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|タイ|HIV/AIDS蔓延防止に向けた仏教界の試み

【IPS HIV/AIDS研究事業現地取材からの抜粋】

本プロジェクトは、深刻化するHIV/AIDS問題に関して、仏教界として地域コミュニティーに貢献することを目指して僧侶達自身によって始められたもので、僧侶がHIV/AIDS感染者と一般コミュニティーの仲立ちをしながら、仏教の教えに基づいて共生していける環境作りを目指している。 

タイ社会では伝統的に僧侶は「仏の智恵を説く教師」として敬われており、村人たちも僧侶の発言には謹んで耳を傾ける習慣がある。本プロジェクトは、僧侶の「教師」としての役割を重視しており、僧侶や尼僧は、僧院でHIV/AIDSに関する知識と、その知識を仏教の教えに基づいて効果的に村人達に伝達する技術(participatory Life Skills Development approach)を身につけた後、地域コミュニティーの中に入り込んで活動を展開している。

 僧侶達は、HIV/AIDSに対する感染者と一般民衆双方の無知と無関心がHIV/AIDS感染拡大の根底にあるとの理解から、村人に対するHIV/AIDSに関する正しい知識の普及、特に感染予防及び感染拡大抑制の方法を伝えることを重視している。一方、HIV/AIDS感染者に対しては自ら患者の托鉢を受付けて食すと共に患者のもとを訪問して精神的なカウンセリングを行ったり、エイズ孤児を引き受けるなど、率先した行動を通して、コミュニティーに対して患者を受け入れ支援するよう説いている。 

HIV/AIDS感染者と一般民衆の共生は十分可能: 

「私たちは、村人の有志と共にHIV/AIDS感染者のためのサポートグループを組織している。村人は伝統的に僧侶に心を許して自身の抱える諸問題を相談するので、僧侶達は、HIV/AIDS感染者を特定次第、サポートグループや政府の支援プログラムと繋げている。感染者で働けるものは、僧侶とサポートグループが仲立ちとなって様々なコミュニティー活動に参加させる一方、支援が必要な家庭に対しては僧侶が托鉢や寺への寄付を感染者家庭に分け与え、共に生きていく希望を持つようカウンセリングを行っている。 

また、地域の病院と提携して、HIV/AIDS患者のための伝統薬草の栽培、配布も行っている。一方、主に若い僧侶は地域の大学や集会所に若者を集めて、HIV/AIDS感染に関する正しい知識とそれに基づく性行動の是正を呼びかけている。 

また、人身売買の犠牲者やエイズ孤児を積極的に僧院に受け入れている(人身売買の犠牲者の大半は女性で、Sangha Metta Projectでは彼女達を尼僧院において受け入れ、トラウマのケアや自立に向けた支援を行っている。また、少女達の出稼ぎを防止する目的で、収入創出事業も手掛けている)。 

このように、地域コミュニティーの崩壊に繋がるHIV/AIDSの深刻な脅威に直面して地域の僧院とコミュニティーが一体となって活動できたことは、双方の信頼感とコミュニティーの結束に対する自信へとつながり、この草の根レベルにおける自助努力・相互扶助の輪は、国境を越えてビルマのシャン州へも広がった。現在では、タイに在住するシャン族の青少年並びにシャン州から招いたビルマ人の僧侶を対象に、HIV/AIDS講習をはじめ、本プロジェクトのスキームとノウハウを伝えている」。(Laurie Maund, manager of the Sangha Metta Project) 

青少年の行動変容を引き起こすには重要情報の反復と木目細かなフォローが不可欠 

「ここタイ北部では、HIV/AIDSの感染経路や予防方法に関する青少年の理解度はかなり高いと思う。しかし、同時に多くの誤った風説に惑わされているのも事実である。例えば、蚊がHIV/AIDSウィルスを媒介するといった風評を信じている青少年は少なくない。様々なNGOがHIV/AIDS啓蒙活動と称して各地でワークショップを展開するが、一過性のものが大半で、地域の青少年の性に関する疑問に必ずしも十分に答えないまま、去っていくものが少なくない。 

特に、HIV/AIDS感染の将来を左右する青少年の行動変容を実現しようとするならば、啓蒙活動は地元に根付いた形で重要情報を繰り返し反復し、地道に木目細やかなフォローアップをしていくことが重要である。残念なのは、タイにおけるエイズ対策が『成功した』と評価されるが故に、国際社会からのエイズ教育への資金が先細りになってきていることである。 

HIV/AIDS問題はコミュニティーの問題であり、現地のリソースが最大限に動員され、地元住民がこの問題に自主的に取り組める技術・ノウハウが伝達されてはじめて長期的な効果を期待することが可能となる。しかしながら、政府や多くのNGOによる啓発事業をみると、地元住民の意識向上や技術移転に繋がるような活動をしているとはいえないものが少なくない。予算を機械的に執行することに終始するのではなく、それをどのようにインパクトあるものに改善していくか、もっと工夫をする必要がある。」(Laurie Maund, manager of the Sangha Metta Project) 

IPS HIV/AIDS研究事業現地取材からの抜粋 
(現地取材班:IPS Japan浅霧勝浩、マルワーン・マカン・マルカール) 

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|ボスニア・ヘルツェゴヴィナ|トルコの視線に苛立つバルカンの人々

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【ベオグラードIPS=ベスナ・ペリッチ・ジモニッチ

1990年代に旧ユーゴスラヴィア連邦が解体して以来、外国の政治家による発言が、この地域の人々の間に、白熱した激論を引き起こすというということはほとんどなかった。

2001年以来、かつてユーゴスラヴィアを構成した独立諸国の関心は、長きに亘った紛争で荒廃した自国の経済立て直しに専ら向けられており、地政学的な議論は、主に隣接諸国との遅々として進んでいない和解プロセスの分野に限られてきた。

こうした中、トルコのレジェップ・タイイップ・エルドアン首相が先週、「ボスニア・ヘルツェゴヴィナは今や彼の国(=トルコ)に委ねられている」と発言したことから、バルカン諸国(アルバニア、ボスニア、ブルガリア、クロアチア、マケドニア、モンテネグロ、セルビア)に激しい議論が巻き起こっている。

 エルドアン首相は、先週アンカラで開催された自身が率いる与党公正発展党(AKP)の全国代表者会合において、「ボスニア・ヘルツェゴヴィナは私たちに託されたのです。」と語った。

エルドアン首相は、2003年に死の床にあったボスニア・ヘルツェゴヴィナのアリヤ・イゼトベゴヴィッチ初代大統領を訪ねた際に同大統領が述べた言葉を思い起こし、「彼(イゼトベゴヴィッチ氏)は私の耳元で次の言葉を囁きました。『ボスニア(とヘルツェゴヴィナ)の今後を君(トルコ)に委ねたい。これらの土地は、元はオスマン帝国の一部だったのだから。』」と語った。

イゼトベゴヴィッチ氏は、1992年に始まったボスニア・ヘルツェゴヴィナ独立戦争を指導し、同国の初代大統領になった人物で、2003年、心臓病で死去した。

どんな国であったとしても、国の将来が勝手に外国に「委託された」という話は、国民の激しい反発を招くのに十分である。とりわけボスニアの場合、イスラム教徒のボシュニャク人、カトリック教徒のボスニア系クロアチア人、正教徒のセルビア人を含む多様な民族・宗教コミュニティーから構成されるモザイク国家であることから、エルドアン首相の発言は、一層深刻な反発と論争を引き起こすこととなった。
 
