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|UAE|Tシャツで始める失明患者の救済

【ドバイWAM】

世界には治療可能な失明症(白内障緑内障ビタミン欠乏症等)で苦しんでいる人が4千万人いる。これは世界の全盲人口の実に8割に相当する。しかし患者の大半は途上国に暮らす貧しい人々で、治療費が払えないか、あるいは、治療という選択肢があることを知らないために、失明の状態で放置されているのである。

中東のドバイを拠点にこれまで様々なチャリティーキャンペーンを展開してきたオンラインプラットフォーム「juuduu.com」は、UAEのヌールドバイ財団と連携して、失明症に関する啓蒙活動と巡回眼科診療キャラバン(Mobile Eye Camps)活動を支えるための資金集めを開始した。

「途上国の貧しいコミュニティーで暮らすことに伴う様々な不便、しかも四六時中暗闇に囲まれていなければならないというハンディキャップを負った状態を想像してみてください。」とjuuduu.comマーケティング部長のタリク・マゾルカ氏は語った。
 
「そのような全盲患者にとって治療を受けるということは、単に視力が回復するということにとどまらず、まさに再び生きる望みを与えられるようなものなのです。私たちは、地域コミュニティーの協力を得ながら、パートナーであるヌールドバイ財団が実施している巡回眼科診療キャラバンを通じてできるだけ多くの盲目患者に治療を受ける機会を提供したいと考えています。」

juuduu.comでは、このキャラバン運転資金を集めるために特製Tシャツをはじめとしたキャンペーン商品を販売している。また、特設ウェブサイトを通じて、この治癒可能な失明症に関する基本情報と、この病が比較的容易に予防・治療できる事実を発信し、この問題に対する一般の人々の認識を高めるキャンペーンを展開している。

ヌールドバイ財団のマナル・タルヤムCEOは、「当財団は世界の支援を必要とする数百万の人々に援助の手を差し伸べてきました。これまで、一次医療施設が整っていない村々に対しては、病気予防キャンペーンや巡回治療キャラバンを実施してきました。当財団は、CSR(企業の社会的責任)に取り組む企業との協力を通じて得た支援や資金をもとに、多くの国々で(2013年現在、アジア・アフリカ10か国:IPSJ)で、単に治療を施すだけではなく、患者の人生を変え、周りのコミュニティー全体が成長・繁栄するような持続可能なプログラムを展開しています。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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│ネパール│女性への暴力根絶なるか

【カトマンズIDN=シャイリー・バンダリ】

2008年5月23日、10人のネパール人女性が、史上初めて女性だけのチームとしてエベレスト登頂に成功した。この歴史的な成功は、ネパールの女性たちにひとつのメッセージをもたらした。「女性が征服できない頂上は世界にはない」。

本国のネパールでは世界最高峰登頂というこの快挙を「ネパールの女性にとっての大躍進」として大いに祝福された。一躍時の人となった遠征隊のメンバー(シュシミタ・マスキ、シャリリ・バスネ、ニンドマ・シェルパ、マヤ・グルン、ポージャン・アチャルヤ、ウシャ・ビスタ、アシャ・クマリ・シン、ナワン・フティ・シェルパ、シュヌ・シュレスタ、ペマ・ディキ・シェルパ)は、その知名度を生かして国内各地の学校を訪問し女性の機会均等を訴えるキャンペーンに参加している。

 
長年に亘って女性がつねに周縁的な役割ばかりを持たされてきたネパール社会では、このことは非常に大きな意味を持つ。今日ネパール女性は、不人気な王政と10年に亘って戦ったネパール共産党統一毛沢東主義派(マオイスト)率いる内戦の参加者として、そしてギャネンドラ前国王の独裁政治に終止符を打った2006年の大衆デモの参加者として、文字通りその役割が改めて見直されつつある。
 
 1996年の内戦勃発まで当時のネパール王国において女性や少女が武装して戦う光景は想像できないものであった。しかしマオイストの人民解放軍では、兵士の3分の1以上を女性が占めており戦力の大きな部分を担っていた。ネパール女性たちは、政治に深く関与するのみならず、彼女たちの多くが家計の唯一の稼ぎ手となっており、こうした中で、女性の地位は改めて評価されはじめている。

「変化の担い手」

ネパールでマオイストと王党派の和平調停に関与したスイスのギュンター・バチェラー氏は、2006年に平和と民主主義を叫んで大衆デモを引き起こしたネパール人女性たちを「変化の担い手」と呼び、彼女たちが民衆革命を成功裏に導いた立役者であったと述懐している。

「人権侵害や免責、人間の安全保障の問題が、国中で女性運動を生み、国家機関の中だけではなく、カトマンズなどの街角で女性たちが声を上げることになった。」バチェラー氏はこうした見解を、「人間対話センター」が2010年8月に発行した報告書「ある調停者の見方―女性とネパールの和平プロセス」のなかで展開している。

こうした活躍にも関わらず和平交渉の席に多くのネパール女性を参加させるという目標は達成できなかった。しかし、主要政党の女性議員や個々の女性活動家の中には、準備会合や諮問会議、キャパシティビルディング活動への参加や包括和平合意(CPA)後に平和復興省となった平和復興事務局との協議への参加を果たした者もいた。

「とりわけ、各政党代表、平和復興事務局、地域代表、国際アドバイザーで構成された『平和タスクフォース』(ネパール平和移行イニシアチブ支援)には多くの女性が参画した。」とバチェラー氏は述懐している。

