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ラダックの仏僧が国境紛争の平和的解決に努力

【シンガポールIDN=カリンガ・セレヴィラトネ】

インドのS・ジャイシャンカル外相と中国の王毅外相が9月10日、モスクワで開催された上海協力機構外相会合に合わせて会談した。王外相は「インドと中国が、隣接する大国同士、異なった見解を持っているのは当前のことだ。」と述べた。

インドのNDVTネットワークよれば、王外相は、中印両国はともにアジアの新興国として、対立ではなく協力し合うべきであり、不信ではなく相互信頼を促進すべきだ、と述べたという。

ヒマラヤ山地にあるラダックは、インド領内で最も仏教人口の多い地域であるが、中心都レーで活動する仏教僧のサンガセナ師は、中印両軍が今年6月に国境付近で衝突し、インド兵20人が死亡してから、紛争の平和的解決を訴える運動を主導してきた。

Map showing the union territory of Ladakh shown in red. / By RaviC – Own work, CC BY-SA 4.0

サンガセナ師は、IDN-INPSのパートナーメディアであるロータス・ニュースが「WhatsApp」を使ってレーから行った取材に対して、「もし戦争が起これば、国境に接するラダックが真っ先に戦場となりここの人々が最も被害を受けます。そうなれば、カシミールやアフガニスタンのような状況になってしまいます。」と語った。

ナレンドラ・モディ首相が昨年、ジャンムー・カシミール州のラダック地方を連邦直轄領だと宣言した際、ラダックの仏教徒の間では安堵の声が広がった。というのも、この措置により仏教徒は初めてラダックの運営に関してより大きな発言権を得られると期待できたからだ。しかし、レーで様々な支援活動を行っている大きな仏教組織である「モハボディ国際瞑想センター」を率いるサンガセナ師は、インドの宗教指導者らは、間近に迫りつつある紛争について沈黙を保っていると嘆く。

「平和を促進するのがあらゆる宗教指導者の務めです。」「インドは、ヨギ(ヨガの指導者)、リシ(ヒンズー教の聖人)、ムニ(古代インドの苦行者)など、『非暴力が最大の義務だ』と語ってきた人々が多くいる土地柄です。だから、非暴力はインドのグル(導師)がまず唱える標語となってきました。しかし、中印間の国境紛争を平和的に解決するよう訴えるグルがいないことに、驚いています。」と、サンガセナ師は語った。

9月8日、「平和のために働き、歩き、祈る」の標語の下に、サンガセナ師は、仏教徒だけでなく、ムスリム、ヒンズー教徒、キリスト教徒、シーク教徒など地元の宗教指導者らによる行進を実行した。彼らは、地域で深刻になっている憎悪と緊張、恐怖、不安定をなくすために祈るとともに、それぞれの宗教の代表が、無知を克服し、平和に共存するための知恵を説いてまわった。

SDGs Goal No. 16
SDGs Goal No. 16

「インドの大半のメディアには本当に失望しています。メディアは憎悪や戦争、暴力を煽り、民衆を誤った方向に導いています。これは本当に悲しいことです。メディアには国民に対する道徳的責任感が欠けています。」とサンガセナ師は語った。

ムンバイ大学でメディアとジャーナリズムを専門のサンジェイ・ラナデ教授は、「インドの報道は、マハトマ・ガンジーやガウタマ・シッダールタ(釈迦)といった人物を取り上げながら平和について語っているが、好戦愛国主義的な傾向が強い。国際紛争で調停者として役割を想像することは、今のインド報道機関の編集部門には手に余ります。彼らは、支配的な体制に歩調を合わせるか、そうでなければ、野党勢力に味方するかしかないのです。」と、ロータス・ニュースの取材に対して語った。

ラナデ教授は、中国とインドが長年の宗教的な紐帯を有している文明であるにもかかわらず、宗教指導者らが中印紛争に関して沈黙を保っていることについて、「彼らは明らかに政治家らとの付き合いがあるにもかかわらず、『インドの宗教指導者は政治問題について発言しない。』と主張しています。彼らはまた、中印情勢については、宗教指導者ではなく、政治家や軍人が分析しコメントすべきものだと考えています。」と、語った。

ラナデ教授は、「そのひとつの理由は、この国の宗教活動の範囲がヒンズー=ムスリムの二重構造という枠に押し込められてきたためだと思われます。インドが長年にわたって9つのダルシャナ(哲学・宗教思想体系)の揺籃の地であったにも関わらず、(今日の)宗教指導者らは、神智学や哲学よりも、狭い儀礼の問題にばかり焦点を当ててきました。」と語った。

インドの元外交官ファンチョク・ストブダン氏が昨年『ヒマラヤ仏教圏を巡るグレートゲーム:戦略的支配を目指すインドと中国』という時宜を得た書籍を上梓した。同氏は、インド・中国両国とさらに隣接するネパール、ブータン王国に跨るヒマラヤ山岳地域は、新たな地政学上の対立地点になりつつあると警告し、中印両国が協力して同地域の仏教徒を支援し、仏教哲学が説いてきた平和的共存を促進すべきだと論じている。

自身も仏教徒であるストブダン氏は、「ヒマラヤ地域は、もう半世紀にもわたって、インドと中国の代理勢力による対立の場となってきました。」と指摘したうえで、「ラダックからアルナチャル・プラデシュ州に至る山岳地帯を覆う地域は、中印両大国間の国境紛争の温床となり、時として軍事衝突に発展してきました。また、米国のような外部勢力が、チベット問題を利用してこの地域に不和の種を蒔くことも考えられます。」と語った。

6月に中国による国境侵犯が問題になっていた際、ストブダン氏は、なぜダライ・ラマ猊下は国境問題に関して沈黙しているのかとテレビ番組で発言して、物議をかもした。「どうして中国軍がそこに来るのか。 誰が、そこが中国の土地だと言ったのか。 中国人はそこには住んでいないというのに、ダライ・ラマ猊下はなぜ黙っているのか。なぜ猊下は、ここはチベットの領域ではなく、インド領土だと言わないのか。」と矢継ぎ早に疑問を投げかけたうえで、「ダライ・ラマ猊下は発言すべきだ。中国が土地を奪おうとしている時に、祈りばかり捧げているわけにもいかないだろう。」と語った。

チベットの宗教指導者を非常に尊敬しているレーの仏教コミュニティーはこれらのコメントに反発し、抗議の意思を示すためとして1日間すべての店舗を閉鎖した。

その後ダライ・ラマは、雑誌のインタビューの中で、「近年、インドと中国は互いを競争相手とみなすようになってきています。いずれも人口10億人を越える大国です。いずれの強国も、他方を倒すことなどできない。つまり共存していくほかないのです。」と述べている。

サンガセナ師は、「私が平和的解決について語るとき、それが国の主権を譲り渡すとか、領土の安全を犯すといったことを意味しているわけではありません。そうではなく、信仰心を持っている人は国境の枠を越えて平和を促進しなくてはならないということを言っているのです。」と語った。

他方、ロシアが仲介したジャイシャンカル=王外相会談の終わりに、中印両国は、国境付近の部隊の撤収や緊張緩和など、現在の状況に関する5項目の合意を行った。

共同宣言によると、両外相は、国境付近での緊張は双方にとっての利益にならず、両国は「国境地帯の平和と安定を維持し高めるための新たな信頼醸成措置を取るための努力を加速すべき」ことで合意したという。(原文へ

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「緑の万里の長城」が2030年への道を切り開く

【ボンIDN=リタ・ジョシ】

グレート・グリーン・ウォール計画により、この13年間でサハラ砂漠の南縁部に広がる2000万ヘクタールの荒廃した土地が回復された、とする報告書が発表された。報告書は9月7日、サヘル地域に点在する11カ国(セネガル・モーリタニア・マリ・ブルキナファソ・ニジェール・ナイジェリア・チャド・スーダン・エリトリア・エチオピア・ジブチ)の環境相が、地域のパートナーや国際機関、開発機関と共に開いたオンライン閣僚会議で発表された。

