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|視点|少女らにとって教育は進歩への扉を開ける鍵(ネンナ・アグバ:ファッションモデル)

【国連IPS=ネンナ・アグバ】

私は、女性は男児を産んで初めて自身と家族が社会から認められるという、本質的に男性優位のナイジェリア文化の中で育ちました。11歳の時、一番下の妹となる5番目の子どもを出産する母に付き添いましたが、奇しくも藪医者の不手際で母が命を落とす瞬間を目の当たりにすることになりました。

母はナイジェリアのこうした社会規範の犠牲者です。当時母には既に4人の健康な娘たちがいたにもかかわらず、伝統的な規範に従おうとして、自分の命を犠牲にしてでも男の子を生む決心をしたのです。母をあのような苦境に追い込んだ根本的な要因に気付いた時、私は少女である自分の立場がナイジェリア社会でどのような位置を占めているのかをはっきり理解しました。

また母の死は、教育の重要性が私や4人の妹たちの人生にとって、それまでとは異なる意味合いを持つことを悟った瞬間でもありました。私はその後高等教育を受け、大学では化学を、そして大学院では都市学を専攻しました。

そして今、これまで習得した教育のお陰で、私はナイジェリアにいる妹たちの就学を支援できています。妹たちも私と同じように、教育機会を得ることができれば、社会が規定した伝統的な制限に縛られない進歩的な未来を手にする可能性が開けてくると信じています。

妹や私のようなナイジェリア人の少女にとって、教育とは、慣習的な期待を超えて成功する機会に遭遇した時に、そのようなチャンスの扉を開く「鍵」となるものなのです。

教育は私たち女性も(男性同様に)生まれながらに持つべき基本的な権利だと確信しています。またほとんどのナイジェリア人少女らにとって、教育こそが、女性を経済的、政治的、社会的に男性より劣った存在とみなし続ける、文化的、伝統的な階層化のシステムから抜け出す唯一の手段なのです。

そのような服従から逃れることができた女性は、大抵教育によって社会的な力を身につけ、それを成し遂げてきました。優れた教育は、ナイジェリア人の少女らに社会の貴重な一員となる機会を提供してくれます。このことから、私は、妹たちが勉強を続けられるように、全力で支えていかなければならないと決意しています。

ナイジェリアや世界の少女たちにとって、教育は経済的な自立を可能にし、政治参加への道を切り開き、女性に対する様々な形態の暴力を永続化する抑圧的な規範に積極的かつ効果的に反対するために必要な知識を授けて、男女をエンパワーすることができるものなのです。

ナイジェリアに根強く残っている女性軽視の文化とは対照的に、教育は異なるもう一つの文化的な選択肢に触れさせる役割を果たします。ナイジェリアでも一部の少女らはこうした教育の恩恵を受けれるようになったため、ボコ・ハラムのような過激派グループは、彼女達が新しい価値観に啓発されるのではないかと危機感を募らせているのです。

私は一方で、奇跡でも起きてこの(女性蔑視の文化の)問題が一刻も早く解決できないものかと熱望しますが、現実には魔法で事態が急変したり一夜で問題が解決するものではなく、むしろ問題解決には総力を挙げて地道に絶え間なく努力を重ねていくことが必要だということを理解しています。母の死は女性軽視を助長する邪悪で不当な社会規範の産物に他なりません。社会の慣習は過去の世代が作り出したものですから、それと同じように、未来の市民が教育を通じて新たな規範を育むことによって自らを規定することとなる文化を再定義することができるはずです。

私は楽観主義者で、世界を変えたり、世界中の女性とりわけナイジェリアのような国の女性の地位を向上させることが可能だと信じています。そう考えるのは、私が世間知らずで考えが甘いとか、これまでに変革をもたらそうとした努力の欠点に気づいていないというわけではありません。

私の楽観主義は、かつて絶望的な状況にいた自分が、世界中の指導者や市民に、なんとしても女性に加えられている不正義を終わらせる緊急の必要性に気づいてほしいと願った経験に根ざしているのです。女性軽視がもたらす社会の歪みを目の当たりにし、変化の必要性を痛感していた私の中では、「必要性」と「可能性」という言葉はいつの間にか同義語になりました。

今年4月にナイジェリア北部の学校で発生した、女子学生らがボコ・ハラムに拉致された事件には胸が押しつぶされそうな衝撃を受け、少女らの開放を求める「Bring Back Our Girls(私たちの少女を返して)」キャンペーには心から賛同しています。しかしそれと同時に、この事件に対する関心の高まりが、ナイジェリア社会をして、女性や少女の苦痛を無視し続けるのを止めさせる契機とならないかと、期待してしまうのです。残念ながら、ある国の国民が熱心に変革を希求し、政府に行動するよう要求するほどの強い意思が形成されるには、痛ましい事件や事故の存在が必要な場合が少なくないのが現実です。

ボコ・ハラムは、進歩に反対する勢力とみられていますが、ナイジェリア社会が抱えるより深刻な障害は、教育を受けたいと純粋に願う少女たちを保護する行動をとることに、社会の幅広い層が依然として躊躇している現実に見出すことができます。

妹たちや私のようなナイジェリアの少女は、社会の価値ある一員になりたいという希望が叶ってほしいと願っていますし、私たちにはその価値があると考えています。そして教育はこの夢を実現するための手段なのです。(原文へ

*ナイジェリアで育ったンネナ・アグバは、米国の人気テレビ番組「アメリカン・ネクスト・トップモデル」に出演して人気を博した。彼女は苦労して得た奨学金でテキサスA&M大学から化学の学士号を、さらに大学院で都市学の修士号を取得している。ンネナはナイジェリアにいる4人の妹達の就学を支援しているほか、ナイジェリアの学校に通う少女たちに奨学金を提供しているキーチーズ・プロジェクトというNGOのイメージキャラクターを務めている。

翻訳=IPS Japan

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|ガザ地区|「疫病の蔓延が懸念される」とUAE紙

【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)の8月8日付英字日刊紙は、イスラエル軍による大規模な破壊が進行する中、そうでなくても絶望的な貧困状況に追い詰められていたガザ地区のパレスチナ人が疫病の犠牲になる危険性が大いに高まっているとして、国際社会に対してガザ地区への支援の手を差し伸べるよう強く訴えた。また同紙は、疫病発生の危機が高まっていることから、ガザ地区の復興プロセスはより一層困難になるだろうと報じた。

「現在は真夏にあたり、ガザ地区全人口の4分の1が国内難民となる状況に置かれているなかで、イスラエル軍による組織的なインフラ破壊により、元々脆弱な状態にあった電力、上下水道網が寸断されてしまっている。この状況が続けば、疫病が発生するのは時間の問題だ。」とナショナル紙が論説の中で報じた。

また同紙は、「今回の紛争については依然として政治解決の糸口が見つかっておらず、ベンヤミン・ネタニヤフ首相がハマスからのロケット攻撃があればいつでもガザ地区への攻撃を再開すると警告しているなか、国連開発計画(UNDP)ガザ事務所が、各国が次回のイスラエル軍による攻撃で破壊されるリスクが高いとしてインフラ再建への支援を躊躇している現状を明らかにした。」と報じた。

また同紙は、2008年~2009年にかけて勃発した前回のイスラエル軍によるガザ侵攻作戦(「鋳造された鉛」)の際に破壊された施設の中にも未だに修復されていないものがあると報じた。

「イスラエル政府は、ガザ地区の学校や病院を再建するための資材として搬入を許可した建設資材がハマスの地下トンネルに流用されていると主張している。これに対して国連は、ガザ地区への搬入物資は厳しく監視されているとしてイスラエルの主張を強く否定するとともに、ハマスのトンネル資材はエジプト国境から密輸されたものだろうとの見方を示している。それにも関わらず、イスラエル当局がガザ地区への物資搬入規制を緩和する可能性は低い。

また同紙は、人道問題担当国連事務次長補のキュンワ・カン(康京和)氏による以下の警告を引用した。「ガザ地区では、電力不足が病院の機能に深刻な影響を及ぼすとともに、食料生産能力を低下させ、さらには上下水道の流れを停滞させる悪循環を引き起こしています。事実、下水が農作地に溢れだす事態が発生しており、このままでは飲料水を汚染し、疫病が発生する可能性も高まっています。」

「今回のガザ地区の人道的な危機に際して、UAEは最も早期に支援の手を差し伸べた国々の一つであるが、こうした人道支援は湾岸諸国のみならず国際社会全体がもっと積極的に担うべき責任である。米国はイスラエルによる空爆・砲撃を抑え込む努力を殆ど行わなかった。しかし、既に悲惨な状況に置かれている一般のガザ地区住民を人道危機に陥らせる事態を防ぐために、米国はガザ地区への必要物資の搬入をイスラエル軍に緩和させるうえでより一層の努力を傾注できるはずである。」とナショナル紙は結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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宗教間の調和が発展をもたらす

