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湾岸諸国はアサド政権の残虐行為を忘れてはならない

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【アブダビWAM】

「(シリアの首都ダマスカスを見下ろす)カシオン山麓の大統領官邸にこもっているバシャール・アサド大統領は、政治的な行詰まり状況からやっと出口を見出したと考えているようだ。アサド政権は、当初平和的だった反政府デモを残虐に鎮圧して以来、近隣のトルコや、英・米・アラブ首長国連邦といった西側諸国から『のけ者』国家とみなされてきた。」と英字日刊紙ナショナルが8月29日付の時事解説の中で報じた。

「アサド大統領は、西側諸国によるイスラム教スンニ派の過激派組織『イスラム国』対策に手を貸せば苦境から脱することができるのではないかと考えているようだ。8月25日、シリアのワリード・ムアレム外相は、(イラクに加えシリア国内でも勢力を拡大している)『イスラム国』に対する欧米などによる攻撃の可能性について、『(英米を含む)国際社会と協力する用意がある。』と語った。

ムアレム外相はまた、「しかし(『イスラム国』の拠点を対象としたものであっても)シリア領内へのいかなる攻撃について、シリア政府による事前の許可と調整がないものは、シリアへの『侵略行為(act of aggression)』とみなす」と釘を刺した。

ナショナル紙は、「しかし『侵略行為』とは、むしろ昨年アサド政権がダマスカス郊外ゴウタ地区の民間人に対して化学兵器を使用した行為を言うのではないか?あるいは、(アサド政権が)都市に樽爆弾を投下したり迫撃砲を打ち込んだり、食べ物を求めて並ぶ民間人の頭上を爆撃したり、或いは『シャビハ』という民兵集団を使って反政府派と見られる市民を暴行殺戮して恐怖を植え付けたりしていることこそが、『侵略行為』ではないのか?」と指摘したうえで、「シリア国民の友人である湾岸諸国の人々は、アサド政権が行ってきたこうした所業を忘れていない。また、ホムス(シリア第三の都市で今年5月に政府軍の手に陥落)に対して行われた陰惨な包囲攻撃や、今も続くアレッポに対する包囲攻撃を忘れない。」と報じた。

また同紙は、「私たち(=湾岸諸国の人々)は、アサド政権が正当な権利を求める自国民を弾圧して飢えさせた結果、シリア内外に多数の難民が発生し、近隣のヨルダン、レバノン、トルコに多大な負担をかけていること、そして、反政府派に対して砲弾の雨を降らせている最中にあっても『イスラム国』の本拠があるラッカに対する爆撃は拒否し、(結果的に)同集団の勢力拡大を助長したことを忘れない。」

ナショナル紙は、「私たちが、アサド大統領によるこうした所業を忘れないというのは、単に同氏が政権から去るべきという信念のみから言っているのではなく、同氏の所業が、湾岸諸国とその同盟諸国の立場を危うくしているからである。シリアから流出し続けている多数の難民は隣国ヨルダンの存立を脅かしている。また、シリア内戦は隣国イラクも不安定化させ、『イスラム国』が(シリア、イラクに跨って)勢力を伸ばした原因となっている。政治的な便宜を考慮すれば、アサド政権と協働して『イスラム国』の脅威と闘うことは容易なことかもしれない。しかし現実はアサド政権も『イスラム国』も湾岸諸国にとって脅威であることには変わりない。中東地域にとっては、これら両方がなくなることが望ましい。」と報じた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|UAE|2021年までに宇宙庁を設立、アラブ世界初の探査機を火星に

 【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)はアラブ世界初となる無人探査機を2021年までに火星軌道に到達させるプロジェクトを発表し、宇宙開発競争に参入した。また、このプロジェクトを監督し、UAEの宇宙開発技術部門を総括する組織として新たに宇宙庁を創設すると発表した。

これによって世界で火星を探査する宇宙開発プログラムを実施している国は9か国となった。無人探査機を火星軌道に到達させるには、9カ月の歳月をかけて6000万キロ以上を飛行させる必要があるが、UAEは2021年の建国50周年に合わせて計画を実現したいとしている。

ハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン大統領は、「UAEの火星探査プロジェクトは、イスラム世界が宇宙時代に突入したことを象徴する出来事となるでしょう。また私たちは、この事業を通じて人類に対して新たな科学的貢献が出来るということを証明するでしょう。」と指摘したうえで、UAEの目的について「①航空宇宙産業及び宇宙探査の分野においてUAEの技術・知力を構築していくこと、②宇宙産業に参入し、国の開発計画に資するよう宇宙関連技術を活用できるようになること。」と語った。

副大統領兼首相でドバイ首長のムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム殿下は、「中東地域は様々な緊張と紛争に見舞われています、私たちは、環境と材料さえ整っていれば、アラブの人々が人類社会にいかにポジティブな貢献ができるかを様々な業績を通じて証明してきました。この地域は人類文明の揺籃の地であり、私たちは再び、(火星で)探究、創造、建設、文明化を担う運命にあるのです。」と語った。

さらにムハンマド首長は「私たちは敢えて火星到達という壮大な挑戦を選択しました。それは困難な課題に挑戦することが、私たちが前進し続ける動機の源泉となっているからに他なりません。」と付け加えた。

火星探査プロジェクトは、UAEの人材が宇宙開発や地球から遠く離れた惑星に関する知識を深め、専門技術を習得する観点から、国際パートナーからの知識移転を得ながら国内専門家主導で実施される予定である。

このプロジェクトは、宇宙工学技術部門という今後長年に亘って国家経済の重要な要素を構成する部門を構築する契機になることから、UAEの開発の歴史において重要な分岐点となるだろう。

UAEはこれまでに、宇宙開発関連事業として、衛星データ、テレビ放送会社、通信衛星運用企業Yahsat社、移動体衛星通信会社、スラーヤ衛星通信、地球マッピング、観測システム、人工衛星「ドバイサット1号、2号」等に対して、既に200億ディルハム(約5654億円)を超える投資を行ってきている。

ムハンマド首長はまた、「UAE宇宙庁の任務は、全ての宇宙開発に関連した活動を監督、体系化するとともに、当該部門の開発、知識移転を推進し、航空宇宙産業部門におけるグローバルプレーヤーとしてのUAEの地位を高め、国家経済への宇宙産業部門による貢献を最大限に高めることにあります。また宇宙庁は閣僚評議会(内閣)の直属機関として管理運営及び財政上の独立が確保されます。」と語った。

世界的に、宇宙開発技術は各国の安全保障や経済にとって重要性を増してきており、各国政府も大型国家プロジェクトや専門機関を設けてその保護・育成に力を入れている。この部門は、通信、ナビゲーションから、気象・自然災害の観測・放送まで、生活の様々な側面で欠かせない存在となっている。

宇宙産業の市場規模は全世界で3000億ドル(約30兆8430億円)で、年間成長率は約8%と見られている。

「私たちは2021年までにUAEが宇宙産業部門で先進国の一角を占めることを目指しています。私たちはアラーのご加護と我が国の若者たちの才能に全幅の信頼を置いています。私たちには、目標を達成するために必要な鉄壁の決意と熱意、そして明確な計画があるのです。」と、ハリーファ大統領は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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教育と経済面がカギを握る先住民族のHIV/AIDS患者支援

【シドニーIPS=ニーナ・バンダリ】

ニュージーランド北島西岸のワイカナエ出身のマラマ・パラ(43歳)さんは、22才の時にHIV陽性と診断された。この診断結果は彼女の属する狭いマオリ族社会で瞬く間に広がった。

これは1993年のことだったが、パラさんは、「(ニュージーランド社会には)依然として、HIV罹患者を非難して貶めるような態度が横行しており、とりわけ罹患率が高い先住民族社会に深刻な影響を及ぼしています。」と語った。

「もしHIV陽性と判定されたら、まるで麻薬常習者や売春婦のような『汚い』人間だと見られてしまいます。差別され、犯罪者のように扱われることで、社会のはみ出し者になってしまうのです。つまり先住民のHIV罹患者らは、こうした社会からの仕打ちを恐れて、助けを求めようとしないのです。」とパラさんは語った。彼女は現在、同じくHIV陽性の夫とともに、「INA(マオリ、先住民、南太平洋) HIV/AIDS財団」を運営している。同団体は、HIV/エイズへの意識を高める教育を通じて予防と治療介入を図っていくうえで、文化的なアプローチを採用している。

Marama Pala
Marama Pala

「この5年間でニュージーランドの太平洋諸島出身者コミュニティーにおけるHIV罹患者数は増加傾向にありますが、とりわけマオリ族の罹患率が高いのが特徴です。その理由は、なかなか検査を受けようとしないからです。特に(HIVに罹患する恐れがある)危険な行動をとる人は、きわめて重篤化するまで検査を受けない傾向にあります。」とパラさんは語った。

「HIVに罹患した先住民の女性の中には、差別を恐れて薬物治療を受けないでいる人たちが多く、結果的に救える命も救えない状況が続いています。この国には抗レトロウィルス(ARV)薬が広く普及しており、なにも彼女たちはこの時代に命を落とすことはないのです。」と国際エイズ・サービス組織評議会(ICASO)の理事もつとめているパラさんは語った。

世界各地で先住民のHIV罹患率がとりわけ高い状況が報告されるなか、活動家や専門家の間で、先住民を適切に巻き込み彼らの文化に配慮したエイズ対策の必要性が強く叫ばれている。

先住民の女性の多くが、HIVに罹患したことについて、近親の家族にさえ打ち明けられないまま、無言のうちに生きている。

「オーストラリアにはHIVに罹患した130人の先住民女性がいます。しかし、自分以外にHIVに罹患していることを公言しているのは一人しかいません。」と語るのは、ミシェル・トービンさんである。彼女は、21歳の時にHIV陽性と診断された。

トービンさんは、当時交際を始めたばかりの男性からHIV陽性だと打ち明けられたという。「当時の私は世間知らずで、自分には感染しないだろうと思っていました。しかし半年以内に私もHIV陽性だと診断されたのです。当時私は妊娠していたので、子どもに感染していないかそればかりが気がかりでした。」「1990年代初等当時のメルボルンでは、HIV陽性と診断されても特に治療は勧められませんでした。ヨルタ・ヨルタ族出身で既に亡くなった夫もそうですが、当時多くの人々がエイズの初期段階で亡くなりました。」と、トービンさんは当時を振り返った。

盗まれた世代」の子孫でありHIVそして今はエイズを発症した先住民女性として、トービンさんは周囲の人々、とりわけ彼女を勘当した自身の家族によって、様々な汚名と差別に晒されてきた。

彼女の近隣住民の中には、未だにエイズは簡単に感染する病気だと誤解したまま、彼女に近寄ろうともしない人々もいる。しかしトービンさんはこのような辛い逆境を跳ね返して、HIV/エイズとともに生きる先住民の女性の権利を熱心に訴える活動家に転身した。

