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|モンゴル|北東アジア非核兵器地帯は可能

【ジュネーブIDN=ジャムシェッド・バルーア】

北東アジアでは、既存の緊張関係が引き続き悩みの種であり、緊張を緩和し有意義な協力関係を生み出す緊急の行動が求められている。しかし、北東アジア非核地帯の構築は可能であり、優先課題とすべきである。」11月26日にモンゴルのウランバートルで開催された国際会議において、このような提言が出された。

GPPAC

国際会議「核兵器なき北東アジア構築のための諸側面」(GPPAC北東アジア地域会合)の最終文書には、「モンゴルの1国非核地帯化はこの地域において同国が傑出したリーダーシップを発揮した実例であり、核兵器とそれがもたらす危険に対して行動を起こすことを望んでいる国々にとって良き前例となるものである。」と述べられている。

この国際会議は、「武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ(GPPAC)東北アジアネットワーク」、モンゴルのNGO「Blue Banner(蒼い旗)」、GPPACウランバートル支部が共催し、モンゴル外務省及び経済開発省の後援のもとに開催された。

この会議には、GPPAC事務局本部があるオランダのハーグをはじめ、広州、香港、京都、平壌、ソウル、台北、東京、ウランバートル、ウラジオストックから、市民社会組織の代表や学者を含む60人以上が参加した。

会議では「モンゴルの非核地位と同国が北東アジアにおける信頼醸成、地域の安定、核不拡散を推進するうえで果たしうる役割について」協議が行われ、参加者はこれまでのGPPAC東北アジア地域プロセスにおける声明文(2005年東京アジェンダ、2006年金剛山地域行動計画、2007年・2010年ウランバートル声明)で謳われている、地域における紛争予防、平和構築、核不拡散へのコミットメントを再確認した。

参加者は、事故か故意かに関わらず核爆発の人道的影響に焦点をあてる取組みは重要かつ時宜を得たものであり、核爆発の破滅的な影響への理解を深めることによって、核軍縮の緊急性に対する国際社会の認知を高いレベルで維持するという見方で一致した。そうした観点から、2013年にノルウェーのオスロ、続いて2014年にメキシコのナヤリットで開催された「核兵器の人道的影響に関する国際会議」(非人道性会議)と両会議への市民社会組織の関与を歓迎した。

オスロ会議は核兵器爆発の影響を人道的な観点から焦点を当てたのに対して、ナヤリット会議は核爆発の人道的影響について、その長期的な影響及び公衆衛生、環境、気候変動、食料安全保障、強制移転、開発への影響にもさらに踏み込んで協議した。

参加者は「第3回核兵器の人道的影響に関する国際会議」(12月8日・9日にウィーンで開催)が、被爆者の証言に耳を傾け、核実験がもたらした人道的影響と核兵器に付随する人的・技術的ミスというリスクを検証することで、核廃絶の緊急性について一層焦点をあてるとともに、核兵器の廃絶に向けた交渉開始に寄与することを期待していると語った。

ICAN

そこで参加者は市民社会組織に対して、ウィーンで開催される政府間会議と核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が12月6日と7日に主催する市民社会フォーラムの双方に積極的に参加するよう呼びかけた。

核兵器の廃絶

参加者はまた、核兵器の使用又は使用の威嚇に対する唯一の効果的な保証は、国際的に法的拘束力のある関連条約を締結し核兵器を完全禁止・廃絶するほかに方法はないとの信念を再確認した。

この観点から、参加者は(核保有国が進めている)既存の核兵器の近代化及び新型核兵器の開発を、核軍縮の目的と義務に矛盾する行動であるとして拒絶した。

また参加者は、9月26日を「核兵器廃絶のための国際デー」とした国連総会の決定と、2013年の「核軍縮に関するハイレベル会合」の開催及び結果を歓迎するとともに、各国に対して、核兵器を廃絶するための具体的な方策と活動を特定するために遅くとも2018年までに「核軍縮に関する第二回ハイレベル会合」を開催するよう呼びかけた。

また国際社会に対して、消極的安全保障に関する普遍的かつ法的拘束力のある取り決めについて交渉を開始し、遅滞なく採択するよう呼びかけた。また同会議は、マーシャル諸島政府が9つの核兵器保有国が核不拡散条約(NPT)の核軍縮義務に違反しているとして国際司法裁判所に提訴した「核ゼロ裁判(Nuclear Zero Lawsuit)」への支持を表明した。

2015年NPT運用検討会議

また参加者は、これまで核軍縮及び核不拡散体制の拠り所となってきたNPT運用検討会議(次回は来年4月~5月にかけて開催予定)に向けた準備について詳細に協議した。そして、核兵器保有国に対して、NPT第6条の核軍縮義務を完全に順守するとともに、2000年NPT運用会議で合意された(NPT第6条履行のための)実効的措置13項目と2010年NPT運用検討会議で採択された最終文書(行動計画)、とりわけアクション5を、実行に移すよう呼びかけた。

会議は、非核兵器地帯が地域および国際の安全保障体制を強化するうえで重要な役割を果たしていることを再確認するとともに、既存の非核兵器地帯の強化への支持を表明した。さらに関連して、1995年、2000年、2010年のNPT運用検討会議において加盟国間の合意が成立しているにも関わらず、「中東非核兵器地帯の創設に関する国際会議」が依然として実現していないことに懸念を示すとともに、同会議が2015年NPT運用検討会議より前に開催されることに期待を表明した。

"Panorama of the United Nations General Assembly, Oct 2012" by Spiff - Own work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikipedia
“Panorama of the United Nations General Assembly, Oct 2012” by Spiff – Own work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikipedia

最終文書によると、参加者は、朝鮮半島とその周辺を含む北東アジア地域で緊張関係が続いていることに懸念を表明し、6者会合(韓国、北朝鮮、中国、ロシア、日本、米国)は、依然として重要な役割を果たすことが可能で、同地域の恒久平和実現に資する他の対話の枠組みが真摯に追及されると確信している。

「参加者は、関係改善に向けた信頼醸成措置や北東アジア非核兵器地帯創設の実現可能性を含むこの問題への幅広い取り組みを行うことは、実質的に有益であり、『核の傘』或いは『拡大核抑止政策』は放棄する必要があると確信している。」

また同会議は、域内国家間の不信感を減らし、相互理解と信頼を促進する効果的な方法として、モンゴルのツァヒアギーン・エルベグドルジ大統領が提唱している「北東アジア安全保障に関するウランバートル対話」を歓迎した。

Tsakhiagiin Elbegdorj/ Wikimedia Commons
Tsakhiagiin Elbegdorj/ Wikimedia Commons

さらに同会議は、域内の相互理解と対話を促進するうえで市民社会が重要な役割を果たしており、平和で安定した北東アジアを目指す共通のビジョンを強化発展させるために、市民社会組織が引き続き協力していくことを再確認した。

GPPAC北東アジア地域会合では、今後の議題について、従来の平和と安全保障分野へのフォーカスに加えて、経済、環境、持続可能性、災害救援、ジェンダー、人間の安全保障、市民社会の潜在的な役割等についても焦点をあてる予定である。

参加者は、モンゴル政府の一国非核兵器地帯政策を、地域の安定に対する具体的な貢献として、また、核の脅威に取り組んでいくための革新的なアプローチとして歓迎した。また、核5大国が、モンゴルの非核地位を尊重しそれを侵害する行動をしないと誓約した共同声明を歓迎するとともに、モンゴルの実例が今後同様の問題に取り組む際に良い前例となることに期待を寄せた。

参加者はさらに、市民社会が重要な役割を果たせる核軍縮と紛争予防を推進する世界的な取組みへの支持を再確認した。参加者はその観点から、ICAN、平和首長会議、朝鮮戦争を終わらせるための各国・国際レベルの様々なキャンペーン、日本国憲法第9条を保護・促進するキャンペーンなど市民社会主体の様々な取り組みを支持した。(原文へ

翻訳=IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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【ウィーンIPS=ジュリア・レイナー】

「核兵器の人道的影響に関する国際会議」が12月8日から9日までウィーンで開催されるのに先立って、世界各地から活動家らがこのオーストリアの首都に集まり、「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が開催した市民社会フォーラム(12月6~7日)に参加した。

議論された喫緊の課題の一つが、今年4月にマーシャル諸島政府が米国および他の8つの核兵器保有国に対して国際司法裁判所(ICJ)で起こした訴訟である。同国政府は、1946年から58年にかけて米国政府がこの小さな島嶼国の領内で60回以上の核実験を実施したことを非難している。

Flag of Marshall Islands
Flag of Marshall Islands

マーシャル諸島が当時米軍の核実験場に選ばれたのは、単にそこが世界から孤立している場所だったからということだけではなく、米国が実効支配する「太平洋諸島委任統治領」の一つだったからである。その後マーシャル諸島では1979年に自治が始まり、1986年には米国との自由連合盟約国として独立した。

マーシャル諸島の人々は(核実験について)何も知らされず、同意をとることもされず、長い間、核実験によって地域社会にどのような害がもたらされるかについて知らされていなかった。

その結果は非情なものであった。人々は、核実験で放射能汚染され数千年にわたって住めなくなった島から移住させられた。奇形児やガンも発生した。一方、度重なる核実験を実施した米国政府は、核実験が及ぼす害などないと主張し、適切な医療を提供することさえ拒否した。

キャッスル・ブラボー」は、1954年に米国がマーシャル諸島のビキニ環礁ウェトニク環礁で行った計6回の核実験の第一弾に与えられたコードネームであり、1945年に広島に落とされた原爆よりも1000倍強力なものであった。

 Marshall Islands politician Tony deBrum/ By U.S. Department of State - This file has been extracted from another file, Public Domain
Marshall Islands politician Tony deBrum/ By U.S. Department of State – This file has been extracted from another file, Public Domain

ICAN市民社会フォーラムで発言したマーシャル諸島政府のトニー・デブルム外相は、核兵器なき世界に向けて立場を明確にするためにICJへの提訴を決意したと説明した。

デブルム外相は、「米国はすでにマーシャル諸島に数百万ドルを支払っており、マーシャル諸島政府としては補償を請求する意図はありません。私たちはそのうえで、核保有国に、核不拡散条約(NPT)が定める軍縮義務や国際慣習法に違反している責任を取らせたいのです。」と語った。

