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|パレスチナ|ナクバから64年目の記憶

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【リフタ(エルサレム)IPS=ピエール・クロシェンドラー】

「私の人生の原点はそこにあります。当時私は8歳の少年でしたが、あの家から『アッラーフ・アクバル(Allahu Akbar)』という礼拝を呼びかける父の声が、村全体に響いていたのをよく覚えています。」とヤコブ・オデフさん(72歳)は、高い丘の上に立つ廃屋を指差しながら語った。

64年経った今も、パレスチナ人にとってリフタの村はナクバ(「大災厄」)を想起させる象徴的な場所である。ナクバとは、イスラエル建国に際して採られたパレスチナ人追放政策で、オデフさん一家も含め、数十万人のパレスチナ人がイスラエル軍兵士により住み慣れた家を追われた。

イスラエルの西エルサレムと、イスラエル占領下の東エルサレムの境に点在するリフタの村は長年放置され廃墟となっている。多くのパレスチナ人にとって、リフタは失われた土地とパレスチナ人が置かれている窮乏を象徴する存在である。

 イスラエル独立戦争が勃発する前、この村は、500戸(3000人)が平和に住む裕福で牧歌的な場所であった。オデフさんは子供時代の記憶を懐かしそうに想い起して「噴水と庭園、モスクとオリーブ畑、楽しそうに歌って踊る村の人たち…それが私の世界でした。」と語った。

「どうしたら、1948年2月のあの忌まわしい日を忘れられるでしょう…私たちはその日突然イスラエル兵に包囲されたのです。今でも、その時のシオニストのギャングたちの銃声が聞こえてくるようです。」とオデフさんは語った。

近隣のデイル・ヤシンの村がイスラエル民兵に襲撃され100名以上が殺害されたという話が伝わると、リフタの村にパニックが広がった。「父親は、突然弟と妹を抱え上げると、家族揃って家を後にしました。私たちは急いで谷を渡り山をよじ登って逃れたのです。私たちが持ってこられたのは、心の中の思い出だけでした。」とオデフさんは当時を振り返った。

ナクバから数週間の内に、2000年の歴史を持つリフタの村は一人の住民も残らない廃墟と化した。オデフさんは、「間もなくして私たちは難民となったのです。」と語った。1年以内に、それまでパレスチナ人が人口の大半を占めていた土地は新たにイスラエル領土となり、他国に逃げないで残ったパレスチナ人は、少数派住民として自らの土地に対する権利も否定されることになった。

リフタではパレスチナ人が去った空き家の屋根や床には、事実上二度と人が住めないようにするため、大きな穴が空けられた。今日までオデフさんをはじめ、元リフタの住民で村に戻れたものはいない。しかし元リフタの住民たちは、いつの日か故郷に戻るという夢を決して諦めてはいない。オデフさんは、「私はパレスチナのリフタに再び自由に住める権利を取り返すまでは、1948年に起こったことを忘れも許しもしません。」と語った。

毎年ナクバの日(5月15日)になると、パレスチナ人達はかつて追われた故郷の家の鍵を高くかざし、故郷への「何者も否定できない帰還権」を認めるよう訴える。
 
 国連パレスチナ難民救済事業機関(UNWRA)によると、中東全域に登録されている数だけでも400万人を超えるパレスチナ人が、難民として長年に亘って十分な権利を保障されない生活を強いられている。

一方大半のイスラエル人は、パレスチナ難民が要求している「故郷への帰還権」の問題をイスラエルという国家に対する「生存上の脅威」として受け止めている。彼らは、パレスチナ人の主張を認めて数百万人に及ぶパレスチナ難民を受入れれば、ユダヤ人がマイノリティになってしまい、イスラエルという国家が内部から崩壊してしまうと主張している。

こうした声についてオデフさんは、「ムスリムにも、ユダヤ人にも、キリスト教徒にも十分な場所はあるのです。私たちはかつて祖父たちがそうであったように、この地で共存していかなければならないのです。」と語った。

オデフさんの人生はパレスチナ人が歩んできた奪われた歴史を体現したものである。ナクバで家を追われて間もなく、オデフさんの父親は失意のうちに他界した。オデフさんの一家はその後東エルサレムに再定住した。

オデフさんはその後クウェートのフィルムライブラリーで働き、ベイルートの学校で法律を専攻したのち、パレスチナ解放人民戦線に加盟した。そしてオデフさんが27歳の時、第三次中東戦争が勃発し、イスラエルはオデフさんの家族が再定住していた東エルサレム(当時はヨルダン領)も征服した。

東エルサレムに舞い戻ったオデフさんはイスラエルの占領に抵抗する運動に身を投じた。その後、イスラエル当局に捕まり、テロ活動を行ったとして、人生三回分の終身刑を宣告されて収監された。そして1985年、イスラエルとパレスチナ勢力間の捕虜交換で解放された。

オデフさんは、現在は人権活動家としてリフタの記憶を保存する管理人を自認している。

ナクバでは約500のパレスチナの村が破壊された。今日確認できる村の痕跡は、たいていテラス跡や白カビの生えた石、草が生い茂った墓地跡、野生化したイチジクの古木やサボテンが生い茂った石の壁等である。

1959年、リフタ一帯の土地は自然保護区に指定された。そしてイスラエル土地当局の都市計画担当者は、リフタを、当時イスラエルの芸術コミュニティーとして知られていたエイン・フッド(Ein Hod)保護地区に匹敵する高級住宅地に作り替えようとした。

しかしこの動きに対して、リフタの元住民とイスラエル人の人権団体が抗議に立ち上がり、建設計画差し止めを求める訴えを地区裁判所に提出した。その結果、今のところ、建設計画は棚上げとなっている。

オレフさんは、「私たちは、リフタをすべての人に開かれた歴史的な博物館として現状のまま保存するよう求めています。当局はどうしてこの文化遺産を破壊して高級住宅地を開発したがるのでしょう。リフタは歴史の証人として保存されるべきなのです。」と語った。

イスラエル人が一般にパレスチナ人の過去の記憶を国家に対する脅威と捉えているのに対して、パレスチナ人はその喪失を嘆き、美化し、その復興を熱望する傾向にある。

オデフさんは、「パレスチナ人か、キリスト教徒か、ユダヤ人か、イスラム教徒か、そういったことが重要なのではありません。大切なことはこの占領に終止符を打ち、一つの民主的な国家を作り上げることなのです。」と語った。それから小さな声で、「歴史はいつまでも間違った方向に向かい続けるということはないでしょう。」「歴史は時として方向を失って乱れることがありますが、きっとイスラエル人はその過ちを繰り返すことを許さないでしょう。」と呟いた。

オデフさんはそう言い残して、心の故郷(home)から数キロ離れた今の「家」に帰っていった。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|ハーグ国際法廷|ラトコ・ムラジッチ被告の裁判始まる

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【ドーハIPS/Al Jazeera】

ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦時(1992年~95年)に、数々の戦争犯罪と大量虐殺を指揮したとして告発されているラトコ・ムラジッチ元セルビア人武装勢力司令官(70歳)の裁判が、オランダ・ハーグの国連旧ユーゴスラビア国際法廷で始まった。

5月16日、同法廷の検察官による冒頭陳述が行われたが、ムラジッチ氏が16年に亘る逃亡の末にセルビアで捕えられ、ハーグに護送されてから公判が開始されるまで、約1年が経過していた。

ムラジッチ被告は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦時の1995年に同国東部のスレブレニツァで7千人を超えるムスリム男性・少年を1週間に亘って虐殺した事件を指揮したなどとして、戦争犯罪、人道に対する罪など11件で起訴されている。


ダーモット・グルーム検察官は、「我々は被告が起訴された全ての犯罪について、ムラジッチ氏の有罪を明確に立証する証拠を提示していくことになるだろう。」と語った。

またグローム検事は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦が勃発した1992年当時を振り返って、「国際社会は欧州に位置する(ボスニア・ヘルツェゴヴィナの)村々で大量虐殺が進行している事態を信じられない思いで目の当たりにしました。」と指摘するとともに、「ムラジッチ氏と部下の兵士たちは、スレブレニツァで数千人を虐殺する頃までには、殺人の技術を十分に磨く訓練ができていたのです。」と語った。

老いても挑発的な被告

濃い灰色のスーツとネクタイといういでたちで法廷に現れたムラジッチ被告は、入廷の際、両指を立てたり、手を叩く素振りをした。

傍聴人でぎっしり埋まった一般傍聴席では、検察官が冒頭陳述をしている間、ある犠牲者の母親が「ハゲタカめ!」と何度もつぶやいていた。

しばらくすると、ムラジッチ被告と傍聴席のムスリムの女性の眼が会い、(女性が被告に対し、手首を交差して手錠を掛けられたような仕草を見せたところ)被告が彼女に向かって自らの片手を首の上で横一文字に滑らせる(喉を切り裂くような)ジェスチャーをする場面があり、アルフォンス・オリー首席裁判官が、「不適切なやり取りをしないよう」注意するとともに短い休会を宣言する一幕もあった。

