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|UAE|イスラム教徒は、ラマダン明け(イド)の日を決める手段として科学的方法を用いるべきだ

【アブダビWAM】

世界のイスラム教徒は、そろそろ人類が成し遂げてきた21世紀の英知を受け入れる時にきている。
 
ラマダン明けの日(今年は8月7日に終了、8日から祝祭期間開始)については、今日では科学的に随分前もって正確な日を特定できるようになっており、イスラム教徒はこうした科学的手法を採用すべきである。

「各国で長老らが三日月を裸眼で観察してラマダン明けの日を確認する(=ウルヤ)手法は、今から1000年以上前の預言者ムハンマド(570頃~632)の時代に既存知識を結集して編み出されたもので、当時としては理にかなっていたといえよう。しかし、当時の唯一の移動手段は馬かラクダで、通信手段もこうした騎乗のメッセンジャーを通じた手紙の交信(相手に届くまでに数日から数か月を要した)に限定されていた。」とアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙ガルフ・ニュース紙が8月8日付の論説の中で報じた。

「しかし世界は当時からは大きく様変わりしており、イスラム教徒も今日では、車・航空機・船舶で移動し、通信手段にインターネットをはじめ、携帯電話、電子メール、インスタントメッセージを利用するようになっている。また今日イスラム諸国には、最先端の病院、学術施設、巨大な商社、そして最も先進的な都市を見ることができる。」

「すなわち、今日ではいつラマダン明けの三日月が登るのかを科学的に正確に計測し、直ちに世界中に知らせることが技術的に可能である。そして、そうしたからといって、イスラム教徒としてのあるべき姿になんら悪影響が及ぶものではない。むしろ、ビジネスや休暇日程が立てられず、生活に不必要な支障をきたしている今日の問題を解決することになるだろう。」

「科学的手法を採用することでイスラム世界におけるイドを1つに統一することが可能となる。イスラム諸国は、そろそろラマダンの開始と終わり(=イド)を、こうした方法で同じ日に祝えるよう、統一を図るべきである。もしイスラム諸国が、イスラム教の重要な年間行事であるラマダンやイドについて、統一した対応ができないならば、イスラム世界における紛争にどうして終止符を打つことができるだろうか?」

「ラマダンのはじめと終わりの日を科学的な観測に基づいて統一することは、イスラム教を傷つけるものではなく、むしろ神の祝福である。イスラム諸国は旧来の手法に終止符を打ち、21世紀の時代に即した観測方法を受け入れる時にきている。」とガルフ・ニュース紙は結論付けた。(原文へ

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「エジプト国民は分裂回避のため互いに一歩引き、友好国の支援を受け入れるべきだ」とUAE紙

【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙「ナショナル」は8月16日、「分裂状態が続くエジプトが再び安定を取り戻すのは遠い将来のように思えるが、それに向けた努力を惜しんではならない。安定復帰以外の選択肢は、エジプトはもとより、中東地域全体にとって想像もつかないことである。」と指摘したうえで、「エジプトに再び安定と平和を取り戻す道は困難だが決して不可能ではない。」との論説を掲載した。

「現在のエジプトは危険なコースをたどっている…つまり、一旦論争が暴力化すれば、社会内の亀裂と憎しみを増幅させるほうが、それを止めさせるよりもはるかに容易になるという自明の理が、今エジプトでは、現実のものとなってしまっているのである。」

同紙は、アルジェリア、レバノン、シリア、北アイルランド、バルカン半島諸国の例を挙げて、社会の分裂を煽る容易さと反比例して、一旦紛争に発展してしまってから再び事態の鎮静化をはかるのは、極めて困難である、と警告した。


「7月4日に軍によって解任されたムハンマド・モルシ前大統領の支持者が、カイロ東部のラバ・アルアダウィヤモスク周辺と中心部のナハダ広場の2カ所で、モルシ氏の復権を求めて座り込みを続けていた事態については、当局による対応が明らかに必要であった。

しかし、8月14日に暫定政府が実施した強制排除では治安部隊の攻撃でデモ隊側に600人近くの死者が出るなど、事態収拾どころか、安定回復への道を一層複雑にする結果となった。しかしエジプト社会の安定回復は不可能ではない。」とナショナル紙は報じた。

また同紙は、14日の強制排除の後にホスニ・ムバラク時代への回帰を髣髴とさせる戒厳令が全土に敷かれたことに言及し、「エジプト国民は、現状から一歩引き、友好国の助けを受け入れるべきだ。」と報じた。

「エジプト国民は、今般非常事態宣言と外出禁止令が再び全土に敷かれた(ムバラク時代の30年は戒厳令下にあった:IPSJ)この機会に、一歩下がって現状を冷静に再考すべきである。また、今こそエジプトの友好国、とりわけエジプトで対立する両勢力(暫定政権側とムスリム同胞団側)に影響力を持つ諸グループを国内に抱える湾岸諸国が、事態打開に向けた協力の手を差し伸べる時にきている。」とナショナル紙は付け加えた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【IDN/Pressenza広島=マーゼン・クムスィーヤ】

私とオリバー・ストーン監督は、8月6日に人類史上初めて核爆弾が投下された広島の地で講演をする機会がありました(講演内容は本原稿の下段に掲載しています)。また2日後の9日9日にも、第2の核爆弾が投下された長崎の地で話をすることになっています(注:原稿執筆時は8月7日:IPSJ)。

1945年に米国が行った広島・長崎両市への原爆投下は、今日に至る人類の歴史において、もっとも恐ろしい国家テロ行為です。私は、これまでにも恐怖で身震いするような(原爆被害の)写真や映像を見たことはありますが、実際に広島の被爆地を訪れて感じたものは全く異なった次元のものでした。私は、太陽が眩しく照りつける8月6日の午前8月15分、各地から平和記念公園に集ったさまざまな背景を持つ人々とともに、原爆ドームの横で3分間地面に身を横たえました。私たちは空を見つめて、68年前のこの時間に、頭上に投下された核爆弾が上空600メートルで実際に爆発した恐怖を、こみ上げる涙に震えながら想像しようと試みました。しかし、実際に人口密集地の住民の頭上に核兵器を投下し、一瞬にして数万人もの生身の人間を焼き尽くして骨だけにし、さらに数万人の肉体を焦がして皮膚をぼろきれのようにした恐怖を、いかにして想像することができるでしょうか。さらにそれ以上に想像しがたいのは、同じ人間に対してそのような悲惨をもたらす決定をした「人間の心の闇」に他なりません。


オリバー・ストーン監督とピーター・カズニック教授は、米国の教科書で現在も教えられている神話とは異なる、原爆を投下した真の理由について、明晰な説明をしてくれました。しかしその真相が何であったとしても、(原爆投下を指示した)ハリー・トルーマン大統領と将軍たちが人類にもたらした惨たらしい現実は、なにも変わりません。当時、放射線中毒が人体に及ぼす影響については、医学関係者のみならず、それまでの実験に関する詳細な報告を受けていたトルーマン大統領も理解していました。私は今回の初来日以来、多くの被爆者や彼らの子孫と面談し、白血病やその他の癌、あるいは先天性奇形等を患って亡くなっていた子供たちの話を聞きましたが、そのあまりの痛ましさに圧倒されました。一時訪問者の私ですらこのように感じるということを考えれば、まして日本に暮らしている人々の原爆に対する心情は、察して余りあるものがあります。

ところで、広島の原爆死没者慰霊碑からは、ナショナリズムや戦争(を肯定する)気配はまったく感じられません。それどころかそうした気配からは遠く隔絶した存在のように思いました。つまり広島の事例は、戦争の犠牲者であっても、(加害者への憎しみを植え付け、武力と団結の必要性を強調する)戦争やナショナリズムが(将来の悲劇を繰り返さないための)解答ではないと理解することが可能だということを示しているのです。そこで私は、世界のより多くの人々が、広島から学ぶことで、多くのホロコースト博物館が醸し出しているシオニズムと戦争を肯定する誤ったメッセージを変革し、それに代わって、平和を支持する構造を築き上げていってほしいと切に願うものです。

また広島では、多くの子どもたちや若者が自発的に愛と平和を訴える活動に参加しているのを見て、感銘を受けました。会場では高校生たちが世界中の核兵器を禁止するための署名を集めていました。また、数百人規模の市民が、地元の電力会社に対して原子力の利用をやめるよう求めるデモ行進を行い、私も参加しました。その際、私たちが被っているパレスチナの彩り豊かなクーフィーヤが歓迎され、彩り豊かなデモ隊の横断幕や旗の中で映えたのを印象深く思います。私が広島で目にしたのは、日本に関する海外報道ではあまり触れられてこなかった、日本の人々が抱いている平和への希望や先の戦争の痛みであり、一部の右派政治家や第二次世界大戦における日本軍の残虐行為さえ否定する一部の人種差別論者に敢然と立ち向う素晴らしい人々の姿でした。

私はパレスチナ人訪問者として、とりわけ日本の諸都市が、規律正しく整然としていることに感銘を受けました。すべてが完全に機能しているように思えます。鉄道の発着時間は分単位で正確であり、数百万人の乗客を、市内及び各市を結ぶ広域ネットワークで運んでいます。また、日本の通りは、きれいに保たれており、(もちろん)私たちの自由な移動を妨げる(イスラエルにあるような)分離壁やチェックポイントに出くわすことはありませんでした。

人々は整然と通りを渡り、ゴミは自分で携帯したゴミ袋に入れて持ち帰っています。行列を飛び越えるものはおらず、家々や道行く車はきれいに掃除が行き届いています。そして、ほぼすべての人々が、(周りに迷惑にならないように)低い声で語り合い、お互いに礼儀正しく接しています…このように私の目に映った日本の社会は、穏やかで平和に満ちていました。

