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米ロ軍縮交渉は2歩後退

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【モスクワIPS=パボル・ストラカンスキー】

ロシアのウラジミール・プーチン大統領と米国のバラク・オバマ大統領が、緊迫した両国関係を利用してそれぞれの国内政治課題に取り組むなか、ロシアが核軍縮に関して妥協することは引き続き難しいのではないか、と専門家らは見ている。

オバマ大統領が6月のベルリン演説で行った、世界の核兵器大幅削減の呼びかけは、2016年にも開催される可能性のある「核安全保障サミット」の議題に核兵器削減問題が上るとの期待を高めるとともに、今月開催される史上初の「核軍縮問題に関する国連総会ハイレベル会合」に一層の弾みを与えた。

しかし、ロシアが米国の内部告発者エドワード・スノーデン氏を亡命者として受け入れたのに続いて、米国が米ロ首脳(オバマ-プーチン)会談を中止したため、批評家の中には、米国が両国間の政治的対立を利用して核軍縮協議が進展しない口実にしようとするのではないかとみる向きも出てきている。

この点については、ロシア政府も喜んで同じような行動に出るだろう。

ウィーン軍縮不拡散研究所のニコライ・ソコフ上級所員はIPSの取材に対して、「米ロ両国において核軍縮を推進するものは、外交政策ではなく国内的な要因です。両国間の対立によって、ロシアの政治家は国内政治課題に取り組みやすくなっています。そしてこの構図は、米国の政治家にとっても同じです。つまり現在の行き詰まりは、双方の政治家にとって、むしろ好ましい状況といえるのです。」と語った。

「ロシアは核兵器に関する立場を変更する必要がないので、プーチン大統領は国内で方針転換を求める圧力に全くさらされていません。たとえ非公式な表明であっても、ロシア政府の中で現在のプーチン大統領のスタンスに反対する者はいないのです。」

ロシアと米国は、世界の核兵器の9割を保有しており、冷戦終結以来、双方の核弾頭の数を削減するさまざまな協定が締結されてきた。

オバマ大統領がベルリン演説で行った最近の呼びかけは、米国とロシアの(配備済み戦略)核戦力を3分の1削減しよう、というものである。

しかし、米ロ関係が最も良好であった時期でさえ、歴代のロシア政府は核戦力の大幅削減にはあまり前向きでなかった。これは両国の兵器運搬能力が異なっている(通常兵器で圧倒的優位にある米国に対抗するためロシアは多数の戦術核兵器を維持しているとみられている:IPSJ)ためで、ロシアは、核戦力の大幅な包括的削減に同意すれば、軍事的に不利な立場に置かれることになるのではないかと恐れているのである。

ロシアはまた、米国のミサイル防衛計画にも神経をとがらせており、ロシアに対してそれが使用されることがないとの確約を得ない限り、核兵器に関して譲歩することはなさそうだ。

セルゲイ・ラブロフ外相はロシアのテレビ番組で、核兵器削減はすべての核兵器保有国が関与している場合にのみ検討すべきとの見解を示した。これは、プーチン大統領がこれまで繰り返し表明していることでもある。

しかし、最近の米ロ関係の悪化は、国内におけるロシア政府の立場を強化し、世論の支持を獲得する機会を与えるものだ。

「ロシア世論は、プーチン大統領による現在の反米的なスタンスを概ね支持しています。ロシアにおける米国イメージはこのところよくありません。ロシアの民衆は、最近のシリア情勢をみて、『アメリカ人は手に負えない。彼らは爆撃することばかり考えている。』という印象を持っています。ロシア世論は、米国に対して厳しい姿勢を示すことを政府に望んでいるのです。」とソコフ氏はIPSの取材に対して語った。

最近の世論調査では、ロシア国民のほとんどが、スノーデン氏の行動と、彼の亡命を認めた(ロシア政府の)決定を支持している。

この世論調査ではまた、オバマ大統領に対するロシア民衆の感情も悪化していることが明らかになった。

ロシアの政治評論家の中には、核軍縮に関するロシア政府の立場は反米ですらなく、単に国益を守る通常の行動に過ぎない、との意見もある。

モスクワのFMラジオ「Kommersant」の政治問題担当タチアナ・ゴモソワ氏は、IPSの取材に対して、「この問題でロシアがとくに反米的だとは思いません。単に自国の国益を守るための行動なのです。実際には、オバマ大統領が(ベルリン演説で)呼びかけたのは、長期的な問題だということです。それは彼自身も達成できないような目標であり、その意味では特定の計画というよりも政治的声明に過ぎないのです。またそれは、ロシア向けというよりも、米国の同盟国に向けた演説だったと言えるでしょう。」と指摘したうえで、「ただし、核軍縮問題は現在のロシア・米国間の議題とはなっていませんが、いつか(核兵器の大幅削減という)考えをロシア政府が支持するようになることもない、とまでは言いません。」と語った。

しかし、ロシアの主要メディアのほとんどが、多くの問題で政府と歩調を合わせている一方で、米ロ双方からのより融和的なアプローチが必要だと主張する声もある。

今月初め、日刊紙『Nezavisimaya Gazeta』は長い社説を掲載し、米ロ両政府に対して、核軍縮も含め、世界の安全保障問題に協力してあたり、新しくより安全な国際社会の形成に向けて先導するよう訴えた。

さらにこの社説は、「核軍縮や不拡散、核テロ防止の問題は、もっぱら両国の肩にかかっている。常識的に考えれば、ロシアと米国は、遅かれ早かれ、21世紀の新たな国際政治システムを構築するパートナーとなるであろう。しかし、その時期は遅いよりも早い方が望ましい。遅れの代償はきわめて大きなものになるかもしれないからだ。」と述べている。

しかし専門家らは、短期的に見て両国間で軍縮問題で進展があるかどうかについては、悲観的である。

ソコフ氏はIPSの取材に対して、「軍縮に関して米ロ両国が何らかの合意に至ることは望ましいことですが、一方的な譲歩はありえないと思います。この点について、すぐにでも前向きなことが起きるとは、期待していません。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【ペシャワールIPS=アシュファク・ユスフザイ

「息子と無事再会できて私は幸せ者だと思います。」とパキスタン北西部のカイバル・パクトゥンクワ州バンヌ県で、ジュースの露店屋台を引いているムハンマド・ジャビーンさんは語った。息子のマテーン・シャーさんは、通っていた神学校(マドラサ)からタリバンによって連れ去られ、兵士に仕立てられていたのである。

ジャビーンによると、息子のシャーは2011年10月に拉致されたとき、僅か16歳だった。シャーはアフガニスタンと国境を接する連邦直轄部族地域(FATA)ワジリスタン管区にある崩れかけた家屋に連行され、そこでジハード(聖戦)に関する講習を受けさせられたという。ジャビーンは、「息子が4か月後にタリバンの元から逃走することに成功していなかったら、今頃洗脳されて、自爆テロ犯に仕立てられていたことだろう。」と語った。

シャーがタリバンに拉致された根本的な理由は、貧富の格差が深刻化しているこの辺境地域において、彼が貧しい側の家庭出身者だったということだ。

「バンヌ県には、両親が高い授業料を払えないために近代的な普通学校に通えない貧しい家庭の子どもを受け入れるイスラム神学校(マドラサ)が100以上あります。」とバンヌ大学院で政治学を教えているムハンマド・ジャマル氏はIPSの取材に対して語った。マドラサでは、食事と制服が無料で子どもたちに支給される。

