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大量の電子廃棄物が途上国に押し寄せる

【アックスブリッジIPS=スティーブン・リーヒ

有害な電子廃棄物が、世界で年間4000万トンも増え続けている。中国やインド、南アフリカでは、今後10年間で200~500%も増えるだろうという。しかもこれには、もっぱら先進国から違法に輸出されていく電子廃棄物は含まれていない。

「有害廃棄物の国境を越える移動及びその処分の規制に関するバーゼル条約」に関する会合(インドネシア・バリ)において発表された報告書『リサイクル―電子廃棄物から資源へ』で明らかにされた。

携帯電話からの電子廃棄物について、2020年までに2007年比で7倍(中国)、18倍(インド)になるとそれぞれ予測された。中国はすでに、2010年の推計で230万トンの電子廃棄物を生んでいる。これは、300万トンを排出している米国に次いで、世界第2位である。

 国連環境計画のアヒム・シュタイナー事務局長は、巨大で効率的な施設を中国に建設することで早急にリサイクルを進める必要性を力説する。

しかし、単純に施設を途上国に輸出すればいいというものではない。というのも、電子廃棄物のリサイクルは人力にかかっている部分が大きいからだ。国連大学のRuediger Kuehr氏によれば、携帯電話は40~60の異なる要素から構成されておりその中には金を含んでいるが、中国やインドでは金をわずか20%しか回収できていないという。

そこで報告書が提唱するのが、途上国で電子機器を解体したあと先進国に輸出してそこで最終的な処理を施す、という方法だ。

究極的に言えば、目指すべきはリサイクルよりも再使用であるという。Kuehr氏は、コンピューターや電話を買う人は、物理的な製品を欲しているというよりも、単にそれらによるサービスを利用したいだけだと話す。したがって、将来的には、コンピューターなどのハードは企業が保有し、必要に応じてアップグレードを加えていく、というのが究極の姿になる。ビンのデポジット製に似ていないことはない。

電子廃棄物問題の将来について考える。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

核なき世界実現には民衆の圧力が不可欠(尾崎咢堂塾特別シンポジウム)

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【IDN-InDepthNews東京=浅霧勝浩】

「世界の都市と市民の皆さん、団結を!核兵器のない世界実現のために団結を!」秋葉忠利広島市長が耳にしたいのは、まさに世界の隅々にまで響き渡るこのような行動の呼びかけである。 

なぜなら秋葉市長は、「都市同士が親しくなると姉妹都市になるが、国同士が親しくなると軍事同盟になってしまう。」と確信しているからである。 

「従って、諸都市が有する平和と協力を推し進める能力について、学術研究や教育の分野がもっと注目をすべきなのです。」と、(財)尾崎行雄記念財団が主催した咢堂塾特別シンポジウム『核なき世界の実現に向けて』に出席した秋葉市長は語った。

 秋葉氏は、尾崎行雄記念財団の理事であると同時に平和市長会議(Mayors of Peace)の会長でもある。平和市長会議は、世界の都市が緊密な連携を築くことによって、核兵器廃絶の市民意識を国際的な規模で喚起し、人類の共存を脅かす飢餓、貧困、難民、人権などの諸問題の解決、さらには環境保護のために努力することによって世界恒久平和の実現に寄与することを目的として設立された非政府組織(NGO)である。 

世界市長会議は、2010年2月1日現在、134カ国・地域から3562都市が加盟している。また、1990年3月には国連広報局のNGOに、1991年5月には国連経済社会理事会よりカテゴリーII(現在は「特殊諮問資格」と改称)NGOとして登録されている。 

今年は1945年8月の広島・長崎原爆投下から65周年にあたり、秋葉市長は2020年夏季オリンピックの広島誘致の可能性を検討している。世界市長会議では、同年までの核兵器廃絶を目指す行動指針「ビジョン2020」を打ち出しており、その前段階として2015年までの核兵器禁止条約(NWC)の採択を目指している。 

また平和市長会議では、市民の意思を効果的に反映させる趣旨から国連システムに上下両院を設ける民主改革案を検討している。この案では、従来の加盟国が上院を構成し、下院は世界の200都市(人口の多い100都市と戦争・紛争の過去を持つ100都市)が構成するものとなっている。 

こうした提案の背景には、広島、長崎、ゲルニカ、アウシュビッツといった都市の事例が象徴するように、「歴史を通じて、都市こそが、戦争が人々や環境にもたらす惨禍の矢面に立たされてきた。(だからこそ都市が、国連を舞台に平和構築に向けたや役割を積極的に果たすことができる)」との思いがある。 

「ベルギーには第一次世界大戦で史上初めて毒ガスが使用された街があります。」と秋葉市長は語った。「この街の人々は、過去90年に亘って、毎日、犠牲者への追悼行事を行ってきたのです。」 

また、広島にも1945年の原爆投下の時間である8時15分に、-平和への祈りを込めて-鐘を毎朝打つ寺院がある。「私たちは今や、世界を変えるために、国に代わって都市の市民がイニシアチブを発揮する時代に入っているのです。」と秋葉市長は語った。 

市民の力 

「もし市民の力が結集しなかったら、対人地雷禁止条約やクラスター爆弾禁止条約、グラミン銀行は実現を見なかっただろう。」と秋葉市長は指摘した。 

2002年から2004年にかけてジュネーブ軍縮会議日本政府代表部特命全権大使を務めた猪口邦子氏は、「市民の力」の重要性を指摘した秋葉市長に賛同する一方、自身がジュネーブ軍縮会議議長在任中に経験したエピソードについて語った。「当時、小型武器、地雷、クラスター爆弾による年間の被害者は約50万人に上っていました。しかし各国代表は(被害者の問題が各国の軍事戦略に直接的な影響を及ぼさないことから)当初この問題に対してあまり関心を示さなかったのです。」 

「しかし、被害者たちが国連で体験を証言する局面になると、議論の流れが一転しました。こうした被害者たちはNGOの支援を得てはじめて国連に来ることができたのです。私はこの光景を見て、被爆者もNGOの支援を得て、国連で核軍縮の議論の流れに影響を及ぼせるのではないかと思ったものです。」 

猪口氏は、被爆者の方々はもとより、全ての武器による被害者に対する民衆の認識を高めること、そして、被害者間の絆を育んでいくことが極めて重要を考えている。 

また猪口氏は、バラク・オバマ大統領が、5月に開催予定の歴史的な核不拡散条約(NPT)運用検討会議に先立って、4月にワシントンで核安全保障サミットを主催する決定をしたことを歓迎した。 

