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|ラオス|米不発爆弾処理のため、SDG「第18目標」を適用

【ビエンチャンIDN=カリンガ・セレヴィラトネ】

バラク・オバマ大統領の9月初めのラオス訪問によって、史上最も恐るべき戦争犯罪のひとつに焦点が当てられることになった。それは、1960年代から70年代にかけての第二次インドシナ戦争中にこの東南アジアの内陸国に対して加えられた爆撃であり、それが人間や環境に及ぼした甚大な被害の問題である。

ラオスは、オバマ大統領と国連の潘基文事務総長のASEAN・東アジアサミット参加の機会を利用して、不発弾が開発・経済活動に及ぼす悪影響を軽減するために、独自に「持続可能な開発目標」(SDGs)の「第18目標」を設定した。

SDG「第18目標」は、世界で合意された17項目の開発目標に新たに付け加えられたものである。この17の開発目標は、ラオス人民民主共和国の国連事務所の報道発表によれば、今年初めに発効した新たな「持続可能な開発のための2030アジェンダ」の中核を構成するものである。ラオスは、他の国連加盟192カ国とともに、2015年9月にニューヨークの国連総会でSDGsに賛同し、それを国内の計画や政策に盛り込むための努力を続けてきた。

ラオスのトンルン・シースリット首相と潘事務総長は9月7日、サミット会合の間に行われた特別サイドイベントでラオス独自の国内SDGsを立ち上げた。このイベントで発言した潘事務総長は、ラオスにおける近年の不発弾による被害者の半分以上は子どもであり、ほとんどの場合は男の子であると指摘した。

「私たちはSDG『第18目標』を通じて、こうした恐るべき傾向を永久に断ち切りたいと考えています。不発弾汚染がもたらす社会経済的影響は、人々が自分の土地の安全性に自信を持てないということを意味し、ひいては、農民やその家族の収入に悪影響を及ぼし、国全体の開発を阻害することになります。」と潘事務総長は語った。

潘事務総長はさらに、「私は、最大限の効果を上げられるよう国内SDGのような強力なツールを用いて民衆を不発弾から解放しようとするラオス政府の取り組みを歓迎します。」と付け加えた。

ラオスには、世界で最も激しい爆撃を受けた国という特別の事情がある。1964年から1973年の間に、ラオスは世界史上もっとも激しい空爆を受けた。

この9年間で主に米空軍によって50万回以上の爆撃作戦が行われた。投下された爆弾は200万トンにも及び、これは、当時のラオスの人口1人あたり約1トンの爆弾が投下されたことになる(オバマ大統領はビエンチャンで行った演説の中で、当時米軍がラオスに投下した爆弾の総量は第二次世界大戦中にドイツと日本に投下した爆弾の総量を上回っていたと述べた:INPSJ)。

こうした爆弾のほとんどは、衝撃と同時に、或いはそのわずかの後に爆発するように設定された対人クラスター弾であったが、国連の推計によると、不発率は30%にも上るという。結果として、戦争から40年以上経っても、ラオスの18の県のうち15の県で不発弾が依然として影響を及ぼしている。

B-52D during a bombing mission over South-east Asia/ USAF - National Museum of the USAF photo 061127-F-1234S-017, Public Domain
B-52D during a bombing mission over South-east Asia/ USAF – National Museum of the USAF photo 061127-F-1234S-017, Public Domain

1996年から97年に実施された「全国不発弾社会経済影響調査」によると、ラオスの133地区のうち86地区(すべての村落の25%)に依然として不発弾が存在するという。

推定8000万発のクラスター弾が不発のまま残されている。不発弾は開墾のための安全な農業・土地利用を阻み、交通やエネルギーインフラ、学校、病院、水供給施設などの建設をより高コストで危険なものにしている。こうしたことから、ラオス政府は持続可能な開発目標に独自の「第18目標」を加えたのである。

国連開発計画(UNDP)ラオス事務所・不発弾貧困問題ユニットの責任者ニルス・クリステンセン氏はIDN-INPSの取材に対して、「不発弾による被害のほとんどは、農村地帯で、最も貧しい人々の間で起こっています。これこそが(不発弾問題と)貧困問題とのリンケージ(つながり)です。」と指摘したうえで、「農村地帯で開発を行おうとすれば、それ自体が難題となります。農民が畑で働けば、地面には爆弾が埋まっているかもしれない。生命や開発活動への直接的なリスクとなるのです。」と語った。

1975年の第二次インドシナ戦争終結以来、ラオスは不発弾処理のための多大なる努力を払ってきた。当初は、影響を受ける農民や地域コミュニティーが、自らの命を危険にさらして自分たちで処理していたのである。

Map of Laos
Map of Laos

国際的な慈善団体や専門のNGOからの支援はずっと後になってから始まった。というのも、ラオスでの戦争は、アメリカ国防総省(ペンタゴン)の「秘密戦争」として知られ、国際的なメディアの目からは隠されていたからだ。ほとんどのアメリカ国民すら、ラオスからベトナムへのベトコンの補給線を絶つためと称して自国政府が行った戦争犯罪について知らなかったのである。

1996年、ラオス政府は、UNDPの支援を得て、残された不発弾の問題に対処するための全国責任者を置いた。これが、戦争の負の遺産を取り除こうとするラオスの取組みの根幹となった。この20年間、不発弾処理部局は300平方キロを安全地帯にし、130万発以上の不発弾を処理し、不発弾の危険性について地域コミュニティーに知らしめるために、村落訪問を1万1000回以上実施している。

「SDG『第18目標』は、進むべき明確な目標を与えました。」「私たちは大胆な目標を設定してきました。たとえば、できるだけ最小限のレベルに被害を縮小していきたいと考えています。」と、デンマーク人のクリステンセン氏は語った。

クリステンセン氏は、「ラオスでは毎年のように被害が発生しています。」と指摘したうえで、「既に(終戦から)40年以上が経過しています。もはや(不発弾による)被害は起こらないと言えるまでの状態にもっていきたい。」と語った。

SDG「第18目標」実施の最初のステップとして、ラオス政府は不発弾汚染の包括的な全国調査の実施を計画している。これは、除去作業すべきハイリスク地帯を定め、被害を軽減するのに役立つであろう。

Laos's SDG 18
Laos’s SDG 18

UNDPとラオス政府にとっての課題は、取り組みの必要な領域の重点化を進めることだ、とクリステンセン氏は語った。「もし村落の近くに広範囲な汚染地帯があったとすれば、誰も住んでない山間部の処理を進める前に、そこを優先しなくてはなりません。重点化は、人の住むところ、生活のあるところ、汚染が人間生活や人間の活動にとってリスクになるところが対象となります。」

UNDPが支援する不発弾処理部門は2015年、証拠をベースにした不発弾調査の新しいアプローチを採用し、単位土地あたりのクラスター弾処理数を飛躍的に伸ばした。2014年には1ヘクタール当たり7発の処理実績だったが、2015年には22発以上に改善された。

