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ケニア暴動の原因は部族憎悪、選挙だけではない

【ナイロビIPS=ナジュム・ムシュタク

アナン前国連事務総長は1月27日、12月の選挙以来続いている暴動の犠牲者と懇談の後記者団に対し、「混乱の背景にある資源の平等配分といった根本的問題に対処しなければ、3、4年後には再び同じような事態になる」と述べた。

アナン氏の調停によりキバキ大統領と野党リーダー、オディンガ氏との対話の構造が出来上がり、両者は先週対話継続を誓い握手を交わしたが、暴力の波は激しさを増している。

キクユ族のキバキ大統領、ルオ族のオディンガ氏が和解し、合意に沿って権力分割を行っても、長期に亘る部族間暴力の経済的/政治的根本原因は去らないだろう。

 リフト・バレーで緊急アセスメントに当たっているデンマークの救援ワーカーは、「部族間憎悪を原因とするのは余りにも単純な解釈である。土地、住宅、水へのアクセスが真の原因である」と言う。

ナイロビのメディア企業に勤めるミリセント・オグトゥ氏は、「不正選挙に対する抗議に加わっているのは、貧困者、失業者、土地を持たない者達のみだ。この階層の人々だけが暴力を働き、選挙に異議を唱えている」と語る。

実際、ナイロビで暴動が起こっているのは、キベラ、マターレ等のスラムやその他の貧困地区だ。オディンガ氏の出身地であるニャンザ州キスムなどでも同様の現象が見られる。
 
 ラジオ・ジャーナリストのラファエル・カランジャ氏は、「キバキ、オディンガに反対を唱えている中産階級がいるだろうか。選挙の効力を信じ、土地、住宅、飲料水といった基本問題の改善に繋がると期待した人々が抗議に立ち上がったのだ」と語る。

ナイロビには中産階級は存在しない。スラムか富裕地区だけだ。ナイロビ大学のある教授は「モイおよびキバキ政権の下、富裕層はスーパー・リッチになり貧困層は更に貧しさを増した。中間層は薄くなり、その殆どは貧困へ転落していった。部族間闘争の様相を呈している暴動は、実は広がる社会格差を根本原因としているのだ」と説明する。不正選挙に端を発するケニアの暴動について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan
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|ルワンダ大虐殺のその後|将来の展望を失った若者たち

【キガリIPS=ノエル・E・キング】

ルワンダ大虐殺でGilbert Nshimyumukiza(21)の記憶に最も残っているのは、兄弟で重症を負った父親を家に運ぶ途中、突然雨が降り出してきたことである。

地面は泥で滑りやすくなり身動きが取れなくなった。しかも、父親の容態は悪くなる一方。彼らにできることは父親にシートを被せ、息を引き取るのを静かに待つことだけだった。

Nshimyumukizaは「雨が降ってきたんだ。私はとても幼くて、ただ座って泣いていたが、誰も助けてはくれなかった」と当時を振り返る。

ルワンダの多くの若者は、Nshimyumukizaと同様の悲惨な経験をしている。幼くして親を亡くし孤児となった若者たちは、学校を中退することが将来どのような影響を及ぼすかなど考えることもできなかったのだ。

大量虐殺が起きたのはNshimyumukizaが9歳の時である。ルワンダではフツ族民兵の武装組織『インテラハムウェ(interahamwe)』と強硬派のフツ政権により暴徒化した市民が、推定80万人のツチ族と穏健派フツ族を100日の間に殺戮した。

現在、失業中のNshimyumukizaは「将来の見通しは極めて厳しい」と打ち明ける。心理的・肉体的問題だけでなく、基礎学力の低下といった問題も彼を苦しめているのだ。

Nshimyumukizaは「政府は学力の平均点が3で中等学校を卒業した者に対して、国立大学への入学を許可するとしているが、私の成績は2.8だった」とIPSの取材に応じて語った。

大虐殺の勃発以後、Nshimyumukizaは授業に全く集中できなかったという。「政府は生き残った我々に学費を与えてくれたが、我々が欲しかったのは食べ物、衣服、靴といった生活に必要な最低限の物だ。私は路上で理髪の仕事をしていたため、学校にも満足に行けなかった」

