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|ケニア|取り残された大地と虐殺事件の余波

【ナイロビIPS=ダレン・テイラー】

彼は自分を、世間知らず(特に「女性と神のなせる業」について無知な)老人だという。しかし、このしわくちゃのボラナ族長老フカ・カンチョロは、ケニア北部マルサビット(Marsabit)地域では有力者である。何故かといえば、彼は、日照りと飢饉が続く過酷な砂漠地帯にある唯一の水源を中心とする直径60kmに及ぶ地域を支配しているからである。

老人は、昔を懐かしむように、「何年も前に、この両手でこれ(=水源)を掘ったんだ」と語る。この井戸は、サク山(緑の山の意:IPSJ)にあり、最近まで、同地域に住むレンディレ、ボラナ、ガブラ、トゥルカナ族といった様々な部族の集会地となっていた。

Huka Kanchoro, at his waterhole in Marsabit district. Credit: Darren Taylor
Huka Kanchoro, at his waterhole in Marsabit district. Credit: Darren Taylor

しかし、状況は変わった。

カンチョロ老人は、「皆に水を分けてやれるのは嬉しい。しかし、今ここにいるのはボラナ族だけになってしまった。他の者、特に我々の兄弟であるガブラ族はいなくなってしまった。トゥルビ村虐殺事件のせいで、ここに住む者は皆怯えている」と言う。

7月12日、約100人のガブラ族(殆どが女性と子供であった)が、マルサビットのトゥルビ居住区でボラナ族により殺害されるという事件が起こった。同事件は、ケニアが英国から独立した1963年以来最悪の部族間抗争といわれている。しかし、カンチョロ老人は、過去にも数百人の人々があたかもヤギを屠殺するかのごとく惨たらしく殺された事件を数多く憶えている。

トゥルビ事件の生存者は、「カラシニコフ銃、手榴弾、斧、槍などで武装したボラナ族の数百人の男たちが、ガブラ族の村人をできるだけ多く虐殺する意図を持って村に侵入し、手当たり次第に村人を殺害していった」と語っている。

トゥルビ村の生存者であるジロ.マモは、「村を襲ったボラナ族の男たちは互いに『ガブラの犬畜生を殺せ』と口々に叫んでいるのを聞いた」と証言している。もう一人の生存者フセイン・オダアは、どもりながら「ボラナ族は、我々の牧草地と僅かな水場を奪おうと襲撃したのだ。この土地が彼らの土地よりも肥沃だから、我々を追い出そうとしたのだ」と説明した。

皮肉なことに、ガブラ族とボラナ族は、当地の乏しい資源を巡る他部族との闘争で、昔からしばしば同盟関係を結んできた仲である。また両部族は、同じ文化(エチオピア国境に住むオロモ族の文化)を共有し、同じ言語を話している。

モハメッド・アブディは、マルサビットの近くの萎びた野原で草を食む自慢の牛の群れの中に立ち、「ボラナ族とガブラ族の唯一の違いといえば、ボラナ族が家畜を好むのに対し、ガブラ族がラクダを好むといった点くらいである」と言う。しかし、トゥルビ村の虐殺事件は、このような両部族の長年にわたる信頼関係に深刻な亀裂を生んだ。

今日、サク山の井戸(カンチョロ老人のボラナ族の村)では、村人は明らかに(ガブラ族の報復を恐れて)怯えて暮らしている。女性達は小グループを作り、見知らぬ者が近づくと、警戒の目を走らせる。皆、小声で話し合い村人の表情から笑顔は消えうせている。

村人のアダン・フリは、「ここはボラナ族の村ですから、ガブラ族がこころ標的にして復讐するのではないか心配です。我々ここの村人は、ガブラ族の人々に対しては、トゥルビ村でおこったことについて心から同情しています。その虐殺事件が本当にボラナ族の者たちによってなされたものであるとしたら本当に恥ずべきことだと思います。しかし我々は、ボラナ族全員が、あの様な恐ろしいことをしたのではないということをガブラ族の人々には知って欲しいのです」と語った。

このようなサク山住人の心配には根拠がある。トゥルビ村の虐殺に関するニュースが広まるにつれ、激怒したガブラ族の一部暴徒達が、カソリック神父が運転する車からボラナ族10人を引きずり降し、斧でめった切りにするという事件が実際に起こっているからである。

