【東京INPS Japan=池田大作】
昨年2月に発生したウクライナを巡る危機が、止むことなく続いています。戦火の拡大で人口密集地やインフラ施設での被害も広がる中、子どもや女性を含む大勢の市民の生命が絶えず脅かされている状況に胸が痛んでなりません。避難生活を余儀なくされた人々も国内で約590万人に及んでおり、ヨーロッパの国々に逃れざるを得なかった人々は790万人以上にも達しました。
“戦争ほど残酷で悲惨なものはない”というのが、二度にわたる世界大戦が引き起こした惨禍を目の当たりにした「20世紀の歴史の教訓」だったはずです。また、徴兵されて目にした自国の行為に胸を痛めていた長兄が、戦地で命を落としたとの知らせが届いた時、背中を震わせながら泣いていた母の姿を一生忘れることができません。
翻って現在のウクライナ危機によって、どれだけの人が命を失い、生活を破壊され、自分や家族の人生を一変させられたのか―。
国連でも事態の打開を目指して、「平和のための結集」決議に基づく総会の緊急特別会議が40年ぶりに安全保障理事会の要請を受ける形で開かれたのに続き、グテーレス事務総長がロシアとウクライナをはじめとする関係国の首脳との対話を重ねながら、調整にあたってきました。
しかし危機は長期化し、ヨーロッパ全体に緊張を広げているだけでなく、その影響で食料の供給不足やエネルギー価格の高騰、金融市場の混乱が引き起こされ、多くの国々に深刻な打撃を及ぼしています。すでに今回の危機以前から、気候変動に伴う異常気象の頻発や、新型コロナウィルス感染症のパンデミックによる被害に見舞われてきた世界の多くの人々を、さらに窮地に追い込む状況が生じているのです。
戦闘の激化に加え、冬の厳しさが増す中で電力不足の生活を強いられているウクライナの人々はもとより、そうして世界の人々の窮状を食い止めるために、現在の状況をなんとしても打開する必要があります。
そこで私は、国連が今一度、仲介する形で、ロシアとウクライナをはじめ主要な関係国による外務大臣会合を早急に開催し、停戦の合意を図ることを強く呼びかけたい。その上で、関係国を交えた首脳会談を行い、平和の回復に向けた本格的な協議を進めるべきではないでしょうか。
本年は国際連盟の総会で「戦時における空襲からの一般住民の保護」に関する決議が行われてから85年、また、人間の尊厳が再び蹂躙されることのない時代の建設を誓い合った「世界人権宣言」が国連で採択されてから75年の節目にあたります。
国際人道法と国際人権法を貫く“生命と尊厳を守り抜くことの重要性”を踏まえて、現在の危機を一日も早く集結させるべきであると訴えたいのです。
ウクライナ危機の終結とともに、私が力説したいのは、現在の危機だけでなく今後の紛争も含める形で、「核兵器による威嚇と使用を防止するための措置」を講じることが、焦眉の課題となっていることです。
危機が長期化する中で、核兵器の使用を巡って言葉による牽制がエスカレートしており、核兵器に関するリスクは冷戦後の世界で最も高まっています。核戦争を招くような事態はどの国も望んでいないとしても、警戒態勢が続く今、情報の誤認や偶発的な事故、サイバー攻撃による混乱などが引き金となって“意図せざる核使用”を招く恐れは、通常よりも格段に大きくなっているのではないでしょうか。
昨年10月には、核戦争の寸前まで迫ったキューバ危機から60年となる時節を迎えていたにもかかわらず、ロシアとNATO(北大西洋条約機構)の双方が、核戦力部隊の演習を相次いで実施しました。緊張の高まりを前にして、国連のグテーレス事務総長は、「核兵器がもたらすのは安全の保障ではなく、大量殺戮と混迷だけである」との警鐘を鳴らしましたが、その認識を“21世紀の世界の共通基盤”とすることが、今まさに求められているのです。
私も、核兵器を「国家の安全保障」の観点から捉えるだけでは、深刻な問題を見過ごすことになりかねないと訴えてきました。1983年から40回にわたって重ねてきた提言を通して、「核兵器の非人道性」を議論の中軸に据えることの重要性とともに、一人一人の人間が生きてきた証しや社会と文明の営みが一瞬で無にされる「核攻撃の不条理性」にも、目を向けねばならないと論じてきました。
これらの点に加えて、今回、特に強調したいのは、核使用を巡る緊張がエスカレートした時、その切迫性の重力に縛り付けられて、人間が持つ“紛争の悪化を食い止める力”が奪われてしまいかねないという、「核の脅威に内在する負の重力」の問題です。
