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日本の援助機関、中国、韓国との絆を強める

【東京IDN=特派員】

国際協力機構(JICA)は、緒方貞子理事長による4日間にわたる中国、韓国訪問を受けて中韓両国との2国間関係及び両国の主要機関との地球規模の開発協力関係強化に乗り出した。

日本政府は今回の緒方理事長による中国訪問から30年遡る1980年4月、中国に対する初の円借款を実施し、今日までに総計3兆6千億円(約400億ドル)の援助を実施してきた。

日本の対中国援助は当初は鉄道、港湾、発電所などの中国国内におけるインフラ整備に主眼が置かれたものだったが、後に環境保全を促進する援助も実施された。

 しかし日本が中国に対して水質・大気公害管理、気候変動、植林、下水処理、環境教育などのプロジェクトを通じた援助を継続する一方で、中国は国際経済において大きな役割を果たす存在へと成長した。

「従って日中両国は、開発途上国への支援を念頭に協力関係を緊密にしているのです。」と、緒方理事長は、9月3日に上海国際問題研究院(SIIS)で開催された講演会において同研究院の研究者や大学院生に語りかけた。

これは緒方理事長が同研究院で行った、「グローバル化時代のアジアと日中関係の展望」と題する講演会での発言である。

緒方理事長は、李克強国務院常務副総理(第一副首相)が2009年12月に面談した際に、緒方氏に対して、後発開発途上国(LDCs)に対する支援こそが「日中協力における最も重要な挑戦の一つです。」と語ったエピソードを紹介した。

緒方理事長は、その後JICAと中国輸出入銀行は、2010年3月に共同ワークショップを開催し、評価手法や気候変動対策などの重点課題について情報の共有、意見交換を行ったことを披露した。

JICAは中国商務部(MOFCOM)対外援助司(日本の庁に当たる)との協議を開始しており、同司職員を対象とした研修プログラムをホストする予定である。

「私たちはまた、アフリカにおける農業支援能力を高める目的で、日中両国の農業専門家間の会合を開催していく予定です。」と緒方理事長は語った。

また緒方理事長は「私は研究及び政策の分野、とりわけ『包括的で』ダイナミックな経済開発を確保する挑戦に関する分野についてSIISとJICA間の協力関係を一層緊密なものとしていきたい。」と付加えた。

緒方理事長は、上海地域が近年経験した2つの重要な分野(①現在も続く急激な都市化を遂げる地域における環境保護と特に都市部と②農村部の間で拡大を続ける貧富の格差)に関するSIISの経験について特に強い関心を示した。

緒方理事長は、中国訪問前に韓国のソウルにおいて韓国国際協力団(KOICA)のパク・デ・ウォン総裁、韓国輸出入銀行のキム・ドンス総裁、ハン・スンス元首相、その他政府、学術関係者と会談した。

JICAとKOICAは初の日韓協調融資となるモザンビークの道路事業案件について間もなく発表する見込みだが、現在ベトナムにおける案件に関しても協調融資の可能性を協議している。

また10月には中国輸出入銀行も加えた3者会談が予定されている。

KOICAのパク・デ・ウォン総裁は、ラオス、カンボジアなどのアジア諸国において共同プロジェクトを実施していくための年次定期協議の開催を提案した。具体的な日程は事務レベル協議を経て1年以内に決定する予定である。また両者は、米国ブルッキングス研究所と三者共同で行っている開発援助についての研究の成果を、国際社会に向けて広く提示していくことで合意した。

KOICAは、JICAの設立目標と類似した、途上国に対して技術・財政支援を行うことを目的に1991年に設立された。

緒方理事長は、韓国滞在期間中に、KOICAがJICA地球ひろば(JICAの活動紹介や開発協力活動に関するセミナーや広報活動を行う拠点)を参考に最近開設した「地球村体験館」を訪問した。

パク総裁はKOICAが中国にも日韓が持つ援助機関に類似したものを作ってはどうかと提案したことを披露した。

2010年10月1日は「新生JICA」が誕生して2周年の節目となる。新生JICAのもとで、それまで別々の機関が実施していた3つの援助形態(技術協力、譲許的貸付/ODAローン、無償資金援助)は一元的に運営管理されることとなった。

緒方理事長によれば、新生JICAの下での援助の一元化によって、日本は開発途上国に暮らす人々のニーズに対応した高品質の国際協力を実施することが可能となった。

緒方氏は、元国連難民高等弁務官である。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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小売から世界の環境保護活動へ(イオン環境財団)

【東京IDN=浅霧勝浩】

彼らの緑化活動は国内外に及ぶ。中国・万里の長城で、青島ラオ山ダム周辺で、タイ南部で、クアラルンプール郊外で、世界遺産アンコールワットの周辺で、そしてケニアで、植樹を行ってきた。

世界中で920万本の植樹を行ってきたイオン環境財団のことである。2010年4月には、万里の長城での植樹が100万本に達した。

活動に積極的に参加してきた一人が、海部俊樹元首相である。海部氏は中国から深い信頼を勝ち得ており、人気もある。イオン環境財団と中国との橋渡し役を務めてきた。

財団は、2010年10月に名古屋で開かれる国連生物多様性会議において、地球上の豊かで貴重な生物多様性を守った者に対して、「生物多様性ミドリ賞」を贈呈する予定だ。日本語の「ミドリ」は緑を意味し、木々や植物を連想させる。

名古屋の会議は、正式には、生物多様性条約第10回締約国会議と呼ばれる。同条約は、1992年にブラジルのリオデジャネイロで開かれた国連環境開発会議において採択された3つの条約のうちのひとつである(他の2つは、国連気候変動枠組み条約と砂漠化防止条約)。

 イオン環境財団は、同会議(地球サミットとも呼ばれる)に2年先立つ1990年に創立された。

「ミドリ」は広い意味において環境を象徴する言葉である。財団の岡田卓也会長は、ウェブサイトに掲載したメッセージで、「この言葉は私たちの継続的な植樹活動に本来的に結びついています。私たちは、そうした活動が『根付き』、木々のように将来に向かって着実に成長していくことを願って、賞をこのように名づけました」と述べている。

「地球温暖化の防止と生物多様性の保全は、地球レベルでの2つの重要課題だと考えられています。2010年は国際生物多様性年です。……イオン環境財団は、私たちの美しく取替えの聞かない地球を将来の世代に残すためにさらなる貢献をしてゆきたいと考えております」。

イオンとはもともとギリシャ語で、「生命」「存在」「永遠」を意味する。

設立趣旨によれば、財団創立の背景には、「自然環境は、オゾン層破壊、地球温暖化、森林の激減、砂漠化、酸性雨の多発、海洋汚染などにより危機に瀕し」ているという認識がある。

こうした考えが、「小売業を超えて、社会への何らかの貢献をする」という岡田氏の決定の基礎にあった、と財団の神尾由恵事務局長は話す(岡田氏は日本ユナイテッド・ストアーズ株式会社=JUSCOの創立者でもある)。

JUSCOは、1969年、岡田屋、フタギ、シロの3社が合併してできた。1960年代の不況の荒波を超え、事業を固めるためだった。岡田屋は3社の中でもっとも歴史が長く、創業は1758年。第二次世界大戦までは、着物などの織物を扱っていた。岡田氏は終戦後に事業を再開し、14軒のデパート店をもつチェーンに発展した。

JUSCOは2001年にイオンに正式名称を変更した。日本で最大の小売業者である。所有、ジョイントベンチャー、投資などを通じて、イオンは世界で約4000店舗を傘下におさめている。日本では、イオンの看板の下に、JUSCO460店、コンビニの「ミニストップ」2600店、スーパーマーケット665店、ドラッグストアの「ウエルシア」1900店がある。イオンは、女性洋品チェーン「タルボット」を今春まで保有し、英国の洋服チェーン「ローラ・アシュレー」を一部所有している。

