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|チュニジア|アラブの春は女性たちに異なる果実をもたらした

【チュニスIPS=ルイス・シャーウッド】

チュニジアの人々は、2011年1月のジャスミン革命で長年同国に君臨してきた独裁者ザイン・アル=アービディーン・ベン・アリーを追放し、やっとの思いで新たな自由を勝ち取った。しかし、革命後の社会は、伝統的な世俗主義と新たに台頭してきた政治的イスラム主義がせめぎ合う緊張を孕んだ過渡期にあり、このことは自由に関する女性の認識の違いにも現れている。つまり、イスラム教の慣習を実践できる「自由」を喜ぶ女性たちがいる一方で、女性の権利が制限されるのではないかと危惧を深める女性たちもいるのである。

「私たちは、チュニジアのアラブ系イスラム教徒の女性として、前の2つの政権のもとで多くの利点を享受してきました。しかし革命以来、私たち女性の権利がどうなるのか心配しています。事態は流動的ですが、私たちはこれまでに勝ち取ってきた権利を諦めるつもりはありません。」とシンダ・ガージズさん(22歳)は語った。

チュニジアでは、他の中東・北アフリカ諸国と比べて、女性の権利が遥かに保障されている。この背景には、革命前の政権が、教育や政策において男女平等を積極的に推し進めたことと、活発な女性解放運動が1930年代から展開されてきたという事情がある。 

2010年下旬にチュニジアで「アラブの春」の端緒となったジャスミン革命が起こったとき、女性たちも男性同様に抗議活動に参加した。しかし、2011年10月の選挙で穏健派イスラム主義政党「アンナハダ(「再生」の意)」が政権の座につき、サラフィストのような急進派イスラム主義勢力が活動を活発化させる中、政治的には左派に属する多くのフェミニストたちは、今後社会のイスラム化が進むのではないかと危惧している。

「私は、宗教そのものやイスラム教の教えを実践している人々に問題を感じているわけではありません。問題視しているのは、政治と宗教をリンクし、精神的な領域のものと政治的な領域のものを融合させようとする動きです。チュニジア国民の大部分はイスラム教徒ですが、この国に宗教政党を認めるべきではありません。」と弁護士・女性人権活動家で、2月に暗殺された野党指導者ショクリ・ベライド氏の未亡人ベスマ・カルファウィさんは語った。

しかし、こうした懸念は政治レベルを超えて、社会領域に広がっている。「チュニジアにおけるイスラム運動について私たちが懸念しているのは、彼らが人々の考え方を変えようとしていることです。彼らはチュニスの(他の地区より失業率が高く、教育が普及していない)貧しい地区に赴き、モスクで男性たちに家庭における夫婦の行動規範について説いているのです。このような動きは政治より危険で、時が経つほど対応が難しくなるでしょう。」とガージズさんは語った。

こうした懸念を背景に、女性活動家らは、向こう数か月以内に取りまとめられる予定のチュニジア新憲法草案の内容を注意深く監視している。昨年8月には、新政権が作成中の憲法草案の中で女性の位置を「家庭における男性の補佐」と明記されていることに彼女たちが激しく抗議したため、のちに当該部分は「男性と対等」に訂正されている。

「私たちは女性として、新憲法の内容が、チュニジア個人身分法(Personal Statue code)の規定のとおり私たちの権利を守るものであること、さらに、国際法を順守し、女性にも個人としての諸権利を認めるものであることを確認したいのです。これまでに、変更を加えさせることに成功しており、この運動を心強く思っています。しかし、引き続き監視の目を光らせていかなければなりません。」と、チュニジア女性同盟のラドヒア・ジェルビア代表は語った。

与党アンナハダ党は、女性の権利を奪おうとしているとする主張を強く否定しており、政策の柔軟性と反対意見にも積極的に耳を傾ける姿勢を示すことが今後の重要な課題としている。「中には自身の権利が失われるのではないかと危惧する人々がいるようです。しかしわが党は、自由を保障する憲法の制定を目指しているのです。つまり、今日のチュニジア社会をそのまま維持したいと考えています。」と、憲法制定議会議員で与党アンナハダ党のアッシア・ナファティさん(27歳)は語った。

アンナハダ党は、メーレジア・ラビディ・マイザ女史を憲法制定議会(定数217人)の副議長に任命した。同議会定数の半分は、女性の参画と貢献を確保するため、新たな暫定政府発足に向けた合意に基づき、女性に振り分けられることとされている。

一方、革命後のチュニジアでは、敬虔なイスラム教徒の女性が、以前よりも宗教上の教えを実践する自由を謳歌しているのも事実である。チュニジア独立後最初に大統領になったハビーブ・ブルキーバは、チュニジア個人身分法の制定を通じて女性に数々の権利を認めたが、とりわけイスラム教徒の女性が被るヘッドスカーフには批判的で「醜悪なボロ布」と呼んだことが知られている。

ブルキーバの後を継いだベン・アリーも、イスラム系反対勢力の存在を恐れ、信仰の自由に様々な制限を設けた。そして女性たちは、ヒジャーブ(髪を覆うヘッドスカーフ)やニカブ(目の部分を除いてすべてを覆い隠すヴェール)を着用しないよう奨励された。しかし、ベン・アリー政権崩壊後、ニカブやヒジャーブを被った女性の数が増加している。

主婦で2人の子供の母であるサルワ・ホスニさん(34歳)は、ジャスミン革命以前からニカブを着用している。「ベン・アリー政権時代、私は多くの問題に直面しました。警察は私がニカブを着けているのを見つけると、早速呼び止め、警察署に連行し、二度とニカブを身に着けないという誓約書に署名を強要したものです。しかし、コーランには、頭は覆うべきと説かれています。(革命後の)今日、ニカブを自由に纏えるようになったことを大変嬉しく思っています。今私は自由を謳歌しています。」

主婦で3人の子供の母であるモニア・モフリさん(44歳)も、ホスニさんと同じ意見である。「ベン・アリー政権期、ヒジャーブの着用について当局とトラブルになった経験があったので、3年間着用をやめた時期があります。しかし、ヒジャーブなしで外出すると、胸が締め付けられる感覚を覚えたものです。今は、外出時はいつもビジャーブを身に着けることができるので、快適ですし、大変嬉しく思っています。」

しかし、ヘッドスカーフの着用を巡る緊張は依然として続いている。左派系の学府として知られるマノウバ大学では、ニカブを着用した生徒が登校して試験を受けることを認めるか否かの議論が進行している。先月も、ニカブを着用して登校した2人の女子学生を叱責したとの容疑をかけられた教授に無罪が言い渡されたばかりである。

人々が憲法草案の完成と年末か来年初頭に予定されている総選挙を待ちわびるなか、チュニジアの女性の未来が今後どのようになるかは、依然として不透明である。しかし一つ明らかなことは、チュニジア女性たちは、政治観や宗教観が何であれ、明確な意見を持っており、自身の権利を守るためには喜んで戦うであろうということだ。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【ルワンワンジャ難民キャンプ(ウガンダ)IPS=アミ・ファロン】

もしあなたが、生き延びるために突然家から逃れなければならないとしたら、何を持っていきますか?あるいは、何を持ち出すことができるでしょうか?ジャン・クロード・ンドンジマナさん(20歳)の場合、コンゴ民主共和国東部の自宅から逃げたときに手にしていたものはミルクの売上金を入れた黒い袋と僅かな衣服のみだった。

