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|タイ|政府によるエイズ対策の転換(後半)

【バンコクAPIC/IPS Japan=浅霧勝浩

ここにきて、タイのメディア各紙も、エイズ対策に消極的な政府への批判を強め、エイズの流行はもはや特定のグループに限定されたものではなく、社会全体に幅広く被害が広がっている事実を大々的に報道した(注1)。

こうした状況の中で、もはや政府が観光産業や国内経済保護を理由にエイズ問題について沈黙や否定をするというオプションはなくなった。

また、エイズが社会、経済、文化、政治と多岐な分野に密接に関わる病であることから、もはやこの問題を保健衛生分野に限定して政府の担当部局を保健省内に置いておく事も現実的でないとの認識が広がった。また、従来のように静脈注射薬物使用者(IDU)、男性同性愛者、売春婦といった社会的弱者をエイズ感染の原因として非難することも、現実に起こっている状況にそぐわなくなってきた。

Mechai Viravaidya
Mechai Viravaidya


 政府は、新たにエイズ法案を作成し、タイの全家庭に親族でHIV/AIDS患者が出た場合の保健所への届出を義務付ける一方、保健当局にHIV/AIDS感染が疑わしい者を強制的にエイズ検査にかける権限を認め、さらにはエイズ患者を特定の施設に隔離することを提案した。この動きに対してタイ内外の専門家から、「エイズ患者に対する強制的な措置は科学的な根拠がなく多くの国で既に逆効果であることが証明されている」として激しい非難の声が沸きあがった(注2)。

メチャイ・ウィラワイヤ氏も同法案を痛烈に批判し、「法案はエイズ患者に相談したことがない人物によって作られたものだ。我々はエイズに苦しむ人々に同情と思いやりの気持ちをもって接するべきであり、間違っても刑務所や矯正施設に隔離するべきではない。」とコメントしている。メチャイ氏は、「性産業」を死の産業と呼び、政府がこのエイズ蔓延の元凶に対して有効な規制措置をとらないことを特に批判した。そして、タイに大挙して訪れるドイツ、日本、オーストラリアからの外国人買春観光客に言及して「色情狂どもよ、死にたかったらタイに(買春に)来るがいい!」と警告を発した。

メチャイ氏は、このままエイズの流行を放置すれば3年以内に1,000,000人以上がHIV/AIDSに感染し、特に働き盛りの若い世代に深刻な被害が出てタイ経済は破綻してしまうと警告し、1.全ての売春宿の一時強制閉鎖とエイズに関する啓蒙教育の実施、2.小学校における最後の3年と中学校3年間におけるタイ男性の性行動変容を目的とした(注3)性教育の実施を呼びかけた。

この呼びかけに対する政府の反応は鈍かったが、産業界の反応は対照的に機敏なものであった(注4)。エイズの蔓延がビジネスに及ぼす影響に危機感を募らせた100社以上から、社員へのエイズ啓蒙教育の実施に対する支援の依頼があり、中には、各々の販売/流通ネットワークを通じてエイズ予防に関する情報普及活動を実施する会社もでてきた(注5)。メチャイ氏はPDAにCorporate Education Programを設立し、各社のピア教育者と共にHIV/AIDS感染経路と予防知識の伝達に重点をおいた啓蒙活動を展開した。

メチャイ氏は続いて、PDAに経済学者、社会学者等専門家を招集し、エイズ流行に伴う具体的なタイ経済の損失規模を算出して1990年12月にバンコクで開催された国際エイズ会議で発表した。それによると、もしタイ社会が3年後の1994年をエイズ流行のピークとして抑制することに成功すれば2000年までのHIV/AIDS感染者数は2,100,000人でその内460,000人がエイズで死亡し、経済損失は約80億ドルと算出した。

また、もしエイズ流行が1996年まで拡大した場合は、2000年までのHIV/AIDS感染者数は3,400,000人でその内588,000人がエイズで死亡し、経済損失は約100億ドルと算出した。メチャイ氏はこれらの数値が具体的に観光業を含むタイ産業界やタイ社会全体にどのような悪影響を及ぼすかを次のように説明した:

1.HIV/AIDS患者が職場で増大し病気欠勤・休業状態のものが激増する。2.人手不足が深刻になると賃金及び製品の生産コストが上昇し、外国人投資家にとってタイ社会は魅力的な投資先でなくなっていく。3.タイ政府もエイズ流行拡大に伴い、国家予算をインフラ整備等の生産的なものに対する投資から、患者をケアするための社会・保健関係の分野に重点をシフトせざるを得なくなってしまう。4.タイ観光業の衰退。

1990年12月、メチャイ氏は首相にエイズ問題に関する参考人として閣議に招かれた。チャートチャーイ首相は、メチャイ氏が再度要請した国家エイズ対策委員会の設立について、首相がリーダーとなることは拒否したが、メチャイ氏を同委員会の総裁に指名し、効果的なエイズ対策の指針を策定するよう命じた。しかし、その一ヵ月後に勃発したクーデターで政権が崩壊すると、エイズ対策委員会構想も頓挫してしまった。
 
 しかし、クーデターによる混乱を収拾するため登場したアナン暫定政権の下で、タイのエイズ対策は大きな転機を迎えることになる。アナン新首相は、「エイズは医療分野に限定される問題ではなく人間の行動そのものに深く関わる問題であり、効果的なエイズ対策を実施するには、人間の行動変容に影響を及ぼすことが出来る全てのセクターが参加しなければならない。」と提唱するメチャイ氏の訴えを全面的に支持し、メチャイ氏を内閣官房(Tourisam, Public Information, Mass Communication担当大臣)に迎え、エイズ対策の責任者に任命した。

メチャイ氏はこれによって、はじめて政府の全面的な支援の下に抜本的なエイズ対策を実践に移すことが可能となった。以下、メチャイ氏がアナン政権の下で打ち出したエイズ対策の内容を紹介する。

1.首相を総責任者とする国家エイズ対策委員会の設立(政府のトップが就任したのはウガンダに次いで世界で2番目)。委員は政府、産業界、NGOの代表から構成され、政府委員には従来エイズ啓蒙対策に反対していたタイ観光局も含めた。NGOには教育界、宗教界からも参画した。また、HIV/AIDS感染者もメンバーに加え、感染者の視点を政策に反映させることとした。同時に、内閣官房にAIDS Policy and Planning Coordination Bureauを新設し、エイズ対策のプログラムの策定、予算(注6)に関する主導権を保健省から内閣官房に移した。

2.教育がエイズ対策(National AIDS Prevention and Control Plan)の骨格を形成し、主に2つの狙いがあった。一つ目は、感染防止教育で、エイズとは何か?感染経路は?もし感染した場合どうするか?の3点を重点項目とした。2つ目は、HIV/AIDS感染者に対する理解と思いやりの心を育む教育で、エイズ感染者はどこにでもいる普通の人々で日常生活を通じて他の人々に感染させる危険性はないこと、そして彼らも他の人々と同様、他人の愛情や関心、そして尊敬を受けるに値する人々であることを教育することを主眼とした(注7)。

3.全ての公共放送(488のラジオ局、15のテレビ局)を通じて毎時間30秒のエイズ教育メッセージと毎日2時間(テレビ局のみ)のエイズ特集番組を放送した。メチャイ氏は広告割合を統括するBroadcasting Commissionの副総裁として、30秒のエイズ教育メッセージの放映と引き換えに30秒分追加のコマーシャル使用を許可するインセンティブを提示し、放送界に好意的に受け入れられた。

4.各省庁に対するエイズ教育プログラムを実施し、多くの一般市民と日常的にコンタクトをとる立場にある公務員(農業省の支所、警察、社会福祉事務所等)には、エイズ関連パンフレットなどを配布させた。

5.教育界に対しては、小学校の最終2年間と中学校にエイズ教育課程を加え、生徒達にエイズに関する啓蒙指導ができるよう現場の教師を対象とした研修プログラムを実施した。

6.産業界に対しては、メチャイ氏が従来PDA Corporate Education Programで実施してきた内容をさらに徹底して、各産業セクターにおける社内エイズ教育及び産業界の流通/顧客ネットワーク(銀行窓口や営業先巡回などのビジネスコンタクト)を通じた顧客へのエイズ教育情報の配布を実施した。

7.メチャイ氏は芸能界・映画界に対しても協力を呼びかけ、エイズをテーマとした映画作品やチャリティーコンサートなどが数多く実施された。メチャイ氏はエイズに関するメッセージを含む作品に対して政府の補助金をつけインセンティブとした。また全国の映画館は、本編前の予告編上映時間に無料でエイズ防止キャンパーンメッセージを上映した。

8.売春宿に対しては、100%コンドームキャンペーンを実施し、顧客のコンドーム使用を義務付けるとともに売春婦を対象とした抜き打ちエイズ検査を実施し、違反業者は警告の後、閉鎖に追い込んだ。また、売春宿が集中している地域にはSTDクリニックに対する補助金を交付した。これらの現場サイドにおける取組みを強化する一方、全国の統計・モニタルングシステムの強化を行った。