現在のボスニアでは、クロアチア系市民とセルビア系市民が全人口(約400万人)の半数以上を占めており、彼らにとって第一次世界大戦まで500年に亘ったオスマン帝国支配は、ほぼ例外なく「過酷な圧政の時代」として記憶されている。
 
ボスニアのセルビア系政治家からは、すかさずトルコ首相の発言に対する怒りの声が上がった。

スルプスカ共和国(ボスニア・ヘルツェゴヴィナの連邦を構成するボスニア系セルビア人を主体とする国家)議会のイゴール・ラドイチッチ議長は、「ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、(他国に)相続される土地ではありません。」と強調した。一方、ボスニア系クロアチア人の指導者ドラガン・コヴィッチ氏も現地メデイァによるインタビューの中で、「故イゼトベゴヴィッチ氏が、祖国を自分の判断で他国に託せると確信するほど強大な権力を持っていたかは疑わしい。」と、疑問を投げかけている。

またこの論争はインターネットを通じて瞬く間に広がり、地域のウェブサイトはあたかも異なる民族間の言葉の応酬が繰り広げられる戦場と化した呈がある。

反イスラムで団結した(セルビア、クロアチア系等の)非イスラム教徒の市民は、エルドアン発言への怒りと露わにするとともに、ボスニアにおけるイスラム教の影響に対する恐れを公然と語るようになった。

「ボスニアは90年代の紛争以前は世俗国家でしたから、イスラム教徒でない人々にとって、ここサラエボで今日多くの女性がスカーフやアバヤといった伝統的なイスラム風の衣装を身にまとっている光景は、どちらかというと奇異に映るのです。」と、ボスニアの首都サラエボでツアーガイドを営むジアド・ジュスフォヴィッチ(47歳)氏はIPSの取材に応じて語った。

「また一方で(大半の国民の)目にはまだはっきりと見えていないものの、新たな兆候が表れています。例えば、失業者でも定期的にモスクに礼拝に訪れるようになれば資金援助を得られるとか、戦争未亡人が、子どもとともに敬虔なイスラム教徒になれば、最高600ドルの支援を得られる、といった動きです。こうしたイスラム教徒に対する援助は、1990年代にサウジアラビア、インドネシア、マレーシアが始めたものです。」とジュスフォヴィッチ氏は付加えた。

実利的な外交政策

ベオグラードの歴史家スラヴェンコ・テルジッチ氏はセルビアの主要日刊紙「ポリティカ」に、エルドアン首相がおこなった宣言は、「バルカン諸国にとって危険な発言だ。」と述べている。

またテルジッチ氏の同僚セドミール・アンティッチ氏は、トルコの動きを「前代未聞の挑発行為」であり、「ボスニア、クロアチア、セルビア政府は正式に非難声明を出すべきだ。」と語った。

しかしアナリストや専門家から見れば、トルコ首相によるこのような発言は、驚くにあたらないという。

「(エルドアン首相の)発言は、トルコが野心に満ちた外交政策においてバルカン半島との関わりを重視しているという政治的現実を反映したものです。」とベオグラード大学のダルコ・タナスコビッチ助教授(東洋学)はIPSの取材に応じて語った。

トルコ問題を長年取材してきたジャーナリストのヴォジャ・ラリッチ氏は、エルドアン首相の発言は「偶然発せられてものでも、予期されない内容でもない。」と見ている。

「エルドアン首相率いる公正発展党(AKP)は、トルコを、旧オスマン帝国領土だった地域に影響力を及ぼす地域勢力に押し上げたいと努めてきました。従って、トルコ政府が目を向けているのは、ここバルカン半島だけではなく、中東地域やイスラム的背景を持つ旧ソ連構成国も含まれるのです。」と、ラリッチ氏は語った。

タナスコビッチ助教授は、エルドアン首相の発言が、ボスニアにおいてトルコ政府の拡張主義的なものの見方に対する恐れと警戒感を引き起こした点を指摘して、「あの『遺産』発言は、やや逆効果だったと思います。」と語った。

またラリッチ氏は、「トルコの外交政策は、歴史家やアナリストが『新オスマン主義』と呼ぶ高度な実利主義に裏打ちされたものです。」と付加えた。タナスコヴィッチ助教授は、ここの『新オスマン主義』について、イスラム主義とトルコナショナリズム、さらにオスマン帝国主義とも言える「オスマン帝国時代を懐かしむ」外交戦略が融合したもの、と説明した。

ラリッチ氏は、「トルコ外交を特徴づけるものは、この実利主義と言えます。トルコ人は昔から優れた貿易商人として知られていますが、彼らはその才能をいつでも、どこでもいかんなく発揮しているのです。」と付加えた。

サラエボ在住のボリヴォイ・シミッチ氏は、最近寄稿したコラムの記事の中で、「国や人種、民族の違いに関わらず、利益のみに関心を示す民間資本は、未だボスニアには到来していない。これまでのところ、ボスニアはトルコを含む多くの国々が積極的に『政治的な関心』を示してきたのとは対照的に、投資対象としては、まだ十分安定した国とは見られていないのだ。」と述べている。

しかしバルカン半島におけるトルコの経済的プレゼンスを見れば、こうした状況にも今や変化が生まれていることが分かるだろう。トルコ経済省によると、トルコとバルカン諸国間の貿易額は2000年の29億ドルから2011年には184億ドルに拡大している。

同時に、トルコからバルカン諸国への直接投資額は、2002年の3000万ドル規模から2011年には1億8900万ドル規模まで拡大している。

トルコ政府関係者によると、「2011年にトルコが行った海外投資のうち、7%がバルカン諸国向け」で、投資分野は通信、銀行業、建設、鉱業、小売業など多岐に及んでいる。

また、文化面においても、バルカン諸国におけるトルコの存在感はこのところ急速に拡大してきている。

「トルコのメロドラマは、南アメリカの番組よりも人気を博するようになっています。」とタナスコヴィッチ助教授は、IPSの取材に対して述べている。

タナスコヴィッチ助教授は、バルカン諸国を席巻している多くのトルコテレビ番組に言及して、「トルコについて肯定的なイメージを作り上げているのは、まさに(いわゆるソフトパワーと言われる)この戦略なのです。」と語った。

今年2月から6月にかけて「スレイマン大帝」を描いた大河ドラマの最初の55話がバルカン地域で放映されると、数百万人の人々がテレビ画面にくぎ付けになった。

この大河ドラマはあまりにも人気を博したので、様々な社会学者らが、この社会現象の分析に乗り出したほどだった。

「トルコ的な東洋要素とは、この地域の数百万の人々にとって、共通の文化的アイデンティティーや、何百年にもわたって伝えられてきた言葉が持つ共通の要素を思い起こさせる、懐かしい雰囲気を象徴するものなのです。」とラリッチ氏は語った。

またトルコは、ボスニアに2つの大学―サラエボ国際大学(IUS)と国際ブルチ大学(IBU)―を設立している。後者は、トルコのイスラム聖職者イマーム・フェトフッラー・ギュレン師を含む個人有志の支援で設立された学校である。

