【カトマンズIPS=マリカ・アルヤル】
ネパール政府は、男女の平等に向けて、2007~10年の暫定計画を持っている。この計画実施のために、2007/08年度の予算では、各項目ごとにジェンダー指標を設けている。各項目は、ジェンダー平等にどれだけ寄与するかを基準に、「直接に支援的」「間接に支援的」「男女どちらにも有利でない」の3類型に分けられる。
2007/08年度の予算では、社会福祉関連(教育・保健・地方開発・水など)の24%について「直接に支援的」、55%について「関節に支援的」と分類された。しかし、経済関連(農業・通信・森林・土地開発・交通・産業)については、「直接に支援的」とみなされたのはわずか10%に過ぎなかった。
制憲議会議員のウルミラ・アルヤル氏は、ジェンダー平等を実行するには、草の根レベルで女性が力をつけることが重要だ、と語る。とくに、農業・保健・教育分野の重要性を挙げた。「ネパールの農村では、女性はほとんどの時間を農業に費やす。しかし、女性には土地に対する権利がないし、融資を受けることすらできない。毎年、数多くの女性が出産のために死亡しているのに、多くの農村地帯には助産士もいない」とアルヤル氏は話す。
財務省のジワン・バンスコタ事務次官も「制憲議会は33%を女性議員が占めているが、同じだけの女性が地域レベルにもいれば、ジェンダー平等政策を推し進めることができるだろう」と話す。
しかし、2002年7月に予定されていた地方選挙が中止されて以来、選挙は一度も行われておらず、いまだに中央官僚が地方を支配している。ネパールにおけるジェンダー平等政策を考える。(原文へ)
翻訳/サマリー:IPS Japan
|ネパール|ジェンダー平等に向けて課題山積
|ケニア|平和のための執筆
【ナイロビIPS=ナジュム・ムシュタク】
1月以来、政治意識の高いケニアの詩人、作家、ストーリーテラーの団体が、今年初頭2カ月余ケニアを揺るがした暴力について既製の記事に代わる記録を書き始めた。こうした彼らの作品が、ケニアの大統領選後の暴動について調査にあたるWaki Commissionに証拠として採用された。
Waki Commissionに証拠として審理されるのは、作家たちの団体Concerned Kenyan Writers(CKW)が作成した報道記事から印象記に至るまでの作品集である。CKWは、論争の的となっている2007年12月27日の選挙後に発生した暴動に対応しようと、作家たちが結集したものである。
ナイロビに本拠を置く作家や芸術家の共同体Kwani TrustのディレクターShalini Gidoomai氏は次のように語る。「この危機に自分たちは何をすれば役立つことができるのか。世界のメディアが民族の憎悪と集団暴力に飲み込まれた国としてケニアを描くなか、社会のあらゆる方面でたくさんの人がまずこのことを考えた」
「私たち作家も、この問いを逃れることはできなかった。何かをしなければならない。人々を支援するために私たちが使うことのできる技能は唯一、書くことだった」
そして彼らは書いた。この団体によってこれまでに160点を超えるニュースや分析記事のみならず詩や短編が書かれ、世界中で発表された。CKWは、ケニアの視点から危機を報道するため、ケニアの著名な作家の参加を得るだけでなく、駆け出しのジャーナリストの訓練も行った。
また、CKWが創作した物語や詩の一部は、学校のカリキュラムにも取り込まれるよう教育省に提出された。
CKWは、Concerned Citizens for Peace(CCP)やその他市民社会団体の事務所を含むナイロビのさまざまな会場でCCPが連日主催した市民集会がその出発点である。元外交官のBethuel Kiplagat率いるCCPはすぐに、ケニアの個人やCKWなどの団体による平和の取り組みを育成・推進する統括組織となった。
