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|カンボジア|フン・セン与党圧勝、首相続投の責務大きく

【プノンペンIPS=アンドリュー・ネット】

カンボジアの総選挙が27日行われ、フン・セン首相率いる与党第一党のカンボジア人民党(CPP)が圧勝、単独政権樹立の可能性も出てきた。 

首都プノンペンを中心とする投票妨害など不正行為も報道されたものの、800万の登録有権者のうち75%が投票した。


潤沢な資金とメディア統制を利用したCCPに対し、野党と一部人権団体は、脅迫や票の買収など金権選挙を非難。これがどこまで要因として作用したかは明らかでないが、多くの人は、プレアビヒア寺院を巡るタイとの対立を背景とするナショナリズムの感情がCCPに有利に働いたと見ている。


 
しかし与党圧勝の最大の要因は、カンボジアのいわゆる「平和の配当」である。数多くの問題を依然抱えるものの、国民の多くは、数十年に及ぶ不安定な状況を経て国は現在正しい方向に進んでいると考えている。CPPは選挙に向けて、経済の急成長を自らの功績とする一方で、燃料や食料価格の高騰などの問題については、政府の力の及びえない国際的な要因に責任を押し付けることに成功した。 

弱体化し、分裂した野党勢力も、CCPの勝利を後押しした。 

選挙後は、フン・セン首相がどのくらいの権力を持っているのか、改革の前に立ちはだかる既得権益に立ち向かう覚悟があるのかどうかが、重要な問題となる。カンボジアは、プレアビヒア寺院の紛争解決に加え、重大な経済的課題を抱えている。数十億ドルの海外からの投資獲得には成功したが、脆弱な規制・法律の枠組み、腐敗汚職、貧弱な司法制度が長期的な持続可能な成長を阻んでいる。 

経済成長の維持と公平拡大も大きな課題である。著名なカンボジアの評論家のひとりは「2つの選択肢がある。5~10%の富裕層のために国を構築するような現状を継続するか、あるいは富裕層は成長するもののゆっくりとしたペースにし、今よりはるかに公平な成長を目指すかである」と述べている。 

彼は「CCPは政権運営の自由な機会を手に入れた。問題は何をするかだ。大きな権力には大きな責任が伴う。以前は他者に責任を押し付けることのできたCCPも、今は自ら責任を負う以外なくなった」と述べている。 

与党の圧勝に終わったカンボジアの選挙とその後の展望について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩

|パキスタン|自爆テロに駆り出される女学生

【ペシャワールIPS=アシュファク・ユスフザイ

パキスタンの学校教師ジャミルア・レーマンは、娘を危うく自爆テロリストにされるところであった。13歳の娘サミーナはタリバンに連れ去られ、北西国境地帯の宗教学校(マドラサ)で自爆テロのビデオを見せられていたと彼は言う。

サミーナによれば、宗教学校の教師により友人のムシュタリ・ベガム(15)と共に2人の男に引き渡されたが、北部ワジリスタンのミル・アリで当局に逮捕されタンクの警察に保護されたという。

タンクの警察官アーマド・ジャマルは「状況は極めて深刻だ。2人の女の子は救出されたが、女性を対象とした自爆テロ訓練は増えている」と語る。情報局によれば、連邦直轄部族地域(FATA)は自爆テロリストの訓練基地になっており、これらの指揮官としてハジ・フセイン・アーメドが特定されているという。

 サミーナはIPSの質問に応え、「イラク、アフガニスタン、グアンタナモのイスラム教徒に米軍がくわえた残虐行為が映った数千のビデオを見せられた。生徒は皆、米国寄りの勢力を殺すための準備ができていた」と語った。

ペシャワール大学のタリバン研究者アシュラフ・アリも「イラクの女性テロリストが米軍を脅かす存在になっていることに関心を抱き、パキスタンの米国寄り勢力により壊滅的な被害を与えるため多くの女性自爆テロリストを養成している」と語っている。

