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|インド|癌治療薬独占をもくろむノバルティス社の訴訟に怒り高まる

【バンガロールIPS=ケヤ・アチャルヤ

スイスの巨大製薬会社ノバルティスAGが、インド特許法がWTOに違反し、同社の営業権を制限しているとマドラス高裁に訴えたことに人々の非難が高まっている。 

インド政府はWTO加盟国として、また知的所有権の貿易関連の側面に関する協定(TRIPS協定)の署名国として2005年4月、国内法を修正し、製品特許の保護期間を20年に延長、7年間のプロセス特許を破棄した。 

それ以来、修正インド特許法の条項にあるように特許申請の「新規性」あるいは革新的分子構造を否定することができず、多くの重要ジェネリック医薬品、特許失効後の薬品が市場から駆逐されることとなった。

修正特許法を初めて問うものとして、ノバルティス社は白血病治療薬「グリーベック」の特許を申請した。しかし、新規性が不十分としてチェンナイ市南部特許庁から申請を却下された。そこで同社は、チェンナイのマドラス高裁に却下の取り消しを求める訴えを起こした。 

ノバルティス社が、特許性の問題に関する報告書の採択を要請したため、審問は2月15日に延期された。この報告書はインド議会の委託により科学産業研究委員会のマシェルカー前理事長がまとめたもので、「1つ以上の」進歩性を有する薬品に特許を与えることが「国家の利益」にかなうとし、革新的分子構造が見られない製品にも特許を付与することを求めている。 

マシェルカー・レポートは企業の利益に内通するものだとして、幾つかの法律家団体、市民団体は怒りをあらわにした。これら団体は、2004年にノバルティス社が「グリーベック」の販売独占権を獲得して以来、1ヶ月の薬価が175米ドルから2,000ドルに急騰し、インドの2,500万人の白血病患者が即座に影響を受けたと激しく非難している。 

ピープルズ・ヘルス・ムーブメント(PHF)のインド支部(Jan Swasthya Abhiyan)のテルマ・ナラヤン議長はIPSの取材に応じ、「これはインドのあいまい性の実例。ノバルティス社は最近、『企業の社会的責任』が認められて国連から世界的な賞を受けた。しかしノバルティス社がジェネリック医薬品の市場を独占しているために、インドや貧しい国々で何百万人もが治療を受けることができず、亡くなっている。巨大多国籍企業のこのような行状は公にされてしかるべきだと思う」と語った。 

元特許庁技監でグジュラル前首相率いる市民委員会のB.K.ケヤラ氏はIPSの取材に応じ、「マシェルカー・レポートが発明を適切に定義していれば、このような状況には陥らなかった」と語る。ケヤラ氏は特許に関する委員会を4つ立ち上げ、影響力のある人物の参加を仰いだが「重要性を認識する人はいない」と言う。 

昨年は、PHFならびに国境なき医師団(MSF)と共に、少なくとも7つの民間、司法、保健団体がノバルティス社の「グリーベック」特許申請に反対キャンペーンを行った。 

裁判でノバルティス社と闘う癌患者支援協会(Cancer Patients Aid Association)の法律アドバイザーを務める法律家協会(Lawyers’ Collective)は、問題を公にして対象を必須医薬品に広げてきた。それというのも、ノバルティス裁判の判断は白血病のジェネリック医薬品の製造、安価な価格のみならず、他の癌、HIV/AIDS、途上国特有の幾つかの病気にも間接的な影響を及ぼすからだ。 

法律家協会のアーノルド・グローバー弁護士は、インド政府の一見企業よりの姿勢を非難し、西欧とりわけアメリカの貿易利益追求に影響されていると指摘する。「政府の政策は国内の貧困層のニーズを無視し、インドの経済大国としての地位を宣伝する行為だ」 

ケヤラ氏も企業の思惑、とりわけ巨大多国籍医薬品会社の影響を認めながらも、反対運動にはもっと効果的な戦略があったと指摘する。 

「HIVを国家緊急事態と認定させるよう運動する必要がある。その後にジェネリック医薬品を特許の規制枠からはずせばよい」とケヤラ氏は言う。グローバー弁護士によれば、同程度に不可欠な医薬品が幾つもあるが、国の緊急事態の治療薬と定義することはできないと言う。 

インド国内法ならびにWTOドーハ宣言で、公衆衛生の緊急事態にあってはジェネリック医薬品の製造が許可される。 

バンガロールに本部を置く全インド医薬品アクション・ネットワーク(All India Drug Action Network)のナビーン・トマス氏は「付与前異議申立制度により、特許庁で勝利することが大切」と言う。 

医薬品アクション・フォーラムバンガロール州支部のプラカシュ・ラオ博士は「まだ闘い続けることはできる。すべてを失ったわけではない」と言う。 

ノバルティス社の特許申請の影響について人々が抱く不満に対して、インド医師会は際立って口を閉ざしている。インド南西部プーン所在の保健問題合同テーマ審理センター(Centre for Enquiry into Health and Allied themes)アナンス・ファドケ氏は、インドの医師は医学部教育課程で医薬品の歴史と特許について十分学んでいないだけでなく、製薬会社から優遇を受けていると指摘する。 

インド国内に17万8,000人の会員を有するインド医師会(IMA)会長のアジェイ・クマール博士はIPSの取材に応じ、ジェネリック医薬品と特許付与による薬価高騰について「重大なことと感じている」とインド東部のパトナ市から電話取材に応えた。また、「企業が医薬品を独占すると、人口の1%にしか行き渡らない。薬価とインド製薬会社のジェネリック医薬品製造許可について政府に働きかける」と述べた。 

