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|クウェート|国営石油公社(KPC)と中国の石油商社の間で、史上最大規模の契約が締結される。

【クウェートWAM】

クウェート国営石油公社(KPC)と中国国営石油会社Sinopecの子会社である石油商社UNIPECが8月22日、向こう10年間で中国への原油供給量をこれまでのほぼ2倍とする原油供給契約を締結した。これはKPC史上最大規模の契約である。

これによるとKPCはUNIPECに対して2014年から新契約の下で原油の供給を開始するが、供給量は既に失効した前回の契約における1日当たりの供給量16万~17万バレルのほぼ2倍にあたる30万バレルにのぼる予定である。

香港で行われた契約調印式のあと、クウェート代表団を率いたKPCのナセル・アルムダフ国際マーケティング担当常務理事は、クウェート通信の取材に対して、「私たちは今回10年間に及ぶ原油供給合意に至ったことを誇りに思っています。これは運賃込みで原油の対中国輸送は全て我々の船舶を使用する初めてのパッケージ合意となったもので、素晴らしい成果です。これによって原油の掘削から中国への輸出までスムースな運用が可能となります。」「中国は、原油の輸送にクウェートの全船舶の50%以上を動員する新たな販路先です。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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今もなお続く核の脅威を照射する原爆忌

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【東京IPS=スベンドリニ・カクチ】

原爆投下から69年が経過したが、19万人にのぼる被爆者とその子孫の方々にとってあの日の記憶は今なお鮮明に残っている。あれから69年が経過したが、公式の謝罪は未だにない。あれから69年が経過したが―人類は依然として、核兵器による惨事が再び繰り返されかねない恐ろしい現実に直面している。

各国の要人が69回目の原爆忌を祈念するために日本に降り立つ中、広島市からのメッセージは、あらたな核攻撃が人類と地球に及ぼす甚大な脅威を真剣に考慮するよう諸政府に求める緊急のアピールであった。

Hirohima Peace Memorial Park/ Wikimedia Commons
Hirohima Peace Memorial Park/ Wikimedia Commons

1945年8月以来、核兵器を世界的に禁止するための弛みない努力を続けてきた「被爆者」として知られる原爆投下の生存者たちは、9つの核保有国のうち4か国(米国、イスラエル、パキスタン、インド)を含む各国の大使らに、2014年の広島平和宣言の言葉を噛みしめるよう訴えた。

広島平和宣言は、高齢化が進む被爆者と平和活動家の苦痛に満ちた願いを代表して、核兵器国の為政者らに対して、早期に被爆地を訪れ、米国が広島に投下したウラン爆弾(リトルボーイ)とその3日後に長崎に投下したプルトニウム爆弾(ファットマン)が引き起こした今日にまで続く被爆の実相を自らの目で確かめるよう求めている。

爆心地に近い平和記念公園で8月6日、約4万5000人が黙祷を捧げた。広島では推定14万人が亡くなり、3日後に、第2の原爆が投下された長崎では約7万人が亡くなっている。

Nagasaki, Japan, before and after the atomic bombing of August 9, 1945./ Public Domain
Nagasaki, Japan, before and after the atomic bombing of August 9, 1945./ Public Domain

この悲劇的な出来事は、日本が第二次世界大戦(1939~45)の末期に、連合国への降伏を模索している中で起こった。

平均年齢が79才と推定される被爆者は、これらの運命的な日々に原爆がもたらした身体的・心理的な傷がいかなるものであったかを、今日の私たちに伝えてくれる生き証人である。多くの被爆者とその近親者が、原爆投下時とその後被爆地に長期に亘って残留した放射線による被爆がもたらす様々な後遺症に苦しみながら懸命に生きている。

広島平和宣言は、被爆者の苦しみに哀悼の意を込めつつ「現在の核兵器の非人道性に焦点を当て非合法化を求める動きを着実に進め、2020年までの核兵器廃絶を目指し核兵器禁止条約の交渉開始を求める国際世論を拡大します。」と述べている。

しかし、この夢が現実になる可能性は依然として明るいとは言えない。ワシントンに本拠を置く「軍備管理不拡散センター」が今年初めに発表したところによると、9つの核兵器国は2014年4月現在で合計1万7105発の核兵器を保有している。

核兵器を他国に対して使用した唯一の国である米国は、公的な謝罪を行うことを一貫して拒絶する一方で、当時における原爆投下の決定は第二次世界大戦を終わらせるための「必要悪」だったと主張している。

この手の議論は現在の世界的な地政学の中で大いに利用されている。いまだに核不拡散条約(NPT)に署名していないイスラエルのような国が、中東の今も続く政治的緊張に直面して国家安全保障を守る基本的な手段として核戦力を頑強に保持しているのである。

イスラエルのガザ地区に対する軍事進攻によって、エジプトが仲介した停戦が8月5日に発効するまでに約1800人の民間人被害が出ている事態を受けて、アラブ諸国の一部が、イスラエルこそが中東にとっての最大の脅威であって、その逆ではないと主張している。

一方、推定250発の核弾頭を保有し、現在日本との領土を巡る対立を抱えている中国(日本政府は、尖閣諸島は日本固有の領土であり、領有権の問題はそもそも存在しないと言う立場ととっている:IPSJ)は、事の成り行きから明確に身を遠ざけている。

また、中国の海洋進出を背景に南シナ海においても中国と周辺諸国との対立が激しさを増すにつれ、東アジア地域の平和活動家は、北朝鮮を含めた核保有国間の緊張関係に対処する緊急の必要性を感じている。

広島平和研究所ロバート・ジェイコブズ准教授はIPSの取材に対して、「(核廃絶の)訴えは、人間を殺戮し多大なる苦しみを引き起こす核兵器を禁止せよ、というものです。核保有国はこれらの兵器を保有することによって、犯罪行為に手を染めているのです。」と指摘したうえで、「現在、世界の反核運動は、核保有国が1968年のNPTに従っていないことについて、責任を取らせようと懸命に努力しているのです。」と語った。

ジェイコブズ准教授は、そうした取り組みの例として、マーシャル諸島で3月1日に行われた年次行事「原水爆禁止運動の記念の日(ビキニ・デー)」を挙げた。マーシャル諸島は、米合同任務部隊が1954年3月にビキニ環礁で始めた高出力の核実験「キャッスル作戦」によって破壊的な放射能汚染に晒された。

広島型原爆の1000倍の威力を持つと推定されているこの核実験の結果、数千人のマーシャル諸島の住民が放射線障害を負うことになった。

Photo: A test of a U.S. thermonuclear weapon (hydrogen bomb) at Enewetak atoll in the Marshall Islands, November 1, 1952. U.S. Air Force
Photo: A test of a U.S. thermonuclear weapon (hydrogen bomb) at Enewetak atoll in the Marshall Islands, November 1, 1952. U.S. Air Force

米国は、冷戦期におけるソ連との核軍拡競争という背景の下、1946年から1962年の間に合計で67回に及ぶ核実験を行った。

マーシャル諸島政府は今年4月24日、9つの核保有国が核戦力を解体していないとして、ハーグの国際司法裁判所と米連邦地方裁に別々の訴訟を起こした。国家安全保障の言説に対する挑戦であった。