Shalini氏はIPSの取材に応えて「国際メディアが暗黒大陸の典型的な筋立てを語って不正確な報道をするなかで、ケニアの作家からそれを修正しようとの動きが起きたことは当然のことだ。私たちはジャーナリストではない。でも、ケニアという国とその国民をほとんど知らない記者たちが暴動について十分な情報もなく、偏見に基づいたまま誤解を招くおそれのある報道を行っていることが明らかになったとき、私たちができることは自分たちの技能を使ってそれに対応することだった」と語った。
「センセーショナルで非人間的な映像を通して、野蛮な行為が単純化されてニュースとして世界に伝えられるなかで、紛争のただ中このように決然と分析と議論に取り掛かったのは世界でも私たちが初めてだろう」
世界の注目を集めた最初の映像のひとつは、逃げようとしたものの鉈でたたき切られた男性のようすだった。憤慨した作家の団体は、スカイニュースに放映を止めるよう抗議文を送った。
Shalini氏は「たとえば9・11や2005年のロンドンの同時爆破事件で、テロの犠牲者のバラバラになった血まみれの遺体を西側メディアが映し出したことは一度もない。ケニアの惨事には、なぜ異なるアプローチを採るのか」と訴える。
民族や部族に焦点を当てた既成の筋書きの中で、実際の出来事やその複雑な原因が見失われてしまっている。たとえば、暴徒の第一群の中に、ケニア西部のエルドレトの割礼キャンプで成人儀礼を終えたばかりの数千人のカレンジン族の若者がいたことに気付いた国際メディアはない。
新たに力と男性としての意識を得た数千人のカレンジン族の若者は、西部の各都市を通りリフトバレー州のナクル市に至るまで「彼らの」土地に暮らす「外部者」の農場や家屋に火を放つなど暴れ回りながら行進し続けた。
「こうした社会学的・心理学的要因は、センセーショナルなことやステレオタイプなことに主に関心を寄せる国際メディアには理解の及ばないことだ」と言うShalini氏は、技術訓練も受けておらず、仕事もなく、欲求不満を募らす若者が増えて、傷ついた平和に脅威を与え続けていると考える。
社会問題や民族問題を扱う雑誌Wajibuの編集長Dipesh Pabari氏は、当初の報道はまた、部族や政治的所属に関係なく被害者の救助に積極的にあたったケニアの何百人という一般市民の勇気や思いやりについても伝えていないと指摘する。
そうした市民のひとりである23歳の青年は、誰からの支援もなしにSMSホットラインを立ち上げた。さまざまな苦難を訴える人々、あるいは助けを必要としている人々から毎日何百という苦悩の電話が寄せられている。
「暴動の最中命がけで847人の避難民を受入れた森林監視人がいた。中等学校には、恐怖と憎悪が渦巻く中で勇気をもって学生たちに率直に語りかけ、学生たちの行動の変革を呼び起こし、偏見を受容に変えた若者たちがいた。死者に花を手向け、途中で治安部隊の面々にも献花をするように促した女性たちがいた」
Pabari氏は「こうした話には共通に見られることがひとつある。世話をした人々は、部族も人種も超えて物事を見、困っている人々の共通の人間性に目を向けたのだ」と話す。彼の雑誌の最新号では、CKWの作家や詩人の作品を特集し、秘話を紹介した。
CKWの活動は今なお続いている。ケニアの文学の創作と普及を進めているKwani Trustでは、アフリカ各地から著名人を招いて近頃のことそして今後の進むべき道について考える2週間の文学祭を8月1日に開幕した。テーマは、「ケニアを再検討する」である。
「自分を欺くことはやめよう。新しいケニアを実際に経験するためには、政策と意識の両方で痛みを伴う抜本的な変革が必要とされる。まだまだ先は長い」とPabari氏は言う。「(暴力を生き存えた避難民らが)いつ、どこにどのようにして再び落ち着くことができるのか。これが、新しいケニアを築く私たちの決意を試す試金石となるだろう」(原文へ)
翻訳=IPS Japan
