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内戦状態に陥りつつあるイラク

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【ベイルートIDN=バーンハード・シェル】

イラクの自由作戦』の名のもとに米国を主体とした有志連合軍がイラクに侵攻してから10年が経った昨年、イラク国内では内戦によりこの5年間で最大の死者数を記録した。今年も年頭から、シーア派主導のヌーリ・マリキ政権の治安部隊とアルカイダ系スンニ派武装組織との間の激しい戦闘が続いている。同スンニ派武装組織は、10年前に米軍支配に対する武装抵抗拠点となった西部アンバール県のファルージャとラマディの大半を制圧している。

国連が発表した統計によると、イラクでは昨年、8868人が死亡(うち民間人が7818人)、1万7981人が負傷したという。

「この悲惨な記録(=死傷者数)は、この地獄の悪循環を食い止めるべくイラク政府が暴力の根源に取り組むことが焦眉の急だということを改めて浮き彫りにしています。」とニコライ・ムラデノフ・イラク担当国連特使は語った。

ムラデノフ特使は、「イラクにおける無差別暴力の深刻な現状」を非難するとともに、ヌーリ・マリキ政権に対して、「社会構造を弱体化させる宗派間の緊張を煽るテロ組織の活動を抑えるために必要な措置をとるよう」呼びかけた。

イラクで宗派間の緊張が高まっている背景には、現在の中東情勢とともにこの国の地政学的な位置が関係している。イラクの宗派構成は、シーア派が60~67%、スンニ派が33~40%であるが、国境を接している周辺国を見ると、東のイラン(シーア派89%、スンニ派9%)を除けば、スンニ派が優位を占める国に囲まれている。具体的には、北のトルコはスンニ派が72%(シーア派25%)、南のクウェートはスンニ派が60~70%(シーア派30~40%)、南西のヨルダンは約90%がスンニ派(1980年代末の数字)、北西のシリアはスンニ派が74%(ただしアサド政権はシーア派の一派であるアラウィ派が中心)、南のサウジアラビアはスンニ派イスラム教が国教となっている。

武力使用による暴力やテロのイラク民間人への影響をモニターしている国際連合イラク支援ミッション(UNIRAQ)によると、12月だけでも、少なくとも759人が死亡し1345人が負傷している。とりわけ、首都バグダッドが最も死傷者数が多く809人、これにニネヴァ(331人)、サラハディン(262人)、ディヤラ(260人)が続いている。

またムラデノフ特使は、イスラム過激派の民兵が警察署を襲撃し、武器庫を占拠、さらに100人以上の囚人を解放した西部アンバール州の情勢について懸念を表明した。

RTネットワークが報じているように、イラクにおける民間人死傷者数を調べているのはUNIRAQのみではない。英国に本拠を置く市民団体「イラク・ボディ・カウント」(Iraq Body Count:IBC)は、イラクの非戦闘員・民間人の死者数を、報道から算出してウェブ上で公開しており、その最新報告によると、昨年イラクで暴力事件に巻き込まれて殺害された民間人の数は9500人近くにのぼっているという。

「イラクで活動を活発化させているアルカイダ系(スンニ派)武装集団は、シーア派住民の他にもイラク人の軍人、警察官、政治家、ジャーナリストを殺害することでシーア派主導のマリキ政権への攻撃を続けている。過去6か月を振り返ると、就寝中に家族全員が殺害された例やイラク国内の聖地において一度に5人や12人のイラク人家族を殺害された例など、武装集団によるテロ行為は陰惨を極めている。」とIBC報告書は記している。

大殺戮の年

RTネットワークは、2008年以来最も死傷者が多かった2013年のイラク情勢について「大殺戮の年」と報じた。戦後イラク国内の死傷者数は2006年から2007年にかけて最悪だったが、2007年にジョージ・W・ブッシュ政権が打ち出した「サージ(増派)戦略」(戦後の治安維持のために20,000人規模の米軍がイラクに増派された:IPSJ)が功を奏し、しばらくの間事態が好転した。しかし2011年に米軍がイラクから完全撤退すると、10年近く続いた戦争の戦後処理と国家再建はイラク人自身の手に委ねられた。そしてまもなく、かつて国を分裂の淵に陥れかけた宗派・民族間の深い溝が、米軍という重石を失って再び頭をもたげてきたのである。

テロリストや各宗派の武装集団が、学校やモスク、込み合う市場などで、女性や子ども、身体障害者、そして巡礼者さえも標的とする無差別テロを繰り返している今日のイラクでは、ほぼ毎日国内のどこかで数人のイラク人が命を落としている。そして、葬儀で犠牲者の遺体を収めた棺桶のそばに佇む悲痛な表情の遺族の姿がイラクの日常の風景となってしまっている。

ビル・バン・オーケン氏は、「世界社会主義者ウェブサイト」への寄稿文の中で、「2013年に暴力が激化し死亡者数が急増した背景には、4月に北部キルクーク近郊ハウィジャ(バグダッド北方約240km)のスンニ派住民の抗議者たちの集まる野営地を、(シ―ア派主導の)マリキ政権の命令をうけた軍の治安部隊が襲い、50人を殺害した事件がきっかけとなっている。」と記している。

「ところが治安部隊が12月30日にラマディでスンニ派住民の抗議者たちの集まる野営地を襲撃(少なくとも10名を殺害)したところ、激しい反撃にあい、ラマディやファルージャの大半と周辺の街が反体制派の手に落ちることになった。翌日マリキ首相は、住民の反発を鎮めようと、抗議者たちの要求項目の一つであったアンバール州のスンニ派住民居住区から治安部隊を撤収させ、警察に治安を担当させるとの声明をだした。」

「しかし、重武装の反体制派民兵が1月1日までにラマディとファルージャで警察署を襲撃し、少なくとも100人の囚人を解放、武器庫から武器を強奪したうえ、多くの建物を焼き払った。警察官らは大半の場合、抵抗することなく、持ち場を放棄して逃亡した。」とオーケン氏は記している。

この事態にマリキ首相は前言を撤回し、ラマディ、ファルージャ方面への治安部隊の追加投入を決定。1月2日までに両市を包囲した同治安部隊は、市内の一部に対して砲撃と空爆を加えたと報じられている。

AFP通信がイラク内務省の発表を伝えたところによると、ファルージャの半分がスンニ派武装組織「イラク・レバントのイスラム国」(Islamic State of Iraq and Levant, ISIL)の手に落ち、残り半分は他の武装勢力に支配されているという。また、ラマディの場合も街の一部がISILや他の武装勢力の手に落ちるなど状況は似通っていると報じている。

またAFPはラマディに派遣した特派員が「ISILを讃える歌を歌う重武装の兵士たちを乗せ、ISILがよく使う黒い旗をたなびかせた数十台のトラックが街の東部地区を走り抜けていくのを見た。」と語る映像を流している。

アルカイダとの関連

バン・オーケン氏によると、アルカイダ系武装組織『イラク・レバントのイスラム国(ISIL)』は、西側諸国が支援しているシリアの『反政府』勢力を構成する主要組織の一つで、シリア北部を掌握後、シリア-イラク国境を度々超えて、イラク各地で車載爆弾テロやイラク軍兵士、警察官、他宗派(スンニ派以外)の住民を標的とした攻撃を繰り返している。この過激派組織は、シリアとイラクに跨るスンニ派イスラム教徒のためのカリフ制国家の樹立を目的としていると明言している。

バン・オーケン氏は、「スンニ派住民による反政府抗議活動の背景には、少数派のスンニ派政治家を排除したりスンニ派住民を圧迫したりするシーア派主導のマリキ政権に対する不満がある。マリキ首相は、アルカイダ系の武装組織ISILに対する対策を口実に、こうしたスンニ派住民による反政府運動を暴力的に弾圧しようとしている。」と記している。