マーシャル諸島政府の訴訟は、公式核保有国(米国、英国、フランス、中国、ロシア)に対して「核軍拡競争を早期に終わらせ軍縮を進める協議を誠実に行う」義務を定めたNPT第6条を引き合いに出している。

Hiromichi Umebayashi
Hiromichi Umebayashi

広島・長崎への原爆投下の場合と同様に、米国はマーシャル諸島に対しても謝罪しておらず、被害を起こしたことへの「遺憾の意」を表明したに過ぎない。マーシャル諸島のアバッカ・アンジャイン・マディソン元上院議員は、IPSの取材に対して、「米国は依然として、この災難(被爆被害)は、『多数の安全のために少数を犠牲にしたものだ』という見方を崩していません。」と語った。

しかし、非難されているのは米国だけではない。長崎大学核兵器廃絶研究センター梅林宏道センター長は、東アジアに非核兵器地帯を創設する構想の主要な主唱者であり、核兵器は国家安全保障のために必要であるという主張を現在打ち出しているとされる安倍首相に対して厳しい批判をしている。

梅林氏は、核の傘の下で米国と緊密に協力し、国防能力を強化しようという日本の最近の決定を覆す運動を先導している。

「東アジアにおける北朝鮮の核の脅威は、より強力な軍事活動を推し進めるために日本政府によって利用されているのです。唯一の被爆国として、日本は大きな過ちを犯しています。」と梅林氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|UAE|ドバイモールで「世界人道デー」記念ウォークを開催

【ドバイWAM】

2014年「世界人道デー」を記念するウォーキングイベントが、国際連合人道問題調整事務所(UN OCHA)と国際人道シティの協力、ドバイ首長妃ハヤ・ビント・アル・フセイン(国連ピースメッセンジャーで国際人道シティ理事会議長)の後援のもと、ドバイモールで開催された。

8月19日は2003年にイラク・バグダッドの国連事務所が爆破され、22名の国連支援関係者が犠牲になった日で、国連総会は2008年に世界各地で起きている紛争や自然災害などの人道問題に焦点を当て、被災地の現場で緊急人道支援に携わる人々に心を寄せる目的でこの日を「世界人道デー」に定めた。

それ以来、「世界人道デー」には、世界各地で関連行事が開催されている。今年は、「世界がもっと必要としているのはヒューマニタリアンヒーロー(The World Needs More Humanitarian Heroes)」をテーマに、支援を必要としている世界各地のコミュニティーに日々命がけで救援物資を届けている人道支援団体に従事する人々の勇気を称えることに焦点をあてている。

会場となったドバイモール(世界最大のショッピング・レジャー・娯楽施設)では、約30000人の来訪客が見守る中、UAE内外の人道支援団体の代表、中東地域のアーチスト、UAE市民、観光客など1500人以上の人々が世界で人道支援活動に従事する人々との連帯を表明して行進に参加した。

イベント期間中、今年のテーマの趣旨にちなんで、「人道メッセンジャー」に任命された各界の著名人による「(人道支援活動を支援する)行動をおこす呼びかけ」が放映された。

国際人道シティのCEOシャイマ・アル・ザルーニ氏は、「UAEでは今年で3度目となりますが、私たちは、危険なリスクに顧みず、支援を必要とする人々のために人道支援活動に世界各地で従事している人々を称えるこの世界的なイベントを、国連のパートナーと共に、ここドバイで開催できることを誇りに思っています。」と述べるとともに、今年のキャンペーンを支えた官民各種団体及びイベントに参加した全ての人々に感謝の意を表明した。(原文へ

翻訳=IPS apan

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|視点|ジレンマとたたかうイスラエルの平和活動家たち

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【エルサレムIPS=ピエール・クロシェンドラー】

「共に団結しよう。私たちはイスラエルを愛し軍を信じる」一時休戦が定着するなか、国旗の色で飾られた横断幕(上の写真)が、依然として国中の街頭や道路を埋め尽くしている。

国民に無条件の愛国主義と連帯を求めるこうしたイスラエル当局の「囲い込み」戦略は、7月8日に始まった国防軍によるガザ地区に対する侵攻作戦のメリットと道徳性に疑問を抱く一部の市民の心理をしっかりと抑え込んでいるようだ。

(ガザ地区から撃ち込まれてくる)ロケット弾を警告するもの悲しげなサイレンの音と、それを迎撃するミサイル防衛システム「アイアン・ドーム」の耳をつんざくような音に晒されるなかで、イスラエル国民のパレスチナ人に対する民族主義的な反感は悪化の一途をたどっている。さらに、理性的な判断が戦争遂行のために動員され、戦争の効果に関する合理的な評価は顧みられない状況に陥っている。こうした状況下で、一般市民が平和の信条に殉じるのは難しい。

言葉で戦争が平和の反対というのは、単なる同語反復に過ぎない。現実の戦争という難問に直面したイスラエルの平和活動家らは、ジレンマと闘っている。

いったん始められた戦争は、勝利しなくてはならない。しかしこの戦争は、勝利にも敗北にも終わるものではなく、全ての戦争を終わらせるものでもない。イスラエル当局は抑止という手段によって次の戦争を避けるための戦争としているが、実際そのような効果があるかは不明である。つまり「戦争には、損失と敗者のみがあるのだ。」と平和活動家らは考えている。

もし戦争が紛争を解決するものではないとしたら、すなわち、戦争には次の暴力への種が埋め込まれているのだとしたら、平和こそが紛争を解決するものだ、と活動家らは主張する。

A funeral procession for two children killed in the Israeli attacks on Gaza. Credit: Mohammed Omer/IPS
A funeral procession for two children killed in the Israeli attacks on Gaza. Credit: Mohammed Omer/IPS

しかし、大砲が唸りをあげるとき、平和は沈黙させられてしまう。

平和NGOフォーラム」は、軍事作戦開始22日目にあたって、イスラエル・パレスチナ紛争に軍事的解決はないと強調し、停戦と(パレスチナが独立してイスラエルとパレスチナが2つの国として共存する)二国家解決案に向けた交渉の再開を訴えた。

「平和NGOフォーラム」は、ユダヤ系及びパレスチナ系の市民団体からなるアンブレラ組織で、パレスチナ問題に対する二国家解決案の枠組みに沿った平和の実現を目指している。女性の平和連合「バット・シャロム」や「平和のための戦闘員」などのパートナー団体は、ネットワーキングや能力開発、共同のデモ(映像)などを行っている。

同フォーラムのユダヤ人側の諸団体が遅ればせながら発表した関連声明には、彼らが直面しているジレンマが滲み出ている。「イスラエル国民には、自衛の権利を保持し、彼らに対して発射されるロケットの脅威や、彼らの生活空間の只中に掘られた敵のトンネルの脅威に晒されることなく、安全と平和のうちに生きる権利がある…。」

