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気候変動の影響を肌で感じるカリブの農漁民

【セントジョージズ(グレナダ)IPS=デズモンド・ブラウン】

ジェイムズ・ニコラスの生活はいつも海とともにあった。カリブ海の島嶼国グレナダの漁民である彼は、毎日の水揚げを地元の人びとや食堂に売り、さらには近隣の島の高級ホテルに提供していた日々のことを思い出していた。

最大時の2010年で、グレナダの漁業は約4000人の雇用を生み出し、輸出だけでも520万ドルの売り上げがあった。

しかし、この数年で、おそらくは地球温暖化によるとみられる影響によって、漁業を取り巻く環境は急速に悪化した。

 南部漁業組合のニコラスさんは、IPSの取材に応じ「私はここの育ちですがが、海岸地帯ではいつも多種多様な魚が獲れたものです。ところが最近では全く獲れない魚も出てきました。おそらく8種の魚が絶滅したと思います。自分は科学者じゃないから地球温暖化のせいだとはいえませんけどね。」と語った。

「しかし一つだけ確かなことは、組合員が獲ってくる魚の量が減り続けていて、みんなが経済的に追い詰められてきているということです。」とニコラスさんは付加えた。

元環境相のカール・フッド外相は、「グレナダ海域で漁獲量が激減しているのは気候変動が直接的な原因であり、しかもその悪影響は漁業以外の産業にも及んでいます。」と語った。

大臣執務室で取材に応じたフッド外相は、「昨年から漁民たちは餌として使っている『ジャック』という魚が獲れないでいます。普通は11月になると沢山獲れる魚なのですが、全く獲れなくなってしまいました。だから漁民は漁に出ることができません。これは漁業における干ばつのようなものです。市場に行っても魚は出てきません。」と語った。

ニコラスさんは、「ジャックが獲れないので、漁民はやむなく米国から鰯(イワシ)を餌として輸入しています。それができない漁民は、漁具を片付けて自宅に留まっているしかないのです。」と語った。

また、セントジョージズ大学海洋生物学プロジェクトのクレア・モーラル氏によると、同じく地球温暖化の影響で海面水位が上昇しており、その結果、魚を含む海洋生物の約25%の生命の基盤となっているサンゴ礁が劣化(白化現象)したり、洪水や干ばつが起きやすくなっているという。

グレナダは2年前のハリケーンで同島南部の観光の目玉であるグランドアンセビーチ(2マイルに亘る浜辺)が甚大な被害を被った。フッド外相は、「グランドアンセビーチの水深がこのところ深くなっています。これも地球温暖化に伴う海岸浸食の表われです。」と語った。
 
大雨で潮位が上がると、島嶼国には深刻な影響がある。国連環境計画(UNEP)によれば、海水面が50センチ上昇するとグラナダの海浜の60%以上が深刻な被害を受けるという。しかし、フッド外相は、「数インチの上昇でも、大きな影響があるのです。」と力説した。

またある政府関係者は、2年前から気候変動による旱魃で、農業も近年最悪といわれる規模の深刻な影響を受けていると指摘した上で、「近年ココナッツやシトラスの木が枯れるという現象がおこっています。以前ではありえないことです。そして今度は季節外れの集中豪雨に見舞われて、作物が大損害を受けています。」と語った。

フッド外相は隣国のドミニカの状況をつぶさに見てきた。ドミニカ国は昨年9月の集中豪雨で大規模な土砂崩れに見舞われ、多くの車・家屋や橋が流された。その結果、電気の供給が滞り、断水状態が続いたコミュニティーも少なくない。

「気候変動の問題は、突き詰めれば問題に対処できるかどうかは十分な対策費を確保できるかどうかにかかっています。つまり本質的にはお金の問題なのです。カリブ海諸国は、長らく続いた経済不況から、ゆっくりながら、ようやく抜けそうとしている時期にあります。そのような状況ですから、気候変動によって引き起こされている諸問題に対処していく必要など持ち合わせていないのです。」とフッド外相は嘆いた。

こうした問題に対して、グレナダなど、カリブ・太平洋地域の43ヶ国が集まって「小島嶼国連合」(AOSIS:カリブ海・太平洋の島嶼国43か国が参画)を組織した。連合を組むことで、数の力を声の力に変えようとしているのである。

「私たちは声を一つにして訴えていきます。…そうすることで、より多くの二酸化炭素排出し、地球を最も汚している大国の耳にも私たちの声が届き、私たちがどこからきているかについて理解させることが出来るのです。私たちは、気候変動問題に関して新たな変化がおこるまで、声を大にして支援を訴え続けていくつもりです。」とフッド代表は語った。

フッド外相は、「国際社会全体が、気候変動問題はきわめて、きわめて深刻な問題だと考えなくてはならないものです。なぜなら、気候変動がもたらしている事態を依然として軽く見ている者がいるからです。我々の任務は極めて重いものなのです」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan山口響/浅霧勝浩

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脅迫をやめて、対話を始めるべきだ(ヨハン・ガルトゥング・トランセンド平和大学学長)

【IPS コラム=ヨハン・ガルトゥング】

我々は現在、国家システムの最悪の部分を目の当たりにしている。侮辱と脅迫、制裁のやり取り、暴力に訴える準備が進められ、米国は有事の際の保障として軍の一部をイスラエルに前方展開している。一方、一般の民衆に対する配慮や、戦争が中や世界に及ぼす深刻な悪影響については真剣に考えられていない。

またメディア報道も、あたかも戦争は不可避かのごとく、両者の対立と事態の悪化を報じるニュースで埋め尽くされており、調停者を介して当事者が対話に臨み、問題解決を模索するという、武力対決よりも遥かに優れた選択肢に関しては、ほとんど報道されていない。

米国とイスラエルは、みずから核兵器保有国であるにもかかわらず、イランの核武装を危惧している。しかし、米国は、ソ連や中国との対話に進む前に、長いことそれらの国の核と共存していた。イスラエルもパキスタンの核と共存している。だとすれば、なぜ、まだ核武装した証拠もないイランと共存できないのだろうか。

 
国際原子力機関のモハメド・エルバラダイ元事務局長がひとつの答えを提供している。それは、西側諸国がイランの体制転換(レジームチェンジ)を望んでおり、核開発疑惑を口実に利用しているというものである。またエルバラダイ氏は、イランのマフムード・アフマディネジャド政権も、「シオニズムのない世界」を目指すとして、シャー体制後のイランやソ連崩壊後のロシア、サダム・フセイン後のイラク等になぞらえてイスラエルの体制転換を訴えている点を指摘している。アフマディネジャド大統領は、「イスラエルを地図から抹殺する」とは発言しておらず、もしイスラエルが1967年6月4日時点の国境を認めるならばイスラエルを国家承認するとしたリヤド宣言を支持している。