Noel Munyarwaは当時10歳だった。いつか自家用車を持つことを夢見ている、数学の得意な悪戯好きの小学生であった。

Munyarwaは現在、ルワンダのNGO団体で(同年代の)外国人研修生のために料理や掃除を行うなど住み込みの仕事をしている。収入は食事付きで1ヶ月40ドルである。

(Munyarwaの暮らす)Nyaruguru郡で虐殺が始まった頃、Munyarwaの家族は地元の教会に逃げ込んだ。しかし、フツ族の民兵組織(インテラハムウェ)は教会を包囲し、窓から侵入して次々に人々を殺害したという。

IPSとの取材の中でMunyarwaは消え入るような小さな声で、苦悩に顔を歪めながら応じた。「私の母と2人の姉は手榴弾で死んだ。妹と私は無我夢中で走り、他の人々のあとを追ってブルンジ共和国まで逃げた」

6ヵ月後、彼らがルワンダに戻った時には学校などどうでもよかった。ルワンダ政府は若者に学費を支給したが、それ以上のことはしなかった。

Munyarwaは「本当に必要なものは靴と鉛筆、そして食糧だ」と語った。彼の家族は勿論これらを買うことはできなかった。そこで彼は、他の孤児仲間と共に道端でタバコやビスケットを売った。その後、料理・掃除・洗濯など住み込みの仕事もした。

Emmanuel Ngabanzizaは小学校の頃、授業中に騒ぎたくなることもあったと告白する。しかし、彼の父は厳格で、成績が下がればよく彼を殴っていたという。

大虐殺が勃発した当時、Ngabanzizaの両親は幼い彼の目の前で射殺された。彼と6人の兄弟・姉妹は家に逃げ込んだが、そのうち4人は銃で次々に殺害された。Ngabanzizaと2人の姉は村人たちと共にブルンジへ逃げた。

Ngabanziza はIPSとの取材に応じ「(我々を含む)約150人が野原を抜けて走ったが、そこにはすでにナタを持った多くの民兵が待ち構えていた。ブルンジに逃げることができたのは50人ほどだったと思う。残りは皆殺された」と話した。

ブルンジの難民キャンプで4ヶ月を過ごした後、Ngabanzizaはルワンダに戻り、学校にも行った。しかし、学校での成績は芳しくなかった。

「私はこれまでの悲惨な経験からすっかり意気消沈し、精神的にも不安定になった。しかし、こんな私を助けてくれる人はいなかった。学校から取り残されたような気分になった」と語る。

虐殺を逃れたルワンダの若者の中には、自分の生活を何とか軌道に乗せようと努力している者もいる。

Serge Rwigamba(26)はこれまでの自分の人生を3つに分けて振り返った。(1)大虐殺勃発以前の気楽な幼少期、(2)殺戮の中で体験した恐怖の時代、(3)現在の生活。

(1)Rwigambaは小学校の頃、ルワンダの民族的背景について全く知らなかった。ある日、先生がフツ族の生徒は起立するように指示した時、Rwigambaも立った。(当時、フツ族の生徒はサッカーが上手で生徒の間で人気があったからだ)。しかし、フツ族の先生は直ぐに彼に座るよう指示。そのとき初めてRwigambaは自分がツチ族であることを知ったのだ。

(2)大虐殺勃発時、13歳のRwigambaはキガリのSaint Famille教会で身を潜めていた。ツチ族とわかれば民兵によって引っ張り出され、射殺・撲殺されるためだ。Rwigambaは女性用のスカートで顔を隠していたため、危機一髪のところで命拾いした。しかし、彼の父と兄は殺害された。

(3)現在、RwigambaはKigali Free Universityの学生で『Kigali Genocide Memorial(キガリ虐殺記念館)』のガイドを務めている。彼は今も悲惨な暗い過去の記憶に苦しんでいる。