イスラエル国内では戦闘が激化するなか、戦争が正当化され、ユダヤ系イスラエル国民の間でのガザ侵攻作戦に対する支持率は、表面的にはほぼ完全に近いものとなった。そしてソーシャル・メディアには、「アラブ人を殺せ」「左翼を殺せ」といった人種差別主義的で威圧するような言辞であふれた。

一方、戦闘開始から19日目、「人が死ぬのはもうたくさんだ!」と叫ぶ5000人のイスラエル国民が、平和を訴える市民団体が主催したデモに集まった。(上の写真/映像)しかしそこには、従来からイスラエルとパレスチナの共存を訴えてきた象徴的な「ピース・ナウ(今こそ平和を)」運動や、野党左派のメレツ党の姿はなかった。さらに、テルアビブの市街にロケット弾が撃ち込まれると、デモ参加者は散り散りになった。

一般のイスラエル国民は、テレビで一日中放映されているニュース番組の内容をあえて受入れ、当局が喧伝する国家的な不安に心理的に足並みを揃えることで「感情のセーフティーネット」に身を委ねている。そのような彼らにとって、「イスラエル国防軍は世界で最も道義的な軍である」という格言的な主張に異議を唱える国内の同胞は、「聖人ぶった偽善者」と映り、道徳的な判断を下す対象となっている。

イスラエルの左派は、「(国防軍に関する)そうした宣言には独善的なものが本性的につきまとっている。」と反論している。

これに対して、「同胞が脅威に晒されているとき、国の痛みを分かち合わないとはどういう了見なのか。」というのが、平和活動家らに右翼がしばしば投げかける非難である。

政治的思考でいえば圧倒的多数が中道か右派に分類されるイスラエルの世論は、彼らの祖国は、(パレスチナ人の)犠牲者に焦点を当てた紛争の描き方、すなわち「被害者学」の犠牲になっていると非難している。

平和運動の支持者らは、アムネスティ・インターナショナルイスラエル支部のヨナタン・ガル代表が6日付のリベラル系『ハアレツ』紙に語っているように、「人権の尊重が最後の防衛線」だとみなしている。彼らは、イスラエル国防軍の過剰反応に反対しており、「イスラエルは自らの軍事力に本来的に潜む弱さを理解しなくてはならない。」と考えている。

Amnesty International
Amnesty International

イスラエル世論の主流は、平和活動家らはあまりにも頻繁に「『戦争は地獄』であり『悪』であり、『本質的に戦争犯罪』である」という「究極の同語反復」に頼りすぎる傾向にあると見ている。現在のイスラエルでは、この戦争が正義の戦いではないと自己反省するような兆候が(平和運動家の行動から)少しでも察知されれば、(敵に利する)イスラエル側の動揺や無用の自責につながりかねないとして、世論の憤慨の対象となっている。

一方平和活動家らは、パレスチナ占領地域におけるイスラエルの政策こそが、諸悪の根源であると見なしている。

ところがほとんどのイスラエル国民は、(平和活動家らが主張する)「47年に亘る占領」という非難に対して、「(パレスチナ人の)窮状をあまりにも単純なイメージに還元したものであり、占領という事実によって、パレスチナのイスラム原理主義組織『ハマス』が唱えるイスラエルに対する憎悪や、繰り返される暴力のサイクルを正当化することはできない。むしろ占領は、(イスラエルに危害を加えようとする)パレスチナ側との平和が達成できないから継続しているのだ。」と主張している。

これに対して平和活動家らは、「イスラエルは平和のためにリスクをとれるだけの強さを備えていることを十分に証明してきた。従って、私たちはそれを実行に移すべきだ。」と反論している。

イスラエル国民は、この14年間に亘って幾度となくこの議論を繰り返してきた。

この間、イスラエル国民は、終わりの見えないあまりに多くの紛争を経験している。つまり、2000年から05年のパレスチナ蜂起「インティファーダ」、2006年の対ヒズボラ戦争、ガザ地区のハマスに対する侵攻作戦(2006年の作戦「夏の雨」、2008年~09年の作戦「鋳造された鉛」、2012年の作戦「防衛の柱」)、そして現在の軍事侵攻作戦である。

オスロ合意の時期に、相互和解のプロセスをとおしてイスラエルとパレスチナの双方をして、他方の痛みをためらいながらも理解する方向に持っていっただけに、かえって以前にもまして和解に対する幻滅と絶望感が、両者の心理を支配している。

イスラエルとパレスチナの双方は、その後の対立の中で、自身の生存を賭けた、本質的な紛争の次元へと、急速に後退していった。

その結果、イスラエル国民とパレスチナ人の双方が、逆境に際して他者の痛みを理解しようとしなくなっただけではなく、自らの痛みを和らげ、他者から痛みを与えられることを抑止する唯一の方法として他者に痛みを与えることが必要だと感じるようになってしまった。

しかし、戦争を支持する圧倒的多数の人々と、平和を支持する献身的な人々の双方を結び合わせるものは、「現実は複雑である」ことへの理解であろう。

イスラエル国民の主流は、現状を評価するには、単にガザ地区における死者数を数えるだけでは十分でないという議論の有効性が既に失われたことを認識している。

平和活動家らは、イスラエルの軍事作戦を引き起こした脅威は実在することを理解している。それと同時に彼らは、イスラエルの軍事作戦の結果が導く方向や帰結、それがイスラエルとパレスチナ、さらには両者間の和平に及ぼす影響についても理解しているのである。

共存という彼らの理想は、長年に亘る戦争によって揺らいでいる。平和活動家らは、もし被害にばかり注目することで、一方で、戦争においては目的が(ほぼ)すべての手段を正当化するとか、他方で、戦争は正当化できないといった、使い古された教訓しか導けないとすれば、そんなものは拒否するであろう。

彼らは、不当な侵略行為に対する正当な自衛権の行使と、より大規模な武力行使との間、さらに、戦争の道徳性や権利、法律と、占領の過ちとの間に、明確な線を引いている。

そして、戦争が収束するかに見える今、平和活動家らは、国家の指導者らが、パレスチナ側との和平に向けた大胆な外交を緊急に開始し、膨大な時間を無駄にした前回の失敗を繰り返さないとの認識を持つことに、希望をつないでいる。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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政治情勢が混乱させるレバノン難民キャンプの教育

【ベイルートIPS=シェリー・キトルソン】

レバノンの首都ベイルート南部にあるシャティラ難民キャンプや、その近くにあるサブラ難民キャンプ(両方とも1982年のパレスチナ難民虐殺事件の舞台となった場所)、さらに南部シドン郊外にある同国最大のアイン・エルヒルウェ難民キャンプを見渡しても、図書館が1軒もない。しかも、レバノンの外務大臣による先般の発言を受けて、こうした難民キャンプで暮らしている数千人におよぶシリア難民の子どもたちが読み書きを学ぶ機会さえ、さらに制限されるのではないかと懸念する声がでてきている。

国際連合は先月初め、2011年に始まるシリアからの大規模な難民の流入によって、今年末までにはシリア難民がレバノンの人口の3分の1を超える勢いであり、少なくとも30万人の子どもが学校に通えずにいる、と発表した。