西側諸国は、こうした口実を根拠に、対イラン経済制裁を繰り返し、イラン民衆の間に不満と憎悪を掻き立て政府の政策の変更を迫ることを目指してきたが、結果は裏目にでてしまっている。確かにイラン国民はこうした制裁に苦しんできたが、彼らの不満は自国の指導者に対してよりも、むしろ苦境の直接的な原因であるイスラエル、米国、欧州連合、国連や、軟禁状態にある反体制派指導者フセイン・ムサウィ氏に向けられた。

米国・イスラエル両国は、シャー体制下のイランが、米国が任命した中東の管理者としてオマーンのドファール内戦等に積極的に介入していた時代にできれば回帰したいと願っているかもしれない。しかしシーア派のイランを使ってスンニ派が大勢を占める中東地域の秩序をはかろうとした試みには土台無理があった。モハンマド・レザー・シャーはCIAMI6を後ろ盾に断行した1953年のクーデター以来、25年に亘る開発独裁体制を敷いたものの、結局はシーア派と共産党を含む幅広い国民の反発を招いて追放された。

アングロ・アメリカにとっては、諜報部門を使いながら、アラブやイスラム教政権を嘲笑するような態度をとることは普通のことなのかもしれない。しかし、イランにとっては、左翼であれ、中道であれ、右翼であれ、深い恥辱感しか残らない。

さらにイスラエルとアラブ諸国の対立(パレスチナ人との対立はその一部である)構図を考慮しておくことが重要である。事実上中東で唯一の核兵器保有国であるイスラエルが地域の盟主になることが出発点であるとは思われない。では、どのようなシナリオが議論されているのだろうか?

世界有数の石油輸出国であるイランは、ホルムズ海峡封鎖を示唆している。もしそのような事態となれば世界経済に極めて深刻な悪影響が及ぶだろう。とりわけバイオディーゼルに依存している地域では食糧難が引き起こされる恐れもある。西側諸国は、シーア・スンニ派の壁を越えるイスラム教徒の連帯を軽く見てはならない。もしイランに攻撃を加えるようなことになれば、シリアにヒズボラ、ハマス、その他のイスラム集団が手を組むことになるかもしれない。現在のサウジアラビアの立場すら、そのままではいられないかもしれない。

イランに体制転換をもたらし中東の覇権国としてイスラエルの拡張を継続させるという現在の政策は、かえって反イスラエル勢力を活気づかせることとなり、現実的ではない。またイスラエルがイランの核武装を止めさせるとして、たとえ関連施設のピンポイント爆撃に成功したところで、効果は一時的なものでしかないだろう。

それでは出口はあるのだろうか?

欧州では、冷戦期、1973年から75年にかけてヘルシンキ会議が開かれた。欧州に中距離ミサイルを配備したかった米国はこのプロセスを回避したが、それでも、これが東西の緊張緩和をもたらし、1989年の冷戦終結を準備することになった。

和解への第一歩は、ヘルシンキ・プロセスをモデルとした、中東安全平和会議の実現であろう。それは、2012年に予定されている、中東非核地帯化に関する会議に始まる。

中東地域でフィンランドの役割を果たせられるのは誰だろうか?それはもしエジプト国軍がキャンプデービッド合意に伴う米国からの援助が滞るリスクを冒してでも中東平和を志向する用意があるとしたら、「エジプトの新旧勢力」ということになるだろう。もしエジプトがそうした中東和平に貢献する役割を担うとしたら、将来長年に亘って中東における盟主の地位を確実なものとすることができるだろう。

そのような中東和平構想においては、以下のような議題が考えられるだろう。

*イスラエルとイランを含む中東非核兵器地帯

*民衆が自ら政権を選択できるよう自由で公正な選挙を共同で監督する仕組み

*1958年に発効したローマ条約(後に欧州連合へと発展した基本条約)をモデルとした安全保障機構を伴う「イスラエルと近隣諸国による中東コミュニティー」の創設

これらは全て、一時イスラエルも席巻した「アラブの春」の精神に沿うものである。さらに、共同開発のための経済協力を議題に加えてもいいだろう。 

「イスラエルとイランの両方が核兵器を持つのと、両者がそれを持たないのと、どちらがよいか」と質問されたイスラエルのユダヤ人の65%が、どちらも持たない方がよいと回答している。また、64%が中東非核地帯化を支持している。これによってイスラエルが核兵器を放棄しなくてはならないということを説明されても、なおそのように回答しているのである。」

イラン国民も同じように答えるだろうか?おそらくそうだろう。彼らもまた生存を望んでいるのではないだろうか?それは、彼ら自身が決めることだ。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

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│グアテマラ│戦争の被害者、忘却の被害者

【グアテマラシティIPS=ダニーロ・ヴァジャダレス】

「1982年、彼らは私のお母さんと15人の人間を殺し、私たちの家を焼き払いました。私たちはいま支援を得ようとしていますが、まだ何も手にしていません。」こう語るのは、グアテマラの先住民族イクシル族のハシント・エスコバルさんである。

「当時彼らは、村人たちを中に押し込めたまま家屋を焼き払っていきました。幸い、私は我が家が襲撃された時に不在だったので、隠れることができたのです。」とエスコバルさんは、内戦の被害がとりわけ大きかった北西部のキチェ県で取材に応じて語った。

彼は、グアテマラ内戦(1960~96)の犠牲者の一人である。左翼ゲリラと政府軍との戦いの中で、主に先住民のマヤインディアンを中心に約25万人が死亡あるいは行方不明になった。国連の支援した「歴史解明委員会(Historical Clarification Commission)」の調査によると、死亡の93%は政府軍側に原因があるという。

1996年12月29日、グアテマラ政府とグアテマラ民族革命連合との間で和平協定が結ばれた。このとき軍側の代表であったのが、1月にグアテマラの大統領に就任したオットー・ペレス・モリーナであった。その際、内戦の被害者に対する補償や先住民のアイデンティティや権利に関する協定が結ばれた。

また2003年には、政府による被害者補償の枠組みが創設された。経済的損害に対して土地や住居などで補償をしたり、心理的な支援などを行うことがそのおもな内容である。

しかし、政府内の腐敗や縁故主義などにより、補償制度を自らの利益のために悪用する政治家が後を絶たない状況が続いており、未だに多くの被害者が補償されるのを待ちわびている。

チマルテナンゴ州の被害者マニュエル・テイさんは、「ここでは2011年に補償プログラムの一環として576軒の家が建てられたが、建築はまだ道半ばです。私たちは家を完成させるために、自分たちで建材を買ったり、職人を雇わなくてはなりませんでした。」と語った。そうした政府支給の家屋の中には建ってわずか3ヶ月でもう床が割れ始めたところもあるという。

