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毒物の脅威に立ち向かう新しいイニシアチブ開始

【国連IPS=イザベル・デグラーベ】

化学、生物、放射性物質、核(CBRN)の脅威に関連したリスクを低減することが、センター・オブ・エクセレンス(CoE)として知られる新しい多国間イニシアチブの目標である。

国連地域犯罪司法研究所(UNICRI)、欧州連合の代表、CBRN問題の専門家らが共同のCoEを立ち上げ、CBRNのリスクに対処する政策を作り世界をまとめることを目指している。

CBRN物質が犯罪目的で乱用され、とりわけ産業への深刻なダメージがもたらされる懸念が高まっていることを受け、ケニア、アルジェリア、モロッコ、ヨルダン、アラブ首長国連邦、グルジア、ウズベキスタン、フィリピンにCoEが立ち上げられ、世界60ヶ国以上からの協力を得る予定である。

 
現在、危機的な状況に直面しても、多くの国が独力で対処せねばならない。UNICRIのCBRNプログラム責任者であるフランチェスコ・マレッリ氏の説明によると、CoEの目的は、地域間のパートナーシップ構築によって、CBRN事故のリスクを共有し、市民保護の能力を高めることにある。

「欧州外交サービス」のCBRN問題政策コーディネーターであるブルーノ・ドゥプレ氏の説明では、各地域に事務局が設置されて、地域内各国の司法機関、警察、軍を動員し、特定のリスクや脅威に関する知識を集積し共有していくという。

違法な核取引

大量破壊兵器(WMD)
拡散への懸念が世界的に高まる中、CoEイニシアチブの最初の2つのパイロットプロジェクトは、違法な核取引への対抗と、核・放射性物質テロの脅威に焦点を当てている。

2011年1月に欧州連合に提出されたCRBNのケーススタディによると、1998年以来、米国一国だけでも、封印された放射性物質を含んだ装置が紛失、盗難、廃棄されたケースが1300件以上あるという。年間平均でいうと約250件にのぼる。

また、同調査によると、国際的な警察組織であるインターポール国際原子力機関(IAEA)が核・放射性物質の違法取引に関する包括的なデータ収集の目的で共同で立ち上げた「プロジェクト・ガイガー」で、違法取引のケースが2200件以上記録されたという。

CoEのプロジェクトは、南アジア地域において核科学捜査の能力を構築することによって、違法取引によるリスクを緩和することを目的としている。核物質の安全な回収や、市民保護の措置、起訴を目的とした犯罪現場の保存などの問題に取り組んでいる。

ドゥプレ氏は、シリアからの大量破壊兵器拡散の脅威に関する質問に答えて、CoEは基本的に予防的なイニシアチブであって、恒久的な組織や危機対応組織と混同されてはならないと強調した。

CoEは構造的問題への対処を通じて――たとえば早期警戒や早期支援システム――危機を予防することを目指しているが、中東や北アフリカの紛争状況において兵器拡散への対応を調整することは、その職掌を超えている。

毒性廃棄物

核テロの脅威がもっとも多くの関心を集めてはいるが、化学兵器生物兵器に対する懸念に対処するプロジェクトも、遅ればせながら実を結びつつある。

ノート型パソコンや携帯電話などの電子機器に含まれる毒物が、その廃棄に日々従事する労働者に深刻な健康被害を及ぼしているアフリカ地域では、電子ごみ(e-ごみ)の廃棄が、重要事項の一つとなっている。

CoEがアフリカで行っている廃棄物処理プロジェクトは、電子ごみ問題に対処する方法を構築するためのスポンサー探しの最中である。しかし、ドゥプレ氏によれば、資金は限られている。

国連環境計画(UNEP)が2010年2月22日に発表した報告書『リサイクリングー電子ごみから資源へ』では、インドや中国、ラテンアメリカ、アフリカ諸国において、毒性のある電子ごみの山の脅威が大きくなり、環境と公衆衛生に重大な影響を与えているという。

報告書では、セネガルやウガンダのような国では、パソコンから出る電子ごみだけでも、2020年までに8倍に増えると予想している。ケニアでは、冷蔵庫から1万1400トン、テレビから2800トン、パソコンから2500トン、プリンターから500トン、携帯電話から150トンのごみが出ると推計されている。

ドゥプレ氏は、アフリカの電子ごみの問題について、「資金不足により、深刻な問題となっています。」「現在、スポンサーを探して、手続きを何とか定めようとしています。アフリカにはごみ処理のプログラムがあり、ごみ処理を支援するために国際組織から資金を引き出そうとしているところです。」と語った。

「アフリカでは、(ごみ処理は)テロの拡散問題よりももっと優先順位の高い問題なのです。」とデュプレ氏は付加えた。

CoEのイニシアチブは、いかなるドナーの関心にも引きずられることのないよう、地域の資産を基盤に構築されている。しかし、国際社会で集める注目とは別に、複数の問題に対処する資金を確保することが難題となっている。

翻訳=IPS Japan

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IAEAはあまりに脆弱とシンクタンクが指摘

【ワシントンIPS=キャリー・L・バイロン】

IAEAは「大変な資金不足に陥っている」と、6月25日にワシントンDCで発表されたある報告書が指摘している。

この報告書によれば、IAEAは30年来の予算キャップの下で任務を遂行しており、必要なレベルの機能を果たす能力が妨げられているという。

IAEAは、その与えられた任務の下で、世界で唯一の監視機能を果たしている。IAEAの資金源は、加盟国の自発的な分担金に限られている。

カナダのシンクタンク「国際ガバナンス革新センター(CIGI)」が発表したこの報告書は、「IAEAは、その活動振りからして当然の評判を博し、きらめくような前途を持っているにもかかわらず、十分な資源を与えられず、その権限は著しく削がれ、その技術的な達成はしばしば政治的論争の陰に隠れがちである。」と警告している。

現在、IAEAの年間予算は3.21億ユーロ(約4億ドル)であり、これで約2300人の職員を雇っている。

「任務の大きさに対してこれはあまりに小さい」とストックホルム国際平和研究所のワシントン事務所で語ったのは、報告書の著者であるトレバー・フィンドレー氏である。

フィンドレー氏の調査によると、2010年時点でこの予算で行えたことは、175ヶ国・949ヶ所での保障措置の監督である。同じ年だけで、IAEAは2010回以上の現地査察に従事した。

IAEAが、1953年の創設以来、驚くほど広く称賛を集めてきたのも事実である。しかし同時に、そうした称賛の多くはIAEAが比較的制約された予算の中で任務を行ってきたことも認識しており、称賛の対象はその効率性に向けられてきた。

2006年、米大統領の連邦予算作成を支援する米政府の部局は、資金投入の価値という点でIAEAに満点を与えた。2004年、ある国連のパネルは、IAEAを「めったにない掘り出し物」と表現した。しかし、フィンドレー氏は、IAEAは「国連システムの中でも最もよく運営されている機関のひとつ」と何度も呼ばれていることに留意しつつも、他方で、予算が制約されていることでいくつかの任務遂行に障害が出てきていると指摘している。

実質成長なし

この予算問題は、1980年代半ばに国連全体で実施された「実質成長なし」方針によるものである。これは、インフレ率の中央値を越える予算の伸びを認めないというものである。国連への分担金が多い国々からなる「ジュネーブ・グループ」からの圧力によるものであった。

IAEAの場合、この方針によって2003年まではIAEA予算の伸びは凍結され、この年になってようやく、米国からの圧力によって、僅かではあるが漸進的な増加が認められるようになった。

この点において、米国はIAEAの強力な支援国のひとつである。バラク・オバマ大統領は、IAEA予算を2倍にすることを追求し、米国の自発的な分担金も急速に増やした。

IAEAは、予算の停滞に悩みながらも、その管掌範囲を広げていった。さらに、IAEA自身の推測によると、今後20年間で原子力発電は2倍になる。

この予算の制約が広い範囲で影響を及ぼすことは避けられない、とフィンドレー氏は論じている。同氏は、IAEAが関与するようになった活動全体を支援するために、必要に応じた予算システムへと移行することを提案している。

