ホーム ブログ ページ 214

│イスラエル│学校の壁のあたらしい標語

【クファール・カラIPS=ピエール・クロシェンドラー】

ワディ(正式名:「ワディにかけられた橋」)小学校へようこそ。この学校はイスラエルにある「ユダヤ・アラブ教育センター」が始めた「手に手を取って」プロジェクトによって設立された5つの「2民族・2言語学校」のひとつである。

「ユダヤ・アラブ教育センター」では、生徒たちが将来、分断されているユダヤ系及びアラブ系コミュニティーの懸け橋となる人材へと成長することを願って、両コミュニティーから子供たちを受入れ、ヘブライ語とアラビア語によるバイリンガル教育を実施している。

イスラエルには約3000の小学校があるが、殆どがユダヤ系或いはアラブ系の子どものみを対象としたもので、両民族の子どもが共に学んでいるのはわずか7校しかない。

中でも、ワディ小学校はユニークな位置を占めている。というのも、この学校は唯一他の2民族学校と異なり、アラブ系住民が圧倒的多数を占める町(クファール・カラ:イスラエル北部ハイファ南東35キロに位置する人口15,300人の村)に設立されているからである。この学校ではむしろアラブ系の子どもたちがユダヤ系の子どもを迎える形になっている。

ハッサン・アグバリア校長は「ここは(アラブ系が多数を占めるコミュニティーですが)アラブ系の学校ではありません。地元では変わった存在です。」と指摘したうえで、「当校では、『他人を受け入れよう』、『他人に平等な権利を与えよう』、『他人と共に歩んでいこう』、『少なくとも学校においては、互いを知り、共同で生活することによって、平和は達成できる。』というスローガンを提唱しています。」と語った。

主流派のユダヤ人が少数派アラブ人に属するパレスチナ人と紛争関係にあるイスラエルにおいて、両者の子弟が共に学ぶ学校が、しかも、アラブコミュニティーの中に存在しているのは、極めて珍しい。今日、イスラエルの人口の5人に1人がアラブ系イスラエル人である。

イスラエル政府は独立宣言の中で、「民族、信条、性別に関わらず、全ての市民に対して、社会的・政治的平等を保障する。」としている。

しかし実際には長びく紛争の中で、アラブ系イスラエル人には、ユダヤ国家を自認する政府から、常に国家に対する忠誠心を疑われ、宗教や政治信条に基づく不当な扱いや差別に晒されてきたという複雑な感情がある。

「ここ(ワディ小学校)では、子どもたちの目に入るのはユダヤ人でもアラブ人でもなく、同じ人間なのです。」とユダヤ系コミュニティーであるカジール村出身のウリ・レフノール氏は語った。

学校の壁には、「(世界を変えるためには)まず自分たちに変化を起こさなければならない。」というマハトマ・ガンジーの言葉が、ヘブライ語とアラビア語両方で掲げられていた。民族対立が続く厳しい環境にもかかわらず、あえて自らの子どもをこの学校に送り出した親たちこそ、まさに既存の秩序からの変化を呼びかけたガンジーのこの言葉に応えた人達といえるだろう。

「私たちは誰かが変化を起こすのを待っていてはいけないのだと思います。」とカジール村出身のオフリ・サデー氏は語った。

(ワディ小学校がある)ガラリア地方では約20,000人のユダヤ系住民に対してアラブ系イスラエル市民が人口の大半(約150,000人)を占めている。

全校生徒238人の内、現在アラブ系の生徒は約60%を占めている。全ての教室でアラビア語とヘブライ語による2か国語教育が実施できるように、各教室にはアラブ系とユダヤ系の教師が一人ずつ配置されている。

しかし掲げられている崇高な理念はさておき、学校関係者はイスラエル社会が抱える複雑で厳しい現実に直面しながら、学校運営を切り盛りしている。また、この学校に子どもを送り出した両親の動機や期待も各々の民族が置かれている状況を反映して様々である。例えば、ユダヤ人の親たちは子どもたちを通じて、イスラエル社会に平和と調和がもたらされるという長年の夢が実現することを漠然と期待している。

「私たちの子どもにとって、この学校での経験は私自身や夫にとって重要な価値観を身に着ける機会なのです。子どもたちには私たちよりもより良い人間になってほしいのです。」と、カジール村出身の3人の子どもの母親でワディ小学校に隣接した幼稚園に勤務しているノガ・シトリット氏は語った。

一方、アラブ系の親たちも、子どもたちをここに通わせることで、アラブ系イスラエル人にもユダヤ人と同様にイスラエル社会で立身出世する機会が与えられるようになるのではないかという漠然とした期待を抱いている。「ここ(ワディ小学校)は最高の学校です!」と地元カフル・カラ在住のクファール・カラ氏は語った。

記者が取材に訪問した際、2年生の生徒たちは、故ネルソン・マンデラ元南アフリカ共和国大統領への敬意を込めて、同氏が残した「教育は、世界を変えるために私たちが使える最強の武器だ。」という言葉について学習していた。以下に授業でのやりとりを紹介する。

まず一人の教師が「人間は、肌の色、言葉、性別、ユダヤ人かアラブ人かというアイデンティティで人を差別します。」とヘブライ語で語りかけた。

すると「マンデラ氏はこの点について、『私たちは違っている。しかし平等だ。』と言っているのです。」と別の教師がアラビア語で割って入った。さらにこの教師はマンデラ氏と米公民権運動の指導者マーチン・ルーサー・キング・ジュニア牧師を混同しつつ「彼には夢がありました。それはどんな夢でしょう?」と生徒に尋ねた。

するとある生徒が「平和な世の中になることです。」と答えた。またある生徒は、「戦争を止めることです。」と答えた。アラブ人とユダヤ人からなるクラスの生徒たちは、まさに親たちの抱いている夢と同じ夢を見ているのだ。

さらに教師が「ユダヤ人とアラブ人は……」と問いかけると、生徒たちが声をそろえて「違っている!」と答える。すると教師がすかさず「違っている。でも平等」と訂正していた。

「私たちは平和の糸が、子どもたちの人生という布地に紡がれていくように、学校の授業を通じて、子どもたちにこうした教育的価値観を教え込んでいます。今では、子どもたちは、(従来の固定観念に縛られない)新たな考え方を意識するようになっており、時にはこのことで困難な状況に巻き込まれることもありますが、勇気を振り絞って自らの主張を述べています。」と副校長のマーシャ・クラスニツキ―氏は語った。

ワディ小学校では、先生たちの指導の下、アラブ系及びユダヤ人の子ども達が、遊びを通じて、お互いの祝祭日について楽しく学んでいる。

しかし「ホロコースト記念日」や「戦没者記念日」といったユダヤ国家として全国的な追悼記念日になると、昔からの対立感情が頭をもたげてくるのが現実である。例えば1948年のイスラエル建国は、パレスチナ側から見ると、民族にとってのナクバ(大災厄)と呼ばれているものにほかならなかった。ワディ小学校では、先生らが生徒たちに、こうした歴史的出来事の記憶に煩わされない共通の経験を持たせようと努力している。

「ここは、イスラエル社会のための実験室に他なりません。私たちはイスラエルが60年以上に亘って取り組んできた諸問題への回答を提供しようとしているのです。少しずつですが、私たちは、ここイスラエルで、ユダヤ人とアラブ人が各々のアイデンティティを明らかにしても恐れることなく過ごしていけるビジョンに一歩ずつ近づきつつあります。」とアグバリア校長は語った。

ちなみに子どもたちの間で日常話されている言語は、圧倒的にヘブライ語である。アラビア語も建前上はヘブライ語と並んで第一公用語とされ、学校では教科書にも両言語が使用され学習の対象となっているが、実際には日常生活のあらゆる面において、ヘブライ語が圧倒的に優越し、アラビア語では生活できないようになっている。また一旦学校を離れれば、アラビア語は敵性言語として捉えられていることが少なくないのが今日のイスラエルの現状である。