マリキ首相はその一環として、スンニ派政治家や支援者を「テロリスト」呼ばわりしており、治安部隊をラマディに投入する直前、スンニ派国会議員アフメド・アルワニ氏の自宅にも部隊を派遣し、同議員を拉致、家族や警備員を殺害した。この事件を受けて、主にスンニ派の国会議員44人が辞職している。

マリキ首相は、12月に、スンニ派抗議者たちが集まる野営地を解散するよう最後通牒を通告した際、抗議運動の拠点を「アルカイダ指導部の本拠地だ」と説明した。

「この独善的な政府声明は、スンニ派住民の間に政府に対する強い憤りを募らせた原因はマリキ政権自身によって遂行されてきたスンニ派差別政策(行政サービスの欠如、治安当局による無差別の家宅捜査、数千人規模の容疑なしの逮捕・収監、バース党員の公職追放等)にあるという事実を覆い隠そうとするものである。」とバン・オーケン氏は記している。

マリキ政権は、「単にアルカイダ掃討作戦を行っているだけだ」として、米国とイラン双方から軍事援助を受けており、自らが特定の宗派に肩入れする政策を進めることが、スンニ派民衆の間に怒りを生んでいることをごまかそうとしている。米国政府は、短距離空対地ミサイル「ヘルファイアー」をはじめとする先進兵器をイラク軍治安部隊に提供することに合意、ミサイルの一部は1月2日の治安部隊によるファルージャ包囲作戦で使用されたとの報道もある。

こうしてアンバール州でスンニ派反政府勢力と政府治安部隊の間の戦闘が続く中、イラク各地で新たな暴力行為が噴出している。1月2日夜には、バクダッド北東45キロの街バラドルズの商業地区で、爆発物を満載したピックアップトラックに乗った男が自爆した。シーア派とスンニ派双方の住民を標的としたこのようなテロ攻撃が毎日のように発生している。

バン・オーケン氏は「イラクの人々は10年以上に亘った米国主導の略奪的な戦争に苦しみ、その代償を払わされてきた。また8年に及んだ米軍による占領下では、数十万人のイラク人が命を奪われた一方、(宗教間の)派閥主義を、国民を分断し征服する手法として利用する政治制度が国民に押し付けられた。マリキ政権はこうした政治制度の所産にほかならない。」と指摘したうえで、「米国が軍事援助を通じてイラクのマリキ政権へのテコ入れをしているにも関わらず、米国の同盟国であるサウジアラビアと湾岸諸国の君主らがシリアとイラク双方のスンニ派イスラム原理主義戦士への支援を行っているため、今やシリアの宗派間内戦が国境を越えてイラク全土に飛び火してきている。」と記している。(原文へ

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

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|視点|米国がロシアの経験から学ぶべきこと(ミリアム・ペンバートン政策研究所特別研究員)

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【ワシントンIPS=ミリアム・ペンバートン】

何カ月も噂されていたことだが、ついに12月に入ってロシアの通貨ルーブルが急落(2週間で23%下落)し、同国の経済苦境が世界の紙面を賑わせている。原油価格の下落を背景に、ルーブルは史上最安値を記録し、ロシアは1998年以来最も深刻な経済危機に直面している。

今般の危機を招いた最大の要因と言われているのが、ロシア政府が経済を多様化できなかったことである。少なくとも、全ての経済活動を石油・ガス部門に収斂させていく戦略(GDPの75%を両部門に依存)を採った弊害が今日明らかになってきている。

ロシアはかつて冷戦期に、多様化戦略を試みたことがあった。それは石油・ガス部門に依存した「解決策」が最も望ましいと考えられるようになる以前の、まさにソ連時代が終焉を迎えようとしていた時期のことである。当時、クレムリンの指導者らは、国家経済を破綻に追い込んだ巨大な国営軍需産業の一部を、それまでソ連国民には程遠い存在だった消費財を生産する拠点に急遽転換させようとしていた。

一例を挙げれば、戦車工場の工場長らがある日、生産ラインを作り変えて新たに靴を生産するよう政府より指令を受けた。しかし、その実施日程は、「即日取り掛かれ」というもので、うまくいかなかった。

経済学者らは、産業構造の多様化を図る適切なタイミングは、経済ショックに見舞われてからではなく、その前に実行すべきという点で一致している。新たな産業構造への移行は、慌てて実現できるものではない。しかし当時は、冷戦が無血で終焉を迎えるとは誰も予測していなかったことから、事前に産業構造を転換しようという計画は立てられなかったのである。

しかし、現在の米国には少なくともそれを行う選択肢がある。現在米国は、2011年に成立した財政管理法により、国防費削減の第一段階にある。米国は同法により、2012年度以降2021年度までの10年間の枠組みで軍事予算を削減することが義務付けられているのだ。

ただし、議会が国防費削減計画の規模を縮小したり計画そのものを廃棄したりするようなことがないと仮定しても、国防費の削減幅は史上最小規模のものに止まるとみられている。米国防総省の予算は2001年の9・11同時多発テロ事件後に2倍近くに膨れ上がっており、今回予定されている削減分は、あくまでこの倍増した部分を刈り取るにすぎない。つまり今後軍事予算の削減を着実に行ったとしても、米国の軍事費は、かつて軍拡を競ったソ連という実際に敵国が存在していた冷戦期の予算よりも、なお上回るのである。

しかし現在米国には、かつてのソ連のような敵は存在しない。それでは中国はどうかと言えば、 米国の軍事費は中国の6倍にものぼり、実質的に競合相手とはいえない。

A Topline of U.S. Defense Budget History
A Topline of U.S. Defense Budget History

それでも、国防予算の削減は、米国各地の軍関連産業に依存した地域コミュニティーに影響を及ぼしている。そして削減計画が終了する2021年までには、より多くの地域コミュニティーが影響を受けることになるだろう。従って、こうしたコミュニティーは、今のうちに、国防総省との契約に過度に依存している地元の産業構造を転換する取り組みを開始すべきである。

実は、国防総省の予算には、そのための予算が確保されている。国防総省経済調整局は、地元産業を多様化する必要性を認識しているコミュニティーに、計画のための補助金と技術支援を提供するために存在している。

もし米国が、ロシアの現在の経済状況とそれへの対応策を理解しようとするならば、ひとつだけ明らかなことがある。つまり米国は、ロシアが、かつては巨大な軍需産業、そして現在は石油・ガス産業に支配されている経済構造を転換できなかったという経験を、自国の将来への警告として学び、行動をおこす契機とすべきだということである。

多様化された産業構造を持つ経済はより強靭である。しかしこうした産業構造を構築するには、時間も計画も必要だ。既存の経済基盤が崩壊するまで産業を多様化するタイミングを待っているようでは、時期が遅くなればなるほど、新たな産業構造へスムースに移行できる可能性が急速に遠のくこととなる。戦車を作る産業構造をわずか1日で靴を作る産業構造へと転換することなど、できないのだ。(原文へ

※ミリアム・ペンバートンは、ワシントンDCに本拠を置くシンクタンク「政策研究所」の特別研究員。同研究所の平和経済移行プロジェクトを指揮。

翻訳=IPS Japan

|視点|ムスリム同胞団を「テロ集団」とみなすことの深い意味合い

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【ワシントンIPS=エミール・ナクレー】

12月25日、ムスリム同胞団(1928年創設)が85年の歴史の中で初めて、エジプト政府(軍部を背景にしたアドリー・マンスール暫定政権)によってテロ集団指定を受けた。おそらくは軍部からの承認によってなされた今回の暫定決定は、北部ダカリヤ県のマンスーラとカイロにおける2度の爆弾テロ事件を受けてなされた。