新たな調査アプローチでは、まず地元の人々と協議して、村落周辺のすべての既存の不発弾汚染地域を明らかにする。次に、それぞれの「危険物確認地帯」の程度を確定する技術的調査を行い、その結果を全国データベースに登録して優先的に処理を進める。

困難な地形において作業を進める適切な技術を手に入れることは、ラオスの不発弾処理事業にとっての最大の課題だとクリステンセン氏は論じる。「私たちは、地表から25センチまでの不発弾を探知しなくてはなりません。私たちには様々な機器が必要です。というのも、すべては土地の状況次第で、地形や土壌によっては特定の機器が有効に活用できない等の問題があるからです。」

ラオスはまた、2010年に発効した国際協定である「クラスター弾に関する条約」の実現に主導的な役割を果たした。同条約は加盟国に対して、汚染地帯の処理を進め、備蓄兵器を破壊し、クラスター弾による被害者に対する支援を行うよう義務づけている。(原文へ

翻訳=INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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FAWA Convention in Singapore

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Mr. Katsuiro Asagiri, President of INPS Japan visited Singapore to provide a multimedia coverage of the 22nd Convention of the Federation of Asian Women’s Association (FAWA) September 28-October 1, 2016 in Singapore at the invitation of the Secretary General of Ozaki Yukio Memorial Foundation, Takaaki Ishida, who is also President of ‘Issatsu no kai’, a Japanese NGO.

The 22nd Federation of Asian Women’s Association (FAWA) Convention held in Singapore from Sept 28-Oct 1, 2016.

FAWA Institutional facebook

Ozaki Yukio Memorial Foundation Celebrates 60th Anniversary

INPS-IDN documented the 60th anniversary event of Ozaki Memorial Foundation (Chairperson: Tadamori Oshima, house speaker of the House of Representatives) held at the Parliamentary Memorial Hall on October 28, 2016 with over 150 participants.

核兵器は配備されたか? – アイスランドで論争

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【レイキャビクIDN=ロワーナ・ビール】

最近ある文書が機密解除され、米国が北大西洋条約機構(NATO)の1949年創設以来の加盟国であるアイスランドに核兵器を配備したことがあるかどうかを巡る論争が巻き起こっている。

米国は、北大西洋と北極海の交わる戦略的な地点に位置するアイスランドに核兵器を一度も配備したことがないと主張しているが、これは、この国に核兵器を配備する計画が存在しなかったということを意味するわけではない、と専門家らはみている。バルール・インギムンダーソン氏とウィリアム・アーキン氏の研究によると、冷戦期にアイスランドは核の備蓄基地とみなされていた。

米国の「国家安全保障アーカイブ」(NSA)が発表した、さまざまな書簡や電報からなるこの文書の内容は、1951年11月18日まで遡る。これは、米国がアイスランド防衛を担うことを約した秘密の防衛協定を両国が結んでから半年後にあたる。

Map of Iceland
Map of Iceland

両国当局は、ひとつには当時冷戦下で勃発していた朝鮮戦争の存在、そしてもうひとつはアイスランドが軍隊を保持していないことから、こうした取り決めが必要になると考えていた。

最初の電報で、アイスランドのビャルニ・ベネディクトソン外相が、米国のモリス・N・ヒューズ公使に対して英『タイムズ』紙の記事を示している。その記事の中で、エドウィン・ジョンソン上院議員が、核兵器の配備先としては、英国よりもアイスランドや北アフリカ、トルコの方が優れていると述べていた。

ジョンソン議員の考えはアイスランドでは受け入れられないことを分かっていたヒューズ公使は、米国はアイスランドに核兵器を配備する予定はないと「公的に確認」することを推奨している。

つづく電報では、核兵器の配備場所に関する米国の伝統的な「否定も肯定もしない」政策について焦点が当てられている。1951年12月21日の「最高機密」の電報でヒューズ公使は、アイスランド政府との「十分な協議や合意なしに(米国が)動きを起こすことはない」とベネディクトソン外相に秘密裏に伝えることを認可すると米国務省筋から告げられている。

次の電報の時期は1960年、米国のスパイ機U-2がロシアの領空で撃墜されてから間もなくの頃のものである。当時のグドミュンドゥル・I・グドミュンドソン外相がタイラー・トムソン米大使に対して、米国はアイスランド南西部にある(当時の)ケフラビーク空軍基地をU-2飛行のために使用したことがあるか、同基地に核兵器を配備したことはあるか、同基地経由で核兵器を移動させたことがあるかと尋ねている。

これらの質問に対する米国の公式回答は機密指定されたままだが、トムソン大使による回答案では、グドミュンドソン外相に対して、米国はアイスランドに核兵器を貯蔵したこともないし、ケフラビーク基地を通じて(核兵器を)移送したこともないから心配に及ばないとしている。

それ以前の回答案が1週間前に電報で送られており、核爆雷を貯蔵する先進水中兵器貯蔵庫に関する米海軍の条件とその建設中の状況について言及しているが、その件は以後の回答案からは削除されている。明らかに、その施設を建設中だったアイルランド側では、(核爆雷ではなく)魚雷の貯蔵のために施設が使用されると考えていたのである。

United States conducted the Swordfish test of the ASROC nuclear depth bomb off San Diego in 1962/ The original uploader was Tempshill at English Wikipedia – Transferred from en.wikipedia to Commons., Public Domain

今回NSAの報道発表で言及された最後の機密解除文書は、イヴァン・ホワイト国務次官補代理(渉外担当)が送った最高機密の書簡に対するトムソン大使の回答だが、ホワイト次官補代理の書簡については依然として機密扱いされている。

トムソン大使の回答文書は、ホワイト次官補代理が「米国政府は、アイスランド政府と協定を結ぶことなく同国に核兵器を自由に配備できる」と主張した可能性をうかがわせている。

さらに、「もしこれが事実だとすれば、ドワイト・アイゼンハワー政権は『十分な協議と合意』を確認したディーン・アチソン(ハリー・トルーマン政権の)国務長官時代の政策を放棄していたことになる。」

米国が当時核兵器の貯蔵を検討していたのはアイスランドだけではない。西ドイツ、英国、トルコ、ベルギー、オランダ、イタリア、ギリシャもまた検討の対象にあがっていたが、ドイツと英国だけが公式に開示されている。

機密解除された文書に伴う報道発表によれば、核兵器がアイスランドに一度も配備されたことがないのは「確定済みの事実」であるという。

しかし、IDN-INPSが機密解除された文書を平和活動家のエルヴァール・アストラドソン氏にみせたところ、彼はすぐさま、「報道発表の内容は既知のものでしたが、誰もその存在を知らなかった秘密文書に関して、全くは言及していません。」と答えた。

その秘密文書とは、(NATO合意署名3日前にあたる)1951年5月5日に米国・アイスランド間で締結されたNATO合意への附属書と技術的別表である。これらは、アイスランドのヴァルゲルドゥル・スヴェリスドッティル元外相が2007年1月に同省のウェブサイトで公開して初めて注目を浴びることになった。「文書を公開した彼女の行為は、政治家たちの間ではあまり評判がよくなかった」とアストラドソン氏は付け加えた。

