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クメール・ルージュ裁判で画家が当時の看守と対面に 

【バンコクIPS=マルワーン・マカン・マルカール】 

1970年代にカンボジアで行われた大量虐殺の加害者側と被害者側の2人が、今年中に、プノンペンで開かれる戦争犯罪を裁く特別法廷で対面することになるかもしれない。

そのひとりヴァン・ナト氏にとっては、30年近くもひたすら待ち続けてきた機会となる。彼は、1975年4月から1979年1月まで残虐なクメール・ルージュが政権を掌握していた時期刑務所として利用されていたカンボジアの首都プノンペンの中等学校トゥオル・スレンから生きて出てこられたわずか7人のうちの1人である。

少なくとも1万4,000人の被収容者は、彼のように幸運ではなかった。彼らは、拷問を受け、殺害された。


もうひとりは、過激派組織マオイスト(毛沢東主義派)の間ではS-21の呼称で知られていたトゥオル・スレン刑務所の所長カイン・グェック・イヴ(通称ドゥッチ)である。彼は現在、クメール・ルージュの他の4人の生き残り幹部とともに、国連が支援する戦犯法廷の管理下に置かれている。この戦犯法廷「カンボジア裁判所特別法廷(ECCC)」は、今年中に第1回審理を行う見込みである。

「クメール・ルージュの幹部らが法の裁きを受けるのを30年近く願ってきた。ドゥッチの裁判に出て、きちんとした判決がなされるのか見守りたい」と、1979年1月に自由の身となって以来S-21での1年に及ぶ苦悩を抱え続けてきたナト氏は話す。

しかし、白髪に加え、黒く濃い眉毛の先も白くなった61歳のナト氏は、さらなる行動をとる覚悟もできている。最近の訪問先バンコクで取材に応えた彼は、「法廷が証人として私を必要とするならば、出廷して証言する用意がある。私に出廷を求めるかどうかは、法廷の機密事項だと思う」と述べた。

もし出廷することになれば、カンボジアでの伝説的な存在であるナト氏の立場がさらに強まることは間違いないだろう。彼は、S-21における恐怖を実体験した被収容者のひとりであるばかりでなく、自由の身となって以来、自らの悲惨な体験を絵画を通じて生々しく、率直に伝えることを自らの使命としてきた。それは、彼の記憶から流れ出て凍結した苦悶の一瞬、一瞬を描いたものである。

1980年にトゥオル・スレン・ジェノサイド博物館で初めて絵画展を開いて以来、数々の絵画展を通じて、むち打たれ、爪をはがされる囚人たち、クメール・ルージュの看守に首を輪切りにされる囚人、看守に胸に抱いた赤ん坊を奪い取られ、殴打される母親など、さまざまな囚人の姿が伝えられた。今週バンコクで開幕した絵画展では、鎖につながれた囚人や、2人の看守に連れられていくナト氏自身のやせ衰えた姿も描かれ、心傷む内容である。

ナト氏の絵は、国民の4分の1に当たる170万人近くを殺害したとされる、クメール・ルージュ政権の恐怖をまさに如実に描き出している。乳児すら含む犠牲者の大半は、処刑されたかあるいは強制労働や飢えで死んだ。これには、ナト氏が収容されている間に飢え死にした彼自身の息子2人も含まれる。

キャンバスに向かうためこうした記憶を掘り起こすことで、心が慰められたり、創造的な喜びを味わうことはない。「看守に引きずられていく囚人を描くのは、今もって本当に辛い」と、ナト氏は感情を抑えた声で語った。「当時のあそこでの苦しい記憶が甦る。でもだからこそ絵を描き、暗く悲痛なあの時代を記憶にとどめるのだ」

実際、S-21での体験を書いたナト氏の著書は、彼が絵に描く苦悩がいかに真実に近いものかを物語っている。「トゥオル・スレンの元虐殺者」とナト氏が呼ぶ元看守と相対したとき、ナト氏は彼に刑務所の描写がどれほど正確かを尋ねた。それは1996年初頭に対面した時のことだったが、元看守は「いや、誇張ではまったくない。もっと残虐な場面もあった」と答えた。 

 「看守たちが母親から赤ん坊をもぎ取り、別の男がその母親を棒で殴打している絵を見たか」ナト氏は、著書『カンボジア刑務所ポートレート』で今は解放されたクメール・ルージュの看守に続けて問うたことを記している。「あなたや看守たちは、赤ん坊をいったいどうしたのか。どこに連れて行ったのか」

