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減災には弱者に配慮した救援計画が不可欠

【デーラダン(インド)IPS=マリニ・シャンカール】

インド北部ヒマラヤ山脈の麓に位置するウッタラーカンド州では、今年6月14日から4日間降り続いた大雨により洪水と地滑りが発生し、少なくとも千人が死亡、数千世帯が家を失った。その後現地では、洪水の犠牲になった父親が帰ってくると信じて、毎日ヘリコプターの発着場に通っている子どもの話がささやかれている。

「実はこのような悲惨な話は、被災地では無数にあるのです。」と国際援助団体「セーブ・ザ・チルドレン」(STCのレイ・カンチャールラ氏は語った。

自然災害に見舞われた際、最も弱い立場にあるのは子どもたちである。子ども、女性、病弱者、お年寄りには、被災地において特殊なケアと注意が必要である。彼らは、かりに生きながらえたとしても、災害後の事態に対応することが困難だし、捜索救援隊に発見されても、食糧支援や救援物資を手に入れることができないかもしれない。

近親者から引き離された経験は、とりわけ子供たちにトラウマを引き起こす原因の一つである。捜索救援隊は、任務の緊急性からして、作業スピードを最優先する傾向があり、家族や集団のうちまだ何人が行方不明であるのかを確認する時間が取れないことも少なくない。また、発見された生存者を一刻も早く救済する立場から、各地に点在する避難所にその時の状況に応じてばらばらに送ったりすることもある。一方家族との再会に向けて尽力するのは、災害対応責任者や救援機関の仕事とされている。

2010年1月、パプアニューギニアを地震と津波が襲った。報じられた死亡者のすべてが、寄る辺ない子どもたちだった。被災地では以前から「減災」訓練が実施されていたが、大人が対象だったため、「潮が引いたら津波の予兆」だという知識は子どもには行きわたっていなかった。

「大人は、潮が引いたら津波到来の前兆だということを知っており、高台に逃げたので、犠牲者は一人もでませんでした。不幸な犠牲者は、みな子どもでした。」とFM局「ニュー・ドーン」(新たな夜明け)のアロイシウス・ラウカイ氏はIPSの取材に対して語った。

高齢者に対する支援活動を行っているNGO「ヘルプエイジ・インディア」のアアプガ・シン氏は、ウッタラーカンド州での洪水災害の後、「災害が起こりやすい地域においては、病弱者やお年寄りの所在地をあらかじめ把握しておくのが極めて重要です。そうしておけば、緊急時に効率的に救援できるほか、救援物資を配布する際にも、後回しにされがちな弱者への救援が可能となります。」と語った。

最近の自然災害の中でも、必ずと言っていいほど、両親や家族と生き別れてしまった子どもたちのケースがある。2004年12月に発生したインド洋大津波でも、7才の少女が家族と生き別れてから約8年後、ようやく2012年になってインドネシアのスマトラで家族と再会できた。

人びとの記憶は短いが、生存者のトラウマは一生涯続く。惨禍に見舞われた地域では、災害がふたたび起きることを避けるために、自然災害や救援活動から得られた全ての教訓を公開記録として残していかなければならない。

このインド洋大津波、インド・ビハール州でのコシ洪水(2008)、バングラデシュやインドを襲ったサイクロン「アイラ」(2009)、インド・オリッサ州でのスーパー・サイクロン(1999)、インド・アッサム州での洪水(2012)、ウッタラーカンド州での洪水(2013)ののち、家族の別離があちこちで起きた。

NGO「プラン・インディア」のムラリ・クンドゥル氏は、子どもたちのトラウマは、「指しゃぶり、おねしょ、親へのしがみつき、睡眠障害、食欲喪失、闇への恐怖、行動における退行、友人や日常生活からの引きこもり」といったところに現れてくる、とIPSの取材に対して語った。

家族別離のトラウマに苦しむ子どもが食欲不振に陥った場合、文化に配慮した食料安全保障がきわめて重要な意味を持ってくる。

別離によるトラウマと被災地における生存競争に立ち向かわざるをえないのとは別に、女性や子どもは、とりわけ、水不足と衛生環境の悪化に対して脆弱な立場にある。

「栄養のある適切な食事をとらないと、子どもも大人も免疫力が低下し、「下痢やコレラ、腸チフス、呼吸器の感染、皮膚や目の感染」といった水を介した疾病に罹りやすくなるという。「これらは、水供給や衛生サービスが災害によって機能しなくなると発生しやすくなります。」とクンドゥル氏は語った。

乳飲み子を抱えた母親が被災して家を失った場合、避難所はジェンダーに配慮し適切なプライバシーが保たれた場所でなくてはならない。同時に、避難所は、身体に問題を抱えている人びとのニーズに合わせたものでなくてはならない。例えば、避難所を建築する段階で、車椅子の被災者用のスロープを付けるといった配慮が必要なのである。

ウッタラーカンド州の洪水では、(高地の避暑地として有名なナイニタール等の)観光地の経済が大きな被害を受け、観光で生計を成り立たせている人びとが、雇用を求めて平地にある大きな都市や町に流入した。

「災害によって大人が生活のために移住すると、子どもたちの教育が影響を受けることになります。多くの場合、青年期の男子が家族の面倒を見る立場になり、小さな子ども、とりわけ男の子が生活のために学校を離れたりして教育が中断し、生涯にわたる影響をこうむることになるのです。」と「エイド・エ・アクション」のシェクハール・アンバティ氏は語った。

またこうした子どもたちの収入を補うべく、女性たちも外に働きに出るようになると、家事が滞り、残された幼い子ども達の栄養状態が悪化することになる。

地域活動家のK・ヘマラサ博士は、開発によって引き起こされた移住に関する調査報告書に、「約25%の子どもが学校を辞めざるをえなかったとの知見が得られた。これは、移住によって人びとが蒙るリスクのひとつだ。」と記している。アルン・アントニー神父、ピタンバリ・ジョシャルカル氏との共著で出されたこの調査報告書は、バンガロールのクライスト大学によって出版されたものであり、国際カトリック大学連合からの資金提供によって作成されたものである。

配慮に欠ける救援対策は、災害時にかえって弱者を追い詰める「人災」を引き起こしかねない。従って、効率的な減災を実現するには、事前計画が大いに役立つ。つまり、人口、消費パターンに関する知識、生活水準、人間開発指標(HDIについてのデータベース管理を計画の中に盛り込み、災害にあいやすい地域における、特に子どもや弱者に対する災害の影響を弱めるようにしなくてはならない、と活動家らは指摘している。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【アブダビWAM】

国家統計局(NBS)によるとアラブ首長国連邦(UAE)の観光セクターは世界的な金融危機後の3年間で8%成長した。

NBSは「世界観光の日」にあたる9月27日、UAE観光業の成長率はこの1年で2.9%と引き続き順調な伸びを示しており、UAE全体のホテル数も575件(その内69%に当たる399件がドバイに立地)に増加した、と発表した。