暫くすると突然雨が降ってきたため、生徒たちは校庭の隅の小さな軒下に駆け寄り、互いに身を寄せ合った。こうして仲良く遊ぶ子ども達の姿は一様に同じで、そこにユダヤ人とアラブ人の違いを見出すことはできなかった。今年で、2民族・2言語学校「ワディ小学校」が設立されて10年が経過した。(学校をとりまく厳しい社会環境を考えれば)それだけでも祝福するに値するのではないだろうか。(原文へ

翻訳=IPS Japan

関連記事:

|日本-中東|中東和平に手を差し伸べる小さな街の試み

|イスラエル-パレスチナ|和平が遠のく中で平和の灯を守る人々

|中東|アラブ人であることとイスラエル市民であること

トウモロコシより麻薬を栽培するメキシコの小農

【メキシコシティIPS=エミリオ・ゴドイ】

北米自由貿易協定NAFTA)が20年の節目を迎える中、メキシコでは、最重要農産品であるトウモロコシの価格低下のために、マリファナやケシの実栽培に乗り換える農家が続々と出てきている。

1994年1月にカナダ、米国、メキシコの間でNAFTAが発効して以来、トウモロコシやその他の農産品の価格は下落して小農の収入に打撃を与えた。彼らは麻薬密輸マフィアの餌食となった。

「貧農がいて、価格が下がり、生産性が低いところでこうしたことが起こっています。彼らは、麻薬密輸グループに金融や借地を依存するしかないのです。」と語るのは、メキシコ北部チワワ州の「農民民主主義戦線」アドバイザーであるビクトル・キンタナ氏だ。

キンタナ氏はIPSの取材に対して、チワワ州と近接するソノラ州の先住民ピマ族の問題について語った。同氏によれば、彼らは、需要の高い米国市場への流通ルートをめぐって暴力沙汰を繰り返している麻薬密輸カルテルに対して、原料提供者になってしまったという。

「ピマ族の間に麻薬栽培は広がるプロセスは1980年代に始まりましたが、2006年以来、シナロアフアレスの両麻薬カルテルが浸透してきてからさらに広がりました。」と、国境地域をめぐる2つの麻薬マフィアの対立について語った。

トウモロコシはメキシコではとくに象徴的な存在であり、その起源を示すものとみなされている。現在59の原種に209の派生種があり、メキシコ国民の食糧事情にとって不可欠の要素である。

農務省と生産者組合によると、メキシコは毎年2200万トンのトウモロコシを産出しているが、需要を満たすためにさらに1000万トンの輸入を行っているという。

約300万の農家が約800万ヘクタールでトウモロコシを栽培している。そのうち3分の2は、農家の消費だけの目的で栽培されている。

ニューヨーク大学政治学部の研究者オマール・ガルシア・ポンセ氏はIPSの取材に対して、「トウモロコシ栽培地の自治体(州の下部組織)の経済悪化は、麻薬栽培と強く関連しています。」と語った。

ポンセ氏の見方では、トウモロコシ栽培による収入減少は、メキシコが世界有数のマリファナ、ケシ栽培の国になってしまった原因であるという。

ニューヨーク大学のガルシア・ポンセ、オインドリラ・ドゥーブ、ケビン・トムの3氏は2013年8月、『トウモロコシ(maize)から意識の混濁(haze)へ:農業への衝撃とメキシコ麻薬セクターの成長』と題する研究報告書を出した。トウモロコシ価格の低下が、トウモロコシ栽培にもっとも気候的に適した地域での違法作物の栽培を増加させている、としている。

著者らは、2200以上の地域に関して、1990~2010年の生産、農業雇用、収入のデータを分析した。また、トウモロコシ価格の麻薬栽培に与える影響を測定し、拡大し続ける麻薬セクターの暴力的な結果について指摘した。

調査では、NAFTAがトウモロコシ貿易の自由化を余儀なくさせ、輸入割り当てを拡大して関税を押し下げると同時に、メキシコにおけるトウモロコシ価格の急落を招いた、としている。

トウモロコシ価格は1990年から2005年までの間に59%下落し、農家の収入は25%減少した。

と同時に、トウモロコシ栽培に適した地域での麻薬関連の殺人は平均で62%増えたと報告書は指摘している。

2007年に始まった世界食料価格危機の結果、2008年までにトウモロコシ価格は8%上昇し、トウモロコシ栽培に適した地域での麻薬関連殺人は12%減った。

この期間、トウモロコシ非栽培地域と比較して、麻薬押収量は16%増え、麻薬関連作物を根絶した農地の面積も8%増加した。

メキシコ原産トウモロコシの生産は、遺伝子組み換えトウモロコシの商業的生産の認可という脅威によって危機にさらされている。

「(低下する)トウモロコシ価格は、メキシコにおける麻薬貿易の急拡大につながっている」と調査報告は指摘している。この調査は、メキシコにおける麻薬密輸の拡大において農村の収入激減が果たす役割について指摘した初めてのものである。

調査では、代替作物の存在するシナロア、ゲレーロ、ミチョアカン、チアパス、オアハカ、タマウリタス、ユカタン、カンペチェの各州について検討している。麻薬作物の根絶は、シエラマドレ山脈の西側・南側と、近接する沿岸地域に集中している。

防衛省(SEDENA)の統計によると、マリファナを根絶した農地の面積は1990年の5400ヘクタールから2003年には3万4000ヘクタールに増えた。しかしその後は減少に転じ、2010年の数値は1万7900万ヘクタールであった。

保守的なフェリペ・カルデロン大統領の6年に亘った任期(2006年12月から2012年11月)の間、国軍が9万8354ヘクタールの麻薬栽培地を破壊した。また、エンリケ・ペニャ・ニエト大統領の任期1年目にあたる2013年には、5096ヘクタールが破壊された。

ケシ栽培の根絶は1990年の5950ヘクタールに始まり、2005年には2万200ヘクタールに増え、2010年に1万5331ヘクタールに減った。2006年12月から2012年11月の間に、国軍が8万6428ヘクタールを破壊した。

2013年には、1万4419ヘクタールが根絶された。

違法作物の話題はトウモロコシ栽培地帯ではタブーになっている。農家が畑で密かに麻薬を栽培しているとのうわさは広がっているが、誰も自分が関係あると正面切って認めようとはしない。

「ある生産者が麻薬を栽培していると聞くことはあるが、人びとは恐れをなしてそのことを口にしようとしない」とハリスコゲレーロ両州の農民たちは、匿名を条件にIPSの取材に応じて語った。

2011年以来、メキシコのメディアと司法省は、少なくとも2人の小農が中部プエブラ・ゲレーロ両州で麻薬を栽培したとして逮捕されたと発表している。

ペニャ・ニエト大統領は、260億ドルの予算と、2014年に農村地帯で「大規模な改革」を行うと発表している。しかし、これらの措置が小農の状況を変えるかどうかについて専門家は懐疑的だ。

「もし政府が一部の州に集中し、資源分配の構造を変えないならば、農村地帯の状況、とりわけ麻薬栽培をめぐる状況に変わりはないだろう」とキンタナ氏は語った。

他方で、「もし遊休地が耕作され、生産性が上がり、貧しい先住民の小農に技術支援がなされるならば、問題は解決に向かうかもしれない。」とキンタナ氏は語った。同氏は、NAFTAによる対農村生産支援解体の影響を減ずるために、トウモロコシの最低保証価格を主唱している。

ガルシア・ポンセ氏は、「もっとも脆弱な農民の支援にさらに力を入れること」を提案している。「農村の状況と、違法作物の栽培へと農民の目を向けさせるインセンティブの問題は、公的政策によって無視されている」。

