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|東京会議2012|ISAF以降のアフガニスタンに注目が集まる

【東京IDN=浅霧勝浩】

日本は米国に続いて世界第2位のアフガニスタン支援国である。2002年1月に「東京会議」が開催されてから2011年末までに、日本はアフガニスタン支援のために33億ドルを投じてきた。援助分野は、民主化に向けた政治プロセスから、インフラ整備、農業・産業育成、ベーシックヒューマンニーズ、さらには30年余りに及ぶ内戦で深刻なダメージを受けてきたアフガン文化の復興支援まで多岐にわたっている。

アフガニスタンに駐留している10万人規模の国際治安支援部隊(ISAF)が2014年末までに撤退するのを前にその後のアフガン支援を協議するために開かれた「アフガニスタンに関する東京会合」(東京会議2012)では、日本の玄葉光一郎外相が、2012年からの5年間で経済社会開発や安全保障能力向上に最大30億ドル(開発支援22億ドル、治安支援8億ドル)を支援すると表明した。

 玄葉外相は、アフガニスタンのハミド・カルザイ大統領ら80の国と国際機関の代表を前に、日本はアフガニスタンの開発戦略を踏まえ、3つの柱を重視して経済社会開発分野の支援を行うと語った。

それらの柱とは、アフガニスタンの人口の約8割が従事する農業分野への支援、インフラ整備、人づくりである。玄葉外相は、こうした分野への支援を通じ、日本政府は2017年以降も引き続きアフガニスタン主導の国造りに相応の貢献を行っていく意向を表明した。

また、アフガニスタンと周辺諸国との地域協力を更に強固なものとするために、周辺諸国(中央アジア、パキスタン)に対し、総額約10億ドル規模の事業を行うとともに、これら事業を通じて、中央アジアからパキスタンのカラチまで至る、アフガニスタンを縦断する回廊の整備を支援する意向を表明した。
 国際社会が今から2015年までの5年間にアフガニスタンの経済開発支援に総額160億ドル(1兆2800億円)ものコミットをした意義は、極めて大きい。この支援は、アフガン政府が従来から開発努力の妨げとなってきた腐敗・汚職などのガバナンス問題に取り組み、国際社会はその進捗状況をモニターするという新たな条件に同意したことを受けて、正式にコミットされたものである(「相互責任に関する東京フレームワーク」)。

世界銀行は、アフガニスタンの移行期間の最初の3年間において、現在の国民総生産(GDP)170億ドルの減少を防ぐために、非安全保障部門で33~39億ドルの予算が必要だとみている。

この開発支援は、今年5月にシカゴで開催された北大西洋条約機構(NATO)首脳会議で、アフガニスタン国軍に(ISAF撤退後の)2015年から17年までで41億ドルを提供することが発表されたことに続くものである。

国連食糧農業機関(FAO)が指摘しているとおり、30年に亘る戦争、社会不安に加えて、度重なる自然災害に見舞われてきたアフガニスタンは、膨大な復興ニーズを抱えている。近年ある程度の成長・前進が見られるものの、依然として、数百万人ものアフガニスタン人が朽ちかけたインフラや環境被害に晒されている厳しい状況下で、極貧の生活を余儀なくされている。この岩だらけの陸封国は、未だに全人口の半数以上が最低生活線(貧困ライン)を下回る、世界最貧国の一つなのである。

「2007-08国家リスク脆弱性評価(NRVA)」によれば、アフガン人口のおよそ3分の1にあたる740万人が日々の食事にすら困り、全人口の37%にあたる850万人が必要な食料確保の境界線上にあるという。さらに、毎年40万人が、干ばつや洪水、地震などの度重なる自然災害による甚大な被害に晒されている。

安全・安定に向けた支援

こうした状況を背景に、国連の潘基文事務総長は、「私たちは全員、アフガニスタンの人々と力を合わせて、安全、安定、そして繁栄を求め続けなければなりません。アフガニスタンが国内の平穏を取り戻せば、自分自身、そして子どもたちの生活を改善するという国民の希望にきっと応えられることでしょう。」と述べ、国際社会に対して引き続きアフガニスタンへの関与と支援を継続するよう呼びかけた。

また潘事務総長は、「そして、アフガニスタンが遠くも近くも、近隣諸国との友好関係を保てれば、地域、そして国際の平和と安全に大きく貢献することでしょう。」と、会議参加に語りかけた。「東京会議2012」は、この3カ月の間に開催されたアフガニスタンに関する一連の国際会合(シカゴ会合、カブール会合に続く)の3つ目となるものである。

さらに潘事務総長は、「私たちはアフガニスタンの歴史上、極めて重要な時期を迎えています。アフガニスタンの様々な制度や機構の確立を可能にした援助への依存から脱却し、機能する主権国家として国民や国際的パートナーとの関係を正常化するための移行期にあるからです。」と語った。

「しかし、はっきりさせておく必要があります。移行は単に短期的な対応を意味するものではありません。アフガニスタンの人々に、よりよい未来が訪れるという長期的見通しを与え、アフガニスタンが見放されるのではないかという不安を和らげるべきです。」

「国際社会は、アフガニスタンが約束したガバナンスの遂行と責任に関し、深刻な懸念を持っています。この問題には、アフガン国民の利益となるように、また、ドナーの信頼を維持できるような形で取り組まなければなりません。また、アフガニスタンの制度や機構が生まれて間もないことも十分に認識せねばなりません。」と潘事務総長は語った。

潘事務総長は、国際ドナーとアフガニスタンのパートナーシップ原則について定めた「相互責任に関する東京フレームワーク」によって、アフガニスタンと国際ドナーが相互に行った約束がモニタリングされ、実行されるという信頼感が生まれる仕組みが作られたことを歓迎した。

「ドナーは、アフガニスタン国内の当事者意識と能力を実質的に高めるような形で、予測可能な援助を提供するという約束を果たすべきです。その一方で、ボン、カブール、そしてロンドンでの誓約に沿い、国民によりよく奉仕するという義務を果たす主たる責任が、アフガニスタン自身にあることは言うまでもありません。」と潘事務総長は語った。

また潘事務総長は、「今後に向けて、国連が達成できること、そして達成できないことにつき、相応な期待を持とうではありませんか。」と述べ、国連として引き続き長期的な観点からアフガニスタンへの関与を続けていく意向を表明した。

「移行が進むにつれて生じかねない空白をアフガニスタンが埋めるための支援を提供すべく、国連は主な関係者との密接な協力により、そして私たちの限られた資源が許す範囲内で、全力を尽くしていきます。そのためには『変革の10年(2015年~25年)』全体を通じ、アフガニスタンの経済・社会開発、その制度的能力育成、基本的なサービスと社会的保護、そして雇用、司法、法の支配に対する強力な援助を提供しなければなりません。」と潘事務総長は語った。

約束

アナリストによると、「東京会議2012」で出された「東京宣言」において、アフガニスタン政府は重要な公約を掲げている。同宣言は、16項目からなり、策定にあたった外交官は、カルザイ大統領が残り任期の2年の間に取り組むべき「相互のコミットメント」を記載している。

たとえば、2014年に大統領選、2015年に議会選を行うこと、金融市場への規制を強化すること、蔓延る汚職に対処することなどである。中には、女性への暴力を違法化する法律を実施する時期や、2013年上旬までの次期選挙実施に向けたタイムフレームの設定など、特定の期限を設けている項目もある。

東京宣言の記載内容は多くの点で曖昧なままであるが、策定にあたった外交官は、アフガニスタン政府による公約の順守状況を定期的に外部からモニタリングする仕組みを組み込むことに成功している。この仕組みによると、少なくとも年に1回支援国の代表(高級事務レベル会合と閣僚級会合を交互に開催:IPSJ)が集まり、アフガニスタン政府による取り組みの進捗状況を吟味することになっている。また、第1回閣僚級フォローアップ会合をアフガニスタン政府と英国が2014年のアフガニスタン大統領選挙以降に共催し、資金援助のあり方に関する評価を行うことになっている。国際ドナーは、このように具体的な期限を設けることで、アフガニスタン政府が公約を遵守していくことを期待している。