神尾事務局長によれば、岡田氏は企業の価値・役割は第一義的には利益追求であり、株主に奉仕することであるが、その利益の一部は地域社会に還元されねばならないとの考えを持っている。「小売業は地域社会によって支えられています。ですから、利益の一部を使って地域社会に貢献しなくてはなりません」。

1989年、イオングループの中核であるJUSCOは20周年を迎えた。この年はベルリンの壁崩壊の年であり、世界が大激動に見舞われた年であった。岡田氏は、企業としての責任を果たすため、南北問題が21世紀の重要課題になるという時代認識に基づいて新しい方向性を追求し始めた。そこから、「環境」というキーワードにたどり着いた、と神尾事務局長は語る。

こうした考えに導かれて、岡田氏は、「イオン1%クラブ」を立ち上げる。米国のミネアポリス訪問でみた「5%クラブ」に触発されてのことだった。「イオン1%クラブ」は、会社の業績に関係なく、グループ各企業が税引き前利益の1%を社会貢献に拠出するというものだ。

イオングループの熱心な参加と支援により、「1%クラブ」は、環境保護、国際的な文化・個人交流、地域社会・文化の復興、種々の支援・社会貢献を活動の中心にしている。

岡田氏は、クラブの創立1年後、イオン環境財団を立ち上げ、自ら保有する株式を寄付することを決めた。2010年時点で、財団は2112万8000株を所有し、一株あたり20円の配当を得ている。つまり、今年の収入は約4億2000万円であり、「イオン1%クラブ」はこれに1億円を寄付している。財団の神尾事務局長は、「イオングループが配当を出し続けるかぎり、わが財団は活動を維持・拡大できるということになります」と話す。

「岡田氏はかつて1%クラブと当財団両方の理事長を務めておりましたが、2008年以降は財団の理事長のみを務めております」と神尾氏は言う。これによって、両組織の透明性と独立性は増すことになった。

1%クラブが創設20周年となった2009年、「イオン環境塾」という新しい試みが始まった。この活動を通じて、イオンは地域住民が環境問題を学び討議する場を提供している。

同時に、「1%クラブ」の原田昭彦委員長がウェブサイトでのメッセージで述べるように、「学校建設支援基金」を通じてアジア諸国の学校設立を支援し、「小さな大使プログラム」をつうじて日本と海外の若者の相互理解と友好を深め、「イオンチアーズクラブ」と「ドイツに学ぶエコライフツアー」を通じて環境教育を行い子どもたちの健全な育成を図っている。

イオンエコツアーは、子どもたちが環境問題を考えるきっかけを提供し、環境への意識を高く持った新しい世代を育成することを目的としている。子どもたちは、学校や国立公園、家庭などの場所をドイツで訪問する。こうした子どもたちを「1%クラブ」では「環境に関する世界的リーダー」を呼んでいる。プログラムが2003年に始まって以来、316人の小中学生が参加してきた。

イオングループは、小売業からの利益にばかり目を向けるのではなく、環境を保護し、自らのサービスの質を高め、個人情報を保護する積極的な努力を継続して行う方針を確立している。同グループは、「企業の社会的責任」報告書を2005年2月20日に終わる会計年度から公表を開始し、それ以来、定期的に報告書を出すと同時に、様々な責任にコミットすることを再確認している。

毎月11日は「イオンの日」と決まっている。この日に買い物をした顧客は黄色のレシートをもらい、そのレシートを、様々なNGOやNPOの名前が書かれた箱に投函する。こうすることで、顧客は、ほんの小さなことで、自分の選択した活動の支援をすることができる。半年毎にレシート金額が合計されて、当該団体はその額の1%相当のものを、イオンから支援されることになる。

「このプログラムを通じた地域の市民団体に対する私たちの支援総額は10億円になる」と神尾氏は言う。このアイディアは元々、韓国のスーパーマーケット「E-マート」から来たものだ。イオンの販売担当がこの企画のことを知り、イオングループに持ち込んだという。

「この『企業の社会的責任』のすばらしい点は、お客様の思いを事業の中に取り込むことができるという点にあります。私の知る限り、こうした事業を日本で行っているのは、わがイオングループだけでしょう」と神尾氏は語る。

イオングループがながらく実行してきている「企業の社会的責任」活動は、植樹祭である。新しいショッピングセンターが建設される際には、地域住民が招待されて、イオンの従業員と共に一人当たり苗木10本を植える。

この試みは、マレーシアのマラッカにショッピングセンターが建設された1991年に始まった。日本では、岡田氏の出身地である三重県にショッピングセンターが建設された1992年に始まっている。埼玉県に日本最大のショッピングモール「イオンレイクタウン」(面積26万1633平方メートル)が作られたときにも同じように植樹がなされた。1991年以来、イオングループは923万本の苗木を植えてきた。
 
 神尾事務局長は、植樹活動の重要性を強調して、こう語る。「イオングループが全国で出店させていただく中で、岡田理事長はしばしば日本全国津々浦々を回らせていただきます。12~3年前と比べますと、日本海沿いの風景はずいぶんと変わりました。冬には、海岸道路沿いの木々は日本海からの風に逆らって強く立っていたのですが、徐々に立ち枯れになり、いまやその多くが死んでしまっています。これをみて、岡田理事長は、大気中の二酸化硫黄が問題だと考え、それを世に問うていこうとされたのです。しかし、当時は誰も見向きもしませんでした。人々は汚染は中国から海を越えてやってくると考えていました。もしそれが事実なら、解決は日中協力を通じてのみなされるということになります。そこでイオン環境財団では、1993年、95年、97年と、当時の東大総長加藤一郎氏を議長として、『日中環境問題国際シンポジウム』を開催したのです」。

中国環境研究所との協力を通じて、多くの学者がシンポジウムに参加し、環境問題に関する多彩な議論が展開する基礎を築いた。当時の環境庁長官も参加している。

イオン環境財団は、このシンポを受けて、万里の長城周辺での植樹を提案した。植樹を通じて、いまや世界中に広まった環境問題への関心を広げるきっかけを作ったのである。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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|輸送と環境|紙と鉛筆があればできるエコ・プロジェクト

|輸送と環境|紙と鉛筆があればできるエコ・プロジェクト(遠藤啓二)

【バンコクIDN=浅霧勝浩】

アジア・太平洋地域は、すでに世界最大の自動車保有数を誇っている。現在の流れが続けば、そのうちに欧州と北米の合計台数を上回るようになるだろう。

日本だけでも、1966年の812万台から2009年には7800万台にまで急増している。内訳は、自家用車54%、軽自動車34%、トラック8%である。残りはバイクとバスだ。

同時に、運送会社の数も伸びている。東京都トラック協会(東ト協)の遠藤啓二環境部長によれば、「現在日本には約6万の運送会社があり、1990年代からは50%増えた」という。遠藤氏の発言は、アジア22カ国の政府関係者と交通専門家が集まって8月23日から25日までバンコクで開催された「環境面から持続可能な交通政策に関する第5回地域フォーラム」でなされたものである。

Keiji Endo/ Photo by Katsuhiro Asagiri
Keiji Endo/ Photo by Katsuhiro Asagiri

 フォーラムは、国連地域開発センター(UNCRD)、タイの天然資源環境省、日本の環境省国連アジア経済社会委員会が開催した。

遠藤氏によれば、日本の運送会社の99%は100台以下のトラックしか保有しておらず、全体の76%は20台以下しか保有しない零細企業であるという。

窒素酸化物と粒子状物質の排出を抑制することを目的とした日本の「自動車NOx・PM法」では、2003年以降、製造後9年を越した大型トラックと、8年を越した小型トラックは(それまでの総走行距離に関わらず)走行してはいけないことになった。中小運送会社が使う車両からの排出物を抑制すること目的とした厳しい法律の内容の一部である。