ンドンジマナさんは、2か月前にツチ族系反政府武装組織「3月23日運動(通称:M23)」の兵士が村を襲撃し、彼を兵士に徴用しようとしたため、逃げ出した。そして彷徨の末、隣国ウガンダ南西部カムウェンゲ県のルワンワンジャ難民キャンプにたどり着いた。同難民キャンプでは、現在40,000人を超えるコンゴ難民が収容されている。

彼は、国連難民高等弁務官事務所(UNHCRが開催している新たな写真展示会に登場する9人の難民のうちの一人である。これらの写真には、難民と彼らが自宅を後にした際に持ち出した所持品が写っている。

ンドンジマナさんの写真は、芝生に座り黒い袋を頭の上に載せている彼の姿を捉えている。もう一つの写真には、フローレンス・ムケシマナさん(30歳)が5人の子供と古い片手鍋とともに写っている。片手鍋は、夫が地雷で死亡し、とっさに子供たちを引き連れて家から逃れる際に手に取ったものだった。「夫が亡くなったと知った時、私の目の前から望みが消え伏せました。そして祖国を(コンゴ民主共和国)を後にすることにしたのです。」とムケシマナさんは語った。

この展示会はカンパラ市内のミシュ・マシュレストラン/アートギャラリーで7月2日から3週間に亘って開催される予定で、UNHCRは、戦争や迫害から逃れるために世界各地で毎日数千人もの人々が難民になっている現実に注目を集めたいとしている。

ンドンジマナさんは、青色のレインコート、ぶかぶかの茶色のズボン、足底がぼろぼろの運動靴という、2か月前に故郷を後にした際のいでたちで取材に応じた。「僕はサッカーが大好きなんです。」と言う彼が被っているお気に入りの白黒チェックの帽子には、FAプレミアリーグ・アーセナルFC所属のバカリ・サニャ選手のシールが貼られていた。そのシールは、ンドンジマナさんがウガンダに越境してまもなくして入手したチューインガムのパッケージに入っていたオマケとのことだった。

UNHCR
UNHCR

コンゴ民主共和国では、内戦や和平合意が繰り返されてきたが、2012年4月に東部の北キヴ州で起こった(「M23」、国軍、FDLRマイマイ等の武装集団間の)新たな武力抗争を受けて、膨大な数の地域住民が難民になることを余儀なくされている。UNHCRによると、約220万人が国内避難民となり、約700,000人が近隣のウガンダとルワンダに逃れている。こうした中、ウガンダ政府は新規難民を収容するためルワンワンジャ難民キャンプを再開した。

5月には、数百人におよぶコンゴ難民がM23による軍への強制徴用から逃れるべく、国境を越えてウガンダに流入した。ンドンジマナさんの場合、難民キャンプにたどり着くまでに3週間を要した。

ンドンジマナさんは当時を振り返って、「私たちは、時には土砂降りの雨の中を、ひたすら逃げては見知らぬ場所で眠り、また目が覚めては逃げるという日々を過ごしました。そうした中で、服はぼろぼろになりました。」と語った。

ンドンジマナさんは、故郷の両親と兄弟の身に最悪の事態が起こっているのではないかと心配しているが、コンゴに平和が回復するまでは、このままウガンダに残りたいと語った。

先月、南アフリカ政府はコンゴ民主共和国東部北キヴ州ゴマにおいて、南ア軍の部隊の展開を開始した。これらの兵士は、既に現地に展開しているタンザニア軍部隊、マラウィ軍部隊とともに、新設の国連攻撃軍(U.N. Intervention Brigade)の一部を構成するものである。3月28日、国連安全保障理事会はPKOの中立の原則から踏み出し、武装勢力への攻撃を任務とする部隊の創設を全会一致で認めた。3,000人規模この新設部隊は、7月中旬までには、部隊の展開を完了する予定である。

「国連攻撃軍の活動が本格化すれば、確かに状況は変わるでしょう。」「国連攻撃軍がM23を攻撃した場合、(北キヴ州)マシリとルツル地区の治安状況が悪化し、同地からウガンダに逃れる難民の数がさらに増えることが予想されます。」とUNHCRゴマ事務所のクアシ・ラザール・エティエン所長はIPSの取材に対して語った。

6月20日、ルワンワンジャ難民キャンプで国連が定めた「世界難民の日」の記念行事が行われる中、コンゴ民主共和国政府は数百名規模の国軍兵士と戦車部隊をM23との勢力境界線に沿って展開し、反乱軍に対する攻勢を伺う構えを見せた。

コンゴ政府と反政府勢力間の和平交渉は、大湖地域国際会議(ICGLR議長のヨウェリ・カグタ・ムセベニ(ウガンダ)大統領の仲介で、カンパラにおいて行われてきたが、合意には至っていない。

「もし和平交渉が頓挫し、国連攻撃軍が武装勢力、とりわけM23に対して攻撃を加えるような事態になれば、ウガンダに向けて大量の難民を生み出すことになるでしょう。」とエティエン所長は語った。

オックスファム・インターナショナルのDRC人道プログラムコーディネーターのタリク・リーブル氏は、IPSの取材に対して、「北キヴ州各地で発生している戦闘で、家を追われる人々が後を絶たず、また、戦闘に巻き込まれる懸念があることから、人道援助団体も支援を必要としている人々のところまで援助の手が届かないのが現状です。」と語った。

またリーブル氏は、「この20年間、コンゴ東部は絶えず戦火に巻き込まれ、住民は先が見えない苦境に喘いできました。現在北キヴ州には900,000人以上が国内難民として各地の難民キャンプに身を寄せていますが、彼らのニーズを満たせるだけの資金が不足しているのが現状です。」と指摘したうえで、「難民の人々は、安全と保護、そして清潔な水、保健サービス、避難施設、食料を含むベーシックニーズへのアクセスを緊急に必要としています。」と語った。

ガブリエル・セルトックさん(75歳:上のカウボーイハットを被った写真の人物)は、コンゴ民主共和国で、伝統舞踊の踊り手として生計をたてていたが、ある日、兵士が彼の家に乱入し発砲したことから、家を飛び出し、裸足で3日間彷徨した末にウガンダの難民キャンプにたどり着いた。彼の写真もUNHCR主催の写真展の一部を構成している。

セルトックさんは当初妻と2人の子どもを連れて逃避行をはじめたが、途中ではぐれてしまい、今では難民キャンプで一人暮らしをしている。彼は、大切にしている7年物のカウボーイハットとネービージャケット、ベージュ色のTシャツ、そして4年前に市場で買った茶色のズボンといういでたちで、住み慣れた家を後にした。

「ある日、私がこの服を着ているとき、戦争が勃発しました。」「兵士たちは私の財産をすべて奪っていきました、服も、牛も、そして家もです。今は何もありません。私は故郷へは帰れません。どうしてかって?それは生活を立て直すにもそこにはもはや何もないからです。帰ったってしょうがないではありませんか。」とセルトックは語った。

翻訳=INPS Japan

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国連、放射線被ばくの健康への影響を過小評価

【国連IPS=ジョージ・ガオ】

残留放射線が地元住民に及ぼす影響について不正確な見解を示したとして、国連が医療関係者や市民社会からの批判にさらされている。

科学者や医者らが先週、国連のトップ級と面会し、日本およびウクライナにおける放射線の影響について議論した。国連は、国際原子力機関(IAEA)世界保健機関(WHO)原子放射線の影響に関する国連科学委員会(UNSCEARなど複数の機関を、この問題に対処する機関として指定している。

UNSCEARは5月、2011年の福島第一原発事故後の放射線被ばくによる「健康上のリスクはただちにはなく」、長期的な健康上のリスクは「ありそうにない」との見解を発表した