トゥルビ村虐殺事件の真相については、同村を含む地区選出の国会議員であるボヤナ・ゴダナ氏の様に、事件はエチオピアから侵入したオロモ解放戦線(Oromo Liberation Front:OLF)の仕業という者もいる。

ゴダナ氏は、その点に関して「トゥルビ村の襲撃には高度な武器が使用され、あたかも軍事作戦かのような緻密な計画に基づき組織的に実行されたふしがある。とても放牧に勤しむ少数の(一般のボラナ族の)者達にできる仕業とは思えない。しかもOLFが、ガブラ族が彼らの戦いに参加する意思がないと怒っていたのは、周知のことだ」と語った。

OLFは1993年、エチオピア南部に住むオロモ族の自治独立を目指し、エチオピア政府に対するゲリラ戦を開始した。ガブラ、ボラナ族の一部も、ケニア北部国境を越え、同戦いに参加している。

ケニアの部族を研究している民俗学者P.ゴールドスミス氏は、ゴダナ氏の主張を裏付ける確たる証拠はないが、あながち否定もできないとしている。同氏は、「事件に先立ち、ケニア国内のガブラ族は、エチオピア政府を支持しているとの批判があった。これが、OLF親派のボラナ族によるガブラ居住区襲撃を引き起こし、ガブラ族はそれに同様の報復で応じた。そしてそれがトゥルビ村の虐殺へと繋がっていった」と語っている。
 
 ケニア北部のOLF支援者と名乗るディマ・グヨは、「OLFに加入しているボラナ族は少なくない。ここはケニア領だが彼らは自分たちをケニア人と思っていない。なぜならボラナ族は血縁的にオモロ族と関係があるため、ここの人々は、ナイロビで何が起こっているかより、(オモロ族の自治・独立を目指す)OLFにより関心がある」と語った。

しかしケニア政府スポークスマンのアルフレッド・ムトゥア氏は、この考えを否定している。「これはケニア国内の問題であり、責任の所在を他所(=隣国エチオピア国内)に求めるべきではない」と語っている。

また、フィド・エッバOLF代表も、トゥルビ村虐殺にOLFが関与したとする説を否定している。同氏は、IPSのインタービューに応じ、「OLFはトゥルビ村虐殺事件には一切関係ない。我々の戦いは、残忍なゼナウィ政権(エチオピアのマンレス・ゼナウィ首相:IPSJ)と彼の秘密警察に対するもので、ガブラ族であろうとなかろうと、ケニア国内の如何なる部族も攻撃対象にしていない」と語った。

同氏はまた、OLFがケニア国内で兵士を募っている事実はないとして、「OLFの戦いは、エチオピア国内の戦いである。ケニア国内のオモロ族は我々の兄弟ではあるが、我々はケニアの統治権を尊重し、ケニアを我々の戦いに引きずり込む考えはない」と語った。

これらとは別に、トゥルビ村虐殺事件の真の原因は、ケニア北部の開発の遅れにあるとの見方もある。独立後、ケニア政府は、植民地支配の影響から脱する努力を行ってきたが、北部は完全に無視してきた。

マルサビットの病院は、数十万の患者に医師一人という状態である。電話も電気も殆どなく、道路はそれらしきものがあるところでもひどい状態である。その結果、住民は、他の地方と隔絶されている感じている。地元住民は、この北部地域を訪れる者に対し、「ケニアはどうですか?」とよく質問するが、これ自体、(ケニア政府が重視してきた)中央・南部地域と(取り残された北部の間)の溝を表す際立った表れである。

マルサビットのペンテコスタ派牧師アビヅバ・アレロ氏は、「我々は、自国にいながら亡命者のように感じている」と語った。

グヨ氏(前述のケニア北部のOLF支援者)も、「政府は、この地域の生産性はゼロと考えている。従って、『国に貢献していない者達に、どうして政府が面倒をみないといけないのか』というのがケニア政府の言い分だ」と語った。

この北部地域の開発が無視されてきたように、民族間の緊張もケニア政府に無視されてきた。トゥルビ村虐殺事件を受けて、政府軍も遅ればせながら、装甲車や重装備の兵士によるパトロールを行っているが、(これは一時的なもので)彼らは常駐しはしない。