しかしテイさんは、賠償金を得るためには政府やNGOによる煩雑な手続きを経なければならなかった。そこでカクチケル・マヤ語で「種子(Q’anil)」という名前の会を立ち上げた。

これまでにテイさんと内戦を生き残った兄弟が獲得した賠償は、36平方メートルの家屋と、3600ドルの現金である。

それでも、賠償プログラムに従事していた元役人達が会計の不正処理をしていたという報道を耳にしていなかったら、犠牲者たちはこんなにも憤りを覚えることはなかっただろう。

紛争遺族会(Associations of survivors of the conflict)を含むNGO19団体が2010年から11年にかけて行った社会監査では、こうした政府による補償事業の問題点として、プロセスの不透明性、恣意的な判断、差別があったことなどを挙げている。

2011年、32の先住民族団体が、政府は内戦被害者に適切な補償を行っていないとして、米州人権委員会(IACHR)に提訴した。

また犠牲者に対する精神面、社会面における支援や、社会復帰を支援する努力が欠けている問題点も指摘されている。

戦争被害者を支援している「犯罪科学分析・応用科学センター(CAFCA)」のセルジオ・カストロさんは、「これまでの補償は経済的・物質的な支援に偏っており、しかも補償がなされた被害者は全体の2割程度にとどまっています。」「一方、被害者達が内戦当時奪われた土地の返却や、破壊された農地への投資、強姦された女性に対するケアといった対策は、政府の補償プログラムに明記されているにも関わらず、実施されていません。」と政府の対応を批判した。

またカストロさんは、「犠牲者と加害者が同じコミュニティーで暮らしている現実を考えれば、内戦で崩壊した社会構造を再建し彼らが再び平和裏に共生していけるようにするためには、犠牲者に対する精神面の支援が大変重要になります。」と語った。

ラテンアメリカでは、チリやアルゼンチンのように、かつて軍事独裁政治を経験した国々では、犠牲者に対して経済的、社会的補償制度を実施した事例がある。またその他の先例では、ドイツ政府がナチスによるホロコーストの犠牲者に対して行った事例がある。

連れ合いを奪われたグアテマラ女性の会(CONAVIGUA)のフェリシア・マカリオさんは、「グアテマラ政府の場合、内戦の被害者に対する支援を真剣に行おうとする意志が欠如しているのです。」と語った。

内戦時代国軍の特殊部隊で戦い和平合意の軍側の代表をつとめたペレス・モリーナが大統領に就任したという政治状況は、内戦の被害者にとって必ずしも明るい兆しとは言えない。

「現大統領が内戦終結を合意した当時の軍側の当事者であったということは、ますます彼は犠牲者へ約束された補償を実行に移す道義的な責任があるはずです。しかし実際のところ、モリーナ大統領がはたして補償プログラム予算をどのように取扱いかを見極めるまでは、なんともいえません。」

被害者補償に割り当てられた2012年の予算は1050万ドル。しかし、社会団体は、約4000万ドルは必要だと議会に訴えかけている。

活動家たちは、内戦で家族や家屋、田畑を失った人々にとって援助は極めて大事という。「とりわけ、精神的、社会的支援は重要です。」とマカリオさんは語った。

「犠牲者への補償は、内戦中に悲惨な暴力を経験してきた人が、その経験を克服していく上で大変重要な役割を果たすことができます。内戦中、グアテマラでは何千人もの女性が国軍による暴行に晒されてきましたが、政府は未だに彼女達に対する支援の手を差し伸べていないのです。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

核廃絶にあいまいな態度を貫くフランス

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【パリIDN=ジュリオ・ゴドイ】

フランス外務省に対して、中東の非核兵器地帯化に関する同国の立場を問うたならば、フランスの大使がニューヨークやジュネーブの国連で行った演説を紹介して、わが国は核不拡散条約(NPT)の世界的な履行を支持しているという公式見解が返ってくるだろう。

確かにフランスは、NPT運用検討会議において採択された決議の目標、とりわけ中東における非核地帯の創設を1990年代中盤以来支持し、1995年会議における特定の決議(中東非核兵器地帯化に関するもの:IPSJ)の履行を呼びかけている。

しかしこれまでの事実関係に目を向ければ、このフランスの見かけ上の強固な立場は、結局は中東非核兵器地帯を創設するという大義に対する単なるリップサービスに過ぎないことが分かるだろう。とりわけ、これがイスラエルの核兵器政策を問題化したり、先の(1995NPT運用い検討会議の)決議履行(=イスラエルのNPTへの加盟)を迫るときに、そのことが明らかになる。

中東の非核兵器地帯化に対するフランスのあいまいな態度は、2010年5月にははっきりとしていた。イスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ首相が、非核兵器地帯化は「偽善的で」「欠陥だらけ」だと評したときのことである。この声明は、NPTの189の加盟国が中東の非核兵器地帯化に関する合意に達したことを受けての反応であった。

NPT未加盟のイスラエルは、「最終文書は中東の現実や中東や世界全体が直面している真の危機を無視している。決議が非常にゆがめられた性格を持っているのだから、イスラエルはその履行に参加する気はない。」と批判した。

安保理理事国であり核兵器国でもあるフランスは、このイスラエルの明示的な態度に対して反応を示さなかった。

フランスの二面的な戦略はすでに2005年から明らかであった。このとき、ジュネーブ軍縮会議(CD)のフランソワ・リバソー仏大使は、同会議の会合において、イランがその「秘密の核開発計画」によって「核拡散の危機」を引き起こしているとして非難した。他方で、リバソー大使は、NPT未加盟のインド、イスラエル、パキスタンについては、「交渉を通じて、核不拡散と輸出規制の国際基準に可能なかぎり引き込む」ことが「のぞましい」と控えめに述べていたのだった。

この3か国はいずれも大規模な核戦力を保有している。こうした対話によっては、少なくとも210発の核兵器―これはインドとパキスタンの核兵器保有量の合計を上回っている―を保有するイスラエルを抑えることができていないという事実を、フランス政府は無視しているようだ。

したがって、イランの核開発疑惑に対する非難を繰り返すことを除いては、中東に関する議論に関して、フランスに見るべき貢献がないことは、驚きに値しない。2011年11月9日、アラン・ジュペ外相は、国際原子力機関(IAEA)の出した評価によって「イランの核開発に関するフランスの懸念は強まることになった」と述べた。