|ラオス|CIAによるラオス「秘密戦争」が映画に
【プノンペンINPS=アンドリュー・ネット】
1960年代から70年代はじめにかけ、米中央情報局(CIA)はラオスで共産ゲリラとの戦闘に秘密作戦を展開、「秘密戦争」として知られる。そしてその秘密戦争でもっとも秘密とされる場所が元CIA空軍基地ロンチェンである。ロンチェンは今なお立ち入り禁止のままだ。
その秘密戦争について、今年後半、欧州で新作映画「The Most Secret Place on Earth」(地球上もっとも秘密な場所)が公開される。
8月半ばプノンペンで初めて試写が行われたこの映画には、1975年に共産政権が樹立されて以来西側として初めて基地に入った撮影隊によるロンチェンの映像も含まれている。
ラオスでの戦闘は、米国が過去に展開した準軍事行動の中で最大かつもっとも高価なオペレーションであったにもかかわらずほとんど知られていない。秘密戦争は、CIAの航空会社エア・アメリカの民間人パイロットを主に使い、ラオスの山岳民族モン族から傭兵を雇ってCIAが行ったものである。
映画は、元外交官、CIA幹部、エア・アメリカのパイロットをはじめ、戦闘の秘密・外交・軍事面に関与した人々の話を通じて秘密戦争を検証する。
映画のもっとも興味深い点は、実際の戦闘任務やロンチェンでの日常生活を写した映像等、監督が収集した過去の未使用映像が組み込まれていることである。
この映画は、その分析的側面が、CIAの工作員やエア・アメリカのパイロットを英雄扱いし、戦争を正当化する書籍やドキュメンタリーと一線を画する。実際は、米国の航空機が9年間にわたり1日24時間8分毎に平均1機分の爆弾を投下し、ラオスを戦争史上もっとも激しい爆撃を受けた国にしたのである。
このラオスでの戦争はイラク戦争と大きな類似点が見られると語るドイツ人監督Marc Eberle氏(36)は、次のように述べている。「ラオスは、21世紀における米国の戦争の先駆的存在。民間企業に戦争を外注し、情報や文書を改ざんして民衆の支持を集め、従軍取材を用い、ハイテク兵器の使用を含む戦争の自動化など、これらの方法はラオスで初めてテストされたものだ」
CIAによるラオス秘密作戦を描いた映画について報告する。(原文へ)
翻訳/サマリー=INPS Japan浅霧勝浩
|パラグアイ|大統領、独裁の犠牲者に謝罪
【アスンシオンIPS=デイビッド・バルガス】
ストロエスネル独裁政権(1954~89)の人権犯罪調査を目的に2003年に創設された「人権・正義委員会」が8月28日、市立アスンシオン劇場において4年に亘る調査の最終報告を行った。
8月15日大統領に就任した元カトリック司祭のフェルナンド・ルゴ大統領は、会場に詰めかけた市民団体および当時の反独裁闘争リーダーたちを前に、独裁政権の人権犯罪について国として正式に謝罪。涙で声を詰まらせる場面もあった。
1,000ページに及ぶ同報告書には、ストロエスネル政権および2003年まで14年間続いたいわゆる「民主過渡期」に行われた拷問、殺人、誘拐、迫害に関する2,130人の証言が含まれる。
報告書によれば、独裁の犠牲者は全体で128,076人。政治的理由により海外亡命を余儀なくされた人は3,470人に上る。また、政治犯の95パーセントは拷問を受け、その半数は死の恐怖を体験しているという。委員会のメディナ委員長は、加害者が恐怖を煽るため意図的に性的暴力を用いたことを忘れてはならないとしている。
人権活動家でオルタナティブ・ノーベル賞を受賞したマルティン・アルマダ氏は、独裁政権が「コンドル作戦」の名の下に行った残虐行為について振り返った。また、迫害の主要ターゲットの1人であったパラグアイ共産党のアナニアス・マイダナ党首は、ストロエスネル政権を支援した米国の責任を強調した。
