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│ケニア│マイクロローンと温室栽培が女性を救う

【ナイロビIPS=イサイア・エシピス】

Ruth Muriuki in the greenhouse she built with the help of a microloan. Credit: Isaiah Esipisu/IPS
Ruth Muriuki in the greenhouse she built with the help of a microloan. Credit: Isaiah Esipisu/IPS

ルース・ムリウキ(64)さんは、小型トラックにトマトとキャベツを満載して、ケニア東部メルー市のガコロモネ市場に到着した。このところの雨不足にも関わらず彼女の農業が順調なのは、マイクロクレジットを使って彼女が建てた温室のおかげである。

「3ヶ月前には40ケニア・シリング(0.5米ドル)だったトマト10個が、いまや倍の値段です。もうどうしようもないですよ。」と市場で野菜を売っているデイビッド・ヌジョグ氏は語った。ここでムリウキさんは、3か月前まで1個50セントだったシュガーローフキャベツを1.5ドルで販売している。

本来なら10月から12月にかけて降るはずの雨が少なかったため、国全体の農業生産が深刻な影響を受け、この3カ月で農産物価格が高騰した。

しかし、温室で作物を栽培している農民らには、干ばつの心配がない。一般的に温室はガラスか透明なプラスチックでできており、室内の温度と湿度を調整できるため、一年を通じて農産物を栽培することができる。

 リフトバレー州ナンディヒルに暮らす一児の母、サラ・チェベット(28)さんは、この2年間にわたる温室栽培の経験について、「私は、地元のマイクロファイナンス機関から資金を借りて、この温室を購入しました。この2年間のプロジェクトで、トウモロコシのフライス盤を買い、小売店を建て、乳牛を2頭買い、値段が上がったら売るつもりで400キロのトウモロコシを買ったのです。まさに長年抱いていた夢が、マイクロファイナンスのお蔭で実現したのです。」と語った。

ひとつの温室から、彼女は平均で毎週4ケースのトマトを収穫している。これで100ドルの収入がある。

「子どもがまだ小さいので、就学するころまでに私の収入を安定させようと温室事業に投資したのです。」とチェベットさんは語った。夫は夫婦が所有している5エーカー(約2ha)の土地で他の農業プロジェクトを実施している。

園芸会社大手のアミラン・ケニア社は、この2年で2300棟以上の温室を販売してきた。同社のプロジェクトオフィサーのシラス・トゥエイ氏は、「温室のほとんどが、女性、青年、教育機関を対象に融資しているマイクロファイナンス機関を通じて販売したものです。平均すると、温室全体の半分近くを女性が所有しています。」と語った。ケニアでは、アミラン社のほかにも、温室の建設方法を習得している個人が各地で販売を手掛けている。

またトゥエイ氏は、「当社では出来るだけ多くの農家に(温室が)いきわたるよう、小規模金融機関3行(ケニア女性金融トラストエクイティ銀行ケニア協同銀行)と提携しています。」と語った。

一方CIC保険会社は、このところの温室ブームを受けて、専門業者によって建てられた温室が、火災、強風などの自然災害により被害を受けた場合に補償する商品を売り出した。

前出の7人の子どもを持つムリウキさんは、「この2年の経験から、温室と灌漑農業こそが今後のあるべき方向だと思います。雨水に依存する農業では、これまで何度も失敗し、とりわけ近年は大変な目にあってきました。天候にはもはや期待はできません。」と語った。

またムリウキさんは、「メル市周辺では、私が子供のころは3月15日になると必ずと言っていいほど雨が降ったものです。しかしここ数年、当たり前と思われてきたこの時期の雨が降らなくなっているのです。」と指摘した。

しかしムリウキさんの場合、メル市郊外15キロのカリマガチジェ(Karimagachiije)村に所有する約1エーカー(約0.4ha)農地に設置した温室のおかげで、週当たり少なくとも1トンの野菜を収穫している。

ムリウキさんはケニアの東部と中部各地の市場で野菜を売った収益から、末の2人の娘を大学に送り出すことができた。「この温室プロジェクトを始める前は、子どもの学費負担は夫の責任分担でしたが、今回初めて、私が負担できるようになりました。」とムリウキさんは語った。

しかしムリウキさんもチェベットさんと同様、自身で園芸プロジェクトを立ち上げるだけの資金を用立てる余裕はありませんでした。

「3年前、私はケニア女性金融トラストに申請し、温室プロジェクトの資金として30万ケニア・シリング(3750米ドル)の融資を得ることができました。」とムリウキさんは語った。

同トラストは、融資を通じてケニア国内の女性・少女の自立支援に取り組んでいる。貧しい女性の多くは担保となる資産を持っていないため、融資の大半はこうした女性が少額ずつ出資して運営する互助組織を通じて行われている。

これまでに50万人近くの低所得層の女性が、農業分野に限らず様々な小規模事業に、このマイクロファイナンス機関の融資を活用している。

「私の温室の場合、限られた水資源を最大限に活用するために、地中に埋め込んだパイプを通じて作物の根本に直接水を供給する『点滴灌漑システム』を採用しています。こうすることで、作物以外への水の浸出を最小限に抑えられるのです。」とムリウキさんは語った。

ケニアでは、一般的な温室の建設費は、材料の入手経路や、素材の質、構造物の規模等により、1250ドルから3125ドルまで様々である。

「わたしはこれまで、このようなプロジェクトを手掛けられるような資金を自力で集めることができませんでした。しかし女性の自立支援を掲げたマイクロファイナンス機関のおかげで、この年になって初めて独立した事業家になることができたのです。」とムリウキさんは語った。(原文へ

IPS Japan

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│キルギス│花嫁誘拐禁止法、一夫多妻主義者の妨害で否決

【ビシケクINPS=クリス・リックルトン】

女性を誘拐して花嫁にしてしまう違法行為を抑えるための法案(イスラム婚姻法案)がキルギス国会に提出されていたが、1月26日に行われた採決で否決されてしまった。

ある国会議員は、同法案が支持されなかった理由として、「法案に含まれている条項が、表面的には違法でありながら暗黙の内に許容されてきた一夫多妻婚を取り締まる手段となりかねない」という危惧があったとしている。

 この法案は、役所に婚姻届けをおこなっていないカップルに結婚式を執り行ったムラー(イスラム教の聖職者)に対する罰金刑を規定していた。キルギスの村落社会では、花嫁を誘拐したり複数の女性を妻としたりする慣習が古くから行われてきており、こうした慣習を禁じたソ連崩壊後も社会的なタブーとして存在している。ムラーは宗教的な儀式を施すことで、こうしたタブーに社会的な正当性を与える重要な役割を果たしているのである。

花嫁の誘拐は違法行為のため、大半の場合、役所に対して婚姻届が提出されることはない。また、裕福な男性の間で広く行われている一夫多妻の慣習についても、キルギス国内法は違法行為として2年間の懲役刑を規定している。しかし、ムラーがイスラム法に基づく婚姻(nikaah)儀式を執り行うことで、村人たちの目には、強制された婚姻や違法な婚姻であっても、正当な婚姻関係が成立したと映ってしまうのである。

国会に出されていた法律はこうした行為を抑制することを目指していたが、ある女性議員によると、「男性支配の議会(議員120人中94人が男性)は一夫多妻制を残すことを明らかに指向していた」という。

一方、アタ・メケン(Ata-Meken 「社会党」)のアシヤ・サシクバエワ議員は、「キルギス国会には、花嫁を誘拐する慣習を抑制しようとする政治的意思が確かに存在しています。例えば、国会は2011年に女性の法定婚姻年齢を16歳から17歳に引き上げる法案を通過させましたが、これは花嫁を誘拐する事件が最も深刻な農村部において、就学年齢層の少女達を早期の結婚から保護することを意図したものものでした。」と語った。

またサシクバエワ議員は、「(1月26日の法案採決に際して)それまで進歩的と思っていた多くの(男性)国会議員が反対票を投ずるのを目の当たりにして驚きました。しかし、この国では非公式に一夫多妻が黙認されているという実態は、良く知られていることです。こうした国会議員の多くは、個人の利益を守るため、法案に反対したのだと思います。

一夫多妻制をめぐっては、キルギス国内でかねてより議論がなされていた。リークされた米国務省の2007年4月当時の公電によると、一夫多妻制を合法化する法案が1990年代中盤に国会で成立しかかったことがあるという。

その公電には、「当時キルギスではクルマンベク・バキエフ大統領やフェリクス・クロフ首相を含む、多くの著名な政府関係者も、妻が2人以上いると見られていた。」と記されている。

現在尊厳(アル=ナムィス)党を率いているクロフ議員は、イスラム婚姻法案に反対票を投じた。一方バキエフ氏は、2010年に発生した騒乱の最中、政権を追われ、国外に亡命した。

花嫁の誘拐問題根絶を目指して活動してきた非政府組織(NGO)にとって、今回の法案否決は大きな痛手となった。キルギスの現行法では、「婚姻を目的に人を誘拐したものは、最高3年間の禁固刑に処される」とあるが、実際のところ、花嫁の誘拐を防止する効果をほとんど挙げていない。

