ホーム ブログ ページ 17

|日本|存亡の危機の中で変わりつつあるカトリック教会の姿

14日間の日本滞在で学んだ4つのこと

【National Catholic Register/INPS JapanワシントンDC=ヴィクトル・ガエタン】

桜のピークだった4月、私は飛行機や新幹線、地下鉄等を乗り継いで、日本各地のカトリック教会を探訪する有意義な14日間を過ごした。今回の日本滞在は、ローマ教皇フランシスコとのアドリミナ訪問を控えた東京カテドラル聖マリア大聖堂の菊池功大司教との面談から始まり、9月にパリで開催される聖エジディオ共同体主催の平和会議に出席予定の三井紳作神社本庁教化広報部国際課課長との面談で終えた。

Victor Gaetan
Victor Gaetan

統計だけではわからない。約1億2500万人の日本の人口のうち、約53万6000人がカトリック信者である。また、日本で働くカトリック信者がさらに50万人いる。3つの大司教区(長崎、大阪、東京)を含む15の教区は、1つの神学校が奉仕する850の小教区を擁している。

繊細ながら壊れない…謙虚で誇り高い…日本の文化と社会は、相反するもののバランスをとっている。多くの印象の中で、私は日本のカトリック教会についての4つの現実を抽出し、共有することとした。それはつまり、①新しいカトリック信者はますます多文化化が進む社会の一部であること、②カトリック学校が教会の影響力を拡大していること、③イエズス会は1549年にカトリック信仰を日本にもたらし依然として影響力を持っていること、そして④平和がバチカンと日本の世界観を融合させる共有の課題であること、である。

移民要因

日本のカトリック教会についての決まり文句は、全般的な人口減少を考えれば、規模が小さいカトリックコミュニティーは、さらに小さくなるに違いないというものだ。日本の人口は減少の一途をたどっている。例えば、政府のデータによると、日本では1日に2,293人が亡くなっており、明らかに存亡の危機に直面している。

悲惨なことに、長崎は世界で最も急速に人口が減少している都市である。一方、政府は国家存続のインセンティブよりも軍事力強化を優先しているようだ。岸田文雄首相は、軍事予算を2倍以上の560億ドルに増やす一方で、子育て支援に250億ドルしか割り当てていない。

しかし、教会の動向は紙面上のデータよりもダイナミックである。日本はますます多文化国家となっており、最近海外から移住してきた人々の多くがカトリック信者である。

「1913年に創立された日本最古のカトリック大学である上智大学で神学の教授を務めるイエズス会のアントニウス・フィルマンスヤ神父は、「東京のカトリック教会はますます普遍的になっており、ここでは世界中からのカトリック信者と出会います。」と語った。

「隣の教会(聖イグナチオ教会)には、多くの国籍や民族が集まっていて、とても活気があります。今、一番多いのはベトナム人です(現在、日本には約52万人のベトナム人が住んでいる)。カトリック教会が繁栄しているのは、私たちが異文化との協力にオープンだからです。」と、インドネシア出身のフィルマンシア神父は語った。

2002年に来日し、最初の2年間を言語の習得に費やしたフィルマンシア神父は、「適切な用語を使用しないと日本人の心に触れることはできません。」と語った。

上智大学のイエズス会センターの指導にも携わっているフィルマンシア神父によると、多くのカトリック信者が雇用契約で世界中から日本にやってくる。日本の市民にはなれないかもしれないが、何年も滞在し、日本の生活に溶け込むことが少なくない。

移民について、菊池大司教はこう語ってくれた。

「2007年に教皇ベネディクト16世に初めて謁見した際、法王は私に『あなたの教区での希望は何ですか?』とお尋ねになりました。私の心に浮かんだのは日本の農家に嫁ぐフィリピンからの移民の存在でした。日本の農家は日本人の妻を見つけることが困難なため、カトリック教徒のフィリピン人女性を探しているのです。彼女たちは教会のない村に住んでいますが、希望に満ちています。フィリピンのタグレ枢機卿も同じことを言っているのですが、彼はフィリピンからの移住者たちに『あなたたちは神から遣わされた宣教師だ!』と励ましています。そして、それは真実なのです。」

フィルマンシア神父は、教会の歴史的な宣教的アプローチは、福音のメッセージにうまく役立っていると考えている。 「1549年に日本にカトリック信仰をもたらした聖フランシスコ・ザビエルは、非常に実り多い人でした。彼は対話を重視しました。征服するのではなく、調和させるのです。」

在日フィリピン人の人々にどこで礼拝しているのか尋ねると、東京では聖アンセルム目黒カトリック教会で、タガログ語、インドネシア語、英語、日本語でミサが行われていることがわかった。教会長のアントニオ・カマチョ神父はメキシコシティで生まれ、神学を学ぶために1991年に来日した。助任司祭のマルティン・アクウェティ・デュマス神父はガーナで育ち、2010年に叙階された。所属する神の御言葉宣教会から日本に派遣された。

美しい古都・京都で、70人ほどの信者とともに聖フランシスコ・ザビエル大聖堂のミサに参列したが、祭壇にいたのはインド人の修道女だけだったため、最初は困惑した。

カルメル修道会のテシ・ジョージ修道女はミサの後、「今日は3人の司祭が忙しいんです。彼らはすでにホスト(聖体拝領のためのパン)を聖別しましたので、これは聖体拝領の儀式であり、ミサではありませんでした。」と簡潔に語った。

教育による影響力

カトリック教会が幼稚園から大学まで運営する学校を通じて影響力を拡大するというのは、宣教地における定説で、日本はその一例である。

菊地大司教の母親は、北部の宮古市にあるカトリック幼稚園で教鞭をとっていた。「幼稚園は教会よりも有名でした。」「教育を福音化の道具として活用することは、日本のカトリック教会の長年の方針であり、うまくいっています。卒業生は官公庁や企業にいるので、名門大学である上智大学のような学校があることは重要です。」と、菊池大司教は説明した。

新学期の初日に、私は東京の中心部にある上智大学の立派なキャンパスを訪れた。この大学はローマ教皇ピウス10世の発案で設立された。ピウス10世は1906年、ドイツのイエズス会に日本で教育機関を設立するよう命じた。

第二次世界大戦中、米軍の空襲でキャンパスの大部分は焼け野原になったが、その後再建された。現在、80カ国以上から集まった約14,000人の学生が学んでいる。

Sophia University in 1932 and in 1945, showing bombing damage to the main building.
Sophia University in 1932 and in 1945, showing bombing damage to the main building.

「上智大学で英語と文学を教えている米国人のマリア・ルパス教授は、「カトリック教会は日本社会の一部と考えられています。彼女は、今上天皇の母である上皇后様がカトリックの学校で教育を受け、東京の聖心女子大学を卒業しています。」と指摘した。美智子上皇后は1989年から2019年まで在位し、皇室に嫁いだ最初の一般人だった。

もう一人の聖心女子大学出身者は曽野綾子氏で、日本で最も尊敬されている小説家の一人である。曽野氏は長崎に修道院を設立し、1930年から36年まで長崎で生活した聖マクシミリアノ・コルベ神父についての歴史小説『奇跡』(1973年)を書いた。

イエズス会の影響

Portrait of St. Francis Xavier Credit: Public Domain.
Portrait of St. Francis Xavier Credit: Public Domain.

イエズス会の共同創立者である聖フランシスコ・ザビエルは、1549年に日本にキリスト教を伝えた。数十年後に豊臣秀吉による厳しい迫害が始まるまで、キリスト教信仰は急速に広まった。イエズス会が幕末に再び日本に戻るまで約300年の空白があったものの、イエズス会の影響は今日に至るまで強く残っている。

上智大学以外にも、イエズス会は広島で音楽大学と4つの名門中等学校を運営している。

イエズス会は日本列島における教会の歴史の守護者であるかのようだ。イエズス会の川村信三神父は、17世紀初頭に日本の東北地方に住むカトリック信者が教皇パウロ5世に宛てた驚くべき感謝状を発見した。彼らは教皇が新しい信者に送った激励の手紙に応えていた。「ここでの私たちの歴史は粘り強いものです。」と川村神父は上智大学図書館のワークスペースで静かに語った。

この手紙は、カトリック信徒が最も頻繁に南西部の貿易港と関連付けられるため、驚くべきものだ。しかし、菊池大司教が説明するように、南西部地域で「隠れキリシタン」の物語が最も公に残されているものの、カトリック信徒は日本全国に広がっていた。

バチカンと日本 100年プロジェクト 公式発表記者会見

河村神父の研究は、角川文化振興財団が支援する「バチカンと日本100年プロジェクト」の恩恵を受けた。来年4月から10月にかけて大阪で開催される2025年万博のために、同財団はバチカン唯一のカラヴァッジョ作品「キリストの埋葬」を公開展示する手配をしている。

現在、日本にいる約150人のイエズス会司祭のうち、半数以上が高齢者で、その多くはとても活発に活動している。

私が面談した中でも最も感動した一人は、1958年にスペインのサラマンカから初めて日本に来た89歳の神父、イエズス会士のアルド・イサム神父だった。神父はそれ以来日本に住んで日本国籍を取得しており、これは意外な形で神父の活動の助けとなった。神父はベトナムからの「ボートピープル」を助ける活動に参加し、1990年に初めてベトナムを訪問した。そしてまもなく「日越」を立ち上げ、貧しい地域の経済開発プロジェクトを支援するための財団を設立した。イサム神父は今年9月に37回目のベトナム訪問を計画している。

イサム神父によると、ベトナムの教会が繁栄しているのは、地元の司祭たちが地元の役人たちと建設的に協力する方法を見つけているからだという。「ベトナム戦争後、10人のイエズス会士が投獄されました。教会が当局の敵とつながっているとみなされたのです。しかし今では、ベトナムにはほぼ300人のイエズス会士がいます。そしてベトナムは、日本を含む世界中で奉仕する司祭を輩出しているのです。」

Author and Father Renzo de Luca in front of the 26 Martyrs Museum in Nagasaki, Japan. The museum was built 1962 to commemorate the 26 Christians who got executed for preaching Christianity on the Nishizaka hill in 1597. Photo: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.
Author and Father Renzo de Luca in front of the 26 Martyrs Museum in Nagasaki, Japan. The museum was built 1962 to commemorate the 26 Christians who got executed for preaching Christianity on the Nishizaka hill in 1597. Photo: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.