またジャマル氏は、タリバンはこの10年間にこの地域から数百人の少年を兵士として補充してきていることから、バンヌ県はテロの温床と化しているのです、と語った。

ジャマル氏によると、バンヌ県はタリバンのパキスタンにおける拠点である北ワジリスタン管区に隣接していることから、タリバンは定期的にバンヌ県の貧しい家庭から少年を徴発しては、銃の使い方や、即席爆弾の作り方を訓練し、自爆攻撃をしかける兵士に仕立て上げているという。

シャーとともに拉致された2人の少年の行方は、依然として分かっていない。

警察官のカーリッド・カーン氏は、「タリバンは過去5年間に500人以上の子どもたちを拉致した」と指摘したうえで、「そのうちの約40%はタリバンの元から逃げ帰ったが、残りの子どもたちの所在については、不明のままです。」と語った。

また現地では、ちまたに「あふれている」孤児が、こうしたタリバンの標的に最もなりやすいということがよくて知られている。タリバンは身内に子どもはいないとしているが、カーン氏によると、タリバンは孤児やホームレスの若者を積極的に徴用して、テロリストに仕立てるための訓練を行っているという。

「裕福な人々は自らの子弟を近代的な普通学校に入学させて正規の教育を受けさせています。そこでタリバンは、(そうした学校へ通えない)貧しくお腹を空かした子どもたちを徴用して、爆弾設置や道端に罠を仕掛ける方法を訓練し、タリバン兵として、或いは自爆テロ犯として戦闘や作戦に投入しているのです。」とカーン氏は語った。

ラキ・マルワート県在住のファズル・ハナンさんは、タリバンの手に落ちた従弟について語ってくれた。彼の従弟は貧困に苦しむ父に従って道路沿いのレストランに就職したものの、まもなくして姿を消したという。「ある日、彼は職場から忽然と姿を消したのです。彼は現地のタリバン構成員と頻繁に会っていたと言われているので、もしかしたら彼自身の意思でタリバンに加わったのかもしれません。」とハナン氏は語った。

ラキ・マルワートやバンヌデライスマイルカーンタンクといったFATAに隣接するパキスタン北西部の諸県は、反政府勢力が跋扈している地域である。FATAは、2001年に米軍が主導する連合軍がタリバン勢力をアフガニスタンから駆逐した際(不朽の自由作戦)、残存勢力がパキスタン国境を越境して避難した地域で、以来タリバンはFATAを拠点にアフガニスタンに再び浸透してテロ活動を展開している。

「これらの諸県は、事実上タリバンによる新兵徴用の場と化しています。特に、マドラサに通う少年や、パートタイムの雑用に従事している貧しい子供たちが標的になっているのです。」とカーン氏は語った。

「タリバンは、2011年3月に自動車修理工場で働いていた息子に『金になる仕事がある』ともちかけて連れ去りました。」「3か月後、電話をかけてきた息子は『ワジリスタンにいる』と伝えてきたのです。」とチャルサダ県で野菜の行商をしているシャウカト・アリさんは語った。

失踪時18歳だったジャワド・アリさんはシャウカトの一人息子で、12人の大家族を養うために自動車工場で働いて父の収入を補てんしていた。

「私たち家族は皆、ジャワドは帰ってきてくれるのを願っていました。しかし、タリバンの一団から、ジャワドはアフガニスタンで自爆したと知らされました。彼らは、ジャワドは『天国に召された』と言って祝福してきたのです。」シャウカトはこの時、息子のジャワドがアフガニスタンの米軍兵士に対して自爆攻撃を仕掛けて亡くなったと知らされた。

タリバンに徴発された子どもの中には、なんとか自力で逃げ出したものもいる。2009年6月1日、約20人の少年たちがタリバンの元から逃走した。「僕たちはデライスマイルカーン県のマドラサでタリバンに拉致され、ワジリスタン管区の泥でできた大きな建物に監禁されました。そこでは、長い髭を蓄えた男の説教を受けさせられたのです。」と15歳になるイムラン・アリさんは語った。彼はかろうじて逃走して戻ってきた少年の一人である。

アリさんは、拉致されてきた少年のなかには、仕事をしなくても食事をもらえて喜んでいるものもいた、という。「私も最初は食事にありつけて喜んでいた一人です。しかし、先に監禁されていた少年らから、最終的には自爆攻撃かその他のテロ工作に使われて死ぬことになるんだと聞かされ、時機を見て逃げることにしたのです。」

しかし多くの拉致された子どもたちのその後の消息は途絶えたままだ。当時15歳のアブドゥル・レーマンさんは2006年にカイバル・パクトゥンクワ州スワート県でタリバンに拉致された。

「スワート県で行方不明になった他の200人の子どもたちと同じく、アブドゥルの行方は今もわかっていないのです。」「彼の失踪以来、全く手がかりがありません。ワジリスタン管区まで行って息子を探したいのですが、私にはその余裕がないのです。」と建設労働者の父ムハンマド・レーマンさんはIPSの取材に対して語った。

警察官のカーン氏は、「警察当局は、タリバンに徴用された少年のうち、約400人の所在を特定し身柄を確保し、収容施設で過激思想の洗脳を解くプログラムを受けさせています。」と語った。収容施設に保護された少年たちは、出所後に社会復帰できるよう、洋服の仕立て、刺繍、大工仕事などの技能習得講習を受けている。

19歳のガル・ムハンマドさんもそうした元タリバン兵の一人である。彼は14歳の時にスワート県で行方不明になり、2010年にタリバンの訓練所でパキスタン当局に逮捕され、刑務所に送られた。」

「私は4か月前に刑務所からこの収容施設に移されました。ここでは洋服の仕立てを学びました。出所後はこれで新たなビジネスを始めるつもりです。」「タリバンから自由になった今、苦労をかけた両親の面倒をみるつもりです。」と、今年7月に洋服仕立てコースの修了証書を取得したムハンマドさんはIPSの取材に対して語った。

しかしムハンマドの故郷は貧困にあえぐ人々が多い地域だ。まさにタリバンが徴用する若者を積極的に探しまわって見つけ出す地域である。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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北朝鮮の黙認で脅かされる核実験モラトリアム

【国連IPS=タリフ・ディーン】

国連は今年も「核実験に反対する国際デー(8月29日。ただし国連では9月上旬に記念セミナーや展示が行われる)」を迎えるが、多くの反核活動家の心に消えてなくならない疑問は、核実験モラトリアムが尊重され続けるのか、それとも、ときにそれが破られつつも黙認されるのか、ということだ。

核戦争防止国際医師会議」(IPPNW)のプログラム・ディレクターであるジョン・ロレツ氏は、1990年代以来、モラトリアムは核兵器保有国のほとんどによって尊重されてきた、とIPSの取材に対して語った。

1998年に核実験を行ったインドとパキスタンはその例外であるが、両国はその後実験を行っておらず、あとは北朝鮮が2006年以来3度にわたって非常に小規模な実験を行ったぐらいである。