また日本は、多くの国々と同じく、西洋式の資本主義が浸透した社会でもあります。つまり、この国においても、マクドナルドやスターバックス、はたまた売春婦や腐敗した政治家を目の当りにすることができるのです。日本社会は、他国と比較してより均質的な特徴を持っています、しかし一方で、人口1億2千万人を抱える大国でもあります。そして、日本を短期間でも訪問した人ならだれでも、この国には驚くほど多様な発想やコンセプトが共存していることに気づくことでしょう。

また(広島の前に訪問した)名古屋では、環太平洋連携協定(TPP)への反対を呼びかける市民団体が市内の主要な広場で開催していた集会を訪れました。この集会の主催者は、日本では数少ない先住民コミュニティーのひとつ(アイヌ)に属しているイサマンという名の素晴らしい人物でした。そして広場には多くの市民が食事を携えて立ち寄り、情報交換を行っていました。また、同じ広場の片隅では、一人の若い音楽家が、日本から遠く離れたパキスタンに学校を建設するための寄付を求めて、ギターを演奏していました。

また名古屋では、日本のプロレタリア文学の代表的な作家である小林多喜二氏(1903年~33年)の著作に関する討論会に参加しました。聴衆は様々な背景を持つ30名ほどで、会場の玄関で靴を脱ぎ、赤いスリッパに履き替えて、元書店の店主が語る小林多喜二作品に関する議論に熱心に聞き入っていました。小林多喜二は幼少から文才に恵まれた人物でしたが、発表した作品が当時の政府当局に問題視されたため、後に(北海道開拓銀行職員の)職を追われたうえに、30歳の時に特高警察による拷問で死亡した人物です。最も有名な作品は、蟹工船で酷使される貧しい労働者の悲惨な生活と、仲間への思いやり、そして船主の残虐さを描いた「蟹工船」です。日本では、バブル崩壊後の若い世代における非正規雇用の増大と、働く貧困層の拡大、低賃金長時間労働の蔓延などの社会経済的背景に、このジャンルの文学作品が見直されるようになっているようです。

現在、多くの日本人が、もっと人間を大事にする社会を希求し、パレスチナも含めた世界的な連帯を支持しています。私は名古屋と広島への訪問をとおして、このことを強く感じました。これまでの日本滞在中に、集会で、街頭で、電車で、或いはレストランで出会った様々な人々のことを振り返ったとき、いみじくもこれまで私が米国やパレスチナなど様々な国で出会ってきた人々のことが思い出されました。もし誰かがカメラを担いでさまざまな国を回り、この点に着目したドキュメンタリーを撮ったら素晴らしいだろうと思いました。もしそのようなドキュメンタリーを製作すれば、他国に住んでいる人とまるで双子のような人物がそれぞれの国に住んでいることがわかるでしょう。そしておそらくそのドキュメンタリー作品は、私たちを互いに近い存在にしてくれるでしょう。私はこのあとの、長崎、大阪、東京、京都を訪問する予定ですが、大変楽しみにしています。そして今回の日本訪問の成果とともに、依然として希望を失わないであらゆる困難に立ち向かっている祖国パレスチナに帰国するのを楽しみにしています。

以下に私が原爆投下から68年目を記念して8月6日に広島で行った講演内容を記します:

こんばんは、お招きいただきありがとうございます。また日本を訪問することができて、大変光栄に思います。

ここ広島では、私たちは戦争の悲惨さを最も痛感させられます。ここでは「よい戦争」というものはないのだという事実と、戦争に戦勝国も敗戦国もないという現実を改めて認識することができます。戦争は一般の人々に苦しみをもたらす一方で、富める者をさらに富ませます。つまり、戦争の勝者はカネであり、人々は常に敗者なのです。だからこそ、(第二次世界大戦において欧州連合軍最高司令官を務めた)ドワイト・アイゼンハワー大統領は、退任演説において軍産複合体による「正当な権限のない影響力(Power)」について警告したのでした。オリバー・ストーン監督が先ほどの講演で私たちに気づかせてくれた権力こそが、まさにこの点であり、米国の納税者が犯罪的なイラク戦争のためにさらに3兆ドルもの負債を抱えて苦しむ中で、焼け太りしてきたのが、他ならぬこの軍産複合体なのです。そして、広島と長崎に破壊的状況をもたらした理由について、そしてパレスチナの破滅(ナクバ)を作り出した理由について、公然と虚偽の発言をしたのが、他ならぬ、原爆投下を命じた同じトルーマン大統領だったのです。

 戦争とは、かつて米海兵隊のスメドリー・バトラー将軍がいみじくも指摘した通り、貧乏人の犠牲の上に金持ちがさらにお金を生み出すための、ペテンに他ならないのです。だからこそ、人々が力を合わせて止めようとしない限り、戦争は続いて行くことになるのです。ベトナム戦争や南アフリカ共和国の例にあるように、私たち人民だけが戦争を止めることができます。私が最も希望を見出しているのが、まさにこの人民の力なのです。

私は、世界に1200万人いるパレスチナ人のひとりですが、その約3分の2が難民であり、残りは私たちの歴史的な土地の僅か8.3%に押し込められながら、暮らしていくことを余儀なくされています。こんなことがどうして起こってしまったのか、そして、どうすれはこの人民に対する戦争を止めさせることができるでしょうか?

パレスチナ人は、もともと西アジアの「肥沃な三ケ月地帯」に住む人々の総称でした。人類文明の鍵となる一里塚が、カナンと呼ばれるこの地に始まったのです。動植物を家畜化しはじめ、アルファベットを発明し、そして法律と宗教がこの地から発達しました。

この土地は、宗教と文化の発展という点においては、実に1万1千年以上の文明化の歴史を持っています。その間、パレスチナを何か1つのものにしてしまおうという様々な試みは、ことごとく失敗しました。つまり、パレスチナ人をすべてキリスト教徒やムスリムに変えようとしたり、ユダヤ人に変えようとした、結果的に長続きしなかった試みのことです。欧州の十字軍はこの好例といえるでしょう。しかし、パレスチナと呼ばれる土地の歴史の97%の部分は、多宗教的でかつ多文化な土地として、存続してきました。

しかし19世紀末から、パレスチナに「ユダヤ国家」を作るという、新たな「シオニズム」と呼ばれる政治思想が発展してきました。当時、パレスチナ人口のうちユダヤ人は3%にも足りませんでした。このシオニズムという植民地主義的な考え方は、西側諸国とくに英国が支援し、のちに米国が一層熱心に支援するようになりました。

冷酷に組織化されたプロジェクトとして、現地のパレスチナ人を民族浄化する事業が始まりました。そして無数の虐殺が起こり、530ものパレスチナの町や村が完全な破壊の憂き目に遭いました。このとき生じた難民化は、依然として、第二次大戦後世界最大の規模のものです。その意味で、私の祖母もひとりのヒバクシャなのです。

今日、700万のパレスチナ人が難民であり、同時に500万人のパレスチナ人が、依然として私たちの歴史的な土地の僅か8.3%に押し込められながら、現在も暮らしています。イスラエルという国家はパレスチナの破壊の上に打ち立てられました。例えば今のイスラエルには、土着のパレスチナ人を具体的に差別する55の法律があります。国際的な法定義によれば、それはアパルトヘイト(民族差別)国家であることの要件を満たしています。

それでいながらシオニストらは、他の全ての帝国主義国家がしてきたように、私たち犠牲者に対してテロリスト呼ばわりすることを演出しています。欧州の植民地主義国家は、こうしたことをアメリカ大陸やアフリカ、そしてアジアにおいても行ってきました。彼らは、自分たちは文明をもたらす開拓団と自認し、野蛮で劣った者たちから自分たちを守るのは当然だと言うのです。しかし、実際は、植民地化というもの自体がすでに暴力です。そして、侵略した人びとよりも10倍もの土着の人々が殺されてきています。

イスラエルという国家による占領と植民地化がどんなに残忍かについて話せば、いくらでも話は尽きることがないでしょう。人が住んでいる家を壊し、土地から人々を引きはがすやり方について、多くの殺人や拷問について、尽きることのない話があります。子どもたちの骨は兵士に折られてきました。そして学校には白リン弾が撃ち込まれました。この話にはイスラエルの核武装さえ続くこととなってしまいました。最近では、国際法に違反しているイスラエル人の入植地から、パレスチナ人の村に対して不法投棄されている有毒廃棄物が問題になっています。その他には、弁護士の面会やまして裁判官にすら一度も会ったことのない、何年も拘留されている政治犯たちの話もせねばなりません。また、平和的なデモに参加しただけで殺害された友人たちのことも話さねばなりませんし、私自身の家族の苦難の歴史についても話さねばなりません。しかし、これらすべてをお話しするには、今は時間がありません。

パレスチナ人はこうした過酷な攻撃に対して、過去100年もの間、抵抗してきました。パレスチナの抵抗は実に様々な形態をとりましたが、大半は非武装でした。平均約10年ごとの頻度で、これまで13回の大きな抵抗運動が起きています。ちなみに南アフリカはアパルトヘイトのもと、15回の抵抗運動がありました。

私たちパレスチナ人は、いつも革新的な方法で闘ってきました。例えば1929年にパレスチナの女性たちが120台の車を集めて、エルサレムの旧市街をデモ運転したことがありますが、これは人類史上初めて、車を使ったデモとなりました。私たちは植民地主義者のシオニズムを支持するのを止めるよう、オスマン帝国大英帝国にロビー活動も行ってきました。また、納税拒否運動をはじめ、さまざまな形の市民的不服従の形を模索してきました。