2006年に和平合意が成立する以前から、女性運動は成功を収めていた。2002年には、中絶が合法化され、女性が誕生と同時に財産を相続することができるようになった。2006年には、最高裁が、妻が不妊の場合に夫は妻と離婚できるとする法律を破棄した。そしてまもなく女性が子供に市民権を付与する権利が認められた。また同年には、国家公務員の3分の1を女性とするよう定められたほか、選挙制度は比例代表制が導入され政界進出への門戸が大きく開かれた。

その結果、南ネパール制憲議会(定員601議席)には、将来の憲法上の女性の権利にかかわる重要案件に関しては声を一つにして行動する197名の女性議員が誕生した。また、サハナ・プラダン氏がネパール初の女性外務大臣に就任した。

また、2009年には、ネパール議会は、ドメスティック・バイオレンス(家庭内暴力)を犯罪化する法案を通過させた。

こうした一連の進展により、ネパールは国連安保理決議1325号を具体的に実施に移した数少ない国となった。同決議(今年10月31日に10周年を迎えた)は、平和・安全に向けての取り組みの中での女性の平等な権限及び参加、並びに性的虐待を含むあらゆる暴力から女性を保護するよう求めている。

現場の実情

またこうした成果の背景には1990年代にネパールの民主政治復活を求めて最前線で活動したビンダ・パンデイ氏のような女性の活躍があった。「ネパールの新憲法に男女平等が明記されることは極めて重要なことです。」と女性・平和活動家でFundamental Rights and Directives Principle Committeeの議長をつとめるパンデイ氏は語った。同委員会は将来におけるネパールの市民権のありかたを示し新憲法に具現化する任務を課されている。

パンデイ氏は未解決の数多くの問題について、「ネパール女性はアドボカシー活動においては今のところ成功を収めています。しかし政治制度は圧倒的に男性に支配されている世界ですから、具体的な主張を、とりわけ女性に対する性暴力の防止や犠牲者に対する支援を法制化するということになると、より説得力をもつスキルを身に着ける必要があります。」と語った。

明らかにこの見解を共有するネパール最高裁判所は、政府に対して、性差に基づく暴力撲滅年と宣言した2010年を有効に活用し、女性に対する暴力を犯した者を不必要な遅延なく罰する「裁判所」を設置するための必要前提条件を検討するよう求めた。

しかし、ネパールでは女性への暴力に関する統計は整備されておらず、問題の実態を把握することは難しい状況にある。人権問題に関するネパール初のポータルサイトである「INSEConline.org」によれば、2008年には国内で225件の強姦事件があったという(未遂を含む)。犠牲者は33カ月から63歳の233人の女性でその内162人が16歳の少女であった。いくつかの事件では犠牲者は強姦の後に殺害されている。また、31件については犠牲者は複数の男性に暴行を受けていた。

法の不在

INSEConlineは当該事件の犯人についてもプロフィール分析をおこなっている。これによると犯人の年齢層は13歳から79歳で大半が犠牲者の身近にいるものであった。また、彼らの大半が法律の抜け穴ゆえに罪を追求されることはなかった。このことについてネパール最高裁判所のスリカント・パウダー報道官は、「法の不在」という観点から、こうした犠牲者に対して補償したり社会復帰を支援したりする方策が不在な点を批判している。

もう一つの未解決の問題は、毎年ネパールからインドに数千人の単位で若い少女たちが家族によって主に家政婦等の名目で「売られる」人身売買の問題である。人権団体によると、彼女たちの多くは売春婦にさせられ、残酷な搾取に晒されている。

またもっとも酷い人権侵害に晒されているのは未亡人と(不可触賤民カースト)ダリットの女性たちである。国連女性開発基金(UNIFEM)によれば、ネパール国内に未亡人は80万人でその内76%が35歳未満である。夫を失うことによって女性は社会的に孤立し、法律が執行されない環境の中で、差別や暴力、性的な搾取の餌食になりやすくなる。

最も貧しいダリットの未亡人ともなると、時にその環境そのものが女性の不幸や死因にもなりえるのである。このような実態はカトマンズの南約40キロにあるラリトプール地区で起こった事件の犠牲者の事例が端的に物語っている。彼女は家畜が数匹死んだことを咎められ、激しく殴打された後に投獄され無理やり自分の排泄物を食べされられる虐待をうけた。彼女は強制的に罪を認めさせられたのち、ようやく釈放された。彼女は裁判所に訴えでたが、結局彼女を虐待した人々は罰金を支払っただけで断罪されることはなかった。

ビンダ・パンデイ氏のような女性活動家は、ネパールの男性議員達に対して性差に基づく暴力を公に糾弾するよう求め続けている。しかし彼女たちの声が聞かれるかどうかは未知数である。バチェラー氏はネパールの各党国会議員たちは制憲議会を党利党略と自身の勢力拡張のための駆け引きの舞台に利用していると非難している。

「女性国会議員達は‐その多くが初めて政界に足を踏み入れた人々‐当然ながら、こうした各政党の男性指導者たちによる不毛な争いを止めることはできなかったのです。」とバチェラー氏は嘆いた。

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

|UAE|今年のラマダンキャンペーンが広範な支持を獲得

【ドバイWAM】


アラブ首長国連邦(UAE)の「100万人の貧しい子供たちに衣服を」キャンペーンにより、これまでに、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ、アルバニア、イエメン、レバノン、エジプト、ジブチ、セネガル、タンザニア、マラウィ、ヨルダン、パキスタン、インド、ウガンダ等で、貧しい子供たちの間に笑顔が広がっている。

UAE副大統領でドバイ首長のムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム殿下は、7月11日、今年のラマダンキャンペーンの一環として世界の貧しい子供たち100万人に衣服を寄付するための資金集めキャンペーンを開始した。