9.メチャイ氏はAnand政権に参画と同時に、従来エイズ広報に反対してきたタイ観光局(Tourism Authority of Thailand)の総裁に就任し、抜本的な方向転換を図った。従来の総裁が観光誘致とホテル建設を最優先にしてきたの対して、”Tourism with Dignity”というスローガンを打ち出し、a)観光産業におけるエイズキャンペーンの実施、b)買春ツーリズムの根絶(注8)、c)女性観光客の積極的な誘致、d)観光資源である環境と野生動物の保護。

注1:The Nation誌は「チャートチャーイ首相、目を覚ませ!数百万人のタイ人の生命があなたの双肩にかかっている。」という記事を出した。

注2:The Nation誌は社説を掲載し、「この法案は一般市民を保護すると見せかけて、かえってタイ社会に恐怖と不信を蔓延させ、エイズの犠牲者を地下に追いやることによって、今まで以上に深く広範囲にエイズの流行を広げることになる。」と政府を批判した。

注3:メチャイ氏はHIV/AIDS感染の元凶はタイ男性の旺盛な買春需要でありタイ男性の売春宿に対する認識と性行動のありかたを根本から是正しなければエイズ蔓延是正は不可能と考えた。

注4:メチャイ氏は産業界に対しては”Dead staff don’t produce and dead customer don’t buy(your produces).”というスローガンを使用した。

注5:その結果、Avon化粧品の販売員はHIV/AIDS関連パンフレットを持って顧客先を訪問し、当時タイで最大規模のピア教育者ネットワークとなった。

注6:エイズ対策予算は、前政権下1991年予算250万ドルから新政権下で4800万ドルに引き上げられ、資金の流れは内閣官房から各関連省庁及びNGOへ直接渡る仕組みとした。

注7:メチャイ氏は、HIV/AIDS感染の問題を当事者意識を持って理解することと、女性の人格、人権を貶める買春行為の本質を青少年に理解させることの重要性を説いた。そして、タイ仏教界の中にも、言葉のみでなく実践を通じてエイズ対策に協力すべきとして、各地の僧院がHIV/AIDS感染者や孤児に対するケアを開始した。

注8:「買春目的の観光客には、タイ行きのチケットを買わずにそのお金で鼠駆除の薬を買って、自宅で飲まれることを薦めます。」と痛烈な批判を展開した。観光業界トップのこの発言はメディアを通じて世界各国に流され、タイの観光政策の大転換を印象付けた。

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|タイ|政府によるエイズ対策の転換(前半)

|世界平和度指標|5年前より平和でなくなった世界

【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

経済平和研究所(IEP)が6月11日、ワシントンDCで2013年度版の「世界平和度指標(Global Peace Index:GPI)」(101頁)を発表した。これによると、世界-とりわけ中東地域は―2008年の前回調査時よりも、より平和でなくなってしまったという。

この世界的な傾向は昨年においても同様で、調査報告書は、主な原因として、シリアの内戦、メキシコ・中米諸国・サハラ以南のアフリカ数か国における殺人の増加、そして多くの国における対GDP(国内総生産)軍事予算の増加などを挙げている。

欧州は、アイスランド、デンマーク、オーストリアを筆頭に、引き続き世界で最も平和な地域であった。対照的に、調査した162か国中、GPIが最も低かったアフガニスタンやパキスタン(157位)を含む南アジアは、最も平和でない地域であった。

また昨年は、中東地域も全体として急速に平和が遠のいた年であった。内戦が続くシリアが160位、宗派間紛争が悪化しているイラクが159位、内紛が続くスーダンが157位、イエメンが152位であった。また、昨年11月にガザ地区に侵攻し、その後軍事費の増強を図ったイスラエル(150位)も、中東地域の平和指標を引き下げている。

また、今回の調査は、「暴力が世界経済に与える影響をコスト化(=主に各国の防衛費と治安維持関連予算を評価)すると、2012年の実績は少なくとも9兆5000億ドルにのぼる。」と指摘している。これは、世界のGDP総計の11%、言い換えれば、世界の食料総生産量が持つ価値の2倍近くにものぼる。調査報告書は、「国際社会が暴力に費やす予算を半減させれば、その費用でもって、途上国の債務をすべて帳消し(40億7600万ドル)し、欧州安定化メカニズムに必要な資金(9000億ドル)を提供し、ミレニアム開発目標を達成するために必要な年間追加資金(600億ドル)を容易に捻出することができる。」と指摘している。

調査ではまた、2008年の世界金融危機で深刻な影響を受けた国々では、影響がそれほどではなかった国々と比べて、公共サービスの削減、失業の増大などが暴力的なデモや犯罪の増加につながり、GPIの低下を招くという知見も引き出している。

GPI(23項目)は、国内の平和(=内的状況)に関して、殺人件数、人口10万人あたりの治安・警察要員の人数、政治的不安定度、テロ活動の潜在的可能性等、さらに対外的な平和(=外的状況)に関して、軍事予算の規模、人口10万人あたりの軍人数、武器移転、対外的紛争の関与数等を数値化し、平和を評価するうえでの重要度に応じて5段階評価でまとめたものである。データは、国際平和パネル討論会のエキスパート、ストックホルム国際平和研究所(SIPRI)、世界銀行、アムネスティ・インターナショナルをはじめとするシンクタンクや市民社会組織、及び大学機関等が作成し、英国のエコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)が調整にあたっている。

先述のアイスランド、デンマーク、オーストリアに続いて、2012年度に最も平和だった10か国は、4位のニュージーランド以下、スイス、日本、フィンランド、カナダ、スウェーデン、ベルギーであった。対照的にもっとも平和でなかった10か国は、最下位から順に、アフガニスタン、ソマリア、シリア、イラク、スーダン、パキスタン、コンゴ民主共和国(DRC)、ロシア、北朝鮮、中央アフリカ共和国であった。

北米では、上位にランクインしたカナダとは対照的に、米国は中国(100位)のすぐ上にあたる99位、経済協力開発機構(OECDの中でも34か国中31位であった。これは、高い拘禁率、外国の紛争への大規模な関与、高い殺人事件発生率、小火器の蔓延、そして、莫大な軍事費のためである。米国の軍事費は、近年若干削減傾向にあるものの依然として第2位の軍事大国の予算を10倍以上上回っている。

アジア・太平洋地域では、ニュージーランド(3位)と日本(6位)を除けば、オーストラリアとシンガポールがもっとも平和的な国であった。対照的に、最も平和的でない国々は、フィリピン(129位)、タイ(130位)、ミャンマー(140位)、北朝鮮(154位)であった。とりわけ、北朝鮮の拘禁率は世界で最も高く、GDPに占める軍事費の割合も世界一で20%に及んでいた。

ラテンアメリカ・カリブ海地域では、ウルグアイ(24位)、チリ(31位)、コスタリカ(40位)が最も平和的な国だった。一方、最も平和的でない国々は、ホンジュラス(128位)、メキシコ(133位)、コロンビア(147位)であった。麻薬取引が深刻なホンジュラスでは、殺人事件発生率が昨年世界最悪であった。また、メキシコにおける昨年の殺人件数は約20,000件に達している。

アフリカ地域では、モーリシャス(21位)、ボツワナ(32位)、ナミビア(46位)が最も平和的な国であった。アフリカの2大経済大国である南アフリカ共和国とナイジェリアは、それぞれ121位、148位であった。

昨年最も平和指数を改善した(=一昨年に比べて平和になった)国は、リビア(145位)、スーダン(158位)、チャド(138位)、カザフスタン(78位)、インド(141位)、逆に最も悪化した国は、ウクライナ(111位)、ペルー(113位)、ブルキナファソ(87位)、コートジボアール(151位)、シリア(160位)であった。

2008年の前回調査時よりも平和になった国が48か国、平和でなくなった国が110か国あり、全体として平和度は下がっている。地域別に見ると、平和度が最も下がった地域は旧ソ連構成諸国と、3年前に「アラブの春」が始まった中東及び北アフリカ地域である。

過去5年間に最も平和になった国は、チャド、グルジア、ハイチであった。一方、この5年間で平和度が最も下がった国は、シリア、リビア(昨年の改善度を考慮してもなお相対的に悪化)、ルワンダ、マダガスカル、コートジボアール、イエメン、メキシコ、チュニジア、オマーン、バーレーンであった。

今回の調査は、全体的に平和度を引き下げた要因として、①アラブの春に関連して勃発した暴力、アフガニスタンとパキスタンにおける治安の悪化、リビア及びシリアにおける内戦、中米における麻薬戦争、ソマリア及びコンゴ民主共和国における暴力の蔓延、多くの欧州諸国における景気後退に伴う騒乱等を挙げている。

今年の調査報告書には、ポジティブ平和指標(Positive Peace Index:PPI)が収録されている。これは126か国について、相互に関連した8項目に分類された24の指標に基づいて、「平和な社会を築き、維持する構造、制度、姿勢の強さ」を評価したものである。

「平和の支柱」と題されたこれらの項目には、資源の公平な分配、高いレベルの人的資本、高い透明性、低い腐敗度、健全なビジネス環境、よく機能する政府、他者の権利を許容する程度、近隣諸国との良好な関係、が含まれている。

PPIでは、欧州と米国(19位)を含む北米がトップランクを占めた。なお、日本は16位、一方、日本の隣国は韓国が26位、ロシアが80位、中国が81位であった。また途上国では、チリ(25位)、ウルグアイ(32位)、コスタリカ(36位)が最も高いランクを占めた。一方、最低ランクを占めたのはコンゴ民主共和国(126位)を筆頭に、チャド、イエメン、中央アフリカ共和国、ナイジェリア、コートジボアール、ウズベキスタン、パキスタンであった。

