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近年の米労働運動に見られる新しい国際主義

【シアトルIPS=ピーター・コスタンティニ】

外国人を排除するために約700マイルにもわたる米・メキシコ国境沿いにフェンスを設置する法案が米議会で検討される中、多くがまさにその国境を越えてきた移民たちが、生気を欠いた米労働運動に新しい血を送り込んでいる。

たとえば、11月末には、サービス従業員国際労働組合(SEIU)が、テキサス州ヒューストンの事務所スペースの60%以上を清掃している4,700名の用務員が同組合に加入し、[雇用]契約を求めて使用者と交渉に入る、と発表した。ヒューストンでの動きは、「正義を求める用務員」として知られる一連の運動の最近の事例である。SEIUによれば、この運動は、この20年間に29の都市で22万5,000人の組合加入を実現してきた。

 ヒューストンをはじめとするその他多くの都市において、ビルメンテナンスに従事する労働者や労組のオルガナイザーには、最近米国に入った移民たちが多い。その多くは、メキシコ・中米からの移民だ(米国の人口調査によれば、3,990万人のラテンアメリカ系アメリカ人〈その多くはメキシコ人〉が総人口2億9,080万人を抱える合衆国で暮らしているが、その約4,000万人のうち約500万人は不法入国者と見られている:IPSJ)

ヒューストンでの勝利には特に意義がある。というのも、テキサスおよび米国南部の労働者は、米国の他の場所に比べて組織率が低いからだ。

ヒューストンの用務員たちは健康保険に入っておらず、そのほとんどが、連邦の最低賃金よりわずか10セント高いだけの時給5.25ドルのパートタイムで働いている。

SEIUシアトル第6支部長のセルジオ・サリナス氏は、「私たちの支部の皆がヒューストンにオルガナイザーを送り、物資を支援したのです。だからこれは、全国一致して行なった活動なのです」と語った。サリナス氏は、この運動には、労組が米南部に浸透する大きなきっかけになるという「歴史的重要性」があると考えている。

米国全体の労組組織率は、1983年の20.1%から12.5%にまで低下した。民間部門では、1983年の半分の7.9%に過ぎない。

積極的な組織化を進めている数少ない労組の多くはサービス部門に属しており、滞在許可があるか否かに関わらず移民に焦点を当てている。その中でも、主に建物サービス・医療・公共部門に組合員を抱えるSEIUは、米国の労働組合の中で最大かつ最も急速に拡大している労組であり、組合員は180万名を数える。サリナス氏の推計によれば、移民はそのうち約3分の2(約120万人)を占める。

このSEIUは、米国労働運動においてますます顕著になっている国際主義の傾向を引っ張っている部分である。より保守的な労組が歴史的に移民を無視あるいは排除してきたところでは、職場の構成要員の変化や米経済の変転、敵対的な政治環境といった要因のために、米国に入国して間もない人たちをメンバーとして受け入れる労組も出てきた。さもなくば、労組は消滅の危機に立っている。

多数の移民組合員を抱える他の労組としては、食品・商業労働組合、UNITE HERE(縫製・繊維労組のUNITEとホテル・レストラン従業員労組のHEREが統一してできた労組。「UNITE HERE」には「ここで団結しよう」の意味もある:IPSJ)、建設労組(the Laborers)、大工労組(the Carpenters)、農業労働者組合がある。昨年6月、これら組合と全米運輸労組(the Teamsters)は、米国の労組の総連合体であるAFL-CIOから離脱し、「勝利のための変革」(Change to Win)という新しいグループを結成した。500万人の労働者を抱えるこれらの労組は、組織化により多くの努力と金銭を集中する方針を出している。AFL-CIOとその傘下労組の中には、積極的に組織を拡大する必要性を認めているところもある。

この[労組の]内なるグローバル化は、概して、移民(ビザありにせよビザなしにせよ)が大きなエネルギー源となりつつある現在の労働力状況に対するひとつの反応である。米国の多くの地域において、経済のある特定の部分の低賃金労働を、もっぱらラテンアメリカ・アジア・アフリカ・東欧からの移民が占めている。

サービス部門でのこうした仕事には、建物サービス・造園・ホテルおよびレストランの従業員・給食・医療・デイケア・洗濯・教育補助などがある。非サービス産業部門では、建設・食肉包装・衣服製造がある。これら部門のいくつかでは、労働者の大部分を女性が占める。

コーネル大学のケイト・ブロンフェンブレナー氏によれば、労組の新しい加入メンバーのうちかなりの部分を移民労働者が占めている。彼女の観察では、「最近の移民は全体として、米国生まれの労働者よりも労組の存在を受け入れやすい。出身国で労働組合にいた経験のある人の場合は特にそうだ(ただし、労組が抑圧的な政権と結びついていない限り)」。

こうして一般労組員が拡大すると、移民労働者のうちのいくらかが組合の指導層に昇格するようになる。かつてエルサルバドルで労働運動をやっていたサリナス氏によれば、他に3つのSEIUの大支部において、ラテンアメリカの移民が支部長を務めているという。一般労組員と指導層の両者が、自分たちの出身国から持ち込んだ労働運動の経験や政治的センス、集合行為に対する肯定的態度を、米国の労働運動の中に植えつけてきた。

しかし、とりわけ滞在許可を持たない移民は、使用者からの圧力にたいして特に脆弱である。ブロンフェンブレナー氏の調査では、不法滞在労働者の関係した組織化活動の半数以上において、使用者側が国外退去の脅しをかけてきたという。これは、組合の拡大を防ぐきわめて効果的な方法だ。

NAFTA(北米自由貿易協定)労働局の元職員ランス・コンパ氏は、「2つの真実がある」という。「1つ目は、多くの移民が国外退去を恐れて組織化に消極的になり、多くの職場や地域において組織化が遅れるということ。2つ目は、多くの移民が最も積極的で恐れなきオルガナイザーであり、多くの職場や地域に新しい労組を作るということだ」。「労組にとっての課題は、この2番目のグループの人々を見つけ動員することで、1番目のグループに属する人々を自分たちの側に多く引き寄せることなのだ」。

コンパ氏が作成した「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」の報告書は、米国のある食肉包装工場で働くエルサルバドル出身の労働者の言葉を引いている – 「会社は、私たちを脅すために工場の周りに武装警察を巡回させています。特に私たちのような中米から来た者にとってこれは怖いです。なにしろ私たちの国では、警察が労組員を銃で撃っていたのですから」。

オレゴン州ポートランドのSEIU指導者であり、エルサルバドルからの移民でもあるデイビッド・アヤラさんは、労働者と話をするとき、こう尋ねる。「どんな夢を持っていた?どうしてここへ来た?どうして国境を越えた?どうして死にかけた?いまあなたの時給は5.25ドルで、社会保障も健康保険もない。こんなことのためにあそこからここまでやって来たのか?」

過去には、不法滞在の労働者は組織労働勢力にとって論争の的であった。しかし、労組加盟者数が減り、不法移民が大量流入したことから、かつてより多くの労組が、法的立場に関係なく全ての労働者を迎え入れるようになって来たのである。

右派は彼らのことを「エイリアン」と呼ぶ、とアヤラさんはいう(「エイリアン」には、「異星人」の他に「外国人」という意味もある:IPSJ)。「エイリアンとは何なのか?それは人間ではない。エイリアンは宇宙から来たもの。つまり、エイリアンという言葉を耳にすれば、それを、人間だとか、家族を持った者だとか、よい人格を持った者だとかは普通は考えない」。