またラリッチ氏は、「トルコの海岸リゾート地が次第に人気を博してきているのも、トルコとの関係が深まっている表われです。」と付加えた。

従来セルビア人の間で人気の休暇旅行先といえばモンテネグロギリシャであったが、今ではトルコの地中海沿岸リゾート地が3番目の人気旅行先になっており、今年前半期だけでも14万のセルビア人が空路訪れている。そしてこの先数か月に亘って現地を訪れるセルビア人観光客はさらに増加する見込みである。

「トルコは本当に楽しい所だわ。」とイヴァナ・ジュラスコヴィッチさん(40歳)は語った。彼女は今年トルコのリゾート地ボドルムを再訪する予定だ。

「sanduk (箱), kapija (門), hajde (さあ来なさい), taman (十分), carsav (リネン), secer (砂糖), kackavalj (チーズ) 或いは kralj (王)という『トルコ語』は、セルビア語とも共通しているので、(トルコで)こうした言葉を耳にすると、心が落ち着くのよ。」とジュラスコヴィッチさんは付加えた。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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|UAE|ドバイ首長、ラマダン月を迎えて554人の囚人に恩赦を与える

【ドバイWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)の副大統領でドバイ首長のムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム殿下は、ドバイ各地の刑務所から554人の囚人(内、93人がUAE国籍)を釈放するよう命じた。

この情け深い措置は、慈悲と赦しの月であるラマダン(今年は7月20日~)の到来に合わせて実施されたものである。

ドバイ首長国のイサム・イーサ・アル・フマイダン司法長官は、「恩赦は、ムハンマド首長が、釈放された囚人たちに、今一度社会生活に復帰する機会を与えることで、過去の過ちを正し、社会の高潔な一員として家族やコミュニティーに善意を尽くす新たな人生を歩んでもらいたいとの気持ちを反映したものです。」と語った。

 「この寛大な措置は、囚人たちにとって、まともな人生を再出発させるまたとない機会であり、まさに聖なるラマダン月を迎えて、彼らの家族にも幸せをもたらすものとなるでしょう。」とフマイダン長官は付加えた。

ドバイ検察庁は、既にムハンマド首長の布告を実施に移す準備に着手している。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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│フランス│緊縮財政で核軍縮は進むか?

【パリIPS=ジュリオ・ゴドイ】

変化する国際政治秩序と国内の劇的な予算情勢により、フランスは、1950年代末以来保持してきた極端に高価な核戦力の放棄を検討せざるを得なくなってきた。

フランスの政治家や識者の一部は、この火急の必要に対応することが意義あることであるかに見せかけるため、核不拡散条約(NPT)を強化し、世界の核戦力を削減する国際的取り組みに向けた一歩とこの動きを位置づけようとしている。

しかし、深刻な予算危機に直面したフランス政府が、ポール・キレ元国防相が言うように「そもそも発射することが想定されていない」コストのかかる兵器を維持することができなくなった、というのが実情である。

6月半ばにこの論争を意図せず起こしたのは、与党社会党のミシェル・ロカール元首相であった。ロカール氏は、パリの放送局BFMのインタビューにおいて、核兵器をあきらめれば「フランスは年間160億ユーロを節約し、まったく無用な兵器を放棄することができる」と語った。

 
ロカール氏は後にこの発言は「冗談だった」と述べ、核軍縮を論じることは「非常に重大なことなので、もしそれに疑問を呈そうとするならば、慎重にやらねばならないし、時間をかけて準備し、真剣な議論に耳を傾けねばならない」と語った。

冗談かどうかは別として、ロカール氏の発言は雪崩のような論争を引き起こした。そしてまだ明確な結論はでていない。

他方、社会党のフランソワ・オランド大統領は、予見しうる将来において政権が核兵器を放棄するつもりはないとしている。

オランド大統領の立場は、核兵器を保有することで、たとえ見せかけのものとはいえ、フランスに比類なき政治的地位が与えられ、他の4つの国連安保理常任理事国である英国、中国、ロシア、米国と対等になれるという古い議論を下敷きとしている。

核兵器を持たないフランスは、その現実的な地政学的役割に戻ることになるだろう。つまりは、平凡な経済と動乱の国内情勢に打ちひしがれた中堅国家に回帰するということだ。

国際戦略研究所(パリ)のパスカル・ボニファス代表は、「冷戦の終了と、現在起きている国際情勢の地殻変動に直面して、(フランスは)自らの世界政治戦略と国家安全保障政策における核兵器の役割を再考せざるを得なくなっているのです。」とIPSの取材に対して語った。

しかし、ボニファス氏は、「もしフランスが核兵器を放棄するのならば、その国際的な大国としての信頼性は失われ、戦略面においてフランスの地位は格下げになるだろう。」と警告している。
 
「(1950年代末に)シャルル・ドゴール大統領(当時)が核武装を決定したとき、その目的は、米国やソビエト連邦と並ぶ世界大国としてのフランスの地位を保つことにあったのです。」とボニファス氏は指摘した。

つまり、ドゴール氏のフランスにとって、核兵器とは軍事的必要から保有されたものというより、地政学的な象徴であったことになる。ドゴール大統領は、目に付かない形で、冷戦真っ盛りの1961年12月に出された公式声明でこのように認めている。

「これから10年後には、我々は8000万のロシア市民を殺害しなくてはならないかもしれない。ソ連がたとえ8億のフランス人を殺すことができるとしても、8000万人のロシア人を殺害する能力を備えた国を攻撃しようとは思わないだろう。」

フランスが直面している経済的苦境

それから50年後、冷戦の記憶が悪夢の領域に消え去って行く中、8000万のロシア市民を殺さなくてはならない可能性は、以前にもまして考えづらくなっている。フランスにとっての新たな国家的悪夢とは、公的な債務危機であり、国際的に見た経済パフォーマンスの悪化という事態である。

6月中旬に発足したオランド政権は、すでに予測されている国民総生産(GNP)4.4%分の赤字に加えて、予測されていなかった100億ユーロにものぼる予算不足に直面している。

フランス会計検査院は、7月2日に発表した報告書の中で、オランド政権の前のニコラ・サルコジ政権が予測した4.4%という高水準の赤字を解消するために、増税し支出を削減しなくてはならないと警告している。

欧州委員会の数値によると、フランスは、2013年の赤字を3%に抑えるためには、増税あるいは歳出削減で240億ユーロを捻出しなくてはならない。

さらに追い打ちをかけるように、自動車メーカー「プジョー」のような大企業が、大量のレイオフ(一時解雇)と海外への大規模工場移転の意向を明らかにしている。

オランド大統領は、現在の経済不況に耐えるために国家財政を救いフランス産業を支援すると同時に、より競争的な将来に向けて準備を進めるという、途方もない政治的課題に直面している。

多くの識者や政治家によれば、不必要な支出、とりわけ純粋に象徴的な地位しか持たない核戦力を減らし、それをより合理的な使途に振り向ける誘因がかつてなく大きくなっているという。

国会国防委員会の元委員長であるキレ氏は、IPSの取材に対して「核兵器は高価な愚策です。」と指摘した。またキレ氏は、核兵器がフランスにとっての「生命保険」であるという従来からの議論を真っ向から否定し、「(生命保険)というよりもむしろ死亡保険と言った方が相応しい。」と語った。

