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パレスチナ人の貧困最悪に

 【ブリュッセルIPS=デビッド・クローニン】

 国連パレスチナ委員会(UN Committee on the Exercise of the Inalienable Rights of the Palestinian People)の開催に合わせ、国連貿易開発会議(UNCTAD)は8月30日、パレスチナ自治区の貧困が最悪レベルに達したとする報告書を発表。2006年に極貧人口が倍増して100万人以上となり、公務員の46%が十分な食料を手にできず、ガザ地区の53%の家庭で収入が半減したことが明らかになった。 

報告書は、パレスチナの経済悪化の要因としてイスラエルによる人と物の流通制限を挙げた。EUにおけるパレスチナ代表シャヒード(Leila Shahid)氏はイスラエルが550ヶ所の検問所を設けたことで西岸地区は孤立していると報告している。

 イスラエルが西岸地区で建設中の760kmにおよぶ分離壁は孤立した貧民街を作ると非難が集まっており、エルサレムにおける反分離壁運動ではパレスチナ人の困窮が南アフリカのアパルトヘイト政策で困窮した黒人に匹敵すると指摘している。 

報告書はさらにイスラエルがパレスチナ自治政府の代理で徴税した8億ドルの送金を拒否していることを非難。 

パレスチナ国際連帯運動(ISM)の活動員が参加していることで、国連パレスチナ委員会を反イスラエル的とする報道もあるが、バジ(Paul Badji)委員長は「パレスチナ人の人権を守ることは反イスラエルではない」と一蹴している。 

EUではブッシュ政権による300億ドルの対イスラエル軍事支援は和平に利することはないとする意見、さらにイスラエルの行為がEUとの貿易協定の人権尊重条項に抵触するという意見がある。 

イスラエルによる隔離政策がパレスチナ人の困窮に拍車をかける状況について報告する。 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩


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|ケニア|メディアを標的にした法律に抗議

Media representatives gather in Nairobi to protest against the Media Council of Kenya Bill. Credit: Joyce Mulama
Media representatives gather in Nairobi to protest against the Media Council of Kenya Bill. Credit: Joyce Mulama

【ナイロビIPS=ジョイス・ムラマ】

ケニアのメディア関係者は、情報源の公表を強制して報道の自由を侵害する法律に抗議するデモを行った。ケニア・メディア委員会法は、今月初めに議会を通過し、大統領の承認を待っている。新法は「法廷闘争で必要な場合、編集者は情報源を公表する義務がある」と定めている。

数百人のジャーナリストたちは猿ぐつわをはめた象徴的ないでたちで、キバキ大統領が法案を承認しないよう求め、ワコ司法長官事務所および国会議事堂までデモ行進を行った。こうしたデモはケニアでは初めてのものである。参加者たちは、新法が承認されると取材源を明かすことが強制され、取材協力者を守れなくなり、報道の自由が失われると訴えた。

パリに本部のある「国境なき記者団」は8月7日にキバキ大統領宛てに書簡を送り、法律を承認しないように求めた。「ジャーナリストは警察や裁判官ではなく、民主政府は報道機関に情報提供者や検察の役割を求めない」とこのメディア監視組織は指摘した。「取材源の公表は職業としての機密保持の原則だけでなくジャーナリストの倫理観を侵害する」

ケニアの法曹界は、司法長官同様、法制化に対し慎重である。司法長官は14日に「大統領には承認せず議会に戻して、問題の条項の削除あるいは修正を求めるよう助言する」と声明を出した。ケニア政府は法案の草稿中に報道関係機関との対話を求めており、その点は評価される。だが最後に追加された、国連の推奨する基準に違反する条項が合意を台無しにした。

この条項により内部告発が抑止され、重要な情報へのアクセスが難しくなるものと考えられる。ケニアでは今日まで汚職の摘発にメディアが重要な役割を果たしてきた。1990年代初めのゴールデンバーグ事件、2004年のアングロ・リーシング事件は、メディアへの密告により暴かれた。

こうした事件の報道によって国民の怒りが高まり、公的な捜査が始まった。公に対する説明責任は、新法により弱められ、ケニアの民主主義に破滅的な影響を及ぼす可能性がある。10月にナイロビで開催される汎アフリカ記者フォーラムでの批判も予想される。ケニアの新しいメディア法について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