ルゴ大統領は、委員会が提出した178の提案の実行を誓った。その中には、省と同格の国家人権事務局を設立し、人権虐待を行った者たちを法の裁きにつけることなどが盛り込まれている。これを目的に、人権・正義委員会は、虐待の首謀者、加担者の氏名列挙に1章を費やしている。氏名リストには今も政界、軍部、警察で活躍する者たちの名前も含まれる。
ルゴ大統領は、聴衆の「密告者」というヤジでスピーチを行うことができず壇上を後にした最高裁のニュフィエス判事に向かい、「今この時、司法システムは大いなる課題に直面している」との言葉を投げた。
パラグアイ新大統領による独裁政権時代の人権犯罪に対する謝罪とその実態を公表した「人権・正義委員会」最終報告の模様を報告する。 (原文へ)
翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩
関連記事:
|パラグアイ|ストロエスネル独裁政権の弾圧調査を開始
|ブラジル|先住民の土地に最高裁決定
【ロライマ州ボアビスタIPS=マルタ・カラバンテス】
ラポサセラドソルの少数民族居住地について、境界設定の最高裁決定が、来週に迫っている。同様の問題を抱える「その他の居住地の先例となるため、極めて重要な決定となる。」とブラジリア大学法学部ロザーネ・ラセルダ教授は述べている。ブラジルには215の少数民族があり、約60万人が604か所の居住地でくらしている。
同地は、肥沃なアマゾンのロライマ州にある。ここにはマクシ、ワピサナ、タウレパン、パタモナ、インガリコなどの少数民族が19000人以上、居住している。1992年以来、大規模コメ生産者が侵入し、13年間でプランテーションの面積は7倍の14000ヘクタールに広がった。居住地の境界は、20年間の訴訟を経て、1988年の憲法の原則に従い、2005年ダ・シルバ内閣によって、正式に決定された。今回、最高裁は、境界内をひとつの連続した領域と認めるか、来週判断を示す。
3月、ダ・シルバ政府は連邦警察を送りコメ生産者を排除しようとしたが、彼らは暴力をもって反発し、10人の少数民族が負傷した。来週の決定によってはコメ生産者による占拠を認めることになる。国連の少数民族の権利に関する特別報告者ジェイムス・アナヤ氏は、問題を重く見て、ラポサセラドソルを訪問中である。
コメ生産者は環境破壊で罰金を払ったこともないし、先住民を襲撃したことで拘留されても、「金とコネを使って、短時間で釈放される。」と、政府の少数民族担当機関FUNAIのパウロ・サンティレ氏は述べている。ラセルダ教授は、「これは利潤目的の人々の、先住民に対する宣戦布告と言っても過言でない。」とIPS記者に述べた。かつてポルトガルが侵攻して以来、その後牧場や鉱山の経営者、大規模地主が、先住民を労働力として雇い入れた。賃金も十分払われないことが多く、牧畜同様、焼印を入れられたこともあった。
先住民を支援する団体のひとつであるthe Commission of Indigenous Organisations of the Brazilian Amazonのヘシナルド・バルボサ氏は、「アグリビジネスや大規模農業が先住民族の土地に入ってきたのは、“バイオ燃料”革命の結果である。」と語った。NGOのひとつSocioenvironmental Institute of Brazil のベト・リカルド氏は、デ・シウバ政権の開発優先政策を批判し、「アグリビジネスは農地だけでなく、道路やダムや水路によっても、先住民の土地に侵攻している。」と語った。Brazilian Institute of the Environment のニルバ・バラウナ氏は、農薬による汚染を懸念している。
一方、ロライマ州の先住民でない住民たちは、コメ生産者を歓迎しているが、期待に反して、生産は機械化されているため、仕事も増えないし、税収も増えない。もともとラポサセラドソルの先住民は、コメ、マメ、キャッサバを育て、家畜を飼い、自然療法を知る、自給自足の人々であった。「自然を守ることは、先住民にとって人生そのものなのだ。これからの人道がめざす調和の世界観がそこにある。」とバルボサ氏は語っている。
