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なぜ戦争なのか、どうやって平和を生み出すか―北欧の観点

【レイキャビク(アイスランド)IDN=ロワナ・ヴィール】

イスラエル・パレスチナ紛争に並んで、ウクライナ戦争を背景としてフィンランドとスウェーデンの北大西洋条約機構(NATO)加盟決定に世界のメディアの注目が集まっているが、デンマーク・フィンランド・アイスランド・ノルウェー・スウェーデン・ファロー諸島・グリーンランド・オーランド諸島を構成国・地域とする「北欧評議会」の閣僚会議とそのビジョンが北欧を世界で最も持続可能で統合された地域にしようとしていることはあまり注目されていない。

北欧評議会閣僚会議の今年の議長国はアイスランドが務めている。同国は昨年、翌年の議長国就任に備えて「平和への力としての北欧地域」と題するプログラムを創出した。北欧評議会閣僚会議は2019年には「新たな北欧の平和―北欧の平和・紛争解決の取り組み」を生み出した。後者は、「イマジン・フォーラム:平和のための北欧の連帯」で発言したアナイン・ヘーグマンとイザベル・ブラムセンが執筆したものだ。フォーラムは今年の10月10・11両日、レイキャビクのハルパ会議センターで開催された。

ヘーグマンの発表は「なぜ戦争なのか、どうやって平和を生み出すか」と題されたもので、平和研究におけるコミュニケーションを活発化する必要について論じ、ブラムセンは、トルコや中国・シリア・アルメニアのような国々やロシアですら、仲介者としてふるまうようになってきており、かつては見られなかったことだと述べた。

「経済平和研究所」によって14年連続で「世界で最も平和な国」に選ばれたアイスランドでこの会議が開かれたことはおそらく適切だっただろう。アイスランドのカトリン・ヤコブスドッティル首相は「各地で戦争が行われているときに平和について語るのは容易ではない」とフォーラムの開会あいさつで述べた。

SDGsが根本

左派緑運動党のヤコブスドッティル首相は、気候問題と資源確保との間で摩擦が起こっているし、アフガニスタンやイランで女性の権利が大幅に奪われていると指摘した。そして、「平和がなければ気候関連活動など起こせない」と述べた。

基調講演を行った国連SDGグループのアミナ・J・モハメド国連事務次長は「SDGsにより真剣に取り組まねばならない。SDGsなくしては平和は常にリスクに晒されている」と語った。「2030年に向けた目標のわずか15%を達成しただけだ。」

ノルウェーのアン・ベーテ・トヴィネレイム国際開発相(兼北欧協力相)は、「気候変動と移住問題が平和問題に複雑性を増した」とし、SDGsが和平プロセスの根本だと述べた。「これが重要な点だ」と彼女は付け加えた。

アイスランドでトヴィネレイムと同じ職務にあたっているギュドムンドゥール・インギ・グドブランドソン(北欧協力相に加え、社会問題・労働市場相も務める)は「もし気候変動と平和についてより多くの情報を手にしたならば、解決策が見出せるだろう。ある国では環境難民が増えている。環境保護が平和促進のカギを握る。」

モハマド国連事務次長は「チャドでは難民問題の厳しさが増している」と指摘し、他方、ノルウェー国際問題研究所のトビアス・エツォルドは、気候変動のために難民が増加しているが、他方で気候難民は通常、国内移動か陸上で国境越えしていると指摘した。「気候変動の影響を受けている国と紛争の影響を受けている国との間には重なりがある。」

スウェーデンのシンクタンクストックホルム国際平和研究所(SIPRI)のジャニー・リルジャは、信頼が鍵を握っており、平和が全体主義的であったり、冷淡であったりすることもあると指摘した。彼女は、「紛争後の問題解決においては、援助対象を絞り込んだ国の方が、そうでない国に比べて平和を維持する傾向にある。」と指摘し、開発援助の役割は精査される必要があり、SIPRIは援助の構成に注目していると述べた。

フィンランドのタンペレ平和研究所のマルコ・レーティは、グローバル・サウスに重点を置いてきた平和研究において、ヨーロッパは盲点であったと指摘した。「ロシアの対ウクライナ戦争は戦間期の状況の問題を欧州に投げかけた。平和は輸出できるものではない。」ジャニー・リルジャはこの発言を捉えて、「私たちがグローバル・サウスとそこでの暴力に集中していなければ、指標を見ることができたはずです」と、ロシアのウクライナ侵攻を念頭に述べた。

人権活動家もまたイマジン・フォーラムに積極的に参加した。MBE 国際市民社会行動ネットワーク(ICAN)の代表で「安全保障におけるリーダーシップを求める女性連合」の指導者でもあるナラギ・アンダーリニは、過激主義の時代に生きることについて言及した。水が多国籍資本によって保有され、アイデンティティの兵器化が進んでいる。民族にしても宗教にしても、他者を「制する」アイデンティティが重視される時代だ。「我々は平和に投資しているとはいえない。米国では、平和よりも戦争に多く投資されている」と彼女は述べた。

「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」のブルーノ・スタグノ・ウガルテによれば、集団安全保障措置は人権に十分な目を向けておらず、我々は自らの責任を解除してしまっているが、早期警戒こそがもっとも効果的な人権擁護のツールであると述べた。人権侵害が誤った方向に向かい、協議と並んで、正義をもたらすための活動は不十分であるが、小規模国は時として大国が無視するような問題に敢然と挑んでいる。「たとえば、ガンビアのような小国がミャンマーを国際刑事裁判所に訴えたりしている」。

女性の不在

協議テーブルにおける女性の不在の問題は何度も取り上げられた。モハマド国連事務次長は、ウクライナ戦争に関して「男性と会話しているテーブルのどこに女性の姿があるのか? 壁はどこにあるのか?」と疑問を呈した。アフガニスタン女性のことを示唆しつつ彼女は「アフガニスタンの女性の声がもっと聴かれるべきだ」と語った。

長きにわたってアフガニスタンで活動しているマボウバ・セラジは同国の女性の状況について語った。女子はもはや学校に行くことが許されていないが、「タリバン幹部の娘たちはドーハで学校に通っている。タリバンの教育は制裁対象にすべきだ。アフガニスタンではまるで『ジェンダーのアパルトヘイト』がしかれている」と「アフガン女性ネットワーク」の議長を務めるセラジは述べた。

会議の終幕にあたって、国際問題研究所所長でイマジン・フォーラムの主催者の一人であるのピア・ハンソンは、今回の会議は成功であったかどうかと問われた。

「ええ。そう思います。私たちがやろうとしていたことは、学者、学生、利害関係者、政府関係者、外交官など多様な人々を集めることでした。多様な会議を目指し、実際それに成功したと思います。また、北欧の平和研究所のネットワーク化の種をまきたいとも思っていました。もし『北欧モデル』というようなものがあるとすれば、それをさらに発展させる可能性を探りたかったからです。いま私たちが考えるべき問題は何なのか、それが将来にどうつながるのかを考えたかったのです。問題は複雑ですから」。

まだ表に出てきていない解決策もあるのかと問われたハンソンはこう答えた。「行く先には難題が待ち構え、世界はますます複雑化し、あらゆる紛争状況において私たちがなすことに希望を持つことは難しいかもしれません。しかし、さまざまな観点から平和を検討してみるならば、世界の紛争地で何が起きているのかということだけではなく、北欧社会の状況も見てみること、そして平和な社会づくりのために何ができるのかを考えてみることが重要なのです。しかし、解決策はいまここにあるのでしょうか? 私は、解決策はあると思っています。私たちは、より深掘りしていける道を見つけたのです。問題に関わるすべての人々がそうできるようにする必要があるのです。」(原文へ

INPS Japan

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【国連IPS=ナウリーン・ホセイン】

核兵器禁止条約(TPNW)の文言は、核兵器がもたらす深刻な人道的影響について明確に焦点を当てている。TPNWはまた、「核兵器の全面的な廃絶の要請に示された人道の諸原則の推進における公共の良心の役割」を認めている。

この公共の良心は、核実験がもたらす結果について私たちがすでに知っている知識によって形成されてきた。第二次世界大戦末期の広島と長崎への原爆投下は、核軍縮を主張する歴史的な理由である。それから数十年が経過したが、原爆投下を生き延びた日本の被爆者(HIBAKUSHA)たちは、核兵器の拡散を止めるよう世界の指導者たちに訴え続けている。一方、広島・長崎にとどまらず、世界各地で行われた核実験の影響を受けた被爆2世、3世の体験は、核実験が世代を超えて及ぼす影響を明確に思い起こさせるものである。

第2回TPNW締約国会議は、加盟国やNGOが条約を支持し、被害を受けたコミュニティーとの連帯を表明する機会であったが、被害を受けた人々が自らの経験を直接証言できるのは、市民社会が主催するサイドイベントを通じてであった。このようなサイドイベントを開催することで、核被爆者を巡るナラティブを拡大し、議論をより包括的なものにすることができる。

11月30日、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)は、ピースボートや核時代平和財団などのパートナー団体とともに、核被爆者フォーラムを開催した。国連教会センターで開催されたこのサイドイベントでは、世界各地の被爆コミュニティーから集まった人々が、核実験の体験や今日に続く核実験がもたらした影響について語り合った。

