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|コラム|ケネディ大統領とカストロ首相の秘密交渉を振返る(ロバート・F・ケネディ・ジュニア)

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【ニューヨークIPS=ロバート・F・ケネディ・ジュニア】

1963年11月のジョン・F・ケネディ大統領(当時)がダラスで暗殺された日、大統領特使の一人が、キューバのバラデロ・ビーチでフィデル・カストロ首相(当時)と秘密裏に会談を行っていた。米国による対キューバ禁輸中止の条件と両国間の関係修復について話し合うのが目的だった。

これは50年以上前のことだが、最近になってついに、バラク・オバマ大統領が、キューバとの国交回復という故ケネディ大統領の夢の実現に向けたプロセスを再開した。

米大統領特使とカストロ首相の秘密交渉は、バラデロ・ビーチにある首相の夏の公邸を舞台に、(ケネディが暗殺された時点で)既に数か月にわたって行われていた。この交渉は、1962年のキューバ危機後、米ソ間の関係改善と並行して進められていたものである。

PX 96-33:12 03 June 1961 President Kennedy meets with Chairman Khrushchev at the U. S. Embassy residence, Vienna. U. S. Dept. of State photograph in the John Fitzgerald Kennedy Library, Boston.

キューバ危機を通じて、各々の国内の軍部強硬派と相容れなかったケネディ大統領とソ連のニキータ・フルシチョフ首相(当時)は、互いに相手に対するある種の尊敬と好感を抱くようになった。それが、互いの体面を保つ落としどころとして、ソ連によるキューバからの中距離弾道ミサイル撤去と、米国によるトルコからのジュピター中距離弾道ミサイルの撤去という秘密合意につながった。

一方、カストロ首相は、ソ連がキューバを頭越しに何の相談もなく核ミサイルの撤去を決めたことに激怒した。これに対してフルシチョフは、危機後にカストロをソ連に招いて6週間を共に過ごし、ケネディ大統領との対話を通じて米国との関係改善を図るよう粘り強く説得を試みている。のちにフルシチョフの子息であるセルゲイが、当時の様子について「父とカストロは、師弟のような関係にありました。」と述べているが、フルシチョフは、ケネディは信頼に足る人物だと、カストロを説得したかったようだ。

この点についてカストロ自身は、「(フルシチョフは)何時間にも亘ってケネディ大統領からの多くの書簡を(中には弟のロバート・ケネディ司法長官経由のものもあったが)私に読んで聞かせた。…」とのちに振り返っている。カストロ首相は、米国との関係改善の道を探る決意をしてキューバへの帰途に就いた。

米中央情報局(CIA)は、両首脳をはじめ全ての当事者の動きを監視していた。(のちの1966年にCIA長官になる)リチャード・ヘルムズは、同僚に宛てた1963年1月5日付極秘メモに、「カストロは、フルシチョフの要請により、当面の間はケネディ政権に対して和解に向けた融和政策を進める方針を固めたうえで、キューバへの帰国の途に就こうとしている。」と記している。

ケネディ大統領も、そうした動きには乗り気だった。1962年秋、大統領とその弟で私の父にあたるロバート・ケネディ司法長官(当時)は、ニューヨークの弁護士ジェイムズ・ドノバンと父の友人で顧問であったジョン・ドランをキューバに派遣し、ピッグス湾侵攻作戦でキューバ側の捕虜になった1500人の解放について交渉にあたらせた。

Map of Cuba/ Wikimedia Commons
Map of Cuba/ Wikimedia Commons

ドノバンとドランは、カストロ首相と良好な関係を築くことに成功し、カストロは自ら2人をキューバ各地に案内している。カストロは彼らをピッグス湾の戦場跡に案内したあと、自らのゲストとして多くの野球試合に連れて行ったため、のちにドランは私に、「将来スポーツは二度と観戦しないと誓ったよ。」とこぼしていた。

カストロ首相は1962年のクリスマスに最後の1200人を釈放したうえで、ドノバンに対して、米国との国交正常化についてどうするのかを尋ねた。するとドノバンは、「山嵐のジレンマと同じで、慎重に進めることが肝要です。」と応えたという。

カストロという人物に深い関心を抱いていた父と大統領は、ドノバンとドランにカストロ個人に関する詳細な報告をするよう指示を出した。

それまで米国のメディアは、カストロ首相のことを、飲んだくれで、不潔で気まぐれ、さらに行儀が悪い人物などと書きたてていた。しかしドランは、「私たちが受けたカストロの印象は、米国で一般的に受入れられているイメージには当てはまりません。彼は私たちの前で苛立つことも、酒を飲むことも、また下品なそぶりも一度として見せたことはありません。」と報告している。ドランとドノバンのカストロ評は、「世知に長け、機知に富み、好奇心旺盛で、博識の、非の打ちどころのない身なりをした人物であり、人を惹きつける魅力を備えた会話の達人。」というものだった。

ドランとドノバンは、カストロ首相とともにキューバ各地を旅行した際、首相が少数ながらよく訓練された警護を伴って野球場に入場すると、群衆から自発的に喝采が広がったのを目の当たりにした経験から、「キューバ国民の圧倒的な支持を得ている」としたCIAの内部レポートの正しさを確認した。

ケネディ大統領は直感的にキューバ革命に対する同情の念を抱いていた。大統領の特別補佐官で伝記作家のアーサー・シュレンジンガーは、「ケネディ大統領は、ラテンアメリカ諸国が置かれてきた実情に同情的で、米国に向けられてきたラテンアメリカ地域の広範囲にわたる民衆の怒りを理解していた。」と記している。

シュレジンガーは、「カストロは、当初は西側を支持する可能性もあったが、米国の長年に亘る介入と搾取の歴史から、米国に背を向けソ連に支援を求めた。一方、ケネディ大統領がキューバに対して抱いていた異議は、ソ連に利用されてラテンアメリカ各地にソ連の影響力を広げ革命を扇動するためのプラットフォームとしての役割を担わされている点にあった。」と述べている。

Lisa Howard/ Wikimedia Commons
Lisa Howard/ Wikimedia Commons

カストロ首相も、とりわけキューバ危機の後になると、民族主義的な諸理由から、こうしたソ連への過度の依存は好ましくないと思うようになっていた。カストロは、ケネディ大統領の非公式な特使をつとめたABC放送のリサ・ハワード記者との非公式な面談の中で、米国との関係改善を望んでいることを明言している。

ハワード記者は帰国後、ホワイトハウスに対して「非公式面談のなかで、(カストロ首相は)キューバ領に駐在しているソ連政府関係者や軍用装備、キューバ政府が接収したアメリカ人所有者の土地や投資資産に対する補償、そしてキューバが西半球における共産勢力による破壊工作の拠点と見られてきた問題について協議する用意があると明確に述べていた。」と報告している。

キューバ人捕虜が解放されると、ケネディ大統領は、カストロ首相との関係改善の可能性を真剣に模索するようになった。しかし、これは危険水域へと漕ぎ出す行為にほかならなかった。当時は、1964年の大統領選を控え、カストロとの緊張緩和を口にすること自体が、政治的爆弾とみなされていた時期だった。

バリー・ゴールドウォーター(1964年大統領選の共和党候補者)やリチャード・ニクソン(アイゼンハワー政権の副大統領で1960年大統領選時のケネディの対立候補)、ネルソン・ロックフェラー(ゴールドウォーターと共和党候補の座を争った)にとって、キューバ問題は共和党にとって最も利用しがいがある話題だった。また、一部の殺気立ったキューバ亡命者や彼らを支援していたCIA関係者は、キューバとの共存を模索することなど全く許容できない裏切り行為とみなしていた。

1963年9月、ケネディ大統領は元記者で外交官のウィリアム・アトウッドに、キューバとの国交回復交渉を進めるよう秘密裏に指示した。アトウッドは「ルック・マガジン」記者当時にキューバ革命を取材し、米国に敵対するようになる以前のカストロをインタビューして以来既知の間柄だった。

同月下旬、父はアトウッドにカストロとの秘密会談が可能な安全な場所を確保するよう指示している。

10月、カストロはアトウッドがキューバに密かに入国して関係改善交渉ができるよう段取りをつけて、これに応えた。1963年11月18日(ケネディ大統領が暗殺される4日前)、カストロは側近のレネ・バジェホを通じてアトウッドと電話で協議し、秘密会談の議題に同意した。

同じく11月18日、ケネディ大統領はキューバとの関係改善への道筋を開くメッセージを用意していた。キューバからの移民が最も多いフロリダ州マイアミにある「インターアメリカン報道協会」において、米国の政策は、「如何なる国に対しても自国の経済活動をどのように構築するかについて指図するものではありません。あらゆる国家は、その国家のニーズと意思に従って、自らの経済的仕組みを作る自由があります。」と発言した。

またケネディ大統領は、その一か月前にも、フランス人ジャーナリストでル・ヌーヴェル・オプセルヴァトゥールの編集長であるジャン・ダニエルをキューバに派遣し、カストロ首相との間に、もう一つの秘密交渉チャンネルを開いていた。ダニエルは1963年10月24日のカストロとの面談に赴く途上、ホワイトハウスを訪ね、ケネディ大統領から米国とキューバの二国間関係に関するブリーフィングを受けている。

その際ケネディ大統領は、カストロ首相に伝えるメッセージの中で、カストロがキューバ危機を引き起こした責任を激しく非難している。しかしそのあとトーンを一転し、(ソ連との核実験停止条約の早期締結に向けた交渉に入ると発表した)アメリカン大学での演説でソ連国民に示した共感と同じ心情を、キューバ国民に対しても示した。

Fulgencio Batista y Zaldivar

またケネディ大統領は、(カストロが打倒した)腐敗し専制的なフルヘンシオ・バチスタ政権との米国の長年に亘る関係に言及した。ケネディはそのうえで、ダニエルに対し、カストロがキューバ革命の開始に当たり発表した臨時革命政府綱領(シェラマエストラ宣言)を支持していたと語った。