今回の調査は、GPIとPPIの双方の指標で高いランキングを占めた国々の間には、強い相関関係があると指摘している。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【バンコクAPIC=浅霧勝浩】

ここにきて、タイのメディア各紙も、エイズ対策に消極的な政府への批判を強め、エイズの流行はもはや特定のグループに限定されたものではなく、社会全体に幅広く被害が広がっている事実を大々的に報道した(注1)。

Mechai Viravaidya
Mechai Viravaidya

こうした状況の中で、もはや政府が観光産業や国内経済保護を理由にエイズ問題について沈黙や否定をするというオプションはなくなった。

また、エイズが社会、経済、文化、政治と多岐な分野に密接に関わる病であることから、もはやこの問題を保健衛生分野に限定して政府の担当部局を保健省内に置いておく事も現実的でないとの認識が広がった。また、従来のように静脈注射薬物使用者(IDU)、男性同性愛者、売春婦といった社会的弱者をエイズ感染の原因として非難することも、現実に起こっている状況にそぐわなくなってきた。


 政府は、新たにエイズ法案を作成し、タイの全家庭に親族でHIV/AIDS患者が出た場合の保健所への届出を義務付ける一方、保健当局にHIV/AIDS感染が疑わしい者を強制的にエイズ検査にかける権限を認め、さらにはエイズ患者を特定の施設に隔離することを提案した。この動きに対してタイ内外の専門家から、「エイズ患者に対する強制的な措置は科学的な根拠がなく多くの国で既に逆効果であることが証明されている」として激しい非難の声が沸きあがった(注2)。

メチャイ・ウィラワイヤ氏も同法案を痛烈に批判し、「法案はエイズ患者に相談したことがない人物によって作られたものだ。我々はエイズに苦しむ人々に同情と思いやりの気持ちをもって接するべきであり、間違っても刑務所や矯正施設に隔離するべきではない。」とコメントしている。メチャイ氏は、「性産業」を死の産業と呼び、政府がこのエイズ蔓延の元凶に対して有効な規制措置をとらないことを特に批判した。そして、タイに大挙して訪れるドイツ、日本、オーストラリアからの外国人買春観光客に言及して「色情狂どもよ、死にたかったらタイに(買春に)来るがいい!」と警告を発した。

メチャイ氏は、このままエイズの流行を放置すれば3年以内に1,000,000人以上がHIV/AIDSに感染し、特に働き盛りの若い世代に深刻な被害が出てタイ経済は破綻してしまうと警告し、1.全ての売春宿の一時強制閉鎖とエイズに関する啓蒙教育の実施、2.小学校における最後の3年と中学校3年間におけるタイ男性の性行動変容を目的とした(注3)性教育の実施を呼びかけた。

この呼びかけに対する政府の反応は鈍かったが、産業界の反応は対照的に機敏なものであった(注4)。エイズの蔓延がビジネスに及ぼす影響に危機感を募らせた100社以上から、社員へのエイズ啓蒙教育の実施に対する支援の依頼があり、中には、各々の販売/流通ネットワークを通じてエイズ予防に関する情報普及活動を実施する会社もでてきた(注5)。メチャイ氏はPDAにCorporate Education Programを設立し、各社のピア教育者と共にHIV/AIDS感染経路と予防知識の伝達に重点をおいた啓蒙活動を展開した。

メチャイ氏は続いて、PDAに経済学者、社会学者等専門家を招集し、エイズ流行に伴う具体的なタイ経済の損失規模を算出して1990年12月にバンコクで開催された国際エイズ会議で発表した。それによると、もしタイ社会が3年後の1994年をエイズ流行のピークとして抑制することに成功すれば2000年までのHIV/AIDS感染者数は2,100,000人でその内460,000人がエイズで死亡し、経済損失は約80億ドルと算出した。

また、もしエイズ流行が1996年まで拡大した場合は、2000年までのHIV/AIDS感染者数は3,400,000人でその内588,000人がエイズで死亡し、経済損失は約100億ドルと算出した。メチャイ氏はこれらの数値が具体的に観光業を含むタイ産業界やタイ社会全体にどのような悪影響を及ぼすかを次のように説明した:

1.HIV/AIDS患者が職場で増大し病気欠勤・休業状態のものが激増する。2.人手不足が深刻になると賃金及び製品の生産コストが上昇し、外国人投資家にとってタイ社会は魅力的な投資先でなくなっていく。3.タイ政府もエイズ流行拡大に伴い、国家予算をインフラ整備等の生産的なものに対する投資から、患者をケアするための社会・保健関係の分野に重点をシフトせざるを得なくなってしまう。4.タイ観光業の衰退。

1990年12月、メチャイ氏は首相にエイズ問題に関する参考人として閣議に招かれた。チャートチャーイ首相は、メチャイ氏が再度要請した国家エイズ対策委員会の設立について、首相がリーダーとなることは拒否したが、メチャイ氏を同委員会の総裁に指名し、効果的なエイズ対策の指針を策定するよう命じた。しかし、その一ヵ月後に勃発したクーデターで政権が崩壊すると、エイズ対策委員会構想も頓挫してしまった。
 
 しかし、クーデターによる混乱を収拾するため登場したアナン暫定政権の下で、タイのエイズ対策は大きな転機を迎えることになる。アナン新首相は、「エイズは医療分野に限定される問題ではなく人間の行動そのものに深く関わる問題であり、効果的なエイズ対策を実施するには、人間の行動変容に影響を及ぼすことが出来る全てのセクターが参加しなければならない。」と提唱するメチャイ氏の訴えを全面的に支持し、メチャイ氏を内閣官房(Tourisam, Public Information, Mass Communication担当大臣)に迎え、エイズ対策の責任者に任命した。

メチャイ氏はこれによって、はじめて政府の全面的な支援の下に抜本的なエイズ対策を実践に移すことが可能となった。以下、メチャイ氏がアナン政権の下で打ち出したエイズ対策の内容を紹介する。

1.首相を総責任者とする国家エイズ対策委員会の設立(政府のトップが就任したのはウガンダに次いで世界で2番目)。委員は政府、産業界、NGOの代表から構成され、政府委員には従来エイズ啓蒙対策に反対していたタイ観光局も含めた。NGOには教育界、宗教界からも参画した。また、HIV/AIDS感染者もメンバーに加え、感染者の視点を政策に反映させることとした。同時に、内閣官房にAIDS Policy and Planning Coordination Bureauを新設し、エイズ対策のプログラムの策定、予算(注6)に関する主導権を保健省から内閣官房に移した。

2.教育がエイズ対策(National AIDS Prevention and Control Plan)の骨格を形成し、主に2つの狙いがあった。一つ目は、感染防止教育で、エイズとは何か?感染経路は?もし感染した場合どうするか?の3点を重点項目とした。2つ目は、HIV/AIDS感染者に対する理解と思いやりの心を育む教育で、エイズ感染者はどこにでもいる普通の人々で日常生活を通じて他の人々に感染させる危険性はないこと、そして彼らも他の人々と同様、他人の愛情や関心、そして尊敬を受けるに値する人々であることを教育することを主眼とした(注7)。

3.全ての公共放送(488のラジオ局、15のテレビ局)を通じて毎時間30秒のエイズ教育メッセージと毎日2時間(テレビ局のみ)のエイズ特集番組を放送した。メチャイ氏は広告割合を統括するBroadcasting Commissionの副総裁として、30秒のエイズ教育メッセージの放映と引き換えに30秒分追加のコマーシャル使用を許可するインセンティブを提示し、放送界に好意的に受け入れられた。

4.各省庁に対するエイズ教育プログラムを実施し、多くの一般市民と日常的にコンタクトをとる立場にある公務員(農業省の支所、警察、社会福祉事務所等)には、エイズ関連パンフレットなどを配布させた。

5.教育界に対しては、小学校の最終2年間と中学校にエイズ教育課程を加え、生徒達にエイズに関する啓蒙指導ができるよう現場の教師を対象とした研修プログラムを実施した。

6.産業界に対しては、メチャイ氏が従来PDA Corporate Education Programで実施してきた内容をさらに徹底して、各産業セクターにおける社内エイズ教育及び産業界の流通/顧客ネットワーク(銀行窓口や営業先巡回などのビジネスコンタクト)を通じた顧客へのエイズ教育情報の配布を実施した。

7.メチャイ氏は芸能界・映画界に対しても協力を呼びかけ、エイズをテーマとした映画作品やチャリティーコンサートなどが数多く実施された。メチャイ氏はエイズに関するメッセージを含む作品に対して政府の補助金をつけインセンティブとした。また全国の映画館は、本編前の予告編上映時間に無料でエイズ防止キャンパーンメッセージを上映した。

8.売春宿に対しては、100%コンドームキャンペーンを実施し、顧客のコンドーム使用を義務付けるとともに売春婦を対象とした抜き打ちエイズ検査を実施し、違反業者は警告の後、閉鎖に追い込んだ。また、売春宿が集中している地域にはSTDクリニックに対する補助金を交付した。これらの現場サイドにおける取組みを強化する一方、全国の統計・モニタルングシステムの強化を行った。

