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モルヒネは痛みを殺すが、その値段は患者を殺す

【ブラワヨIPS=ブサニ・バファナ】

ギリー・ヌクベさん(仮名)が4時間ごとに必要とするモルヒネの錠剤60錠分を買うために18ドルを稼ごうとすると、娘の鶏肉売りでは2週間もかかってしまう。

失業率が70%にも達している国で、モルヒネ錠剤(1錠10mg)60錠入の瓶が18ドルというのは法外な金額である。これだけあれば、パン6斤を買うことができる。

しかし、農村部に暮らすヌクベさんのような患者には、選択の余地がない。彼女が痛みから解放されて夜眠るためには、モルヒネに頼る以外の手段がないのである。

 ヌクベさんは、第4期(=末期)の頸ガンを患っており、既にほぼ寝たきりの状態にある。彼女はガンの治療よりも、むしろ末期ガンに伴う苦痛を少しでも和らげる処置を希望している。

アヘン由来の規制薬であるモルヒネには、ヌクベさんのような末期ガン患者の苦痛を多少なりとも和らげる効果がある。彼女は、一日当たり40mgのモルヒネ錠剤を服用できれば、ベッドから起き上がるのみならず、家の周りである程度の家事さえこなすことができる。

しかし現在の市場価格では、モルヒネ錠剤を購入できる人々は殆どおらず、必要な時でもほとんど手が届かないのが現状である。

ヌクベさんは、「ジンバブエ第二の都市ブラワヨ(首都ハラレの南西430キロ)にあるムピロ病院で放射線治療を受けるためにもう半年も待たされています。」と、苦痛を顔全体に浮かべながら、現在の心境について語った。ムピロ病院では、治療のための器材が半年以上前から故障しており、現在、ようやく新しいものを据え付けている途中とのことだった。

自宅で取材に応じたヌクベさんは、「痛みは想像を絶するものです。」と言って、パラセタモール(鎮痛解熱剤)が入った瓶を指差して、「病院から入手できたのはこれだけです。」と語った。

ジンバブエ国内には推定7000人のガン患者がいると見られているが、少なくともブラワヨ・アイランド・ホスピス(1982年創立)からの何らかの支援を得ているヌクベさんはまだ幸運な方だ。

ホスピス職員らはIPSの取材に対して、ジンバブエの医療制度はあまりにも不十分で、患者の多くが、ガン専門医とのアポを待っている間に、死亡していると語った。中には、モルヒネ錠剤の処方箋を所持しながら、薬を取得できないまま、激しい痛みに苦しんだ挙句に亡くなったケースも少なくないという。

ブラワヨ・アイランド・ホスピスに勤務するシスター・アデレード・ニャティは、90人のガン患者を担当している。彼女は一週間に一度のペースで患者たちを巡回往診しているが、その際できる限り鎮痛剤と僅かながら食料を携行することにしている。しかし、大半の場合、苦しむ患者に彼女が提供できるのは、笑顔と抱擁、そして希望をもたせることぐらいである。

シスター・ニャティは、ホスピスの活動は、多くの苦しむガン患者にいくばくかの休息を提供できるモルヒネの寄付に依存していると語った。

「患者の大半はガンの末期段階にあり、アヘンを成分に含まない薬では、もはや痛みを軽減できない状況にあります。患者らは、私に、痛みに慣れるよう努力すると言いましたが、それは難しい試みだと思います。」とシスター・ニャティはIPSの取材に対して語った。

ジンバブエ政府は国内のガン患者数を約7000人と見積もっているが、介護関係者らは、多くの患者が医者の診断さえ得られないまま死亡していることから、実際の患者数はそれを遥かに上回っているとみている。

ガン患者に対する公的支援は極めて限られており、しかも貧しい人々にとって僅かに残された選択肢の一つであるブラワヨ・アイランド・ホスピス(ジンバブエで最も古いホスピスの一つ)が、運営費がかさむ一方でドナーからの支援が少ないため、閉鎖の危機に瀕している。

同ホスピスには看護師が5人しかおらず、しかもこの人数でブラワヨ市内の200人近いガン患者を看ている。彼女たちの活動によって患者らの苦痛はある程度軽減されているが、末期患者の抱える深刻なニーズにはとても応えられる状況にはない。

セセカイ・ヅィヴァさん(仮名)は、2010年に喉頭ガンと診断されてから、苦難の日々を過ごした。息子は彼女の命をかろうじてつなぎとめていた化学療法錠剤の購入費84ドルを捻出するために、昼夜の別なく働いた。

それでも資金が底をつくこともしばしばあり、そうした際には、ヴィヴァさんは何日間も呆然としながら激しい苦痛に耐え続けるしかなかった。結局、ヴィヴァさんは6ヶ月前に3人の十代の子供たちを残して息を引き取った。

モルヒネの錠剤や注射剤はジンバブエ国内でも製造されているが、あまりに高価すぎてほとんどの患者には手が出ない。しかし、モルヒネの粉から作られる液体(霧状)モルヒネを利用することで、事態は大きく改善するという意見が医療関係者の間にある。薬剤技師や看護師が訓練を受けることで、各医療機関でその製造が可能だというのだ。

「私たちは、多くの患者にとって、モルヒネ錠剤一瓶の費用18ドルはあまりにも高額で、手が届かないということをよく理解しています。しかも、この18ドルという費用は、4時間毎に1錠(10mg)という少ない服用量で換算しても一月あたりの費用は54ドルを上回ることになるのです。」とハラレにあるアイランド・ホスピス・サービス院長のディクソン・チファンバ博士は語った。

またチファンバ博士は、「もし医療従事者を訓練して、モルヒネ粉から液体(霧状)モルヒネを生成する環境を整えられるのならば、液体(霧状)モルヒネは、有効な選択肢だと思います。液体の方が固形に比べて(薬の)費用を低く押させることが可能ですし、公的病院を通じて薬剤を配布するうえでもより便利なのです。」と語った。
 
現在、ジンバブエ内外のパートナーとの協力のもと、主に地方の医療機関における医療従事者を対象に、液体(霧状)モルヒネの生成を訓練する試みが進められている。

ジンバブエ医薬品管理局(MCAZ)によると、病院や薬局は、ガンの症状が進んで錠剤を服用できない患者に有効な液体モルヒネを製造するために粉のモルヒネを備蓄することを認められている。

MCAZは、国際麻薬統制委員会(INCB)と協力して、毎年ジンバブエ国内で配布するモルヒネの量を割り当てるため、同物質の国内消費に関わる統計を集積・分析している。

MCAZのググ・マーラング事務総長によると、2012年にはジンバブエ全体で11.25キログラムのモルヒネが配分されたが、実際に使用されたのは3.6キロであった。

またマーラング事務総長は、「アフリカにおけるモルヒネのような鎮痛剤の使用率は、南アフリカ共和国は例外として、他の地域と比較して極めて低い。」と指摘した上で、「おそらく、医療関係者は、疼痛管理に対する姿勢を変えていく必要があります。」と語った。

世界保健機構(WHO)によると、激しい苦痛に苛まれながもら、治療を受けられないでいる重症がん患者は、世界で年間480万人にのぼるという。またINCBによると、世界のモルヒネ全体の8割が先進国で使用されているという。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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【ドバイWAM】

「イスラエルのシモン・ペレス大統領がパレスチナとの和平問題について述べたコメント、とりわけ和

平プロセスにイスラム原理主義抵抗組織ハマスを加える必要性について言及したことが、大きな賛否両論を呼んでいる。」とアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙が報じた。

ペレス大統領は、年末の30日に行った演説でパレスチナ暫定自治政府のマフムード・アッバス大統領を賞賛する発言をして与党リクード党及び同じく右派政党『イスラエル我が家』からの非難に晒されていたが、翌日の演説では、さらに踏み込んで次のように語った。『何故イスラエルはハマスと(和平)交渉を行っていないのか?という質問をよく耳にします。ハマスからの回答さえあれば、それは真っ当な疑問だと思います。』つまり、ペレス大統領は、イスラエルとハマス間の和平交渉を実現するには、ハマスが、中東カルテットグループ(米国、欧州連合、国連、ロシア4者からなる)が提示している調停案を、まず受け入れなければならないと明言したのである。」とガルフ・トゥディ紙は1月2日付けの論説の中で報じた。