アストラドソン氏はさらに、「これらの文書は基本的に、米国にあらゆる行動の自由を許すものです。」と指摘したうえで、「1958年に英国で『核軍縮キャンペーン』(CND)が発足するまで、核兵器の問題についてほとんど関心が持たれておらず、アイスランド国民はこの問題に気づきようがなかったのです。」と語った。

上記の合意の実施に関する附属書は、アイスランド防衛隊(=米軍兵士)を受け入れ、軍事的使用のために適した区域を設定する取り決めに加えて、付属書第10条でこう述べている。「米国の公の艦船及び航空機、米国の軍隊、装甲車を含めた車輌は、当合意の下での作戦に関連して、領海・領土・領空・海洋を含めたアイスランドに進入し、その港と合意された領域との間を移動することを許される。米国の航空機は、合意された場合を除いて、制限なしに、領海を含めたアイスランド領土のいかなる場所においても、その上空を飛行し、着陸することを許される。」

Ásbrú is a part of the former U.S. Naval Air Base Keflavik not supervised by the Icelandic defence authorities. Credit: Lowana Veal | IDN-INPS

技術的別表第1には、「米国の軍事当局及びアイスランド当局は、軍事的要請の許す範囲において、ケフラビーク地域において米国が建設を希望する構造物や施設の場所に関連して、ともに協議を行う。」と記されている。

NSAは、核兵器がアイスランドに配備されたことはないと主張しているが、核兵器が少なくとも一時的立ち寄りの形で、アイスランドに存在したことを示す多くの証拠がある。

長い歴史を持つ「軍事基地反対キャンペーン」の機関紙『ダグファリ』には、そうした説明が数多くあり、1977年の号では、「反基地活動家らは、核兵器は貯蔵してはならないとNATO合意に明確に規定されているにも関わらず、ケフラビーク飛行場は核基地なのではないかと長らく疑っている。」と報じている。

『ダグファリ』の1999年の別の号では、核兵器がアイスランドに貯蔵されたことがあるかどうかについては疑問が残っているが、「核兵器が海軍の艦船に搭載されてアイスランドの領海を通過したことには疑いがない。」と報じている。

またある号では、アイスランドに駐留した経験のあるアメリカ人が、軍用機に核物質や五つ星の将官を載せていたことを回顧している。

この航空機は、兵器を搭載した航空機のために使用される専用の滑走路を使用していた。「このフライトのことは完全に忘れることだ」とその航空機のパイロットは彼に告げたという。給油の後、この航空機はフライトを続けた。次の日、彼は、この航空機はドイツに貯蔵される核兵器を運んだとみて間違いないことに気づく。1983年から86年の間のいずれかの時期のことであったという。

米軍は2006年に突如としてアイスランドから撤退した。それ以降、かつての米軍基地は、かつて軍によって所有されていた建物や施設を利用して、革新的な産業や技術、教育のためのセンターとして使用されている。

しかし今年初め、米国が、潜水艦監視作戦のため、海上を飛びソナーを使って潜水艦を探知できるように、航空機の格納庫の使用を認めるようアイスランド政府に要請した。

Member countries of NATO in blue/ Location_NATO.svg: Ssolbergj - Location_NATO.svg, CC BY 3.0
Member countries of NATO in blue/ Location_NATO.svg: Ssolbergj – Location_NATO.svg, CC BY 3.0

そして今年6月、米国務省高官がアイスランドのリリヤ・アルフレッズドッティル外相と会談し、再び米軍との協力を強化するよう要請した。2006年以降、安全保障環境が変化したとの理由だった。

さらに7月、「戦略国際問題研究所」(CSIS)が報告書を発表し、「NATOは、アイスランドのケフラビーク海軍飛行場を再開し、オーラウスヴァーンの潜水艦支援施設(2009年に閉鎖)を再取得・再開するようノルウェーに求めることで、適切な能力が適切な時に適切な場所で発揮できるようにするために、対潜水艦作戦態勢を最適化することが可能だ。」とする明確な提案を行った。しかしこの提案内容は、いかようにも解釈が可能なものだ。(原文へ

翻訳=INPS Japan

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「世界と議会」2016年秋冬号(第575号)

尾崎財団設立60周年特別記念復刻

■「尾崎記念会館・時計塔建設記」
  -建設の想いでと忘れ得ぬ人々-/川崎 秀二

■特別寄稿
 尾崎財団設立の追憶/高橋大輔

■INPS JAPAN
 国連、レソトの貧困撲滅支援強化へ

■連載『尾崎行雄伝』
第六章 改進・自由の泥仕合

■財団だより

1961年創刊の「世界と議会では、国の内外を問わず、政治、経済、社会、教育などの問題を取り上げ、特に議会政治の在り方や、
日本と世界の将来像に鋭く迫ります。また、海外からの意見や有権者・政治家の声なども掲載しています。
最新号およびバックナンバーのお求めについては財団事務局までお問い合わせください。

「核兵器なき世界」へのモンゴルの貢献(ジャルガルサイハン・エンクサイハン元モンゴル国連大使)

【ウランバートル/アスタナIDN-INPS=ジャルガルサイハン・エンクサイハン

核兵器の廃絶は、この大量破壊兵器をなくそうという70年におよぶ人々の熱意と希望を反映した、野心的な目標だ。ポスト冷戦期のパラドックスは、核兵器の数自体は削減されたものの、核兵器を保有する国の数は増えたという点にある。

また、核抑止ドクトリンをはじめ、冷戦期のレトリックや時代精神の復活、超音速の核兵器運搬手段の実験、(核使用)決定までに僅かな時間しかない高度な警戒態勢、核使用のハードルを引き下げる「爆発力調整」技術の導入によって、核使用のリスクは高まっている。

核兵器は人類を破滅させる兵器であり、従ってすべての人々にとっての脅威である。過去の記録を振り返れば、人類が核の破滅を逃れることができたのは、抑止政策のためではなく単なる偶然によるものであったことがわかる。人類の将来を、運や一部の人間の政策に委ねることはできない。

「人道主義的アプローチ」は、そうした核兵器のごく一部分でも使用されれば、医療、環境、人道の面で壊滅的な帰結を引き起こすことを、あらためて強調した。核兵器は人類にとって危険な自爆爆弾であり、核を保有する国々は、いってみれば潜在的な「自爆テロ犯」だとみなしてよいだろう。従って、核兵器の廃絶を目指す闘いにおいては、核保有国やその同盟国だけではなく、あらゆる国の積極的な参加が必要となる。

モンゴルの意義

Map of Mongolia
Map of Mongolia

冷戦期、モンゴルはある核兵器国(=ソ連)と同盟を組み、軍事基地を置くことを許していた。そのためモンゴルは核兵器国間の緊張関係の人質となり、その軍事紛争に容易に引き込まれる構造になっていた。

