エチオピア人記者が訪ねたアスタナ―カザフスタンの文化的多様性、経済変革、外交的影響力、技術革新への挑戦を探り、両国の協力の可能性を考える。
【アジズアベバ(エチオピア)INPS Japan/Gazette Plusバサズネウ・ウォンドムネ】
旅の始まり――アディスアベバからカザフの大草原へ
アディスアベバのボレ国際空港を飛び立ち、眼下に広がるエチオピアの起伏に富んだ高原が雲の下へと消えていくのを眺めながら、私は胸の高鳴りを感じていた。これから始まるのは、大陸を越える旅だ。アフリカの角に位置し、古くから外交の歴史を育んできたエチオピアから、中央アジアの風が吹き抜ける広大な草原へと向かう。
目的地は、カザフスタン共和国の首都アスタナ。近代的な都市景観が印象的な街である。
エチオピア人記者として、大陸を越えて国際的な出来事を取材する機会に恵まれることは、常に光栄なことだ。
しかし、今回の旅には特別な期待があった。

ユーラシアの交易路が交差する戦略的な位置にあり、急速な技術革新を進め、国際対話の舞台として存在感を高めている国を、自分の目で確かめることができるからだ。カザフスタンは、その国土の広大さと地理的重要性において、際立った存在である。面積は約270万平方キロメートルに及び、世界第9位の国土を持つ。海への出口を持たない内陸国としては世界最大だ。
アジアと欧州をつなぐ大陸横断の要衝に位置し、中国とロシアの両大国と長い国境を接している。まさにユーラシア大陸の中心を支える国といえる。
また、イスラム教徒が人口の多数を占める国の中では、世界最大の国土面積を持つ。
国内には131を超える民族集団が暮らしており、人口の約63%を占めるカザフ人のほか、ロシア人、ウズベク人、ウクライナ人、ドイツ人、タタール人、ウイグル人など、多様な人々が共存している。
宗教面でも、登録された18の宗教・宗派が存在し、近代的な世俗国家の枠組みの下で、比較的平和な共存関係を築いている。
アスタナ国際空港に到着すると、草原特有の澄んだ空気が私を迎えてくれた。それは、この未来的な大都市を取り囲む広大な大地の存在を感じさせるものだった。
空港から私は、アスタナの外交・商業地区の中心部に位置する高級ホテル、サアド・ホテル・アスタナへと向かった。ホテルは、まるで世界各地から人々が集まる交差点のようだった。ロビーは活気に満ち、世界中から首都に集まった国際会議の代表団、記者、研究者、外交官たちでにぎわっていた。

アスタナでの最初の数時間、私はこのホテルで強い印象を受けた。アフリカ、中東、欧州、アジア各地から訪れた取材仲間と顔を合わせ、温かくあいさつを交わした。
カメラのシャッター音が響き、録音機材の準備が進む。公式行事が始まる前には、ホテルのラウンジで集合写真を撮影した。その写真は、国境を越えた記者同士の連帯感を記録するものとなり、互いへの敬意と、共通する職業上の使命を感じさせた。そこには、確かな高揚感があった。
アスタナでは、世界的な倫理問題、環境に対する責任、そして将来の技術をどのように管理していくべきかという重要な課題について、議論が始まろうとしていたのである。
世界的対話の中心で―世界伝統宗教リーダー会議事務局会合

今回、私がエチオピアからカザフスタンを訪れた最大の目的は、2026年10月7日に開催された「世界伝統宗教リーダー会議」の第24回事務局会合を取材することだった。
会場は、国際的な高官級対話が繰り広げられる活気ある空間となっていた。壮麗な会議場に足を踏み入れると、綿密な運営体制と、会合全体を包む厳粛な雰囲気が強く印象に残った。
さまざまな文化的、学術的、政府関係の背景を持つ代表者たちが席を並べ、その周囲には国際的なオブザーバーや閣僚級の参加者が集まっていた。
私は報道関係者席に着き、同時通訳用のヘッドセットを装着した。
ロシア語、カザフ語、英語、アラビア語、フランス語による同時通訳が流れ、言語の壁を越えた国際的な意思疎通を可能にしていた。
会合の議長を正式に務めたのは、カザフスタン共和国のエルラン・カリン副大統領であり、世界伝統宗教リーダー会議の事務局議長でもある。
カリン副大統領は中央演壇に立ち、落ち着いた、威厳ある態度で開会の辞を述べた。その中で、国際協力と建設的な対話に対するカザフスタンの強い決意を表明した。また、複雑な国際課題に対して倫理的な共通認識を築くことのできる中立的な対話の場として、アスタナの役割を強調した。
私は一日を通じてヘッドセットに耳を傾け、世界各地から集まった著名な登壇者たちの発言を熱心に聞いた。
カリン副大統領は、会合の戦略的な議題を示し、国際情勢の不確実性が高まる時代における責任ある指導力の必要性を訴えた。
アブドゥルラフマン・アブドゥッラー・アルザイド氏は、共通の倫理的価値観と、国際社会の安定を促進するうえで指導者が果たすべき役割について、力強い発言を行った。

