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「シリアとフランス、レバノン問題で衝突」とUAE紙

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【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)の主要英字日刊紙は、最近のフランスとシリア両国の政治外交面の衝突について論評した。ニコラ・サルコジ仏大統領がシリアとの国交断絶をちらつかせ、シリアはレバノン危機の解決に当たりフランスと協力するつもりはないと即答した。

ドバイの『カリージ・タイムズ(Khaleej Times)』紙は本日付社説で、「再び外交面の報復合戦が行われた。サルコジ大統領は、レバノン新大統領選出の手詰まり問題でシリアとの外交関係を断絶すると声高に叫ぶが、アサド大統領が西側の示すレバノン和平プランにおとなしく従うと考えているのだろうか?」と述べた。

 「アサド政権がレバノン新大統領選出を妨害していない証拠を示すよう求めるフランスに対し、シリアの外務大臣はレバノン危機を解決するためにフランスに協力するつもりはないと表明した。」

「サルコジ大統領は数ヶ月前からアサド大統領に特使を送り、親シリアのエミール・ラフード前大統領が11月に職を辞して以来、大統領職が空席となっているレバノンの手詰まり状態の解決を模索している。激しい国内対立と大統領職を巡る利権構造の争いで、レバノンの政治混迷は深まるばかりだ。先月の暗殺事件が、政治混乱にさらに拍車をかけている。」

「仏大統領はアラブ・イスラエルの和平プロセスにおいても発言を拡大させているが、シリアとの外交努力では突破口が見出せていない。前任者のジャック・シラク大統領はレバノン和平プロセスにシリアを参加させることを嫌ったが、現大統領はアサド政権を交渉に参加させることに前向きだ。」
 
 「サルコジ大統領はハリーリ元首相暗殺に関する国際法廷設置に財政支援を行うと表明、司法プロセスへのシリアの介入をけん制した。しかし、西側はシリアのような中東の権力ブローカーとの対立姿勢は避けた方がよい。レバノン国内の対立勢力が一致して大統領候補を選出し、国家を再び機能させることに焦点を当てるべきだ。それには、ヒズボラも参加させなければならない。」

「シリアはレバノンに関わることで、経済的であれ何であれ損失を蒙ることはなく、手詰まり状態が続くことを歓迎するかもしれない。しかし、西側と対立することには気をつけたほうがよい。何といっても、シリアは欧州の援助に大きく依存しているのだから」と論説は結んだ。(原文へ) 

翻訳=IPS Japan

レバノンで救われるイラク難民

【ベイルートIPS=レベッカ・ミュレー】

その女性は、夫とバグダッドの街角を歩いていたところ、武装した5人の男たちにさらわれて繰り返しレイプされた。 

「彼女は以前、自分の体に自信を持っていたのですが、いまでは太ってしまいました。太ることで体の魅力を失わせ、他人から自分を守ろうとしているのです」と語るのは、サナ・ハムゼさんだ。彼女は、この女性のようにイラク国内で何らかの被害を受けてレバノンに難民としてやってきた人々を支援する施設「リスタート」で働いている。

 「リスタート」は、国連難民高等弁務官(UNHCR)から資金援助を受けた団体によってベイルートで運営されている。今のところ、70人のイラク人難民に無料のセラピーを施す活動を行っている。 

代表のスザンヌ・ジャボールさんはいくつかの困難について語る。「まず、人びとは心理面での援助を受けることを怖がっています。レバノンやイラクの文化ではそれは普通のことではないからです。第2に、私たちは、イラクの文化や歴史、伝統について学ばねばなりません。最後に、イラク人はここレバノンで非人間的に扱われています。ほとんどの難民は低い自尊心しか持てず、何が起こっているかわからないために、それに適応することもできないのです」。 

UNHCRの見積もりによれば、少なくとも220万人の難民が2003年以降にイラクを離れた。デンマーク難民協会(DRC)の最近の調査では、約5万人のイラク人難民がレバノンに滞在しているという。しかしながら、その中でレバノンへの定住が当局から認められた者はわずか600人しかいない。 

レバノンは難民条約に署名していない。そのため、入国管理官による厳しい取締りがイラク人難民を待っている。難民はまるで犯罪者のように逮捕され、イラクに送還されるか、帰国を拒否した場合は無期限で身柄を拘束されるのである。 

