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台風「ハイヤン」から1年、フィリピン住民は街頭へ

【マニラIPS=ダイアナ・メンドーサ】

身体に泥を塗って犠牲者に扮することで政府の無策と責任放棄に抗議の意志を表す人々、紙の灯籠とロウソクを灯し、白い鳩と風船を空に放って死者を追悼する人々、白い十字架を掲げて市内の広大な墓地へと行進し、犠牲者に花を手向けて今一度涙を流す人々…。

これらは、台風「ハイヤン」の直撃を受けた「グラウンドゼロ」として知られるフィリピン中部のタクロバン市で11月8日に見られた光景である。

最大瞬間風速105メートルの強風と7メートルの高潮がタクロバン市の中心部と周辺地域を直撃し、想像を絶する被害をもたらした。死者は6500人以上、1年が経過した現在も数百人が行方不明のままである。

11月8日、陸地に上陸した台風としては人類観測史上最大の「ハイヤン」(フィリピンでは「ヨランダ」として知られる)がタクロバン市に上陸して1周年を迎えた。

この日、フィリピンのメディアポータルサイトには、被災一周年に関連した多数の記事が見受けられたが、その大半が、被災による喪失、絶望、孤独、飢餓、病気、そしてさらなる貧困の深みに追いやられている被災者の苦境を報じたものだった。一方で、英雄的行為や苦境に立ち向かう被災者の尋常ならざる強さについて報じた記事も多数あった。

災害の規模を把握する

マニラ南東580キロに位置するタクロバン市には復興の兆しのようなものがみられる。しかし、以前のような状態には戻っていない。国際支援コミュニティーの関係者によると、この地が元の活況を取り戻すには、さらに6年から8年、或いはそれ以上の時間がかかるかもしれないという。

それでも、この一周年記念は(インド洋沿岸の国々に壊滅的な被害をもたらした)2004年アジア津波の被害を受けたインドネシアのアチェ州のような他の被災地の経験と比べて、フィリピンがこれほど大規模な災害に見舞われたにもかかわらず、「迅速な第一段階の復興」を成し遂げたことに、各方面から称賛の声が寄せられる機会となった。

フィリピンに拠点を置くアジア開発銀行(ADB)は、被災一周年を前に発表した救援・復興状況を評価した報告書の中で、「復興の取り組みは引き続き困難を伴うものであるが」、数多くの成果があった、としている。

7 September, 2011, Portrait, Stephen Groff, DCD OECD headquarters, Paris, France, Andrew Wheeler/OECD

アジア開発銀行のスティーブン・グロフ副総裁(東アジア・東南アジア担当)は、先般開催された記者会見において「アジア開発銀行はフィリピンを拠点に50年以上活動していますが、その経験から言えることは、これほどの大規模な危機に直面して、フィリピンほど力強く対応している国はないだろうということです。」と語った。

カナダのニール・リーダー駐比大使も同じように、「(フィリピンが)災害から立ち直る能力は、私たちがこれまで目の当たりにしてきた他の如何なる人道危機よりも迅速なものでした。」と語った。

また専門家によると、「バヤニハン」と呼ばれる伝統的に地域住民の間に息づいている相互扶助の慣行が、気が遠くなるような復興プロセスにとって大きな助けになった、という。

ヨランダは上陸した史上最大かつ最も強力な台風で、フィリピンの最もまず貧しい地域を含む広大な地域に被害をもたらしました。ヨランダ襲来から1年が経過した今、私たちはこの災害の規模や範囲をしっかり検討することが重要です。」とグロフ副総裁は強調した。

グロフ副総裁は、「この台風では1600万人或いは340万世帯が影響を受け、100万以上の家屋と、3300万本のココヤシの木、60万ヘクタールの農地、248本の送電塔、そして役場や公設市場といった公共の建物が甚大な被害を受けました。」と語った。

さらに、農地と市場を繋ぐ道路が305キロにわたって寸断されたほか、2万にわたる教室や、病院・保健所など400件にわたる医療施設が被害を受けた。

合計で、9地域、44州、171都市の1450万人以上が台風「ハイヤン」の被害を被った。今日においても、依然として400万人を超える人々がホームレスの状態のまま取り残されている。

Aerial view of Tacloban after Typhoon Haiyan. Credit: Russell Watkins/ UK Department for International Development/ CC by 2.0
Aerial view of Tacloban after Typhoon Haiyan. Credit: Russell Watkins/ UK Department for International Development/ CC by 2.0

フィリピンのベニグノ・アキノ3世大統領は被災者からの批判に直面している。8日の一周年記念日は、被災者が復興プロセスにおける政府の無策に対して怒りをぶつける場となった。

台風被災者グループ「民衆の波」の指導者の一人であるエルフレダ・バウティスタ氏は、ジャーナリストにこう述べた。「私たちはこの1年、政府の悪辣な棄民政策、汚職、詐欺、抑圧を目の当たりにしてきました。私たちはこの1年、この状況を確認するようなニュースや調査に接してきました。」

抗議参加らは、台風「ハイヤン」被災一周年のこの日、アキノ大統領を模った高さ9フィート(約274センチ)人形を燃やした。

11月8日の早朝、台風の犠牲者を追悼するために、風船や灯籠やロウソクを手にした5000人を超える人々が、タクロバン市を行進した。

カトリック教会はこの記念日を国民的な祈りの日と定めた。3000人以上が埋められている墓地におけるミサの開始にあたっては、鐘の音が鳴り、サイレンが悲しく響いた。

また数百人の漁師が、政府に対して新しい住居と仕事と生活を要求するとともに、政府の役人が援助資金や復興資金を流用していると非難した。

フィリピンのネット市民らは、テレビやコンピュータのモニターに映し出された台風に襲われているタクロバン市の様子をなす術もなく見ながら泣き続けたことを思い出した。

彼らは、英雄として賞賛されたフィリピン人たちの写真を投稿し共有した。この英雄たちは、軍用航空機から降りた生存者たちをマニラなどにいる親戚のところへ送り届ける役目を果たした。

新しい家屋や仕事、生活を与えるよう政府に要求した数百人の漁民が、支援と復興のためのお金を政府の役人が流用したと非難し、抗議活動を行った。

被災地域一帯の「災害前」「災害後」の写真も、ウェブの世界をめぐった。

多額の国際支援

被災1周年の前に近隣の被災地サマール島を訪問したアキノ大統領は、「私は復興作業を加速できればと望んでいるし、関係者に一層作業を早めるよう叱咤していくつもりです。しかし、悲しい現実は、復興に必要な膨大な作業量は、とても一夜にしてできるものではないのです。復興作業の成果が恒久的なものとなるように、作業を正しく進めていきたいのです。」と語った。

Benigno Aquino III/ Wikimedia Commons
Benigno Aquino III/ Wikimedia Commons

フィリピン政府は、今後災害が起こった時にさらなる被害を防ぐために27キロにわたって海岸線に高さ4メートルの堤防を築く計画を含め、被災地の再建のために1700億ペソ(約4446億円)が必要と算定している。

タクロバン市アルフレッド・ロムアルデス市長は記者団に対して、依然として200万人がテント住まいであり、恒久住宅に移れたのはわずか1422世帯に過ぎないと語った。

台風から数か月で電柱が立ち、黒い泥は緑地に変わり、作物が素早く植えられ、ふたたび稲穂が実り始めたという点では、復興プロセスは成功している。

また政府や民間、国際援助関係者らは、災害後に公衆衛生対策を立て直している。

ADBは、復興プロセスの始期にあたって無償援助や無利子融資の形ですでに供与している9億ドルに加えて、ヨランダの被災者に対してさらに1億5000万ドル相当の公的支援を行うことが適当かどうか検討していると発表した。

米国国際開発庁(USAID)には、フィリピン全土で1万8400件のプロジェクトを行うために1000万ドルの技術支援を行う計画がある。これによって、タクロバン市以外で大きな影響を受けた地域がカバーされる。たとえばサマール東部のギワンは、アラブ首長国連邦からの復興支援で1000万ドルを受け取ることになる。

またカナダ政府は、レイテ州イロイロ州の被災地の生活と水供給を復活させるため、375万カナダドルを支援するとしている。

フィリピン政府は、国際社会から寄付、提供、約束された資金については、透明性をもって確実に説明できるようにし、監視され、保全され、報告されるとしている。

復興計画を担当するよう指名されたパンフィノ・ラーソン上院議員は、「既に、タクロバンとサマール東部のいくつかの宿泊所が基準以下の資材で建設され、キックバックをもらうために基準以下の資材を使うよう業者と共謀した者がいるとの報告を受けている。」と語った。

「私はまさにこの報告を受けて、援助資金の流れを監視しなければならないと痛感しました。」とラクソン議員は語った。

復興のために国家やドナー機関から提供された数十億ペソ規模にのぼる資金の管理と運営の実態に関して不審な点がある場合には情報を提供するよう、ラーソン議員は国民に呼びかけている。(原文へ

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|エコドライブ|運搬車両からの二酸化炭素排出削減に向けた革新的アプローチ

【ニューヨークIDN=バレンティナ・ガスバッリ】

気候変動は今日国際社会が直面している最も深刻な問題の一つであり、地球温暖化が人類社会や自然生態系に及ぼす影響を緩和するため、二酸化炭素排出削減に向けた取組みが、世界各地の政府、民間部門、市民団体や個人によって進められている。

なかでも自動車産業界は、この脅威に対して積極的かつ建設的に対応している主要なステークホールダー(利害関係者)のひとつだ。幅広い分野の技術革新に対する巨額の投資を通じて、自動車産業界は、新車の二酸化炭素排出量を着実に削減することに成功している。

Eco Driving
Eco Driving

しかし、車からの二酸化炭素排出削減を通じて、世界的な低炭素社会の実現を目指すということが、そのまま、より燃費効率に優れた車を製造し続けるということにはならない。ましてや、自動車製造業者のみがそのような責任を負っているとは言えないだろう。

自動車産業の現在の投資傾向は、環境の変化に対して技術的解決策に焦点を当てているが、二酸化炭素排出の削減は、こうした車両性能の向上だけではなく、ドライバーの運転行動を見直すことによっても、達成することが可能である。