インドにおける次の法廷闘争は、別の医薬品大手多国籍企業が「新薬データ独占権」を組み込むよう、医薬品販売を管理する薬品化粧品法の修正を政府に働きかけていることである。これが通れば、薬品管理局が治験データを使用することができなくなる。 

WHOは2006年3月の速報で「独占権が続く限り、結果的にジェネリック製薬会社は安全性と効能について独自のデータの提出を求められることになり、治験を繰り返すことが必要となる。多くのジェネリック製薬会社は、このような時間をかけることができない」と指摘している。 

デリーの法律家協会が進める適正価格の医薬品および治療キャンペーン(Affordable Medicines and Treatment Campaign)はシン首相に懸念を伝え、データ独占権が公衆衛生の緊急事態における特許強制実施許諾の対処を困難にすること、薬品管理局がジェネリック医薬品の認可作業で、すでに入手した薬品データを利用できなくなる恐れを伝えた。(原文へ) 
 
翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

|米国|摘発で移民家族バラバラ

【ニューヨークIPS=アリッサ・ジアチノ】
 
米移民局は6つの州で不正な身分証明で働く移民の一斉摘発を行い、精肉工場で1000人以上を逮捕してから1週間。残された家族は、いまだに愛する人の消息を求めて躍起になっている。

「逮捕された家族が、どこに行ったか分からない人が多い」とミネソタ州ワージントンで小さな食料品店を営むオリヴィア・フィゲオラはIPSの取材に応えて語った。移民税関執行局(ICEは拘留された者の家族のためにホットラインを設けているが、提供される情報は不正確なことが多いとフィゲオラは言う。

  フィゲオラの夫はワージントン所在のスイフト社の精肉工場で働いている。従業員が逮捕されたために生産ラインが滞っているという。また捜査が入ることを恐れて、出勤してこない従業員もいる。

ICEは12月12日、コロラド、ネブラスカ、テキサス、ユタ、アイオワ、ミネソタの6州でスイフト社の精肉工場を一斉捜査。何千人もの従業員に居住権あるいは市民権の法的書類の提示を求めたために、生産ラインが停止した。ICEによれば、この摘発は「何百人ものアメリカ市民を被害者とする大掛かりな身分証明の窃盗事件」捜査の一環である。

ICEは数時間のうちに、行政上の移民法違反で1282人を逮捕。これまでに144人を身分証明の偽造、違法再入国などの罪で刑事告発した。

今回の強制捜査は、2006年初期に政治問題となりながら、議会で結実しなかった移民法改正の論議を再燃させることとなった。

何百万人もの不法滞在労働者の合法化を擁護する人々と、移民法の厳格な適用を求める人々の間の断絶はこの強制捜査で際立つこととなった。

「連邦政府が暴徒鎮圧用のフル装備でラテン・コミュニティを脅かすというおろかな行為」と言うのはコロラド州グリーリーの支持団体ティノス・ユニドス(Latinos Unidos)のシルヴィア・マルチネス代表。

対極にあるのが不法移民の取り締まり強化を求めるコロラド移民改革同盟(Colorado Alliance for Immigration Reform)のマミク・マクガリー代表代理。強制捜査は連邦政府がやっと重い腰を上げたしるしと評価。
 
 「精肉産業は不法移民に甘い」と批判すると共に、政府機関が強制捜査を行ったことで影響が拡大する可能性も指摘。

「大規模でなくてもよいから、目立つような摘発を常時行うことは、象徴として重要。甘い考えを捨てさせる、帰国を促すといった効果が出ている」と述べた。

全国のスイフト社精肉工場の従業員が加盟する北米合同食品商業労働者組合(United Food and Commercial Workers Union:UFCW)は、ICE に逮捕された組合員のために食料と法的支援を組織。

230人が逮捕されたミネソタ州ワージントンのUFCW代表ダリン・レネルト氏は、組合会館が家族支援のグラウンドゼロになっていると語った。17日にはミネアポリスから7トンの食糧支援が届いたという。

地域社会においても、摘発への賛意も表明する人々がいる。一方、支援行動を起こす人も多いとレネルト氏は言う。
 
 「皆が善人というわけではない。多くの教会から、すばらしい支援を受けている」と語った。

各人の事情が異なるので、連邦判事が全ケースを審査するには何週間もかかるだろう。その一方で、UFCWはICEを公民権と憲法上の権利の侵害で訴えている。

UFCWの広報官ジル・ケイシン氏は「ICEは公民権を尊重せず、組合代表や弁護士との面会を認めていない」と指摘した。

ミネアポリスのジョン・ケラー弁護士はIPSの取材に応じ、「人的被害のトリアージを行っている状態だ」として、逮捕者への接見がかなわず、残された子どもたちが両親といつ再会できるか分からないと語った。

当初、およそ600人がアイオワ州のキャンプ・ドッジに収容され、弁護士が接見する前に別の場所に移送されたとケラー弁護士は語った。

「移送は驚くほど早く、政治的圧力と訴訟でようやく門が開いたときには、60人から90人しか残っていなかった」

ミネソタ州が本部のICEティム・カウンツ報道官は、勾留者の一部は移民担当判事の審判を受ける権利を留保する書類に自主的に署名し、即座に送還されたと語った。

擁護派によると、勾留者は署名前に弁護士に相談することが許されなかった。アイオワ州マーシャルタウンのスイフト社工場では90人が逮捕された。セントメリー教会のヒスパニック教区シスター・クリスティーナによれば、逮捕者は逮捕直後にメキシコに送還された。

「逮捕された人は、誰にも連絡することができなかった。私たちも接見が許されなかった。逮捕が火曜日で、私たちが面接に行って断られたのが水曜日。木曜日には逮捕者本人がメキシコから電話してくるようになった」とインタビューで語った。