資金集めキャンペーンは、故ザイード・ビン・スルタン・アルナヒヤン首長(UAE初代大統領)の9年目の命日でUAEの「人道活動の日」にあたるラマダン19日目(=7月28日)まで実施される予定である。

各方面からの支援は、これまでの予想を上回るペースで集まっており、100万人分の服を寄付するための目標額とされた4000万ディルハム(約10億6500万円)は、開始から最初の10日間(7月21日まで)で達成された。そこでマクトゥーム殿下は、支援対象国を、新たにサウジアラビア、ドイツ、タンザニア、その他中南米及びアフリカ諸国(合計46か国)に拡大するよう指示した。

キャンペーンの実施機関である赤新月社UAE支部によると、これまでに衣服が寄付された子どもたちの数は国別で、ボスニア・ヘウツェゴヴィナが10,000人、イエメンが100,000人、レバノンが50,000人、エジプト100,000人、タンザニア100,000人、インドでは200,000人であった。また、ヨルダンではシリア人難民キャンプの子どもたち5000人に衣服が寄付された。またキャンペーン事務局は次のステップとして、レバノン、ヨルダンのシリア難民の子供たちや、フィリピンの貧しい子どもたち(推定80,000人から100,000人)等に衣服を届ける予定である。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【バンコクAPIC/IPS Japan=浅霧勝浩

「私はミャンマーの少数民族シャン族出身の17歳で、タイのメーサイと国境を挟むビルマ(ミャンマー)のタチレイで家族は母と義父の2人がいます。人身売買の被害にあった当時、私は15歳で、結婚させられて20日ほど経ったところでした。

そこにブローカーの女性が『バンコクに行って働く気がないか?』と誘いをかけてきました。私は夫と別れて出稼ぎに行きたかったので、そのブローカーから10,000バーツの手切れ金を前借して離婚し、地元の友人と一緒にブローカーについてタイに行くことにしました。

 しかし、後で分かったことですが、働き始めてから返す借金はその10,000バーツに留まらず、ブローカーの手数料(10,000バーツ)、移動費、アパート代など合計50,000バーツに膨れ上がっていました。
 
 友人と私はメーサイ経由でタイに越境しました。国境を越えると男が待ち構えており私たちは森の中にある小屋へ連れて行かれました。そこには私たちの他に10名ほどの女性がいました。私たちは全員バンに乗せられ一旦バンコクまで運ばれそこから様々な目的地に分かれていきました。

私は他の2人の少女達とバンコク市南部のBang Kaeに連れて行かれました。2・3日すると一人の女性が訪ねてきました。私たちは裸になるように言われ、身体をチェックされました。彼女は『肌の色が白くかわいいから客が気に入るだろう』と言って私を気に入ったようですが、隣にいた子は気に入らなかったようです。

後で聞かされましたが、その娘はそれからどこかよそに送られたそうです。その後、Melrose Massage and Saunaという所に連れて行かれました。職種については、ブローカーはMassage and Saunaとのみ伝えてきただけで詳しい説明はしてくれませんでした。私は伝統的マッサージのようなものだろうと考えていました。

その職場には200人程の女性が働いていましたが、仕事の内容が売春であることは到着して初めて知らされました。ただし、ミャンマーの故郷を出発するに当たって契約書に署名されられており、『もし逃げたら故郷の両親に危害を加える』と脅されたため、どうすることもできませんでした。マッサージパーラーでは、ます、新入りの研修と称して、ポルノビデオを見せられ、複数の男性スタッフ相手に様々な性行為をさせられました。

職場に投入されて最初の3カ月は、一回のサービスあたり2,000バーツの値段がつけられ、その内500バーツが取り分でした。しかし、その後少し太ったせいもあり、私の値段は500バーツ(取り分は400バーツ)に落とされました。時々ある警察の巡回に際しては、私のように身分証明書をもたない売春婦は建物の裏に隠されました。

HIV/AIDSのことはミャンマーで聞いていました。村の中にもバンコクに出稼ぎにでた人がエイズで死にました。バンコクにでてきてこの仕事をさせられるようになって、HIV/AIDSに感染しないかと不安でした。しかし、どうしようもないので、自分は大丈夫だと言い聞かせながら、早く借金を返して故郷に帰ることだけを考えていました。
 
 コンドームはエイズ感染から体を守ってくれると聞いていたので、客にはいつも使用するよう頼みました。また、店側も、コンドームの使用を拒否する客に対してはサービスをしなくてもいいように規則を決めていましたので、そのような客に遭遇した場合は、ママさんに連絡して対処してもらうことができました。ただし、顧客の中には性行為に際して乱暴な人もおり、コンドームが破れるのではないかと心配することが少なくありませんでした。

店には毎週水曜日と土曜日に医者が検診に廻ってきていました。売春婦には3カ月ごとに血液検査が義務付けられており、感染が判明するとその場で追い出されました。私たちは、借金を返して生きていくためにも、健康には気を遣うようにアドバイスされていました。結局、その店に連れてこられて約1年後の8月に警察が事前通告なしに店を捜索し、私は他の12人の娘達と共に保護されました。

ここでは(人身売買の犠牲者を収容する更生施設)、職業訓練の一環で裁縫を学んでいます。この技術は故郷に帰ってからも役に立つと思います」

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与党に厳しい目を向け、野党を育てるという姿勢 (石田尊昭尾崎行雄記念財団事務局長)

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【IPS東京=石田尊昭

Mr. Takaaki Ishida
Mr. Takaaki Ishida

今のように「液状化」したままの野党では、ここまで強く大きくなった与党に対して緊張感を与えることは難しいかもしれません。かといって放置してよいはずもなく、やはりここは、私たち国民が現政権・与党に対して常に厳しい目を向け、声を上げていくことで、緊張を促すことが必要だと思います。