「緑の万里の長城」とも呼ばれるこの計画は、アフリカ連合の主導で2007年に開始されたもので、アフリカを横断する形で、セネガルからジブチまでのサハラ砂漠南縁部に沿って長さ8000キロ・幅15キロにわたる長大な「緑の壁」を構築(多様で適応力の高い在来植物を植樹しその周辺に農地を形成)し、従来砂漠化により貧困と慢性的な食糧不足に苦しんできたサヘル地域の人々の生活を変革しようというものである。この計画が完了すれば、オーストラリアのグレートバリアリーフの3倍もの規模に及ぶ、地球上最大の生態構造物が出来上がることになる。

閣僚会議で発表された「緑の万里の長城:実施状況と2030年に向けた見通し」は、この壮大な環境修復活動に関する初の包括的な現状報告書である。これによると、2007年から18年にかけて新たに35万人以上の雇用と約9000万ドルの収入が創出されている。

SDGs Goal No. 15
SDGs Goal No. 15

砂嵐を防ぎ空気や土壌に潤いをもたらす「緑の壁」が構築されたことにより、農産物の生産と収穫が可能になったため、これまでに22万人以上が、農業・牧畜と非木材生産物の持続可能な生産に関する訓練を受けた。また、これまで回復された緑地帯(計画全体の20%に相当)では、2030年までに300メガトンCO2以上が吸収される見込みで、これは全体目標のおよそ3割に当たる。

報告書はまた、2030年までにサヘル地域の1億ヘクタールの荒れ地を再び農業が可能な土地に回復するという目標を達成するには、参加11カ国は毎年43億ドルを投じて820万ヘクタールの土地を回復していく必要があると指摘している。また計画では、2030年までに1000万人の雇用創出を目指している。

アミナ・モハマド国連副事務総長は閣僚会議の挨拶の中で、「緑の壁は、サヘル地域に暮らす数百万の人々の生活に変革をもたらすでしょう。植林や商品作物の栽培・収穫に従事する雇用が増え、食糧事情の改善により健康が増進し、地域住民の生活はより安定したものになります。そして、コミュニティーのレジリエンスが増し、全ての人が恩恵を受けられる経済成長へとつながっていきます。」と語った。

モハマド副事務総長はさらに、「新型コロナウィルス感染症がもたらした被害を調査し、強力な刺激策を通じた再建計画が模索される中で、包摂的で持続可能な経済対策および復興策として、『緑の万里の長城』計画という絶好の投資機会を逃してはなりません。」と語った。

国連砂漠化対処条約(UUCCD)のイブラヒム・ティヤゥ事務局長は、「この計画は、緑の壁を構築している地域社会に対して直ちに目に見える恩恵をもたらしており、国際レベルにおいても、生態系に長期的なプラスの効果を生んでいます。つまり、各国が夢を描き、協力し合い、正しい方針を採るならば、共に繁栄し、自然と調和して生きていけることを、この大規模植林計画は実証しているのです。」と語った。

閣僚会議の閉会にあたって、「緑の万里の長城に関する共同宣言」が発表され、ポストコロナの経済回復や貧困削減、生態系の回復、気候変動への対応と緩和、女性のエンパワーメント、突発的な経済的移民への対処、雇用創出を達成する上でテコとなる、この計画の可能性に焦点があてられた。

共同宣言は、持続的で多面的な支援の必要性と、この計画の目標を達成するための、あらゆるパートナーによる積極的な参加を強調した。

閣僚らは共同宣言の中で、「各地の社会経済、さらには生態系にも短・中・長期にわたる影響を及ぼす新型コロナウィルス感染症が蔓延している世界の保健状況」に対して深い懸念を表明するとともに、従来、社会の悪化からテロリズムの温床や、欧州への移民の供給源となってきたサヘル地域で永続的な平和と安定を打ち立てるためには、「安全保障・経済開発・社会福祉の領域における共同の努力を必要といている。」と指摘した。そして、「緑の万里の長城」計画を引き続き履行していくことが、参加11カ国にとって最優先事項であり、各々の参加国が領域内に構築していく「緑の壁」を、ポストコロナの経済回復や、持続可能な開発目標の達成、「アジェンダ2063」、パリ協定の達成に向けたテコの一つにするという共通のビジョンを改めて表明した。

閣僚らは、気候変動ファンドや国連砂漠化対処条約、地球環境ファシリティ、世界銀行グループ、欧州連合、アフリカ開発銀行グループ、フランス開発庁等の関連する二国間パートナーなどの諸パートナーに対して、「緑の万里の長城」計画に関する包括的なプログラムに対して、継続的かつ多面的な支援を提供するよう求めた。(原文へ

Africa’s Great Green Wall. Source: FAO

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This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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|視点|先住民の土地管理の知恵が制御不能な森林火災と闘う一助になる(ソナリ・コルハトカル テレビ・ラジオ番組「Rising up with Sonali」ホスト)

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【ロサンゼルスIDN=ソナリ・コルハトカル】

カリフォルニア州南部に20年以上暮らしているが、住まいが火災避難区域に指定されそうになったことはない―ただし今のところはだが…。あたかもカリフォルニア州全体が燃えているかのようだ。山火事シーズンはまだ数カ月残っているにもかかわらず、今年だけで既に記録的な200万エーカー(東京の4倍近い面積)が焼失している。あまりにも深刻な事態に、州消防当局は「全ての山火事に対処するには人手が足らない。」と警告している。

山火事の発生地はカリフォルニアの最北部からメキシコ国境地帯まで全州に点在しており、数万人に退避勧告が発令されている。同州で山火事が発生するのは珍しいことではないが、またたく間に広がる大規模火災が数週間ごとに頻発するのは不自然で異常事態だ。そしてなによりも重要なことは、実行さえすれば長期的な解決策があるにも関わらず、顧みられていないことだ。

Western US states have been battling close to 100 wildfires, blanketing the majority of the west coast in smoke. Captured on 10 September, this Copernicus Sentinel-3 image shows the extent of the smoke plume which, in some areas, has caused the sky to turn orange./ By Contains modified Copernicus Sentinel data 2020, Attribution/ Wikimedia Commons.

現在、メディアや市民の注目は山火事の原因に向けられている。あたかも、あらゆる火元を消せば山火事が頻発する最悪の事態に潜む問題を解決できると考えているかのようだ。今年最も暑かった日に開かれた性別発表パーティーで使われた花火付き発煙装置がエルドラド火災の原因であった。この火事はロサンゼルス市の東方70マイルの1万エーカー以上を焼き尽くした。この火災を引き起こした人々や性別発表パーティーそのものに対する批判がおこっているのは当然のことだが、ここで注目しておくべき点は、大火災を引き起こす自然条件が完全に整ってしまっており、なにが出火原因かという点はさほど重要ではないという事実だ。

ベイエリアでは8月に1万件を超える落雷で火災が発生した。2018年11月にはカリフォルニア史上最悪の山火事で15エーカーが焼け86人が死亡、引退後の高齢者が多く暮らしていたパラダイスという街が焼失した。キャンプファイヤと名付けられたこの山火事は、地元電力会社が所有する高圧送電線の不具合が出火の原因だった。このような山火事が引き起こされる環境そのものに対処する長期的な視野に立った取り組みがなされない限り、将来引き起こされる山火事の出火原因は、禁止されている花火だったり、無許可のバーベキューだったり、或いは一本の煙草の火の粉さえ大惨事の引金になりかねないだろう。より差し迫った問題は、そもそもどうしてこのような極端な山火事が発生する環境条件にあるのかという点だ。

気候変動がその原因の一つである。春に雨が多く降ったため例年よりも雑草や低木が育ち、それが例年以上に暑い夏が到来で乾燥し山火事の燃料と化してしまっている。気候学者らは、「極端に雨が多い時期の後に極端に乾燥する時期が続くサイクルが今後一層頻繁に起こり、カリフォルニア州の住民に大きな影響を及ぼす。」と予測している。

いま一つの原因は、山火事の燃料となってしまう大量の枯草・低木管理の問題だ。アリ・メ―ダース‐ナイトさんは、カリフォルニア北部チコ出身のメチョーダ族の女性だ。彼女はこれまで20年以上にわたって、部族森林管理プログラムの渉外担当として「伝統的生態学知識(TEK)」として今日知られる伝統技術を実践してきた人物である。この森林管理プログラムは、まさに制御不能で多くの被害者を出すに至った大火災の原因となっているカリフォルニア州の誤った土地・燃料管理政策の問題に取り組む内容となっている。メ―ダース‐ナイトさんは、私の取材に対して、「自然界の植物や土地は元々火に適応しているのです。地域は(森林に息づく生命のサイクルとして)火に順応しており、むしろ火を必要としているのです。」と説明した。