コミュニティ活動家のシルヴィア・マルチネス氏は「もっと上手なやり方があったはず。移民の問題を超えて、市民権の問題になっている」と語る。

世界第2の牛豚肉加工業者であるスイフト社は、先週の強制捜査は驚きだとして、政府の行動は会社との合意に反するとするプレスリリースを発表した。スイフト社は減産に追い込まれ、供給元にも消費者にも被害が及んでいる。同社は、長期的に見れば回復可能と語っている。

1997年より、スイフト社は労働者の連邦政府による認可プログラム「ベーシック・パイロット」に参加している。これは雇用しようとする者の氏名と社会保障番号を連邦政府のデータベースで照合する就労許可プログラムである。

ICEのティム・カウンツ報道官は、スイフト社は何の罪も問われていないとする一方、「ベーシック・パイロットは不法移民を1人残らず取り締まる特効薬ではない」と言明した。

「ベーシック・パイロット」は、氏名と社会保障番号が合致するかどうか連邦政府のデータベースで照合するものだが、そのデータベースも絶対確実ではなく、齟齬があったとしても必ずしも違法行為を示すものではない。

拘留者の何人が身分証明偽造の罪に問われるか明らかではない。(原文へ) 

翻訳/サマリー=IPS Japan 

|ネパール|前進が見られぬ政府に市民社会が抗議

【カトマンズIPS=マーティ・ローガン】

王制打倒を主導し、現政府の政権奪取を支援した市民社会活動家が、投獄の危険を冒して現政府への抗議を展開している。

1月1日には首相官邸の前で座り込みデモの参加者少なくとも70人が逮捕され、内務大臣が3日、禁止区域での抗議活動には警察が引き続き介入すると警告した。

「ネパールNGO連盟」のアルジュン・カルキ会長は、IPSの取材に応え、政府が暫定憲法をまとめ、元マオイスト(ネパール共産党毛沢東主義派)反政府勢力を含む暫定政府を樹立するまで同連盟は抗議運動を組織し続けると述べている。

6月の憲法制定議会の選挙まで統治に当たる暫定政府の樹立を求めた包括的和平合意(CPA)が11月に政府・主要7政党(SPA)と毛派指導者の間で締結されたものの、和平プロセスは多難を極めている。毛派はまた、全国にある28のキャンプに兵士と武器を置いて管理することになっているが、国連の監視団の到着が遅れ、これも進んでいない。

コイララ首相は、国連の監視が始まるまで元反政府勢力は政権に加わることはできないと主張しているが、「ネパール農村復興」のカルキ会長は、「首相は時間稼ぎをしたいだけ」と言う。

カルキ会長は、「マオイストは都市におり、私たちは彼らが武器を所有していることを知っているが、彼らは首相と連携しており、意思決定プロセスに加わっている。私たちがいつまでも彼らを政府外に置き続けると、平和は脆弱になるばかりである」とIPSの取材に対し述べた。

会長は続けて、「マオイストが加われば、武器などの問題はすべて彼ら自身の問題となり、責任も増す。政府はこの点をわかっていないのか、あるいは内外の勢力からマオイスト排除の圧力を受けているかのいずれかだ」と語った。

各方面から政府への圧力が高まっているネパールの現況を報告する。(原文へ

翻訳/サマリー:IPS Japan浅霧勝浩

IPS関連ヘッドラインサマリー:
|ネパール|見えないところでの闘い
|ネパール|武装解除はまだできないと国連に主張するマオイスト
|ネパール|国連は和平プロセス実現の救世主となるか

米移民法改正に新たなはずみ

【シアトルIPS=ピーター・コンスタンチーニ】

1月4日、第110連邦議会が開会。民主党が両院を支配するなか、移民をめぐる議論で風向きが変化している。

議会開会を前にアリゾナ州の共和党ジョン・マケイン上院議員とマサチューセッツ州民主党エドワード・ケネディ上院議員をはじめとする超党派議員団が、新しい移民法案の策定を開始。不法滞在者が市民権を得るまでの滞在期間の短縮、臨時雇用制度などを策定中である。

 民主党指導部は包括的移民法改正を視野に入れ、最低賃金の引き上げを最初に実行するだろう。

米移民局弁護士協会は、米国土安全保障省傘下の移民税関執行局(ICE)が12月中旬にスイフト社の精肉工場で一斉捜査を行った見せしめ的摘発を批判。低賃金の未熟練労働者の需要は年間50万人であるのに、現行法では毎年5,000人にしか永住ビザを発給していないと指摘した。

IPSは2人の専門家に意見を聞いた。
 
 グアダラハラ大学のデュランド(Jorge Durand)博士は、プリンストン大学と共同でメキシコ移民プロジェクトを実施。過去20年間のメキシコ移民6,000人の追跡調査を行っている。

デュランド博士は、メキシコの労働者は従来アメリカとメキシコを頻繁に往来していたが、国境警備が厳しくなり、不法入国の金銭報酬と危険性が増し、アメリカに入国後は長く留まることになったと指摘。米政府は不法移民にビザを提供するなどの見返りを与えて帰国を促す策を講じたほうがよい。あと20年もすればメキシコ経済も堅調に転じ、人口増加に歯止めがかかって出国者が減少するだろう。アメリカの移民問題の中心は中国、バングラデシュ、アフリカ諸国に変わっていくだろうと述べた。