厳しい目を向ける、というのは、何でもかんでも批判したり、単に不支持を表明することではありません。政策の具体的内容や進め方に対して、「白紙委任」で「お任せ」するのではなく、良いものは良いと評価し、おかしいものはおかしいと評価する姿勢です。同時に、野党を、ただ「腐す」のではなく、「育てよう」とする姿勢も求められるでしょう。

野党は、そうした国民の声を、与党以上に真摯に汲み上げながら、単なる数合わせではない、理念と政策による再編を行なうことが求められます。それがあって初めて健全野党の第一歩が踏み出せるのかもしれません。

政権・与党に厳しい目を向け、かつ、野党を育てるという姿勢は、現政権を支持する人にも、支持しない人にも、共通して求められることだと思います。

Ozaki Yukio Memroial Foundation
Ozaki Yukio Memroial Foundation

日本の政党政治のあり方に失望しつつ、最期まで政党政治を諦めなかった尾崎行雄。民権闘争70年の末に出した答えは、政党間の健全な競争こそが政党を鍛え、政治・政策をより良いものにしていく、というものでした。そして、それを促すのは、ほかでもない「有権者自身である」と。

第23回参院院議員通常選挙の結果は、大方の予想どおり、自由民主党公明党の圧勝、そして民主党の惨敗でした。

現政権への支持と期待の現れという側面もありますが、それ以上に、野党に対する失望感が大きかった気がします。自公に投票した人の中には、「仕方なく」という消極的支持もあったのではないでしょうか。

しかし、健全な野党がなければ、政治も政策も、より良いものにはなっていきません。
与野党間に緊張があり、互いに政策を競い合う環境が必要です。

IPS Japan

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イスラエルがイランへの威嚇を再開するなか、専門家は自重を求める

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【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が、再びイランの核施設に対する攻撃を示唆する中、米国の専門家・元外交官ら29人がバラク・オバマ大統領に対して、新たにイラン大統領に選出されたハサン・ロウハニ師の政権誕生後の交渉において、最大限柔軟に対応するよう求めている。

大統領宛ての書簡は「あらゆる懸念を解決する合意に到るには時間がかかるが、イランとの外交交渉は、我々が既存の制裁やその他の措置を、あくまでもイラン側からの互恵的な妥協を引き出す目的で活用する用意がある場合にのみ、成功するだろう。」と述べている。

この書簡の署名者には、トーマス・ピカリング元米国務次官(政治担当)、ブルーノ・ペイヨ元国際原子力機関(IAEA)副事務局長がいる。

「さらに、ロウハニ政権発足までに、すべての当事者が、この外交的機会を危機にさらす挑発的な行為は控えることがきわめて重要だ」と書簡は述べている。この書簡には、ピーター・ジェンキンス元英国IAEA大使や、米中央情報局(CIA)で2000年から05年まで近東・南アジア担当の情報分析官を務めたポール・ピラー氏も署名している。

「米国は現段階において追加制裁を実施したり検討したりすべきではない。なぜならそのような動きは、政策をより穏健な方向に転換しようとする(イラン国内の)勢力を犠牲にして、核の問題で譲歩することに反対している強硬派を勢いづけることになるからだ。」と書簡は述べている。

この書簡は、2006年以来核問題に関してイランと交渉しているいわゆる「P5+1」(米国、英国、フランス、中国、ロシア+ドイツ)の高官が会談を行う予定の7月16日の前夜に出されたものである。

この書簡は、日曜日の人気番組「CBSニュース」でのネタニヤフ発言と並んで、オバマ政権が、エジプトで7月3日に発生した軍のクーデターの問題、米国の支援する反体制派にとって風向きが悪くなりつつあるシリア内戦の問題、アフガニスタンからの米軍撤退のペースとタイミングに関する新たな不確実要素の問題、ますます悪化するタリバンとの和平協議の見通しといった諸問題に取り組んでいるなかで、出てきたものである。

ネタニヤフ首相は、こうしたオバマ政権が直面している諸問題についてイラン核問題以外の重要性は比較的低いと指摘したうえで、「米政権にはイラン核問題に関する危機感がなさすぎる」とオバマ政権の姿勢に不満を表明した。

ネタニヤフ首相は、「これらの問題は重要ではありますが、核兵器を保有しようとしているこの救世主的かつ終末論的で過激な(ロウハニ)政権に比べれば、大した問題ではないと言わざるを得ません。」と述べ、昨年はほとんど控えていた激しい口調を復活させて、イランを非難した。

ネタニヤフ首相はまた、単独軍事行動を取るという従来からの威嚇を改めて繰り返して「私は手遅れになるまで待つつもりはありません。」と述べた。

そのうえでネタニヤフ首相は、「P5+1」に対して、核濃縮作業の全面停止、コム近くの地下濃縮施設の閉鎖、既存の濃縮ウラン備蓄の海外への移送、をイランに要求するよう求めた。

さらにこれらの要求について、「制裁の段階的強化によって裏付けられる必要があります。もし制裁の効果がないときは軍事行動をとる準備があることをイランに知らしめなければなりません。そうして初めて、制裁にイランの目を向けさせることができるのです。」と語った。

米国の専門家らは、先月のイラン大統領選挙の結果が、明確に穏健派や改革主義的な有権者の支持を背景としたロウハニ師の選出に終わったことを、驚きと警戒を含んだ楽観主義で迎えていたが、ネタニヤフ首相は、このロウハニ師を評して、「羊の皮をかぶったオオカミだ。」と語った。