ケニア政府は、紛争地域に治安部隊を常駐させる代わりに、「ホーム・ガード」と呼ばれる地元民を警戒に当たらせているが、彼らには、原始的ともいえる武器しか与えられていないのが現状である。

ホーム・ガードのバラロ・ボイは、「我々には単発式のライフルしか支給されていない。これでカラシニコフ(AK-47s)を持った襲撃者とどの様に戦えというのか」と語った。

トゥルビ村虐殺事件の3週間前、ケニア北部地域の牧師及び議員が、ケニア政府に対し、民族間の緊張が高まっていると警告していた。しかし、その際もケニア政府は彼らの警告を無視した。

アレロ牧師は、「この無関心は、政府役人の同地域に対する無関心を表すもの。彼らは、キクユ族といった他部族出身者で、我々の生活習慣を理解できないのだ」と語っている。

2002年末に、モイ長期政権を倒し大統領に就任したM.キバキ氏は、今年初め、北部ケニアを訪問し、政策変更を約束した。ムバキ政権の道路・公共事業・住宅担当R. オディンガ大臣も、北部住人が最も必要としている国内他地域との連結を可能とするケニア中央のイシオロからエチオピア国境のモヤレまで500kmの道路をタール舗装する旨明らかにした。

しかし、キバキ大統領、オディンガ大臣の公約を信じる者は殆どいないのが現状である。ライサミス交易所のある村人は、「どうやって信じろというのだ。オディンガ大臣は飛行機に乗ってやって来た。たとえ短い距離でも、車で来たなら、我々の苦労がわかった筈だ。彼は話をしに来ただけで、帰った後何も起こってはいない、何もだ!」と語った。

砂地に積み重ねた木材を売っている別の商人は、「いいや、変わった物もあるよ。道路だよ。道路の状態は以前よりさらに悪くなった」と語った。(原文へ
 
翻訳=IPS Japan

インドに暮らすチベット難民の若者:チベット固有の純粋な文化は脅かされているのか

【ダラムサラIPS=ソニー・インバラジ】

チベットの仏画の絵筆を捨て、エレキギターを手に取って弟たちとロックバンドを組んだチベット難民のJamyang(27)。「チベットの若者に、『チベットを忘れないで』と、ランゼン(Rangzen:自決、独立、自由などとさまざまに訳されているチベットの新語で、チベットの反中国の抗議運動のスローガン)を訴えていきたい」と語る。

 1950年、中国は軍事力によってチベットを侵略、120万人以上の命が奪われた。国際人権監視機関によれば、中国支配への抵抗を抑圧しようと、中国は引き続き多数のチベット人に対し監禁、逮捕、投獄、拷問を行っている。こうした状況から逃れてきた難民10万人以上を受け入れているのが、インド北部の町ダラムサラ(ダライ・ラマが1960年チベット亡命政府を設立:IPSJ)である。

世界中の若者にアピールするロックという共通の言葉を使って、Jamyangのバンドの音楽は、正義、表現の自由、世界平和などチベット難民の多くの思いと呼応する。「僕たちはインドで自由だけれど、新聞やテレビを通じてチベットの現状も知っている」とインドで生まれ育ったJamyangは言う。「まずインドのラブソングを演奏して観客を引き付けてからチベットのランゼンのナンバーを歌う。そうすればみんながハッピー」と語る。

しかし彼とその弟は、インドの菓子、インド映画の俳優や歌、ヒップホップのバギージーンズ、茶髪などインドの生活に慣れ親しんだ新しい世代の難民だ。インドや西洋の慣習、価値観、美学がチベット難民の生活のあらゆる側面に深く浸透しており、チベット文化が「消滅」するのではないかと危惧する向きもある。

しかしTibetan Centre for Human Rightsの研究者T. Norgayは「ヒップホップカルチャーだから、と決めつけてはいけない。こうした若者の多くはまじめだ。新世代の中にはインドでの生活を最大限に活用しようと思っている者もいるが、彼らもチベットを忘れたわけではなく、自由になればすぐにでもチベットで暮らしたいとも思っている」と、インド生まれのチベット難民を否認しないよう警告する。