スペインのNGO、Compania de Informacion y Proyectos Originales(CIPO)は、ラポサセラドルの先住民の危機に対する、認知度を高めるキャンペーンを始めた。ブラジル最高裁に書簡も提出する予定である。(原文へ)
翻訳/サマリー=IPS Japan
|国連|合意への道遠い小型武器貿易条約
【国連IPS=タリフ・ディーン】
国連によれば一般市場と闇市場で6億以上の小型武器が取引されている。それにもかかわらず、これらの武器の無謀な拡散を規制する国際条約はない。
「各国政府には明確な選択肢がある。銃による暴力で毎日およそ1,000人の命が奪われているなか従来通り武器貿易を続けるのか、あるいは違法な取引を規制する法的に拘束力のある合意に達するかだ」とジョージタウン大学の平和・安全保障研究センターのナタリー・J・ゴールドリング氏は指摘する。
先月開催された小型武器に関する隔年の国連会議で、国連の潘基文国連事務総長は小型武器の違法取引の対策において加盟諸国は大きな進展を遂げてきたが、しかし数多くの課題が残っていると述べた。唯一最大の課題は、違法小型武器に関する新たな国際条約の創設であろう。
2005年の隔年会議と2006年の小型武器に関する検討会議ではいずれも、成果文書に関して「コンセンサス」に達することができなかった。事実上コンセンサスとは「全会一致の合意」と定義されており、したがってわずか1国でも進展を阻止することができる。
第三世界のある代表によれば、近年は米国が、そして米国代表が大半の会合を欠席した先月の会議ではイランがこうした役割を果たした。
先月の会議では、全会一致の合意が不可能と分かると、参加者は成果文書について、前例のない投票を要求した。その結果、136カ国中、棄権したイランとジンバブエを除き134カ国が成果文書採択を支持した。
ゴールドリング氏によれば、リトアニアのDalius Cekuolis大使が成果文書案の1行毎の編集を拒否するという大きな冒険に踏み切った。Cekuolis大使の革新的なアプローチにより、成果文書はその影響力の弱体化を免れた。
9月中旬に開会する第63回国連総会でも小型武器に関する決議が検討される。次回小型武器に関する国連会議は2010年開催の計画である。
なかなか進展が見られない小型武器の拡散規制に関する合意努力について報告する。(原文へ)
翻訳/サマリー=IPS Japan
|カンボジア|戦前のクメール音楽、復活
【プノンペンIPS=アンドリュー・ネット】
1975年に政権を握ったクメール・ルージュは、いわゆる伝統文化を堕落、頽廃の象徴として組織的に破壊した。音楽も例外ではなかった。国民の誰もが知っている歌手のシン・シサマウス(Sin Shisamaouth)、セレイソシア(Sereysothea)を始めとする多くの歌手が彼らに殺害された。
当時最も人気のあった女性歌手ロス・セレイソシアのショート・ドキュメンタリーの上映実現に奔走するグレッグ・カヒルは、「当時のカンボジアは、アジア音楽シーンの中で最も進んでいたが、クメール・ルージュはレコーディング・スタジオやレコードなど音楽に関する全てのものを手当たり次第に破壊した」と振り返る。しかし、多くのレコードが海外亡命者のお蔭で生き残った。そしてサイケデリックからラテンまで様々なスタイルの数千に及ぶ曲が国際的関心を呼ぶに至った。
その1つが、カンボジアの戦前の音楽シーンを描いた映画「ゴールデン・ボイス」。もう1つが、ロサンゼルスを拠に活躍する映画監督ジョン・ピロッジが制作中の「Don’t Think I’ve Forgotten」(私が忘れたとは思わないで)だ。2002年の犯罪スリラー映画(マット・ディロン脚本、製作)「シティー・オブ・ゴースト」でもカンボジア音楽が主題歌に使われている。カンボジア生まれのチホム・二モル(Chhom Nimol)をリード・ボーカルとするロサンゼルスのバンド「デング・フィーバー」が演奏する当時のヒット曲のカバー・バージョンもヒットしている。