アメリカ唯一のナショナルセンター、 AFL-CIO (アメリカ労働総同盟・産業別組合会議)の移民労働者プログラム担当のアヴェンダノ(Ana Avendaňo)氏は、労働者と地域社会に利する「フェアな移民」が必要と指摘。移民には賃金や保障を与えずに働かせるなど、不正なシステムから利益を上げる雇用者を厳格に取り締まるべきだと述べた。

AFL-CIOは、移民に米国人労働者と同一の権利を認めない臨時雇用制度には反対し、他の労組、NGOと協力して議会でロビー活動を行っている。しかし、移民法関係者の意識も足並みが揃っていないという。

議会多数派を民主党が占めるなかで、風向きが変わった移民法改正議論ついて報告する。

翻訳/サマリー=IPS Japan 

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|米国|移民改革の期待をくじくフェンス

|中国|歴史の教訓に学ぶ、ただし選択的に

【北京IPS=アントアネタ・ペツロヴァ】

世界の次の超大国になる準備を整えている中国が、歴史の教訓を学ぼうと他の大国の盛衰を検討し始め

た。ただし、省かれている1章がある。中国自身の歴史だ。

中国経済はこの20年にわたる市場改革を通じて急速に成熟し、今や世界4位を占めるまでに至った。しかし一方で、10億人を超す国民に教えられている中国の近代史の多くは訂正されぬまま、依然として共産主義の教義に支配されている。中国の世界における影響力が高まる中、専門家は、検閲された歴史を基盤に国を育てることの影響について深く考え始めている。

「文化大革命」の発生原因とその結末や、3,000万人の命を奪ったと言われている「大躍進運動」中の大飢饉をはじめ、中国の近代史の多くは、検閲されあるいは一般に知らされぬままである。研究者による精査は継続されているものの、彼らの研究の多くは香港や台湾で発表されるに留まり、中にはまったく公表されないものもある。

中国共産党は、政治的失敗を精査されることをおそれ、自国の過去の苦難よりは将来の偉大さについて国民の関心を呼ぼうとするばかりだ。12月中国中央テレビで放映されたドキュメンタリー新番組「諸大国の台頭」もまさにそうした意図であった。

番組は、15世紀の新興ポルトガル帝国から現在世界を支配する米国に至るまで世界の大国9カ国の台頭を検証して、こうした国を成功に導いた要因を明らかにしようという内容だった。中国はこの9カ国に含まれていなかったが、番組は、現在の中国指導者が国民に訴えたいと願っているソフトパワーの重要性を説くものであった。

ドキュメンタリー番組は、中国共産党の中央委員会の委託であったにもかかわらず、歴史の描写からはマルクス主義の視点がまったく排除されており、世界の諸大国がいかにしてソフトパワーを構築したかを重点的に描いている。

従来の中国の歴史本のように帝国の圧政を強調するのではなく、番組はそれら帝国が理念、制度、文化の魅力によって他に影響を及ぼすその力を掘り下げて検討している。

このシリーズ番組のチーフ・プロデューサーRen Xue’anは、中国日報の取材に応えて、「中国が世界に門戸を開く中、私たちは世界についてもっと合理的な理解を身につけることが必要です」と述べている。

ドキュメンタリーは、英国とその産業革命の紹介に当たっては、経済発展における同国の偉大な科学者ニュートンとワットならびに経済学の天才アダム・スミスの貢献に時間を割いている。米国を扱った部分では、台湾との再統一を目指すことを誓っている中国共産党自身の中核理念である国の結束に功績を上げたフランクリン・ルーズベルト大統領に焦点を当てている。

12部構成のドキュメンタリーは高視聴率を上げ、中国中央電視台(CCTV、中央テレビ)で2回連続して放映された後、現在では地方テレビネットワーク各局で放映されている。

「世界の大国の台頭にとって理念や哲学、文化がいかに大切であったかを見ることはすばらしい」とインターネット掲示板に匿名で書き込んだあるネチズンは、「しかしそれら大国が恐ろしい軍事力なしに大国になったと考えるのは間違いだ」と記している。

もうひとりのネチズンは、「従順に知識を深めることがすべてと考える上で儒教の伝統の影響を排除する必要がある。米国や日本の例から明らかなように、技術と科学を全面的に推進することによってのみ、国家は大きな権力を達成することができる」と書いている。

中国の将来の台頭を見据えたこの番組は、国のソフトパワーがいかに重要であり得るか、あるいは経済力ははたして軍事力なしに実現可能なのかどうかについて十分な議論を巻き起こした。ただし真正な歴史の欠如またはその重要性について意見の分かれる問題を提起することはなかった。

中国が最後に自らの自己分析をテレビで放映したのは、18年も前のことになる。1988年に放映された6部構成のテレビシリーズ「黄河哀歌」は、放送後直ちに中国全土にセンセーションを巻き起こし、その結果放送禁止となった。

論議を呼んだこのシリーズは、黄河の緩やかな不変の流れに形作られた中国文明が極度に安定した抑圧的な「封建的」政治文化を生み出したのだと示唆し、西側世界はこれと対照的に、科学と民主主義に教え導かれたものとして描き、そして変革を呼びかけた。

中国共産党の保守派の多くは、「黄河哀歌」放送禁止後の激しい議論が、学生の民主化運動に影響を及ぼし、後に天安門広場でのデモと政治改革の要求にまで至らしめたと考えている。中国共産党長老のひとりWang Zhenは、このドキュメンタリーを「文化的ニヒリズム」と呼び、全面的な西洋化を提唱したとして番組を非難したと言われている。

「諸大国の台頭」は、こうした公認されない領域にまでは踏み出していない。チーフ・プロデューサーRenの言葉を借りれば、ドキュメンタリーは、大国を構成する要素と大国に至った過程とを明らかにする「答探し」にすぎない。

