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シエラレオネの新しい児童婚禁止法が称賛される

【フリータウン/ナイロビIPS=ジョイス・チンビ

シエラレオネの画期的な「児童婚禁止法2024」には、「いかなる者も児童と婚姻契約をしてはならない」と明記しており、児童婚を試みたり同意したりすることはもとより、児童婚を主催、出席、促進することや、それを目的とした児童に対する強制や不当な扱いを禁止している。

この法律は7月初め、シエラレオネのジュリアス・マーダ・ビオ大統領によって署名され、ファティマ・ビオ大統領夫人が主催した式典で披露された。ビオ大統領夫人が率いた「Hands Off Our Girls(私たちの少女らに手を出さないで)」キャンペーンがこの成果に大きく寄与した。

新法の成立により今後18歳未満の少女と結婚した男性は、15年の懲役刑、または約4,000米ドルの罰金、あるいはその両方を科される。

「Girls Not Brides(少女たちは花嫁ではない)」のシニア・リージョナル・エンゲージメントおよびアドボカシーオフィサーであるファトゥ・グエイ・ンディール氏は、IPSの取材に対して、新しい法律の有害な慣行を終わらせる力を強調し、「この新しい法律には、違反者に対する罰則の執行、被害者の保護、影響を受けた少女たちに対する教育や支援サービスへアクセスを確保するための条項も含まれています。」と語った。

「Girls Not Brides」は、児童婚の撲滅と少女たちが潜在能力を発揮できる社会を目指す1,400以上の市民社会組織のグローバルパートナーシップである。ファトゥ氏は、「新法はシエラレオネにおける児童婚や早期強制結婚との闘いに新たな息吹を吹き込みました。これは転機です。私たちは政府に対し、児童婚の犯罪化によって少女たちが保護され、悪影響を受けないようにするために不可欠な、被害を受けた少女たちへの支援サービスや教育へのアクセスを提供し続けることを求めます。」と語った。

この法律は非常に包括的で、児童婚を引き起こす陰謀や児童婚の幇助も禁止している。また児童との同棲、その企て、児童との同棲を引き起こす陰謀や幇助も禁止している。

Fatima Maada Bio, the First Lady of Sierra Leone, championed the legislation with her Hands Off Our Girls campaign. Credit: UN

UNICEFによれば、2020年だけで、18歳未満の少女のうち約80万人が結婚しており、シエラレオネの少女の3分の1を占めている。そのうち半数は15歳になる前に結婚している。15歳までに全児童の約9%、18歳までに約30%が結婚するほど、児童婚は蔓延している。

シエラレオネのNGOである「Women Against Violence and Exploitation in Society Sierra Leone(WAVES-SL)」のディレクターであるハンナ・ヤンバス氏は、子供の結婚を禁止する法律がない状況では、「すべての子供が学校に通う義務教育政策があっても、少女たちを教育システムに留めておくには不十分でした。学校内外を問わず、18歳になる前に結婚すべきと信じる民族やコミュニティが存在します。」と語った。

ヤンバス氏は、「少女たちは12歳で危険な領域に足を踏み入れ、多くの少女たちがその後、児童婚を余儀なくされ、それが生涯続くことになります。」と指摘したうえで、「法律それ自体では十分ではなく、特に2009年に制定された慣習上の結婚・離婚法では、親または保護者の同意があれば児童婚が認められており、結婚の最低年齢が定められていなかったため、新法の全項目について地域社会を啓発するための、草の根レベルの大規模な市民教育が緊急に求められています。」と語った。

ンディール氏は、「この法律を効果的に実施することで、教育、健康、女性の経済的地位向上において、大きな利益と前向きな結果がもたらされます。学校に長く通う少女は児童婚から守られるため、児童婚と教育は強く結びついているのです。さらに、少女は早期結婚や早期妊娠に中断が少なくなり、より良い成果を上げる可能性が高くなります。」と語った。

「児童婚は少女の妊娠につながるため、この法律は妊産婦死亡率や乳幼児死亡率の減少につながります。結婚や妊娠を遅らせることは、しばしば妊産婦や乳児の死亡率の上昇につながるあらゆる合併症を含め、早期出産に伴うリスクを大幅に低下させます。」とンディール氏は語った。

さらに、早期の児童婚を避けれた少女たちは、児童婚に伴う心理的なトラウマやストレスを経験する可能性が低く、精神的な健康状態の改善につながることも示している。

「より多くの少女たちが教育を修了すると、労働力に参加する教育を受けた女性の数が増え、経済成長と発展に貢献します。教育を受けた女性はより良い収入のある仕事に就く可能性が高く、家族の経済状況を向上させ、貧困水準を下げることができます。」とンディール氏は語った。

アフリカでは子どもの人口が急増しているため、児童婚を含むあらゆる有害な慣習をなくすための根本的な対策を必要としている。特に児童婚は、持続可能な開発にとって大きな障害となっている。世界で児童婚の割合が最も高い10カ国のうち6カ国が西アフリカと中央アフリカにあり、地域全体の平均的な有病率は依然として高く、少女の41%近くが18歳に達する前に結婚している。

シエラレオネの新法は、とりわけ「持続可能な開発目標2024年報告書」に照らして時宜を得たものである。この報告書は、SDGsの達成に向けた大きな進展を記録しているが、一方で進展が停滞している分野も示している。例えば、2030年までのジェンダー平等の達成に向けた取り組みは依然として遅れている。

有害な慣行は減少(25年前と比較して18歳未満で結婚する少女の割合は4分の1から5分の1に減少。この期間中に6800万件の児童婚が回避された。)しているものの、人口増加に追いついていないことが報告書で明らかになった。

報告書は、依然として多くの女性が自らの性的および生殖的健康に関する権利を実現できていないことに懸念を示している。女性に対する暴力は依然として根強く、特に障害を持つ女性に対して不均衡に影響を及ぼしている。残り6年しかない中で、現在の進展はSDGsの達成に必要なものには程遠く、大規模な投資と行動の拡大がなければ、報告書はSDGsの達成に疑問を投げかけている。

UN Summit of the Future
UN Summit of the Future

国連の未来サミットは2024年9月に開催される。重要な課題に対する協力を強化し、持続可能な開発目標を含む既存のコミットメントを再確認する、一世一代の機会である。

ヤンバス氏はこれらの課題をよく理解しており、思春期の少女、女性、障害を持つ人々を含む社会的弱者と密接に関わりながら、すべての政府、関係者、そして年長世代に対し、少女たちが自らの選択で生きる機会を与えるよう求めている。

「少女たちに、学校に通い、その後に自らの選択で夫を選ぶ機会を。児童婚は少女たちの心を傷つけ、人生の軌道を最悪のものに変えてしまうのです。すべての子供が保護され、幸せになる権利を持っています。そして、私たちには少女たちの夢を守るための法的な青写真を手に入れたのです。」とヤンバス氏は語った。

「少女たちは、アフリカの国づくりに全面的に参加するために必要なあらゆる手段を利用する権利があります。私たちは、あらゆる有害な慣行に対して立ち上がる必要があります。伝統は確かに存在し、私たちはそれを守りたい。しかし、私たちのコミュニティを発展させ、前進させるものだけを残そうではありませんか。」と、ヤンバス氏は語った。(原文へ

This article is brought to you by IPS Noram in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International in consultative status with ECOSOC.

INPS Japan

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歴史的殉教地ナガサキ:隠れキリシタンから原爆投下まで

「キリストの教えに倣って私は迫害者を赦します。彼らを憎みません。私はすべての人を憐れんでくださるよう神に願い、私の血が恵み豊かな雨のように人々に降り注ぐことを望みます。」パウロ三木

【National Catholic Register/INPS Japan長崎=ヴィクトル・ガエタン】

長崎市街地を取り囲む緑豊かな山間部(彦山中腹)を歩き、1931年にここに修道院を創設した聖マキシミリアノ・コルベ神父の足跡をたどった。コルベ神父がポーランドに呼び戻されるまでの5年間を過ごしたこの地には、奇跡の泉で巡礼地として知られるルルドを神父が再現した洞窟と泉がある。

アメリカ人は長崎といえば、1945年8月9日に米爆撃機B29による原爆投下を連想する。しかし日本では、この地域はカトリック信仰の地としても認識されている。1600年代、宣教師たちが日本の南西部各地の港から上陸して伝えたカトリック信仰は、急速に広まり、当時長崎のカトリックコミュニティーは、貿易商の間で「リトル・ローマ」と呼ばれていた。 

 長崎を訪れれば、残酷で神秘に包まれながらも今日に伝わる日本におけるカトリック信仰の軌跡を垣間見ることができる。それはまた、連綿と続いた殉教の悲劇の歴史でもある。

新たな信者と殉教者たち

Franciscus de Xabier Credit: Public Domain.

イエズス会の宣教師、聖フランシスコ・ザビエル神父が日本に興味を持ったのは、ポルトガル商船が航路を外れて日本列島の南端(種子島)に漂着し、戦国大名たちが割拠する美しい大地を「発見」した僅か数年後のことだった。

ザビエル神父は、日本に在住した2年間(1549年~51年)約1000人の魂をカトリック信仰に導いた。その後の30年間で、約20万人の日本人がカトリックに改宗した。

その中に、当時日本南部を席巻していたこの新宗教に家族が入信した際に幼くして洗礼を受けたパウロ三木がいる。彼の父は(織田信長に仕える)有力なキリシタン武将であった。彼は日本初のイエズス会神学校に入学して布教活動を展開したが、まもなく時代は豊臣秀吉の政権に代わり、キリシタンに対する残忍な迫害が強化されていくことになる。

ヨーロッパ人がカトリック教会による布教活動を通じて日本を征服しようとしていると恐れた関白豊臣秀吉は、1587年に宣教師の追放を命じる「伴天連追放令」を発した。その結果、多くの宣教師が地下に潜伏した。

しかし主要な国際貿易港となっていた長崎は、その後もしばらくキリシタン大名の大村純忠の管理下にあり、大村氏が港湾税を用いてイエズス会による学校、貧民院、教会運営を支援しため、主要なカトリック信仰の中心地であり続けた。

その後、財宝と聖職者を乗せたスペインのガレオン船が座礁する事件(サン=フェリペ号事件)が起こり、激怒した秀吉は、カトリック宣教師や信者を捕縛し、京都で引き回したのち厳冬の陸路を長崎まで1ヶ月かけて徒歩で行進させ、長崎で公開処刑した。秀吉の狙いは凄惨な罰を示すことでキリスト教の布教活動を麻痺させることにあった。    

Photo: 26 Martyrs started their journey to Nagasaki from here in Kyoto. Credit: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.

当時33歳の三木は、6人のフランシスコ会の外国人宣教師と修道士、17人の一般カトリック信者を共に番兵に引き立てられていった3人の日本人イエズス会カテキスタの一人であった。優れた説教者であった三木は、この苦難の道中、耳たぶを切断され、拷問され、飢えと野次に苛まれながらも、福音のメッセージを宣べ伝えた。

長崎に到着すると26本の十字架が用意され数千人の群衆が集まって刑場の丘に引き立てられた。十字架に鉄製の枷とロープで固定された殉教者たちは、刑吏の槍が両脇を貫き絶命するまで聖歌を歌い、祈り続けた。

三木の最後の言葉は、彼の聖なる精神を体現していた

Jesuit Father Renzo de Luca inside the museum. Credit:National Catholic Register.