また同時に国際的な連帯に支援を求めてきました。これによって今までに何万人もの海外支援者が私たちの闘いに加わりました。ISMと呼ばれる国際連帯運動もあります。また、南アフリカのアパルトヘイトに対する闘いのように、「ボイコット・投資撤収・制裁運動」(BDS)がありました。こうした幅広い連帯運動は本当に重要なものですから、ぜひとも参加を呼び掛けたいと思います。こうした運動を通して、私たちの目に政府の偽善が明らかになっていきます。表向きは民主主義や人権を謳う一方で、人種差別政策、専制政治、戦争などの、あらゆる形の人権侵害を支持する偽善政治のことが明らかになって行きます。

私たちは、地球という、この小さな青い惑星を共有しています。しかし同時に、イスラエルのような国が地球を破壊しかねない核兵器に時代に生きています。従って世界の出来事に対して無関心を装っている余裕はありません。かつてドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルは、「人類は歴史に学ばないということを、歴史から学んだ。」と言いましたが、この言葉は間違いだと、いつか言ってやらねばなりません。私たちは共通の歴史から学ぶことができるのです。そして現在インターネットのおかげで、私たちは、核兵器と戦争に反対する世界的な蜂起を開始しつつあるのです。人民の力が世界的な連帯を通じて最終的に実現された時、私たちは戦争との闘いに勝つだけではなく、貧困や気候変動、無気力、無関心のもたらす様々な問題にも打ち勝つことができるでしょう。これこそが、私たちが犠牲を払ってでも得る価値がある未来だと、思っています。

仏教には、「この世界の不幸に、喜んで参加しましょう」という言葉があります。この参加というのが重要な鍵に他なりません。それでは皆さん、この世界にある様々な不幸に、喜んで参加しようではありませんか。ご清聴、有難うございました。アリガトウ、サンキュー、シュクラン[アラビア語で「ありがとう」の意]、平和、サラーム[アラビア語で「平和」の意]。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【プノンペンIPS=シンバ・シャニ・カマリア・ルソー】

サムリン・チェイ(22)さんは、4歳の時に両親が亡くなって以来、プノンペンの王宮近くを流れる川沿いでストリート・チルドレンとして生活していた。ある日、「ミトゥ・サムラン(Mith Samlanh)」のソーシャルワーカーに出会うまでは。

「ミトゥ・サムラン(クメール語で「友人」という意味)」は1994年に設立されたNGOで、独自の斬新な方法で、路上生活を余儀なくされている若者の(家族、学校、職場、カンボジア文化等への)社会復帰と自立を支援する活動を行っている。

この団体には「ロムデン」と「フレンズ」という2つの研修レストランがあり、保護されたストリート・チルドレンは、ここで料理人として(「ロムデン」では主にカンボジア料理、「フレンズ」では主にアジア・西洋料理)の訓練を受けることができる。これらの研修レストランのユニークな点は、子どもたちの自立支援という側面に加えて、現代版及び伝統的なカンボジア料理を提供する名物レストランとして、地元カンボジアのみならず国際的にも高い評価を獲得していることである。

サムリンさんがこのNGOに出会って研修レストランで働き始めたのは15才の時だった。彼はこれによって自分の住み家と将来を手に入れたのである。「(研修レストランでは)クメールの伝統料理をはじめ、接客のノウハウやサービス産業について学びました。またその間、宿泊先も提供されました。」とサムリンさんはIPSの取材に対して語った。

3年間の訓練の後、サムリンさんは新たに同研修レストランの講師として働かないかと持ちかけられた。サムリンさんは、元ストリート・チルドレンとして、かつての自分と同じような境遇の子どもたちを手助けできる機会を得られたと感じている。

「子どもたちにとって、ストリートの生活は過酷です。食べ物が十分得られないし、自分の身を守れる保証もどこにもありません。多くが麻薬常習者になっていきますが、この世の中に私たちの将来を気に掛ける人なんてどこにもいないように思えるのです。」

「ここでは、ストリートに暮らしていた生徒たちに自分自身の経験を話すことで、彼らにも諦めないで頑張れば道は開けてくるという自信を着けさせることができるので、この仕事に大いに満足しています。」

カンボジアでは総人口1500万人のうち、44.3%が18歳未満の青少年である。公的統計によれば、カンボジア国民の35%が貧困線(1日45セント)以下の暮らしを余儀なくされている。また国際連合児童基金(ユニセフ)によると、1~2万人の子どもがプノンペンの街頭で働いているという。

14歳からプノンペンの街頭で働いてきたボファ(17)さんも、そうした子どもの一人である。ボファさんは、両親にとって路上のケーキ販売による収入だけで8人家族を養うのは困難だった、と振り返る。

「十分な食料を買うだけの売り上げがなかったり、学校にも通わせてもらえない時期もあり、辛かったです。」「状況が変わったのは、『ミトゥ・サムラン』のソーシャルワーカーが街頭の私たちに声をかけ、食料を提供してくれるようになってからです。彼らは、私にコンピューター技能や伝統料理を作る技術の習得に興味があるか尋ねてきました。当初、自分が家族から離れれば、ケーキ売りを手伝えなくなるので家族が困るのではと思い躊躇しました。」とボファさんはIPSの取材に対して語った。その後、ボファさんは支援を受け入れた。

カンボジアの就労状況は極めて厳しい。毎年労働市場に新たに流入してくる40万人の若者を吸収できるだけの経済力が国にないのだ。その結果、労働省の統計によると、国内で仕事を見つけることができない基礎教育や職業訓練経験がない20~30万人の若者が、単純労働を求めて毎年国外に流出している。

「ストリート・チルドレンは、教育を受ける権利を失っているのが現状です。」「そこで、3から14歳までの子どもに対しては、公立学校への編入が容易になるように非公式教育を提供しています。一方、15~24歳の青少年は就学よりも就職に関心を示す傾向にあるので、私たちの研修センターにおいて職業訓練を提供しています。」とフレンズレストランの広報担当メンホーン・ゴさんは語った。

「訓練プログラムでは、子どもたちにクメール人として母国の文化に誇りを持つとともに、自信を着けさせることを主眼にしています。つまり、研修生たちは自尊心とともに公衆衛生管理や接客の技術を体得していくのです。そして研修を終了した者に対しては、職探しの支援を行っています。」

こうした膨大な数の若者が深刻な問題に直面している現実に、カンボジア政界もようやく注意を向けざるを得ない状況が生まれてきている。

今日カンボジアの有権者の約半数は25才以下であり、先月行われた総選挙では、若者の雇用促進を訴えた、野党カンボジア救援党(CNRPが大きく躍進した。

他方で、フン・セン首相率いる与党は22議席を減らしており、生活の質が向上しないことへの若者の怒りが表れたものと、広く見られている。

「家族に楽をさせるのが私の夢です。そのためには、いつの日か自分の家を持ち、起業してクメール料理を世界の人々に紹介できるようになりたいと考えています。」とボファさんは語った。

「私は『ミトゥ・サムラン』に来て以来、自分の将来について、より積極的に考えられるようになりました。というのは、ここで職業訓練を受けることができたお蔭で、今や、自分の夢を実現する技術をまもなく身に付けることができるからです。」(原文へ

翻訳=IPS Japan

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米ロ対立で今後の核問題協議に悪影響か

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【国連IPS=タリフ・ディーン】

ロシア政府が米国人内部告発者で現在はモスクワに滞在しているエドワード・スノーデン氏に一時的亡命を認めたことを引き金に、米ロ間の政治的対立が激化しており、国連を舞台とした両超大国間の関係にも悪影響が出かねない情勢となっている。

米国政府は8月7日、翌月初めにモスクワで開催することが予定されていたバラク・オバマ大統領とウラジミール・プーチン大統領による米ロ首脳会談を延期する決定を下した。しかし、スノーデン問題の余波はこれにとどまらず、両国間の対立は今後、シリアの内戦イランの核問題、核兵器削減提案などの政治的に微妙な問題にも悪影響を及ぼすとみられている。

ロシア政府は、シリア制裁を目的に欧米諸国主導で出された国連安保理決議案に対して、中国政府とともにすでに4回も拒否権を行使している。その結果、シリアに対する国連制裁が今後なされる可能性はきわめて低くなっている。

匿名を条件にIPSの取材に応じたあるアジアの外交官は、「今後米ロ関係が悪化すれば、国連安保理はさらに機能不全に陥っていくことになるでしょう。またそれは同時に、(米ロ両国が中東の関係国と開催に向けて困難な調整を進めてきた)『シリア問題をめぐるジュネーブ会議』の開催が不可能になることを意味します。」と指摘した。

また、米ロ超大国間の対立の悪化は、国連総会(193が加盟)が今年9月26日に史上初めて「核軍縮に関するハイレベル会合」の開催を予定している中で進行している。

オバマ大統領は、6月にベルリンのブランデンブルク門で行った演説の中で、(ロシア政府に対して)核兵器の一層の大幅削減を呼び掛けた。そしてその提案は、同じくベルリン演説で提案された2016年に開催予定の「第4回核安全保障サミット」において、議題に取り上げられるものとみられていた。

国際核兵器廃絶キャンペーン(ICAN)の共同代表でオーストラリア運営委員会の議長でもあるティルマン・A・ラフ氏はIPSの取材に対して、「米国政府は、スノーデン氏をめぐるロシア政府との不和を、核軍縮議論を進展させない口実に利用することが考えられます。」と指摘したうえで、「だからこそ、核兵器を保有していない184の国連加盟国は、9つの核兵器国の人質にされている現状に終止符を打つべきなのです。つまり、これらの非核兵器保有国が主導して核兵器禁止条約(NWC)の交渉を開始し、核兵器廃絶への道を切り開くべきなのです。」と語った。ラフ氏は、メルボルン大学ノッサルグローバル保健研究所の准教授でもある。

公式の核兵器国である国連安保理5常任理事国(米国、英国、フランス、中国、ロシア)の他に、インド、パキスタン、イスラエル、そしておそらくは北朝鮮の4か国が非公式の核兵器国となっている。

Photo: The writer addressing UN Open-ended working group on nuclear disarmament on May 2, 2016 in Geneva. Credit: Acronym Institute for Disarmament Diplomacy.
Photo: The writer addressing UN Open-ended working group on nuclear disarmament on May 2, 2016 in Geneva. Credit: Acronym Institute for Disarmament Diplomacy.