「ラトコ・ムラジッチ被告からは、90年代前半の彼のイメージに付きまとう体格のよいがっしりとした、威圧的な印象は得られませんでした。」とハーグからレポートしたアルジャジーラのバーナビー・フィリップス記者は語っている。

フィリップス記者はそれと同時に「しかしながら、高齢にもかかわらず元司令官の挑発的な態度は変わっていません。被告が『NATO法定』と呼ぶこの法廷を見下し、侮辱している様は、法廷を傍聴している人ならだれでも感じたことでしょう。」と語った。

スレブレニッツァ事件の犠牲者の母親達を代弁しているアクセル・ハーゲドルン弁護士は、「多くの遺族がハーグまで足を運びました。彼女たちは、ムラジッチ氏が実際に被告席に立たされるのを目の当たりにしてやっと安堵したのです。」と語った。

またハーゲドルン弁護士は、「ムラジッチ被告は、昨年身柄を拘束された頃と比べるとずいぶん健康そうに見えます。私たちはムラジッチ被告に公判を生き抜いて禁固刑に服してほしいと望んでいますから、これはいいことだと思っています。」「またムラジッチ裁判は、スレブレニッツァ事件の遺族にとって、国連の責任を問うもう一つの裁判を実現するために、有利に働くと考えています。」と語った。

今年の4月、オランダ最高裁は、「スレブレニッツァにおける大量虐殺を防げなかったとして国連を起訴することは、オランダの法律では不可能」との裁定を下した。しかし、同事件の遺族の弁護団は、欧州人権裁判所への提訴を計画している。

「遺族が提訴を計画している裁判とムラジッチ裁判は、ともにスレブレニッツァ村の人々の命を国連が守れなかったという意味で相互に密接に関連しています。」とハーゲドルン弁護士は語った。

原告は、せっかく開かれた公判がムラジッチ被告の健康問題で中断するのではないかと危惧している。ムラジッチ被告は、潜伏中に少なくとも脳卒中を一回患っているほか、昨年10月には肺炎で入院している。
 
セルビア勢力の指導者であったスロボダン・ミロシェヴィッチ(元セルビア共和国大統領)の場合、評決が纏まる前の2006年に心臓発作により収監先の独房で死去している。

最大の虐殺者

裁判所の外では、「スレブレニツァの犠牲者のために正義の裁きを!」等のプラカードを掲げた群集が集会を開いていた。

昨年5月にセルビア北部で身柄を拘束されたムラジッチ被告は、スレブレニッツァ事件にほかにも、1万人以上の死者を出したといわれる44カ月に亘ったサラエボ包囲事件の責任を問われている。

ムラジッチ被告は昨年6月に開かれた予審では、自身にかけられた嫌疑を「馬鹿げた不愉快なもの」として罪状認否を拒否した。そして、「私はボスニアのセルビア人指導者として、自分の祖国と人々を守っただけだ」と主張した。その結果、国連旧ユーゴスラビア国際法廷は規則に基づいて、ムラジッチ被告が大量虐殺など11件の起訴事実について無罪を主張したとみなす手続きをおこなった。

ムラジッチ被告は、ボスニア・ヘルツェゴヴィナ内戦時の犯罪を裁くために国連が設立した特別法廷で裁かれる最後の主要人物である。

「彼こそ世界に例を見ないバルカン半島最大の大量虐殺者に他なりません。」とムニラ・スバチッチ氏(65歳)はAFPの取材に応じて語った。彼女は、1995年7月にスレブレニツァがボスニアのセルビア人勢力の手によって陥落したとき、22名の親族を殺されている。

これから特別法廷の一般傍聴席でムラジッチ被告の初公判を傍聴するというスバチッチ氏は、「私はムラジッチの眼を見据えて、自分が犯した罪を後悔しているか彼に直接ただすつもりです。」と語った。

16日のムラジッチ裁判の初公判はバルカン半島でも複雑な感情が入り混じった反響を呼び起こした。1992年から95年に亘った軍事包囲で数千人の犠牲者を出したサラエボでは、街の各地に大型スクリーンが設置され、初公判の模様が生放送で中継された。

「私は、今度のムラジッチ公判を通じて、ムラジッチをセルビア人の英雄だと考えてきた人々が認識を改め、彼が単なる卑怯な犯罪者に過ぎなかったということを知る機会となってほしいと願っています。」と、「サラエボ包囲で殺害された犠牲者の遺族の会」のフィクレット・グラボヴィッツァ会長は語った。

またグラボヴィッツァ会長は今日セルビア人が大半を占めるスルプスカ共和国(セルビア人共和国)に言及して、「たとえムラジッチが公判を生きながらえて判決を受けたとしても、スレブレニツァやセルビア人共和国内の数百に及ぶ地で虐殺された被害者にとっては、ほんの僅かな慰めにしかならないだろう。」と付加えた。

ムラジッチ側による法定工作

内戦後、ボスニア・ヘルツェゴヴィナは、ボシュニャク人(ムスリム人)とクロアチア人主体のボスニア・ヘルツェゴヴィナ連邦と、セルビア人主体のセルビア人共和国という2つの構成体から成る連合国家となった。

先週ムラジッチ被告の弁護団は、「アルフォンス・オリー首席裁判官が別の裁判でムラジッチ被告の元部下たちに有罪判決を下した経験があることから、ムラジッチ被告に対しても偏見を抱いている恐れがある」として、同裁判官の排除を求める申し立てを行った。しかし、テオドール・メロン裁判長は、根拠が不十分だとして弁護団の要請を却下した。

ムラジッチ被告は、2008年に逮捕された後、ムラジッチ被告と類似した罪で起訴され、公判も半ばまで進んでいる元セルビア人勢力指導者のラドバン・カラジッチ氏と同じ刑務所に収監されている。

ムラジッチ被告の弁護団は5月14日夜、検察側の資料開示に関するミスにより、十分に準備をする時間が得られなかったとして、公判の6カ月延期を申し立てた。

これについてグルーム検事は、16日、「妥当な延期要請については反対しない。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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母なる地球は「所有したり、私有化したり、搾取したりしてはならない」(B・K・ゴールドトゥース「先住民族環境ネットワーク」代表)

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【国連IPS=エイリーン・ジェンケル

「数百年にもわたって、先住民族の権利や資源、土地が搾取されてきました。しかし、各国政府が長年の懸案だった過去の搾取を事実と認め、先住民族が献身的な努力を傾けている現在においても、なおそうした搾取は続いている。」と2011年に発表された「マナウス宣言」の中で、先住民の代表たちは述べている。

この宣言は、今年6月に開かれる「持続的開発に関する国連会議」(通称「リオ+20」)の準備の一環として出されたものである。IPSでは、会議を前にして、30年以上にもわたってアメリカ大陸の先住民族の権利のために闘い、「先住民族環境ネットワーク」の代表も務めるトム・B・K・ゴールドトゥース氏へのインタビューを行った。以下、その要旨である。

Q:6月の「リオ+20」会議であなたは先住民族を代表して演説を行うことになっていますが、伝えたいことは何でしょうか。

A:グリーン経済や持続可能性に関するテーマ討論では、カネを中心とした西洋の見方と、生命を中心とし、母なる地球の神聖さとの関係を重視する我々先住民族の考え方との違いがあきらかになりました。

 先住民族の多くが、母なる地球を所有や私有化、搾取のための資源とのみ考え、それによって市場を通じて金銭的見返りを得ようとする現在の経済的グローバル化のモデルを深く憂慮しています。

この開発モデルの下で、先住民族は土地から追い出され、文化や母なる地球との精神的な関係を剥奪され、生命を維持する自然を破壊されてしまいました。

人類と今日の地球が存続していくためには、人類と母なる地球および自然界との関係を再定義した新たな法的枠組みが確立されなければなりません。

そしてそうした枠組みの中で、私たちは、人権を中心としたアプローチや生態系のアプローチ、文化に敏感で知を中心としたアプローチを組み合わせる必要があります。

私たちは、まず人類間の平等を実現してはじめて、自然との間にバランスを確保することができるのです。

リオ+20において各国政府は、自然の商品化と金融化を支持するようなグリーンエコノミー政策を注意深く見極めるとともに、「自然は神聖なもので売り物ではないこと、そして、母なる地球の生態系には独自の環境保全・保護能力が備わっている」という認識に始まる新たな法的枠組みを共同で作り始めなければなりません。