イスラム長老評議会のムハンマド・アブドゥルサラーム事務総長は、東洋と西洋の社会の間で相互尊重を育み、建設的な関係を築くことの重要性を強調した。
会合では、その後も重要な発言が相次いだ。
アブドゥルラフマン・ムーサ氏は、若者の参加、現代教育、そして幅広い知識へのアクセスを通じて過激主義に対抗することについて述べた。
チウ・シュアン氏は、アジアのさまざまな伝統に共通する文化的調和、平和共存、地域協力について見解を示した。
コーカサス・ムスリム宗務局の議長であるシェイフル・イスラム、アッラーシュクル・パシャザデ師は、民族間の寛容と国境地域における平和構築の歴史的教訓について語った。
国連文明の同盟(UNAOC)のニハル・サアド局長は、紛争を緩和するうえで、多国間政治機関と国際的な社会組織の連携が不可欠であると強調した。
イーゴリ・ヴィジャノフ氏は、急速に変化する世界において、伝統的な道徳的価値観をいかに維持していくかについて考察した。
最後に、アフラ・ムハンマド・アルガフェリ氏は、平和構築と社会的結束の促進において、女性や地域社会の指導者が果たす不可欠な役割を力強く訴えた。
今回の会合を歴史的なものにしたのは、三つの喫緊の課題について、具体的な国際的取り組みに焦点が当てられたことだった。

第一の枠組みは、人工知能(AI)の倫理に関するものである。高度なデジタル技術が日常生活のさまざまな場面に浸透するなかで、人間の自律性と尊厳を守り、適切な倫理的監督を確保することを目的とした先駆的な政策文書として位置付けられている。
第二の枠組みは、環境への責任と気候変動対策に関するものである。気候変動に共同で立ち向かい、世界的に持続可能な資源管理を推進するという共通の決意を示した。
第三の重要な取り組みが、カザフスタンとローマ教皇庁の共同構想である「治癒不能の病気を抱える子どもの権利憲章」だった。この重要な文書は、治癒の見込みがない病気を抱える子どもたちの尊厳と権利を守るための国際的な指針を示すものである。
子どもたちが人間として尊重され、専門的な医療と緩和ケア、心理的支援を受けられること、そして家族に対しても包括的な支援が提供されることを目指している。
こうした合意形成の過程を目の当たりにして、私は、アスタナが緊急性の高い国際課題について倫理的な合意を築くための、実効性ある国際対話の場となっていることを実感した。
アスタナの建築・文化・歴史を訪ねて
会議場での集中的な議論の合間に、私はアスタナの文化や建築を広く見て回る機会にも恵まれた。
カザフスタンの発展モデルが実際にどのような姿をしているのかを自分の目で確かめたいと思い、カメラを手に、首都を象徴する建築物をいくつか訪れた。

最初の訪問先は、世界的に知られる「平和と和解の宮殿」だった。現地では「ベイビトシリク・ジャネ・ケリシム・サライ」と呼ばれている。著名な建築家ノーマン・フォスター卿が設計した、高さ62メートルのガラスと鉄骨による壮麗なピラミッド型建築である。この建物は、国際的な団結を目指すカザフスタンの姿勢を象徴する存在として、首都にそびえ立っている。
私は建物の足元に立ち、巨大な外観を撮影しながら、その二つの役割について考えた。
一つは建築芸術の傑作としての役割。そしてもう一つは、国際対話の拠点としての役割だ。建物の内部には、本格的なオペラホール、研究施設、大規模な会議場などが設けられている。ガラス張りの頂部には、芸術家ブライアン・クラークが制作したハトをモチーフとするステンドグラスが施され、その下で世界各地の代表者たちが会合を開いている。