さらにジュペ外相は、「我々はイランに対する外交的な圧力を強めるうえで、次の段階に進まなければならない。もしイランが国際社会の要求を拒み、すべての協力を拒否するのならば、我々は国際社会の支援を得て、イランに対する前例のない規模の制裁を発動することになろう。」と付加えた。

一方でジュペ外相は、イスラエルの核兵器政策や、同国が中東非核兵器地帯化に関する国際会議を拒否していることについて、批判したことはない。

外交関係の専門家らは、EU諸国のほとんどに典型的なこうした二重基準ゆえに、この政策を巡るフランス外交の見識と公正さに疑問を投げかけている。

核不拡散・軍縮議員連盟(PNND)フランス支部のジャン-マリー・コリン代表は、「政府による主張とは反対に、核軍縮に関する議題と討論は、NPT運用検討会議が最後に開かれた2010年5月で終わったわけではない」と語った。

コリン代表は、国連と市民社会組織は(NPT運用検討会議後も)引き続き核兵器のない世界実現に向けた取り組みを進めてきた点を指摘した。そしてそうした取り組みの中でも、とりわけ具体的な成果として、2012年中東会議の実現に向けた動き、特に「フィンランド外務省のヤッコ・ラーヤバ外務事務次官がファシリテーターとして任命された」重要性を強調した。

またコリン代表は、フランス政府は、様々な公式発言とは裏腹に、「実質的な核軍縮を巡る政治的駆け引きにおいては、部外者に留まっている。」と指摘した。

フランス政府は言行不一致が目立っているが、市民社会の方は、大量破壊兵器、とりわけ核兵器が中東で拡散する可能性を危惧している。平和団体の「元追放者・戦時捕虜・抵抗者・愛国者全国連盟」(FNDIRP)はこの1月に発表したコミュニケで、対イラン戦準備を進めているイスラエルを批判している。

またFNDIRPは、イランはNPT加盟国であり、核技術を民生用にのみ利用すると繰り返し公約している点を指摘した。また同団体は、イスラエルによるイランへの軍事攻撃は、中東全域にわたって「予測不可能な結果」をもたらしかねず、さらに、「イランの核研究開発を阻止するために行うそうした攻撃の有効性は不透明であること」に注意を向けるべきだとしている。

さらにFNDIRPは、中東におけるNPTの完全履行を呼びかけ、国連の枠内での議論が「もっとも有益なこころみ」であると主張した。そのうえで、イスラエル、イランをはじめとした中東のすべての国に対して、「中東のすべての国に平和と安全をもたらす非核兵器地帯の創設に向けて必要な措置を国連の枠内で履行すること」を強く求めている。

しかし、こうしたアピールは希望的観測に過ぎないと予測するフランスやスイスの外交専門家もいる。

スイス連邦技術研究所安全保障研究センター(CSS、チューリッヒ)の研究者らは、「構造的な要素を見れば、(中東における核)軍縮は時期尚早である」と考えている。

CSSのリビウ・ホロビッツ研究員は、「スイス連邦技術研究所安全保障研究センター」とわかりやすいタイトルを付けられた報告書の中で、「イスラエルにとって、核軍縮は必要でも望ましくもない。」一方で、「イランの核問題解決が最重要課題であるが、解決はまだ目に見えていない。」と記している。こうした理由によって、また中東のその他の現在の動きに鑑みるならば、「中東でこの先もっとも起こりそうな情勢の下では、軍縮措置が採られることはないだろう。」と予測している。

そのうえでホロビッツ氏は、それよりも、「現在の状況を保つだけでも相当に難しい課題になる。」と付加えた。

ホロビッツ氏はこの報告書の中で、非核兵器地帯という概念は1950年代にポーランドが中欧において提案したものに淵源がある点を指摘した。またホロビッツ氏は、「この構想は実現することがなかったが、これまでに非核兵器地帯が5つできている。中東では、イスラエルが1960年に核保有国になって以来、エジプトとイランが率いる地域のアクターが、非核兵器地帯の創設を呼びかけることでみずからの外交力を高めようとしてきた。」と語った。

中東非核兵器地帯創設に向けた現在の機運は、2010年のNPT運用検討会議で採択されたいわゆる「行動計画」によって生み出された。同計画では、国連・ロシア・英国・米国の四者に対して、中東諸国と協議の上、「核兵器とその他すべての大量破壊兵器を禁止する地帯を中東に創設することに関して」、2012年に会議を招集する準備を進めるよう要求している。

ホロビッツ氏は、現在の政治的なスケジュールでは、フィンランドで会議を開くにはなかなか困難があると指摘した。「米国政府は今年開かれる大統領選挙に手一杯な状況であるが、すべての中東諸国を参加させ、一般的な意見交換にとどめ、とりわけ今後の行動計画については全会一致の決定方式をとった、短い会議を望んでいる。」とホロビッツ氏は警告した。

さらにホロビッツ氏は、2015年に開かれる次のNPT運用検討会議もそれほど先のことではないと指摘した上で、「イランやシリアのように制度を悪用している国にとっては、自らのNPT遵守問題から目をそらさせるための強いインセンティブと貴重な機会を(運用検討会議は)提供することになるだろう。こうして、もっともありそうな帰結は、各国がこれ以上態度を硬化させることなく、レジーム全体に長期的な傷をつけることのないような、よく運営されてはいるがしかし取り立てて実りのない外交行事ということになるのではないか。」と語った。

従ってホロビッツ氏は、「(中東非核兵器地帯実現の)可能性はきわめて低いと言っておくのが安全でしょう。」と結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

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日米友好の証「ポトマック桜」―100年の時を経て(石田尊昭尾崎行雄記念財団事務局長)

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【東京IDN=石田尊昭】

Mr. Takaaki Ishida
Mr. Takaaki Ishida

毎年春になると、ワシントンDCのポトマック河畔に咲き誇る桜並木が話題になる。この桜は、今からちょうど100年前、当時東京市長を務めていた尾崎行雄(号は咢堂。議会制民主主義の父)が東京市参事会に諮り、市から日本国民の「日米友好の証」として公式に寄贈したものである。といっても、尾崎一人の「想い」で実現したわけではない。その背景には、当時の日米両国におけるさまざまな人たちの強い想いと尽力があった。その一端を紹介したい。

1909年、ヘレン・タフト米大統領夫人は、ポトマック河畔の景観整備を検討していたが、それを絶好の機会と捉え、夫人に日本の桜の植樹を勧めた人がいた。米国ジャーナリストで女性として初めてナショナルジオグラフィック協会の役員にもなったエリザ・シドモア女史である。1884年に来日したシドモア女史は、桜を愛でる日本人の心と文化に深く感銘を受けるとともに、桜の美しさに魅了された。帰国後も、その美しさを忘れることができず、なんとかして日本の桜をワシントンに植樹したいと考えるようになった。その後24年間にわたって、植樹のための募金活動や、当局への働きかけをしていた女史にとって、今回の整備計画は逃すことのできない千載一遇のチャンスだった。