キレ氏は、今後数年のうちには核兵器関連予算が増加するのは間違いないという。それは、核兵器体系を更新し、潜水艦のような高価な関連装備を調達する必要があるからである。

1986年から92年まで首相官邸で軍事顧問務めたベルナール・ノーラン退役将軍もまた、核軍縮を呼びかけている一人である。
 
「核兵器が必要だという議論は冷戦期には説得力があったかもしれないが、世界の戦略環境は1990年以来大きく変化しました。1980年代と同じような議論をしていても仕方がないのです。」とノーラン氏は語った。

核兵器なき世界を提唱している国際的プロジェクト「グローバル・ゼロ」の一員であるノーラン氏は、不必要な資産を維持する圧力にオランド大統領が屈しているように見えることに遺憾の意を示した。

「この件に関するオランド氏の発言は、きわめて同調主義的なものです。」とノーラン氏は指摘した。

しかし、匿名で答えたその他の軍事専門家らは、フランスのいかなる元首も、核兵器国としてのフランスの地位を自発的に消し去ってしまった人物として歴史に名を残したくないと考えるだろう、と述べている。(原文へ

IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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|UAE|ホルムズ海峡を迂回するハブシャン-フジャイラ石油パイプラインが開通

【フジャイラWAM】

モハメド・ビン・ダーン・アル・ハムリ石油相は15日、「ハブシャン-フジャイラ石油パイプライ」の開通式に出席した。これは、UAEの首都アブダビのハブシャン油田とオマーン湾に面する同国東部フジャイラ港の約370キロを結ぶ陸上パイプラインである。

「本日は、パキスタンの製油所向けの50万バレルの原油が、アブダビとフジャイラを結ぶ新たなパイプラインを通じて運ばれた。」とパイプラインプロジェクトを運営している国際石油投資社(International Petroleum Investment Company, IPIC)のカデム・アルクバイシ常務は語った。

 ハブシャン-フジャイラ石油パイプラインは、最大で日量180万バレルの原油を輸送可能な(UAEの原油生産量は日量約250万バレル)ほか、原油積み出し港のフジャイラには、100万バレルを保管できるタンク8か所、多目的輸送ターミナル9か所、沖合原油積込み設備3か所が備えられている。

アルクバイシ常務は、「アブダビ首長国は、このパイプラインが完成したことによって、原油輸出に要する時間、手間、費用を大幅に圧縮できるとともに、(世界の海上輸送原油の4割が通過する)ホルムズ海峡を迂回して直接オマーン湾に原油を輸送することが可能となった。ハブシャン-フジャイラ石油パイプラインプロジェクトは、この種のプロジェクトとしては、アブダビ首長国がこれまで手掛けた事業の中で最も重要なものだ。」と指摘した。

フジャイラ首長府のサイード・アル・ダンハニ長官は、「フジャイラをUAE産原油の輸出港とする新たなパイプラインの開通は、観光ブームに沸くUAEの経済開発を一層促進させるものになるだろう。(イランによるホルムズ海峡封鎖の脅しに直面して)国際社会が安定した原油入手ルートの確保に熱い視線を送る中、原油輸出港としてのフジャイラの戦略的な価値は、中東地域のみならず国際的にも極めて重要なものになっている。」と語った。

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

|東京会議2012|ISAF以降のアフガニスタンに注目が集まる

【東京IDN=浅霧勝浩】

日本は米国に続いて世界第2位のアフガニスタン支援国である。2002年1月に「東京会議」が開催されてから2011年末までに、日本はアフガニスタン支援のために33億ドルを投じてきた。援助分野は、民主化に向けた政治プロセスから、インフラ整備、農業・産業育成、ベーシックヒューマンニーズ、さらには30年余りに及ぶ内戦で深刻なダメージを受けてきたアフガン文化の復興支援まで多岐にわたっている。

アフガニスタンに駐留している10万人規模の国際治安支援部隊(ISAF)が2014年末までに撤退するのを前にその後のアフガン支援を協議するために開かれた「アフガニスタンに関する東京会合」(東京会議2012)では、日本の玄葉光一郎外相が、2012年からの5年間で経済社会開発や安全保障能力向上に最大30億ドル(開発支援22億ドル、治安支援8億ドル)を支援すると表明した。

 玄葉外相は、アフガニスタンのハミド・カルザイ大統領ら80の国と国際機関の代表を前に、日本はアフガニスタンの開発戦略を踏まえ、3つの柱を重視して経済社会開発分野の支援を行うと語った。

それらの柱とは、アフガニスタンの人口の約8割が従事する農業分野への支援、インフラ整備、人づくりである。玄葉外相は、こうした分野への支援を通じ、日本政府は2017年以降も引き続きアフガニスタン主導の国造りに相応の貢献を行っていく意向を表明した。

また、アフガニスタンと周辺諸国との地域協力を更に強固なものとするために、周辺諸国(中央アジア、パキスタン)に対し、総額約10億ドル規模の事業を行うとともに、これら事業を通じて、中央アジアからパキスタンのカラチまで至る、アフガニスタンを縦断する回廊の整備を支援する意向を表明した。
 国際社会が今から2015年までの5年間にアフガニスタンの経済開発支援に総額160億ドル(1兆2800億円)ものコミットをした意義は、極めて大きい。この支援は、アフガン政府が従来から開発努力の妨げとなってきた腐敗・汚職などのガバナンス問題に取り組み、国際社会はその進捗状況をモニターするという新たな条件に同意したことを受けて、正式にコミットされたものである(「相互責任に関する東京フレームワーク」)。

世界銀行は、アフガニスタンの移行期間の最初の3年間において、現在の国民総生産(GDP)170億ドルの減少を防ぐために、非安全保障部門で33~39億ドルの予算が必要だとみている。

この開発支援は、今年5月にシカゴで開催された北大西洋条約機構(NATO)首脳会議で、アフガニスタン国軍に(ISAF撤退後の)2015年から17年までで41億ドルを提供することが発表されたことに続くものである。

国連食糧農業機関(FAO)が指摘しているとおり、30年に亘る戦争、社会不安に加えて、度重なる自然災害に見舞われてきたアフガニスタンは、膨大な復興ニーズを抱えている。近年ある程度の成長・前進が見られるものの、依然として、数百万人ものアフガニスタン人が朽ちかけたインフラや環境被害に晒されている厳しい状況下で、極貧の生活を余儀なくされている。この岩だらけの陸封国は、未だに全人口の半数以上が最低生活線(貧困ライン)を下回る、世界最貧国の一つなのである。

「2007-08国家リスク脆弱性評価(NRVA)」によれば、アフガン人口のおよそ3分の1にあたる740万人が日々の食事にすら困り、全人口の37%にあたる850万人が必要な食料確保の境界線上にあるという。さらに、毎年40万人が、干ばつや洪水、地震などの度重なる自然災害による甚大な被害に晒されている。

安全・安定に向けた支援

こうした状況を背景に、国連の潘基文事務総長は、「私たちは全員、アフガニスタンの人々と力を合わせて、安全、安定、そして繁栄を求め続けなければなりません。アフガニスタンが国内の平穏を取り戻せば、自分自身、そして子どもたちの生活を改善するという国民の希望にきっと応えられることでしょう。」と述べ、国際社会に対して引き続きアフガニスタンへの関与と支援を継続するよう呼びかけた。