ロックやヒップホップあるいはインド映画のチベット人の若者への影響を回避することは無理かもしれないが、しかしチベット文化の保護に努める上で期待を寄せることのできるのは、中国占領下の暮らしを実体験として知っている新たに亡命して来た難民たちだ。チベット難民とチベット文化の問題を報告する。

翻訳=IPS Japan

|チリ|独裁政府の大量虐殺事件隠蔽に加担した新聞の責任

【サンチアゴIPS=グスタボ・ゴンザレス】

Augusto Pinochet Ugarte/ By Ministerio de Relaciones Exteriores de Chile. - Archivo General Histórico del Ministerio de Relaciones Exteriores ([1]), CC BY 2.0 cl
Augusto Pinochet Ugarte/ By Ministerio de Relaciones Exteriores de Chile. – Archivo General Histórico del Ministerio de Relaciones Exteriores ([1]), CC BY 2.0 cl

アウグスト・ピノチェト独裁政権(Augusto Pinochet:1973~90)が、左翼活動家119人の誘拐、殺害を隠蔽するため行った「コロンボ作戦」から30年が経過したが、同作戦に協力し偽りの情報を流した新聞およびジャーナリストは、その責任を認めようとしていない。(コロンボ作戦は、1975年にアルゼンチン、ボリビア、ブラジル、チリ、パラグアイ、ウルグアイの軍事政府が左翼反対派の鎮圧を目的に開始した共同計画「コンドル作戦」の先駆けといえる:IPSJ) 

1973年9月11日のクーデターでアジェンデ革新政権が崩壊した後、独裁政府の秘密警察であった国家諜報局(DINA)は、革命左翼運動Miristas(MIR)のメンバーを主とする左翼活動家119人を逮捕、誘拐。事件の真相をただす国際社会の圧力を受けて、新聞各社は、アルゼンチンに潜伏するチリ人ゲリラ組織が、内部抗争により119人を殺害したとの偽りの情報を流した。(同記事を最初に掲載したのは、ブエノスアイレスの雑誌Leaとブラジルの弱小新聞O’Diaであるが、犠牲者家族の団体Comite 19によると、Leaは、アルゼンチン反共産同盟(Argentine Anti-Communist Alliance)が支配していた出版社Codex発刊の雑誌という:IPSJ) チリでは現在もなお、同事件における新聞の役割について検察の調査が行われている。サンティアゴ控訴裁判所は、7月7日、コロンボ作戦に関わるピノチェト元大統領の訴追免責剥奪を決定した。また、Comite 119およびRights of the People Corporation Committeeは、ジャーナリスト協会の倫理審査会に異議申し立てを行うと共に、虚偽報道を行った新聞社に対し賠償を要求している。 

しかし、新聞協会の法律顧問は、IPSの質問に応じ、倫理調査会の決定が下るまでは、コメントできないと語った。また、同協会の倫理調査委員会議長は、「チリの新聞は、長い歴史を有する報道メディアである。同事件の責任の多くは、Lea、O’Diaの報道を取り上げた全国紙よりも、地方新聞にある。メディアの義務は、真実の追求とその報道であり、政治的プロパガンダ、ましてや大量殺人の隠蔽に加担するとは考えられない。」と語った。ピノチェト独裁政権が行った左翼弾圧および事実隠蔽に加担したチリ・メディアの責任を巡る議論について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 

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ラテンアメリカにおける犯罪と下されるかもしれない罰

危機をはらんでいるスワジランドの現状

【ヨハネスブルグIPS=モイガ・ヌデゥル】

「我々はスワジランドがルワンダ、ブルンジ、シエラレオネなど(民族間抗争の絶えない国々:IPSJ)のように暴発してほしくない」と反政府組織(非合法野党)の人民統一民主運動(People’s United Democratic Movement:PUDM)創設者G.ムクマネ氏はIPSの取材に応じて語った。

「スワジランド国民が蜂起して武力に訴えることはできない。冷戦も終結した今、これは論外だ。しかしスワジランドの政治改革を促進するためには国際社会からの圧力が必要だ」とムクマネ氏は言う。