看守の答は次の通りだった。「連れ出して殺してしまった。赤ん坊は全員殺害するよう命令を受けていた」

「あの可愛い赤ん坊たちを殺害したとは!」と、ナト氏は苦悶に満ちた自らの返答をこのように書いている。「私は言葉を失った。彼の最後の陳述は嘘ではなかった。私は心の奥底で、彼らは子どもには危害を加えなかっただろうと、今までずっと思っていたのに」

しかしこの「トゥオル・スレンの画家」は、こうしてあまりにも多くの苦悩を呼び起こす画家という仕事こそが、刑務所を生きて出られた理由でもあると認めた最初の人物でもある。貧しい農家に生まれたナト氏が拘束され、S-21に連行されたのは、彼の画家としての才能が見込まれてのことだ。それまでナト氏はプノンペンからおよそ300kmの北西部の都市バッタンバンで広告看板の絵描きをしていた。

彼は、刑務所の拷問官から、ほとんど見も知らぬクメール・ルージュの指導者ポル・ポトの肖像画を描くように命じられた。彼は最初、人目を避けた独裁者の白黒写真を基に、モノクロの絵を描いていた。後になって彩色の絵を描くようになった。

当時ナト氏は、生きるために描いていることを知っていた。ミスは許されなかった。一緒に収容されていた画家仲間の中には、描いた肖像画が看守に認められず、処刑された者もいた。

最終的な審判者だったのがドゥッチだ。彼はナト氏が描いたポル・ポトの肖像画を詳しく調べて、「上等だ」、「結構」と言った。

とは言え、ナト氏の仕事がいかにドゥッチに気に入られていたかを知ったのは、クメール・ルージュがベトナム軍によって政権の座を追われた後のことである。1980年トゥオル・スレン・ジェノサイド博物館で働いていた時ナト氏は、刑務所の文書を調べていた研究者からあるリストを見せられた。

それは、1978年2月16日にドゥッチが許可した囚人の処刑リストだった。リストにはナト氏の名前もあったが、「画家は生かしておくこと」と赤インクで書かれていたという。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩


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|カンボジア|クメール・ルージュ大量虐殺裁判始まる

|ウクライナ|NATO加盟論議再び

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【プラハIPS=ゾルタン・ドゥジジン】 

ウクライナ指導部が北大西洋条約機構(NATO)への加盟を目指した新たな動きをはじめ、加盟論議が再燃している。 

そのきっかけとなったのは、ユーシチェンコ大統領、ティモシェンコ首相、ヤツェニューク最高会議議長の3者が、NATOに対して、4月にブカレストで行われるNATOサミットにおいてウクライナを「加盟行動計画」(MAP、Membership Action Plan)の一員に加えるよう要請する書簡を送ったことであった。 

【IPSJ注:MAPとは、NATOへの正式加盟を検討している国家が加盟の条件整備に向けた支援を受けるために参加しなければいけないプログラムのこと】。

これまで、ウクライナ指導部がNATO加盟に向けてこれほどはっきりと発言したことはなかった。しかし、内外にはさまざまなハードルがある。 

まずは、ウクライナの加盟に反対してるロシアの存在だ。ユーシチェンコ大統領は、ロシアの恐怖心を打ち消すために、NATOに加盟しても外国軍基地を国内に置かせないようにすると約束している。他方で、ロシアのプーチン大統領は、NATO加盟に反対しつつも、ガス問題で最近会談したユーシチェンコ大統領に対して、加入問題で内政干渉しないことを約束してもいる。 

しかし、事情はきわめて複雑だ。ウクライナにはロシアとの軍事協力関係もある。他方で、ウクライナ・ロシア両国はNATOとも軍事演習を行っているし、ウクライナはイラク、アフガニスタン、バルカン半島でNATOの作戦にも加わっている。 

ウクライナの国内世論はNATO加盟にあまり好意的でない。各種世論調査では、約半数が加盟に反対で、賛成は最大で30%ほどしかない。反対論者が国土の西側に、賛成論者が東側・南側に固まる傾向がある。「国際政策研究センター」(キエフ)のナタルヤ・シャポワロワ氏は、2009年の大統領選挙で勝利をねらっているティモシェンコ首相は、国民世論を気にしてNATO加盟を強く打ち出すことができないだろうと見ている。 

ウクライナのNATO加盟論議について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan 

|カンボジア|クメール・ルージュ裁判で画家が当時の看守と対面に

【バンコクIPS=マルワーン・マカン・マルカール】 

1970年代にカンボジアで行われた大量虐殺の加害者側と被害者側の2人が、今年中に、プノンペンで開かれる戦争犯罪を裁く特別法廷で対面することになるかもしれない。 

そのひとりヴァン・ナト氏にとっては、30年近くもひたすら待ち続けてきた機会となる。彼は、1975年4月から1979年1月まで残虐なクメール・ルージュが政権を掌握していた時期刑務所として利用されていたカンボジアの首都プノンペンの中等学校トゥオル・スレンから生きて出てこられたわずか7人のうちの1人である。 