「通常であれば、この種の会議は大使級レベルで開催するものですが、それを首脳級会合に引き上げていることから、今日の世界において核問題に向けられた優先順位の高さを窺い知ることができます。国際社会に最も効果的なインパクトを残す方策は各国の大統領や首相が共に連携して行動をおこすことですが、まさにそのような舞台が核兵器の問題に関しては、今日出来上がっているのです。」と猪口氏は語った。 

猪口氏は、「今後の大きな目標は、米国による包括的核実験禁止条約(CTBT)への批准を実現することです。」と指摘したうえで、「もし米国が批准すれば、CTBT発効に向けた大きな弾みとなるでしょう。もうひとつの重要な目標は、今年の協議期間中に兵器用核分裂物資生産禁止条約(カットオフ条約)の協議開始に向けた議論を進めることです。」と説明した。 

第二の核の時代 

韓国ウソン大学学長のジョン・エンディコット氏は、「世界はポール・ブラッケン氏が最近の著作で言及した『第二の核の時代』に突入していることを理解することが重要です。」と、本シンポジウムのテーマである「核廃絶」についてさらに異なる視点から見解を述べた 

過去200年にわたって、国際秩序は欧米諸国の軍事的優位の下で国際秩序が形作られてきた。その間、軍事力に裏打ちされた「国威の象徴」は、砲艦から戦艦に、そして巡航ミサイルやステルス爆撃機へと時代の流れとともに変遷を繰り返してきた。そして近年まで、こうした武器は欧州及び北米諸国の専売特許であった。「しかし、欧米諸国が最先端軍事技術を独占する時代は今や終わりを告げつつあります。」とエンディコット氏は強調した。 

通常弾頭を装着した弾道ミサイルといったいわゆる大量破壊兵器(WMD)は、最先端の軍事技術と共に、今や、イスラエルから北朝鮮に跨るアジア大陸の最大10カ国が入手しようとしており、世界の軍事バランスは大きく転換しようとしている。 

エンディコット氏は、こうしたアジアの軍事力の台頭は、第二次世界大戦直後の冷戦期に現出した従来の核の時代とは異なる、「第二の核の時代」の到来を告げるものであると説明した。これまで欧米諸国が作り上げてきた世界秩序は、軍事面のみならず、文化や哲学の側面からもアジア諸国からの挑戦に晒されているのが現状である。 

「アジア諸国は、1960年代と70年代に経済分野においてそうであったように、今や軍事分野で自己主張を始めています。こうしたアジア諸国の自信は、欧米の介入に対して―たとえそれが平時であっても―かつてとは比較にならない高い代償を強いるほどの強大な軍事力に裏打ちされたものなのです。」 

「もちろん、長期的な目標は核兵器の全廃でなくてはなりません。そして、どんなに小さなものであったとしても、その目的に向かってあらゆる手段を講じていくことが重要なのです。こうした試みの一例として、限定的非核地帯(LNWFZ)とそれに伴う新たな地域機関の創設といった方法が挙げられます。」、とエンディコット氏は語った。 

こうした地域機関は、当該地域の政治・経済・社会開発に関する諸課題を調整する役割を付与されるべきものである。そして「第二の核の時代」に新設されたこうした国際機関は、完全に包括的なものでなければならない。 

現存する全ての非核地帯と限定的非核地帯は、国際原子力機関(IAEA)や国連安保理との取引ができるようにすべきである。「つまり、東アジア、南アジア、及び中東を統括する地域機関がこの全体構想の中に含まれなければなりません。」と、エンディコット氏は提言した。 

エンディコット氏は、いかなる安全保障システムも、成功裡に機能し続けることができるか否かは、ありのままの現実を直視し変化し続ける環境に適応できる能力の有無にかかっていると指摘した。 

「今日の世界において5カ国以上の国々(イスラエル、インド、パキスタン、北朝鮮)が核兵器を保有していることは厳然たる現実です。国際機関もこの現実を直視し受け入れる時期にきています。NPT体制は冷戦期から成功裡に存続してきたイニシアチブではありますが、今日の新たな世界の現実に合わせて自らを再定義しなければならないところにきているのです。」 

「国際社会は20世紀とは異なる今日の新たな現実に適応し損ねたとき、恐ろしい代償を払わされることになるでしょう。核なき世界の実現が私たちの手に届こうとしているこの素晴らしい機会を、見過ごすことのないよう、この緊急を要する作業にともに着手していこうでありませんか。」とエンディコット氏は強く訴えた。 

絶好の機会 

エンディコット氏の提言に、「今こそ核なき世界に向けて行動する絶好の機会です。」と、モデレーターをつとめた梅林宏道氏が賛意を表明した。核廃絶問題の権威である梅林氏は、「今では一般にオバマ大統領の有名なプラハ演説が核廃絶に向けた議論の契機となったと見られるようになったが、実はその源流は2006年にフーバー研究所(マサチューセッツ大学内)で開催されたシンポジウムに遡るのです。」と指摘した。 

そのシンポジウムは、当時、ロナルド・レーガン米大統領ミハイル・ゴルバチョフソ連大統領が、核戦争の勝者はなく核兵器は地上から廃絶されるべきという点で合意に至った1986年のレイキャビック首脳会談から20周年を記念して開催されたものであった。 

「核廃絶はどちらかというと複雑な問題です。」「米国のオバマ大統領が核なき世界の実現に向けた努力を公約したこと自体、素晴らしい出来事だが、重要なことは、世界が本当に核兵器の廃絶に向けて動くかどうかは、結局のところ世界の民衆、すなわち私たち一人一人の力にかかっているということを忘れてはなりません。」と、NPO法人ピースデポ特別顧問をつとめている梅林氏は語った。ポースデポは、軍事力に依らない安全保障システムの構築を目指す非営利の独立平和研究、教育、情報機関である。 

一方、猪口元大使は、「国連システムの中で、軍縮問題に唯一の常設機関として取り組むことができるがジュネーブ軍縮会議です。そしてそこでは、次期軍縮条約がカットオフ条約になると考えられています。ところが、全ての構成国である66カ国が『作業文書』に合意しなければ、条約締結に向けた議論を開始できないという規則が大きな障害となっているのです。」と語った。 

この全会一致規則を見直そうという議論もあったが、核保有国の同意を伴わない条約を結ぶことの有効性について疑問が投げかけられ、今もこの原則が適用されている。「私が2003年にジュネーブ軍縮会議の議長を務めていた当時、日本政府がカットオフ条約の作業文書を提出して実質的な作業を進めました。この作業文書は、カットオフ条約に向けた公式協議が開始された際には、議論の土台として使用されるものです。」と、猪口氏は語った。 

猪口氏は、「ジョージ・W・ブッシュ政権当時、軍縮議論を進めるのは極めて困難でした。ましてやそのような状況下でNPT体制に参加していない核保有国に働きかけることは不可能でした。」 

