ホーム ブログ ページ 234

「アラブの春」はフェイスブック革命ではない(エマド・ミケイ:スタンフォード大学フェロー)

0

【パロアルト(カリフォルニア)INPS=エマド・ミケイ】

アラブ人ジャーナリストとしてここシリコンバレーにいると、4人会えば4人の人がかならず、「アラブの春」はフェイスブックによってもたらされたものだと言う。ここに3週間もいると、フェイスブックを開設したマーク・ザッカーバーグ氏を、プライバシー権を訴えてエジプトの監獄に入れられているハスーナ・エルファタトリ氏(Hassouna El-Fatatri)と勘違いしそうだ。

「中東専門家」を自称してきた欧米の多くの人々(諜報機関、シンクタンク、外交官、テレビによく出る学者やジャーナリスト等)は、昨年12月からアラブ地域を覆った変革の波を予想できず、事態の進展に文字通り「言葉を失う」とともに、彼らの権威は地に落ちてしまった。

その埋め合わせでもしようと思ったのか、「アラブの春」と欧米のつながりが奇術のごとく飛び出してきた。すなわち、ソーシャルネットワークが「アラブの春」をもたらしたとする説である。

 この抜け目のない広告戦略は瞬く間に世界に広がり、今日欧米諸国では、アラブ固有の社会変革の要因に対して、ほとんど目を向けなくなってしまっている。しかし1年を過ぎでもなお燃え続けているアラブ革命の原動力は、まさしくアラブ固有の要員によるものなのである。

「アラブの春」で人びとが主に使っていたツールは、グーグルでもフェイスブックでもツイッターでもなかった。それは、「アイ・レボルト(I-Revolt)」と呼ばれる彼ら独自の簡単なアプリケーションであった(レボルトは反乱の意:IPS)。

エジプト、チュニジア、シリア、イエメン、そしてしばしばその他のアラブ諸国において集団抗議行動が組織された際に最も使われたツールは、フェイスブックでもツイッターでもなく「Friday-book dot come rally now」であった。もしこの名称に思い当たるものがなければ、グーグルで、「怒りの金曜日」(Friday of Rage)、「解放の金曜日」(Friday of Liberation)、「出発の金曜日」(Friday of Departure)などと検索してみるとよい。

アラブ諸国では、毎週金曜正午の祈りに数百人、時には数千人の人々がモスクに集まって祈りを捧げるのが慣習だが、まさに人々が自然と足を運ぶ週一回のこの儀式こそが、抗議者を街頭に呼び込む主要な舞台として、「アラブの春」抗議行動における恒例の風景になったのである。

たしかに、1月25日に最初の抗議行動が人口8500万人のエジプトで起こったとき、フェイスブック、Gメール、ツイッター、或いはインターネット全般が参加を呼び掛けるツールとして役に立ったかもしれない。しかし、1月28日金曜日こそが、真の意味でのエジプト革命とそれに続くドミノ現象が始まった日であった。

つまり毎週金曜日に集まる習慣が抗議行動の理由だったのではなく、これさえも先述の「アイ・レボルト(I-Revolt)」の1アプリケーション-しかも身近で利用しやすい-に過ぎなかったのである。

そして2番目に最も効果を発揮したアラブの人々にとってユーザーフレンドリーなツールは、昔なじみのA4サイズのチラシであった。稀にタイプしたものもあったがこうしたチラシの大半は、白いA4用紙に手書きで抗議集会の場所を書き込んだものであった。こうしたチラシは、織物産業の中心地マハラ・アル=コブラ市の労組リーダーや不満を募らせているスエズ運河の港湾労働者達が好んで活用した。

こうした労働団体がストライキの構えを見せたことが、全国的な操業停止という事態を恐れていたエジプト国軍を最終的に民衆側に立たせる決定的な要因となった。

そして私がエジプトで目の当たりにした革命の灯を支えた3番目のツールは、事態を憂慮した民衆が各々の愛する人々に固定電話で伝えたシンプルな口コミであった。彼らは口々にムバラク大統領の過酷なやり方がいかに行き過ぎたものであるかを報告したのである。

さらにこのリストに、汎アラブ的なテレビメディア、とりわけムバラク大統領に批判的な報道を行っていたアルジャジーラ、BBCアラブ語放送、アルアラビア、そして米国が出資しているアルフーラが民衆の声を広める上で果たした役割を加えることができる。こうして見てくると、ソーシャルメディアがエジプト国内で果たした役割はごく限られたものであったことが分かるだろう。

事実、ムバラク大統領は民衆が抗議集会を計画したり組織する能力を抑え込もうと全てのコミュニケーション手段を切断したため、インターネットの使用が不可能になったのである。

ドバイ政治大学院(the Dubai School of Government)によると、2010年12月現在アラブ首長国連邦(UAE)は、アラブ地域で最大のフェイスブック利用率を誇るという(国民の45%がアカウント保持)。それに比べて、同時期のエジプトにおける国民のフェイスブックアカウント保持率は僅か5%に過ぎなかった。しかし、革命が起こったのはUAEではなくエジプトだったのである。この数字だけ見ても、フェイスブックが革命を導いたという説の主張の怪しさがわかる。

それではシリアとイエメンの場合はどうだろうか?これらの国々はエジプトと比べてインターネットの普及率はずっと低く、欧米の影響にもあまり晒されていない、にもかかわらず、抗議活動は野火のごとく広がりをみせているのである。両国で抗議者を集めているツールはフェイスブックではなく、地元の慣習等から自然に出来上がった「ソフトウェア」、すなわち、金曜礼拝、口コミ、チラシ、電話線、親族関係、そしてテレビ放送だったのである。
 
確かにユーチューブに投稿された映像やその他のネットワークにアップロードされた多くの写真が重要な役割を果たしてきたことは疑いの余地がない。しかしその役割は専らエジプト国内で起こっていることを記録し外の世界にそうした声を伝えるというものであった。こうしたソーシャルネットワークの役割が、はたして「アラブの春」の初期段階において民衆革命の支えとなっただろうか?答えはNOである。

欧米諸国は、チュニジア革命が起こったとき、失脚したザイン・アル=アービディーン・ベン・アリー大統領が国外逃亡する直前になるまで、なんの対応もしようとしなかった。その後、ある意味ソーシャルメディアのお蔭で、欧米諸国がやっと事態の深刻さに気づいた際の反応も、当初はお決まり一辺倒の「ベンアリ大統領、ムバラク大統領の政権維持を模索する」というものだった。

さしあたって、欧米の諸団体が「アラブの春」に関する正確な分析とそれに続いて有益な政策提言を入手しようとするならば、まずは深呼吸し、自らの失敗を認める勇気について熟考するとともに、しなかったことについてクレジットをとろうとする悪弊をやめ、アラブ地域において実際に何が起こったかをじっくり深く見据える必要がある。

もし欧米諸国がそうして自らの見方を変えることができれば、中東地域で起こっている出来事をありのまま捉えられるようになるだろう。そうなれば、「アラブの春」を支えたツールは、「フェイスブック」ではなく、「フライデー(金曜日)ブック」ともいうべきアラブ固有の社会変革要因であったことが理解できるだろう。

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

関連記事:
|米国メディア|2011年の海外ニュース「アラブの春」が首位を占める
中東民衆蜂起で民主選挙へと転回するアフリカ
|エジプト|「ムバラク裁判の映像は中東全域に衝撃をもたらした」とUAE紙
|アラブ首長国連邦|フェイスブックユーザーの浸透率でアラブ世界1となる

|北東アジア|変化が望まれる対北朝鮮政策

【東京IDN=浅霧勝浩】

「平壌ウォッチャー」たちが朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)内部の新権力構造の分析に気を取られ、主要メディアが金正日総書記の葬式にばかり注目する中、この国の恐るべき人権状況に目を向ける人はほとんどいない。

平壌ウォッチャーと海外諜報部門のジレンマは、金正日総書記の死を察知することができなかったということによく現れている。そのぐらい、「鉄のカーテン」に覆われた北朝鮮国内で何が起こっているのかはほとんど知られていないのである。

 バンコクタイムスは、「北朝鮮の最大の同盟国である中国を含む全ての国が、悲嘆にくれたアナウンサーが『親愛なる指導者』の逝去を、実際の死亡日より2日遅れとされる12月19日に発表するまで、何も知らされていないようであった。」「北朝鮮の近隣諸国と、安保条約によって韓国と日本の防衛義務を負う米国は、この孤立し貧困に打ちひしがれた重武装国家が故金正日総書記の息子の正恩氏に継承される過程を注意深く見守っている。」と報じた。

金家による北朝鮮支配は1948年の金日成氏に始まるが、今回権力継承が確実視されている正日総書記の3男でまだ20代後半の正恩氏は、1998年までスイスの首都ベルンにあるインターナショナルスクールに偽名で通っていたことが知られている。

ジョージ・W・ブッシュ前大統領の朝鮮問題首席顧問だったヴィクター・チャ氏は、「正恩氏については事実上全く知られておらず、また、米国政府による正恩氏への接触は、彼の立場を危うくするリスクが伴っていた。」と語った。

「北朝鮮はいわば金魚鉢に例えられると思います。我々は皆、鉢の中を覗きこんで何が起こっているのか理解しようと努めるのですが、誰もあえて中に指を突っ込もうとはしません。それは、鉢の中で何が起こるか予想がつかないからです。」と現在はジョージタウン大学の戦略国際問題研究所で研究員をつとめているチャ氏は語った。

国際人権団体「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」のケネス・ロス代表は、亡くなった金正日は17年間に亘って世界で最も閉ざされた抑圧的な体制を意のままに率いた結果、数十万人、あるいは数百万人の国民が死亡したであろうとみている。こうした夥しい死亡の原因は、避けられたはずの飢饉や、恐ろしい環境で管理されている刑務所や強制労働キャンプにおける虐待、公開処刑などである。「金正日総書記支配下の北朝鮮は、人権など顧みられないこの世の地獄でした。金正日総書記は、恣意的な処刑、拷問、強制労働に加えて、言論・結社の自由を厳格に制限するなど組織的かつ広範囲な人権侵害によって国民を恐れさせ、支配してきたのです。」とロス代表は語った。
 