しかし冷戦が終焉し国際情勢が変化すると、モンゴルはそうした同盟に依存することを止め、共通の安全保障の論理と要請に従って、もっぱら政治的・外交的手段によって安全保障を確保する選択をしてきた。

こうして、1992年、モンゴルは「一国非核兵器地帯」の地位を宣言した。一貫性のある継続した政策、そしてそれへの広範な国際的支持を得て、今日のモンゴルは、国際的に認められた非核地位を享受している。

2012年、核保有五大国(P5)はその共同宣言で、モンゴルの非核地位を尊重し、それに違反するような如何なる行為も行わないことを誓った。この共同宣言は、モンゴルの地政学的な位置を反映して、モンゴルに特化した保証を与えたものである。それは、将来の地政学的な核の対立状況においてモンゴルを手駒として使うことはないと宣言したものであった。

実際上は、それは、150万平方キロという広大な領域が、「グレーゾーン」あるいは不安定要素になるのではなく、信頼と安定の地帯になるということを意味する。このことは、一国および地域の安全保障を強化するうえで国際社会のそれぞれのメンバーの役割が大変大きいことを示している。地理あるいはその他の要因によって、既存のあるいは新規の非核兵器地帯の加盟国になることができない約25の国や地域が、モンゴルの経験から利益を得て、「グレーゾーン」になることを避けることができるかもしれないのである。ここに、モンゴルの貢献と経験の実際上の重要性がある。

モンゴルの立法

モンゴルの非核地位は、単にP5による政治的了解、あるいはP5との取り決めであるにとどまらない。それは、国益と国の立法を基盤としたものでもある。こうして、2000年、モンゴルは一国レベルで非核地位を定義する立法を行い、その地位を犯すような行為を犯罪化した。モンゴル政府は、議会に対して定期的にその実施状況を報告しなくてはならない。この報告を基礎として、モンゴル政府は2015年、非核地位を地域安全保障の取り決めの不可欠の一部とすることを目的とした決議を可決した。

北東アジア非核兵器地帯

モンゴルは、自らの経験をもとに、北東アジアに非核兵器地帯を創設することが可能か、そしてそれはいかにして達成可能か、を検討する非公式ベースの作業を北東アジアの国々と行う用意があるとの意思表示をしてきた。これは、このデリケートで予断を許さない北東アジア地域において、安全保障の包括的なアプローチの本質的な要素となるものである。モンゴル大統領が2013年の核軍縮に関するハイレベル会合で既に指摘していたように、北東アジア非核兵器地帯の創設は決して容易な課題ではなく、勇気と政治的意志、忍耐を必要とするものだ。それは実現可能だが、いますぐできるというわけでもない。この地域の地政学と地域的な軍拡競争の可能性を考えると、北東アジア非核兵器地帯創設の道筋と手法を編み出すには特別の努力が必要とされるだろう。

「ブルーバナー」の活動

2005年に創設された独立の市民組織である「ブルーバナー」は、政府と協力して、モンゴルの地位を国内的にも国際的にも高める取り組みを進めてきた。今日、ブルーバナーはいくつかの問題に関する研究を進めている。ひとつには、モンゴルの地位を東アジア地域の安全保障や安定とつなげる適切な措置の策定について検討している。また、北東アジア非核兵器地帯創設への包括的アプローチについて、長崎大学核兵器廃絶研究センター(RECNA)のような域内の他のNGOやシンクタンクと協力している。

ブルーバナーは、今日において、ある国の領土に核兵器が単に存在しないということは、核の対立関係や紛争に巻き込まれたり、その状況の中で利用されたりする、ということにはならないと考えている。軍事計画において時間と空間が決定的な要素である場合には、非核兵器地帯の領域は、軍事の計画や準備、実行において利用されることになるかもしれない。

従って、ブルーバナーは、非核兵器地帯の意味合い(たとえば、単に核兵器が物理的に存在しないということだけではなく)を理解・解釈するための、より広範なアプローチの実行可能性について研究している。それはまた、核兵器使用インフラの追跡への関与、自国内への設置、あるいはそれへの関与を排除するという意味も含むだろう。

ブルーバナーは、「武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ」の一員として、北東アジアの他の市民団体と協力して、最近立ち上げられた「トラックII(=民間対話)ウランバートルプロセス」の枠組みにおいて、包摂的な地域のトラックII対話に向けた空間と場を作り出し、実践的な考え方を生み出すための取組みを行っている。すなわち、朝鮮半島の状況や、北東アジア非核兵器地帯の創設といった問題への対応に貢献する有益な考え方や提案の「実験室」として機能したいと考えている。

The international conference, Dimensions to Create a Nuclear-Weapon Free Northeast Asia held in Ulaanbaatar, Mongolia/ ICAN
The international conference, Dimensions to Create a Nuclear-Weapon Free Northeast Asia held in Ulaanbaatar, Mongolia/ ICAN

要するに、核兵器なき世界を作り出すためにはすべての国々の貢献が必要なのである。(原文へ

翻訳=INPS Japan

ジャルガルサイハン・エンクサイハン博士は、モンゴルを国内外で代表する政府の一員として印象的な経歴の持ち主である。2013~14年、多国間問題担当大使。モンゴルで2013年に開かれた「民主主義国共同体」の閣僚会合に向けた組織委員会の顧問。2008~12年、モンゴルの駐オーストリア大使、国際原子力機関(IAEA)大使。1996~2003年、モンゴルの国連大使(駐ニューヨーク)。1978~1986年、外交官として国連代表部に勤務。

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非核世界への道をリードするカザフスタン

エンクサイハン大使と8月31日に同行したセメイ(旧名:セミパラチンスク)訪問の映像ドキュメンタリーはこちら。

ベルリンでの世界会議、「心の脱軍事化」を求める

【ベルリンIDN=ラメシュ・ジャウラ】

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」。ユネスコ憲章前文はこのように謳いあげている。これはまた、「脱軍事!平和の気運醸成へ向けて:行動アジェンダを生み出す」と題された世界大会での中心的なメッセージでもあった。大会は、ベルリンで9月30日から10月3日にかけて開かれた。

「世界は過剰に武装しており、平和には過少な投資しかなされていない」という潘基文国連事務総長の言葉は、ベルリン工科大学のホールにも鳴り響いていた。

国際平和ビューロー(IPB)がドイツやその他の欧州諸国の団体、国際団体と協力して組織したこの集まりには、世界中の平和・軍縮・開発問題の活動家だけではなく、現職および元職の国連関係者、研究者、政府関係者、市民社会、宗教組織からも多数の参加があった。

IPBのインゲボルグ・ブレイニス共同代表は「過剰な軍事支出は、飢餓や苦しみに耐える人々からの『盗み』であるにとどまらず、人間の安全保障や平和の文化を確保する手法としては非効果的なものです。」と述べて、会議の方向性を示した。