フィンドレー氏の報告書には、「IAEAには、最新の技術や適切な人的資源が与えられてこなかった」「その中で最も重大なことは、IAEAが、いかなる手段をもってしても、イラク、イラン、リビアが保障措置協定に重大な違反をしていたことを察知できなかったことだ。」と記されている。

2011年3月の福島第一原発事故もまた、IAEAの現状に警鐘を鳴らしている。IAEAは、事故に24時間以上対応することができなかったのである。

多くの識者にとって、これはIAEA内部の危険な失策を意味するだけではなく、世界の原子力安全の「ハブ」を構築するという責任にどの国際機関も取り組んでこなかったことを示すものであった。

政治的障害

多くの人びとにとって、福島や現在のイランの問題は、IAEAの機能を再検討する緊急の必要性を示している。

「IAEAが何年にもわたってイランと関与してきたが、イランは以前よりも核兵器取得に近づいている」と報告書は指摘している。フィンドレー氏は、イランが長年にわたる協定不遵守にIAEAが対処する能力がないことに懸念を表明している。

しかし、予算問題を解決することは問題全体の一部に過ぎないとフィンドレー氏は言う。2年間の調査を基にした同氏の報告では、変化を生み出すことが求められるアクターに応じて、20の勧告がなされている。

これらの勧告の中で、イラン問題は、とりわけ最近IAEAのガバナンスの分断が危険水準に達しているという事実を指し示している。

フィンドレー氏は、「政治化がIAEAの統治機構を機能不全に陥らせている」と語り、とりわけ、遵守違反のケースがIAEAの機能を止めているという。特にイランをめぐる停滞が例として挙げられるが、イスラエルの核計画をめぐる論争的な投票や、中東全体の保障措置などの問題もフィンドレー氏は挙げた。

「ますますIAEAが政治化する状況は、途上国の役割が以前より活発化していることに原因が求められるかもしれない」と報告書では述べられている。イランの「外交的防波堤」として機能してきたブロックである「非同盟運動」(NAM)の影響力拡大のことを指している。

しかし、報告書はすぐにこうも付け加えている。「西側諸国もまた、IAEAの政治化に責任を負っている。ニコラス・バーンズ米国務次官(政治問題)が、モハメド・エルバラダイIAEA事務局長(当時)に、イラン問題に関する米国の立場を受け入れさせようとして、『IAEA予算の25%を支払っているのは我が国だ』と言ったとされている。」

報告書では、こうした分断状況を緩和するいくつかの戦略も提示しているが、政治が入り込んでくるのは避けられないことだともフィンドレー氏は述べている。IAEAを設立しその費用負担を行っているのが加盟国だとすれば、「その運命を最終的に握っているのは加盟国だ。」とフィンドレー氏は結論付けている。

「(IAEAは)いくつかの点で自らを強化し改革することができます。しかし、究極的には、加盟国全体、あるいは一部の有力で精力的な加盟国の強い意向に左右される存在でもあるのです。従って、今後IAEAを強化し改革しようとすれば、我々が圧力をかけねばならないのは加盟国ということになるのです。」(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|子ども兵士問題|コンゴ民主共和国東部の反乱に200人近くの子ども兵士が関与

【キンシャサIPS=エマニュエル・チャコ】

 「一人の大人の反乱軍兵士に、少なくとも3~4人の子ども兵士が付従っているのを見ました。」とRunyonyi在住のクラヴェール・ルコメザさんは語った。Runyonyiは3月以来、コンゴ民主共和国(DRC)東部を揺り動かしている反乱軍グループM23運動(3月23日運動)の活動拠点の一つである。

「大人の兵士は、私たち住民が子ども兵士に近づいたり話しかけたりすることを拒否しています。」とルコメザさんは語った。ルコメザさんは最近の反乱において中心地となった北キブ州のブテンボから放送している民間ラジオ局「マペンド」の元ジャーナリストである。

またルコメザさんは、反乱軍兵士たちが全員キンヤルワンダ語(ルワンダとDRC東部の一部で話されている言語)を話していた、と指摘している。この目撃証言は、6月24日にコンゴ政府の報道官が国営テレビを通じて行った(ルワンダに対する)非難声明の内容を裏付けるものである。

 
DRCのサンバート・メンデ情報相は6月30日に国営テレビで行った声明の中で、「DRCがルワンダの現政権を攻撃するために、FDLR(ルワンダ解放民主勢力)及び旧ルワンダ軍のメンバーに武器・装備を提供している」との流言を否定した。
 
またメンデ情報相は、「2012年3月から4月にかけてルワンダ政府は、約200人の子どもを補充し訓練を施してM23運動の戦闘員としてDRCに送り込んだ。」と語った。M23運動はDRC東部の暴動を主導してきた反乱軍事組織である。

メンデ情報相の発言は6月21日に発表されたCRD東部の情勢とDRC外部の支援を得ている反乱軍の動向について報告した国連のレポートに続くものである。同レポートは、「2012年4月から5月の間に、M23運動が、軍装備の運搬要員や戦闘員として多数の子どもを補充した。」と指摘していた。
 
同国連レポートのフランス語版には、「(M23運動は)DRC軍のボスコ・ンタガンダ将軍が、2003年以来東部地域北キブ州周辺を支配下に置いている反政府武装組織「人民防衛国民会議(Congrès national pour la défense du peuple、CNDP)」の前代表ローラン・ンクンダ並びに国際刑事裁判所(ICC)から戦争犯罪及び人道に対する罪で指名手配されている同武装組織の幹部の支持を得て創設した組織。」と記されている。

同国連レポート(国軍兵士、反乱軍側の兵士、逃亡兵、コンゴ軍諜報機関による報告書、傍受内容による裏付けを基に作成)には、隣国のルワンダ政府によって、M23を支援するための前戦闘員の動員、兵士に対する弾薬、訓練、ヘルスケアの提供、さらに子供の動員について詳細に記されている。

DRCに関する国連専門家グループは、同国連レポートと6月27日に発表した付属文書の中で、ボスコ・ンタガンダ将軍及びCNDP元代表のローラン・ンクンダを告発した。

専門家グループは、トーマス・ルバンガ・ディロを、2002年から2003年にかけてイツリ州で行った子どもの兵士徴用という戦争犯罪の罪で有罪宣告するにあたり、ンタガンダ将軍が共犯者として告発された、と指摘したうえで、「この判決が契機となり、ディロと同じ戦争犯罪に問われている、ンタガンダ将軍の逮捕、ICCへの引き渡しを求める声が高まっている。」と述べている。
 
ムコンゴ・ンガイ・ゼノン駐国連DRC臨時大使が、6月18日付に李保东国連安保理議長に宛てた書簡(IPSはこのコピーを見た)の中で、コンゴ政府は、「M23運動に対するルワンダ政府からの支援とルワンダ国内に存在する(DRCに送り込む)戦闘員補充の仕組みに対して、国連安保理の注目を引きつけた。」

また同書簡には、「コンゴ政府と国連コンゴ民主共和国安定化ミッション(MONUSCO)が行った調査から、我々は、(ルワンダ政府によって)補充された戦闘員の多くが、再びコンゴ領に戻ってきたルワンダ人であり、その中に約200人の未成年と幼い子どもが含まれていると結論付けざるを得ない。」と記されている。
 
その数日前には、レイモン・チバンダ・ントゥンガムロンゴ外相が李国連安保理議長に書簡を送り、その中でントゥンガムロンゴ外相は、「加えて、M23運動はルワンダ政府の支援を受けながら不自然な同盟関係に依存しています。コンゴ軍に捕縛された反乱軍兵士にはFDLR(ルワンダ解放民主勢力)の兵士が含まれており、その多くはMONUSCOがルワンダに帰還させました。」と述べてる。
 