UN Secretariate Building/ Katsuhiro Asagiri
UN Secretariate Building/ Katsuhiro Asagiri

これが、エコドライブの概念や運用をめぐる主要な議論である。エコドライブは、より効率的な燃費を意識した運転マナーを実践することにより二酸化炭素の排出を削減するという、ドライバーの行動変化に主眼をおいた、ユニークな成功例である。

エコドライブの概念は、この数年で急速に注目を浴びるようになった。それは、気候変動と地球温暖化の影響がより危険なものであり地球全体に広がってきたとの認識が高まってきたためである。

世界各地で行われている様々な実践プログラムや研究事例から、エコドライブには個々人の燃料消費と二酸化炭素排出を20%程度削減する可能性があることが明らかになってきている。10月17日にニューヨーク市の国連本部で初めて開催された「国連エコドライブカンファレンス(正式名称:地球環境、二酸化炭素削減と持続可能性に向けた解決策としてのエコドライブに関する国際会議」(主催:国連WAFUNIF、株式会社アスア、ルーマニア国連代表部。協力:日本自動車工業会、米国自動車工業会。特別協力:環境省)では、多くの政府や国際機関、地方自治体、学術団体、民間部門等、気候変動の問題に第一線で取り組んでいる専門家が一堂に会し、エコドライブの可能性と今後の見通しについて議論した。

グリーン・エコプロジェクト

エコドライブ概念の重要性を強調したのは、東京都トラック協会の遠藤啓二環境部長である。遠藤氏は、日本で9年前から実施され大きな成果を挙げてきた「グリーン・エコプロジェクト」について、プログラムを開発・運営してきた当事者の立場から発表を行った。

Mr. Keiji Endo of TTA/ TTA
Mr. Keiji Endo of TTA/ TTA

「グリーン・エコプロジェクトは2006年に始まりました。今日、約700の企業と2万台のトラックがこの環境に優しいプロジェクトに参画しています。」と遠藤部長は語った。

本プロジェクトでは、「走行管理表」という一枚の紙にドライバーが毎回の給油量と走行距離を手書きで記入する燃費データを収集・データベース化することで、エコドライブがいかにトラックの燃費と二酸化炭素排出削減に効果があるかを数値で検証できるシステムを実現している。プロジェクト開始以来8年間の取組み実績では、燃料効率は平均で15.6%向上し、6万3000トンの二酸化炭素排出削減がなされた。

「この成果を植林に換算してみますと、ニューヨーク市のマンハッタン地区全体に等しい58.8平方キロ(=東京の山手線の内側にほぼ相当)を森林に変えたことと同じになり、節約された燃料を金額に換算すると約3400万ドル(38億1000万円)にのぼります。」と遠藤氏は語った。グリーン・エコプロジェクトはまた、交通事故も30%削減し、事業者の保険などの損害金額を54%軽減することにつながった。

グリーン・エコプロジェクトには4つの重要な側面がある。すなわち、①コスト削減、②持続可能性、③収拾したデータの正確性、そしてなによりも、④ドライバーのやる気を持続する活動であるという側面である。

さらに、グリーン・エコプロジェクトの特徴は、二酸化炭素排出対策を共有する機会を積極的に捉え、世界に情報発信を行ってきた点である。これまでに、2009年の「第15回気候変動枠組条約締約国会議(COP15)」のサイドイベント(コペンハーゲン)をはじめ、2010年の「アジアEST地域フォーラム第5回会合」(バンコク)や2011年の第1回低炭素サミット(大連)で発表を行ってきた。また2011年には、ドイツの「ベルリン・ブランデンブルク交通・物流協会(VVL)」を訪問し、エコドライブに関する経験や知識に関する情報交換を行っている。

Audience of the UN Eco-Drive Conference/ TTA
Audience of the UN Eco-Drive Conference/ TTA

エコドライブは、ほとんど費用をかけることなく、環境、財政、安全面における利益が期待できることから、会議に参加した幅広いステークホールダーの間で、そのポテンシャリティーを注目する発言が相次いだ。つまり、政策責任者にとっては環境・安全面の目標達成に寄与する有効な手段と見なされている。またコスト削減(燃料費や保険料の節減等)につながる点は、企業の間で評価が高い。一方個人は、コスト削減だけでなく、よりリラックスした安全な運転スタイルに満足している。さらに自動車製造業者は、公的な燃費目標が単に技術的な問題にとどまらず、ドライバーの心掛け次第で達成可能な点を評価している。

このプロジェクトの重要な要素は、先述の「1枚の紙と鉛筆によるアプロ―チ」でドライバーが自分の燃費と安全運転について意識を高められる点と、継続的なエコドライブ教育が組み込まれている点である。遠藤氏は後者について、「優良ドライバーは表彰され、やる気を引き出すよう配慮されています。またプロジェクトには管理者もドライバーと同等の立場で参加し、セミナーに参加する機会もあります。」と語った。

Cargo Transport Evaluation System/ TMG
Cargo Transport Evaluation System/ TMG

さらにグリーン・エコプロジェクトは、2013年より東京都の「貨物輸送評価制度」(運送業者の燃費効率と二酸化炭素削減に関する継続的な努力を東京都が評価し、優れた成果を挙げた業者名を荷主や消費者に幅広く公表する世界初の評価制度)」に協力している。この評価制度は同プロジェクトが開始以来蓄積してきた600万件データの一部を利用して構築されている。

全米トラック運送協会(ATA)のグレン・ケジー副会長は、グリーン・エコプロジェクトに対する会場の熱意と前向きな反応を代弁して、「グリーン・エコプロジェクトの実践と哲学は、この会議に有益な付加価値をもたらしたと確信しています。」と語った。

Glen P. Kedzie, Vice President of ATA/ TTA
Glen P. Kedzie, Vice President of ATA/ TTA

欧州委員会のヒューズ・ヴァンホナッカー環境交通局事務局長は、エコドライブ会議の開催とグリーン・エコプロジェクトの発表に対して謝意を表したうえで、代替燃料戦略に関する地球にやさしいプロジェクトの策定と実施に、近年欧州連合(EU)が取り組んでいることを指摘した。EUレベルでの主要な成果としては、EU全体での統一された基準や共通技術仕様の策定や消費者への情報提供、意識喚起活動などを挙げた。

グリーン・エコプロジェクトの理論的性質や原則につながる事例としては、欧州委員会がEUの「インテリジェントエネルギー・ヨーロッパ」計画と協力して、策定・実施している「エコウィル(ECOWILL)」と呼ばれるプロジェクトを挙げることができるだろう。このプロジェクトは、既存の自動車教習所を活用してエコドライブに関する講習を広めることを目的としている。エコウィルはさらに、e-ラーニングの手法を導入し展開している。また、受講するドライバーに対する自動車運転の教習や運転免許試験の共通化も目指している。

日本自動車工業会は、経済産業省や国土交通省自動車局と協力して、パンフレット『気になる乗用車の燃費~カタログとあなたのクルマの燃費の違いは?~』を作成した。エコドライブとは、ドライバーが燃料消費や車の排ガスを削減し、地球温暖化と交通事故を防止することができるような運転技術やマナーのことだとしている。

株式会社アスアの間地寛社長が会議の参加者に語ったように、「エコドライブ(=燃料を節約した運転法)は、燃料費を節約できるだけではなく、乗客に安全とクルマに乗る楽しさを与えることができる。リラックスして、急がずに運転するというのが大原則」なのである。(原文へ

翻訳/編集=INPS Japan浅霧勝浩

グリーン・エコプロジェクトと持続可能な開発目標(SDGs)

SDGs for All
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Global Citizenship: Gradual Unfolding of a New Concept

By Monzurul Huq* | IDN-InDepth NewsAnalysis

NAGOYA, Japan (IDN) – The concept of global citizenship is one of the new ideas that the United Nations is actively promoting in recent years. In today’s interconnected world challenges we face need solutions based on new thinking transcending national boundaries and ideas whose outreach stretches beyond conventional understanding of identities based on nationality.

The conventional education systems are producing individuals who are able to read and write and thus are capable of coping with the realities of life within a narrow perspective. However, as the world today faces diverse challenges interconnected with elements and phenomenon of a much broader perception, the global community is in need of citizens capable of contributing more meaningfully in the process of resolving interconnected challenges of the 21st century. This is why the idea of fostering global citizenship has been recognized as one of the priorities of education for sustainable development.

UNESCO World Conference on Education for Sustainable Development (ESD) held in Nagoya, Japan, from November 10 to 12 had on its agenda a wide range of topics related to sustainability that policy makers, experts, stakeholders and civic group representatives from around the world discussed.

The focus of attention was to find new ways of promoting education that would help intensifying efforts for poverty eradication, environmental protection and economic growth beyond the timeframe of the United Nations Decade of Education for Sustainable Development that comes to an end this year.

There were also specific discussions on global citizenship as a means of achieving the ultimate goal of sustainable development. A workshop on global citizenship, eco-pedagogy and sustainable development was held on the second day of the conference, which was followed by a side event comprising a panel discussion on ESD and global citizenship education in the new era. Both the workshop and the panel discussion focused on emerging issues related to global citizenship, particularly on the necessity of defining the concept of global citizenship in a more meaningful way.

The concept of global citizenship is not a completely new idea. It has been on the agenda of social science discussions for quite some time. The two main speakers at the workshop were Carlos Alberto Torres, Director, Paolo Freire Institute of UCLA; and Miguel Silva, Global Education Manager of North-South Centre of the Council of Europe.

Carlos Torres, in his keynote presentation, focused on the need for global citizenship education for ensuring social justice in our interdependent world and identified three global commons that constitute the core of global citizenship:

– Our planet is our only home and we need to protect it.

– The idea of global peace is an intangible cultural good with immaterial value.

– People are all equal.

In short, this planet, peace and people constitute the global common that call for better understanding among nations. However, he also pointed out that, since economic citizenship cannot be accomplished without bare essentials, global citizenship would remain unattainable unless we multiply public sphere to ensure social justice. Removing ambiguities, thus, is the essential prerequisite of a theoretical framework for global citizenship education that would focus more on common good and common virtues like tolerance as a civic minimum.