この報告を受けて、批判的な見解を持つオーストラリアの医師ヘレン・カルディコット氏は「愚かなことだと思う」と述べた。

「実際に健康上の影響は出ており、多くの人々が、鼻血、髪の毛が抜ける、吐き気、下痢などの急性放射線障害にかかっています。」とカルディコット氏はIPSの取材に対して語った。

UNSCEARの報告書は2月のWHO報告に続くもので、こちらの方も、長期的な調査が必要だとしつつも、福島第一原発事故後の健康上のリスクは低く、がん罹患率も通常通りであろうと予測している。WHOはその代わりに、結果として人々に与えられた心理上の被害を問題視している。

医学的に見れば不正確であるにも関わらずUNSCEARやWHOがなぜそのような見解を示したのかという点についてカルディコット氏は、原子力推進機関であるIAEAに原子力事故の調査を行う権限を与えた1959年のWHO・IAEA協定の存在を指摘した。

2011年に『ガーディアン』紙のジョージ・モンビオット氏と論争したカルディコット氏は、「WHOはIAEAの侍女のような存在にすぎない」と語った。モンビオット氏は、原発は火力発電に現実的に代替しうるものだと主張していた。

カルディコット氏は、WHO・IAEA協定について「これは一般の書物でも言及されず、人びとにもあまり知らされていないスキャンダルだ」と指摘した。

国連総会が2006~16年を「被害地域の回復・持続可能な開発の10年」と定めた際、1986年のチェルノブイリ原発事故によって影響を受けた地域を原状復帰するために「開発アプローチ」が必要だとしていた。

国連の行動計画は2005年の「チェルノブイリ・フォーラム」における科学的研究を基礎にしていた。同フォーラムは、国連加盟国のベラルーシ、ロシア、ウクライナに、IAEAの専門家、世界銀行グループやWHO、UNSCEARなど世界でもっとも影響力をもつ開発関連7機関からの専門家を交えて開催したものであった。

「チェルノブイリ・フォーラム」は、チェルノブイリ原発事故は「低線量被ばくの事件」だと指摘し、「汚染地域に住む圧倒的多数の人々は放射線被ばくによる負の健康上の影響を受けるとはほとんど考えられず、現在の居住地において安全に子育てができる。」としている。

カルディコット氏はWHOについて、「彼らはチェルノブイリ原発事故について何らの調査も行わず、単に推定を行っただけです。」と指摘したうえで、別の見方を示したニューヨーク科学アカデミーによる2009年の報告に言及した。

ウラン採掘による被ばく

IAEAは、原子炉の燃料となり核爆弾の製造に使われる天然資源である「ウラン資源の安全で責任を持った開発」を推進している。

インド東部ジャドゥゴダ(ジャールカンド州)のホー族住民、アシシュ・ビルリーさんにとっては、彼の居住地における安全なウラン採掘など、あまりにも実態からかけ離れた夢物語である。彼が状況を記録するために撮ってきた写真からもわかるように、放射線被ばくが、地域住民の健康に悪影響を及ぼしているのは明らかである。

学生で報道写真家でもあるビルリーさんは、鉱滓池の近くに住んでいる。ここは、「インド国営ウラン公社」が操業するウラン精製工場からの放射性廃棄物で満たされている。

「肺がん、皮膚がん、腫瘍、先天的奇形、ダウン症、精神遅滞、巨頭症、婚姻したカップル間の不妊、サラセミア(貧血)、胃壁破裂などの珍しい先天的欠損症などは、この地域ではよく見られる病気です。」とビルリーさんはIPSの取材に対して語った。

政府がこの問題を無視しているというビルリーさんは、「我々はまるでモルモットのようです。」「私は毎日のように、放射性被ばくを経験しているし、人々がどのように苦しんでいるのかを目の当たりにしているのです。」と語った。

核実験による被ばく

冷戦期のソ連は、現在のカザフスタンにあるセミパラチンスク実験場で456回にわたって核実験を行った。

IAEAは、「調査団とその後の研究によって集められた情報から判断すると、カザフスタンにおける核実験を直接の原因とする残留放射能はほぼ全ての地域においてほとんど、あるいは全く存在しないことを示す十分な証拠がある。」と主張している。

しかし、このIAEAの見解は、セミパラチンスク周辺に実際に住んでいる人々のそれとは異なるものである。包括的核実験禁止条約機構(CTBTO)準備委員会によると、「ガンから性的不能、先天的欠損症、その他の奇形に至る、数多くの遺伝子障害や疾病は、核実験に起因するものと考えられる」という。

「かつての核実験場近くの最大の都市であるセメイにある地域医療研究所には、突然変異に関する博物館すらあるぐらいだ。」とCTBTOは指摘している。

核問題に43年間に亘って取り組んできたカルディコット氏は、「ガンマ線であれアルファ線であれベータ線であれ、放射線が行うことは、細胞を死滅させるか、DNA分子の生化学的組成を変えてしまうことです。」と指摘したうえで、「ある日、細胞が不規則な形で分裂し始め、文字どおり、数兆個もの(突然変異した)細胞を生み出す。それがガンなのです。」と語った。

「放射線に被ばくしたとは自分では気づかないものです。また、食事の中に放射能があるとは味や見た目ではわかりません。そして仮にガンが発達したとしても、もちろんその由来についてはわからないのです。」とカルディコット氏は付け加えた。

ハドソン川のフクシマ

他方、ニューヨーク国連本部から川上50キロのところにあるインディアンポイント原子力発電所にある2基の原子炉について、新規の免許取得が目指されている。このことは、この地域に居住し働いている国連の193の加盟国の外交官にとっては、健康や放射能の問題がより身に迫ったものとなるだろう。

2本の断層の上に乗っているインディアンポイント原発は、地震と津波によって引き起こされた日本の福島第一原発事故を引き合いに、「ハドソン川のフクシマ」と呼ばれている。

しかし、福島第一原発とインディアンポイント原発にはいくつかの違いがある。「ハドソン川スループ・クリアウォーター」の環境問題ディレクターであるマンナ・ジョー・グリーン氏は、「福島第一原発は海岸沿いに建設されており、(事故発生時の)風の状態がよかった。もちろん、残留放射能は依然として大きな被害を引き起こしているが、(事故発生時)放射能の大半は海の方向に流されたのです。」と語った。

しかし、ニューヨークの風は、放射能を含んだ雲を北から南へ、東から西へと流す。「(100キロ)以内に2000万人が住んでおり、インディアンポイント原発と、最も近い海との間には900万人がいるのです。」とグリーン氏はIPSに取材に対して語った。

「もしインディアンポイント原発に問題が起これば、放射能は南東方向に向かって流れ、大西洋に到達する前に何百万人に影響を及ぼす可能性が非常に高い。」とグリーン氏は付け加えた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

│米国│連帯する不法移住労働者

【ニューヨークIPS=シルヴィア・ロマネッリ】

アタウルさんが故郷のバングラデシュを離れて米国に不法移民として入国したのは1991年のことだった。当時18歳のアタウルさんは、2つの仕事を同時にこなし、1日35ドル稼いだ。

ビンセントさんはそれから遅れること10年後の2001年に中国から米国に不法入国した。彼を取り巻く労働環境は悪化しており、いくつかの中華料理店を掛け持ちしながら週に6日間(合計で60~70時間)働いても、月に300ドルほどしか稼ぐことができなかった。これは時給換算にすれば僅か1ドルほどに過ぎない。