東京都では、この厳しい規制によって、製造後7年以上の車両はディーゼル粒子状物質フィルターを装着するか、新車両を購入するかしかなくなった。規制に違反すれば罰則が待っている。

この法律施行後、東京都のすべての観測地点において、2005年以降の大気汚染レベルが下がったという。大気は以前よりきれいになり、空は青くなった。

しかし、中小運送会社は大きな代償を払うことになった。値段の高いフィルターを付けるか、新しいトラックを買うか。結果として、東ト協の会員企業は20%も減少した。また、トラックの数も2003年以来20%以上減少した。

改正省エネ法が環境を守るためのもうひとつの道具である。同法は、運送会社にCO2排出に関する定期的報告を義務づけている。「しかし、零細企業はそんなデータを集めたり解析したりすることなどできません。運送会社の99%は中小企業なのですから。」と遠藤氏は語った。

エコドライブ

そこで東ト協は新しいプロジェクトを立ち上げることにした。名づけて「エコドライブ」である。運送会社にとっての「CSR:企業の社会的責任」を果たす中心的なプロジェクトだ。

ある調査によれば、エコドライブ開始後、窒素酸化物の排出が15%、CO2の排出が20%削減されたという。

Green Eco Project/ TTA

グリーン・エコプロジェクトには4つの側面がある。持続可能性、コスト削減、収集データの正確性、そして何よりも、ドライバーのやる気を持続する活動であるということである。

しかし、実際に使われているツールは、インターネットで手に入るようなものではない。たとえば以下のようなことだ。

・ポスターやステッカーで相互のやる気を高める
・チェックリストにデータを手で記入(この方が経済的にも優れたデータ収集の方法)
・こうすることで、省エネと交通事故減少が目に見えてわかるようになる
・エコドライブ教育
・優良ドライバーの表彰
・上司も同等の立場でプロジェクトに参加
・収集データのプロによる解析
・マネージャーは年7回の研修

遠藤氏は、プロジェクトは大いなる成果を挙げたと胸を張った。毎年、参加企業は増加している。今年3月時点で、500以上の企業と1万1000台以上の車両がグリーン・エコプロジェクトに参加している。
 
 加えて、燃料消費もこの4年間で減少した。それは、500台の大型タンクローリーに積載できる量に匹敵する。金額にして8.8億円分だ。
 
この省エネで2万トンのCO2排出削減もできた。交通事故もこの4年間で4割減少している。

「プロジェクトは国民経済の面だけではなく、社会全体に対しても大きな成果をあげている」と遠藤氏はバンコクのフォーラムで語った。次のステップは、各車両タイプごとに省エネデータベースを構築することだ。

「日本では、デジタルタコグラフのように、エコドライブをサポートする多くの先進的な装置があります。」と遠藤氏は言う。

しかし、グリーン・エコプロジェクトは巨額の投資もハイテクも必要としない。必要なのは、「運転管理シート」と呼ばれる1枚の紙と鉛筆だけだ。これだけで、環境を守り、燃料コストを削減し、交通事故を減らし、従業員間での意思疎通の円滑化を図れるのだ。

遠藤氏は、このプロジェクトを日本全国に広げたいと考えている。また、低予算で紙と鉛筆さえあればできることから、東京都での経験に学ぼうという団体が他のアジア諸国で現れるのではないかと期待している。(原文へ

翻訳=INPS Japan


グリーン・エコプロジェクトと持続可能な開発目標(SDGs)

SDGs for All
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*グローバルパスペクティブス (2010.9月号に掲載)

「100万の訴え」で核兵器なき世界を

 【シドニーIDN=ニーナ・バンダリ

核による人類絶滅の脅威の現実味がかつてより増す中、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)オーストラリア支部が、核廃絶の緊急性を主張するため、「100万の訴え」キャンペーンを開始した。 

「『100万の訴え』キャンペーンは核兵器の問題に顔と声を与え、完全軍縮と核廃絶の緊急性を世に問います。人々は核兵器を完全に廃絶したいと願っていますが、そのメッセージを世界の指導者たちに伝える手立てを持ちません。しかし、このキャンペーンなら、それができるのです」と語るのは、ICANオーストラリア本部のキャンペーン責任者ディミティ・ホーキンス氏である。

Jody Williams Credit: Photo by Judy Rand
Jody Williams Credit: Photo by Judy Rand

 日本の小学生と80才の被爆体験者中西巌さんに焦点を当てた45秒の映像を通じて、9つの核兵器国に核廃絶を要求する。この映像は、史上もっとも長いビデオ・チェーン・レターとなって世界を駆け巡り、インターネット上の双方向的なキャンペーンの一里塚となった。 

ICAN豪州がメルボルンの広告代理店「ワイビンTBWA」と共同で始めたこのキャンペーンでは、ユーチューブやフェイスブック、ツイッターといったSNSを用いて、個人の映像と訴えをアップロードし、核軍縮支持の声を人々があげることを可能にした。 

キャンペーンにはノーベル平和賞受賞者のデズモンド・ツツ大司教や地雷廃絶国際キャンペーンのジョディー・ウィリアムズ、元豪州首相のマルコム・フレーザーも加わっており、一瞬にして数十万人の命を奪った広島長崎の原爆投下から65周年を記念して8月6日に始められた。 

広島の原爆祈念式典に歴代の国連事務総長として初めて出席した潘基文氏は、キャンペーン開始に際した希望と平和のメッセージの中で、こう述べた。「私たちはともに、グラウンド・ゼロ(爆心地)から「グローバル・ゼロ」(大量破壊兵器のない世界)を目指す旅を続けています。それは、世界から大量破壊兵器をなくす旅です。それ以外に、世界をより安全にするための分別ある道はありません。私たちは、非常にシンプルな真実を知らねばなりません。つまり、地位と名声は、核兵器を保有する者にではなく、それを拒否する者に伴うのだということを」。 

潘基文氏は、9月24日に国連でハイレベル会合を召集し、包括的核実験禁止条約(CTBT)兵器用核分裂物質生産禁止条約(FMCT)の成立、軍縮教育の推進(被爆証言の翻訳など)を図っていきたい意向だ。 

CTBTはすでに153ヶ国が批准しているが、核開発能力のある9ヶ国、すなわち、米国、中国、エジプト、インドネシア、イラン、イスラエル、北朝鮮、インド、パキスタンが批准を済ませていないために、いまだに発効できずにいる。 

ICAN豪州のティム・ライト理事は、滞在した広島でこう語った。「子どもたちやNGOは、『悲劇をふたたび起こすな』というメッセージを真剣に伝えようとしている。人道主義的な『100万の訴え』キャンペーンの説得力と感動を人々は感じている。こんにち核兵器の脅威を説く者は、核テロの脅威を言う傾向にあるが、私たちが常に強調してきたことは、核兵器は非人道的な兵器であり、誰の手にあってもならないということだ」。 

ティム氏は続けて言う。「潘基文氏が議論の俎上に載せたことのひとつは、事態の緊急性だと思う。彼は広島で、CTBTの2012年までの発効を主張し、2020年までに完全廃棄するという目標をパーフェクトなビジョンだと述べた。これは、核兵器国が言っていることとはぜんぜん違う」。 

1945年に日本の2つの都市に原爆が投下されて以来、何千回もの核実験が世界中で行われてきた。1945年から1998年までの間に7ヶ国(米、露、仏、英、中、印、パキスタン)が核実験を行ったことを認め、北朝鮮は2006年と09年に実験を行った。今年の8月29日は、旧ソ連の主要な核実験場であったカザフスタンのセミパラチンスクが1991年に閉鎖されたのを記念して、初の「国連核実験反対の日」とされた。 