またネタニヤフ首相は、ロウハニ師の外交的手腕と戦略的目的についても言及し、(ロウハニ師は)「笑顔で核兵器を作る人間だ。」と語った。

オバマ政権の中にはこうしたネタニヤフ発言を快く思わない向きもある。ある政府関係者は匿名を条件に、「このCBSニュースによる(ネタニヤフ首相の)インタビューはあまりよい効果を生まなかった。」と語った。

たしかに、7月1日にイランに対して新たな経済制裁を課したばかりのオバマ政権は、ロウハニ政権が発足する8月4日から少なくとも1か月以内の9月に行われると予想される次の「P5+1」との交渉以前に追加制裁を行うことに反対する意向を、ロウハニ師選出以来密かに伝えている。

米国政府高官らは、先週末の記者会見で、4月にカザフスタンのアルマトイでイランと行った前回の交渉で提示した提案に対する公式の反応を米国と「P5+1」パートナー諸国が受け取らないかぎり、新たな譲歩をする用意はない、と明らかにした。

「P5+1」は前回の交渉で、イランが20%ウラン濃縮を停止し、20%濃縮ウランの備蓄を海外移送することと引き換えに、信頼醸成措置(CBMs)として、金・レアメタル取引、及び石油化学輸出の一部に対する制裁を解除することを提案している。

同高官らは記者団に対して、この提案は「条件を飲むか飲まないか二者択一を迫る」といった類のものと見るべきではなく、もしイラン政府がより包括的な合意を求めているのならば、「P5+1」側も検討する用意がある、と語った。

その際、ある高官は、「もしイラン側がイエスと言えば、我々もCBMに関心があるが、より大きなことを議論してもかまわない。」「もしイランが20%(濃縮ウラン)に関する3つの措置全てに関心があるが、制裁もさらに解除してほしいというのなら、(我々の反応は)『そちらの目的は何か?これが見返りに我々が望むことだ』と言うだろう。それが交渉というものだ。」と語った。

高官らはまた、オバマ政権は「P5+1」の枠内でイランとの二国間直接協議を呼び掛けてきたが、イラン政府はそれまでのところこの提案を無視してきている、と強調した。

「二国間協議には価値があると我々は考えている。」「できるだけ適切な方法で努力を強化したいと思う。」とある高官は語った。

ロウハニ師は選挙期間中、対立候補のサイード・ジャリリ氏が率いる現在の交渉チームは柔軟性に欠けていると批判した。ロウハニ師は、当選後初めての記者会見で、米国との関係は「癒すことが必要な古傷」だと述べたが、二国間協議については言及しなかった。

イランの核計画と米国との二国間関係について最終的な決定権を有すると考えられている最高指導者アヤトラ・ハメネイ師は、米国政府との直接協議の価値については懐疑的な立場を示してきたが、一方で完全否定もしていない。

一方、イスラエル・ロビーがかなりの影響力を持っている米議会においては、ここ数週間、ネタニヤフ首相のタカ派的発言に共鳴する声が聞かれるようになった。

今月初め、共和党が多数を占める下院外交委員会の委員46人のうち1人を除く全員が、ロウハニ師の当選にも関わらず、既存の対イラン制裁の抜け穴をふさぎ制裁を追加することで、イランへの圧力を強化するよう求める書簡をオバマ大統領に送った。この書簡は、下院においては、ロウハニ政権が始動する前にさらなる制裁案を通す動きが出てくることを予測させるものである。

しかし同時に、チャールズ・デント下院議員(共和、ペンシルバニア州)とデイビッド・プライス下院議員(民主、ノースカロライナ州)が共同提出したオバマ大統領への超党派書簡は、「ロウハニ師の当選が、イラン核計画に関する検証可能で執行可能な合意に向けた進展への真の機会となるかどうかを試してみないのは誤りだ。」と警告している。

このデント=プライス書簡は、米政府は「ロウハニ師の主張する『和解と和平の政策』に反対するイラン体制内の強硬派に対して、ロウハニ師の立場を弱めるような行為」は避けるべきだ、としている。

これまでのところ、定員435人の下院において決して少なくない61人の議員が、この書簡に署名している。

オバマ政権の関係者は、こうした取り組みにも関わらず、次の「P5+1」協議の前に下院が新たな制裁を承認するかもしれないが、上院は恐らくそれに追随しないだろう、と語った。

29人の専門家と元政府高官らが7月15日に発表した書簡の内容は、デント=プライス書簡の内容と共鳴するもので、米国政府はロウハニ大統領誕生というせっかくの「大きな機会」を無駄にすべきではないという点を強調している。

(本記事の冒頭で触れた)「全国イランアメリカ協議会」が発表したこの書簡には、「この機会が真の結果を生み出すかどうかはわからない。しかし、米国、イラン、そして国際社会には、我々の目前にある機会を逃したりつぶしたりする余裕はないのである。」と述べられている。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【ドバイWAM】

「パレスチナ自治政府のマフムード・アッバス大統領は、中断されているイスラエルとの中東和平交渉を再開するためのジョン・ケリー米国務長官による提案に同意したとしても、ベンヤミン・ネタニヤフ右派政権はヨルダン川西岸(ウエストバンク)からユダヤ人入植地を撤退させることには決して同意しないと知るべきである。」とアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙が報じた。

7月19日付ガルフ・ニュース紙は、「ケリー国務長官は、ネタニヤフ首相に対して、イスラエルはパレスチナ占領地域からの完全撤退と引き換えに、アラブ諸国によるイスラエルとの紛争終結・和平合意、および正常な関係の構築を約束したアラブ和平提案を再検討すべきだと語った。」と報じた。