十字架に架けられたパウロ三木は、「キリストの教えに倣って私は迫害者を赦します。彼らを憎みません。私はすべての人を憐れんでくださるよう神に願い、私の血が恵み豊かな雨のように人々に降り注ぐことを望みます。」と述べた。長崎の日本二十六聖人記念館の館長であるイエズス会のレンツォ・デ・ルカ神父は、「しかし、処刑では信仰を根絶することはできませんでした。人々は目の当たりにしたこの光景に心を動かされ、かえって信仰を深めたのです。」と説明した。

キリシタン信徒たちは血に染まった衣服など殉教者の遺物を収集し、今日日本二十六聖人記念館に展示されている。この記念館は、教皇ピウス9世が聖パウロ三木と25人の殉教者を列聖して100周年を記念して1962年に設立された。

隠れキリシタン

Photo: Efumi-e on display. Credit:National Catholic Register.

徳川幕府は大々的な処刑が信者に対して効果的でないことがわかると、とりわけキリスト教を全面的に禁止した1614年以降、個別的なアプローチを強めていった。キリシタンに関する情報には報奨金が提供され、宣教師にはより高い賞金がかけられた。(この様子は遠藤周作の小説を基にしたマーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙』で描かれている。)また檀家制が導入されすべての世帯の仏教寺院への登録が義務付けられた。

隠れキリシタンを見つけ出す手段として、誰もがイエスやマリアの肖像を踏むことが要求された。「踏み絵」はしばしば美しいブロンズ像で、多く踏まれたため表面が滑らかになっている。長崎では、踏み絵の儀式は1629年から1856年まで毎年行われていた。

展示された踏み絵

カトリック信者が摘発されると拷問は凄惨を極め、生きたまま温泉で茹でられたり、杭につながれたままゆっくりと溺れさせられたり、筵にくるまれたまま焼かれたり、排泄物の桶に逆さまに吊るされたりした。キリスト教を理由とする処刑は1805年にようやく廃止された。

弾圧は信仰を地下に追いやった。カトリックの聖像や聖具などは、壁の中などに隠されるか、目につくところに隠された: 小さな白い観音像は、マリア観音とし聖母マリアの代用品となり、密かに崇拝された。

隠れキリシタンは、司祭を置かずに世代から世代へと信仰を受け継いでいった。洗礼が唯一の正規の秘跡であった。

 殉教者記念館には年間約5万人が訪れ、韓国からの巡礼者も増えている。デ・ルカ神父によると、日韓両国の司教協議会は、このような訪問を奨励することで相互理解を深めることを約束したという。

Photo: Korean pilgrims at 26 Martyrs monument Credit: National Catholic Register

コルベ神父と無原罪の園

Photo: Maximilian Kolbe in 1936 Credit: Public Domain.

ポーランドのカトリック信者は、聖マキシミリアノ・コルベ神父ゆかりの場所を訪れるために長崎にやってくる。

驚くべきことに、1930年に来日してから1ヶ月以内に、コンベンツアル・フランシスコ会のコルベ神父は、日本初のカトリック雑誌である『無原罪の騎士』(現地訳では『マリア無原罪の騎士』)の日本語版をすでに印刷していた。

コルベ神父は、最初は1864年にフランスの宣教師たちによって設立された長崎の大浦天主堂の近くに滞在した。これは、日本が海外貿易に再び開かれる中で、外国商人が増加する共同体に奉仕するためであった。

大浦天主堂

Photo: Oura Cathedral in Nagasaki. Credit: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.

コルベ神父は大浦天主堂と隠れキリシタンとの特別なつながりに深い感銘を受けた。大浦天主堂の献堂後まもなく、浦上地区の信者の一団がベルナール・プティジャン神父を訪れた。彼らは250年以上も信仰を守ってきたカトリック信者の子孫だった。彼らは農民、漁師、職人、そして教会の十字架を認識した女性たちであり、同じ信仰を共有している証としてマリア像を見せて欲しいとプティジャン神父に要請した。

コルベ神父はコミュニティを築く人物として、長崎の郊外にある山間の無限罪の園にフランシスコ会の修道院を設立する決意をした。神父はこの僻地に新たな宣教の拠点を築いた1831年から36年の間に、宣教師の数は5人から20人に増えた。雑誌の発行部数は7万部に達し、出版活動は現在もポーランドと日本で続けられている。この間ずっと、コルベ神父は結核に苦しみ、しばしば病気に悩まされた。

コルベ神父が使っていた大きな木の机は修道院の小さな博物館の目玉であり、特にヨハネ・パウロ2世が修道院を訪問時にこの机に座ったことで注目されるようになった。

ジョージタウン大学の現代日本史の専門家であるケビン・ドーク教授は、聖人の日本での禁欲的な生活がアウシュビッツ強制収容所での殉教に備える助けとなったと指摘した。

Image: Urakami Cathedral by Shigeo Hayashi, courtesy of the Nagasaki Atomic Bomb Museum

原爆が長崎の軍事目標から何マイルも離れた場所で爆発したとき、それはアジア最大のカトリック大聖堂がある浦上地区の上空だった。その時、3人の司祭が告解を聞いていた。一方、コルベ神父の聖域は周囲の山々の地形により守られていたため、原爆の被害を免れた。

 グラウンド・ゼロに立つ聖人たち

Photo: Author at the ground zero in Nagasaki. Credit: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.

長崎の平和公園には、原爆の爆心地を記念する野外モニュメントがあり、浦上天主堂の一部であった聖人像が載った外柱の一部が立っている。この教会は、1895年から1917年の間に自由になった隠れキリシタンのコミュニティによって、一つ一つの煉瓦で建てられた。その存在は、この大惨事に対するカトリックの理解の中心性を象徴している。

爆発によって生じた火球、熱、放射線によって瞬時に消された市民のうち、8,500人はカトリック信者だった。17代目の隠れキリシタンの子孫である永井緑さんは、手にロザリオを持ちながら生きたまま焼かれた。緑さんの骨の一部だけが残され、溶けたビーズや、十字架、鎖と共に瓦礫から発見された。

1945年の終わりまでに、7万4千人が死亡し、7万5千人が負傷した。そのほとんどが民間人であり、戦略的価値が疑わしいこの核攻撃の直接的な結果だった。

長崎の悲劇を繰り返さないために

「長崎は最後の原爆被曝地でなければなりません。」と、1955年に設立された長崎原爆資料館の歩みについて説明してくれた野瀬弘志館長は語った。

この資料館を訪問したマザー・テレサは、「世界の指導者にこの資料館を見てもらいたい。なぜなら、核兵器の破壊的な規模とそれが人々の生活に及ぼす壊滅的な影響を効果的に伝えているからです。」と語った。

Photo: Mr. Hiroshi Nose, director of Nagasaki Atomic Bomb Museum explaining the impact of Atom Bomb to the author. Credit: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.
Photo: A world map showing countries which has rafitied TPNW at Soka Gakkai Nagasaki Peace Center. Photo: Katsuhiro Asagiri, President of INPS Japan.

私は仏教団体である創価学会の長崎平和会館を訪れた際、2017年に国連で採択された核兵器禁止条約(TPNW)の署名国数の進捗を示す展示を見た。この条約には現在、バチカン市国を含む70カ国が批准している。

核兵器禁止条約は1968年に署名解放された核拡散防止条約よりも強力だが、これまでのところ、日本も米国も支持していない。(一方、創価学会と神社本庁は、9月にイタリアに本部を置くカトリックの信徒団体「聖エジディオ共同体」が主催するパリ会議に参加する予定で会議では核兵器禁止条約が議題となる予定である。)

「国家間の緊張が高まっているときでも、市民外交は重要です。人々の間に信頼のネットワークを拡大するべきです。」と、地元の創価学会リーダーである三浦直隆氏は語った。私が彼の職業を尋ねると、彼は「平和活動家です。」と答えた。(原文へ

A group photo including Author and Mr Takako Kawasaki(extreme right) at Soka Gakkai Nagasaki Peace Center.

National Catholic Register/INPS Japan

Original Article: https://www.ncregister.com/news/nagasaki-martrydom-atomic-bomb-gaetan

Victor Gaetan
Victor Gaetan

ヴィクトル・ガエタンはナショナル・カトリック・レジスター紙のシニア国際特派員であり、アジア、欧州、ラテンアメリカ、中東で執筆しており、口が堅いことで有名なバチカン外交団との豊富な接触経験を持つ。一般には公開されていないバチカン秘密公文書館で貴重な見識を集めた。外交専門誌『フォーリン・アフェアーズ』誌やカトリック・ニュース・サービス等に寄稿。2024年4月、IPS Japanの浅霧理事長と共に長崎を取材訪問。INPS Japanではナショナル・カトリック・レジスター紙の許可を得て日本語版と韓国版の配信を担当した(With permission from the National Catholic Register)」。

*ナショナル・カトリック・レジスター紙は、米国で最も歴史があるカトリック系週刊誌(1927年創立)

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デジタル封建主義の時代には、批判的なジャーナリストの声が必要

【ウィーン INPS Japan=オーロラ・ワイス】

メディア・リテラシーとは、読書や数学のように習得できるスキルである。それは、今日の複雑で絶えず変化するメディア状況の中で情報を駆使して批判的な質問を投げかけ、操作されることを避け、安全かつ自信を持ってデジタル空間に参加できる能力を意味する。このトピックに関する教育イニシアチブが教育機関でも始まっている。

2024年5月末、「メディア・リテラシーと民主主義」をテーマに欧州安全保障協力機構(OSCE)人的次元の補完会議*が開催され、域内各地から200人以上が参加した。この会議は、マルタ(OSCE議長国)、同メディアの自由代表部(RFoM)、同民主制度人権事務所(ODIHR)が共催した。マルタのイアン・ボーシュ議長はこのテーマの重要性を強調し、「情報が迅速かつしばしばチェックされないまま垂れ流される時代において、メディア・リテラシーは単に有益なだけでなく、不可欠なものです。今年は重要な選挙が相次ぐため、メディア・リテラシーの重要性は特に高まっています。情報を批判的に評価する能力を持つ有権者こそが、民主主義の強靭性(レジリエンス)を高め、選挙プロセスへの信頼と信用を高めることができるからです」と語った。

Teresa Ribeiro (OSCE) Photo: portugal.gov.pt

技術の進歩は、さまざまな情報源や公共の言説を豊かにする洗練されたツールへのアクセスを一変させた。一方で、ソーシャルメディアと人工知能(AI)は膨大な機会を提供する一方で、民主的な公開討論を脅かし、民主的プロセスへの信頼を損なうリスクも孕んでいる。

「メディア・リテラシーとは、フェイクニュースを認識することだけではありません。市民が見識と批判的思考を持ってデジタル状況を把握し、情報に基づいて民主的に参画できるようになることです」と、OSCEのテレサ・リベイロ(メディアの自由代表)は語った。

民主的な選挙プロセスにおけるメディア・リテラシーの重要性は、今回の会議の焦点であった。選挙に特化してメディア・リテラシーを高める戦略は、民主的なガバナンスの基盤を強化し、市民が情報に基づいて投票行動を決断できるようにするのに役立つ。

「投票箱の前に立って一票を投じるときほど、あらゆる事実を知ることの重要さを実感する瞬間はありません」とODIHRのマッテオ・メカッチ事務局長は強調した。

メディアの独立性を守りたいなら、ジャーナリストに適切な権利を与えて自身を守れるようにしなければならない。

フェイクニュース、偽情報、プロパガンダが氾濫する中、世間は通常、中立的で客観的かつ批判的なジャーナリズムについて議論している。誰もが「赤裸々な真実」を見たいと思っている。しかし、それが何なのか、そしてジャーナリストが国民に本物のニュースを伝えることができる雰囲気や環境をどのように作ればいいのか、公共放送オーストリア放送協会(ORF)のクラウス・ウンターベルガー博士(公共価値部門ディレクター)が説明してくれた。公共価値コンピテンス・センターの任務は、質の高いメディア討論を積極的に推進し、ORFの公共サービスとしての使命を追及するとともに、メディア・リテラシーや社会・民主主義の発展に資するメディアの役割に貢献することである。