「キズ・コルゴン研究所」が昨年10月に行った調査によると、カラコルという町の既婚女性のうち45%が、誘拐されてきた女性だったという。今回のイスラム婚姻法案が採択されていたら、こうした女性たちの婚姻儀式を行ったムラー達には、罰金刑が適用されていただろう。

花嫁誘拐の犠牲者を支援しているビシュケクに拠点をおくNGO「オープンライン」のムナラ・ベクナザロヴァ氏は、「村に在住のムラーの多くは、花嫁を誘拐するという行為がイスラムの戒律に違反していると気づいています。しかし、新婦が婚姻に同意しているとの意思表示を示している場合は、婚姻の祝福を施しているのです。」と語った。

またベクナザロヴァ氏は、「ムラーが式のために到着するころまでには、誘拐された女性は暴力で脅されたり、ときにはレイプされたりして、結婚に『同意』せざるを得ない状況に追い込まれているのです。」と指摘した上で、「(このような状況に置かれている女性は)もちろん、ムラーの質問に対して婚姻に同意していると答えます。」と語った。

またベクナザロヴァ氏は、「こうした役所への婚姻届がないまま非公式な婚姻状態に置かれた女性やその女性が生んだ子供には、法的な保護が適用されないことから、婚姻状態を離れても配偶者に対して慰謝料や保障を求める権利が認められていないのです。キルギスの農村部で花嫁の誘拐が一般的な現状の背景には、こうした男性に有利な社会状況があるのです。」と語った。

「国会議員の大半は農村出身で、彼らの心情に配慮せざるを得ない立場にあります。そして彼らには別の優先事項があるようです。」「昨年の夏、キルギス国会は、家畜を盗んだ犯人の刑事罰を重くする法案を通過させました。もちろんこのニュースを聞いて、女性団体は憤慨しました。農民にとって家畜がいかに大事なものか、たしかに理解できます。しかし、それならば国会議員たちは、娘達を誘拐するという犯罪行為について、どうして家畜並みの危機意識すら持たないのでしょうか?」とベクナザロヴァ氏は付加えた。

イスラム婚姻法案を巡る投票内容は、「キルギス国会全体として花嫁の誘拐問題を深刻にとられていない」とするベクナザロヴァ氏の懸念を裏付けている。120人の国会議員中、同法案への投票に参加した議員は僅か73人であった。法案に賛成した議員43人のうち、女性議員は17人(女性国会議員の総数は26人)、一方法案に反対した議員30人のうち、女性議員は3人だった。そして、法案の採決を欠席した議員47人のうち41人が男性議員だった。

この法案を共同提出した9人の国会議員の中で唯一の男性議員であるダスタン・ベケシェフ氏は、今回の国会議員達の投票行動について、「ジェンダーに配慮した法案に対して極めて保守的」と指摘した上で、「多くの国会議員がこの種の法案を通過させるには時期尚早だと主張していますが、私は納得できません。キルギスではこうした問題について既に20年も議論してきているのです。」と語った。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

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ラテンアメリカ、非核兵器地帯の拡大を目指す

【メキシコシティーIPS=エミリオ・ゴドイ】

ラテンアメリカ・カリブ海地域の国々は、同地域を世界初の非核兵器地帯とした条約の署名開放45周年を記念して開催された国際セミナー(ラテンアメリカ・カリブ海核兵器禁止機構:OPANAL主催)において、域内における核物質使用に対する監視体制の強化や、非核兵器地帯をさらに拡大していくための方策について協議がなされた。

「核軍縮は今でも私たちの優先課題です。核兵器を保有しない国々にとって、核保有国から核兵器の使用又は威嚇を行わないという保証を法的拘束力がある形で取り付けることは当然の関心事ですから。」とブラジル外務省のベラ・マチャド政治担当事務次官はIPSの取材に対して語った。

マチャド事務次官を含む33カ国の政府代表団は、トラテロルコ条約として知られる「ラテンアメリカ及びカリブ海域核兵器禁止条約」調印45周年を記念してメキシコシティーで開催された国際会議に参加している。

トラテロルコ条約の締約国は、締約国領域内において「いかなる核兵器も、手段に関わらず実験・使用・製造・生産」さらには形式を問わず「取得・貯蔵・設置、配備」を禁止し防止することに同意している。

また45周年記念行事として、2月14日・15日の両日に記念式典と国際セミナー「ラテンアメリカとカリブ海における非核地帯の経験、2015年およびその後に向けた展望」が開催され、世界各地から国際機関や非政府組織(NGO)の代表約200人が参加した。

トラテロルコ条約(1967年にラテンアメリカの14か国が調印)により、ラテンアメリカ及びカリブ海地域をカバ―する世界初の非核兵器地帯が創設された。この新たな流れはその後4つの非核兵器地帯の創設〈1985年南太平洋非核兵器地帯条約(ラロトンガ条約)、1995年東南アジア非核兵器地帯条約(バンコク条約)、1996年アフリカ非核兵器地帯条約(ペリンダバ条約)、2006年中央アジア非核兵器地帯条約(セメイ条約)〉へと繋がり、現在では世界の5地域と114カ国が非核兵器地帯となっている。

メキシコはトラテロルコ条約(1967年2月14日調印式が行われたメキシコ外務省の所在地であるメキシコ・シティの地区名トラテロルコに由来している)の発効に中心的な役割を果たし、ラテンアメリカ地域における軍縮推進のパイオニアとしての地位を確立した。条約は1969年4月に発効した。

メキシコ、アルゼンチン、ブラジルは、核物質を発電目的などの平和利用に限定して活用している。

アルゼンチンとブラジルは、1991年に「アルゼンチン・ブラジル核物質計量管理機関(ABACC)」を設立し、両国にあったすべての原子力施設と核物質のリストを交換し、共通計量管理システムの下で査察を実施した。ABACCは、この分野における模範と考えられている。

国際セミナーでは、議題として、トラテロルコ条約への注目を喚起する必要性について、一部加盟国が依然保有している核分裂性物質の廃棄について、ラテンアメリカ・カリブ海地域を通過する原子力潜水艦や放射性廃棄物の問題について、世界的な核軍縮に向けた進展について等が議論された。

アルゼンチンから参加したイルマ・アルゲロ「グローバルセキュリティーのための不拡散財団」理事長は、IPSに取材に対して、「トラテロルコ条約にはさらに規制に関する追加条項が必要です。つまり域外の国々が核関連の技術や兵器を持ち込めないようにすることが重要なのです。」と語った。

現在とりわけ2つの出来事がラテンアメリカ・カリブ海諸国の関心をおおいに惹きつけている。すなわち、米国を筆頭に一連の国々が強硬に反対姿勢を示しているイランによる核開発計画の問題、そしてもう一つが、アルゼンチンが不服を申し立てている、英国による原子力潜水艦のマルヴィナス/フォークランド諸島(今年はフォークランド戦争30周年にあたる:IPSJ)派遣問題である。

またラテンアメリカ・カリブ海地域の非核兵器地帯は、現在構想が進められている中東における同様の計画の規範となるのではないかと考えてられている。

SGIの平和運動局の河合公明氏は、IPSの取材に対して「中東非核兵器地帯は、人々が新たな考え方や可能性を開拓し、それをもとに生きていけるよう、現実を変革させるものです。無力感や、仕方がないというあきらめに対抗するものです」とし、それゆえに、「これは、権力バランスを変えてしまうほどの大きな可能性を秘めています」と語った。

東京に本部を置くSGIは、核兵器廃絶のための首脳サミット開催を呼びかける世界的なキャンペーンを立ち上げたグループの一翼を担っている。

SGIは同サミットを、原爆投下から70周年を刻む2015年に、被爆地である広島・長崎で開催することを求めている。

CTBTO(包括的核実験禁止条約機関)準備委員会事務局長のティボル・トート氏は、ラテンアメリカ・カリブ海地域の非核兵器地帯が「中東にとって良き模範」と指摘した上で、「1960年代のラテンアメリカの状況とは異なり、ただの夢ではなく、構想が出来ているのです。」と語った。

さらにトート氏は、「近年、いくらかの進展があったものの、まだまだという観が否めません。核不拡散と軍縮の『現実的政策(リアルポリティーク)』の枠を飛び越えなければなりません。」と語った。

1996年から署名が始まったCTBTOは、発効までにあと8カ国の批准を残すのみとなっている。

中東非核兵器地帯の構想は、2011年11月、国連総会と安全保障理事会に直属する国際原子力機関(IAEA)が、(現存する5つの非核兵器地帯から学び、中東に活かす可能性を模索する)フォーラムを開催して、その実現可能性を集中的に協議した。

現在、ロシア、米国、フランス、中国、英国、イスラエル、インド、パキスタンに、2万2千発以上の核弾頭が保有されている。

OPANAL
OPANAL

NPTは1970年に発効したが、今日では、国際的な核軍縮メカニズムは麻痺しているとの見方が大勢を占めている。しかし、ラテンアメリカとカリブ海諸国は、トラテロルコ条約を出発点として次回2015年に開催予定のNPT運用検討会議に備えたい意向である。