FDLRは、1996年からルワンダのツチ族政権に対して武力闘争を展開してきたフツ族の反乱勢力で、DRC東部に後方支援基地を維持している。
 
 1997年にDRCの首都キンシャサを制圧して政権を掌握したローラン・カビラが率いたコンゴ解放民主勢力連合(AFDL)の元兵士であるジョナサン・カブゴは、M23運動の兵士の中にFDLR兵士が含まれていること自体は主たる関心事ではないという。
 
「むしろ問題なのは、DRC政府が今年3月に東部反乱地区における軍事作戦を停止する決定をしたために、コンゴ軍とM23運動の勢力が後退した後に、ルワンダに送還されていたはずのFDLRの兵士が少しずつDRC内の以前の拠点に舞い戻っている事態なのです。」とカブゴは語った。

一方、6月21日にDRCを訪問していたルイーズ・ムシキワボ外相は、M23運動への支援疑惑について、「噂に過ぎないことだ」との声名を出し、ルワンダ政府による一切の関与を否定した。

またムシキワボ外相は、6月25日に国連本部において、「ルワンダ政府はDRCの情勢不安要因に関して、全く関与していません。またルワンダ‐DRC両国政府は、国際社会に対してこのような疑念が起きないよう、既に大使を交換しているのです。」と語った。

国連安保理はDRC政府に対してM23運動による反乱の平定に引き続き努力するよう促すとともに、特定の国名を挙げることを避けながらも、反乱軍に支援している国を非難する決議を採択した。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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│気候変動│破滅的な事件に目を覚まされるのを待つのか

【リオデジャネイロIPS=マリオ・オサバ】

大惨事が歴史のあらたな胎動を生み出すことがある。しかし、その役割を果たすためには、原発利用の停止、さらには廃止にすら結びついた1986年のチェルノブイリや2011年の福島の事故のような破滅的なものでなければならない。

気候変動に関して真の行動を促すには、大惨事は人間の心を変えるほどに重大なものでなければならないが、制御不能なほど大きなものであってはならない、と国連平和大学のマーチン・リーズ名誉学長は語った。

持続可能な開発に関する国連会議(リオ+20)に「気候変動タスクフォース」(CCTF)が提出した声明「気候変動の緊急の現実に立ち向かう行動」では、地球温暖化とその効果を抑えるには、「緊急かつ大胆な(温室効果ガスの)削減」が必要であると述べられている。

 CCTFはミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領(在任1985~91)によって2009年に始まり、世界の元指導者、リーズ氏を含む気候変動に関する科学者や専門家など20人で構成されている。

温室効果ガス排出は現在、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の想定する最悪シナリオケースを超える勢いで増え続けている。最悪ケースは、2100年までに地球の平均気温が6度上昇するという「許容不可能」なものであった。

しかし、CCTF声明は、IPCCの科学者らはおそらく、ピア・レビュー制度のもたらす抑制と複雑さのために、「気候変動のペースと勢いを過小評価している」と警告している。

こうした警告にもかかわらず、20年前に地球サミットが開かれたのと同じリオデジャネイロで開かれ、6月22日に終了した「リオ+20」会議では、気候変動の問題はほとんど取りあげられなかった。1992年サミットの際は、気候変動や生物多様性、砂漠化に関する国際条約が成果としてあったのである。

国連気候変動枠組み条約の締約国は、2009年のコペンハーゲンと2010年のカンクンの会議で交渉が不調に終わり合意に達しなかったことから、気候変動をめぐって激しい対立が生み出されるのを避けた、とリーズ氏はティエラメリカの取材に対して語った。

気候変動問題回避の正当化としてもっともよく持ち出されるのが、もっぱら欧州諸国を襲っている地球規模の経済・金融危機であるが、「経済が先であり気候問題は後でいいという発想があるとしたら、それは非常に危険な誤りだ」とCCTFは述べている。CCTFには、唯一のラテンアメリカからの参加者として、チリのリカルド・ラゴス元大統領(在任2000~06)がいる。

経済・金融危機は循環的なものであり、過去に何回も乗り越えられてきたが、気候危機は不可逆で制御不能な変化をもたらす恐れがある、とCCTF声明は主張する。
 
温室効果ガス大幅削減の緊急性は、地球の平均気温上昇を2度までに抑えるという目標では必ずしも地球が安全ではないという事実によって裏付けられる。

CCTF声明が指摘するように、工業化時代以前の段階からわずか0.8度上昇しただけでも、その帰結は「驚くべきもの」であった。

さらに、地球全体の平均で2度上昇するということは、ある地域では4度上昇する場合もあるということになる。

もっと恐ろしいことは、あるシステムが「転換点」にさしかかって、フィードバック・プロセスが引き起こされ、突然の大規模な変化が生み出されるリスクがあるということである。

北極海の氷の崩壊は、より多くのエネルギーが海中に吸収されたことを意味する。なぜなら、太陽光の反射する氷が少なくなっているからだ。結果として、海水温はより上昇し、これがさらに極点の氷を溶かす、と声明は指摘している。

森林が破壊され失われていくなか、炭素の吸収量が少なくなって、二酸化炭素がより多く大気中に排出される。その地域の気温は上昇し、それがさらに森に悪影響を与える。

CO2排出の増加は、海洋の酸度をこの200年で30%も上昇させた。この酸化により海洋が炭素を吸収する能力が下がって、より多くの炭素が大気中に残り、気候変動だけではなく、酸性化がより悪化することになる。

地球温暖化の深刻さはほぼ普遍的に理解されているが、国際的に合意された行動には依然として欠けている。これがCCTFによる行動呼びかけを促したものである。CCTFは、たとえばスウェーデンによる低炭素経済づくりの取り組みや、韓国でのグリーン技術・革新の促進など、いくつかの個別のイニシアチブを積極的に評価している。

しかし、「リオ+20」会議では「気候変動に適切な注目をせず」、対処されてきたその他すべての問題や任務を意味のないものにしてしまった、とゴルバチョフ氏は嘆く。

国連の官僚制と国連諸機関の間の関係のまずさが、気候変動問題を「リオ+20」会議から遠ざけてしまった要因のひとつでもある。「グリーンクロスインターナショナル」のアレクサンダー・リコタル総裁は、多国間政治システムは崩壊し、「国家の貪欲」が地球的な善よりも優先され、野放図な自然資源の過剰搾取が自由に行われるようになってしまった、と指摘する。

「気候変動タスクフォース」は7つのアクションを推奨している。たとえば、地球温室効果ガスの大幅削減に加えて、「自然資本」の保全、気候変動緩和・対応のための地域の能力の強化、公的・民間を含めた基本的な金融資源の動員などを挙げている。

リコタル氏は、地球に持続可能な発展をもたらすために、気候危機問題をすべての取り組みの中心におかねばならない、と論じる。気候危機問題は、1992年の地球サミットでこうした地位を占めるに到った。同サミットでは気候変動枠組み条約が採択され、その後、1997年の京都議定書の署名につながった。米国が議定書を批准することはなかったが、具体的な目標と義務は確立された。

それ以来、気候変動に関する国際的懸念の大きさは、年によって幅があった。しかし、重大な自然災害が起こったこともあって、気候変動が深刻な問題であるという認識がふたたび強まっている、とリコタル氏はみている。

世界自然保護基金(WWF)地球気候エネルギーイニシアチブの責任者であるサマンサ・スミス氏は、「リオ+20」会議の記者会見で、「社会は政府に対して圧力をかけて、必要な措置と目標を採択させねばならない、と訴えた。これが、ブラジル国民が「森林規則」の改定提案を通じて森林のさらなる破壊を防止するためにおこなったことだ、とスミス氏は語った。森林規則に関する議論は現在も続いている。