【ローマIDN=バレンティーナ・ガスバッリ】

信仰と宗教が国内と国家間において平和的かつ調和的な関係をもたらすうえで重要な役割を果たすとの認識が世界的に高まりつつある。

半世紀以上にわたって、国連や欧州連合、そして多くの国際・地域機構が信教の自由の原則を確認してきた。またジャーナリストや人権擁護団体が、多くの国における少数派宗教への迫害や宗派間暴力の勃発、宗教を信奉する個人・集団に対する差別行為について報じてきた。

しかし、今までのところ、信仰と宗教が国際社会や各国の社会福祉や政策に与えるプラスの影響について評価した定量的な研究は数えるほどしかない。

ピュー・リサーチ・センターの「宗教と国民生活に関するピュー・フォーラム」が1月に発表した調査報告書では、世界の人口の約76%にあたる53億人が、信仰や信条の自由に対する「高度な」、あるいは「極めて高度な」規制の下で暮らしていることが明らかにされている。そしてそうした規制の一部は、政府の行動や政策、法律によるものである。

例えば、政府による特定宗教の禁止や、改宗の禁止、布教の制限、特定の宗教集団に対する好意的取扱いが挙げられる。178カ国(世界の90%)において、宗教集団がさまざまな理由のために政府への登録を義務付けられている。そして117か国(59%)において、こうした登録制度が、特定の信仰に対する大きな問題や直接的な差別を招く原因となっている。

Neonazi Skinheads/ Wikimedia Commons
Neonazi Skinheads/ Wikimedia Commons

その他の規制としては、個人や民間団体、社会集団からの敵対的な行為によって生じるもの、つまり、暴動や宗派間暴力、宗教的な理由で身に着けている服装を巡る嫌がらせ、その他の宗教に関連した脅迫などがある。

ひとつの例は、多数派の宗教に対して攻撃的あるいは脅威とみなされるような少数派宗教の行為に対して、個人や民間団体が排撃する場合だ。少数派宗教を狙った襲撃事件は2012年には世界の47%の国で報告されているが、これは2011年の38%、同報告書の基準年の24%よりも上昇している。

例えばリビアでは2012年12月、ミスラタ市コプト正教会に対する暴力行為で2人の信者が殺害されている。米国務省によれば、この事件は、2011年の革命以後、特定の教会を狙い撃ちにした初めての襲撃事件であった。

エジプトでは、コプト派キリスト教集団への襲撃が年間を通じて拡大した。中国では、仏教の僧や尼僧、一般信徒が、焼身自殺を図ることで、チベットに対する政府の政策に異議申し立てをしている。またナイジェリアでは、イスラム過激派武装集団「ボコ・ハラム」による襲撃など、イスラム教徒とキリスト教徒間の暴力が増えている。ビルマ(ミャンマー)のアラカン州では、イスラム教徒のロヒンギャと仏教徒との間の暴力によって数百人が死亡し、10万人以上が住まいを追われている。

報告書によれば、宗教に対する規制が絡んだ、「高度な」あるいは「極めて高度な」社会対立を経験した国の割合は、2012年に6年ぶりのピークを迎えている。

最も高いレベルの規制は、サウジアラビアやパキスタン、イランといった国でみられる。これらの国では、政府や社会全体が、宗教的な信条や活動に対してさまざまな制限を加えている。しかし、政府の政策と社会内の敵対が常に相前後して進むわけではない。例えばベトナムや中国では、政府による宗教の規制は厳しいが、社会内部の敵対という点では中程度あるいは低程度なのである。ナイジェリアとバングラデシュはこの逆のパターンで、社会的敵対の程度は高いが、政府による規制は中程度である。

すべての宗教の中では、中東・北アフリカにおいて、政府・社会による最も程度の高い宗教への規制がみられた。他方、アメリカ大陸では両方の点で最も規制的な動きが少ない。世界の国のうち人口の多い上位25か国では、イランやエジプト、インドネシア、パキスタン、インドが、政府や社会による規制を考慮に入れると、最も規制が厳しい。他方、ブラジルや日本、米国、イタリア、南アフリカ、英国は最も規制が少ない。

Government Restrictions around the World /Pew Research Center
Government Restrictions around the World /Pew Research Center

信教の自由と経済活動

「宗教的市場理論」が示すように、宗教を基盤にしたアプローチは経済成長をより加速することになるだろうか。「信仰の自由&ビジネス財団」のブライアン・グリム会長は、いくつかの理由を挙げて、信仰の自由がなぜ経済活動にとって望ましいかを説明している。

第一に、信仰の自由は、報告書によれば世界の84%の人々が支持しているものを保護することによって互いに尊重し合う価値観を涵養することになる。信仰の自由によって、宗教を信じていようとなかろうと、人々には、社会の中で声を上げる平等の権利と機会が与えられることになる。

第二に、信仰の自由は、持続可能な経済発展に対する主要な阻害要素である腐敗を抑制する効果がある。例えば、宗教に負荷を加える法律や慣行は、高いレベルの腐敗と関係していることが研究によって明らかにされている。これは、ピュー・リサーチ・センターの分析と、トランスペアレンシー・インターナショナルによる「2011年腐敗認知指標」を単純に比較することによって裏付けることができる。最も腐敗した10か国のうち8か国において、信教の自由に対する政府の規制は、「厳しい」か、「きわめて厳しい」ものであった。

第三に、信仰の自由は、宗教関連の暴力と紛争を抑えることで平和を生むことが実証されている。逆に、宗教的敵対と制限は、現地および外国投資を逃避させ、持続可能な開発を阻害し、経済の大規模な部門を混乱に陥れるような環境を作ってしまう。一連の宗教規制と紛争の影響で国の主要産業である観光業が深刻な打撃を受けているエジプトがこのようなケースに当てはまる。

第四に、信仰の自由は、積極的な社会経済的発展に貢献する広範な自由を促す効果がある。例えば、経済学者でノーベル賞受賞者のアマルティア・セン氏は、社会の発展には「不自由」の源を取り除く必要があると論じている。信仰の自由への阻害要因を取り除くことは、他の種類の自由も促進することとなるのである。

第五に、信仰の自由は経済を発展させる。宗教集団が自由で競争的な環境で活動するときには、宗教が各国の人間開発や社会的発展において目に見える役割を果たすことができる。

第六に、信仰の自由は、経済活動を直接的に制限ないし阻害するようなある種の制限を伴う過剰な宗教規制を克服する。宗教への規制度が「特に高い」一部のイスラム教が主流の国々の例は、信仰の自由が存在しないことがいかに経済業績に悪影響を及ぼすかを示している。

経済的自由に影響を及ぼしている直接的な宗教的規制の一つにイスラム金融がある。例えば、イスラム金融商品の発明や購入、売却にかかわるビジネスは、あるイスラム法(シャリーア)学者委員会が特定の商品を容認する一方で別のものは認めないという状況に直面することがある。つまり特定の金融商品が株式市場で容認されるかどうかは、シャリーアの解釈いかんにかかっているのである。

そして第7に、信仰の自由は信頼を増幅する効果がある。会社の中で信仰の自由が尊重されれば、会社の最終収益にも直接的にプラスの効果を及ぼすこととなる。例えば、コストが下がり、士気は上がるのである。コスト低下の例としては、会社が訴訟で責任を取らされるリスクが低くなるということが挙げられる。さらに、ビジネスパートナーや投資家、消費者といったビジネスの重要な利害関係者や、近年ますます増えている倫理面に敏感な消費者は、人権問題に取り組む会社を好んで選択する傾向にある。実際、人権に敏感な会社を消費者や政府が優先することで、そうした企業は競争市場で優位に立ち、価格を上乗せしたり選択的契約を取ったりできるようになる。

Pew Research Center
Pew Research Center

ピュー・リサーチ・センターの分析は、宗教的市場理論をそれとなく適用したものであり、実体経済の文脈における主要な意味合いを浮き彫りにしている。実際、宗教的市場があらゆる経済に存在する中で、それが政府の他の公的部門からの規制に晒されるようになると、社会対立も増加する傾向にある。信仰の自由の程度は、過去5年間の国内総生産(GDP)平均成長率や価格・金融政策の安定性と並ぶ三大要素として、国の経済的成功を測定する決定要因となっている。

上記の調査は、世界経済フォーラムの第10の指標、つまり国の競争力(とりわけ教育制度、インフラ、通信、労働市場の効率性を通じたもの)を適用することで、宗教・信仰の自由が保障され、宗教に伴う社会的敵対が抑えられている時に、これらの指標がよりよいパフォーマンスをもたらすことを明らかにしている。

中国とブラジル

興味深い比較が、中国やブラジルといった国々における宗教とビジネスの関係を解き明かしてくれるかもしれない。これらの国々は、ブラジル、ロシア、インド、中国、南アフリカ共和国から成るBRICSとして一般には知られているが、経済開発、社会開発、文化開発に対してのアプローチはさまざまである。