北朝鮮が今年2月に3度目の核実験を行った際、15か国から成る国連安全保障理事会は、実験は過去の安保理決議に対する「重大な違反」であり、北朝鮮は「国際の平和と安全に対する明白な脅威」であると断じた。

3回目の実験に続いて安保理が3本目の決議を採択した際、北朝鮮が「さらなる」核実験を行えば「重大な行動」を採るとの決意を明らかにした。

「核実験に反対する国際デー」は、核兵器に関する関心、とりわけ「私たちの健康と生存に核兵器が突きつける継続的な脅威と、世界から核兵器を廃絶すべきという要請」に対する関心を喚起する重要な方法であるとロレツ氏は言う。

またロレツ氏は、新たに対立が激化している米ロ間の関係が(核廃絶に向けた動きに)マイナスの影響を及ぼすかという問いに対して、「それはたしかに問題ですが、恐らく一時的な関係悪化と思われる事態が原因で、どちらかの国が核実験の再開にまで踏み切ると疑う理由は全くありません。」と語った。

「しかし、米ロ両国は自国の核戦力の近代化を進めてきており、現在の対立構造が続けば、この動きを一層促進させるべきとの政治的圧力が双方の国内で強まる可能性はあります。」とロレツ氏は指摘した。

現在、世界には5つの公式核兵器国がある。すなわち、国連安保理の5つの常任理事国(P5)でもある米国、英国、ロシア、フランス、中国である。これに加えて、インド、パキスタン、イスラエルの3つの非公式核兵器国がある。

しかし北朝鮮については(作戦配備できる軍事的に使用可能な核兵器を製造したかどうかは不明なため:SIPRI)核兵器保有国とみなすかどうかについては、未だに決定がなされていない。

世界の生存のための医師の会」(PGS)のデール・デューアー元代表は、IPSの取材に対して、「北朝鮮が1年前に地下核実験を行ったものの、世界は大気圏と地下における核実験の禁止に概ね成功してきました。」と語った。

「一方米国は、自己継続的な核連鎖反応を起こすことのない『臨界前核実験』計画を開始しています。核兵器の重要要素であるプルトニウムの挙動をこれらの実験によって確認することができるのです。」とデューアー氏は語った。

臨界前実験と実験施設維持のコストは膨大なものである。米エネルギー省(DOEによると、1回の臨界前核実験で2000万ドル、実験の準備のために1億ドル以上かかるという。

デューアー氏は、「『世界の生存のための医師の会』はこれらの膨大なコストを、保健や教育、社会サービスから奪われたもの、つまり納税者のお金を軍事のために、とりわけこの場合は、理論上のSF的な将来使用のために振り向けられたものとみています。」と語った。

「これらの実験を通じて延命が図られている核爆弾が実際に使用されれば、数十万人の、おそらくは数百万人の命と健康が影響を受けることになります。そうした兵器の実験は言うに及ばず、保有し続けることすら正当化できないのです。」とデューアー氏は断言した。

メルボルン大学ノッサルグローバル保健研究所のティルマン・A・ラフ准教授は、「1945年以来、核兵器開発のために推定2061回の核爆発実験が8~9か国によって行われ、世界の生存と健康に対する最も差し迫った脅威となってきました。」と語った。

またラフ准教授は、「核爆発実験自体も、環境や人間に相当大きな被害を与え続けてきました。」と指摘したうえで、「あらゆる人間と生物が、歯と骨にストロンチウム90、細胞内にセシウム137、その他炭素14やプルトニウム239などの世界中に拡散している放射性物質を体内に取り込んでいます。」と語った。ラフ氏は、核廃絶国際キャンペーン(ICAN)の共同代表で同オーストラリア運営員会の議長でもある。

またラフ氏は、「核戦争防止国際医師会議(IPPNW)の調査によると、核実験による放射性物質の降下によって2000年までに43万人がガンで亡くなり、長期的には、核爆発実験が原因によるガンで240万人以上の死亡が見込まれています。」また、「ほとんどの場合、核実験場は、先住民族や少数民族、(海外領土における)植民地化された人々の犠牲の下に作られ、実験場の労働者や実験場の風下に位置するコミュニティーが最もひどい被害を受けてきました。」と指摘した。

それにもかかわらず、あらゆる核実験場において、放射能と毒物の長期的悪影響が残り、除染や原状復帰、長期的な環境モニタリング、被害者へのケアと賠償がなされていないという。

Tilman Ruff
Tilman Ruff

これらの責任は、核実験を行った政府にある。

さらにラフ氏は、「(現時点では禁止対象にされていない)地下核実験は、大気圏実験よりも大気中にまき散らす放射性降下物の量は少ないが、周辺の地層は破壊され、環境中や地下水への放射性物質漏れという長期的な危険が将来世代に対してもたらされることになります。」と断言した。

ロレツ氏は、(地下核実験も禁止対象とする)包括的核実験禁止条約(CTBT)は1996年に採択されたが、未だに十分な国が批准していないため、発効に至っていない、と語った。

ロレツ氏は、「米国は(CTBTに)署名だけして批准していないが、発効要件とされている米国の批准が成立すればバランスが変わり、発効を要する残り7か国(中国、韓国、エジプト、インド、イラン、イスラエル、パキスタン)の批准につながる。」と指摘したうえで、「それ(=米国の批准)は未だ実現していない非常に重要なポイントだ」と語った。

「私たちの多くは、CTBTの批准は重要で有益なことではあるが、ICANが主張している包括的な条約(=核兵器禁止条約)に比べれば、二次的な問題だと考えるようになってきています。」

「実際の核兵器廃絶に向けた最初の行動となる世界的な禁止には、核実験の禁止も含まれることになります。」とロレツ氏は付け加えた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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ICANオーストラリアが示す核廃絶への道

【シドニーIDN=ニーナ・バンダリ】

核兵器保有国が、核弾頭の数を増やし、それを運搬する弾道ミサイルや爆撃機、潜水艦を建造し近代化する中、核兵器廃絶運動は、ますます力をつけている。

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN折り鶴プロジェクト(折り鶴は核軍縮の象徴である)は、世界各国に対して、核兵器を禁止する世界的条約の交渉を今年中に開始することを求めている。これまでに19万羽以上の折り鶴が世界の指導者に送られ、これに対して、国連事務総長や、オーストラリア・アフガニスタン・ギリシャ・カザフスタン・マーシャル諸島・モザンビーク・スロベニア・スイス各国の指導者から支持メッセージが届いている。

「私たちは今、その他の国々の大統領や首相から反応を得ることに力を注いでいます。今月には約7万羽の折り鶴を在東京の各国大使に届け、本国の首脳に送るよう要請する予定です。核兵器禁止に向けた世界的支持の強さと広がりを示すために、これらの支持メッセージを使おうと思っています」とICANオーストラリア担当理事のティム・ライト氏は語った。

世界各地の学生がこのキャンペーンに参加している。今年初め、オーストラリアビクトリア州・ギズボーン高校の生徒らが千羽鶴を折ってオーストラリア首相府政務次官に送り、核兵器廃絶を呼び掛けた。

Photo: Hirohima Peace Memorial Park. Credit: Wikimedia Commons
Photo: Hirohima Peace Memorial Park. Credit: Wikimedia Commons