Anwernekenhe全国HIV連合の会長とPATSIN(陽性のアボリジニー・トレス海峡島民ネットワーク)の委員を務めているトービンさんは、「先住民女性の感染者は、HIV感染者というマイノリティの中のさらにマイノリティと言えます。彼女たちが、HIV感染の予防や治療、孤独、秘密保持、住宅等、直面している諸問題について重い口を開けるよう、もっと財政的な支援が必要です。」と語った。

オーストラリアは、「HIV/エイズに関する国連政治宣言」が定めた目標を支持しているほか、HIV陽性のアボリジニー・トレス海峡島民にとって最適な臨床診療など、HIV感染予防に対する人々の注意を喚起するための戦略的な目標を定めた「HIVに関するエオラ行動計画」を採択している。

International Indigenous Pre-conference on HIV and AIDS
International Indigenous Pre-conference on HIV and AIDS

7月17日から19日にかけて、「HIV・AIDに関する国際先住民族作業部会(IIWGHA)」が「オーストラリア・アボリジニー・トレス海峡諸島民組織委員会(AATSIOC)」と協力して、「HIV/エイズに関する国際先住民会議」をシドニーで開催した。会議のテーマは「私たちのストーリー、私たちの時代、私たちの未来」で、先住民に焦点をあてた疫学的なデータを増やす必要性が強調された。HIVに罹患した先住民に関する臨床治療例が不足しているため、予防戦略の一環としてHIV臨床治療を実施していくうえで大きな課題となっている。

「カナダ先住民・エイズネットワーク」(CAAN)のトレバー・ストラットン氏(英国人と先住民を祖先に持つ49歳)によると、カナダの先住民のエイズ罹患率は人口全体の罹患率と比較して3.5倍にものぼるという。

「私たちは、これはカナダに限らず世界各地の先住民に見られる特徴だと考えています。しかしそれを裏付ける臨床学的なデータが不足しているため、先住民のHIV患者を対象にした臨床治療データを世界各国で収集するよう訴えているのです。そのような臨床データが集まれば、先住民が、同性愛者や性産業労働者と並んでHIV/エイズ感染のハイリスク集団であることが認知され、各国政府も予算措置を講じて、先住民自身の手による解決策が模索できるようになると期待しています。」とストラットン氏は語った。

オンタリオ州ミシサガ族出身のストラットン氏は、1990年にHIV陽性と診断された。彼は、先住民の間でHIV罹患率が高い背景には、白人による植民地支配や資源の収奪、同化政策などによって先住民が社会の底辺に追いやられてきた歴史が関係していると考えている。「社会的な決定権を奪われた結果、先住民は(HIV/エイズを含む)健康を害する高いリスクに晒されてきたのです。」とストラットン氏は語った。

Trevor Stratton/ CAAN
Trevor Stratton/ CAAN

オーストラリア統計局によると、アボリジニートレス海峡諸島民の女性のHIV罹患率は、オーストラリア出身の非先住民の女性の罹患率を比べてはるかに高いものだった。(10万人当たり、前者が1.5人に対して後者が0.4人)

2004年から2014年の間に、231人のアボリジニー・トレス海峡諸島民がHIV陽性と診断された。2013年における新規HIV罹患者は、オーストラリア出身の非先住民(10万人中3.9人)に比べて先住民(10万人中5.4人)の方が多かった。

「私たちは、HIV/エイズの問題が孤立して存在するとして知らないふりをすることは許されません。社会正義の問題は、各々の社会全体に浸透した体質の問題でもあるのです。従って、各国政府にそれを是正させていくには、国際人権メカニズム、とりわけ『先住民族の権利に関する国際連合宣言』と、『国際労働機関169号条約(原住民及び種族民条約)』を各国で順守するよう働きかけていかなければなりません。」とストラットン氏は結論付けた。

HIV・AIDに関する国際先住民族作業部会(IIWGHA)は、HIV/エイズに関する正しい知識の普及や先住民コミュニティーの間に根強く残っている偏見対策、さらには先住民を対象とした調査や啓蒙活動を行っている。

IIWGHAの使命と戦略プランは、先住民の自治権、社会正義、人権を認めた2006年の「トロント憲章:先住民行動計画」に基づいている。

CAANのリーダーシップコーディネーターで先住民族出身のドリス・ペルティエ氏は、法定貧困レベルよりはるかに貧しい生活をしている女性達を支援する活動をしている。彼女たちの中には、HIV陽性と診断された時点で当局により子どもを取り上げられたケースもあるという。

トロントで麻薬中毒者だった44歳の頃にHIV陽性と診断された経験を持つペルティエ氏は、当局に子どもを取り上げられる恐怖といった制度的な問題が、HIV罹患者が自らの健康問題について医師に相談しようという意志を阻害する要因となっていると考えている。

「本来女性たちを支援するためにあるはずの社会システムが、実際には彼女たちを阻害する障壁となっているのです。」とペルティエ氏はIPSの取材に対して語った。

彼女がオンタリオ州ウィクウェミコンにある先住民居留区に帰郷したとき、HIV陽性の彼女に手を差し伸べてくれた者も中にはいたが、多くの住民が彼女を心から受入れようとはしなかったという。そうした人々の中には、同じ皿で食事を共にすることを拒否したり、トイレを使った後には便座を殺菌するよう彼女に要求したりするものもいた。

「故郷に戻ってまもなくすると、私についての様々な噂が街に広がりました。そうした私を指す言葉の一つが『Wiinaapineh(汚い病気)』というものでした。しかし私は一歩も引かず、抗レトロウィルス(ARV)薬による治療と家族の励ましを得て少しずつ体調を改善していきました。」とペルティエ氏は語った。

IIWGHA
IIWGHA

「HIV陽性と診断されても、支援プログラムや治療方法、それ以上の感染を予防する方策があり、良質な生活を送ることができるということを、もっと多くの人々に知らせなければなりません。」と、今では曾孫に恵まれているペルティエ氏は結論付けた。

ペルティエ氏は、高い罹患率に見舞われているHIV陽性の先住民族の女性を救済する有効な対策の一つとして、「彼女たちを励まし内面的な強さと回復しようとする意志を引出すことで、自ら沈黙を破り自身の症状について率直に話せるようにすることです。」と指摘した。(原文へ

翻訳=IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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女性のエンパワメントの模範となった尼僧

【シンガポールIDN=カリンガ・セレヴィラトネ】

2500年前、ゴータマ・ブッダ(仏陀)は、サンガ(僧伽:仏陀に従う弟子たちの集団)に女性の入門を認めることで、インドで女性を男性と対等の立場においた。しかし今日、アジアのほとんどの仏教国において、尼僧たちがダルマ(仏陀の教え)を説く信頼に足る担い手として認められようと苦しい闘いを強いられているという。そうしたなか、あるネパール人女性が、実質的にダルマを「歌う」ことで、こうした認識を無意識のうちに変えることになるかもしれない。

「私は自分がどういう人間だとか思ったことはありません。ただ、仏陀の教えとその原則を理解し尊重しながら、心の赴くままに行動しているだけです。」と語るのは、ネパール出身の尼僧アニ・チョイン・ドルマである。シンガポールの第一級のコンサートホールである「エスプラナード」でこの4月、大入り満員の観客の前でパフォーマンスを見せる直前に行ったインタビューでのことだ。

世界の音楽シーンで名声を得たアニ・チョイン・ドルマは、近年米国やオーストラリア、台湾、シンガポールといった国々を廻り、会場を埋め尽くした観客の前で歌を披露している。そして、こうした興業で得た収入をネパールで設立した財団に投資して、保守的な男性支配社会に生きる貧しい女性達に教育の機会を与えエンパワーしようとしている。

仏陀が生まれたのと同じ国(現在のネパール連邦民主共和国)で、1970年にカトマンズのチベット難民家族に生を受けたアニ・チョインは、暴力をふるう父親から逃げるために13歳の時に尼僧になった。カトマンズ盆地の北の斜面のシバプウリ山にある尼僧院ナギ・ゴンパに入り、僧院長で高名な瞑想マスターでもあるトゥルク・ウルゲン・リンポンチェに師事し、教育と宗教的な修行の指導を受けた。アニ・チョインに真言(マントラ)の唱え方を教えたのは僧院長の妻である。彼女の才能はすぐに明らかとなり、まもなくチャンティング・マスターに任命され、僧院における全ての宗教儀式と読経を任された。

Kathumandu Valley/ Wikimedia Commons
Kathumandu Valley/ Wikimedia Commons

それから長い時間が流れ、今日アニ・チョインは、ネパールだけではなくアジア全体において女性のエンパワメントの模範となる人物と見なされるようになった。彼女は流暢に英語を話し、世界各地で開催される国際会議でも定期的に発言している。

「私たちは、(男児と)同じように両親の敬意と歓喜に包まれて母親の胎内に生を授かり、外の世界に出てくるまで胎内で同じように育てられます。男児と女児に異なる役割が割り当てられるのは生まれ出た後のことであり、それはあくまでも人為的な文化に基づいているものです。つまりそれは間違った理解であり、自然にはそうした偏見はないのです。」とアニ・チョインは語った。

またアニ・チョインは、「私は、(女性である)自分にも(男性と)同様に悟りを開く潜在能力があると信じています。同様に、私たちにも民衆に奉仕する潜在能力があるのです。それを私たちが信じることのどこが間違っているのでしょうか?」と問いかけたうえで、「私は他人を批判しようとは思いません。むしろ自身の内面を振返り、私には潜在能力があり、それを強化して前進しなければならない、と言い聞かせるようにしています。」と語った。

さらにアニ・チョインは、ネパールだけではなく世界中で歌を歌おうと思った動機は何かという質問に対して、「私が歌うのは悲劇的なラブソングといった世俗的な歌ではありません。私が歌うのはスピリチュアルな瞑想時の歌です。仏陀の言葉が非常にシンプルで詩的な言葉に翻訳され、それが耳に心地よい旋律と融合した歌へと変換されています。私が歌う主な目的は、市井の人が誰でも理解できるよう仏陀の知慧をシンプルな形で広めるところにあります。そうすることで、歌を聞いた人々を、少なくとも暫しの間、至福の時に誘うことができるからです。」と語った。

訓練を受けていない才能豊かな歌い手

アニ・チョインの音楽家としてのキャリアは、米国のギタリスト、スティーブ・ティベッツがネパール訪問中に彼女に会い、読経を聞いた1994年に始まる。彼女の歌の才能に感銘を受けたティベッツは、何とか頼み込んで僧院内の小さな部屋で彼女の歌声をカセット・レコーダーに録音させてもらった。その結果が1997年に発表され批評家の大絶賛を浴びたコラボ・アルバム「チョー」である。