1970年に発効したNPTは、核軍縮と原子力の平和的利用を核兵器国に義務づけている。現在核兵器を保有している9つの国は、米国、英国、フランス、ロシア、中国、インド、パキスタン、北朝鮮、イスラエルである。

冷戦終結以来、ある程度の軍縮は実施されてきたが、この9か国で依然として約1万7000発の核弾頭を保有し、世界全体で年間1000億ドルを核戦力に費やしている。

David Krieger/ NAPF
David Krieger/ NAPF

数多くの組織から世界的な注目と支持を集めたマーシャル諸島の事案は「ダビデ対ゴリアテ」としばしば形容されている。マーシャル諸島の訴えを支持している著名な団体の一つが核時代平和財団である。同団体のデイビッド・クリーガー会長は、「マーシャル諸島は、小さくとも肝が据わった国だ。いじめを受けるような国でも、あきらめるような国でもありません。」と語った。

クリーガー氏はさらに、「核兵器で何が問題になっているのかをマーシャル諸島政府は熟知しています。そして人類の生存のために法廷で闘っているのです。マーシャル諸島の人々が米連邦裁判所と世界最高位の裁判所である国際司法裁判所にこの闘いを持ち込んだことに対して、支持と理解を与えなくてはなりません。」と語った。

もうひとつの強力な支持団体が創価学会インタナショナル(SGI)である。仏教団体であるSGIは平和や文化、教育を主唱し、世界中で1200万人の会員を擁する。創価学会青年部は「Nuclear Zero(核兵器廃絶)」署名運動を支持して、核兵器なき世界を求める500万を超える署名を日本で集めた(512万8259人分の署名用紙が集まったほか、多数の賛同者がインターネットによる署名を行った)。

このキャンペーンは、広島・長崎への原爆投下から70年を迎え、核不拡散条約(NPT)運用検討会議が開かれる2015年に向けて行われたものである。

Seikyo Shimbun

ICAN市民社会フォーラムで発言したデブルム外相は、「これまで長年に亘って、(核実験によって)自分たちに起こった出来事について訴えるマーシャル諸島の人々の声は、国際社会に届けるには、十分に強く大きなものとは言えませんでした。しかし彼らは、自分たちに起こったことが地球上の誰の身にも起こってほしくないと必死に訴えているのです。」と語り、マーシャル諸島の主張を支持するよう参加者らに訴えた。

デブルム外相は続けて、「『核兵器の狂気』を止めるための訴訟を提起する機会が生まれた時、我が国はそうした手続きを踏む決意をし、その訴訟の中で『我が国がやらねば誰がやるのか、今でなければいつやるのか?』と宣言しました。」と語った。

またデブルム外相は、多くの人びとから、人口わずか7万人の国が世界最強の国々を相手に議論を醸し出している問題について訴訟に踏み切るなど馬鹿げて見えるし意味をなさないとして決断を踏みとどまるよう説得しようとするアプローチがあったことを認めた。

しかしデブルム外相は、「度重なる核実験の影響を全く受けなかったマーシャル諸島国民は誰一人としていません……私たちは核兵器の影響を直接に経験してきたことから、今回自分たちが行動に踏み切ったことを実行する責任があると感じていたのです。」と語った。

今月ウィーンで開催された「核兵器の非人道的影響に関する国際会議」(非人道性会議)は通算3回目の会議である。第1回はノルウェーのオスロで2013年3月に開催され、2回目はメキシコのナヤリットで2014年2月に開催された。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【ウィーンIPS=ジュリア・レイナー】

「すべての宗教が連合して自らの英知を引き出し、その結合した巨大な知の宝庫の利益を国際法と世界に提供することが今ほど必要とされている時はありません。」

これは、元国際司法裁判所(ICJ)判事で1997年から2000年までは副所長を務めたクリストファー・ウィラマントリー氏の言葉である。オーストリアの首都で核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)主催で12月6日・7日に開催された「市民社会フォーラム」の一環で開かれた宗教間会議「希望を灯し勇気を奮い起こす―核兵器廃絶へ宗教者の連帯」での発言だ。

Christopher Gregory Weeramantry, born 17 November 1926 in Colombo, Sri Lanka/ By Henning Blatt - Own work, CC BY-SA 3.0
Christopher Gregory Weeramantry, born 17 November 1926 in Colombo, Sri Lanka/ By Henning Blatt – Own work, CC BY-SA 3.0

ウィラマントリー氏は、核兵器が過去50年において世界を戦争から救ってきたと主張する人々の議論を批判した。

ウィラマントリー氏は核兵器により絶えず存在する危険について指摘し、多くの場合において、破滅的な核事故や壊滅的な核戦争の勃発が防がれてきたのは幸運に過ぎないと語った。

この宗教間会議には、「核兵器は宗教のあらゆる原則を侵害する」と指摘したウィラマントリー氏のほか、ムスタファ・チェリッチ氏(ボスニア・ヘルツェゴビナ・イスラム共同体最高指導者)、エラ・ガンジー氏(マハトマ・ガンジーの孫で平和活動家)、アケミ・ベイリー=ヘイニー氏アメリカ創価学会インタナショナル婦人部長)など、様々な宗教指導者がパネリストとして登壇した。

様々な問題に関連して宗教団体の間にはしばしば立場の違いがあるようだが、パネリストの全員が、道徳的な義務を明確に打ち出し、全ての宗教に本質的に備わっている類似した価値観を宣言した。

Mufti Mustafa Ceric
Mufti Mustafa Ceric

ムスタファ・チェリッチ氏によると、「信じるかどうかという問題ではなく、地球の破壊を座して待つつもりなのかどうかという問題なのです」という。

チェリッチ氏はまた、「人類の目標と価値は共通の道徳的・倫理的基準によって特徴づけられます。その意味で、今日の宗教団体の役割はかつてないほど高まっています。」と強調するとともに、「社会における恐怖と不信に直面して、宗教団体には、世界の平和と安全をもたらす責任があります。」と語った。

アケミ・ベイリー=ヘイニー氏は、母親が1945年の広島の被爆者であるという自身の経験から、感動的な発言をした。

Akemi Bailey-Haynie, national women’s leader of the Buddhist organisation Soka Gakkai International-USA. Credit: SGI
Akemi Bailey-Haynie, national women’s leader of the Buddhist organisation Soka Gakkai International-USA. Credit: SGI

「核兵器が抑止力あるいは戦争における実行可能な選択肢とみなされているとき、すべての人間が無限の可能性を有していることが根本的に否定される発想があるように感じます。他者の尊い命を奪う権利など誰にもないのです。」

ベイリー=ヘイニー氏にとって、核兵器は大量破壊以外に何の目的も達しない。ヘイニ―氏は、「核兵器は人間や環境に壊滅的な影響をもたらし、核事故や核テロの可能性は否定できません。」と指摘した上で、「(核問題に関して)異なったあるいは反対の見解を持つ人々の間での対話が、この問題に変化をもたらす第一歩となるのです。」と語った。

「被爆二世として、最も非人道的な兵器である核兵器が禁止されている時代にまだ生きることができないのは、悲しくもあり、怒りも覚えます。」

ノーベル平和賞受賞者で南部アフリカ聖公会のケープタウン元大主教であるデズモンド・ツツ氏は参加者に送ったビデオメッセージで、ICANの市民社会フォーラムの取り組みに深い連帯と支援を表明した。

広島・長崎原爆の犠牲となった人々を追悼する最良の方法は、核兵器を完全に禁止して同じようなことが二度と起きないようにすることです。」とツツ氏は語った。

"Hiroshima Aftermath - cropped Version" by U.S. Navy Public Affairs Resources Website
“Hiroshima Aftermath – cropped Version” by U.S. Navy Public Affairs Resources Website

エラ・ガンジー氏とムスタファ・チェリッチ氏の2人のパネリストは、12月8日・9日に開催された「第3回核兵器の人道的影響に関する国際会議」にも出席した。

Mahatoma Gandhi/ Wikimedia Commons
Mahatoma Gandhi/ Wikimedia Commons

そこでエラ・ガンジー氏は自身の祖父マハトマ・ガンジーの精神においてスピーチを行った。そして「もし彼がまだ生きていたならば、核兵器廃絶運動に加わっていたでしょう。」と語った。

マハトマ・ガンジーは、紛争に対処するために非暴力的な方法があると人類に説くことに人生を捧げたが、1946年に核兵器を非難して「原爆の精神性は不道徳的で、非倫理的で、中毒性で、唯一悪のみがそこから生まれるものだ。」と述べている。

核兵器が存在するだけでも、ライバル国による同様の軍備につながると指摘したエラ・ガンジー氏は、こうした核戦力は将来の世代が生き延び豊かな生活を送るチャンスを奪いかねないものだと警告した。

第3回核兵器の人道的影響に関する国際会議」は、160か国以上の政府代表と核の犠牲者、市民社会の参加者による、活発でしばしば心を動かされるような議論の場であった。とりわけ、米国と英国がはじめてこの会議に公式参加し、両国の核兵器が討論と批判の対象となった。

Pope Francisco/ Wikimedia Commons
Pope Francisco/ Wikimedia Commons

宗教は会議において重要な役割を果たした。多くのロビー集団が宗教的背景を持ち、開会式ではフランシスコ法王のメッセージが伝えられた。

「人間の心に深く根付いている平和と兄弟愛への思いが具体的な形で実を結び、私たち共同の家のために核兵器が完全に禁止されるようになると信じています。」とフランシスコ法王は語りかけ、「核兵器なき世界は真に可能だ」との希望を述べた。

SGI平和運動局のプログラムディレクターである河合公明氏は、2日目の一般討論の席上、核兵器廃絶を求める宗教コミュニティーを代表して共同声明を発表した。「核兵器の廃絶は道徳的義務であるだけでなく、人類の種としての価値を決定づける究極の指標であります。」

「核兵器の存在を容認し続けることは、私たちが人間としていかなる存在であり、どれほどの潜在力を有するかについて、より広く温かい心で考える能力の発揮を妨げます。人類は、紛争解決のための新たなる方途を見つけなければなりません。」と河合氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|視点|世界市民への長い旅(カルロス・アルベルト・トーレスUCLA教授、パウロ・フレイレ研究所所長)