しかしオバマ氏は、大統領候補の頃からカットオフ条約の早期交渉開始に努力するとの公約を一貫して表明し、この公約は、2009年4月のプラハ演説でも確認された。 

「こうしてオバマ大統領の登場で、軍縮を巡る議論の流れは一転し、カットオフ条約に向けた公式協議が開始されることが合意されました。その後、オバマ大統領は、医療保険改革など(国内の)多くの難題に忙殺されているようですが、日本の役割は、オバマ大統領に自身の公約を思い出させる努力を継続しながら、米国と協力してカットオフ条約の実現を目指すことだと思います。」と、猪口氏は結論付けた。 

核廃絶という極めて重要な問題を取り扱うシンポジウムが、故尾崎行雄(咢堂)の名に因んだ財団で開催されたことには、特別な意味合いがある。「憲政の父」咢堂の生涯は、日本が、近代主権国家としてのアイデンティティと見出し、議会制民主主義の基礎を構築した19世紀半ばから20世紀半ばの約100年の歴史と重なり合っている。 

翻訳=IPS Japan

核軍縮に向けた統合的アプローチの必要性(ジャヤンタ・ダナパラ)

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【IPSコラム=ジャヤンタ・ダナパラ】

核兵器に関する唯一の実行可能な規範的アプローチは、厳格な検証措置の下でそれらを完全かつ普遍的に廃絶することである。これは、漸進的なステップではなく、国連事務総長も推奨している核兵器禁止条約(NWC)の交渉によってのみ、成しうることである。

今日、核軍縮と核不拡散とを破局状態から救う希望があると私は思っているが、それにはいくつかの根拠がある。

米国のオバマ大統領とロシアのメドベージェフ大統領は、「核兵器なき世界」の達成を目指すと繰り返し表明している。我々は、拡散から脱却する新たな時代へ向かいつつあるのかもしれない。それは、核兵器の拡散と、その永続、さらなる改善からの転換である。

 核兵器の「拡散」という概念には2つの次元がある。水平的拡散(他の国への拡散)と垂直的拡散(既存核兵器の改善)である。核兵器保有国―それは北大西洋条約機構(NATO)諸国と「核の傘」に依存する国々に支えられてもいる―は、長い間、水平的拡散の防止と垂直的拡散の推進を同時に行ってきた。

つまりはこういうことだ。「核兵器保有国は、新たな核兵器保有国の出現の可能性(現実であれ想像上のものであれ)に対して、警告を発する。そして、それを防ぐために、(イラクへの違法な侵略のようなことが)必死に追求され、それが水平的拡散に対するさらなる制限を必要とする。」という関係なのである。

しかし、こうして作られた外国の脅威は、二重の意味で使われる。つまり、核兵器保有国にとっては、自国の核戦力を改善(=「近代化」)し、核軍縮を無限に先送りすることを正当化する根拠になる。

イスラエルの未申告の核兵器能力―それは核兵器保有国の一部が支えてもいる―をめぐっては共謀して沈黙が保たれている。核兵器保有国が持ち出すこうした選択的なストーリーによって、事態はより不透明化することになる。さらに、「良い」拡散国と「悪い」拡散国という恣意的な区別も導入されている。そして、それなしには核不拡散条約(NPT)の無期限延長はなかったであろうと言われている、1995年の中東に関する決議は、無視されている。

こうして、長きに渡ってNPT入りを拒んでいるが「良い」拡散国だとされているインドが、米国との核協力合意によって、核技術と核物質の供給という見返りを得ている。同様に、世論からの批判にもかかわらず、米国の核兵器が欧州の5ヶ国に置かれていることは、「核共有」の名の下に正当化されている。

今日の新たな次元は、テロ集団による核兵器の取得・使用の可能性だろう。こうした可能性は、恐るべきまでに現実のものとなっている。と同時に、核兵器保有国がそれを利用して、自らの核兵器の問題から世界の目をそらせるためのものでもある。しかし、核兵器保有国の核自体には、テロと闘うための明確な軍事的価値はない。基本的な問題は、核兵器は誰の手にあってもそもそも危険なものだということだ。

こうして核兵器の「持てる者」と「持たざる者」との間で上段/下段の責任を分割することは、核軍縮と核不拡散が同じ物事の両面であるという現実を覆い隠す有害な働きしかない。その二つは、互いに補強しあう並行的なプロセスでなければならないのだが。

20世紀になって核兵器がもっとも破壊的な大量破壊・恐怖兵器として登場したことは、時代を画することになった。この兵器は、長期にわたって生態系と遺伝子に影響を与え、人間の生を破壊するものであることがわかってきたのである。こうして、核兵器の削減・制限は、国連と国際社会の優先すべき問題となった。

世界最大の2つの核兵器保有国(世界の核兵器の95%を保有する米露)の間の2国間条約や、核実験を禁止したり(包括的核実験禁止条約=CTBT)、拡散を禁止したり(核不拡散条約=NPT)する多国間条約は、垂直的拡散と水平的拡散の両方を規制しようとしてきた。非核兵器保有国によって結ばれる非核兵器地帯条約も同様である。ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)は、今日の世界には2万3300発の核弾頭が存在し、米国・ロシア・英国・フランス・中国・インド・パキスタン・イスラエルが、数分以内に発射可能な核弾頭を8392発配備していると推定している。

すべての兵器に関する規範的な構造には、2つの側面がある。ひとつは、非人道的な兵器を完全に禁止したり、あるいは、人道的理由、集団的な安全保障上の理由によって、特定のカテゴリーの兵器を禁止することである。もうひとつは、戦力のレベル、あるいは新保有国の出現防止に関する軍備管理を目指すことである。軍縮のためには、既存兵器の検証可能な形での破壊、生産・販売・貯蔵・移転・取得の停止を必要とする。

こうして、生物兵器や化学兵器、対人地雷、クラスター爆弾、レーザー兵器などを、(たんに制限したり削減したりするのではなく)非合法化することが、グローバルに実現してきた。一方で、こうした目的のために交渉されてきた多国間条約が、普遍的なものでもないし、検証措置が必ずしも信頼に足るものではないのにもかかわらず、である。

軍縮と軍備管理を組み合わせようとしているひとつの条約は、NPTである。これは、世界で最も加入国の多い軍縮条約だ。NPTが明文上認めているのは、核兵器保有国と非核兵器保有国という2つのカテゴリーだけである。

核兵器保有国は、条約加盟国として、自国の核兵器の削減と廃絶に関する交渉を行う義務を負う。非核兵器保有国は核兵器を取得することが完全に禁じられ、国際原子力機構が、非核兵器保有国が核を平和利用する際に当該国と「保障措置協定」を結ぶ権限を与えられている。