1兆米ドル以上にも上る恐るべき軍事支出を大幅に削減することで、貧困削減につながるだろう。現在、人類の約3分の1は耐え難い状況下で暮らしており、その大多数が女性や子ども、若者たちだ。

「軍事部門から資金を移転し、気候変動、核兵器、行きすぎた不平等の問題等、地球や人類の生存そのものを脅かす真の安全保障問題に取り組まねばなりません。」とブレイニス氏は語った。

ブレイニス氏はまた、「すべての国々は、国連持続可能な開発目標が実施されている15年間(2015年~30年)で、1年あたり10%の軍事支出を削減しなくてはなりません。それで力の不均衡が是正されるわけではありませんが、民衆のニーズや希望を満たすうえではかなりの成果が得られるでしょう。」と指摘したうえで、「1年間の(世界の)軍事支出は国連の年間予算615年分に相当するため、軍事支出を削減すれば『戦争の惨禍から次の世代を救う』国連の取組みと可能性を強化することにつながるだろう。」と訴えた。

Federico Mayor Saragosa/International University of Andalusia - File:Federico Mayor Zaragoza en los cursos de verano de la UNIA 2007.jpg, CC BY 2.0
Federico Mayor Saragosa/International University of Andalusia – File:Federico Mayor Zaragoza en los cursos de verano de la UNIA 2007.jpg, CC BY 2.0

1987年から99年までユネスコ事務局長を務めたフェデリコ・マヨール・サラゴサ氏は、開発のための軍縮と、平和と非暴力の文化に向けて戦争の文化を転換することを訴えた。

マヨール氏は、「重要なのは国連の193の加盟国であって、G7やG8、G10、G15、G20、G24といった派閥的なグループではありません。」と述べ、国連強化の必要性を情熱的に訴えた。

サラゴザ氏は現在、「平和文化財団」の会長であり、「世界の子どもたちのための平和・非暴力文化促進の10年」の名誉理事会のメンバー、「平和アカデミー」の名誉議長でもある。

「1972年の生物兵器禁止、1996年の化学兵器禁止の場合とは異なり、核保有国は核兵器の禁止に激しく反発し、現在もその反発は続いています。」とジャヤンタ・ダナパラ氏は語った。ダナパラ氏は、1998年から2003年にかけて国連事務次長(軍縮担当)を務め、現在、「科学と世界の諸問題に関するパグウォッシュ会議(1995年にノーベル平和賞を受賞)」の議長を務めている。

ダナパラ会長は、「偽薬的な核軍縮」から「核兵器なき世界」へと移行する緊急の必要性を強調した。現在、広島・長崎を71年前に破壊した米国の原子爆弾よりもはるかに爆発力の大きい推定1万5850発の核兵器が9カ国によって保有され、そのうち4000発が高度な警戒態勢に置かれているのだから、なおさらである。

Jayantha Dhanapala
Jayantha Dhanapala

9カ国すべてが多大な費用をかけて核兵器の近代化を進める一方、朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)は、核実験禁止という国際規範に反して、5回目の、そしてこれまでで最も強力な核実験を9月9日に強行した、とダナパラ会長は語った。

カザフスタンのエルラン・イドリソフ外相の代理で参加したエルボラト・センバエフ大使は、中央アジアに位置するカザフスタンの例に核兵器国が倣い、すべての大量破壊兵器を廃棄する必要を強調した。

平和と対話、国際協力を強調したカザフスタンの外交政策は、核兵器の「非道義性」の認識、「安全保障のビジョン」、「健全な環境の保持」に導かれています、とセンバエフ大使は指摘した。

「カザフスタンが、核実験を終わらせ、核兵器の危険性を警告する世界的なキャンペーンの先頭に立っているのは、このことを視野に入れているからです。」とセンバエフ大使は語った。

他の登壇者らも、2009年9月9日にメキシコシティで開かれた第62回DPI/NGO会議「平和と開発に向けて:今こそ核軍縮を!」の開会あいさつで潘基文国連事務総長が指摘した残念な事態(「世界は過剰に武装しており、平和には過少な投資しかなされていない」)は依然として続いている、と語った。

Map of Kazakhstan
Map of Kazakhstan

IPB世界大会は、その「行動アジェンダ」において、「変革が必要な仕組みのリストの上位には、戦争体制を支える経済がある。私たちの主要な焦点は、軍事費に充てられる高いレベルの税収の問題である」と述べた。

「世界の諸政府は、軍事費に年間で1兆7000億ドル以上を割り当てており、これは実に冷戦期のピークを上回っている。この莫大な金額のうち約1000億ドルは核兵器関連のものであり、その生産や近代化、使用は、軍事、政治、法、環境、道徳の各観点からして、禁止されるべきものである。」

行動アジェンダ」は、この1兆7000億ドルのうち7割以上が北大西洋条約機構(NATO)加盟諸国によるものだと指摘する。「NATOが進めているこの危険な流れを反転させるために、私たちは、NATO諸国に対して、『GDP2%目標』を撤回し、軍事予算をさらに増やせとの圧力に断固として抵抗することを求める。」IPBの見解では、NATOは、解決策ではなく問題の一部であり、ワルシャワ条約機構の解散と共に解体されるべきものであった。

IPB行動アジェンダは、法の支配の軽視も指摘している。これは、混乱状態にある世界が直面している重大な事象のひとつである。「軍隊が繰り返し病院や学校を爆撃し、民間人を攻撃するとき、ある国が他国を侵略しその正当性に対する疑問が付されないとき、軍縮に対する長年の約束が果たされないとき、国連やその他の政府間機関のよき統治が大国間ゲームの狭間で脇に追いやられるとき、市民の行動こそが緊急に求められるのだ。」

「アジェンダ」は、人間のニーズを満たすための着実な取り組みを求めている。すなわち、支配的な成長モデルの拘束から解き放たれた持続可能な緑の経済に向けた資金移動である。そうした経済は、膨大な軍事支出と折り合うことはない、と「アジェンダ」は論じている。

「経済の脱軍事化には、民主主義、透明性、参加が要求される。このことは、軍事システムと、それに取って替えるために推進される平和構築・開発モデルの両面にわたって、ジェンダー視点を稼働させることを意味する」。

「軍事支出に関するグローバルキャンペーン」は、単に軍事予算削減以上のことを意味する、と「アジェンダ」は宣言する。それはまた、▽民需志向の経済への転換、▽軍事研究の廃止、▽平和を積極的に推進する技術革新、▽人間的解決と持続可能性を一般的に適用するための機会の創出、▽開発協力、暴力的紛争の予防・解決、▽心の脱軍事化、をも意味している。(原文へ

翻訳=INPS Japan

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国連安保理、核実験は禁止しても、核兵器は禁止せず

【ニューヨークIDN=ラメシュ・ジャウラ】

包括的核実験禁止条約(CTBT)の署名開放20周年を翌日に控えて、国連安保理は、20年前に確立されている核実験の事実上の世界的禁止を強化する決議を採択した。

拒否権を持つ米国・ロシア・中国・英国・フランスの5大国(P5)と、ローテーションで選出され2年の任期を持つ非常任理事国10カ国からなる国連安保理は、9月23日の集中審議の後、賛成14・反対0・棄権1で決議を採択した。エジプトは、決議の文言が核軍縮の必要性を強調していないとして、棄権した。