1963年の11月19日から22日にかけて、カストロ首相は、ケネディの秘密特使ダニエルと会談した。カストロは慎重に、予定されるケネディ大統領との会談の詳細、とりわけ、キューバ革命に対する大統領の考え方について、ダニエルに質問した。

カストロ首相はダニエルの回答を一通り聞くと、暫くじっと物思いにふけった。そしてついに、慎重に言葉を選びながら、「私はケネディが誠実な人物だと思う。そして今日の、この誠実さの表明は、政治的意味合いも持つことになるだろう。」と語った。

そしてカストロ首相は、アイゼンハワー政権及びケネディ政権が「共産主義の名目やアリバイが見出されるずっと以前から」キューバ革命を攻撃したことについて詳細な批評を展開した。

Fidel Castro/ Wikimedia Commons

しかし、「(ケネディは)困難な状況を引き継いだのだと思う。米国の大統領はあまり自由ではなく、ケネディも現在、この自由の欠如を実感しているのだと思う。彼はまた、とりわけピッグス湾襲撃の際のキューバ側からの想定される反応について、これまで自分がどれほど欺かれてきたのか今では理解しているだろう。」と付け加えた。

カストロ首相はダニエル特使に対して、「私は、不人気をものともせず、組織と戦い、真実を語り、そしてここが最も重要な点だが、様々な国々が、自らが定めた体制を構築していく自由を認める指導者が北米大陸に現れるのを待ち望んでいる(その点でケネディ大統領はそうした人物に当てはまるのではないか!)」と語った。

さらにカストロ首相は、「歴史的観点からすると、ケネディは、アメリカ大陸においても資本主義と社会主義の共存があり得ることをついに理解した指導者として、米国史上で最も偉大な大統領になる可能性がある。そうなれば、エイブラハム・リンカーンよりも偉大な大統領にかもしれない。」と語った。(原文へ

本記事の中で紹介されている見解は著者個人のものであり、インター・プレス・サービスの編集方針を反映したものではない。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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インド洋大津波から10年、今も貧困と恐怖に苦しむ人々

【コロンボIPS=アマンサ・ペレラ

2004年のスマトラ沖地震により発生した大津波が押し寄せてから僅か30分で35万人の命が奪われ、50万人が住居を失った。そして、1時間もしないうちに10万戸の家屋が破壊され、20万人が暮しを奪われた。

南アジアの多くの人々にとって、クリスマス休暇は、今後も同時に2004年12月26日に襲来した大津波の犠牲となった人々を追悼する記念日として記憶に刻まれていくだろう。

インド洋に位置する島嶼国であるスリランカは、被災者が人口の3%にのぼり国内総生産の5%が影響を受けるなど、この大津波で最悪の被害を被った国の一つである。

大津波がスリランカ南西海岸を襲った際に被害を受け、コロンボ湾入り口で座礁し傾いたままの船舶。(2004年12月26日。IPSアマンサ・ペレラ撮影)

IPSアマンサ・ペレラ撮影
By Amantha Perera

12月26日早朝、同国最大の都市コロンボの南に位置するハミルトン運河に沿ってスリランカの内陸部に侵入してくる津波の第一波。(2004年12月26日。IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

南部ペラリア村で大津波に押し流された鉄道車両の前に軍人とともに立つ僧侶。同地では1000人以上が犠牲となった。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

南部ペラリア村に設けられた集団墓地の近くで悲嘆にくれる女性。被災から10年が経過したが、数千人の遺族が引き続きトラウマと鬱病に苦しんでいる。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

東部バッティカロア県パニチチャンケルニ村の臨時収容所に避難している人々は、スリランカ内戦(1983年~2009年)の矢面に立たされてきた人々でもある。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

スリランカ国家災害管理局(DMC)によると、100万人を超える人々(その大半が貧しい家庭)が沿岸地域から避難しなければならなかった。

北東部は収まる気配のない長引く内戦に巻き込まれて疲弊していたが、大津波被害の大半がこの地域に集中した。

長びく内戦で、住民は、政府軍と反政府勢力「タミル・イーラム解放のトラ」間の戦闘の板挟みとなって苦しんできたところに、さらに大津波に被災した。政府統計によると、大津波被害の実に6割がスリランカの北部と東部の沿岸地帯に集中している。

By Amantha Perera

炎天下のなか、被災した鉄道車両に取り残された遺体から発する臭気から身を守るためにハンカチで鼻と口を覆う男性。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

被災した東部アンパラ県カルムナイ市に拾ったトタン板を運ぶ女性。東部海岸沿いのこの付近の3つの村における大津波による死者は3500人で、スリランカにおける全死者数の実に10分の1を占める。犠牲者の大半は海岸沿いの慎ましい家に居住していた貧しい漁師達だった。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

東部サイナティマルス村は大津波により完全に破壊された。さらに沿岸の漁師らは、スリランカ政府が実施した海岸から100m以内(北・東部では200m以内)をバッファーゾーンとして居住を禁止するという浅はかな政策により、もう一つの障害に直面した。この政策は後に撤回されている。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

東部バッティカロア県パニチチャンケルニ村の浜辺で、大津波で命を失った人々の焼け焦げた遺体を撮影するカメラマン。当時、この地は「タミル・イーラム解放のトラ」の支配地であったため、被災者への支援物資は遅配が続いた。政府軍と「タミル・イーラム解放のトラ」間の配給食糧を巡る諍いの犠牲になったのである。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

大津波で破壊された南部ハンバントタの街を歩く男たち。この街の復興作業はこの後、急ピッチで進められた。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

大津波から10年が経過したが、この大災害の犠牲者を追悼した大きな記念碑は建てられていない。犠牲となった人々を記録した国の公式文書すら作成されていない。一方、沿岸部に沿って所々に小さな記念碑が建立されているが、そのほとんどは風化しており、ペンキの塗り直しが必要だ。

スリランカはこの10年で大きな変貌を遂げた。30年近くに及んだ内戦が終結し、国内避難民は新築や修理した家に帰還した。そして国民の大半にとって、大津波の記憶は過去の悪夢として記憶の彼方に埋没しつつある。

しかし、2004年の大惨事を実体験した数万人におよぶ被災者にとって、あの日の記憶は一生忘れられないものになるだろう。島には復興の槌音が鳴り、高級観光リゾート地へと続く真新しい道路があちこちに敷かれる一方で、多くの被災者は、近親や友人を失った悲しみやトラウマ、そして大津波がもたらした貧困生活から未だに脱することができないでいる。

By Amantha Perera

大津波で破壊された南部ハンバントタの街の瓦礫に立つ幼児。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

大津波から5年後、東部カルムナイ市では当初一年間を想定して建設された一時収容施設に、依然として数百人の避難民が生活していた。この施設から避難民の土地へのアクセスが困難だったことが、被災者の自立支援を進めるうえで、大きな障害となった。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

大津波で破壊された東部カルムナイ市のカラシユ地区をバイクで通過する男性。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

民間資金で復興村に建設中の3軒の家(IPSアマンサ・ペレラ撮影)

By Amantha Perera

2012年4月11日に発令された津波警報を受けて自宅を後にし、道路際で待機している、コロンボ郊外ラトマラナ沿岸地区の住人。自然災害には沿岸に住む貧困層が最も被害を受けやすい。(IPSアマンサ・ペレラ撮影)(原文へ

翻訳=IPS Japan

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宗教が防災と出会うとき

減災には弱者に配慮した救援計画が不可欠

津波が来たらツイートを

|視点|「核兵器に保有されている」(ザンテ・ホール核戦争防止国際医師会議ドイツ支部軍縮キャンペーン担当)

「核兵器の保有は、国際紛争の発生を防ぐどころか、紛争の危険度を高めます。核戦力を警戒態勢に置いても安全は得られず、逆に事故の可能性が高まります。核抑止の原則を標榜しても、核の拡散に対応することはできず、兵器を保持したいという欲求が高まるだけです。」―潘基文国連事務総長

【ベルリン/ウィーンIDN=ザンテ・ホール】

約1000人の人々がウィーンの荘厳なホーフブルク宮殿の会議室に集って、「核兵器の人道的影響」という、筆舌に尽くし難く想像を絶するテーマについて丸2日間に及ぶ議論を行った。国際連合の枠外で国が主催して行われた一連の国際会議の3回目であり、最初の2回はノルウェーとメキシコで開催された。

会議への参加国数は回を追うごとに増えてきており(127ヵ国→146ヵ国→158ヵ国)、このことは、核兵器がいかに容認しがたいものであるかについて意識を高め、核軍縮に向けた圧力を強める意味において会議参加が効果的であることの証拠だと考えられている。

Austrian Chancellor Sebastian Kurz/ Készítette: Kremlin.ru, CC BY 4.0
Austrian Chancellor Sebastian Kurz/ Készítette: Kremlin.ru, CC BY 4.0

一貫して参加を拒否しているロシアとフランスにとっては困ったことに、今回の会議には158か国が代表を送り、米国と英国が今回初めて参加した。会議の最後にオーストリアが、核兵器の禁止と廃絶につながるような「法的ギャップ」を埋める努力をすると誓約し、他国にもそれに参加するよう促した。

オーストリア外務省はこの会議のために最大限の努力を払った。開会セッションにおいて若きセバスチャン・クルツ外相(28歳)は、グローバルな核軍縮を具体的に進展させる新たな推進力を生み出すよう呼びかけた。

国連事務総長やローマ教皇ら影響力のある人びとからのメッセージが、会議の雰囲気を決定付けた。フランシスコ法王は核兵器の被害者らに対して、「彼らが私たちと文明を滅ぼす核兵器の危険性を世界に自覚させ、人類をより深い愛と協力、友愛に導く声となるように。」と励ました。

数多くの著名人がオーストリア外相に書簡を送り、核兵器によるリスクは過小評価されており削減されねばならないとの考えを明らかにした。赤十字国際委員会の会長は、最新の研究によって、「核爆発が起きれば適切な支援や救援は不可能」との既に出されている結論が改めて確認された、と述べた。