「金正日総書記のレガシーには、国家の敵とされ、『管理所』と呼ばれる強制収容所で亡くなった数万人にも及ぶ人々の運命があります。今日北朝鮮では推定20万人が飢餓寸前の環境と虐待に晒されながらこうした『管理所』で強制労働に従事し、死亡しているとみられています。」とロス代表は付加えた。

現在の体制下では、家族に罪に問われる者がでると、基本的に親・子・孫の三代までが収容の対象となる。脱北してきた元収容者達がヒューマン・ライツ・ウォッチやその他の人権団体に証言したところによれば、収容所で生まれた子供達でさえ両親の「囚人身分」を引き継がされているとのことである。

「北朝鮮政府は、当局の許可なしに海外渡航することを、拷問と禁固刑に処せられるべき反逆罪と規定している。それにもかかわらず、この20年で数万人が脱北に成功し、引き続き毎年数千人が命の危険を冒して国外逃亡を試みている。」とロス代表は記している。

ウィティット・ムンタボーンProf. Vitit Muntarbhorn)前国連北朝鮮人権状況特別報告者(2004年~2010年6月)は国連人権理事会宛の最終報告書で、北朝鮮の人権状況を「悲惨で恐ろしい(horrific and harrowing)」として適切に分類していた。北朝鮮国内で「人道に対する罪」が犯されているか調査検証する国連調査委員会(UN commission of inquiry)設立を求める声が政府や市民社会団体から増大している。

ロス代表は、金正日総書記が死亡して金正恩氏に権力が委譲されている今の「過渡期」こそが、北朝鮮を新しい方向に向けさせ、国民に対する弾圧を止めさせる好機だと、国際社会に訴えている。

「まずは北朝鮮政府が、同国に関する最新の国連総会決議を順守し、北朝鮮人権状況特別報告者の訪問を受入れるよう強く求めるのがよい出発点となるでしょう。」とロス代表は付加えた。

「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」のワシントン地区責任者トム・マリノウスキー氏は、金正日総書記の犠牲者について「先代の金日成主席の犠牲者と同じく、あまりにも多くの人々が殺されたり人生を狂わされたため、ついには私たちの心の中で、彼らはあたかも金正日総書記が好んだマスゲームに参加する数万人のダンサーのように顔かたちのない存在となってしまった。」と記している。

またマリノウスキー氏は、「あるエジプト人デモ参加者が暴行をうけたり、あるビルマ人反体制派の活動家が投獄されたり、ある中国人ブロガーが検閲されたり…と、個々の権利侵害については比較的把握することが容易で、私たちもそれに対して憤りを覚え行動を起こしやすいものです。しかし北朝鮮の体制は、途方もない規模の犯罪のヴェールで守られているため、個々の不正を把握することは容易ではないのです。」「もちろん、国際社会から孤立し、国民に海外渡航やごく僅かの在留外国人との接触も禁止している現状を考えれば、北朝鮮の実態を思い描くことは容易ではありません。しかし近年、北朝鮮国民の生活水準があまりにも悲惨な状況に陥ったため、多くの人々が拷問や処刑されるリスクを冒してでも脱北を試みるようになっているのです。そしてそうした脱北者達によって自らの体験とともに北朝鮮の実態に関する情報がもたらされているのです。」と付加えた。

またマリノウスキー氏は、1990年代によく見られた「経済政策の失敗と大飢饉が北朝鮮の体制を崩壊に向かわせるだろう」とした観測は誤りであったと指摘して、「それどころか、飢饉はむしろ抑圧的な金正日総書記の体制を強化しました。食糧不足は人びとから気力と体力を奪い、国民は日々の生存のために、食糧配給を掌握している体制への依存をますます余儀なくされたのです。つまりこうした実態こそが、北朝鮮に対する食糧支援を止めるという制裁措置がこの国における人権状況の改善にいつも結びつかなかった理由の一つにほかなりません。食糧援助は明らかに人道的必要性に合致したものですが、実施に際しては物資がどのように配給されているか監視すべきなのです。」と語った。

マリノウスキー氏は、西側諸国は北朝鮮への関与政策を推進すべきだと考えている。「北朝鮮の孤立政策は、民衆が自らの政治的権利に目覚める事態から体制を守るために意図的に構築されたメカニズムです。従って、民衆に外部の情報を届け目をさまさせることにつながる行動、すなわち国外からラジオ放送で呼び掛けたり、外交官、援助要員やジャーナリストを北朝鮮に入国させること、言い換えれば、北朝鮮が今日の独房監禁状態から抜け出す手助けをする行動はどんなものであっても有効なのです。」
 
尹永寛(Yoon Young Kwan)元外交通商部長官(2003年~04年)もマリノウスキー氏と見解を共有しているようだ。尹元長官はジャパンタイムスが報じた記事の中で、「この不安定な権力継承課程の早い段階において、中国は予想通り、この核武装した隣国の安定を確保しようと現在の北朝鮮体制支持を強く打ち出しました。中国外務省は、金正恩氏を支持する力強いメッセージを発するとともに、北朝鮮国民に新指導者の下で団結するよう訴えたのです。」と述べている。

「しかし北朝鮮における権力の平和的な継承を確実にする重要な外部要因は、韓国と米国の外交政策であり、両国政府は金正日後の北朝鮮体制と協力していけるか否か、決断しなければなりません。」と現在はソウル大学で国際関係論を教えている尹元長官は述べている。

尹元長官は、もし情勢が悪化して北朝鮮の体制が内部崩壊したとしても、「混乱、誤解や過剰反応」が起こることを回避できるよう、連絡調整は韓国・米国・中国間だけでなく、日本やロシアとも従来以上に密接に行うよう強く訴えている。「内部崩壊し無秩序となった北朝鮮など、どの国の利益にもなりませんから。」と尹元長官は語った。

翻訳=IPS Japan

関連記事:
|北朝鮮-チェコ共和国|「一人は王朝に生まれ、一人は民主運動の中から生まれた」とUAE紙
|国連-北朝鮮|支援食糧がようやく飢えた国民のもとへ
|北朝鮮-中国|人妻として売られる脱北者達

|ポルトガル|仕事がなければ移住せよ

【リスボンINPS=マリオ・ケイロス】

ペドロ・パッソス・コエーリョ首相は、出口の見えない経済危機と政党指導者達からの追及に直面して、ポルトガル国民に向けた前例のないメッセージを発表した-それは「海外に移住せよ」というものである。

パッソス・コエーリョ首相は12月18日、とりわけ若者と教師を直撃している失業問題の打開策として、「教師は、ポルトガル語が通じるブラジルやアンゴラへの移住したらどうか。」と提案したことから、ポルトガル全土に感情的な賛否両論の嵐が巻き起こった。

この発言の翌日、保守系右派政権の数名の閣僚が、「首相提案は問題の打開、とりわけ教師の失業問題の改善に有効だ」として称賛する声明を発表した。

 しかし名前を取り沙汰されたアンゴラとブラジル両政府は即座に反応し、「我が国は当面教師が不足している状況にはない。」と回答した。

各種調査によると、ポルトガルで海外移住に最も関心が高い層は25歳から34歳の青年層である。

経済経営学院(ISEG)のジョアン・ペイショート研究員はPúblico紙の取材に対して、「状況が悪いからと言ってそれが海外移住するための十分な理由にはなりません。行く先が確保されている必要があるのです。」と語った。

ペイショート氏は、「国を捨てるという決断は容易にできるものではありません。苦痛と困難を伴うものなのです。従って、民衆は政治家がそうすべきだと言ったからといって安易に国外移住したりしません。」と述べ、パッソス・コエーリョ氏のコメントは「首相の発言として不適切だ。」と語った。

また欧州議会議員のアナ・マリア・ゴメス氏は、首相のコメントについて、「これは首相として口にしてはならないことで、深い憤りを覚えました。」と語った。

「過去数十年にわたる教育投資の成果として、我が国には有能な若い世代が育ってきているのですから、状況がいかに困難であっても克服できますし、そうしなければならないのです。首相が無力感を抱くのみならず諦めてしまうというのは、最低だと思います。」と左派系社会党の著名なリーダーでもあるゴメス議員は語った。

「パッソス・コエーリョ首相は、トロイカ(国際通貨基金欧州中央銀行欧州連合)及びドイツのアンゲラ・メルケル首相が提示した支援条件を、『ポルトガル国民の利益を考えたいかなる交渉を試みることもなく』丸呑みしてしまったのです。」とゴメス議員は語った。

ゴメス議員は、現在の保守系政権は経済成長や雇用創出を目指す戦略は後回しにして、「トロイカから獲得した110億ドルの緊急援助の返済のみに主眼をおいた」財政緊縮政策を進めようとしているとみている。

「しかし経済成長や雇用創出なしに借金の返済など不可能です。右派政権の戦略は、国民に対して、解決策が見いだせない以上『快適なゾーン(ある閣僚がポルトガルを例えた表現)』の外で暮らす覚悟をすべきだと説得することにあるのです。」とゴメス議員は付加えた。

移住問題に関する独立政府諮問機関Council of Portuguese Communitiesのフェルナンド・ゴメス会長は、首相のコメントについて、「ポルトガルのイメージを貶めかねない恥ずべき発言だ。」と首相を非難した。

欧州連合圏内の移動に関しては登録の義務がないため、国外移住に関する正確な統計は存在しないが、ここ数年の動向として、ポルトガルを離れる移住者の数は増加傾向にある。この点について、在外ポルトガルコミュニティー担当閣僚のホセ・セサリオ氏は12月27日に、「2011年におけるポルトガル人の海外移住件数は推定12万人で、ここ数年に引き続き増加傾向にあります。」と語った。

ポルトガル人移住者の最大の目的地はブラジルである。ブラジルはポルトガルの旧植民地であるが1822年の独立宣言後も、ポルトガル人移民の主要な目的地であり続けた。

ブラジル法務省によると、2010年12月から2011年6月の期間にポルトガルから提出された永住申請の件数は276,703件から328,856件に増加した。またこの他にも多数の一時就労、就学、研究ビザがポルトガル人に対して発行されている。