安保理は、「条約の死活的な重要性と、その早期発効を図ることの緊急性」を強調し、「すべての加盟国に対して、核爆発実験あるいはその他のいかなる核爆発も実施することを控え、この点に関するモラトリアムを維持することを呼びかけ」た。

そうしたモラトリアムは、「条約の早期発効と同じような、恒久的で法的拘束力のある効果を持つものではない。」と決議は指摘した。

決議は、9月15日の5大国による条約に関する共同声明に言及した。この声明は、「核爆発実験あるいはその他のいかなる核爆発も、CTBTの目標と目的を損なうもの」だと述べていた。

国連の潘基文事務総長は、条約を支持する安保理の行動を歓迎し、事態を主導した米国とそれを支持した安保理理事国、とくに常任理事国を賞賛しつつも、決議は「CTBT発効の代わりにはならない」と語った。

安保理決議採択直後に記者会見した包括的核実験禁止条約機関準備委員会(CTBTO)のラッシーナ・ゼルボ事務局長は、「核実験に反対する規範の強化につながるあらゆる取り組みをCTBTOは歓迎します。」と語った。

「非常に時宜を得た決議です。というのも、今年は包括的核実験禁止条約の署名開放20周年にあたるからです。と同時に、北朝鮮の行動が、核実験のモラトリアムを強力かつ確固たるものにすることでこの条約を発効させる絶対的な必要性を国際社会に思い起こさせたからです。」とゼルボ事務局長は語った。

ゼルボ事務局長が言及しているのは、北朝鮮が最近実施した核実験のことである。CTBTO、国連事務総長、安保理、それに国際原子力機関(IAEA)がこの実験を非難している。

ゼルボ事務局長はまた、「今日の安保理における決議採択は、包括的核実験禁止条約が依然として意義のあるものであることを示している。」と指摘した。

「この(安保理)決議が条約批准プロセスの代わりにはならないという、一部の国々の懸念については理解しています。引き続き批准プロセスが条約を発効させるための究極の方法であることには変わりありません。しかし、イラン合意が成立した今、この決議は、軍備管理・不拡散・そして究極的には核軍縮へと前進するための次の主要な要素になるという点で、重要なステップと言えるでしょう。私たちは、今後も軍縮に向かってさらなる措置が採られることを期待しています。なぜなら、国際社会はつまるところ、核兵器なき世界を追求しているのですから。」とゼルボ事務局長は語った。

Lassina Zerbo/ CTBTO
Lassina Zerbo/ CTBTO

ゼルボ事務局長は、「核なき世界への第一歩は核実験禁止から」と指摘したうえで、「まずは核実験を停止すること。それから、既存の合意内容を強化するであろう諸措置を採ること。そのうえで、誰もが望んでいる世界、つまり、今日一部の者が口にしている核兵器近代化の試みなどない世界へと、国際社会を導いていくことによって、核兵器なき世界は実現されるだろう。」と語った。

ゼルボ事務局長はまた、ウェブサイトに掲載したメッセージのなかで、「今年の(CTBT署名開放から)20周年は、CTBTに関連した数多くの国際会議やイベントが既に開かれており、スワジランドミャンマーの2カ国が最近批准を済ませて、批准国は全体で166カ国になりました。一方で今年という年は、北朝鮮による2度(1月と9月)にわたる核実験によって、国際社会は、条約発効を前進させる緊急性を思い知らされることになりました。」と記している。

8月、アスタナ(カザフスタン)、ニューヨーク、ウィーンで、「核実験に反対する国際デー」セミパラチンスク核実験場閉鎖25周年の国際会議が開催された。

アスタナ会議参加者の一部が8月31日に参加したセメイ、クルチャトフ、旧セミパラチンスク核実験場視察の模様を記録した映像(浅霧撮影・編集)

「核実験禁止に向けたアート」という取り組みが、例えばニューヨークで9月21日に行われた国連郵政局切手の発表等、今年1年をかけていくつかの展示会において行われている。 


潘事務総長は、安保理の行動は「核実験に反対する国際的な規範が、ある国によって何度も挑戦を受けている中では、きわめて時宜を得たものだ。」と語った。

CTBTO
CTBTO

ある国とは、(公式には朝鮮民主主義人民共和国と呼ばれる)北朝鮮を指したものだ。北朝鮮は、2006年、2009年、2013年、2016年に、安保理決議に違反する形で核実験を強行している。

5回目の、おそらくはこれまでで最大級の核実験は9月9日に行われた。北朝鮮政府は、弾道ミサイルに搭載可能な核弾頭の爆発に成功したと主張している。

潘事務総長は、CTBTを批准していない2つの核兵器国、すなわち中国と米国に対して、「CTBT附属書2に記載されている他の6カ国と共に、核実験モラトリアムへのコミットメントを緊急の行動に変換して速やかにCTBTに加入するよう」をあらためて呼びかけた。

実際、この8か国がCTBTの発効を妨げているのである。中国、エジプト、イラン、イスラエル、米国は、署名は済ませたが依然として批准していない。インド、北朝鮮、パキスタンは署名すらしていない。「条約の普遍性を実現するには、一つ一つの批准行為が重みを持っています。」潘事務総長は語った。

米国の主導の背後にあるもの

国連事務総長による米中両国への条約批准呼び掛けは、次の事実によって裏付けられている。すなわち、米国は、CTBTに関する決議を最初に安保理に対して提示した際、その目的について、CTBTとその検証体制に対する世界的な支持を強化するとともに、「核実験を続け、国際行動の事実上の規範に反する形で行動する国々を非難することだと説明していた。しかし一方で、決議はあらたな法的義務を創出するものではない、ともしていた。

こうした米国の取組みは、米国内の政治と、バラク・オバマ大統領の核不拡散政策のレガシー(政治的遺産)を強化しようとの願望に動機づけられたものではないか、と広く考えられている。米国は条約を初期に署名しているが、米議会は1999年に条約批准を否決し、継続的な努力がなされているにも関わらず、オバマ政権は米議会を条約批准に賛同させることに成功していない。

識者によると、CTBT関連決議という考えに対する安保理理事国の当初の反応は「それほど熱心なものではなく、交渉は困難なものであった」という。草案はまず5大国の間で合意が得られ、この議論の不可欠の一部として5大国共同声明を付ける形で、非常任理事国からの支持を取り付けていったのである。

核軍縮

協議が安保理全体に移行すると、核軍縮に関して強い見方をかねてから持っており、核不拡散条約(NPT)上の義務を満たしていない核兵器国に対して批判的な一部の理事国から、重大な留保が提示された。とりわけ、国連総会第一委員会で新アジェンダ連合(NAC)を構成しているエジプトとニュージーランドである。