そんな中でも、「リスタート」は希望の光を与えてくれている。バグダッドで学校の警備をしていてそれをやめるよう脅され拷問を受けたエヤドさん(33)は、現在ベイルートのヒズボラ支配下の地域に住んでいる。彼はいま、月給300ドルで窓磨きの仕事をしている。イラクに帰って家族との再会を果たすのが夢だ。彼は静かに語る。「最終的には、すべての人間が人間になるのです」。 

レバノンで暮らすイラク人難民について報告する。 (原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

|エジプト|レバノン危機に無力

【カイロIPS=アダム・モロー&カレド・ムッサ・アルオムラニ】

今週もベイルートで爆破事件があったが、レバノンは政治的膠着が続いている。2005年よりレバノンでは、西側の支持を受ける多数派の政府と、シーア派抵抗組織ヒズボラを先頭とする野党が対立している。野党にはキリスト教勢力も含む。 

サアド・ハリーリ国会議員の「3月14日運動」は、2005年にシリアをレバノンから撤退させたが、ここにも多数の勢力が集まっている。過去3年間の要人暗殺は、シリア政府によるものと主張している。

 一方、ヒズボラはシリアとイランから支援を受けている。米国とイスラエルからは「テロ組織」と呼ばれているが、アラブ世界では、イスラエルのレバノン侵攻に確固たる抵抗を示す勢力として、認知されている。 

昨年11月、エミール・ラフード大統領の任期切れに当たり、与野党勢力の緊張が高まった。昨年末のフランスによる介入など、さまざまな仲介工作は、うまくいっていない。大統領不在のまま内戦になることも、危惧された。 

今のところミシェル・スレイマン司令官を候補とすることで、仮合意している。ただし野党が拒否権の立法化を求めるなど対立点は多い。 

 1月6日、アラブ連盟は外務大臣レベルの会議を開き、事態打開を模索した。エジプトとサウジアラビアの提案により、スレイマンを大統領とする選挙を即時実行すること、国家統合政府を作ること、どちらの勢力にも拒否権を認めないこと、新しい選挙法を採択すること、という対策案が示された。シリアもイランもこれを歓迎した。 

3日後、アラブ連盟事務総長アミール・ムッサはベイルートを訪問し、両勢力の代表を説得にかかった。しかし、両勢力とも、検討するとしただけで、正式な受け入れを保証しなかった。 

13日エジプトのホスニ・ムバラク大統領は、「レバノンのすべての勢力は、国家崩壊を防ぐために、この提案を実行するべきだ。」と記者会見で述べた。こうした発言にもかかわらず、アラブ連盟を離れると、エジプトの外交的役割は低いと、見られている。 

エジプトの反体制誌『アルカラマ』の元編集長、カンディル氏は「エジプトの役割は見物人でしかない。」と言う。「中東地域におけるエジプトの役割は低下し、サウジアラビアとイランの影響力が大きくなった。」と同氏は分析する。 

エジプトの有力紙『アルゴムリヤ』編集長のアルハディド氏も、「エジプトのレバノンへの影響力は弱く、国内に支持者を持つシリア、フランス、イランが直接的役割を担っている。」と取材に答えた。 

ムスリム同胞団」の外交担当であるサアド・アルフセイニ議員によれば、「エジプトの役割低下は、エジプト政府が米国寄りであることに由来する。」とIPS記者に語った。「我々も、早急に大統領を選出するよう、要求することは賛成だが、レバノン南部を占領しているイスラエルに抵抗する必要があるので、ヒズボラの武装解除は受け入れられない。」と議員は述べた。 

エジプトのレバノンへの影響力低下を、専門家に取材した。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 

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エジプト政府、パレスチナ人の巡礼を許可

東アフリカで米国の頼みの綱となるケニア、選挙後の混乱が続く

【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

ケニアで起きている選挙後の騒動により、紛争が続く東アフリカ地域で米国が長期にわたり最も信頼していた国の将来が危ぶまれている。ブッシュ政権はフレーザーアフリカ担当国務次官補を首都ナイロビに派遣し、キバキ大統領と野党指導者オディンガ氏との仲介を試みた。

少なくとも600人の命を奪った危機の発端は、12月30日に選挙委員会がキバキ再選を発表したことだった。不正の証拠が認められたにもかかわらず、米国大使はキバキ大統領を祝福した。だが1月2日には、米国のライス国務長官、英国のミリバンド外務相、アフリカ連合(AU)が紛争をやめるようケニアに要請する事態となった。

