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ヘッドラインの向こうにあるヒューマンドラマを映し出すフィルム・フェスティバル

【トロントIPS=ベアトリス・パエス】

今年で9回目となるトロント・ヒューマンライツ・ウォッチ(HRW)・フィルム・フェスティバルが、TIFFベル・ライトボックス劇場で2月29日から3月9日まで10日間に亘って開催されている。

このフィルム・フェスティバルは、虐待、トラウマ、暴力等の重い問題に正面から取り組む作品を取り上げてきたが、とりわけ、世界各地の人権侵害の犠牲者や活動家による勇気ある闘いを描いた作品が紹介されることでも知られている。

 「出品作品はいずれも、難しい題材を扱ったものですが、一方で視聴者の魂を鼓舞するものばかりです…つまり、登場人物がいかにして過去の人権侵害を克服したか、あるいは、いかにして人権侵害を受けた人々を守ってきたかといった現実が描かれています。」「(これらの作品を鑑賞したら)きっと新聞のヘッドラインが違って見えてくるでしょう。」とプログラム担当のアックス・ロガルスキー氏はIPSの取材に応じて語った。

今年のフェスティバルで最初に上映された作品は特別機(Special Flight)という、スイスのフランボワース収容所に拘留された難民申請者や不法移民に焦点をあてたドキュメンタリー映画である。そこで収容者たちには3通りの運命が待ち構えている-①恩赦、②「特別機」による強制送還、そして③自主的な国外退去である。移民たちに上告の権利はなく、そこでの裁定が彼らの運命を決している。

この作品はフェルナンド・マルガ監督の2008年のドキュメンタリー作品(Fortless:難民申請所を取材)に続くシリーズ第2作である。なお次回作では、国外退去処分になった移民たちのその後を追った一連のドキュメンタリーを制作し、インターネットで配信する予定である。

これは私の故郷…ヘブロン(スティーヴン・ナタンソン、ジウリア・アマティ監督作品)では、ユダヤ人入植者とパレスチナ人住民双方の証言と、長年に亘る両者間の紛争で板挟みになっている人々のインタビューがまとめられている。

この作品でも勇敢な人々が登場するが、元イスラエル軍兵士で、今は立場を変えてツアーガイドとして働いている青年もその一人である。彼は、分裂した街ヘブロンを訪れる観光客に、この街に生きる人々の暮らしや佇まいを、親しみをもってありのままに紹介している。

ナタンソン監督はIPSの取材に「多くの出来事がほとんどニュースにならない中、本作品でインタビューに答えてくれたイスラエル人の中には、ヘブロンの現状について極めて明確に語ってくれる人々がいたのは良かったと思います。」と語った。

古代から預言者アブラハムの墓所がある地として有名なヘブロンには、16万人のパレスチナ人と600人から800人のユダヤ人入植者、そして入植者護衛を任務として進駐してきた2000人のイスラエル兵士が居住している。

この地では、パレスチナ住民にとって、ユダヤ人入植者から嘲りや脅迫、投石を受けるのは日常茶飯事の風景となってしまっている。またときには、両親に扇動されたユダヤ人入植者の子供までが、パレスチナ人に対する攻撃に参加している。

ヘブロンは、かつては交易の一大中心地として、また一神教(イスラム教、キリスト教、ユダヤ教)の聖地として繁栄を謳歌した歴史があるが、今では長引く紛争の影響で、板でふさいだ商店と閑散とした通りが目立つゴーストタウンと化している。

ナタンソン・アマティ両監督は、この作品で、他地域から孤立し、住民同士の対立が深まっている状況を克明に捉えている。

「私たちにできることは状況を観察し質問を投げかけることぐらいでした。この作品にはそうした質問と回答が記録されています。現在のヘブロンの状況を見る限り、今後状況が好転するとはとても想像できません。」とナタンソン監督は語った。

一方、リー・ヒルシュ監督は、ドキュメンタリー作品を通じて、タイラー、アレックス、ケルビー、ジャメーヤといった「いじめ」の標的になった米国の子ども達の日常へを誘ってくれる。

映画The Bully Project(いじめっ子プロジェクト)は、彼らが直面している精神的・肉体的虐待を捉えるにとどまらず、「kids will be kids(所詮子供のすることだから)」といじめ問題について真面に対処しようとしない学校側の驚くべき対応の実態についても暴露している。

そして今年のフィルム・フェスティバルの最後を飾る作品が、モルディブ共和国のモハメド・ナシード前大統領の活動を追った島の大統領である。ジョン・シェンク監督は、カメラと共にナシード大統領に影のように付き添うことで、気候変動問題に対する取り組みから経済の復興や民主主義の育成まで、大統領が直面した様々な難題を捉えている。

ナシード大統領の任期一年目における政界の内幕へのアクセスを許可されたシェンク監督は、このドキュメンタリー作品で、政治的な取引の実態を捉えることに成功している。本作品は昨年のトロント・フィルム・フェスティバルでも上映された。

今回のフィルム・フェスティバルでは、その他2つの作品が上映された。一つは、グアテマラで起こった大量殺戮事件に対する裁きを求める映画グラニート:独裁者の捕え方(監督:パメラ・イエーツ)、もう一つは、ミミ・チャカロヴァ監督がモルドヴァ、トルコ、ギリシャ、ドバイで綿密な取材を重ねて制作した国際人身売買の実態を記録したドキュメンタリー映画セックスの対価(The Price of Sex)である。

「これらの作品は、逃避主義とは対極に位置するものです。なぜなら、これらのドキュメンタリー映画は、あなたがあまり知らないかもしれない現実…つまり誰か他の人が経験した現実の一部を疑似体験させてくれるものだからです。」とロガルスキー氏は語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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 【コロンバスIDN=ハーベイ・ワッサーマン】

福島第一原発事故の収束が依然不透明な中、米国では1978年以来初めて、原子力規制委員会(NRC)が原子炉の建設・運転許可を下した。米国では1979年のスリーマイル島原発事故以降、原発の新規建設を凍結してきたが、今回の建設認可はじつに34年ぶりとなる。

福島第一原発では、数千トンにのぼる放射性使用済燃料が未だに危険な状態に置かれており、放射性廃棄物や汚染された水が自然界に流出し続けている。核技術者のアーニー・ガンダーセン氏は、3月11日の大震災・大津波に続いた一連の災害で、同原発の封じ込めキャップが浮き上がってしまい、危険の放射性ガスが噴き出し、水素爆発を誘発した可能性があると発表した。

 米国にも、依然として、[福島第一原子力発電所と同じ]マークI型原子炉が23基存在している。

新たに公開されたNRCの秘密メールは、原発事故直後のNRC内の緊迫した状況を伝えている。東京が避難対象に含まれる可能性や、放射性物質が太平洋を越えてアラスカを汚染する可能性についても言及されていた。

原発推進派は、ジョージア州ボーグルに東芝の子会社「ウェスティングハウス社」製の新型加圧水型軽水炉「AP1000」(1100メガワット)の建設と・運転を許可したNRCの判断を歓迎している。現在ボーグルには2基の原子炉(1号機、2号機)が稼働中で、新規原子炉の建設を主導する電力企業サザン社は、今回建設許可を受けた3号機の2016年後半、4号機の17年後半の運転開始を目指している。

しかし、NRCのグレゴリー・ヤツコ委員長は、5人の委員の中で唯一、建設・運転許可に反対の判断を下した。「福島事故の教訓が原子炉設計にまだ生かされていない」というのが理由である。

一方、建設・運転許可に賛成したNRCの4人の委員は、12月14日に開かれた下院監視・政府改革委員会の公聴会の席で、ヤツコ委員長の「運営手法」を公然と非難していた。しかし今回のボーグル原発を巡る投票結果を見ると、両者の対立の源は、むしろ原子炉の安全性に対する考え方の相違にあるようだ。