米国の労働の国際化は、社会のある部分において外国人嫌いが激しさを増す中で起こっている。(たとえば)「ミニットマン」と呼ばれる監視グループは、カナダとメキシコの国境をしばしば巡視してまわることで有名になった。

現在の移民法案は、極右の望むいくつかの重要条項を伴って米下院を通過した。ただし、立法過程の中で何らかの修正を受ける模様だ。同法案は、ブッシュ政権が提案した段階よりもいくつかの点でより抑制的になってはいるものの、身分証明書なしに米国に居住することとそれを支援することの両者を犯罪化し、労働者の移民としての法的地位を使用者が確認する要件を厳しく定めている。議会は、2月にあらためて移民立法を取り上げる予定だ。

この議論が激しさを増す中、米国への全移民は、2000年に約150万人でピークを迎えて以降、20%減少して2004年には120万になっている(ピュー・ヒスパック・センター調べ)。メキシコ移民が流入者の約3分の1を占める。

しかし、米人口統計局によれば、1990年以来、外国生まれの米居住者の割合が8%から12%に拡大した。そのうち半数以上はラテンアメリカ出身だ。また、約1,100万人の不法滞在者のうち、メキシコ人が57%を占める。全てのメキシコ移民の80%から85%がビザなし滞在だと見られている。

ピュー・ヒスパニック・センターの調べでは、民間労働力のうちの630万人(全体の4.3%)が不法滞在であり、そのうち3分の1がサービス産業に属している。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

非核中東に向けた機会は失われた

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【エルサレムIPS=ジリアン・ケストラー=ダムーアズ】

中東非核兵器地帯を創設するための国際会議が延期となり、専門家らは、中東に安定をもたらす重要な機会が失われたと警告している。

「2012年ヘルシンキ会議は、画期的な先例となるはずのものでした。なぜならこの会議は、中東に非大量破壊兵器地帯を創設するための要件について協議する特別な会議として、国際社会が初めて招集することに合意したものだったからです。」と、ヨルダンのアンマンを拠点とするアラブ安全保障研究所のアイマン・カリル所長はIPSの取材に対して語った。

またカリル所長は、「それ自体は、重要な決定であり、里程標でした。しかし残念なことに、それは実現しなかったのです。」と語った。

 中東非核兵器地帯を創設するための国際会議は、国際連合が主催し、ロシア・米国・英国(核不拡散条約寄託国)が支援して、2012年12月にフィンランドのヘルシンキで開催される予定だった。

米国務省のビクトリア・ヌーランド報道官は、「地域安全保障と軍備管理に関する取り決めに向けたアプローチについて、大きな考え方の違い」があり、「域内諸国の間で会議開催の受諾条件で合意に達しなかった」ために会議は招集できない、との声明を発した。

 ヘルシンキ会議は、現時点では2013年早々にも開催されることが期待されている。

エジプト外交評議会(ECFA)によると、ヘルシンキ会議を開催することは、「イランが国際原子力機関(IAEA)からの要求に応えず、イスラエルがイランに対する攻撃を仕掛けると脅している」状況の中では、とりわけ重要な意味を持つという。

ECFAは、「中東から大量破壊兵器をなくすことで、地域の安定と安全保障のための適切な環境が作り出されることになるだろう。」とした上で、「アラブ不拡散フォーラム」が、いかにしてこのヘルシンキ会議開催に向けたプロセスを再始動するかについて協議する会議を12月12日にカイロで開催することになっていると述べた。

中東非核兵器地帯を創設するための特別会議の開催は、2010年NPT運用検討会議において決定された。

1970年に発効したNPTは、核兵器と核兵器技術の拡散を防ぐこと、さらに、核軍縮という目標を世界に広めることを目的としている。現在、NPTが公式に認めている5つの核兵器国(中国、ロシア、イギリス、フランス、米国)を含め、190か国が条約に署名している。

国連によれば、現在世界には5つの非核地帯がある。すなわち、ラテンアメリカ・カリブ海地域、南太平洋、東南アジア、中央アジア、アフリカである。

核兵器を保有していると長らくみなされながら依然として「核のあいまい政策」を貫いているイスラエルは、NPTに署名していない。ヘルシンキ会議延期の決定は、イスラエルが名指しで批判されるのを恐れていることと関連しているのではないかと、多くが指摘している。

イスラエル外務省のポール・ヒルシュソン副報道官によれば、イスラエルは公式にヘルシンキ会議に招待されたことはない、したがって、会議参加に合意したこともそれを拒否したこともない、という。

IPSの取材に応じたヒルシュソン副報道官は、「(ヘルシンキ会議を開催するには)現在の状況は適切でないとする米国の主張に、イスラエルはおそらく同意するものと思います。…イスラエルにとって、この会議で協議できる話題はほとんどないと思います。」と指摘した上で、「テーマ自体は素晴らしいものだと思いますが、我々が本当に関心を寄せているのは、パレスチナとの和平問題であり、サウジアラビアとの外交関係なのです。つまり、ヘルシンキ会議にエネルギーを割く前にやらなければならない課題が山積しているのです。」と語った。

過去1年にわたって、イスラエルは、イランが核兵器を取得しようとしているとして公然と反対の意を表明してきた。一方、イラン側はそのような企図はないと否定してきた。しかしイスラエルの指導層が、イランの核施設を先制攻撃するかもしれないと示唆するに及んで、最大の同盟国である米国との外交関係を緊張させている。

しかし、カリル所長によれば、イスラエルの「核のあいまい政策」は「部屋の中の巨象(=誰もが認識しているのに話題にしないこと)」であり、核を持とうとするイランではなく、イスラエルの態度こそが、中東非核化への最大の障害であるという。

カリル所長は、「基本的に、イランも含めて中東のすべての政府がNPTに署名しています。しかし、一か国だけがこの取り決めの外側にあり、それがイスラエルなのです。」と指摘した上で、「アラブ諸国は、イスラエルとの容認可能な取り決めに達するために、ヘルシンキ会議が開催されることを誠実に望んでいました。もしこの会議が予定通りに開催されていたならば、域内諸国家間の大きな信頼醸成措置になっていたことでしょう。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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核軍縮達成に向けたゲーム・チェンジ(レベッカ・ジョンソン核兵器廃絶国際キャンペーン〈ICAN〉副議長)

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【IPSコラム=レベッカ・ジョンソン】 

25年前の12月8日、ミハイル・ゴルバチョフソ連共産党書記長(当時)とロナルド・レーガン米大統領(当時)は中距離核戦力(INF)全廃条約に署名した。この歴史的な合意によって、1980年代初頭に欧州に持ち込まれたSS-20、巡航ミサイル、パーシングといった、近代的な型の地上発射「戦域」ミサイルが削減された。 

この画期的合意は、当時ほとんどの主流軍事アナリストや政治評論家から驚きをもって迎えられたが、1986年10月のレイキャビク・サミットの直前まで、専門家に嘲られながらもこうした成果をもたらさんと努力してきた欧州の平和活動家からは歓迎された。 

しかし、ゴルバチョフ氏は、市民社会の役割に敬意を払っている。数年前、当時レーガン大統領を「信頼した」動機は何かと問われたゴルバチョフ氏は、レーガン大統領を信頼などはしていなかったと答えた。つまりゴルバチョフ氏が当時ソ連の指導者としてリスクを犯してでもレイキャビクに赴き核軍縮の提案を行ったのは、たとえ彼が第一歩を踏み出しても、米国にそれを不当に利用させない力が欧州の平和運動とグリーナムコモンの女性活動家たちにあると信頼していたからだった。

Photo: The writer addressing UN Open-ended working group on nuclear disarmament on May 2, 2016 in Geneva. Credit: Acronym Institute for Disarmament Diplomacy.
Photo: The writer addressing UN Open-ended working group on nuclear disarmament on May 2, 2016 in Geneva. Credit: Acronym Institute for Disarmament Diplomacy.