Steve Tibbetts
Steve Tibbetts

「私は歌手になるための専門的な訓練を受けていませんし、歌手になろうとも思っていませんでした。一般的に歌手を目指す人の動機は、有名になりたいとか、お金を稼ぎたいとかいったことでしょう。しかし、私の場合はそうではありませんでした。」と、アニ・チョインは、自身の音楽の旅の起点となった日のことを思い出しながら語った。「私の場合、ある日、僧院を訪ねてきた音楽家が、私が祈りを捧げている声を聴いて、『録音させてもらっていいか』と尋ねてきたのです。彼はのちにそれをアメリカに持ち帰り、自分の音楽でミックスし、『これを使って音楽アルバムを作る気はないか』という提案とともにデモテープを送り返してきたのです。」

彼女は当初、このような提案を受け入れるべきか決めかねた。「私は師のところへ行き、考えを尋ねました。すると師の答えは、『いいでしょう。この経文を聞いたものは、信者であろうとなかろうと、恩恵を受けることができます。だからいいですよ。』というものでした。それで提案を受け入れることにしたのです。」と、アニ・チョインは付け加えた。

この決断で彼女は自らの新境地を開くとともに、恐らくアジアの尼僧たちがダルマのメッセンジャーとして認知される新たな道筋も開いたのであった。

1997年から2011年の間にアニ・チョインは12枚のCDをリリースし、ブッダ・バーなどのコンピレーション作品に参加、また、映画「ミラレパ」への音楽提供も行った。米国での初のコンサートツアーの成功後、欧州、北米、英国、シンガポール、中国、台湾、その他多くのアジア諸国において、コンサートや音楽祭で歌い始めた。こうしてアニ・チョインは、チベット仏教の読経を西洋の視聴者に広める上で多大な役割を果たしたのである。

Ani Choying Drolma/ Giác Ngộ Online
Ani Choying Drolma/ Giác Ngộ Online

2013年、アニ・チョインは、オスカー賞を獲ったインドの音楽家A・R・ラフマーンが作曲した宗教横断的な歌をヨルダンの女性歌手ファラー・シラジと共にMTVで歌って、「ワールド・ミュージック」という言葉にまったく新たな一頁を刻んだ。歌のベースにはネパール仏教の声明があり、そこにヨルダンの伝統的な旋律が折り重なった作品だった。

「その歌のテーマは『母』で、私は慈愛に満ちた仏陀のマントラを唱えました。」とアニ・チョインは説明する。「ラーマン氏は、マントラの伝統の中で母というものを現したものは何かあるかと私に尋ねたのです。母という言葉を思うとき、そこに込められた意味合いは『慈愛』ということになります。従って慈愛に満ちた仏陀のマントラを唱えると答えたのです。そして、ヨルダン人の女性歌手は母を称える歌をアラブ語で歌うことにしたのです。」

好調な歌手としてのキャリアから資金を得て、アニ・チョインは、ネパールの貧困地域の女児や若い女性の教育支援を開始することができた。

1998年、彼女は「ネパール尼僧福祉財団」(NWF)を設立した。尼僧たちが、より社会に対して幅広く貢献していけるよう、世俗および仏教的な教育を提供している。NWFの中心的なプロジェクトは、2000年に開校した「アリャ・タラ学校」である。また彼女は、シュリー・タラ・バンド(ネパール初の女性インストゥルメンタル・バンド)やネパール腎臓病院の建設、早期児童発達センター、野良犬保護キャンプなどの人道的なプロジェクトを多く支援している。

アニ・チョインは、尼僧として守らねばならないヴィナーヤ(戒律)と、音楽によって収入を得ることとの間に矛盾があるとは考えていない。

インタビューの中でヴィナーヤの規則に話が及ぶと、アニ・チョインは、「アジアの伝統においては何かを提供され、西洋の伝統においてはお金が支払われる。時間をかけ、スキルを見せることが、そういう形で尊重されているのだと思います。ですから、お金が入ってきたときに、次に問うべきは『このお金で何をすべきか』ということになるわけです。私は今こそ、すべての女性と女児が学校に行くチャンスをつかみ、教育を受けるという従来から抱いてきた希望を少しでも叶えるためにお金を使わせていただいてもいいのではないかと考えています。」と語った。

Arya Tara School/ The Ani Foundation
Arya Tara School/ The Ani Foundation

そうして彼女は、尼僧たちが高等教育を受けられる学校を始めた。「このお金でこのプロジェクトを始めることができました。ただ、始めるだけでは十分でなくて、継続することが大事ですから、結果的に私の歌手生活は続くことになるのでしょう…今後も活動から収入が得られれば、その中から、ネパールでよい事業を行っていくことができるでしょう。」とアニ・チョインは付け加えた。

「少なくとも、誰かの人生の痛みを和らげることができるのですから、非常に前向きにいられます。こうした活動ができることは、恵まれていると感じますし、自分という存在に大きな意味を与えてくれていると思います。」とアニ・チョインは語った。(原文へ

カリンガ・セネビラトネは、IDNアジア・太平洋地域特派員。シンガポールで国際コミュニケーションを教えている。

翻訳=IPS Japan

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ベルリンで宗教間対話の先進的なプロジェクトが始動

【ベルリンIDN=フランチェスカ・ジアデク】

ベルリンでは、互いの信頼に基づく思いきった試みが進行中である。「ひとつの家(House of One)」という宗教間対話の先進的なプロジェクトが始動し、順調にいけば2018年には、キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒がひとつ屋根の下で礼拝をする状況が実現するかもしれない。

ドイツでは、第二次世界大戦(1939~45年)後と、2001年9月11日の米国同時多発テロ事件の後に、キリスト教徒とユダヤ教徒の間で数多くの宗教間対話が進められてきた。しかし、600万人ものユダヤ教徒がこのキリスト教国の市民によって殺害されるという悲劇がいかにして起こり得たのかという問題に、ドイツ国民は依然として答えを見いだせずにいる。

今年6月、複合文化施設「フンボルトフォーラム(旧ベルリン王宮跡地)」建設予定地からさほど遠くない市内中心部にある空き地で、キリスト教プロテスタントの牧師、ユダヤ教のラビ、イスラム教のイマーム(導師)という珍しい組み合わせの3人の聖職者が、象徴的な靴を埋める儀式を執り行い、共通の神に感謝の祈りを捧げた。ここに建設が予定されているのは、ひとつ屋根の「教会=シナゴーグ=モスク」という世界に類を見ない宗教施設で、聖職者らは、2018年に完成した暁には各々の信徒がここに集い、祈りと宗教間対話の場になることを期待している。

The House of One
The House of One

「ひとつの家」プロジェクトの提唱者であるラビのトビア・ベン-チョリン、イスラム導師のカディル・サンチ、牧師のグレゴール・ホーベルクの3人は、ベルリンの「寛容トリオ」ということになるだろう。「寛容トリオ」という用語は、1930年代、ユダヤ教徒とカトリック教徒、プロテスタント諸派の信者間の調和を基礎にしたアメリカ社会を建設するという理念を宗教間対話を通じて推し進めるために、全米諸都市にラビや牧師、神父を派遣した全米キリスト教・ユダヤ教宗教間会議(The U.S. interfaith National Conference of Christians and Jews)のことを指している。

第二次世界大戦中の1943年、ドイツの潜水艦Uボートによる魚雷攻撃で米兵員輸送船「ドーチェスター」号が沈み始めた時、乗船していた4人の従軍牧師(ラビ、牧師、神父)が一人でも多くの兵士の命を救おうと救命胴衣を配り続け、最後には自らの胴衣まで譲って犠牲となった出来事があった。生存者の証言によると、船が沈みゆく中、4人の宗教者らは、互いに腕を組み、祈りをささげながら海中に沈んでいったという。

「ひとつの家」プロジェクトを進める協会の理事会には、ローランド・シュトルテ氏(プロジェクト・マネージャー)、ムスリム文化間対話フォーラム(FID)のセブライル・テレメツ議長、マヤ・ゼーデン氏に加えて、アブラハム・ガイガー大学のヴァルテル・ホモルカ学長、「ベルリン・ユダヤ教徒の会」のギデオン・ジョフェ会長といった著名な人物も参画して、組織基盤を堅固なものにしている。なお監査役には、ベルリン州都市開発局と連邦内務省が加わっている。

The House of One
The House of One

2011年に「ペトリ広場の祈りと学びの家」として始動した「教会=シナゴーグ=モスク」プロジェクトは、資金集めに関しては、ドイツ協会税等の公的支援や高位の宗教組織による支援に依らず、各宗教の地元の団体に協力を呼び掛けたり、インターネット経由で不特定多数の人から資金を募る(寄付はレンガ一個10ユーロから:IPSJ)「クラウドファンディング(www.house-of-one.org)」を実施したりすることで、草の根的な方法を貫こうとしている。提唱者らは、2016年までに4350万ユーロ(約59億3775万円)を集めることを目指している。またプロジェクトの第一段階を終えるには、少なくとも1000万ユーロ(13億6500万円)が必要とされている。

精神的な基盤

建設予定地のペトリ広場は、まさにベルリンの精神的基盤を象徴する土地柄である。

2009年に中世の1350年にまで遡るベルリン最古のペトリ教会とラテン学校の遺構が(建設予定地の)ペトリ広場で発掘された際、グレゴール・ホーベルク牧師は、この歴史的な偶然の一致は、多文化化が進むベルリンの人口構成や国際的な都市文化と合わせて、このプロジェクトを推進していくうえで力強い要素になると確信した。

ベルリン州のティム・レナー文化相はIDNの取材に対して、「『ひとつの家』をこの歴史的に神聖な場所に建設するという決断には、ここドイツにおいて、多宗教間の平和的な対話を推進していくという非常に強力なシグナルとメッセージが込められています。」と語った。

そして、ベルリンの宗教横断チームは、神やアラー、エホバとの新たな種類の共有された契約と「約束の地」が、ドイツでは可能だと確信している。

Rabbiner Dr. Tovia Ben-Chorin/ Margrit Schmidt
Rabbiner Dr. Tovia Ben-Chorin/ Margrit Schmidt

「過去に暗い歴史を刻んでいる場所には、将来に平和を実現する潜在力があります。ユダヤ人として、ベルリンは痛みと深い傷を想起させる場所ですが、それで話が終わりというわけではありません。ベルリンは、私にとって、記憶と再生の地なのです。」とベン-チョリン師は、このプロジェクトにかける熱い想いを語った。

ベルリンには、独特の歴史的、政治的、文化的背景があることは否定すべくもない。一連の破壊とそれに続く先進的で堂々たる再建というこの都市の物語は、しばしば大胆な政治的・精神的次元を伴う建築デザインと融合してきた。

2001年に完成したダニエル・リベスキンド氏によるベルリン・ユダヤ博物館は、世界で最も特筆すべき和解の象徴のひとつである。このユダヤ博物館のプロジェクトに埋め込まれた「線の間に」というリベスキンド氏自身の作品は、「思考/構成/関係」といったテーマを表している2本の線(まっすぐでありながら細かく途切れた線と、蛇行しつつもどこまでも続いていく線)から始まる。この建物は、ユダヤ人とドイツ人、東と西、伝統と現在の間の希望や連続性、繋がりと共存している分裂の要素を視覚的に表現している。