サーロー節子氏は、被爆者としての喪失と苦難の体験を語り、会場全体が彼女と悲しみを共にした。

Aは原子(atom)、Bは爆弾(bomb)、Cはガン(cancer)、Dは死(death)

開会セッションでは会議の主要なテーマが紹介され、その後のセッションで、核爆発の影響や核実験、核爆発のリスク、そのシナリオについて詳しく議論された。

Nevada Nuclear Test site/ Wikimedia Commons

科学的なプレゼンテーションの合間には、「風下の人々」(核実験の被害者)による証言があった。米国ユタ州セントジョージの団体「ヒール」(HEAL)から参加した車椅子のミシェル・トーマス氏は、(ネバダ核実験場で50年代から60年代にかけて実施された)100回以上の地上核実験による放射性物質の中でいかに生き、自分たちのコミュニティーが癌、甲状腺障害、白血病等の疾病にいかに侵されてきたかについて熱く語った。生まれた年の核実験で母親の胎内で被爆し現在は4種類の癌を患っているトーマス氏だが、幼少期は「自分たちに原爆被害と死をもたらしているのが冷戦時の敵ではなく、自国の政府であることが理解できず」、核実験に抗議していた母親の行動を恥ずかしく思っていたことを打ち明けた。今では母親の遺志を継いで核実験の被害と政府の責任を追及しているトーマス氏だが、人々から「政府をそれほど厳しく批判して怖くはないのか?」と尋ねられるという。そんな時彼女は、「すでに私は殺されていますから」と答えることにしているという。

女性ら3人による土地や生活、健康の破壊に関する被爆証言に続いて行われた質疑応答の時間で、米国のアダム・シャインマン大統領特別代表(核不拡散問題担当)は重大な判断ミスを犯した。議長が各国の代表に対して、翌日までは発言しないようにと明確に念を押していたにもかかわらず、米国代表は、あえて発言に踏み切ったのだ。その際米国代表は、核実験の被害者に謝罪しなかったばかりか、核軍縮への推進力を生み出すために米国が独自に設定している「やるべき仕事(to do list)」を今後変更するつもりはないと会場の全参加者に対してあえて明言したのである。

Michelle Thomas/ IPPNW
Michelle Thomas/ IPPNW

あまりに残酷で容認できない核兵器

会議の2日目に行われた国際人道法に関するパネルでは、核兵器の使用に関して明確に禁止する条約はないものの、既存の国際人道法や環境法には違反するとの結論が出された。オスロ大学の林伸生氏による発表は、倫理的・道徳的次元まで議論を掘り下げ、拷問と同じく(12月9日に米国上院報告書が発表された際に誰もが思ったように)、核兵器は「あまりに残酷で容認できない」ものであると主張するものだった。「自らの生存のために自身を人質に差し出さなくてはならないと人類が考えていたような時代を私たちはもはや生きているわけではないのだから、今こそこの不必要な苦難から自らを解き放つ好機です。」と林氏は語った。

政治的な意見表明の時間は、100か国の代表が、各々の主張や結論を発表したため、休憩なし、時には通訳なしでも実に5時間を要した。この退屈に時間が経過しがちな雰囲気は、時折市民社会の発表によって破られた。なかでもジュネーブを拠点にした核軍縮イニシアチブ(通称「野火」)の「主席煽動官」を自称しているリチャード・レナン氏の発表が最たるもので、非核兵器国に対して、「いつまでも泣き言をいうのは止めて、自ら核兵器禁止に踏み出すべきです。」と訴えかけた。

いわゆる「イタチ国家」(米国の核の「傘」の下にある国々:原文「weasel states」のweaselには「ずるい人」という意味もある:IPSJ)の代表らは、休憩のためにロビーに出てくると、巨大なイタチ(=米国代表)に迎えられた。レナン氏は、核兵器に「保有されている(憑りつかれている)」核兵器保有国をアルコール依存症の患者に例え、非核保有国に対してそうした習慣を支持しないよう訴えた。また、核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)オーストリア支部のナジャ・シュミット代表は、ICANの声明を発表し、その中で核兵器禁止につながるような、「誰に対しても開かれ、誰によっても妨害されない」プロセスの開始を呼びかけた。

Vienna conference main hall/ Xanthe Hall

人道的なアプローチは、核兵器使用がもたらす影響を国家安全保障上の利益よりも議論の中心に置くものであり、一連の「核兵器の人道的影響に関する国際会議」は、この目的を達成するうえで概して効果的であった。

Nadja Schumidt/ ICAN Austria
Nadja Schumidt/ ICAN Austria

しかし、ウクライナは現在の(ロシアとの)紛争に囚われており、箱の中から飛び出すことができなかった。その代りにやったことは、ロシアに対する口を極めた言葉の攻撃であった。

英国は、核兵器が人間に及ぼす影響は1968年には既に明らかになっていることであり、核兵器の禁止や廃絶のスケジュールを設定することは戦略的な安定性を損ねるとさえ語り、「必要な限り」核ミサイルを維持し続ける意向を明らかにした。

オーストリアの誓約」が、この会議の主要な成果文書である。これが、核兵器の禁止と廃絶につながるようなプロセスを開始する用意を各国が示すためのツールになる。

これ以上のことが2015年春の核不拡散条約(NPT)運用検討会議の前に達成できたとは思えない。しかし、今回のNPT運用検討会議で何の成果もなければ(成果があることを予想している人は少ないが)、オーストリアは、核兵器保有国の参加があろうとなかろうと、「オーストリアの誓約」を通じて固められた支持を利用する形で、[核兵器を禁止する]条約の交渉を開始することになるかもしれない。広島・長崎への原爆投下から70年を迎える2015年は、核兵器禁止の交渉を開始するのに適当な年と言えるかもしれない。(原文へ

※ザンテ・ホールは、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)ドイツ支部の軍縮キャンペーン担当。

翻訳=IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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核保有国、ウィーンで批判の嵐にさらされる

2015年―核軍縮の成否を決める年

|視点|「懸念の共有から行動の共有へ―ウィーン会議への期待」(池田大作創価学会インタナショナル会長)

核保有国、ウィーンで批判の嵐にさらされる

【ウィーンIPS=ジャムシェッド・バルーア】

「無神経でタイミングが悪く、不適切で外交的技量に欠ける発言」で、核兵器の人道的影響に関する国際会議への「参加決定によって米国がせっかく得ていた参加者からの善意の大部分を思わず台無した米国代表」に向かって、ある市民社会組織の代表が「賛辞」を述べると、会場に失笑がこだました。

Richard Lennane

発言したのはリチャード・レナン氏。ジュネーブを拠点にした核軍縮イニシアチブ(通称「野火」)の「主席煽動官」を自称している人物だ。2013年のオスロ会議(ノルウェー)、今年初めのナヤリット会議(メキシコ)に続いて12月8日と9日にウィーン(オーストリア)で開催された通算3回目となる「核兵器の人道的影響に関する国際会議」(非人道性会議)の最終セッションでの席上でのことである。

以前の2回の会議とは異なり、フランス、ロシア、中国と並んで「核クラブ」の一員である米国と英国が、今回の会議に初めて公式参加した。

しかし、米国代表による外交的修辞は、広島・長崎の被爆者や、オーストラリアカザフスタン(旧ソ連時代のセミパラチンスク)、マーシャル諸島での核実験の被害者の証言が会場の参加者の心を大きく揺さぶったのとは対照的に、まったく的外れのものだった。被爆者らは、核兵器の悲惨な影響について力強い証言をし、その内容は他のデータや研究結果を発表するプレゼンテーションを補完する形となった。

米国のアダム・シャインマン大統領特別代表(核不拡散問題担当)は、「数十年に及ぶ我が国の取り組みの基礎にあるのは、核兵器の使用が人間に及ぼす影響に関する明確な理解です。」と断言した。

Ambassador Adam Scheinman/ US State Department
Ambassador Adam Scheinman/ US State Department

しかしこうした主張は、大多数の会議参加者に何ら好印象を与えず、来年開催予定の核不拡散条約(NPT)運用検討会議で何らかの成果がありうるとの希望ももたらさなかった。

会場の落胆は、米国の軍備管理協会エネルギー環境研究所米国科学者連盟核情報プロジェクト社会的責任を求める医師の会憂慮する科学者同盟共同声明で、「2010年NPT運用検討会議の成功から5年近くが経過しているにも関わらず、全会一致の行動計画、とりわけ相互に関連を持った22項目の軍縮措置の実施状況はきわめて残念なものだ」と指摘していることから、なおさらのことであった。

さらに共同声明は、「新戦略兵器削減条約(新START)が2011年に発効して以来、ロシアと米国は、合理的な抑止に必要なレベルを遥かに上回る膨大な核備蓄の削減交渉を開始できていない。」と指摘している。

また2015年は広島・長崎への原爆投下から70年にあたる。広島平和大使であり1945年8月6日の核爆発を生き延びたサーロー節子氏の熱のこもった語りからも明らかなように、被爆者やその家族は依然として原爆投下の帰結を肌で感じている。

「いかなる核兵器の使用も、破滅的で長期に亘る、そして許容できない結果をもたらします。各国の政府がこうした証拠と被害者の証言を聞いたら、行動をしないではいられないはずです。」「唯一の解決策は、核兵器の禁止と廃絶。そして、それを今すぐ始めなければなりません。」と日本のNGO「ピースボート」の川崎哲共同代表は語った。

米国のシャインマン特別代表は一般討論で発表した声明の中で、こうした不安を打ち消そうとして、「米国は核兵器使用の重大な帰結を十分に理解しており、核使用を避けることに最大の優先順位を置いています。米国は、核兵器なき世界の平和と安全保障を追求するここにおられる全ての人々と、共にあります。」と指摘したうえで、「米国は、核不拡散条約体制も含め、さまざまな道具立てや条約、協定の助けを受けながら、そうした世界の条件を創りだすために努力してきたし、これからもそうするつもりである。」と語った。