Utopia “helps us at least to walk”

Weather this noble goal is achievable or not will depend much on what we do to transform our dream into reality. To some it might sound like a utopia, but Carlos Torres reminded the participants: “utopia is a horizon that we intend to reach. We take two steps forward, utopia moves two steps ahead . . . However, it helps us at least to walk.” Thus, the onward journey of humanity to global citizenship is also a journey forward, despite the realities of a deferred dream of our past.

Miguel Silva, on the other hand, focused on how global education can help develop strategies and capacity building for education for sustainable development leading to fostering global citizenship. Global education targeting institutions, practitioners and learners from formal and non-formal sector, according to Silva, is a school of holistic education dealing with the growing interconnection between local and global realities that can enable learners understand world issues while empowering them with knowledge, skill, values and attitudes desirable for world citizens to face various global problems.

Since it can help learners to understand the complexities of the world, be aware of contradictions and uncertainties, and to realize that there is no one-dimensional solution for complex problems. One of the critical issues, thus, according to Silva, “is to foster this multi-perceptivity and critical approach to the problems that we have to deal with, as this would help learners to understand cultural diversity of languages leading to the realization that mutual understanding can be achieved.”

To summarize, global education can comprehend and fosters empathy and intercultural skills in communication, while its methodology can create a learning environment based on dialogue, active listening and respect for other opinions and constructive assertiveness. According to Silva, global education, thus, promotes the principles of pluralism, non-discrimination and social justice, and creates the ground for global citizenship aware of global realities and working for a sustainable world based on dialogue and cooperation, while sharing common human, social and economic values.

The moderator of the workshop later asked participants to get involved in group discussions to share practical experiences for the advancement of education for sustainable development and also to identify challenges to the advancement of global citizenship. The outcome of workshop presentations and group discussions were later summarized and the concluding remarks of the chair outlined that democratic values should serve as guiding principles for educational theory and practice; and for improving quality education for fostering global citizenship what is essential is to make room for thoughtful dialogue and critical thinking.

The workshop was followed by a panel discussion on education for sustainable development and global citizenship education in the new era, where the panelists focused on various approaches to the notion of global citizenship and assessed the progress made so far in implementing the concept of education for sustainable development at the end of the UN decade.

Moderated by Shoko Yamada of Nagoya University, the panel discussion was a joint Japan-Korea academic initiative where two panelists each from Japan and South Korea participated in the discussions. The panelists focused more on ESD as they tried to link the two interconnected philosophical concept of sustainable development and global citizenship.

Relatively new

According to Professor Kazuhiro Yoshida of Hiroshima University, the idea of global citizenship and sustainable education has been in discussion for quite long, but the combined concept of global citizenship for education is relatively new. He also thinks it to be a new phenomenon to combine global citizenship education and education for sustainable development and feels the need to continue the endeavours that have been undertaken so far.

Commenting on the importance of global citizenship education within the context of education for sustainable development, Professor Yoshida said, “there has to be a natural choice in trying to find the areas of overlaps and to make sure the overlaps are nothing but to become a core of the fundamental message for future work of post 2015 education. I think, fortunately, ESD stands for fundamental foundation of the era of sustainable development goals. That’s why I mean that the definition or conceptualization of ESD has to be redone. It’s because so far we have been working within the boundary of education, how it should be interpreted and put into practice in your own community. But now it has to be done in a much broader context of development.”

Jinhee Kim of the (South) Korean Educational Development Institute thinks that education for sustainable development and global citizenship are in the same range of global education agenda. “Social justice and equity are key dimensions applicable to both the concepts. We can say that education is a foundation for a sustainable society with global citizenship. So, the mindset of global citizenship is that, we can change the world in a more equitable, more peaceful or in a more sustainable way,” she said. The most important thing in global citizenship education, according to her, is re-conception of the understanding of citizenship. Global citizens should be educated in a way to apply the concept at world level, or being citizens of the earth.

Not until long back, the concept of global citizenship was seen by some as a western idea being implemented around the world; and newly independent states had been a bit suspicious of the real motive of those involved in global citizenship campaign.

However, with the passage of time that misconception or reservation has gradually been eroding, paving the way for global citizenship education to be accepted and implemented widely across the developing world as well.

At Nagoya conference, 76 ministerial level representatives of UNESCO member states gathered along with more than 1,000 participants from 150 countries. Among Education Ministers heading their country representations was Nurul Islam Nahid from Bangladesh. Commenting on global citizenship education, Nahid said, “Along with focusing on problems transcending national boundaries like global warming in school textbooks, we’ve also introduced a new textbook for primary level education which has been named ‘Bangladesh and understanding the world’. This new textbook focuses on global issues in the context of historical, cultural and traditional aspects of our country. Fostering global citizens is important at a time when many of our citizens are spreading around the world as part of the global workforce.”

With the UN Decade of Education for Sustainable Development coming to an end, the concept of global citizenship capable of tackling global problems in a more meaningful way is no longer considered a utopian idea destined to remain a mere textbook concept. According to a participant, “Our interdependent world needs more of such citizens well prepared of tackling various issues to make the world a common abode of mankind in true sense. The Nagoya UNESCO World Conference on Education for Sustainable Development has taken one more step forward to turn the utopia into a goal not unachievable.”

*Monzurul Huq is a Bangladesh journalist, who has authored three books in Bengali on Japan and other subjects. He moved to Japan in 1994 after working at the United Nations Information Center in Dhaka and BBC World Service in London. He represents two leading national dailies of Bangladesh – Prothom Alo and the Daily Star – and contributes regularly to a number of other important publications in Bangladesh. He has written extensively both in English and Bengali on matters related to Japan and East Asia. He is also a visiting professor at the Tokyo University of Foreign Studies, Yokohama National University and Keisen University, teaching subjects related to Japanese politics, Japanese media, the developing world and world affairs. He also works as a radio broadcaster for NHK. A member of the Foreign Correspondents’ Club of Japan since 2000, he has served at the Board of Directors of the Club for two consecutive terms before being elected president of the Club. [IDN-InDepthNews – November 14, 2014]

Top Photo: Group photo at the UNESCO World Conference on Education for Sustainable Development (ESD) in Aichi-Nagoya, Japan. Photo Credit: UNESCO

2014 IDN-InDepthNews | Analysis That Matters

北東アジアに非核兵器地帯?(ジャヤンタ・ダナパラ元軍縮問題担当国連事務次長)

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【キャンディ(スリランカ)IDN=ジャヤンタ・ダナパラ】

2015年、核兵器が米国によって史上唯一使用された広島・長崎への恐るべき原爆投下から70年を迎える。北東アジアにおける核問題の解決を緊急に模索する必要性は、アジア太平洋核不拡散・核軍縮リーダーシップ・ネットワーク(APLN)が9月に発表した「ジャカルタ宣言」の次の文章に強調されている。

「世界に1万6000発以上存在する核兵器の多くがアジア太平洋地域に集中しており、米国とロシアが世界の核備蓄の9割以上を保有しつつ大規模な戦略的プレゼンスを同地域に保っており、中国・インド・パキスタンがかなりの規模の核戦力を保持しており、国際社会に背を向けている北朝鮮が引き続き核能力を増強しつづけていることを痛烈に意識し…」

「民生原子力利用の今後予想される世界的な成長の大部分-十分かつ効果的に規制されなければ、そうしたエネルギー生産には核拡散や原子力安全、核保安のリスクが伴う-がアジア太平洋地域で起こるであろうことに、さらに留意し…」

北朝鮮の核計画をめぐる六か国協議は、中国の北朝鮮に対する忍耐力すら失われていく中、成果をほとんど生み出していない。一方、第二次世界大戦の苦い経験を巡る中国と日本、韓国の間の緊張は続いており、東シナ海南シナ海における島嶼の領有を巡る紛争が、米国が後ろに引いていることもあって、.緊張関係をさらに悪化させている。

大陸棚、海底宇宙空間といった離れた場所の非核化は別として、今日の世界には、5つの非核兵器地帯(中南米、南太平洋、東南アジア、アフリカ、中央アジア)、1つの一国非核兵器地帯(モンゴル)、1つの無居住非核兵器大陸(南極)がこれまでに法的に確立され存在している。こうした非核地帯の前例は、他の地域でもそのまま模倣可能なものではないが、国連軍縮委員会は、非核兵器地帯の将来的な提案の参考とすべくガイドラインを設けている。

北東アジア非核兵器地帯の提案にはそれ自体のメリットはあるが、このように緊張に満ちた地域において非核地帯に向けて第一歩を踏み出すのはまだかなり先の話だろう。東北アジア非核地帯化の提案は、北朝鮮の核兵器計画への解決策としても、日本や韓国が核兵器オプションを行使することを妨げる防護策としても、あらたな意義を持っている。また、中国が非核地帯条約の議定書を受け入れれば、東アジアにおける中国の核の脅威を緩和することにもつながるだろう。この提案については、学者や議員らの間で熱心に議論されており、これはおそらく、政策決定レベルにおける協議の先駆けとなるだろう。

概念的に見れば、非核兵器地帯は、核不拡散条約(NPT)に加盟した非核保有国が第7条規定に従って起こしている「アファーマティブ・アクション(差別是正措置)」だと言えるだろう。非核保有国の間には、実際にはNPT以前から核兵器への強い反対があり、非核兵器地帯の創設は核兵器なき世界に向けた構成要素となる。

たしかに、諸々の非核兵器地帯条約はその前文で、世界的な核軍縮について曖昧にしか触れていない。非核兵器地帯は、核兵器による汚染から国々や地域を保護する防疫地帯としては、採用している一連の禁止条項について一貫したものがあるわけではない。たとえば、南太平洋非核兵器地帯のためのラロトンガ条約や中央アジア非核兵器地帯のためのセミパラチンスク条約は、核保有国と防衛協定を結び、拡大核抑止を享受している国々を含んでいる。

ラロトンガ条約の場合は、核兵器を積んだ艦船が非核兵器地帯を通過し加盟国に寄港することを認めている。巧妙な起草を通じて非核兵器地帯に込められた原則や禁止条項にこうした妥協的内容をもたらすことは、条約の中心的な価値を棄損するほど禁止条項を根本的に矛盾させることとはみなされなかった。非核兵器地帯創設に関する1999年の国連軍縮委員会のガイドラインは、とりわけ次のように述べている。