軍備管理に関して言えば、核兵器保有国は、他の二国間・多国間条約を通じて適用される制限を受けつつ、核兵器を保有すること自体は認められている。しかし、核兵器保有国は、NPTの下における義務を果たすのではなく、2010年のNPT運用検討会議に向けて、非核兵器保有国にさらなる制限を課すことばかりを行おうとしてきた。たとえば、条約10条にある条約脱退の権利を制限したり、条約4条にある原子力平和利用の権利にあらたな条件を課す、といったことである。

イラクにおいて1990年代初頭に秘密の核開発計画が発覚したこと、朝鮮民主主義人民共和国がNPTを脱退しその後核実験を行ったこと、リビアがNPTに従っていなかったがその後事態は是正されたと判明したこと、イスラエルがシリアの原子炉を破壊したとされる疑惑についてさまざまな疑問が残っていること、イランの核開発計画に関して依然として緊張があること―これらによって、核不拡散体制としてのNPTは弱体化させられている。

こうした岐路にあって、核軍縮と核不拡散という2つのアプローチを再統合することによってのみ、NPTを救うことができるのである。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

ジャヤンタ・ダナパラ:スリランカの外交官で元国連大使。1995年核不拡散条約(NPT)運用検討会議の議長。1998年-2003年、国連軍縮担当事務次官。現在は、科学と世界の諸問題に関するパグウォッシュ会議会長。本コラムは、ダナパラ氏の個人的見解である。

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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|レバノン-シリア|ベイルートに見られる明らかな変化

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【アブダビWAM】

「デモに参加した人々の人数が明らかに減少したことだけが、2月14日に暗殺から5周年を迎えたラフィーク・ハリリ首相(当時)の追悼集会において見られた明らかな変化ではなかった。集会で披露された4つの演説のトーンも従来とは異なるものだったのだ。」とアラブ首長国連邦(UAE)の日刊紙が報じた。

「演説では、反シリアのシュプレヒコールや、2005年同日に起きたレバノン首相暗殺の背後にはシリアの存在があっとする非難声明はなかった。その代わり、故ハリリ元首相の子息で現首相のサード・ハリリ氏を含む全ての登壇者が、協力とパートナーシップに基づく、シリアとの新たな関係の幕開けを訴えた。」とドバイに本拠を置く英字日刊紙「ガルフニュース」は2月16日付の論説の中で報じた。

 「このようなレバノン人の対シリア感情の変化は、昨年12月にハリリ新首相のシリア公式訪問が実現して以来、ある程度予期されたことであった。この歴史的なシリア訪問の期間中、若いハリリ首相(39歳)は、シリアのバッシャール・アル・アサド大統領(44歳)と何時間にも亘り談笑と夕食会を交えた。

「シリア政府はハリリ前首相の暗殺の嫌疑について一貫して否定しており、首謀者としてイスラエルの犯行説を主張してきた。」

「5周年目となったハリリ前首相暗殺追悼集会は、数十万人が参加してハリリ陣営への支持とシリア政府の非難を繰り返してきた過去の集会とは明らかに様相を異にしていた。警察当局の推計によると、今回の集会参加者数は僅か35,000人とみられている。このことは、レバノンの人々が事件を乗り越えて隣国シリアとの未来志向の関係構築に動き出したことを示している。」

「故ラフィク・ハリリ氏は、レバノンの偉大な指導者であった。レバノンは1975年から90年まで続いた内戦のあと、ようやく国土の再建に着手したが、ハリリ氏はレバノン復興と統一の象徴として多くの国民の支持を集めた。しかし2005年2月14日に起きた同氏の暗殺事件を契機に、レバノンは再びかつての政治対立と経済混乱の時代に逆戻りした。その後、反シリア派と親シリア派の対立は深刻化したが、(2008年のシリアとの国交正常化により)辛うじて内戦の再現は回避することができた。」と同紙は報じた。

「今日のレバノンは平静を取り戻しつつある。隣国シリアとの新たな協調関係が、レバノン国内の緊張緩和に有効に作用している。ハリリ前首相の暗殺犯は、必ず特定し法の下の裁きを下さなければならない。しかし、その時まで、レバノンは対立を乗り越えて前に進むしかない。」とガルフニュース氏は締めくくった。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴


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人権へのあたらな脅威(ブトロス・ブトロス・ガリ)

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 【IPSコラム=ブトロス・ブトロス・ガリ】

12月10日で、世界人権宣言が採択されて61年になる。宣言がこの間世界に進歩をもたらしたことは否定すべくもない。とりわけ、人権を擁護する法的仕組みができたことは大きな意味を持ち、これはその後世界に広まり続けている。

しかし、同時に、人権を人類の共通言語にしようという努力に反する危険な傾向もみてとれる。

まず、宣言の普遍性を否定しようという観念的な議論があることだ。宣言は個人をなによりも重視しているが、アジアやアフリカなどの第三世界においては集団や部族の方がより重要だというのである。この見方によれば、個人の権利の擁護は部族の集団的権利を守って初めて可能となる。そうすると、民族的・宗教的・言語的マイノリティ集団の権利を国家が効果的に守れない状況下で、権力の「部族化」や、調和や安全といった観念を部族の存在と関連づけて考える傾向がそうした集団の中から出てくることになる。その意味合いを無視することは誤りだということになろう。

 第二に、人権の普遍性と折り合うことのできない、宗教に関連した脅威が存在する。すなわち、宣言の内容とシャリーア(イスラム法)との間にある矛盾である。特に、女性の基本的権利や改宗の自由、身体刑の利用に関してこうした矛盾があることは明らかだ。より深刻なのは、イスラム教の原理主義的なサラフ主義だ。人権の擁護を、最終的にはイスラム教への新しい十字軍につながる新植民地主義の遺制だとみているのだ。2001年9月11日にニューヨークでテロ攻撃が起こり、その後、イスラム教徒とみればテロリスト(あるいはテロリスト予備軍)だとみなす傾向が強まった。こうした反イスラム的な風潮が西洋に広まることで、右のような感情はより悪化することになる。

人権への第三の脅威は、最近いくらか弱まっているが依然として重要であり、2つの新しい超大国である中国とインドの勢力拡張に伴って強まる可能性があるものだ。それは、いわゆる「アジア例外主義」と呼ばれるものである。これは、1993年6月の世界人権会議の2ヵ月後にバンコクで開かれたアジア太平洋人権会議において支配的だった考え方である。アジア太平洋の40ヵ国以上の代表によって採択されたバンコク宣言は、人権に対するアジア的アプローチを確認したものであり、アジア各国の歴史・文化・宗教といった文脈との関係でみられねばならないものである。

