではなく、『より良い未来を創るパートナー(共に変革を担うパートナー)』です。私たちは非常に革新的であり、この業界のさまざまな関係者と対等な立場で協力し、農業をより良くしたいと考えています。」 農家を「解決策を待つ存在」と見なすのは危険だ。なぜなら、実際には現場の農家こそが日々革新し、貢献しているからだ。厳しい環境下で食料不安と向き合う彼らは、課題に最前線で取り組んでいる。 ルグットさんは、若い農家たちは食料安全保障をめぐる進歩と革新の担い手だと強調する。そのためには、政府、金融機関、農業関連のNGOなどのさらなる支援が必要だと語る。「大きなオフィスで働いている人たちは、毎日3食食べている。その3食を保証しているのは私たちだ。―それでも私たちは“受益者”なのだろうか? それとも変革の“担い手”なのか?」(原文へ) INPS Japan/ IPS UN BUREAU REPORT 関連記事: 国連の未来サミットに向けて変革を求める青年達が結集 プラスチックを舗装材に変えるタンザニアの環境活動家 |ジンバブエ|ペットボトルでレタス栽培

距離を置き、同志国との連帯を築くべき時か?

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。 【Global Outlook=ケヴィン・P・クレメンツ】 ホワイトハウスで行われたドナルド・トランプ、J・D・バンス、ウォロディミル・ゼレンスキーの会談は外交的な大失敗に終わり、主役たちの本性をあらわにした。会談は首脳レベルの政治的大喧嘩となり、多くの人はそれを、ホワイトハウスが米国の政治的協力関係を大幅に変更する口実を作るための不意打ち攻撃と捉えた。このような転換は、当然視されてきた長年の伝統ある同盟関係を弱体化させ、戦後のリベラルな国際秩序の土台を揺るがしている。それは法の支配を侵害し、われわれがルールに基づく国際協調と考えていたものに異議を唱えるものである。国連の役割、より広くは多国間主義の役割に対し、大きな疑問符を突き付けている。ニュージーランドのような小さな国が依存するこのような協調関係が損なわれたことで、19世紀さながらのなりふり構わぬ力に基づくナショナリズムが再び声高に主張されるようになった。(日・英)  特に米国民にとって、事態をさらに悪化させているのは、連邦政府の空洞化、大統領府への異常なまでの権力集中、生気のない骨抜きにされた共和党、分裂し麻痺した民主党、そして、2世紀以上にわたって米国を支えてきた法の支配とチェック・アンド・バランスの原理に対する日々の攻撃である。 それに加えて、そして恐らく米国の同盟国にとって極めて憂慮すべきことに、政権は明白な反ロシア的見解からロシアとの関係密接化へと突然大きく舵を切るとともに、伝統的な西側の友好国や同盟国と意図的に距離を置くようになった。大統領がウクライナに関連してロシア寄りのレトリックを用いたことを皮切りに、米国はウクライナのエネルギー供給網に対する支援を打ち切り、ウクライナに関する重要な国連決議においてロシア、北朝鮮、ベラルーシと手を組んだ。ロシアに対する国際的制裁にもかかわらず、トランプ大統領はロシアのG7復帰を提唱し、サウジアラビアでウクライナに関する米国・ロシア間の交渉を推進した。ホワイトハウスは数回にわたってプーチンに電話をかけたが、政府関係者はこれらの話し合いの内容を知らされていない。当初のウクライナへの軍事支援停止は、ゼレンスキーが停戦協定に署名した際に撤回されたものの、トランプが強制力を用いてロシアに味方する用意があることは明白だった。 戦争の終結を直接模索し、主要当事者に働きかけることの価値を認めることは重要だが、この戦争に真の安定した終結をもたらすためのトランプの手腕あるいは能力に対する信頼は、現在のやり方ではほとんど得られない。 特に、トランプは、外国代理人登録法に基づく外国代理人に対する主要な執行措置を廃止した。米国の選挙における外国の介入を取り締まる対策本部を解散した。司法省の制裁逃れ摘発ユニットや合衆国国際開発庁(USAID)を、最近では「ボイス・オブ・アメリカ」を閉鎖した。