パキスタンでは今年に入り41件の自爆テロが起こっているが、犯人は皆男性だった。しかし、タンクを含むスワット地方の学校から7月だけで25人の女学生が消えている。

昨年7月3日の「赤のモスク」襲撃では、宗教的指導者マウラナ・アブドゥル・カイイムがメディアに対し、あらゆる標的を目指し自爆テロを行うよう指示したと宣言している。タンクにあるガヴァメント大学の政治学教師ジャミルディンは「パキスタンのテロリストが自爆テロに女性を使う可能性は否定できない」と語っている。

パキスタン国境地帯における女生徒誘拐と自爆テロ訓練について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

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|アルゼンチン|元軍事政権高官に自宅監禁認めず

【ブエノスアイレスIPS=マルセラ・バレンテ】 

1976-1983年の独裁政治下で陸軍総司令官だったルチアーノ・ベンジャミン・メネンデス(81)は、数多くの容疑のうち、革命労働者党のメンバー4人に対する誘拐、拷問、殺人の罪(1977年)で、この木曜日コルドバ州裁判所から、終身刑を言い渡された。さらに、通常この年令の受刑者に認められる自宅監禁は許されなかった。 

法廷の内外には多数の人々が押し寄せ、強制失踪させられ死亡した家族の写真をかざし、「殺人者!」と叫んでいた。判決を聞くと彼らは、涙を流し歓喜した。人権団体によると、独裁政権下で3万人が強制失踪の被害に遭っている。


他に6人の元司令官と文官1人に対しても判決が下り、4人は終身刑、3人は18-22年の禁固刑であった。 

メネンデスは1975-79年の間、陸軍第三師団の総司令官で、その管轄下にはラペルラ集中キャンプがあった。政治犯を収容し、2300人のうち、17人しか生きて帰らなかったキャンプである。生存者のひとり、スサーナ・サストレ氏は5月27日に始まった法廷で証言し、凄惨な拷問の事実を伝えた。 

今回の有罪判決は憲兵の証言が決めてとなったが、最終陳述でメネンデスは、悪びれる様子もなく、「マルキシストに対抗する防衛措置だった。この国は勝利の兵士を裁くのか。今は70年代のゲリラが権力を握っている。やつらの思うとおりには行くまいと信じている。」と述べた。 

メネンデスは80年代に、800もの裁判に関与し罪を問われたが、多くの軍事政権の要人とともに、カルロス・メネム大統領(89-99年)によって恩赦を与えられた。しかし、裁判所は被害者家族に押され、恩赦法に違憲判決が下り、訴追に向けて証拠が積み上げられてきた。元警官、元従軍牧師、元海軍指揮官などかつての軍高官に対する判決もこれまでに出ている。 

元陸軍総司令官が31年前の人権侵害で、終身刑の判決を受けたことを報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 


|レバノン|寒期を抜け出したシリア

【ベイルートIPS=モナ・アラミ】

シリアの空は長い嵐の後でようやく明るんできた。国際的な政治の舞台から3年も遠ざかっていたバシャール・アサド大統領がフランスに歩み寄ったことで、レバノンにも平和な夜明けがもたらされる可能性が出てきた。

レバノンの運命は常にシリアと結びついている。シリアは地域的および国際的影響力を得るためにレバノンを利用してきた。たとえば80年代末には間接的にレバノンを支配し、2005年にはレバノンのラフィーク・ハリリ元首相暗殺に関与したと非難された。

 
現在シリア軍はレバノンに駐留していないが、レバノンの過去3年の混乱はシリアの間接的介入が原因であり、そのために欧米はアサド政府を冷遇してきた。

流れはまた変わりつつある。シリアはレバノンの内戦を終了させてミシェル・スレイマン大統領を選出させたドーハ合意を承認するなど、レバノンに対し態度を和らげている。その結果フランスのサルコジ大統領はアサド大統領をパリで開催された地中海サミットに招待した。
 
 フランスとシリアの和解はニコラ・サルコジ大統領のダマスカス訪問が9月に決定したことによってさらに確実なものとなった。アサド大統領とレバノンの新大統領との会談を主宰したサルコジ大統領は、「両国は相互に大使館を開設して外交関係を樹立させる用意がある」と発表し、「これは歴史的な進展である」と述べた。