また先述の研究は、トウモロコシ価格の低落によって、麻薬カルテルがある地方に登場する可能性が5%上昇している、と結論づけている。(原文へ

翻訳=IPS Japan

関連記事:

|米国|国境を要塞化しても最終解決策にはならない

|メキシコ|NAFTA実行がいよいよ最終段階へ突入

|カナダ|NAFTAのせいで水を失うカナダ

|UAE|メイク・ア・ウィッシュ財団が白血病の苦しむ少女の夢を叶える

【アブダビWAM】

パキスタンのサラ・イムランちゃん(7歳)は、アラブ首長国連邦(UAE)のメイク・ア・ウィッシュ財団の計らいで、一日お姫様になりたいという夢が叶えられることになった。

アブダビ・グランドカナルにあるリッツ・カールトンホテルに到着したサラ姫は、多くの学生やホテル従業員の温かい歓迎を受けた。

THE RITZ-CARLTON ABU DHABI, GRAND CANAL
THE RITZ-CARLTON ABU DHABI, GRAND CANAL

サラちゃんは白血病を患っており、現在アル・アインのタワン病院で治療を受けている。今回の計らいに対してサラちゃんの母親は、メイク・ア・ウィッシュ財団に感謝の気持ちを伝えた。

同財団は、命に係わる病状で苦しんでいる子供たちに希望と元気と喜びに溢れた人間らしい経験を深めてもらおうと、子どもたちの夢を叶える活動を展開している。(原文へ

翻訳=IPS Japan

関連記事:

馬の持つ癒しの力を身体障害者支援に

|カナダ|先住民族にとって暗い、初代首相の遺産

【トロントIPS=ポール・ワインバーグ】

カナダの保守政権が先住民族との関係において直面している難題の多くが、カナダ建国の父とされるジョン・A・マクドナルド卿・初代首相の生誕200周年(1月11日)に予定されているイベントにおいて前面に出てくることになるかもしれない。

無党派・非営利の「生誕200周年記念委員会」(カナダ政府が100万ドル、民間ドナーから30万ドルの寄付によって成り立っている)が組織するイベントでは、教養のある政治家で演説の名手、ユーモアの提供者であり、ばらばらだった英領北米植民地を1867年に北米大陸を跨る「カナダ連邦自治領」へと最終的に作り上げた政治家としてのマクドナルド卿の足跡に重点が置かれることになっている。

cropped image of John A. Macdonald, Prime Minister of Canada, ca. 1875 by George Lancefield
cropped image of John A. Macdonald, Prime Minister of Canada, ca. 1875 by George Lancefield

同記念委員会のアーサー・ミルンズ広報官は、「マクドナルド卿が下した判断や個人の人格(例えば、彼はよくアルコール依存症の人物として語られ、冗談の種にもなっている)について「取繕う」つもりはありません。」と指摘したうえで、「自国の歴史に疎いとされるカナダ国民が、建国の父について語り合う契機にしたいと考えています。」と語った。

またミルンズ広報官は、「いくつかの点で、私たちはマクドナルド卿が先住民族を対象に行った政策の後遺症と未だに取り組んでいる」ことを認めた。

しかしミルンズ氏は、スティーブン・ハーパー政権がマクドナルド卿生誕200周年に際して打ち出そうとしている、同氏に関する政府解釈についてはコメントを避けた。

今日、カナダ西部のファースト・ネーションズ(カナダの先住民族のうち、イヌイットもしくはメティス以外の民族)の部族の一部が、オイルサンドエネルギー計画とパイプラインの建設に反対している。ハーパー政権が、英国王(ジョージ3世)名で出された「1763年宣言」に始まる条約の下で憲法上必要とされている先住民族との協議と和解の手続きを怠ったのが原因だった。

またハーパー政権は、マクドナルド卿が(先住民の「野蛮さ」を矯正するためとして)キリスト教会が運営する寄宿学校を設置した1876年から、それが公式に閉鎖された1996年までの間に、強制的に通わされた約10万人の先住民族の子どもが蒙った身体的・性的暴力の確実な事例に関する完全な文書を、裁判所が主導する調査委員会に提供することを拒否している。

歴史家のジェイムズ・ダシューク氏は、今日のカナダにおいて先住民の人びとが直面している諸問題(貧困、高い肥満率、乏しい栄養、短い平均余命、守られない条約、とりわけカナダ北西部に関する1876年の諸条約)は、マクドナルド政権にまでさかのぼることができると主張している。1867年から1891年の期間の大部分、マクドナルド卿が首相(第1代及び第3代)と先住民問題相(Minister of Indian Affairs)を兼任していた。

ダシューク氏は、新しい学術書『平原を浄化するー疾病、飢餓政策と先住民人口の喪失』の著者である。同書は、1600年代のヨーロッパ人との最初の接触に始まって、一部の先住民部族の絶滅につながった、カナダ北西部における天然痘、インフルエンザ、結核などの感染症の拡大について記述している。

Pupils at en:Carlisle Indian Industrial School, en:Pennsylvania (c. 1900). Source: Frontier Forts/ Public Domain
Pupils at en:Carlisle Indian Industrial School, en:Pennsylvania (c. 1900). Source: Frontier Forts/ Public Domain

「マクドナルド首相が先住民族に対して行った『飢餓政策』に注目すべきとしたダシューク氏の呼びかけは、従来政治的にタブーとされてきた領域に踏み込んだものです。」と匿名を希望したダシューク氏の別の同僚が指摘した。カナダ政府は1876年の諸条約により、先住民に対して飢饉の際には食料供給を保証するとしていたにもかかわらず、マクドナルド首相は、レジャイナから西部平原との境界に接するアルバータに到る地域で、(先住民が衣食住の柱としていたバッファローの消滅に伴い)困窮し栄養不良に苦しむ先住民に対して配給をあえて差し止める決定を下した。これは、先住民らを伝統的な土地から特定の保留地へと追い出し、そのあとに白人による植民と、国土を横断するカナダ太平洋鉄道の建設に道筋をつけることが目的だった。

「マクドナルド卿が国を建設したことは否定しえませんが、彼のようなやり方で国を作ったことの付随的被害は、カナダの先住民族との関係における遺産だと言えるのです。」とダシューク氏は語った。

ダシューク氏は、カナダの歴史のあまり知られていない側面を調べるという困難な取り組みを行わず、「理論」と「脱構築」にばかり注目している「自己言及的」な自らの歴史学界のあり方についても、容赦ない批判を浴びせている。

「私たちはカナダ国民として、国家が私たちに代わって何をしたのかということに関するこの種の議論を行ってきていません。カナダ国民は自らの歴史について、とりわけ歴史の醜悪な部分について知らないのです。」と、レジャイナ大学准教授のダシューク氏は語った。

マクドナルド卿は、首相として多くの任務を背負っていたにも関わらず、なぜ先住民族問題にもわざわざ取り組んだのだろうか。当時彼が直面していた問題はとりわけ、カナダ太平洋鉄道敷設に関する収賄疑惑や、英語圏でプロテスタント系のオンタリオと仏語圏でカトリック系のケベックに分断されていながら、依然として大英帝国との関連を持っていたこの新しい国を統合しつづけるという課題であった。

さらに彼の軍隊は、メティ(様々な先住民族とヨーロッパ人の混血)が、政府が土地提供の約束を順守しなかったとして北西部で起こした2回の蜂起(レッドリヴァーの反乱、ノースウェストの反乱)を鎮圧した。この問題は、マニトバ州のメティ側の主張の一部を認め当時の政府側の問題点を指摘した2013年のカナダ最高裁判決のテーマである。