過去の亡霊を追い払い、厄介な過去の説明を試みることは、ドキュメンタリーで推奨されていることではない。有識者は、共産党は依然、過去を問題にすることで古傷を開き、政治改革への要求を再び呼び起こす結果になることをおそれていると見ている。

中国の歴史書におけるナショナリズムを批判する論文を掲載したことで2006年初頭に週刊紙『氷点』の編集長を解任された李大同は、「物事に疑問を呈し始めれば、それがどのようなことに行き着くか誰もわからない。ひとつの疑問が別の疑問を生み、尽きることはない」と述べている。(原文へ

翻訳=IPS Japan

IPS関連ヘッドラインサマリー:
アフリカに友人と影響力を持つ中国
ネパールに逃げ込むチベットの人々

|エジプト|労働者の反乱、功を奏する

【マハラ・エル・コブラIPS=エマド・メカイ】

エジプト北西部にあるアル・マハラ繊維公社の労働者は、会長のボーナス支払い停止決定に抗議し5日間のストを決行した。ムバラク政権の度重なる圧力で弱体化していた労働組合にとって、ストライキは1988年以来初のことである。

労働者は、年額35ドルという小額ボーナスの支払いを停止するのは、世界銀行の民営化提案に従い入札企業の便を図るためだとして、直ちに抗議行動を開始。集会では、数千人の労働者が会長の名前が書かれた棺を担ぎ、会長退陣と役員/業績の調査を要求した。

 いつもは乱暴なエジプト警察も、デモ参加者の数に圧倒されたのか鎮圧行動に出ることなく、政府の介入もなかった。メディアも同事件を大きく取り上げ、反政府スローガンを叫び、棺を担いだ労働者の写真が新聞の一面を飾った。

同デモは、労働活動家/労働者にとって様々な問題を提起するまたとない機会となった。

マハラ工場で働くサイード・アブダラ氏は、「羊毛の屑で汚染された空気で喘息になった。我慢にも限界がある」と抗議。アイマン・タハ氏は、「政府は、ストはイスラム同胞団が指揮していると批判しているが、同胞団メンバーは組合選挙の前に逮捕され誰も残っていない。彼らは自らの行動を省みることなく、何でもイスラム同胞団のせいにする」と語った。

また別の労働者は、「経営側は厳しい労働により肝臓病になった同僚を首にしたが、本来なら保健または年金を給付すべきだ」と指摘。多くの労働者は、劣悪な労働条件、低賃金、管理者と労働者の給与格差に不満の声を上げた。

労働者が一様に批判するのが不正である。彼らは、「管理者は数百万ドルで会社の資産/土地を売却したが、労働者には何の保障もない。経営トップは、正規の手続き無しに親族/友人を経営に参加させている」と批判した。

ストの結果、政府は約束したボーナスの支払いを認めると共に提起された問題への対応を約束した。ある労働者は、最初からデモに参加すれば良かったと残念がっている。

政府に大幅な譲歩を認めさせたエジプト繊維公社のストライキについて報告する。(原文へ

INPS Japan

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エジプト:新しい報道規制法への抵抗
治安部隊による有権者への投票妨害、報道抑圧に混乱した人民議会選挙

|アフガニスタン|タリバン勢力の復活にNATOが苦戦

【カブールIPS=サイード・ザブリ(Pajhwork Afgan News)】

トニー・ブレア英首相は、北大西洋条約機構(NATO)軍によるイスラム原理主義勢力、タリバン掃討作戦の任務は着実に成功へ近づいてきていると主張。しかし、この驚くべき発言は実際のアフガニスタンの現場で実証する必要があるだろう。

ブレア首相はNATO首脳会議が閉幕した29日、ラトビアの首都リガで報道陣に対し「アフガンでのNATOの任務について(現在はまだ大きな成果は見られないが)今後必ず目に見える成果をもたらすだろう」と楽観的見方を示した。

 この記者会見のわずか数時間前、南カブールの道路で反政府勢力による待ち伏せ攻撃を受けたNATO軍兵士2名が負傷。会見ではこの銃撃戦に関する詳細は明らかにされなかったが、最近アフガニスタンの首都カブールやその周辺地域で連合軍の車列を狙った襲撃が多発している。

昨年12月、米軍が(イラクへの派兵増員により)アフガニスタンで活動を展開する4,000人の兵士を撤退させることを発表して以降、多国籍軍・アフガニスタン国軍とタリバンの間での攻撃は激化している。米軍から指揮権を移譲したカナダ・英国・オランダ、さらにNATO主導の国際治安支援部隊ISAF(International Security Assistance Force)は、南部ヘルマンド州やカンダハール州のタリバン拠点地域で戦闘を行っている。

月曜日(27日)、警備の厳しいカンダハール空港でNATO軍車列への自動車による自爆攻撃でカナダ兵2名が死亡した。これによりカナダ人の犠牲者数は今年に入って36人になった。

このような自爆テロ行為が行われたのは、アフガニスタンの30年にわたる紛争でも初めてのことである。今年は102件を超える自爆テロが発生したが、これによる死者のほとんどは民間人であった(このうち外国人兵士の死亡者数は17人)。

木曜日(30日)には、ヘルマンド州でタリバン兵との戦闘中にNATO軍兵士1名が負傷。軍のスポークスマンは1名のISAF兵士が(近接支援機と軍の支援を受けた)軍事行動の際に軽症を負ったことを確認した。

2001年に米国主導の連合軍によりカブールからの撤退を余儀なくされたタリバンは、アフガン政権の奪還と海外からの治安部隊の崩壊を目指して、僅か5年で勢力を回復させた。この戦闘により、今年は約4,000人もの死亡者が出たと見られている(死亡者数の4分の1は戦争による被害を最も多く受けている南部の民間人)。