9.メチャイ氏はAnand政権に参画と同時に、従来エイズ広報に反対してきたタイ観光局(Tourism Authority of Thailand)の総裁に就任し、抜本的な方向転換を図った。従来の総裁が観光誘致とホテル建設を最優先にしてきたの対して、”Tourism with Dignity”というスローガンを打ち出し、a)観光産業におけるエイズキャンペーンの実施、b)買春ツーリズムの根絶(注8)、c)女性観光客の積極的な誘致、d)観光資源である環境と野生動物の保護。

注1:The Nation誌は「チャートチャーイ首相、目を覚ませ!数百万人のタイ人の生命があなたの双肩にかかっている。」という記事を出した。

注2:The Nation誌は社説を掲載し、「この法案は一般市民を保護すると見せかけて、かえってタイ社会に恐怖と不信を蔓延させ、エイズの犠牲者を地下に追いやることによって、今まで以上に深く広範囲にエイズの流行を広げることになる。」と政府を批判した。

注3:メチャイ氏はHIV/AIDS感染の元凶はタイ男性の旺盛な買春需要でありタイ男性の売春宿に対する認識と性行動のありかたを根本から是正しなければエイズ蔓延是正は不可能と考えた。

注4:メチャイ氏は産業界に対しては”Dead staff don’t produce and dead customer don’t buy(your produces).”というスローガンを使用した。

注5:その結果、Avon化粧品の販売員はHIV/AIDS関連パンフレットを持って顧客先を訪問し、当時タイで最大規模のピア教育者ネットワークとなった。

注6:エイズ対策予算は、前政権下1991年予算250万ドルから新政権下で4800万ドルに引き上げられ、資金の流れは内閣官房から各関連省庁及びNGOへ直接渡る仕組みとした。

注7:メチャイ氏は、HIV/AIDS感染の問題を当事者意識を持って理解することと、女性の人格、人権を貶める買春行為の本質を青少年に理解させることの重要性を説いた。そして、タイ仏教界の中にも、言葉のみでなく実践を通じてエイズ対策に協力すべきとして、各地の僧院がHIV/AIDS感染者や孤児に対するケアを開始した。

注8:「買春目的の観光客には、タイ行きのチケットを買わずにそのお金で鼠駆除の薬を買って、自宅で飲まれることを薦めます。」と痛烈な批判を展開した。観光業界トップのこの発言はメディアを通じて世界各国に流され、タイの観光政策の大転換を印象付けた。

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|イラン|ロウハニ師は湾岸諸国との関係修復をする必要がある

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【アブダビWAM】

「14日に投票が行われたイラン大統領選挙では、反体制派や改革派政党の支持を受けた聖職者で穏健保守派のハサン・ロウハニ師(69歳:元最高安全保障委員会事務局長)が地滑り的勝利で当選した。これによって、イラン新政権は、アフマディネジャド前政権下で悪化した米国と近隣諸国との関係と修復する貴重な機会を得ることになるだろう。」とアラブ首長国連邦(UAE)の地元英字紙が報じた。

「選挙期間中、ロウハニ師は、モハンマド・ハタミ前政権で核開発問題をめぐる交渉の責任者として英仏独と交渉を進めた実績をもとに、米国およびサウジアラビアとの関係改善をはじめ制裁緩和に向けた建設的協議を進める必要性を訴えた。これは良いスタートであり、少なくともロウハニ師は、現在の(欧米や近隣諸国との)冷え切った関係は、イランにとってチャンスではなく問題だという点を理解していることを示している。」と、ガルフ・ニュース紙は6月15日付の論説の中で報じた。

行き詰まったイランの核開発疑惑を巡る対立を打開できるかどうかは、イランが核計画の内容について完全な形で透明性を確保すると提案できるかどうかにかかっている。しかし真の難題は、如何にして米国とイラン双方が勝利を宣言できるような出口を見出せるかであり、重い負担が両国の外交当局にのしかかっている。

とはいえ、米国も国際社会も イランが核技術の平和利用を進める権利を否定していないことから、もしイランが国際社会に対して、濃縮プログラムはあくまでも核の平和利用の一環であり、濃縮レベルも原発用途に必要なレベルを決して超えることはないという点を証明することができれば、行き詰まりを打開することは可能である。

「ロウハニ師は、アラブ諸国に対して、マフムード・アフマディネジャド前政権からの方針転換を示して関係修復を図る必要がある。」とガルフ・ニュース紙は報じた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【ナイロビIPS=ミリアム・ガシガー

リフトバレー地区(ケニア北西部)キプシング平原に住むサンブル族のジェーン・メリワスは、9才の時、父親から何の役にも立たない人間だと思われていた。父に託されて世話をしていた9頭のヤギが、ある日彼女の目の前で、ハイエナに食べられてしまうという失態を演じたことがあるからだ。

しかしそのような彼女にも、年長者の第二、第三、或いは第四夫人になり、かつてハイエナに食われたより多くの羊を父親のために手に入れることで、名誉挽回を果たすという道は残されていた。

「学校に通うことになったのは全くの偶然なのです。羊飼いとしては失格と判断した父が、嫁にやるまでの間、厄介払いする場所として学校を選んだのです。」「もちろん、学校といっても生徒たちが木の下で座って学ぶというスタイルで、費用はカソリック教会の神父が負担してくれたので、父にとっての負担がゼロだったのです。」とメリワスはIPSの取材に対して語った。

メリワスは自身の家庭について、「私の家は、牧畜コミュニティーの中では、一風変わっていました。両親には2人しか子供がおらず、しかも両方が娘でした。しかし父は母が亡くなったあとも、再婚せず独身をとおしたのです。」と語った。

サンブル族は北アフリカから南下してきたナイロ系遊牧民で、マサイ族とルーツを同じくするが独自の文化を形成してきた。サンブル族がケニアの全人口(4160万人)に占める割合は僅か1.6%に過ぎないが、少女たちの体を傷つける強制堕胎をはじめとした数々の風習により悪名を馳せてきた一面がある。

この放牧コミュニティーにおける女性性器切除(FGMの風習に反対してきたサンブル族活動家のロロンジュ・レクカティはIPSの取材に対して、「助けを求めるサンブル族の少女たちの声は、あまりにも長い間見過ごさせてきました。子供たちに害を及ぼす文化的慣習の根絶を呼びかける『アフリカ子供の日』(6月16日)の趣旨に沿うならば、ケニア社会は彼女たちの声に注意を払わなければなりません。」と語った。

またレクカティは、「今の時代に、サンブル族のコミュニティーに生まれたというだけで、少女たちが、FGMの儀式や、早期の婚姻、強制的な堕胎、18歳以前の複数回の妊娠等、過酷な運命からほとんど逃れられない状態に置かれているのは、残念でなりません。」と語った。

メリワスも12歳のときにFGMの儀式を受ける運命から逃れることができなかった。それもそのはずで、最新のケニア保健人口統計調査によれば、サンブル族のFGM率は実に100%(ケニアでは2010年にFGMが違法化されたにも関わらず)であった。

しかしメリワスは学校に通えたために、早期の婚姻を逃れることができた。彼女は10年前に大学を卒業すると、就職する代わりにあえて故郷に戻り、サンブル族の慣習の中にある弊害について村人の意識を喚起する活動を開始した。とりわけ少女らを傷つけてきた慣習をなくすよう粘り強く訴えてきた。

こうした活動を通じて地域の活動家としての名声を確立したメリワスは、少女らを救う団体「サンブル教育環境開発女性機構」を立ち上げた。この団体は、早期の婚姻やFGMを辛うじて逃れた少女らに対する教育支援を行っている。

レルカティは、「伝統的なコミュニティーからの命の危険さえ伴う激しい反発を受けながらも、力強く、勇気と弾力性を持って立ち向かってきたメリワティの努力は、一部の人々に意識に変化をもたらすところまできています。」と語った。

サンブルにはまた「ビーズ付け(Beading)」という独自の通過儀礼があるが、メリワスらによる啓蒙活動のお陰で、この少女たちに有害な慣習にも変化の兆しが見えてきている。

ビーズ付けとは、伝統的に、サンブル族の戦士が10キログラムものビーズを購入してネックレスを作り、気に入った女性に与えるという風習である。ネックレスをつけられた女性はたいてい9歳~15歳の少女で、その戦死の「彼女」になったとみなされる。

メリワスは「ビーズ付け」という通過儀礼がもたらす問題として「若い少女と戦士の性交では、通常避妊対策が考えられていないので、ある時点で少女が妊娠してしまいます。しかし、両者の性交渉は文化的に許容されている一方で、戦士とその少女は同じ氏族の出身であるために近親相姦だとみなされ、あらゆる手段で子どもの出生が阻止されることになるのです。」と語った。

メリワスは、さらにその具体的な方法について、「部族の老女が妊娠したとみられる少女を見つけると、森に連れて行き、体内の胎児が死んで出血と共に対外に出るまで少女のお腹を押し続けるのです。そして、もしこれが失敗した場合でも、少女は出産時に生まれた子どもを毒殺するよう強制されます。もし彼女がそれを拒否した場合、子供は取り上げられ、森に置き去りにされてハイエナの餌になるか、或いはサンブル族以外の部族(近隣のトゥルカナ族の場合が多い)に引き渡すことになります。」と指摘したうえで、「こうした強制的な堕胎措置が原因で命を失った少女は少なくありません。しかしコミュニティー内ではこのことはタブーとされ、誰も口にしないのです。」と語った。