マチャド事務次官は、「建設的な雰囲気で交渉することが重要です。中東に非核兵器地帯を実現するためには、何度も繰り返されている議論から脱却しなければなりません。」と語った。

イスラエル、インド、パキスタンはNPTに署名していない。一方、中国、イスラエル、エジプト、イラン、米国が依然としてCTBTの批准を行っていない。

トート氏は、「非核兵器地帯を運営していくには、透明性、監視、批准といった問題が重要です。」と語った。

河合氏は、未来に向けて確かなビジョンを示すためにも、核廃絶を求める世界的な運動を、より一層強力なものにしなければならないとし、「非核兵器地帯を実際に経験してどうだったのか、その体験を、とりわけ北東アジアや中東といった地域の各国政府や市民の間で共有されることを願っています。」と語った。

もうひとつの重大な事柄は、トラテロルコ条約加盟国とIAEA間の核物質の使用を監視する2国間協定の署名についてである。現在までに、十数か国が協定に署名している。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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│印パ関係│歴史的敵対関係を癒す食

【カラチIPS=ゾフィーン・イブラヒム】

もし人間の心をつかむのが胃袋を通じてであるならば、インドとパキスタンとの間の平和への道は、食文化の共通性の中に眠っているかもしれない。

パキスタンの著名なシェフ、ポピー・アガ(Poppy Agha)さんもそのような体験をした一人である。「インドのシェフが、オクラのケバブとビリヤーニ、そしてデザートにフィルニを出してきたときには、それまでインドに抱いていた不安や疑念が心の中で溶けていくのを感じました。」

アガさんは、食のリアリティー番組出演のために来訪していたニューデリーでIPSの取材に応じ、「私はとても愛国主義的な家庭に生まれ育ったので、インドに対しては、パキスタン特有の紋切り型な考え方を持っていました。でも、そういう考えは完全に変わってしまったのです。」と語った。

パキスタンでプロの調理師養成学校を経営しているアガさんはさらに続けて、「愛国的なパキスタン人であることを示すために、インド人を悪く考える必要などないのです。」と語った。

 インドのテレビ局「NDTVグッド・タイムズ」は、インドとパキスタン両国からシェフを招いて料理の技を競わせる「フーディスタン」を放映し、両国市民の熱狂的な支持を獲得している。つまり一つの番組が、この南アジアでライバル関係にある両国の民衆の注意を、核開発競争から料理バトルへと向けさせることに成功したのである。26回シリーズのこの番組では、インド・パキスタン両国から各8人の有名シェフが集い、アジア有数といわれるインドーパキスタンの食文化を、各々のお国自慢料理を通じて表現していった。

「料理は、人間の作った境界をいとも簡単に乗り越えることができるのです。その意味で、料理は国境を越えた友好関係を構築する素晴らしい手段になりえるのです。」と物理学者で平和活動家のパルヴェーズ・フッドボーイ (Pervez Hoodbhoy)氏は語った。

まさにそれこそ、この番組のプロデューサーが狙いとしたポイントである。

「NDTVライフスタイル」のスミータ・チャクラバルティ氏は、「インドとパキスタンは、音楽やクリケット、そしてもちろん、すばらしい料理という同じような情熱をたくさん共有しています。国境はたんに政治的に引かれたものであり、現実は、多くのやり方で、両国の人びとが同じように生き、考えているのです」とIPSの取材に応じて語った。

番組で審査員をつとめているVir Sanghvi氏は、「本物の戦争が無くなることを願っています。そうした日が確信できるようになるまで、平和を根付かせる最良の方法は、このフーディスタンのような(平和的な競争ができる)舞台において両国の民衆が交流を深めることです。」と語った。

パキスタンとインドは、1947年に宗教対立を背景に大英帝国から分離独立して以来、3度にわたって戦争をおこなってきた。以来、両国関係はカシミール州の領有を巡る衝突と対話・歩み寄りを繰り返す、ローラーコースターに例えられる激動の軌跡を刻んできた。

インドの外務官僚から政治家に転じたマニ・シャンカール・アイヤール(元大臣、国会議員)氏は、「インド・パキスタン国境のいずれの側でも、90%以上の国民は過去からの遺恨を抱いていない」という点を指摘したうえで、会場を埋め尽くしたパキスタンの聴衆に向かって、「両国には、このまま『今にも爆発しそうな敵意』をお互いに抱き続けて生きていくか、それとも積極的に交流を深めて共栄共存をはかっていくか、選択肢があります。」と語った。

イスラマバードに本拠を置くシンクタンク「ジンナー・インスティテュート」の招聘でパキスタンを訪問したアイヤール氏は、「インドとパキスタン:回顧と展望」と題した講演の中で、「歴史は私たちを国境で隔てたかもしれないが、地理は私たちを結びつけているのです。」と語った。

アガさんは、インドで各種料理のことなる調理法を学んだが、IPSの取材に対して、個人レベルではもっと大きな収穫があったと言う。「私は友人と呼べる素晴らしい人たちに出会いました。」とアガさんは語った。

両国の官僚主義による様々な障害(査証の発給拒否、訪問者に対する警察署への報告義務、移動に関する制限等)にもかかわらず、両国の民衆同士の直接交流は、独自の方向性を見出しているようである。

パキスタンの人権活動家ゾフラ・ユスフ氏は、「互いに接触するならば、それが競争を通じたものであっても長期的には理解の向上につながります。」と語った。

「例えば両国のクリケットチームが激突する試合では、双方の感情が高まったりするものだが、直接相手の顔がみえる形でのやり取りすることで、他者に対する偏見は大きく取り除けるものです。」とゾフラ氏は語った。

たとえば、インドのテニスプレイヤー、サニア・ミルザ氏は、パキスタンのクリケット選手ショアイブ・マリク氏と結婚したし、インド人のロハン・ボパナ氏とパキスタン人のアイザム・ウルハク・クレシー氏はテニスのペアを組んでいる。彼らは合同で、「戦争をやめてテニスを始めよう」というキャンペーンに取り組んでいる。

また、パキスタンのメディア集団「ジャン・グループ(The Jang Group)」は、『タイムズ・オブ・インディア』紙と組んで、「Aman ki Asha」(平和への希望)というキャンペーンをこの2年間行っている。この試みは、次代を担う両国の若者たちが共に両国の歴史を見つめ直し、未来への責任感を育んでいこうとするもので、例えば、両国の長大な国境に沿って張り巡らされた照明、セキュリティー装置付き有刺電気鉄線の維持に毎日2.5億ドルもの費用が費やされている現実が若者たちに突き付けられている。

「Aman ki Asha」プロジェクトの成功は、2008年11月に武装パキスタン人によって引き起こされたムンバイで発生したテロ攻撃の後、インド国内世論は暫くパキスタンに対して厳しいものとなったが、このキャンペー自体影響を受けなかった事実に見出すことができる。

2010年、インド・パキスタン双方の歌手が出演したスタープラス・テレビチャンネルが放送するリアリティー・ショーの「Chote Ustad」(リトル・マスター)は、両国で大ヒットした。

この番組でグランプリを獲得したパキスタン人のロウハン・アッバス氏は、メダル、トロフィー、副賞の賞金とともに、多くのかけがえのない思い出を祖国に持ち帰った。彼は、今でも番組で仲良くなったインド人参加者達を懐かしく思い出す。

「私は幼いころから、インドは私たちの敵という固定概念を抱いていました。しかし番組参加のためインドに行ったとき、インド人ホスト達が私たちに注いでくれた愛情と温かさに触れて、そうした固定概念は完全に払拭されました。」とアッバス氏はIPSの取材に応じて語った。

チャクラバルティ氏は、「番組に登場する両国からの参加者を見ると、どちらがどちらの国からきたと指摘されない限り、見分けはつきません。フーディスタンのような番組は隣人同士の同胞意識を広げる上で有効だと思います。」と語った。

番組の優勝者の一人であるアッバス氏は、「旅行や査証(ビザ)に制限があって、私たちは互いの食や文化についてよく知らないけれど、フーディスタンのような番組で、その壁を乗り越えることができます。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

|ユニセフ|資金不足で数百万人の子どもへ支援の手が回らず

【ブリュッセルIPS=バリ・ベイツ】

もし国連児童基金(ユニセフ)に12億8000万ドルの執行予算があれば、世界でさらに9700万人の人々に支援の手を差し伸べることが可能だったであろう。

例えば十分な予算があれば、ユニセフは、旱魃に伴う飢饉に見舞われているエチオピアの500万人の子供達の惨状を緩和し、ケニアの36万人の子供達にまともな教育を受ける機会を提供し、深刻な栄養失調に苦しむマダガスカルの16,000人の子供達を診察することができただろう。また、220万人のソマリアの子供達に安全な水を供給し、100万人の南スーダンの子供達に基本的ヘルスケアを提供することも可能だったはずである。

