ホーム ブログ ページ 243

|ODA|開発援助の歴史的停滞

【パリIDN=R・ナストラニス】

もし医者から「体重を減らしたいなら、床屋で髪を切れば?」と言われたなら、あなたはどう思うだろうか。しかし、この種の怪しげな議論が、政府開発援助(ODA)の提供者によって展開されているのである。2011年のODAは前年比で3%低下した。この14年間ではじめてのことであった。

異例の債務削減の時期にあることはおくとしても、これは1997年以来はじめての下落であり、経済協力開発機構(OECD)諸国の厳しい財政状況を考え合わせると、今後数年も対外援助への圧力は強いと多くの専門家はみている。

 2011年、OECD開発援助委員会(DAC)の諸国は、合計で1335億ドルのODAを行った。これは、国民総所得(GNI)合計の0.31%にあたる。ODAが過去最高に達した2010年からは2.7%の減である。この減少は、冒頭の「床屋」的論理を使ってODA予算を減らし財政上の制約に対処しようとしているDAC諸国があることを示している。

アンヘル・グリアOECD事務総長と国際援助・人道機関のオックスファムは、このODAの減少に深い危惧を表明している。

オックスファムは4月4日、OECDが発表したこの最新統計について、「欧州諸国の間で開発援助を削減する動きが広まった結果、約6億人の子ども達が命取りになりかねない病気に対する予防接種を受けられなくなり、マラリアから身を守ってくれる5億張にも及ぶ蚊帳を貧しい人々の手元に届けられなくなってしまった。」と警告した。

メキシコ人のグリア事務総長は、約束を果たすよう富裕国に対して求め、「途上国が危機の玉突き効果の影響を受け、援助をもっとも必要としているときにODAが減少することは重大な懸念です。援助は、低収入国へのフロー全体からすればあくまで一部分であり、この経済の困難時にあって、投資も輸出も減少しています。厳しい財政再建計画の中にあっても約束を果たしている国々は称賛に値します。なぜなら、こうした国々は、危機を開発協力への配分を減らす言い訳として使ってはならないということを、行動で示しているからです。」と語った。

OECD開発援助委員会のブライアン・アトウッド委員長もまた同じような懸念を示した。「公約を果たしていない国があることは残念ですが、ODA全体の水準を見るならば、疾病から安全保障上の脅威、気候変動にいたるまで、世界的な課題は開発の進展なしには解決されえないという認識が高まっていることを示しています。」と語った。

援助の質もまた重要である。援助国・被援助国の強いパートナーシップで援助をより効果的にすることが肝要である。釜山で結ばれた新しい「グローバル・パートナーシップ」と、5月に発表される予定のOECDの新しい「開発戦略」が、将来の開発への新しい道を指し示すことになるだろう。

ODA合計の中では、債務削減や人道援助を除く主要な二国間プロジェクトが、実額で4.5%低下している。
 
2011年の最大のドナーは、米国、ドイツ、英国、フランス、日本であった。デンマーク、ルクセンブルク、オランダ、ノルウェー、スウェーデンは、国連による目標であるGNI比0.7%を達成している。実額では、最大の増額を示したのはイタリア、ニュージーランド、スウェーデン、スイス。他方で、DAC諸国の中で16ヶ国が減額しており、なかでも、オーストリア、ベルギー、ギリシャ、日本、スペインは最大の減少幅を見せた。G7諸国はDAC全体によるODAの69%、EUは54%を占めている。

米国は純額307億ドルと依然として最大のドナー国だが、実額で見れば2010年からは0.9%の減となっている。GNIに占める比率は0.20%で、2010年時の0.21%から下がっている。一方、米国の対アフリカ二国間ODAは史上最大の93億ドル(+17.4%)で、後発開発途上国(LDC)に対する援助も、100億ドル(+6.9%)へと増加した。

オックスファムの分析

オックスファムの分析によると、2011年現在のペースでは、今後50年経ってもGNIの0.7%という目標に達することはない。西欧諸国は世界全体のトレンドよりは比較的良好であるが、それでも0.45%であり、2010年の目標として掲げられていた0.51%には達していない。これは額で言うと、目標に77億ユーロ足りていない。

欧州では、ギリシャがマイナス39.3%、スペインがマイナス32.7%と、最大の下げ幅を示した。他に、オーストリアとベルギーがかなり額を減らしている。しかし、実情は数字で見る以上に深刻である。スペインはすでにさらなる削減を発表しているし、現在は目標の0.7%に達しているオランダですら、減額の議論が始まっている。

他方で、ノルウェー、デンマーク、ルクセンブルクは、0.7%目標を達成しつづけると約束し、英国は2013年までに同目標を達成するとしている。ドイツとスウェーデンは援助額を増やしている。イタリアは昨年よりは増やしているが、これは主に債務削減と移民にかかるコストの上昇でインフレ圧力がかかったためである。

オックスファムは、公約を達成し額を増やす国があるということは、援助の減額は経済的な必要から来るものというよりも政治的な選択の問題であると分析している。そのうえで同団体は、世界でもっとも貧しい国々への援助減額の流れを止め、約束を実行するよう欧州諸国に求めている。

オックスファムのEU開発問題の専門家であるキャサリン・オライアー氏は、「欧州による開発支援の急速な減額は言い訳ができるものではありません。これは、銀行救済が続く一方で、世界でもっとも貧しい人々が[先進国の]緊縮財政の犠牲を払うということを意味しているのです。」と語った。

「援助を減らすことでバランスシートは改善しません。援助をほんのわずか減らしただけでも、人々は命を救う薬やきれいな水を手に入れることができなくなるのです。援助は欧州各国の予算規模からすればほんの小さな部分を占めているに過ぎないのだから、それをカットしたところで財政赤字解消にはほとんど寄与しません。それはまるで体重を減らすと言って髪を切るようなものなのです。」と語った。

「スペインやオランダのように援助を大幅に減らしている国は、その決定が人間に与えるコストを考慮に入れて、決定をすぐに覆すべきです。」

「もし援助削減を今後避けることができたならば、次に取り組むべきは、イタリアやオーストリアのように、現在は予算のわずかの部分しか援助に割り当てていない国々が、最も貧しい人々を援助するために援助額を増やす努力をすることです。」

世界銀行によれば、経済危機が原因で数千万人が極度の貧困状況下に追いやられているという。オックスファムは、経済危機によって影響をこうむった貧しい人々のために金融取引税(FTT)を導入するよう提案している。欧州委員会もまた、新たに毎年570億ユーロの財源をもたらす金融取引税(FTT)を欧州全域で導入するよう提案している。