今回の建設・運転許可はじつに1978年以来のもので、今回の決定に至るまでに長年の歳月を要した。NRCでは様々な側面が議論されたが、その中にはAP-1000がはたして地震やその他の自然災害に耐えられるかどうかというという指摘も含まれていた。最終計画は未だに完成していない。

ジョージア州に隣接するサウスカロライナ州では、既に原発施設の建設に向けた整地作業が進んでいる。ジョージア州の場合と同様に、サウスカロライナ州の消費者は、好むと好まざるとにかかわらず、原子炉建設の費用を負担させられているのである。新たな原子炉は完成させない方がよいのか、それとも完成させた後に放射能事故に遭遇するのか、納税者は難しい選択を迫られている。

米国の産業界はボーグル原発における原子炉増築許可を「核のルネッサンス」へと続く大きな弾みになるとみている。しかし一方で、日本では全国54基の原発の内、2基(東京電力柏崎刈羽原発6号機、北海道電力泊原発3号機)を除く52基が定期点検等で運転を停止しており、さらに両原発も4月下旬までには停止する予定である。

世界各地で、原発は危機に瀕している。ドイツは、2022年までに全ての原発を停止すると決定した。英国では、米国フロリダ州の場合と同様に、新たな原発計画が法的訴訟に直面している。インドは、2011年、グリーンエネルギーで世界をリードした(前年比52%増、103億ドルを投資)と発表した。一方中国は、福島原発事故を受けて、今後の核エネルギー政策をどうしていくかについて、依然として方向性を明らかにしていない。

そして米国では、ボーグル原発に続くものはなく、既存の原発では、バーモント州のものやニューヨークのインディアン・ポイント原発(NY市から僅か50キロ)などが、政府による非難の対象とされている。また、フロリダのクリスタル・リバー原発は、多額の修理費用に悩んでおり、今後廃炉になる可能性がある。また、カリフォルニア州のサン・オノフレ原発では、配管が破損して汚染水が漏れ出し、放射性物質が大気中に放出したことから緊急停止した。その他にも発電機を動かす蒸気の配管トラブルが全米各地の原発施設で相次いでいる。

他方、日本では、福島第一原発2号機の急激な温度上昇、田坂広志多摩大学教授が内閣官房参与時代に経験した政府の内情の暴露など、問題が終わる気配はない。

田坂教授は、福島第一原発施設の安全に関する政府の保障は、「根拠のない楽観主義に基づくもの」と指摘したうえで、「福島原発危機は依然として解決から程遠い状況にある」と警告した。ジャパンタイムズが2月8日に報じたインタビュー記事によると、田坂教授は、第4号原子炉だけでも、1500本以上の燃料棒が非常に危険なむき出し状態になっていたと証言している。

原因は依然不明だが、原発第2号機が摂氏70度を超える熱を放出し続けている問題について、東京電力は再臨界を抑制するためホウ酸水を注入した。田坂教授らは、これによって放射線物質がますます地下水面と海へ拡散するだろうと警告している。

日本、米国をはじめ世界各地で、福島原発から排出される放射性物質が及ぼす健康被害を巡る熾烈な議論が展開されている中、米国で新型原子炉の建設・運転の認可が下されたという出来事は、将来、20世紀の最も高価な欠陥技術に対する奇妙な判断として振り返られることになるかもしれない。

米国の公共料金納付者や納税者が引き続き費用負担を強いられる状況が続かない限り、米国が国内で原発の新規建設を続けていくことは難しいだろう。そして、福島の事故が最終的な解決に導かれないかぎり、東京、アラスカ、ジョージア等世界中のあらゆる場所が放射能のリスクに直面しているという事態に変わりはない。

※ハーベイ・ワッサーマン氏は、米国のジャーナリスト、グリーンピースUSAの顧問。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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忘れえぬアウシュビッツの恐怖

【オシフィエンチム(ポーランド)INPS=クリスチャン・パペッシュ】

ウクライナ出身の元機械工学教授、イゴール・マリツキー氏(87歳)は、金属製のゲートの下に降り積もった雪の上に立っていた。厚いジャケットを羽織り、頭には青と白の帽子を被り、大きなプラスチックのヘッドフォンをしている。

マリツキーは無表情であった。彼の帽子は、60年以上前の血で汚れている。彼の頭上にある鉄でできた巨大な文字は、アーチの形を成している。そこにある言葉こそが、人間の歴史の中でおそらく最も恐ろしいスローガンであろう。「労働は解放する」(Albeit macht frei)。

ここは、第二次世界大戦中の1940年から45年の間に現在のポーランド南部オシフィエンチム市郊外に設けられた「アウシュビッツ強制収容所」への入り口である。

「私の番号は188005でした。」とマリツキー氏は、彼の左の袖をまくりながら、ほぼ完璧なドイツ語で語った。その袖の下には、消えかけてはいるが、青字で彫られたその番号が浮かび上がっている。マリツキー氏にとって生涯残るこの刺青は、アウシュビッツ収容時代の忌まわしい記憶を常に思い出させる目に見える傷である。

「この収容所に到着してまず腕に刺青をされましたが、その時私は一片の肉片にされた気分になりました。つまり最初から最悪の経験でここでの生活は始まったのです。」とマリツキー氏は語った。

しかしナチス支配下で最大の絶滅収容所であったアウシュビッツ収容所(実際には3つの収容所から構成されていた)に連れてこられた人々のほとんどが、そうした刺青を入れられることはなかった。というのも、虐殺された110万人のうち約8割が、施設に到着後そのままガス室に連れて行かれたり、銃殺されたりしたからである。
 
犠牲者の内訳は大半の90万人を占めるユダヤ人をはじめ、シンティ・ロマ人(ジプシー)、政治犯、エホバの証人、同性愛者、精神障害者、身体障害者、捕虜、聖職者、さらにはこれらを匿った者などであった。1945年1月27日、ソ連赤軍がこの地に侵攻し、7,500人の収容者が解放された。

戦後、アウシュビッツは、人種差別的なナチスドイツの理想にそぐわないと見做された全ての民族・宗教・社会集団を、計画的にまるで工場のように虐殺していったホロコーストの象徴となった。

現在では、世界各地から年間約130万人が訪れており、ポーランド国内の博物館としては最も訪問者が多い施設となっている。

「ここはおそらく防衛的なPR戦略をとっている唯一の博物館だと思います。私たちは芸術家、ジャーナリスト、ビジネス関係者から多くのリクエストを受け取っていますが、通常こうした要請を断るのが私たちの仕事となっています。」と広報担当のパヴェル・スタヴィッキ氏は語った。

収容所跡はホロコーストを人類の記憶に留めるうえで重要な役割を果たしている。そして生き証人である生存者の役割も極めて重要である。ドイツのNGO「マキシミリアノ・コルベ工房」等の団体は、ナチス時代のゲットーや強制収容所の生存者を支援し、学校、大学、元収容所等で記念イベントや国際会議を開催している。

同工房のヴォルフガング・ゲルシュトナー氏は、「アウシュビッツの生存者と学生とが直接触れ合うことが大事です。本に向かって個人的な質問をすることはできませんから。実際に収容経験をした生存者と直接会って話すことはかけがえのない機会なのです。」と語った。

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

This article was produced as a part of the joint media project between The Non-profit International Press Syndicate Group and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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|中東|危ういスンニ・シーア間の宗派対立(R.S.カルハ前駐イラクインド特命全権大使)

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【ニューデリーIDN=R.S.カルハ】

シリア問題に関する国連安保理における採決は、この問題がたんに独裁者の追放ということにとどまらず、中東が大きな権力闘争の中心地になってしまったことを示している。

言うまでもなく、中東は石油や天然ガスなどの資源が豊富な場所である。また、イランの核開発疑惑という問題もある。

国連安保理でのシリア非難決議は、主にサウジアラビアとカタールが主導する形でアラブ連盟が提案し、これに西側諸国が乗ったものである。しかし、これによって、西側諸国は、ロシア・中国の拒否権行使に遭うというリスクを冒したのみならず、中東でのスンニ派・シーア派の対立に油を注ぐ結果となってしまった。