最後に、修正主義的な潮流がある。世界人権宣言はすでに採択から61年を経ており、グローバル化に直面する政府間機構の受けた変化など、これまでに起こってきた前進と進化を織り込んだ上で更新・改定されねばならないという。この潮流は、技術の進化が社会的・経済的・文化的変容をもたらしつづけるにしたがって、より強まっていくことになるだろう。

これらすべての危機は、地球の社会・経済の断裂という、人権の普遍性への最大の挑戦が発生する中で生じている。約20億人が1日あたりたった1~2ドル以下でなんとか生き延びようとしているという事実を想いだすべきだろうか?あるいは、1日あたり3万5000人の子どもが栄養不良で死んでいることを想いだすべきだろうか?途方もない数の男女や子どもが悲劇的に苦しみ、死に至っている。すべての人間が平等であるにもかかわらず、歴史はそれをあざ笑い、私たちの間に経済的・社会的障壁を設けるかのようだ。これはよりいっそう受け入れがたいことではないか。

こうした不正義の感覚が生じること自体、人間の良心が進歩したことの証だ。そして、不平等を認識することからそれを正す行動へと向かうことは、人権というものが普遍的に認められていることによって可能になる面もある。

人権の擁護は、私たちに脅威を与えている一般的な社会の崩壊現象への最善の反応であることは疑いがない。しかし、それは、それ自体を目的とした、他から隔絶された闘いであってはならないと思う。(原文へ
 
翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

*ブトロス・ブトロス・ガリ氏は元国連事務総長、IPS国際評議員。
 

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│マーチン・ルーサー・キング・デー│人種関係に関する省察

【ワシントンIDN=アーネスト・コリア】

米国がマーチン・ルーサー・キング・デーを迎えようとする中、ひとりの重鎮上院議員の人種に関する発言が論争を巻き起こしている。

マーチン・ルーサー・キング・デーは、1986年に始められた。米議会でこの日の新設に関する決議が否決されたこともあったが、歌手のスティービー・ワンダーからの強力なプッシュや600万人の署名の力もあり、ようやく議会が認めたのである。日にちは、1月の第3月曜日と設定された。今年は1月18日である。

ところが、この日を前にして、米上院のハリー・リード院内総務(民主党)が、昨年の大統領選挙のさなか、オバマ候補に関して差別的な発言をしていたことが、『タイム』誌のマーク・ハルペリンと『ニューヨーク』誌のジョン・ハイルマンの新著『ゲーム・チェンジ』のなかで明らかになった。リード氏は、「ニグロ(黒人)なまりがなく」、「浅黒の」アフリカ系アメリカ人であることがオバマ候補の利点だと発言していたのである。

この発言は、オバマ氏の能力よりも人種的な特性だけを問題にしていること、いわゆる「N」ワードを用いている点などからして、きわめて不適切なものであった。

 しかし、オバマ大統領は、リード院内総務からの謝罪があったとして、彼を赦すとのコメントを出した。不思議なことに、リード発言は、[通常は有色人種に対してより非寛容だと見られている]共和党からの強い批判を喚起することになった。それが政治というものだ。

ピュー研究センターの世論調査によれば、「5年前よりも状況がよくなった」と回答した黒人が2007年の20%から39%にまで急増したという。

他方で、黒人に白人と平等の権利を与えるべきだと考える黒人が80%超であったのに対して、白人でそう考えたのはわずか3分の1ほどである。また、アフリカ系アメリカ人とヒスパニックの収入の中央値は2万7800ドル、白人は17万400ドルであった。

キング牧師はかつて、聴衆にこう語りかけた。「過去を振り返ってみると、私は約束の地を夢見てきました。私は皆さんとともにそこにたどり着けないかもしれません。しかし、われわれ人民はその約束の地にたどり着くことができるということ、このことを今夜はぜひ胸に刻んでもらいたい。私は今夜うれしく思います。私には何の心配もありません。私は誰をも怖れません」。彼が暗殺されたのは、この翌日のことであった。

黒人の状況はたしかによくなった。しかし、まだ、乗り越えるべき困難は大きい。

翻訳/サマリー=IPS Japan

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内戦への対処に失敗してきた国連

【国連IPS=タリフ・ディーン】

英国の人権調査団体「グローバル・ウィットネス」は、内戦への国際社会の対応を論じた報告書を発表した。それによれば、この60年間の内戦のうち少なくとも40%が、ダイヤモンドや金、木材、石油、ガス、ココアなどの天然資源をめぐって争われたものか、それらの収入によって経済的に支えられていたものだという。

しかしながら、国連加盟国、とくに安全保障理事会の常任理事国は、自国の国益を優先する立場から、国連による制裁決議などの実行にあまり熱心でなかった。

アフリカの「世界戦争」とも称されるコンゴ民主共和国での内戦はまさにその典型例だ。英国のような国々は、内戦に関与する自国企業の制裁に不熱心であったり、ルワンダのような当該地域の同盟国に制裁を加えることに消極的であった。なぜなら、鉱物資源等の取引によってえる利益は莫大なものだからだ。

 今世紀に入ってからも、安保理は、シエラレオネ、リベリア、コートジボワールなどで起こった資源がらみの内戦を、対処することなく眺めている。

また、2007年1月には、ロシアと中国がビルマ制裁決議に拒否権を発動した。2008年7月には、同じくロシアと中国が、ジンバブエへの武器禁輸や同国のロバート・ムガベ大統領の渡航禁止などの制裁にやはり反対した。米・英・仏も、イスラエルによる人権侵害と戦争犯罪に対してきわめて寛容な態度を取っている。

グローバル・ウィットネスの調査は、国連に対して、資源によって資金を自己調達するような内戦への対処に関してハイレベル調査委員会を設置するよう求めている。

内戦への対処をめぐるNGOの報告書について伝える。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan


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│グローバル経済│拝金主義と信仰は両立するか?