少なくとも1万4,000人の被収容者は、彼のように幸運ではなかった。彼らは、拷問を受け、殺害された。

 もうひとりは、過激派組織マオイスト(毛沢東主義派)の間ではS-21の呼称で知られていたトゥオル・スレン刑務所の所長カイン・グェック・イヴ(通称ドゥッチ)である。彼は現在、クメール・ルージュの他の4人の生き残り幹部とともに、国連が支援する戦犯法廷の管理下に置かれている。この戦犯法廷「カンボジア裁判所特別法廷(ECCC)」は、今年中に第1回審理を行う見込みである。 

「クメール・ルージュの幹部らが法の裁きを受けるのを30年近く願ってきた。ドゥッチの裁判に出て、きちんとした判決がなされるのか見守りたい」と、1979年1月に自由の身となって以来S-21での1年に及ぶ苦悩を抱え続けてきたナト氏は話す。 

しかし、白髪に加え、黒く濃い眉毛の先も白くなった61歳のナト氏は、さらなる行動をとる覚悟もできている。最近の訪問先バンコクで取材に応えた彼は、「法廷が証人として私を必要とするならば、出廷して証言する用意がある。私に出廷を求めるかどうかは、法廷の機密事項だと思う」と述べた。 

もし出廷することになれば、カンボジアでの伝説的な存在であるナト氏の立場がさらに強まることは間違いないだろう。彼は、S-21における恐怖を実体験した被収容者のひとりであるばかりでなく、自由の身となって以来、自らの悲惨な体験を絵画を通じて生々しく、率直に伝えることを自らの使命としてきた。それは、彼の記憶から流れ出て凍結した苦悶の一瞬、一瞬を描いたものである。 

1980年にトゥオル・スレン・ジェノサイド博物館で初めて絵画展を開いて以来、数々の絵画展を通じて、むち打たれ、爪をはがされる囚人たち、クメール・ルージュの看守に首を輪切りにされる囚人、看守に胸に抱いた赤ん坊を奪い取られ、殴打される母親など、さまざまな囚人の姿が伝えられた。今週バンコクで開幕した絵画展では、鎖につながれた囚人や、2人の看守に連れられていくナト氏自身のやせ衰えた姿も描かれ、心傷む内容である。 

ナト氏の絵は、国民の4分の1に当たる170万人近くを殺害したとされる、クメール・ルージュ政権の恐怖をまさに如実に描き出している。乳児すら含む犠牲者の大半は、処刑されたかあるいは強制労働や飢えで死んだ。これには、ナト氏が収容されている間に飢え死にした彼自身の息子2人も含まれる。 

キャンバスに向かうためこうした記憶を掘り起こすことで、心が慰められたり、創造的な喜びを味わうことはない。「看守に引きずられていく囚人を描くのは、今もって本当に辛い」と、ナト氏は感情を抑えた声で語った。「当時のあそこでの苦しい記憶が甦る。でもだからこそ絵を描き、暗く悲痛なあの時代を記憶にとどめるのだ」 

実際、S-21での体験を書いたナト氏の著書は、彼が絵に描く苦悩がいかに真実に近いものかを物語っている。「トゥオル・スレンの元虐殺者」とナト氏が呼ぶ元看守と相対したとき、ナト氏は彼に刑務所の描写がどれほど正確かを尋ねた。それは1996年初頭に対面した時のことだったが、元看守は「いや、誇張ではまったくない。もっと残虐な場面もあった」と答えた。 

 「看守たちが母親から赤ん坊をもぎ取り、別の男がその母親を棒で殴打している絵を見たか」ナト氏は、著書『カンボジア刑務所ポートレート』で今は解放されたクメール・ルージュの看守に続けて問うたことを記している。「あなたや看守たちは、赤ん坊をいったいどうしたのか。どこに連れて行ったのか」 

看守の答は次の通りだった。「連れ出して殺してしまった。赤ん坊は全員殺害するよう命令を受けていた」 

「あの可愛い赤ん坊たちを殺害したとは!」と、ナト氏は苦悶に満ちた自らの返答をこのように書いている。「私は言葉を失った。彼の最後の陳述は嘘ではなかった。私は心の奥底で、彼らは子どもには危害を加えなかっただろうと、今までずっと思っていたのに」 