また2010年版の最新統計によると、91,900人のポルトガル人が、アンゴラに住んでいる。アンゴラはアフリカにおける最大の旧ポルトガル植民地である。

リスボン大学副学長で社会学者のマヌエル・ヴィラヴェルデ・カブラル氏は、「歴史的にポルトガルのささやかな発展は、まず植民地経営、そして植民地独立後は在外のポルトガル人による本国への送金とEU加盟後はEU構造基金(1人当たりGDPがEU平均の75%を下回る後進地域の開発と構造調整.に活用される基金:IPSJ)によるものなのです。」と語った。
 
ポルトガルは15世紀以来、伝統的に移民送出国であり、そのことは歴史を通じて同国に様々な影響を及ぼしてきた。
 
16世紀末まで、ポルトガル人は主に北アフリカ沿岸や大西洋の島嶼植民地(アゾレス、マデイラ、サントメ・プリンシペ、カーポ・ヴェルデ、カナリア諸島)を目指した。しかし1498年にインドへの航路が発見されると、ポルトガル人の海外移住も東へと拡大していった。しかし18世紀末になると、こんどはそれまでほとんど忘れられていたブラジルに移住の流れが大きく変わっていった。

より近年においては1960年から74年の間に約150万人のポルトガル人がブラジルに移住したが、その後減少に転じ、74年から88年の間の移住者数は23万人であった。

12月20日付のPúblico紙の論説は、パッソス・コエーリョ首相の移住提案について「ポルトガルの指導者たちは首相を筆頭に世界の笑い者になりつつある。」「もし熟練工や専門家が国外に流出し続けたら、ポルトガルの状況はますます惨めなものとなるだろう。政府が打ち出した信じがたいメッセージは、あたかもポルトガルという国には価値がないという認識を自ら吹聴しているようなものだ。」と報じた。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

関連記事:
│スペイン│まるで犯罪者のように扱われる移民

|米国メディア|2011年の海外ニュース「アラブの春」が首位を占める

【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

権威あるティンドール・レポートが発表した最新の報道年次報告によると、「アラブの春」関連の報道時間が2011年にテレビ放映されたイブニングニュースの首位を記録していることが明らかになった。この値は、同年に米3大ネットワーク(ABC, CBS, NBC)が報じた全てのニュース報道の約10%を占めている。

国内・海外ニュースを問わず昨年最も報道された2大ニュースは、北大西洋条約機構(NATO)が支援したリビアの民衆蜂起とムアンマール・カダフィ大佐の殺害、そして、エジプトのホスニ・ムバラク大統領の追放とその後の余波についてであった。

 リビア関連の報道時間は約700分で、これは米3大ネットワークがイブニングニュースで報じたニュース報道時間の総計の5%にあたる。一方、エジプト関連の報道は約500分であった。

しかし、同じ「アラブの春」関連の報道でも、シリア(143分)、バーレーン(34分)、イエメン(29分)における民衆蜂起や、昨年の冬以来北アフリカと中東を席巻している「アラブの目覚め」に関する概要(42分)関連の報道については、報道時間はずっと短いものであった。

「通常、3大ネットワークは、米軍が海外で軍事活動に関与している場合のみ当該国に関する報道を強化するのが通例です。しかし2011年は、米軍が地上に展開していない国々について1991年以来、最も多くの時間を割いて報道した年となりました。」とティンドール・レポートの創設者で発行人のアンドリュー・ティンドール氏は語った。

カダフィ大佐の政権を瓦解させたNATOの軍事作戦では、米空軍が一翼を担ったが、米国の地上軍が投入されることはなかった。

「簡単に言えば、外交政策で視聴者の関心を最も惹きつけるのは戦争、すなわち軍事力を行使する場面です。一方、外交的な駆け引きに関するテーマは、世界の紛争地帯に関する取材をするうえで、より国際的な見方が介入する余地があるため、戦争報道と比較してニュースになりにくいのです。」とティンドール氏は語った。

また米3大ネットワークは、2011年に米国が地上軍を展開していた2つの戦争-アフガニスタンとイラクについては、リビアやエジプトほど報道しなかった。アフガニスタン関連の報道時間は全体8位の224分で、これはエジプト関連の報道時間の半分にも満たない。一方先月駐留米軍の撤退を完了したイラクに至っては、僅か71分しか報道されていなかった。

昨年5月のパキスタンにおける米海軍特殊部隊によるオサマ・ビンラディン氏殺害に関する報道時間は179分で、アフガニスタン報道に続く全体第9位であった。

ピュー・リサーチ・センターが発表したピープル&ザ・プレスのための最新調査では、2011年には国民全体の約3分の2がテレビを国内/国際ニュースの主要情報源にしていたという。この人数は新聞を主要情報源としている人々の2倍以上であり、近年伸びてきているインターネットを主要情報源としている人々の数(43%)と比較しても約50%上回るものである。

フォックス・ニュース、CNN、MSNBCといったケーブルニューステレビは主要な情報源として広く視聴されるようになったが、それでも米3大ネットワークによる30分間のイブニングニュース番組の視聴者は、依然としてケーブルテレビの視聴者の7倍に上る。つまり多くの米国民にとって、3大ネットワークのイブニングニュースは、海外情報について知る事実上唯一の手段なのである。

米3大ネットワークのイブニングニュースの放送時間は、平均22分である。ティンドール・レポートは、過去20年以上に亘って一貫した方法でこうしたニュース内容の収集・分析をおこなっている。具体的には、年間を通じて平日放送されるこうした3大ネットワークのイブニングニュース番組を録画し、放送された数百に及ぶトピック毎に放送時間を集計している。3大ネットワークは、国内/国際ニュースに年間合計約15,000分を費やしている。

3大ネットワークが2011年を通じて国際ニュース(ワシントン発の米政府による外交政策に関する報道は含まない)に費やした報道時間は3105分で、全体の20%強であった。これは1988年から2010年の間の平均実績を約250分も上回るものである。

3大ネットワークの2011年報道トップ20では、8つの海外報道がランクインした。リビア(第1位)、エジプト(第2位)、アフガニスタン(第8位)、ビンラディン氏殺害(第9位)以外では、日本の東日本大震災・津波・福島原発事故が389分で第4位、英国のロイヤルウエディングが11位、そしてシリア関連報道が14位、そして、英国タブロイド紙の盗聴スキャンダルが20位にランクされた。

一方、連邦政府の赤字と赤字上限額を巡る民主党と共和党の論争に関する報道時間は全体3位の477分、長引く失業問題は7位(263分)、さらに、「ウォール街を占拠せよ」抗議運動関連報道は18位(111分)であった。これら経済関連報道を合計すると、トップのリビア報道を上回った。

報道トップ20にランクインしたその他のトピックとしては、下院議員が負傷したアリゾナ乱射事件(368分で5位)、株式市場の変動(153分で13位)、ペンシルベニア大学フットボール部レイプスキャンダル(143分で15位)、そして、故マイケル・ジャクソン氏の専属医師の裁判(106分で19位)がある。

また2011年には、トルネード被害(358分で6位)、ハリケーンアイリーンが北東部にもたらした被害(178分で10位)、全米を襲った厳しい寒波(165分、12位)、昨春のミシシッピ川洪水被害(129分で16位)の4つの天災関連のニュースが報道トップ20にランクインした。こうした天候関連報道を合計すると830分となり、全報道時間の約7%を占めた。

ティンドール氏によると、メディアが報じているような極端な気候は地球温暖化の兆候ではないかと主張する気候学者が近年増加してきている一方で、米3大ネットワークの報道番組はその点を指摘する努力をほとんど、或いは全くしていないとのことである。

「3大ネットワークの報道は、米国の地球温暖化否定主義に足並みを揃えており、温暖化について報道するどころか、かえって問題を悪化させているといって間違いない。」とティンドール氏は語った。

またティンドール氏は、地球温暖化問題以外に米3大ネットワークが軽視してきた主な国際ニュースとして、迫りくるユーロ圏崩壊の危機と第二次世界金融危機の可能性に関する報道、及び、引き続き好調な経済成長を背景にとりわけ領海問題について自己主張を強める中国に関する報道を挙げた。

2012年には、イランの核開発疑惑を巡って高まる緊張関係に関する報道が大きくクローズアップされそうであるが、米3大ネットワークが2011年にこの問題に費やした時間は20分以下に過ぎなかった。

「アラブの目覚め」、日本の災害、アフガニスタン情勢、ビンラディン殺害、英国のロイヤルウェディングの他、2011年に米3大ネットワークが報じた主な国際ニュースとして、アフリカの角地域における飢饉(87分)、イラクとドミニク・ストラスカーン国際通貨基金前専務理事の性的暴行スキャンダル疑惑(双方とも71分)、進行中のアルカイダ指導者達を追い詰める努力(46分)が挙げられる。

その他、国際ニュースとして、米国-パキスタン関係とギリシャ危機(双方とも39分)、ノルウェー連続テロ事件とバーレーン情勢(双方とも34分)、北朝鮮の指導者金正日氏の逝去(34分)、イタリアにおける米国人留学生殺人公判(30分)、イエメン情勢(29分)、ロンドン暴動(26分)、イスラエル-パレスチナ紛争(25分)、シルヴィオ・ベルルスコーニ首相の退任・交代騒動(24分)、国連におけるパレスチナの国家認証を求める動き(23分)が報道された。

ティンドール氏は、「NBCとCBSは今回20年来の海外報道記録を更新しました。一方、ABCは英国のロイヤルウエディング関連の報道を除いて、全ての海外報道トピックについて、海外報道の扱いが他の2局に比べて大幅に少ないという結果が明らかになりました。」と語った。

CBSとNBCの両ネットワークは、ここ数年、携帯電話やツイッター、スカイプといった安価で機動性があり、ノンプロフェッショナルなニュース収集戦術に対する抵抗感を徐々に見せなくなってきている。