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ヴォルテールは私の観点に近いことを言ったように思います。彼は、『自分が信ずることのために死ぬ用意はあるが、自分が信ずることのために人を殺す用意はない。』と語った。原理主義を見てみれば、それはひとつの問題だし、社会において個人の利益追求のために引き起こされる暴力を見てみれば、それもひとつの問題です。世界がバラバラに分断され、誰かが誰かを支配しようとすれば、また紛争が生まれ、戦争に巻き込まれるのです」―カルロス・アルベルト・トーレス教授

【名古屋IDN=モンズルル・ハク】

世界市民教育とりわけ金融投機に対する課税を資金源としたそれは、健全な愛国主義を促進するだけではなく、平和の大義を育み、国家主義や原理主義的な傾向に対抗するものとなる、とカルロス・アルベルト・トーレス教授が独占インタビューで語った。

カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)教育・情報学大学院の教授(社会科学・比較教育学)であるトーレス氏は、世界市民に関連した問題の専門家である。この10年間トーレス教授は、グローバルな視点から、人権や多元主義、市民権といった問題に取り組むとともに、世界市民教育に関する理論的観点を定義づけるうえで重要な貢献を果たしてきた。1991年、同僚とともにパウロ・フレイレ研究所を立ち上げ、現在その所長を務めている。

11月に名古屋で開催された「持続可能な開発のための教育(ESD)に関するユネスコ世界会議」に参加したトーレス教授は、IDNインデプスニュースに対して世界市民の概念-その次元、可能性、そして理念を現実に変換する際の困難などについて語ってくれた。以下はインタビューの抜粋である。

IDN:近い将来における世界市民の実現について、どの程度楽観視しておられますか?

トーレス:もし楽観視していなければ、このテーマについて話していないでしょう。かつてパウロ・フレイレ氏(ラテンアメリカにおける民衆教育という伝統を切り開いた先駆者とされるブラジル人教育者で、教育を通じた社会変革の象徴とされる人物)は、よく「自分たちの夢の実現に取組まなくてはなりません。夢には、今日の夢もあれば明日の夢もあります。」と言ったものです。私の目標は、私たちが今日の夢を持てるようにすることです。

世界市民という考え方は、概念としていくつかの異なる側面を持っています。一つは、批判的な見方を明確に示すということが挙げられます。次に、新自由主義というグローバルモデルの概念に替わるものという位置づけです。新自由主義は実際、教育に有害な影響を及ぼしてきたと考えています。その影響はとりわけ、「ハイステイクス・テスト(大学入試や資格試験など合否の結果が受験者に極めて大きな影響を与えるような類のテスト)」や「成績責任モデル(学業成績に応じて学校への予算配分が決定される方式)」の領域に表れています。通常それらは、実際に起こっていることと、世界市民教育とどう繋がっているかを把握するというよりも、むしろ権力を操作する手法と結びついているのです。

とはいえ、この(世界市民と言う)概念が成功を収めるには、明確な概念化が必要です。第二に、法的な拘束とでも言うべきものが必要です。つまり国際法の中に、この概念において提案されている定義を擁護する法的要素がなければなりません。第三に、私たちの活動の根拠を明確に示し定義するような原則、つまりこの場合、地球を守り、人々を守り、平和を守るような原則が必要です。

非物質的な価値として平和という言葉を使うとき、私は本気で言っているのです。たとえ個人でも、何らかの平和が達成されるとき、私たちは前進できるからです。あなたが信仰心のある方かどうかは存じ上げませんが、「精神性」に関する私自身の考え方は、内なる平和を達成することと関係しています。そして、内なる平和を達成することで、「成就」の感覚を達成することができるのです。さもなければ、それを手にすることはできません。それは、現実から逃げていることを意味しません。それは、現実に取り組み、自らの闘争を推し進めるためにこの新たに見つけた平和を使おうということを意味するのです。それはパラドックスのように見えるかもしれませんが、そうではありません。平和は社会の非物質的な価値であり、それをグローバルな運動として推進していく必要がある、とでもいいましょうか。

これらを手に入れることができれば、あとは何らかの革命を起こす、ということになるのです。これらの革命はいくつかのレベルにおいて使うことができます。一つ例を挙げましょう。なぜ世界にはこんなに不平等が広がっているのか、ということについてです。それは、平和が必要であるこということを言わずに、システムを巧みに利用して利益を得、蓄財している人達がいるからです。それではこの問題について考えてみましょう。トービン税という考え方があり、欧州では支持されています。トービン税は投機と通貨取引に対して懸けられる極めて低率の課税で、もし誰かが投機行為を行ったら、各取引毎に税を支払わなくてはならない、というものです。課税される額は極めて少額ですが、金融資本主義の循環速度を考えると、全体の額はとても大きなものになり得ます。では、その莫大な税収益をどう使えばいいでしょう? 私なら教育に使います。それは何故でしょう? それは、世界市民を育む教育が必要だからです。これでおわかりのように、これは革命の一つの例であり、他にも例を挙げることができます。

それは、容易かつ即時に受け容れられる概念になるでしょうか? もちろんそんなことはありません。だから、この概念の重要性やその含意、それが日常生活においてどう適用可能かを人々に理解させるような知的説得のモデルを作らなくてはならないのです。最後に、最大のジレンマの一つは、世界市民というこの概念が国民としての市民権の助けとなる方法を見出すことができるか、というところにあります。その答えはイエスだと思います。この点について、私は現在同僚らと取り組んでいるところです。

IDN:この考え方(=世界市民)はナショナリズムとぶつかることになりませんか?


トーレス:
ある意味ではぶつかることはありません。なぜなら私たちは地域とグローバルの両方のレベルを見ているからです。もしグローバルなものが地域で作動し、地域的なものがグローバルなレベルで作動するならば、両方がぶつかることはありません。しかし、世界市民は民族的ナショナリズムとはぶつかるでしょう。なぜなら、それは特定の民族集団だけを特権化するようなナショナリズムのモデルだからです。また、誰も収奪すべきではない環境資源を収奪するようなナショナリズムのモデルともぶつかるでしょう。公害が容認されるようなナショナリズムとはぶつかるでしょうし、こうしたナショナリズムは概して一方的で、.環境をまったく顧慮することなく資本蓄積するモデルを手放したくない経済的エリートによってコントロールされたものだと言えるでしょう。

では、愛国主義の点で「世界市民」はナショナリズムとぶつかることになるでしょうか。答えはノーです。どんな種類の愛国主義について私たちは語っているのでしょうか。ここに、政治的・哲学的観点からのこの言説のジレンマの一つがあります。では、これはどうでしょう。パトリア(patria)は、母国(motherland)を意味します。愛国主義とは母国に対する愛です。ですから、母国を愛するということは、他者の母国に対する攻撃を促進することに本質的に熱心になるように人びとを仕向ける可能性があります。したがって、世界市民と平和を推進するという考え方は、全てではないにせよ、一部のナショナリズムのモデルにおける非合理的な傾向を抑えるということなのです。第二の要素は、ナショナリズムとは常に、建国の文書(founding document)、つまり成文憲法の源と結びついているということです。米国憲法は、数多くの他国の憲法に刺激を与えた最も成功した憲法でした。では、米国において愛国主義を定義するものは何でしょうか? 唯一の解答は、自由の理念です。では、どのようにしてその理念に感情的に結びつくのでしょうか?

IDN:アメリカ的な生活様式を通じてですか?

トーレス:しかし、どのようにして自由の理念を定義するのでしょうか? より限定的に、「わかった、このアメリカ的な考えはひとつの例外に過ぎない」と言いたいことでしょう。しかし、自由の理念と結びついた愛国主義の概念を説明するある種の物語を作る必要があると思います。また別の例が欧州諸国の一部で熱心に議論されていて、米国にも広がりを見せています。それは「憲法愛国主義」と呼ばれるもので、憲法をよく観察し、憲法の原則によって生きていこうとする試みです。しかし、ナショナリズムが憲法を抑え込んだらどうなるでしょうか?あるいは、ナショナリズムが、ある一国の内部で基本的な社会化(=社会の規範や価値観を学び、社会における自らの位置を確立すること:IPSJ)にとってきわめて有害となるような愛国主義の政治的な形をとるようになったらどうなるでしょうか? そうしたすべての想定への答えは、私たちには「世界市民」が必要だということです。それは、媒介項として機能するのです。

IDN:この概念は現実にどう機能するのでしょうか?

トーレス:ある種のグローバルな法が必要だと申し上げました。私たちがなさねばならないのは人々を説得することであり、このこと(=世界市民)に関心を持つ集団を作り上げる必要があります。一方で、世界には既に多くの世界市民が存在するのです。

IDN:しかし、他方では、原理主義やナショナリズムの傾向が存在しますね。

トーレス:こうした傾向に向き合い、こうした傾向に平和的に対峙し、説得を試みなくてはなりません。しかし、すでにこの世には世界市民権が存在するのです。環境闘争に関連がある全ての人々のことを考えてみてください。彼らは世界市民です。彼らは私やあなたとは関係のない利益を追求しているのでしょうか。そんなことはありませんね。彼らは、地球の独立した利益を追求しているのです。他にも例えば、飛行機で暮らしているような、今日は大阪で取引をし、明日はマレーシアで別の取引をし、またロンドンに戻ってくるようなビジネスマンがいます。3週間も経たないうちに5つの異なる大陸を股にかけてこうした取引を結ぶのです。彼らもまた世界市民です。彼らには、ビジネス倫理ではなく世界市民倫理に従ってほしいのです。それは長い道のりですが、どこかから始めなくてはなりません。私が最初にこのことに取り組み始めたのは2002年のことでした。学者はこの間、このことに関する矛盾やら、ありとあらゆることを書いてきました。今こそ、いかにして私たちが世界を変えるかに目を向け始めてほしいのです。

私は、「批判理論」という観点から出発しました。批判理論においては、世界を再現するために教えたり研究したりするのではありません。世界を変えるために、教え、研究するのです。これは根本的な原則です。そして、一部でもそれを達成し、もっともっと平和のうちに暮し、地球をもっともっとよく守ることができるならば、私が「グローバル・コモンズ」と呼ぶもの、すなわち、地球や人々、平和を達成することになるのです。

IDN:世界市民を理解するうえで直面する困難のひとつは、軍隊の存在ではないでしょうか。軍隊は通常、仮想敵から「母国」を守るという狭い国家的な観点から訓練を受けています。脱軍事化を行わずして真の世界市民になることが可能でしょうか?