アタウルさんとビンセントさんについては、本人の希望により本記事では、ファーストネームのみで言及する。

ビンセントさんは中華街のカフェで取材に応じ、「もしあなたがニューヨークの街を歩きながら10人の通行人に声をかけたとすると、少なくとも5~6人は不法移民ですよ。」と語った。米国全体では1100万人超の不法移住労働者がおり、ニューヨークにはそのうち約200万人の移住労働者がいると見られている。

彼らはタクシードライバー、家事手伝い、レストラン、小売店、建設現場などさまざまなところで働いているが、彼らが得る賃金は、ニューヨークの最低賃金である1時間当たり7.25ドルよりもはるかに低いものであり、雇い主から虐待を受けているケースも少なくない。

しかし彼らのこうした生活は、米上院がすでに6月末に可決し、現在下院で審議中の移民法案が通過すると、大きく変わることになるかもしれない。この法案は、不法移民に13年間で米国市民になれる道を開く一方で、国境警備を強化し、「e-検証」といわれるシステムを使って雇用者が労働者の社会保障番号(Social Security Number)を調べられる仕組みを導入しようとしている。

南アジア出身の低賃金労働者約2000名が加盟している「立ち上がり動く南アジア人の会」(DRUMのモナミ・マウリク代表は、次のように語った。「この法案が通過すれば、全ての不法移民は、パソコンのクリック一つで通報されたり、強制送還されたりするような、より厳しい状況に置かれることになるでしょう。」

「この法案については、DRUMのメンバーはもとより、移民コミュニティーの多くの人々が、深く失望しています。内容がより抑圧的で厳しいものになるだろうと見られていることから、私たちも注意深く動向を見守っています。」

さらにマウリク代表は、南アジア出身者は、ニューヨークで働く不法労働者のうち、ラテンアメリカ出身者に続いて2番目に大きなグループを形成している、と付け加えた。

賃金未払い、精神的抑圧、恐怖 

ビンセントさんはIPSの取材に対して、「雇用者は『おまえたちは不法滞在者なのだから、支払う賃金に関わらず、雇ってもらえているだけでも有難いと思え。』という態度をとる傾向にあります。」と語った。

極端に低い賃金でも働きたい不法滞在者の数があまりにも多いため、仕事を必要としている外国籍の移民は、国籍や在留資格に関わらず、雇用者の提示する過酷な労働条件を受け入れざるを得ない弱い立場に置かれている。

アタウルさんの妹アマナさんは米国に合法的に入国したにもかかわらず、この8年間、最低賃金より低い条件で働いた。

職場で移民をとりまく精神的プレッシャーも大きい。「遅刻したり、病気になったりすれば、雇用主は即あなたを解雇します。…そして、もし何かについて不平でも述べようものなら、雇用主はいつでもあなたを解雇できるのです。」と、ビンセントさんは語った。

「一週間や一か月にわたって給料が遅配になることも少なくありません。中には1年間も遅配していたケースがありました。また、パスポートを取り上げられたり、遅配分の支払いを要求したら当局に通報すると脅されたりしたこともあります。」とマウリク代表は語った。

DRUMは2009年、「労働者の権利クリニック」を立ち上げた。労働者の盗まれた賃金を取り返し、自身の権利について労働者自身の意識向上をはかるキャンペーンだ。

バングラデシュ出身のサイマ・クーンさんは、IPSの電話取材に対して、「DRUMの支援のお蔭で、以前の雇用主から未払い給与5000ドルをなんとか取り戻すことができました。」と語った。

同じように、ビンセントさんも2008年に35人の同僚たちとともに、(このケースの場合)中華街の労働者を中心とした「中国人スタッフ・労働者協会」(CSWA)の助けを得て、雇用主に対する訴訟を起こした。

しかし訴訟が起こされると、雇用主はすぐにレストランを閉店し、暫くして他の場所に異なった店名でレストランを開店した。ビンセントさんによると、これは中国系雇用主が、このような訴訟を避けるためによく用いる戦略だという。

「米国の連邦法によれば、このようなことは起こってはならないことなのです。たとえ労働者が不法滞在者であっても、労働法の規定により、最低賃金ラインの報酬を受けることが保障されているのです。」とマウリク代表は語った。

米国労働省が、労働者の権利に関する地域規模の捜査を行うには、一定数の申し立てが必要である。しかし、労働者の中には、雇用者からの報復や国外追放になることを恐れて、申し立てを控えるものが少なくない。

バングラデシュ出身のナデラ・カシェムさんの夫(DRUMメンバー)は、昨年彼が勤めていた香水工場に警察の手入れが入った際に逮捕され、現在本国に送還される危険にさらされている。逮捕時、不法滞在であることが判明したため、移民拘置所に送られたのだ。これまでに、彼はそこに17か月間収監されている。

「こうした場合、(不法滞在者を働かせていた)雇用主が罰せられることになっているが、現実にはいつも、働いていた者たちが罰せられるのです。」とマウリク代表は語った。

移民法は、地方レベルでは警察官に執行が委ねられているが、彼らの取り締まり方法(プロファイリングや差別的な慣行)については、移民の権利擁護団体からしばしば非難の声が上がっている。

「不法滞在者が最も恐れているのは、道行く彼らを呼び止めて職務質問し、場合によっては強制送還しようとする警察官です。」とマウリク代表は語った。

ニューヨーク市議会は6月、ニューヨーク市警による「Stop & Frisk(職務質問・身体検査)」を終わらせることを目的としたNPO「連合警察改革のためのコミュニティー連合(CPR)」が起草した「ニューヨーク市警を変えるための4つの法案(Community Safety Act, CSA)」のうち、ニューヨーク市警の説明責任を明確にし、警官の不正行為に対して市民が正式に苦情を訴えることを認める2つの法案(「ニューヨーク市警監督法」「差別的プロファイリング禁止法」を可決した。

声を上げる勇気を見出す

「私たち(不法滞在者)は、どうして今も奴隷のように働かされなければならないのでしょう?このままでは全く将来が見出せません。私が同僚を組織して雇用主を訴えたのは、私たちに限らず全ての同じような境遇に置かれている人たちのために、労働環境を改善したかったからなのです。」とビンセントさんはIPSの取材に対して語った。

またビンセントさんは、「CSWAに加入する以前は、この国に最低賃金があることや、『時間外労働』という言葉の意味さえ知りませんでした。」と語った。

2010年にDRUMに加入したバングラデシュ人コミュニティーのまとめ役をしているカジ・フォウジアさん(記事冒頭の写真の女性)は、「団結することで、私たちはトラブルを避け、身を守ることができるのです。」と他の移民労働者に語りかけ、自らの権利を主張するよう励ましている。

フォウジアさんはかつてクィーンズ地区のジャクソンハイツにあるサリーの小売店で働いていた。雇用主は当時3店舗を所有しており、ある日フォウジアさんに、通りの向かいにあるもう一つの店舗から商品をとってくるように頼んだ。しかしファウジアさんは通りを渡っている時、車にはねられ13フィートも飛ばされた。

雇用主は、彼女が不当滞在者であることから、警察に知られるのを恐れて911通報させなかった。彼女は肩を複雑骨折していたが、保健にかかっていなかったので医者に診てもらえず、与えられたのは鎮痛剤だけだった。さらに翌日、フォウジアさんは、自分が既に解雇されていることを知った。

フォウジアさんはIPSの取材に対して、「これは単に私個人の話という訳ではありません。私のように法的な身分証明書を持たない全ての不法滞在者に起こりうる話なのです。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【バンジュールIPS=サイコウ・ジャメ*】