フレーザー国務次官補の滞在は長引いている。さらにAUのクフォー議長が調停に乗り出す直前にキバキ大統領が一方的に閣僚指名を行ったことが新たな火種となりつつある。米国務省はキバキ大統領に失望の意を表明し、双方の話し合いによる解決の必要性を強調している。

 ケニアは東アフリカにおける米国の経済および地理戦略上の重要なパートナーである。ケニアが紛争により機能不全に陥ることは重大な問題だ。1998年のアルカイダによるケニアの米国大使館爆破事件、2002年のモンバサのホテル襲撃事件もあり、米国はケニアを反テロ活動の重要な同盟国として、多額の支援を行ってきた。

だが軍事基地の使用許可やイスラム教徒の容疑者引渡しなどの米国への協力は、ケニアのイスラム社会からは疎んじられ、多くのイスラム教徒は野党に投票したとみられている。

ケニアの港や交通インフラは東アフリア地域の商業および人道支援の中心的役割を担ってきた。2011年に独立する可能性のある南スーダンは、石油を含む交易をモンバサ経由で行う見込みであり、ケニアの重要性はさらに増すものとみられている。

米国政府はケニアを民主主義と経済成長によりアフリカのモデル国として称えてきた。だが実際には汚職や貧富の格差が広がっている。選挙後の混乱が続くケニアの情勢について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

|米国|対テロ戦争、東に移動

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【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

米国防総省(ペンタゴン)は1月15日、アフガニスタンへ海兵隊約3,200人を投入する旨発表した。3か月以内に実施される同増兵により、アフガニスタン駐留米兵はこれまで最高の3万人レベルとなる。 

イラク駐留16万の兵士と比べると遙かに少ないが、同決定は、米・NATO軍がパシュトゥーン人民兵を中心とする反乱勢力を抑えられていないことの証である。増兵発表の前日にも、自爆テロ犯がカブールの高級ホテルに忍び込み、米国市民およびノルウェー大統領アフガン訪問の取材に当たっていたノルウェー人ジャーナリストを含む数人を爆死させる事件が起こっている。 

しかし、米政府の心配はアフガニスタンだけではない。ブット元首相の暗殺で政治不安が高まる隣国パキスタンでも最近、アルカイダと密接な関係にあるパキスタン・タリバンのバイトゥラ・メフスードの指揮の下、原理主義者とパシュトゥーン人民兵が行動を共にしている。

 ゲイツ国防長官は先月、「アルカイダは今やパキスタンにその顔を向け、同国の政府および人民を攻撃している」と語り、パキスタンが世界で最も危険な場所との見解が外交議論の主流になっている。 

ブット暗殺およびムシャラフ大統領の国内での不人気により、15億ドルに上る対パキスタン軍事援助への付帯条件議論が始まった。ペンタゴンは12月31日、ロッキード・マーチンのF-16型戦闘機18機をパキスタンに提供する旨発表し批判を呼んだ。上院外交委員会のバイデン委員長は、「この微妙な時に5億ドルに上る最新鋭戦闘機をパキスタンに提供するとは」と語っている。 

バイデン議員を始めとするグループは、政治改革を軍事援助の条件とするよう主張しているが、他のグループは、パキスタン政府は、過去5年に亘る110億ドルの援助をテロ対策ではなくインドを牽制するための通常武器購入に使用したと批判している。 

パキスタン・タリバンの勢力拡大およびパキスタン軍の戦闘能力不足を理由に、米政策担当官はCIAと特殊部隊(SOF)の越境攻撃を議論してきた。しかし、この様な行動は大衆の反発を招くこと必至である。米政府は現在、軍事支援の一部をパキスタン軍の訓練や国境地域の開発(5年間で7億5千万ドル)に充てることを検討している。 

しかし、ランド・コーポレーションの地域専門家クリスティーン・フェアー氏は、「過激派の地域支配は既に悪化している。同計画は4年前に開始すべきであった」と語っている。米国のアフガニスタン増兵とパキスタン政策について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan 浅霧勝浩 