「条件の中に曖昧な領土交換を含むなど骨抜きにされている部分があるものの、米国務長官が、このアラブ和平提案を新たな交渉のスタートポイントとして取り上げたのは驚くべきことである。もしケリー長官が今回の提案内容を主張し続けた場合、ウエストバンクからのいかなる撤退案にも反対してきたネタニヤフ首相と意見が衝突することになるだろう。」
 

「もし今後米国政府が、これまでのようにイスラエルの主張に屈するようなことになれば、ケリー長官とバラク・オバマ大統領はアラブ世界からの尊敬を失うことになるだろう。一方、もし米国政府がネタニヤフ政権に対して主張を曲げない姿勢を貫けば、中東に和平が訪れる可能性がでてくるだろう。」
 

「ケリー長官がアッバス大統領とアラブ連盟の代表と会談した同じ週に、欧州連合(EU)は、ウエストバンクや東エルサレムで活動するイスラエルの機関・団体について、2014年以降、援助対象から正式に除外する方針を決定した。これにはイスラエルに対して、ユダヤ人の入植地建設を自制するよう国際的な圧力を強める狙いがあるとみられている。そもそもこうした不法入植地の機関・団体に援助が行われてきたこと自体、憂慮すべきことだが、今回の決定は、今後も同地に違法な入植地建設を継続していくとするネタニヤフ政権の政策に、EUが同意しない意向を示唆したものである。」

「パレスチナ人の多くは、イスラエルがウエストバンクへの違法入植と占領を止めるという究極の要求はもとより、ウエストバンク在住のイスラエル人に対する旅行規制や占領地域で生産された製品に対する包括的なボイコットなどEUにはさらなる行動を期待しているが、今回の決定に対して歓迎の意を示している。(原文へ

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|国連|紛争地の性暴力に対処するため「女性保護アドバイザー」を派遣へ

【国連IPS=タリフ・ディーン】

性暴力をけっして許さないとの国連の方針にも関わらず、南スーダンやコンゴ民主共和国、ウガンダ北部、ソマリア、中央アフリカ共和国といった紛争地帯において、そして最近では、政治的に問題を抱えたエジプトやシリアなどにおいて、性暴力関連の犯罪が多発している。

国連の潘基文事務総長は、昨月、安全保障理事会の会合において、レイプは「戦争の武器」であり、紛争があるところ必ず性暴力が多発し、「被災者を物心両面で打ちのめし、地域社会の構造そのものを破壊してきました。」と指摘したうえで、「こうした紛争下の性暴力は、国際人道法及び国際人権法に違反する犯罪であり、国際の平和と安全に対する脅威にほかなりません。」と訴えた。

国連は、この許すべからざる犯罪の大半が、国連が平和維持活動を実施している紛争地帯で発生していることから、紛争地帯で性暴力防止を任務とする「女性保護アドバイザー」の一団を派遣することを決定した。まずは、南スーダン、中央アフリカ共和国、コートジボワール、コンゴ民主共和国、マリ、ソマリアに派遣される予定である。

派遣先がアフリカ大陸に限定されることになるのかという記者の質問に対して、国連平和維持活動局/フィールド支援局のアンドレ=ミシェル・エスング広報官は、「派遣先について特定の地域に限定するという決まりはありません。たまたま当面の派遣先がアフリカ大陸の平和維持活動地域となっただけです。」「現在、女性保護アドバイザーの採用プロセスを進めています。」と語った。

人道支援団体「難民支援協会」で女性や少女の権利擁護に取り組んできたマーシー・ハーシュ氏は、「私たちは、国連に対して、女性保護アドバイザーを現地派遣する前に、十分な訓練を実施し、現地では既に活動を展開している諸団体と積極的に協力するよう促すような緊急対策をとるよう要請しています。また、紛争地で性暴力事件の捜査を担当する女性保護アドバイザーには、犠牲者の安全と尊厳を守っていくために、確固たる倫理・安全基準が備わっていなければならないと考えています。」と語った。

またハーシュ氏は、6月24日に国連安保理にて全会一致で可決された決議2106号(戦時下の性的暴行及び暴力禁止に関する新たな決議案)にも、「女性保護アドバイザー」に関連して、適切なタイミングでの派遣、適切な訓練の実施、様々な分野を跨った調整の必要性といった、「難民支援協会」の要請内容と一致する文言が含まれている点を指摘した。

ハーシュ氏は、この安保理決議に加えて、複数の国連加盟国からも、全ての政治・平和維持活動に対して「女性保護アドバイザー」を派遣すべきとの意見が出ている点を考えれば、「国連は、女性保護アドバイザーの展開に際して、必ず緊急に質的な向上をはかる措置をとるだろう。」と語った。

またハーシュ氏は、国連は、「女性保護アドバイザー」が性暴力事件の防止及び対策プログラムの基礎となる、時宜を得た、客観的かつ正確で、信頼のおける情報を収集するとともに、性暴力事件の被害者の安全と尊厳を守るような体制を構築していくだろうと期待している。

潘基文事務総長は、U.N. Women(ジェンダー平等と女性のエンパワーメントのための国連機関)と国連平和維持活動局(PDKO)が、UNアクション(紛争下の性暴力問題に取り組む国連13機関のネットワーク)を代表して「史上初の具体的なシナリオに基づいた国連平和維持部隊向け訓練プログラム」を作成した、と語った。これは、これまでに国連平和維持部隊の一部(具体的には南スーダン、コンゴ民主共和国、ハイチに派遣された隊員の一部)による現地住民に対する性的虐待が確認された事態への対応策である。