環境保護団体グリーンピースは「原野に発生した火を徹底的に消すという土地管理政策が数十年に亘って行われてきた結果、かえって異常に大規模で激しい山火事を引き起こす自然条件、すなわち燃焼負債(Fire deficit)が蓄積された状態が作り上げられた。カリフォルニアのユニークな生態系は、特定の動植物相が依存する定期的な火災のサイクルを基礎に進化してきたが、白人による支配がはじまると、先住民による火災管理の知恵は全面的に否定され一掃された。」と述べている。メ―ダース‐ナイトさんは、「私たちには、少ない火(=雑草や低木を適切な時期に燃やす野焼きで大火災を防ぐ)か、大規模火災かを選択するしかありません。全く出火がないという選択肢はないのです。)」と語った。

ダイアン・ファインスタイン上院議員(カリフォルニア州選出:民主党)は同州における火災管理を先導しているが、これは全く間違った方法で進められてきた。「山火事からコミュニティーを守る」と主張して同上院議員が提出した法案は、明らかに「カリフォルニア州の森林景観を守る体制を改善し再生プロセスを促進する」ことを意図したものだった。しかし現実には、そもそも森林火災の元凶の一部でもある木材産業界が、森林景観の名の下に電線や道路沿いの森林を大量に伐採できる仕組みとなっている。

Coast Redwood forest and understory plants — in Redwood National Park, California./By Michael Schweppe

グリーンピースは、「徹底した消火政策を強く支持してきた木材産業界の広報担当は、皮肉にも、数十年に亘って自ら加担してきた森林管理政策の失敗(例:密集しすぎた森林は大規模火災の原因として危険)を正すためとして、より積極的な森林伐採を呼びかけている。」と要約した。メ―ダース‐ナイトさんは、「木材産業界の関心は、利益のために樹木を伐採することのみであり、土地の管理や再生あるいは流域管理について関心もなければ専門知識も持ち合わせていません。」と指摘したうえで、ファインスタイン法案を「粗野」で、「極めて無知」なものであり「災害便乗型資本主義」に他ならないと非難した。

カリフォルニア州では何十年もの間、かつて先住民が定期的に管理された火付けを行っていた文化的慣行を禁止してきた。しかし今では、メ―ダース‐ナイトさんは先住民部族の新世代のリーダーの一員として、祖先から代々継承されてきた野火を管理する土着の知恵について、人々を訓練して認定する活動を行っている。要するに、古来の知恵は文字通り火をもって火を制するという発想に基づくものだ。研修は、同州固有の動植物の種類と生態系の中でそれぞれの品種が果たす役割を識別し理解するところから始まる。この土着の火災管理手法は、山火事が発生しやすい夏の乾期前の、やや湿った風も弱い時期に、育ちすぎた雑草や低木を付け火で取り除いておくというものである。

こうした古来の手法が現代にどれほど通用するものだろうか。メ―ダース‐ナイトさんは、「管理された火付けを行う最適な日時を、数週間や数カ月前から正確に予測することは困難なため、州当局による認可手続きをより柔軟にする必要があります。(山火事が多数発生する)最も暑い時期にあらゆる火災を鎮火する任務を担っている消防士たちを、もしそれ以外の時期に『火を取り扱う技術者』として先住民の火災管理手法を訓練することができれば、今と比べて繁忙期に彼らが直面する危険を低減し負担を減らすことにもつながります。」と語った。彼女は、とりわけ新型コロナによる大量失業と住宅危機が深刻な今日、これはカリフォルニア州が推進している「グリーンジョブ」の一角を担いうる「新たな労働力を開発するイニシアチブ」だと考えている。森林火災の消火活動にあたる厚生プログラム(時給1ドルで正規消防士への道が開かれている)に参加している受刑者らも、このイニシアブから恩恵を受けられる可能性がある。

火災管理に関するこうした土着技術が特筆すべきなのは、気候変動の緩和にも貢献できる点である。オーストラリアでは、類似した土着の技術が小規模ではあるが、山火事対策として既に実行に移されている。このプログラムは死者を出す大火災を減らすという短期的目標と、気候温暖化を促進する炭素排出を削減するという長期的な目標双方に非常に有益なことが証明されている。

SDGs Goal No. 15
SDGs Goal No. 15

ニューヨークタイムス紙は、「(オーストラリアの)土着の火付けプログラムは7年前に開始され、激しく破壊的な森林火災の発生を半減、炭素排出量も40%以上削減した。カリフォルニア州の場合と同じくオーストラリアにおいても、管理された付け火は、ヨーロッパ人が渡来する以前は極めて重要な森林管理手段だった。」と報じている。

カリフォルニア州は、このおぞましい死者を出す森林火災の被害を何世紀にもわたって被ってきた。しかし(もし国であれば)世界第5位の経済大国に相当する同州が、この壊滅的な山火事の被害に屈するのは決して避けられない運命ではない。火災管理に対するファインスタイン法案と先住民による火を駆使する伝統技術の違いは、前者はこれまで機能してこなかったうえに、資源採掘産業が短期的な財務利益を得る資本主義的利益ベースモデルである点である。一方後者のアプローチは、企業利益を膨らませることはないが、そのかわりカリフォルニア州の住民全体の利益に資する骨の折れる取組みに根差している。はたして私たちはどちらの道筋を選択するのだろうか。(原文へ

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【ルンドIDN=ジョナサン・パワー】

史上最も残酷な人間の一人が9月2日、カンボジアの首都プノンペンで亡くなった。通称「ドッチ」として知られるカン・ケク・イウ(享年77歳)で、カンボジア特別法廷で起訴された5人の被告の中で、唯一虐殺への関与を認め、人道に対する罪等で有罪を宣告された人物である。私は、2010年7月の法廷で彼が終身刑を宣告される場面を直接目撃している。

クメール・ルージュ』を率いたポル・ポトがカンボジアを支配した民主カンプチア時代(1975年~79年)にニューヨーク・タイムズの同国特派員を務めたセス・マイダンズ記者によれば、「彼は、クメール・ルージュが政権を握る前は数学の教師だった。彼は自らの通称『ドッチ』を児童書に出てくる従順な少年の名前からとっている。『先生を尊敬し、良い行いをし、躾のよくできた男子になりたかった。』と彼は法廷で証言した」という。

「ドッチはその従順さでクメール・ルージュの指導層にとって使える構成員となった。命令を実行しなければ、自身の命も危なかった、というのが彼の主な言い分だが、拷問が蔓延る収容所を運営するうえで彼が発揮した熱心さや創造性、残虐さを考慮すれば、そうした自己弁明は見合わない。収容所ではドッチの命令で約1万5000人が亡くなった。また彼が法廷の場で見せた自己主張の強さと傲慢さは、当時の罪を『若気の至り』などで説明できるものではない。」

Tuol Sleng is the former Tuol Svay Prey high school which was taken over by the Rode Khmer in 1975 and used by the special security service of Pol Pot. The building was used as a prison (S-21) and torture chamber. The prisoners were “interrogated” (tortured) in the building to the left. The large building is one of the prison cell complexes./ By Michael Gruijters at Dutch Wikipedia, CC BY-SA 3.0

カンボジアの人々は、ドッチが当時の主要な政治犯収容所(S-21トゥールスレン)を取り仕切った指揮官の中でもとりわけ残虐な人物であったことを知っている。「たとえ死に至らしめたとしても、熱い方法を使え」という命令を実際に発した人物であった。ドッチは、17人の子どもたちのリストの端に、「皆殺しにしろ」と書いた。皮肉なことに、彼は後に、「脅して取った自白は信じるに足らない。なぜなら真実はその中の4割に過ぎないという結論を拷問を通じて得たからだ。」と述べている。