「このことは、国際ニュースを全米ネットワークのイブニングニュースで取り上げるうえで、従来障害となってきた大きな要素-比較的高価なロジスティクス関連の経費-が取り除かれたことを意味します。」とティンドール氏は強調した。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

|オーストラリア|核兵器廃絶を目指す赤十字

【シドニーIDN=ニーナ・バンダリ

オーストラリアの与党・労働党は12月はじめ、これまでの党の方針を翻して、インド・パキスタンに対するウラン売却を認めた。そうしたなか、国際赤十字・赤新月運動が、法的拘束力のある核兵器廃絶条約を求める決議を採択し、世界の核軍縮運動は勢いづいている。

オーストラリア赤十字社(ARC)は、日本、ノルウェーの赤十字社と協力して2011年初めに決議草案を作成し、11月26日にジュネーブで採択された。決議を採択したのは、赤十字国際委員会(ICRC)、187ヶ国の赤十字・赤新月社、赤十字・赤新月社国際連盟からなる、運動代表者会議である。

ARC国際法・原則部門の責任者、ヘレン・ダーラム博士は、IDNの取材に対して、「イランやヨルダン、レバノンから、モザンビーク、マレーシア、サモアといった多様な国々の仲間たちによって、この恐るべき兵器を二度と使うべきでないという決議が共同提出され支持されたことは、非常に感動的です。この決議は(世界の世論を)引っ張っていくものであり、核廃絶というこの重要な問題について赤十字運動が発言すべきだとの世界の感覚を示したものなのです。」と語った。

ICRC
ICRC

この歴史的な決議は、世界のすべての国に対して、「法的拘束力を持つ国際条約によって、核兵器の使用禁止と完全廃棄を目指す、誠実かつ緊急で断固たる交渉を追求」することを訴えている。

2010年5月にニューヨークで開かれた核不拡散条約(NPT)運用検討会議においては、これまでで最大の数の国が、核兵器禁止条約(NWC)採択に向けた交渉を始めることを求めた。

今回の決議は非常に重要な意義を持つ。なぜなら、戦争の兵器として使用された核兵器の正当性を、それが人間、とりわけ民間人に与える破滅的な影響や、環境と世界の食料生産に与える脅威ゆえに、疑っているからである。

人道上の要請
 
「世界がより集中的に核軍縮に取り組むべき、法律上、人道上の要請があります。ますます多くの国に核兵器が拡散し、他の集団が核兵器を使用する能力を獲得する脅威は、国際社会に対する警鐘として認識されるべきです。赤十字は、このメッセージを、各国や世界の人びとに伝えていきたい。」とダーラム氏は語った。

「広島の日」の2011年8月6日、ARCは、核兵器使用を違法化する「核兵器をターゲットに」キャンペーンを開始した。1960年代から70年代にかけての時代を特徴づけた大義をベビーブーマーの世代とつなぐことを目指し、すべての新しい世代に参加を呼びかけている。キャンペーンには56万5000人の参加があり、フェイスブックやツイッターを通じて広まった。

今日、世界には少なくとも2万発の核兵器があり、そのうち3000発は、即時発射可能な状態にある。これらの潜在的破壊力は、広島型原発15万発分にも及ぶ。

ARCのロバート・ティックナー代表は「もし地雷やクラスター弾を制限する条約が作れるのならば、この邪悪な核兵器を永遠に違法化する国際条約に関する合意を得る必要性に背を向けることはできないはずだ。」と語った。ARCは、NWCにオーストラリアで超党派の支持を得る取り組みを続けている。

1945年以来、赤十字・赤新月運動は、大量破壊兵器に対して深い懸念を表明し、これら兵器の使用禁止の必要性を訴えてきた。国際人道法発展における赤十字の役割は大きく、1977年には、ジュネーブ条約追加議定書の採択につながった。オーストラリアを含めた194ヶ国が4つのジュネーブ条約を批准している。

反核、しかし米国とウランはどうなる

オーストラリアは核保有国ではないが、米国との間に防衛上の取り決めがあり、米国の核兵器による保護が、オーストラリアの安全保障にとって鍵を握ると考えられている。また同国には、世界のウラン埋蔵量の40%が眠っており、世界のウラン供給の19%を占めている。

オーストラリア政府は、ウラン輸出に関して、現在の年間1万トンから、2014年には17億豪州ドルに相当する1.4万トンに拡大すると予想している。現在は、中国、日本、台湾、米国に輸出している。

Tilman Ruff

国際核兵器廃絶キャンペーン(ICAN)豪州支部のティルマン・ラフ議長は、IDNの取材に対して、「ICANは兵器や拡散といった問題に焦点を当てていますが、明らかに原子力とのつながりがあります。初発の物質と基本的なプロセスが同じだからです。原子力発電用に原子炉級のウラン濃縮をできる国なら、もう少し濃縮して兵器級にする技術を持っているということになります。だからこそ、イランの核開発に対する懸念が広がっているわけです。そして、原子炉を保有するどの国でも、使用済み燃料からプルトニウムを抽出して、それを核兵器製造のために使うことができるのです。」と語った。

「原子力発電に関するICANの主な役割は、初発の物質が同じであり、それが原子炉によるものであろうが核爆弾によるものであろうが、被ばくの影響は無差別的かつ同じように起こるという事実に目を向けさせ、原発に関してもこれまでと同じようにやっていくのは不可能だということを示すことです。ウランを濃縮したり使用済み核燃料からプルトニウムを抽出したりする国家に何の制約もかけないまま、核兵器を廃絶することは不可能なのです。」

「核兵器なき世界」を目指す人びとは、たとえ受領国に保障措置をかけたところで、すべてのウラン輸出にはやはり問題がある、と考えてきた。なぜなら、それが兵器に使われる危険性は消えないからだ。仮に兵器に使われなかったとしても、国内産出のウランを兵器用に回す余裕を作り出してしまう。

独立の研究機関「ワールドウォッチ研究所」(ワシントンDC)による新しい分析では、原子力発電の高コスト体質、原発への低い需要、天然ガス価格の低下、福島原発事故以降高まった健康や安全への懸念などから、他のエネルギー源に目が向けられているという。

同研究所の最新報告書「重要な兆候(Vital Signs)」によれば、世界の原子力発電所全体の潜在的発電量は2010年にピークの375.5ギガワットに達したが、2011年には366.5ギガワットと減少したという。

ジュリア・ギラード首相によるインドへのウラン輸出動議に関して、国会で熱い議論が戦わされ、9人の議員が反対演説を行ってスタンディング・オベーションを受け、7人の議員が賛成演説を行って、ウラン採掘・輸出に反対する人たちから野次を受けた。

これまでのところ、労働党は、NPT署名国にだけウラン輸出を認めてきている。首相の動議は、わずか21票差(賛成206、反対185)で承認されたが、ジラード政権内部にも強い異論があることが明らかになった。

アントニー・アルバニーズ運輸・インフラ相は、12月4日、第46回労働党総会において、「核拡散と核のゴミの問題を解決するまでは、核燃料サイクルにさらに関わるために、我々の政策を変えるべきではない。」と述べた。

(世界全体では)2010年に16基の原子炉建設が始まったが、2011年にはインドとパキスタンが各1基の計2基にまで縮小した。こうした建設ペースの鈍化に加えて、2011年中には10月までに13基が稼働停止し、世界で稼働中の原発は年初の441基から433基に減少した(「重要な兆候」報告による)。

2010年以来、中国、インド、イラン、パキスタン、ロシア、韓国が、合計で5ギガワット分の新規建設を開始している。他方で、フランス、ドイツ、日本、英国で、11.5ギガワット分の原子炉の閉鎖があった。

核兵器禁止の包括的な基礎を築く条約づくりを目指した赤十字・赤新月社の決議は、緊急性を持って、すべての諸国によって実行されなくてはならない。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

関連記事:
非合法でありながら存在し続ける核兵器
|視点|世界を核の連鎖から解き放つ(ザンテ・ホール)

中東非核会議は優先課題(ナシル・アブドルアジズ・アルナセル国連総会議長)

0

【GP国連/IPS Japan】

Nassir Abdulaziz Al-Nasser/ UNAOC
Nassir Abdulaziz Al-Nasser/ UNAOC

ナシル・アブドルアジズ・アルナセル国連総会議長は、中東非核地帯創設に向けた会議の開催を全面的に支持している。

「私は引き続き、2012年の中東会議を適切なタイミングで開催することを目指す公式・非公式の努力やイベントに対して、個人的にも、或いは事務所を通じて、可能な限り支援を差し伸べていくつもりです。こうした努力は今後も続けていきます。」と、アルナセル議長は、グローバルパスペクティブス誌による独占取材に応じて語った。

2012年中東会議は、「国際平和を促進する観点から」中東を非核地帯とすることの重要性について幾度となく承認してきた国連総会(193カ国が加盟)にとって、極めて関心が高い問題なのです、とアルナセル議長は指摘する。

また今回の取材では、国連総会が関与してきたその他の活動から、アラブの目覚め、パレスチナの国連加盟申請、ミレニアム開発目標(MDGs)南南協力と援助効果についての議長の見解を収録した。

 
カタール出身のアルナセル氏は外交官としての豊富な経験を経て2011年6月22日に国連総会議長に就任した。またアルナセル氏は1988年から2011年の間、カタール政府の国連常駐代表をつとめ、その間、国連総会の「南南協力に関するハイレベル委員会」の委員長、グループ77+中国の議長も歴任した。

アルナセル議長の中東非核地帯会議開催支持の姿勢は、今期総会の重点活動目標として彼自身が選定した4つのテーマ(①紛争の調停と平和的解決、②国連の改革と立て直し、③災害への備えと対応の改善、④持続可能な開発と世界的好況)に基づくものである。

またアルナセル氏は、中東に関するその他のコメントの中で、国際社会には、アラブの目覚めを支援する、「道徳的かつ実質上の義務」があると語っている

インタビューの全文は以下のとおり


1.国連総会議長として、就任からこれまでで最も印象的な出来事についてお話し下さい。

私が議長に就任してからこれまでの時期は、ちょうど国連総会が、民主主義や人権問題に関する積極的な発言を徐々に強めていった時期にあたり、国連のみならず国際社会全体が多忙を極めた時期だったと思います。このことはとりわけ「アラブの目覚め」を経験した国々に当てはまります。国連総会は、アラブ世界の諸政府と民衆が「アラブの目覚め」から恩恵を得られるように、グローバルパートナーシップを通じて必要な支援を行うよう積極的に呼びかけてきました。