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|カンボジア|泥棒国家への対処を試される世銀

【バンコクIPS=マルワーン・マカン・マルカール】

望ましい統治を唱える世界銀行だが、深いかかわりを持つ問題国を非難する際には、慎重に言葉を選ぶ。現在のカンボジアはその典型である。総裁就任後初の途上国訪問でカンボジアを訪れた世銀のゼーリック新総裁は、前任者同様、カンボジアへの潤沢な助成金の利用についてお決まりの苦言を呈しただけだった。

世銀の公式プレス声明も、主にマイクロファイナンス計画、土地所有権の発行、支援の調整、開発課題における世銀の役割を取り上げ、腐敗防止についてはわずかに触れるだけにとどめた。「世銀はカンボジア政府が貧困削減のため改革を実行し、産業及び投資環境を整え、法の支配を強化することを支援する」とゼーリック総裁は述べた。

 こうした言葉は汚職に手を染める政府高官の不安を覆い隠すが、7月初めに米上院は違法伐採に関与しているとされたカンボジアの高官の渡航禁止を求める法案を提出している。これは、腐敗した高官の世界経済システムからの排除を目的とした、2006年のクレプトクラシー(泥棒国家)・イニシアティブに基づいたものである。

政府高官の腐敗と縁故主義が違法伐採を容易にし、法の支配、民主主義、持続可能な開発に悪影響を及ぼしている。グローバル・ウィットネスは、支援国の無為が望ましい統治を実現させないとして、世銀総裁に泥棒国家の政府に対して厳しい態度で臨むよう求めた。トランスペアレンシー・インターナショナルの2006年の腐敗調査では、カンボジアは非常に腐敗した国とされ、腐敗度の低い国のランク順で163国中151位だった。

グローバル・ウィットネスの報告書によると、違法伐採のシンジケートは首相、農林水産相、森林局長につながる人々が関与し、違法伐採による損失は年間1300万ドルに及び、国の森林の30%を喪失させ、首相の私兵の資金になっている。

カンボジアの1330万人の人口の35%以上が貧困にある。カンボジアの内戦終結後一貫して政府を支援してきた世銀は、カンボジアの国家予算の半分近くを占める援助を供与している支援機関のひとつだが、昨年ようやく腐敗を理由に給水衛生計画等への760万ドルの支援を凍結させた。カンボジアの根深い腐敗に対して厳しい姿勢が求められる世銀について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

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|中米|平和の時代でありながらも今なお貧困と暴力が深刻

【グアテマラ・シティIPS=イネス・ベニテス】

1980年代半ばグアテマラ、ニカラグア、エルサルバドルと武力紛争が激化していた中米も、1987年の和平合意成立により和平の基盤が築かれた。それから20年、しかし内戦の背景にあった社会的要因は依然存在し、新たな紛争の潜在的脅威となっている、とアナリストらは警告する。

和平合意は、自由と民主主義において、中米各国は、極貧のない平等主義の社会を達成するため、発展の促進を目指す合意を採択すると言明した。

1996年の和平合意により36年にわたる武力紛争が終結したグアテマラだが、経済的・社会的周縁化と貧困は依然根深く、富の集中が著しい。1日1ドル以下の生活を送る極貧層は、1990年の20%から2000年には一旦16%に減少したものの、2004年には21.5%に再び上昇した。子どもの48%は栄養不良に苦しむ。エコノミストのミゲル・アルトゥロ・グティエレス氏は、貧困と社会的不平等に関しては、ほとんど変わっていないと言う。

 1992年の和平合意によって12年の紛争に終わりを告げたエルサルバドルは、富のより公平な分配や貧富の格差解消に期待が持たれたが、1989年以来の右派国民共和同盟(ARENA)政権のもと不平等と富の集中化が進んでいる。エコノミストのアルフォンソ・ゴイティア氏は「見せかけの法的メカニズムの下で、再び権威主義、弾圧、迫害の問題に直面している。新たな社会紛争の引き金となりうる状況に戻りつつある」と、社会・人権活動家に対する脅迫や攻撃に言及して指摘する。

ニカラグアでは、18年に及ぶソモサ政権に対する武力闘争とそれに続く11年間のコントラによるサンディニスタ国民解放戦線(FSLN)政権に対する反政府闘争、さらには米国による経済制裁で経済が疲弊したことに加え、内戦による100万人以上の難民と4万3000人(3万人の説もある)の犠牲者が生まれたことを背景に、サンディニスタン政権とコントラは停戦を合意、1990年に内戦は終結した。平和が訪れたものの、ニカラグアは米州諸国の中でハイチに次いで2番目に貧しい。極貧層は1990年の19.4%から2006年には14.9%にわずかに縮小しただけで、エコノミストのアレハンドロ・マルティネス・クエンカ氏によれば、2005年において農村人口の70.3%は依然貧困生活を送っている。