Dr. Klaus Unterberger Photo: ORF/archive

ウンターベルガー博士の最も重要な発言の一つは、「メディアの独立性を守りたいなら、ジャーナリストに適切な権利を与えて自身を守れるようにすることです。」というものであった。

博士によれば、メディア組織が中立かつ客観的なジャーナリズムを維持するにはいくつかの重要な柱があるという。第一に、外部からの運営の監督と情報公開、効果的な規制、義務的な品質保証を通じた検証可能性。第二に、政府や政党、そして何よりもオーナーの利益からの独立性を可能にする持続可能な資金調達。

「第三に、必要に応じて自らの上司からも独立性を守ることができるジャーナリストの権利と義務。最後に重要なのは、『中庭報道』や誤った均衡主義、キャリア主義を超えた批判的なジャーナリズムを追求する勇気、大胆さ、無条件の意志です。」とウンターベルガー博士は語った。

特に技術の進歩がメディア空間の信頼性について大きな問題を引き起こしている。ウンターベルガー博士は、「誤報やフェイクニュース、プロパガンダは、綿密な検証、ダブルチェック/トリプルチェック、ファクトチェック、そしておそらくは適切なAI技術を活用することで見分けることが可能ですが、その際、何よりも疑い、検証し、疑問を呈する批判的ジャーナリズムの原則を通じて行うべきです」と語った。

現在、言論の自由を政治的影響や民間・公共メディアへの干渉からどう守るかについて多くの議論がなされている。私たちはウンターベルガー博士に、「今日のジャーナリズムは、特に新技術の出現によって、過小評価され、低賃金であり、これが質の低下につながっている」という見方について、見解を尋ねた。

「その通りです。欧州全域で、右翼ナショナリストやポピュリストの政府や政党が、特に公共メディアの独立性を危険に晒しています。最新の例では、スロバキアで議会が公共放送局を解散しました。同時に、少数の企業が所有する世界的に有効な技術によって『デジタル封建主義』が出現しており、そのAIは公共の立場からはまったく検証できないものです。この2つの動きは、質の高いジャーナリズムだけでなく、民主主義社会の公共コミュニケーション空間も脅かしています。デジタル市場が少数の寡頭的企業によって支配されており、質の高いジャーナリズムのためのビジネスモデルがまだ存在しないため、その存続が危ぶまれています。また、公共部門で実施されたコスト削減プログラムも、ジャーナリズムの品質に対する重大な脅威をもたらしています」とウンターベルガー博士は指摘した。

女性ジャーナリストへの性別特有の攻撃は増加傾向にある

2023年11月から24年6月までの期間に関する報告の中で、リベイロ氏(メディアの自由代表)は、OSCEの参加国において、「安全保障」対「報道の自由」という誤った二分法が蔓延しつつあり、それに伴う諸問題(①独立したジャーナリズムに対する政治的敵意の急増、②ジャーナリストに対する暴力やオンライン攻撃の増加、③ジャーナリストの監視に利用される技術の利用がテクノロジーの利用が急速に増加している問題等)を取り上げた。

「メディアの持続可能性やジャーナリストに対するオンライン暴力といった懸念は、偽情報や技術の進歩、巨大IT企業による利益追求型ビジネスモデルによって悪化しています。今日の技術は前例のない形で権力を集中させており、ソーシャルメディアのような大規模な言語モデルは、民主的な自由と開放性を悪用するのを容易にしています」とリベイロ代表はデジタル情報環境の混乱を強調した。

パンデミックの最中、多くのジャーナリストが慎重に指示されたプロ・コロナ報道で上司からの圧力に苦しんだ後、現在では、ウクライナ戦争における資金の流れやマネーロンダリング、兵士の行動、武器の密売などを調査することに敢えて挑んだジャーナリストが一部解雇された。こうした欧州のジャーナリストの中には、職を失っただけでなく、国を追放された者もおり、このことは、あらゆるレベルで組織化され、周到に計画された攻撃を受けたことを示している。私たちは、欧州連合(EU)におけるメディアの自由と民主主義を検証するOSCEのサイドイベントで、彼らの衝撃的な体験を聞く機会を得た。他方、ロシアは孤立し、完全なメッセージ統制と偽情報体制を支配している。

特に懸念されるのは、女性ジャーナリストを標的としたオンライン暴力や偽情報の急増であり、これは多様性と民主主義に深刻な影響を及ぼしている。OSCEの調査によると、女性ジャーナリストの約3分の2が仕事中にオンラインで性別に基づく暴力を経験しており、オンラインとオフラインの両方で女性ジャーナリストの安全に対処するための協力が急務である。オンライン上の脅威と性別関連の偽情報が女性ジャーナリストに対するオフラインでの攻撃につながる明確な因果関係を示すOSCEの研究も出ている。

特異な現象として、第三者が攻撃を命じ、刑事訴追を含む免責特権を持つ大使館職員を通じて女性ジャーナリストを標的とする傾向がある。オーストリア外務省と内務省は、こうした自国内で活動する外国諜報員に最高位の外交特権を付与している個人を特別監督する必要がある。こうした外交官の活動は、憲法に違反するだけでなく、外交関係に関するウィーン条約にも違反している。

外的要因に加え、ジャーナリストはメディア内部においても、公共の利益になる情報を提供することとは全く異なる目的を持つ潜入者によって脅かされている。私自身、ボイス・オブ・アメリカ(VOA)のプロデューサーという立場を悪用し、ジャーナリストに偽情報を与えて信用を失墜させようとする人物に攻撃された経験がある。また、自らをバルカン地域のボスニア人政治専門家と称し、ソーシャルメディアを通じてジャーナリストの信用失墜を意図して妨害活動をしているジャミン・ムジャノヴィッチ氏による攻撃についても言及する価値がある。

オンラインおよびオフラインでの性別に基づく暴力や性別に関連する虚偽情報は、ジャーナリストの福祉と職務遂行能力を危険にさらす。これらの行為は、女性ジャーナリストを自己検閲に走らせたり、キャリアを断念させたりする原因となり、標的とされた人々だけでなく、メディアの自由と多様性全体にも悪影響を及ぼす。このことは、2023年12月に北マケドニアの首都スコピエで開催された第30回OSCE閣僚理事会で採択された「女性ジャーナリストの安全に関する共同声明」でも合意されている。

Representative image. Photo: Bill Kerr/Flickr, CC BY-SA 2.
Representative image. Photo: Bill Kerr/Flickr, CC BY-SA 2.

批判的な声を封殺する慣行は続いており、「好ましくない」とされ非合法化される報道機関が増え、「外国の諜報員」に指定されるジャーナリストが後を絶たない。独立したジャーナリストが単に仕事をしているだけで攻撃され、投獄され、国際情報源がブロックされ、亡命中のジャーナリストが嫌がらせを受けることは、独立したニュースと情報を配信する勇敢な試みに対する個人的なリスクが伴う情報環境の暗い現状を示している。

最近、メディア・リテラシーについて語られるようになったのは良いことだが、ジャーナリストの安全について語るのをやめてはならない。私たちは、職務遂行中に殺害されたメディア関係者の数が過去最多であることを明らかにしているのはそのためだ。

ジャーナリストの生命と自由に対する攻撃は2023年もほぼ記録的な水準で推移し、ジャーナリスト保護委員会(CPJ)は世界中で99人のジャーナリストの死亡を記録し、2015年以来の最高総数となった。CPJはまた、12月1日に発表した年次監獄センサスの中で、320人のジャーナリストが職務のために投獄されたことを記録しており、これは史上最も多かった昨年の360人に迫る勢いである。

イスラエル・ガザ戦争は、2023年10月7日のハマスによるイスラエル襲撃を受けてイスラエルがハマスに宣戦布告して以来、ガザのジャーナリストにかつてない犠牲者を出している。2024年7月1日現在、CPJの予備調査によると、戦争が始まって以来、38,000人以上の死者の中に少なくとも108人のジャーナリストとメディア関係者が含まれている。32人のジャーナリストが負傷、2人のジャーナリストが行方不明、51人が逮捕されたと報告されている。

ロシア・ウクライナ戦争では18人、2014~15年のドンバス戦争では7人、22年のロシアによるウクライナ全面侵攻では10人のジャーナリストやメディア関係者が殺害された。

リベイロ代表は2024年6月13日の報告書で、ギリシャのジャーナリスト、ジョルゴス・カライバズ氏、スロバキアのヤーン・クシアク氏、モンテネグロで20年前に殺害されたドゥシュコ・ヨバノビッチ氏の暗殺について、不処罰の悪循環を断ち切り、完全な説明責任を確保する努力を再開する必要性を強調した。

「セルビアでのジャーナリスト、スラフコ・クルヴィヤの殺害事件での不幸な無罪判決が引き起こした後退についても深く懸念しています。法治社会の真の試金石は、特に自由な報道の価値を守るために危険を冒す人々にどのように正義をもたらすかです。マルタでのジャーナリスト、ダフネ・カルアナ・ガリジア、オランダでのピーター・R・デ・フリースの暗殺事件の司法プロセスも注視し続けます。昨日、オランダの裁判所が調査報道記者デ・フリースの殺害について複数の容疑者を有罪としたことを聞いて安心しました」とリベイロ代表は、2024年6月の報告書で強調した。(原文へ

*OSCE(欧州安全保障協力機構)の人的次元の補完会議は、OSCEの枠組みの中で行われる重要な会議で、人権、民主主義、法の支配といった「人的次元」に関する問題を議論する場である。これらの会議は、OSCE参加国、OSCE機関、国際組織、市民社会、メディア、およびその他の関係者が一堂に会し、これらのテーマに関する進展や課題、政策の実施状況を検討し、改善のための具体的な行動を話し合うためのフォーラムを提供している。

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地球のための報道

「変革は今始まる」: 英国選挙でスターマー労働党が勝利 ウクライナ支援継続を誓う

【ロンドンINPS Japan/London Post】

英国の総選挙で労働党が地滑り的勝利を収め、14年にわたる保守党支配に終止符を打った。この歴史的勝利は英国政治の転換を告げるもので、サー・キア・スターマー氏が新首相に就任することが決まった。しかし、国内経済問題や生活費危機への新たなアプローチを公約に掲げたにもかかわらず、スターマー政権は、ロシアとの紛争が続くウクライナに対する前政権の強力な軍事・外交支援路線を維持する意向を示している。

労働党は欧州連合(EU)に対してより融和的な姿勢をほのめかす一方、北大西洋条約機構(NATO)やその他の同盟国に対しては、英国がロシアを欧州にとって重大な脅威と見なし続けることを確約している。ウクライナのヴォロディミル・ゼレンスキー大統領はこの継続を歓迎し、退任する保守党に感謝の意を表し、次期労働党政権の「選挙での圧勝」を祝福した。

「ウクライナと英国は、これまでも、そしてこれからも、強い絆で結ばれた信頼できる同盟国であり続けるだろう。我々は、生命、自由、ルールに基づく国際秩序という共通の価値観を守り、前進させ続けるだろう。」