また、潘基文国連事務総長とは、密接な協力関係を築いてきました。私たちは、数百万人に及ぶ人々、とりわけ女性と子供が直面している厳しい現状に国連が一体となって支援に取組んでいることを示すために、リビアソマリアを共同で訪問しました。さらにリビアについて言えば、私は、同国民の国連における正当な代表権を回復させるために、国連総会議長としての権限とリーダーシップを活用して、リビア国民評議会(TNC)を国連総会のリビア政府代表席に招待しました。

もうひとつの印象的な場面は、昨年9月の国連総会一般討議で議長を務めたときのことです。私たちは、パレスチナ自治政府のマフムード・アッバス大統領が国連加盟を求めるパレスチナの立場を雄弁に語り、割れんばかりの喝さいの中、加盟申請を行うのを目撃しました。間違いなくこの瞬間が、国連議長として私がこれまでに経験したクライマックスだと思います。

また国連総会ではこれまでに、「非伝染性疾患の予防とコントロールについての決議」を採択しています。この国連決議の重要性は、非伝染性疾患(例:糖尿病や心疾患、脳卒中、がん、慢性呼吸器疾患等)が今日では世界最大の死因(2008年現在、世界の死者全体の63%)であり、途上国にも夥しい数の犠牲者を出している現状にあります。ところがこうした疾患の多くは、予防可能なものなのです。つまり、この国連総会決議の狙いは、こうした到底受け入れられない現状に対処していくことにあります。

また私は国連総会の仕事の中でも、とりわけ今期総会の重点活動目標として私自身が選んだ4つのテーマ(①紛争の調停と平和的解決、②国連の改革と立て直し、③災害への備えと対応の改善、④持続可能な開発と世界的好況)に関連して、フィンランド、スイス、日本、韓国を訪問しました。

あと8か月の会期を残す中で、まだまだしなければならないことが山積しています。国連総会の議長は、この世界で最も普遍的でハイレベルなフォーラムを円滑に運営していくために、多国間協議プロセスの複雑さを理解し、大小加盟国が抱える政治的に微妙な問題に配慮しつつ、さらには迷路のように入り組んだ責任を負わなければなりません。ただこうした複雑な内容については、インタビューで概略を語ることは困難だと思います。

2.「アラブの春」が国連、とりわけ国連総会の活動に大きな影響を及ぼすと思いますか?

私はアラブ世界で起こっている動きは、「アラブの春」というよりもむしろ「アラブの目覚め」という表現の方が、これまでの経緯や現在進行中の出来事をずっと前向きに捉えていて適切だと思っています。現在アラブ世界は、中東の歴史上極めて重要な、おそらく脱植民地化の時期よりも重要な時期を迎えているのではないかと考えています。今日、国際社会には、アラブ世界から発せられている平等、社会正義、そしてより良い未来を求める民衆の訴えを支援する、道徳的かつ実質上の義務があります。しかし、ここで指摘しておきたい重要な点は、民主的な変革は、現地で育まれ国民自身が主導権を行使できるような経済的、社会的変革を伴うものであるべきだということです。国連は、このような変革過程を支持する国際社会のコンセンサスを構築し、政治的総意を形成するうえで、中心的な役割を担っているのです。また国連は、こうした国々に対して能力向上の機会を提供することができます。事実、国連は既にチュニジア、エジプト、リビアに専門家を調査派遣し、将来的にホスト国からの要請があれば国連からの支援が可能な開発ニーズの把握に努めています。昨年9月の国連総会一般討議演説を見聞きした人ならばだれでも、世界の指導者の大半が、アラブ世界で進行している自由と民主主義を求める動きを支持しているということを実感しただろうと思います。

3.パレスチナが近い将来、例えばパレスチナ解放機構(PLO)が国連でオブザーバー資格を認められてから40年目となる2014年までに、国連の正規加盟国となる現実的な見込みはあるでしょうか?

そうなってはならないという理由が見出せません。パレスチナの人々は、主権を持った平和を愛する国家として、国連総会を含む、あらゆる国際機関への加盟を求めていく権利があります。私たちは国連総会の場でアッバス大統領が正式にパレスチナの国連加盟を求めた演説に、多くの加盟国や代表団が大いに協力的な反応を示したのを目撃しました。よく知られているように、既に多くの国々がパレスチナを主権国家として承認しています。一方、安全保障理事会傘下の(加盟審査)委員会は同理事会に対して本件に関する報告書を提出しました。今のところ、パレスチナは、次の行動をどうするのかについて明確な発表をおこなっていません。もしパレスチナが、国連総会で現在の「オブザーバー機構」から「オブザーバー国家」への地位格上げを求めた場合、判断はその場に出席している加盟国(193カ国)の多数決投票で決することとなります。パレスチナ政府がどのような決断をするか見守りたいと思います。

4.ミレニアム開発目標(MDG)は2015年までに極度の貧困や飢餓の撲滅を構想したものですが、どうみても今の時点でこの野心的な目標に大きな進展があったとは言えません。さらに国連の報告によると、米国と欧州連合の財政危機は、途上国へと広がる勢いをみせています。状況がさらに悪化するのを回避するために、国連総会は何ができるでしょうか?或いは既に行った対策、予定などをお聞かせください。

MDGsは、国連が確認しているとおり、世界の開発協力における進捗状況を測るうえで大変実用的なベンチマークです。世界のリーダーが2000年にニューヨークに集まりこれらの重要な目標に合意したのは国連総会の場でした。MDGの達成に向けて多くの努力が傾注され、多くの国々が一つ或いはそれ以上の目標について成果を挙げています。もちろん、これらの開発目標を達成するには、我々全てが今よりもはるかに多くのことに取り組まなければならないことは理解しています。

私は、2015年の期限が間近に迫る中、全ての加盟国に対して一層努力を加速するよう強く呼びかけたいと思います。現在世界の経済と金融状況は下降局面にありますが、MDGsの達成に向けて全力で取り組むことは、国際社会全体にとって利益になることだと確信しています。

私はこれからも、各国首脳、閣僚、その他高官とのあらゆる会合の機会を捉えて、今期総会の重点活動目標の一つでもある「持続可能な開発と世界的好況」にむけて一層努力するよう強く訴え続けていきたいと考えています。この観点から、今年6月に開催を予定している「国連持続可能な開発会議(リオ+20)」は大変重要なイベントとなります。リオ+20はきっと、MDGsの達成に向けた努力を改めて後押しするとともに国連の開発アジェンダを前進させるものになると期待しています。

5.ナセル議長は南南協力の熱心な推進者としても知られていますが、南南協力が、MDGの大失敗を防ぎ、南北協力がこれまで長年にわたってそうであったように、世論を動かし、現場の人々の生活に影響を及ぼすものとなる見込みはあるとお考えでしょうか?

はい。南南協力や三角協力に関する問題について、私は従来から個人的にも深く関心をもって関わってきました。実は光栄にも2009年にケニアのナイロビで「南南協力に関する国連ハイレベル会合」が成功裏に開催されるまでの3年間にわたり、「南南協力に関するハイレベル委員会」の委員長を務めた経験があります。私は、南南協力こそが、今日的な開発問題に対処でき、開発途上地域に持続可能な開発をもたらすことができる真の潜在能力があると堅く信じています。

これまで度々強調してきたように、南南協力は従来の南北協力にとって代わるものではなく、両者は補完的な関係にあるのだということを改めて強調しておきたい。

また、南南協力と三角協力が、今ほど関連した大きな重要性を持って注目されたことはありません。このことは、とりわけ南の主だった国々における経済成功の現状や、これまでに成功した革新的な開発事例の中に、途上国の間で共有、複製され、さらにはスケールアップされたものもあることを考えれば、当然だと思います。

6.「第四回援助効果向上に関するハイレベル・フォーラム. (釜山HLF4)」から南南協力に向かう何か新たな兆候は見られたでしょうか?

私は、先進国と新興国を含む途上国双方の閣僚、政府高官、さらに市民社会組織(CSO)が採択した成果文書「効果的な開発協力に向けた釜山パートナーシップ(釜山宣言)」を歓迎します。この成果文書が、「効果的な開発協力のための、さまざまな供与主体を一つにする新たな包括的グローバルパートナーシップの構築」を掲げたことは重要です。私たちは、開発援助にコミュニティー、市民社会、民間セクター、政府がともに参画し、当該国の開発優先課題や枠組みを踏まえて協力して相乗効果を模索するとき、その開発援助は効果的なものとなるということを常に認識しておかなければなりません。

釜山HLF4が、「南南協力と三角協力への支持を拡大し、途上国のより多様な状況やニーズに適用する」ことに合意したことに、大いに勇気づけられています。このように、国際社会が、南南協力と三角協力がこれまで達成してきた実績や相乗効果が認めて、より積極的に活用することで合意したのは素晴らしいことです。

7.中東非核会議が今年予定通り開催され成果を出すためには、国連総会としてどのような役割が果たせられるとお考えでしょうか?

国連総会は、1978年に開催した第一回国連軍縮特別総会以来、核軍縮を最優先課題の一つと位置付けてきました。これまで国連総会での承認を求めて提出された多くの決議案の中には、国際平和と安全保障を促進する観点から中東非核地帯の創設を目指すことの重要性に明確に言及したものも含まれています。

本年国連総会は、毎年コンセンサスで諮られる「中東非核地帯設置」決議の採択に加えて、中東非核・非大量破壊兵器地帯の創設に関する2012年会議について明確に言及し、同会議の開催を強く支持する内容が含まれた、「中東地域における核拡散のリスク」決議を採択しました。

私は、国連総会第一委員会など様々な機会を通じて、フィンランドのヤッコ・ラーヤバ外務事務次官が国連事務総長によって2012年会議のファシリテーターに任命されたことを歓迎していました。また私は、ヤーラバ氏が2010年核不拡散条約(NPT)運用検討会議の最終合意文章の内容に従って今年中東会議を成功裏に開催できるよう、国連総会として支援していく旨を申し出ています。

また私は、2011年11月に国際原子力機関(IAEA)が主催した「中東非核地帯創設」関連フォーラム(これまでに設立されている他の地域における非核地帯の経験を検証したもの)に、この問題を重視していることを示す観点から、当事務所の上級代表をオブザーバー派遣して参加させました。私は引き続き、2012年の中東会議を適切なタイミングで開催することを目指す公式・非公式の努力やイベントに対して、個人的に或いは事務所を通じて、可能な限り支援を差し伸べていくつもりです。こうした努力は今後も続けていきます。

8.国連総会は、地政学上の変化に対応した再調整が必要だとして長年にわたって安全保障理事会の改革に熱心に取り組んできました。国連創設70周年にあたる2015年までに改革の見込みはあるでしょうか?