戦前の音楽をヒップ・ホップなどに取り入れ、よりモダンな表現を目指している広告会社のソク・ビザルは「聞けば聞くほど、戦前音楽が如何に進んでいたかがわかる。タイにもベトナム、ラオスにもこの様な音楽はなかった」と語る。
カンボジアの戦前音楽の発展には2つの理由がある。1つはシアヌーク国王の庇護だ。国王は宮廷音楽家に新たな音楽的試みを奨励したのだ。宮廷音楽家の1人であったシサマウスは60年代カンボジアに西洋音楽を紹介。70年代には国内レコード会社の設立が相次ぎ、レコードの販売網、クラブなどが大いに発達した。第2の理由は、ベトナムの米軍ラジオで放送されていたR&Bやカントリー、ロック・ミュージックの影響である。これら音楽の影響は、伝統的カンボジア楽器で演奏された戦前音楽の中に明らかである。
ビザルは最近自社レーベルを立ち上げ、若いクメールのヒップ・ホップ、ラップバンドのプロモーションを行っている。彼は、5年の内にカンボジア・カルチャーが台頭すると確信している。
カンボジア音楽シーンについて報告する。(原文へ)
翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩
関連記事:
|アフガニスタン|若き音楽家、古典復活に尽力
|レバノン|寒期を抜け出したシリア
【ベイルートIPS=モナ・アラミ】
シリアの空は長い嵐の後でようやく明るんできた。国際的な政治の舞台から3年も遠ざかっていたバシャール・アサド大統領がフランスに歩み寄ったことで、レバノンにも平和な夜明けがもたらされる可能性が出てきた。
レバノンの運命は常にシリアと結びついている。シリアは地域的および国際的影響力を得るためにレバノンを利用してきた。たとえば80年代末には間接的にレバノンを支配し、2005年にはレバノンのラフィーク・ハリリ元首相暗殺に関与したと非難された。
現在シリア軍はレバノンに駐留していないが、レバノンの過去3年の混乱はシリアの間接的介入が原因であり、そのために欧米はアサド政府を冷遇してきた。
流れはまた変わりつつある。シリアはレバノンの内戦を終了させてミシェル・スレイマン大統領を選出させたドーハ合意を承認するなど、レバノンに対し態度を和らげている。その結果フランスのサルコジ大統領はアサド大統領をパリで開催された地中海サミットに招待した。
フランスとシリアの和解はニコラ・サルコジ大統領のダマスカス訪問が9月に決定したことによってさらに確実なものとなった。アサド大統領とレバノンの新大統領との会談を主宰したサルコジ大統領は、「両国は相互に大使館を開設して外交関係を樹立させる用意がある」と発表し、「これは歴史的な進展である」と述べた。
レバノンのヒズボラやパレスチナのハマスへの影響という点でシリアの力は見過ごせない。シリアはイスラエルとの和平交渉にも間接的に乗り出している。ベイルート・アメリカン大学のH.カシャン教授によると、「シリアはヒズボラが力をつけすぎてきたと感じ、米国に近づこうとしている」。
シリアとイランの同盟関係は戦術的で、イランの核の野望により距離がでてきた。シリアの思惑を感じてヒズボラが軟化し、レバノンの緊張も減少してきた。だが中東の政治的環境は危うさが残っており、わずかの変化も歴史の流れを変えうる。レバノンが落ち着いているのは今だけかもしれない。シリアの協調的姿勢への変化について報告する。(原文へ)
翻訳/サマリー=IPS Japan
|アフガニスタン|タリバン勢力、全国に拡大
【カブールIPS=アナンド・ゴパル】
アフガニスタン東部国境地帯で、連日のように民間人を巻き添えにする西側同盟軍とタリバンの戦闘が行われている。アフガニスタン政府は、同盟軍戦力について、過剰かつ不適切と非難。米国は、これを打ち消そうと必死だ。