同校の日本語教師伊香賀典子(イカガ・ノリコ)さんは、第10・11学年の生徒を1年おきに日本に連れていっている。伊香賀さんはIDNの取材に対して、「今では、広島平和記念資料館を訪ねるときは、千羽鶴を持っていくのが慣習になっています。生徒たちは、福島原発事故で被害を受けた子どもたちのために、今年はさらに6000羽の鶴を折りました。」と語った。

オーストラリアでは9月7日に総選挙が行われるが、生徒たちは、将来の指導者が同国の核廃絶義務を真剣に受け取ってほしいと望んでいる。ICANの世界議会アピールは、世界のすべての政府に対して、核兵器禁止条約の交渉を開始し、世界の核兵器備蓄を1万7000発からゼロに持っていく厳しい行動に向けた政治的意思を構築していくよう、呼びかけている。

「オーストラリアでは、私たちは住民として、世界に存在する大量の核兵器のために日々晒されている危険に対して、依然としてほとんど無知だといっても過言ではありません。広島を訪問して、私たちはこの無知の問題について何とかしなければならないと心に決めたのです。オーストラリアの首相に対して、いかに私たちが懸念しているかということ、軍縮は無視しえない問題であることを示そうとしたのです。」と第11学年の生徒ホリー・ドウヤーさん(17)はIDNの取材に対して語った。

ICAN
ICAN

ホリーの同級生ジョエル・マッキノンさん(17)は、クラスの生徒ほとんどが核兵器産業についてほぼ知識がないことに驚いた。「戦争を積極的にやろうとしているかに見える政府の手に、世界と人類の運命が握られていることを、心底恐ろしく思ったのです。折り鶴プロジェクトに参加することは、核兵器によって世界にもたらされる受け入れがたい脅威から世界を救う第一歩だと思います。」と語った。

オーストラリアの公立大学による核兵器メーカーへの投資について調査したICANオーストラリア支部の『あなたの学位を武装解除せよ』報告によれば、4大学が核兵器製造企業に投資し、12大学が投資していなかった。その他17大学に関して得られた情報は、十分なものではなかった。

「多くの大学生がこのキャンペーンに強い関心を示し、世論喚起するために私たちと協力しています。シドニー大学は倫理的投資指針を採択するプロセスにあると示唆してきました。一方その他の大学では、投資指針を変える意図を明確にしているところはありませんが、我々はこれからも圧力をかけ続けて行きます。」とライト氏はIDNの取材に対して語った。

将来基金

ICANは各大学に対して、核兵器製造企業に対する直接投資や、ファンドマネージャーを通じたそれらへの投資を止める倫理的投資指針を策定するよう求めている。豪州の政府系投資ファンド「将来基金」は現在、2億2700万豪州ドル(約199億3968万円)を核兵器製造企業に対して投資している。

1万4000筆の署名が今年8月に「将来基金」の理事らに届けられ、ICANのメンバーらはメルボルンにある同基金の本部を広島の日(8月6日)と長崎の日(8月9日)に訪問し、核兵器製造企業からの投資を引き上げるよう要請した。

ライト氏は「未来基金は、クラスター弾地雷といった他の非人道的兵器の製造にかかわる企業への投資はすでに止めています。また最近では、世論からの圧力でタバコ企業を投資対象から外しました。そこで私たちとしては、核兵器製造企業も投資先から外すよう説得することは十分可能だと考えています。」と語った。

先ごろ同基金は、上院(オーストラリア議会の二院のうちのひとつ)に対して、核兵器や関連技術の製造・維持に関わる14の企業に対して納税者のお金を投資したと明らかにしている。

独立の草の根団体「目覚めよオーストラリア」の広報担当ローハン・ウェン氏は、「『将来基金』が核兵器を製造する会社に1億3000万豪州ドル以上の投資をしていると知れば、オーストラリア国民の多くが衝撃を受けると思います。『将来基金』の管理者によってなされた投資の決定に対して、我々のメンバーは常に懸念を表明しています。」と語った。

独立系シンクタンク「ロウィ国際政策研究所」が行った2011年の調査によると、実に76%ものオーストラリア国民が、核不拡散・軍縮こそ政府が最も重視すべき外交政策目標だと考えていた。

オーストラリア政府は核不拡散を強く主張してきた。また同国は、核不拡散条約(NPT)包括的核実験禁止条約(CTBT)南太平洋非核地帯条約(クック諸島のラロトンガ島で南太平洋諸国が署名したので、一般には「ラロトンガ条約」として知られる)など、核兵器に関連するすべての主要国際条約に加盟している。

「オーストラリアが世界の核兵器取引に関与していないと想像することは容易だが、『将来基金』が核兵器製造企業に投資していることや、オーストラリア政府がインドやその他の核兵器国に対してウランを輸出する意図を明らかにしていることを考えると、実際のところは明らかに関与しているのです。」とICAN豪州支部渉外担当のジェム・ロマルド氏はIDNの取材に対して語った。

ラロトンガ条約は、世界のいずれの場所においてもオーストラリアが核兵器製造を促進することを禁じている。ICANによれば、「将来基金」は、オーストラリアの内外において核装置の「製造、生産、取得、実験」に関与するいかなる者への支援も違法化しているオーストラリアの国内法に違反している可能性があるという。

拡大核抑止ドクトリン

オーストラリアは核兵器を保有していないが、米国との同盟の下で、拡大核抑止ドクトリンは採用している。米国の核兵器がもたらすとされる保護(=核の傘)は、オーストラリアの国家安全保障のカギを握っていると考えられている。またオーストラリアは、世界の既知のウラン埋蔵量の約40%を保有し、同国が輸出しているウランは世界市場の19%を占めている。

オーストラリア産のウランは、核兵器を生産し続けている国も含め、すべて輸出向けである。「オーストラリア保護基金」はウラン採掘に一貫して反対し、それが環境や生態系、先住民族の文化、地元社会に及ぼす脅威に注目し続けている。

今年5月、ICANオーストラリア支部は『二枚舌の軍縮』という小冊子を発行した。オーストラリアの核兵器に関する政策や、米国の拡大核抑止に対する継続的な支持、核兵器の世界的禁止に対する抵抗、ウラン輸出に対する保護措置の不適切さ、核兵器企業への投資について分析している。

今日、世界には少なくとも2万発の核兵器があり、そのうち約3000発が即応警戒態勢下にある。これらの兵器の潜在的破壊力は広島型原爆15万発分に相当する。原爆が広島と長崎に投下されてから68年、核兵器を禁止し最終的に廃絶する法的拘束力ある手段を作り出す必要性は、これまでよりも高まっている。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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米国のイラン核武装説は「危険な幻想」(ピーター・ジェンキンス元英国IAEA大使)

【ロンドンIPS=ピーター・ジェンキンス】

今年出版された『危険な幻想(Dangerous Delusion)』は、英国でもっとも優れた政治評論家のひとりであるピーター・オズボーン氏と、2003年のイラク戦争に向けていかに英国世論と議会が誤った方向に導かれたかについて強力な議論を展開してきたアイルランドの物理学者デイビッド・モリソン氏による著作である。

