SDGsGoal16(平和と公正を全ての人に)ナビ・ピレイ氏のノーベル平和賞受賞―攻撃にさらされる国際法秩序への信任表明

ナビ・ピレイ氏のノーベル平和賞受賞―攻撃にさらされる国際法秩序への信任表明

【プレトリア、南アフリカIPS=フランス・フィルユーン】

南アフリカの著名な法学者で国際裁判官のナバネセム(ナビ)・ピレイ氏に2026年のノーベル平和賞が授与されたことは、世界の正義の実現に向けて尽力してきた一人の卓越した人物の功績をたたえる以上の意味を持つ。|英語版|

今回の受賞は、より大きな国際情勢を反映していることは明らかだ。国際法秩序が圧力にさらされ、その正当性が問われている時期に授与されたからである。

ピレイ氏への評価は、国際法が必ずしも十分に適用されていないとしても、平和な世界の実現には不可欠であるという信念を改めて確認するものでもある。

歴史を切り開いた功績

南アフリカにとって、今回の受賞は誇るべき出来事である。ピレイ氏は、1960年に受賞した反アパルトヘイト運動の指導者アルバート・ルツーリ、1984年の宗教指導者で人権活動家のデズモンド・ツツ大主教、1993年に共同受賞したネルソン・マンデラ元大統領とF・W・デクラーク元大統領に続き、南アフリカ出身者として5人目のノーベル平和賞受賞者となった。

また、南アフリカの女性としては初の受賞者でもある。歴史的に「欧米出身の高学歴の白人男性」が受賞者の大半を占めてきた傾向から、さらに一歩踏み出すものといえる。

これまでの南アフリカ出身の受賞者と同様、ピレイ氏の功績においても、アパルトヘイト(人種隔離政策)と白人少数支配に対する闘いが重要な位置を占めている。

しかし、そこには大きな違いがある。マンデラ氏が和解の世界的な象徴となったのに対し、ピレイ氏は南アフリカの闘争から得た教訓を国際社会へと持ち込み、自ら指導者として、また国際機関の制度づくりを担う先駆者として活躍した。

ピレイ氏が担ったのは、最も深刻な人権侵害の責任者を法的に裁くための国際司法制度を一から築き上げるという、極めて困難な仕事だった。

1994年のルワンダ虐殺を受けて国連が設置したルワンダ国際刑事裁判所では、最初の裁判官の一人を務めた。また、2003年から2008年にかけては、国際刑事裁判所(ICC)の初代裁判官団の一員を務めた。

その人格と行動力は、発足間もないこれらの司法機関に重みと正当性を与えた。先駆的な貢献を通じて、ピレイ氏は人権侵害の責任を追及する国際社会の取り組みを象徴する存在となったのである。

私が知るナビ・ピレイ氏

国際人権法を研究する私は、ピレイ氏がタンザニアのアルーシャに置かれたルワンダ国際刑事裁判所の所長を務めていた頃、初めて本人と会った。

そのとき強く印象に残り、その後も変わらず感銘を受けてきたのは、驚くほど親しみやすい人柄だった。謙虚で気取らず、他者のために惜しみなく時間を割く人物であり、勇気があり、信念を貫き、決して揺るがない人としても知られている。

ノーベル賞委員会から勇気を称賛された際、ピレイ氏は、持ち前の飾らない姿勢で、自分は独立した法的判断に基づき、正義の明確な原則を適用してきただけだと答えた。その言葉を聞いて、私は思わず微笑んだ。

初めて会ったとき、私はプレトリア大学で人権を学ぶ学生たちとともに、裁判の傍聴のためタンザニアを訪れていた。

多忙を極めるピレイ判事には、日中、私たちと十分に話す時間がなかった。それでも、夜に宿泊先のホテルで会うことを申し出てくれた。

驚いたことに、彼女は運転手も随行員も伴わず、自ら車を運転して現れた。そして何時間にもわたり、学生たちの質問に答え、裁判所の仕事について語ってくれた。

その後も、同じような交流が何度も続いた。

こうした経験を通じて私が理解したのは、ピレイ氏にとって人権擁護のための国際機関とは、人々から遠く離れた存在ではなく、人々自身のためにあるべきものだということだった。