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|米国|対テロ戦争に4300億ドルを支出

|メキシコ|NAFTAの実行がいよいよ最終段階へ突入

【メキシコシティIPS=ディエゴ・セバージョス】

1月1日、北米自由貿易協定(NAFTA)に従って、メイズ(トウモロコシ)、大豆、砂糖、粉ミルクなどの農産品に対する全ての輸入規制が撤廃された。1994年に発効したNAFTAは、少しずつ輸入規制を取り除いてきており、その最終段階に突入したことになる(NAFTA全体としては、来年1月の中古車貿易規制撤廃をもって全ての措置を完了する)。

農民たちの中には、NAFTAによってメキシコの農業が破壊されてしまったとの思いがある。

 1月1日には、約200人のNAFTA反対派が、米国に通ずる15の国境地帯のうち1つを封鎖した。翌日には、やはり200人近くがメキシコシティの米国大使館の前で抗議デモを行った。

「食糧主権擁護・農村再活性化全国キャンペーン」のミグエル・コルンガ氏は、同キャンペーンに加わる300の農民・社会団体は、NAFTAの再交渉が行われるまで活動をやめないと語った。

しかし、フェリペ・カルデロン大統領は再交渉はしないと明言し、その代わり、海外からの商品に対する競争力強化策で乗り切るとしている。

NAFTAが発効した当時のカルロス・サリナス大統領(在1988~94)は、2008年の農業市場完全開放までには十分な準備時間があると主張していた。しかし、それは間違いであった。コルンガ氏は、「実際には、政府は小農の自己努力に頼り、あらゆる支援策の削減を行った。そのため、米国や都市への移住が増えたのだ」と話す。

経済協力開発機構(OECD)によると、メキシコ政府による農家支援は、対GDP比で1991~93年の3%から2003~05年の0.9%まで縮小しているという。
 
 そのため、メキシコ産の農作物は国際競争力を完全に失っている。全国小農連合(CNC)によると、メキシコ産メイズの生産コストは米国産のそれに比べてなんと300倍も高く、産出量は3.5倍低い。米国の農家は平均して年間2万ドルの補助金を受け取っているが、メキシコの農家はわずか770ドルだ。

前出のコルンガ氏は、他の活動家とは違って、NAFTAのみが悪だとは考えていない。なぜなら、メキシコの農村問題はすでに1980年代に発生していたからだ。コルンガ氏は、この時期からメキシコ政府が農村に背を向け始めたと回顧する。

NAFTAによる農業市場完全開放の時代に突入したメキシコから伝える。

INPS Japan 

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移住は生物圏保護区への恵みか

ディエゴ・セバージョスの記事

|ケニア|大統領選後の暴動に調停の動き

【ナイロビIPS=ナジャム・ムシュタク&ジャクリンヌ・ホブス】

オレンジ民主運動(ODM)のライラ・オディンガ代表は、ケニア国民に対し12月27日のキバキ大統領再選に抗議する集会への参加を呼びかけていたが、警察のデモ隊鎮圧により、延期を発表した。

また、1月3日混乱打開のため、アフリカ連合の議長であるガーナのクフォ大統領が同国を訪れる予定であったが、これも危うくなっている。しかし、ノーベル平和賞受賞者のツツ元大司教はナイロビに到着。オディンガ氏と会談の予定である。

 鎮静化を求める声は、米英などからも上がっており、ゴードン・ブラウン英首相は、オディンガ/キバキ連立政府の可能性も示唆している。

投票の監視に当たっていたEUオブザーバーは1月1日、「問題は投票終了後に始まった。我々は開票場から締め出され、結果も知らされず選挙委員会本部のスコア・ルームへのアクセスも拒否された」とのコメントを発している。

事実オディンガ候補は、開票前半では明らかに有利であったが、キバキ氏の牙城であるセントラル州の結果発表の中で徐々に伸び悩み、最終的には約20万票差でキバキ大統領の勝利となったのだ。ケニア選挙監視フォーラムも開票に疑問を呈し、ケニア選挙委員会委員長さえ地元紙にキバキ氏が勝利したかどうかわからないと語っている。

キバキ氏は、長年ビジネス、政治を牛耳ってきたケニア最大のキクユ族出身であるのに対し、オディンガ氏はルオ族の出身である。300人の死亡者、7~10万人の難民を出した暴動は、政治的/民族的対立に発展している。