 Métis and First Nations prisoners following the North-West Rebellion, August, 1885. / Public Domain
Métis and First Nations prisoners following the North-West Rebellion, August, 1885. / Public Domain

レジャイナにあるファースト・ネーションズ大学の歴史家で、サスカチュワン州の「マスコウペタン・ソールトゥー・ファースト・ネーションズ」のメンバーでもあるブレア・ストーンチャイルド氏は、「伝統的な先住民の文化を、寄宿学校を通じて消去していったマクドナルド卿の政策は、『文化的大虐殺(Cultural Genocide)』に等しいものでした。」と指摘したうえで、「しかし、(先住民とはじめとする有色人種に対する)白色人種の優越という社会ダーウィニズム的な発想が広く共有されていた19世紀のカナダあるいは世界という文脈から、マクドナルド卿だけを取り出して(現在の価値観を適用して)考えることは適切ではありません。」と語った。

またストーンチャイルド氏は、「明らかに、(マクドナルド卿は)カナダの創始者であり、物事に熱心に取り組む献身的な人物でした。これらは彼の優れた点でした。しかし、彼もまた時代の申し子であり、先住民のことを白人と平等あるいは先進的な存在だとはみなしていませんでした。それどころか、基本的に同化が必要な劣った存在だと捉えていたのです。」と指摘したうえで、「カナダ大平原における先住民人口の縮小(1880年代にはわずか2万人になっていた)は、弱い民族は消える運命にあるという当時の人種主義的な理論に合致しているようにも見えます。」と語った。

ライアソン大学教授で歴史家のパトリス・ドゥティル氏は、現在新作の著書のためにマクドナルド卿に関する学術論文を集めている。ドゥティル氏は、「カナダの初代首相に関して『明瞭な結論』を導くことには気が進みません。」と語った。

ドゥティル氏の説明によれば、マクドナルド卿は、政府が市民のための政策をほとんど実施せず、一方で政治家が道路や運河、鉄道、港湾などの建設に力の大半を傾けていた19世紀の野蛮な「レッセフェール(自由放任主義)」の時代を駆け抜けた人物であるという。

「労働者は悲惨な条件で働き、女性は殴られ、孤児は搾取され、先住民族は飢餓に追い込まれ、労働者は死ぬまで働かされ、カトリック教徒はしばしば貶され、ユダヤ教徒は非難された。それが当時の『カナダ』という国の現実でした。」とドゥティル氏は語った。

一方でドゥティル氏は、「カナダ政府の先住民族に対する扱いについて問題があったことは否めません。しかしカナダ政府は、米国と同様に領土を北米大陸の西方に拡大していきましたが、戦争を通じて先住民を「殲滅(せんめつ)」しようとした米国政府ほどの極端な政策(エイブラハム・リンカーン大統領が推進したミネソタ州のスー族皆殺し政策等)はとりませんでした。」と指摘した。

This painting shows "Manifest Destiny" (the belief that the United States should expand from the Atlantic to the Pacific Ocean). This popular scene of people moving west captured the view of Americans at the time. Called "Spirit of the Frontier" and widely distributed as an engraving portrayed settlers moving west, guided and protected by Columbia (who represents America and is dressed in a Roman toga to represent classical republicanism) and aided by technology (railways, telegraph), driving Native Americans and bison into obscurity. The technology shown in the picture is used to represent the outburst of innovation and invention of modern technology. It is also important to note that Columbia is bringing the "light" as witnessed on the eastern side of the paintings she travels towards the "darkened" west./ Public Domain
This painting shows “Manifest Destiny” (the belief that the United States should expand from the Atlantic to the Pacific Ocean)./ Public Domain

さらに、カルガリー大学名誉教授で先住民族の歴史が専門のドナルド・スミス氏は、「マクドナルド卿についていかなる結論を下す前に、彼が行った対先住民政策の全容を解明する歴史家によるさらなる研究が必要です。」と語った。

例えばマクドナルド卿は、カナダ東部において資産を保有する先住民の成人男子に対して、条約上の地位を失わせることなく連邦選挙への参政権を与えることに賛成していたという。

「このトピックは極めて難しいものです。なぜなら、(1867年前後の)カナダ西部だけではなく、中部および東部におけるマクドナルド卿の対先住民政策の検討が必要とされるからです。現在の価値基準ではなく、マクドナルド卿が生きた時代の基準で判断すれば、彼は複雑だが比較的寛容な人物として浮かび上がってくるのです。」

ところで、カナダにおける先住民の人びと、あるいは保留地に居住しているいわゆる「条約認定インディアン」は、1960年まで参政権を持った完全なカナダ市民とはならなかった。

ジェイムズ・ダシューク氏は、「マクドナルド卿生誕200周年や、カナダの米英戦争(1812年)や第一次世界大戦(1914年~18年)への関与についての来たる記念日に際して、ハーパー政権が『好戦愛国的』で『自民族中心的』な解釈をいかにして押し出そうとしているのか、ということがおそらく問題になるでしょう。」と指摘した。

ハーパー首相自身は、1月11日のマクドナルド卿の199回目の誕生日に際して、彼の功績を公式ウェブサイトに挙げている。「カナダ太平洋鉄道の完成、北西騎馬警察の創設(のちに王立カナダ騎馬警察)、(メティによる)ノースウェストの反乱の鎮圧」がその内容で、その背景にあったカナダ先住民やメティの悲劇的な裏の歴史については言及していない。

民族の語りを研究しているクィーンズ大学の歴史家ブライアン・オズボーン氏は、現首相はカナダの創始者に「保守的な」顔を与えようとしている、と見ている。「ハーパー首相は、ジョンAマクドナルド卿に関して党派的な政治的見方をとっています。なぜなら、マクドナルド卿は(ハーバー現首相と同じ)保守党の党首でもあったからです。」とオズボーン氏は語った。(原文へ

翻訳=INPS Japan

関連記事:

カナダの先住民、寄宿学校での虐待への補償として17億ドル受け取りへ

「我々はみな母なる大地に根差している、ただそれを忘れているだけだ」

|オーストラリア|危機にひんする先住民族の言語

|UAE|「徴兵制導入は国のアイデンティティー強化につながるだろう」と地元紙

0

【アブダビWAM】

「アラブ首長国連邦(UAE)政府が1月20日に決定した従来の志願制に代わる徴兵制(男子は義務的、女性は選択式)の導入は、軍事力の強化はもとより、今後幅広い恩恵を祖国にもたらすであろう。」とアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙が報じた。

ドバイに本拠を置く「ガルフ・ニュース」紙は、「兵役を通じて国のアイデンティティーを強化する」と題した論説の中で、「今回の決定がもたらす直接的な利益は、全てのUAE国籍の青年が栄誉と誇りを持って国に奉仕する方法を学べることである。徴兵制の導入で国家や指導者に対する忠誠心や国軍という献身的な公務への帰属意識が増すことになるだろう。」と報じた。


同紙はまた、「国家への奉仕は、愛国心と国のアイデンティティーを強固にする。軍はUAE全体に責任を負う連邦組織であり、兵士は連邦を構成する全ての首長国(アブダビ・ドバイ・シャルージャ・アジュマン・ウンム・アル=カイワイン・フジャイラ・ラアス・アル=ハイマ)から徴兵される。つまり、UAEの若者は軍隊生活で全国の同世代の若者と寝食を共にすることによって、家族や各々の首長国内の人間関係とは異なる友情を育む機会を得ることになる。」

「さらに、UAEは兵役を終了し者たち及び軍役終了の軍人で新たに予備役軍(NDRF)を編成することになった。予備役軍の存在はUAEの安全保障にとって重要な位置を占めることになるだろう。」と同紙は報じた。