リオデジャネイロ付近の山間都市で昨年起こった地すべりと洪水により約1000人が亡くなった悲劇は、森林破壊を防止する立法を求める意見に強い力を与えることになった。

しかし、地方で起きる災害や、生物多様性の喪失のように一般的な市民には見えにくい影響の場合、世界的な政策と合意を前進させるには明らかに不十分である。

福島原発事故は、その巨大さゆえに、いくつかの原子力関連事業を少なくとも一時的には停止させることに成功した。しかし、原子力はチェルノブイリ事故以後にすでにかなりの支持を失っており、近年になって原子力への支持が復活してきていたのは、化石燃料や気候変動に対する恐怖が実際には大きく寄与している。

英国の生物学者ジョナサン・ベイリー氏は、テラビバ(IPSが「リオ+20」会議で発行していた独立紙)の取材に応じて、「残念ながら人々の命に直接かつ大規模に関わってしまうような大災害だけが必要な変化をもたらす要因になってしまうのではないかと、私はみています。」と語った。(原文へ

INPS Japan

※ファビオラ・オルティス(リオデジャネイロ)からの報告も追加した。この記事は、ティエラメリカ・ネットワークの一部であるラテンアメリカの新聞で最初に発表された。ティエラメリカは、国連開発計画、国連環境計画、世界銀行の支援をえてIPSが制作している環境と開発問題に焦点をあてたニュースサービスである。

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ビルマで少数派ムスリムの民族浄化か?

【バンコクIPS=マルワーン・マカン-マルカール】

ミャンマー(ビルマ)西部で進行している宗派闘争を伝える様々な報道から、同国で従来から迫害を受けてきたイスラム教徒で少数民族のロヒンギャ族が直面している苦境が明らかになってきている。地域のある人権保護団体は、2006年当時、ミャンマーにおけるロヒンギャ族への迫害の様子を「じりじりと焼き殺すように進行している大量虐殺(slow-burning genocide)」と例えている。

当局の発表によると、6月14日までに、ビルマで近年最悪といわれる仏教徒のラカイン族とロヒンギャ族との間の衝突で、29人が死亡し(うち、16人がロヒンギャ族で13人がラカイン族)、3万人が家を追われている。また、2500軒以上の家屋に火が放たれ、9つの仏教寺院と7つのモスクが破壊された。

 6月3日、仏教徒の暴徒300人がイスラム教徒の巡礼者が乗ったバスを停車させ、10人を殴り殺した。人権擁護団体は、この事件を、何十年にもわたって民族対立が燻ってきたラカイン州で渦巻いているロヒンギャ族に対する敵意を象徴するものと指摘している。

このロヒンギャ族に対する最新の襲撃事件の背景には、ラカイン州ランブリー居住区で27歳の仏教徒の女性(ラカイン族)が、3人のイスラム教徒の男性の暴行を受け殺害されたという話が州全域に広がり、人口の大半を占める仏教徒の間で、イスラム教徒に対する敵愾心が高まっていたという事情がある。

警察当局は、3名の容疑者(ロヒンギャ族)を逮捕・収監したと発表したが、ラカイン族の怒りは収まるどころか、「カラール(南アジア系のより肌の色が濃い人々に対する蔑称)に対する復讐」を呼びかけるチラシに焚き付けられて、ロヒンギャ族に対する住民感情は益々険悪なものとなった。ロンドンで亡命生活を送るロヒンギャ族のナルル・イスラム氏は、「次に何が起こるかわからない事態に恐れおののいているロヒンギャ族の住民から、毎日のように電話がかかってきます。現地では、ロヒンギャ族の家々で死体が折り重なっているのが目撃されていますし、ロヒンギャ族の住民が次々と行方不明になっているのです。」と語った。
 
テイン・セイン政権は、夜間外出禁止令を出して事態の収拾を試みたが、暴徒を抑え込むことはできなかった。この点について、バンコクから故郷の情勢をモニタリングしているイスラム教徒の匿名ヒティケさん(29歳)は、「イスラム教徒だけが一方的に外出禁止の対象になり、(主に仏教徒からなる)ラカイン族の暴徒は、夜間もロヒンギャの家々に火を点けて回っているのです。」と語った。

しかし、ロヒンギャ族は街頭でだけ恐怖を味わっているのではない。ビルマの内外を拠点とする様々なウェブサイトやブログ、フェイスブックには、ロヒンギャ族の民族浄化を呼びかける差別的な言葉であふれかえっているのである。

あるポスターには、「いつか我々の政治課題を解消した暁には、やつら(=ロヒンギャ族)を(ビルマから)追い出し、二度と我々の祖国に足を踏み入らせない。」と書かれていた。

こうした内外のビルマ人仏教徒が、オンラインを通じて「(ロヒンギャ族に対しては)大量虐殺に等しい行為さえも許される」とする主張を公然と展開している状況には、長年ビルマで活動してきた人権擁護活動家さえ驚きを隠せないでいる。

ビルマ・ルタナティブ・アセアンネットワーク (ALTSEAN)代表のデビー・ストッハード氏は、「ロヒンギャ族に対する中傷・攻撃がオンライン上でここまで悪化したのは初めてだと思います。中にはロヒンギャ族の女性活動家への性的暴行を公然と呼びかける内容すらあるのです。」と指摘した上で、「ロヒンギャ族は、世界で最も迫害を受けているコミュニティーの一つです。数十年に亘って彼らに加えられてきた抑圧は、ジェノサイド条約(集団殺害罪の防止および処罰に関する条約)が国際法上の犯罪と規定している条件に該当します。」と語った。ALTSEANは6年前、ロヒンギャ族に対して「大量虐殺に準じると思われる行為が進行している」と警鐘を鳴らした権利擁護団体である。

ビルマの政治状況に関する報告書を多数執筆している独立政治アナリアストのリチャード・ホーシー氏は、「反ロヒンギャ族感情の高まりはビルマ政府の少数民族政策の厄介な側面を浮き彫りにするものであり、今後状況はさらに悪化する可能性がある」と指摘したうえで、「異民族間の緊張関係はビルマ各地でみられるが、ラカイン州における状況は最も深刻です。しかも、状況はこれからさらに悪化し、ラカイン州の境を越えて広がっていくリスクが高いと言わざるを得ない。」と語った。

政府公認の差別

政府はビルマ社会に平静を取り戻す努力を傾注し、3月に開始した改革課題に引き続き取り組んでいると主張しているが、次々に明らかになってきたロヒンギャ族に対する人権侵害の証拠の数々は、こうした主張と矛盾するものである。

「現ビルマ政府も、歴代軍事政権がロヒンギャ族に対して行ってきた差別政策が現在も継続されている事実を認めています。」と、世界各国でロヒンギャ族の人権擁護を訴えているNGO「アラカンプロジェクト」のクリス・レワ代表はIPSの取材に対して語った。

またレワ代表は、「こうしたロヒンギャ族に対する国家的な差別は、今年3月の議会でも明らかになりました。ロヒンギャ族出身の国会議員達がこの点について政府に糾したところ、政府は依然としてロヒンギャ族に対する諸制限を解除するつもりはないと回答したのです。」と語った。

政府は長らく、ロヒンギャ族をビルマを構成する135の民族集団のひとつとみなしてこなかった。1962年の軍事クーデター以来、軍当局は組織的に且つ広範囲にわたって、ロヒンギャ族を標的とした迫害(民間人の殺害、女性に対する性的暴行、拷問)を繰り返してきた。

さらに1980年代になると、政府はロヒンギャ族から身分証を取り上げ、市民権を剥奪。事実上祖国を持たないコミュニティーを創りだしたのである。

今年1月、レワ代表は、国連子どもの権利委員会に対して、「ビルマ政府は、ロヒンギャ族を引き続き無国籍の少数民族として抑圧する方針から、ロヒンギャ族の幼児を新たにブラックリストに登録した。」と報告した。