アフガニスタンのハミド・カルザイ大統領は、同国全土に3万2,000人もISAF兵士を配備することでテコ入れを図った。主な派遣国の内訳は、米国が1万1,800人、英国が6,000人、ドイツが2,700人、カナダが2,500人、オランダが2,000人、イタリアが1,800人、フランスが975人である。

しかし、(域外活動として初めてとなる)NATOが指揮するアフガニスタンでの軍事任務は、NATO26の加盟国の立場を真っ二つに分けることになった。フランス・スペイン・イタリア・ドイツなどの加盟国はタリバン掃討作戦で自国の兵士を犠牲にすることを拒否した。タリバンによる外国人兵士の犠牲者は今年、英国人兵士36人を含めおよそ100人に上っている。

NATO加盟各国は、アフガニスタンの復興を目指した平和維持活動の役割においてそれぞれが異なる立場をとっている。このため治安の悪化する同国の各地域では復興支援がほとんど進んでいない状況である。この加盟各国が独自に決めた自国部隊の展開地域や行動規範が障害となり、首都カブールではNATOの機能が麻痺している。

この長い戦争を体験するなか、アフガニスタンの人々は同国の治安回復や資金面の援助などの実現に向けた西側諸国の復興支援活動に大きな期待を抱いた。しかし、部隊の配備や航空機の移動範囲の決定をめぐるNATO加盟国の間の論争は、アフガンの人々を落胆させる結果となった。

ジャーナリストで『タリバン~イスラム原理主義の戦士たち~』の著者であるアハメド・ラシッド氏は「カブール周辺の紛争多発地域で暮らす住民のNATOに対するイメージは決して良くない」と述べた。
 
 NATOは今回の首脳会議で、フランス・スペイン・イタリア・ドイツの首脳から、緊急時に限り南部の治安への関与を行うとする僅かな譲歩を得ることができた。しかし、この『緊急時』に関する詳細な定義も未だに不透明なままである。

比較的平和な西部地域を拠点としているスペイン軍がこれまで妥協することはなかったが、今回の会議でホセ・ルイス・ロドリゲス・サパテロ首相は、緊急時における負傷したNATO軍兵士を避難させる手段として同国のヘリを用意することを申し出た(ただし激しい戦闘が続く南部での使用は認めていない)。

ドイツのアンゲラ・メルケル首相は、現在アフガニスタンで展開する2,900の強力部隊の要員をさらに増やすことを求めたNATOの要請を拒否した。しかし同首相は、時限的なものとして(情勢の不安定な)南部への支援を確約した。

フランスのジャック・シラク大統領は、アフガン上空に多数の戦闘機やヘリを配備すること、さらに1つの大隊をカブールから派遣させることに同意した。一方イタリアのロマノ・プロディ首相は「兵士を西部から最も治安の悪い南部や西部に移動させるかどうかについては、臨機応変に決断していくつもりだ」と述べた。

アフガンに要員を派遣しているその他の国々も、大幅な増派を表明した。活動規制の緩和については、オランダ・ルーマニアの派遣部隊はすべての規制を解除するものと報じられている。一方、チェコ・デンマーク・ハンガリー・ギリシャも規制を緩める方向で同意している。

NATOは、各国に対して派遣中の部隊への活動制限の緩和と大規模な増員を求めるなかで、今回は僅かではあるが動きが見られたことを高く評価した。

NATO幹部のJaap de Hoof Scheffer氏は「アフガニスタンに駐留する3万2,000人の兵士のうち2万人が戦闘地域・非戦闘地域での軍事行動が可能である」と述べたものの、未だに軍の要求を満たしてはいないことを認めた。アフガンの現状を考えると、ブレア首相の『勝利予測』はあまりにも楽観的過ぎると言わざるを得ない。(この記事はPajhwork Afgan Newsの同意を得て発表されたものである)(原文へ

翻訳=IPS Japan

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「世界と議会」2006年12月号

特集:地方分権のゆくえ

■論文
「第二次地方分権改革に何が問われているのか」

新藤宗幸(千葉大学法経学部教授)

■議員に聞く
逢坂誠二(衆議院議員)

■解説
地方交付税改革

■咢堂政経懇話会
「日本の課題と展望」
片山虎之助(参議院自由民主党幹事長)

■IPS特約
市場取引は森林破壊を防げるか?

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|チリ|ピノチェト元大統領、裁かれることなく91歳で死亡

【サンティアゴIPS=グスタヴォ・ゴンザレス】

チリの元独裁者アウグスト・ピノチェトは、日曜午後、サンティアゴで91歳の生涯を閉じた。20世紀チリを象徴する人物の一人として記憶されることになるが、その足跡に刻まれたのは、かつて自らが望んだ政治家としての栄誉ではなく、人権犯罪と汚職によって深く傷ついた負の遺産である。

ピノチェトは死去する時点で、4件の人権侵害事件と、2件の不正蓄財・汚職事件で訴追を受けていた。12月3日、心臓発作により陸軍病院に搬送されたが、そこは2000年以降、物議を醸した「認知症」診断を盾に訴追を逃れてきた、いわば最後の避難所でもあった。

狡猾、追従的、そして抜け目がない――。1973年9月11日のクーデター以降、選挙で選ばれたサルバドール・アジェンデ政権を打倒した陸軍司令官を形容する言葉として、そうした表現がしばしば用いられてきた。