過去50年以上にわたって、中国政府は信仰の自由や思想の自由に対して最も厳しい規制を敷いてきた。1960年代の文化大革命のときにはすべての宗教が抑圧され、宗教を信じているとみなされた人間は殴打されたりその他の嫌がらせを受けたりした。ピュー・リサーチ・センターの研究では、今日、中国国民の半分以上が何らかの宗教を信仰しているが、公式・非公式の数多くの規制が依然として課されている。しかし、中国には世界で最大の仏教信者がおり、キリスト教徒人口では世界第7位、ムスリム人口では世界第17位である。

他方、ブラジルはビジネスに対する熱意が非常に強い新興経済国である。ピュー・リサーチ・センターの調査によって、宗教への規制や社会的敵対を弱めようとする努力をしている世界の76%の国々の中に、ブラジルも入っている。例えば、2012年1月15日、ジルマ・ルセフ大統領が、ホロコーストや反ユダヤ主義、その他のユダヤ関連の項目、さらには人種差別主義や外国人排斥、不寛容の問題を一部の学校や大学、教育機関のカリキュラムに盛り込むことを含めた合意を承認した。

信仰の自由に対するそうした支持表明のもうひとつの例は、ブラジル経済の中枢で西半球最大の人口2000万人を擁するサンパウロ市当局が今春、5月25日を「信教の自由の日」と定めると発表したことである。この発表は、カトリック大司教区や主要政治家、著名人など約3万人が参加した宗教横断的な「信教の自由フェスティバル」にあわせて行われた。(原文へ

INPS Japan

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【シャリジャWAM】

「世界中の多数のイスラム教徒がイド・アル=フィトルを祝っている。文字通り、ラマダン月における断食(フィトル)の終わりを祝宴(イド)で祝うこの3日間は、イスラム教徒にとって家族知人が集い、プレゼントを交換し合い、アラーの神に感謝を捧げる重要な祝祭日である。」とアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙が報じた。

一方、ガルフ・ニュースは、「しかし今年の場合、全体的な雰囲気は、シリア内戦の被害者の苦境やイスラエル軍による無慈悲なガザ爆撃の様子、イラクにおける過激派民兵の前進を国際社会がなす術もなく見守る状況の中で、必然的に抑制気味なものとなっている。」と報じた。

Remembering victims of Malaysia Airlines MH17 attack/ WBCO
Remembering victims of Malaysia Airlines MH17 attack/ WBCO

「とりわけイスラム教徒が人口の大半を占めるマレーシアでは、7月17日にウクライナ東部で起こったマレーシア航空17便の撃墜事件を受けて、政府当局が通常一般市民に振舞うイドの祝宴をキャンセルするなど自粛ムードが広がっている。同国は、この航空惨事の前にも、同じくマレーシア航空370便が3月に消息を絶った未解決事件を抱えている。」とシャリジャに拠点を置くガルフ・ニュース紙は7月29日付の論説の中で報じた。

「パレスチナ人は引き続き惨禍に見舞われている。ガザ地区のパレスチナ人は、既に3週間に及ぶイスラエル軍による無慈悲な爆撃に晒されるなかで、イド・アル=フィトルを涙と悲しみの中で迎えることとなった。イスラエル軍の侵攻により、167000人以上のパレスチナ人が国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWA)が運営している青と白に塗られた学校に避難することを余儀なくされている。」と同紙は報じた。

現在ガザ地区には約45000人の妊産婦が保健医療を必要としている実情を考えると、病院や保健施設が破壊されている状況は特に憂慮すべきである。

「ストレスや不安感から、こうした妊産婦の多くが産科合併症に直面する可能性が高い。しかし紛争によって、母子保健サービスへのアクセス確保は、はますます困難になっている。」

「女性、老人、子どもを無差別に攻撃しているイスラエル軍は、引き続き人道に対する罪を犯していると言わざるを得ない。」とガルフ・ニュース紙は報じた。

「また、今日世界で最も人口に占める難民の割合が高い国となっているレバノンは、国内で緊張が高まっており、今後危機はさらに深まるとみられている。同国内のシリア難民の数は、今年末までには全人口の3分の一に当たる150万人に達する見込みである。

「一月に亘って断食をしたイスラム教徒は聖なるラマダン月の期間中にアラーの神から授かった栄光に感謝を捧げています。」

「華やかなイド・アル=フィトルの祝祭日が喜びと希望をもたらす一方で、イスラム世界が直面している多くの苦難に絶望感が広がっている。今日イスラム諸国において、毎日数百人もの人々が根拠のない理由で殺害されている。今こそ、イスラム世界はもとより全ての人類の平和と安定、進歩と幸福のために希望を持って祈り尽力すべきときにきている。」とガルフ・ニュース紙は結論付けた。

翻訳=IPS Japan

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【カンパラIPS=エイミー・ファロン】

オルガ・ムギサさん(11歳)は、緑葉植物の鉢が並べられ、背景にウガンダ国旗が誇らしげに掲げられた壇上の中央でマイクの前に立ち、会場に居並んだ同年代の子どもたちに向かって「木を1本切ったら、2本植えましょう。」と語りかけた。

「ここにお集まりの皆さん、学校や自宅をはじめ、あらゆる所で木を植えていってください。」ムギサさんは、ウガンダの首都カンパラにあるGEMSケンブリッジ・インターナショナル・スクールで開催された第1回「国際子ども気候変動会議」の参加者を前に、自信に満ちた大きな声で語った。

International Children’s Climate Change Conference/The Little Green Hands
International Children’s Climate Change Conference/The Little Green Hands

「これらの木を植えれば、それだけ皆さんが吸い込む空気が得られます。皆さんは、二酸化炭素を吐き出しながら、酸素を吸いこんでいるのです。」と、カンパラ市内のナムウォンゴ地区(Namuwongo)にあるミレンベ・インターナショナル・スクールに通う小学5年生のムギサさんは語った。

第1回「国際子ども気候変動会議」を主催したのは地元NGOの「リトル・グリーン・ハンズ」で、ウガンダの環境管理局(NEMA)も後援している。会議にはウガンダ国内の4県、23の学校から、5歳から12歳までの約280人の「子ども代表」が参加した。また海外からも、スペイン、フランス、米国など35カ国から子供代表が参加した。

児童らは、寸劇や歌、詩の朗読、問題の投げかけから、パワーポイントを使っての発表など、各々のやり方で、気候変動の原因と影響、そして解決策について議論した。

弁護士出身の社会企業家、環境保護論者で「リトル・グリーン・ハンズ」を設立したジョセフ・マセンべ氏は、「とりわけ気候問題に関しては、希望をもたらしてくれるのは子どもたちです。」と語った。マセンべ氏は、ウガンダで若者を巻き込んだ「新たな形態の環境政策」を実践している。

Joseph Masembe
Joseph Masembe

2013年2月に発表された「ウガンダ人口白書」によると、ウガンダは30歳未満の人口が全体の78%以上を占める、世界で最も若い世代が多い国である。

「かつてある賢者が、子どもの心は濡れたセメントのようだと教えてくれたことがあります。つまり、そこに何かを書けば、永久に残るということです。従って、幼い年齢の段階から、子どもたちを環境保全活動に関わらせることで、将来は確保され保証されるのです。」とマセンベ氏は語った。

「子どもたちは未来の世代を担っていく人達ですが、大人たちが罰を受けることなく木を伐採しきたせいで、今や人類は気候変動の泥沼に直面しています。大人たちは、植樹の必要性など十分考えもせず、ただ木を切ってきたのです。」

「しかし私たちが、子どもたちを幼少期の段階から巻き込んで木を植えさせれば、大人になるころには、そうした木に対して情緒的な価値観を持つようになり、決して木々を安易に伐採するようなことはしないでしょう。」とマセンべ氏は解説した。

マセンベ氏は、2012年以来、子どもたちに園芸の才を身に着けてもらうことに焦点をあてた「リトル・ハンズ・ゴー・グリーン・フェスティバル」という毎年恒例の行事を開催している。同年12月に第一回フェスティバルがカンパラのコロロ滑走路で開かれた際には、1万6000人以上もの子どもたちが集まり、会場で果樹の苗木をもらい、それぞれが家庭で植樹した。「アフリカ大陸で唯一となったこのグリーン・フェスティバルは、多くの子どもたちが集まっていると聞きつけたヨウェリ・ムセベニ大統領が「飛び入り参加」したほど盛況でした。今回初めて開催した『国際子ども気候変動会議』は、このフェスティバルから派生したものなのです。」と、マセンべ氏は語った。

Little Hands Go Green Festival
Little Hands Go Green Festival

2013年版「ウガンダ人口白書」で強調されているように、ウガンダは気候変動に関して、最も準備不足で脆弱な国の一つとされている。また同報告書は、「世界の気候変動モデルによるとウガンダは向こう20年間で平均気温が最高1.5度上昇すると予測されている。…暑い日が増加する一方で寒い日が減少している。また、ルウェンゾリ山の氷河が溶け続けているほか、国内のほぼ全地域において、局地的で長引く旱魃が頻繁に発生している。」と記している。