Rwigambaは25万8,000人の死者が眠る14箇所の共同墓地を眺めながら、「私の父と兄もこの墓地のどこかに埋葬されている。私はここで働くことができて幸せだ。毎日、彼らに会うことができるから」と取材に答えた。

虐殺の責任者を許すことができるかという質問に対しては、(多くのルワンダの若者と同様)Rwigambaも口を閉ざす。

「我々は天使ではない。『人間』なのだ。その質問は、まるで我々が『人間』ではないかのように振舞えと言われているのと同じだ」と述べた。

Rwigambaは他の若者よりも幸運なほうだ。彼の母親は虐殺を逃れ、その後赤十字で仕事を始めた。そして現在、彼女は仕事を引退したためRwigambaの学費を出すことができない。しかし、Rwigambaの記念館での仕事の収入は1ヶ月240ドルであるため、これらの費用を賄うことはできる。

Rwigambaは自分が(他の若者と比べると)幸運なほうであり、同じ境遇の仲間のことを共感できると語る。しかし一方で、彼は「虐殺を生き抜いてきた若者はけじめをつけるべきだ」と話す。「収入を得ることができるよう、彼らに対して少しでも仕事をするよう促していくべきだ。彼らこそが率先して悲劇を乗り越えていかなければならない」と述べた。

一方、希望を見出せない若者の多くは『言うは易し、行なうは難し』と話す。Munyarwaは「人生が変わっていたら思うが、(実際にどのように変わるのかと問われれば)私にもわからない」と述べた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

|人権|西側諸国の身勝手な“民主主義”解釈

【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は1月31日、「西側政府が主張する“民主主義”は、政治的/経済的利益を優先し、明らかに市民の政治的/社会的権利を妨害する身勝手でいい加減なものである」とする年次報告書『ワールド・レポート』を発表した。 

米国およびEUは、選挙実施を援助提供や関係強化などの基準としているが、同報告書は、単に選挙を実施するだけでは民主国家は生まれないと主張する。 

HRWのケネス・ロス氏は、「ワシントンおよび欧州政府は、“勝利者”が戦略的/経済的に役立つと思えば最も疑わしい選挙でさえ受け入れるだろう」と語る。その最たる例がブッシュ大統領のムシャラフ大統領支援である。ロス氏は、「疑いの声もなくエジプト、エチオピア、カザフスタン、ナイジェリアのリーダー達を民主主義者と讃えては、民主主義思想を貶めることになる」と言う。

 民主改革の基盤を選挙実施に置く議論は1980年代初めのレーガン政権時代に始まった。レーガン大統領は、エルサルバドルの軍事政権に対し行っていた軍事援助を主とする数億ドルの支援を正当化するため、同議論を利用したのだ。(レーガン時代に国務省の人権担当長官補であったエリオット・エイブラズは、ブッシュ政権のグローバル・デモクラシー戦略のための国家安全保障顧問を務めている) 

ロス氏は、「西側諸国は、民主主義を機能させる報道の自由、集会の自由、権力に真の異議申し立てを行うことが可能な市民社会の活動といった重要な基準を忘れている」と指摘する。 

選挙についても西側諸国のご都合主義は明らかだ。ロス氏は、「米政府の民主弾圧批判は、イラン、ビルマ、キューバといった長年の敵対国、孤立国に向けられ、サウジアラビア、チュニジア、エチオピア、エジプト、ヨルダンといった国々を除外している」と述べている。ヒューマンライツ・ウォッチの年次報告が指摘する西側大国のご都合主義的民主主義解釈について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 

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2006年の戦争で失われた市民の命

【国連IPS=ハイダー・リズヴィ】

ロンドンを本拠とする国際的な人権団体アムネスティ・インターナショナルは、2006年のイスラエルとレバノンとの戦争に関してイスラエルが行った調査結果について、レバノンの民間人に対する戦争犯罪を無視しているとして異議を唱えている。 

イスラエル政府の軍事行動に関するウィノグラード調査委員会の報告書は1月30日に発表された。退官判事のエリヤフ・ウィノグラード氏が議長を務める委員会は、戦闘には明確な戦略がなく、政府の重大な失策だったと報告した。 