 しかしこれらの数字は、ユニセフが活動目標としている世界7地域の内の、ほんの2地域(アフリカ東部・南部)における現状にすぎない。

残念なことに、ユニセフが2011年に獲得できた資金の総額は目標の半分以下に過ぎず、これによって実際に実施に移せた活動も当初の目標に比べると半減せざるを得ない状況にある。

ユニセフでは毎年1月に、自然災害、紛争、慢性的な危機等により支援を最も必要とする深刻な状況に置かれている子供たちの状況を伝える「子どもたちのための人道支援報告書(Humanitarian Action for Children Report)」を発表している。

この報告書には、辛うじて生きているものの栄養失調からあばら骨が見えるほど痩せ細った少年少女の姿を写した高解像度の写真など、少しずつ餓死に追いやられている多くの人々が直面している厳しい現実が報告されている。

ユニセフは、1月27日発表した「子どもたちのための人道支援報告書2012年版」の中で、25か国7地域で子ども達に人道支援を行うための必要資金として12億8000万ドルが必要であると国際社会に訴えるとともに、支援対象国におけるニーズを分野別(栄養、水・公衆衛生と衛生、教育、児童の保護、HIV/AIDsその他)に明らかにしている。

ユニセフは当初38カ国を対象に14億ドルの拠出を国際社会に訴えたが、2011年半ばに、アフリカの角地域における前代未聞の危機等に対処するため内容を一部変更した。

同最新報告書によると、2011年の資金の44%は、ユニセフが最高レベルの緊急支援体制を発動した「アフリカの角」地域に対して投入されている。また同報告書は、2012年に関しても、いくつかの国々が直面している深刻な現状を浮き彫りにしている。例えば、ソマリアだけで2億8910万ドル(1国当たりの支援必要額としては過去最大)、コンゴ民主共和国で1億4390万ドル、スーダンで9810万ドルが必要だとしている。

また報告書は、2011年10月現在でユニセフが受け取った拠出金総額は、人道支援を実施するために必要な要請額の僅か48%にあたる8億5470万ドルに過ぎないこと、さらに、年末までに受け取る拠出金総額はさらに大きくはなるが、大幅な伸びは見込めない点を指摘している。

その結果ユニセフは、生きるか死ぬかに関わる人道支援を、どの子どもたちに差し伸べるかという、極めて痛ましい決断を迫られる事態となっている。

「悲しいことに、私たちは支援を必要としている全ての人々に救いの手を差し伸べられない状況にあります。」と、ユニセフの緊急対応専門家であるマリカ・ホフマイスター氏は語った。

活動資金の減少は如何なる組織においても大きな障害となるが、生死の境にある人々の支援を行っているユニセフの場合、資金不足は、そうした人々にとりわけ深刻な影響を及ぼすことになる。

たとえば、スーダンには昨年必要額の36%しか活動資金を投入できず、結果的に50万人に対して清潔な飲料水を提供するという計画は部分的にしか実行に移せなかった。当初予定していた給水施設の復旧・建設計画の多くが資金不足で挫折したため、13万人を超える人々に水を供給することが出来なくなったのである。

また洪水で学校施設に大きな被害を受けたフィリピンで、75000人の子ども達を対象に教育教材を支援する計画も、予定の18%しか活動資金を投入できなかったことから失敗し、50,000人以上の子ども達が未だに教育教材がないままの状態にある。

また昨年10月に公表された報告書によると、マダガスカル、ウガンダ、コンゴ、イラク、イラクからの難民、タジキスタンに至っては、10%に満たない額しか活動資金を投入できなかった事実を明らかにしている。

一方ユニセフは、こうした深刻な活動資金不足にもかかわらず、2011年を通じて実施した人道支援の成果として、3600万人を超える子ども達に対する虫下しやビタミンAの補給と予防接種の実施、1900万人の女性と子供に対する栄養補給の実施、1600万人の人々に対する公衆衛生施設と安全な飲料水の提供、400万人の子ども達に対するより良い教育へのアクセスの提供を挙げている。

ユニセフの活動資金には、長期的な開発目標を達成するためのものと、人道支援に特化したものがある。そして活動資金を執行するユニセフの各国事務所には、特定の支援ニーズに応じてこの2種類の活動資金を「ある程度」柔軟に使い分ける権限が認められている。

ホフマイスター氏はこの点について、「各国事務所にこうした裁量の余地を残すことで、緊急の事態に対応できる現場体制を確保しているのです。重要なことは、メディアの注目を集めやすい大規模な緊急事態と、殆どメディアに取り上げられることもなく活動資金も投入されないまま何年も事態が深刻化している『忘れられた危機』のバランスをとっていくことです。」と語った。

しかしこうしたユニセフによる取り組みが、全ての支援団体から評価されているわけではない。

NGOのオックスファムセイブ・ザ・チルドレンは、1月18日に発表した報告書『危険な遅れ』の中で、国連、NGO及び民間ドナー機関は、飢饉問題に対する従来のアプローチを見直し、「危機ではなくリスクを管理する」方向性へと転換するよう求めている。

同報告書は、アフリカの角地域における飢饉への取り組みについて、「危機を回避する機会が既に失われてしまっていることは明らかだ。」と述べている。

さらにオックスファムとセイブ・ザ・チルドレンは、(アフリカの角地域で)1300万人に影響をもたらした旱魃とそれに続いた飢饉は、ラニーニャ現象との関連を想起させる降雨量や天候パターンなど、その後に起こりうる危機について予兆を伴っていた明らかな事例であると指摘した。

「もしこうしたドナーがもっと早期に対処して、ほんの一部の人々の命でも救っていたならば、数千人の子どもや女性、男性が今でも生きていたでしょう。」と報告書は述べている。

ホフマイスター氏は、こうした批判に対して、「どんなに万全を尽くして用意した支援計画でも、予期せぬ災害で台無しになってしまうことがしばしばあるのです。」と反論している。

ユニセフのグローバルサポート部(2012年分として活動資金として2190万ドルを呼びかけている)では、こうした予期せぬ事態に備えるため、特定の国や目的に用途を限定せず、緊急の場合に著しく予算が足りない分野に転用できる予備費枠を設けることを目指している。しかし、こうした方策が効果を発揮できるかどうかは、資金集めの結果次第である。昨年の場合、グローバルサポート部が獲得できた活動資金は国際社会に訴えた総額の僅か3%にすぎなかった。

同報告書によると2011年10月時点で、ユニセフの上位10ドナーが、ユニセフの総収入の74%をカバーしている。そのうち、最大のドナーが欧州連合(EU)で拠出額は1億1580万ドル、それに米国(9820万ドル)、日本(9740万ドル)、国連中央緊急対応基金(CERF:9710万ドル)が続いている。

ホフマイスター氏は、女性や子どもの基本的人権を保護するために、ドナーに対して、支援約束の確実な履行と支援額の増額を求めている。

「私たちは要請額の100%達成を目指しています。なぜならユニセフが計画通りの結果を成し遂げるには、その他に方法がないからです。」とホフマイスター氏は強調した。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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世界の平和活動家が2015年の核廃絶サミット開催を迫る

【国連IPS=タリフ・ディーン

反核平和活動家と非政府組織(NGOs)の連合が、世界で最も強力な大量破壊兵器の一つである核兵器廃絶のための首脳サミット開催を呼びかける世界的なキャンペーンを開始した。

このキャンペーンの一翼を担っている東京に本拠を構える仏教組織創価学会インタナショナル(SGI)は、そうしたサミットを、広島・長崎の両市が壊滅的な被害を被った原爆投下から70周年となる2015年に両市で開催することを提唱している。

Photo: SGI President Daisaku Ikeda. Credit: Seikyo Shimbun
Photo: SGI President Daisaku Ikeda. Credit: Seikyo Shimbun

 また2015年は、5年に1度開催される核不拡散条約(NPT)運用検討会議の次回会合が開催される年でもある。

池田大作SGI会長は、23頁からなる平和提言「生命尊厳の絆輝く世紀を」の中で、「私は2009年9月に発表した核廃絶提言で、2015年までに達成すべき目標の一つとして、核兵器の非合法化を求める世界の民衆の意志を結集し、核兵器禁止条約(NWC)の基礎となる国際規範を確立することを呼びかけました。」と述べている。

また池田会長は、「2010年NPT運用検討会議での合意は、その突破口となるもので、明確な条約へと昇華させる挑戦を今こそ開始しなければなりません。」と述べている。
 
このキャンペーンは、平和市長会議、列国議会同盟(IPU)や、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)が開始した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)等、いくつかのNGOや反核団体の強い支持を得ている。

さらに、このキャンペーンは、核軍縮・不拡散議員連盟(PNND)及び2000人以上の平和活動家で構成されている連合組織「核兵器廃絶をめざすネットワークアボリション2000グローバル評議会」の設立メンバーでもある西部諸州法律基金(WSLF)からも支持されている。