関税に関する常軌を逸した決定は言うまでもなく、これらの大統領令はいずれも、トランプ政権下の米国の外交政策が「アメリカ・ファースト」のみならず、トランプの極めて特異で利己的な利益追求の足かせとなる厄介な同盟の排除も基本方針としていることを示している。そしてこれまでのところ、トランプがウラジーミル・プーチンや他の独裁者に熱をあげるのを止めるものはない。 こういったこと全てが、ニュージーランドのような小規模国にとって、さらにはタスマン海を挟んだより大きな隣国にとっても、深刻な課題をもたらしている。パートナーシップで最も権力を持つメンバーが国連と民主主義の中核的価値を弱体化させている場合、もはや同盟の確実性はない。また、トランプがファイブ・アイズの解体を要求しており、ハッキングやロシア人への最高機密情報の海外漏洩を防ぐ基本的なサイバーセキュリティ対策を廃止してしまった状況で、保証されたインテリジェンス・セキュリティーはない。ウクライナ支援のために「有志連合」案が浮上しても、トランプ大統領はこれを気にかけることもなく、またウクライナ紛争の解決に向けてより公平なアプローチを取ろうという気にもなっていない。サウジアラビアがお膳立てした2国間の話し合いは、協調的な問題解決のための安全な環境を整えるというより、不利な条件を受け入れるようウクライナに圧力をかけることが目的だったようだ。 これがニュージーランドに意味するもの では、これによってニュージーランドはどうなるのか? 政権も野党も、この不確実な状況において防衛費を増額し、和平が訪れたら多国間の平和維持作戦に参加する準備をするようプレッシャーをかけられている。筆者の感じるところでは、トランプがもたらした外交政策のカオスはニュージーランドにとって、米国が権威主義寄りの政治体制に傾きつつある現状を踏まえて、われわれが米国とどこまで密接に連携することを望むかを深く考える機会である。 筆者は、今こそニュージーランドが冷戦時代の古い米国主導の同盟から距離を置き、どの国となぜパートナーを組むべきかについて批判的に考察するチャンスであると考える。第1に、世界平和度指数(GPI)のスコアが高い同志国との関係を深めるべきだと筆者は考える。2024年のGPIランキングを見ると、アイスランド、アイルランド、オーストリア、ニュージーランド、シンガポール、スイス、ポルトガル、デンマーク、スロベニア、マレーシア、カナダが最も平和度の高い国々であり、イエメン、スーダン、南スーダン、アフガニスタン、ウクライナ、コンゴ、ロシア、シリア、イスラエル、マリが最も平和度の低い国々である。現在暴力的紛争に巻き込まれている国々より、予測可能で信頼できる確実な協調的関与の基盤を構築したいのであれば、まずは上位10カ国に働きかけるのが良いだろう。 第2に、われわれと同じ民主主義的価値観や人権と法の支配に対する信念を持つ同志国の間で世界的議論を行い、時代遅れの冷戦構造のみに依存しない国際協力と集団安全保障の新たなビジョンにおいて、われわれはどのような未来を実現したいか、軍はどのような役割を果たすかを話し合う必要がある。 現状を維持し続けることができないのは明白である。トランプ政権がいずれは心を入れ替えるだろうと信じるふりをするならば、決して事を荒立てず、あるいは王様が服を着ていないことを指摘しないならば、われわれはトランプの有害なナルシシズムを助長し続けることになる。賢明な行動の道筋は、ワシントンから流れ出るカオスと不確実性に連帯して立ち向かうことができるよう、有志・同志国の戦略的連合を結成することである。ニュージーランドは民主主義のパートナーと協力し、多国間体制を回復するとともに、全ての人の平和と安全保障を促進するルールに基づく国際秩序の尊重を改めて築くために、積極的な策を講じなければならない。 ケビン・P・クレメンツは、戸田記念国際平和研究所所長である。ニュージーランド在住。 INPS Japan 関連記事: 一部の勢力を除き、世界の指導者らは多国間主義を支持 国連は80年の歴史で最大の危機に直面しているのか? カザフスタン、世界政策会議で多国間協力へのコミットメントを再確認