だがヒズボラの兵士とレバノン市民を判別できなかった理由については言及されていなかった。 

アムネスティはイスラエル軍の重大な国際人道法違反が取り上げられておらず、戦闘に関係のない市民の殺害や民間資産、社会基盤の理不尽な破壊が調査されていないと批判している。イスラエルは戦争犯罪を否定し、ヒズボラの武装勢力もイスラエル市民への無差別攻撃を行ったと主張している。

 停戦直前にイスラエルから浴びせられた1800発のクラスター爆弾は不発弾を大量に残したため、戦争終結後も多くのレバノン市民が被害にあっている。報告書がクラスター爆弾の使用は合法的だが規律や管理に問題があったとするのに対し、アムネスティはイスラエルにクラスター爆弾の禁止と不発弾の除去作業への協力を求めている。 

さらにアムネスティは権限を持つ調査委員会が証人喚問や処罰請求を行っていないことを非難した。テルアビブ大学の政治学のペレド教授は「調査委員会は、期待通りに、失策のごまかしと政治家の責任逃れを手助けするという役割を果たした」という。 

国際人道法違反の嫌疑はイスラエルを中傷するプロパガンダだと調査委員会は主張しているが、アムネスティはイスラエルの攻撃で犠牲となったのは多くの子供を含むレバノン市民であると結論し、2006年11月の国連の調査委員会もイスラエルは民間人と戦闘員を区別しなかったという報告を行っている。 

アムネスティが非難するイスラエルの戦争調査委員会の調査結果について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 

HIV/エイズの脅威に晒される移民たち

【タショロトショ(ジンバブエ)IPS=イグナチウス・バンダ】

ブラワヨ市内から南東へ約150km、マタベレランド州の辺境地の1つタショロトショ(Tsholotsho)では職を求めて周辺国へ出稼ぎに行こうとする若者で溢れている。しかし、家族を養うために故郷を離れた彼らを待ち受けているのは、HIV/エイズの脅威である。 

WHO(世界保健機関)など現地の専門家によると、サハラ以南諸国での移民の増加はHIV/エイズの感染拡大を助長する原因になっており、移民労働者の生活の長期化や(農村部での)コンドーム使用率の低さなどがその背景にあるという。

 国連の統計では、ジンバブエの平均寿命は女性が34歳、男性が37歳と世界で最も低い。  

『南部アフリカ地域貧困ネットワーク( Southern African Regional Poverty Network: SARPN )』が発表した報告書(『Mobility and HIV/AIDS in Southern Africa』)も、ジンバブエの移民労働者は複数の性交渉相手を持つ場合が多いことや、男性のコンドーム利用が定着していないことを指摘。 

ジンバブエでは経済危機のあおりを受けて多くの人々が職を求めて近隣諸国に移動している。同国政府は昨年、HIV/エイズの罹患率が減少したと発表した。しかし、国連開発計画(UNDP)やWHOは移民の増加の影響で正確な数値を得ることは難しいとして、政府側の公式発表には疑問があると論じた。 

タショロトショで活動するNGO職員Maria Guyu氏は、若者の移民労働者の急増がHIV/エイズの感染を一層拡大させていると主張している。「タショロトショのような町には、(抗レトロウイルス薬など)十分な治療薬も無ければ、医者や看護士、(患者に必要な)食料さえも不足している」と農村部を取り巻く厳しい現実を嘆いた。 

HIV/エイズの蔓延が深刻化するジンバブエの辺境地について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 

|国連|子ども自爆兵を懸念

【国連IPS=タリフ・ディーン】

国連はアフガニスタンやイラクで増加の一途をたどる子どもを巻き込んだ自爆攻撃について『大いなる懸念』だとしている。 

30日(水曜日)国連が発表した45ページにわたる報告書『Children and Armed Conflict(子どもと武力紛争)』には、「これは比較的最近の傾向である。国連は紛争に巻き込まれた子どもに関する極めて憂慮すべき数件の事例を記録した」としている。 

さらに、イラクのアルカイダやその民兵、アフガニスタンのタリバンを名指しした上で「国連はこのような組織と問題解決のためのいかなる取引も行うことはできない」と述べている。 