米国政府の主張の信憑性にかかわらず、シャインマン特別代表のドライでむしろ紋切り型の発言は、158の参加国中44か国の代表が「核兵器が存在し続けるかぎり、意図的、計算違い或いは狂気、技術的・人的ミスによる核使用のリスクが現実にありうる」と情熱的に訴えかけた姿とは対照的なものであった。

ICAN
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ウィーン会議の場で核兵器禁止条約への賛同を示した国は次の通り。オーストリア、バングラデシュ、ブラジル、ブルンジ、チャド、コロンビア、コンゴ、コスタリカ、キューバ、エクアドル、エジプト、エルサルバドル、ガーナ、グアテマラ、ギニアビサウ、ローマ教皇庁、インドネシア、ジャマイカ、ヨルダン、ケニア、リビア、マラウィ、マレーシア、マリ、メキシコ、モンゴル、ニカラグア、フィリピン、カタール、セントビンセントおよびグレナディーン諸島、サモア、セネガル、南アフリカ、スイス、タイ、東ティモール、トーゴ、トリニダード・トバゴ、ウガンダ、ウルグアイ、ベネズエラ、イエメン、ザンビア、ジンバブエ。

フランシスコ法王は、世界的な世論を反映して、会議に寄せたメッセージの中で、「核兵器は完全に禁止されるべき」と訴えた。

Pope Francisco/ Wikimedia Commons
Pope Francisco/ Wikimedia Commons

国連の潘基文事務総長は、アンゲラ・ケイン国連軍縮担当上級代表が代読したメッセージのなかで、オスロ、ナヤリット、ウィーンでの取り組みは「人道的な配慮を核軍縮問題の全面に押し出し、市民社会と各国政府の双方に活性を与えるとともに、私たちに対し、核兵器が使用されれば恐ろしい結果が待っていることを否応なしに認識させました。」と語った。

また核軍縮に熱心に取り組んでいる人物として知られている潘事務総長は、核兵器を正当化する理由に疑問を呈し、「核兵器を世界的な緊張の高まりへの合理的な対応と考えたり、国家威信の象徴とみなしたりする人々に対峙するうえで、核兵器の恐るべき帰結を考慮に入れることが不可欠です。」と語った。

さらに潘事務総長は、「貧困や気候変動、過激主義、情勢を不安定化させる通常兵器の蓄積が、提起する課題に対応できないでいるなかで、私たちを相互に破壊する手段の近代化に資金を費やすことの愚かさ」を批判した。

潘事務総長は、「私たちが核の時代に突入してから70年目を迎えようとしています。」と指摘したうえで、「核兵器の保有は国際紛争の発生を防ぐどころか、紛争の危険度を高めます。」と語った。

潘事務総長はさらに、『軍を警戒態勢に置いても安全は得られず、逆に事故の可能性が高まり核抑止の原則を標榜しても、核の拡散に対応することは出来ず、兵器を保有したいという欲求が高まるだけです。』と語った。

「核兵器保有国が増えれば、世界の安定は確保されるどころか、根底から損なわれてしまいます。」と潘事務総長は語ったが、この見解は、ウィーン会議に参加していた信仰に基づく諸団体の間でも広く共有されていた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

*議長総括はこちらへ(英語版日本語暫定訳

*会議報告書はこちらへ(by Reaching Critical Will)

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|視点|エボラ出血熱、人権、貧困―そのつながりを見い出す(アリシア・エリー・ヤミン米ハーバード大学公衆衛生大学院グローバル・ヘルス専任講師)

【ケンブリッジ(マサチューセッツ)IPS=アリシア・エリー・ヤミン】

西アフリカで発生した壊滅的なエボラ危機は、とりわけ世界的な貧困撲滅活動に対して数多くの教訓を与えている。こうした活動は、2015年に国連で合意予定の「持続可能な開発目標」(SDGs)として知られる一連の目標にまとめられることになっている。

第一に、保健に関する近年の世界的な議論の一部にあった「勝利宣言」的な雰囲気が今回のエボラ危機によって見直されることになるだろう。中には、「感染症などを原因とする予防可能な死をなくすこと」を基礎にして、「北」と「南」、富裕国と貧困国との間で「大規模な収束現象(=健康格差の解消)が一世代の間に起きる」と予測する向きすらあった。

Alicia Ely Yamin
Alicia Ely Yamin

第二に、現実に公的医療や効果的な治療へのアクセスに結びつかない国民皆医療保険も、機能するシステムとの接続を欠いた送金も、エボラ出血熱や、それが引き起こしている社会的破壊を止めることにはつながらない。しかし、この両者ともグローバルな貧困への解決策として高く評価されているものであり、SDGの中に入ってくるものと思われる。

また、医療関係者が割り当てと成果に関連づけて給料を支給されることによって、より生産的に振る舞うインセンティブを与えるとされている「質に応じた医療費の支払い(P4P)」制度も機能しないだろう。

これらすべてを見ていくと、危機の第三の教訓にたどり着く。短期的な成果に囚われ、いわゆる「垂直的な」介入(広い文脈からは切り離された介入のこと)を伴う特効薬的な解決策は、実際見てみると、長期的には、あるいは危機に直面した状態では機能しない、ということだ。

人権活動家らは、より公平性を確保し、組織強化に投資し、保健・開発政策によって影響を受ける人々が意味のある参加を果たせるような空間を開き、効果的かつ利用可能なアカウンタビリティ制度(責任を明らかにする仕組み)を構築するように、力関係を変える必要性について議論してきた。

こうした議論は、主流の公衆衛生や開発援助関係者の間では、現実味に欠け、効果が測定不能でユートピア的だとしばしば批判されるが、今回のエボラ危機は、まさにこうした投資がいかに重要かを示している。

保健医療システムは、単に物品やサービスを技術的に提供するための手段というわけではない。保健医療システムは諸社会における中心的な社会構成要素の一部なのである。つまり保健医療制度はその質次第によって、連帯や平等といった社会規範を表現するものにもなれば、社会的疎外を加速するものにもなりえるのである。

西部アフリカで最もエボラ危機の影響を受けている3カ国(シエラレオネギニアリベリア)は、保健医療システムがエボラ出血熱発生以前から機能不全に陥っており、人々(とりわけ女性と子ども)がしばしば貧困と阻害に苦しんできた国々でもある。

不適切で、いまや壊滅的な状況にある保健医療システム、そして今回のエボラ危機が教育・住宅・食料の危機に及ぼす波及効果は、基本的な経済的・社会的権利へのアクセス、そしてその享受の問題へとつながっていく。これらは、エボラ出血熱の拡大によって起こりかねない違法な移動制限などの市民権の侵害と並んで、重要な問題である。

CDCによる2014年10月1日時点の流行状況/CDC
CDCによる2014年10月1日時点の流行状況/CDC

一方で、人権(市民権及び政治的・経済的・社会的権利)の大規模な侵害がいかにしてエボラ出血熱のような感染症を拡大させているのかを認識することも、同じように重要である。

私たちがこうした西アフリカの国々で目の当たりにしている想像を超えた規模の被害は、単純に疾病の「自然」な病理生理学・流行病学の不可避の帰結というわけでは決してない。

リベリアやシエラレオネが、植民地主義的な搾取の遺産や、近年の腐敗した非民主主義的な政府による収奪に加え、残虐な内戦によって破壊されてきた国であることは、偶然ではない。こうした紛争は、これらの国々における希少鉱物資源を求める強欲な国際需要によって扇動されてきた経緯がある。そして紛争は、共同体を破壊し、家族の単位を壊し、農業や生計、移住のパターンに混乱を生じさせてきた。

また、エボラ出血熱の深刻な影響を受けているこれらの国々の人口の半数以上が厳しい貧困下に生きているのも偶然ではない(シエラレオネで53%、ギニアで55%、リベリアで64%)。先に指摘したように、これらの国々でとりわけ女性と子供が経済的・社会的権利を剥奪されている現実がこうした数字によく表れている。

私がシエラレオネにいた頃は、人間の腸が繋がれていた路上の障害物や暴徒によって手を失った人々が街角で物乞いする姿など、まだ内戦中の恐るべき惨劇のあとが町中の至る所にみられた。

私は内戦終了後にも同国にとどまっていたが、既に人道支援団体はほとんどが脱出しており、取り残された保健医療システムではもっとも基本的な保健上のニーズすら満たすことができない状態にあった。政府施設には基本的な供給や医薬品がなく、医療関係者には縫合用の糸や手袋、流水や石鹸さえなく、手術の際には携帯電話を明り取りに使っている始末だった。

|モンゴル|北東アジア非核兵器地帯は可能

【ジュネーブIDN=ジャムシェッド・バルーア】

北東アジアでは、既存の緊張関係が引き続き悩みの種であり、緊張を緩和し有意義な協力関係を生み出す緊急の行動が求められている。しかし、北東アジア非核地帯の構築は可能であり、優先課題とすべきである。」11月26日にモンゴルのウランバートルで開催された国際会議において、このような提言が出された。

GPPAC

国際会議「核兵器なき北東アジア構築のための諸側面」(GPPAC北東アジア地域会合)の最終文書には、「モンゴルの1国非核地帯化はこの地域において同国が傑出したリーダーシップを発揮した実例であり、核兵器とそれがもたらす危険に対して行動を起こすことを望んでいる国々にとって良き前例となるものである。」と述べられている。

この国際会議は、「武力紛争予防のためのグローバル・パートナーシップ(GPPAC)東北アジアネットワーク」、モンゴルのNGO「Blue Banner(蒼い旗)」、GPPACウランバートル支部が共催し、モンゴル外務省及び経済開発省の後援のもとに開催された。

この会議には、GPPAC事務局本部があるオランダのハーグをはじめ、広州、香港、京都、平壌、ソウル、台北、東京、ウランバートル、ウラジオストックから、市民社会組織の代表や学者を含む60人以上が参加した。

