【イスラマバードINPS Japan/London Post=モハンマド・ラーシド】
マレーシアのクアラルンプールで行われた独占インタビューで、ロヒンギャの長年の指導者であり、ロヒンギャ連帯機構(RSO)に関わってきたムハンマド・ユーナス博士は、医師から活動家へと転じた自身の歩みを語るとともに、ロヒンギャの人々が直面している長期化した危機について率直な見解を示した。|ENGLISH|
数十年にわたりこの問題に関わってきたユーナス博士は、安全な市民権、尊厳、自衛の必要性を強調した。同時に、ミャンマー軍事政権、アラカン軍(AA)、中国、米国、インド、バングラデシュが絡む複雑な地域地政学の中で、ロヒンギャが置かれている状況についても語った。
ユーナス博士は、アラカン、現在のミャンマー・ラカイン州で生まれ育った。1969年に医学部を卒業し、医師として勤務した。博士によれば、1962年にミャンマーで軍が政権を掌握して以降、アラカンのイスラム教徒を取り巻く状況は悪化し、法も秩序も機能しない軍政下で、日常生活そのものが抑圧に覆われるようになったという。
市民権が次第に疑問視され、奴隷のように扱われる一般のロヒンギャの苦しみを目の当たりにした博士は、1975年、ミャンマーでの安定した職業生活を捨て、バングラデシュでロヒンギャ運動に加わるという重大な決断を下した。
「私は医師として十分な収入を得ていました。家族でさえ、私が去るつもりでいることを知りませんでした。」と博士は振り返る。「しかし、アラカンのイスラム教徒が迫害され、未来も権利もない状況を見て、私たちのような者が共同体の経済、宗教、社会生活のために闘わなければならないと感じたのです。正当な権利のためには、命懸けで立ち上がるしかありませんでした。」
亡命生活と変化するバングラデシュの政策
ユーナス博士は、幾度にもわたる避難の波について詳述した。1978年、ミャンマーの社会主義軍事政権下で実施された「作戦」により、殺害や村落の焼き打ちが起き、約30万人のロヒンギャが逃れた。当時、博士はすでにバングラデシュにいた。シェイク・ムジブル・ラーマン政権初期の政府は、この問題への認識が限られていた一方、その後のカレダ・ジア政権下では、二国間合意に基づき20万人以上の帰還が実現した。ただし、ロヒンギャの移動の自由はなお制限されたままだった。

シェイク・ハシナ長期政権下で状況は急激に悪化したと、ユーナス博士は述べる。博士によれば、同政権はインドと緊密に協議しながら政策を進めていたという。「インドが認めることは実行され、そうでなければ何も行われませんでした。」と博士は語った。ロヒンギャの活動には情報機関への事前報告が求められ、全体として支援は後退した。
2024年8月にハシナ政権が崩壊し、ムハンマド・ユヌス教授を首席顧問とする暫定政権が発足して以降、キャンプの状況には一定の安定が見られるようになった。ユーナス博士は、バングラデシュの新指導部が犯罪や過激化といった内部問題に対してより厳格な姿勢を取っていることを認めた。その背景には、帰還への道を閉ざされた若者たちの不満があると博士は見る。「こうした権力者たちに声を聞かせるには、武装闘争しかないと考える人々もいます。」と博士は述べる一方、キャンプ内の全員がそうした動きに関わっているわけではなく、暫定政権はこうした傾向の抑制に努めていると強調した。
保証なき帰還は安全ではない
2026年以降の帰還の可能性について、ユーナス博士は懐疑的な見方を示した。博士は、バングラデシュ暫定政権には帰還を実現したいという真摯な意思があるとしながらも、現地の現実を指摘した。すなわち、ミャンマー軍事政権もアラカン軍(AA)も、ロヒンギャを平等な市民として受け入れる意思を示していないということだ。ラカイン州17郡区のうち約14郡区を支配しているとされるAAは、なお支配をめぐる争いが続き、軍政側の反攻にも直面しているが、多くのロヒンギャからは、軍よりも危険な存在と見なされている。抑圧が続いているとの報告もある。
「ロヒンギャは、この二つの勢力を信頼していません」と博士は述べた。「市民権が回復され、国際的保護の下で、平和で尊厳ある安全な帰還が保証されない限り、人々は戻りません。誰も、同じ苦しみの中へ戻りたいとは思っていないのです。」
博士は、最近の変化にも言及した。ミャンマー軍は、AAと戦わせるため、RSOに関係する一部勢力を含むロヒンギャ系武装集団に武器を供与していると報じられている。軍は、ロヒンギャ共同体を疎外した過去の過ちを認識し始めたともいう。しかし、紛争、爆撃、移動制限が続く中で、根本的な変化がない限り、帰還は現実的ではない。