現在、推定で2万2600発の核弾頭が世界中に存在する。ホーキンス氏は「環境全体を破壊し、多くの人々を死に陥れ、さらに多くの人々から家を奪い、飢饉と大規模な気候変動を起こそうとすればそんなにたくさんの核兵器は必要でないことを考えると、この数は驚くべきものだ」と話す。 

核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の第19回世界大会が8月25日から30日にかけてスイスのバーゼルで開催された。ICANは、50以上の参加国に対して、「100万の訴え」キャンペーンをそれぞれの国内問題と結びつけて取り上げるよう要請した。現在は英語と日本語版のみ存在する映像は、オーストラリアの多くの商業的な主要ラジオ・テレビで宣伝されている。 

世界的な草の根運動であるICANは、法的拘束力があり検証可能で時限を切った核兵器禁止条約(NWC)によって、核兵器の開発・実験・製造・使用(またはその威嚇)を禁じることを提案している。 

最近、政治的意思と協力さえあれば軍縮は可能であることを示した意義ある動きがいくつかあった。米国のバラク・オバマ大統領は核兵器廃絶の必要性を力強く語り、4月にロシアのドミトリー・メドベージェフ大統領とともに新しい「戦略兵器削減条約」(START)に署名した。この新条約によって両国の戦略核弾頭の数は3割削減されることになる(両国で世界の核兵器の9割を保有)。 

それに先立つ2008年6月、オーストラリアのケビン・ラッド元首相は、同国の首相として初めて広島を訪れ、その場で、「核不拡散・軍縮に関する国際委員会」(ICNND)の設置を日本政府とともに発表した。ICNND答申は核兵器削減の数と時期を具体的に挙げており、2025年までに「最小化時点」として世界の核兵器を全体で2000発まで減らすことを推奨した。 

しかし、ICANのティム・ライト理事はこう言う。「委員会を作ることと、実際に軍縮を進めるような困難な決定を下すこととは、別の問題だ。労働党政権はそうした重要なステップに踏み出す意思を見せてこなかった。たとえば、核兵器国へのウラン売却をやめるとか、核兵器禁止条約を推進するとか、米国の核の傘を拒否するとかいったことだ」。 

「私たちは問題の一部分でもある。だから、核問題に関しての豪州の『良い子』ぶりは疑ってかかる必要がある。豪州は米国の核兵器に依存することによって核兵器の存在を正当化し、『核兵器は安全のためには必要なものだ』というメッセージを他国に送っている。軍縮にとってはマイナスだ」。 

オーストラリアは軍縮をめぐる議論の中できわめて肝要な位置にいる。というのも、同国はウランの主要な輸出国であり、核不拡散条約(NPT)に署名している核兵器国にもウランを輸出しているからだ。今年4月には、2001年以来国際原子力機関(IAEA)の査察を受けていないロシアへのウラン輸出を政府が認可した。 

シドニーの独立系シンクタンク「ロウィ国際政策研究所」の世論調査によると、豪州国民の84%が同国による核開発に反対しているが、「近隣国が仮に核兵器開発を始めたら」、という条件を加えると、反対が57%、賛成が42%となった。 

ホーキンス氏はこう言う。「核兵器を保有していようと保有していなかろうと、核兵器を廃絶するには世界のすべての国が努力しなくてはならない。ある国の一発の核兵器は、それだけでも十分な存在だ。事故のリスクはつねにあるし、意図的であれ偶発的であれ使用の危険性もある。どこに核兵器があろうと核テロの危険もある。『100万の訴え』キャンペーンに意味があるのはそのためだ。核兵器を永久に眠らせ、その使用から正当性を剥奪せんと65年にわたって努力してきた市民や団体に力を与えるのだから」。 

大きな問題のひとつは、すでに核兵器を保有している国と、保有していない国に、別々のルールが存在するということだ。一定の国、たとえば、国連安全保障理事会の五大国が、自ら核兵器を保有しながら、他国の核兵器取得にはきわめて厳しい姿勢で臨んでいることが非常に目に付く。 

NPTは、条約第6条を通じて核軍縮の必要性を承認させる、法的拘束力のある多国間取り決めとしては唯一のものであるが、NWCは、NPT第6条には書かれていない核兵器ゼロに向けたロードマップをそれに付け加えることで、むしろ第6条の義務を強化することになるだろう。また、表面上は民間の原子力開発であっても、核技術が拡散するリスクはある。 

ホーキンス氏が言うように、「原子力開発に必要な技術は核兵器製造に必要な技術に似ている」のである。 

オーストラリアは伝統的に、主要な国際的軍備管理取り決めの交渉を主導してきた。最近ではクラスター弾禁止条約がある。しかし、ホーキンス氏は、「このところ私は非常に失望している。というのも、今年5月のNPT運用検討会議でNWCの議論があったときに、我が政府はまったくその場にいなかったからだ。本当にやる気がない」と語る。 

「しかし、8月の上院選挙で緑の党が勝って議席バランスが変わったことはよかった。彼らは核兵器問題に取り組んできた歴史的経緯もあるし明確なビジョンも持っている」。 

核廃絶の主唱者たちは、多くの人々が飢え死にし、水がなく、防げるはずの病気が防げない状態にあるときに、核兵器の開発・維持・強化のために巨万の支出をすることはおかしいと考えている。 

「もし核兵器を廃絶できたら、技術や資源、科学的頭脳には余裕が生まれ、真の安全保障問題に対処することができるようになるだろう」とホーキンス氏は語った。米国は2008年には524億ドルを核兵器維持のために使ったが、その一方で3700万人以上の米国民が貧困にあえぎ、約5000万人が無保険状態にある。 

核兵器の完全廃絶は人類の生存のための唯一の希望である。「100万の訴え」キャンペーンは、各国政府に行動を促すことで、世界をより安全な場所に変え、より確実な将来をもたらすひとつのステップだ。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩 

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仏教指導者、核兵器禁止条約の早期実現を訴える(池田大作SGI会長インタビュー)

沖縄を取材(世界に響く平和への想い)

Filmed by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of IPS Japan.
Filmed by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of IPS Japan.

IPS Japanの浅霧勝浩マルチメディアディレクターは、来日中のラメシュ・ジャウラIPS欧州総局長と共に、沖縄戦跡国定公園の「平和の礎」(沖縄戦最後の戦いが行われた摩文仁の地に沖縄戦と終戦50周年を記念して1995年に建てられた記念碑)、「ひめゆり平和祈念資料館」、 旧米国空軍B核ミサイル基地(現在は創価学会沖縄研修道場)を取材した。

IPS Japan

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Photo by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of IPS Japan.
Photo by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of IPS Japan.
Photo by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of IPS Japan.
Photo by Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, President of IPS Japan.

|アフガニスタンー米国|近視眼的な政策から脱するとき

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【ドバイWAM】

「今や歴史に深く刻まれた9・11同時多発テロ記念日は、未だ達成されていない諸目標を思い出させる機会となっている。米国の政策責任者たちが、その後の大規模なテロ攻撃を防止し、アルカイダを敗走に追い込んでいると表明する一方で、テロとの戦いに伴うコストは想像を超える規模となっている。」とアラブ首長国連邦(UAE)の日刊紙が9月11日付けの論説の中で報じた。

「その一例が引き続くアフガン戦争における悲惨な現状である。アフガン駐留軍のデイビッド・H・ペトレイアス司令官は、連合軍(45カ国で構成)の努力は成果を生みつつある、と最近述べているが、アフガン情勢の行方は依然として不透明なままである。」とカリージ・タイムズ紙は報じた。