この著書は、米国の新保守主義派(ネオコン)や、リクード(イスラエル右派勢力)支持者、サウジ王室関係者の怒りを買うことになるだろうが、一方で、イランの核計画がイスラエルの生存やペルシャ湾岸アラブ諸国の安全保障、さらには世界平和に脅威を与えるとしたこうした勢力による主張をどう考えたらよいか思い悩んできたすべての人々の目を開かせるものとなるだろう。

情熱と簡潔さ、そして、ユウェナリスの時代以来のよき批評の特徴である義憤をもって記された本書は、読者にとっては退屈かもしれない詳細を省き、数時間で読める本に仕上げられている。

著書の冒頭に記された本書の目的は、核活動をめぐる欧米諸国とイランの間の対立は不必要かつ非合理的なものであるという点を議論することにある。イランの意図に関する懸念が、これまでも、そして現在も、正当なものとみなされる限り、そうした懸念は、イランが2005年以来自発的に行おうとしている措置と、より踏み込んだ国際監視によって、和らげることができるであろう。

国際的な法的枠組である核不拡散条約(NPT)が、この話の機軸を構成している。1962年のキューバ危機後のデタント(緊張緩和)期の成果のひとつであった同条約は、核兵器の拡散抑制に大きな成果を収めてきた。イラン(当時は親米のパーレビ朝イラン:IPSJ)は、NPTが発効した1970年当初からの加盟国である。

1968年、ある米国政府の高官は、上院で行った証言の中で、新たに起草されたNPTでは、軍事および民生の両方で使用可能な核技術の取得は禁止されていないと述べた。

この当時、加盟国は破滅的な(核)兵器の拡散を制限することを目的とした条約を遵守することに関心を持ち、そこから逸脱しようとする国に対しては、核物質使用に関する国際査察を頻繁に行うことで抑止力になると想定されていた。

イランの問題は、1974年のインドによる核実験に始まる。インドはNPTを批准どころか署名すらしておらず、核爆発装置のためにプルトニウムを使用していたが、欧米諸国は、インドの核実験に直面して、NPTの起草者らはウラン濃縮のような軍民両用技術を非核兵器国が取得するのを妨げない大失敗を犯したと解釈した。

そこで欧米諸国は、原子力供給国グループ(NSG)を創設し、新興国が原子力関連技術を取得することをますます困難なものにしていった。このことは、ある意味では、NPTのほとんどの加盟国の同意を得ないまま同条約を改定していったに等しい。

そして、1990年代になると、イスラエルの政治家らが、イラン(1979年の革命で反米のイラン・イスラム共和国になっていた:IPSJ)には核兵器計画があり、核弾頭製造まであと数年のところまで来ていると公に主張し始めた。

結果として、イラン・イスラム共和国の反体制派が2002年に、イランは秘密裏にウラン濃縮工場を建設していると主張した際、多くの国連加盟国が、イランがNPTに違反しているか、まさに違反しようとしていると信じたのである。その際に米国とその一部の同盟国が掻き立てた危機感はあまりにも深刻なものだったので、イランが濃縮工場を隠匿しようとする意図さえ実際にあったかどうかという証拠が存在しないしないにもかかわらず、その点は無視されたのである。

さらにイラン政府が、一部の科学者・技術者が(IAEAのみならずイラン政府当局に対しても)未申告の核研究に従事していたと認めたことで、核物質の導入180日前までにウラン濃縮工場を申告する義務は、反体制派の内部告発がなければ守られなかったであろうと人々は考えるようになった。

イランは2004年以来、IAEA理事会や国連安全保障理事会による非難、ますます厳しくなる経済制裁、国連憲章に違反しての米・イスラエルによる軍事攻撃の威嚇など、様々な苦悩に晒されてきたが、仮にイランが実際に核兵器の取得を意図しているとの証拠があるのならば、こうした苦悩を強いる国際社会の仕打ちも合理的で正当なものだと言えるだろう。

しかし、オズボーン・モリソン両氏がこの著書の中で明言しているように、実際にはイランに核武装の意図があったという証拠はないのである。それどころか、2007年以来、米国の国家情報評価(NIEは、核兵器用の燃料にするためにウラン濃縮工場を使うとのイランの決定は存在していないと強調しているし、IAEAはイランの既知の核物質はあくまで民生用だと繰り返し述べている。さらに、イランにおける証拠のある唯一の核兵器活動は、多くのNPT加盟国が行っていると考えられる類の研究だけである。

オズボーン・モリソン両氏は、イラン問題をこれほどまでに非合理的に扱う理由は、米国がイランを中東の大国にしないと決意しているためと結論付けている。

しかしこの見方は彼らの議論の中でも最も疑問の残るものだと考える向きもあるかもしれない。なぜなら、その他にも以下のような理由が考えられるからだ。つまり、①イランを中東地域におけるライバル国とみなし、米国に対する戦略的要求を正当化する必要があるイスラエルサウジアラビアによる、ワシントン、ロンドン、パリを舞台にした活発なロビー活動の存在、②想像上のNPTの抜け穴を塞ぐことに執心している拡散対抗措置を標榜する専門家の影響力、③イラン・イスラム共和国のテロと人権侵害に関する前歴、④苦い記憶から生まれたイラン・イスラム共和国に対する敵意、などである。

また本書では、政治家の偽善が、正当にも、2人の著者の怒りの矛先となっている。2010年、ヒラリー・クリントン米国務長官(当時)は、対イラン経済制裁を正当化して、「我々の目標は、一般のイラン国民に害を与えることなく、イラン政府に圧力をかけることだ。」と宣言した。

また2012年、再選を目指すバラク・オバマ大統領は、「我々は、イランに対して史上最も厳しい経済制裁を加えており、経済に打撃を与えつつある。」と誇らしげに語った。

しかし、著者らのもっとも激しい怒りは、主流メディアに向けられている。つまり、主流メディアが、イランは以前から今日に至るまで核兵器を開発しようとしているという考えを、事実を無視してパブリック・ディスコース(公共政策に関わるような場面での発言や記事、報道等)の中に埋め込み、反イラン的なプロパガンダに道筋を作っていると断罪している。

主流メディアは、経済制裁あるいは武力行使によってイランの核の野望を抑えることができるという想定を是認することによって、ジョージ・W・ブッシュ並びにトニー・ブレア政権による対サダム・フセイン開戦論に疑問を呈することができなかった過去の過ちを繰り返す危険を冒している。

なお、『危険な幻想』は6月のイラン大統領選挙の前に執筆されているため、イラン政府に現実主義的な外交路線が再登場した場合、オズボーン氏とモリソン氏が迫っている「正気への訴え」を西側の政治家が考慮することになるのかどうか、という問題は取り扱っていない。

「(西側自由主義国に住む)我々は、イランを罵り罰するこうした必要性を我々がなぜ感じてきたのかを改めて問うべき時にきている。そうすれば、すべての当事者に満足のいく合意に至ることは、驚くほど簡単なことだと気づくのではないだろうか。」(09.02.2013) IPS Japan