アブダビのホテル数はドバイに次ぐ2位で81件(14%)、3位はシャルジャの46件(8%)であった。そして残りの4首長国(アジュマーン、ウンム・アル=カイワイン、フジャイラ、ラアス・アル=ハイマ)のホテル総数が残りの9%を占めている。

またUAE観光産業が提供したホテル客室数は8.2%伸び、2012年を通じて総計88116室に達した。またUAEを訪問した観光客数は2011年の間に19.3%伸び、2012年には1310万人に達した。


観光客の内訳をみると、全体の16%がUAE国籍、13%が湾岸協力会議加盟国(UAE・

バーレーン・クウェート・オマーン・カタール・サウジアラビア)からの訪問者、7%がその他のアラブ諸国からの訪問者であった。また、欧州からの訪問者が33%を占め、残りの31%がその他の国々からの訪問者であった。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【ジェイランプナル(トルコ)IPS=カルロス・ズルトゥザ】

夕刻、(国境を挟んだシリア領内で)銃撃戦が激しさを増す中、村の人々が走って自宅に駆け込んでいる。シャー・メフメトさん(42歳)にとって、これは初めての経験ではない。メフメトさんが、故国アフガニスタンの村を離れて、シリア北東部ラス・アルアイン(Ras al-Ain)と国境をはさんで向かい合うトルコのジェイランプナル(Ceylanpinar)という小さな国境の街に移ってきたのは11歳の時だった。

「村の人たちは皆、恐れおののいています。なにせ既に(シリア側で放たれた)3発もの砲弾がこの近くに着弾しているのですから。」とメフメトさんは語った。アフガニスタン北部バグラン(カブールの北200キロ)生まれのメフメトさんは、1982年以来、トルコの首都アンカラから南東800キロに位置するこの国境地帯の街に住んでいる。

ここは、シリア内戦の影響を最も受けてきたトルコの街である。

「ジェイランプナル」とは、1921年のオスマントルコ帝国の分割に伴って南北に分断されたラス・アルアイン(=クルド語名称セレーカニィエー)の北側(トルコ領)に付けられたトルコ語の名称である。一方街の南側は当時フランス委任統治領シリアの一部となったことから現在はシリア領の一部となっている。冷戦下のベルリンを髣髴とさせる分断都市だが、ここでは、「壁」の代わりに街を東西に貫く「鉄道路線」(両サイドから有刺鉄線が張り巡らされている)が「国境」となっている。

この鉄道路線は第一次世界大戦の戦後処理で戦勝国がトルコとフランス委任統治領シリア間の国境線と定めたラインで、この町のクルド系とアラブ系住民はそれ以来、分断されたままとなっている。同大戦で敗れたドイツ帝国とオスマントルコが推し進めたバグダッド鉄道(3B政策)の付けをここの住民が払わされた歴史に翻弄された街である。

今日、ジェイランプナルの住民は、事実上通りの向こう側で起きている銃撃戦の流れ弾や標的を外れた爆弾による一方的な被害に苦しんでいる。

「私がジェイランプナルに移り住んできたのは3歳の頃なので、故郷アフガニスタンの記憶はほとんどありません。」と取材に応えてくれたのはアディガール・アルズピナールさんだ。一方彼は、今では約2000人に及ぶアフガン難民のコミュニティーがどうしてこの国境の町に生まれたかのいきさつは知っている。

「1982年に80年の軍事クーデターで政権を掌握したケナン・エヴレン大統領(当時)が、アフガニスタンを公式訪問しました。大統領は帰国後、この地にアフガニスタン難民のための300戸の住宅を建設することを決めたのです。」

しかしこの辺境の地では就労機会も乏しく、今では「数メートル先」の紛争の影響を受けていることから、近隣住民の中には、この地を離れてイスタンブールやアンカラの南西500キロに位置するトルコの主要観光リゾート地であるアンタルヤに移り住んでいったものもいる。

彼らが去った後には、32年前にアフガン難民の家族に支給された灰色の粗末な作りの住宅群が空き家となって、その間を真っ直ぐ通り抜ける、これもその当時のままの未舗装の通りとともに残された。

「神様、戦争を起こすものには天罰をお願いします。」と語ったのはカブールの北230キロにあるクンドゥズ出身のアフガニスタン難民のグルシャンさん(75歳)だ。「トルコ政府が、線路の向こう側で戦っているアルカイダを支援しているって本当ですか?」彼女は最近街で話題となっている噂について語った。

その真偽のほどば別として、多民族が平和裏に暮らしてきたジェイランプナルにおける生活が、線路の向こう側で起こっている戦争によって、目に見えて変化してきているのは明らかだ。

イスマイル・アルシャム市長(クルド人政党所属)は、街の現状を大変憂慮している、と語った。

「これまでに、4人の住民が殺されとほか、怪我を負った住民も40人を超えます。線路の向こう側(シリア側)で戦闘が始まったら、家の中にとどまるよう頻繁に注意してきましたが、このところ戦闘が激しさを増し、家の中で流れ弾に被弾して怪我をしたもののでてきています。」

アルシャム市長は、「トルコ政府は、実は(アサド政権と戦う)イスラム教徒の戦士を国境を越えて送り出しているのです、と指摘したうえで、「この国境地帯には、反シリア政府のイスラム聖戦を訴える戦士が数多く集結しています。トルコ政府は、シリア側に越境して戦うこうした戦士たちを兵站面で支援しており、負傷兵をトルコ側で収容して地元の病院で治療にあたらせる支援まで行っているのです。」

トルコ政府の狙いは、シリア北部に多数居住するクルド人が(トルコと国境を接する)北部の支配権を掌握しないよう、シリアのクルド勢力を牽制することなのです。

約300万人にのぼるシリアのクルド人は、シリア騒乱が2011年に始まった当初からアサド政権とも反政府勢力とも距離をおいて、中立の立場をとってきた。そして、かわりにクルド人口が多数を占める地域の支配権拡大に勢力を傾けてきた。

与党公正発展党のムサ・チェリ知事は、「シリアのクルド勢力がイラク北部に実現したような自治区をトルコ国境と接するシリア北部に設立する事態など決して望んでいません。」と語ったが、市長によるトルコ政府批判については「事実と異なる」として強く否定した。

「トルコ政府がそのようなことをする(=シリアの反政府勢力を支援する)など決してあり得ません。」とチェリ知事はIPSの取材に対して語った。

このようにトルコ政府のシリア内戦への関与の実態という政治的に微妙な問題については見解が分かれる知事と市長だが、ことアフガン難民のコミュニティーに対する認識については、「平和的でよく働く人々で、地元住民から何ら不満の声を聞いたことがない」という点で一致している。

アフガン難民の中には地元住民と結婚したものも少なくない。「私の母はアフガニスタン人で母はクルド人です、でも家での共通語はウズベク語です。」と、20代前半のエミルハン・セリカレさんは語った。