 
シーア派は、シリア非難決議は、スンニ派のサウジアラビアやカタールがけしかけて、アラウィテ派(シーア派の一派)主導のバシャール・アサド政権を崩壊させ、同じくシーア派主導のイランを抑えようとしたものだと見ている。一方、西側諸国は、シーア派主導のアサド政権を崩壊させ、同国の最大支援国でシーア派の本拠であるイランに痛撃を見舞う好機とみている。

シリアの指導層はタフであり、この機に乗じて事態の性格を、民主化革命から、スンニーシーア派間の対立へと見事にすり替えてしまった。スンニ-シーア派間の対立説にさらに説得力を持たせているのが、(内戦が報じられるスンニ派が大半を占める地域とは対照的に)シーア派や他の少数派が住民の大半を占めている地域は、概ね平和的でアサド政権を支持しているというシリア国内の状況である。また、同じくシーア派集団であるヒズボラハマスが、その宗派闘争に参画し、アサド政権転覆阻止に動くのではないかとの懸念も浮上している。また同様に、この見方を裏付けるもう一つの事実は、イラクに成立したシーア派主導の政府が、もともと米国の支持を背景に成立したにもかかわらず、アサド包囲網への参画を拒否したばかりか、むしろ積極的にアサド支援にまわっている実態である。こうした政治姿勢は、レバノンの場合も同様である。

戦略的誤り

地理的な偶然というべきか、実に奇異なことであるが、中東で原油が地下に眠っている地域の大半は、シーア派住民が大半を占める地域(イラク南部、サウジアラビア北東部、バーレーン、イラン)と重なっている。世界の石油生産量の27%を担い、世界における確認石油埋蔵量の57%と天然ガスの45%を擁する湾岸地域は、極めて戦略的に重要な地域である。米国のディック・チェイニー前副大統領が言及したように、「この地域こそPrize(=褒美)が横たわる場所」なのである。

西側諸国は、シリアの政権交代を前面に出して国連安保理決議まで持っていくという、戦略的な間違いを犯した。さらにもっと大きな誤りは、スンニ派主導のアラブ国家であるサウジアラビアとカタールの提案に乗って、シリアの「民主化」計画を推し進めたことである。サウジアラビアは他の中東諸国と変わらぬ独裁国家であるし、「民主主義」への貢献と言えば、最近やっと女性の運転を認めた程度に過ぎない。またカタールの貢献といえば、アルジャジーラに本社を置くことを許していることぐらいである。

従って西側諸国の決定は、スンニ・シーア両派間の対立の溝にさらに火を注いだ結果となった。そして両派間の対立の構図が着目されることで、イラン核問題が後景に退く結果を招いたことも、西側のミスであった。シリア情勢が国際世論の注目を集め続け、スンニ派とシーア派間の熾烈な闘争に発展するシナリオは、イランの思うつぼである。そのような状況になれば、西側諸国の干渉は、イラン問題をさらに後景に追いやり、ますます宗派対立を煽ることになるからである。経済制裁が過酷なものになればなるほど、イランの人々は頑なになるだろう。

イランの指導者は国家経営に熟達した人々であり、犠牲と殉教を志向するシーア派の特性を考えれば、極めて手ごわい相手である。クウェートに侵攻して西側による軍事攻撃の大義名分を与えてしまったサダム・フセインとは異なり、イランの現政権が、西側からの軍事的反抗を招きかねないホルムズ海峡封鎖に打って出るとは考えにくい。

イランの最高指導者は、サダム・フセインよりも遥かに戦術に長けている。彼らは、ホルムズ海峡を封鎖すれば、国際世論においてイランに「悪者」というレッテルが貼られること、そして、西側諸国による壊滅的な軍事攻撃を招くのは必至だということを十分認識している。イランは西側に対して強気な発言を続けているが、一方で自国の軍事力が西側諸国が派遣する連合軍には太刀打ちできないこともよく理解している。西側諸国によるイラン攻撃という事態に進展した場合、ロシアと中国は、国連安保理で拒否権を発動する可能性はあるが、イランを庇って西側諸国と軍事的な対峙までするというリスクをおかすとは考えられない。

イランは世界における確認石油埋蔵量の11.1%と約970b/cmsの天然ガスを擁するエネルギー輸出大国である。そして、石油輸出から得られる収益が政府支出の43%を賄っている。この経済構造を見れば、西側諸国が、イランの石油輸出量を削減できれば、政府に深刻な圧力を加えることが可能となり、イラン政府をして西側の要求に屈して核開発を放棄させることができると考えたのも無理からぬことである。

石油を巡る駆け引き

西側諸国は対イラン経済包囲網を構築する過程で、イランからの石油輸入禁止措置後も、サウジアラビアと湾岸諸国からの輸入で供給に支障をきたさないとしてきた。しかしこうした対応は理論的には可能だが、今回の計画で最も説得力が弱い部分である。

サウジアラビアの主要な石油埋蔵地域は、同国の石油大手アラムコ社が拠点を構える北東部地域で、現在は主要な石油採掘地でもある。そしてこの地域は、シーア派が人口の大半を占めている。報道によると昨年この地域でシーア派とスンニ派間の抗争が勃発し、サウジ当局によって鎮圧された。隣国バーレーンで起こった民主化運動も国内のシーア派に深く影響されたものだったが、バーレーン政府とサウジアラビア政府が派遣した軍によって容赦なく鎮圧された。そして暴動の扇動者はイランのシーア派宗教指導者との深い関与があるとされた。

従って、イランの支持のもと湾岸地域に再び宗派対立が引き起こされる可能性を否定するのは現実的ではない。もしこの地域で大規模なスンニ・シーア派間の抗争が勃発し、長引いた場合、石油価格は高騰するだろう。またそうなれば、石油の主要採掘地が不安定となるサウジアラビアは、イランからの石油輸入禁止の穴埋めを実行に移すことはできないだろう。

また、核開発疑惑に関連したイランへの軍事攻撃についても、イスラエル、やや及び腰な米国及び一部の欧州諸国を別にすれば、国際世論の支持は必ずしも高くない。また、石油禁輸による経済制裁という手段自体が両刃の剣となりかねない。石油需要の27%をイランからの輸入に依存している欧州連合の他にも、中国、インド、日本、韓国などのアジア諸国がイラン産石油の主要な輸入国である。従って、イラン情勢に関連して石油輸入の流れが滞れば、これらの国々は大きな打撃を受けることとなる。そうなれば世界経済の安定そのものが脅かされかねないだろう。とりわけ極めて脆弱な経済状態に直面している一部の欧州の国々は、おそらくイラン危機に端を発する経済ショックを凌ぐことはできないだろう。

このように、中東の事態が進展するにつれ、「単に独裁者を排除するための闘い」という単純な見方はもはや通用しなくなってきた。しかし世界の大国は、国連安保理決議等を通じて既に立場を明らかにしてしまっているため、極めて深刻な事態へと発展する危険性が高くなっている。中東情勢の根底にあるスンニ-シーア派の対立構図について十分認識しておくことが、今後公平な解決策を見つけ出していく上で大いに役に立つだろう。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

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【ナイロビIPS=イサイア・エシピス】

Ruth Muriuki in the greenhouse she built with the help of a microloan. Credit: Isaiah Esipisu/IPS
Ruth Muriuki in the greenhouse she built with the help of a microloan. Credit: Isaiah Esipisu/IPS

ルース・ムリウキ(64)さんは、小型トラックにトマトとキャベツを満載して、ケニア東部メルー市のガコロモネ市場に到着した。このところの雨不足にも関わらず彼女の農業が順調なのは、マイクロクレジットを使って彼女が建てた温室のおかげである。