安保理改革は、国際平和及び安全保障に関する国連の意思決定のありかたを活性化するうえで最も重要な部分を占めていると考えています。昨年11月に安保理改革に関する政府間会合第8ラウンドの第1回会合が、私が全幅の信頼を置いているザヒール・タニン議長(アフガニスタン国連常駐代表)のリーダーシップのもとで開催されました。こうした交渉は、大幅に遅れている安保理改革を成し遂げることの必要性を加盟国に対して明確に伝えているものと確信しています。私は国連総会の議長として、引き続き全ての加盟国の総意を反映した解決策を支持していきます。今回の会合では新たな展開が見られました。この流れを生かして近く安保理改革に関する会合を開催したいと考えています。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

│インド│愛の道に立ちはだかる「強姦」

【スリナガルIPS=サナ・アルタフ】

2008年に結婚してからほんの数日で、イムラン(仮名)は、スリナガルの監獄に押し込められた。妻のシャフィーンを拉致し強姦したという罪(当の妻は夫の罪状を否定)で2010年まで2年間に亘って収監されたのだった。ところが、イムランを告発したのは、彼が自分たちの娘と結婚することを快く思っていなかったシャフィーンの両親だったのである。

 インドでは恋愛結婚が「名誉殺人」につながることが少なくないが、ここカシミールでは、家族が嘘の強姦の告発を行うことで、子ども達の結婚や恋愛を妨害するケースが増えてきている。

政府はジャンムーカシミール州の9月議会において過去4年間(2006年~10年)における強姦の認知件数を公表した。それによるとスリナガルにおける認知件数が最も多く、120件となっている。

しかし、法律専門家によると、カシミールの地方裁判所で係争中となっている強姦事件のうちの多くが、立件するには十分な証拠に欠けているという。

この点についてシェイク・モハマド・スルタン弁護士は、「こうしたケースのほとんどは、駆け落ちしたり、恋愛結婚や恋愛に走った娘を持つ親によって告発されたものです。残念ながら、実際におこった強姦や暴行については、それにまつわる汚名を恐れて実態が表に出てこない傾向にあります。」と語った。

イムランとシャフィーンは長らく恋愛関係にあったが、2008年に彼女の親の反対を押し切って駆け落ちし、結婚した。現在夫婦は結婚3年目である。

イムランの弁護士であるイルファン・マット氏は、「しかし、シャフィーンの両親が娘をついに発見し、地元の警察にイムランが娘を誘拐して強姦したと訴えたのです。」と語った。

またマット弁護士は、「警察は、両親の訴えを受け入れてシャフィーンとイムランを逮捕しました。さらに、2人が正式に婚姻関係にあることを証明しようと結婚証明書(Nikah nama)を提出すると、それを細かくやぶったのです。一方シャフィーンの両親は、娘を無理やり強要して、イムランに強姦されたという正式の申立書を警察に提出させたのです。そしてこの申立書と彼女の女友達たちの『証言』が、イムランによる強姦罪を確定する決め手となったのです。後になってシャフィーンは証言内容を変更して真実を語りたいと希望しましたが、それは違法だということが分かったのです。」と語った。

生後8カ月の息子と3人で同居しているこの夫婦にとって、毎回法廷で被告と原告に分かれて争わなければならなかった経験は、大変つらいものであった。イムランは2010年に仮釈放され、現在も結婚生活は続いている。

スリナガル市郊外出身の14歳の少女アスマも、似たような悪夢を経験した一人である。

「アスマはフェロズという若者と付き合っており、両親もそのことは知っていました。しかし、アスマの両親はある日、自宅に娘の姿がなかったのを理由に、フェロズを強姦と誘拐の罪で一方的に告発したのです。」とアスマの事件を担当しているスルタン弁護士は語った。

「フェロズは田舎出身の青年で、逮捕された当時は、アスマの父が所有するバスの運転手をしていました。アスマはフェロズにかけられた嫌疑についてきっぱりと否定する申立書を裁判所に提出しましたが、未成年者ということで取り上げられませんでした。」とスルタン弁護士は付加えた。

現在もこの審理が進められている中、アスマとフェロズは、生まれてきた息子とともに一緒に暮らしている。

スルタン弁護士は、これと類似した案件は数千にものぼると指摘したうえで、「こうした問題はメディアがほとんど取り上げないため、一般の人々の間の認知度は低く、問題にどう対処していいかという心構えさえできていないのが現実です。その結果、しばしば渦中の若者たちが、世間に顧みられることなく苦しむことになるのです。」と語った。

イスラムの戒律であるシャリーア法では、女性の婚姻年齢は規定されておらず、また、女性に対して男性と同様に自らの意志に基づいて婚姻相手を選ぶ権利を保障していることから、イスラム法学者の間では、こうしたイスラム法に記された戒律から逸脱している社会慣習に当惑しているものも少なくない。

社会活動家たちは、一部の両親が恣意的に「強姦罪」をでっちあげる不公正な慣習を根絶するうえで、両親と聖職者が果たす役割は極めて大きいと考えている。

スリナガルの活動家ニガット・パンディット氏は、「イスラム教の教えが、女性にみずからの夫を選ぶ権利を付与しているにも関わらず、なぜ両親たちはそれに抵抗し続けるのだろうか?」と疑問を呈した。

パンディット女史は、聖職者は、両親や若者たちに対して、婚姻における選択に関わる倫理的、宗教的価値観について教育すべきだと考えている。

またコラムニストのクラト・ウル・アイン女史は、子ども達に適切なガイダンスをおこなう責任が両親にあると考えている。またアイン女史は、こうした虚偽の「強姦罪」の犠牲者となった若者たちが、積極的にその実態を社会に対して暴露することで、この古めかしい慣習から、自らと他の若者たちを守るべきだと考えている。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

関連記事:
女性をとりまく深刻な人権侵害の実態が明らかになる
│エジプト│愛する権利すらも奪われた女性
|イラク|女性の人身取引が増加
不信が曇らせるインドの中国認識

アジアのリーダーが域内に焦点をあてた反核キャンペーンを開始

【国連IPS=タリフ・ディーン】

核兵器国が最も集中しているアジア・太平洋地域の政治・外交・防衛リーダー(核保有国である中国、インド、パキスタンを含む30カ国から30名)が、まずは足元のアジア・太平洋地域を手始めに、世界で最も破壊的な兵器の廃絶を支援するキャンペーンを開始した。

このグループを招集したギャレス・エバンズ元オーストラリア外相は12日、「核兵器を廃絶しようという探求は、アジア・太平洋地域の政策責任者による決然とした深い関与なくして、成功の陽の目を見ることはあり得ません。」と語った。

世界の核兵器保有国は、-公式、非公式を問わずに見れば-アジア地域(中国、インド、パキスタン、そしておそらく北朝鮮)に最も集中している。

 「核兵器は、発明されなかったということにはできないが、化学兵器や生物兵器の場合と同様に、非合法化することは可能だし、そのようのにしなければならない。」と新たに発足した「核軍縮・不拡散アジア太平洋リーダーシップ・ネットワーク(APLN)」のステートメントは述べている。

また、ステートメントには、5名の元首相と10名の元外相・国防相の署名が記載されており、「私たちはアジア・太平洋地域における変革を目指して取り組む特別な責任があります。」と記されている。

署名人には、ジェームズ・ボルジャー元ニュージーランド首相、マルコム・フレーザー元オーストラリア首相、福田康夫元首相、ジョフリー・パーマー元ニュージーランド首相が含まれている。

ステートメントは、主にアジアに焦点をあてたもので、「世界の経済、政治、安全保障の重心が否応なくこの地域にシフトする中、利害関係を深めるこの地域のリーダーが、安全な世界秩序を実現するために、様々な意見、政策提言、ビジョンを提供する義務も相当大きなものとなっている。」と述べている。

今日ではアジア地域で起こったことが、世界の核問題のあらゆる側面に影響を及ぼすようになっている。

「私たち(=アジア・太平洋地域)は、これから進むべき道として、ラロトンガ条約(=南太平洋非核地帯条約)とバンコク条約(=東南アジア非核地帯)を締結し、2つの非核地帯を創設する姿を見せてきました。しかし一方で、私たちは南アジアと朝鮮半島という世界で最も核衝突の緊張が高まっている2つの地域の姿も見せてきたのです。」
 
核政策法律家委員会(LCNP)事務局長のジョン・バローズ氏はIPSの取材に対し、「エバンズ元外相は、極めて重要な時期にこのAPLNイニシアチブを立ち上げたことになります。」と語った。

バローズ氏は、「この重要な地域には、パキスタン・インド間の核軍備競争や北朝鮮の核兵器開発計画など、解決すべき非常に深刻な難問が存在しています。」と語った。

またバローズ氏は、「アジア・太平洋地域が全体として核エネルギーへの依存を強めていることも、そうした難題の一つです。」と付加えた。

「韓国と米国は現在、韓国が強く希望している(米国は反対している)核燃料の国産化問題について協議を行っています。」とバローズ氏は指摘した。

「韓国が核燃料を生産する能力を獲得すれば、北朝鮮の核武装を解除しようとする試みは後退を余儀なくされるでしょう。」とバローズ氏は付加えた。

この点については、核燃料生産を国際機関或いは多国間の管理下に置くというALPNの提案は、部分的な解決策を提供するものかもしれない。

「しかしALPNは、原子力エネルギーから遠ざかるよう推移させるというより根本的な解決策については避けています。」とバローズ氏は語った。

またステートメントは、「現在世界に存在する核兵器は約23,000発で、破壊力は広島に投下された原爆の15万倍に相当する。」と指摘した上で、「1946年以来核兵器が使用されない状態が維持されてきているが、これは核兵器の管理の賜物というよりもむしろ幸運に依るところが大きい。」と述べている。