Jackie Cabasso

WSLFのジャクリーン・カバッソ事務局長は、IPSの取材に対し、「池田SGI会長による、2015年核廃絶サミット開催の呼びかけは、2020年までに核兵器のない世界を実現させるための明確なロードマップを策定するために、各国の軍縮担当大使、国連高官、国会議員、NGO代表によるハイレベル会合の開催を目指している平和市長会議の計画と軌を一つにするものです。」と語った。

平和市長会議・北米担当コーディネーターでもあるカバッソ氏は、「そのロードマップは、2013年8月に広島で開催予定の平和市長会議総会において議論される予定で、その中には、2015年NPT運用検討会議に向けた準備と、同年後半に広島で開催が予定されている第2回ハイレベル会合に向けた計画が含まれる予定です。」と語った。

さらにカバッソ氏は、「平和市長会議の『2020ビジョン(核兵器廃絶のための緊急行動)』は、2020年までの核廃絶を実現するため、2015年をNWCの締結を完了させる目標年に定めています。また、平和市長会議は、NWCの署名を広島と長崎で行いたいと考えています。」と付加えた。

3つ目のイニシアチブである「国際平和拠点ひろしま構想」は、湯崎英彦広島県知事が昨年10月に発表したものである。

知事並びに国連、米国、オーストラリア、日本から参画した元政府高官や大学教授が策定したこの構想は、とりわけ、広島が国際平和拠点(global peace hub)として、核廃絶へのロードマップを支援する上で中心的な役割を果たすことや、将来的には政府間協議(トラック1)を目指す核廃絶に向けた具体的かつ持続可能なプロセス(=軍縮プロセスを多国間協議にする戦略について話し合うトラック2での対話提案「広島ラウンドテーブル」など)の促進に貢献することを謳っている。

平和活動家の中には、NWCの交渉は、核兵器保有5大国(米国、英国、フランス、中国、ロシア)から熱のない支持しか得られないかもしれないと予想する人々もいるが、著名な仏教哲学者でもある池田会長は、多方面にわたる平和提案の中で、NWCの交渉に対する期待を表明している。

1996年以来、国連総会はNWCの交渉開始を求める決議を毎年採択してきている。

池田会長は、この決議への支持は広がり続けており昨年には中国、インド、パキスタン、北朝鮮、イランを含む130カ国が支持した点を指摘した。

Ban Ki-moon/ UN Photo

また2008年には、潘基文国連事務総長が、「相互に補強しあう別々の条約の枠組み」あるいは「確固たる検証システムに裏うちされた」NWCの交渉を提案した。

そして2010年NPT運用検討会議では、全ての参加国による全会一致で採択した最終文書の中で、NWCへの言及が行われた。

さらに2009年9月、国連安全保障理事会は「核不拡散・核軍縮に関する安保理首脳会合」を開催し、『核兵器のない世界』構想実現に向けた条件を構築していくことを公約した国連安保理決議1887を採択した。

一方、ロシア、英国、フランス、カナダを含む159カ国が加盟するIPUも、NWCの交渉を全会一致で支持している。

カバッソ氏はIPSの取材に対して、こうしたイニシアチブが互いにかみ合うかどうか、あるいはどのようにかみ合うかについては「定かでない」としながらも、核兵器廃絶を唱道する人々にとって、2015年が、広島と長崎を焦点に画期的な年となる勢いが加速している点は「疑う余地がありません」と語った。

またカバッソ氏は、「池田会長が指摘されているように、2015年のNPT運用検討会議は、核不拡散及び軍縮体制にとって再び正念場の機会となるでしょう。」と語った。

また2015年は米国が広島と長崎に原爆を投下してから70周年となる年であり、引き続き福島原発事故の影響が続いている中、高齢化が進んでいる被爆者の間では、彼らの最後の一人が核兵器時代の扉を開けた1945年8月の前代未聞の恐ろしい記憶とともに亡くなる前に、核兵器を根絶しなければならないという明白な危機感が存在している。

平和市長会議は、1982年に開催された第2回国連軍縮特別総会に続いて行われた広島と長崎の市長による呼びかけによって設立された。

2011年の「国際平和デー」にあたる9月21日、平和市長会議は、加盟諸都市が151ヶ国・地域の5000都市を超えるまでになったと発表した。

翻訳=INPS Japan

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│中東│形を変える検閲

【カイロIPS=シンバ・シャニ・カマリア・ルソー

中東・北アフリカ諸国では、民主化蜂起の最中に当局側が情報の封じ込めを図り、多数のジャーナリストが殺害、暴行、逮捕された。

「国境なき記者団」のソアジグ・ドレ氏は、「『アラブの春』の初期の時点で、情報を統制することが各国政府当局の主要な課題となっていました。政府は、携帯やインターネット通信網を遮断したり、内外のジャーナリストを襲わせて、民衆蜂起に対する治安当局による弾圧に関する報道を完全に封じ込めようとしたのです。」と語った。

ザイン・アル=アービディーン・ベン・アリー大統領の失脚・国外逃亡へと発展した2011年1月のチュニジアの民衆蜂起は、その後急速に大きなうねりとなってアラブ世界全体に広がった抗議運動の発火点となった。その後1月25日には、抗議の波はエジプトに飛火し、民衆は30年に亘って政権の座にあったホスニ・ムバラク大統領に退陣要求を突き付けた。

そしてエジプトとチュニジアの成功を受けて、バーレーン、モロッコ、リビア、イエメン、シリアといった中東・北アフリカ諸国の民衆は、独自の抗議運動に立ち上がった。

ジャーナリストたちは、民衆の抗議行動や政府による弾圧の様子を国際社会に報道する上で重要な役割を果たしたが、彼らは同時に情報の封じ込めをはかる政府当局による弾圧に晒されることとなった。

国境なき記者団によれば、中東・北アフリカ各国の政府当局による弾圧により、少なくとも20人のジャーナリストが殺害され、553人が襲撃されたり脅迫されたりしたという。

サミール・カシール財団のアイマン・マナ常任理事はIPSの取材に対して、「民衆蜂起に直面した全ての政府当局は、当初、フェイスブックやツイッターなどを規制して情報封鎖を試みました。しかしのちに、誰が何を書き込んでいるのかを監視するために、むしろこれらを放任し、当局の意のままに従う場合を除いて、海外および独立派のジャーナリストとの接触を制限する方向に方針を転換したのです。」と語った。

こうした規制がとりわけ厳しいのが、シリアとバーレーンである。シリアでは、当局の監視下に入ることに同意しない限り、外国人ジャーナリストの活動が許可されないため、潜入取材しか方法がない。しかしそうした場合、フランス2のジル・ジャキエ氏(1月11日にシリア西部のホムスで取材活動中攻撃を受けて死亡)のケースが物語っているようにシリア政府は身の安全を保障していない。

またマナ氏は、「バーレーンでも、湾岸協力会議(GCC)が体制維持に既得権を持っているため、政府に批判的なメディアは当局の厳しい監視下に置かれており、政府の御用メディアが情報操作を行っています。」と語った。

人権活動家達は長年にわたって、中東・北アフリカ地域は、ジャーナリストの行動を規制する法律や規則が施行され、当局による抑圧的な手段(嫌がらせ、収監、監視、身体の拘束等)が講じられていることから、世界で最もメディア規制が厳しい地域の一つであると指摘してきた。

各国政府は、政府関係者に対する詮索や不正行為を報じようとするジャーナリストの行動を「政府の評判を傷つけようする行為」として逮捕・収監できるよう、新聞・出版法、緊急事態法制、刑法、インターネット関連法、電気通信法制など、あらゆる法律を駆使してきた。

バーレーンでは、2002年に施行された新聞条例を根拠に様々な検閲を行っている。一方シリアの刑法は、国外にニュースを広める行為を犯罪行為として処罰の対象としている。さらにシリア、エジプト両国では、緊急事態法の規定により、政府当局には正当な手続きなしで、ジャーナリストやメディア関係者、政治活動家の取り調べを行ったり身柄を拘束する権限が認められている。

人権団体「個人の権利のためのエジプトイニシアティブ」のオンラインメディア担当のラミー・ラオーフ氏はIPSの取材に対し、「ムバラク時代には、政府当局が編集長に電話で圧力をかけたり、特定の版の印刷を差し止めたり、日刊号の没収、ジャーナリストへの嫌がらせや所持品の没収を行うなど、実に様々な検閲が行われていました。」と語った。

「このような干渉は今も続いていますが、以前との違いは内務省の官僚に代わって軍からの圧力が加えられるようになった点です。例えば、2011年2月22日、軍はエジプト国内の各紙に向けて軍に関する如何なる報道もしないよう求める手紙を送付しています。」

「大半のアラブ諸国における新聞規定は表面的には報道の自由を尊重する体裁をとっています。しかしその実態は、政府当局が干渉する余地を大幅に残しているのです。例えばシリアでは、『(反政府活動家たちが)国家を堕落させている』と題した類の記事が幅広く報じられています。反政府活動家たちを裏切り者で外国の敵と通じている連中だと非難する論調も頻繁に使われています。」とマナ氏は付加えた。