しかし、ひとたび捕えられると、彼は自身を別の人間として印象付けようとした。「私の自叙伝は聖パウロのようなものだと思う。」とドッチは記者のネト・サイヤーに語った。サイヤーはこの奇妙な話を『ファー・イースタン・エコノミック・レビュー』誌に掲載した米国人記者である。「殺害と過去については、残念に思っている。私はよき共産主義者であろうとしただけだ。人生の折り返し地点を過ぎて私は、人々を助ける神の仕事を行うことで、神に仕えたい。」しかし、ドッチは実際には余暇の大半を豪華なレストランで過ごしていたようだ。

カンボジアは、ベトナム戦争中、ヘンリー・キッシンジャー国務長官(当時)の方針により、米軍の激しい爆撃(投下総量は第二次大戦で日本に投下したものの約3倍にのぼり、数十万人の農民が殺害された)に晒された。これは戦争犯罪に他ならないが、キッシンジャー氏は今日でも米国の政治エリートの間で称賛されている。

北ベトナムは対米戦争の間、隣国で中立のカンボジア領を通過して南ベトナムの協力者に武器を送っていた。カンボジアは、米軍の大規模な爆撃によりほぼ全土が荒廃した。その政治空白を埋めたのがポル・ポト率いるクメール・ルージュであった。彼らは、1979年にベトナム軍に追われるまで3年9カ月にわたってカンボジアを支配した。

An aerial view of the Bomb crater in Kandal Province, Cambodia. In the 1970s, the US government ordered bombings in Cambodia and Vietnam.

クメール・ルージュが権力を奪取して1週間後、首都の住民200万人に対して街を退去して農村で働くよう命令が下された。強制移住は、性急かつ無慈悲な形で行われ、人々は着のみ着のままで家を後にするしかなかった。子どもたちは親から引き離され、老人や病人の多くを含む数千人が道中で斃れた。約170万人が、処刑や拷問、飢餓、医療放置、過労によって死亡した(映画『キリング・フィールド』はこの問題を扱ったものである)。

共産主義のクメール・ルージュは、これこそが、カンボジアを階級のない農業社会に変革する平等化のプロセスだと信じて疑わなかった。彼らは、貨幣や自由市場、通常の教育、外国由来の服装、宗教的慣行、伝統文化を廃した。公的・私的交通機関もなく、私有財産も、革命と関係のない娯楽も存在しなかった。人々は1日12時間の労働と党が決めた相手との集団結婚を強制された。また、家族に愛情を示すことは禁じられ、抵抗するものや異議を申立てる者は、数千人単位で後頭部を撃ち抜かれて処刑された。

クメール・ルージュによる残虐な支配は、(ソ連に支援された)ベトナム軍と、カンプチア救国民族統一戦線がプノンペンを陥落させた1979年1月にようやく終わりを告げた。

Flag of Democratic Kampuchea/ Public Domain

クメール・ルージュはカンボジア西部に逃れ、難民を装ってタイ国境近くで勢力の再構築を図った。ユニセフやその他の国連機関、西側諸国のNGOは、この殺人的な集団の言い分に騙されて、彼らに医療支援を提供し、勢力温存に加担させられてしまった。

北ベトナムに敗北した痛手を引きずっていた米国は、「敵の敵は友」という古い格言に従って行動し、クメール・ルージュに国連でのカンボジア代表の資格を与えるよう国連に要求した。ソ連ブロックは反対したが、スウェーデンを除く欧州の西側諸国も米国の主張を支持したため、1979年から1990年の間、クメール・ルージュがカンボジアを代表する唯一の正当な政権とみなされ、民主カンプチアの国旗がニューヨーク国連本部の外に翻った。

その後ジェラルド・フォード、ジミー・カーター、ロナルド・レーガン政権を通じて、この方針は継続された。ジョージ・ブッシュ(父)政権になって初めて、この寛容政策は終わりを告げた。

この茶番がようやく終わった後も、クメール・ルージュは1990年まで存在し続けた。それまでに、指導層は既に亡くなるか、ベトナムが支援するカンボジア政府に逮捕されるか投降していた。現在もカンボジア首相であるフン・セン氏はその代表格である。

欧米諸国がクメール・ルージュを国連で擁護していた時期、西側の多くの左派系知識人や活動家もクメール・ルージュを支援し続けた。彼らは、クメール・ルージュは古い秩序を一掃しようとしている道徳的に正しい共産主義勢力であるとみていた。彼らは、『ニューヨーク・タイムズ』や『ワシントン・ポスト』、『ル・モンド』、そして私も寄稿していた『インターナショナル・ヘラルド・トリビューン』が大量虐殺について報じていたにも関わらず、見て見ぬふりをした(その他のメディアは、多かれ少なかれこの問題を無視した)。

SDGs Goal No. 16
SDGs Goal No. 16

米国が親クメール・ルージュの方針を撤回した直後、国連の五大国は、カンボジアを国連の保護下に置く決定を下して世界を驚かせた。対立する各派の軍隊は武装解除させられ、公正な投票を通じて選ばれた民主的な新政府が樹立されることとなった。国連はかつてこのような行動に出たことがなかった。

1991年10月、カンボジアの国内4派と19カ国の代表がパリに一堂に会し、和平協定を結んだ。ブッシュ政権のジェイムズ・ベーカー国務長官はパリ和平協定で「この問題がいかに特異であり、国際的な支援を切実にしているのは、カンボジアの人々が被ってきた苦しみの大きさにある。」と述べた。

にもかかわらず、まもなく米国の関心は対イラク戦争に向かい、カンボジアへの関心は失われることになった。次のビル・クリントン大統領は、カンボジアには無関心か、あるいは既に忘れてしまっているかのようだった。

Martin Luther King, 1964/ By Nobel Foundation – Description page (direct link), Public Domain

正義が行われたのは、国連がフン・セン政権に対して、カンボジア人と国連が指名した裁判官から成る戦犯法廷の設置に同意するよう説得してからのことだった。カンボジア特別法廷が本格的に運営開始したのは、クメール・ルージュが崩壊してから実に7年後のことだった。

カンボジア当局はついに、「ドッチ」と、クメール・ルージュの外相だったイエン・サリ、その妻で元社会問題相でもあったイエン・チリト、他に2人の重鎮(ヌオン・チアとキュー・サムファン)を逮捕した。アルツハイマー病により裁判を赦免されたイエン・チリトを除く全員に有罪判決が下された。

こう問う者もあるかもしれない。外部の世界はこの問題にどの程度関心を持ち、あるいはどの程度知っているのか。クメール・ルージュは歴史の中に消えてしまった。手遅れになるまで世界が無視するような大量虐殺(ジェノサイド)が今後も起こるのだろうか、と問う者もあるかもしれない。ありうる話だ。1994年にルワンダで起きたジェノサイドは無視され、外部の世界ではその実情はほとんど知られていない。マーチン・ルーサー・キング牧師がかつて言ったように、「我々は沈黙の夜を破らねばならない……どんな嘘も永遠に生き続けることはない……真理は、地に押しつぶされても、再び昇るのだ。」(原文へ

INPS Japan

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【コペンハーゲンIDN=ジョン・スケールズ・アベリー

ノーム・チョムスキー教授はかつて、米国の共和党は「世界史上最も危険な組織」と呼んだが、その理由は、気候変動を否定し石化燃料巨大企業へ支援するのが同党の特徴だからだ。2018年国連気候変動に関する政府間パネル(IPCC)特別報告は、石化燃料の採掘・使用を止めるまでの猶予がかなり短いことを明らかにした。もし国際社会が10年以内に石化燃料の使用を止められなければ、『フィードバックス』と呼ばれる地球上の重要な転換要素が活性化され、その時点でたとえ人類が温室効果ガスの排出を停止できたとしても、地球全体がさらに高温になっていく『ホットハウス現象』が発動する可能性がある。この不可逆なプロセスが現実のものになれば、地球は生命が存続不可能な環境となり、大規模な種の滅亡が引き起こされることになる。

John Avery

気候変動の最悪の影響が現実のものとなるのはしばらく先の話だが、今日生きている子どもたちはこのリスクに晒されることになる。私たちは愛情をもって子供らの世話をするが、子供たちや彼らの子孫が生存していける世界を引き継ぐための努力をしないならば、そうした世話も意味をなさないものとなるだろう。