先住民コミュニティーの土地所有を全面的に認めることこそが、世界の豊かな生物及び文化の多様性を保護していくうえで最も効果的な方策なのです。

Q:今日の先住民族の生活にとって最大の脅威は何でしょうか。そしてそれにどう対処できるのでしょうか。

A:世界各地の先住民は、持続可能な生態系、生物多様性が辛うじて残っている最後のホットスポットに生活し、危機に瀕した環境の保全に貢献しています。

しかし破壊的な鉱物採取産業が先住民族の伝統的な土地に侵入してきています。現実に気候変動をもたらしている常軌を逸した石油採掘やエネルギー開発は、南から北まで世界各地の先住民族の生活に直接的な影響を及ぼしています。

先住民は、持続可能な開発に大きく貢献することができます。しかし、そのためには持続可能な開発を可能にするための全体的な枠組みが推進されるべきだと考えています。

人権を侵害する開発は、本質的に維持できないという理解を踏まえて、リオ+20では、持続可能な開発の在り方として人権に主眼を置いたアプローチが採択されなければなりません。

そのためには、とりわけ、先住民と持続可能な開発に関するあらゆるレベルの政策・プログラムの根拠となる「先住民族の権利に関する国連宣言」を、持続的開発のための主要枠組みとして機能させなくてはならないと思っています。

Q:最近、NGOの中には、1992年のリオでの合意がひっくり返されて、ビジョンを追求するためにリーダーシップをとる国がなくなってしまったという批判があります。新しい取り組みを導き出す希望が依然としてあるでしょうか。

A:気候の混乱、不安定化する金融、生態系の破壊のために、世界には1992年の合意をひっくり返すという選択肢はありません。

世界の指導者らは、1992年のリオ地球環境サミットに先住民族が積極的に参加したこと、先住民族が同時並行的に作り出したプロセスの中で「カリオカ先住民族宣言」が出てきたことを忘れてはなりません。

アジェンダ21は、先住民が持続可能な開発において果たす重要な役割を認めた「カリオカ先住民族宣言」の条文を受入れ、先住民族を(アジェンダ21を推進する)主たるグループとして認定しています。リオ+20では、1992年のリオ地球環境サミットが先住民に対して行った公約が再確認されなければなりません。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|麗水世界博覧会|今年の万博は、危機に瀕した海の救済がテーマ

【国連IPS=タリフ・ディーン】

5月12日、韓国は今年最大の画期的なイベント「世界博覧会2012」を主催する。きらびやかな建築群が会場を埋め尽くす今回の万博は、1851年に蒸気機関を展示した近代最初の国際博覧会(英国ロンドンで開催された『万国産業製作品大博覧会』)に始まる161年に及ぶ万博の伝統を受け継いだものである。

ロンドン万博後の歴史を紐解くと、例えば1876年にアメリカ独立100周年を記念して開かれたフィラデルフィア万博では電話の発明が披露され、1885年のアントワープ万博(ベルギー)では、自動車が展示会の目玉となった。

アジア有数の経済大国韓国が主催する「2012麗水(ヨス)世界博覧会」のテーマは、「生きている海、息づく海岸」で、人類のふるさとである海で人間と地球の新たな共存を模索し目の前の環境問題を人類が力を合わせて克服しようという理念が掲げられている。

国連によると、世界の主な海洋生態系の約6割が、乱開発による被害を受けている。

中国で2010年に開催された前回の上海国際博覧会では、「より良い都市、より良い生活」がテーマに掲げられた。また2015年にイタリアで開催が予定されているミラノ国際博覧会のテーマは、「同市の文化遺産」になる予定である。

産業団地と海洋公園を擁する韓国南部有数の港湾都市麗水市で開催される「世界博覧会2012」では、21世紀における海洋科学技術の成果が紹介される予定である。

また、今回の万博は「グリーン博覧会」を称されているように、テーマ面で6月中旬に開催予定の国連持続可能な開発会議(リオ+20)との調和が図られている。

国連は韓国館に次ぐ最大規模の展示館「国際機関館」を建設し「2012麗水世界博覧会」では重要な役割を果たす予定である。

国連は、「地球表面の70%以上が海に覆われていることから、人類の命は海と密接に繋がっている」と指摘した上で、「海は地球上の淡水の40%以上と私たちが呼吸する酸素の75%を生成する、文字通り地球の心臓と肺の役割を担っているのです。」と述べている。

また国連は、「2012麗水世界博覧会」を通じて、海面上昇と地球環境の悪化により消滅の危機に直面している海、沿岸、島嶼地域の保存と持続可能な使用に対する意識を高めたいとしている。
 
主催者によると、「2012麗水世界博覧会」は長い万博の歴史の中で初めて環境指針が導入された博覧会で、カーボンニュートラルをはじめ、太陽光・海洋温度差エネルギーを使用した環境にやさしい建造物や交通システムなど、先端グリーン融合技術を駆使した施設整備と運営が行われる予定である。

韓国政府は、5月12日から8月12日まで開催する「2012麗水世界博覧会」の施設整備に19億ドルを超える投資を行ったほか、開催に合わせて、首都ソウルと麗水を結ぶ高速鉄道や道路の新規建設、観光インフラ整備に110億ドル近くの予算を投じている。

「2012麗水世界博覧会」には、3カ月の開催期間中に韓国内外から約1100万人の来場が見込まれている。

「2012麗水世界博覧会」担当国連事務局長サミュエル・クー大使は、IPSの取材に応じ、「これまでオリンピック、ワールドカップ、G20サミットをホストしてきた韓国にとって、世界博覧会の開催は、経済、技術、文化大国としての国のイメージを国際社会に示す絶好の機会です。」と語った。

またクー大使は、「今回の世界博覧会は、韓国の観光振興、雇用促進とともに、海洋資源に恵まれながらも従来比較的開発が遅れていた韓国南部沿岸の中心都市麗水市の発展に弾みをつけることになるでしょう。」と指摘した。

今回の万博は、政府のみならず、韓国大宇造船海洋を含む韓国の大手企業が共同参画し、韓国の伝統と最新技術が融合した一大イベントとなっている。

さらにクー大使は、「そしてなによりも、今回の万博を通じて、韓国の人々が海洋の保全と開発に対する共通の責任感を一層深め、国際社会との協力を一層推進していく機会になるでしょう。」と語った。

「2012麗水世界博覧会」には、105の国々と24の国連機関、並びに韓国の巨大複合企業が参画し、それぞれが最新技術を駆使した展示館を建設している。また、3カ月の会期中、韓国全ての道(地方行政区分)及び主要都市も博覧会会場に出展する予定である。さらに、米国、中国、日本、ドイツ、フランス、スペインを含む少なくとも50カ国が独自の展示館を開設する予定である。

さらに途上国50カ国が、太平洋ゾーン、大西洋ゾーン、インド洋ゾーンからなる共同展示館を設立し、参加する予定である。

各展示館の特徴をみると、フランス館が「海水からの脱塩」、ドイツ館が「海洋・沿岸科学技術の成果」、ロシア館が「海と人-過去から未来へ」、米国館が「多様性と驚異、そして解決策」等…「2012麗水世界博覧会」のメインテーマに合わせて、独自の趣向を凝らしたテーマを打ち出している。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝

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|アジア|拡大核抑止の危険性

【シドニーIDN=ニーナ・バンダリ

今年4月には北朝鮮による長距離ロケット発射実験が失敗して間もなく、インドとパキスタンが相次いで核搭載可能な弾道ミサイルの発射実験を行った。そうした中、シドニーに本拠を置くローウィ国際政策研究所が、核軍縮を妨げているのはアジアの戦略的な不信にあるという報告書を発表した。

ローウィ研究所国際安全保障プログラムのディレクターであり、『疑念を抱く(Disarming Dout):東アジアにおける拡大抑止の将来』と題した報告書の主編者でもあるローリー・メドカルフ氏は、「アジア地域の核軍縮はこの戦略的な不信のために停滞している。」と論じている。

 とりわけ、北朝鮮が挑発的な核・ミサイル開発を続け、日本と韓国が防衛手段を取らざるを得なくなっている。米国の核兵器によって守られている両国は、この米国による「拡大核抑止」の傘を弱めたくない。一方中国は、核兵器の拡大あるいは近代化に制限をかけたくない。さらに、中国・インド・パキスタンの不信と軍備競争のトライアングルは、アジアの核軍備管理と軍縮のまた大きな障害となっている。

メドカルフ氏は、通常兵器のコスト急増によって今後の米政権が米国の戦略的な「軸」において核兵器の役割を再びアジアで拡大するようなことがあれば、状況はさらに悪化すると考えている。

アジアは、急速な経済成長と戦略的な不安定さのために、徐々に軍備を増してきた。国際戦略問題研究所(ロンドン)は、2012年3月、アジア諸国の軍事支出が今年はじめて欧州のそれを上回るだろうとの見通しを示した。中国、日本、インド、韓国、オーストラリアでアジア全体の防衛支出の80%以上を占め、パキスタン、インドネシア、マレーシア、シンガポール、タイ、ベトナムは、空軍力・海軍力を増強してきた。