 「皮肉なことに、9・11記念日の2日前にタリバン指導者のムラ―・オマール師による声明が流された。同氏が声明を発するのは稀なことである。ダリ語、パシュトゥーン語、ウルドゥ語、英語の4ヶ国語で電子メールで配信された同声明は、ラマダン開けを告げる体裁を踏んだものだが、その内容はアフガン人に対するというよりはより広い大衆に対して向けられたものであった。オマール師はその中で、連合軍による軍事作戦は完全に失敗したと断じ、諸外国勢力のアフガンからの撤退を強く訴えた。」

「オマール師は『不信心が外国人侵略者』を嘲笑して、『彼ら自身が現在の戦略的失敗を認めている』と語り、バラク・オバマ大統領に対して無条件かつ早期の撤退を強く訴えた。来年7月に開始予定のアフガン撤退計画については、米国の政策責任者の間でも賛否両論の論争を引き起こしている。たとえアフガンへの兵力増強をはかったとしても、戦争全体の行方がどうなるかはここ数ヶ月の動向が鍵となるだろう。

「アフガンへの兵力を増強しても問題解決にはならないだろう。連合軍兵士による民間人殺害に対するアフガン人の怒りは高まってきており、ムラー師は最近の声明の中で巧みにこの点を強調している。ムラー師はタリバン兵に対してタリバンの規律に従い民間人に危害を加えることを避けるよう命令した。これは明らかに民間人の支持を獲得することを意図したものである。」と同紙は報じた。 

「オマール師が外国軍撤退後のアフガニスタンの政治状況について言及したことも重要なポイントである。このことは、アフガン政府に加わったかつてのムジャヘディン諸勢力(タリバンと共にソ連軍と戦ったイスラム諸勢力)に対して、長期的な観点からより可能性のある同盟関係を改めて考え直すよう間接的なメッセージを送ったのではないかとの憶測が広がっている。」

「反乱軍がたとえ敗走していないとしても、連合軍によって圧迫されているのが現状である。しかし反乱軍に有利な点があるとすれば、外国勢力に対して祖国解放のために戦いを挑んでいるとする大義名分がある。このことは外国諸勢力が無期限に駐留し続けることができない現実とともに反乱軍に有利な要素となっている。それにもかかわらずアフガニスタンには困難な時代がこの先も続くものと思われる。それはオマール師がアルカイダとの関係を絶つことを頑なに拒否していることが、タリバンとの協定を妨げる唯一の障害となっているからである。」 

「また、米国政府がアフガン政策のドクトリンを見直し、事実上前向きな動きを不可能にしている政権内部の対立を少なくとも解消することが重要であろう。また、現在のカルザイ政権の腐敗と統治能力の低さがアフガン人を阻害している現実も忘れてはならない。」と、カリージ・タイムズ紙は結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

アラブ諸国と核の地獄への競争

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【イスタンブールIDN=ファリード・マハディ】

国連の潘基文事務総長は楽観的である。あるいは、努めてそのようにしてきた。ニューヨークで核兵器廃絶に関する閣僚級会合を9月に開くと8月3日に発表する2週間ほど前、潘事務総長は「核不拡散に関わる交渉では進展の兆しがみられる」と語った。しかし、アラブ地域と米国での状況をみれば、まったく別の結論が導き出されてくる。

 実際、中東で起こっていることは、地域での原子力競争だ。世界でもっとも紛争に満ち、世界で唯一非核兵器地帯を持たないこの地域で、それが起こっているのである。ラテンアメリカ・カリブ海地域やアフリカは非核地帯であるし、中央アジア諸国や東南アジア諸国にもやはり非核地帯条約がある。 

したがって中東は、少なくとも表面上は核兵器の廃絶に向かって世界が動いている中で、例外的な地位を占めている。 

中東では平和目的のための正当な原子力利用を表明した国がすでに10カ国あり、これにヨルダンとスーダンが最近加わった。その10カ国とは、アルジェリア、エジプト、イラク、モロッコ、クウェート、カタール、サウジアラビア、シリア、チュニジア、アラブ首長国連邦である。 

これら12カ国で、アラブ連盟22カ国の半分を超えている。ただし、連盟中少なくとも5カ国(ソマリア、イエメン、コモロ諸島、ジブチ、モーリタニア)には原子力開発能力がほぼないことを考えると、開発意思を持つ国の割合はぐっと高まる(3分の2以上)。 

危険なレース 

イランの核計画に対する西側の議論が妥当だとするならば、中東諸国がこのような核のレースに踏み出すことはきわめて危険だと言えるだろう。なぜらなら、イラン政府が民生用の原子力開発を追求しているという事実だけで明白な危険を意味し、国の武装化が進み、核兵器を製造するようになる、というのであるから。 

こうした欧米諸国の意見を敷衍させていけば、アラブ諸国が原子力開発を始めれば、そのうち核兵器開発に進む、という理論になる。 

しかし、ここで3つの疑問がある。 

・なぜアラブ諸国が核開発をしなくてはならないのか? 

・なぜ、欧州や米国、そのアジアの同盟国が、アラブ諸国をそうした核のレースに追いやっているのか? 

・イランの原子力開発を口実としてアラブ諸国は核レースを始め、西側諸国はそれを支援しているのか? 

アラブの言い分 

アラブ諸国は、原子力開発を進めることについて少なくとも四つの主張(あるいは正当化)ができるだろう。 
 
まず、中東唯一の核兵器国であるイスラエルが200発以上の核弾頭(インドあるいはパキスタンの3倍)を保有しており、核不拡散条約(NPT)に加わるべきだとの国際圧力を無視し続けている。 

実際、イスラエルは、核事業を国際監視下に置くという要求をすべて撥ねつけている。核施設を国際原子力機関(IAEA)の義務的査察下に置くこともないし、国際的な軍縮協議の場に加わることもないし、中東を非核地帯にするための動きにも関与してこない。 

二つ目の議論は、アラブ諸国は、イランが核兵器国になろうとしているとの言いがかりで中東を痛めつけてやろうという米欧からの国際圧力に始終さらされているというものだ。 

第三に、中東が依然として非核兵器地帯となっていないことだ。中東を核兵器を含めた大量破壊兵器を禁ずる地帯にせよとの要求は、ことごとく無視されてきた。 

第四に、西側の核能力保有国は、「原子力支援」をアラブ諸国に対して系統的に行ってきた。フランスが中心であり、米英がこれに続いている。 

彼らはたんに商業的利益を優先しているだけであり、世界を核の恐怖から救うという善行のパワーゲームを演じているに過ぎない。こうした西側の姿勢を見て、ロシアもまた、政治・経済両面の理由からこのレースに加わるようになってきた。 

すでに原子力開発に踏み出した国 

結果として、アラブ首長国連邦が、サウジアラビア、クウェート、カタールといった他の湾岸諸国に加わって、原子力開発への道を歩み始めた。 

同時に、ウラン資源の豊かなヨルダンは、フランスの巨大企業「アレバ」や日本の三菱とともに、初の原子炉建設のための技術取得を目指して交渉を進めている。 

さらに、ヨルダン政府は、韓国と協力して初の研究炉を設置すると今年7月に発表した。 

ヨルダンの原子力計画は、米欧の政策に対する最初の「反乱」の兆しである。欧米諸国ははヨルダンのウラン濃縮計画に待ったをかけようとしているが、ヨルダンはその意向に従うことに難色を示している。 

また、フランスはカタール・モロッコの原子力計画への支援を約束し、エジプトは原子炉設置に関してロシアと協定を結んだ。 

スーダンもまた、8月22日、原子炉建設を表明してこの核のレースに参加してきた。 

米国の「オプション」 

一方、オバマ大統領が「核兵器なき世界」を実現すると宣言した米国だが、地球上から核兵器の危険を除去するとの意思を本当に見せているわけではない。 

それどころか米国は、核兵器を減らすと一方で言いながら、今後10年間少なくとも3000発の核弾頭を保有し、核兵器を近代化し、いわゆる「スーパー核兵器」の製造を目指すとしている。 