キリバス政府代表とともにこのサイドイベントに参加した青年代表のタラエム・タウカロさんによれば、このフォーラムは、とりわけ「このような機会がめったにない」コミュニティーにとって、核実験に関する共通の経験や意見、アイデアを共有できる場となった。キリバス共和国は、20世紀半ばに英米軍によって実施された核実験の影響を受けた太平洋の島嶼国の一つである。同共和国の一部であるキリスィマスィ島では、1956年から62年にかけて、複数回の核実験が行われたことがある。

Taraem Taukaro, nuclear survivors forum. Credit: Katsuhiro Asagiri

核実験を生き抜いたタウカロさんの母親は、放射性降下物による被曝が原因と思われる健康問題に苦しんでいる。また被爆の影響は次世代に及んでおり、タウカロさんの妹は生まれつき耳が聞こえない。このような影響を受けたことは、タウカロさんの家族にとって大きな試練である。直接的な影響のひとつは、核実験を生き抜いたキリバス先住民が健康問題に悩まされ、環境と生物多様性に損失を被ったことだ。彼らの子孫は現在、同じ問題に直面している。

太平洋教会会議の活動家であるベディ・ラクレさんは、核実験がマーシャル諸島と南太平洋地域に与えた影響について見解を述べた。米軍は1946年から58年にかけて、ビキニ環礁を中心にこの地域で核実験を行った。ラクレさんが指摘したように、多くの太平洋地域コミュニティーでは、癌、移住、生態系汚染など、核実験の影響が今も続いている。

「私たちの健康や 生活の質、土地や祖先、文化とのつながりが失われており、多くの痛みとトラウマがあります。」とラクレさんは語った。

フォーラムに参加した被爆者について、ラクレさんこう付け加えた。「私はまた、彼らのレジリエンス(回復力)や強さを強調したいのです。脆弱性を持つことは弱さではありません。核兵器のないより良い世界のために、今も昔も立ち上がっている人たちを称賛したい。具体的には、非核兵器地帯を持ち、初の非核憲法(パラオ共和国)を制定したことです。」

若者たちに対しては、核実験の影響について教育し、歴史と文化との結びつきがどのように変化してきたかを、失われたものも含めて文脈的に説明する、より大きな責任がある。

Bedi Racule, nuclear survivors forum. Filmed and Edited by Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan

ラクレさんは、「フォーラムの中で、被害を受けたコミュニティーから諮問グループの設立を求める声が上がった。」と指摘したうえで、「TPNWの核心は、核兵器に対する人道的な対応であり、過去に何が起こったかを知り、それに対する正義を求め、このような経験を二度と誰にもさせないようにすることにあります。」と語った。

タウカロさんは、「英国政府を含む国際社会は、キリスィマスィとその近隣の島々で被害を受けたコミュニティーに対する補償の一環として、医療資源や環境浄化のための資金提供や支援をもっと行うべきだ。」と語った。

ラクレさんは異なる見解を示した。「核の正義を訴える私たちのネットワークでは、核の問題が植民地化や自決の問題と本質的に結びついていることはよく知られています。自由で独立した主権国家である太平洋の国々でさえ、地政学的な利害関係や援助ドナーの資金提供のために、自分たちの要求を表明することが難しいのです。開発援助は、政治的な自由を奪うだけでなく、経済的、財政的、社会的な自由を奪い、何が起こっているのかを左右するものだと私たちは考えています。」と語った。

 核兵器廃絶は、私たちの未来の世代が平和に暮らし、まともな生活を送れるようにするため、早急に実現されなければならない。核実験によって不釣り合いな影響を受け、その放射性降下物の中で生きてきた先住民族の声を、新しいミレニアムを超えて、尊重し、高めていかなければならない。(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau

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この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=シャーム・サラン 】

ウクライナ戦争は、ロシアとウクライナとの間ではなく、ロシアと米国率いるNATOとの間の戦争である。ロシアが表明した「特別軍事作戦」の目的は、今後NATOがこれ以上ロシア国境に向かって拡大するのを防ぐことである。また、この軍事作戦を通して欧州安全保障構造の改変を余儀なくさせ、自国にとって不可欠な安全保障上の利益を受け入れさせることも望んでいる。これは、ウクライナ侵攻の直前にロシアが米国に提示し、米国が拒絶した一連の要求からも十分明確に見て取れる。(

この見解が正しいとするなら、これまでのところ、この戦争でロシアはその目的を一つも達成していないという結論に至らざるを得ない。ロシアが今後数週間、数カ月の間に成し遂げ得る戦果がまだあろうとも、このことに変わりはない。NATOを国境から遠ざけるどころか、すでにフィンランドが中立の立場を捨ててNATOの完全な加盟国になるという状況に陥っている。スウェーデンもNATO加盟を申請し、200年以上にわたる中立政策を手放そうとしている。加盟はトルコの反対により棚上げされているが、一時的である可能性が高い。(7月10日、トルコのエルドアン大統領はスウェーデンのNATO加盟を容認した:INPSJ)

ウクライナ自身も、今後NATO加盟に近づいていくと思われる。さらに、ロシアが新たな欧州安全保障秩序に自国の居場所を見いだす見込みは、当面の間、非現実的と思われる。

近頃エフゲニー・プリゴジンと彼のワグネル・グループがウラジーミル・プーチン大統領の政権に対して起こした反乱を受けて、状況はロシアにとって一層複雑かつ困難なものになっているかもしれない。

このような状況を背景に、ウクライナの平和を回復する戦略は、ロシアにとって名誉ある退路、あるいは救出戦略を見いだせるかどうかにかかっている。敵対行為をやめることは双方にとって有益であろう。

  • 第1に、この武力戦争に巻き込まれた、罪のない男性、女性、子どもたちに降りかかっている計り知れない損失と損害を止めること。人道的要求を考慮してはいけないだろうか?
  • 第2に、アフリカや世界各地で最も脆弱な立場に置かれる人々を苦しめている、エネルギーと食料のサプライチェーンのさらなる破壊を防ぐこと。
  • 第3に、米国や欧州のウクライナ支援者や庇護者の間で「支援疲れ」が顕在化しつつある。ウクライナは、際限のない永続的な支援に頼ることはできない。

最終的かつ包括的な解決は現時点ではあり得ず、恐らく今後長期にわたってもあり得ないであろうことは事実である。領土保全と主権の問題は、微妙かつ複雑である。しかし、いくつかの妥協要素を模索することはできるかもしれない。

第1は、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった2022年2月24日時点の原状を回復することである。その場合、クリミアとドネツク州の一部がロシアの占領下に残されるが、この最初の一歩はそれぞれの領土権の主張を損なうものとはならないだろう。そのうえでロシアとウクライナが対話を行い、領土問題に関する交渉の地ならしをすれば良い。ミンスク3が目標となり得る。

第2は、ロシアを敗戦国として扱い、新たな欧州安全保障構造から排除しようとするのは短絡的であり、自滅行為であると認識することである。ロシアは、核能力を含む大きな軍事力を保持しており、今後も重要な主要国としての地位にとどまるだろう。最終的にロシアを包含することなく、欧州に恒久的な平和と安定をもたらすことは不可能である。

第3は、緊張が高まり対立が深まっているときでも、関与を維持する必要がある。フランスのエマニュエル・マクロン大統領とドイツのオラフ・ショルツ首相がプーチン大統領とある程度の接触を保っていたことは重要だったが、現在はそれも途絶えている。中国は、仲介案を提示して踏み込んでいるが、それもまだ結果を出していない。アフリカ諸国のグループも当事国に働きかけ、ブラジルのルイス・イナシオ・ルーラ・ダ・シルヴァ大統領はトルコとともに役割を果たすことについて言及している。

外交成果をもたらそうとする全ての努力は歓迎である。G20も、グループとして役割を果たせる可能性があるが、この問題については深刻な分裂がある。

ほとんどの討論の場が閉じられている現在、この戦争を止めるための欧州の話し合いは、どこで行うことができるのだろうか?