ジェイランプナルに定住したアフガニスタン難民は皆、ウズベク族出身者である。トルコ族もウズベク族も元は中央アジアにルーツを持つため、両者の言語には共通点が多く、ここのアフガニスタン難民が地元社会への統合を果たすうえで、言葉の共通点が大いに助けとなった。

ここに定住した今は年老いた元アフガニスタン難民全員が、必ずしも故郷への帰還を切望しているわけではない。長く白い髭を誇らしげに蓄えたアブドゥッラー・オンダ―さんは、新婚間もない27歳の時にジェイランプナルに到着した。

「私たち夫婦は元はタジキスタン国境近くの小川の畔にある美しい石造りの家に住んでいました。」と、自身が営む小さな八百屋で取材に応じてくれたオンダーさんは、アフガニスタンからトルコに移ってきた経緯を語ってくれた。「私たちは故郷の村を離れて、まずはカブールから南西731キロに位置するヘルマンドを目指しました。そしてそこからイランに越境し、そこで1年以上暮らしたのち、最終的にこの町にたどり着きました。」

オンダーさんはアフガニスタンに戻りたいとは思っていないという。「私はこの街で人生を終えるつもりです。その後アフガニスタンの状況が良くなったかどうかご存知ですか?」と、オンダーさんは夕刻の礼拝のために店のブラインドを下ろしながら尋ねた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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「核なき世界」を引き寄せるヒロシマ・ナガサキ

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【ベルリン/広島IDN=ラメシュ・ジャウラ】

「ヒロシマ・ナガサキという日本の2つの都市に対する原爆投下から70周年を記念して、世界の指導者、国連高官、市長、市民社会の代表がサミットに集い、核兵器は2020年までに違法化されることを宣言し、核兵器禁止条約に可及的速やかに合意するようすべての政府に求める。」

核兵器なき世界をもたらす気運が継続し、2015年の広島・長崎への原爆投下記念日に核廃絶サミットを開催すべきとの池田大作創価学会インタナショナル(SGI)会長の提言が実現すれば、2015年8月の報道発表はこういうものになるかもしれない。

池田会長は、彼が言うところの「平和原点の地」である広島市で9月24日に開催された「核兵器なき世界への連帯―勇気と希望の選択」展に寄せたメッセージで、この提案をくり返した。世界192の国・地域の会員を抱えるSGIは、創価学会の戸田城聖第2代会長が冷戦さなかの1957年に「原水爆禁止宣言」を発表して以来、平和活動に取り組んでいる。

Daisaku Ikeda/ Photo Credit: Seikyo Shimbun

1980年代、SGIは広島市・長崎市の協力を得て、「核兵器―現代世界の脅威」展を制作。核兵器が及ぼす深刻な影響に関する世論の関心を高めることが目的であった。同展示は、国連の世界軍縮キャンペーンの一環として、核兵器国を含む世界各地で開催された。

SGIはまた、戸田第2代会長による「原水爆禁止宣言」の発表から50年にあたる2007年からは、「核兵器廃絶への民衆行動の10年」という新たな国際キャンペーンをスタートさせた。「核兵器廃絶への挑戦」展は、このキャンペーン立ち上げの最初のプロジェクトとして、SGIが制作したものである。

同展示は、人間の安全保障の観点から核兵器の問題を問うものだった。現在までに世界31か国・地域の230以上の都市で開催し、今年3月には、中東のバーレーンの地で初開催。同国の外務大臣も出席するなど、大きな反響を呼んだ。

「核兵器なき世界への連帯―勇気と希望の選択」展はこれらの経験を基礎としている。「今回新たに、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の協力を得て制作した本展は、核兵器のもたらす影響を、より多くの人々に認識してもらうために、環境や人権、ジェンダーなど12の観点から分析するとともに、核兵器は私たちにとって本当に大切なものを守る存在なのかを問いかける内容となっております。」と創価学会の副会長であり、SGIの平和運動局長でもある寺崎広嗣氏は語った。

同展示の英語版は、2012年に広島で開催された核戦争防止国際医師会議(IPPNWの第20回世界大会で初めて公開された。その後本展示は、本年3月にはオスロでの政府間国際会議に先立って行われたICAN市民社会フォーラムにて、更に4月にはジュネーブの国連欧州本部で行われたNPT(核不拡散条約)運用検討会議第2回準備委員会にて開催された。

池田会長が強調するように、展示の主催者らは「『核兵器による悲劇を誰にも味あわせてはならない』『人類と核兵器は共存できない』という、被爆者の方々とすべての広島市民からのメッセージを、世界と共有することの重要性を身に染みて」感じている。

「核兵器の拡散がかつてないほど進み、その脅威が乱反射する現代にあって、こうした『広島の心』こそが、もし私たち人間が平和を実現しようとするのならば、国や民族の違いを超えて共有していくべき平和の根本精神なのです。」と池田会長は付け加えた。

分岐点

先ほどの想像上の報道発表が2015年8月に実現するかどうかは別として、最近の動きをみると、核兵器の問題をめぐって、大きな潮目の変化が生じつつある。

議論はようやく、冷戦時代以来の抑止論的な安全保障観に終始するものから、「核兵器の非人道性」の観点を、核軍縮と拡散防止に関する協議の中心軸に据えることを求める新たな枠組みに進みつつある。

一つの画期的な取り組みは、2012年5月、ノルウェーやスイスなどを中心とした16か国が、核兵器がもたらす人道上の深刻な懸念を強調した上で、「全ての国家は、核兵器を非合法化し、核兵器のない世界を実現するための努力を強めなければならない。」と訴える共同声明を発表したことである。以来、このテーマに関する共同声明が積み重ねられ、最近の「核兵器の人道的影響に関する共同声明」には80か国が署名している。

また、国際赤十字・赤新月運動の声明は、議論の方向を変え、核兵器をめぐる議論を「人道」の観点から論じるものに見直す必要性を強調した点で、重要な弾みを与えるものであった。さらに9月26日に開催された「核軍縮に関する国連総会ハイレベル会合」もまた、核兵器なき世界の必要性を強調した。

「今、広がりをみせつつある『核兵器の非人道性』を厳しく問う国際社会の動きを、核兵器の禁止と全廃の実現につなげていくためには、核兵器保有国を含めた、さらに多くの国々の決断と政策転換が欠かせません。」と池田会長は指摘した。

「核兵器を違法化し廃絶する方向に進もうとするならば、これは必要なことです。そして、この目的に向けた気運を強化するには、『核兵器による悲劇をだれにも味あわせてはならない』との『広島の心』を共有する、世界の幅広い民衆の連帯を強化しなくてはなりません。」と池田会長は付け加えた。