オライアー氏は、「欧州諸国の指導者らは、銀行を救済する大量の資金を見出しました。しかし、デンマーク、ノルウェー、英国といった例外を除いて、世界で最も貧しい人々に対する僅かの額を見出すことには惨めにも失敗しているのです。欧州の各国政府は、公約を達成し、貧困国が被った損害を回復すべく金融部門に応分の負担を要請すべきです。金融取引税(FTT)は、これまで以上に必要となっている追加資金を調達する有効な機会を提供することになるでしょう。」と語った。

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

関連記事:
│開発│危機のなか、富者はさらに肥える
|ユニセフ|資金不足で数百万人の子どもへ支援の手が回らず

中国・ブラジル経済関係深化のデメリット

【リオデジャネイロIPS=ファビアナ・フレイシネット】

この10年間で、中国はブラジルにとっての最大の貿易相手、海外投資源になった。しかし、グローバル経済危機下で中国というライフラインに頼り続けることで、ラテンアメリカ最大の経済大国であるブラジルが長年にわたって直面してきた問題が解決されるどころか、より悪化しそうなのだ。

2009年、中国は、米国を抜いてブラジル最大の貿易相手になった。2011年の二国間貿易は年間770億ドルで、ブラジルの115億ドルの黒字である。2000年には、両国間の貿易はわずか25億ドルであった。

Pipelines that transport grains from the Suape port in Northeast Brazil. In the background, Brazil's largest flour mill, owned by Bunge. Credit: Mario Osava/IPS
Pipelines that transport grains from the Suape port in Northeast Brazil. In the background, Brazil’s largest flour mill, owned by Bunge. Credit: Mario Osava/IPS

 他方、中国資本による対ブラジル投資は、中央銀行の統計によると2005年から2011年までで30億ドルである。しかし、ブラジル貿易投資振興庁によると、香港やその他の地域を通じて間接的に投資されるものも含めると、2009年から2011年の間の投資額は170億ドルにものぼるという。

輸入・対外投資に関して、中国は、世界最大の人口(13億人)を抱えて増大し続ける原材料需要を背景に、特定の国への依存を最小限に抑えながら重要な基本物資を安定的に確保する政策を推し進めている。

APEX-Brasilの報告書『中国経済の国際化―直接投資の規模』によると、中国による投資は、世界経済危機にもかかわらず、石油や鉄鋼といった天然資源集約的な部門を中心に好調であるという。ブラジルの対中輸出は、鉄鉱石(2011年の輸出量の45%)、大豆(25%)、石油(11%)、食料などが中心である。

しかし、こうした経済構造に対する懸念も出されている。同盟横断統計・社会経済研究局(DIEESE)のエコノミスト、アデマール・ミネイロ氏は、「現在の状況が続くと、中国との経済統合によって、ラテンアメリカ旧来の農業輸出依存が深化することになってしまう」と述べている。

ミネイロ氏によると、中国との貿易構造は、かつての対欧州、対日本の構造とあまり変わることがないという。つまり、ブラジルは農産物、鉱物、エネルギーを輸出し、工業品を輸入するという姿である。

ミネイロ氏は、「ラテンアメリカでは、歴史的にこうした輸出モデルが少数の人々の元に富と権力を集中させる社会構造を助長してきた経緯があります。すなわち、ラテンアメリカにおいて民主主義を深化し富の再分配を実現していくには、こうした輸出構造を変革していく必要があるのです。」と語った。

この点については、ラテンアメリカ・カリブ経済委員会(ECLAC)も2010年に同様の見解を示している。

APEX-Brasil報告書は、中国が戦略的に天然資源が豊富な国々を貿易・投資対象に絞っているのはラテンアメリカに限ったことではなく、アフリカや中東においても同様である点を指摘している。

ラテンアメリカ諸国と中国の間の貿易総額は2000年の120億ドルから2011年には1880億ドルに増大している。

ブラジル経済の対中依存問題について報告する。(原文へ

翻訳/サマリー=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

関連記事:
│ジンバブエ│歓迎されなくなった中国企業

|マラウィ|政権交代が新たな転機となるか

【リロングェIPS=クレア・ングロ】

マラウィが抱える諸問題が、ビング・ワ・ムタリカ前大統領の死と共に解決されると考えるのはあまりにも短絡的過ぎるだろう。しかし新たに大統領に昇格したジョイス・バンダ前副大統領(野党人民党党首)にとっては、より国民の期待に応える新たなリーダーシップを発揮する機会となるだろう。

2004年に大統領に就任したムタリカ前大統領は2期目を務めていたが、4月5日に首都リロングェの大統領官邸で心臓発作を起こした。報道によると、大統領は市内のカムズ中央病院に緊急搬送されたが、間もなくして南アフリカに空路搬送されたという。4月6日には、大統領が死亡しているとの未確認情報が流れたが、7日になってマラウィ国営放送が正式に大統領の死亡を伝え、10日国を挙げて喪に服することを宣言した。

 大統領府及び内閣が公式に大統領の死亡を認めると、マラウィ国民は市場や街頭に繰り出し国中が歓喜に満ち溢れた。数時間後、憲法の規定に従ってバンダ副大統領が大統領に昇格した。バンダ氏は南部アフリカ初の女性元首として、前大統領の残りの任期である2014年の総選挙まで大統領職を務める予定である。

バンダ氏は、これまでのキャリアの大半を女性の権利と経済的エンパワーメントの向上のために尽力してきた。警察官を父に持つ家庭に育ったバンダ氏は、2011年12月に応じたIPSインタビューの中で、経済的な意志決定の分野において女性が阻害されている点を指摘し、問題を解決するには、「母親達の役割と裁量権を認めるような国家予算の配分をすべきだ。」と語っている。

リオングェのマワウィ女性実業家協会のネリア・カグワ会長は、IPSの取材に対して、「バンダ大統領には危機に直面しているマラウィの経済再建に期待しています。とりわけマラウィの零細ビジネスは、燃料高騰と外貨危機で崩壊の瀬戸際にあります。一刻も早い対処が必要であり、バンダ大統領がこの問題に優先的に取り組んでくれることを望んでいます。」と語った。

マラウィは、国民の74%が一日1.25ドル以下で暮らし、10人に1人の子どもが5歳未満で死亡している世界でも有数の最貧国である。これに近年の物価高が経済苦境に追い打ちをかけており、砂糖やパンといった必需品さて品不足の状態が続いている。さらに状況を複雑にしているのは、ムタリカ前政権が昨年6月に導入したパン。肉、ミルク、乳製品を対象とした16.5%にも及ぶ高率の付加価値税の存在である。

「(主食の)メイズ価格は昨年2倍に高騰し、多くの家庭が基本的な食糧を十分に確保できない状況に陥りました。新大統領はかつて彼女自身のコミュニティーで飢餓根絶に成功したことで有名な賞を授与されたことがあります。機会さえ与えられれば、多くのマラウィ国民を飢餓から救うことができるでしょう。」とカグワ会長は語った。