61歳の元弁護士で、4年前に労働党の党首に就任したスターマー氏は、バッキンガム宮殿を訪れてチャールズ国王に謁見し、正式に首相としての任期を開始する予定だ。

責任への委任

夜明けに支持者を前に演説したスターマー党首は、このような職務権限に伴う責任を強調した。退任する保守党のリシ・スナク首相は、NATOとウクライナの強固な支持者であり、戦車やストームシャドウ・ミサイルの供与、ウクライナ人パイロットへのF-16訓練など、在任中の「揺るぎない支援」と「共通の成果」に感謝の意を表した。

新外務大臣に就任するデイヴィッド・ラミー氏は、労働党が政権に復帰すれば「進歩的リアリズム」の外交政策がもたらされるだろうと語った。労働党は欧州諸国とのつながりを取り戻し、気候変動に対処し、グローバルサウスとの関わりを深めることを目指している。

国防に関しては、スターマー氏と労働党は、大西洋横断安全保障におけるNATOの役割へのコミットメントを「揺るぎないもの」としている。また、軍事的、財政的、外交的、政治的支援を含むウクライナへの「揺るぎない」支援と、ウクライナのNATO加盟への道を約束した。

London Post

外交政策におけるコンセンサス

チャタムハウスのU.K.イン・ザ・ワールド・プログラムのディレクター、オリビア・オサリバン氏は、外交政策、特にウクライナに関する労働党と保守党の意外なコンセンサスについて、「労働党の外交政策の立場は、保守党とそれほど異なるものではありません。」と指摘し、ウクライナを支援するという共通のコミットメントを強調した。

エストニアのカラ・カッラス首相は、欧州連合(EU)の外交トップに就任する見込みだが、スターマー氏の勝利を祝福し、共通の安全保障に対する英国のコミットメントを称賛した。「私たちの素晴らしい協力関係は、今後もますます発展していくことでしょう。」と付け加えた。

スターマー新首相は、ゼレンスキー大統領と早い段階で会談する意向を示しており、ロシアのウラジーミル・プーチン大統領を「ウクライナにおける侵略者」と評している。彼は、ウクライナ支援における統一戦線の重要性を強調した。この姿勢は、7月9日〜11日にワシントンで開催されるNATO75周年記念首脳会議と、7月18日にブレナム宮殿で開催される欧州政治共同体首脳会議で試されることになる。

国内の課題

英国の有権者は、新型コロナウィルス感染症のパンデミックとロシアのウクライナ侵攻に続く経済的苦境と停滞からの救済を求めて労働党を支持した。労働党が勝利したことで、下院の過半数獲得に必要な326議席を超え、保守党がさらに多くの議席を失う中、200議席以上を獲得した。

スナク氏は譲位演説で労働党の勝利を認め、スターマー氏に祝辞を述べた。右派ポピュリストの改革党党首ナイジェル・ファラージ氏も初めて議席を獲得し、最近の欧州議会選挙における右派の躍進を反映している。

スターマー新政権は、国内の経済問題に対処する一方で、英国の強い国際姿勢(特にウクライナ支援)を維持するという二重の課題に直面している。今後数週間の新政権の行動は、そのリーダーシップを確固たるものにし、国内と世界の両方の課題に対処する上で極めて重要である。(原文へ

INPS Japan/London Post

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気候の崩壊がネパール西部の苦境を拡大

猛暑と干ばつに苦しむネパール西部は深刻な水不足に陥っている

【カイラリNepali Times=ウンナティ・チャウダリー】

ネパール西部の山岳地帯で灌漑が困難なために食料不足が常態化しており、農民らはより耕作が容易な平野部(タライ平原)に移住してきた。

しかし、モンスーンの遅れに伴う今年の灼熱の熱波は、国連の持続可能な開発目標(SDG)の達成に向けたネパールの成果を損なう恐れのある水危機につながった。気候危機は同時に水危機であり、食糧生産、栄養、安全な飲料水の確保に悪影響を及ぼしている。

しかしすべてを気候変動のせいにするわけにはいかない。例えば、以前は稲作の最後の手段として使用されていた井戸は、水位の低下により干上がってしまっている。

高速道路が通過するアッタリヤ市には、かつて深井戸が5つあり、毎日400万リットルの水を市内の5500世帯に供給していた。しかしこの3年間で、そのうち4つが枯渇した。自治体はさらに深さ80メートルの井戸を4つ掘ったが、それでも1年のうち6カ月しか水が得られない状況だった。

インドとの国境に近い人口30万人のダンガディ市では、家庭用井戸が涸れた後、自治体が3つの深井戸を掘ったが、この夏には、その深井戸さえも枯渇してしまった。この状況は近隣の他の町村でも同様である。

Towns in Tarai are parched for drinking water, there is no water for irrigation. They have to dig deeper for water and even then, new borewells have dried up. Photos: UNNATI CHAUDHARI

専門家らは、タライ地方の水位低下の原因は、ネパールと隣国インドの両方で地下水が過剰に取水されているためと指摘している。インドでは農家が灌漑用ポンプの電力に補助金を受け取っているほか、この地域の産業や農場も、独自の井戸を掘削してかつては豊富だった地下水を利用している。

「冬が終わると、水は枯渇し始めます。そして6月にモンスーンが来るまで、水はまったくありません。」と近くの町クリシュナプルに住むプラム・チャウダリー氏は語った。

実際、水不足にあえぐ町や都市は、貴重な水を求めてますます深く掘削し、地下水の供給量を減らしている。ミランプル町では深さ90メートルの井戸を掘ったが、10日で枯渇してしまった。

ネパールでも隣国インドでも、地下水の過剰採取がタライ平原の水位低下を引き起こしている。

ネパール西部の慢性的な冬の干ばつ、熱波、不規則なモンスーンにつながる気候破壊の影響は、人口増加と家庭・農業利用の増加による地下水の乱開発によって一層深刻な状況に陥っている。

Over-extraction of ground water both in Nepal and neighbouring India is causing water lavels to fall in the Tarai.

「10年前は20メートルも掘れば一年中水が湧きましたが、今では80メートル掘っても水が出ません。灌漑のための水はおろか、飲み水さえもないのです。」とカイラリ村の農民、カリデヴィ・チャウダリーさんは語った。

水の専門家でトリブバン大学中央環境科学部のスディープ・タクリ教授によると、タライ平原一帯で地下水位が低下した主な原因は、過剰な取水、チュレ川の集水域での掘削、砂の採掘、そして気候変動であることが調査で明らかになっているという。

「私たちは水循環を乱し、気候危機は長引く干ばつと不安定なモンスーンによって問題をより深刻にしています。つまり、自然による地下水の再充填が十分にできなくなっていることを意味します。」

タライ地方の集落が増え、水需要が増えるにつれて、井戸とボーリング井戸の間の距離も縮まっている。実際、カイラリ地区とカンチャンプル地区には140の井戸が掘られており、そのうち水がでたのは91のみであった。

また、地下水資源・灌漑開発課の事務所によると、この2地区では1,001本の深井戸からもポンプで水が取水されている。

タライ地方の地下水は、地方議員らによって交渉材料として利用され、選挙民をなだめるために無計画な井戸の掘削がなされている。

ネパールの州および地方政府は、地下水の最大利用という連邦政府の方針に従い、100のボーリング井戸を掘削する予算で、地下水掘削の補助金に多額の投資を行ってきた。

Tarai’s groundwater is being used as a bargaining chip by elected officials, who have drilled arbitrarily to appease voters.

カンチャンプル地区(カトマンズの西640キロ)のマハカリ灌漑プロジェクトの責任者であるタラ・ダッタ・ジョシ氏は、これらのプロジェクトを通じて抽出された地下水を今後20年間利用することが目的だったが、90のボーリング井戸うち6つは既に枯渇してしまったと語った。

チューブ井戸では地下40メートルまで水を汲み上げることが可能だが、タライ西部の大半の集落ではもはやこの深さで水は見つからない。一方、ボーリング井戸では110メートルまで掘削され、被圧地下水は地下110~400メートルの間で抽出される。

専門家によれば、タライの地下水は、有権者をなだめるために恣意的に掘削する政治家らに、交渉の切り札として利用されているという。ある地域にどれだけのボーリング孔を掘ることができるのか、どれだけの水を採水できるのか、政策だけでなく調査も不足している。

カイラリ村のサンカル・ダッタ・アワスティー氏によると、連邦政府の分権化により、地元の政治家たちは、誰が自分の選挙区により多くの水を供給できるかを競うようになったという。実際、この自治体では、州政府と連邦政府が実施する大規模なプロジェクトに加え、2017年の自治体設立以来、1,200の小規模な地下水プロジェクトが実施されている。

「政治家らは、この無秩序な採掘が将来この地域にどのような悪影響を与えるかよりも、いかにして自身の選挙区内の地下水プロジェクトを繰り返し確保するかに余念がありません。」とアワスティー氏は語った。

カイラリ村で掘削された井戸の1つは、4年前にラメシュ・チャウダリー氏が灌漑用に掘削させたが、運河が完成するまでの2年間で枯渇してしまった。近くのランプール村でも、灌漑用に掘られた深さ200メートルの井戸が涸れた。

One tubewell used to be enough to sustain a village some decades ago, while today even three tubewells in one household in not enough to fulfil basic water needs.

「水はどの農家の畑にも届かず、1000万ルピーの無駄遣いです。」とチャウダリー氏は語った。

水専門家のタルカ・ラジ・ジョシ氏は、数十年前は1つのチューブ井戸で村を維持できたが、現在では1つの家庭に3つのチューブ井戸があっても基本的な水需要を満たせていないと指摘した。

「地方、州、連邦政府の水分配計画は、タライ地方の地下水位に大きな影響を与えるでしょう。この危機が将来に何を意味するのかについて誰も考えていません。」とジョシ氏は語った。

子どもたちは汚染された水を飲まざるを得ないため、水不足はSDGsの目標である乳幼児と子どもの死亡率削減におけるネパールの成果を損なう恐れがある。また、灌漑用水の不足により食糧生産が減少するため、栄養状態にも悪影響が出る。これらすべてが、国外移住の傾向に拍車をかけている。

解決策は、チュレの樹木再生による地下水の再充填を可能にし、無秩序な都市化を規制するゾーニング、深い地下水抽出に対する課税、カルナリ川とマハカリ川からの水を導入して供給を補強し、地下水への依存を減らすことである。

水不足がスルケット村の人口流出の原因となっている

レクチャ村の住民は水への絶望を示すために、草の籠に入れた水差しを持って自治体の事務所まで行進した。

6月のモンスーン雨の開始が遅れたため、レクチャ村は深刻な水不足に陥った。住民たちはいつものように、地域の水道のそばにある藁籠に水差しを入れて一日を始めた。しかし、住民たちは井戸に水を汲みに行くのではなく、代わりに市役所にデモ行進に出かけた。

村の給水闘争委員会は、区議会議員のタペンドラ・チェトリ氏に率いられ、彼は水を求めて自治体の外で座り込みをせざるを得なかった。

かつてレクチャ村は、肥沃な土壌と豊富な水のために入植者にとって理想的な場所だった。レクチャ村には11の井戸があり、何十年もの間、家族を養うのに十分な水を供給していたが、今ではすべて枯渇してしまった。

「村人たちは今、井戸の底に残ったわずかな水を布で濾過して集めています。この村は渇きで死にそうです。」とチェトリさんは語った。

極度の水不足により住民は村を離れはじめている。レクチャ村には5年前まで115世帯が暮らしていたが、その後35世帯が別の場所に移住した。カギサラ・シャヒさんは、水差しを持って農村自治体本部まで歩いて行った村人の一人だ。他の隣人たちと同じように、彼女もレクチャ村で生きていくのが難しくなってきている。

「私たちの訴えは聞き入れられなかったので、水差しを持ってここまで歩いてきて、指導者に私たちの苦境を訴えました。他のことは何とかやりくりしていますが、とりわけ暑くなってきた今、水がなければ生活を維持するのは不可能です。」とシャヒさんは語った。