一方、会議に出席したドイツのギド・ヴェスターヴェレ外相は、アフガニスタンの汚職と腐敗の現状に言及して、「私たちは欧州の基準についてではなく、(欧州とは異なるアフガニスタンの)状況を僅かながらでも良くするために話し合っているのです。」と述べ、アフガニスタン支援の今後に過度な期待を抱くのは禁物との警鐘をならした。

しかし状況を僅かながらよくするという試みでさえ、骨が折れる取り組みということになるかもしれない。アフガニスタンが直面している深刻な現状は、7月14日に発生した、アフガニスタンの著名な政治家の娘のための結婚披露宴が自爆テロの標的となり、少なくとも22人の死者と40名を超える負傷者がでた事件にもよく表れている。

アフガニスタンでは国内情勢改善への道のりは依然として遠い。「東京会議2012」からわずか1週間後、国連のジェンダー平等担当部門(UNウィメン)のミシェル・バチェレ事務局長は、アフガニスタンでの女性に対する「激しい虐待と陰惨な暴行」を非難するコメントを出している。バチェレ事務局長が言及した事件には、アフガニスタンの地方警官に性的暴行と拷問を受けた少女ラル・ビビの事件と、公開処刑された少女ナジバの事件が含まれている。

「アフガニスタン政府が(ISAF撤退後の)移行期に向けて歩みを進め、国際社会がアフガニスタンにおける役割を再定義しようとしている中で、こうした事件は、同国における女性や少女の人権が、緊急かつ継続的に保護される必要があることを、改めて国際社会に着目させるものです。」とバチェレ事務局長は語った。

米国のヒラリー・クリントン国務長官は、国際社会とアフガニスタンが連携して取り組んでいく必要性を強調して、「アフガニスタンはこれまで国際社会の支援を得て、実質的な成長・前進を遂げてきました…しかし今日、私たちはこの変革の10年を通じて成果を挙げられるよう、4者間(何よりもまずアフガン政府と国民、国際社会、アフガニスタン近隣諸国、民間セクター)の確固たる協力関係を確保しなければなりません。この協力関係は、説明責任に裏打ちされたものでなければなりません。全ての当事者が各々の責任を果たしていくことが重要なのです。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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武力による威嚇があってもイラン核問題協議は継続すべき、とアナリストが指摘

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【ワシントンIPS=ジャスミン・ラムジー】

イランとP5+1(安保理任理事国〈米・英・仏・中・露〉にドイツを加えたグループ)が、イスタンブールで開催された「技術的会合」で到達したひとつの合意は、今後も協議を続けるという決定であった。

しかし、イラン問題の専門家らは、米国とイランが非難の応酬を演じていても、協議を継続することは外交プロセスを前進させる第一歩だと評価している。

核不拡散問題に取り組んできた米国のシンクタンク「軍備管理協会」のダリル・キンボール事務局長は、「外交はツイッターのようなスピードでは進みません。」「これらの協議の後で、核問題に関する特定の提案をようやく両者が行うになりました。欧州連合(EU)のキャサリン・アシュトン外務・安全保障政策上級代表が言うように、両者の主張には依然として大きな相違がありますが、重なっている部分も少なくないのです。」とIPSの取材に対して語った。

 さらにキンボール事務局長は、交渉を前進させるために両者が取り組むべきポイントとして、「提案内容をさらに詳細なものにすること、実行手順に関する問題を解決すること、両者がこれまでよりもより創造的であらねばならないこと」の3点を挙げた。

イランによる20%濃縮ウラン生産という論争的な問題について初期段階の信頼醸成措置が取られたことには「大きな可能性」がある、とキンボール氏はみている。なぜなら、イラン側はこの問題を追求しつづける意図を何度も明らかにしているからだ。
 
キンボール事務局長は、「未来永劫というわけにはいかないが、まだ外交的解決を図る時間はあります。」と述べるとともに、「協議の実際の内容について報道陣に漏らす際には、双方とも戦略的に対応していることを忘れてはなりません。」と指摘した。

イスタンブール、バグダッド、モスクワでの3回にわたる高官級協議を受けて準備され、7月3日から4日早朝にかけて行われた今回の低レベル協議は、長年敵対関係にあるイランと米国による軍事的緊張関係が高まる中で開催された。

EUによる追加制裁としてイラン産原油の全面禁輸措置が正式に発動した翌日の7月2日には、イランが「偉大なる予言者7」と称する3日間にわたる軍事訓練(革命防衛隊宇宙航空部隊による地対地ミサイルの軍事演習:IPSJ)を行い、米軍基地とイスラエルを攻撃する能力があるとされる中距離弾道ミサイルを見せつけた。

さらに7月3日には、イランのメア通信社が、同国の国会議員220人がEUによるイラン産原油の全面禁輸措置は「敵対的行為」であると非難する声明を発した、と報じた。

自国の核事業は兵器関連のものではないと主張しているイランは、核不拡散条約にしたがって、イランには「平和的核技術への不可侵の権利」が存在し、「大国の覇権的な政策には屈服しない」、と繰り返し述べている。

また7月3日、イラン国営のIRNA通信は、EUによるイラン産原油の全面禁輸措置に対抗してホルムズ海峡での重要な石油供給ルートを閉鎖することを求める署名に120人のイラン国会議員が署名したと伝えた。

米国務省のヴィクトリア・ヌーランド報道官は、ホルムズ海峡の通過を妨害しようとするいかなるイランの試みも「国際法に違反しており、米国は容認しない」と記者会見において述べたが、米国が具体的にどう対処するのか、イランの声明を異常なものと見るかどうかについては、踏み込んだ見解は示さなかった。

「イランはこうした脅しを過去に何回も行っており、我々はいつも同じ声明で対抗してきた。」と同報道官は語った。

7月3日の『ニューヨーク・タイムズ』紙は、ペルシア湾での最近の米軍集結は「純粋に防衛的なもの」であると書く一方で、ホルムズ海峡を閉鎖しようとの試みはやめるべきであるとの「メッセージ」をイランに送るものでもあると評した。

匿名の国務省高官は同紙に対して、イランがこの死活的に重要な供給ルートを閉鎖しようとしたり米海軍に対抗したりしようとすれば、イランの船舶は「湾の底に沈められることになるだろう」と語った。

イランの元外務副大臣であり、マサチューセッツ工科大学でエネルギー政策関連の研究員を務めるアッバス・マレキ氏によると、米国とイランによる応酬は外交プロセスへ影響を及ぼし、武力紛争につながりかねないという。マレキ氏は、「米国がイランに対して強硬な手段に出れば出るほど、イランはそれに抵抗し、しかるべき反応をすることになる。」とIPSの取材に対して語った。

イラン・イラク戦争終結の交渉にも関わったことのあるマレキ氏は、「双方が、自分で事態をコントロールできる範囲に留まる努力をすべきだ。」と語った。

しかし、ワシントンのタカ派的なアナリスト達は、これまでに明確な成果が挙がっていないのを理由に、交渉継続の正当性に疑問を投げかけている。7月2日、ジェイミー・フライ、リー・スミス、ウィリアム・クリストルの3氏は、米国の3つの要求をイランが飲まないならば、外交努力を止めて制裁と軍事オプションの検討に進むべきだと大統領に勧告する44人の米上院議員の超党派書簡を称賛した。3氏はまた、「イランに対する武力行使の承認を真剣に追求する」よう議会に求めた。

しかし、前出のキンボール事務局長は、「交渉を打ち切ってしまえば、それによってイランが20%のウラン濃縮を進め、ウラン濃縮能力をさらに強化する措置をとる道を開いてしまう」として、現在の交渉プロセスを既に失敗と呼ぶ者は「きわめて無責任かつ単純である。」と批判している。

「外交交渉を通じてイランとの妥結を模索することによって我々が失うものは何もないのです。」とキンボール事務局長は語った。

また「国際危機グループ」のアリ・バエズ氏も、『アル・モニター』紙に掲載された論評の中で、外交プロセスを失敗と呼ぶのは時期尚早だと述べている。「イラン核危機の肝にある問題は、政治的なものであり物理的なものではない」と同氏は述べ、物理的な領域だと捉えればほとんど逃げ道はなくなってしまうが、「技術的領域においては妙策を凝らす余地がある」としている。