欧州安全保障協力機構(OSCE)には、ロシアとウクライナを含む全ての関係国が参加している。欧州における安全保障と協力に関する新たな会議を設置して、冷戦時代にデタントの盛り上がりを示した歴史的な1975年ヘルシンキ宣言の新たな取り決めを策定することも考えられる。そのような会議では、ロシアの中核的利益を守ると同時に、ウクライナの復興と再建の道を切り開く新たな欧州安全保障秩序を策定することも可能であろう。ロシアとウクライナの間に残る領土問題を解決するプロセスを開始することもできるだろう。

核兵器使用の脅威は、ウクライナ戦争のダイナミクスを構成する要素として突出した重要性を帯びるようになっているが、これを減じることが重要である。これは、現在進行中の、あるいは今後開始されるさまざまな仲裁努力において、重要課題とするべきである。核の魔物が再び現れ、全世界に壊滅的な結果をもたらしかねない状況を許すことは、誰の利益にもならない。その意味で、ザポリージャ原子力発電所の安全を確保する早期の合意が不可欠である。

「物事は、行動が結果を生む時点まで熟さなければならない」という中国のことわざがある。今がその時点であると、筆者は信じる。

シャーム・サランは元インド外務次官であり、政策研究センターのシニアフェローを務めている。本稿は、2023年7月2~3日に北京で開催された世界平和フォーラムでの発表に基づいている。

INPS Japan

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フランスの5倍の国土を持つカザフスタン共和国は、1992年にバチカンと外交関係を樹立した。(ソ連時代に繰り返された)核実験によって150万人の犠牲者を出したカザフスタンは、バチカンと協力して、この大惨事を踏まえた反核キャンペーンを国際舞台で推進している。

【Agenzia Fides/INPS Japanアスタナ=ヴィクトル・ガエタン

カザフスタンのようにカトリックの人口が非常に少ないところでも、バチカンのポジティブな影響は感じられる。(スペイン語版)(ドイツ語版)(イタリア語版)(フランス語版)(英語版

Roman Vassilenko, Deputy Foreign Minister of the Republic of Kazakhstan

「バチカンは善なる勢力であり、カザフスタンは世界的に善なる勢力でありたいと考えています。私たちは同じような理想を推進し、平和、理解、対話を構築するための同様の取り組みを行っています。」と首都アスタナで取材に応じたロマン・ヴァシレンコ外務副大臣は語った。

ヴァシレンコ外務副大臣と私は10月、世界伝統宗教指導者会議の事務局会議の取材で同国を訪問した際に出会った。この宗教指導者会議は2003年以来、3年毎にアスタナで開催されており、20周年にあたる2022年9月の第7回会議には、教皇フランシスコも100名を超える宗教指導者とともに出席した。カザフスタンは今年12月16日に独立34周年を迎える。

「教皇フランシスコがもたらしたメッセージは非常に建設的なものでした。」とヴァシレンコ外務副大臣は述べ、同国政府も2019年に教皇フランシスコとイスラム教スンニ派で最も権威のあるアル・アズハルモスクのグランド・イマームであるアフマド・アル・タイーブ師が共同で採択した『世界平和と共生のための人類の友愛に関する共同宣言書』に賛同していると付け加えた。

7th Congress of Leaders of World and Traditional Religions Group Photo by Secretariate of the 7th Congress
7th Congress of Leaders of World and Traditional Religions Group Photo by Secretariate of the 7th Congress

世界伝統宗教指導者会議の目的は3つある。1)世界の平和、安定、安全を強化する宗教指導者の能力を高めること、2)東西文明間の相互理解に貢献すること、3)宗教対立に伴う破壊的な力を防ぐこと。アスタナのトマシュ・ペタ大司教はこう説明する「平和の源である神を指し示す印となる。」今年、会議事務局は今後の計画を立てるための会合を開き、今後10年間で宗教指導者たちがより密接に協力する必要があることを予測した文書を検討した。

Political Map of the Caucasus and Central Asia/ Public Domain
Political Map of the Caucasus and Central Asia/ Public Domain

なぜカザフスタンのような新しい国が、この野心的な世界的イベントを主催することになったのだろうか?教皇ヨハネ・パウロ2世が強調したように、ひとつには長い歴史の賜物である。「この開放と協力の精神は、あなた方の伝統の一部であり、カザフスタンは常に、異なる伝統と文化が集まり、共存する土地であったからです。(カザフスタン政府は、アスタナで宗教指導者のための定期的なイベントを開催するという発想は教皇ヨハネ・パウロ2世だとしている。教皇は、東西対立の現実が痛烈だった2001年9月、ニューヨークで9.11同時多発テロが発生してから2週間も経たないうちに、カザフスタンを訪れた初めてのローマ教皇であった)

また、カザフスタンは非常に建設的に、悲劇的な歴史と困難な風土を受け入れ、寛容な多民族・多宗教社会として自らを再定義してきた。欧州とアジアにまたがり、中国、ロシア、その他の中央アジア諸国と国境を接するカザフスタンの戦略的立地を考慮すると、この宗教指導者会議はこのアイデンティティの現れであり、特に貴重なものである。

ヴァシレンコ外務副大臣は、カザフスタンが(ソ連時代の)強制移住の歴史に基づく「民族的に多様な社会」であることを確認した: 「北部のオゼルノエ湖のような遠隔地にもカトリック教会があり、そこではソ連時代にポーランド人が連行されてきたが、カザフ人の支援で生き延びた人々の子孫だ。」

苦痛の上に築かれた集団民族追放

1920年代後半から50年代初頭にかけて、ソ連当局からスターリン主義を支持していないと疑われた何十万人もの人々が、故郷を追われて中央アジアのカザフの草原に設立された強制収容所に強制移住させられた。

1936年には、ウクライナ国境に住む3万5千人以上のポーランド人と2万人以上のフィンランドの農民が貨車に押し込められ、カザフスタンの強制収容所に送られた。1937年から38年にかけては、ソビエト極東から17万5千人以上の朝鮮人がカザフスタンに送られた。その際、現地の役人には何の警告も与えられなかったため、根こそぎにされたこれらの貧しい人々の多くは、餓死、病死、ホームレスとなった。

1939年9月にソ連軍がポーランドを占領した後、彼らは約6万人のポーランド人、ウクライナ人、ベラルーシ人を、北部の気温が冬にはマイナス40度にもなる過酷なカザフスタンの草原へ、列車で1カ月もかかる旅に駆り出した。

Source: Map of Gulag locations in Soviet Union, Public Domain

1941年にドイツがソ連に侵攻すると、スターリン政権はエカテリーナ大帝の招きでヴォルガ川周辺に定住していたドイツ人に矛先を向けた。85万人のヴォルガ・ドイツ人のうち、40万人以上がカザフスタンに移住させられた。1944年になると、今度はチェチェン人が、民族性に基づく集団移住という過酷な政策の犠牲となった。47万8千人のチェチェン=イングーシ人が、中央アジア最大の共和国(カザフスタン)に強制移住させられた。

1953年にスターリンが死去すると、この慣行は鈍化した。強制収容所はそれまでにカザフスタン全土に広がっており、その中には、夫や父親が裏切り者として逮捕された女性達専用の収容所もあった。中でもカラグ収容所は当時ソ連最大の強制収容所の一つで、カザフスタン第5の都市カラガンダの起源となった。

カザフスタンの経済的な富の多くは、もともとこれらの囚人労働者によって築かれたものであり、その子孫たちがカザフスタンに住み着き、今日の多民族国家カザフスタンの人口を構成している。

Ethnic Diversity in Kazakhstan/ Astana Times
Ethnic Diversity in Kazakhstan/ Astana Times

カトリックの視点

こうした歴史的な迫害が、今日の多様性と対話を謳歌するカザフ社会を生み出したという考えは、あまりにも出来すぎた話のように思えた。そこで私は、カザフスタンのカラガンダで生まれ育った、ローマ在住の有能な映像プロデューサー、アレクセイ・ゴトフスキー(33歳)を探し出し、彼の祖国が歴史的にたどった変遷について見解を尋ねた。

「当時強制収容所に収監された人々にとって、生き延びることこそが至上命題であり、カトリック教徒か正教徒か、或いはポーランド人かドイツ人であることは重要ではありませんでした。人々は過酷な共産主義時代を共に苦しみ、その中で協力し助け合いながら生き延びてきたのです。こうした共通の過去が多文化社会を醸成し、ソ連から独立したカザフスタンが多様性と対話を重視する考えを受け入れるのは自然な流れだったと思います。」とゴトフスキー氏は語った。

ゴトフスキー氏は、ソ連支配の経験からカザフ社会がいかにして多様性中から強固な団結を育んでいったかを理解する上で、他に2つの要素が極めて重要だと考えている: それは、人々が直面した肉体労働と、過酷な気候である。

「ソ連の強制収容所はドイツのような絶滅収容所ではありませんでした。彼らは殺されるためではなく、新しい都市や産業を作るための労働者として送られてきたのです。私の街(カラガンダ)は、強制収容所に送られた日本人、韓国人、ドイツ人、その他多くの国の人々によって建設されました。」とゴトフスキー氏は説明した。

「この地に送られてきた外国人にとって最も困難だったのは、非常に厳しい環境、気候でした。人々が生き残るためには協力し合う必要があり、カザフ人の助けを借りてそれを実行していったのです。」

ゴトフスキー氏は、寛容や宗教的多様性の尊重といった価値観が学校で積極的に教えられていたソ連崩壊後のカザフスタンで教育を受けた。彼は祭壇に立つ少年であり、例えば祝祭日を祝ったときには授業を免除されたことを覚えている。文学の授業では聖書の勉強もした。ロシア史を教えていた教室の壁には、イコンが掛けられていた。

Victor Gaetan(right) standing in front of Astana Grand Mosque, the largest Mosque in Central Asia. Photo: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan
Victor Gaetan(right) standing in front of Astana Grand Mosque, the largest Mosque in Central Asia. Photo: Katsuhiro Asagiri, President of INPS

カザフスタンの主な宗教的伝統は、イスラム教(カザフ人の大多数を占める信仰)とキリスト教正教(主にロシア正教)である。カトリック教徒は人口1900万人のせいぜい1パーセントである。私はゴトフスキー氏に、イスラム教徒とキリスト教徒との関係はどうなっているのかと尋ねた。