こうした状況を背景に、2013年の「広島平和宣言」が原爆を「非人道兵器の極みであり絶対悪」と表現したことは特に重要な意味を持っている。松井一實広島市長は、展示会のオープニングセレモニーの挨拶の中で、「原爆の地獄を知る被爆者の方々は、常にこの『絶対悪』に挑み、核兵器の非人道性と平和への思いを訴えてきました。……広島市は、そうした多くの被爆者の願いに応え、核兵器廃絶に取り組むための原動力となるべく、平和首長会議を構成する5700を超える加盟都市とともに、国連や志を同じくするNGOなどと連携して、2020年までの核兵器廃絶をめざし、核兵器禁止条約の早期実現に全力で取り組んでいます。」と語った。

そして松井市長は、「世界の為政者の皆さん、いつまで、疑心暗鬼に陥っているのですか。威嚇によって国の安全を守り続けることができると思っているのですか。広島を訪れ、被爆者の思いに接し、過去にとらわれず人類の未来を見据えて、信頼と対話に基づく安全保障体制への転換を決断すべきではないですか。」と呼びかけた。

この展示は、環境、経済、安全保障、人権、ジェンダー、科学など様々な角度から、核兵器の存在が今日の世界に及ぼす悪影響を再検討するものになっている。SGIとICANは、この展示が「核兵器の問題を自分自身に深くかかわる問題」として見つめなおす機会を提供しながら、「核兵器のない世界」を求める民衆の連帯の裾野を大きく広げることを望んでいる。

池田SGI会長が論じているように、「『核兵器のない世界』の建設は、単に、核兵器の脅威をなくすだけではない。それは、平和と共生に基づく時代を民衆の手で開く挑戦にほかならない。そしてそれは、将来の世代を含め、すべての人々が尊厳ある生を送ることのできる『持続可能な地球社会』の創出へとつながる道である。」

この意味で、湯崎英彦広島県知事は展示会において正しくもこう指摘している。「広島から世界に、平和に向けたメッセージを発信するとともに、平和貢献活動を持続的に支援する仕組みの構築に向けて、取り組んでいるところです。今後とも、こうした取組を国内外の様々な主体と協働しながら、着実に積み重ねていくことで、広島が世界恒久平和実現のための世界の中心的拠点となることを目指して取り組んでまいりたいと考えております。」(原文へ

翻訳=INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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|UAE|IRENAとNEDOが共同で再生可能エネルギーの専門家育成事業を開始

【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)のアブダビに拠点を置く「国際再生可能エネルギー機関」(IRENA)と日本の「独立行政法人新エネルギー・産業技術総合開発機構」(NEDO)は、9月25日、共同事業として、新興国や開発途上国における再生可能エネルギーの技術専門家を育成するための研修事業を開始した。

9月25日にアブダビで開催された開講式には、IRENAとNEDOが各々のネットワークを通じて今後再生可能エネルギーの市場創出が見込まれる新興国等から募集・選別した27か国・38人の研修生が参加した。研修生らは、10月11日まで、アブダビ、東京、大阪の3ヵ所で、太陽光発電の技術を中心とした研修を受講する。

IRENA(事務局本部アブダビ)は、世界規模で再生可能エネルギー技術の移転を促進し、実用化や政策の知見を提供することを目的として2009年に設立された国際機関である。一方、IRENAへの資金支援を行っているNEDOは、国際的なエネルギー課題の解決や、日本のエネルギー関連産業の海外市場展開・市場獲得を目的に設立された、日本最大の研究開発管理組織である。
 

研修プログラムは、日本の太陽光発電技術開発の経験やノウハウを、官民両セクターから選抜されてきた研修生らと共有し、最終的には彼らが研修成果を実務で直接活用可能なものにすることを目標としている。
 

この共同研修事業は、NEDOとIRENAが、2012年1月に締結した協力協定書(MOU)に基づき実施される最初のプロジェクトである。

研修プログラムでは、NEDOとIRENAの専門家や関連企業の技術者らが講師を務めるほか、研修生は、各種の集中的な実地訓練を受けるとともに、アブダビにあるマスダールシティの太陽光発電プラントや、大阪及び東京の太陽光発電システムの製造工場や電力会社を見学する。

また研修プログラムでは、太陽光発電システムに関する、プロジェクトの企画・立案、事業性評価や、太陽光発電システムの設計・施工、運転・保守等に関して座学及び実習を受けることになっている。そして研修生らは、各々の故国だけではなく世界への再生可能エネルギー技術の導入拡大と、国際的なエネルギー課題の解決に貢献することが期待されている。

開講式後、研修生らはアブダビのマスダールシティにある10メガワットの太陽光発電プラントを見学した。このプラントは中東地域で最大規模のもので、年間17,500メガワットを発電し、15,000トンのCO2を削減(=アブダビの自動車を3,300台削減するのに相当)している。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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国連、核実験の世界的禁止に向けて圧力

【ニューヨークIDN=ジャヤ・ラマチャンドラン】

包括的核実験禁止条約(CTBTが署名開放されてから17年、国際連合は、この条約が「できるだけ早い時期に」発効するよう促す新しいイニシアチブを開始した。

183のCTBT加盟国の外相や高官代表者らは、残り8か国(中国、朝鮮民主主義人民共和国、エジプト、インド、イラン、イスラエル、パキスタン、米国)に対して、CTBTを署名・批准し、「世界から完全に核爆発実験をなくす」よう求めてきた。これら8か国による批准が、条約発効のために不可欠の要件となっている。

ニューヨークの国連本部で9月27日に開催された「CTBT発効促進会議」において全会一致で採択された「最終宣言」は、「核軍縮および核不拡散に向けた体系的かつ漸進的な取り組みのための重要な実践的ステップとして、CTBTの早期発効を達成する重要性および緊急性」を確認している。

宣言はまた、北朝鮮による一連の核実験に対する国際社会の非難は、「条約が規範的強さを持っていることの証左であり、核爆発実験を認めない意思を強化することを示している。」と指摘するとともに、「すべての核爆発実験およびその他すべての核爆発の停止は、核兵器の開発および質的向上を抑制し、先進的な新型核兵器の開発を終わらせることによって、あらゆる側面において核軍縮および核不拡散の効果的措置となる。」と論じている。

宣言はさらに、「核実験の終結は、核兵器を世界的に廃絶するという目標、および、厳格かつ効果的な国際管理の下での一般的かつ完全な軍縮の実現における意味あるステップである。」と指摘するとともに、「ニューヨークにおける国連安保理核不拡散・核軍縮サミット(2009年9月24日。決議1887を採択)と、2010年核不拡散条約(NPT)運用検討会議最終文書の全会一致での採択が、とりわけ、CTBTを発効させようとの継続的な強い国際的意思であることを示している。」と述べている。

国連の潘基文事務総長は、開会のあいさつで、「この非差別的な兵器の開発に強く反対し、より安全な世界を求める、世界のすべての人々を代表して、私はこのように呼びかけているのです。」と述べ、すべての未署名・未批准国に対して速やかにCTBTを署名・批准するよう求めた。

潘事務総長はまた、1919年の「兵器・弾薬貿易の管理に関する条約」や1925年の、「兵器・弾薬および戦争手段の国際貿易監視に関する条約」が最終的に発効しなかった前例に言及しながら、「歴史は、各国に批准させるためには、粘り強い働きかけが必要だということを教えてくれています」と語った。