帰国した出稼ぎ労働者を襲う「静かな病」―腎不全という代償

【カトマンズNepali Times=ピンキ・スリス・ラナ・ダヌーサ】 ジャナクプルの南、インド国境近くにある村・フルガマでは、人口約4,500人のほとんどすべての世帯に、海外で働く息子がいる。 ネパールの20〜35歳の男性の約40%が、主にインド、湾岸諸国、マレーシアなどに出稼ぎに出ている。過去9カ月間だけで、741,297人が海外へと渡航しており、その多くがアラブ首長国連邦(UAE)、サウジアラビア、カタール、マレーシア、クウェートに向かった。この数字には学生ビザで出国した者やインドへの渡航者は含まれていない。 彼らの多くが就くのは、「3Kジョブ(汚い・危険・きつい仕事)=英語では3Dジョブ」であり、さらにもう一つのD、すなわち「脱水(dehydrating)」のリスクもある。 湾岸諸国の灼熱の砂漠やマレーシアの高温多湿な熱帯ジャングルでの屋外労働、粗末な食事、脱水、不健康な生活習慣は、ネパール人労働者に腎不全のリスクをもたらしている。特にダヌシャ郡は、インドや他国への出稼ぎ者の割合が極めて高い地域のひとつだ。 腎臓専門医は、腎臓病を「沈黙の殺し屋」と呼ぶ。症状が現れたときにはすでに手遅れであることが多く、出稼ぎ労働者は慢性腎臓病(CKD)や末期腎不全(ESRD)に特に罹りやすい。 安価な労働力への需要が高まり、出国前の健康教育が不十分なまま出稼ぎに出ることが、移住労働をより危険なものにしている。カトマンズとダヌシャの病院および透析センターの調査によれば、出稼ぎから戻った男性の腎不全リスクは、同年代の一般のネパール人男性よりも高い傾向にある。 「この病気は特定の原因によるものではない、つまり特発性(idiopathic)です」と、国立腎臓センターのリシ・カフレ医師は説明する。「ですが、湾岸諸国に向かう出稼ぎ労働者をスクリーニングし、その3~4年後に末期腎不全を発症している実例を見れば、出稼ぎ労働が腎臓病のリスクを高めることは明らかです」 カフレ医師はさらに言う。「彼らは収入を最大化しようとして、極度の暑さのなかで長時間働き脱水状態になります。水や野菜よりも、コカ・コーラや肉を選ぶ人が多いのも一因です」 腎不全のリスクは帰国した出稼ぎ労働者において高いが、生活習慣病、糖尿病、未診断の高血圧などにより、世界的にも患者数は増加している。 現在、ネパール政府の「貧困市民基金(Bipanna Nagarik Kosh)」に登録されている腎臓病患者は28,266人。そのうち男性は17,044人、女性は11,222人である。昨年だけで、新たに9,176人が登録された。入院している腎臓病患者の多くは15歳〜65歳の年齢層に属する。 https://www.youtube.com/watch?v=VyJ_138yX8g 健康な人間の腎臓は、血液中の毒素や老廃物を濾過するが、腎不全患者は血液を定期的に人工透析機に通す必要がある。透析には3〜4時間かかり、腕の血管が次第に腫れてくる。 ネパール国内で慢性腎臓病(CKD)を患っている人は推定200万人、つまり全人口の約8%に相当する。糖尿病と高血圧の増加がこの病気の広がりを後押ししている。出稼ぎ労働者から政治家まで、幅広い層が腎臓疾患を抱えており、オリ首相自身も2度の腎臓移植を受けている。 週2回の透析を受けていても、食事や飲み物によって吐き気やむくみが出ることがある。透析回数を増やすには費用がかさみ、生活費補助も不十分で遅配される。 海外で働いたすべての人が腎臓病を発症するわけではない。しかし、腎臓専門医サイレンドラ・シャルマが主導する未発表の研究によれば、ネパールの腎臓病患者の4人に1人が出稼ぎ帰国者であり、繰り返される熱ストレスが主なリスク要因とされている。 ジャナクプルのマデス保健科学研究所では、103人の定期透析患者が通院しており、そのうち30人がダヌシャ、サルラヒ、シラハ、マホタリ、シンドゥリ出身の出稼ぎ帰国者である。 「病気の性質ではなく、広がり方を見れば、これはもはや“流行病”と言えるでしょう」とカフレ医師は語る。 過酷な労働がもたらした代償 マレーシアで10年間働いたジャグディシュ・サーさん(35)は、妹の結婚費用を工面するために借金を背負い、それを返すべく出稼ぎに出た。家が土壁の粗末な造りであることから、結婚相手として女性に何度も断られたという。 