※ピーター・ジェンキンス氏は、ケンブリッジ、ハーバードの両大学で学んだ後、33年にわたって英国の外交官として、ウィーン(2度)、ワシントン、パリ、ブラジリア、ジュネーブに駐在。最後の任務(2001~06)は、英国のIAEA大使、国連大使(ウィーン駐在)。2006年以降は、「再生可能エネルギー・省エネパートナーシップ」代表を務めるかたわら、国際応用システム分析研究所(IIASA)代表の顧問を務め、企業部門に対して紛争解決と国境を超えた諸問題の解決をアドバイスする研究機関「ADRgAmbassadors」を元外交官らと設立した。

|視点|気温上昇とともに、食料価格も高騰していくだろう(レスター・R・ブラウン、アースポリシー研究所創立者)

【ワシントンIPS=レスター・R・ブラウン】

現在ある農業は、きわめて安定的な気候の中、1万1000年にわたって発展してきたものである。人類はこの気候システムのなかで、生産を最大化するために農業を進化させてきたのだ。しかし現在、気候が突如として変動しつつある。年が過ぎるごとに、農業システムが気候システムとの調和を失ってきているのだ。

数世代前には、インドでのモンスーンの不発生(=雨季の不在)やロシアでの厳しい干ばつ、米国トウモロコシ地帯での熱波など、異常な気象が発生した場合でも、すぐに事態は正常に戻るだろうと誰もが思っていた。しかし今日、戻るべき「正常」は存在しない。地球の気候は常に流動的で、頼りなく、予測不能な状態になっているのだ。

Lester Brown
Lester Brown

1970年以来、地球の平均気温は華氏1度以上上昇してきた。もし今後も私たちがより多くの石油や石炭、天然ガスを燃やすこれまで通りの生活を続けたならば、今世紀末までにはさらに華氏11度(摂氏6度)は上昇すると見られている。そしてこの気温上昇は、地理的に不均等な形で(赤道地域よりも高緯度地域、海洋よりも陸地、沿岸地域よりも大陸内部でより高くなって)顕在化してくる。

地球の気温が上昇すれば、様々な面で農業への影響がでてくる。高温のため受粉が妨げられ、基本農作物の光合成が減少する。また高温は、植物の脱水も進行させる。トウモロコシも、太陽への露出を避けようと葉を丸めてしまうため、光合成が減少するのである。

地球の気温上昇は、山地の氷河の融解を通じて間接的に作物産出に影響を与えている。巨大氷河が縮小し、小規模氷河が消滅すると、河川を支える雪解け水やそれに依存する灌漑システムは減少していく。山地の氷河が失われつづけ、そのために雪解け水の流量が減ると、人口密度が高いいくつかの国において、前例のない水不足と政情不安が引き起こされるかもしれない。

科学者らは、高温によってより干ばつが多くなると予想している。近年干ばつの影響を受ける陸地が非常に多くなっていることがその証左だ。アメリカ大気研究センター(NCAR)の科学者らは、地球上の陸地のうちきわめて乾燥した状態にある場所が、1950~70年代の20%をはるかに下回る状況から、近年では25%に近づいていると報告している。

科学者らは、地球の気温が上昇すると、熱波の頻度と厳しさが増すのではないかと考えている。別の言い方をすれば、農作物を減らす熱波は今や、農業の風景の一部になったと言えるだろう。このことはとりわけ、世界が適切な食料安全保障を確保するために、穀物備蓄を増やさねばならないということを意味する。(原文へ

レスター・R・ブラウン『満杯の地球、空っぽの皿:食料不足の新たな地政学』(ニューヨーク、W・Wノートン社)からの抜粋。本稿の裏付けとなるデータや映像、スライドは以下で無料ダウンロードできる。www.earth-policy.org/books/fpep.

翻訳=IPS Japan

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|シリア|化学兵器の使用による今後軍事介入論議が高まるか?

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【アブダビWAM】

ダマスカス郊外の3つの病院では担ぎ込まれた数百人の患者が、呼吸に苦しみながら横たわっていた。中には子供の姿も多く、医者や両親が懸命に蘇生措置を試みていた。霊安室には、銃弾や爆弾によってではなく、化学兵器によって命を奪われた多くの遺体が折り重なって安置されていた。21世紀の現代において、このような大規模な虐殺がおこなわれたのは前代未聞である。」とアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙が8月23日の論説の中で報じた。


従って問題となるのは、バラク・オバマ大統領が(1988年のフセイン政権によるハラブジャ事件を念頭に)シリア政府を牽制する意味で使用した「レッドライン」という言葉である。オバマ大統領はシリアが化学兵器を使用した(=レッドラインを越えた)場合の対応について明らかにしていないが、今回の化学兵器使用(*1)に対して具体的な行動がないとすれば、それは「レッドライン」の許容範囲が大統領の知らぬうちにシフトしたということになるのだろうか。それとも、シリアで起こっていることについて、国際社会が無関心になってしまったということになるのだろうか。シリアでは絶望感が高まっている。

「首都ダマスカス郊外で21日に勃発した化学兵器による攻撃がもたらした犠牲者の規模もさることながら、(長引く内戦にもかからず介入を躊躇してきた)米国への信頼、西欧諸国の誠実さ、そして国連の対処能力に対する疑問がシリア国民の間で高まっている。」とガルフ・ニュース紙は論説の中で報じた。

また同紙は、「国際社会は今回の惨事の規模に驚くあまり事態の把握ができなくなっているのだろうか?」と疑問を呈したうえで、「数千人の無辜の市民を攻撃した21日の化学兵器使用は、今後のシリア内戦の様相を変えていくだろう。」と報じた。

また同紙は、西側諸国はジレンマに直面していると指摘した。国連は既に2年におよぶシリア内戦を終結に導く政治的解決策を見いだせないでおり、事態打開を目指すいかなる試みも、国連安保理でロシアと中国が繰り返し拒否権を発動したことで、各国の意見対立のみが浮き彫りにされてきた。

これまで査察団は、シリアの化学兵器に関する包括的な査察を行うことができずにおり、結果的に内戦に火を注ぐことになった。しかし21日の化学兵器使用により、国際社会の介入を求める声は今後拡大していくもの思われる。米国と国連は、今後の対応がもたらす影響を慎重に考慮しながらも何らかの行動を起こすよう迫られている。
 

「一方で、化学兵器が再び使用され、オバマ大統領の所謂『レッライン』の許容範囲がシフトし続ける可能性もある。しかし、今回の事件でシリア紛争が抱える危険性の度合いが高まったのは確かである。」と同紙は報じた。

またガルフ・ニュース紙は、「これまで米国が中東危機に介入してきた成績は決して芳しくない。むしろ、通信簿の内容は近年悪化している。」と付け加えた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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 *1)1月21日の化学兵器使用はちょうどシリア政府の要請で国連査察団がダマスカスに到着した時期に起こったもので、シリア政府によるものかどうかについては定かではない。一方シリア政府は、化学兵器の使用は、外国の軍事介入を促すために反政府勢力が行った犯行と主張している。

|UAE|レバノンのトリポリで爆弾テロ

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【アブダビWAM】


アラブ首長国連邦(UAE)のアンワル・ムハンマド・ガルガーシュ外相は、8月23日にレバノン北部の(スンニ派住民が8割を占める)トリポリ市内の2つのモスクで金曜礼拝直後に車載爆弾が相次いで爆発した事件について、「シリア情勢が緊迫化している中で、レバノン国民の間に暴動の種をまき同国の安定と治安を揺がそうとした行為であり、UAE政府はこれを非難するとともに、今後の経過を重大な関心を持って見守っていく。」との声明を出した。