今年2月、20才になるモハメド(仮名)は、数多くの同胞と同じく、祖国エリトリアの圧政から逃れ、よりよい生活を求めて隣国のスーダンにやってきた。しかし、彼のように隣国に逃れた人々にとって、新天地は決して安住の地ではなかった。彼らの多くが人身売買の犠牲となっており、モハメドの家族もそれが彼の身に降りかかった悲運だと考えている。

人権擁護団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」が発表した「2013年世界人権年鑑」によると、エリトリアでは人権侵害が横行して「拷問、恣意的な拘束、さらには表現・集会・信仰の自由に対する厳しい抑圧が、日常的に行われている。」また、国民皆兵の徴兵制度があるが、徴兵期間は無期限とされている。

民主主義、政治的自由、人権に関して研究・支援を行っている国際NGO「フリーダム・ハウス」が発表した報告書「世界における自由度2012」によると、エリトリアは世界でもっとも抑圧的な国家9か国のうちに入るという。国連難民高等弁務官事務所(UNHCRは、2011年に発表した報告書の中で、エリトリア国民540万人のうち22万人が政府の圧政から逃れて難民となっている、と指摘している。

モハメドは何とか国境を超えることはできた。スーダン領に入って一度母親に電話し、無事を知らせてきた。しかし、数日後に再び電話してきたときには、自分が誘拐されたと告げたのである。従弟のエデン(仮名)は、「モハメドは、スーダンの警察関係者とつながった犯罪者によって誘拐されたのではないか」と考えている。

訪問先のバンジュー(西アフリカ・ガンビアの首都)でIPSの取材に応じたエデンは、「モハメドの母は、(誘拐されたとの連絡に接し)精神的に打ちのめされていました。」「誘拐犯は従弟の身代金として3万ドルを要求してきました。貧しいモハメドの母にそのような大金の持ち合わせはなかったので、彼女は寄付を募り始めたのです。」と語った。

エデンによると、最後にモハメドが家族に電話してきたとき、「エジプトのベドウィン族に売られたよ。お母さん、実は僕は障害者になったんだ。だから何も払う必要はないよ。僕はもう、あまりもたないだろうから。」と話していたという。

人権活動家でNGO「エリトリア人権問題」の創設者エルサ・チャイラム氏は、この1月に米国ボストンのエリトリア・コミュニティ・センターで行った講演の中で、「エリトリア難民の誘拐は日常茶飯事の出来事になっている。」と指摘した。

「人身売買は、無防備なエリトリア難民が彼らに最も高い値段をつけたラシャイダ族の業者に引き渡された時点で成立しているのです。そこから難民らは業者の所有物として扱われ、銃で脅されながらエジプトを横切ってシナイ半島まで運ばれます。」

「そこで誘拐された人々はベドウィン族の業者に引き渡され、拷問で無理やり家族に関する情報をしゃべらされます。そして業者はこうした家族情報をもとに身代金ビジネスを行っているのです。」

さらにチャイラムは、「こうして誘拐された難民の運命は悲惨で、拷問や強姦をされたうえ、殺害されたり、体を臓器移植に供されたりしています。」と語った。

エデンは、「比較的裕福な人々は、エリトリア国境を越えて安全に隣国に入国するために、越境請負業者や関連部署の高官に法外な賄賂を支払っています。」と指摘したうえで、「スーダンでは軍がエリトリア難民から金銭を脅し取ったり、人身売買業者と結託するなどして難民キャンプ周辺に不安を掻き立てていますが、政府はこの問題に有効な対策をとれていません。またエジプト当局は、人身売買業者の逮捕に関して消極的です。」と語った。

しかし、このような悲惨な状況がありながら、それでも独裁政府による圧政から逃れるために、エリトリアから出ていくことを選択する人が後を絶たない。

さらにチャイラム氏は、「エリトリアでは、イサイアス・アフェウェルキ大統領が、21年に亘って君臨しています。彼は、エリトリアを東アフリカ地域のみならず国際社会からも孤立した巨大な牢獄へと変貌させました。」と指摘し、その具体的な事例として、「エリトリアには幅広い分野で国民の権利擁護を保障した憲法があるにも関わらず未施行のままにされています。また2001年には一旦は総選挙が予定されましたが、憲法未施行のためその後無期延期とされ、今日に至っています。」と語った。

エリトリア国内では、アフェウェルキ大統領の政策に反対した多くの人々が収監されている。

こうした政治犯の中には、20名の著名な批評家やジャーナリスト、さらには既に10年に亘って隔離拘禁されている15名の政府高官が含まれている。このうち、数名はすでに死亡していることが疑われている。

「彼らの中には、2人の元外務大臣、元大使、元参謀長、元将軍といった、かつて現大統領とともにエリトリアの独立のために戦い、祖国に尽くした人々が含まれています。彼らが犯したとされる唯一の罪は、大統領に対して憲法と施行するよう求めたことなのです。」とチャイラム氏は語った。

またエリトリアでは、国民の言論と移動の自由に対して厳しい統制が敷かれている。さらに信教的寛容さもほとんどないに等しい。

チャイラム氏は、「国内で許されている宗派は4つに限定されています。つまり、スンニ派イスラム教、キリスト教エリトリア正教、カソリック、そしてプロテスタントです。」と指摘したうえで、「エリトリアでは、パスポートを取得しようとすれば、まず申請書を政府が設立した委員会に提出して了承されなければなりません。このような現実が想像できますでしょうか?」と語った。

また匿名を条件に取材に応じたUNHCRの職員は、近隣諸国の支援がなければ、国連機関といえどもエリトリア難民を標的にした人身売買の流れを止めることは困難として、「もし人々が誘拐されているのであれば、当然UNHCRは一層努力しなければなりません。しかしそのためにはスーダンとエジプト両政府の協力が不可欠であり、現在働きかけをしているところです。この問題を解決するプロセスは、関係国の政府が主導しなければならないと確信しています。」とチャイラム氏は語った。

しかし、両国政府との協力関係はしばらく実現しそうにないのが現状である。

匿名の情報筋は、「私たちは昨年9月から関係国による会議を開催するよう呼びかけていますが、まだ実現の見通しが立っていません。」と語った。

また、「エリトリアの人権状況に関する国連特別報告官」に任命されたシーラ・キーサルース氏も、エリトリアにおける人権侵害を防止するという、とてつもない任務の大変さを理解している。

自身の職責について「国連人権委員会で最も困難な任務の一つ」と自負しているキーサルース特別報告官は、IPSの取材に対して、「私は、就任直後の、市民社会との対話を始める以前の段階からエリトリア政府に対して対話を呼びかけてきました。しかし、未だに対話の扉は開かれていません。」と語った。(原文へ

*記者の安全確保の観点から仮名で表記しています

翻訳=IPS Japan

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【シャリジャWAM】

「北アイルランドで17日・18日に開催された主要8ヶ国首脳会議(G8では、シリア問題が主要議題として取り上げられたが、バシャール・アサド大統領の退陣を求める決議案に関しては、ロシアの反対で見送りとなった(首脳宣言には『シリア内戦の政治決着を目指す』という文言が採択された:IPSJ)。しかしG8サミット閉幕の翌日には、シリア情勢を巡るロシアと米国の対立は、既にあからさまな対決へと向かう様相を見せている。」とアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙が6月21日付の紙面の中で報じた。

ロシア政府は、6月19日、「シリア在住のロシア人を保護するため」として、600人の海兵隊員を乗せた戦艦2隻をシリアに派遣すると発表した。またロシア空軍の司令官は、必要に応じてロシア派遣軍に対する空軍の支援を行う用意ができていると述べた。