「女性にも期待があります。裕福な家庭に嫁ぎたいと思うのは当然で、私たちのような土の家に住む家庭は敬遠されるのです」とサーさんは話す。 マレーシアの縫製工場で働くことになった彼は、24歳で渡航。毎月最高でも3万5千ルピーの収入を得るため、しばしば12時間の残業にも応じた。昼食休憩は30分のみで、トイレ休憩も限られていたため、休まず働き続けたという。 2017年、一時帰国した際に視界がぼやけ、倒れるようになった。高血圧かと思っていたが、28歳で両方の腎臓が機能不全になっていると診断された。 「息子がマレーシアで貯めたお金は、すべてカトマンズでの治療費に消えました。土地まで売ったんです。」と母マントリヤ・デビさんは振り返る。 現在、ジャグディシュさんは週2回バイクでジャナクプルのマデス保健科学研究所に通い、無料の透析治療を受けている。家族は「マレーシアに行ったときの彼」と「戻ってきた彼」はまるで別人だと語る。 「この病気で私の人生は終わったも同然です。誰かを巻き込みたくない。」と、結婚をあきらめた理由を語るサーさん。「透析がなければ、生きていられなかったでしょう。」 彼の両親は高齢で付き添うことができず、サーさんが働けないため、父のラム・デブさんが移動式屋台でポップコーンを売って家計を支えている。 ■ 腎臓病に倒れた若者たち ミトゥ・クマールさん(25)はサウジアラビアで電気技師として働いていたが、嘔吐が続き現地の病院で慢性腎臓病と診断され、帰国した。現在はジャナクプルの「セーブ・ライブス・ホスピタル」で透析を受けながら、「もう一度働ける健康を取り戻したい。」と話す。 ウメシュ・クマール・ヤダブさんもサウジでガードマンとして勤務し、腎臓病を患って帰国。だが村の他の出稼ぎ経験者には同じ症状がないという。「これは不運な人間がかかる病気だ。他の人がみな同じなら納得するが…」と語る。 アンバル・バハドゥル・サルキさん(46)は、マレーシアのパーム油農園で働いていた。極度の高温多湿な環境下で高血圧になり、その後、両腎臓が機能不全となった。今では週2回、シンドゥリからジャナクプルまで3時間かけて通院している。 ダヌシャ出身のラム・ウドガル・マンダルさんは、20代後半から17年間サウジアラビアで運転手として働いていたが、4年前に末期腎不全と診断された。今、彼の息子がマレーシアで家計を支えている。「息子も自分と同じ道をたどるのではと心配だが、選択肢がない」と語る。 ダヌシャ出身のラリト・バランパキさん(28)は、ドバイの製錬所で夜勤と極度の暑さのなかで働いていたが、栄養失調と睡眠不足で体を壊し、腎不全となった。兄の家族と共にカトマンズで暮らしており、「金は稼いだかもしれないが、病気をもらって帰ってきただけだ」と悔しさを滲ませる。 スラジュ・タパ・マガルさん(30)はクウェートでアルミ建材の取り付けをしていた。夏は50℃以上、冬は極寒という過酷な気候の中で10時間働き、ある夜、吐血した。26歳で腎不全と診断された。透析通院費は借金に頼り、生活補助金の5,000ルピーも遅延して届かず、政府病院の薬も在庫切れが常態化している。「病気のせいで誰も雇ってくれない」と語る。 ■ 公的支援と医療体制の限界 2016年、ネパール政府は貧困層向けに無料透析治療を開始。2018年には月5,000ルピーの生活補助も導入された。 理論上、国内107の病院で無料透析が受けられるはずだが、実際には腎臓専門医がいない施設も多い。政府が専門医の給与を支給しないため、透析機器のメンテナンスも行き届かない。 マデス州では、11の病院が無料透析を提供しているが、ジャナクプルの3つの病院を訪れたところ、いずれも専門医不在で、一般内科医や看護師が代わりに処置を行っていた。 「政府が適切な報酬を出さないので、腎臓専門医は私立病院にしかいません」とカフレ医師。 バグマティ州には無料透析病院が44カ所あり、8,000人以上の腎臓病患者を支えている。多くの患者が移住労働者であるため、結果として、豊かな国々の過酷な環境で腎臓を壊した人々の治療費を、ネパールの資源の乏しい医療制度が負担しているのが現状である。(原文へ) INPS Japan/Nepali Times 関連記事: FIFAワールドカップカタール大会に影を落とす欧米の偽善 労働移住と気候正義? 移住労働者に「グローバルな見方」を学ぶシンガポールの学生