アクロニム軍縮外交研究所のレベッカ・ジョンソン所長は、IPSの取材に対して、「米ロ両国にはあまりにも多くの共通利害があり、ロシアがエドワード・スノーデン氏に一時的亡命の権利を与えたからといって、それらが損なわれることはないでしょう。」と語った。

「これは冷戦への回帰とはならないだろう」と、ジョンソン氏はそれほど悲観的な様子もなく語った。

ジョンソン氏は、「プーチン大統領は核科学者イーゴリ・スチャーギン氏を11年間も収監(1999年にスパイ容疑で拘束、04年に15年の禁固刑が確定したが、2010年に米国とのスパイ交換によって身柄を引き渡された)し、米国と同じように、安全保障に関する情報や諜報部門の活動やミスが露見することを避けることに熱心です。」と指摘した。

「したがって、米ロ両国はスノーデン氏をめぐって表向きは対立しているが、両国にとって最も重要な共通の利害とは、ある種の軍備削減関係を維持することにあるだろう。」と語った。

またジョンソン氏は、「核兵器が及ぼす非人道的帰結に対する懸念を表明する国がますます増える中、おそらくロシアと米国は、核兵器を世界的に禁止すべきとの高まる声を鎮めようとして、国連総会ハイレベル会合でP5(5大国)の強い連帯を見せようとするでしょう。」と語った。

ラフ氏は、「核兵器は、地球上の全ての人類に、想像を絶する致命的な危険をもたらすものなのです。」と語った。

ロシアと米国は、世界の1万7270発の核兵器のうち1万6200発(94%)を保有しており、この生存上の脅威を取り除くために重い責任を負っている。

「しかし、両国は新しい核兵器を開発し、核戦力近代化のために両国で毎年750億ドル以上を費やしています。これは米ロ両国が核を永久に保有し続ける姿勢のあらわれに他なりません。」とラフ氏は語った。

「核兵器を廃絶することは、世界で最も緊急な課題であり、その他の問題のために妨げられることがあってはならないのです。」とオーストラリア赤十字社の国際医療顧問でもあるラフ氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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ジェネリック医薬品で数百万人の命を救った現代のロビン・フッド

【ジュネーブIDN=マーティン・コー】

今回は、これまで途上国でエイズをはじめとする難病に苦しむ数百万の人々の命を救うために、誰よりも尽力してきたといってよい偉人を終日取材する機会があった。

その人物とは、インド最大のジェネリック医薬品企業「シプラ」社(1935年創業)の会長で同社の顔とも言うべきユスフ・ハミード博士(77歳)である。先般ムンバイの本社で取材に応じてくれたハミード博士は、目を輝かせながら、実に様々なトピックについて語ってくれたが、彼の口から弁舌巧みにアイデアが次々と繰り出される様子は、あたかも「大河」をほうふつとさせるものだった。

こうした非凡なハミード博士が持つ独特の迫力と魅力は、彼の明晰な科学的思考(ハミード氏はケンブリッジ大学で化学博士を取得)と、不公正を正し世界の貧しい人々のためになることをしたいという情熱、さらには、発想を実践的な製品に転換できる卓越した技能と、そこから同時に収益もあげるというビジネス原則が融合し合ったところに由来しているようだ。

Cipla
Cipla

ハミード博士は、高品質なエイズの抗レトロウィルス(ARV)薬を、途上国、とりわけアフリカ諸国の人々でも入手できるような低価格による供給を可能にした立役者として、世界的に有名な人物である。

しかしそこに至るまでに、ハミード博士をはじめとする保健活動家のネットワークや国際機関は、少数の多国籍製薬企業が特許を盾にエイズ薬品市場を独占してきた旧来の体制と対峙しなければならなかった。

それまでエイズ治療には、患者一人当たり年間12,000ドルから15,000ドルがかかっていた。しかしハミード博士は、従来高価で服用が面倒だったARVの中から最も効果的な3種(=ラミブジン/スタブジン/ネビラピン)を混合した「トリオミューン」という錠剤を開発し、患者一人当たり年間350ドルで提供すると発表した。

この発表がなされたのは2001年のことだが、当時これに深刻な危機感を募らせた多国籍製薬企業は、ハミード博士を、特許で保護されている3種の薬を混合してジェネリック版を提供している「特許侵害者」と非難した。

しかし、ハミード博士の行動は、世界中のエイズ患者と患者を支援するグループにとっては朗報で、大きな希望をもたらすものだった。ハミード博士は、彼らにとっていわば現代の「ロビン・フッド」なのである。

Robin Hood

国連機関によると、2001年当時に高価なエイズ治療薬を入手できるアフリカ人は4000人しかいなかったが、2012年にジェネリックのエイズ治療薬を利用した人は世界で800万人を超え、患者一人当たりの年間コストも85ドルまで下がっていた。

この間、ジェネリックのエイズ治療薬によって多くの人命が救われたが、その8割はインドの製薬会社が供給したものであった。しかし世界のエイズ患者の数は、依然として4000万人近くに及ぶことから、さらに大がかりな対策がとられなければならない。

2003年に強制実施権(強制実施権が発動されると、当該特許権者の事前承諾を得ることなくその技術を使うことができる:IPSJ)を世界で最初に発動したマレーシアも、ハミード博士の行動の恩恵を受けた国の一つである。強制実施権発動の動機は(価格が安い)シプラ社製の3種のエイズ薬を輸入することだったが、特許を有する大手製薬各社が対抗策として医薬品の値段を下げたため、マレーシア保健省は、特許薬を従来より安価に大量に輸入して、より多くのエイズ患者に治療を行うことができた。

がん治療に目を向ける

ハミード博士は現在、次なる関心を抗がん剤に移しつつある。昨年シプラ社は、主力のジェネリック抗がん剤3種(腎臓がんの治療薬ソラフェニブ、肺がんの治療薬ゲフィチニブ、脳腫瘍の治療薬テモゾロミド)の価格を、最大75%引き下げた。この判断についてハミード博士は、「がん患者が手頃な値段で抗がん剤を入手できるように、かつて私たちがエイズ治療薬に対してとったと同じような行動を起こす時が来たのです。」と語った。

ソラフェニブのオリジナルの抗がん剤で、ドイツの製薬大手バイエル社が特許を持つ「ネクサバール」だと、月間5091ドルの治療費がかかり、一般のインド人には手が出ない。強制実施許諾を得たインドのナトコ社はジェネリック薬を160ドルで販売しているが、シプラ社は昨年、価格をさらに124ドルにまで引き下げた。

ハミード博士はまた、その他の疾病に関する最新の科学的動向もきちんと把握しており、解決策を常に模索し続けている。

今回の取材では、ハミード博士に、数年前に猛威を振るった鳥インフルエンザ耐性マラリアが広がっている問題、さらには多剤耐性肺結核の脅威について質問したが、それぞれの疾患に対応できるジェネリック医薬品を作り上げるために、これまでどのような取り組みを進めてきたかについて、詳細に語ってくれた。

また、致死率が高い多剤耐性結核に対して、博士が最も効果が期待できると考えている、現在研究中の新薬に関する学術論文を手渡してくれた。

シプラ社は現在、従業員20,000人で、34か所の製造工場において、65の薬効分野に及ぶ2000以上の医薬品を製造している。製品の販売網は170か国におよび、年間売り上げは14億ドルを超える。

Mahatoma Gandhi/ Wikimedia Commons
Mahatoma Gandhi/ Wikimedia Commons

シプラ社は、1939年に同社を訪れたマハトマ・ガンジーが説く「民族主義と自主・自立の精神」をモットーに発展した製薬企業で、今日ではインドのジェネリック医薬品の筆頭格メーカーとしての地位を築いている。当時、ガンジーは欧州大戦勃発に伴う医薬品不足に対応するため、シプラ社の創業者であるフワージャ・アブドゥル・ハミード(ユスフ・ハミード博士の父)博士を訪れ、医薬品のインド国内における生産を始めるよう要請したのだった。

不透明な未来

ハミード博士は、インドの製薬業界の前途にはいくつかの暗雲が垂れ込めているとみている。そのひとつは、2005年にインド政府が世界貿易機関(WTOの規則に従って「物質特許制度」を導入した問題である。それ以前のインドでは、製法特許(有効成分の合成方法に関する特許)のみが認められていたため、先進国の製薬会社が特許をもつ医薬品と同一成分の薬を作っても、製造法さえ違えば国内では特許権の侵害にならなかった。しかしWTOの「知的所有権の貿易関連の側面に関する協定」(TRIPS協定)に従って新たに物質特許(有効成分を保護する)が導入されたことにより、以後地元製薬企業は、特許薬のジェネリック版を製造する場合、政府から強制実施許諾を得なくてはならなくなった。