ガルフ・ニュース紙は論説の中で「このロシア政府の動きは、先般西側諸国がシリアの反政府勢力に対して(時期は明示しなかったものの)重火器の提供を行うとしたことに対抗して、軍事力を誇示しようとするウラジミール・プーチン大統領の意図を反映したものである。」と報じた。

シャリジャに本拠を置く同紙は、「プーチン大統領は、米国とその同盟国に対して、もしシリア反政府勢力への武器供与にあくまでも踏み切るならば、ロシアは自国民保護を名目にロシア軍をシリアに上陸させる用意があると警告したものとみられている。」と報じた。

シリアには約20,000人のロシア人が在住しており、彼らは。既に紛争の初期段階で、将来的に情勢が悪化してロシア政府が救出作戦の実施を決めた場合、どこに集合すべきかを指示されている。ロシア人の国外避難という事態はとなれば、シリア紛争は大幅に拡大することになるだろう。」

また報道によると、ロシア政府は、シリアへ派遣予定の戦艦は現在出港に向けて準備中と説明しているが、実際には5月中旬より地中海を航行しており、本国からの命令があれば数時間以内にシリアに到達する態勢を整えているという。
 

ロシア政府は、今のところ、派遣軍がいつシリアに到着するのか、またシリアのどの地域で作戦を展開するかについては明らかにしていない。

しかし、シリアの紛争地域に(ロシア人救出を名目に)今後ロシア兵が展開し、万一西側諸国が反乱軍に提供した武器でロシア兵に犠牲者がでるような事態になれば、シリア危機が劇的に悲惨な展開となることは明らかである。

ロシア軍派遣の影響は多岐にわたるとみられている。つまり、ロシア兵が負傷すれば、ロシア政府はシリア派遣軍を増強する口実にするだろう。また、ロシア空軍は、西側諸国がシリアの飛行禁止区域に関する決定を打ち出す前に、シリア領空に影響力を確立することになるだろう。そして、シリアにおけるロシア軍の存在は、シリア情勢を巡って、既に緊張が高まっている米ロ間の外交・軍事関係をさらに悪化させることになるだろう。
 

「今や、国際社会が交渉を通じてシリア危機を解決に導けるのではないかとの希望は失われつつあり、それに代わって、シリアが米ロ間の代理戦争の舞台になるのではないかという新たな危険性が浮上している。」とガルフ・ニュース紙は結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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オバマ大統領、核軍備管理のさらなる推進を表明

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【ワシントンIPS=シドニー・ハーギス】

バラク・オバマ大統領が19日にベルリンでの演説で発表した米露間のさらなる核兵器削減の呼びかけに対して、さまざまな反応が出ている。

オバマ大統領は、「我々は、もはや世界絶滅の恐怖の中で生きてはいないかもしれません。しかし、核兵器が存在し続けるかぎり、我々は本当に安全とは言えません。」「我々はテロリスト網を一網打尽にすることができるかもしれませんが、過激主義を煽る不安定と不寛容の問題を無視する限り、我々自身の自由は結果として危機にさらされることになるでしょう。」と述べた。

オバマ演説は、ジョン・F・ケネディ大統領が、冷戦真っ只中の時代に行った同じような演説から50年を記念して、ベルリンのブランデンブルク門で6000人の招待客を前に行われたものである。

オバマ大統領は、米ロ両国が配備している戦略核の総数と、欧州に配備している両国の戦術核を削減することを目指すとして、ロシアに協力を求める意向を示した。

John Burroughs/ LCNP
John Burroughs/ LCNP

ニューヨークのアドボカシー団体「核政策法律家委員会」(LCNPのジョン・バローズ事務局長は、IPSの取材に対して、「オバマ大統領は重要な多国間の(核軍縮)機会についても、さらなる機会創出についても語りませんでした。」と指摘したうえで、「今日の演説には失望したと言わざるを得ません。」と語った。

一方で、遅まきながら大統領は重要な提案をした、と評価する意見もある。

「ベルリンの壁は20年以上も前に崩壊したが、今回の削減提案は長く待ち望まれていたものです。」と19日に語ったのは、アドボカシー団体「憂慮する科学者同盟(UCS)」の主席科学者で、グローバル安全保障プログラムの共同ディレクターであるリズベス・グロンラウド氏である。

「大統領の方針は、今日の核兵器は資産ではなく重荷になっているということを暗に示したものです。」とグロンラウド氏は語った。

2010年の第四次戦略兵器削減条約(新START)は、米ロ両国が保有する大陸間弾道ミサイル(ICBM)、潜水艦発射弾道ミサイル(SLBM)、核弾頭搭載可能な重爆撃機の合計を800にまで削減し、配備済みの戦略核弾頭を1550発に制限するというものである。

オバマ政権の今回の提案は、米露それぞれの戦略核弾頭をさらに3分の1削減し、弾頭数が各1000をわずかに上回るレベルに抑えようというものであった。

ワシントンのアドボカシー団体「軍備管理協会」のダリル・キンボール会長は19日、「国家安全保障に関する超党派のリーダーたちは、さらなる、より大幅な核削減で米国の安全保障は高まり、予算の節約ができ、他の核兵器国に軍縮に加わる圧力をかけるのに役立つという点で、合意している」と述べた。

高価なシステム

軍備管理協会によると、米国は、配備戦略核と関連運搬システムの維持のために年間推定310億ドルを費やしているという。

もし米国が戦略核を1000発以下に削減したら、納税者にとって今後10年間で580億ドルの節約になるだろうと軍備管理協会は推定している。

テロやサイバー攻撃が近年次第に頻発するようになる中、識者らは、大規模な核戦力がこれらの脅威に対処するためのもっとも有効な手段であるかどうか再検討するよう、米国政府への要求を強めている。とりわけ、この戦力維持のために数千億ドルを費やすとすればなおさらである。

オバマ大統領は、すべての核実験を禁止する包括的核実験禁止条約(CTBTに米国が批准するという公約を再確認している。しかし、これまでに米議会で一度批准に失敗したことがあり、上院への再提出スケジュールについて大統領は明確にしていない。

オバマ大統領はまた、世界中の核テロ防止のために2年ごとに開催している「核安全保障サミット」の4回目の会合を、2016年に米国主催で行う計画についても明らかにした。

オバマ政権は、2010年の新STARTではカバーされていない欧州に配備された戦術核の貯蔵量を削減するための具体的な提案を、北大西洋条約機構(NATO同盟国と協力して策定したいとしている。

一方、(劣勢にある通常兵力を補うため)米国や欧州よりも多くの戦術核を保有しているロシアは、これまでこうした削減案に反対してきている。

19日、オバマ大統領の呼びかけに対するロシアの最初の反応はあまり芳しいものではなかった。ウラジミール・プーチン大統領のある上級外交顧問は、ロシア政府は核兵器を削減する「参加国の輪を拡大したい」意向だと語った。

またロシアのドミトリー・ロゴジン副首相は、「米国がロシアの戦略的潜在戦力を迎撃する能力を開発している時に、戦略核の潜在戦力を削減するという案を、どうして真剣に受け取ることができるのか。」と、サンクトペテルブルクで記者団らに語った。

既存提案の焼き直し

一方、米国内では、オバマ大統領の新提案はこれまでの繰り返しに過ぎないのではないか、という意見が市民社会の中から出ている。

「核時代平和財団」ニューヨーク事務所のアリス・スレーター所長は、「オバマ大統領のベルリンでの提案は、これまで使い尽くされた米国の核政策を焼き直したものに過ぎません。つまり、漏れの多い『核の傘』の下で、核兵器とミサイル『攻撃』という米国の領域に他国を巻き込む同盟網において、米国の世界における軍事的優勢を維持することを意図したものなのです。」と語った。