「これらの後退の後、通常兵器の移転を管理するための新たな多国間条約である『武器貿易条約』を諸政府が採択するのに88年かかりました。国際社会は、CTBTが発効しなかった場合、核実験を違法化する試みを再生させるためにそんなに長く待つ余裕はないでしょう。」「朝鮮民主主義人民共和国による度重なる核実験は、今こそ行動の時であるという警告として受け止めるべきでしょう。」と潘事務総長は強調した。

結束する力

包括的核実験禁止条約機構(CTBTO)準備委員会のラッシーナ・ゼルボ事務局長は、9月26日に開催された「核軍縮に関する国連総会ハイレベル会合」は、「多国間の核軍縮・核不拡散体制に新しい命を吹き込む国際社会の決意を示すものでした。」と指摘したうえで、各国の代表に対して、「CTBTには多国間システムを結束する力があります。今日、CTBT発効の見通しは、数年前よりもずっと明るいものになっています。この機会をつかみ、夢を実現するために必要な行動を決定するのは、皆さんがたにかかっているのです。」と語りかけた。

一般的に「第14条会議」と称され1999年以来隔年に開催されている「CTBT発効促進会議」は今回で8回目を数え、ハンガリーのマルトニ・ヤーノシュ外相とインドネシアのマルティ・ナタレガワ外相が共同議長を務めた。マルトニ外相は、開会のあいさつの中で、「批准していない残り8か国との対話に特に力を割くべきだ」と指摘するとともに、「我々は、CTBTに加入することのみが安全保障と地位を高めるための唯一の手段であることを、これらの国々に納得させる努力を惜しまないだろう。」と語った。

ハンガリーは、CTBTを批准した最初の国のひとつである。ブルキナファソ出身のゼルボ氏が昨年8月に就任するまで8年間にわたってティボール・トート氏(ハンガリー出身)がCTBTOの事務局長を務めていた。

ナタレガワ外相は、インドネシアが2012年2月6日にCTBTを批准したことに言及して、「インドネシアは昨年、残りの『附属書2』に掲げられている発行要件国(原子炉を有するなど、潜在的な核開発能力を有すると見られる44か国:IPSJ)の批准を促進するあらたな推進力を生むべく、CTBTを批准しました。我々はまた、核軍縮と核不拡散に対する我が国の固い決意を示したかったのです。」と述べた。

またナタレガワ外相は、「核爆発実験のモラトリアムが続いていることは重要ですが、あくまで一時的な措置に過ぎません。核爆発実験の恒久的な停止を保証するものではないのです。」と付け加えた。

会議に参加した諸国は、ギニアビサウが今年の9月24日に、さらにイラクが9月26日にそれぞれ条約を批准したことを歓迎した。これによって、条約批准国の合計は161に増加した。

会議では、CTBTの批准を促進する11の具体的措置に合意した。たとえば、二国間・地域的・多国間の勧誘活動への支持、市民社会との協力、条約の重要性に対する意識を喚起することによって署名・批准国数を増やすことを目的としたその他の活動の奨励などが挙げられる。

賢人グループ

「最終宣言」はまた、条約の目的を推進し条約発効を促進するために9月26日に立ち上げられた「賢人グループ」を歓迎した。

ゼルボCTBTO事務局長は、「『賢人グループ』は条約の発効プロセスに新しいエネルギーとダイナミズムをもたらすことになるだろう。」「このグループを見てみれば、メンバーらの経験と専門知識の豊かさに勇気づけられます。彼らの信頼性、権威、経験を通じて、条約の発効に新しい道を切り開いてくれるものと期待しています。」と述べた。

各国政府代表による演説では、最近では2月12日に発表された北朝鮮の核実験への対応など、既に多くのケースで有用性が証明されているCTBTの検証体制を評価する発言が目立った。

CTBTは、いかなる場所でも、誰であっても、核爆発を実施することをすべて禁じている。CTBTOは「国際監視制度」(IMS)を構築し、検知されずに核爆発が行われることがないようにしている。このネットワークの85%以上がすでに稼働中だ。CTBTOの監視データには検証活動と関係ない利用形態もあり、地震監視、津波警戒、原子力事故による放射能追跡といった災害軽減策においても使うことができる。(原文へ

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貧困は減っても、格差は拡大

【国連IPS=タリフ・ディーン】

ミレニアム開発目標(MDGsについては、193か国の指導者らが集まった国連総会ハイレベル会合などで評価がなされているが、国連は「極度の貧困は半減された」と主張している。

国連が9月25日に発表した最新の統計によると、1日あたり1.25ドル(=世界貧困線)以下で暮らす人々の割合は、1990年の47%から2010年には22%にまで減少した。MDGsが期限を迎える2015年よりも5年も前倒しで目標を達成したことになる。

しかし、貧困削減(全世界で約7億人)の多くは、インドや中国、ブラジルといった人口の多い国で起こっており、アフリカやアジア、ラテンアメリカ、カリブ海地域のより貧しい国々を中心に、世界には依然として12億人が極度の貧困の中で暮らしている。

一方、貧困の削減は新たな中産階級の台頭をもたらした。

そのネガティブな側面は、ブラジル、中国、インド、トルコ、エジプト、チュニジアで近年発生した大規模な民衆の抗議行動に現れている。これは貧困削減がもたらした予期せぬ側面のひとつといえよう。

しかしおそらくもっと重要なのは、こうした国々においてさえ、現在世界経済を覆っている金融危機(通貨危機や輸出量の縮小等)の影響を受けて、貧困緩和の勢いがまもなく行き詰まる兆候を見せている点だ。

ジュネーブに拠点を置く「サウス・センター」のマーティン・コー常務理事は、IPSの取材に対して、「2008年金融危機以後に先進国が推進したリフレ政策によって、途上国経済も好調を保ってきたが、先進諸国が近年の経済不調から緊縮財政に舵を切り、米国も金融緩和政策を縮小せざるを得ない見通しであることから、途上国も影響を受けるだろう。現在途上国は、輸出量の減少、商品価格と歳入の減少、資金流出といった問題に対して脆弱な状況にある。」と警告した。

またコー常務理事は、「数年後には、いくつかの国々で経済の減速や景気後退がおこる可能性があり、商品価格の下落は、そうした国々の国民の就労や所得に影響を及ぼすことになるだろう。そうなれば、貧困層に再び転落する人々の数が増えるだろう。」と語った。

また、「オックスファム・インターナショナル」のウィニー・ビヤニマ事務局長は、「MDGsはこれまで13年間に亘って開発課題を前進させる原動力として重要な役割を果たしてきた」と評価したうえで、「かくも短期間のうちに、これほどまで多くの人々を極端な貧困状態から脱け出させた(MDGsの)功績は称賛に値します。」と語った。