「3ヶ月前には40ケニア・シリング(0.5米ドル)だったトマト10個が、いまや倍の値段です。もうどうしようもないですよ。」と市場で野菜を売っているデイビッド・ヌジョグ氏は語った。ここでムリウキさんは、3か月前まで1個50セントだったシュガーローフキャベツを1.5ドルで販売している。

本来なら10月から12月にかけて降るはずの雨が少なかったため、国全体の農業生産が深刻な影響を受け、この3カ月で農産物価格が高騰した。

しかし、温室で作物を栽培している農民らには、干ばつの心配がない。一般的に温室はガラスか透明なプラスチックでできており、室内の温度と湿度を調整できるため、一年を通じて農産物を栽培することができる。

 リフトバレー州ナンディヒルに暮らす一児の母、サラ・チェベット(28)さんは、この2年間にわたる温室栽培の経験について、「私は、地元のマイクロファイナンス機関から資金を借りて、この温室を購入しました。この2年間のプロジェクトで、トウモロコシのフライス盤を買い、小売店を建て、乳牛を2頭買い、値段が上がったら売るつもりで400キロのトウモロコシを買ったのです。まさに長年抱いていた夢が、マイクロファイナンスのお蔭で実現したのです。」と語った。

ひとつの温室から、彼女は平均で毎週4ケースのトマトを収穫している。これで100ドルの収入がある。

「子どもがまだ小さいので、就学するころまでに私の収入を安定させようと温室事業に投資したのです。」とチェベットさんは語った。夫は夫婦が所有している5エーカー(約2ha)の土地で他の農業プロジェクトを実施している。

園芸会社大手のアミラン・ケニア社は、この2年で2300棟以上の温室を販売してきた。同社のプロジェクトオフィサーのシラス・トゥエイ氏は、「温室のほとんどが、女性、青年、教育機関を対象に融資しているマイクロファイナンス機関を通じて販売したものです。平均すると、温室全体の半分近くを女性が所有しています。」と語った。ケニアでは、アミラン社のほかにも、温室の建設方法を習得している個人が各地で販売を手掛けている。

またトゥエイ氏は、「当社では出来るだけ多くの農家に(温室が)いきわたるよう、小規模金融機関3行(ケニア女性金融トラストエクイティ銀行ケニア協同銀行)と提携しています。」と語った。

一方CIC保険会社は、このところの温室ブームを受けて、専門業者によって建てられた温室が、火災、強風などの自然災害により被害を受けた場合に補償する商品を売り出した。

前出の7人の子どもを持つムリウキさんは、「この2年の経験から、温室と灌漑農業こそが今後のあるべき方向だと思います。雨水に依存する農業では、これまで何度も失敗し、とりわけ近年は大変な目にあってきました。天候にはもはや期待はできません。」と語った。

またムリウキさんは、「メル市周辺では、私が子供のころは3月15日になると必ずと言っていいほど雨が降ったものです。しかしここ数年、当たり前と思われてきたこの時期の雨が降らなくなっているのです。」と指摘した。

しかしムリウキさんの場合、メル市郊外15キロのカリマガチジェ(Karimagachiije)村に所有する約1エーカー(約0.4ha)農地に設置した温室のおかげで、週当たり少なくとも1トンの野菜を収穫している。

ムリウキさんはケニアの東部と中部各地の市場で野菜を売った収益から、末の2人の娘を大学に送り出すことができた。「この温室プロジェクトを始める前は、子どもの学費負担は夫の責任分担でしたが、今回初めて、私が負担できるようになりました。」とムリウキさんは語った。

しかしムリウキさんもチェベットさんと同様、自身で園芸プロジェクトを立ち上げるだけの資金を用立てる余裕はありませんでした。

「3年前、私はケニア女性金融トラストに申請し、温室プロジェクトの資金として30万ケニア・シリング(3750米ドル)の融資を得ることができました。」とムリウキさんは語った。

同トラストは、融資を通じてケニア国内の女性・少女の自立支援に取り組んでいる。貧しい女性の多くは担保となる資産を持っていないため、融資の大半はこうした女性が少額ずつ出資して運営する互助組織を通じて行われている。

これまでに50万人近くの低所得層の女性が、農業分野に限らず様々な小規模事業に、このマイクロファイナンス機関の融資を活用している。

「私の温室の場合、限られた水資源を最大限に活用するために、地中に埋め込んだパイプを通じて作物の根本に直接水を供給する『点滴灌漑システム』を採用しています。こうすることで、作物以外への水の浸出を最小限に抑えられるのです。」とムリウキさんは語った。

ケニアでは、一般的な温室の建設費は、材料の入手経路や、素材の質、構造物の規模等により、1250ドルから3125ドルまで様々である。

「わたしはこれまで、このようなプロジェクトを手掛けられるような資金を自力で集めることができませんでした。しかし女性の自立支援を掲げたマイクロファイナンス機関のおかげで、この年になって初めて独立した事業家になることができたのです。」とムリウキさんは語った。(原文へ

IPS Japan

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│キルギス│花嫁誘拐禁止法、一夫多妻主義者の妨害で否決

【ビシケクINPS=クリス・リックルトン】

女性を誘拐して花嫁にしてしまう違法行為を抑えるための法案(イスラム婚姻法案)がキルギス国会に提出されていたが、1月26日に行われた採決で否決されてしまった。

ある国会議員は、同法案が支持されなかった理由として、「法案に含まれている条項が、表面的には違法でありながら暗黙の内に許容されてきた一夫多妻婚を取り締まる手段となりかねない」という危惧があったとしている。

 この法案は、役所に婚姻届けをおこなっていないカップルに結婚式を執り行ったムラー(イスラム教の聖職者)に対する罰金刑を規定していた。キルギスの村落社会では、花嫁を誘拐したり複数の女性を妻としたりする慣習が古くから行われてきており、こうした慣習を禁じたソ連崩壊後も社会的なタブーとして存在している。ムラーは宗教的な儀式を施すことで、こうしたタブーに社会的な正当性を与える重要な役割を果たしているのである。

花嫁の誘拐は違法行為のため、大半の場合、役所に対して婚姻届が提出されることはない。また、裕福な男性の間で広く行われている一夫多妻の慣習についても、キルギス国内法は違法行為として2年間の懲役刑を規定している。しかし、ムラーがイスラム法に基づく婚姻(nikaah)儀式を執り行うことで、村人たちの目には、強制された婚姻や違法な婚姻であっても、正当な婚姻関係が成立したと映ってしまうのである。

国会に出されていた法律はこうした行為を抑制することを目指していたが、ある女性議員によると、「男性支配の議会(議員120人中94人が男性)は一夫多妻制を残すことを明らかに指向していた」という。

一方、アタ・メケン(Ata-Meken 「社会党」)のアシヤ・サシクバエワ議員は、「キルギス国会には、花嫁を誘拐する慣習を抑制しようとする政治的意思が確かに存在しています。例えば、国会は2011年に女性の法定婚姻年齢を16歳から17歳に引き上げる法案を通過させましたが、これは花嫁を誘拐する事件が最も深刻な農村部において、就学年齢層の少女達を早期の結婚から保護することを意図したものものでした。」と語った。

またサシクバエワ議員は、「(1月26日の法案採決に際して)それまで進歩的と思っていた多くの(男性)国会議員が反対票を投ずるのを目の当たりにして驚きました。しかし、この国では非公式に一夫多妻が黙認されているという実態は、良く知られていることです。こうした国会議員の多くは、個人の利益を守るため、法案に反対したのだと思います。

一夫多妻制をめぐっては、キルギス国内でかねてより議論がなされていた。リークされた米国務省の2007年4月当時の公電によると、一夫多妻制を合法化する法案が1990年代中盤に国会で成立しかかったことがあるという。

その公電には、「当時キルギスではクルマンベク・バキエフ大統領やフェリクス・クロフ首相を含む、多くの著名な政府関係者も、妻が2人以上いると見られていた。」と記されている。

現在尊厳(アル=ナムィス)党を率いているクロフ議員は、イスラム婚姻法案に反対票を投じた。一方バキエフ氏は、2010年に発生した騒乱の最中、政権を追われ、国外に亡命した。