彼の答えはとても興味深いものだった。 「カザフスタンでは信仰心が人々を結びつけています。私は神は一つという信仰心をもって育ちました。しかしカザフの人々は私のことを異端だとは思っていません。イスラム教徒の態度は、『唯一の神がいるなら、それは私たちの神でもある』という反応です。だから、近所の人たちは私に『教会でこれかこれのために祈ってくれないか』と言うのですが、彼らはイスラム教徒なのです。彼らは唯一の神を信じている。だから、もし神が存在するなら、私たちみんなのために存在する唯一の神だと考えるのです。そこで(キリスト教徒である)私は神に語りかけ、イスラム教徒も、共通で唯一の神に語りかけているのです。」

核軍縮

世界伝統宗教指導者会議の文書では、「核兵器のない世界を築くための社会と国家の集団的行動の重要性」と説明されている。

ここでもまた、カザフスタンの歴史が、核兵器に反対する強い公的立場を説明するのに役立っている。

ソ連軍はカザフスタンを核兵器の主要実験場として使用していた。1949年から89年にかけて、主に北東部のセミパラチンスク(セメイと改名)で、地上と地下で500回以上の核実験が行われた。約150万人の市民が、高率の先天性異常や癌など、放射線被曝の悪影響に晒された。独立宣言当時、カザフスタンは世界第4位の核兵器備蓄国であったが、4年後、新政府が全ての核施設を閉鎖し、西側の専門家と協力して核兵器を解体したため、核兵器はゼロとなった。

教皇フランシスコは、「カザフスタンは、核兵器に『ノー』を突きつけ、エネルギーや環境政策に積極的に取り組んできました。これは勇気ある決断です。今日悲劇的な戦争が続き一部の人々が核兵器の使用を示唆する狂気の沙汰が横行する中、この国(カザフスタン)は最初から核兵器に『ノー』と言っているのです。」と説明した。

Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri
Semipalatinsk Former Nuclear Weapon Test site/ Katsuhiro Asagiri

カザフスタンは軍縮の国際的リーダーであり続け、バチカンと共に核兵器禁止条約(TPNW)の承認を得るために尽力した。TPNWは2017年に発効したが、米国、ロシア、イスラエルを含む主要な核保有国の支持は得られていない。11月下旬から1週間にわたって国連で第2回TPNW締約国会議が開かれる。(原文へ

Agenzia Fides/INPS Japan

*Agenzia Fidesとは、ローマ教皇庁外国宣教事業部の国際通信社「フィデス」(1927年創立)

Victor Gaetan

*ヴィクトル・ガエタンは、カトリック・ニュース・サービスとナショナル・カトリック・レジスターの国際特派員を務める。アジア、欧州、ラテンアメリカ、中東で執筆しており、口が堅いことで有名なバチカン外交団との豊富な接触経験を持つ。一般には公開されていないバチカン秘密公文書館で貴重な見識を集めた。外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』誌、ワシントン・エグザミナー等に寄稿。2023年10月、第21回世界伝統宗教指導者会議事務局会合を取材するため、INPS Japanの浅霧理事長をはじめアゼルバイジャン、イラン、パキスタン、英国、イタリア、アラブ首長国連邦、韓国など国際記者団と共にカザフスタンに滞在した。この記事はバチカン通信(Agenzia Fides)から5か国語で配信された。INPS Japanではガエタン氏の許可を得て日本語版の配信を担当した。

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【トロントIPS=ファルハナ・ハクラーマン】

今年も国連気候変動会議が開催される。11月末にドバイで開催されるCOP28で、「世界の指導者たち」が冷房の効いた2週間にわたる喧々諤々の議論を控えている中、このような約束と行動が一致することがほとんどない毎年恒例の大会について、私たちが失望し、皮肉にさえ聞こえることをお許しいただきたい。

2023年は、地球にとって過去12万5千年で最も暑い年になることはほぼ確実であり、すでに壊滅的な暴風雨、洪水、極度の干ばつ、山火事が発生している。9月と10月は、世界の月別最高気温の衝撃的な記録を打ち立てた。

COP28 Official Logo
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地球の生態系は警告信号を点滅させている。泥炭地や熱帯湿地帯の巨大な炭素吸収源は、温室効果ガスの排出源へと姿を変えようとしている。南極の海氷の融解は加速し、北極では今後10年間で晩夏の海氷が完全に失われる危険性がある。そしてアマゾンの干ばつと森林伐採は、熱帯雨林をサバンナに変えてしまうかもしれない。

今年の締約国会議(COP)は、2015年の画期的なパリ協定と、2050年までに温室効果ガス排出量を2010年比で45%削減し、正味排出量をゼロにすることで世界の気温上昇を産業革命前の1.5度以内に抑えるという2030年中間目標の中間地点で開催される。

しかし、現状は目標からは大きく外れている。世界各国政府の公約に基づくと、2030年までに2010年比で排出量が大幅に増加する方向にある。

Antonio Gutierrez, Director General of UN/ Public Domain
Antonio Gutierrez, Director General of UN/ Public Domain

COP28では、気候変動対策を加速させるためのロードマップが切実に求められている。しかし、主要な排出源である化石燃料を段階的に削減する代わりに、大国や裕福な国々は、アントニオ・グテーレス国連事務総長の言葉を借りれば、「文字通り化石燃料の生産を倍増している。」

国連主導の「2023年生産ギャップ報告書」によれば、各国政府は2030年においても、温暖化を1.5℃に抑えるのに必要な量の2倍以上の化石燃料を生産する予定である。

同報告書では、計画生産による炭素排出量が最も多い上位10カ国を挙げている: 石炭はインド、石油はサウジアラビア、石炭、石油、ガスはロシアである。大規模な計画を持つ主要産油国には、米国とカナダも含まれている。

アラブ首長国連邦は、11月30日に開幕したCOP28の主催国であり、同国の産業・先端技術大臣でアブダビ国営石油会社のグループCEOであるスルタン・アフメド・アル・ジャベールが議長を務めている。

もちろん、生産者も顧客がいなければ生産はできない。世界最大の温室効果ガス排出国である中国は、2022年に週に2基の大型石炭発電所の新設を承認した。

では、私たち人類はすでに地球を戻れないところまで追い込んでしまったのだろうか。負のフィードバック・ループが連鎖し、6,500万年前に恐竜が絶滅した前回以来の6回目となる大量絶滅を引き起こしているのではないだろうか。

おそらくまだ……かなり……しかし、おそらく近いうちに。

国連の気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の科学者たちは、今年発表された第6次評価報告書の中で、世界は「すべての人にとって暮らしやすく持続可能な未来を確保する機会は、急速に小さくなりつつある。今後10年に実行される選択と行動は、現在、そして何千年にもわたって影響を及ぼすものとなるだろう」と指摘している。

mage credit: IPCC Sixth Assessment Report
mage credit: IPCC Sixth Assessment Report

彼らは昨年も同じことを言ったが、当時は耳を傾ける者はほとんどいなかった。今はどうだろうか?

排出量の削減は、徹底的かつ速やかに行われなければならない。それがCOP28の核心である。グテーレス事務総長をはじめとする多くの人々が声高に訴えているように、世界の指導者たちは、ドバイで化石燃料の段階的廃止に合意し、産油国の主人が今年だけで数十億ドルの利益を得ることを可能にしたロビイストたちに耳を貸さないようにしなければならない。

IPCCの科学者たちが指摘しているように、ありがたいことに、気候変動対策は進んでいる。世界の温室効果ガス排出量の増加率は鈍化し、ピークに達している可能性がある。太陽エネルギーや風力エネルギー、バッテリーのコストは下落し、再生可能エネルギーの導入は予想よりも早く進み、森林破壊の割合は減少している。

IPCCのホーソン・リー議長は昨年4月、こう注意を喚起した: 「我々は温暖化を抑えるために必要なツールとノウハウを持っている。」

国際エネルギー機関(IEA)が発表した最新の「世界エネルギー見通し2023」にも、勇気づけられる要素がいくつかある。英国のカーボン・ブリーフ社がIEAのデータを分析したところ、エネルギー使用と産業による世界のCO2排出量は、早ければ今年中にピークに達する可能性があるという。これは、ロシアのウクライナ侵攻に端を発した世界的なエネルギー危機の影響もある。中国の経済成長の鈍化も一因だ。

化石燃料のピークは、低炭素技術の「止められない」成長によって引き起こされるが、再生可能エネルギーの設備容量は2030年までに3倍になるとIEAは言う。これはCOP28の重要な成果として、この分野での世界的な優位性を考えれば、中国が承認すべき要素である。

バングラデシュの科学者であり、気候正義の活動家であったサリームル・ハク教授は、10月28日に71歳で亡くなった。気候危機がもたらす不平等な苦しみについて、常に道徳的な問題を提起していたハク教授は、エジプトで開催されたCOP27で基本合意されたものの、まだ実施されていない「損失と損害」基金の代表者とみなされていた。

最近の準備協議では一定の進展があり、途上国は暫定的に基金を世界銀行の傘下に置くことを認めた。しかし、米国は依然として、気候危機の歴史的責任を負う富裕国からの拠出は任意であると主張し、中国は「途上国」であることを理由に免除を主張している。COP28はこの基金を軌道に乗せる必要があり、中国も地政学的な駆け引きをやめるべきだ。