しかしこの「トゥオル・スレンの画家」は、こうしてあまりにも多くの苦悩を呼び起こす画家という仕事こそが、刑務所を生きて出られた理由でもあると認めた最初の人物でもある。貧しい農家に生まれたナト氏が拘束され、S-21に連行されたのは、彼の画家としての才能が見込まれてのことだ。それまでナト氏はプノンペンからおよそ300kmの北西部の都市バッタンバンで広告看板の絵描きをしていた。 

彼は、刑務所の拷問官から、ほとんど見も知らぬクメール・ルージュの指導者ポル・ポトの肖像画を描くように命じられた。彼は最初、人目を避けた独裁者の白黒写真を基に、モノクロの絵を描いていた。後になって彩色の絵を描くようになった。 

当時ナト氏は、生きるために描いていることを知っていた。ミスは許されなかった。一緒に収容されていた画家仲間の中には、描いた肖像画が看守に認められず、処刑された者もいた。 

最終的な審判者だったのがドゥッチだ。彼はナト氏が描いたポル・ポトの肖像画を詳しく調べて、「上等だ」、「結構」と言った。 

とは言え、ナト氏の仕事がいかにドゥッチに気に入られていたかを知ったのは、クメール・ルージュがベトナム軍によって政権の座を追われた後のことである。1980年トゥオル・スレン・ジェノサイド博物館で働いていた時ナト氏は、刑務所の文書を調べていた研究者からあるリストを見せられた。 

それは、1978年2月16日にドゥッチが許可した囚人の処刑リストだった。リストにはナト氏の名前もあったが、「画家は生かしておくこと」と赤インクで書かれていたという。(原文へ) 

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩 


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|カンボジア|クメール・ルージュ大量虐殺裁判始まる

世界の子供の真の幸福のために

【国連IPS=タリフ・ディーン

東京に本部を置く「子どものための宗教者ネットワーク」(GNRC)の精神的指導者宮本けいし師によれば、世界22億人の子供の多くは、極貧、無関心、搾取の中で喘いでいるという。 

宮本師は、IPSのタリフ・ディーン国連総局長に対し、「グローバル繁栄の時代そして科学/技術革新の中で、これは非人道的で受け入れ難いことである」と語った。 

2000年5月にGNRCを立ち上げた「ありがとう基金」の代表を務める宮本師は、「(しかし)同時に、この数十年で大きな進歩があったことも認識すべきだ」と語った。 

東京を拠とする同基金は、2002年の国連子供特別総会においてスピーチする栄誉を与えられた唯一の宗教非政府組織(NGO)である。 

宮本師は、「以前のジェネレーションと比べれば、死亡する子供は減少し、学校へ通う子供は増加。男女差も軽減され、両親達は想像もできなかったコンピューター・アクセスやゲームといった多くの近代的娯楽設備を楽しんでいる」と指摘する。

Photo Creidt: Thalif Deen
Photo Creidt:Thalif Deen

 インタビューの概要は次の通り。 

IPS:世界の子供達は、貧困、戦争、性的虐待、労働搾取、HIV/AIDSの犠牲となっており、状況は依然悪化しています。これについてどうお考えですか。また、世界的に子供の犠牲が増えている原因は何でしょうか。 

宮本けいし師(KM):世界の子供が置かれている状況は様々です。大きな格差があります。悪化の主原因は、ユニセフ(国連児童基金)その他の機関が言う、「はびこる貧困/不平等」、「HIV/AIDSの蔓延」、「戦争/紛争」の3つです。これらは特にアフリカ、アジアに広がっています。 

セックス観光、インターネット・ポルノ、経済移民の搾取といったグローバリゼーションの悪い面が問題の複合をもたらしています。 

物質の剥奪と子供の搾取の裏には、より深い原因があることを付け加えなければなりません。それは、近代社会におけるモラルと精神的価値の崩壊に関係しており、それが暴力や虐待、差別、子供の権利の蹂躙をもたらしているのです。 

GNRCは、素晴らしい伝統や世界のあらゆる宗教の教えを基に、人間社会の尊い義務として子供の幸福の確保を優先する社会を築こうとしています。 

IPS:国連、その付属機関、国際人道組織は、子供の犠牲の軽減に大きな貢献をしていると思いますか。そうだとすればどの様に、またそうでないとすれば、何故かをお聞かせ下さい。 

KM:国連システムおよび国際人道機関は、世界の子供の状況改善に大きな貢献をしていることを忘れてはなりません。世界で最も広く批准されている人権協定である国連子供権利条約は、全加盟国及び子供権利活動家の行動の指針となる基準を設定しました。 