他にブラジル・アイルランド・メキシコ・南アフリカを構成国とするNACは、「非核世界へ向けて:核軍縮義務の履行を加速する」と題する決議を毎年国連総会第一委員会に対して提出している。通常は、中国などいくつかの国が棄権し、その他のP5諸国が反対という結果になっている。

現在の安保理の構成をみると、核軍縮義務を遵守していないとしてP5に批判的な非同盟運動諸国が一部含まれている。アンゴラ、マレーシア、セネガル、ベネズエラ、それにエジプトだ。

その意味で、決議採択前の米国・エジプトの声明と、決議採決後のその他の国々の声明を読んでみると、きわめて興味深い。

採決前後の声明

米国のジョン・ケリー国務長官は、決議案採択前に、加盟国には、より安全で平和な地球という、CTBTがもたらすとされた未来を再確認するチャンスがあると述べていた。この10月、国際社会は、旧ソ連のミハイル・ゴルバチョフ最高指導者(当時)と米国のロナルド・レーガン大統領(当時)によるアイスランド会合から30年を迎える。会合で両者は、核問題に関して新しい方向に踏み出すことを宣言したのだった。

President Reagan meets Soviet General Secretary Gorbachev at Höfði House during the Reykjavik Summit. Iceland, 1986./  Ronald Reagan Library, Public Domain
President Reagan meets Soviet General Secretary Gorbachev at Höfði House during the Reykjavik Summit. Iceland, 1986./ Ronald Reagan Library, Public Domain

最近では、米国とイランが2年もの時を費やして、誰もが不可能だと考えていたことを協議した、とケリー長官は語った。その内容とは、ある国(=イラン)が核計画を放棄し、世界をより安全にする措置を採る用意があることを明確にする、というものだ。

世界各地の責任感ある政府は、核物質や核兵器のもたらす危険性に対処する努力を進めてきた。今回国連安保理で決議が採択されたことは、核エネルギーが平和目的にのみ使われるような、より安全な世界の実現に向けて安保理は弛みなき努力を継続していくとの兆候であろう。

今日の技術をもってすれば、「私たちの実力を検証するために実際に核兵器を爆発させる必要はない」とケリー長官は述べ、「この安保理決議は、核兵器なき世界の実現は可能であり、そうした将来を現実のものとするために諸国があらゆる手を尽くしている事実を世界中の人々に対して改めて示しました。」と付け加えた。

エジプトのヒシャム・バドル外務副大臣(国際機関担当)は、決議に関する6つの懸念を提示して、国連安保理は、今回の決議が目指した形で核実験禁止条約の問題を取り扱うには適切な場ではないと強調した。

決議文は核不拡散条約の重要性を強調しておらず、本文の中でこの点に触れていない。「どうしてCTBTの普遍性達成にそれほど熱心でありながら、核不拡散条約については沈黙を保っているのか?」とバドル氏は問い、核不拡散条約の全ての加盟国に対して、同条約の普遍性を追求するよう呼びかけた。

決議はまた、核軍縮に向けた措置の緊急性と重要性に触れておらず、1995年・2000年・2010年の核不拡散条約運用検討会議の成果文書を黙殺している。

さらに、核軍縮を文中で触れないことは、決議の信頼性を著しく損ね、安保理は軍縮に対する「いいとこ取り」のアプローチを採用しているとの誤ったメッセージを国際社会に送ることになる、とバドル氏は語った。

バドル氏はまた、「その意味で、決議は核兵器国を非核兵器国に対して不当に平等な位置に立たせています。」と指摘したうえで、「CTBT準備委員会や暫定技術事務局の活動に対して手を突っ込むような決議のやり方は『逆効果』であり、決議文は難しいジレンマを反映しています。」と語った。

Hisham Badr/ K.Asagiri of INPS
Hisham Badr/ K.Asagiri of INPS

検証体制の完成を急ぐべしとする安保理に対して一部の国々が賛意を示す一方で、それらの国々の立法府は幾度もCTBT批准を拒み、責任を果たしていない。こうした留保にも関わらず、エジプトは決議採択を棄権することにした、とバドル氏は語った。

賛成14・反対0・棄権1の投票結果の後、セネガルのマンクール・ヌディエ外相は、核不拡散だけではなく核軍縮も最終目標だと語った。この目標に向かうために、核兵器国間での不拡散を強化することが重要で、核兵器国は消極的安全保証を供与すべきだ。

マレーシアのラムラン・ビン・イブラヒム国連大使は、核実験禁止条約が未発効であることに重大な懸念を表明し、その早期発効を訴えた。核兵器を保有し、核兵器を製造する能力を持つ国々に対して完全核軍縮義務を課すいかなる条項もCTBTには含まれていないため、条約内で保護されているこの行動は軽視することができない。

決議はこの事実を十分に認識していない。さらに、核能力を持つ国々は条約を批准する責任を取ることが極めて重要だ、とヌディエ外相は述べ、「附属書2」記載の発効要件国に対して速やかに批准するよう呼びかけた。

前途にある課題は、「一握りの国によってのみ合意されうる文書について安保理決議で言及する先例を作らないようにすることです。」とヌディエ外相は語った。すべての安保理理事国の懸念がバランスよく取り込まれないかぎり、決議の権威と信頼性は下がることになる。

ニュージーランドのジェラード・ヴァン・ボーメン国連大使は、核実験禁止条約の20周年は祝うべきことだが、条約が依然として発効していないことはきわめて残念だと語った。ヴァン・ボーメン国連大使は、条約を署名・批准していない国に速やかに手続きを済ませるよう強く訴えながら、「それらの国々が手続きを完了するまで、国際社会は核実験の問題に終止符を打つことはできない。」と語った。

ニュージーランドは、偶然にも安保理の常任理事国である核保有5カ国による共同声明に安保理決議で言及されたことに対する、一部の安保理理事国の留保に賛意を示しつつ、いかなる集団であってもその「観点を正当化するために安保理が利用されることは遺憾だ」と語った。

「一部の国が核兵器を保持し、国家安全保障のためにそれが不可欠だと主張し続けるかぎり、同じことをやろうとする国はなくならないだろう。」とヴァン・ボーメン大使は語った。このパラドックスは、核不拡散と核軍縮とが相互に強化し合う性格である点に光をあてるものだ。「片方を無視すれば、他方も後退することになります。」とヴァン・ボーメン大使は語った。(原文へ

翻訳=INPS Japan

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本日のトピックは、尾崎行雄の三女・相馬雪香が晩節に力を注いだ社会貢献活動の一端に関するご紹介です。

およそ半世紀に渡り尾崎財団を支え続けた相馬雪香。彼女の晩年は今年で18期目を迎える人材育成塾・咢堂塾(がくどうじゅく)、そして「アフリカのスイス」と呼ばれるレソト王国との友好に捧げられました。