「ひとつの家」プロジェクトもまた、ユダヤ博物館プロジェクトと同様に相互理解と尊重を促す試みである。プロジェクトウェブサイトが定義しているところによれば、(ユダヤ博物館プロジェクトがユダヤ教徒とキリスト教徒間の和解を対象としていたのに対して、)このプログラムは「(2018年に完成予定の)相互理解と尊重を促進する実験場」に(キリスト教徒とユダヤ教徒と)対等なパートナーとしてイスラム教徒の市民とイスラム教を取り込もうとするものである。

ベルリン全人口の9%を占めるイスラム教徒のコミュニティーは約16万人である。その内、73%がトルコ人、7%がボスニア・ヘルツェゴビナの出身者、4万人が帰化ドイツ人で、ベルリン州宗教問題局によると80か所の祈祷所と4か所のモスクがある。そしてこれらの宗教施設はほぼ、シーメンスのようなドイツ大手企業が雇用したトルコ人移住労働者が1960年代に集住した場所であるクロイツベルクノイケルンに位置している。

ベルリンのユダヤ人人口は、戦前は20万人であったが、2008年現在、近年のイスラエルからの流入人口を含めて約5万人である。シナゴーグは市内に11か所ある。

公募して集まった約200の設計案の中から選ばれた地元のキューン・マルヴェッツィ建築設計事務所は、三つの宗教のためにそれぞれ同じ広さの祈りの空間を設け、それらの部屋を、高さ32メートルのドーム型の共有スペースでつなげる構想を練っている。この共用スペースでは、全ての信徒が対話や交流ができるようになっている。また、3つの宗教の信者のみならず、あらゆる宗教的背景を持った個人や、無信仰者も歓迎されることになっている。

The House of One
The House of One

ユダヤ教から「ベルリン・ユダヤ教徒の会」、イスラム教からアブラハム・ガイガー大学が創設メンバーとして参加した「ひとつの家」には、これまでにイスラム教改革派(アフマディーヤ派)の「ムスリム文化間対話フォーラム(FID)」が参画している。ドイツで10以上のモスクを運営し、東ベルリンで初めてのモスクを開設したFIDは、より過激な形態のイスラム教やジハード思想の潜在的な脅威を監視している内務省からも、好意的に見られている。

Muhammed Fethullah Gülen/ Wikimedia Commons
Muhammed Fethullah Gülen/ Wikimedia Commons

FIDの名誉会長は、米国在住で国際的に著名なイスラム聖職者フェトフッラー・ギュレン師で、同氏の信奉者はトルコ司法当局に影響力を持っていると言われている。ギュレン師は問題含みの人物で、本国のトルコでは、アブドラ・ギュル大統領の著書にしばしば「好ましからざる人物」と言及されているほか、エルドアン政権からは、インターネットを利用して反政府感情を煽っていると非難されている。他方で、インターネットの規制を強めるエルドアン政権に対して、数千人規模の抗議デモがトルコ各地で発生している。

社会的・政治的観点からすれば、ドイツは引き続き320万人のイスラム教徒人口の「統合」という難題に取り組みながらも、依然として「多文化関係」を概して同化主義的な文脈の中で枠付けようとしている。

過激右翼集団である「国家社会主義アンダーグラウンド」(NSU)によるトルコ系商店主を標的とした一連の暗殺事件について、ドイツ警察当局は、あくまでマフィア関連の犯罪だとして扱ってきたが、一方で真犯人がネオナチ関連の集団にいるという証拠を無視していたことが明るみにでている。

警察当局のこうした対応は、人種差別的で反イスラム的な盲点を明らかにし、「反イスラム犯罪」という新たな法的定義が採択されようとしている。これは、反ユダヤや反同性愛を動機としたヘイトクライム(憎悪犯罪)の被害者を認定・保護する既存の法定義を応用して、新たにイスラム教徒の被害者にも適用しようとする動きである。ドイツでは最近もダニエル・アルター殴打事件のような反ユダヤ感情を動機とした不当な暴力事件が起きている。ラビのアルター師は、7才の娘と歩いて帰宅途中だったが、ヤームルカ(ユダヤ教徒の男性が被る帽子)を被っていたことで、反ユダヤ主義者による攻撃の対象となった。この事件以降、ユダヤ人コミュニティーは、憎悪犯罪のデータベースを作成するようになった。

Neonazi Skinheads/ Wikimedia Commons
Neonazi Skinheads/ Wikimedia Commons

宗教間の実験

1000万ユーロの寄付という第一目標が達成され「ひとつの家」プロジェクトが軌道に乗れば、「オリーブの枝宗教横断平和パートナーシップ(Olive Branch Interfaith Peace Partnership)」の例が示しているように、今日世界各地で進行している宗教間対話の流れに、再統一されたドイツの首都が加わっていくことになるだろう。

宗派間闘争の波がシーア派スンニ派間の長年にわたる対立を扇動する形で中東全域に吹き荒れ、「アラブの春」で民衆が目指した多元主義的な民主化要求がないがしろにされるなか、宗教間対話は、国際舞台においてますます重要な役割を果たし、「他の手段による外交政策」としての地歩を固めつつある。

Pope Francisco/ Wikimedia Commons
Pope Francisco/ Wikimedia Commons

イスラエルとパレスチナ間の紛争が聖地で激化する中、ローマ法王フランシスコによる6月の聖地訪問は、そうした宗教横断外交独自の役割を象徴的に示すものだった。法王は、敬意に満ちたジェスチャーと祈りで両者の橋渡しを演じ、シオニズムの創始者の墓に花輪を捧げ、ユダヤ教徒の聖域である「神殿の丘」に建つイスラム教徒にとっての聖域「岩のドーム」に靴を脱いで参拝した。これをエスコートしたのは、ラビと、アルゼンチン出身のイスラム学者であった。

外国人排斥とイスラム恐怖症が勢いを増している英国では、正統派のラビであるネイサン・レヴィ師が、英国内の何百万人ものイスラム教徒に加わって1か月におよぶラマダン(断食月)を経験した。レヴィ師は、この前代未聞の行動によって、英国のユダヤ教徒の間でイスラム教に対する理解が深まってほしいと願っている。

欧州諸国が、しばしば3つの宗教がいかに相互に関連し合っているかについて健忘症に陥ってしまうのは、おそらくは自己満足のためと、多元的で多民族的な社会という価値観を公式に受入れることに諸政党が一般的に後ろ向きであるためであろう。欧州社会ではしばしばこのために、敵意と偏見、ヘイトクライムが再燃している。

「あらゆる人間がそれぞれの方法で天国に辿り着かなければならないのだから、すべての宗教に対して寛容であるべきだ。」という考えを持っていた18世紀のプロシア王国の啓蒙専制君主であるフリードリヒ大王は、祖国を追放されたフランス・ユグノー派のプロテスタントやユダヤ教徒、イスラム教徒を歓迎し、トルコ人兵士のためにポツダムにドイツ初となるモスクを建設した。その後ポツダムは、18世紀を代表する多文化主義の揺籃の地として発展した。

Friedrich der Große/ Wikimeda Commons
Friedrich der Große/ Wikimeda Commons

スペイン・アル=アンダルス(イスラム支配下のイベリア半島)のカリフも平和的で多宗教的な共存を可能にしたし、アルジェリアの古代ローマ都市タガステでは、聖アウグスティヌスがキリスト教の福音を説いた。またチュニジアはユダヤ教徒の一大集住地であったが、そこに紀元前586年からあったガリバ・シナゴーグの起源は、エルサレム第一神殿破壊(=新バビロニア王国によるユダ王国征服)後のユダヤ人の大量脱出にまで遡ることができる。

欧州のユダヤ人は、各国の為政者から市民権付与に象徴させる寛容な待遇から明確な差別と迫害に至るまで、何百年にもわたって「アメとムチ」による扱いを受けてきた。スペイン政府は今年になって1492年当時にカトリックによる単一宗教・文化政策の名目で財産を奪って追放したユダヤ人(=セファルディム)の子孫を対象に「歴史の過ちを正すため」として市民権を与える法案を可決した。しかし、1614年に同様の名目で追放したイスラム教徒(=モリスコス)の子孫は対象にしていない。

最近では、欧州ユダヤ会議が本部を置いているブリュッセルのユダヤ博物館で4人のユダヤ人が殺害される事件が勃発し、欧州中に反ユダヤ主義の恐怖に対する衝撃が広がった。今年5月の欧州議会選挙のように極右政党が躍進し反ユダヤや反イスラム的な言説が「日常的なもの」になるなか、フランス在住の600万人のイスラム教徒と50万人強のユダヤ人社会は、欧州に拡散する反ユダヤ主義の新たな潮流を感じている。ハンガリーで扇動的な民族主義政党が台頭し、ギリシャでネオナチ政党が躍進するなか、イスラエルへの移住者が増加している。イスラエルへの移住を支援している「ユダヤエージェンシー」によると、フランスでは2013年、ユダヤ人人口50万人のうち3000人以上がイスラエルに移住したという。

欧州評議会の「人種主義と不寛容に反対するヨーロッパ委員会」が発表した報告書によると、全てのヘイトクライムのうち4割が、ユダヤ人に対するものであった。

「ひとつの家」の創始者と支援者は、今こそこれまで以上に、この種のイニシアチブが、対話を通じた和解の場として、敵意や偏見、宗派間対立から生まれる破壊の不毛さに光を当てるとともに、違いや多様性を根絶されるべき脅威とみなすのではなく、手を差し伸べる対象とする取り組みを行う時だと確信している。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【ヘペラシオIPS=ミラグロス・サラザール】

ホセ・アントニオ・バルダレス氏(33歳)は、一見したところラッパーのようだが、ペルー北部(アマゾン地区)のサンマルティン県ヘペラシオの市長である。彼は、廃棄物処理を市の新たな収入源につなげたり、湧水を利用して住民の飲料水を確保したりするなど、独創的な手腕を発揮している。

「私は元々土木エンジニアですが、環境エンジニアだと思っている住民も多いですよ。」と話すバルダレス市長は、自ら運転しているピックアップトラックをしばしば停止させては、住民らと挨拶や冗談を交わしている。

José Antonio Bardález, Mayor of Jepelacio
José Antonio Bardález, Mayor of Jepelacio

バルダレス市長のスタイルは独特なもので、擦り切れて穴の開いたジーンズにサングラス、髪はジェルでかためている。また、窓に偏光シートを張った黒のピックアップトラックも、ここでは市長の定番イメージの一部となっている。