アブダビに本拠を置く「ナショナル」紙は、「UAE男子を対象にした兵役は利益と課題をもたらす」と題した論説の中で、「18歳以上か高校卒業で30歳未満の男子に兵役(高卒者は9カ月、その他の者は2年間)の義務を課した政府決定は、自国の若者に国家への奉仕義務を課している多くの国々の先例に習ったものである。徴兵制の導入で、UAEの若者は外国からのいかなる攻撃に対しても国家の独立と主権を守るために戦う準備ができるようになるだろう。そして、こうした訓練を通じて、UAEの若者は国家の一体感や安全保障意識を高めることになるだろう。」と報じた。


シャリジャに本拠を置く「ガルフ・トゥデイ」紙は、「国への奉仕に勝る奉仕はない」と題した論説の中で、「UAEは、またも正しい方向に一歩を踏み出した。(徴兵制導入の判断は)心躍らせる若者の力で国を勇躍前進させる、崇高な一歩である。これは既に愛国心に溢れる国民の追い風となるものであり、その象徴として国旗も新たな意味合いを持つことになるだろう。つまりUAEの三色旗(赤・白・緑の汎アラブ色を使用し、アラブ民族の統合を象徴している。その上で、緑は土地の肥沃さ、白は無垢な生活、黒は戦争を表している:IPSJ)は、揺るぎない夢と大志を抱いたこの大地の息子や娘たちの手によって紡がれていくのである。」と報じた。

「徴兵制導入の決定は、若者に強い責任感を教え込むとともに、愛国的な価値観を尊重するために兵士になることの大切さを、感受性の強い彼らの心に浸透させることだろう。若者たちは制服を身に着けて初めてそれを実感するだろう。そしてついにその時が来たのである。」とナショナル紙は報じた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

関連記事:

西側諸国の主要な武器売却先、アラブ首長国連邦

|イラン|ロウハニ師は湾岸諸国との関係修復をする必要がある

アラブ首長国連邦:自国民の雇用優先に着手

国境を消す教育ネットワーク

【マラガ(スペイン)IPS=イネス・ベニテス】

スペインのカナリア諸島や西アフリカのセネガル、アルジェリア西部ティンドゥーフ近郊のサハラ難民キャンプなどの生徒数百人が、”Red Educativa Sin Fronteras(RESF)”という団体の活動を通じて交流し、文化的障壁を互いに取り除いている。

ERSFは訳すと「国境なき教育ネットワーク」となる。この団体では、生徒や教員、保護者らが協力し合って大西洋によって隔てられたこうした国々の教室同士を橋渡しする活動を行っている。

「はじめまして。私の名前はアンヘルです。グラン・カナリア島南部モーガン市の学校に通っている13歳さ。セネガルの学生と会ってみたい。」と同校で文学を教えているアイヴァンホー・ヘルナンデス先生が撮影したビデオに映った少年が語った。

Map of Canary Islands and Senegal
Map of Canary Islands and Senegal

ヘルナンデス先生の学校では、生徒たちが、セネガル北西部ルーガでスペイン語を教えているムバケ・グエイェ先生の生徒たちと、電子メールや手紙による交流機会を設けている。

「国境なき教育ネットワーク」は、西アフリカのセネガル、西サハラ、ガボン、カリブ地域のハイチ、北アフリカ大西洋沖のスペイン領カナリア諸島の学校の教師、生徒たちの両親、生徒らが参加している。

「『国境なき教育ネットワーク』は、セネガルとカナリア諸島を基盤とする『人間の架け橋(Puente Humano)』という団体が2004年に設立した教育ネットワークで、『人々の間に存在する無知の壁』を日々の活動を通じて取り壊していくことを目的としています。」とルーガでスペイン語を教えているアマンドゥ・バー氏はIPSの取材に対して語った。

「私たち(大西洋の)両岸の教師が知恵を出し合って、地球市民を育成していけるような文化・教育交流を提案しています。」と「人間の架け橋」のメンバーでラテン語・ギリシャ語教師であるラファエル・ブランコ氏(33歳)はIPSの取材に対して語った。ブランコ氏はカナリア諸島「国境なき教育ネットワーク」のコーディネーターを務めており、現在セネガルを訪問している。

2004年から教師をしているバー氏は、「アフリカとスペインの生徒たちは、移民、家庭生活、環境といった事前に準備された特定のテーマについて、話し合っています。」と語った。

「例えば、環境保護の必要性について、(教師からよりも)同じ年齢のスペインの生徒達から聞いた方がうちの生徒たちは関心を持って耳を傾けます。」とセネガルの「国境なき教育ネットワーク」参加校をコーディネートしているアーティレリー北校で教諭をつとめるバー氏は語った。

Red Educativa Sin Fronteras
Red Educativa Sin Fronteras

この交流プログラムに参加している生徒らは12歳~16歳。各参加校では、レポート、絵画、相手からの質問に対する回答と相手への質問、ビデオや写真映像などを用意し、それらを電子メールや郵便を通じてやりとりしている。また直接のコミュニケーションについては、双方の学校にインターネットに接続できる携帯電話を用意してビデオ会議或いは音声会議を開催している。

ブランコ氏は、「セネガルの参加校の中にはインターネット環境がなく、停電も頻繁におきる地域に位置しているところもあるため、郵便に大幅に頼らざるを得ないことも少なくありません。」と語った。

『人間の架け橋(Puente Humano)』では、セネガルのルーガ市で「国境なき教育ネットワーク」に参加している学校へのインターネット導入費用を負担している。

現在、セネガルの13校・約650人がスペイン・カナリア諸島の生徒・教員らと交流している。

また、カナリア諸島側では720人の生徒が参加し、アルジェリアのアルジェから南西1465キロに位置するディンドゥーフの難民キャンプ(西サハラからの難民約25万人)からは3校が参加している。

またハイチでは南東部のアンス=ア=ピトルの学校が2012年に参加していたが、13年は技術的理由から参加を取りやめている。

『人間の架け橋(Puente Humano)』のウェブサイトには、「私たちの目的は、コミュニケーションで真の協力関係を拡大していくことです。」と記されている。

ブランコ氏は、2013年3月に亡くなったセネガルの教師・作家のマドウ・ンデイェが残した「国際協力や開発援助に使われたお金が互いに知り合い意思疎通を促すために使われていたら、私たちはもっと進歩していただろう。」という言葉を言い換えて、「知らないものと協力することは出来ません。」と語った。

「(セネガルの)生徒たちは『国境なき教育ネットワーク』に参加して以来、カナリア諸島の生徒たちに見せようと、ここルーガにおける日常生活を積極的に写真やビデオに記録するようになりました。つまり、セネガル人にも外国人に示せる豊かな価値観や風習があるのです。」と言うバー氏は、NGOによる開発援助プロジェクトは、「支援を施すという側面だけでなく、(被援助地域からも)何かを学べるという概念に基づくべき。」と考えている。

RESF
RESF

またバー氏は、「欧州のビジネスコミュニティーはアフリカ人とのコミュニケーションに関心がないので、アフリカから欧州に発信される情報は貿易関連のものばかりです。」と現状を嘆いた。

「国境なき教育ネットワーク」に参加している学校の教師らは、生徒たちの日々の学習の中に海外の生徒との交流を組み込んでいる。例えば、カナリア諸島テネリフェの数学教師は、スペインとセネガルの生活費や生活必需品の値段を比較した「不平等の統計」を分析するよう生徒に勧めている。

「私たちが生徒達と共に成し遂げた最大の成果は意識を高めたことです。」とルーガ市を訪問中に地元ラジオ「イラディア・ラジオ・プラットフォーム」のインタビュー取材に応じたラ・ゴメラ島(カナリア諸島)マリオ・レーメット校のクリストバル・メンドーサ氏は語った。