「雨がかつてほど降らず、季節のパターンが変化し、平均気温が以前よりもかなり高くなっています。また、乾季が長くなり、農業に従事している人々は、作物が深刻な被害を被っていると訴えています。また(東ウガンダにある)ブドゥダ県では、ほぼ2年おきに土砂崩れが発生しています。」とマセンべ氏はIPSの取材に対して語った。

オルガさんは、年齢の割には、気候変動が、彼女が言うところの「アフリカの真珠(ウガンダの別名)」に及ぼしている影響についてよく知っている。「気候変動により、私の国はもはや『アフリカの真珠』ではなくなりつつあります。ビクトリア湖アルバート湖は干上がってしまうでしょう。…気候(変動)は、一つの国を滅ぼしかねないものなのです。」「オゾン層は、太陽光に含まれる有害な紫外線の大部分から地球上の生物を守っていますが、これが破壊されると私たちは有害紫外線に晒され、植物は枯れ果て、旱魃が引き起こされます。」とオルガさんは語った。

国際子ども気候変動会議の最後に植樹をしたオルガさんは、「私は両親と2人の兄弟に植樹するよう勧めるつもりです。また、多くの人々に木を植えるよう勧めていきたいと考えています。…彼らには(この国を気候から守る)責任があるのだから。」と語った。

Little Green Hands
Little Green Hands

インターナショナルスクールに通うオルガさんの場合、気候変動に関する学習が学校のカリキュラムに組まれているという意味で幸運である。「インターナショナルスクールでは気候変動の問題が教えられていますが、国の大半を占める地元の学校では教えられていません。そこで、例えば課外学習を通じて(気候変動に関する学習を)導入するなど、何らかの方策を見出さなければなりません。」とマセンべ氏は語った。

「(8月24日開催予定の)今年のグリーン・フェスティバルは、いい機会になると思います。今後は毎年行われる予定のこの国際会議も、子どもたちが声を発し、大人たちがそれに耳を傾けるような場になればいいと思っています。」とマセンべ氏は語った。

翻訳=INPS Japan

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湾岸諸国はアサド政権の残虐行為を忘れてはならない

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【アブダビWAM】

「(シリアの首都ダマスカスを見下ろす)カシオン山麓の大統領官邸にこもっているバシャール・アサド大統領は、政治的な行詰まり状況からやっと出口を見出したと考えているようだ。アサド政権は、当初平和的だった反政府デモを残虐に鎮圧して以来、近隣のトルコや、英・米・アラブ首長国連邦といった西側諸国から『のけ者』国家とみなされてきた。」と英字日刊紙ナショナルが8月29日付の時事解説の中で報じた。

「アサド大統領は、西側諸国によるイスラム教スンニ派の過激派組織『イスラム国』対策に手を貸せば苦境から脱することができるのではないかと考えているようだ。8月25日、シリアのワリード・ムアレム外相は、(イラクに加えシリア国内でも勢力を拡大している)『イスラム国』に対する欧米などによる攻撃の可能性について、『(英米を含む)国際社会と協力する用意がある。』と語った。

ムアレム外相はまた、「しかし(『イスラム国』の拠点を対象としたものであっても)シリア領内へのいかなる攻撃について、シリア政府による事前の許可と調整がないものは、シリアへの『侵略行為(act of aggression)』とみなす」と釘を刺した。

ナショナル紙は、「しかし『侵略行為』とは、むしろ昨年アサド政権がダマスカス郊外ゴウタ地区の民間人に対して化学兵器を使用した行為を言うのではないか?あるいは、(アサド政権が)都市に樽爆弾を投下したり迫撃砲を打ち込んだり、食べ物を求めて並ぶ民間人の頭上を爆撃したり、或いは『シャビハ』という民兵集団を使って反政府派と見られる市民を暴行殺戮して恐怖を植え付けたりしていることこそが、『侵略行為』ではないのか?」と指摘したうえで、「シリア国民の友人である湾岸諸国の人々は、アサド政権が行ってきたこうした所業を忘れていない。また、ホムス(シリア第三の都市で今年5月に政府軍の手に陥落)に対して行われた陰惨な包囲攻撃や、今も続くアレッポに対する包囲攻撃を忘れない。」と報じた。

また同紙は、「私たち(=湾岸諸国の人々)は、アサド政権が正当な権利を求める自国民を弾圧して飢えさせた結果、シリア内外に多数の難民が発生し、近隣のヨルダン、レバノン、トルコに多大な負担をかけていること、そして、反政府派に対して砲弾の雨を降らせている最中にあっても『イスラム国』の本拠があるラッカに対する爆撃は拒否し、(結果的に)同集団の勢力拡大を助長したことを忘れない。」

ナショナル紙は、「私たちが、アサド大統領によるこうした所業を忘れないというのは、単に同氏が政権から去るべきという信念のみから言っているのではなく、同氏の所業が、湾岸諸国とその同盟諸国の立場を危うくしているからである。シリアから流出し続けている多数の難民は隣国ヨルダンの存立を脅かしている。また、シリア内戦は隣国イラクも不安定化させ、『イスラム国』が(シリア、イラクに跨って)勢力を伸ばした原因となっている。政治的な便宜を考慮すれば、アサド政権と協働して『イスラム国』の脅威と闘うことは容易なことかもしれない。しかし現実はアサド政権も『イスラム国』も湾岸諸国にとって脅威であることには変わりない。中東地域にとっては、これら両方がなくなることが望ましい。」と報じた。(原文へ

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|UAE|2021年までに宇宙庁を設立、アラブ世界初の探査機を火星に

 【アブダビWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)はアラブ世界初となる無人探査機を2021年までに火星軌道に到達させるプロジェクトを発表し、宇宙開発競争に参入した。また、このプロジェクトを監督し、UAEの宇宙開発技術部門を総括する組織として新たに宇宙庁を創設すると発表した。

これによって世界で火星を探査する宇宙開発プログラムを実施している国は9か国となった。無人探査機を火星軌道に到達させるには、9カ月の歳月をかけて6000万キロ以上を飛行させる必要があるが、UAEは2021年の建国50周年に合わせて計画を実現したいとしている。

ハリーファ・ビン・ザーイド・アール・ナヒヤーン大統領は、「UAEの火星探査プロジェクトは、イスラム世界が宇宙時代に突入したことを象徴する出来事となるでしょう。また私たちは、この事業を通じて人類に対して新たな科学的貢献が出来るということを証明するでしょう。」と指摘したうえで、UAEの目的について「①航空宇宙産業及び宇宙探査の分野においてUAEの技術・知力を構築していくこと、②宇宙産業に参入し、国の開発計画に資するよう宇宙関連技術を活用できるようになること。」と語った。

副大統領兼首相でドバイ首長のムハンマド・ビン・ラーシド・アール・マクトゥーム殿下は、「中東地域は様々な緊張と紛争に見舞われています、私たちは、環境と材料さえ整っていれば、アラブの人々が人類社会にいかにポジティブな貢献ができるかを様々な業績を通じて証明してきました。この地域は人類文明の揺籃の地であり、私たちは再び、(火星で)探究、創造、建設、文明化を担う運命にあるのです。」と語った。

さらにムハンマド首長は「私たちは敢えて火星到達という壮大な挑戦を選択しました。それは困難な課題に挑戦することが、私たちが前進し続ける動機の源泉となっているからに他なりません。」と付け加えた。

火星探査プロジェクトは、UAEの人材が宇宙開発や地球から遠く離れた惑星に関する知識を深め、専門技術を習得する観点から、国際パートナーからの知識移転を得ながら国内専門家主導で実施される予定である。

このプロジェクトは、宇宙工学技術部門という今後長年に亘って国家経済の重要な要素を構成する部門を構築する契機になることから、UAEの開発の歴史において重要な分岐点となるだろう。

UAEはこれまでに、宇宙開発関連事業として、衛星データ、テレビ放送会社、通信衛星運用企業Yahsat社、移動体衛星通信会社、スラーヤ衛星通信、地球マッピング、観測システム、人工衛星「ドバイサット1号、2号」等に対して、既に200億ディルハム(約5654億円)を超える投資を行ってきている。

ムハンマド首長はまた、「UAE宇宙庁の任務は、全ての宇宙開発に関連した活動を監督、体系化するとともに、当該部門の開発、知識移転を推進し、航空宇宙産業部門におけるグローバルプレーヤーとしてのUAEの地位を高め、国家経済への宇宙産業部門による貢献を最大限に高めることにあります。また宇宙庁は閣僚評議会(内閣)の直属機関として管理運営及び財政上の独立が確保されます。」と語った。

世界的に、宇宙開発技術は各国の安全保障や経済にとって重要性を増してきており、各国政府も大型国家プロジェクトや専門機関を設けてその保護・育成に力を入れている。この部門は、通信、ナビゲーションから、気象・自然災害の観測・放送まで、生活の様々な側面で欠かせない存在となっている。