サンマルティン県モヨボンバ郡の主要地域であるヘペラシオ市の人口は約2万人で、70の村落から構成されている。住民のほとんどは、農業、主にコーヒー栽培によって生計を成り立たせている。このは動植物が豊富に生息している地域だが、深刻な森林破壊が進んでいる地域でもある。非政府組織AMPA(アマゾンのためのアマゾン住民の会)によると、2006年から11年にかけて、サンマルティン県における森林破壊レベルは平均して35%にまで低下したが、ヘペラシオの主要森林地帯であるゲラ谷における森林破壊レベルは依然として65%と高い。

2009年のペルー政府の統計によると、住民の半数は貧困下にあり、5才未満の子どもの26%が慢性的な栄養不良状態にある。

City of Jepelacio
City of Jepelacio

バルダレス氏は、2010年末に市長に就任すると、「市が直面している不利な条件を新たな機会に転換する」という方針を打ち出した。当時のヘペラシオ市の予算は、月93,000ドルで、住民一人当たりに換算するとおよそ4ドル程度だった。

バルダレス市長は、まもなくすると、市民を動員してゴミを収集し、それを安価な肥料に転換するプロジェクトを始動した。市長の呼びかけに応じたヘペラシオの住民は、家の周りを清掃し、有機物と無機物を分別したうえで、それらをプラスチックのバケツや頭陀袋等の容器に入れていった。

こうしてヘペラシオの街では、分別されたゴミが入った小さな容器が住民の家々の前の未舗装の道路脇に並べられている光景が見られるようになった。これを市当局が収集して廻り、有機物については市の肥料製造施設で、糖蜜や乳清等に由来する微生物を混合して発酵処理している。

「1リットルの発酵培養で、約100トンの有機物質を分解することができます。」とバルダレス市長は語った。有機ゴミは発酵プロセスを開始して5日後には摂氏70度に達し、残留物を篩いにかけると最終的に「ヘペ肥料(Jepe fertilizer)」(「ヘペ」はヘペラシオ市のスペルをもじって市長が名付けたブランド名:IPSJ)が完成する。肥料の製造期間は2週間余りである。

Mayor José Antonio Bardález at the treatment plant producing “Jepe fertiliser”, an initiative that is generating sustainable changes in his district in the Peruvian Amazon. Credit: Milagros Salazar/IPS
Mayor José Antonio Bardález at the treatment plant producing “Jepe fertiliser”, an initiative that is generating sustainable changes in his district in the Peruvian Amazon. Credit: Milagros Salazar/IPS

ヘペラシオ市では毎月、30トンの有機廃棄物を3500ドルの費用で処理しているが、この費用は肥料の売上げ(30トン当たり4290ドル)で賄われている。

バルダレス市長は、このプロジェクトを市当局と住民双方にとってメリットがある施策だと考えている。なぜなら、もしヘペラシオ当局が、(分別後の有機ゴミから肥料を製造するかわりに)ゴミを埋め立てる方策を採用していたら、市の年間予算にほぼ匹敵する約100万ドルの費用が発生し、その結果、それ以外の行政サービスの実施がほぼ不可能になってしまうからだ。

「このプロジェクトの最も良いところは、微生物が悪臭を放たない、つまり『公害ゼロ』な点と、住民自身が肥料を売って収入源にしようと有機ゴミの処理の仕方を学ぶようになった点です。」とバルダレス市長は語った。

さらにヘペラシオ市では、プロジェクトの実施エリアを広げようと、郊外の10カ村で「肥料製造設備コンテスト」を開催している。「これで、環境意識に目覚めた10カ村が新たに加わることになるでしょう。」とバルダレス市長は語った。

市内の中学校では上級学年になると生徒らが家業の農場を手伝えるように、農業の基礎的な知識とともに肥料の製造方法が教えられている。

バルダレス市長は、かつて他の自治体で肥料が無償で配布されたところ、一部の農家が現金欲しさに市価の半額で転売していた事例を挙げ、「肥料には価値があるのです。住民は無料で手入したものは大切にしませんから、ここでは安価ながら有料で提供しています。」と語った。

「市当局が(有機ゴミから)肥料を製造して安価で販売しているのは良いことだと思います。」と7人の子どもがいるマルティナ・ディアス・ヴァスケスさん(39歳)は語った。彼女はIPSの取材に対して、11歳の時にカハマルカからヘペラシオに家族で移ってきたと語った。

ヘペラシオ市の住民の8割以上が他県、主にカハマルカ県ピウラ県といったアンデス地域からの転入者が占めている。AMPAのカリーナ・ピナスコ代表はIPSの取材に対して、「この地に不馴れな他県からの転入者をいかにプロジェクトに参画させるかが課題です。」と指摘したうえで、「市当局が(ゴミ処理のような)問題を住民にとっての新たなチャンス変えるという試みは大変革新的だと思います。同じサンマルティン県中を見渡しても、ヘペラシオ市のような試みを見たことがありません。」と語った。

Asociación de Productores de la localidad de Zapatero, realizan pasantía a Jepelacio
Asociación de Productores de la localidad de Zapatero, realizan pasantía a Jepelacio

バルダレス市長の創意工夫は、市内の天然資源に関連した他のプロジェクトでも発揮されている。

パルダレス市長は、ある天然の湧水が市民の飲料水として活用できれば、汚染水に起因する下痢問題の解決につながるかもしれないと思い立ち、調査を行った。その結果、飲み水として利用できることが確認され、強力な殺菌効果がある銀のフィルターで浄水処理した飲料水「ヘペウォーター(Jepe water)」の製造を開始した。

その結果この2年間で、住民は20リットルの水を50セントもかけずに購入できるようになった。「沸かさなくても水を飲めるようになって、便利になったと思います。これで、お金も時間も節約できますから。」と3人の子どもをもつマルガリータ・デルバドさんはIPSの取材に対して語った。

現在ヘペラシオ市では、市内の学校や、家周りの清掃を心掛けゴミの処理も適切に行っている100軒の「健全なファミリー」に対して、人目を引く青色のジェリー缶(19リットル缶)入りの「ヘペウォーター」を無料で提供している。

こうした施策が評価され、2013年4月にはサンマルティン県が、ヘペラシオ市を、小児栄養改善特別プログラムの「主要協力自治体」に認定した。また昨年12月には、ペルー保健省が、健康に影響を及ぼす社会問題の克服に貢献した自治体の一つとして、ヘペラシオ市を表彰した。

さらにバルダレス市長は、廃棄物・水処理プロジェクトに続いて、市内のルミ・ヤク川の滝のたもとに天然のスイミングプールを作った。これは、川の流れを石組みで一部堰き止めて造営したシンプルなものだが、子供たちや家族にとって新たな娯楽施設になっている。

City of Jepelacio
City of Jepelacio

バルダレス市長は、「小さな舞台なら革新的な試みを実現することが可能です。次のステップは、地道に住民の参加と協力を得ながら、『ヘペウォーター』の供給とゴミ処理の体制をさらに市内全域に広げていくことです。」と今後の抱負について語った。また、政界に進出した動機を質問されると、「かつてのエンジニアの仕事では、望んでいた改革は実現できないと考えたからです。」と語った。

バルダレス市長が就任間もない頃、重機購入のための借金を提案したところ、市民から強い反発があったという。つまりそれらの内容は、「貧しいコミュニティーになぜ掘削機やトラクター、ブルドーザーや巨大ゴミ箱が必要なのか。」というものだった。

しかし、その後道路から石が取り除かれ道路網が整備されるようになると、こうした批判は鳴りを潜めていった。バルダレス市長は、市の発展のためにはリスクを取る価値はあると信じている。そして彼は、実際にそのように行動してきたのだ。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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ドバイ政府、世界最大の複合商業施設『モール・オブ・ザ・ワールド』の建設計画を発表

【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙は、「UAE副大統領でドバイ首長のムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム殿下の(ドバイの発展に懸ける)熱意に限界はなく、彼の辞書に『不可能』という文字はないことを行動で示してきた。今日ドバイは、数々の『世界一』を擁する街と国際的に知られている。そして今回発表された、世界最大の複合商業施設『モール・オブ・ザ・ワールド』(総面積445万㎡=東京ドーム95個分)建設計画は、再び国際社会の注目をドバイに集めることとなった。」とガルフ・ニュース紙は7月7日付の論説の中で報じた。

このような途方もない規模のプロジェクトに着手するには大変な勇気と並はずれた冒険心が必要だが、ムハンマド首長はかつて、「未来は躊躇するものを待ってはくれない。」と述べている。今回発表されたプロジェクトの概念を想像しただけでも、度肝を抜かれるだろう。旅行者が街を離れたり車を使ったりする必要もなく1週間の滞在を満喫できる世界最大の屋内テーマパークを想像してみるとよい。

ドバイ・ホールディングが手掛けるこのプロジェクトの特徴は、世界最大のショッピングモールを中心に、同じく世界最大の屋内公園、屋内レジャー/テーマパーク、劇場/会議施設(文化地区)、医療/保養施設(ウェルネス地区)、水族館(33,000以上の動物、85種類以上の生物等)、100以上のホテルやマンションが建設され、これら全てが、温度と湿度を完全に制御した一つの屋根の下に相互に連結される予定である。

例えば、文化地区とモールを繋ぐ商業施設の遊歩道「セレブレーション・ウォーク」(全長7キロ)の屋根は、夏季はガラス屋根に覆われ、冬季には開放される予定である。

「完成すれば年間を通じて観光客を迎えられる世界最大の複合商業施設が誕生することとなり、ドバイ政府は、年間1億8000万人の来場者を見込んでいる。」と同紙は付け加えた。

ドバイは世界有数の観光地としての地域を確立してきたが、このプロジェクトが完成すれば同地の魅力を一層高めることになるだろう。またドバイは、2020年の万博開催を勝ち取った。ドバイ政府は6か月に亘る万博開催期間中の来訪者数を2500万人と見込んでおり、323億9000万ドゥルハム(約8933億円)の予算をかけて開催に向けた関連インフラの整備を進めている。

ドバイ政府は2013年、前年のUAE来訪者数1000万人を2020年までに倍増させることを目指す「観光ビジョン2020」を発表した。これに対応するためドバイのホテル数も2020年までに倍増する見込みである。

シャリジャに拠点を置くガルフ・ニュース紙は、「(万博に向けてドバイには)明確なビジョンがあり、インフラの準備も整っている、そして人材に対する信頼も高い」というムハンマド首長の言葉を引用して論説を結論付けている。UAEはこれを励みに「不可能なことは何もない」という信念を持って、目標達成に向けて一致団結して邁進していくだろう。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|アジア防災閣僚会議|FBOが国連開発アジェンダへの協力を表明

【バンコクIDN=カリンガ・セレヴィラトネ】

2015年は世界的な開発アジェンダの策定にあたって分水嶺となるであろう。この年、ポスト2015年開発目標や、持続可能な開発モデル、防災(DRR)枠組みが主要な国連会議で再検討されることになっている。

こうしたなか、6月26日にタイの首都バンコクで閉幕した「第6回アジア防災閣僚会議」(バンコク会議)は、地域社会を基盤とした解決に関する議論を大いに強調するものとなった。