年齢制限なき権利──高齢者の権利条約への期待

【ベルギー・ブリュッセル/ウルグアイ・モンテビデオIPS=サミュエル・キング & イネス・M・ポウサデラ】 世界の人口は高齢化している。世界の平均寿命は1995年の65歳未満から、現在は73.3歳へと大きく伸びた。60歳以上の人は現在11億人に達し、2030年までに14億人、2050年には21億人に達すると予測されている。 この人口動態の変化は、公衆衛生の進歩、医療の発展、栄養状態の改善を反映した「勝利」とも言える現象だ。しかし一方で、人権の観点から新たな課題を突きつけている。 エイジズム(年齢差別)は、高齢者を「負担」と見なす偏見を助長している。家族、地域社会、ボランティア活動などで多大な貢献をしているにもかかわらず、多くの高齢者は差別、経済的排除、サービスの拒否、不十分な社会保障、放置、暴力といった深刻な人権侵害に直面している。 このような状況は、他の理由でも差別を受ける高齢者にとってはさらに深刻だ。高齢女性、LGBTQI+の高齢者、障がいを持つ高齢者、その他社会的に排除された集団の高齢者は、複合的な脆弱性を抱えている。紛争や気候災害が起きた際には、高齢者は特に深刻な被害を受けるが、その実態はあまり注目されず、保護も不十分である。 こうした課題は、日本のような高齢化が進んだ先進国だけのものではない。グローバル・サウス諸国でも、過去の北半球よりもはるかに速いペースで高齢化が進行しており、支援のインフラや社会保障が不十分な社会で老後を迎えるという現実がある。 にもかかわらず、現時点で高齢者の人権を特に保護する国際条約は存在しない。現在の国際法体系は断片的であり、急速に変化する人口構成にはもはや適合していない。 国際的な最初の重要な進展は、2015年に米州機構(OAS)が採択した「高齢者の人権保護に関する米州条約」だった。この画期的な条約は、高齢者を権利の主体として明確に認め、差別、放置、搾取からの保護を規定している。ただし、加盟国間での実施にはばらつきがある。 一方、世界保健機関(WHO)が推進する「2021〜2030年 健康的な高齢化の10年」は、年齢にやさしい環境や医療体制の促進に向けた前進ではあるものの、法的拘束力のない自主的枠組みに過ぎない。真に人権を保障するには、拘束力のある条約が必要だ。 そうした中で、2025年4月3日、国連人権理事会が「高齢者の権利条約の起草に向けた政府間作業部会の設置」を決定したことは、実現への大きな希望となる。地政学的分断が深まる昨今において、全会一致での採択は特に意義深い。 この動きは、2010年に国連総会で設置された「高齢化に関する公開作業部会」による10年以上にわたる粘り強い取り組みの成果である。これまで14回の会合を重ね、各国政府、市民社会、国家人権機関などが議論を重ね、2024年8月には条約起草を求める勧告が出された。AGEプラットフォーム・ヨーロッパ、アムネスティ・インターナショナル、ヘルプエイジ・インターナショナルなど市民団体による国境を越えたキャンペーンや連携も、今回の前進に大きく貢献した。 今後は、原則を法的保護に変える重要な段階が始まる。人権理事会決議は、その具体的な手順を示しており、年内には作業部会の初会合が開かれる予定だ。条文が草案としてまとまれば、国連システムを通じて検討・採択へと進む。採択されれば、1989年の児童の権利条約、2006年の障害者権利条約に続く新たな保護枠組みとなる。 この条約は、高齢者が社会にどう評価されるかを再定義する稀有な機会でもある。宣言から実施までの道のりでは、市民社会による粘り強い監視と働きかけが不可欠となる。まずは、条文に実効性のある保護を盛り込むこと、次に採択後の履行で保護が骨抜きにならないようにすることが重要だ。 その努力が実を結べば、年齢を重ねることが人間の尊厳と権利を損なうのではなく、むしろ高める未来が実現するだろう。(原文へ) サミュエル・キング:EU資金による研究プロジェクト「ENSURED」の研究員。イネス・M・ポウサデラ:市民社会連合CIVICUSの上級研究員、CIVICUS Lensライター、『市民社会の現状レポート』共同執筆者。 INPS Japan/ IPS UN Bureau Report 関連記事: 韓国は高齢化を乗り越えられるか?IMFが描く回復の青写真 |フィジー|看護師が海外流出し、医療サービス継続の危機 世界の人口、2050年までに100億人に到達と予測:SDGsへのあらたな挑戦

