【エルサレムDETAILS/INPS=ロマン・ヤヌシェフスキー】
イスラエルの通信社「ДЕТАЛИ(=Details)」は、戦争犯罪の証言を集めるプロジェクト「Come and See」を立ち上げた。ウクライナの首都キーウ郊外のブチャで撮影された衝撃的な映像が公開された後、そこで一体何が起こったのかを解明するためです。ウクライナの町や村の住民で、戦争犯罪を目撃した、あるいは被害者となった人々を探し出し、直接インタビューしています。以下は、ブチャの住民ヴァディム・ヤロシェンコ氏に直接取材した証言です。
2022年2月25日にロシア軍の部隊がブチャに現れました。ロシア兵は、最初の数日は戦闘に手いっぱいで住民に関心がなかったが、街を完全に占拠し、各地のアパートに住みつくと、この招かれざる客は地元住民に目を向け始めました。
「その時点では私たちは比較的に幸運でした。私たちのアパートは中心部から遠く離れていて、他の地域とは違い、奇跡的に爆撃を受けなかったのです。私たちはこのアパートに監禁され、ロシア軍は私たちに水を汲みに行くことを禁じました。庭には未完成の駐車場だった格納庫があり、そこで全体で炊事をしていました。入居者がジャガイモや缶詰など、持っているものを持ちよって共同の鍋に全部入れていました。
ある晩、ロシアの榴弾砲だか戦車だかがアパートの庭に入ってきて、私達住民を盾にしてウクライナ軍陣地への砲撃を始めたので、このまま家にいては危険だと悟ったんです。3月10日、私たちは自己責任でアパートを脱出することにしました。白いシャツやシーツを破いて車にかけ、ロシア軍に私たちが民間人であることを示しました。
逃亡中の道のりはとても恐ろしかったです。道端の両側には、銃弾で穴が開いたボロボロの車が散乱し、その中には死体もありました。この人たちも私たちと同じように、ただ危険な場所から脱出しようとしているのだと理解しましたが、彼らはロシア軍に撃たれてしまったのです。私たちは子どもたちの目を覆い、凄惨な光景を見せないようにしました。いつ自分たちにも同じことが起こるかもしれないと思いながら、祈るようにずっと車を走らせました。その日は人道回廊が発表され100台以上の車があったのは幸運でした。もしかするとそれで助かったのかもしれません。ロシア軍による検問はありましたが、幸いにも手を出されることはありませんでした。
(私たちが脱出した後)、アパートには、友人も含めて数家族しか残っていませんでした。当時、街には通信手段がなかったのですが、彼らは後に、ロシア兵が軍用車を家のすぐそばに乗り付け、洗濯機、家電製品、蛇口、コンピュータ、テレビ、衣服など、持ち出せるものは何でも積み込んでいくのを見た、と話してくれました。ロシア兵はアパートからアパートへと侵入していった。まだ人がいるところだけ、そのままにしておいた。武器、食料、金、宝石が目当てです。私たちの団地には9階建てのビルが5棟あります。私たちのアパートには何も残っていなかったかもしれません。
ブチャを占拠した兵士達はのロシアの田舎から招集されて来た貧しい人々で、彼らの基準からすると豊かな私たちの生活(ブチャやイルペンは戦前のキーウの美しく裕福な郊外)に明らかに腹を立てていることが、見てとれました。彼らは、こんなものは見たことがない、私たちの生活水準に衝撃を受けていました。こうした羨望の念が、ロシアのプロパガンダに重なり、私たちはロシアの敵「ウクロプス(ウクライナ人の蔑称)」のレッテルを貼られ、そのためにさらに嫌われました。彼らはブチャでは誰も歓迎されなかったので、怒りと憎しみを、時間内に街を出なかった貧しいウクライナ人住民にぶつけたのです。」
追伸:ヴァディムは後日、以下のメッセージを当通信社に送ってきて、インタビューの本文に載せてほしいと頼まれた。「ソ連生まれの私は、ロシアがウクライナを攻撃するなんて、たとえ恐ろしい夢の中でも信じられませんでした。でも実際にやってしまった。この日、もし私がどこか外国にいて、テレビでホストメリ、ブチャ、イルペンが爆撃されているのを見たら、信じられなかっただろう…でも私はそこにいた、ブチャにいた、すべてを見たのです。第二次世界大戦中の軍隊が、ウクライナのアパートのドアを壊し、洗濯機やトイレを車に積み込んでいく古い映像を見たとき、信じられませんでした……。そして今、平和に暮らしていた人々の切断された死体やレイプされた女性たちを見ると、私の21世紀の人間の脳は、再びこの現実を信じようとしない。 今の私は、私と同じようにウクライナで今起こっていることに恐怖を感じるすべての人々を理解する準備ができています。しかし、それを見ていないからという理由で戦争犯罪を否定する人々を理解することはできません。ましてや、それを肯定する人たちを理解することはできません。」(原文へ)
INPS Japan
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