村の井戸に水があった頃でさえ、各家庭が水を汲むには何時間も行列に並んだものだ。村の井戸が枯渇した今、他の水源までの道のりはさらに長くなり、この重労働は女性たちにのしかかっている。

「家事をこなしながら、農作物や家畜の世話をし、さらに遠くまで水を汲みに行くには、一日に十分な時間がありません。」と、シャヒさんは語った。

4年前、農村自治体はカルナリ川から村に水を引く計画を立て、1720万ルピーの予算を計上した。しかし、道路へのアクセスが困難だったため、このプロジェクトは頓挫した。

チャウクネ農村自治体のカドカBK議長は、レクチャ村に飲料水を供給するには、自治体のリソースだけでは不十分だと言う。「この村は遠隔地にあるため、連邦政府と州政府の支援が必要なのです。」

一方、村人たちは青い雪解け水を湛えたカルナリ川を見下ろしながら、彼らの畑は干上がり、子供たちは渇きに苦しんでいる。(原文へ

INPS Japan/ Nepali Times

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|上海協力機構首脳会議|専門家らが議長国終えたカザフスタンの成果を振り返る

【アスタナINPS Japan/The Atana Times=アセル・サトゥバルディナ】

上海協力機構(SCO)の第24回首脳会議(7月3日・4日)がアスタナで開催される中、専門家たちは現在の地政学的動向におけるこのイベントの重要性と、SCOの議長職を終えたカザフスタンの役割について考察している。

カザフスタンは昨年7月にインドからSCO議長職を引き継いだ。それ以来、同国は、現在10カ国が加盟するSCOの安全保障、安定、発展に取り組むため、さまざまな領域で150を超えるイベントを開催してきた。

2日間にわたった首脳会議では、アスタナ宣言、カザフスタンが提案した「公正な平和、調和、発展のための世界団結構想」、2025年までのSCO開発戦略、2025-27年のテロリズム、分離主義、過激主義に対抗するための協力プログラム、麻薬対策戦略、エネルギー協力開発戦略など、いくつかの重要文書が採択された。

各国首脳を歓迎したカシムジョマルト・トカエフ大統領は、「SCOはすべての加盟国の声を考慮するユニークなプラットフォームである。」と指摘したうえで、「条約基盤は、反麻薬戦略、経済協力戦略実施計画、環境保護協定、エネルギー協力開発戦略を含む60の新たな文書で充実したものとなりました。 SCOのパートナー国際機関の範囲も拡大され、 投資に関する特別作業部会の活動も再開されました。また、 各国通貨による決済への移行プロセスは、前向きな勢いを増しています。」と語った。

カザフスタン戦略研究所のアジア研究部門のバウルジャン・アウケン主任専門家では、「カザフスタンはSCOのすべての分野で利益を得ています。」と語った。

「政治的には、上海協力機構への加盟はカザフスタンに国際政治における発言権を与えています。 地政学的な混乱が続いている現在、多国間フォーマットで外交関係を構築することは、カザフスタンにとって外国投資を確保・誘致する上で特に重要です。」とアウケン主任専門家はアスタナ・タイムズ紙の取材に対して語った。

「また経済的には、貿易関係の強化に寄与しています。政府のデータによると、カザフスタンのSCO加盟国との貿易額は過去5年間で56.5%増加し、660億ドルに達しました。2024年1月から4月の間に、域内の貿易量は191億ドルに達しました。」

「SCOへの加盟のおかげで、カザフスタンの企業は商品を輸出する機会を得ています。 例えば、中国を例にとると、技術の時代において、カザフスタンの市民は中国のオンラインプラットフォームに商品を出品することができます。昨年、大統領の訪問中に、中国の主要なeコマースプラットフォームに我が国のパビリオンが開設されましたが、これはその典型的な事例です。」とアウケン氏は語った。

安全保障の強化は、SCO設立当初からの目的の一つであり、これはテロリズム、過激主義、分離主義という、三つの悪とされる問題に対処することを含む。アスタナ首脳会議で採択された主要な文書の一つは、2025年から27年にかけての「テロリズム、分離主義、過激主義に対抗するための協力プログラム」である。

「今日の首脳会議では、麻薬対策、とりわけ麻薬密売に対抗する戦略が採択されましたが、これは我が国にとっても関連性のある問題です。麻薬の国民への蔓延を防ぐことは特に重要です。」と、アウケン氏は付け加えた。

「SCOは東西の架け橋として重要な役割を担っており、カザフスタンの議長国就任は、地政学及び地経学的な課題に対処する好機を提供している。」とインドの英字ビジネス専門日刊紙『エコノミック・タイムズ』の外交エディター、ディパンジャン・ロイ・チャウドリー氏は語った。

SCOは、東西の架け橋として重要な役割を果たしており、カザフスタンの議長職は地政学的および地経学的な課題に対処する機会を提供すると、インドの英字ビジネス紙The Economic Timesの外交編集者であるディパンジャン・ロイ・チャウドリー氏は語った。

「カザフスタンが前回SCOの議長国を務めたのは2017年でした。以来、コロナ禍や世界各地の戦争など、多くの地経学的、地政学的な課題が山積しています。成長する多国間組織として、SCOはこれらの課題に対処する必要があります。トカエフ大統領は、SCOを東西の架け橋として活用するための良い方策を持っており、その成功を期待しています。」と、この記事にコメントを寄せた。

チャウドリー氏はまた、「ベラルーシがSCOに加盟したことで、欧州連合と直接国境を接することになった。」と指摘したうえで、「これは接続性の健全な兆候でもあります。しかし、接続性は一つの回廊に限定されるべきではありません。接続性には複数の回廊があり、カザフスタンは東西回廊と南北回廊の両方に関心を持っています。南北回廊は、カザフスタンと中央アジアがインド洋やインドとつながるのに役立ちます。インドはSCOに加盟する大国のひとつで、人口も市場規模も大きい。 それはSCOに多様性をもたらし、組織の精神に良い影響を与えるでしょう。」と語った。

チャウドリー氏は、インドとユーラシア諸国との間の「自然なパートナーシップ」を強調し、SCOは両地域を結ぶことで多様性と経済成長を促進していると語った。

セルビア在住の研究者・アナリストであるニコラ・ミコヴィッチ氏は、SCO首脳会議は、中堅国であるカザフスタンにとって中央アジアでの地位を強化し、SCO加盟各国との二国間関係を発展させるための機会と見ている。

「カザフスタンは非常に建設的な立場をとっており、SCOがとるべき重要なステップを提示しています。 対立的な政策を追求しているように見える大国とは異なり、カザフスタンは実際に平和的アジェンダと紛争の外交的解決を促進しています。 自国の地政学的利益を考慮し、このアプローチが大国に採用されるかどうかは、これからわかるだろう。」とミコヴィッチ氏はアスタナ・タイムズ紙の取材に対して語った。

ミコヴィッチ氏は、SCOの有効性を高めるために、域内でより多くの経済プロジェクトが必要であると強調した。 また、「加盟国間の地政学的な相違が障害になっている」と指摘したうえで、「カザフスタンは、これらすべての国々の間でバランスを取ろうとしている。」と語った。(原文へ

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この記事は、The Astana Timesに初出掲載されたものです。

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国連事務総長、カザフスタンを称賛し、上海協力機構との緊密な協力を約束

カザフスタンは現実的かつ平和を志向した「マルチ・ベクトル外交」政策をとっている(ロマン・ヴァシレンコカザフスタン共和国外務副大臣)

|視点|カザフスタンの宗教間対話イニシアチブ:知恵とリーダーシップで世界の調和を育む(浅霧勝浩INPS Japan理事長)

|視点|曖昧な戦争(ロマン・ヤヌシェフスキーTVレポーター・ジャーナリスト)

ガザ地区とイスラエルで展開されている出来事には、深い誤解がある。多くの人々は、その複雑さに気づいていない。報道は断片的な情報を伝えるだけで、全体状況を提示することはない。なかには、情報を意図的に捻じ曲げた報道すらある。

【Tel Aviv INPS Japan=ロマン・ヤヌシェフスキー】

Scarcity of food in Gaza is increasingly causing malnutrition and severe hunger among the population as the war continues. Credit: WHO
Scarcity of food in Gaza is increasingly causing malnutrition and severe hunger among the population as the war continues. Credit: WHO

ガザでは、子どもを含む3万7000人以上の死傷者がでており、広範にわたる破壊と大量に発生した国内避難民の間に広がる飢餓、さらにはジェノサイド(大量虐殺)の非難を巡る報道がなされている。ガザ地区のパレスチナ人をとりまく状況は悲惨を極めている。私たちはこの紛争を見るとき、同時にこれらの悲劇的な出来事の根本原因、つまり紛争の発端となった10月7日のハマスによる緻密に計画されたイスラエルに対するテロ攻撃も忘れてはならない。

現在ガザ地区で起こっている戦争がもたらした現実を鑑みれば、国連が掲げる持続可能な開発目標のいくつかと密接に関連している。つまり、 第2目標「飢餓をゼロに」及び第16目標「平和と公正を全ての人に」である。

ハマスの秘密計画

多くの国でテロ組織と認識されているパレスチナのイスラム主義組織であるハマスは、2007年以来ガザ地区を支配してきた。その綱領には、イスラエル国家を破壊するという目標が明記されており、それは不可避的に事態のエスカレーションへとつながる。

ハマスは、イスラエル領土に侵入し、イスラエル人を殺害し誘拐する秘密計画を立てた。その目的はパレスチナの大義に世界の注目を集め、イスラエルを挑発してガザ地区に軍隊を展開することを誘発することにあった。テロ攻撃は、ユダヤ人の伝統的な休息日である安息日と重なるユダヤ教の宗教的祝祭日、シェミニ・アツェレットに強行された。ハマスはイスラエル人が警戒心を低下させるこの機会をあえて利用した。

当時イスラエル政府はハマスが暴力路線から離れたと考えており、軍も諜報部門も大規模な侵攻を予想しておらず、国境には少数の兵士しか配備されていなかった。ガザ国境沿いに設置されたセンサーや自動発砲システムを備えた「スマートフェンス」に依存していた。しかし、ハマス側は周到な計画を立て、イスラエルの防衛網をことごとく回避する形で侵入した。

Ma of Gaza and Israel. Public Domain.
Ma of Gaza and Israel. Public Domain.