宇宙産業の市場規模は全世界で3000億ドル(約30兆8430億円)で、年間成長率は約8%と見られている。

「私たちは2021年までにUAEが宇宙産業部門で先進国の一角を占めることを目指しています。私たちはアラーのご加護と我が国の若者たちの才能に全幅の信頼を置いています。私たちには、目標を達成するために必要な鉄壁の決意と熱意、そして明確な計画があるのです。」と、ハリーファ大統領は語った。(原文へ

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教育と経済面がカギを握る先住民族のHIV/AIDS患者支援

【シドニーIPS=ニーナ・バンダリ】

ニュージーランド北島西岸のワイカナエ出身のマラマ・パラ(43歳)さんは、22才の時にHIV陽性と診断された。この診断結果は彼女の属する狭いマオリ族社会で瞬く間に広がった。

これは1993年のことだったが、パラさんは、「(ニュージーランド社会には)依然として、HIV罹患者を非難して貶めるような態度が横行しており、とりわけ罹患率が高い先住民族社会に深刻な影響を及ぼしています。」と語った。

「もしHIV陽性と判定されたら、まるで麻薬常習者や売春婦のような『汚い』人間だと見られてしまいます。差別され、犯罪者のように扱われることで、社会のはみ出し者になってしまうのです。つまり先住民のHIV罹患者らは、こうした社会からの仕打ちを恐れて、助けを求めようとしないのです。」とパラさんは語った。彼女は現在、同じくHIV陽性の夫とともに、「INA(マオリ、先住民、南太平洋) HIV/AIDS財団」を運営している。同団体は、HIV/エイズへの意識を高める教育を通じて予防と治療介入を図っていくうえで、文化的なアプローチを採用している。

Marama Pala
Marama Pala

「この5年間でニュージーランドの太平洋諸島出身者コミュニティーにおけるHIV罹患者数は増加傾向にありますが、とりわけマオリ族の罹患率が高いのが特徴です。その理由は、なかなか検査を受けようとしないからです。特に(HIVに罹患する恐れがある)危険な行動をとる人は、きわめて重篤化するまで検査を受けない傾向にあります。」とパラさんは語った。

「HIVに罹患した先住民の女性の中には、差別を恐れて薬物治療を受けないでいる人たちが多く、結果的に救える命も救えない状況が続いています。この国には抗レトロウィルス(ARV)薬が広く普及しており、なにも彼女たちはこの時代に命を落とすことはないのです。」と国際エイズ・サービス組織評議会(ICASO)の理事もつとめているパラさんは語った。

世界各地で先住民のHIV罹患率がとりわけ高い状況が報告されるなか、活動家や専門家の間で、先住民を適切に巻き込み彼らの文化に配慮したエイズ対策の必要性が強く叫ばれている。

先住民の女性の多くが、HIVに罹患したことについて、近親の家族にさえ打ち明けられないまま、無言のうちに生きている。

「オーストラリアにはHIVに罹患した130人の先住民女性がいます。しかし、自分以外にHIVに罹患していることを公言しているのは一人しかいません。」と語るのは、ミシェル・トービンさんである。彼女は、21歳の時にHIV陽性と診断された。

トービンさんは、当時交際を始めたばかりの男性からHIV陽性だと打ち明けられたという。「当時の私は世間知らずで、自分には感染しないだろうと思っていました。しかし半年以内に私もHIV陽性だと診断されたのです。当時私は妊娠していたので、子どもに感染していないかそればかりが気がかりでした。」「1990年代初等当時のメルボルンでは、HIV陽性と診断されても特に治療は勧められませんでした。ヨルタ・ヨルタ族出身で既に亡くなった夫もそうですが、当時多くの人々がエイズの初期段階で亡くなりました。」と、トービンさんは当時を振り返った。

盗まれた世代」の子孫でありHIVそして今はエイズを発症した先住民女性として、トービンさんは周囲の人々、とりわけ彼女を勘当した自身の家族によって、様々な汚名と差別に晒されてきた。

彼女の近隣住民の中には、未だにエイズは簡単に感染する病気だと誤解したまま、彼女に近寄ろうともしない人々もいる。しかしトービンさんはこのような辛い逆境を跳ね返して、HIV/エイズとともに生きる先住民の女性の権利を熱心に訴える活動家に転身した。

Anwernekenhe全国HIV連合の会長とPATSIN(陽性のアボリジニー・トレス海峡島民ネットワーク)の委員を務めているトービンさんは、「先住民女性の感染者は、HIV感染者というマイノリティの中のさらにマイノリティと言えます。彼女たちが、HIV感染の予防や治療、孤独、秘密保持、住宅等、直面している諸問題について重い口を開けるよう、もっと財政的な支援が必要です。」と語った。

オーストラリアは、「HIV/エイズに関する国連政治宣言」が定めた目標を支持しているほか、HIV陽性のアボリジニー・トレス海峡島民にとって最適な臨床診療など、HIV感染予防に対する人々の注意を喚起するための戦略的な目標を定めた「HIVに関するエオラ行動計画」を採択している。

International Indigenous Pre-conference on HIV and AIDS
International Indigenous Pre-conference on HIV and AIDS

7月17日から19日にかけて、「HIV・AIDに関する国際先住民族作業部会(IIWGHA)」が「オーストラリア・アボリジニー・トレス海峡諸島民組織委員会(AATSIOC)」と協力して、「HIV/エイズに関する国際先住民会議」をシドニーで開催した。会議のテーマは「私たちのストーリー、私たちの時代、私たちの未来」で、先住民に焦点をあてた疫学的なデータを増やす必要性が強調された。HIVに罹患した先住民に関する臨床治療例が不足しているため、予防戦略の一環としてHIV臨床治療を実施していくうえで大きな課題となっている。

「カナダ先住民・エイズネットワーク」(CAAN)のトレバー・ストラットン氏(英国人と先住民を祖先に持つ49歳)によると、カナダの先住民のエイズ罹患率は人口全体の罹患率と比較して3.5倍にものぼるという。

「私たちは、これはカナダに限らず世界各地の先住民に見られる特徴だと考えています。しかしそれを裏付ける臨床学的なデータが不足しているため、先住民のHIV患者を対象にした臨床治療データを世界各国で収集するよう訴えているのです。そのような臨床データが集まれば、先住民が、同性愛者や性産業労働者と並んでHIV/エイズ感染のハイリスク集団であることが認知され、各国政府も予算措置を講じて、先住民自身の手による解決策が模索できるようになると期待しています。」とストラットン氏は語った。

オンタリオ州ミシサガ族出身のストラットン氏は、1990年にHIV陽性と診断された。彼は、先住民の間でHIV罹患率が高い背景には、白人による植民地支配や資源の収奪、同化政策などによって先住民が社会の底辺に追いやられてきた歴史が関係していると考えている。「社会的な決定権を奪われた結果、先住民は(HIV/エイズを含む)健康を害する高いリスクに晒されてきたのです。」とストラットン氏は語った。

Trevor Stratton/ CAAN
Trevor Stratton/ CAAN

オーストラリア統計局によると、アボリジニートレス海峡諸島民の女性のHIV罹患率は、オーストラリア出身の非先住民の女性の罹患率を比べてはるかに高いものだった。(10万人当たり、前者が1.5人に対して後者が0.4人)

2004年から2014年の間に、231人のアボリジニー・トレス海峡諸島民がHIV陽性と診断された。2013年における新規HIV罹患者は、オーストラリア出身の非先住民(10万人中3.9人)に比べて先住民(10万人中5.4人)の方が多かった。

「私たちは、HIV/エイズの問題が孤立して存在するとして知らないふりをすることは許されません。社会正義の問題は、各々の社会全体に浸透した体質の問題でもあるのです。従って、各国政府にそれを是正させていくには、国際人権メカニズム、とりわけ『先住民族の権利に関する国際連合宣言』と、『国際労働機関169号条約(原住民及び種族民条約)』を各国で順守するよう働きかけていかなければなりません。」とストラットン氏は結論付けた。

HIV・AIDに関する国際先住民族作業部会(IIWGHA)は、HIV/エイズに関する正しい知識の普及や先住民コミュニティーの間に根強く残っている偏見対策、さらには先住民を対象とした調査や啓蒙活動を行っている。

IIWGHAの使命と戦略プランは、先住民の自治権、社会正義、人権を認めた2006年の「トロント憲章:先住民行動計画」に基づいている。

CAANのリーダーシップコーディネーターで先住民族出身のドリス・ペルティエ氏は、法定貧困レベルよりはるかに貧しい生活をしている女性達を支援する活動をしている。彼女たちの中には、HIV陽性と診断された時点で当局により子どもを取り上げられたケースもあるという。

トロントで麻薬中毒者だった44歳の頃にHIV陽性と診断された経験を持つペルティエ氏は、当局に子どもを取り上げられる恐怖といった制度的な問題が、HIV罹患者が自らの健康問題について医師に相談しようという意志を阻害する要因となっていると考えている。