トーレス:軍人などもう必要ないと言える日がいつか来るといいですけど。そう言えたらいいですよね。でも、そんなことは起こらないでしょう。心理分析的に言えば、個人は圧力の上に成り立っています。それを修正したり、コントロールしたり、補ったりすることはできます。しかし、それは私たちの中にあるのです。圧力をいくらか弱めることはできるかもしれませんが、それは私たちの中にあるのです。ひとつは性的刺激であり、それは良いもの、悪いものから暴力にいたるまで数多くのものと関係していますが、同時に、良いもの、悪いものからも関連して起きるのです。なぜなら、もし誰かが突然にあなたやあなたの妻、娘を襲ってきて、あなたが誰かを守るために暴力で対抗したならば、対抗するあなたの能力は明らかに前向きなものとみなされるでしょう。しかし、もしあなたが、挑発も受けておらず特に理由もないのに誰かを襲ったりしたら、それは良いことだとはみなされないでしょう。しかし、あなたも私も、そして誰もが、リビドーと暴力という二つの部分を持っているのです。このために、暴力というオプションを完全になくしてしまうことは無理なのです。

革命は、自分たちが否定されているような状況を終わらせると民衆が決意したときに起こります。革命は暴力的なこともあれば非暴力的なこともあるでしょうが、変化は起こります。私の見方は、市民権について考えるときに直面する真の問題は、あなたは自分の市民権のために死ぬ用意があるか、ということです。あなたは、自分の「母国」への帰属のために死ぬ用意があるか? もしあなたがそうした仕事、たとえば国防軍にでも属していないならば、きっと「イエス」と答えることでしょうね。でももし、徴兵で軍に入れられ、自発的な入隊ではないとしたら、「ノー」ということになるかもしれません。しかし、むしろ、そこまで大胆にはならないでしょう。

ヴォルテールは私の観点に近いことを言ったように思います。彼は、「自分が信ずることのために死ぬ用意はあるが、自分が信ずることのために人を殺す用意はない。」と言いました。原理主義を見てみれば、それはひとつの問題だし、社会において個人の利益追求のために引き起こされる暴力を見てみれば、それもひとつの問題です。世界がバラバラに分断され、誰かが誰かを支配しようとすれば、また紛争が生まれ、戦争に巻き込まれるのです。

しかし、欧州で起こったことを考えてみてください。歴史的に思考してみてください。信じられない数の戦争が、欧州の国民国家の構成と関係があるのです。現状を見てみてください。何の保証もありません。クリミア共和国(今年ウクライナから事実上分離し、ロシア連邦に編入された国家)があり、ロシアがあります。何の保証もないのです。しかし、それでもここまでやってきたのです。(原文へ

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フィンランドの環境活動家兼科学者で、小説が数か国語に翻訳されているTähtivaeltaja賞受賞作家のリスト・イソマキ氏はこのコラムで、世界中に現存する核施設に備わっている、実際には想像を超える破壊能力について述べ、核技術を元のパンドラの箱に戻すという不可能に挑戦すべきだと論じている。

【ヘルシンキIPS=リスト・イソマキ】

冷戦たけなわの頃、世界全体の核兵器の爆発能力は、広島型爆弾の300万発分にも相当した。米国だけでも広島型の160万発分の破壊能力を保有していた。

ICAN
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それ以来、こうした兵器の多くが解体され、数千発の核爆弾に含まれていたウランは原子炉用燃料に転換された。

将来の歴史家たちは、20世紀の諸政府が数兆ドルにのぼる莫大な費用を投じてガス遠心分離器で天然ウランを兵器級ウランにまでいかにして濃縮し、そしてその兵器級ウランを希釈して再びいかにして天然ウランに戻したかについて、あまり積極的にコメントしようとはしないだろう。

このような傾向から、多くの人びとや諸政府は、核軍縮はもはや重要な問題ではなくなったと考えるようになってしまった。

確かに核戦争が勃発する可能性は、1962年のキューバミサイル危機の時や、冷戦期のその他の身の毛もよだつような危険な瞬間よりも、現在では相当に低くなっている。

にもかかわらず、核戦争の危険が永遠に過ぎ去ったと考えるのは重大な誤りである。

私たちはまだ悪の魔人(ジニー=核兵器)を瓶の中に戻すことに成功したわけではない。米国とロシアが依然として保有している核戦力は、広島型原爆8万発相当の威力を有しているとみられている。これは、冷戦期の軍拡競争の最中と比べると約40分の1に過ぎないが、それでも世界を破壊するのに十分すぎる量である。

世界の核戦備蓄量は以前より小さくなっているが、(破棄されずに)残っている核兵器は以前よりも命中精度が高く、総じて小型化されている。これによって、いつの日か核兵器が使用されるハードルが下がることになるかもしれない。

さらに、あらゆる種類の核兵器の破壊能力を私たちはひどく過小評価してきたようだ。

広島でも長崎でも、核爆弾は大規模な火災を引き起こし、その半径内に入った人間を全て焼き殺した。しかし、米軍の科学者は、火災による影響は予測不能とみなし、50年間にわたって爆風の影響ばかりを分析してきた。

これは、スタンフォード大学国際安全保障協力センターのリン・エデン博士が『全世界が火の手に(Whole World on Fire):組織、知識、核兵器による破壊』という重要な書物の中で明晰に述べているところだ。

Whole World on Fire: Organizations, Knowledge, and Nuclear Weapons Devastation
Whole World on Fire: Organizations, Knowledge, and Nuclear Weapons Devastation

2002年、パキスタンとインドとの間に核戦争が勃発する可能性があると危惧した米国は、両国に対して、南アジアの核戦争で1200万人が死亡する可能性があると警告した。

しかし核爆発の爆風のみを考慮に入れて出されたこの「1200万」という数字は、ばかげたほど低いものだ。近年の研究によれば、核爆発によって引き起こされる火災の半径は、爆風の影響を受ける半径よりも2~5倍長いとされている。従って実際には、爆風の影響を受ける地帯よりも火災によって破壊される地帯は4~25倍広いということになる。

第二次世界大戦時の広島や長崎ハンブルクドレスデンでの大火災は、極めて強力な上昇気流と、火の周縁から中心に向けたハリケーン並みの速度の強風(火災旋風)を生み出した。

近代都市における核爆発は、都市がアスファルトやプラスチック、油、ガソリン、気体の形で大量の炭化水素を含むため、より激しい大火災を引き起こす。

ある研究によれば、ニューヨークのマンハッタンで小さな広島型の核爆発があった場合に起きる火災でも、毎時600キロメートルという、火に向かって吹く強力なスーパーハリケーン並みの風が発生する。ほとんどの高層ビルは、毎時230~250キロの風に耐えられるようにしか設計されていない。

ICAN
ICAN

最悪のシナリオは、地上から遠く離れた高高度で核爆発が起きるケースである。米国議会の設置したいわゆる「電磁パルス(EMP)攻撃による米国への脅威評価委員会」(EMP委員会)によれば、米本土の上空160キロメートルでメガトン級の核兵器を爆発させた場合、1年以内に米人口の7~9割が死亡する可能性があるという。

核爆発は常にきわめて強力な電磁パルス、より正確に言うと3種の異なった電磁パルスを発生させる。これらは、見通せる範囲内にあるすべての防護されていない電子機器を透過する。160キロメートルの高度からだと、米本土のあらゆるものが見通せる範囲にある。あらゆるものが電気で作動しており、実際には電磁パルスから防護されているものなどない。

The Heritage Foundation
The Heritage Foundation

言い換えれば、一発の核兵器が、とりわけ、医療や水供給、下水処理施設、農業生産、医薬品・ワクチン・肥料を製造する工場・研究所を破壊しつくす可能性があるということである。

欧州も同様に(核爆発が引き起こす電磁パルスに)脆弱であり、インドや中国のようなその他多くの国々も、旧来からの工業先進国が既にそうであるように「脆弱な国」になるべく専心している最中である。

EMP委員会によれば、電子機器を電磁パルスから防護するために強化してもその価格は3~10%上昇するだけであり、電器製品のうち主要な10%を防護するだけで、組織化された社会の主要機能を保護するのに十分だという。しかし、実際には、どの国においても、このような対策はとられていない。

私たちは核軍縮のことを忘れるわけにはいかない。なぜなら、それは依然として最も重要なことであるかもしれないからだ。

核戦力をさらに削減し、原子力発電へのよりよい代替案を生み出すために、比較的平穏な時代をできるだけ効率的に利用するのがおそらく賢明というものだろう。さもなくば、没落する大国と勃興する大国との間での緊張がいつか再び新たな核軍拡競争を生み、壊滅的な結果を生むことになるかもしれない。

原子炉の拡散もリスクを増している。原子炉を建設する能力を獲得した国はいずれも、核兵器を製造する能力を獲得したことになる。

原子炉は元々、核兵器のための原料をうまく作るために開発されたものだったが、あらゆる原子炉は、毎秒ごとにプルトニウムを製造している。

核爆弾に使用される兵器級ウランは、原子力発電所用の燃料を製造するのと同じガス遠心分離器によって濃縮されている。

第四世代原子炉、すなわち増殖炉を私たちが製造し始めたら、危険はより増すことになるだろう。増殖炉の場合、原子炉の一部として、15%、20%、あるいは60%にまで濃縮された容易に核分裂する放射性同位体を含んだ核燃料を必要とする。この種の燃料は、さらに濃縮することなしに初歩的な核兵器製造に使用しうる。

いったん技術が開発されてしまったら、「パンドラの箱」の中にそれ(=核兵器)を戻すことはできないとよく言われる。しかし、核技術に関しては、それをやってみなければならないのだ。人類の長期にわたる生存は、この選択にかかっているのかもしれない。(原文へ

翻訳=IPS Japan

 translated by Katsuhiro Asagiri, Japanese editor of IPS and its partner (IDN) articles, providing additional information of relevance for Japanese readers.