7月初め、レバノンのゲブラン・バジル外相が、「食料であれ住居であれ医療であれ、シリア難民を支援すべきではない。なぜならそうした支援が、彼らのレバノン残留を促すからだ。私たちが望むのは彼らがレバノンを早急に退去することである。」と発言した

バジル氏は、かつて前政権でエネルギー水資源相だった時代に、「シリア人はレバノンの安全や経済、アイデンティティへの脅威とみなされるべきだ。」と語っていた人物である。

絡んだ電線が危険なほど低く垂れ下がり、パレスチナ人の「抵抗(レジスタンス)」指導者や殉教者らのポスターに混じってバシャール・アサド大統領のポスターが目立つシャティラやサブラのパレスチナ人難民キャンプは、レバノンの首都ベイルート南部に設けられたものである。そしてシリア難民は、いずれの難民キャンプにおいても当初は歓迎されたという。

レバノン政府は、パレスチナ解放機構(PLO)に国内に12か所あるパレスチナ人難民キャンプの自治的な管理を認めた1969年のカイロ協定から脱退しているものの、今でもレバノンの治安部隊は難民キャンプへは立ち入らない。

シャティラ難民キャンプでIPSの取材に応じた数名のシリア難民は、「ここはヒズボラの支配下にある地域よりましです。」と語った。ヒズボラは、シリアのアサド政権側について内戦に参画しているほか、その政治部門はレバノン政府の一翼を担っている。

1949年にパレスチナ難民のために設置されたこの難民キャンプでは、シリア内戦が勃発して以来、1~2万人の難民がシリアから流込しており、今ではシリア人難民の数が元々いたパレスチナ人難民の数を上回っている。

軽量ブロックで作られた粗末な建物がひしめき合う難民キャンプには、国境を越えてシリアから逃れてきた多数の学齢期の子どもたちが暮らしているが、こうした子どもたちの多くが、精神障害や栄養失調を患っており、レバノンの教育施設への編入の可能性も制限されている。

難民キャンプ内で活動を展開しているNGO「バスメ&ザイトゥーネ」のシリア人創設者兼事務長のファディ・ハリッソ氏によると、レバノンの公立学校の収容能力に限界がある問題に加えて、難民の子どもたちにとって最も明白な障害になっているのは、シリアでは学校教育でアラビア語が使われるのに対して、レバノンではフランス語か英語が使われている点だという。

また、両親と行き別れて戦災孤児となり、生きていくために労働や物乞を余儀なくされる極貧環境の問題や、戦争を起因とするトラウマの問題など、子どもたちの就学を妨げる複雑な要因が明らかになってきている。さらに慢性的な食糧不足がこうした状況をさらに複雑にしている。

国際連合児童基金(UNICEF)は、今年2月25日に発表したレバノン在住のシリア難民の子どもの健康状態を調査した報告書の中で、2012年から2013年の間に北レバノンベッカー県では重度の栄養失調児の数が2倍になっていると指摘した。また、緊急に治療措置が施されなければ、約2000人の5歳未満の子どもたちが命を落とす危険な状態に直面していると警告している。また同報告書は、より軽度の栄養失調の場合でも、子どもたちの心身の発達が阻害されている、と指摘した。

「バスメ&ザイトゥーネ」は、シャティラ難民キャンプに300人規模の学校を作り、レバノンのカリキュラムに従って、シリア人とパレスチナ人の先生が教えている。ハリッソ氏によると、ここでの教師の月給は400~700ドルだが、「この給料レベルで働くレバノン人はいない。」という。この学校は「国境のない医師団」(MSF)の診療所と薬剤所が2階に入っている最近改修されたビルに位置している。

また「バスメ&ザイトゥーネ」は、難民の子どもたちが気軽に立ち寄って読書をしたり、参考文献の相談をしたり、コンピューターを使用できるような、発電機を備えた小さな図書館を建設しようと、資金集めに奔走している。

ハリッソ氏の同僚であるマリア・ミンカラ氏は、IPSの取材に対して、「混雑した難民キャンプの中を歩けばすぐに気づくことですが、多くの子どもたちが、電気が通っていない暗くて不健康な環境の中で生きることを余儀なくされています。子どもたちには物理的に勉強できるスペースがないのです。」と指摘したうえで、「数万人もの難民が住んでいるこの地域に現在は1軒の図書館もありませんが、この構想が実現すれば、パレスチナ人とシリア人双方の学齢期の子どもたちに開かれた施設にしたいです。」と語った。

レバノンの難民キャンプで教育支援活動を行っている「社会サービスのための合同キリスト教徒委員会」のハダッド専務は、「私たちは最近、約120人のシリア難民の子どもたちに本国で試験(中学三年時試験と学士試験)を受けさせるために、シドン近郊のアイン・エルヒルウェ難民キャンプを離れて、子どもたちを一時的にダマスカスに帰還させる許可をレバノン当局から得ることに成功しました。結果として、そのうち83%の子どもたちが合格しました。」と語った。

さらにハダッド専務は、「その際、アサド体制への恐怖から子どもをシリアに戻さなかった親もいましたが、彼らは今ではその決断を後悔しています。」と付け加えた。

またハダド代表は、難民の子どもたちへの教育内容に政治と宗教関連の内容は含まれていないと強調したうえで、同団体が採用しているカリキュラムに関する質問に答える担当として同難民キャンプ住人のアブ・ハッサン氏(パレスチナ民兵がよく使う「アブ(~の父親)」で始まる偽名)を紹介してくれた。

アブ・ハッサン氏は、過去にパレスチナの「レジスタンス」勢力で戦ったことがあると打ち明けたが、どの派閥に属していたかについては言及を避けた。そして教科書の内容については、政権を支持するような(政治的な)表記はないと明言した。

アブ・ハッサン氏は、ダマスカスまで生徒に随行してから再び難民キャンプに戻ることが許可された。しかしレバノンにおける最近の法改正によって、シリアを逃れようとするパレスチナ人がレバノンに入国するのが以前より困難になっている。人権擁護団体アムネスティー・インターナショナルは、先週発表した報告書の中で、入国条件としてレバノン政府からの事前の入国許可や在留許可の取得を新たに義務付けた規制措置を非難している

また、シリア難民に関する法律も6月初頭に変更され、シリア国内のレバノン国境付近で戦闘状態が続いている地域からのレバノンへの入国が制限されるとともに、レバノンを離れてシリアに帰国した人々はレバノンへの再入国の権利を喪失する旨が明記された。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【国連IPS=ネンナ・アグバ】

私は、女性は男児を産んで初めて自身と家族が社会から認められるという、本質的に男性優位のナイジェリア文化の中で育ちました。11歳の時、一番下の妹となる5番目の子どもを出産する母に付き添いましたが、奇しくも藪医者の不手際で母が命を落とす瞬間を目の当たりにすることになりました。

母はナイジェリアのこうした社会規範の犠牲者です。当時母には既に4人の健康な娘たちがいたにもかかわらず、伝統的な規範に従おうとして、自分の命を犠牲にしてでも男の子を生む決心をしたのです。母をあのような苦境に追い込んだ根本的な要因に気付いた時、私は少女である自分の立場がナイジェリア社会でどのような位置を占めているのかをはっきり理解しました。