混ぜ物の袋

ロウィ研究所の報告書は、アジアの核の危機を解きほぐすための政策勧告を各国に行っている。核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)豪州支部管理委員会のメンバーであるスー・ウェアハム博士は、「勧告は混ぜ物の入った袋のようなものです。核兵器を使えばどんな場合でも破滅的な結果が待っていることは認識されているが、核兵器を廃絶するという論理的な目標は明示されていません。」と語った。

またウェアハム博士は、「拡大抑止は自存の危機があるときにのみ使われるべきであるという勧告は、抑止は攻撃を避けるための正当かつ効果的な方法であるという神話が根強いことを示しています。もし大量破壊兵器を抑止として利用することが正当であるならば、なぜ米国やその傘の下にある国、さらには中国にとってそれが正当なものであるのに、北朝鮮にはそれが認められないのかを説明する必要があるでしょう。核兵器を持ってよい国と持ってはいけない国があるという書かれざるルール、そして長続きはしないルールには、疑問が呈されていないようです。」と語った。

さらにウェアハム博士は、「勧告はまた、アジアにおける米国の役割は必要かつ安定をもたらすものであって、中国もそれを受け入れるべきであるものとして描かれています。しかし、オーストラリア人の立場から言えば、オーストラリアが米国の軍事政策を強く支持することでアジアに送られる負のシグナルに関して、私の国ですら懸念が広がっていることを認識しておく必要があります。」と付加えた。

米国のバラク・オバマ大統領は、戦術核と核弾頭の備蓄も含め、米ロ間でのさらなる二国間削減を呼びかけ、中国に対しては、米国との核問題対話を開始するようあらためて求めている。

二つの課題

グリフィス大学アジア研究所のアンドリュー・オニール教授は、アジアにおいて軍縮を進める上での課題は二つあるという。オニール教授は、その第一点として、「欧州との大きな違いであるが、アジアには正式な軍備管理の枠組みが何もなく、核弾頭やミサイル備蓄はいうに及ばず、一般的に言って軍事力削減のための重要な交渉が行われた歴史がないのです。」と説明した。

さらにオニール教授は、第二点として、「この地域には5つの核兵器国があり(米、中、印、パキスタン、北朝鮮)、冷戦後に3国も増えました。アジアの全ての核兵器国が、未解決の政治的問題/紛争が解決されるまでは、軍備/核兵器削減を開始しないとの姿勢をすでに明らかにしています。とりわけ中国は、米ロが中国と同レベル(核弾頭150~200発)までそれぞれの備蓄を減らしてこないかぎり、自国の削減には応じないと明言しています。」と語った。

軍縮に向けた真の進展を困難にしているのは、地域各国間の根本的な安全保障のジレンマである。『オーストラリア国際関係学雑誌』の編集長でもあるオニール教授は、「米国が、中国との関連で徐々に見え始めている通常軍備上の脆弱性と、日本と韓国で北朝鮮の軍備強化に対して増している不安をカバーするために、核の優越性を求めようとする結果、拡大抑止の重要性はおそらく増してくることになるでしょう。」と述べている。

ロウィ研究所の報告は、信用と信頼を構築するプロセスと地域に安全性をもたらす機構を作り出すことは、歴史、領域権問題、ナショナリズム、資源上の制約、変化する戦略バランスなど多くの理由によって、なかなか難しいであろうと見ている。

冷戦の歴史を理解する

シドニー大学のレオニッド・A・ペトロフ講師(韓国研究)は、「朝鮮民主主義人民共和国(DPRK)の問題にうまく対処するには、冷戦の歴史とそれが地域に与えた結果を想起し理解する必要があります。対話あるいは協力をしようとするなら、朝鮮間紛争の現実を考慮に入れねばならなりません。朝鮮戦争はまだ終わっておらず、分断された朝鮮の片方に地域の大国が肩入れし、他方にいやがらせをしようとすれば、朝鮮の分断は続くことになるでしょう。」と語った。

ペトロフ博士は、北東アジアの紛争を終わらせる第一ステップに関して、「大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国が互いを国家承認することが必要です。外国軍や紛争関係にある同盟に立場を与えない(中立で非核という)特別の地位を朝鮮半島に与えるべきなのです。唯一これのみが、朝鮮における覇権をめぐる100年にも及ぶ外国間の角逐に終止符を打ち、朝鮮両国の和解を可能とするでしょう。そうでなければ、中国、ロシア、米国、日本が、地域における互いの意図に関して疑念を持ち続け、それぞれの国家安全保障に対して統一朝鮮が与える脅威が相当なものになりそうだと恐れを持つことになるでしょう。」と語った。

ペトロフ博士は、分断された朝鮮のそれぞれとの外交的関係を強化し経済協力を拡大することで、米国や(豪州などの)その同盟国は、核問題の平和的解決に重要な貢献をなし、地域の永続的な平和と繁栄のための基礎を築くことができるであろうと考えている。

他方、米国でのある研究は、インドとパキスタンが核交戦に及ぶことになると、世界で最大10億人が餓死することになるであろうと警告している。また同研究は、「限定的」な戦争でも、重大な気候上の変動を引き起こす可能性があると指摘している。米国のトウモロコシ生産が10年にわたって10%、大豆生産が7%減る可能性がある。また中国のコメ生産は、最初の4年間で21%減ると見られている。

9つの国が2万530発の核弾頭を保有し、そのうち95%は米ロが保有している。「米ロの核兵器だけが全世界への脅威となっているのではありません。はるかに規模が小さい(米露以外の)核戦力でも、人類全体とまでは言わないにしても、文明の存続に関わる脅威となっているのです。」と、核戦争防止国際医師の会(IPPNW)とその米国支部「社会的責任を求める医師の会」が作成した報告書『10億人を危機に晒す核の飢餓ー限定核戦争が農業・食料供給・人類の栄養に与えるグローバルな影響』の著者であるイラ・ヘルファンド博士がAFP通信の取材に対して述べている。

この研究は、すべての核兵器国が核兵器への依存を低下させ、全ての核兵器を完全に禁止する「核兵器禁止条約(NWC)」の交渉へと可能なかぎり早く移る火急の必要があることを訴えている。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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|国際報道の自由デー|政府に狙われるジャーナリストとネチズン

【国連/メキシコシティーIPS=J.トレブリン、E.ゴドイ】

2年前、アシュカン・デランヴァール氏はイラン当局に逮捕され、劣悪な環境に2週間収監された後、10か月の禁固刑を言い渡された。

彼の罪は何だったのだろうか?学生ブロガーでコンピューター技術者のデランヴァール氏は、当局のインターネット監視フィルターを潜り抜けるソフトウェアを「人々に提供しその使い方を指導した罪」で有罪判決を受けたのである。

デランヴァール氏は最終的にイラン国外に逃亡することに成功し、現在ドイツに亡命申請を出している。デランヴァール氏は、国際人権団体アムネスティ・インターナショナルが把握している、イランのサイバー犯罪法(2009年施行)の下で裁かれ、有罪判決を受けた最初の人物である。

 「ブロガーは、他者に知らせることを自分の義務だと考えます。しかしイラン当局は、日常生活や政治動向の分析に加えて、当局が検閲で阻止したニュースまで伝えようとする彼らの存在を、脅威と捉えているのです。」とデランヴァール氏はアムネスティーに対して語った。

国際報道自由デー」にあたる5月3日、人権擁護活動家らは、「ジャーナリストやサイバー活動家は、報道の自由を憲法で保障していない国や(保障していても)政府があえて無視する国々において、近年ますます迫害に晒されるようになっている。」と述べている。

2011年はこれまでで最悪の年

アムネスティ・インターナショナルによると、今やオンラインで当局を非難することは極めて危険な行為となっており、多くの国において2011年はオンライン活動家にとって最悪の年となった。

ソーシャルメディアは、「アラブの春」の際にみられたように、今や当局に対する抗議運動を組織できる有効なツールとしての確固たる地位を獲得した。これに伴い、ツイッターやフェイスブックといったソーシャルネットワークを駆使する市民「ネチズン」も、ジャーナリストと同様の危険に晒されるようになっている。

「2012年の初頭以来、5日に1名のペースでジャーナリストが殺害されています。またその他にも、世界各地で121人のネチズン並びに161人のジャーナリストが、彼らの権利と義務を遂行したことが原因で投獄されています。」と、国境なき記者団のデルフィン・ハルガンドワシントン所長は、5月3日に開催された「国際報道自由デー」記念レセプションで語った。

一方ニューヨークに本拠を構える「ジャーナリスト保護委員会」は、さらに大きな数値を挙げている。同団体によると、2011年に収監さえたジャーナリストの総数はその前年実績を2割を上回る179人で、1990年以来最悪の数字となった。

強まる当局によるインターネット規制

中国から、シリア、キューバ、アゼルバイジャンに至る多くの国々では、政府当局が検索エンジンを検閲し、法外なインターネット接続料金を課し、フェイスブックやツイッターのパスワードを入手するために活動家を拷問し、オンラインにおける言論を制限・管理する法律を議会で通過させている。