2010年から2011年に亘る学年度では、「国境なき教育ネットワーク」の調整作業は、アフリカへの教育協力プロジェクトが実施している「Red Canaria de Escuelas Solidarias(連帯するカナリア教育ネットワーク)」に組み入れられる形で実施された。

「国境なき教育ネットワーク」のブログには、様々な学校の先生たちによる研究課題や活動、経験が掲載されている。ブランコ先生とテネリフェ市にある公立学校カバレラ・ピントの生徒たちは、古典文化の授業の中で、スペインと西アフリカの神話/伝説について調べた。

「国境なき教育ネットワーク」による南北教育協力を高く評価しているウルグアイの著名な作家エドゥアルド・ガレアノ氏は、このネットワークを支持するメッセージの中で、「ネットワークの中には人々を結びつけるものがあります。人々を繋ぐこのようなネットワークを築いていくことを決してあきらめてはなりません。」と語った。

E.Galeano
E.Galeano

ガレアノ氏は、「国境なき教育ネットワーク」の試みが、価値を育み、協力に新たな技術を適用し、教育課題やコースを豊かなものにし、異なる文化や現実に関する知識を身に付けさせている点を強調した。

「彼らはセネガルに住んでいるが、あなたたちと同じように悩みや恐れ、感情、目標を持って生きているのです。」こうして共に教育を受け学んでいくことで、おのずと偏見や人種差別を克服できるようになるのです。」とスペイン本土のマラガ出身のアイヴァンホー・ヘルナンデス先生は、カナリア諸島の生徒たちに語った。

1年休暇をとって現在はセネガル側の教育ネットワーク運営の手伝いをしているブランコ先生は、現地から参加したビデオ会議の中で、「私たちはテレビに依存することなく、コミュニケーションツールと技術、そして人々がコミュニケーションをとり共有できる言語を駆使して、直接的に知識の文化の創出しているのです。」と語った。

また「国境なき教育ネットワーク」では、通信手段を駆使した交流だけではなく、セネガルとカナリア諸島の生徒や先生たちが、実際に互いの学校を訪問し合い、ホームステイし、現地の文化に親しむフェイス・トゥ・フェイスの交流も行っている。

スペイン政府が開発援助の予算をカットする中、「国境なき教育ネットワーク」に参加する生徒数は増えている。ブランコ先生は、「このプロジェクトは決して急がず、規模からいえば『わずか数滴の水を垂らす』に過ぎないものかも知れないが、『それでも大変意味がある』

試みだと確信しています。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

関連記事:

│セネガル│もっと簡単に手を洗う

過去の残虐行為の歴史を政治利用してはならない(トーマス・ハマーベルグ)

人権教育を推進するHRE2020

|中東|「オランダ企業の決定はイスラエルの政策への抗議を示した」とUAE紙

【アブダビWAM】

「オランダの資産運用会社PGGMが、パレスチナ占領地域のユダヤ人入植地との取引を継続しているとして、5つのイスラエルの銀行から資本を引き揚げる決断を下したことは、称賛に価する。」とアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙が報じた。

この大手年金ファンドによる決定が下される1か月前、オランダでは大手水道会社であるヴィテンズ社が、パレスチナ占領地区で国際法に違反する活動を行っているとして、イスラエルのメコロット社との協力関係を解消したばかりであった。

「こうした相次ぐ措置は、イスラエル政府がパレスチナ問題に関して2国間解決案に沿った実質的な交渉を拒否し続けていることに対して、国際的に反感が強まっている現状を反映したものである。」とドバイに本拠を置くガルフ・ニュース紙が、1月11日付の論説の中で報じた。

ベンヤミン・ネタニヤフ政権は、パレスチナの土地の大半を占めているユダヤ人による不法入植地の解体撤去を始めるどころか、引き続き入植地の建設を継続していく政策を推し進めている。

こうしたオランダ企業の決定は、イスラエルと、同国にとって最大の貿易パートナーである欧州連合(EU)との間で、緊張が高まる中で出てきた動きである。


「EUは、パレスチナで入植地を拡大し続けているイスラエル政府に対して批判を強めてきており、昨年7月にはヨルダン川西岸地区(ウエストバンク)で活動するイスラエルの機関・団体について、2014年以降、援助対象から正式に除外する方針を決定した。また、2005年にパレスチナの市民社会を代表する諸団体が創始したBDS運動が、イスラエルに国際法を順守させるためのボイコット(Boycott)、投資撤退(Divest)、制裁(Sanction)を世界の諸機関に呼びかけている。一方、パレスチナ自治政府のマフムード・アッバス大統領は、入植地へのボイコットは支持しているものの、現在のところイスラエルそのものに対するボイコットまでは支持していない。」

一方、和平問題交渉のイスラエル側担当者で(首相より)はるかに現実的なツィッピー・リヴニ法相は、「ボイコットは急速に拡散しておりユダヤ人入植地に留まらないだろう」と警告し、現在の外交の膠着状態を打開すべきだと示唆している。(原文へ

翻訳=IPS Japa

関連記事:

|中東|EUの対イスラエル制裁措置は米国への教訓

|中東|「パレスチナ人の強制退去を止めるべき」とUAE紙

平和と戦争の種を持つ教科書

|UAE|「公共交通機関の利用で資源節約を」と地元紙

【アブダビWAM】

地元英字日刊紙「ナショナル」は、アブダビ運輸局が推進している「パークアンドライド・イニシアチブ」を称賛して、「市民が公共交通機関を積極的に活用することで、貴重な天然資源を節約できる。」と報じた。

同紙は1月20日付の論説の中で「マイカー依存の現状を改革するには、市民の認識が変わらなければならない。」と報じた。アブダビ運輸局は1月16日、「マイカー利用を減らしできるだけ公共交通機関を利用しよう。そうすればアブダビの交通渋滞と公害はまもなく過去の遺物となるだろう」というスローガンとともに、「パークアンドライド・イニシアチブ」を開始した。

同紙が伝えたところによると、ザイード・スポーツ・シティにはアブダビ各地へとつながるシャトルバスの発着場があり、利用者は周辺に設けられた無料駐車場にマイカーを停めて利用できるという。

アブダビ運輸局は2008年に公共バスの運行を開始して以来、一貫して首都圏の路線網の拡大と運行バス台数の増強を図ってきた。「UAEでは国内輸送網の刷新が進められており、アブダビでも近い将来、高速鉄道、路面電車、地下鉄などマイカー以外の移動手段が充実する見込みだ。」と同紙は報じた。

「残念ながら、UAEでは公共交通機関を利用した方が安価で安全なうえに、駐車場を探し回る煩雑さからも解放されるというメリットがあるにも関わらず、依然としてマイカー文化が支配的なために、アブダビ市民も公共交通機関全般を避ける傾向にある。」とナショナル紙は報じた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

関連記事:

|輸送と環境|持続可能な交通政策を目指すアジア

|UAE|「アル・アイン事故は大型トラックの安全対策を促す警鐘とすべき」とUAE紙

|輸送と環境|紙と鉛筆があればできるエコ・プロジェクト(遠藤啓二)

2013年の米テレビ報道は世界のほとんどの場所を無視

【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

米国の外に住む人々が、米国民がしばしば海外の問題に疎いという疑問について答えを見出そうとするならば、3大テレビネットワーク(ABCCBSNBC)が2013年を通して何を報道していたかを見ることから始めたらいいかもしれない。

権威あるティンドール・レポートが発表した最新の報道年次報告によると、ほとんどの米国民にとって国内/国際ニュースの最も重要な情報源となっている3大ネットワークが2013年の間に取り扱ったイブニングニュースで首位を占めたのが、「シリア問題」「有名人に関する報道」であることが明らかになった。一方、世界の大半の地域で起こった出来事は、ほぼ無視されていた。