1915年11月25日、サンティアゴの西約120キロにある港湾都市バルパライソに生まれたピノチェトは、およそ17年にわたって鉄の支配を敷き、四半世紀にわたり陸軍トップの座にあった。南米チリで最も長く権力を握った指導者であり、自らの言葉では、社会主義者アジェンデ大統領を打倒したのは「祖国を共産主義から救う」ためであった。

ピノチェトはまた、ラテンアメリカにおける「ネオリベラル」な自由市場経済モデル導入の先駆けでもあった。その一方で、福祉国家としてのチリを大きく後退させ、労働組合や左派政党を非合法化したうえで、公営企業を不当に安い価格で民間に払い下げた。こうした政策は、強権的な統治なしには実行不可能だった。1973年から1990年までの独裁統治のもとで、約3000人が殺害または失踪し、少なくとも3万5000人が拷問を受けた。

彼が敬愛していたのは、スペインの独裁者フランシスコ・フランコ将軍だった。1975年、フランコの葬儀で祈りを捧げた唯一のラテンアメリカの指導者がピノチェトであり、それは数少ない外遊の一つでもあった。

フランコと同様に、ピノチェトには救世主的な自己認識があった。とりわけ1986年9月、サンティアゴ近郊で左派ゲリラ組織「マヌエル・ロドリゲス愛国戦線」による暗殺未遂事件を生き延びた後は、しばしば聖母マリアの加護に言及した。この襲撃では護衛5人が死亡し、11人が負傷した。

在任中には、ほかにも3度の暗殺未遂を生き延びたとされるが、これらの説はいずれも十分に裏づけられていない。ただ、軍内部で決して傑出した将校とは見なされていなかった人物が権力の頂点にまで上り詰めた背景には、そうした幸運も作用していたとみられている。

1973年8月23日、左派連立「人民連合」政権と、右派政党およびキリスト教民主党による反対派陣営の対立で国論が二分されるなか、アジェンデは憲法主義者として知られた当時の陸軍司令官カルロス・プラッツ将軍の辞任を受け入れざるを得なくなった。後任に任命されたのが、副司令官だったピノチェトである。人事の序列を尊重したことに加え、アジェンデは、この寡黙で黒眼鏡をかけた将校を、鋭利さには欠けるが法に忠実な人物だと、ある意味で無邪気に信じていた。

ピノチェトは1980年に出版した『決定の日』の中で、自らがクーデターを計画したと主張している。だが後の複数の検証では、実際には、空軍のグスタボ・リー将軍と海軍のホセ・トリビオ・メリノ提督が練っていた計画に、最後の段階で加わったにすぎないことが明らかになっている。とはいえ、軍の中で最も強い影響力を持つ陸軍の長として、彼は軍事評議会のトップに立ち、その後、この評議会を自らの権力を支える「立法機関」に格下げし、1980年9月の国民投票で承認させた憲法の下で自ら大統領の座に就いた。

権力掌握後、ピノチェトは無条件に忠誠を誓う将校たちを周囲に集め、自らに異を唱えたり、自分より目立つ可能性のある将軍たちを次々と退役に追い込んだ。なかには物理的に排除された者もいた。例えば、前任のプラッツ将軍は1974年にブエノスアイレスで暗殺され、オスカル・ボニージャ将軍は1975年、謎の飛行機事故で死亡した。

アジェンデ政権で食料供給を担当していた空軍将校アルベルト・バチェレ将軍は拷問の末に死亡し、その妻と娘――現在の大統領ミシェル・バチェレ――は、約80万人のチリ人とともに亡命を余儀なくされた。

事実上の軍政初期において、ピノチェトの右腕だったのがマヌエル・コントレラス大佐である。彼は秘密警察DINA(国家情報局)の長官に任命され、独裁政権下で起きた1119件の強制失踪と1800件の反体制派殺害の相当部分に責任があるとされている。コントレラスはその後、人権侵害で服役したが、ピノチェト自身は最後まで自らの責任を認めなかった。2004年に陸軍司令官フアン・エミリオ・チェイレが被害者に謝罪したのとは対照的である。

コントレラスは、ピノチェトが人権侵害の責任を背負わされた側近たちに不誠実だったと非難した。これに対し、ピノチェトが踏み込んだのは、91歳の誕生日に妻ルシアが代読した短い声明で、「自らの政権下で起きたことに対して全面的な政治責任を負う」と表明したことがある程度だった。だがその一方で彼は、なお自らを殉難者のように描き、「自分と家族に降りかかった屈辱、迫害、不正義のすべてを、チリ人の間にあるべき調和と平和のために喜んで捧げる」と述べた。さらに、自らの統治下でなされたことは「チリをより偉大な国にし、その解体を防ぐ」以外に目的はなかったとも主張した。そこには、自分がラテンアメリカでマルクス主義に最初の大きな敗北を与えたという長年の自己認識と、それを西側民主主義諸国が評価しなかったことへの不満がにじんでいた。

フランコと同じく、ピノチェトは独裁初期には国際社会からの全面的な拒絶を免れた。その背景には、民間人の経済顧問らを周囲に配し、自由市場改革を進めながら、年金、医療、教育の民営化を断行し、軍によって保護された権威主義的民主主義のための憲法的枠組みを整えたことがある。こうして築かれた制度はきわめて強固で、1988年10月5日の国民投票で敗北し、1990年に大統領職を退いた後も、1998年3月10日まで陸軍司令官の地位にとどまり、その翌日には終身上院議員に就任した。

こうした制度的な防壁と、高齢となってなお続いた軍内での影響力は、チリの民主化移行を大きく妨げた。独裁政権の犯罪、とりわけピノチェト自身の責任は、及び腰の司法、慎重すぎる行政府、そして右派連合が本格的改革を阻んだ立法府によって、事実上の不処罰に守られてきた。