国連人権委員会特別報告者ラディカ・クマラスワミ氏はIPSとの取材に応じて「子どもを巻き込んだ自爆テロは多くの新たな問題をもたらしている」と指摘した。

 「我々はこの問題にどう対処すべきか、今現在、取り組んでいるところだ」 

 クマラスワミ氏は、次の3点について疑問を投げかけた。「第一に、(戦争捕虜に関する扱いを規定した)『ジュネーブ条約』において、自爆テロ犯は『戦闘員』と見なされるのか?自爆テロを起こす可能性のある人間を『兵士』と見なすことができるのか?あるいは、これらの自爆テロ犯を『子ども兵士』と判断していいのか?」 

「第二に、『安保理決議1612』の目的は軍司令官と行動計画を締結し、子ども兵士を解放することである。しかし、自爆テロ犯やテロを起こす可能性のある人物に関して、これをどのように進めていくべきなのか?」 

「最後に、子ども兵士を徴用している政府や他の武装組織などと同様に、自爆テロを実施する(アルカイダなどの)武装グループが、子どもの解放を巡り我々国連との話し合いに応じる可能性はかなり低いだろう。この問題は、国連と武装組織との協議によって解決できる問題なのか?また各国政府はこれを許可するだろうか?」 

「政府の許可を得ることができさえすれば、我々は話し合いができるのだ」 

しかし、アフガニスタンのカルザイ政権は現在、国連など国際組織に対してタリバンとの一切の協議を許可していない。 

先月、EUの職員(英国人)と国連職員(アイルランド人)の2名が激しい戦闘の続く南部ヘルマンド州のタリバン側との協議を行おうとしたことを理由に、アフガニスタンから退去させられた。 

(来月12日の国連安保理の議題に上る予定の)同報告書によると、現在世界の約13カ国(ブルンジ、チャド、コロンビア、コンゴ民主共和国、ビルマ、ネパール、フィリピン、ソマリア、スリランカ、スーダン、ウガンダ、アフガニスタン、中央アフリカ共和国)で政府や武装グループが子ども兵士を利用しているという。 

一方、コートジボワールでは現在子ども兵士の事例は報告されておらず、シエラレオネでも武装解除により子ども兵士が解放されたため、国連のリストにも上がっていない。 

国連は、ウガンダ、スリランカ、スーダン、ビルマで現在も子ども兵士の解放に向けた取り組みを行っているところだ。 

クマラスワミ氏は30日の記者会見で、「世界中で今もなお約25万から30万人の子供兵士がいる。そして、我々は子ども兵士を取り巻く戦闘の形態が変化してきていることを心配している」と語った。 

同報告書は、最近多くの子どもが『テロの実行犯』になっていることや、時には子どもが敵からの攻撃を防ぐための『人間の盾』にされる場合もあると伝えている。 

自爆攻撃などの激しい戦闘で子どもを徴用し、利用するケースも目立ってきている。 

アフガニスタンのホースト州で昨年2月、12歳と15歳の少年が自爆テロを行い警備員1名が死亡、市民4名が負傷した。さらに、14歳の少年が州知事を暗殺するため、自爆攻撃用ベストを着用して歩いているところを逮捕された。 

昨年5月には、自転車に乗った14歳の少年がイラクのハディーサで自爆攻撃用ベストを爆発させ、巡回中の警察官3名が死亡した。 

また、武装組織の新たな作戦として、車による自爆攻撃で子どもを囮にする事例も報告されている。 

同報告書はイラクでは戦闘により犠牲になる子どもの数は増え続けていると伝え、さらに、現在報告されている自爆攻撃の一覧表を掲載。子どもの死傷者数はほぼ毎日伝えられているとしているが、まだ今のところ信頼性のある統計値ではないとしている。 