関税と混乱――トランプ貿易戦争がもたらした持続的な世界的影響

【メルボルンLondon Post=マジッド・カーン】 2025年4月、ドナルド・トランプ米大統領は、代表的な保護主義的貿易政策を再燃させ、第一次政権時に始まった貿易戦争をさらに激化させた。中国、欧州連合(EU)、カナダやメキシコなどの主要経済圏からの輸入品に対し、広範な関税を課すことで、米国の経済的利益を優先した国際貿易の再構築を目指している。政権はこの政策を米国の製造業再生、貿易不均衡の是正、知的財産の窃取や技術移転の強要といった「不公正な慣行」への対抗と位置づけたが、経済的影響はより複雑かつ広範に及んでいる。 トランプの関税政策は、2017年~21年の第一次政権時に施行された貿易戦争政策の延長線上にある。2018年には国家安全保障を名目に鉄鋼に25%、アルミニウムに10%の関税を課す「セクション232」関税が導入された。また、貿易法301条に基づき、中国からの約3700億ドル相当の輸入品に懲罰的関税が課され、米中間の貿易緊張はかつてないほどに高まった。これらに加え、北米自由貿易協定(NAFTA)は再交渉され、より厳格な労働・自動車生産ルールを盛り込んだ「米国・メキシコ・カナダ協定(USMCA)」が締結された。 こうした政策は米国の産業保護を掲げたが、経済データはより複雑な現実を示している。ペン・ウォートン予算モデルによれば、これらの関税は米GDPを長期的に6%、賃金を5%減少させるとされており、中所得層の世帯では生涯収入で最大22000ドルの損失となる可能性がある。また、ワシントン D.C. に拠点を置く国際的な研究シンクタンクタックス・ファウンデーションの報告では、これらの関税は「隠れた税」として機能し、2025年には米世帯あたり平均1300ドルの追加支出を強いることになると予測している。 このコストはサプライチェーン全体に影響を与え、消費者物価を押し上げている。電子機器や車両、食料品に至るまで、物価上昇により米世帯は年平均3800ドルの支出増が見込まれている。関税実施前の駆け込み需要によって一時的に小売売上高が伸びたが、持続的なインフレ圧力の前には影響は限定的と見なされている。 米国の金融市場への影響も深刻である。S&P500はピークから10%以上下落し調整局面に入り、ナスダックも2022年以来最も弱いパフォーマンスを記録した。企業収益の低下、サプライチェーンの混乱、景気後退への懸念が投資家心理を冷え込ませている。『タイム』誌は、こうした市場の動揺が米国の経済リーダーシップへの信頼低下を映し出していると指摘している。 国際的な反発も激しく、欧州連合(EU)、カナダ、メキシコ、日本などは米国の一方的な措置を批判し、報復関税を実施または検討している。EUは米国産バイクやバーボンなどに32億ドル相当の関税を課し、カナダやメキシコも農業・工業製品を標的に対抗措置を取った。世界貿易機関(WTO)は、こうした報復の連鎖が世界貿易量を2025年に0.2%減少させると予測しており、自由貿易が維持されていれば見込まれた3%成長との差は明らかである。 とりわけ中国は今回の貿易戦争の中心にある。電子機器や鉄鋼、消費財に最大145%の関税が課されており、中国政府は対抗措置を宣言するとともに、EUやASEAN諸国との貿易関係強化に動いている。さらに、半導体やAI、再生可能エネルギーといった戦略分野で自立を目指す「双循環戦略」を推進中である。