国連が制定したミレニアム開発目標(MDGs)は、子供の幸福を優先課題としました。国連機関は、基準や目標の設定の他に、これら目標の達成のため加盟国に具体的支援を行っています。例えば、世界保健機構(WHO)およびユニセフは、毎年500万人が犠牲になっている天然痘の撲滅のため世界的対策を主導しました。今日では、数百万の子供達が犠牲となっていたもう一つの恐ろしい病気ポリオも地上から姿を消そうとしています。 

ユネスコは子供の初等教育向上に貢献しています。国際労働機関(ILO)は、最悪の子供労働の禁止に役立っています。国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)は、数百万の子供難民の保護に当たっています。赤十字、セーブ・ザ・チルドレン、オックスファム、CARE、ワールド・ヴィジョンといった多くの人道組織は、天然災害、人為危機の際の子供の保護に活躍しています。 

彼らの熱意、支援が無ければ、政府の努力だけでは今日の様な進歩はあり得なかった、またあり得ないだろうと思います。 

しかし、実際の子供のニーズとなると、国連機関、人道組織、NGOの努力は不十分と言わざるを得ません。従って、子供の人間としての可能性を花開かせることができる世界を創出するため、世界の宗教が手を携えてグローバルなキャンペーンを行う必要があるのです。 

地球上の人々の大半は宗教を持っており、彼らの宗教的伝統およびコミュニティーは、子供の問題の解決に専念することが可能な広大な精神的、物質的リソースを有しているのです。 

IPS : 教育、道徳、宗教は子供のリハビリにどの様な役割を果たすのでしょうか。世界の主要宗教は十分な働きを行っていますか。異宗教間の対話は役に立ちますか。 

KM:教育は、人間の行動変化の鍵であり、特に子供に多様性の尊重、相互理解、寛容、非暴力、紛争の平和解決を教え込むのに役立ちます。道徳教育の主目的は、若いジェネレーションの心と精神にこの様な価値を植え付けることです。宗教は、このような価値を教え込むのに大変重要な役割を果たすことができます。何故なら、世界の主要宗教はすべて平和、思いやり、正義、連帯、慈悲を強調しているのですから。 

残念ながら、人類の歴史を見ると多くの狂信者が、憎悪やその価値体系を広め、暴力の扇動/容認、有害な慣習の高級化を図るために宗教や迷信を唱えてきました。 

異宗教間の対話は、世界の多くの信仰、伝統、価値体系の豊かさ、多様性のより良い理解、受け入れの鍵です。これらすべてを、子供および人類全体の幸福の促進のために活用することが可能です。 

GNRCは、世界の宗教が分かち合う若い世代の保護/育成という目標を、“多様性の中の結束”の基本として、異宗教間対話の中心テーマに据えるべきであると考えています。 

IPS:GNRCは5月に広島でフォーラムを主催する予定ですね。この国際会議の主要テーマは何ですか、そしてどの様な成果を期待していますか。 

KM:GNRCは4年に1度、世界中の主要宗教界および伝統的な精神団体の代表を集めグローバル・フォーラムを開催しています。2008年5月24-26日の第3回広島フォーラムは、世界一流の専門家が集い次のテーマで講演します。 

1)子供に対する暴力を終わらせるための道徳的課題:道徳教育の促進、宗教/精神界コミュニティーの動員、平和と非暴力の文化建設を目的とする意思決定者/市民社会の参加 

2)子供の貧困を終わらせるための道徳的課題:道徳教育の促進、貧困解決のための宗教的教えと過去の遺産、子供優先の人間開発アジェンダ 

3)環境保護のための道徳的課題:地球保護のための子供活動、環境保護を目的にした信仰コミュニティーの結束 

広島フォーラムのハイライトは、今私が説明しました世界的な道徳教育の開始で、仮に「共に生きることを学ぶ:道徳教育のための異文化および異宗教プログラム」と題されましたマニュアルの中に詳しく記載されています。 

道徳教育プログラムは、子供達および青少年にしっかりした道徳感を身につけさせるため新たな異宗教学習過程を導入します。それは、若者に他の文化/宗教に属する人々に対するより良い理解と尊重を学ばせ、グローバル・コミュニティー/非暴力的行動を身につけさせ、子供達を社会変化の主体として育成するものです。 

更に、GNRCの6つの世界―地域ネットワークのコア・メンバー100人余が、フォーラムにおいて実績発表を行うと共に、GNRCの今後4年間の地域、国家、現地プログラムの計画を作成します。同フォーラムにおいて、子供の権利確立を目指す実行動へ向け宗教/精神指導者が新たなコミットメントを打ち出すものと期待しています。 