 「ペレス大統領は、新年を前にキリスト教諸派の指導者らを前に行った演説の中で、『ハマスとガザ地区のパレスチナ人は、はたして戦争と平和のどちらを望むのか自ら決めなければなりません。イスラエルはガザ地区の発展と成長は喜ばしいことと思っており、同地の市民が苦しむ様を見るのは本意ではないのです。すなわち彼らが(イスラエルにミサイルを)発射しなければ、彼らも空爆されることはないのです。』と述べた。ペレス大統領はさらに、『我々はハマスと積極的に対話をする用意があるが、彼らの方にその意思がないのです。また、彼らはカルテットが提示した条件を受け入れなければなりません。それらの条件は、我々によってではなく、国際社会によって提示されたものだからです。彼らは、平和を望むのか戦火を望むのか、決断しなければなりません。』と語った。

「またペレス大統領は、その前日、『(イスラエルと独立パレスチナ国家が共存する)二民族二国家の原則は、今や明らかに大半の市民の支持を獲得している』と述べるとともに、アッバス大統領を『堂々と武装抵抗を否定し平和を支持する唯一のアラブ指導者』と褒め称えた。この発言を巡っては、イスラエルの政治家の間で白熱した議論が巻き起こったが、これによって、パレスチナとの和解に全く関心を寄せていないイスラエル強硬派の見方が浮き彫りになった。」とガルフ・トゥディ紙は報じた

「リクード党のギラド・エルダン環境保護大臣は、ペレス発言について『大統領が国際社会によるイスラエル非難を促すような政治的立場をあえて選んで表明したことは残念だ。』との声明を発表した。しかし、ペレス大統領の発言内容は明らかな事実の追認であり、この環境保護大臣の声明は殆ど意味をなさない。労働党のシェリー・ヤヒモヴィッチ党首はこの点を指摘して『リクード党による大統領への非難は、攻撃的で卑劣なものです。とりわけ大統領が国際社会によるイスラエル非難を促しているとの(的はずれな)主張には、驚愕せざるを得ません。ペレス大統領は、これまでもイスラエルに対する攻撃を阻止してきた功績ある人物であり、(イスラエルの利益を代弁する人物として)最も適任な方です。』と語った。中道左派の新党「Hatnua(動き、運動の意)」のツィッピー・リヴニ党首も、ペレス大統領の発言を擁護して、『ベレス大統領は、国民に対して今日イスラエルが置かれている立場について、責任を持って正直に語ったのです。実際に、イスラエルは既に孤立状態にあり、今後外交交渉において進展がなければ、益々孤立しかねない立場にあるのです。』と語った。まさにこれこそが、イスラエル保守派が抱えている致命的な問題点である。彼らは、これまで遂行してきた政策や国際法、国際条約、行動規範に違反する行為により、イスラエルが既に孤立している現実を理解していないのである。そして、パレスチナとの公平で公正な平和合意を拒否することで、イスラエルは孤立を益々深めているのである。」と同紙は報じた。

「我々にできることは、イスラエル強硬派の考え方が2013年には多少なりとも変化することを期待することぐらいだろう。」と、ガルフ・トゥディ紙は結論づけた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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核兵器の廃棄―南アフリカ共和国からの教訓

【ヨハネスブルクIPS=ジョン・フレイザー】

南アフリカ共和国(南ア)のアパルトヘイト体制については、あまりいい話はでてこない。国民の多くに厳しい抑圧を加えた、人種差別的で暴力的な体制であり、世界中で蔑まれていた。

しかし、南ア政府は、アパルトヘイトが間もなく終わるころ、同国自身とアフリカ大陸にとって大きな意味合いを持つ措置を取った。つまり、核兵器計画を放棄したのである。

アフリカ諸国政府に対する顧問として活動する研究機関である「ブレントハースト財団」(本拠:ヨハネスブルク)のグレッグ・ミルズ代表は、「第一段階は、南アの6つの完成した(および、1つの部分的に組み立てられた)核装置を解体することでした。」と語った。

「この決定はフレデリック・W・デクラーク大統領(当時)によって、1990年2月になされました。それは、ネルソン・マンデラ氏が刑務所から釈放され、アフリカ国民会議(ANC)、汎アフリカ会議、南アフリカ共産党が合法化された直後のことでした。」

南アは、1991年7月10日、核不拡散条約(NPT)に加盟した。その7週間後にあたる9月16日、同国は国際原子力機関(IAEA)と包括的保障措置協定を結び、同国内の施設をIAEAが査察することを認めた。

またミルズ氏は、「南ア政府は、検証プロセスを通じてIAEAに完全に協力し、当時のIAEA事務局長であるハンス・ブリクス博士が1992年に語ったところによると、保障措置協定に定められた範囲を超えて、査察官に施設への立ち入りを認め、データを提供した。」と付け加えた。

「第二段階は、1992年に開始された南アの弾道ミサイル計画の廃棄で、これには18か月を要しました。」

「このプロセスは結局、最後のミサイルエンジンの破壊が確認されたのち、1995年9月のミサイル技術管理レジーム(MTCR)加盟につながりました。」

「第三段階は、南アの生物・化学戦争計画を廃棄することでした。」

ミルズ氏は、南アは「こうして、核能力を自発的に解体した初めての国になったという点で、世界で独自の地位を占めているのです。」とまとめた。

「(南アの)経験は、各国が安心して武装解除し、それを継続できるような適切な環境を作り上げることの重要性を指し示しています。」

このように南アのアパルトヘイト期の指導者の行動は、たしかに賞賛すべきものではあった。しかし、その動機については疑う声もある。

彼らは、アフリカ大陸を非核の地にするという信念から、核兵器を放棄したのだろうか。

あるいは、彼らの動機はもっと打算的なものだったのだろうか。黒人による権力奪取が避けられないとみた彼らは、ネルソン・マンデラ氏や同氏が率いるANC政権の手から核兵器を遠ざけるためにそれを廃棄したのだろうか。

ミルズ氏の同僚であるテレンス・マクナミー氏(ブレントハースト財団副会長)は、『ヨハネスブルク・スター』紙に、核兵器を解体した南アとは「(現在のジェイコブ・)ズマ大統領の南アではなく、当時は国際的に孤立し、現在はなくなってしまった別の国であった。」と書いている。

「ズマ大統領は、民主化への移行期に活躍した同僚の多くと同じように、南アの核戦力を作り上げた人びと、つまりアパルトヘイト体制は、ANCに核に触れてほしくないがゆえに核を破壊したのだと、確信している。」

マクナミー氏は、デクラーク大統領は南アの核兵器解体について1993年3月になって初めて世界に知らせた。そしてその時まで、「誰も、ネルソン・マンデラ氏すらも、核計画が廃棄されたことはおろか、それがかつて存在したことすら知らされていなかった。」と書いている。

南アから、あるいはアフリカ大陸から核兵器は消え去ったが、大陸におけるエネルギー・ミックスの拡大を支えるために原子力が必要だとの認識が高まっている。

ミルズ氏は、「スペインの20倍の人口を持ちながら同国と同じぐらいのエネルギーしか産出できないアフリカ大陸では、急拡大するエネルギー需要に原子力で対応することができるかもしれません。」「しかし、アフリカにおいて原子力を利用することへの懸念は、そもそもなぜエネルギー不足が生じているのか-つまり、ガバナンスの問題と関係しているのです。」と語った。

イメージに関する専門家であるジェレミー・サンプソン氏(イメージに関するコンサルタント会社「インターブランド・サンプソン」[本拠:ヨハネスブルク]の代表)は、イメージの問題で言えば、核計画を放棄するとの南ア政府の決定は、不拡散問題に関する同国の道義的権威を高めることとなった、と指摘した。

「この20~30年の間に、イメージと評判の問題の重要性が非常に高まってきています。そしてそれは、単に企業や製品、サービスのみに当てはまるというのではなく、今日、人間や国ですらもその対象となっているのです。」とサンプソン氏はIPSの取材に対して語った。

また、南アの核計画放棄の真の理由について疑念を抱いているサンプソン氏は、南ア政府は、この決定によってなんらかの見返りを得ており、そのことが未だに明るみに出ていないのではないか、と推測している。