エジプト政府はムスリム同胞団がこれらのテロ事件に関与したとの証拠を示していない。それどころか、アンサール・ベイト・マクディス(聖モスクの擁護者)という名前の過激派集団が、犯行声明を出しているのである。ムスリム同胞団自体は、すべての暴力的行為、とりわけ治安当局に対するそれを非難している。

今回のムスリム同胞団に対する政府の措置は、エジプト及び最終的には米国にとって短期長期にわたって深い意味合いを持つことになるだろう。テロ団体指定は、短期的には、ムスリム同胞団の撲滅を公言してきた軍部及び現暫定政権内部の強硬派にとっての勝利を意味している。しかし1940年代以来、歴代エジプト政権がムスリム同胞団を潰そうと試みてことごとく失敗してきている事実を振り返れば、この勝利は多くの犠牲を強いる割に合わないものといわざるをえない。

ムスリム同胞団は、強硬派の主張とは異なり、単なる政治的組織ではない。その奉仕活動は、社会、宗教、教育、医療、文化など幅広い分野に及び、今日エジプトのイスラム運動の中で最も顕著で信憑性のある組織である。また、アラブ及びスンニ派イスラム世界において、最大かつ最も規律がある社会運動・宗教運動組織である。

ムスリム同胞団は、無数の非政府組織を通じた奉仕活動を通じて、エジプト社会、とりわけ、下位中流階級及び貧困層の間に浸透してきた。こうした組織では、食料、医療、保育、教育サービスが、無料あるいは廉価で提供されている。さらにムスリム同胞団が運営する病院では、数多くの中流階級や専門職の人びとも、医療サービスの恩恵を受けている。

大半のエジプト人にとって、診療費が高価な私立病院や医療サービスの質が低い公立病院と比べると、ムスリム同胞団系の病院が唯一の魅力的な選択肢となっているのが現状である。

テロ団体指定という政府の近視眼的な決定により、ムスリム同胞団が提供してきたこれらの機能は全て停止に追い込まれ、数百万人に及ぶエジプト国民が、突如として、保健、教育、福祉サービスから切り離されることになる。そうなれば、追い詰められた民衆が街頭に繰り出し、あらたな騒乱と社会不安が引き起こされることになるだろう。

強権姿勢を強める軍部は、現暫定政権に対する抗議活動を一向に止めないムスリム同胞団に対する締め付けに躍起になっている。さらに先月には、2011年にホスニ・ムバラク元大統領に反対する大衆蜂起で中心的な役割を果たした活動家3人(アハメド・マーヘル氏、アハメド・ドゥマ氏、モハメド・アデル氏)が、今年11月に無許可で抗議デモを組織したとして禁錮3年の判決を言い渡され投獄された。このことは、世俗系かイスラム主義組織かに関わりなく、あらゆる反対の声を許さない軍部の冷酷な側面を改めて示している。

軍部はムスリム同胞団関係者や支持者を多数逮捕し締め付けを強めているが、抗議運動は収まりそうにない。このままムスリム同胞団の幹部が次々と逮捕・投獄され、指導部と一般メンバーの間の連絡が寸断されれば、より若い世代の、そして恐らくより過激なメンバーが街に繰り出してくることになるだろう。そうなればエジプトは、一層不安定で混乱した事態に陥ることになるだろう。

あらゆる政治勢力が話し合いで事態の収拾を図れる可能性は急速に遠のきつつある。もし軍部がムスリム同胞団抜きでエジプトに安定した政治体制をもたらせると考えているとしたら愚かなことだ。なぜなら、政治におけるイスラム主義運動は、1928年のムスリム同胞団創設以来、エジプト政治文化の一部を構成しているからである。

アブドルファッターフ・アッ=シーシー陸軍大将(国防大臣、兼エジプト国軍総司令官、現第一副首相、エジプト軍最高評議会議長)は、反ムスリム同胞団のヒステリーの波に乗って大統領の地位まで突き進もうとするかもしれない。しかしエジプト現代史が示しているように、強権で独裁を進めようとする試みは極めて危険な冒険である。シーシー氏も、大統領としてムスリム同胞団を弾圧しその指導者や幹部を投獄・処刑しても結局撲滅できなかった前任の軍事独裁者らの経験から教訓を学ぶべきである。おそらくエジプト暫定政権は、今回の軍部の決定が引き起こすであろう暴力の連鎖に直面して、最終的にはムスリム同胞団をテロ団体指定した判断の再考を迫られることになるだろう。

また、今回の動きは、米国にも好ましくない影響を及ぼしかねない。つまり、軍部を支持する強硬派は、ムスリム同胞団に対して米国は甘いと不満を持つことになるだろうし、一方でムスリム同胞団支持者らは、米国が軍政を支持しているとして反発を強めることになるだろう。

米国務省は、エジプト軍部・暫定政府によるムスリム同胞団のテロ団体指定に関して、「包摂的な政治プロセス」を支持し「政治的な領域を超えた対話と政治参加」を求める内容の声明を出している。しかし、この微温的な態度はエジプト軍部とムスリム同胞団のいずれも満足させることはない。

米国政府は、エジプト軍部に対して、ムスリム同胞団と関係者を排除してもエジプトに政治的安定をもたらすことはできないという立場をエジプト軍部に対して明確に表明すべきである。

事実米国は、ムスリム同胞団が過激主義を排し選挙政治への参加を目指すようになった90年代以来、ムバラク政権からの度重なる反対があったにもかかわらず、同胞団との関与政策を進めてきた。米国は、今回の軍部の誤った判断とは別に、今後もこの方針を貫くべきである。(原文へ

エミール・ナクレーは、CIA政治的イスラム戦略分析プログラムの元ディレクター。著書に『必要な関与米・イスラム教徒世界関係の作り直し』。

翻訳=IPS Japan

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捏造されたイラン核危機

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【ワシントンIPS=ピーター・ジェンキンス】

ガレス・ポーター(歴史家・IPS記者)の新著の副題「イラン核騒動の語られざる物語(The Untold Story of the Iran Nuclear Scare)」は、よく選ばれた言葉だ。『捏造された危機』の大部分は実際、今まで語られてきていない。それを紐解いていけば、著者が言うところの「もうひとつの物語」が見えてくるだろう。

しかし、「もうひとつの」という言葉に惑わされてはいけない。これは、存在しない陰謀を創り出した変人の作品ではないのだ。読者はむしろ、ポーター氏の細かい情報源や調査の深さを見て、彼の動機となっているものが、真実へのあくなき追究と、人を騙すことへの反発であることに気付くであろう。

ポーター氏は、この10年間のほとんどをイラン核問題の調査に費やしてきた。彼の調査結果は、この問題に関するこれまでの調査とは異なり、ますます増える文献に素晴らしい新たな1ページを加えるものであり、米国およびイスラエルの政策への辛辣な「有罪判決」とでも言うべきものだ。

Gareth Porter
Gareth Porter

ひとつの中心的なテーマは、「隠された動機がこれらの政策の方向性を決めてきた」というものだ。ポーター氏の説明では、米国側では、冷戦の終焉によって、イラン(およびその他の新興国)による大量破壊兵器およびミサイルの脅威を誇張して予算獲得を容易にしようという連邦官僚制の利益が登場してきたという。

ジョージ・W・ブッシュ政権下では、一部の政府高官が、核の恐怖を利用して、イラン政府を「非正統化」し暴力的な体制転覆の口実を作ろうとした。

イスラエル側では、1992年以降のすべての政権(リクード労働党も)が、イランの脅威を大げさに語りイランの指導者を悪く描くことに利益を見出してきた。

あるイスラエルの文書には「イランとイスラム教シーア派原理主義は世界平和への最大の脅威だ」と記されている。こうした記述の目的は、米国に対して「戦略的同盟国」としてのイスラエルの価値を印象づけることであり、イスラエルの核兵器に対する世界の不安から目を逸らさせるとともに、パレスチナを占領しつづけることへの口実を創出することであった。