海外報道に関してみると、ラテンアメリカ、欧州の大半、サブサハラアフリカ、南アジア(アフガニスタンを除く)、東アジア(中国と米国の地域最重要同盟国日本が対立を深めているにも関わらず)は、ほとんど報道の対象になっていなかった。ティンドール・レポートは、1988年以来、3大ネットワークで平日に放映されるイブニングニュース(夜の30分ニュース番組のうち約22分)の内容を統計にして蓄積している。

同レポートによると、集計対象としている3大ネットワークの国内/国際ニュースの年間合計約15,000分のうち、「シリア紛争と米国の軍事介入の可能性」を論じた報道が519分(全体の3.5%)で、年間で最も報じられたトピックであった。これに、チェチェン生まれの兄弟が昨年4月に3人を殺害したボストンマラソン爆破テロ(432分)、「米連邦予算問題を巡る議論」(405分)、「医療保険制度改革(オバマケア)の欠陥を巡る議論」(338分)が続いた。

また他の国際ニュースとしては、12月のネルソン・マンデラ元南アフリカ共和国大統領の死去」(186分)、7月の「エジプトのムハンマド・モルシ大統領の追放とその直後」新ローマ教皇フランシス(157分:ただし、ベネディクト16世前法王の退位と大司教による新教皇選出に関する報道121分は含まない)、英王室にジョージ王子誕生(131分)が続いた。

一方、米軍が引き続き関与している「アフガニスタン情勢」に関する報道(121分)は、「英国の新王子」に関する報道時間より10分下回った

ティンドールの創設者で発行人のアンドリュー・ティンドール氏はIPSの取材に対して、「『ローマ法王の交代』、『マンデラ大統領の死』、『ジョージ王子の誕生』にこれほど報道時間が割かれているのは、米国のニュース報道においてセレブリティージャーナリズム(celebrity journalism)が台頭しているからです。例えば、義足をつけた南アの陸上選手で恋人を殺害したと疑われている2流の有名人オスカー・ピストリウス氏に関する報道(51分)が、マンデラ氏が死去する以前の11か月におけるサブサハラアフリカ全体の報道時間の合計を上回っているのもその証左に他なりません。」と語った。

ピュー・リサーチ・センター(米世論調査団体)が発表したピープル&ザ・プレスのための最新調査では、2013年には国民全体の約3分の2がテレビを国内/国際ニュースの主要情報源にしていたという。この人数は新聞を主要情報源としている人々の2倍以上であり、近年伸びてきているインターネットを主要情報源としている人々の数と比較しても約33%上回るものである。

3大ネットワークの平日のイブニングニュースの視聴者数は、約2100万人にのぼる。メディアウォッチャーによると、近年、フォックスニュースCNNMSNBCといったケーブルテレビチャンネルの報道が3大ネットワークの報道よりも注目を浴びることがしばしばあるが、視聴者数は3大ネットワークには依然として遥かに及ばないという。

ピュー・リサーチ・センタージャーナリズムプロジェクトの調査分析専門家であるエミリー・グスキン氏は、IPSの取材に対して、「2013年、3大ネットワークの平日のイブニングニュースの視聴者数は、3大ケーブルテレビネットワークがゴールデンタイムに放送した最高視聴率番組の視聴者数の4倍以上にのぼりました。」と語った。

近年の調査結果同様、3大ネットワークは2013年の間も天候、とりわけ異常気象とそれが引き起こす天災関連のトピックに多くの時間を割いている。ただし、これも例年通りの傾向だが、異常気象と気候変動の関連を追及する報道はほとんどなかった。

The 2013 tornado season was in the top six stories. Here, members of the Oklahoma National Guard's 63rd Civil Support Team conduct search and rescue operations in response to the May 20, 2013, EF-5 tornado that ripped through the centre of Moore, Oklahoma. Credit: National Guard/cc by 2.0
The 2013 tornado season was in the top six stories. Here, members of the Oklahoma National Guard’s 63rd Civil Support Team conduct search and rescue operations in response to the May 20, 2013, EF-5 tornado that ripped through the centre of Moore, Oklahoma. Credit: National Guard/cc by 2.0

また同レポートによると、「トルネードの季節」「厳しい冬の天候」「旱魃と西部諸州における森林火災」が、放送時間トップ6のうち3つを占めた。3大ネットワークは、「2012年に発生したハリケーン・サンディの影響」と含むこれら4つのトピックに、合計で年間報道時間全体の約6%にあたる900分近くを割いている。

ティンドール氏は「(米国の)テレビニュースジャーナリズムが抱える重大な欠陥は、異常気象に関する出来事が気候変動という包括的な概念と関連付けて伝えられていない点です。こうしたトピックが気候上の問題ではなくあくまでも気象上の問題として伝えられる限り、問題の性質が地球規模ではなく、国内或いは地域に限定した問題として扱われてしまうからです。」と指摘したうえで、「ただしフィリピンに甚大な被害を及ぼした台風30号(ハイヤン)(83分)は例外で、3大ネットワークが2013年中にアジア地域をカバーした最大のトピックでした。」と語った。

それとは対照的に、米国の多くの外交政策アナリストが2013年における最も憂慮すべき課題と指摘した東シナ海における日中間の緊張の高まり」(米国は日米安保条約に基づき日本の領土を軍事的に保護する義務を負っている)については、年間でわずか8分しか報道されなかった。

なお、他の2つの外交課題「北朝鮮と不安定な金正恩体制」(プロバスケット選手デニス・ロッドマン氏の訪朝を報じた10分を含む87分)、「イランのハッサン・ロウハニ氏の大統領選出と核開発疑惑を巡る交渉」(104分)については比較的多くの報道がなされ、とりわけ「イラン情勢」については、「英国王子の誕生」とほぼ同程度の注目が払われていた。

「リビア」(64分)についても比較的多くの時間が割かれていたが、報道内容を見ると2011年9月に起こった米国大使と3人の大使館員が殺害された事件の責任を巡る国内の議論に終始していた。「ナイジェリアのイスラム系反政府武装組織ボコ・ハラム」や「中央アフリカ共和国における内戦と人道危機」については、全く報道されなかった。

ジョン・ケリー国務長官が「イランとの核交渉」と並んで外交の最優先課題に位置付けた「イスラエルーパレスチナ紛争」に関する放送時間はわずか16分に過ぎなかった。ティンドール氏はこの点について、「パレスチナは、2013年の米国のニュース報道からほぼ姿を消した。」と指摘した。

またティンドール氏は、ラテンアメリカに関する報道がほぼ不在であった理由として、スペイン語によるテレビネットワークが米国で広がってきている背景を指摘するとともに、「ラテンアメリカ関連の報道に関心がある視聴者は、おそらくスペイン語を話せるため、スペイン語テレビネットワークを利用しているのだろう。」と語った。

3大ネットワークが2013年に海外報道或いは米国の外交政策に費やした時間は合計4000分(報道時間全体の27%)で、過去25年の平均値を下回っていた。とりわけ米国の外交政策に関する報道時間は平均値よりさらに50%近く少ない1302分に過ぎなかった。

これについてティンドール氏は、米国の外交政策に関する報道がブッシュ政権(父・子)期に急増した一方で、クリントン及びオバマ政権期に落ち込んだ実例を挙げながら、「概して、外交政策関連の報道は、大統領が好戦的な時期に増える傾向にあります。」と語った。

ただし、米国家安全保障局(NSAの元契約職員エドワード・スノーデン氏が暴露し米国内外に波紋を引き起こした、NSAが米国民のメタデータや諸外国のリーダーの私的な通話やメール内容を傍受・収集していた問題」に関する報道時間は合計210分で、最も報道されたトピック第10位にランクインした。(原文へ