国連国際防災戦略事務局(UNISDR)(本部:ジュネーブ)のマルガレータ・ワルストロム国連事務総長特別代表(防災担当)は開会の挨拶の中で、「包摂的で参加型の作業モデルが必要であり、そのなかで民衆に根差した地域社会や地方政府が防災活動において中心的な役割を果たす必要があります。」と語った。

Margareta Wahlström/ UNISDR
Margareta Wahlström/ UNISDR

今年2月、38人の市民社会組織の代表が参加してジュネーブで「市民社会フォーラム」が開催され、発想の大胆な転換を呼び掛け、地域社会を基盤にしたアプローチを推奨する「2015年の以降の防災枠組みに関するポジション・ペーパー」が発表された。

同ペーパーには、「これは災害の事例から、現在の開発の道筋が持つ相対的な長所と短所を体系的に学ぶとともに、レジリエンス(社会を回復する力)を強化するための支点となるものである。」「市民社会は、防災戦略の策定・実施にあたって、市民の広範な参加を得る上で重要な役割を持っている。」と記されている。こうした考え方は、バンコク会議の公式関連行事で「信仰を基盤とした団体(FBO)」のコンソーシアムが発表した「災害リスク軽減に関する宗教コンソーシアム共同声明」にも反映された。

Harjeet Singh/ Action Aid
Harjeet Singh/ Action Aid

アクションエイド」のハルジート・シン防災・気候対応国際コーディネーターは、IDNの取材に対して、「国連は市民団体との対話をこれまでより一層重視し始めており、国連のイベントにおいて市民社会が参加できる余地を広げてきています。」と語った。

5日間(6月22日から26日)に亘ったバンコク会議の会期を通じて、多数のFBOが、国連の開発政策策定枠組みにおいてより公式な形でFBOを関与させるよう、積極的に働きかけを行った。

FBOは会期中、多くの公式関連行事を開催したほか、自然災害後に強靭なコミュニティーを形成するための支援をアジア・太平洋地域全域で行う用意があるとする共同声明を発表した。またFBOは、災害後に地域社会を再建する支援をするため、地域レベルにおいて多数に及ぶ献身的な人々のネットワークを活用することができると論じた。

シアトルに拠点を置くキリスト教系国際支援・開発団体「ワールド・コンサーン」のイ・ウィン・タン氏は、「FBOはミャンマーの至る所で災害支援を行っており、同国で最も尊敬され信頼されています。時として、有給スタッフ(を援助プロジェクトに雇うこと)は困難ですが、FBOは素早くボランティアを動員し、地元当局ともうまく協力していくことができます。」と語った。

しかし、仏教徒が人口の89%を占め、その多くがアジアの中でも最も貧しいこの国においては、開発支援を行うと称している積極的なキリスト教福音主義団体の進出には脅威を感じてしまうものだ。イ・ウィン氏は、ミャンマーではキリスト教団体に対して懐疑的な見方があることを認めつつも、同時に仏教寺院とも協力体制を取っていることを強調したが、地元のパートナーに対して示された数字には、キリスト教の教会が28か所含まれていたのに対して、仏教寺院は5か所しか入っていなかった。

Map of Myammar
Map of Myammar

シン氏は、「世界最大の非宗教的開発支援団体である『アクションエイド』は人道主義的な原則を採用しています。つまり、宗教に関連しては頑なまでに中立の立場を堅持しています。」と指摘したうえで、「私たちはニーズを基礎とした原則によって動いており、地域社会で信頼され受け入れられている現場のパートナーを探すことにしています。現場のパートナーはチャリティーの型にはまってはいけないと考えています。(災害支援の現場では)慈善的なことが必要なのではなく、(地域を)エンパワーすることが必要なのです。」とIDNの取材に対して語った。

キリスト教系の支援グループ

バンコク会議に参加していたFBOコンソーシアムの中で最も活動的なのが、カトリック教会の災害支援団体である「カリタス・アジア」や、140以上の教会や連携組織の連合体である「ACTアライアンス」等のキリスト教系支援グループである。コンソーシアム唯一の非キリスト教系メンバーは、192か国・地域に会員を擁する日本に本拠を置く仏教系NGO「創価学会インタナショナル」(SGI)である。

アジアは圧倒的に非キリスト教徒が多い地域であるため、はたしてこのようなFBO連合が、会議中にしばしば言及されていた「複数の利害関係者による協働」を推し進めていく十分な能力を備えているかどうかについては、疑問も提起された。アジアには約5億人の仏教徒と、さらに合計でほぼ同人数のヒンズー教徒とイスラム教徒がいることから、FBOコンソーシアムは、ヒンズー教徒やイスラム教徒、シーク教徒、そしてより多くの仏教徒の組織を包摂して基盤をさらに広げる必要があると指摘された。

クリスチャン・エイド」に勤めるフィリピン人のジェシカ・ダトール・ベルシラ氏は、「キリスト教徒が災害支援を行う際には、支援地域において神の存在を感じさせ、人びとに希望を与える必要があります。」と語った。しかし、「アジアでは主に非キリスト教徒のコミュニティーと協働することからそのようなスタンスではアイデンティティ対立につながりかねないのではないか」という指摘がなされると、彼女の回答は、「私たちは自らの信仰について言い訳をする必要はありません。私たちは信仰ゆえにこの活動に従事し、人々の人生に価値を与えることができるのです。」というものだった。

Mani Kumar/ Dan Church Aid
Mani Kumar/ Dan Church Aid

そうした強い宗教的信念が、災害後に強靭で調和的な社会を形成していくうえで逆効果にならないのかというIDNからの問いに対して、ミャンマーで支援活動を行っているデンマークの「ダン・チャーチ・エイド」のコーディネーター、マニ・クマール氏は、「私たちはFBOとしての役割を明確にしておく必要があります。私たちは、現地で被災者を支援するために活動しているのです。ここでより重要な点は、現地の人々の価値観(に対して思いやりの気持ちをもつ)ということであり、被災者の尊厳と命を守るということなのです。」と語った。

「どんな人にも困難を乗り越える能力が備わっています。従って、私たちのアプローチは単に被災者に『何かを施すこと』ではありません。」と語るのは、IDNの取材に応じて、災害支援における仏教徒のアプローチについて説明するSGIの浅井伸行氏(創価学会青年平和会議議長)である。「私たちは、被災者が直面している問題の解決法を生み出す内なる潜在能力を引出し活用していけるよう、励まし力づけることを心がけています。」

浅井氏は、「私たちの活動は、非宗教的な団体(がやっていること)と変わりません。」と認めたうえで、「最も重要な点は、FBOの動機の部分です。私たちの活動は、確固たる信仰心に基盤を置いたものなのです。」と語った。

Nobuyuki Asai/ SGI
Nobuyuki Asai/ SGI

浅井氏は、FBOの災害時の役割と機能は、行政によって適切に認識されていないと考えている。「FBOがなしうる貢献と、災害支援と復興の枠組みにおいてFBOをいかに位置づけるかということについて、客観的に評価する必要があります。行政とFBOは防災協定を結んで、効果的な協力を行うことができるはずです。」と浅井氏は語った。

「カリタス・アジア」のザー・ゴメス地域コーディネーターは、「土着の知識が、時として、災害救援を実施する際や、防災計画を立てる上で非常に有益なことがあります。」と指摘したうえで、「こうした知識は、バンコク会議において地域行動指針として採択される、『兵庫行動枠組2』などの国連文書へのインプットに盛り込まれる必要があります。」と語った。

「私たちは、地域住民の声をこうした枠組みに反映させるため、アジア全域のネットワークから多くの地域住民を招聘しこれらのフォーラムに参加してもらいました。」とゴメス氏はIDNの取材に対して語った。

多くの仏教徒やイスラム教徒、ヒンズー教徒が、カトリック教会が異教徒の改宗を狙っているのではないかと疑っている事実をどう捉えるかという質問に対してゴメス氏は、「それは困難な課題です」と認めたうえで、「被災地の人々は、私たちが彼らを改宗させようとしているのではないかと疑いの目を向けてきます。しかし、私たちは彼らに伝道をしようとして出向いているわけではありません。従って、開発事業を始める前に地域住民の信頼を獲得する必要があるのです。そのうえで開発事業を開始すれば、地元の人々もようやく私たちの活動が開発のためであって布教のためではないということを理解するようになります。そうして初めて被災地の人々は私たちを受入れてくれるのです。」と語った。

キリスト教以前、イスラム教以前の伝統と文化

Zar Gomes/ Caritas Asia
Zar Gomes/ Caritas Asia

おそらくはこの点を証明するために、カリタス・アジアは、フィリピン・ミンダナオ島の先住民族スバノン族の3人の地域指導者をバンコクへ招いた。「フィリピン国家文化芸術委員会」によると、スバノン族は、今日のフィリピン諸島において、キリスト教とイスラム教が同地に伝播する以前の文化を保持している数少ない民族の一つであると考えられている。カリタス・アジアが開いた公式関連行事の一つで発言したスバノン族のビクトリア・カジャンディグ氏は、精神的な繋がりを持つ先祖伝来の土地で生きる権利を守るためにいかに闘ってきたかについて語った。

同じフォーラムで発言した酋長のティメイ・ホセ・アノイ氏は、部族民らが懸念してきた問題を国際社会に訴える機会をカリタスが提供してくれたことに感謝の気持ちを表明した。アノイ氏は、フィリピン政府が、どのようにして(スバノン族にとって)聖なる山であるカナチュアン山での鉱山採掘を許可したかについて解説した。「私たちには自然災害から身を守る伝統的な方策があります。しかし今日、私たちは、人災から身を守るために皆さんの助けを乞う必要があるのです。」と、アノイ氏は聴衆に語りかけた。

どんな宗教的なつながりがあるにせよ、信仰を基盤としたほとんどの地域社会は、他者、とりわけ財産を失った声なき人々を助けたいとの思いが強い。社会的公正や自立、慈悲心といった概念については、ほとんどの宗派が基本的に共通の目標を持っているものである。

カリタスが行動で示したように、スバノン族の人びとにとっての社会公正ということでいえば、彼らが信仰している宗教が(カリタスが支援する上での)問題とはなっていない。今回タイ政府は、国王が提唱してきた「足るを知る経済」概念をアジア閣僚会議のバンコク宣言に盛り込むことに成功した。これは、自身の欲望を抑え、欲望を満たすために環境にマイナスの影響を与えたり他者の資源を収奪したりすることのない持続可能なライフスタイルを生きる仏教の原則を基盤としたものである。従って、FBOそれぞれの教えの中に共通する原則を見出すことができるならば、FBO同士が協力し合える余地は十分にある。

国際シンポジウム「災害からの復元強化に向けた信仰組織の役割」/ SGI
国際シンポジウム「災害からの復元強化に向けた信仰組織の役割」/ SGI

先述の浅井氏は、FBOが世界の開発アジェンダを改革するためにいかにして協力できるかという点について、「一人一人が尊厳をもって生きることができるような方法で、基本的なニーズを満たす必要があります。外部からの支援が必要であり、これらの国における天然資源・人的資源の搾取には終止符が打たれなければなりません。そのためには、先進国の人びとが、態度を変えることが重要だと考えています。」「(FBOは)より寛容で慈悲深くならなければなりませんし、真の世界市民の視点から世界を理解しようとしなくてはなりません。そうした観点からすると、私たちができる最善の貢献は、公教育に加えて、勇気と思いやりに満ちた行動を生み出す内なる変革の推進ということになるでしょう。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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【カイロIDN=バヘール・カーマル】

私たちは、半世紀前のアラブ諸国では、イスラム教徒やキリスト教徒、ユダヤ教徒の間にいかに調和と平和的共存があったかを振り返ってみるべきだ。

また2011年のエジプト民衆蜂起のさなかとその後に、数百人のイスラム教徒が集まって、教会で祈りを捧げるキリスト教徒を守ろうとした出来事や、数波に及ぶ民衆抗議の中で、コプト教徒の集団が自ら人間の盾となってタハリール広場で祈るイスラム教徒を過激主義者の攻撃から守ろうとした出来事は、未だに多くの人々の記憶に新しいだろう。

アラブ地域におけるこれら3つの一神教(イスラム教、キリスト教、ユダヤ教)の信者の間では、共存は常に当然のものと考えられてきた。かつてのエジプトやレバノン、パレスチナ、シリア、イラク、モロッコでは、住民の間で相手がどの宗派に属しているかを尋ねることなどあり得なかった。

それから、何が起こったのか?