しかしメリワスらの活動によって、この慣行にも徐々に変化の兆しが出てきている。「つまり、少女たちが、戦士達の誘いによって『ビーズのネックレスをつける』のではなく、自発的に自らつけ始めたのです。」とメリワスは語った。

またレルカティは、「変化は徐々にですが起こっています。この『ビーズ付け』という通過儀礼は、従来サンブル族のコミュニティー外では、ほとんど知られていませんでした。しかし、メリワティは、自分に降りかかる危険を顧みず、この弊害について社会に警鐘を鳴らしたのです。」と語った。

放牧コミュニティーでFGMの問題に携わってきたグレース・カキのような活動家らは、とりわけ「アフリカ子供の日」を祝う理由があるという。「15歳から19歳の年齢の少女でFGMの儀式を施された人数が近年顕著に少なくなっています。この背景には、少女たちの就学率が向上したという要因が大きく作用しています。しかしそれに加えて、メリワスのようにFGMを実際に経験した人たちが、この少女の体を傷つける慣習を変えさせようと地道に取り組んできたという要因こそが、この顕著な変化をもたらす原動力になっていると思います。」とカキは語った。

ケニア保健人口統計調査によると、ケニアの15歳から19歳の少女人口に対して、FGMの儀式を執り行われた少女が占める割合は、1998年には38%であったものが、2003年には32%、さらに2008年には27%にまで低下してきている。

「メリワスのような活動家は、こうした伝統文化に伴う弊害を自らの経験を通じて理解しており、だからこそ内から社会変革をもたらす原動力となりえているのです。」とカキは付け加えた。(原文へ

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【フリータウンIPS=トミー・トレンチャード】

12才になるカイタは、シエラレオーネの首都フリータウンの街頭で、ぼろぼろになった鉄のレールの上に座り、静まり返った通りを行き交うバイクを友達と眺めていた。すでに真夜中を過ぎており、戸口の前や歩道のあちらこちらに、動きを止めた人たちが眠りについている。カイタは、もうこんな暮らしを6年も続けている。

カイタは、学校へ行けるという話を信じて、親元を離れて街に出てきたものの、結局は路上で生活することになってしまった数千人におよぶシエラレオネの子供たちの中の一人にすぎない。

社会福祉・ジェンダー・児童問題省のジョイス・カマラ児童問題局次長 は、IPSの取材に対して、「児童人身売買は、まったくの他人によって行われることもあれば、友人や親戚の子どもを狙うケースもあります。子どもたちはしばしば、都会で学校に行かせてもらえると騙されて連れてこられるのです。」と語った。

シエラレオネでは11年にも及んだ内戦が2002年に終結して以来、復興の途上にあるが、依然として世界最貧国の一つであり、今も農村部では多くの家庭が全ての子どもの教育にまでは、十分に手が回らないのが現実である。

「残念ながら、街へ連れてこられた子どもたちは、児童労働者として搾取されたり、ひどい場合には性奴隷にされたり儀式に供されることもあります。」とカマラ次長は語った。

カイタは、当初は叔父の元に身を寄せたが、学校に行かせてもらえないばかりか、食事もまともに与えられなかったため、まもなくして逃げだした。カイタは、今の路上生活について「食べものにありついても、残飯しかないし。とにかく寒いよ…。」と語った。

ホームレスの子どもを支援する現地のNGO団体「ドン・ボスコ・ファンブル」のロタール・ワグナー代表は、IPSの取材に対して、「多くの子供たちが路上生活をしている背景には、人身売買の問題があります。暫く搾取を強いられた子どもたちは、苦境から抜け出すには逃亡するしか選択肢がないと感じるのです。」と語った。

2010年の調査によると、フリータウンだけでも、約2500人のストリートチルドレンがいるという。しかし、実際にはもっと多いとする推計もある。

14歳のムハンマドもそうしたストリートチルドレンの一人だ。 彼は12歳の時から路上で生活している。彼の唯一の持ち物は、ボロボロになった英国プレミアリーグ、チェルシーのロゴが入ったシャツと、寝るときに下敷きにする薄い段ボール、そして葦で編んだゴミかごだ。彼は清掃の仕事で、かろうじて僅かな食料を買う現金を得ている。

子どもたちは犯罪に対して脆弱な立場に置かれているが、取材に応じた子どもたちは皆口をそろえて、路上で起こっている搾取や暴力に対する恐怖について語った。ストリートチルドレンが被害にあう事件についてはほとんど捜査されることがなく、中には彼らを助けるはずの警官すらも子どもたちを搾取することがあるという。 

「警官たちは子供を守るために路上にいるのではありません。子供たちを搾取するためにいるのです。」とワグナー氏は語った。

警察に逮捕されたのちに署内で暴力を受けたとされるあるストリートチルドレンの医療診断書には、棍棒や電極棒で腕につけられたとされる生々しい傷が記録されていた。 

 これについて、警察当局の広報担当官が電話取材に応じ、「(その子供の主張は)全くのウソであり、シエラレオーネ警察の評判を貶めようとする意図的な試みにほかなりません。警察署には普段電気がとおっていない状況なのに、いったいどのようにしたら、電極の棒で痛めつけることができたということになるのでしょう。」と語った。

こうした中、シエラレオーネにおける人身売買の拡散を抑え、犠牲となった子供たちと家族との再会を支援するNGOが出てきている。 

The Faith Alliance Against Slavery and Trafficking(FAAST)は、人身売買の問題に対する一般市民の認識を高めるための啓蒙活動と、このテーマを警察当局の訓練プログラムに組み込む活動を展開している。ジャネット・ニッケル代表は、「今では、全ての新人警察官が、人身売買とは何か、そしてこの問題にどのように取り組むかについての訓練を受けているはずです。」と語った。またFAASTも、最近、人身売買の犠牲となった子供たちを対象とするシェルターを開設した。

同様に「ドン・ボスコ・ファンブル」も、ストリートチルドレンを支援するための各種シェルター及びプログラムを実施している。ワグナー氏は、「シエラレオーネ政府にとって、児童保護は優先事項にないのです。また政府は、子供たちを保護する能力も予算も持ち合わせていません。」と批判した。

これに対して、社会福祉・ジェンダー・児童問題省のジョイス・カマラ次長は、2005年以来、児童人身売買の容疑者13人を有罪(最長で22年を宣告済)にするなど、児童保護に熱心に取り組んでいる、と指摘したうえで、「政府は、シエラレオーネにおける人身売買を根絶しようと全力で取り組んでいる。」と反論した。

米国務省が4月に発表した国別人権状況報告書は、「シエラレオーネ政府は全力で取り組んでいるが、人身売買防止に関わる全ての義務を果たしているわけではない。」と結論付けている。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|トルコ|行き過ぎた新自由主義経済政策が「内なる平和」を脅かす

【アンカラIPS=ジャック・コバス】

「内なる平和を、そして世界に平和を」は、トルコ共和国建国の父であるムスタファ・ケマル・アタトゥルク初代大統領が1931年に打ち出した国是である。これは、因果関係について述べたものであるが、5月末のイスタンブールでの事件を発端にトルコ全土に広がった抗議活動の波は、この因果関係が逆方向でも作用することを示している。

抗議活動が発生して約1週間が経過したが、トルコはそれまで、2011年から中東全域に飛び火した「アラブの春」や欧州南部を席巻した深刻な社会経済不安の影響を免れていた。

今でもなお、経済状況は2000年代ほど好景気ではないものの、依然として好調である。つまり深刻な経済危機に直面している地中海両岸の国々(=北アフリカと南欧諸国)と同じような状況がトルコに持ち上がった主な原因は、政治的リーダーシップの問題である。

与党公正発展党は、好調なエーゲ海沿岸及びイスタンブールの高級不動産に対する外国直接投資と大規模な国営企業の民営化政策により財政改革に成功し、国民の圧倒的な支持を得た。しかしそれと同時に、与党の間ではライバル不在の奢り高ぶる感情が醸成されていった。

この感情は2011年の総選挙で大勝して以来、与党の主要な政治家が政策に関する透明性と説明責任を次第に曖昧にし始めたことに現れている。与党党首で首相のレジェップ・タイイップ・エルドアン氏と側近らは、「一般のトルコ国民の懸念について考え、前回与党を支持しなかった国民の約半数を取り込む努力をすべき」とする信頼できる顧問らの提言に、謙虚に耳を傾けようとはしなかった。

政治プロセスは南欧諸国にみられたような不透明なものとなり、国民の基本的自由に対する政府の態度も、中東諸国のような傲慢なものとなった。「もうたくさんだ」というトルコ国民の突然湧きあがったかのような感情の発露の背景には、こうした与党による政治運営の実態があった。抗議運動がはじまって最初の6日間で、3人の死者と1000人を超える負傷者、そして1700人の逮捕者がでている。

観測筋の中には、今回の危機は「キス」とともに始まったと指摘するものもいる。これは恋人たちが公共の場において愛情表現をすることを禁じた今年5月の政府決定を指している。一方、トルコ国民による不満の兆候はもっと早い時期に遡ると指摘する専門家もいる。