1987年の中米和平合意により和平が実現したものの、ミレニアム開発目標(MDG)の履行状況に関する国連開発計画(UNDP)の各国報告書によって貧困が依然深刻であることが明らかとなった中米3カ国について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩

米国のモン(Hmong)族の若者が直面する暗い歴史

【サンフランシスコIPS=ゴック・グエン】

米国のモン族コミュニティは、6月4日にカリフォルニア在住のモン族11人が「ラオス政府の転覆を謀った」として逮捕されたことで、一躍米国全土からの注目を集めた。

逮捕者の中には、ベトナム戦争の際、ラオスのモン族の「秘密軍」を率いた77歳のバン・パオ将軍が含まれていた。「秘密軍」は、ラオスとベトナムの共産勢力に対抗して米軍を援護するためにCIAが支援していた。

バン・パオとその共謀者10人は、米国と友好関係にある国の侵略を計画し、いわゆる中立法に違反したとして起訴された。司法省の関係者は、容疑者たちがAK-47アサルトライフル、地対空ミサイルおよび対戦車ミサイル、地雷、ロケット弾、その他の爆発物を入手しようと謀っていたという。

 その後、裁判官がほとんどの容疑者の保釈を命じ、事実審理前協議は7月25日に予定されている。

パオと共謀者が拘束されていた間には、米国に住む数千人のモン族の人々がカリフォルニアの州都、サンフランシスコの裁判所に押しかけ、容疑者全員の釈放を要求した。

抗議するモン族の人々の中にダニエル・シオン(21)がいた。在住するカリフォルニアのストックトンの町で、抗議集会に参加するために若者を組織化しようと活動し、抗議集会では地元の警察とも協力して治安の維持に努めた。シオンは、バン・パオ将軍とその他の人々の逮捕がモン族のコミュニティにマイナスのイメージをもたらしたという。

「ある日、朝起きて仕事に行ったら、やってきた上司に、お前たちはテロリストだと言われた。違いますと答えたが、モン族のコミュニティがテロリスト呼ばわりされることを悲しく思う」とシオンはいう。

両親がカリフォルニアの抗議集会に参加した、ニューヨークシティに住むモン族の米国人大学院生(25)は、「バン・パオを支持するかしないかにかかわらず、今回の抗議は米国のモン族コミュニティを、初めて世代を超えて団結させた」という。逮捕によって、これまで知らなかった歴史を振り返ることになったものもいる。米国に住むモン族の第二世代の多くがそうである。

名前を明らかにしないこの女子学生は、カリフォルニアのフレスノ郊外で育ったという。フレスノには大きな米国人モン族コミュニティがある。子供の頃から、故国の歴史を聞かされていたのは、両親が活動家であり、父方母方双方の祖父は秘密戦争の時に米軍に味方して戦ったからだった。彼女にとってバン・パオと共謀者の逮捕は、戦争の古傷を疼かせるものだった。

「ラオスでモン族が米国に裏切られた過去の再来という印象をもつ」という。「米国は米軍部隊を退却させて、モン族社会を自分たちだけで対処するよう置き去りにした。これがラオスでの人権侵害の引き金になり、そのひとつが広く知られている戦後の大量虐殺で、ラオス政府はモン族を追い詰めて殺し、そのために多くが国外逃亡した」

ラオス政府の手による報復を避けて、多くのモン族は難民として逃げ出した。数万人が隣国のタイで新生活を始めた。現在米国にはおよそ25万人が住んでおり、カリフォルニア州、ウィスコンシン州、ミネソタ州にモン族コミュニティが多い。
 
 1990年代に、タイに住んでいた2万9,000人のモン族がラオスに送還された。米国のモン族の中には、モン族はラオスで差別、迫害、暴行に直面していると主張する者もいる。ラオスに住むモン族は同じような少数民族ユーミエン(ヤオ)族を加えても、およそ650万の人口のうちの10%以下である。

ラオス人民民主共和国(PDR)のフィアネ・ピラコネ駐米大使はラオスでモン族に対する人権侵害が行われていることは否定している。だがアムネスティ・インターナショナルのアジア担当弁護ディレクター、T.クマル氏は、モン族は「人権侵害の観点からひどい状態」にあるという。