「アラブの春」から1年が経過し、中東では革命後の民主体制構築に向けて歩みを進める国々もあれば、引き続き民主化を求める抗議運動が続いている国々もある。いずれの国においても、ジャーナリストが報道の自由を確保することは引き続き困難な状況にある。

「『アラブの春』を通じて報道規制も緩和され、『恐怖の壁』を打破したジャーナリスト達もかつてより自由に発言できるようになりました。しかし一方で、彼らが意見を述べることは、従来の政権が引き続き支配している国であれ、(革命による旧政権の崩壊後)新たに宗教的原理主義が台頭しつつある国であれ、むしろ一層危険な行為となっているのです。つまり検閲の在り方が変質しており、ジャーナリストたちは、書いたり発言したことの結果が問われるようになってきているのです。」とマナ氏は語った。(原文へ

INPS Japan浅霧勝浩

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核廃絶への世界的支持が頂点に(ジョナサン・フレリックスWCC平和構築、軍縮エグゼクティブ)

【ジュネーブIPS=ジョナサン・フレリックス】

核兵器に関する新しく強力なストーリーが世界中で生まれている。その新しいストーリーは、皆が共有することができるものであるがゆえに、インパクトを持っている。それは、核のフィクションを核の現実に置き換えるものだ。2012年は中東における軍事行動の警告から始まったが、核兵器5大国(米国、ロシア、英国、フランス、中国)における新しいリーダーシップで幕を閉じることになるだろう。この新しいストーリーとはいったい何で、それは何をもたらすのだろうか?

このストーリーの中でもっとも短いバージョンは、「核兵器廃絶国際キャンペーン」(ICAN)によって語られているものだ。「核兵器のない世界が想像できますか?」と誰かに聞いてみるといい。「もちろんできます」(I can)という答えが返ってくるに違いない。

もう少し長いバージョンのひとつが、スコットランドで教会関係者が昨年末に開催した国際セミナーで聞かれた以下のようなものだ。彼らの多くは、核軍縮を支持している。

 「私たちは、時代遅れで扱いづらく、ひどくコストがかかり、しかも機能しない核の『傘』の下に生きています。今日、人々はグローバル・コミュニティの一部として暮らしていると考えています。彼らは、命を危険に晒すのではなく、命が守られるような環境で生きていきたいと願っているのです。つまり核兵器は誤りであり、なくさねばなりません。今こそ(核廃絶を目指す)運動に参加すべきときです。一人一人の人間には役割があり、何か出来ることがあるはずです。皆でともに大きな変化を生み出していこうではありませんか。」

こうした新しいストーリーによって、核兵器は攻勢にさらされている。各国指導層の間でも、以前よりも強い政治的、社会的圧力が存在しており、国連では130ヶ国が核兵器禁止条約(NWC)を支持し、5000人の市長と数千人の国会議員、著名人らが核廃絶運動に加わっている。また、核兵器への挑戦は、地理的な面(各地に創設されてきた核兵器禁止地帯の存在)、法的な面(国際人道法)、経済的な面(核兵器の維持を困難にする財政赤字、国家の負債、核兵器関連企業に対する市民による資本の引き上げ〈ダイベストメント〉)と、多方面にわたっている。

今では様々な国の政府高官や将官らが、核戦略の問題点を暴露し始めている。また、気候科学は、「核は環境に悪影響を与える」との判断を下しており、医者や科学者、法律家は、核兵器の正当性を疑っている。また、各種映画やウェブサイト、書籍も(核兵器の問題点に関する)公な議論を生んでいる。そして世界の諸宗教も、道義的、倫理的、精神的観点から核兵器を非難している。さらに、昨年発生した福島原発事故のような大惨事は、いかに平和的な外観を装ってはいても、核エネルギーというものが致命的であり、長期にわたる悪影響を引き起こすということを、人々に改めて思い知らせることとなった。

これまで核兵器を容認してきた世界的な仕組みは崩壊しつつある。人間社会、生態系、そしてこの地球全体に関して、核兵器には全く出番がないと感じる人がますます多くなってきている。

しかしだからといって、現在の核体制に挑戦している人々は、それほど楽観的でいるわけではない。核兵器を保有する僅か5%の政府が、(核廃絶という)公益を拒絶し、軍縮の義務を放棄する一方で、核兵器を持たない世界の95%の政府は、核兵器廃絶という国際社会の大多数の意思を実現できずにいるのだ。

核に関する新しいストーリーと古いストーリーのそれぞれが2012年に導くシナリオは異なったものだ。3つの例を紹介しよう。

第一に北東アジア。ここでは、核抑止の傘は時代遅れで穴だらけになっており、現状維持を図ろうとする不安定な仕組みである核不拡散条約(NPT)が崩壊しつつある。北東アジアにおける「核安全保障サミット」とは、それ自体、語義矛盾であるが、今年の核安全保障サミットは、韓国の首都ソウルで開催される予定だ。

核の新しいストーリーは、韓国出身の潘基文国連事務総長が「抑止という感染的なドクトリン」と啓発的に表現したものから、地域的な教訓を引き出すことができるだろう。核抑止を実践している9ヶ国のうち8ヶ国は核安全保障サミットに招待されているが、9つ目の国は韓国の隣国(=北朝鮮)なのである。感染には治療が必要である。それは例えば、朝鮮半島の非核化などの共通の地域的目標をめぐる開放的な関与といったものだ。スコットランドで開催した先述のキリスト教徒の集まりでは、核廃絶という目標を社会の中でより高い位置におくために、キリスト教徒と仏教徒によってどのような信頼醸成措置が取れるかについて話し合われた。これらの諸教会はこれまで25年にわたって、朝鮮半島を南北に分断している非武装地帯(DMZ)の両側から現状を打破すべく努力を続けている。

第二に中東である。ここもまた核の傘が機能していない地域であり、ここに核兵器禁止地帯を確立できるか否かに、NPTの将来がかかっている。この目標に関する国連会議が、17年の遅延の後に、今年ようやくフィンランドで開催される予定だ。

しかし、核に関する古いストーリーが、その国連会議に暗雲を投げかけている。今再び、「核の二重基準を強行することが中東にとっての問題ではなく解決策だ」という近視眼的な理屈がまかり通っている。これまでもイスラエルの近隣諸国(全てNPT加盟国)は、事実上、NPT未加盟のイスラエルがあたかもNPT上の核保有国であるかのごとく同国の核兵器と共存していくことを期待されてきた。これは安全保障の如何なる常識に照らしてもあり得ない処方箋であり、結局このような無責任なレトリックが、中東やその他の地域で核拡散を引き起こす要因を作り出してしまっているのだ。

他方、核に関する新しいストーリーは、イスラエルも含めた中東のすべての国家の幸福に関わるものだ。核兵器を含む全ての大量破壊兵器のない地域を創設する構想は、初めからシナリオの一要素として存在していた。またこの地域での1990年代の動きは、微妙な安全保障問題の解決に向けて、インセンティブや互恵主義、相互関与を通じて取り組んだ有益な前例を示している。

第三に北大西洋条約機構(NATO)であるが、その核兵器は使えないもので、金の無駄遣いとなっている。NATOの約200発にのぼる戦術核は、冷戦期の老朽化した怪物が依然として貯蔵庫で幅を利かし、それには何の意味もないということの象徴となっている。この死の遺産をなくすることで、核兵器を自国領土に置いている国を14か国から9カ国に減らすことができる。またそうした措置は、NATO・ロシア間の新しい安全保障取り決めに向けた大きな障害を取り除くことにもなる。

2010年、NATOとロシアは、「欧州・大西洋地域において、平和・安全保障・安定の共通空間創出に貢献する」ことに合意した。はたして今年シカゴで開催予定の「NATOサミット2012」で出てくるのは、新しいストーリーだろうか、それとも古いストーリーだろうか。

核の新しいストーリーでは、過去を理解するために核の考古学者が登場し、一方で「人間の安全保障」という枠組みが、未来のビジョンとして提案されている。北東アジア、中東、そしてNATO加盟諸国が位置する場所は、いずれも今後の「鍵を握る」地域である。核廃絶を目指す取り組みは引き続き困難で、さらに多くの人々の参加が求められるが、変化の予兆はすでに現れている。私たちは今後の取り組み次第では、新年を核時代という過去の延長ではなく、より安全な未来の一部として迎えることが可能なのである。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

ジョナサン・フレリックス氏は、世界教会協議会(WCC)の平和構築、軍縮エグゼクティブ。

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「抑圧は反乱につながるかもしれない」(セルゲイ・ウダチョフ野党運動「左翼戦線」リーダー)

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【プラハIPS=クラウディア・シオバヌ】

Sergey Udalstov addressing a public gathering. Credit: Courtesy of Sergey Udalstov
Sergey Udalstov addressing a public gathering. Credit: Courtesy of Sergey Udalstov