我々はまた、同フォーラムがユニセフ、ユネスコを始めとする国連機関とGNRCの協力強化、また地球平和への希望と子供達のより良い未来を建設するための共通の価値観を広めるために役立つと信じています。 

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩 

|人権|世界の未亡人たちを救え

【国連IPS=ネルグイ・マナルスレン】

モヒニ・ギリさんは、数年前、「未亡人の街」として知られるインドのブリンダバン(Vrindavan)の道を歩いていて、ある女性が道端で息絶えているのに気がついた。すでに動物たちが死体を食い荒らしていたが、誰も死体を動かしたり火葬にしようとはしなかった。 

ギリさんは近くにいた男性数名に死体を動かすよう頼んだが、彼らは、運が尽きると言って協力することを拒んだ。ギリさんは、他の未亡人たちの助けを借りてようやく死体を火葬に付すことができた。 

自らも未亡人であるギリさんは、その後、未亡人支援のための団体「奉仕ギルド」(the Guild of Service)を立ち上げる。少なくとも6000人の未亡人が各地から流れ込んできているであろうとみられるブリンダバンの町で、120人の未亡人のために住まいを提供している。

 「奉仕ギルド」でカウンセラーを務めるスラビ・チャトゥルベディさんは、「かつて女性たちは、死んだ夫を火葬にする火の中に飛び込んで自殺することを強要されていたが、偉大なる社会改革家ラジャ・ラモハン・ロイのおかげで、そうした邪悪な慣行はなくなった」と語る。 

「奉仕ギルド」は、女性たちに法律面の教育を施したり、銀行口座の開設や年金の取得を支援したりする活動も行っている。 

他方、国際的舞台でも、未亡人支援に向けて活動する人々がいる。イギリスのトニー・ブレア元首相の妻シェリーが代表を務める「ルーンバ・トラスト」はそのひとつだ。シェリー・ブレアは、国際人権宣言にしたがって、未亡人を人権侵害と搾取から救うことが必要だと訴えている。 

ルーンバ・トラスト」が最近出した報告書によると、女性の中には、死別した夫の兄弟との結婚や重婚を強要されるケースが少なくないという。彼女たちは、親戚縁者による性的搾取の対象になり、用なしになると、子供ともども突然家を追い出されることになる。もちろん彼女たちは無一文であり、ひとたび街頭に出れば、売春などで生計を立てねばならず、また別の人権侵害が待っている。 

シェリー・ブレアは、国連のミレニアム開発目標(MDGs)を達成するためにも、未亡人の存在に焦点を当てることが必要だと主張している。 

未亡人への人権侵害を止めるための世界の取り組みについて報告する。 (原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

|国連|女性器切除防止に進展

【国連IPS=タリフ・ディーン

国連は、2月25日~3月7日に予定される女性の地位委員会(CSW会議のたたき台となる報告書を発表。女性器切除(FGMが健康に重大な害を与える人権違反行為であるとの理解が広まったと述べた。 

WHOは、アフリカ、アジア、中東を中心とする世界28国強でこれまでに1億から1億4,000万の女性/少女に何らかの形のFGMが施術されたと予測している。また、同報告書は、毎年約300万人がこの危険にさらされているとしている。 

“女性器切除廃止”と題された18ページの報告書は、宗教リーダーのコミュニティー・キャンペーン参加の必要性を指摘。住民にFGMと信仰心とは何の関係もないことを理解させるべきであると主張している。

 報告書によれば、オーストラリアではFGMを身体攻撃の一種と規定。スウェーデンも犠牲者またはその両親の同意の有る無しに拘わらず、同行為を法的に禁止しているという。またドイツの刑事法では、両親のFGM同意を親権乱用と定めている。カナダでは、FGMを性的迫害とみなし、難民受け入れの基準の1つとしている。 

アフリカでも、ガーナ、ウガンダ、モロッコ、エリトリアといった国々はFGMを犯罪と定めている。ナイジェリアでは、連邦法はないものの、11の州で女性器切除を含めた伝統的残酷行為に反対する規則を採用。またエジプト、イエメンもヘルスケア・システムの枠内で保険専門員による施術を禁止する手段を取っている。 

国連人口基金(UNFPA)とユニセフは、2015年を期限にFGMの害を40%削減し、1世代で終結させるため、4,400万ドルのプログラムを開始した。新プロジェクトによりアフリカ16各国で同行為を廃止させる予定である。 