さらにステートメントは、「今日の世界には、多数の核兵器保有国と地域レベルの深刻な対立が存在するほか、(核兵器を管理する)軍の指揮系統のレベルもまちまちなのが現状である。また、新たなサイバー技術にも潜在的な不安定要素が残っており、核兵器の近代化(より小型化されたものや潜在的により使用しやすく改良されたもの)開発も引き続き進められている。こうしたことから、核兵器が使用されないという幸運が今後も継続されると想定することは不可能である。」と警告している。

東京に本拠を構える仏教組織創価学会インタナショナル(SGI)の寺崎広嗣平和運動局長は、IPSの取材に対して、「『核兵器なき世界』を実現するという目標を達成するうえでアジアに重要な役割があるのは明らかです。」「この点についてAPLNステートメントに示された見解を支持します。」と語った

また寺崎氏は、「ともに努力して懸念される脅威を弱めるとともに信頼を構築することが極めて重要」と指摘し、そのためには、「外交、学術、文化等、あらゆるレベルでコミュニケーションのためのチャンネルを開拓し維持していくことが不可欠です。」と語った。

「こうした不屈の忍耐強い努力をもってしてはじめて、各国政府を核兵器の保有や維持へと駆り立てている恐怖や不信の壁を突き崩すことが可能となるのです。」と寺崎氏は語った。
SGIは、「核兵器のない世界」実現を目指した活発な運動を展開している。

また寺崎氏は、最終的には、信頼を構築する重層的な努力が、南アジア及び北東アジアにおける核武装解除を成し遂げるうえで、鍵を握ることになるだろうと語った。

さらに中東では、核兵器保有を明かさないイスラエルが、事実上唯一の核兵器保有国として優位を確保してきた。

しかしこうしたイスラエルの優位も、西側欧米諸国が核兵器開発寸前にあると主張しているイランに脅かされている。一方イランは核兵器開発疑惑を一貫して否定している。

核不拡散条約(NPT)において公式に認定されている核兵器5大国は、同時に拒否権を有する国連安全保障理事会の常任理事国(米国、英国、フランス、ロシア、中国)でもある。

またバローズ氏は、ALPNの結成は、2010年の新START合意(米露間の控えめな核兵器削減合意)以降勢いを失っていた世界の軍縮を目指す取り組みにとって、新たに士気を高める歓迎すべき出来事ですと語った。

ALPNは、無差別に非人道的な核兵器を使用することは、国際人道法のあらゆる根本原則に対する侮辱であると述べている。

「ALPNは、世界的な核兵器禁止について交渉を開始するよう主張することまではしなかったが、潘基文国連事務総長が提案している核兵器禁止条約(NWC)の中身について協議するよう呼びかけています。」とバローズ氏は語った。

寺崎氏は、「北東アジアにおいては、平和団体、信仰を基盤とした団体(FBO)、市民団体に加えて、広島市や長崎市のような地方自治体が、各々独自の強みや関心に基づいて活動を展開しています。」と語った。

「こうした活動主体に共通する強みは、国家の枠組を超えてものごとを見据え、さらに、そのスタンスや政策から様々な程度で独立しつつ、一般市民の関心を代表する可能性を持っている点にあります。」と寺崎氏は語った。

北東アジアでは、こうした活動主体による国境を越えたコミュニケーションや協力の動きが広がり、長年に亘る外交的な行き詰まりの打開に寄与する可能性さえ持つようになってきている。

「私は、南アジアの市民社会運動においても、これと同じようなあるいはそれより大きな可能性があるものと信じたいと思います。」と寺崎氏は明言した。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

関連記事:
|軍縮|諸宗教会議が核兵器廃絶を訴える
|軍縮|被爆地からの平和のシグナル

中東を騒然とさせたギングリッチ共和党候補の発言

0

【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

ニュート・ギングリッチ氏は、しばしば爆弾発言を行うことで知られている人物だ。しかし、今回のパレスチナ人に関する発言は、米国の少なくともこの20年間にわたる中東政策の成果を無に帰してしまうぐらい衝撃的なものだろう。

2012年大統領選の共和党最有力候補者のひとりであるギングリッチ氏は、12月9日に出演したケーブルテレビのインタビューにおいて、パレスチナ人を「創作された人びと」と呼んだ。「私は、我々がパレスチナ人を創作してしまったと思っています。彼らは実際にはアラブ人で、歴史的にはアラブコミュニティーの一部を構成しているのです。従って彼らは他のいろいろな場所に行くことだってできたのです。ですが様々な政治的理由により、我々はこれまでイスラエルに対するこの戦争を1940年代から維持してきてしまっているのです。」と語った。

 ギングリッチ氏は、この放送の翌日に行われた候補者討論会で、この発言の真意を問われ、「事実関係として正しいもので、歴史的な真実だ。」「誰かが真実を語る勇気を持たねばならない。パレスチナ人はテロリストだ。彼らは学校でテロリズムを教えている…『中東に関する嘘はもうたくさんだ』と誰かがいう勇気を今こそ持たねばならない。」と語った。

ギングリッチ氏の発言は、パレスチナ領のユダヤ人入植者の耳には心地よいものだが、その他の地域では、多くの人々が警戒感を深める結果となったようだ。

パレスチナ自治政府で親米派のサラム・ファイヤド首相は、「ギングリッチ氏の発言は、全く受け入れることができない歴史的真実の歪曲であり、最も急進的なユダヤ人入植者でも、あえてこのような馬鹿げた発言はしないだろう。」と語った。

バラク・オバマ政権が高まるイランとの緊張関係を背景に関係構築に尽力してきたアラブ連盟は、ギングリッチ氏の発言を「無責任で危険なものだ」と非難した。

外交政策において通常イスラエルのリクード党と見解を一にしている著名な新自由主義者(ネオコン)でさえ、ギングリッチ氏のパレスチナ人のアイデンティティに関する主張は行き過ぎていると見ている。

ジョージ・W・ブッシュ大統領の中東関係首席補佐官をつとめたエリオット・アブラムス氏は、「(ギングリッチ氏の論理に従えば)ヨルダンもシリアもイラクも、元々存在しなかったということになる。恐らく彼はこうした国々の人々も『創作された人々』で自分たちの国を持つ権利はないと主張するのだろう。」と、10日の大統領候補者討論会を前にワシントンポストの取材に応じて語った。

「その当時(オスマントルコ帝国時代)はそうだったとしても、パレスチナのナショナリズムは1948年(のイスラエル建国)以来、大きくなってきており、我々が好むと好まざるとに関わらず、存在しているのは否めません。」とアブラム氏は語った。

ギングリッチ氏の発言に対して、共和党の他の候補者たちは、あまりはっきりした評価を口にしていない。

共和党ユダヤ人連合(RCJ)」が先日開催したフォーラムでは、イスラエルに対する懐疑的な考えの持ち主だということで出席を拒否されたロン・ポール下院議員(テキサス州)以外でギングリッチ氏の発言に異議を唱えたのは、前マサチューセッツ州知事でギングリッチ氏の主要なライバルであるミット・ロムニー氏だけであった。

ただしそのロムシー氏も、この点については、イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相の判断に従うと述べ、まもなく他の2候補(ミシェル・バックマン下院議員(ミネソタ州)とリック・サントラム元上院議員(ペンシルベニア州))もその立場を支持した。

ロムニー氏は、ギングリッチ氏の『パレスチナ人はテロリスト』という主張には歩調を合わせて「元下院議長のおっしゃったことについて、大方の点については見解を共にしております。」としたうえで、「ただし、パレスチナ人が『創作された人々』と発言したことについては、元下院議長のミスだと思います。私ならば、そのような発言をする前に、友人のネタニヤフ(イスラエル)首相に電話し、『こう発言したらいい結果が望めるだろうか?自分にどうしてほしいか?我々はパートナーだから協力し合っていこう。』と言うでしょう。私は(ギングリッチ候補と違って)爆弾発言がする人間ではないのです。」と語った。

しかしギングリッチ氏がネタニヤフ首相に相談するだろうことはほとんど疑いの余地がない。過去数年におけるギングリッチ氏の最大の支援者の一人はネタニヤフ首相のスポンサーでもある大富豪でカジノ界の大物シェルドン・アデルソン氏である。

アデルソン氏はイスラエルの全国紙フリーペーパー「イスラエル・ハヨム」の出資者であるが、同氏はネタニヤフ首相寄りの論調からしばしば「ビビトン」とも呼ばれている。

最新の投票結果によると、ギングリッチ氏は、ゴッドファーザーズビザの前最高経営責任者のハーマン・ケイン氏が指名争いから脱落して以降、既に予備選挙を実施した各州(アイオワ州、サウスカロライナ州等)で、ロムニー氏らを支持率2桁で大きく引き離す人気を博している。

ギングリッチ氏が共和党の大統領候補者指名を獲得するのではないかとの見通しに、共和党の多くの年配議員、とりわけ1990年代(ギングリッチ氏は1994年の中間選挙で共和党の下院多数派独占に貢献、しかし、98年の中間選挙後で共和党が大敗した後、政界を引退させられた)にギングリッチ氏の同僚や部下としてかかわったことがある人々の間で、警戒感が高まっている。

歴史学の博士号(卒論は旧ベルギー領コンゴにおける教育に関して)と元大学助教授という経歴を持つギングリッチ氏は、大言壮語したがる直情的な性格の人物として知られている。

ニューヨークタイムズの保守派コラムニストであるデイヴィッド・ブルックス氏は、先週ギングリッチ氏の気質について、「革命的…激烈で活動的、無秩序で、なにごとも過激な反応を要する激突ととらえる傾向がある人物」と評している。