南アフリカに亡命中のムクマネ氏は暴力を否定する一方、民主化への歩みが遅々として進まないことに不満を抱いた国民が自ら行動を起こす(=暴発する)のではないかと恐れている。

ブリュッセルに本部を置くシンクタンク国際危機グループ(ICG)も先週、同様の所感を表明し、スワジランドの内紛予防策の必要性を訴えた。

ICGは「スワジランド:時限爆弾の音」と題する報告書の中で「立憲君主制と民主主義に立ち戻ろうとする国内改革派を支援する国際的圧力がもっと必要である。これこそ、スワジランドがはらむ暴発の危険がこの地域(アフリカ南部)に拡大していくことを予防する最善の策である」と指摘している。

また同報告書は、「近年の絶対君主制への抵抗活動として、労組、学生、宗教グループ、青年運動等によるストライキ・デモに加え、政府の建物への放火、爆破事件も散発される」と述べている。

また、同報告書ではICGアフリカ南部プロジェクトのP.カグワンジャ・ディレクターの言葉を引用し「アフリカの諸機構、欧州連合(EU)、南アフリカとアメリカなどの主要関係国は、(スワジランドの政体に関して)ゆっくりとした変化を訴える王制主義者の主張を容認している」「しかし、スワジランドの立憲君主制への回帰が遅れれば遅れるほど、国内の政情が不安定になるリスクが高くなる」としている。

スワジランドの反体制活動家達は、国際社会にスワジランドへの介入を説得するのは困難だと感じている。それは、同国は国内に問題を抱えているにもかかわらず、全体的に「政情が安定している」と見なされていることに起因している。

「たとえば、国王が豪邸を建設中というようなことでしか、スワジランドは話題にならない」とヨハネスブルクに本部を置く南部アフリカ選挙機構(Electoral Institute of Southern Africa)のC.カベンバ研究員はIPSの取材に応じて語った。

南アフリカとモザンビークに囲まれたスワジランドは1968年にイギリスから独立したアフリカ最後の専制君主国である。1973年、国王ソブーザ二世(当時)は、緊急事態を宣言して全政党を非合法化し、憲法を停止させた。最近になって議会は新憲法草案を採択したが、民主化活動家はこれを拒絶し、現在審議が続いている。

ソブーザの後を継承したのが息子のムスワティ三世である。この37才の君主は贅沢な車を好み、妃(現国王の結婚暦は12回に及ぶ)にも何台かを買い与えていることでしばしばニュースのヘッドラインに登場している。

王の浪費生活は貧困に喘ぐスワジランドの現状には全くそぐわないものである。同国の失業率は40%にのぼり、約100万人の総人口の内、実に70%近くが1日を1ドル以下の生活を強いられている。また、国連エイズ合同計画(UNAIDS)によると、スワジランドのHIV/AIDS感染率は40%に上る(スワジランドは現在、世界でエイズ感染率が最も高く、最新の政府統計では、成人の感染率は42.6%に達する:IPSJ)。

活動家たちは、外部からの活動支援資金が不足してきたことも、スワジランドにおける民主化運動を阻害する要因となっていると言う。「冷戦後、政治闘争のための支援資金が国際的に底をついてしまった。」と、南アフリカに本部を置くスワジランド連帯ネットワーク(Swaziland Solidarity Network:スワジランド民主化推進派のアンブレラ組織)のB.マスク事務局長はIPSの取材に応えて語った。

「ナミビア、アンゴラ、モザンビーク、南アフリカなどアフリカ南部諸国の解放運動は国際的援助、とりわけスカンジナビア諸国からの援助を受けていた」

ところが今日では、「援助国・団体は、市民社会組織に対してしか資金援助を行わない。しかし残念なことに、市民社会には、スワジランドに改革をもたらすような能力はないのが実情です。」とムクマネ氏は語った。ムクマネ氏は「我々は軍事的、経済的、政治的にも資金力のある政権(スワジランド政府)と闘っている現実を考えれば、国際的な支援なしには、民主活動家達は十分な活動はできない」と語った。

これまでスワジランドの現状を述べてきたが、こうなれば必然的に、隣国のジンバブエ(ムガベ大統領の独裁下公民権が厳しく制限され、政治・経済の混乱が続いていることで、国際的に厳しい批判に晒されている:IPSJ)との比較に言及する必要があるだろう。