世界が燃えている

人類が壊滅的な気候変動の脅威に直面するのはしばらく先の話だが、今日その影響の一端を目の当たりにしつつある。例えば、カリフォルニア州が気候変動の影響で未曽有の火災に見舞われている。同州森林保護防火局によると8月28日現在、7175か所で発生した火災により約166万エーカー(約6717平方キロメートル)が焼失した。

北極圏も燃えている。北極圏に位置する北東シベリアの街では、今年6月、観測史上最も暑い摂氏38度を記録した。溶解が進む北極圏の永久凍土やシベリア北方沖の浅瀬から危険な温室効果ガスであるメタンが大気中に噴出しているのだ。

さらに、北極圏で多発している山火事は未曽有の量の二酸化炭素を大気中に放出している。北極圏で確認された山火事は2003年から18年は年間平均100件程度だったが、19年には400件、今年は7月下旬時点で既に600件が確認されている。

SDGs Goal No. 13
SDGs Goal No. 13

2020年のハリケーンシーズンは例年より早く到来し、8月には観測史上最大規模のハリケーンローラがルイジアナ州に上陸した。グリーランドの氷は溶け続けており、南極では氷床の崩壊が進行している。しかし、こうした明らかに危険な兆候が表れているにもかかわらず、2020年大統領選挙に向けた政治キャンペーンでも米国メディアでも、気候の非常事態については、ほとんど取り上げられていない。本来ならば、気候変動の問題こそが、議論の中心に据えられるべきだ。

バーニー・サンダース氏は最近以下のコメントを述べている。「政治家らが気候変動は現実ではないと言うとき、これは、彼らが単に嘘をついているとか、科学を否定しているという問題にとどまりません。彼らのそうした発言は、今日気候変動の影響を現実に経験しているルイジアナ州の人々に背を向けているに等しい行いなのです。」

私たちは、何が迫りつつあるのかは理解しつつも、実際に関心を示すのは気候変動がもたらす目前の脅威に限られる傾向にあります。しかし、私たちはあらゆる将来の世代に責任がありますし、壊滅的な気候変動が現実のものとなれば絶滅に瀕することになる地上の全ての生き物に対して責任があります。私たちが実際に直面している危機を理解するには、温室効果ガスが引き起こした前例としてペルム紀三畳紀絶滅を想起すべきです。その際、96%の海洋生物と70%の陸上脊椎動物が絶滅した。

2020年大統領選挙は極めて重要

11月の米大統領選挙が極めて重要になるのは、単に再選を目指すドナルド・トランプ氏のネオ・ファシズム的な傾向が問題だからなのではない。それよりもむしろ、気候変動を否定し石化燃料巨大企業を支援する共和党が政権と議会の主導権を保持すれば、生命を破壊する地球温暖化から世界を救う全ての希望が失われてしまうことになりかねないからだ。来る選挙に影響力を行使できる或いは投票できるあらゆる人々は、民主党の勝利に向けて熱心に取り組むべきだ。(原文へ

INPS Japan

*ホットハウス現象:地球温暖化が産業革命以前に比べて2度上昇すると、しばしば『フィードバックス』と呼ばれる地球上の重要な転換要素が活性化され、その時点でたとえ人類が温室効果ガスの排出を停止できたとしても、地球全体がさらに高温になっていく可能性が指摘されている。突然の変化につながるいくつかの「転換要素」を含む10種類の自然システム(永久凍土の融解、海底からのメタン水和物の減少、陸上や海中での二酸化炭素吸収量の減少、海中におけるバクテリアの増殖、アマゾン熱帯雨林や北方林の立枯れ、北半球の積雪の減少、北極圏・南極圏の海氷や極域氷床の減少)は「フィードバック・プロセス」と呼ばれる。これらの自然システムは、温暖化が一段と進んだ世界では、今のように二酸化炭素を吸収する「人類の友」である存在から、一転して無制限に二酸化炭素を排出する「人類の敵」になる可能性があると指摘されている。

*視点で表明されている観点は著者の個人的な意見であり、必ずしもIDN-InDepthNewsの編集方針を反映するものではない。

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【ニューヨークIDN=マーシャル・アウエルバック、ジェイムズ・カルデン】

11月の米大統領選に向けて、バイデン候補支持を表明した共和党関係者が相次ぐ中、民主党が受入れた安全保障分野の元高官、とりわけネオコン勢力が民主党の外交政策に及ぼす(一部は既に顕在化している)影響に焦点をあてた記事。バイデン政権が誕生した場合、経済・社会面ではよりリベラルな政策が採用される可能性があるが、外交面ではブッシュ政権時代の外交政策を率いたネオコン勢力との同盟関係から、トランプ政権より、より介入的な外交政策に方向転換が図られるだろうと予測している。(原文へFBポスト

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【ウィーンIDN=タリク・ラウフ】

1945年7月16日、米国ニューメキシコ州のアラモゴード実験場で、世界初の核爆発装置が爆発した。米国は続けて、8月6日と9日に広島と長崎への原爆攻撃を実行した。それから70年で、さらに9つの国が約2060回の核爆発実験を行い、大気や陸上、宇宙、世界の海で放射能汚染をまき散らし、数多くの罪なき人々の健康に永続的かつ壊滅的な被害をもたらしてきた。

1945年に開始された米ソ間の核軍拡競争の不可避の帰結として、ソ連はカザフスタン東部のデゲレン山と周りのステップ地域に世界最大のセミパラチンスク核実験場(通称ポリゴン)を設置した。ここでは、ソ連が初の核実験を行った1949年8月29日から1989年2月12日に至る40年の間に、456回もの核実験が行われた。これによって、100万人以上の健康が損なわれ、数千ヘクタールの土地が放射能によって汚染されて、数百年にわたって危険で利用不可能な土地になってしまった。中国・フランス・英国・米国の場合も、アルジェリアからオーストラリア、南太平洋の海や島々、ネバダ実験場、北極のノバヤゼムリャに至る場所で、同じような運命が待ち受けていた。

悪名高い核爆発実験は、米国が1030回、ソ連が715回、フランスが210回、中国と英国がそれぞれ45回、インドと北朝鮮、パキスタンがそれぞれ6回、イスラエルが少なくとも1回行っている。2060回の核爆発のうち、529回が大気中、約1500回が地上・地下・水中で実施された。500回以上に及んだ大気圏核爆発実験によって、北半球の人口全体が放射性セシウムに被爆したと推定されている。そしてこの汚染は、次の世代にも継承されると考えられている。

遺伝子や環境に悲惨な影響を及ぼす核爆発実験の最大の被害者はカザフスタンの住民であった。そこで、1990年10月に核実験の一時停止方針を発表していたソ連のミハイル・ゴルバチョフ大統領に対して、セミパラチンスク実験場を永久に閉鎖し使用中止にするよう説得する責任が、カザフスタンの当時のリーダーであったヌルスルタン・ナザルバエフ氏に課せられることになった。

ナザルバエフ大統領がリーダーシップを発揮してセミパラチンスク核実験場を恒久閉鎖し核兵器を放棄したことが、あらゆる空間での核爆発実験を禁止する包括的核実験禁止条約(CTBT)の協議(1996年)につながった。CTBTは、地下以外での核実験を禁止した部分的核実験禁止条約(PTBT、1963年)によって始まった核実験禁止の流れを完成させた。

セミパラチンスク核実験場の閉鎖とソ連の核実験停止を受けて、米国も1992年に核実験停止を発表した。後に大きな影響を与える1995年の核不拡散条約再検討・延長会議では条約の無期限延長に合意したが、それには条件があった。それは1996年までにCTBTの交渉を妥結するというものであった。残念なことに、カザフスタンが示した模範に反して、まったく無意味な核実験を中国とフランスが1996年に再開した。両国は厳しい国際的圧力を受けてようやく実験停止を発表し、その年の9月にCTBTに署名した。

Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri
Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri

1996年9月にCTBTが署名開放されて以降では、3つの国が、核実験の一時停止方針に反して核実験を実施した。1998年5月、インドが5回の核爆発実験を行ったと発表し核軍備管理上の文脈下で再び「ならず者国家」となった。1974年5月にインドが、カナダと米国に対して核不拡散を公約しておきながら、初の核実験を強行したことを思い出すとよい。結果として、持続不可能な安全保障状況が南アジアで生まれ、パキスタンが1998年5月に(インドの実験回数と同じ)6回の核実験を行った。そして2006年、北朝鮮が核装置を爆発させ、その後11年でさらに5回の核爆発実験を行っている。インド・北朝鮮・パキスタンの3カ国はいずれも、CTBTに署名していない!