こうした当局による締め付けは「アラブの春」の際、エジプトで典型的に見られた。当時、ホスニ・ムバラク政権は、インターネットのみならず携帯通信網も封鎖したのである。

ウィドニー・ブラウン国際法・政策上級部長は、プレスリリースの中で、「デジタル空間が一般に普及したことにより、活動家らは、互いに支え合いながら、世界の人権、自由と正義のために闘えるようになりました。」「政府当局がオンラインジャーナリストや活動家への攻撃を加えているのは、こうした勇気ある個人がインターネットを駆使していかに効果的に当局に挑戦を仕掛けてこられるかを理解しているからなのです。」と語った。

しかしジャーナリスト、ブロガー、活動家らは当局のインターネット規制の網を潜り抜け、世界の何百万人もの人々に自らの主張を訴える新たな方法を見つけ出している。

いくつかの国々では、活動家らは自らのアイデンティティを保護するため、投獄されたり殺害された仲間のツィッターやフェイスブックアカウントを使用して活動を続けている。

世界的な傾向

独裁傾向が強い旧ソ連構成諸国では、今年になって既に、独裁権力の強化、反体制派の弾圧、言論の封殺、デモの鎮圧が発生している。

2011年末の大統領選挙が大きな批判をあつめたベラルーシでは、数名の著名な反体制派活動家とNGO団体の指導者が逮捕・拘禁されている。

ハンガリーは2011年に厳格なメディア規制法を国会で成立させたことから、欧州加盟諸国より厳しい非難に晒されている。

ラテンアメリカでは、ホンジュラスとメキシコがジャーナリストにとって最も危険な国である。

2012年上旬、ホンジュラスの人権活動家でジャーナリストのディナ・メッサー氏は、彼女に対する性的暴行を示唆する脅迫を繰り返し受けている。4月6日、メッサー氏は子どもと近所を散歩していたところ、2人の男が自分の写真をとっていることに気付いた。

4月28日、ジャーナリストのレッジーナ・マルチネス氏の遺体がメキシコ、ベラクルス市の自宅で発見された。レッジーナは、政治雑誌「プロセッソ」の記者で、それまで30年以上に亘って、メキシコの治安問題、麻薬取引、不正・腐敗に関する報道を続けてきた。地元当局は、この殺人事件を捜査すると明言した。

「メキシコでは、ニューメディアの使用が益々浸透してきましたが、一方で昨年の状況を見る限り、ジャーナリストらは、数年前には想像もできなかったような攻撃に晒されるようになっています。」と、ニューヨークを拠点にしているNGO「フリーダムハウス」のカリン・ドイチュ・カーレカー(報道の自由担当)ディレクターは語った。

人権保護団体によると、メキシコでは2000年以来、少なくとも65人のジャーナリストが殺害されており、行方不明者も少なくとも10人に及んでいる。

「国際報道の自由デー」の前夜、2人の報道写真家のバラバラ遺体がメキシコ東部のベラクルス州で発見された。

「メキシコでは近年報道の自由は後退を余儀なくされてきており、深く憂慮しています。なかでも深刻なのは、殺人事件が起きても捜査されないことが少なくないため、罪を犯しても罰せられないという事態がまかり通っていることです。」とドイチュ・カーレカー氏は語った。

メキシコ上院は、脅迫されているジャーナリストと人権活動家を保護する新たな法律を承認した。しかし、状況は引き続き深刻なままである。

「ジャーナリストを脅迫したり殺害しても罰せられないままになっている事例があまりにも多すぎます。国連は、各地で頻発するジャーナリストに対する襲撃事件について、全ての加盟国に対して、法的枠組みを強化するとともに、そうした事件を捜査するよう、一層働きかけを強める所存です。」と5月3日に国連本部で開催された「国際報道の自由デー」記念レセプションに出席した潘基文事務総長は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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【シドニーIPS=サンドラ・シアジアン】

今年の7月にロンドンで開幕予定の第30回オリンピック競技会に向けて世界のアスリートが最終調整に入る中、サウジアラビアは、女性のオリンピック参加を禁じている世界唯一の国として孤立を深めている。

以前はカタール、ブルネイも、文化的、宗教的理由から女性のオリンピック参加を禁止していたが、今回は初めて女性選手団を派遣することになっている。

しかし、保守的な聖職者が「女性のスポーツ参加は社会の風紀を乱しかねない」と懸念するサウジアラビアでは、女性や少女がスポーツをする権利を否定する厳格な政治方針に基づいて、これまで一度も女性をオリンピック選手に指名したことがない。


 国際人権保護団体ヒューマンライツウォッチ(HRW)は、2月に発表した報告書の中で、サウジアラビアに対して女性が男性と同様にスポーツをする権利を保護するよう求めるとともに、国際オリンピック委員会(IOC)に対しては、1999年に女性のオリンピック参加を否定したとして(当時タリバン支配下の)アフガニスタンに対して国内オリンピック委員会を資格停止処分にした前例と同じような措置をサウジアラビアに対して行うべきだと強く要求した。

Steps Of The Devil」の著者でHRWのクリストフ・ウィルケ(Christoph Wilcke)中東上級調査員は、「IOCは、今こそ会員に関する規則に従って行動する時です。」と語った。

「サウジアラビアは規則に違反していますが、問題は、罰則の適用が事態を好転させるか、かえって悪化させるかわからない点にあります。」とミュンヘンを拠点にしているウィルケ氏はIPSの取材に応じて語った。

「IOCはこの点についてはまだ結論に達していないが、私は、オリンピック開幕の2か月前という今の時期こそ、IOCが規則を施行するのに理想的なタイミングだと思います。サウジアラビアは明らかに、男性アスリートのみからなる選手団を参加させたいと考えています。しかしこれでは規則違反を犯しても全く罰則なしにまかりとおるということになってしまいます。」

サウジオリンピック委員会のナワフ・ビン・ファイサル王子は昨年11月、ロンドンオリンピックには男性のみからなる選手団が参加すると発表した。その際王子は、女性の競技参加について可能性を否定しなかったが、その場合は外部からの招待を受けた場合に限られると述べている。

またファイサル王子は、「女性競技者は、イスラムの戒律に則った適切な服装を身に付け、男性保護者(父またはその男兄弟、夫など)が見守る環境でスポーツを行わなければならない。またその際も、イスラム法に違反しないよう、体の一部が他人にみられないよう配慮しなければならない。」と付加えた。

信仰・文化上の権利

サウジアラビアを除けば、全てのイスラム教国・アラブ諸国において、女性は政府や国が認可したスポーツ委員会の支援を得てスポーツをする機会が認められている。

しかしサウジアラビアの場合、オリンピック委員会や全国に29ある国家スポーツ連盟のいずれも、女性部門を設けておらず、スポーツを志向する女性アスリートに対していかなる競技会も開催されていない。

ウィルケ氏は、「イスラム教には女性がスポーツをしてはいけないという規定はないのです。反対する人たちの主張の根拠は、女性は家にいて外出すべきでないといった伝統的な、家父長制度的見解によるものにすぎないのです。」と指摘し、「女性がスポーツをする権利を普及させたい女性は、宗教の観点から筋の通った議論ができるのです。」と語った。

サウジアラビアの公立学校では男子生徒にしか体育の授業が行われていない。また国が認可するスポーツジムは男性専用に限定されているため、女性が利用できる施設は通常病院に併設されたヘルスクラブに限定されているのが現状である。

また国内にある153の政府認可のスポーツクラブのうち、女性のチームは皆無である。

シドニーのサウスウェールズ大学で国際関係と中東問題を講義しているアンソニー・ビリングスレー氏は、「たとえサウジアラビアが女性のスポーツ参加を禁止する法律を解除したとしても、国際競技で通用する女性アスリートを育てるには何年もの歳月を要するだろう。」と語った。

「もしあなたがサウジアラビアで競技ランナーになりたかったとしても、実際に練習できるのは病院かなにかの施設に併設された建物の屋内に限られてしまいます。」と、中東での滞在・勤務経験が長いビリングスレー氏は語った。

「女性が外に出て練習したり他者と競ったりする機会は実質的に皆無なのが現状です。そうした環境で、一人で練習するには限界があります。問題は、時間的なものよりも、むしろ国際競技に向けた実質的な練習や、スポーツ技術を学んだり、自らの技術を高められるような機会がないことなのです。」

ABCラジオのジャーナリストでメルボルンにあるRMIT大学で講師をつとめているナスヤ・バーフェン氏は、「女性のスポーツ参加を禁じたサウジアラビアの措置は、男女が一か所に交わるべきではないとするイスラム神学上の視点を厳格に適用したものです。」と語った。

「彼らの観点からすれば、女性が野外に出て走り回り、男たちの視線に晒されることは、神に対する冒涜に等しいものであり、イスラムの教えに反するということになるのです。一方、イランのような国では、女性のスポーツ競技を認めていますが、フットボール競技の観戦や参加は認めていません。スポーツの分野における男女隔離に関しては、イランの方がサウジアラビアよりはましだということです。」とバーフェン氏は語った。

スポーツの優先順位は?