 
またゴルバチョフ氏は、地球上の生命が核戦争後の「核の冬」によっていかに消し去られてしまうかを示した米ロの科学者による研究を読んで、行動する気持ちになったとも語っている。 

しかし、(当時ゴルバチョフ氏が示した)核兵器がもたらす人道的帰結に対する十分な理解は、それ以降の軍縮議論には欠落していると言わざるを得ない。政府高官、軍備管理関係者、基金運営者、安全保障専門家らの集団的な思考が、核軍縮は核兵器保有国のみが話を先に進められるきわめて高度な軍事技術的プロセスであるとの「リアル・ポリティーク(現実政治)」的な観念をはびこらせてきたのである。 

こうした態度は、核兵器保有国にますます大きな権力を与えることとなり、非核兵器保有国は、現実のゲーム(核軍縮交渉)の傍観者として核軍縮を懇願するだけの立場に追いやられてしまった。 

冷戦期の軍備管理における「最も輝かしい成果」とも言うべき核不拡散条約(NPT)は、長らく機能不全に陥っているが、NPT支持派は、NPT体制とその再検討プロセスを維持するための応急処置を施すことは依然として可能だと考えている。冷戦終結によって生み出された数々の機会を無駄にした「外交ジェスチャー」の政治は、現実世界における核の深刻な脅威に対処することにも失敗した。一方NPTは、本来の役割に反して、一部の国の安全保障政策における核兵器の主要な役割を強化してしまっている。 

したがって、米国務省が11月23日に、長く待ち望まれていた中東の非大量破壊兵器(WMD)地帯化に関する会議について、「現在の中東情勢と、域内諸国が会議開催の受諾条件で一致をみていない現状に鑑み、招集できない」という声明を発したことには、何の驚きもない。 

ようやく数週間前になって会議への参加を決めたイランは、予想通り、この優位な立場を利用して、2010年NPT運用検討会議で開催が義務づけられたこの会議を米国が「イスラエルの利益のために」人質に取っていると非難した。 

アラブ連盟のナビール・エル=アラビー事務局長は、会議の招集に失敗すれば、「地域の安全保障体制及び核拡散を防止する国際体制に悪影響を及ぼすだろう。」と警告している。 

イスラエルがガザ地区のパレスチナ人を爆撃する中、イスラエルの人びとは、報復のためにバスに向けて発射される(ハマスの)ミサイルに恐怖し、傷つけられている。核兵器は何の安全ももたらさないばかりか、中東や南アジア、北東アジア、また欧州といった対立の残る地域に核を配備すれば、真の安全保障上の必要から関心が逸らされ、平和に対してさらに大きな脅威となる。 

核兵器保有国は、核を身に纏うことで他者が核を使う心配をしなくてもよくなるかのごとく振る舞う魔術的な核抑止の陰に隠れながら、核テロを防止する必要性を主張することで、状況をさらに悪化させている。 

核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)国際赤十字社、ますます多くの政府が最近、核兵器使用がもたらす人道的影響についての世界的な関心を喚起し始めている。 

 11月22日、ノルウェーのエスペン・バート・アイデ外相は、来年3月4~5日にオスロで開催予定の「核兵器の人道上の結果」に関する国際会議に、高官や専門家を派遣するよう、すべての国連加盟国に招請した。 

この会議の目的は、「核兵器爆発に伴う人道的、開発的帰結に関する、事実をベースにした議論の場を提供すること」にあり、「関心を持つすべての国家、国連機関、市民社会の代表、その他の利害関係者が会議に招待される。」としている。 

この会議は、数多くの人びとを焼き汚染する、爆発直後の爆風や閃光火傷、火災、放射能について討論するために、科学者や医師のみならず、難民や食料不足、数多くのホームレスや飢える人びとの医療ニーズに取り組む機関をも結集することを目的としている。今日の世界の核戦力の1%に満たないものが爆発しても、「核の冬」や世界的な飢餓が引き起こされることになるが、このような予想される長期的な影響によって、これらすべての問題がより複雑化することになるだろう。 

世界の指導者らは、かつてゴルバチョフ氏がそうしたように、人道や環境の観点から物事を考えなくてはならない。 

非核兵器保有国は、核を保有する隣国に拒否権を与え、従順な懇願者を装うような振る舞いをやめなければならない。従来の軍備管理とは異なり、人道主義的な軍縮アプローチは、全ての国に、核兵器の使用を防止するための措置を講じる権利と責任があることを認識している。 

これを達成する最良の方法は、核兵器を禁止し廃絶することである。非核兵器保有国がひとたび自らの力と責任を認識したならば、核兵器禁止条約は、これまで考えていたよりもずっと早く簡単に実現できることに気付くだろう。法的文脈を変えることによって、こうした条約はゲーム・チェンジャーとなるだろう。そして、核兵器保有国から権力と地位を奪い、自らの安全保障上の利益に関する核兵器保有国の理解を促進し、永続的な核拡散よりも協調的な核軍縮こそが至上命題であることへの認識が高まるだろう。(原文へ) 

※レベッカ・ジョンソンは、アクロニム研究所の所長・共同創立者。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)の副議長。 

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世界政治フォーラムを取材

多様性の問題に取り組むドイツ

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【ベルリンIPS=フランセスカ・ドジアデク】

ドイツでは、移住者に起源を持つ国民が人口の20%(約1600万人)を占める一方で、社会の底流には依然として外国人、出稼ぎ労働者(ドイツ語でゲストワーカー)、有色人種に対する根強い差別意識が蔓延り、多様性の問題に対して矛盾した面を抱えている。今日のドイツ社会は、愛憎併存したこの多様性の問題をいかにして見直すかという緊急の課題に直面している。

人口予測によると、25才以下人口の25%が移住者を祖先に持つという。「新ドイツ人」と呼ばれるこの人口集団は、政治や社会が彼らの存在により着目し、声を聞き届け、社会進出を受け入れるよう要求している。一方、より年配の移民世代の人々は、人種主義的な動機に基づく犯罪に対して手を拱いているドイツ警察当局の現状や、長年に亘る人種排斥に対して深い憤りを募らせている。

 ベルリン開市775周年を祝うイベント「ベルリン:多様性の都市」が開催された際、シーメンスやテレフンケンといった大企業の工場で日夜働いてきたトルコ移民労働者らは、1961年のベルリンの壁設置によって労働力不足になったドイツに引き寄せられるようにやってきた当時のことを思い起こした。

今日、彼らの孫たちは、引き続き「すでにボートは一杯だ(外国人が入る余地はないとするスローガン)」というドイツ社会に長年はびこるメンタリティーとそれに伴う偏見・差別に晒されている。

1989年のベルリンの壁崩壊後、「統合」がドイツ再統一のスローガンになった。しかし東西ドイツ人の統合が進んだ一方で、従来から西側にいたベトナムからの「ボ―トピープル」や、東側にいた出稼ぎ外国人労働者といった「存在を気づかれにくい少数派の人々」は、彼らのドイツ社会への統合を阻害する見えない壁(ベルリンの鉄筋コンクリートの壁より突き崩しにくい障壁)に直面した。

トルコ系ドイツ人の人気コラムニストで2011年にベルリン市から「統合賞」を受賞した、ハティス・アクユン氏は、出演したラジオ番組の中で、「私は『統合ということばは嫌いです。なせなら、この言葉は、誰が誰を統合するのか?それはなぜ?どのようにして?といった疑問を投げかけているように思えるからです。』と語った。