ポーター氏は、「米国およびイスラエルの政策は、政治的・官僚的な利害によって形成されたものであり、イラン指導層の動機や意図に関する利用可能な指標を合理的かつ客観的に評価した結果ではありません。」と主張している。

「隠された動機」というテーマを補完するもうひとつの中心的なテーマは、諜報部門の情報と評価がこの物語の問題の多い部分を演じてきたということだ。

ポーター氏によれば、1990年代初頭に諜報を誤って解釈したことで、米国の分析当局は大規模で秘密裏の核兵器計画の存在を信じ込むようになってしまった。他方で、1990年代末から2003年までの間には、この兵器計画は兵器関連の研究以上のものではなかったというのがポーター氏の見方だ。

「誤った解釈」ということであれば、許されもするだろう。より重大なことは、ポーター氏の調査によって、米国の分析当局が2000年代前半、1990年代の評価を疑問に付すような証拠を無視、或いは、過小評価してきた事実が明らかにされたことだ。

イランは核濃縮工場の生産物を「兵器化」する意図を持っていないとの情報を人的接触によってもたらした中央情報局(CIA)の契約職員は、情報源との接触を控えるよう命令された。イラン指導層が核兵器製造を決定したとの証拠は存在しないと指摘したCIA内部の勢力は、評価にこのことを反映させることができなかったのである。

分析官たちは、宗教上の理由から[イランが]核兵器を違法化したとの情報に耳を貸さなかった。しかし、この時までには、イランが同様の宗教上の理由から化学兵器を禁止したことは明らかになっていたのだ。「隣国が必要な推測を引き出すことができるように」と、[原子力計画は]平和的なものであるとするか、あるいは少なくとも、燃料サイクルの獲得以上に進む意図はないとのイランによる保証は、顧みられなかった。

さらにより深刻な問題は、イスラエルが諜報を偽造し捏造したのではないか、という疑惑である。

2008年初頭以降の対イラク批判は、もっぱらパソコン上の情報を基になされてきた。情報は2004年に米国にもたらされ、2005年には国際原子力機関(IAEA)に渡された。それから2年半、IAEAは情報の真偽を疑いそれを利用することはなかった。イランに対してこれに関する回答を求め始めたのはようやく2008年に入ってからである。ポーター氏は、イスラエルが重要な情報を捏造したと納得できるような数多くの根拠を示しながら、IAEAが当初情報を疑ってかかったのは正当なことだったと示唆している。

ポーター氏はまた、イラン問題に注目を集めつづけた2つの文書をイスラエルが偽造したとの証拠を示している。イランは2003年に核兵器開発計画を放棄したとする2007年末の米国家諜報評価(NIE)の判断、および、それ以前のIAEAの調査から生まれてきていたすべての懸念をイランは解消したとする2008年初めのIAEA報告があったにも関わらず、偽造がなされたのであった。

イスラエルは2008年、IAEAの諜報部門に対して、イランがその数年前にパルチン軍事基地で核爆発実験を行ったと示唆する情報を渡した。翌2009年には、イランが2003年以降に兵器関連の研究を再開したとの「証拠」を提供した。

もしポーター氏が正しいならば、そしてイランを批判するためのこれら3つの根拠すべてが捏造されていたとするならば、非常に重大なことだ。米欧の同盟国は、この情報は信頼に足るとの前提で、イランの抗議を退けていたのである。実際、欧米諸国は、イランの反応をIAEAに対する非協力宣言と解釈し、それを根拠にイランに対する最大限の制裁への国際的な支援を呼びかけたのである。これらの制裁によってイラン国民は被害を受け、欧州やアジアの経済はダメージを受けた。

「協力の拒絶」という解釈によって、2007年のNIE以前に国連がイランに対して行っていた要求を維持しつづけることが正当化された。2007年までならイランの核計画が平和への脅威と見なすことが合理的だったかもしれないが、それ以降、さらにはIAEAが2008年以前の懸念は解消されたと報告した時点で、不適切なものになっていた。

イスラエル諜報部門の情報が真のものであると信じつづけようとする読者も間違いなくいることだろう。それが正しい態度であるかどうかは、これからわかることだ。

しかし、『捏造された危機』からのひとつの推定は否定しようがないように思われる。それは、イランのこれまでのイスラム指導者が、核兵器の保有あるいは使用を是とする決定を下したとの確定的な証拠はないということだ。従って「イラン核脅威」に関するあらゆる議論は、時期尚早なものである。結果として、米国やその同盟国が脅威解消のために課してきた厳しい制裁には合理性がなく、根拠に欠けるということになるのだ。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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※ピーター・ジェンキンス氏は、ケンブリッジ、ハーバードの両大学で学んだ後、33年にわたって英国の外交官として、ウィーン(2度)、ワシントン、パリ、ブラジリア、ジュネーブに駐在。最後の任務(2001~06)は、英国のIAEA大使、国連大使(ウィーン駐在)。2006年以降は、「再生可能エネルギー・省エネパートナーシップ」代表を務めるかたわら、国際応用システム分析研究所(IIASA)代表の顧問を務め、企業部門に対して紛争解決と国境を超えた諸問題の解決をアドバイスする研究機関

|UAE|21,000人の生徒が交通安全イニシアチブの恩恵を受ける

【ドバイWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)のドバイでは、4つの政府機関が協力して、「子どもの安全は共同の責任」というコンセプトのもと、2010年から交通安全イニシアチブを実施している。これまでに参加した学生は21000人以上にのぼる。

ドバイ道路交通庁(RTA)は、ドバイ警察、ドバイ保健局、エミレーツ運輸局と連携して、子どもと母親の交通安全に対する意識喚起を図るとともに、文教地区における交通安全対策に取り組んできた。

「このイニシアチブの目的は、交通認識と安全分野におけるドバイ政府の一般目標、交通安全委員会が提唱しているドバイ政府レベルにおける明確な目標、さらに参加4政府団体が掲げている全般的な目標に沿った内容のものです。啓発活動における最近の傾向は、複数の関連組織が互いに緊密に連携していくというもので、最終的には、安全・安心に関して全ての地方(首長国)が共有できる目標に資することを目的としています。」とドバイ道路交通庁(RTA)CEOのマイサ・ビン・ウダイ氏は語った。

またウダイ氏は、「これまでの成果をもとに今後さらに活動範囲を広げる方向で関係機関の連携・協力を強化していく。」と指摘したうえで、「今後ドバイ市内全ての学校や病院を対象に含める計画が検討されている。」と語った。

内務省、社会省、教育省、知識と人間開発局(KHDA)、ドバイ教育区域の後援を得たこのイニシアチブでは、ドバイ政府機関の合同チームが、道路を使用する人々の交通安全意識の向上を目的とした様々な計画やイベントを実施している。

この3年間で、70種類以上の交通安全キャンペーンパンフレットが、毎月1万部発行のサラマ・マガジンをはじめ70万部が印刷された。また、文教地区に160の横断歩道と450以上の交通標識を設置するなど、交通安全意識の向上に寄与した。またドバイ道路交通庁(RTA)は新たに導入した通学輸送の合理化に関する法令に基づいて、6700人以上のスクールバス運転手及び5000人以上のバスの車掌を対象にした研修を実施し修了者に免許を交付した。

このイニシアチブは生徒とドバイ市内の病院で最近出産した母親を対象に講演会、イベント、研修・ワークショップを行うもので、これまでに127の学校で21,000人が参加した。また様々な種類の広報素材が、ソーシャルメディア、ウェブサイト、屋外看板を通じて掲示された。(原文へ