バンダ氏は1997年にモザンビークジョアキン・アルベルト・シサノ前大統領とともに「持続可能な飢餓撲滅のためのアフリカ賞」を受賞した。

リロンウェで屋台を営むジェームズ・カリウォ氏は、「ムタリカ前大統領の死でマラウィにもようやく明るい未来が見えてきました。ムタリカの経済政策の失敗で、国民すべてが問題を抱え込み、経済も社会も悪化の一途を辿っていました。私たちの祈りがついに神の届いたのだと思います。」と語った。

著名な政治アナリストのボニフェス・ドゥラーニ氏はIPSの取材に対して「マラウィが直面している諸問題がムタリカ大統領の死で解消されると考えるのは短絡過ぎますが、少なくともこの国が再建に向けて新たなスタートをきれるという点は間違いありません。バンダ新大統領には2014年の総選挙までの任期を最大限に活用してもらいたいと思います。」と語った。

またドゥラーニ氏は、「バンダ氏はこれまでは(ムタリカ前大統領による政治的圧迫に伴う)有権者の同情票を頼りにせざるをない状況がありましたが、今後は大統領としてマラウィを新たに進歩的な方向に導けることを証明することによって有権者の信任票を獲得することができるでしょう。バンダ氏は、この機会を生かして、政権の中枢にいるエリートに対する不信感を募らせてきているマラウィ国民の信頼を獲得できる位置にいるのです。」と語った。

ただし議会の圧倒的多数を占めている政権与党がバンダ新大統領の改革の試みを妨害するか否かは、「今の時点では何ともいえない。」と語った。

しかし、苦境に陥っているマラウィの経済状況は今後改善するだろうとの見方をするものは多い。ドゥラーニ氏はこの点について、「近視眼的な外為政策の失敗や失政に起因する諸外国からの援助金の凍結などマラウィが従来直面してきた問題の多くは、新政権の誕生により、今後急速に好転していくだろう。」と語り、新内閣の陣容が整えば、マラウィに対する諸外国からの経済支援も再開されるとの見解を示した。

マラウィとドナー諸国との関係は、同性愛者の人権と報道の自由を巡って対立したことから、急速に悪化し、ドナー諸国は最終的に最大4億ドルの開発援助金の支払いを停止した。また米国も3億5000万ドルの無償資金協力の提供を停止した。

さらに経済失政に燃料と外貨不足が加わり、昨年7月20日~21日にはマラウィ全土で空前規模の反ムタリカ抗議運動が起こった。これに対してムタリカ大統領は弾圧で臨み、21人が死亡、275人が逮捕された。その際、バンダ副大統領(当時)は、率先して抗議運動を支持した。

当時反ムタリカ抗議運動を率いた市民社会組織の著名なリーダーであるドロシー・ンゴマ氏は、バンダ新大統領は、マラウィを今日の経済危機から救ってくれると確信している、と語った。

「バンダ新大統領は能力がありますし信頼できます。まもなくこの国の変化を目の当たりにするでしょう。」とンゴマ氏は語った。

野党人民党党首でもあるバンダ氏は、大統領就任式の数時間前、リロングェ市内の自宅前に集まった支持者と報道関係者を前に演説を行った。会場には市民社会組織のリーダーや政府関係者も駆けつけ、他の支持者と共に政権交代の喜びとバンダ氏への支持を口々に表明した。

バンダ氏は、「マラウィは共和国憲法を堅持しながら前に進んでいかなければなりません。」と語った。また大統領就任式では、「(政敵への)復讐などおこなっている時ではありません。マラウィは一つの国として前に進まなければならないのです。」と付加えた。

バンダ氏の就任式には現役閣僚のほぼ全員が出席したが、前大統領の弟であるピーター・ムタリカ氏の姿はなかった。

ムタリカ前大統領の死に関する発表が2日間遅れたことから、バンダ氏と政権与党との間に権力闘争が繰り広げられているのではないかとの憶測が飛んだ。キャサリン・ゴタニ-ハラ運輸副大臣はIPSの取材に対して、「ムタリカ前大統領の同盟者は同氏の弟ピーターを後継者にしたかったのです。」と語った。

まさにこれこそムタリカ前大統領とバンダ氏が過去に意見の相違から衝突した問題であった。ムタリカ前大統領は、2014年の大統領選挙に弟のピーター・ムタリカ氏を与党民主進歩党候補に擁立しようとしたが、当時同盟関係にあったバンダ氏が同意しなかったことから、反抗的な態度をとったとしてバンダ氏を与党から追放し、政権からも排除した。これに対してバンダ氏は2011年9月に野党人民党を立ち上げる一方で、(選挙を経て選ばれた)副大統領の職は保持し続けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

|UAE|中国との文化的架け橋を目指すイベントを開催予定

【ドバイWAM】

アラブ首長国連邦(UAE)を訪れる中国人富裕層の数が近年急増し、中国人のビジネス習慣や文化に対する理解を深めることが地元企業にとって急務となってきている。

マスターカード社の調査によると、昨年UAEを訪れた中国人観光客は約30万人で、年間消費額は外国人観光客の中で最大の3億3400万ドルであった。

こうした流れに地元企業が有効に対処できるよう、ドバイ中国文化学習センター(DCLC)は、イベント企画会社「メインイベント」(本拠:ドバイ)との協力のもと、5月23日・24日の2日間にわたって「Chinese Cultural Awareness, Social ‘&’ Business Communication Conference」と題した専門家向け中国ビジネス講座を企画した。参加者は、主に中国文化と中国人観光客への対応ノウハウを学ぶ予定である。

 「UAEは、2009年に中国政府との間に「観光目的対象国」(ADS: Approved Destination Status)合意をしてから、中国からの観光客が急増しました。」と中国グローバル社・DCLCのルーシー・チャン常務理事は語った。

「UAEはこのステータスから大きな恩恵を得ています。不安定な中東情勢にもかかわらず、UAEはドバイアブダビなどレジャー・文化・ショッピングをミックスした観光産業が中国人観光客を魅了し続けており、今後も中国からの観光客数は増加し続けると見られている。両国間の航空移動時間が8時間程度と手ごろなことと、旅客便本数が豊富なことも、観光目的地としてのUAEの魅力を高めている要因となっている。」

UAEへの中国人観光客の増加は、中国人の海外渡航者数が近年大幅に伸びている傾向を反映したものでもある。国家観光庁の統計によると2011年に海外に渡航した中国人は5740万人で、2010年から20.4%増加した。この数値は、2015年にはさらに8400万人へと増加する見通しである。

中国ビジネス講座の1日目は、中国文化に焦点をあてた以下のトピックを扱う予定である(①言語、信条と習慣、②文化的価値観と行動形態、③中国の文化経済環境、④社会エチケット、外交儀礼と人間関係の構築について)。