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【国連IPS=ロジャー・ハミルトン・マーチン】

政治、経済、紛争、文化が益々相互に関連を持つようになるなか、個人のアイデンティティーも国境を超えるようになるだろうか?

ニューヨーク市の国連スリランカ政府代表部で11月18日に開催された「地球市民に関するIPSフォーラム」において、パリサ・コホナ国連大使は「地球市民」の捉えどころのない特性について言及した。

Amb. Palitha Kohona. Credit: U.N. Photo/Mark Garten
Amb. Palitha Kohona. Credit: U.N. Photo/Mark Garten

「地球市民の概念は、その正確な定義は具体化したことがないものの、かなり長きにわたって議論の対象になってきました。」とコホナ大使は語った。

この考え方は英国のトニー・ブレア首相が1999年にシカゴで行った演説における次のような発言が良く知られている。「私たちは今や好むと好まざるとにかかわらず皆が国際人なのです。私たちはもし成功したいならば世界市場に参加することを拒否できません。また私たちが革新を望むなら諸外国における新たな政治思想を無視できません。」とブレア首相は語った。

コホナ大使は、「ウェストファリア体制から生み出された帝国が崩壊した後も、国民国家の発展が、真のグローバル体制の発展を促すことはありませんでした。」と指摘したうえで、世界市民の原則を掲げる機関として国連の重要性を強調した。

「国連の設立によって、人類は共通の問題にグローバルな視点から共に取り組むために努力する公開討論の場(フォーラム)を得ました。国連は全ての国民国家が利用できる最も効果的なフォーラムなのです。国連及びその関連諸機関は、今日直面している多くの諸課題に加盟国が協力して臨んでいくことの有用性に共感を生むことに成功しています。」

このフォーラムは、1999年の国連総会決議「平和の文化に関する国連宣言及び行動計画」の採択に際して中心的な役割を果たした元バングラデシュ政府国連常駐代表のアンワルル・K・チョウドリ大使が議長を務めた。

Ambassador Anwarul Chowdhury/ Hiro Sakurai, SGI
Ambassador Anwarul Chowdhury/ Hiro Sakurai, SGI

「世界市民についてお話しする際、ある考えが思い浮かびます。まず最初に理解すべきことは精神性(スピリチュアリティー)、つまり、私たちの価値観や人間としてのコミットメントが何なのかということです。そして2つ目は、人類は一つであるとする信念です。私たちは自分自身やコミュニティーの狭い境界から飛び出さなければなりません。」とチョウドリ大使は語った。

様々な困難はあるものの、パネリストの多くは、世界市民を推進する動きは文明の衝突や資源の減少、異文化に対する不信が広がっているとされる逆風の中にあっても、前進している、という点で見解を同じくした。

IPS理事長のウォルター・リッヒェム大使は、「ウィーン会議で多国間外交が始まってからおよそ200年が経過し、私たちは、多国間外交が次第にグローバルガバナンスに取って代わられているのを感じています。」と指摘した。

リッヒェム大使は、「世界市民は『保護する責任(国民の保護に関して、最終的な責任の所在を国民国家ではなく国際社会に置く原理)』等の規範を支持する思想体系の文脈から理解する必要があります。」と語った。

Global Education First Initiative
Global Education First Initiative

またリッヒェム大使は、「世界市民は、人権尊重を人生の基調とする市民と理解すべきです。」と語った。

潘基文国連事務総長は、2年前に立ち上げた運動『グローバル・エデュケーション・ファースト』の中で、『地球市民の育成』を3つ目の柱に掲げており、生徒が自国で試験に合格したり就職したりする方策を単に学ぶのではなく、文化、国、地域を越えて尊敬や責任の重要さを理解する点を重要視している。

「世界市民とは、誤解や、純然たる事実を無視したり、ひどい場合は操作したりする行為との戦いです。」と国連特派員協会のエロール・アブドヴィッチ副会長は語った。

国連「文明の同盟」(UNAOC)のナシル・アブドゥルアジズ・アルナセル上級代表のニハール・サード広報官は、「世界市民教育には、持続可能な未来とより良い世界を形作る力があります。」と指摘したうえで、教育政策は、平和や相互尊重、そして環境に配慮する資質を育むことに焦点を置くべきです。単に読み書きと計算ができる個人を育成するだけの教育では、十分とは言えません。教育は人生に共通の価値観をもたらすべきですし、そうしなければなりません。」と語った。

Nihal Saad: Katsuhiro Asagiri (IPS Japan)
Nihal Saad: Katsuhiro Asagiri (IPS Japan)

ジョフィ氏は、インドビハール州のパトナーで、「スーパー30」という教育プログラムを実施していることで著名な数学者のアナンド・クマール氏について語った。このプログラムは、恵まれない家庭出身の若者たち30名を集め、技術大学として世界的に著名なインド工科大学(IIT)への全員合格を目指して一年間に亘って教材・宿泊費を負担して猛特訓するもので、大成功を収めている。

ジョフィ氏は、「このプログラムは世界市民教育の素晴らしいモデルになります。」と指摘したうえで、「教師は、『目の前の生徒達とともに、ここから直ちに始めます。』と言うべきでしょう。」と指摘した。

国連広報局アウトリーチ課のラム・ダモダラン氏もまた、教師の声が国連に反映されるよう、より多くの機会が与えられることが重要だと語った。(原文へ

Monte Joffee of SGI USA(left): Katsuhiro Asagiri/IPS Japan
Monte Joffee of SGI USA(left): Katsuhiro Asagiri/IPS Japan

アメリカSGIのモンテ・ジョフィ氏もサード女史の意見に賛同し、「米国の教育カリキュラムは、生徒達が『他者に』共感できる資質を育めるよう、グローバルな分野の話題をもっと多く取り入れる必要があります。」と指摘するとともに、「しかしそれが今日の教育危機の核心部分に触れるものではありません。米国の教育についてのみ言えば、教育基金の不平等や、あまりにも多くのコミュニティーにおいて絶望や失意の感情が広がっているというのが厳しい現実であり、世界市民に関する教育を、従来のカリキュラムに追加するだけでは、解決策にはなりません。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【ヨハネスブルクIPS=アンソニー・ジョージ

内部の硬直した組織と、遅々として進まない飽き飽きするようなプロセス、そしてドナーに対する説明責任に縛られている組織化された市民社会は、不公正と不平等を長らえさせているグローバルな仕組みのひとつの層になってしまったのであろうか?

DEEEP
DEEEP

市民社会組織(CSOs)は、市民を引き込み、代表し、動員する広範な運動を、いかにして作り出せるのか、そして、漸進的な変化というところで妥協するのではなく、いかにして根本的な体制転換を起こせるのだろうか?

このような内省が、11月19日から21日にかけて南アフリカ共和国のヨハネスブルク市で開催された国際会議「世界市民運動に向けて―草の根から学ぶ」に世界各地から集まったCSOsによる交流プロセスの中心にあったものである。

CSOsのキャパシティビルディングを行い、世界市民および世界市民教育に関するアドボカシー活動を推進している欧州市民社会の統括組織「CONCORD」内のプロジェクトである「グローバル正義のための市民のエンパワーメント(DEEEP)」が主催したこの会議には、200人の参加者が集まった。

CIVICUS

主要な協力団体は、CIVICUS(世界最大かつ最も多様な世界市民社会ネットワークのひとつである「市民参加のための世界同盟」)とGCAP(グローバルな貧困根絶キャンペーン)である。

3日間の会議は、CIVICUSが主催した「2014国際市民社会ウィーク」(11月24日まで)に合わせて行われた会議や活動の一環である。

the “Toward a World Citizens Movement: Learning from the Grassroots” conference.

世界市民は、国連システムにおいて認知を得つつある概念であり、このことは、フィンランドの「NGDOプラットフォーム」事務局長で世界市民教育の主唱者である、リリ・ラッパライネン氏にとっても嬉しい話だ。

ラッパライネン氏は、「この概念の中心にあるのは民衆のエンパワーメントです。」と指摘したうえで、「民衆が世界レベルでインターリンケージ(相互連携)について理解することが重要です。つまり、民衆一人一人がシステムの一部であり、変化をもたらし生活をより良いものにするために、自らの権利を基盤としてシステム全体に影響を及ぼす行動を起こせるということを理解することが重要なのです。そうすることで、民衆の名の下に他の誰かに物事を決められてしまう状態をなくすことが可能となるのです。」と語った。

Rilli Lappalainen

そうした変化に繋がるような効果的な市民社会運動の構築をめぐる内省のプロセスは、1年前に同地で開催された第1回国際会議「ヨハネスブルク会議:世界市民運動を構築するで始まっていた。

そこでの議論は、自重によっていつまでも無知という望ましくない期間が続かないように、相互理解と共有、討議のプロセスに向けた新しい視点と活動方法の必要性に焦点を当てた。

今年の会議の創造的で相互作用的な形式にも明確に表れているたように、この洞察と関与の新たな精神は、「今は緊急事態です。-(だからこそ)ここはじっくりと冷静に考えよう」という、ナイジェリアの思想家バヨ・アコモラフェ氏による警句に要約されている。

アコモラフェ氏による基調講演は、プロセスにおける変化の必要性を追求したものだった。「私たちは、変化の理論を変化させなくてはならないことに気付いています。ここはじっくりと冷静に考える時です。なぜなら、暗闇の迷宮の中で疾走したところで出口を見つけることには繋がらないからです。」とアコモラフェ氏は語った。

「今こそ、じっくりと冷静に考えなくてはなりません。なぜなら、もし私たちが遠くまで共に歩んでいくならば、お互いに(同じコミュニティに存在することでもたらされる曖昧さの中に)安らぎを見出さねばならないからです。私たちはじっくりと冷静に考えなくてはなりません。なぜならそれが、私たちに対して緊急に開かれようとしている新たな可能性の輪郭を見出す唯一の方法だからです。」