また、米農務省にいた植物学者デヴィッド・フェアチャイルド博士も、種苗の研究調査団の一人として1902年に来日して以来、日本の桜の美しさに心を惹かれた一人である。その想いは強く、米国の土地で日本の桜が生育可能かどうかを研究するためメリーランド州チェビー・チェイスの自邸に若木を植栽するほどだった。博士は、親交の深い昆虫学者チャールス・マーラット博士とともに友人たちを招いて観桜会を開催したが、友人の招待客の中にシドモア女史がいた。女史と両博士はその場で意気投合。両博士の賛同と協力を得たシドモア女史は早速、大統領夫人に桜植樹を提案しに行った。実は大統領夫人も1905年に来日し桜の美しさに触れていたことから、この提案を快く受け入れ、ポトマック河畔への桜植樹計画が動き出した。

もう一人は、ニューヨークに在住していた著名な化学者で実業家の高峰譲吉博士(タカジアスターゼ、アドレナリンの発見者。在留日本人会初代会長)である。対日感情の改善と日米親善に長年取り組んでいた博士は、自身も桜並木をつくる計画を持っており、ニューヨーク市に陳情し続けていた。

タフト大統領夫人の意向を知った博士は、今回のポトマック河畔への桜植樹計画に対し、日本から桜2千本を寄贈することを提案し、さらに、その費用は自分を含む在留日本人の有力者たちで分かち合うことまで提案した。それを聞いた水野幸吉・ニューヨーク総領事は高峰博士の発想を高く評価するとともに、桜は東京市の名義で寄贈されるべきとの提案を行った。そしてタフト大統領は、日本からの桜2000本寄贈の提案を受け入れた。

その後、水野総領事や高平小五郎駐米大使らによる調整の末、桜は日本の首都・東京市から公式に寄贈すべきということになり、外務省から東京市に打診があった。尾崎東京市長は以前から、日露戦争(1904~05)の際に好意的だったアメリカへの感謝の気持ちを何らかの形で表したいと考えていたため、これを好機と捉え快諾した。そして1909年8月、東京市会は、桜苗木2千本をワシントンDCへ寄贈することを決定した。

しかし、翌年1月にワシントンDCに到着した桜は、検疫官によって害虫が発見されたため、ハワード・ウィリアム・タフト大統領は、これらの桜の木すべてを焼却処分にせざるを得なかった。それを知った尾崎市長は、健全かつ優良な苗木を育成し、再び贈ることを市参事会に諮り、同年4月に決定した。そして1912年3月、害虫も病気も無い桜の苗木3千本がワシントンDCに到着し、無事ポトマック河畔に植樹された。ちなみにその苗木は、当時の専門家が驚くほど優良で、完璧な出来栄えだったという。
 

 Japanese cherry trees (Sakura), a gift from Japan in 1965, adorn the Tidal Basin in Washington, D.C. during the National Cherry Blossom Festival. The Washington Monument is visible in the distance. Credit: US Department of Agriculture.
Japanese cherry trees (Sakura), a gift from Japan in 1965, adorn the Tidal Basin in Washington, D.C. during the National Cherry Blossom Festival. The Washington Monument is visible in the distance. Credit: US Department of Agriculture.

また、桜寄贈から3年後の1915年には、その返礼として米国からハナミズキの苗40本が贈られ、東京市内の公園や植物園に植栽された。日本国民への返礼の花にハナミズキを選定したメンバーの一人に、上述のフェアチャイルド博士もいた。彼は、米国の子供達が日本の桜を愛でるとき、日本の子供達にも米国のハナミズキを観て喜んでほしい、そうすることで日米友好の絆を深めてほしいという強い想いを持っていた。

ポトマック桜について、もう一つ忘れてはならないことがある。1938年、ポトマックに隣接するタイダル池に米国建国の父の一人トーマス・ジェファーソン第3代大統領記念堂が建設される際、358本の桜の木を切り倒すことが計画された。しかし伐採の当日、ワシントンDCの婦人団体が、自分の体を木に縛り付け抵抗し、270本の桜の命を守り抜いた。

ヘレン・タフト大統領夫人、エリザ・シドモア女史、デヴィッド・フェアチャイルド博士、チャールス・マーラット博士、高峰譲吉博士、尾崎行雄東京市長、そしてワシントンの婦人団体…。もちろん、このほかにも、多くの有名無名の人たちの努力があったことは言うまでもない。特に、二度目の桜寄贈に向け、国の威信をかけて健全な苗の培養に取り組んだ専門家や職人、地域の人々の苦労は計り知れない。ポトマック桜は、そうした先人たちの想いと尽力によって実現し、守られてきたものである。

その桜のもとで、今年もまた「全米桜祭り(National Cherry Blossom Festival)」が3月20日から4月27日の5週間にわたって開催されている。祭りでは、昨年から今年にかけ、さまざまなプログラムを通じて昨年3月11日に発生した東日本大震災の被災者支援の取り組みが行なわれている。特に今年は、被災地・福島の小中学生による太鼓演奏やパレード参加などが予定されている。100年の時を経て、今また両国民による新たな「想い」が、日米友好の「絆」を深めているように思える。(原文へ

IPS/IDN-InDepth News

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日米友好の証「ポトマック桜」ー100年の時を経て(石田尊昭尾崎行雄記念財団事務局長)

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【東京IDN=石田尊昭

毎年春になると、ワシントンDCのポトマック河畔に咲き誇る桜並木が話題になる。この桜は、今からちょうど100年前、当時東京市長を務めていた尾崎行雄(号は咢堂。議会制民主主義の父)が東京市参事会に諮り、市から日本国民の「日米友好の証」として公式に寄贈したものである。といっても、尾崎一人の「想い」で実現したわけではない。その背景には、当時の日米両国におけるさまざまな人たちの強い想いと尽力があった。その一端を紹介したい。

1909年、ヘレン・タフト米大統領夫人は、ポトマック河畔の景観整備を検討していたが、それを絶好の機会と捉え、夫人に日本の桜の植樹を勧めた人がいた。米国ジャーナリストで女性として初めてナショナルジオグラフィック協会の役員にもなったエリザ・シドモア女史である。1884年に来日したシドモア女史は、桜を愛でる日本人の心と文化に深く感銘を受けるとともに、桜の美しさに魅了された。帰国後も、その美しさを忘れることができず、なんとかして日本の桜をワシントンに植樹したいと考えるようになった。その後24年間にわたって、植樹のための募金活動や、当局への働きかけをしていた女史にとって、今回の整備計画は逃すことのできない千載一遇のチャンスだった。