スポーツへの参加に関する女性や少女に対する差別は、サウジアラビアが自国の女性に対して行っている多くの権利侵害の一つに過ぎない。同国では、女性は車の運転を認められておらず、国が定める「男性保護者制度」により、サウジ女性は年齢に関わらず、特定のヘルスケアの受診、就職・進学・結婚等、全ての行動について男性保護者の許可を得なければならない。

「サウジアラビアは、ゆっくりではあるが少しずつ近代化に向けた改革の途上にあります。そうした意味では、女性の権利に関しては、まず車を運転する権利について見直しが行われ、続いてその他の基本的な優先事項が審議されるでしょう。そしてプロスポーツへの女性の参加については、そのあとの展開になるものと思われます。」とバーフェン氏は語った。

またバーフェン氏は、「サウジ女性が男性と比較して概ね平等な扱いを享受している分野が教育です。しかしそれでも、卒業後は伝統的な職種に追いやられる傾向にあります。サウジ社会には、女性医師、看護婦、女性教師に対する差し迫ったニーズが明らかにあるにも関わらず、女性にこうした非伝統的職種を奨励する動きがほとんど皆無なのが現状です。」と語った。

ビリングスレー氏は、「サウジアラビアで女性の地位を変革されるには、世代を超えたとてつもない規模の教育的努力がなされなければならないでしょう。」と語った。

ウィルケ氏は、「最終的には女性に基本的権利とある程度の政治的権限を持たせることについて、サウジ政府が従来の方針を変更するかどうかにかかってきます。」と語った。

またウィルケ氏は、サウジ政府が7月のオリンピック開幕までに政策を変更する可能性がほとんどないことに言及して、「僅か3カ月程度の間にこうした差別の構造を廃止することができないであろうことは理解しています。」と語った。

「しかし、私たちはサウジ政府がこの問題について、早速にも誠実に取り組む姿を見たいのです。そこで私たちは、サウジ政府に対して、公立学校に女子生徒向け体育授業を導入する日時を発表するよう、さらには、国の管理下にあるスポーツクラブに女性部門を設けていく予定計画を策定するよう、提案しているのです。」

「オリンピックレベルの選手を排出するまでには時間を要するとしても、女性がスポーツを行える仕組みについては、比較的簡単な手順で下地を構築していくことが可能なのです。」とウィルケ氏は結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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核廃絶のエネルギーを削ぐ「核の恐怖」の脅威(ケビン・クレメンツ、オタゴ大学平和紛争研究センター教授)

【INPSコラム=ケビン・クレメンツ】 

バラク・オバマ大統領は、2009年、「バラク・オバマ大統領は、2009年、「核兵器のない世界」の実現に邁進するとプラハで述べた。この大胆な声明以来(それゆえに彼はノーベル平和賞をとった)、オバマ大統領は、核廃絶の問題はしばらく脇に置いて、原子力安全や核保安に集中するよう、外交顧問から説得され核兵器関連の研究所からプレッシャーを受けてきた。」の実現に邁進するとプラハで述べた。この大胆な声明以来(それゆえに彼はノーベル平和賞をとった)、オバマ大統領は、核廃絶の問題はしばらく脇に置いて、原子力安全や核保安に集中するよう、外交顧問から説得され核兵器関連の研究所からプレッシャーを受けてきた。

したがって、ワシントンで2010年に開かれた最初の核安全保障サミットでは、原子力安全と核テロの防止問題に焦点が当てられることになった。これらの目標は重要なものではあるが、「平和的な」原子炉の安全の問題や、核兵器の削減あるいは廃絶の問題に実質的に対処するものではない。

 逆に、核保安とは、国際原子力機関(IAEA)が定義したところによると、「核物質とその他の放射性物質、あるいはそれらの関連施設に関して、盗難、サボタージュ、不正アクセス、違法移転などの悪意ある行為を防止、探知し、それに反応すること」だとされている。言葉を変えれば、焦点は核物質が「悪人の手」に渡らないようにすることにある。そこで次に、ある国家が「テロとの戦い」の中でどういう風に位置づけられているかによって、定義がさらに変わってくることになる。この焦点に関して驚くべきことは、テロ集団が、「汚い(放射能を出す)爆弾」を製造したり、あるいはより高度な核兵器を入手することを志向している国家の野望に協力したりするために、高濃縮ウランを手に入れようとしているという明確な証拠がないことだ。

核安全保障サミットは、第1回、第2回(ソウル、2012年3月26~27日)ともに、核テロと核分裂性物質の管理強化の問題、すなわち、原石であれイエローケーキであれ、あるいは六フッ化物、酸化金属、セラミックのペレット、燃料集合体であれ、いかなる種類の核物質の「違法な」(どのように定義されるにせよ)奪取をどう防止、探知し、どう反応するか、という問題に焦点を当てた。

1回目のサミットは、核軍縮や核不拡散、核エネルギーの平和的利用を促進することで、「核兵器なき世界」の実現に寄与するための重要な前提として核保安の問題を位置づけることを目指した。しかし中には、核兵器を大幅に削減し、核取得の瀬戸際にいる国や事実上の核兵器国に対して創造的に対処し、核廃絶に向けた明確なガイドライン/ロードマップを打ち立てる努力から目をそらすものだという懐疑的な意見もあった。

しかし、第1回サミットでは、高濃縮ウラン(HEU)の量を最小化し削減する作業計画が策定され、核テロリズム防止条約(ICSANT)のような国際合意が批准され、核物質防護条約(CPPNM)の修正に成功した。いくらかの成果があり、ソウル・サミットでは、これらの措置の進展具合を確かめ、(福島第一原子力発電所のメルトダウンを受けて)原子力事故の危険性に焦点をあてることを目指した。

いくらか問題であるのは、核物質の盗難とテロ活動との間のつながりである。オサマ・ビン・ラディンが核兵器の取得は「宗教的な義務」であると言い、9・11委員会の報告書でアルカイダが核兵器を取得ないしは製造しようとしたと結論づけられているからといって、アルカイダ、あるいは他のテロ集団にすでにその能力があるとか、依然として関心を持ち続けているということではない。テロリストの手に渡った核兵器が大量の命を奪うために使われるとか、あるいは彼らの明白な政治的利益のために使われるとかいうのは、論理の飛躍である。こうした非常に可能性の低い問題にばかりこだわるのは、核兵器なき世界(原子力と核兵器の両方への依存を減らすこと)に向けた努力のエネルギーを削ぐものだと言えよう。

韓国政府は、ソウル・サミットが「核不拡散・核軍縮というより広い問題への突破口に向けた一つの踏み台」とされることを望んでいた。核保安と原子力安全の関連は話し合われたが、サミットのコミュニケではこの「踏み台」が提示されることはなく、北東アジアや世界のその他の地域における原子力の拡大に真に抑制をかけようとの努力も示されなかった。

実際、多くの識者は、コミュニケは内容に乏しく、各国にはそれを実現する気もないとみている。署名国は、28回にわたって何かをなすように「勧奨」されてはいるが、「義務付け」られては全くないのだ。最終コミュニケには、その中心的な内容として、参加国が核物質の保有量を削減し続けるという合意が入った。しかし、この合意ですら一般論に終始しており、核物質の全廃あるいは削減に関して特定の目標を示していない。2013年末までに、高濃縮ウランの保有を最小化するための目標を自発的に定め、発表するように各国に勧奨してはいる。米国とロシアは高濃縮ウランを低濃縮ウランに転換する作業を進めているが、12万6000発の核兵器を作ることができる500トンのプルトニウムの削減・全廃については、ほとんど前進が見られない。

このコミュニケは、何が含まれているかということよりも、何が省かれているかという点において、注目すべきものだ。たとえば、日本は、核物質を防護し保障措置をかける規制枠組みを持っていないベトナムヨルダンのような国に対して核技術輸出を急速に進めることの問題に言及することなく、核テロの危険性に焦点を当てている。

イランや北朝鮮、ウズベキスタンも同様に兵器級の核物質をかなり備蓄しているが、サミットでの討論には加わっておらず、これらの国の核物質にどう対処するかという問題への言及はない。

驚くべきことに、朝鮮半島で開かれた会議だというのに、北朝鮮の核開発をどう食い止めるかという問題にはまったく触れられていないし、パキスタンの核物質をどう保全するのかについてもまともな議論がなかった。

しかし、より重要なことは、核エネルギーの平和的利用と非平和的利用、あるいは原子力安全と核軍縮との間の明確なつながりを打ち立てる意思が見られなかった、ということであろう。平和運動の視点から言えば、今回のサミットは、「核兵器なき世界」というオバマ大統領の希望の実現に向けた勢いを生み出すことに失敗している。