「南ア政府は本当に核兵器を開発したのだろうか、誰がいったい南アを支援したのだろうか、南大西洋の奥深くで予行演習があったのだろうか、そして彼らはそれをどうやって使用したのだろうか。」と、サンプソン氏は疑問を呈した。

さらにサンプソン氏は、南アが自発的に核オプションを放棄したという点にも多くの疑問が付きまとうとして、「はたして、当時アパルトヘイト体制は本当に必死だったのだろうか?制裁は効果をあげていたのだろうか?何が引き換えにされ、どんな保証が与えられたのだろうか?第二次世界大戦末期のドイツで起こったように、体制の主要人物を逃がすための秘密資金が世界中で準備されたのだろうか?」そして、「やろうとすれば長い時間と膨大な費用がかかる核オプション放棄を、自発的に行った国が他にあるのだろうか?」と語った。

またサンプソン氏は、もし[核オプション放棄への]何らかの見返りがあったとすれば、それは「極めて大きなもの」だったに違いないと指摘した上で、「アンゴラでの軍事活動や、(同国の反体制指導者)ジョナス・サビンビ氏の強化が、リストの上位にあったに違いない。」と語った。

同じくヨハネスブルクにあるシンクタンク「南アフリカ人種関係研究所」のフランス・クロンイェ副所長は、当時アパルトヘイト体制は、核計画を放棄するように、西側社会から、そしておそらくはロシアからも、強いプレッシャーを受けていただろう、とみている。

「事のすべてが、核のアフリカからの名誉ある撤退という描かれ方をしているのです。」また、「西側諸国のみならずロシアも、アフリカの独立国が核兵器を持つことへの懸念を持っていたきらいがあります。」とクロンイェ氏はIPSの取材に対して語った。

またクロンイェ氏は、南アは、もし核戦力を維持し続けていたならば、今日の国際社会でより強い発言力を持ったであろうと考えている。

「アフリカの核兵器国の言うことなら真剣に受け取られ、より強力なリーダーシップをとることができたでしょう。核兵器を保有すれば、人びとに耳を傾けさせることができるのです。」と、クロンイェ氏は語った。

「リーダーシップの観点から言えば、核兵器の放棄は逆の結果を生みます。つまり、核を放棄することによって、外交政策と国際政治への影響力は低下してしまうのです。」

「もし核兵器を放棄することで影響力を増すことがあるとすれば、他国もまた核戦力の放棄へと雪崩を打つことでしょう。」

結局のところ、真相が明らかになることはないかもしれないが、南アは、核兵器を放棄したことで、今日まで続く道義的な利得を得たのは確かである。

核放棄によって、南ア政府は、核不拡散問題に関する世界的な発言力を確保し、昨今のイランのように世界からの疑念を招くことなく、原子力発電産業を育成する道義的権威を獲得した。(原文へ

翻訳=IPS Japan



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中国で高まる大豆需要を背景に変貌を遂げる西半球の農業(レスター・ブラウン、アースポリシー研究所創立者)

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【ワシントンINPS=レスター・ブラウン】

この数十年の間に、世界における大豆の需要は、中国を筆頭に急増してきた。今日、国際貿易で取扱われる大豆の80%が中国向けのもので、中国は群を抜いて世界最大の大豆輸入国になっている。

大豆栽培は、今から約3000年前に中国東部で始まったとされている。しかし大豆が小麦、米、トウモロコシと並んで世界4大穀物の一つに数えられるようになったのは、第二次世界大戦後、しばらく経ってからであった。

大豆の需要が高まった背景には動物栄養学者による画期的な発見があった。つまり、家畜や家禽に与える飼料穀物(通常トウモロコシ)4に対して、大豆ミール(大豆油を絞り取ったあとの大豆の粕を粉砕して作られた粉末)を1の割合で混ぜ合わせることで、穀物の動物性タンパク質への変換効率が飛躍的に高まることが明らかになったのである。

 中国における肉、ミルク、卵に対する需要が急激に高まるにつれて、大豆ミールの消費量も急増してきている。世界の豚の約半数が中国で飼育されているため、大豆ミールの大部分が豚の飼料に使われているほか、成長著しい家禽産業も大豆ミールに支えられている。また中国は、養殖魚の飼料として大量の大豆を使い始めている。

中国における大豆消費需要が、いかに爆発的に増加したかを示す興味深い数字がある。1995年当時、中国の年間大豆生産量と消費量はいずれも1400万トンで、拮抗していた。ところが2011年になると、生産量が引き続き1400万トンに留まっているのに対して、消費量が7000万トンに膨れ上がったため、不足分の5600万トンの大豆を輸入せざるを得なくなっている。

大豆生産が中国において軽視されてきた背景には、穀物の自給自足を目指すとした1995年の政府による政治判断があった。1959年から61年にかけて中国が見舞われた「三年自然災害」(大躍進政策の失敗と重なって2000万から5000万人の餓死者をだしたとされる大飢饉)を生き延びた多くの人々にとって、穀物の自給自足は至上命題であり、中国政府は主食を海外に依存するのを嫌ったのである。

中国政府は、潤沢な補助金で穀物増産を強力に推し進める一方で、大豆生産に関しては事実上無視した。その結果、穀物の収穫高が大きく伸びる一方で、大豆の収穫高が停滞するという事態を招いたのである。

もし仮に、中国が2011年に消費した7000万トン相当の大豆すべてを自国で生産するという選択をしていたとしたら、国内の穀物用農地の三分の一を大豆生産に振り向けたうえで、国内穀物消費量の実に三分の一以上にあたる1億6000万トンの穀物を輸入せざるを得なかっただろう。中国の13億5千万の人々の食生活が食物連鎖を上る動きを示している中で、大豆の輸入需要は今後もほぼ確実に上がり続けるだろう。

このように大豆消費が世界的に急拡大した結果、西半球の農業は構造的に大きな影響を受けることとなった。米国では、今では大豆の耕作地が、小麦の作付地を上回っている。またブラジルでは、大豆の耕作地が他の全ての穀物作付地の合計を上回っている。さらにアルゼンチンでは、全ての穀物作付地の2倍近くを大豆耕作地が占めるなど、危険なほど大豆の単作栽培に近い状況が顕在化している。

これらの国々が世界の大豆の実に5分の4を生産している。中でも米国は、60年に亘った世界最大の大豆生産・輸出国であり続けた。しかし2011年にはブラジルが米国を大豆輸出量で僅かに上回った。

世界の穀物生産量が20世紀半ば以来増加したのは、作付面積当たりの収穫量を3倍に向上させることに成功したことに起因している。一方、同じ期間に16倍も拡大した大豆の生産量は、主に作付農地を拡大させることで実現した。しかし穀物の場合と異なり、大豆の収穫効率は作付面積7倍に対して収穫量は2倍足らずに過ぎない。つまり、国際社会はより多くの大豆を収穫するために、より多くの大豆を植えなければならないという、深刻な問題に直面している。

そうすると「大豆をどこに作付するのか?」という問題が必然的に浮上している。米国では既に全ての耕作地が活用し尽くされているため、新たに大豆の耕作地を拡大するには、トウモロコシや小麦といった他の穀物農地を切り替えるしかない。ブラジルでは、アマゾン盆地や南部のセラード(総面積約200万平方キロのサバナ)を開拓して新たな大豆の耕作地が確保されている。

簡単に言えば、アマゾン熱帯雨林を救えるかどうかは、いち早く人口を安定させて大豆需要の増加を抑制できるかどうかにかかっているのである。また、世界のより豊かな人々にとっては、食べる肉の量を減らせば、大豆需要を抑制できることを意味する。こうした事情を考えれば、最近米国で肉の消費量が減っているというのは歓迎すべきニュースである。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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核実験禁止に期待されるあらたな契機

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【ウィーンIDN=ジャムシェド・バルアー】

包括的核実験禁止条約機関(CTBTOとしてよく知られる)準備委員会は2013年、新型大量破壊兵器到来の先駆けとなる核実験を禁止するこの条約の発効に向けて、あらたな契機が生まれることを期待している。

こうした楽天的な期待の背景には、昨年12月3日の国連総会において、包括的核実験禁止条約(CTBT)への支持が圧倒的多数の加盟国により、ほぼ満場一致でなされた事実がある。「アクロニム研究所」のレベッカ・ジョンソン氏によると、CTBTは「核時代に(人類が)やり残した仕事の中で、主要な部分を占めるもの」だという。