また、米農務省にいた植物学者デヴィッド・フェアチャイルド博士も、種苗の研究調査団の一人として1902年に来日して以来、日本の桜の美しさに心を惹かれた一人である。その想いは強く、米国の土地で日本の桜が生育可能かどうかを研究するためメリーランド州チェビー・チェイスの自邸に若木を植栽するほどだった。博士は、親交の深い昆虫学者チャールス・マーラット博士とともに友人たちを招いて観桜会を開催したが、友人の招待客の中にシドモア女史がいた。女史と両博士はその場で意気投合。両博士の賛同と協力を得たシドモア女史は早速、大統領夫人に桜植樹を提案しに行った。実は大統領夫人も1905年に来日し桜の美しさに触れていたことから、この提案を快く受け入れ、ポトマック河畔への桜植樹計画が動き出した。

もう一人は、ニューヨークに在住していた著名な化学者で実業家の高峰譲吉博士(タカジアスターゼ、アドレナリンの発見者。在留日本人会初代会長)である。対日感情の改善と日米親善に長年取り組んでいた博士は、自身も桜並木をつくる計画を持っており、ニューヨーク市に陳情し続けていた。

タフト大統領夫人の意向を知った博士は、今回のポトマック河畔への桜植樹計画に対し、日本から桜2千本を寄贈することを提案し、さらに、その費用は自分を含む在留日本人の有力者たちで分かち合うことまで提案した。それを聞いた水野幸吉・ニューヨーク総領事は高峰博士の発想を高く評価するとともに、桜は東京市の名義で寄贈されるべきとの提案を行った。そしてタフト大統領は、日本からの桜2000本寄贈の提案を受け入れた。

その後、水野総領事や高平小五郎駐米大使らによる調整の末、桜は日本の首都・東京市から公式に寄贈すべきということになり、外務省から東京市に打診があった。尾崎東京市長は以前から、日露戦争(1904~05)の際に好意的だったアメリカへの感謝の気持ちを何らかの形で表したいと考えていたため、これを好機と捉え快諾した。そして1909年8月、東京市会は、桜苗木2千本をワシントンDCへ寄贈することを決定した。

しかし、翌年1月にワシントンDCに到着した桜は、検疫官によって害虫が発見されたため、ハワード・ウィリアム・タフト大統領は、これらの桜の木すべてを焼却処分にせざるを得なかった。それを知った尾崎市長は、健全かつ優良な苗木を育成し、再び贈ることを市参事会に諮り、同年4月に決定した。そして1912年3月、害虫も病気も無い桜の苗木3千本がワシントンDCに到着し、無事ポトマック河畔に植樹された。ちなみにその苗木は、当時の専門家が驚くほど優良で、完璧な出来栄えだったという。
 
また、桜寄贈から3年後の1915年には、その返礼として米国からハナミズキの苗40本が贈られ、東京市内の公園や植物園に植栽された。日本国民への返礼の花にハナミズキを選定したメンバーの一人に、上述のフェアチャイルド博士もいた。彼は、米国の子供達が日本の桜を愛でるとき、日本の子供達にも米国のハナミズキを観て喜んでほしい、そうすることで日米友好の絆を深めてほしいという強い想いを持っていた。

ポトマック桜について、もう一つ忘れてはならないことがある。1938年、ポトマックに隣接するタイダル池に米国建国の父の一人トーマス・ジェファーソン第3代大統領記念堂が建設される際、358本の桜の木を切り倒すことが計画された。しかし伐採の当日、ワシントンDCの婦人団体が、自分の体を木に縛り付け抵抗し、270本の桜の命を守り抜いた。

ヘレン・タフト大統領夫人、エリザ・シドモア女史、デヴィッド・フェアチャイルド博士、チャールス・マーラット博士、高峰譲吉博士、尾崎行雄東京市長、そしてワシントンの婦人団体…。もちろん、このほかにも、多くの有名無名の人たちの努力があったことは言うまでもない。特に、二度目の桜寄贈に向け、国の威信をかけて健全な苗の培養に取り組んだ専門家や職人、地域の人々の苦労は計り知れない。ポトマック桜は、そうした先人たちの想いと尽力によって実現し、守られてきたものである。

その桜のもとで、今年もまた「全米桜祭り(National Cherry Blossom Festival)」が3月20日から4月27日の5週間にわたって開催されている。祭りでは、昨年から今年にかけ、さまざまなプログラムを通じて昨年3月11日に発生した東日本大震災の被災者支援の取り組みが行なわれている。特に今年は、被災地・福島の小中学生による太鼓演奏やパレード参加などが予定されている。100年の時を経て、今また両国民による新たな「想い」が、日米友好の「絆」を深めているように思える。(原文へ

IPS/IDN-InDepth News

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|シリア|「アナン前国連事務総長の仲介案は内戦回避の助けとなりうる」とUAE紙

【ドバイWAM】

「シリア情勢を巡る最近の動向は、同国が全面的な内戦に向かうのか、それとも全ての関連勢力が妥協に応じるのかの分水嶺に差し掛かっており、注意深く見守る必要がある。」とアラブ首長国連邦の英字日刊紙が報じた。

「国連安全保障理事会は、21日、コフィ・アナン国連・アラブ連盟合同特使(前国連事務総長)による和平提案を直ちに実行するようシリア政府に求める議長声明を採択した。これまでシリアに関する2つの国連安保理決議でバシャール・アル・アサド政権を支持する姿勢を示していたロシアと中国も、今回はアナン特使の仲介案を全面的に支持し、議長声明に賛成票を投じた。アナン特使は早速両国を訪問する予定である。」とガルフ・ニュースは3月24日付の論説の中で報じた。

「安保理議長声明はシリア政府にに敵対行為の停止と民主主義への移行の推進を求めたほか、アサド大統領と反体制派の双方に、「シリア危機の平和的解決に向け、アナン特使の6点からなる提案を直ちに完全実施する」ためにアナン氏と「誠実に」協働することを呼びかけている。議長声明は国連安保理決議より効力が弱いものの、アナン氏による仲介の試みは、全面的な内戦を回避する最後のチャンスだと見られている。また全会一致による今回の安保理議長声明は、シリア情勢を巡って安保理が初めて足並みを揃えたケースであり、その背景には極めて深刻な状態に陥っているシリア内戦に対する安保理メンバーの危機感があると思われる。」とドバイを拠点にするガルフ・ニュース紙は報じた。