マレキ氏は、次回の協議では「ボールはP5+1側のコートにある」と述べている。イラン側は、ウラン濃縮の完全停止を要求すれば協議は破談すると繰り返し主張しているが、「5%を超える濃縮の停止、包括的査察の受け入れなど、妥協を行う意思も示している。」

「しかし、イラン側でのそうした妥協に見合うもの、たとえば制裁の緩和をP5+1側でも出さねばなりません。」とマレキ氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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|中東|アラファト議長暗殺にイスラエルの秘密武器が関与か

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【シャリジャWAM】

中東の衛星放送アルジャジーラは3日、2004年にフランスの病院で死亡したヤーセル・アラファトパレスチナ自治政府議長(当時)の死因について、『独自の科学調査の結果、放射性物質ポロニウムによって毒殺された可能性が高い』と報じた。これにより、これまでもあったアラファト議長の死を巡る憶測がさらに広まりを見せている、とアラブ首長国連邦(UAE)の英字日刊紙が報じた。

「一方この報道は、生物化学兵器を開発して敵の抹殺に使用するイスラエルの非合法活動に対する注目を集めることとなった。科学調査の結果から、アラファト議長の暗殺へのイスラエルの関与、とりわけ同国はポロニウムを保有するだけの技術と施設を当時既に有していたとの嫌疑が強まっている。イスラエルは生物化学戦争に備えた高度な研究施設や科学者集団を擁しており、当時イスラエル諜報機関は、ポロニウムを使用した暗殺を遂行する能力を有していた。」とガルフ・ニュース紙(本社:シャリジャ)は6日付の論説の中で報じた。

 同紙は、「しかしながら、アラファト議長は2004年10月の段階で既にイスラエル軍に包囲されたラマラの議長府で病に伏しており、その後パリに搬送後11月11日に死亡したことを考えれば、イスラエルはアラファト議長を暗殺する必要はなかった。」と付加えた。

「アラファト氏が病に伏したのは、彼の政治キャリアの中で最も脆弱な状態にあった時であった。当時アラファト氏は抑鬱状態から情緒不安定で言動に一貫性を欠いており、部下の統率もとれていない状態にあった。従って、どちらかといえば、イスラエルが恐れていたのは、より政治的手腕に長けた人物がアラファト氏に取って代わり、イスラエルにとってより大きな脅威となるというシナリオだった。」

「だからと言って、アラファト氏の暗殺の黒幕として、イスラエルが容疑者リストから外されるということにはならない。アラファト氏が亡くなる少し前、イスラエルのアリエル・シャロン首相(当時)は、いくかの機会において、アラファト氏がイスラエルにとっての『問題』の一部となっており、既に和平に向けた努力を共に進めていくパートナーではなく、『敵と見做している』と語っている。」
 
「シャロン首相はテレビ番組のインタビューで、アラファト氏の安全を保障している理由について追及された際、『(アラファト)問題』には彼独自の方法で対処している、と答えている。この意味するところは、イスラエルに嫌疑が及ばないよう自然死を装った形でアラファト議長を殺害するよう、既に秘密工作員に命令を下していたということだろうか?イスラエル治安部隊は、パレスチナ勢力内部に工作員を潜ませており、彼らを使ってアラファト氏にポロニウムを投与することが可能だった。」

「2004年当時、ポロニウムは毒殺に使用する物質としては知られていなかったので、イスラエルは自らの犯行が露見するリスクをほとんど懸念する必要がなかった。」

「イスラエルは、長年に亘って秘密兵器を開発し政敵の排除に使用してきたが、これは国が後ろ楯となったテロに他ならず、こうした違法行為が今後も許されるようであってはならない。イスラエルによるこのような行為は、阻止されなければならない。」とガルフ・ニュース紙は結論付けた。(原文へ

INPS Japan

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国連、開発支援のために超富裕層課税を求める

【国連IPS=ハイダー・リツヴィ】

もし、世界中の大富豪が資産の1%を国際的な開発支援のために税金として差し出せといわれたらどうなるだろうか。

この問題を提起しているのは、国連経済社会局が5日に発表した調査報告書『2012年版世界経済社会調査―新しい開発資金を求めて』である。この報告書は、多くの援助国が、国民総生産の0.7%を政府開発援助(ODA)に充てるとした公約を相変わらず履行しようとしていないとして批判するとともに、開発援助資金が大きく不足している現状を嘆いている。

報告書の主執筆者ロブ・ヴォス氏は、「開発ニーズを満たす資金を集め、気候変動問題のような益々深刻化している地球規模の諸課題に対処するために、私たちは別種の資金源を求める時期にきています。」と語った。

 ヴォス氏と執筆チームは、この報告書の中で、10億ドル相当の財産に1%の課税をかけることができれば、国際的に合意された開発イニシアチブへの資金調達の面で、より良い成果が期待できる、と分析している。

経済誌「Forbs」によると、現時点で10億万ドル長者は、世界58ヶ国に1225人おり、その内米国だけでも400人超にのぼっている。

報告書は、多くの援助国が開発援助に関する公約の履行に失敗してきており、さらに長引く経済不況がこの状況に追い打ちをかけていることから、開発ニーズを満たす新たな援助資金源を見出すことが急務である、としている。

国連によると、ODAには年間1670億ドルもの資金不足が生じており、開発目標の達成に向けて貧困・致死的な病気・気候変動問題に取り組んでいる様々な開発援助機関の活動に支障が出てきている。

そこで報告書では、大富豪への1%課税案のほかにも、持続可能な開発に向けた国際社会の取り組みを強化するための新たな財源確保の手段として、炭素税や国際航空を対象とした二酸化炭素排出税、金融取引税・通貨取引税等の導入を提案している。

国連は、開発問題や気候変動などの地球規模の問題に取り組んでいくために年間4000億ドル(約32兆円)以上の開発資金を集めたいとしている。しかし、この規模の開発資金を各国政府から集めることは次第に難しくなってきている。

国連の研究によると、多くの開発途上国において、主に財源不足と援助国からの開発資金の不足から、ミレニアム開発目標(MDGs)への進捗に大きな遅れがみられる事態となっている。

また研究者によると、途上国の数百万の人々に予防接種、エイズ・結核治療を提供することを目的としたグローバル・ヘルスプログラムの分野については、ある程度の成功が見られたが、こうしたイニシアチブでさえ、従来の開発援助の枠を超えた新たな資金が集まることはほとんどなかった、としている。

「援助供与国の実績は公約の額を大きく下回っており、昨年の実績も予算削減の影響で減少し、不足分がさらに拡大する結果となっています。こうした国々は、公約を遵守しなければなりません。」とヴォス氏は語った。

調査にあたった専門家によると、先進国に炭素税を導入することで、年間4000億ドル超の資金を集められる可能性があるとしている。具体的には、各国政府を通じて二酸化炭素排出1トン当たりに25ドルを課税するだけでも、年間あたり2500億ドルの国際開発資金を集められる計算になる。

また報告書は、通貨取引に極めて低率の課税を付加する取引税を提唱している。具体的には、主要4通貨(米ドル、ユーロ、円、英ポンド)の取引に対してわずか0.005%の税金をかけるだけで、年間400億ドルの税収を国際協力のための資金に振り向けられると推計している。

ヴォス氏は、このような課税は一方でグリーン成長を促進し、金融市場の不安定さを緩和する効果が期待できるため、「経済的にも意味がある試みなのです」と語った。

またヴォス氏は、こうした新課税メカニズムを導入することは、先進国にとっても「これまで国際社会に対して空虚な約束を繰り返してきた」過去の記録を克服する助けとなるものになるだろう、と見ている。

報告書は、革新的な資金調達が、最終的に開発ニーズを満たし、(MDGsに続く)2015年以降の開発アジェンダに資金調達面で貢献できるようになるには、適切なガバナンスと分配メカニズムをデザインすることが重要と、指摘している。

近年、主に保健衛生分野において、「革新的開発資金調達」の名称で多くのメカニズムが生み出されている。報告書は、こうした資金調達メカニズムが、援助の有効性を高め、世界エイズ・結核・マラリア対策基金への資金調達に貢献したと認めている。

しかし研究者によると、こうしたプログラムを通過した資金は、新たに集められたものというよりも、主に既存の援助予算に由来するものである。2006年以来、概して、58億ドルが、こうした革新的資金調達メカニズムを経由して執行されたが、そのうち従来の援助枠を超えて新たに集められた資金は僅か数億ドルであった。