 このCTBT決議にはかつてない支持が集まり、184か国が賛成した。一方、反対は北朝鮮のみで、棄権はインド・モーリシャス・シリアの3か国であった。決議は、「CTBTに署名していない国家、とりわけ批准が同条約発効の要件とされている国々に対して、速やかに署名・批准するよう」促している。

核技術を持つ44か国のうち依然としてCTBTに加盟していない8か国は、中国・北朝鮮・エジプト・インド・イスラエル・イラン・パキスタン・米国である。

この投票結果は、CTBTを支持する国家の数がかつてない規模に拡大したことを示している。昨年(2012年)のCTBT決議の賛成国は174であり、反対・棄権国は同数であった。パキスタンは未署名国ではあるが、決議には賛成した。

国連総会はまた、核兵器の完全廃絶に関する決議も採択している。日本政府が起草したこの決議には、「包括的核実験禁止条約に署名・批准していない国に対して、できるだけ早い機会にそうするよう求める」という文言が入っている。この文言には165か国が賛成し、唯一、北朝鮮だけが反対した。決議全体は賛成174・反対1・棄権13で採択されている。
 
国連総会の決議には法的拘束力はないが、関連する問題についての国連加盟国の政治的立場を示す重要な勧告となる。他にも、「核軍縮」「核兵器なき世界に向けて」「核兵器の使用およびその威嚇の合法性に関する国際司法裁判所の勧告的意見に関するフォローアップ」の3本の決議がCTBTの重要性を強調している。
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国連総会会合はCTBT閣僚会合の2か月後に行われたが、この閣僚会合では、CTBTは核軍縮に向けた「死活的な措置」であるとした共同声明を発している。国連の潘基文事務総長は、CTBT未署名・未批准国に対して「国際社会の一員としての責任を果たしていない」と訴えかけている。

成功の15年

核能力をもつ44か国中8か国がCTBTに加盟していないが、CTBTが1996年に署名開放されて以来、世界の国の95%が、全ての核爆発を禁ずる規範に准じている。

2012年2月に創設15周年を迎えたCTBTO(本部:ウィーン)によると、[世界の]核実験は事実上の停止状態にあるという。条約の前例のない検証体制―10億ドルが投資された「諸システムのシステム」と呼ばれる―はほぼ完成され、探知されない核実験が行われないようすでに始動している。

技術的背景:CTBTOは、加盟国からの支援を得て、さらに9つの監視施設を設置することができたという事実を誇っている。これによって、国際監視制度(IMS)は85%完成した。7つの新規施設の設置も始まっている。米国では、国家研究評議会が、2012年3月、検証体制の探知能力に関する技術的・科学的評価を行っており、肯定的評価を下している。

財政的支援:CTBTOはまた、183の加盟国からの定期的分担金支払いが、世界の経済状況の悪化にも関わらず、昨年よりも多かったと指摘している。さらに、CTBTOによると、欧州連合(EU)があらたに500万ユーロ(約700万ドル)の自発的支払いを行った。これは、核爆発を探知する監視能力の向上のためと、途上国を支援して共同の取り組みにより積極的に参加してもらうために使われることになる。

「とりわけ緊縮財政下にあるときにこの規模の負担がなされたということは、EUのCTBTとCTBTOに対するゆるぎない支持を示すものだ」とCTBTOのティボール・トート事務局長は語った。

また、CTBTOによれば、日本からなされた73万7000万ドルの自発的支払いにより、より精度の高い空中放射能測定の能力向上が図られるという。

今年の見通し

CTBTOは、今年6月から9月の間に3つの重要行事を予定している。

2013年科学技術会議」(SnT2013)は、ウィーンのホーフブルク宮殿で6月17日~21日に開催される。この科学会議では、科学者たちがCTBTの検証体制をさらに強化する方法を討論する場が与えられる。

8月1日には、加盟国によってCTBTOの次期事務局長として選出されたラッシーナ・ゼルボ氏が、7月31日に任期を終了するティボール・トート事務局長に代わって、任務を開始する。ゼルボ氏は現在、CTBTO国際データセンターの所長を務めている。
 
9月の国連の閣僚ウィークの間、加盟国は、CTBT早期発効へ向けた勢いを生むために、次の「第14条会議」を開催する。前回(第5回)会議は2007年9月18日に閉会したが、未署名・未批准国家に早期に署名・批准するよう緊急に呼びかけた。このときは、2つの未署名国を含む106の加盟国が2日間の会議に参加した。

2013年の間、CTBTOは、次の大きな現地査察演習の準備へと進むことになる。次のいわゆる「統合現地演習」はヨルダンで2014年に開かれる。前回の査察からは3年ぶりとなる。

現地査察は、加盟国が包括的核実験禁止条約に従っているかどうかを検証するために実施される。つまり、現地査察は核爆発が(加盟国によって)実際に引き起こされたどうかを立証するために実施されるのである。こうした査察の間、条約違反の可能性を確かめるために証拠が収集される。したがって、現地査察は、CTBTの下における最後の検証手段なのである。

こうした前提の上で、潘基文国連事務総長のCTBTO創設記念における次の発言は意義のあるものとなる。「私は、外交官として、CTBTによるものも含めて、軍縮・不拡散にかなりのエネルギーを割いてきました。国連事務総長として私は、この大義に、そして、『核兵器なき世界』というビジョンを実現するためにますます努力する所存です。」(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|イエメン|売り買いされ虐待にさらされる女性たち

【アデンIPS=レベッカ・ムレイ

アイーシャ(20歳)は、2人の子どもを強く抱き寄せながら、自身に降りかかった恐ろしい経験について語った。ソマリアの首都モガディシュで育った彼女は4年前に恋に落ち、未婚のまま最初の子どもを出産した。それを知った家族が「名誉を汚した」として彼女の命を脅かしたため、やむ無く家出したという。

アイーシャは、より良い人生を求めてブローカーを頼りにイエメン行きの密航船に乗り込み、危険なインド洋を渡ってきた。

 しかし彼女を待っていたのは、軽量コンクリートブロックの建物が無秩序に広がる港町アデンのスラム(バサティーン地区)で、4人の女性たちと不法滞在者として暮らす日々だった。彼女たちは毎日この寂れたイエメンの港町で物乞いをしながら、時折1回2ドルで体を売って生計をつないでいる。しかし、こうして得た僅かな稼ぎでさえ、彼女たちを支配している売春斡旋業者に半分を取り上げられている。

「子供たちのために、なんとかもっと安全な所に移りたい…イエメン以外のどこかに…。」とアイーシャは語った。国境を超える国際人身売買ネットワークは、イエメンにおいても広がりを見せている。そして貧困を背景に、性的搾取を受けた女性たちが、人身売買ネットワークの最も脆弱な犠牲者となっている。

アイーシャの未来には暗澹たるものを感じざるを得ないが、それでも先日サウジアラビア国境付近の街ハラダ(Haradh)の病院で一人死亡したエチオピア出身の少女(17歳)の運命よりはまだ恵まれているといえよう。

イエメン全土にまたがる人身売買ネットワークの犠牲となったその少女は、何度も強姦と暴行に晒された挙句に息を引き取った。彼女は故郷のエチオピアから遠く離れた地に埋葬されることになったが、彼女を死に至らしめた人身売買業者は、依然として罪を問われることもなく、自由のままである。

「イエメンでは、2011年から2012年にかけて、密輸と人身売買件数の急増とともに、新たに入国した移民が暴力や虐待を受けたとされる通報事例も大幅に増えました。」と国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)のエドワード・レポスキー担当官は語った。

UNHCRの記録によれば、2011年、103,000人が新たにイエメンに入国しているが、この入国者数は、6年前にUNHCRが記録をとりだして以来、最大の数だという。レポスキー担当官は、2012年の入国者記録はさらに大きなものになるだろうと見ている。また、イエメンへの実際の入国者数は、UNHCRの記録を遥かに上回るものと考えられている。