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【ベイルートIPS=レベッカ・ムレイ】

レバノンではシリアからの難民が流入し続けているが、難民の子どもの大半は学校に通っていないことから、この子供たちが「失われた世代」になるのではないかという懸念が高まっている。

レバノンに最近到着したアワドちゃん(12歳)と妹のエマンちゃん(10歳)もそうした脆弱な立場に置かれた子どもたちだ。姉妹はシリアの首都ダマスカスで両親と暮らしていたが、内戦で父親が殺害されたため、母親と祖父に手を引かれて越境し、既に過密状態のシャティラ難民キャンプに辿りついた。そこでなんとか粗末な部屋を借りることができ、難民生活が始まったという。

シャティラ難民キャンプは、元々1949年にパレスチナ難民を一時的に収容する施設として建設された場所だが、現在は手頃な値段の住宅を求めるシリア難民や、シリアから逃れてきたパレスチナ難民、さらには移住労働者が流入してきている。

「ここにはおじいちゃんとも入居するはずだったけど、到着時に死んでしまったの。故郷から遠く離れて怖かったわ。」

彼女たちの母親はここでレバノン人の男性と再婚したが、間もなく男性は妊娠した彼女を捨て出て行った。「今、家賃の支払いに困っているの。家にはお金がないから。」とアワドちゃん。

幼い姉妹は、週に3回、現地のNGOが催すお絵かき会などの行事に参加するとき以外は一日中部屋の中で過ごしている。こうしたNGOの催しは、彼女たちにとって同世代の子ども達と交流できる貴重な機会となっている。

部屋には教科書やテレビなど彼女たちが社会生活を送るために必要なものが何もないので、頼りになるのは数冊のぬり絵帳だけだ。

また彼女たちは空腹に苛まれている。「食べられるのは1日1回、お母さんが作る夕食だけです。今夜は昨日の残り物です。」とアワドちゃんは語った。

シャティラ難民キャンプでパレスチナ人とシリア人難民の子どもたちを支援しているNGO「不屈の子どもたちの家(Beit Atfal Al Somoud)」のズハイル・アカウィさんは、難民キャンプの現状について、「シリアからの難民の多さに圧倒されています。今とりわけ深刻な状況にあるのが食料問題です。ラマダンの時期であれば、慈善団体からの食料援助をあてにできるかもしれないのですが、この時期はどうにもなりません。私たちの支援活動も大変厳しい状況に直面しています。」と語った。

今日シリア難民の子どもは110万人以上にのぼるが、その内、国連難民高等弁務官事務所(UNHCRがレバノンで難民登録しているのは385,000人である。

UNHCRは11月末に発表した報告書「シリアの将来―危機の中で生きる難民の子どもたち―(The Future of Syria: Refugee Children in Crisis)」の中で、「レバノンでは就学対象年齢のシリア人難民270,000人のうち、約80%が教育を受けることができない状況に置かれている」と指摘し、その原因として次の諸要因を挙げている。①教育施設が既に飽和状態にあること。②費用の問題、③学校までの距離と通学手段の問題、④学校のカリキュラムと使用言語の問題、⑤いじめと校内暴力の問題、⑥家族を支えるための労働と就学の間の優先順位の問題。

レバノンの国内法では、教育費は無料で12歳までが義務教育とされている。この義務教育対象年齢の上限は、最近レバノン国会で15歳に引き上げられることが決議されたが、まだ実施に移されていない。

またUNHCRは同報告書の中で、「シリア難民の流入がレバノンの教育現場に大きな影響を及ぼしている。」と指摘したうえで、「教育現場の様相は大きく変化している。現場の教師は必ずしも心に傷を負った難民の子どもに対処する訓練を受けておらず、教育予算の不足も事態の悪化に拍車をかけている。インタビュー調査したシリア難民の子ども達は、公立学校の教育の質について『問題がある』と指摘した。」と記している。

シリア人精神分析医のカリル・ヨセフさんは、レバノン北部のトリポリで難民の子ども達を診療している。ヨセフさんは、シリア難民の子ども達の就学率が低い原因として、まず「費用の問題」を挙げ、「学校に通わせるよりも家族の生活を支えるために働かせる必要に迫られている事情があるのです。」と語った。次に「カリキュラムの問題」とし、レバノンではカリキュラムの一部がフランス語か英語で行われているため、アラビア語のみの教育を受けてきシリア難民の子どもの多くが、授業についていけず、脱落するものも少なくない事情を説明した。

さらにヨセフさんは、「いじめの問題」を指摘し、「(診療した)シリア難民の子ども達は学校でレバノン人の子ども達による嫌がらせにあっていました。子供たちは、(いじめっ子達とは)同じ学校に行きなくない、と訴えていたのです。」と語った。

この地域の公立学校では、受け入れ人数を増やすため、レバノン人の生徒を対象にした授業を午前で切り上げ、新たにシリア人難民の子ども達がアラビア語に翻訳したカリキュラムで学習できる午後のシフトを設けた。

ヨセフさんは、「難民の子ども達の中には、シリアでの内戦の経験が心のトラウマとなって、ここでの不安定な生活で直面する様々な困難に適応できないでいるものもいます。」と指摘したうえで、「そうした心に傷を負った子供たちは他の生徒や先生方に対して攻撃的な傾向があります。また、先生の言うことには耳を傾けず、授業を無断で休んだりします。新たに設けられた午後のシフトへの通学については、これまでの一日の生活様式を変える必要に迫られるため、帰宅が夜になるなど、様々な困難があるようです。しかし一方で良い点は、これによって難民の子ども達に生活のリズムを与えることが可能になることです。」と語った。

パレスチナ難民のファティマちゃん(11歳)は、シリアのホムスからレバノンの首都ベイルートに逃れてきた。父親は塗装工だが仕事を見つけられないでいる。また彼女の親戚は皆シリア国内にとどまったままだ。「ここに着いたとき、友達が一人もおらず、とても寂しかった。新しい暮らしになれるには時間がかかったわ。」とファティマちゃんは語った。

彼女は今、国連パレスチナ難民救済事業機関(UNRWAが運営するパレスチナ難民のための学校に通っているが、英語とアラビア語の科目で躓いており、放課後に母親や近所の人に教えてもらっている。

「お父さんは私たち子どもに学校に通うべきだというの。たしかに子供は通りをたむろするのではなく、学校に行かせることが重要だわ。」とファティマちゃんは語った。(原文へ

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笑いを誘わない風刺マンガもある

【パリIPS=A・D・マッケンジー

ある女性とその夫がテーブルに座っている。女性が夫に話しかけているが、夫の顔は新聞に隠れて、妻の話に耳を傾けていないようだ。

「少なくとも、オバマだけは私の話を聞いてくれるわ」と妻。

これは、米国の世界的な監視網が暴露されたスキャンダルを風刺した漫画の一コマで、国際的なメディア監視機関である「国境なき記者団」(本部:パリ)が「平和のための風刺漫画(Cartooning for Peace)」と協力して12月に出版した書籍に掲載されたものの一つだ。

「『平和のための風刺漫画』が選ぶ報道の自由のための100の風刺漫画」と題したこの書籍は、この1年間に世界で起こった表現の自由に対する抑圧の実態について人々の認識を高めるために作成されたもので、世界各地から参加した50人を超える漫画家の風刺作品を収録している。

焦点が当てられているテーマは、「言論の自由」「米国の情報監視戦術」「世界情勢」の3つ。「世界をスパイする」と題した節には、最も風刺に富んだ作品が収録されているが、読者によってはいくつかの作品を見て不快に思う人もいるかもしれない。