さらに、ヒラリー・クリントン国務長官がある中東歴訪の機会に述べたように、もしアラブ国家が原子力を手に入れたいならば、次の3つのオプションのうちから選ぶべきだと米国は要求している。 

「(イランからの)脅しに屈するか、原子力を含めた自らの能力向上を図るか。それとも、あなた方を支援する用意のある米国のような国と組むか。第三の選択肢がもっとも望ましいとは思いますが」。 

CIAは見ている 

米国の中央情報局(CIA)は大量破壊兵器の拡散に対抗するために拡散防止センターを設置することを決めた。クリントン長官の「オプション」を再確認して米国がアラブ諸国と連携を深める意図を鮮明にしているのか、或いは、たんに中東における地歩を固めたいのかはわからないが。 

CIAのレオン・エドワード・パネッタ長官は、8月18日、新センターでは、「核兵器、化学兵器、生物兵器などの大量破壊兵器の脅威に対抗する」計画を練るために、CIAの分析官と工作員が膝詰めで協力することになると述べた。 

イランというアリバイ 

アラブ地域における原子力レースにはもうひとつの要素がある。それは、欧米諸国が、イランの核計画が彼らにとって、そして世界全体にとっての脅威であるとの見方を広めようとしていることだ。 

イランが民生原子力計画を軍事用の核兵器製造(さらには使用)にまで高める可能性があるという議論は、湾岸諸国だけを狙い撃ちしたものだ。 

それもそうだ。中東は、世界でもっとも豊かな産油地域であり、欧米の「同盟国」も多い。さらに十分な経済力もある。 

強制されてというわけではないが誘われるままに欧米諸国から通常兵器を購入する必要を満たすために、こうした資源が不均衡に使われてきた。いまや、「単純な」軍拡競争を原子力競争に発展させる大きなビジネスチャンスの対象である。 

逆説的なことに、誇大化した愛国主義の発露によってイラン政府がこの原子力競争になした貢献は大きい。 

トルコも原子力競争へ? 

最大の核保有国が火をつけた中東のこの原子力競争の副次的効果のひとつは、トルコが自らの核施設をもつ決意を呼び込んだことであろう。 

トルコ国会は、7月13日、海外沿いの町、メルシン州アックユに初の原子炉を建設するためにロシアとの間で協定を結ぶことを承認した。 

ロシアのメドベージェフ大統領が訪問した5月に結ばれたこの協定によれば、両国は原子炉の建設と稼動の両面において協力することになる。 

ロシアの国営「アトム・ストロイ輸出」が建設を担当するが、費用は200億米ドルと算定されている。建設は今年末にかけて始まり、4基で4800メガワットの出力となる予定だ。 

トルコが二重に果たしている役割、つまり、NATOの主要な加盟国としてのそれと、中東の大国としてのそれを考えると、この原子力計画は大きな意味を持ってくる。 

これらすべての動きが、絶望的な核拡散のシナリオにつながっていく。国連事務総長は、これでもなお、楽観的でいられるというのだろうか? 

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩 

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反核会議の行方を脅かす中東を巡る覇権争い 

|アラブ世界|ISESCO、宗教に対する犯罪の罰則化を訴える

【ラバトWAM】

イスラム教育科学文化機構(ISESCO)は、国際連合に対して、宗教を標的としたあらゆる形の犯罪に対して罰則を適用する国際法を成立させるよう要求した。

ISESCOは、9月9日に発表したコミュニケの中で「フロリダ州の教会「ダブ・ワールド・アウトリーチ・センター」(テリー・ジョーンズ牧師)が9月11日に予定していたコーラン焼却集会は、キリスト教各派の教会、キリスト教、ユダヤ教の聖職者、欧州委員会、米国政府、教皇庁諸宗教対話評議会から非難され、世界中でイスラム教徒による抗議運動を引き起こす引き金となった。」と指摘し、すべての宗教を中傷するあらゆる行為を非合法化する行動を直ちにおこすよう訴えた。

 また同機構は、「イスラム教やイスラムの聖地に対する差別的な攻撃がこのように法的な抑止力が不在な中で継続されている現状は人類にとっての汚点である。」と主張した。同コニュニケは、ダブ・ワールド・アウトリーチ・センターの計画を厳しく糾弾するとともに、全てのイスラム教徒コミュニティーに対して、このような挑発的かつ敵意に満ちた態度に接してもイスラム教の高尚な価値観を遵守した行動をとるよう訴えた。

そしてその具体的な方策として、イスラム教徒中心的な価値観を広く知らしめ、イスラム教に対する歪められたイメージや誤解を解く努力をしていくことを推奨した。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

|輸送と環境|持続可能な交通政策を目指すアジア

【バンコクIDN=浅霧勝浩】

アジア太平洋地域の都市人口は今後20年で毎日15万人ずつ拡大し、現在の16億人が2030年には27億人にまで拡大するであろう。これは、人口移動のパターンや自家用車の利用にも影響を与える。

アジア太平洋地域は、他の地域と比べて、世界で自動車がもっとも多いところである。結果として、交通部門は地球温室効果ガスの発生源としてはもっとも高い成長をみせている。世界全体の温室効果ガスの13%、エネルギー関連CO2排出の23%をこの部門が占めている。

名古屋にある国連地域開発センター(UNCRD)によれば、これによって、人間の健康や都市環境の質、経済生産性、社会的公正、その他の持続可能性に関するあらゆる側面が悪影響を受けるという。

 このことを前提として、「環境面から持続可能な交通(EST)アジアイニシアチブ」がUNCRDと日本の環境省の合同で始められた。ESTの本質的な要素に対する共通の理解をつくること、温室効果ガスの削減など、複数部門にわたる環境・交通問題に地域・国家両レベルで対処するため統合的なアプローチが必要との理解を広めることを目的としている。

現在の参加国は、ASEAN加盟国、アフガニスタン、バングラデシュ、ブータン、中国、インド、日本、モルジブ、モンゴル、ネパール、パキスタン、韓国、スリランカである。

このイニシアチブの下で、2005年に愛知県で「第1回地域ESTフォーラム」が開かれた。この会議で出された「愛知声明」は、12のテーマ領域を基礎として、持続可能な交通に関する目標の包括的リストを提示している。

声明は、目標達成に向けた進展を参加国が定期的に報告する基礎を築いた。その後、アジアの44都市が「環境面から持続可能な交通の促進に関する京都宣言」に署名し、愛知声明で打ち出された目標を承認している。

2009年、ESTアジアイニシアチブは、「環境面から持続可能な交通を低炭素社会とアジアでの緑の成長のために促進するソウル声明」を作成した。この声明はとくに、持続可能な環境と気候変動に対処するために共通の利益をもたらすウィン-ウィン解決に向けた、地域の努力の必要に焦点をあてている。

「持続可能な環境の新しい10年」をテーマとして8月23日から25日まで開かれた「第5回地域ESTフォーラム」では、交通部門に関するさまざまな問題を討議し、とりわけ途上国と移行期経済にある国家を念頭において、さまざまな持続可能な政策オプションに関する参加国間の共通理解を醸成していく戦略的な基盤を構築することを目指した。

タイのバンコクで開かれたこのフォーラムは、タイの天然資源環境省との協力でUNCRDが主催した。日本の環境省や国連アジア太平洋経済社会委員会など多くの国際組織、ドナー組織からの支援も得ている。

フォーラムは幅広い関連問題を取り上げ、アジアからの参加者は、パートナーシップの構築や資金調達メカニズム、都市・地方部の鉄道設置、バス高速輸送、省エネ、持続可能な貨物輸送など、「持続可能な交通」という枠組みの下で多くの経験交流を行った。