 
「アナン特使の和平提案は、停戦、人道支援物資の提供、政府と反政府勢力間の対話というステップから構成されている。いずれも緊急を要する極めて重要なステップであり、これ以上先送りは許されない。これまでに政府、反政府側双方の、とりわけ民間人の人的被害は深刻であり、一刻も早く停戦を実現する必要がある。」

「しかし和平に向けて進展を図るには、シリア国内の全ての当事者が相違点や対立点を一時棚上げにし、このままの状態が続いた場合の損害について冷静に考えなければならない。シリアは深刻な危機に直面しており、民衆の利益を最優先に置いた解決策以外に紛争に終止符を打つ方策はない。」とガルフ。ニュース紙は結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

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|中東|危ういスンニ・シーア間の宗派対立(R.S.カルハ前駐イラクインド特命全権大使)

中東地域の危機を乗り越えるために(池田大作創価学会インタナショナル会長)

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【IPS コラム=池田大作

今、イランの核開発問題をめぐって、中東地域で緊張が高まっている。その状況を前に私の胸に迫ってくるのは、核時代の下で世界が直面する課題について「ゴルディウスの結び目は剣で一刀両断に断ち切られる代わりに辛抱強く指でほどかれなければならない」との警鐘を鳴らした歴史家トインビー博士の言葉である。

緊張が武力紛争に転化することへの懸念も叫ばれる中、関係国を含めて政治指導者が、今こそ「自制する勇気」をもって、事態打開に向けて互いに歩み寄ることを強く望むものである。

軍事力などのハードパワーを行使して、根本的に解決できる問題など何もない。一時的に脅威を抑えつけることができたとしても、それ以上に大きな憎しみや怒りを生み出す禍根を残すだけだ。

緊張が高まると、相手を強い調子で威嚇したり、激しい非難の応酬が行われることは、残念ながら国際政治の常となってきた。

Dr. Daisaku Ikeda/ Seikyo Shimbun
Dr. Daisaku Ikeda/ Seikyo Shimbun

 今から50年ほど前の「ベルリン危機」の際、ウィーンでケネディ大統領との会談に臨んだソ連のフルシチョフ首相が、「米国が戦争を望むならば、それは勝手だ。ソ連は受けて立つよりない。戦争の惨禍は同じように受けよう」と言い放ったことが思い出される。

しかし忘れてはならないのは、ひとたび戦争が起これば、一番苦しめられるのは無数の市井の庶民であるという現実だ。20世紀の戦争の時代を生きた世代は皆、同じような体験を共有している。私も戦争で兄を失い、家を焼かれた。空襲の中、幼い弟の手を引いて逃げ惑った記憶は、今も鮮烈である。まして、大量破壊兵器を用いるような事態に発展した場合には、取り返しのつかない甚大な被害をもたらしかねない。その非人道性の最たる兵器こそ、核兵器である。

1961年の「ベルリン危機」でも、その翌年に起こった「キューバ危機」でも、すんでのところで米ソ首脳は踏みとどまった。それはなぜか。一触即発の厳しい対峙が続く中で、両首脳が、その行き着く先にあるものを垣間見たからであろう。

翻って現在、イランの核開発施設への攻撃があれば、どれだけ混乱が広がってしまうのか――。攻撃が報復を生むことは確実であろうし、それが政治的に大きな変動が起きている中東地域にどのような事態を引き起こすかは、予測困難であろう。

国際政治の次元では、不信が新たな脅威を呼ぶ負のスパイラル(連鎖)が続いているが、一方で、中東地域の一般市民のレベルでは「核兵器のない地域」の実現を望む声が少なくないことを、断じて見過ごしてはならないだろう。その一例として、昨年12月にブルッキングス研究所が発表した世論調査によると、イスラエル人の中では二対一の割合で、イランとイスラエルを含めた中東を非核地帯にする合意を支持する、という結果がでている。

こうした人々の率直な思いを現実の形にするために、本年開催が予定されている「中東の非大量破壊兵器地帯化」に関する国際会議を何としても成功させなければならない。両国と中東地域全体にとっても、それこそが、共通の安全保障の新たなステージを切り開く選択肢だ。現在、ホスト役を務めるフィンランドが懸命の努力を重ねているが、被爆国の日本も、対話のための環境づくりの旗振り役となるべきだ。

先の二つの危機を乗り越えたケネディ大統領は、「希望は歴史の慎重さによって鍛えられなければならない」との言葉を残した。

この言葉通り、「核兵器のない世界」への希望も、それを求める人々が様々な試練と危機を忍耐強く乗り越える中で着実に育まれてきた。非核地帯条約の先駆けとなった中南米のトラテロルコ条約も、キューバ危機をきっかけに構想が一気に進展したものだったのである。

“時間の無駄だよ。こんな条約は合意できるわけがない”との声もささやかれる中で、粘り強い交渉を重ねた人々の努力によってトラテロルコ条約は成立をみた。現在では、33カ国全てのラテンアメリカ及びカリブ諸国と五つの核兵器国全てが参加するに至っている。

今、中東地域の危機を乗り越えるために、国際社会に求められているのは、まさにこの「対話をあきらめない精神」と「不可能を可能に変える信念」ではなかろうか。厳しい現実の中で、それがどれだけ険しい隘路だったとしても、「希望」は営々たる平和的努力を通じてしか育まれないことを忘れてはなるまい。(原文へ

池田大作氏は日本の仏教哲学者・平和活動家で、創価学会インタナショナル(SGI)会長である。池田会長による寄稿記事一覧はこちらへ。

IPS Japan

This article was produced as a part of the joint media project between Inter Press Service(IPS) and Soka Gakkai International in Consultative Status with ECOSOC.

核の「あいまい政策」で一致するイスラエルとイラン

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【エルサレムIPS=ピエール・クロシェンドラー】

「この春、はたしてイスラエルは、イランの核施設を攻撃するだろうか?」これが今、国際社会を賑わせている問題である。一方、中東非核兵器地帯を創設しようとする壮大なプロジェクトは、イランの核開発問題に対する解決法が「見つかってから」の非実際的な課題という位置にまで追いやられてしまっている。

奇妙なことに、イスラエルの世論はこの問題に明確な意見を示しておらず、「もっとも事情をよく知る」人々に解決を委ねてしまっている。エフード・バラク国防相のように「もっとも事情をよく知る」人々は、「制裁でイランの核開発計画を止めることができなければ、行動を起こすことを考える必要があるだろう。」と主張している。先週バラク国防相は、「(イランへの対処を)『あとで』などと言っている人は、もう手遅れであることを知ることになるだろう。」と警告した。

 イスラエル国民も含め、多くの防衛専門家が危惧していることは、イスラエルの軍事攻撃がイランとの全面戦争につながりかねないということだけではなく、それによる成果が、イランの核開発計画を僅か数年程度しか後退させられないだろうという点である。

2月3日の『ニューヨーク・タイムズ』に掲載された論評では、「厳しい制裁と協調的な外交こそが、イランの核開発計画を頓挫させる最良の可能性を秘めた方法だ」と論じられている。

他方で、イスラエルの国防関係者達は、金融的なものであれ軍事的なものであれ、正面からイランの核開発問題に取り組まない限り、中東地域が核兵器拡散のカオスに陥ってしまい、場合によっては非国家主体に核兵器が流出しかねないという事態を危惧している。

議論のパラメーターは、(米国による是認の有無は別にして)軍事攻撃か経済制裁か、という幅の中にある。一方、イランの核開発計画を無害化するための戦略として非核兵器地帯を創設するというラディカルな考え方はどうだろうか?