また2日目には、社会・ビジネスコミュニケーションの分野に焦点をあてた以下のトピックを扱う予定である(①中国人観光客の行状とニーズ、②中国人顧客との交渉術、③食事、娯楽、接客等)。

またこの講座イベントでは、中国流の肩書、形式、カラーシンボル、さらには中国人の交渉における特徴等についても、専門家によるセミナーが実施される予定である。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

関連記事:
|UAE|「砂漠のスーパースター3D」が初公開される

|パキスタン|強制的に改宗させられるヒンドゥー女性

【カラチIPS=ゾフィーン・イブラヒム】

カラチに住むヒンドゥー教の少女バルティ(15歳)は、昨年12月、裁縫教室に出かけたきり帰ってこなかった。失踪の3日後、父のナライン・ダス(55歳)は、彼女がイスラム教に改宗したと聞かされた。

「私たちは本当に心配しました。その後、娘が裁縫の装飾品を買いに近くの市場に出かけたときに地元の警官の息子に誘拐されたと知ったのです」と元運転手のダスはINPSの取材に応じて語った。

 「彼は娘を3日間監禁しました。その間に何があったかはわかりませんが、彼は、娘は彼との結婚に同意したと言うのです」。

パキスタン(人口1億8000万人)において、ヒンズー教徒は約1%余りを占めている。パキスタン独立人権委員会は、ヒンズー教徒の少女が拉致されイスラム教への改宗を強制される事件が増加傾向にあると憂慮を表明している。

新聞のヘッドラインを賑わせた最近の事件に、2月28日に誘拐されたカラチのアガカーン大学病院に勤務するラタ・クマール博士の事件がある。彼女は後に発見されて法廷に現れた。

法定で娘と対面することになったシンド州ジャコババードで開業医を営む父のラメシュ・クマールは、IPSの取材に対して、「ラタが私の別の娘(ジョティ)のそばを通り過ぎるとき、『私のためになんとかして』とささやいたのです。しかし、そのまま連れて行かれてしまいました。」と語った。

クマール氏は、結婚を控えていた娘が自らの意思で失踪するわけがないとして、「もし娘が逃げ去ったのだとしたら、私たちに助けを求めたりするでしょうか?娘がもし自由意思で改宗したのなら、家族である私たちがなぜ娘に会うことができないのでしょうか?」と語った。

シンド州高等法院は、ラタに対して、判決が出るまで政府運営のシェルターに身を寄せるよう命令した。しかし、地元の議員の中には、その施設では彼女の安全は確保できないとして、政府に対して彼女の身柄を連邦首都のイスラマバードに移すよう強く訴えている。

その政府運営のシェルターには、ラタの他にもシンド州ゴトキ出身のリンケル・クマリ(現在はイスラム名のファーヤル・シャー)が収監され、彼女の父ナンド・ラルは小学校の教師であったが、娘に起こった事件の後、残りの家族を連れて600キロ離れたパンジャブ州ラホールのシーク教寺院に避難した。

「毎月少なくとも20~25人のヒンドュー教徒の少女が誘拐され直後にイスラム教に改宗させられています。」とパキスタン独立人権委員会のアマルナス・モトゥメル弁護士は語った。

ヒンドゥーコミュニティーの間では誘拐と強制改宗に対する恐れが広がっており、シンド州内陸部に暮らすヒンドゥー家庭の多くが、思春期に達した娘の通学を止めさせている。

元議員でパキスタンヒンドゥー協議会の会長を務めているラメシュ・クマール博士は、「強制改宗、脅迫、身代金目的の誘拐等により、毎年多くのヒンドゥー家族がやむなくインドに移住しています。パキスタンは私たちの祖国です。しかし政府が自国の国民の安全を保障できないのであれば、国外に逃れるより選択肢がありません。事態は、私たちヒンドゥー教徒の努力だけではどうしようもないほど、悪化しています。」と語った。

ナライン・ダスの24歳になる息子ラクシュマンは、数年前にイスラムに改宗し家を出て行った。しかし3年後に、(イスラム名)アブドゥル・レーマンとして惨めな姿で帰宅した息子は、両親に「元に戻りたい(take me back)」と懇願した。

しかしパキスタンでは、一旦イスラム教徒になったものが棄教したと見做された場合、死刑が適用される。ダスは、「息子を死罪から救うために、ヒンドゥー教徒の娘をイスラムに改宗させて結婚させるしかありませんでした。」と語った。

ダン・バイが誘拐された娘バーティと初めて再会できたのは裁判所の法廷であった。「娘はそれまで我が家では着たこともない頭からつま先まで体をすっぽりと覆った黒のアバヤを纏わされていました。アバヤを通して見えたのは娘の眼だけでしたが、彼女は泣いているようでした。」とバイは語った。

ヒンドゥー教徒のジャーナリスト・アマール・グリロは、「イスラムへの強制改宗は、ヒンドゥー教徒でも上級カーストかビジネスクラスの家庭のみをターゲットに行われています。」と指摘したうえで、「ヒンドゥー教徒の少女が実際に誘拐され、強制的にイスラムに改宗させられたうえで結婚させられる事例がある一方で、(ヒンドゥー教の慣習に纏わる)持参金の問題から逃れるために、自らの意志で改宗するケースもあります。」と語った。

またグリロは、「いくつかの事例をみると、ヒンドゥー家庭の娘が結婚する場合、持参金として最大2百万ルピー(約182万7千円)を親が支払わなければならないケースがあります。もし親が持参金を払えなければ、娘は結婚できないわけです。そうした背景があるので、中には相手を見つけて駆け落ちする娘もいるのです。」「ヒンドゥー教徒は連邦及び州議会でイスラム教以外の(少数派)宗教グループに割り当てられている30議席のうち、17議席を確保しています。しかし今日まで、持参金制度や強制改宗を禁ずる法律の制定に動いたことはありません。」と語った。

モツメル氏は、一方で持参金制度が原因で多くのヒンドゥー教徒の娘達がヒンドゥーコミュニティー外の若者と婚姻している実態を認めつつ、「しかし、『改宗』という言葉に全く新しい意味づけをなしたのは、イスラム過激派の存在です。」と語った。

カラチのイスラム神学校ジャミア・ビノリアの聖職者マフティ・ムハマド・マフティ・ナイーム師は、「強制改宗はNGOによるプロパガンダに過ぎません。」と語った。しかし同時に、過去8~9カ月の間に約200人の男女をイスラム教徒に改宗させたことを認めた。

「私はイスラム教に改宗した全ての人々のリストを持っていますが、皆が自分の自由意思で改宗した人たちです。彼らに電話してイスラム教への改宗に際して強制があったかどうか尋ねてもいいですよ。彼らはイスラム文化の中で生活してきたわけですから、イスラム教に惹きつけられるのは自然の成り行きなのです。」と語った。