「住宅街を狙った迫撃砲による無差別攻撃や、自爆攻撃(特に殺傷能力の高い自動車爆弾)の犠牲者には多数の子どもが含まれている」と説明している。 

クマラスワミ氏は、記者に対して「アフガニスタン、イラク、タイで増加している宗教とは無関係の『学校』をターゲットにした攻撃にも懸念している」と述べた。 

 このような学校への攻撃は『教育の推進』に反対する一部の武装組織が行っている。2006年8月から2007年7月の間に、学校を狙った攻撃は少なくとも133件あったという(死亡者10名)。 

さらに、学校の中でも女子高が特に狙われており、女子生徒や女性教員への計画的な攻撃が多発している。 

アフガニスタンでも学校機関、特に女子教育の促進を妨害するため女子高をターゲットにした(武装グループによる)攻撃が相次いでいる。 

ユニセフ(国連児童基金)はイラクでは現在子どもの就学率は30%であると予測している。 

同報告書では特に痛ましい事例として昨年起きた以下の事件を挙げている。 

昨年1月、バグダッド西部のal-Khuludの女子中等学校で迫撃砲が打ち込まれ生徒5人が死亡、21人が負傷した。 

5月と6月には、バクバで女子の学校機関を狙った3件の攻撃が発生。 

タイでは、73名の教師が死亡し、100を超える学校が焼き払われた(昨年6月だけでも11校が全焼)。このような卑劣な行為は全て『武装分子』によるものだ。(原文へ) 

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩 


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将来に向けてのセーフガードとして農作物の多様性を急速冷凍

【メキシコシティIPS=ディエゴ・セヴァジョス】

アフリカ、アジア、ラテンアメリカ、中東各地の農作物20万品種を貯蔵するため北極圏にあるノルウェー領の島に建設された急速冷凍貯蔵施設に向けて、トウモロコシ(メイズ)と小麦の種子3tが輸送されている。 

何千年もの間種子を保存できるよう北極の永久凍土層深くに建造されたこのスヴァールバル世界種子貯蔵庫(Svalbard Global Seed Vault)は、世界最多の植物遺伝資源を収集して保存することになる。 

メキシコに本部を置く国際トウモロコシ・小麦改良センター(CIMMYT)の資源動員部長ロドミロ・オルティス氏は「実に驚くべき取り組みだが、人災や天災から貴重な生物学的収集を保護するにはそれだけの価値がある」とIPSの取材に応えて述べた。

オルティス氏によれば、CIMMYTからは小麦48,000、トウモロコシ7,000のサンプルが先週ノルウェーに向けて発送された。 

166箱の積み荷には、米州のトウモロコシの多様性の90%近くに相当する品種が含まれている。トウモロコシは、およそ8,000年前にメキシコで初めて栽培化された。 

「この積み荷には、遺伝子組み換えのメイズの種子はひとつたりとも入っていない」と断言したCIMMYTの研究員オルティス氏は、しかし次のように言い添えた。「遺伝子組み換え作物については賛否両論あるが、大いに役立つ地域もあるのは確かである」 

「さまざまな米、小麦、豆、モロコシ、サツマイモ、レンズ豆、ヒヨコ豆、その他各種食糧、飼料、農林植物が、人間の農業遺産を遺すための最後の倉庫として建設された施設に保護されることになる」と国際農業研究協議グループ(CGIAR)は説明している。 

1971年に創設され、世界各地に所在する15の公的農業研究センターと研究者8,500人の連携協力を図っているCGIARは、貯蔵施設に生物由来物質を提供する。 

世界各地からノルウェーに向かっている種子は、ノルウェー本土からおよそ1,000km北にあるスヴァールバル諸島にある町ロングイェールビーン近くの山腹に建てられた貯蔵施設に保管される。 

貯蔵施設の建設はノルウェー政府が資金提供した。施設運営費はローマに本部を置く世界作物多様性財団(Global Crop Diversity Trust)が負担する。 

貯蔵施設に送られる最初の積み荷に入れられたCGIARからの種子複製は、ベニン、コロンビア、エチオピア、インド、ケニア、メキシコ、ナイジェリア、ペルー、フィリピンおよびシリアにある国際研究センターから集められたものである。CIMMYTを含むCGIARのセンターは、遺伝子銀行に60万の植物品種を保存している。 