会議では「モンゴルの非核地位と同国が北東アジアにおける信頼醸成、地域の安定、核不拡散を推進するうえで果たしうる役割について」協議が行われ、参加者はこれまでのGPPAC東北アジア地域プロセスにおける声明文(2005年東京アジェンダ、2006年金剛山地域行動計画、2007年・2010年ウランバートル声明)で謳われている、地域における紛争予防、平和構築、核不拡散へのコミットメントを再確認した。

参加者は、事故か故意かに関わらず核爆発の人道的影響に焦点をあてる取組みは重要かつ時宜を得たものであり、核爆発の破滅的な影響への理解を深めることによって、核軍縮の緊急性に対する国際社会の認知を高いレベルで維持するという見方で一致した。そうした観点から、2013年にノルウェーのオスロ、続いて2014年にメキシコのナヤリットで開催された「核兵器の人道的影響に関する国際会議」(非人道性会議)と両会議への市民社会組織の関与を歓迎した。

オスロ会議は核兵器爆発の影響を人道的な観点から焦点を当てたのに対して、ナヤリット会議は核爆発の人道的影響について、その長期的な影響及び公衆衛生、環境、気候変動、食料安全保障、強制移転、開発への影響にもさらに踏み込んで協議した。

参加者は「第3回核兵器の人道的影響に関する国際会議」(12月8日・9日にウィーンで開催)が、被爆者の証言に耳を傾け、核実験がもたらした人道的影響と核兵器に付随する人的・技術的ミスというリスクを検証することで、核廃絶の緊急性について一層焦点をあてるとともに、核兵器の廃絶に向けた交渉開始に寄与することを期待していると語った。

ICAN

そこで参加者は市民社会組織に対して、ウィーンで開催される政府間会議と核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)が12月6日と7日に主催する市民社会フォーラムの双方に積極的に参加するよう呼びかけた。

核兵器の廃絶

参加者はまた、核兵器の使用又は使用の威嚇に対する唯一の効果的な保証は、国際的に法的拘束力のある関連条約を締結し核兵器を完全禁止・廃絶するほかに方法はないとの信念を再確認した。

この観点から、参加者は(核保有国が進めている)既存の核兵器の近代化及び新型核兵器の開発を、核軍縮の目的と義務に矛盾する行動であるとして拒絶した。

また参加者は、9月26日を「核兵器廃絶のための国際デー」とした国連総会の決定と、2013年の「核軍縮に関するハイレベル会合」の開催及び結果を歓迎するとともに、各国に対して、核兵器を廃絶するための具体的な方策と活動を特定するために遅くとも2018年までに「核軍縮に関する第二回ハイレベル会合」を開催するよう呼びかけた。

また国際社会に対して、消極的安全保障に関する普遍的かつ法的拘束力のある取り決めについて交渉を開始し、遅滞なく採択するよう呼びかけた。また同会議は、マーシャル諸島政府が9つの核兵器保有国が核不拡散条約(NPT)の核軍縮義務に違反しているとして国際司法裁判所に提訴した「核ゼロ裁判(Nuclear Zero Lawsuit)」への支持を表明した。

2015年NPT運用検討会議

また参加者は、これまで核軍縮及び核不拡散体制の拠り所となってきたNPT運用検討会議(次回は来年4月~5月にかけて開催予定)に向けた準備について詳細に協議した。そして、核兵器保有国に対して、NPT第6条の核軍縮義務を完全に順守するとともに、2000年NPT運用会議で合意された(NPT第6条履行のための)実効的措置13項目と2010年NPT運用検討会議で採択された最終文書(行動計画)、とりわけアクション5を、実行に移すよう呼びかけた。

会議は、非核兵器地帯が地域および国際の安全保障体制を強化するうえで重要な役割を果たしていることを再確認するとともに、既存の非核兵器地帯の強化への支持を表明した。さらに関連して、1995年、2000年、2010年のNPT運用検討会議において加盟国間の合意が成立しているにも関わらず、「中東非核兵器地帯の創設に関する国際会議」が依然として実現していないことに懸念を示すとともに、同会議が2015年NPT運用検討会議より前に開催されることに期待を表明した。

"Panorama of the United Nations General Assembly, Oct 2012" by Spiff - Own work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikipedia
“Panorama of the United Nations General Assembly, Oct 2012” by Spiff – Own work. Licensed under CC BY-SA 3.0 via Wikipedia

最終文書によると、参加者は、朝鮮半島とその周辺を含む北東アジア地域で緊張関係が続いていることに懸念を表明し、6者会合(韓国、北朝鮮、中国、ロシア、日本、米国)は、依然として重要な役割を果たすことが可能で、同地域の恒久平和実現に資する他の対話の枠組みが真摯に追及されると確信している。

「参加者は、関係改善に向けた信頼醸成措置や北東アジア非核兵器地帯創設の実現可能性を含むこの問題への幅広い取り組みを行うことは、実質的に有益であり、『核の傘』或いは『拡大核抑止政策』は放棄する必要があると確信している。」

また同会議は、域内国家間の不信感を減らし、相互理解と信頼を促進する効果的な方法として、モンゴルのツァヒアギーン・エルベグドルジ大統領が提唱している「北東アジア安全保障に関するウランバートル対話」を歓迎した。

Tsakhiagiin Elbegdorj/ Wikimedia Commons
Tsakhiagiin Elbegdorj/ Wikimedia Commons

さらに同会議は、域内の相互理解と対話を促進するうえで市民社会が重要な役割を果たしており、平和で安定した北東アジアを目指す共通のビジョンを強化発展させるために、市民社会組織が引き続き協力していくことを再確認した。

GPPAC北東アジア地域会合では、今後の議題について、従来の平和と安全保障分野へのフォーカスに加えて、経済、環境、持続可能性、災害救援、ジェンダー、人間の安全保障、市民社会の潜在的な役割等についても焦点をあてる予定である。

参加者は、モンゴル政府の一国非核兵器地帯政策を、地域の安定に対する具体的な貢献として、また、核の脅威に取り組んでいくための革新的なアプローチとして歓迎した。また、核5大国が、モンゴルの非核地位を尊重しそれを侵害する行動をしないと誓約した共同声明を歓迎するとともに、モンゴルの実例が今後同様の問題に取り組む際に良い前例となることに期待を寄せた。

参加者はさらに、市民社会が重要な役割を果たせる核軍縮と紛争予防を推進する世界的な取組みへの支持を再確認した。参加者はその観点から、ICAN、平和首長会議、朝鮮戦争を終わらせるための各国・国際レベルの様々なキャンペーン、日本国憲法第9条を保護・促進するキャンペーンなど市民社会主体の様々な取り組みを支持した。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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【ウィーンIPS=ジュリア・レイナー】

「核兵器の人道的影響に関する国際会議」が12月8日から9日までウィーンで開催されるのに先立って、世界各地から活動家らがこのオーストリアの首都に集まり、「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)が開催した市民社会フォーラム(12月6~7日)に参加した。

議論された喫緊の課題の一つが、今年4月にマーシャル諸島政府が米国および他の8つの核兵器保有国に対して国際司法裁判所(ICJ)で起こした訴訟である。同国政府は、1946年から58年にかけて米国政府がこの小さな島嶼国の領内で60回以上の核実験を実施したことを非難している。

Flag of Marshall Islands
Flag of Marshall Islands

マーシャル諸島が当時米軍の核実験場に選ばれたのは、単にそこが世界から孤立している場所だったからということだけではなく、米国が実効支配する「太平洋諸島委任統治領」の一つだったからである。その後マーシャル諸島では1979年に自治が始まり、1986年には米国との自由連合盟約国として独立した。

マーシャル諸島の人々は(核実験について)何も知らされず、同意をとることもされず、長い間、核実験によって地域社会にどのような害がもたらされるかについて知らされていなかった。

その結果は非情なものであった。人々は、核実験で放射能汚染され数千年にわたって住めなくなった島から移住させられた。奇形児やガンも発生した。一方、度重なる核実験を実施した米国政府は、核実験が及ぼす害などないと主張し、適切な医療を提供することさえ拒否した。

キャッスル・ブラボー」は、1954年に米国がマーシャル諸島のビキニ環礁ウェトニク環礁で行った計6回の核実験の第一弾に与えられたコードネームであり、1945年に広島に落とされた原爆よりも1000倍強力なものであった。

 Marshall Islands politician Tony deBrum/ By U.S. Department of State - This file has been extracted from another file, Public Domain
Marshall Islands politician Tony deBrum/ By U.S. Department of State – This file has been extracted from another file, Public Domain

ICAN市民社会フォーラムで発言したマーシャル諸島政府のトニー・デブルム外相は、核兵器なき世界に向けて立場を明確にするためにICJへの提訴を決意したと説明した。

デブルム外相は、「米国はすでにマーシャル諸島に数百万ドルを支払っており、マーシャル諸島政府としては補償を請求する意図はありません。私たちはそのうえで、核保有国に、核不拡散条約(NPT)が定める軍縮義務や国際慣習法に違反している責任を取らせたいのです。」と語った。

1970年に発効したNPTは、核軍縮と原子力の平和的利用を核兵器国に義務づけている。現在核兵器を保有している9つの国は、米国、英国、フランス、ロシア、中国、インド、パキスタン、北朝鮮、イスラエルである。

冷戦終結以来、ある程度の軍縮は実施されてきたが、この9か国で依然として約1万7000発の核弾頭を保有し、世界全体で年間1000億ドルを核戦力に費やしている。

David Krieger/ NAPF
David Krieger/ NAPF

数多くの組織から世界的な注目と支持を集めたマーシャル諸島の事案は「ダビデ対ゴリアテ」としばしば形容されている。マーシャル諸島の訴えを支持している著名な団体の一つが核時代平和財団である。同団体のデイビッド・クリーガー会長は、「マーシャル諸島は、小さくとも肝が据わった国だ。いじめを受けるような国でも、あきらめるような国でもありません。」と語った。