「本来女性たちを支援するためにあるはずの社会システムが、実際には彼女たちを阻害する障壁となっているのです。」とペルティエ氏はIPSの取材に対して語った。

彼女がオンタリオ州ウィクウェミコンにある先住民居留区に帰郷したとき、HIV陽性の彼女に手を差し伸べてくれた者も中にはいたが、多くの住民が彼女を心から受入れようとはしなかったという。そうした人々の中には、同じ皿で食事を共にすることを拒否したり、トイレを使った後には便座を殺菌するよう彼女に要求したりするものもいた。

「故郷に戻ってまもなくすると、私についての様々な噂が街に広がりました。そうした私を指す言葉の一つが『Wiinaapineh(汚い病気)』というものでした。しかし私は一歩も引かず、抗レトロウィルス(ARV)薬による治療と家族の励ましを得て少しずつ体調を改善していきました。」とペルティエ氏は語った。

IIWGHA
IIWGHA

「HIV陽性と診断されても、支援プログラムや治療方法、それ以上の感染を予防する方策があり、良質な生活を送ることができるということを、もっと多くの人々に知らせなければなりません。」と、今では曾孫に恵まれているペルティエ氏は結論付けた。

ペルティエ氏は、高い罹患率に見舞われているHIV陽性の先住民族の女性を救済する有効な対策の一つとして、「彼女たちを励まし内面的な強さと回復しようとする意志を引出すことで、自ら沈黙を破り自身の症状について率直に話せるようにすることです。」と指摘した。(原文へ

翻訳=IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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女性のエンパワメントの模範となった尼僧

【シンガポールIDN=カリンガ・セレヴィラトネ】

2500年前、ゴータマ・ブッダ(仏陀)は、サンガ(僧伽:仏陀に従う弟子たちの集団)に女性の入門を認めることで、インドで女性を男性と対等の立場においた。しかし今日、アジアのほとんどの仏教国において、尼僧たちがダルマ(仏陀の教え)を説く信頼に足る担い手として認められようと苦しい闘いを強いられているという。そうしたなか、あるネパール人女性が、実質的にダルマを「歌う」ことで、こうした認識を無意識のうちに変えることになるかもしれない。

「私は自分がどういう人間だとか思ったことはありません。ただ、仏陀の教えとその原則を理解し尊重しながら、心の赴くままに行動しているだけです。」と語るのは、ネパール出身の尼僧アニ・チョイン・ドルマである。シンガポールの第一級のコンサートホールである「エスプラナード」でこの4月、大入り満員の観客の前でパフォーマンスを見せる直前に行ったインタビューでのことだ。

世界の音楽シーンで名声を得たアニ・チョイン・ドルマは、近年米国やオーストラリア、台湾、シンガポールといった国々を廻り、会場を埋め尽くした観客の前で歌を披露している。そして、こうした興業で得た収入をネパールで設立した財団に投資して、保守的な男性支配社会に生きる貧しい女性達に教育の機会を与えエンパワーしようとしている。

仏陀が生まれたのと同じ国(現在のネパール連邦民主共和国)で、1970年にカトマンズのチベット難民家族に生を受けたアニ・チョインは、暴力をふるう父親から逃げるために13歳の時に尼僧になった。カトマンズ盆地の北の斜面のシバプウリ山にある尼僧院ナギ・ゴンパに入り、僧院長で高名な瞑想マスターでもあるトゥルク・ウルゲン・リンポンチェに師事し、教育と宗教的な修行の指導を受けた。アニ・チョインに真言(マントラ)の唱え方を教えたのは僧院長の妻である。彼女の才能はすぐに明らかとなり、まもなくチャンティング・マスターに任命され、僧院における全ての宗教儀式と読経を任された。

Kathumandu Valley/ Wikimedia Commons
Kathumandu Valley/ Wikimedia Commons

それから長い時間が流れ、今日アニ・チョインは、ネパールだけではなくアジア全体において女性のエンパワメントの模範となる人物と見なされるようになった。彼女は流暢に英語を話し、世界各地で開催される国際会議でも定期的に発言している。

「私たちは、(男児と)同じように両親の敬意と歓喜に包まれて母親の胎内に生を授かり、外の世界に出てくるまで胎内で同じように育てられます。男児と女児に異なる役割が割り当てられるのは生まれ出た後のことであり、それはあくまでも人為的な文化に基づいているものです。つまりそれは間違った理解であり、自然にはそうした偏見はないのです。」とアニ・チョインは語った。

またアニ・チョインは、「私は、(女性である)自分にも(男性と)同様に悟りを開く潜在能力があると信じています。同様に、私たちにも民衆に奉仕する潜在能力があるのです。それを私たちが信じることのどこが間違っているのでしょうか?」と問いかけたうえで、「私は他人を批判しようとは思いません。むしろ自身の内面を振返り、私には潜在能力があり、それを強化して前進しなければならない、と言い聞かせるようにしています。」と語った。

さらにアニ・チョインは、ネパールだけではなく世界中で歌を歌おうと思った動機は何かという質問に対して、「私が歌うのは悲劇的なラブソングといった世俗的な歌ではありません。私が歌うのはスピリチュアルな瞑想時の歌です。仏陀の言葉が非常にシンプルで詩的な言葉に翻訳され、それが耳に心地よい旋律と融合した歌へと変換されています。私が歌う主な目的は、市井の人が誰でも理解できるよう仏陀の知慧をシンプルな形で広めるところにあります。そうすることで、歌を聞いた人々を、少なくとも暫しの間、至福の時に誘うことができるからです。」と語った。

訓練を受けていない才能豊かな歌い手

アニ・チョインの音楽家としてのキャリアは、米国のギタリスト、スティーブ・ティベッツがネパール訪問中に彼女に会い、読経を聞いた1994年に始まる。彼女の歌の才能に感銘を受けたティベッツは、何とか頼み込んで僧院内の小さな部屋で彼女の歌声をカセット・レコーダーに録音させてもらった。その結果が1997年に発表され批評家の大絶賛を浴びたコラボ・アルバム「チョー」である。

Steve Tibbetts
Steve Tibbetts

「私は歌手になるための専門的な訓練を受けていませんし、歌手になろうとも思っていませんでした。一般的に歌手を目指す人の動機は、有名になりたいとか、お金を稼ぎたいとかいったことでしょう。しかし、私の場合はそうではありませんでした。」と、アニ・チョインは、自身の音楽の旅の起点となった日のことを思い出しながら語った。「私の場合、ある日、僧院を訪ねてきた音楽家が、私が祈りを捧げている声を聴いて、『録音させてもらっていいか』と尋ねてきたのです。彼はのちにそれをアメリカに持ち帰り、自分の音楽でミックスし、『これを使って音楽アルバムを作る気はないか』という提案とともにデモテープを送り返してきたのです。」

彼女は当初、このような提案を受け入れるべきか決めかねた。「私は師のところへ行き、考えを尋ねました。すると師の答えは、『いいでしょう。この経文を聞いたものは、信者であろうとなかろうと、恩恵を受けることができます。だからいいですよ。』というものでした。それで提案を受け入れることにしたのです。」と、アニ・チョインは付け加えた。

この決断で彼女は自らの新境地を開くとともに、恐らくアジアの尼僧たちがダルマのメッセンジャーとして認知される新たな道筋も開いたのであった。

1997年から2011年の間にアニ・チョインは12枚のCDをリリースし、ブッダ・バーなどのコンピレーション作品に参加、また、映画「ミラレパ」への音楽提供も行った。米国での初のコンサートツアーの成功後、欧州、北米、英国、シンガポール、中国、台湾、その他多くのアジア諸国において、コンサートや音楽祭で歌い始めた。こうしてアニ・チョインは、チベット仏教の読経を西洋の視聴者に広める上で多大な役割を果たしたのである。

Ani Choying Drolma/ Giác Ngộ Online
Ani Choying Drolma/ Giác Ngộ Online

2013年、アニ・チョインは、オスカー賞を獲ったインドの音楽家A・R・ラフマーンが作曲した宗教横断的な歌をヨルダンの女性歌手ファラー・シラジと共にMTVで歌って、「ワールド・ミュージック」という言葉にまったく新たな一頁を刻んだ。歌のベースにはネパール仏教の声明があり、そこにヨルダンの伝統的な旋律が折り重なった作品だった。

「その歌のテーマは『母』で、私は慈愛に満ちた仏陀のマントラを唱えました。」とアニ・チョインは説明する。「ラーマン氏は、マントラの伝統の中で母というものを現したものは何かあるかと私に尋ねたのです。母という言葉を思うとき、そこに込められた意味合いは『慈愛』ということになります。従って慈愛に満ちた仏陀のマントラを唱えると答えたのです。そして、ヨルダン人の女性歌手は母を称える歌をアラブ語で歌うことにしたのです。」