10月7日の早朝、突如ガザ地区からイスラエル領に対してロケット弾の一斉射撃(攻撃開始から数時間で約3000発)が始まり、防衛システムを圧倒、同時に、数千人のよく訓練された重武装の武装勢力が複数の地点でガザ国境を突破し、イスラエルに侵入した。混乱のなか、国境を守るイスラエル兵は一掃され壊滅した。単体の戦車やパトロール隊では、数千人規模の武装勢力に対抗できなかった。武装警察も各地で抵抗したが、戦力差はあまりにも不均衡だった。

武装勢力はガザ国境沿いの国防軍拠点を占拠し、国境から20キロ以内のイスラエル領で残忍な虐殺を行った。民家に押し入り、住民やペットまでも射殺した。住民の中には、ハマスが発射したロケット弾の破片から身を守るために、シェルターに避難できた者もいたが、その後侵入してきたカラシニコフ銃で武装したハマス民兵の襲撃から逃れることはできなかった。

やがて、10代の若者たちを含む一部のガザ住民も、武装勢力による略奪行為に加わり、ユダヤ人の住宅を放火して回った。彼らは住民に対する残虐行為を映像に撮りソーシャルメディアで拡散した。少なくとも1つの事例では、人質のSNSアカウントを使ってフェイスブックで生中継し、友人の前で犠牲者を嘲弄し、その後一部を殺害した。

全体として、1日で約1200人のイスラエル人と外国人が死亡し、251人が誘拐された。

Private home in Be’eri following the Hamas October 7th attack. Around 70 Hamas militants of the al-Qassam Brigades, Nuseirat Battalion, along with DFLP militants had attacked the kibbutz and at least 130 people were killed in the attack, including women (such as peace activist Vivian Silver), children, and one infant, claiming the lives of 10% of the farming community’s residents. Dozens of homes were also burned down. This incident occurred concurrently with a series of other massacres and military engagements in multiple neighbouring Israeli communities, including Netiv haAsaraKfar Aza, and the Rei’m music festival massacre. Credit: Roman Yanushevsky

「スーパーノヴァ」音楽フェスティバルの惨劇

「スーパーノヴァ」音楽フェスティバルは、ガザ国境に近い自然の中で開催されていた。約3000人が参加していたが、ライフルとグレネードランチャーで武装した武装勢力に襲撃された。

ここでは少なくとも365人が殺害された。ご斉射の中には英雄的な行為で民間人を救おうとした兵士のエピソードが伝わっている。休暇中で武装していなかったイスラエル国防軍兵士のアネル・シャピラさんは、突如ハマスの襲撃に巻き込まれたフェスティバル参加者らを守るため、襲撃者たちが投げ込んでくる手榴弾を巧みに拾っては投げ返していた。彼は7つの手榴弾を投げ返すのに成功したが、8つ目が彼の手の中で爆発し死亡した。

テロリストがフェスティバル会場から延びる唯一の道路を封鎖したとき、ベン・シモニさんは自分の車にできるだけ多くのフェスティバル参加者を乗せて救出しようと、型破りな行動に出た。彼は、武装勢力が構築したフェンスの穴を通ってガザ地区に入り、パレスチナ領内を通り抜け、別の穴を通って再びイスラエル領に戻った。彼はそれを2度成功させたものの3回目の救出行動中に殺害された。

A Hamas militant pointing his gun into a shelter where attendees of the festival were hiding/ By Dashcam footage: No human authorship, Public Domain
A Hamas militant pointing his gun into a shelter where attendees of the festival were hiding/ By Dashcam footage: No human authorship, Public Domain

この際、武装勢力が捕虜にした少女たちに残忍な性的暴行を加え、生きたまま切断したという証言は数多くある。暴力行為の後、彼女たちは殺害された。約40人のフェスティバル参加者がハマスによるガザ地区に人質として連れ去られた。

11月末までにイスラエル政府は、一時的な停戦とイスラエルの刑務所からのパレスチナ人テロリストの釈放と引き換えに、約250人の人質のうち105人の解放を交渉することに成功した。しかしそれ以後、人質の解放を巡る交渉は停滞している。

戦争

10月7日のハマスによる攻撃は、イスラエルでは史上最悪のテロ攻撃として認識されている。その2週間後、イスラエルは、人質の解放とハマスの軍事能力を奪うことを目的とした軍事作戦をガザ地区で開始した。

ハマス側は2007年以来、イスラエルとの戦争に備えて積極的に準備を進めてきた。ガザ地区の市民のために用意された数十億ドルにのぼる援助は、軍事インフラに投資され、戦争に対処するための広大な地下トンネルのネットワークが構築された。

ハマス指導部にとって人命は何の価値もない。死者が多ければ多いほど、イスラエルへの圧力が高まるからだ。その結果、ハマスが意図的に住宅地に軍事インフラを配置し、イスラエルの陣地に攻撃を仕掛け、人道的危機を人為的に作り出すために到着する援助を略奪してきた。

対照的に、イスラエル軍は軍事作戦を有利に進めるうえで有効であるはずの奇襲の要素を犠牲にしてでも、作戦開始前に住民に警告を発することで犠牲者を減らす取り組みを余儀なくされている。

この国家とテロ組織の間のハイブリッド戦争では、ハマスは欺瞞に大きく依存しています。ハマスはガザ地区における犠牲者に関するデータの唯一の情報源であり、検証は不可能なのが実態だ。専門家は、死者に関する統計は非論理的で明らかに誇張され、操作されていると指摘している。しかし、代替となる数字がないため、国際社会はそれに頼らざるを得ない。

自然死も含め、ガザ地区での死はすべて自動的にイスラエルのせいにされる。ハマスが子どもや女性の死者数を水増ししているのは、パレスチナとイスラエルの紛争の詳細をよく知らない人々の同情をあてにしているからだ。また、イスラエルの攻撃で負傷したり死亡したりした人々を、変装した地元の人々が演じる「パリウッド」という現象もある。時には、「死んだ」役者が自分の役割を忘れ、目を開いたり、動いたりすることもある。

ハマスだけではない

実際、イスラエルはイランが作り上げた中東にいおける武装集団のネットワークである「抵抗の枢軸」と対峙している。レバノンのヒズボラ、イエメンのアンサール・アラー(フーシ派)、シリアとイラクの親イラン派などが含まれる。これらの武装集団は定期的にイスラエルを攻撃している。こうした攻撃の背後には、現在のイスラム政権がイスラエルの破壊にコミットしているイランの存在がある。

Fighters from the Lebanese militant group Hezbollah carried out a training exercise in Aaramta village in the Jezzine District, southern Lebanon, on Sunday, May 21, 2023. The show of force came ahead of “Liberation Day,” the annual celebration of the withdrawal of Israeli forces from south Lebanon on May 25, 2000, and in the wake of a recent escalation of the Israel-Palestine conflict in the Gaza Strip./By Tasnim News Agency, CC BY 4.0
Fighters from the Lebanese militant group Hezbollah carried out a training exercise in Aaramta village in the Jezzine District, southern Lebanon, on Sunday, May 21, 2023. The show of force came ahead of “Liberation Day,” the annual celebration of the withdrawal of Israeli forces from south Lebanon on May 25, 2000, and in the wake of a recent escalation of the Israel-Palestine conflict in the Gaza Strip./By Tasnim News Agency, CC BY 4.0

4月、イランは数百発のロケット弾と無人機でイスラエル領土を直接攻撃した。米国といくつかの穏健なアラブ諸国の関与により、この脅威は阻止された。

イランの最も重要な代理団体はレバノンのヒズボラでである。10月8日に、このグループはパレスチナのグループとの連帯を示すために、明確な理由もなく南に隣接するイスラエルを砲撃し始めた。

ヒズボラは徐々にイスラエルへの圧力を強め、国境付近のイスラエル北部の町に大きな損害を与えている。米国とフランスは両陣営を牽制し、この紛争が予期せぬ大規模な地域戦争にエスカレートするのを防ごうとしている。この紛争は今後数週間のうちに始まる可能性がある。

火の海

10月に、北部イスラエルの住民は命の危険を感じて家を離れ始めた。61,000人が政府出資のホテルで暮らしている。彼らはヒズボラがレバノンから北部イスラエルを激しく砲撃し続けているため、家に戻ることができない。

また、ガザ地区との国境近辺のコミュニティーに住む7万人の住民も家を離れることを余儀なくされた。何千もの家族が、戦争から遠ざけるために子供たちを海外に送り出した。

Image credit: Royal United Services Institute (RUSI)
Image credit: Royal United Services Institute (RUSI)

ハナ・ツィポリさんは、ロシアによりウクライナに対する「特別軍事作戦」が始まった後、2022年末にロシアからイスラエルに移住した。その当時、彼女はまさか戦火が移住先のイスラエルでも広がるとは想像もしていなかった。

「10月7日の朝、私たちはぐっすり眠っていましたが、突然空襲警報が鳴り響きました。」とツィポリさんは振り返った。「サイレンは鳴り止まず、私たちはシェルターに駆け込みました。それまで何の前兆もなく何が起こっているのかわからなくて、とても怖かったです。5歳の息子の目には恐怖が浮かんでいたし、私自身もとても不安だった。私たちはその部屋で一日中、爆撃のなかでニュースを読み続けました。その後イスラエルがハマスに宣戦布告した瞬間が特に印象に残っています。それは本当に恐ろしいと感じた瞬間でした。」

ツィポリさんによれば、テロリストが住宅に侵入し、人々を殺害しているという報道に接し、自宅にいれば安心という先入観が打ち砕かれたという。「国内司令官がイスラエル国民に3日分の食料と物資を備蓄するよう勧告を出した後、もう耐えられないと悟り家族を連れてキプロスに飛びました。」とツィポリさんは語った。

キプロスではしばらくの間、大きな音に怯えて暮らした。ツィポリさんの下の息子はテロリストをゲームの主要キャラクターにした。彼女自身はハマスによる残虐な暴力の動画を無数に目にしたことでPTSDを発症した。不安と恐怖に苛まれ、血を見ただけでパニックに陥ったり、街でアラビア語を耳にするだけで恐怖に襲われた。ツィポリさんが家族を連れてイスラエルに帰国したのは1カ月後のことだった。

On 7 October 2023, around 70 Hamas militants attacked Kfar Aza, a kibbutz about 3 kilometers (1.9 mi) from the border with the Gaza Strip, massacring residents and abducting several hostages.
On 7 October 2023, around 70 Hamas militants attacked Kfar Aza, a kibbutz about 3 kilometers (1.9 mi) from the border with the Gaza Strip, massacring residents and abducting several hostages.

シャイさんはレバノンとの国境から6キロ離れたクファル・ブラディム村に住むコンピュータープログラマーである。ハマスの急襲を契機に事態がエスカレーションするなか、彼は妻と2人の幼い子どもを連れて欧州に避難した。しかし3か月後には貯金が底をつき、雇い主からの現場復帰の要請もありイスラエルへ帰国した。

Hana’s kids waiting for their flight to Cyprus in October 2023. Credit: Hana Tzipori
Hana’s kids waiting for their flight to Cyprus in October 2023. Credit: Hana Tzipori

ほぼ毎日、空襲警報のサイレンが聞こえるという。ドローンやロケット弾が飛び交い、イスラエルの防衛システムがそれを迎撃し、大砲が応戦する音が聞こえる。

「私たちはみな緊張しています。家族を残して仕事に出るのが怖い。ありがたいことに、自宅で仕事をする許可をもらうことがよくあります。この不安のせいで、毎晩お酒を飲むようになりました。落ち着くためにマリファナも吸いますが、リラックスできません。いつも緊張していて、家族のことが心配なんです。」とシャイさんは語った。

私たちの世代は比較的平和な時代を生きてきた。しかし、ここ数年、戦争は思いのほか身近なものであることが明らかになっている。第二次世界大戦後に形成されたグローバル・システムは、紛争を解決する手段として戦争を否定したが、徐々にそれは摩耗していった。その結果、世界ではより多くの戦争が起きている。私たちの世代は、子どもたちや孫たちを戦争から守り、私たち全員により良い未来への希望を与える新しいシステムを開発する必要がある。(原文へ)|ロシア語中国語

INPS Japan

This article is brought to you by INPS Japan in partnership with Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

*INPS Japanでは、ガザ紛争のように複雑な背景を持つ現在進行中の戦争を分析するにあたって、当事国を含む様々な国の記者や国際機関の専門家らによる視点を紹介しています。

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|インド|1991年のトロンベイ放射能漏れの影響を追う

【ムンバイ(ロンドン・ポスト)=フルトウィ・クシルサガル、スマイヤ・アリ】

セメントで固められ、有刺鉄線が張り巡らされたバーバ原子力研究センター(BARC)の複合施設に隣接して、ムンバイ東郊のトロンベイ村の集落がある。この付近の特徴は、トタン屋根の家屋と無数の狭い連絡通路だ。