一方、議会選ではODMが210議席中100席を獲得。キバキ氏の国家統一党は40議席に甘んじ、キバキ政権閣僚のほとんどが議席を失った。また、過去との決別を望む有権者の意思を反映するかの様に、キバキ支持のモイ元大統領の3人の息子も落選した。

有権者は、キバキ大統領の経済政策に何の意味も見出さなかったのだ。不正は横行し、経済成長は市民の生活改善に繋がらなかった。大統領選の混乱は続くかもしれないが、議会には僅かながらも変化の風が吹くだろう。

ケニアの選挙暴動について報告する。(原文へ
 
翻訳/サマリー=IPS Japan

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メディアを標的にした法律に抗議
ケニア国民、憲法改正を拒否

エジプト政府、パレスチナ人の巡礼を許可

【カイロIPS=アダム・モロー&カーリド・ムッサ・アル・オムラニ】

エジプト政府は昨年12月初め、約2,200人のガザ住民にエジプト経由でサウジアラビアのハッジ巡礼に行くことを許可した。12月3日、巡礼団はガザ/エジプト国境唯一の通過点である「ラファ横断道」を通りエジプトに到着した。 

ラファ横断道は、ハマスがガザを占拠した6月から閉鎖されていた。エジプトの説明によれば、イスラエル、エジプト、ヨルダン川西岸地域(ウェストバンク)を拠とするパレスチナ自治政府(PA)との間の2005年セキュリティー合意に基づきエジプト/ガザ国境の交通をモニターしていたEUオブザーバーの帰国により急遽取られた処置であったという。

 他の交通路はすべてイスラエルの厳しい監視下に置かれているため、同措置により、ガザと外の世界を繋ぐ道路は完全に失われてしまった。ハマス孤立化を望むイスラエルとPAは、それ以来エジプトにラファ閉鎖の継続を呼びかけ、エジプトも概ねこれに従ってきた。 

今回エジプトが、思いもかけず巡礼を認めたことにイスラエルおよびPAは強く反発。ハマスは、ガザ孤立解消へ向けての第1歩と歓迎した。 

しかし、話はこれで終わらなかった。3週間後にサウジから戻ったパレスチナ巡礼団に対しエジプト当局は、ラファではなくラファの南10Kmのカレム・アブ・サリム横断道を通って帰国するよう命じたのである。カレム横断道は、ラファと異なりイスラエルの監視が厳しい道路である。 

巡礼グループにはハマス・メンバーも参加していたため、彼らは逮捕を恐れこの申し出を拒否。エジプト当局は、彼らをシナイ半島のアル・アリシへ移送し、ラファ閉鎖後7か月間も留め置きをくっているパレスチナ人数百人と共に、粗末なキャンプで国境再開を待つよう命じた。 

この措置にパレスチナ、エジプト国内で批判が高まり、カイロでもラファ横断道の即時解放を要求するデモが繰り広げられた。巡礼グループの窮状に対する国内外の批判が高まる中、エジプト政府は1月2日ラファの使用を認めたが、その間に疲労、病気により2人の巡礼者が死亡している。 

この出来事から、一部専門家は、エジプトは依然ガザ問題解決のための交渉カードを握っていると語っている。また、エジプト労働党のフセイン氏は、今回の事件は、米国/イスラエル/アラブ諸国政府から成るグループとアラブ市民との対立を如実に示すものと語っている。エジプトの思いもよらぬ巡礼許可とその後の事態について報告する。 (原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 


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|エジプト|ムスリム同胞団への弾圧強まる

|映画|歪んだレンズで描かれる1982年の虐殺事件

【ワシントンIPS=アリ・ガリブ】

アカデミー賞外国語映画部門に正式ノミネートされているイスラエルのドキュメンタリー・フィルム「バシールとのワルツ」が米国で拡大上映されている。同映画は、1982年西ベイルートで起こったサブラ・シャティラ虐殺に関係したイスラエル国防軍(IDF)兵士の心的外傷後ストレス障害を描いている。 

最初のシーンは歯をむいて唸りながら道路をかける26頭の犬。彼らは、同映画の製作者アリ・フォルマンの友人で元IDF兵士ボアズ・レイン・ブスキラが1人たばこを吸っているバルコニーの下に集まって来る。