レバノンのヒズボラやパレスチナのハマスへの影響という点でシリアの力は見過ごせない。シリアはイスラエルとの和平交渉にも間接的に乗り出している。ベイルート・アメリカン大学のH.カシャン教授によると、「シリアはヒズボラが力をつけすぎてきたと感じ、米国に近づこうとしている」。

シリアとイランの同盟関係は戦術的で、イランの核の野望により距離がでてきた。シリアの思惑を感じてヒズボラが軟化し、レバノンの緊張も減少してきた。だが中東の政治的環境は危うさが残っており、わずかの変化も歴史の流れを変えうる。レバノンが落ち着いているのは今だけかもしれない。シリアの協調的姿勢への変化について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

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【パリIPS=フリオ・ゴドイ】

7月13日、EU27カ国、中東/北アフリカ13カ国の首脳、政府代表が地中海連合(UfM設立について討議するためパリに集結する。

フランスのニコラ・サルコジ大統領が提唱するUfM設立は、EUと北アフリカ12カ国間の経済、安全保障、移民/司法分野における協力体制作りを目指し1995年に開始されたバルセロナ・プロセスの拡大を目指すもの。(しかし、このバルセロナ・プロセスは実質的には成功していない)大統領は今回、バルセロナ・プロセスを環境、貿易分野にまで拡大し、地理的にはヨーロッパの西側諸国だけでなく、旧ユーゴスラビアやアルバニア、更にはイスラエル、パレスチナ、ヨルダン、シリアといった地中海の南部および西部の全ての国に拡大しようとしている。

 今回の会議に出席を予定している非EU加盟国は、モーリタニア、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、エジプト、イスラエル、シリア、レバノン、トルコ、アルバニア、モンテネグロ、クロアチア、ボスニア・ヘルツェゴビナ。パレスチナ代表も出席の予定である。
 
 しかし、リビアはフランス提案を拒否。カダフィ大佐は会議不参加を表明している。同大佐は、7月9日の記者会見で、「UfMはアラブ、アフリカ諸国を分断するもので、EUには、アラブ連合やアフリカ連合を後退させる権利はない」と述べた。また、「同計画の目的はアラブ天然資源へのアクセスおよびアラブ諸国をイスラエルとの交渉テーブルに着かせることにある。UfMは、イスラム国家に対するテロの危険を高めるだけ」と語った。

カダフィ発言より重要なのは、ヨルダンのアブドラ国王の不参加である。同国王は、長い間計画していたバケーションと重なるとの理由で会議出席を辞退した。

トルコにとって、UfM参加はEU加盟に次ぐチャンスである。フランスはトルコのEU参加に強く反対してきたが、トルコ外交筋によれば、7月13日調印予定のUfM共同宣言についてフランス政府から大きな譲歩を引き出したという。

一方、ドイツ外務省は、フランスがUfMの主導に固執すれば、ドイツは2008年第2半期のフランス欧州政策全てに拒否権を行使すると警告している。同様の抗議はスペインからも寄せられており、一部アナリストはサルコジ大統領の外交的不手際を批判。立場が大きく異なる各国の合意は難しいのではないかとしている。サルコジ大統領のUfM構想について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

|スーダン|ICCの告訴がもたらす希望と不安

【ナイロビIPS=ナジュム・ムシュタク】 

国際刑事裁判所(ICC)がスーダンのバシール大統領を戦争犯罪、人道に反する罪、大量虐殺で告訴したことは、ダルフールの人権活動家を大きく勇気づける一方で、スーダン政府の反発による事態の悪化も懸念されている。 

国連安全保障理事会の常任理事国の意見は分かれ、バシール大統領が早々に裁判に引き出される可能性は低いものとみられる。だがスーダン議会はバシール大統領の取り巻きが占め、司法は公正な裁判を行えず、国際社会はダルフールを無視してきた状況の中、ダルフールの人々は苦しみが国際社会に認知されたことに意味を見出している。

 2004年の国連の現地調査団はダルフールを世界最悪の人道的危機にあるとし、安全保障理事会はこの問題をICCに託していた。 

人口3,500万のスーダンは北部と西部にイスラム教徒が多い。イスラム教徒の中のアラブ系とアフリカ系との土地と水をめぐる争いは長年の問題となっており、2003年のダルフールでの衝突に政府がジャンジャウィードというアラブ系民兵組織を派遣したことに端を発し、過去5年間で40万人の非アラブ系住民が死亡、250万人が家を失った。 