UNFPAのソラヤ・オバイド氏は、活動家および国際開発人権機関の努力、資金活動により過去数10年間でかなりの成果が得られたが、その速度は依然不十分である。法による取締りや保健/ソーシャル・ワーカーを含めた学校での教育等が必要である」と語っている。国連が最近発表したFGMレポートについて報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 

|レバノン|政治勢力を強めるヒズボラの役割

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【ベイルートIPS=モナ・アラミ】

2000年のイスラエル軍のレバノン南部からの撤退以降、ヒズボラは軍事勢力としてだけでなく、政治勢力としても力を拡大した。しかし、その結果(2005年の)ハリリ元首相暗殺などイスラエル・レバノン国境での緊張を一層高めることにもなった。 

ヒズボラは政府内での勢力を維持するため、レバノン議会で(拒否権を保障する)3分の1『プラス1閣僚』の議席を強く求めている。

 そして、この実現に向け(ナビハ・ベリ党首率いる)シーア派民兵組織『アマル』および(ミシェル・アウン将軍率いる政治会派)『キリスト教自由愛国運動(Christian Free Patriotic Movement: FPM)』との協力関係を結んだ。 

ここ数年、これら反政府勢力によるシニオラ政権打倒を訴える大規模な抗議デモは増加の一途をたどっている。2006年12月首都ベイルートで勃発し(現在も続いている)政府庁舎前での大規模な抗議活動は、シオニラ内閣退陣とヒズボラ主導の反米政権樹立を迫ったものだ。 

ヒズボラ系の雑誌『al-Intiqad』のイブラヒム・ムサウィ編集長によると、ヒズボラはイスラエルや西側諸国に対する『抵抗運動』をあきらめた訳ではないという。ムサウィ氏は「ヒズボラは今後もレバノンの連立政権の一翼としてその存在感を強めていくはずだ」と述べた。 

非政府系シンクタンク『国際危機グループ(International Crisis Group)』のPatrick Haeni氏は「ヒズボラとFPMとの協調関係は政府内でも緊密に維持されるだろう」と語った。 

しかし一方で、ヒズボラは重要な政治課題である『シーア派とスンニ派間の宗派対立』の問題にも今後取り組まなければならない。2007年1月レバノンの首都ベイルートで慢性的な電力不足に抗議する反政府デモ隊が軍と衝突。シーア派野党のヒズボラとアマルの支持者ら8名が死亡した。 

Haeni氏は「(2006年1月に起きた暴動とは異なり)今回は政治指導者らの間に暴動直後から強い非難の声が上がっている。政治家らの対応が政情不安をさらに助長するのではないか心配だ」と述べた。レバノンにおけるヒズボラの役割について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 


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レバノンで救われるイラク難民

国家の暴力と「名誉殺人」

【カサブランカIPS=アブデラヒム・エルオウアリ】

国家による暴力、とりわけ死刑は、「名誉殺人」の慣行を長年にわたって正当化しているひとつの要因といっていいだろう。【「名誉殺人」とは、夫のある女性が他の男性と性的関係を持った場合に、「家族の名誉」を守るためにその女性を殺害することをいう】

「世界や1国の問題を暴力で解決しようという文化は名誉殺人を正当化するものだ」と語るのは、「シリア女性監視団」のバッサム・カディさんだ。監視団、中東における名誉殺人をなくすための活動を続けている。

昨年12月、国連総会で死刑モラトリアム決議が採択されたが(賛成104・反対54・棄権29)、アラブ・ムスリム諸国のほとんどが反対に投票した。

少なくとも、サウジアラビアやイランでは、国家による公開処刑が続けられていることが確認されている。

 他方、名誉殺人に関しては明確な統計はないという。ロンドンに拠点を置く「名誉殺人をなくす国際キャンペーン」のダイアナ・ナミさんによると、名誉殺人のほとんどは、出生・死亡届のない農村部で行われている。しかし、54ヶ国以上において少なくとも年間5000件、場合によっては1万件以上起こっているだろうとナミさんはみている。

前出のカディさんは、シリアでは年間少なくとも40件はあると話す。しかし、「監視団」のウェブサイトで行った名誉殺人反対オンライン署名には1万人以上が署名している。

名誉殺人はイスラムの教えによって正当化されているとの意見もあり、実際にイスラム法学者の中にはそうしたことを教える者もいる。しかし、米国の市場コンサルタントで2003年からヨルダンで名誉殺人のことについて調べているエレン・シーリーさんは、それよりもむしろ、イスラム以前のアラブの部族慣行に原因があるだろうとみている。

名誉殺人の1番の問題点は、それが女性差別に支えられているということだ。名誉殺人が続くことによって、女性は差別してもいいのだというメッセージが送り続けられることになるのである。