しかし世界には依然として10億人以上の人々が一日当たり1.25ドル以下の生活を余儀なくされている。

ビヤニマ事務局長は、「紛争が長引いている地域や経済成長しても富の再配分が極端に不平等な地域では、貧困削減のペースは遅々として進まないか、全く進展を見ない状態が続いています。地球全体でみれば確かに貧困層の規模は縮小していますが、国ごとに実態を観察すると、むしろ貧富の格差は拡大傾向にあります。つまり、数十億もの人々が経済成長から取り残されているのです。」と指摘した。

近年、深刻な不平等(格差)が社会に存在している状態は、倫理的に好ましくないというだけではなく、社会の安定や経済の成長にも悪影響を及ぼすという見方が、専門家の間で共有のものとなりつつある。

ビヤニマ事務局長は、「国際社会は、この格差の問題に正面から取り組まなければなりません。MDGsには貧富の格差是正に対する焦点が欠落していました。この視点がなければ、次の開発目標が設定されても、ほぼ確実に失敗するでしょう。」と警告したうえで、「不平等の縮小そのものを今後の世界の開発問題の枠組みにおいて課題として取り上げるべきです。」と主張した。

アクションエイド」のサメール・ドッサーニ氏は、「国連はなによりもまず、(貧富の格差の動向を考慮せず)1日あたり1.25ドル以下という貧困の定義のみで貧困削減の成果を判断するこれまでの慣行を卒業する必要があります。」と語った。

さらにドッサーニ氏は、「今日に至る世界的な危機の原因は、想像を絶する規模の富が一部に集中したことと、その巨額なカネが、より貧しい人々へと流れていかなかったことにあります。」と指摘したうえで、「世界的な不平等を緩和する一つの手段は、国際的な徴税システムを改革することです。」と語った。

「私たちは、法人税優遇措置や徴税逃れのために、開発のために利用できるはずの3000億ドルが現在失われていると見積もっています。」とドッサーニ氏は語った。

「対処法としては、まず国レベルでは、各国政府が、国際通貨基金(IMFその他の金融機関が融資の条件として要請してきた自由化政策から離れることです。またグローバルレベルでは、各国の指導者が協力して、ドルへの依存度を減らし国際金融システムの安定を確保するような国際通貨制度の改革を断行することです。」とドッサーニ氏は訴えた。

しかしこれまでの各国間の議論は、こうした根本的な問題を回避してきた。「国際社会が真の開発の枠組みを構築するのならば、徴税システムと国際通貨制度の改革が最優先議題に上るはずです。そしてこうした問題は、いつまでも隠し続けることはできないのです。」(原文へ

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核に関する「世界的に許容できない一線」はどうなのか

【ベルリンIDN=ラメシュ・ジャウラ】

「核兵器なき世界」に向けた熱心な活動で定評がある「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICANが再び、地球と人類全体の生存そのものを危うくする核兵器を全廃するよう、時の権力者らに訴えかけている。ICANによるこの熱気のこもった呼びかけは、ニューヨークで開催された「核軍縮に関する国連総会ハイレベル会合」にあわせてなされた。

80か国・300団体以上の世界的な連合体であるICANは、9月26日に行った声明の中で、「核兵器に関して『世界的に許容できない一線』とはどこにあるのだろうか?」と述べている。

この問いかけは、米国のバラク・オバマ大統領がシリアにおける化学兵器使用疑惑を受けて(シリア政府が)「許容できない一線」を超えたとして、軍事行動を起こす構えを見せたことを念頭に置いている。その後ロシアが急遽介入してシリアのバシャール・アサド大統領との間で妥協が成立したことから、この軍事行動は当面回避された。

「シリアにおける軍事攻撃の恐怖は、大量破壊兵器を保有し続けることに必然的に伴う危険を明らかにした。化学兵器の使用による虐殺に対する国際社会の怒りに満ちた反応は、化学兵器が廃絶されるまでは、意図的であれ偶発的であれ、それがいつの日か使用される大きなリスクが存在することの証明であった。(核兵器保有国によって)国際的な地位と力の象徴と見なされてきた核兵器もまた、この峻厳たる現実から逃れることはできない。この現実を無視することの代償は甚大なものになるだろう。」とICANは警告している。

この声明を「ハフィントン・ポスト」に投稿したリブ・トーレス「ノルウェー民衆の支援」(NPA)事務局長をはじめとする賛同者8人は、婦人国際平和自由連盟(WILPF)事務局長のマデレーン・リーズ、UNIグローバルユニオンのフィリップ・ジェニングズ書記長、IKVパックス・クリスティのジャン・グリュイターズ代表、「核軍縮キャンペーン」(CND)のケイト・ハドソン事務局長、ピースボートの川崎哲共同代表、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)のマイケル・クライスト事務局長、創価学会インタナショナル(SGI)の寺崎広嗣平和運動局長、である。

世界に1200万人以上の会員を擁する仏教組織であるSGIは、「信仰を基盤とした団体(FBO)」の一つである。創価学会の戸田城聖第2代会長が1957年9月8日に「原水爆禁止宣言」を発表して以来、核兵器廃絶に向けてたゆみなく活動を続けてきた。また2007年には、核兵器の全面禁止を支持する世論を活発化するため、「核兵器廃絶のための民衆行動の10年」キャンペーンを立ち上げた。

SGIの池田大作会長は、2010年の「平和提言」の中で、広島・長崎への原爆投下70周年にあたる2015年に両市で核廃絶サミットを開催するという考えを提唱している。池田会長は、2011年の平和提言でもこの考えを繰り返し述べているほか、その翌年には、2015年の核不拡散条約(NPT)運用検討会議を広島・長崎で行うべきとの提案をしている。 

Daisaku Ikeda/ Photo Credit: Seikyo Shimbun
Daisaku Ikeda/ Photo Credit: Seikyo Shimbun

池田会長は、2013年の「平和提言」では、さらに一歩踏み込み、核兵器なき世界に向けた拡大首脳会議の開催を提案した。「広島・長崎への原爆投下から70年となる2015年にG8サミット(主要国首脳会議)を開催する際に、国連や他の核保有国、非核兵器地帯の代表などが一堂に会する『核兵器のない世界』のための拡大首脳会合を行うことです。例えば、2015年のホスト国であるドイツと交代する形で、2016年の担当国である日本がホスト役を務め、広島や長崎での開催を目指す案もあるのではないかと思います。」

世界的な人道上の脅威

「ハフィントン・ポスト」に掲載された声明はこう強調している。「核軍縮は、核兵器保有国のみが取り組めばよい領域ではない。核兵器は世界的な人道上の脅威であり、その廃絶の責任は、核兵器保有国にあると同様に、核を保有しない国々にもある」。

署名者らは、核兵器は非差別的な兵器であって、その影響を制限することも制御することもできないと論じている。実際、1万7000発以上の既存の核兵器のわずか一部分だけでも使用されれば、気候に悪影響を与え、農業生産を危機に陥れ、20億人が飢えに苦しむことになると推定されている。