ICCの検察官は政治的動機による大量虐殺を糾弾しているが、これまでICCが告発してきた戦犯はバシールに重用され、状況をさらに悪化させているという事実がある。また、安保理の拒否権を有する国でICCを支持しているのはフランスと英国だけだ。 

国連は今回の告訴がスーダンでの平和維持活動や人道支援活動の安全性に影響することを懸念している。アラブ連盟もアフリカ連合もICCの決定を支持していない。 

包括和平合意により政府寄りになったスーダン人民解放軍(SPLM)は、告訴よりも国際社会の協力と和平合意の実施が何より重要だと考えている。だがバシール大統領はダルフールの和平交渉に参加したことがない。今回の告訴が平和への圧力となり、「正義なくして平和はない」というICCの主張がマイナスの効果を及ぼさないよう願うしかない。 

スーダン大統領のICCによる告訴について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 

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オーストラリア連邦裁、宗教イベントにおける言論の自由を認める

【メルボルンIPS=ステファン・デ・タルチンスキ】

7月15日シドニーにおいて、教皇ベネディクト16世を迎え「ワールド・ユース・デー」(WYD)大会が開催された。同大会には、世界各地から20万人のカトリックの青年たちが参加したと見られる。 

同日、ニュー・サウス・ウェールズ(NSW)州連邦裁判所は、カトリック教会が組織するイベントの参加者を当惑させる行為を禁止するWYD法の条項を破棄するよう命ずる判決を下した。 

同裁判は、No to Pope Coalition(NTPC:教皇連合に反対する会)のメンバー、レイチェル・エヴァンスとアンバー・パイクが起こしたもので、裁判長は、「WYD法は議会の意志を反映したものではないと判断し、警察、国家緊急サービス、州消防サービスのメンバーが、WYDが届け出たイベント会場付近で参加者以外の行動を取り締るのは言論の自由に反すると考える」と述べた。 
  
判決に先立ち、エヴァンスは、判決がどうあれ7月19日には、NSW人道主義者ソサエティー、同性愛者人権擁護団体、オーストラリア全国非宗教教会などの団体と共にカトリック教会の避妊、性、子供を産む権利などについての考えに抗議するデモおよびコンドームの配布を計画。WYD法では、WYD参加者に迷惑な行為を行った者は逮捕、最高5,500豪ドル(5,343米ドル)の罰金を課せられることになっていたが、エヴァンスは、教皇のいる間に我々の意見を知らしめる必要があると語っていた。 

WYDを巡っては、幾多の問題が指摘されている。シドニーのペル大司教は、少年に対する性的虐待を指摘された司祭の扱いで批判の的となっている他、司祭に強姦された2人の少女の両親は、教皇の謁見を求めてロンドンからシドニーにやって来た。また、大会のために約130人のホームレスが当局により移動させられたことに対しホームレス支援団体が抗議。ゲイ/レスビアン・カトリック・フォーラムに対してもWYD組織委員会が開催阻止を図ったと噂されている。 

今回の判決で、WYD大会付近での抗議活動は自由となったが、新規則は6月27日付官報で発表されたのみ。新法がいわば秘密裡に施行されたことに「NSW市民の自由協議会」のマーフィー会長は遺憾を表明している。「ワールド・ユース・デー」シドニー大会について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 


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|カンボジア|ようやく始まるクメール・ルージュ「キリング・フィールド」裁判


【プノンペンIPS=アンドリュー・ネット】

裁判の開始は、法廷の遅れと不必要な官僚主義に対するとりわけカンボジア人からの批判を鎮めるのに大いに役立つだろう。こうした批判が、裁判の開始と公正なプロセスを求める圧力となってきた。

もうひとつ、被告人5人の健康も圧力となっている。全員が年老いており、多くの国民が公正な裁きが下される前に彼らが死亡することをおそれている。

 特別法廷の広報担当ヘレン・ジャルヴィス氏は「他の戦犯法廷に比べて、我々は大きく前進している」と言う。国内外多くの評論家も、支援の条件として国連に要求された「この規模および複雑さの裁判を第三国ではなくカンボジアで開く」という困難な試みを考えると、裁判は大きく前進しているとの意見で一致している。

