地域アジア・太平洋ジェノサイドからアフリカのファッションステージへ―ルワンダ女性がいかにして生活とファッション産業を成り立たせているか

ジェノサイドからアフリカのファッションステージへ―ルワンダ女性がいかにして生活とファッション産業を成り立たせているか

【キガリINPS=エイミー・ファロン】

1994年のルワンダ虐殺が起こるまで、サラーム・ウワマリヤさん(58歳)の大学教授の夫は、妻と8人の子どもを養う一家の稼ぎ頭だった。当時ウワマリヤさんは、収入を補うため、近くの市場で野菜を売っていた。

ところが多くのルワンダ人と同じく、1994年の4月から約100日間に亘っておよそ100万人のツチ族と穏健派フツ族が殺害されたルワンダ虐殺によって、ウワマリヤさんの人生も大きく変えられた。彼女はこの虐殺の中で、夫と2人の子ども、両親、叔父・叔母を殺されたのだ。

Centre César(シーザー・センター)/Ubuntu Edmonton

しかしウワマリヤさんは、地元や海外で販売され、アフリカで行われるファッションショーにも使われる服を制作する仕事にありつけたことで、徐々にだが、生活の再建を果たしている。

首都キガリ近郊キミロンコ地区に「シーザー・センター」というコミュニティーセンターが2005年にでき、アヴェガ村の住人を対象にした支援プログラムが始まったおかげで、ウワマリヤさんは新たに服飾制作の技術を身に着け、家族を養えるまでになった。

「私は(大虐殺で)家族や財産など全てを失い、それまでの人生が一変しました…それは言葉では説明できません…。」とウワマリヤさんはIPSの取材に対して現地のキンヤルワンダ語で語った。

アヴェガ村は150世帯750人の小さな村である。カナダの慈善団体「ウブントゥ・エドモントン」の支援で設立されたこのコミュニティーセンターでは、大虐殺の影響を受けた村人を対象に、機械整備、シルクスクリーン印刷、裁縫などに関する職業訓練プログラムを受講できる。またセンターでは、小中学生を対象にした教育里親プログラムを実施しているほか、ウワマリヤさんが勤務している縫製工場や保育園(左写真)も運営している。現在、「シーザー・センター」のサービスを受講している村人は一週間に85人以上にのぼるという。

Day care program at Centre César/ Ubuntu Edmonton
Day care program at Centre César/ Ubuntu Edmonton

「ここで(縫製技術を)学べたおかげで生活が一変しました。これで収入が得られ、自分や子どもたちの生活を向上できたのだから。」とウワマリヤさんは語った。彼女は今ではドレスを1枚縫うごとに3000ルワンダフラン(4.44ドル=約446円)を稼ぐことができる。ちなみに1枚縫うのに2日と掛からないそうだ。「シーザー・センター」では、縫い子には、フェアトレード価格で報酬が直接支払われる仕組みになっている。

このセンターの縫製工場では、2人のベテラン仕立屋が工業用機械を使って、縫い子たちの技術指導にあたっている。この部門で唯一の男性スタッフでもあるエディソン・ハテゲキマナさん(右写真の右端の人物)はその一人で、ウワマリヤさんを1年にわたって指導した。ウワマリヤさんは、訓練期間を振り返って「でも、そんなに難しくはなかったわ。」と語った。

ここではウワマリヤさんを含む約20人の女性が部屋いっぱいにひしめき合うように、来る日も来る日も、熱心にドレスやジャケット、ズボン、バッグ、エプロン、パジャマなどを縫っている。

現在彼女たちが縫っている製品の多くは、ルワンダの新進気鋭のデザイナー、コロンベ・ヌドゥティエ・イトゥゼ氏(上の写真右端の人物)の手になるものだ。

興味深いことに、地元住民の能力活用の可能性をイトゥゼ氏に示唆したのは、今は彼女の海外パートナーになっているカナダのジョアンヌ・セントルイス氏(左の写真の人物)だった。

セントルイス氏は、カナダの「セントルイス・ファッション」や「ドリーミーズ・ラウンジウェア」のデザイナー兼CEOで、イトゥゼ氏とは2010年の「ルワンダ・ファッション・フェスティバル」で出会った。イトゥゼ氏は2011年、ルワンダで最初のファッションブランドの一つとなる「INCOイキュサ」を立ち上げた。

「私はセントルイス氏の製品が本当に素晴らしいと思ったものですから、どこで縫製したのか尋ねたのです。するとこちらの(祖国ルワンダ人の)女性たちが作っていると教えてくれたのです。」とイトゥゼ氏はIPSの取材に対して語った。

またイトゥゼ氏(右の写真)は、「私は早速ここ(シーザー・センター)を訪ねてみました。その時点で彼女たちは既に十分かつ基本的な縫製技術を身に着けていました。セントルイス氏がそれまでに何人かを指導し、その縫い子たちが他のメンバーに技術を伝えていたのです。そこで2012年から、私の全ての作品はここで縫製してもらっています。以前は街の仕立屋と仕事をしていましたが、ここの女性たちの才能には本当に感心しています。常に研鑽を積み、どんどん技術レベルが上達しているのです。とりわけ大量の注文に対処する際には、彼女たちほど頼りになる存在はありません。」

今日、ウワマリヤさんと同僚たちが縫製した服は、ルワンダの首都キガリにあるイトゥゼ氏の店とカナダのトロントから110キロの街にあるセントルイス氏の自宅兼店舗で売られている。

「収入にもなりますし、カナダの人々のために服を作っていると思うとわくわくします。今の課題は隙間(ニッチ)ビジネスの機会を見つけて発注数を増やすことです。そのためにも、もっと多くの人達やファッションデザイナーと提携していきたい。」とウワマリヤさんは語った。

Clothes made in Ruwanda/piper carter

イトゥゼ氏とセントルイス氏が、国際展開している大手デパートに自分たちがデザインした製品の売込みを積極的に行っていることから、ウワマリヤさんのこうした望みは、意外に早く実現するかもしれない。

イトゥゼ氏とセントルイス氏は、昨年9月、共同で「DODAファッションハウス」をオープンさせた。DODAとは、キンヤルワンダ語で「縫う」という意味である。

また両氏は(「シーザー・センター」がある)キガリ近郊キミロンコ地区に別の縫製施設を所有している。ここでは最終的に専従職員を4人雇用し、女性を14人増員して研修プログラムと製造作業を開始する予定だ。そして5年後には、商業被服、デザイン、縫製機械整備、マーケティングの訓練コースを提供したいと考えている。もし実現すれば、ファッション専門学校がないルワンダで、この試みは大きな第一歩となるだろう。

再び「シーザー・センター」に話を戻そう。ここでスーパーバイザーを務めているアラン・ラシャイディ氏は、慈善団体にはセンターの所有権をアヴェガ村の住民に移すとこまでやってほしいと考えている。「このセンターは、最終的には村人が所有するセンターとならなければなりません。おそらくそれには10~15年くらいかかるでしょう。」と指摘したうえで、「現在、センターを持続可能で財政的に自立できるような体制作りをすすめています。」と語った。

「私たちが(このセンターの運営を)始める前のアヴェガ村の状況はあまりにも深刻な課題が山積みでとてもうまく説明できません。村にはHIVに罹っている人々がいますし、当時は村にフードバンクさえありました。」「それから10年が経過し、もちろん100%良くなったというわけにはいきませんが、生活は改善されてきました。」とラシャイディ氏は語った。

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