しかし、元独裁者の全能のイメージが崩れ始めたのは、1998年10月16日、腰の手術後の療養中だったロンドンで逮捕された時だった。逮捕状を出したのは、彼を人道に対する罪で裁こうとしたスペインの判事バルタサル・ガルソンである。ピノチェトはロンドンで503日間の自宅軟禁下に置かれたが、英首相トニー・ブレア政権は「人道的配慮」を理由に健康問題を根拠として釈放し、彼は2000年3月3日に帰国した。その時点でチリでは、1998年1月以降、左派政党、被害者家族、労組などによって相次いで訴訟が起こされていた。

2001年には、精神的に公判に耐えられないとの理由で再び訴追を免れたが、その後も被害者側の粘り強い追及、新たに動き始めた司法、そして軍関係者自身が反体制派の殺害や強制失踪を認め始めたことによって、訴追は継続された。政治右派もまた、1990年以降政権を担ってきた中道左派「民主政党連合」に対抗できる新たなイメージを模索する中で、徐々にピノチェトとの距離を取り始めた。

2000年以降、ピノチェトはチリの元大統領に与えられる免責特権を何度も剥奪されたが、そのたびに認知症を理由に裁判能力なしと判断された。とはいえ、訴追の火が消えたわけではない。2004年8月には、「コンドル作戦」に関連する犯罪で起訴され、チリ国内にとどまらず他国で行われた人権侵害についても責任を問われることになった。コンドル作戦は、1975年に、ピノチェトから直接命令を受けていたコントレラスが立ち上げたもので、アルゼンチン、ボリビア、ブラジル、チリ、パラグアイ、ウルグアイの独裁政権が、左派活動家、労組指導者、反体制派の拉致、拘禁、拷問、殺害を相互に調整して進めた秘密作戦である。

人権事件の審理が進む一方で、2004年末には、米議会の委員会が、ワシントンのリッグス銀行やその他の金融機関に、ピノチェトとその家族名義の秘密口座が存在していたと報告した。その総額は約4000万ドルに達するとみられた。これを受け、2005年10月19日、最高裁は、脱税、偽造旅券の使用、虚偽宣誓、資産隠しの疑いに関する事件で、下級審による免責剥奪決定を支持した。同年12月30日には、公金横領でも控訴裁判所により正式に訴追された。さらにその2日前には、コンドル作戦の一環として行われた「コロンボ作戦」事件での自宅軟禁から保釈されるため、4万6000ドルの保釈金を支払っている。だが今年に入ってからも、サンティアゴ郊外の邸宅で、別の人権事件により再び自宅軟禁下に置かれた。

ピノチェトに対する最後の起訴は、誕生日の3日後にあたる11月28日、ビクトル・モンティリオ判事によって行われた。対象となったのは、1973年10月、「死のキャラバン」と呼ばれる特別軍事部隊が、チリ北部および南部で拘束していた左派政治指導者たちを即決処刑した事件である。

ピノチェトは繰り返し、「認知症」を理由に法の裁きを逃れてきた。だが、本人が公の場で見せた明晰な発言の数々は、それが単なる口実にすぎなかったことをむしろ物語っていた。そして結局、彼は一度も法廷で有罪判決を受けることなく、家族に囲まれ、最良の医療を受けながら病床で死去した。そのような最期は、独裁政権の犠牲となった人々には与えられなかったものであり、今も遺族たちは正義の実現を求め続けている。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩 

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|ソマリア|平和支援軍投入案に内戦激化の懸念

【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

米ブッシュ政権が、内戦の進行するソマリアに「平和支援」軍を投入し、1992年以来実行されているソマリアへの武器禁輸措置をこの軍隊に対してのみ緩和するという内容の国連安保理決議案を成立させようとしている。

しかし、ソマリア暫定連邦政府(TFG)を実質的に支援することを目的としたこの軍隊派遣には、同国をほぼ実効支配しているイスラム法廷連合(ICU)が強く反対している。

 この決議案は、もともと2年前にアフリカ連合(AU)等が提案していたものであったが、昨夏にICUが諸軍閥を破って支配的な勢力になるにつれ、米国がこれに関心を示したものである。

だが、米議会調査局(CRS)の東アフリカ問題専門家Ted Dagne氏は、軍隊が派遣されれば戦闘はむしろ激化すると指摘する。また、TFGが暫定首都のバイドア以外を支配できていない状況の下では、ICUを巻き込んだ和平交渉をやらない限り意味がないと語る。

TFGはソマリア国民に反感を持たれている。なぜなら、TFGが、イスラム勢力を敵視する隣国エチオピアの代理人だと見られているからだ。一説には、エチオピアはすでに自国軍2,000~8,000人をソマリアに投入している。
 
 これに対抗して、エリトリアもICU支援のための軍隊を投入しており、ソマリア内戦は、エチオピア・エリトリアの代理戦争の様相も呈している。国連が11月頭に出したレポートによれば、92年に始まったソマリアへの武器禁輸のルールを、エチオピア・エリトリア両国を含む10カ国が破っているという。

昨夏にICUが勝利を収めて以来、ICUとTFGとの間で何度か和平交渉が持たれているが、ほとんど進展はない。次は12月15日に交渉が予定されている。

交渉がうまくいかないひとつの理由は、米国の強硬な姿勢である。とくに、国務省のアフリカ担当、ジェンデイ・フレイザー次官補が対ICU強硬論を主張している。ICUはアルカイダとつながりを持っている、というのが強硬派の主張のひとつだ。

ソマリア内戦への国際社会の対応について報告する。(原文へ)

翻訳/サマリー=IPS Japan
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