レワ代表は、推定4万人のロヒンギャ族の子どもたちが、大人たちと同様に強制労働に従事させられているほか、医療や正規雇用へのアクセスを拒まれ、当局の許可なく居住する村からの外出することを禁じられている事実を明らかにした。

1978年、政府は「キング・ドラゴン作戦」を敢行し、ロヒンギャ族20万人をラカイン州から隣国のバングラデシュに追い出した。その結果、ロヒンギャ難民はその後数十年に亘ってバングラデシュの難民キャンプで悲惨な生活を強いられた。

1991~92年にも同様の国家的迫害があり25万人のロヒンギャ族が難民化した。現在、サウジアラビア、パキスタン、インド、マレーシア、バングラデシュで150万人のロヒンギャ族が難民になっている。

ロヒンギャ族が前回国際的な見出しに登場したのは2009年で、タイ当局が同国の南西海岸付近の沖合で、船いっぱいの疲労困憊したロヒンギャ難民を拿捕したと報じられた際である。当時、人権擁護団体は、タイ軍当局により再び沖合に引き戻された1000人以上のロヒンギャ族難民の身に何が起こったかについては、不明のままだと主張した。(原文へ

翻訳=IPS Japan

政治的奈落に落ちるネパール(シャストリ・ラマチャンダランIDN-InDepth News編集委員)

【ニューデリーIDN=シャストリ・ラマチャンダラン】

ネパールで最初に死んだのは民主主義か、議会か、それとも憲法だろうか?憲法なしに選挙を行うことは可能だろうか?憲法が存在しないのに大統領が「憲法上の象徴元首」でいられるのだろうか?国会議員でなければならない首相が、議会(それが制憲議会と呼ばれていたとしても)がないのに首相職にとどまることができるのだろうか?

こららは、ネパールにおいて複数政党が行った民主主義に対する裏切りによって生み出された難問の一部である。ネパールの人々は、民主的な秩序を求めるこれまでの歩みの中で、何度も挫折や後退を経験しており、むしろこうした事態に慣れてきた経緯があるが、それでも、現在の政治空白は、ネパール史上最悪のものといってよいだろう。最初の失敗は60年前の王政復古であった(その後、国王がクーデターで議会を解散、政党を禁止し、国王に有利な間接民主制「パンチャヤット制」を施行した:IPSJ)。それから40年後の1990年、複数政党制が復活し、新憲法と初の暫定連立政権の下で、1991年には総選挙を実施された。

 
それ以来、多数の政党と首相が富と権力を巡って目まぐるしい闘争を繰り広げ、ネパール国民はこの偽りの民主主義の体裁を維持するための投票要員として扱われてきた。

当時ネパールでは、複数政党制民主主義とは、単に複数の政党が、経済発展も包括的な政治秩序も追求することなく、民衆を犠牲にして党利党略に終始することを意味していた。このように統治能力が欠如した政治体制の下では、開発資金は不正に流用され、貧困に喘ぐ大多数の国民が置かれている困難な状況を改善しようとする試みはなされなかった。国際社会は復活した民主政府に対して多額の支援を行ったが、結果は、新興の寄生的エリートを焼け太りさせたのみで、世界有数の最貧国であったネパールの状況が改善されることはなかった。こうしたことから、立憲君主制と複数政党制民主主義の二本柱は、必然的に、議会の共産党と袂を分かったネパール共産党毛沢東主義派(マオイスト)ゲリラの攻撃対象となった。

「人民戦争」

こうしてネパールは、1996年からインドの仲介でマオイストが政治復帰に合意した2006年までの10年間に亘って、史上最も凄惨な内戦の一つとされる「人民戦争」を経験した。戦火が止んだ時、マオイストは既に政治的に主流の地位を確保していた一方で、議会の諸政党は、実行力の欠如から国民の支持を大きく失っていた。その結果、暫定憲法の下で行われた2008年の総選挙では、マオイストが議会第1党となり、連立内閣を組織した。

同年に成立した暫定議会は、制憲議会と呼ばれ、新たに宣言されたネパール連邦民主共和国の憲法を2年以内に策定する使命を帯びていた。しかし、予想通り、党派対立が再燃し4年間に4人の首相(プラチャンダ→マダフ・クマル・ネパール→ジャラ・ナオ・カナル→バブラム・バッタライ)が目まぐるしく交代する一方で、制憲議会の会期は延期され続けた。この間、和平プロセスに関しては、マオイスト軍戦闘員の国軍編入問題などに前進(2万人の兵士のうち9000人を軍や警察に編入し、7000人余りは社会復帰させることで合意:IPSJ)が見られたが、主要任務である制憲合意に至ることはできなかった。

ネパールの政局がここまで混乱をきたすとは誰も予期していなかった。当然ながら、制憲議会が憲法制定に漕ぎ着けられずに会期を終えるという事態も全く想定されていなかった。マオイストのバブラム・バッタライ現首相には、ネパールが今日の政治的、法的、憲法上の混乱状態に陥った責任があるが、少なくとも2009年3月には、145条からなる新憲法草案を与党(ネパール共産党統一毛沢東主義派及びマデシ人権フォーラム)から提案している。しかし主要野党のネパール会議派(NC)及びネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(CPN-UML)は、この与党案の受け入れを拒否した。

連邦主義
 
与党連合の提案は、ネパールを、民族を基盤とした連邦国家に移行させるというものだった。しかしネパール会議派(NC)及びネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(CPN-UML)は、連邦案に真っ向から反対し、両者の合意が見られないまま今期制憲議会の期限である5月27日を迎えた。それに先立ち、ネパール最高裁は、すでに4回も会期を延長していた制憲議会のこれ以上の延長を認めず、憲法制定作業を完了せずに会期を終えた場合は、改めて総選挙を実施するべきとの判断を下していた。

結局、ネパール会議派(NC)及びネパール共産党統一マルクス・レーニン主義派(CPN-UML)は、マオイストが選挙を回避するために連邦案で妥協すると睨んで、攻勢に出たが、マオイストは妥協せず、すんなりと制憲議会の任期を終了させるとともに、あらたな制憲議会の形成を目指して11月に選挙を行うことを宣言した。

しかし宣言はしたものの、選挙の法的根拠となる憲法が存在しない状況下で、実際に実施するまでには様々な課題に直面することになるだろう。現実的に、選挙を実施するには、少なくとも与野党の主要4党全てが合意できる枠組みが構築されなければならない。しかし、そのような枠組みは、4党が協力して統一政府を樹立しない限り不可能である。

しかし今日の激しい党派対立の現状を見る限り、そのような協力体制は望めそうもない。今後事態が収まり、国民に信を問う以外に方法はないとこれらの主要政党が気づくとき、彼らは良識ある行動を取ることになるだろう。しかし、それとても希望的観測に過ぎない。それにしても、マオイストが選挙に訴えようとする一方で、「自由民主主義」をうたう諸政党がそれに反対しているのは奇妙な現象である。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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アフリカ諸国の紛争が新たな難民数を今世紀最悪レベルに押し上げている

【ワシントンINPS=ジム・ローブ】

国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)が6月20の「世界難民デー」に合わせて発表した年次報告書によると、2011年には、アフリカの4カ国で発生した内戦等により、世界で新たに約80万人が安全な避難場所を求めて祖国から逃れ難民となっていた。

「危機の年:2011年世界の動向レポート」によると、2011年は難民となる人が今世紀になって最も多く発生した記録的な年となった。

同報告書によると、2011年は紛争や迫害により世界で430万人が新たに避難を強いられた。しかし、こうした新たに発生した膨大な数の避難民の大半は、国境を超えることなく自国内で避難先を探すことを強いられた国内避難民である。