花嫁の誘拐問題根絶を目指して活動してきた非政府組織(NGO)にとって、今回の法案否決は大きな痛手となった。キルギスの現行法では、「婚姻を目的に人を誘拐したものは、最高3年間の禁固刑に処される」とあるが、実際のところ、花嫁の誘拐を防止する効果をほとんど挙げていない。

「キズ・コルゴン研究所」が昨年10月に行った調査によると、カラコルという町の既婚女性のうち45%が、誘拐されてきた女性だったという。今回のイスラム婚姻法案が採択されていたら、こうした女性たちの婚姻儀式を行ったムラー達には、罰金刑が適用されていただろう。

花嫁誘拐の犠牲者を支援しているビシュケクに拠点をおくNGO「オープンライン」のムナラ・ベクナザロヴァ氏は、「村に在住のムラーの多くは、花嫁を誘拐するという行為がイスラムの戒律に違反していると気づいています。しかし、新婦が婚姻に同意しているとの意思表示を示している場合は、婚姻の祝福を施しているのです。」と語った。

またベクナザロヴァ氏は、「ムラーが式のために到着するころまでには、誘拐された女性は暴力で脅されたり、ときにはレイプされたりして、結婚に『同意』せざるを得ない状況に追い込まれているのです。」と指摘した上で、「(このような状況に置かれている女性は)もちろん、ムラーの質問に対して婚姻に同意していると答えます。」と語った。

またベクナザロヴァ氏は、「こうした役所への婚姻届がないまま非公式な婚姻状態に置かれた女性やその女性が生んだ子供には、法的な保護が適用されないことから、婚姻状態を離れても配偶者に対して慰謝料や保障を求める権利が認められていないのです。キルギスの農村部で花嫁の誘拐が一般的な現状の背景には、こうした男性に有利な社会状況があるのです。」と語った。

「国会議員の大半は農村出身で、彼らの心情に配慮せざるを得ない立場にあります。そして彼らには別の優先事項があるようです。」「昨年の夏、キルギス国会は、家畜を盗んだ犯人の刑事罰を重くする法案を通過させました。もちろんこのニュースを聞いて、女性団体は憤慨しました。農民にとって家畜がいかに大事なものか、たしかに理解できます。しかし、それならば国会議員たちは、娘達を誘拐するという犯罪行為について、どうして家畜並みの危機意識すら持たないのでしょうか?」とベクナザロヴァ氏は付加えた。

イスラム婚姻法案を巡る投票内容は、「キルギス国会全体として花嫁の誘拐問題を深刻にとられていない」とするベクナザロヴァ氏の懸念を裏付けている。120人の国会議員中、同法案への投票に参加した議員は僅か73人であった。法案に賛成した議員43人のうち、女性議員は17人(女性国会議員の総数は26人)、一方法案に反対した議員30人のうち、女性議員は3人だった。そして、法案の採決を欠席した議員47人のうち41人が男性議員だった。

この法案を共同提出した9人の国会議員の中で唯一の男性議員であるダスタン・ベケシェフ氏は、今回の国会議員達の投票行動について、「ジェンダーに配慮した法案に対して極めて保守的」と指摘した上で、「多くの国会議員がこの種の法案を通過させるには時期尚早だと主張していますが、私は納得できません。キルギスではこうした問題について既に20年も議論してきているのです。」と語った。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

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ラテンアメリカ、非核兵器地帯の拡大を目指す

【メキシコシティーIPS=エミリオ・ゴドイ】

ラテンアメリカ・カリブ海地域の国々は、同地域を世界初の非核兵器地帯とした条約の署名開放45周年を記念して開催された国際セミナー(ラテンアメリカ・カリブ海核兵器禁止機構:OPANAL主催)において、域内における核物質使用に対する監視体制の強化や、非核兵器地帯をさらに拡大していくための方策について協議がなされた。

「核軍縮は今でも私たちの優先課題です。核兵器を保有しない国々にとって、核保有国から核兵器の使用又は威嚇を行わないという保証を法的拘束力がある形で取り付けることは当然の関心事ですから。」とブラジル外務省のベラ・マチャド政治担当事務次官はIPSの取材に対して語った。

マチャド事務次官を含む33カ国の政府代表団は、トラテロルコ条約として知られる「ラテンアメリカ及びカリブ海域核兵器禁止条約」調印45周年を記念してメキシコシティーで開催された国際会議に参加している。

トラテロルコ条約の締約国は、締約国領域内において「いかなる核兵器も、手段に関わらず実験・使用・製造・生産」さらには形式を問わず「取得・貯蔵・設置、配備」を禁止し防止することに同意している。

また45周年記念行事として、2月14日・15日の両日に記念式典と国際セミナー「ラテンアメリカとカリブ海における非核地帯の経験、2015年およびその後に向けた展望」が開催され、世界各地から国際機関や非政府組織(NGO)の代表約200人が参加した。

トラテロルコ条約(1967年にラテンアメリカの14か国が調印)により、ラテンアメリカ及びカリブ海地域をカバ―する世界初の非核兵器地帯が創設された。この新たな流れはその後4つの非核兵器地帯の創設〈1985年南太平洋非核兵器地帯条約(ラロトンガ条約)、1995年東南アジア非核兵器地帯条約(バンコク条約)、1996年アフリカ非核兵器地帯条約(ペリンダバ条約)、2006年中央アジア非核兵器地帯条約(セメイ条約)〉へと繋がり、現在では世界の5地域と114カ国が非核兵器地帯となっている。

メキシコはトラテロルコ条約(1967年2月14日調印式が行われたメキシコ外務省の所在地であるメキシコ・シティの地区名トラテロルコに由来している)の発効に中心的な役割を果たし、ラテンアメリカ地域における軍縮推進のパイオニアとしての地位を確立した。条約は1969年4月に発効した。

メキシコ、アルゼンチン、ブラジルは、核物質を発電目的などの平和利用に限定して活用している。

アルゼンチンとブラジルは、1991年に「アルゼンチン・ブラジル核物質計量管理機関(ABACC)」を設立し、両国にあったすべての原子力施設と核物質のリストを交換し、共通計量管理システムの下で査察を実施した。ABACCは、この分野における模範と考えられている。

国際セミナーでは、議題として、トラテロルコ条約への注目を喚起する必要性について、一部加盟国が依然保有している核分裂性物質の廃棄について、ラテンアメリカ・カリブ海地域を通過する原子力潜水艦や放射性廃棄物の問題について、世界的な核軍縮に向けた進展について等が議論された。

アルゼンチンから参加したイルマ・アルゲロ「グローバルセキュリティーのための不拡散財団」理事長は、IPSに取材に対して、「トラテロルコ条約にはさらに規制に関する追加条項が必要です。つまり域外の国々が核関連の技術や兵器を持ち込めないようにすることが重要なのです。」と語った。

現在とりわけ2つの出来事がラテンアメリカ・カリブ海諸国の関心をおおいに惹きつけている。すなわち、米国を筆頭に一連の国々が強硬に反対姿勢を示しているイランによる核開発計画の問題、そしてもう一つが、アルゼンチンが不服を申し立てている、英国による原子力潜水艦のマルヴィナス/フォークランド諸島(今年はフォークランド戦争30周年にあたる:IPSJ)派遣問題である。

またラテンアメリカ・カリブ海地域の非核兵器地帯は、現在構想が進められている中東における同様の計画の規範となるのではないかと考えてられている。

SGIの平和運動局の河合公明氏は、IPSの取材に対して「中東非核兵器地帯は、人々が新たな考え方や可能性を開拓し、それをもとに生きていけるよう、現実を変革させるものです。無力感や、仕方がないというあきらめに対抗するものです」とし、それゆえに、「これは、権力バランスを変えてしまうほどの大きな可能性を秘めています」と語った。