2005年、ドイツ政府は、少子高齢化問題に対処するために移民法を改正し、高度な技能を持つ専門家や自営移民への門戸を広げ、外国人留学生が職探しのために国内に1年在留する権利を新たに与えた。
 
移民法が改正されてまもなく、極右組織「国家社会主義地下組織」(NSU)のテロリスト集団がニュルンベルクにおいて、トルコ人店主のイスマイル・ヤサル氏を射殺した。ヤサル氏は、同組織が2000年9月から2006年8月にかけて行ってきた移民を標的にした連続殺人事件の3番目の犠牲者だった。

アクユン氏自身も、トルコ系市民がイスラム過激者とみなされ迫害がエスカレートしていった恐ろしい状況を経験している。

「私にとって最悪の時期は、ドイツ連邦銀行取締役員のティロ・サラジン氏が2010年に『ドイツの自殺』と題した排外主義的な書物を発表したのを受けて、民衆の間にイスラム恐怖症が広がった『サラジン論争』の頃でした。」とアクユン氏はIPSの取材に対して語った。
 
発行部数150万部のベストセラーとなった同書は、ドイツ社会の深層に蠢いている反移民感情を暴露した。

ベルリン市のディレク・コラット参事(労働・統合・女性問題担当)は、最近開かれた「2012統合サミット」(ドイツ多様性憲章主催)で講演した際、「依然として履歴書にトルコ系の名前や写真がある場合、仕事を得られる確率は14%下がってしまいます。」と指摘した上で、公共部門にマイノリティー申請者を惹きつけるキャンペーン(例:Berlin need you)事例を引き合いに出しながら、マイノリティーへの機会均等と社会統合を推進する具体的な戦略をトップダウンで実現していくよう訴えた。

「従来のような中立的なアプローチではもはや不十分だと言わざるを得ません。」とコラット参事は、ドイツ全土から参集した人事及び多様性対策担当者を前に語りかけた。

当然ながら、大企業が新たなグローバル市場を見据る中、企業は、自主的な措置によって積極的に多様性の実現を図ろうとしている。

5年前、ドイツの電機・金融大手シーメンス(従業員52000名)のペーター・レッシャー最高経営責任者(CEO)は、自社の理事会構成について率直に「ドイツ人、白人、男性に偏りすぎている」とコメントして新境地を開拓した。今日、シーメンスのブリギッテ・エーデラー取締役は、多様性に関わる問題点を十分認識している。

「多様性は我々の日々の糧であり、グローバル・プレイヤーとしての主要な戦略的アプローチです。多様性に富む労働力は経済的にも理にかなったものです…つまり様々な背景をもつ社員からなる混成チームのほうが、より効率的に問題を解決できるのです。」とエーデラー取締役は語った。

ドイツ連邦政府労働社会省によると、ドイツは2025年には6百万人の労働力不足に直面するとみられている。

こうした差し迫った危機に対応するため、ドイツ議会は8月、EU域外の高度技能外国人受け入れ条件を緩和する「ブルーカード法」を施行するとともに、そうした技術者がドイツで就業、生活していくうえで役立つ重要情報をとりまとめたウェブサイト「ドイツへようこそ」を開設した。

またドイツの公的部門は、早急に職員の多様化をはかる改革が求められている。経済協力開発機構(OECD)によると、公的部門の職員に占めるマイノリティーの割合は、フランス、英国が20%なのに対して、ドイツは13%と大きく遅れている。

「警察には依然として多様化戦略と呼べるものがありません。内部を支配しているのは同化主義的なものの見方で、そこに異なるものを認め合うという文化はありません。私はこの現状を改革したいと考えています。」とベルリン警察本部のマルガレーテ・コッパース次長は語った。

コッパース次長の発言は、2000年9月から06年8月の間に9人が犠牲になった移民商店主連続殺人犯を警察が未だに逮捕できずにいる件で、警察全体が捜査の対象となっている重大に時期になされた。

専門家らは、犯人逮捕に至っていない原因は、警察組織全体に人種差別を容認する風潮が横行してきた結果であり、ドイツにおいては、1994年の英国のマクファーソン報告(人種差別を動機とした黒人青年の殺人事件について、捜査に当たった英国警察内部の人種差別体質を明らかにした報告書:IPSJ)のように、警察の差別体質を公に認めて改革するには未だに程遠い状況にある、とみている。

チュービンゲン大学のキエン・ギー・ハ教授は、いわゆる1979年の「ボ―トピープル」の一員としてドイツにきた。

ハ教授は、アジア移民とドイツ人の関係について研究した著書の中で、彼の幼少期に大きな影響を及ぼした1980年8月のハンブルク難民保護施設襲撃事件(18歳と22歳のべトナム人青年が殺害された)について想起している。

事件後、ドイツ警察当局は、正式な捜査を行わず、殺人事件にも関わらず本件を政治的動機による犯罪(PMC)カテゴリーに登録することも統計記録に残すことさえしなかった。ドイツが、より多様で包摂的な社会に向かうには、このような(人種偏見に基づく)過去の犯罪を公式に認めることが重要な第一歩となるだろう。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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安定的な「核兵器ゼロ」は可能

【ベルリン/ウィーンIDN=ラメシュ・ジャウラ】

1939年に第二次世界大戦が勃発する前、ドイツ生まれのノーベル賞受賞者アルベルト・アインシュタイン博士が、米国のフランクリン・D・ルーズベルト大統領に対して、アドルフ・ヒトラー総統率いるドイツが核兵器の開発に着手した可能性があるとして、米国も核兵器の研究を開始すべきだと助言した。その結果がマンハッタン・プロジェクトであり、最終的に広島と長崎に原爆が投下されることになった。

アインシュタイン博士は、核分裂という新発見を兵器として応用したことを悔い、英国の哲学者バートランド・ラッセル卿とともに「ラッセル=アインシュタイン宣言」に署名して、核兵器の危険性を訴えた。

 これが1955年7月のことである。それ以来、主要な核兵器国は核抑止力を、世界の平和と安全を保障するものとみなしてきた。その後2009年4月になってようやく、バラク・オバマ大統領が、歴史的なプラハ演説において「核兵器なき世界」を呼び掛けたのである―その数ヵ月後、同氏のノーベル平和賞受賞が発表された―。

しかし、2009年秋、別のノーベル賞受賞者であるトーマス・シェリング博士が、「核兵器なき世界」が本当に望ましいものなのか、と強烈な疑問を投げかけた。シェリング博士は、1955年に創刊された「アメリカ芸術科学アカデミー」の機関誌である『ダイダロス』に寄せた文章「核兵器なき世界?」の中で、「核兵器ゼロ」にまで持っていくという考え方に疑問を付し、今後の戦争において何が起こりうるかという問いを投げかけた。
 
シェリング博士の文章に触発されたこともあってか、ウィーン軍縮・不拡散センター(VCDNP)は11月19日・20日の両日、国際セミナー・パネル討論「永続する核兵器のない世界―実現可能か、現実的か」を開催し、地球と人類の生存にとって肝要なこの問題への解決策を探った。

この会合は、国際的な政治経済およびノルウェー外交政策に関する独立した情報研究センターである「ノルウェー国際問題研究所」(NUPI)と、戸田記念国際平和研究所戸田城聖創価学会第二代会長[1900~58]の名にちなんで命名)が共催した。