その「人々」には、将来、自らの社会のあり方を形づくる担い手となってほしいと彼女が願っていた、アフリカの若者たちも含まれていた。

アパルトヘイトとの闘いから国際的な正義の実現へ

南アフリカのアパルトヘイト、ルワンダのジェノサイド(集団殺害)、そしてパレスチナ占領地の問題に至るまで、ピレイ氏の歩みを貫いているのは、一つの確固たる信念である。

それは、法には権力の濫用を抑え、被害者を保護し、権力者の責任を追及する力があるという信念だ。彼女は活動の舞台が広がるたびに、その原則をより大きな規模で実践してきたのである。

ピレイ氏は1941年、南アフリカのダーバンで、インド系タミル人の家庭に生まれた。幼い頃から人種差別と性差別の両方を身をもって経験した。

それでも法律家としての道を切り開き、1967年には、居住する州で非白人女性として初めて弁護士事務所を開設した。

アパルトヘイトに反対した多くの弁護士と同様、彼女も不正義を支えていた法制度そのものを利用して、その不当な運用に異議を唱えようとした。政治活動家の弁護を引き受け、拷問の実態を明らかにし、政治犯に対する処遇の改善を求めた。

また、南アフリカの民主的な新憲法における平等条項の形成に貢献した「全国女性連合(Women’s National Coalition)」にも参加した。

この憲法は、人種、性別、性的指向などを理由とする差別を禁止している。

アパルトヘイト終結後の1995年、マンデラ大統領はピレイ氏を高等裁判所判事に任命した。

人道に対する罪としての強姦

同じ1995年、ピレイ氏はタンザニアで国際裁判官としての職務に就いた。

国際司法の歴史に残る彼女の最も重要な貢献の一つは、ルワンダ国際刑事裁判所が1998年に下した画期的な判決にある。

数千人の虐殺に関与したとして起訴されたジャンポール・アカイェスの裁判で、ピレイ判事ともう一人の裁判官は、証人たちに性暴力について質問した。

この尋問によって、それまで十分に明らかにされていなかった被害の実態が法廷で語られるようになり、強姦を訴因に加えるための起訴状変更につながった。

その結果、強姦を「人道に対する罪」と認定する判決が下された。さらに、強姦やその他の性暴力がジェノサイドを構成し得ることも確立された。

この判決は、国際刑事法廷によるジェノサイドの初の有罪判決であると同時に、強姦を人道に対する罪として個人に有罪判決を下した初の事例となった。

これにより、女性や少女に偏って被害が及ぶ犯罪についても、加害者の責任をより広く追及する道が開かれた。

ピレイ氏は、次のように述べている。

「太古の昔から、強姦は戦争の戦利品のように扱われてきました。しかし今後は、戦争犯罪として扱われることになります」

国連における人権擁護

2008年から2014年にかけて、ピレイ氏は国連人権高等弁務官を務めた。グローバルサウス出身の女性として初めて、この職に就いた人物だった。

この役職では、裁判官とは異なる形の指導力が求められた。

裁判官として事件に判決を下すのではなく、各国政府と向き合い、人権侵害に立ち向かい、国家が国際的な義務を果たすよう働きかけなければならなかったからである。

在任中、世界金融危機の余波、アラブの春、シリア内戦など、国際社会が激動に見舞われるなか、ピレイ氏は国連の人権活動を導いた。

その発言は、常に明確な原則に裏打ちされていた。経済的な都合、国家主権、政治的な便宜のために、人権が犠牲にされてはならないという原則である。

ピレイ氏の在任期間は、国連の人権分野で重要な進展が見られた時期とも重なっている。

彼女は、性的指向や性自認にかかわらず平等な権利を保障すること、差別禁止法を整備すること、ヘイトクライム(憎悪犯罪)を適切に記録することを、一貫して訴え続けた。

2001年には、故郷ダーバンで国連の「人種主義、人種差別、外国人排斥および関連する不寛容に反対する世界会議」が開催された。

同会議で採択された「ダーバン宣言」は、人種差別や外国人排斥に対抗する国際的な行動方針を示すとともに、奴隷制を人道に対する罪として認めた。

ピレイ氏自身は2001年の会議で公式な役割を担っていなかったが、国連人権高等弁務官に就任してからは、その後の検証・再検討過程に深く関与した。

彼女は、ダーバン宣言をめぐる誤った解釈や説明に反論し、同宣言が反ユダヤ主義を非難し、ホロコーストの記憶を継承し、イスラエルの安全に対する権利を認めている点を強調した。