私が会ったもう一人の賢明で献身的なイエズス会士は、長崎の二十六殉教者記念館・記念碑の館長であるレンゾ・デ・ルカ神父だった。イサム神父のように母国(アルゼンチン)を離れ、ほとんど振り返ることもなく、来年日本での40周年を迎える。デ・ルカ神父は、キリスト教迫が害されるなかで約250年間司祭なしで信仰を守り続けた「隠れキリシタン」の物語を記録した印象的な博物館をじっくりと案内してくれた。

デ・ルカ神父はまた、カトリック教会の 「小さな世界 」を象徴している。サン・ミゲルの神学校に在籍していたとき、3年近く指導を受けたのがホルヘ・ベルゴリオ神父で、彼はデ・ルカ神父に宣教師になるよう勧めた。ベルゴリオ神父は、比較的若かったデ・ルカ神父をジョージタウン大学に送り、英語を学ばせた。その後、後の教皇フランシスコは、デ・ルカ神父を含む5人の学生を日本に派遣した。

2019年の教皇訪日では、デ・ルカ神父が通訳を務めた。旅のビデオでは、若い神父が年長の教皇を雨風から守っている姿が映っている。

時代を超えて教皇たちを結びつける平和のメッセージ

1981年2月に教皇ヨハネ・パウロ2世が 「平和の巡礼者」として来日して以来、カトリック信仰が極小であるはずのこの国にとって、教会と教皇たちは大きな善意を生み出している。

教皇ヨハネ・パウロ2世は、8月6日に原子爆弾が投下された広島と、9日に投下された長崎で、全身全霊を傾けて演説を行った。報道によると、広島市長が原爆投下による人道的惨状について語った際、法王の目には時折涙が浮かんでいた。

法王は広島の爆心地で、感情に満ちた平和のアピールを行い、冒頭で戦争を厳しく非難した。 「戦争は人間のしわざです。 戦争は人間の生命の破壊です。 戦争は死です。…」

過去をふり返ることは将来に対する責任を担うことです。ヒロシマを忘れないことは、核戦争を憎むことでです。ヒロシマを忘れないことは、平和を約束することです。ヒロシマの人々の苦しみを忘れないことは、人類への信頼を新たにすることであり、善をなす能力、模範となるものを選ぶ自由、そして災害を新たな始まりに変える決意を持つことです。」

その場にいた『ニューヨーカー』誌の記者は、「法王は9つの言語を話し、最初と最後は日本語で、その間には英語、中国語、フランス語、ロシア語と、核保有5大国の言語を織り交ぜて、それぞれの国向けのサウンドバイトを用意していた。」と振り返っている。

それから28年後、教皇フランシスコは同じ3都市を再訪し(東京から長崎に飛び、その後、広島に飛んだ)、最も予言的な演説を長崎で行った。教皇フランシスコは、核兵器廃絶のアピールを開始した日本の司教たちを称賛し、「多国間主義の浸食」を嘆き、聖フランシスコの祈りを唱えた。巡礼のテーマは「すべてのいのちを守る」であり、胎児、高齢者、難民、環境の保護から死刑廃止キャンペーンの支援まで多岐にわたった。

報道によれば、2019年、日本の一般市民は1981年よりもさらに教皇の言葉や行程にさらに関心を寄せているようだった。

「教皇フランシスコは教皇ヨハネ・パウロ2世のメッセージを引き継ぎました。両教皇は日本の教会に平和のメッセージとなるよう招き、それが私たちが本当に目指していることです。」とフィルマンシア神父は語った。

「教皇フランシスコは非キリスト教国の訪問者であることを強く意識していました。彼はすべての人が理解できるように話し、人々はとても反応していました。」と、デ・ルカ神父は付け加えた。(原文へ

INPS Japan/National Catholic Register

Original Article: https://www.ncregister.com/news/changing-face-of-catholic-church-in-japan-amid-nation-s-existential-crisis

ヴィクトル・ガエタンはナショナル・カトリック・レジスター紙のシニア国際特派員であり、アジア、欧州、ラテンアメリカ、中東で執筆しており、口が堅いことで有名なバチカン外交団との豊富な接触経験を持つ。一般には公開されていないバチカン秘密公文書館で貴重な見識を集めた。外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』誌やカトリック・ニュース・サービス等に寄稿。2024年4月、IPS Japanの浅霧理事長と共に長崎を取材訪問。INPS Japanではナショナル・カトリック・レジスター紙の許可を得て日本語版の配信を担当した(With permission from the National Catholic Register)」。

*ナショナル・カトリック・レジスター紙は、米国で最も歴史があるカトリック系週刊誌(1927年創立)

関連記事:

|核兵器なき世界| 仏教徒とカトリック教徒の自然な同盟(ヴィクトル・ガエタン ナショナル・カトリック・レジスター紙シニア国際特派員)

バチカンが非核世界への支援を活性化

|バーレーン対話フォーラム|宗教指導者らが平和共存のための内省と行動を訴える

「海外メディアから見たカザフスタン」コンテスト、カザフスタンへの関心の高まりを浮き彫りに

【アスタナMFA of Kazakhstan】

Notification letter sent to contest winners.

今年は約30か国から80人以上のメディア関係者やブロガーが、第9回「外国メディアから見たカザフスタン(Kazakhstan through the Eyes of Foreign Media)」コンテストに応募した。このコンテストは、カザフスタン共和国外務省がカザフスタン編集長クラブと共同で毎年開催しており、カザフスタンに関する創造的で信頼性が高く、客観的な情報を世界に発信する外国のジャーナリストの貢献を称えるプラットフォームとして機能している。

2014年に始まったこのコンテストは、毎年様々なカテゴリーで優れた記事やビデオ作品を表彰している。参加者は、世界各国の出版社やメディアの代表者で、印刷物やオンライン記事、人気のインターネット・プラットフォーム、ブログ、ポッドキャストから伝統的なテレビ番組まで、さまざまな形式の作品が提出されている。応募作品のテーマは、歴史、文化、教育、観光、料理、国際関係、カザフスタンの投資可能性など多岐にわたる。

今年のコンテスト・パートナーには、カザフスタン観光国営企業JSC、アジア相互協力信頼醸成措置会議(CICA)事務局、カザフスタン全国スポーツ協会、国営テレビ局「ジベク・ジョリ(英語名:Silkway Qazaqstan)」などが名を連ねている。この多様なスポンサーシップは、このイベントの重要性を強調している。特に、2023年には7つのカテゴリーで受賞者が表彰されたが、今年は国民スポーツ協会による新しいカテゴリーが導入された。

今年のコンテストの審査員には、カザフスタン外務副大臣ロマン・ヴァシレンコ氏、カザフスタン共和国国会上院副議長でカザフスタン編集長クラブ会長のビビグル・ジェクセンバイ氏、カザフ観光委員会会長のカイラト・サドヴァカソフ氏、CICA軍事政治部門の専門家であるドゥラット・クアニシェフ大使、国民スポーツ協会会長のイスランベク・サルジャノフ氏らが名を連ねた。  

5th World Nomad Games in Astana

文化交流を深め、カザフスタンへの理解を深めるため、受賞者はアスタナアルマトイマンギスタウ地方を含むカザフスタン訪問に招待される。訪問中、彼らはカザフスタンの豊かな文化と歴史的遺産を紹介される予定だ。さらに、受賞者は草原遊牧民の精神を体験し、ワールド・ノマド・ゲームズ(国際遊牧民競技大会)を観覧する機会も得られる。

例年通り、コンテストの受賞者は、公共部門の代表者、カザフスタンの専門家、ジャーナリストとの独占インタビューに参加し、今年からは、世界の異なる地域から8人の外国人ジャーナリストが様々なノミネートで認められた:

Kazakhstan through the Eyes of Foreign Media contest winners announced. Credit: Silkway Qazaqstan

アメリカ大陸からは、ブラジル人ジャーナリスト、ミルトン・アタナジオ氏が 『フォコ・ナ・ポリティカ』誌に掲載した一連の記事が最優秀に選ばれた。

ヨーロッパ地域からは、イタリア人ジャーナリスト、ダニエラ・ブリッカ氏がイタリア放送協会「Rai」で放映したカザフスタンに関するビデオレポートが最優秀と評価された。

独立国家共同体(CIS)・ユーラシア地域からは、アゼリ人ジャーナリスト、エレナ・コソラポヴァ氏がCBC TVアゼルバイジャンで放映したレポート「『中部回廊』(ミドルコリドー):アゼルバイジャンとカザフスタンがシルクロードを復活させる」が最優秀に選ばれた。

*中央回廊とは、ロシアを通過する北部回廊が厳しく制限される中、注目を浴びている、中央アジア、カスピ海、南コーカサス、黒海、地中海、東ヨーロッパを結ぶ複合輸送路。

INPS Japan Logo
INPS Japan Logo

アジア・太平洋地域からは、日本人ジャーナリスト、浅霧勝浩氏がインターナショナル・プレスシンジケート・ジャパン(INPS Japan)から配信した記事が最優秀と評価された。

中東・アフリカ地域からは、エジプト人ジャーナリスト、ファトマ・メガヘド氏による上海協力機構に関するレポートが最優秀に選ばれた。

カザフスタン観光部門のノミネーションでは、スペイン人ジャーナリスト、ヨランダ・ガルシア氏の「La Voz de Galicia」(スペイン・ガリシア州で発行されている日刊紙)連載記事が選ばれた。

CICAのノミネーションでは、「ロシースカヤ・ガゼータ(ロシア新聞)」に掲載されたアレクサンダー・ガシュク氏の作品が選ばれた。

Travel to Kazakhstan

新設の国民スポーツノミネーションでは、キルギス人ジャーナリスト、エルメク・アクタノフ氏が国営ラジオ「ビリンチ・ラジオ」で放送した一連の番組が最優秀に選ばれた。

毎年開催されるコンテスト「海外メディアから見たカザフスタン」は、カザフスタンの発展動向に対する海外からの関心を積極的に促進している。このコンテストは、カザフスタンの豊かな自然と文化遺産の普及に貢献するとともに、世界中の外国人投資家や観光客にカザフスタンの潜在力と魅力をアピールするものである。(原文へ

INPS Japan

関連記事:

|視点|カザフスタンの宗教間対話イニシアチブ:知恵とリーダーシップで世界の調和を育む(浅霧勝浩INPS Japan理事長)

カザフスタンの不朽の遺産: 核実験場から軍縮のリーダーへ

これ以上核兵器の犠牲者を増やさない(カリプベク・クユコフ被爆者・画家・反核活動家)

ラテンアメリカとOPANAL:ヒロシマ・ナガサキから79年、核兵器との闘いにおける重要な指標

メキシコで『核兵器なき世界への連帯―勇気と希望の選択』展が開催中である。ラテンアメリカ・カリブ核兵器禁止機構(OPANAL)は、この展示会の開会式に名誉ゲストとして招かれた。OPANALは核兵器禁止に関する経験を共有するため、今月下旬にカザフスタンで開催される5つの核兵器禁止地帯が集まる会議などに参加する予定である。

【メキシコシティーINPS Japan=ギレルモ・アラヤ・アラニス】

The remains of the Prefectural Industry Promotion Building, after the dropping of the atomic bomb, in Hiroshima, Japan. This site was later preserved as a monument. Credit: UN Photo/DB
The remains of the Prefectural Industry Promotion Building, after the dropping of the atomic bomb, in Hiroshima, Japan. This site was later preserved as a monument. Credit: UN Photo/DB

現在、メキシコで最も権威のある大学の一つであるメキシコ大学院大学で開催中の「核兵器なき世界への連帯―勇気と希望の選択」展は、核兵器がもたらす危険についての認識を高めることに焦点を当てている。この展示は、広島と長崎への原爆投下から79周年を記念するイベントの一環である。

「原爆投下は、80年近く議論されてきたデリケートなテーマであるにもかかわらず、いまだに原爆投下について知らない人や、信じていない人がいます。私たちの使命は、市民、学生、専門家の意識を高めることです。」と、メキシコ創価学会ネレオ・オルダス理事長は語った。

Exhibition: “”Everything You Treasure- For a World Free From Nuclear Weapons”. Photos: Guillermo Ayala Alanis.
Exhibition: “”Everything You Treasure- For a World Free From Nuclear Weapons”. Photos: Guillermo Ayala Alanis.