2日目のパネル「世界観に挑戦する」では、相互の学びと討議の場が参加者に提供された。

ローズ大学(南ア)環境学習研究センターのロブ・オドグノー教授は、「ウブンツ」の思想について検討を加え、ブラジルの活動家で地域オーガナイザーのエドゥアルド・ロンバウアー氏は、水平的な組織活動(horizontal organising)について語った。また、仏教団体「創価学会インタナショナル」(SGI)のニューヨーク国連連絡所の桜井浩行所長は、同会の中心的な思想である「創価」について語った。

DEEEP

パネル討論にブータンから参加予定だった女性活動家がビザが発給されず参加できなかった。CSOsが活動する空間が世界でいかに狭められているかについてのCIVICUSのダニー・スリシュカンダラジャー代表による検討はまさにこうした状況に注目するものであった。

パネル討論に女性が参加しなかったことは問題だと指摘された。ある男性参加者は、「女性の声なしに、きわめて家父長制的なグローバルシステムを効果的に問題化することが、いったいどうやって可能なのか。」と問いかけた。この意見を受けて、聴衆の中から一人の女性が自発的にパネル討論に参加することとなった。

「知らないことを受け入れる」という精神の下、パネリストらは、民衆が問うべき問いを投げ掛けるよう求められた。その結果、「私たちは、自身の力をどう理解し、それをどう手に入れるか? 私たちは、民衆の関与をどう促し、よりシステム的な思考に導くためにいかにして特定の利益を打ち破ることができるのか? 複数の世界観がいかにして出会い、道徳的な指針を共有することができるのか?」といった問いが会場に投げ掛けられた。

オドノグー氏は、「ウブンツの哲学は『人は他者を通じて人になる』という言明によって定義できます。」と語った。

Hiro Sakurai/ DEEEP
Hiro Sakurai/ DEEEP

こうした観点が現在の諸問題に対して持つ含意は、社会の周縁で人々に影響を与えている問題への解決策は、外部から事前に特定できるものではなく、連帯と、闘争のプロセスを通じて見出さなければならない、ということだ。つまり、答えを持ってくるのではなく、他者との繋がりの中で問題を共有することで、はじめて解決策が社会の周縁から生まれ出てくるのである。

「創価」哲学の中心的な観点は、どのような状況下であれ、建設的な変化を生み出すために個々人が価値を作り出す内なる能力を持っているということである。桜井氏は、「数多くの人々がそれぞれの置かれている環境下でこうした理念の妥当性を証明しており、これこそが創価運動の本質です。」と指摘した。

その日の夜に開かれたCIVICUSのレセプションで故ネルソン・マンデラ氏の妻グラカ・マシェル氏が行ったスピーチでも、同じような点が指摘された。貧困や不平等が広がり、世界の指導者らが民衆の声にますます耳を傾けなくなったと思えるこの時代にあって、市民社会が直面している根本的な問題についてマシェル氏は語った。

そしてスピーチの終わりごろに彼女は、「我が友マディバ(マンデラ氏の氏族上の名前)」の晩年と、「物事は今や自分たちの手中にある」というマンデラ氏の一貫したメッセージを穏やかに回想した。

「マンデラ氏が自ら範を示すことによって私たちに教えてくれたことは、各人が自らの内に多大なる善の源を持っている、ということです。私たちがやるべきことは、自分がどこにいようと、どのような方法であろうと、毎日この内なる善を引き出し、世界でそれを実践することです。」とマシェル氏は語った。

マシェル氏の話に耳を傾けていた人々は、故ネルソン・マンデラ氏のメッセージを、明日の世界市民運動を創り出す自分たちの取り組みに対する励ましだと受け取っていた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【名古屋IDN=モンズルル・ハク】

「世界市民」の概念は、国連が近年積極的に唱えている新しい考え方の一つである。今日の相互に繋がった世界では、私たちが直面している問題には、国境の枠を越えた新しい思考と、国籍に基づくアイデンティティに関する従来の理解を超えるような理念を基礎とした解決策が求められている。

従来の教育システムは、読み書きができ、従って狭い観点の中での生活の現実に対処できる能力を持つ個人を作り出してきた。しかし、より広範な認識を要する要素や現象と相互に繋がった多様な問題に今日の世界が直面する中、国際社会は、21世紀の相互に繋がった諸課題を解決するプロセスでより意味のある貢献ができる市民を必要としている。これが、世界市民の育成という考え方が、持続可能な開発のための教育における優先事項の一つと考えられるようになってきた理由だ。

11月10~12日に名古屋市で開催された「持続可能な開発のための教育(ESD)に関するユネスコ世界会議」は、持続可能性に関連した広範なトピックを議題として取り上げ、世界各地から参画した政策決定者、専門家、利害関係者、市民団体の代表らがこれを討論した。

United Nations Decade of Education for Sustainable Development
United Nations Decade of Education for Sustainable Development

議論の焦点は、今年終了予定の「国連持続可能な開発のための教育の10年」という時間的枠組みを超えて、貧困削減や環境保護、経済成長のための取り組みを強化することに資する教育を促進のための新たな方法を見つけることにおかれた。

また、持続可能な開発という究極の目標を達成する手段の一つとしての世界市民に関する詳細な議論も行われた。世界市民、エコ教育法、持続可能な開発に関するワークショップが会議2日目に開催され、それに新時代におけるESDと世界市民教育に関するパネル討論からなるサイドイベントが続いた。ワークショップもパネル討論も、世界市民に関連した新しい問題、とりわけ、より意味のある方法で世界市民の概念を定義する必要性に関して焦点をあてていた。

世界市民の概念は全く新しいというものではない。それは、かなり長い間にわたって、社会科学の分野で議論されてきたテーマであった。ワークショップの2人の主要な発言者は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校パウロ・フレイレ研究所のカルロス・アルベルト・トーレス所長と、欧州評議会南北センターグローバル教育責任者のミゲル・シルバ氏であった。

Carlos Alberto Torres Director of the UCLA Paulo Freire Institute
Carlos Alberto Torres Director of the UCLA Paulo Freire Institute

カルロス・トーレス所長は基調報告で、今日の相互依存の世界において社会的公正を実現するために世界市民教育が必要であることに着目し、世界市民の核をなす3つのグローバル・コモンズ(地球的公共財)について指摘した。

・私たちの地球は私たちの唯一の故郷であり、保護する必要がある。

・グローバル平和という発想は、非物質的な価値を持つ、目には見えない文化財である。

・すべての人間は平等である。

要するに、この地球と平和、民衆は、諸民族間のより良い理解を求めるグローバル・コモンズを構成している、ということである。トーレス氏はまた、「しかしながら、経済的市民権は最低限の必要が満たされなければ達成できないことから、世界市民は、私たちが社会的公正をもたらす公共圏を拡大しない限り、達成できないだろう。」と指摘した。従って、曖昧さを払拭することが、(シビック・ミニマムとしての寛容のような)公益と共通の美徳により焦点をあてる世界市民教育のための理論的枠組みの必須の前提条件となる。

ユートピアは「少なくとも歩く助けにはなる」

この崇高な目標が達成できるかどうかは、私たちが夢を現実に変えるために何を成すかにかかっている。一部の人々とって、それはユートピア的に響くかもしれないが、カルロス・トーレス所長は参加者に対して、「ユートピアは私たちが到達しようとする地平線です。私たちが2歩進めば、ユートピアも2歩先に進んでしまう。…しかし、少なくとも歩く助けにはなるのです。」と語りかけた。従って、世界市民に向けた人類の旅は、過去の夢が先送りされてきたという現実にも関わらず、前を目指した旅でもあるのです。」と語った。

他方、ミゲル・シルバ氏は、グローバル教育がいかにして、世界市民を育成することにつながる持続可能な開発のための教育の戦略と能力構築(キャパシティ・ビルディング)を発展させることに資するかについて語った。シルバ氏によれば、公式及び非公式部門の組織や実践者、学習者を対象にしたグローバル教育は、地域の現実と国際社会の現実との相互の繋がりに対処するための総合的な教育の場であり、学習者が世界の問題を理解できるようになり、世界市民がさまざまなグローバルな問題に直面する際に望ましい知識やスキル、価値、態度を習得させることを可能にする。

Miguel Silva North-South Centre of the Council of Europe
Miguel Silva North-South Centre of the Council of Europe

グローバル教育には、学習者が世界の複雑さを理解し、矛盾や不確実性に気づき、複雑な問題に単純な解決策などないと明確に理解するのを支援する効果がある。この点についてシルバ氏は、「それ(=グローバル教育)には、相互理解が達成可能だと学習者に認識させるような、言語の文化的多様性を理解させる働きがあります。」と指摘したうえで、重要な課題の一つは、「複数の視点と、対処しなければならない問題への批判的なアプローチを育むことです。」と語った。

要するに、グローバル教育とは、コミュニケーションにおいて、共感(感情移入)と文化横断的なスキルを含み育むものであると同時に、その方法論は、対話やアクティブ・リスニング、他者の意見や建設的な断言に対する尊重を基礎とした学習環境を作り出すことを可能とするものだ。従ってシルバ氏によれば、グローバル教育は、多元性や非差別、社会的公正といった原則を推進し、共通の(人間的、社会的、経済的)価値観を共有しながら、グローバルな現実を理解し対話と協力を基礎とした持続可能な世界に向けて努力する世界市民の基礎を形づくるものである。

ワークショップの司会は参加者に対して、持続可能な開発に向けた教育の前進に関する実践的な経験を共有し、世界市民の前進に向けた問題点を指摘するよう促した。ワークショップの発表とグループ討論の成果は後にまとめられ、議長は、民主主義的な諸価値が教育理論・実践の指導原理として機能しなければならない、そして、世界市民を育成するための質の高い教育を改善するために必要なことは、思慮に満ちた対話と批判的思考の余地を広げることである、と総括発言の中で語った。

Workshop credit: Monzurul Huq/ IPS Japan
Workshop credit: Monzurul Huq/ IPS Japan

ワークショップに続いて、「新時代における持続可能な開発のための教育と、世界市民教育」に関するパネル討論が行われ、パネリストたちは、世界市民の概念に対するさまざまなアプローチを検討し、「国連の10年」の終わりにあたって持続可能な開発のための教育というコンセプトの実行においてどの程度の成果があったかについて評価した。