また母の死は、教育の重要性が私や4人の妹たちの人生にとって、それまでとは異なる意味合いを持つことを悟った瞬間でもありました。私はその後高等教育を受け、大学では化学を、そして大学院では都市学を専攻しました。

そして今、これまで習得した教育のお陰で、私はナイジェリアにいる妹たちの就学を支援できています。妹たちも私と同じように、教育機会を得ることができれば、社会が規定した伝統的な制限に縛られない進歩的な未来を手にする可能性が開けてくると信じています。

妹や私のようなナイジェリア人の少女にとって、教育とは、慣習的な期待を超えて成功する機会に遭遇した時に、そのようなチャンスの扉を開く「鍵」となるものなのです。

教育は私たち女性も(男性同様に)生まれながらに持つべき基本的な権利だと確信しています。またほとんどのナイジェリア人少女らにとって、教育こそが、女性を経済的、政治的、社会的に男性より劣った存在とみなし続ける、文化的、伝統的な階層化のシステムから抜け出す唯一の手段なのです。

そのような服従から逃れることができた女性は、大抵教育によって社会的な力を身につけ、それを成し遂げてきました。優れた教育は、ナイジェリア人の少女らに社会の貴重な一員となる機会を提供してくれます。このことから、私は、妹たちが勉強を続けられるように、全力で支えていかなければならないと決意しています。

ナイジェリアや世界の少女たちにとって、教育は経済的な自立を可能にし、政治参加への道を切り開き、女性に対する様々な形態の暴力を永続化する抑圧的な規範に積極的かつ効果的に反対するために必要な知識を授けて、男女をエンパワーすることができるものなのです。

ナイジェリアに根強く残っている女性軽視の文化とは対照的に、教育は異なるもう一つの文化的な選択肢に触れさせる役割を果たします。ナイジェリアでも一部の少女らはこうした教育の恩恵を受けれるようになったため、ボコ・ハラムのような過激派グループは、彼女達が新しい価値観に啓発されるのではないかと危機感を募らせているのです。

私は一方で、奇跡でも起きてこの(女性蔑視の文化の)問題が一刻も早く解決できないものかと熱望しますが、現実には魔法で事態が急変したり一夜で問題が解決するものではなく、むしろ問題解決には総力を挙げて地道に絶え間なく努力を重ねていくことが必要だということを理解しています。母の死は女性軽視を助長する邪悪で不当な社会規範の産物に他なりません。社会の慣習は過去の世代が作り出したものですから、それと同じように、未来の市民が教育を通じて新たな規範を育むことによって自らを規定することとなる文化を再定義することができるはずです。

私は楽観主義者で、世界を変えたり、世界中の女性とりわけナイジェリアのような国の女性の地位を向上させることが可能だと信じています。そう考えるのは、私が世間知らずで考えが甘いとか、これまでに変革をもたらそうとした努力の欠点に気づいていないというわけではありません。

私の楽観主義は、かつて絶望的な状況にいた自分が、世界中の指導者や市民に、なんとしても女性に加えられている不正義を終わらせる緊急の必要性に気づいてほしいと願った経験に根ざしているのです。女性軽視がもたらす社会の歪みを目の当たりにし、変化の必要性を痛感していた私の中では、「必要性」と「可能性」という言葉はいつの間にか同義語になりました。

今年4月にナイジェリア北部の学校で発生した、女子学生らがボコ・ハラムに拉致された事件には胸が押しつぶされそうな衝撃を受け、少女らの開放を求める「Bring Back Our Girls(私たちの少女を返して)」キャンペーには心から賛同しています。しかしそれと同時に、この事件に対する関心の高まりが、ナイジェリア社会をして、女性や少女の苦痛を無視し続けるのを止めさせる契機とならないかと、期待してしまうのです。残念ながら、ある国の国民が熱心に変革を希求し、政府に行動するよう要求するほどの強い意思が形成されるには、痛ましい事件や事故の存在が必要な場合が少なくないのが現実です。

ボコ・ハラムは、進歩に反対する勢力とみられていますが、ナイジェリア社会が抱えるより深刻な障害は、教育を受けたいと純粋に願う少女たちを保護する行動をとることに、社会の幅広い層が依然として躊躇している現実に見出すことができます。

妹たちや私のようなナイジェリアの少女は、社会の価値ある一員になりたいという希望が叶ってほしいと願っていますし、私たちにはその価値があると考えています。そして教育はこの夢を実現するための手段なのです。(原文へ

*ナイジェリアで育ったンネナ・アグバは、米国の人気テレビ番組「アメリカン・ネクスト・トップモデル」に出演して人気を博した。彼女は苦労して得た奨学金でテキサスA&M大学から化学の学士号を、さらに大学院で都市学の修士号を取得している。ンネナはナイジェリアにいる4人の妹達の就学を支援しているほか、ナイジェリアの学校に通う少女たちに奨学金を提供しているキーチーズ・プロジェクトというNGOのイメージキャラクターを務めている。

翻訳=IPS Japan

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【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)の8月8日付英字日刊紙は、イスラエル軍による大規模な破壊が進行する中、そうでなくても絶望的な貧困状況に追い詰められていたガザ地区のパレスチナ人が疫病の犠牲になる危険性が大いに高まっているとして、国際社会に対してガザ地区への支援の手を差し伸べるよう強く訴えた。また同紙は、疫病発生の危機が高まっていることから、ガザ地区の復興プロセスはより一層困難になるだろうと報じた。

「現在は真夏にあたり、ガザ地区全人口の4分の1が国内難民となる状況に置かれているなかで、イスラエル軍による組織的なインフラ破壊により、元々脆弱な状態にあった電力、上下水道網が寸断されてしまっている。この状況が続けば、疫病が発生するのは時間の問題だ。」とナショナル紙が論説の中で報じた。

また同紙は、「今回の紛争については依然として政治解決の糸口が見つかっておらず、ベンヤミン・ネタニヤフ首相がハマスからのロケット攻撃があればいつでもガザ地区への攻撃を再開すると警告しているなか、国連開発計画(UNDP)ガザ事務所が、各国が次回のイスラエル軍による攻撃で破壊されるリスクが高いとしてインフラ再建への支援を躊躇している現状を明らかにした。」と報じた。

また同紙は、2008年~2009年にかけて勃発した前回のイスラエル軍によるガザ侵攻作戦(「鋳造された鉛」)の際に破壊された施設の中にも未だに修復されていないものがあると報じた。

「イスラエル政府は、ガザ地区の学校や病院を再建するための資材として搬入を許可した建設資材がハマスの地下トンネルに流用されていると主張している。これに対して国連は、ガザ地区への搬入物資は厳しく監視されているとしてイスラエルの主張を強く否定するとともに、ハマスのトンネル資材はエジプト国境から密輸されたものだろうとの見方を示している。それにも関わらず、イスラエル当局がガザ地区への物資搬入規制を緩和する可能性は低い。