また潘事務総長は、「そして、アフガニスタンが遠くも近くも、近隣諸国との友好関係を保てれば、地域、そして国際の平和と安全に大きく貢献することでしょう。」と、会議参加に語りかけた。「東京会議2012」は、この3カ月の間に開催されたアフガニスタンに関する一連の国際会合(シカゴ会合、カブール会合に続く)の3つ目となるものである。

さらに潘事務総長は、「私たちはアフガニスタンの歴史上、極めて重要な時期を迎えています。アフガニスタンの様々な制度や機構の確立を可能にした援助への依存から脱却し、機能する主権国家として国民や国際的パートナーとの関係を正常化するための移行期にあるからです。」と語った。

「しかし、はっきりさせておく必要があります。移行は単に短期的な対応を意味するものではありません。アフガニスタンの人々に、よりよい未来が訪れるという長期的見通しを与え、アフガニスタンが見放されるのではないかという不安を和らげるべきです。」

「国際社会は、アフガニスタンが約束したガバナンスの遂行と責任に関し、深刻な懸念を持っています。この問題には、アフガン国民の利益となるように、また、ドナーの信頼を維持できるような形で取り組まなければなりません。また、アフガニスタンの制度や機構が生まれて間もないことも十分に認識せねばなりません。」と潘事務総長は語った。

潘事務総長は、国際ドナーとアフガニスタンのパートナーシップ原則について定めた「相互責任に関する東京フレームワーク」によって、アフガニスタンと国際ドナーが相互に行った約束がモニタリングされ、実行されるという信頼感が生まれる仕組みが作られたことを歓迎した。

「ドナーは、アフガニスタン国内の当事者意識と能力を実質的に高めるような形で、予測可能な援助を提供するという約束を果たすべきです。その一方で、ボン、カブール、そしてロンドンでの誓約に沿い、国民によりよく奉仕するという義務を果たす主たる責任が、アフガニスタン自身にあることは言うまでもありません。」と潘事務総長は語った。

また潘事務総長は、「今後に向けて、国連が達成できること、そして達成できないことにつき、相応な期待を持とうではありませんか。」と述べ、国連として引き続き長期的な観点からアフガニスタンへの関与を続けていく意向を表明した。

「移行が進むにつれて生じかねない空白をアフガニスタンが埋めるための支援を提供すべく、国連は主な関係者との密接な協力により、そして私たちの限られた資源が許す範囲内で、全力を尽くしていきます。そのためには『変革の10年(2015年~25年)』全体を通じ、アフガニスタンの経済・社会開発、その制度的能力育成、基本的なサービスと社会的保護、そして雇用、司法、法の支配に対する強力な援助を提供しなければなりません。」と潘事務総長は語った。

約束

アナリストによると、「東京会議2012」で出された「東京宣言」において、アフガニスタン政府は重要な公約を掲げている。同宣言は、16項目からなり、策定にあたった外交官は、カルザイ大統領が残り任期の2年の間に取り組むべき「相互のコミットメント」を記載している。

たとえば、2014年に大統領選、2015年に議会選を行うこと、金融市場への規制を強化すること、蔓延る汚職に対処することなどである。中には、女性への暴力を違法化する法律を実施する時期や、2013年上旬までの次期選挙実施に向けたタイムフレームの設定など、特定の期限を設けている項目もある。

東京宣言の記載内容は多くの点で曖昧なままであるが、策定にあたった外交官は、アフガニスタン政府による公約の順守状況を定期的に外部からモニタリングする仕組みを組み込むことに成功している。この仕組みによると、少なくとも年に1回支援国の代表(高級事務レベル会合と閣僚級会合を交互に開催:IPSJ)が集まり、アフガニスタン政府による取り組みの進捗状況を吟味することになっている。また、第1回閣僚級フォローアップ会合をアフガニスタン政府と英国が2014年のアフガニスタン大統領選挙以降に共催し、資金援助のあり方に関する評価を行うことになっている。国際ドナーは、このように具体的な期限を設けることで、アフガニスタン政府が公約を遵守していくことを期待している。

一方、会議に出席したドイツのギド・ヴェスターヴェレ外相は、アフガニスタンの汚職と腐敗の現状に言及して、「私たちは欧州の基準についてではなく、(欧州とは異なるアフガニスタンの)状況を僅かながらでも良くするために話し合っているのです。」と述べ、アフガニスタン支援の今後に過度な期待を抱くのは禁物との警鐘をならした。

しかし状況を僅かながらよくするという試みでさえ、骨が折れる取り組みということになるかもしれない。アフガニスタンが直面している深刻な現状は、7月14日に発生した、アフガニスタンの著名な政治家の娘のための結婚披露宴が自爆テロの標的となり、少なくとも22人の死者と40名を超える負傷者がでた事件にもよく表れている。

アフガニスタンでは国内情勢改善への道のりは依然として遠い。「東京会議2012」からわずか1週間後、国連のジェンダー平等担当部門(UNウィメン)のミシェル・バチェレ事務局長は、アフガニスタンでの女性に対する「激しい虐待と陰惨な暴行」を非難するコメントを出している。バチェレ事務局長が言及した事件には、アフガニスタンの地方警官に性的暴行と拷問を受けた少女ラル・ビビの事件と、公開処刑された少女ナジバの事件が含まれている。

「アフガニスタン政府が(ISAF撤退後の)移行期に向けて歩みを進め、国際社会がアフガニスタンにおける役割を再定義しようとしている中で、こうした事件は、同国における女性や少女の人権が、緊急かつ継続的に保護される必要があることを、改めて国際社会に着目させるものです。」とバチェレ事務局長は語った。

米国のヒラリー・クリントン国務長官は、国際社会とアフガニスタンが連携して取り組んでいく必要性を強調して、「アフガニスタンはこれまで国際社会の支援を得て、実質的な成長・前進を遂げてきました…しかし今日、私たちはこの変革の10年を通じて成果を挙げられるよう、4者間(何よりもまずアフガン政府と国民、国際社会、アフガニスタン近隣諸国、民間セクター)の確固たる協力関係を確保しなければなりません。この協力関係は、説明責任に裏打ちされたものでなければなりません。全ての当事者が各々の責任を果たしていくことが重要なのです。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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武力による威嚇があってもイラン核問題協議は継続すべき、とアナリストが指摘

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【ワシントンIPS=ジャスミン・ラムジー】

イランとP5+1(安保理任理事国〈米・英・仏・中・露〉にドイツを加えたグループ)が、イスタンブールで開催された「技術的会合」で到達したひとつの合意は、今後も協議を続けるという決定であった。

しかし、イラン問題の専門家らは、米国とイランが非難の応酬を演じていても、協議を継続することは外交プロセスを前進させる第一歩だと評価している。

核不拡散問題に取り組んできた米国のシンクタンク「軍備管理協会」のダリル・キンボール事務局長は、「外交はツイッターのようなスピードでは進みません。」「これらの協議の後で、核問題に関する特定の提案をようやく両者が行うになりました。欧州連合(EU)のキャサリン・アシュトン外務・安全保障政策上級代表が言うように、両者の主張には依然として大きな相違がありますが、重なっている部分も少なくないのです。」とIPSの取材に対して語った。