ロシアの野党運動は、12月4日のロシア下院選挙後の抗議活動で脚光を浴びるようになったが、そのリーダーの一人セルゲイ・ウダチョフ氏(35歳)は、「我々の要求はまだ終わっていない」と語った。

小さな社会主義者団体「Vanguard of Red Youth」と左翼の政治連合「左翼戦線」のリーダーをつとめるセルゲイ・ウダチェフ氏は、昨年ロシア当局に何十回も恣意的に逮捕される中で、野党運動関係者の間で頭角を現してきた人物である。昨年ウダチェフ氏は1年の約3分の1を刑務所に収監された。

ロシアでは昨年12月に、4日に実施された下院選挙で与党「統一ロシア(プーチン氏自身が党首をつとめる)」が多数派工作を目論んで不正行為を行ったとする疑惑が高まり、首都モスクワをはじめとするロシア各地の主要都市で数万人規模の抗議デモが発生した。

 しかしモスクワにおける12月24日の8万人規模のデモを最後に、大規模な抗議行動は一旦影を潜めている。その後もモスクワでは引き続き数百人規模の抗議デモが発生しているが、参加者からは、ロシア当局によるウダチョフ氏に対する執拗な嫌がらせを憤る声が聞かれた(アムネスティ―・インターナショナルは12月にウダチェフ氏が「良心の囚人」にあたるとして、即時釈放を訴えた)。

先般釈放されたばかりのウダチェフ氏はIPSの取材に応じ、「当局は何度も私を逮捕してきていますが、法的な本拠があるものなど一つもないのです。逮捕理由はすべてでっちあげられたものです。例えば、ある(下院選挙当日の)逮捕理由は、私が横断すべきでない場所で道路を渡ろうとしたという馬鹿げた嫌疑でした。しかもその時、私は同じ町の違う場所にいたにも関わらずですよ。またある時は、逮捕に抵抗したというありもしない罪を着せられました。」と語った。

インターネットに流れている複数の録画映像には、抵抗することなく警察官に逮捕されるウダチェフ氏の姿が映っている。

「政府当局は、私には民衆を動員する力があると理解しているので、私を危険人物だと判断したのだと思います。私を立て続けに逮捕・収監してきた狙いは、私を政治活動家として孤立させること、とりわけ選挙期間中に動きを封じることにあったのだと思います。」

インタビューの要旨は以下の通り:

Q:「左翼戦線」が目指しているものは何ですか?

A:「左翼戦線」は社会正義の実現と、全ての国民に国家の資源を公正に分配することを目指すイデオロギー運動です。今日ロシアは、大統領(ドミトリー・メドヴェージェフ氏)と首相(ウラジミール・プーチン氏)の取巻きが支配しています。その結果、人口の10%程度にあたるエリート層が国の富の90%を支配し、大多数のロシア人が貧しい生活を送っているのです。これが今日のロシア社会が直面している深刻な問題なのです。

私たちは、天然資源、運輸、産業など国のあらゆる戦略的な分野の管理に、より幅広い層の国民が参画できる仕組みを実現したいと考えています。つまり私たちが求めているのは、ロシア国民が、公平で透明性が確保された国民投票を通じて意思表示ができたり、インターネットを通じて政府当局との意思疎通ができたり、或いは国民として社会改革について発言権をもてるような直接民主主義の実現なのです。

私たちはソ連について特に郷愁の念を抱いているということはありませんし、ましてや社会の停滞をもたらした中央計画経済への復帰を訴えるということもしていません。私たちの主張は、新たな発展の道筋を模索しながら、ソ連時代の良い点については残していこうというものです。つまり、ロシアの社会民主主義的な開発を志向しているのです。

Q:お話を伺っていると、「左翼戦線」が掲げているビジョンは穏健なものに聞こえますが、それではどうしてメディアでは「極端」「過激」というイメージで報道がなされているのでしょうか?

A:今日のロシアではプロパガンダが大衆伝達の主な手段となっています。ロシアでは多くのテレビ局、ラジオ局、オンラインニュースが当局の管理下にあります。政府当局はこうしたマスメディアを通じて、野党運動全体に対する不信感を植え付ける手段として私たち(「左翼戦線」)のイメージを傷つけているのです。政治について知識があまりない市民は、こうしたマスメディア報道に接して真実を見極めることができません。その結果、そうした人々は、私たちが内戦やスターリン時代の復活を望んでいるといったデマを信じてしまうことになるのです。

しかし、私たちがウェブサイトで公表している内容を見れば、だれもが私たちが訴えている真の立場が理解できると思います。つまり、私たちは今まで一貫して平和的な抗議活動を訴えてきたということ。そして私たちが望んでいることは、国民に権限を付与(エンパワー)して国民自らの問題を解決していきたいということに尽きるのです。私たちはメディアによって実像がかなり歪められています。しかし、インターネットが透明性をもたらし、政府当局によるプロパガンダに支配されやすい人の数も減少していくなかで、こうした歪んだイメージも近い将来払拭されると期待しています。

Q:あなたはこれまでの演説で「ウォールストリートを占拠せよ」運動で良く使われる「99対1%」レトリックを使っていますが、同運動とロシアの野党運動には多くの類似点があるのでしょうか?

A:はい、2つの運動には、いくつかの類似点があります。社会的平等を求める闘いは、一国に限定されたものではなく、今やその機運は世界全体を覆っています。帝国主義的なグローバリゼーションを批判する声は、第三世界(発展途上国)のみならず第一世界(西側先進国)においても湧き上がっています。こうした国際情勢の流れは必然的にかつての第二世界(旧共産圏)に暮らす私たちに今後どのような発展を志向したいのか真剣な考察を迫っているのです。

しかしロシアは閉ざされた国ですから、海外の運動と連携するのは困難なのが現状です。よって今日ロシアの野党運動が取り組んでいる具体的な活動は、①実態を反映した政治的な競争を実現すること、②公正な選挙を実施すること、③政権当局と民衆の対話を実現することの3点に集約されます。

Q:今後数か月、ロシアの野党運動はどのような展開をしていくと見ていますか?

A:ロシアの民衆は政府に改革を要求しています。政治家たちは改革を実現できなければ、権力の座から降りなければなりません。もし弾圧が続くならば、最終的には反乱がおこるかもしれません。

今後の流れは、政権当局が野党勢力や市民社会との対話を開始するかどうかにかかっていると思います。今般の抗議活動の規模は近年最大のもので、当局も無視するのが困難になっています。政府は12月下院選挙結果の無効を宣言し、年末までに再選挙を実施すべきです。ロシアには公正な選挙が必要です。もし公正な選挙が実施されれば、新たな議会は、各党の実際の勢力関係がより反映したものとなり、野党各党の議席が拡大したものとなるでしょう。

しかし政権側があくまでもプーチン氏を大統領とすることにこだわり、野党勢力との対話も私たちの要求も拒否し、さらなる不正選挙を強行していくようなことがあれば、民衆の抗議行動も強まり、ついには革命へと発展するかもしれません。もちろんそうした場合でも平和的(ビロード革命のような)なものでなければなりませんが。

Q:3月(次期大統領選挙)以降プーチン氏に大統領として政権を継続させるということで政権側と野党側が妥協する可能性はどうでしょうか?

A:もし政権側がプーチン氏の大統領職復帰を主張するとすれば、それは妥協ではなく罠です。

Q:ロシア当局があなたを何度も逮捕しているのは、政権側があなたを恐れているからだと思いますか?反対勢力に対するそのような恐れは、政権が弱体化している兆候でしょうか?

A:ロシアでは、政権にとって好ましくない者、とりわけ政権を批判するような活動家は「過激論者」というレッテルが貼られ、常に弾圧の対象となってきました。政権側はこのような圧力を常に行使してきたのです。過去10年から15年、政権側の体質は基本的に変わっていません。しかし近年は、一般のロシア人が以前より政治動向に注意を払うようになってきたことから、政権側はこうした弾圧を世間の目から隠しづらくなってきており、結果的に当局による抑圧が以前より目につくようになってきたのです。従って、今は、政権側にとって、弾圧という目に見える失敗を犯すことは、以前より政治的なリスクが高くなっているのです。

Q:プーチン体制後のロシアをどのように展望していますか?それはソ連崩壊後に独立した旧連邦諸国との関係にどのような影響をもたらすと思いますか?