例えば、一部に指摘されているのは、描かれる人物が大統領か貧困層かに関わりなく、一部の風刺漫画家がアフリカ出身の人物を描く際に用いる描き方である。この書籍にもいくつかの作品でアフリカ系の人物が典型的なステレオタイプによる描き方をされており、読書によってはそれらを無神経と捉える向きもあるだろう。

この点について、本書に作品が収録されているベルギーの風刺漫画家ニコラス・バドは、「問題が指摘されている風刺画は、全てのキャラクターをあえて『醜く』描いている漫画家の個人的なスタイルを反映したものにすぎません。」と指摘したうえで、「政治的に何が正しいか(ポリティカル・コレクトネス)という議論を持ち出して、風刺漫画家に対して、ある集団を常にある特定の方法でしか描いてはならないと要求することはできません。つまり、風刺漫画家が何を描いても、常に気分を悪くする人はでてくるのです。」と語った。

前国連事務総長のコフィ・アナン氏は、本書の序文で、「風刺漫画家は、他者の意見や気持ちに対する思慮をもって、議論を喚起しなくてはなりません……しかし、漫画家らがそうしようとしても、依然として、(作品が)他者の気分を害することはあり得るのです。」と指摘したうえで、「しかし、挿絵を通じて他者とコミュニケーションを取る自由は、擁護され守られるべき重要な権利だということを、私たちは忘れてはなりません。」と述べている。

アナン氏とフランスの有名風刺漫画家プラントゥ氏は2006年に「平和のための風刺漫画」を立ち上げた。預言者ムハンマドを描いたデンマークの風刺漫画に対する激しい批判が巻き起こった直後のことだ。同団体には現在、世界40か国から100人以上の宗教的背景が様々な風刺漫画家が参加している。

「このイニシアチブは、風刺漫画家には作品を通して激情を煽るのではなく対話を促す責任があること、また、読者を分断するのではなく教育する責任が伴っているという考えに基づいて活動しています。」とアナン氏は語った。

さらにアナン氏は、「この『国境なき記者団』と『平和のための風刺漫画』が共同出版した書籍は、記者たちが世界各地で引き続き直面している困難な現状と、情報の自由を保護し記者を援護する『国境なき記者団』のような組織の重要さを改めて思い起こさせるものとなっています。」と語った。

こうした努力に対して疑念をもつ人がいるとすれば、ジャーナリストの置かれている厳しい状況を報告した最近のレポートが参考になるだろう。「国境なき記者団」によれば、2013年に、世界で71人のジャーナリストが殉職し、87人が拉致されている。

2012年と比較すると、2013年の死者数は減少したが、拉致さらたジャーナリストの数は129%増加している。「国境なき記者団」は、「シリアソマリアインドパキスタンフィリピンを、メディアにとって最悪の5ヵ国」に位置づけるとともに、「今日世界では少なくとも178人のジャーナリストが投獄されているほか、脅迫や暴力により、国外亡命を余儀なくされるジャーナリストが増え続けている。」と指摘している。

また多くの国々で、風刺漫画家も当局による嫌がらせや襲撃の対象となっている。本書籍では、シリアのバシャール・アサド政権を批判していたシリア人の漫画家アリ・フェルザット氏が2011年に拉致監禁され、拷問を受けた経緯を紹介している。フェルザット氏は拘禁中にシリア当局によって(二度と風刺画が画けないよう)利き腕の左手を折られた。「平和のための風刺漫画」が何とかフェルザット氏をシリアから救出し、クウェートに逃がしたが、依然としてネットを通じた脅迫が絶えないという。

「国境なき記者団」では1992年以来、写真集「報道の自由のための100の写真」を出版してきたが、こうした状況を背景に、今回初めて写真に代えて風刺漫画を採用した。「国境なき記者団」によると、本書籍の販売から得られる収益は、世界各地のジャーナリストやブロガーを援護する同団体の活動費に充てられるとのことである。なお、「『平和のための風刺漫画』が選ぶ報道の自由のための100の風刺漫画」のデジタル版は、アップルストア(App Store:i-pad及びi-phone用アプリ購入サイト)からダウンロード(有料)することも可能である。(原文へ

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過去の残虐行為の歴史を政治利用してはならない(トマス・ハマーベリ)

【ストラスブールIDN=トマス・ハマーベリ】

凄惨な人権侵害の歴史は、今日においても、欧州の国際関係に暗い影を投げかけている。いくつかの事例については、人々が歴史に正面から向き合うことで、その教訓を理解し相互に寛容の心と信頼の絆を育む動きが生れてきている。一方で、あまりにも深刻な残虐行為の中には、そうした事件そのものが否定・矮小化され、その結果、新たな緊張と対立の火種となっているものもある。 

また中には、過去の人権侵害の事例を狂信的な愛国主義のプロパガンダに利用することで、人々の分断と憎悪を駆り立てている事例もある。事実、歴史の歪曲は、人種差別、ユダヤ人迫害、外国人排斥などの行為を正当化する手段として様々な社会において用いられてきた。

 人々の心の中には、自国の歴史に誇りを見出したいという衝動が備わっているものだ。しかしそうした感情は反面、他民族や外国による過去の過ちに焦点をあてようとする傾向を伴うものである。こうした排他的な感情は、社会が危機に直面した際や、国家のアイデンティティが不透明で将来への不安が増幅した状況において、ますます顕著になる。 

従って歴史と正面から向き合うことが重要である。ましてや残虐行為や著しい人権侵害が関与する場合はなおさらである。過去の犯罪行為から目を背けても決して問題の解決にはならない。たとえ過去の犯罪行為に蓋をし、数世代に亘って無視し続けたとしても、被害側に繋がる人々の反感は醸成されつづけ、結果的に事件発生当時生れていなかった世代にも憎しみの連鎖を引き継ぐことになってしまうからである。 

かつて宗主国として植民地支配を行った欧州の国々は、アジア、アフリカ、ラテンアメリカの国々が、当時無慈悲に行われた住民や天然資源の簒奪の結果、どのような被害を被ったかについて、現実を直視することを長年に亘って躊躇してきた。こうした国々は、2001年に開催された国連反人種主義・差別撤廃世界会議(ダーバン会議)に際して、歴史的事実(植民地支配や奴隷制の問題)に言及しようとする成果文書の原案に強硬に反対した。その結果、成果文書は妥協的なものとなってしまい、当然ながら様々な批判を呼び起こすこととなった。 

 一方、ナチスの犯罪、特にユダヤ人大量虐殺(ホロコースト)については、実際に虐殺が行われていた時期、否定・矮小化されるか無視された。しかし戦後になって、この人道に対する犯罪は全ての良心の呵責を持つ人々の間で事実として受け入れざるを得ないものとなり、後に国際社会をして大量殺戮「ジェノサイド」の概念と将来おける同様の犯罪を防止し罰する国際条約を採択することにつながった。 

ナチスの犯罪 

戦後ドイツは、一貫してナチスの犯罪を究明し、生き残った犠牲者への補償や犯罪人の処罰を行う努力をしてきた。また将来を担う世代に対しては、父祖の名の下に行われた恐ろしい犯罪行為について教育を行ってきた。こうした取り組みは全て必要不可欠なものであり、これ以下の取り組みは受け入れられない。 

一方、ユダヤ人虐殺が行われた(ドイツ以外の)国々の中には、ナチスに協力した過去について積極的に明らかにしようとしない国々もある。またロマ(ジプシー)の大量虐殺については十分な注意が払われていないばかりか、犠牲者への補償は大幅に遅れているか、なされても最小限に止まっているのが現状である。さらに同性愛者の殺害や身体障害者を対象とした人体実験や殺害については、依然として事実から目をそむける傾向さえある。 