イエメンに入国した女性移民の大半は、エチオピア人とソマリア人が占めているが、貧困と家庭内暴力を逃れたケースが少なくない。彼女たちは、ブローカーに数百ドルを差し出し、まず中継地であるジブチかプントランドに運ばれる。そしてすし詰め状態の船に乗り込み、1日~3日に亘る危険な船旅を経て、イエメンに到着するのである。

多くの場合、彼女たちの目的は、サウジアラビアのような裕福な湾岸諸国にたどり着いて職を得ることである。しかし、密航中に輪姦されたり、超過密な船内で窒息して船から海に捨てられるものも少なくないという。また、イエメンに到着しても、少女たちには人身売買業者の犠牲になる大きなリスクが待ち受けている。

「ここで見かける人身売買の流れは、大半が「アフリカの角」地域の国々から来て、サウジアラビアに向かうというものです。」と、国際移住機関(IOM)イエメン事務所の人身売買対策チームのエマン・マシュール氏は語った。

「移民を食い物にする人身売買のネットワークが確かに存在しています。中でも、移住者が女性の場合、ブローカーや人身売買業者によって酷い搾取にあう可能性が十分にあるのです。私たちが聞き取りを行った移民の中には、密航の途上、ブローカーに性的関係を強要されていたと証言していた女性達が少なくありませんでした。」

こうした証言は、昨年10月に発表された、デンマーク難民評議会(DRC)地域混合移住事務局(RMMS)が共同実施した画期的な調査報告書「絶望的な選択」においても確認されている。

「犯罪ネットワークは、エチオピアからイエメン、ジブチ、サウジアラビアまで広範囲に広がっており、こうした国々のギャングたちが、国境を越えてお互いの連絡先を把握している可能性は実に高い。」と同報告書は述べている。

地元女性も人身売買の犠牲に

一方、イエメンにおける人身売買の犠牲者が移民に限られていないのも現実である。
 
若いイエメン人少女と湾岸諸国からの旅行者間のごく短い婚姻関係-「セックス観光」として知られている-の背景には、貧困に喘ぐイエメン農村部の大家族事情がある。つまり、花婿が花嫁に支払うお金を目当てに、親が幼い娘を結婚させる事例があとを絶たないのである。

米国務省が昨年6月に発表した「2012年人身売買報告書(世界186カ国・地域の人身売買の実態や政府による対策をまとめた年次報告書)」のイエメンの項目には、「サヌア県、タイズ県のホテルやクラブでは、中には15歳という幼い少女までが、商業的性搾取の犠牲となっている。」と記されている。(イエメンでは、最低結婚年齢を女性17歳、男性18歳と規定した法律が議会を通過したものの、保守派議員が改正を求めるなどの動きを見せ、実際にはまだ施行されていない:IPSJ)

「イエメンで児童買春する顧客の大半はサウジアラビアからの観光客が占め、次に湾岸諸国からの旅行者が続いている。サウジアラビアからの観光客と結婚させられるイエメン人少女たちの中には、この婚姻が実際には一時的なもので自分が搾取されるという現実を理解していないものも少なくない。こうした少女らの一部は、その後、人身売買の犠牲になったり、サウジアラビアの街中に捨てられたりしている。」

また、サヌア郊外の閑静な地区にある匿名の避難所に今は身を寄せているレイラ(15歳)の場合は、さらに異なった形態で人身売買の犠牲になった事例といえよう。家庭内暴力に苦しんでいたレイラは2年前に家を飛び出し、路上生活を始めた。しかしまもなく、年上の女性に拾われ、売春宿に連れて行かれた。そこでは、逃亡防止の脅迫材料として性交中の写真を撮られたり、薬物を投与されたりした少女たちが、強制的に客を取らされていた。さらにその年上の女性は、顧客からの支払いを着服していたのである。

レイラとこの女性売春斡旋業者は、レイラがサウジアラビアに転売される直前にイエメン警察当局に逮捕された。その結果、レイラは彼女の「罪」の代償として刑務所に2年間収監された。家族は、純潔を汚したとしてレイラを勘当し、兄はレイラに死の宣告を行った。

そうした中、レイラは収監先の刑務所で接見したイエメン女性ユニオンのスタッフから規模は小さいものの彼女のような境遇の女性たちのための避難所(イエメン初の施設)があることを知った。レイラは刑務所を出所後、イエメン女性ユニオンのスタッフがレイラの家族とのこじれた問題を解決するまでの間、この避難所に身を寄せて、精神面のリハビリケアや教育プログラムを受けている。

イエメンの刑法は、人身売買を禁止しており違反者には禁固10年の罰則が規定されている。米国務省の「2012年人身売買報告書」は、イエメンが政治危機の渦中にあると認めながらも、人身売買問題に対してイエメン政府が真剣な対応をとっていない点を強調している。

「イエメン政府は、本調査に対して、捜査当局によるデータを提供できなかった。また同政府は、人身売買の犠牲者を特定・保護するための正式な手続きを定めておらず、商業的性的搾取を目的とする人身売買の問題に取り組むための措置も講じていない。」

IOMのイエメンにおける責任者ニコレッタ・ジョルダーノ氏は、「イエメンには密貿易と人身売買のビジネスが蔓延っています。これは国境を超えた国際規模のビジネスなのです。…多くの欧米諸国が、この地域の海賊問題に焦点をあてている影に隠れて、密貿易と人身売買の問題への関心は脇に追いやられているのが現状です。」「もし私たちが、国境管理のありかたを総合的に見直し、支援や保護を必要としている人々を適切に保護する一方で、犯罪に手を染める者たちへの厳正な対処をしたならば、それが結局は、全ての関係国の利益になるのです。」と語り、イエメン政府の無策を批判した。(原文へ

翻訳=IPS Japan

*人身売買被害者の名称は本人のプライバシーを保護するため全て仮称にしている。

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武器禁止条約(ATT)―国連で最後の交渉へ

【国連IPS=タリフ・ディーン】

銃による大量射殺事件(サンディフック小学校銃乱射事件)で銃規制に関する議論が米国内でふたたび高まるなか、国連では、2013年3月、武器貿易のルールをつくって紛争予防を目指す「武器貿易条約(ATT)」の制定に向けた交渉が持たれようとしている。

ジョージタウン大学エドムンド・A・ウォルシュ外交政策校安全保障研究センターのナタリー・ゴールドリング上級研究員は、この3月の会議が国連の枠内でATTが協議される最後の機会になるだろうと語った。

 「この機会で交渉がまとまらなければ、対人地雷禁止条約の時と同じように、国連の枠外での条約妥結が目指されるでしょう。」と、1990年代初頭からATT交渉をモニタリングしてきたゴールドリング氏は語った。

ゴールドリング氏は、「ATTの正念場は、果たして交渉妥結によって、武器取引(=通常兵器の国際的な移譲)を規制する強力な国際基準を新たに設定出来るか否かにかかっている。」と指摘した上で、「もしATTの内容が国際人道法国際人権法の強化に資するものになるならば成功で、多くの命を救うことになるでしょう。」と語った。

しかしその一方で、「もしATTの内容が弱い国際基準に過ぎないものになるのであれば、かえって武器取引の現状を悪化させかねない。つまり簡潔に言えば、弱いATTに合意するくらいならば、ATTが発効していない今日の状況のほうがまだましなのです。」とコールドリング氏は警告した。

先日、国連総会は、来年3月18日~28日にATTに関する国際会議を開催するとの決議を賛成133・反対0・棄権17で可決した。

中国、フランス、ドイツ、ロシア、英国、米国という6大武器輸出国はこの開催決議に賛成した。

一方、棄権したのは、多くの中東の国々を含む、バーレーン・ベラルーシ・ボリビア・キューバ・エジプト・イラン・クウェート・ミャンマー・ニカラグア・オマーン・カタール・サウジアラビア・スーダン・シリア・アラブ首長国連邦・ベネズエラ・イエメンであった。

この会議では、年間規模が730億ドルにものぼる世界の武器取引を規制する条約が妥結合意されることが期待されている。米国議会図書館の議会調査局によると、米国政府は2011年だけでも663億ドルにのぼる武器取引の契約を結んでいる

この会議で協議される条約草案は2012年7月以来、各国で検討されてきている。

米国内では、最大の銃支持圧力団体である全米ライフル協会(NRA)が、ATTによって米国内で銃所持ができなるという誤った情報を流布して、ATTへの強硬な反対論を展開している。