【ジュネーブIDN=ジャヤ・ラマチャンドラン】

拝金主義は、倫理、価値観と何の関係があるだろうか?最近発表されたユニークな世論調査によると、圧倒的多数の若い層が、地球規模及び地方レベルにおける経済問題に取組んでいくうえで、基本的な信条を持って行動すべきだと回答している。

世界経済フォーラム(WEF)がフェイスブック、ニールセン社、ジョージタウン大学と共同で実施したこの国際世論調査の対象となった市民全体の実に3分の2以上が、今日の世界経済危機は倫理と価値観の危機でもあるという見方を示している。

この世論調査は、フランス、ドイツ、インド、インドネシア、イスラエル、メキシコ、サウジアラビア、南アフリカ、トルコ、米国において、18歳以上の男女合計13万人を対象に実施された。回答者の構成は女性42%・男性58%で、30才以下が回答者の約80%を占めた。


 
企業に対する世論の見方は厳しいようだ。大企業・多国籍企業が価値観をもって自らの経済活動を進めているとみている回答者はわずか25%しかいなかった。一方、中小企業については40%であった。この結果は、今日の経済危機に見舞われた世界の状況を反映したものである。今日の危機を招いた行過ぎに対する非難と共に、新たな経済システムを下支えする新たな価値観を求める声が世界中で広がりを見せている。

これらは世界経済フォーラムが毎年実施している国際世論調査報告書「信仰とグローバルな課題―ポスト経済危機に向けた価値」で発表された調査結果の一部である。

「普遍的価値は存在すると信じますか?」

1月18日に発表された調査結果によると、54%の回答者が「普遍的な価値の存在を信じる」と回答した。これを国別でみると最も高いのがメキシコ(72%)で、ドイツ(65%)、インド(64%)、インドネシア(61%)、南アフリカ共和国(58%)が続いている。

一方、フランスでは普遍的な価値の存在を信じるとした回答者は僅か37%であった。その他、「普遍的価値観の存在を信じる」とした回答者の特徴を分析すると、男女間における差はないが、米国の場合を除いて、回答者の年齢が高まるにつれて「信じる」と回答する人数が多くなる傾向にある。

「個人の価値意識の根源を主にどこに求めますか?」

教育と家族が、個人及び職業上の価値意識の根源として最も挙げられた(全体の62%)項目で、国別ではメキシコ(86%)、ドイツ(81%)、フランス(81%)において同項目が高い割合を占めている。男女別では、女性(68%)の方が男性(57%)よりも教育・家族項目を選ぶ傾向にある。

宗教と信仰心

米国、サウジアラビア、南アフリカ共和国においては、宗教と信仰心が価値意識の根源として最も重視される傾向にある。世論調査結果によると、宗教と信仰心を最重要視する傾向はより年配者の間で顕著である。(18歳~23歳の間で18%、30歳以上の間で30%)

よりよい世界をつくるためにもっとも価値を重視しなくてはならないセクターはどこかとの質問に対しては、国内政治、グローバル・ガバナンスよりも、ビジネスセクター全般(中小・大企業・多国籍企業)と答える者の方が多かった。これは、年齢や性別に関わりがない。特に米国において、この傾向は最も顕著で全体の70%を占めた。

ドイツ、メキシコ、南アフリカ共和国においては、中小企業よりも大企業・多国籍企業に価値の重視を求める声が高かった。一方、インド、インドネシアにおいては、逆に大企業・多国籍企業よりも中小企業に対して価値の重視(37%超)を求める声が高かった。この質問カテゴリーにおいては、グローバル・ガバナンスを選択する回答が最も少なかった。

私生活と仕事

「私生活と仕事生活において同じ価値を適用するか?」との問いに対して、60%以上の回答者がノーと回答している。イエスと回答したのは男性で25%、女性で21%であった。国別でみるとイエスの回答者が最も多かった国はインドネシア(36%)でトルコ(32%)が続くが、少数意見である点は変わらない。これは年齢に関わりがない。

「現在のグローバル経済危機は同時に倫理や価値の危機でもあるかどうか?」という問いに対しては、3分の2以上の回答者がイエスと答えた。とくに、30才以上では79%ときわめて高率であった。イエスと答えた人が少ない国は、イスラエル(55%)、トルコ(53%)であった。

いま一つの重要な調査結果は、環境保護に対する認識が、個人レベルではさほど重視されていない一方で、国際政治・経済のレベルでは重視されている点である。回答者は、ビジネスセクターがより価値を重視すべきであり、大企業・多国籍企業よりも中小企業の方が、価値を重視する傾向にあると見ている。

世論の約半分は、企業は、株主、従業員、取引先、顧客に対して平等に責任があると見ている。経済危機後に実施された今回の世論調査結果は、従来の経済システムに対する世論の厳しい見方と、新たな経済システムを支える道徳・倫理規範を根本的に考え直す必要性があることを明らかにしている。

「今日の世界経済システムにとって最も重要な価値とは?」との質問に対して、約40%の回答者が「正直さ」、「清廉潔白さ」、「情報公開」を、24%が「他者の権利・尊厳・意見」を、20%が「他者のために行った行動のインパクト」を、そして17%が「環境の保護」を選択した。

国際経済フォーラムの創設者で会長のクラウス・シュワブ氏は、本世論調査報告書について、「調査結果は、今日の世界経済機構と国際協力のメカニズムを再構築する上で、一組の価値観が必要とされていることを示している。」と語った。

またクラウス会長は、「従来のシステムは地球上の30億人の人々に対して義務を果たすことができないでいる。もし私たちが今日の格差を埋めようとするならば、私たちの市民文化、ビジネス文化、政治文化は根本的に改めていかなければならない。世界経済フォーラムが、社会のあらゆるセクターを代表する人々をダボスの年次会合に招聘し、地球規模の国際協力を支える価値について再考するのは、こうした理由からなのです。」と付け加えた。

この報告書はまた、経済危機後の世界に必要とされる価値について、ローワン・ウィリアムズ氏(英国国教会カンタベリー大司教)、ラインハルト・マルクス氏(ローマカトリック教会ミュンヘン・フライジング大司教)、モハンマド・ハタミ氏(文明間対話財団理事長、元イラン大統領)、ヴァルソロメオス1世氏 (コンスタンディノープル総主教)、ラビ・シャンカール氏(アート・オブ・リビング財団創立者)、デビッド・ローゼン氏(ラビ、米国ユダヤ委員会国際部長)、松長有慶氏(全日本仏教会会長)ら、世界15人の著名な宗教人の見解も載せている。

40年前にはじめて開かれた世界経済フォーラムは、宗教界の指導者らの声を取り込んできたと主張している。「価値」の問題に対処するために、もっとも影響力のある宗教界の指導者らをあらためて登場させたようだ。

世界経済フォーラムの行った「価値」に関する報告書について伝える。

INPS Japan


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アフガニスタンという不安

【IDN-InDepth Newsオピニオン=ジュリオ・ゴドイ】

米国がベトナム戦争での大失敗から学んだことのひとつは、戦争を始める前に「出口戦略」を策定しておくのが必須だということだ。もっとも、「出口戦略」というのは婉曲表現で、実のところ、「自国兵士の死体が積み上がり、戦争に勝つ見込みがなくなってきた際に、体面を失わずにいかに戦争を終わらせるか」ということだ。