イスラエル政府は、中東非核兵器地帯化の条件として、イスラエルのすべての隣国との包括的和平の達成を掲げている。しかし、現在のイラン体制の性格を考えると、これはほぼ不可能である。それに、アラブ諸国側でも和平交渉における進展は見られない。

しかし、市民活動家にとっての救いは、2010年の核不拡散条約(NPT)運用検討会議をうけて、今年フィンランドでフォローアップ会議(=中東非大量破壊兵器地帯会議)が開催されることである。

この会議では、いかにして中東から核兵器と大量破壊兵器をなくすことができるかについて話し合われる予定である。イスラエルやイランを含めたすべての政府が、ホスト国としてのフィンランドを認めている。イスラエルとパレスチナ双方の専門家によって制作されている季刊誌『パレスチナ・イスラエル・ジャーナル』のヒレル・シェンカー編集長は、「イスラエル政府が非核兵器地帯という考え方を検討する意思をもっていることを、ほとんどのイスラエル国民は知らない。」と語った。

昨年10月、「核戦争防止国際医師の会(IPPNW)イスラエル支部の前スポークスマンが、イスラエルとイランの活動家による会合を組織した。中東安全協力会議を作ろうという市民からの呼びかけに応えてロンドンで開催されたこの会議では、イスラエルとイラン両国民による相互理解の領域の発展が目指された。

しかし、こうした会合は、例外的な事例と言わざるを得ない。なぜならたいていの場合、指導層からの圧力によってこうした議論は封殺されているからである。イスラエルの対外特務機関モサドのメイル・ダガン元長官が、イラン核開発問題には軍事的解決が必要であるとの指導層の判断に疑問を呈した際には、バラク国防相より、「重大な行為」だとしてその行き過ぎた言動を叱責された。

イスラエルの人びとは、大抵の話題についてはオープンに議論をするのだが、こと核の問題となると、タブー扱いしたり、反対意見を述べるにはあまりに複雑な問題だと考えたりする傾向にある。大多数のイスラエル人にとって、核の問題は、政治や軍のトップにある人間だけが、閉じられたサークルの中で議論すべき話題なのである。ヘブライ語で関連の情報が出されることは稀であり、一方、英語の関連情報なら豊富にあるが、分析するのは難しいのが実情である。

またイスラエルにおいて核を巡る公論が存在しないのは、1950年代に核開発を開始して以来、核兵器の保有について「肯定も否定もしない」曖昧政策をとってきたことにも由来している。つまり、「(イスラエルは)中東で最初に核兵器を導入する国にはならない」というのが、この国の公式な建前なのである。

イスラエルはNPT加盟国ではないが、イランは加盟している。しかし、両国ともに、両国の核政策の間に連関があることを認めず、それに言及することを避けている。

自国の核兵器を守る秘密性を保持することで、イスラエル国民は、自らの核の選択に直面することなく、自国の防衛に参加しているのだという感覚を得ることになる。

グリーンピースの地中海地域軍縮キャンペーンを担当しているシャロン・ドレブ氏は、「もし私たちが社会全体として、核兵器のことを何か考えるとすれば、それはイラン問題だということになってしまいます。イランはまだ現実には核兵器を保有していないにもかかわらずです。」「自分の背を見ることができない猫背の人のように、私たちは自分たちが保有している(核)兵器を見ずにいるのです。」

従って、イスラエルの「あいまい政策」の意味するところとは、イスラエル核開発の中心地だとみなされているディモナを国際社会が無視し、イラン核開発の中枢だと見られているナタンツにばかり注目し続けさせるということである。

同様に、イランもまた、核能力の追求に関してあいまい政策を採っている。国際原子力機関(IAEA)は、イランが核兵器開発関連の活動を行っていると11月に報告したが、実際に兵器を開発する決定を下したという「動かぬ証拠(smoking gun)」は見えていない。

イスラエル政府は、その「あいまい政策」が大量破壊兵器と同等にイスラエルの安全を高めるものだとして、高く評価している。核軍縮活動家は、そうした政策の必要性を認めた上で、イスラエルの核能力を暴露しないという制約を尊重するような議論をオープンにすべきだと提案している。こうした議論が実現すれば、かえってイスラエル社会の民主的な性格を強化することになるだろう。

「たとえ一部の人間だけであったとしても、核兵器の必要性やそれが地域や世界に与える危険、軍縮のさまざまな可能性について真摯に議論することは、なお可能です。」とドレブ氏は語った。

イスラエルの「核のあいまい政策」の放棄を主張する人びとは、言うべきことをはっきり言うことで、非核兵器地帯とまではいかないまでも、次第に中東で軍備管理への道が開けてくると考えている。

「もし(イランの核武装)防止に失敗した場合、イスラエルが解決策として軍備管理に目を向ける可能性は低い」と予想するのは、論争を呼んだ『イスラエルと核兵器』を1998年に記したアブナー・コーエン氏である。冷戦期に軍備管理対話の背景になっていたのが、核兵器保有の公式宣言だったことを考えれば、なおのことそうである。

それに、イスラエル国民は、核のあいまい政策は不可抗力であり、イランによる「彼らの存在に対する威嚇」と広く考えられているものに対するもっとも効果的な抑止力であると、ほぼ一致して考えている。

大量破壊兵器問題と極度の敵対関係、非核化の推奨をリンクするアプローチには、その他の考慮を上回る地位が与えられている。コーエン氏は、イランが核兵器を開発しているという想定の下に、「どちらの核兵器国が先に軍縮するかはわからないが、どちらが最後まで軍縮しないかはわかります。それはイスラエルです。」と語った。

多くの市民活動家が、すでに危険な時を刻み始めているイランの時限爆弾の信管を抜くにはイスラエルが「あいまい政策」を止めることだとイスラエル国民が指導者を説得するにはもう遅すぎるかもしれない、と考えている。(原文へ

翻訳=IPS Japan

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