交通と持続可能な開発の問題が2011年の「持続可能開発委員会」第19回会議(CSD19)で検討されることもあり、「第5回地域ESTフォーラム」はCSD19に対する地域からのインプットを行う役割を期待された。

その主要成果は、法的には拘束力のない「2020バンコク宣言:2010-20年の持続可能な交通に向けた目標」である。2020年に向けて、持続可能な交通に関する数値目標を打ち出している。バンコク宣言で出された自発的目標は、CSD19への貢献として提示される。

エネルギー
 
 
交通部門はアジアのめざましい経済成長に貢献する重要ファクターであるが、アジアにおける第3位のエネルギー消費部門でもある。そのエネルギー消費は、他の経済部門、他の地域よりも伸びが高く、モータリゼーションの急速な進展と、経済開発による旺盛な交通需要がそれを加速している。

UNCRDによれば、これはアジア太平洋地域におけるエネルギー安全保障に悪影響を与えるだけではなく、大気汚染、世界的な温室効果ガスの排出、交通渋滞、交通事故による死傷、貨物輸送の非効率化、都市への急激な人口移動、経済生産性の喪失などの点でもよくない影響がある。

持続可能な開発に関する世界サミット(WSSD、2002年)で採択された「ヨハネスブルク実施計画」は、各国政府や関連主体に対して、持続可能な開発に向けた交通政策の実施を呼びかけた。

この戦略は、交通の安価性・効率性・利便性だけではなく、都市の大気の質と健康を改善することを目指し、環境面から見てより健全で安価、社会的に受け入れ可能な車両技術を発展させるなど、温暖効果ガスの削減を図ることを目標としている。

のみならず、持続可能でエネルギー効率がよいマルチモード型交通システム(大量公共輸送システムなど)の開発への投資を促進し、パートナーシップを育てることも目指している。

ヨハネスブルク実施計画でなされた約束に沿って、適切な政策的枠組み、組織・政府上の構造、パートナーシップと資金調達メカニズムを作ることが、効率的で安全、CO2をあまり排出しない交通システム・サービスを作るために肝要だとUNCRDは考えている。

「統合的な交通政策を広範に作っていく必要がある。でないと、アジアの交通を積極的に変えていく機会はしばらく失われることになるかもしれない」とUNCRDは警告する。

統合的な交通戦略とは、持続可能なモードへのインセンティブを高めること、自家用車の保有を抑えていくことなどを含む。

持続可能な交通のすべての側面は、互いに補完しあうような形で作られねばならない。都市・農村の両方で自動車に依存しない公共交通システムを作ること、複数モードの貨物輸送インフラ、資金面からみて実行可能な運用・維持に関するビジネスモデル、住民の行動パターンに影響を与える広報と宣伝、省エネと温暖効果ガス抑制を達成するためのクリーン技術といったものが、その要素になるだろう。

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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|輸送と環境|「危険を克服し、更なる安全輸送を目指す」

世界中の人々のための音楽(民音音楽協会)

【東京IDN=浅霧勝浩】

そのレパートリーの奥行きの深さと次元の広がりは、美しい音楽と華麗な演技が荘厳なる融合をとげたオペラを始め、壮観で躍動的な創作をなすバレエ、魔法のような指揮捌きから紡ぎだされる、感動的なクラシック音楽の調べ、人々の心に歓喜と幸福の息吹を吹き込む、ミュージカル、ジャズ、民族音楽、舞踊、等、他に匹敵するものが無いと言うよりは、途方もなく素晴らしいものであると言える。

Min-on
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 この全てが「民衆音楽」即ち「人々のための音楽」である。民主音楽協会(民音)は、「音楽が人の誇りを呼び覚ます」との理念の下に、まさにこの「民衆音楽」をもって、人々の生命(いのち)を豊かにし、国籍、人種、世代の壁を乗り越えて、人々の視野を広げてゆく事を使命として、活動を推進している。 

民音の社会的使命の基盤となる音楽文化の役割について、著名な仏教指導者であり、作家、哲学者でもある、民音創立者の池田大作博士は次のように述べている。「優れた音楽には、直接、人間の心に語りかける不思議な魅力があります。この魂と魂の共鳴には、時代を超え、距離を越え、民族を越え、人々の心と心を結びゆく力があるのです。そうした文化の交流こそ、人々が互いの偏見や過去の憎悪を乗り越え、平和な社会を創出する上で、重要な役割を果たせると確信しています。」 

民音のもう一つの使命は、世界中の良質で最上な音楽と舞台芸術を、庶民の手に届く値段で、全ての人々に対して提供することである。 
 おそらく民音は、現在世界における舞台芸術のプロモーターとしては、最大規模の民間・非営利団体であり、日本全国に、毎年500円(約5USドル) の会費を支払う120万人の「賛助会員」を擁して支えられている。一般的に公的資金給付や企業献金によって支えられている、国内外の多くの財団法人とは異なり、民音は賛助会員の会費を基金として運営されている。 

民音はまた、東京国際音楽コンクールを主催すると共に、全国の小中学校及び高等学校を対象に無料コンサートなども開催している。 

東京の行政・経済の心臓部である新宿区の中心に建つ民音文化センターには、民音音楽博物館が併設されており、図書館には12万枚以上のLPやCD、4万5千点を越える楽譜や音楽資料、約3万冊の音楽関連の書籍等を所蔵している。また、音楽博物館には世界中から収集された古典ピアノを始め、アンティークの各種オルゴールや民族楽器等が展示されている。 

民音は1963年の創設以来、世界平和を求める人々の心に具体的な形をもって応えられるように、人と人とを結ぶ架け橋を築く舞台芸術貢進の新たな機会を創り続けてきた。1965年には独立した財団法人として認可を受け、以来、日本最大級の民間文化交流機関の一つといえる程に成長を遂げている。 

「私達は、世界的な新たなるルネッサンス運動と言えるような、世界中の音楽文化の復興を願い、仕事をさせて頂いていています。そのためにも、明日を担う創造力に満ちた世代の、芸術を志向する心を触発する事を目的とした、音楽プログラムを提供できるよう心がけています。」と、民音の代表理事を務める小林啓泰氏は語る。 

こうした活動を目にしてきた人達は、民音は「東京のMETである」と表現する。「MET」とは、即ち、世界中で知られているニューヨーク市のメトロポリタン・オペラ・アソシエーションのことであり、アメリカで最大のクラシック音楽の団体として、年間220回のオペラ公演を主催している。 

しかし実際には、民音が「MET」を大きく凌ぐことは否めない事実である。 

103カ国 

民音は40年以上に渡って、102カ国・地域と共に、音楽、舞踊、舞台芸術の文化交流行事をもって、世界中に友情の輪を広げてきた、と小林氏は語る。本年秋には民音が招聘する、カメルーン国立舞踊団の公演をもって、103カ国・地域との文化交流を果たす事になる。 

民音はまた、世界各国において、日本の著名な音楽や舞台芸術のグループの公演を企画して、日本文化を海外に紹介する大きな役割を果たしてきた。こうした海外公演は、JMF(フランス青年音楽協会)やICCR(インド文化交流評議会)等の各国団体と協力関係を結びながら、海外における日本文化に対する理解を育み、相互交流を果たす目的をもって行われてきた。 

民音が、1979年に開始した「シルクロード音楽の旅」と題する公演シリーズは、10回に渡り、イラク、インド、中国、旧ソビエト連邦、モンゴル、トルコ、エジプト、シリアといった国々のアーティストを招聘して開催された。2007年に一旦シリーズを終了したが、その後2009年には、同シリーズが再開され、エジプト、ギリシャ、ウズベキスタンの芸術家による合同公演が行われている。日本においては、一般的に民族音楽・民族舞踊等に対する関心は薄く、総人口の1パーセント以下の人々しか興味を示さないという現状の中で、こうした公演を開催する事は、真に大志を抱いた試みであったと言えよう。 