 またヨシフ・スターリンのソ連時代の犯罪についても、アレクサンダー・ソルジェニーツィンの作品をはじめ、ミハイル・ゴルバチョフ政権下でのグラスノスチ(情報公開政策)、アンドレイ・サハロフと人権団体「メモリアル」の活動等を通じて、様々な真実が明らかにされてきた。それでもスターリン時代の圧政と弾圧の全貌については、今なお、必ずしも全てのロシア人が認識しているわけではない。新たに始まった学校における歴史教育見直し作業の中で、この問題について対応していく必要がある。 

ソ連軍の役割 

近年欧州の一部の国々で第二次世界大戦中のソ連軍の役割について歴史を再検証する動きが出ているが、ロシアでは歓迎されていない。それはロシアの人々が、こうした歴史観が「大祖国戦争」(ロシアでの「独ソ戦」「ナチスとの戦い」の呼称)で払った膨大な犠牲を考慮していないばかりか、欧州を「解放」したソ連軍の姿を、残虐さにおいてヒトラーの軍隊と同等にみていると感じているからである。この点について、教育交流を通じで明らかになったことは、当時の歴史を振り返る場合、独裁者スターリンの政策とナチスから祖国を守るために戦った兵士や民間人は区別して考える必要性があるということである。 

欧州でさらに深刻な論争となってきたのが、1915年にオスマン帝国下で行われたとされるアルメニア人の強制移住、大量虐殺の問題である。この事件は現在のトルコ建国前の出来事であるが、同国では依然としてタブー視されており、この問題をとりあげた作家やジャーナリストが裁判にかけられる事例もでてきている。現在、依然不十分かつ学術的な議論のレベルではあるが、この問題がようやく認識されつつある段階である。 

ロマ問題 

また欧州において歴史を通じて無視され続けてきた民族がロマである。ロマ民族に関しては、ナチスによる犯罪が概ね無視されているのみならず、ナチス時代前後においても、ロマに対する残虐な抑圧・差別政策が欧州の各地で行われた事実についてあまり知らされていない。ロマに対する公式謝罪も未だにほとんど行われていないのが現状である。 

バルカン半島においては、民族ごとに異なる歴史観(中には数百年遡るものもある)が、90年代に熾烈を極めた内戦の根底にあり、国際社会による平和維持活動にも大きな障害となった。内戦中、新たな残虐行為が繰り広げられたがその規模と実態については今なお論争が続いている。旧ユーゴスラヴィア各地の人権擁護団体が、歴史の歪曲が将来における新たな対立の火種とならないよう和解委員会を通じた和解プロセスを進めるよう求めている。 

バルカン半島のみならず世界各地の紛争地域において、複数の歴史観が併存している現実を見出すことができるだろう。それぞれの歴史観は事実に基づくものであるが、視点と強調している側面が異なるのである。同じコミュニティーに属する多民族間で、多様な歴史観が併存している現実を理解するとともに、たとえ歴史的な出来事について共通認識を持てた場合でも歴史観が異なりうるという現実を受け入れることが重要である。 

こうした対立するグループ間の相互理解と和解を推進する試みが北アイルランドで始まっている。これはカトリックとプロテスタント両派の対話を通じて、相手側の歴史観に対する理解を相互に促進していこうとするものである。こうした共通の歴史を再構築していこうとするプロセスの中で、過去の殺人事件に関する不十分な捜査案件について再審理の道を開いてきた欧州人権裁判所は、重要な役割を果たしている。 

ギリシャでは1974年の軍事政権退陣後、政府の責任を問う裁判が開かれた。また軍事独裁政権を経験したスペインやポルトガルにおいても、裁判を通じて軍事独裁時代の秘密警察の活動を明らかにしようとする試みがなされてきた。スターリンの下で共産党一党独裁時代を経験した東欧諸国においては、ラストレーション(Lustration:共産党政権下で人権侵害に協力した人物を公職から追放する措置)と呼ばれるプロセスを通じて共産党時代の人権侵害を明らかにする試みがなされている。 

紛争後の状況下においては、法の支配を確立するためにも、人権侵害の実態を明らかにする作業が不可欠である。またそれは特に紛争直後において、事件の責任者に法の裁を受けさせ、被害者への補償を行い、犯罪の再発防止に取り組む上で極めて重要なプロセスである。 

視点 

また長期的な観点からも真実を明らかにすることが重要である。殺害されたのは単なる数ではなく人間なのである。生存者のみならず犠牲者の子供や孫には、尊厳を持って真実を知り犠牲者の死を悼む権利がある。また社会全体として、事件の真相から教訓を学びとるとともに、記録を取り続け、博物館や記念碑を設立し、次世代の人々が適切な教育を通じて事件を理解できるよう取り組まなければならない。 

欧州評議会は、インタラクティブな教材の提供や二国間協力を通じて、多様な視点から歴史観を育む教授法のノウハウを長年にわたり蓄積してきた。例えば20世紀の主な出来事と欧州史を教えるための教材開発や女性史の研究はそうした取り組みの一部である。また現在は、歴史の諸相を教える観点から、あえて「異なる視点」に着目した歴史教育教材の開発を進めている。 

また欧州評議会は、(90年代民族間対立が内戦に発展した)ボスニア・ヘルツェゴヴィナでは、多民族が共通で使用する新たな歴史・地理教科書及び教師用マニュアルのための共通ガイドラインの準備作業をおこなった。この作業には各民族出身の教師が積極的に参画し、多様な視点を教える歴史教材やインタラクティブな教授法を熱心に研究した。 

欧州評議会の議員会議でも、紛争後の和解プロセスを進める上で歴史教育が果たす役割に注目している。議員議会は、論争の的となっている歴史的事象を扱う場合、安易に特定の視点のみを採用する政治的なご都合主義に陥ることがないよう警告している。同議会はまた、同じ事象であっても、多くの視点や解釈が(しかも全て証拠に基づいて)存在し得ることが、今日の国際社会において受け入れられていると指摘している。 

従って、人権問題を歴史論争の「人質」にしてはならない。そうして作りだされる歴史事象の一面的な解釈や歪曲が、少数民族に対する差別、外国人嫌い、紛争の再発へとエスカレートしていく危うさを理解しなければならない。そして新たな世代は、父祖の世代の一部の人々が行った事件について非難されるべきではない。 

大切なことは、真実を誠実に追求し、異なる歴史認識について事実に基づく分別ある協議を積み重ねていくことである。そうすることができてはじめて、歴史から正しい教訓を共に学び取ることができる。

トマス・ハマーベリ氏は欧州評議会人権委員。ハマーベリ氏の論説はこちらから閲覧可能。

翻訳=INPS Japan浅霧勝浩

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UAEの女性科学者がイスラム世界で最も影響力がある女性20人に選ばれる

【ドバイWAM】

ナヒヤーン・ビン・ムバラク・アル・ナヒヤーンアラブ首長国連邦(UAE)文化・青年・社会開発大臣兼UAE遺伝子疾患協会(UAEGDA)名誉会長は、この度「ムスリム・サイエンスCom」が発表した「イスラム世界で最も影響力がある女性20人」の一人に選ばれたマリアム・マタールUAEGDA創立者兼会長に祝辞を述べた。

「ムスリム・サイエンスCom」は、イスラム世界における科学、科学的革新、および起業家文化の復興に専心しているオンラインジャーナル・ポータルサイトで、イスラム教徒が多い世界の5つの地域(東南アジア、南・中央アジア、湾岸地域・イラン、マグレブ・北アフリカ、北米及び欧州)を対象に少なくとも6つの科学分野において卓越した実績を挙げた女性の中から20人を選出した。

また「ムスリム・サイエンスCom」は、今回初めてとなるこの試みの動機について「イスラム世界における科学とイノベーションの発展に多大な貢献をしながらほとんど無名のままでいる女性科学者に光を当てるため」としている。こうした観点から、20人の選出にあたっては、アラブ世界の王族関係者は除外し、一般女性を対象とした。