またナイーム師は、「イスラムの教えを広め、異教徒をイスラム教に導くものは、死後に祝福されるのです。」と付加えた。

今まで幾度となく強制改宗を巡る裁判でヒンドゥー教徒の家族を代弁してきたモトゥメル弁護士は、「私は司法制度に対する信頼の念を失ってしまいました。裁判が開廷して裁判官がまず(改宗されられたとされる)少女にカルマ(自分はイスラム教徒であることを認めるイスラムの基本教義)を唱えるよう求めます。そして少女がカルマを唱えた時点で、事実上、ヒンドゥー教徒の家族が娘を取り戻すことは不可能となるのです。」と語った。

また法廷では、「少女が入廷すると同時に、たいていは狂信的なイスラム信徒に囲まれ、恐怖の雰囲気が作り出されます。それは、少女だけではなく、弁護士や裁判官にも向けられているのです。そして法廷の外では、武装した男たちが傍聴人が出てくるのを待ち構えているのです。」と語った。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

関連記事:
│エジプト│愛する権利すらも奪われた女性
│キルギス│花嫁誘拐禁止法、一夫多妻主義者の妨害で否決

|エジプト|「憲法委員会は信用の危機にある」とUAE紙

0

【アブダビWAM】

「コプト正教会が、エジプトの新憲法策定を託されている憲法委員会(イスラム原理主義者が委員の大半を占めている)から代表委員を引き上げた。これにより、新憲法策定のプロセスそのものの正当性が益々問われる事態となった。」とアラブ首長国連邦(UAE)の日刊紙が報じた。

憲法委員会(委員定数:100名)はムスリム同胞団とサラフィスト勢力が大多数を占めているエジプト議会の構成を反映して組織されているため、コプト正教会の決定は、一見民主主義の規範を尊重していないように見える。

 しかし、来る新エジプト憲法には、まさにこの民主主義の原則が明記されなければならない。そのためには、政治的なものであれそうでないものであれ、憲法策定のプロセスが特定のイデオロギーによって支配されるものであってはならない。

「従ってコプト正教会が憲法委員会に出していた2名の委員を引き上げる決定をしたことを、反民主主義と決めつけることはできない。」とシャルジャに拠点を置く英字日刊紙が4月6日付の論説の中で報じた。

コプト正教会は、「憲法委員会の構成について様々な政治勢力が異議を表明している中で、当教会が代表委員を出し続けているのは適切ではないと判断した。」と述べ、今回の決定理由を明らかにしている。

キリスト教徒は8200万人のエジプトにおいて約10%の人口を占めている。コプト正教徒は長年マイノリティーとして差別されてきたと主張し続けてきているだけに、自身の権利を確保するためにも、是が非でも新憲法において発言権を確保したいところである。

ちなみに、憲法委員会から代表を脱退させたのはコプト正教だけではない。この点について同紙は、「最近、いくつかのリベラル派政党や非宗教的政党の委員が、『私たちは、イスラム原理主義者が自らの政治・宗教的なイデオロギーを反映させた憲法を策定するための見せかけの存在として利用されている。』と主張して憲法委員会から脱退している。」と報じている。

また同紙は、「イスラム教スンニ派の最高学府であるアル・アズハル大学も、憲法委員会から脱退し、ムスリム同胞団及びサラフィスト勢力との関係に距離を置く決定を下した。」と報じた。

ムスリム同胞団は、ホスニ・ムバラク政権を崩壊に導いた革命後に行った2つの公約(①ムスリム同胞団から大統領候補を出さない。②自身のイデオロギーを新憲法に押し付けない)を反故にしようとしている。ムスリム同胞団は従来「リーダーがあることを公約すると、時がくれば全くその反対を行う」と批判されてきたが、今回はその批判通りの行動をしていることになる。また、ムスリム同胞団が行った公約には米国とイスラエルにとって極めて重要なものもある。すなわち1979年に米国の仲介で成立したキャンプ・デーヴィッド合意である。たとえムスリム同胞団が同合意を反故にしてもアラブ世界にとって大きな損失になるわけではないが、ムスリム同胞団は、そうした決定が、エジプトを世界から孤立させ、イランが陥っているような立場にエジプト自身が追い込まれることになるリスクを十分に理解しているはずである。

一方、ムスリム同胞団とサラフィスト勢力が、自身が進めている新憲法策定プロセスに対する諸勢力の批判に耳を傾け、方向転換を行う可能性は低い。これらイスラム原理主義勢力にとって今回の機会は長年待ち続けてきたものであり、念願の国政掌握を目の前に妥協に転じることは考えにくい。

同紙は、「両勢力は国民民主党(NDP)が政権を握っている間は非合法集団として弾圧されてきた。しかし同党を率いたホスニ・ムバラク前大統領が失脚して政権獲得の機会が見えてきた。彼らは民主主義であれ非民主主義であれ、彼らの計画を台無しにするような動きに妥協することはないだろう。」と結論付けた。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

関連記事:
|エジプト|軍最高評議会、「エジプトにホメイニ師はいない」と語る
│中東│形を変える検閲
│エジプト│愛する権利すらも奪われた女性

|アルゼンチン|30年後に明らかになった一般兵士への虐待の実態

【ブエノスアイレスIPS=マルセラ・ヴァレンテ】

1982年のフォークランド(マルビナス)諸島戦争から30年が経過したが、当時従軍した元アルゼンチン兵士たちが、司法の場で最後の闘いを挑んでいる――彼らは当時上官から受けた残虐な扱いを人道に対する罪として認めるよう、アルゼンチン最高裁に訴えているのである。

「私たちは軍事独裁時代(1976年~83年)の最後の犠牲者です。」と、ブエノスアイレス州の州都ラプラタに本拠を置く「マルビナス戦争元従軍兵士の会」会員のエルネスト・アルフォンソ氏はIPSの取材に応じて語った。

1982年4月2日、アルゼンチンのレオポルド・ガルチェリ政権(右下写真)は、同国の東方480キロの南大西洋に位置するフォークランド(マルビナス)諸島(1833年以来英国が実効支配)に突如侵攻した。

その後74日間に亘って繰り広げられた英国―アルゼンチン間の戦争は同年6月14日のアルゼンチン軍降伏で幕を閉じたが、その間にアルゼンチン兵士635名、英国兵士255名が命を落とした。

Retrato Oficial de Leopoldo Fortunato Galtieri/ Casa Rosada (Argentina Presidency of the Nation), CC 表示-継承 2.0,による
Retrato Oficial de Leopoldo Fortunato Galtieri/ Casa Rosada (Argentina Presidency of the Nation), CC 表示-継承 2.0,による