民音はまた1981年に、ヨーロッパからミラノ・スカラ座の全キャストを日本に招聘して、日本で初の試みとなる世界第一級の正真正銘のオペラ公演を実現した。また、1999年には、ケニア、ナイジェリア、南アフリカ等のアフリカ諸国から音楽家・舞踊家を招聘して、エチオピアの舞踊団の25回公演ツアーをもって、「アフリカ音楽紀行」と題するシリーズが開始された。その後もこのシリーズは継続されて、2001年にはザンビアからのグループ、そして、2003年にはモロッコからのグループの公演が行われている。 

民主音楽協会は、日本における世界の民族音楽のレコード制作の第一人者としても知られており、世界からアーティストが日本公演に訪れる際に、録音スタジオにおいてレコーディングを行っている。 

また、世界中の若き指揮者の登竜門となる音楽コンクールを開催し、過去30年以上に渡り、海外から招聘したアーティストによる無料の学校コンサートを行って、120万人を越える日本の子供達がその恩恵をこうむってきた。 

民音音楽図書館は、日本国内では最大級の所蔵を有して、一般市民に開放されている。 

1991年に民音が主催して開始された東京国際振付コンクールは、この種のものとしては世界でも指折りの存在であり、世界中から十数名の振付師と舞踊団の参加をもって開催され、将来活躍が期待される若い芸術家のための貴重な舞台を提供している。 

前代未聞の存在 

「日本において、民音のような大変に幅広く各種の音楽を網羅した活動を展開している団体は、他に類を見ない。」と、音楽評論家であり日本作曲家協会会長を務める石田一志氏は語り、「実際には、全世界を見渡しても同等の団体は存在しないのではないか」と言葉を継いだ。 

民音の小林啓泰代表理事はIDNのインタービューに対して「私共は、現在まで102カ国・地域からアーティストを招聘してまいりましたが、一般的な多くの日本人にとっては、それらの国々の中でも、レバノンやヨルダンなど、世界地図の上で何処にあるかを指し示せない国が、少なくとも50カ国くらいはあると思います。」と、語った。 

そして、「中東のある国から芸術家を招聘した際、チケット販売を委託している業者から、苦情が寄せられたことがありました。彼らは、『その国について知っている人はあまりいないし、知っていたとしても内戦が起こっている国であると言う事だけで、そのような国に音楽文化と言えるものがあるとは思えないというのが普通です』と言って、『民音は、そんな国から招聘した芸術・文化の公演を見るために、チケットを購入する人がいると思っているのですか』と、疑問を投げかけられたこともありました。」と、実例を紹介してくれた。 

民音に勤めた過去34年間の経験をふり返って、小林氏は多くの実例をあげながら、「民音では通常約二時間の公演を行っていますが、少々疑問視されるようなアーティストのグループであっても、2時間の公演を見てくださるうちに、お客様の心の中に何かが変化してゆくのを、今まで何度も実際に見てきました。」「実際に、公演終了後にお客様に書き込んでいただいているアンケートの中には、『今日、私は人生で初めて、この国にもこんなに素晴らしい芸術文化があるという事を、学ばせてもらいました。』とか、『いつかこの国に行ってみたいという気持ちになりました。』との声を寄せて下さっています。」と語ってくれた。 

また、音楽博物館の館長代行を勤める上妻重之氏は、「私共は、イラン・イラク戦争の最中に、中東の国々からアーティストのグループを招いて公演を行った事がありました。」と、過去の思い出を語りながら、民音の公演が、お互いに紛争状態にある国々から招いた芸術家の間にも、より良い相互理解を生む手助けとなってきた事実を紹介してくれた。 

「その時、各国のアーティスト達は、各政府機関の間の取り決めをもって来日していた事から、初対面の時はお互いにあまり友好的ではありませんでした。しかし、日本各地を旅して、公演を繰り返して共に過ごす時間が長くなるに連れて、お互いの心の中で少しずつ何かが変ってゆくのが見えて、とても嬉しく思いました。公演旅行の終盤には、同じ舞台に立って演技する彼等の間に、国家間の敵意や憎悪を乗り越えて、お互いに尊敬しあう友情の絆が、ありありと見て取れました。」と、しみじみと語ってくれた。 

また、上妻氏は、中米四カ国からアーティストを招いた際、地理的に隣接する国々でありながら、互いの国を訪れたことが無いという事を知り、大変に驚いたと言う。遠い日本まで来て初めてお互いに出合う機会を得て、お互いに芸術家として尊敬しあい、友情を育むことが出来たことについてふれて「この機会が、其々の国に帰った後も継続される、相互交流と友情の始まりになった事は明らかです。」と語った。 

民音は紛争に苦しむ国々からもアーティストを招聘してきた。「そうした国々からのアーティストの公演には、日本の一般的な市民、特に青少年にとって、大変に素晴らしい側面あり、公演を見た学生達から、民音に対して『何をしたら、あのような国々の人達を支援できるか、是非教えてください』といった手紙が寄せられることがあります。」と、小林代表理事は語る。 

子供達は、学校に来て演奏してくれる音楽家達を通して、そうした紛争に苦しむ国がある事を学び、その国や其処に住む人達についてもっと知りたいとの思いを募らせる。子供達の心に、その芸術家達の音楽に対する敬意が芽生え、テレビでその国の紛争の悲惨な状況を見れば、その芸術家達に対して、個人的な友情や同情さえ感じるようになるのである。 

痛みを共有する 

もう一つの実例として、エチオピアの国立舞踊団のメンバーが、愛媛県の学校の生徒達と会って交流した後に、一人の女子高校生が書いたものを紹介してくれた。「今日まで私は、エチオピアについて殆んど何も知らないという程、本当に無知であった事を白状します。でも今日からは、この国で何が起こっているかを、もっと身近に見ていこうと思い、ニュース等をしっかりと追ってゆく事にしました。いいニュースであれば、あの人達のためにも幸せに感じるでしょう。でもそれが、飢饉とか戦争とかで、あの人達が苦しむような悪いニュースだったら、あの人達の痛みが私自身の痛みに感じられると思います。」 

小林氏は、民音の試みが観客の心の中に、他者に対する関心の思いを喚起している事実を誇りに思っている、と語ってくれた。 

民音が公演の度に配るアンケートに対する回答を見れば、日本の観客は一般的に、外来の文化に触れる事により、感銘を受け感動している事が明らかである。また、開発途上国から来たアーティスト達にとっても、いつものように他よりも劣る立場にいる人々として見られるのではなく、豊かな美しい彼等の文化を演じ示してゆける事が、彼等にとって誇りの源泉となっている事は明らかである。 

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「このような文化交流は、相互に尊敬し感謝しあう心を基盤にした、大変に貴重なものであると言えます。」と、民音広報宣伝部の山口幸雄氏は語る。そして、「文化交流は、どの様な国であれ他国より優れた文化や他国より劣った文化などありえない、という大変に重要な認識を生むことになります。また、文化交流には、他の国々の人々や、彼等の文化に対して、偏見や偏狭な思いを持つ事を諫止する働きがあります。」とも語った。 

民音は今後も、その活動の範囲を更に拡げ続けてゆく事を志向しながら、現代の世界において重要な役割を果たしてゆく事を確信している。「文化交流は、漸進的で、賛美されることの無い、遠回りに思えるような活動ですが、実は、相互理解と平和に向かう最も確実な道であります。」と、小林氏は結論して、「なぜなら、今までこの道を進んで来て、私達自身が成し遂げた事を実際にこの目で見て来たからです。そして、私達はこれからも弛むことなくこの仕事に精一杯取り組んでまいります。」と語ってくれた。

IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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