創価学会インタナショナル核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が共同制作したこの展示は核軍縮に関する42枚のパネルで構成されてており、2012年に広島で初めて開催された。その後、スペイン語、英語、日本語、ロシア語に翻訳されている。メキシコでは、首都の各大学をはじめ、グアダラハラ、プエブラ、ラ・ピエダードなどの都市で展示会が開催されている。

また別のパネルでは、8月6日と9日の被爆体験を若い世代に伝え、核攻撃が二度と起こらないようにするための闘いを続ける被爆者の活動が紹介されている。

またこの展示では、核兵器の製造を可能にしている資金援助の問題について理解を深めることができる。あるパネルには、24カ国の329の銀行、年金基金、その他の金融機関が核兵器を製造する企業への投資に関与しており、中でも北米の204機関が最も多く貢献している実態を明らかにしている。

8月6日の開会式で挨拶したOPANALのフラビオ・ロベルト・ボンザニーニ事務局長は、気候変動と並んで人類にとって最大の脅威である核兵器の完全廃絶の必要性を訴える優れた取り組みとして、このイニシアチブを称賛した。

「メキシコは、ラテンアメリカおよびカリブ海諸国とともに、世界で初めて人口密集地域における非核兵器地帯(NWFZ)を形成しました。この遺産は、トラテロルコ条約に具現化されており、この条約は、現在では国連加盟国のほぼ3分の2を包含する4つの他の非核兵器地帯の創設にインスピレーションとモデルを提供してきました。」とボンザニーニ事務局長は語った。

Exhibition: “”Everything You Treasure- For a World Free From Nuclear Weapons”. Photos: Guillermo Ayala Alanis.

ボンザニーニ事務局長はまた、OPANALが世界で唯一、軍縮と核不拡散に専念する組織であることを強調し、より平和で安全な世界を築くことの重要性と、そのプロセスにおいて各人が果たすべき役割について考えるよう呼びかけた。

Central Downtown Astana with Bayterek tower/ Wikimedia Commons
Central Downtown Astana with Bayterek tower/ Wikimedia Commons

OPANALは、8月27日から28日にかけてカザフスタンの首都アスタナで開催される核不拡散と核軍縮に関連する一連の会議に参加する予定だ。これらの会議は、1949年から89年にかけて456回もの核実験が行われたセミパラチンスク核実験場の閉鎖(8月29日)から33周年を記念する行事の一環として開催される。

OPANALの研究教育担当官であるナタリア・ジュリーナ氏は、INPS Japanの取材に対して、OPANALが他の4つの非核兵器地帯と今般カザフスタンで会合を開き、経験を共有し、核兵器禁止に向けて連携を強化するためのコミュニケーションチャネルを見出し続けることの重要性を強調した。『お話ししたように、他の地域にはOPANALのような組織は存在しません。中央アジアのような地域がそのような組織の設立に強い関心を持っていることを私たちは知っています。彼らはOPANALについて学び、その運営方法を理解したいと考えています。』とジュリーナ氏は説明した。

また、ジュリーナ氏は、中東における非核兵器地帯の設立に関する非公式会合にOPANALが参加する予定であることにも言及した。また、「OPANALは、ICANが主催する会合にも出席し、核兵器禁止条約(TPNW)に関連する問題について議論する予定です。私たちはTPNWを、核兵器の禁止を初めて定めたトラテロルコ条約のグローバル版と見なしています。TPNWは、トラテロルコ条約から多くの原則を取り入れており、OPANALも同様です。』と語った。

Natalia Zhurina, Research and Education Officer of OPANAL. Photo:OPANAL
Natalia Zhurina, Research and Education Officer of OPANAL. Photo:OPANAL

「ラテンアメリカおよびカリブ海地域は、核兵器の軍縮と不拡散において模範的な地域とされています。この地域の諸国は、大量破壊兵器がもたらす深刻な脅威にもかかわらず、これらの問題に対して強いコミットメントを維持しています。『ラテンアメリカとカリブ海地域では、すべての問題で国々が常に意見を一致させるわけではありませんが、軍縮と不拡散に関しては共通のビジョンと組織的なアプローチを持っています。OPANALとこの地域は、他の国々に希望を与え、模範を示しています。』と、カザフスタンでの一連の会議にボンザニーニ事務局長とともに出席する予定のジュリーナ氏は語った。

国連の推定によれば、世界には約12,500発の核兵器が存在しており、核兵器のない世界を目指して政府に働きかけ、資源を投入させるために、社会全体の役割が極めて重要となっている。「核兵器なき世界への連帯―勇気と希望の選択」展のような展示会は、メキシコのように「核の脅威がない地域(=非核兵器地帯)」に住むことの特権について、改めて若者たちの意識を高める役割を果たしてきた。

Nuclear Weapon Free Zones. Credit: IAEA
Nuclear Weapon Free Zones. Credit: IAEA

このパネル展示は、8月15日までメキシコ大学院大学にて、核兵器や核不拡散に関する論文や文献とともに展示される予定である。(原文へ

INPS Japan

This article is brought to you by INPS Japan in partnership with Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

関連記事:

|カザフスタン|核兵器の危険性について若者に議論を促す展示

グローバルな核実験禁止の発効を呼びかけ

|視点|”核兵器禁止条約: 世界を核兵器から解放する道”(寺崎広嗣創価学会インタナショナル平和運動総局長)

広島・長崎から79年、核による壊滅の悲惨な記憶

【国連IPS=タリフ・ディーン】

1945年8月6日と9日に広島と長崎に原子爆弾が投下されてから79年目を迎えるが、核兵器が引き起こした壊滅的な結末を改めて思い知らされる。

米国の原爆投下による死者は推定9万人から21万人で、広島ではその約半数が初日に死亡した。

しかし、世界的な核軍縮キャンペーンにもかかわらず、核保有国は米国、英国、フランス、中国、ロシアの5カ国から、インド、パキスタン、北朝鮮、イスラエルを含む9カ国に増加した。

UN Secretariate Building/ Katsuhiro Asagiri
UN Secretariate Building/ Katsuhiro Asagiri

世界的な反核運動は無意味な努力なのだろうか?そして、イラン、エジプト、サウジアラビア、韓国などが将来の潜在的な核保有国として浮上している中、この傾向は続くのだろうか?

南アフリカ共和国は、核兵器を開発した後に自主的に放棄した唯一の国である。同国は1980年代に6つの核兵器を製造したが、89年から93年にかけてそれらを解体した。南アの決定には、国家安全保障、国際関係、そして孤立国となることを避けたいという願望など、いくつかの要因が影響を与えた可能性がある。

しかし、同様に有効な議論として、核戦争は未だ起こっておらず、脅威にとどまっているという点が挙げられる。それは主に、世界的な反核運動の成功、国連の役割、そして193の加盟国のほとんどが採択した複数の反核条約による集団的行動によるものである。

国連軍縮部(UNODA)によると、国連はその設立以来、大量破壊兵器(WMD)の排除を目指してきた。1946年に採択された国連総会の最初の決議では、原子力の発見に関連する問題を扱う委員会を設立することを決定した。

この委員会は、原子力を平和目的のみに使用するための制御策を提案することを目的としていた。

以来、核拡散や核実験を防ぎ、核軍縮の進展を促進することを目的として、いくつかの多国間条約が制定されてきた。

それには、核兵器不拡散条約(NPT)、大気圏内、宇宙空間および水中での核兵器試験を禁止する条約として知られる1996年に採択されたが未だ発効していない包括的核実験禁止条約(CTBT)、そして核兵器禁止条約(TPNW)が含まれる。

Jacqueline Cabasso, Executive Director, Western States Legal Foundation. Photo Credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, INPS Japan.
Jacqueline Cabasso, Executive Director, Western States Legal Foundation. Photo Credit: Katsuhiro Asagiri, Multimedia Director, INPS Japan.

カリフォルニア州オークランドにある西部諸州法律財団の事務局長であり、米国の核兵器計画と政策を監視・分析しているジャクリーン・カバッソ氏は、IPSの取材に対し、「米国による広島と長崎への原爆投下から79年目を迎えようとしている今、世界は1945年以降で最も大きな核戦争の危機に直面しています。」と語った。

「『核抑止力』という恐ろしいドクトリンは、とっくの昔に非合法化され、多国間の非軍事的な共通の安全保障に取って代わられ、歴史の闇に葬られるべきだったのに、核保有国とその同盟国によって、核兵器の永続的な保有と威嚇的な使用(先制使用を含む)を正当化するために振りかざされる病的なイデオロギーに変貌しています。」と、カバッソ事務局長は指摘した。

「私たちは、『私たちに起きたことを他の誰にも二度と繰り返してはならない。核兵器と人類は共存できない。もう二度と広島や長崎を繰り返してはならない!』と訴えていいます。老齢の被爆者たちの警告に今こそ耳を傾けるべきです。」

「核兵器と人類は共存できません。しかしそれどころか、すべての核保有国は核兵器を質的にも、場合によっては量的にもアップグレードしており、新たな多極的軍拡競争が進行していいます。」と、カバッソ事務局長は指摘した。

「核兵器廃絶と、より公正で平和的、そして生態学的に持続可能なグローバル社会を実現するためには、抑止力という非合理的な恐怖に基づくイデオロギーから、事故や誤算、あるいは意図的なものであれ、最終的な核兵器の使用に対する合理的な恐怖へと移行する必要があります。」

「また、安全保障が人道的かつ生態学的に持続可能な形で再定義され、核兵器の廃絶と劇的な軍縮につながり、人類の普遍的なニーズへの対応と環境保護に必要な莫大な資源が解放されるという合理的な希望を刺激する必要があります。」

世界的な危機が多発する今、「核兵器廃絶に向けた私たちの活動は、核兵器と通常兵器、そして軍国主義全般との接点、核戦争がもたらす人道的・長期的な環境への影響、そして核兵器と民主主義、法の支配、人間の福利との根本的な相容れなさを考慮し、より広範な枠組みで行わなければなりません。」とカバッソ事務局長は語った。

M.V.-Ramana
M.V.-Ramana

ブリティッシュコロンビア大学(バンクーバー)グローバル公共政策グローバル問題大学校「軍縮・グローバル・人間の安全保障」プログラムの責任者を務めるM・V・ラマナ教授は、IPSの取材に対し、「コップの水は、見方によって、半分が満たされているか、半分が空なのです。」と語った。

「1945年以来、核戦争を回避できたのは、部分的には反核運動の粘り強さにも起因しています。歴史家のローレンス・ウィットナーのような人々は、政府が無制限な拡大ではなく、核抑制を選択した多くの事例を指摘しています。」