 さらにキンボール事務局長は、交渉を前進させるために両者が取り組むべきポイントとして、「提案内容をさらに詳細なものにすること、実行手順に関する問題を解決すること、両者がこれまでよりもより創造的であらねばならないこと」の3点を挙げた。

イランによる20%濃縮ウラン生産という論争的な問題について初期段階の信頼醸成措置が取られたことには「大きな可能性」がある、とキンボール氏はみている。なぜなら、イラン側はこの問題を追求しつづける意図を何度も明らかにしているからだ。
 
キンボール事務局長は、「未来永劫というわけにはいかないが、まだ外交的解決を図る時間はあります。」と述べるとともに、「協議の実際の内容について報道陣に漏らす際には、双方とも戦略的に対応していることを忘れてはなりません。」と指摘した。

イスタンブール、バグダッド、モスクワでの3回にわたる高官級協議を受けて準備され、7月3日から4日早朝にかけて行われた今回の低レベル協議は、長年敵対関係にあるイランと米国による軍事的緊張関係が高まる中で開催された。

EUによる追加制裁としてイラン産原油の全面禁輸措置が正式に発動した翌日の7月2日には、イランが「偉大なる予言者7」と称する3日間にわたる軍事訓練(革命防衛隊宇宙航空部隊による地対地ミサイルの軍事演習:IPSJ)を行い、米軍基地とイスラエルを攻撃する能力があるとされる中距離弾道ミサイルを見せつけた。

さらに7月3日には、イランのメア通信社が、同国の国会議員220人がEUによるイラン産原油の全面禁輸措置は「敵対的行為」であると非難する声明を発した、と報じた。

自国の核事業は兵器関連のものではないと主張しているイランは、核不拡散条約にしたがって、イランには「平和的核技術への不可侵の権利」が存在し、「大国の覇権的な政策には屈服しない」、と繰り返し述べている。

また7月3日、イラン国営のIRNA通信は、EUによるイラン産原油の全面禁輸措置に対抗してホルムズ海峡での重要な石油供給ルートを閉鎖することを求める署名に120人のイラン国会議員が署名したと伝えた。

米国務省のヴィクトリア・ヌーランド報道官は、ホルムズ海峡の通過を妨害しようとするいかなるイランの試みも「国際法に違反しており、米国は容認しない」と記者会見において述べたが、米国が具体的にどう対処するのか、イランの声明を異常なものと見るかどうかについては、踏み込んだ見解は示さなかった。

「イランはこうした脅しを過去に何回も行っており、我々はいつも同じ声明で対抗してきた。」と同報道官は語った。

7月3日の『ニューヨーク・タイムズ』紙は、ペルシア湾での最近の米軍集結は「純粋に防衛的なもの」であると書く一方で、ホルムズ海峡を閉鎖しようとの試みはやめるべきであるとの「メッセージ」をイランに送るものでもあると評した。

匿名の国務省高官は同紙に対して、イランがこの死活的に重要な供給ルートを閉鎖しようとしたり米海軍に対抗したりしようとすれば、イランの船舶は「湾の底に沈められることになるだろう」と語った。

イランの元外務副大臣であり、マサチューセッツ工科大学でエネルギー政策関連の研究員を務めるアッバス・マレキ氏によると、米国とイランによる応酬は外交プロセスへ影響を及ぼし、武力紛争につながりかねないという。マレキ氏は、「米国がイランに対して強硬な手段に出れば出るほど、イランはそれに抵抗し、しかるべき反応をすることになる。」とIPSの取材に対して語った。

イラン・イラク戦争終結の交渉にも関わったことのあるマレキ氏は、「双方が、自分で事態をコントロールできる範囲に留まる努力をすべきだ。」と語った。

しかし、ワシントンのタカ派的なアナリスト達は、これまでに明確な成果が挙がっていないのを理由に、交渉継続の正当性に疑問を投げかけている。7月2日、ジェイミー・フライ、リー・スミス、ウィリアム・クリストルの3氏は、米国の3つの要求をイランが飲まないならば、外交努力を止めて制裁と軍事オプションの検討に進むべきだと大統領に勧告する44人の米上院議員の超党派書簡を称賛した。3氏はまた、「イランに対する武力行使の承認を真剣に追求する」よう議会に求めた。

しかし、前出のキンボール事務局長は、「交渉を打ち切ってしまえば、それによってイランが20%のウラン濃縮を進め、ウラン濃縮能力をさらに強化する措置をとる道を開いてしまう」として、現在の交渉プロセスを既に失敗と呼ぶ者は「きわめて無責任かつ単純である。」と批判している。

「外交交渉を通じてイランとの妥結を模索することによって我々が失うものは何もないのです。」とキンボール事務局長は語った。

また「国際危機グループ」のアリ・バエズ氏も、『アル・モニター』紙に掲載された論評の中で、外交プロセスを失敗と呼ぶのは時期尚早だと述べている。「イラン核危機の肝にある問題は、政治的なものであり物理的なものではない」と同氏は述べ、物理的な領域だと捉えればほとんど逃げ道はなくなってしまうが、「技術的領域においては妙策を凝らす余地がある」としている。

マレキ氏は、次回の協議では「ボールはP5+1側のコートにある」と述べている。イラン側は、ウラン濃縮の完全停止を要求すれば協議は破談すると繰り返し主張しているが、「5%を超える濃縮の停止、包括的査察の受け入れなど、妥協を行う意思も示している。」

「しかし、イラン側でのそうした妥協に見合うもの、たとえば制裁の緩和をP5+1側でも出さねばなりません。」とマレキ氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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|中東|アラファト議長暗殺にイスラエルの秘密武器が関与か

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【シャリジャWAM】

中東の衛星放送アルジャジーラは3日、2004年にフランスの病院で死亡したヤーセル・アラファトパレスチナ自治政府議長(当時)の死因について、『独自の科学調査の結果、放射性物質ポロニウムによって毒殺された可能性が高い』と報じた。これにより、これまでもあったアラファト議長の死を巡る憶測がさらに広まりを見せている、とアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙が報じた。

「一方この報道は、生物化学兵器を開発して敵の抹殺に使用するイスラエルの非合法活動に対する注目を集めることとなった。科学調査の結果から、アラファト議長の暗殺へのイスラエルの関与、とりわけ同国はポロニウムを保有するだけの技術と施設を当時既に有していたとの嫌疑が強まっている。イスラエルは生物化学戦争に備えた高度な研究施設や科学者集団を擁しており、当時イスラエル諜報機関は、ポロニウムを使用した暗殺を遂行する能力を有していた。」とガルフ・ニュース紙(本社:シャリジャ)は6日付の論説の中で報じた。

 同紙は、「しかしながら、アラファト議長は2004年10月の段階で既にイスラエル軍に包囲されたラマラの議長府で病に伏しており、その後パリに搬送後11月11日に死亡したことを考えれば、イスラエルはアラファト議長を暗殺する必要はなかった。」と付加えた。

「アラファト氏が病に伏したのは、彼の政治キャリアの中で最も脆弱な状態にあった時であった。当時アラファト氏は抑鬱状態から情緒不安定で言動に一貫性を欠いており、部下の統率もとれていない状態にあった。従って、どちらかといえば、イスラエルが恐れていたのは、より政治的手腕に長けた人物がアラファト氏に取って代わり、イスラエルにとってより大きな脅威となるというシナリオだった。」