昨年、『ネイチャー』誌から世界の科学者トップ10に選ばれたハク氏は、UAEのアル=ジャベールに公開書簡を送り、「ドバイ損失・損害基金」の設立を発表することで、長引く議論を先取りするよう促していた。

「私の知る限り、COP28の終わりに、損失と損害の基金問題で「進展があった 」としか言えないのであれば、それは命取りになるでしょう」とハク氏は書き、「地球上で最も貧しく、最も弱い立場にある人々」への緊急支援を要求した。その例として、「徒歩、自転車、ボート、バスで毎日ダッカに到着し、市内のスラム街に消えていく2000人を超える気候変動避難民」を挙げた。

グラスゴーでのCOP26で残されたもう一つの公約は、2025年までに適応資金を2019年の水準から倍増させるというものだった。しかし資金拠出はニーズに比べれば小規模である。また、化石燃料への補助金(IMFは昨年、世界で7兆ドルに達したと見積もっている)と比べると些細なものにとどまっている。

ベテランの科学者たちは最近、地球はこの10年で1.5度のしきい値を超えるだろうと警告した。いずれにせよ、トレンドは明らかであり、必要な行動も明らかである。COP28で気候の不公正を是正できなかったり、化石燃料の利用を終わらせる明確な道筋を宣言できなかったりした場合、世界は厳しい審判を下すだろう。(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau

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以下は、核兵器禁止条約第2回締約国会議のサイドイベントにおける、セミパラチンスク核実験場での核実験3世被爆者アイゲリム・イェルゲルディ氏の証言である。このサイドイベントは、国際安全保障政策センター(CISP)、創価学会インターナショナル(SGI)、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)、カザフスタン国連代表部の共催で行われた。

【国連INPS Japan=アイゲリム・イェルゲルディ】

私、アイゲリム・イェルゲルディは35歳、カザフスタンのセメイ(セミパラチンスク)の出身です。この街は、多くの著名な文化人、政治家、芸術家を輩出した地として有名です。しかし、残念なことに、全世界にとってこの街は、カザフスタンが独立する前のソ連時代に40年間に亘ってこの地域で核実験が行われたことでも知られています。記録によると、セミパラチンスク核実験場では1949年から89年まで、18,500平方キロメートルの面積(日本の四国に相当)で、空中90回、地上26回、地下354回の計473回の核爆発が行われました。また核実験に加え、ここでは175回の化学爆発が行われ、そのうち44回は10トン以上の装薬で行われました。

Semipalatinsk former nuclear weapon test site/ photo by Katsuhiro Asagiri
Semipalatinsk former nuclear weapon test site/ photo by Katsuhiro Asagiri

地域の環境は回復不可能なほど破壊され、動物や鳥が影響を受け、水資源は汚染されました。しかし、最悪だったのは、住んでいた人々に影響を与えたことです。

もちろん、1989年に核実験場で最後の爆発が起きたとき、私はまだ1歳だったので、核実験の数々を目にしたわけではありません。しかし、私を含む多くの地域住民にとって、核実験は跡形もなく過ぎ去ったわけではないのです。私は核実験の影響を受けた第3世代の一人です。

私は2015年8月、医師から左鎖骨上のリンパ節腫大と診断されました。しばらくの間、抗菌剤による治療が行われましたが、必要な効果は得られませんでした。リンパ節は大きくなり続け、体調は悪化しました。常に気分が悪く、記憶力が低下し、精神的な影響もありました。自分がこの病気に直面していることを受け入れるのは、非常につらい経験でした。

その後、私は核医学腫瘍学センター(セメイ)に送られ、追加検査を受けました。その結果、胸郭内リンパ節と鎖骨上リンパ節に病変を伴う結節性硬化症と診断されました。今年に入ってから、放射線治療と化学療法を何度も受け、リンパ節を切除し、そのせいで左腕が上がらなくなりました。

2022年に再発し、左側の腸骨部分のリンパ節の増加が再び観察されました。現在、免疫療法を受けています。数カ月前には、頸部、腹腔、左肺にもリンパ節ができました。

Aigerim Yelgeldy, a third-generation survivor, speaks at the panel during the screening of "I Want To Live On". Credit: Naureen Hossain
Aigerim Yelgeldy, a third-generation survivor, speaks at the panel during the screening of “I Want To Live On”. Credit: Naureen Hossain

私は8年以上、この病気と闘っています。絶え間ない関節痛、腫れ、絶え間ない脱力感、めまい、眠気などに苦しみながら、生活面においても多くの制限があります。重いものは持てず、運動することもできません。また普通の人のように自由に日光を浴びることもできません。

最も辛かったのは子供を諦めざるを得なかったことです。私が母親になることで、子供たちが同じ痛みや苦しみを味わう危険性があることを理解しているからです。しかし母になれないことは、私にとって大きな心の痛みです。

私には父、母、兄弟、姉妹という大家族がいます。私を支え、ずっと助けてくれる配偶者に感謝しています。父と母は精神的な支えをたくさんくれ、その後、同じく私を支えてくれる配偶者に出会いました。私がうつ病を克服し、再び人生を生きられるようになったのは、彼の感受性、気遣い、サポートのおかげです。核医学腫瘍学センターの先生方にも感謝しています。

私や家族にとって、癌の問題は目新しいものではありません。過去には、1999年に叔母が、2004年には母が癌と診断されました。もちろん、癌の起源については、科学的な論争が続いていますが、私の住む地域で癌の病気が増えているのは、核実験の直接的な影響だと思っています。残念ながら、私のように核実験の影響に直面している家族は何十万といます。

第2回TPNW締約国会議サイドイベント:「私は生きぬく:語られざるセミパラチンスク」(国連本部)Filmed and edited by Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan
I Want To Live On: The Untold Stories of the Polygon. Documentary film. Credit:CISP

今日、癌にまつわるあらゆる苦難を経験した私は、同じように癌に直面したすべての人々をサポートしようと努めています。私たちは、同じような問題に直面する人々を精神的にサポートし、アドバイスや経験を共有し、人々が絶望や恐怖に屈しないよう、できる限りのことをしています。

最も重要なことは、私の同胞が核実験によって経験し、今も経験し続けている悲劇と苦痛を、二度と起こしてはならないと心に決めています。今世紀の人々は、原子のエネルギーの使用を人類の進歩と発展のために平和目的にのみ限定して使用すべきです。(原文へ

INPS Japan

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【ヤウンデ(カメルーン)IDN=ヌガラ・キラン・チムトム】

150人以上のアフリカの若者たちが、気候変動対策の資金援助を倍増するよう国際社会に求めた。

「汎アフリカ気候正義連合」(PACJA)と「持続可能なエネルギーとアクセスを求めるアフリカ連合」(ACSEA)がアフリカ対応イニシアチブ(AAI)と共催して11月18日に初開催した「アフリカにおける対応資金フォーラム」の終幕にあたってこの呼びかけはなされた。

温室効果ガスをほとんど排出していないアフリカが、干ばつ、洪水、サイクロン、その他の異常気象など、気候変動の悪影響を最も受けている。そして見通しは暗い。

ジンバブエのファンガイ・ヌゴリマさんは、同国は「エルニーニョ現象の被害を受けており、専門家は4月ぐらいまで続くかもしれないと言っている。となると、雨季が短くなり、水が少なくなる。すでに降水は少なくなり、川は干上がり、人々は飲み水を失い、野生生物も飲み水を失い、水資源をめぐって人間と動物の争いに発展している。」と語った。

フェリシア・モティアさんは小さかったころ、雨が少なくなり、土地が肥沃さを失う中で母親が苦しんでいる姿を見てきた。

「この問題を解決したいと決意した」と彼女は語る。彼女はネットで調査し、耕作を最小限に抑えることで水の流出を防ぐだけでなく、自然の堆肥を保持する「再生農業」を導入した。

アフリカに対する気候変動の影響は深刻になっている。

「気候変動に関する政府間パネル」(IPCC)の最新の報告書によると、アフリカの気温は22世紀に入るころには産業革命前と比べて3~6度上昇する可能性があるという。

「最も楽観的なシナリオの下でも、これによって異常気象の頻度が増え、農業や水資源、人間の健康に悪影響があることだろう。」と11月16~18日にヤウンデに集まった若者たちは声明で述べた。

「温暖化が進行しそれへの対処を怠れば、収穫が最大5割減少し、水資源への圧力が6割増え、マラリアが9割増え、生物多様性の喪失が4割増える可能性がある。」

「アフリカ開発銀行(AfDB)によると、どの程度厳しいシナリオを取るかにもよるが、気候変動のために2050年までにアフリカの国内総生産は2.8%から10%減少する可能性がある。」

AfDBによれば、これによって年間680億ドル~2590億ドルの損失が生まれる可能性があるという。世界銀行もまた、気候変動によってアフリカで紛争や人間の移住が増え、2050年までに実に8600万人が国内で移住を余儀なくされる可能性があると指摘している。

そのような暗い見通しの中、アフリカの若い指導者たちは、アフリカにおける気候変動の脆弱性を低減することが道徳的に望まれているだけではなく、アフリカの将来と強靭さに対する戦略的な投資にもなると述べた。

UNEPによると、気候変動対応のための投資は4倍になって返ってくる可能性を秘めているという。こうした対応によって、経済が多様化し、イノベーションや雇用が生まれ、社会的包摂が実現する機会が生まれるかもしれないからだ。