東京に本部を置くSGIは、核兵器廃絶のための首脳サミット開催を呼びかける世界的なキャンペーンを立ち上げたグループの一翼を担っている。

SGIは同サミットを、原爆投下から70周年を刻む2015年に、被爆地である広島・長崎で開催することを求めている。

CTBTO(包括的核実験禁止条約機関)準備委員会事務局長のティボル・トート氏は、ラテンアメリカ・カリブ海地域の非核兵器地帯が「中東にとって良き模範」と指摘した上で、「1960年代のラテンアメリカの状況とは異なり、ただの夢ではなく、構想が出来ているのです。」と語った。

さらにトート氏は、「近年、いくらかの進展があったものの、まだまだという観が否めません。核不拡散と軍縮の『現実的政策(リアルポリティーク)』の枠を飛び越えなければなりません。」と語った。

1996年から署名が始まったCTBTOは、発効までにあと8カ国の批准を残すのみとなっている。

中東非核兵器地帯の構想は、2011年11月、国連総会と安全保障理事会に直属する国際原子力機関(IAEA)が、(現存する5つの非核兵器地帯から学び、中東に活かす可能性を模索する)フォーラムを開催して、その実現可能性を集中的に協議した。

現在、ロシア、米国、フランス、中国、英国、イスラエル、インド、パキスタンに、2万2千発以上の核弾頭が保有されている。

OPANAL
OPANAL

NPTは1970年に発効したが、今日では、国際的な核軍縮メカニズムは麻痺しているとの見方が大勢を占めている。しかし、ラテンアメリカとカリブ海諸国は、トラテロルコ条約を出発点として次回2015年に開催予定のNPT運用検討会議に備えたい意向である。

マチャド事務次官は、「建設的な雰囲気で交渉することが重要です。中東に非核兵器地帯を実現するためには、何度も繰り返されている議論から脱却しなければなりません。」と語った。

イスラエル、インド、パキスタンはNPTに署名していない。一方、中国、イスラエル、エジプト、イラン、米国が依然としてCTBTの批准を行っていない。

トート氏は、「非核兵器地帯を運営していくには、透明性、監視、批准といった問題が重要です。」と語った。

河合氏は、未来に向けて確かなビジョンを示すためにも、核廃絶を求める世界的な運動を、より一層強力なものにしなければならないとし、「非核兵器地帯を実際に経験してどうだったのか、その体験を、とりわけ北東アジアや中東といった地域の各国政府や市民の間で共有されることを願っています。」と語った。

もうひとつの重大な事柄は、トラテロルコ条約加盟国とIAEA間の核物質の使用を監視する2国間協定の署名についてである。現在までに、十数か国が協定に署名している。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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│印パ関係│歴史的敵対関係を癒す食

【カラチIPS=ゾフィーン・イブラヒム】

もし人間の心をつかむのが胃袋を通じてであるならば、インドとパキスタンとの間の平和への道は、食文化の共通性の中に眠っているかもしれない。

パキスタンの著名なシェフ、ポピー・アガ(Poppy Agha)さんもそのような体験をした一人である。「インドのシェフが、オクラのケバブとビリヤーニ、そしてデザートにフィルニを出してきたときには、それまでインドに抱いていた不安や疑念が心の中で溶けていくのを感じました。」

アガさんは、食のリアリティー番組出演のために来訪していたニューデリーでIPSの取材に応じ、「私はとても愛国主義的な家庭に生まれ育ったので、インドに対しては、パキスタン特有の紋切り型な考え方を持っていました。でも、そういう考えは完全に変わってしまったのです。」と語った。

パキスタンでプロの調理師養成学校を経営しているアガさんはさらに続けて、「愛国的なパキスタン人であることを示すために、インド人を悪く考える必要などないのです。」と語った。

 インドのテレビ局「NDTVグッド・タイムズ」は、インドとパキスタン両国からシェフを招いて料理の技を競わせる「フーディスタン」を放映し、両国市民の熱狂的な支持を獲得している。つまり一つの番組が、この南アジアでライバル関係にある両国の民衆の注意を、核開発競争から料理バトルへと向けさせることに成功したのである。26回シリーズのこの番組では、インド・パキスタン両国から各8人の有名シェフが集い、アジア有数といわれるインドーパキスタンの食文化を、各々のお国自慢料理を通じて表現していった。

「料理は、人間の作った境界をいとも簡単に乗り越えることができるのです。その意味で、料理は国境を越えた友好関係を構築する素晴らしい手段になりえるのです。」と物理学者で平和活動家のパルヴェーズ・フッドボーイ (Pervez Hoodbhoy)氏は語った。

まさにそれこそ、この番組のプロデューサーが狙いとしたポイントである。

「NDTVライフスタイル」のスミータ・チャクラバルティ氏は、「インドとパキスタンは、音楽やクリケット、そしてもちろん、すばらしい料理という同じような情熱をたくさん共有しています。国境はたんに政治的に引かれたものであり、現実は、多くのやり方で、両国の人びとが同じように生き、考えているのです」とIPSの取材に応じて語った。

番組で審査員をつとめているVir Sanghvi氏は、「本物の戦争が無くなることを願っています。そうした日が確信できるようになるまで、平和を根付かせる最良の方法は、このフーディスタンのような(平和的な競争ができる)舞台において両国の民衆が交流を深めることです。」と語った。

パキスタンとインドは、1947年に宗教対立を背景に大英帝国から分離独立して以来、3度にわたって戦争をおこなってきた。以来、両国関係はカシミール州の領有を巡る衝突と対話・歩み寄りを繰り返す、ローラーコースターに例えられる激動の軌跡を刻んできた。

インドの外務官僚から政治家に転じたマニ・シャンカール・アイヤール(元大臣、国会議員)氏は、「インド・パキスタン国境のいずれの側でも、90%以上の国民は過去からの遺恨を抱いていない」という点を指摘したうえで、会場を埋め尽くしたパキスタンの聴衆に向かって、「両国には、このまま『今にも爆発しそうな敵意』をお互いに抱き続けて生きていくか、それとも積極的に交流を深めて共栄共存をはかっていくか、選択肢があります。」と語った。

イスラマバードに本拠を置くシンクタンク「ジンナー・インスティテュート」の招聘でパキスタンを訪問したアイヤール氏は、「インドとパキスタン:回顧と展望」と題した講演の中で、「歴史は私たちを国境で隔てたかもしれないが、地理は私たちを結びつけているのです。」と語った。

アガさんは、インドで各種料理のことなる調理法を学んだが、IPSの取材に対して、個人レベルではもっと大きな収穫があったと言う。「私は友人と呼べる素晴らしい人たちに出会いました。」とアガさんは語った。

両国の官僚主義による様々な障害(査証の発給拒否、訪問者に対する警察署への報告義務、移動に関する制限等)にもかかわらず、両国の民衆同士の直接交流は、独自の方向性を見出しているようである。

パキスタンの人権活動家ゾフラ・ユスフ氏は、「互いに接触するならば、それが競争を通じたものであっても長期的には理解の向上につながります。」と語った。

「例えば両国のクリケットチームが激突する試合では、双方の感情が高まったりするものだが、直接相手の顔がみえる形でのやり取りすることで、他者に対する偏見は大きく取り除けるものです。」とゾフラ氏は語った。

たとえば、インドのテニスプレイヤー、サニア・ミルザ氏は、パキスタンのクリケット選手ショアイブ・マリク氏と結婚したし、インド人のロハン・ボパナ氏とパキスタン人のアイザム・ウルハク・クレシー氏はテニスのペアを組んでいる。彼らは合同で、「戦争をやめてテニスを始めよう」というキャンペーンに取り組んでいる。

また、パキスタンのメディア集団「ジャン・グループ(The Jang Group)」は、『タイムズ・オブ・インディア』紙と組んで、「Aman ki Asha」(平和への希望)というキャンペーンをこの2年間行っている。この試みは、次代を担う両国の若者たちが共に両国の歴史を見つめ直し、未来への責任感を育んでいこうとするもので、例えば、両国の長大な国境に沿って張り巡らされた照明、セキュリティー装置付き有刺電気鉄線の維持に毎日2.5億ドルもの費用が費やされている現実が若者たちに突き付けられている。