名古屋大学の山田肖子氏が司会を務めたパネル討論は、日本と韓国それぞれから2人ずつのパネリストが参加した日韓共同の学術的取り組みであった。パネリストはESDに焦点を当て、「持続可能な開発」と「世界市民」という2つの相互に関連した哲学的概念を結び付けようと試みた。

比較的新しい

広島大学の吉田和浩教授によれば、世界市民と持続可能な教育という概念は長らく議論されてきたが、教育のための世界市民という合体した概念は比較的新しいものだという。また吉田教授は、「世界市民教育と持続可能な開発のための教育を合体するというのは新しい現象であり、それまでなされてきた取り組みを継続する必要と感じています。」と語った。

吉田教授は、持続可能な開発のための教育という文脈の中での世界市民教育の重要性について、「重なっている領域を見つけ、その重なった領域がポスト2015年の教育の将来的な作業に向けて基本的なメッセージのコアとなるようなものにしようとするうえで、当然の選択というものが出てきます。私は、幸いESDが持続可能な開発目標の時代の根本的な基礎になると考えています。ESD概念の再定義がなされねばならないと考えているのはそのためです。私たちはこれまで教育の枠内で、それがどう解釈され自らの地域でどう実践されるべきかというところで動いてきました。しかし今や、それは開発というより広範な文脈においてなされねばなりません。」と語った。

Kazuhiro YOSHIDA.  Director of CICE at Hiroshima University
Kazuhiro YOSHIDA. Director of CICE at Hiroshima University

韓国教育開発院のキム・ジンヒ氏は、持続可能な開発のための教育と世界市民は、グローバル教育という同じ領域の課題に属していると考えている。「社会的公正・公平は、両方の概念に適用できる鍵となる次元です。教育とは、世界市民を伴った持続可能な社会のための基礎であると言えます。従って、世界市民の基本的な考え方とは、より平等で、より平和的で、或いはより持続可能なやり方で私たちは世界を変えうるということです。」キム氏によれば、世界市民教育においてもっとも重要なことは、市民権の理解について従来の概念を転換することである。世界市民は、その概念を世界レベルで適用するような形で、あるいは地球の市民となるような形で教育されねばならない。

比較的最近まで、世界市民の概念は、西側欧米諸国の理念を世界中で適用したものだと一部では考えられていた。そして、新しい独立国家は、世界市民キャンペーンに関与する人々の真意について多少の疑いを持っていた。

しかし、誤解あるいは留保が時間の経過とともに少しずつ薄れ、世界市民教育が途上国においても受入れられ広く実行される余地が広がってきた。

名古屋会議では、76のユネスコ加盟国の閣僚レベルが参加し、150か国から1000人以上の参加者が集った。国の代表を率いる教育大臣の中には、バングラデシュのヌルル・イスラム・ナヒド氏の姿もあった。ナヒド氏は世界市民教育について、「地球温暖化のような国境を超える問題について学校の教科書の中で指摘することに並んで、私たちは『バングラデシュと世界の理解』という名前の新しい教科書を初等教育に導入しました。この新しい教科書は我が国の歴史的、文化的、伝統的側面の文脈の中でグローバルな問題に焦点を当てています。グローバルな労働力の一翼を担うべくバングラデシュ国民の多くが世界に羽ばたいている時代にあって、世界市民を育成することは重要なのです。」とコメントした。

Nurul Islam Nahid, Education Minister of Bangladesh
Nurul Islam Nahid, Education Minister of Bangladesh

「国連持続可能な開発のための教育の10年」が終わりに近づくなか、より意味のある形でグローバルな問題に対処することを可能にする世界市民の概念は、単に教科書的な概念にとどまることを運命づけられたユートピア的な考え方とはもはやみなされなくなってきた。ある参加者は、「私たちの相互依存的な世界は、世界を真の意味において人類共通の家にするために様々な問題に取り組む用意のある市民をもっと必要としています。名古屋で開催された『持続可能な開発のための教育(ESD)に関するユネスコ世界会議』は、このユートピアを達成不可能でない目標に変えるためのさらなる一歩を踏み出したと言えるでしょう。」と語った。(原文へ

※モンズルル・ハクは、バングラデシュのジャーナリストで、日本などのテーマに関するベンガル語の著作が3冊ある。ダッカの国連広報センターとロンドンのBBCワールドサービスで勤務したのち、1994年に日本に移住。バングラデシュの主要全国紙2紙(『プロトム・アロ』と『デイリー・スター』)の東京支局長で、バングラデシュのその他の重要発行物に定期的に寄稿している。日本や東アジアの問題について英語およびベンガル語で手広く執筆。東京外大、横浜国立大学、恵泉女学園大学で客員教授を務め、日本政治、日本のメディア、途上国、国際問題などを教える。NHKラジオにも勤務。2000年より外国人特派員協会のメンバーで、理事を2期務めたのち、同協会会長も歴任した。

Aichi-Nagoya Committee for UNESCO World Conference on ESD

翻訳=IPS Japan

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|国際貢献賞|IPSが核廃絶の主唱者を表彰

【国連IPS=ロジャー・ハミルトン-マーチン】

ジャヤンタ・ダナパラ氏が17日、ニューヨークの国連本部で「IPS核軍縮国際貢献賞」を受賞した。

2003年まで国連事務次長(軍縮担当)だったダナパラ氏は、職を辞してからも核兵器のない世界という目標に向けて取り組みを続け、2007年以降は、ノーベル賞を受賞した「科学と世界の諸問題に関するパグウォッシュ会議」の会長も務めている。

honoree Jayantha Dhanapala credit: Katsuhiro Asagiri/ IPS Japan
honoree Jayantha Dhanapala credit: Katsuhiro Asagiri/ IPS Japan

「核兵器のない世界は、私が生きている間に実現できるし、そうしなくてはなりません。」と、仏教団体「創価学会インタナショナル(SGI)」が後援した公式セレモニー(授与式・レセプション)の場でダナパラ氏は語った。

「科学的な証拠が示しているのは、限定的な核戦争―ただしそんな限定が可能ならばの話だが―でさえも、前例のない規模で、不可逆的な気候変動を引き起こし、人間生活とそれを支えている生態系の破壊を引き起こす、という現実です。私たち民衆には、検証可能な核兵器禁止条約を通じて核兵器を違法化することで、世界を核兵器から『保護する責任』があります。それは、その他全てのいわゆる自称『保護する責任』の適用に優先するものなのです。」

Sam Kahamba Kutesa, President of the 69th  session of the UN General Assembly Credit: Katsuhiro Asagiri/IPS Japan
Sam Kahamba Kutesa, President of the 69th session of the UN General Assembly Credit: Katsuhiro Asagiri/IPS Japan

授与式には、サム・カハンバ・クテサ第69回国連総会議長をはじめ各国の国連大使も参加していた。クテサ議長は、「ダナパラ氏が会長を務める『科学と世界の諸問題に関するパグウォッシュ会議』、今夜の授与式の主催団体であるインター・プレス・サービス、そしてこの賞のスポンサーであるSGIは、核兵器の危険性に対する世界の人々の意識を高め、その完全廃絶を主唱することに貢献しています。」と語った。

クテサ議長は、グローバルな核不拡散・軍縮をさらに推し進めるための来たる機会の重要性について、「2015年のNPT運用検討会議は、グローバルな核軍縮・不拡散体制をさらに強化する機会となるでしょう。」と語った。

CTBTOへの支持

包括的核実験禁止条約機関(CTBTO)準備委員会のラッシーナ・ゼルボ事務局長をはじめとした他の発言者もクテサ議長と同様の見方を示した。ゼルボ事務局長は、「ダナパラ氏が生まれたのは、ドイツの物理学者オットー・ハーン氏フリッツ・シュトラスマン氏がウランの原子核分裂を発見したのと同じ1938年12月である」点を指摘したうえで、「1995年にジャヤンタは、画期をなす核不拡散条約運用検討・延長会議の議長を務めました。そして彼は、一見したところ妥協不可能に思われた核保有国と非核保有国の間の利害を調整する一連の決定を中心になって取りまとめたのです。」と語った。

Lassina Zerbo, Executive Secretary of the CTBTO Credit: Katsuhiro Asagiri/IPS Japan
Lassina Zerbo, Executive Secretary of the CTBTO Credit: Katsuhiro Asagiri/IPS Japan

この作業の結果が、ジュネーブでは対立の的になっていたCTBTを国連総会で1996年に採択したことだった。ダナパラ氏は、CTBTの発効促進を図る専門家グループの一員として、その後もCTBTOを支持しつづけた。

ゼルボ事務局長は、CTBTに反対するインドの立場に対するダナパラ氏の批判に注意を向けた。インドによるCTBT批判とは、「それ(=核実験禁止)によって軍縮を十分に前進させることにはならない」というものだった。これに対してダナパラ氏は、「完全軍縮につながらないからCTBTに反対というのは、交通事故を完全に防げないから道路の速度制限に反対するというのと同じことだ。」と指摘してインドの姿勢を批判した。

インドは、「附属書2」国家として知られるCTBT発効前に条約批准が必要とされる8か国のうちのひとつである。インドやパキスタン、北朝鮮はCTBTに未署名であるが、他の5か国(中国・エジプト・イラン・イスラエル・米国)は署名したものの、依然として批准をしていない。

ゼルボ事務局長はまた、軍縮や不拡散を主唱するうえでのダナパラ氏の出身国(スリランカ)が意味を持つとして、「ジャヤンタも私も途上国の出身だ」と指摘したうえで、「彼が一貫して提示してきた最も説得力のある議論のひとつは、大量破壊兵器の開発計画に途上国が乗り出した時の機会費用の問題です。とりわけ、核兵器開発計画には、本来ならば自国の開発やインフラ整備のために割り当てられるはずの莫大な資源を必要とします。」と語った。

IPS創始者のロベルト・サビオ博士からのメッセージを代読したラメシュ・ジャウラIPS事務総長は、この賞の起源と重要性について、「1985年にできたこの賞は、グローバルなレベルでの国連の活動と、その行動を体現するような人びとをつなぐという目的で作られたものです。」「国連の仕組みの中では個人が表彰されることはありませんから、この賞の狙いは、理念と実践に橋を架けることにあるのです。6年ぶりに復活したこの賞は、来年も核軍縮をテーマに著しい国際貢献を成し遂げた人物に贈られることになっています。そして2016年と17年の賞は、持続可能な開発目標に焦点を当てる予定です。」と語った。