国際社会は、気候変動の緩和策(地球温暖効果ガスの排出低減や大気圏からの除去)を一般的には指向しているが、それがアフリカのニーズとはあっていない。

「持続可能なエネルギー・アクセスを求めるアフリカ連合」代表のヌジャムシ・オーグスティン博士は、「アフリカ諸国が優先すべきは気候変動への適応だ。なぜならアフリカはすでに気候変動の悪影響を受けており、これに適応する必要があるからだ。」と語った。

適応資金の不足は、アフリカの人々が気候変動の影響に対処することをますます難しくし、その機会をつかみ損ねることを意味する。

若者たちは、仮に先進国が、適応資金を2025年までに2019年レベルの倍にするとしたグラスゴーでの第26回締約国会議での公約を果たしたとしても、それはアフリカのニーズにはほど遠いと訴えた。

「適応資金は2019年には年間およそ200億ドルだった。グラスゴー気候協定で合意されG7閣僚が確認したように、これを倍増させれば400億ドル近い規模になるが、実際の適応に必要な額よりもはるかに少ない。」と若者らは指摘した。

UNEPの「適応策ギャップレポート2023年版」によると、現在の不足は、2030年までに年間1940億~3660億ドル規模に拡大するだろうという。

「つまり、現在の気候変動適応資金は、途上国が必要とするレベルの5~10倍足りていないということだ。さらに、2025年までに適応資金を倍増させ400億ドルにするという約束すら全く未達成だ。報告書によれば、途上国への多国間・二国間での資金提供は、2021年には15%減って210億ドルになった。」

資金不足が厳しさを増す中、若者たちは、先進国や主要な汚染主体に対して、2025年までにアフリカへの気候変動対策資金の提供を倍増させ、口先だけの公約から実行へと舵を切るよう求める青写真をCOP28で描くべきだと要求した。

この目的の達成のため、次の6点が必要だと彼らは訴えた。

・気候関連金融の中で気候変動対応資金の割合を増やし、それがアフリカ諸国のニーズとコストに見合ったようなものにすること。適応資金を倍増して400億ドル規模にしたところで、実際に必要なレベルには全く到達していない。

SDGs Goal No. 13
SDGs Goal No. 13

・無償資金ベースの適応資金を増やし、多国間・二国間資金提供の手続きと基準を簡素化・能率化することで予測可能性を高めること。また、最前線の地域社会や若者、女性が主導する取り組みなど、アフリカの組織や利害関係者の能力と態勢を強化すること。

・-. 参加型で包括的な計画と意思決定プロセスを促進し、適応プロジェクトとプログラムの実施と評価における透明性、説明責任、学習を確保することにより、適応資金の有効性と効率を改善すること。

・新規資金源や金融手法の開発及び展開を支援し、民間部門からの投資とパートナーシップを促進することで、気候変動適用のイノベーションと規模拡大を図ること。

・さまざまな資金源や資金チャンネルの方針や基準を調和させ、地域及び部門を横断する協力や対応策の統合を促進することによって、資金提供の一貫性と調整を図ること。

・気候変動適用を世界的に加速させるため、ドバイでのCOP28で「気候変動適応に関するグローバル目標」に関する強力かつ大胆、問題解決指向の成果を生み出すこと。(原文へ

INPS Japan

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オリエンタリズム、自民族中心主義、女性蔑視、テロリズムによる非・神聖同盟-パートII : オリエンタリストのタリバン擁護論者による五つの偽りのナラティブ

この記事は、戸田記念国際平和研究所が配信したもので、同研究所の許可を得て転載しています。

【Global Outlook=バシール・モバシェル 】

オリエンタリストのナラティブによって、アフガニスタン人の利益とニーズは再び押しやられている。オリエンタリストとは、いわゆる国際的な「アフガニスタン専門家」のことであり、アフガニスタン人、アフガニスタン、タリバンについて政策を立案し、見解や分析を提示し、討論会に出席し、インタビューに応じる人々であるが、彼らの分析、考え方、提案は、非常に複雑な社会に対する基本的理解の欠如を露呈している。アフガニスタンの文化、言語、宗教、経済と政治の歴史について少しでも知っている西洋人のアナリストはほんの一握りである。西洋人のアジア社会に対する軽蔑的な描写の長い歴史の上にあぐらをかいたオリエンタリストのアフガニスタンに関するナラティブは、過度な一般化、盗用、傲慢さに基づく傾向がある。新たに登場したオリエンタリストのナラティブは、タリバンをアフガニスタン本来の支配者として意図的に美化しようとしている。これは、新たに生まれつつある危険かつ誤った戦略であり、アフガニスタンの社会とタリバンに関する少なくとも五つの偽りのナラティブに見られる。(

ナラティブ1:一部のオリエンタリストたちは、タリバンが変化したと国際社会を説得する運動に邁進している。米国がタリバンと結んだ破滅的なドーハ合意で米国の首席交渉官を務めたザルメイ・ハリルザドは、「タリバンは変わった」、国民の人権や自由を侵害することはないと固く信じている。英国国防参謀長サー・ニック・カーター陸軍大将は、さまざまなプラットフォームでこのナラティブへの賛同を表明している。タリバン2.0は、タリバンやパキスタン、イラン、カタールなどのタリバン同盟国とぐるになり、バラ色のタリバン像を世界に発信するザルメイ・ハリルザド、ニック・カーターをはじめとする人々のでっち上げである。実際には、アムネスティ・インターナショナルヒューマン・ライツ・ウォッチ、さらには国連人権理事会といった人権団体が、人権侵害が蔓延し、タリバンの行動や方針に何ら変化がないことを実証している。

ナラティブ2:もう一つのオリエンタリストのナラティブは、タリバンの過激主義をアフガニスタン国民全体に一般化し、タリバンがアフガニスタン人本来の代表であるかのように言うものだ。英国国防参謀長サー・ニック・カーターは、タリバンを「立派な行動規範を守るカントリーボーイ」と呼んだ。この発言は、普通のアフガニスタン人をタリバンと似たようなものと位置付けるだけでなく、タリバンの暴力的な過激主義と極めて多様性に富んだアフガニスタンの社会文化規範を同一視するものである。コーラ・ハサンは同じBBCインタビューで、タリバンとアフガニスタン人を同義扱いしつつ、「外国人が40年にわたって彼らを支配した。アフガニスタン国民が自らの国を統治し、自らの運命を決定して変革するに任せるべきだ」と主張している。アフガニスタンの人々がタリバンに対して市民的・政治的抵抗を続けていることに気付かぬふりをするこれら二つの発言は、アフガニスタンの社会がタリバンと同じように暴力的で過激であると決めつけるものだ。

ナラティブ3:第3のオリエンタリストのナラティブは、アフガニスタンの社会が後進的、野蛮、邪悪、敵対的なもので、国民は失敗し、惨めな生活を送る運命にあるかのように表現するものだ。ジョー・バイデン大統領が音頭を取るこのナラティブは、タリバンの政権復帰がほとんど自然のことだと示唆し、軍事的に劣る集団であるタリバンへの米国の敗北を正当化している。これは、米国や世界の同盟国が愚行の責任を問われないための、政治的に便利なナラティブである。例えば、アフガニスタン国民との協議や民族間の合意形成を犠牲にして短兵急に策定した欠陥のある憲法構想(2002~2004年)、タリバンがアフガニスタン全土で勢力拡大しているまさにその時に5000人のタリバン囚人と主要な司令官らを釈放したこと(2020~2021年)である。バイデン大統領は、「(アフガニスタンを)一つにまとめることはできない」、「(アフガニスタンは)三つの異なる国だ。パキスタンが・・・東部の三州を所有している」といった発言をしている。アフガニスタン国民に汚名を着せるこういった主張は、アフガニスタン社会への共感と理解の欠如を示しており、実質的にある主権国家を別の国家が支配することを正常視するものだ。大統領としての発言でバイデンはさらに踏み込み、いかなる勢力も「アフガニスタンに安定、統一、安全をもたらすこと」はできないため、アフガニスタンは「帝国の墓場」になったと示唆した。この発言は、アフガニスタンを侵略した全ての外国勢力が国家建設という利他的目標を掲げていたと言わんとするものだ。バイデンは、自身の主張を裏付けるものとして、しばしば自身の数回にわたるアフガニスタン訪問を挙げる。ほとんどの西洋人が、オリエント地域について専門知識があるという主張を裏付けるのに打ってつけと考える、オリエンタリスト的アプローチである。アレクサンダー・ヘイニー・カリーリは、バイデンのナラティブに異議を唱え、次のように述べた。「バイデンはアフガニスタンに『帝国の墓場』というレッテルを貼ったが、それは良く言っても歴史的無知であり、悪く言えば全くの身勝手だ。アフガニスタンが文明の中心として栄えた何千年もの歴史を無視しているだけでなく、大帝国の傲慢さを発揮し、米国が現地で犯した失敗の責任をアフガニスタンの土地と人々そのものに転嫁しようとしている」。