この区域では、鼻を突くような化学薬品のような異臭が漂っている。トロンベイ村は、BARC施設内にある2つの研究炉「シーラス(CIRUS)」と「ドゥルヴァ(Dhruva)」から歩いて行ける距離にある。

Map of India
Map of India

インド政府当局はこの原子炉の秘密を70年近くにわたって隠匿してきた。1991年12月1日、シーラスとドゥルヴァ原子炉付近から大量の放射線漏れ事故があった。

この事件を報じたのはインドの非核化を求める雑誌『アヌムクティ』の1992年8・9月号であった。トロンベイの原子炉から有害な物質が漏れて深刻な土壌汚染を引き起こし、さらに有害な廃液がアラビア海に流出した可能性が指摘された。

放射性化学廃液が縦横に流れている場所に形成されたこの地域では、高い数値のセシウム137があると推定されている。この高い数値は、原子炉と海との間の土壌の中に広範にみられた。これらの原子炉の事業者が引いたパイプラインは、最終的に水の流れに行き着く。

質問を受けたBARCの科学者は、「入植地はありません。」と述べ、施設周辺における住民の存在を否定した。しかし、近くのトロンベイ・コリワダやトロンベイ・チータに居住区があり、その住民の大部分は低所得者層の漁民だ。

ムンバイ在住のルパ・チナイ記者は1992年当時この流出事故について報じ、放射性物質の海洋流出が食物連鎖を阻害する危険性を指摘した。その中でチナイ記者は、「放射性物質は水中で見えませんし、長期間残留します。例えば、汚染された海産物を人間が取り込むことで、人体に重大な影響をもたらす可能性があります。同様に、水、植物、鳥、昆虫が放射性物質を媒介しますが、地域住民たちは放射性物質が流出した事実を今日まで知らされていません。」と記している。

1991年の放射線漏れ事故の現場に最も近い病院を訪問したところ、「1991年から2000年の間、死産する事例が極めて多かった。」との証言が病院のベテラン看護師から得られた。1991年とはちょうど放射線漏れ事故が発生の年である。

Laboratories BARC also played an essential and important role in nuclear weapons technology and research in India. The plutonium used in India’s 1974 Smiling Buddha nuclear test came from a research reacter CIRUS here. Photo: Nuclear reactor of Bhabha Atomic Research Centre (view from Arabian sea) By Sobarwiki – Own work, Public Domain.

原子力規制委員会(AERB)の元委員長であるA・ゴパルクリシュナン博士は、1970年代から80年代にかけて多くの村人が臨時労働者として放射性物質の除去に従事していたことを指摘した。トロンベイの村には、毎日技術者エリアに入る前と退出する際に放射能被曝の有無をチェックされるBARCの技術者が多数住んでいた。すでに退職している技術者に質問したところ、当時その数値に上下の変化があることを認識しておらず、作業中は原発施設のオペレーターの指示に依存していた語った。

バーバ原子力研究所ウェブサイトに掲載されている安全マニュアルによると、包括的なモニタリングと定期的な検査が重要であるという。

トロンベイの住民に取材してみると、BARCへの不満の声が聞かれた。「BARC従業員のほとんどがこの地区から出ているにもかかわらず、BARCの人間が定期的な健康診断や調査に来たことはありません。」と、ある住民は語った。

さらに、1986年環境保護法第2章の条項は、環境の質の向上や公害の予防・抑制・緩和について説明している。

トロンベイ・コリワダの漁民らは現在、魚の種類が少なくなってきたことに不平を述べている。コリワダの漁民サンジェイ・トゥルベカル氏は、「網にかかってくる魚が依然と比べて小さくなってきた。」と語った。

BARCの運営側と科学者らは、文書や安全マニュアルをウェブサイトで公開していると主張している。さらなる情報はこちらで。

インドの反核抵抗活動

インド南部のタミル・ナドゥ州には国内最大級のクダンクラム原子力発電所がある。1979年年に建設が提案されて以来、地元住民は反対運動を続けてきた。抗議者たちは、原発から放出される排水が海に流れ込み、魚の質に影響を及ぼすと主張している。インドの雑誌『Caravan』は、日本の福島原発事故の後、2011年にプロジェクトに対する抗議が高まったと報じている。原発の稼動以来、魚の質と種類が低下していると、魚類労働者たちは語っている。

原発稼働に向けた最終的な作業が行われていた2012年の抗議活動では、66人が逮捕され1人が殺害された。

マハラシュトラでは、タラプール原発の「負の側面」について、人々が折に触れて抗議している。インドの新聞『テレグラフ』紙は、同原発は地元の村民や漁師らの反対を押し切って稼働したと報じている。

しかし、バーバ原子力研究センターの研究者が行った調査によると、過去20年間、インドにある6つの原発からの放射能放出と潜在的な環境破壊は「最小限」であったと主張している。

しかし、バーバ原子力研究センターの研究者らが行った調査によると、この20年間にインドの6カ所の原発から排出された放射性物質やそれが環境にもたらしうる被害は「最小限」であると主張している。(原文へ

INPS Japan/London Times

バーバ原子力研究センター(BARC)インドの核兵器技術と研究において重要な役割を果たした。1974年の核実験(微笑むブッダ)で使用されたプルトニウムは、ここにある研究用原子炉CIRUSから供給された。

This article is brought to you by London Post, in collaboration with INPS Japan and Soka Gakkai International, in consultative status with UN ECOSOC.

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侮辱、病気、死—パキスタンの下水作業員の生活

【カラチIPS=ゾフィーン・イブラヒム】

まず黒髪の頭が、次に胴体が現れた。頭髪の薄くなった男が自らの体を持ち上げ、マンホールの淵に手をかけて、2人の男に引き上げられた。苦し気に息をするその男は40代後半のようだ。彼が出てきたマンホールの中で悪臭を放ちながら渦巻く水と同じ濃い色のズボンをはいて、マンホールの端っこに座っている。

これはカラチでよくみられる風景だ。この都市では、2000万人以上の住民が毎日4億7500万ガロンの下水を敷設から数十年経ち老朽化しているシステムに流している。

この2年で100回以上は下水に潜って仕事をしたアディル・マシ(22)は「自分の腕は上司に示すことができた。うまく仕事ができる。」と語った。彼は今年後半、カラチの上下水道公社(正規名称「カラチ上下水道委員会:KWFC」、通常「水委員会」)でカチャ(非正規雇用)からプッカ(正規雇用)への昇進を狙っている。

月収2万5000ルピー(90米ドル)で3カ月ごとにまとめて7万5000ルピー(269米ドル)を受け取るアディルは、正規雇用になれば、シンド州の最低賃金制度によって少なくとも3万2000ルピー(115米ドル)は受け取れるようになる。

左の耳たぶに金属製のピアスをつけたアムジャド・マシ(48)は、「初めての経験というのは、いつだって一番恐ろしいものです」と振り返る。下水を詰まらせないように手作業を行う約2300人の下水処理労働者の中で、彼はアディルに、汚泥に飛び込む際の注意点を教えたという。「死を避けるには賢くならないとね。潜る以上、死のリスクは付きものだから。」

岩や汚泥の入ったバケツを引き上げるためにマンホールを降りていくときに心配すべきことは、ゴキブリの大群でもマンホールの中を漂う悪臭でも、汚水を泳ぐネズミでもなく、汚水を浮遊している刃物や使用済みの注射器なのだ。

Sewer work is dirty but essential work in a busy city like Karachi. A worker popularly known as Mithoo rests after unblocking sewage. Credit: Zofeen T. Ebrahim/IPS

しかし、下水の中に入っていくのは最終手段である。「私たちはまず、長い竹のシャフトでゴミを突いてほぐし、詰まりを解消しようとします。それがうまくいかないと、側溝に降りて手で掃除します。」とアムジャドは語る。彼は2014年に公社に採用され、2017年から正社員となった。

毒のマンホール

上下水道公社は、危険な化学物質や下水中を流れるモノや微生物から身を守るための防護器具を労働者に供与しているというが、アムジャドのようにその着装を拒絶するものも多い。

「岩や石を持ち上げるには、自分の足で感触を確かめる必要があるんです。大丈夫です。病院に治療に行って、また仕事に戻ってくる。それだけのことです。」とアムジャドは語った。

匿名を条件にIPSの取材に応じた上下水道公社の元職員によると、死傷者が何人も出ているという。「安全規則を遵守している労働者だけをマンホールに送り込むかどうかは、上司の考え方ひとつです。健康上の危険どころか命の危険すらある仕事ですから、ガスマスクやはしご、手袋のような防護器具が最低限含まれていなければなりません。」と語った。

物理的な危険物に加えて、メタンガスや一酸化炭素、二酸化硫黄、亜酸化窒素のような目に見えない危険も存在する。これらは、塩素系漂白剤や工業用溶剤、ガソリンなどが下水に流され、配水管のコンクリートと反応した時に生成されるもので、下水処理労働者の命を奪いかねないものだ。

3月の初め、パンジャブ州ファイサラバードで若い清掃作業員アリフ・ムーン・マシフ(25歳)とシャン・マシフ(23歳)が有毒ガスを吸い込んで死亡した。1月には、カラチで2人の作業員が下水管を清掃中に同様の運命をたどった。

アドボカシー活動を行う団体「清掃人達はスーパーヒーロー(Sweepers Are Superheroes)」によると、過去5年間でパキスタンの19地区で約84人の下水作業員が死亡している。隣国インドでは、2018年の国家清掃労働者委員会の報告によると、5日に1人の割合で下水作業員が死亡している。

「一度ほとんど死にかけたことがあります。」とアムジャドは、ガスで意識を失った経験を振り返った。「その時は運良く、仕事を終えて地上に出てから倒れたので助かった。しかし、下水管の中にいる間にガスを吸って亡くなってしまった同僚もたくさんいます。」

アディルも、「何度かガスを吸ってしまったことがあるよ。目が焼けるような感じがして、外に出ると吐いてしまったんだ。冷たい炭酸水を飲ませてもらって、生き返ったんだ。しかし、前回同じようなことがあったときは気絶してしまい、入院を余儀なくされた。」と語った。

「時とともに、予防策を講じることを学んでいった。」と、アムジャドは語った。

「マンホールを降りていく前に、蓋を外しておいてガスが逃げるようにした。下水の表面をネズミが流れているのを見たら、ガスが発生しているサインだ。」とアムジャドは言う。

カラチ上下水道公社の労働者は4人1組で働く。ひとりが、ロープに結びつけられたハーネスを付けて下に降りていく。異常事態が起こったり、仕事が完了したときは、ロープを引っ張る。すると、外で待っている残りの3人がすぐに中の人間を引き上げる。「3~4分間何の反応もないときは、意識を失っている可能性を考慮に入れてロープを引き上げるんだ。時には30フィートも下らないといけないから自分は5分は息を止めておくことができる。」と、アムジャドは説明した。アディルは「自分の限界は7フィートまでで、息も2分以上は止められない。」と語った。しかし、ガスは浅い排水溝でも発生する。大量の汚泥に加えて、排水溝に石や岩が詰まり、水の流れをよくするためにそれを引き上げないといけないこともある。

アムジャドとアディルは、上下水道公社の他の労働者と同じように公社を通さない仕事もしているが、公社は見て見ぬふりだ。「追加の収入が得られるなら、それはいいこと」と幹部は語る。