この報告書をジュネーブのUNHCR本部で発表したアントニオ・グテーレス国難民高等弁務官は、「2011年、世界は大規模な悲劇に見舞われました。あまりにも短い期間にあまりのも多くの人々が混乱の渦中に巻き込まれ、大きな被害、甚大な被害を負担することになったのです。」と語った。

 
47頁からなる同報告書によると、昨年末時点で、世界で4250万人が、難民(1520万人)、国内避難民(2640万人)、外国への庇護申請者(89万5千人)として避難難を強いられていた。またこの報告書は、これら3つのカテゴリーについて、国別の統計も掲載している。

 なお難民・避難民の総数(4250万人)は、2010年の総数4370万人よりもわずかに減少した。報告書は、その主な理由として、2011年は大量の国内避難民の帰還(過去10年で最多の320万人)が実現した点を挙げている。そうした国内避難民の帰還数を国別にみると、コンゴ民主共和国(823,000人)、パキスタン(620,000人)、コートジボワール(467,000人)、リビア(458,000人)となっている。

紛争により祖国を逃れる

2011年に最も多くの難民を出した国は、コートジボワール、リビア、スーダン、ソマリアで、多数の人々が内戦を逃れて国境を越えた。また、深刻な旱魃から故郷を離れた数万人のソマリア人が、隣国のケニアやエチオピアに難民として逃れていった。

これらすべての国において、難民の本国帰還が進んでいるが、これほど大量の住民が移動したことに伴う波及効果は、依然として地域全体に様々な悪影響を及ぼしている。

また報道によれば、マリでは、故ムアンマール・カダフィのリビア軍に所属していた元トゥアレグ族傭兵が帰国し、北部の分離独立の動きを強めてから、数万人の北部住民が故郷を逃れている(反乱軍はマリ北部地域をアザワドとして、独立を宣言している)。

同様にスーダンの場合も、約1年前に南部が南スーダンとして独立し、その後散発的な国境紛争が続いたことから、両国への難民帰還が進められる一方で、新国境地帯では新たに数万人の避難民が発生している。

また2011年には世界で約100万人余りの難民が本国への帰還を果たした。こうした帰還難民の大半はシリアから帰国したイラク人とイラン及びパキスタンから帰国したアフガニスタン人であった。

難民生活の常態化?

こうした一部難民の本国帰還に進展がみられ、注目を集める一方で、全体的に長期的な傾向として、難民の外国滞在(多くの場合、難民キャンプや都市部で教育へのアクセスや就業機会が極めて限られた困難な状況におかれている)期間がますます長期化しているという、より深刻な側面については、実態が見えにくくなっている。

UNHCR年次報告書によると、同機関の保護対象となっている1040万人の難民のうち、約75%が、少なくとも5年以上の長期にわたる難民生活を送っていた。

しかしこの数字には、約500万人にのぼる、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が保護対象としているパレスチナ自治領、レバノン、シリア、ヨルダンに住むパレスチナ難民とその子孫は含まれていない。
 
2011年末現在、パレスチナを除けば、世界で最も難民を出している国は、引き続きアフガニスタンである。同年末までに270万人のアフガン難民が国外に逃れており、その大半が隣国のパキスタンとイランに滞在している。

はたして、パキスタンとイラン両国は、現在世界で最も難民を受け入れている国となっている(パキスタン:170万人、イラン:90万人)。

2番目に最も難民を出している国がイラク(140万人)で、以下、ソマリア(108万人)、スーダン(50万人)、コンゴ民主共和国(49万人)、ミャンマー人(41万5千人)、コロンビア(39万5千人)と続く。

前述のパキスタンとイランを除けば、最も多くの難民を受け入れている国々は、シリア(七十五万五千人)、ドイツ(五十七万千人)、ケニア(五十六万七千人)、ヨルダン(四十五万千人)、チャド(三十六万六千人)である。世界の難民の約80%が、欧米先進国などの遠く離れた国々ではなく、近隣諸国に安住の地を求めて逃れている。また同報告書は、南アフリカ共和国が、個人の難民庇護要請を受け入れた数としては、四年連続で世界一であると記している。

過度の負担

同レポートは、難民受け入れの負担を受けているのは、富裕国ではなく、難民の絶対数からも、また、ホスト国の経済規模から見ても、圧倒的に貧困国(全世界の難民の8割が居住)である実態を明らかにしている。

一人当たりの国内総生産に占める受入難民数でみると、パキスタンが1ドル当たり605人で、最も経済的に負担を負っていることが分かる。これにコンゴ民主共和国の399人、ケニアの321人、リベリアの290人、エチオピアの253人、チャドの211人が続いている。

UNHCRは、2011年末時点で、前年度と比較して80万人以上の国内避難民が新たな支援対象となっており、その原因として、アフガニスタン、コートジボワール、リビア、南スーダン、イエメンにおいて避難民が急増した点を指摘している。

2011年末時点でUNHCRに登録された国内避難民を最も多く抱えていた国は、コロンビアで、以下スーダン(240万人)、ソマリア(140万人)と続いていた。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

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【ワシントンIPS=ジョン・フェファー】

その兵器はある国を例外として、世界中で忌み嫌われている。米国のピューリサーチセンターが行った世論調査によると、(ドローン:drone)無人機を使用した攻撃に関して、市民の過半数が支持している世界で唯一の国は、この最新の軍事技術を最も定期的に使用している国――アメリカ合衆国のみである。

無人機を使用した攻撃について、米国では賛成する声が62%を占めたのに対して、反対の声は僅か28%であった。この結果は、改めて米国は世界のルールに対して例外であるという現実を示している。

 ニック・タース氏とトム・エンゲルハルト氏が、最近出版した共著「ターミネーター・プラネット(ターミネーターの惑星)」の中で述べているように、無人機開発は、当初から米国が自認する例外主義という考えに基づいて進められてきたものである。無人機は1990年代末のコソボ紛争に際して偵察を目的に導入されたものであったが、間もなくして作戦空域における米軍の優位を確保するための主要な要素として重視されるようになった。

 ロバート・ゲーツ国防長官が2011年に行った演説の中で「米軍は、過去40年間において航空戦で1機の戦闘機も戦闘員も失っていない。」と豪語したが、著者たちが指摘しているように、米軍は無人機を導入する以前から圧倒的な制空権を確保してきた。

長引く経済不況から、国防予算削減に対する圧力が強まる中、無人機技術は、米軍の優勢と米国の世界唯一の超大国としての地位を低価格で保障する手段として、益々重要視されるようになった。エンゲルハルト氏が指摘しているように、無人機技術は、今や米国にとって「中央情報局(CIA)を通じて、安価にしかも隠密裏に帝国を防衛する」不可欠な要素となっているのである。

また無人機技術は、米国の例外主義の伝統を更に拡張する上で、もう一つの重要な役割を果たしてきた。ブッシュ政権から対テロ作戦を継承したバラク・オバマ政権は、無人機技術の使用範囲をさらに拡大し、アルカイダタリバンの指導者の暗殺に活用した。

「現在は、KGBがかつて作戦で行ったような毒針を先端に仕込んだ傘を使用したり、CIAが行った毒入り煙草を使う時代は過ぎ去り、今や暗殺の舞台は空に移り、しかも年中24時間行われる活動へと変化している。」とエンゲルハルト氏は記している。

米国は、国際世論や国連レポート、国際法を公然と無視して、戦闘地域以外でもこのような暗殺行為を行う権利があると主張している。

共著者であるニック・タース氏は、本書の中に、米国国防省(ペンタゴン)とCIAが作り出した最新かつ詳細な無人機による作戦マップを掲載している(その図は当初TomDispatch websiteに掲載された)。MQ-9 リーパー、RQ-1プレデター、RQ-4 グローバルホークは、カタールのアル・ウダイド空軍基地をはじめトルコのインシルリク空軍基地、イタリアのシゴネッラ空軍基地、さらにはジブチ、エチオピア、セイシェルに設けた新拠点から飛び立ち、アフガニスタン全域をはじめ、今ではアジア各地に作戦領域を広げている。