1980年代には、出口戦略はいくつかの形を取っていた。かたや、徴兵制をやめて志願兵制に移行した。こうして、1960年代から70年代の平和運動の中核を占めた中産階級の若者は戦地に行く必要がなくなり、戦争はテレビで見るものになった。そのかわり、「ルンペンプロレタリアート」とでも呼ぶべき貧しい黒人、そして後にはラテンアメリカからの移民の若者たちが兵士となった。因みに2003年、イラク戦争における米軍最初の戦死者は、グアテマラ生まれの、ほぼ文盲で身寄りのない不法移民の青年だった。彼は熱望したグリーンカード(米国の外国人永住権及びその資格証明書)を獲得するための最短距離と考え、米軍に入隊したのだった。

Julio Godoy


他方で、米軍の出口戦略は3つの形を取るようになった。

第一は、セオドア・ルーズベルト大統領時代の「すばらしい小戦争」(splendid little war)という考え方を復活させること。「ゆっくりと話し棍棒を運べば、あなたはずっと遠くへ行くだろう。」の発言で有名なルーズベルト大統領は、19世紀末に棍棒(=軍事力)を使って、弱いスペイン軍を瞬く間に撃破しキューバ、プエルトリコ、フィリピンの支配権を手に入れた。スペイン政府が和平を乞うてきた時、ジョン・ヘイ国務長官は、この「すばらしい小戦争」を称賛した。つまり米西戦争は、敵が弱く、戦争期間は短く、そして戦利品は莫大だったからだ。80年代にロナルド・レーガン大統領は軍拡を推し進めたが、軍事攻撃を仕掛けたのは、グレナダリビアという小国であった。

第二は、米国の敵と戦う代理を創り出すことだ。ニカラグアではコントラがサンディニスタ革命と戦い、中東ではサダム・フセインがイランと戦い、アフガン戦争では地元の軍閥がロシアと戦った。

第三は、地上軍を使わず空爆を仕掛け、死者を減らすことだ。ジョージ・ブッシュ(父)大統領は、パナマシティを空爆した後、湾岸においてサダム・フセインをクウェートから追い出した。90年代にはビル・クリントン大統領がバルカン半島に空爆を加えた。しかし、ソマリアのように何も爆撃する対象がないところでは、この戦略は行き詰まり、地上部隊を投入せざるを得なかった。

手段に関わらず米軍が敵を殺害した場合、作戦の成功に誇りを覚えるとともに、兵士たちは自由の価値観の擁護者として称賛される。しかし逆に敵が米兵を虐殺した場合、突然戦争の野蛮な現実に疑問を呈することとなる。血まみれの米兵がモガデシュ市街の泥道を引きずられて殺害された映像は、米国にとってあまりにショッキングなもので、即ソマリアからの撤退に踏み切ったクリントン大統領には、もはや出口戦略や体面にこだわる余裕されなかった。

そして2000年、ジョージ・W・ブッシュ政権と共に「テロとの戦い」という際限のない概念が登場した。ブッシュ大統領の顧問たちは明らかに世界最強の米軍の無敵性を確信し、出口戦略や戦死者の問題を考慮することなく、イランとアフガニスタンに軍事介入していった。

特に、アフガニスタンに関しては、歴史と地元社会の独自性が軽視されていた。もし彼らが事前にウィンストン・チャーチルの自叙伝を研究していたりロシアからアフガン戦争の教訓を学ぶ努力をしていたならば、周到かつ体面を保てる出口戦略なしに、急いで泥沼に足を踏み入れるという事態は避けていたであろう。また、軍事介入に合わせて開発、国造り、民主化という議論も避けていたであろう。

しかし実態は、度重なる爆撃によって首都カブールと周辺地域をかろうじて確保したほかはそれとった成果もなく、その代償として数千人の市民の犠牲者を出しただけであった。そして史上最強の軍事同盟と謳われた米軍を中核とした連合軍は、介入から10年が経過した今日、アフガニスタン紛争からの出口をそろって模索している。

米国が撤退に際して、かつて軽蔑していた軍閥たちによる支配をそのままに、腐敗が支配し麻薬にまみれた崩壊国家に何を残すかということは、もはや問題ではない。いま重要なことは、アフガニスタンという「帝国の墓場」に葬り去られないようにするということである。

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩

*ジュリオ・ゴドイ氏は、グアテマラ出身の調査報道記者。常に危険な現場から声なき声を伝える報道が評価されヒューマンライツ・ウォッチ等より表彰される。ゴドイ氏自身、誘拐や設立に尽力した週刊メディアが爆破されるなどの試練を経験している。当局の言論弾圧から1990年に亡命。以来、主にドイツを拠点に活動中。国際協力評議会(GCC)役員。元IPSパリ支局特派員。

│ノーベル平和賞│マハトマ・ガンジーには何故授与されなかったのか?(J・V・ラビチャンドラン)

【IDN-InDepth Newsオピニオン=J・V・ラビチャンドラン】 

小説「戦争と平和」の執筆にあたって、作者のレフ・トルストイは、真実に近づくために、あえて現実とフィクションの境を曖昧にする独特の手法で、歴史的な出来事を再現したと言われている。

2009年のノーベル平和賞では、今後への期待とこれまでの実績との間の境界線が限りなく曖昧にされた。受賞者のバラク・オバマ大統領自身が、受諾演説の中で今回の自身の指名が議論を呼んだ点について触れたことは良く知られていることだが、それまでの政治声明に対する評価と実際の功績の間にはなお隔たりがあるのが現実である。

Photo: Dr Martin Luther King, Jr., speaking against the Vietnam War, St. Paul Campus, the University of Minnesota in St. Paul, April 27, 1967. CC BY-SA 2.0. Wikimedia Commons
Photo: Dr Martin Luther King, Jr., speaking against the Vietnam War, St. Paul Campus, the University of Minnesota in St. Paul, April 27, 1967. CC BY-SA 2.0. Wikimedia Commons

 しかもオバマ大統領の最近の決定や政策を見る限り、急いで歴代のノーベル平和賞受賞者と同等に列せられるような利他的な貢献は見当たらない。なぜなら、マーチン・ルーサー・キング牧師やマザー・テレサ、ダライ・ラマといったほぼ全ての平和賞受賞者が、無私の貢献で世界平和に向けたポジティブな変化をもたらした人々だからである。

世界最高権威の一つであるノーベル賞の受賞者選考について、選考委員会による基準が曖昧だったのは今回が始めてのことではない。過去においても、実際の功績と関連性の観点から、選考基準が曖昧なケースが少なくないのが現実である。その中でも最も議論を呼ぶのがマハトマ・ガンジーのケースだろう。