カンボジア裁判所内に設置されたこの特別法廷には、カンボジア人司法官と共に国際司法官が参加し、主にカンボジアのまだ未発達の民法制度を用いて裁判が行われる。

法律扶助活動を行うNGO「Cambodian Defenders Project」の責任者ソク・サム・オウエン氏は「クメール・ルージュ幹部を裁く以上にいくつかの目的がある。新しい法廷のモデルが必要なこと。そして将来のカンボジア指導者にカンボジアには正義があることを警告することだ」と述べている。

しかし、国際人権諸団体は、カンボジアの未発達の司法制度およびカンボジア固有の腐敗汚職が司法手続きに悪影響を及ぼすことを依然懸念している。

人事に関わるリベート、およそ4,400万ドルにも達する資金不足、翻訳作業の大幅な遅れ、証人の保護など問題は多い。開廷が期待されるクメール・ルージュ裁判について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

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10周年を迎えた国際刑事裁判所の成果と課題

【ロッテルダムIPS=イレーヌ・デベッテ】

7月17日で、国際刑事裁判所(ICCを設立するローマ規程が採択されて10年になる。ICCは、大量虐殺(ジェノサイド)、戦争犯罪、人道に対する罪を犯したと疑われる個人を裁くための、初の恒久的な国際法廷だ。 

1989年、トリニダード・トバゴ政府は、恒久的な刑事法廷を設立する提案を行った。その後、ユーゴスラビアやルワンダに関して特別法廷が設置されたが、1994年になって、恒久法廷のための規程がいよいよ起草された。そして、1998年にローマ規程が採択され、2002年に60ヶ国の批准をもって規程は発効した。現在、106ヶ国が批准を済ませている。しかし、米国・中国・インド・イスラエルなど批准していない国もある。

 最近でもさまざまな動きが起こっている。今年7月はじめには、旧コンゴの反体制指導者ジャン-ピエール・ベンバの身柄がベルギーからICC本部のあるハーグに移された。7月14日には、ルイス・モレノ-オカンポ検事が、スーダンのバシール大統領の逮捕状を請求した。ダルフール地区で発生している武力紛争に関して、戦争犯罪、人道に反する罪、大量虐殺に関与した容疑だ。 

国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」は、7月11日、ICCの5年間にわたる活動を評価した報告書を発表した。捜査や起訴、現地事務所の開設、証人の保護などの点で進展があったと報告書は評価している。 

しかし、たとえば、コンゴの元軍閥トーマス・ルバンガに対する起訴手続きが停止した事案は、ICCの抱える困難を示している。捜査にあたる人間の不足が根本的な問題だと報告書は指摘する。ICCには独自の警察力がなく、逮捕状を執行しようとすれば、各国政府の警察に依存せざるをえないからだ。 

全世界2500のNGOを束ねる「国際法廷を求める連合」(CICC)は、ICC10周年を記念して、各種イベントを開いている。10周年を迎えたICCの話題について報告する。(原文へ) 

翻訳=山口響/IPS Japan浅霧勝浩 


|ネパール|王国から共和国となって、人々の生活

【レレIPS=マリカ・アリアル】

ネパールが共和国宣言を行った時、カトマンズはにぎやかな祝賀ムードに包まれた。レレでもやや控えめな行進が行われたものの、住民の多くはあまり関心がなかった。レレではこれまでネパール・コングレス党が優勢だったが、4月10日の制憲議会選挙ではマオイストのバルシャ・マン・プン・マガル氏がコングレス党の対立候補ウダイ・シャムシェル・ラナ氏を15,329票対14,011票で破った。

「この辺りの村ではネパールが今や共和国になったと知っているものは少ない。知っていてもそれが何を意味するかを本当に分かってはいない」とスナルさんはいう。スナルさんはかつて、現在の制憲議会で第3位となったネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(UML)の忠実な支持者だったが、数年前にマオイストに加わり、今はレレのダリット解放戦線の書記を務めている。