軍当局は、この最新鋭技術への依存度をますます深めてきており、現在では軍が所有する航空機の3機に1機はロボット化されている。2004年、MQ-9 リーパーの飛行任務従事期間は僅か71時間だったが、2006年には3,123時間に跳ね上がり、さらに2009年までには25,391時間に伸びている。

多くの人員をアフガニスタン作戦にとられ、大規模な米兵の海外駐留に異議を唱える反軍事基地運動に直面する一方、政府がさらなる予算削減の方策を追求する中、無人機の開発は、新たな魅力的な選択肢として浮上しているようだ。

「私たちは、(人間とは異なり)抗議も勝手な欠勤もできない、また、『市民生活』も家もないモノ(無人機)に、ますます戦争をアウトソーシングするようになっています。」とエンゲルハルト氏は語った。

無人機が世界的に嫌われている主な原因は、他の航空機と比べて無人機が誤爆による犠牲者を多く出してきた点にある。作戦区域から遠く離れた米国本土の軍事基地で無人機をモニター越しに操作しているスタッフたちは、事実これまでに多くのミスを犯しており、パキスタン一国だけでも、200人の子どもを含む数百人の民間人を誤って殺害している。

しかしこれまでのところ、米国の一般市民は無人機のこうした負の側面にあまり関心を寄せていない。その背景には、オバマ政権が、無人機の性能について、あたかも外科手術で健康な患部の周りを傷つけることなく癌細胞のみを除去できる精密兵器だと、繰り返し保障してきた広報戦略がある。

さらに米国政府は、無人機の研究開発において、技術面の優位性を維持し続けており、現時点で、米国本土に対する無人機による攻撃が行われるリスクは低い。しかし、ジョージ・W・ブッシュ政権は、イラク攻撃を正当化する根拠の一つに、サダム・フセインが無人機を使って米国本土を標的に大量破壊兵器を使用するリスクを挙げていた。

しかし、ピューリサーチセンターの世論調査結果が示しているように、無人機攻撃は各地に深刻な反米感情を引き起こしている。2010年にニューヨークのタイムズスクェアで発生した自動車爆弾テロ未遂事件の実行犯は、米軍がパキスタンで展開している無人機による攻撃を、犯行動機の一部として告白している

また、他の国々‐イスラエル、ロシア、中国、イラン-も無人機ビジネスに参入してきている現状を考えれば、米国が無人機市場における圧倒的な優位を失うのも時間の問題かもしれない。

タース、エンゲルハルト両氏は、無人機の歴史的な位置づけについて、それが革命的な転換をもたらした存在なのか、それとも従来の制空権の優位を競う流れの中で登場した過渡的なものなのかについて、意見が分かれている。

「もちろん、この機械は進化したサイボーグというわけではありません。ある意味では、そんなに先進的なものでもないのです。」とエンゲルハルト氏は記している。

まして、今日の先進的な防空システムをもってすれば、こうした無人機は、むしろ容易に撃墜が可能である。つまり、無人機の使用は、そのような防空システムが整っていない場所においてのみ効果的なのである。

一方で、急激なインターネットの普及がコミュニケーションのあり方を根本的に変化させるのみならず、人間の考え方さえも変えたように、無人機は、おそらく、戦争や国境に関して米国やその他の国々が抱いている概念を徐々に変化させていく存在となるだろう。両共同執筆者は、本書の中で、事前に標的を定めて戦うようプログラムされた自律無人機が互いに戦うといった様々な未来のシナリオを描いている。

その内、ペンタゴンが作成した「2011~2036年度における無人システム統合ロードマップ(Unmanned Systems Integrated Roadmap, FY 2011-2036)」と題した資料を基にしたあるシナリオでは、米国の無人機が西アフリカ沖の海底油送管を狙う無人機を捕捉・無力化(撃墜)する場面が描かれている。このことからも、米国が無人機技術分野において将来的にも優位性を確保し続ける意向であることが窺える。

またタース、エンゲルハルト両氏が、繰り返し言及しているもう一つのシナリオは、ハリウッド映画「ターミネーター」に描かれた「ロボット対人間」というシナリオである。この映画の中では、未来の地球はロボットに支配されており、アーノルド・シュワルツェネッガーが扮するロボットが、人間のレジスタンスを率いるジョン・コナーを抹殺すべく、後に彼を生むことになる母親を殺すために過去に送られる。

ペンタゴンは、将来は前者のシナリオ(ロボット対ロボットの戦い)になると踏んでいる。しかしタース、エンゲルハルト両氏は、今後も人類が技術を盲信し、米国が例外主義を貫き通して、世界中に無人機が急速かつ大量に拡散する事態になれば、将来の世界はペンタゴンの予測よりも、もしろハリウッド映画が描した悪夢に近づくのではないかと心配している。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|リオ+20|政治的停滞を経済的現実に変える

【国連IPS=タリフ・ディーン

世界の指導者たちが「私たちの望む将来」と題する最終行動計画をブラジルの「リオ+20」サミットで今週採択する際、長く未解決であった問題、すなわち、いかにして国連は政治的停滞を経済的現実に変えるのかという問題には解答が与えられないままになっているかもしれない。

193ヶ国が先週リオデジャネイロの準備委員会で詰めの協議を行ったが、組織上の改変、あるいは新機構の設立に関していくつかの提案が既になされている。

Nassir Abdulaziz Al-Nasser/ UN Photo
Nassir Abdulaziz Al-Nasser/ UN Photo

 そうした提案の例としては、現在の国連環境計画(UNEP)を強化して本格的な専門機関に昇格させること、「地球経済調整評議会」の設立、「地球持続可能な開発評議会」の創設、さらには、それらすべてを包含する世界環境機構(WEO)の創設が挙げられている。

WEOについてはこの20年ほど国連において提案されてきた歴史をもつが、先日これをあらためて提案したのはフランスのフランソワ・オランド大統領であった。

オランド大統領は、WEOは「世界貿易機構(WTO)国際労働機関(ILO)のように」、「リオ+20」会議の成功に寄与することになろうと語った。

ナシル・アブドルアジズ・アルナセル国連総会議長は、「リオ+20」サミットは「強力な組織的枠組み」を作る必要があると述べている。

アルナセル議長は、「この枠組みは、経済、社会、環境保護という、持続可能な開発の3つの側面をうまく統合するものではなくてはなりません。また、新機構は、新しく生じつつある問題に対処し、これまでの成果が持続可能であるかどうかを評価し、公約の履行をモニターするものではなくてはなりません。」と語った。

先週、国連の潘基文事務総長は、「持続可能な開発目標(SDGs)という私たち共通の目標を支持する新しい組織的枠組み、すなわち進展を評価できる効果的な機構の必要性」にあらためて言及した。

潘事務総長は、「この機構は、高度な政治的関与を確保したものであり、市民社会や地方自治体、民間部門がその知識と専門的経験を提供できるような空間を与えるものでなくてはなりません。」と語った。

国連はすでに、2015年以降の課題と機会に向けた取り組みを開始している。これは、ミレニアム開発目標(MDGs)の達成が目されている年であり、SDGs開始の年である。

「私はすでに、国連の開発部局の長たちや、経済社会問題局の理事会に対して、国連組織全体を活用してこの取り組みに向かうよう指示しています。」と潘事務総長は語った。

手始めとして、潘事務総長は先週、ナイジェリアのアミーナ・J・モハメッド氏を国連事務次長補の新ポストに指名し、2015年以後の開発計画に関して、同事務総長の特別顧問になるよう要請した。