なお選出作業は、各々の研究成果が最も影響力を発揮すると思われる時期に応じて、以下の3つのカテゴリーに沿って行われた。①先駆者4人(1980年~2000年+)、②リーダー8人(2000年~2020年+)、③新進気鋭のリーダー8人(2020年~2040年+)選出された20人に関する情報はこちらへ

マリアム女史は、カテゴリー③の「新進気鋭のリーダー」部門で選出された。ナヒヤーン大臣は、「今回の選出は、マリアム女史の人類に対する科学的貢献と実績の賜物に他なりません。」と称賛した。

マリアム女史は今回の受賞について、「これは、女性の尊厳を重視し科学を含む教育・知識の普及(女性のエンパワーメント)を国家の基盤としてきたUAE政府による人材育成重視の姿勢の賜物だと思います。」と語った。

またドバイケアの副会長も務めるマリアム女史は、2年連続で最も活動的なアラブの研究者の上位4人目に選ばれている。

UAE遺伝子疾患協会(UAEGDAは、UAEでみられる人口特有の遺伝子疾患の管理・予防を目的として設立された非営利団体で、衛生教育、遺伝性疾患のスクリーニング検査、婚前スクリーニング検査及びカウンセリング等を行っている。またUAEGDAは、遺伝学に関する教育、研究を促進する観点から、科学知識の普及・出版に取り組むとともに、遺伝学と関連科学分野の研究者間の相互交流を支援している。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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シリア、中央アフリカ危機が2014年の最重要課題に

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【国連IPS=タリフ・ディーン

国連の潘基文事務総長が16日、シリアや中央アフリカ共和国、マリ、リビア、パレスチナ、ダルフールなどの問題を、国際社会が2014年に直面するであろう重要課題として挙げた。

毎年恒例となっている年末記者会見で潘事務総長は、今年は4年目に入ったシリア内戦が「想像以上に悪化した年」だったと振り返り、「シリアの人々は、残虐行為と破壊が繰り返される今日の状況に、もはやこれ以上耐えられません。」と語った。

潘事務総長はまた、「中央アフリカ共和国の情勢は今や国連が最も危機感を持って取り組むべき深刻な事態に陥っている。」との現状認識を示したうえで、「2013年は同国の政情が『大混乱に陥った』年でもありました。」と振り返った。

さらに潘事務総長は、「(中央アフリカ共和国では)今にも大量殺戮が勃発するのではと強い危機感を持っています。」と警告するとともに、ミシェル・ジョトディア暫定政権に対して人命を保護するよう訴えた。

シリアと中央アフリカ共和国の危機は2014年も引き続き国連が取り組むべき最も深刻な政治課題であり続けるだろう。

シリア危機は、ロシアと中国が窮地に立っているバシャール・アサド政権を擁護して国連安保理で拒否権を発動するため、依然として解決の糸口が見えない状況にある。

1月22日にはジュネーブで紛争当事者間の会議が開かれることになっているが、反体制側からの参加者構成や、P5+1(国連安保理常任理事国である米ロ英仏中+独)に加えてイランやサウジアラビアが出席すべきかどうかという問題などをめぐって、開催が危ぶまれている(その後予定通り開催することでシリア政府と反政府勢力双方が合意、中東周辺諸国や日本を含む31か国が参加予定。一方、イランの参加については米国が反対していることから引き続き協議中:IPSJ)。

一方、9月のセレカ解散以降無政府状態に近い状態に陥った中央アフリカ共和国の情勢は、フランスやアフリカ諸国の軍隊の派遣により、一時的に鎮静化している。しかし内戦が深刻化する中、潘事務総長は、現在の「中央アフリカ共和国国際支援ミッション」を完全な国連平和維持軍に格上げすることを訴えている。

国連事務総長就任以来6年間を振り返って得た教訓について問われた潘氏は、「依然としてあまりにも多くの未解決の問題があることに、驚いています。国連が直面している危機の件数は、一期目(2007年~11年)よりも増加傾向にあります。当時はダルフール危機が最大の懸案事項でしたが、今はあまりにも多くの危機が同時並行で進行しています。とりわけシリア、中央アフリカ共和国、マリ共和国の危機に対する緊急の対応が要請されています。」と語った。

潘事務総長は「いかに強力で資金に恵まれていたとしても、特定の国や機関がこうした危機を、単独で解決することはできません。」と指摘し、問題解決に向けた国際協力の重要性を強く訴えた。

「これこそが私が学んだ最も重要な教訓であり、だからこそ私は各々の加盟国に対して『ともに協力し合っていきましょう』と積極的に協力を呼びかけているのです。」

潘事務総長はまた、国連事務総長や国連ができることには限界があると警告したうえで、「(問題解決には)多数の地域及び準地域規模の組織からの支援が必要です。」と語った。

他方、悪化し続けるシリア情勢を背景に、内戦の影響を被っている950万人に対する人道支援を実施しているいくつかの国連機関が、16日共同で、資金不足65億ドルの解消を求める異例のアピールを行った。

バレリー・アモス人道問題担当事務次長とアントニオ・グテーレス難民高等弁務官は、今日のシリア情勢を「最悪」と表現した。

イェンス・レルケ人道問題調整事務所(OCHA広報官はIPSの取材に対して、「この共同アピールは特定の危機に対する支援を訴えるものとしては史上最大規模のものです。」と語った。

どの程度の支援を見込んでいるかとの問いに対して、レルケ広報官は、「各国が過去のアピールに対してと同様の寛容さを今回も示してくれることを切に希望しています。」と述べたうえで、「ただしアピールで求められた支援額が100%満たされたことはありませんが。」と語った。

潘事務総長は記者会見で、「今年は従来の危機に加えて新たな危機が発生する一方で、外交上重要な成果をあげた年でもありました。」と述べ、2013年における様々な外交的成果についても振り返った。

国連安保理は9月27日、シリアに化学兵器の破棄を義務付ける画期的な決議案を全会一致で採択した。一方193加盟国からなる国連総会でも、4月2日、「長年の懸案」であった武器貿易条約案が採択された。

また2015年に期限切れを迎えるミレニアム開発目標(MDGsの後継となる持続可能開発目標(SDGs)を初めとするロードマップにも、2013年になって国際的合意がなされた。

潘事務総長は、先月ワルシャワで開催された国連気候変動会議(COP19)についても、「2015年の交渉妥結に向けて、協議が継続された。」と評価した。

また西アフリカ・サヘル地域においては、トゥアレグ独立派とイスラム原理主義武装組織がマリ北部を占拠し一時は中部への侵攻が懸念されたが、(フランス軍の軍事介入に続く)国連の仲介と平和維持軍の派遣でその後事態は平静を取り戻し、今月にはマリ国会議員選挙が平和裏に実施された。

潘事務総長は、「14日にはマリ北部のキダルで自爆テロ事件があったが、和平プロセスが影響を受けることはない。」と付け加えた。

また潘事務総長は、「2013年のもう一つのハイライト」として、イランの核計画を巡る11月24日のイランと「P5+1」間の歴史的な暫定合意を挙げた。

「この暫定合意が、全ての懸案事項について包括的な合意へと発展することを切に願っています。」と潘事務総長は語った。

最後に潘事務総長は、「2013年は、国際社会がネルソン・マンデラ南アフリカ共和国元大統領の死を悲しみとともにその偉大な功績を共に悼んだ年として記憶されるだろう」と指摘したうえで、「私が2014年に最も期待するものは、世界の指導者らが、道義的・政治的責任を果たすうえで故マンデラ氏の範に倣おうとする姿です。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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