国連軍縮委員会ガイドライン

 「非核兵器地帯の目的と目標を損なわないように主権を行使する非核兵器地帯の加盟国は、外国の船舶や航空機による自国の港や空港への立ち寄り、外国の航空機による自国領空の通過、(無害通航権、群島水域の通航、国際航海のために利用されている海峡の通航を完全に尊重して)外国船舶による自国領海、群島水域、あるいは、国際航海のために利用されている海峡の航海を認めるかどうかについては、自由に決定することができる。」

すべての非核兵器地帯条約は、各加盟国の主権的判断にしたがって、核兵器を積んだ航空機が上空通過したり核を積んだ艦船が国際水域を通過したりすることを認めている。バンコク条約は、排他的経済水域(EEZ)や大陸棚に関する条項を含んでいる。しかし、これが国連海洋法条約に従っているかどうかには議論の余地がある。ジョゼフ・ゴールドブラット氏は、中央アジア非核兵器地帯についてこう述べている。

「このことは、核兵器の通過が許可されることも拒否されることもあり得るということを意味している。しかし、この決定は条約の目的または目標を『損なうものであってはならない。』通過の頻度や期間は条約によって制限されていないことから、通過が持ち込みとどう異なっているのかも明確ではない。上で言及したような条項によっては、NPT第7条(地域の非核化条約を締結する諸国の権利に関する条項)で予定されたような、中央アジア非核兵器地帯における核兵器の完全なる不在は保証されていない。」

「ほんの短い時間であっても非核兵器地帯に核兵器が持ち込まれることになれば、地域非核化という念願の目標を損なうことになる。さらに、非核兵器地帯のある加盟国が核兵器の通過を認めれば、他国の安全保障に影響を与える可能性もある。」

非核兵器地帯条約の他の側面に関して言えば、オーストラリアが、NPTに加盟していないインドに対してウランを輸出すると最近決定したことは、ラロトンガ条約違反であると一般には考えられている。このように、容認された非核兵器地帯のガイドラインは、柔軟に解釈されてきたことが明らかになっている。

しかし、すべての非核兵器地帯の場合にNPTの条項が適用されることになる。なぜなら、既存の非核兵器地帯に属するすべての国がNPTの加盟国でもあるからだ。

従って、核を保有したいかなる国によって提供される拡大核抑止の適用、あるいは核の傘の下での保護も、NPTの中心的な条項のひとつである第1条違反であるとみなされなければならない。

第一に、[NPTでは]核兵器の移転や、核兵器を「直接または間接に」管理することは禁止されている。この条項は、欧州にある5つのNATO諸国(ドイツ、オランダ、ベルギー、イタリア、トルコ)に米国が核兵器を配備することで侵犯されてきたが、米国は、これらの核兵器は米国の管理下にあるため問題ないと主張している。しかし非核保有国は、米国によるこの見解をNPT運用検討会議などの場でしばしば拒絶している。いかなる非核兵器地帯も、核保有国の管理下にある場合であれ、違法な場合であれ、核兵器が実際に配備されることを認めていない。

第二に、非核保有国が核兵器を取得したり管理下に置いたりすることを「いかなる方法によっても支援、勧奨、勧誘しないこと」とする禁止条項は、オーストラリアや日本、韓国の場合のように、核保有国との二国間条約によって核兵器による防衛が合意されているとすれば、明らかに侵犯されている。

国際司法裁判所の判決

国際司法裁判所(ICJ)は、1996年7月8日の勧告的意見で、いずれも核兵器の使用あるいは使用の威嚇を含む核抑止と拡大核抑止について、明確な判断を下している。マーシャル諸島政府が9つの核保有国に対してICJに提起した訴訟は、来年取り上げられたら、1996年の勧告的意見を明確化し内容的に広げることになるかもしれない。

このように、北東アジアの非核兵器地帯には、その安全保障を脅かしている地域の複雑な問題に対する解決策として、称賛に値する数多くの理由がある。しかし、非核兵器地帯の基本原則に関して妥協すれば、事態を悪くするだけだ。過去の非核兵器地帯の協議においては例外が設定され曖昧な妥結が多くなされてきたが、それが将来の非核兵器地帯の前例として引き合いに出されることはありえないし、そうであってはならない。拡大核抑止と非核兵器地帯は相互に排他的なものであり、北朝鮮の核計画が解体された暁には、韓国と日本が長らく保護されてきた米国の核の傘は、地域と世界の安全保障の利益にかんがみて、閉じられなくてはならない。

バラク・オバマ大統領が2009年4月にプラハで行った演説と、核兵器なき世界という目標に関連してその後に起こったすべてのことは、グローバルな状況を変えてきた。ジョージ・シュルツ、ヘンリー・キッシンジャー、サム・ナン、ウィリアム・ペリーといった冷戦の闘士たちは、有名な2007年の『ウォール・ストリート・ジャーナル』紙への寄稿文のなかでこう述べている。「冷戦の終焉によって、ソビエト連邦とアメリカ合衆国のあいだの相互抑止という教義は時代遅れのものになった。抑止は、他の国家による脅威という文脈においては、多くの国家にとって依然として十分な考慮に価するものとされているが、このような目的のために核兵器に依存することは、ますます危険になっており、その有効性は低減する一方である。」

核抑止と拡大核抑止を葬り去るのは今だ。NPTの5つの核保有国によって保証された北東アジア非核兵器地帯の創設は、地域にとって必要な新たな安全保障の枠組みである。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|エコドライブ|国連の課題の中心に立つ持続可能な解決策

【ニューヨークIDN=バレンティーナ・ガスバッリ、浅霧勝浩】

米国の俳優で国連平和大使のレオナルド・ディカプリオ氏が国連本部で9月23日に開催された気候変動サミットで120カ国あまりの各国首脳に向かって警告したように、気候変動と地球温暖化の影響は、世界中で加速度的に悪化の一途をたどっており、今や「この星で人類が存在するための最大の脅威」となっている。ディカプリオ氏は、この地球規模の課題に世界中の産業界や政府が断固とした行動をとるよう強く訴えるとともに、「地球の未来を守ることは、私たち人類の意識の進化にかかっている。」と指摘した(映像資料はこちらへ)。

THE INTERNATIONAL CONFERENCE ON  GLOBAL ENVIRONMENT, CARBON REDUCTION, AND ECO-DRIVE
THE INTERNATIONAL CONFERENCE ON GLOBAL ENVIRONMENT, CARBON REDUCTION, AND ECO-DRIVE

気候変動は、新しく変革的な解決策を必要とする問題である。持続可能性という目標を達成するためには、公共政策立案者や諸政府、国際機関に加え、民間部門や学者の役割もきわめて重要となる。この点について国連に模範を求めるならば、10月17日に国連本部で開催された、初めての「国連エコドライブカンファレンス」(主催:国連WAFUNIF、株式会社アスア、ルーマニア国連代表部。協力:日本自動車工業会、米国自動車工業会。特別協力:環境省)に注目すべきだろう。

この会議は、地球環境の持続可能性を脅かす諸要因、中でも温室効果ガス、とりわけ二酸化炭素排出が引き起こす問題に焦点を当て、世界各地から参加した様々な背景を持つ専門家が各々の研究成果とベストプラクティス(最優良事例)を共有し、先見性のある解決策を模索するユニークな機会となった。(プログラム内容はこちらを参照)

この会議の最大の特徴は、あらゆるレベルのステークホールダーが一堂に会して、国際社会が直面している気候変動問題を念頭に、①交通機関における地球環境への影響、②交通と環境保護の新しい技術、③燃費向上・交通事故削減などに成果を上げているエコドライブのソリューションの可能性、④世界の交通と環境における方針などについて検討した点である。

株式会社アスアの間地寛社長が20年以上エコドライブの推進に携わってきた自身の経験に基づいて語ったように、先見的なエコドライブの手法が、重要な環境保全上の利点や、燃費の改善、二酸化炭素排出の削減、そして自動車事故件数の削減をもたらす処方箋となりうることが明らかになってきている。とりわけ、エコドライブはドライバーの運転方法を変える「意識変革」をもたらすことを重視している。「モータリゼーションは数多くの利便を私たちにもたらしましたが、環境汚染や交通事故、渋滞といった多くの問題も引き起こしました。」と間地社長は語った。

持続可能な解決策?

省エネと環境負荷の軽減に配慮した運転は、すべてのドライバーにとっての優先事項となってきている。「エコドライブ」とは、エネルギーを効率的に使用しながら車を運転する様子を指す用語である。つまりエコドライブは、陸上輸送における燃料消費を節減することで同じ距離を走行するために必要な燃費を削減する容易な方法である。

エンジン技術と自動車の性能はこの数十年で飛躍的に向上したが、ほとんどのドライバーは運転スタイルを変えていない。エコドライブの処方(形式)は、こうしたドライバーの意識変革を目指している。つまりエコドライブは、すべての国と文化におけるドライバーを再教育して彼らの習性や行動を改善し、運転(ドライビング)経験をより楽しいものに変えてゆくとともに、燃料と経費を節約し、環境負荷を最小限に抑え、交通事故件数を削減するものである。

Eco Driving
Eco Driving


米国自動車工業会
のジュリー・C・ベッカー副会長は、自動車生産者の立場から持続可能性に関する諸要素を分析し、エコの要請に適合した次のようなアプローチを奨励した。「すべての自動車製造業者は大いに燃費改善に努力し、さらなる二酸化炭素排出量の削減にも努めていかなければなりません。その必要性は、今後ガソリン価格が下落したとしても全く変わりません。燃料の効率性と安全技術が飛躍的に進歩している現状を考えれば、保有車両を新車に交換することが環境的に持続可能な交通(EST)を達成するうえで、最も強力なツールのひとつなのです。」