マスク事務局長は、「ジンバブエのムガベ大統領が欧州各国への渡航が禁じられているにもかかわらず、スワジランドのムスワティ三世が許されていることは偽善であり、これは欧州諸国のダブルスタンダードの現れである」と厳しく非難している。

報道によると、スワジランド政府は声明を発し、「同国政府は国内に抱える問題には適切に対処しており、国際社会の介入は必要ない」と主張している。

しかしICGアフリカプログラムの責任者S.バルド氏は、「そのような現政府による『改革努力』は早々には具体的な形で実行に移されることはないだろう」と語った。

「スワジランドの君主は、もし迅速に時勢を読み、あえて自らの権力に歯止めをかける政治改革を支持するならば、立憲君主として生き残る道もあろう。しかし、同王室、国際社会双方とも、スワジランドにおける専制政治というものが今後そう長続きはしないという現実を認識しなければならない。」とバルト氏は語った。<原文へ>

翻訳=IPS Japan

祖国にいながら屈辱を味わうパレスチナ市民

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【ナブルスIPS=ウシャミ・アガルワッタ】

2000年9月、キャンプ・デイビッド和平会談失敗の反動として、パレスチナに第2次インティファーダが勃発。暴動拡大の中で、イスラエル軍は、ヨルダン川西岸地域のナブラス市を標的として容赦ない攻撃を行った。同市の歴史的建物は瓦礫と化し、人々の心にも深い傷が残った。 

それ以来、ヨルダン川西岸地域は、イスラエル占領軍の厳しい監視下に置かれている。ナブラス市の2つの検問所、フワラとバイト・エバは、特にチェックの厳しさで知られており、夏の熱さ、冬の寒さの中で、毎日数百人の市民がM16銃を突きつけられながら、検問所の回転ドアから出入りするための検査を待っている。

イスラエル軍の監視体制そして夜間の侵攻は、同地域のインフラだけでなく、住民の精神にも大きな影響を与えている。パレスチナ中央統計局による2005年1-3月経済調査によると、イスラエルのこれら措置により、パレスチナの貧困は拡大しているという(第2次インティファーダの間に収入が減少した世帯は全体の65・2%。その内、収入が50%以上減少した世帯は53・9%に達する)。 

パレスチナの若者の悩みは仕事、そして常に付きまとう不安感である。今年初めにナジャ.ナショナル大学を卒業したアイシは、「仕事を見つけることは、人生の重要ステップであるが、ここで仕事を見つけるのは本当に難しい。」と語った。また、19歳のアッカドは、「子供の時からイスラエル兵を見、銃撃音を聞き、夫や子供の死を知り泣き叫ぶ母親の声を聞いてきた。最も不安になるのは夜だ。今日は安全だったとしても、夜に何かが起こり、朝起きたら全く違う状況になっているかもしれないのだから。」と語た。イスラエル占領軍の監視下で暮らすパレスチナ市民の屈折した心情を報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan 

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|イスラエル|人権|「イスラエル兵士が殺人を犯しても裁かれない」:HRW報告書

スワジランドのNGO、十代の青少年を対象にエイズ予防キャンペーンを開始

【ムババネIPS=ジェームズ・ホール】

スワジランドのNGO、National Emergency Response Committee on HIV/AIDS(NERCHA)は、十代の青少年を対象に、「自らの命とスワジランドの将来のために性行為を控え自分の人生に責任を持て」と訴える新たなキャンペーンを開始した。NERCHAは、同国のNGOのコーディネーター的な役割を果たしており、エイズ・結核・マラリア撲滅グローバル基金(Global Fund to Fight AIDS、Tuberculosis and Malaria)、政府、民間からの資金を背景に国内NGOに対する資金支援を実施している。

全国紙2紙による「明日は私のものだから」というスローガンを掲げた全面広告の他、ラジオ・キャンペーンも展開。また、今月から、大型ポスターによる屋外キャンペーンも開始された。屋外掲示用ポスターには、「私は、学校を卒業したい。だから、セックスは我慢できる」というコピーと共に教科書を抱えた女の子や、「僕は将来を考えている。だから、セックスは我慢できる」と意を決した表情の男の子の写真が使われている。