2014年にオランダで予定されている第3回目のサミットでは、これらのつながりを明確にし、核廃絶という目標をすべての議論の中心に座らせることが重要だ。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

ケビン・クレメンツオタゴ大学(ニュージーランド)平和紛争研究センター教授。

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|リビア|部族対立が南東部砂漠地帯で流血の事態に発展

【クフラIPS=レベッカ・マレー】

リビア南東部のクフラ(エジプト国境近くのサハラ砂漠のオアシス都市)では、長らく緊張関係にあったズワイ族とタブ族が、今年2月の衝突以来辛うじて平静を保っていたが、3月26日以降、事態は100名以上の死者を出す衝突へと発展した。こうした部族衝突は、リビア新政府が新国家を建設していく中で直面している深刻な課題の一つである。

ムアンマール・カダフィ大佐の追放によって政治的空白が生じた中、北部沿岸から1000マイル(約1609キロ)内陸に位置し、エジプト、スーダン、チャド国境と接する主要な密輸拠点であるクフラでは、縄張りと利権を巡る争いが激化している。このことから、6月19日に予定されている総選挙の実施をはじめ、クフラを中心とするリビア東南部地域の今後の安定が懸念されている。

 クフラで衝突が再燃する数日前、ズワイ族とタブ族の成人学生が市街地に位置する職業学校の校庭の木陰に集い、悪化する治安や将来に対する不安について口々に語った。

「クフラでは縁故主義がはびこり、就職は容易ではありません。人が多すぎて、それに対して十分な働き口がないのです。」とズワイ族出身の医学生オマサヤドさん(26歳)は語った。さらに彼女は、「治安面では、カダフィ時代のほうが良かったと思います。」と付加えた。

するとクラスメートでタブ族出身のカディーシャ・ジャッキーさん(25歳)は不意に発言を遮って「確かにカダフィ時代より治安は悪化していると思います。しかしそれでも、今の方が生活は良くなっている。」と語り、「優先順位は、治安、平和、人権であるべきだと思う。」と指摘した。

タブ族出身でコンピューター専攻のカルトロン・トオウシさん(23歳)は、「部族対立は長年に亘る根深い問題です。私は学校では安全が確保されていると感じていますが、街に出るととても不安です。」と語った。

人口の大半をアラブ系のズワイ族が占めるクフラ(人口44000人)において、タブ族の人口は約4000人とみられている。半遊牧民でズワイ族よりも肌の色が黒いタブ族は、リビア西部の要衝サブハ(Sabha)をはじめ、隣国のスーダン、チャド、ニジェールとの結びつきが強い。一方、ズワイ族の人口分布は、クフラから北方に向けて石油資源が豊かな砂漠地帯を覆い地中海沿岸のアジュダービヤ(Ajdabiya)までの広大な地域に広がっている。

タブ族は、カダフィ政権の下で長年に亘って差別されてきたが、カダフィ政権がウラン鉱脈をはじめとする地下資源の支配を巡ってチャドアオゾウ地帯に侵攻した80年代の戦争(「トヨタ戦争」ともいわれ、結局敗北したリビアは国際司法裁判所の裁定に従って撤退した:IPSJ)時期に、タブ族に対する弾圧も強化された。

2010年7月に発表された国連人権理事会のレポートによると、クフラのタブ系住民はカダフィ政権によって2007年に「チャド人」と見做され、市民権を剥奪されたうえ、教育機会やヘルスサービスを受ける権利も奪われた。さらに政府当局は、タブ系住民の家屋を破壊したり、容疑者として多くの住民を逮捕した。

こうした背景から、昨年反カダフィ内戦が勃発した際、タブ族はリビア南部一帯をカバーする同族のネットワークを駆使して、カダフィ支援にサブサハラからリビアに入国しようとした傭兵の流れを阻止するなど、反体制側(国民評議会)の勝利に重要な貢献をした。

この功績に対して新暫定政権(国民評議会)は、タブ族の指導者イッサ・アブデルマジド・マンスール氏に、クフラをはじめとするリビア東南部一帯の合法・非合法の利権(越境貿易や移民、武器、麻薬の流れ)を伴う監督権を委ねた。

クフラ地区軍事評議会議長のスリマン・ハメド・ハッサン大佐は、「私たちが最も憂慮しているのは国境越えの密売組織のネットワークです。国境管理を監督しているのはアブデルマジド氏ですが、彼こそがこうした密輸ネットワークと繋がっているのです。我々は彼に密輸の取り締まりを要請しましたが、何も対策を打ちませんでした。彼は密輸から利益を得ているのです。」と語った。

国際危機グループの北アフリカディレクターのビル・ローレンス氏は、「ズワイ族も、タブ族も、それぞれ越境取引で利益を上げているのです。」と語った。

今回の衝突はタブ族のタクシー運転手が殺害され、タブ族が地元の民兵組織リビア防衛隊(Libyan Shield Brigade)の犯行であるとして糾弾したことから、両者の軍事衝突に発展した。リビア防衛隊は、反カダフィ内戦時は、フクラ地区軍事評議会と同盟関係を結び、ベンガジの国民評議会国防省(当時)の指示の下で、クフラ地区の治安を担当した民兵組織である。

「要するに、これは昔から続く両部族(ズワイ族とタブ族)間の対立図式の延長なのです。ただ、紛争の規模が今回大きくなっているのは、昨年の内戦期に大量の武器が行きわたってしまったことによるものです。」とクフラに派遣されてきた軍事顧問のアブドゥル・ラミ・カシュブール大佐は語った。

またカシュブール大佐は、「今回の紛争の原因の一つにアイデンティティの問題があります。新政府は、(カダフィ政権時代に市民権を剥奪され弾圧を受けてきた)多くのタブ族系住民が抱える、アイデンティティの問題を解決すべきです。そしてその上で、政府が国境の管理権を掌握しなければなりません。紛争が国境地帯に集中しているのは、あらゆる勢力が国境地帯の支配権を握ろうとするからなのです。」と付加えた。

ビル・ローセンス氏も大佐の意見に賛意を示し、「ズワイ族とタブ族の抗争の原因は、複合的なもので、国境地帯の密輸ルートの支配権を巡る対立、誰がリビア人なのかというアイデンティティを巡る対立、そして暴力に対する報復という側面があります。」と指摘した。

またローレンス氏は、「リビアにおける全ての対立には42年間に亘ったカダフィ独裁政権の間にも水面下で燻っていた、社会的亀裂が背景にあります。こうした亀裂は独裁政権による圧政のもとで表面化していなかっただけのことなのです。ところがカダフィ追放により重い蓋が取り除かれたことから、あらゆる旧来の亀裂が表面化してきているのです。」と語った。

クフラでは紛争が再発した結果、民主的な統治機構をゼロから再建するという本来のあるべき作業から地元住民の意識が逸らされる事態となっている。昨年の内戦で荒廃したミスラタ市(リビア第3の都市)が早々に自由選挙による市議会選挙を実施ししたのとは対照的に、クフラの市議会議長は任命された人物であり、市議会選挙についても近い将来に実施される予定はない。

IPS記者が取材した生徒たちはいずれも、6月19日に予定されている総選挙についてほとんど知らないと回答した。彼らはいずれも、総選挙への登録に関してや、諸政党、主な争点、候補者など、なにも知らされていないと語った。

建築専攻の大学生ファテ・ハメド・マブルークさん(25歳)は、「総選挙があるということは知っていますが、中身については誰も教えてくれないのでよくわかりません。ここクフラの市議会は何も教えてくれないのです…他都市の同胞たちのように、ここクフラでも自由選挙で代表を選出したいと考えています。」と語った。

クフラ選挙委員会のアル・サヌッシ・サレム・アル・ゴミ氏は、「中央政府は、まだ選挙人登録に関する詳しい情報を伝えてきていません。」と語った。またアル・ゴミ氏は、「現在再燃している武力紛争の影響で総選挙に関する広報がうまく出来ていません。このような情勢から、クフラの市議会選挙は総選挙後が行われ新政権が誕生するまで延期することに「なったのです。」また、「タブ族系住民の中には、もっと多くの家族がリビア市民権を取得するまで、選挙手続きが進まないよう妨害すると脅迫するものもいます。しかしそういう彼らは、必要な証明書を持っていないのです。」と語った。

この問題についてヒューマンライツ・ウォッチのフレッド・アブラハム顧問は、「市民権取得問題と身元証明書の問題は極めて複雑で途方もない作業になるでしょう。リビア南部では、身分証明書はないけれどもリビア市民権を取得するに十分値する人々がいる一方で、書類はあるけども市民権を得るに値しない人々もいるのです。」と語った。