また同紙は、人道問題担当国連事務次長補のキュンワ・カン(康京和)氏による以下の警告を引用した。「ガザ地区では、電力不足が病院の機能に深刻な影響を及ぼすとともに、食料生産能力を低下させ、さらには上下水道の流れを停滞させる悪循環を引き起こしています。事実、下水が農作地に溢れだす事態が発生しており、このままでは飲料水を汚染し、疫病が発生する可能性も高まっています。」

「今回のガザ地区の人道的な危機に際して、UAEは最も早期に支援の手を差し伸べた国々の一つであるが、こうした人道支援は湾岸諸国のみならず国際社会全体がもっと積極的に担うべき責任である。米国はイスラエルによる空爆・砲撃を抑え込む努力を殆ど行わなかった。しかし、既に悲惨な状況に置かれている一般のガザ地区住民を人道危機に陥らせる事態を防ぐために、米国はガザ地区への必要物資の搬入をイスラエル軍に緩和させるうえでより一層の努力を傾注できるはずである。」とナショナル紙は結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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宗教間の調和が発展をもたらす

【ローマIDN=バレンティーナ・ガスバッリ】

信仰と宗教が国内と国家間において平和的かつ調和的な関係をもたらすうえで重要な役割を果たすとの認識が世界的に高まりつつある。

半世紀以上にわたって、国連や欧州連合、そして多くの国際・地域機構が信教の自由の原則を確認してきた。またジャーナリストや人権擁護団体が、多くの国における少数派宗教への迫害や宗派間暴力の勃発、宗教を信奉する個人・集団に対する差別行為について報じてきた。

しかし、今までのところ、信仰と宗教が国際社会や各国の社会福祉や政策に与えるプラスの影響について評価した定量的な研究は数えるほどしかない。

ピュー・リサーチ・センターの「宗教と国民生活に関するピュー・フォーラム」が1月に発表した調査報告書では、世界の人口の約76%にあたる53億人が、信仰や信条の自由に対する「高度な」、あるいは「極めて高度な」規制の下で暮らしていることが明らかにされている。そしてそうした規制の一部は、政府の行動や政策、法律によるものである。

例えば、政府による特定宗教の禁止や、改宗の禁止、布教の制限、特定の宗教集団に対する好意的取扱いが挙げられる。178カ国(世界の90%)において、宗教集団がさまざまな理由のために政府への登録を義務付けられている。そして117か国(59%)において、こうした登録制度が、特定の信仰に対する大きな問題や直接的な差別を招く原因となっている。

Neonazi Skinheads/ Wikimedia Commons
Neonazi Skinheads/ Wikimedia Commons

その他の規制としては、個人や民間団体、社会集団からの敵対的な行為によって生じるもの、つまり、暴動や宗派間暴力、宗教的な理由で身に着けている服装を巡る嫌がらせ、その他の宗教に関連した脅迫などがある。

ひとつの例は、多数派の宗教に対して攻撃的あるいは脅威とみなされるような少数派宗教の行為に対して、個人や民間団体が排撃する場合だ。少数派宗教を狙った襲撃事件は2012年には世界の47%の国で報告されているが、これは2011年の38%、同報告書の基準年の24%よりも上昇している。

例えばリビアでは2012年12月、ミスラタ市コプト正教会に対する暴力行為で2人の信者が殺害されている。米国務省によれば、この事件は、2011年の革命以後、特定の教会を狙い撃ちにした初めての襲撃事件であった。

エジプトでは、コプト派キリスト教集団への襲撃が年間を通じて拡大した。中国では、仏教の僧や尼僧、一般信徒が、焼身自殺を図ることで、チベットに対する政府の政策に異議申し立てをしている。またナイジェリアでは、イスラム過激派武装集団「ボコ・ハラム」による襲撃など、イスラム教徒とキリスト教徒間の暴力が増えている。ビルマ(ミャンマー)のアラカン州では、イスラム教徒のロヒンギャと仏教徒との間の暴力によって数百人が死亡し、10万人以上が住まいを追われている。

報告書によれば、宗教に対する規制が絡んだ、「高度な」あるいは「極めて高度な」社会対立を経験した国の割合は、2012年に6年ぶりのピークを迎えている。

最も高いレベルの規制は、サウジアラビアやパキスタン、イランといった国でみられる。これらの国では、政府や社会全体が、宗教的な信条や活動に対してさまざまな制限を加えている。しかし、政府の政策と社会内の敵対が常に相前後して進むわけではない。例えばベトナムや中国では、政府による宗教の規制は厳しいが、社会内部の敵対という点では中程度あるいは低程度なのである。ナイジェリアとバングラデシュはこの逆のパターンで、社会的敵対の程度は高いが、政府による規制は中程度である。

すべての宗教の中では、中東・北アフリカにおいて、政府・社会による最も程度の高い宗教への規制がみられた。他方、アメリカ大陸では両方の点で最も規制的な動きが少ない。世界の国のうち人口の多い上位25か国では、イランやエジプト、インドネシア、パキスタン、インドが、政府や社会による規制を考慮に入れると、最も規制が厳しい。他方、ブラジルや日本、米国、イタリア、南アフリカ、英国は最も規制が少ない。

Government Restrictions around the World /Pew Research Center
Government Restrictions around the World /Pew Research Center

信教の自由と経済活動

「宗教的市場理論」が示すように、宗教を基盤にしたアプローチは経済成長をより加速することになるだろうか。「信仰の自由&ビジネス財団」のブライアン・グリム会長は、いくつかの理由を挙げて、信仰の自由がなぜ経済活動にとって望ましいかを説明している。

第一に、信仰の自由は、報告書によれば世界の84%の人々が支持しているものを保護することによって互いに尊重し合う価値観を涵養することになる。信仰の自由によって、宗教を信じていようとなかろうと、人々には、社会の中で声を上げる平等の権利と機会が与えられることになる。

第二に、信仰の自由は、持続可能な経済発展に対する主要な阻害要素である腐敗を抑制する効果がある。例えば、宗教に負荷を加える法律や慣行は、高いレベルの腐敗と関係していることが研究によって明らかにされている。これは、ピュー・リサーチ・センターの分析と、トランスペアレンシー・インターナショナルによる「2011年腐敗認知指標」を単純に比較することによって裏付けることができる。最も腐敗した10か国のうち8か国において、信教の自由に対する政府の規制は、「厳しい」か、「きわめて厳しい」ものであった。

第三に、信仰の自由は、宗教関連の暴力と紛争を抑えることで平和を生むことが実証されている。逆に、宗教的敵対と制限は、現地および外国投資を逃避させ、持続可能な開発を阻害し、経済の大規模な部門を混乱に陥れるような環境を作ってしまう。一連の宗教規制と紛争の影響で国の主要産業である観光業が深刻な打撃を受けているエジプトがこのようなケースに当てはまる。

第四に、信仰の自由は、積極的な社会経済的発展に貢献する広範な自由を促す効果がある。例えば、経済学者でノーベル賞受賞者のアマルティア・セン氏は、社会の発展には「不自由」の源を取り除く必要があると論じている。信仰の自由への阻害要因を取り除くことは、他の種類の自由も促進することとなるのである。