クリーガー氏はさらに、「核兵器で何が問題になっているのかをマーシャル諸島政府は熟知しています。そして人類の生存のために法廷で闘っているのです。マーシャル諸島の人々が米連邦裁判所と世界最高位の裁判所である国際司法裁判所にこの闘いを持ち込んだことに対して、支持と理解を与えなくてはなりません。」と語った。

もうひとつの強力な支持団体が創価学会インタナショナル(SGI)である。仏教団体であるSGIは平和や文化、教育を主唱し、世界中で1300万人の会員を擁する。創価学会青年部は「Nuclear Zero(核兵器廃絶)」署名運動を支持して、核兵器なき世界を求める500万を超える署名を日本で集めた(512万8259人分の署名用紙が集まったほか、多数の賛同者がインターネットによる署名を行った)。

このキャンペーンは、広島・長崎への原爆投下から70年を迎え、核不拡散条約(NPT)運用検討会議が開かれる2015年に向けて行われたものである。

Seikyo Shimbun

ICAN市民社会フォーラムで発言したデブルム外相は、「これまで長年に亘って、(核実験によって)自分たちに起こった出来事について訴えるマーシャル諸島の人々の声は、国際社会に届けるには、十分に強く大きなものとは言えませんでした。しかし彼らは、自分たちに起こったことが地球上の誰の身にも起こってほしくないと必死に訴えているのです。」と語り、マーシャル諸島の主張を支持するよう参加者らに訴えた。

デブルム外相は続けて、「『核兵器の狂気』を止めるための訴訟を提起する機会が生まれた時、我が国はそうした手続きを踏む決意をし、その訴訟の中で『我が国がやらねば誰がやるのか、今でなければいつやるのか?』と宣言しました。」と語った。

またデブルム外相は、多くの人びとから、人口わずか7万人の国が世界最強の国々を相手に議論を醸し出している問題について訴訟に踏み切るなど馬鹿げて見えるし意味をなさないとして決断を踏みとどまるよう説得しようとするアプローチがあったことを認めた。

しかしデブルム外相は、「度重なる核実験の影響を全く受けなかったマーシャル諸島国民は誰一人としていません……私たちは核兵器の影響を直接に経験してきたことから、今回自分たちが行動に踏み切ったことを実行する責任があると感じていたのです。」と語った。

今月ウィーンで開催された「核兵器の非人道的影響に関する国際会議」(非人道性会議)は通算3回目の会議である。第1回はノルウェーのオスロで2013年3月に開催され、2回目はメキシコのナヤリットで2014年2月に開催された。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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「すべての宗教が連合して自らの英知を引き出し、その結合した巨大な知の宝庫の利益を国際法と世界に提供することが今ほど必要とされている時はありません。」

これは、元国際司法裁判所(ICJ)判事で1997年から2000年までは副所長を務めたクリストファー・ウィラマントリー氏の言葉である。オーストリアの首都で核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)主催で12月6日・7日に開催された「市民社会フォーラム」の一環で開かれた宗教間会議「希望を灯し勇気を奮い起こす―核兵器廃絶へ宗教者の連帯」での発言だ。

Christopher Gregory Weeramantry, born 17 November 1926 in Colombo, Sri Lanka/ By Henning Blatt - Own work, CC BY-SA 3.0
Christopher Gregory Weeramantry, born 17 November 1926 in Colombo, Sri Lanka/ By Henning Blatt – Own work, CC BY-SA 3.0

ウィラマントリー氏は、核兵器が過去50年において世界を戦争から救ってきたと主張する人々の議論を批判した。

ウィラマントリー氏は核兵器により絶えず存在する危険について指摘し、多くの場合において、破滅的な核事故や壊滅的な核戦争の勃発が防がれてきたのは幸運に過ぎないと語った。

この宗教間会議には、「核兵器は宗教のあらゆる原則を侵害する」と指摘したウィラマントリー氏のほか、ムスタファ・チェリッチ氏(ボスニア・ヘルツェゴビナ・イスラム共同体最高指導者)、エラ・ガンジー氏(マハトマ・ガンジーの孫で平和活動家)、アケミ・ベイリー=ヘイニー氏アメリカ創価学会インタナショナル婦人部長)など、様々な宗教指導者がパネリストとして登壇した。

様々な問題に関連して宗教団体の間にはしばしば立場の違いがあるようだが、パネリストの全員が、道徳的な義務を明確に打ち出し、全ての宗教に本質的に備わっている類似した価値観を宣言した。

Mufti Mustafa Ceric
Mufti Mustafa Ceric

ムスタファ・チェリッチ氏によると、「信じるかどうかという問題ではなく、地球の破壊を座して待つつもりなのかどうかという問題なのです」という。

チェリッチ氏はまた、「人類の目標と価値は共通の道徳的・倫理的基準によって特徴づけられます。その意味で、今日の宗教団体の役割はかつてないほど高まっています。」と強調するとともに、「社会における恐怖と不信に直面して、宗教団体には、世界の平和と安全をもたらす責任があります。」と語った。

アケミ・ベイリー=ヘイニー氏は、母親が1945年の広島の被爆者であるという自身の経験から、感動的な発言をした。

Akemi Bailey-Haynie, national women’s leader of the Buddhist organisation Soka Gakkai International-USA. Credit: SGI
Akemi Bailey-Haynie, national women’s leader of the Buddhist organisation Soka Gakkai International-USA. Credit: SGI

「核兵器が抑止力あるいは戦争における実行可能な選択肢とみなされているとき、すべての人間が無限の可能性を有していることが根本的に否定される発想があるように感じます。他者の尊い命を奪う権利など誰にもないのです。」

ベイリー=ヘイニー氏にとって、核兵器は大量破壊以外に何の目的も達しない。ヘイニ―氏は、「核兵器は人間や環境に壊滅的な影響をもたらし、核事故や核テロの可能性は否定できません。」と指摘した上で、「(核問題に関して)異なったあるいは反対の見解を持つ人々の間での対話が、この問題に変化をもたらす第一歩となるのです。」と語った。

「被爆二世として、最も非人道的な兵器である核兵器が禁止されている時代にまだ生きることができないのは、悲しくもあり、怒りも覚えます。」

ノーベル平和賞受賞者で南部アフリカ聖公会のケープタウン元大主教であるデズモンド・ツツ氏は参加者に送ったビデオメッセージで、ICANの市民社会フォーラムの取り組みに深い連帯と支援を表明した。

広島・長崎原爆の犠牲となった人々を追悼する最良の方法は、核兵器を完全に禁止して同じようなことが二度と起きないようにすることです。」とツツ氏は語った。

"Hiroshima Aftermath - cropped Version" by U.S. Navy Public Affairs Resources Website
“Hiroshima Aftermath – cropped Version” by U.S. Navy Public Affairs Resources Website

エラ・ガンジー氏とムスタファ・チェリッチ氏の2人のパネリストは、12月8日・9日に開催された「第3回核兵器の人道的影響に関する国際会議」にも出席した。

Mahatoma Gandhi/ Wikimedia Commons
Mahatoma Gandhi/ Wikimedia Commons

そこでエラ・ガンジー氏は自身の祖父マハトマ・ガンジーの精神においてスピーチを行った。そして「もし彼がまだ生きていたならば、核兵器廃絶運動に加わっていたでしょう。」と語った。

マハトマ・ガンジーは、紛争に対処するために非暴力的な方法があると人類に説くことに人生を捧げたが、1946年に核兵器を非難して「原爆の精神性は不道徳的で、非倫理的で、中毒性で、唯一悪のみがそこから生まれるものだ。」と述べている。

核兵器が存在するだけでも、ライバル国による同様の軍備につながると指摘したエラ・ガンジー氏は、こうした核戦力は将来の世代が生き延び豊かな生活を送るチャンスを奪いかねないものだと警告した。

第3回核兵器の人道的影響に関する国際会議」は、160か国以上の政府代表と核の犠牲者、市民社会の参加者による、活発でしばしば心を動かされるような議論の場であった。とりわけ、米国と英国がはじめてこの会議に公式参加し、両国の核兵器が討論と批判の対象となった。

Pope Francisco/ Wikimedia Commons
Pope Francisco/ Wikimedia Commons

宗教は会議において重要な役割を果たした。多くのロビー集団が宗教的背景を持ち、開会式ではフランシスコ法王のメッセージが伝えられた。

「人間の心に深く根付いている平和と兄弟愛への思いが具体的な形で実を結び、私たち共同の家のために核兵器が完全に禁止されるようになると信じています。」とフランシスコ法王は語りかけ、「核兵器なき世界は真に可能だ」との希望を述べた。

SGI平和運動局のプログラムディレクターである河合公明氏は、2日目の一般討論の席上、核兵器廃絶を求める宗教コミュニティーを代表して共同声明を発表した。「核兵器の廃絶は道徳的義務であるだけでなく、人類の種としての価値を決定づける究極の指標であります。」

「核兵器の存在を容認し続けることは、私たちが人間としていかなる存在であり、どれほどの潜在力を有するかについて、より広く温かい心で考える能力の発揮を妨げます。人類は、紛争解決のための新たなる方途を見つけなければなりません。」と河合氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|視点|世界市民への長い旅(カルロス・アルベルト・トーレスUCLA教授、パウロ・フレイレ研究所所長)

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ヴォルテールは私の観点に近いことを言ったように思います。彼は、『自分が信ずることのために死ぬ用意はあるが、自分が信ずることのために人を殺す用意はない。』と語った。原理主義を見てみれば、それはひとつの問題だし、社会において個人の利益追求のために引き起こされる暴力を見てみれば、それもひとつの問題です。世界がバラバラに分断され、誰かが誰かを支配しようとすれば、また紛争が生まれ、戦争に巻き込まれるのです」―カルロス・アルベルト・トーレス教授

【名古屋IDN=モンズルル・ハク】

世界市民教育とりわけ金融投機に対する課税を資金源としたそれは、健全な愛国主義を促進するだけではなく、平和の大義を育み、国家主義や原理主義的な傾向に対抗するものとなる、とカルロス・アルベルト・トーレス教授が独占インタビューで語った。

カリフォルニア大学ロサンゼルス校(UCLA)教育・情報学大学院の教授(社会科学・比較教育学)であるトーレス氏は、世界市民に関連した問題の専門家である。この10年間トーレス教授は、グローバルな視点から、人権や多元主義、市民権といった問題に取り組むとともに、世界市民教育に関する理論的観点を定義づけるうえで重要な貢献を果たしてきた。1991年、同僚とともにパウロ・フレイレ研究所を立ち上げ、現在その所長を務めている。

11月に名古屋で開催された「持続可能な開発のための教育(ESD)に関するユネスコ世界会議」に参加したトーレス教授は、IDNインデプスニュースに対して世界市民の概念-その次元、可能性、そして理念を現実に変換する際の困難などについて語ってくれた。以下はインタビューの抜粋である。

IDN:近い将来における世界市民の実現について、どの程度楽観視しておられますか?