他方、議会共和党は、2010年の新STARTを超えるいかなる大規模削減提案に対しても、米国の安全保障を棄損するものだとして反対する意向を明確にしている。

上院軍事委員会筆頭理事で保守派のジェイムズ・インホフ上院議員は19日、「我々の核抑止力を弱め、戦略的利益に対する脅威に対処する能力を今後弱めることにしかつながらない大統領の政策を、米国民が支持するとは思えない」と語った。

LCNPのバローズ氏によると、もし提案されたレベルの削減が条約化されたとしても、[憲法上批准に必要とされる]3分の2の支持を上院で獲得できるかどうかは不透明とのことである。一方でバローズ氏は、オバマ政権とロシア政府との間の政治的了解ならば、議会の承認は必要としない、と語った。

しかし、この方向に進むにしても厳しい反対論があるだろう、とバローズ氏は警告した。

またバローズ氏は、「オバマ大統領が提案している戦術核あるいは長距離戦略兵器に関連した措置は、米国が削減するにはロシアが同じ行動をとることを基本的条件としています。」と指摘したうえで、「その政治的理由は理解できます…しかし、米国は自ら率先して削減を行ったうえで、ロシアにも続くよう求めることはできるのではないでしょうか。たとえそうしたとしても、我々は全く安全なのです。」とバローズ氏は語った。(原文へ)

翻訳=IPS Japan

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|セーシェル共和国|マスダール支援の風力発電所が稼働

【アブダビWAM】

国営の多角的再生可能エネルギー企業「マスダール」とアブダビ開発基金(ADFD)は6月17日、セーシェル共和国の首都ヴィクトリアにおいて、同国で初めてとなる8基のタービンから成る6メガワットの風力発電所を開業した。

マスダール社が開発しADFDが資金支援したこの集合型風力発電所は、セーシェル共和国の人口の9割が暮らすマヘ島のエネルギー容量の8%をカバーする予定である。つまり、これによって、年間160万リットル(=2100世帯分の消費電力)相当の化石燃料の消費抑制と、年間5500トン相当の二酸化炭素排出量削減が可能となる。

 セーシェル共和国は、これまで高価なディーゼル発電に大きく依存しており、燃料輸入に費やされる費用は年間総輸入額の実に25%を占めている。そこで政府は、輸入燃料への依存度を軽減するため、エネルギーミックスの推進に尽力している。島嶼国として電力生成の方法が限られていることから、風力発電の推進は、同国政府の国家目標を達成するうえで、有効な方策と考えられている。
 
 ジェイムス・ミッシェル大統領は、風力発電所の建設・資金支援を行ったUAEに対して感謝の意を表するとともに、「長期的な観点から我が国の経済発展を展望した場合、クリーンで持続可能なエネルギー源へのアクセスを確保することが、極めて重要な課題です。我が国は、この風力発電所の新規稼働によって、国内エネルギー源の15%をクリーンエネルギー源とし、輸入エネルギーへの依存を軽減するという我が国の目標に向かって、大きな一歩を踏み出すことができました。私たちは、今後もさらなる風力発電開発の可能性を検討するとともに、エネルギーミックスを推進していきたい。」と語った。
 

またミッシェル大統領は、「6メガワットの風力発電所が稼働したおかげで、高まる電力需要への対応がしやすくなりましたし、(従来エネルギー輸入に使っていた)国家予算の一部を、経済・社会開発への投資に振り向けることが可能となりました。」と付け加えた。
 

近年、再生可能エネルギー技術関連のコストが低下してきていることから、風力、太陽光発電が、エネルギーの安全保障及びアクセスに従来苦慮してきた国々にとって、経済的に現実的な選択肢として新たに注目されるようになっている。また、再生可能エネルギーは、クリーンで持続可能な代替えエネルギーであるとともに、変動が激しい化石燃料の国際価格が途上国に及ぼすリスクを軽減する効果も兼ね備えている。

UAEはこれまで40年以上にわたって途上国の経済開発と社会発展の支援を行ってきた。今日、再生可能エネルギーの導入・開発支援は、被援助国の経済成長、貧困緩和、基本的な社会サービスの展開を支援するUAE援助戦略の核心部分を構成している。

マスダール社は、途上国におけるエネルギーアクセス環境を改善するための様々な再生可能エネルギープロジェクトを展開している。そうしたプロジェクトの中には、モーリタニアに建設した、同国の総発電量の10%に相当する15メガワット規模のシェイク・ザーイド太陽光発電所や、オフグリッド太陽光発電で600世帯に電力を供給する予定のアフガニスタンのプロジェクト、トンガ王国のバヌアツに建設した、500キロワット規模の太陽光発電所などがある。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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シリア内戦を「宗派間緊張」に変えるファトワ

【ロスアルトス(カリフォルニア)IPS=エマド・ミーケイ】

このところ、イランの支援を得たバシャール・アサド大統領の政府軍勢力が、シリア国民に残虐行為を行っており、反政府勢力を支援すべきと訴える声が、イスラム宗教家の間で高まっているが、中でもこうした抗議の先頭に立っているのが、サウジアラビアの聖職者らである。

6月14日、メッカ・聖モスク(Grand Mosque)のサウジ・ショレイム導師が、すべてのイスラム教徒に対して、「あらゆる手段を通じて」シリアの反体制派とシリア内戦に巻き込まれた民間人を救うべき、との異例の呼びかけを行った。

サウジアラビアで高名なモハメッド・エリファイ導師もまた、訪問先のカイロ中心部のモスクで数千人の聴衆を前に行った説話において、アサド政権と闘う者を支援し聖戦(ジハード)に馳せ参ずべし、と発言した。

その前日、主に湾岸地域からのイスラム宗教学者がカイロに集まり、シリアにおけるジハードを国際的に呼び掛ける方策について協議した。

6月4日、通常リベラルな報道で定評があるアル・アラビーヤ(サウジアラビア資本の衛星テレビ局)が、保守派のリーダー格とみられているユースフ・アル=カラダーウィー師をゲストに迎えた。現在カタールを拠点にしているカラダ―ウィ師は、シリアでアサド政権側に立って内戦に介入している「ヒズボラ」に対するジハードを呼びかけた。

聖職者らによるこうした呼びかけが相次ぐようになった背景には、イランの支援を得てレバノンで活動してきたシーア派民兵組織「ヒズボラ」が、シリア内戦への介入を強め、数週間前には、反政府勢力をシリア西部の要衝であるクサイル(Al-Qusair)の街から駆逐したという事情がある。

それまで反政府勢力はクサイルの街を数か月に亘って勢力下に置いていた。反政府勢力は2011年12月に武装蜂起して以来、この街を含む数都市を政府軍から奪取することに成功していたが、今回のクサイル陥落は、政府軍と反乱軍の勢力バランスが再び政府軍側に有利に傾く契機になったとみられている。

シリア政府系のメディアは、政府軍が反乱勢力の拠点であるホムスの街に向けて前進を続けていると報じている。またイランの通信社ファーズも、先週、政府軍がシリア各地において反乱軍を圧倒し戦闘を有利に進めている、と報じた。

紛争の国際化

米国は6月13日、アサド政権が国民に対して化学兵器を使用したと断定し、反乱勢力に対して武器供与を検討していることを明らかにした。シーア派の一派であるアラウィ派に属するアサド大統領に対するジハードを呼びかけるスンニ派聖職者らの動きは、こうした米国の動きと軌を一にしたものである。