好調な歌手としてのキャリアから資金を得て、アニ・チョインは、ネパールの貧困地域の女児や若い女性の教育支援を開始することができた。

1998年、彼女は「ネパール尼僧福祉財団」(NWF)を設立した。尼僧たちが、より社会に対して幅広く貢献していけるよう、世俗および仏教的な教育を提供している。NWFの中心的なプロジェクトは、2000年に開校した「アリャ・タラ学校」である。また彼女は、シュリー・タラ・バンド(ネパール初の女性インストゥルメンタル・バンド)やネパール腎臓病院の建設、早期児童発達センター、野良犬保護キャンプなどの人道的なプロジェクトを多く支援している。

アニ・チョインは、尼僧として守らねばならないヴィナーヤ(戒律)と、音楽によって収入を得ることとの間に矛盾があるとは考えていない。

インタビューの中でヴィナーヤの規則に話が及ぶと、アニ・チョインは、「アジアの伝統においては何かを提供され、西洋の伝統においてはお金が支払われる。時間をかけ、スキルを見せることが、そういう形で尊重されているのだと思います。ですから、お金が入ってきたときに、次に問うべきは『このお金で何をすべきか』ということになるわけです。私は今こそ、すべての女性と女児が学校に行くチャンスをつかみ、教育を受けるという従来から抱いてきた希望を少しでも叶えるためにお金を使わせていただいてもいいのではないかと考えています。」と語った。

Arya Tara School/ The Ani Foundation
Arya Tara School/ The Ani Foundation

そうして彼女は、尼僧たちが高等教育を受けられる学校を始めた。「このお金でこのプロジェクトを始めることができました。ただ、始めるだけでは十分でなくて、継続することが大事ですから、結果的に私の歌手生活は続くことになるのでしょう…今後も活動から収入が得られれば、その中から、ネパールでよい事業を行っていくことができるでしょう。」とアニ・チョインは付け加えた。

「少なくとも、誰かの人生の痛みを和らげることができるのですから、非常に前向きにいられます。こうした活動ができることは、恵まれていると感じますし、自分という存在に大きな意味を与えてくれていると思います。」とアニ・チョインは語った。(原文へ

カリンガ・セネビラトネは、IDNアジア・太平洋地域特派員。シンガポールで国際コミュニケーションを教えている。

翻訳=IPS Japan

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ベルリンで宗教間対話の先進的なプロジェクトが始動

【ベルリンIDN=フランチェスカ・ジアデク】

ベルリンでは、互いの信頼に基づく思いきった試みが進行中である。「ひとつの家(House of One)」という宗教間対話の先進的なプロジェクトが始動し、順調にいけば2018年には、キリスト教徒、ユダヤ教徒、イスラム教徒がひとつ屋根の下で礼拝をする状況が実現するかもしれない。

ドイツでは、第二次世界大戦(1939~45年)後と、2001年9月11日の米国同時多発テロ事件の後に、キリスト教徒とユダヤ教徒の間で数多くの宗教間対話が進められてきた。しかし、600万人ものユダヤ教徒がこのキリスト教国の市民によって殺害されるという悲劇がいかにして起こり得たのかという問題に、ドイツ国民は依然として答えを見いだせずにいる。

今年6月、複合文化施設「フンボルトフォーラム(旧ベルリン王宮跡地)」建設予定地からさほど遠くない市内中心部にある空き地で、キリスト教プロテスタントの牧師、ユダヤ教のラビ、イスラム教のイマーム(導師)という珍しい組み合わせの3人の聖職者が、象徴的な靴を埋める儀式を執り行い、共通の神に感謝の祈りを捧げた。ここに建設が予定されているのは、ひとつ屋根の「教会=シナゴーグ=モスク」という世界に類を見ない宗教施設で、聖職者らは、2018年に完成した暁には各々の信徒がここに集い、祈りと宗教間対話の場になることを期待している。

The House of One
The House of One

「ひとつの家」プロジェクトの提唱者であるラビのトビア・ベン-チョリン、イスラム導師のカディル・サンチ、牧師のグレゴール・ホーベルクの3人は、ベルリンの「寛容トリオ」ということになるだろう。「寛容トリオ」という用語は、1930年代、ユダヤ教徒とカトリック教徒、プロテスタント諸派の信者間の調和を基礎にしたアメリカ社会を建設するという理念を宗教間対話を通じて推し進めるために、全米諸都市にラビや牧師、神父を派遣した全米キリスト教・ユダヤ教宗教間会議(The U.S. interfaith National Conference of Christians and Jews)のことを指している。

第二次世界大戦中の1943年、ドイツの潜水艦Uボートによる魚雷攻撃で米兵員輸送船「ドーチェスター」号が沈み始めた時、乗船していた4人の従軍牧師(ラビ、牧師、神父)が一人でも多くの兵士の命を救おうと救命胴衣を配り続け、最後には自らの胴衣まで譲って犠牲となった出来事があった。生存者の証言によると、船が沈みゆく中、4人の宗教者らは、互いに腕を組み、祈りをささげながら海中に沈んでいったという。

「ひとつの家」プロジェクトを進める協会の理事会には、ローランド・シュトルテ氏(プロジェクト・マネージャー)、ムスリム文化間対話フォーラム(FID)のセブライル・テレメツ議長、マヤ・ゼーデン氏に加えて、アブラハム・ガイガー大学のヴァルテル・ホモルカ学長、「ベルリン・ユダヤ教徒の会」のギデオン・ジョフェ会長といった著名な人物も参画して、組織基盤を堅固なものにしている。なお監査役には、ベルリン州都市開発局と連邦内務省が加わっている。

The House of One
The House of One

2011年に「ペトリ広場の祈りと学びの家」として始動した「教会=シナゴーグ=モスク」プロジェクトは、資金集めに関しては、ドイツ協会税等の公的支援や高位の宗教組織による支援に依らず、各宗教の地元の団体に協力を呼び掛けたり、インターネット経由で不特定多数の人から資金を募る(寄付はレンガ一個10ユーロから:IPSJ)「クラウドファンディング(www.house-of-one.org)」を実施したりすることで、草の根的な方法を貫こうとしている。提唱者らは、2016年までに4350万ユーロ(約59億3775万円)を集めることを目指している。またプロジェクトの第一段階を終えるには、少なくとも1000万ユーロ(13億6500万円)が必要とされている。

精神的な基盤

建設予定地のペトリ広場は、まさにベルリンの精神的基盤を象徴する土地柄である。

2009年に中世の1350年にまで遡るベルリン最古のペトリ教会とラテン学校の遺構が(建設予定地の)ペトリ広場で発掘された際、グレゴール・ホーベルク牧師は、この歴史的な偶然の一致は、多文化化が進むベルリンの人口構成や国際的な都市文化と合わせて、このプロジェクトを推進していくうえで力強い要素になると確信した。

ベルリン州のティム・レナー文化相はIDNの取材に対して、「『ひとつの家』をこの歴史的に神聖な場所に建設するという決断には、ここドイツにおいて、多宗教間の平和的な対話を推進していくという非常に強力なシグナルとメッセージが込められています。」と語った。

そして、ベルリンの宗教横断チームは、神やアラー、エホバとの新たな種類の共有された契約と「約束の地」が、ドイツでは可能だと確信している。

Rabbiner Dr. Tovia Ben-Chorin/ Margrit Schmidt
Rabbiner Dr. Tovia Ben-Chorin/ Margrit Schmidt

「過去に暗い歴史を刻んでいる場所には、将来に平和を実現する潜在力があります。ユダヤ人として、ベルリンは痛みと深い傷を想起させる場所ですが、それで話が終わりというわけではありません。ベルリンは、私にとって、記憶と再生の地なのです。」とベン-チョリン師は、このプロジェクトにかける熱い想いを語った。

ベルリンには、独特の歴史的、政治的、文化的背景があることは否定すべくもない。一連の破壊とそれに続く先進的で堂々たる再建というこの都市の物語は、しばしば大胆な政治的・精神的次元を伴う建築デザインと融合してきた。

2001年に完成したダニエル・リベスキンド氏によるベルリン・ユダヤ博物館は、世界で最も特筆すべき和解の象徴のひとつである。このユダヤ博物館のプロジェクトに埋め込まれた「線の間に」というリベスキンド氏自身の作品は、「思考/構成/関係」といったテーマを表している2本の線(まっすぐでありながら細かく途切れた線と、蛇行しつつもどこまでも続いていく線)から始まる。この建物は、ユダヤ人とドイツ人、東と西、伝統と現在の間の希望や連続性、繋がりと共存している分裂の要素を視覚的に表現している。

「ひとつの家」プロジェクトもまた、ユダヤ博物館プロジェクトと同様に相互理解と尊重を促す試みである。プロジェクトウェブサイトが定義しているところによれば、(ユダヤ博物館プロジェクトがユダヤ教徒とキリスト教徒間の和解を対象としていたのに対して、)このプログラムは「(2018年に完成予定の)相互理解と尊重を促進する実験場」に(キリスト教徒とユダヤ教徒と)対等なパートナーとしてイスラム教徒の市民とイスラム教を取り込もうとするものである。