先週、ニュージャージー州知事のクリス・クリスティー氏や前ニューハンプシャー州知事で元ホワイトハウス首席補佐官のジョン・スヌヌ氏を含む歴代の共和党リーダーが、明らかにギングリッチ氏の人気上昇を逆転させようとして、同氏の立候補資格について強く批判した。

ニュースレター「ネルソンレポート」を発行しているジャーナリストのクリス・ネルソン氏は、「つまり、この問題を説明するにあたって礼儀正しく表現する方法はないのです。クリスティー氏やマケイン(上院議員)等が公式に発言したくないこと…とは、ギンギリッチ氏の同僚達は彼のことをよく知っており、殆ど例外なく、かなり前の段階で『彼が文字通り正気でない』というという結論に達していたのです。『狂っている』というのではなく、むしろ『本当に抑制がきかない』ということです。つまりこのことだけでも、大統領候補として不適格だし、ましてや、ギングリッチ氏が(元国連大使の)ジョン・ボルトン氏を国務長官に従えた(核兵器の発射ボタンに指をかけた)自由世界のリーダーになるなど、到底受け入れることはできない。」と述べている。

ギングリッチ氏は、JRCフォーラムにおいて、もし自分が大統領に就任したら、同じく極右の論客で、ネオコンシンクタンクのアメリカン・エンタープライズ研究所(AEI)に所属しているジョン・ボルトン氏を国務長官に指名すると明言した。

また同フォーラムでは、ロムニー氏と、リック・ペリー氏が、もし大統領に選出されたら、1995年の議会の決議に従って、イスラエルの米国大使館をテルアビブからエルサレムに移転すると公約した。
 
今日まで、米国の歴代大統領は、国際法を引用するとともに、そのような移転は中東に新たな不安定と暴力を引き起こす引き金になりかねないとして、議会の移転要請を一貫して拒否してきた。

しかしギングリッチ氏は、この点でもさらに一方踏み込み、大統領就任の暁には当日に(米国大使館をエルサレムに移転させる)大統領命令を発すると公約した。

イランの核開発疑惑については、ポール候補を除く全ての共和党候補がタカ派的な立場を強調した。この点についてギングリッチ氏は、イランの政権交代を成し遂げるための戦略として採用している製油所の破壊活動や核科学者の暗殺を含む、米国が擁する「隠密能力(covert capabilities)」に引き続き期待していると語った。

またギングリッチ氏は、もしイスラエルがイランを攻撃した場合、核兵器を使用しないかぎり米国はイスラエルを支持するだろうとして、「私はイスラエルが核兵器を使用する段階にまで追い込まれることがないよう、むしろイスラエルと協力して通常兵器による(対イラン)共同作戦計画を立てることを支持したい。」と翌日CNNのウォルフ・ブリッツァー氏の取材に応じて語った。

ニューヨークタイムスが12日付一面記事で取り上げているように、ギングリッチ氏は、長年に亘ってイランが米国本土上空で核兵器を爆発させ電気インフラを機能不全にする電磁パルス(EMP)を発生させる懸念について警告している。ギングリッチ氏は、EMPの発生がもたらす影響について、「我々の文明はほんの一秒で失われるだろう。」と述べている。(原文へ

翻訳=IPS Japan山口響/浅霧勝浩

関連記事:
|政治・米国|フリーマン事件で注目されるイスラエル政治圧力団体の存在
国連の査察機関、2003年以前のイラン核兵器研究について詳述する

│リビア│新しい旗の下でもつづく昔のやり方

【トリポリIPS=カルロス・ズルトゥザ】

「もし四輪駆動車なんて運転していたら、カダフィ派かって言われるだろうね。今では、反乱勢力の司令官クラスなら、ほとんどが四輪駆動車を持っているよ。」と、トリポリの交通渋滞から抜け出てきたバシャールは語った。

首都のトリポリが8月に反乱勢力の手に落ちて以来、バシャールは、ボロボロになったタクシーの窓から、街の変化を見てきた。30才のバシャールは、大半のリビア国民と同様に、生まれてこの方、故ムアマール・カダフィ氏による独裁政治以外の政体を知らない。

 しかしバシャールは、新しい政府に満足しているわけではない。「これが、反乱勢力がもたらすと言ってきた自由と平和なのだろうか?」と、武装勢力の設置した検問所を通りながらバシャール氏は語った。作り笑顔と、バックミラーにかけられた三色旗は、彼のタクシーを営業する政治的な免許証のようなものだ(新政権は、それまでの緑一色に代わって三色の国旗を採用している:IPSJ)。

「ムアマール、ムアマール…」バシャールは、バーブ・アジジヤ地区のカダフィ最高指導者の破壊された邸宅跡を見て、切なさそうに声を上げた。リビア内戦が残した傷跡は、トリポリ市街地の「殉教者広場」から南へ3キロの郊外にあるアブ・サリム地区においても生々しく見てとれた。火災で黒くくすんだ窓枠の周りは大小あらゆる大きさの銃痕が壁一面を埋め尽くしており、攻撃の凄まじさを想起させるものだったが、驚いたことに、そうした廃墟と化した家々の窓から、時折洗濯物が干されている光景を目にした。

古いバザール地区の人々も元の生活に戻ろうと必死だ。しかし、北大西洋条約機構軍(NATO)の空爆がこの地区を灰燼に帰してからは、この露天街の店はほとんど再開されていない。

「人びとはここから離れていっています。ここの住民はみんな、武装勢力のパトロールを怖がっているのです。カダフィ派を探すという名目で家々に侵入し、若い人たちをどこかへ連行しているのです。」と台所用品と中古の蛇口を商っているアブドゥル・ラフマン氏は語った。
 
内戦の終結は、カダフィ氏が殺害されて3日後の10月24日に公式に宣言された。しかし、アブ・サリム地区では11月にも武装勢力とカダフィ派と言われている勢力との衝突が見られた。また、カダフィ側の2番目の拠点であったバニ・ワリド地区においても先月に武力衝突があり死傷者が出たとの報道がされている。

しかし、こうした衝突にカダフィ派の民兵による組織だった関与が実際にあったのか、それとも、武装勢力による度重なる襲撃と恣意的な逮捕に反発した地域住民による衝動的な抵抗だったのかは定かではない。

国連は先月、「革命部隊」と称する武装民兵組織が管理する収容所に7000人が収監されていると明らかにした。潘基文国連事務総長は、カダフィ氏死亡後のリビア復興支援に関する国連安保理会合に先立って声明をだし、「報告によれば、収監されている人々の中には外国人や多くの女性・子供が含まれており、中には拷問を受けたものもいます。」と語った。

アブ・サリム地区出身で電化製品の小売業を営んでいたビラルも、多くの住民とともに、ジェディダ刑務所(トリポリの主要な収監施設)に連行されたひとりだ。彼も取材に応じた多くの人々と同じく、フルネームを明かしたがらなかった。ビラルは、突然連行されてから何の説明もなく釈放されるまで過ごした地獄のような数週間は、決して忘れることはないだろうと語った。

「やつらは、俺がカダフィ派の兵士で、ソク・アル・ジマ地区(トリポリ東部)で、女性1人とその子どもを2人殺したって言うんだ。刑務所では来る日も来る日も、電極や火のついたタバコで拷問された。やつらはいつも、俺の犯罪を証明する目撃者がいる。早く白状したほうが身のためだぞと脅してきたんだ。」「そしてある日、独房の奥の壁を背にして立てと言われたんだ。誰かがドアの穴から覗いているのが分かった。そして数時間後、突然、荷物をまとめて出ていくように言われたんだ。」とビラルは語った。彼は、アブ・サリム地区に戻るつもりはないと語った。

ビラルのような証言は、トリポリ以外のリビア各地でも多く耳にした。トリポリから東に150キロのマジェール村は、8月8日にNATOが空爆を加えたことで注目を浴びた。当時カダフィ政権のムサ・イブラヒム報道官は、85人の民間人が殺害されたを発表した。これに対してNATOは「犠牲者はカダフィ派の軍人と民兵である」と反論した。

この際殺害された村人の遺族達は、IPSの取材に対して、「当時35人を埋葬しました。」と語った。今日、遺族達は失った愛する人々を悼む悲しみと、(この旧カダフィ派の拠点とされた街を)縦横に行き来する武装勢力に対する不安と恐怖で、打ちのめされている。

マジェール村に住むメルワンは、私たちが彼の家に入るのを誰も見ていないことを確かめたうえで、「私たちはリビア国民としての権利を無視され、遺族の補償も受けられない、いわば新政権にとってのスケープゴートにされているのです。武装勢力は、私たちの財産を略奪し、車を盗んだうえに、そうした罪を私たちに押し付けてくるのです。」と語った。

再びトリポリに戻った私は、カダフィ政権下で建設業や貿易業で財を成した実業家のスレイマン(40歳)を取材した。彼は3年前に購入した四輪駆動車に今も乗っている。

トリポリの高級ショッピング街ガルガレッシュ通りの最新流行のカフェで取材に応じたスレイマンは、「もちろん、カダフィのときも不正はあったさ。でも、それが他の中東の国よりひどいとか、ましてや、ヨーロッパ側の地中海諸国よりもひどいとは思わないね。」と語った。この辺りに駐車している車では、三色旗を誇らしげに掲げているものは少数だった。

またスレイマンは、「死のその日までカダフィ大佐を信奉していた。」と認めたうえで、「だから、わざわざ三色旗を掲げようとは思わないのさ。」と語った。彼は首都圏にいくつかのアパートを所有している。これは不安定な戦後経済を乗りきっていくためには必要な保険である。

この成功を収めたビジネスマンは、明日がどのような状況になろうと、このところの暴力的な変化についてもあまり気にしていないようである。「われわれビジネスマンは、いつでもジャングルの中で生き延びてきたんだ。ちなみに、新しい政権の私のコンタクト先は、前のやつと同じ人物だよ。」とスレイマンは語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

関連記事:
|リビア|「過去の失敗は繰り返してはならない」とUAE紙
|リビア|「国の将来のためには和解が鍵」とUAE紙
|リビア軍事介入|「冒険的な戦争」に反対するドイツ世論