トーレス:もし楽観視していなければ、このテーマについて話していないでしょう。かつてパウロ・フレイレ氏(ラテンアメリカにおける民衆教育という伝統を切り開いた先駆者とされるブラジル人教育者で、教育を通じた社会変革の象徴とされる人物)は、よく「自分たちの夢の実現に取組まなくてはなりません。夢には、今日の夢もあれば明日の夢もあります。」と言ったものです。私の目標は、私たちが今日の夢を持てるようにすることです。

世界市民という考え方は、概念としていくつかの異なる側面を持っています。一つは、批判的な見方を明確に示すということが挙げられます。次に、新自由主義というグローバルモデルの概念に替わるものという位置づけです。新自由主義は実際、教育に有害な影響を及ぼしてきたと考えています。その影響はとりわけ、「ハイステイクス・テスト(大学入試や資格試験など合否の結果が受験者に極めて大きな影響を与えるような類のテスト)」や「成績責任モデル(学業成績に応じて学校への予算配分が決定される方式)」の領域に表れています。通常それらは、実際に起こっていることと、世界市民教育とどう繋がっているかを把握するというよりも、むしろ権力を操作する手法と結びついているのです。

とはいえ、この(世界市民と言う)概念が成功を収めるには、明確な概念化が必要です。第二に、法的な拘束とでも言うべきものが必要です。つまり国際法の中に、この概念において提案されている定義を擁護する法的要素がなければなりません。第三に、私たちの活動の根拠を明確に示し定義するような原則、つまりこの場合、地球を守り、人々を守り、平和を守るような原則が必要です。

非物質的な価値として平和という言葉を使うとき、私は本気で言っているのです。たとえ個人でも、何らかの平和が達成されるとき、私たちは前進できるからです。あなたが信仰心のある方かどうかは存じ上げませんが、「精神性」に関する私自身の考え方は、内なる平和を達成することと関係しています。そして、内なる平和を達成することで、「成就」の感覚を達成することができるのです。さもなければ、それを手にすることはできません。それは、現実から逃げていることを意味しません。それは、現実に取り組み、自らの闘争を推し進めるためにこの新たに見つけた平和を使おうということを意味するのです。それはパラドックスのように見えるかもしれませんが、そうではありません。平和は社会の非物質的な価値であり、それをグローバルな運動として推進していく必要がある、とでもいいましょうか。

これらを手に入れることができれば、あとは何らかの革命を起こす、ということになるのです。これらの革命はいくつかのレベルにおいて使うことができます。一つ例を挙げましょう。なぜ世界にはこんなに不平等が広がっているのか、ということについてです。それは、平和が必要であるこということを言わずに、システムを巧みに利用して利益を得、蓄財している人達がいるからです。それではこの問題について考えてみましょう。トービン税という考え方があり、欧州では支持されています。トービン税は投機と通貨取引に対して懸けられる極めて低率の課税で、もし誰かが投機行為を行ったら、各取引毎に税を支払わなくてはならない、というものです。課税される額は極めて少額ですが、金融資本主義の循環速度を考えると、全体の額はとても大きなものになり得ます。では、その莫大な税収益をどう使えばいいでしょう? 私なら教育に使います。それは何故でしょう? それは、世界市民を育む教育が必要だからです。これでおわかりのように、これは革命の一つの例であり、他にも例を挙げることができます。

それは、容易かつ即時に受け容れられる概念になるでしょうか? もちろんそんなことはありません。だから、この概念の重要性やその含意、それが日常生活においてどう適用可能かを人々に理解させるような知的説得のモデルを作らなくてはならないのです。最後に、最大のジレンマの一つは、世界市民というこの概念が国民としての市民権の助けとなる方法を見出すことができるか、というところにあります。その答えはイエスだと思います。この点について、私は現在同僚らと取り組んでいるところです。

IDN:この考え方(=世界市民)はナショナリズムとぶつかることになりませんか?


トーレス:
ある意味ではぶつかることはありません。なぜなら私たちは地域とグローバルの両方のレベルを見ているからです。もしグローバルなものが地域で作動し、地域的なものがグローバルなレベルで作動するならば、両方がぶつかることはありません。しかし、世界市民は民族的ナショナリズムとはぶつかるでしょう。なぜなら、それは特定の民族集団だけを特権化するようなナショナリズムのモデルだからです。また、誰も収奪すべきではない環境資源を収奪するようなナショナリズムのモデルともぶつかるでしょう。公害が容認されるようなナショナリズムとはぶつかるでしょうし、こうしたナショナリズムは概して一方的で、.環境をまったく顧慮することなく資本蓄積するモデルを手放したくない経済的エリートによってコントロールされたものだと言えるでしょう。

では、愛国主義の点で「世界市民」はナショナリズムとぶつかることになるでしょうか。答えはノーです。どんな種類の愛国主義について私たちは語っているのでしょうか。ここに、政治的・哲学的観点からのこの言説のジレンマの一つがあります。では、これはどうでしょう。パトリア(patria)は、母国(motherland)を意味します。愛国主義とは母国に対する愛です。ですから、母国を愛するということは、他者の母国に対する攻撃を促進することに本質的に熱心になるように人びとを仕向ける可能性があります。したがって、世界市民と平和を推進するという考え方は、全てではないにせよ、一部のナショナリズムのモデルにおける非合理的な傾向を抑えるということなのです。第二の要素は、ナショナリズムとは常に、建国の文書(founding document)、つまり成文憲法の源と結びついているということです。米国憲法は、数多くの他国の憲法に刺激を与えた最も成功した憲法でした。では、米国において愛国主義を定義するものは何でしょうか? 唯一の解答は、自由の理念です。では、どのようにしてその理念に感情的に結びつくのでしょうか?

IDN:アメリカ的な生活様式を通じてですか?

トーレス:しかし、どのようにして自由の理念を定義するのでしょうか? より限定的に、「わかった、このアメリカ的な考えはひとつの例外に過ぎない」と言いたいことでしょう。しかし、自由の理念と結びついた愛国主義の概念を説明するある種の物語を作る必要があると思います。また別の例が欧州諸国の一部で熱心に議論されていて、米国にも広がりを見せています。それは「憲法愛国主義」と呼ばれるもので、憲法をよく観察し、憲法の原則によって生きていこうとする試みです。しかし、ナショナリズムが憲法を抑え込んだらどうなるでしょうか?あるいは、ナショナリズムが、ある一国の内部で基本的な社会化(=社会の規範や価値観を学び、社会における自らの位置を確立すること:IPSJ)にとってきわめて有害となるような愛国主義の政治的な形をとるようになったらどうなるでしょうか? そうしたすべての想定への答えは、私たちには「世界市民」が必要だということです。それは、媒介項として機能するのです。

IDN:この概念は現実にどう機能するのでしょうか?

トーレス:ある種のグローバルな法が必要だと申し上げました。私たちがなさねばならないのは人々を説得することであり、このこと(=世界市民)に関心を持つ集団を作り上げる必要があります。一方で、世界には既に多くの世界市民が存在するのです。

IDN:しかし、他方では、原理主義やナショナリズムの傾向が存在しますね。

トーレス:こうした傾向に向き合い、こうした傾向に平和的に対峙し、説得を試みなくてはなりません。しかし、すでにこの世には世界市民権が存在するのです。環境闘争に関連がある全ての人々のことを考えてみてください。彼らは世界市民です。彼らは私やあなたとは関係のない利益を追求しているのでしょうか。そんなことはありませんね。彼らは、地球の独立した利益を追求しているのです。他にも例えば、飛行機で暮らしているような、今日は大阪で取引をし、明日はマレーシアで別の取引をし、またロンドンに戻ってくるようなビジネスマンがいます。3週間も経たないうちに5つの異なる大陸を股にかけてこうした取引を結ぶのです。彼らもまた世界市民です。彼らには、ビジネス倫理ではなく世界市民倫理に従ってほしいのです。それは長い道のりですが、どこかから始めなくてはなりません。私が最初にこのことに取り組み始めたのは2002年のことでした。学者はこの間、このことに関する矛盾やら、ありとあらゆることを書いてきました。今こそ、いかにして私たちが世界を変えるかに目を向け始めてほしいのです。

私は、「批判理論」という観点から出発しました。批判理論においては、世界を再現するために教えたり研究したりするのではありません。世界を変えるために、教え、研究するのです。これは根本的な原則です。そして、一部でもそれを達成し、もっともっと平和のうちに暮し、地球をもっともっとよく守ることができるならば、私が「グローバル・コモンズ」と呼ぶもの、すなわち、地球や人々、平和を達成することになるのです。

IDN:世界市民を理解するうえで直面する困難のひとつは、軍隊の存在ではないでしょうか。軍隊は通常、仮想敵から「母国」を守るという狭い国家的な観点から訓練を受けています。脱軍事化を行わずして真の世界市民になることが可能でしょうか?