新たな財源確保が緊急の課題となっており、大富豪に対する課税案は、そうした必要性の中から浮上してきた諸方策の中の一つ、と報告書の執筆者たちは指摘している。

しかし、「大富豪への課税」に実現可能性があるかどうかは不明である。ヴォス氏は「そういう提案をしたものの、(実際に実施に移せられるかどうかは)技術的には非常に難しい」と、IPSの取材に対して語っている。(原文へ

INPS Japan

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ラオスの不発弾処理への支援増額を求められている米国

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Jim Lobe

【ワシントンIPS=ジム・ローブ】

軍縮活動家や元駐ラオス米国大使らが、ヒラリー・クリントン国務長官に対して、11日のラオス訪問の機会を捉えて、米国がベトナム戦争当時にラオスに投下した数百万トンもの不発弾処理に対する支援を拡大するよう強く求めている。

バラク・オバマ政権の中東・アジア重視外交を象徴する今回の8カ国歴訪(『アフガニスタン復興に関する国際会議』に出席する日本を皮切りに、ベトナム、ラオス、カンボジア、フランス、モンゴル、エジプト、イスラエルを訪問予定)において、ラオス訪問に割かれる時間は僅か数時間に過ぎないが、現役の米国国務長官がラオスを訪問するのは実に1955年以来のことであり、歴史的な訪問といえよう。

 関係者によると、クリントン長官は、向こう10年間にわたる不発弾処理の取り組みに対して、1億ドルの支援表明を検討しているという。もしそのような表明がなされれば、支援総額は、1997年以来、米国が不発弾処理支援に提供してきた援助総額4700万ドルを、一気に倍以上うわまわることとなる。

ダグラス・ハートウィック元駐ラオス米国大使(在任2001年~04年)は、「クリントン長官による今回のラオス訪問は、両国間関係の明るい将来を展望できる喜ばしい出来事ですが、クリントン長官には、是非この機会に、米国が不発弾処理に関してラオス政府と国際社会の努力を断固支援し、不発弾問題の根本的な解決をはかる覚悟である旨を、ラオスの人々に確約してほしいと考えています。」と語った。

ハートウィック大使は、昨年インドネシアのバリで開催された東南アジア諸国連合(ASEAN)サミットに出席するクリントン長官に対して、サミットの前か後にラオスを訪問し、10年間で1億ドル規模の不発弾処理支援提案(原案はワシントンDCに本拠を置くアドボカシー団体「レガシー・オズ・ウォー」が作成)を行うよう求めた、6人の元駐ラオス大使のうちの一人である。

しかしオバマ政権の政策立案者は、長官のラオス訪問時期を、ラオスの隣国カンボジアでASEAN地域フォーラムが開催される今年まで延期した。

この1年、オバマ政権は中国の南に隣接する東南アジア諸国への接近を積極的に図ってきた。とりわけビルマ(ミャンマー)との関係は、昨年12月のクリントン長官の訪問(現役の国務長官による前回の訪問はラオスの場合と同様1955年)以来、飛躍的に改善してきている。クリントン長官は10日にベトナム(ハノイ)を訪問、さらに11日には、ラオス(ビエンチャン)を訪問後、同日中にカンボジア(プノンペン)入りする予定である。
 
ベトナム戦争中の1964年から73年の間に、250万トンを超える米国製の爆弾がラオスに投下された。この総トン数は、第二次世界大戦中にドイツと日本に投下された爆弾の総量の合計を上回るもので、当時ラオスは東南アジア最貧国にして、歴史上人口一人当たり最も激しく空爆された国であった。

当時のラオスの総人口は約250万人。つまり平均すると、成人男女並びに子供も含めて、一人当たりの頭上に1トンを超える爆弾が投下されたことになる。

ラオスに投下された爆弾のうち、約3割が爆発しなかった。こうして地中に残った不発弾は今でも年間数百人の犠牲者を生み出しており、ラオスの農民は、数万ヘクタールにものぼる肥沃な土地を、耕せないでいるのが現状である。

「レガシー・オズ・ウォー」によると、この40年の間に、約20,000人が、不発弾の爆発で死亡または手足を失っている。また、ある調査によると、こうした不発弾は、未だにラオス全土の約3分の1の国土に点在しているとみられている。

米国政府は、ベトナムカンボジアの場合と異なり、1975年に政権を掌握したラオスの共産党政権との外交関係を断絶したことはない。しかし、米国政府が600名近くにのぼるラオス領内で戦死者或いは行方不明者になったとみられる兵士の消息確認問題や(ベトナム戦争中米国に協力した)モン族への人権侵害問題を最優先したため、ラオスとの国交が正常化されるまでには17年(1992年)を要した。また、通商関係が正常化されたのは、わずか7年前である。

米国政府は1997年、ビル・クリントン政権の下で最初の不発弾処理のための資金援助を行い、その後毎年平均260万ドル規模の支援を継続した。また2009年には、援助額を350万ドルに、2010年には500万ドルに増額した。さらに今年度分については、パトリック・リーヒ上院議員(民主党)とリチャード・ルーガー上院議員(共和党)が中心となって、900万ドルの予算を通過させた。

上院歳出委員会は、来年度には1000万ドルの予算を認めるよう勧告しているが、共和党が多数を占める下院議会でこの規模の予算を認めさせるには、様々な困難が予想される。

対ラオス援助を支持する人々は、クリントン長官がラオス訪問時に1000万ドル規模の不発弾処理に対する支援表明を行えば、同予算案が議会を通過する可能性が高まるのではないかとの期待を抱いている。また、彼らは、他の国々や専門諸機関からの追加支援を促すためにも、米国が支援を長期にわたって継続する必要があると考えている。

「レガシー・オズ・ウォー」のChannapha Khamvongsa専務は、「引き続き、不発弾の犠牲になっているのは一般のラオスの村人たちです。私たちは、クリントン長官が、不発弾が人々に及ぼしている影響をラオスで直接目の当たりにして、改めてこの問題の最終解決に向けてラオスを支援する米国の立場を改めて明言することを期待しています。」と語った。

しかし前途には多くの難題が立ちふさがっている。これまでに推定で約100万発の不発弾が破壊或いは除去されたと見られているが、ラオスにはなお8000万発近くの不発弾が各地に埋まっている。

国連開発計画(UNDP)トーンシン・タムマヴォン政権と協力して、不発弾処理に重点を置いた計画を2年に亘って策定してきたが、その研究報告書には、「ラオスに社会経済開発をもたらすには、まずその大前提として、不発弾の除去が実行されなければならない。」と記されている。

またUNDPは、「(不発弾のために)観光、水力発電、鉱業、林業等、本来ならばラオス経済の成長を支える原動力となるはずの諸産業が複雑な問題に直面しており、経済的な機会は制限され、高コスト体質になっている。」と指摘し、ラオスで不発弾問題を大幅に軽減するには、向こう10年間にわたり年間3000万ドル規模の経済支援が必要と見積もっている。

不発弾処理支援プログラムについては、米国が最大の支援国だが、日本、欧州委員会、アイルランド、スイス、ルクセンブルク、ドイツ、オーストラリア、国連諸機関も、同プログラムに対する資金援助を行っている。

米国の対ラオス二国間援助は、主に不発弾処理への支援予算を中心に、2007年の500万ドル規模から今年度は1200万ドルへと増大した。その内訳をみると、米国政府は900万ドルにのぼる不発弾処理への支援に加えて、保健衛生、麻薬対策分野に対する支援を重視している。

折しも人権擁護団体ヒューマン・ライツ・ウォッチ(HRW)は、7月9日、クリントン長官に対して、ラオス政府がソムサンガ薬物収容センターの人権状況(子どもを含む収容者に対して加えられているとされる人権侵害疑惑)について徹底した独自調査を実施するまで、全ての援助を停止するよう強く求めた。

また国連諸機関も、3月12日、ソムサンガをはじめとする国内の薬物収容センターを閉鎖するよう、ラオス政府に呼びかけている。

HRWのジョセフ・エイモン保健・人権局長は、「ラオス政府と米国国務省は、ソムサンガ収容センターについて、近代的な医療施設(薬物治療リハビリテーションセンター)としていますが、10年に及ぶ米国の資金援助を経ても、この施設がラオス政府にとって『好ましからざる人々』を拘留する残虐で非人道的な収容所であることには違いがないのです。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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毒物の脅威に立ち向かう新しいイニシアチブ開始