またガルガーシュ外相は、レバノンの各派に対して、国の統一と安定を揺るがそうとするテロリストの陰謀から祖国と国民を守るために団結して事態の鎮静化を図るよう呼びかけた。

また外相は(被害にあったモスクで導師をつとめるシリア政府に批判的なスンニ派聖職者を狙ったとみられる)今回の2つの爆弾テロ事件と15日にベイルート南郊外(=イスラム教シーア派組織ヒズボラの拠点地区)で起きた爆弾テロ事件の犠牲者の家族に哀悼と同情の意を表するとともに、負傷者の早期回復を祈った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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毎日15人が行方不明になるリオデジャネイロ

【リオデジャネイロIPS=ファビオラ・オルティス】

公式統計や学術調査によるとブラジル南東部のリオデジャネイロ州では、過去20年間に92,000人近い人々が失踪しており、しかもその大半が、殆ど捜査されることもなく未解決事件とされている。

アマリウド・デ・ソウザさん(43)は、州都リオデジャネイロ市を囲む丘陵地帯に広がる多数の貧民街(ファヴェーラ)の中でも最大規模のロシーニャ(Rocinha)貧民街に、妻と6人の子どもと暮らしていた。

デ・ソウザさんの住居は、丘を登り切ったところの「ロウパ・スジャ(汚い洗濯物)」と呼ばれる細い路地に面したわずか10平方メートルほどの建物だった。

その近辺には街灯はなく、衛生環境は劣悪で、上下水道も未だに整備されておらず、ゴミの収集も行われていない。

デ・ソウザさんは、家族を養うため、建設労働者として働く傍ら様々な雑務をこなしていた。そして非番の日にはよく魚釣りに出かけていた。

6月14日の日曜日、デ・ソウザさんが魚釣りから帰って自宅にいたところ、戸口に20人ほどの軍警察官が現れ、これから尋問のために軍警察治安部隊(UPP本部まで連行すると告げられた。

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UPPは、リオデジャネイロ州政府が州内各地の貧民街の犯罪捜査、とりわけ麻薬密売組織を締め出す目的で創立した特殊部隊である。同州政府は、2014年のサッカーワールドカップ2016年のオリンピックがリオデジャネイロで開催されるのを念頭に、公共サービス(水道導入、公共衛生・教育プログラムの提供等)の向上を盛り込みつつ、貧民街の治安回復に主眼を置いた「広域警備・犯罪防止戦略」を2008年から実施している。

リオデジャネイロ州政府はこの戦略に基づいて2011年11月に警察軍特殊作戦部隊(BOPE)を中心とする治安部隊3000名をロシーニャ貧民街に投入し、それまで同地を実質支配していた重武装の麻薬組織の一掃を図った。そして2012年9月、UPPの設置をもって、同貧民街の(麻薬密売組織からの)完全解放を宣言していた。

軍警察の車に押し込められたのが、ゼ・ソウザさんに関する最後の目撃情報である。

リオデジャネイロではこの2か月ほど(政治への不満や汚職の多発に対して)激しい抗議活動が続いているが、デ・ソウザさんの失踪事件は警察腐敗を象徴する出来事として、大いに注目を浴びることとなった。今では、「アマリウドはどこ?」という言葉とともに、彼の顔写真を載せたポスターが街中に貼られている。

アムネスティ・インターナショナルのジャンディラ・ケイロス氏は、「軍警察の動向には不審な点が多い。もし尋問が目的ならば、デ・ソウザさんはUPP本部よりはむしろ地元の警察署に出頭すれば済むことだったはずだ。」とIPSの取材に対して語った。

アムネスティ・インターナショナルは、300百万人にのぼる世界各地の支援者に対して、リオデジャネイロ州政府及び連邦政府(連邦警察局を管轄する部門)に対して、デ・ソウザさん失踪事件について、徹底した捜査の実施と、目撃者の保護、そして違反者の訴追を求める書簡を送るよう呼びかけている

「軍警察はデ・ソウザさんを釈放したと主張していますが、これまで彼に関する情報は何も見つかっていません。デ・ソウザさん(或いは彼の遺体)の所在が全く不明なのです。もし彼が既に亡くなっているとすれば、少なくともきちんとした埋葬をしたいというのが家族の希望なのです。」とケイロス氏は語った。

デ・ソウザさんが釈放後歩いて出所したとする軍警察側の主張は、UPP本部に取り付けられている監視カメラの映像を確認すれば裏付けられるはずだが、軍警察は事件当夜はカメラが故障していたとしている。また、デ・ソウザさんを逮捕した際に使用されたパトカーのGPS装置は、当日電源が繋がっていなかったとされている。

一方地元警察は、この事件を、UPPの要員か麻薬密輸業者による殺人事件とみて捜査している。

デ・ソウザさんの家族は、生きて再会する希望を失いつつある。またこの失踪事件は、近隣住民の間に、警察に対する憤りと十分に保護されていないことへの不安感を広める結果となった。

デ・ソウザさんの妻エリザベス・ゴメスさんは、怒りに震えながら「軍警察は、夫を逮捕した際、彼が所持していた書類も押収していきました。夫が失踪して既に1か月が経過し、手元にはもう現金がありません。せめて、適切な埋葬をするためにも、夫の遺骨は帰ってきてほしいです。『アマリルドはどこ?』という質問に対する答えがほしいのです。」と語った。

ブラジルでは、この注目を集めたデ・ソウザさんの失踪事件によって、これまでに忽然と「失踪」した数知れない人々のことが問題になり始めている。そしてそうした未解決事件の大半について、主に警察官の関与が疑われている。

「治安研究所(Public Security Institute)」によると、リオデジャネイロ州では1日平均15人が失踪しているという。そしてそれらの主な原因は、殺人、家族内不和、精神的問題などである。

また、リオデジャネイロ連邦大学の社会学者ファビオ・アラウジョ氏の調査によると、1991年から2013年5月までに、リオデジャネイロ州で9万1807人が失踪したとみられるという。

この調査によれば、2011年の失踪者数は5482人、そして翌年の2012年の失踪者数は5934人であった。また失踪者の大半は、各地の貧民街或いは郊外の貧しい地区に住む男性であった。

またアラウジョ氏は報告書の中で、警察は民兵組織(強奪その他の組織犯罪に関与している非番の警察・軍関係者で構成)や麻薬密輸組織と同様に、「極めて暴力的」であり、「これらの組織は時には互いに争うが、時には(失踪した犠牲者の)死体を隠すために協力し合っている。」と記している。

8月13日、リオデジャネイロ州議会人権委員会による公聴会が開かれ、失踪人の家族や人権活動家が証言した。

2008年6月に失踪した当時24歳の技術者パトリシア・アミエイロさんの兄弟であるアドリアーノ・アミエイロさんは、「私の妹の車が警察によって銃撃され、もう5年も戻ってきません。」「今は姉に再び生きて会えるとは思っていませんが、彼女の遺体を埋葬できない状況では、私たち家族はこの問題に踏ん切りをつけることができないのです。」と証言した。