トーレス:軍人などもう必要ないと言える日がいつか来るといいですけど。そう言えたらいいですよね。でも、そんなことは起こらないでしょう。心理分析的に言えば、個人は圧力の上に成り立っています。それを修正したり、コントロールしたり、補ったりすることはできます。しかし、それは私たちの中にあるのです。圧力をいくらか弱めることはできるかもしれませんが、それは私たちの中にあるのです。ひとつは性的刺激であり、それは良いもの、悪いものから暴力にいたるまで数多くのものと関係していますが、同時に、良いもの、悪いものからも関連して起きるのです。なぜなら、もし誰かが突然にあなたやあなたの妻、娘を襲ってきて、あなたが誰かを守るために暴力で対抗したならば、対抗するあなたの能力は明らかに前向きなものとみなされるでしょう。しかし、もしあなたが、挑発も受けておらず特に理由もないのに誰かを襲ったりしたら、それは良いことだとはみなされないでしょう。しかし、あなたも私も、そして誰もが、リビドーと暴力という二つの部分を持っているのです。このために、暴力というオプションを完全になくしてしまうことは無理なのです。

革命は、自分たちが否定されているような状況を終わらせると民衆が決意したときに起こります。革命は暴力的なこともあれば非暴力的なこともあるでしょうが、変化は起こります。私の見方は、市民権について考えるときに直面する真の問題は、あなたは自分の市民権のために死ぬ用意があるか、ということです。あなたは、自分の「母国」への帰属のために死ぬ用意があるか? もしあなたがそうした仕事、たとえば国防軍にでも属していないならば、きっと「イエス」と答えることでしょうね。でももし、徴兵で軍に入れられ、自発的な入隊ではないとしたら、「ノー」ということになるかもしれません。しかし、むしろ、そこまで大胆にはならないでしょう。

ヴォルテールは私の観点に近いことを言ったように思います。彼は、「自分が信ずることのために死ぬ用意はあるが、自分が信ずることのために人を殺す用意はない。」と言いました。原理主義を見てみれば、それはひとつの問題だし、社会において個人の利益追求のために引き起こされる暴力を見てみれば、それもひとつの問題です。世界がバラバラに分断され、誰かが誰かを支配しようとすれば、また紛争が生まれ、戦争に巻き込まれるのです。

しかし、欧州で起こったことを考えてみてください。歴史的に思考してみてください。信じられない数の戦争が、欧州の国民国家の構成と関係があるのです。現状を見てみてください。何の保証もありません。クリミア共和国(今年ウクライナから事実上分離し、ロシア連邦に編入された国家)があり、ロシアがあります。何の保証もないのです。しかし、それでもここまでやってきたのです。(原文へ

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|視点|なぜ核軍縮が依然としてもっとも重要な問題なのか

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フィンランドの環境活動家兼科学者で、小説が数か国語に翻訳されているTähtivaeltaja賞受賞作家のリスト・イソマキ氏はこのコラムで、世界中に現存する核施設に備わっている、実際には想像を超える破壊能力について述べ、核技術を元のパンドラの箱に戻すという不可能に挑戦すべきだと論じている。

【ヘルシンキIPS=リスト・イソマキ】

冷戦たけなわの頃、世界全体の核兵器の爆発能力は、広島型爆弾の300万発分にも相当した。米国だけでも広島型の160万発分の破壊能力を保有していた。

ICAN
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それ以来、こうした兵器の多くが解体され、数千発の核爆弾に含まれていたウランは原子炉用燃料に転換された。

将来の歴史家たちは、20世紀の諸政府が数兆ドルにのぼる莫大な費用を投じてガス遠心分離器で天然ウランを兵器級ウランにまでいかにして濃縮し、そしてその兵器級ウランを希釈して再びいかにして天然ウランに戻したかについて、あまり積極的にコメントしようとはしないだろう。

このような傾向から、多くの人びとや諸政府は、核軍縮はもはや重要な問題ではなくなったと考えるようになってしまった。

確かに核戦争が勃発する可能性は、1962年のキューバミサイル危機の時や、冷戦期のその他の身の毛もよだつような危険な瞬間よりも、現在では相当に低くなっている。

にもかかわらず、核戦争の危険が永遠に過ぎ去ったと考えるのは重大な誤りである。

私たちはまだ悪の魔人(ジニー=核兵器)を瓶の中に戻すことに成功したわけではない。米国とロシアが依然として保有している核戦力は、広島型原爆8万発相当の威力を有しているとみられている。これは、冷戦期の軍拡競争の最中と比べると約40分の1に過ぎないが、それでも世界を破壊するのに十分すぎる量である。

世界の核戦備蓄量は以前より小さくなっているが、(破棄されずに)残っている核兵器は以前よりも命中精度が高く、総じて小型化されている。これによって、いつの日か核兵器が使用されるハードルが下がることになるかもしれない。

さらに、あらゆる種類の核兵器の破壊能力を私たちはひどく過小評価してきたようだ。

広島でも長崎でも、核爆弾は大規模な火災を引き起こし、その半径内に入った人間を全て焼き殺した。しかし、米軍の科学者は、火災による影響は予測不能とみなし、50年間にわたって爆風の影響ばかりを分析してきた。

これは、スタンフォード大学国際安全保障協力センターのリン・エデン博士が『全世界が火の手に(Whole World on Fire):組織、知識、核兵器による破壊』という重要な書物の中で明晰に述べているところだ。

Whole World on Fire: Organizations, Knowledge, and Nuclear Weapons Devastation
Whole World on Fire: Organizations, Knowledge, and Nuclear Weapons Devastation

2002年、パキスタンとインドとの間に核戦争が勃発する可能性があると危惧した米国は、両国に対して、南アジアの核戦争で1200万人が死亡する可能性があると警告した。

しかし核爆発の爆風のみを考慮に入れて出されたこの「1200万」という数字は、ばかげたほど低いものだ。近年の研究によれば、核爆発によって引き起こされる火災の半径は、爆風の影響を受ける半径よりも2~5倍長いとされている。従って実際には、爆風の影響を受ける地帯よりも火災によって破壊される地帯は4~25倍広いということになる。

第二次世界大戦時の広島や長崎ハンブルクドレスデンでの大火災は、極めて強力な上昇気流と、火の周縁から中心に向けたハリケーン並みの速度の強風(火災旋風)を生み出した。

近代都市における核爆発は、都市がアスファルトやプラスチック、油、ガソリン、気体の形で大量の炭化水素を含むため、より激しい大火災を引き起こす。

ある研究によれば、ニューヨークのマンハッタンで小さな広島型の核爆発があった場合に起きる火災でも、毎時600キロメートルという、火に向かって吹く強力なスーパーハリケーン並みの風が発生する。ほとんどの高層ビルは、毎時230~250キロの風に耐えられるようにしか設計されていない。

ICAN
ICAN

最悪のシナリオは、地上から遠く離れた高高度で核爆発が起きるケースである。米国議会の設置したいわゆる「電磁パルス(EMP)攻撃による米国への脅威評価委員会」(EMP委員会)によれば、米本土の上空160キロメートルでメガトン級の核兵器を爆発させた場合、1年以内に米人口の7~9割が死亡する可能性があるという。

核爆発は常にきわめて強力な電磁パルス、より正確に言うと3種の異なった電磁パルスを発生させる。これらは、見通せる範囲内にあるすべての防護されていない電子機器を透過する。160キロメートルの高度からだと、米本土のあらゆるものが見通せる範囲にある。あらゆるものが電気で作動しており、実際には電磁パルスから防護されているものなどない。

The Heritage Foundation
The Heritage Foundation

言い換えれば、一発の核兵器が、とりわけ、医療や水供給、下水処理施設、農業生産、医薬品・ワクチン・肥料を製造する工場・研究所を破壊しつくす可能性があるということである。

欧州も同様に(核爆発が引き起こす電磁パルスに)脆弱であり、インドや中国のようなその他多くの国々も、旧来からの工業先進国が既にそうであるように「脆弱な国」になるべく専心している最中である。

EMP委員会によれば、電子機器を電磁パルスから防護するために強化してもその価格は3~10%上昇するだけであり、電器製品のうち主要な10%を防護するだけで、組織化された社会の主要機能を保護するのに十分だという。しかし、実際には、どの国においても、このような対策はとられていない。

私たちは核軍縮のことを忘れるわけにはいかない。なぜなら、それは依然として最も重要なことであるかもしれないからだ。

核戦力をさらに削減し、原子力発電へのよりよい代替案を生み出すために、比較的平穏な時代をできるだけ効率的に利用するのがおそらく賢明というものだろう。さもなくば、没落する大国と勃興する大国との間での緊張がいつか再び新たな核軍拡競争を生み、壊滅的な結果を生むことになるかもしれない。

原子炉の拡散もリスクを増している。原子炉を建設する能力を獲得した国はいずれも、核兵器を製造する能力を獲得したことになる。

原子炉は元々、核兵器のための原料をうまく作るために開発されたものだったが、あらゆる原子炉は、毎秒ごとにプルトニウムを製造している。

核爆弾に使用される兵器級ウランは、原子力発電所用の燃料を製造するのと同じガス遠心分離器によって濃縮されている。

第四世代原子炉、すなわち増殖炉を私たちが製造し始めたら、危険はより増すことになるだろう。増殖炉の場合、原子炉の一部として、15%、20%、あるいは60%にまで濃縮された容易に核分裂する放射性同位体を含んだ核燃料を必要とする。この種の燃料は、さらに濃縮することなしに初歩的な核兵器製造に使用しうる。

いったん技術が開発されてしまったら、「パンドラの箱」の中にそれ(=核兵器)を戻すことはできないとよく言われる。しかし、核技術に関しては、それをやってみなければならないのだ。人類の長期にわたる生存は、この選択にかかっているのかもしれない。(原文へ

翻訳=IPS Japan

 translated by Katsuhiro Asagiri, Japanese editor of IPS and its partner (IDN) articles, providing additional information of relevance for Japanese readers.

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