従来から女性は少なくとも3人の子どもを出産すべきと度々表明してきたエルドアン首相は、2012年5月と同年秋に、女性の人工妊娠中絶と出産のために帝王切開を受ける権利を制限する法案を審議しようとしたため、反発した女性団体が抗議デモを行った。

より最近では、トルコ議会(与党が550議席のうち、326議席を占める)が、アルコール飲料の販促と消費を厳しく取り締まる法案を通過させ、エルドアン首相もアルコール飲料に高率の税金をかけると公約する一幕もあった。

President of Ukraine Petro Poroshenko interview with Turkey’s President Recep Tayyip Erdogan/ By President.gov.ua, CC BY 4.0

こうした中、従来与党の経済政策に対する評価から与党を支持してきた世俗派の有権者からは、国民のライフスタイルにまで干渉するエルドアン首相のやり方は受け入れられないとする不満の声が上がり始めていた。

トルコ国民は同時に、資本家階級と労働者階級の間の所得格差を拡大させた与党による行き過ぎた新自由主義経済政策に嫌気がさしている。

ゲジ公園(イスタンブール中心部のタクシムに唯一残った緑地)を再開発してショッピングモールと高級共同住宅にする決定は、今回同地を発火点に全国に広がった反政府抗議運動の原因というよりは、むしろ引き金だったと考えるべきだろう。

既に公園に隣接するジュムフリイェット通り周辺は、商業施設や高級住宅地、ショッピングモールを建設する敷地を確保するために取り壊し作業が進んでいる。またイスタンブールの記念碑的な場所であるタクシム広場(1920年のトルコ革命と世俗的な共和制国家の誕生を記念する碑が建つ場。国の近代化を推進した初代大統領アタチュルクの銅像もある:IPSJ)には、大きなモスクが建設される予定である。

非政府系の独立調査機関が2012年に発表した報告書によると、人口7500万人のトルコには、85,000のモスクが存在し、そのうち17,000は過去10年(=エルドアン政権が発足して以来)に建てられたものである。

それとは対照的に、トルコには学校が67,000校、病院が1,220棟、医療施設が6300件、公営図書館が1435件しかない。トルコ文化観光省の年間予算は、スンニ派を代表する(国民の80%がスンニ派)宗教局の予算の半分にも満たない。

一方、2002年以来、カタールサウジアラビアからの資本と米国及びオランダの年金基金が大半を占める直接投資は、集中的に投機的な高級不動産プロジェクトに向けられてきた。その結果、国際コンサルティング会社CBREによると、トルコでは2000年から2012年の間に、ショッピングモールが46件から300件と急拡大し、イスタンブールだけでも、現在2百万平方メートルの敷地がショッピングモール用地として建設中である。

さらに今年になって一連の民営化計画(鉄道、国営航空、国営エネルギー企業、高速道路、橋梁ネットワーク等)が発表され、巨額の外資を導入した巨大な建設プロジェクト(ボスポラス海峡に架ける3本目の橋、イスタンブールに3つ目となる空港、イスタンブールに中東最大規模となるモスク、そしてさらに多くの高級不動産開発へとつながる人工の第二ポスポラス海峡建設計画等)が進行する予定である。

5月27日に始まった(ゲジ公園の再開発計画に対する)抗議活動は、超然とした政府の行政運営に対する一般市民の不満を反映したものであり、概して自然発生的で平和的なものだった。しかし、全く容赦のない警察当局による弾圧と、エルドアン首相の扇動的な発言にが引き金となって、思わぬ政治危機へと発展してしまった。その結果、今後のトルコの民主主義の行方さえ不透明な状況に陥っている。

IPSでは、トルコの政界関係者と著名なジャーナリストへの取材を行ったが、新たに進行中の事態という事もあり、概して時局を論じることに慎重な姿勢を示した。

トルコ人イスラム神学者で穏健なイスラム教義と宗教間対話を説いてきたフェトフッラー・ギュレン師の個人秘書は、IPSの取材に対して、ギュレン師は今週末にも声明を発表する予定です、と語った。現在ギュレン師は自らの意思で、米国ペンシルベニア州で亡命生活を送っているが、彼の信奉者は世界で数100万人に及んでいる。

5日になっても抗議の勢いが収まるどころか、労働組合に続いて6日には新たに学生組織も抗議行動に参加するとの発表がなされるなど、騒ぎが長期化しかねない事態に及んで、穏健派で政治的にも賢明な采配で評判の高いアブドゥラー・ギュル大統領ビュレント・アルンチ副首相が、警察による過度の暴力を謝罪するなど、事態の収拾に乗り出した。

今後抗議活動が沈静するか否かは、北アフリカに外遊中のエルドアン首相の帰国後の発言内容にかかっている。しかし、デモの参加者を「暴徒」と呼び、「ゲジ公園の再開発計画は予定通り進めるつもりだ。ショッピングモールがいやならモスクを建てるまでだ。」とした外遊前の発言に近いものが繰り返された場合、事態が収拾する可能性は遠のいてしまうだろう(7日に帰国したエルドアン首相は、反政府デモを「破壊行為に走った」と非難し、即時中止を訴えるなど、対決姿勢を明確にした:IPSJ)。

トルコ政治に精通している人々にとって、現在進行している社会不安の状況は、1950年代に覇権主義的な政治を押し進めた中道右派の民主党政権下の状況を彷彿とさせるものがある。

ベテラン議員で社会民主党(SODEP)のフセイン・エルグン党首は、「1957年当時、アドナン・メンデレス首相マフムト・ジェラール・バヤル大統領は、総選挙で47%もの得票率を獲得していたことから自信に満ち溢れていました。」と指摘したうえで、「そして彼らは野党や野党所属の国会議員に対する締め付けを始めたのです。また、国会内に野党勢力を標的とした調査委員会を設けたほか、イスタンブール市内の歴史的建造物を破壊したのです。こうした強権政治がどのような結末を迎えたかはご存じでしょう。」と語った。

事実、独裁色を強めた当時の民主党政権は1960年に軍事クーデターにより崩壊した。トルコの人々は、生存中に再びそのような事態が繰り返されるようなことがないことを願っている。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【ドバイWAM】


アラブ首長国連邦(UAE)のアラビア語日刊紙は6月3日、「連日爆弾テロで多くの無辜の市民が犠牲になっており、状況は悪化の一途を辿っている。」と報じた。

「混迷の度合いを深めているのは国内治安状況のみならず、政治状況も同じである。政治的緊張関係を和らげ、国内治安状況を立て直すのがイラクの政治指導者らがまず取り組むべき責任である。彼らは、各々の個人や派閥の狭量な利益の前にイラクの国益を最優先に行動すべきときに来ている。」とアル・バヤン紙は6月3日付けの論説の中で報じた。

また同紙は、5月中に派閥争いに巻き込まれて犠牲になったイラク国民は死者1000人以上、重軽傷者3000人近くにのぼり、過去5年間で最悪の月となった、と報じた。

ドバイに本拠を置く同紙は「悲惨な状況にあるイラク」と題した論説の中で、「イラク政府は今や国家統一の最大の脅威となっている国内各地のテロ活動に対して万全の体制で断固とした措置をとるべきである。」と指摘した上で、「そのためには派閥闘争に明け暮れてきた全ての政治指導者が交渉のテーブルにつき、イラク国家と国民というより高次元の利益のために、互いの対立点を協議し合い、妥協点を見出さなくてはならない。」「度重なる戦災に今なお苦しんでいるイラク国民にとって、そろそろ安定した統一政府の下で治安が確保され、まともな生活が送れる時代が到来してしかるべきである。」と同紙は報じた。

また同紙は、国連安保理や国際諸機関を含む国際社会に対して、イラク政府がこの重要な時期に、危機を乗り越え、国内の治安回復と政治的安定を達成できるよう、積極的に協力するよう呼びかけた。

同様に、アラブ連盟に対しても、イラク政府が頻発する暴力・テロ問題を解決し、国内の治安と安定を回復できるよう、支援を呼びかけた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

|視点|ボリウッドに映る中印愛憎関係(クーノール・クリパラニ香港大学アジア研究センター名誉研究員)

実効支配線(LAC)として知られるインド・中国間の未確定国境における両国の活動は、1962年の記憶を呼び起こすかもしれない。この年に起こったアジアの2つの巨人の間の国境紛争は、いまだにインド人の心理の中に傷跡を残している。そしてこの心理は、チェタン・アナンドが脚本・監督を務めた1964年の映画『ハキーカット』(Haqeeqat)によって掻き立てられている。他方中国では、この同じ紛争が教科書で言及されることはない。

【シンガポールIDN=クーノール・クリパラニ】

インド映画は、インドの中国との微妙な関係について追求し続けている。友人あるいは敵として描くこともあれば、最近では、両国の長年の友好関係の歴史を基礎にした関係強化の可能性を示唆するものものある。

1962年の国境紛争以前、中印関係は敵対的なものではなかった。両国は、貿易や思想という紐帯によって結び付けられて、長年にわたってヒマラヤ山脈の両側で平和に栄えてきた。両国をつなぐ思想は、最初は仏教の哲学であり、20世紀初頭までには、反帝国主義・反植民地闘争であった。