現在、連邦上院では、強制失踪犯罪を刑法の新たな条項に分類する法案審議が進められている。

ブラジルでは犠牲者の遺体が消失するケースが頻繁に報告されている。その背景には、遺体が発見されなければ、警察が捜査を中止する慣行が影響しているものと考えられる。

市民団体「Rio de Paz(平和なリオ)」のアントニオ・カルロス・コスタ代表はIPSの取材に対して、「この国は、生命に対する罪に関しては、罰せられない国と言わざるを得ません。」「数千人に及ぶ人々が失踪しても、政府当局は犠牲者に何が起こったか気にかけようともしません。そして失踪事件の多くが、警察署に登録さえされないのです。それどころか、失踪事件に警察官自身が関与していることも少なくないのですから。」と語った。

またコスタ氏は、「公式統計の内容は確かに『恐ろしい』ものです。しかし、実際の失踪者数はこうした公式統計よりも多いのが現実です。また、リオデジャネイロ市の周辺にはこうした犠牲者の遺体を埋める秘密の埋葬所が点在しています。」と語った。

「私たちは人の生命が失われることに無感覚になってしまう文化に生きています。そしてこの文化はこの国の権力者の姿勢によく表れています。」とコスタ氏は語った。

リオデジャネイロ州議会人権委員会のマルセロ・フレイソ委員長は、デ・ソウザさんの失踪に関する調査には「大きな矛盾点」があり、検察当局と地元警察に対して、事態を明らかにするように8月に入って公式に要請した。

フレイソ委員長は、デ・ソウザさんがロシーニャ貧民街における麻薬取引に関与していた疑いがあるとする軍警察当局の主張について、デ・ソウザさん自身と彼が失踪しているという主張の信頼性を貶めることを狙ったものであるとみている。

フレイソ委員長は、IPSの取材に対して、「(警察の主張とは異なり)デ・ソウザさんや彼の家族が麻薬取引に関与していた証拠はありません。」と指摘するとともに、リオデジャネイロ州内における失踪事件を捜査する、検察局、連邦警察局、社会扶助・人権擁護活動家からなる独立タスクフォースの創設を提案している。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【プノンペンIPS=シンバ・シャニ・カマリア・ルソー】

サムリン・チェイ(22)さんは、4歳の時に両親が亡くなって以来、プノンペンの王宮近くを流れる川沿いでストリート・チルドレンとして生活していた。ある日、「ミトゥ・サムラン(Mith Samlanh)」のソーシャルワーカーに出会うまでは。

「ミトゥ・サムラン(クメール語で「友人」という意味)」は1994年に設立されたNGOで、独自の斬新な方法で、路上生活を余儀なくされている若者の(家族、学校、職場、カンボジア文化等への)社会復帰と自立を支援する活動を行っている。

この団体には「ロムデン」と「フレンズ」という2つの研修レストランがあり、保護されたストリート・チルドレンは、ここで料理人として(「ロムデン」では主にカンボジア料理、「フレンズ」では主にアジア・西洋料理)の訓練を受けることができる。これらの研修レストランのユニークな点は、子どもたちの自立支援という側面に加えて、現代版及び伝統的なカンボジア料理を提供する名物レストランとして、地元カンボジアのみならず国際的にも高い評価を獲得していることである。

サムリンさんがこのNGOに出会って研修レストランで働き始めたのは15才の時だった。彼はこれによって自分の住み家と将来を手に入れたのである。「(研修レストランでは)クメールの伝統料理をはじめ、接客のノウハウやサービス産業について学びました。またその間、宿泊先も提供されました。」とサムリンさんはIPSの取材に対して語った。

3年間の訓練の後、サムリンさんは新たに同研修レストランの講師として働かないかと持ちかけられた。サムリンさんは、元ストリート・チルドレンとして、かつての自分と同じような境遇の子どもたちを手助けできる機会を得られたと感じている。

「子どもたちにとって、ストリートの生活は過酷です。食べ物が十分得られないし、自分の身を守れる保証もどこにもありません。多くが麻薬常習者になっていきますが、この世の中に私たちの将来を気に掛ける人なんてどこにもいないように思えるのです。」

「ここでは、ストリートに暮らしていた生徒たちに自分自身の経験を話すことで、彼らにも諦めないで頑張れば道は開けてくるという自信を着けさせることができるので、この仕事に大いに満足しています。」

カンボジアでは総人口1500万人のうち、44.3%が18歳未満の青少年である。公的統計によれば、カンボジア国民の35%が貧困線(1日45セント)以下の暮らしを余儀なくされている。また国際連合児童基金(ユニセフ)によると、1~2万人の子どもがプノンペンの街頭で働いているという。

14歳からプノンペンの街頭で働いてきたボファ(17)さんも、そうした子どもの一人である。ボファさんは、両親にとって路上のケーキ販売による収入だけで8人家族を養うのは困難だった、と振り返る。

「十分な食料を買うだけの売り上げがなかったり、学校にも通わせてもらえない時期もあり、辛かったです。」「状況が変わったのは、『ミトゥ・サムラン』のソーシャルワーカーが街頭の私たちに声をかけ、食料を提供してくれるようになってからです。彼らは、私にコンピューター技能や伝統料理を作る技術の習得に興味があるか尋ねてきました。当初、自分が家族から離れれば、ケーキ売りを手伝えなくなるので家族が困るのではと思い躊躇しました。」とボファさんはIPSの取材に対して語った。その後、ボファさんは支援を受け入れた。

カンボジアの就労状況は極めて厳しい。毎年労働市場に新たに流入してくる40万人の若者を吸収できるだけの経済力が国にないのだ。その結果、労働省の統計によると、国内で仕事を見つけることができない基礎教育や職業訓練経験がない20~30万人の若者が、単純労働を求めて毎年国外に流出している。

「ストリート・チルドレンは、教育を受ける権利を失っているのが現状です。」「そこで、3から14歳までの子どもに対しては、公立学校への編入が容易になるように非公式教育を提供しています。一方、15~24歳の青少年は就学よりも就職に関心を示す傾向にあるので、私たちの研修センターにおいて職業訓練を提供しています。」とフレンズレストランの広報担当メンホーン・ゴさんは語った。

「訓練プログラムでは、子どもたちにクメール人として母国の文化に誇りを持つとともに、自信を着けさせることを主眼にしています。つまり、研修生たちは自尊心とともに公衆衛生管理や接客の技術を体得していくのです。そして研修を終了した者に対しては、職探しの支援を行っています。」

こうした膨大な数の若者が深刻な問題に直面している現実に、カンボジア政界もようやく注意を向けざるを得ない状況が生まれてきている。

今日カンボジアの有権者の約半数は25才以下であり、先月行われた総選挙では、若者の雇用促進を訴えた、野党カンボジア救援党(CNRPが大きく躍進した。

他方で、フン・セン首相率いる与党は22議席を減らしており、生活の質が向上しないことへの若者の怒りが表れたものと、広く見られている。

「家族に楽をさせるのが私の夢です。そのためには、いつの日か自分の家を持ち、起業してクメール料理を世界の人々に紹介できるようになりたいと考えています。」とボファさんは語った。

「私は『ミトゥ・サムラン』に来て以来、自分の将来について、より積極的に考えられるようになりました。というのは、ここで職業訓練を受けることができたお蔭で、今や、自分の夢を実現する技術をまもなく身に付けることができるからです。」(原文へ

翻訳=IPS Japan

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