カナダ自動車工業会通信・政府関係部部長のイアン・ジャック委員長は、「エコドライブは、たしかに、燃料消費と維持コストを抑え、路上で危険回避する効果があることから、ドライバーにとってより低コストで安全な運転方法といえます。私たちの調査では、エコドライブの実践により、燃料消費は10~15%削減でき、交通安全は改善され、運転技術は向上し、年間一人当たり300ドルの節約になり、ドライバーがより自覚を持つことで、歩行者の安心感が増した、という結果がでています。」と消費者の観点から発表した。

こうして、エコドライブは21世紀のグローバルな運転文化として注目を集めつつある。それは、近代的なエンジンと両立可能なものであり、車両技術が提供する利益を最大限利用可能にするものである。エコドライブはまた、より低いエンジン速度でエネルギーを効率的に利用しながら運転するスタイルである。

理論から実践へ

Mr. Keiji Endo of TTA/ TTA
Mr. Keiji Endo of TTA/ TTA

今回の会議では、かなりの燃料節約につながるような賢く(スマートで)安全な運転技術を奨励・実践している先進事例が紹介された。2006年、東京都トラック協会は、地球温暖化防止対策の対応を図るため、独自の二酸化炭素等削減対策を盛り込んだ「グリーン・エコプロジェクト」という新たな取組みを開始した。「今日、約700の企業と2万台のトラックがこの環境に優しいプロジェクトに参画しています。」と東京都トラック協会の遠藤啓二環境部長は語った。このプロジェクトの主な特徴は、「一枚の紙と鉛筆」、従業員の訓練・能力開発支援、燃費データベース構築を組み合わせた統合的なアプローチにある。

グリーン・エコプロジェクトでは、「走行管理表」という一枚の紙にドライバーが毎回の給油量と走行距離を手書きで記入してくことから始まる。ドライバーはこれによって、自らの運転行動や燃料消費について認識し、職場環境改善のコミュニケーション・ツールとしても使うことができる。グリーン・エコプロジェクトでは、経営者・管理者・ドライバーの従業員一人一人の環境に対する意識を向上させるとともに、参加運送会社が環境問題へ能動的に取組みながら同時に経営能力を高めていく「環境から進める経営改善=環境CSR」を支援している。

グリーン・エコプロジェクトの主な成果は、燃料向上率が開始以来8年間の平均で15.6%改善し、この省エネで6万3000トンの二酸化炭素排出削減がなされたことである。これは、植樹に換算するとニューヨーク市のマンハッタン地区全体に等しい58.8平方キロ(=東京の山手線の内側にほぼ相当)を森林に変えたことと同じになる。また、節約された燃料を金額に換算すると約3400万ドル(38億1000万円)にのぼる。さらに交通事故も9年間で30%削減し、事業者の保険負担を54%軽減している。

Mr. Hirotsugu Maruyama of JAMA
Mr. Hirotsugu Maruyama of JAMA

日本で試みられているもう一つの戦略的なビジョンを発表したのが、一般社団法人日本自動車工業会環境委員会温暖化対策検討会主査の圓山博嗣氏である。圓山氏は日本自動車工業会が政府や各団体とともにドライバーに呼びかけている『エコドライブ10のすすめ』を提示した。その内訳は①「ふんわりアクセル『eスタート』」、②車間距離にゆとりを持って加速原則の少ない運転、③減速時は早めにアクセルを離そう、④エアコンの使用は適切に、⑤無駄なアイドリングはやめよう、⑥渋滞を避け余裕をもって出発しよう、⑦タイヤの空気圧から始める点検・整備、⑧不要な荷物はおろそう、⑨走行の妨げとなる駐車はやめよう、⑩自分の燃費を把握しよう、である。

気候変動という地球規模の課題に対応していくためには根本的な変化が必要である。低炭素(二酸化炭素排出を削減する)手法への移行が遅れれば、より適切でない代替案にはまり込むこととなり、不必要に大量の二酸化炭素を排出する社会になってしまうだろう。『国連エコドライブカンファレンス』の討論で報告されたように、世界中の自動車業界は、地球環境の持続可能性を確保するためのイノベーションに焦点を当てている。

Glen P. Kedzie, Vice President of ATA/ TTA
Glen P. Kedzie, Vice President of ATA/ TTA

二酸化炭素排出レベルを削減し自動車産業全体における環境意識を高める(グリーン化する)措置は、全米トラック運送協会(ATA)でも採用されている。グレン・ケジーATA副会長は発表の中で、「当協会は、米国政府と環境保護庁からの支援を得て、エコドライブツールの利用を積極的に拡大していくことで、燃料消費と二酸化炭素排出のさらなる削減を目指す米国自動車産業の長期的なコミットメントと結び付けていく努力をしています。」と語った。

会議の参加者は、エコドライブという持続可能な解決策は、気候変動・地球温暖化という国連の課題に直接的に応えるものであり、ドライバーの意識改革次第で、絶大な効果を期待できるという点で一致した。従って、今後のエコドライブの普及は、ディカプリオ氏が国連気候変動サミットで「地球の未来を守るカギ」として指摘した「人類の意識の進化」を図るバロメーターとなっていくだろう。(原文へ

翻訳/編集=INPS Japan

グリーン・エコプロジェクトと持続可能な開発目標(SDGs)

SDGs for All
SDGs for All

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グローバルパスペクティブ誌(2014年4thQuarterlyに掲載)

イラクのキリスト教徒、「イスラム国」の脅威に直面してヨルダンに避難

【アンマンIPS=アレージ・アブクダイリ】

イラク人のマーヴィン・ナフェ氏にとって隣国シリアでスンニ派過激組織「イスラム国」が勢力を伸ばしている様子を捉えたとされるソーシャル・メディアの映像や写真は、現実からかけ離れたものとしか思えなかった。

「あまりにも架空のものに思えて、信じられませんでした。」と27歳になるナフェ氏は語った。

しかしそれから数ヶ月後、ナフェ氏の故郷(イラク第二の都市モスル)は、「イスラム国」の攻撃により僅か2時間で陥落、彼を含む数千人のキリスト教徒は家を追われることとなった。

「平和と安全ほど大事なものはありません。」ヨルダンの首都アンマン東部のマルカ地区にあるカトリック教会でIPSの取材に応じたナフェ氏は語った。彼はヨルダンに逃れてきて以来、既にこの教会で2か月間寝起きしている。

今年7月、「イスラム国」はモスルのキリスト教徒住民に対して、イスラム教に改宗し税金を納めるか、財産を放棄して街を退去するか選択するよう命じた。そしてこの命令に従わない場合は「最終手段として」死刑が適用されるとした。

「モスルにはもうキリスト教徒はいません。私たちが知っている人々は、高齢者施設から動けずイスラム教への改宗を強制された老人たちを除いて、みんな去っていきました。」と、ナフェ氏は語った。

8月以来、数千人のイラク人難民が、クルド自治区のアルビルを経由してヨルダンに流入してきている。

カリタスのダナ・シャヒン広報官はIPSの取材に対して、「昨年の8月以来ヨルダンでは4000人のイラク人キリスト教徒がカリタス事務所に支援を求めてきており、これまでに2000人を各地の教会に割り当てています。」と語った。

首都アンマンと北部のザルカとサルトにある教会は、今や臨時の難民キャンプとなっており、難民の家族が廊下や中庭で生活をしている。

マルカ地区のカソリック教会では85人の難民が7メートル×3メートルの大きさの部屋を共有している。ここでは子どもや老人、男性、女性が、マットレスで仕切った壁て辛うじてプライバシーを確保しながら、床に寝起きしている。教会のカフェテリアでは、カリタスから寄付された食料品を使って食事が提供されている。

Andrew Harper/ UNHCR
Andrew Harper/ UNHCR

「ヨルダン政府の難民に対する寛容な支援には感謝しています。しかし今の状況が難民たちにとって理想の生活環境とは言えません。」とウム・ジョージと名乗る53歳の女性が語った。

イラク難民の大半は「イスラム国」に全財産を奪われているため、ヨルダンに到着した時には、着ている服以外はほとんど何も所持していなかった。「『イスラム国』の兵士は、金銭を奪おうと子どもでも容赦なく持ち物検査を行いました。私たちは安全と引き換えに全てを手放すしかありませんでした。」と先述のマーヴィン・ナフェ氏の弟で25歳のイハブは語った。

イスラミック慈善会センターは、教会の中庭で生活している難民の家族を対象に、移動式プレハブ住宅を供給した。一方いくつかの家族は、他の世帯と共同利用する賃貸アパートに転居している。カリタスは、基本的な食料や住まい、さらに医療サービスや衣料の提供を行っている。しかしこうした難民に対する持続的な解決策は未だに見つかっていない。

「私達は引き続き難民のニーズを見極めようと努力しているところです。彼らの多くは全財産を故郷に残したまま逃げ出してきた人々です。」と国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)ヨルダン代表のアンドリュー・ハーパー氏は語った。UNHCRは、今年の8月の9月の間、毎日平均120人のイラク人難民を登録していた。難民登録に際してUNHCRが実施した聞き取り調査によると、全体の60%以上がイラクから逃れた理由として「イスラム国」に対する恐怖心を挙げている。

今年に入って約11,000人のイラク人難民がUNHCRで登録された。これにより、ヨルダンにおけるイラク人登録難民の総数は37,067人となる。

ヨルダンには2003年以来、数千人のイラク人難民がいるが、彼らに対する援助資金が枯渇する中、厳しい状況の中で生活のやりくりしている。

イラク人難民はヨルダンで合法的に就労できないため、アンマン東部やザルカ市の最も貧しい地区で暮らしている。彼らはなんとか家賃を払い、子どもたちを学校に送り出すために必死で努力をしている。

新たなイラク人難民の流入は、援助資金が不足する中で既に618,500人以上のシリア人難民を受入れているヨルダンで活動している援助機関に、新たな難題と突きつけている。

Zaatri Syrian Refugee Camp in Jordan/ Wikimedia Commons
Zaatri Syrian Refugee Camp in Jordan/ Wikimedia Commons

「ヨルダンは、第二次世界大戦以来、最も多い数の難民を受入れており、資金が切迫した状況にあります。」「私たちは毎日様々な難題に直面していますが、なんとか国際社会からの支援を得て乗り越えていきたいと考えています。」とハーパー代表は語った。