翻訳=IPS Japan

関連記事:

|米国メディア|選挙、暴力、天災が2012年報道の首位を占める

どうしても伝えたい10大ニュース

世界市民概念の理解を広めるには

【ニューヨークIDN=ジャヤ・ラマチャンドラン】

「世界市民及び持続可能な開発のための教育」(EGCSD)は、専門的流行語になるにはまだ程遠い。実際のところ、専門家の世界の外ではこの概念はまだ広く受け入れられているとは言えない。このテーマに精通している人々ですら、説明はしながらも、そのメッセージを根付かせるのに苦労している。

「今日は技術が進歩し、ガバナンスがますます国民国家の枠組みを超えてなされるようになっているにも関わらず、世界市民の概念は不思議なほど不在である。この用語は歴史的に何を意味し、どのような取り組みが、この概念をまとまりのある民主的で政治的な取り組みへと発展させる可能性があるだろうか?」と最近の論文の中で問うているのは、「世界市民イニシアチブ」(TGCI)の共同創設者であるロン・イスラエル氏である。

Ron Israel
Ron Israel

イスラエル氏によれば、世界市民とは、生まれつつある世界コミュニティーの一員であることを自覚し、その行動によって世界コミュニティーの価値や取り組みを構築することに貢献しようとする人々のことだ。これは一見、分かりやすそうに思える定義だが、具体論となると問題が出てくる。

最貧国における開発や世界の平和、女性・子どもの人権に関する取り組みで著名なバングラデシュの外交官であるアンワルル・カリム・チョウドリ氏は、世界市民の概念は各個人の「考え方、行動のあり方」であるとの見解だ。

チョウドリ氏は、「実際に、潘基文国連事務総長が2013年9月に開始したグローバル・エデュケーション・ファースト・イニシアチブ(GEFI)に期待している基本的な変化とは、「発想を変えていく」ということです。つまりこの場合、(教育を通して)若い世代が従来の発想を転換し、『①自分たちがより広い世界の一部であると感じる。②地域の狭い観点からのみ物事を考えるべきではないと考える。③世界全体の一部であると感じることなしに人類の最善の利益になるような広い目的を達成することはできないと理解する…』といった心構えを身につけていくことを期待しているのです。」と語った。

世界銀行国連環境計画(UNEP)と協力してきた「DEVNETインターナショナル」の会長でCEOのアルセニオ・ロドリゲス氏は、世界市民の本質を次のような事実に見出している。「私たちは誕生とともに、共通の故郷(=地球)、エネルギー源としての太陽、すべての生活必需品・住居・食べ物の供給源としての大地、身体・心・精神を維持するための社会的環境、そして、人生の素晴らしい経験を共有する同胞(=人類)を受け継いでいるのです。」

さらにロドリゲス氏は、「従って生命とは、その究極的な本質において、『人間と人間』そして『人間+地球とそれを維持する富』との間の関係のことです。「この関係を全てにとっていかに生産的で実りの多いものにするかということが私たちの課題です。現在、新しい概念やモデルが芽生えつつありますが、いずれも私たちを持続可能性と世界市民へと完全に導くほどには、根付いていません。」と付け加えた。

Amb. Palitha Kohona. Credit: U.N. Photo/Mark Garten
Amb. Palitha Kohona. Credit: U.N. Photo/Mark Garten

スリランカのパリサ・コホナ国連大使は、歴史的な具体例を挙げながら、世界市民の概念は、19世紀・20世紀だけではなく、かなり長きにわたって議論の対象になってきました。」と語った。

哲学的、宗教的な議論がこれだけありながら、世界市民の概念がこれまで普遍的に受容されることはなかった。歴史的には、人類は多くの帝国が興隆する様を目の当たりにしてきた。そしてこうした帝国内において臣民は、帝国の一部であるという共通の要素に慣れ親しむよう促されてきた。

この点についてコホナ大使は、「おそらく、それは平等な人間としてではなく、同じ支配者に恭順する個人として、(帝国の一部であるという自覚を持つよう)促されたからでしょう。結果として、それは多くの人々が世界市民と考えるようなものではありませんでした。」と語った。

にもかかわらず、結果として、「世界」というものについてのより幅広い認識が(そうした帝国に組み込まれた)多くの人々の心の中に形成されてきた。紀元前330年頃、アレクサンダー大王はバルカン半島南部の小国マケドニア王国を南アジアのインダス川の岸辺にまで拡大し、自らの遺産として、広大な帝国の臣民の脳裏にギリシャ文化と一体化しているという観念を残した。

のちに、ローマを拠点とするより大きな帝国が、その傘下に小アジアや北アフリカ、欧州の広範な地域を支配した。このローマ帝国の出現により、西洋世界にはそれまで存在しなかったタイプの政治的一体性が生まれたのである。ローマ帝国が残した政治的、社会文化的足跡は、今日でも依然として、多くの人々の精神に一つの要素として残っている。

さらにコホナ大使は、(7世紀~13世紀には)バグダッドやダマスカスを首都とするカリフ領(ウマイヤ朝アッバース朝)の拡大によって、より大きな帝国が出現し、そこでは、経済関係や宗教、文化を包含した一つの体制に帰属するという一体感が、この時期のスペインから北アフリカ、中東、そして北部インドにかけてみられた点を指摘した。この場合、宗教(イスラム教)という下支えの枠組みが明確な要素であった。

さらに時代が下り15世紀になると、大航海時代に先鞭をつけたポルトガル海上帝国スペイン帝国が興隆した。「両帝国は地球をまたぎ、市民と臣民の間に一体性の感覚を生み出した。」とコホナ大使は指摘した。宗教、文化、貿易関係がこれらの帝国の本質的な要素であった。

その後、オスマン帝国、オランダ、英国、フランスが、強大な帝国を築いた。とりわけ18世紀以降にオランダ、スペイン、フランスを打破して北米とインドでの植民地獲得競争に勝利した大英帝国では、「太陽は沈むことなく、その遺産ははるか遠くに及ぶ」と言われた。一方、チンギス・ハーンとその後継者たちによって、一時は東欧のポーランドや中東のシリアにまで領土を拡大したモンゴル帝国(13世紀)もきわめて統合された社会で、大都の役人が発行した通行許可証は、帝国最西端の中東でも通用した。

「しかし、これらの帝国によって創り出された一体性は、例えば、地理的な現実や物理的力の限界など様々な理由によって、いずれの場合も、全世界を包含するには至りませんでした。」とコホナ大使は語った。

加えて、一つの帝国はしばしば他の帝国による挑戦に晒され、やがて没落していった。こうした諸帝国は、本当の意味での「世界市民」の感覚を創り出したわけではない。実際には、帝国同士で互いの領土や植民地の覇権を巡って抗争を繰り返しており、帝国によっては領内に様々な種類の臣民がいて「一体性」の観念など全く存在しないケースもあった。

「しかし一方で、これらの世界帝国が人類にもたらした効果も一つあります。つまり、帝国支配のもとで、様々な民族や文化、哲学、宗教的信条、科学的知見、政治的概念、経済システムがまとめあげられ、少なくともある点においては、私たち人間の間に共通の要素があるという感覚だとか、一つの共通の傘の下にそれらをまとめたいという願望が人々の心に生じたことです。」とコホナ大使は指摘した。

20世紀には、人権や民主主義的規範を基礎とした、準地域レベル、地域レベル、国際レベルの様々な組織が登場したが、それは21世紀入っても続いているプロセスであり、世界市民の観念が様々なレベルの人々の心と生活に根付くのは、教育を通じてであると識者らは考えている。(原文へ

翻訳=IPS Japan

関連記事:

世界の市民よ、団結しよう!

|カナダ|先住民族にとって暗い、初代首相の遺産

│ノーベル平和賞│マハトマ・ガンジーには何故授与されなかったのか?(J・V・ラビチャンドラン