米中対立の激化により、アップルやサムスンなど多国籍企業が製造拠点をベトナムやインドに移転するなど、サプライチェーンの再編が加速している。 欧州もこの余波に巻き込まれ、米国との間で続くボーイング・エアバスの補助金問題など、長年の貿易紛争が再燃している。アジアの同盟国である日本と韓国も戦略の見直しを迫られており、日本の自動車メーカーは関税回避のため米国内での生産を拡大し、韓国は貿易協定の再交渉を進めた。 一方で、新興国の中には恩恵を受ける国もある。ベトナムは米国向け輸出を30%増加させ、2023年にはメキシコが中国を抜いてアメリカ最大の貿易相手国となった。これは製造業の回帰と、USMCAによる北米供給網の深化によるものである。 米国の農業分野への打撃も深刻である。中国による報復関税により特に大豆農家が大きな打撃を受けた。2018年には中国向け大豆輸出が75%減少し、77億ドルの損失が発生。これにより米政府は280億ドルの補助金を支給したが、その規模は政策の影響の大きさを物語っている。 バイデン政権下でもトランプ時代の関税の多くは継続されており、特に3000億ドル以上の中国製品への関税は維持されている。ただし、バイデン政権は「インド太平洋経済枠組み(IPEF)」などを通じて多国間協調に軸足を移し、CHIPS法などの国内産業育成策を進め、半導体などの戦略産業での自立を図っている。 今後を見据えると、こうした保護主義政策の長期的影響はますます明らかになりつつある。一部産業への一時的な保護効果はあるものの、消費者、企業、国際関係への負担は大きく、インフレ圧力や同盟関係の損傷、グローバル機関の弱体化といった深刻な副作用を伴っている。その一方で、中国やベトナム、メキシコなどの国々は変化に柔軟に対応し、新たな機会を捉えている。 政権を超えて続くこれらの政策は、経済ナショナリズムと戦略的競争がもはや党派を超えた米国の通商政策の柱であることを示している。今後の国際経済秩序の中で、米国が安定性を取り戻し、成長を促進し、世界貿易におけるリーダーシップを回復するには、国家利益と国際協調のバランスを取る巧みな外交が不可欠である。(原文へ) INPS Japan/London Times 関連記事: トランプ大統領の初月:情報洪水戦略 |視点|グワダルにおける米国の戦略転換(ドスト・バレシュバロチスタン大学教授) 中国とカザフスタン、永続する友情と独自のパートナーシップを強化

ガエタン博士、被爆地長崎を取材

未来アクションフェス~今、ここから、持続可能な未来への行動を~

中央アジア地域会議(カザフスタン)

2026年NPT運用検討会議第1回準備委員会 

反核国際運動カザフスタン代表団歓迎交流会

米国桜寄贈110周年記念集会

「共和国の日」レセプション

核兵器なき世界への連帯ー勇気と希望の選択展

第7回世界伝統宗教指導者会議

NPT再検討会議:関連行事(核の先制不使用)

2022NPT再検討会議:SGIインタビュー

Vienna ICAN Forum 2022

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第4回核兵器の人道的影響に関する会議

TPNW第1回締約国会議関連行事(積極的義務)

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