 「マオイストは村のダリットや他の抑圧された人々への差別をなくすために頑張ってきた」とスナルさんは家族が見下されていた頃を思い出して語る。茶店ではカーストの上位の人々と一緒の席に座ることは許されず、地元の茶店ではどこでも、お茶を飲んだ後で自分のコップを洗わなければならなかった。

スナルさんの妻のラクシュミーさんは慎重に言葉を選んで語る。「国王がいなくなっただけでは十分ではない。政党は国王よりもうまく国を治められるということを実際に国民に示さなければならない。生活水準が向上し、道路、開発、建設工事が行われ、子どもたちが無料で学校に通えて、私たちが医療の心配をしなくてよいようにならなければ、王もマオイストも他の政党も、私たちのような貧困層には皆同じだ」

レレにあるヒンズー教寺院では、僧侶のラム・プラサド・ギミレさん(65歳)が都会からやってきた参拝者を案内していた。ギミレさんはギャネンドラ前国王が荷物をまとめて王宮を出ていくのに2週間しか与えられなかったことを知っている。「政党は過ちを犯したが、気の毒な国王にも非がある」とギミレさんはいう。

ギミレさんは国王を退去させたやり方については憤慨しているが、国民が共和国を望んでいることは理解している。「それでも240年続いた制度を簡単になくしてしまっていいのだろうか。ビシュヌ神の生まれ変わりとみなしている人物への崇拝をやめるのか。価値観や伝統を手放すのはそれほど簡単だろうか」とギミレさんは自問している。

先週の閣議では、ヒンズー神の生まれ変わりとして崇拝されている前国王に、カトマンズ郊外のナーガールジュナ宮殿に住む許可が下された。また6月8日の夜遅く行われた閣議では、マヘンドラ故国王の妻で80歳のラトナ皇太后に、ナラヤンヒティ宮殿の敷地にあるマヘンドラ・マンジルに住む許可が下された。

ネパールの農村部は「人民戦争」の間に軍隊と反乱軍との紛争に巻き込まれることが多かったので、マオイストが権力を持つことで戦争はついに終わったという非常に強い期待感がある。

日雇労働者のアーシャー・カジ・マハルジャンさんのような人々の多くは、世の中は良い方向に変わりつつあると期待している。「全面戦争を経験したし、制憲議会選挙に投票した。そして今、新憲法が作成されているのだから、もちろん世の中は変わる」とマハルジャンさんはいう。

レレの町では、過去18年間ネパール軍に勤務していたバル・クリシュナ・シルワルさんが休暇を取って家に戻っていた。シルワルさんは戦争中にネパール西部でマオイストに対する主要作戦に加わっていて、戦争が終わったことを安どしている。「軍の最高司令官が誰になっても仕えるつもりだ」シルワルさんはいう。

けれどもシルワルさんは政党が国王の処遇の決定を急ぎすぎたと考えている。「国王は退位するにしても、国王を退かせる正しい方法は国民投票を行うことではなかっただろうか」とシルワルさんはいう。住民の多くと同じように、ネパールが王政であろうとなかろうと貧しい人々にはどうでもよいことだとシルワルさんは考えている。「人々は食料、水、仕事、道路、開発を望んでおり、誰が国を支配しようとかまわない」とシルワルさんは語った。

昼時になると、地元の茶店にはレレと近隣の村からの客があふれる。バヌ・バハドール・ラマさんはレレから20キロ離れた村Sanghumarからやってきた。息子のミム・ラマさん(20歳)はネパール軍に入隊していたが、3年前にカイラリでの激しい戦闘で死亡した。ラマさんの住む村では、村人のほぼ全員がマオイストに投票したが、ラマさんはコングレス党に投票した。「息子がマオイストに殺されたのに、マオイストに投票できるわけがない」とラマさんはいう。

息子を失ってから、ラマさんは妻と3人の幼い子供に1日2回の満足な食事を与えるために大変な苦労をしている。「ネパールが共和国になろうが、国王が宮殿を出ようが関係ない」とラマさんはいう。「息子はいない。私の人生はもう終わりだ。心配なのは家族を養うだけの稼ぎが今日あったかどうかだけだ」(原文へ

翻訳=IPS Japan

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