またこの主張は、「核兵器攻撃被害想定専門部会」が米国による広島への原爆投下に関する分析で明らかにした次の結論に基づいている。「核兵器攻撃から市民を守ることはできず、市民を守るには、意図的であるか偶発的であるかを問わず、核兵器攻撃の発生を防止する他に方策はなく、そのためには唯一、核兵器の廃絶しかないと答えざるを得ない。」

さらに声明の署名者らは、核兵器の非差別な本質を知らしめようとして、「研究に次ぐ研究が、大規模な民間人被害を防いだりそれに対処したりすることは不可能だということを指摘している。太陽の中心にも匹敵する温度を生み出す能力をもつ兵器に対しては、緩和措置は単純に言って不可能と言わざるを得ない。」と論じている。

またこの声明は、現実を回避する傾向にある国々を念頭に、「もちろん核兵器保有国は、核兵器の真の効果について、他の大量破壊兵器と比較して核兵器に与えられている二重基準についてと同様に、十分熟知している。」と指摘している。

声明はさらに、「真実は、数十年にわたって、核兵器にはほぼ神話的な地位が与えられてきた。つまり核兵器は『平和を維持するもの』とか『必要悪』とみなされ、核兵器保有国の政治的・軍事的エリートにとっての力や威信の象徴としての地位が与えられてきたのである。」と述べている。

また声明の8人の署名者らは、核兵器の使用がもたらす重大な人道的帰結に焦点を当てつつ、「核兵器は兵器であって、政策の道具ではない。いかなる核兵器の使用も破滅的な人道的帰結(大量の民間人への被害、環境や公衆衛生、世界経済への回復不可能なダメージ)を引き起こすという事実を、どの安全保障ドクトリンや理論も完全に覆い隠すことはできない。」と強調している。

オスロで今年3月に開催された政府間会合「核兵器の人道的影響に関する国際会議」は、核兵器の爆発が直ちにもたらす人道面における緊急事態に十分に対応し、被害者に対して十分な救援活動を行うことは不可能との結論に達した。いかなる国際機関や国家も、そのような対応能力を確立すること自体、いかなる試みをもってしても不可能かもしれない。

専門家らはオスロ会議において、核兵器が使用されれば必ず、病院や食料、水、医療品、交通、通信といった、生存者支援のために必要なインフラが消失してしまう、と指摘した。彼らはまた、外部から支援に入った医師や救急隊は、効果的な治療に必要な手段なしで活動しなくてはならず、さらに、チェルノブイリや福島原発事故の経験から明らかなように、放射能によって高度に汚染された地域に救護者が立ち入ることができなくなる、と警告した。

核兵器を禁止する法的拘束力のある取り決め

こうした背景の下、ICAN声明の署名者らは次のように論じている。「核兵器の使用がもたらす壊滅的な人道的帰結を認識するということは、核兵器を容認できないという立場を明確にとることを意味する。またそれは、核兵器の保有やその使用の威嚇は直接的に人道的な原則に反すると明言することを意味するとともに、核兵器ををとりまく従来の認識を改めて、核兵器を完全に禁止する法的拘束力がある取り決めを策定していくことを意味する。」

ICANの活動家ノジズウェ・リセ・バクワ氏は9月26日の国連総会においてさらにこの議論を押し進めて、「核兵器も、既に禁止されている大量破壊兵器と並んで完全に違法だと明確に宣言されていないことは、国際社会が全体で取り組むべき社会的責任を未だに果たしていないことの証左に他なりません。」と語った。

ICAN

バクワ氏は非政府組織(NGO)を代表して「意志ある国家がこの失敗を正す時が来ました。核兵器を完全に廃止すべき時が来ました。」と指摘したうえで、「これまで、多国間核軍縮協議のための現在の枠組みの下では、軍縮義務(NPT第6条)遵守に関する核兵器保有国の政治的意思の欠如を乗り越えることができませんでした。軍縮会合での行き詰まりを後世への遺産として残さないようにしようではありませんか。」と各国代表に訴えかけた。

次のように述べるバクワ氏は、池田SGI会長と同じ信念を持っているようだ。「核兵器禁止条約は実現可能であり、核兵器を保有しない国家がその実現に向けた動きを始めることができるのです。核兵器保有国はそうした交渉を妨げるべきではありません。私たちは、従来の軍縮協議以外の場における、生産的あるいは見込みのある取り組みを諦めるべきではありませんし、目前にある、歴史的偉業を成し遂げる機会を無視すべきではないのです。」(原文へ

翻訳=INPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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【シャリジャWAM】

国際社会が、シリアの化学兵器危機の行方を固唾をのんで見守る中、シリア国境外側の周辺国では、シリア難民をとりまくさらに深刻な大惨事の実態が明らかになってきている。帝王切開や女性の緊急出産、砲弾による惨たらしい傷など緊急の救命措置が必要な難民たちでさえ、多くが治療を受けられない惨状を呈しているのである。

この惨状を少しでも緩和しようと、国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)エミネント・アドボケート(著名擁護者)のシェイカ・ジャワヘル・ビン・ムハンマド・アル・カシミ妃殿下が後援しているビッグ・ハートキャンペーンが300万ドル(約3億円)の寄付を行った。この寄付金は、最も深刻な状態にある難民6000人分の2次医療(救命手術を含む)、及び、治療可能な慢性疾患(ヘルニア、口唇裂、膀胱尿管逆流現象等)に苦しんでいる難民4000人分の治療に充てられる。

UNHCRは命の危機にさらされている難民の医療費の75%をカバーすべく全力を傾けているが、残り25%の医療負担さえ困難な難民が少なくなく、その結果中には、(他の医療サービスが受けられないようにするため)身分証明書を没収されて病院内に拘束されたり、人権や個性を奪われる事態も多発している。

UNHCRレバノン事務所のニネッテ・ケリー代表は、今回のビッグ・ハートキャンペーンからの寄付は「最良のタイミングで届いた」と指摘したうえで、「私たちは限られた予算をどのように再分配するかという悲痛な選択を余儀なくされていました。この寄付によって、命の危機に瀕している患者や深刻な医療ニーズを抱えている患者合計10000人に対する支援が可能になります。」と語った。

今回の300万ドルの寄付は、シェイカ・ジャワヘル妃殿下が、レバノン、ヨルダン、イラク、そしてシリア国内に在住の数十万人のシリア難民に対して、支援を行っているキャンペーンの一環として実施されたものである。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【アテネINPS=アポストリス・フォティアディス】

熾烈な内戦状態が続くシリアから逃れてヨーロッパに向かう人々が増える中、ギリシャはできれば通過したくない場所になってきた。

現在、そうしたシリア難民の大半(他の国々からの難民もそうだが)は、ギリシャ以外の場所を通過して北部ヨーロッパに逃れようとしている。そしてその選択肢の一つとして、やはり難民に対して厳しいバルカン諸国を通るルートが浮上してきている。