「個々の特許薬ごとに、政府に強制実施許諾を申請して取得するプロセスは大変煩雑なのが現状です。必要なのは、特許を所有する製薬会社に対して4%の特許使用料を支払うことで自動的に強制実施許諾(=義務条件付きライセンス)を取得できる制度を構築することです。」とハミード博士は語った。

そして2つ目は、インドを含むいくつかの途上国が、欧州や米国と自由貿易協定(FTA)を結ぼうとしていることである。ハミード博士は、これらのFTAには、締結国が、新たなジェネリック薬を製造・使用することを著しく妨げる条項が含まれている問題を指摘した。

さらに3つ目は、医薬品を生成するうえで不可欠な医薬品有効成分(APIの製造を強化する必要に迫られていることである。多くの国が、要求される医薬品の形状や量に従って最終製品を生成することが可能だが、医療品有効成分を生成できる国はインドと中国を含む一部の途上国のみである。

ハミード博士は、インドでは国内産業からのニーズがあるにも関わらず、既に国内におけるAPIの生成量が減少し、逆に輸入分への依存を深めていると現状を指摘したうえで、「もし中国とインドが海外へのAPI供給をしなくなれば、世界の製薬産業は崩壊に直面することになるだろう。」と警告した。

CIPLA

またハミード博士は、多くのジェネリック新薬が当局による安全検査待ちの状態にあり、とりわけ認可決定のペースも最近かなり遅れがちになっていることから、薬事行政の効率化と価格決定方針の改善が必要だと語った。

ハミード博士は、以前からの宣言通り、今年3月末にシプラ社の社長を退任して、会社の舵取りを他企業から抜擢した専門家チームに支えられた弟(M.K.ハミード氏)と甥に託し、4月1日に非常勤会長に就任した。

この経営者交代については、シプラ社の今後の方向性について様々な憶測が流れたが、今回ユスフ・ハミード会長と1日を過ごしてみて、少なくとも彼が生きている限り、インドをはじめ世界の途上国で病気に苦しんでいる貧しい人々のために、薬を作り続けるという大義が裏切られることはないと感じた。(原文へ

翻訳=INPS Japan

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エジプト、核を巡る外交攻勢を強める

【イスタンブールIDN=ファリード・マハディ】

アラブ諸国とトルコの強力な支持を背景に、エジプト政府は核兵器を手始めとした中東大量破壊兵器フリーゾーン実現に向けた外交攻勢を強めている。

ニューヨークで5月3日から28日にかけて開催予定の核不拡散条約(NPT)運用検討会議を数日後に控えて、エジプト政府は、様々な会合の機会を通じて、「長年紛争に苦しんできた中東地域は非核地帯としなければならない」とする過去40年に亘る同国の主張を改めて繰り返した。

またエジプト政府は、NPT運用検討会議に出席予定の全ての関係国・機関宛に書簡を提出し、その中で、「(今年の)NPT運用検討会議は、従来の中東非核化決議を確認した1995年の(国連)決議について、その後全く進展がなされていないことを遺憾とすべきである。」と訴えた。

またエジプト政府は、同書簡の中で、中東の全ての国が参加して中東非核化への合意を目指す国際会議を2011年までに開催するよう呼びかけている。

核保有国イスラエル
 
 イスラエル
は中東で唯一の核兵器保有国であり、核弾頭の保有数はインドとパキスタンの保有核の2倍以上にあたる200基以上と伝えられている。

イスラエル政府は、NPTへの加盟を拒否しつつ、この軍事用核計画を厳しい秘密主義の管理のもとに維持していく方針を続けている。

ベンヤミン・ネタニヤフ首相はバラク・オバマ大統領が4月13日・14日両日に主催した核安全保障サミットへの出席を拒否した。同首相はNPT運用検討会議にも欠席すると見られている。

先述のエジプト政府による書簡は、全てのアラブ諸国をはじめ、トルコ及び多くのアフリカ、アジア、ラテンアメリカの国々、さらにはフランスとスカンジナビア諸国からの力強い支持を得ていると報じられている。

米国は、中東大量破壊兵器フリーゾーン構想を直ちに実現すべきとするエジプト政府の提案を支持しないかもしれないが、少なくとも「拒否権」は発動しないだろう。

核不拡散

NPT運用検討会議
開催を控えた4月26日、エジプト外務省は全ての国々に対して「NPTに加盟するよう」呼びかけた。

外務省報道官は声明の中で、エジプト政府はNPT運用検討会議への参加を通じて「全ての国々がNPTに加盟するよう働きかけていきたい」旨を述べた。

また同報道官は、「イスラエルはNPTへの加盟を拒否することで、中東の平和と安全を危機に陥れ、実効性のないものにしてしまっています。」と強調した。

また同報道官は、「中東から全ての大量破壊兵器を取り除くという目標は新しいものではなく、エジプト政府は従来から国際会議の場や、考え方を共有する国々、とりわけアラブ・アフリカ諸国や欧州諸国の一部とこの目標実現に向けた協議を重ねてきました。」と強調した。

イランの核開発計画

同報道官は、イランの核開発計画を巡る国際情勢に言及して、「イランの核開発問題は軍事行動を通じてではなく、あくまでも政治的に対処されるべきというのがエジプト政府の立場です。」「エジプト政府は、軍事的な選択肢を拒否し、この問題に関心を持つ欧米諸国に対して政治的な手段による解決を目指すよう促していきます。私たちは、いかなる軍事行動も、それが中東地域の安全と安定に及ぼす結果に鑑み、断固拒否します。」と語った。

また同報道官は、「全ての国々が、原子力の平和利用というNPT加盟と引き換えに保障されている利点から恩恵を受ける権利があります。しかしNPT加盟国は同時に、NPTの規定を順守しなければなりません。」と強調した。

エジプトの立場

一方、エジプト情報省(SIS)は、NPT運用検討会議の1週間前に、エジプトの立場を説明した公式文書を発表した。その序文には「(中東)地域の平和と安定に向けたエジプトのビジョンは、パレスチナ問題の公平で公正な解決や、国際的な正当性を有する全ての決議を完全履行といった原理原則に立脚している。」と記されている。

この公式文書はまた、「エジプトの立場は、(中東)各国の独立と主権を尊重し、中東地域を軍拡競争、とりわけ大量破壊兵器の取得を巡る争いから遠ざけ、地域全体の軍縮に取組んでいく原理原則に立脚している」旨を強調している。

エジプトはNPT運用検討会議に際して、エジプトの歴代政府が1961年以来、核兵器及び全ての大量破壊兵器一般(核兵器・生物・化学兵器)に関して「明確で一貫した立場」を堅持してきた旨を強調する予定である。

エジプト政府はそのうえで、「中東地域から、核兵器を手始めに大量破壊兵器を一掃する一方で、域内の全ての国々が、こうした兵器の保有、拡散、使用、及び全ての関連実験を禁止する全ての国際的な合意に加盟するべき」とした計画を強く主張する予定である。

またエジプト政府は、全中東諸国を「あらゆる国際管理・査察体制の下に組み込み、いかなる状況下においても、特定の国や大量破壊兵器に対して例外を認めないよう」要求する予定である。

主要点

エジプトの立場は以下の主要点に基づいている。

-(中東の)いかなる国も、大量破壊兵器を保有することで安全が保障されることはない。安全保障は、公正で包括的な平和合意によってのみ確保される。

-核兵器開発問題、中東大量破壊兵器フリーゾーン構想、及びイスラエルの「軍事優勢主義」の立場に関して、イスラエルからの「前向きな対応」を引き出せなければ、アンバランスな中東の安全保障状況は一層悪化する。

-中東大量破壊兵器フリーゾーン設立を呼びかける中で、エジプト政府は、域内のいかなる国に対する差別的或いは不公平と考えられる措置を拒否する。

-エジプト政府は、いかなる武器や国も特別扱いすることを拒否する。また、中東域内のいかなる国に対しても特別な地域を譲許することを拒否する。

-中東における大量破壊兵器武装解除を行うプロセスは、国際社会による包括的な監督、とりわけ国連とその専門機関のもとで実施されなければならない。

-エジプト政府は、中東の非核化を求めたいくつかの国連決議、とりわけ1981年に採択された国連決議487号の履行を要求する。

米国の核の傘を拒絶する

エジプト政府は、中東包括和平案の一部として米国政府が核攻撃から中東地域を守るとした提案を拒否した。

米国による「核の傘」の起源は米ソ冷戦時代に遡り、通常、日本、韓国、欧州の大半、トルコ、カナダ、オーストラリア等の核兵器を持たない国々との安全保障同盟に用いられるものである。また、こうした同盟国の一部にとって、米国の「核の傘」は、自前の核兵器取得に代わる選択肢でもあった。
 
 事実、エジプトのホスニ・ムバラク大統領は、5年ぶりとなる訪米中の2009年8月19日、バラク・オバマ大統領に「中東に必要なものは平和、安全、安定と開発であり、核兵器ではありません。」と主張した。

ムバラク大統領はそうすることで、1974年以来エジプト政府が国是としている「中東非核地帯」設立構想をあくまでも推進する決意であることを改めて断言した。

またムバラク大統領は、首脳会談に先立つ8月17日、エジプトの主要日刊紙アル・アハラムとの単独インタビューに答え、「エジプトは中東湾岸地域の防衛を想定した米国の『核の傘』には決して与しません。」と語った。

核兵器でなく平和を

「米国の『核の傘』を受け入れることは、エジプト国内に外国軍や軍事専門家の駐留を認めることを示唆しかねず、また、中東地域における核兵器国の存在について暗黙の了解を与えることになりかねない。従って、エジプトはそのどちらも受け入れるわけにはいかないのです。」とムバラク大統領は語った。