1996年にCTBTが国連総会で採択されると、発効に向けて批准を要する44カ国のうち36カ国が条約を批准している(フランス・ロシア・英国を含む)。残念なことに、南アジアでの1998年の核実験から1年を満たずして、米上院がCTBTの批准を拒否するという「蛮行」に出た。これまで、こうした意思表明を行った国はどこもないのである。CTBTが採択されてから、今や24年が経過したが、残り6カ国の批准を待つ間に条約は弱体化してしまった。新たな核軍拡競争に火が付き、CTBTが核兵器禁止条約(TPNW)に取って代わられる中で、CTBT発効の見通しは毎年低くなっている。

カザフスタンの役割

核実験を法的に禁止するCTBTを発効に導くリーダーシップが不在の中、1995年、2000年、2010年の核不拡散条約(NPT)再検討会議で加盟国が行った核軍縮への約束が破られ、核戦争のリスクがますます高まり、核兵器の使用が人間に壊滅的な被害をもたらすとの認識が高まる中、カザフスタンは、ナザルバエフ初代大統領のリーダーシップの下で、核の危険を低減し、核不拡散と核軍縮を強化する漸進的なステップを取り続けている。

Image source: EurasiaReview
Image source: EurasiaReview

カザフスタンは、1991年の独立以来、核不拡散・核軍縮に向けた重要な措置を取ってきた。例えば、▽1410発の戦略核兵器(104基の大陸間弾道ミサイルSS-18と、空中発射巡航ミサイルを搭載した40機の戦略爆撃機Tu-95)と戦術核兵器(数量不明)の解体に向けたロシアへの返却(1995年4月)▽ウルバ冶金工場(UMP)で生産された約600キロの兵器級高濃縮ウランの米国への移転▽マンギシュラク原子力複合施設で生産された2900キロの核燃料(濃縮度最大26%のU-235)をIAEAの保障措置の下で民生利用するための、低濃縮ウランへの希釈▽残留プルトニウムを封じ込めるための、セメイ(旧セミパラチンスク)核実験場の13本の坑道と181本のトンネルの恒久的閉鎖▽非核兵器国としてNPTに加盟▽PTBT、CTBT、核兵器禁止条約の批准▽中央アジア非核兵器地帯の創設▽IAEAの保障措置に関して追加議定書に合意▽CTBT発効促進会議への支援▽核兵器の禁止と廃絶に向けた「人道の誓い」への参加▽IAEA低濃縮ウラン備蓄バンクをオスケメン(ウスト・カメノゴルスク)に招致、といったことが挙げられる。

カザフスタンの提案に従って2009年12月2日に国連総会が全会一致で可決した決議64/35は、8月29日を「核実験反対国際デー」とすることを決めた。

2010年以来、セミパラチンスク核実験場が1991年に閉鎖された日である8月29日は毎年、「核実験反対国際デー」とされており、「核爆発実験やその他の核爆発の影響と、核兵器なき世界という目標を達成するひとつの方法として核爆発をやめる必要性について」意識を喚起し教育を推進するための日となっている。

今年の国際デーは、人類初の核実験と核兵器使用(1945年7月~8月)から75年、さらには、セミパラチンスク核実験場閉鎖から30周年(2021年)の前年に当たるということだけではなく、今年初めに米国が、核爆発実験再開の可能性を匂わせて、核実験のモラトリアム(一時停止)とCTBTを危険にさらしている残念な現状があることからも、重要な意味を持った。

より広範な文脈では、極めて残念なことに、世界には依然として14カ国・107カ所に1万4000発以上の核弾頭と、約2000トンの兵器級核物質(高濃縮ウランとプルトニウム)が存在しているという事実がある。

私は、今年8月29日に、カザフスタンがあらためて核実験と核兵器に反対する声を上げ、次のような緊急の呼びかけをすべきだと考えている。

Nazarbayev Award Winners/ photo by Katsuhiro Asagiri

・核実験のモラトリアムを継続すること。

・CTBTおよび核兵器禁止条約の早期発効の努力を強化すること。

・核戦争に勝者はなく、決して戦われてはならないとの原則を確認した決議を国連総会が採択すること。

・セミパラチンスク核実験場が永久閉鎖された来年の8月29日に、ヌルスルタン(アスタナ)で大きな国際会議を開き、カザフスタンだけではなく世界中の核実験被害者を悼み、その生を称賛すること。

・延期された2020年NPT再検討会議を2022年春にウィーン(オーストリア)で開くよう支持すること(ウィーンには、NPTの原則のうち2つ[核検証/保障措置と、原子力の平和利用における国際協力]をカバーする国際原子力機関と、包括的核実験禁止条約機関準備委員会の本部がある)。

・あらゆる核兵器の廃絶という目標に力を尽くした適切な人物(あるいは団体)に「2021年非核世界・グローバル安全保障ナザルバエフ賞」を授与すること。

核兵器が初めて使用されてから75年、セミパラチンスク核実験場の閉鎖から29年、そして「核実験反対国際デー」開始から10年目の今日、核兵器を削減・廃絶し、「プロメテウスの核の炎」を永久に消すために一致団結して最大限の努力を払うという、世界の人々、とりわけ核兵器の被害者への約束を、改めて誓おうではないか。(原文へ

INPS Japan

タリク・ラウフ氏は、国際原子力機関(IAEA)核検証・安全保障政策局の元局長、IAEAの「低濃縮ウランバンクおよび核燃料サイクルへの多国間アプローチ」問題に関するコーディネーター、NPTに対するIAEA代表団元団長代理、2015年NPT再検討会議および2014年NPT準備委員会会合議長に対する核軍縮問題上級顧問、カナダNPT代表団専門研究員(2000年まで)を歴任。

*プロメテウスはギリシャ神話に登場する男神で、自然界の猛威や寒さに怯える人類を哀れみ、火があれば、暖をとることもでき、調理も出来ると考え、ゼウスの反対を押し切り、天界の火を盗んで人類に与えた。人類は火を基盤とした文明や技術など多くの恩恵を受けたが、同時にゼウスの予言通り、その火を使って武器を作り戦争を始めるに至った。

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【ニューヨークIDN=J.ラストラニス】

地球温暖化が進行している実態を明らかにした「2020科学を通じた団結(United in Science)」の公表(9/9)に際して警鐘を鳴らしたグテーレス国連事務総長の講演内容を収録した記事。温室効果ガスの濃度は上昇し続けており、シベリアでは今年1月から6月まで続いた「熱波」(8万年に1回の確率という人為的な地球温暖化がなければ起き得なかった現象)により永久凍土の溶解や森林火災が相次ぎ発生している。グテーレス事務総長は、新型コロナからの回復を契機に、大惨事に向かう旧来の経済活動を見直し、持続可能な軌道に修正するよう各国に訴えている。(原文へ

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アフリカでポリオ根絶宣言―歴史的達成

【ジュネーブ/ブラザビルIDN=ロナルド・ジョシュア】

新型コロナウィルス感染症の拡大で世界経済が大混乱に陥り、世界中でワクチン開発が激しくなる中、組織的な予防接種キャンペーンを通じて、主に5歳未満の子どもに影響を及ぼす感染性の強い疾病がアフリカにおいて根絶された。アフリカでは、天然痘が40年前に根絶されて以来、2つ目のウィルスの根絶となり、歴史的に大きな一歩を記した。

ARCC(アフリカ地域でのポリオの状況を判断する独立委員会)の議長であるローズ・ガーナ・フォンバン・レケ教授は、アフリカにおけるポリオの根絶を宣言して、「今日はアフリカにとって歴史的な一日だ」と表明した。

ポリオウィルスは神経系に侵入して数時間のうちに全身麻痺を引き起こすこともある。このウィルスは、一般的には顔や口を通じたヒト間接触によって、稀には汚染された水や食物を媒介して伝染し腸内で増殖する。

初期的症状としては、高熱・倦怠感・頭痛・嘔吐・首のこり・手足の痛みなどがある。感染者の200人に1人に下肢麻痺が出現し、そのうち5~10%が呼吸筋麻痺により死亡するとされている。