戸田氏は日本の教育者・哲学者であり、師である牧口常三郎創価学会初代会長(1871~1944)とともに、第二次世界大戦中、日本の軍部政府の方針に反し生命の尊厳を訴える信仰を掲げたことから、投獄された。牧口会長は獄死したが、戸田氏は生き延び、残りの生涯を戦後日本の草の根の平和運動の発展のために尽くした。

戸田記念国際平和研究所は、戸田会長の弟子である池田大作創価学会インタナショナル(SGI)会長によって1996年に創設された。SGIは、仏教のヒューマニズムに基づき平和・文化・教育運動を世界的に推進する団体である。

オーストリア外務省とモントレー国際問題研究所ジェームズ・マーチン不拡散研究センターが後援したこのセミナーの目的について、VCDNPは、「核兵器のない世界では大きな戦争は起こらない。人はこう望むかもしれない。しかし実際のところ、戦争は常に起きてきた。シェリング博士が懸念していたのは、『核兵器なき世界』という提案の強みと弱点の双方を探るために必要なシナリオの分析が、十分になされていないという点であった。」と説明した。

またVCDNPは、「核抑止の世界をいかに『安定的に』するかという研究のために、この半世紀、多大な知的努力が払われてきた。核兵器なき世界が核兵器のある世界よりも優れていることを証明するためにも、核兵器なき世界において起こりうる紛争のありようを検討しておくことには意味があろう。」とのシェリング博士の言葉を引用している。これは「核兵器ゼロ」の意味(すなわち、核兵器を再保有するための能力を概ね「ゼロ」以下にするということ)するところは何かとの問いにつながり、この点については多様な見解が表明されてきた。シェリング博士自身は、核兵器を再保有する能力のない世界の実現は、幻想にすぎないと強調している。

メリーランド大学公共政策校名誉教授で2005年にノーベル経済学賞を受賞したシェリング博士以外のパネリストは、元スウェーデン大使でストックホルム国際平和研究所(SIPRI)名誉所長・「核脅威イニシアチブ」(NTI)理事のロルフ・エケウス氏、ノルウェー国際問題研究所のスヴェレ・ルードガルド上級研究員、「検証研究・訓練・情報センター」(VERTIC、ロンドン)のアンドレアス・パースボ所長であった。

「緊張の世界?」

シェリング博士は、「核兵器のない世界は、米国・ロシア・イスラエル・中国とその他の5~10か国程度が、核兵器を再び生産しその運搬手段を動員し配備する即応態勢の計画を有する世界である。またこれらの国が、緊急の通信手段を確保し実践的訓練を重ねた上で、高度な警戒体制の下で他国の核施設を先制攻撃するための標的を定めているような世界である。そこでは、あらゆる危機は核危機に転じ、あらゆる戦争は核戦争に発展する危険性がある。また、最初にわずかでも核兵器を入手した国が、自らの意思を他国に強制したり先制攻撃を行うことが可能となるため、先制攻撃への誘因が高まる。つまりそれは『緊張の世界』となるだろう。」と論じている。

しかしこうした議論があるからといって、エケウス氏やルードガルド上級研究員は、核兵器なき世界という大義への訴えをやめることはないようだ。なぜなら、国連安全保障理事会の5大国が、核兵器を開発・製造・貯蔵するという「神聖なる権利」を自分たちは主張する一方で、他の5~10か国に対し核不拡散の名のもとにその権利を否定するようなことさえなければ、核兵器なき世界は実現可能だからである。

米科学者連盟(FAS)は、2012年現在で世界には1万9000発以上の核弾頭があり、そのうち4400発がいつでも使用可能な「配備」状態にあると推定している。非常に核武装化された今日の世界を、核兵器なき世界に転換することが簡単ではないことは、否定しえない。

VERTICのパースボ所長は、この具体的な状況を前提として、「我々は、核兵器なき世界を可能にする現実的な条件が何かについて、よくわかっているわけではない。ある人々が論じるように、世界が抜本的に変わる必要があるのだろうか?また別の人々が言うように、核兵器を放棄する前に、国際間の緊張を相当程度緩和し、通常兵器が大幅に削減された世界に住む必要があるのだろうか?」と指摘したうえで、「こうした問いに我々は十分な解答を持ち合わせているわけではない。したがって、どの答えにもほぼ同じような重みがあると考えなくてはならない。核兵器が世界の平和を保つという抑止論を信じるか否かによって、議論は、実証的な証拠に基づかない神学論争になりがちである。つまり、どの主張も他の主張を否定しきることはできない。」と語った。

保障措置

このことを念頭に、パースボ所長は将来における保障措置の役割を強調して、「国際原子力機関(IAEA)が実施している保障措置は、核兵器なき世界においてその重要性を増すことだろう。核分裂性物質は計量されねばならず、未申告な備蓄がないという状態が作り出されなければならない。」と語った。

またパースボ所長は、「核兵器なき世界における検証は非核兵器国における保障措置と非常に酷似したものとなり、しかもその規模は拡大することになるだろう。最大の核兵器国である米国とロシアの核燃料サイクルは根本的に異なっているが、他の国におけるサイクルよりも大規模なものである。この問題に取り組み、それを『フルスコープ保障措置』の下に置くのは難題となるだろう。備蓄量も非常に不安定であるし、完全に確実な措置ができるまでに、何十年もの歳月を要するかもしれない。」と説明した。

しかしパースボ所長は、この課題は乗り越えられるとして、「兵器用核分裂性物質生産禁止条約(FMCT)交渉に政治的資源を投入するのがよい出発点となるだろう。待ち受ける技術的課題に対応する能力をIAEA事務局に付与することは、現在でも取りうる措置である。IAEAは既に、核分裂性物質の処理に関するほぼ完全な技術を有しているが、将来的な検証という課題への備えを始める必要がある。ここではっきりさせておこう。この任務はIAEAに課されていると思う。おそらく、それは今日我々が知っているIAEAとは異なり、より強力な権限を付与されたものとなるだろう。」と語った。

実際、包括的核実験禁止条約(CTBT)もまた、核兵器なき世界の実現において重要な役割を果たしている。CTBTには、核爆発が探知されないまま行われることを防ぐべく、独特の包括的検証体制が備わっている。国際監視システム(IMS)は、完成した場合、地球上での核爆発の兆候をモニターするために世界全体で337の施設を備えることになる。既に85%以上の施設が運営されている。

こうした検証体制の重要性を過小評価してはならない。しかし、使用するかもしれないのが誰であれ、大量破壊兵器の1つである核兵器をなくすという政治的意思を持つことが、なによりも重要なことである。

SGIと戸田記念国際平和研究所が核兵器廃絶の大義を訴えているのはこのためである。1957年9月、戸田城聖会長は横浜で「原水爆禁止宣言」を発した。この中で戸田会長は、核兵器を使うとの意思は人間生命の奥底に潜む魔性のなせる業であり、人類をして、対話と協力を選ぶよりも、恐怖と脅しによって他者をコントロールし支配しようとさせるものだと述べた。この戸田会長の宣言を基盤として、池田SGI会長は、数多くの提言において、平和的な地球文明に向けた彼のビジョンを描いてきた。

池田SGI会長は、「生命尊厳の絆輝く世紀を」と題された最新の「平和提言」において、被爆70周年にあたる2015年に広島・長崎で核廃絶サミットを開催し、核廃絶に向けた勢いを不可逆なものにすべきだと訴えている。

また2015年は、核不拡散条約(NPT)運用検討会議(5年に1度開催)が開催される年でもあり、池田会長は、世界中の民衆と同じく、核兵器の破壊的能力について世界の指導者らに自覚させ、核廃絶に向けて必要な行動をとらせるきっかけになるサミットとするべきと訴えている。