「Aman ki Asha」プロジェクトの成功は、2008年11月に武装パキスタン人によって引き起こされたムンバイで発生したテロ攻撃の後、インド国内世論は暫くパキスタンに対して厳しいものとなったが、このキャンペー自体影響を受けなかった事実に見出すことができる。

2010年、インド・パキスタン双方の歌手が出演したスタープラス・テレビチャンネルが放送するリアリティー・ショーの「Chote Ustad」(リトル・マスター)は、両国で大ヒットした。

この番組でグランプリを獲得したパキスタン人のロウハン・アッバス氏は、メダル、トロフィー、副賞の賞金とともに、多くのかけがえのない思い出を祖国に持ち帰った。彼は、今でも番組で仲良くなったインド人参加者達を懐かしく思い出す。

「私は幼いころから、インドは私たちの敵という固定概念を抱いていました。しかし番組参加のためインドに行ったとき、インド人ホスト達が私たちに注いでくれた愛情と温かさに触れて、そうした固定概念は完全に払拭されました。」とアッバス氏はIPSの取材に応じて語った。

チャクラバルティ氏は、「番組に登場する両国からの参加者を見ると、どちらがどちらの国からきたと指摘されない限り、見分けはつきません。フーディスタンのような番組は隣人同士の同胞意識を広げる上で有効だと思います。」と語った。

番組の優勝者の一人であるアッバス氏は、「旅行や査証(ビザ)に制限があって、私たちは互いの食や文化についてよく知らないけれど、フーディスタンのような番組で、その壁を乗り越えることができます。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

|ユニセフ|資金不足で数百万人の子どもへ支援の手が回らず

【ブリュッセルIPS=バリ・ベイツ】

もし国連児童基金(ユニセフ)に12億8000万ドルの執行予算があれば、世界でさらに9700万人の人々に支援の手を差し伸べることが可能だったであろう。

例えば十分な予算があれば、ユニセフは、旱魃に伴う飢饉に見舞われているエチオピアの500万人の子供達の惨状を緩和し、ケニアの36万人の子供達にまともな教育を受ける機会を提供し、深刻な栄養失調に苦しむマダガスカルの16,000人の子供達を診察することができただろう。また、220万人のソマリアの子供達に安全な水を供給し、100万人の南スーダンの子供達に基本的ヘルスケアを提供することも可能だったはずである。

 しかしこれらの数字は、ユニセフが活動目標としている世界7地域の内の、ほんの2地域(アフリカ東部・南部)における現状にすぎない。

残念なことに、ユニセフが2011年に獲得できた資金の総額は目標の半分以下に過ぎず、これによって実際に実施に移せた活動も当初の目標に比べると半減せざるを得ない状況にある。

ユニセフでは毎年1月に、自然災害、紛争、慢性的な危機等により支援を最も必要とする深刻な状況に置かれている子供たちの状況を伝える「子どもたちのための人道支援報告書(Humanitarian Action for Children Report)」を発表している。

この報告書には、辛うじて生きているものの栄養失調からあばら骨が見えるほど痩せ細った少年少女の姿を写した高解像度の写真など、少しずつ餓死に追いやられている多くの人々が直面している厳しい現実が報告されている。

ユニセフは、1月27日発表した「子どもたちのための人道支援報告書2012年版」の中で、25か国7地域で子ども達に人道支援を行うための必要資金として12億8000万ドルが必要であると国際社会に訴えるとともに、支援対象国におけるニーズを分野別(栄養、水・公衆衛生と衛生、教育、児童の保護、HIV/AIDsその他)に明らかにしている。

ユニセフは当初38カ国を対象に14億ドルの拠出を国際社会に訴えたが、2011年半ばに、アフリカの角地域における前代未聞の危機等に対処するため内容を一部変更した。

同最新報告書によると、2011年の資金の44%は、ユニセフが最高レベルの緊急支援体制を発動した「アフリカの角」地域に対して投入されている。また同報告書は、2012年に関しても、いくつかの国々が直面している深刻な現状を浮き彫りにしている。例えば、ソマリアだけで2億8910万ドル(1国当たりの支援必要額としては過去最大)、コンゴ民主共和国で1億4390万ドル、スーダンで9810万ドルが必要だとしている。

また報告書は、2011年10月現在でユニセフが受け取った拠出金総額は、人道支援を実施するために必要な要請額の僅か48%にあたる8億5470万ドルに過ぎないこと、さらに、年末までに受け取る拠出金総額はさらに大きくはなるが、大幅な伸びは見込めない点を指摘している。

その結果ユニセフは、生きるか死ぬかに関わる人道支援を、どの子どもたちに差し伸べるかという、極めて痛ましい決断を迫られる事態となっている。

「悲しいことに、私たちは支援を必要としている全ての人々に救いの手を差し伸べられない状況にあります。」と、ユニセフの緊急対応専門家であるマリカ・ホフマイスター氏は語った。

活動資金の減少は如何なる組織においても大きな障害となるが、生死の境にある人々の支援を行っているユニセフの場合、資金不足は、そうした人々にとりわけ深刻な影響を及ぼすことになる。

たとえば、スーダンには昨年必要額の36%しか活動資金を投入できず、結果的に50万人に対して清潔な飲料水を提供するという計画は部分的にしか実行に移せなかった。当初予定していた給水施設の復旧・建設計画の多くが資金不足で挫折したため、13万人を超える人々に水を供給することが出来なくなったのである。

また洪水で学校施設に大きな被害を受けたフィリピンで、75000人の子ども達を対象に教育教材を支援する計画も、予定の18%しか活動資金を投入できなかったことから失敗し、50,000人以上の子ども達が未だに教育教材がないままの状態にある。

また昨年10月に公表された報告書によると、マダガスカル、ウガンダ、コンゴ、イラク、イラクからの難民、タジキスタンに至っては、10%に満たない額しか活動資金を投入できなかった事実を明らかにしている。

一方ユニセフは、こうした深刻な活動資金不足にもかかわらず、2011年を通じて実施した人道支援の成果として、3600万人を超える子ども達に対する虫下しやビタミンAの補給と予防接種の実施、1900万人の女性と子供に対する栄養補給の実施、1600万人の人々に対する公衆衛生施設と安全な飲料水の提供、400万人の子ども達に対するより良い教育へのアクセスの提供を挙げている。

ユニセフの活動資金には、長期的な開発目標を達成するためのものと、人道支援に特化したものがある。そして活動資金を執行するユニセフの各国事務所には、特定の支援ニーズに応じてこの2種類の活動資金を「ある程度」柔軟に使い分ける権限が認められている。

ホフマイスター氏はこの点について、「各国事務所にこうした裁量の余地を残すことで、緊急の事態に対応できる現場体制を確保しているのです。重要なことは、メディアの注目を集めやすい大規模な緊急事態と、殆どメディアに取り上げられることもなく活動資金も投入されないまま何年も事態が深刻化している『忘れられた危機』のバランスをとっていくことです。」と語った。

しかしこうしたユニセフによる取り組みが、全ての支援団体から評価されているわけではない。

NGOのオックスファムセイブ・ザ・チルドレンは、1月18日に発表した報告書『危険な遅れ』の中で、国連、NGO及び民間ドナー機関は、飢饉問題に対する従来のアプローチを見直し、「危機ではなくリスクを管理する」方向性へと転換するよう求めている。

同報告書は、アフリカの角地域における飢饉への取り組みについて、「危機を回避する機会が既に失われてしまっていることは明らかだ。」と述べている。

さらにオックスファムとセイブ・ザ・チルドレンは、(アフリカの角地域で)1300万人に影響をもたらした旱魃とそれに続いた飢饉は、ラニーニャ現象との関連を想起させる降雨量や天候パターンなど、その後に起こりうる危機について予兆を伴っていた明らかな事例であると指摘した。