ロンドンに拠点を置く国際人権擁護団体「アムネスティ・インターナショナル」のブライアン・ウッド武器調査部長は、来る3月の会議は同組織がパートナー諸団体とともに17年に亘って展開してきた「アームズ・コントロール・キャンペーン」の最終局面に位置付けられます、と語った。

ウッド氏は、このキャンペーンの主な目的は、「世界各地で頻発している武器による暴力や抑圧、紛争で幾度となく人権侵害の矢面に立たされてきた民衆の保護に役立つ強固で法的拘束力を持ったATTを実現することです。」と語った。

またウッド氏は、「武器取引の規制に懐疑的な勢力は、引き続きATTの最終文言から国際人道法や国際人権法との整合性を排除しようと試みるでしょうが、アムネスティ・インターナショナルはパートナー諸団体とともに、人権保護を最も強く打ち出した文言が最終文書に反映されるよう圧力をかけ続けていきます。」と語った。

2012年7月に1ヶ月に亘って行われた交渉では、ATT妥結寸前までいったが、会議最終日に米国代表団が草案を支持しない旨を発表し、ロシア、中国など他の主な武器輸出国がそれに同調したため、時間切れとなり、交渉がまとまらなかった。

NRAは90年代中旬以来、銃火器による暴力を減少させようとする国連の試みに反対してきた。しかし2001年には、国連小型武器会議における「国連小型武器行動計画」成立を阻止しようとして失敗している。

「ATTの締結阻止を目指しているNRAの目論見は、今回も失敗することとなるでしょう。」「そもそもATTは民間人の武器所持に影響を及ぼすものではないのに、あたかもそうであると主張するNRAの試みは、誤解を招くものです。」とゴールドリング氏は語った。

またゴールドリング氏は、「NRAは、ATTに対する挑発的な発言を自らの組織引き締めのために利用しているように思えます。こうした戦術は、彼らの資金集めには有効かもしれませんが、その主張には事実に基づく裏付けがないのです。」と付け加えた。

さらにゴールドリング氏は、「皮肉なことに、NRAがでっち上げの主張に基づいてATTに強硬に反対しているお陰で、米国政府はかえって自由に強固なATTを交渉できる状況にあります。」と指摘した上で、「もしATTが近く米国で批准される見込みが低ければ、強固なATTに反対している上院議員らと妥協を模索する動機はほとんど失われてしまいます。しかし11月の大統領選挙以来、政治環境は大きく変化しています。私は、先般の大統領選で圧倒的な勝利を収めて再選されたバラク・オバマ大統領が、今日の政治環境を追い風に、米国交渉団が今から3月の交渉にかけて強固なATTを支持できるよう強い指導力を発揮することを期待しています。」と語った。

一方、強固なATT締結にとって最大の障害となっているのが、全会一致方式への固執である。現状では、ATT草案を支持できないと表明する国が一カ国でもあれば、条約締結は不可能になる。

「米国政府は、ATTの採択において全会一致方式を維持するよう主張し続けることで、事実上条約採択を巡る拒否権を持ち続けているのです。」とゴールドリング氏は語った。

「しかし全会一致方式への固執は、同時に、ATTに懐疑的なイラン、パキスタン、キューバ、エジプトといった国々を含む全ての国にも拒否権を認めていることを意味し、3月会議の成功の見通しを暗くしているのです。」とゴールドリング氏は付け加えた。

さらに米国政府は、米国内における市民の武器所持を制限することにつながりかねない条項を含む条約は断固として拒否する姿勢を明確にしているほか、ATTの規制対象に弾薬や爆発物を含むことに反対しており、ゴールドリング氏は米国政府のこうした姿勢を「近視眼的」と見ている。

ゴールドリング氏は、「少なくとも、米国がすでにやっているように、すべての国家が武器を輸出する際にそれを追跡することを義務化すべきです。また、ATTが効果的なものであるためには、すべてのタイプの武器移転(輸出だけでなく、輸入、通過、積替、仲介やライセンス生産等の行為を含む)並びに部品・構成要素・弾薬なども含めたすべてのタイプの通常兵器を条約の規制対象に含む必要があります。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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教育に新しい地平を切り開く日本

【ベルリンIDN=ラメシュ・ジャウラ】

私が5年前に日本を訪れて、。創価学会インタナショナル(SGI)の首脳らと会った際、同団体による教育活動と、池田大作SGI会長が掲げる理念について学んだ。それは、「倫理的・精神的な裏付けを欠いた教育は、知識に対する態度をゆがめ、科学的な研究を制御不可能な危険な方向に走らせかねない」というものだった。

 池田会長はインタビューの中で、「その典型的な例が核兵器の開発です。」と指摘した上で、「私が国境、宗派、イデオロギーの違いを超えて『対話』を重ね、人間と人間とを結ぶ『教育交流』に力を入れてきたのも、そうした理由からです。」と述べている。SGIは、一人ひとりの変革と社会貢献を通して平和や文化、教育を推進する、世界的な仏教徒のネットワークである。

Roberto Savio

 
2010年、私は東京都八王子市にある創価大学を訪問する機会を得た。そして、池田会長の核廃絶にかける不屈の意志の重要性、外国人ジャーナリストである私や私の同僚たちによる同氏の平和提言への考え、提言に関して読者から寄せられた報告や分析への反応などについて、約300人の学生を前に話をすることができた。創価大学で学ぶ多くの国からの若い学生が、私の発言に深い関心を寄せてくれたことを嬉しく思った。

2012年9月、私はふたたび創価大学を訪れる機会を得た。この時は、市民社会のリーダーでジャーナリストのロベルト・サビオ博士による講演に同席した。サビオ博士は、グローバル化がどのように誕生し、進化を遂げ、影響を与えているのか、またその課題に我々がどのように立ち向かうのかについて話をした。100人近い学生が熱心に聞き入り、自身の日常生活と関連付けて学ぼうとする姿に、私たちは目を瞠る思いがした。

創価学園

東京都小平市にある創価学園を訪ねた際も、学園生たちから同じように、あふれんばかりの情熱を感じた。著名な国際通信社インタープレスサービスの創立者で名誉会長でもあるサビオ博士は、生徒からの質問に答えて、「創価学園には、社会、人々、そしてそれらの相互の関係について、価値に基づくビジョンがあります。このような価値体系の教育を受けた創価学園の皆さんは、大変有利な立場におられるのです…。新しい社会を創出できるか否かは、まさに皆さんの努力にかかっているのです。」と語りかけた。

世界の主要なメディアはほとんど気づいていないことだが、東京の郊外にある緑豊かな2つの都市で、真の平和をつくるための人間教育を目的とした高校と大学の教育システムが、新たな地球文化の揺籃として生まれているとの印象を、私自身抱かずにはいられなかった。

この教育システムの核にあるのは、価値の創造である。日本語で「創価」と称されている。小学校の校長を務めた創価学会初代会長の牧口常三郎氏(1871~1944)の思想と関心に、その名は由来している。創価教育の父としての牧口会長の極めて重要な役割を象徴しているのは、創価大学の正門の門標に銅製で掲げられている、彼の筆による「創価大学」との文字(右上の写真)である。

牧口初代会長による創価の思想は、第2代会長の戸田城聖氏(1900~58)、そして第3代会長(現SGI会長)の池田大作氏へと引き継がれた。1971年、池田会長は創価教育の理念を実現するために創価大学を創設。次のような建学の精神を発表した。(1)人間教育の最高学府たれ、(2)新しき大文化建設の揺籃たれ、(3)人類の平和を守るフォートレス(要塞)たれ。

これらの建学の精神の重要性は、牧口・戸田両氏が第二次世界大戦中に、軍国主義に敢然と抵抗したために過酷な弾圧を受けたという歴史的背景に裏打ちされている。牧口会長は終戦を見ることなく獄死。戦後、第2代戸田会長は牧口会長の理念を引き継ぎ、平和な社会を創設するという不屈の決意を持って出獄した。

この決意は、核兵器の廃絶を訴えた1957年の歴史的な「原水爆禁止宣言」によく表れている。第3代の池田会長は、先師が掲げた平和構想を実現するために、世界中の数多くの知識人や著名人との対話を重ね、国籍や文化が異なる民衆間の草の根の交流を果敢に開いてきた。平和の探求は、創価教育の魂なのである。