【国連IPS=イザベル・デグラーベ】

化学、生物、放射性物質、核(CBRN)の脅威に関連したリスクを低減することが、センター・オブ・エクセレンス(CoE)として知られる新しい多国間イニシアチブの目標である。

国連地域犯罪司法研究所(UNICRI)、欧州連合の代表、CBRN問題の専門家らが共同のCoEを立ち上げ、CBRNのリスクに対処する政策を作り世界をまとめることを目指している。

CBRN物質が犯罪目的で乱用され、とりわけ産業への深刻なダメージがもたらされる懸念が高まっていることを受け、ケニア、アルジェリア、モロッコ、ヨルダン、アラブ首長国連邦、グルジア、ウズベキスタン、フィリピンにCoEが立ち上げられ、世界60ヶ国以上からの協力を得る予定である。

 
現在、危機的な状況に直面しても、多くの国が独力で対処せねばならない。UNICRIのCBRNプログラム責任者であるフランチェスコ・マレッリ氏の説明によると、CoEの目的は、地域間のパートナーシップ構築によって、CBRN事故のリスクを共有し、市民保護の能力を高めることにある。

「欧州外交サービス」のCBRN問題政策コーディネーターであるブルーノ・ドゥプレ氏の説明では、各地域に事務局が設置されて、地域内各国の司法機関、警察、軍を動員し、特定のリスクや脅威に関する知識を集積し共有していくという。

違法な核取引

大量破壊兵器(WMD)
拡散への懸念が世界的に高まる中、CoEイニシアチブの最初の2つのパイロットプロジェクトは、違法な核取引への対抗と、核・放射性物質テロの脅威に焦点を当てている。

2011年1月に欧州連合に提出されたCRBNのケーススタディによると、1998年以来、米国一国だけでも、封印された放射性物質を含んだ装置が紛失、盗難、廃棄されたケースが1300件以上あるという。年間平均でいうと約250件にのぼる。

また、同調査によると、国際的な警察組織であるインターポール国際原子力機関(IAEA)が核・放射性物質の違法取引に関する包括的なデータ収集の目的で共同で立ち上げた「プロジェクト・ガイガー」で、違法取引のケースが2200件以上記録されたという。

CoEのプロジェクトは、南アジア地域において核科学捜査の能力を構築することによって、違法取引によるリスクを緩和することを目的としている。核物質の安全な回収や、市民保護の措置、起訴を目的とした犯罪現場の保存などの問題に取り組んでいる。

ドゥプレ氏は、シリアからの大量破壊兵器拡散の脅威に関する質問に答えて、CoEは基本的に予防的なイニシアチブであって、恒久的な組織や危機対応組織と混同されてはならないと強調した。

CoEは構造的問題への対処を通じて――たとえば早期警戒や早期支援システム――危機を予防することを目指しているが、中東や北アフリカの紛争状況において兵器拡散への対応を調整することは、その職掌を超えている。

毒性廃棄物

核テロの脅威がもっとも多くの関心を集めてはいるが、化学兵器生物兵器に対する懸念に対処するプロジェクトも、遅ればせながら実を結びつつある。

ノート型パソコンや携帯電話などの電子機器に含まれる毒物が、その廃棄に日々従事する労働者に深刻な健康被害を及ぼしているアフリカ地域では、電子ごみ(e-ごみ)の廃棄が、重要事項の一つとなっている。

CoEがアフリカで行っている廃棄物処理プロジェクトは、電子ごみ問題に対処する方法を構築するためのスポンサー探しの最中である。しかし、ドゥプレ氏によれば、資金は限られている。

国連環境計画(UNEP)が2010年2月22日に発表した報告書『リサイクリングー電子ごみから資源へ』では、インドや中国、ラテンアメリカ、アフリカ諸国において、毒性のある電子ごみの山の脅威が大きくなり、環境と公衆衛生に重大な影響を与えているという。

報告書では、セネガルやウガンダのような国では、パソコンから出る電子ごみだけでも、2020年までに8倍に増えると予想している。ケニアでは、冷蔵庫から1万1400トン、テレビから2800トン、パソコンから2500トン、プリンターから500トン、携帯電話から150トンのごみが出ると推計されている。

ドゥプレ氏は、アフリカの電子ごみの問題について、「資金不足により、深刻な問題となっています。」「現在、スポンサーを探して、手続きを何とか定めようとしています。アフリカにはごみ処理のプログラムがあり、ごみ処理を支援するために国際組織から資金を引き出そうとしているところです。」と語った。

「アフリカでは、(ごみ処理は)テロの拡散問題よりももっと優先順位の高い問題なのです。」とデュプレ氏は付加えた。

CoEのイニシアチブは、いかなるドナーの関心にも引きずられることのないよう、地域の資産を基盤に構築されている。しかし、国際社会で集める注目とは別に、複数の問題に対処する資金を確保することが難題となっている。

翻訳=IPS Japan

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IAEAはあまりに脆弱とシンクタンクが指摘

【ワシントンIPS=キャリー・L・バイロン】

IAEAは「大変な資金不足に陥っている」と、6月25日にワシントンDCで発表されたある報告書が指摘している。

この報告書によれば、IAEAは30年来の予算キャップの下で任務を遂行しており、必要なレベルの機能を果たす能力が妨げられているという。

IAEAは、その与えられた任務の下で、世界で唯一の監視機能を果たしている。IAEAの資金源は、加盟国の自発的な分担金に限られている。

カナダのシンクタンク「国際ガバナンス革新センター(CIGI)」が発表したこの報告書は、「IAEAは、その活動振りからして当然の評判を博し、きらめくような前途を持っているにもかかわらず、十分な資源を与えられず、その権限は著しく削がれ、その技術的な達成はしばしば政治的論争の陰に隠れがちである。」と警告している。

現在、IAEAの年間予算は3.21億ユーロ(約4億ドル)であり、これで約2300人の職員を雇っている。

「任務の大きさに対してこれはあまりに小さい」とストックホルム国際平和研究所のワシントン事務所で語ったのは、報告書の著者であるトレバー・フィンドレー氏である。

フィンドレー氏の調査によると、2010年時点でこの予算で行えたことは、175ヶ国・949ヶ所での保障措置の監督である。同じ年だけで、IAEAは2010回以上の現地査察に従事した。

IAEAが、1953年の創設以来、驚くほど広く称賛を集めてきたのも事実である。しかし同時に、そうした称賛の多くはIAEAが比較的制約された予算の中で任務を行ってきたことも認識しており、称賛の対象はその効率性に向けられてきた。

2006年、米大統領の連邦予算作成を支援する米政府の部局は、資金投入の価値という点でIAEAに満点を与えた。2004年、ある国連のパネルは、IAEAを「めったにない掘り出し物」と表現した。しかし、フィンドレー氏は、IAEAは「国連システムの中でも最もよく運営されている機関のひとつ」と何度も呼ばれていることに留意しつつも、他方で、予算が制約されていることでいくつかの任務遂行に障害が出てきていると指摘している。

実質成長なし

この予算問題は、1980年代半ばに国連全体で実施された「実質成長なし」方針によるものである。これは、インフレ率の中央値を越える予算の伸びを認めないというものである。国連への分担金が多い国々からなる「ジュネーブ・グループ」からの圧力によるものであった。

IAEAの場合、この方針によって2003年まではIAEA予算の伸びは凍結され、この年になってようやく、米国からの圧力によって、僅かではあるが漸進的な増加が認められるようになった。

この点において、米国はIAEAの強力な支援国のひとつである。バラク・オバマ大統領は、IAEA予算を2倍にすることを追求し、米国の自発的な分担金も急速に増やした。

IAEAは、予算の停滞に悩みながらも、その管掌範囲を広げていった。さらに、IAEA自身の推測によると、今後20年間で原子力発電は2倍になる。

この予算の制約が広い範囲で影響を及ぼすことは避けられない、とフィンドレー氏は論じている。同氏は、IAEAが関与するようになった活動全体を支援するために、必要に応じた予算システムへと移行することを提案している。