アフガン連邦議会のある議員グループは先週、ナンガルハル州で米軍が結婚披露宴会場を爆撃、民間人47人が死亡したことを明らかにした。その2日前には、別の米軍による空爆で15人の民間人が死亡している。被災地の住民は、「カルザイは我々に犯人を引き渡すか、さもなければ辞任すべきだ」と憤る。
国連の報告によれば、今年これまでの死亡者数は、前年同期比で約6割強増加しているという。またアナリストによれば、2008年前半で、米軍および同盟軍は、前年同期比40パーセント増、1,853発の爆弾/ミサイルを発射しているという。
タリバン勢力は、これに対抗し新たな攻撃を宣言。一連の大規模攻撃により支配地を拡大している。4月にはカルザイ大統領も危うく暗殺されるところであった。6月には、カンダハールの刑務所が襲われ収容者約1,000人が逃亡。2週間前には、カブールのインド大使館爆破で40人が死亡、約100人が負傷している。
タリバンの存在は全国に広がり、特にカブール周辺で勢力を増している。ガズニ州では、ほとんどの地区が夜間はタリバンの支配地同然という。また、クナール、ヌリスタン州では、警察は既に検問を取りやめ、タリバンは自由に行き来しているという。
この様な状況の中で、米国ではアフガン兵力増強論が浮上してきた。アフガン駐留の米司令官は、暴力鎮圧には1万の兵力増強が必要と主張。民主党大統領候補のオバマ氏は、イラク兵力を削減し、アフガンへ2旅団、約7千人を派遣すると約束。共和党のマケイン候補もイラクの兵力は維持するとしながらも、オバマ氏と同様の政策を主張している。いずれも兵力不足が暴力拡大をもたらしたとの考えであるが、2007年1月にNATO軍を3万7,500人から5万3,000人に増加したにもかかわらず、暴力は拡大している。
アフガン市民の多くは、貧困対策やインフラ整備といった根本的な問題に取り組まなければ、7,000人の増兵では何にもならないと語っている。最近のアフガニスタン情勢について報告する。(原文へ)
翻訳/サマリー=IPS Japan
|パキスタン|タリバン支配、いよいよペシャワールにまで拡大か
【ペシャワールIPS=アシュファク・ユスフザイ】
パキスタン北西部、ペシャワールのハヤタバード地区(Hayatabad Township)は300万人が暮らす新興住宅地域である。しかし、最近この地域にもタリバン復活の波が徐々に押し寄せている。
タリバンが勢力を拡大している同地域では近年、暴力や破壊行為、誘拐、略奪などが後を絶たない。ハヤタバード地区ではラシュカール・エ・イスラム(Lashkar-e-Islam)の指導者Mangal Baghに対する軍事作戦が続けられている。
住民の1人Asim Gulさんは、前もって家族を北西辺境州(NWFP)の安全な村に移動させた。彼はIPSの取材で「先月も自宅近くでロケット砲弾が落ち周辺はパニックに陥った。現在も私は眠れぬ夜を過ごしている」と不安な気持ちを語った。
政治学の講師Sajjad Ahmed氏は「ペシャワールを除くNWFP全ての地域でタリバンは勢力を伸ばしている。従って、タリバンが次に制圧に乗り出すのはペシャワールだ」と説明する。
しかし、地元警察や民兵組織ではイスラム兵士に歯が立つわけがない。ペシャワールにある30箇所の警察署は午後8時以降になると閉めてしまうという。ペシャワール郊外でも5月に起きた手榴弾による警察官への攻撃以来、夜間巡回が全く行われていない。
ペシャワール大学のAshraf Ali教授は「連邦直轄部族地域(FATA)を直接支配している連邦政府が、武装勢力の拡大阻止に向け真剣に取り組まない限り、NWFPの混乱は収まらない」と分析する。ペシャワールの制圧を狙うタリバンの最近の動きについて伝える。(原文へ)
翻訳/サマリー=IPS Japan