米国とサウジアラビアは、1979年から10年間に亘ったソ連のアフガニスタン侵攻の際にも、今日と類似した役割分担を演じている。当時米国は、ソ連軍に対抗するアフガンゲリラ「ムジャヘディン」兵士に対して武器を供給、一方、サウジアラビアは、資金面の支援と並んで、ソ連侵略軍と戦う宗教的大義名分を提供した。

この数週間に亘って、アラブ系メディアは、イランの呼びかけに応じたシーア派戦闘集団がアサド政府軍を支援すべく、イラク、レバノン、イランから続々とシリアに流入いるとする目撃情報とともに、シリア内戦が次第に宗派間闘争の色合いを濃くしていると盛んに報じてきた。

先述のスンニ派聖職者らも、イランとヒズボラが、アサド独裁政権と国民の間の紛争を宗派間闘争へと変質させているとして非難している。

シリア紛争は、中東の数か国において独裁政権打倒へとつながった民主化要求運動「アラブの春」の初期段階において、デラーの街で発生した平和的な抗議運動に端を発している。抗議運動は、まもなく政府軍との衝突に発展し、国連の発表によると、これまでに93,000人のシリア人が犠牲となっている。

「女性たちは夫を奪われ、子供たちは難民になることを余儀なくされています。そして彼らの家は、暴虐な政府軍と侵略軍によって瓦礫と化しているのです。このような状況下、私たちは支援の手を差し伸べる義務があります…。」涙を流しながらシリアで犠牲になっている女性や子供の窮状を訴えるショレイム師の説話は、アラブのテレビ局数局で放映された。ショレイム師は、スンニ派イスラム諸国では、説話やコーランの朗読が、しばしば公の場や各家庭のテレビやラジオを通じて国民に親しまれるなど、広く尊敬されてている人物である。

サウジアラビア政府は、従来よりメッカやメディナを聖地とし政治とは切り離す方針を採ってきており、ショレム師もこれまで政治問題に言及することはほとんどなかった。それだけに、政治問題に直接切り込んだ今回のショレイム師の説話は、シリア情勢がいかに深刻であるかを反映するとともに、従来の方針から大きく離脱するものであった。

またカイロでは、ベストセラーの著作の数々と人気番組を持つアル=エリファイ導師が一時間に及ぶ説話の中で、(アサド政権に対する)ジハードに馳せ参じる必要性について説いていた。

エリファイ師は、「過去40年に亘ってアサド政権が行ってきた虐殺行為は、近代史上まれに見る類のものです。」と指摘したうえで、「もしイランが主導するシーア派同盟がシリアで勝利を収めれば、次は他国の『イスラム教徒の子供たち』が彼らの標的となり、『シリアの子供たちのように虐殺される恐れがあります。」と警告した。

エリファイ師、ショレイム師、カラダーウィー師によるこうした発言は、民衆に対してシリアのアサド政権に抵抗するよう強く働きかけてきた「ファトワ」として知られる(スンニ派)イスラム聖職者らによる一連の宗教的勧告の最新の動向を示すものである。

6月13日、主に湾岸地域からのイスラム宗教学者がカイロに集まり、シリアにおけるジハードを高らかに宣言するとともに、同国でアサド政権と戦う戦士たちへの支援を呼びかけた。

「この会議は、必ず現場に影響を及ぼすことになるでしょう。国際社会には、アサドという暴君の前では、シリアの人々が犠牲になるのはやむを得ないと諦めかけていた風潮がありました。しかし、(この会議に出席した)聖職者たちの行動は、そのような風潮は間違いだということを証明したのです。」とアル・メスルユーン紙のガマル・スルタン編集長は語った。

残虐行為を記録する

エジプトにあるスンニ学派の最高権威アル・アズハルモスクのアハメド・アル=タイーブ師を含む会議の参加者らは、紛争地でヒズボラとシリア軍が民間人に対して行っている残虐行為を記録したドキュメンタリーフィルムを観た。

会議を主催した汎イスラム非政府組織の「国際ムスリム学者同盟」は自身のウェブサイトに掲載した声明文の中で、今回の会議の狙いは、「イラン、アサド政権、ヒズボラの本性を明らかにすること。」と記している。

会議参加者の一部は翌14日にエジプトのムハンマド・モルシ大統領と面会し、ジハードへの支援を要請した。その翌日、カイロスタジアムに集まった数千人に及ぶ支持者や聖職者らの前に現れたモルシ大統領は、シリア政府との一切の関係を断つという方策を含む、エジプト政府による一連の対シリア政策を発表した。

アラブの春で大きな役割を演じた「ソーシャルメディア」は、今や、シリア政権による虐待の実態を伝えるとともに、アサド政権に対するジハードを呼びかける活発なプラットフォームとして、活用されている。

今週初め、(報道によれば)アサド支持派に強姦され半裸の状態で道路の真ん中に横たわっている女性を数人の若者が救出しようとする生々しい映像がユーチューブで公開された。しかしその若者らは、次々とアサド側の銃弾に斃れ、その女性も助からなかったとみられている。

またフェイスブックでも、喉を切り裂かれた子供たちや、瓦礫の下敷きになった子供を含む数多くの血みどろの死体を捉えた映像等、人権侵害を告発する書き込みが相次いでいる。その中のある人は、「あなたがこうして机の前でフェイスブックを楽しんでいる間に、シリアでは子どもたちが死んでいるのです。」と書き込んでいる。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【ドバイWAM】

途上国で児童の就学支援を行っているアラブ首長国連邦(UAE)の慈善団体「ドバイケア」は、6月20日の「世界難民の日」に際して、紛争で自宅や故郷から強制的に追われた世界の4330万人に上る難民の苦境に焦点をあてた。

ドバイケアは、難民、とりわけ全体の46%を占める子どもの難民が、安全な避難場所で身体的・肉体的トラウマから回復し、将来への希望を再び持てるようになるよう、現在進行中の様々なプロジェクトを通じて、支援の手を差し伸べてきた。

そうした難民支援事業の一つに、エチオピアで25000人のソマリア難民の児童を対象に実施している給食プログラムがある。児童たちはエチオピア南部(ソマリアとケニアの国境近く)ドロ・アド難民キャンプに保護されている。国連難民高等弁務官事務所(UNHCRが運営する同難民キャンプは、2012年の後半に、国連が「過去60年で最悪」と宣言した前年の食料危機の影響を受けた100,000人を上回るソマリア難民を受け入れている。

ドバイケアはまた、中東地域、とりわけ(イスラエルによる)パレスチナ占領地域、ヨルダン、レバノンにおいてパレスチナ難民に対する各種支援プログラムを実施してきた。
 

ドバイケアのプレスリリースによれば、パレスチナ占領地域では、国境なき医師団と連携して、ケマル・エドワン病院の子供を対象に緊急医療支援と行うとともに、ヨルダン川西岸地区(ウエストバンク)及びガザ地区の国連難民救済事業機関(UNRWA)が運営する学校に通う児童らを対象にした害虫駆除キャンペーンを実施した。

レバノンでは、ドバイケアは、ナハル・アルバレド・パレスチナ人難民キャンプの子どもたちに基礎教育を提供するUNRWAによる緊急教育プログラムに参加している。
 

またヨルダンでは、ドバイケアは、UNRWAと連携して、アル・ザルカー・パレスチナ人難民キャンプで、古い校舎に代わって新たに全家具付の小学校と中等学校の校舎を建設するプロジェクトを支援した。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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