イスラム教徒の家庭に育ったエジプト人の若いITエンジニアのアフマド・アライさんは、「政治…いつも政治が問題なのです。政治家が、国民に対する弾圧を強化する口実を得るために国内のイスラム教徒とコプト教徒の間に意図的に緊張と分断を作り出したのです。彼らはこの手口で自らの権力を永続化しようとしたのです。」と語った。

言語学者のラムシス・イシャーク教授(62)も同様の思いを次のように語った。「ここ(エジプト)では誰がイスラム教徒で誰がキリスト教徒かなんて考えたこともなかったですよ。私たちはみなエジプト人なのです。一例を挙げると、私は、イスラム教のラマダン(断食月)の伝統が大好きです。その時期になるとイスラム教徒の隣人たちが、『断食後の食事』にいつも私を招待してくれるのです。」

この点についてはアライさんも、「私たち(イスラム教徒)もキリスト教の復活祭(イースター)を祝います。我が家ではこの祝祭日になると、両親がオリーブの枝と椰子の葉をバルコニーに飾っていたのを良く覚えています。また、私と6人の兄弟姉妹は卵に色付けして楽しく過ごしたものです。そうしても何の問題もなかったのです。なぜなら(イスラム教徒もキリスト教徒も)皆兄弟なのですから。」と語った。

もし他のアラブ諸国で、この点について、イスラム教徒やキリスト教徒の意見を聞いてみても、きっと大差ない反応が返ってくることだろう。

「これ(キリスト教対イスラム教という対立構図)は、西側諸国が創り出した問題です。」「なぜだか分かりませんが、欧米の人々は私たち(イスラム教徒)すべてを、まるでオサマ・ビン・ラディンのように考えているようです。しかし私たちの99%は、平和を愛する穏やかな人達です。…私たちには平和が必要なのです。」と、電気通信の専門家ハニ・ヨーセフさんは語った。

宗教的、政治的に誘導された今日の分断の根源がたとえどのようなものであれ、多くの宗教指導者や市民社会組織が警鐘を鳴らしている。

またそうした数ある団体の中で、パリに本拠を置く国際教育科学文化機関(ユネスコ)や、ニューヨークに本拠を置く国連「文明の同盟」のような国連機関や、ウィーンに本拠を置くKAICIID(宗教間・文化間対話のためのアブドラ・ビン・アブドゥルアズィーズ国王国際センター)も、今日見られる宗派間の分断を煽る動きに警鐘を鳴らしている。

「……私たちを取り巻く世界は、紛争と騒乱に満ちています。差異がある『にも関わらず』ではなく、差異と『ともに』、人類が一つに結ばれた家族として平和的に共存するという私たちのビジョンは、未だに実現されていない理想の概念です。」と、国連「文明の同盟」上級代表のナシル・アブドゥルアジズ・アルナセル大使は今年初めに語った。

UNAOC

アルナセル上級代表は、「世界の多くの国で、なお紛争が起こっているというのが過酷な事実です。一方、いくつかの紛争地帯では、平和に向けて始められた取り組みが、対話への希望を生み出しています。場所は違えども、これらの紛争には共通した特徴があると思います。つまり、宗教に関する歪められた見方を体現した急進的な概念が、しばしは暴力行為に火をつけているのです。しかし、それはなぜなのでしょうか? 暴力を正当化するのに宗教を使うことができるという考え方は、それ自体矛盾していると言わざるを得ません。」と語った。

またアルナセル高等代表は、故ジョン・F・ケネディ米大統領の言葉である「寛容とは、自らの信仰に対する献身の欠如を意味するものではなく、むしろ、他者への抑圧や迫害を非難するものだ。」を想起するとともに、「ある特定の宗教を信仰しているか、全く信仰していないかに関わらず、暴力や破壊、加害を是認する宗教など存在しないのです。実際のところ、あらゆる主要な宗教や哲学は、『人にしてもらいたいと思うように、人にしてあげなさい』という黄金律の考え方を基盤に成り立っているのです。」と指摘した。

開かれた見識を促進する

「では、これは私たちにとってどのような意味合いを持つでしょうか? 私たちは、心を閉ざすのではなく心を開かせるような見識を促進しなくてはなりません。不寛容を拒否し、許容と理解の文化を培っていかなくてはなりません。そしてそれは、教育やコミュニケーション、政策の見直しを通じて、実行していくことが可能なのです。私たちは、過激主義の問題について、必ずしも常に宗教の問題としてではなく、経済的、社会的、政治的、人間的な側面を伴う問題として、取り組みを開始する必要があります。」とアルナセル高等代表は語った。

このような見解は、宗教間の調和を目指して活発に活動を展開している他の組織でも共有されている。実際、ユネスコは最近、この方向でさらなる一歩を踏み出した。

ユネスコのイリナ・ボコヴァ事務局長は5月25日、KAICIIDのファイサル・ビン・アブドゥルラフマン・ビン・ムアンマール事務局長と、「文化と宗教が異なる人々の間の対話を促進することへのコミットメント」を再確認する了解覚書に署名した。

ボコヴァ事務局長は、「文化の和解のための国連の10年(2013~22)」に向けたユネスコのリーダーシップと、この国連の10年が提供する「社会参加を促し、紛争を予防し、恒久平和の構築に資するとともに、基本的な原則としての知識の共有、人権の尊重、文化的・宗教的多様性の促進を基礎とした新たな形態の地球市民権を促進する」という好機を強調した。

ユネスコ・KAICIID合意は、「社会間の相互理解や寛容、平和共存、協力を強化する共同プログラムやアウトリーチ活動を発展させ、国連人権宣言と文化的多様性に関するユネスコ世界宣言に明記されている原則を尊重する平和の文化に貢献すること」を目的としている。

一方KAICIID側のビン・ムアンマール事務局長は、「ユネスコとKAICIIDは、多様な文化や宗教がより平和的で調和のとれた宗教間関係の構築に貢献することを可能にする『対話の文化』を強化するために協力していきます。この取り組みは、紛争の解決につながっていくことでしょう。」と語った。

両団体は、この合意に基づいて、向こう4年間にわたって以下の4つの目標にそって協力し合っていくことになっている。①公式および非公式の教育において対話の重要性を促進する。②異文化間・宗教間の平和対話を促進するための予備知識を向上させる。③若者をターゲットとした取り組みを通じて組織的協力を支援する。④対話と相互理解を育成するためのツールとしてメディアを利用する。

KAICIIDは、「世界中のさまざまな宗教や文化の信奉者の間の対話を可能とし、力を付与し、奨励すること」を目的として2013年に設立された。創設国(サウジアラビア、オーストリア、スペイン)が「加盟国評議会」を構成し、センターの活動を監督している。また、ローマ教皇庁は、センター創設時からのオブザーバーとして認識されている。

KAICIIDの理事会は、世界の主要宗教(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教、ヒンズー教、仏教)や文化からの高等代表から成り立っている。そしてセンターは事務局長が統括している。

数ある活動の中でも、今年4月にKAICIIDが国際新聞編集者協会(IPI)世界会議(表現とメディア倫理の問題が今年のテーマ)に合わせて開催した公開パネル討論会「宗教のイメージ:認識の衝突?―信者がメディア報道の仲居に自らのイメージを見たとき、それを認識できるか?」は注目に値する。

今年4月15日に南アフリカ共和国のケープタウンで開催されたこの公開パネル討論会は、宗教の多様性に関する正確な報道のあり方について、IPI世界大会の参加者を交えて協議することが目的だった。

この公開パネル討論会に先立って、宗教と取材テーマとした実践例に注目した作業会合が4月12日(IPI世界会議初日)に終日に亘って開かれた。ジャーナリスト、テレビプロデューサー、編集委員らが、パネリストとして、リベリア、カタール、サウジアラビア、インドネシアから参加した。

参加者は、宗教間の対話、宗教に関する報道に際して考慮すべき複雑かつ膨大な意味群、中東での様々な報道における宗教の役割、対話と宗教の肯定的なイメージを促進するチャンネルとしてのメディアの役割といった話題に焦点を当てた。

KAICIIDのピーター・カイザー報道部長は、質の高い報道を確保するうえでの「報道の自由」の重要性を強調した。

またKAICIIDは、平和と社会的一体性の実現に向けた活動の第一歩として、教育における「他者のイメージ」に注目している。

SGIと池田大作会長

その意味で、全世界で会員1200万人以上を擁する在家仏教運動である「創価学会インタナショナル」(SGI)の池田大作会長は、「異文化の架け橋・人類が直面する地球的問題群解決の方途としての対話の先駆の闘士」と評されてきた。

Dr. Daisaku Ikeda/ Seikyo Shimbun
Dr. Daisaku Ikeda/ Seikyo Shimbun

実際、池田会長は、教育や文化、政治、科学、芸術などの分野の著名人と数多くの対話を行い、その多くは出版されている。

「対話は私たち共通の人間性を再確認させ、再活性化する」と池田会長は述べている。

SGI会長は「生まれた時から、悪い人間などいない。どんな人にも、善に伸びゆく『心の種子』が宿っている。その『心の種子』をどう育み、いかなる実りをもたらすかは、ひとえに教育にかかっているといってよい。」と述べている。

「真の教育とは、単なる知識の伝授でもない。才能の開発だけでもない。人格や知性も含んだ全人性の陶冶を目指すものである。過去から現在へ、そして未来へ向かって「ヒューマニティ(人間性)」を確実に継承し、発展させゆく聖業である。」

他方、SGI各国組織は、さまざまな宗教の人びとの間の理解を形成することを目的とした宗教間対話や取り組みに積極的に参加している。さらに、SGIは世界宗教議会の定期的な参加団体であり、また、欧州科学芸術アカデミーと一連の宗教間シンポジウムを開いている。

社会問題や教育、対話に熱心な宗教間組織はいたるところにある。例えばその一つが、国際赤十字(キリスト教)・赤新月(イスラム教)連盟である。

また、その他の国際組織の例をいくつか挙げれば、世界宗教会議、欧州諸宗教指導者評議会、宗教間対話研究所、宗教間協力国際評議会、世界平和超宗教超国家連合、世界宗教連合、教皇庁諸宗教対話評議会、世界宗教者平和会議、世界宗派会議、世界教会協議会宗教間関係に関するチーム等がある。

他方、数多くのさまざまな宗教指導者の会合が、世界各地でほぼ毎週開かれている。

ならば、寛容と共存のメッセージを広げるという目標達成がこれまでのところ成功していないのはなぜだろうか?