1938年、あるひとりのインド人青年医師が、医療活動のために中国に向かった。27才だった。中国の抗日を支援せよとのインド民族主義指導者からの呼びかけに促されるように、ドワルカナート・コトニスは、中国での傷病人治療に馳せ参じ、最終的には毛沢東率いる八路軍の兵士になった。彼はここで将来の妻となる女性と出会い、32才の若さで病没した。中国革命の英雄として顕彰されたコトニスの像が、河北省石家荘に建てられている。革命殉教者墓地にある彼の墓は、カナダ共産党の党員・医師であり、八路軍に加わって途上の1939年に亡くなったノーマン・ベシューンの墓に向かい合っている。

この話は、V・シャンタラム監督の1946年の映画『不滅のコトニス博士』を基にしている。この映画は、広がっていた民族主義的感情だけではなく、世界全体での共産主義的な革命闘争を反映したものだ。映画では、中国共産党がジャワハルラル・ネルーとインド国民会議に対して発した、抗日闘争支援の呼びかけについても触れられている。

コトニスはこの呼びかけに応えた。そして大長征でも八路軍と行動を共にし、医師として献身的に赤軍傷病兵の治療にあたった。彼が将来の妻であるQing Lanに言い寄るシーンからは、当時の中印関係の微妙なニュアンスが伝わってくる。彼は、中国茶に「チニ」(ヒンディー語で「砂糖」の意)は要らない、と彼女に語る。この中国人の体は甘さで満たされているということを暗示したのだ。彼らの婚姻について、村人たちには、中印両国の緊密さを象徴するものだと説明された。司令官の聶栄臻(じょう・えいしん)将軍は、インドと中国からそれぞれとって、息子に「イン・フア」(Yin Hua)という名を与えた。

インドと中国が帝国主義のくびきから解き放たれた主権を獲得しようとしていたこの時期は、相互に共感と友情にあふれていた時代であった。国際的な共産主義組織「コミンテルン」が宣伝した価値観が世界中で共有され、中国共産党とインドの民族主義闘争の指導者の間には響きあうものがあった。共通の民衆による闘争が観念され、互いに力を与え合っていた。

しかし、1950年代末までにはインドと中国の間に政治的な対立が持ち上がる。主に、国境紛争とチベット問題をめぐるものだった。中国との友好は難しいものになり、映画の世界も大きく変わった。1950年代末の映画では、密輸者や悪党(『ハウラー橋』1958年)、スパイ(『愛の崇拝者』1970年)として中国人は描かれた。また、中国は国家安全保障上のリスクとみなされ、『青い空の下で』(1959年)に見られるように、民衆間の交流をポジティブなものとして描くことは一時的に禁止された。

『ハキーカット』

1962年の国境戦争の後、レトリックはより厳しいものになった。1964年の『ハキーカット』(「現実」の意)は、ネルーにこの作品を捧げるという宣言から始まる。1962年の人民解放軍による侵攻に際してラダックで国境防衛に従事し、命を捧げた兵士たちの姿を描いている。パノラマ的な場面はラダックの風景の美しさを捉え、インド東北部の荘厳さを映し出している。

映画では、準備を周到に整えた大規模な中国軍に、何の準備も戦略もないインド軍が装備も不十分なまま圧倒される様を対比的に描いている。そしてラダックの人々は、中国軍と戦うインド兵をもてなし、支援している様子が描かれている。ヒマラヤの不安定な高地にある山岳地点に到達したインド兵たちは、中国兵が拡声器で流す、「ヒンディ・チニ・バイ・バイ」(Hindi-Chini Bhai-Bhai)つまり、インド人と中国人は兄弟であるという古いスローガンをひっきりなしに聞かされることになる。

しかし、スローガンは空しく響き、撤退かそれとも「羊やヤギのように……虐殺されるのか」と問う中国兵の姿が次に映しだされる。インド軍は、戦闘の準備をしながらも、先に攻撃してはならないという命令に従う。

映画では、金の飾り物を戦争のために供出する女性の姿、共和国記念日にインド軍を観閲するネルー首相のニュース映像が挟み込まれる。『ハキーカット』は軍服に身を包む男たちを持ち上げる一方で、中国人を無慈悲で友/敵両方の顔を持った存在と描くことで、インド人の連帯感を強め、さまざまな政治的立場の人々に対して、インド存続の危機を訴えている。

『ハキーカット』は中国のプロパガンダにも焦点を当て、中国の意図は拡張主義とアジアの不安定化にあると示唆している。ラダックに終結する中国軍を見つめるインド兵は、敵方の目的は、彼らの祖先(モンゴル人と中国人の混同:IPSJ)であるチンギス・ハーンの精神を実現すること、すなわち、彼らが歩き回ったすべての土地を中国領として奪取することにあるのだろうと冗談を交わす。

あれから約40年、ボリウッド(インドの映画業界)のあるコメディー映画が中国に対する21世紀の見方を表している。中国武術の高揚した雰囲気の中における、ドジで俗物的なインドの英雄についてのコメディーである。2009年の映画『チャンドニー・チョウクから中国へ』(From Chandni Chowk to China、CC2Cと略される)は、はじめて中国ロケを行ったボリウッド映画だ。映画は万里の長城の引きの映像から始まり、中国の伝統的な剣術へとズームしていく。最初に、チンギス・ハーンは中国のもっとも成功した兵士として崇められているという説明が入る。

中国の悪党たちは、残虐で無慈悲だが、きわめて賢い。両者に人種的なステレオタイプがあるものの、映画の中のキャラクターは、人種的あるいは政治的な偏見を互いに持っていない。両者は、怪しげで、けっして高貴とは言えないキャラクターだが、過去のインド映画とは違う描き方になっている。

1962年の中国の裏切りの傷は残っているが、国家の心理は、中国人を完全な形で描くことができるまでには回復している。つまり、今日インド映画に登場する中国人は、悪い人あり、良い人あり、そしてまた、日々の生活にやっとの普通の人々ありと様々である。先述の映画のインドの英雄は、賢い中国の悪人に対して、下卑た人物として描かれているが、最終的には誠実なものが勝つという物語の構成になっている。映画は同時に、洗練された中国武術や中国伝統医療、両国の民衆の間の友情にも価値を認めている。インド人の母と中国人の父との間に生まれた双子サキとスージーがこれを体現するものだ。スクリーン上で中国文化の美しい側面を映し出すボリウッドの能力は、21世紀国家としてのインドの自信のほどを表している。

駐印中国大使が2012年初めに語ったように、ボリウッドのソフト・パワーが今後も続くなら、そして、CC2Cで描かれたような態度が今後も支配的ならば、最近の紛争も、敵意ではなく、友好と相互尊重の精神でもって解決することが可能であろう。(原文へ

翻訳=IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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【バンコクAPIC/IPS Japan=浅霧勝浩

タイは90年代初頭に政府、産業界、メディア、NGOなど社会のあらゆるセクターを動員したエイズ対策を実施して当初の爆発的なエイズの流行を抑制することに成功した世界でも数少ない国であるが、この思い切ったエイズ対策が可能になった背景には、今日もタイで「ミスターコンドーム」と親しまれている人物の活躍があった。

タイでは当初エイズは同性愛者やIDU(薬物常用者:静脈注射の共用で高い確率で感染する)など一部の限られた人々の間に感染する外来の病気であり、最初の事例発見後数年が経過しても一般のタイ人には関係ないと考えられていた。

Mechai Viravaidya
Mechai Viravaidya

 
また、タイ政府は1987年を”Visit Thailand Year”と定め、軌道に乗ってきた外国投資を背景に観光産業を大幅に飛躍させるべく世界各国で政府を挙げた観光客誘致に取り組んでいた時期であり、政府は観光イメージを損なう恐れのあるエイズ問題に対して、沈黙する姿勢をとった。メチャイ・ウィラワイヤ氏は、当時既に欧米で解明されていたHIV/AIDS感染パターンから推測して、買春率が高いタイ社会はHIV/AIDS流行の危機的な状況にあり、政府主導の強力な教育キャンペーンが必要との見解を政権内部で働きかけたが政策に取り上げられなかった。

そこで、メチャイ氏は、官房長官としてではなく、タイのNGOであるPDA(Population & Development Association)の総裁としての立場で、エイズの感染経路と予防法を説明する各種教材(オーディオテープ、ビデオ、パンフレット、本など)を作成し、メディア、政府、産業界に対してエイズ予防キャンペーンを実施した(注1)。しかしそれに対する政府の反応は鈍かった。

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1988年、メチャイ氏は官房長官の職を辞して1年間渡米し、ハーバード大学に客員研究員としてエイズ対策の最先端を研究する一方、ロックフェラー財団を初めとする将来のタイにおけるエイズ対策事業を支援することになる援助機関を開拓した。この頃、タイにおけるHIV/AIDS感染は同性愛者間の流行からIDU間の流行の波に移っていた。

タイ政府は、National Sentinel Surveillance Surveyを開始し、ハイリスク人口における流行状況のモニタリングに着手したが、メチャイ氏が主張する一般国民を対象とした強力な教育キャンペーンは実施されなかった。メチャイ氏はそこで1989年6月にカナダのモントリオールで開催された国際エイズ会議に基調講演者として参加し、タイから送られてくる最新のデータに基づいて、エイズに晒されているタイ社会の危機的な状況を国際社会に対して訴えた(注2)。