ムバラク大統領は、「中東地域には、たとえそれがイランであれイスラエルであれ、核保有国は必要ありません。中東地域に必要なものは、平和と安心であり、また、安定と開発なのです。」と断言した。「いずれにしても、米国政府からそのような提案(核の傘の提供)に関する正式な連絡は受けていません。」と付け加えた。

同日、エジプト大統領府報道官のスレイマン・アワド大使も、米国の「核の傘」について論評し、「『核の傘』は、米国の防衛政策の一部であり、この問題が取り沙汰されるのは今回が初めてではありません。ただし今回の場合、問題が中東との関連で取り沙汰されている点は新しいと言えます。」と語った。

アワド報道官は、現在浮上している中東地域に向けられた米国の「核の傘」疑惑についてコメントし、「そのようなものは形式においても内容においても全く承認できない。今は米国の『核の傘』疑惑について話題にするよりも、むしろイランの核開発問題について、欧米諸国・イラン双方による柔軟性を備えた対話の精神を基調として、取り組むべきです。」と語った。

アワド報道官はまた、「イランは、核開発計画が平和的利用を目的としたものであることを証明できる限り、他の核不拡散条約(NPT)締結国と同様、核エネルギーの平和的利用によって恩恵を受ける権利があります。」と付け加えた。

「このイランに対する取り組みには、2重基準との誹りをかわすためにも、同時並行で、イスラエルの核能力の実態解明に向けた真剣な取り組みが伴わなければなりません。」とアワド報道官は強調した。

エジプトのイニシャチブ

これら一連のアワド報道官による発言は、「中東非核地帯」設立を目指して35年に亘ってエジプト政府が取り組んできた方針に一致するものである。ムバラク大統領は、1990年4月、このイニシャチブを更に推し進めるべく、守備範囲を更に拡大した「中東大量破壊兵器フリーゾーン」構想を新たに提案している。

このエジプトの取り組みは殆どのアラブ諸国の支持を獲得し、最近でも22カ国のアラブ諸国で構成するアラブ連盟のアムレ・ムサ事務局長がこのイニシャチブの正当性を改めて是認する発言を行った。

核兵器廃絶に取組む世界キャンペーンである「グローバルゼロ」のメンバーでもあるムサ事務局長は、「中東の非核化は必ず実現しなければならない問題です。」と繰り返し宣言した。

アフリカ系アラブ人

こうしたエジプトの外交攻勢は、アラブ諸国の支持を頼みとしたものである。アラブ諸国の内、9カ国(モーリタニア、モロッコ、アルジェリア、チュニジア、リビア、スーダン、チャド、ジブチ、ソマリア)が2009年に新たに非核地帯となったアフリカ大陸に位置しており、いずれもアラブ連盟の構成国である。

また、中東地域に影響力を伸ばしている地域大国トルコも、中東非核地帯設立を目指すエジプト外交を、強力に支持している国の一つである。

大きな支持にも関わらず…

中東を核兵器及びその他の大量破壊兵器フリーゾーンとする構想に対して、中東地域及び国際社会から強い支持が集まっているにもかかわらず、潘基文国連事務総長は、この目標達成の可能性について強い疑念を表明した。

ワシントンで開催された核安全保障サミット前夜の4月12日、潘事務総長は、「中東を非核地帯とする提案については、中東和平プロセスを巡る政治状況を含めて様々な理由により、今日までなんら進展がみられません。」「私たちは中央アジアをはじめ多くの地域で、関係国の合意をとりつけ非核地帯の設立を成し遂げてきました。しかし中東非核地帯を巡る交渉は行き詰ったままになっている。」と語った。

明らかに潘事務総長は、長年に亘る中東非核地帯設立という目標を阻んでいる重大な理由については語らなかった。-結局、イスラエルは国連の正式な加盟国なのである。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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元大使の著書でイランの2003年の核問題決定の内実が明らかに

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【ワシントンIPS=ガレス・ポーター

2007年の米諜報機関の見解にあるように、イラン政府は2003年末に秘密の核兵器計画の停止を決断した。しかし、フランスの元駐イラン大使が先ごろ発表した回顧録には、イラン政府がそうした計画を実行していたわけではなかったことが示唆されている。

フランソワ・ニクロー元大使は、イラン政府高官との会話から、イラン政府の当時の核問題責任者で8月3日に新大統領に就任したハサン・ロウハニ師が核兵器に関するいかなる研究プロジェクトが進行してきたのかについて状況を把握していない、との感触を得たことを詳述している。

7月26日の『ニューヨーク・タイムズ』への寄稿記事でニクロー氏が紹介した会話ではまた、ロウハニ師が、核兵器に関連したすべての研究を停止せよとの命令に研究者らを従わせることに苦労している様子も描いている。

ニクロー氏の記した2003年のイラン核政策の状況は、イランはすでに「核計画を停止している」とした2007年の米国家諜報評価の内容とは異なっている。この評価によれば、イラン政府指導層はかつて、核兵器製造に向けた研究開発計画を一度は組織したことになる。

ニクロー氏は、ロウハニ師が「過去および進行中の核活動の詳細を報告するよう、民間・軍事組織を問わず、イランのすべての省庁に対して求める通達を出した」ことを、あるイラン政府高官が2003年10月末に打ち明けてくれたことを回顧している。

このイラン政府高官との会話は、ロウハニ師が英仏独の外相と2003年10月21日に取り決めを結んだ直後のことだったという。

またニクロー氏は、「この高官は『ロウハニ師とその側近らが直面している最大の困難は、イランのように秘密主義的なシステムの中で、何が起きているのかを正確に把握することだ。」と説明した。』と記している。

ニクロー氏はその数週間後、「ロウハニ師の親友」であるというもう一人の政府高官から、ロウハニ師の核政策チームが核兵器に関連したプロジェクトを停止するよう指示を出したと伝えられた。

ニクロー氏によれば、このイラン政府高官は「(ロウハニ師の)核政策チームは、研究者らの抵抗にあい大変に苦労している。」「なぜなら、研究者らに何年も従事してきたプロジェクトを急にやめるよう説得するのは困難だからだ。」と語ったという。

ニクロー氏は、IPSへの電子メールの中で、「ロウハニ師が核問題の責任者になった時の最初の難題は、イランの核分野において何が起こっているのかを明確に把握することであったに違いない。」と指摘したうえで、「イラン政府が核兵器計画をかつて承認したことがあるとは考えられない。」と記している。

ロウハニ師は1989年以来、国家最高安全保障委員会(SNSC)の事務局長の要職にあり、核兵器計画を開始するいかなる政府決定を知りうるばかりか、それに関与していたはずである。

「最高指導者のアリ・ハメネイ師も含め、イラン指導部のほとんどの人が、核関連の研究活動が(水面下で)進行したことに驚いていたはずだ」とニクロー氏はIPSの取材に対して語った。

こうしたニクロー氏の回顧は、イラン政府の承認なしに核兵器関連研究プロジェクトが開始されたという、これまでに公になっている情報と一致する。

核兵器を保持しないというイラン政府の方針にもかかわらず、多くの高官らは、核兵器製造「能力」を持つことが、実際に核兵器を持たずにイランに利益を与えるものだと考えていた。

しかし、そうした能力の持つ実際の意味合いについては論争の種となっていた。政界に豊富な人脈をもつテヘラン大学の政治学者ナセル・ハディアン教授は、核兵器そのものではなく「核兵器能力」を保有するという、こうしたオプションに関する2つの潮流について、2003年に記している。ひとつの定義は、イランは「原子炉用の燃料を製造する能力のみを持つ」というものであり、他方は、「核兵器を製造するのに必要なあらゆる要素と能力を持つ」というものであった。

ロウハニ師が2003年に核政策の責任者として任命される以前に、政府の決定によってこの論争に公的な終止符が打たれることはなかった。そして、明確な政策不在のまま、軍や国防省につながる研究所のメンバーらが、国家最高安全保障委員会(SNSC)も知らないままに、1990年代後半に核兵器関連研究プロジェクトを開始したのである。

このようなプロジェクトは、SNSCが、イラン原子力庁(AEOI)や国防省、あるいは、核兵器に関連した「国防産業機構」の管理下にある軍産複合体に対するコントロールを十分果たしえていない時期に始まったものである。

1990年代中ごろまでには、AEOIが、その活動への監視の甘さを突いて、SNSCからの承認を得ずに重大な政策的意味合いを持つ行動に出ていた。

イラン核交渉チームの報道官だったセイード・ホセイン・モサビアン氏は、AEOIがアブドゥル・カディール・カーン博士のネットワークから1995年にP2型遠心分離機の設計情報を購入するという、政策に関連する重大な事柄をSNSCに対して連絡してしなかったとロウハニ師が2004年1月に自分に対して明らかにした、と回想録に記している。ロウハニ師によれば、AEOIは、「インターネットでP2型遠心分離器に関する情報を見つけ、研究を進めているところ」だと述べてごまかそうとした、という。

ロウハニ師が2003年10月に核政策の責任者として任命された際、国際原子力機関(IAEA)はイランに対して、すべての核活動に関する完全な説明を要求した。イラン国内のすべての民間・軍事組織に対して核活動に関する報告を求めたロウハニ師の通達は、同氏が、IAEAに対する完全協力の政策へとイランを転換させるとIAEAに約束した直後になされたものだった。

同時にロウハニ師は、それまで様々な機関が兵器関連の原子力研究を始めることを可能にしていた政策の抜け穴を塞ぎ始めた。

ロウハニ師は、初めから核兵器関連研究プロジェクトにかかわっていた官僚機構からの抵抗があるだろうと予想していた。彼は後に応じたインタビューの中で、「サボタージュ」も含め、新しい核政策の遂行にあたって問題が起こるであろうと予想しているとモハンマド・ハタミ大統領(当時)に伝えた、と回想している。