2009年に開催されたダーバン・レビュー会議では、米国を含む複数の西側諸国がボイコットしたにもかかわらず、182か国の支持によってダーバン宣言を再確認する合意形成に貢献した。

この役割は、基本的人権の原則を損なうことなく、対立や反発を乗り越えようとする彼女の強い決意を示すものだった。

ピレイ氏の在任中には、女性の権利に関する独自の貢献もあった。

予防可能な妊産婦の死亡を、単なる公衆衛生上の問題ではなく、人権問題として認識すべきだと主張したのである。

その指導の下、国連人権高等弁務官事務所は2012年、画期的な指針を策定した。

この指針は、各国政府に対し、差別の解消、妊産婦医療の改善、回避可能な死亡に対する説明責任の確保に取り組むことを求めるものだった。

パレスチナ問題とジェノサイド

近年、ピレイ氏は、国連での最後の公式任務として、「パレスチナ占領地(東エルサレムを含む)およびイスラエルに関する独立国際調査委員会」の委員長を務めた。

ガザでの戦争に関する調査を含め、同委員会の調査活動と報告結果は、大きな論争を呼び、特にイスラエルと米国から強い批判を受けてきた。

それでも任務に取り組み続けた姿勢は、彼女の活動を特徴づける本質的な点を示している。

法の原則を適用することが最も困難になるのは、政治的に強大な勢力が自らへの検証や監視を拒むときである。そして、まさにそのようなときこそ、法の原則を適用する必要性が最も高まるのである。

希望が求められる時代に

今回の受賞の時期は、極めて象徴的である。

そのわずか数日前、米国のドナルド・トランプ大統領は国際刑事裁判所(ICC)を「邪悪な存在」と呼び、同裁判所の全構成員に辞任を求めていた。さらに米国は、今回の受賞に対する反応として、ICCに制裁を科した。

ノーベル賞委員会は、ICCの元裁判官を顕彰することによって、現在まさに「攻撃にさらされ」、裁判官たちが「制裁対象」となっている国際司法機関を擁護する姿勢を示したのである。

今回の受賞は、イスラエルの国際的な孤立が深まるなかでの出来事でもある。

ピレイ氏が率いた調査委員会は2025年、イスラエルがガザでジェノサイドを行っているとの結論を示した。

同委員会の調査結果は、法的拘束力を持つ司法判断ではない。

しかし、強い政治的反発に直面しながらも、残虐行為の疑惑を記録し、加害者の責任追及を前進させるうえで、重要な貢献を果たしている。

最近85歳の誕生日を迎えたピレイ氏は、近く再びジェノサイドをめぐる司法判断に関わる可能性がある。

2019年以来、ピレイ氏は、ガンビアがミャンマーを相手取って国際司法裁判所(ICJ)に提起した、ロヒンギャに対するジェノサイド疑惑をめぐる訴訟で、特任裁判官を務めている。

2026年1月に公開審理が行われたこの事件では、2026年後半、あるいは2027年初めに判決が下されると見込まれている。

ピレイ氏のノーベル平和賞受賞は、国際的な正義が勝利を収めたことを意味するものではない。

しかし、その実現のために築かれてきた制度が、今なお守るに値するものであることを思い起こさせてくれる。

ピレイ氏を顕彰することは、これまでに達成された成果を評価するだけではない。私たちが決して失ってはならないものを、改めて確認することでもある。

フランス・フィルユーン:プレトリア大学国際人権法教授、南アフリカ研究講座イニシアチブ(SARChI)国際憲法学研究講座長

この記事は、The Conversationに最初に掲載された論考を転載したものです。

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