この点について、元教師のモハメド・モスタファ(69)は、「二つの重要な条件が満たされない限り、平和は訪れないでしょう。一つ目は、至る所にある軍事組織の権力と影響力の問題です。…彼らの関心は専ら新兵器や軍事計画を実験することにあります。…そして宗教や文化の分断は、彼らにとっては格好の利用材料となっているのです。」「そして第二の条件は、イスラム教社会と欧米キリスト教社会の両方で新しい意識を創り出すことです。私たち(イスラム教徒)には、欧米諸国からくるものなら何でも拒否するという、歴史に根差した伝統があります…。彼らが私たちの土地を占領し、民衆を抑圧し、資源を収奪したという思いがあるからです。…ただし私たちの拒否反応は、欧米諸国による支配に対してであって、彼らの宗教(キリスト教)に対してではないのです。」と語った。

※バヘール・カーマルは、ジャーナリストとして約40年のキャリアを持つ、エジプト生まれのスペイン人。スペインで「ヒューマン・ロング・ウォッチ」(Human Wrong Watch)を発行・主宰。

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|パキスタン|対タリバン戦争による本当の被害者

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【ペシャワール(パキスタン)IPS=アシュファク・ユスフザイ

ラメーラ・ビビさん(39歳)には生後一か月になる男の赤ちゃんがいたが、6月28日、彼女の腕の中で息を引き取った。空爆を逃れて北ワジリスタン管区にある自宅を退避した際に罹った肺感染症が死因だった。同県では6月中旬に始まったパキスタン軍による対パキスタン・タリバン運動(TTP)掃討作戦により、50万人近い住民が避難を余儀なくされている。

ビビさんはこみ上げる涙を必死に抑えながら、彼女の一家に起こった出来事について話してくれた。

「息子は6月2日に我が家で生まれたのよ。元気で美しい子だったわ。もし家を追われさえしなかったら今でも生きていたはずなのよ…。」

しかし今のビビさんに、亡くなった子どものことをいつまでも悲しんでいられる余裕はない。

ビビさんには、涙を拭って自身と幼い2人の娘の命を繋ぐために、なんとしてでも食料を確保しなければならないという厳しい現実が待ち構えている。北ワジリスタン管区は、アフガニスタンと国境を接する山岳地域で、地域に跋扈するTTP民兵を標的にしたパキスタン軍の空爆から逃れるため、約468,000人が国内避難民となっている。

パキスタン軍が6月15日に軍事作戦を発動した動機の一部として、同月8日に18人の死者を出したTTPらによるカラチ(ジナ)国際空港テロ襲撃事件が指摘されている。

パキスタン政府は2005年以来、連邦直轄部族地域(FATA)において民兵組織に対する掃討作戦を断続的に行ってきたが、失敗に終わっている。とりわけ北ワジリスタン管区では米軍の占領下にあるアフガニスタンから逃れて越境してきた反政府民兵グループが長らく支配的な影響力を維持してきたことから、今回パキスタン軍はもてる火力を総動員して11,585㎡に亘る同県の完全制圧に踏み出したのである。

政治評論家の一部は、政府のテロリストに対する「強硬路線」を称賛しているが、長年にわたる紛争で疲弊しきっている県内の一般住民にとって、この軍事作戦がもたらすものは、家の喪失、飢え、病気といった悲惨以外のなにものでもない。

Ashfaq Yusufzai/IPS
Ashfaq Yusufzai/IPS

北ワジリスタン管区を逃れた難民は、カイバル・パクトゥンクワ州の古都バンヌにある大規模な難民キャンプへ続々と流入してきているが、彼らの大半は、摂氏45度にもなる炎天下の砂利道を何時間の歩いてきたため極度の疲労で倒れこんでいる。

しかしカイバル・パクトゥンクワ州は、既にこの9年間で100万人近くの難民を受け入れ対処能力の限界に達しつつあることから、今般の北ワジリスタン県から流入してくる避難民の事態に対して全く準備ができていない。

ここでの一時収容施設はテントで室内の気温が非常に高くなるうえに、難民らは医師の診察をうけるにも、野外で長蛇の列に並ばなければならない。うだるような夏の暑さが今後数週間でさらに厳しくなることが予想される中、医療専門家らは、本格的な健康危機の発生を警告している。

北ワジリスタン管区に住んでいたムスリム・シャーさんは、妻と子どもたちを連れて45キロにおよぶ未舗装の道を歩きとおしてバンヌ難民キャンプに到着したばかりである。

彼は難民キャンプの粗末な診療所で深刻な脱水症の治療を受けている。避難の途上で口にした汚染水が原因で発症したウィルス性胃腸炎のほうは回復に向かっている。

シャーさんはIPSの取材に対して、「不衛生な環境の中で、家族の健康が心配です。」と語った。彼が弱々しく指差した先には、近くの汚い運河があり、そこでは一群のバッファローに交じって沐浴している彼の子どもたちの姿があった。

Seeking some relief from the 41-degree heat, displaced children in Bannu join a herd of buffalos for a bath in a filthy canal. Credit: Ashfaq Yusufzai/IPS
Seeking some relief from the 41-degree heat, displaced children in Bannu join a herd of buffalos for a bath in a filthy canal. Credit: Ashfaq Yusufzai/IPS

バンヌ県立病院副院長のサブズ・アリ医師はIPSの取材に対して、「これまでに約28,000の避難民を診察してきました。そのうち25,000人の患者は長時間に及ぶ日光露出、栄養不足、汚れた水を口にしたこと等を原因とする予防可能な病気で苦しんでいます。」と語った。

6月29日、パキスタン政府は、民間人が(北ワジリスタン管区を)脱出できるよう、翌日の空爆再開まで期間限定で外出禁止令を一時的に解除した。

アリ医師は、「その間に脱出した人々が、まもなくバンヌに殺到してくるでしょう。気温が急上昇しているなか、ポリオや麻疹といったワクチンで予防可能な幼児疾患や胃腸炎や下痢といった水や生物を媒介とした伝染病が発生する恐れがあります。私たちは病気の蔓延を防ぐべく、協力し合って対策を講じていかなければなりません。」と語った。

4人家族で避難してきたアハメド・マスードさん(59歳)のケースが、次々に明らかになる危機を体現しているかもしれない。

マスードさん自身は、うだるような暑さの中を40キロも歩いた結果、熱射病に罹り寝たきりの状態にある。14歳、15歳、20歳になる3人の息子たちは6月22日に難民キャンプに到着して以来、下痢、発熱、頭痛に苦しんでいる。

マスードさん一家は一週間近くに亘って清潔な水にアクセスできなかったことが明らかになっており、このことが病状をさらに悪化させた原因とみられている。

カイバル・パクトゥンクワ州保健局から派遣されてきた公衆衛生の専門家であるアジマン・シャー氏によると、避難民の中には極度の疲労困憊から心不全を引き起こしたケースもあるという。シャー氏はIPSの取材に対して、「砂漠では、家族が蛇やサソリに咬まれて命を落とすリスクにもさらされます。そうした経験がトラウマとなり、長期に亘って精神的なストレスになることもあります。」と語った。

北ワジリスタン管区からバンヌに流入してきた難民の約9割は、10年以上に亘ってテロ活動の影響で疲弊した地元経済の下で貧困ラインを遥かに下回る生活を余儀なくされてきた極貧層の人々である。個人で診療費を支払える人はほとんどなく、巨大な難民キャンプに数少ない医師の診察を受けるためには、長蛇の列でただひたすら自分の番を待つしかないのが現状である。

しかし北ワジリスタン管区のミル・アリ市から逃れてきたジャラル・バカールさん(30歳)のような人々にとっては、その余裕すらない。バカールさんは、「妻は2週間以内に出産の予定です。しかし医師によると、ここに逃れてくるまでの無理がたたって子どもは早産児になるとのことです。妻にはベッドで充分な休養をとらせてやりたいのですが、ここではまともな宿泊施設さえ見つけられていないのです。」と語った。

バカールさんは、現在の状況が続けば生まれくる子どもの命も諦めることになるのではないかと不安に駆られている。

またバンヌ難民キャンプでは、難民らの苦境をさらに追い詰めかねない、深刻な食料不足の問題が現実味を帯びてきている。

国連人道問題調整事務所(OCHA)が6月30日に発表した評価報告書によると、「パキスタン軍は110キロの配給パッケージ30,000袋を配布したほか、国際連合世界食糧計画(WFP)は、8,000家族分の食料供給を行っている。また多くの非政府組織や慈善組織が救援活動を行っている。」

それでも難民キャンプに避難した族長のイクラム・マスードさんをはじめとする避難民の中には、これから最悪の事態を迎えるのではないかと恐れている。マスードさんは、「ここには、まともな食料やトイレなどの公衆衛生施設がないうえに、洗剤、石鹸といった生活必需品さえありません。このままでは、難民がさらに厳しい状況に陥るのは目に見えています。当局に清潔な水と公衆衛生施設の設置を陳情しましたが、無視されました。」とIPSの取材に対して語った。

Ashfaq Yusufzai/IPS
Ashfaq Yusufzai/IPS

現在、国内避難民の75%を女性や子どもが占めていることから、世界保健機関(WHO)は、6月30日に発表した報告書の中で、女性を対象に、安全な飲料水の利用と衛生的な食品の調理と保管を促す、大規模な啓蒙活動を早急に実施する必要性を訴えている。

また同報告書には、「食事や調理の前に手洗いをする利点を積極的に説いて回るとともに、虫刺されによるマラリアの発生を防ぐために防虫加工を施した蚊帳の使用を勧める必要がある。」と指摘している。

WHOはバンヌ難民キャンプに90,000人分の医薬品を送ったとしているが、地元の医療専門家らは、急速に事態が切迫するなかで、それでは不十分だとみている。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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