既に対処能力を超える数の難民が流入し、同時に経済危機の影響で排外主義がはびこるギリシャでは、政府が2012年春から国境警備を強化しはじめ、「非正規移民」とみられる外国人の多くを難民収容所に送致してきた。しかし最近になって、収容された難民に対する警察による虐待や人権侵害の実態が明るみに出てきている。

「こうしたなか、バルカン半島を経由してヨーロッパ北部を目指す『バルカンルート』が、移民たちの間で、ギリギリ最後の選択肢とみなされていますが、実際の逃避行は恐怖の連続にほかなりません。」と、この越境ルートを経験したアフガニスタン出身の音楽家ハサム・ナザリさん(25)は語った。

ナザリさんは、バルカン半島を通過してハンガリーに抜け、そこから最終的にオーストリアに向かおうとしたが5度も失敗し、現在は所持金を使い果たしたため、ギリシャに舞い戻っている。

「ギリシャ国境を抜けてマケドニアに入ったところで、13才の少女が暴力団メンバーに強姦されているのを目撃しました。不法越境者は、いざというときユーロを所持していないと、暴行を受けることになります。」とナザリさんはIPSの取材に対して語った。

またナザリさんは、「国境地帯での追いはぎ行為は珍しくありません」と指摘したうえで、「暴力団は、国境を越えて暫くのところにある空家付近で、越境難民を待ち伏せしていました。彼らはバイクにのった10人から12人のグループで、難民を見つけると、銃で脅して森の中へ連行し、そこで身ぐるみを剥いで貴重品を略奪するのです。もしその際暴行されなかったとしたら運がいいほうです。」と語った。

またナザリさんによると、地元警察は実態を知っていながら見て見ぬふりなのだという。「私たちは警察官の目の前で暴行を受けましたが、何もしてくれませんでした。彼らは地元の暴力団より、越境してくる難民や不法移民を厳しく取り締まる方に関心があるのです。」とナザリさんは付け加えた。

欧州連合(EUの対外国境管理を担当する「フロンテックス」(Frontex)のイザベラ・クーパー報道官によると、バルカンルートをとる移民や難民の数が、2013年初めから急増しているという。

「西バルカン地域を通る難民の数は今年に入って300%も増加しています。一方、難民の流入数が最も多くなっているのは(バルカン半島東部の)ブルガリアで、今年の初め以来、連日60人から70人、時には100人を超える人びとが越境してきています。また、シリア、アルジェリア、イラク、パキスタンからの難民数も今年に入って6倍になっています。」とクーバー報道官はIPSの取材に対して語った。

国連の難民支援機関UNHCRブルガリア事務所のボリス・チェシルコフ広報官は、「このところ(ブルガリアへのギリシャ・トルコからの)越境ルートは、東にシフトしてきています。」と指摘したうえで、「今では(トルコと国境を接するブルガリア南東部にある)ストランジャ山脈の深い森が最大の違法越境ルートとなっています。しかしここは視界もほとんどきかない極めて過酷な地形です。」と語った。

密入国を手引きする業者らは、既にこうした事情を把握しており、切羽詰まった移民や難民の苦境につけこんで、料金の引き上げを図っている。例えば、エブロス川沿いのトルコ-ギリシャ国境への案内料は、以前は移民一人当たり500ユーロ(約67,000円)だったが、今では3500ユーロ(約466,000円)に跳ね上がっている。

チェシルコフ報道官は、「しかし業者らは、こうして法外な金額を巻き上げておきながら、実際には国境近くまで案内するのみで、ともに越境したりしません。結局、難民らは自らのリスクで越境することになるのです。」と語り、具体的な事例として、今はトルコ-ギリシャ国境から北に130キロのスリベンにある刑務所に服役中のシリア難民ウヘイダ・ヌールさん(35歳、4人の子どもの母親)について語った。

「ヌールさんが夫と4人のこどもとともにブルガリアに越境してきたのは2012年12月のことで、一家はトルコ-ギリシャ国境に近いパストロゴール(Pastrogor)難民センターに収容されました。しかし1月のある日、妻のウヘイダさんが子ども2人(息子と娘)を連れてセンターを抜け出し、セルビアへの違法越境を試みて国境警備隊に捕まったのです。その結果、彼女には禁固8カ月の実刑判決が下され、以来、スリベンの刑務所に服役しています。」とチェルシコフ報道官はIPSの取材に対して語った。

「判決では8月に拘留期限が過ぎるはずですが、私が把握している限り、彼女はまだ釈放されていません。また、30人の亡命希望者がソフィア中央刑務所に収容されています。」とチェルシコフ報道官は付け加えた。

一方セルビアも、増え続ける難民や不法移民の重圧にあえいでいる。セルビアの非政府団体「グルパ484(Grupa 484)」が設立したセルビア移住センターの統計によると、セルビアに流入した非正規移民の数は、2000人(2010年)から9500人(2011年)、1万5000人(2012年)と急増し続けている。また今年はこれまでに既に20,000人が越境入国してきているという。

一方、セルビア国境警察のネナド・バノビッチ長官は、「今年前半期は、セルビアに入国する違法移民の数がやや減少傾向にあります。」と述べ、異なった見解を示している。バノビッチ長官は、この減少傾向の理由として、セルビアを通過しない2つの新しいルート(トルコ-ブルガリアールーマニアと、ギリシャーマケドニアーコソボーモンテネグロークロアチア)の存在を指摘した。

しかし、ギリシャの場合と同様に、増え続ける難民の重圧に、ブルガリア、セルビア両国でも既存の難民収容施設では対応できなくなってきている。

ブルガリアには首都ソフィア及びトルコ国境付近のバンヤとパストロゴールに合計3つの難民センターがあるが、どこも過剰収容状態となっているため、政府は2週間前、50万レフ(約3400万円)の予算を投入して新たに500人を収容できる施設を建設することを決めた。

セルビア政府も流入し続ける難民対策に苦慮している。「我々は難民対策に最善を尽くしているが、予算の制約があるうえに、ヨーロッパ諸国からの支援も一切得られていない状況です。」とバノビッチ長官は語った。

「こうした幾多の困難があるにもかかわらず、セルビア北端のハンガリー国境付近の街ボティッツァ(ベオグラードの北184キロ)を目指す移民が後を絶たない。そこでは、多くの移民が市内の古いレンガ工場や街に隣接した森に滞在しながら、街の北数キロにあるハンガリー国境を超える機会を窺っています。」と音楽家のナザリさんは語った。

彼らの大半は越境中に国境警備隊に捕まり送り返される。「ハンガリー国境で捕まった越境者の大半は非公式にセルビア側に送り返されますが、中には公式な手続きを経て本国に強制送還されるものもいます。」と「グルパ484」の法律専門家ミロラバ・ジェラチッチ氏は指摘した。

しかし、越境に成功した者たちが、何度でも挑戦するよう励ましのメッセージを送り続けるなか、リスクを覚悟でこうしたルートを経由してヨーロッパ北部への違法越境を試みる者が後を絶たない。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

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