アフリカでは「過去4年間、野生株のポリオウィルスの新規症例が報告されておらず、野生株のポリオの根絶基準を満たしました。」とレケ教授は語った。

ARCCの決定は、47の加盟国における数十年に及ぶポリオ監視、予防接種、実験に関する記録・分析の結果としてなされたものだ。世界保健機関(WHO)アフリカ支部が8月25日に出したプレスリリースによれば、現地での検証のための訪問も行われている。

1996年、アフリカの元首らは、カメルーンのヤウンデで開催されたアフリカ統一機構(OAU)第32回定例会合において、ポリオ根絶を目指すことを宣言した。当時、アフリカでは、年間推定7万5000人の児童がポリオに罹患していた。

同年、ノーベル平和賞の受賞者のネルソン・マンデラ南アフリカ共和国大統領(当時)が、「国際ロータリー」の支援を得て、「アフリカからポリオを追い出せ」キャンペーンを開始し、ポリオ根絶の動きに弾みがついた。マンデラ大統領の呼びかけで、アフリカ各国の指導者らが、子どもたちにポリオワクチン接種を普及させる取り組みを強化した。

アフリカで野生株のポリオの症例が最後に確認されたのは2016年のナイジェリアであった。以来、ポリオ根絶の取り組みによって、最大180万人の子どもが麻痺などの症状を免れたほか、約18万人の命が救われた。

「これはアフリカにとって記念すべき出来事です。将来のアフリカの子どもたちは、野生株のポリオに罹患する危険から解放されて生きることができます。」とWHOのアフリカ地域責任者であるマツィディソ・モエティ博士は語った。「この歴史的な達成は、各国政府や地域、ポリオ根絶を目指す世界のパートナー、慈善家のリーダーシップとの協力なしには不可能でした。とりわけ、ポリオワクチン接種の最前線で取り組んできた医療従事者の人々に特別の賛辞を贈りたい。彼らの中には、この崇高な目的の為に命を落とした者もいるのです。」と語った。

Map of Africa
Map of Africa

「しかし、野生株のポリオウィルスの再発を避けるためにワクチンの接種率を上げ続け、ワクチンに由来するポリオの脅威に対して、引き続き対処し続けねばなりません。」とモエティ博士は語った。

野生株のポリオウィルスをアフリカで根絶したことは大きな成果だが、アフリカの16カ国では、ワクチン由来ポリオウィルス2型(cVDPV2)が発生している(ワクチン由来ポリオとは、経口ワクチンを作る際に使用された弱毒型のウィルスが生存・変異し、重い症状を伴う新たな感染を引き起こすものをいう)。これは、ワクチン接種率の低い地域で起こることが多い。

その16カ国とは、アンゴラ・ベニン・ブルキナファソ・カメルーン・中央アフリカ共和国・チャド・コートジボワール・コンゴ民主共和国・エチオピア・ギニア・ガーナ・マリ・ニジェール・ナイジェリア・トーゴ・ザンビアである。

WHOアフリカ地域ポリオ根絶プログラムのコーディネーターであるパスカル・ムカンダ氏は、「アフリカ諸国は、医療の仕組みが脆弱であり、実務上の困難を抱えているにも関わらず、野生株のポリオウィルスの根絶のために効果的に協力してきました。」と語った。

「ポリオ根絶プログラムが確立してきた革新と専門能力によって、野生株の根絶認証後も成果を維持し、ワクチン由来ポリオウィルス2型も根絶できると確信しています。」とムカンダ博士は付け加えた。

「ポリオ根絶を通じて得られた専門能力は、新型コロナウィルス感染症やアフリカを長年にわたって苦しめてきたその他の保健問題に対処し、普遍的な医療制度をアフリカで構築するうえで有益だろう。」と、モエティ博士は語った。

世界ポリオ根絶のためのイニシアチブ(GPEI)の貢献によって、アフリカにおけるポリオ症例は1988年から99.9%も減少した。WHOアフリカによれば、これによって世界はポリオ根絶にまた一歩近づいたという。

現在、世界の人口の9割以上は野生株のポリオウィルスから守られた状態にあり、世界全体でのポリオ根絶達成に近づいている。野生株のポリオウィルスの流行が確認されているのは、パキスタンとアフガニスタンのみとなった。

Tedros Adhanom Ghebreyesus, Director General, World Health Organization at the AI for Good Global Summit 2018/ By ITU Pictures from Geneva, Switzerland, CC BY 2.0
Tedros Adhanom Ghebreyesus, Director General, World Health Organization at the AI for Good Global Summit 2018/ By ITU Pictures from Geneva, Switzerland, CC BY 2.0

GPEIは、WHOアフリカがカバーする47カ国で今回なされた成果について、各国政府を称賛した。

「アフリカで野生株のポリオウィルスを根絶したことは、我々の時代における保健政策上の最大の成果の一つであり、世界からポリオを根絶するという目標を完成するうえで大きな力を与えることになろう。協力してアフリカからポリオを根絶した各国政府や医療従事者、地域のボランティア、宗教指導者、保護者に対して、感謝と称賛を贈りたい。」とWHOのテドロス・アダノム・ゲブレイェソス事務局長は語った。

強力なリーダーシップと革新が、アフリカでの野生株のポリオウィルスを根絶するうえでカギを握った。高いレベルの人口移動、医療サービスへのアクセスを拒む紛争や政情不安、国境を越えて急速に広まるウィルスの能力等の問題を乗りこえて、子どもたちに予防接種をする取り組みを協調して行うことに各国は成功した。

加えて、各国政府や民間部門、多国間組織、慈善団体などのドナーが、ポリオのない世界を達成するために継続して支援を行い共通の目標を持ち続けたことが、アフリカにおいて、以前よりも多くの子どもたちにポリオワクチンを接種し、ポリオを根絶するインフラ構築に寄与した。

「今年グローバルヘルスが大きな試練に直面している中で、アフリカで野生株のポリオ根絶が宣言されたことは希望と進歩の兆候であり、これらは、協働と忍耐を通じて達成されたことを示しています。」と国際ロータリーのホルガー・クナーク会長は語った。

SDGs Goal No. 3
SDGs Goal No. 3

野生株のポリオを根絶するために用いられた資源と専門能力は、アフリカの公衆衛生と感染症対策制度の発展に大きく寄与している。ポリオ関連のプログラムは、新型コロナウィルス感染症に対するアフリカの対応から、ワクチンで予防可能なその他の疾病に対する定期的な予防接種の支援に至るまで、地域社会に極めて大きな保健上の利益をもたらしている。

これは重大な一歩ではあるが、現状に満足しているわけにはいかない。アフリカで引き続き予防接種の推進と保健システムの強化に取り組むことが、野生株のポリオの進化に対して防御し、アフリカの16カ国で確認されているワクチン由来ポリオウィルス2型(cVDPV2)の流行に対抗するうえで、きわめて重要だ。このポリオウィルスは予防接種が少ない地域で広がるリスクが高いあるため、新型コロナウィルス感染症の拡大でワクチン接種が阻害されている地域は、cVDPV2の感染爆発リスクに晒されている。

GPEIは、あらゆる形態のポリオに対して注意を怠らないよう各国およびドナーに呼びかけた。あらゆるポリオウィルス株が世界から根絶されない限り、これまで積み上げられた多大な成果も、危機に瀕することになる。(原文へ)|スペイン語

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【ボゴタIDN=ルツ・マリナ・ベルナル】

私はマリナ・ベルナルと申します。コロンビア各地の避難民の多くが流れてくる首都ボゴタに近いソアチャ市に一人で住んでいます。

私の活動は様々なコミュニティーを廻って人々と対話する必要があるので、新型コロナウィルス感染症(COVID-19)の拡大とそれに伴うロックダウン(都市封鎖)は大きな足かせになっています。

私が人権活動家になったのは息子のファイル・レオナルド・ポラス・ベルナルが2008年に強制失踪したのがきっかけです。当時私は夫と4人の子供たちと幸せに暮らしていました。しかしレオナルドの死後、事件の真相に関する政府当局の見解に疑問を抱くようになり、まもなくして殺害の脅迫を受けるようになりました。残った子供たちを守るため、説得して安全な場所に移らせました。夫はこの状況に耐えられず、離婚して私が家を出ざるを得ませんでした。