翻訳=INPS Japan


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なぜノーベル平和賞は平和の擁護者に授与されないのか?(トマス・マグヌスン国際平和ビューロー(IPB)共同代表)

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【ヨーテボリIPS=トマス・マグヌスン】

今年の12月10日(アルフレッド・ノーベルの命日)は、欧州連合(EU)の指導者たちがノルウェーのオスロに集まり、ますます論争の的となっているノーベル平和賞の授賞式に臨む。ダイナマイトの発明で知られる科学者・実業家のノーベルは、自らの遺言により1895年に5つの賞(物理学・科学・医学生理学・文学・平和)を創設したが、彼が意図していた「平和の擁護者」に平和賞が与えられていないのではないかとの批判が世界的に強くなっている。

 もちろん、どのような人びとや国家にも、寄り集まったり協議をしたり取り決めをしたりなどして、何らかの平和を作り出している側面はある。しかし、欧州連合(EU)のどこにも、ノーベルが遺書に明記していたような、世界を非軍事化し平和秩序を作り出そうとの意思は存在しない。それどころか、EUは独自の防衛機関と戦闘集団を擁し、軍備と兵器生産・取引を推進しているのである。

11月下旬、過去のノーベル平和受賞者である国際平和ビューロー(IPB)デズモンド・ツツ師(元南アフリカ共和国大司教)、マイレッド・マグワイヤ(英国・北アイルランドの平和活動家)、アドルフォ・ペレス・エスキバル(アルゼンチンの人権活動家)の4者が、EUに受賞させるのは不当だとの抗議声明を出し、さらにIPBはスウェーデン関係当局が、ノルウェーノーベル委員会のこの決定について調査に乗り出すよう要求した。

ノルウェーの政治家がEUを「平和」に貢献した組織として評価し、政界の友人らのために豪華なパーティーを開くのは自由である。しかしだからといって、自らの政治課題を推し進めるためにノーベル賞の権威や委託金を自由に利用することはできない。遺言は法的拘束力を持つ文章である。しかしノーベル平和賞が授与されたここ10年の実績(2008年のフィンランドの政治家マルティ・アティサーリ、2009年米国のバラク・オバマ大統領、2010年の中国の民主活動家〈劉暁波氏〉)を振り返ると、軍縮を望んだノーベルの遺志からは大きくかけ離れたものとなってしまっている。ノルウェー議会は、「平和」の基準を彼らなりに拡大して、自らの政治的目的のために平和賞をのっとってしまったようだ。
 
ノーベルは遺書の中で、(平和賞に託した)目的を明確に述べている。つまり、ノーベルの遺志は、世界を軍事主義と戦争の惨禍から救い出し、資源を飽くなき軍拡競争にではなく、人間の利益になるようなことに振り向けるという点にあった。

ノーベルは、「人類のために最大の恩恵をもたらす」変革を育んでいくことを願って、平和賞を世に残した。当時のノルウェー議会は、国際的な紛争が全面的な戦火に拡大しないよう軍縮や調停を行う、といった新しい「平和」という概念を現実の国際政治の中で追求していた。そこでノーベルは、ノルウェー議会こそが、彼の平和構想に専心する5人委員会を任命するのに最も相応しい組織だと考えた。

しかし今日のノルウェー議会は、冷戦を経てますます軍事色を強める西洋文化の影響下にあって、かつてノーベルが支援を望んだものとは逆の立場をとっている。議員らはノーベルが議会に期待した世界平和の構想さえ描けないでいるようだ。ノルウェー議会が、ノーベルが望んだ軍縮や平和の提唱に貢献したものを選定しない現状は、遺言の履行義務違反であり、これ以上許されるべきではない。

今日の現状は、ノーベルと彼の平和賞の支援を受ける資格がある平和運動に対する裏切りであるとともに、あたりまえの民主主義の実践及び法の支配に対する裏切り行為でもある。ノルウェーの弁護士でIPB元副会長のフレドリック・S. ヘッファメール(「ノーベルの遺志」の著者)が、ノーベルが平和賞に込めた元々の目的を再発見し、ノーベル委員会に対して、ノーベル平和賞の管理組織としての業務と責任を直ちに見直すよう勧告してから5年以上が経過した。ヘッファメールは、「ノーベルは平和賞を設けたのであり、環境、経済、人道的な活動に対する賞を意図していなかった…ノーベルは、武力の役割を減らすことで、国際政治を大きく変革させること目指していた。」と述べている。

ヘッファメールは、「一つ明らかに言えることがあります。」として、「今日ノーベル平和賞の選定者らは、ノーベル自身についてや彼が賞に託した意図について指摘されることを露骨に嫌がります。この5年間、彼らは一度として、アルフレッド・ノーベルという人物自身や彼の平和ビジョンに対して関心を示したことはありませんでした…しかもEUへの授与を決定した現在のノーベル委員会の委員長(トールビョルン・ヤーグラン)が欧州評議会の現役の事務総長でもあるという事実には驚愕せざるを得ません。このような動きは、ノーベル委員会が本来務めるべき原理原則を逸脱するものです。」と語った。

今年3月、ヘッファメールからの働きかけが実り、スウェーデン財団機構は、ノーベルの遺書を尊重するよう選定者らに求め、さらに、ノーベル財団に対して、平和賞も含め、すべての受賞内容をよく監督するよう命じた。にもかかわらず、ノルウェー議会とノーベル委員会は、依然として彼らが拡大解釈した「平和」の一般概念を基準に賞を授与し続けており、結果としてノーベルの遺書に明記されている平和賞の本来の目的は無視され続けている。

こうした中、最も古い歴史を持つ国際平和団体の一つであるIPBは、11月22日にスウェーデン政府に要望書を提出し、「平和の擁護者」の正当な権利を守るための第一歩を踏み出した。ノーベル平和賞と共通の理念と政治信条を源にもつIPBは、1910年に団体としてノーベル平和賞を受賞したほか、これまでに13人のメンバーが同賞を受賞している。

ノーベル平和賞の正当な受賞者は、軍事プログラムや軍事政策に賛成する者ではなく反対者であるべきだ。国際社会は、安全は協力ではなく軍事対決を通じて確保できるとする、幻想とも言える破綻した安全保障モデルに対して途方もない金額の資金を投じている。平和賞を使って先見的なノーベルの平和構想を推進することこそが、世界の貧者や不幸せな人びとにとって、そして、環境や人権、民主主義、女性や子ども、毎年どこかで生まれる戦争の犠牲者にとって、もっとも必要なことである。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|ボリビア|先住民をつなぐコミュニティーラジオ

【エル・アルト(ボリビア)IPS=フランス・チャベス】

ボリビアの首都ラパス(憲法上の首都はスクレ:IPSJ)郊外に広がる労働者居住地区に暮らす先住民の人々は、毎朝6時から8時の間、アイマラ語で語りかける元教育相のドナート・アイマさんのラジオ番組に耳を傾ける。

ボリビアで最も著名な先住民系ラジオ司会者の一人であるアイマさんは、毎回地元アティピリラジオ局で番組を始めるにあたり「Mä amuyuki, mä ch’amaki(心を一つに、力を合わせて)と呼びかけることにしている。

アイマさんはIPSの取材に対して、人口の大半が高地の農村部に暮らす先住民が占めるボリビアにおいて、ラジオが果たす重要さについて語った。

 ボリビアの国土は、山々の峯が高く聳える山岳地帯からアルティプラノ高地(標高4000m前後の乾燥した高原地帯)、渓谷、低地、アマゾンジャングルと地形が多岐に及んでいるため、アイマさんは、「人々に最も行き渡り、かつ扱いやすいメディアは、依然としてラジオなのです。」と語った。

