【カトマンズIPS=クル・チャンドラ・ゴータム】
ジミー・カーター元米国大統領は、非の打ちどころのない誠実さと品格を備えたリーダーであり、生涯を通じて世界中の平和と民主主義の促進に尽力した。私は、ネパールの平和プロセスへの彼の貢献や、アフリカでの致死的な病気との闘いにおける彼の指導力を思い出している。
カーター氏は国連児童基金(ユニセフ)が主導する「子どもの生存キャンペーン」を熱心に支援した。彼はジム・グラント氏をユニセフの事務局長に指名し、それが自らの大統領任期中でもっとも重要な決定の一つであったと語っていた。
カーター氏は、平和と信念の人だった。1977年から81年までの激動の時代に米国を率い、ウォーターゲート事件やベトナム戦争という分裂の時代を経て、政府への信頼を回復するために懸命に取り組んだ。彼はイスラエルとエジプトの間で歴史的な和平合意を仲介し、パナマ運河をパナマに返還する歴史的な条約を交渉した。
カーター氏は、米国内および世界中で人権の擁護者として知られ、2024年12月29日、100歳で逝去した。
近年の米国大統領の中で、カーター氏ほど穏やかでありながらも確固たる姿勢で世界中の独裁政権に対して人権と法の支配を尊重するよう求めた人物はいない。彼が道徳的権威をもって国を率いていた時代、多くの人権擁護者たちは勇気づけられ、一方で独裁者たちは米国の制裁を恐れていた。
国内では、カーター氏は消費者保護、福祉改革、そして女性や少数派を司法界に登用するなど、多くの進歩的な法律を成立させまた。しかし、米国経済の管理やイラン人質危機、ソ連のアフガニスタン侵攻への対応には苦労した。そして1980年の大統領選挙では、ロナルド・レーガン氏に敗れ、彼の積極的な政治キャリアは終わりを迎えた。
しかし、カーター氏は快適な隠居生活に入ることはせず、民主主義と人権の促進に深く献身する、世界で最も尊敬される元国家元首の一人として高貴な使命に乗り出した。彼は「平和の推進、病気との闘い、希望の構築」をモットーにカーター・センターを設立した。
彼とそのチームは、紛争の解決を支援し、選挙を監視し、特にアフリカにおける世界最貧層に影響を及ぼすいくつかの忘れられた病気を撲滅するためのキャンペーンを通じて、人々の健康改善に向けてたゆまぬ努力を続けた。
「国際紛争の平和的解決、民主主義と人権の推進、経済的および社会的発展の促進に対する数十年にわたる不屈の努力」により、カーター氏は2002年にノーベル平和賞を受賞した。
ユニセフとネパールとのつながり
カーター氏はユニセフ事務局長のジェームズ・グラントを非常に高く評価し、ユニセフ主導の世界的な子どもの生存と発展キャンペーンを強力に支持した。また、ユニセフは、カーターが主導したギニア虫症(ドラコンクルス症)という衰弱を引き起こす病気を根絶するための世界的なキャンペーンにおける主要なパートナーでもあった。
私がカーター氏と初めて本格的に面会したのは、1995年8月3日、ワシントンDCで開催されたイベントにおいてであった。このイベントは、カーター・センター、USAID(米国国際開発庁)、WHO(世界保健機関)、ユニセフが共同で開催し、ギニア虫症の症例が世界的に95%減少したことを記念し、その完全な根絶への再コミットメントを示すためのものだった。
私はカーター氏と、ギニア虫症根絶の世界的なキャンペーンにおける協力を強化する方法について、長く有意義な話し合いをした。
2004年2月、私はカーター元大統領とWHO事務局長のJWリー氏とともに、ギニア虫症根絶のための視察および啓発活動のための3日間の現地訪問に参加した。訪問先はガーナで、そこでカーター氏の謙虚な人柄、多くの価値ある活動への深い献身、そして印象的な啓発スキルを目の当たりにした。
非公式な場での交流では、しばしばネパールについて話し合うことがあった。
カーター氏のネパールでの関与
カーター氏は、ネパールの制憲議会選挙を視察するために2度訪問した。彼は、選挙の監視や紛争解決における世界的な経験と信頼性を基に、選挙委員会をはじめとするネパールの指導者たちに助言を行った。カーター・センターは、ネパールの平和プロセス、憲法草案作成における課題、社会的正義や平等に関する重要な問題を扱った報告書を長年にわたって発表してきた。
私はカーター氏が平和、民主主義、発展を促進するための崇高な努力を支持してきた。しかし、他の誰もがそうであるように、カーター氏も人間であり、完全ではない。カーター・センターのネパールに関する報告書には、いくつかの欠陥が見られた。
特に、カーター氏が急いで下した「ネパール初の制憲議会選挙は自由、公正かつ平和的であった」という判断は、多くの農村選挙区で異常に高いレベルの威圧行為が存在したという事実を見落としていた。非マオイスト党の候補者たちは選挙活動を妨害され、実際の投票の数週間前から有権者は身体的暴力をちらつかされて脅されていた。
カーター・センター、国際危機グループ、さらには国連でさえ、ネパールの社会政治的力学に関する分析が善意ではあったものの不正確だった。彼らは「公平で中立的」に見えるよう努力する中で、マオイストの進歩的な響きを持つレトリックに過度の信用を与え、その暴力的かつ腐敗した実態を無視した。
カーター氏は、2013年の第2制憲議会選挙において、マオイストが当初は歓迎しながらも、結果的に大敗を喫すると選挙を「不正で不公平」と非難するという不誠実で二枚舌な態度を目撃した。
初回の制憲議会選挙とは異なり、カーター氏は第2回選挙では十分な時間をかけて分析を行い、マオイストの機会主義的で非民主的な本質をより深く理解したことで、やや冷静な姿勢で帰国した。
信仰と誠実さの人
カーター氏は深い信仰心と精神性を持つ人物であり、政治キャリアの中でしばしば信仰に頼った。しかし、人権と男女平等を擁護する進歩的な人物として、彼は南部バプテスト教会と対立することになった。この教会は、聖書の一部の節を引用し、女性は夫に「従属」し、聖職者として仕えることは許されないと主張していた。
カーター氏はこれに抗議し、自らのキリスト教信仰の基本理念に反するとして、痛みを伴う決断でバプテスト教会との関係を断つことを選んた。彼は同じバプテスト教徒に手紙を書き、また「平等のために宗教を失う」という見出しの記事を発表した。
カーター氏は死に対して哲学的かつ精神的な視点を持っていた。何度もがん治療を受ける中で、彼はこう語っていた。「神に生かしてくれと願ったのではなく、ただ死に対して正しい態度を持てるように願いました。そして、死に対して完全に穏やかな気持ちでいられることを発見しました。」
カーター氏の高潔な魂が永遠の安らぎを得られますように。(原文へ)
出典:カトマンズ・ポスト(ネパール)
クル・チャンドラ・ゴータム氏は、卓越した外交官であり開発の専門家、そして国連の元高官である。現在、彼は複数の国際的および国内的組織、慈善団体、公私パートナーシップの理事を務めている。過去には、30年以上にわたるキャリアの中で、複数の国や大陸で国連の管理職および指導的立場を歴任した。ユニセフ副事務局長および国連事務次長補として、国際外交、開発協力、人道支援における幅広い経験を有している。
INPS Japan/ IPS UN Bureau
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