 しかしアルゼンチン側の犠牲者は英国兵との直接的な戦闘によるものだけではなく、当時の自軍の上官による様々な虐待(凍てつく水に体を沈める体罰、性的虐待等)をはじめ、飢餓や低体温症(当時戦地では気温は氷点下10度まで下がった)によって命を奪われた兵士が多数いたという証言が後を絶たない。

「長年、アルゼンチン軍内の虐待殺人について語ることはタブーでした。しかし、少しずつ真実が語られるようになりました。」とアルフォンソ氏は語った。

アルフォンソ氏は、「私たちに起こったことは軍事独裁体制下における出来事です。つまり、(反体制派と見做された人々やその家族約3万人を粛清した「汚い戦争」)を遂行した軍人達と同じ人々が引き起こした事件なのです。」と語った。

現在、クリスティーナ・フェルナンデス・デ・キルチネル政権の下で「汚い戦争」で当時犠牲者の拉致、拷問、強制失踪等に関与した軍人達が裁判にかけられている中、アルフォンソ氏もアルゼンチン最高裁がこのフォークランド(マルビナス)諸島で行われた人権侵害について、犯人に有罪判決を下すのではないかと期待している。

マルビナス戦争元従軍兵士達が最初に訴訟をおこしたのは2007年のことである。第一審裁判所は、当時の虐待は人道に対する罪に相当すると認め、従っていかなる出訴期限法も該当しない(=時効はない)との判断を下した。

その後、1審の判決は第二審でも支持されたが、被告側が破棄裁判所(Cámara de Casación Penal)に訴え出た結果、同裁判所は2009年に、「戦争中の犯罪は軍事法廷で裁かれるべきであり、出訴期限法の適用期限は過ぎている。」との判決を下した。

そうした中、フォークランド(マルビナス)諸島戦争30年を目前に控えて、120人の元従軍兵士が最高裁判所の判断を求める訴訟をおこし、受理された。

原告は、もし裁判所が本件を人道に対する罪と認めて出訴期限法が適用されないとの判断を下せば、従来沈黙を守ってきたもっと多くの元従軍兵士達が補償を求めて訴訟に踏み切るだろうと語った。

こうした元従軍兵士による訴訟行動は、人権団体やノーベル平和賞受賞者、アドルフォ・ペレス・エスキベル(ブエノスアイレス州議会が1999年に設立した独立組織「Provincial Commission for Memory」代表)氏の支持を得ている。

今回の訴訟では約80名のアルゼンチン軍士官・下士官が、フォークランド(マルビナス)諸島戦争期間中に同島において自軍の兵士(ほとんどが徴兵され強制的に軍務についていた青年達)に対して拷問その他の犯罪行為を行ったとして訴えられている。

訴えられている人物の中には、独裁軍事政権下で行われた「汚い戦争」への関与が疑われて有罪が確定し、既に収監されたものもいるが、依然とした大半はフォークランド(マルビナス)諸島戦争に従軍した現役或いは退役軍人として、国から恩給を支給されている。
 
「独裁軍事政権は、1982年4月2日に(国民に対して仕掛けた「汚い戦争」の実態と経済政策の失態から国民の目を逸らすために仕掛けた)英国との戦争を開始しても、戦地において一般従軍兵士に対する拷問を継続しました。」と元従軍兵士で原告の一人であるパブロ・ベネデッティ氏は語った。

ベネデッティ氏は当時19歳。徴兵後2カ月にも満たない軍事訓練を経て、マルビナス諸島に送り込まれた。戦地では、地雷の敷設作業を命じられ、食料不足と極寒状況にも関わらず、塹壕で寝泊まりすることを強いられた。

ベネデッティ氏の当時の上官はロメロ軍曹で、しばしばベネデッティ氏に過酷な体罰を加えた。軍曹がしばしばベネデッティ氏に凍てつく水の中に体を沈めるよう命じ、水から出た後も着替えを禁じた。当時マルビナス諸島では、気温が氷点下10度まで冷え込むこともあった。

ベネデッティ氏によれば、またあるとき、ロメロ軍曹は彼の頭に銃を突きつけ引き金を引いて(弾は入っていなかった)怖がらせたという。またロメロ軍曹は、「伏せろ!」と号令をかけては、懲罰として彼に地雷原の傍で蛙飛びをさせたこともしばしばあったという。

「私の両足は膨れ上がって歩くことが出来なくなりました。結局、軍医のところに運ばれ手当てを受けることになりました。軍医はロメロ軍曹が立ち会う中、私に向かって『薬を飲むように。そして二度と、冷たい水の中に入ったり、濡れた服を着たまま過ごさないように。』と忠告したのです。」

「しかし塹壕に戻るとロメロ軍曹は、『俺が直してやる。』と言って、薬を投げ捨て、再び私を凍てつく水の中に突き落としたのです。」

6月までに、ベネデッティ氏はマルビナス島の病院に収容され、まもなくアルゼンチン本国の病院に移送された。彼の足は激しく膨れ上がり、病院に運び込まれた時にはブーツを切らなければならなかった。ベネデッティ氏の足の状態は、一歩間違えれば切断せざるを得ないほど悪化していたのである。

ベネデッティ氏はブエノスアイレス州のプエルト・ベルグラノの病院に収容されたが、家族へ自分の居場所や状態について知らせることは固く禁じられた。

「今は戦争中だから(家族に)連絡をとってはならない。」と上官はベネデッティ氏に命じた。しかしベネデッティ氏はなんとか車椅子を手に入れ、トイレに行くふりをしてナースステーションに駆け込み、そこから両親に連絡を入れた。両親は翌日病院に駆けつけてきた。

結局ベネデッティ氏は20日の入院生活を経て両親の元に戻ったが、戦後数年に亘って深刻な身体的な後遺症と精神的なトラウマに苦しんだ。当時政府による援助は一切なく、両親は変わり果てて帰ってきた息子の看病に追われた。今日ベネデッティ氏は49歳になるが、今でも両足に負った傷の後遺症に苦しんでおり、薬を飲み続けている。

Argentine soldiers in Stanley during Operation Rosario. Falklands War./ Public Domain
Argentine soldiers in Stanley during Operation Rosario. Falklands War./ Public Domain

ベネデッティ氏は、最高裁は彼らの訴えを取り上げて当時の人権侵害についての審理に入るものと確信している。「当時私たちにひどい仕打ちをした士官たちが降格され、軍人としての特別待遇や、名誉、年金を取り上げられることを望んでいます。そして何よりも彼らが犯した罪を償うために刑務所に収監されることを望みます。」とベネデッティ氏は語った。

もう一人の原告シルヴィオ・カッツ氏は、数年前になって、ようやくマルビナス諸島でかつて兵士として経験した虐待と屈辱についてメディアに話す決心をした。カッツ氏の場合、ユダヤ人であることから、特に過酷な虐待に晒された。