IPSが取材したイラクから到着したばかりの難民のほとんどは、欧米諸国への再定住を希望していた。「中東地域はもはや私たちにとって安住の地ではありません。私たちイラクのキリスト教徒は、(米国率いる多国籍軍がイラクに侵攻した)2003年以来、常に迫害を恐れ、苦しみ続けてきました。」と60歳になるハンナさん(苗字の名乗るのは断った)は語った。彼女はキリスト教徒なのに娘とともに頭からスカーフを被っている理由について、「嫌がらせを避けるため」と語った。

「しかし再定住申請の手続きは、現実には長いプロセスを要する複雑問題で、申請者が置かれていく状況の脆弱さの度合いに応じて優先的に審査する仕組みとなっています。ヨルダンでは既に数千人のイラク人難民が、数年に亘って第三国再定住申請の結果を待っています。」とハーパー所長は語った。

再びマルカ地区の教会では、ナフェ氏がモスルに今も住んでいるイスラム教徒の友人が送ってくれたという彼の実家の写真を見せてくれた。ナフェさんが指す指先を見ると、その家には赤いペンキで「イスラム国の資産」という文字と、アラビア語のアルファベットで「キリスト教徒(=Nasara)」を意味するN(エヌ)のアラビア文字が塀の壁に描かれていた。さらに悪いことに、送り主の友人は、次のメールの中で、ナフェさんの家は既に「イスラム国」のメンバーが接収して住んでいる旨を伝えてきた。

ナフェさんは、いつか家族とともに祖国イラクを再び一目見るという希望は失ってしまったが、彼は今でも祈りがモスルに平和を再びもたらしてくれると固く信じている。「私たちはいつも、誰もが平和的に共存していた10年前の安全なモスルが蘇りますよう、常に祈りを捧げています。」とナフェさんは語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【ダルエスサラームIPS=アグネス・オジャンボ】

「おまえはもう学校に行ってはいけない。この男性が既におまえの持参金を払っているので、結婚しなければならないんだよ。」と、ある日マチルダ.Tは父親に告げられた。彼女は当時14歳で、小学校(タンザニアの義務教育は小学校の7年間。中学校は義務教育ではない:IPS)の卒業試験に合格し公立中学校への入学が認められたばかりだった。彼女は父親に勉強を続けさせてほしいと懇願したが、聞き入れられなかった。

結局、マチルダ.Tは34歳になる既に妻が一人いる男性と無理やり結婚させられた。彼女の家族は既に婿側から4頭の牛と70万タンザニアシリング(約435ドル)を受け取っていたのだ。

人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)の調査に対してマチルダ.Tは、「学校に行けなくなり、とても悲しかったわ。」「母はなんとか結婚をやめさせようと村の長老達に助けを求めてくれたのだけど、長老達はむしろ私が結婚すべきだとする父の決定を支持したのです。」と語った。しかしマチルダ.Tの夫は、彼女を肉体的・性的に虐待したうえに、結局彼女を養う余裕もない人物だった。

HRWの新報告書「追いつめられて:タンザニアにおける児童婚と人権侵害」は、タンザニア大陸部(同国は大陸部と島嶼部からなる連合共和国:IPSJ)における児童婚の実態を綿密に調査したものである。タンザニアでは10人に4人の少女が18歳の誕生日を迎える前に結婚している。国際連合はタンザニアを児童婚率が最も高い(=全体の3割を超える)41カ国の一つに指定している。

HRWはこの報告書の中で、児童婚がいかに少女や女性を夫の性暴力や女性器切除(FGM)といった搾取や暴力、さらには、リプロダクティブヘルス(性と生殖に関する健康)のリスクに晒しているかを記録している。とりわけ、児童婚と教育へのアクセスが制限された環境との間の因果関係に着目している。

Human Rights Watch
Human Rights Watch

タンザニアでは、少女らは教育を受けるうえでいくつかの深刻な障害に直面している。つまり、マチルダ.Tが経験したような女性に教育を与える価値に関する社会の固定観念に加えて、少女の教育へのアクセスを阻害し未成年の結婚を促進するような政府の差別的な政策や運用がまかり通っているのである。

タンザニアでは、結婚は少女にとって教育機会の終わりを意味する。また、結婚していたり妊娠していることが判明した生徒は、学校から締め出されている。

またタンザニアの学校は、定期的に妊娠検査を女生徒に義務付けており、該当者を随時退学処分にしている。HRWは妊娠が発覚して学校を追われた数人の少女に聞き取り調査を行った。また中には、女生徒が自身の妊娠を知り、学校で処罰されることを恐れて自主的に登校を止めたものもいた。

そのような経験をしたシャロン.J(19歳)は、小学校の最終学年時に退学処分になった時のことを回想して、「校長先生は私が妊娠していることを知ると校長室に呼び出し、『君は妊娠しているから今すぐこの学校から出ていきなさい。』と言いました。」と語った。

教育・職業訓練省による2013年度指導要綱は、十代の妊娠を抑制する手段として、引き続き学校に定期的な妊娠テストの実施を義務付けるよう勧告している。2014年6月に内閣の決議を得た新たな教育・職業訓練政策には、退学後の出産や「その他の理由」による復学に関する規定が設けられているが、既婚女性がそのまま通学できるか否かについては、残念ながら何も明記されていない。

現在政府が採用している初等教育修了者学力試験(PSLE)制度は、貧しい家庭出身の子どもたちに不相応な影響を及ぼし、少女らを児童婚のリスクに追いやっている。タンザニア政府は、同学力試験を評価ツールというよりもむしろ、どの生徒を中学校に進学させるかを選別するためのツールとして活用している。この試験で不合格となった生徒には再試験のチャンスは与えられず、事実上、公立中学校への進学の道が閉ざされることになる。

A village primary school in Karatu district, Tanzania/ Wikimedia Commons
A village primary school in Karatu district, Tanzania/ Wikimedia Commons

ただしこの試験に失敗しても裕福な家庭の子どもには私立の中学校への進学する選択肢が残されている。しかし不合格となった娘を私立学校に進学させる余裕がない両親は、娘の結婚を次の実行可能な代案と考えるのである。

19歳になるサリア.Jは、初等教育修了者学力試験に失敗したあと、15歳の時に無理やり結婚させられた。

「卒業試験に失敗した私は、私立の中学校に進学する以外に選択肢はないと思っていました。しかし私の家庭は貧しかったので、結局家でなにもしないでいた私を見かねた父が、ある男性と結婚させる決断をしたのです。」とサリア.JはHIRWの聞き取り調査に対して語った。

教育機会を奪われた少女らは様々な機会や、自身の人生について十分な情報を得たうえで判断する能力も制限されることになる。しかしこうした事態が放置されれば、最終的には、少女の家族やコミュニティーもその代償を払わされることになるのである。

タンザニア政府は、高い児童婚率を抑制しその影響を緩和する包括的な計画を早急に策定し実施すべきである。そして、そうした計画には、少女を児童婚のリスクに晒している教育システムの課題に取り組むための、目標を絞った政策や計画的な対策が含まれるべきである。

Agnes Odhiambo/ HRW
Agnes Odhiambo/ HRW

またタンザニア政府は、現在全ての女生徒に義務付けている妊娠検査や、婚姻や妊娠が発覚した女生徒を強制的に退学させる政策を直ちに中止すべきである。そして同政府は、少女らを学校に通わせるるとともに、既婚や妊娠した少女が学校に残れるよう地域コミュニティーに協力を促す計画を策定すべきである。

HRWが聞き取り調査した少女たちの多くは、教育課程を修了できなかったことを後悔しており、在学中に妊娠したり結婚した少女らが学校教育を拒否されないよう政府が対策を講じてほしいと願っていた。タンザニア政府は現行の教育制度の問題点を一番よく知っている者たち、つまり少女達自身の声に耳を傾けるべきだ。(原文へ

長い目で見れば、タンザニア政府は、初等教育修了者学力試験の結果に関わらず全ての子どもたちが中学校に入学できるようあらゆる手段を講じることで、初等後教育へのアクセスを増やす措置を取るべきである。

*この記事で表明されている見解は著者個人のものであり、IPSの編集方針を反映するものではない。

翻訳=IPS Japan

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|コラム|50周年を迎えたG77とIPS(ムーラッド・アフミア77ヵ国グループ事務局長)

【国連IPS=モーラッド・アフミア】

77ヵ国グループ(G77)と国際通信社インタープレスサービス(IPS)は、先般相次いで創立50周年を迎えた。

1964年に世界の開発途上国(グローバルサウス)のための通信社として創立されたIPSは、過去50年間にわたって開発途上国とG77双方の声を伝えてきた。

G77とIPSは、開発途上国の利益を擁護し代弁するという共通のコミットメントを通じて、相互につながってきた。

従ってG77とIPSの50周年は、改めて今日の国際社会における「開発途上国」の関心を前景化し推進するための両者の連携関係をさらに進化発展させる機会となるだろう。

G77 plus China
G77 plus China

IPSは半世紀にわたって、開発途上国の代表者らが共通の開発課題について国際社会に主張を訴えていくうえで、メディア独自の方法で支援を提供してきた。

G77が、経済外交と開発途上国共通の利益を促進するうえでこれまでに果たしてきた重要な役割を見れば、現在進行中の世界の開発対話において、この連合体が依然として重要な存在意義を有していることは明らかだろう。

IPSはこうしたG77の取組みを積極的に取り上げ、その声をIPSが擁するメディア・コミュニケーションインフラを通じて国連諸機関や先進国の政策責任者に伝えることで、グローバル・ガバナンスの新たな地平を切り開くという、極めて重要な貢献をしてきた。

IPSは、G77初のニュースレターである「G77ジャーナル」の発行を長年にわたって支援し、とりわけ、G77の記念日や「途上国サミット」等のさまざまな機会において、IPSの日刊紙「テラヴィヴァ(TERRAVIVA)」の特別版を発行してきた。