スワジランドは、世界でエイズ感染率が最も高く、異性関係が活発な成人の感染率は42.6%に達する。一方、18歳以下の感染率は15%で安定、あるいは減少傾向にあるかもしれないという。

米国国際開発庁(United States Agency for International Development:USAID)のD.ハルパリン氏は、これまでのエイズ・キャンペーンはエイズに対する意識の向上を目指すものであったが、生活行動の改善には至っていないと語っている。スワジランドが打ち出した新たなエイズ撲滅キャンペーンについて報告する。<原文へ>

翻訳=IPS Japan

|アフリカ|権力の座にしがみつくアフリカ諸国の大統領

【コトヌーIPS=アリ・イドリス・トゥーレ】

西アフリカのベナン共和国の人々は、ケレク大統領が2006年の大統領選での再選を断念したことを喜んでいる。だが同氏は自ら進んでこの決断を下したわけではなかった。 

ケレク大統領は1972年から89年まで軍指導者として国を率いた。(この間マルクス・レーニン主義に基づく社会主義を国是としたが、経済状況が悪化し、1989年の東欧における社会主義崩壊を受けて1990年3月に国民革命議会を解散した:IPSJ)1991年の大統領選でM.ソグロ氏(元世銀理事:IPSJ)に敗れたが、1996年3月の大統領選で返り咲き、2001年3月に再選し2期目を務めている。

 ベナン共和国では1990年2月に憲法で大統領の任期を2期10年までと定めているが、2001年にケレク大統領と同時期に再選を果たしたウガンダのムセベニ大統領とチャドのデビー大統領はそれぞれ大統領の任期を2期までと定めた憲法を改正し、来年の大統領選で3期目を目指している。 

この2年間、ベナンのマスコミでは同じように憲法を改正すべきか否かという議論が白熱し、国を2分してきた。しかし7月11日に教員団体との会合において、ケレク大統領は初めて任期を2期で終わらせるという意向を示した。 

民間新聞数紙はケレク大統領の決定を支持しつつ、「憲法改正に対して民衆が一斉に異を唱えたこと」がこの決定をもたらしたとする記事を掲載した。憲法改正に必要な議会の5分の4の賛成、あるいは国民投票の承認を得ることが難しいと同氏が自ら判断しなければこの決定はなかった。 

市民社会団体連盟のスポークスマンのR.グベグノンビは「市民団体が一致団結して声を上げていなければ、憲法はずっと前に改正されていただろう」と述べ、NGOのELAN代表R.マドゥマドゥ氏も「国益が危機に晒されたときには市民が一斉に異を唱えなければならない。今回成果を上げたことを誇りに思う」と述べた。市民グループは、統治中の独断からマスコミによって「カメレオン」と呼ばれるケレク大統領の監視を怠ってはならないと警告している。 

アフリカではトーゴのエヤデマ大統領、チュニジアのベンアリ大統領、ガボンのボンゴ大統領、ギニアのコンテ大統領と憲法を改正して再選を果たす大統領が大勢いる。このような動きを抑制するベナンの状況について報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 

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|アフリカ|国連人道支援担当の高官、国際社会が無視してきた危機に対する支援を訴える

|タイ‐米国|エイズ薬の取り扱いが、次回自由貿易交渉の焦点になる

【バンコクIPS=マルワーン・マカン・マルカール】

「タイ国民が適正な価格で医薬品やヘルスケアにアクセスできる権利は守られなければならない」と、スチャイ・チャロエンラタナクル保健相は、先週、記者団に対して語った。

タイ―米国間の第4次自由貿易交渉(FTA)が、7月10日から15日の間、米国モンタナ州で開催予定であるが、タイ政府は、次回交渉の結果(新たに協議項目に「知的財産保護」項目が追加された)、抗レトロ薬(エイズ薬)が従来のように安価で製造できなくなるのではないかと懸念を深めている(タイ政府がFTAに関してこのような懸念を一般に発表したのは初めて)。

 タイ政府は現在、国立製薬局を通じて正規のエイズ薬(250ドル~750ドル)よりはるかに安価なジェネリック薬(30ドル)を生産しており、国内のHIV/AIDS感染者はもとより近隣の貧困国(カンボジア、ラオス、ミャンマー)にもジェネリック薬の提供を行っている。