カッツ氏は、「ユダヤ人の野郎、裏切り者」など上官から様々な侮辱的な言葉を浴びせかけられた。彼は他の徴集兵とともに凍てつく水の中に無理やり手を入れたままにする虐待に晒されたが、彼の場合(ユダヤ人なので)、同時に顔も水に突っ込むよう強制された。

またカッツ氏は、一度だけ凍りついた大地に下着とTシャツ姿のまま杭で縛り付けられ、上官の命令で強制された同僚の兵士たちに放尿されたこともある。「彼らは私に排泄物を食べるよう強制しました。この屈辱は決して忘れません。」とカッツ氏は語った。

終戦後カッツ氏はまもなく復員したが、帰国後まもなくして自分を拷問した下士官エドワルド・フローレス・アルドイノを偶然街の通りで見かけ、恐怖で思わす失禁したという。(原文へ

翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

70億人が都市を埋め尽くす前に行動を

【ベルリンIDN=エヴァ・ウェイラー】

世界の人口全体が90億人になる2050年には、世界の都市部に60億人を超える人々が集住し、食料、エネルギー供給面で深刻な事態に直面しているだろう-これが、経済協力開発機構(OECD)の『OECD環境概観2050』の予想である。

OECDによれば、OECD加盟諸国(34カ国)では2050年までに高齢化率(65才以上の人口が全体に占める割合)が現在の15%から25%になるほか、中国やインドもやはり深刻な労働力不足を経験することになるであろう。

また『OECD環境概観2050』は、近年における経済不況とは対照的に、2050年までに世界の国内総生産(GDP)合計は現在の4倍になると予測している。中国、インドのGDP成長率は徐々に減速していき、一方で、アフリカ大陸は引き続き他の地域と比較して最貧地域であることに違いはないが、2030年から50年にかけて、経済成長率の面では、世界で最も高い伸びを示すとみられている。

経済規模が今日の4倍にまで成長した2050年の世界では、新たな対策が取られない限り、今日よりもエネルギー消費量が80%増加するとみられている。しかしエネルギー構成は現在のそれとほとんど変わらないものとみられ、化石燃料が85%、バイオエネルギーを含む再生可能エネルギーが10%強、その他が原子力エネルギーである。また2050年までには、BRIICS諸国(ブラジル、ロシア、インド、インドネシア、中国、南アフリカ)がますます化石燃料への依存を強めながら、エネルギー消費大国となっている。

また、人口増加に対応して食料生産も増えるが、希少な土地をめぐる紛争が増えるものとみられる。
 
また、主にエネルギー関連の二酸化炭素排出量が70%増加することから、地球温暖効果ガス(GHG)の排出も2050年までには5割増加し、大気中のGHG濃度が685ppmに達すると予想されている。もしそうなれば、今世紀末までに地球の平均気温は産業化以前のレベルに比べて3~6度上昇するが、現在の合意では「2度まで」とされており、差が大きい。

2020年以降に思い切ったGHG削減策が早急に行われない限り、2010年12月の気候変動枠組条約第16回締約国会議(COP16)における合意内容だけでは、気温上昇を2度以内に抑えることは不可能である。

炭素税や「キャップ・アンド・トレード」方式の導入などによって炭素に適切な価格付けをしていかないかぎり、適切な措置をとった場合と比較して、2050年には地球温暖化関連のコストが50%増になるという。

生物多様性もかなり悪化するとみられる。2050年までに多様性が10%減少すると予想されている(とりわけアジア、欧州、アフリカ南部の状況が深刻)。生物多様性減少の原因としては、気候変動と公害に加えて、土地利用方法の変化(農業など)、商用の森林の増加、インフラ開発、生活の場としての利用などがあげられている。

しかし、適切な保護地区の設定によって、事態の悪化が食い止められる可能性がある。現在、地球の陸地の13%が保護地区に指定されているが、領海の場合はわずか7.2%であるという。

OECD報告では、2020年までに陸地・内海の17%、沿岸部の10%を保護地区とする、生物多様性条約愛知会議での合意を実施するために、さらなる措置を求めている。

OECDによる2050年の地球環境の姿の予測について報告する。

翻訳/サマリー=山口響/IPS Japan浅霧勝浩

関連記事:
|気候変動|排出削減合意に向けて僅かな前進(ダーバン会合)
水はスマートな都市拡張の命綱(ストックホルム国際水研究所所長アンダース・バーンテル氏インタビュー)

|UAE|「暴力的過激主義」対策会議が開催される

0

【アブダビWAM】

グローバル・テロ対策フォーラム(GCTF)の調査検討委員会による「暴力的過激主義対策」をテーマとした第一回会議が、4月3日から2日間に亘ってアラブ首長国連邦(UAE)アブダビのエミレツタワーにおいて開催された。

会期中UAE政府は、今年10月にアブダビを拠点とする世界初となる「暴力的過激主義対策」のための国際センター(International Centre of Excellence on Countering Violent Extremism:CVE) を開設する提案を行った。

2日間の会議では、欧州連合、国連及び29カ国から参加したテロや過激主義に関する専門家が、暴力的過激主義への対応策についての協議を行った。

 UAEのファリス・アル・マズルーイー安全保障・軍事問題担当外務大臣補佐官は、「テロとの戦いを進めていく中、専門家の間で、暴力的過激主義の問題に注目が集まっています。」と指摘した上で、「テロリスト集団を無力化し、その活動を封じ込めるには、安全保障の枠組み、司法制度、対テロ兵力の役割がますます重要になっています。」と語った。

またマズルーイー補佐官は、「しかし国際社会は、個人をいかにテロの道に走らせず、暴力的なオデオロギーから遠ざける有効な方策については、未だに十分な理解を得るには至っていません。」「過激主義は基本的に宗教ではなく、イデオロギーに根ざしたものです。従って、私たちはあらゆる形態の暴力的過激主義の原因を研究していく必要があるのです。」と語った。

グローバル・テロ対策フォーラムの設立メンバーは、UAE、アルジェリア、オーストラリア、カナダ、中国、コロンビア、デンマーク、エジプト、欧州連合、フランス、ドイツ、インド、インドネシア、イタリア、日本、ヨルダン、モロッコ、オランダ、ニュージーランド、ナイジェリア、パキスタン、カタール、ロシア、サウジアラビア、南アフリカ、スペイン、スイス、トルコ、英国、米国である。(原文へ

翻訳=IPS Japan戸田千鶴

関連記事:
「テロとの戦い」に懐疑的なアジア
|宗教|大手主要メディアによるテロ

核時代のパラドックス(ロナルド・マッコイ「核戦争防止国際医師の会」共同代表)

0

【IPSコラム=ロナルド・マッコイ】

気候変動と核戦争は、人間の安全保障と地球の生存にとってもっとも重大な2つの脅威だと言えるだろう。各国政府は気候変動の原因に対処し、核戦争を防止しようとしているが、温室効果ガスを減らし核兵器をなくす政治的意思はさらに強化される必要がある。