フィンドレー氏の報告書には、「IAEAには、最新の技術や適切な人的資源が与えられてこなかった」「その中で最も重大なことは、IAEAが、いかなる手段をもってしても、イラク、イラン、リビアが保障措置協定に重大な違反をしていたことを察知できなかったことだ。」と記されている。

2011年3月の福島第一原発事故もまた、IAEAの現状に警鐘を鳴らしている。IAEAは、事故に24時間以上対応することができなかったのである。

多くの識者にとって、これはIAEA内部の危険な失策を意味するだけではなく、世界の原子力安全の「ハブ」を構築するという責任にどの国際機関も取り組んでこなかったことを示すものであった。

政治的障害

多くの人びとにとって、福島や現在のイランの問題は、IAEAの機能を再検討する緊急の必要性を示している。

「IAEAが何年にもわたってイランと関与してきたが、イランは以前よりも核兵器取得に近づいている」と報告書は指摘している。フィンドレー氏は、イランが長年にわたる協定不遵守にIAEAが対処する能力がないことに懸念を表明している。

しかし、予算問題を解決することは問題全体の一部に過ぎないとフィンドレー氏は言う。2年間の調査を基にした同氏の報告では、変化を生み出すことが求められるアクターに応じて、20の勧告がなされている。

これらの勧告の中で、イラン問題は、とりわけ最近IAEAのガバナンスの分断が危険水準に達しているという事実を指し示している。

フィンドレー氏は、「政治化がIAEAの統治機構を機能不全に陥らせている」と語り、とりわけ、遵守違反のケースがIAEAの機能を止めているという。特にイランをめぐる停滞が例として挙げられるが、イスラエルの核計画をめぐる論争的な投票や、中東全体の保障措置などの問題もフィンドレー氏は挙げた。

「ますますIAEAが政治化する状況は、途上国の役割が以前より活発化していることに原因が求められるかもしれない」と報告書では述べられている。イランの「外交的防波堤」として機能してきたブロックである「非同盟運動」(NAM)の影響力拡大のことを指している。

しかし、報告書はすぐにこうも付け加えている。「西側諸国もまた、IAEAの政治化に責任を負っている。ニコラス・バーンズ米国務次官(政治問題)が、モハメド・エルバラダイIAEA事務局長(当時)に、イラン問題に関する米国の立場を受け入れさせようとして、『IAEA予算の25%を支払っているのは我が国だ』と言ったとされている。」

報告書では、こうした分断状況を緩和するいくつかの戦略も提示しているが、政治が入り込んでくるのは避けられないことだともフィンドレー氏は述べている。IAEAを設立しその費用負担を行っているのが加盟国だとすれば、「その運命を最終的に握っているのは加盟国だ。」とフィンドレー氏は結論付けている。

「(IAEAは)いくつかの点で自らを強化し改革することができます。しかし、究極的には、加盟国全体、あるいは一部の有力で精力的な加盟国の強い意向に左右される存在でもあるのです。従って、今後IAEAを強化し改革しようとすれば、我々が圧力をかけねばならないのは加盟国ということになるのです。」(原文へ

翻訳=IPS Japan

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|子ども兵士問題|コンゴ民主共和国東部の反乱に200人近くの子ども兵士が関与

【キンシャサIPS=エマニュエル・チャコ】

 「一人の大人の反乱軍兵士に、少なくとも3~4人の子ども兵士が付従っているのを見ました。」とRunyonyi在住のクラヴェール・ルコメザさんは語った。Runyonyiは3月以来、コンゴ民主共和国(DRC)東部を揺り動かしている反乱軍グループM23運動(3月23日運動)の活動拠点の一つである。

「大人の兵士は、私たち住民が子ども兵士に近づいたり話しかけたりすることを拒否しています。」とルコメザさんは語った。ルコメザさんは最近の反乱において中心地となった北キブ州のブテンボから放送している民間ラジオ局「マペンド」の元ジャーナリストである。

またルコメザさんは、反乱軍兵士たちが全員キンヤルワンダ語(ルワンダとDRC東部の一部で話されている言語)を話していた、と指摘している。この目撃証言は、6月24日にコンゴ政府の報道官が国営テレビを通じて行った(ルワンダに対する)非難声明の内容を裏付けるものである。

 
DRCのサンバート・メンデ情報相は6月30日に国営テレビで行った声明の中で、「DRCがルワンダの現政権を攻撃するために、FDLR(ルワンダ解放民主勢力)及び旧ルワンダ軍のメンバーに武器・装備を提供している」との流言を否定した。
 
またメンデ情報相は、「2012年3月から4月にかけてルワンダ政府は、約200人の子どもを補充し訓練を施してM23運動の戦闘員としてDRCに送り込んだ。」と語った。M23運動はDRC東部の暴動を主導してきた反乱軍事組織である。

メンデ情報相の発言は6月21日に発表されたCRD東部の情勢とDRC外部の支援を得ている反乱軍の動向について報告した国連のレポートに続くものである。同レポートは、「2012年4月から5月の間に、M23運動が、軍装備の運搬要員や戦闘員として多数の子どもを補充した。」と指摘していた。
 
同国連レポートのフランス語版には、「(M23運動は)DRC軍のボスコ・ンタガンダ将軍が、2003年以来東部地域北キブ州周辺を支配下に置いている反政府武装組織「人民防衛国民会議(Congrès national pour la défense du peuple、CNDP)」の前代表ローラン・ンクンダ並びに国際刑事裁判所(ICC)から戦争犯罪及び人道に対する罪で指名手配されている同武装組織の幹部の支持を得て創設した組織。」と記されている。

同国連レポート(国軍兵士、反乱軍側の兵士、逃亡兵、コンゴ軍諜報機関による報告書、傍受内容による裏付けを基に作成)には、隣国のルワンダ政府によって、M23を支援するための前戦闘員の動員、兵士に対する弾薬、訓練、ヘルスケアの提供、さらに子供の動員について詳細に記されている。

DRCに関する国連専門家グループは、同国連レポートと6月27日に発表した付属文書の中で、ボスコ・ンタガンダ将軍及びCNDP元代表のローラン・ンクンダを告発した。

専門家グループは、トーマス・ルバンガ・ディロを、2002年から2003年にかけてイツリ州で行った子どもの兵士徴用という戦争犯罪の罪で有罪宣告するにあたり、ンタガンダ将軍が共犯者として告発された、と指摘したうえで、「この判決が契機となり、ディロと同じ戦争犯罪に問われている、ンタガンダ将軍の逮捕、ICCへの引き渡しを求める声が高まっている。」と述べている。
 
ムコンゴ・ンガイ・ゼノン駐国連DRC臨時大使が、6月18日付に李保东国連安保理議長に宛てた書簡(IPSはこのコピーを見た)の中で、コンゴ政府は、「M23運動に対するルワンダ政府からの支援とルワンダ国内に存在する(DRCに送り込む)戦闘員補充の仕組みに対して、国連安保理の注目を引きつけた。」

また同書簡には、「コンゴ政府と国連コンゴ民主共和国安定化ミッション(MONUSCO)が行った調査から、我々は、(ルワンダ政府によって)補充された戦闘員の多くが、再びコンゴ領に戻ってきたルワンダ人であり、その中に約200人の未成年と幼い子どもが含まれていると結論付けざるを得ない。」と記されている。
 
その数日前には、レイモン・チバンダ・ントゥンガムロンゴ外相が李国連安保理議長に書簡を送り、その中でントゥンガムロンゴ外相は、「加えて、M23運動はルワンダ政府の支援を受けながら不自然な同盟関係に依存しています。コンゴ軍に捕縛された反乱軍兵士にはFDLR(ルワンダ解放民主勢力)の兵士が含まれており、その多くはMONUSCOがルワンダに帰還させました。」と述べてる。
 
FDLRは、1996年からルワンダのツチ族政権に対して武力闘争を展開してきたフツ族の反乱勢力で、DRC東部に後方支援基地を維持している。
 
 1997年にDRCの首都キンシャサを制圧して政権を掌握したローラン・カビラが率いたコンゴ解放民主勢力連合(AFDL)の元兵士であるジョナサン・カブゴは、M23運動の兵士の中にFDLR兵士が含まれていること自体は主たる関心事ではないという。
 