ロウハニ師の新核政策をめぐるその後の事態の成り行きを見ると、ロウハニ師は、核兵器はイスラム法によって禁じられているというハメネイ師の公式見解を利用して、そうした研究プロジェクトの禁止を守らせようとしたことがわかる。

核関連活動を報告し、原子力を軍事適用するいかなる研究もやめるようロウハニ師が10月末に官僚機構に対して命令したころ、ハメネイ師は、「我々の敵によるプロパガンダとは違い、我々は基本的にいかなる形の大量破壊兵器の製造にも反対する」と演説している。

その3日後、ロウハニ師はシャールード工業大学の学生に対して、ハメネイ師は、核兵器は宗教的に禁じられているとの見解だと述べた。

その同じ週、『サンフランシスコ・クロニクル』紙のロバート・コリアー記者に対して、保守紙『ケイハン』の編集者でハメネイ師のアドバイザーであったホセイン・シャリアトマダリ氏が、ロウハニ師の通達を無視し抵抗しようとする研究者らとロウハニ師の核政策チームとの間の緊張についてほのめかす発言をしている。

ハメネイ師は、そうしたプロジェクトに従事する研究者らに対して、「(核兵器は)イスラム教で禁じられていると認めよ」と迫った、とシャリアトマダリ氏は語った。また、禁止に抵抗する研究者らは「秘密裏に」研究を進めていたと示唆した。

米諜報部門が2007年11月の評価でイランはすでに「核兵器計画」を停止しているとの判断を下したのち、ある米諜報筋は、主要な情報源は、2003年に核兵器関連活動が停止されたことに不満を訴える人物らとある高位の軍人との間の2007年のやり取りの傍受記録だと述べた。

しかし、米情報筋は、いかなる種類の作業が停止されたのかについては語らず、それが[イラン]政府の管理下にあった「核兵器計画」であるという(米国の主張を裏付ける)さらなる証拠も示そうとはしなかった。

ニクロー氏の回想は、2007年の[米国による]評価は、イランの「核兵器計画」と、イランの体制によって承認あるいは調整されていない研究プロジェクトという重大な区別を覆い隠していることを示唆している。

またニクロー氏はIPSの取材に対して、イランの弾道ミサイル計画を管理しているイスラム革命防衛軍(IRGCも、当時秘密の核兵器計画を進めていたと考えている、と語った。IRGC自身の官庁は旧国防省と1989年に統合されて新しい省となったが、このことは、そのような秘密の計画があったとすれば、必然的により広範な軍の共謀があったことを示唆している。(原文へ

※ガレス・ポーターは、米国安全保障政策専門の歴史家で、中東情勢を中心に長年IPSに分析記事を寄稿してきた調査ジャーナリスト。米国のアフガン戦争に関する報道で、2012年に英国の「ゲルホーン・ジャーナリズム賞」を受賞。

翻訳=IPS Japan

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【カトマンズIPS=マリッカ・アルヤル】

昨年12月のある日、ネパールの首都カトマンズに本拠を置くNGO「社会サービスと人権における児童と女性」(CWISH)に勤める児童保護官プラディープ・ドンゴルさんは、市内に多数構えている事務所のうちのひとつから緊急連絡を受けた。

その事務所に急行したドンゴルさんが目にしたのは、CWISHのスタッフが保護した11才の少女だった。彼女の目は落ちくぼみ、両手は痣(あざ)だらけで、頭は所々で髪の毛が抜け落ちていた。

話を聞いてみると、この少女(リーマさん:仮名)は、働いていた家での虐待に耐えきれず逃げてきたことがわかった。

リーマさんは、カトマンズから400kmほど離れた村で3年生として小学校に通っていたが、両親の判断で、カトマンズに住む見ず知らずの若い夫妻の下で働くことになった。

その夫妻はリーマさんの両親に、リーマさんを自分たちの家に同居させたうえで、良い学校にも通わせ、幼い息子の「姉」として家族同様に面倒を見ると約束していた。

しかし、リーマさんを待ち構えていた現実は全く違っていた。学校に通わせてもられないどころか、与えられた食事は残飯ばかりで、しかも夫妻の子どもの世話をはじめあらゆる家事をさせられたうえ、給料は一切もらえなかった。

また、リーマさんは家族との連絡もほとんどとれないなかで、殴られたり髪を引っ張られたりと、日常からさまざまな暴力を受けていた。

ある日、リーマさんは夫妻の息子を学校に送って行く途中、その近くの学校で教鞭をとっているCWISHのスタッフに出会った。リーマさんは帰宅後、夫妻にその学校に通いたいと相談したところ、殴られる始末だった。

翌日、リーマさんは夫妻に家を飛び出し、CWISHの事務所に保護を求めて駆け込んだのだった。

ネパールの5~17歳の児童770万人のうち、314万人が労働に従事しており、しかもその3分の2は14歳以下の子どもたちである。

また、児童擁護団体の「プラン・インターナショナル」と「ワールド・エデュケーション」が行った緊急調査によると、児童労働者のうち16万5000人以上が家事労働をしているという。

「子どもたちが直面しているこうした苦境は、個人の家という密室のなかで起こっていることから、表沙汰になりにくく、残念ながら社会の注目を集めるに至ってはいません。」とSWISHチームリーダーのビシュニュ・ティミシナさんは語った。

ビシュニュさんは、この問題の背景として、農村の子どもたちを都市部の個人宅に連れて帰って働かせるという慣習の存在を指摘した。それは具体的には、裕福な家庭の夫妻が、農村部の貧しい家庭を廻り、都会でのより良い生活と進学・就職を保障するという約束と引き換えに、子供の中から一人を引き受けて連れ帰るというものである。

国連開発計画(UNDP)の2023年度人間開発報告書によると、ネパールの貧困状況は近年改善傾向を見せてきているものの、国際比較では依然として調査対象187か国のうち157位である。こうした申し出があった場合、生活苦にあえぐ両親にとって、自分の子どもを働きに出す誘惑には抗しがたい。

ネパール中央統計局が発行した2010年―11年版「生活水準調査」報告書によると、ネパール国民の3割以上が1月当たり14ドル以下の生活を送っていた。

また全国民の約8割が、リーマさんの実家のように農村部で自給自足の生活を営んでおり、子供たちには両親の農作業や家事仕事を手伝うことが期待されている。

さらにネパール農村部に暮らす5歳以下の子どもの約半数は、栄養失調状態にあり、コミュニティーには、一次医療(プライマリーヘルスケア)や初等教育、安全な飲み水へのアクセスといった基本的なサービスが欠けている状態にある。

農村部から都市部へと児童を引き寄せるこうした慣習が、勢いづいた背景には、1990年代の産業化の進展がある。この時期、中間層が成長していたことに加えて、政府軍とネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)ゲリラ間の内戦(人民戦争=1996年~2011年)に伴う人口の国内移動が活発になったことから、低賃金労働者への受容が生じたのだった。

子どもたちは、母親たちが現金収入を求めて伝統的な家事(料理、洗濯、幼児・高齢者の世話等)を放棄していくなかで生じた空白を、瞬く間に埋めていった。

先述の「プラン・インターナショナル」と「ワールド・エデュケーション」が行った緊急調査によると、都市部と農村部で家事仕事に従事している子供たちの数は、それぞれ62,579人と61,471人で、ほぼ拮抗している。

子どもの権利擁護に取り組んでいる活動家によると、児童労働問題に組むうえで最大の障害の一つが、ネパール社会に広く見られる、「児童労働は必ずしも悪いことではない」とする社会認識である。

「ネパールには元々、子どもは働くことで『労働の価値』を学ぶ、という考え方が根強くあり、それも一つの背景となっています。」と、中央児童社会福祉委員会(CCWBのプログラムマネージャーのニタ・グルン氏は語った。

その結果、ネパールでは、児童労働を禁止する関連法規を実行するのが、困難な状況にある。

国際連合児童基金(ユニセフ)ネパール事務所の子ども保護担当官のダニー・ルハール氏はIPSの取材に対して、「人々は、子どもたちが近所の知人や親戚や友人の家で働いているのを見てもそれをごく普通の生活の一部と受け入れてしまっています。」と指摘したうえで、「ネパール社会が児童の家内労働を受け入れないようになるためには、まずはこの意識を打破する必要があります。」と語った。

ネパールはすでに「子どもの権利条約」、国際労働機関(ILO)の「最悪の形態の児童労働の禁止と撤廃を確保する即時の効果的な措置を求めた」138号条約及び「就業の最低年齢を義務教育終了年齢以上とするよう規定した」第182号条約に批准しており、こうした国際協定は2007年の暫定憲法を通じて国内の諸法令(1992年児童法、2000年児童労働禁止法、2002年カマイヤ〈=債務労働者〉労働禁止法)に反映されている。

しかしこうした国際法や国内法を制定したものの、それに伴う執行体制の整備がなされなかったため、家庭内児童労働の問題について、どの政府機関がどの法律の執行を担当するかについて明確になっていないのが現状である。

現在、人口3049万人のネパールに児童保護観察官は、わずか10人しかいない。

しかも彼らの担当はフォーマルセクター(鉱業、観光業、タバコ団行、カーペット工場他)のみで、政府のどの部署が個人の家のようなインフォーマルな職場で働かされている児童の保護や社会復帰を担当するかについては、明確になっていない。

「(インフォーマルセクターで)暴行や搾取があった場合、まず政府のどこの部署が担当するか、そして、どの法律・法令が適用されるかについて混乱がおこるので、極めて深刻な問題です。」とユニセフのルハール氏は語った。