米政府は、5月になって、ジェネリック薬を使用しているタイ国民(HIV/AIDS感染者)が自由貿易交渉によって影響を受けることはないとの見解を示したが、一方で、チュラロンコン大学の研究者は、米国が締結済みのシンガポール、チリとの自由貿易合意文書の中に、「薬の知的所有権が従来の20年から25年への延長」を目指す(=そうなればタイはジェネリック薬の製造ができなくなる)箇所を指摘し、米側の意図はジェネリック薬の規制あるとの見解を示した。

ジェネリック薬の今後を左右する来月のFTA交渉を控えて、タイで浮上している諸議論を報告する。(原文へ

翻訳=IPS Japan

|スリランカ|「政治的な津波」が津波被害からの復興作業を脅かす

【コロンボIPS=アマンタ・ペレラ】

昨年12月の津波(海岸線の4分の3を襲い同国の船舶の半数〈16,479隻〉を破壊、約31,229人の死者と4,100人の行方不明者、80万人の被災者を出した:IPSJ)からほぼ半年が経過した6月24日、チャンドリカ・クマラトゥンガ政権は、人民解放戦線(PLF)等の国内の強い反対を押し切って、津波被災者救援のためのLTTE〈タミル・イーラム解放の虎:通称タミールの虎〉とのジョイントメカニズムに署名した。 

これにより、国際社会からの津波被災者支援受け入れ作業は進展するものと思われるが、同時にクマラトゥンガ政権は、LTTEとの連携に強く反発する国内政治勢力との厳しい対決――「政治的な津波」を覚悟しなければならない状況に追い込まれている。 

スリランカでは、津波被災地に反乱軍が実効支配する北東部が含まれており、国際社会の祖国復興支援(援助表明額は30億ドルにおよぶ)を受けるには反乱軍とも提携した援助物資が被災者に行き渡るメカニズムの構築が必要とされている。一方、スリランカからの分離独立を主張している反乱軍勢力(20年の内戦で65,000人が死亡)との提携には、政権内外からの反発が大きく(PLFはLTTEとの交渉に抗議して6月16日連立政権を脱退、これにより連立与党は議会の多数議席を失っている)、同大統領は難しい政局運営を迫られていた。 

しかし、包括的な援助受入計画の欠如から、折角の莫大な援助資金も活用できず、6ヶ月を経ても遅々としてすすまない復興状況(6月8日現在、9480世帯が依然としてテント生活を強いられている)に加えて、国際社会からのジョイントメカニズムを支持する声(米国津波特使クリントン前大統領も5月に被災地を訪問してメカニズムを支持)等にも後押しされて今回の合意に踏み切ったとみられている。ジョイントメカニズムの合意により津波被災者救援への道筋が開かれる一方で、連立政権の足元を揺るがす「政治的な津波」を抱え込んだクマラトゥンガ政権が直面している諸課題を報告する。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan浅霧勝浩 

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UAE政府、地元求職者支援に動く

【アブダビIPS=特派員】


アラブ首長国連邦(人口約430万人)では、20世紀の産油ブームで、それまでの伝統的な社会・経済構造の変革が迫られて以来、圧倒的な人口、人材不足を背景に、伝統的に外国人(賃金の高い順に〈1〉白人〈2〉アラブ人〈3〉アジア人の3層で構成)がUAE民間セクターの仕事を独占する状況が続いてきた(地元労働者が占める割合は平均0.5~1.0で推移している)。

しかしその後、国内人口も増加し、UAE国籍の失業者数が40,000人に達したほか、地元出身者が就職において(外国人労働者と比較して)差別されているとの不満が国民からあがるに及び、UAE政府も、民間企業に対してある一定の職員割合をUAE出身者に確保する方策(Emiratisation)や、職業訓練校の設立、「Careers UAE fair」を通じた民間企業とのマッチング活動など、積極的な対策を講じている。しかし一方で、UAE出身の就職希望者の44%が高卒程度、22%が大学卒業程度という中で、労働市場の構造変革を変えていく作業は今後も多くの困難が予想される。

アラブ首長国連邦における地元出身労働者の就職問題について報告する。

翻訳=IPS Japan