ラオスのジャングルに隠れ住むモン族はおよそ2,000人いて、今なお、ベトナム戦争時代の武器を使って、ラオス軍と小規模の戦闘を行っている。クマル氏によれば、この民族は貧窮した危険な状態で生活しており、食糧や医薬品も不足し、軍隊の襲撃をたびたび受けている。

アムネスティ・インターナショナルはラオスに住むモン族の2つの集団について心配している。ひとつはタイからラオスへ送還された人々で女性と子供を含んでいる。もうひとつはいまだにジャングルで勝ち目のない戦いを続けている集団である」とクメル氏はいう。「どちらの集団にも連絡が取れていない。ジャーナリストや国際監視団も接近できない状態だ」

米国に渡ったモン族の第二世代にとって、今回の事件は自分たちの歴史とラオスのモン族の現在の状況について話を始めるきっかけとなった。

ダニエル・シオンは、米軍が終戦後モン族の同盟軍を置き去りにしたことを最近知ったが、米軍に入隊しようという気持ちは変わらないという。モン族社会に「テロリスト」のレッテルを張る人々に対する反証として、シオンは志願してイラクに行きたいと語った。

「我々モン族には故国がない。けれども米国にやってきて、米国が故国になった。自分は故国のための戦闘に参加する。平和のための戦いであり、過去に捨て去った故国のための戦いでもあるから」

数年前、米国のモン族コミュニティは別の問題で分裂した。米国とラオスの通商関係の正常化問題である。両国は2003年に貿易協定を結んだが、それは2005年まで公式のものではなかった。米国のモン族の中には、正常通商関係に反対し、米国は人権侵害をやめるようラオスに圧力をかけるべきだと感じる者がいたからだ。

モン族コミュニティのまた別の人々は、通商関係が促進するのは平和への道だと考えている。

米国ユーミエン同盟代表のセン・フォ・チャオ牧師は、ラオス系米国人の代表の1人として2005年12月にラオスへ渡り、ラオスとの商取引を拡大し、人的パイプを作り上げた。牧師もまた、ベトナム戦争のときに米軍の兵士とともに戦ったが、その後はモン族とはまったく異なる人生をたどった。

チャオ牧師はユーミエン族に属し、この民族はラオス、中国、タイ、ベトナムに広がっている。バン・パオ将軍の逮捕については、牧師の組織は「中立的立場」を取ることを決めている。

「ラオス本国のユーミエン族は騙されてジャングルへ誘い込まれ、1975年から87年まで政府軍の兵士と戦った」とチャオ牧師はいう。「だが生き残ったユーミエン族は武器を置いてジャングルから出てきて、1987年に政府軍側に投降した。それ以来ラオスのユーミエン族はラオス政府および世界と友好的な関係にある」(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩


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|カンボジア|クメール・ルージュ大量虐殺裁判始まる

【バンコクIPS=マルワアン・マカン・マルカール】

カンボジア裁判所特別法廷(ECCC)は7月18日、長らく待たれていたクメール・ルージュ大量虐殺事件裁判の被告5人の名前を提出した。クメール・ルージュは、国民の1/4に当たる170万人を殺害したといわれる。

シエラレオーネ特別戦争犯罪裁判で弁護側顧問を務めた英国のルパート・スキルベック氏は、「大量虐殺は、国籍、人種、宗教を理由とした民族破壊のための暴力行為と定義されているが、政治的理由から人々を殺害したカンボジアの場合は違う」と語っている。

 同裁判により、カンボジアがベトナム戦争に引きずり込まれた60年代から70年代初めに同地域に関与していた大国を動揺させるような事実が明らかになるかもしれない。米国が承認したカンボジア爆撃は既に立証されており、中国が虐殺政策を進めていたクメール・ルージュを支援していたことも明らかになっている。

スキルベック氏は、「虐殺された人々の数を特定するには、米国の違法爆撃について触れない訳には行かない。裁判の過程で、多くの国にとって不都合な事柄が明るみに出るだろう」と語る。

クメール・ルージュのリーダー、ポル・ポトは1998年に死亡。カンボジアでは「屠殺人」として知られるタ・モクも昨年6月に死亡した。カンボジア・メディアによれば、ECCC裁判にかけられるのは、ポル・ポトの副官ヌオン・チェア、当時の首相(former head of state)キュー・サンファン、外務大臣イエン・サリ、トゥオル・スレン刑務所の所長カン・ケク・イアブ(Eav)等5人という。カンボジア裁判所特別法廷による「キリング・フィールド」裁判について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩

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|ネパール|毛派、動員解除に難色

【カトマンズIPS=ダマカント・ジェイシ】

ネパールの和平プロセスに対する共産党(毛派)の注文が日ごとに強くなってきている。まず問題になったのが、毛派兵士の動員解除だ。

毛派は、06年5月25日時点で18才未満か、同日以降に入隊した兵士は、同派のキャンプを離れなくてはならないという条件にかつて合意していた。しかし、国連ネパールミッション(UNMIN)の監視の下で行われているこの動員解除プロセスを毛派は妨害し、動員解除よりも先に、治安部門改革の中に毛派元兵士を組み込む計画の策定がまず先だとの条件を突きつけてきた。

 7つの主要宿営地および21の副宿営地における第1段階の調査では、毛派の兵士が3万892人、武器が3428個あることがわかった。しかし、兵士数に比して武器数が少ないのではないかとの疑問が他政党やネパール軍などからは出されている。

他方で、毛派のプラチャンダ議長は、UNMINが毛派の人民解放軍の兵士40%を動員解除するという目標をあらかじめ設定していることを非難した。また、DDR(disarm, demobilise and reintegrate=武装解除、動員解除、再統合)モデルを適用して人民解放軍を破壊しようとしていることについても非難した。

しかし、UNMIN側は、毛派を含めた8党派の間で昨年合意されたことを実行しているに過ぎないと反論している。毛派が宿営地査察の一時停止を求めて以降、毛派を含めた与党各党派とUNMINの間で何度か協議が行われた結果、7月18日、毛派のナンバー2であるバブラム・バッタライが、査察プロセスをあらためて容認することを示唆した。

ジャーナリストのカナック・マニ・ディクシット氏は、こうしたプロセスの中で毛派が世間の目を徐々に気にしだしていることを好意的にとらえ、「毛派はひとつの政治政党へと脱皮しつつあることをこれは示している」と話した。

ネパールでは、毛派の動員解除に加えて、新憲法制定という大きな政治課題も待っている。制憲議会のための選挙は、11月22日に予定されている。

ネパール毛派の動員解除の問題について伝える。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan

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|米国|プロパガンダとニュースの間の曖昧な境界線

【ワシントンIPS=コーディー・アハヴィ】

ノーマン・ソロモン制作のドキュメンタリー映画「War Made Easy」(仕組まれた戦争)がショッキングな事実を伝えている。同映画は、メディア業界および報道内容に関する教育プログラムを提供している非営利機関「メディア教育協会」の依頼により政策されたもの。同協会の顧問には左派学者のノーム・チョムスキー、コーネル・ウェストなどが名を連ねている。

 ソロモンは、ブッシュ政権のイラク侵攻計画を分析しながら、CNNの重役イーソン・ジョーダンが、同社の軍事専門家について自慢する場面を取り上げている。実際CNNの軍事アナリストは退役将校で、イーソンによれば、彼等は米政府のお墨付きを得ているという。これは、ジャーナリスムの独立性という理念を掲げるベテラン・ジャーナリストの怒りをかう発言だろう。しかし、戦時下の米国では、メディアと政府の関係は変化している。ソロモンの作品では、それはメディアと政府の癒着のほんの一例でしかない。

ショーン・ペンがナレーションを務める「War Made Easy」は、9月11日のテロ攻撃以降のブッシュ政権の干渉主義と情報操作を糾弾する反戦映画で、ケーブル・ニュース・ネットワークのビデオ・クリップ、大統領声明、米国の過去戦争のフィルムを使い、過去と現在の宣伝工作技術の比較を行っている。ニクソン大統領のベトナム戦争拡大のレトリックとブッシュ政権の「イラクが台頭すれば、米国は滅びる」との宣言には大きな類似が見られる。

ソロモンによれば、米国の大手メディアは、ブッシュ政権の仕掛けの一部であり、“漏洩情報“を手段に米市民に戦争を売り込んだのである。例えば、CNNのウォルター・アイザックソンは、ニュースアンカーおよびレポーターに対し、視聴者に何故戦争が始まったのかを思い起こさせるよう求めるメモを回覧。その結果、画面一杯に破壊されたグランド・ゼロの清掃の模様が流された。