「南アは核兵器プログラム全体を解体した唯一の国だが、スウェーデンのように、技術的には核兵器を開発する能力を持っていたにもかかわらず、核兵器の開発を選ばなかった国も多い。その背景には、核兵器に対する強い市民の反対があり、それは反核軍縮を支持する社会運動に起因します。」とラマナ教授は指摘した。

「従って、核軍縮のための組織化は決して無駄ではありません。特に、大国間の紛争が再び起こる時代に突入した今、このような運動は私たちが生き残るために重要です。」とラマナ氏は宣言した。

国連によると、日本被団協と呼ばれる高齢の被爆者のグループが、最終的に核兵器の全面禁止に至ることを望んで核不拡散条約の達成に人生を捧げてきた。

「白島線の満員電車の中で、1歳半の長女を抱えながらしばらく気を失っていました。娘の泣き声で我に返り、気づくと電車内には誰もいませんでした。」と34歳(当時)の女性が小冊子に証言している。彼女は広島の爆心地からわずか2キロメートルのところにいた。

親族を訪ねて戸坂へ逃れた24歳の女性は、「皮膚が垂れ下がった人々がよろめきながら歩いていました。彼らは次々と倒れて死んでいきました。今でもよくこの光景を夢に見てしまい、ノイローゼだと言われます」と語った。

At a disarmament exhibition in UN Headquarters in New York, a visitor reads text about a young boy bringing his little brother to a cremation site in Nagasaki, Japan. Credit: UNODA/Erico Platt
At a disarmament exhibition in UN Headquarters in New York, a visitor reads text about a young boy bringing his little brother to a cremation site in Nagasaki, Japan. Credit: UNODA/Erico Platt

原爆投下後に広島に入ったある男性は、国連での展示会で「あの恐ろしい光景は、何十年経っても忘れることができません。」と回想した。

当時25歳だった女性は、「外に出たら、夜のように暗かった。それから次第に明るくなり、焼けただれた人々が泣き叫びながら混乱の中を走り回っているのが見えました。地獄のようでした…隣人が倒れたコンクリートの壁の下に閉じ込められていました…顔の半分だけが見えていました。彼は生きたまま焼かれていました。」と語った。

「核兵器は人類と共存できない絶対悪であり、廃絶するしかない。」という被団協の揺るぎない信念は変わらない:

Photo: The Secretary-General António Guterres attends the Peace Memorial Ceremony in Hiroshima. Ichiro Mae/UN Photo
Photo: The Secretary-General António Guterres attends the Peace Memorial Ceremony in Hiroshima. Ichiro Mae/UN Photo

今年3月、アントニオ・グテーレス事務総長は国連安全保障理事会で演説し、地政学的緊張が核戦争のリスクを過去数十年で最も高まっている今、核兵器の削減と廃絶こそが人類を救う唯一の道であると警告した。

「この無分別で自滅的な影を、きっぱりと消し去る道は一つしかありません。今こそ軍縮が必要です。」とグテーレス事務総長は述べ、核保有国に対し、いかなる核兵器の使用をも防止するために、透明性の向上と信頼構築措置の発展を目的とした対話に再び参加すること、核実験のモラトリアムを再確認すること、いずれの国も核兵器の先制使用国にならないことに早急に合意することを求めた。

グテーレス事務総長は、世界の二大核保有国である米国とロシアに対して、核兵器削減に主導的な役割を果たすよう求めるとともに、新戦略兵器削減条約(新START)の完全な履行に向けた交渉に戻る道を見いだし、その後継条約に合意するよう要請した。

「各国が他国を顧みずに自国の安全保障のみを追求する時、私たち全体を脅かす世界的な不安を生み出します。」とグテーレス事務総長は指摘した。広島と長崎の街が焼き尽くされてから80年近くが経った今もなお、核兵器は、世界の平和と安全に対する明白かつ現存する危険としてあり続けており、その威力、射程距離、ステルス性は向上している。

「核兵器を保有する国々は交渉のテーブルに着いておらず、一部の声明は核兵器使用を示唆しており、これらの脅威を明確かつ強く非難しなければなりません。さらに、人工知能やサイバーおよび宇宙空間領域のような新興技術が新たなリスクを生み出しています。」とグテーレス事務総長は語った。

Pope Francisco/ Wikimedia Commons
Pope Francisco/ Wikimedia Commons

核兵器の保有を「不道徳」と述べたローマ教皇フランシスコから、広島と長崎の原爆を生きのびた勇敢な被爆者たち、そして映画「オッペンハイマー」で核による終末の過酷な現実を、世界中の何百万もの人々にまざまざと見せつけたハリウッドに至るまで、人々は核の狂気に終止符を打つことを求めている。 「人類は(オッペンハイマーの)続編を生き残ることはできません。」とグテーレス事務総長は警告した。

AP通信によれば、昨年長崎が米国による原爆投下から78周年を迎えた際、鈴木史朗長崎市長は核兵器を抑止力として使用することは、核戦争のリスクを高めるだけだと述べ、核兵器の廃絶を世界の大国に訴えた。

鈴木市長は、先進7カ国(G7)諸国に対して、核兵器の使用を抑止力としてのみ位置付ける新たな文書を採択するよう呼びかけた。

「今こそ勇気を示し、核抑止力への依存から脱却する決断を下す時です。」と鈴木市長は平和宣言で述べた。「国家が核抑止力に依存する限り、核兵器のない世界を実現することはできません。」

「ロシアの核の脅威は、他の核保有国に核兵器への依存を加速させたり、能力を強化させたりすることを促し、核戦争のリスクをさらに高めています。また、核抑止力のリスクを代表しているのはロシアだけではありません。」

またAP通信によると、長崎の被爆者を両親に持つ鈴木市長は、「被爆の実相を知ることは、核兵器のない世界を実現するための出発点です。また、被爆者の証言は核兵器使用に対する真の抑止力です。」と語った。(原文へ

INPS Japan/ IPS UN Bureau

This article is brought to you by IPS Noram in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International in consultative status with ECOSOC.

関連記事:

「二度とあってはならない!」長崎原爆の被爆者がメキシコで訴え

歴史的殉教地ナガサキ:隠れキリシタンから原爆投下まで

|視点|戦争と温暖化 (クンダ・ディキシットNepali Times社主)

カザフスタンと日本、首相訪日を前に経済関係を強化

【アスタナINPS Japan/Atana Times=サニヤ・サケノヴァ】

カザフスタンのアリベク・クアンティロフ外務次官は8月2日、岸田文雄首相のアスタナ訪問に先立ち、山田純駐カザフスタン日本大使と貿易・経済協力について協議した。

カザフスタン外務省の報道部局によると、クアンティロフ外務次官は、運輸・物流、鉱業・冶金、再生可能エネルギー、廃棄物リサイクル、デジタル化、インフラストラクチャーといった分野において、日本との投資協力を拡大するカザフスタンの大きな可能性を強調した。また、カザフスタン政府は、日本企業が同国でのプロジェクトに取り組むことに対して全面的な支援を行う準備があると表明した。

「カザフスタンと日本は活発な政治対話を確立し、高水準の経済協力を達成し、文化的・人道的関係を強化し続けています。過去18年間で、日本企業はカザフスタン経済に78億ドル以上を投資しており、今後の協力拡大に大きな可能性を見出しています。」とクアンティロフ外務次官は語った。

山田大使は、カザフスタンが日本にとって戦略的パートナーであることを強調し、日本企業の間で同国における企業設立に関心が高まっていること、また、日本はカザフスタンのエネルギープロジェクト、輸送能力の開発、物流プロセスのデジタル化に貢献できることを指摘した。さらに、2026年に両国間で予定されている直行便の開設が、二国間関係を強化し、ビジネスや観光の機会を拡大するだろうと語った。

一方、岸田首相は8月9日から12日までウズベキスタン、カザフスタン、モンゴルを訪問し、アスタナで開催される中央アジア+日本対話首脳会議で中央アジアの経済援助パッケージを発表する予定だとジャパンタイムズ紙は報じている

援助パッケージは、中央アジアとヨーロッパを結ぶ、カスピ海を通る貿易ルートの確立に重点を置くと予想されている。また、日本の技術や融資、特に天然ガス処理などを利用した脱炭素化への取り組みも含まれる。日本は、この地域から熟練労働者を受け入れて交流し、人と人とのつながりを強化する予定だ。(原文へ

*岸田首相は南海トラフ地震の臨時情報「巨大地震注意」を受けて国内での地震対応を優先することになり、9日からのカザフスタン、ウズベキスタン、モンゴルの訪問を取りやめた。

INPS Japan/Astana Times

この記事は、Astana Timesに初出掲載されたものです。

関連記事:

文化と歴史が日本とカザフスタンの距離を縮めると日本大使が語る

核兵器廃絶展を通じて絆を深める日本とカザフスタン

|カザフスタン|第5回ワールド・ノマド・ゲームズで10万人の観光客を迎える

|視点|核軍縮と核廃絶の誤った同等性(ジャスミン・オーウェンズ核兵器廃絶主義者、作家、教育者)

【Bulletin of the Atomic Scientists=ジャスミン・オーウェンズ】

広島と長崎に恐ろしい原子爆弾が投下されて以来、核の脅威を減らすための提唱者は、大きく分けて、軍備管理、軍縮、廃絶の三つのカテゴリーに分類されてきた。

ICAN
ICAN

時が経つにつれ、これらのまったく異なるアプローチの境界は曖昧になってきた。核コミュニティの人々でさえ、「核軍縮」と「核廃絶」をしばしば同じ意味で使っている。軍備管理も軍縮や廃絶と一緒にされることがあるが、それは戦争タカ派にとっては過激すぎるとみなされるからだ。

核廃絶論者は、このようなカテゴリーの崩壊に不釣り合いに苦しんでいる。私の考えでは、核廃絶は奴隷制度廃止の伝統に根ざしている。反核のパラダイムの中で最も急進的なものであり、他の形態の廃絶運動や社会正義の組織化と最も密接に関連するものである。

核兵器廃絶が、軍備管理や軍縮という狭い、しかし依然として重要なパラダイムと一緒にされると、運動を横断的に結びつける力を失い、例えばレイ・アチソンやエマ・パイクのような活動家や、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)のような組織が、反核兵器活動の範囲を広げようとする努力を妨げてしまう。

軍縮と廃絶の明確な区別は、廃絶運動家の活動をより明確にし、より先見性のある組織作りを可能にするために必要である。

軍縮を超えて

核軍縮の枠組みは、あらゆる種類の核兵器を廃絶し、どの国も密かに核兵器を再建しようとしないことを確認するための監視と検証の保障措置を確立することを目指すものである。一方、核兵器廃絶の枠組みは、核兵器を廃絶するという大胆ながらも狭い目標を超えて、核兵器を支える抑圧的なシステムを覆すことを目指している。

核兵器廃絶論者は、核兵器が白人至上主義、資本主義、家父長制などの抑圧的なシステムと関連しており、それらが地球上の生命を犠牲にして互いを強化し合っていること、そしてそれらがすべて集団的な個人の行動の産物であることを理解している。核兵器廃絶は、自己変革と社会の体系的変革の両方を求めている。