2006年に南アフリカ共和国が主導してG77とIPSが始めた、「南」の通信社のグローバル・ネットワークを作る試みは、現在も作業を続けているところだ。

他方で、G77にも半世紀にわたって様々な業績を成し遂げてきた歴史がある。

1964年6月15日に設立されたG77の参加国は有名な「77か国共同声明」に署名し、参加国全体の経済面での利益を明確に示しかつ促進するとともに、国連システムにおける世界経済の主要事項全般を巡る合同交渉能力の強化を図る目的で、開発途上国による最大の政府間組織を形成した。

初のG77閣僚会議が1967年10月にアルジェリアで開催され「アルジェ憲章(Charter of Algiers)」が採択されて以来、G77は、この50年間、国際的な開発問題に関する議論を方向付け、世界の開発途上国が置かれている現状を変革していくことに貢献する組織的メカニズムと構造を構築してきた。

長年にわたってG77は、主要な南北問題や開発問題をめぐる世界的な交渉を通じて、国際関係の形成と行動においてますます大きな役割を果たすようになっている。

G77は、ニューヨークやジュネーブ(UNCTAD)、ナイロビ(UNEP)、パリ(UNESCO)、ローマ(FAO/IFAD)、ウィーン(UNIDO)、ワシントンDC(G24 at IMF, World Bank)の国連機関に創設した支部や組織を拠点に世界的な存在感をみせ、気候変動や貧困削減、移住、貿易、海洋法などの幅広い世界的課題に関する交渉に積極的に関与している。

今日G77は、国連システム内部における多国間経済外交において唯一、現在も発展し機能しているメカニズムである。G77が依然として影響力を保持している証拠に、その加盟国は増え続けている。

加盟国は1964年の創設時の77か国に始まり、2014年には134か国になっている。開発問題を取り扱っている開発途上国の政府間組織としては、世界最大のものである。

G77は、政治的独立を意味のあるものにするためには南北間の経済関係を変革する必要性が明らかになった時期に、世界の舞台において開発途上国の役割と影響力を集合的に強化するという目的をもって創設された。

つまり当時独立間もない開発途上国にとって、真の政治的独立を実現するには、国際経済秩序の変革という究極的な目標を掲げた経済外交を推進していく必要があったのである。

今日、G77は国連の枠内において、多国間経済外交を進め、開発のための国際協力を通じた国際平和と正義の実現を図るための不可欠な交渉枠組みとなっている。

これが、創設以来の開発途上国間の連帯(=南南連帯)を一貫して標榜してきたG77の推進力であり、その集合的な声は、人類の大多数の希望と念願を代表するあらゆる機関や国際組織に広がってきた。

G77は、小規模の事務局が持つ限定的な資源で、開発パートナーと協力して問題を分析し開発課題に対する異なった解決策を提案することに成功してきた。

50年にわたって、G77は数多くの国連決議や企画、行動計画の策定や形成に貢献してきた。そのほとんどが、開発の中心的な問題に対処したものである。開発問題に関するグローバルなコンセンサス形成におけるG77の役割は、世界の指導者や外交官、国会議員、学者、研究者、メディア、市民社会によって広く認知されてきた。

それは、時代の試練に耐えてきたG77の存立基盤や目的、その活動が歴史的に意義のあるものであったことの証明である。

G77の本質的な存在意義は、グローバルな経済的意思決定において開発途上国のより広範な参加を実現し、国連システムの枠組みの中で国際機関や政策に開発の側面を持ち込むことであったし、現在でもそうである。

G77には現在134の加盟国があり、世界の人口の約8割、国連加盟国のおよそ3分の2を占めている。

G77は、加盟国193の国連に次いで世界で2番目に大きい国際組織であり、新興国から最貧国や島嶼途上国に至るまでの数多くの国々が、その議長国を務めてきた(アフリカ、アジア、ラテンアメリカ、およびカリブ海地域ベースで交代制となっており、任期は1年)。

2014年は、創設50周年を祝うG77にとって一里塚となる年である。この50年間にG77は加盟国を倍増させて南南協力の成果を挙げる一方、開発のための南北対話を促進するうえで開発途上国の連合として機能しつづけてきた。

このような多様な加盟国を抱えた緩やかな連合体であるにもかかわらず、G77がこの半世紀に亘る世界の政治的・経済的激動を乗り越え、なおかつ、国連の開発目標を促進するという当初の使命に今も忠実であり続けているのは注目に値する。

50th Anniversary Summit of the Group of 77 and China/ G77
50th Anniversary Summit of the Group of 77 and China/ G77

G77はこの50年間、世界の発展の達成のために専念し、大国であれ小国であれ世界の問題には同じ発言権があるという原則を堅持してきた。

今日、G77加盟国は共通の地理によって互いに結びつき、解放と自由、南南連帯に向けた闘争という共通の歴史を有している。

G77はその50年間において、世界の開発途上国を国家連合として結束させ、平和と開発に向けたグローバル・パートナーシップになろうとしてきた。

今日、G77は、豊かで平和な世界に向けた国際開発協力を促進するその取り組みによって、認知されている。

世界の問題に献身的に取り組むG77の努力と貢献は、世界中の数十億人の生活に利益をもたらし、50周年を迎えたG77の重要な貢献に対する認知は、きわめて適切なものだと言えよう。

G77とIPS、創立50周年おめでとう!(原文へ

翻訳=IPS Japan

エイズの最終章を書く

【ナイロビIPS=ミリアム・ガシガー】

この30年間でアフリカにおいて数百万人を死に追いやってきたエイズ。しかし、HIVの専門家らが、人々の健康に脅威を及ぼしてきたエイズを、向こう15年で終息させるマジックナンバーを見つけたようである。

その数字とは臨床実験結果から導いた90-90-90という公式で、具体的には、2020年までに、①HIV感染者の90%がウイルス量検査診断を受け、②そのうち90%が抗レトロウィルス療法(ART)を受け、③そのうち90%がウイルスの抑制に成功する、というものである。

国連合同エイズ計画(UNAIDS)が今年初めに発表した90-90-90計画は、2020年までにHIVの拡散を止め、2030年までにエイズ流行を終結させる*ことを目指すというものである。

これはこれまでで最も野心的なエイズ根絶計画であるが、「エリザベス・グレイサー小児エイズ財団」のルーシー・マトゥ博士は、「達成することは可能です。」と語った。

マトゥ博士はIPSの取材に対して、「ケニアでは今年4月までにHIV感染者の72%がウイルス量検査を受け、HIV陽性と判定された成人・児童合計88万人のうち76%が抗レトロウィルス療法を受けました。さらに同国では、(抗レトロウィルス療法を必要とするCD4リンパ球数の下限を350個から500個に引き上げた)世界保健機構(WHO)の2013年ガイドラインを新たに実施しており、その結果、新たに抗レトロウィルス療法を施せる患者を25万人から30万人拡大できる見込みです。つまりこれによってHIV感染者の少なくとも90%が抗レトロウィルス療法を受けられることになり、90-90-90計画の目標をほぼ達成するでしょう。」と語った。

達成可能な目標

このWHOガイドラインを適用して抗レトロウィルス療法を早期に開始することで、HIV感染者は、肺炎髄膜炎結核といった感染症に罹りにくくなる。

90-90-90計画の目標を達成する軌道上にあるのはケニアだけではない。世界で2番目に成人のHIV感染率が高いボツワナでも(1位はスワジランド)、感染者の7割以上がすでに抗レトロウィルス療法を受けている。

「すべての東部・南部アフリカ諸国がこのWHOガイドラインを採用しつつあります。つまり、ルワンダウガンダザンビアマラウィ、スワジランドでは、国家ガイドラインのとりまとめ段階にあり、一方、南アフリカ共和国といった国々では、来年にも新ガイドラインを実施に移す予定です。」とUNAIDSのエレノア・ゴーズ‐ウィリアムズ上席戦略情報アドバイザーは語った。

ゴーズ‐ウィリアムズ氏は、90-90-90計画は十分達成可能だと考えている。

診断を受けさせることが第一歩

UNAIDSによると、サハラ以南地域ではHIV感染者のうちウイルス量検査を受けた人は未だ半分程度にとどまっていることから、検査を受けさせることがまずは最重要課題となっている。

調査によればケニアとウガンダでは、複数の疾病対策キャンペーンにHIVウイルス量検査を入れ込む形で、検査率をそれぞれ86%と72%までひろげた実績がある。

他方、専門家らは、単に患者に抗レトロウィルス療法を受けさせるだけではなく、ウイルスを抑制することが肝要だと指摘している。

「ルワンダでは抗レトロウィルス療法を18カ月受けたHIV感染者の83%について、ウイルスの抑制が確認されています。」と、ゴーズ‐ウィリアムズ氏は語った。

エリザベス・グレイザー小児科エイズ財団地域部長のアグネス・マホンヤ博士は、「90-90-90計画は、ジンバブエでは必ずしも野心過ぎる計画ではありません。」「(ジンバブエでは)既にHIVに感染した全ての妊産婦並びに同じく感染した全ての5歳未満の幼児に対して、CD4リンパ球数の数に関わらず、抗レトロウィルス療法を受ける資格を認めています。」と語った。

多くの専門家が90-90-90計画の成功について楽観的な見方を示す中で、ウガンダのHIV活動家アナベル・ヌクンダ氏はIPSの取材に対して、「HIV感染者の多くは、差別を恐れて治療を受けようとはしません。」と指摘したうえで、「差別の問題を軽減する具体的な取り組みがなされなければ、いくら治療介入してもHIVの流行を根絶することはできません。」と語った。

これに対して、上記のマトゥ博士は、「診断結果を知れば、人々はより治療を受けようという気になるはずです。つまりもし抗レトロウィルス療法が受けられれば、治療を受け続ける選択をするはずです。」と反論した。

資金確保が課題

90-90-90計画を実行するために各国がどれほどの資金を拠出することになるか見積るのは時期尚早だろう。ただ確かなことは、多くの資金が必要とされるだろうということだ。既にいくつかのアフリカの国々では、エイズ課税や国家エイズ信託基金など革新的な資金調達方法を検討している。

たしかに、たとえばマラウィでは、必要な抗レトロウィルス療法を受けるのにかかる費用が1人あたり年間100ドル以下にまで下がるなど、一般の人々にも手が届く治療になってきてはいる。