「だからと言って、アラファト氏の暗殺の黒幕として、イスラエルが容疑者リストから外されるということにはならない。アラファト氏が亡くなる少し前、イスラエルのアリエル・シャロン首相(当時)は、いくかの機会において、アラファト氏がイスラエルにとっての『問題』の一部となっており、既に和平に向けた努力を共に進めていくパートナーではなく、『敵と見做している』と語っている。」
 
「シャロン首相はテレビ番組のインタビューで、アラファト氏の安全を保障している理由について追及された際、『(アラファト)問題』には彼独自の方法で対処している、と答えている。この意味するところは、イスラエルに嫌疑が及ばないよう自然死を装った形でアラファト議長を殺害するよう、既に秘密工作員に命令を下していたということだろうか?イスラエル治安部隊は、パレスチナ勢力内部に工作員を潜ませており、彼らを使ってアラファト氏にポロニウムを投与することが可能だった。」

「2004年当時、ポロニウムは毒殺に使用する物質としては知られていなかったので、イスラエルは自らの犯行が露見するリスクをほとんど懸念する必要がなかった。」

「イスラエルは、長年に亘って秘密兵器を開発し政敵の排除に使用してきたが、これは国が後ろ楯となったテロに他ならず、こうした違法行為が今後も許されるようであってはならない。イスラエルによるこのような行為は、阻止されなければならない。」とガルフ・ニュース紙は結論付けた。(原文へ

INPS Japan

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国連、開発支援のために超富裕層課税を求める

【国連IPS=ハイダー・リツヴィ】

もし、世界中の大富豪が資産の1%を国際的な開発支援のために税金として差し出せといわれたらどうなるだろうか。

この問題を提起しているのは、国連経済社会局が5日に発表した調査報告書『2012年版世界経済社会調査―新しい開発資金を求めて』である。この報告書は、多くの援助国が、国民総生産の0.7%を政府開発援助(ODA)に充てるとした公約を相変わらず履行しようとしていないとして批判するとともに、開発援助資金が大きく不足している現状を嘆いている。

報告書の主執筆者ロブ・ヴォス氏は、「開発ニーズを満たす資金を集め、気候変動問題のような益々深刻化している地球規模の諸課題に対処するために、私たちは別種の資金源を求める時期にきています。」と語った。

 ヴォス氏と執筆チームは、この報告書の中で、10億ドル相当の財産に1%の課税をかけることができれば、国際的に合意された開発イニシアチブへの資金調達の面で、より良い成果が期待できる、と分析している。

経済誌「Forbs」によると、現時点で10億万ドル長者は、世界58ヶ国に1225人おり、その内米国だけでも400人超にのぼっている。

報告書は、多くの援助国が開発援助に関する公約の履行に失敗してきており、さらに長引く経済不況がこの状況に追い打ちをかけていることから、開発ニーズを満たす新たな援助資金源を見出すことが急務である、としている。

国連によると、ODAには年間1670億ドルもの資金不足が生じており、開発目標の達成に向けて貧困・致死的な病気・気候変動問題に取り組んでいる様々な開発援助機関の活動に支障が出てきている。

そこで報告書では、大富豪への1%課税案のほかにも、持続可能な開発に向けた国際社会の取り組みを強化するための新たな財源確保の手段として、炭素税や国際航空を対象とした二酸化炭素排出税、金融取引税・通貨取引税等の導入を提案している。

国連は、開発問題や気候変動などの地球規模の問題に取り組んでいくために年間4000億ドル(約32兆円)以上の開発資金を集めたいとしている。しかし、この規模の開発資金を各国政府から集めることは次第に難しくなってきている。

国連の研究によると、多くの開発途上国において、主に財源不足と援助国からの開発資金の不足から、ミレニアム開発目標(MDGs)への進捗に大きな遅れがみられる事態となっている。

また研究者によると、途上国の数百万の人々に予防接種、エイズ・結核治療を提供することを目的としたグローバル・ヘルスプログラムの分野については、ある程度の成功が見られたが、こうしたイニシアチブでさえ、従来の開発援助の枠を超えた新たな資金が集まることはほとんどなかった、としている。

「援助供与国の実績は公約の額を大きく下回っており、昨年の実績も予算削減の影響で減少し、不足分がさらに拡大する結果となっています。こうした国々は、公約を遵守しなければなりません。」とヴォス氏は語った。

調査にあたった専門家によると、先進国に炭素税を導入することで、年間4000億ドル超の資金を集められる可能性があるとしている。具体的には、各国政府を通じて二酸化炭素排出1トン当たりに25ドルを課税するだけでも、年間あたり2500億ドルの国際開発資金を集められる計算になる。

また報告書は、通貨取引に極めて低率の課税を付加する取引税を提唱している。具体的には、主要4通貨(米ドル、ユーロ、円、英ポンド)の取引に対してわずか0.005%の税金をかけるだけで、年間400億ドルの税収を国際協力のための資金に振り向けられると推計している。

ヴォス氏は、このような課税は一方でグリーン成長を促進し、金融市場の不安定さを緩和する効果が期待できるため、「経済的にも意味がある試みなのです」と語った。

またヴォス氏は、こうした新課税メカニズムを導入することは、先進国にとっても「これまで国際社会に対して空虚な約束を繰り返してきた」過去の記録を克服する助けとなるものになるだろう、と見ている。

報告書は、革新的な資金調達が、最終的に開発ニーズを満たし、(MDGsに続く)2015年以降の開発アジェンダに資金調達面で貢献できるようになるには、適切なガバナンスと分配メカニズムをデザインすることが重要と、指摘している。

近年、主に保健衛生分野において、「革新的開発資金調達」の名称で多くのメカニズムが生み出されている。報告書は、こうした資金調達メカニズムが、援助の有効性を高め、世界エイズ・結核・マラリア対策基金への資金調達に貢献したと認めている。

しかし研究者によると、こうしたプログラムを通過した資金は、新たに集められたものというよりも、主に既存の援助予算に由来するものである。2006年以来、概して、58億ドルが、こうした革新的資金調達メカニズムを経由して執行されたが、そのうち従来の援助枠を超えて新たに集められた資金は僅か数億ドルであった。

新たな財源確保が緊急の課題となっており、大富豪に対する課税案は、そうした必要性の中から浮上してきた諸方策の中の一つ、と報告書の執筆者たちは指摘している。

しかし、「大富豪への課税」に実現可能性があるかどうかは不明である。ヴォス氏は「そういう提案をしたものの、(実際に実施に移せられるかどうかは)技術的には非常に難しい」と、IPSの取材に対して語っている。(原文へ

INPS Japan

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ラオスの不発弾処理への支援増額を求められている米国

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Jim Lobe

【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

軍縮活動家や元駐ラオス米国大使らが、ヒラリー・クリントン国務長官に対して、11日のラオス訪問の機会を捉えて、米国がベトナム戦争当時にラオスに投下した数百万トンもの不発弾処理に対する支援を拡大するよう強く求めている。