核廃絶の枠組みは、症状だけでなく、問題の根源に対処しようとするものである。例えば、奴隷制度が廃止されたのは、廃止論者がより公平な未来が可能であることを世界に示すために、たゆまぬ闘いを続けたからである。問題の根源は、単に人を奴隷にすることが悪いということではなく、人々が黒人の命を人間としてではなく、むしろ資本として評価していたことにあった。

Slave Trade (1650-1860)/ Slavery site
Slave Trade (1650-1860)/ Slavery site

核軍縮運動の主流が冷戦時代に成功を収めたのは、核の脅威が日常生活の中に存在していたからだけではなく、核兵器廃絶論者が核兵器を人種や植民地主義、その他の社会正義の問題と結びつけて、廃絶への支持をより広く集めるために熱心に取り組んだからである。

初期の頃、核兵器廃絶を最も声高に主張したのは黒人たちであった。彼らは、核兵器は人種差別的、家父長制的、資本主義的な抑圧体制を強化するものでしかなく、廃絶を達成する最善の方法は、これらの体制に対する闘いを結びつけることによって、人々の力を結集することだと主張した。

Photo: Dr Martin Luther King, Jr., speaking against the Vietnam War, St. Paul Campus, the University of Minnesota in St. Paul, April 27, 1967. CC BY-SA 2.0. Wikimedia Commons
Photo: Dr Martin Luther King, Jr., speaking against the Vietnam War, St. Paul Campus, the University of Minnesota in St. Paul, April 27, 1967. CC BY-SA 2.0. Wikimedia Commons

マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師、コレッタ・スコット・キング、マルコムX、ラングストン・ヒューズ、W・E・B・デュボア、ポール・ロビーソン、エルナ・P・ハリスなどのリーダーたちは、一貫して核兵器、人種差別、植民地主義の相互関係を論じ、これらの兵器がいかに白人至上主義体制を強化しているかを強調した。

これらのリーダーの中には、他の社会正義運動に反核の旗を掲げるように促した者もいた。コレッタ・スコット・キングは、いくつかのフェミニストグループと緊密に協力した。ポール・ロブソンは労働運動と連携した。ハリー・ベラフォンテはエンターテイナーやアーティストを動員した。

しかし、これらの声は権力者だけでなく白人活動家らによっても効果的に平和運動の周縁に追いやられ、あるいは完全に沈黙させられた。黒人解放運動は、当時の公民権運動やその他の著名な社会正義運動と反核活動を結びつけることで大きな支持を集めていた。

この運動は、1940年代後半から50年代にかけて、核軍縮と平和を共産主義と同一視することに焦点を当てた政治家、ビジネスリーダー、軍事知識人たちから攻撃を受けるようになり、ハリー・S・トルーマン大統領もこれを支持した。

マッカーシズムを特徴とする共産主義者狩りは、黒人活動家に平和運動との関係を断ち、国内の市民権運動に専念するよう圧力をかけた。共産主義の烙印を押され、政府からの罰やコミュニティからの排斥を避けるために、多くの黒人活動家がこれに応じた。

Photo: William Edward Burghardt Du Bois/ Public Domain.

しかしW.E.B.デュボイスのような反共十字軍に屈しなかった人々は、標的にされ、中傷され、攻撃された。デュボイスがストックホルム平和イニシアチブのキャンペーンを主導したとき、彼は外国代理人として登録しなかったという理由で起訴・逮捕され、米国の連邦裁判所に喚問された。

デュボイスは根拠のない容疑で最終的に無罪となったが、米国政府は彼を標的にし続けた。彼のパスポートは取り消され、再発行されたが、その時点で彼は独立したばかりのガーナに移住した。パスポートの有効期限が切れると、米国政府は更新を拒否し、デュボイスは事実上アメリカ市民権を剥奪され、1963年に亡くなるまでガーナ市民となることを余儀なくされた。

反共産主義運動の影響は、それが収束した後も長く続いた。多くの黒人解放運動は、平和運動との関係を断ち、細心の注意を払うことを好んだ。全国有色人向上協会(NAACP)の指導者たちはこの陣営に属し、マーティン・ルーサー・キング・ジュニア牧師が痛烈な反戦演説を行い、その中で米国を「今日、世界で最も暴力を振るっている国」とレッテルを貼った後、1967年に「アフリカ系アメリカ人が平和活動に関与するべきではない」とする決議を採択した。

キング牧師の演説からわずか5日後に出されたこの決議は、NAACPがアフリカ系アメリカ人はいかなる平和活動にも参加すべきではないと考えていることを明確にした: 「公民権運動を平和運動と統合しようとするいかなる試みも……私たちの判断では、重大な戦術的誤りであり、公民権の大義にも平和の大義にも役立たないだろう。」と述べている。

外部からの圧力や敵意が十分でなかったとしても、平和運動の中で活動しようとする黒人活動家たちは、黒人が指導的地位に就くことを望まない白人活動家たちの反対にしばしば直面した。1982年にニューヨークで開催された歴史的な軍縮集会で、黒人活動家やその他の有色人種が、集会を計画する連合に代表を要求するほどの圧力をかけることができたのは、このときが初めてだった。

軍縮パラダイムの復活

冷戦時代に黒人の核廃絶運動家が標的にされ、弾圧されたことは、強力な核廃絶運動の創出を妨げることに大きく貢献した。その結果、核廃絶論者は軍縮のテーブルにつくために闘うか、戦いを放棄するかの選択を余儀なくされた。今日、核廃絶論者は同じような厳しい選択に直面している。核廃絶が独自のパラダイムなのか、それとも軍縮の単なるサブセットなのか、混乱が続いている。

しかし、核廃絶のパラダイムが今日繁栄できる理由は十分にある。それを可能にすることが核兵器に対する闘争にとって大きな利益となるだろう。核兵器廃絶論者のインターセクショナルな(=核兵器廃絶の運動を進めるにあたり、単に核兵器そのものの問題に取り組むだけでなく、核兵器が人種差別、性差別、経済的不平等などの他の社会的な抑圧システムとどのように関連しているかを考慮し、それらの問題を結びつけて包括的に取り組むような)アプローチは、広範な公衆とつながり、反核運動に参加するように動機づけるのに適している。

Future Action Festival convened at Tokyo's National Stadium on March 24, drawing approximately 66,000 attedees. Photo: Yukie Asagiri, INPS Japan.
未来アクションフェスが3月24日、東京の国立競技場で開催され、約66,000人が来場した。このイベントは、2024年9月に開催される国連の未来サミットを前に、核廃絶の重要性と気候危機の危険性を認識することの重要性に焦点を当てたものである。 Photo: Yukie Asagiri, INPS Japan.

核兵器廃絶論者はまた、核兵器が自分たちが闘っている抑圧のシステムにどのように適合しているかを理解し、反核闘争に参加するための連帯と専門知識を必要としている社会正義運動に対しても、信頼できる発言をすることができる。

冷戦時代に核軍縮運動が前進できたのは、7万発を超える核兵器の世界的な在庫が過剰であり、核軍拡競争のリスクが利益をはるかに上回ると人々が理解していたからである。また核実験による健康への影響も、当時無視できないほど大きくなっていた。

しかし今日、軍縮の枠組みは、大衆的な反核運動を動員し維持するには十分ではない。核兵器は社会に深く根付いており、人々は気候変動など他の存亡の危機に気を取られている。核兵器の脅威がなぜそれほど重要なのか、より広範な分析を提供することなしに、核兵器廃絶を優先するよう人々を説得することは不可能に近い。

核廃絶運動は、核兵器の廃絶が他の抑圧的なシステムの解体にどのように役立つかを強調することを可能にする。核兵器廃絶の枠組みは、核の脅威を抑制し、完全に根絶するための他のすべての活動を否定したり、排除したりするものではない。それどころか、私たちの住む世界を根本的に変革しようとする軍備管理・軍縮政策を策定し、推進することを求めるものである。そしてその先には、①支配や暴力よりも、共同体としての配慮や協力が優先される世界、②説明責任、癒し、変革的正義の確固たるシステムが存在する世界、③先住民や影響を受けたコミュニティが、地球を飢えさせるのではなく、地球を養う適応的で持続可能なシステムを構築し、維持する努力を主導する世界の創出を目指している。

UN Photo
UN Photo

そのような取り組みのひとつが、放射線被ばく補償法の延長と拡大を求めるキャンペーンである。この法律は1990年に施行され、米国の核実験によって被害を受けた一部の人々に金銭的補償を提供した。このプログラムは今月初めに期限切れとなったが、より強固な立法を求める闘いはまだ終わっていない。

The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras
The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras

より多くの補償と癒しの機会を求めるキャンペーンは、変革的正義を目指す取り組みの一例である。この取り組みが加害者(この場合は米国政府)に求めているのは、国家安全保障の名の下に行われた被害を認め、その被害を是正するための具体的な行動である。

補償プログラムの範囲と資金は限られていたが、より公平で、公正で、持続可能で、思いやりのある、豊かな世界を構築するための有意義な行動の具体例であった。

核兵器廃絶のみに根ざしたアドボカシー戦略は、必ず失敗する。より広範な制度的変革なくして、反核運動は核兵器の影響を受けている個人や地域社会(黒人、褐色人種、先住民族が不釣り合いに多い地域社会)、そしてこれらの地域社会が求めている社会変革に効果的に関与することはできない。(原文へ

ジャスミン・オーウェンズは核兵器廃絶主義者、作家、教育者。ミドルベリー国際研究所で不拡散とテロ研究の修士号を取得し、Win Without War、Physicians for Social Responsibility、Outrider Foundation、Council on Strategic Risks、ローレンス・リバモア国立研究所、ジェームス・マーティン不拡散研究センター、ReThink Mediaで勤務した経験がある。

Bulletin of the Atomic Scientists

関連記事:

|視点|「人種差別・経済的搾取・戦争」という害悪根絶を訴えたキング牧師の呼びかけを実行に移すとき(アリス・スレイター「核時代平和財団」ニューヨーク事務所長)

|アルジェリア|フランスによる核実験: 植民地主義を続ける核兵器

|視点|核兵器のない世界へ 行動の連帯を」(池田大作創価学会インタナショナル会長)

ソチミルコの生態系保全に欠かせないメキシコサンショウウオ

近年、メキシコサンショウウオ(日本では1980年代にカップ焼きそばのCMで「ウーパールーパー」の愛称で取り上げられ一世風靡したことがある:INPSJ)は、メキシコシティの住民の間で非常に人気が高まり、地域の象徴となり、メキシコの首都南部の生態系保全に重要な役割を果たしている。

【メキシコシティーINPS Japan=ギレルモ・アラヤ・アラニス】

写真:Guillermo Ayala Alanis.