例えば、リーマさんが雇用主のもとから逃れた際は、一時避難所に連れて行かれ、事件は政府の労働事務所に対して届け出がなされた。

その後リーマさんを搾取した夫妻は、当局からの強い勧めにより、彼女に210ドルの金銭的補償を行い彼女を解放すると約束した。こうしてリーマさんは安全に故郷の村に戻ることができたが、未だに夫妻からの補償金を受け取っておらず、労働事務所における事件のステータスも依然として手続き中のままである。

「書類上は、加害者に責任をとらせる法規があるのですが、実際に適用されることはほとんどありません。つまり被害者の保護は、未だに優先されていないのが実態です。」と、子どもの権利活動家のカーマル・グラゲインさんはIPSの取材に対して語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【シアトルIPS=ピーター・コスタンティーニ】

米国における移民を巡る議論に困惑している人は、あの「マジノ線」を思い出してみたらどうだろうか。

マジノ線」とは、1930年代に、当時のフランス陸軍大臣アンドレ・マジノ(André Maginot、1877年―1932年)の提唱で、来るドイツの侵攻に備えてフランス政府がドイツ―フランス国境沿いに構築した長大な要塞線のことである。しかしナチスドイツは、第二次世界大戦初期の対仏電撃戦において、マジノ要塞の北限(フランスは中立国のベルギーとの国境にマジノ線を延長していなかった:IPSJ)をやすやすと迂回して英仏連合軍を圧倒、わずか6週間でフランスを降伏させた。

残念なことに「マジノ線」は、こうした経緯から、過去の戦略思考に基づいて作られた「無用の長物」の代名詞のように語られるようになってしまった。しかし当時マジノ氏は、少なくとも、フランスの生存を脅かす差し迫った脅威に立ち向かおうとしていたのである。

一方、我が国(=米国)の「マジノ氏ら」は、米国とメキシコの国境沿いに1130キロに及ぶ長大な壁を構築し、国境警備隊を増員(約1万8000人→3万8405人)し、(米軍がアフガニスタンで使用していた)無人偵察機(ドローン)や振動・画像・赤外線による地上無人センサー等まで配備して、「恐るべき」不法入国外国人による「侵攻(=流入)」と阻止しようと躍起になっているが、実際には米国への不法移民の入国数は2000年にピークに達しており、その後は下降線をたどっている。つまり、脅威として捉える時期はとうに過ぎ去っているのだ。

2008年に世界同時不況が始まって以来、米国からメキシコに帰国した人数は、メキシコから新たに米国に入国した人数を僅かながら上回った。そして現時点で、両国間の純移動率(特定の時期、場所における移入民と移出民の差)はほぼゼロである。また、米国における不法滞在移民の数も、2007年のピーク時と比較すると、今日では約8%減少している。

結局のところ、こうした移民の流入は、悪影響どころか、むしろささやかながら、米国の経済・社会の幅広い分野において利益をもたらしているのである。

メキシコから米国への大量の人口移動は1990年代半ばに始まるが、その背後には強力な「プッシュ要因」と「プル要因」が作用していた。メキシコでは、1994年に発効した北米自由貿易協定(NAFTAにより、多くの貧しい農民が(安価な米国産農産物に対抗できず)耕作を放棄して土地を離れていった。また同年発生した通貨(ペソ)危機により、実質賃金は約20%下落した。一方、同時期の米国経済はIT分野を牽引力とする好景気(戦時下を除けば史上最長の景気拡大)を経験しており、低賃金労働者に対してさえ、賃金の引き上げが行われていた。

これほどの経済の一極集中は、将来再び起こりそうにない。現在では両国の景気循環は、より密接に連動するようになっている。現在メキシコでは、教育、就業機会が増える一方で、出生率が低下し続けており、メキシコ人を米国への出稼ぎへと駆り立てる「プッシュ要因」は、中長期的には、今後も縮小していくかもしれない。

しかし我が国の「マジノ氏ら」は、依然として幻の敵(=不法入国外国人)に対する強硬な構えを崩しておらず、費用対効果が低く、時には非生産的ですらある様々な対処策を要求し続けている。

世界で最も豊かな国と比較的貧しい国(中進国)の間に横たわる米国=メキシコ国境の全長は、2000マイル近く(=3141キロ)に及び、その大半はソノラ砂漠(日本の本州がそっくり入る)北限を通過している。つまりいかに国境線を武装化したとしても、移民の流入からこの長大な国境を完全に守りことは不可能である。また、国境警備に費やされる莫大な予算、技術、人員に対する費用対効果が疑問視されるようになって既に長い年月が経過している。

一方、米国=メキシコ国境線が「マジノ要塞化」されたことで、越境は以前よりもより危険で過酷なものとなっている。しかし、成功するまで繰り返し越境を試みようとする者たちを止めることはできない。また、米国内の不法移民労働者の30%から40%は、合法的に米国に入国し、そのまま滞在期限を過ぎで生活しているものたちである。つまり、米国への移民の流入を効果的に抑制する唯一の要因は、米国の労働市場が冷え込むか、反対にメキシコの労働市場が改善するか、である。

また国境強化措置は、想定外の悪質な結果をもたらしている。「コヨーテ」と呼ばれる悪名高い不法移民の密輸業者(越境時のガイド役)の費用が3倍に跳ね上がり、移住希望者に大きな負担としてのしかかる一方で、その追加利益は主要な国境地帯を支配している麻薬密売組織に流れ込んでいる。また、人口密集地に近い国境地帯の警備が大幅に強化された結果、越境が試みられるポイントはますます自然環境が過酷な砂漠地帯へとシフトしており、引き続き夥しい数の人々が命を落としている。

また国境の要塞化は、従来の循環型移住を妨げる結果をもたらしている。メキシコから米国への移住パターンの大半は、昔から1年か2年ごとに国境を行き来する出稼ぎ型で、最終的にはメキシコに戻ってよりよい生活を構築することが目的であった。ところが、越境に伴う費用と危険性が大きくなったため、米国での滞在期間を長くするか、あるいは、帰国を諦めてそのまま米国に永住し、家族を呼び寄せる選択をする不法移民がこのところ増加している。

不法移住は、一世紀以上に亘る米国・メキシコ両国の経済の浮き沈みを通じて、両国の文化・経済に、深く根付いてきたものである。つまり、違法ではあるが、スピード違反や駐車違反と同じように捉えられているのが実情である。

あるいは違法移住の問題は、国際的な不法侵入の一種と見ることもできるだろう。つまり、悪意なく不法侵入したものの、長期にわたって滞在し続けた場合、米国のコモン・ロー(慣習法)は、「時効取得」の概念に基づいて権利の取得を認めているのである。

不法移民がもたらす経済効果については、大半の労働経済学者が、米国生まれの労働者に総合的に恩恵をもたらしているほか、経済全般を活性化し、財政バランスの改善にも貢献しているとの見解を示している。

さらに低賃金労働者の利益を代表している労働組合やコミュニティー組織も、不法移民を暗闇から引き出して適切な法的地位を付与し、労働で連帯していくことで、米国の労働市場全体を健全化できるという考えを、圧倒的に支持している。

それでは、不法移民がいかなる罪も犯しておらず、しかも米国社会に貢献しているのならば、彼らが市民権を取得するための道筋は、どうして、移民排斥派の議員らが頻繁に言及する「恩赦」ということになるのだろうか?

私たちは、「マジノ線(=米国とメキシコ国境の壁)」をあと何マイル延長させるかという議論よりも、むしろ、全ての低所得世帯の生活水準の向上を図りながら、不法移民を米国経済に統合していく最善の方法を議論することに心血を注ぐべきである。

また、国境を武装化し罪もない移民らを収監するためにボーイングレイセオンといった軍需産業や矯正施設運営企業に膨大な予算を惜しげもなく投入する代わりに、その予算のほんの一部でもメキシコや中央アメリカの移民送出地域に雇用、住宅、教育、医療保健対策費として送ったほうが、よっぽど支出に見合った成果を得ることができるだろう。そして私たちが圧倒的に賢明な人間でありたいと思うならば、その残りの予算を米国本国で同じように使うこともできるだろう。

米国への不法移民の数が10年前や15年前の水準に再び戻ることは、ほとんど考えられない。しかし、もし本当の意味での経済復興が実現して再び不法移民の数が増加に転じるようなことがある場合は、既に国内にいる低所得労働者を搾取することなく、適正な労働需要を満たす新たな未熟練労働者に十分なビザ(査証)を発行する移民改革が実施されなければならない。

そのような移民改革を実現するには、この問題について常に協議と調整を図れる態勢が構築されなければならない。そのための具体的な方策としては、既にコミュニケーション、貿易、金融など他の分野において実現している、移民問題に関わる全ての利害関係者(労働者、経営者、コミュニティー活動家、学識経験者)が参画した政府委員会を創設することが挙げられる。

また、真の意味で、米国=メキシコ国境に関する安全保障問題に対処するには、前アリゾナ州司法長官のテリー・ゴダード氏の主張に耳を傾けるのも悪くない。ゴダート氏は、報告書の中で、不正資金をマネーロンダリングしたり、国境を越えて不正資金や商品(麻薬など)を運搬する能力を攻撃するなど、(国境地帯に勢力を張っている)多国籍犯罪カルテルの急所を突く方策を詳細に説明している。

米国の著名なコメディアンで風刺作家のスティーブン・コルベア氏は、移民排斥派の議員が提唱している「国境のセキュリティーを強化する(Border Surge)」方策について、「それはイラクではうまく機能しましたよ。なにせ、バグダッドへの潜入を図ろうとするメキシコ人はほとんど見かけないからね。」とコメントした。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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