バラク・オバマ政権の中東・アジア重視外交を象徴する今回の8カ国歴訪(『アフガニスタン復興に関する国際会議』に出席する日本を皮切りに、ベトナム、ラオス、カンボジア、フランス、モンゴル、エジプト、イスラエルを訪問予定)において、ラオス訪問に割かれる時間は僅か数時間に過ぎないが、現役の米国国務長官がラオスを訪問するのは実に1955年以来のことであり、歴史的な訪問といえよう。

 関係者によると、クリントン長官は、向こう10年間にわたる不発弾処理の取り組みに対して、1億ドルの支援表明を検討しているという。もしそのような表明がなされれば、支援総額は、1997年以来、米国が不発弾処理支援に提供してきた援助総額4700万ドルを、一気に倍以上うわまわることとなる。

ダグラス・ハートウィック元駐ラオス米国大使(在任2001年~04年)は、「クリントン長官による今回のラオス訪問は、両国間関係の明るい将来を展望できる喜ばしい出来事ですが、クリントン長官には、是非この機会に、米国が不発弾処理に関してラオス政府と国際社会の努力を断固支援し、不発弾問題の根本的な解決をはかる覚悟である旨を、ラオスの人々に確約してほしいと考えています。」と語った。

ハートウィック大使は、昨年インドネシアのバリで開催された東南アジア諸国連合(ASEAN)サミットに出席するクリントン長官に対して、サミットの前か後にラオスを訪問し、10年間で1億ドル規模の不発弾処理支援提案(原案はワシントンDCに本拠を置くアドボカシー団体「レガシー・オズ・ウォー」が作成)を行うよう求めた、6人の元駐ラオス大使のうちの一人である。

しかしオバマ政権の政策立案者は、長官のラオス訪問時期を、ラオスの隣国カンボジアでASEAN地域フォーラムが開催される今年まで延期した。

この1年、オバマ政権は中国の南に隣接する東南アジア諸国への接近を積極的に図ってきた。とりわけビルマ(ミャンマー)との関係は、昨年12月のクリントン長官の訪問(現役の国務長官による前回の訪問はラオスの場合と同様1955年)以来、飛躍的に改善してきている。クリントン長官は10日にベトナム(ハノイ)を訪問、さらに11日には、ラオス(ビエンチャン)を訪問後、同日中にカンボジア(プノンペン)入りする予定である。
 
ベトナム戦争中の1964年から73年の間に、250万トンを超える米国製の爆弾がラオスに投下された。この総トン数は、第二次世界大戦中にドイツと日本に投下された爆弾の総量の合計を上回るもので、当時ラオスは東南アジア最貧国にして、歴史上人口一人当たり最も激しく空爆された国であった。

当時のラオスの総人口は約250万人。つまり平均すると、成人男女並びに子供も含めて、一人当たりの頭上に1トンを超える爆弾が投下されたことになる。

ラオスに投下された爆弾のうち、約3割が爆発しなかった。こうして地中に残った不発弾は今でも年間数百人の犠牲者を生み出しており、ラオスの農民は、数万ヘクタールにものぼる肥沃な土地を、耕せないでいるのが現状である。

「レガシー・オズ・ウォー」によると、この40年の間に、約20,000人が、不発弾の爆発で死亡または手足を失っている。また、ある調査によると、こうした不発弾は、未だにラオス全土の約3分の1の国土に点在しているとみられている。

米国政府は、ベトナムカンボジアの場合と異なり、1975年に政権を掌握したラオスの共産党政権との外交関係を断絶したことはない。しかし、米国政府が600名近くにのぼるラオス領内で戦死者或いは行方不明者になったとみられる兵士の消息確認問題や(ベトナム戦争中米国に協力した)モン族への人権侵害問題を最優先したため、ラオスとの国交が正常化されるまでには17年(1992年)を要した。また、通商関係が正常化されたのは、わずか7年前である。

米国政府は1997年、ビル・クリントン政権の下で最初の不発弾処理のための資金援助を行い、その後毎年平均260万ドル規模の支援を継続した。また2009年には、援助額を350万ドルに、2010年には500万ドルに増額した。さらに今年度分については、パトリック・リーヒ上院議員(民主党)とリチャード・ルーガー上院議員(共和党)が中心となって、900万ドルの予算を通過させた。

上院歳出委員会は、来年度には1000万ドルの予算を認めるよう勧告しているが、共和党が多数を占める下院議会でこの規模の予算を認めさせるには、様々な困難が予想される。

対ラオス援助を支持する人々は、クリントン長官がラオス訪問時に1000万ドル規模の不発弾処理に対する支援表明を行えば、同予算案が議会を通過する可能性が高まるのではないかとの期待を抱いている。また、彼らは、他の国々や専門諸機関からの追加支援を促すためにも、米国が支援を長期にわたって継続する必要があると考えている。

「レガシー・オズ・ウォー」のChannapha Khamvongsa専務は、「引き続き、不発弾の犠牲になっているのは一般のラオスの村人たちです。私たちは、クリントン長官が、不発弾が人々に及ぼしている影響をラオスで直接目の当たりにして、改めてこの問題の最終解決に向けてラオスを支援する米国の立場を改めて明言することを期待しています。」と語った。

しかし前途には多くの難題が立ちふさがっている。これまでに推定で約100万発の不発弾が破壊或いは除去されたと見られているが、ラオスにはなお8000万発近くの不発弾が各地に埋まっている。

国連開発計画(UNDP)トーンシン・タムマヴォン政権と協力して、不発弾処理に重点を置いた計画を2年に亘って策定してきたが、その研究報告書には、「ラオスに社会経済開発をもたらすには、まずその大前提として、不発弾の除去が実行されなければならない。」と記されている。

またUNDPは、「(不発弾のために)観光、水力発電、鉱業、林業等、本来ならばラオス経済の成長を支える原動力となるはずの諸産業が複雑な問題に直面しており、経済的な機会は制限され、高コスト体質になっている。」と指摘し、ラオスで不発弾問題を大幅に軽減するには、向こう10年間にわたり年間3000万ドル規模の経済支援が必要と見積もっている。

不発弾処理支援プログラムについては、米国が最大の支援国だが、日本、欧州委員会、アイルランド、スイス、ルクセンブルク、ドイツ、オーストラリア、国連諸機関も、同プログラムに対する資金援助を行っている。

米国の対ラオス二国間援助は、主に不発弾処理への支援予算を中心に、2007年の500万ドル規模から今年度は1200万ドルへと増大した。その内訳をみると、米国政府は900万ドルにのぼる不発弾処理への支援に加えて、保健衛生、麻薬対策分野に対する支援を重視している。

折しも人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は、7月9日、クリントン長官に対して、ラオス政府がソムサンガ薬物収容センターの人権状況(子どもを含む収容者に対して加えられているとされる人権侵害疑惑)について徹底した独自調査を実施するまで、全ての援助を停止するよう強く求めた。

また国連諸機関も、3月12日、ソムサンガをはじめとする国内の薬物収容センターを閉鎖するよう、ラオス政府に呼びかけている。

HRWのジョセフ・エイモン保健・人権局長は、「ラオス政府と米国国務省は、ソムサンガ収容センターについて、近代的な医療施設(薬物治療リハビリテーションセンター)としていますが、10年に及ぶ米国の資金援助を経ても、この施設がラオス政府にとって『好ましからざる人々』を拘留する残虐で非人道的な収容所であることには違いがないのです。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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