相馬は2008年(平成20年)、日本とレソト王国との友好親善を目的とした日本レソト王国友好協会を発足、会長への就任後ほどなくしてこの世を去りました。その志は同じく相馬の志を継いだNPO法人・一冊の会が同国との友好を今も継続していますが、3.11後も同国のリチャド・ラモエレツィ大使閣下が福島の相馬市を訪問されるなど、わが国にとってかけがえのない友好国でもあります。前置きが長くなりましたが、1966年(昭和41年)10月4日、レソトが英国から独立した日でもあります。同国との友好は当財団の理事でもある石田が理事長を務める一冊の会が、恐らくわが国で一番の民間外交を展開しています。

INPS Japan

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北大西洋条約機構(NATO)の創設メンバーであるノルウェーは、「核の傘」依存国としてこの軍事同盟の保護を受けながら、一方で、平和問題への関わりが深い国とみられている。それは、2013年3月にオスロで「核兵器の人道的影響に関する国際会議」を主催したためだけではない。

「ノルウェーは(また)、2008年にクラスター爆弾禁止条約の署名につながったオスロ・プロセスも主導しました。」と語るのは、創価学会インタナショナル(SGI)の寺崎広嗣平和運動総局長である。

SGIは、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)ノルウェーNGO「核兵器にノー」、ノルウェー平和協会の3団体と協力して、ノルウェー第2の都市ベルゲン(人口26万人)でイベントを開いた。

View of the city centre of Bergen, Norway, with the island of Askøy in the background/ Aqwis - Own work, CC BY-SA 3.0
View of the city centre of Bergen, Norway, with the island of Askøy in the background/ Aqwis – Own work, CC BY-SA 3.0

9月5日に開かれたこのイベントでは、「核兵器なき世界への連帯―勇気と希望の選択」展と、シンポジウム「核兵器廃絶に向けてーノルウェーと日本の平和運動とその役割」が開催された。

この展示はもともと、ICANの協力を得て制作し、1945年に長崎と並んで史上初めて原爆投下の標的となった広島で2012年8月に初めて公開したものだ。

その5年前、SGIは反核兵器運動に取り組んでいる多くのNGOと協力して、核兵器廃絶への「民衆行動の10年(PDNA)」を開始している。

この展示はその後15か国・62都市で行われ、さらに多くの都市や国での開催が予定されている。展示がさまざまな都市で開かれるたびに、SGIは今回ベルゲンで開催したのと同様のイベントを開催して、対話の基盤を創出し、核兵器廃絶を望む世界中の団体や個人との草の根ネットワークを拡大しようとしてきた。

「同展は、核兵器の問題を12の視点から考察しており、人々が関心をもつ様々な分野と核兵器との関係性を見出し、グロバールな意識啓発をすることを目的としています。」「私たち皆が関わりを持つべきなのです。」とSGIの河合公明平和・人権部長は語った。

河合氏はまた、「私たちは日常生活の中で核兵器を直接目にすることはなく、ややもすればこの問題への関心を失いがちです。そこで私たちは、もし核兵器に使われる費用が、保健やその他の重要な課題への取り組みに充当されるならば、人々の生活はより向上するであろうという点を強調するのです」と語った。

SGIは、東京を本拠にした仏教系NGOで、平和活動に取り組んできた長い実績があり、国連とのつながりもある。SGIは、創価学会の戸田城聖第2代会長が冷戦さなかの1957年に「原水爆禁止宣言」を発表して以来、信仰を基盤とした団体を含む他の諸団体とともに、軍縮に関する行動を呼びかけてきた。

「政治的プロセスが停滞しないように、市民社会が一緒になってこの問題に取り組むことが、今ほど重要な時はありません」と寺崎氏はIDNの取材に対して語った。

ベルゲンでのイベントは、8月19日に最終会期を終えた「核軍縮に関する国連公開作業部会」(OEWG)から間もなくして開かれた。OEWGは2月以来ジュネーブの国連本部で3会期に亘って開かれており、8月には、核兵器を禁止し、最終的にはその廃絶につながるような法的措置に関する交渉を開始することを10月に開かれる国連総会に勧告する報告書を賛成多数で採択した。

OEWG session in Geneva/ Xanthe Hall
OEWG session in Geneva/ Xanthe Hall

OEWGでは、ノルウェーは日本などとともに、2017年に核兵器禁止のための交渉を開始するよう国連総会に勧告する報告書案の投票に棄権した。しかし、他のNATO諸国とは異なり、ノルウェーは、同報告書案に反対自体はしなかった。

この報告書はまた、核兵器使用のリスクを低減・除去し、核兵器に関する透明性を向上させ、いかなる核兵器使用に関してもその帰結が非人道的であることへの意識を高めるための措置を採ることを諸国に勧告している。

「(広島・長崎への原爆投下以来)この71年間、(核兵器の廃絶に向けた)国際的取り組みが停滞した時期もあれば、前進した時期もありました。」「しかし、私たちは、核兵器の廃絶を求める被爆者の体験を直接聴くことのできる最後の時を迎えています。」と寺崎氏は語った。

シンポジウム「核兵器廃絶に向けてーノルウェーと日本の平和運動とその役割」において、今年の夏を日本で過ごし広島にも訪問したNGO「核兵器にノー」のフローデ・エルスフヨルド事務局長は、政治的活動とともに草の根行動の必要性を強調した。主催団体の質と実績の組合わせこそが、人々を(反核運動のための)街頭デモに誘ううえで極めて重要です。つまり、特定の問題に関するデモは、しばしば最初は規模が小さくとも、時が経つにつれて参加者が急増してくることもあるからです。」と語った。

シンポジウムに参加した社会主義左翼党緑の党の3つの野党の代表は、核兵器廃絶の運動は、国際レベルだけではなく一国レベルでも実行されてなくてはならない、という点で一致した。

活発な参加者の中には、婦人国際平和自由連盟(WILPF)・ベルゲン支部のスザンネ・ウルバン理事と、平和学者でクリスチャン・ミシェルセン研究所のアルヌ・ストランド副所長の姿があった。

ウルバン氏は、IDNの取材に対して、「核の脅威はきわめて近い」との見方を示したうえで、「私たちは互いに関連があり、繋がっています。つまり、他人を傷つければ必ず自らも傷つけることになるのです。」と語った。この点は、展示パネルのひとつでも強調されていたことだ。

ストランド氏は「私たちは、新たな紛争や変転する世界情勢には目を奪われがちですが、核軍縮のような古くからの問題は軽視しがちです。あまりにも長い間その問題が存在し続けているために、慣れ過ぎてしまっているからです。しかし現在は、米ロ間の問題(=新冷戦)や、テロ集団が核兵器を入手する可能性など、私たちが懸念すべき事態が起こっています。」と指摘した。

ノルウェー平和協会のフレデリク・ヘルダル事務局長は、「(核問題の)政治的な側面、つまり、核兵器禁止の是非やロビー活動の問題等に目を向けるよりも、倫理的な問題として捉えなければなりません。倫理と道徳を巡る議論の方が人々の心に共感を呼びますし、核問題をより受け入れやすいものにできるからです。」と語った。(原文へ

翻訳=INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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