メキシコ盆地に生息するこの両生類は、体長30センチで、微笑んでいるように見える親しみやすい外見をしている。メキシコシティ南部に位置し、アステカ時代以来の伝統と景観を今も色濃く残すソチミルコ湖水地域の生態系保全にとって、地元住民と自然環境を結びつける重要なリンクとなっている。

近年、メキシコサンショウウオはメキシコシティのシンボルとして、いたるところで目にするようになった。都市アートの一部として壁画に描かれたり、50ペソ紙幣の絵柄として登場したり、大学や研究センターでも生物学的および社会的側面が研究されたりしている。ホセ・アントニオ・オカンポ・セルバンテス博士(メキシコ国立自治大学ソチミルコ校(UAM-X)生物学・養殖研究プロジェクト責任者)は、メキシコサンショウウオは、動植物の生息地であり首都メキシコシティの「肺」の役割を果たしているソチミルコ湖水地域の自然環境を保全するうえで、非常に重要な位置を占める動物となっていると語った。

壁画に描かれたメキシコサンショウウオ。写真:Guillermo Ayala Alanis.
壁画に描かれたメキシコサンショウウオ。写真:Guillermo Ayala Alanis.

「この動物を、ソチミルコの生態系を保全するシンボルとして活用し、人々がメキシコサンショウウオに対して抱く感情を利用して、『私たちがメキシコサンショウウオが好きなら、絶滅の危機から救わないといけないが、そのためにはこの種が依存する生態系全体も保全しなければない。』と訴えるべきです。この小動物は、ちょうど水生系と陸生系動物の中間に位置する種です。」と、セルバンテス博士は語った。

2017年以来、オカンポ博士はメキシコ国立自治大学ソチミルコ校クエマンコ生物・養殖研究センター(CIBAC)の責任者を務めている。このセンターは、多くの運河が点在するソチミルコ自然保護区域の中心に位置し、研究のみならず、大学生たちに対する教育にも力を入れている。また、この地域には、メキシコサンショウウオだけでなく、鳥類、げっ歯類、魚類も生息しているため、メキシコシティにとって生態学的価値の高いこの象徴的な地域の保全と社会への普及を活動の目的に掲げている。

Dr. José Antonio Ocampo Cervantes, Head of the Cuemanco Biological and Aquaculture Research Project, UAM-X. Photo credit: Guillermo Ayala Alanis.
Dr. José Antonio Ocampo Cervantes, Head of the Cuemanco Biological and Aquaculture Research Project, UAM-X. Photo credit: Guillermo Ayala Alanis.

オカンポ博士は、INPSニュースの取材に対して、「市民と自然とのつながりについて啓蒙する活動の一環として、CIBACは学校やあらゆる年齢層の社会的弱者を対象としたガイド付き訪問を企画しており、訪問者はメキシコサンショウウオとその生態に驚いています。」と語った。 「幼稚園児から大学院生まで、またホームレスの子供たちなど社会的弱者のグループも訪れています。彼らが最初に口にするのは、こんな場所があるなんて想像もできなかった、首都圏の一部とは思えない、騒音も聞こえないし、鳥のさえずりが聞こえます。」

1998年にメキシコ国立自治大学(UNAM)生物学研究所によって報告された調査によると、ソチミルコ湖には1㎢あたり6000匹のメキシコサンショウウオが生息していたが、2014年の調査では、生息地の汚染により、1㎢あたり35匹しか生息していなかった。 生態系への外来種の侵入や住宅開発などによる運河などの埋め立てを背景とした生息地の縮小により、野生の標本が少なくなっているため、飼育下でオリジナルの標本を保存することが重要となっている。

飼育下では、ピンクや白といった淡い色の品種も繁殖しているが、CIBACでは、元は黒く頭の後ろにエラがあり、常に幼生の形態を残したまま性成熟する(変態しないことから自然界のピーターパンと呼ばれる)この不思議な生物の生態を研究し保存している。

ソチミルコ(ナワトル語で「花の野の土地」)は現在のメキシコシティを構成するメキシコ盆地南部に広がる平地で、運河が非常に多いことで知られる。これらの運河は古代にメキシコ盆地に広がっていた湖の一つソチミルコ湖の名残である。この地域は、トラヒネラと呼ばれる小舟が行き交い、チナンパ(沼の上に浮かぶ農地)が浮かぶ運河網の景観や文化などアステカ以来の伝統を色濃く残す町である。写真: Guillermo Ayala Alanis.
ソチミルコ(ナワトル語で「花の野の土地」)は現在のメキシコシティを構成するメキシコ盆地南部に広がる平地で、運河が非常に多いことで知られる。これらの運河は古代にメキシコ盆地に広がっていた湖の一つソチミルコ湖の名残である。この地域は、トラヒネラと呼ばれる小舟が行き交い、チナンパ(沼の上に浮かぶ農地)が浮かぶ運河網の景観や文化などアステカ以来の伝統を色濃く残す町である。写真: Guillermo Ayala Alanis.
Axolotls at CIBAC, UAM-X. 写真:Guillermo Ayala Alanis
Axolotls at CIBAC, UAM-X. 写真:Guillermo Ayala Alanis

また、メキシコサンショウウオは、四肢だけでなく脊椎や心臓なども再生可能であることから、再生医療の研究で注目されている。部分的に再生できる生物は他にもいるが、年齢を問わず元の器官と同等の器官を再生する点でこの種は異なる特徴を示している。

2018年、『ネイチャー』誌は「メキシコサンショウウオのゲノムと主要組織形成制御因子の進化」という論文を発表し、メキシコサンショウウオには3200万塩基対のDNAがあり、これはヒトゲノムの10倍の長さであり、シダ植物の一種であるツメシプテリス・オブランセオレイトに次いで世界で2番目に長いゲノムであることが判明した。

観光地に描かれたメキシコサンショウウオ。メキシコでは2月1日がこの不思議な生物のナショナルデーに指定している。写真:Guillermo Ayala Alanis
観光地に描かれたメキシコサンショウウオ。メキシコでは2月1日がこの不思議な生物のナショナルデーに指定している。写真:Guillermo Ayala Alanis

CIBACでは、メキシコサンショウウオの研究に加えて、農薬や工業製品を使わないトマトやキュウリなどの植物や野菜の栽培研究も行っている。

さらに、メキシコ盆地固有種の保護と保全の研究も行われている。その中にはオオカバマダラやレプトフォビア・アリパといった鳥や蝶も含まれ、バタフライ・ガーデンで研究、世話、監視が行われている。

メキシコサンショウウオとソチミルコのコミュニティとのつながりは、CIBAC付近の運河をトラヒネラ(ソチミルコを象徴する伝統的な小舟)が行き交う観光エリアでも見ることができる。この地域の住民は、メキシコサンショウウオがソチミルコの生態系に不可欠な生き物であり、国際的に知られた存在であることを理解し、観光振興に絵画やトラヒネラと共にサンショウウオのイメージを取り入れている。

2018年、メキシコ上院は、生態系や国の文化的アイデンティティにおけるこの謎めいた両生類の重要性を強調する目的で、2月1日をメキシコサンショウウオのナショナルデーと宣言した。(原文へ

INPS Japan

This article is brought to you by INPS Japan in partnership with Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

関連記事:

|インド|魚を使ってマラリア対策

|新型コロナウィルス|生物多様性と野生動物の保護につながる可能性も

『核兵器と爆発』、複雑なテーマをわかりやすく解説する書籍

ロシア、中国、北朝鮮の新たな接近は韓国に核武装を強いるのか?

【国連IPS=タリフ・ディーン】

ロシアのウラジーミル・プーチン大統領と北朝鮮の金正恩労働党総書記が先月、2つの核保有国間で冷戦時代の相互防衛の誓約を復活させる協定に署名したとき、その影には第3の核保有国の暗黙の支持もあった: 中国である。

日本と韓国に恐怖心を抱かせたこの新たな核同盟は、ロシアが持つ人工衛星やミサイル技術に関する知識を北朝鮮と共有する可能性を保証するものだ。

この新協定は、ロシア、中国、北朝鮮と、米国、日本、韓国の間の深い分裂をもたらした。

しかし、一つの疑問が残る:これらの新たな展開は、少なくとも近い将来、韓国を核武装させ、世界の9つの核保有国(米国、英国、フランス、ロシア、中国、インド、パキスタン、イスラエル、北朝鮮)に加えることになるのだろうか?

ニューヨーク・タイムズ紙は、世宗研究所の朝鮮半島戦略センターの鄭成長(チョン・ソンジャン)所長の言葉を引用し、「韓国は、北朝鮮の核の脅威に対抗するために、米国の核の傘にほぼ全面的に依存している現在の安全保障政策を根本的に見直す時期に来ている。」と報じた。

また、タイムズ紙は、北朝鮮の中央通信の報道を引用し、プーチン大統領と金総書記は、一方の国が戦争状態に陥った場合、他方の国が 「遅滞なく、保有するあらゆる手段で軍事その他の援助を提供する 」ことで合意したと伝えた。

Addressing the UN General Assembly, Ambassador Kim Song of North Korea said nuclear weapons are stockpiled in many countries, including the U.S., yet Pyongyang is the only one facing sanctions: Credit: UN Photo/Evan Schneider

「ワールド・ビヨンド・ウォー」と「宇宙の兵器利用と原子力に反対するグローバルネットワーク」の理事を務めるアリス・スレイター氏は、IPSの取材に対して、「ロシアがこの時期に北朝鮮や中国と同盟を結んでいるという事実は、米外交が失敗した結果であり、米国の軍産議会メディア学術シンクタンク複合体(MICIMATT)が、87カ国にある800の米軍基地を超えて米国の影響力を拡大しようとしている結果です。」と語った。

「米国は今、太平洋地域に最近設立した基地で中国を取り囲み、オーストラリア、英国と新しい軍事同盟であるAUKUSを形成しています。…さらに米国は、リチャード・ニクソン大統領とヘンリー・キッシンジャー国務長官が1972年に中国の共産党政権を承認し、(国共内戦に敗れて大陸から逃れた国民党政権が樹立した)台湾の将来問題については中立を保つと約束したにもかかわらず、台湾の武装を支援しています。」と核時代平和財団の国連NGO代表でもあるスレーター氏は語った。

7月12日のAP通信の報道によれば、米国と韓国は初めて共同核抑止ガイドラインに署名した。これは、「北朝鮮の進化する核の脅威に対する対応能力を向上させるための基本的でありながら重要な一歩」である。

ワシントンで開催されたNATO首脳会議に合わせて会談したジョー・バイデン米大統領と尹錫悦韓国大統領は、両国の同盟が共同核協議グループを発足させてから1年、「驚異的な進展」を遂げたと評価した。

AP通信によれば、米韓両国は昨年、核作戦に関する意思疎通を強化し、様々な有事において米軍の核兵器と韓国の通常兵器をどのように統合するかを議論するために、この協議機関を発足させたという。

一方、核兵器廃絶のための世界的ネットワークであるアボリション2000は、7月30日にジュネーブで 「3+3モデル非核地帯による北東アジアの非核化」と題するセミナーを開催する。

北東アジアで活動する核保有国や同盟国(中国、日本、北朝鮮、ロシア、韓国、米国)の緊張、未解決の紛争、核兵器政策は、この地域における武力紛争や核戦争のリスクを高めている、とAbolition 2000は指摘している。