「むしろ問題なのは、DRC政府が今年3月に東部反乱地区における軍事作戦を停止する決定をしたために、コンゴ軍とM23運動の勢力が後退した後に、ルワンダに送還されていたはずのFDLRの兵士が少しずつDRC内の以前の拠点に舞い戻っている事態なのです。」とカブゴは語った。

一方、6月21日にDRCを訪問していたルイーズ・ムシキワボ外相は、M23運動への支援疑惑について、「噂に過ぎないことだ」との声名を出し、ルワンダ政府による一切の関与を否定した。

またムシキワボ外相は、6月25日に国連本部において、「ルワンダ政府はDRCの情勢不安要因に関して、全く関与していません。またルワンダ‐DRC両国政府は、国際社会に対してこのような疑念が起きないよう、既に大使を交換しているのです。」と語った。

国連安保理はDRC政府に対してM23運動による反乱の平定に引き続き努力するよう促すとともに、特定の国名を挙げることを避けながらも、反乱軍に支援している国を非難する決議を採択した。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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│気候変動│破滅的な事件に目を覚まされるのを待つのか

【リオデジャネイロIPS=マリオ・オサバ】

大惨事が歴史のあらたな胎動を生み出すことがある。しかし、その役割を果たすためには、原発利用の停止、さらには廃止にすら結びついた1986年のチェルノブイリや2011年の福島の事故のような破滅的なものでなければならない。

気候変動に関して真の行動を促すには、大惨事は人間の心を変えるほどに重大なものでなければならないが、制御不能なほど大きなものであってはならない、と国連平和大学のマーチン・リーズ名誉学長は語った。

持続可能な開発に関する国連会議(リオ+20)に「気候変動タスクフォース」(CCTF)が提出した声明「気候変動の緊急の現実に立ち向かう行動」では、地球温暖化とその効果を抑えるには、「緊急かつ大胆な(温室効果ガスの)削減」が必要であると述べられている。

 CCTFはミハイル・ゴルバチョフ元ソ連大統領(在任1985~91)によって2009年に始まり、世界の元指導者、リーズ氏を含む気候変動に関する科学者や専門家など20人で構成されている。

温室効果ガス排出は現在、気候変動に関する政府間パネル(IPCC)の想定する最悪シナリオケースを超える勢いで増え続けている。最悪ケースは、2100年までに地球の平均気温が6度上昇するという「許容不可能」なものであった。

しかし、CCTF声明は、IPCCの科学者らはおそらく、ピア・レビュー制度のもたらす抑制と複雑さのために、「気候変動のペースと勢いを過小評価している」と警告している。

こうした警告にもかかわらず、20年前に地球サミットが開かれたのと同じリオデジャネイロで開かれ、6月22日に終了した「リオ+20」会議では、気候変動の問題はほとんど取りあげられなかった。1992年サミットの際は、気候変動や生物多様性、砂漠化に関する国際条約が成果としてあったのである。

国連気候変動枠組み条約の締約国は、2009年のコペンハーゲンと2010年のカンクンの会議で交渉が不調に終わり合意に達しなかったことから、気候変動をめぐって激しい対立が生み出されるのを避けた、とリーズ氏はティエラメリカの取材に対して語った。

気候変動問題回避の正当化としてもっともよく持ち出されるのが、もっぱら欧州諸国を襲っている地球規模の経済・金融危機であるが、「経済が先であり気候問題は後でいいという発想があるとしたら、それは非常に危険な誤りだ」とCCTFは述べている。CCTFには、唯一のラテンアメリカからの参加者として、チリのリカルド・ラゴス元大統領(在任2000~06)がいる。

経済・金融危機は循環的なものであり、過去に何回も乗り越えられてきたが、気候危機は不可逆で制御不能な変化をもたらす恐れがある、とCCTF声明は主張する。
 
温室効果ガス大幅削減の緊急性は、地球の平均気温上昇を2度までに抑えるという目標では必ずしも地球が安全ではないという事実によって裏付けられる。

CCTF声明が指摘するように、工業化時代以前の段階からわずか0.8度上昇しただけでも、その帰結は「驚くべきもの」であった。

さらに、地球全体の平均で2度上昇するということは、ある地域では4度上昇する場合もあるということになる。

もっと恐ろしいことは、あるシステムが「転換点」にさしかかって、フィードバック・プロセスが引き起こされ、突然の大規模な変化が生み出されるリスクがあるということである。

北極海の氷の崩壊は、より多くのエネルギーが海中に吸収されたことを意味する。なぜなら、太陽光の反射する氷が少なくなっているからだ。結果として、海水温はより上昇し、これがさらに極点の氷を溶かす、と声明は指摘している。

森林が破壊され失われていくなか、炭素の吸収量が少なくなって、二酸化炭素がより多く大気中に排出される。その地域の気温は上昇し、それがさらに森に悪影響を与える。

CO2排出の増加は、海洋の酸度をこの200年で30%も上昇させた。この酸化により海洋が炭素を吸収する能力が下がって、より多くの炭素が大気中に残り、気候変動だけではなく、酸性化がより悪化することになる。

地球温暖化の深刻さはほぼ普遍的に理解されているが、国際的に合意された行動には依然として欠けている。これがCCTFによる行動呼びかけを促したものである。CCTFは、たとえばスウェーデンによる低炭素経済づくりの取り組みや、韓国でのグリーン技術・革新の促進など、いくつかの個別のイニシアチブを積極的に評価している。

しかし、「リオ+20」会議では「気候変動に適切な注目をせず」、対処されてきたその他すべての問題や任務を意味のないものにしてしまった、とゴルバチョフ氏は嘆く。

国連の官僚制と国連諸機関の間の関係のまずさが、気候変動問題を「リオ+20」会議から遠ざけてしまった要因のひとつでもある。「グリーンクロスインターナショナル」のアレクサンダー・リコタル総裁は、多国間政治システムは崩壊し、「国家の貪欲」が地球的な善よりも優先され、野放図な自然資源の過剰搾取が自由に行われるようになってしまった、と指摘する。

「気候変動タスクフォース」は7つのアクションを推奨している。たとえば、地球温室効果ガスの大幅削減に加えて、「自然資本」の保全、気候変動緩和・対応のための地域の能力の強化、公的・民間を含めた基本的な金融資源の動員などを挙げている。

リコタル氏は、地球に持続可能な発展をもたらすために、気候危機問題をすべての取り組みの中心におかねばならない、と論じる。気候危機問題は、1992年の地球サミットでこうした地位を占めるに到った。同サミットでは気候変動枠組み条約が採択され、その後、1997年の京都議定書の署名につながった。米国が議定書を批准することはなかったが、具体的な目標と義務は確立された。

それ以来、気候変動に関する国際的懸念の大きさは、年によって幅があった。しかし、重大な自然災害が起こったこともあって、気候変動が深刻な問題であるという認識がふたたび強まっている、とリコタル氏はみている。

世界自然保護基金(WWF)地球気候エネルギーイニシアチブの責任者であるサマンサ・スミス氏は、「リオ+20」会議の記者会見で、「社会は政府に対して圧力をかけて、必要な措置と目標を採択させねばならない、と訴えた。これが、ブラジル国民が「森林規則」の改定提案を通じて森林のさらなる破壊を防止するためにおこなったことだ、とスミス氏は語った。森林規則に関する議論は現在も続いている。

リオデジャネイロ付近の山間都市で昨年起こった地すべりと洪水により約1000人が亡くなった悲劇は、森林破壊を防止する立法を求める意見に強い力を与えることになった。

しかし、地方で起きる災害や、生物多様性の喪失のように一般的な市民には見えにくい影響の場合、世界的な政策と合意を前進させるには明らかに不十分である。

福島原発事故は、その巨大さゆえに、いくつかの原子力関連事業を少なくとも一時的には停止させることに成功した。しかし、原子力はチェルノブイリ事故以後にすでにかなりの支持を失っており、近年になって原子力への支持が復活してきていたのは、化石燃料や気候変動に対する恐怖が実際には大きく寄与している。

英国の生物学者ジョナサン・ベイリー氏は、テラビバ(IPSが「リオ+20」会議で発行していた独立紙)の取材に応じて、「残念ながら人々の命に直接かつ大規模に関わってしまうような大災害だけが必要な変化をもたらす要因になってしまうのではないかと、私はみています。」と語った。(原文へ

INPS Japan

※ファビオラ・オルティス(リオデジャネイロ)からの報告も追加した。この記事は、ティエラメリカ・ネットワークの一部であるラテンアメリカの新聞で最初に発表された。ティエラメリカは、国連開発計画、国連環境計画、世界銀行の支援をえてIPSが制作している環境と開発問題に焦点をあてたニュースサービスである。

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ビルマで少数派ムスリムの民族浄化か?