キューバ危機の際に、ソ連のフルシチョフ書記長が「結び目が固く縛られるあまり、それを結びつけた人間でさえそれを解く力がなく、そうなると、その結び目を切断することが必要になるような瞬間が来かねない」と述べ、アメリカのケネディ大統領も「われわれが核兵器をもっているかぎり、この世界は本当に管理することができないんだ」と語らざるを得なかったように、その状況は核保有国の指導者でさえ思うように制御できないものです。
まして、核ミサイルの発射を検討する段階に至った時には、破滅的な大惨事を阻止するために、紛争当事国の民衆を含めて世界の民衆の意思を介在させる余地は、制度的にも時間的にも残されていないのです。
核兵器による抑止政策で、自国を取り巻く情勢をコントロールしようとしても、ひとたび一触即発の事態に陥った時には、自国の国民を含めて世界中の人々を否応なく危機に縛り付けてしまう―。それが、冷戦時代から変わることのない核時代の実相であることに、核保有国と核依存国は今一度、厳しく向き合うべきではないでしょうか。
思い返せば、私の師である 戸田城聖第2代会長が「原水爆禁止宣言」を発表したのは1957年9月、核軍拡競争が激化する中でICBM(大陸間弾道ミサイル)の発射実験が成功し、地球上のどの場所にも核攻撃ができる状況が現実となった時でした。
当時広がっていた核実験禁止運動の意義を踏まえつつも、問題の解決には核の使用を正当化する思想の根を断ち切る以外にないとして、戸田会長が「その奥に隠されているところの爪をもぎ取りたい」と訴えたのは、“破滅的な大惨事によって世界の民衆を犠牲にすることも辞さない論理”への憤りに根ざしたものだったと思えてなりません。
宣言の焦点は、大勢の民衆の殺生与奪の権を握る政治的立場にある人々に対し、徹底した自制を求める点にあったからです。そしてまた、宣言の眼目が、核の脅威を前に人々が「自分が行動したところで世界は変わらない」と諦めてしまう状況を食い止め、民衆の手で核兵器を禁止する道を開くことを強く促す点にあったからです。
戸田会長がこの宣言を“遺訓の第一”と位置づけたことを、私は「人類のために留め置かれた楔」として受け止めました。
この遺訓を果たすために、私は各国の指導者や識者との対談で核問題の解決の重要性を訴え続ける一方で、SGIの取り組みとして、核時代からの脱却を呼びかける展示(下の映像参照)を継続的に開催してきたほか、意識啓発のための教育活動を世界各地で行ってきました。
その上で、「原水爆禁止宣言」発表50周年を迎えた2007年からは「核兵器廃絶への民衆行動の10年」をスタートさせて、同時期に世界的な活動を立ち上げていたICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)などと連帯しながら、核兵器を禁止するための条約の実現を目指してきたのです。
そうした中で、“どの国にも核兵器による惨劇を起こしてはならない”との、広島と長崎の被爆者をはじめとする市民社会の思いが結晶化した核兵器禁止条約が2017年に採択され、2021年に発効したことは、私どもにとっても遺訓の実現に向けての大きな前進となりました。
威嚇や使用だけでなく、開発や保有も全面的に禁止する条約に対し、核保有国が前向きな姿勢に転じることは容易でないとしても、核兵器による惨劇の防止の重要性については認識が一致しているはずです。
ウクライナ危機の終結に向けた緊張緩和はもとより、核使用が懸念される事態を今後も招かないために、核保有国の側から核兵器のリスクを低減させる行動を起こすことが急務であると思えてなりません。私が昨年7月、NPT(核兵器不拡散条約)再検討会議への緊急提案を行い、「核兵器の先制不使用」の原則について核兵器国の5ヵ国が速やかに明確な誓約をすることを呼びかけたのも、その問題意識に基づくものでした。
8月に行われた再検討会議では、残念ながら最終文書の採択に至りませんでしたが、NPT第6条が定める核軍縮義務は決して消えたわけではありません。最終文書の案に途中まで盛り込まれていたように、「先制不使用」をはじめ、非核兵器国に核兵器を使用しないという「消極的安全保障」など、核リスクの低減を進める点については、大半の締約国が支持していたはずです。