「これらの国のいずれか一国による一方的な軍縮は、他の国々が強力な核抑止政策を続ける限り、ほとんどありえない。必要なのは、すべての国の安全を維持する地域的な核軍縮アプローチである。」と述べている。

北東アジア非核兵器地帯のための3+3モデルは、この地帯の領土である3カ国(日本、北朝鮮、韓国)が、中国、ロシア、米国から核兵器による脅威を受けないという信頼できる強制力のある安全保障を得る見返りに、核兵器への依存を相互に放棄するという合意を想定している。

この合意は、朝鮮戦争を正式に終結させるための、より包括的な平和協定の一部を提供するものである。

この提案は、日本、韓国、米国の学者、議員、市民団体の間で真剣に議論されている。7月30日のジュネーブ会議は、NPT準備委員会の代表団を含めて議論を広げることを目的としている。

米国国務省のマシュー・ミラー報道官は7月22日、北朝鮮による核の脅威の高まりについて質問され、次のように答えた。「この状況に対処するためには外交を優先したい旨を何度も表明してきましたが、北朝鮮はそのような意向を全く示していません。」と語った。

ロシアが北朝鮮と中国に接近する結果についての質問に答えて、アントニー・ブリンケン米国務長官は、 「二つのことが見られます。ウクライナ戦争の結果としていくらか加速したかもしれませんが、それが長い間進行中だったことです。しかし、それ以外にも驚くべきことが起きています。」と語った。

「私たちは大西洋と太平洋全域、そして大西洋と太平洋の間でも協力体制を構築しました。ですから、私たちのチームと協力している国々は、ロシアがこれまで作り上げてきたものよりも優れています。…この先には、すでに多くの歪みが生じています。 ロシアと密接に協力し、ウクライナでの戦争の永続化に手を貸すことは、どの国にとっても評判を低下させることになるでしょう。」

「だから、私は中国が現在の立場に非常に不快感を抱いていると思いますが、現時点では、中国が北朝鮮やイランとは異なり、武器ではなく、ロシアの防衛産業基盤へ資材を提供しているという課題があります。」とブリンケン国務長官は語った。

ブリンケン国務長官は、「ロシアが輸入している工作機械の70%と マイクロエレクトロニクスの90%は中国から輸入されている。」と指摘したうえで、「これらがロシアの防衛産業基盤に入り、ミサイルや戦車、その他の兵器になっているのです。」と語った。

「私たちはその点で中国を非難し、中国企業に制裁を課しました。しかし、重要なのは、他の多くの国々も同様に行動したことです。そして、数週間前に欧州でもそのような動きが見られました。中国は二枚舌を使うことはできません。ウクライナでの平和を支持すると言いながら、一方でロシアによる戦争の追求を助長することはできないのです。」

「中国は、欧州の安全保障にとって冷戦後最大の脅威を助長しているときに、欧州との関係改善を望んでいるとは言えないのです。」とブリンケン国務長官は断言した。(原文へ

INPS Japan/IPS UN Bureau Report

This article is brought to you by IPS Noram, in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

関連記事:

AUKUSの原子力潜水艦協定 ―― 核不拡散の観点から

|国際フォーラム|北東アジア非核化と経済開発への新たなアプローチを呼びかけ

北朝鮮の核危機を打開する道はある

|中国|教会と国家: 北京の三つの大聖堂で迎える復活祭

フォトエッセイ:国家の監視を受け入れることと、恐れずに信仰を告白することの間には、超現実的なバランスが存在する。

【National Catholic Register/INPS Japan北京=ヴィクトル・ガエタン】

編集部注:中国本土には推定1000万~1200万人のカトリック信者がおり、20の大司教区と97の教区を含む、バチカン公認の147の教会管区に広がっている。近年、中国共産党によるカトリック礼拝の監視と統制が強まっている。この統制キャンペーンは、米国際宗教自由委員会の2024年次報告書に掲載されたのをはじめ、多くの人権専門家から信教の自由の侵害として批判されている。4月に北京を訪れた際、レジスター寄稿者のヴィクトル・ガエタンは、信者が復活祭を祝う中国の首都にある政府登録のカトリック教会をいくつか訪問することにした。これは彼のレポートである。

日本への調査旅行を計画しているとき、アメリカ人が「別の国への乗り継ぎ」の間、ビザなしで6日間144時間まで中国を訪問できることを知った。いくつかの条件(目的地行きの航空券を持っていること、「入国港」(北京はこの政策が適用される20都市のうちの1つ)から離れないこと、滞在先を報告しなければならないこと)があるが、それは東京に行く途中で中国のカトリック教会を訪問する絶好の機会であることを意味した。

こうして、私は北京の三つの大聖堂で復活祭のミサを捧げることになった。中国の教会について何年も読み書きしてきが、中国のキリスト教徒の兄弟姉妹と共に礼拝する恩寵については何の準備もしていなかった。

私が訪れた教会は、老若男女を問わず、多くの子どもたち(全部で数千人)で満員だった。彼らは献身的に歌い、祈っていた。制服警官に撮影され、教会の敷地に入るには金属探知機を通らなければならない。しかし誰も抵抗しなかったし、監視の目を避けるために立ち去る人も見なかった。これは信仰の肯定ではなかろうか。

国家の監視を受け入れることと、恐れずに信仰を告白することの間には、超現実的なバランスが存在する。「それなら、カエサルのものはカエサルに、神のものは神に返しなさい」というマタイによる福音書第22章(イエス・キリストの言葉で、宗教的な義務と世俗的な義務を区別することを意味する)を思い出した。信者たちは、国家の存在を素直に受け入れているように見える。彼らがミサへ全身全霊で参加している光景は、特に感動的な礼拝の体験となった。

中国人以外の参加者はほとんどいなかったが、私が参加していてもほとんど注目されることはなかった。救世主大聖堂(北堂)李山大司教の写真を撮ろうとしたら、案内係に制止された。彼は私の携帯電話を預かり、代わりに写真を撮ってくれることになった!案内係の説明によると、外国人は通常、英語やその他の言語で行われる礼拝に参加するとのことだった。


マテオ・リッチ神父(中国名は利瑪竇)は1583年に中国に到着し、中国で布教した最初のイエズス会宣教師の一人となった。リッチ神父の銅像は南教会の敷地の入り口に立っている。リッチ神父は1605年から1610年に亡くなるまで、明朝の万暦帝の宮廷に顧問として仕えた。
マテオ・リッチの肖像 出典: Wikimedia Commons

ミサの後、教会の中庭は社交の場となり、聖人像の前で祈りを捧げたり、修道女が管理する折りたたみ式のテーブルで聖具を購入したり、信者のパフォーマンスで活気づいていた。そのころには、警察はほとんど撤退していた。各教会では1日に数回のミサが行われている。祭壇には5、6人の司祭と2人の助祭がいた。

以下の写真は、ほとんどが迅速かつ控えめに撮られたものだが、中国の健全で信仰深いカトリック共同体が、神の都にしっかりと目を向けていることを示している。復活祭の前夜祭のために、私は聖母無原罪聖堂(南堂)、北堂、聖母カルメル山教会(西堂)として地元で知られる三つの歴史的なカトリック大聖堂を訪れた。その夜、三つの教会で267人の新しい信者が信仰に加わった。

復活祭当日は、信者と交流しやすい南堂を再び訪れた。ある若い案内係が、彼女が空港のエンジニアであると教えてくれた。「私はイエスを愛しているので、できるだけ教会に来るようにしています。カトリックの司祭たちはずっと以前にこの地に聖書をもたらしました。中国本土には、訪れる価値のある美しい教会や巡礼地がたくさんあります。」と彼女は語った。(原文へ

教会の修理のため、教会の修理のため、聖金曜日の十字架の道行きは教会の中庭に移されました。幅広い年齢層の人々が参加した。「十字架の道行き」は、イエス・キリストが十字架を背負ってゴルゴタの丘へと歩んだ苦難の道を追体験するカトリックの宗教儀式。信者たちは、教会やその敷地内に設置された14の「ステーション」(各ステーションはキリストの受難の特定の場面を表している)を順に訪れ、祈りを捧げる。(写真: 提供写真)
教会の修理のため、教会の修理のため、聖金曜日の十字架の道行きは教会の中庭に移されました。幅広い年齢層の人々が参加した。「十字架の道行き」は、イエス・キリストが十字架を背負ってゴルゴタの丘へと歩んだ苦難の道を追体験するカトリックの宗教儀式。信者たちは、教会やその敷地内に設置された14の「ステーション」(各ステーションはキリストの受難の特定の場面を表している)を順に訪れ、祈りを捧げる。(写真: 提供写真)
聖金曜日の行列が終わった後も、教会の小冊子を手に十字架の道行きを続けて祈る信者たち。(写真: 提供写真)
南堂で、聖金曜日に信徒たちが交代で十字架を担う感覚を試している。(写真: 提供写真)
文化大革命中の1966年から79年まで閉鎖されていた聖母無原罪聖堂(南堂)の外で、復活祭のろうそく(パスカルのろうそく)に火が灯される。このろうそくは、キリストの復活を象徴し、復活祭前夜の礼拝で新たに火を灯されることが特徴。イエス・キリストが世界の光であることを示すシンボルとして、教会の中で重要な儀式の一部として用いられている。(写真:提供写真)。
復活節のミサは南教会で、キリストの光を暗い身廊(教会の正面玄関から祭壇まで続く主要な通路)に運ぶ行列から始まる。
北堂として知られる救世主大聖堂は、2007年に42歳で任命された北京の大司教ヨゼフ李山が、バチカンと中国政府の承認を得て座す場所である(写真:提供写真)。
警察はミサに参加する信者に金属探知機の通過を義務づけているが、教会への通路はラッパを鳴らす天使によって照らされている(写真:提供写真)。
最近改装された聖堂で、立ち見の聴衆を前に説教する李山大司教(写真:提供写真)
教会の祭壇が見えない側の翼廊部分も人でいっぱい。(写真:提供写真)
プロパガンダ・フィデ修道会が派遣したイタリア人ラザリスト宣教師によって設立された北京の聖母カルメル山教会(西堂)では、警察と金属探知機が多くの信者を出迎えている。この教会は1723年に建てられ、イエズス会以外では中国初の教会建築物である(写真:提供写真)。
カトリックの中でも特に活気のある聖母カルメル山教会前の庭では、ペイントされた卵(賞味期限切れの本物)や永久保存版のお土産の卵、それに西教会のイメージで飾られたロザリオやトートバッグが売られている(写真:提供写真)。
西堂の信徒は生き生きとしている(写真:提供写真)
西堂で復活祭の前夜祭のミサに臨む信徒の上着には、福音のメッセージがまとめられている。
2024年4月30日、復活祭の前夜祭で信者を祝福する熱心な司祭。
「復活祭前夜、西堂で誰かの背中に書かれていたもう一つの関連メッセージ:『私たちの意志は要塞のように団結している。』」
復活祭前夜のミサで、西堂の司祭が教会の後方に到達し熱心に祝福を行っている。(写真:提供写真)
復活祭前夜のミサの後、教会の外で聖人の前で静かに祈る信者たち。
復活祭のミサでは、35人ほどの子どもたちが白いケープ姿で目立つ。彼らは聖体拝領をしているのだろうか?それとも祭壇奉仕者なのか?地元関係者の説明はまちまちだった。
古い石は跪くには痛いが、老いも若きも跪く(写真:提供写真)
2024年4月31日、南堂で復活祭のミサが終わり、行列する李山大主教(写真:提供写真)
2024年3月31日日曜日、復活祭のミサの後、壷から聖水を集める信者たち。