【バンコクIPS=マルワーン・マカン-マルカール】

ミャンマー(ビルマ)西部で進行している宗派闘争を伝える様々な報道から、同国で従来から迫害を受けてきたイスラム教徒で少数民族のロヒンギャ族が直面している苦境が明らかになってきている。地域のある人権保護団体は、2006年当時、ミャンマーにおけるロヒンギャ族への迫害の様子を「じりじりと焼き殺すように進行している大量虐殺(slow-burning genocide)」と例えている。

当局の発表によると、6月14日までに、ビルマで近年最悪といわれる仏教徒のラカイン族とロヒンギャ族との間の衝突で、29人が死亡し(うち、16人がロヒンギャ族で13人がラカイン族)、3万人が家を追われている。また、2500軒以上の家屋に火が放たれ、9つの仏教寺院と7つのモスクが破壊された。

 6月3日、仏教徒の暴徒300人がイスラム教徒の巡礼者が乗ったバスを停車させ、10人を殴り殺した。人権擁護団体は、この事件を、何十年にもわたって民族対立が燻ってきたラカイン州で渦巻いているロヒンギャ族に対する敵意を象徴するものと指摘している。

このロヒンギャ族に対する最新の襲撃事件の背景には、ラカイン州ランブリー居住区で27歳の仏教徒の女性(ラカイン族)が、3人のイスラム教徒の男性の暴行を受け殺害されたという話が州全域に広がり、人口の大半を占める仏教徒の間で、イスラム教徒に対する敵愾心が高まっていたという事情がある。

警察当局は、3名の容疑者(ロヒンギャ族)を逮捕・収監したと発表したが、ラカイン族の怒りは収まるどころか、「カラール(南アジア系のより肌の色が濃い人々に対する蔑称)に対する復讐」を呼びかけるチラシに焚き付けられて、ロヒンギャ族に対する住民感情は益々険悪なものとなった。ロンドンで亡命生活を送るロヒンギャ族のナルル・イスラム氏は、「次に何が起こるかわからない事態に恐れおののいているロヒンギャ族の住民から、毎日のように電話がかかってきます。現地では、ロヒンギャ族の家々で死体が折り重なっているのが目撃されていますし、ロヒンギャ族の住民が次々と行方不明になっているのです。」と語った。
 
テイン・セイン政権は、夜間外出禁止令を出して事態の収拾を試みたが、暴徒を抑え込むことはできなかった。この点について、バンコクから故郷の情勢をモニタリングしているイスラム教徒の匿名ヒティケさん(29歳)は、「イスラム教徒だけが一方的に外出禁止の対象になり、(主に仏教徒からなる)ラカイン族の暴徒は、夜間もロヒンギャの家々に火を点けて回っているのです。」と語った。

しかし、ロヒンギャ族は街頭でだけ恐怖を味わっているのではない。ビルマの内外を拠点とする様々なウェブサイトやブログ、フェイスブックには、ロヒンギャ族の民族浄化を呼びかける差別的な言葉であふれかえっているのである。

あるポスターには、「いつか我々の政治課題を解消した暁には、やつら(=ロヒンギャ族)を(ビルマから)追い出し、二度と我々の祖国に足を踏み入らせない。」と書かれていた。

こうした内外のビルマ人仏教徒が、オンラインを通じて「(ロヒンギャ族に対しては)大量虐殺に等しい行為さえも許される」とする主張を公然と展開している状況には、長年ビルマで活動してきた人権擁護活動家さえ驚きを隠せないでいる。

ビルマ・ルタナティブ・アセアンネットワーク (ALTSEAN)代表のデビー・ストッハード氏は、「ロヒンギャ族に対する中傷・攻撃がオンライン上でここまで悪化したのは初めてだと思います。中にはロヒンギャ族の女性活動家への性的暴行を公然と呼びかける内容すらあるのです。」と指摘した上で、「ロヒンギャ族は、世界で最も迫害を受けているコミュニティーの一つです。数十年に亘って彼らに加えられてきた抑圧は、ジェノサイド条約(集団殺害罪の防止および処罰に関する条約)が国際法上の犯罪と規定している条件に該当します。」と語った。ALTSEANは6年前、ロヒンギャ族に対して「大量虐殺に準じると思われる行為が進行している」と警鐘を鳴らした権利擁護団体である。

ビルマの政治状況に関する報告書を多数執筆している独立政治アナリアストのリチャード・ホーシー氏は、「反ロヒンギャ族感情の高まりはビルマ政府の少数民族政策の厄介な側面を浮き彫りにするものであり、今後状況はさらに悪化する可能性がある」と指摘したうえで、「異民族間の緊張関係はビルマ各地でみられるが、ラカイン州における状況は最も深刻です。しかも、状況はこれからさらに悪化し、ラカイン州の境を越えて広がっていくリスクが高いと言わざるを得ない。」と語った。

政府公認の差別

政府はビルマ社会に平静を取り戻す努力を傾注し、3月に開始した改革課題に引き続き取り組んでいると主張しているが、次々に明らかになってきたロヒンギャ族に対する人権侵害の証拠の数々は、こうした主張と矛盾するものである。

「現ビルマ政府も、歴代軍事政権がロヒンギャ族に対して行ってきた差別政策が現在も継続されている事実を認めています。」と、世界各国でロヒンギャ族の人権擁護を訴えているNGO「アラカンプロジェクト」のクリス・レワ代表はIPSの取材に対して語った。

またレワ代表は、「こうしたロヒンギャ族に対する国家的な差別は、今年3月の議会でも明らかになりました。ロヒンギャ族出身の国会議員達がこの点について政府に糾したところ、政府は依然としてロヒンギャ族に対する諸制限を解除するつもりはないと回答したのです。」と語った。

政府は長らく、ロヒンギャ族をビルマを構成する135の民族集団のひとつとみなしてこなかった。1962年の軍事クーデター以来、軍当局は組織的に且つ広範囲にわたって、ロヒンギャ族を標的とした迫害(民間人の殺害、女性に対する性的暴行、拷問)を繰り返してきた。

さらに1980年代になると、政府はロヒンギャ族から身分証を取り上げ、市民権を剥奪。事実上祖国を持たないコミュニティーを創りだしたのである。

今年1月、レワ代表は、国連子どもの権利委員会に対して、「ビルマ政府は、ロヒンギャ族を引き続き無国籍の少数民族として抑圧する方針から、ロヒンギャ族の幼児を新たにブラックリストに登録した。」と報告した。

レワ代表は、推定4万人のロヒンギャ族の子どもたちが、大人たちと同様に強制労働に従事させられているほか、医療や正規雇用へのアクセスを拒まれ、当局の許可なく居住する村からの外出することを禁じられている事実を明らかにした。

1978年、政府は「キング・ドラゴン作戦」を敢行し、ロヒンギャ族20万人をラカイン州から隣国のバングラデシュに追い出した。その結果、ロヒンギャ難民はその後数十年に亘ってバングラデシュの難民キャンプで悲惨な生活を強いられた。

1991~92年にも同様の国家的迫害があり25万人のロヒンギャ族が難民化した。現在、サウジアラビア、パキスタン、インド、マレーシア、バングラデシュで150万人のロヒンギャ族が難民になっている。

ロヒンギャ族が前回国際的な見出しに登場したのは2009年で、タイ当局が同国の南西海岸付近の沖合で、船いっぱいの疲労困憊したロヒンギャ難民を拿捕したと報じられた際である。当時、人権擁護団体は、タイ軍当局により再び沖合に引き戻された1000人以上のロヒンギャ族難民の身に何が起こったかについては、不明のままだと主張した。(原文へ

翻訳=IPS Japan