次に私は、中央アジア最大級のモスクの一つであり、現代ユーラシア建築を代表する建造物でもあるハズレット・スルタン・モスクを訪れた。モスクに近づくにつれ、伝統的なイスラム建築とカザフ民族の装飾様式が融合した壮麗な姿に圧倒された。巨大な中央ドームを囲むように、高さ77メートルの4本のミナレット(尖塔)が立っている。
私はまず、広大な大理石の広場から写真撮影を始めた。建物の整然とした幾何学的な線が、澄み切ったカザフスタンの青空に美しく映えていた。内部に入る際には靴を脱ぎ、広々とした礼拝堂の絨毯の上に足を踏み入れた。
柔らかく、精緻な模様が織り込まれた絨毯には、鮮やかなターコイズブルー、青、金色が用いられていた。頭上には巨大なクリスタルのシャンデリアが高い天井からつるされ、広大な内部空間を照らしていた。私は木彫りの装飾、ステンドグラス、金箔や伝統的なカザフ模様で飾られた壮麗な入口の扉など、職人たちの精緻な仕事を丁寧に撮影した。
訪問中には、地元の礼拝者や案内人と親しく言葉を交わす機会にも恵まれた。
そこで撮影した写真には、カザフスタンの人々の温かいもてなしの心が記録されている。
カザフスタンの豊かな文化的多様性をより深く理解するため、私はアスタナ市内にあるキリスト教の礼拝施設も訪問した。訪れた場所には、ロシア正教会の大聖堂やカトリック教会の聖堂が含まれていた。
正教会の大聖堂内部は、まさに畏敬の念を抱かせる光景だった。豪華な金箔が施されたイコノスタシス(聖障)、聖人たちを描いた歴史的なイコン、金色に輝く十字架が並び、長い宗教的伝統を感じさせた。
黒い祭服をまとった地元の聖職者たちと並んで立ちながら、私はこの地域における正教会の歴史的な起源と、イスラム教徒が多数を占める社会の中で維持されてきた平和的な共存について学んだ。
カトリック教会の訪問でも、聖職者たちと交流する機会があった。こうした訪問を通じて、私は数多くの写真を撮影した。それらは、アスタナの静かな礼拝施設の中で、エチオピア人記者と地元の聖職者たちが文化の違いを超えて交流する姿を記録したものとなった。

カザフスタン――国家形成の歴史、地政学、そして未来の経済
政府関係者、研究者、地元住民との対話を重ねるなかで、私は現代カザフスタンを支える歴史的な歩みについて、理解を深めることができた。
カザフスタンの国家としての歴史は、決して独立後の30数年間だけに限られるものではない。
その起源は、1465~1466年にケレイとジャニベクによって建国されたカザフ・ハン国にまでさかのぼる。その国家形成の基盤には、ユーラシアの大草原で何世紀にもわたって受け継がれてきた統治の伝統と地域交易の歴史がある。
一方、現代国家としての新たな歩みは、1990年10月25日、国家主権宣言が採択されたことから始まった。この歴史的な節目は、現在、毎年「共和国の日」として祝われている。続いて1991年12月16日には、国家独立に関する憲法的法律が制定された。
2026年12月に独立35周年を迎えようとしているカザフスタンが、その間に遂げた変貌は目覚ましい。
大きな転機となったのは、1997年12月10日である。
この日、首都は南部のアルマトイから北部のアクモラへと正式に移転された。アクモラは翌1998年にアスタナへと改称された。それから四半世紀余りの間に、アスタナは静かな草原の都市から、最先端の行政・経済・外交機能を備えた、輝く近代都市へと発展した。

政治制度の変化も、都市の発展と歩調を合わせて進められてきた。2022年の包括的な憲法改革に続き、2026年3月15日には大規模な憲法改正のための国民投票が実施され、改正内容は7月1日に発効した。これにより、大統領の任期は再選のない7年間とされ、市民のデータ保護に関する権利も強化された。
さらに2026年8月23日には、145議席からなる新たな一院制議会「クルルタイ」の選挙が実施された。同議会は8月28日に初会合を開き、8月31日には新設された副大統領職の任命が行われた。
今日、カザフスタンは中央アジア経済を牽引する主要国であり、世界銀行の所得分類では高中所得国に位置付けられている。2025年の国内総生産(GDP)は3060億米ドルに達し、実質成長率は6.5%を記録した。2026年7月までに、累積の対内直接投資純流入額は1500億米ドルを超えた。
特に注目すべきなのは、経済の多角化が着実に進んでいることである。2025年には、GDPに占める製造業の割合が12.8%となり、鉱業の11.7%を上回った。製造業は7%の成長を記録した。
それでも、カザフスタンの天然資源の豊富さは依然として世界有数である。同国は世界の主要な原油輸出国であり、ウランの最大生産国でもある。2025年には、世界のウラン鉱山生産量のおよそ40%を供給した。さらに、銅、亜鉛、レアアースなどの鉱物資源も豊富に埋蔵されている。
農業分野でも重要な役割を果たしている。2025~2026年度の穀物販売年度には、穀物と小麦粉の輸出量が1550万トンに達し、中央アジア、中東、北アフリカ、欧州に重要な食料を供給した。
地政学的に見ると、カザフスタンは「ミドル・コリドー(中間回廊)」、すなわちカスピ海横断国際輸送ルートにおいて、極めて重要な位置を占めている。この輸送回廊は、中国から中央アジア、カスピ海、南コーカサス、トルコを経由して欧州へとつながっている。国際貿易が特定の物流上の要衝に過度に依存することを避けるうえで、このルートは重要な役割を果たす。そのためカザフスタンは、世界のサプライチェーンの強靱性を高めるうえで、欠かせない結節点となっている。