National Catholic Register/INPS Japan

Original Article: https://www.ncregister.com/news/easter-in-china-state-monitoring

Victor Gaetan
Victor Gaetan

ヴィクトル・ガエタンはナショナル・カトリック・レジスター紙のシニア国際特派員であり、アジア、欧州、ラテンアメリカ、中東で執筆しており、口が堅いことで有名なバチカン外交団との豊富な接触経験を持つ。一般には公開されていないバチカン秘密公文書館で貴重な見識を集めた。外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』誌やカトリック・ニュース・サービス等に寄稿。2024年4月、IPS Japanの浅霧理事長と共に長崎を取材訪問。INPS Japanではナショナル・カトリック・レジスター紙の許可を得て日本語版の配信を担当した(With permission from the National Catholic Register)」。

*ナショナル・カトリック・レジスター紙は、米国で最も歴史があるカトリック系週刊誌(1927年創立)

関連記事:

歴史的殉教地ナガサキ:隠れキリシタンから原爆投下まで

|視点|日本と米国のカトリック教会が協力して核廃絶めざす(ドリュー・クリスチャンセンジョージタウン大学名誉教授)

|バーレーン対話フォーラム|宗教指導者らが平和共存のための内省と行動を訴える

|アルジェリア|フランスによる核実験: 植民地主義を続ける核兵器

【ティンドゥフ/ロンドンLondon Post=アリ・アウイェシュ・ティンドゥフ、ラザ・サイード】

権力、恐怖、技術的偉業—これらは核兵器を象徴する言葉である。「抑止力と安全のための措置」として提示されることが多いが、その裏には政治的支配と植民地的野心が深層に隠されている。

その最も顕著な例の一つが、かつての宗主国であるフランスがアルジェリアで行った一連の核実験だ。これらの実験は単なる「科学実験」ではなく、植民地の抑圧を継続させ、環境破壊を引き起こし、地元住民に長期的な健康被害をもたらす行為であった。

核実験の歴史:何があったのか?

1960年から66年にかけて、フランスは19世紀に植民地化したアルジェリアのサハラ砂漠で核実験を繰り返した。1962年にアルジェリアが独立を果たしたにもかかわらず、フランスはサハラ砂漠を核実験場として利用し続けた。この時期、大気圏内と地下の両方で合計17回の核実験が行われた。

1960年2月13日、フランスはサハラ砂漠の核実験場で初の原子爆弾による核実験(爆発力は当時世界最大の70キロトンに達し、長崎に投下された原爆の3倍以上の規模だった)を実施し、米ソ英に続いて4番目に「核クラブ」の仲間入りを果たした。

Image Credit:National Museum of Nuclear Science & History
フランスはアルジェリア戦争中の1960年2月13日、サハラ砂漠のアルジェリア中部で同国初の原子爆弾による核実験を行った。コードネームは「青いトビネズミ」であり、フランス国旗の色にちなんで第2回核実験は「白いトビネズミ」、第3回は「赤いトビネズミ」と名付けた。計17回実施されたアルジェリアでの核実験は、ソ連と米国の核実験再開の引き金となったとみられている。フランスは、さらに水爆実験カノープスを含む核実験を1966年から1996年にかけてフランス領ポリネシアの環礁で実施した。Image Credit:National Museum of Nuclear Science & History

植民地主義の関連性

アルジェリアを核実験場として選んだことは偶然ではなく、「支配と搾取」を核心とする植民地主義を反映したものだった。アルジェリアでの核実験は、同国国民の主権と福祉を無視した植民地主義の露骨な例である。

実験中および実験後、放射性降下物によって広大な地域が汚染され、地元のコミュニティはその危険性について知らされることも、保護されることもなかった。その結果、発ガン率の増加、遺伝子の突然変異、その他の深刻な健康問題が世代を超えて報告されている。

フランスは、これらの核実験をアルジェリア独立後も継続することで、フランスが依然として旧植民地に対して重要な権力を持っていることを誇示する狙いがあった。こうした行為は、植民地主義に内在する人種差別と非人間性を浮き彫りにしている。

核実験の結果に対処するための様々な条約や国際的な圧力にもかかわらず、フランスは被害の全貌を認めず、被害を受けた人々に十分な補償と修復を提供することも怠ってきた。このような責任回避の姿勢は、かつて植民地支配した国々が歴史的過ちを認め、是正することにしばしば抵抗する、植民地主義的な態度の延長線上にある。

Dr. Abdel Fattah Belaroussi

フランスの行為は「完全な戦争犯罪」

アルジェリアのアドラール大学の法学教授であるアブデル・ファタ・ベラルーシ博士は、「アルジェリア南西部アドラール県レガーヌ地域で行われた核実験は、国際法の下で「戦争犯罪」とみなすことができる。国際基準によれば、国際人道法で罰せられる人道に対する罪に該当します。」と、ロンドンポストの取材に対して語った。

ベラルーシ博士はさらに、「これらの核実験は人間と自然に害をもたらすもので、1946年12月11日に国連総会が国際法上の犯罪と確認した『ジェノサイド(大量虐殺)』とみなすことができる行為に相当する。」と説明した。

「モルモット」にされた市民たち

核実験場があったレガーヌ地域では、住民の間でガン、早産、奇形、知的障害、流産が報告され、実験場周辺から多くの自然植生や様々な種類の野生生物が広範囲にわたって消失した。

Ahmed Mizab, a security and strategic affairs expert.

安全保障と戦略問題の専門家であるアーメド・ミザブ氏は、レガーヌ核実験場での実験は、標的の絶滅を企図した核爆発の強度を測定するための実験過程であったとコメントした。

これらの実験は人間の生命、野生生物、環境全体に広範かつ取り返しのつかない被害をもたらした。これらは法の下での犯罪であり、国際条約や協定に違反している。フランスは核爆発に使用された地域の浄化を行わなかった。

核犯罪の影響は今も続いており、爆発地域の浄化と補償をフランス政府に求める強力な市民社会の行動が必要である。

被害者らはフランス政府を訴える権利があり、アルジェリア政府はそれを支援すべきである。

これらの実験による環境破壊は甚大である。すでに厳しい環境であるサハラ砂漠は、放射性汚染によりさらに過酷で人を寄せ付けないものとなった。

植民地化された地域の天然資源と環境が、現地の人々のことを考えずに搾取された環境破壊に対する説明責任は果たされていない。

フランスの新聞『ル・パリジャン』は2014年、フランス政府の秘密文書を引用し、同政府が従来伝えていたよりもはるかに広い地域がこれらの核実験によって影響を受けていたことを明らかにした。

Sid Amar Al-Hamel, one of the civil society actors in the Reggan region and a defender of the victims of nuclear explosions.

フランスの説明責任と行動に注目

レガーヌ地域の市民活動家の一人で、核実験の被害者の権利を擁護する活動をしているシド・アマール・アル=ハメル氏は、「フランスがこの地域で犯した罪は、今日でも目に見える深刻な被害を残しています。」と語った。

ハメル氏は、「核放射線の影響が自然に消えるまでの時間を計算すると、この地域はまだ災害の最初の数秒間にすぎません。」と強調した。

胎児の先天性奇形は現在も続いており、この地域に蔓延した病気に対する根本的な治療法がないため、多くの家族が障害児を抱えて生活することに困難を感じている。レガーヌの市民は、フランスが置き去りにした核廃棄物をいまだに発見し、それが引き起こすかもしれない危険に気づいていない。

ハメル氏は、「フランスは核実験場の消毒はおろか、実験対象となった機器を住宅地から撤去することさえしなかった。」と指摘した。

ハメル氏は、「核爆発の悪影響は特定の期間や地理的空間に限定されるものではないことから、金銭的補償の問題は、誰が補償を受ける権利を持つのかという問題に道を開くことになるだろう。」と語った。また、「レガーヌ地域の住民は今日、フランスに対してこの犯罪行為の責任を負うよう要求すると共に、癌や核放射線による様々な病気を治療するための専門医療施設を求めています。」と指摘した。

そしてハメル氏は、「フランスが行動を起こすべき時が来ています。それは、核爆発の存在を認め、その残留廃棄物を処理し、被害者を特定することです。」と語った。

次はどうするのか?

核兵器は単なる戦争の道具ではなく、歴史に根ざした権力の不均衡の象徴でもある。真の廃絶とは、単に核兵器を廃絶するだけでなく、それらの開発と実験の遺産に取り組みことである。

国際社会は核拡散防止においては進展を遂げてきたが、こうした取り組みに関する物語はしばしば植民地時代の歴史や社会から疎外されたコミュニティへの不釣り合いな影響をしばしば見過ごしてきた。

フランスと植民地(1919年から1939年)。Credit: By Rosss – Own work, CC BY-SA 3.0

世界が核軍縮に向かう中で、歴史的な不正義に対処し、植民地主義的搾取の遺産が忘れ去られないようにすることが極めて重要である。真の意味での核廃絶は、単に核兵器を廃絶することにとどまらず、過去の歴史を認識し、これらの大量破壊兵器によって最も悲惨な被害を受けた人々のために、正義と賠償への確固たるコミットメントが必要なのである。

TPNWの規定

The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras
The Treaty on the Prohibition of Nuclear Weapons, signed 20 September 2017 by 50 United Nations member states. Credit: UN Photo / Paulo Filgueiras

核兵器禁止条約(TPNW)の第1回締約国会議(1MSP)は、被害者支援と環境修復を優先するよう各国に求めている。

同条約は、各締約国が、国際人道法および人権基準に従って、核兵器の使用または実験によって被害を受けた個人に対して、医療、リハビリテーション、心理的支援を含む年齢および性別に配慮した援助を提供することを義務付けている。

さらに、各締約国に対して、自国の管轄または管理下にある核活動によって汚染された地域の環境修復(これには、汚染の除去や土地の再生が含まれる)に必要な措置を講じるよう義務付けている。そしてこれらの義務は、国際法や二国間協定のもとで、予断なく履行されなければならないとしている。

次回のTPNW締約国会議は、カザフスタンを議長国に2025年3月3日から7日までニューヨークの国連本部で開催される予定である。(原文へ

INPS Japan/London Times

This article is brought to you by London Post, in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

関連記事:

「グローバル・ヒバクシャ:核実験被害者の声を世界に届ける」(寺崎広嗣創価学会インタナショナル平和運動総局長インタビユー)

南太平洋諸国で核実験が世代を超えてもたらした影響

「私は生きぬく」ーカザフスタンの核実験被害者に関するドキュメンタリーを先行公開