 その一方、西側の一部のシンクタンク、大学、メディア、さらには国際機関までが、アフガニスタン人の代表者がいないままアフガニスタンに関する会議や討論を開催し、それによって問題に加担している。2021年8月以来、アフガニスタンに関する討論会、議論、インタビューが無数に行われているが、そのほとんどアフガニスタン人パネリストが一人も出席しないまま行われている。なかには、タリバン擁護論者を招いたイベントもあれば、汚職で知られる元政府高官らを招いたイベントもある。しかし、国連安全保障理事会は、タリバン復活の共犯としてパキスタンを非難する声がアフガニスタン人の間で高まっていたその時期、パキスタンの教育活動家マララ・ユスフザイにアフガニスタン人女性に代わってスピーチするよう依頼したという点で、誰よりも大胆だった。

ナラティブ4:さまざまなオリエンタリストのナラティブが、アフガニスタン人を、あたかも国内の体制や政治の変化とは全く無縁に生きている素朴な人々というイメージで描いている。アナンド・ゴパルが「ニューヨーカー」に発表した上から目線の記事は、ヘルマンド州に住む貧しい未亡人の悲惨な状況をめぐるエピソードに基づいており、アフガニスタン社会には希望も、理想も、想像力も、周囲や自分たちに対する配慮もないかのように描写している。この記事は、大都市の女性たちの叫びに重きを置くべきでない、なぜなら地方に住む女性のほうが数が多く、カブールの政治的変化とは無縁に生きているからだと結論づけている。この記事は当時多くの注目と称賛を浴びたが、アフガニスタン農村部の豊かな多様性や、カブールから遠く離れた州も含めたアフガニスタン全土で権利と教育を求める女性たちの騒乱が続いていることには触れていない。より明白なことは、この記事が都市部に住むアフガニスタン人女性の苦境を完全に無視していることである。

ナラティブ5:タリバン擁護論者の第5のグループは、いわゆる人権・平和活動家や団体であり、筆者は彼らを「人権・平和企業家」と呼んでいる。これらの個人や組織にとって、人権、平和、開発は推進するべき人間的価値ではなく、利益を引き出すことができるコモディティーである。彼らは、どのような状況でも、また、現地の人々にどのような代償を負わせてでも、そのような投資を行おうとする。さらには、人権侵害の主犯格と取り引きをし、彼らの地位を正常化しようとする者さえいる。その典型的な例は、タリバン兵士が「国際人道法を尊重する」よう訓練を行うNGO「ジュネーブ・コール」のプログラムについて、「ガーディアン」が掲載したお世辞交じりのレポートである。2022年4月に掲載されたこの記事は、ジュネーブ・コール側の発言を引用した「彼らはきっと変われる」というタイトルを掲げていた。団体は、すでにタリバンの考え方に変化を起こすことができていると主張するが、それを裏付ける実際の証拠はほとんど示していない。こういったレポートや宣伝とは裏腹に、時が経つにつれてタリバンによる市民権の抑圧、特に女性の権利の抑圧は拡大する一方であることが分かってきた。

結論

この21世紀初頭において、われわれは、女性を蔑視し、大虐殺を行うテロリスト集団が、いわゆる専門家、活動家、政策立案者らによって地位を正常化されるだけでなく、独裁国家からも民主主義国家からも国際舞台で発言機会を与えられる世界に生きているのだ。そのようなオリエンタリストのナラティブは、正義、代議制、人権尊重といった西洋人が最も好きな流行の概念に突如として目をつぶり、それが起こっているのはよその場所、犠牲になっているのはよその人々であれば、過激主義も正当化している。このような世界の政治は、人権を基本的な人間的価値から交渉材料に、人権擁護を巨額の利益を生む事業へ、そして二枚舌と裏切りをレアルポリティークへと変容させた。われわれの理想、想像力、そして平和とより良い暮らしを求める苦しみは、気骨のない政治家、部族的なメディアや「専門家」、地上最悪の体制下に安らぎを求める一部の国際組織によって、考え得る限り最も些細なものとして葬り去られている。これは、21世紀の残りにとって悪い兆しであり、アフガニスタン人であれ非アフガニスタン人であれ、タリバン擁護論者の顔に永久に残る汚点である。

バシール・モバシェル博士は、アメリカン大学(ワシントンDC)の博士号取得後研究者。アフガニスタン・アメリカン大学非常勤講師のほか、EBS Universitätでも教鞭を執る。アフガニスタン法律・政治学協会の暫定会長を務め、アフガニスタンの女子学生に向けたオンライン教育プログラムを進めている。憲法設計と分断した社会におけるアイデンティティー・ポリティクスの専門家。カブール大学法律・政治学部を卒業(2007年)後、ワシントン大学より法学修士号(2010年)、博士号(2017年)を取得。

INPS Japan

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【国連IPS=ナリーン・ホサイン】

ニューヨークでは11月27日から12月1日にかけて、核兵器とその廃絶の試みが注目を浴びることになる。核兵器禁止(核禁)条約は、2017年の採択と21年の発効以来、90カ国以上が署名し、そのうち69カ国が批准あるいは加入を済ませている。

UN Secretariate Building. Photo: Katsuhiro Asagiri
UN Secretariate Building. Photo: Katsuhiro Asagiri

今年は同条約の第2回締約国会議が開かれる年であり、締約国やNGOが集まって、核禁条約と、軍縮問題から生起する幅広い問題の再検討を行う。今週国連で予定されているサイドイベントでは、核実験が民間人に与える人道的影響について検討し、これらの問題をより深く掘り下げる。

究極的には、核兵器がもたらす真の被害は、核実験やその後の放射性物質の放出によって取り戻しのきかない影響を受ける生命だ。カザフスタンは1991年に独立して以来、国際社会において核軍縮の取り組みを先導している。それは、ソ連時代の1949年から89年の40年に亘って同国東部で行われた核実験によって被害を受けた人々がたくさんいるからだ。

国連本部で行われたドキュメンタリー映画の先行上映は、核実験がもたらす人的被害を人々に鮮明に意識させるものとなった。「私は生きぬく:語られざるセミパラチンスク」は、カザフスタンと中央アジアの核軍縮に焦点を当てた、カザフを拠点とするNGO国際安全保障政策センター(CISP)によって制作された。創価学会インタナショナル(SGI)の支援を受けて制作されたこのドキュメンタリーは、かつてセミパラチンスク核実験場があった地域に住む人々へのインタビューを収録している。これらのインタビューで観客は、核実験が当時の地域住民の生活に与えた影響や、その後、彼らや未来の世代が対処することを余儀なくされた課題について知ることになる。

I Want To Live On: The Untold Stories of the Polygon. Documentary film. Credit:CISP

先行上映イベントではまた、カザフスタン国連代表部や核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が共催し、CISPやSGIからパネリストを招いたシンポジウムも開かれた。サイドイベントには、カザフスタン政府代表としてアルマン・バイスアノフ外務省国際安全保障局長、SGIから寺崎広嗣平和運動総局長、CSIPからアリムジャン・アクメートフ代表がパネリストとして加わった。また、核実験被害者の第三世代であるアイゲリム・イェルゲルディが登壇した。彼女の証言によって、核実験が人間の健康や福祉に与える影響、日常生活に与える影響が当事者の経験として伝えられることになった。

20分という短い上映時間の中に、このドキュメンタリーは重要なポイントをいくつも詰め込んでいる。この地域に住む人々が悩まされた健康問題は、何世代も経った今も彼らを苦しめている。癌を患っているイェルゲルディは、この地域で報告されている癌患者の数は、数十年前に行われた核実験によるものだろうと述べた。パネルで彼女は、「私が2015年に診断されたとき、(高齢の)罹患者がいました。しかし近年、この病気は若年化しています。」 すなわち、最も若い世代の間でガンの診断が増えてきているというのだ。イェルゲルディは、核実験が実施されたときに生きていなかったとしても、今日、この地域の住民の多くが核実験の結果とともに生きていることを証言した。このドキュメンタリーに登場するインタビューに答えている人たちは、放射線の影響による健康被害で愛する人を失ったり、あるいは自分自身が放射線の影響と共存し、それに応じて生活を変えざるを得なかったりしたことを語っている。

第2回TPNW締約国会議サイドイベント:「私は生きぬく:語られざるセミパラチンスク」(国連本部)Filmed and edited by Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan
The screening of “I Want To Live On” was held on Nov 28 during the 2nd Meeting of State Partiesto TPNW at UN Headquarters. Photo by Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.

おそらく、最も恐ろしいことは、この現実に政府がどう対応したかという点であろう。語り手たちによると、この軍事的な実験の真の性格は住民らに当初知らされることはなかったという。バイスアノフ局長が言うには、1991年の実験場閉鎖のころまでには150万人が放射性降下物の被害にさらされたという。被害者への補償は実験場閉鎖後の1993年に一度限りなされただけであり、将来世代はカバーされない。しかも、当時の超インフレ経済によって、支給された額は大したものにはならなかった。被害者第三世代のドミトリー・ヴェセロフは、自身の健康に影響を与えた先天的な遺伝障害があったにも関わらず、医療当局はかなり最近までこれを障害とは認めてこなかった、と語った。

Director of CSIP Alimzhan Akmentov(2nd from left), and Algerim Yelgeldy, a third-generation survivor of nuclear testing (Right). Photo by Katsuhiro Asagiri, President of IPS Japan.