また、国際社会におけるカザフスタンの道義的な存在感は、核軍縮の歴史とも深く結びついている。1991年8月29日、正式な独立に先立ち、カザフスタンはセミパラチンスク核実験場を自発的に閉鎖した。その後、ソ連崩壊に伴って同国に残された、当時世界第4位の規模に相当する核兵器を放棄した。
さらに、中央アジア非核兵器地帯の設立にも貢献し、2017年からは国際原子力機関(IAEA)の低濃縮ウラン(LEU)バンクを受け入れている。
こうした現実的な外交政策によって、カザフスタンは信頼されるミドルパワー(中堅国家)として、国際的な調停役を担うようになった。
その実績には、シリア和平に向けた「アスタナ・プロセス」の協議開催、2024年5月のアルマトイにおけるアルメニアとアゼルバイジャンの外相協議の仲介などがある。
また、2017年から2018年にかけて国連安全保障理事会の非常任理事国を務め、2024年にはゴラン高原での国連平和維持活動に、カザフスタンとして初めて独立した国別部隊を派遣した。
技術革新と環境政策の分野でも、同国は急速な前進を遂げている。
2024年の国連電子政府発展指数では世界第24位に入り、公共サービスの90%がオンラインで利用できるようになっている。ITサービスの輸出額は、2025年に11億4200万米ドルへと急増した。
同国は2025年、国際人工知能センター「Alem.ai」と、国家スーパーコンピューティング基盤「Alem.Cloud」を立ち上げた。

環境面では、2005年に完成したコクアラル・ダムによって北アラル海の再生を進めてきた。現在は2060年までのカーボンニュートラル達成を目指す国家戦略を推進しており、2026年の最初の9カ月間には、総発電量に占める再生可能エネルギーの割合が8.5%に達した。
エチオピア人記者の省察――国と人々をつなぐ架け橋
アディスアベバへの帰途につく準備をしながら、私はアスタナでの最後の夜を、明かりに彩られた街の景色を眺めて過ごした。
今回の訪問は、記者としての私にとっても、一人のエチオピア人としての私にとっても、深く心に残る経験となった。
エチオピアとカザフスタンの間には、言葉にしなくても感じられる、深い共通性がある。
エチオピアは、アフリカ連合(AU)の本部を擁するアフリカ外交の中心地であり、長年にわたってアフリカの独立、多国間協調、国家主権の尊厳を象徴する存在であり続けてきた。
これと驚くほど似た形で、カザフスタンもまた、ユーラシアの外交的中心地として存在感を高めている。
大陸を隔てるさまざまな分断を乗り越えようとする、中立的かつ建設的なミドルパワーとして、その役割を積極的に担っているのである。
私たちの両国は、真の安全保障と国家の発展が、開かれた対話、主権の尊重、経済的な革新、そして誇りある文化遺産の上に築かれるものであることを理解している。
アスタナへの旅を通じて、私は、現代の国際外交が真に力を発揮するためには、文化に対する開かれた姿勢と、明確な経済的展望が不可欠であることを実感した。
世界の分断が目立つ現代において、カザフスタンは、一国が自らの地理的な位置、多民族社会としての多様性、技術革新の勢いを生かしながら、平和と貿易の架け橋を築くための、示唆に富むモデルを提示している。

私はエチオピアへと帰国した。
持ち帰ったのは、事実や統計、演説の内容を書き留めた取材ノートだけではなかった。
ハズレット・スルタン・モスクの壮麗なアーチ、平和と和解の宮殿の未来的な建築美、キリスト教の礼拝施設に漂う穏やかな温かさ、そしてサアド・ホテル・アスタナで出会った各国の取材仲間たちの笑顔。
そうした光景を収めた数多くの写真と、豊かな思い出もまた、私の大切な収穫だった。
アスタナは今、ユーラシアへと開かれた活気ある玄関口であり、現代の発展を象徴する都市として輝いている。
そこは、大草原が育んできた歴史的遺産と、未来へと限りなく広がる技術革新の可能性が出会う場所なのである。
INPS Japan
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