「もしこうしたドナーがもっと早期に対処して、ほんの一部の人々の命でも救っていたならば、数千人の子どもや女性、男性が今でも生きていたでしょう。」と報告書は述べている。

ホフマイスター氏は、こうした批判に対して、「どんなに万全を尽くして用意した支援計画でも、予期せぬ災害で台無しになってしまうことがしばしばあるのです。」と反論している。

ユニセフのグローバルサポート部(2012年分として活動資金として2190万ドルを呼びかけている)では、こうした予期せぬ事態に備えるため、特定の国や目的に用途を限定せず、緊急の場合に著しく予算が足りない分野に転用できる予備費枠を設けることを目指している。しかし、こうした方策が効果を発揮できるかどうかは、資金集めの結果次第である。昨年の場合、グローバルサポート部が獲得できた活動資金は国際社会に訴えた総額の僅か3%にすぎなかった。

同報告書によると2011年10月時点で、ユニセフの上位10ドナーが、ユニセフの総収入の74%をカバーしている。そのうち、最大のドナーが欧州連合(EU)で拠出額は1億1580万ドル、それに米国(9820万ドル)、日本(9740万ドル)、国連中央緊急対応基金(CERF:9710万ドル)が続いている。

ホフマイスター氏は、女性や子どもの基本的人権を保護するために、ドナーに対して、支援約束の確実な履行と支援額の増額を求めている。

「私たちは要請額の100%達成を目指しています。なぜならユニセフが計画通りの結果を成し遂げるには、その他に方法がないからです。」とホフマイスター氏は強調した。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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世界の平和活動家が2015年の核廃絶サミット開催を迫る

【国連IPS=タリフ・ディーン

反核平和活動家と非政府組織(NGOs)の連合が、世界で最も強力な大量破壊兵器の一つである核兵器廃絶のための首脳サミット開催を呼びかける世界的なキャンペーンを開始した。

このキャンペーンの一翼を担っている東京に本拠を構える仏教組織創価学会インタナショナル(SGI)は、そうしたサミットを、広島・長崎の両市が壊滅的な被害を被った原爆投下から70周年となる2015年に両市で開催することを提唱している。

Photo: SGI President Daisaku Ikeda. Credit: Seikyo Shimbun
Photo: SGI President Daisaku Ikeda. Credit: Seikyo Shimbun

 また2015年は、5年に1度開催される核不拡散条約(NPT)運用検討会議の次回会合が開催される年でもある。

池田大作SGI会長は、23頁からなる平和提言「生命尊厳の絆輝く世紀を」の中で、「私は2009年9月に発表した核廃絶提言で、2015年までに達成すべき目標の一つとして、核兵器の非合法化を求める世界の民衆の意志を結集し、核兵器禁止条約(NWC)の基礎となる国際規範を確立することを呼びかけました。」と述べている。

また池田会長は、「2010年NPT運用検討会議での合意は、その突破口となるもので、明確な条約へと昇華させる挑戦を今こそ開始しなければなりません。」と述べている。
 
このキャンペーンは、平和市長会議、列国議会同盟(IPU)や、核戦争防止国際医師会議(IPPNW)が開始した核兵器廃絶国際キャンペーン(ICAN)等、いくつかのNGOや反核団体の強い支持を得ている。

さらに、このキャンペーンは、核軍縮・不拡散議員連盟(PNND)及び2000人以上の平和活動家で構成されている連合組織「核兵器廃絶をめざすネットワークアボリション2000グローバル評議会」の設立メンバーでもある西部諸州法律基金(WSLF)からも支持されている。

Jackie Cabasso

WSLFのジャクリーン・カバッソ事務局長は、IPSの取材に対し、「池田SGI会長による、2015年核廃絶サミット開催の呼びかけは、2020年までに核兵器のない世界を実現させるための明確なロードマップを策定するために、各国の軍縮担当大使、国連高官、国会議員、NGO代表によるハイレベル会合の開催を目指している平和市長会議の計画と軌を一つにするものです。」と語った。

平和市長会議・北米担当コーディネーターでもあるカバッソ氏は、「そのロードマップは、2013年8月に広島で開催予定の平和市長会議総会において議論される予定で、その中には、2015年NPT運用検討会議に向けた準備と、同年後半に広島で開催が予定されている第2回ハイレベル会合に向けた計画が含まれる予定です。」と語った。

さらにカバッソ氏は、「平和市長会議の『2020ビジョン(核兵器廃絶のための緊急行動)』は、2020年までの核廃絶を実現するため、2015年をNWCの締結を完了させる目標年に定めています。また、平和市長会議は、NWCの署名を広島と長崎で行いたいと考えています。」と付加えた。

3つ目のイニシアチブである「国際平和拠点ひろしま構想」は、湯崎英彦広島県知事が昨年10月に発表したものである。

知事並びに国連、米国、オーストラリア、日本から参画した元政府高官や大学教授が策定したこの構想は、とりわけ、広島が国際平和拠点(global peace hub)として、核廃絶へのロードマップを支援する上で中心的な役割を果たすことや、将来的には政府間協議(トラック1)を目指す核廃絶に向けた具体的かつ持続可能なプロセス(=軍縮プロセスを多国間協議にする戦略について話し合うトラック2での対話提案「広島ラウンドテーブル」など)の促進に貢献することを謳っている。

平和活動家の中には、NWCの交渉は、核兵器保有5大国(米国、英国、フランス、中国、ロシア)から熱のない支持しか得られないかもしれないと予想する人々もいるが、著名な仏教哲学者でもある池田会長は、多方面にわたる平和提案の中で、NWCの交渉に対する期待を表明している。

1996年以来、国連総会はNWCの交渉開始を求める決議を毎年採択してきている。

池田会長は、この決議への支持は広がり続けており昨年には中国、インド、パキスタン、北朝鮮、イランを含む130カ国が支持した点を指摘した。

Ban Ki-moon/ UN Photo

また2008年には、潘基文国連事務総長が、「相互に補強しあう別々の条約の枠組み」あるいは「確固たる検証システムに裏うちされた」NWCの交渉を提案した。

そして2010年NPT運用検討会議では、全ての参加国による全会一致で採択した最終文書の中で、NWCへの言及が行われた。

さらに2009年9月、国連安全保障理事会は「核不拡散・核軍縮に関する安保理首脳会合」を開催し、『核兵器のない世界』構想実現に向けた条件を構築していくことを公約した国連安保理決議1887を採択した。

一方、ロシア、英国、フランス、カナダを含む159カ国が加盟するIPUも、NWCの交渉を全会一致で支持している。

カバッソ氏はIPSの取材に対して、こうしたイニシアチブが互いにかみ合うかどうか、あるいはどのようにかみ合うかについては「定かでない」としながらも、核兵器廃絶を唱道する人々にとって、2015年が、広島と長崎を焦点に画期的な年となる勢いが加速している点は「疑う余地がありません」と語った。

またカバッソ氏は、「池田会長が指摘されているように、2015年のNPT運用検討会議は、核不拡散及び軍縮体制にとって再び正念場の機会となるでしょう。」と語った。

また2015年は米国が広島と長崎に原爆を投下してから70周年となる年であり、引き続き福島原発事故の影響が続いている中、高齢化が進んでいる被爆者の間では、彼らの最後の一人が核兵器時代の扉を開けた1945年8月の前代未聞の恐ろしい記憶とともに亡くなる前に、核兵器を根絶しなければならないという明白な危機感が存在している。

平和市長会議は、1982年に開催された第2回国連軍縮特別総会に続いて行われた広島と長崎の市長による呼びかけによって設立された。

2011年の「国際平和デー」にあたる9月21日、平和市長会議は、加盟諸都市が151ヶ国・地域の5000都市を超えるまでになったと発表した。

翻訳=INPS Japan

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