人間主義の、生命を重視する教育哲学は、幼稚園から大学に至るまで実践され、世界的な評価を得ている。創価大学は1971年4月の建学以来、急速に発展し続けているが、池田会長は創価教育を海外に広め、1987年にはロサンゼルスに分校を、さらに2001年にはカリフォルニア州オレンジ郡に、4年制のリベラルアーツ・カレッジ、アメリカ創価大学を開校している。さらに、マレーシア、シンガポール、香港、ブラジル、韓国には創価幼稚園を創立している。

交流協定

創価大学はこうした教育環境の整備とともに、2012年11月時点で世界46カ国・地域の141大学と交流協定を結んでいる。また2006年には創価大学北京事務所が設置され、創価大学が中国との交流に注いできた取り組みの歴史に、新たな1ページが加わることとなった。

また学生中心の教育をモットーとする大学として、教育内容を充実させるために熱意や創意を注いできた。そのため、創価大学の教育モデルの多くが、現代の教育におけるユニークで革新的なアプローチであると日本の文部科学省に評価されていることは、驚くに値しない。また、同大工学部で行われている先進的な研究も、文科省から評価を受けている。

司法試験や公認会計士、教員、その他の公務員試験など、日本の中でも特に難しいとされる多くの試験で高率の合格者を出していることからも、創価大学の学術的な成果の大きさを窺い知ることができる。

創価大学の卒業生は建学以来5万人を超え、今日、母校の建学の理念にのっとりながら、日本社会および国際社会に対する貢献を続けている。

2010年4月1日、創価大学は「グランドデザイン」を発表した。これは、学生が創造力を育み、かつ貢献的な人生を送るための構想や戦略であり、2020年、創立50周年を迎える創価大学の姿を描くために策定されたものである。

「グランドデザイン」によって、2020年までの50年間で達成される同大学の伝統と学術的な実績を検証することができる。また、21世紀にあって国内外に山積する諸問題に挑戦するとともに、多様で進化し続ける学生からのニーズを完全に満たせるよう、広範囲でよりよい枠組みを策定している。

この枠組みは3つのステージから成っている。(1)建学の精神を根本に本学で学んだ人材を社会に輩出する使命、(2)その人材を養成するための具体的な教育・研究システム、(3)その教育・研究をサポートする大学の総合的な環境の整備。

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Ramesh Jaura lecturing at Soka University/ photo by Katsuhiro Asagiri, President of IPS Japan

創価大学によると、グランドデザインの下で、既存のカリキュラムを評価し新しいコースとプログラムを作成する「特別分科会」が立ち上げられる。全体としての目標は、学生の個々の学術的な能力を高め、創造的かつ批判的な思考を養うことにある。このプロセスは新しいラーニングセンターによって強化され、大学の各学部及び学科は段階的に再編されることとなる。

創価大学のグランドデザインが他と異なっているのは、学生の人間力を豊かにすることに焦点が当てられている点である。そこには、ディベートを用いてコミュニケーション能力やリーダーシップのスキルを養い、グローバルな問題や視点に対する認識を高め、建学の精神に沿ってグローバル市民として考え行動する学生を育成するプログラムが含まれている。

創価大学では、日本人学生が海外へ留学する機会を一層拡充するとともに、外国人留学生の受入枠や海外の大学との学術的交流プログラムを積極的に推進するなど、今後いっそう学術交流を活性化する予定である。
 
今後の10年を視野に、教育・研究、国際面、学生支援、生涯教育・通信教育の各分野における戦略と解決策を生み出すための、7つの分科会などの組織が立ち上げられている。これらの分科会には、大学キャンパスの施設や財政、大学事務、広報の計画を策定する任務が与えられている。

2012年11月27日は重要な日であった。この日、創価大学のキャンパスで新総合教育棟(GEC)の定礎式が行われたのである。建物には4つの棟があり、教室、学生カウンセリング、マルチメディア室、保健センター、カフェ、1000人収容のメインホールなど、数多くの施設が入っている。

地下は3階まで、西棟は地上12階建、東棟は9階建、中央棟は7階建となっている。定礎式ではその一環として、これまで創価大学と交流協定を結んだ海外62の機関・大学のバッジが礎石の下に埋められた。新総合教育棟は2013年5月に正式に完成する運びとなっている。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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|インド|貧困から「孤児」にされる数千人の子供たち


【スリナガルINPS=サナ・アルタフ】

17歳のアフザル君は変わった「孤児」だ。彼の父親は何年も前に他界しているが、母親は今でも健在で、アフザル君が十代の大半を過ごしてきた孤児院からさほど遠くないところにある家に、彼の祖父母と妹や弟たちと住んでいる。

月に一度、母親と弟がスリナガル(ジャンムーカシミール州の州都)にある「ベイト・ウル・ヒラール孤児院」にアフザル君を訪ねてくる。アフザル君にとっては、至福の一時だが、面会時間が終われば、再び孤児院にひとり残され、家族と一緒に実家に帰れない自分の境遇を嘆く現実が待っている。

 アフザル君は、ジャンムーカシミール州の数千人に及ぶ他の子ども達と同じく、両親との死別ではなく貧困が原因で「孤児」になった。

「私の家は貧しく、母は私の学校の授業料や養育費を払えないのです。」とアフザル君はIPSの取材に応じて語った。彼はこの孤児院に入所して今年で4年目となる。

すると母のファルザナさんが、「一緒に暮らしていたらアフザルは餓死することになっていたでしょう。少なくともこの孤児院にいる限り、この子は、まともな衣食と教育を受けられるのです。」と付け加えた。

ファルザナさんは、取材の中で、目下のところ彼女に収入はなく、地元のNGOから支給される援助金を使って一家が生活を凌いでいる、と語った。
 
「ベイト・ウル・ヒラール孤児院」で生活している他の子供たちも、アフザル君と類似した経験を持っている。
 
きゃしゃで色黒のナビール君にとって、実家に戻って母親や3人いる兄弟姉妹と再び共に暮らしたいと思わない日は一日とてない。

「父は(インドからの独立を目指すイスラム教徒の)民兵でしたが、5年前にその父が殺されたため、家族はあっというまに貧困のどん底に落ちました。僕はそれ以来ずっとこの孤児院で暮らしています。」とナビール君は語った。

「私の家政婦としての稼ぎは月に55ドルにしかならず、ナビールの授業料や本代その他の費用を支払ってやれないのです。」というナビールの母アリファさんは、息子を家族から引き離してでも孤児院に入れた唯一の理由は、「まともな教育を受けさせてやりたかったからです。」と語った。

1986年に分離独立派による武装蜂起が激化してカシミール渓谷(住民の95%がイスラム教徒)に暗い影を投げかけるようになる前のスリナガルには、孤児院は1つしかなかった。それまでは多くの場合、親切な近隣の住人や親族が、孤児となった子どもを引き取ったものだった。

しかしその後反政府派とインド政府軍・警察間の衝突が激化し、ジャンムーカシミール州で約10万人の死者(その多くが若い男性で父親)がでたため、孤児の数も急激に増加した。

英国に本拠を置くNGO「セーブ・ザ・チルドレン」は、最近の調査報告の中で、カシミール州における孤児の総数を214,000人、さらにその内37%が、紛争により両親が死亡したか、或いは紛争を起因とする貧困により孤児になったと推計している。

こうしてカシミール渓谷一帯にインド政府が設立した孤児院には、依然として片親(多くの場合母親)がいながら貧困のために施設に出された子供たちで溢れている。地元の大型孤児院「ジャンムーカシミール・ヤテーム・トラスト」のザホール・アハマド・タク会長は、孤児たちの大半は、母親と祖父母を持つ子供たちだ、と語った。

「しかし、こうした家族は、一家の稼ぎ手を失い、子供たちを育てられないほどの極端な貧困に直面しているのです。」とタク会長は語った。

またタク会長は、もしインド政府がこのような家族に財政援助を支給するならば、母親たちも、子供たちをなんとか食べさせ、教育を受けさせようと努力するため、孤児院に預けるという最後の手段に訴えることはないでしょう、と付け加えた。