 そこから場面は2006年のイスラエルのバーに移る。フォルマンは酒を飲みながらレイン・ブスキラとしゃべっている。と、陰鬱なアニメシーンが現れる。これがフォルマンの創作的試みだ。レイン・ブスキラの声に被さって、彼の回想がアニメで表現されるのだ。イスラエルの西ベイルート占領時代、闇に紛れてレバノンの村々に侵入するイスラエル部隊のため、彼は吠える近所の犬を射殺する命令を受けたのだ。 

フォルマンは事件について何も憶えていなかったが、車で帰宅する途中、急にサブラ・シャティラ虐殺の場面が蘇る。しかし、彼はそれが記憶なのか幻覚なのか定かではない。 

イスラエル占領軍は西ベイルートのパレスチナ難民キャンプサブラとシャティラを取り囲んで封鎖し、ファランヘ党民兵に難民殺害を許したのだ。彼らはキリスト教徒のバシール・ジェマイエル大統領暗殺の報復のため、パレスチナ難民を殺した。 

フォルマンはそこから、記憶の再構築を始める。彼はレバノンに入り、戦車の後ろから銃を乱射した。彼と仲間の兵士は夜、裸で水泳をする。彼らが目の窪んだゾンビの様な姿で水から上がると、目の前のスラムがイスラエルの攻撃で真っ赤に燃えている。 

その後フォルマン監督は、IDFの他の友人、心理学者、現場に居たビデオ・レポーター等とのインタビューを通じ事件の真相を組み立てて行く。そして最後に、アニメーションが難民キャンプ包囲の実写ビデオに変わる。 

先週アル・ジャジーラが放送したガザの地上攻撃はサブラ・シャティラ封鎖の光景と重なる。「バシールとのワルツ」は公平な歴史の理解と殆ど語られていないイスラエル側の心の傷を描いている。同映画を見ると、現在19歳のIDF兵士が25年後に心的外傷後ストレス障害に悩まされるのだろうかと考えてしまう。 

イスラエルのドキュメンタリー映画「バシールとのワルツ」について報告する。 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 


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ツツ大司教、イスラエルの行為をアパルトヘイトにたとえる

小国スロベニアがEU議長国に

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【ベオグラードIPS=ベスナ・ペリッチ・ジモニッチ】

1月1日から、スロベニアが欧州連合(EU)の議長国になる。任期は半年。2004年にEUに加入した国々としては初めての議長国である。 

スロベニア政府はすでに、議長職を務めるための予算として9300万ドルを計上している。数多くの国際会議を取り仕切ることが主な任務だ。それは、EUへの貢献であると同時に、スロベニアを売り込むチャンスでもある。 

スロベニアは、今回議長国になるにあたって以下の5つの目標を立てた。 

(1)リスボン条約(EU憲法草案に代わる条約)の推進 
(2)「新リスボン戦略サイクル」の立ち上げ(研究開発・イノベーションへの投資、競争的ビジネス環境の発展、労働市場の改革、人口変動への対処など)
(3)気候変動への取り組み 
(4)西バルカンにおける欧州戦略の強化 
(5)欧州内における文化間対話の促進 

スロベニアは、旧ユーゴスラビアが分裂してできた諸国の中でもっとも経済的に成功した国だといえる。1人あたりのGDPは2万2000ドルに達する。失業率は欧州の中でも最低の9%、インフレ率はわずか5%以下である。この経済的成功のゆえに、ユーロを通貨とすることも認められている[IPSJ注:2007年1月から]。 

他方、国内においては、政府によるメディア抑圧が強まっている。 

スロベニアが独立宣言をした直後の1992年2月、政府は、非スロベニア人数千人の市民権を一方的に抹消した。彼らは、戦闘の始まっていたクロアチアやボスニア・ヘルツェゴヴィナなどへ移住することを余儀なくされた。国内の人権団体「ヘルシンキ・モニター」のNeva Miklavcic Predan氏はこれを「行政措置としての民族浄化」と呼んでいるが、ヤネス・ヤンシャ首相は、海外メディアに対してこのような発言を続けるPredan氏を裁判所に訴えたのである。 

ことはこの一件にとどまらない。政府は、2006年中に、直接的・間接的なさまざまな手段を通じて国内メディアの80%の編集者を交代させてしまった。 

こうした強権発動に対して、約600人のジャーナリストが、2007年10月、報道の自由を求める嘆願書をヤンシャ首相に提出している。 

EU議長国になるスロベニアの現状について伝える。 (原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan 浅霧勝浩