イラク戦争開始から5年。ベトナム戦争とイラク戦争の歴史的類似が明らかになっているが、「War Made Easy」は、視聴者に政治リーダーおよびニュースアンカーの発言を鵜呑みにするような仕組みを作っているメディアに対する時宜を得た批判となっている。大手メディアの政府加担を批判するドキュメンタリー映画「 War Made Easy 」について紹介する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan 


 

|パラグアイ|ストロエスネル独裁政権の弾圧調査を開始

【アスンシオンIPS=デイビッド・バルガス】

パラグアイの「真実正義委員会」(CVJ)は、35年に亘り同国を独裁支配したアルフレード・ストロエスネルの時代に不法拉致された2000人の犠牲者および家族の証言収集キャンペーン「歴史検証のための証言2000」を開始した。7月10日に始まった同キャンペーンは、スイス政府とパラグアイ・メディアの協力による。 

パラグアイ政府は1996年に独裁の存在を認め(1954-1989)ており、これら証言に基づいて作成される報告書を、政府見解として発表する方針である。CVJのマニュエル・ベニテス・フォロレンティン委員長は、既に1万2350の証言が記録されたと語っている。非政府組織「拘束誘拐者遺族の会」(Association of Relatives of the Detained ?Disappeared)によれば、殺害された人の数は3000から4000に上るという。 

テレビ局は、13年間の刑務所生活を強いられた俳優エミリオ・バレトの話をスポットで流し、犠牲者に対する証言呼びかけを行っている。これまでに、人権活動家、反対政党リーダー、小規模農家の組合活動家、軍内部の反対者などが証言。中には、反対派に共鳴する発言を行っただけで、拘束/拷問を受けた者もいる。

 独裁政権は、社会に深い傷跡を残した。証言採取に当たっている社会学者ホセ・カリオス・ロドリゲス氏は、「民主化導入から20年を経ても、人々は選挙権をいかに行使するかも知らない」と語っている。 

南アメリカに幾つかの独裁政権が存在した1970年代、80年代には、亡命した反対派メンバーに関する情報を各国で交換し、誘拐/殺人を行うコンドル作戦が存在した。1992年に発見された報告書により、同計画に対するストロエスネルの責任も明らかになっている。来年発表予定の報告書では、犠牲者に対する道徳的/金銭的賠償が提案されることになろう。(ストロエスネルは、1989年に失脚しブラジルに亡命。同地で2006年8月に93歳で死去した)パラグアイ独裁政権の反対派弾圧実態調査について報告する。 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 


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|米国|ブッシュ・ムシャラフ関係への疑問の声

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【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

パキスタンのムシャラフ大統領との間で米国が築いてきた同盟関係を再考すべきとの声が米国内で上がり始めている。

ムシャラフ大統領は、米国の「テロとの戦い」の協力者である一方、パキスタンの部族地域においてタリバンの活動を黙認することで、実質的にそれを支援する役割を果たしてきた。しかし、パキスタンをこうした2重の役割から脱却させ、できるだけ早く民政移行しイスラム過激派とのつながり断ち切らせるべきだという意見が強くなってきた。

 だが、ブッシュ政権はそうした意見に耳を傾けそうもない。むしろ、イスラマバードのモスクと神学校に対してムシャラフが掃討作戦を仕掛けたことをきっかけにして、部族地域のイスラム過激派を厳しく取り締まってくれるのではないか、と望みをつないでいる。ブッシュ大統領自身は、この掃討作戦の最中、「ムシャラフ氏はこうした過激派に対する戦いの強力な同盟者だ」と発言している。

中央情報局(CIA)でかつて南アジア問題の責任者を務め、クリントン政権とブッシュ政権の両方で国家安全保障会議(NSC)に奉職したブルース・ライデル氏は、「ムシャラフ将軍が、米国の大統領に対して、もし自分を支援しないならば、次の大統領は『ひげの生えた人間』になる、と言っているのを聞いたことがある」とラジオ番組の中で今週発言した。

「ひげの生えた人間」とは、言うまでもなく、イスラム過激派のことである。ムシャラフ大統領は、過激派対策をやるといって自分を米国に売り込んでいるのである。

ライデル氏は、そうした政策を続けるよりも、国外に亡命している民主勢力や国内の民主運動に働きかける必要があるのではないか、と語った。

再考されつつある米・パキスタン関係について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=IPS Japan