ゴーズ‐ウィリアムズ氏は、抗レトロウィルス療法にかかる費用が以前と比べて大幅に手頃な価格になった点を指摘した。マラウィでは、一人のHIV感染者の一年分の治療費が100ドルを下回るところまで下がっている。

にもかかわらず、とりわけHIV治療コストがGDPの5%を上回っているマラウィ、レソト、ジンバブエ、モザンビークブルンジといった国々に対しては依然として援助国による支援が極めて重要である。

マトゥ博士は、90-90-90計画を達成するには、しっかりとした保険制度、充実した研究体制、より安価なHIVウイルス量検査実施体制、そして保健衛生に従事する職員の充実といった様々な要因の組み合わせが必要と語った。

さらにマホンヤ氏は、「さらにコミュニティーが重要な役割を果たすことになります。なぜならHIV感染者の治療継続の妨げとなる差別問題はコミュニティーで発生するからです。」と付加えた。前途には様々な困難が予想されるが、関係者の多くは、90-90-90計画が、エイズ流行の最終章に位置づけられるものになるだろうと楽観的な見方をしている。(原文へ

翻訳=IPS Japan

*エイズ流行の終結の定義:

エイズの流行の終結とは、HIV感染の拡大が制御または封じ込められ、社会及び個人の生命に対するウイルスの影響が非常に小さくなり、結果として健康障害や偏見、死亡、孤児などが大きく減少する状態を意味する。また、エイズの影響が低下することにより、平均余命が長くなり、人々の多様なあり方や権利が無条件に受け入れられ、生産性が向上し、コストが下がることも意味している。

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2015年―核軍縮の成否を決める年

【国連IPS=タリフ・ディーン】

国連の潘基文事務総長は先月、本人が言うところの「現代科学最大の皮肉の一つ」について触れた。それは、人類が他の惑星の生命体を探査する一方で、世界の核保有国が地球上のあらゆる生命体を破壊するような兵器を保持し近代化を進めているという現実だ。

「国際社会は、そうした兵器の追求に根拠を与える軍国主義に対抗していかなくてはなりません。」と潘事務総長は警告した。

来年4月には数多くの軍縮関連行事が予定されているが、2015年は、核軍縮の成否(核廃絶に向けた成功の兆候が見出されるか、或いは、紛れもない失敗に終わるか)が決まる重要な年になるだろう。

なかでも5年毎に開催される核不拡散条約(NPT)運用検討会議がその最たるものであり、来年4月から5月に予定されている。

その時期には、ニューヨークで平和、正義、環境に関する国際市民社会会議(4月24・25日)や平和活動家らによる大規模な国際集会・国連本部までの市民デモ行進(4月26日)が予定されているほか、世界各国の首都で非暴力的な抗議活動が展開される予定である。

Photo credit: Hiroshima Peace Memorial Museum, Shigeo Hayashi - RA119-RA134
Photo credit: Hiroshima Peace Memorial Museum, Shigeo Hayashi – RA119-RA134

2015年は、米国による広島・長崎への原爆投下からちょうど70周年にあたり、過ぎ去った時代の「核の悪夢」の記憶が呼び覚まされる年でもある。

さらに2015年は、米・英・仏・中・露の5大核保有国が、NPT第6条において、核兵器廃絶に向けて誠実な交渉を行うことを約束してから45周年にもあたる。

さらに、反核活動家らは、2010年NPT運用検討会議で合意されたにもかかわらず長らく延期されてきた、「中東非核兵器地帯化に関する国際会議」が2015年に実施されることを期待している。

また来年の反核イベントを主導する国際NGOのネットワークが、核兵器廃絶を求める何百万筆もの署名を提出予定だ。

このネットワーク「2015年NPT運用検討会議行動に向けた国際連携グループ:核廃絶、気候、正義のために」には、アボリション2000、アメリカ・フレンズ奉仕委員会(AFSC)、核廃絶キャンペーン、地球アクション、平和首長会議、西部諸州法律財団、日本原水協ピースボート、核戦争防止国際医師会議、世界教会協議会など多くの団体が参加している。

2015年NPT運用検討会議で核廃絶に向けた協議の開始に合意できないとすれば、「条約の存在意義そのものが危殆に瀕し、核拡散を加速して破滅的な核戦争の可能性が高まることになりかねない。」と同ネットワークは警告している。

Joseph Gerson
Joseph Gerson

世界の核保有国の頑なな態度に直面する中で(核軍縮に向けた交渉に)前進がもたらされるか、という問いに対して、同ネットワークのジョセフ・ガーソン共同呼びかけ人は、「だからといって私たちはどうすればよいというのでしょう? 結論を先送りにして、狂った現実主義者たちが私たちを地獄に導くのを許すしかないということでしょうか?私はそうは思いません。」と語った

「確かに2015年NPT運用検討会議の見通しは明るいとは言えません。」「しかし、数ある中でもとりわけ、昨年の『核軍縮に関するハイレベル会合』での議論や、『核兵器の人道的影響に関する国際会議』での各国政府代表の反応を見れば、私たち市民社会の運動が核廃絶に向けて孤立して闘っているのではないことが分かり、今後の展開に大いに希望を持っています。」と、AFSC北東地域支部平和・経済安全保障プログラムの責任者でもあるガーソン氏は語った。

同国際ネットワークは、2010年NPT運用検討会議では「核軍縮につながるような核戦力の完全廃棄を達成するために核保有国が行った明確な約束」が再確認されている、と指摘している。

それから5年が経過し、次の運用検討会議が開催される時期が巡ってきている。にもかかわらず、依然として「文明を破壊してしまうような」規模の核備蓄が存在しており、核軍縮に関する限定的な進展にすらブレーキがかけられている。

同ネットワークによると、1万6000発以上の核兵器が依然として存在し、うち1万発が軍事使用可能な状態にあり、1800発が高度警戒態勢下にあるという。また同ネットワークは、「すべての核保有国が自国の核戦力の近代化を進めており、今後数十年に亘ってその方針を維持する意図を明らかにしている。」と指摘している。

同ネットワークはまた、核保有国は核兵器や関連の事業に毎年1000億ドル以上も費やしていると指摘している。さらにこれらの費用は、核保有国が核弾頭や運搬手段を近代化するにつれ、将来的に増加していくと見込まれている。

ICAN
ICAN

ハイテク兵器への支出は、一部の政府の核戦力への依存を深めるばかりではなく、貧富の差をさらに拡大してもいる。

2013年、1兆7500億ドルが軍事・兵器のために使われた。これは世界の人口の下位3分の1の収入総額よりも大きい。

西部諸州法律財団に所属し上記の国際ネットワークの共同呼びかけ人でもあるジャッキー・カバッソ氏は、核保有国は「核兵器を禁止し自国の核戦力を完全廃棄するための交渉を開始するという法的・道徳的義務を尊重することを拒絶しています。」と指摘した上で、「『核軍縮に関する国連ハイレベル会合』や、オスロやナヤリットでの『核兵器の非人道的影響に関する国際会議』(非人道性会議)でも見られたように、世界の諸政府の圧倒的多数はNPTの履行を求めています。」「私たちは米国その他の国々におけるパートナー組織と協力して、2015年NPT運用検討会議に圧力をかけるべく国際的行動を起こしていきたい。」と語った。

Jackie Cabasso
Jackie Cabasso

カバッソ氏は、2015年の行動は、核戦争の準備や核戦争や核燃サイクルが環境に与える影響と、基本的な人間のニーズを犠牲にして拠出されている軍事支出の間の密接に絡んだ関係について明らかにするものになるだろう、と語った。

ガーソン氏はIPSの取材に対して、「私は生涯の中で、様々な困難に直面しながらも、ジム・クロウ法(黒人差別法)の廃止やベトナム戦争の終結、南アフリカ共和国のアパルトヘイトの終結を目撃し、多少なりともこれらの実現に貢献するという恩恵に浴してきました。こうした制度や政治力学は、歴史の1頁となる以前は、とても乗り越えられないと考えられていたことばかりです。」と語った。

「戦争を終わらせるために私たちが力を尽くしていたにもかかわらず、1971年と1972年のクリスマス爆撃ではベトナムで多くの命が犠牲となり、世界が真っ暗に見えていた当時の気持が、今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。」

こうした事件のそれぞれにおいて、「予想もつかない展開や強力な人間の意志が、私たちが犠牲を払い闘ってきた変化をもたらしたのです。」と国際平和ビューローの理事で、「北大西洋条約機構(NATO)にノー、戦争にノー」ネットワークの運営委員でもあるガーソン氏は語った。

またガーソン氏は、「すべての核保有国が核戦力を近代化しているという現実も、こうした暗いシナリオに含まれます。」と語った。

それに加えて、NPT第6条の誓約を順守するよう求める世界の大多数の国々による要求に核兵器5大国が強調して抵抗しているほか、NATOおよび欧州連合(EU)の東への拡大がロシアのウラジミール・プーチン大統領による一連の対抗策を招く事態となり、双方が核使用の威嚇をほのめかす新たな対立の時代が生まれている。

ガーソン氏はまた、「東アジアのダイナミズムは、第一次世界大戦前夜の欧州の状況を彷彿とさせる。」と指摘するとともに「これらすべてに、壊滅的な戦争と破滅の威嚇が伴っています。」と語った。

さらにガーソン氏は、「私は『意図しない帰結の法則』の意味(自らの行動の帰結がどのようなものになるのか本当のところはわからないということ)を理解しています。とはいえ、私たちの行動が道徳的なバックボーンを鍛え、私たちの連携相手になりうる多くの外交官や政府関係者に力を与えるであろうと確信しています。」「そして願わくば、私たちの行動が、(反核)運動の指導者や活動家らが、核兵器廃絶の必要性に対する民衆の理解を改めて得るために、主流メディアやソーシャル・メディアを通じてともに考え計画する場と機会を提供するものになってほしいと考えています。」と語った。

またガーソン氏は、核兵器廃絶運動が、気候変動や経済、社会正義運動との連携を強めるなど、長期的に拡大することが望ましいと考えている。

「核戦争の危険に向って私たちは時間との闘いを繰り広げているが、学生や若者らとの活動を通じて、次の世代の反核活動家が生まれるよう努力していきたい。」とガ―ソン氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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