第五に、信仰の自由は経済を発展させる。宗教集団が自由で競争的な環境で活動するときには、宗教が各国の人間開発や社会的発展において目に見える役割を果たすことができる。

第六に、信仰の自由は、経済活動を直接的に制限ないし阻害するようなある種の制限を伴う過剰な宗教規制を克服する。宗教への規制度が「特に高い」一部のイスラム教が主流の国々の例は、信仰の自由が存在しないことがいかに経済業績に悪影響を及ぼすかを示している。

経済的自由に影響を及ぼしている直接的な宗教的規制の一つにイスラム金融がある。例えば、イスラム金融商品の発明や購入、売却にかかわるビジネスは、あるイスラム法(シャリーア)学者委員会が特定の商品を容認する一方で別のものは認めないという状況に直面することがある。つまり特定の金融商品が株式市場で容認されるかどうかは、シャリーアの解釈いかんにかかっているのである。

そして第7に、信仰の自由は信頼を増幅する効果がある。会社の中で信仰の自由が尊重されれば、会社の最終収益にも直接的にプラスの効果を及ぼすこととなる。例えば、コストが下がり、士気は上がるのである。コスト低下の例としては、会社が訴訟で責任を取らされるリスクが低くなるということが挙げられる。さらに、ビジネスパートナーや投資家、消費者といったビジネスの重要な利害関係者や、近年ますます増えている倫理面に敏感な消費者は、人権問題に取り組む会社を好んで選択する傾向にある。実際、人権に敏感な会社を消費者や政府が優先することで、そうした企業は競争市場で優位に立ち、価格を上乗せしたり選択的契約を取ったりできるようになる。

Pew Research Center
Pew Research Center

ピュー・リサーチ・センターの分析は、宗教的市場理論をそれとなく適用したものであり、実体経済の文脈における主要な意味合いを浮き彫りにしている。実際、宗教的市場があらゆる経済に存在する中で、それが政府の他の公的部門からの規制に晒されるようになると、社会対立も増加する傾向にある。信仰の自由の程度は、過去5年間の国内総生産(GDP)平均成長率や価格・金融政策の安定性と並ぶ三大要素として、国の経済的成功を測定する決定要因となっている。

上記の調査は、世界経済フォーラムの第10の指標、つまり国の競争力(とりわけ教育制度、インフラ、通信、労働市場の効率性を通じたもの)を適用することで、宗教・信仰の自由が保障され、宗教に伴う社会的敵対が抑えられている時に、これらの指標がよりよいパフォーマンスをもたらすことを明らかにしている。

中国とブラジル

興味深い比較が、中国やブラジルといった国々における宗教とビジネスの関係を解き明かしてくれるかもしれない。これらの国々は、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ共和国から成るBRICSとして一般には知られているが、経済開発、社会開発、文化開発に対してのアプローチはさまざまである。

過去50年以上にわたって、中国政府は信仰の自由や思想の自由に対して最も厳しい規制を敷いてきた。1960年代の文化大革命のときにはすべての宗教が抑圧され、宗教を信じているとみなされた人間は殴打されたりその他の嫌がらせを受けたりした。ピュー・リサーチ・センターの研究では、今日、中国国民の半分以上が何らかの宗教を信仰しているが、公式・非公式の数多くの規制が依然として課されている。しかし、中国には世界で最大の仏教信者がおり、キリスト教徒人口では世界第7位、ムスリム人口では世界第17位である。

他方、ブラジルはビジネスに対する熱意が非常に強い新興経済国である。ピュー・リサーチ・センターの調査によって、宗教への規制や社会的敵対を弱めようとする努力をしている世界の76%の国々の中に、ブラジルも入っている。例えば、2012年1月15日、ジルマ・ルセフ大統領が、ホロコーストや反ユダヤ主義、その他のユダヤ関連の項目、さらには人種差別主義や外国人排斥、不寛容の問題を一部の学校や大学、教育機関のカリキュラムに盛り込むことを含めた合意を承認した。

信仰の自由に対するそうした支持表明のもうひとつの例は、ブラジル経済の中枢で西半球最大の人口2000万人を擁するサンパウロ市当局が今春、5月25日を「信教の自由の日」と定めると発表したことである。この発表は、カトリック大司教区や主要政治家、著名人など約3万人が参加した宗教横断的な「信教の自由フェスティバル」にあわせて行われた。(原文へ

INPS Japan

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【シャリジャWAM】

「世界中の多数のイスラム教徒がイド・アル=フィトルを祝っている。文字通り、ラマダン月における断食(フィトル)の終わりを祝宴(イド)で祝うこの3日間は、イスラム教徒にとって家族知人が集い、プレゼントを交換し合い、アラーの神に感謝を捧げる重要な祝祭日である。」とアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙が報じた。

一方、ガルフ・ニュースは、「しかし今年の場合、全体的な雰囲気は、シリア内戦の被害者の苦境やイスラエル軍による無慈悲なガザ爆撃の様子、イラクにおける過激派民兵の前進を国際社会がなす術もなく見守る状況の中で、必然的に抑制気味なものとなっている。」と報じた。

Remembering victims of Malaysia Airlines MH17 attack/ WBCO
Remembering victims of Malaysia Airlines MH17 attack/ WBCO

「とりわけイスラム教徒が人口の大半を占めるマレーシアでは、7月17日にウクライナ東部で起こったマレーシア航空17便の撃墜事件を受けて、政府当局が通常一般市民に振舞うイドの祝宴をキャンセルするなど自粛ムードが広がっている。同国は、この航空惨事の前にも、同じくマレーシア航空370便が3月に消息を絶った未解決事件を抱えている。」とシャリジャに拠点を置くガルフ・ニュース紙は7月29日付の論説の中で報じた。

「パレスチナ人は引き続き惨禍に見舞われている。ガザ地区のパレスチナ人は、既に3週間に及ぶイスラエル軍による無慈悲な爆撃に晒されるなかで、イド・アル=フィトルを涙と悲しみの中で迎えることとなった。イスラエル軍の侵攻により、167000人以上のパレスチナ人が国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が運営している青と白に塗られた学校に避難することを余儀なくされている。」と同紙は報じた。

現在ガザ地区には約45000人の妊産婦が保健医療を必要としている実情を考えると、病院や保健施設が破壊されている状況は特に憂慮すべきである。

「ストレスや不安感から、こうした妊産婦の多くが産科合併症に直面する可能性が高い。しかし紛争によって、母子保健サービスへのアクセス確保は、はますます困難になっている。」

「女性、老人、子どもを無差別に攻撃しているイスラエル軍は、引き続き人道に対する罪を犯していると言わざるを得ない。」とガルフ・ニュース紙は報じた。

「また、今日世界で最も人口に占める難民の割合が高い国となっているレバノンは、国内で緊張が高まっており、今後危機はさらに深まるとみられている。同国内のシリア難民の数は、今年末までには全人口の3分の一に当たる150万人に達する見込みである。