再検討会議での議論を出発点にして、77年間にわたってかろうじて続いてきた「核兵器の不使用」の状態を今後も守り抜き、核廃絶に向けた軍縮をなんとしても進める必要があります。
その足場となるものは、すでに存在します。アメリカ、ロシア、イギリス、フランス、中国の首脳が、「核戦争に勝者はなく、決して戦ってはならない」との精神を確認し合っていた、昨年1月の共同声明です。再検討会議でも、多くの国が共同声明に則った自制を求めただけではなく、五つの核兵器国も共同声明に触れながら、核保有国の責任を、“一つの円”の形に譬えれば、核攻撃を互いに行う核戦争を防止するための共同声明は、その“半円”にあたるものと言えましょう。
しかしそれだけでは、核兵器の使用の恐れはいつまでも拭えないままとなってしまう。その残された難題を解消するために欠かせないのが、「核兵器の先制不使用」の誓約です。
私どもSGIは再検討会議の期間中に、他のNGO(非政府組織)などと協力して、先制不使用の誓約の緊要性を訴える関連行事(右の映像参照)を国連で行いましたが、その誓約を“残りの半円”として昨年1月の共同声明に連結させることができれば、世界を覆い続けてきた核の脅威を凍結へと導くための礎となり、核軍縮を前進させる道を開くことができるのではないでしょうか。
また私が創立した戸田記念国際平和研究所でも、その時代変革を後押しするための会議を、昨年11月にネパールで開催しました。これまで先制不使用の方針を示した中国とインドに加えて、パキスタンの3か国がその原則を南アジア地域で確立することの重要性とともに、すべての核保有国が同じ方針に踏み出せるように議論を活性化することが必要であるとの点で一致をみたのです。
パグウォッシュ会議の会長を務めたジョセフ・ロートブラット博士も、かつて私との対談集で先制不使用の合意に関し、「核の全廃に向けたステップのなかで最も重要なもの」と述べ、その条約化を提唱していたことを思い起こします。
また博士は、核抑止政策の根源的な危うさについて「互いの恐怖心のうえに成り立っている」と深く憂慮していましたが、2005年の対談当時から歳月を経た今も基本的な構造は変わっておらず、そこからの脱却が人類にとって不可欠であることが、今回の危機で改めて浮き彫りになったのではないでしょうか。
「核兵器の先制不使用」の誓約は、現状の核保有数を当面維持したままでも踏み出すことのできる政策であり、世界に現存する約1万3000発の核兵器の脅威が、すぐに消え去るものではありません。しかし、核保有国の間で誓約が確立すれば、「互いの恐怖心」を取り除く突破口にすることができる。そしてそれは、“核抑止を前提とした核兵器の絶えざる増強”ではなく、“惨劇を防止するための核軍縮”へと、世界全体の方向性を変える転轍機となり得るものであると強調したいのです。
思えば、冷戦時代の国際情勢も、出口の見えないトンネルの連続であり、世界を震撼させる事態が相次ぎました。それでも人類は、打開策を見出しながら、厳しい局面を乗り越えてきたのです。
私がその一例として言及したいのは、キューバ危機に対する反省などに基づいて1968年に成立したNPTを受け、アメリカとソ連が取り組んだ「戦略兵器制限交渉」です。NPTの署名式が行われた日に開始の意向が表明され、第6条の核軍縮義務を踏まえて両国が核軍拡競争に初めて歯止めをかけようとした取り組みには、「SALT」という名称が付けられました。
英語で“塩”を意味する言葉にも通じますが、国家の専権事項として進めてきた核政策に自ら制限を加えることは、双方にとって容易ならざる決断だったと言えましょう。しかしそれは、両国の国民だけでなく、人類全体にとっての“生存の糧”として重要で欠くことのできない決断でもあったに違いない―。そうした背景が、「SALT」の文字から感じられてならないのです。
核戦争の寸前まで迫った危機を目の当たりにしたからこそ、同時の人々が示したような歴史創造力を、今再び、世界中の国々が努力し合って発揮することが急務となっています。
NPTの誕生時に息づいていた精神と条約の目的意識は、核兵器禁止条約の理念と通じ合うものであり、二つの条約に基づく取り組みを連携させて相乗効果を生み出しながら「核兵器のない世界」を実現させていくことを、私は強く呼びかけたいのです。(英文へ)(スペイン語)(ロシア語)
INPS Japan
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