オルティス氏の説明では、2月末に開設が予定されている貯蔵施設には、今後数年にわたり種子が送られ続けることになる。 

伝えられるところによると、米国の映画監督のオリバー・ストーン氏がこのプロセスに関心を持ち、CIMMYTの高官によれば、「地球最後の日のための貯蔵庫」とマスコミが呼ぶこのプログラムについて映画を制作する計画という。 

「CGIARの収集物は世界の農業の『至宝』である」と、世界作物多様性財団の事務局長ケアリー・ファウラー氏は述べている。財団は、種子の準備・梱包・運版関係の費用を負担する。 

ファウラー氏は声明で「米、小麦粉、メイズ、豆を収集した世界最大規模のもっとも多様なコレクションである。これらの作物の伝統的在来種の多くは、遺伝子銀行に収集・保存されなければ失われていただろう」と言い添えている。 

オルティス氏は「貯蔵施設は、私たちが免れ得ないものである攻撃や破壊などの場合にも、農業システムの回復に役立つ」と言う。 

 イラクのアブグライブにある遺伝子銀行は、2003年の米主導によるイラク侵攻後、略奪者によって荒らし回された。しかし種子は、シリアにあるCGIARセンターに複製のコレクションがあったため、失われることはなかった。 

CGIARはまた、2006年にフィリピンの国立コメ遺伝子銀行に大きな被害をもたらしたシャンセン台風(台風15号)を例に挙げる。 

オルティス氏は、遺伝子銀行は博物館ではなく、種子を収集・保管する場所であり、さらには、異なる条件に適合したより生産性の高い種子を改良する場所でもあると強調した。そうした財産が、可能性のあるいかなる脅威からも遠く離れたノルウェーに貯蔵されることになる。(原文へ) 

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩 

|欧州|さらに東へ移動するシェンゲンの壁

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【プラハIPS=ゾルタン・ドゥジシン 】

シェンゲン自由往来圏の拡大は西欧と東欧の再結合を実現するものとして期待されているが、圏外の東側では負担を強いられると感じており、圏内の西側では変化を歓迎しない国もある。シェンゲン協定に調印した国の人々は、圏内の国境を自由に往来できる。 

中東欧諸国が12月21日に加盟し、キプロス、アイルランド、英国を除くすべての欧州連合(EU)諸国がシェンゲン協定に調印した。文化的経済的結びつきが強まり、観光業が活性化される一方で、西側は犯罪や不法移民の増加を心配し、東側はEUからの疎外を不満に思っている。

新たな加盟国は、不法移民を防ぐためにシェンゲン圏以外の国境の警備を強化している。EU加盟を望んでいるウクライナは、西側との新たな壁が東に移るとシェンゲン圏の拡大に批判的だった。今後ウクライナでは、国境を接するポーランド、スロバキア、ハンガリーのビザを取得するために35ユーロ、書類提出、10日間が必要になる。 

国境近辺に住む人々は1日に何度も国境を往復して生活しているため、審査手続きの強化に抗議し、ウクライナとポーランドとの国境地帯では大規模なデモが行われた。シェンゲン圏への加盟前にポーランド当局はウクライナ国境の往来に支障はないとしており、ポーランドは新たな協定作りを急いでいる。 

ウクライナの安い労働力がEUに流れ込むのを阻止しなければならないが、国境の取り締まりが一般市民の生活に不都合となっても困る。 

シェンゲン圏拡大に関与する諸国は、密輸や不法移民を取り締まるため、圏内の国境警察隊の縮小に伴い、国境地域や建設現場での書類審査を厳しくした。国境を接する4カ国が新たにシェンゲン圏となったオーストリアは、政府が1年後にシェンゲンによる影響を調査するまで定期的審査を続ける計画である。 