地政学のチェス盤:中国、米国、インド、そしてその先

ユーナス博士は、主要国がこの危機にどのような影響を及ぼしているかについても分析した。博士は、中国・ミャンマー経済回廊(CMEC)やアラカンにおける港湾・パイプライン事業について、帰還そのものとは直接関係しないものの、安全保障とは結び付いていると述べた。帰還を左右するのは経済事業ではなく、安全と市民権の保証だという。博士によれば、中国はAAによる中国関連インフラへの攻撃に苛立ち、軍政とAAの双方に圧力をかける一方で、ミャンマー軍には高性能兵器を供給している。北京はこれまで、経済的圧力を背景に他の武装勢力との停戦を仲介してきた経緯があり、地域の安定化を図るため、ロヒンギャの帰還を静かに後押しする可能性もあると博士は見ている。
「中国は賢明で、現実的です。他国の土地を占領する国ではありません」と博士は述べた。その上で、ロヒンギャがアラカン北部、すなわちカラダン川以東のイスラム教徒が多数を占める地域を確保できれば、信頼できないAAよりも中国の利益を守ることができるとの見方を示した。博士は、南部のAAに対抗するため、軍政とロヒンギャの同盟を中国が仲介する可能性にも言及した。
一方、米国とインドの関与について、ユーナス博士は地政学的動機に基づくものとして警戒感を示した。博士は、米国が中国に対抗するため、インド太平洋地域で足場を築こうとしており、セント・マーティン島やチッタゴン丘陵地帯もその対象になり得ると主張した。これは、グワダルや南シナ海をめぐる戦略と似ているという。インドについては、北東部の「セブン・シスターズ」における分離主義の拡大を警戒し、海へのアクセスにつながり得るアラカンで、イスラム教徒が多数を占める支配地域が生まれることに反対していると述べた。米印がAAに接近しているとの報道は、ロヒンギャへの真の支援ではなく、代理戦争的な力学への懸念を生んでいる。「ロヒンギャは罪のない人々です。私たちは利用されないよう、慎重でなければなりません。」と博士は警告した。
イスラム諸国やイスラム協力機構(OIC)について、ユーナス博士は批判的だった。危機のたびに声明は出されるが、実効的な影響力は伴っていないという。国連についても、博士はしばしば西側の利益に沿って動いていると見る。博士は、イスラム圏であるか否かを問わず、いかなる勢力からであっても、資金面、武器面、その他の形でより強力な支援が必要だと訴えた。
自衛と自治を求める訴え
今後5年以内に権利を取り戻せるかを問われると、ユーナス博士は率直に答えた。「自力だけでは不可能です。ロヒンギャは強力な勢力から真剣な支援を受けなければなりません。私たちは反撃する準備があります。決して諦めません。」
博士は、武器と資金の支援があれば、ロヒンギャには闘う能力があると述べた。過去の訓練経験にも触れたが、未確認の人物や勢力とは距離を置き、孤立した過激主義ではなく、組織的かつ真剣な国際支援が必要だと強調した。
博士が描く将来像の中心にあるのは、アラカン北部における自治である。難民が帰還すれば、その地域ではロヒンギャが多数派となり得る。博士は、それがAAに対抗するミャンマー軍との連携にもつながり、すべての当事者、そして中国の事業にとっても利益になると主張した。「私たちは約束を裏切りません。善良なムスリムとして、私たちは言葉を守ります」と博士は述べ、ロヒンギャは地域の安定に向けた信頼できるパートナーになり得ると訴えた。
ユーナス博士は最後に、人道回廊を利用してAAやバングラデシュのチッタゴン丘陵地帯の反政府勢力に武器を流そうとする米国の動きがあるとする疑惑にも触れた。博士は、中国が一帯一路構想(BRI)関連投資を守るためには、信頼できないAAとロヒンギャのどちらを選ぶのかを決めなければならないと訴えた。
今回のインタビューは、ロヒンギャ危機が単なる人道上の悲劇にとどまらず、深く絡み合った地政学的闘争でもあることを浮き彫りにしている。ラカイン州では戦闘が続き、AAが同州の大部分で優位に立つ一方、外部勢力の支援を受けた軍政側の抵抗にも直面している。安全で尊厳ある帰還はいまだ実現の見通しが立っていない。ユーナス博士が訴える武装による自衛と現実的な同盟の必要性は、数十年にわたり無国籍と暴力に苦しんできた共同体の絶望と決意を映し出している。
ロヒンギャにとって、前に進む道には、真の安全、市民権の回復、そして国際的保証が不可欠である。アラカンに恒久的な平和を築くためには、地域の諸勢力がそうした条件の実現を支援しなければならない。
INPS Japan
関連記事:
ロヒンギャ難民に必要なのは配給だけではない―いま求められる「働く権利」