Map of Colombia

息子は2008年1月8日に誘拐されました。私は8カ月にわたって病院やホームレス施設などを探して回りました。息子は失踪当時26歳でしたが、私が妊娠時に遭遇した交通事故が原因で、生まれながらにして右手足が不自由なうえ認知障害があり、知能は8歳程度でした。帰り道が分からなくなったのではと、心配でたまりませんでした。

9月16日、警察から息子と思われる遺体の写真を確認するよう要請する連絡がありました。ソアチャから600キロも離れたオカーニャで、大量死体の中に発見されたとのことでした。

認知障害がある息子が自らそんなに遠くまで旅をしたとは俄かに信じられませんでした。それでも、息子の遺体を引き取りに夫と長男とともにオカーニャに向かいました。そこで、同じくソアチャから失踪した息子の遺体を引き取りにきた3家族と出会ったのです。

私たちの疑問は、なぜソアチャにいた息子たちがはるばるオカーニャに来ることになったのかという点でした。検察官は薄ら笑いを浮かべながら「あなたが麻薬テロリストグループの指導者の母親か。」と尋問してきました。私はこの検察官に、「右手足に障害を抱えて読み書きすらできない人物が、そのようなグループを率いることができるものでしょうか。」と問いただしました。すると検察官の顔から笑いが消え、「彼は国軍との戦闘で死んだ。」と告げたのです。

それを聞いて、国軍に2年間在籍していた長男は泣き崩れました。それまで私も長男が国軍で国のために尽くしていることを誇りに思っていました。だからこそ、国軍がもう一人の無防備な息子を殺害するなど想像すらできなかったのです。

私は直ちに行動を起こすことにしました。それは当時のアルバロ・ウリベ大統領が、私の息子とその他8人のソアチャ出身の青年たちが犯罪者であると仄めかしたからです。

Álvaro Uribe, Presidente de Colombia.paramilitar/ By Center for American Progress -, CC BY-SA 2.

私は息子の写真に彼の名誉を挽回するために闘うと誓いました。まもなくソアチャで私と同じ境遇の母親達と出会い、「ソアチャの母たち」を結成しました。仲間は当初の8人から19人へと増えていきました。

真相は、国軍の兵士が私の息子を誘拐して、戦闘中に撃たれて死亡したゲリラ戦闘員だと発表していたのです。国軍はこうして数千人に及ぶ無防備な一般市民を犯罪者に仕立て上げて超法規的に殺害することで、ゲリラ掃討作戦における成果(敵戦闘員の死傷者)をかさ増しして報奨金や昇進を得ていたのです。

私はコロンビアの紛争を理解するために何年にも亘って人権問題を改めて学ぶ必要がありました。その結果、私の祖国では、強制失踪、拷問、性暴力、子ども兵士の徴用等で800万人以上が人道に対する犯罪の犠牲者になっているおぞましい実態を知りました。

全く未知の世界に足を踏み入れた感覚でした。それまでの私は、愛する家族に囲まれて、現実の世界に目を向けず狭い世界の中で生きていたのです。コロンビアがどのような国であるのかを全く理解していませんでした。しかし現実を知るにつけ、幻想は瞬く間に崩壊し、それまでの生活が一変することになりました。2008年以来、私は大統領か検事総長との面会を繰り返し要請しましたが、拒否されていました。しかし2010年の大統領選挙に向けたキャンペーン期間中、ウリベ大統領が「ソアチャの母たち」を思い出し、ついに私たちを大統領官邸に招いたのです。

他のメンバーは大統領の招きを受入れましたが、私は拒否しました。2週間後、ウリベ大統領はメンバー1人当たり7800ドルを拠出しました。しかし私は殺された息子との思い出や尊厳を売り渡すことはできないと思い、拠出金の受け取りを拒否しました。他のメンバーは私の反応に憤慨し、その時はグループから離れざるを得ませんでした。

まもなくして私の家族全員宛てに殺人予告が届くようになりました。玄関のドアの下に脅迫状を差し込んでいくのです。長男はこの状況を2年以上耐え抜きました。ある日の脅迫状には、「おまえが無駄死にするのは残念だな。しかしそれがお前の母親を黙らせる唯一の方法だ。」と記されていました。

このような状況でも内務省と検察当局は保護してくれませんでした。その後、なんとか外国からの支援を得ることができました。人権擁護団体アムネスティ・インターナショナルが、この状況に注目し、私たちを支援するキャンペーン「ソアチャの母たちにバラと希望を届けよう」を開始してくれたのです。私たちは世界中から、5500本のバラと25000通以上の励ましの手紙を受け取りました。

私は、ベルギー、デンマーク、ドイツ、アイルランド、オランダ、スペインで現地のアムネスティ―グループの人々と会い、国際司法裁判所や欧州連合議会で私たちがコロンビアで置かれている現状を訴えました。こうして国際社会の目が「ソアチャの母たち」に注がれることになったのです。

2013年、息子を殺害した6人の国軍兵士が起訴され、「人道に対する罪」で有罪宣告を受けました。しかし彼らは、その後2016年に政府とコロンビア革命軍(FARC)との間で成立した和平合意により設立された「平和のための特別法廷」で裁かれる権利を主張し、その結果全員が釈放されてしまいました。

私の息子に起こったことは、氷河の一角に過ぎません。ですから「ソアチャの母たち」としての活動にとどまらず、今ではコロンビア各地で人権を踏みにじられた母親達を支援し、彼女たちの声を代弁する活動を行っています。

2月20日にコロンビア北部のマグダレーナ・メディオ州での1年間にわたったプロジェクト(家族が強制失踪の犠牲者となった180家族との活動)を終えてソアチャの自宅に戻ってきました。それから間もなくして、新型コロナウィルス感染症の拡大に伴う都市封鎖が発令されました。

子どもたちは近くに住んでいません。殺人予告を受けていたため何年も前に遠くに移しました。ネイヴァ、メデリン、ヴィラヴィセンティオ等、各地を転々とさせましたが、彼らが安全に保護されていることで、私もこの活動に専念できるので、これでよかったと思っています。今では5人の孫にも恵まれていますが、残念ながら安全を考慮して一緒の時間を過ごせていません。

都市封鎖は、収入が途絶えれば生活を支える余裕がないこの国のほとんどの民衆にとって、あまりにも過酷な措置です。私の場合、いくつかの友人やグループの支援をいただいて、自分では購入できなくなった薬を入手しています。

Image: Virus on a decreasing curve. Source: www.hec.edu/en
Image: Virus on a decreasing curve. Source: www.hec.edu/en

私はワッツアップを使って内外の人々と連絡をとりながら、読書や編み物、刺繍などをして都市封鎖期間を過ごしています。

一方、ホームレスの人々が心配です。彼らには自らを安全に隔離できる清潔な場所がありませんし、世間は彼らのことを気にかけていません。何もできない自分が無力に感じています。そこで友人らに声をかけて、「屠殺者(ウリベ元大統領に関するドキュメンタリーの題名)」のロゴが印刷されたマスクを作って販売し、その収益金を恵まれない人々に食料を寄付する活動をすることにしました。

今回の新型コロナウィルス感染症の世界的流行(パンデミック)は、私たちが前に進んでいけるか、そして助けを必要としている人々に手を差し伸べるどれほどの寛容な心があるかが改めて試されている機会だと思います。(以上が取材に応じたマリア・ベルナルさんの証言内容)

50年に亘ったコロンビア内戦に終止符を打った和平合意により設立された「平和のための特別法廷」は、2002年から08年の間に国軍により超法規的に殺害されゲリラ戦闘員の死体として宣言された4439人の犠牲者を特定した。国連が7月に発表した報告書によると、ラテンアメリカで5番目に感染者数が多いコロンビアでは、パンデミックという緊急事態を利用して人権擁護者や元ゲリラメンバーを標的にする暴力が増加している。(原文へ

マリナ・ベルナルは1960年生まれ。コロンビアの平和・人権擁護活動家で、「ソアチャの母」創立メンバー。ボゴタ南部の国軍により子供が誘拐・殺害された母親達による真相球面を求める運動を率いてきた。2016年ノーベル平和賞候補に推薦された。

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