向こう数か月、核不拡散・軍縮における成果を達成するいくつかの機会が訪れる予定である。とりわけ、来月オーストリアのウィーンで開催される「第3回核兵器の非人道的影響に関する国際会議」は注目に値するだろう。

IPS International Achievement Ceremony Credit: Katsuhiro Asagiri/IPS Japan
IPS International Achievement Ceremony Credit: Katsuhiro Asagiri/IPS Japan

またダナパラ氏は受諾演説の中で、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)とオランダの平和団体「IKVパックス・クリスティ」が行っている『核兵器に投資するな』(Don’t Bank on the Bomb)キャンペーンへの支持を呼び掛けた。「ここ(=授賞式会場)におられる全ての皆さんに、この投資引き揚げキャンペーンに参加することで、核軍縮への現実的な貢献をするよう呼びかけたい。核兵器なき世界を求める2009年4月のバラク・オバマ大統領のプラハ演説のレトリックは消えかかっており、成果を見せていません。今こそ市民社会が行動を起こす時なのです。」(原文へ

翻訳=IPS Japan

2014IPS国際貢献賞に寄せた、ロベルト・サビオIPS共同創始者のメッセージ

ICAN
ICAN

1985年にできたこの賞は、グローバルなレベルでの国連の活動と、その行動を体現するような人々をつなぐという目的で作られたものです。国連の仕組みの中では個人が表彰されることはありませんから、私たちは「IPS国連賞(=現在のIPS国際貢献賞)」を作って、理念と実践に橋を架けようとしたのです。IPSはハイレベルの選定委員会を設置して5大陸を網羅するIPSネットワークから推薦を受け付けます。受賞者は同伴者とともにニューヨークに招かれ、国連事務総長の歓迎を受けました。そして、自らの活動と、それがいかに国連の課題の一部を成しているのかということについて説明する機会を与えられたのです。さらに、国連広報局の事務次長が主催するセレモニーに招かれ、水晶でできた地球の形をした賞が授与されました。

セレモニーに続いて、今や国連のスケジュールの一部となり、毎年のイベントの一つとなった大規模なレセプションが開かれました。受賞者は、ペレストロイカの主唱者から環境問題のリーダー、女性活動家から人権活動家、米国の黒人運動の指導者、グローバル市民社会のリーダーまで様々です。国連本部におけるこの賞の授与式は、国連で策定された行動計画の現実の体現者を国連に招待することで、現実と接点を持つ理念と目標を、国連に持ち込む手段として始められたものなのです。

1992年にリオデジャネイロで開催された「環境と開発に関する国際連合会議(地球サミット)」以前には、国連と市民社会との関係はごくわずかであったことを思い出す必要があります。それまでは国連経済社会理事会(UNECOSOC)に認証されたごく少数の団体のみが、国連施設への出入りを許されていたのです。この賞によって私たちは、国連官僚と現場で活動する人々との交流の場を設けたのです。この関係は徐々に拡大し、今日では、国連の課題の最大の同盟者は、グローバルな問題に関して世界中で活動する無数のNGOなどの団体となりました。IPSはこうした団体によって好んで利用される情報源です。なぜなら、IPSは有機的かつ分析的にグローバルなテーマを追求する唯一の国際通信社であり、従って彼らにとって国連への窓口となっていたからなのです。

グローバル化のガバナンス機構が悲しいまでに存在しないこの時にあって、市民社会と国連の橋渡し役としてのIPSの機能は、その重要性を増しています。IPS国際貢献賞は、SGIの平和への貢献と、その世界的なネットワークを認識し、こうした機能のシンボルとなりうるものです。

IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

Filmed by Katsuhiro Asagiri, President of IPS Japan

|視点|「懸念の共有から行動の共有へ―ウィーン会議への期待」(池田大作創価学会インタナショナル会長)

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【IPS東京=池田大作

広島と長崎への原爆投下から70年となる明年を前に、核兵器に関わる議題の中心に「非人道性」の観点を据えるべきとの声が高まっている。

Daisaku Ikeda/ Photo Credit: Seikyo Shimbun
Daisaku Ikeda/ Photo Credit: Seikyo Shimbun

10月に発表された「核兵器の人道的影響に関する共同声明」には、国連加盟国の8割を超える155カ国が賛同した。「いかなる状況下でも」核兵器が使用されないことが、人類の生存にとって重大な意味を持つとの認識が、今や国際社会で大きな潮流を形成しつつあるのだ。

12月にはウィーンで「核兵器の人道的影響に関する第3回国際会議」が行われる。私は、この会議での討議を足かがりに、核兵器に安全保障を依存する「核時代」から脱却するための挑戦を、市民社会の行動と連動した“人類の共同作業”として進めることを呼び掛けたい。

この“人類の共同作業”を促す視座を提起するものとして、私は、ウィーン会議で討議される議題のうち、次の二つのテーマに特に着目をしている。

第一は、何らかの人為的ミスや技術上の欠陥、またサイバー攻撃などによって、「意図せざる形で起きかねない核爆発の危険性」である。

思い返せばキューバ危機の際(1962年)、世界中の人々が、核戦争の勃発という最悪の事態が現実になりかねない恐怖に直面した。それでもあの時は、米ソ首脳が危機の回避を模索し、熟慮を重ねる「13日間」という時間があった。

A US Navy P-2H Neptune of VP-18 flying over a Soviet cargo ship with crated Il-28s on deck during the Cuban Crisis/ Wikimedia Commons

一方、何らかの理由で偶発的に核ミサイルが発射されるような事態が生じた場合、攻撃目標に達するまでに残された時間は「13分」ほどしかないと言われる。その結果、多くの人々が避難もままならず、尊い命を容赦なく奪われ、攻撃目標となった地域の営みは丸ごと破壊されてしまうことになる。

まして、意図せざる発射をきっかけに核攻撃の応酬が始まれば、それが限定的なものであったとしても、地球全体の生態系に悪影響を及ぼし、20億人もの人々を飢餓状況に陥れる「核の飢餓」が発生することが指摘されている。

どれだけ人々が幸福な人生を歩むために努力を重ねようと、どれだけ社会が豊かな文化や歴史を育もうと、無意味なものにしてしまう――この言語に絶する“理不尽さ”にこそ、私は、核兵器が持つ絶大な破壊力という数値だけでは推し量ることのできない「非人道性」の核心部分があるように思えてならない。

第二に、他の兵器とは根本的に異なる核兵器の特質を浮き彫りにするのが、ウィーン会議で初めて焦点が当てられる「核実験の影響」である。

Photo: A test of a U.S. thermonuclear weapon (hydrogen bomb) at Enewetak atoll in the Marshall Islands, November 1, 1952. U.S. Air Force
Photo: A test of a U.S. thermonuclear weapon (hydrogen bomb) at Enewetak atoll in the Marshall Islands, November 1, 1952. U.S. Air Force

核兵器の誕生以来、その爆発によって甚大な被害を受けてきたのは、広島や長崎の人々だけではない。「ヒバクシャ」という共通語の存在が示している通り、世界各地には、2000回以上にわたって行われてきた核実験の実験場にされ、またその影響を受けたために、苦しみ続けている人々は決して少なくないのだ。

加えて保有国でも、核兵器の開発に取り組んできた施設の周辺で深刻な放射能汚染がみられ、施設に関わる人々や地域住民への影響が懸念されている。

このように、核兵器はたとえ使用される事態に至らなくても、核態勢の維持を図るだけで、多くの人々の生命と尊厳を現実に脅かしてきたのである。

また、世界全体で核兵器の関連予算は年間で1050億ドルにものぼるが、その莫大な資金が、保有国の福祉向上のみならず、貧困や劣悪な保健環境に苦しむ他の国々の支援に充当されれば、どれだけの人々が救われるか計り知れない。

Vienna Conference on the Humanitarian Impact of Nuclear Weapons

核態勢の維持に莫大な予算を投じ続けることは、世界の経済資源や人的資源の軍備目的への転用を最少にすることを求めた国連憲章の精神――NPTの前文でも想起が促されている精神――に反するだけでなく、本来、助けることが十分可能な人々の窮状が続いてしまう結果を招いているという意味で、地球社会の歪みを半ば固定化するような「非人道性」を生じさせてはいないだろうか。

これら二つのテーマを討議するウィーン会議は、核態勢の維持――即ち、今後も「核時代」を続けることで世界が背負わねばならない脅威の本質を浮かび上がらせるとともに、脅威にさらされる民衆一人一人の目線に立って「核兵器に依存する安全保障」のあり方を見つめ直す重要な機会になると思われる。

Mr.Josei Toda, 2nd President of Soka Gakkai/ Seikyo Shimbun
Mr.Josei Toda, 2nd President of Soka Gakkai/ Seikyo Shimbun

核開発競争が激化した冷戦の最中(1957年)に、この民衆の目線に立って、核兵器は「世界の民衆の生存権」を根本的に脅かすものであり、一切の例外なく使用を許してはならないと訴えたのが、私の師である戸田第2代会長であった。

私どもSGIが、他のNGOと協力して核兵器の廃絶を目指してきたのも、この宣言が原点となっており、その眼目は、核兵器の問題と向き合うことを通して、地球上から悲惨の二字をなくすための民衆の連帯を築き上げることにある。

広島と長崎をはじめ、世界のヒバクシャの願いも、155カ国が賛同した共同声明を支持する市民社会の声の底流にあるものも、“核兵器による壊滅的被害は、どの国の人々にも、決して引き起こしてはならない”との思いに他ならない。

核兵器の不使用を求める共同声明に対し、安全保障上の理由から賛同できないとしても、核兵器にひそむ「非人道性」に懸念を抱く国は少なくないはずだ。

その“懸念の共有”を、ウィーン会議を機に更に拡大しながら、広島と長崎への原爆投下から70年となる明年に向け、核兵器をめぐる膠着状況を打破する“行動の共有”を力強く生み出していくべきではなかろうか。(原文へ

IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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