ベルリン全人口の9%を占めるイスラム教徒のコミュニティーは約16万人である。その内、73%がトルコ人、7%がボスニア・ヘルツェゴビナの出身者、4万人が帰化ドイツ人で、ベルリン州宗教問題局によると80か所の祈祷所と4か所のモスクがある。そしてこれらの宗教施設はほぼ、シーメンスのようなドイツ大手企業が雇用したトルコ人移住労働者が1960年代に集住した場所であるクロイツベルクノイケルンに位置している。

ベルリンのユダヤ人人口は、戦前は20万人であったが、2008年現在、近年のイスラエルからの流入人口を含めて約5万人である。シナゴーグは市内に11か所ある。

公募して集まった約200の設計案の中から選ばれた地元のキューン・マルヴェッツィ建築設計事務所は、三つの宗教のためにそれぞれ同じ広さの祈りの空間を設け、それらの部屋を、高さ32メートルのドーム型の共有スペースでつなげる構想を練っている。この共用スペースでは、全ての信徒が対話や交流ができるようになっている。また、3つの宗教の信者のみならず、あらゆる宗教的背景を持った個人や、無信仰者も歓迎されることになっている。

The House of One
The House of One

ユダヤ教から「ベルリン・ユダヤ教徒の会」、イスラム教からアブラハム・ガイガー大学が創設メンバーとして参加した「ひとつの家」には、これまでにイスラム教改革派(アフマディーヤ派)の「ムスリム文化間対話フォーラム(FID)」が参画している。ドイツで10以上のモスクを運営し、東ベルリンで初めてのモスクを開設したFIDは、より過激な形態のイスラム教やジハード思想の潜在的な脅威を監視している内務省からも、好意的に見られている。

Muhammed Fethullah Gülen/ Wikimedia Commons
Muhammed Fethullah Gülen/ Wikimedia Commons

FIDの名誉会長は、米国在住で国際的に著名なイスラム聖職者フェトフッラー・ギュレン師で、同氏の信奉者はトルコ司法当局に影響力を持っていると言われている。ギュレン師は問題含みの人物で、本国のトルコでは、アブドラ・ギュル大統領の著書にしばしば「好ましからざる人物」と言及されているほか、エルドアン政権からは、インターネットを利用して反政府感情を煽っていると非難されている。他方で、インターネットの規制を強めるエルドアン政権に対して、数千人規模の抗議デモがトルコ各地で発生している。

社会的・政治的観点からすれば、ドイツは引き続き320万人のイスラム教徒人口の「統合」という難題に取り組みながらも、依然として「多文化関係」を概して同化主義的な文脈の中で枠付けようとしている。

過激右翼集団である「国家社会主義アンダーグラウンド」(NSU)によるトルコ系商店主を標的とした一連の暗殺事件について、ドイツ警察当局は、あくまでマフィア関連の犯罪だとして扱ってきたが、一方で真犯人がネオナチ関連の集団にいるという証拠を無視していたことが明るみにでている。

警察当局のこうした対応は、人種差別的で反イスラム的な盲点を明らかにし、「反イスラム犯罪」という新たな法的定義が採択されようとしている。これは、反ユダヤや反同性愛を動機としたヘイトクライム(憎悪犯罪)の被害者を認定・保護する既存の法定義を応用して、新たにイスラム教徒の被害者にも適用しようとする動きである。ドイツでは最近もダニエル・アルター殴打事件のような反ユダヤ感情を動機とした不当な暴力事件が起きている。ラビのアルター師は、7才の娘と歩いて帰宅途中だったが、ヤームルカ(ユダヤ教徒の男性が被る帽子)を被っていたことで、反ユダヤ主義者による攻撃の対象となった。この事件以降、ユダヤ人コミュニティーは、憎悪犯罪のデータベースを作成するようになった。

Neonazi Skinheads/ Wikimedia Commons
Neonazi Skinheads/ Wikimedia Commons

宗教間の実験

1000万ユーロの寄付という第一目標が達成され「ひとつの家」プロジェクトが軌道に乗れば、「オリーブの枝宗教横断平和パートナーシップ(Olive Branch Interfaith Peace Partnership)」の例が示しているように、今日世界各地で進行している宗教間対話の流れに、再統一されたドイツの首都が加わっていくことになるだろう。

宗派間闘争の波がシーア派スンニ派間の長年にわたる対立を扇動する形で中東全域に吹き荒れ、「アラブの春」で民衆が目指した多元主義的な民主化要求がないがしろにされるなか、宗教間対話は、国際舞台においてますます重要な役割を果たし、「他の手段による外交政策」としての地歩を固めつつある。

Pope Francisco/ Wikimedia Commons
Pope Francisco/ Wikimedia Commons

イスラエルとパレスチナ間の紛争が聖地で激化する中、ローマ法王フランシスコによる6月の聖地訪問は、そうした宗教横断外交独自の役割を象徴的に示すものだった。法王は、敬意に満ちたジェスチャーと祈りで両者の橋渡しを演じ、シオニズムの創始者の墓に花輪を捧げ、ユダヤ教徒の聖域である「神殿の丘」に建つイスラム教徒にとっての聖域「岩のドーム」に靴を脱いで参拝した。これをエスコートしたのは、ラビと、アルゼンチン出身のイスラム学者であった。

外国人排斥とイスラム恐怖症が勢いを増している英国では、正統派のラビであるネイサン・レヴィ師が、英国内の何百万人ものイスラム教徒に加わって1か月におよぶラマダン(断食月)を経験した。レヴィ師は、この前代未聞の行動によって、英国のユダヤ教徒の間でイスラム教に対する理解が深まってほしいと願っている。

欧州諸国が、しばしば3つの宗教がいかに相互に関連し合っているかについて健忘症に陥ってしまうのは、おそらくは自己満足のためと、多元的で多民族的な社会という価値観を公式に受入れることに諸政党が一般的に後ろ向きであるためであろう。欧州社会ではしばしばこのために、敵意と偏見、ヘイトクライムが再燃している。

「あらゆる人間がそれぞれの方法で天国に辿り着かなければならないのだから、すべての宗教に対して寛容であるべきだ。」という考えを持っていた18世紀のプロシア王国の啓蒙専制君主であるフリードリヒ大王は、祖国を追放されたフランス・ユグノー派のプロテスタントやユダヤ教徒、イスラム教徒を歓迎し、トルコ人兵士のためにポツダムにドイツ初となるモスクを建設した。その後ポツダムは、18世紀を代表する多文化主義の揺籃の地として発展した。

Friedrich der Große/ Wikimeda Commons
Friedrich der Große/ Wikimeda Commons

スペイン・アル=アンダルス(イスラム支配下のイベリア半島)のカリフも平和的で多宗教的な共存を可能にしたし、アルジェリアの古代ローマ都市タガステでは、聖アウグスティヌスがキリスト教の福音を説いた。またチュニジアはユダヤ教徒の一大集住地であったが、そこに紀元前586年からあったガリバ・シナゴーグの起源は、エルサレム第一神殿破壊(=新バビロニア王国によるユダ王国征服)後のユダヤ人の大量脱出にまで遡ることができる。

欧州のユダヤ人は、各国の為政者から市民権付与に象徴させる寛容な待遇から明確な差別と迫害に至るまで、何百年にもわたって「アメとムチ」による扱いを受けてきた。スペイン政府は今年になって1492年当時にカトリックによる単一宗教・文化政策の名目で財産を奪って追放したユダヤ人(=セファルディム)の子孫を対象に「歴史の過ちを正すため」として市民権を与える法案を可決した。しかし、1614年に同様の名目で追放したイスラム教徒(=モリスコス)の子孫は対象にしていない。

最近では、欧州ユダヤ会議が本部を置いているブリュッセルのユダヤ博物館で4人のユダヤ人が殺害される事件が勃発し、欧州中に反ユダヤ主義の恐怖に対する衝撃が広がった。今年5月の欧州議会選挙のように極右政党が躍進し反ユダヤや反イスラム的な言説が「日常的なもの」になるなか、フランス在住の600万人のイスラム教徒と50万人強のユダヤ人社会は、欧州に拡散する反ユダヤ主義の新たな潮流を感じている。ハンガリーで扇動的な民族主義政党が台頭し、ギリシャでネオナチ政党が躍進するなか、イスラエルへの移住者が増加している。イスラエルへの移住を支援している「ユダヤエージェンシー」によると、フランスでは2013年、ユダヤ人人口50万人のうち3000人以上がイスラエルに移住したという。

欧州評議会の「人種主義と不寛容に反対するヨーロッパ委員会」が発表した報告書によると、全てのヘイトクライムのうち4割が、ユダヤ人に対するものであった。

「ひとつの家」の創始者と支援者は、今こそこれまで以上に、この種のイニシアチブが、対話を通じた和解の場として、敵意や偏見、宗派間対立から生まれる破壊の不毛さに光を当てるとともに、違いや多様性を根絶されるべき脅威とみなすのではなく、手を差し伸べる対象とする取り組みを行う時だと確信している。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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