「住民や食堂の店長から頼まれて詰まった排水溝をきれいにすることがあるが、数時間の仕事でけっこうな収入になる。」とアディルは語った。

Adil Masih and Amjad Masih work in the sewers of Karachi, a dangerous and low-paying occupation. Credit: Zofeen T. Ebrahim/IPS

キリスト教徒に割り当てられる清掃の仕事

アディルとアムジャドは互いに親戚ではないが、マシ(Masih)という共通の姓を持つ。これは一族が同じ宗教を信仰していることを示している。2人ともキリスト教徒なのだ。「ウォーターエイド・パキスタン」によると、パキスタンの下水清掃労働者のうち8割がキリスト教徒であるという。しかし、2023年の国勢調査によるとキリスト教徒は人口のわずか2%しかいない。「法律・正義センター」(CLJ)が2021年に発行した『清掃作業における恥と烙印』という報告書によると、インド亜大陸に長年にわたって存在するカースト制度が人間をある特定の職業に結び付け、清掃作業に従事することになるという。

「この無慈悲なやり化はパキスタンでは大部分なくなっていたのだが、衛生関係労働はこの伝統的なカースト制度がいまだに残っている唯一の職業だろう。」と同報告書は指摘する。

このCLJの報告書は、上水を提供し下水システムの円滑な稼働を任務とする水衛生局(WASA)と、ラホール市の家庭や工場、病院などから固形ごみを収集し処分するラホール廃棄物管理社(LWMC)の従業員を調査したものある。WASAには2240人の衛生関係労働者がおり、うち1609人がキリスト教徒だ。LWMCの場合は、9000人の労働者のすべてがキリスト教徒だった。両社の従業員の87%が「『汚れ仕事』はキリスト教徒だけのもの」だと考えており、キリスト教徒の労働者の72%が、イスラム教徒(ムスリム)の同僚は「これは自分たちの仕事ではない」とみなしている、と回答した。

カラチでも同じことが言える。5年前までKWSCはとりわけ非ムスリムに対して下水労働への応募を呼びかけていたが、人権団体からの抗議で取りやめになった。

「私たちはこの条件を撤廃し、ムスリムからの下水清掃の労働者を雇い始めたが、彼らは下水に降りて行こうとしない」とKWSCの幹部は語る。パンジャブ州では、社会のマイノリティである非ムスリムだけを「汚れ仕事」に雇う差別的な政策が2016年に廃止された。

カラチの半分が掘られ、あらたな下水管が敷設されつつあるなか、その多くの作業をパサン(ある民族集団に属するムスリム)が担っていた。昨年まではアフガン人も行っていた。「彼らも同じ汚い水の中で作業していた」とアムジャドは言う。

彼はアパートの清掃人として働き始めた。こちらの方がずっと稼ぐことができる。

「政府部門で正規の仕事を得ることは生涯の保証を得るということだ。この仕事は保険になる」と彼は説明する。「日々のことを考えても、生活は少し楽になる。警察に嫌がらせを受けることはないし、病欠できるし、医療費もタダ。おまけに年金もあって、誰かの気まぐれで辞めさせられることもない。」

今後の見通し

しかし、アムジャドとアディルの仕事、そして彼らが使用者から受けている扱いは、「持続可能な開発目標」の下でパキスタン政府が約束していることには完全に反している。とりわけ、その第8目標(衛生関係労働者の労働環境改善)に反する。目標8.5(完全雇用、人間らしい労働、同一賃金)や、目標8.8(労働者の人権の擁護、安全な労働環境の確保)が2030年までに達成されることは考えにくい。

市民団体「パキスタン人権委員会」のファラー・ジア代表はIPSによる取材に対し、「パキスタンは、同国の労働者の中で最も周縁化された存在だとみなされる衛生関係労働者に人間らしい労働環境を実現するという点ではほとんど進歩がありません。」と、指摘した。

「彼らは生存に足る賃金も与えられていなければ、社会的な烙印を押されることのない労働環境にもない。しかも、労働災害から身を守るためのまともな安全器具も与えられず、訓練も受けていない。加えて、2006年の「国家衛生政策」は時代遅れで「これらの問題への対処に全く追いついていない。」とジアは語った。

アムジャドやアディルが暮らしているシンド州でも同じことが言える。「シンド州政府は2017年に州の衛生政策を決定しているが、こうした労働者の労働環境や生活環境に関連した懸念に応えるものになっていない。」とジアは指摘する。

2021年、SDG第8目標に従って、「ウォーターエイド・パキスタン」(WAP)がパンジャブ州ムザファルガルの地方政府と協力し、衛生関係労働者の安全向上に乗り出した。WAPの戦略・政策プログラム責任者であるムハンマド・ファザルは、「安全装備の提供や清潔な飲料水へのアクセスとは別に、このような『必要不可欠な労働者』に、彼らに相応しい敬意と尊厳が与えられるべきです。」と語った。

カラチを拠点とする工業技術者で社会活動家でもあるナエム・サディクは、長年こうした労働者の権利のために闘っており、公共部門における最高賃金と最低賃金を計算してきた。

「英国では、清掃労働者と幹部の給与比は1:8だが、パキスタンでは1:80になります。英国では、清掃労働者と上級裁判官の給与比は1:11だが、パキスタンでは1:115です。英国では、清掃労働者と公共部門で最も給与の高い者の給与比は1:20だが、パキスタンでは1:250にもなります。」とサディクはIPSの取材に対して語った。

サディクは手作業で汚泥を扱わせるのを禁止すべきだと考えている。「人糞や毒ガスでまみれた下水の中に人間をどうして送り込むことなどできようか。こうした汚く危険な仕事をするには機械を使うべきです。」

上下水道公社の担当者は、「公社には128台の移動式タンクがあり、これらの機械で下水から水分を除去することで、清掃員が30フィートのマンホールに潜らずに、手作業で取り除かなければならないシルト、木材、石を取り出すことができます。」と語った。

しかし、サディクにしてみればこれでも不十分だ。1年前、彼は慈善団体とともにシンプルな構造の下水清掃機のプロトタイプ(バイクの骨格を用いたもの)を開発した。サディクによれば、これは世界で最も安価なもので、150万ルピー(5382米ドル)で入手できるという。「これは高圧吸引噴射機で下水に深く挿入すれば、下水の中から石や岩、汚泥や泥を引き上げ下水管の詰まりを取り除くことができます。」

今後は政府がこのデザインを採用し、バライ(やさしさ、利益などを意味する)と名付けられたこの装置の製造を開始するかにどうかにかかっています。「私たちは設計図を提供する用があります。」とサディクは語った。(原文へ

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松葉を火災の危険から再生可能燃料へ

【ニューデリーINPS Japan/ SciDev.Net=ランジット・デブラジ

インドの広大な亜ヒマラヤ帯の針葉樹林では、松葉の燃えやすさが火災の主な原因となっているが、一方で松葉は豊富な再生可能エネルギー源である、と研究者らは言う。

インドの国営中央農業工学研究所(CIAE)の研究者らによれば、落ちた松葉は乾燥した時期に発火し、壊滅的な森林火災を引き起こす可能性があるため、森林床から松葉を除去する必要があるという。

『カレント・サイエンス』誌に掲載されたこの研究は、松葉の炭化とブリケット化によって、温室効果ガスの発生を抑制できる可能性について検討したものである。

インドのボパールにあるCIAE農業エネルギー・電力部門の上級科学者、サンディップ・マンダル主任研究員はSciDev.Netの取材に対して、 「松葉は簡単に圧縮して高発熱量のブリケットにすることができ、あらゆる熱用途に使用することができ、化学プロセスを通じて高品質のバイオ燃料を生成することができます。」と語った。

熱分解(酸素のない状態で有機物を加熱するプロセス)により、松葉は1キロ当たり28.52メガジュールの発熱量を持つバイオオイルに変換され、内燃機関用の混合燃料や炉の燃料として使用できることが、この研究で明らかになった。

これに対し、ディーゼルの発熱量は1キログラムあたり約45.5メガジュールである。

「バイオオイルの引火点、発火点、流動点は、高速ディーゼルよりも高かった」と研究は述べ、「オイルは広く使用されている圧縮注入エンジンにも適している。」と付け加えた。

また、松葉から作られたブリケットは、レンガ窯やボイラーの燃料として使用され、電力を生成するだけでなく、家庭用の清潔で手頃な燃料としても提供できる。

ブリケット化には、乾燥した植物由来のいわゆる「リグノセルロース系」バイオマスを高密度化し、発熱量が高く、貯蔵・輸送が可能なブロックにすることが含まれる。バイオマスは、その豊富さから、太陽光、風力、水力といった他の再生可能エネルギー源に勝るとも劣らない、と研究は言う。

また、松葉を熱分解するとバイオ炭が生成されるが、これは土壌の炭素隔離に理想的な材料であり、気候変動の緩和にも貢献できる、と研究者は言う。分析によると、ブリケット化、炭化、熱分解の3つの変換技術を組み合わせることで、87%のエネルギー効率を達成できることが示された。

松葉の活用

松葉は他の種類の植物バイオマスとは異なり、微生物によって容易に分解されず、森林の床に蓄積する。研究は、インドの夏季には1ヘクタールの松林に約6.3トンの松葉が落ちると推定している。

ヒマラヤ亜熱帯松林は、パキスタン、インドのジャム・カシミール、ヒマーチャル・プラデーシュ、ウッタラーカンド、シッキム、アルナーチャル・プラデーシュ州およびネパールやブータンを含む、世界最長の3,000キロメートルの範囲に広がり、77,700平方キロメートル以上を覆っている。

インド国内では、松葉の商業利用を目指した研究や活動の多くは、ヒマーチャル・プラデーシュ州北部に集中しており、同州には約3,300平方キロメートルの松林があり、毎年約1,300メートルトンの松葉を排出している。これらの森林の大部分は、支配的で干ばつに強いヒマラヤマツで占められている。

ヒマーチャル・プラデーシュ州政府によると、同州では毎年平均2,000件の森林火災が報告されている。

2001年から21年にかけて、ヒマーチャル・プラデーシュ州では900ヘクタール以上の森林が火災によって失われた。グローバル・フォレスト・ウォッチのデータによると、最も深刻な損失は2004年で、150ヘクタールが焼失した。

ヒマーチャル・プラデーシュ州の州都マンディにあるインド工科大学(IIT)は、再生可能エネルギー源としての松葉の可能性と、森林火災を引き起こす松葉の役割を認識し、ヒマラヤ生活向上センターで特別プログラムを実施している。「4月から6月の夏季に落ちる松葉は、森林の床への水の浸透を妨げます。」と、IITマンディのアルティ・カシャップ准教授は語った。

「その結果、乾燥と松葉に含まれる油分により、松葉は瞬時に発火し、生物多様性、森林、環境、地域経済に甚大な損失をもたらすことがよくあります。また、松葉の密生によって太陽光が地面に届かなくなるため、草の生育が妨げられ、村人たちは家畜の放牧が困難になります。このため、村人たちは松葉に火をつけるしかないのです。」とカシャップ准教授は語った。

カシャップ准教授はまた、「IITマンディのプログラムは、松葉を集めて加工センターまで運ぶことに重点を置いていますが、ヒマーチャル・プラデーシュ州の丘陵地帯では問題があります。私たちは、小規模なペレット化またはブリケット化ユニットを各地に設置することが、最も実行可能な選択肢であり、地元の生計を立てるために重要であると考えています。」と語った。

多くの研究と試験を経て、IITマンディは松葉を切り刻んで圧縮し、清潔で高密度で扱いやすいブリケットを作る方法を開発した。これは燃料として高い需要があり、特許の申請が進行中です。」とカシャップ准教授は語った。(原文へ

INPS Japan/ SciDev.Net

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