国連はまた、紛争当事国の法制度と法的枠組みを強化する目的で、「法の支配・紛争下の性的暴力専門家チーム」を設立しており、同チームはこれまでに中央アフリカ共和国、コロンビア、コートジボワール、ギニア、ソマリア、南スーダン政府に対して、法律面における技術的なアドバイスを行っている。

紛争時における性暴力に関する国連事務総長特別代表のザイナブ・ハワ・バングーラ氏は、「国連は20年前に旧ユーゴスラヴィア諸国の広範な地域でレイプが組織的に行われている『決定的な証拠』を提供しました。」と指摘したうえで、「最近その内の一つで、内戦中に5万人の女性が性暴力の被害にあったとされるあるボスニア・ヘルツェゴヴィナを訪問したが、同国では今日に至るまでに、性暴力の容疑者が起訴されたケースはほんの僅かに過ぎないことがわかりました。」と語った。

「こうして、性暴力の被害者らは、過去に折り合いをつけて前に進むこともできず、引き続き恥辱に苛まれながら、人目を避ける生活を余儀なくされているのです。」

つい最近では6月下旬に、コンゴ民主共和国で幼い少女らが犠牲となったいくつかのレイプ事件について、国連は「全く受け入れられない。」との声明を出している。コンゴ民主共和国の南キヴ州では、生後18か月から12歳までの9人の少女が性暴力にあい、体中に深刻な傷を負った状態で病院に運び込まれ、そのうち2人が死亡した。

国連コンゴ民主共和国ミッション(NUMOC)のロジャー・ミース特別代表は、これらの事件について、「こうした虐待は、村々から幼い子供を誘拐して結婚する(誘拐結婚)という有害な伝統的慣習と関わりがあると言われています。」と指摘したうえで、「しかし、このような暴力と虐待は全く受け入れられないものであり、終止符が打たれなければなりません。」と、語った。

また2012年には、コンゴ民主共和国東部のミノヤにおいて、135人の女性・少女が政府軍の兵士によって集団レイプされたとの報道が広範囲でなされている。

フランスのナジャット・バロー・ベルカセム女性権利相は、先月国連本部で開いた記者会見において、(性暴力のような)犯罪については、非難するだけでは不十分であり、犯人は起訴されるべきだ、と記者らに語りかけた。

「フランス政府は、こうした犯行が反乱軍兵士によるものか政府軍兵士によるものかに関わらず、このような残虐行為が起こっていることを深く憂慮しています。」とベルカセム女性権利相は付け加えた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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│パキスタン│紛争地の子どもたち

【国連IPS=スデシュナ・チョウドリ】

マララ・ユサフザイ(16歳)さんと、ムハンマド・カシム(23歳)さんには多くの共通点がある。いずれも、長年過激主義とテロが蔓延ってきたパキスタンの最辺境地(ユスフザイさんは北西部のスワット渓谷、カシムさんは北部パンジャブ州チャクワル)の出身者だ。

ユスフザイさんは、女子教育を否定するタリバンの圧力に屈することなく、公然と教育の権利を追及した。カシムさんも、ユスフザイさんのように自身が教育を受ける権利を追及するとともに、村の少女らにも教育を受けさせようと、友人らと寄付を募り、村に女子中学校を建設した。

UN TV

ユスフザイさんは、7月12日に国連本部で行ったスピーチの中で、「過激主義を信奉する人々は、昔も今も本とペンを恐れます。それは、彼らが教育の力を恐れているからなのです。」と語った。

カシムさんも同意見だ。「都市部の住民がタリバンの標的にならないのは、文盲率が高い辺境地とは違い、住民が教育を受けているからです。」と、カシムさんはIPSの取材に対して語った。

ユスフザイさんとカシムさんの主な共通点は、両者とも紛争地に生まれ育ち、教育への熱い情熱を抱いている点である。

ユサフザイさんは、女性にも教育の権利があることを主張したことが原因でタリバンに銃撃され、頭にけがを負ったが奇跡的に回復した。中学生が標的となったこの襲撃事件とその後の経緯については、世界中で報道された。

カシムさんは、友人からの携帯メールで、ユスフザイさんが襲われたニュースを知ったという。以来、カシムさんは友人らとともに、タリバンによるこの襲撃に抗議する集会を組織し、ソーシャルメディアを駆使して、パキスタンにおける女子教育への一般民衆の理解を高める運動を展開してきた。

カシムさんとユスフザイさんは、数日前、ニューヨークで初めて直接対面した。カシムさんが空港でユスフザイさんを見かけたときには、嬉しさで胸がいっぱいになったという。「私は彼女の健康状態について尋ねました。すると彼女は、元気で暮らしており、学校では主要テーマとして地理と歴史を選択する予定だと言っていました。」とカシムさんは語った。

黄色のTシャツとジーンズ姿で取材に応じたカシムさんは、しっかりとした自己の信念を持った青年だ。パキスタンの辺境地で育った彼には、一つの夢があった。「それはエンジニアになることです。」とカシムさんは言う。

カシムさんは、「マララ・デー」を記念するイベントに出席するためにニューヨークの国連本部に世界中から集まった若者1000人のうちの一人だ。

国連の潘基文事務総長は、女性にも教育の権利があると主張してタリバンの圧力に屈しなかったユサフザイさんの勇気を称えて、7月12日を彼女のファーストネームを冠した「マララ・デー」とした。

今回カシムさんは、女性教育への支持を表明するためにこの国連イベントに参加した。パキスタンの著名な権利擁護団体「子供の権利保護協会(SPARC)」が発行する2012年版「パキスタンの子ども白書」によると、同国では2500万人近い青少年が学校に通えない状況に置かれている。