名誉殺人の問題について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

|タンザニア|米国の対アフリカ開発援助

【ダルエスサラームIPS=サラ・マクレガー】

ブッシュ大統領は今月15日から21日までの日程でアフリカ5カ国(タンザニア、ルワンダ、ベナン、ガーナ、リベリア)を歴訪する予定である。各国首脳との会談の他、米政府が支援するエイズやマラリアなどの感染症対策の現状を視察する。 

タンザニアの米大使館職員Jeffery Salaiz氏は「ブッシュ大統領は就任以降2度目のアフリカ歴訪となるが、予定されている日程の大半はダルエスサラームやアルーシャといった『観光地』のようだ」と皮肉った。

 米政府は2003年、エイズ対策として『大統領エイズ救済緊急計画(President’s Emergency Plan for HIV/AIDS Relief: PEPFAR)』を発足。これは、エイズ問題が深刻なアフリカの15カ国でHIV感染者への抗レトロウイルス治療や医療サービスの提供を行い、5年間に150億ドルを支出する計画である。 

また、2005年に発表した『大統領マラリア・イニシアティブ( President’s Malaria Initiative:PMI)』は5年間で12億ドルを拠出し、マラリア被害に苦しむアフリカの15カ国で死亡率を半減させることを目指した撲滅運動を推進するものである。 

 Salaiz氏は「PEPFARとPMIのおかげで、タンザニアでも米国からの資金援助額が3億3,400万ドルに達した。これらの計画の終了後も『ミレニアム・チャレンジ・コーポレーション(Millennium Challenge Corporation:MCC)がインフラ整備のための助成金として6億9,800万ドルを支援することになっている」と説明した。 

一方、ブッシュ大統領のアフリカ訪問では2国間貿易や取引といったビジネスの問題は協議事項には入っていないが、この議題は今年6月に開催されるタンザニアでのサミットに回される予定だ。 

貿易面では、米国が打ち出したイニシアティブ『アフリカ成長機会法(African Growth and Opportunity Act: AGOA)』が、米国・アフリカ諸国間の貿易拡大を促進し、アフリカ諸国の貧困削減に大きく貢献している。 

(コーヒー豆、茶、綿花、金の生産国である)タンザニアはIMFや世銀による債務帳消し以降、輸出額や投資額が増大傾向にあるものの、依然アフリカ諸国の中では最貧国に変わりはない。同国では国民の36%が貧困ライン以下で生活している。 

米国によるアフリカ諸国に対する支援政策について報告する。 (原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩

NATO 冷戦の亡霊

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【ブリュッセルIPS=デイビッド・クローニン】

インターナショナル・ヘラルド・トリビューン紙は2月4日、NATO加盟国政府は旧ソ連KGBの訓練を受けたハンガリー人がNATO情報委員会の議長に就任したことで、秘密情報交換により慎重になるだろうとの記事を掲載した。NATO(北大西洋条約機構)では今日から組織の役割に関する激しい議論が開始される予定で、問題人事はこの様な時期に発表されたのだ。 

本来NATOは、西ヨーロッパと米国の同盟国のいずれかが攻撃を受けた場合互いの防衛を行うとのコミットメントに基づいていたが、1990年代に新たな方向が出始めた。1999年の50周年には、NATO国を攻撃しなかったセルビアのミロシェビッチ大統領を攻撃。より最近では、宿敵ロシアの隣国の多くをメンバーに加えた。また、ダルフール和平へ向けてのアフリカ連合軍に対するロジスティックス支援、アフガニスタンへの派兵を行っている。

 1月には、多数の退役軍高官が、変化する環境に対応できなければNATOは信頼を失う危険な状況にあるとする報告書を提出した。同報告書は、非軍事的能力を拡大する必要があるとしながらも、核兵器の重要性は維持すべきとしている。 

EUの新リスボン協定の下、EU加盟国政府はNATOの革新を誓った。しかし、平和活動家によれば、これはヨーロッパの軍事力拡大を目指すものという。 

NATOの軍事支出は、世界の軍事支出の75%を占め(年間8,250億ドル)その多くは米国の支出である。今週のペンタゴン発表によれば、米国の2009年軍事予算は5,150億ドルと、第二次世界大戦以来最大となっている。 

研究機関英米安全保障情報評議会(BASIC)のポール・イングラム氏は、「ヨーロッパ諸国は米国に追随すべきではない。しかし、問題は好戦的な英国、フランス、米国が防衛費の増強に圧力をかけていることだ」と指摘する。ドイツは最近、米国のアフガン南部への部隊派遣依頼を拒否している。 

ロンドンにある国際戦略研究所はNATO加盟国間の不一致が今後1年間の中心問題になるだろうと語っている。NATOの今後について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