ドイツ警察は東欧の安全基準の低さを挙げてシェンゲン拡大に反対だった。シェンゲン圏拡大に伴う影響について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 

|ケニア|注目されないキシーの難民たち

【キシー(ケニア)IPS=クワンボカ・オヤロ】

ケニア大統領選挙で現職のムワイ・キバキ大統領陣営が不正を行ったとの疑惑に端を発した暴動で、すでに25万人が移住を余儀なくされ、500人以上が殺害されている。

ケニア西部キシー市(Kisii)にある大聖堂にも、すでに1週間以上前から2000人ほどの難民が身を寄せている。

政府は、キバキ大統領の敵対候補であるライラ・オディンガ氏(オレンジ民主運動)支持が多い近隣のカレンジン人の居住地域から、大統領に親和的なキシー人をここキシー市へ連れ出してきている。

 ある男性は、「私は単にキシー人だというだけの理由でここへ連れてこられた。でも、どこへ行ったらいいのかわからない」と話す。この男性によると、住民の中には、家を焼かれたり「家に戻ったら殺す」と脅されたりした者もいるという。

赤ちゃんを抱えたある女性は、疲れきって話すこともできない。涙が彼女のほほを伝っている。彼女の夫と子供は、暴動の渦中で殺害されたかもしれないという。

教会も食糧を配給するなど何とか難民支援をしようとしているが、あくまで一時的な措置に過ぎない。メイズの収穫はまだ1ヶ月も先のことだ。

難民たちは、政府はキシーの難民を無視しているとして怒りをあらわにしている。また、現地にいる記者たちも、キシーの窮状がメディアを通じて伝えられていないと危機感を口にした。

すでに、3000人以上の難民がケニアから隣国ウガンダに流出しているとの報道もある。

ケニア暴動から逃れようとしている難民の窮状について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

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メディアを標的にした法律に抗議

国連、米国の支配で無力化

【国連IPS=タリフ・ディーン

就任2年目を迎える国連の潘事務総長の働きについて、ワシントンを拠とするInstitute for Policy Studyの新国際プロジェクト担当ディレクター、フィリス・ベニス氏は、「事務総長のこれまでの行動および今後のアプローチには、独立、強さ、強権国に異議を唱える気概、国家/人類の平等に対する責任感が見られない。国連が揺らぐ信用を取り戻す可能性があるとすれば、これらは不可欠な資質である」と語る。

潘事務総長は、1月7日の年頭記者会見において、「ご承知の通り、私は成功を簡単に誇るような人物ではない」とした上で、一定の成功を収めた分野として気候変動およびダルフールを始めとする和平活動の2つを上げた。しかし、ダルフールにおける国連の和平ミッションは、人員とヘリコプターの不足により開始前から厄介な状況に直面している。事務総長は、必要な26,000人の兵力の内僅か9,000人しか確保できていない旨明らかにした。

 アンワルル・チョードリ前国連事務次長は、「国連はかつての尊敬と支持を失っている。事務総長の就任2年目に当たり、信頼と中立を回復することが同機関にとって最大の課題である」と指摘した。同氏は、信頼喪失の例として、国連への抗議デモや国連トップの現地事務所訪問拒否、ホスト国による国連職員の追放、セクハラを原因とする国連治安部隊の撤退などを上げている。

サンフランシスコを拠とするシンクタンク、オークランド・インスティチュートのアヌラダ・ミッタル氏は、「国連とその機関は、米国を始めとする西側資本に支配され無力化してしまった。西側諸国は、拠出を盾に国連を人質化してしまった」と語る。

一方、国連は今年、中東、ダルフール、ビルマ、イラク、イラン、レバノン、アフガニスタン、コンゴ民主共和国といった新旧多数の政治問題に取り組まなければならないだろう。潘事務総長は、記者会見において、ケニア、スリランカ紛争、中東和平、イラクの生活再建および難民対策、アフガニスタン問題等への取り組みを強調したが、2008年中にこれらの約束を果たすことができるだろうか。ベニス氏は、ノーと言う。

同氏は、単独軍事主義、国連憲章の軽視/違反、国連決議、他の国際法の制定といった過去7年に亘るブッシュ政権の外交政策の影響を指摘。また、オルブライト国務長官(当時)の「国連は米外交政策の手段である」との1995年発言にも触れ、米国の支配が国連の使命/国際協力実現の最大の障害になっていると語っている。国連が直面している諸問題について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

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