その直後、メチャイ氏はタイに帰国したが、政府はエイズ問題を依然として性行動に起因する問題ではなく、あくまでも医療分野の問題とする立場をとり、沈黙を守っていた(注3)。一方、タイのエイズ流行は既に第2波のIDU間の流行を超えて第3波の売春婦間の流行が始まっていた(感染率約6%)。

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メチャイ氏は、”Mr. Condom”と異名をとった家族計画キャンペーン等でのメディアに対する圧倒的な知名度(注4)と政府、産業界、NGO、及び英米学術機関との太いパイプを活用して、あえてタイ「性産業」の既得権益者(売春宿経営者、一部警察・政治家等)の反対を押し切って、大胆なエイズ予防キャンペーンを実施した。

以降、Chuan氏は「性産業」の既得権益層の徹底的な攻撃にあい、新聞各紙もChuan氏の政治生命は長くないと予想する事態となった。ついに当時のチャートチャーイ首相は欧州周遊中、「タイにエイズ問題はない」と改めて言明せざるをえなかった。巨大な既得権益勢力の抵抗にあって、政府も軍も公式にエイズ問題に取り組む姿勢を打ち出すことは出来なかった。
 
 メチャイ氏は、反対勢力に対して先手を打つために、すぐさま、タイ「性産業」の象徴的なパッポン通りにボランティアと賛同者を引き連れて乗り込み、”Condom Night with Mechai”と題した派手なデモンストレーションを実施する一方、タイ政界のトップに対して直接的なアプローチを敢行した。

パッポン通りでは、メチャイ氏は拡声器ごしに「エイズとの戦いに勝つために皆が結束しなければならない。私たちタイ人は嘗て首都アユタヤを2度ビルマ人に奪われたが最後は奪回できた。このエイズとの闘いにも勝つことができるのだ。」と訴え、ヘリウムを充填したコンドームを風船代わりに人目を惹きながら、エイズ防止のメッセージのプラカードを並べて行進した。

会場では、道行く人々を巻き込んで、キャンペーンT-shirtsを懸賞にしたコンドームの膨らまし大会、各種性感染症を表記したダーツを使ったクイズ大会、Miss Condom Beauty(注5)を選ぶコンテストなど、数々の奇抜な催しで多くの群集を惹き付けた(注6)。このイベントにはメチャイ氏の後輩ハーバード大学MBAの学生達がスーパーマンのような衣装に身を包んだCaptain Condomに扮してGo-Go-Barを廻りSafe Sexを訴えた。メチャイ氏自身も、バーやナイトクラブに立ち寄り、コンドームを配布しながら、「これが(コンドーム)あなたの命を救います。このことに慎重でなければ死ぬのですよ。」と訴えて廻った。

この突然のイベントには、タイ国内のメディアのみならず、諸外国のメディアもこぞって取材に訪れた。メチャイ氏は各国のメディアを前に次のように演説した。「タイであからさまにエイズ防止キャンペーンを行うことは、観光客を遠のかせることにはなりません。なぜなら、ニューヨーク、ロンドン、パリといったタイよりもエイズ感染率が高い都市に対して、相変わらず多くの人々が訪れているではないですか。
 

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重要なことは、我々がエイズの問題に正面から真剣に取り組むことで、タイを訪れる観光客に対して、この死をもたらす病の問題について我々は無頓着ではないですよという姿勢をしっかり伝えることです。もし仮にエイズが本当に旅行者を遠のかせるのならば、それは買春目的の観光客ということですからタイにとってはいいことではありませんか。エイズと効果的に戦うために私たちに今残されている時間は3年しかありません。もしそれまでに売春婦を通じて急速に広がっているエイズの流行を阻止できなければ、手の打ちようがなくなってしまいます。」そして、メチャイ氏の主張は、タイ全土のみならず、世界各地に配信され、大きな反響を引き起こした。

次に、メチャイ氏は、タイ政界の実質上の最高権力者であるチャートチャーイ首相及びChavalit将軍へのアプローチを試みた。メチャイ氏は、まずチャートチャーイ首相に対して、首相を首班とする国家エイズ対策委員会の創設を具申したが、拒否されたばかりか、政府が管轄する488のラジオ局と6つのテレビ局においてエイズ関連の情報を放送することも断られた。

しかし、Chavalit将軍は、近年深刻化していたタイ軍人間のエイズ感染の拡大と保健省発表の数値の低さ(注7)に懸念を持っており、「3年以内に対策を講じないと手遅れになる」と主張するメチャイ氏の主張を受け入れ、1989年8月14日、上記政府系メディアの中から軍が実質的に管轄する3分の2を動員して3年間に亘るエイズ防止教育キャンペーン(注8)を実施することを発表した。

一方チャートチャーイ政権は、それでも様々な理由を挙げて抜本的なエイズ対策を実施することに抵抗した。例えば、政府がエイズ対策に慎重な理由として、1.エイズの流行は一時的でまもなく収束するとの説を挙げる、2.予算不足から段階的な戦略を立てる必要性を強調する、3.エイズ感染関連情報は、他国がタイを中傷するために使用することを防ぐために徐々に公表していく必要性を説く等、を挙げたが、その間にも、HIV/AIDS感染は急速に深刻化し、1990年の2月にはタイ全国の関係者を戦慄させるチェンマイ大学によるタイ北部(Chiang Mai, Lampang, and Lamphun)で実施されたランダムサーベイの結果が報告された。
 
 これによると、性感染によるHIV/AIDS感染率は保健省発表の全国数値10%を遥かに上回る59%~91%にのぼった。また、チェンマイの売春婦における感染率は44%~72%で一般の庶民が出入りする下級売春宿ほど感染率が高い傾向が確認された。また、感染者の44%は未成年で、売春婦として働いて6ヶ月から1年で約70%がHIV/AIDSに感染しているという結果が出た。

そして、この傾向は1990年6月に発表された全国の売春宿の女性を調査した保健省のNational Sentinel Serveillance dataでも前年を6%も大幅に上回る14%という結果で裏付けることとなった。(後半に続く)

注1:「もしタイ人が今エイズの脅威に気付かなければ、すぐにエイズは蔓延し手をつけられない事態になる。」「私たちはこの病気を抑えこまなければならない。今、行動しないと、手遅れになるかもしれない。」(Mechai Viravaidya, 1987)

注2:この際、タイにおいてもエイズは6つの波(1.男性同性愛者、2.IDUs、3.売春婦、4.買春顧客、5.買春者の妻又は恋人、6.母子感染)を経て蔓延すると警告した。「エイズがタイの一般市民の間に爆発的に広がる事態を回避するには、今すぐにタイ社会の全てのセクターの参加を得て圧倒的なエイズ対策教育を実施しなければならない。」(Mechai Viravaidya, 1989)

注3:一方、タイ政府の中にもエイズ問題に積極的に取り組むべきとの意見は出始めていた。当時公衆衛生大臣のChuan Leekpai氏は1988年10月、「エイズはタイにとって深刻な問題であり、これ以上の感染を防ぐためにも、我々はタイの巨大な『性産業』を抑制しなければならない。」と発言し、マレーシア政府がタイ国境地域の売買春産業地域Hat Yaiへの買春観光自粛を勧告して地元「性産業」関係者と対立した際にも「性産業」を擁護しない姿勢をとった。

注4:メチャイ氏は、タイ政府の国家経済開発局を皮切りに政府官僚として国内の開発問題に取り組む一方、GNPというペンネームでタイの貧困問題、経済格差など開発に関する本音の部分を新聞・雑誌に寄稿し、タイ内外で好評を博した。また、Nicholaというペンネームで人気ラジオのパーソナリティーを勤めたり、人気テレビドラマに主役で登場するなど、タイのメディアでは若い頃から有名人であった。

注5:「私はミスユニバースに対抗してミスコンドームのビューティーコンテストをプロモートしたい。なぜなら、こちらの方が多くの人の命を救うことになりますからね。」(Mechai Viravaidya, 1989)

注6:これらの手法は家族計画キャンペーンの際に使用したものを参考に実行されたが、今回のエイズ防止キャンペーンは、家族計画キャンペーンの時のようなジョークとユーモアで群集を惹きつけるという手法はとらなかった。この点をメディアに質問されてメチャイ氏は、「確かに家族計画の時には常にユーモアを使っていたが、エイズにユーモアは使えない。人が死ぬことに関してなんら可笑しいことはないからね。」と答えている。

注7:1989年の保健省発表のHIV/AIDS感染者数は10,000人であったのに対して、他のサーベイデータは150,000人から200,000人を示していた。

注8:キャンペーン広告の作成にはメチャイ氏のハーバード時代に支援を約束したロックフェラー財団が資金支援に乗り出した。このようにタイ国軍が全面的にメチャイ氏のエイズ防止キャンペーンを後押ししたことから、他のタイ政府系各局の中にも国軍系メディアの前例に従うところも出てきたが、一方で、メーチャイ氏のエイズ宣伝は過剰でタイの観光産業に悪影響を及ぼすとする政府内の批判も根強く、エイズ関連情報の放送を徹底的に拒否する放送局も少なくなかった。

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