一貫性の欠如

インドの週刊「オープン」紙のサンディーパン・デブ編集長は、最近執筆した「私のノーベル賞候補者」と題した記事の中で、選考委員会に関する同様の矛盾点について指摘している。「(当該部分抜粋):ノーベル文学賞は、従来どちらかというと奇異な賞である。なぜなら受賞者の多くは人々の記憶から長らく忘れ去られた人々であり、その選考基準は度々理解しがたいものだからである。例えば最初の3人の受賞者について考察してみよう。1901年受賞のシュリ・プリュドム、1902年受賞のテオドール・モムゼン、1903年受賞のビョルンスチャーネ・ビョルンソン。これらの人々は果たしてどんな人々だったのだろう?そして2008年のノーベル文学賞はフランス人のジャン=マリ・ギュスターヴ・ル・クレジオが受賞した。しかしデリーのアリアンス・フランセーズ図書館でさえ、彼の作品を1冊も収蔵していなかったのである。」

Mahatoma Gandhi/ Wikimedia Commons
Mahatoma Gandhi/ Wikimedia Commons

ガンジーの受賞が欠落している点については、ノーベル財団自身のウェブサイトに「マハトマ・ガンジー:欠落した受賞者」と題した記事が掲載されている。

ノーベル平和賞の歴史的受賞候補者となったマハトマ・ガンジーとバラク・オバマ大統領。前者は、最終的に受賞に至らなかったことで、一方後者は、受賞されたことで物議をかもすこととなったが、両者の選考プロセスに影響したと思われる曖昧な判断基準について分析したい。

選考委員会自体によって書かれたノーベル賞の歴史には、「マハトマ・ガンジーは、1937年、38年、39年、47年、そして、48年1月に暗殺される直前に平和賞にノミネートされた。ガンジーに賞を与えなかったことを後の選考委員らは後悔することになる。ダライ・ラマが1989年に賞を取ったとき、選考委員長は、ダライ・ラマの受賞には『ガンジーの記憶に対する賛辞という意味合いもある』と発言した」と記されている。

ガンジーがノーベル平和賞受賞から外された理由について、たとえ「理性のつかの間の喪失(a momentary lapse of reason)」として理解しようとしても、当時受賞候補に上ったガンジーの調査にあたった選考委員会が示した「一貫性に欠ける」諸見解を見ると、(受賞から外した理由が)他にあったか、或いはむしろ理由すらなかったのではないかと思われるのである。

ガンジーが最初にノーベル平和賞受賞者候補となった際に調査にあたったヤコブ・ヴォルム=ミュラー教授は、当時世界的に注目を浴びていたガンジーを推薦しない理由として、奇妙な「矛盾論」を展開した。

上記のウェブサイトによると、ミュラー教授は、「ガンジーの有名な南アフリカにおける闘争はインド人のためだけのものであり、生活状況がさらに劣悪な黒人のためのものではなかった点は重要であるといえよう。」と述べ、「ガンジーの掲げる理想が普遍的なものか、それともインド人だけのためのものかについて疑いがあったためだ。」と解説している。

なんだって?

それではマーチン・ルーサー・キング牧師がユダヤ人のために闘ったとでもいうのだろうか?或いは、ダライ・ラマが中国人のために闘ったとでもいうのだろうか?

ノーベル賞の持つ真正が失われ始めるのはまさにこの点であり、その世界最高峰の権威も、選考委員会に関係する少数の個人による主観的な判断という曖昧な領域の中に消失してしまうのである。

また上記のウェブサイトにはこのような記述がある。「マハトマ・ガンジーにノーベル平和賞を授与しなかったことについてはこれまでにも疑問を呈する声が度々上がってきた。それらは、①ノルウェー政府によるノーベル選考委員会は、視野が狭かったのだろうか?②選考委員会のメンバーはヨーロッパ人以外の人々による自由への闘いを評価することが出来なかったのだろうか?③あるいは、選考委員会のメンバーは、ガンジーへの授与が(インドの宗主国である)英国とノルウェーの関係に悪影響を及ぼすリスクを恐れたのだろうか?というものであった。」

これに関して、既に紛争状態にある土地(=アフガニスタン)に2万人の兵士を派遣することを発表した直後のオバマ大統領に最終的に平和賞を授与したことは、こうした疑問リストにさらなる1ページを加えることになるだろう。

さらにガンジーの未受賞問題について最も関連すると思われる部分(インド独立前夜に発行されたタイムズ紙からの引用文)が同ウェブサイトに記されている。

「ガンジー氏は今夜の礼拝集会において次のように語った。それまで一貫して全ての戦争に反対してきたが、もしパキスタンから正義を獲得する術が他になく、またパキスタンがあくまでも明らかな過ちを認めずそれを過小評価し続けるならば、インド政府はパキスタンと戦わざるを得ないだろう。誰も戦争は望まない。しかし、いかなる人々に対しても、不正義に甘んじるようアドバイスすることはできない。たとえ全てのヒンズー教徒が正義のために全滅したとしてもやむを得ないだろう。戦争が起こればパキスタンのヒンズー教徒は国内の敵対勢力とはなり得ない。もし彼らの忠誠心がパキスタンにないならば同国を去るべきである。同様にパキスタンへの忠誠を誓うイスラム教徒はインドに留まるべきではない。」(ただし、この報道についてガンジー自身は、同会合での発言の全てをカバーしたものではないと述べている:IPSJ)

一方でオバマ大統領の受賞式における演説内容の一部を以下に抜粋する:

President Barak Obama, Whilte House/ Public Domain
President Barak Obama, Whilte House/ Public Domain

「私はあるがままの世界に立ち向かっている。米国民への脅威に対して、手をこまねいていることはできない。間違ってはいけない。世界に邪悪は存在する。非暴力の運動では、ヒトラーの軍隊をとめることはできなかっただろう。交渉では、アルカイダの指導者たちに武器を置かせることはできない。」
 
 タイム誌が引用したガンジーの発言内容とオバマ大統領の受諾演説内容を比較すると、明らかな違いは「悪」という単語の使い方である。もっともオバマ氏の場合、政治的に正しい声明を求める支持者や聴衆の期待に応え、(追加派兵等の)厳しい手段をとっていくことを本国で正当化するためにもテロ組織を邪悪な組織として位置づけ、善悪の違いを常に明確しなければならなかった事情は理解できる。

もし、(ガンジーの場合のように)その時々の事情で戦争の必要性を公言した者が、それを理由にノーベル平和賞の選考から外されるとするならば、オバマ大統領に対しても同様の基準が適用されてしかるべきだったであろう。

ノーベル賞は、個人の実際或いは想定された功績に対して授与される訳だが、果たしてその判断基準には授与国の国益や受賞者の地位が影響を及ぼしているのだろうか?

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

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