A:今後公正な選挙が実施されたと仮定すれば現実的な予想は左翼が政権を担う公正な選挙が保障されたロシアが誕生しているでしょう。政策も左派路線に転換することで、社会の緊張、生態学上の危機、飢餓の問題も緩和されるでしょう。旧ソ連邦構成諸国との関係については、私たちは、経済的、文化的関係を深めて、おそらく欧州連合(EU)をモデルとした連合を構築したいと考えています。ただし、これらの諸国がこうした構想に同意し平和的手段で連合が形成されるのならばという前提があってのことです。

こうした連合は、最終的には共通通貨、共同防衛、さらには域内の行動の自由を保障する枠組みを目指す漸進的な統合形態をとることも考えられます。ロシアと旧ソ連構成諸国との間には、ソ連解体後にすべてが失われたわけではなく、依然として緊密な関係が存続しています。お互いに協力し合うことが各々の国益にもつながりますし、旧ソ連構成諸国における不法移民問題でさえも、この連合構想が実現すれば解消することが可能なのです。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

│米国│対イラン軍事攻撃への反対論強まる

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【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

18世紀の英国の評論家サミュエル・ジョンソン氏の有名な警句「絞首刑になるかもしれないということほど…」を言い換えて言えば、「突然戦争になるかもしれないということほど、人を真剣に考えさせるものはない。」ということだろう。

もしその警句が10年前の米国によるイラク進攻の準備段階には当てはまらないとしても、1月上旬以降、急速に高まりを見せているイランと米国及びイスラエル間の緊張関係を巡る米国の外交エリート、とりわけかつてイラク戦争を支持したリベラル・ホークと呼ばれる人々の動きには当てはまるようだ。

 日増しに強まる、イラン核施設を攻撃するとのイスラエルからの脅し。この数年で5人目となる、おそらくはイスラエルの諜報機関モサドによるとみられるイラン人核科学者の殺害。このところ急速に進められているイラン経済の弱体化を意図した西側諸国による経済制裁の強化。ホルムズ海峡を閉鎖するとのイランの脅迫。こうした事態の展開とともに、それまで仮定の領域で語られてきたイランとの戦争の可能性が、意図的なものか、挑発によるものか、偶発的なものになるかは別として、徐々に現実味を帯びて我々の視野に入ってくるようになった。

また米国内では、共和党の大統領候補者たちが、なんとかキリスト教原理主義勢力やユダヤ人有権者・後援者の支持を獲得しようと、イスラエル支持のタカ派的な発言を繰り返しているが、こうした動きは、かつてイラク戦争へと扇動したネオコン系シンクタンクのアメリカンエンタープライズ研究所(AEI)や民主国家防衛基金(FDD)が最近再びイランの「政権交代(regime change)」を訴えるキャンペーンを強化してきている動きと同様に、イランとの戦争の可能性を高めかねないリスク要因となっている。

こうして突然戦争が起こりうるのではないかという懸念が急速に高まる中、米国の著名な外交・国際政治専門誌「フォーリン・アフェアーズ」が、「イランを攻撃するとき―なぜ爆撃が最小悪のオプションなのか(Why a Strike is the Least Bad Option)」と題するマシュー・クローニグ氏による論文を掲載した。彼は、つい最近まで、国防総省(ペンタゴン)で1年間に亘る戦略分析の任務についていた。この論文には、イランの防空施設・核施設に対する限定的な空爆が主張されている。

しかし、これに対して、対イラク開戦をかつて主張したリベラル・ホークを含む外交政策に影響力を持つ多くのタカ派論客の間から、これ以上の米国或いはイスラエルによる事態の先鋭化に反対する「対イラン戦争回避論」が強く出されるようになってきた。

「フォーリン・アフェアーズ」誌の発行元である「外交問題評議会」のレスリー・ゲルブ名誉会長は、デイリー・ビースト誌に寄稿した論文の中で、かつて立場を同じくしていたネオコンやその他のタカ派論客たちがイランとの対決姿勢を強めている動きについて「以前と同じく、無知で杜撰な考え方をする政治家や政治化した外交専門家達が新たな基準の『最後通牒』を突き付けようとしている。そして以前と同じように、彼らが私たちを急速に戦争へと駆り立てている事態を許してしまっている。」と指摘した上で、「我々はひどいことをまたやろうとしている」と警告した。

かつて元CIA分析官で2002年に出版した著作『迫りくる嵐』(The Threatening Storm: the Case for Invading Iraq)がリベラル・ホークに頻繁に言及されたケネス・ポラック氏は、これ以上事態が先鋭化することに反対の立場を表明するとともに、バラク・オバマ政権や欧州連合(EU)が採用している経済制裁強化路線は逆効果であると主張した

ポラック氏は、「こうした(イラン中央銀行を標的とした)経済制裁は、あまりにも影響が大きく、潜在的に裏目に出る可能性がある」と述べ、その理由として苦闘している西側諸国自身の経済に悪影響が及ぶ可能性があることや、もしこの経済制裁がかつてイラクにもたらしたような「人道的危機」(1992年からイラク進攻時まで課された経済制裁)を引き起こした場合、外交的に制裁を維持することが困難な点を挙げた。

さらにポラック氏は、「我々がイランへの圧力を加えれば加えるほど、イラン側の反発を招き、彼らの反撃の仕方によっては、事態は容易に予期できない方向にエスカレートしていくでしょう。もし戦争となれば、イランの方が圧倒的に深刻な被害を被るのは明らかだが、西側諸国も手痛い代償を強いられるだろう。しかもそうした痛みはだれもが想像できないほど将来に禍根を残すかもしれない。」と述べている。

一方、著名なリベラル・ホークで2009年に国務省政策企画本部長に就任するまでプリンストン大学教授をつとめていたアン・マリー・スローター氏は、project-syndicate.orgに寄稿した論文の中で、「西側諸国とイランは危険なチキンレースを行っている。しかも西側諸国が現在推し進めている政策は、イラン政府に二者択一、すなわち公に圧力に屈して引き下がるという彼らにとってあり得ない選択肢か、挑発を一層エスカレートさせるという選択肢のいずれかの選択を迫るものである。」「西側諸国がイランを公に脅迫すればするほど、イラン指導部にとって、近年米国を友好的に見る傾向にあった国内の一部の市民に対して、改めて米国を『大悪魔』として描いて見せることが容易となる。」と述べている。

またスローター氏は、「今こそ、イランが引き下がれる戦略を用意できる冷静な指導者が主導権をとるべき時です。」と述べ、具体的な方策として、2010年にトルコとブラジル政府がP5+1(国連安保理常任理事国+ドイツ)とイランの仲介を試みようとしてその後頓挫したイニシアチブを復活させることを提案した。

『ニューヨーク・タイムズ』のコラムニスト、ビル・ケラー氏は、クローニグ論文に関して、論文の読者とクローニグ氏のペンタゴンのかつての同僚らは、「この文章に驚愕していることだろう。イランの核の脅威を極端に評価し、他方で事態改善に関する米国の能力を極端にバラ色のものとして描いているからだ」と記した

またケラー氏は、クローニング氏の予想とは反対に、「イラン攻撃を行えば、イラン国民はほぼ間違いなく指導者の下に結束し、イランによる核能力追求は、国際査察の目を遠ざけて地下化し、ますます強化されることになるだろう。ペンタゴンでは、『いま避けようとしていることを引き起こすには、イランに軍事攻撃を仕掛けるのが一番』という警句が交わされているのをしばしば耳にするだろう。」と述べている。

また、昨年12月までの2年間、ペンタゴンで中東政策の責任者を務めていたコリン・カール氏は、「フォーリン・アフェアーズ」誌に「イランを攻撃する時ではない」と題したクローニグ論文への反論を投稿し、その中で「クローニグ氏が論文で述べているクリーンで限定的な戦いなど幻に過ぎない。それどころか、イランとの戦争は汚く、多くの犠牲者と禍根を残す極めて暴力的なものとなるだろう。」と記している。

現在タカ派シンクタンクの「新アメリカ安全保障センター」(CNAS)のシニアフェローをつとめるカール氏は、クローニグ氏への数々の反論の中で、「イランに対する先制攻撃を行えば、それはクローニグ氏の言うような限定攻撃では終わらず地域を巻き込む戦争に発展する可能性が高い。さらに先制攻撃は、イランの人々を現政権の下に団結せしめるのみならず、『アラブの春』で広がった反体制運動が、一気に反米運動に転化する危険性がある。」と警告している。

その後、カール氏による分析内容の多くは、元米空軍大将でジョージ・W・ブッシュ政権の2期目に中央情報局(CIA)長官を務めたマイケル・ヘイデン氏に支持されている。因みにヘイデン将軍はリベラルとはとうてい呼べない人物である。

フォーリン・ポリシー誌のブログによると、1999年から2005年まで国防総省の国家安全保障局(NSA)局長をつとめたヘイデン氏は、先週ワシントンDCに本拠を置くシンクタンクCenter for the National Interest(旧称ニクソンセンター)で開催された会合で、少数の参加者を前に「ブッシュ政権当時、大統領の安全保障アドバイザーたちは、イランへの核施設に対する軍事攻撃は、それがイスラエルによるものであろうと米国によるものであろうと、望ましい結果が期待できるものではないとの結論に達していた。」ことを明かした。

同ブログによるとその際、ヘイデン氏は、「イスラエルは(イランへの攻撃を)行わないだろう。…それは彼らの能力を超えるもので、実行は不可能である。彼らの軍事能力では(イランの核開発プログラムという)問題を悪化させるだけだ。一方、米国には(イランに対する)軍事行動を開始する能力はあるが、期待できる効果は短期的な問題の是正に過ぎない。結局は誰も、何かを占領するといった話をしているわけではないのだ。…」と語ったという。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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