「一月に亘って断食をしたイスラム教徒は聖なるラマダン月の期間中にアラーの神から授かった栄光に感謝を捧げています。」

「華やかなイド・アル=フィトルの祝祭日が喜びと希望をもたらす一方で、イスラム世界が直面している多くの苦難に絶望感が広がっている。今日イスラム諸国において、毎日数百人もの人々が根拠のない理由で殺害されている。今こそ、イスラム世界はもとより全ての人類の平和と安定、進歩と幸福のために希望を持って祈り尽力すべきときにきている。」とガルフ・ニュース紙は結論付けた。

翻訳=IPS Japan

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【カンパラIPS=エイミー・ファロン】

オルガ・ムギサさん(11歳)は、緑葉植物の鉢が並べられ、背景にウガンダ国旗が誇らしげに掲げられた壇上の中央でマイクの前に立ち、会場に居並んだ同年代の子どもたちに向かって「木を1本切ったら、2本植えましょう。」と語りかけた。

「ここにお集まりの皆さん、学校や自宅をはじめ、あらゆる所で木を植えていってください。」ムギサさんは、ウガンダの首都カンパラにあるGEMSケンブリッジ・インターナショナル・スクールで開催された第1回「国際子ども気候変動会議」の参加者を前に、自信に満ちた大きな声で語った。

International Children’s Climate Change Conference/The Little Green Hands
International Children’s Climate Change Conference/The Little Green Hands

「これらの木を植えれば、それだけ皆さんが吸い込む空気が得られます。皆さんは、二酸化炭素を吐き出しながら、酸素を吸いこんでいるのです。」と、カンパラ市内のナムウォンゴ地区(Namuwongo)にあるミレンベ・インターナショナル・スクールに通う小学5年生のムギサさんは語った。

第1回「国際子ども気候変動会議」を主催したのは地元NGOの「リトル・グリーン・ハンズ」で、ウガンダの環境管理局(NEMA)も後援している。会議にはウガンダ国内の4県、23の学校から、5歳から12歳までの約280人の「子ども代表」が参加した。また海外からも、スペイン、フランス、米国など35カ国から子供代表が参加した。

児童らは、寸劇や歌、詩の朗読、問題の投げかけから、パワーポイントを使っての発表など、各々のやり方で、気候変動の原因と影響、そして解決策について議論した。

弁護士出身の社会企業家、環境保護論者で「リトル・グリーン・ハンズ」を設立したジョセフ・マセンべ氏は、「とりわけ気候問題に関しては、希望をもたらしてくれるのは子どもたちです。」と語った。マセンべ氏は、ウガンダで若者を巻き込んだ「新たな形態の環境政策」を実践している。

Joseph Masembe
Joseph Masembe

2013年2月に発表された「ウガンダ人口白書」によると、ウガンダは30歳未満の人口が全体の78%以上を占める、世界で最も若い世代が多い国である。

「かつてある賢者が、子どもの心は濡れたセメントのようだと教えてくれたことがあります。つまり、そこに何かを書けば、永久に残るということです。従って、幼い年齢の段階から、子どもたちを環境保全活動に関わらせることで、将来は確保され保証されるのです。」とマセンベ氏は語った。

「子どもたちは未来の世代を担っていく人達ですが、大人たちが罰を受けることなく木を伐採しきたせいで、今や人類は気候変動の泥沼に直面しています。大人たちは、植樹の必要性など十分考えもせず、ただ木を切ってきたのです。」

「しかし私たちが、子どもたちを幼少期の段階から巻き込んで木を植えさせれば、大人になるころには、そうした木に対して情緒的な価値観を持つようになり、決して木々を安易に伐採するようなことはしないでしょう。」とマセンべ氏は解説した。

マセンベ氏は、2012年以来、子どもたちに園芸の才を身に着けてもらうことに焦点をあてた「リトル・ハンズ・ゴー・グリーン・フェスティバル」という毎年恒例の行事を開催している。同年12月に第一回フェスティバルがカンパラのコロロ滑走路で開かれた際には、1万6000人以上もの子どもたちが集まり、会場で果樹の苗木をもらい、それぞれが家庭で植樹した。「アフリカ大陸で唯一となったこのグリーン・フェスティバルは、多くの子どもたちが集まっていると聞きつけたヨウェリ・ムセベニ大統領が「飛び入り参加」したほど盛況でした。今回初めて開催した『国際子ども気候変動会議』は、このフェスティバルから派生したものなのです。」と、マセンべ氏は語った。

Little Hands Go Green Festival
Little Hands Go Green Festival

2013年版「ウガンダ人口白書」で強調されているように、ウガンダは気候変動に関して、最も準備不足で脆弱な国の一つとされている。また同報告書は、「世界の気候変動モデルによるとウガンダは向こう20年間で平均気温が最高1.5度上昇すると予測されている。…暑い日が増加する一方で寒い日が減少している。また、ルウェンゾリ山の氷河が溶け続けているほか、国内のほぼ全地域において、局地的で長引く旱魃が頻繁に発生している。」と記している。

「雨がかつてほど降らず、季節のパターンが変化し、平均気温が以前よりもかなり高くなっています。また、乾季が長くなり、農業に従事している人々は、作物が深刻な被害を被っていると訴えています。また(東ウガンダにある)ブドゥダ県では、ほぼ2年おきに土砂崩れが発生しています。」とマセンべ氏はIPSの取材に対して語った。

オルガさんは、年齢の割には、気候変動が、彼女が言うところの「アフリカの真珠(ウガンダの別名)」に及ぼしている影響についてよく知っている。「気候変動により、私の国はもはや『アフリカの真珠』ではなくなりつつあります。ビクトリア湖アルバート湖は干上がってしまうでしょう。…気候(変動)は、一つの国を滅ぼしかねないものなのです。」「オゾン層は、太陽光に含まれる有害な紫外線の大部分から地球上の生物を守っていますが、これが破壊されると私たちは有害紫外線に晒され、植物は枯れ果て、旱魃が引き起こされます。」とオルガさんは語った。

国際子ども気候変動会議の最後に植樹をしたオルガさんは、「私は両親と2人の兄弟に植樹するよう勧めるつもりです。また、多くの人々に木を植えるよう勧めていきたいと考えています。…彼らには(この国を気候から守る)責任があるのだから。」と語った。

Little Green Hands
Little Green Hands

インターナショナルスクールに通うオルガさんの場合、気候変動に関する学習が学校のカリキュラムに組まれているという意味で幸運である。「インターナショナルスクールでは気候変動の問題が教えられていますが、国の大半を占める地元の学校では教えられていません。そこで、例えば課外学習を通じて(気候変動に関する学習を)導入するなど、何らかの方策を見出さなければなりません。」とマセンべ氏は語った。

「(8月24日開催予定の)今年のグリーン・フェスティバルは、いい機会になると思います。今後は毎年行われる予定のこの国際会議も、子どもたちが声を発し、大人たちがそれに耳を傾けるような場になればいいと思っています。」とマセンべ氏は語った。

翻訳=INPS Japan

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