カシムさんにとっても、彼が望んでいたような教育機会を得ることは容易ではなかった。彼は小学校に5年間通った後、父親の指示で村のマドラサ(イスラムの宗教学校)に編入させられた。

「マドラサの教師たちからは、公立学校の通常教育など受ける必要はないとよく言われたものです。マドラサからの圧力は父にもかかっており、父もついに抗しきれず、私を公立学校から辞めさせてマドラサで宗教教育を受けさせることにしたのです。」

しかしカシムさんは、それでエンジニアになる夢を諦めたわけではなかった。当初彼は、マドラサでの宗教教育と普通教育の学習をうまく調整してやっていけると考えていた。

カシムさんは、「マドラサでの生活は厳しいものでした。」「マドラサには週に6日通いました。しかし金曜日はイスラム教の休日にあたるので、この日に(以前の)学校に行って1週間分の遅れを取り戻そうとしたのです。」と当時を振り返った。カシムさんが村のマドラサに編入したのは、米国同時多発テロ事件(2001年9月11日)が勃発する数か月前のことであった。

「当時私は11歳か12歳の少年で、タリバンは私たちのヒーローでした。誰もが尊敬していたのです。」

「タリバンが、実は人間にやさしくなく、愛国的でもないということに気付いたのは、もっとあとになってからでした。」

「タリバンは罪のない女性や子どもを殺しており、人々は次第に、タリバンは支持するに値しない連中だということに気づき、離反していったのです。また、彼らは(本来あるべき)イスラム教徒ですらなかったのです。」とカシムさんは語った。

結局、カシムさんは、マドラサでの勉学から得るものはないと確信した。

「世間では、マドラサでは、生徒らは体罰にさらされ気がおかしくなるという噂が流れていました。現実は、噂通りというわけではありませんでしたが、生徒たちが教師に殴られたり洗脳されたりするという事実はありました。しかし私の場合、ここでの教育が私の求めているものではないということは、当初からはっきりと分かっていました。」

カシムさんは両親との口論の末、なんとか説得し、公立学校に通うことを許してもらった。

「将来の夢を叶えるには、それが唯一の方法だったのです。」とカシムさんは語った。

カシムさんは10年生(高校1年に相当)になるまでは村の公立学校に通い、近隣の都市の学校に転校した。その後奨学金を獲得し、現在は首都イスラマバードの工学系大学に通いながら、パートタイムで企業に勤めている。近年パキスタンが大洪水に見舞われた際には、積極的に被災地を回って救援活動にも従事した。しかしカシムさんは、将来もっと大きなことを成し遂げたいと、さらに研鑽を積んでいる。

「私は故郷の村の子どもたちが勉強できるような短期大学を村の近くに設立し、それを数年で総合大学にしたいという夢があります。」

カシムさんは、教育を受けることができた自分の経験を、故郷の村のすべての少女たちにも分かち合いたいと決意している。

またカシムさんは、今回の国連イベントへの参加について、自分が地元を代表して国連まで旅することができたことは、故郷の人々にとって大いに刺激になるだろうと想像しつつも、「リスクも孕んでいる」側面もあることを率直に認めた、

「(国連イベントが終わって)故郷のパキスタンに帰国し再び現実に直面した時のことが心配です。しかし、これはまたとない機会ですから、私は是非国際社会の前で自分の思いを述べたかったのです。」

またカシムさんは、パキスタン政府の役割について、「政府は教育問題に取り組もうとはしていますが、やはり腐敗の問題が大きな障害となっています。ぺキスタンの教育状況を変えるには、深刻な資金問題と並んで、政策レベルで抜本的な改革が断行される必要があります。」と指摘した。

国際連合教育科学文化機関(ユネスコ)最新のグローバルモニタリングレポートによると、世界中で学校に行けない児童の約半数にあたる2850万人が、紛争地帯に住んでいるという。また同レポートは、人道支援援助のうち、教育分野に充当される割合は、2009年の2.2%から2012年には1.4%まで低下していると指摘している。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【アブダビWAM】


タメル・マンスール駐UAEエジプト大使は、7月17日、ハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン大統領に対して、UAE赤新月社が大統領の指示のもとに「エジプトは私たちの心の中に(Egypt in our Hearts)」キャンペーンを同日開始したことについて、心からの感謝の意を表明した。このキャンペーンは、(軍による事実上のクーデターでムハンマド・ムルシー政権が崩壊して以来)移行期にある現在のエジプトにおいて経済的な困難に直面している国民を支援することを目的としている。

マンスール大使は、声明の中で、このキャンペーンは、困難に直面した際の「誠実なアラブの連帯」を示すものであり、友情と歴史的な絆で結ばれたエジプトとUAE両国民を繋ぐ素晴らしい実例です、と語った。

またマンスール大使は、「UAE政府は、6月30日革命後にいち早くハイレベルの政府・投資家からなる代表団を派遣して暫定政権への信任を国際的に示すととともに、エジプト国民が直面している差し迫った経済状況に鑑みて、5億ドルの燃料購入資金に加えて30億ドルの支援を表明してくれました。今回のキャンぺーンは、エジプト国民を支援するUAE指導部の賢明な立場を引き続き反映したものを理解しています。」と語った。

両国の歴史的な関係と絆を深めてきたUAE指導部への感謝の念を強調しつつ、マンスール大使は、「エジプト国民は、この「エジプトは私たちの心の中に」キャンペーンが、UAE国民がエジプト国民に対して深い敬愛の念を抱き、この困難な局面にあって隣に寄り添ってくれている真実を示すものとして、歓迎しています。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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