アイマさんは、荒涼としたアンデス高地に広がる急斜面の畑を、牛に引かせた鋤で耕している農民、そして傍らには携帯ラジオから歌が流れている情景を巧みな言葉で表現する。

アイマさんは高地に暮らす人々の生活について説明する中で、「若い女性たちは、どちらかというと自分の母語(先住民語)で語られる番組を聞きたがります。彼女たちは2つの言語(先住民言語とスペイン語)を理解できますが、同じ先住民同士なにか共通する思考や経験を反映させた音楽をリクエストする傾向があります。」と語った。

僻地の村々では電気が届いていないこともしばしばあり、新聞が届くところも希である。「そういった地域に住む読み書きができない人々でも、お互いに耳を傾けて学び合うことができるのです。ラジオはそうした人々の耳にも届くことができるメディアなのです。」と言うアイマさんも、寒さが厳しいアルティプラノ高地にあるトレド村落(オルロ県西部)の出身である。彼はこの地で1969年にラジオ司会者の仕事に就き、まもなく彼自身が「ボリビアのための新たなコミュニケーションモデル(NUMOCOM)」と呼ぶ手法の開発に着手した。

「私は熱狂的なラジオ好きなのです」というアイマさんは、今回の取材の中で、カルロス・メサ政権(2003年~05年)の閣僚をつとめた7ヶ月間の経験や、サン・ガブリエルラジオ局での15年の経験、そして先住民の間でラジオ放送を担う人材を発掘するために開局した現在のアティピリラジオ局における経験などについて語った。

アティピリラジオ局は2006年以来、アイマさんが創設した先住民及びコミュニティーのための教育・コミュニケーションセンターの理念を実践している。同ラジオ局は、サン・ガブリエルラジオ局と同じく、ラパスに隣接するエル・アルト市(人口100万人)から放送している。

エル・アルトは、ボリビア全土から首都ラパスに出稼ぎにきた先住民の多くが住んでいる街で、ここでは先住民の文化や価値観を存続させていこうとする取り組みと、それとは対照的に農村出身の先住民を都会の生活に順応させる手助けをする各種の取り組みが盛んに行われている。

アイマさんは、2001年の国勢調査でボリビアの62%の人々が自身を先住民と見なしている点を指摘した。この時の国勢調査では、ボリビア国民に対して史上初めて、自らを先住民のカテゴリーに分類するかどうかという質問が加えられたほか、国民の約半数が先住民の言語を母語と認識していることが明らかになった。

国家統計局は、こうした調査結果に基づいて、ボリビア国民の66%が先住民族の言語をルーツに持っていると推定している。政府は2009年の憲法改正で、国の名称を従来の「ボリビア共和国」から36の民族言語からなる「ボリビア多民族国」に変更した。

アイマさんが実践している新たなコミュニケーションモデル(NUMOCOM)とは、「コミュニティーラジオをコミュニケーションと開発の手段」と位置づけ、「人々の心に深く根ざしたルーツ」に訴えかけるような番組を提供するというコンセプトに基づいたものである。

ボリビア初の商業ラジオ放送局は、1929年に放送を開始したボリビア国営ラジオだが、アイマラ語(ボリビアでケチュア語に次いで広く話されている言語)の放送が始まったのは1960年代になってからで、しかも放送時間は朝の5時から7時までの2時間に過ぎなかった。

NUMOCOMモデルでは、経験豊かな大学教育を受けたジャーナリストが、母語で司会を務め、コミュニティーのニーズに対応した番組作りを進めている。

アイマさんは、「私たちのコミュニティーラジオ局で司会者が取り上げているボリビア社会が直面している様々な現実は、主流の新聞メディアや放送メディアから無視されているのです。」と指摘したうえで、「ラテンアメリカの新聞紙面を見れば、欧州の王族の結婚式や妊娠といった話題で溢れています。しかし一方で、ボリビア国内の(チリと国境を接する)チャラニャや(雪を山頂に戴く)アナラチ山の丘陵地帯、ラマを飼育している地域、アマゾンジャングルからのニュースは見かけません。」と語った。

「今この瞬間、牛飼いは長かった一日の仕事を終えて、喉の乾きを覚えながら家路につこうとしています。そして彼はラジオのこの番組に耳を傾けているのです。そして彼はこう不平を言うでしょう。つまり、メディアは多国籍メディア企業が作る均質な人気娯楽番組で溢れており、彼の日常生活などどこにも反映されていない、と。」

アイマさんは、エル・アルトの商業ラジオ局はパンフルートチャランゴ、ギター、ドラムで奏でる伝統的なボリビアのアンデス音楽を無視し、テクノやラップと組み合わせたクンビアしか流していないと批判した。

アイマさんは、1960年代から70年代に主流だったルイス・ラミロ・ベルタン氏(ジャーナリストで1983年マクルーハン・テレグローブ・カナダ賞を受賞)の「開発のためのコミュニケーション理論」をベースに、環境保護、母なる大地の保全、人間の消費や灌漑への水の適切な使用といった価値観を新たに組み込んでNUMOCOM理論を作り上げた。例えばラジオ番組の中で、ゴミ捨て場や水場に放置され、家畜に被害をもたらしている合成化合製品を使用しないよう人々に呼びかけている。

最後にアイマさんは、ラジオ司会者の役割として、コミュニティーを組織化しエンパワーしていくうえで、「横のコミュニケーション(horizontal communication)」を実践していくことを提唱している。

この点についてアイマさんは、「例えば、縦のコミュニケーションにおいては、ラジオ司会者は『通りを掃除しなさい』という命令を伝達する形式になります。一方、私達が実践している横のコミュニケーションでは、ラジオ司会者も当事者として活動に参画し『通りを一緒に掃除しましょう』と呼びかける伝達方式になるのです。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙は、エジプトのムハンマド・ムルシ大統領が先月発表した自身の権限を大幅に強化する大統領令を撤回したことについて、「先見の明がある賢明な判断だ」と評した。 

「エジプト社会は18ヶ月に及んだ動乱の日々を経て、ようやく落ち着きを取り戻しつつある。」と、カリージ・タイムス紙は「エジプト情勢:一時休戦」と題した12月10日付の論説の中で報じた。新憲法制定までの間、大統領令を司法判断の対象から除外すると宣言するなど、ムルシ大統領の最近の一連の行動は、長引く政情不安に疲弊していたエジプト国民を今一度分断し、再び大規模な抗議デモが開かれ死傷者が出る事態を招いたが、今回の大統領の譲歩を機に、事態の沈静化と、反対勢力との交渉による妥結の可能性も見えてきた、と同紙は報じた。

 「しかしムルシ大統領は、自身の出身母体であるムスリム同胞団メンバーが準備した新憲法草案の是非を巡る国民投票については予定通り実施するとしているため、この問題が再び動乱の火種になる可能性は否定できない。」と同紙は警告した。 

「しかし今回野党側との協議を通じて妥協・譲歩を示したムルシ大統領の政治姿勢は、政治に対する国民の信頼回復と、軍部による政治介入に対する懸念を払拭するうえで、一定の効果があったと言えよう。」とカリージ・タイムズ紙は論評した。(原文へ) 

翻訳=IPS Japan 


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【アブダビWAM】

「暴力が続き、先が見えない現在のシリア情勢は憂慮すべき事態である。」とアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙は報じた。