コロンビア大学(ニューヨーク)の非常勤教授であるモハメド氏は、MDGsに関してナイジェリア大統領の特別顧問も務めている。

また潘事務総長は、2015年以降に向けた賢人ハイレベルパネルの設置を発表した。インドネシアのスシロ・バンバン・ユドヨノ大統領、リベリアのエレン・ジョンソン・サーリーフ大統領、イギリスのデイビッド・キャメロン首相が指名されており、今後続々と指名される予定である。
 
東京に本拠を構える仏教組織創価学会インタナショナル(SGI)池田大作会長は、持続可能な地球社会に関する提言において、国連の環境関連及び開発関連の機関を統合することで、新しい国際機構を創設することを呼びかけている。

池田会長は、「国連開発計画(UNDP)やUNEPを含む関連部門の統合などを柱とした、大胆な質的転換を伴う改革を果たし、『持続可能な地球機構(仮称)』を設立することを提案したい。」と述べている。

また池田会長は、「(関連組織の統合に際しては)苦しんでいる人々が何を求めているのかを出発点にして、尊厳ある生活と人生を送るための基盤づくりを総合的に進めることができる組織能力を高める必要があります。」と指摘している。

Daisaku Ikeda/ Photo Credit: Seikyo Shimbun
Daisaku Ikeda/ Photo Credit: Seikyo Shimbun

池田会長はさらに、「現在のところ、UNEPやUNDPでは、理事会のメンバー国でなければ最終的な意思決定の場に加わることができないという状況があります。」と指摘した上で、「しかし、持続可能な開発というテーマの重要性と対象範囲の広さを考えるとき、希望するすべての国の討議への参加を最優先に考えることが、何よりも欠かせない要件になってくるのではないでしょうか。」と述べている。

ニューヨークとジュネーブで国連を取材してきたベテラン・ジャーナリストであるチャクラバルティー・ラガバン氏は、IPSの取材に対して、「WEO構想、あるいはUNEPを国連とは別個の機関にするという構想は、1992年ごろから議論されてきました。」と語った。

「もちろん、新機関を作るということは、ポストが増えるということであり、仮にUNDPのような資金調達方式をとるならば、『北(=先進国)』からの支配が強まり、より支出が増えるということです。そして、どんな機関であっても、一旦作られれば、根本的な政治の法則が入り込んでくることになります。つまり、政策について決定するのは諸政府であり、それを実行する機構を作るのも諸政府であるということです。」とラガバン氏は語った。

リオデジャネイロの地球サミット(1992年)の取材経験もあるラガバン氏は、「ほどなくして、これら機構にいる人々は、自らの利益やニーズに見合うように政策を曲げていこうとするでしょう。」と語った。

「しかし、(新機構に)いったいどんな価値が付加されることになるか不透明です。つまり、国連憲章は、経済社会理事会が監督・調整の役割を果たすことを、そもそも想定しているのですから。しかし、経済社会理事会は、長年にわたって機能してきませんでした。会合には、単に諸機構の長がやってきて長たらしい演説を行うだけであり、フロアからの『質問』に対しては、概して何の解答も示されないという状況が続いてきたのです。」とラガバン氏は語った。

またラガバン氏は、「実は、地球サミットで採択された『アジェンダ21』も、フォローアップのための組織的枠組みについて言及しており、包括的な調整・組織的役割をもったWEOの構想は、その際にも浮上したことがあります。」と指摘した。

しかし、1992年の「地球サミット」に向けた準備委員会会合では、WEO構想に対して、先進国や様々な専門機関から反対論が噴出し、実現を見なかった。

「実際、国連憲章に照らせば、経済社会理事会にこの役割が付与されています(安全保障理事会に安全保障問題に関する役割が与えられているように)。しかし、経済社会理事会は、その後次第に単なる議論をする場と化してしまったのです。」とラガバン氏は語った。

他方、1992年「地球サミット」のフォローアップとして、環境・開発問題に対処するために、いくつかの機構や基金、委員会、会議が設立された。

そうした機関には、世界銀行・UNDP・UNEPが共同で運営する地球環境ファシリティ(GEF)持続可能な開発に関する国連委員会(CSD)気候変動に関する国連枠組み条約(UNFCCC)国連砂漠化対処条約(UNCCD)などが挙げられる。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|シリア|ハマ虐殺事件の背景に怨恨の影

【アブダビWAM】

シリア中部の町ハマの近郊にあるクベイル地区で6日に起こった虐殺事件は、改めて混沌と無秩序のどん底に陥ろうとしているシリアの現状を浮き彫りにした、とアラブ首長国連邦(UAE)の日刊紙が報じた。

のどかな郊外の村で発生した今回の虐殺では、80人を超える住民が、ナイフで刺殺されたうえに死体が焼却されるという極めて残虐な手口から、民族、宗派、パワーポリティクスを動機にした殺害者による怨恨が背景にあるのではないかとの見方が強まっている。

「明らかに言えることは、バシャール・アサド政権のバース党が主導する治安部隊とは別に、独自の利害関係と目的をもった諸集団が跋扈しており、危機に陥っているシリアがこうした集団による攻撃の標的になっているということである(犠牲者の多くが反政府派が多数を占めるスンニ派ではなく、政権関係者に近い少数派のアラウィ派や同じく少数派のキリスト教徒であることから、実際の犯行は政府軍によるものではなく、反体制派を名乗るスンニ派原理主義グループによる犯行との見方もでてきている:IPSJ)」とドバイに本拠を置く英字日刊紙「カリージ・タイムズ」紙が9日付の論説の中で報じた。

 
この虐殺事件の少し前(5月25日)にも中部の町ホムス近郊にあるホウラ地区で、村人ら約100人が同様の手口で殺される虐殺事件が起きていた(右上写真)。こうした虐殺が頻発することに、アサド政権に対する国際社会からの非難(友好国ロシアからのものも含む)が高まっているが、暴力の連鎖はいっこうに収束する気配を見せていない。

「現在の状況は、まさにシリアが国家として崩壊の危機にあることを示唆している。現在のシリア社会は根深い宗派対立に沿って分裂状態にあり、従来それを抑え込んでいた政府による命令や法秩序が行き渡らなくなっている現状では、今後こうした虐殺がさらに頻発する可能性を誰も否定することはできない。」と同紙は報じた。

さらにカリージ・タイムズ紙は、「シリア情勢をさらに複雑・かつ悪化されているのが、自称反政府組織の一部と名乗っている多くの民兵組織に、武器支援の形で介入してきている外国諸勢力の問題である。こうした大小様々な「自称反政府勢力組織」の多くが、統一反政府連合の旗の下にアサド政権打倒に邁進するという目標とは別の政治的目標に向かって活動している可能性については、だれも否定することができない。」と報じた。

同紙は、今のシリア情勢は、政府の統治能力が弱体化して内戦状態になったところに諸外国が反政府諸団体に対する支援を通じて不当な介入をおこなっている構図から、泥沼状態に陥っているアフガニスタンの再現に他ならない、と報じた(国連では、住民保護を理由にアサド政権打倒を目指して軍事介入を主張する欧米アラブ諸国と、旧ユーゴスラヴィア紛争の際のデイトン合意の前例を踏まえた現政権と反対勢力による対等な話し合いで妥結をはかるべきとするロシア・中国の主張が対立している:IPSJ)

「重要な点は、国際社会は虐殺が繰り返されているシリアの現状を単に傍観して嘆いているのではいけないということである。ホウラやハマの虐殺事件が、責任の所在を巡る非難の応酬をエスカレートさせる一方で、(コフィ・アナン国連・アラブ連盟共同特使が提示した)6項目の和平提案から注意を逸らす結果となっているように、問題打開に向けた政治・外交イニシャチブは、機能不全状態に陥っている。」

カリージ・タイムズ紙は、「国際社会は、無関心の中でこうした緊急事態が頻発する現状は改められなければならない。シリアの人々がこうした攻撃の標的にされて空しく遺体を数え続ける事態が放置されてはならない。」と結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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