感情面のニーズは無視されている

しかし、子どもを施設に預けた親たちが、「子供のことを第一に考えてそうした」と主張する一方で、専門からは、食料や衣服、教育を提供するだけでは、子供たちの感情面や精神面のニーズにまで対応できない、と指摘している。

家族から引き離され、生きていく上で最低限のニーズに対応できる程度の施設に預けられた「孤児」たちの間では、急速に精神的な障害を顕在化させる事例が増えている、と専門家らが指摘している。

著名な心理学者であるムスタク・マルグーブ博士がカシミール渓谷周辺の孤児院を対象に行った最近の調査によると、孤児たちの41%が心的外傷後ストレス障害(PTSD)を患っており、25%が抑鬱障害の兆候を示したという。さらに、7~13%の孤児に、注意欠陥過活動性障害(ADHD)、パニック障害、転換性障害が観察された。

一部では、子供たちの感情面のニーズに対する取組みも行われ、施設を「我が家のような所」と感じさせる環境作りに成功している孤児院もあったが、大半の孤児院では、孤児たちの精神障害をかえって悪化させる事態に陥っていた。

マルグーブ博士は、「幼くして孤児院に預けられ長期を過ごした子供たちは、後年深刻な精神的病理疾患を発症するリスクを負っています。こうした子どもたちは人間関係の構築に苦労するほか、自分自身の子どもの養育に際して、深刻な問題に直面する傾向にあります。」とIPSの取材に対して語った。

マルグーブ博士は、「(孤児たちの)知的・感情面のニーズ」を無視する傾向にある孤児院は、精神衛生上の問題を抱えた子供たちの温床となっている、としたうえで、「孤児院は収容された孤児たちの間の関係を緊密で安定したものにするような社会環境を提供しなければならない。」と強く確信している。

カシミール大学のバシャール・アハマド・ダブラ氏(社会学)も、多くの孤児院におけるこのような「不健康な」傾向が子どもたちの精神面の成長に及ぼす悪影響について懸念を示している。

「これらの子どもたちは父親を失ったかもしれません。しかし、孤児院に入れてしまうことで、(同居していれば)母親、兄弟姉妹や他の家族から得られたであろう愛情を彼らから奪ってしまうことになるのです。」とダブラ氏は語った。

送り出された子どもたちは、孤児院に入所を認められた(=自分に家族がいるにも関わらず、孤児院で他人の同情に頼って生きるよう強いられた)瞬間から、人生観や社会観を変えられてしまう。それは彼らが社会から落伍者、或いは時には社会のお荷物とみなされてしまうからだ。

タク会長は、孤児の80%は施設からの退去を求められる第10学年後の教育を続けられないでいる、と語った。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

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核戦争の恐怖のシナリオ(アイラ・ヘルファンド核戦争防止国際医師会議共同代表)

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【IPSコラム=アイラ・ヘルファンド】

2008年にバラク・オバマ氏が米国の大統領に選出されて間もなく、世界の医療関係者数百名が、オバマ氏と同年先だってロシアの大統領に就任していたドミトリー・メドベージェフ氏に対して、核兵器廃絶を最優先課題とするよう求める公開書簡を送った。

その書簡には「貴殿らはこの困難な時局にあって多くのさし迫った危機に直面していますが、核戦争防止の必要性に比べれば、すべてがかすんでしまいます。今から千年もたてば、貴殿らがこれからの数年間でなすほとんどのことは忘れ去られているでしょう。しかし、核戦争の脅威をなくした指導者のことは忘れないに違いありません。どうか我々の期待を裏切らないでください。」と記されていた。

残念なことに、私たちが恐れていたとおり、経済危機に対処するという要請がその他の問題を圧倒してしまい、これまでのところ、ロシアと米国の指導者は私たちの期待を裏切っている。オバマ氏は先般の再選で、世界を核軍縮の道へと導く新たな機会を手に入れた。この機会は決して無駄にしてはならない。

Ira Helfand
Ira Helfand

 2008年以来、私たちは、核兵器のもたらす危険性について一層理解を深めてきた。米ロ間の大規模戦争が勃発すれば、全地球規模で破滅的な人道上の結果がもたらすであろうことを、私たちは何十年も前から知っている。

今や私たちは、例えば南アジアで起こるかもしれない、はるかに「限定的な」地域核戦争ですらも、人類全体への脅威になりうることを知っている。アラン・ロボック氏オーウェン・ブライアン・トゥーン氏らは、インドとパキスタンがそれぞれ広島型核兵器50発を使用するシナリオを検討してきた。これは、他国の都市目標に対して向けられている世界全体の核兵器2万5000発超のわずか0.4%に過ぎない。その研究結果は、私たちの想像を絶するものだった。

核爆発と激しく燃えさかる炎、放射線汚染によって、最初の1週間で2000万人以上が死ぬ。しかし、世界全体に及ぼす影響はもっと甚大である。核爆発で生じた炎の嵐が500万トンもの煤煙(ばいえん)を大気圏上層部にまで巻き上げ、太陽光を妨げて、10年間にわたって地球全体の気温を平均で1.3度低下させる。このため、南アジアから遠く離れた地域でも、気温の急激な低下に伴い、降雨量が減少し、食物の生育期間が短くなるため、食物の生産量が減少する(核の冬)。

ムトゥル・オズドガン氏の研究によれば、米国のトウモロコシ生産量は十年にわたって、平均で12%減少するという。またリリー・ジア氏の研究では、中国の中期のコメ生産が10年にわたり15%減少する。その他の穀物についてはさらに大きな減少が見込まれると最近の予備的な研究は示している。

世界にはこのように大規模な食糧生産減少に対応できる準備がない。現在の世界の穀物備蓄は3カ月弱分しかなく、これらの生産減少に対する適切な緩衝とはなりえない。さらに、国連の最新のデータによると、現在世界には栄養不良の人びとが8億7000万人もいる。また、別の3億人は、栄養状態は問題ないが、ほとんどの食料を輸入に頼る国に住んでいる。合計して10億人にもなるこれらの人びとは、この「限定的な」戦争後に飢餓状態に陥る危険性がある。

米ロ間で大規模な戦争が起これば、その結果はより破滅的なものになる。数億人が直接殺され、間接的な気候の変化はより大きなものになるだろう。世界の気温は平均で8度下がり、北米とユーラシア大陸内部では下落幅が20度以上にもなる。北半球では、3年間にわたって地表が霜で凍りつく日々が続く。食糧生産は止まり、人類の大部分が飢える。

冷戦終焉以来、私たちは、この種の戦争が起きるはずなどないと考えてきた。しかし、それは起きうるのだ。米ロ核二大国は、依然として約2万発の核弾頭を保有している。そのうち2000発以上は15分以内に発射可能なミサイルに搭載されており、他国の都市を30分以内に破壊することができる。

米国とロシアがこの巨大な核戦力を保持し続ける限り、意図的であれ偶発的であれ、それらが使用される現実の危機が存在する。1979年以来、少なくとも5回、自らが攻撃の危機にさらされているという誤認に基づいて、超大国の片方が他方に対する核攻撃の開始を準備するという事態があったことを私たちは知っている。その最近の事例は1995年1月に起こった。その当時存在した、もう数分で私たちを核戦争に巻き込もうとした条件は、今日もそれほど変わらず存在している。もしこの次このような事故が起こったときは、前回の時ほど幸運に恵まれないかもしれない。

このような深刻な危機意識に基づいて、この10月、35か国が全ての核兵器削減に向けた新たな呼びかけを国連において行った。国際赤十字・赤新月運動もまた、核兵器廃絶を呼び掛けている。2013年3月、ノルウェー政府は、核不拡散条約のすべての加盟国を招いて、「核兵器の人道上の結果」に関する国際会議を開催する。

米国とロシアはこれらの動きを取り込んで、検証可能で執行可能な核兵器禁止条約の交渉を先導すべきだ。こうした交渉は容易ではないが、それ以外の方法は考えられない。私たちは、幸運をもって世界の安全保障の基盤とすることはできない。核兵器を廃絶しなければ、いつの日か運を使い果たして核兵器が使用され、私たちが培ってきたすべてのものが破壊されるだろう。これ以上に大事なことがあるだろうか。(原文へ

翻訳=IPS Japan

※アイラ・ヘルファンドは、核戦争防止国際医師会議(1985年のノーベル平和賞受賞者)の共同代表。

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