ドバイに本拠を置く「ガルフ・ニュース」紙は、5月18日付の論説の中で、「内戦と秩序崩壊の様相が益々濃くなってきているシリア情勢については、明らかに再検討と対策が講じられなければならない。」と報じた。シリアでは、政府軍によって一般市民が即決で処刑されたという報道や、その前日には、同じく政府軍が葬儀の列に発砲し、20人を殺害したという報道が表面化している。また、政府軍が難民キャンプに向けて発砲し、子どもを含む少なくとも3名が死亡したという報道もなされている。

このような報道が伝える殺人、暴行、暴力は今日のシリアでは日常茶飯事であり、現政権が人命を全く意に介していない明白な証拠である。また、現政権が今日の危機を平和的に解決することに関心を持っていないことは明らかである。

 バシャール・アル・アサド大統領は今年初めて応じたメディアのインタビューの中で、こうして報じられている政権側の行為について「でっちあげられたものだ」と断言するとともに、誤った情報を意図的に流しているとして西側諸国を非難した。またアサド大統領は、「我々は(西側が仕掛けている)情報戦には勝てない…しかし重要ことは現実の世界で勝利を収めることだ。シリア国民は、我が国の選挙を台無しにし、あらたな選挙をも妨害しようとしているテロリスト達の脅しを恐れてはいない。」と語った。

「アサド大統領が語っている世界は、どうも彼が作り出した空想の世界、ないしは幻覚の産物のようだ。現実に国民の大半が攻撃に晒されている状況の中で、どうやって選挙を実施し、その結果を正当なものとすることができるだろうか?驚くほど多い市民の死者数は、(アサド大統領が言うところの)単なる情報ではなく、政権の残忍性を示す証拠である。アサド大統領のコメントは、改めて現政権の基本認識を反映したものであり、そこからは平和的な解決を志向する姿勢は全く見られない。シリア危機の解決には、新たなアプローチを模索しなければならない。」とガルフ・ニュース紙は報じた。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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【コロンボIPS=ジャヤンタ・ダナパラ】

マハトマ・ガンジーは卓越した道徳基準に照らして「目には目をという考え方では、世界中を盲目にしてしまう。」と述べたが、それこそが11月に8日間に亘ってガザ地区で起こったことだった。イスラエルとハマス間の今回の衝突は、エジプトの仲介によりなんとか不安定な停戦に漕ぎ着けたが、8日間に亘ったロケットミサイルとドローン攻撃機の応酬で、パレスチナ人160人とイスラエル人6人が犠牲になったとみられている。

今回のイスラエルによるガザ侵攻は来年1月に選挙を控えたベンヤミン・ネタニヤフ首相が再選を目論んで仕掛けた身勝手な行動だったが、先日再選を果たしたバラク・オバマ大統領は、イスラエルを支持する立場を明らかにした。

 
オバマ大統領のこの決定は、ネタニヤフ首相がミット・ロムニー候補に肩入れした米大統領選挙への向う見ずな介入から手を引いたことに対する見返りであったと広くみられている。さらにオバマ大統領は、12月に予定されていた中東非核・非大量破壊兵器地帯の創設に関する国連会議(フィンランド会議)は、開催されないと一方的に宣言してしまった。

 
しかし同会議の開催については、そもそも核不拡散条約(NPT)加盟国から米国、英国、ロシアの3カ国及び国連事務総長に委ねられたものであり、フィンランドのファシリテーターが開催に向けて不断の努力を続けているところであった。

1936年、オルダス・ハクスリーは、「ガザに盲いて」と題した小説を発表した。このタイトルはペリシテ人によって両目を奪われガザで労働を強いられたサムソンを描いた旧約聖書の逸話に由来したもので、この作品は、平和主義へと傾倒していった人物の人生を描いている。

イスラエルによるガザ地区の封鎖を平和的に解決し、170万人が置かれてきた悲惨な状況に終止符を打てる日は、依然としてかなり先のことである。しかし、イスラエルによって残酷に抑圧されてきたパレスチナの人々にとって、ガザを実効支配しているハマスとパレスチナ自治政府を率いるファタハの間で依然として根深い対立が存在するものの、11月29日の国連総会でパレスチナのオブザーバー国家地位への昇格が投票で可決されたニュースは、いくぶんかの慰めとなった。

この採決では、138カ国が賛成し、9カ国(米国、イスラエル、カナダ、チェコ共和国を含む)が反対、41カ国(パレスチナにユダヤ人国家の建設を約束した悪名高い「バルフォア宣言」を出した英国を含む)が棄権した。

イスラエルはこの決定に対する報復として、明らかな国際法違反となるパレスチナ占領地域におけるユダヤ人入植地を拡大する方針を明らかにした。

ガザ地区は、イスラエルと地中海の間に横たわる狭小な土地(360km2=東京23区の約6割程度の面積)で、1967年の6日戦争(第三次中東戦争)以来、長らくイスラエルによる不法占領状態が続いた。オスロ合意後、この地区は1993年にパレスチナ自治政府に委譲された。しかしイスラエルがユダヤ人入植者を立ち退かせ、軍を撤退させたのは2005年になってからのことだった。

しかし2006年の選挙で急進派のハマスが第一党に躍り出ると、イスラエルとの緊張関係が再燃し、ハマスによるイスラエル領土へのロケットミサイルの攻撃や、イスラエル軍によるガザ地区爆撃が散発的に発生するようになった。

ガザ地区の住民は、パレスチナ領内に建てられた要塞化された柵に取り囲まれたうえに、イスラエルによる経済封鎖で、極めて厳しい生活を強いられている。2008年12月、イスラエルが行ったガザ侵攻作戦「鋳造された鉛」作戦は国際社会から厳しい非難を浴びた。これに対してイスラエルは、ハマスはテロリスト集団であり、イランから支援を得ていると強く訴えた。

パレスチナ当局の発表によると、イスラエル軍による最初2日間の空爆で、280人が殺害され、600人が負傷した。イスラエルはその後2009年1月17日になって、一方的な休戦を宣言した。ハマスは、これに対して翌日、イスラエル軍がガザ地区から撤退するための期間として、1週間の休戦を発表した。

その後、不安定な休戦状態がしばらく続いたが、イスラエルは2012年の11月にハマス軍事部門のトップであるアハマド・ジャバリ氏を空爆で暗殺したのを契機に、ハマスとの戦闘を再開した。皮肉なことに、ジャバリ氏はイスラエル軍兵士ギルアド・シャリートとパレスチナ人捕虜の交換交渉を担当した人物で、イスラエル、ハマス間の停戦を維持するためにイスラエルとの交渉を進めているところであった。

ハマスのロケット攻撃によるイスラエル諸都市への被害は、米国の資金援助で配備された迎撃ミサイル防衛システム「アイアンドーム」の活躍により効果的に抑えられた。そしてオバマ大統領が、イスラエルの自衛権を主張する中、ガザ地区では、イスラエルの空爆により女性子供を含む多くの民間人が犠牲となった。

オバマ大統領が、今後も引き続き、国連安保理の拒否権を行使してイスラエルを擁護する米国の伝統的な政策を踏襲するとともに、イスラエルに対する武器・弾薬の供給を継続し、パレスチナ人の権利を否定し続けるのは明らかである。

オバマ大統領が国内の経済危機への対応に追われる中、中東の和平交渉は後回しにされている状況である。一方、アラブの春は、引き続きアラブ諸国に変革をもたらしている。さらにパワーブローカーとしてのサウジアラビアカタールの台頭は、中東情勢をさらに複雑なものにしている。

中東和平に向けた新たな外交努力を開始するとしても、今はイスラエル大統領選挙の結果をまず見極めるほかに選択肢はないだろう。イスラエルとパレスチナが平和理に共存する2国間解決案が実現するまでには、依然として相当長い時間を必要とするだろう。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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