またアブラハム顧問は、「タブ族系住民の間では選挙権を奪われるのではないかという懸念が広がっていることから、来る選挙で、このことは深刻な問題となるでしょう。」と語った。

一方、アブラハム顧問は、タブ系住民が同族の居住地域をベースにした独自の国家建設を志向しているのではないかとする説を否定して、「今の時点では、そうした動きはただの見せかけだと思います。タブ族系住民自体、内部で様々な対立を抱えている現状を考えれば、独立説はあまり説得力のあるオプションではないと思います。」と指摘したうえで、「むしろ深刻なのは、そうした風評が広がるほど、タブ族系住民の間に緊張感が広がっていることです。最近、部族間の不信感と疑念が極度に高まってきており、ついに流血を見るところまで発展しているのですから。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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【ガボロネ(ボツワナ)IPS=ウィリアム・G・モスリー】

W.G.Moseley
W.G.Moseley

4月6日、トゥアレグ人の反乱勢力が西アフリカの都市ティンブクトゥでマリ共和国からの独立を一方的に宣言し、「アザワド」(Azawad)という新国家を樹立したと発表した。しかし、近隣のアフリカ諸国や国際社会は、この宣言を無視するか、あるいは非難をあびせた。

しかし、植民地期にまでさかのぼるアフリカの多くの国境線が恣意的に引かれていること、もし反乱勢力の主張がたんに無視されたならば、飢餓の蔓延するこの地域において紛争がいつまでも続くであろうことを考え合わせると、国際社会は、アフリカの新国家になるかもしれないアザワドとどのように付き合っていくかをきちんと考えていくべきなのではないだろうか。

言うまでもなく、現在のアフリカの国境線の歴史は問題の多いものであった。欧州の植民地宗主勢力は、アフリカ人の全く出席していないベルリン会議(1884~85)で、アフリカを分割し勝手気ままに境界線を引くことを決めた。

 独立の後も概してそのまま存在し続けたこの国境線は、しばしば部族を分断し、あるいは仲の悪い民族集団をひとつの国に投げ込み、大きすぎたり、小さすぎたり、内陸地に押し込められたりして経済的に生きていくのが困難な国々を作り出した。アフリカ諸国の境界線が引かれたそもそもの問題を考えるならば、現在において、国境線を引きなおす闘争が起きているのも無理のないことである。

国境を勝ち取る決意を固めたトゥアレグ人

表面上は、「アフリカの国境問題」の解決は簡単に見える。機会が訪れたら、民族的により同質的な国家を作るようにすればよいのだ。

しかし問題は、アフリカの多くでは、民族がひとところに固まって住んでいないという点にある。むしろ、アフリカの風景とは、それぞれ別の、しかし同時に共存可能な生存戦略を、さまざまな集団が追求するみごとな豊かさにあるのである。例を挙げれば、農業や遊牧、漁業などだ。

したがって、民族の線に沿って国家を作ろうとすると、たいていは、多数派の民族が他者を圧倒することになる。しかもこれらの国家は、規模が小さく、経済的な多様性にも欠けるため、経済的な能力が低い傾向にある。

アザワド国創立は特段新しいアイデアではないが、国家承認を求める民族領域国家の最新の例ということになる。トゥアレグ人は浅黒の遊牧民であり、歴史的には動物の飼育に依存している。しかし、飼育地域は、アフリカ西部の乾燥地帯であるマリ共和国、ニジェール、ブルキナファソ、アルジェリア、リビアに拡散している。

トゥアレグ人は、より定住的な形態の農業を志向する地域の政府によって周縁化されてきたため、独立国家になることを望んできた。唯一の例外はリビアで、前独裁者のムアンマール・カダフィ大佐は、移民のトゥアレグ人を自身の親衛隊として積極的に登用し訓練を重ねてきた。

問題ある国家誕生

では、樹立を宣言したこのアフリカの新国家はどこへ行くのだろうか?4つの相互に関係ある現象が同時にこのトゥアレグ新国家の誕生を促し、同時にその長期的な見通しを暗くしていると私は考えている。

第一の問題は、マリ共和国トゥアレグ人との関係があまりよくないということだ。マリ共和国では南部の農耕民族が北部のこの遊牧集団を周縁化するという統治の歴史を持ってきた。とくに1960年代初めと90年代初めに大きな蜂起が起こり、その後90年代末に交渉を通じてかなりの和解がみられた。

結果として、マリ共和国政府は北部地域への多額の支援を約束し、キダルという名の新しい州が創設されてトゥアレグ人に大きな代表権が与えられ、トゥアレグ出身の大臣も数名任命された。すべてが完璧ではなかったが、状況は比較的落ちついていた。しかし、カダフィ大佐死亡後、2011年末に重武装のトゥアレグ兵士たちがリビアからマリ共和国に帰還すると状況は一変した。

第二の問題は、アザワド国が、親国家であるマリ共和国がほぼ内破するなかで、住民投票ではなく武力によって誕生したということだ。アザワド解放民族運動(MNLA)として知られるマリ共和国の世俗的なトゥアレグ抵抗集団が、カダフィ大佐の元親衛隊たちによってより強化されることになった。

こうしてMNLAは、マリ共和国北部にある国軍の施設襲撃に成功するようになった。こうした軍事的敗北により、3月22日、選挙をあとわずか数ヶ月に控えて、若くまとまりに欠ける軍事政権によって、民主的に選出された政府(アマドゥ・トゥマニ・トゥーレ政権)が権力の座から追われることになった。

MNLAは、南部に生じた権力の空白に乗じて、北部のいくつかの主要都市を奪取することに成功し、4月6日の独立宣言を行った。世俗的なMNLAは、マグレブのアルカイダ組織(AQIM)やアンサール・ダイン(Ansar Dine)といった保守的なイスラム系集団との連携の可能性が取りざたされているが、これら組織とは大義名分を異にしていると自らは主張している。

西アフリカ諸国経済共同体(ECOWAS)として知られる地域経済ブロックによる経済制裁の成功により、暫定的にマリ共和国南部で権力を掌握していた軍事政権は今や権力の座から滑り落ち、統治は文民の手に再び戻った。

国際的に承認された政府が南部の統治に復帰し、近隣諸国がアザワドの独立を恐れている。したがって、ひとつのありうるシナリオは、マリ共和国国軍が、ECOWAS諸国軍隊からの支援を得て、北部領域の奪取に向かうというものであろう。

ティンブクトゥの兵士らがイスラム国家樹立を宣言

第三の問題は、新生アザワド国内の民衆の多数が新国家樹立を支持しているのかどうかはっきりしていないという点である。マリ共和国の北部地域には、ソンゲイ(Songhay)やフラニ(Fulani)など非トゥアレグ系民族も多く、彼らは特定の民族集団と結びついた新国家に加わることに何の関心もないだろう。

さらに、アザワドの領域については、トゥアレグが明らかな少数派である地域が含まれるなど、依然として論争が続いている。最後に、新国家アザワドの領域内に住んでいるトゥアレグ人の一部の間に、より原理主義的なイスラムに対する恐怖があるかもしれない。あるいは、食料をふんだんに生産し、金や綿を輸出するより裕福な南部地域に接続していない砂漠国家の経済的な将来は暗いと認識しているかもしれない。

第四の問題は、紛争の対象となっている地域は、干ばつの連続と引き続く不安定な情勢のために、飢餓の危機にあるということである。人々は、通常通りの生存戦略を採れなくなっており、こうした状況の中で軍事的に打開しようとしても、人道的な危機をより悪化させるだけであり、根底にある緊張を解きほぐすことにはならない。

武力よりも対話を

よりよいアプローチは、マリ共和国政府と国際社会がMNLAとの対話に進むことである。南部の人々はトゥアレグ人たちの周縁化の歴史を理解する必要があるだろう。

さらにマリ共和国政府は、なんとしても北部を引きとめ続けることが、どの程度重要なことなのか、改めて熟考しなければならない。この事態の真相は、国の南部の人々の多くが、辺鄙で人口の少ない地域を維持するために全面戦争に進むことに価値を見出していないかもしれない、ということなのだ。

アザワドの連合に関して言うと、MNLAは、国の分離は武力によってではなく住民投票によって決められるべきであること(そして彼らはその投票に負ける可能性もあること)を理解しなくてはならない。アザワドが独立国家になるにせよ、今よりは大きな自治権をもつ地域となるにせよ、国際社会がいかなる新生国家を承認することも無下に拒絶するのではなく、MNLAとの対話を始めた方が、これら全ての問題がよく議論される可能性がある。

武力に訴えることは、新国家創設を民主的な手続きで行うことをMNLAが拒否した段階で初めて考えられるべきことである。(原文へ

翻訳=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

※ウィリアム・G・モスリーは、マカレスター大学(ミネソタ州セントポール)教授(地理・アフリカ研究)。現在は、ガボロネにあるボツワナ大学の客員教員も務める。1987年以来、断続的にマリ共和国において研究を進めている。

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