パネリストのアクメートフ代表は、このドキュメンタリーは「人々に影響を与え続けるだろう」との希望を述べた。また、核軍縮を論じる学者や国際機関に対しては、主張を提示する報告書や知見が重要だと語った。しかし、そこにはリスクもある。「(その知見の)背後に民衆がいることを私たちは忘れがちだ。影響を受けた人間がいるということを忘れてはならない。」

SGIの寺崎総局長は「核実験の脅威と被害の実相」を描く上でこのドキュメンタリーは優れたものであり、「人々の生きた現実と経験」に着目する機会になればと願っていると述べた。核兵器が必要だという思い込みに異議を唱えるために、あらゆる場所で人々が声を上げることが不可欠であり、SGIは「グローバル・ヒバクシャに関する意識を高め、核禁条約第6条・7条に規定された被害者支援と環境修復を促進するための取り組みを続ける。現実の人間の声はそのような取り組みにおいて不可欠だ。」と語った。

また以前のインタビューで寺崎総局長は、人類の良心に訴えて核兵器廃絶を呼びかける、と述べていた。「核兵器が使用される危険性がある限り、私たちは、核兵器がもたらす暴力的な脅威と人間性への冒涜に対する意識を失ってはならない。私たちは共に、核兵器の存在を許さないという毅然としたメッセージを世界に発信し、核兵器廃絶への道を歩み続けよう。」

パネリストとドキュメンタリー映画は、核実験とその影響に関する透明性の向上を求めている。カザフスタンの事例は、核兵器の拡大を求める国々を抑えるものとして役立つことだろう。カザフスタンの事例は、核実験の真のコストはとても賄えるものではないことを示している。語り手の一人ボラトベック・バルタベックが話しているように、「私たちの苦しみはおそらく歴史に刻まれることになるだろう。歴史においては、何も忘れ去られることはないのだ。」(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau

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|アイスランド|外国人労働者移入も難民は雇わず

【レイキャビクIDN=ロワナ・ヴィール】

対人ケア・建設部門で労働者不足に悩むアイスランドで外国人労働者の移入が始まっているが、同時に、難民申請者に対して労働許可を与えることを政府が拒絶している。

2023年8月初め以来、少なくとも58人の難民申請者が、外国人に関する法改正を受けて、宿泊施設、食事券、医療補助などの援護をはく奪された。この法律改正についてはアルシング(アイスランド国会)で審議がなされる間、激しい抗議を受けた。

Map of Iceland
Map of Iceland

新法の創設した「自発的帰還支援・再統合制度」では、難民申請者が申請を却下された場合、もはや申請者とみなすことはできず、自発的な国外退去まで30日の猶予が与えられることになった。この場合、本国までのフライト代金はアイスランド政府が支援する。これによって難民申請者に帰国のインセンティブを与えようというわけである。アフガニスタン・イラン・イラク・ナイジェリア・ソマリア・パレスチナ・パキスタン出身者には、他国出身者よりもより高額の支援がなされることになっている。

この30日間は送還者用ホテルで過ごすことになる。30日過ぎても、自らの本国、あるいは定住権を持つ第三国に自発的帰還をしない場合、特別警察によって強制退去処分が課され、基本的なサービスが受けられなくなる。

しかし、多くの難民申請者が本国への帰還は望んでいない。場合によっては、アイスランド政府が送還先の国と引き渡し協定を結んでいないか、申請者本人が適切な書類を所持していないこともある。この場合、申請者はホームレス化するリスクがある。

法律への改正案が審議される中、グドミュンドゥール・インギ・グドブランドソン福祉相は、自治体によって提供される社会サービスに関する法律で難民申請者は支援されることになるだろうと述べた。しかし、自治体側では、難民を支援する資源や住居などは持っていないのが現状だ。

他方、アイスランドの人道支援団体「ソラリス」は、強制送還の危機にある人々の一部に住居を準備した。しかし、要請をさばき切れていないのが現状だ。

8月末、難民問題に関わる28団体が新法による緊急の事態について議論した。難民は「街頭で夜を過ごし、弱い立場の人々が政府によって貧困と飢餓に追いやられている」とこれら団体の声明は指摘している。

声明にはまた、人身売買の被害者となってイタリアから入国し、8月11日に送還者用ホテルから強制退去させられた3人のナイジェリア人女性の訴えも載せられている。アイスランドは難民申請者を送還するための協定をナイジェリアと結んでいないため、彼女らはイタリアに送還されることになった。しかし彼女らは「無理やり売春をさせられていた国に送り返すのか」と訴えている。しかし同時に「アイスランドの街頭で生きていくことなどできない。私たちが求めているのは平穏と保護なのです」とも述べている。

人権団体「移動する子どもの人権」のメンバーであるフランス人モルガン・プリエ=マヘオによると、現在、レイキャビク郊外のハフナルフィヨルドゥルにある強制送還ホテルに数家族がいるという。パレスチナ人の母親と8人の子どもたち(中には健康上の問題を抱えた子どももいる)は、スペインに縁がないにもかかわらず、アイスランドに向かう途中で経由したスペインに強制送還されることになっている。イラクからの他の2家族は、警察の手によって暴力を受けていたギリシャに強制送還される予定である。

ギリシャは難民申請者や難民を冷遇することで悪名が高い。アイスランドは子どもを同伴している難民申請者をギリシャに送還することを一時停止していた。同国の状況に鑑みてのことだが、昨年11月から送還を再開している。

プリエ=マヘオは、送還者用ホテルを「家族用倉庫」と呼んでいる。子どもたちは学校や余暇活動などに参加させてもらえず、ホテルが工業地帯内にあるために家族が利用できる地域施設も限られているからだ。

送還者用ホテルを出たのちに自発的に出国することを拒むと、あとはホームレスへの道が待っている。「車や街頭、テントなどで寝ている。家族を隠している人もいるが、見つかれば最大6年の禁錮刑が待っている」とプリエ=マヘオは語った。

しかし、「もし難民申請者が、申請却下後10カ月を生き延びることができれば、仮に身を隠していたとしても、ふたたび国際的保護を求めて難民申請することができる」と彼女は付け加えた。

他方、アイスランドの8月の失業率は2.9%だ。同国は、難民申請者を強制送還しようとするかたわら、コロナ後の予想以上の経済回復によって多くの産業部門で労働力不足が生じている。そこで、観光や飲食、建設などの部門で海外からの労働力移入が盛んになっている。

ウクライナ難民は戦争のために特別の扱いを受けている。彼らは入国から2日以内にアイスランドの社会保障番号を付与される。労働省によれば、雇用を得ることも容易だ。

昨年12月までは、ベネズエラの難民申請者も同様に自動的に難民の地位を得ていた。しかし移民局はすべての難民申請を凍結し、状況を再考することとした。4月、ベネズエラの状況は好転し、他の国の出身者と同じ扱いにしても差し支えないとの結論が出された。

「しかし、ベネズエラの状況は日々悪化している」とアイスランドに2カ月前に入国したアリ・ファーラットは話す。ファーラットは心理学者で料理人、企業経営の経験もある。彼自身は、赤十字や救世軍でボランティアをし、英語の講師も務めて忙しくしているが、「本当は仕事を見つけたい」とIDNの取材に対して語った。難民申請者として、移民局から一時労働許可を得ることはできるが、「居住地に欠くために許可をもらえない者もいる」という。

ファーラットには妻と4歳の娘がいるが、ベネズエラではたびたび身辺に危機が迫ったと話す。「国には戻れない。戻ったら1か月で殺される。」という。

ファーラットと同じように、ソマリア出身のアフメド(仮名)もアイスランドで働きたいと思っている。「多くの人がここに仕事のために来るが、支援がない」と話す。彼は、さまざまなルートを辿って、8カ月前にスペイン経由でアイスランドに入国した。アフリカ人はアイスランドでは少数派であり、彼らの扱いは他の国籍保有者に対してよくないと感じている。アフメドには国によるID番号が与えられていないため、働くことができない。

多くの難民申請者や難民は、レイキャビクの救世軍に支援を求めている。その多数がベネズエラ人であるが、中にはアフリカや中東出身者もいる。ウクライナ人もわずかながらいるが、彼らには自動的に難民の地位が与えられるため、概してより良い状況にある、と話すのは、救世軍の牧師イングヴィ・クリスティン・スキャルダルソンだ。

SDGs Goal NO.10
SDGs Goal NO.10

彼によれば、一部の難民申請者は路上生活をしているが、レイキャビクに住民登録がなく国のID番号も付与されていないため、ホームレス用の緊急住居にすら入れないという。「状況は深刻で改善の見通しがない」と彼は話す。

移民局によれば、今年の1月から7月の間の難民申請者の出身地は、ベネズエラ1208人、ウクライナ980人、パレスチナ139人、シリア59人、ソマリア57人となっている。移民・難民上訴委員会への上訴の後に難民申請が通った者は大部分がパレスチナ出身者(91人)で、拒絶された者は大部分がベネズエラ出身者(405人)だ。

スキャルダルソンの心には、いつも一つの問いがついて回る。「なぜ彼らにIDや労働許可をすぐに与え、彼らが自活し、国家の助けを得ずに生きていけるようにしないのだろうか? そうすれば、外国人労働者を移入しなくて済むはずなのに。」(原文へ

INPS Japan

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