気候変動はいまやはっきりと目に見える問題になった。しかし、依然として戦争に訴えることで紛争を解決しようとしているこの世界において、核兵器が存在しているにもかかわらず、自己満足にひたった世界の指導者の中には、核戦争の脅威を比較的抽象的なものとしてとらえ、その存在が視野に入っていない者もいる。

1970年の核不拡散条約(NPT)第6条では、非核兵器国は核兵器を保有せず、核兵器国は既存の核を廃絶していく法的義務を課している(第6条の文言には「非核兵器国」という言葉はない。単に、NPT加盟国に対して「軍拡競争を終わらせるために誠実な交渉を行う」ことを求めているだけである。おそらく、この点を起草者にただすべきだろう)。核兵器国は、文言の上ではこれに合意しているが、実際には、安全保障のために核抑止力に頼りつづけ、核戦力を維持・近代化している。この二重基準が、核の「持つ者」と「持たざる者」の仕組みを永続化させ、ジュネーブ軍縮会議をこの15年間麻痺させ、NPTプロセスにおける停滞の原因となっている。

 冷戦終結から21年、主たる核の主唱者である米国とロシアは、依然として2万発以上の核兵器を保有している。両国ともに、配備された長距離核兵器を2018年までに1550発まで削減することを約した2010年の新START(戦略兵器削減条約)によって、さらなる核削減を進めるとしている。しかし、国内の政治情勢や米国のミサイル防衛計画、イランの核武装の野望などが、その障壁となってきた。

核兵器を保有する国がありつづけるかぎり、他国が核を取得しようという誘因になる。核兵器が存在しつづけるかぎり、決定によるものであれ、偶然や計算違いによるものであれ、いつか使用されてしまうかもしれない。未来にあるのは、拡散対抗措置を取りながら現状維持を図るか、核拡散との危険な共存を図るか、核兵器を全廃するかの3つの選択肢しかない。

1997年、国際法、科学、医学、軍縮問題の専門知識を持った活動家が、根本的な核のジレンマの問題に取り組んだ。核兵器なき世界に向けた法的、技術的、政治的条件を探り、すべての国にとっての安全保障上の懸念を検討したのである。彼らの問いとは、軍事主義と核抑止をベースにした軍事安全保障は、長期的に見て人間と地球の生存と両立しうるのか、というものであった。彼らは、生存は核兵器を廃絶できるかにかかっていると結論し、モデル核兵器禁止条約の策定へと向かった。これは、他の種類の大量破壊兵器である化学兵器・生物兵器に関して採択された条約の成功体験を元に、核廃絶の実行可能性に光を当てたものであった。

国連はモデル核兵器条約を公式文書のひとつとして認めた(国連文書A/C.1/52/7)。120ヶ国以上の国連加盟国が、すべての核兵器の廃絶、生産の禁止、強力な検証体制による核製造の防止を定めた核兵器禁止条約に向けた交渉を行うよう、国連総会で賛成票を投じた。

核廃絶には多くの障害があるが、そのもっとも根本的なものは、政治的意思の欠如と「外交の軍事化」であろう。しかし、過去、現在の指導者の中には発想転換の兆しが見られ、このことが、世界が今後20~30年で核を廃絶することができるのではないかという(やや抑え目の)楽観論の根拠となっている。米国の「冷戦の闘士」であり、政府の安全保障部門の主要人物であったヘンリー・キッシンジャー、ジョージ・シュルツ、ウィリアム・ペリー、サム・ナンの4人が、核兵器なき世界を訴えている。バラク・オバマ大統領もまた、同じような主張をしている。

中規模国家は、最終的に核兵器禁止条約の締結につながるような多国間交渉を引っ張ることができる位置にいる。そのような交渉が始まったならば、世界の市民社会が刺激されて澎湃(ほうはい)たる世論が沸き起こり、核廃絶プロセスに加わる不可逆的なプレッシャーが核兵器国にかけられることになるだろう。それは、地雷保有を放棄して地雷禁止条約を各国に採択させたオタワプロセスに似ている。核兵器を廃絶するためのそうした世界的な努力には、ブラジル、エジプト、アイルランド、メキシコ、ニュージーランド、南アフリカ、スウェーデンから成る「新アジェンダ連合」のような中規模国家による相当な政治的資源の投資を要する。

核兵器禁止条約は、核兵器の開発・生産・実験・配備・貯蔵・移転・使用(その威嚇を含む)を禁止するものである。広い意味では、それは核兵器の一般的な否定を意味し、あらゆる大量破壊兵器に反対する規範を成文化するものである。そうした条約は、外交の軍事化と核兵器への依存から離脱しようとする社会・政治運動を触発することになるだろう。核兵器廃絶の地点まで核軍縮を進め、人間の存在に関わる核戦争の脅威は取り除かれることになるだろう。

核軍縮と核廃絶の重要な違いちがいは、軍縮は基本的には技術的プロセスであるのに対して、廃絶は、軍縮を包含しつつ、核兵器の開発・取得・使用をも禁止する規範的なプロセスであるという点である。

核兵器禁止条約の締結は、時限を切り、強力な政治的意思に支えられた、包括的な多国間交渉を必要とすることになるだろう。このプロセスは、一連の二国間・多国間措置から成り、最終的には、法的拘束力のある取り決め(あるいは諸取り決めの枠組み)につながっていくことになる。このプロセスは、すでに確立されたものではあるが機能不全に陥っているジュネーブ軍縮会議で起こるかもしれないし、国連海洋法条約の採択に成功した諸会議と同じく、一連の特別な国際会議によるものになるかもしれない。

核時代のパラドックスとは、核兵器を通じて権力や軍事安全保障を確保しようとする動きが強くなるにつれ、人間の安全保障という目標が遠くなってしまうことである。環境面での問題が多く発生し、核武装した世界で人類が生き延びるには、過去の失敗から学び、共通の安全な将来を形作っていく必要がある。我々の時代の道徳上の難問とは、核戦争あるいは気候変動による「球規模での自爆」いう、到底考えられないような可能性のことだ。将来にむけた最大の優先課題とは、将来が存在するようにする、ということになるだろう。(原文へ
 
翻訳=IPS Japan浅霧勝浩

※ロナルド・マッコイは元産婦人科医。「社会的責任を考えるマレーシア医師の会」の創始者、「核戦争防止国際医師の会」(1985年にノーベル賞受賞)の共同代表でもある。

関連記事:
|軍縮|核兵器のない世界という新たな約束
|軍縮|核軍縮には未来がある(セルジオ・ドゥアルテ国連軍縮担当上級代表)
アジアのリーダーが域内に焦点をあてた反核キャンペーンを開始